お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2023年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2018年1月以降の記事を残し、2017年12月以前の記事は削除しました(2018年1月1日から2023年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

JRさわやかウォーキング

2023年5月 8日 (月)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

230505jrwalking2  5月5日に行ってきたJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」の本編その3です。その2では、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と訪ねました。この日は、次に訪れた田丸城跡がゴール。

Img_4099c_20230507112101 Img_4121c_20230507112701  田丸城は、戦国時代に多くの武将たちが居城した、南伊勢随一の名城といわれます。JRさわやかウォーキングでも田丸城跡を訪ねる企画は、毎年1回は必ずあり、ずっと以前から一度は行ってみたいところでした。しかし、玉城町というと桑名からはかなり遠いイメージがあり、二の足を踏んでいました。今回は、先延ばしにしているといつまでも行けないと重い腰を上げたのです。

Img_4367c_20230507141401 Img_4400c_20230507141601  田丸城は、北畠親房顕信父子が延元元(1336)年、玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたと伝えられます。天正3(1575)年、織田信長の次男・信雄により平山城の田丸城が築かれます。信雄は田丸城を石垣や、三層の天守をもつ城へと大改築したのですが、天正8(1580)年、炎上し、信雄は松ヶ島城へと移りました。本能寺の変(天正10(1582)年)以降、田丸直息(のちの直昌)らは信雄に叛いて羽柴秀吉に味方し、蒲生氏郷とともに松ヶ島城を攻略します。天正12(1584)年、氏郷は伊勢の領主となって松ヶ島城へ移り、直昌は田丸城主に返り咲きました。天正18(1590)年、直昌は秀吉の命を受け、氏郷とともに東北地方へ移り、その後の田丸城は稲葉重通が城代となり、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦の戦功により岩出城主・稲葉道通(みちとお)が城主となります。このとき岩出城を廃し、城郭の主要な建造物や石塁等を田丸に遷し、大改築をしたと伝わっています。元和3年(1617年)津城主藤堂高虎が、徳川氏より伊勢田丸城の地を加増され田丸領を支配します。元和5年(1619年)には紀州徳川家領となり、家老の久野宗成が田丸城主となり、明治まで続いています。明治2(1869)年に廃城。野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址で、平成29(2017)年、「続日本100名城」に選出されました。左の写真は、玉城町役場と田丸保育所の間の入り口、右の写真は旧大手橋。

Tamarucastleruin  こちらは現在の地図。この日のウォーキングでは城跡の北にある田丸神社の方から入り、お城広場のところを右折して、玉城中学校の西側から玉城城跡に登っていきました。城跡を見て、帰りはお城広場のところまで戻り、奥書院の西から玉城町役場の北にある大手橋を渡り、田丸保育所の東で左折して田丸駅に向かいました。

Img_4118c_20230507144701  お城広場から右折した先に富士見門(長屋門)があります。廃城当時(明治4(1871)年)、城内の建物は入札によりすべて取り払われることになり、現在の玉城中学校校庭付近にあった富士見門は、宮古の乙部氏邸に移されたものを昭和59(1984)年に町が譲り受け、ここに移築復元しています。もとは長屋門でしたが、乙部氏邸に移築した際、向かって右の部分は取り除かれ、左の侍溜は納屋として使われたそうです。江戸時代中期のもの。

Img_4129c_20230505174001  ちょっと余談気味ですが、玉城中学校駐車場では「しろあとマルシェ」が開かれていました。食べるものも売られていたのですが、残念ながら、私の好みのものではありませんでした。

Img_4134c_20230507145501Img_4138c_20230507145501 マルシェをちょっと覗いていたら、校庭の方に大木と看板が見えました。「田丸城跡・三の丸(井戸水源) 金明水 銀明水」とあります。かつて田丸城内には、「金明水」「銀明水」と呼ばれた井戸があり、豊富な湧き水があり、それを飲用水としていました。

Img_4154c_20230507150001 Img_4185c_20230505174001  玉城中学校の西から城跡に登っていきます。城跡を訪ねるといつも思うのですが、こうして石垣が残っている城跡はやはりいいなと。桑名城跡の九華公園には、石垣はほとんど残っていないのです。右の写真は、本丸への虎口のところ。虎口は、郭への入り口ですが、このように道を折り曲げて敵の侵入を防ぐ働きをします。

Img_4194c_20230507150401 Img_4198c_20230505174001  登り切ったところが本丸跡。田丸城跡もそうですが、平山城の本丸に達するにはけっこう登っていかなければなりません。キョリ測で見ますと、標高は45mほど。田丸神社前の道路で20mくらいでしたから25mほど高低差があります。天守台跡が右奥に見えますが、この日のJRさわやかウォーキングはここがゴールになっていましたので、何はともあれ、ゴール受付へ。

Img_4202c Img_4205c_20230505174001  最近、JRさわやかウォーキングの会員証はスマホのアプリ。自分のスマホでアプリを起動すると、QRコードが表示され、受け付けでそれをかざすと自動的に参加ポイントが付与されます。右は、恒例のゴール看板を撮影したもの。スタート看板とゴール看板を撮影しないと、JRさわやかウォーキングに参加した気にならないのです。ここまでで10㎞を歩き(Google Fitのデータ)、ゴールしたのは11時45分頃でしたから、2時間半で10㎞を歩くというかなりのハイペースでした(笑)。

Img_4562c_20230505174101 Img_4208c_20230505174001  今日のウォーキングではゴールするとプレゼントがいただけました。「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」と、「神領 玉城水」(500mlペットボトル)をいただきました。この参加証、写真ではわかりにくいのですが、昔の硬券の切符のようになっています。「神領 玉城水」は、清流宮川の近郊地下30mほどの深井戸で汲み上げ、玉城町山岡水源浄水場で浄水処理した水道水が使われています(こちら)。

Img_4292c_20230505174001  田丸駅から伊勢市駅に行く列車は、12時33分発でしたので、田丸城の本丸跡で昼食。今日は「しろあとマルシェ」が行われているのは知っていましたが、一応、コンビニ弁当(助六寿司)を手に入れていました。「しろあとマルシェ」もチラッと見たのですが、私にはこれというものはなく、まずは助六で昼食。そのあと本丸跡を見て回ることにしました。

Img_4213c_20230505174001 Img_4253c_20230507153801  こちらは天守台跡。野面積みの石垣がきれいです。さほど広くはありません。織田信雄が築いたのは、三層の天守だったそうです。天守台跡にも登れますので、登ってみました。

Img_4249c_20230507154501 Img_4246c_20230507154501  天守台跡から西の方の眺めです。遠くは、吉野や熊野の方角になりますが、400mから1,000mくらいの山並みが見えます。手前には水田地帯。これは、夕景がよさそうな感じ。

Img_4269c_20230507154501 Img_4281c_20230507154501  本丸跡には石碑が2基あります。左の写真のものは、玉城町(当時の田丸町)出身で、朝日新聞社を創設した村山龍平翁の自筆歌碑。「田丸町の久しく望める城山の 町有となりし時 幾千とせかはらぬことを祈るなり この城山はこのさとの神」とあります。もう1基は、歌人の岡野弘彦による「玉城町制十周年記念歌碑」。「田丸城の桜」と題し、「城山の桜すがしく匂ふなり ここに学びしわかき日の父」「伊勢熊野むすぶ道ベの城山に 父がまなべる世をおもふなり」とあります。岡野は、津市美杉町(当時の一志郡美杉村)出身で、令和3年に文化勲章を授与されています。

Img_4296c_20230507155301 Img_4300c_20230507155301  こちらは二の丸跡。藤棚があり、人だかりがしていますが、これはこの日から始まった「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」(こちら)に参加している皆さん。このゲームでは謎解きをするのですが、指定された現地に行かないと解けない問題が出ているそうです。二の丸跡にあった説明板によれば、条件がよいと冨士山が見えるとありました。

Img_4311c_20230505174001 Img_4326c_20230507155801  これで田丸城跡も一通り回りましたので、田丸駅に向かいます。左の写真は、この「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」のPRのためのもの。田丸城跡から田丸駅まではほぼ1㎞、約10分という表示。

Img_4332c_20230507160001 Img_4339c  もう見るところはないかと思っていたのですが、さにあらず。お城広場のところには「代官所跡」という看板が立っていましたし、その一角には蒸気機関車のC58が保存されていました。C58414です。昭和21~22(1946~47)年にかけて製造された45両のうちの1両。昭和48(1973)年4月まで北海道で運行されていたそうです。この年は、参宮線田丸駅ができて80周年だったといいます。

Img_4419c_20230507160601 Img_4412c_20230507160701  さらに玉城町役場と、村山龍平記念館の間を通って、大手橋を渡ります。左の写真は町役場。写真奥が大手橋。大手橋を渡った交差点の南東角に「田丸勘定所跡」という看板が立っています。勢州久野領の事務一切を取扱処理した役所で、家老・用人・手代の役人たちが詰めていたところ。

Img_4435c Img_4431c_20230507161201  田丸保育所のところを左折して、県道530号線との交差点に「熊野街道 伊勢街道」「熊野街道 熊野古道伊勢路」という看板があります。ここは、左の写真でいうと、左右に熊野脇道が通っているところ。伊勢本街道と熊野街道が通るのは、大手橋から東に直進したところです。玉城まで来ると、「熊野古道」も近いのだなと実感。

Img_4455c_20230507161501 Img_4451c_20230507161501  さらに田丸駅に向かう途中のお宅の前に「御鳥見役屋敷跡」という石柱があります。紀州藩主は蔓を毎年将軍に献上するため、飼い慣らした鷹に鶴を捕らえさせるという鷹狩りを行っており、国東山一帯は鷹狩り場として鳥獣の雁ヶ禁止されていました。御鳥見役は、この鷹狩り場の取締と、鷹の餌差しなどの世話をする役人です。寛永年間(1624~1644年)、鷹場(御鳥見役屋敷)が城内から場外のこの地に移されたといいます。

Img_4463c_20230507162001  12時25分頃、田丸駅に到着したのですが、駅前にこういう石碑やモニュメントがあります。石碑には「熊野古道伊勢路出立の地」とあり、「をちこちに神を祀りてあたたかし」と書かれた句碑が並んでいます。この句碑は、俳人の黛まどか氏が詠んだもので、平成27(2015)年に玉城町町制施行60周年を記念して設置されています。もう一つは、昔の旅人の陶像です。背中には「西国三十三所」と書かれています。説明によれば、田丸は初瀬街道と熊野街道が合流し、伊勢本街道として伊勢神宮に通じる交通の要所でしたから、伊勢参りをしてから熊野詣や西国三十三所巡礼に向う旅人が多かったので、それを表しているのでしょう。

Img_4483c_20230505174001 Img_4488c_20230505174001  JR参宮線田丸駅です。明治26(1893)年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されました。この駅舎は、大正元(1912)年頃に完成した木造平屋のもの。老朽化が進み、駅舎を改修した上で保存することも検討されたのですが、耐震診断の結果、保存は困難であることが分かり、2023年4月以降の取り壊しが決まったそうです。駅舎は、日本映画の巨匠・小津安二郎監督の映画「浮草」(1959年)のラストシーンの撮影でも使われたことがあります。

Img_4493c_20230505174001 Img_4495c_20230505174001  予定通り12時33分発鳥羽行きの普通に乗って、伊勢市駅へ向かいます。参宮線に乗るのは、今年3月のJRさわやかウォーキング以来、2回目(2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編))。伊勢市駅までは、宮川、山田上口の2駅を経て、¥210。

Img_4538c_20230505174001 Img_4541c_20230505174001  12時44分着。伊勢市駅には何度も来ています。ここからまた近鉄で帰ろうという算段。名古屋行き急行は、13時18分までありません。特急に乗るのはもったいないですし、伊勢中川まで普通に行って乗り換えるのも面倒ですので、いったん駅の外へ。伊勢市駅前の信号を渡って、外宮の方向に少し行ったところにへんば屋さんの支店があります。駅からは2~3分。

Img_4593c_20230505174101  へんば餅を土産に買ってきました。5個入り¥450をお買い上げ。実は、へんば餅は私の大好物なのです。伊勢街道は、別名「餅街道」といわれるほど、各地に餅菓子がありますが、個人的には赤福よりも、このへんば餅や、伊勢の二軒茶屋餅、桑名の安永餅(永餅屋老舗安永餅本舗柏屋の2軒)の方が好きです。ただ、伊勢街道沿いにある餅菓子でまだ食べたことのないものもあります。

Img_4534c_20230507165101 Screenshot_20230505150254c  伊勢市駅発13時18分の名古屋行き急行に乗ったものの、途中から電車が遅れ始めました。名古屋線の伏屋駅構内で14時過ぎに線路安全確認が発生し、名古屋~富吉間の下り線で運転を見合わせ、塩浜~名古屋間の上り線でも大幅な遅れが生じているという事態に巻き込まれてしまいました。本来であれば、桑名には14時40分着。この間、緊急地震速報まで鳴って、大変でした。石川県能登地方での震度6強の地震(こちら)。ちなみに翌日の中日新聞朝刊によれば、近鉄のトラブルの原因は運転士さんの誤操作によるとか。

Img_4569c_20230505174101 Img_4583c_20230505174101  15時頃運転再開ということでしたが、益生駅に止まったまま20数分が経ちました。近鉄桑名駅の上り方向には7・8番線があるのですが、これも塞がってしまったということです。しばらくすると(15時過ぎ)、車掌さんが回ってきて、「益生駅で下車できる」ということになり、「エイヤッ」と降りることに。先頭車両の運転席のドアから下ろしてもらいました。このように、運転席のドアから乗り降りしたのは、初めて。家内にクルマで迎えに来てもらうようLINEしました。

Img_4580c_20230505174101  余談であります。江戸橋方面への通勤に使っている「オフピークチケット」が、有効期限内に1回分余ってしまうので、帰りに伊勢市駅で乗車するとき、これを使って乗車。回数券カードで乗っても乗り越し精算ができるのをあらかじめ確認したのです。値上げ前に買いましたので、700円のころの回数券。現在は、830円区間に仕えます。精算額は¥620。桑名まで乗っても同じ料金でした。

Screenshot_20230505152342c  という次第で、ウォーキングそのものはしっかりと楽しめ、最後には、電車が遅れ、急行が止まらない益生駅で運転席ドアから降ろしてもらうという珍体験までさせてもらい、忘れられないJRさわやかウォーキングとなりました。帰宅して確認したら、Google Fitでは15.5㎞も歩いたことになっています。歩数は、23,012歩。15㎞も歩いたのは、久しぶりではないかと思います。

Img_4504c_20230507165101 Img_4533c_20230507165101  ちなみに、参宮線(さんぐうせん)は、三重県多気郡多気町の多気駅から鳥羽市の鳥羽駅に至るJR東海の路線です。その名のように、伊勢神宮への参詣路線として、明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もともと亀山駅~鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に、参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和34(1959)年、近鉄名古屋線と山田線の軌間統一による直通運転の開始や、さらに昭和45(1970)年の近鉄鳥羽線の開業によって乗客は激減し、一時は存廃問題にまで発展しました。収支は現在でも厳しく、2008年度の営業係数として推定された値は、JR東海の路線中でワースト2位の422.1(100円の収入を得るために422.1円の費用がかかる)とされています(ワースト1は同じ三重県内の名松線で、534.4)。

 以上、その3が想定より長くなりましたが、これにて5月5日のJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」は完。

2023年5月 7日 (日)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ

230505jrwalking2  5月5日、こどもの日に出かけたJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」の本編その2です。その1では、多気駅をスタートし、坂倉遺跡、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと進んできました。坂倉遺跡を過ぎ、JR参宮線の池辺踏切から伊勢本街道を歩いています。その2では、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と回って、田丸城跡がゴールになります。中央公民館をすぎて、田丸小学校の西あたりまでが伊勢本街道。その後、JR参宮線田丸駅まで行って帰途に就きます。

Img_3908c_20230507064901  今回のさわやかウォーキングでは、立ち寄るところは多くありません。伊勢本街道を歩いて、昔の旅人気分を味わいます(微苦笑)。とはいえ、その1 にも書きましたが、アップダウンもけっこうあって、楽な道ではありません。大和から伊勢への最短コースにあたるのですが、けわしい山道が多く、旅人に恐れられたそうです。本居宣長の紀行『菅笠日記』には、宣長が大和の旅を終えた帰路、榛原で一行に本街道越えを指示した際の様子が描かれていますが、一行はこの道を通るなど考えただけでも恐ろしい、とふるえあがったといいます。

Img_3916c_20230507065401  Img_3920c_20230507065401 私の印象では、今回歩いた街道沿いには古い建物などはあまり残っていませんでした。それでもところどころで蔵のある大きな尾屋敷を見ることができました。名所旧跡や寺社仏閣を訪ねるだけでなく、古い建物を見るのも、街道歩きの楽しみです。

Img_3954c_20230505174001 Img_3958c  七度狐の森から1㎞半以上を歩いて、正念僧・即身仏供養碑塚に至ります。今から200数十年前、この地で重い病にかかり、街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったといわれる僧・正念の供養のために建てられたと伝えられます。正念は、六部(ろくぶ)です。六部とは、法華経を書き写し66ヵ所のお寺に奉納する修業僧のことで紺木綿で包んだ鉢形の笠をかぶり、厨子入りの仏像を背負い鉦を鳴らして各地を歩いていました。

Img_3941c_20230505174001  正念がこの街道の上田辺(かみたぬい)の茶屋(ちゃや:地名)にさしかかった時、長旅の疲れが出て倒れてしまいました。村人の家で休ませてもらい元気を回復した正念は、村人の親切にお礼をするため街道を往き来する旅人たちの安全を祈って、人柱に立つことを決心したそうです。それからの伊勢本街道は、正念の信念が通じたかのように、軽い足取りで旅をする風景がみられるようになったといいます。玉城町の「正念塚-茶屋-」にこの詳しい話が載っています。

Img_3962c_20230507070201 Img_3966c_20230505174001  伊勢本街道もこのあたりまで来ますと、平坦な道がしばらく続きます。7㎞を過ぎたところに上田辺羽根遙拝場があります。鳥居と常夜灯1基があります。鳥居は東向きに建っており、当然、伊勢神宮を遙拝するところと思われますが、ネット検索でも、みえの歴史街道マップにも詳しいことは載っていません。

Img_3985c_20230505174001  次の立ち寄り先には、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯(いせみやのがま)が指定されています。ここは、瀬戸にある美夜之窯で修行なさった方が開いた陶房。江戸時代中期に瀬戸で使われていた様式の二連の登り窯があり、展示室に作品があり即売もしているそうですが、スルーさせていただきました。

Img_3996c_20230507071401 Img_4002c_20230507071901  玉城の町にかなり近づいてきました。多気駅から8㎞ほどで、玉城町の中央公民館にやって来ました。このあたりまでが伊勢本街道です。このあと、田丸小学校の方に向かうのですが、そこまでは伊勢本街道を歩いたり、微妙にはずれたりしています。玉城町では、この日は「しろあとマルシェ」が行われるとともに、この日から6月6日まで「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」が開催されています。

Img_4027c_20230507072401 Img_4021c_20230507072401  このあとコースマップでは田丸小学校の方へ回って、Uターンするようになっていました。これも意図がよく分からなかったのですが、創立150周年記念の行事が行われていました。

Img_4044c_20230505174001  田丸小学校から田丸神社へ。ここは田丸城跡の北にあたります。元禄15(1702)年2月、京都北野天満宮より菅原道真公の分霊を勧請し、天神社として祀ったのが創始とされます。それ以前は、大榎の大木を御神体とする天神様に降雨止雨を祈願する農耕神的性格を有していたと伝わっています。宝永6(1709)年以降、18世紀には田丸はほぼ20年ごとに大火があったため、天神社に祈願を行い、八心思兼神、忌部神を合祀して以来、大火がないと伝えられます。明治41(1908)年1月、近隣の神社を合祀し、大字下田辺天神山天神社へ合祀し田丸神社と単称。

Img_4066c_20230505174001 Img_4054c_20230507081001  菅原道真公を主祭神とし、19柱を祀っています:菅原道真公、事代主神素戔嗚尊神火之加具土神活津彦根命天穂日命市杵嶋姫命忌部神大物主神味耜高彦根命(あじすきたかひこねのかみ:大国主命の子)、譽田別尊熊野橡日命(くまのくすひのみこと:須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺瓊勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であるとされた)、天津彦根神大山祇命八心思兼神(やごころおもいかねのかみ:高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄。もっとも有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたされている)、倉稲魂神木花咲耶姫命天忍穂耳命湍津姫命(たぎつひめのみこと:宗像大社中津宮の祭神。天照大神と素戔嗚尊の誓約で、アマテラスがスサノオの剣を噛んで噴き出した霧により、田霧姫命(田心姫命)に次いで出現した女神)、田心姫命(たごりひめのみこと:天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだ五男三女神のうちの一神。市杵島姫命、湍津姫命とともに、宗像神社の祭神)。本殿前には、ヒノキの大木の御神木があります。

Img_4081c_20230507081201  境内にあった「たまる石 払石」。神社で行われる祭儀は払えの行事から始まります。払えは重ねるほどよいとされ、払石(向かって右)はなでることにより悪しきためごとを祓い、向かって左のたまる石は、罪穢れを払った後、串に願いを託しこの石に捧げると福がたまるとされるそうです。

Img_4089c_20230507081201  さらに彰功碑も1基ありました。碑表の碑文をざっと読んでみますと、旧田丸町の町長を務めた?司守氏の功績をたたえるものでした(?の文字は、判読できていません)。大正3(1914)年3月の建立。山本雲樵の撰書。

 ルートマップその2の途中ですが、このあと訪ねた田丸城跡について書きますと、長くなりそうですから、その2はここまで。その3は田丸城跡から田丸駅まで。

 

2023年5月 6日 (土)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その1)……多気駅をスタートし、坂倉遺跡から伊勢本街道に入り、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しへ

230505jrwalkingtakic  5月5日、こどもの日にJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」に行ってきました。JR紀勢線多気駅から参宮線田丸駅まで、JR東海から配られたコースマップでは約9.6㎞。私には、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。薄曇りで、桑名では最高気温24.3℃でしたが、現地で歩いていると、やや暑いくらい。

Img_3601c_20230506160101 Img_3595c_20230506160101  JRさわやかウォーキングでしたが、この日もまた松阪までは近鉄を利用。7時32分発松阪行き急行に乗車。ところがこの電車、伊勢中川駅で9分間も停車し、発車するのは8時38分。その間、大阪線から五十鈴川行き急行が来て、これが8時30分発というので乗り換え。松阪駅には8時37分着。いったん改札を出てJRの切符を購入。9時1分発の快速みえ51号に乗車。多気駅には9時8分に到着。ちなみに多気まで来たのは2回目(2019年11月10日:20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(予告編))。

Img_3624c_20230505173901 Img_3608c_20230506160501  こちらがJR多気駅。多気駅は、JR紀勢線と参宮線が分岐する駅で、快速みえや、特急南紀も停車します。明治26(1893)年12月に参宮鉄道が津駅~宮川駅間で開通した時に相可駅(初代)として開業しています。紀勢線は大正12(1923)年3月に紀勢東線が栃原駅まで開通し、相可駅(2代目)が開業したことにより、相可口駅に改称。さらに、昭和34(1959)年7月、多気駅に改称しています。今回のさわやかウォーキングは、参宮線130周年記念と銘打たれています。

Img_3612c_20230505173901 230505jrwalking0  9時15分頃にスタートします。右がこの日実際に歩いたルートマップ。現地では、11㎞以上を歩いてきました。立ち寄り先は、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社、田丸城跡。田丸城跡がゴール。さらにJR参宮線田丸駅まで約10分を歩いたという次第。

230505jrwalking1  さらに詳しいルートマップがこちら。多気駅から伊勢本街道に入るため、紀勢線沿いに南下。コース設定の意図がよく分かりませんが、ちょっと大回りして、参宮線の池辺踏切のところから伊勢本街道に入ります。しあわせの宮に立ち寄るところでは、伊勢本街道を少し外れています。

Img_3649c_20230506161201 Img_3652c_20230506161201  コースマップには載っていませんでしたが、多気駅から700mほどのところに坂倉遺跡という看板が見えましたので、見てきました。この遺跡は縄文時代早期(約8000年前)の集落跡とみられています。昭和49(1974)年の発掘調査で、食物を煮炊きする炉の跡、堅穴住居跡が発見され、ここには数軒ほどの集落があったと推定されています。現在は、その一部が「坂倉公園」として保存されています。

Img_3661c_20230506161401 スタートして1㎞ほどのところににあるJR紀勢線の第四東池上踏切で撮り鉄の方が数人、待機しておられました。これはひょっとして特急南紀が来るなと思ったら、大当たり。現在は、キハ85系ワイドビュー車両で運行されていますが、今年7月1日から新型車両HC85系に置き換えられます(こちら)。故に俄撮り鉄。たぶん本当は、車両の全景を入れた方がよいのでしょうが、とっさのことでこんな写真。

Img_3690c_20230506161801 Img_3699c_20230506162401  参宮線に沿って南東へ行くのですが、今度は名古屋行きの快速みえがやって来ましたので、またまた撮り鉄。とはいえテキトーにシャッターを押すだけ(苦笑)。事前に立ち寄り先は調べたのですが、伊勢本街道については調べが及ばず。このJR参宮線池辺踏切のところからが伊勢本街道でした。

Img_3711c_20230506180801 Img_3720c_20230505173901  調べが不十分だったため、伊勢本街道に入ったあたりでは写真を撮りませんでした。いかにも不覚。ダイヘンの三重事業所の先でとったのがこれらの写真。ダイヘン三重事業所は、大型変圧器をつくっています。多気駅からは2.4㎞ほどのところです。

Img_3744c_20230505173901 Img_3734c_20230506181601  その先の伊勢本街道は、こんな感じ。三重県内の東海道や伊勢街道とは異なり、けっこう田舎の道という感じで(ここの「田舎」は、ポジティブな意味で用いています)、いかにも江戸時代からの街道を歩いていると実感させてくれます。しばらく立ち寄るところはありません。右の写真は、土羽茶屋公民館。なかなかしゃれた建物です。

Img_3755c_20230505173901 Img_3786c_20230506183101  最初の立ち寄り先は、しあわせの宮。多気駅からは3.5㎞のところにあります。主祭神は地母神。地母神は、大地の生命力・生産力を神格化した女神です。ご神体は、付近のマイラ遺跡で昭和37(1962)年12月に出土した縄文時代中期の石棒。長さ29cm、幅14cmという、大きくずんぐりとした有頭石棒といいます。この石棒は男根を象ったものとされ、「マイラ」という遺跡名(地名)も男根を意味する「マラ」に由来するそうです。長寿、金運、出世、縁結びという4つ合わせの霊験ありと謳っています。昭和38(1963)年4月1日に創祀しています。社名は往時の流行歌『しあわせの歌』から僧の小林慈海が、広く人々をお守りするようにとの願いを込めて命名しました。お参りしたときには気付かなかったのですが、右の写真に写っている白い布で覆われているものが、ご神体かと思います。

Img_3789c_20230506183501  舞踊殿前に天鈿女命猿田彦命天手力男命、西に天照大神大己貴命(おおなむちのみこと)、少名彦命(すくなひこなのみこと)、倭姫命などを祀っています。

Img_3775c_20230506184301  Img_3800c_20230506184901 ここは上記のように新しい神社で、左の写真のようにいろいろとあるようでした。みえの歴史街道伊勢本街道のルートマップを見ますと、句碑が4つあるということでした。が、これまた予習不足により、見てきたのは上村点魚のもの1基だけです。「妹の齢 告げて幸乞う 春神事」とあります。

Img_3795c_20230506185301  ここで水分補給&おやつ。歩いているとけっこう暑かったのです。朝ご飯が早かったので(5時過ぎ)、小腹も減っていたのです。おやつは、ファミマの「よもぎ餅」。税込み¥108。最近は、和菓子の方が好みです。しあわせの宮には10時頃着いて、10分ほど滞在。

Img_3804c_20230506185801 Img_3810c_20230506190001  参宮線沿いを歩いて、伊勢本街道に戻っていきます。伊勢本街道に戻る途中で、多気駅から4㎞を歩いています。右の写真は、ルートマップで4㎞と書いてあるところの少し先の様子。

Img_3824c_20230505173901 Img_3838c_20230505173901  その先で七度狐の森があります。七度狐の森。七度狐は、上方落語の演目の一つである『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)に由来します。その原話は、寛政10(1798)年に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。「野狐(やこ)」は、一般的には、日本に伝わる狐の妖怪。普通の野生の狐、人間を化かしたりする狐、神格を持たない狐などを差して野狐といいます。

Img_3833c_20230506190701 Img_3828c_20230506190701  喜六と清八のコンビが、伊勢参りの途中でとある煮売屋(昔の簡易食堂)に立ち寄ったところ、変な酒を飲まされ、頭にきた二人は手近にあった「イカの木の芽和え」を失敬し茶店を逃げ出しました。このイカの木の芽和えは売り物ではなく、村の寄合いから注文を受けた品でした。それが入っていたすり鉢を向こうの草むらへ放ったところ、そこで寝ていた狐の頭に当たったのですが、この狐、二つ名を『七度狐』といい、一度ひどい目に合わされたら、その相手を七度続けて化かすという執念深い狐だったという話。くわばらくわばら。2代目桂枝雀3代目笑福亭仁鶴桂文珍などが演じているそうです。地元の方が待機していて、説明してくださいました。それにしても、このあたり何となく寂しいところで、狐に化かされるというのも十分ありそうな感じです。

Img_3870c_20230505173901 Img_3888c_20230505174001  スタートの多気駅から5㎞を過ぎたあたりに、伏拝坂の切り通し。伊勢本街道は東池上(多気町)から土羽茶屋を経て、当時の面影を残す切通しの古道を伊勢へ向かうのですが、その左手の丘に「両宮遥拝所 伏拝み」の石柱が建っています。昔、伊勢まいりの旅人がここまできて、村人に神宮までの道のりを尋ねたところ、「三里山道 五里(なわて)」と聞き、まだ八里もあるかと驚いて、ここから神宮を伏し拝んで残念そうに帰っていったというのです。近くには、両宮遙拝所献灯があるそうです。

Img_3882c_20230505174001  「両宮遙拝所 伏拝み」の石碑は、切り通しの上にあります。ネットで調べていたら、ここを登って石碑を間際でご覧に行かれた方もあるようですが、さすがにこれは登れません。私は、写真を撮っただけ。年寄りは、無理をしてはいけないのです。

Img_3891c_20230506191501 Img_3894c_20230506191501  伏拝坂の切り通しを抜けると、ほぼ平らな道が続きます。北の方には、メガソーラーも見えます。しかし、このあたりは標高25m前後。伏拝坂の切り通しのところは、キョリ測で見ると、標高は47~48mほどで、この日のウォーキングで最高地点。伊勢本街道とはいえ、楽な道ではありません。伊勢参りの旅人がここで諦めたというのは、何となく分かります。

 ルートマップその1はここまでですので、記事もここで区切りをつけましょう。その2は正念僧・即身仏供養碑塚から。

2023年5月 5日 (金)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)

230505jrwalkingtakic  薄曇りで、桑名では最高気温24.3℃でした。予定通りにJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」に行ってきました。JR紀勢線多気駅から参宮線田丸駅まで、コースマップ上約9.6㎞。私には、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。今日のところは、いつものように予告編。

Img_3624c_20230505173901 Img_3612c_20230505173901  JRさわやかウォーキングですが、今日もまた松阪までは近鉄を利用。7時32分発松阪行き急行に乗車。ところがこの電車、伊勢中川駅で9分間も停車し、発車するのは8時38分。その間、大阪線から五十鈴川行き急行が来て、これが8時30分発というので乗り換え。松阪駅には8時37分着。いったん改札を出てJRの切符を購入。9時1分発の快速みえ51号に乗車。多気駅には9時8分に到着。ちなみに多気まで来たのは2回目(2019年11月10日:20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(予告編))。

230505jrwalking0  9時15分頃にスタートします。これが今日実際に歩いたルートマップ。現地では、11㎞以上を歩いてきました。立ち寄り先は、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社、田丸城跡。田丸城跡がゴール。さらにJR参宮線田丸駅まで約10分を歩いたという次第。

Img_3673c_20230505173901  スタートして1㎞ほどのところにJR紀勢線の第四東池上踏切のところで撮り鉄の方が数人、待機しておられました。これはひょっとして特急南紀が来るなと思ったら、大当たり。現在は、キハ85系ワイドビュー車両で運行されていますが、今年7月1日から新型車両HC85系に置き換えられます(こちら)。故に俄撮り鉄。たぶん本当は、車両の全景を入れた方がよいのでしょうが、とっさのことでこんな写真。

Img_3720c_20230505173901 Img_3744c_20230505173901  今日歩いた伊勢本街道は、上のルートマップに付記しましたが、JR参宮線の池辺踏切のところから、玉城町立玉城小学校あたりまででした(このあたりはイベントの関係で伊勢本街道から微妙にはズレたりしています)。歩いたコースのあちこちに「伊勢本街道」というサインが掲げられていました。右の写真のように、いかにも江戸時代の街道を歩いているという気分がしっかりと味わえます。

 スタートから3.5㎞ほどでしあわせの宮Img_3755c_20230505173901主祭神は地母神。ご神体は、付近のマイラ遺跡で昭和37(1962)年12月に出土した縄文時代中期の石棒。長さ29cm、幅14cmという、大きくずんぐりとした有頭石棒といいます。この石棒は男根を象ったものとされ、「マイラ」という遺跡名(地名)も男根を意味する「マラ」に由来するそうです。このほか天鈿女命猿田彦命などを祀り、長寿、金運、出世、縁結びという4つ合わせの霊験ありと謳っています。昭和38(1963)年4月1日に創祀しています。社名は往時の流行歌『しあわせの歌』から僧の小林慈海が、広く人々をお守りするようにとの願いを込めて命名しました。ここで水分補給。歩いているとけっこう暑かったのです。

Img_3824c_20230505173901 Img_3838c_20230505173901  しあわせの宮から1㎞あまり歩くと、七度狐の森。七度狐は、上方落語の演目の一つである『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)に由来します。その原話は、寛政10(1798)年に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。喜六と清八のコンビが、伊勢参りの途中でとある煮売屋(昔の簡易食堂)に立ち寄ったところ、変な酒を飲まされ、頭にきた二人は手近にあった「イカの木の芽和え」を失敬し茶店を逃げ出しました。このイカの木の芽和えは売り物ではなく、村の寄合いから注文を受けた品でした。それが入っていたすり鉢を向こうの草むらへ放ったところ、そこで寝ていた狐の頭に当たったのですが、この狐、二つ名を『七度狐』といい、一度ひどい目に合わされたら、その相手を七度続けて化かすという執念深い狐だったという話。くわばらくわばら。2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴桂文珍などが演じているそうです。

 さらに0.6㎞ほど行ったあたりが、伏拝坂の切り通しImg_3870c_20230505173901伊勢本街道は東池上から土羽茶屋を経て、当時の面影を残す切通しの古道を伊勢へ向かうのですが、その左手の丘に「両宮遥拝所 伏拝み」の石柱が建っています。昔、伊勢まいりの旅人がここまできて、村人に神宮までの道のりを尋ねたところ、「三里山道 五里畷(なわて)」と聞き、まだ八里もあるかと驚いて、ここから神宮を伏し拝んで残念そうに帰っていったというのです。近くには、両宮遙拝所献灯があるそうです。

Img_3882c_20230505174001 Img_3888c_20230505174001  「両宮遙拝所 伏拝み」の石碑は、切り通しの上にあります。ネットで調べていたら、ここを登って石碑を間際でご覧に行かれた方もあるようですが、さすがにこれは登れません。写真を撮っただけ。

Img_3954c_20230505174001 Img_3941c_20230505174001  続いて正念僧・即身仏供養碑塚。今から200数十年前、この地で重い病にかかり、街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったといわれる僧・正念の供養のために建てられたと伝えられます。正念がこの街道の上田辺(かみたぬい)の茶屋(ちゃや:地名)にさしかかった時、長旅の疲れが出て倒れてしまいました。村人の家で休ませてもらい元気を回復した正念は、村人の親切にお礼をするため街道を往き来する旅人たちの安全を祈って、人柱に立つことを決心したそうです。それからの伊勢本街道は、正念の信念が通じたかのように、軽い足取りで旅をする風景がみられるようになったといいます。

Img_3966c_20230505174001  こちらは上田辺羽根遙拝場。もちろん伊勢神宮を遙拝するところでしょうが、ネット検索でも、「みえの歴史街道」にも詳しいことは載っていません。鳥居と常夜灯があります。普通の遙拝所では、石碑が建っているだけということが多いので、鳥居と常夜灯があるのはなぜなのか、気になります。

Img_3985c_20230505174001 Img_3999c_20230505174001  玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯も立ち寄り先になっていましたが、スルーさせていただきました。その先にある玉城町中央公民館の敷地を通過して、次に進みます。玉城町では、今日は「しろあとマルシェ」が行われるとともに、今日から「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」が始まりました(こちら)。

Img_4044c_20230505174001 Img_4066c_20230505174001  ゲームには参加せず、田丸神社へ。元禄15(1702)年2月、京都北野天満宮より勧請し、天神社として祀ったのが創始とされます。それ以前は、大榎の大木を御神体とする天神様に「降雨止雨」を祈願する農耕神的性格を有していたと伝わっています。宝永6(1709)年以降、18世紀には田丸はほぼ20年ごとに大火があったため、天神社に祈願を行い、八心思兼神、忌部神を合祀して以来、大火がないといわれています。明治41(1908)年1月、近隣の神社を合祀し、大字下田辺天神山天神社へ合祀し田丸神社と単称。菅原道真公を主祭神として19柱を祀っています。

Img_4185c_20230505174001 Img_4198c_20230505174001  そして、いよいよ田丸城跡へ。北畠親房顕信父子が延元元(1336)年、玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたといいます。天正3(1575)年、織田信長の次男・信雄により平山城の田丸城が築かれ、その後稲葉氏、藤堂氏、久野氏と城主が変わり、明治2(1869)年に廃城。春には桜、夏には大賀蓮、秋には紅葉、冬にはライトアップと、一年を通じて、景観が楽しめます。野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址で、南伊勢随一の名城といわれます。平成29(2017)年、「続日本100名城」に選出されました。

Img_4202c Img_4205c_20230505174001  今日は、この田丸城跡がさわやかウォーキングのゴール。ここまででルートマップ上、10㎞を歩いてきました。ゴールしたのは、11時45分頃でしたから、2時間半で10㎞を歩くというかなりのハイペースでした(笑)。

Img_4208c_20230505174001 Img_4562c_20230505174101  ゴールではさわやかウォーキングのポイントをいただいたほか、「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。この参加証、写真ではわかりにくいのですが、昔の硬券の切符のようになっています。

Img_4292c_20230505174001  田丸駅から伊勢市駅に行く列車は、12時33分発でしたので、田丸城の本丸跡で昼食。上述のように、今日は「しろあとマルシェ」が行われているのは知っていましたが、一応、コンビニ弁当(助六寿司)を手に入れていました。

Img_4483c_20230505174001 Img_4488c_20230505174001  昼食を食べ、12時10分過ぎにJR参宮線田丸駅へ向かいました。明治26(1893)年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されました。この駅舎は、大正元(1912)年頃に完成した木造平屋のもの。老朽化が進み、駅舎を改修した上で保存することも検討されたのですが、耐震診断の結果、保存は困難であることが分かり、2023年4月以降の取り壊しが決まったそうです。駅舎は、日本映画の巨匠・小津安二郎監督の映画「浮草」(1959年)のラストシーンの撮影でも使われたことがあります。

Img_4495c_20230505174001 Img_4538c_20230505174001  12時33分発鳥羽行きの普通に乗って、伊勢市駅へ。12時44分着。伊勢市駅には何度も来ています。ここからまた近鉄で帰ろうという算段。名古屋行き急行は、13時18分までありません。特急に乗るのはもったいないですし、伊勢中川まで普通に行って乗り換えるのもどうかということで、いったん駅の外へ。

Img_4541c_20230505174001 Img_4593c_20230505174101  こちらへ行って、へんば餅を土産に買ってきました。伊勢市駅前の信号を渡って、外宮の方向に少し行ったところにへんば屋さんの店があるのです。5個入り¥450をお買い上げ。

Screenshot_20230505150254c  伊勢市駅発13時18分の名古屋行き急行に乗ったものの、途中から電車が遅れ始めました。名古屋線の伏屋駅構内で14時過ぎに線路安全確認が発生し、名古屋~富吉間の下り線で運転を見合わせ、塩浜~名古屋間の上り線でも大幅な遅れが生じているという事態に巻き込まれてしまいました。本来であれば、桑名には14時40分着。この間、緊急地震速報まで鳴って、大変でした。石川県能登地方での震度6強の地震(こちら)。ちなみに今朝の中日新聞によれば、近鉄のトラブルは運転士さんの誤操作によるとか。

Img_4569c_20230505174101 Img_4583c_20230505174101  15時頃運転再開ということでしたが、益生駅に止まったまま20数分が経ちました。近鉄桑名駅の上り方向には7・8番線があるのですが、これも塞がってしまったということです。しばらくすると(15時5分頃)、益生駅で下車できるということになり、「エイヤッ」と降りることに。先頭車両の運転席のドアから下ろしてもらいました。このように、運転席のドアから乗り降りしたのは、初めて。家内にクルマで迎えに来てもらうようLINEしました。

Img_4580c_20230505174101  余談であります。江戸橋方面への通勤に使っている「オフピークチケット」が、有効期限内に1回分余ってしまうので、帰りに伊勢市駅で乗車するとき、これを使って乗車。回数券カードで乗っても乗り越し精算ができるのをあらかじめ確認したのです。値上げ前に買いましたので、700円の頃の回数券。現在は、830円区間に仕えます。精算額は¥620。

Screenshot_20230505152342c  という次第で、ウォーキングそのものはしっかりと楽しめ、最後には、電車が遅れ、急行が止まらない益生駅で運転席ドアから降ろしてもらうという珍体験までさせてもらい、忘れられないJRさわやかウォーキングとなりました。帰宅して確認したら、Google Fitでは15.5㎞も歩いたことになっています。歩数は、23,012歩。15㎞も歩いたのは、久しぶりではないかと思います。本編の記事は、また明日以降、ゆらゆらと書いていきます。

 

2023年3月 9日 (木)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」

230304jrwalkingmatsushita2  3月4日のJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その3です。ルートマップは、その2。3㎞を過ぎたところに賓日館があります。ここで建物とひな人形(この日、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場)を見て、二見浦参道を歩きながら、五十鈴勢語庵、朝日館、二見浦海水浴場を眺め、御潮殿神社へ。ここが最終目的地。その後、JR参宮線二見浦駅を目指します。

Img_0965c Img_0938c_20230307035101  賓日館。国指定重要文化財です。個人的にはここがメインの目的地です。3月5日まで伊勢市二見町では、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場といっても良いところですが、私が見たかったのは建物です。賓日館は、明治20(1887)年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会が建てました。明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19(1886)年12月に着工、翌年2月19日に竣工。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となっています。

Img_0915c_20230304181601 Img_0839c_20230307035001  明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。明治44(1911)年23月には隣接する二見館に払い下げられ、二見館の別館として平成11(1999)年まで宿泊所とされてきました。二見館の廃業後、平成15(2003)年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

Img_0808v Img_0860c_20230307035001  こちらは大広間。桃山式折上格天井の大広間は120畳敷です。格天井は、格間によって形成された天井で、分割された各区分の格間は、多くの場合、絵画、装飾文様で飾られます。社寺あるいは高級な書院造に用いられます。折上は、 斜の材によって天井を高くするような構造。天井の中央平面が周囲より高くなっています。電灯にはシャンデリアが使われています。本格的な能舞台が設けられていて、現在もコンサート等に利用されているそうです。われわれが訪ねたときは、マジックショーが行われていました。

Img_0811c_20230307035001 Img_0819c_20230307035001  大広間の床の間です。床脇や違い棚もこの右手にあります。床の間の床框螺鈿の輪島塗。天井板の中央には(右の写真)、屋久杉の一枚板が、また、両脇の4枚には欅が使われています。

Img_0873c_20230307035101 Img_0894c_20230308070901  御殿の間です。格式を尊ぶ部屋に用いる二重格天井や、輪島塗に螺鈿が装飾された床框のある床の間など創建当時のままに残っています。神宮の紋である花菱紋の装飾がいたるところに見られました。皇族方が利用され、広い庭園と二見浦が一望できる部屋です。

Img_0738c_20230308145501 Img_0753c_20230304181601  ところで、この日、夫婦岩表参道あたりでは「おひなさまめぐりin二見」というイベントが行われていて、賓日館はそのメイン会場という感じでした。実にたくさんのひな人形が飾られていました。江戸時代のものから、種々様々です。

Img_0883c  こちらは、御殿の間に飾られていた「大正天皇おひな様」。説明には、結婚式が神前で行われるようになったのは、明治33(1900)年の大正天皇のご成婚が初めてといわれること、また、大正天皇は、即位の礼の際、西洋にならって向かって左にお立ちになり、昭和天皇も同様に並ばれたこと、これらの写真が出回るようにあって、ひな人形の並び方も今のように、男びなが向かって左に変わったこと画家枯れていました。

Img_0765c_20230307034901Img_0761c_20230304181601    私の興味を引いたのは、創作プレ展示「懐かしの修学旅行」でした。二見浦は伊勢神宮に参拝する小学校の修学旅行の宿泊地として、いわば「修学旅行のメッカ」となっていました。昭和30年代の修学旅行を再現しようというのが、この展示。左の写真は、子どもたちが入浴、夕食後買い物に出かけた様子を、また、右の写真は、宿に戻って宿泊する大広間で「枕投げ」をして遊ぶ様子が再現されています。このほか、翌朝早く起きて、夫婦岩から日の出を見学するシーンもありました。

Img_0955c_20230307035201 Img_0997c_20230307035201  賓日館を割と丁寧に見て回ったため、50分近く滞在していました。見終えて出て来たのは、12時25分頃。右は、この日のチケット。¥400でしたが、JRさわやかウォーキング割引のお陰で¥360。

Img_0982c_20230307035201  賓日館の門前に「二見浦浴潮場石」が建っています。「皇大神が俗界に降りて、太陽の光が夜明けを告げる。この二見浦の海潮に浸ると、神の恩恵を得た波が打ち寄せ、医療効果、治癒効果がある」という内容が刻まれています。書いたのは、時の衛生局長長与専斎(天保(1838)~明治35(1902)年)。肥前国大村藩出身の蘭方医。緒方洪庵の適塾で学び、衛生局の初代局長になっています。「衛生」ということばも、長与が初めて用いたといいます。明治15(1882)年10月、長与により禊場であった立石浜(夫婦岩付近の浜)に日本初の国指定海水浴場が開設されたのです。当寺の海水浴は、浴活といい、医療が目的でした。波が強く皮膚を摩擦するので、体に良いと考えられたのだそうです。その後浴活客が増加したため、明治17(1884)年、海水浴場は旧二見館前の砂浜に移設されています。こうした海水浴場開設を記念して、明治18(1885)年4月にこの石碑が建てられています。

Img_1004c Img_1008c_20230307035201  賓日館からさらに西に、表参道を歩いて行きます。左の写真は少し進んだところから、賓日館・夫婦岩の方を振り返った写真。右は、立ち寄り先になっていた五十鈴勢語庵。二見の海から汲み上げて作られた塩を使った「二見浦 岩戸の塩ようかん」のお店ですが、パスしてきました。

Img_1045c_20230307035201 Img_1033c_20230307035201  続いて朝日館。立ち寄り先ではなく、コースマップに載っていたので、気にして見てきたのです。中国の清王朝のラスト・エンペラー溥儀や、昭和天皇もお泊りになったという、創業300年の旅館です。部屋からは、二見浦の絶景がよく見えそうです。

Img_1053c_20230307035201 Img_1060c_20230307035201  朝日館を過ぎ、スタートから4㎞前後のところが、現在の二見浦海水浴場です。まさに白砂青松の美しい景色。いささか余談ですが、この手前にJR東海の職員の方が、右の写真のような顔出しパネルを設定して、「写真、撮りますよ」と呼びかけておられました。丁重に辞退してきたのですが、撮ってくれば良かったか??

Img_1138c_20230307035301  二見中学校の西側を通って、最終の目的地へ。二見中学校は、中日から楽天で活躍した小山伸一郎さんや、ソフトバンクにいた江川智晃さんといった野球選手の母校です。

Img_1119c_20230304181601 Img_1083c_20230304181601  御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)が、この日の最終目的地。御塩の神様である御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)が御祭神です。ご祭神は、塩筒翁(しおつつおきな)/塩土翁(しおづちのおじ)という説もあるようです。伊勢神宮内宮の所管社で、神宮の祭典で使用する堅塩(かたしお/きたし)を作るところです。具体的な創建時期は不明ですが、延暦23(804)年の『延暦儀式帳』に御塩殿と御塩焼殿が記されているといいます。

Img_1098c_20230304181601  こちらは、本殿の背後にある御塩焼所と御塩汲入所。御塩のもとになる高濃度の塩水は、御塩殿神社域内の御塩焼所で煮つめて荒塩となり、御塩殿で型に入れて焼き固められます。毎年10月には御塩殿祭が行われています。あとで知ったのですが、この日から3月の御塩焼固が始まったそうです(こちら)。そういえば、拝殿の奥に堅塩が20個ほど並べられていました。ちなみに、塩田である「御塩浜」は神社の境外の二見町西にあります(こちら)。

Img_1113c_20230307035301  本殿に向かって左にも小さい建物がありました。この御塩殿神社も、確か20年ごとに遷宮が行われますので、古殿地かと思ったのですが、写真で向かって左にある建物は御塩殿のようです(こちら)(向かって右は、本殿・拝殿)。

Img_1135c_20230307035301 Img_1127c_20230307035301  御塩殿神社の前に、大きな松の木があります。何か由緒があるのかと思ったのですが、松の木自体には由来はなさそうで、その根元に鴨長明の歌碑がありました。平安~鎌倉期の歌人・鴨長明が、文治2(1186)年頃に御潮殿神社を訪れて、次の歌を詠んだとされています。「二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげにして」

Img_1150c_20230307035301 Img_1153c_20230307035301  御塩殿神社からゴールのJR参宮線二見浦駅までは1㎞あまり。途中からは、朝日館のところから来る二見浦表参道を通ります。昔は、賑わったとおりだろうと思います。赤福の店もありますし、御福餅の本店もここにあります。

Img_1167c_20230307035301  ゴールまでにもう一ヶ所、立ち寄り先が指定されていました。旭家酒素饅頭製造本舗です。酒素饅頭といえば、閉店してしまいましたが、名古屋の納屋橋饅頭や、桑名のとらや饅頭と同じ。ここも、失礼ながらパス。

Img_1175c_20230307035401 Img_1184c_20230304181601  JR参宮線二見浦駅に向かいます。ゴールには、13時5分を過ぎた頃に到着。変わった形の駅舎ですが、これは夫婦岩をモチーフにしたもので、平成5(1993)年に建て替えられました。「二見浦」は、地名としては「ふたみがうら」ですが、駅名は「ふたみのうらえき」と読みます。

Img_1195c_20230307035501 Img_1180c_20230304181601  恒例のゴール受付です。最近、参加ポイント付与は、スマホで会員番号を提示し、それを読みとってもらうことで手続き完了。ゴール看板も、いつも通り、撮影。日付と駅名が変わるだけですが、それでも記念になります。

Img_1199c_20230304181601   幸い、13時15分発の快速みえ14号名古屋行きがありました。これに乗って、伊勢市駅まで。伊勢市駅で外宮参道にある店で昼食を摂ることにしたのです。二見浦駅から伊勢市駅までは、¥210。ホームには行列があったのですが、空いていて座れました。このまま桑名まで行っても良いのですが、¥1,860もかかりますし、桑名駅に着く14時38分まで昼ご飯がお預けになってしまいます。

Img_1206c_20230304181601 Dsc_0553c  伊勢市駅で降りて、外宮参道へ。伊勢うどんを食べようということで、「じろべえ」さんへ。テキトーに入ったお店でしたが、これが大当たり。ここはメニューが伊勢うどんとビールしかないというところ。かなりのこだわりがあるようで、隠れた人気スポットのようでした。帰ってから調べたところでは、伊勢うどん専門店は、伊勢でも珍しいそうです。メニューに「めかぶいり」があったのですが、女将さんは鳥羽の答志島のご出身とか。左の写真は、食べ終えて外に出て来たときのもの。4人の方が外で待っていました。私は、今日は「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。ここの伊勢うどんは、なかなかのもので大満足。

 Img_1202c_20230304181701 伊勢市駅に戻り、またもや近鉄で、14時12分発の伊勢中川行き普通に乗車。松阪駅に14時40分着。ここで、松阪駅始発(14時54分)の名古屋行き急行に乗って桑名まで。桑名駅には16時3分着。¥1,220。一昨年の伊勢参りツアーのときと同じで、伊勢まで行くと、ウォーキングも1日かかります。

Screenshot_20230304162520  この日のGoogle Fitのデータ。二見浦で歩いた距離は、キョリ測では6.2㎞でした。これに昼食に歩いた分(0.7㎞ほど)と、自宅から桑名駅往復(2.4㎞ほど)が加わってトータルでは9.5㎞、18,060歩でした。

Img_1225c_20230304181601Img_1236c_20230304181601  これは、受付の時、先着200名まで配られた「蘇民将来の厄除け」。裏には、志摩の海女さんが身につける魔除けである「ドーマン・セーマン」が描かれています。これは、普段からのウォーキングのお守りにちょうど良いと思い、早速使っています。もう一つは、ゴールの二見浦駅で、クイズに全問正答していただいた「JRさわやかウォーキング記念シール」の裏側。賓日館の説明、二見浦駅のモチーフについての説明が書かれています。表面は、二見浦駅の写真です。

2023年3月 8日 (水)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ

230304jrwalkingmatsushita2  3月4日のJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その2です。その1では、JR参宮線松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺と周り、二見町江の町から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けました。その2では、いよいよ夫婦岩、二見興玉神社、賓日館とこの日、私にとってはメインの目的地が続きます。

Img_0481c_20230307034501  伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けると、こういう景色が広がっています。夫婦岩あたりから先が、二見浦(ふたみがうら)の海岸になりますので、このあたりはまだ二見浦とはいえないかも知れません。二見浦は、伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の渚百選にも選ばれています。かつては伊勢神宮参拝の禊場でもあったところですし、神宮の御塩を貢進してきたところでもあります。背後に音無山、前面に伊勢湾を隔てて知多、渥美半島に対し、右手に神島、答志島を、左に鈴鹿の連山を望め、平安朝以来、伊勢の名勝地として知られ、多くの歌にも詠まれてきました。

Img_0496c_20230307034501 Img_0512c_20230307034601  西側から来ましたので、二見興玉神社の裏参道からお参りするということになります。まずは、境内社の竜宮社があります。ご祭神は、綿津見大神(わたつみのおおかみ:海の神)。往古、この郷に津波が襲来し、郷人は困窮して神の御加護を願うほかはないとして、海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請し奉祀したところ、その後の寛保の荒浪、明治の高潮にも霊験があり、被害を減じられたといいます。そのため、氏子だけでなく、多数の崇敬者を得て、龍神さん、龍宮さんと親しまれているそうです。

Img_0552c_20230307034601  二見興玉神社の本社に行くまでに「契りの松」があります。江戸時代末期、お陰参りなどで伊勢参詣がもっとも賑わった頃、阿波国から若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み、塩垢離(禊ぎ)をし、着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したところから「契りの松」と呼ばれます。昭和28(1953)年9月25日の台風13号で流失したものを平成3(1991)年に再現されたものです。

Img_0556c_20230307044201 Img_0594c_20230307044301  契りの松を過ぎると、禊橋を渡ります。この橋を過ぎると、いよいよ夫婦岩が見えてきます。神社の手前に鳥居があり、「日の神 皇居遙拝所」という石碑が建っています。この鳥居越しに見る夫婦岩もなかなか神々しい感じがします。

Img_0612c_20230304181501 Img_0631c   二見興玉神社です。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。相殿神は、迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)。夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社です。猿田彦大神は天孫降臨の際に道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいます。倭姫命が天照大神を奉戴し、この二見浦に舟を停めた時、興玉大神が海上の厳島(興玉神石)にお出ましになったことから、五十鈴川のほとりに皇大神宮を定められたといいます。興玉神は、その守護 神として内宮御垣内にも奉斎されているそうです。ちなみに、三重県では2番目に参拝者の多い神社です。オッサン二人で縁結びの神様にお参りするのもどうかと思ったのですが、わが家には居候がいますので、代参(苦笑)。K氏には、「本人を連れてこないとなぁ」と言われてしまいました。それに、導きの神ですから、これからの人生を導いていただけるかも知れません。

Img_0520c_20230307163701  古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまずこちらに参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いそうです。

Img_0627c_20230304181501  そして、改めて説明するまでもありませんが、夫婦岩です。夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処といわれてきました。

Img_0594c_20230307044301  夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。毎年3回、大注連縄の張り替え神事が行われますし、5~7月には、夫婦岩の間から日の出を見ることができます。とくに夏至前後の天気のよい日には、遠く、富士山から昇る日の出を見ることができます。

20210613210554903  余談ですが、この記事を書くのにあれこれ調べていましたら、夫婦岩のあたりを中央構造線が通っていることに気づきました。うかつでした(苦笑)。画像は、「虚空座標」さんからお借りしました。夫婦岩の間を中央構造線が通っているという話もあるようですが、これは誤りで、もう少し北側という話もあり、素人の手には余ります。ネット検索では限界があります。余談を重ねますと、奈良県境に近い松阪市飯高町には「月出の中央構造線」といって、断層が高さ約80m、幅約50mにわたって露出しているところがあるそうです。一度くらい見てみたいと思っています。

Img_0641c_20230307034701 こちらは、二見興玉神社の境内にある「天の岩屋」です。参道の突堤のほとりにある東を向いた岩窟です。この岩窟は、往古より宇迦御魂大神を祀った三宮神社が鎮座していたところですが、文禄年間(1592~96年)に外側の境内に遷祀しています。
古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられているそうです。ただし、天岩戸とされる場所は、全国各地にあります(たとえば、こちら)。

Img_0671c_20230307034801  二見浦は、初めの方にも書きましたように、平安朝以来、名勝地として親しまれ、多くの歌などに詠まれてきました。二見興玉神社や夫婦岩のあたりには、歌碑、句碑などがたくさんあります。そのうち一つだけ、ここで紹介しておきます。山口誓子の句碑です。表参道にあります。「初富士の鳥居ともなる夫婦岩」という句が刻まれています。昭和62(1987)年正月に山口誓子が参拝しれた時に、当時の宮司より「今朝 夫婦岩の間に富士山が見えた」と聞き、直ちに詠んだ句(こちら)。

Img_0676c_20230307034801 Img_0703c_20230304181501  二見興玉神社をあとにして、夫婦岩の表参道を賓日館に向かって歩いて行きます。松並木のある道を歩いて行くのですが、南側には旅館街。私の両親の世代、故郷の西三河地方の小学生の修学旅行は、ここ二見と伊勢だったと聞いています。このあたりの旅館に泊まったのかも知れません。そう思うと、何となく懐かしい景色のように思えてきます。同級生K氏のお母様は、このあたりの松並木をバックに撮った記念写真があったそうです。

Img_0710  今も営業している旅館やホテルもたくさんあります。その旅館の一つ。岩戸館とありました。Webサイトを見ると、なかなかよさげなところです。二見浦を目の前にして眺めもよさそうです。ウォーキングだけでなく、泊まりがけで二見、伊勢を回るのもいいでしょうね。

Img_0717c_20230307034901  賓日館の向かいあたりに「二見浦記念碑」が建っています。説明板によれば、明治20(1887)年、英照皇太后(明治天皇の母)が当地にいらっしゃるのに合わせ、地元住民が鳥羽街道をつくり、また、神宮の崇敬団体である神苑会会員は皇太后陛下ご滞在のため賓日館を建てました。明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が、避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて賓日館に滞在されました。神苑会の太田小三郎や、二見の事業家辻喜代蔵らが、この間の事情を記しておこうと考え、三重県知事であった江川成之の許しを得てこの石碑を建てたのです。明治26(1893)年3月の建立。題字は三重県知事の成川尚義、撰文は三重県度会郡長の満岡勇之助。

 その2は若干短いのですが、キリがよいことと、賓日館の話になると長くなりそうですから、ここまで。その3は、賓日館から。

2023年3月 7日 (火)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その1)……松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁へ

230304jrwalkinmatsushitamapc  3月4日に行ってきたJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その1です。この日は上天気で、桑名では最高気温が15.3℃になりました。歩いていると汗ばむくらいの気候です。このウォーキングの企画は毎年あり、以前から参加したいと思っていましたが、ようやく念願が叶ったという次第。おひな様はともかく、二見興玉神社や夫婦岩、賓日館を訪ねたいと考えていたのです。今回も、同級生K氏と二人旅。彼とのウォーキング歴も、4年目に入りました。最初は、2020年1月26日の「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」でした。

Img_0194c_20230305182201 Img_0196c_20230305182201  JRさわやかウォーキングでしたが、伊勢市駅までは近鉄を利用しました。その方が運賃が安いのです。近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。すべてJRを利用すると、松下駅までが片道¥1,860。伊勢中川駅に9時4分に到着。9時7分に大阪方面から来る五十鈴川行き急行に乗り換えて、伊勢市駅に9時29分着。伊勢市駅はJRと近鉄の共同駅。ここでJR参宮線に乗り換え。9時36分発鳥羽行き普通で、スタートの松下駅には9時47分に到着。近鉄(桑名~伊勢市)が¥1,220、伊勢市~松下のJRが¥210で合計¥1,430という次第。ちなみに、JR参宮線には初めて乗りました。

Img_0203c_20230304181501 Img_0214c_20230304181501  スタートの松下駅は、昭和38年(1963)年4月に新設開業した無人駅。快速「みえ」も、時間帯によっては停車します。2020年の1日の平均乗車人数は32人だそうですが、この日は大賑わい。盛り土の上にホームだけがある駅なのですが、ホームから人があふれそうでした。

Img_0209c_20230304181501 Img_0230c_20230305182801  受付をするのに、今回も行列。私たちが受付を済ませたときも、行列の最後尾はまだホームでした(右上の写真)。9時半から受付開始で、スタートできたのは9時55分頃。初めは、右の写真のように田園地帯を進みます。いかにもウォーキングに来たという感じ。

230304jrwalkingmatsushita1  こちらがこの日歩いた詳しいルートマップその1。松下駅をスタートし、まずは民話の駅 蘇民へ。すぐ隣に松下社という神社があり、そこから北上し、五十鈴川派川を渡って太江寺。古い町並みを通って、伊勢シーパラダイスへ。そこから伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けて、夫婦岩、二見興玉神社へと向かいます。

Img_0235c_20230305184301  いきなりの余談ですが、松下駅を出て歩いていたら、左の方角にこんなものが見えていました。ともいきの国伊勢忍者キングダムにある安土桃山城。ルートマップその1の左端にあります。平成5(1993)年に伊勢戦国時代村として発足していますので、私などはこの古い名前の方がなじみです(こちら)。忍者・戦国時代・安土桃山時代が主題であるテーマパーク。こんなところにあったんだというのが、実感でした。

Img_0241c_20230304181501 Img_0245c_20230304181501  民話の駅 蘇民(そみん)です。各地にある道の駅と同じような施設です。「民」とは、説話の主人公で、そこから転じて護符の一種も指します。リンク先に詳しい説明がありますが、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になり、そのお礼にと「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げました。はたして、まもなくみんな死んでしまったのですが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったといいます。八角柱の木片に「蘇民将来之子孫也」などと書いた護符の類を蘇民将来といっていいます。伊勢地方では家の門口に「蘇民将来之子孫」などと書いた注連をかけて災厄除けとしています。農産物や食品などを売っているのですが、パスしています。

Img_0293c  その隣にあるのが、松下社Img_0272c御祭神は、須佐之男命のほか、菅原道真と不詳一座を合わせて三座です。創立年は不詳ですが、松下地区の氏神として崇敬された古社で、「氏経神事日次記」(文安6(1449)年6月15日贄海神態の条に「其雨の間、饗に於いては、松下社の拝殿に於いてこれを調理す」という記事があるのが最古の記録だそうです。一説には平安中期の安倍清明が神様を招いて祀ったところとも伝えられており、境内の蘇民の森は清明森とも呼ばれているといいます。また、入口付近には「コウザキサン」が祀られているという土地の伝承があるようで、当社を式内社であり、皇大神宮摂社でもある神前神社の旧地とする説もあります。狛犬はなく、多くの神社で狛犬があるところには、榊の束がありました。

Img_0296c_20230306181501 Img_0290c_20230306181901  この地には厄除けの「蘇民将来の神話」が言い伝えられており、「蘇民将来子孫家門」の木札のついたしめ縄を1年中玄関に飾る風習があります。境内には、「蘇民祠」があり、蘇民将来が祭神として祀られています。ただし、この祠は、平成27(2015)年10月と日付が書かれていました。また、「八幡さん」と書かれた木札の脇に榊が束ねられ、小さな鳥居があります。八幡神は応神天皇ですが、ご祭神にはありません。榊の束は、山の神かも知れません。

Img_0261c_20230306182201 Img_0269c_20230306182301  ここには、三重県天然記念物に指定されている、樹齢2,000年以上の大楠もありました。環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周/9. 00m、樹高/12m。主幹は、地上5mほどを残して枯損し、下部は空洞化していますが、全体としては堂々たる景観を呈しています。

Img_0311 Img_0313  二見町松下を進み、五十鈴川派川を日の出橋で渡って行きます。この五十鈴川派川が、以前は五十鈴川の本流であったといいます。五十鈴川に囲まれた伊勢市二見町は三角州のような形状です。

Img_0413c_20230304181501 Img_0354c_20230306194301  スタートから1.5㎞ほどで太江寺の参道入り口に来ます。この日は、海岸沿いのルートで、ほぼ平坦かと思っていたら、あに図らんや(苦笑)。太江寺に入って行くにはかなりの坂をのぼらねければなりませんでした。帰宅後、キョリ測で調べたら、標高30mほどでした。

Img_0365c_20230304181501 Img_0373c_20230306194801  潮音山太江寺(ちょうおんざんたいこうじ)は、真言宗醍醐寺派伊勢西国三十三所巡礼第一番札所でもあります。音無山の中腹に位置しています。天平年間(729~749年)に行基が開創したとも伝わる古刹で、伊勢神宮や二見興玉神社との関わりが深い寺。本尊の千手観世音菩薩は鎌倉時代作、重要文化財に指定されています。奈良の大仏勧進のため諸国を行脚していた行基が、天照大神のお告げを受けて、二見浦で興玉神(おきたまのかみ。内宮の所管社およびその祭神。内宮の御垣内に鎮座する。正宮の守護神)を参拝したところ、金色の千手観音を感得し、その姿を刻んで祀るため開創したのが当寺で、鎮守社として興玉社も境内に祀ったと伝わっています。右の写真は、境内にあった「元興玉社」。平安時代には弘法大師空海が護摩の修行をし、鎌倉時代以降には西行、重源、鴨長明、醍醐天皇、明治期には山岡鉄舟等、多くの文化人等との関わりがあったといいます。

Img_0362c_20230306195001 Img_0377c_20230306195001  庚申堂や、薬師如来もあります。伊勢西国三十三所巡礼の大一番札所ということもあってか、歴史を感じさせるお寺です。急坂を登ってきたこともあって、さほど歩いていないにもかかわらず、小休止(微苦笑)。

Img_0397c_20230306195601 Img_0388c_20230306195701  山門もなかなか立派なものでした。山門には、これもまた歴史を感じさせる仁王様がご鎮座。ちなみに、太江寺は、境内の藤棚いっぱいに薄紫の花房を広げる樹齢150年ともいわれる藤をはじめ、桜や紫陽花など、四季を通じて花々に彩られた花の寺としても有名だそうです。

Img_0430c_20230306200101  Img_0433c_20230306200101 太江寺を降りて、二見町江(ふたみちょうえ)の町を歩いて行きます。古い町並みで、懐かしい感じがします。煉瓦造りの煙突も見えます。

Img_0450c_20230304181501  二見町江の交差点を渡ると、伊勢シーパラダイスの前に出ます。正式には、「伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス」す。今日のウォーキングのマップを提示すると、大人一人¥2,100のところ、¥1,000で入れたのですが、パス。海獣がたくさん飼われていて、ツメナシカワウソ、コツメカワウソ、セイウチ、トドなどがいるところですが、オッサン二人で見るのもどうかということでパスした次第。その昔、子どもたちを連れて来た記憶があるのですが、ちょっとあやふや(苦笑)。年はとりたくありません。

Img_0465c_20230304195101 Img_0474c_20230306200101  伊勢シーパラダイスのとなりに伊勢夫婦岩めおと横丁があります。伊勢志摩最大級の屋内型お土産ショッピング施設だそうで、「夫婦岩」に隣接した屋内型の土産などのショッピング施設。飲食店もありますし、伊勢ならではの体験ができる「めおと岩アクティビティ」もあります。いかにも昭和の雰囲気が残っています。この中を通り抜けて、夫婦岩方面に向かいますが、その1はここまで。

2023年3月 4日 (土)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)

Img_0222c_20230304181501  朝は少し冷えましたが、日中は好天に恵まれ、桑名では15.3℃と暖かくなりました。予定通り、JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」に行ってきました。いつものように、同級生K氏と二人旅。今回と同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。今回、同級生K氏と意見が一致し(ただ、今日は、近鉄ハイキング酒蔵みてある記四日市の丸彦酒造(三重の寒梅)に行く企画もあり、若干迷ったのが本当のところ)、出かけたという次第。念願が一つ、かなったというわけです。今日のところは、予告編。

Img_0203c_20230304181501 Img_0214c_20230304181501  近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。JRさわやかウォーキングなのですが、伊勢市駅までは近鉄を利用。その方が運賃が安いのです(すべてJRを利用すると、松下駅までが片道¥1,860)。伊勢中川駅に9時4分に到着。9時7分に大阪方面から来る五十鈴川行き急行に乗り換えて、伊勢市駅に9時29分着。伊勢市駅はJRと近鉄の共同駅。ここでJR参宮線に乗り換え。9時36分発鳥羽行き普通で、スタートの松下駅には9時47分に到着。近鉄(桑名~伊勢市)が¥1,220、伊勢市~松下のJRが¥210で合計¥1,430という次第。

Img_0209c_20230304181501  参宮線には初めて乗りました。2両編成で、JRさわやかウォーキングに参加する方でかなりの賑わいでした。受付をするのに、今回も行列。私たちが受付を済ませたときも、行列の最後尾はまだホームでした。9時半から受付開始で、スタートできたのは9時55分頃。

230304jrwalkingmatsushita0  こちらが、今日歩いてきたルートマップ。立ち寄り先は、民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩、賓日館、御塩殿神社など。マップ上は、5.6㎞でしたが、キョリ測で見ると、6.2㎞ほどでした。

Img_0241c_20230304181501 Img_0245c_20230304181501  まずは、民話の駅蘇民(そみん)。各地にある道の駅と同じような施設です。「蘇民」とは、説話の主人公で、そこから転じて護符の一種も指します。リンク先に詳しい説明がありますが、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になり、そのお礼にと「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げました。はたして、まもなくみんな死んでしまったのですが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったといいます。八角柱の木片に「蘇民将来之子孫也」などと書いた護符の類を蘇民将来といっていいます。伊勢地方では家の門口に「蘇民将来之子孫」などと書いた注連をかけて災厄除けとしています。

Img_0272c  民話の駅蘇民のとなりに松下社があります。御祭神は、須佐之男命のほか、菅原道真と不詳一座を合わせて三座です。創立年は不詳ですが、一説には平安中期の阿倍清明が神様を招いて祀ったところとも伝えられています。この地には厄除けの「蘇民将来の神話」が言い伝えられており、「蘇民将来子孫家門」の木札のついたしめ縄を1年中玄関に飾る風習があります。境内には、三重県天然記念物に指定されている、樹齢2,000年以上の大楠もありました。

Img_0413c_20230304181501 Img_0365c_20230304181501  五十鈴川派川を渡って、潮音山太江寺(ちょうおんざんたいこうじ)。真言宗醍醐寺派。伊勢西国三十三所巡礼第一番札所でもあります。天平年間(729~749年)に行基が開創したとも伝わる古刹で、伊勢神宮や二見興玉神社との関わりが深い寺。本尊の千手観世音菩薩は鎌倉時代作、重要文化財に指定されています。奈良の大仏勧進のため諸国を行脚していた行基が、天照大神のお告げを受けて、二見浦で興玉神(おきたまのかみ。内宮の所管社およびその祭神。内宮の御垣内に鎮座する。正宮の守護神)を参拝したところ、金色の千手観音を感得し、その姿を刻んで祀るため開創したのが当寺で、鎮守社として興玉社も境内に祀ったと伝わっています。

Img_0450c_20230304181501 Img_0465c_20230304195101  太江寺の先、スタートから2㎞を過ぎて、伊勢シーパラダイス。正式には、「伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス」のようです。今日のウォーキングのマップを提示すると、大人一人¥2,100のところ、¥1,000で入れたのですが、パス。海獣がたくさん飼われていて、ツメナシカワウソ、コツメカワウソ、セイウチ、トドなどがいるところですが、オッサン二人で見るのもどうかということでパスした次第。伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けて、夫婦岩方面に向かいました。

Img_0627c_20230304181501  有名な夫婦岩。改めて説明するまでもありませんが、古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なるところと言われてきました。夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。毎年、5月5日・9月5日・12月中旬土日曜日に大注連縄張神事が行われ多くの人で賑わいます。前にも来たはずなのですが、いつ、誰とという記憶はハッキリしません。

Img_0612c_20230304181501  二見興玉神社。御祭神に猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社です。オッサン二人でお参りするのもどうかというところですが、わが家には居候がいますので、代参(苦笑)。K氏には、「本人を連れてこないとなぁ」と言われてしまいましたが……。古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまずこちらに参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いそうです。境内には、猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)が多数奉納されています。

Img_0703c_20230304181501  二見興玉神社から西に向かいます。松並木のある道を歩いて行くのですが、南側には旅館街。私の両親の世代、故郷の西三河地方の小学生の修学旅行は、ここ二見と伊勢だったと聞いています。このあたりの旅館に泊まったのかも知れません。そう思うと、何となく懐かしい景色のように思えてきます。同級生K氏のお母様は、このあたりの松並木をバックに撮った記念写真があったそうです。

Img_0728c_20230304181501 Img_0753c_20230304181601  賓日館。個人的にはここがメインの目的地です。明日まで伊勢市二見町では、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場といっても良いところですが、私が見たかったのは建物です。賓日館は、明治20(1887)年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会が建てました。明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19(1886)年12月に着工、翌年2月19日に竣工。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となっています。

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 明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。明治44(1911)年23月には隣接する二見館に払い下げられ、二見館の別館として平成11(1999)年まで宿泊所とされてきました。二見館の廃業後、平成15(2003)年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

Img_1083c_20230304181601 Img_1098c_20230304181601  賓日館からは二見浦沿いを歩いて、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)へ。御塩の神様である御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)が御祭神です。伊勢神宮内宮の所管社で、神宮の祭典で使用する堅塩(かたしお)を作る所です。御塩のもとになる高濃度の塩水は、御塩殿神社域内の御塩焼所(右の写真)で煮つめて荒塩となり、御塩殿で型に入れて焼き固められます。毎年10月には御塩殿祭が行われています。あとで知ったのですが、今日から3月の御塩焼固が始まったそうです(こちら)。拝殿の奥に堅塩が20個ほど並べられていました。これで今日の目的地は、コンプリート。

Img_1184c_20230304181601 Img_1180c_20230304181601  JR参宮線二見浦駅に向かいます。ゴールには、13時5分を過ぎた頃に到着。変わった形の駅舎ですが、これは夫婦岩をモチーフにしたもので、平成5(1993)年に建て替えられました。ちなみに駅名は「ふたみのうらえき」と読みます。

Img_1199c_20230304181601  幸い、13時15分発の快速みえ14号名古屋行きがありました。これに乗って、伊勢市駅まで。伊勢市駅で外宮参道にある店で昼食を摂ることにしたのです。二見浦駅から伊勢市駅までは、¥210。ホームには行列があったのですが、空いていて座れました。このまま桑名まで行っても良いのですが、¥1,860もかかりますし、桑名駅に着く14時38分まで昼ご飯がお預けになってしまいます。

Dsc_0553c Img_1206c_20230304181601  伊勢市駅で降りて、外宮参道へ。伊勢うどんを食べようということで、「じろべえ」さんへ。テキトーに入ったお店でしたが、大当たり。しかし、ここはメニューが伊勢うどんとビールしかないというところ。かなりのこだわりがあるようで、隠れた人気スポットなのかも知れません。帰ってから調べたところでは、伊勢うどん専門店は、伊勢でも珍しいそうです。メニューに「めかぶいり」があったのですが、女将さんは鳥羽の答志島のご出身とか。左の写真は、食べ終えて外に出て来たときのもの。4人の方が外で待っていました。私は、今日は「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。ここの伊勢うどんは、なかなかのもので大満足。

Img_1202c_20230304181701  伊勢市駅に戻り、14時12分発の伊勢中川行き普通に乗車。松阪駅に14時40分着。ここで、松阪駅始発(14時54分)の名古屋行き急行に乗って桑名まで。桑名駅には16時3分着。¥1,220。一昨年の伊勢参りツアーのときと同じで、伊勢まで行くと、ウォーキングも1日かかります。

Screenshot_20230304162520 Img_1225c_20230304181601  今日のGoogle Fitのデータ。二見浦で歩いた距離は、キョリ測では6.2㎞でした。これに昼食に歩いた分(0.7㎞ほど)と、自宅から桑名駅往復(2.4㎞ほど)が加わってトータルでは9.5㎞、18,060歩でした。右の写真は、受付の時、先着200名まで配られた「蘇民将来の厄除け」。裏には、志摩の海女さんが身につける魔除けである「ドーマン・セーマン」が描かれています。これは、普段からのウォーキングのお守りにちょうど良い気がします。

Img_1236c_20230304181601  もう一つは、ゴールの二見浦駅で、クイズに全問正答していただいた「JRさわやかウォーキング記念シール」の裏側。賓日館の説明などが書かれています。以上、予告編はここまで。いつものように本編はまた明日以降ボチボチと書いてくつもり。

2023年1月 8日 (日)

2022年ウォーキング/ハイキングのまとめ

 2022(令和4)年も新型コロナウィルス感染症はまだ治まらず、JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングの企画は、コロナ禍以前ほどたくさんはありませんでした。そこで、2021年同様、「勝手にハイキング」も行いつつ、JR、近鉄のウォーキング/ハイキングにも参加するということで計17回のウォーキングに出かけました。以下、時系列に沿ってそのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2022年1月10日:高田本山お七夜

2022年1月10日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(予告編)

2022年1月11日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その1)……専修寺でまずはお庭を拝見し、太鼓門、御影堂、如来堂、通天橋へ

2022年1月12日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その2)……専修寺で御廟、御廟拝堂、納骨堂、外へ出て窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社からランチ

2022年1月13日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(その3)……専修寺を出て、聖俗の結界を抜け、仲之町商店街から橋向通を経て、臼井織布さんを見てゴールの伊勢鉄道・東一身田駅

89e63e82 D4041c75  真宗高田派の本山である専修寺は、私の好きなお寺です。その周囲は一身田寺内町を形成していて、なかなか良い感じの街になっています。さらに、専修寺のお七夜(大谷派でいう報恩講。親鸞上人のご命日の法要)もたびたび出かけるほど気に入っています。一度、庭園を拝観したいと思っていたら、この年のお七夜では、一身田寺内町の館のほっとガイド会の方が雲幽園(うんゆうえん)と茶室である安楽庵を案内してくださるということで、ぜひ見たいと思って出かけたのです。同級生K氏と2人旅。近鉄高田本山駅から高田本山へ。専修寺境内を周り、少し足を伸ばして、窪田の常夜燈、一身田寺内町の館、一御田神社、高田会館にある和彩あかりで昼食、土産を買って、釘貫門から中之町商店街を経て、道標1基を見て、黒門跡から伊勢別街道へ。伊勢木綿の臼井織布の建物を見て、伊勢鉄道・東一身田駅にゴール。歩いたのは9.6㎞。電車賃が計¥1,560、昼食は高田会館和彩あかりで「まぐろとろろ丼」(¥1,300)、土産は「高田山サブレ(定価¥850のところ、賞味期限が近いということで35%ディスカウントで¥595)」と、昔ながらのお七夜土産である「桜おこし」。岡田屋さんで¥800。

2.2022年2月5日:東海道ウォーキング「日永の追分~加佐登(かさど)」

2022年2月5日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(予告編)

2022年2月9日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その1)……四日市あすなろう鉄道・追分駅から、三寺めぐりを済ませ、内部川へ

2022年2月10日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その2)……杖衝坂で日本武尊や芭蕉に思いを馳せ、采女一里塚跡から鈴鹿に入り、自由が丘でランチ

2022年2月11日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その3)……石薬師宿に入り、北町地蔵堂、小澤本陣跡、佐佐木信綱記念館へ

2022年2月12日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その4)……浄福寺、石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て石薬師一里塚跡からゴールの関西線加佐登駅へ(完)

04b27b42_20230107172201 C2aaf39f  2021年は、同級生K氏と17回に分けて桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで歩いて参拝しました(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)。「今年はどうしようか?」と考えた結果が、まずは、四日市の日永の追分から関宿あたりまで東海道を歩こうということでした。私自身、この区間は、部分的には歩いていますが、通して歩いたことがありませんでした。この東海道ウォーキングも、同級生K氏と二人旅。初回のこのときは、四日市・日永の追分から杖衝坂を上り、石薬師宿を通って、庄野宿の手前の鈴鹿・加佐登まで東海道を歩いて来ました。歩いたのは、12.6㎞。電車賃は計¥1,080、昼食は自由が丘のレストランミヤコで日替わりランチ(¥990)。このあたり、実は、大学院を修了して就職した病院からほど近いところで、懐かしいところ。レストランミヤコのランチも何度も食べました。近くのレストランスオーや、来来憲(とんてきで有名)にも来ていました。いわば、ちょっとしたセンチメンタルジャーニー(微笑)。

3.2022年2月17日:四日市市立博物館「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展

2022年2月17日:20220217勝手にハイキング「四日市博物館で”昭和のくらし 昭和のおもちゃ”展を見て、鵜の森公園」へ

4f9001fc  四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展が開かれていましたので、それを見たついでに鵜の森公園に行ってきました。四日市市立博物館では、毎年、新年に「昭和の暮らし」などを巡る展覧会が開かれますので、私はここ数年、毎年見ています。小学生向けの学習支援展示ですが、昭和生まれの私にとっては懐かしいものが見られるのです。展覧会を見たあと、鵜の森公園へ。ここは浜田城跡で、現在は、泗水庵という茶室と鵜の森神社があります。同級生K氏と出かけてきました。歩いたのは、5.6㎞。電車賃は計600円。昼食は、寒かったので、諏訪の商店街にある東京荻窪ラーメン・えびすや四日市店で、「おぎくぼラーメン」(¥795)。四日市近鉄百貨店に立ち寄って、土産に出張販売に出ていた木村屋の「季節のあんぱん」5種類の詰め合わせ(¥1,182)。

4.2022年2月27日:近鉄酒蔵立ち寄りハイキング「神楽酒造(神楽)」

2022年2月27日:20220227近鉄ハイキング「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」へ(完)……ほぼ2年ぶりの近鉄ハイキングに参加、オマケはKINGの自販機の話

6d7149c3 C0599c6b  ほぼ2年ぶりに近鉄ハイキングに参加してきました。この前に行ったのは、新型コロナウィルス感染症が蔓延し始めたころ出かけた「酒蔵みてある記」でした(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。「酒蔵みてある記」は人気があり、再開希望がたくさん寄せられたようで、2022年、「酒蔵立ち寄りハイキング」として復活しました。神楽酒造は、四日市市室山町にあります。近鉄湯の山線・伊勢松本駅から、春の丘、夏の広場を経て神楽酒造に立ち寄り、四日市あすなろう鉄道・西日野駅がゴール。歩いたのは7.4㎞。電車賃は計¥950。試飲を1杯、土産は「神楽」という特別純米生酒の4合瓶1本(¥1,320)。昼食は、自宅にて。

5.2022年3月5日:近鉄酒蔵立ち寄りハイキング「丸彦酒造(三重の寒梅)」

2022年3月5日:20220305近鉄酒蔵立ち寄りハイキング「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(1回完結)

107c9837 726e5edf  丸彦酒造さんの「三重の寒梅」はなかなかの銘酒と思います。四日市市川島町にある酒蔵です。同級生K氏と2人旅。伊勢松本駅から南へ。松井神社を経て(このあと鹿化川沿いに出るまで、境内で寄り道をし、少しコースを外れています)、鹿化川沿いを歩いて、上布田遺跡の説明板、鹿化川千本桜並木を歩いて、丸彦酒造さんへ。その後、コースマップでは伊勢川島駅へ向かうのですが、「もうちょっと歩いても良いな」ということになり、西福寺、伊勢三郎首塚、河島御厨神明神社まで足を伸ばしてきました。丸彦酒造さんで、1杯¥100の有料試飲を2杯。内緒ですが、小宴会(微笑)。歩いたのは、8.8㎞。電車賃は計¥910。直売所では、「三重の寒梅 初しぼり」(¥1,400)と、ワンカップ(¥300)を購入。昼食は、近鉄四日市駅で途中下車して、駅ナカにあるうどん・そばの「四日市庵」で天ぷらきしめん(¥380)。

5.2022年3月19日:東海道ウォーキング「加佐登~井田川」

2022年3月19日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(予告編)

2022年3月22日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(その1)……加佐登駅から庄野宿へ

2022年3月23日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(その2)……汲川原から西冨田の福萬寺へ

2022年3月24日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(その3)……西富田町から井田川駅にゴール(完)

05ea0822 E916bc31  2月5日の東海道ウォーキングの続きとして、鈴鹿市加佐登町から亀山市井田川町まで。JR関西線・加佐登駅から庄野宿に入ります。善照寺、庄野宿資料館、妙法寺、集会所・本陣跡、常楽寺、川俣神社でスダジイの大木(ちなみに、川俣神社という名前の神社が、このあたりには4社あります)、平野道道標、いぼとり地蔵、真福寺、神戸藩領界石・女人堤防碑、川俣神社・中冨田一里塚跡碑、清光寺、常念寺、福萬寺、道標(ひろせ道)、川俣神社・無上冷水井戸跡、弘法井戸、川俣神社、和泉公民館で地蔵尊、道標(のゝぼり道)、地蔵尊、明治天皇御小休所碑・観音堂跡、地福寺と実にたくさん見て回って、JR関西線・井田川駅がゴール。歩いたのは10.1㎞。電車賃は計¥1,100。昼食は、国道1号線沿いの「すき家1国亀山店」で、「クリーミーオニサラ牛丼」にお新香セットをつけて、計¥700。
 このときは、途中の庄野町集会所にいらした女性から「お茶でもどうですか?」と呼び込まれ、温かい梅昆布茶を頂き、いろいろと話を伺っていたら、「庄野 寄っといで音頭」をつくったといって、生歌を聴かせていただき、さらにそれを収録したCDまで頂戴してきました。炭坑節の替え歌でした。

6.2022年4月23日:東海道ウォーキング「井田川~亀山」

2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編)

2022年4月25日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その1)……井田川駅を降りて、和田一里塚跡へ

2022年4月26日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その2)……能褒野神社二の鳥居・露心庵跡から姫垣外苑まで

2022年4月27日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その3)……亀山城址にて多門櫓、明治天皇行在所旧蹟、亀山演武場などを見て、亀山駅にゴール(完)

066e6f35  「東海道ウォーク」の3回目。JR関西線・井田川駅から西信寺、正福寺、谷口法悦供養塔、幸福寺、福禅寺、石上寺、和田一里塚、巡検道との追分、亀山宿の江戸門口跡、福泉寺、法因寺、弘法院、樋口本陣跡、高札場跡、大手門跡、亀山城跡、亀山神社、石井兄弟亀山敵討石碑からJR関西線亀山駅がゴール。亀山駅前では、リニア開通を見越して、駅前の整備とともに、マンションの建設などが行われていました。歩いたのは、10.2㎞。電車賃は計¥1,270。昼食は、亀山駅前で食べるところがなかなか見つからず、ウロウロしましたが、結局、駅前にあった「瑞宝軒」という和菓子屋さんがやっているカフェで。最初は、和菓子屋さんだから昼ご飯はないなと思って、いったん通り過ぎたものの、ほかに飲食店はなく、戻って来て「食事ができますか?」と聞いたら、ランチがありましたので、それをチョイス。コーヒー付きで¥1,100。サワラのフライとハンバーグ。

7.2022年5月7日:東海道ウォーキング「亀山~関」

2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編)

2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで

2022年5月12日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その2)……野村から太岡寺畷へ

2022年5月13日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その3)……いよいよ念願の関宿へ

2022年5月14日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その4)……念願の関宿はおもしろい(完)

602d8e55 3de10ec1  関宿は、江戸時代の町並みがよく保存されていますので、ずっと以前から一度は訪ねてみたいと思っていた、念願の地です。JR関西線・亀山駅から、加藤家屋敷、西之丸庭園、青木門跡、飯沼慾斎生家跡と道標2基、旧舘家住宅、善導寺、西之丸堀跡、京口門跡、梅厳寺、照光寺、旧佐野家住宅、光明寺、慈恩寺から野村の一里塚、亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡、毘沙門天、布気神舘大神社、昼寝観音、清福寺、太岡寺畷と回って、いよいよ関宿へ。関宿では、関の小萬の碑、関宿東の追分(伊勢別街道との追分)、長谷屋資料館、宝林寺、御馳走場跡、関の山車会館、延命寺、関まちなみ資料館、百六里庭(ひゃくろくりてい)・眺関亭(ちょうかんてい)、関宿旅籠玉屋歴史資料館、深川屋(銘菓関の戸を製造販売)、高札場跡、福蔵寺、地蔵院と回って、道の駅・関宿で昼食を摂って、JR関西線・関駅にゴール。歩いたのは、11.7㎞。電車賃は計¥1,450。昼食は、道の駅・関宿にある「定食屋みくら」で「冷やし海老おろしうどん」(¥840)。土産は、深川屋関の戸。和三盆と抹茶の6個ずつの詰め合わせ(¥1,118)。ちなみに、深川屋さんは創業約380年で、「忍びの隠れ蓑」だそうです。「関の戸」は、忍者の末裔・服部伊予保重が考案した餅菓子です。

8.2022年5月22日:JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング合同企画「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ」

2022年5月22日:20220522JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング共同企画「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」(完)

2de6d852 41b22aed  この日は、JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングの共同企画である「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」に娘と2人で参加してきました。近鉄富田駅をスタートし、浜園緑地、四日市港ポートビル、霞ヶ浦緑地、四日市競輪場、稲葉翁記念公園、JR貨物四日市駅を経て、JR四日市駅がゴールというコース。四日市競輪場で、バンクが特別開放されたのですが、そのためにこのウォーキングに参加したようなもの(微笑)。バンクは1周400m。直線コースが62.4mと、他の競輪場に比べ長いそうです。ここのバンクの傾斜角度(カント)は、コーナーでは32° 15′ 07″だそうですが、見た目では45°くらい傾いているように見えました。このバンクを歩いて1周。もう1つの楽しみは、JR貨物四日市駅での鉄道・バスマルシェ。ここに松阪の駅弁屋さんである「あら竹商店」さんが出店。あの「モー太郎弁当」を是非とも買いたかったのです。娘はゴールが近づくにつれ、早足になっていました。歩いたのは11.2㎞。電車賃は計¥500。モー太郎弁当は、1個が¥1,500を3個お買い上げ。

9.2022年5月28日:勝手にハイキング「松阪ウォーキング」

2022年5月28日:20220528松阪ウォーキング(予告編)

2022年5月30日:20220528松阪ウォーキング(その1)……縁切り不動、八雲神社、松阪大映、松阪撫子を見て来迎寺へ

2022年5月31日:20220528松阪ウォーキング(その2)……樹敬寺で本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪三珍花の発祥地をめぐり、原田二郎旧宅、松阪工業高校の赤壁校舎から御城番屋敷へ

2022年6月1日:20220528松阪ウォーキング(その3)……本居宣長ノ宮、松阪神社、松坂城跡から不二屋で焼きそばにて「完」

533749d7 Bb254857  2022年は、東海道ウォーキングとして、四日市の日永の追分(東海道と伊勢街道との追分)から関宿まで歩きましたが、この先は、JR関西線と東海道とが離れてしまい、「電車で行って歩き、電車で帰る」というスタイルで行けるのは関まで(三重県にはもう1箇所、坂下宿があり、その先は鈴鹿峠越えになります)。次のウォーキングはと考え、取り敢えず、この日は松阪へ。松阪駅から八雲神社、来迎寺、常教寺、樹敬寺(本居宣長の墓があります)、御城番屋敷、松坂城跡などを巡ってきました。同級生K氏との二人旅。歩いたのは、8.7㎞。電車賃は計¥1,920。昼食には不二屋の焼きそば(¥800)。土産は、いつもの柳屋奉善老伴。6個入りで¥1,140。

10.2022年6月12日:勝手にハイキング「水の都・大垣ウォーキング」

2022年6月12日:20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編)

2022年6月17日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その1)……大垣城、郷土館、藩校敬教堂跡から八幡神社へ

2022年6月18日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その2)……四季の路を通り、円通寺から船町川湊、奥の細道むすびの地へ

2022年6月21日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その3)……船町川湊から美濃路を歩いてゴールの大垣駅へ(完)

74eecb4c Beac5431  当初は前日に予定していたものの、天気があまり良くないという予報で、この日に延期しました。大垣は、水の都といわれますが、まさにその通りで、とても良いところでした。養老鉄道大垣駅がスタート&ゴール。大垣城、郷土館、大垣藩校敬教堂跡、八幡神社、円通寺、奥の細道むすびの地、住吉神社、船町港跡・港灯台、船町道標、美濃路大垣宿本陣跡、大手門跡、堀抜井発祥の地、愛宕神社・岐阜町道標などを回ってきました。現地で歩いたのは、6.3㎞ほどでしたが、あちこちで資料館なども見て回り、4時間半も滞在。この日も同級生K氏と二人旅。歩いた合計距離は、8.7㎞。電車賃は、養老鉄道の1日フリー切符を購入し、¥1,500。昼食は、大垣駅ビルのアスティ大垣にある「おらが蕎麦」でちくわ天おろしそば(¥660)。土産に「金蝶園製菓総本家」で、大垣名物水まんじゅう。

11.2022年7月17日:勝手にハイキング「堀川・宮の渡し・熱田神宮ウォーキング」

2022年7月17日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング

2022年7月18日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング(その1)……アオサギを見つけ、松重閘門から堀川沿いを下り、闇之森八幡社、堀川橋梁へ

2022年7月19日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング(その2)……尾頭橋他から断夫山古墳、白鳥古墳へ

2022年7月20日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング(その3)……被爆堤防・空襲跡、宮の渡し跡、円通寺、熱田神宮から神宮前駅でゴール(完)

41cc9858 5551fb0d  同級生K氏と二人で、名鉄名古屋本線山王駅から松重閘門、そこから掘川沿いを歩いて下り、熱田神宮公園で断夫山古墳と、すぐ近くにある白鳥古墳を見て、宮の渡し跡へ。その後、円通寺と熱田神宮にお参りしてきました。歩いたのは合計10.5㎞。電車賃は計¥1,300。昼食は、熱田神宮内にある宮きしめん神宮店で、冷やし宮きしめん(¥800)。ここできしめんを食べたかったのですが、これまでは大賑わいで諦めていました。ようやくリベンジ。土産は、定番のきよめ餅。5個入りで¥750。

12.2022年9月2日:勝手にハイキング「壬申の乱1650年記念大矢知ウォーキング」

2022年9月2日:20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(予告編)

2022年9月5日:20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その1)……霞ヶ浦駅から志氐神社、明円寺そして大膳寺跡へ

2022年9月7日:20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その2)……浄恩寺、南北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳碑から浄恩寺道道標へ

2022年9月8日:20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その3)……久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、忍藩大矢知陣屋跡から龜屋佐吉でかき氷を食べて大矢知駅にゴール(完)

78c5b717 5b2cfbe1  2022年は、壬申の乱(672年)から1350年ということで、「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」と銘打って出かけてきました。霞ヶ浦駅をスタートして、志氐(しで)神社、明円寺、大膳寺跡、浄恩寺、南北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳之碑、天武天皇迹太川遙拝所跡、久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、大矢知興譲小学校(忍藩陣屋跡)、亀屋佐吉などを回って、三岐鉄道三岐線大矢知駅まで。歩いたのは、10.2㎞。電車賃は計¥710。暑い時期に大矢知に行くなら、何が何でも立ち寄ってかき氷を食べなくてはと思って、亀屋佐吉で「白玉和三盆金時みるく」(¥870)をいただいてきました。昼食は、桑名駅コンコースにある伊勢ノ国食堂しちりで、「天ぷら中華そば」(¥850)。同級生K氏と二人旅。

13.2022年9月24日:勝手にハイキング「笠寺観音を訪ねて」

2022年9月24日:20220924笠寺ウォーキング(超予告編)

2022年9月26日:20220924笠寺ウォーキング(その1)……名鉄桜駅をスタートし、桜神明社、富部神社、呼続公園の頼朝公旗掛松

2022年9月29日:20220924笠寺ウォーキング(その2)……長楽寺、東海道、笠寺観音へ

2022年9月30日:20220924笠寺ウォーキング(その3)……法性寺、笠寺公園で見晴台考古資料館、住居跡観察舎、笠寺高射砲陣地跡、きんさん桜・ぎんさん桜、笠寺一里塚跡、七所神社を巡る(完)

63d8472e 361873db  同級生K氏と前日に計画していたのですが、台風15号の影響で雨になりましたので、この日に順延。まさに台風一過で、よく晴れました。名鉄名古屋本線桜駅をスタート。桜神明社、富部神社、呼続公園、長楽寺から東海道を少し歩いて笠寺観音へお参り。続いて笠寺公園にある見晴台考古資料館から笠寺一里塚跡と七所神社を経て、名鉄名古屋本線本笠寺駅まで。名鉄線では1駅分でしたが、ぐるぐると回って、歩いた距離は8.5㎞。電車賃は計¥750。昼食は、笠寺駅近くの「珈琲ミハル」へ。創業60年を超えている、まさに昭和風の喫茶店で、和風ハンバーグランチ、コーヒー付きで¥850。

14.2022年10月9日:勝手にハイキング「桑名駅西ウォーキング」

2022年10月9日:20221009桑名駅西ウォーキング(一回完結)

C9f59c3f 0cf02eed  桑名駅集合で、円妙寺、大福田寺、円妙寺墓地、立坂神社𦾔跡、聖衆寺、秋葉三尺坊大権現から竹林を歩いて、式部泉を見て、高塚山古墳の麓へ行くつもりだったのですが、竹林が住宅工事で通れなくなっていて、予定変更。北別所神明社へショートカットし、さらに、旧桑名市民病院跡地を見て、岸西山へ。大正寺、岸西山遺跡、尾野神社北之社、尾野神社・立坂神社・舟着社、専明寺、照源寺と歩いてきました。歩いたのは、8.6㎞。全行程徒歩です。昼食は、目利きの銀次桑名駅前店であじフライ(¥700)。この日も名コンビの同級生K氏と。

15.2022年10月29日:JRさわやかウォーキング「伊勢鉄道線開業35周年記念 歴史と文化に触れる鈴鹿市を再発見!」

2022年10月29日:20221029JRさわやかウォーキング「伊勢鉄道線開業35周年記念 歴史と文化に触れる鈴鹿市を再発見!」(予告編)

2022年10月30日:20221029JRさわやかウォーキング「伊勢鉄道線開業35周年記念 歴史と文化に触れる鈴鹿市を再発見!」(その1)……関西線河曲駅をスタートし、鈴鹿市考古博物館、伊勢国分寺跡、冨士山1号古墳、高岡山中央公園から高岡城跡へ

2022年11月1日:20221029JRさわやかウォーキング「伊勢鉄道線開業35周年記念 歴史と文化に触れる鈴鹿市を再発見!」(その2)……常夜灯2基、神戸の見附跡、観音寺、龍光寺、神戸宗社、神戸城跡を経て伊勢鉄道・鈴鹿駅にゴール(完)

60828a9e 8d8aad39  JR関西線河曲(かわの)駅から鈴鹿市考古博物館、伊勢国分寺跡、冨士山1号古墳、高岡山中央公園、高岡城跡、常夜灯、神戸の見附跡、観音寺、龍光寺、神戸宗社、神戸城跡と回ってきました。長丁場でしたが、3箇所ほど寄り道をしてきました。今回も同級生K氏と二人旅。歩いたのは合計15.2㎞。電車賃は計¥1,060。昼食は、鈴鹿市駅の手前で、京都北白川 ラーメン 魁力屋 鈴鹿矢橋店に立ち寄り、「特製醤油味玉ラーメン(¥869)」。伊勢国分寺跡と、鈴鹿市考古博物館は訪ねてみたかったところです。高岡城跡からの眺めはかなりよいものでした。こういうところに城をつくりたくなるのはよく分かります。

16.2022年12月10日:近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗』を訪ねて(酒蔵みてある記)」

2022年12月10日:20221210近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗』を訪ねて(酒蔵みてある記)」(1回完結)

Ec25e466 F252419a  近鉄ハイキングでは、3年ぶりに「酒蔵みてある記」が復活し、今日がその初回。これはやはり行くしかありません。弥富駅を出て途中、薬師寺、難畑地蔵尊、興善寺地蔵に立ち寄り、東名阪自動車道を越えて、愛西市へ。青木酒造で試飲、抽選会、即売会。その後は、ひたすら弥富駅に戻るコースですが、帰り道に源空寺と聖覚寺にちょっとだけ寄ってきました。今回は1人。ちなみに、4年前に同じコースで青木酒造に行っています(2018年12月9日:20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(予告編)……いよいよ「酒蔵みてある記」の季節到来)。歩いた距離は、11.7㎞。電車賃は計¥520。青木酒造で「純米米宗」の720mmlを1本買ってきました(¥1,600)。昼食は、自宅にて。

17.2022年12月23日:勝手にハイキング「長島ウォーキング」

2022年12月23日:20221223長島ウォーキング(予告編)

2022年12月25日:20221223長島ウォーキング(本編その1)……近鉄長島駅から光岳寺、長島八幡社、小田江神崎神社、大智院、光栄寺、稲荷阿岐波神社、長島城跡へ

2022年12月26日:20221223長島ウォーキング(本編その2)……正敬寺、花林院、善明寺、蓮生寺、明治の東海道道標、又木神明社、願證寺、深行寺から水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷へ

2022年12月27日:20221223長島ウォーキング(本編その3)……長島川遊歩道を歩いて日神神社にお参りしなばなの里へゴールして地ビールで乾杯(完)

31bdc6b8 2953d50f  同級生K氏と二人で桑名市長島町をウォーキング。2022年のウォーキング納めです。近鉄長島駅から南のあたりの歴史散歩という次第。光岳寺、長島八幡社、小田江神崎神社、大智院、光栄寺、稲荷阿岐波神社、長島城跡、正敬寺、花林院、善明寺、蓮生寺、神明社、崇泉寺、願證寺、皇大神社、深行寺、旧久我屋敷・水辺のやすらぎパーク、長島川遊歩道、日神神社と回って、なばなの里がゴール。なばなの里では、今年のウォーキング納めを祝して、ビールで乾杯してきました(微笑)。「長島ビール園」で冬季限定のビールである「ボック」で祝杯を挙げた次第。歩いたのは、合計12.6㎞。電車賃・バス代は合計¥640。

2022年11月 5日 (土)

20221105JRさわやかウォーキング「地酒と文化に触れる蟹江町散策」(一回完結)

221105jrwalkingkaniec 20221105jrwalkingkaniec  朝は8.4℃と冷えましたが、日中は20.8℃になり、天気も良くウォーキング日和でした。予定通り、JRさわやかウォーキング「地酒と文化に触れる蟹江町散策」に行ってきました。今回も、同級生K氏と。私自身は、蟹江でのJRさわやかウォーキングは、今回で4回目。前回は、2年前、コロナ禍が少し収まった時に行っています(2020年11月8日:20201108JRさわやかウォーキング「蟹江町を散策。寺社・史跡巡り」へ(完))。その時とコースはほぼ同じ。左は、JRさわやかウォーキングのコースマップ、右は実際に歩いたルートマップ。ほぼ同じです。コースマップ上は、約8.2㎞となっていましたが、キョリ測で調べると、現地では8.6㎞を歩いてきました。今回は、1回完結の記事です。立ち寄り先の詳細については、上記のリンク先にある、前回のJRさわやかウォーキングの記事をご参照ください。

Img_3597c_20221105171501 Img_3594c_20221105171501  桑名駅を8時25分に出るJR関西線の名古屋行き普通に乗車。蟹江には8時45分に到着。¥240。2年前に行った時は、JR蟹江駅はまだ工事中でしたが、その年の年末から新しくなり、桑名駅などと同じく橋上駅になっており、自由通路が設けられていました。南口で受け付け。コースマップを受け取り、8時55分にスタート。

Img_3606c_20221105171501 Img_3613c_20221105171501  蟹江駅から南下し、県道29号線に出て右折します。途中、歴史民俗資料館・蟹江城趾などを案内がありますが、こちらは今回はルートに入っていません。その先、県道65号線との交差点で右のような標識。「今(いま)」という名前の交差点です。

Img_3616c_20221105171501 Img_3635c_20221105171501  スタートから800mあまりで蟹江川に行き当たります。ここを左折し、しばらく蟹江川左岸を歩いて行きます。1.2㎞で蟹江神明社。北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まり。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。御祭神は、天照大神。

Img_3723c_20221105171601 49e35f2328b647a8392f0c3ed6dd731f1c  蟹江神明社の先、スタートから1.5㎞で甘強酒造。強のわれわれのウォーキングの主たる目的の1つ(微笑)。みりんで有名ですが、みりん醸造とともに、日本酒もつくっています。JRさわやかウォーキングにあわせて、今日は蔵開きが行われています。文久2(1862)年創業。江戸時代末期です。左の写真にある旧本社事務所の建物は、昭和12(1937)年建築で、登録有形文化財。

Img_3661c_20221105171601 Img_3664c_20221105171601  まずはともかく試飲コーナーへ(爆)。いっこく(純米吟醸酒)、名古屋正宗(本醸造)、紅麹梅酒などがありました。過去には、3種類とも試飲したこともありますが、今回は、純米吟醸酒のいっこくを飲ませてもらいました。いつものように、本当にちょっとだけ試すくらい。喉を湿らせた程度(微苦笑)。

Img_3667c_20221105171601  直売コーナーで、試飲した「いっこく」の4合瓶をお買い上げ。本来は、1本¥1,000のところ、受付でもらった「蔵開き」のパンフレットを提示すると、¥100引き。さらに左の写真にも写っているように、「お米の甘み」という「濃い煮切りみりん」の試供品までいただきました。ちなみに、いっこくは、常温、ぬる燗、熱燗のいずれでもよいそうですが、燗をつけた方が良さそうな印象でした。

Img_3729c_20221105171701 Img_3736c_20221105171701  甘強酒造を出たところで蟹江川を渡り、西へ。蟹江町役場へ行く途中、小さな田んぼがあり、そこに今は懐かしい「稲架(はさ)掛け」がしてあるのを見ました。今は稲刈りは、コンバインでしてしまいますが、われわれが子どもの頃は手作業。稲を刈った後は、田んぼにこのような稲架をつくって、そこに刈った稲をかけて乾燥させていました。懐かしい。

Img_3743c_20221105171701Img_3746c_20221105171701  町役場を過ぎて、立ち寄りポイントの「蟹江町まちなか交流センター楽人」を通過(立ち寄っていません……微笑)。その先、3キロを過ぎて左折し、学戸小学校と学戸公園の間を南へ。源氏塚公園に向かいます。

Img_3753c_20221105175301 Img_3760c_20221105171701  こちらが源氏塚公園。ここには始めてきました。このあたり、平安時代の末期ころは海だったそうです。平治元(1159)年、平治の乱平清盛に敗れた源義朝一行が、東国に落ちに延びる折、美濃の国⻘墓(現在の大垣市⻘墓)から養老、荷の上を通り、内海の庄野間へ船で向かう途中、ここにあった⼩島にしばし船を⽌め休息し、蟹江の漁⺠のもてなしを受け、漁船により内海に送り届けられたと言い伝えられています。これによって、このあたりは源氏島と呼ばれるようになったといいます。ここで、スタートから3.7㎞、時刻は10時頃。小休止。

Img_3775c_20221105171701 Img_3779c_20221105171701  足湯かにえの郷に向かう途中、尾張温泉通りに大相撲ストリートがあります。二子山部屋・高砂部屋の力士16名の足型が路上に設置されているのです。第65代横綱貴乃花、第68代朝青龍などの足型もあります。その昔、享和元(1801)年7月、海東郡須成村龍照院で、大日堂復旧を記念して勧進相撲が興行されたという文書があり、また大関朝青龍誕生の伝達式も龍照院客殿で行われたりと、相撲に縁があるのです。

Img_3788c_20221105171701 Img_3784c_20221105180001  足湯かにえの郷。尾張温泉かにえ病院のところにあります。源泉掛け流しの足湯で、無料で利用できます。ウォーキング参加者でも足を浸している方もありましたが、今日も(前回も)パス。

Img_3799c_20221105171701 Img_3795c  ここからしばらくは立ち寄るところはありません。再び県道29号線に出て、今度は東へ。蟹江川に突き当たるところまで。右の写真がそこ。ここは、蟹江駅から来て蟹江神明社に向かう時に左折した交差点。ここでスタートから5.9㎞。時刻は10時45分を過ぎた頃。立ち寄り先が少ないので、早いこと(苦笑)。

Img_3822c Img_3842c_20221105171701  蟹江川の上流に向かいます。11時を5分くらい過ぎて、「蟹江町観光交流センター祭人」に到着。7.2㎞。ここで蟹蟹フェアが行われています。

7407c  こちらが蟹蟹フェアのパンフレット。蟹江駅でスタートの時にいただきました。この蟹蟹フェアは、毎回、JRさわやかウォーキングにあわせて開催されています。甘強酒造のところにも店が出ていました。これが今日の2つめの主たる目的です。ここで酒とつまみをゲットして……と密かに企んできていたのです。

Img_3890c_20221105171701 Img_3894c_20221105171701  ゲットしたのは、これら。左は、今日は立ち寄り先になってはいませんが、山田酒造さん(蟹江町)の「酔泉」のスパークリング日本酒。アルコール度数は9。¥660。右は、昭和食堂蟹江店さんの「蟹だし巻」(¥600)と、サバヲ食堂さんの「蟹稲荷」(¥200)。酔泉のスパークリング日本酒は、祭人のショップのお姉様の推薦。「昼に飲んでも大丈夫。すっきりして美味しい。足らなかったらまた買いにおいで」ということでした(笑)。山田酒造の直売があるかと思ったのですが、今回はそれはなし。冨吉建速神社・八剣社・龍照院にお参りしてから、境内の端っこを勝手にお借りして、いただいてきました。ちなみに、酒とつまみの写真を家族に送ったら、「蟹だし巻が美味しそうだから、土産に欲しい」という指令が届きました。

Img_3851c_20221105171701 Img_3855c_20221105171701  その冨吉建速神社・八剣社。両社とも、天平5(733)年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれます。この両社の祭礼として須成祭という川祭が行われます。津島神社の天王祭りと似たお祭です。

Img_3875c_20221105171701 Img_3872c_20221105171701  隣接して蟹江山常楽寺龍照院真言宗智山派のお寺。天平5(733)年に行基菩薩によって、本尊に十一面観世音菩薩を奉安し創建されたといわれています。御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182年)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。今日も、特別にご開帳があり、拝観してきました。

Img_3886c_20221105171701 Img_3866c_20221105171701  境内には、大日如来堂があり、木曾義仲の菩提を弔うために巴御前が安置したといわれる大日如来坐像があります。また、寺の奥には、豊臣秀吉が植えたと伝わるイチョウの大木があります。「龍照院の大イチョウ」として、蟹江町の天然記念物。町内一、二の巨木といいます。秀吉御手植えとすれば、樹齢は400年を優に越えるでしょう。平成6(1994)年時点の樹高は23m、幹回りは3.5mだったそうです。これで、すべてコンプリート。ゴールの蟹江駅に向かいます。

Img_3916c_20221105171701 Img_3912c_20221105171701  蟹江駅北口のゴールには、12時20分を過ぎたくらいに到着。ここまで約8.6㎞を歩いてきました。ゴール受付では、先日ゲットした「さわやかウォーキングアプリ」でポイントをゲット。

Img_3921c_20221105171701  こちらが蟹江駅北口。12時30分発の四日市行き普通に乗車。桑名には12時45分に到着。¥240。

Img_3956c_20221105171801 Img_3959c_20221105171801  今日の歩数は、18,597歩。現地で歩いたのが8.6㎞でしたが、トータルでは10.7㎞(Google Fitによる)。自宅から桑名駅往復が2.2㎞くらいですから、10.7㎞という数値は、たぶんかなり正確。

Img_3966c_20221105171801  こちらが「さわやかウォーキングアプリ」。アプリに登録してもらえるポイントが5ポイント、今日の参加ポイントが10ポイントで合計15ポイント。また、ボチボチとためていくことにしましょう。 

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  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

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    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

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    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)

  • 本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

    本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)
    本田秀夫先生によるこのSB新書の4冊目のシリーズ。今回は、発達障害のあるお子さんの学校選び、学級選び、友達関係、学習や学力の悩み、不登校など、発達障害のあるお子さんの学校生活全般にわたって、どのような考え方に基づいてサポートしたら良いかについてまとめられています。それぞれ、親と先生とが、どのように取り組むことが基本となるか、解説されています。対策よりも予防的な工夫をコミュニケーション(要求ではなく)に基づいて行う、「学校の標準」を緩める、登校や成績を気にしすぎず、社会に出るための土台作りを考える、発達の特性には寛容になる、学びを大切にするが学力にこだわりすぎない、親と先生とが気づきを伝え合い相談、調整する、子どものモチベーションを重視するなど、具体的に書かれていて、分かりやすくなっています。発達障害のあるお子さんが小中学校で充実した学習が進められるための基本的な考え方やヒントが詰まっていますので、親御さんにも、先生方にもお勧めできます。 (★★★★★)

  • 佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?

    佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?
    サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」、「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究を本にしたもの。何故これをここに取り上げたかというと、私のブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供して欲しという依頼が出版社からあったのです。私が提供した写真は、本書の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。ざっと読みましたが、大人でも、古事記や神社についてよく知らない方が、最初に手に取って基本的なことがらを知るには、わかりやすくて良い本だと思います。 (★★★★★)

  • 森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)

    森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)
    ネットで見つけ、新刊かと思って購入したのですが、4年前の本でした(微苦笑)。 若い頃に森博嗣さんの小説をすべて読んでいました。いつの頃からか、小説は読まず、森さんのエッセイだけを読むようになっています。「読書の極意を教える」と帯にはあります。もちろんそれについて書かれているのですが、私にはある種の知的生産の技術について著者の方法を開示していると読めます。「何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある」というのは、よく首肯できます。また、「教養とは保留できる能力をいう」というのも確かにそうだと思います。自分の問題として抱続けられ、また、考え続けられるのは、容易ではありませんから。 (★★★★★)

  • 井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

    井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)
    愛媛県新居浜市にあった別子銅山は、元禄3(1690)年、伝説の切上り長兵衛によって発見されてから、昭和48(1973)年の閉山まで、283年間にわたり、累計65万トンの銅を産出しました。これは、世界の銅の産出量の1/6にも達するといいます。巨大財閥住友の礎となっただけでなく、日本の貿易や近代化にも大きく貢献したのがこの別子銅山です。江戸時代には貨幣改鋳にも深く関わった世界屈指の鉱山を舞台に、そこに関わった人達を鮮やかに描いた、本当の意味での大河小説です。徳間時代小説文庫で読みました。  (★★★★)

  • 養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)

    養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)
    養老孟司先生と池田清彦先生の対談であれば、外れはありません。サブタイトルのように、「はみ出し日本論」ではありません。ど真ん中の日本論といってもよい本で、楽しみながら読めます。しかし、それは、自分のアタマできちんと考えているからこそ論じられる内容だと思います。常識や、マスコミで報道されることがらだけをフォローしていては、こういう風に考えることはできません。きちんとした理論、知識、データに基づかなければなりません。さらには、物事を捉える大きな枠組み、私の世代にとっては「パラダイム」といえるものが必要。それも、確固たるパラダイムが必要です。私にとってそれはある種の理想なのですが、なかなか難しい。しかし、まぁ、年寄りになったからこそ見えるものや、年寄りなりの知恵も働くようになるということもありますから、養老・池田の「怖いものなし」コンビを1つの目安として、言うべきこともいえるようになりたいものです。 (★★★★★)

  • 土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)

    土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)
    先に同じく土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を挙げましたが、入手したのはこちらが先。「一汁一菜でよい」というスタイルに至るまでの土井さんの修行、出会い、発見、迷いなどなどが書かれています。「家庭料理に失敗なんて、ない」、「すべては人を幸せにする料理に繋がる」というのが基本。具だくさんの味噌汁はおかずの1つになる。余裕があれば、食べたいものや、食べさせたいものをその都度調べてつくればよい。一汁一菜を入り口にして、一つ一つおかずをつくってみて、10種類ほどでもできるようになれば、それで幸せに一生やっていける。といった話があり、へぇーと感心させられました。これだけで健康に健やかに自足できるとも述べられています。一汁一菜なら、私にもできる、でしょうか?? (★★★★★)

  • 土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)

    土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)
    著者の土井善晴先生は、私と同世代。そして、私の世代にとってはあの土井勝さんの息子というイメージが強くあります。テレビなどにもよく出ておられ、なかなか面白い視点でものを見る人だなと思っていました。この本は,出版された当時(2016年秋)から知っていたのですが、手に取ったのはごく最近。文庫本を探していたのですがなかなか遭遇しなかったのです。「一汁一菜でよい」というのは、ご飯と具だくさんの味噌汁があればよいということです。家庭料理についての提案なのですが、実は、この本はもっと奥深いことを述べています。一言で言えば、日本文化や日本人の哲学について述べる中で、食や生活、生き方などについても論じられています。解説を書いておられる養老孟司先生は、それを「自足の思想」と表現していらっしゃいます。優しい、わかりやすい本ですが、実は奥が深い。著者の端正さもよく表れています (★★★★★)

  • 奥山 景布子: 流転の中将

    奥山 景布子: 流転の中将
    幕末の桑名藩主・松平定敬を描いた歴史小説。定敬は、実の兄で会津藩主である容保とともに徳川家のために尽くそうとしたものの、最後の将軍・徳川慶喜に振り回され、裏切られてしまいます。定敬は、それでも抗おうとしたのですが、国元の家臣たちはいち早く恭順を決め、藩主の座も追われてしまいます。朝敵といわれ、越後、箱館から上海まで流浪した定敬の波乱に満ちた人生と、秘めたる思いが生き生きと書かれています。定敬については、歴史講座で学んだり、本で読んだりしてきましたが、小説家の手にかかるとこのように立体的に、活き活きと動き出すものなのだと実感します。 (★★★★★)

  • サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)

    サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)
    たまには専門のアカデミックな本も取り上げます(微笑)。本屋でみつけ、購入。この本は、同じ著者が東大出版会から昨年刊行した「臨床心理学史」で果たせなかったことを果たそうと構想されたもの。果たせなかったのは、日本の臨床心理学史に触れることと、コンパクトな歴史記述だそうです。東大出版会の本は、読んでみたい気もしますが、¥7,000もしますし、内容もハードそうです。こうして臨床心理学の歴史を俯瞰してみますと、やはり実験心理学を抜きにしては臨床心理学も語れないといえます。私個人の考えでも、臨床心理学を学び、実践するには、実験心理学を学び、実験・調査などの方法で研究をした経験が必須です。臨床心理士、公認心理師の資格に関わり、心理学を志す人は多く、また、大学でも臨床心理学部や臨床心理学科もあります。しかし、私は、自分自身の経験からもやはり、実験心理学などの基礎心理学を抜きにして、臨床心理学は成り立たないと考えますし、学生も実験心理学を含めた基礎心理学を、少なくとも学部段階ではきちんと修得した方がよいと思います。本書を読んで、その考えはいっそう強くなりました。 (★★★★★)

  • 昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ

    昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ
    本屋に別の本を買いに行って見つけ、即買い(微苦笑)。私の好むタイプの本です。三重県の地形や地質、歴史、文化、産業などを、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント本。地図も歴史も文化も好きなのです。地図で読み解く三重の大地、三重を駆ける充実の交通網、三重の歴史を深読み!の3部構成。2017年11月にたまたまみつけたJRさわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」に行って以来、JRさわやか、近鉄ハイキング、勝手にハイキングで県内や近郊のあちこちに電車で行って電車で帰るハイキング/ウォーキングをしています。それによって訪ねたあちこちのことが改めてまとめられていて、とても楽しめます。各県のバージョンが出ているようです (★★★★★)

  • 磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)

    磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)
    歴史家・磯田道史さんが、鎌倉女学院高校で行った特別授業の記録と、ビリギャルの小林さやかさんなどとの対談を収めてあります。基本的には、「歴史の見方」についての本なのですが、それに留まりません。ものの見方、考え方を説いた内容です。むしろ、ものの見方、考え方を学びたい方にお勧めしたいと思うくらいです。ちなみに、タイトルは、「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世の中を歩くためのむしろ実用品である」という意味です。これは、歴史の見方について、あまりよく理解されていないポイントと思います。講義録ですから、読みやすく、しかも大変おもしろい本です。 (★★★★★)

  • 久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)

    久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)
    この著者の前著「三河吉田藩・お国入り道中記」で読んだ、三河吉田藩(豊橋)の参勤交代の話も大変おもしろく読めましたし、江戸時代の藩邸の様子、殿様や家臣の仕事、暮らしなどに興味があったので、読んでみました。三河吉田藩に残る「江戸日記」などの古文書から、江戸の大名屋敷がどのようなところであったか、江戸で働く武士の状況、江戸の藩邸で起きた事件のいろいろ、藩邸の奥向きの様子、さらには、明治維新後の藩邸から子爵邸への変化について、リアルな武士の暮らしのもろもろがまとまっていて、とても興味深く読めました。三河吉田藩は、現在の愛知県豊橋市にあり、松平伊豆守家が長く藩主を務めています。松平伊豆守家は、「知恵伊豆」の異名を持つ松平伊豆守信綱を初代とし、忍藩、川越藩、古河藩、吉田藩、浜松藩と国替えを繰り返した後、寛延2(1749)年から明治維新まで三河吉田を治めています。 (★★★★)

  • 安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)

    安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)
    サブタイトルに「大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ」とあり、さらに、オビには「300年前は えっ!? 今よりもっと愉快な旅行天国」ともあります。ただし、旅行を心から楽しめたのは、庶民に限られていたようです。参詣者を増やしたい各地の寺社、温泉、宿泊業者が積極的に営業したからです。一方、武士や大名は、トラブルメーカーだったといいます。公用で旅行したり、参勤交代したりなのですが、宿泊料のダンピング、備品の破壊などなどトラブルをまき散らしながらの旅であったり、権威を笠に着たりで、あまり歓迎されなかったようです。江戸時代の旅のエピソード満載で、楽しめる本です。 (★★★★)

  • 藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック

    藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック
    この本は、WISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの知能検査の結果(アセスメント情報)を「子どもの自立と社会参加」により役立つものにしていくには、どのように伝えたらよいか(フィードバック)についてまとめられています。過去には、保護者、学校の担任、子どもたち自身に知能検査の結果を伝えることはされていませんでした。しかし、現在では、苦戦している子どもたちが、自分のことを理解し、自分なりにも工夫して、学習や生活スキルを向上させ、将来の自立と社会参加につなげるために、知能検査の結果(アセスメント情報)を子どもたち自身にも伝えるようになってきています。私も、相談では、お子さんに直接、フィードバックを行い、子どもたち自身が自己理解を深め、意欲的、積極的に取り組めるようにしています。この本は、子どもと支援をつなぐ、支援者をつなぐという視点から、心理検査のフィードバックについて基礎から応用、事例を含んでその全体像を把握できる、優れたものとなっています。 (★★★★★)

  • 新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)

    新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)
    藤沢周平の作品案内、小説に見られる名言集、映像化された作品の出演者や、関係者による評伝などによって藤沢周平の作品についてすべてとはいいませんが、かなりが分かります。私は、藤沢周平の小説が好きで、たぶんほとんど読んだと思います。ただそれは、15~6年以上前のことで、リストアップもしていませんから、すべて読んだかどうかについては、不確か。こういう本を読むと、もう一度読もうかという気になります。この本では、娘の遠藤展子さんの「父にとっての家族」がもっとも興味深く読めました。また、藤沢周平の言葉で私が気に入っているのは、「普通が一番」です。ほかにも、「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」という言葉が、遠藤さんが父から言われて心に深く残っていることばだそうです。 (★★★★)

  • 千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)

    千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)
    新型コロナのまん延にともなって、政治的な判断や、もろもろの政策は、迷走したといってもよいと思います。突然の全国一斉休校要請、いわゆるアベノマスクの配布や、閣議決定をやり直した一律給付金など、なぜああいうドタバタになるのか、国民の信頼が得られなかったというか、失ったというのか、ずっと疑問を抱いていました。著者は、元厚生官僚で、社会保障・労働分野で仕事をし、現在はコンサルティング会社を経営。この本では、最近のコロナ禍での出来事の背景を記述する中から、官僚主導から官邸主導への変化に、政治の仕組みの変化がついて行けていないからだとしています。これに関して、政治家、官僚ともに仕事のやり方を変えることが必要であるとともに、国民の側にも良い政策をつくるためには望まれることがあるといいます。 (★★★★)

  • 嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい

    嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい
    「観察するのが面白くなる! ガンカモ類のひみつ」というキャッチコピーです。私がほぼ毎日散歩に行く九華公園の堀には、秋が深まるとカモたちがやってきます。キンクロハジロが最も多く、次いでハシビロガモ。他にはヒドリガモやホシハジロも数少ないものの来ています。カルガモ、カイツブリ、オオバンなども来ることがあります。これらカモやその仲間、近縁種についてもっとよく知り、観察のポイントを増やしたいと思って、この本を読んだ次第。著者は、宮城県の伊豆沼・内沼をフィールドとする専門の研究者。形態的な特徴と行動との関連性、渡り、繁殖地での暮らし、越冬地での生活など、ガン・カモ類について、ちょっと専門的な部分も多いものの、一通りの知識を得られ、また、行動観察などの方法についても知ることができました。 (★★★★)

  • 田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)

    田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)
    「江戸学の第一人者による「遊郭入門」の決定版!」と帯に書かれていて、ついつい手に取ってしまいました。遊郭にはとても興味があります。などと書くと「好色な人物か」と思われるかも知れません(苦笑)。遊郭や遊女は、今日の人権やジェンダーの観点からすると、許されない存在です。これは間違いのないことですが、一方で、たとえば、江戸時代の吉原遊郭の花魁と呼ばれたようなハイクラスの遊女は、高い教養を持ち、芸事や生け花、茶道にも通じていました。ある意味で日本文化の守り手でもあったという面も持っているのです。こうした観点から著者は、「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」と述べています。ちなみに、「好色」ということばの意味は、平安時代以来、和歌や琴、舞などの風流、風雅を好む人を「色好み」と呼んでいたことによります。「色」には恋愛や性愛という意味もありますが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったものだそうです。 (★★★★)

  • 養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ

    養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ
    養老先生が、コロナ禍の2年間でお考えになったことの集大成です。新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、NHKのBSの番組「まいにち 養老先生、ときどき まる」だったかで、「老人は、もともと不要不急の存在だ」とおっしゃった気がしますが、この本は「人生は不要不急か」という章から始まっています。これがたぶんコロナ禍や、養老先生ご自身のご病気(心筋梗塞)を経験し、お考えになった結論の1つ。さらに、不要不急の人生ではあるものの、それでも生きる価値はどこにあるか様々な視点から考察されています。「人生とはそんなもの」と思いつつ、自分に居心地の良い場所をつくりながら、万事テキトーに終わるのが良さそうです。 (★★★★★)