お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

JRさわやかウォーキング

2024年5月15日 (水)

20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編その2)

240511jrwalkingkariya0  5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」に参加したとき、コースのすぐ近くに私が卒業した高校がありますので、寄り道してきました。書こうか、若干迷ったのですが、補遺編その2として載せておきます。

Img_1756c_20240511150801 Img_1732c_20240515062501  最初の立ち寄り先である刈谷市美術館から数100m、富士見町交差点近くに卒業した高校があります。卒業生とはいえ、勝手に立ち入るのははばかられましたので、門のところから、校舎の様子や、校訓が刻まれた石碑を見るなどしてきたくらいです。創立は大正8(1919)年。私が入学したのが昭和45(1970)年ですが、正門は、昔と同じままでした。さすがに、校舎はすっかり替わってしまっています。卒業は昭和48(1973)年ですから、卒業して51年。「紅顔の美少年」も、年を取るわけです。

Img_1740c_20240511150801  上右の写真にも写っていますが、こちらは校訓「質実剛健」を刻んだ石碑。校訓の意味は、「飾りけがなく、まじめで、心身ともに強くたくましい」という意味。旧制中学の初代校長である羽生隆先生の書によります。

Img_1745c_20240515062501 Img_1753c_20240515062501  敷地の西端の方にこういう建物があります。同窓会記念館です。われわれが生徒であった頃は、1階には卒業生が寄贈した著書などの資料が展示してありました。2階は会議室のようになっていたのですが、3年生のとき、なぜかここが我がクラスの教室になっていたのです。冷暖房が入っていたような気がします。ここで1年間、大学受験に向けて切磋琢磨したという次第。ちなみに、生徒同士は仲が良く、どのように勉強したらよいかとか、日付が変わる前には寝た方が効率がよいとか話をしていました。あの頃は、本当によく勉強しました。3年生のとき、正規の授業前と、授業後とに補習が行われていました。朝は、国語、数学、英語の科目で、午後は理科、社会の科目と記憶しています。1日8時間授業だったというわけ。数学の授業では、3年生の1学期までで数学Ⅲまで済ませ、2学期からは授業で、受験用の問題集を解いていたと思います。

Img_1782c_20240515062501  Img_1772c_20240515062501最後に正門を見上げ、体育館に掲げられていた校章を眺めて、JRさわやかウォーキングのルートに戻り、依佐美送信所記念館に向かいました。つかの間のセンチメンタル・ジャーニーです。

2024年5月12日 (日)

20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編)

Img_1866c_20240512154901  5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」で訪れた依佐美送信所記念館などについてもう少し書いておこうと思って、この補遺編としました。内容が本編と重複する部分もあります。

Img_1918c_20240511150801 Img_2167c  依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、愛知県碧海郡依佐美村(現在の刈⾕市⾼須町⼭ノ⽥1番地)に建設された、超⻑波の使⽤を主とした無線送信所です。アンテナ出力500kW(世界最大級)、波長17.2km、周波数17.442kHzの長波送信所として、昭和4(1929)年に運⽤を開始しました。その敷地面積は6.6haもありました。長波は、海面下まで電波が届くという特性から、太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に重用され、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されています。戦後は⽶軍に接収されましたが、平成5(1993)年、⽶軍より閉鎖する旨の通告を受け、翌平成6(1994)年に⽇本に返還されています。平成9(1997)年にはアンテナ鉄塔が、また、建物は平成18 (2006)年にそれぞれ解体されました。送信設備の⼀部は依佐美送信所記念館に保存され、平成19(2007)年に⾼周波発電機が機械遺産に認定、平成20(2008)年には送信設備⼀式が未来技術遺産に制定されています。さらに、平成21(2009)年には、IEEEよりマイルストーンとして認定されています。

Img_2104c_20240511150901 Img_2108c_20240511150901  ⾼さ250 mの鉄塔8基(4基×2列)によって⻑さ1.8 km、16条のアンテナ⽤ワイヤーを⽀えていました。鉄塔は鉄骨を組み合わせた構造で、一辺が3mの正三角柱です。鉄塔には自立式と支線式があり、依佐美の長波鉄塔は支線式でした。倒れないよう3方向から支線と呼ばれるワイヤーロープで支えていました。この記念鉄塔には支線は1段しかありませんが、実際は6段ありました。鉄塔の下の部分は鉛筆の先を下にして立てたように尖っており、これが支線式鉄塔の特徴です。根元は固定されておらず、台座の上に置いてあるだけです。支線式鉄塔は弱そうに見えるものの、非常に丈夫なつくりで、昭和20(1945)年の三河地震や昭和34(1959)年の伊勢湾台風にも耐えています。ちなみに250mという高さは、東京タワー(333m)が建設される昭和33(1958)年まで、「東洋一」の高さを誇っていました。現在は、鉄塔の下部25mと、先端部分とが保存されています。アース線は、1.76km×0.88kmの範囲内の地中に深さ60 cmで網の目状に敷き詰められていたといいます。

Img_1900c  こちらは、鉄塔の頂上部分。最上部に滑車が3個ありますが、その上にアンテナ線16条(本)をつるすための吊架線(ワイヤーロープ)が乗っていたそうです。その下に航空障害灯(赤色灯)が設置されていました。

Img_2015c_20240511150801 Img_2124c_20240511153801  記念館には、依佐美送信所のジオラマが2つあり、8本の鉄塔がどのように建っていたかを見ることができます。私は、ここからほど近い高校に通っていましたが、冬になると体育の授業では、最初にこのあたりを持久走ということで数㎞走らされていました。ただし、どのあたりを走ったかは、忘却の彼方です。また、働くようになってから、東京などへの出張の帰りに、新幹線の車窓からこの鉄塔が見えてくると、「あぁ、帰ってきたな」と思ったものです。

Img_2163c_20240511150901  ちなみに、撤去された7基の跡地には、クスノキが2本ずつ植えられています。クスノキは、刈谷市の木です。写真は、記念館から南にある「依佐美のクスノキ(6号)」と思われます。

Img_2007c_20240511150801 Img_2095c_20240511150801  長波を発生させるためには、巨大なアンテナのほかに大きな電力が必要だそうです。そのため、依佐美送信所では、大電力のテレフンケン式発電機(ドイツ製)を使用した長波送信設備がありました。しかも、商⽤電源から交流モーターを使って直接発電機を回すのではなく、まず交流モーターで直流発電機を回転させて直流電⼒を発⽣させ、取り出した直流を使って直流モーターで⾼周波発電機を回転させていたといいます。依佐美では予備を含めてこのセットを2組⽤意し、これらを含めた送信設備は鉄筋コンクリート造り、建延1338.5平⽅メートルの送信機室に納められていました(現在、依佐美送信所記念館には、このうち1組が保存されています)。発電機の出⼒周波数には⾼い安定性が求められるため、発電機の回転部分は16トンもの重量(もしくは慣性能率が16トン)がありました。

Img_1991c_20240512164801 Img_2098c_20240512164801  一通り見て回った印象は、送信所というよりは発電所だなというものでした。私の知識では発電機など個々の機器の説明は、手に余りますので割愛。依佐美送信所の公式サイトや、依佐美送信所記念館のパンフレット(pdf)をご覧ください。

Img_2131c_20240511150901 240511jrwalkingkariya2  こちらは、ジオラマの1つにあった「依佐美送信所ジオラマ」。中央にあるのが本館。その背後の大きな建物が、長波送信所。依佐美送信所記念館は、この送信所の建物を模して、規模を縮小してつくられています。記念館は、平成19(2007)年に開館しています。記念館を含め、フローラルガーデンよさみがあるのは、社宅があったところだそうです。保存されている鉄塔が立っているところは、2号塔の跡。本館や送信所は、フローラルガーデンよさみと双葉小学校の間にありました。

Img_2208c_20240511150901  フローラルガーデンよさみにあるフローラルプラザは、依佐美送信所の建物をモチーフにつくられています。

Yokkaichi  ここ依佐美送信所は、その名の通り、超長波の送信に特化した施設でした。通信を行うためには、対となる受信所も必要です。受信所の立地条件としては、送信電波が受信を妨害しないために、受信所の位置は対⼿局と送信所とを⼤圏をもつて連絡する線に対し、送信所より⾒て60度以上転位し、約30km以上離れていることが必要でした。この条件に合致するところとして、三重県三重郡海蔵村(現在の四日市市海蔵地区。海蔵川の両岸、阿倉川や三ツ谷など)が選ばれ、海蔵受信所が昭和3(1928)年につくられています。13,000の坪の敷地にアンテナは、高さ85mの鉄塔が2基と60mの鉄塔3基が並んでおり、長波と短波の受信機が配置されていました(こちら)。その後、昭和5(1930)年に海蔵村が四⽇市市に編⼊されたため、四⽇市受信所と改称。しかし、昭和13(1938) に対外通信整備拡張計画にもとづいて、兵庫県加東郡⼩野町に受信所が新設されたことにともなって、⼿狭な四日市同受信所 は廃⽌されています。10年間という短い歴史しかありませんので、四日市受信所のことは地元でもあまり知られていないようです。

 以上、5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」の補遺編でした。なお、今後、読み直して、追加修正を行うかも知れません。

2024年5月11日 (土)

20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(一回完結)

Img_1649c_20240511150501  よく晴れて、桑名では夏日になりました。最高気温は、25.3℃。予定通りにJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」に行ってきました。桑名駅を8時ちょうどに出るJR名古屋行きの普通に乗車。名古屋には、8時32分着。名古屋駅を8時43分に出る豊橋行き特別快速に乗り換えて、JR刈谷駅には9時3分に到着。料金は、通しで¥870ですが、名古屋駅でいったん改札を出て、乗車区間を桑名~名古屋、名古屋~刈谷と分けますと、¥360+¥430=¥790と、¥80安くなります。

Img_2331c_20240511150901 Img_1653c_20240511150901  スタート&ゴールは、JR刈谷駅。刈谷市にある高校に通っていましたが、通学に利用したのは、名鉄刈谷市駅。刈谷駅で下車したのは、たぶん50年ぶりくらい。高校の第1回クラス会のときと記憶しています。その後、もう1回クラス会があったのですが、そのときは確か東刈谷駅で降りています。

240511jrwalkingkariya0  こちらが今日実際に歩いてきたルートマップ。刈谷駅南口から、刈谷市美術館、依佐美送信所記念館、フローラルガーデンよさみ、ミササガパーク、刈谷市交通児童遊園と回り、7.2㎞。

Img_1662c_20240511150501 Img_1686c_20240511150801  刈谷駅の南口あたりの様子。まったく知らない街に来た感じで笑えます。9時10分頃にスタートしました。

Img_1709c_20240511150801  最初の立ち寄り先は、刈谷市美術館になっています。「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」という展覧会が開催されており、ウォーキング参加者は割引がありますが、パス。

Img_1756c_20240511150801 Img_1740c_20240511150801  1㎞半あまりを歩いたところで、勝手に寄り道をしてきました。私の出身高校があるのです。卒業生とはいえ、勝手に立ち入るのははばかられましたので、門のところから、校訓が刻まれた石碑を見るなどしてきたくらいです。正門は、昔と同じままでした。ちなみに校訓は「質実剛健」というもので、「飾りけがなく、まじめで、心身ともに強くたくましい」という意味。旧制中学の初代校長である羽生隆先生の書によります。ちなみに、創立は大正8(1919)年。私が入学したのが昭和45(1970)年で、卒業は昭和48(1973)年ですから、卒業して51年。年を取るわけです。

Img_1918c_20240511150801 Img_1898c_20240511150801  コースに戻って、真面目に2.5㎞あまりを歩くと、依佐美送信所記念館に至ります。依佐美送信所とは、現在の刈谷市(当時の愛知県碧海郡依佐美村)に世界最大級の大電力無線通信所として設立され、昭和4(1929)年からヨーロッパに向けて運用を開始しています。大電力のテレフンケン式発電機(ドイツ製)を使用した長波送信設備と、刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた高さ250mのアンテナ鉄塔8基がありました。長波は、海面下まで電波を届けることが特性があるため、太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に重用され、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されたといいます。戦後は、アメリカ軍に接収され、アメリカ軍が運用していましたが、平成5(1993)年にその役目を終えました。

Img_2015c_20240511150801  ここは以前から訪ねてみたかったところです。というのも、高校生時代、冬になると体育の授業では、最初にこのあたりを持久走ということで数㎞走らされたのです(「走らされた」などと書いていますが、当時はまさにそういう気持ちでした)。ジオラマの写真を撮ってきましたが、鉄塔は8基。どのあたりを走ったかは、忘却の彼方です。また、働くようになってから、東京などへの出張の帰りに、新幹線の車窓から、この鉄塔が見えてくると、「あぁ、帰ってきたな」と思ったものです。

Img_2007c_20240511150801 Img_2095c_20240511150801  記念館内には、2セットあった長波送信設備のうちの1セットが保存されています。産業考古学会(現在は産業遺産学会)から産業遺産に認定されていますし、ほかも機械遺産に指定されるなど、いくつもの団体から認められた遺産です。

Img_2163c_20240511150901  依佐美送信所記念館に行ったら、もう1つぜひ確認したいものがありました。上述のように、鉄塔は8基ありましたが、現在は、高さ250mであったものの1基下部25mと、先端部分1基が保存されています。撤去された7基の跡地には、クスノキが2本ずつ植えられていますが、それもぜひ見たいと思ったのです。写真は、記念館から南にある「依佐美のクスノキ(6号)」と思います。NHKのBSで放送している「日本縦断こころ旅」で、2019年4月18日に火野正平さんが、この「よさみの記念鉄塔近くの2本の楠(クスノキ)」を訪ねています。

Img_2176c_20240511150901 Img_2185c  記念館見学を終えて、隣にあるフローラルガーデンよさみで一休み。園内には、明治用水の水を引いたせせらぎがありました。私の出身は西三河でしたが、小学校の道徳の教科書にこの明治用水の話が載っていました。明治用水の祖である都築弥厚(つづきやこう)という方について学んだのです。今でも、私は明治用水と見聞きすると、都築弥厚というお名前が浮かんできます。

Img_2208c_20240511150901  こちらはフローラルガーデンよさみのフローラルプラザ。依佐美送信所の建物をモチーフにつくられています。

Img_2223c_20240511150901  スタートから5.5㎞ほどでミササガパーク。ミササガパーク(猿渡公園)は、刈谷市と姉妹提携都市であるカナダのミササガ市との友好を記念して整備された公園だそうです。ここはパスしてきました。

Img_2272c_20240511150901 Img_2282c_20240511150901  さらに6.5㎞ほどのところに刈谷市交通児童遊園。ここも素通りしたのですが、名古屋の市電1603号と、蒸気機関車D51の777号だけ写真を撮ってきました。このあと、JR東海道線の下をくぐるのですが、その左手に「宮城道雄供養塔」があるのですが、道路から見えると思っていたら、道路沿いに塀が巡らされていて、見えず。失敗しました。「春の海」を作曲した筝曲家宮城道雄は、大阪・神戸・京都など関西での演奏旅行のため夜行急行「銀河」に乗ったところ、昭和31(1956)年6月25日未明、刈谷駅東で列車から転落して亡くなったのです。

Img_2309c_20240511150901 Img_2315c_20240511150901  11時25分頃、JR刈谷駅北口に戻ってきました。南口と同様に、すっかり変貌しています。ゴール受付をして、参加ポイントをいただいて、11時37分の大垣行き特別快速に乗車し、名古屋駅には11時58分着。往きと同じく、いったん改札を出て、12時6分発の関西線亀山行きの快速に乗車。快速は、桑名駅まで止まりませんから、21分で桑名に到着(12時27分着)。料金は、朝と同じく、¥430+¥360=¥790。往復でペットボトル飲料1本分くらいの節約(微苦笑)。

Screenshot_20240511124927c Screenshot_20240511122248c  今日のGoogle Fitのデータ。11.63㎞で、歩数は17,134でした。出身高まで寄り道しましたから、現地で歩いたのは7.2㎞+α。右は、JRさわやかウォーキングアプリに登録されたウォーキングログ。直近12ヶ月の記録が載っています。JRさわやかウォーキングは、近場ではなかなか開催されませんから、参加回数が伸びません。

Img_2167c  一回完結としましたが、依佐美送信所記念館については、明日以降にでも補遺編を書こうかと考えています。

 

2024年3月 7日 (木)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

240303jrwalkkameyama3  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その3です。その2では、松月地蔵、忍山神社から野村町に出て旧東海道沿いのお寺、旧家を見て京口門跡あたりまで来ました。京口門跡から先のあたりも、2022年に訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。詳しくはこちらの記事もご覧ください。

Img_8170c_20240306070501  京口門跡の先で東海道は、右折します。そこに亀山城西の丸外堀跡があります。亀山城の外堀の一部で、東海道と外堀が並行して接する場所で、城の防御上、また、景観上重要な場所だったといいます。町屋側には番所、した。跡北復元地南には西之丸西櫓があったそうです。深さ1.8m程度の水堀で、水深は60㎝程度であったといいます。

Img_8190c_20240306070701  右折し、さらに左折したところに旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。市文化財です。この日は、おひな様の展示が行われていましたが、パス。

Img_8194c_20240306071501  東海道が左折するところに飯沼慾斎生家跡。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応1元(1865)年)は、江戸後期の蘭方医、植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。2022年に大垣に行ったとき、飯沼慾斎邸跡を確認しています(2022年06月21日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その3)……船町川湊から美濃路を歩いてゴールの大垣駅へ(完))。

Img_8201c_20240306072101 Img_8205c  北に向かって行くと、青木門跡。西の丸の西南に位置する門で枡形を形成しており、今もそれが残っています。元和元(1615)年、徳川家康が大阪へ出陣のとき、亀山城に宿泊し、搦手門から出立の時、附近に繁茂した青木を見て、「おお青木」と賞賛したことから、門を青木門と呼ぶようになったという話が伝わっています。

Img_8208c  枡形の先に旧加藤家屋敷があります。江戸時代後期、亀山藩主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷跡です。もともとは相当な敷地面積があったようですが、明治以降、ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築です。

Img_8216c_20240303164601 Img_8229c_20240306073001  田中病院のところから外堀であった「池の側」のところに出ます。ここで東海道からはいったん離れます。「池の側」自体が、堀の名残であるこの池の名前になっています。そこから旧亀山城多門櫓が見えます。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9 (1632)年頃に築造されたとみられます。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。土日祝日は公開されています。

D16900dd 06273b02  以前、2回ほど内部を拝観しています(2022年4月27日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その3)……亀山城址にて多門櫓、明治天皇行在所旧蹟、亀山演武場などを見て、亀山駅にゴール(完)、2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)。 左の写真は2022年、右の写真は2019年に訪ねたときのもの。

Img_8239c_20240306074201 Img_8248c_20240306074201  亀山城跡にあるますみ児童公園で2回目の小休止。ここには、SL C58359が保存されています。保存状態はかなりよいといえます。昭和19(1944)年、川崎車両神戸工場で製造され、王寺機関区、竜華機関区、亀山機関区で運行されていた車両です。昭和45(1970)年3月に廃車となるまでに1,315,593kmを走行しました。こちらに設置されたのは昭和45(1970)年の12月。

Img_8261c_20240306074701  Img_8268c_20240306074701 亀山市役所と亀山西小学校の間を東に向かうと、江ヶ室交番前交差点に出ます。ここは、亀山藩の高札場跡。今は、高札場跡の説明板があるところに広告が多数掲げられていて、さながら「現代の高札場」となっています。ここから江戸までは百四里半、庄野宿まで二里、関宿まで一里半あったそうです。

Img_8272c_20240306075001 Img_8276c_20240306075001  江ヶ室交番前交差点で再び東海道に出ます。江戸方面の東海道は、ここから東に直進しますが、今回のコースでは、京都に戻る方向に歩きます。東海道へはここで右折し、下っていきます。枡形のようになったところの東に「ナガイ種苗東店」がありますが、そこに「東海道亀山宿 横町 わかさざ跡」と書かれた看板が見えました。近くには、ほかに「ひらいや跡」の看板もあるそうです。横町は、古い町名なのでしょう。「わかさざ」が、たとえば「若狭座」であれば、芝居小屋だったのかも知れません。「ひらいや」は何かの商店か、屋号を示すものかでしょう。こちらの市民協働センターの記事によれば、2003年に400枚の屋号看板を取り付けたとありますから、その名残と思われます。

Img_8345c_20240303164701  その先に延寿山地蔵院遍照寺(へんじょうじ)。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末の天保14(1843)年7月に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。中本山に次ぐ四末頭に位置づけられるお寺の1つだそうです。江戸時代には、天台真盛宗を学ぶ多くの修行僧がいたといいます。

Img_8327c_20240303164701 Img_8315c_20240306081501  本堂は、明治5(1843)年に旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。運慶の弟子である行快の作といわれます。両脇侍として、木造観音菩薩坐像・木造勢至菩薩像(県文化財)が安置されています。正面の鬼瓦には、亀山藩の笹竜胆がそのまま使われ、三角形の千鳥破風の降り棟には波型の瓦に上り亀と下り亀の瓦が施されています。

 遍照寺は、Img_8295c_20240306081601 Img_8338c_20240306081601 街道から鐘楼門をくぐると急な坂で、坂の下に本堂があるため「頭で鐘撞く遍照寺」といわれたそうです。実際、左の写真は、東海道から見下ろして撮ったもの。右は、境内から山門を見上げて撮っていますが、東海道からはかなり低くなっています。

Img_8320c_20240306082201  遍照寺では、女性の方(お寺の奥様かと思いました)が、寺のことを説明してくださった上に、説明書と散華をいただきました。

Img_8349c_20240306082101 Img_8362c_20240306082101  遍照寺の西に梅照山誓昌院。真宗高田派のお寺。静かな、よい感じのお寺ですが、詳しいことは分かりませんでした。

Img_8384c_20240303164701 Img_8377c_20240303164701  誓昌院から池の側の南を通って亀山駅に向かって下っていきます。亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8393c_20240306083001Img_8390c_20240306083001  余談ですが、この日、亀山駅には、三重応援ポケモンであるミジュマルが来ていました。11時から12時頃まで、みえ鉄道スタンプラリー最後のイベントキャラバン田ということで、賑わっていました。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで昼食も無事に済ませ、12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。

 

2024年3月 6日 (水)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その2)……松月地蔵、忍山神社から野村・京口門跡あたりへ

240303jrwalkkameyama2 240303jrwalkkameyama3  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その2です。その1では、蓮光寺から金王道まで来ました。金王道は、天神公園のところまで約2㎞、続いています。天神公園のところから県道28号線に出て北上。亀山橋の手前から左折し、鈴鹿川沿いを西に向かいます。忍山橋を渡って、忍山神社へ。さらに旧東海道沿いを東に向かって歩きます。このウォーキングの企画で立ち寄り先となっていたのは、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺でした。しかしせっかくですから、以前訪ねたことのある名所旧跡、寺社なども見てきました。

Img_8038c_20240305164001 Img_8048c_20240305164001  6㎞地点あたりの写真。公園になっていましたので、ベンチで小休止。6㎞というと、普段の散歩で歩く距離です。さらに川沿いを進みます。

Img_8058c_20240305164401  忍山橋を渡って、JR関西本線の方に少し行ったところに松月(しょうげつ)地蔵があります。五体のお地蔵様がいらっしゃいます。リンク先の亀山市歴史博物館のサイトによれば、亀山駅近くに住む方が中心になってお世話をしておられ、地蔵や五輪塔(部分)を「松月地蔵」と名づけたそうです。「川原の地蔵さん」というのが昔からの呼び名のようです。詳しい由緒などは、検索しても不明ですし、亀山市歴史博物館のサイトにもありません。

Img_8068c_20240305165101  スタートから7㎞を過ぎ、1時間45分ほどで忍山神社に着きます。式内社です。第10代崇神天皇7年(紀元前91年)、伊香我色雄命(いかがしこめのみこと)に猿田彦を鎮座せしめられ、その子・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の子孫(80代)が相継いで神主となって明治に至ったとされます。

Img_8083c_20240303164601  主祭神は、猿田彦命と、天照皇大神。相殿神は、天児屋根命倭姫命ほか21柱。この忍山神社は、以前にも訪ねていますので、詳しくはそちらの記事をご覧ください(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。明治41(1908)年、村社能牟良(のむら)神社他、近隣の20社を合祀しています。

Img_8080c_20240305174501  垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。拝殿前には倭姫命がここにいらっしゃったことを記した柱が立っています。ちなみに、倭姫命が「ここはどこか」と聞いたところ、大比古命が「味酒鈴鹿国(ウマサケスズカノクニ」と答えたといいます。

Img_8108c_20240306044601 Img_8100c_20240306044601  忍山神社を出て坂道を250mほど登っていくと旧東海道に出ます。街道に出たところに「焼肉長治郎」があります。以前見たときも古い建物をリノベーションしてあるなと思ったのですが、新たに「明治天皇お召替所跡 内池家主屋」 という説明板が掲げられていました。明治13(1880)年5月、明治天皇は東京から山梨県を行幸され、続いて伊勢神宮を参拝されました。東京にお帰りになる途中、5月11、12日に亀山では陸軍の大坂鎮台の勢揃いをご覧になっています。その折、当家でお休みになり、御茶料として3円を下されたそうです。

Img_8111c_20240306052201  この焼肉長治郎のところから旧東海道を歩いて行きます。寺や旧家、旧跡がありますが、それらのほとんどは一昨年の東海道ウォーキングで訪ねています(2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。

Img_8115c_20240306052701 5d4bcda1  スタートから8㎞あたりに亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥陀如来立像(国重要文化財。右の写真。これは、2019年6月9日に訪ねたときに撮らせていただきました(2019年6月15日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】))。現在は無住となっており、ほかのお寺のご住職が兼務されているそうですが、境内は檀家の皆さんが手入れされていらっしゃっていて、きれいに保たれています。詳しくは、2019年の記事をご覧ください。

Img_8122c_20240306053301  続いて、真宗本願寺派の究竟山光明寺。ここも一昨年訪ねています。そのときは、話し好きのご住職がいらっしゃり、いろいろな話を伺えたのですが、いつまで経っても話が終わらないような感じで気をもんだことを思い出します(2022年5月12日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その2)……野村から太岡寺畷へ)。見えている大木は、イチョウとクスノキ。ほかにイスノキがあり、そのイスノキにできる虫こぶが、「ひょんなこと」の語源になっているそうです。詳しくは、2022年の記事にあります。

Img_8131c_20240306063501  京口坂の手前に旧佐野家住宅。大地主の商家で、家主は質店などを経営していました。明治初期に改築されていますが、江戸時代の家の様子も引き継ぐといいます。「入り母屋妻入り」の造りで、街道に切り妻の正面を向ける妻入りの町屋は多くないそうです。

Img_8143c_20240306063701  その先、北側に妙亀山照光寺。日蓮宗のお寺。山門の写真は、京口橋の西側から撮っています。見下ろすようになっていますが、昔の東海道は、この山門の高さのところを通っていました。照光寺は、その1で見てきた蓮光寺の由緒のところに出てくるお寺です(2024年3月5日:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ)。

Img_8147c_20240306064001  京口門跡。西側から撮っています。亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に門がありました。東町に築かれた江戸口門とともに亀山城総構の城門として位置づけられました。大正3(1914)年、京口橋がかけられ、この坂道を登る道筋は途絶えてしまいましたが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗だったといいます。この先に京口門、亀山城が見えたということです。歌川広重が東海道五十三次で描いた「亀山」は、このあたりから見た景色という説があります。

Img_8155c_20240306064001  京口門跡の先に純一山常寿院梅厳寺。浄土宗のお寺。伊勢亀山藩主・石川氏の先祖・石川家成は徳川家康の忠実なる家臣であり、石川昌勝が慶安2(1650)年、伊勢亀山藩主となった時に、石川家成の菩提寺をここに移して、藩主・石川氏の菩提寺にしています。寺名の梅巌は、石川家成の院号だそうです。このあたりの詳しいことは、2019年に訪ねたときの記事をご覧ください(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。

 長くなりますので、その2は、ここ京口門跡あたりまでとします。その3は、亀山城西の丸外堀跡、旧舘家住宅などから。

2024年3月 5日 (火)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ

Img_7765c_20240303164501  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その1です。企画のタイトルにある「本能寺の変のとき、家康公が通ったと言い伝えのある隠れ古道」とは、「金王道(こんのうみち/こんのみち)」です。以前からJRさわやかウォーキングの企画で、毎年1回くらいこの金王道を歩くものがあり、一度は参加してみたいと思っていました。この日、朝は冷えましたが、日中、桑名では12.6℃となり、風も昨日よりも弱く、絶好の行楽日和。「物好きな」とか、「元気だな」などといわれること必至ですが、前日の「近鉄ハイキング酒蔵みてある記」に続き、JRさわやかウォーキングに行ったという次第。今回は、一人旅。

Img_7777c_20240303164501  JR桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山駅には、9時ちょうどに到着。¥680。参加者は少ないかと思っていたのですが、電車にもウォーキングに参加すると思われる方がかなり乗車していました。コースマップを受け取って、9時7分頃スタート。

240303jrwalkkameyama  こちらがこの日歩いてきたルートマップ。亀山駅の北側、亀山城跡や東海道に沿ったあたりは、ほとんどのところを訪ねました(たとえば、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。今日は、亀山駅から南、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道を歩き、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ねてきました(このマップでは、旧東海道沿いの一部のところを割愛しています)。

Img_7773c_20240305095101 Img_7792c_20240305095101  亀山駅前は、リニア開通を見越して再開発が行われています。左の写真で中央の建物は、キットテラス亀山。図書館が入っています。奥に見える高い建物は、マンション。駅前の広場もきれいに整備され、バス・タクシー乗り場や、一般車乗降場もあります。かつてはここに能褒野神社の大鳥居があったのですが、それは撤去され、新たに「ヤマトタケル・オトタチバナヒメ」の銅像が建立されました。亀山市名誉市民で文化勲章受章者の彫刻家 中村晋也さんが制作されたもの。

240303jrwalkkameyama1  さて、詳細なルートマップその1です。亀山駅をスタートし、北へ向かい、すぐに右折。さらに右折。県道28号線(亀山白山線)に出て、JR関西本線と紀勢本線の踏切を過ぎ、亀山橋で鈴鹿川を渡り、天神から阿野田の方へ向かいます。1㎞半を過ぎて、最初の立ち寄り先である蓮光寺に至ります。

Img_7850c_20240305100501 Img_7854c  こちらが亀山橋。下流側には、JR紀勢本線の鉄橋もかかっています。この鉄橋の先、津へ行く方向のところで、第二次大戦中の昭和20(1945)年8月2日、硫黄島から飛来した米軍戦闘機P51ムスタング2機が、亀山駅を出発した鳥羽行き列車を攻撃したという「亀山列車銃撃事件」がありました。40名以上が亡くなったといわれ、最大規模の犠牲者を出した列車銃撃だそうです。

Img_7875c_20240305102601  蓮光寺に入って行く交差点のところに公園がありました。ネットの地図で見ると「袴柄園」とあります。なんと読むのかも分かりませんし、ネット検索では何も情報が出て来ません。公園の奥(西北)には石碑が立っていますが、近くまで行って見ては来ませんでした。向かって左端の石碑には「殉国之碑」とあるようです。右端の石碑には、「神社合祀紀念」とあります(昭和44(1969)年4月建立とあります)。かつてここに神社があり、それがほかの神社に合祀されたということと思われます。

Img_7883c_20240303164501  最初の立ち寄り先は、 榊宮山蓮光寺(しんぐうさんれんこうじ)。天台真盛宗のお寺。創建などは不明です。こちらに説明があるのですが、私には今ひとつよく理解できません(とくに2つめの段落では、主語がはっきり書かれていないため)。当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝わり、もとは安養寺に祀られていました(市文化財)。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間(1596~1615年)の火災で堂宇を焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚く守られてきたといいます。十一面観世音像について、山門前にあった教育委員会による説明板には次のようにありましたが、蓮光寺の由緒については言及されていません。

 阿野田町にもと伊勢三十三番札所の一つである慈眼寺があった。亀山城主板倉重常公の母?子は、深く法華宗を信じ野村町に照光寺を建てて、本山とし慈眼寺をその末寺とした。明治の初め慈眼寺が廃寺となってその財産分割に当り本山、末寺の間に争いがあって協議の結果、本尊を照光寺へ脇侍は蓮光寺に残すことになった。しかし本尊、脇侍の区別がはっきりしないまま近年に及んだ。

 昭和二十九年十二月三重郷土史会員の調査の結果、照光寺のものは徳川期の作で脇侍であり蓮光寺に残したものが本尊であることが判明した。なお十一面観音は立像で高さ105センチ、鎌倉から室町にかけての作と推定され秘佛となっている。 昭和57年11月健之 亀山市教育委員会

 ちなみに、山門前に幡間山安養寺について書かれた石柱が立てられています。そこには次のようにあります。

 縁起 二見より多度に至る勢国三十三所第十九番札所幡間山安養寺は当山の西南半里旧阿野田村幡間谷にあり本尊の伝恵心僧都作十一面観世音菩薩は長く人びとの信仰を集めてきた。近世に一時亀山領主板倉氏の庇護を受けた寺も明治維新に際して廃寺の悲運に遭ったが本尊は郷土信者の奔走によって当山に寄託護持せられ大光普照の法燈絶えることなく今に至ったものである。 神宮山蓮光寺

 これには次の和歌が添えられています。

 ふりつつや ここはあのたの はたま谷 訪ね行くてふ 山寺の道

Img_7893c_20240305105201 Img_7897c_20240305105201  本堂は改修工事中でお参りはできませんでした。右の写真が十一面観音立像が納められている観音堂と思います。ちなみに、蓮光寺は伊勢西国三十三所の元第19番札所です。もともとは安養寺が第19番札所であったため、蓮光寺は「元19番」なのです。

Img_7901c_20240305105201  山門を入った左手に「切支丹灯籠」があります。この燈籠は、文政5(1822)年に、妙玄という迎接庵の主が建立したそうです。いわゆる織部灯籠なのでしょうが、竿部の形が十字架に似ていることから、「切支丹灯籠」という名前が付けられたといいます。竿石(胴の部分)に十字模様や像を刻み、これをキリストの尊像と見立てて崇拝することもあったようです。

Img_7909c_20240305121901 Img_7924c_20240305121901  蓮光寺から1㎞半弱、いわゆる田舎道を進んでいきます。こういう道を歩くのは、気持ちがよいものです。

240303jrwalkkameyama2  ルートマップは、その2になります。その1と似たような範囲になりますが、スタートから約3㎞のところから2㎞ほどが金王道になります。地名では、阿野田から天神まで、金王道が残っています。途中で、JR紀勢本線の阿野田隧道の上を越えていきます。

Img_7930c_20240303164501 Img_7934c_20240303164601  スタートから3㎞、45分ほどで金王道(こんのうみち/こんのみち)の入り口に来ました。金王道は、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常磐御前に義朝の最期の様子を知らせに馳せ上った道であると伝えられます。また、家康の、あの「伊賀越え」のときにここ金王道を通ったという説もあります(こちら)。東海道から離れ、起伏を避け、目立たないように南部丘陵地帯を縫うようにつくられたルートです。

Img_7966c_20240303164601 Img_7981c_20240303164601  金王道は、比較的歩きやすく整備されたところもありましたが、けっこう急なところもあり、いかにも古道という雰囲気でした。こういうところを歩くのは、なかなか楽しいものです。ちなみに、金王丸(こんのうまる)は源義朝の童として義朝のそば近くに仕え、義朝の死後は出家し、諸国を行脚し主の菩提を弔ったとも、土佐坊昌俊(しょうしゅん)と名を変え頼朝に仕えたともいいますが定かではありません。

Img_8004c_20240303164601 Img_8009c_20240305122701  金王道は約2㎞続いていましたが、30分足らずで歩き終えられました。天神公園のところに出て来ます。 天神公園は、休憩に最適という情報もありましたが、先に進むことにしました。公園のところからは亀山の市内が遠望できます。

Img_8027c_20240303164601  このあと、鈴鹿川に沿ったあたりを歩いていきます。この時分にはかなり暖かくなってきました。その1では、蓮光寺についてあれこれ調べ、講釈を垂れました。由緒については結局よく分かりません。さらに、リソースで書いてあることが違っていたりしています。その1はここまで。その2は忍山神社から。

2024年3月 3日 (日)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

Img_7765c_20240303164501  朝は冷えましたが、日中、桑名では12.6℃となり、風も昨日よりも弱く、絶好の行楽日和。「物好きな」とか、「元気だな」などといわれること必至ですが、昨日の「近鉄ハイキング酒蔵みてある記」に続き、今日はJRさわやかウォーキングに行ってきました。数年前、今よりも若い頃は、土日連続でよくハイキング/ウォーキングに行っていました。今日のJRさわやかウォーキングのコースには、前から興味があった「金王道」が含まれていましたので、是非とも行きたいと考えたのです。今日は、一人旅。予告編です。

Img_7777c_20240303164501  JR桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山駅には、9時ちょうどに到着。¥680。参加者は少ないかと思っていたのですが、電車にもウォーキングに参加すると思われる方がかなり乗車していました。コースマップを受け取って、9時7分頃スタート。

240303jrwalkkameyama  こちらが今日歩いてきたルートマップ。亀山駅の北側、亀山城跡や東海道に沿ったあたりは、ほとんどのところを訪ねました(たとえば、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。今日は、駅から南、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道を歩き、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ねてきました(マップでは、一部のところを割愛しています)。

Img_7883c_20240303164501  最初の立ち寄り先は、 榊宮山蓮光寺(しんぐうさんれんこうじ)。天台真盛宗のお寺。創建などは不明です。当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝わり、もとは安養寺に祀られていました。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間の火災で堂宇を焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚く守られてきたといいます。

Img_7930c_20240303164501 Img_7934c_20240303164601  続いて、待望の金王道(こんのうみち/こんのみち)。金王道は、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常磐御前に義朝の最期の様子を知らせに馳せ上った道であると伝えられます。また、家康の、あの「伊賀越え」のときにここ金王道を通ったという説もあります(こちら)。東海道から離れ、起伏を避け、目立たないように南部丘陵地帯を縫うようにつくられたルートです。以前からときどきJRさわやかウォーキングのコースに設定されていて、一度は歩いてみたかったところです。

Img_7966c_20240303164601 Img_7981c_20240303164601  金王道は、比較的歩きやすく整備されたところもありましたが、けっこう急なところもあり、いかにも古道という雰囲気でした。こういうところをあるくのは、なかなか楽しいものです。ちなみに、金王丸(こんのうまる)は源義朝の童として義朝のそば近くに仕え、義朝の死後は出家し、諸国を行脚し主の菩提を弔ったとも、土佐坊昌俊(しょうしゅん)と名を変え頼朝に仕えたともいいますが定かではありません。

Img_8027c_20240303164601  このあと、鈴鹿川に沿ったあたりを歩いていきます。この時分にはかなり暖かくなってきました。

Img_8083c_20240303164601  忍山神社。式内社。垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされたと伝わります。以前にも訪ねていますので、詳しくはそちらの記事をご覧ください(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。

Img_8190c_20240303164601  旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。ここも一昨年訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。今日は、おひな様が飾られているということでしたが、パスしました。

Img_8216c_20240303164601Img_8239c_20240303164601  旧亀山城多門櫓。三重県内に唯一残る江戸時代の城郭建造物です。ここも3年前に訪ね、内部も見学していますので(2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)、今日は外観を見ただけ。

Img_8345c_20240303164701 Img_8327c_20240303164701  亀山城跡の東に延寿山地蔵院遍照寺。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。本堂は旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。

Img_8377c_20240303164701 Img_8384c_20240303164701  亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。本編は、またあれこれ調べながらボチボチと書いていきます。

2023年12月30日 (土)

2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ

 猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症も、今年5月8日からは5類感染症に位置づけられ、外出などの制限もなくなりました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングも次第に復活してきましたので、それらにも参加しつつ「勝手にハイキング」にも出かけました。令和5(2023)年は、計22回のウォーキングに行っており、令和4(2022)年よりも5回増えました。以下、時系列に沿ってそのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2023年1月21日:美濃街道ウォーキング「多度から石津」

 一般に美濃街道とは、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道垂井宿をつなぐ脇街道のことをいいますが(こちらは「美濃路」とも呼ばれています)、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。美濃街道は、すでに桑名から多度までは歩きましたが、その先はルートがよく確認できず未踏でした。昨年になって調べがつきましたので、同級生K氏と話し合い、今年は、美濃街道から養老街道、美濃路を経て大垣まで歩こうということになったのです。この日がその第1回。美濃街道は、美濃国では伊勢街道あるいは桑名街道と呼ばれたようです。

B0bd64ef Dd42f59a この日歩いたのは、養老鉄道多度駅から石津駅まで。多度川にかかるみどり橋まではこれまでに歩きましたから、ここが実際にはスタート地点。空念寺、宇賀神社、柚井遺跡、八幡神社、御鍬神社、願超寺から山除川沿いを北上。子安・延命地蔵尊、天白神社と周り、石津駅の手前で杉生神社(写真)に立ち寄ってゴール。歩いたのは11.9㎞。電車賃は計¥730。この日は、途中、食堂も、コンビニも1軒もないルートでした。昼食は、桑名に戻って、桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年1月21日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編)

2023年1月22日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その1)……多度駅をスタートし、空念寺と宇賀神社へ【空念寺について追記(1/29)】

2023年1月23日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その2)……柚井遺跡、難儀した「ブッシュ・ウォーキング」を経て八幡神社、御鍬神社から願超寺へ

2023年1月24日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その3)……山除川沿いの地蔵尊、天白神社から国道258号線を渡って杉生神社にお参りし、石津駅にゴールで「完」

2.2023年2月12日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」

9564307b 21cc6c2c  近鉄蟹江駅をスタート&ゴールとする「酒蔵みてある記 水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」という企画でした。近鉄の「酒蔵みてある記」は人気企画でしたが、コロナ禍でハイキングそのものの企画がほとんどなくなっていました。2021~2022年冬シーズンは、「酒蔵立ち寄りハイキング」として少し復活し、今年は本格的に復活。この日は、いつもの同級生K氏と二人で。蟹江駅から銭洗尾張弁財天富吉神社、大相撲ストリート、蟹江町まちなか交流センター楽人、蟹江町観光交流センター祭人、冨吉建速神社・八剱社、蟹江山常楽寺龍照院から山田酒造へ。善教寺に立ち寄って、蟹江駅にゴール。山田酒造の試飲では、「何杯でも、何種類でもどうぞ」ということで2種類試飲した上で、さらに有料の「大吟醸 酔泉」も試飲(¥300)。土産には「本醸造酔泉 しぼりたて生原酒」(720ml)を買ってきました(税込み¥1,100)。歩いたのは、13.1㎞。電車賃は往復で¥600。近鉄蟹江駅あたりでは昼食を摂るところがなく、この日も桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年2月12日:20230212近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」へ(一回完結)

3.2023年2月26日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」

860f0bc4 F5efb3f0  この日の立ち寄り先は、ほぼ神楽酒造のみ。スタートは近鉄湯の山線伊勢松本駅。途中、春の丘、夏の広場を通りますが、今年は夏の広場で小休止。この2箇所は、「四郷地区風致地区 ふるさとの道」として整備されています。ただし、夏の広場近くで標高が68メートルあり(キョリ測によるデータ)、アップダウンはかなりキツく、運動量はけっこうなものでした。ゴールは、四日市あすなろう鉄道西日野駅。同級生K氏と二人旅。「神楽 特別純米生酒」(720ml入り、¥1,320)を買ってきました。あわせて300ml入りの「神楽」を1本買って、K氏とシェアして、ささやかな宴会をしてきました。歩いた距離は7.9㎞。電車賃は往復で¥970。昼食は、四日市駅で途中下車して、餃子の王将四日市ふれあいモール店にて「餃子の王将ラーメン」(¥572)。

2023年02月26日:20230226近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」(一回完結)

4.2023年3月4日:JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」

749c67fb 38cf6b02  同級生K氏と二人旅。このときと同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。この日は、JR参宮線松下駅がスタート。民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩(写真)、賓日館、御塩殿神社などを歩いて、参宮線二見浦駅がゴール。歩いた距離は、9.5㎞、昼食は、伊勢市駅で途中下車して、外宮参道にある「じろべえ」にて。伊勢うどんとビールしかメニューがないお店。「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。この日は桑名から伊勢市の間は近鉄を利用し、伊勢市から松下、二見浦から伊勢市はJR参宮線を利用。運賃は、往復で¥2,860。

2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)

2023年3月7日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その1)……松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁へ

2023年3月8日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ

2023年3月9日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」

5.2023年3月11日:勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」

0e1d83c1 Ddb3e864  同級生K氏とともに四日市に行ってきました。当初は、四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」を見て、東海道四日市宿資料館を訪ねようと思っていたのですが、資料館は日曜しか開館していませんでした(この日は土曜日)。そこで、急遽、四日市旧港あたりを回ってから博物館に行くことにした次第。JR四日市駅から東へ。国道23号線を越えて、四日市港へ。このあたりが、稲葉三右衛門が最初に開発した港で、「四日市旧港」と呼ばれます。大師之寺、納屋運河跡地、末広橋梁(写真)、臨港橋を回って、稲葉翁記念公園・波止改築紀念碑・潮吹き堤防を見て、大師寺に立ち寄って、再び23号線を超え、「どうする家康」の思案橋へ。JR四日市駅近くの3つのお寺(得願寺、不動寺、善光寺四日市別院)を回ってから、四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展を見てきました。昼食は、アピタ四日市店にある若鯱屋で五目うどん(¥814)。若鯱屋といえばカレーうどんなのですが、あいにく白い服を着ていたのです。近鉄四日市駅から帰宅。帰りにアピタ桑名店に立ち寄りましたので、歩いたのは11.8㎞。電車賃は、合計¥600。

2023年3月11日:20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結)

6.2023年4月9日:美濃街道ウォーキング「石津から駒野」

C24e3f57 A8a33559  この日は、養老鉄道石津駅をスタートし、ほぼ養老鉄道や揖斐川に沿って北上。円成寺、金毘羅大権現、願海寺、清浄寺、卜全塚、存徳寺、八幡神社、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社、春日神社、羽沢貝塚と回り、駒野駅にゴール。養老鉄道でいえば、2駅分。途中、3ヶ所の天井川で、川の下を養老鉄道がくぐるところもあり(写真)、なかなかおもしろいウォーキングでした。昼食は駒野駅から200mほどのところにあるカフェレスト千代乃へ。駅近では、ここしか選択肢はありません。昔ながらの洋食屋さんでオムライス(¥600)。懐かしい感じのオムライスでした。おみやげにハッサクをいただき、ラッキー。10.7㎞を歩きました。運賃は往復で¥890。同級生K氏と二人旅。

2023年4月9日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(予告編)

2023年4月11日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その1)……石津駅をスタートし、円成寺、金毘羅大権現、願海寺から般若谷川を越えて清浄寺へ

2023年4月12日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その2)……卜全塚に寄り道のあと、存徳寺、八幡神社へ

2023年4月13日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その3)……養老鉄道が天井川をくぐるところを確認して、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社を訪ねる

2023年4月15日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その4)……大専寺で親鸞上人縁の梅の木、春日神社、羽沢貝塚から南明寺を経て駒野駅にゴール(完)

7.2023年4月16日:美濃街道ウォーキング「駒野から美濃津屋」

Ca98eac7 526408b5  養老鉄道の駒野駅から美濃津屋駅まで、1駅分でしたが、11.3㎞を歩きました。駒野駅をスタートし、市神神社、八幡宮、駒野城跡、庭田貝塚、円満寺、神明神社、春日神社、天満神社、若宮八幡神社と神社を訪ね、綜蓮庵、善教寺、住吉神社。臨迎寺、志津龍神神社、神明神社と回って、美濃津屋駅にゴール。同級生K氏と二人旅。この日もコースには食堂もコンビニもありませんので、あらかじめ買っておいたファミマの明太海苔弁当(エコ割の¥100引きで¥385)を待合室でいただきました。電車賃は往復で¥1,000。

2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編)

2023年4月17日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その1)……駒野駅をスタート、市神神社、徳永寺、八幡宮から駒野城跡へ

2023年4月18日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その2)……哲学と彫刻の広場、庭田貝塚、円満寺、神明神社、浄厳寺から春日神社へ

2023年4月19日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その3)……皆善寺、天満神社、若宮八幡神社から綜蓮庵、善教寺、住吉神社へ

2023年4月20日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その4)……桂林寺、臨迎寺、志津龍神神社から神明神社を経て美濃津屋駅にゴールにて「完」

8.2023年5月5日:JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」

45fb571f E25cb15d  このさわやかウォーキングでは、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力でした。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。一人旅。松阪までは近鉄を利用。松阪から多気へはJR紀勢本線。多気まで来たのは2回目。多気駅から、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と歩いて、田丸城跡(写真)がゴール。ゴールでは「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。「しろあとマルシェ」が行われていたのですが、念のため買っておいたファミマの助六寿司(¥480)で昼食。その後、田丸駅へ。15.5㎞も歩きました。帰りは、田丸駅から松阪駅まではJR参宮線。松阪からは近鉄に乗ったもの運転トラブルに遭い、桑名駅の1つ手前の益生駅で電車は停車したまま動かず。ここで臨時に、しかも運転席から下車させてもらうというレアな体験もしました。運賃合計は、¥3,120。

2023年5月5日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)

2023年5月6日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その1)……多気駅をスタートし、坂倉遺跡から伊勢本街道に入り、しあわせのの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しへ

2023年5月7日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ

2023年5月8日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

9.2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」

1286868f 0d663714  珍しく月曜日に出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。美濃街道ウォーキングの続きで、養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いてきました。養老鉄道の線路沿いに北上。白山神社、津屋川龍神、本慶寺(津屋城跡、写真)、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社、西林寺、観音寺、福勝寺、八幡神社、高札場跡、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅に到着。トータルで歩いた距離は9.6㎞。電車賃合計は、¥1,110。養老駅前にある「きび羊羹本家」で土産にきび羊羹一棹(¥850)を購入。昼食は桑名駅まで戻って、桑名駅自由通路にある「伊勢ノ国食堂しちり」で「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。

2023年5月24日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ

2023年5月25日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その2)……養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、もう1つの大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道へ

2023年5月26日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その3)……高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅にゴールにて「完」

10.2023年6月4日:美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」

2bec1637_20231229034901 0f9c49f2  この日は、養老駅から1駅、美濃高田駅まで、ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩きました。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道でしたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、この日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道。立ち寄り先は、養老神明神社、大菩提寺(写真)、千人塚1号古墳、境松(傘松)跡、浄誓寺、大桑神社、八幡神社、乾崇寺、田代神社、神明神社、皇大神社。美濃高田駅には、食事をするところはありませんので、桑名に戻ってとんかつ銀座で味噌カツランチ(¥1,100)。歩いたのは、9.3㎞。電車賃は、普通に買うと往復で¥1,280でしたが、桑名駅の改札で係の方から「『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、¥70安くなる」と教えていただいて、それにしたがいました。同級生K氏と二人旅。

2023年6月4日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(予告編)

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その1)……養老駅をスタート、養老神明神社、金妙寺跡、千人塚1号古墳、大菩提寺、浄誓寺へ

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その2)…養老街道との追分から西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺で芭蕉句碑を見て、田代神社ほかを周り、美濃高田駅にゴール(完)

11.2023年6月25日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」

22b6c3d6 8bc14db9  この日は養老鉄道美濃高田駅から美濃青柳(みのやなぎ)駅まで。この間、養老鉄道の駅は、烏江、大外羽、友江と3つあります。蒸し暑かった上に、自分でつくったコースなのに、コースミスをしでかし、余計に疲れました(苦笑)。今回も同級生K氏と二人旅。美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、西光寺跡、馬頭観音、大神宮常夜灯、北直江渡し跡、蓮光寺、旧多芸小学校跡、小畑川ダム、大神宮常夜灯・小畑橋跡、蛇持経塚跡、浄徳寺、真照寺、報恩寺(写真)、徳勝寺、経説寺。本来は、大神宮常夜灯・小畑橋跡から養北小のすぐ北に出て、そこから北東に進み、蛇持経塚跡に向かうはずでしたが、コースミスをしでかし寺社2つほどすっ飛ばす羽目に。さらにその余波で渡し場跡1ヶ所も見忘れました。養老道美濃青柳駅に着く前にハシンというカフェでランチ。オムカレーライスにハムカツ(¥800)。歩いたのは、14.6㎞。 運賃は往復で¥1,400。

2023年6月25日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(予告編)

2023年6月27日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その1)……美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、金光寺跡、北直江渡し跡、蓮光寺から多芸公民館へ

2023年6月28日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その2)……小畑川ダム、常夜灯を見てコースミス、蛇持経塚跡から養老橋を渡っていよいよ大垣市へ

2023年6月29日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その3)……大垣市に入り、大神宮常夜灯から6つの寺をめぐって美濃青柳駅にゴールにて「完」

12.2023年7月2日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」

D7b70f02 9aede48f  美濃街道ウォーキングもいよいよゴールへ。この日は、養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅まで。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、この日までに合計9回で大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ、「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。美濃青柳駅から杭瀬川に出て、川沿いに北上します。六社神社、正円寺、法永寺、長源寺、塩田橋(養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路を歩きます。写真)、徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、愛宕神社、正覚寺、常楽寺、誓雲寺、奥の細道むすびの地、御朱印地遮那院跡、大垣城東惣門跡(ここまでが美濃路)を経て大垣駅にゴール。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」(¥690)。歩いたのは14.0㎞。普通に乗車券を買うと合計¥1,530ですので、1日フリー切符(¥1,500)を利用。

2023年7月3日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(予告編)

2023年7月7日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで

2023年7月9日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その2)……徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、水神神社の夜泣き松、愛宕神社、正覚寺で芭蕉木因遺跡へ

2023年7月10日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その3)……常楽寺、大泉寺、誓運寺、常隆寺から御朱印地遮那院跡を経て大垣駅にゴールで「完」

13.2023年7月15日:伊勢河崎ウォーキング

904407eb 4d881dda  梅雨の晴れ間、曇りがちでしたが蒸し暑い日でした。同級生K氏と二人旅。近鉄宇治山田駅がスタート&ゴール。宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店へ。倉田山公園の野球場を経て松尾観音寺から倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅にあるまんぷく食堂で昼食。プチからあげ丼(¥650)。ここは伊勢でも有名なB級グルメの店で、一度食べてみたかったところです。 電車賃は往復で¥2,900。歩いたのは、10.1㎞。写真は、伊勢河崎商人館。

2023年7月15日:20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編)

2023年7月18日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか

2023年7月19日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ

2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」

14.2023年7月31日:西別所ウォーキング

99ade8a2 D76f1f12  名古屋へのウォーキングも考えていたのですが、真夏にコンクリートジャングルを歩くと猛暑で熱中症になるかも知れないと危惧し、田舎を歩くことにしました。三岐鉄道北勢線西別所駅から在良駅まで、2駅、現地で実際に歩いたのは5.4㎞でした。夏場ですから、短めの距離にしたのです。同級生K氏と二人。私は、西桑名駅を8時5分に出る東員行きの電車に乗って、西別所駅には8時12分着。この電車は、今時珍しくエアコンなしで扇風機が回っているレアもの(苦笑)。西別所駅から延寿院、万機庵跡(藪がひどくて入っていけませんので、眺めただけ)、西別所城跡、八幡神社、蓮花寺川沿いから山神社、蓮花寺、白山神社、蓮花寺東城跡、宇賀神社、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(増田、写真)から三岐鉄道北勢線在良駅にゴール。西桑名駅まで移動し、エンシュウヤで「今日のランチ」。おろしソースのハンバーグ(¥750)。歩いたのは7.5㎞。電車賃は往復で¥400。

2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング(一回完結)

15.2023年8月29日:赤尾・在良ウォーキング

1108e1b4 518eba0c  「赤尾・在良ウォーキング」とは、出発地点とゴール地点の地名を取って命名しています。同級生K氏と二人旅。7.5㎞と距離は短かったのですが、夏場はこれくらいにしておいた方がよいでしょう。八風バス志知線の羽田(はねだ)バス停から照順寺、鞆尾神社、御厨神社、圓授寺を周り、坂井橋を渡ります。坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡碑(写真)、額田神社(額田)と周り、三岐鉄道北勢線在良駅がゴールなのですが、その前にファミリーキッチン馬車屋さんで昼食。前回(2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング)のときは定休日(月曜日)でしたので、この日はリベンジ。家内の強い勧めにしたがい、ハンバーグ定食(¥1,000)をチョイス。バス代・電車賃合計で¥610。

2023年8月29日:20230829赤尾・在良ウォーキング(予告編)

2023年8月30日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その1)……羽田バス停から照順寺、鞆尾神社、中河御厨神社、圓授寺へ

2023年8月31日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その2)……坂井橋を渡り、北勢線坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡から額田神社にて「完」

16.2023年9月9日:近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』

4ecde91e 52c81962  三岐鉄道との合同企画です。朝日町へは、近鉄ハイキングでも、個人的な「勝手にハイキング」でも何度か訪れ、めぼしいところはかなり回りました。しかし、今回は初めてのところが2ヶ所含まれていましたので、参加したという次第。今回は、一人旅。三岐鉄道三岐線大矢知駅をスタートし、移田(うつしだ)神社、井後(いじり)神社、若松園(和菓子)、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、浄泉坊、朝日町資料館、語らいの広場(抽選会あり)を経て近鉄名古屋線・伊勢朝日駅がゴール。語らいの広場での抽選会では、見事当選! 若松園さんのお菓子が1つということで、みやこまんじゅうをいただきました。土産は、稲垣酒造場の樽酒。「御山杉」の純米酒を樽に詰めたものをさらに瓶詰めにして販売。¥1,800。今日は、自宅にて昼食。運賃合計は¥730。右の画像は、あみま倶楽部のデジタルスタンプ。

2023年9月9日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(予告編)

2023年9月11日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その1)……大矢知駅から八風街道の常夜灯、朝明川堤防を経て移田神社へ

2023年9月12日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その2)……井後神社、若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館へ

2023年9月13日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その3)……浄泉坊、朝日小学校の円形校舎、朝日町資料館から語らいの広場で抽選会を経て伊勢朝日駅にゴールにて「完」

17.2023年9月15日:「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)

5b42cdde 26179ba5  1月から7月にかけて歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーの1つです。美濃街道を歩きながら、同級生K氏と養老の滝や、行基寺にも行こうと話していたのですが、まずは大垣まで歩き通すことを優先しました。養老駅をスタートし、養老公園から妙見堂、養老の滝(写真)を経て、養老神社・菊水泉、北原白秋歌碑、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場、鬼面山谷五郎碑などを経て養老駅に戻るというコースです。養老駅あたりの標高が20m、養老の滝が270m(いずれもキョリ測による数値)で、高低差は250mという高齢者にとってはいささか難コース。昼食は、前回、美濃街道ウォーキングのときに休みで(2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」)、行けなかった「そば処たみと」さんで「ざる蕎麦(白)」(¥950)。十割蕎麦です。運賃は往復で¥1,160。

2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編)

2023年9月17日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その1……養老駅をスタートし、聖武天皇巡幸記念碑、せせらぎ街道から妙見堂を経て養老の滝から養老神社へ

2023年9月18日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その2……北原白秋歌碑、豆馬亭、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場から横綱鬼面山谷五郎碑を見て養老駅に戻って「完」

18.2023年10月20日:行基寺ウォーキング(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#2)

36cdb10e A14986d8  今年1月から歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーその2です。養老鉄道美濃山崎駅から行基寺までを往復。高低差は125mほど(キョリ測のデータ)。同級生K氏と二人旅。養老鉄道美濃山崎駅から浄国寺、宝珠院、龍芳寺、杖つき坂を回って行基寺(写真)へ。寺内、庭園を拝観し、御山の燈台を見てから覚法寺、八幡神社を経て美濃山崎駅へ戻ってきました。美濃山崎駅あたりでは食事をするところがありませんので、朝、ファミマで買ってきた「明太海苔弁当」(¥460)を待合室で食べてきました。歩いたのは9.8㎞。運賃は往復で¥840。

2023年10月20日:20231020行基寺ウォーキング

2023年10月22日:20231020行基寺ウォーキング……行基寺は素晴らしい

19.2023年10月28日:名古屋ウォーキング

6a537a38 E5bfd444  夏前から考えていたのが、この名古屋ウォーキング。しかし、猛暑の時期はさすがによくないだろうとこの日になりました。JR名古屋駅をスタート&ゴールとし、丸の内から名古屋東照宮、那古野神社、愛知県護国神社(写真)、名古屋市市政資料館から名古屋城の南を歩いて、四間道と円頓寺商店街へ。四間道で屋根神と子守地蔵尊、円頓寺商店街では真宗高田派愛知別院から金刀比羅神社、円頓寺を、また、円頓寺本町商店街では多賀宮などを回ってきました。同級生K氏と二人旅。昼食は、途中の円頓寺商店街にあるスペイン料理Bar Dufiで、ローストビーフ丼(¥880)。電車賃は往復で¥700。

2023年10月28日:20231028名古屋ウォーキング(予告編)

2023年10月31日:20231028名古屋ウォーキング(その1)……JR名古屋駅をスタートし、白山神社、那古野神社、名古屋東照宮、愛知県護国神社へ

2023年11月2日:20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)

20.2023年11月3日:近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”

 73bf022f 959222cc 桑名からスタート地点の名鉄津島線木田駅に行くには、JR関西線で弥富まで行き、名鉄に乗り換えます。名鉄木田駅をスタートし、あま市七宝焼 アートヴィレッジ、佐藤醸造(あまの蔵・海部のくちどけ)、七宝焼原産地道標、蟹江町観光交流センター「祭人」、龍照院、山田酒造、お漬物若菜とめぐって、近鉄名古屋線蟹江駅がゴール。同級生K氏と二人旅。山田酒造で、それぞれ酔泉の一合瓶を買ってキッチンカースペースで楽しんで来ました(写真)。これが昼食代わり(苦笑)。酒とつまみで¥400。土産は、もっとも好みであった「最愛」の純米生酒。720mlで¥1,600。運賃は合計¥970。

2023年11月3日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)

2023年11月5日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)

21.2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」

E0b6e836 0e754a76  前日から寒くなり、今日がその寒さの底だという予報でしたが、同級生K氏と二人で菰野を訪ね歩いてきました。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。近鉄湯の山線菰野駅から見性寺、廣幡神社、菰野城跡、瑞龍寺、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、蟹池(智積養水の水源地、写真)、二分八分、三十三限筒と周り、湯の山線桜駅がゴール。昼食は、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店で「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)。歩いたのは13.0㎞。運賃は、合計で¥1,070。

2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編)

2023年11月29日:20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ

2023年12月6日:20231125「菰野ウォーキング」(その2)……札の辻、廣幡神社庄部御旅所、五郎兵衛地蔵から湧水池でカワセミを見る

2023年12月7日:20231125「菰野ウォーキング」(その3)……蟹池、二分八分、三十三限筒から智積養水記念公園を経て桜駅にゴールにて「完」

22.2023年12月16日 :「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング

Kodayu0_20231229152301 Img_4057c_20231216185201_20231229152301  この日は、ロシアを初めて見た日本人である大黒屋光太夫のふるさと・伊勢若松を歩いてきました。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。伊勢若松駅がスタート&ゴール。緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。伊勢若松駅は急行停車駅で、また、鈴鹿線が分岐するところですが、駅の近くには食事をするところがありません。昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当。「おむすび&焼きそばセット」(¥390)を待合室を借りて食べてきました。電車賃は、往復で¥1,060。右の写真は、伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫の銅像。

2023年12月16日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(予告編)

2023年12月17日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その1)……伊勢若松駅をスタートし、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見る

2023年12月18日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その2)……小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)へ

023年12月19日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その3)……大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂、若松漁港開港記念碑から清水清三郎商店を見て、西運寺、深田神社、弘善寺を経て伊勢若松駅にゴールにて「完」

 以上、22回のうち19回は同級生K氏との二人旅。つき合ってもらえることに感謝。

 なお、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの記事のリンクは、この記事執筆当初は、ココログになっていましたが、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事のものに変更しました(2024/01/01)。

2023年12月29日 (金)

2017ウォーキング/ハイキングの記録

 何を今さらと思うのですが、2017(平成29)年のウォーキング/ハイキングの記録を作っておきます。というのも、2017年はJRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングにデビューした年ですが、それは11月も終わりの頃でした。2017年末までには鉄道会社のイベントには3回しか参加していませんでしたので、とくにまとめはつくってなかったのです。それ以外も含めて4回のウォーキング/ハイキングの記録です。

1.2017年10月5日:朝日町歴史散歩

Fc5bb588 1f8e91d7  このときは、この先「歴史散歩」にハマるとは思ってもいませんでした。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現した次第。桑名からJR関西線に乗って一駅、三重郡朝日町へ。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。JR朝日駅から西光寺、浄専坊、橘守部生誕の地、小向神社、初代森有節の墓、朝日町歴史博物館、柿城跡を回って来ました。帰りは、朝日町歴史博物館まで家内に迎えに来てもらい、天ぷら兎波で味噌天丼を食べて帰宅。往きのJRの運賃は¥190。歩いた距離は5.1㎞。

2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼

2.2017年11月25日:JRわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」

F8d6c3d6 3ab895a7  この日、朝5時過ぎに起き出してネット検索をしていたら、今日、JR四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング」があるということを知ったのです。「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」というもの。コースは、「駅がスタート、駅がゴール」という宣伝文句の通り、JR四日市駅から四日市旧港を回る、約6.6㎞、2時間ほどのコース。思案橋、稲葉翁記念公園、臨港橋、末広橋梁の他、みなと公園近くの桟橋では、「清掃船じんべい」やタグボート「ちとせ丸」見学会もあり、この辺りで見たいと思っていたところが網羅されていましたので、これは行くしかないと思って出かけたのです。いまから思えば、これが鉄道会社主催のウォーキング/ハイキングイベントにハマったきっかけでした。

2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き

3.2017年12月17日:JRさわやかウォーキング「醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク」

8beaea6b Fffd4eaf  この日は、関西線南四日市駅がスタート&ゴール。ただし、桑名で最高気温が5.8℃(ただし、真夜中の0時13分)、最低気温は1.0℃(9時45分)。歩いている途中、雪もちらつくという悪条件でした。とても「さわやか」とは行きません。歩いたコースは、四日市市南部の日永、泊、四郷あたりです。伊勢蔵、東海道日永郷土資料館、日永の追分(写真)、白鬚神社、南部丘陵公園、登城山、夢菓子工房ことよ、神楽酒造、室生神社、法蔵寺、四郷郷土資料館、日永神社、薬師堂、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松をへて南四日市駅へ。11.5㎞を歩きました。電車賃は往復で¥640。

2017年12月17日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)

2017年12月18日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2)

2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)

4.2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」

A0e6a572 57585e40  近鉄ハイキングへのデビューでした。名古屋線の川越富洲原駅を出発、霞ヶ浦駅まで約8㎞というコースです。コースは、川越富洲原駅を出発し、田村寺(写真)、薬師寺、常照寺、茂福神社、伊賀留我神社、浄恩寺から垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まで。現地で実際に歩いたのは、10.8㎞。自宅から桑名駅までの往復を入れると、13.0㎞。電車賃は合計で¥520。

2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1)

2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)

2017年12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完)

 2017年は、以上の4回、ウォーキング/ハイキングに行ってきたのですが、これが今日に至る、私の主な趣味の1つになっているのです。人生、何がきっかけに変わるのか、分からないものです。早起きして、ネット検索をしていたのが、現在に至るとは、まったくの想定外でした。が、今となっては、とてもよかったと思っています。

2023年5月 8日 (月)

20230505JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

230505jrwalking2  5月5日に行ってきたJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」の本編その3です。その2では、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と訪ねました。この日は、次に訪れた田丸城跡がゴール。

Img_4099c_20230507112101 Img_4121c_20230507112701  田丸城は、戦国時代に多くの武将たちが居城した、南伊勢随一の名城といわれます。JRさわやかウォーキングでも田丸城跡を訪ねる企画は、毎年1回は必ずあり、ずっと以前から一度は行ってみたいところでした。しかし、玉城町というと桑名からはかなり遠いイメージがあり、二の足を踏んでいました。今回は、先延ばしにしているといつまでも行けないと重い腰を上げたのです。

Img_4367c_20230507141401 Img_4400c_20230507141601  田丸城は、北畠親房顕信父子が延元元(1336)年、玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたと伝えられます。天正3(1575)年、織田信長の次男・信雄により平山城の田丸城が築かれます。信雄は田丸城を石垣や、三層の天守をもつ城へと大改築したのですが、天正8(1580)年、炎上し、信雄は松ヶ島城へと移りました。本能寺の変(天正10(1582)年)以降、田丸直息(のちの直昌)らは信雄に叛いて羽柴秀吉に味方し、蒲生氏郷とともに松ヶ島城を攻略します。天正12(1584)年、氏郷は伊勢の領主となって松ヶ島城へ移り、直昌は田丸城主に返り咲きました。天正18(1590)年、直昌は秀吉の命を受け、氏郷とともに東北地方へ移り、その後の田丸城は稲葉重通が城代となり、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦の戦功により岩出城主・稲葉道通(みちとお)が城主となります。このとき岩出城を廃し、城郭の主要な建造物や石塁等を田丸に遷し、大改築をしたと伝わっています。元和3年(1617年)津城主藤堂高虎が、徳川氏より伊勢田丸城の地を加増され田丸領を支配します。元和5年(1619年)には紀州徳川家領となり、家老の久野宗成が田丸城主となり、明治まで続いています。明治2(1869)年に廃城。野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址で、平成29(2017)年、「続日本100名城」に選出されました。左の写真は、玉城町役場と田丸保育所の間の入り口、右の写真は旧大手橋。

Tamarucastleruin  こちらは現在の地図。この日のウォーキングでは城跡の北にある田丸神社の方から入り、お城広場のところを右折して、玉城中学校の西側から玉城城跡に登っていきました。城跡を見て、帰りはお城広場のところまで戻り、奥書院の西から玉城町役場の北にある大手橋を渡り、田丸保育所の東で左折して田丸駅に向かいました。

Img_4118c_20230507144701  お城広場から右折した先に富士見門(長屋門)があります。廃城当時(明治4(1871)年)、城内の建物は入札によりすべて取り払われることになり、現在の玉城中学校校庭付近にあった富士見門は、宮古の乙部氏邸に移されたものを昭和59(1984)年に町が譲り受け、ここに移築復元しています。もとは長屋門でしたが、乙部氏邸に移築した際、向かって右の部分は取り除かれ、左の侍溜は納屋として使われたそうです。江戸時代中期のもの。

Img_4129c_20230505174001  ちょっと余談気味ですが、玉城中学校駐車場では「しろあとマルシェ」が開かれていました。食べるものも売られていたのですが、残念ながら、私の好みのものではありませんでした。

Img_4134c_20230507145501Img_4138c_20230507145501 マルシェをちょっと覗いていたら、校庭の方に大木と看板が見えました。「田丸城跡・三の丸(井戸水源) 金明水 銀明水」とあります。かつて田丸城内には、「金明水」「銀明水」と呼ばれた井戸があり、豊富な湧き水があり、それを飲用水としていました。

Img_4154c_20230507150001 Img_4185c_20230505174001  玉城中学校の西から城跡に登っていきます。城跡を訪ねるといつも思うのですが、こうして石垣が残っている城跡はやはりいいなと。桑名城跡の九華公園には、石垣はほとんど残っていないのです。右の写真は、本丸への虎口のところ。虎口は、郭への入り口ですが、このように道を折り曲げて敵の侵入を防ぐ働きをします。

Img_4194c_20230507150401 Img_4198c_20230505174001  登り切ったところが本丸跡。田丸城跡もそうですが、平山城の本丸に達するにはけっこう登っていかなければなりません。キョリ測で見ますと、標高は45mほど。田丸神社前の道路で20mくらいでしたから25mほど高低差があります。天守台跡が右奥に見えますが、この日のJRさわやかウォーキングはここがゴールになっていましたので、何はともあれ、ゴール受付へ。

Img_4202c Img_4205c_20230505174001  最近、JRさわやかウォーキングの会員証はスマホのアプリ。自分のスマホでアプリを起動すると、QRコードが表示され、受け付けでそれをかざすと自動的に参加ポイントが付与されます。右は、恒例のゴール看板を撮影したもの。スタート看板とゴール看板を撮影しないと、JRさわやかウォーキングに参加した気にならないのです。ここまでで10㎞を歩き(Google Fitのデータ)、ゴールしたのは11時45分頃でしたから、2時間半で10㎞を歩くというかなりのハイペースでした(笑)。

Img_4562c_20230505174101 Img_4208c_20230505174001  今日のウォーキングではゴールするとプレゼントがいただけました。「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」と、「神領 玉城水」(500mlペットボトル)をいただきました。この参加証、写真ではわかりにくいのですが、昔の硬券の切符のようになっています。「神領 玉城水」は、清流宮川の近郊地下30mほどの深井戸で汲み上げ、玉城町山岡水源浄水場で浄水処理した水道水が使われています(こちら)。

Img_4292c_20230505174001  田丸駅から伊勢市駅に行く列車は、12時33分発でしたので、田丸城の本丸跡で昼食。今日は「しろあとマルシェ」が行われているのは知っていましたが、一応、コンビニ弁当(助六寿司)を手に入れていました。「しろあとマルシェ」もチラッと見たのですが、私にはこれというものはなく、まずは助六で昼食。そのあと本丸跡を見て回ることにしました。

Img_4213c_20230505174001 Img_4253c_20230507153801  こちらは天守台跡。野面積みの石垣がきれいです。さほど広くはありません。織田信雄が築いたのは、三層の天守だったそうです。天守台跡にも登れますので、登ってみました。

Img_4249c_20230507154501 Img_4246c_20230507154501  天守台跡から西の方の眺めです。遠くは、吉野や熊野の方角になりますが、400mから1,000mくらいの山並みが見えます。手前には水田地帯。これは、夕景がよさそうな感じ。

Img_4269c_20230507154501 Img_4281c_20230507154501  本丸跡には石碑が2基あります。左の写真のものは、玉城町(当時の田丸町)出身で、朝日新聞社を創設した村山龍平翁の自筆歌碑。「田丸町の久しく望める城山の 町有となりし時 幾千とせかはらぬことを祈るなり この城山はこのさとの神」とあります。もう1基は、歌人の岡野弘彦による「玉城町制十周年記念歌碑」。「田丸城の桜」と題し、「城山の桜すがしく匂ふなり ここに学びしわかき日の父」「伊勢熊野むすぶ道ベの城山に 父がまなべる世をおもふなり」とあります。岡野は、津市美杉町(当時の一志郡美杉村)出身で、令和3年に文化勲章を授与されています。

Img_4296c_20230507155301 Img_4300c_20230507155301  こちらは二の丸跡。藤棚があり、人だかりがしていますが、これはこの日から始まった「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」(こちら)に参加している皆さん。このゲームでは謎解きをするのですが、指定された現地に行かないと解けない問題が出ているそうです。二の丸跡にあった説明板によれば、条件がよいと冨士山が見えるとありました。

Img_4311c_20230505174001 Img_4326c_20230507155801  これで田丸城跡も一通り回りましたので、田丸駅に向かいます。左の写真は、この「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」のPRのためのもの。田丸城跡から田丸駅まではほぼ1㎞、約10分という表示。

Img_4332c_20230507160001 Img_4339c  もう見るところはないかと思っていたのですが、さにあらず。お城広場のところには「代官所跡」という看板が立っていましたし、その一角には蒸気機関車のC58が保存されていました。C58414です。昭和21~22(1946~47)年にかけて製造された45両のうちの1両。昭和48(1973)年4月まで北海道で運行されていたそうです。この年は、参宮線田丸駅ができて80周年だったといいます。

Img_4419c_20230507160601 Img_4412c_20230507160701  さらに玉城町役場と、村山龍平記念館の間を通って、大手橋を渡ります。左の写真は町役場。写真奥が大手橋。大手橋を渡った交差点の南東角に「田丸勘定所跡」という看板が立っています。勢州久野領の事務一切を取扱処理した役所で、家老・用人・手代の役人たちが詰めていたところ。

Img_4435c Img_4431c_20230507161201  田丸保育所のところを左折して、県道530号線との交差点に「熊野街道 伊勢街道」「熊野街道 熊野古道伊勢路」という看板があります。ここは、左の写真でいうと、左右に熊野脇道が通っているところ。伊勢本街道と熊野街道が通るのは、大手橋から東に直進したところです。玉城まで来ると、「熊野古道」も近いのだなと実感。

Img_4455c_20230507161501 Img_4451c_20230507161501  さらに田丸駅に向かう途中のお宅の前に「御鳥見役屋敷跡」という石柱があります。紀州藩主は蔓を毎年将軍に献上するため、飼い慣らした鷹に鶴を捕らえさせるという鷹狩りを行っており、国東山一帯は鷹狩り場として鳥獣の雁ヶ禁止されていました。御鳥見役は、この鷹狩り場の取締と、鷹の餌差しなどの世話をする役人です。寛永年間(1624~1644年)、鷹場(御鳥見役屋敷)が城内から場外のこの地に移されたといいます。

Img_4463c_20230507162001  12時25分頃、田丸駅に到着したのですが、駅前にこういう石碑やモニュメントがあります。石碑には「熊野古道伊勢路出立の地」とあり、「をちこちに神を祀りてあたたかし」と書かれた句碑が並んでいます。この句碑は、俳人の黛まどか氏が詠んだもので、平成27(2015)年に玉城町町制施行60周年を記念して設置されています。もう一つは、昔の旅人の陶像です。背中には「西国三十三所」と書かれています。説明によれば、田丸は初瀬街道と熊野街道が合流し、伊勢本街道として伊勢神宮に通じる交通の要所でしたから、伊勢参りをしてから熊野詣や西国三十三所巡礼に向う旅人が多かったので、それを表しているのでしょう。

Img_4483c_20230505174001 Img_4488c_20230505174001  JR参宮線田丸駅です。明治26(1893)年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されました。この駅舎は、大正元(1912)年頃に完成した木造平屋のもの。老朽化が進み、駅舎を改修した上で保存することも検討されたのですが、耐震診断の結果、保存は困難であることが分かり、2023年4月以降の取り壊しが決まったそうです。駅舎は、日本映画の巨匠・小津安二郎監督の映画「浮草」(1959年)のラストシーンの撮影でも使われたことがあります。

Img_4493c_20230505174001 Img_4495c_20230505174001  予定通り12時33分発鳥羽行きの普通に乗って、伊勢市駅へ向かいます。参宮線に乗るのは、今年3月のJRさわやかウォーキング以来、2回目(2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編))。伊勢市駅までは、宮川、山田上口の2駅を経て、¥210。

Img_4538c_20230505174001 Img_4541c_20230505174001  12時44分着。伊勢市駅には何度も来ています。ここからまた近鉄で帰ろうという算段。名古屋行き急行は、13時18分までありません。特急に乗るのはもったいないですし、伊勢中川まで普通に行って乗り換えるのも面倒ですので、いったん駅の外へ。伊勢市駅前の信号を渡って、外宮の方向に少し行ったところにへんば屋さんの支店があります。駅からは2~3分。

Img_4593c_20230505174101  へんば餅を土産に買ってきました。5個入り¥450をお買い上げ。実は、へんば餅は私の大好物なのです。伊勢街道は、別名「餅街道」といわれるほど、各地に餅菓子がありますが、個人的には赤福よりも、このへんば餅や、伊勢の二軒茶屋餅、桑名の安永餅(永餅屋老舗安永餅本舗柏屋の2軒)の方が好きです。ただ、伊勢街道沿いにある餅菓子でまだ食べたことのないものもあります。

Img_4534c_20230507165101 Screenshot_20230505150254c  伊勢市駅発13時18分の名古屋行き急行に乗ったものの、途中から電車が遅れ始めました。名古屋線の伏屋駅構内で14時過ぎに線路安全確認が発生し、名古屋~富吉間の下り線で運転を見合わせ、塩浜~名古屋間の上り線でも大幅な遅れが生じているという事態に巻き込まれてしまいました。本来であれば、桑名には14時40分着。この間、緊急地震速報まで鳴って、大変でした。石川県能登地方での震度6強の地震(こちら)。ちなみに翌日の中日新聞朝刊によれば、近鉄のトラブルの原因は運転士さんの誤操作によるとか。

Img_4569c_20230505174101 Img_4583c_20230505174101  15時頃運転再開ということでしたが、益生駅に止まったまま20数分が経ちました。近鉄桑名駅の上り方向には7・8番線があるのですが、これも塞がってしまったということです。しばらくすると(15時過ぎ)、車掌さんが回ってきて、「益生駅で下車できる」ということになり、「エイヤッ」と降りることに。先頭車両の運転席のドアから下ろしてもらいました。このように、運転席のドアから乗り降りしたのは、初めて。家内にクルマで迎えに来てもらうようLINEしました。

Img_4580c_20230505174101  余談であります。江戸橋方面への通勤に使っている「オフピークチケット」が、有効期限内に1回分余ってしまうので、帰りに伊勢市駅で乗車するとき、これを使って乗車。回数券カードで乗っても乗り越し精算ができるのをあらかじめ確認したのです。値上げ前に買いましたので、700円のころの回数券。現在は、830円区間に仕えます。精算額は¥620。桑名まで乗っても同じ料金でした。

Screenshot_20230505152342c  という次第で、ウォーキングそのものはしっかりと楽しめ、最後には、電車が遅れ、急行が止まらない益生駅で運転席ドアから降ろしてもらうという珍体験までさせてもらい、忘れられないJRさわやかウォーキングとなりました。帰宅して確認したら、Google Fitでは15.5㎞も歩いたことになっています。歩数は、23,012歩。15㎞も歩いたのは、久しぶりではないかと思います。

Img_4504c_20230507165101 Img_4533c_20230507165101  ちなみに、参宮線(さんぐうせん)は、三重県多気郡多気町の多気駅から鳥羽市の鳥羽駅に至るJR東海の路線です。その名のように、伊勢神宮への参詣路線として、明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もともと亀山駅~鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に、参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和34(1959)年、近鉄名古屋線と山田線の軌間統一による直通運転の開始や、さらに昭和45(1970)年の近鉄鳥羽線の開業によって乗客は激減し、一時は存廃問題にまで発展しました。収支は現在でも厳しく、2008年度の営業係数として推定された値は、JR東海の路線中でワースト2位の422.1(100円の収入を得るために422.1円の費用がかかる)とされています(ワースト1は同じ三重県内の名松線で、534.4)。

 以上、その3が想定より長くなりましたが、これにて5月5日のJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」は完。

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  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

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    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

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    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

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    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

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    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)