お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年1月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年1月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

JRさわやかウォーキング

2023年12月30日 (土)

2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ

 猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症も、今年5月8日からは5類感染症に位置づけられ、外出などの制限もなくなりました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングも次第に復活してきましたので、それらにも参加しつつ「勝手にハイキング」にも出かけました。令和5(2023)年は、計22回のウォーキングに行っており、令和4(2022)年よりも5回増えました。以下、時系列に沿ってそのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2023年1月21日:美濃街道ウォーキング「多度から石津」

 一般に美濃街道とは、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道垂井宿をつなぐ脇街道のことをいいますが(こちらは「美濃路」とも呼ばれています)、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。美濃街道は、すでに桑名から多度までは歩きましたが、その先はルートがよく確認できず未踏でした。昨年になって調べがつきましたので、同級生K氏と話し合い、今年は、美濃街道から養老街道、美濃路を経て大垣まで歩こうということになったのです。この日がその第1回。美濃街道は、美濃国では伊勢街道あるいは桑名街道と呼ばれたようです。

B0bd64ef Dd42f59a この日歩いたのは、養老鉄道多度駅から石津駅まで。多度川にかかるみどり橋まではこれまでに歩きましたから、ここが実際にはスタート地点。空念寺、宇賀神社、柚井遺跡、八幡神社、御鍬神社、願超寺から山除川沿いを北上。子安・延命地蔵尊、天白神社と周り、石津駅の手前で杉生神社(写真)に立ち寄ってゴール。歩いたのは11.9㎞。電車賃は計¥730。この日は、途中、食堂も、コンビニも1軒もないルートでした。昼食は、桑名に戻って、桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年1月21日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編)

2023年1月22日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その1)……多度駅をスタートし、空念寺と宇賀神社へ【空念寺について追記(1/29)】

2023年1月23日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その2)……柚井遺跡、難儀した「ブッシュ・ウォーキング」を経て八幡神社、御鍬神社から願超寺へ

2023年1月24日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その3)……山除川沿いの地蔵尊、天白神社から国道258号線を渡って杉生神社にお参りし、石津駅にゴールで「完」

2.2023年2月12日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」

9564307b 21cc6c2c  近鉄蟹江駅をスタート&ゴールとする「酒蔵みてある記 水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」という企画でした。近鉄の「酒蔵みてある記」は人気企画でしたが、コロナ禍でハイキングそのものの企画がほとんどなくなっていました。2021~2022年冬シーズンは、「酒蔵立ち寄りハイキング」として少し復活し、今年は本格的に復活。この日は、いつもの同級生K氏と二人で。蟹江駅から銭洗尾張弁財天富吉神社、大相撲ストリート、蟹江町まちなか交流センター楽人、蟹江町観光交流センター祭人、冨吉建速神社・八剱社、蟹江山常楽寺龍照院から山田酒造へ。善教寺に立ち寄って、蟹江駅にゴール。山田酒造の試飲では、「何杯でも、何種類でもどうぞ」ということで2種類試飲した上で、さらに有料の「大吟醸 酔泉」も試飲(¥300)。土産には「本醸造酔泉 しぼりたて生原酒」(720ml)を買ってきました(税込み¥1,100)。歩いたのは、13.1㎞。電車賃は往復で¥600。近鉄蟹江駅あたりでは昼食を摂るところがなく、この日も桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年2月12日:20230212近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」へ(一回完結)

3.2023年2月26日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」

860f0bc4 F5efb3f0  この日の立ち寄り先は、ほぼ神楽酒造のみ。スタートは近鉄湯の山線伊勢松本駅。途中、春の丘、夏の広場を通りますが、今年は夏の広場で小休止。この2箇所は、「四郷地区風致地区 ふるさとの道」として整備されています。ただし、夏の広場近くで標高が68メートルあり(キョリ測によるデータ)、アップダウンはかなりキツく、運動量はけっこうなものでした。ゴールは、四日市あすなろう鉄道西日野駅。同級生K氏と二人旅。「神楽 特別純米生酒」(720ml入り、¥1,320)を買ってきました。あわせて300ml入りの「神楽」を1本買って、K氏とシェアして、ささやかな宴会をしてきました。歩いた距離は7.9㎞。電車賃は往復で¥970。昼食は、四日市駅で途中下車して、餃子の王将四日市ふれあいモール店にて「餃子の王将ラーメン」(¥572)。

2023年02月26日:20230226近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」(一回完結)

4.2023年3月4日:JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」

749c67fb 38cf6b02  同級生K氏と二人旅。このときと同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。この日は、JR参宮線松下駅がスタート。民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩(写真)、賓日館、御塩殿神社などを歩いて、参宮線二見浦駅がゴール。歩いた距離は、9.5㎞、昼食は、伊勢市駅で途中下車して、外宮参道にある「じろべえ」にて。伊勢うどんとビールしかメニューがないお店。「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。この日は桑名から伊勢市の間は近鉄を利用し、伊勢市から松下、二見浦から伊勢市はJR参宮線を利用。運賃は、往復で¥2,860。

2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)

2023年3月7日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その1)……松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁へ

2023年3月8日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ

2023年3月9日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」

5.2023年3月11日:勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」

0e1d83c1 Ddb3e864  同級生K氏とともに四日市に行ってきました。当初は、四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」を見て、東海道四日市宿資料館を訪ねようと思っていたのですが、資料館は日曜しか開館していませんでした(この日は土曜日)。そこで、急遽、四日市旧港あたりを回ってから博物館に行くことにした次第。JR四日市駅から東へ。国道23号線を越えて、四日市港へ。このあたりが、稲葉三右衛門が最初に開発した港で、「四日市旧港」と呼ばれます。大師之寺、納屋運河跡地、末広橋梁(写真)、臨港橋を回って、稲葉翁記念公園・波止改築紀念碑・潮吹き堤防を見て、大師寺に立ち寄って、再び23号線を超え、「どうする家康」の思案橋へ。JR四日市駅近くの3つのお寺(得願寺、不動寺、善光寺四日市別院)を回ってから、四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展を見てきました。昼食は、アピタ四日市店にある若鯱屋で五目うどん(¥814)。若鯱屋といえばカレーうどんなのですが、あいにく白い服を着ていたのです。近鉄四日市駅から帰宅。帰りにアピタ桑名店に立ち寄りましたので、歩いたのは11.8㎞。電車賃は、合計¥600。

2023年3月11日:20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結)

6.2023年4月9日:美濃街道ウォーキング「石津から駒野」

C24e3f57 A8a33559  この日は、養老鉄道石津駅をスタートし、ほぼ養老鉄道や揖斐川に沿って北上。円成寺、金毘羅大権現、願海寺、清浄寺、卜全塚、存徳寺、八幡神社、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社、春日神社、羽沢貝塚と回り、駒野駅にゴール。養老鉄道でいえば、2駅分。途中、3ヶ所の天井川で、川の下を養老鉄道がくぐるところもあり(写真)、なかなかおもしろいウォーキングでした。昼食は駒野駅から200mほどのところにあるカフェレスト千代乃へ。駅近では、ここしか選択肢はありません。昔ながらの洋食屋さんでオムライス(¥600)。懐かしい感じのオムライスでした。おみやげにハッサクをいただき、ラッキー。10.7㎞を歩きました。運賃は往復で¥890。同級生K氏と二人旅。

2023年4月9日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(予告編)

2023年4月11日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その1)……石津駅をスタートし、円成寺、金毘羅大権現、願海寺から般若谷川を越えて清浄寺へ

2023年4月12日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その2)……卜全塚に寄り道のあと、存徳寺、八幡神社へ

2023年4月13日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その3)……養老鉄道が天井川をくぐるところを確認して、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社を訪ねる

2023年4月15日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その4)……大専寺で親鸞上人縁の梅の木、春日神社、羽沢貝塚から南明寺を経て駒野駅にゴール(完)

7.2023年4月16日:美濃街道ウォーキング「駒野から美濃津屋」

Ca98eac7 526408b5  養老鉄道の駒野駅から美濃津屋駅まで、1駅分でしたが、11.3㎞を歩きました。駒野駅をスタートし、市神神社、八幡宮、駒野城跡、庭田貝塚、円満寺、神明神社、春日神社、天満神社、若宮八幡神社と神社を訪ね、綜蓮庵、善教寺、住吉神社。臨迎寺、志津龍神神社、神明神社と回って、美濃津屋駅にゴール。同級生K氏と二人旅。この日もコースには食堂もコンビニもありませんので、あらかじめ買っておいたファミマの明太海苔弁当(エコ割の¥100引きで¥385)を待合室でいただきました。電車賃は往復で¥1,000。

2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編)

2023年4月17日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その1)……駒野駅をスタート、市神神社、徳永寺、八幡宮から駒野城跡へ

2023年4月18日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その2)……哲学と彫刻の広場、庭田貝塚、円満寺、神明神社、浄厳寺から春日神社へ

2023年4月19日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その3)……皆善寺、天満神社、若宮八幡神社から綜蓮庵、善教寺、住吉神社へ

2023年4月20日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その4)……桂林寺、臨迎寺、志津龍神神社から神明神社を経て美濃津屋駅にゴールにて「完」

8.2023年5月5日:JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」

45fb571f E25cb15d  このさわやかウォーキングでは、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力でした。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。一人旅。松阪までは近鉄を利用。松阪から多気へはJR紀勢本線。多気まで来たのは2回目。多気駅から、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と歩いて、田丸城跡(写真)がゴール。ゴールでは「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。「しろあとマルシェ」が行われていたのですが、念のため買っておいたファミマの助六寿司(¥480)で昼食。その後、田丸駅へ。15.5㎞も歩きました。帰りは、田丸駅から松阪駅まではJR参宮線。松阪からは近鉄に乗ったもの運転トラブルに遭い、桑名駅の1つ手前の益生駅で電車は停車したまま動かず。ここで臨時に、しかも運転席から下車させてもらうというレアな体験もしました。運賃合計は、¥3,120。

2023年5月5日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)

2023年5月6日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その1)……多気駅をスタートし、坂倉遺跡から伊勢本街道に入り、しあわせのの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しへ

2023年5月7日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ

2023年5月8日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

9.2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」

1286868f 0d663714  珍しく月曜日に出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。美濃街道ウォーキングの続きで、養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いてきました。養老鉄道の線路沿いに北上。白山神社、津屋川龍神、本慶寺(津屋城跡、写真)、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社、西林寺、観音寺、福勝寺、八幡神社、高札場跡、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅に到着。トータルで歩いた距離は9.6㎞。電車賃合計は、¥1,110。養老駅前にある「きび羊羹本家」で土産にきび羊羹一棹(¥850)を購入。昼食は桑名駅まで戻って、桑名駅自由通路にある「伊勢ノ国食堂しちり」で「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。

2023年5月24日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ

2023年5月25日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その2)……養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、もう1つの大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道へ

2023年5月26日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その3)……高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅にゴールにて「完」

10.2023年6月4日:美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」

2bec1637_20231229034901 0f9c49f2  この日は、養老駅から1駅、美濃高田駅まで、ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩きました。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道でしたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、この日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道。立ち寄り先は、養老神明神社、大菩提寺(写真)、千人塚1号古墳、境松(傘松)跡、浄誓寺、大桑神社、八幡神社、乾崇寺、田代神社、神明神社、皇大神社。美濃高田駅には、食事をするところはありませんので、桑名に戻ってとんかつ銀座で味噌カツランチ(¥1,100)。歩いたのは、9.3㎞。電車賃は、普通に買うと往復で¥1,280でしたが、桑名駅の改札で係の方から「『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、¥70安くなる」と教えていただいて、それにしたがいました。同級生K氏と二人旅。

2023年6月4日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(予告編)

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その1)……養老駅をスタート、養老神明神社、金妙寺跡、千人塚1号古墳、大菩提寺、浄誓寺へ

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その2)…養老街道との追分から西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺で芭蕉句碑を見て、田代神社ほかを周り、美濃高田駅にゴール(完)

11.2023年6月25日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」

22b6c3d6 8bc14db9  この日は養老鉄道美濃高田駅から美濃青柳(みのやなぎ)駅まで。この間、養老鉄道の駅は、烏江、大外羽、友江と3つあります。蒸し暑かった上に、自分でつくったコースなのに、コースミスをしでかし、余計に疲れました(苦笑)。今回も同級生K氏と二人旅。美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、西光寺跡、馬頭観音、大神宮常夜灯、北直江渡し跡、蓮光寺、旧多芸小学校跡、小畑川ダム、大神宮常夜灯・小畑橋跡、蛇持経塚跡、浄徳寺、真照寺、報恩寺(写真)、徳勝寺、経説寺。本来は、大神宮常夜灯・小畑橋跡から養北小のすぐ北に出て、そこから北東に進み、蛇持経塚跡に向かうはずでしたが、コースミスをしでかし寺社2つほどすっ飛ばす羽目に。さらにその余波で渡し場跡1ヶ所も見忘れました。養老道美濃青柳駅に着く前にハシンというカフェでランチ。オムカレーライスにハムカツ(¥800)。歩いたのは、14.6㎞。 運賃は往復で¥1,400。

2023年6月25日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(予告編)

2023年6月27日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その1)……美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、金光寺跡、北直江渡し跡、蓮光寺から多芸公民館へ

2023年6月28日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その2)……小畑川ダム、常夜灯を見てコースミス、蛇持経塚跡から養老橋を渡っていよいよ大垣市へ

2023年6月29日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その3)……大垣市に入り、大神宮常夜灯から6つの寺をめぐって美濃青柳駅にゴールにて「完」

12.2023年7月2日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」

D7b70f02 9aede48f  美濃街道ウォーキングもいよいよゴールへ。この日は、養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅まで。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、この日までに合計9回で大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ、「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。美濃青柳駅から杭瀬川に出て、川沿いに北上します。六社神社、正円寺、法永寺、長源寺、塩田橋(養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路を歩きます。写真)、徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、愛宕神社、正覚寺、常楽寺、誓雲寺、奥の細道むすびの地、御朱印地遮那院跡、大垣城東惣門跡(ここまでが美濃路)を経て大垣駅にゴール。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」(¥690)。歩いたのは14.0㎞。普通に乗車券を買うと合計¥1,530ですので、1日フリー切符(¥1,500)を利用。

2023年7月3日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(予告編)

2023年7月7日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで

2023年7月9日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その2)……徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、水神神社の夜泣き松、愛宕神社、正覚寺で芭蕉木因遺跡へ

2023年7月10日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その3)……常楽寺、大泉寺、誓運寺、常隆寺から御朱印地遮那院跡を経て大垣駅にゴールで「完」

13.2023年7月15日:伊勢河崎ウォーキング

904407eb 4d881dda  梅雨の晴れ間、曇りがちでしたが蒸し暑い日でした。同級生K氏と二人旅。近鉄宇治山田駅がスタート&ゴール。宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店へ。倉田山公園の野球場を経て松尾観音寺から倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅にあるまんぷく食堂で昼食。プチからあげ丼(¥650)。ここは伊勢でも有名なB級グルメの店で、一度食べてみたかったところです。 電車賃は往復で¥2,900。歩いたのは、10.1㎞。写真は、伊勢河崎商人館。

2023年7月15日:20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編)

2023年7月18日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか

2023年7月19日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ

2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」

14.2023年7月31日:西別所ウォーキング

99ade8a2 D76f1f12  名古屋へのウォーキングも考えていたのですが、真夏にコンクリートジャングルを歩くと猛暑で熱中症になるかも知れないと危惧し、田舎を歩くことにしました。三岐鉄道北勢線西別所駅から在良駅まで、2駅、現地で実際に歩いたのは5.4㎞でした。夏場ですから、短めの距離にしたのです。同級生K氏と二人。私は、西桑名駅を8時5分に出る東員行きの電車に乗って、西別所駅には8時12分着。この電車は、今時珍しくエアコンなしで扇風機が回っているレアもの(苦笑)。西別所駅から延寿院、万機庵跡(藪がひどくて入っていけませんので、眺めただけ)、西別所城跡、八幡神社、蓮花寺川沿いから山神社、蓮花寺、白山神社、蓮花寺東城跡、宇賀神社、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(増田、写真)から三岐鉄道北勢線在良駅にゴール。西桑名駅まで移動し、エンシュウヤで「今日のランチ」。おろしソースのハンバーグ(¥750)。歩いたのは7.5㎞。電車賃は往復で¥400。

2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング(一回完結)

15.2023年8月29日:赤尾・在良ウォーキング

1108e1b4 518eba0c  「赤尾・在良ウォーキング」とは、出発地点とゴール地点の地名を取って命名しています。同級生K氏と二人旅。7.5㎞と距離は短かったのですが、夏場はこれくらいにしておいた方がよいでしょう。八風バス志知線の羽田(はねだ)バス停から照順寺、鞆尾神社、御厨神社、圓授寺を周り、坂井橋を渡ります。坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡碑(写真)、額田神社(額田)と周り、三岐鉄道北勢線在良駅がゴールなのですが、その前にファミリーキッチン馬車屋さんで昼食。前回(2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング)のときは定休日(月曜日)でしたので、この日はリベンジ。家内の強い勧めにしたがい、ハンバーグ定食(¥1,000)をチョイス。バス代・電車賃合計で¥610。

2023年8月29日:20230829赤尾・在良ウォーキング(予告編)

2023年8月30日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その1)……羽田バス停から照順寺、鞆尾神社、中河御厨神社、圓授寺へ

2023年8月31日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その2)……坂井橋を渡り、北勢線坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡から額田神社にて「完」

16.2023年9月9日:近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』

4ecde91e 52c81962  三岐鉄道との合同企画です。朝日町へは、近鉄ハイキングでも、個人的な「勝手にハイキング」でも何度か訪れ、めぼしいところはかなり回りました。しかし、今回は初めてのところが2ヶ所含まれていましたので、参加したという次第。今回は、一人旅。三岐鉄道三岐線大矢知駅をスタートし、移田(うつしだ)神社、井後(いじり)神社、若松園(和菓子)、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、浄泉坊、朝日町資料館、語らいの広場(抽選会あり)を経て近鉄名古屋線・伊勢朝日駅がゴール。語らいの広場での抽選会では、見事当選! 若松園さんのお菓子が1つということで、みやこまんじゅうをいただきました。土産は、稲垣酒造場の樽酒。「御山杉」の純米酒を樽に詰めたものをさらに瓶詰めにして販売。¥1,800。今日は、自宅にて昼食。運賃合計は¥730。右の画像は、あみま倶楽部のデジタルスタンプ。

2023年9月9日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(予告編)

2023年9月11日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その1)……大矢知駅から八風街道の常夜灯、朝明川堤防を経て移田神社へ

2023年9月12日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その2)……井後神社、若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館へ

2023年9月13日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その3)……浄泉坊、朝日小学校の円形校舎、朝日町資料館から語らいの広場で抽選会を経て伊勢朝日駅にゴールにて「完」

17.2023年9月15日:「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)

5b42cdde 26179ba5  1月から7月にかけて歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーの1つです。美濃街道を歩きながら、同級生K氏と養老の滝や、行基寺にも行こうと話していたのですが、まずは大垣まで歩き通すことを優先しました。養老駅をスタートし、養老公園から妙見堂、養老の滝(写真)を経て、養老神社・菊水泉、北原白秋歌碑、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場、鬼面山谷五郎碑などを経て養老駅に戻るというコースです。養老駅あたりの標高が20m、養老の滝が270m(いずれもキョリ測による数値)で、高低差は250mという高齢者にとってはいささか難コース。昼食は、前回、美濃街道ウォーキングのときに休みで(2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」)、行けなかった「そば処たみと」さんで「ざる蕎麦(白)」(¥950)。十割蕎麦です。運賃は往復で¥1,160。

2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編)

2023年9月17日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その1……養老駅をスタートし、聖武天皇巡幸記念碑、せせらぎ街道から妙見堂を経て養老の滝から養老神社へ

2023年9月18日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その2……北原白秋歌碑、豆馬亭、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場から横綱鬼面山谷五郎碑を見て養老駅に戻って「完」

18.2023年10月20日:行基寺ウォーキング(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#2)

36cdb10e A14986d8  今年1月から歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーその2です。養老鉄道美濃山崎駅から行基寺までを往復。高低差は125mほど(キョリ測のデータ)。同級生K氏と二人旅。養老鉄道美濃山崎駅から浄国寺、宝珠院、龍芳寺、杖つき坂を回って行基寺(写真)へ。寺内、庭園を拝観し、御山の燈台を見てから覚法寺、八幡神社を経て美濃山崎駅へ戻ってきました。美濃山崎駅あたりでは食事をするところがありませんので、朝、ファミマで買ってきた「明太海苔弁当」(¥460)を待合室で食べてきました。歩いたのは9.8㎞。運賃は往復で¥840。

2023年10月20日:20231020行基寺ウォーキング

2023年10月22日:20231020行基寺ウォーキング……行基寺は素晴らしい

19.2023年10月28日:名古屋ウォーキング

6a537a38 E5bfd444  夏前から考えていたのが、この名古屋ウォーキング。しかし、猛暑の時期はさすがによくないだろうとこの日になりました。JR名古屋駅をスタート&ゴールとし、丸の内から名古屋東照宮、那古野神社、愛知県護国神社(写真)、名古屋市市政資料館から名古屋城の南を歩いて、四間道と円頓寺商店街へ。四間道で屋根神と子守地蔵尊、円頓寺商店街では真宗高田派愛知別院から金刀比羅神社、円頓寺を、また、円頓寺本町商店街では多賀宮などを回ってきました。同級生K氏と二人旅。昼食は、途中の円頓寺商店街にあるスペイン料理Bar Dufiで、ローストビーフ丼(¥880)。電車賃は往復で¥700。

2023年10月28日:20231028名古屋ウォーキング(予告編)

2023年10月31日:20231028名古屋ウォーキング(その1)……JR名古屋駅をスタートし、白山神社、那古野神社、名古屋東照宮、愛知県護国神社へ

2023年11月2日:20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)

20.2023年11月3日:近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”

 73bf022f 959222cc 桑名からスタート地点の名鉄津島線木田駅に行くには、JR関西線で弥富まで行き、名鉄に乗り換えます。名鉄木田駅をスタートし、あま市七宝焼 アートヴィレッジ、佐藤醸造(あまの蔵・海部のくちどけ)、七宝焼原産地道標、蟹江町観光交流センター「祭人」、龍照院、山田酒造、お漬物若菜とめぐって、近鉄名古屋線蟹江駅がゴール。同級生K氏と二人旅。山田酒造で、それぞれ酔泉の一合瓶を買ってキッチンカースペースで楽しんで来ました(写真)。これが昼食代わり(苦笑)。酒とつまみで¥400。土産は、もっとも好みであった「最愛」の純米生酒。720mlで¥1,600。運賃は合計¥970。

2023年11月3日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)

2023年11月5日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)

21.2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」

E0b6e836 0e754a76  前日から寒くなり、今日がその寒さの底だという予報でしたが、同級生K氏と二人で菰野を訪ね歩いてきました。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。近鉄湯の山線菰野駅から見性寺、廣幡神社、菰野城跡、瑞龍寺、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、蟹池(智積養水の水源地、写真)、二分八分、三十三限筒と周り、湯の山線桜駅がゴール。昼食は、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店で「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)。歩いたのは13.0㎞。運賃は、合計で¥1,070。

2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編)

2023年11月29日:20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ

2023年12月6日:20231125「菰野ウォーキング」(その2)……札の辻、廣幡神社庄部御旅所、五郎兵衛地蔵から湧水池でカワセミを見る

2023年12月7日:20231125「菰野ウォーキング」(その3)……蟹池、二分八分、三十三限筒から智積養水記念公園を経て桜駅にゴールにて「完」

22.2023年12月16日 :「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング

Kodayu0_20231229152301 Img_4057c_20231216185201_20231229152301  この日は、ロシアを初めて見た日本人である大黒屋光太夫のふるさと・伊勢若松を歩いてきました。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。伊勢若松駅がスタート&ゴール。緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。伊勢若松駅は急行停車駅で、また、鈴鹿線が分岐するところですが、駅の近くには食事をするところがありません。昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当。「おむすび&焼きそばセット」(¥390)を待合室を借りて食べてきました。電車賃は、往復で¥1,060。右の写真は、伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫の銅像。

2023年12月16日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(予告編)

2023年12月17日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その1)……伊勢若松駅をスタートし、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見る

2023年12月18日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その2)……小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)へ

023年12月19日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その3)……大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂、若松漁港開港記念碑から清水清三郎商店を見て、西運寺、深田神社、弘善寺を経て伊勢若松駅にゴールにて「完」

 以上、22回のうち19回は同級生K氏との二人旅。つき合ってもらえることに感謝。

 なお、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの記事のリンクは、この記事執筆当初は、ココログになっていましたが、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事のものに変更しました(2024/01/01)。

2023年12月29日 (金)

2017ウォーキング/ハイキングの記録

 何を今さらと思うのですが、2017(平成29)年のウォーキング/ハイキングの記録を作っておきます。というのも、2017年はJRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングにデビューした年ですが、それは11月も終わりの頃でした。2017年末までには鉄道会社のイベントには3回しか参加していませんでしたので、とくにまとめはつくってなかったのです。それ以外も含めて4回のウォーキング/ハイキングの記録です。

1.2017年10月5日:朝日町歴史散歩

Fc5bb588 1f8e91d7  このときは、この先「歴史散歩」にハマるとは思ってもいませんでした。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現した次第。桑名からJR関西線に乗って一駅、三重郡朝日町へ。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。JR朝日駅から西光寺、浄専坊、橘守部生誕の地、小向神社、初代森有節の墓、朝日町歴史博物館、柿城跡を回って来ました。帰りは、朝日町歴史博物館まで家内に迎えに来てもらい、天ぷら兎波で味噌天丼を食べて帰宅。往きのJRの運賃は¥190。歩いた距離は5.1㎞。

2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼

2.2017年11月25日:JRわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」

F8d6c3d6 3ab895a7  この日、朝5時過ぎに起き出してネット検索をしていたら、今日、JR四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング」があるということを知ったのです。「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」というもの。コースは、「駅がスタート、駅がゴール」という宣伝文句の通り、JR四日市駅から四日市旧港を回る、約6.6㎞、2時間ほどのコース。思案橋、稲葉翁記念公園、臨港橋、末広橋梁の他、みなと公園近くの桟橋では、「清掃船じんべい」やタグボート「ちとせ丸」見学会もあり、この辺りで見たいと思っていたところが網羅されていましたので、これは行くしかないと思って出かけたのです。いまから思えば、これが鉄道会社主催のウォーキング/ハイキングイベントにハマったきっかけでした。

2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き

3.2017年12月17日:JRさわやかウォーキング「醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク」

8beaea6b Fffd4eaf  この日は、関西線南四日市駅がスタート&ゴール。ただし、桑名で最高気温が5.8℃(ただし、真夜中の0時13分)、最低気温は1.0℃(9時45分)。歩いている途中、雪もちらつくという悪条件でした。とても「さわやか」とは行きません。歩いたコースは、四日市市南部の日永、泊、四郷あたりです。伊勢蔵、東海道日永郷土資料館、日永の追分(写真)、白鬚神社、南部丘陵公園、登城山、夢菓子工房ことよ、神楽酒造、室生神社、法蔵寺、四郷郷土資料館、日永神社、薬師堂、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松をへて南四日市駅へ。11.5㎞を歩きました。電車賃は往復で¥640。

2017年12月17日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)

2017年12月18日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2)

2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)

4.2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」

A0e6a572 57585e40  近鉄ハイキングへのデビューでした。名古屋線の川越富洲原駅を出発、霞ヶ浦駅まで約8㎞というコースです。コースは、川越富洲原駅を出発し、田村寺(写真)、薬師寺、常照寺、茂福神社、伊賀留我神社、浄恩寺から垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まで。現地で実際に歩いたのは、10.8㎞。自宅から桑名駅までの往復を入れると、13.0㎞。電車賃は合計で¥520。

2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1)

2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)

2017年12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完)

 2017年は、以上の4回、ウォーキング/ハイキングに行ってきたのですが、これが今日に至る、私の主な趣味の1つになっているのです。人生、何がきっかけに変わるのか、分からないものです。早起きして、ネット検索をしていたのが、現在に至るとは、まったくの想定外でした。が、今となっては、とてもよかったと思っています。

2023年5月 8日 (月)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

230505jrwalking2  5月5日に行ってきたJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」の本編その3です。その2では、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と訪ねました。この日は、次に訪れた田丸城跡がゴール。

Img_4099c_20230507112101 Img_4121c_20230507112701  田丸城は、戦国時代に多くの武将たちが居城した、南伊勢随一の名城といわれます。JRさわやかウォーキングでも田丸城跡を訪ねる企画は、毎年1回は必ずあり、ずっと以前から一度は行ってみたいところでした。しかし、玉城町というと桑名からはかなり遠いイメージがあり、二の足を踏んでいました。今回は、先延ばしにしているといつまでも行けないと重い腰を上げたのです。

Img_4367c_20230507141401 Img_4400c_20230507141601  田丸城は、北畠親房顕信父子が延元元(1336)年、玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたと伝えられます。天正3(1575)年、織田信長の次男・信雄により平山城の田丸城が築かれます。信雄は田丸城を石垣や、三層の天守をもつ城へと大改築したのですが、天正8(1580)年、炎上し、信雄は松ヶ島城へと移りました。本能寺の変(天正10(1582)年)以降、田丸直息(のちの直昌)らは信雄に叛いて羽柴秀吉に味方し、蒲生氏郷とともに松ヶ島城を攻略します。天正12(1584)年、氏郷は伊勢の領主となって松ヶ島城へ移り、直昌は田丸城主に返り咲きました。天正18(1590)年、直昌は秀吉の命を受け、氏郷とともに東北地方へ移り、その後の田丸城は稲葉重通が城代となり、慶長5(1600)年の関ヶ原合戦の戦功により岩出城主・稲葉道通(みちとお)が城主となります。このとき岩出城を廃し、城郭の主要な建造物や石塁等を田丸に遷し、大改築をしたと伝わっています。元和3年(1617年)津城主藤堂高虎が、徳川氏より伊勢田丸城の地を加増され田丸領を支配します。元和5年(1619年)には紀州徳川家領となり、家老の久野宗成が田丸城主となり、明治まで続いています。明治2(1869)年に廃城。野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址で、平成29(2017)年、「続日本100名城」に選出されました。左の写真は、玉城町役場と田丸保育所の間の入り口、右の写真は旧大手橋。

Tamarucastleruin  こちらは現在の地図。この日のウォーキングでは城跡の北にある田丸神社の方から入り、お城広場のところを右折して、玉城中学校の西側から玉城城跡に登っていきました。城跡を見て、帰りはお城広場のところまで戻り、奥書院の西から玉城町役場の北にある大手橋を渡り、田丸保育所の東で左折して田丸駅に向かいました。

Img_4118c_20230507144701  お城広場から右折した先に富士見門(長屋門)があります。廃城当時(明治4(1871)年)、城内の建物は入札によりすべて取り払われることになり、現在の玉城中学校校庭付近にあった富士見門は、宮古の乙部氏邸に移されたものを昭和59(1984)年に町が譲り受け、ここに移築復元しています。もとは長屋門でしたが、乙部氏邸に移築した際、向かって右の部分は取り除かれ、左の侍溜は納屋として使われたそうです。江戸時代中期のもの。

Img_4129c_20230505174001  ちょっと余談気味ですが、玉城中学校駐車場では「しろあとマルシェ」が開かれていました。食べるものも売られていたのですが、残念ながら、私の好みのものではありませんでした。

Img_4134c_20230507145501Img_4138c_20230507145501 マルシェをちょっと覗いていたら、校庭の方に大木と看板が見えました。「田丸城跡・三の丸(井戸水源) 金明水 銀明水」とあります。かつて田丸城内には、「金明水」「銀明水」と呼ばれた井戸があり、豊富な湧き水があり、それを飲用水としていました。

Img_4154c_20230507150001 Img_4185c_20230505174001  玉城中学校の西から城跡に登っていきます。城跡を訪ねるといつも思うのですが、こうして石垣が残っている城跡はやはりいいなと。桑名城跡の九華公園には、石垣はほとんど残っていないのです。右の写真は、本丸への虎口のところ。虎口は、郭への入り口ですが、このように道を折り曲げて敵の侵入を防ぐ働きをします。

Img_4194c_20230507150401 Img_4198c_20230505174001  登り切ったところが本丸跡。田丸城跡もそうですが、平山城の本丸に達するにはけっこう登っていかなければなりません。キョリ測で見ますと、標高は45mほど。田丸神社前の道路で20mくらいでしたから25mほど高低差があります。天守台跡が右奥に見えますが、この日のJRさわやかウォーキングはここがゴールになっていましたので、何はともあれ、ゴール受付へ。

Img_4202c Img_4205c_20230505174001  最近、JRさわやかウォーキングの会員証はスマホのアプリ。自分のスマホでアプリを起動すると、QRコードが表示され、受け付けでそれをかざすと自動的に参加ポイントが付与されます。右は、恒例のゴール看板を撮影したもの。スタート看板とゴール看板を撮影しないと、JRさわやかウォーキングに参加した気にならないのです。ここまでで10㎞を歩き(Google Fitのデータ)、ゴールしたのは11時45分頃でしたから、2時間半で10㎞を歩くというかなりのハイペースでした(笑)。

Img_4562c_20230505174101 Img_4208c_20230505174001  今日のウォーキングではゴールするとプレゼントがいただけました。「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」と、「神領 玉城水」(500mlペットボトル)をいただきました。この参加証、写真ではわかりにくいのですが、昔の硬券の切符のようになっています。「神領 玉城水」は、清流宮川の近郊地下30mほどの深井戸で汲み上げ、玉城町山岡水源浄水場で浄水処理した水道水が使われています(こちら)。

Img_4292c_20230505174001  田丸駅から伊勢市駅に行く列車は、12時33分発でしたので、田丸城の本丸跡で昼食。今日は「しろあとマルシェ」が行われているのは知っていましたが、一応、コンビニ弁当(助六寿司)を手に入れていました。「しろあとマルシェ」もチラッと見たのですが、私にはこれというものはなく、まずは助六で昼食。そのあと本丸跡を見て回ることにしました。

Img_4213c_20230505174001 Img_4253c_20230507153801  こちらは天守台跡。野面積みの石垣がきれいです。さほど広くはありません。織田信雄が築いたのは、三層の天守だったそうです。天守台跡にも登れますので、登ってみました。

Img_4249c_20230507154501 Img_4246c_20230507154501  天守台跡から西の方の眺めです。遠くは、吉野や熊野の方角になりますが、400mから1,000mくらいの山並みが見えます。手前には水田地帯。これは、夕景がよさそうな感じ。

Img_4269c_20230507154501 Img_4281c_20230507154501  本丸跡には石碑が2基あります。左の写真のものは、玉城町(当時の田丸町)出身で、朝日新聞社を創設した村山龍平翁の自筆歌碑。「田丸町の久しく望める城山の 町有となりし時 幾千とせかはらぬことを祈るなり この城山はこのさとの神」とあります。もう1基は、歌人の岡野弘彦による「玉城町制十周年記念歌碑」。「田丸城の桜」と題し、「城山の桜すがしく匂ふなり ここに学びしわかき日の父」「伊勢熊野むすぶ道ベの城山に 父がまなべる世をおもふなり」とあります。岡野は、津市美杉町(当時の一志郡美杉村)出身で、令和3年に文化勲章を授与されています。

Img_4296c_20230507155301 Img_4300c_20230507155301  こちらは二の丸跡。藤棚があり、人だかりがしていますが、これはこの日から始まった「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」(こちら)に参加している皆さん。このゲームでは謎解きをするのですが、指定された現地に行かないと解けない問題が出ているそうです。二の丸跡にあった説明板によれば、条件がよいと冨士山が見えるとありました。

Img_4311c_20230505174001 Img_4326c_20230507155801  これで田丸城跡も一通り回りましたので、田丸駅に向かいます。左の写真は、この「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」のPRのためのもの。田丸城跡から田丸駅まではほぼ1㎞、約10分という表示。

Img_4332c_20230507160001 Img_4339c  もう見るところはないかと思っていたのですが、さにあらず。お城広場のところには「代官所跡」という看板が立っていましたし、その一角には蒸気機関車のC58が保存されていました。C58414です。昭和21~22(1946~47)年にかけて製造された45両のうちの1両。昭和48(1973)年4月まで北海道で運行されていたそうです。この年は、参宮線田丸駅ができて80周年だったといいます。

Img_4419c_20230507160601 Img_4412c_20230507160701  さらに玉城町役場と、村山龍平記念館の間を通って、大手橋を渡ります。左の写真は町役場。写真奥が大手橋。大手橋を渡った交差点の南東角に「田丸勘定所跡」という看板が立っています。勢州久野領の事務一切を取扱処理した役所で、家老・用人・手代の役人たちが詰めていたところ。

Img_4435c Img_4431c_20230507161201  田丸保育所のところを左折して、県道530号線との交差点に「熊野街道 伊勢街道」「熊野街道 熊野古道伊勢路」という看板があります。ここは、左の写真でいうと、左右に熊野脇道が通っているところ。伊勢本街道と熊野街道が通るのは、大手橋から東に直進したところです。玉城まで来ると、「熊野古道」も近いのだなと実感。

Img_4455c_20230507161501 Img_4451c_20230507161501  さらに田丸駅に向かう途中のお宅の前に「御鳥見役屋敷跡」という石柱があります。紀州藩主は蔓を毎年将軍に献上するため、飼い慣らした鷹に鶴を捕らえさせるという鷹狩りを行っており、国東山一帯は鷹狩り場として鳥獣の雁ヶ禁止されていました。御鳥見役は、この鷹狩り場の取締と、鷹の餌差しなどの世話をする役人です。寛永年間(1624~1644年)、鷹場(御鳥見役屋敷)が城内から場外のこの地に移されたといいます。

Img_4463c_20230507162001  12時25分頃、田丸駅に到着したのですが、駅前にこういう石碑やモニュメントがあります。石碑には「熊野古道伊勢路出立の地」とあり、「をちこちに神を祀りてあたたかし」と書かれた句碑が並んでいます。この句碑は、俳人の黛まどか氏が詠んだもので、平成27(2015)年に玉城町町制施行60周年を記念して設置されています。もう一つは、昔の旅人の陶像です。背中には「西国三十三所」と書かれています。説明によれば、田丸は初瀬街道と熊野街道が合流し、伊勢本街道として伊勢神宮に通じる交通の要所でしたから、伊勢参りをしてから熊野詣や西国三十三所巡礼に向う旅人が多かったので、それを表しているのでしょう。

Img_4483c_20230505174001 Img_4488c_20230505174001  JR参宮線田丸駅です。明治26(1893)年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されました。この駅舎は、大正元(1912)年頃に完成した木造平屋のもの。老朽化が進み、駅舎を改修した上で保存することも検討されたのですが、耐震診断の結果、保存は困難であることが分かり、2023年4月以降の取り壊しが決まったそうです。駅舎は、日本映画の巨匠・小津安二郎監督の映画「浮草」(1959年)のラストシーンの撮影でも使われたことがあります。

Img_4493c_20230505174001 Img_4495c_20230505174001  予定通り12時33分発鳥羽行きの普通に乗って、伊勢市駅へ向かいます。参宮線に乗るのは、今年3月のJRさわやかウォーキング以来、2回目(2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編))。伊勢市駅までは、宮川、山田上口の2駅を経て、¥210。

Img_4538c_20230505174001 Img_4541c_20230505174001  12時44分着。伊勢市駅には何度も来ています。ここからまた近鉄で帰ろうという算段。名古屋行き急行は、13時18分までありません。特急に乗るのはもったいないですし、伊勢中川まで普通に行って乗り換えるのも面倒ですので、いったん駅の外へ。伊勢市駅前の信号を渡って、外宮の方向に少し行ったところにへんば屋さんの支店があります。駅からは2~3分。

Img_4593c_20230505174101  へんば餅を土産に買ってきました。5個入り¥450をお買い上げ。実は、へんば餅は私の大好物なのです。伊勢街道は、別名「餅街道」といわれるほど、各地に餅菓子がありますが、個人的には赤福よりも、このへんば餅や、伊勢の二軒茶屋餅、桑名の安永餅(永餅屋老舗安永餅本舗柏屋の2軒)の方が好きです。ただ、伊勢街道沿いにある餅菓子でまだ食べたことのないものもあります。

Img_4534c_20230507165101 Screenshot_20230505150254c  伊勢市駅発13時18分の名古屋行き急行に乗ったものの、途中から電車が遅れ始めました。名古屋線の伏屋駅構内で14時過ぎに線路安全確認が発生し、名古屋~富吉間の下り線で運転を見合わせ、塩浜~名古屋間の上り線でも大幅な遅れが生じているという事態に巻き込まれてしまいました。本来であれば、桑名には14時40分着。この間、緊急地震速報まで鳴って、大変でした。石川県能登地方での震度6強の地震(こちら)。ちなみに翌日の中日新聞朝刊によれば、近鉄のトラブルの原因は運転士さんの誤操作によるとか。

Img_4569c_20230505174101 Img_4583c_20230505174101  15時頃運転再開ということでしたが、益生駅に止まったまま20数分が経ちました。近鉄桑名駅の上り方向には7・8番線があるのですが、これも塞がってしまったということです。しばらくすると(15時過ぎ)、車掌さんが回ってきて、「益生駅で下車できる」ということになり、「エイヤッ」と降りることに。先頭車両の運転席のドアから下ろしてもらいました。このように、運転席のドアから乗り降りしたのは、初めて。家内にクルマで迎えに来てもらうようLINEしました。

Img_4580c_20230505174101  余談であります。江戸橋方面への通勤に使っている「オフピークチケット」が、有効期限内に1回分余ってしまうので、帰りに伊勢市駅で乗車するとき、これを使って乗車。回数券カードで乗っても乗り越し精算ができるのをあらかじめ確認したのです。値上げ前に買いましたので、700円のころの回数券。現在は、830円区間に仕えます。精算額は¥620。桑名まで乗っても同じ料金でした。

Screenshot_20230505152342c  という次第で、ウォーキングそのものはしっかりと楽しめ、最後には、電車が遅れ、急行が止まらない益生駅で運転席ドアから降ろしてもらうという珍体験までさせてもらい、忘れられないJRさわやかウォーキングとなりました。帰宅して確認したら、Google Fitでは15.5㎞も歩いたことになっています。歩数は、23,012歩。15㎞も歩いたのは、久しぶりではないかと思います。

Img_4504c_20230507165101 Img_4533c_20230507165101  ちなみに、参宮線(さんぐうせん)は、三重県多気郡多気町の多気駅から鳥羽市の鳥羽駅に至るJR東海の路線です。その名のように、伊勢神宮への参詣路線として、明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もともと亀山駅~鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に、参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和34(1959)年、近鉄名古屋線と山田線の軌間統一による直通運転の開始や、さらに昭和45(1970)年の近鉄鳥羽線の開業によって乗客は激減し、一時は存廃問題にまで発展しました。収支は現在でも厳しく、2008年度の営業係数として推定された値は、JR東海の路線中でワースト2位の422.1(100円の収入を得るために422.1円の費用がかかる)とされています(ワースト1は同じ三重県内の名松線で、534.4)。

 以上、その3が想定より長くなりましたが、これにて5月5日のJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」は完。

2023年5月 7日 (日)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ

230505jrwalking2  5月5日、こどもの日に出かけたJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」の本編その2です。その1では、多気駅をスタートし、坂倉遺跡、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと進んできました。坂倉遺跡を過ぎ、JR参宮線の池辺踏切から伊勢本街道を歩いています。その2では、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と回って、田丸城跡がゴールになります。中央公民館をすぎて、田丸小学校の西あたりまでが伊勢本街道。その後、JR参宮線田丸駅まで行って帰途に就きます。

Img_3908c_20230507064901  今回のさわやかウォーキングでは、立ち寄るところは多くありません。伊勢本街道を歩いて、昔の旅人気分を味わいます(微苦笑)。とはいえ、その1 にも書きましたが、アップダウンもけっこうあって、楽な道ではありません。大和から伊勢への最短コースにあたるのですが、けわしい山道が多く、旅人に恐れられたそうです。本居宣長の紀行『菅笠日記』には、宣長が大和の旅を終えた帰路、榛原で一行に本街道越えを指示した際の様子が描かれていますが、一行はこの道を通るなど考えただけでも恐ろしい、とふるえあがったといいます。

Img_3916c_20230507065401  Img_3920c_20230507065401 私の印象では、今回歩いた街道沿いには古い建物などはあまり残っていませんでした。それでもところどころで蔵のある大きな尾屋敷を見ることができました。名所旧跡や寺社仏閣を訪ねるだけでなく、古い建物を見るのも、街道歩きの楽しみです。

Img_3954c_20230505174001 Img_3958c  七度狐の森から1㎞半以上を歩いて、正念僧・即身仏供養碑塚に至ります。今から200数十年前、この地で重い病にかかり、街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったといわれる僧・正念の供養のために建てられたと伝えられます。正念は、六部(ろくぶ)です。六部とは、法華経を書き写し66ヵ所のお寺に奉納する修業僧のことで紺木綿で包んだ鉢形の笠をかぶり、厨子入りの仏像を背負い鉦を鳴らして各地を歩いていました。

Img_3941c_20230505174001  正念がこの街道の上田辺(かみたぬい)の茶屋(ちゃや:地名)にさしかかった時、長旅の疲れが出て倒れてしまいました。村人の家で休ませてもらい元気を回復した正念は、村人の親切にお礼をするため街道を往き来する旅人たちの安全を祈って、人柱に立つことを決心したそうです。それからの伊勢本街道は、正念の信念が通じたかのように、軽い足取りで旅をする風景がみられるようになったといいます。玉城町の「正念塚-茶屋-」にこの詳しい話が載っています。

Img_3962c_20230507070201 Img_3966c_20230505174001  伊勢本街道もこのあたりまで来ますと、平坦な道がしばらく続きます。7㎞を過ぎたところに上田辺羽根遙拝場があります。鳥居と常夜灯1基があります。鳥居は東向きに建っており、当然、伊勢神宮を遙拝するところと思われますが、ネット検索でも、みえの歴史街道マップにも詳しいことは載っていません。

Img_3985c_20230505174001  次の立ち寄り先には、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯(いせみやのがま)が指定されています。ここは、瀬戸にある美夜之窯で修行なさった方が開いた陶房。江戸時代中期に瀬戸で使われていた様式の二連の登り窯があり、展示室に作品があり即売もしているそうですが、スルーさせていただきました。

Img_3996c_20230507071401 Img_4002c_20230507071901  玉城の町にかなり近づいてきました。多気駅から8㎞ほどで、玉城町の中央公民館にやって来ました。このあたりまでが伊勢本街道です。このあと、田丸小学校の方に向かうのですが、そこまでは伊勢本街道を歩いたり、微妙にはずれたりしています。玉城町では、この日は「しろあとマルシェ」が行われるとともに、この日から6月6日まで「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」が開催されています。

Img_4027c_20230507072401 Img_4021c_20230507072401  このあとコースマップでは田丸小学校の方へ回って、Uターンするようになっていました。これも意図がよく分からなかったのですが、創立150周年記念の行事が行われていました。

Img_4044c_20230505174001  田丸小学校から田丸神社へ。ここは田丸城跡の北にあたります。元禄15(1702)年2月、京都北野天満宮より菅原道真公の分霊を勧請し、天神社として祀ったのが創始とされます。それ以前は、大榎の大木を御神体とする天神様に降雨止雨を祈願する農耕神的性格を有していたと伝わっています。宝永6(1709)年以降、18世紀には田丸はほぼ20年ごとに大火があったため、天神社に祈願を行い、八心思兼神、忌部神を合祀して以来、大火がないと伝えられます。明治41(1908)年1月、近隣の神社を合祀し、大字下田辺天神山天神社へ合祀し田丸神社と単称。

Img_4066c_20230505174001 Img_4054c_20230507081001  菅原道真公を主祭神とし、19柱を祀っています:菅原道真公、事代主神素戔嗚尊神火之加具土神活津彦根命天穂日命市杵嶋姫命忌部神大物主神味耜高彦根命(あじすきたかひこねのかみ:大国主命の子)、譽田別尊熊野橡日命(くまのくすひのみこと:須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺瓊勾玉を譲り受けて化生させた五柱の神の一柱で、天照大御神の物実から生まれたので天照大御神の子であるとされた)、天津彦根神大山祇命八心思兼神(やごころおもいかねのかみ:高御産巣日神の子であり、天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命の兄。もっとも有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたされている)、倉稲魂神木花咲耶姫命天忍穂耳命湍津姫命(たぎつひめのみこと:宗像大社中津宮の祭神。天照大神と素戔嗚尊の誓約で、アマテラスがスサノオの剣を噛んで噴き出した霧により、田霧姫命(田心姫命)に次いで出現した女神)、田心姫命(たごりひめのみこと:天照大神と素戔嗚尊とが誓約して生んだ五男三女神のうちの一神。市杵島姫命、湍津姫命とともに、宗像神社の祭神)。本殿前には、ヒノキの大木の御神木があります。

Img_4081c_20230507081201  境内にあった「たまる石 払石」。神社で行われる祭儀は払えの行事から始まります。払えは重ねるほどよいとされ、払石(向かって右)はなでることにより悪しきためごとを祓い、向かって左のたまる石は、罪穢れを払った後、串に願いを託しこの石に捧げると福がたまるとされるそうです。

Img_4089c_20230507081201  さらに彰功碑も1基ありました。碑表の碑文をざっと読んでみますと、旧田丸町の町長を務めた?司守氏の功績をたたえるものでした(?の文字は、判読できていません)。大正3(1914)年3月の建立。山本雲樵の撰書。

 ルートマップその2の途中ですが、このあと訪ねた田丸城跡について書きますと、長くなりそうですから、その2はここまで。その3は田丸城跡から田丸駅まで。

 

2023年5月 6日 (土)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その1)……多気駅をスタートし、坂倉遺跡から伊勢本街道に入り、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しへ

230505jrwalkingtakic  5月5日、こどもの日にJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」に行ってきました。JR紀勢線多気駅から参宮線田丸駅まで、JR東海から配られたコースマップでは約9.6㎞。私には、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。薄曇りで、桑名では最高気温24.3℃でしたが、現地で歩いていると、やや暑いくらい。

Img_3601c_20230506160101 Img_3595c_20230506160101  JRさわやかウォーキングでしたが、この日もまた松阪までは近鉄を利用。7時32分発松阪行き急行に乗車。ところがこの電車、伊勢中川駅で9分間も停車し、発車するのは8時38分。その間、大阪線から五十鈴川行き急行が来て、これが8時30分発というので乗り換え。松阪駅には8時37分着。いったん改札を出てJRの切符を購入。9時1分発の快速みえ51号に乗車。多気駅には9時8分に到着。ちなみに多気まで来たのは2回目(2019年11月10日:20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(予告編))。

Img_3624c_20230505173901 Img_3608c_20230506160501  こちらがJR多気駅。多気駅は、JR紀勢線と参宮線が分岐する駅で、快速みえや、特急南紀も停車します。明治26(1893)年12月に参宮鉄道が津駅~宮川駅間で開通した時に相可駅(初代)として開業しています。紀勢線は大正12(1923)年3月に紀勢東線が栃原駅まで開通し、相可駅(2代目)が開業したことにより、相可口駅に改称。さらに、昭和34(1959)年7月、多気駅に改称しています。今回のさわやかウォーキングは、参宮線130周年記念と銘打たれています。

Img_3612c_20230505173901 230505jrwalking0  9時15分頃にスタートします。右がこの日実際に歩いたルートマップ。現地では、11㎞以上を歩いてきました。立ち寄り先は、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社、田丸城跡。田丸城跡がゴール。さらにJR参宮線田丸駅まで約10分を歩いたという次第。

230505jrwalking1  さらに詳しいルートマップがこちら。多気駅から伊勢本街道に入るため、紀勢線沿いに南下。コース設定の意図がよく分かりませんが、ちょっと大回りして、参宮線の池辺踏切のところから伊勢本街道に入ります。しあわせの宮に立ち寄るところでは、伊勢本街道を少し外れています。

Img_3649c_20230506161201 Img_3652c_20230506161201  コースマップには載っていませんでしたが、多気駅から700mほどのところに坂倉遺跡という看板が見えましたので、見てきました。この遺跡は縄文時代早期(約8000年前)の集落跡とみられています。昭和49(1974)年の発掘調査で、食物を煮炊きする炉の跡、堅穴住居跡が発見され、ここには数軒ほどの集落があったと推定されています。現在は、その一部が「坂倉公園」として保存されています。

Img_3661c_20230506161401 スタートして1㎞ほどのところににあるJR紀勢線の第四東池上踏切で撮り鉄の方が数人、待機しておられました。これはひょっとして特急南紀が来るなと思ったら、大当たり。現在は、キハ85系ワイドビュー車両で運行されていますが、今年7月1日から新型車両HC85系に置き換えられます(こちら)。故に俄撮り鉄。たぶん本当は、車両の全景を入れた方がよいのでしょうが、とっさのことでこんな写真。

Img_3690c_20230506161801 Img_3699c_20230506162401  参宮線に沿って南東へ行くのですが、今度は名古屋行きの快速みえがやって来ましたので、またまた撮り鉄。とはいえテキトーにシャッターを押すだけ(苦笑)。事前に立ち寄り先は調べたのですが、伊勢本街道については調べが及ばず。このJR参宮線池辺踏切のところからが伊勢本街道でした。

Img_3711c_20230506180801 Img_3720c_20230505173901  調べが不十分だったため、伊勢本街道に入ったあたりでは写真を撮りませんでした。いかにも不覚。ダイヘンの三重事業所の先でとったのがこれらの写真。ダイヘン三重事業所は、大型変圧器をつくっています。多気駅からは2.4㎞ほどのところです。

Img_3744c_20230505173901 Img_3734c_20230506181601  その先の伊勢本街道は、こんな感じ。三重県内の東海道や伊勢街道とは異なり、けっこう田舎の道という感じで(ここの「田舎」は、ポジティブな意味で用いています)、いかにも江戸時代からの街道を歩いていると実感させてくれます。しばらく立ち寄るところはありません。右の写真は、土羽茶屋公民館。なかなかしゃれた建物です。

Img_3755c_20230505173901 Img_3786c_20230506183101  最初の立ち寄り先は、しあわせの宮。多気駅からは3.5㎞のところにあります。主祭神は地母神。地母神は、大地の生命力・生産力を神格化した女神です。ご神体は、付近のマイラ遺跡で昭和37(1962)年12月に出土した縄文時代中期の石棒。長さ29cm、幅14cmという、大きくずんぐりとした有頭石棒といいます。この石棒は男根を象ったものとされ、「マイラ」という遺跡名(地名)も男根を意味する「マラ」に由来するそうです。長寿、金運、出世、縁結びという4つ合わせの霊験ありと謳っています。昭和38(1963)年4月1日に創祀しています。社名は往時の流行歌『しあわせの歌』から僧の小林慈海が、広く人々をお守りするようにとの願いを込めて命名しました。お参りしたときには気付かなかったのですが、右の写真に写っている白い布で覆われているものが、ご神体かと思います。

Img_3789c_20230506183501  舞踊殿前に天鈿女命猿田彦命天手力男命、西に天照大神大己貴命(おおなむちのみこと)、少名彦命(すくなひこなのみこと)、倭姫命などを祀っています。

Img_3775c_20230506184301  Img_3800c_20230506184901 ここは上記のように新しい神社で、左の写真のようにいろいろとあるようでした。みえの歴史街道伊勢本街道のルートマップを見ますと、句碑が4つあるということでした。が、これまた予習不足により、見てきたのは上村点魚のもの1基だけです。「妹の齢 告げて幸乞う 春神事」とあります。

Img_3795c_20230506185301  ここで水分補給&おやつ。歩いているとけっこう暑かったのです。朝ご飯が早かったので(5時過ぎ)、小腹も減っていたのです。おやつは、ファミマの「よもぎ餅」。税込み¥108。最近は、和菓子の方が好みです。しあわせの宮には10時頃着いて、10分ほど滞在。

Img_3804c_20230506185801 Img_3810c_20230506190001  参宮線沿いを歩いて、伊勢本街道に戻っていきます。伊勢本街道に戻る途中で、多気駅から4㎞を歩いています。右の写真は、ルートマップで4㎞と書いてあるところの少し先の様子。

Img_3824c_20230505173901 Img_3838c_20230505173901  その先で七度狐の森があります。七度狐の森。七度狐は、上方落語の演目の一つである『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)に由来します。その原話は、寛政10(1798)年に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。「野狐(やこ)」は、一般的には、日本に伝わる狐の妖怪。普通の野生の狐、人間を化かしたりする狐、神格を持たない狐などを差して野狐といいます。

Img_3833c_20230506190701 Img_3828c_20230506190701  喜六と清八のコンビが、伊勢参りの途中でとある煮売屋(昔の簡易食堂)に立ち寄ったところ、変な酒を飲まされ、頭にきた二人は手近にあった「イカの木の芽和え」を失敬し茶店を逃げ出しました。このイカの木の芽和えは売り物ではなく、村の寄合いから注文を受けた品でした。それが入っていたすり鉢を向こうの草むらへ放ったところ、そこで寝ていた狐の頭に当たったのですが、この狐、二つ名を『七度狐』といい、一度ひどい目に合わされたら、その相手を七度続けて化かすという執念深い狐だったという話。くわばらくわばら。2代目桂枝雀3代目笑福亭仁鶴桂文珍などが演じているそうです。地元の方が待機していて、説明してくださいました。それにしても、このあたり何となく寂しいところで、狐に化かされるというのも十分ありそうな感じです。

Img_3870c_20230505173901 Img_3888c_20230505174001  スタートの多気駅から5㎞を過ぎたあたりに、伏拝坂の切り通し。伊勢本街道は東池上(多気町)から土羽茶屋を経て、当時の面影を残す切通しの古道を伊勢へ向かうのですが、その左手の丘に「両宮遥拝所 伏拝み」の石柱が建っています。昔、伊勢まいりの旅人がここまできて、村人に神宮までの道のりを尋ねたところ、「三里山道 五里(なわて)」と聞き、まだ八里もあるかと驚いて、ここから神宮を伏し拝んで残念そうに帰っていったというのです。近くには、両宮遙拝所献灯があるそうです。

Img_3882c_20230505174001  「両宮遙拝所 伏拝み」の石碑は、切り通しの上にあります。ネットで調べていたら、ここを登って石碑を間際でご覧に行かれた方もあるようですが、さすがにこれは登れません。私は、写真を撮っただけ。年寄りは、無理をしてはいけないのです。

Img_3891c_20230506191501 Img_3894c_20230506191501  伏拝坂の切り通しを抜けると、ほぼ平らな道が続きます。北の方には、メガソーラーも見えます。しかし、このあたりは標高25m前後。伏拝坂の切り通しのところは、キョリ測で見ると、標高は47~48mほどで、この日のウォーキングで最高地点。伊勢本街道とはいえ、楽な道ではありません。伊勢参りの旅人がここで諦めたというのは、何となく分かります。

 ルートマップその1はここまでですので、記事もここで区切りをつけましょう。その2は正念僧・即身仏供養碑塚から。

2023年5月 5日 (金)

202305015JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)

230505jrwalkingtakic  薄曇りで、桑名では最高気温24.3℃でした。予定通りにJRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」に行ってきました。JR紀勢線多気駅から参宮線田丸駅まで、コースマップ上約9.6㎞。私には、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。今日のところは、いつものように予告編。

Img_3624c_20230505173901 Img_3612c_20230505173901  JRさわやかウォーキングですが、今日もまた松阪までは近鉄を利用。7時32分発松阪行き急行に乗車。ところがこの電車、伊勢中川駅で9分間も停車し、発車するのは8時38分。その間、大阪線から五十鈴川行き急行が来て、これが8時30分発というので乗り換え。松阪駅には8時37分着。いったん改札を出てJRの切符を購入。9時1分発の快速みえ51号に乗車。多気駅には9時8分に到着。ちなみに多気まで来たのは2回目(2019年11月10日:20191110JRさわやかウォーキング「晩秋の田園風景と伊勢本街道を訪ね、『おいないまつり』で多気の文化と食を楽しもう!」へ(予告編))。

230505jrwalking0  9時15分頃にスタートします。これが今日実際に歩いたルートマップ。現地では、11㎞以上を歩いてきました。立ち寄り先は、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社、田丸城跡。田丸城跡がゴール。さらにJR参宮線田丸駅まで約10分を歩いたという次第。

Img_3673c_20230505173901  スタートして1㎞ほどのところにJR紀勢線の第四東池上踏切のところで撮り鉄の方が数人、待機しておられました。これはひょっとして特急南紀が来るなと思ったら、大当たり。現在は、キハ85系ワイドビュー車両で運行されていますが、今年7月1日から新型車両HC85系に置き換えられます(こちら)。故に俄撮り鉄。たぶん本当は、車両の全景を入れた方がよいのでしょうが、とっさのことでこんな写真。

Img_3720c_20230505173901 Img_3744c_20230505173901  今日歩いた伊勢本街道は、上のルートマップに付記しましたが、JR参宮線の池辺踏切のところから、玉城町立玉城小学校あたりまででした(このあたりはイベントの関係で伊勢本街道から微妙にはズレたりしています)。歩いたコースのあちこちに「伊勢本街道」というサインが掲げられていました。右の写真のように、いかにも江戸時代の街道を歩いているという気分がしっかりと味わえます。

 スタートから3.5㎞ほどでしあわせの宮Img_3755c_20230505173901主祭神は地母神。ご神体は、付近のマイラ遺跡で昭和37(1962)年12月に出土した縄文時代中期の石棒。長さ29cm、幅14cmという、大きくずんぐりとした有頭石棒といいます。この石棒は男根を象ったものとされ、「マイラ」という遺跡名(地名)も男根を意味する「マラ」に由来するそうです。このほか天鈿女命猿田彦命などを祀り、長寿、金運、出世、縁結びという4つ合わせの霊験ありと謳っています。昭和38(1963)年4月1日に創祀しています。社名は往時の流行歌『しあわせの歌』から僧の小林慈海が、広く人々をお守りするようにとの願いを込めて命名しました。ここで水分補給。歩いているとけっこう暑かったのです。

Img_3824c_20230505173901 Img_3838c_20230505173901  しあわせの宮から1㎞あまり歩くと、七度狐の森。七度狐は、上方落語の演目の一つである『七度狐』(しちどぎつね/ななたびきつね)または『七度狐庵寺潰し』(しちどぎつねあんでらつぶし)に由来します。その原話は、寛政10(1798)年に出版された笑話本・「無事志有意」の一遍である『野狐』。道中噺『東の旅』(本題『伊勢参宮神乃賑』)の一編。喜六と清八のコンビが、伊勢参りの途中でとある煮売屋(昔の簡易食堂)に立ち寄ったところ、変な酒を飲まされ、頭にきた二人は手近にあった「イカの木の芽和え」を失敬し茶店を逃げ出しました。このイカの木の芽和えは売り物ではなく、村の寄合いから注文を受けた品でした。それが入っていたすり鉢を向こうの草むらへ放ったところ、そこで寝ていた狐の頭に当たったのですが、この狐、二つ名を『七度狐』といい、一度ひどい目に合わされたら、その相手を七度続けて化かすという執念深い狐だったという話。くわばらくわばら。2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴桂文珍などが演じているそうです。

 さらに0.6㎞ほど行ったあたりが、伏拝坂の切り通しImg_3870c_20230505173901伊勢本街道は東池上から土羽茶屋を経て、当時の面影を残す切通しの古道を伊勢へ向かうのですが、その左手の丘に「両宮遥拝所 伏拝み」の石柱が建っています。昔、伊勢まいりの旅人がここまできて、村人に神宮までの道のりを尋ねたところ、「三里山道 五里畷(なわて)」と聞き、まだ八里もあるかと驚いて、ここから神宮を伏し拝んで残念そうに帰っていったというのです。近くには、両宮遙拝所献灯があるそうです。

Img_3882c_20230505174001 Img_3888c_20230505174001  「両宮遙拝所 伏拝み」の石碑は、切り通しの上にあります。ネットで調べていたら、ここを登って石碑を間際でご覧に行かれた方もあるようですが、さすがにこれは登れません。写真を撮っただけ。

Img_3954c_20230505174001 Img_3941c_20230505174001  続いて正念僧・即身仏供養碑塚。今から200数十年前、この地で重い病にかかり、街道を往来する旅人の安全を祈って人柱に立ったといわれる僧・正念の供養のために建てられたと伝えられます。正念がこの街道の上田辺(かみたぬい)の茶屋(ちゃや:地名)にさしかかった時、長旅の疲れが出て倒れてしまいました。村人の家で休ませてもらい元気を回復した正念は、村人の親切にお礼をするため街道を往き来する旅人たちの安全を祈って、人柱に立つことを決心したそうです。それからの伊勢本街道は、正念の信念が通じたかのように、軽い足取りで旅をする風景がみられるようになったといいます。

Img_3966c_20230505174001  こちらは上田辺羽根遙拝場。もちろん伊勢神宮を遙拝するところでしょうが、ネット検索でも、「みえの歴史街道」にも詳しいことは載っていません。鳥居と常夜灯があります。普通の遙拝所では、石碑が建っているだけということが多いので、鳥居と常夜灯があるのはなぜなのか、気になります。

Img_3985c_20230505174001 Img_3999c_20230505174001  玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯も立ち寄り先になっていましたが、スルーさせていただきました。その先にある玉城町中央公民館の敷地を通過して、次に進みます。玉城町では、今日は「しろあとマルシェ」が行われるとともに、今日から「玉城町まちあるき謎解きゲーム 織田信雄からの挑戦状」が始まりました(こちら)。

Img_4044c_20230505174001 Img_4066c_20230505174001  ゲームには参加せず、田丸神社へ。元禄15(1702)年2月、京都北野天満宮より勧請し、天神社として祀ったのが創始とされます。それ以前は、大榎の大木を御神体とする天神様に「降雨止雨」を祈願する農耕神的性格を有していたと伝わっています。宝永6(1709)年以降、18世紀には田丸はほぼ20年ごとに大火があったため、天神社に祈願を行い、八心思兼神、忌部神を合祀して以来、大火がないといわれています。明治41(1908)年1月、近隣の神社を合祀し、大字下田辺天神山天神社へ合祀し田丸神社と単称。菅原道真公を主祭神として19柱を祀っています。

Img_4185c_20230505174001 Img_4198c_20230505174001  そして、いよいよ田丸城跡へ。北畠親房顕信父子が延元元(1336)年、玉丸山に城塞を築き、南朝の拠点としたといいます。天正3(1575)年、織田信長の次男・信雄により平山城の田丸城が築かれ、その後稲葉氏、藤堂氏、久野氏と城主が変わり、明治2(1869)年に廃城。春には桜、夏には大賀蓮、秋には紅葉、冬にはライトアップと、一年を通じて、景観が楽しめます。野面積みの石垣が美しい南北朝時代の城址で、南伊勢随一の名城といわれます。平成29(2017)年、「続日本100名城」に選出されました。

Img_4202c Img_4205c_20230505174001  今日は、この田丸城跡がさわやかウォーキングのゴール。ここまででルートマップ上、10㎞を歩いてきました。ゴールしたのは、11時45分頃でしたから、2時間半で10㎞を歩くというかなりのハイペースでした(笑)。

Img_4208c_20230505174001 Img_4562c_20230505174101  ゴールではさわやかウォーキングのポイントをいただいたほか、「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。この参加証、写真ではわかりにくいのですが、昔の硬券の切符のようになっています。

Img_4292c_20230505174001  田丸駅から伊勢市駅に行く列車は、12時33分発でしたので、田丸城の本丸跡で昼食。上述のように、今日は「しろあとマルシェ」が行われているのは知っていましたが、一応、コンビニ弁当(助六寿司)を手に入れていました。

Img_4483c_20230505174001 Img_4488c_20230505174001  昼食を食べ、12時10分過ぎにJR参宮線田丸駅へ向かいました。明治26(1893)年12月31日、参宮鉄道が津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されました。この駅舎は、大正元(1912)年頃に完成した木造平屋のもの。老朽化が進み、駅舎を改修した上で保存することも検討されたのですが、耐震診断の結果、保存は困難であることが分かり、2023年4月以降の取り壊しが決まったそうです。駅舎は、日本映画の巨匠・小津安二郎監督の映画「浮草」(1959年)のラストシーンの撮影でも使われたことがあります。

Img_4495c_20230505174001 Img_4538c_20230505174001  12時33分発鳥羽行きの普通に乗って、伊勢市駅へ。12時44分着。伊勢市駅には何度も来ています。ここからまた近鉄で帰ろうという算段。名古屋行き急行は、13時18分までありません。特急に乗るのはもったいないですし、伊勢中川まで普通に行って乗り換えるのもどうかということで、いったん駅の外へ。

Img_4541c_20230505174001 Img_4593c_20230505174101  こちらへ行って、へんば餅を土産に買ってきました。伊勢市駅前の信号を渡って、外宮の方向に少し行ったところにへんば屋さんの店があるのです。5個入り¥450をお買い上げ。

Screenshot_20230505150254c  伊勢市駅発13時18分の名古屋行き急行に乗ったものの、途中から電車が遅れ始めました。名古屋線の伏屋駅構内で14時過ぎに線路安全確認が発生し、名古屋~富吉間の下り線で運転を見合わせ、塩浜~名古屋間の上り線でも大幅な遅れが生じているという事態に巻き込まれてしまいました。本来であれば、桑名には14時40分着。この間、緊急地震速報まで鳴って、大変でした。石川県能登地方での震度6強の地震(こちら)。ちなみに今朝の中日新聞によれば、近鉄のトラブルは運転士さんの誤操作によるとか。

Img_4569c_20230505174101 Img_4583c_20230505174101  15時頃運転再開ということでしたが、益生駅に止まったまま20数分が経ちました。近鉄桑名駅の上り方向には7・8番線があるのですが、これも塞がってしまったということです。しばらくすると(15時5分頃)、益生駅で下車できるということになり、「エイヤッ」と降りることに。先頭車両の運転席のドアから下ろしてもらいました。このように、運転席のドアから乗り降りしたのは、初めて。家内にクルマで迎えに来てもらうようLINEしました。

Img_4580c_20230505174101  余談であります。江戸橋方面への通勤に使っている「オフピークチケット」が、有効期限内に1回分余ってしまうので、帰りに伊勢市駅で乗車するとき、これを使って乗車。回数券カードで乗っても乗り越し精算ができるのをあらかじめ確認したのです。値上げ前に買いましたので、700円の頃の回数券。現在は、830円区間に仕えます。精算額は¥620。

Screenshot_20230505152342c  という次第で、ウォーキングそのものはしっかりと楽しめ、最後には、電車が遅れ、急行が止まらない益生駅で運転席ドアから降ろしてもらうという珍体験までさせてもらい、忘れられないJRさわやかウォーキングとなりました。帰宅して確認したら、Google Fitでは15.5㎞も歩いたことになっています。歩数は、23,012歩。15㎞も歩いたのは、久しぶりではないかと思います。本編の記事は、また明日以降、ゆらゆらと書いていきます。

 

2023年3月 9日 (木)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」

230304jrwalkingmatsushita2  3月4日のJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その3です。ルートマップは、その2。3㎞を過ぎたところに賓日館があります。ここで建物とひな人形(この日、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場)を見て、二見浦参道を歩きながら、五十鈴勢語庵、朝日館、二見浦海水浴場を眺め、御潮殿神社へ。ここが最終目的地。その後、JR参宮線二見浦駅を目指します。

Img_0965c Img_0938c_20230307035101  賓日館。国指定重要文化財です。個人的にはここがメインの目的地です。3月5日まで伊勢市二見町では、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場といっても良いところですが、私が見たかったのは建物です。賓日館は、明治20(1887)年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会が建てました。明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19(1886)年12月に着工、翌年2月19日に竣工。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となっています。

Img_0915c_20230304181601 Img_0839c_20230307035001  明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。明治44(1911)年23月には隣接する二見館に払い下げられ、二見館の別館として平成11(1999)年まで宿泊所とされてきました。二見館の廃業後、平成15(2003)年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

Img_0808v Img_0860c_20230307035001  こちらは大広間。桃山式折上格天井の大広間は120畳敷です。格天井は、格間によって形成された天井で、分割された各区分の格間は、多くの場合、絵画、装飾文様で飾られます。社寺あるいは高級な書院造に用いられます。折上は、 斜の材によって天井を高くするような構造。天井の中央平面が周囲より高くなっています。電灯にはシャンデリアが使われています。本格的な能舞台が設けられていて、現在もコンサート等に利用されているそうです。われわれが訪ねたときは、マジックショーが行われていました。

Img_0811c_20230307035001 Img_0819c_20230307035001  大広間の床の間です。床脇や違い棚もこの右手にあります。床の間の床框螺鈿の輪島塗。天井板の中央には(右の写真)、屋久杉の一枚板が、また、両脇の4枚には欅が使われています。

Img_0873c_20230307035101 Img_0894c_20230308070901  御殿の間です。格式を尊ぶ部屋に用いる二重格天井や、輪島塗に螺鈿が装飾された床框のある床の間など創建当時のままに残っています。神宮の紋である花菱紋の装飾がいたるところに見られました。皇族方が利用され、広い庭園と二見浦が一望できる部屋です。

Img_0738c_20230308145501 Img_0753c_20230304181601  ところで、この日、夫婦岩表参道あたりでは「おひなさまめぐりin二見」というイベントが行われていて、賓日館はそのメイン会場という感じでした。実にたくさんのひな人形が飾られていました。江戸時代のものから、種々様々です。

Img_0883c  こちらは、御殿の間に飾られていた「大正天皇おひな様」。説明には、結婚式が神前で行われるようになったのは、明治33(1900)年の大正天皇のご成婚が初めてといわれること、また、大正天皇は、即位の礼の際、西洋にならって向かって左にお立ちになり、昭和天皇も同様に並ばれたこと、これらの写真が出回るようにあって、ひな人形の並び方も今のように、男びなが向かって左に変わったこと画家枯れていました。

Img_0765c_20230307034901Img_0761c_20230304181601    私の興味を引いたのは、創作プレ展示「懐かしの修学旅行」でした。二見浦は伊勢神宮に参拝する小学校の修学旅行の宿泊地として、いわば「修学旅行のメッカ」となっていました。昭和30年代の修学旅行を再現しようというのが、この展示。左の写真は、子どもたちが入浴、夕食後買い物に出かけた様子を、また、右の写真は、宿に戻って宿泊する大広間で「枕投げ」をして遊ぶ様子が再現されています。このほか、翌朝早く起きて、夫婦岩から日の出を見学するシーンもありました。

Img_0955c_20230307035201 Img_0997c_20230307035201  賓日館を割と丁寧に見て回ったため、50分近く滞在していました。見終えて出て来たのは、12時25分頃。右は、この日のチケット。¥400でしたが、JRさわやかウォーキング割引のお陰で¥360。

Img_0982c_20230307035201  賓日館の門前に「二見浦浴潮場石」が建っています。「皇大神が俗界に降りて、太陽の光が夜明けを告げる。この二見浦の海潮に浸ると、神の恩恵を得た波が打ち寄せ、医療効果、治癒効果がある」という内容が刻まれています。書いたのは、時の衛生局長長与専斎(天保(1838)~明治35(1902)年)。肥前国大村藩出身の蘭方医。緒方洪庵の適塾で学び、衛生局の初代局長になっています。「衛生」ということばも、長与が初めて用いたといいます。明治15(1882)年10月、長与により禊場であった立石浜(夫婦岩付近の浜)に日本初の国指定海水浴場が開設されたのです。当寺の海水浴は、浴活といい、医療が目的でした。波が強く皮膚を摩擦するので、体に良いと考えられたのだそうです。その後浴活客が増加したため、明治17(1884)年、海水浴場は旧二見館前の砂浜に移設されています。こうした海水浴場開設を記念して、明治18(1885)年4月にこの石碑が建てられています。

Img_1004c Img_1008c_20230307035201  賓日館からさらに西に、表参道を歩いて行きます。左の写真は少し進んだところから、賓日館・夫婦岩の方を振り返った写真。右は、立ち寄り先になっていた五十鈴勢語庵。二見の海から汲み上げて作られた塩を使った「二見浦 岩戸の塩ようかん」のお店ですが、パスしてきました。

Img_1045c_20230307035201 Img_1033c_20230307035201  続いて朝日館。立ち寄り先ではなく、コースマップに載っていたので、気にして見てきたのです。中国の清王朝のラスト・エンペラー溥儀や、昭和天皇もお泊りになったという、創業300年の旅館です。部屋からは、二見浦の絶景がよく見えそうです。

Img_1053c_20230307035201 Img_1060c_20230307035201  朝日館を過ぎ、スタートから4㎞前後のところが、現在の二見浦海水浴場です。まさに白砂青松の美しい景色。いささか余談ですが、この手前にJR東海の職員の方が、右の写真のような顔出しパネルを設定して、「写真、撮りますよ」と呼びかけておられました。丁重に辞退してきたのですが、撮ってくれば良かったか??

Img_1138c_20230307035301  二見中学校の西側を通って、最終の目的地へ。二見中学校は、中日から楽天で活躍した小山伸一郎さんや、ソフトバンクにいた江川智晃さんといった野球選手の母校です。

Img_1119c_20230304181601 Img_1083c_20230304181601  御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)が、この日の最終目的地。御塩の神様である御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)が御祭神です。ご祭神は、塩筒翁(しおつつおきな)/塩土翁(しおづちのおじ)という説もあるようです。伊勢神宮内宮の所管社で、神宮の祭典で使用する堅塩(かたしお/きたし)を作るところです。具体的な創建時期は不明ですが、延暦23(804)年の『延暦儀式帳』に御塩殿と御塩焼殿が記されているといいます。

Img_1098c_20230304181601  こちらは、本殿の背後にある御塩焼所と御塩汲入所。御塩のもとになる高濃度の塩水は、御塩殿神社域内の御塩焼所で煮つめて荒塩となり、御塩殿で型に入れて焼き固められます。毎年10月には御塩殿祭が行われています。あとで知ったのですが、この日から3月の御塩焼固が始まったそうです(こちら)。そういえば、拝殿の奥に堅塩が20個ほど並べられていました。ちなみに、塩田である「御塩浜」は神社の境外の二見町西にあります(こちら)。

Img_1113c_20230307035301  本殿に向かって左にも小さい建物がありました。この御塩殿神社も、確か20年ごとに遷宮が行われますので、古殿地かと思ったのですが、写真で向かって左にある建物は御塩殿のようです(こちら)(向かって右は、本殿・拝殿)。

Img_1135c_20230307035301 Img_1127c_20230307035301  御塩殿神社の前に、大きな松の木があります。何か由緒があるのかと思ったのですが、松の木自体には由来はなさそうで、その根元に鴨長明の歌碑がありました。平安~鎌倉期の歌人・鴨長明が、文治2(1186)年頃に御潮殿神社を訪れて、次の歌を詠んだとされています。「二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげにして」

Img_1150c_20230307035301 Img_1153c_20230307035301  御塩殿神社からゴールのJR参宮線二見浦駅までは1㎞あまり。途中からは、朝日館のところから来る二見浦表参道を通ります。昔は、賑わったとおりだろうと思います。赤福の店もありますし、御福餅の本店もここにあります。

Img_1167c_20230307035301  ゴールまでにもう一ヶ所、立ち寄り先が指定されていました。旭家酒素饅頭製造本舗です。酒素饅頭といえば、閉店してしまいましたが、名古屋の納屋橋饅頭や、桑名のとらや饅頭と同じ。ここも、失礼ながらパス。

Img_1175c_20230307035401 Img_1184c_20230304181601  JR参宮線二見浦駅に向かいます。ゴールには、13時5分を過ぎた頃に到着。変わった形の駅舎ですが、これは夫婦岩をモチーフにしたもので、平成5(1993)年に建て替えられました。「二見浦」は、地名としては「ふたみがうら」ですが、駅名は「ふたみのうらえき」と読みます。

Img_1195c_20230307035501 Img_1180c_20230304181601  恒例のゴール受付です。最近、参加ポイント付与は、スマホで会員番号を提示し、それを読みとってもらうことで手続き完了。ゴール看板も、いつも通り、撮影。日付と駅名が変わるだけですが、それでも記念になります。

Img_1199c_20230304181601   幸い、13時15分発の快速みえ14号名古屋行きがありました。これに乗って、伊勢市駅まで。伊勢市駅で外宮参道にある店で昼食を摂ることにしたのです。二見浦駅から伊勢市駅までは、¥210。ホームには行列があったのですが、空いていて座れました。このまま桑名まで行っても良いのですが、¥1,860もかかりますし、桑名駅に着く14時38分まで昼ご飯がお預けになってしまいます。

Img_1206c_20230304181601 Dsc_0553c  伊勢市駅で降りて、外宮参道へ。伊勢うどんを食べようということで、「じろべえ」さんへ。テキトーに入ったお店でしたが、これが大当たり。ここはメニューが伊勢うどんとビールしかないというところ。かなりのこだわりがあるようで、隠れた人気スポットのようでした。帰ってから調べたところでは、伊勢うどん専門店は、伊勢でも珍しいそうです。メニューに「めかぶいり」があったのですが、女将さんは鳥羽の答志島のご出身とか。左の写真は、食べ終えて外に出て来たときのもの。4人の方が外で待っていました。私は、今日は「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。ここの伊勢うどんは、なかなかのもので大満足。

 Img_1202c_20230304181701 伊勢市駅に戻り、またもや近鉄で、14時12分発の伊勢中川行き普通に乗車。松阪駅に14時40分着。ここで、松阪駅始発(14時54分)の名古屋行き急行に乗って桑名まで。桑名駅には16時3分着。¥1,220。一昨年の伊勢参りツアーのときと同じで、伊勢まで行くと、ウォーキングも1日かかります。

Screenshot_20230304162520  この日のGoogle Fitのデータ。二見浦で歩いた距離は、キョリ測では6.2㎞でした。これに昼食に歩いた分(0.7㎞ほど)と、自宅から桑名駅往復(2.4㎞ほど)が加わってトータルでは9.5㎞、18,060歩でした。

Img_1225c_20230304181601Img_1236c_20230304181601  これは、受付の時、先着200名まで配られた「蘇民将来の厄除け」。裏には、志摩の海女さんが身につける魔除けである「ドーマン・セーマン」が描かれています。これは、普段からのウォーキングのお守りにちょうど良いと思い、早速使っています。もう一つは、ゴールの二見浦駅で、クイズに全問正答していただいた「JRさわやかウォーキング記念シール」の裏側。賓日館の説明、二見浦駅のモチーフについての説明が書かれています。表面は、二見浦駅の写真です。

2023年3月 8日 (水)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ

230304jrwalkingmatsushita2  3月4日のJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その2です。その1では、JR参宮線松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺と周り、二見町江の町から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けました。その2では、いよいよ夫婦岩、二見興玉神社、賓日館とこの日、私にとってはメインの目的地が続きます。

Img_0481c_20230307034501  伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けると、こういう景色が広がっています。夫婦岩あたりから先が、二見浦(ふたみがうら)の海岸になりますので、このあたりはまだ二見浦とはいえないかも知れません。二見浦は、伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の渚百選にも選ばれています。かつては伊勢神宮参拝の禊場でもあったところですし、神宮の御塩を貢進してきたところでもあります。背後に音無山、前面に伊勢湾を隔てて知多、渥美半島に対し、右手に神島、答志島を、左に鈴鹿の連山を望め、平安朝以来、伊勢の名勝地として知られ、多くの歌にも詠まれてきました。

Img_0496c_20230307034501 Img_0512c_20230307034601  西側から来ましたので、二見興玉神社の裏参道からお参りするということになります。まずは、境内社の竜宮社があります。ご祭神は、綿津見大神(わたつみのおおかみ:海の神)。往古、この郷に津波が襲来し、郷人は困窮して神の御加護を願うほかはないとして、海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請し奉祀したところ、その後の寛保の荒浪、明治の高潮にも霊験があり、被害を減じられたといいます。そのため、氏子だけでなく、多数の崇敬者を得て、龍神さん、龍宮さんと親しまれているそうです。

Img_0552c_20230307034601  二見興玉神社の本社に行くまでに「契りの松」があります。江戸時代末期、お陰参りなどで伊勢参詣がもっとも賑わった頃、阿波国から若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み、塩垢離(禊ぎ)をし、着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したところから「契りの松」と呼ばれます。昭和28(1953)年9月25日の台風13号で流失したものを平成3(1991)年に再現されたものです。

Img_0556c_20230307044201 Img_0594c_20230307044301  契りの松を過ぎると、禊橋を渡ります。この橋を過ぎると、いよいよ夫婦岩が見えてきます。神社の手前に鳥居があり、「日の神 皇居遙拝所」という石碑が建っています。この鳥居越しに見る夫婦岩もなかなか神々しい感じがします。

Img_0612c_20230304181501 Img_0631c   二見興玉神社です。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。相殿神は、迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)。夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社です。猿田彦大神は天孫降臨の際に道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいます。倭姫命が天照大神を奉戴し、この二見浦に舟を停めた時、興玉大神が海上の厳島(興玉神石)にお出ましになったことから、五十鈴川のほとりに皇大神宮を定められたといいます。興玉神は、その守護 神として内宮御垣内にも奉斎されているそうです。ちなみに、三重県では2番目に参拝者の多い神社です。オッサン二人で縁結びの神様にお参りするのもどうかと思ったのですが、わが家には居候がいますので、代参(苦笑)。K氏には、「本人を連れてこないとなぁ」と言われてしまいました。それに、導きの神ですから、これからの人生を導いていただけるかも知れません。

Img_0520c_20230307163701  古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまずこちらに参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いそうです。

Img_0627c_20230304181501  そして、改めて説明するまでもありませんが、夫婦岩です。夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処といわれてきました。

Img_0594c_20230307044301  夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。毎年3回、大注連縄の張り替え神事が行われますし、5~7月には、夫婦岩の間から日の出を見ることができます。とくに夏至前後の天気のよい日には、遠く、富士山から昇る日の出を見ることができます。

20210613210554903  余談ですが、この記事を書くのにあれこれ調べていましたら、夫婦岩のあたりを中央構造線が通っていることに気づきました。うかつでした(苦笑)。画像は、「虚空座標」さんからお借りしました。夫婦岩の間を中央構造線が通っているという話もあるようですが、これは誤りで、もう少し北側という話もあり、素人の手には余ります。ネット検索では限界があります。余談を重ねますと、奈良県境に近い松阪市飯高町には「月出の中央構造線」といって、断層が高さ約80m、幅約50mにわたって露出しているところがあるそうです。一度くらい見てみたいと思っています。

Img_0641c_20230307034701 こちらは、二見興玉神社の境内にある「天の岩屋」です。参道の突堤のほとりにある東を向いた岩窟です。この岩窟は、往古より宇迦御魂大神を祀った三宮神社が鎮座していたところですが、文禄年間(1592~96年)に外側の境内に遷祀しています。
古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられているそうです。ただし、天岩戸とされる場所は、全国各地にあります(たとえば、こちら)。

Img_0671c_20230307034801  二見浦は、初めの方にも書きましたように、平安朝以来、名勝地として親しまれ、多くの歌などに詠まれてきました。二見興玉神社や夫婦岩のあたりには、歌碑、句碑などがたくさんあります。そのうち一つだけ、ここで紹介しておきます。山口誓子の句碑です。表参道にあります。「初富士の鳥居ともなる夫婦岩」という句が刻まれています。昭和62(1987)年正月に山口誓子が参拝しれた時に、当時の宮司より「今朝 夫婦岩の間に富士山が見えた」と聞き、直ちに詠んだ句(こちら)。

Img_0676c_20230307034801 Img_0703c_20230304181501  二見興玉神社をあとにして、夫婦岩の表参道を賓日館に向かって歩いて行きます。松並木のある道を歩いて行くのですが、南側には旅館街。私の両親の世代、故郷の西三河地方の小学生の修学旅行は、ここ二見と伊勢だったと聞いています。このあたりの旅館に泊まったのかも知れません。そう思うと、何となく懐かしい景色のように思えてきます。同級生K氏のお母様は、このあたりの松並木をバックに撮った記念写真があったそうです。

Img_0710  今も営業している旅館やホテルもたくさんあります。その旅館の一つ。岩戸館とありました。Webサイトを見ると、なかなかよさげなところです。二見浦を目の前にして眺めもよさそうです。ウォーキングだけでなく、泊まりがけで二見、伊勢を回るのもいいでしょうね。

Img_0717c_20230307034901  賓日館の向かいあたりに「二見浦記念碑」が建っています。説明板によれば、明治20(1887)年、英照皇太后(明治天皇の母)が当地にいらっしゃるのに合わせ、地元住民が鳥羽街道をつくり、また、神宮の崇敬団体である神苑会会員は皇太后陛下ご滞在のため賓日館を建てました。明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が、避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて賓日館に滞在されました。神苑会の太田小三郎や、二見の事業家辻喜代蔵らが、この間の事情を記しておこうと考え、三重県知事であった江川成之の許しを得てこの石碑を建てたのです。明治26(1893)年3月の建立。題字は三重県知事の成川尚義、撰文は三重県度会郡長の満岡勇之助。

 その2は若干短いのですが、キリがよいことと、賓日館の話になると長くなりそうですから、ここまで。その3は、賓日館から。

2023年3月 7日 (火)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その1)……松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁へ

230304jrwalkinmatsushitamapc  3月4日に行ってきたJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その1です。この日は上天気で、桑名では最高気温が15.3℃になりました。歩いていると汗ばむくらいの気候です。このウォーキングの企画は毎年あり、以前から参加したいと思っていましたが、ようやく念願が叶ったという次第。おひな様はともかく、二見興玉神社や夫婦岩、賓日館を訪ねたいと考えていたのです。今回も、同級生K氏と二人旅。彼とのウォーキング歴も、4年目に入りました。最初は、2020年1月26日の「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」でした。

Img_0194c_20230305182201 Img_0196c_20230305182201  JRさわやかウォーキングでしたが、伊勢市駅までは近鉄を利用しました。その方が運賃が安いのです。近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。すべてJRを利用すると、松下駅までが片道¥1,860。伊勢中川駅に9時4分に到着。9時7分に大阪方面から来る五十鈴川行き急行に乗り換えて、伊勢市駅に9時29分着。伊勢市駅はJRと近鉄の共同駅。ここでJR参宮線に乗り換え。9時36分発鳥羽行き普通で、スタートの松下駅には9時47分に到着。近鉄(桑名~伊勢市)が¥1,220、伊勢市~松下のJRが¥210で合計¥1,430という次第。ちなみに、JR参宮線には初めて乗りました。

Img_0203c_20230304181501 Img_0214c_20230304181501  スタートの松下駅は、昭和38年(1963)年4月に新設開業した無人駅。快速「みえ」も、時間帯によっては停車します。2020年の1日の平均乗車人数は32人だそうですが、この日は大賑わい。盛り土の上にホームだけがある駅なのですが、ホームから人があふれそうでした。

Img_0209c_20230304181501 Img_0230c_20230305182801  受付をするのに、今回も行列。私たちが受付を済ませたときも、行列の最後尾はまだホームでした(右上の写真)。9時半から受付開始で、スタートできたのは9時55分頃。初めは、右の写真のように田園地帯を進みます。いかにもウォーキングに来たという感じ。

230304jrwalkingmatsushita1  こちらがこの日歩いた詳しいルートマップその1。松下駅をスタートし、まずは民話の駅 蘇民へ。すぐ隣に松下社という神社があり、そこから北上し、五十鈴川派川を渡って太江寺。古い町並みを通って、伊勢シーパラダイスへ。そこから伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けて、夫婦岩、二見興玉神社へと向かいます。

Img_0235c_20230305184301  いきなりの余談ですが、松下駅を出て歩いていたら、左の方角にこんなものが見えていました。ともいきの国伊勢忍者キングダムにある安土桃山城。ルートマップその1の左端にあります。平成5(1993)年に伊勢戦国時代村として発足していますので、私などはこの古い名前の方がなじみです(こちら)。忍者・戦国時代・安土桃山時代が主題であるテーマパーク。こんなところにあったんだというのが、実感でした。

Img_0241c_20230304181501 Img_0245c_20230304181501  民話の駅 蘇民(そみん)です。各地にある道の駅と同じような施設です。「民」とは、説話の主人公で、そこから転じて護符の一種も指します。リンク先に詳しい説明がありますが、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になり、そのお礼にと「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げました。はたして、まもなくみんな死んでしまったのですが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったといいます。八角柱の木片に「蘇民将来之子孫也」などと書いた護符の類を蘇民将来といっていいます。伊勢地方では家の門口に「蘇民将来之子孫」などと書いた注連をかけて災厄除けとしています。農産物や食品などを売っているのですが、パスしています。

Img_0293c  その隣にあるのが、松下社Img_0272c御祭神は、須佐之男命のほか、菅原道真と不詳一座を合わせて三座です。創立年は不詳ですが、松下地区の氏神として崇敬された古社で、「氏経神事日次記」(文安6(1449)年6月15日贄海神態の条に「其雨の間、饗に於いては、松下社の拝殿に於いてこれを調理す」という記事があるのが最古の記録だそうです。一説には平安中期の安倍清明が神様を招いて祀ったところとも伝えられており、境内の蘇民の森は清明森とも呼ばれているといいます。また、入口付近には「コウザキサン」が祀られているという土地の伝承があるようで、当社を式内社であり、皇大神宮摂社でもある神前神社の旧地とする説もあります。狛犬はなく、多くの神社で狛犬があるところには、榊の束がありました。

Img_0296c_20230306181501 Img_0290c_20230306181901  この地には厄除けの「蘇民将来の神話」が言い伝えられており、「蘇民将来子孫家門」の木札のついたしめ縄を1年中玄関に飾る風習があります。境内には、「蘇民祠」があり、蘇民将来が祭神として祀られています。ただし、この祠は、平成27(2015)年10月と日付が書かれていました。また、「八幡さん」と書かれた木札の脇に榊が束ねられ、小さな鳥居があります。八幡神は応神天皇ですが、ご祭神にはありません。榊の束は、山の神かも知れません。

Img_0261c_20230306182201 Img_0269c_20230306182301  ここには、三重県天然記念物に指定されている、樹齢2,000年以上の大楠もありました。環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周/9. 00m、樹高/12m。主幹は、地上5mほどを残して枯損し、下部は空洞化していますが、全体としては堂々たる景観を呈しています。

Img_0311 Img_0313  二見町松下を進み、五十鈴川派川を日の出橋で渡って行きます。この五十鈴川派川が、以前は五十鈴川の本流であったといいます。五十鈴川に囲まれた伊勢市二見町は三角州のような形状です。

Img_0413c_20230304181501 Img_0354c_20230306194301  スタートから1.5㎞ほどで太江寺の参道入り口に来ます。この日は、海岸沿いのルートで、ほぼ平坦かと思っていたら、あに図らんや(苦笑)。太江寺に入って行くにはかなりの坂をのぼらねければなりませんでした。帰宅後、キョリ測で調べたら、標高30mほどでした。

Img_0365c_20230304181501 Img_0373c_20230306194801  潮音山太江寺(ちょうおんざんたいこうじ)は、真言宗醍醐寺派伊勢西国三十三所巡礼第一番札所でもあります。音無山の中腹に位置しています。天平年間(729~749年)に行基が開創したとも伝わる古刹で、伊勢神宮や二見興玉神社との関わりが深い寺。本尊の千手観世音菩薩は鎌倉時代作、重要文化財に指定されています。奈良の大仏勧進のため諸国を行脚していた行基が、天照大神のお告げを受けて、二見浦で興玉神(おきたまのかみ。内宮の所管社およびその祭神。内宮の御垣内に鎮座する。正宮の守護神)を参拝したところ、金色の千手観音を感得し、その姿を刻んで祀るため開創したのが当寺で、鎮守社として興玉社も境内に祀ったと伝わっています。右の写真は、境内にあった「元興玉社」。平安時代には弘法大師空海が護摩の修行をし、鎌倉時代以降には西行、重源、鴨長明、醍醐天皇、明治期には山岡鉄舟等、多くの文化人等との関わりがあったといいます。

Img_0362c_20230306195001 Img_0377c_20230306195001  庚申堂や、薬師如来もあります。伊勢西国三十三所巡礼の大一番札所ということもあってか、歴史を感じさせるお寺です。急坂を登ってきたこともあって、さほど歩いていないにもかかわらず、小休止(微苦笑)。

Img_0397c_20230306195601 Img_0388c_20230306195701  山門もなかなか立派なものでした。山門には、これもまた歴史を感じさせる仁王様がご鎮座。ちなみに、太江寺は、境内の藤棚いっぱいに薄紫の花房を広げる樹齢150年ともいわれる藤をはじめ、桜や紫陽花など、四季を通じて花々に彩られた花の寺としても有名だそうです。

Img_0430c_20230306200101  Img_0433c_20230306200101 太江寺を降りて、二見町江(ふたみちょうえ)の町を歩いて行きます。古い町並みで、懐かしい感じがします。煉瓦造りの煙突も見えます。

Img_0450c_20230304181501  二見町江の交差点を渡ると、伊勢シーパラダイスの前に出ます。正式には、「伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス」す。今日のウォーキングのマップを提示すると、大人一人¥2,100のところ、¥1,000で入れたのですが、パス。海獣がたくさん飼われていて、ツメナシカワウソ、コツメカワウソ、セイウチ、トドなどがいるところですが、オッサン二人で見るのもどうかということでパスした次第。その昔、子どもたちを連れて来た記憶があるのですが、ちょっとあやふや(苦笑)。年はとりたくありません。

Img_0465c_20230304195101 Img_0474c_20230306200101  伊勢シーパラダイスのとなりに伊勢夫婦岩めおと横丁があります。伊勢志摩最大級の屋内型お土産ショッピング施設だそうで、「夫婦岩」に隣接した屋内型の土産などのショッピング施設。飲食店もありますし、伊勢ならではの体験ができる「めおと岩アクティビティ」もあります。いかにも昭和の雰囲気が残っています。この中を通り抜けて、夫婦岩方面に向かいますが、その1はここまで。

2023年3月 4日 (土)

20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)

Img_0222c_20230304181501  朝は少し冷えましたが、日中は好天に恵まれ、桑名では15.3℃と暖かくなりました。予定通り、JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」に行ってきました。いつものように、同級生K氏と二人旅。今回と同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。今回、同級生K氏と意見が一致し(ただ、今日は、近鉄ハイキング酒蔵みてある記四日市の丸彦酒造(三重の寒梅)に行く企画もあり、若干迷ったのが本当のところ)、出かけたという次第。念願が一つ、かなったというわけです。今日のところは、予告編。

Img_0203c_20230304181501 Img_0214c_20230304181501  近鉄桑名駅を8時3分に出る伊勢中川行き急行に乗車。JRさわやかウォーキングなのですが、伊勢市駅までは近鉄を利用。その方が運賃が安いのです(すべてJRを利用すると、松下駅までが片道¥1,860)。伊勢中川駅に9時4分に到着。9時7分に大阪方面から来る五十鈴川行き急行に乗り換えて、伊勢市駅に9時29分着。伊勢市駅はJRと近鉄の共同駅。ここでJR参宮線に乗り換え。9時36分発鳥羽行き普通で、スタートの松下駅には9時47分に到着。近鉄(桑名~伊勢市)が¥1,220、伊勢市~松下のJRが¥210で合計¥1,430という次第。

Img_0209c_20230304181501  参宮線には初めて乗りました。2両編成で、JRさわやかウォーキングに参加する方でかなりの賑わいでした。受付をするのに、今回も行列。私たちが受付を済ませたときも、行列の最後尾はまだホームでした。9時半から受付開始で、スタートできたのは9時55分頃。

230304jrwalkingmatsushita0  こちらが、今日歩いてきたルートマップ。立ち寄り先は、民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩、賓日館、御塩殿神社など。マップ上は、5.6㎞でしたが、キョリ測で見ると、6.2㎞ほどでした。

Img_0241c_20230304181501 Img_0245c_20230304181501  まずは、民話の駅蘇民(そみん)。各地にある道の駅と同じような施設です。「蘇民」とは、説話の主人公で、そこから転じて護符の一種も指します。リンク先に詳しい説明がありますが、須佐雄神(すさのおのかみ)が一夜の宿を借りようとして、裕福な弟の巨旦(こたん)将来に断られ、貧しい兄の蘇民将来には迎えられて粟飯などを御馳走になり、そのお礼にと「蘇民将来之子孫」といって茅の輪を腰に着けていれば厄病を免れることができると告げました。はたして、まもなくみんな死んでしまったのですが、その教えのとおりにした蘇民将来の娘は命を助かったといいます。八角柱の木片に「蘇民将来之子孫也」などと書いた護符の類を蘇民将来といっていいます。伊勢地方では家の門口に「蘇民将来之子孫」などと書いた注連をかけて災厄除けとしています。

Img_0272c  民話の駅蘇民のとなりに松下社があります。御祭神は、須佐之男命のほか、菅原道真と不詳一座を合わせて三座です。創立年は不詳ですが、一説には平安中期の阿倍清明が神様を招いて祀ったところとも伝えられています。この地には厄除けの「蘇民将来の神話」が言い伝えられており、「蘇民将来子孫家門」の木札のついたしめ縄を1年中玄関に飾る風習があります。境内には、三重県天然記念物に指定されている、樹齢2,000年以上の大楠もありました。

Img_0413c_20230304181501 Img_0365c_20230304181501  五十鈴川派川を渡って、潮音山太江寺(ちょうおんざんたいこうじ)。真言宗醍醐寺派。伊勢西国三十三所巡礼第一番札所でもあります。天平年間(729~749年)に行基が開創したとも伝わる古刹で、伊勢神宮や二見興玉神社との関わりが深い寺。本尊の千手観世音菩薩は鎌倉時代作、重要文化財に指定されています。奈良の大仏勧進のため諸国を行脚していた行基が、天照大神のお告げを受けて、二見浦で興玉神(おきたまのかみ。内宮の所管社およびその祭神。内宮の御垣内に鎮座する。正宮の守護神)を参拝したところ、金色の千手観音を感得し、その姿を刻んで祀るため開創したのが当寺で、鎮守社として興玉社も境内に祀ったと伝わっています。

Img_0450c_20230304181501 Img_0465c_20230304195101  太江寺の先、スタートから2㎞を過ぎて、伊勢シーパラダイス。正式には、「伊勢夫婦岩ふれあい水族館シーパラダイス」のようです。今日のウォーキングのマップを提示すると、大人一人¥2,100のところ、¥1,000で入れたのですが、パス。海獣がたくさん飼われていて、ツメナシカワウソ、コツメカワウソ、セイウチ、トドなどがいるところですが、オッサン二人で見るのもどうかということでパスした次第。伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けて、夫婦岩方面に向かいました。

Img_0627c_20230304181501  有名な夫婦岩。改めて説明するまでもありませんが、古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なるところと言われてきました。夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。毎年、5月5日・9月5日・12月中旬土日曜日に大注連縄張神事が行われ多くの人で賑わいます。前にも来たはずなのですが、いつ、誰とという記憶はハッキリしません。

Img_0612c_20230304181501  二見興玉神社。御祭神に猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社です。オッサン二人でお参りするのもどうかというところですが、わが家には居候がいますので、代参(苦笑)。K氏には、「本人を連れてこないとなぁ」と言われてしまいましたが……。古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまずこちらに参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いそうです。境内には、猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)が多数奉納されています。

Img_0703c_20230304181501  二見興玉神社から西に向かいます。松並木のある道を歩いて行くのですが、南側には旅館街。私の両親の世代、故郷の西三河地方の小学生の修学旅行は、ここ二見と伊勢だったと聞いています。このあたりの旅館に泊まったのかも知れません。そう思うと、何となく懐かしい景色のように思えてきます。同級生K氏のお母様は、このあたりの松並木をバックに撮った記念写真があったそうです。

Img_0728c_20230304181501 Img_0753c_20230304181601  賓日館。個人的にはここがメインの目的地です。明日まで伊勢市二見町では、「おひなさまめぐりin二見」が行われており、賓日館はそのメイン会場といっても良いところですが、私が見たかったのは建物です。賓日館は、明治20(1887)年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として、神宮の崇敬団体・神苑会が建てました。明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19(1886)年12月に着工、翌年2月19日に竣工。その後、明治末期から大正初期にかけてと昭和初期の2回の大増改築を重ね、現在の状態となっています。

Img_0808v Img_0915c_20230304181601

 明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されました。明治44(1911)年23月には隣接する二見館に払い下げられ、二見館の別館として平成11(1999)年まで宿泊所とされてきました。二見館の廃業後、平成15(2003)年に二見町に寄贈。 賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて、当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を目の当たりにすることができます。

Img_1083c_20230304181601 Img_1098c_20230304181601  賓日館からは二見浦沿いを歩いて、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)へ。御塩の神様である御塩殿鎮守神(みしおどののまもりのかみ)が御祭神です。伊勢神宮内宮の所管社で、神宮の祭典で使用する堅塩(かたしお)を作る所です。御塩のもとになる高濃度の塩水は、御塩殿神社域内の御塩焼所(右の写真)で煮つめて荒塩となり、御塩殿で型に入れて焼き固められます。毎年10月には御塩殿祭が行われています。あとで知ったのですが、今日から3月の御塩焼固が始まったそうです(こちら)。拝殿の奥に堅塩が20個ほど並べられていました。これで今日の目的地は、コンプリート。

Img_1184c_20230304181601 Img_1180c_20230304181601  JR参宮線二見浦駅に向かいます。ゴールには、13時5分を過ぎた頃に到着。変わった形の駅舎ですが、これは夫婦岩をモチーフにしたもので、平成5(1993)年に建て替えられました。ちなみに駅名は「ふたみのうらえき」と読みます。

Img_1199c_20230304181601  幸い、13時15分発の快速みえ14号名古屋行きがありました。これに乗って、伊勢市駅まで。伊勢市駅で外宮参道にある店で昼食を摂ることにしたのです。二見浦駅から伊勢市駅までは、¥210。ホームには行列があったのですが、空いていて座れました。このまま桑名まで行っても良いのですが、¥1,860もかかりますし、桑名駅に着く14時38分まで昼ご飯がお預けになってしまいます。

Dsc_0553c Img_1206c_20230304181601  伊勢市駅で降りて、外宮参道へ。伊勢うどんを食べようということで、「じろべえ」さんへ。テキトーに入ったお店でしたが、大当たり。しかし、ここはメニューが伊勢うどんとビールしかないというところ。かなりのこだわりがあるようで、隠れた人気スポットなのかも知れません。帰ってから調べたところでは、伊勢うどん専門店は、伊勢でも珍しいそうです。メニューに「めかぶいり」があったのですが、女将さんは鳥羽の答志島のご出身とか。左の写真は、食べ終えて外に出て来たときのもの。4人の方が外で待っていました。私は、今日は「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。ここの伊勢うどんは、なかなかのもので大満足。

Img_1202c_20230304181701  伊勢市駅に戻り、14時12分発の伊勢中川行き普通に乗車。松阪駅に14時40分着。ここで、松阪駅始発(14時54分)の名古屋行き急行に乗って桑名まで。桑名駅には16時3分着。¥1,220。一昨年の伊勢参りツアーのときと同じで、伊勢まで行くと、ウォーキングも1日かかります。

Screenshot_20230304162520 Img_1225c_20230304181601  今日のGoogle Fitのデータ。二見浦で歩いた距離は、キョリ測では6.2㎞でした。これに昼食に歩いた分(0.7㎞ほど)と、自宅から桑名駅往復(2.4㎞ほど)が加わってトータルでは9.5㎞、18,060歩でした。右の写真は、受付の時、先着200名まで配られた「蘇民将来の厄除け」。裏には、志摩の海女さんが身につける魔除けである「ドーマン・セーマン」が描かれています。これは、普段からのウォーキングのお守りにちょうど良い気がします。

Img_1236c_20230304181601  もう一つは、ゴールの二見浦駅で、クイズに全問正答していただいた「JRさわやかウォーキング記念シール」の裏側。賓日館の説明などが書かれています。以上、予告編はここまで。いつものように本編はまた明日以降ボチボチと書いてくつもり。

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  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

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    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

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    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

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    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)

  • 本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

    本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)
    本田秀夫先生によるこのSB新書の4冊目のシリーズ。今回は、発達障害のあるお子さんの学校選び、学級選び、友達関係、学習や学力の悩み、不登校など、発達障害のあるお子さんの学校生活全般にわたって、どのような考え方に基づいてサポートしたら良いかについてまとめられています。それぞれ、親と先生とが、どのように取り組むことが基本となるか、解説されています。対策よりも予防的な工夫をコミュニケーション(要求ではなく)に基づいて行う、「学校の標準」を緩める、登校や成績を気にしすぎず、社会に出るための土台作りを考える、発達の特性には寛容になる、学びを大切にするが学力にこだわりすぎない、親と先生とが気づきを伝え合い相談、調整する、子どものモチベーションを重視するなど、具体的に書かれていて、分かりやすくなっています。発達障害のあるお子さんが小中学校で充実した学習が進められるための基本的な考え方やヒントが詰まっていますので、親御さんにも、先生方にもお勧めできます。 (★★★★★)

  • 佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?

    佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?
    サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」、「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究を本にしたもの。何故これをここに取り上げたかというと、私のブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供して欲しという依頼が出版社からあったのです。私が提供した写真は、本書の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。ざっと読みましたが、大人でも、古事記や神社についてよく知らない方が、最初に手に取って基本的なことがらを知るには、わかりやすくて良い本だと思います。 (★★★★★)

  • 森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)

    森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)
    ネットで見つけ、新刊かと思って購入したのですが、4年前の本でした(微苦笑)。 若い頃に森博嗣さんの小説をすべて読んでいました。いつの頃からか、小説は読まず、森さんのエッセイだけを読むようになっています。「読書の極意を教える」と帯にはあります。もちろんそれについて書かれているのですが、私にはある種の知的生産の技術について著者の方法を開示していると読めます。「何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある」というのは、よく首肯できます。また、「教養とは保留できる能力をいう」というのも確かにそうだと思います。自分の問題として抱続けられ、また、考え続けられるのは、容易ではありませんから。 (★★★★★)

  • 井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

    井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)
    愛媛県新居浜市にあった別子銅山は、元禄3(1690)年、伝説の切上り長兵衛によって発見されてから、昭和48(1973)年の閉山まで、283年間にわたり、累計65万トンの銅を産出しました。これは、世界の銅の産出量の1/6にも達するといいます。巨大財閥住友の礎となっただけでなく、日本の貿易や近代化にも大きく貢献したのがこの別子銅山です。江戸時代には貨幣改鋳にも深く関わった世界屈指の鉱山を舞台に、そこに関わった人達を鮮やかに描いた、本当の意味での大河小説です。徳間時代小説文庫で読みました。  (★★★★)

  • 養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)

    養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)
    養老孟司先生と池田清彦先生の対談であれば、外れはありません。サブタイトルのように、「はみ出し日本論」ではありません。ど真ん中の日本論といってもよい本で、楽しみながら読めます。しかし、それは、自分のアタマできちんと考えているからこそ論じられる内容だと思います。常識や、マスコミで報道されることがらだけをフォローしていては、こういう風に考えることはできません。きちんとした理論、知識、データに基づかなければなりません。さらには、物事を捉える大きな枠組み、私の世代にとっては「パラダイム」といえるものが必要。それも、確固たるパラダイムが必要です。私にとってそれはある種の理想なのですが、なかなか難しい。しかし、まぁ、年寄りになったからこそ見えるものや、年寄りなりの知恵も働くようになるということもありますから、養老・池田の「怖いものなし」コンビを1つの目安として、言うべきこともいえるようになりたいものです。 (★★★★★)

  • 土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)

    土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)
    先に同じく土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を挙げましたが、入手したのはこちらが先。「一汁一菜でよい」というスタイルに至るまでの土井さんの修行、出会い、発見、迷いなどなどが書かれています。「家庭料理に失敗なんて、ない」、「すべては人を幸せにする料理に繋がる」というのが基本。具だくさんの味噌汁はおかずの1つになる。余裕があれば、食べたいものや、食べさせたいものをその都度調べてつくればよい。一汁一菜を入り口にして、一つ一つおかずをつくってみて、10種類ほどでもできるようになれば、それで幸せに一生やっていける。といった話があり、へぇーと感心させられました。これだけで健康に健やかに自足できるとも述べられています。一汁一菜なら、私にもできる、でしょうか?? (★★★★★)