お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年10月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年10月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

JRさわやかウォーキング

2025年10月15日 (水)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(その2)……フジバカマの花畑でアサギマダラを見て、関ケ原ウォーランド、笹尾山ステージで鉄砲隊演武、関ヶ原合戦決戦地を経て、岐阜関ケ原古戦場記念館にて「完」

251012jrwalkingsekigahara2  10月12日に行ってきた、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」の本編その2です。詳しいルートマップは、その2の途中です。本編その1では、関ヶ原の合戦開戦地と、その隣の小西行長陣跡まで来ました。その続きで、フジバカマの花畑から、関ケ原ウォーランドへと向かいます。

Img_5004c_20251012165601 事前告知用のコースマップを見たときから期待していたのですが、開戦地からすぐのところに、フジバカマの花畑がつくられています。フジバカマといえば、アサギマダラ。ひょっとしたら、アサギマダラが見られるかと思ってやって来たのですが、期待は裏切られませんでした。

Img_4988c_20251014101201  251012093524401c アサギマダラが乱舞とまではいきませんでしたが、かなりたくさんのアサギマダラがフジバカマの蜜を吸っていました。ついうれしくなって、写真を撮りまくり。ちなみに、左の写真はスマホで撮影。右の写真は、いつもウォーキング・ハイキングに持っていく超望遠コンデジによるもの(Canon Powershot SX-60HS)。タイミングを見計らうと(アサギマダラが蜜を吸い始めてしばらく経った頃)、スマホでもうまく撮れました。

 Img_5068c_20251014101101私のほかにも、たくさんのウォーキング参加者の皆さんが、アサギマダラの写真を撮っておられました。アサギマダラは、桑名や多度でも見たことはありましたが(2015年10月2日:アサギマダラを見つけました……九華公園の様子、秋の水郷舟めぐり案内)、これほどきれいに写真に撮れたのは初めて(微笑)。

Img_5123c Img_5126c  閑話休題。左の写真は、町中で見つけた「通学路注意」の看板。いかにも関ヶ原古戦場という感じ。右の写真は、たぶんお地蔵さん。関ヶ原の町のあちこちにお地蔵さんや、小さな祠がありました。供養や祈りのためのものかという気がします。

Img_5146c_20251012165601  このあとは関ケ原ウォーランド。昭和39(1964)年にオープンした歴史のある関ヶ原合戦のテーマパークです。約1万坪(野球場なら3面)の広大な敷地に、史実に基づいた戦の陣形が再現されています。昔は、たぶん賑わったところであろうと思います。開園前でもあり、写真を撮ったのみで通過してきました。

Img_5129c_20251014102601 関ケ原ウォーランドの東に天満山宝蔵寺というお寺がありました。高野山真言宗。ご本尊は、大元帥明王。関ケ原の戦いの犠牲者を弔う戦場の寺院です。関ケ原ウォーランドが開園したときに、当時の館長の意思で、関ヶ原合戦の戦没者供養のために寺院が創建されたということでした。毎年10月に戦没者供養が行われているそうです。

Img_5153c  関ケ原ウォーランドから国道365号線に出る途中の三叉路に大神宮常夜灯。ネットでは、これという情報はヒットしませんでした。関ヶ原で中山道から分かれた「伊勢街道(三重では、美濃街道と呼びます)」があるのは知っていましたが、この常夜灯はその追分からは北西に1.5㎞ほどのところにあります。

251012jrwalkingsekigahara3  ここらあたりから詳しいルートマップは、その3へ。島左近陣跡(ここに笹尾山ステージ)、笹尾山交流館の前を通って、関ヶ原合戦決戦地に向かいます。

Img_5172c Img_5176c  国道365号線を歩いていると、左手から発砲音らしき音が何回か聞こえてきました。最初はちょっと驚きました。国道から島左近陣跡の方に向かっていくと、笹尾山ステージでイベントが行われているようでした。

Img_5184c  10月11日、12日と大関ヶ原祭が開かれており、ここ笹尾山ステージでは、鉄砲隊演武が開かれていたのです。この近くを歩いているとき、破裂音が聞こえてきたのですが、それがこの鉄砲隊の演武でした。発砲シーンを見てきたのですが、本物の火縄銃を使っていて、すごい迫力です。さまざまな射撃法が披露されたようです。出演は、関ケ原鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊だったそうです。YouTubeに短い動画を載せてあります。こちらをご覧ください。

Img_5208c  笹尾山交流館の前を通って、いよいよ関ヶ原合戦開戦地へ。ここは、西に西軍・石田三成陣跡、正面には決戦地を望む、抜群のロケーションにあります。ここでは、甲冑体験が有料でできるそうです。戦国武将になりきれるプレミアム甲冑から足軽甲冑まで、種類も様々あるとか。

Img_5217c Img_5262c_20251012165601  関ヶ原古戦場決戦地に到着。笹尾山を背に、現在は田んぼが広がるところで、のどかな光景が広がっており、ここで激戦が繰り広げられたとは思えません。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。慶長5(1600)年9月15日午前、関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変。これによって、一気に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。この決戦地は、東軍諸隊が石田三成首級(しゅきゅう)を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所だそうです。

Img_5290c 251012jrwalkingsekigahara1  これで残す立ち寄り先は、岐阜関ケ原古戦場記念館のみ。記念館の近くに町役場などがあり、このあたりが、大関ヶ原祭のメイン会場で、ステージが催されていたり、キッチンカーなどがたくさん出店していて、大賑わいでした。ルートマップは、その1に戻っています(右の画像)。

Img_5375c_20251012165601  こちらが岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原の戦いを体感できる、体験型の施設として、5年前に開館しています。関ヶ原の戦いを映像技術や、デジタル技術を駆使して再現していて、人気スポットになっています。ここはNHKBSの歴史番組でも取り上げられており、ぜひとも訪ねたかったところ。とくに5階の展望室から古戦場を眺めてみたかったのです。通常は、大人ひとり¥500ですが、2階展示室で企画展「世界三大古戦場展 連携展示『激戦の地 ゲティスバーグ・ワーテルローの現在』」が開かれていて、¥1,000。

Img_5298c_20251012165601 Img_5338c  1階のシアターは予約がないと入れません。2階の展示室はざっと見て回ったのみで、5階へほぼ直行(苦笑)。フロアには右の写真のように古戦場の位置関係が示されています。記念館から半径1㎞の範囲にかなりたくさんの陣跡があります。もっと広いところで戦が行われたというイメージを持っていたのですが、そうでもないようでした。

Img_5301c_20251012165601  展示室内の東西と北には、右の写真のように、陣跡などの案内板があります。

Img_5304c_20251012165601 Img_5360c_20251012165601  東西、北と一通り眺めてきたのですが、晴れていたらもっとよく見えたかもしれませんが、まぁよし。これらの2枚の写真は、先ほど訪ねてきた決戦地のあたり。

Img_5357c  西側、展望室のすぐ下には、初めの方で見た陣場野公園が見下ろせました。ここも大関ヶ原祭のイベント会場です。

Img_5399c  岐阜関ケ原古戦場記念館からゴールの関ヶ原駅までは500mほど。大関ヶ原祭の会場を見ながらゴールへ。ここで何か食べたり、土産を買ったりしてもよかったのですが、大賑わいでしたからパス。関ヶ原駅には、10時50分ころに到着。ゴール受付をして、参加ポイントをゲット。

Screenshot_20251012104933c Screenshot_20251012104943c  こちらが参加ポイントの記録。係の方が「90ポイントですね」とおっしゃったような気がしましたが、勘違い。80ポイントでした。右の写真は、踏破距離一覧。JRさわやかウォーキングで、この1年間に歩いた距離。

251012120233543c 251012114421692c  このあと、関ヶ原駅を11時20分に出る大垣行き普通に乗車。大垣駅には、11時33分に到着。¥240。大垣駅ビルにあるアスティ大垣のおらが蕎麦で昼食。鶏天蕎麦、¥890。このおらが蕎麦、お気に入りなのです。津駅にも、チャムに同じ系列で信州そば処そじ坊という店があります。

 251012120730885c Screenshot_20251012120804c 養老鉄道大垣駅を12時26分に出る桑名行き普通に乗車します。養老鉄道大垣駅にもエキタグのデジタルスタンプが設置されていますので、ゲットしてきました。

251012121037856c 251012123058879c  できれば、今日は、養老鉄道のシナモロールラッピングトレインに乗りたかったのですが、往復とも600系の電車。シナモロールラッピングトレインとは、途中駅ですれ違ったのみ。桑名駅に13時38分着。乗り換え不要は楽なのですが、時間はそれなりにかかります。しかも、よく揺れる。文庫本でも読もうと思っていたのですが、揺れるので断念。帰りは、途中、さすがに爆睡した時間がありました。

251012134016389c  養老鉄道では、桑名駅にも、大垣駅にも、シナモロールとのコラボを示す掲示がありました。写真は桑名駅にて。シナモロールとのコラボイベントは、12月25日までだそうですから、一度くらいは、シナモロールラッピングトレインに乗りたいもの。

Screenshot_20251012140355c  こちらが、今日のGoogle Fitのデータ。7.87㎞、14,325歩でした。普段の散歩にプラスアルファくらい歩いたということです。

1760234376675c  今日の土産は、まずは、関ヶ原駅前にある関ヶ原観光交流館で見つけた「日清どん兵衛 東西セット」(¥570)。関ケ原は食の世界でも天下分け目の地だということです。壬申の乱(672年)の後にこのあたりには、東山道(後の中山道)の不破関が設けられました。ここから関の東を「関東」と呼んだのです。日清のどん兵衛も、関西は「かつおと昆布だしがベースの色のうすいつゆ」、関東は「かつおだしベースの色の濃いつゆ」ということで、ここだけのオリジナルパッケージでセット販売されていました。

251013151348875c  251013151333513cもう1つは、同じく関ヶ原観光交流館で買った「信長のえびしょっぱい」(8枚入り¥562)。「パイ」なのに「せんべい」と思う食感。砂糖の甘み、えびの香ばしさを味わいながら、時折しょっぱさを感じるというセールスの通りでした。

2025年10月14日 (火)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(その1)……東首塚、陣場野公園から関ヶ原合戦開戦地へ

Img_4810c  10月12日に行ってきた、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」の本編その1です。関ヶ原古戦場には、興味があり、一度は訪ねてみたいと思っていました。しかし、自分で出かけるとなると、ちょっと遠く、また、JRで行くとしますと、名古屋経由で、グルッと遠回りする必要があり、なかなか実現しないでいたのです。今回、JRさわやかウォーキングで関ヶ原を訪ねる企画があり、「これだ!」と飛びついた次第。今回も、ひとり旅。この日、桑名では、最高気温は、26.3℃。関ヶ原は曇っていて、やや蒸し暑い感じでした。

Img_4775c Img_4778c_20251012165401  JR関西線、東海道線経由で行きますと、桑名~関ヶ原間は、快速を利用しても1時間40分かかります。結局、大垣までは養老鉄道を利用することとしました。この方が、所要時間はわずかに短いのです。養老鉄道桑名駅を7時13分に出る大垣行き普通に乗車。大垣着は、8時31分。今日は、1日フリーきっぷ(¥1,500)を利用。桑名~大垣間は、普通に買うと¥830ですから、往復では¥160おトク。大垣からは、8時36分発のJR東海道線米原行き特別快速に乗車。関ヶ原駅には、8時49分に到着。¥240。

Img_4795c_20251012165401 Img_4804c_20251012165401  関ヶ原駅は、大賑わいで、JRさわやかウォーキングに参加する方も多数。コースマップを受け取り、8時55分にスタート。

251012jrwalkingcoursemapc 251012jralkingsekigahara0  こちらがこの日のコースマップ。同じものですが、キョリ測で描いたルートは、右の画像の通り。おおよその距離も入れてあります。関ケ原駅をスタートし、東首塚、陣場野公園、関ケ原古戦場開戦地、フジバカマの花畑、関ケ原ウォーランド、関ケ原古戦場決戦地から岐阜関ケ原古戦場記念館と回って、関ケ原駅がゴールでした。約5.5㎞で、家族向けのコース設定ですが、これで関ヶ原古戦場の主なところは見て回ることができました。

251012jrwalkingsekigahara1  ルートマップが続きますが、詳しいルートマップその1。JR東海道線関ヶ原駅をスタートし、西にある跨線橋に向かいます。跨線橋を渡ったところに東首塚。そこから北西に向かうと、徳川家康最後陣跡である陣場野公園。ここは、最後に立ち寄る岐阜関ケ原古戦場記念館のすぐ西。関ヶ原の町を歩いて、関ヶ原古戦場開戦地に向かいます。

Img_5395c Img_4818c_20251013185901  跨線橋に向かう坂道には、関ヶ原の合戦に関するパネルが並んでいます。きちんと見ていけば、関ヶ原の合戦について、相当の知識が得られると思いました。ということは、しっかりとは見ていません(苦笑)。

Img_4867c  東首塚です。関ヶ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に森が広がっており、その中に「東首塚」があります。私は、コースの都合で裏から入ったのですが、西側に朱色の大きな門があります。

Img_4850c_20251013190501 Img_4843c_20251012165401  そこを抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康床几場で首実検をし、その後、東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。

Img_4841c_20251013190901  ここは、文化14(1817)年、関ヶ原宿本陣の主を務めていた古山兵四郎が、関ヶ原合戦の地が将来忘れ去られることを危惧し、首級墳碑を建てたのです。この写真は、右上の写真に写っている説明板です。

 さらに、Img_4827cこの地は、Img_4832c松平忠吉・井伊直政陣跡でもあります。関ケ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で、先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一念であったといいます。東軍先鋒は福島隊と決まっていたのですが、午前8時頃に、福島隊の先頭隊長・可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となっています。合戦の終わりがけ、島津隊が敵中突破を試みた際には、直政と忠吉は島津隊を追撃し、大きな戦果を挙げたものの、2人とも島津隊兵士に狙撃されて傷を負ってしまいます。とくに、直政の傷は深く、その傷がもとで2年後に亡くなっています。

Img_4871c  東首塚から陣場野公園へ向かう途中の写真です。関ヶ原古戦場は、それなりに高低差のあるところでした。歩いた距離はさほど長くはありませんが、運動量はけっこうあった気がします。

Img_4875c_20251013192001Img_4879c_20251013192001  陣場野公園に行くまで、岐阜関ケ原古戦場記念館の西にも、陣跡があります。田中吉政陣所古址田中吉政は、三河岡崎の10万石を治める熱心なキリシタン大名でした。その吉政が布陣したといわれる場所は徳川家康最後陣跡のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62(1987)年でした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようです。

Img_4888c  続いて、陣場野公園です。徳川家康最後陣跡が、公園として整備されています。関ケ原合戦の当日、午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動しました。ここから松尾山の小早川秀秋に向けての発砲を命じ、東軍への寝返りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています。

Img_4891c Img_4895c_20251013192501  合戦後はこの場(床几場)にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されたのです。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により、周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。

251012jrwalkingsekigahara2  詳しいルートマップは、その2になります。神明神社、関ヶ原合戦400年記念平和の杜を経て、関ヶ原合戦開戦地へ。ここは、小西行長陣跡と隣接しています。さらに、フジバカマの花畑から、関ケ原ウォーランドへと向かいます。

Img_4907c Img_4918c  陣場野公園から、次の目的地である関ヶ原合戦開戦地までは、1㎞ほどあります。途中、神明神社と、関ヶ原合戦400年記念平和の杜。神明神社の創建は不詳ですが、関ヶ原合戦の際には、関ヶ原町大字関ヶ原字西甲斐墓の丘陵に祀られており、島津義弘が陣地としても好適の地であるとして、この神社の境内を本陣となし、戦勝を祈願したといいます。嘉永6(1853)年、火災にあい、隣地の字神田に移転しています。関ヶ原合戦400年記念平和の杜は、関ケ原合戦後400年の節目にあたる平成12(2000)年10月1日に、「関ケ原と世界平和」をテーマにした作品が設置され、開園しました。芝生が美しく、巨大な石の彫刻がたたずんでいます。彫刻作品は、フランスの世界的石彫家であるピエール・セーカリー氏と日本人石彫家の坂井達省氏により作られたものだそうです。

Img_4929cImg_4934c  そして、いよいよ関ヶ原合戦開戦地へ。北天満山を背にした西田運動広場の入口に「開戦地」の大きな碑があります。合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけとして、松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を掛けたのが、ここ開戦地であるといわれています。現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しましたが、結果的に、この辺りが合戦場のほぼ中央にあたるそうです。ということは、このあたりを武将たちが駆け巡ったということかと想像力が膨らみます。

Img_4959c  開戦地の跡には、このような案内板があり、各武将が、どこに陣地を置いたかなどが良く分かるようになっています。

Img_4973c Img_4977c_20251014042501  開戦地の隣に小西行長陣跡。北天満山の裾野を流れる梨木川右岸にあります。ここは、北は北国街道、南は中山道を押さえる重要な場所でした。関ケ原合戦が始まると、北天満山から烽火(のろし)をあげて味方に開戦の合図をしたそうです。午後になり、大谷隊が敗れたとの知らせを受けると、天満山を越えて揖斐郡の春日方面へ敗走したといわれます。山頂に布陣できるスペースはなく、中腹に布陣したと考えられています。また、後に村人らがここに大きな溜め池を設けたため、当時の陣地は池の中に没したと『関ケ原合戦図志』に紹介されています。ルートマップその2の途中ですが、キリがよいので本編その1は、ここまで。

2025年10月13日 (月)

20251013JRさわやかウォーキング「桑名を満喫!! 東海道お手軽ウォーキング」へ(一回完結)

Img_5409c  昨日に引き続き、今日もまたJRさわやかウォーキングに出かけました。もっと若い頃は、土日に連チャンでJRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行っていましたが、最近はそういう勢いはなくなっています。しかし、今日のJRさわやかウォーキングは、地元・桑名での開催なのです。題して、「桑名を満喫!!東海道お手軽ウォーキング」。いつもの散歩コースに近いものなのですが、これは行かない手はありません(微笑)。今日は、よく晴れて真夏日が復活。最高気温は、正午前に記録した31.3℃。

Img_5414c 251013jwalkingkuwana こちらが配付されたコースマップ。右は、ネットのキョリ測というサイトで描いたルートマップ。マップ上は、約4.8㎞となっています。桑名駅をスタートし、浄土寺、六華苑、住吉神社、→七里の渡し→九華公園→桑名宗社(春日神社)、桑名市博物館、寺町通商店街(三八市))を経て、桑名駅にゴール。ご近所の方とご一緒させてもらったのですが、途中からは、「両手に花」でした(これは、今では、セクハラ用語かもしれませんが、他意はありませんので、ご容赦ください)。記事は、一回完結。訪ねた場所も、何度も取り上げていますので、概要のみを記しています。8時35分頃にスタート。

Img_5421c_20251013142401  見慣れ、歩き慣れたあたりをずっと歩いていきます。八間通あたりの風景です。

Img_5425c_20251013142401 Img_5429c_20251013142401  最初の立ち寄り先は、袖野山浄土寺。西山浄土宗。本多忠勝公の本廟がありますし、地蔵盆で売られる幽霊飴が知られています。

Img_5433c_20251013142401  こちらが、本多忠勝公の廟所。境内の北西の奥にあります。

Img_5439c_20251013142401  浄土寺から、諸戸氏庭園の前を通って、六華苑に向かいます。秋の特別公開は、10月25日(土)から12月7日(日)。紅葉がきれいです。

Img_5448c  六華苑。もとは、2代目諸戸清六邸(東諸戸邸)です。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園を持ち、総面積は18,000平方メートル余に及びます。実業家の2代目諸戸清六の新居として、明治44(1911)年にジョサイア・コンドルの設計で着工し、大正2(1913)年に竣工。コンドルが設計した建物で、地方に残るのはここだけです。

 Img_5461c_20251013142301今日は天気がよく、建物がきれいに見えました。正面が洋館、向かって左に和館が続いているという、独特の建築様式。上記のように、池泉回遊式の日本庭園も見事です。

Img_5483c  続いて、住吉神社を経て、七里の渡し跡へ。このあたりは、いつもの散歩コースです。今日は、名古屋駅前の高層ビル群はもちろん、木曽御嶽山まで見えていました。

Img_5486c Img_5490c  立ち寄り先にはありませんでしたが、蟠龍(ばんりゅう)櫓にも登ってきました。2階が展望室になっているのです。蟠龍とは、地上にうずくまって、まだ昇天しない龍のこと。櫓の1階の屋根部分、揖斐川の方向に蟠龍が控えています(右の写真)。

Img_5497c_20251013142301 Img_5501c_20251013142301  九華公園の入り口、コミュニティパーク側に本多忠勝像があります。立坂神社が所有する「紙本淡彩 本多忠勝像」をもとにつくられています。九華公園は、ごく一部を通過したのみ。右の写真は、九華公園をご存じの方でもあまり意識してご覧になったことがないかも知れません。九華公園の扇橋西にあり、石に「九華公園」と刻まれています。

Img_5508c Img_5528c  中橋から桑名宗社へ。通称、春日神社あるいは春日さん。桑名神社(ご祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)と、天久々斯比乃命(あめのくぐしびめのみこと:桑名首(くわなおびと=上代桑名の豪族)の祖神))と、中臣神社(ご祭神は、天日別命(あめのひわけのみこと)。相殿神は、春日四柱神(かすがよはしらのかみ)、すなわち、建御雷神(たけみかずちのかみ)、斎主神(いわいぬしのかみ)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ))の2社からなっています。リンク先に由緒があります。社は、2つの社が連続してます(右の写真)。

Img_5512c_20251013142301  ちなみに、珍しいものとして、青銅の鳥居のかたわらに「志るべ石」があります。正面には「志類べ以志」と刻まれています。「迷い子石」ともいわれ、人の大勢集まる所に立てられました。自分の子どもが迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子どもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもがいた場所などを貼ります。明治18(1885)年に東京の蘆田政吉氏が建立。同じものが多度大社の鳥居の横にもあるそうですが、私はそれはまだ確認していません。

Img_5535c  次に、桑名市博物館が立ち寄り先になっていますが、私は先日、「なんの花か咲く」展は見てきましたので(2025年10月10日:桑名市博物館で「なんの花か咲く-花のある風景-」展を見る)、パス。次の「桑名の豪商 諸戸家の至宝」展が楽しみです。

Img_5538c Img_5542c  最後は、寺町商店街三八市へ。私は、昨日、散財しましたので(2025年10月12日:20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編))、見てきただけ。

Img_5557c_20251013142301  ゴール受付の桑名駅へ戻ります。11時25分頃到着。今日は、浄土寺、六華苑、蟠龍櫓などゆっくり見て回りましたので、ほぼ3時間かかっています。踏破ポイント、昨日で90ポイントになったと思っていたのですが、勘違い(苦笑)。今日で90ポイントでした。そういえば、「東海道お手軽ウォーキング」でしたが、七里の渡し跡と、博物館付近で東海道を歩いた(に触れた)くらいです。

Img_5548c  桑名駅東口では、障サ連チャリティーコラボイベントが行われていて、キッチンカーなども多数出展していましたが、これもパス。

Screenshot-2025_10_13-11_49_50c  本日のGoogle Fitのデータ。マップ上4.8㎞ですが、8.7㎞、14,995歩も歩いていました。立ち寄り先であちこち見て回ったためです。

2025年10月12日 (日)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編)

Img_4810c  今日は、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ行ってきました。関ヶ原古戦場には、興味があり、一度は訪ねてみたいと思っていました。しかし、自分で出かけるとなると、ちょっと遠く、また、公共交通機関を利用するとなると、グルッと遠回りする必要があり、なかなか実現しないでいたのです。今回、JRさわやかウォーキングで関ヶ原を訪ねる企画があり、「これだ!」と飛びついた次第。今回も、ひとり旅。今日のところは、予告編です。桑名では、最高気温は、26.3℃。関ヶ原は曇っていて、やや蒸し暑い感じでした。

Img_4775c Img_4778c_20251012165401  ルートを考えた挙げ句、大垣までは養老鉄道を利用することとしました。養老鉄道桑名駅を7時13分に出る大垣行き普通に乗車。大垣着は、8時31分。今日は、1日フリーきっぷ(¥1,500)を利用。桑名~大垣間は、普通に買うと¥830なので、往復では¥160おトク。大垣からは、8時36分発の東海道線米原行き特別快速に乗車。関ヶ原駅には、8時49分に到着。¥240。

Img_4804c_20251012165401 Img_4795c_20251012165401  関ヶ原駅は、大賑わいで、JRさわやかウォーキングに参加する方も多数。コースマップを受け取り、8時55分にスタート。

251012jralkingsekigahara0 251012jrwalkingcoursemapcこちらが今日のコースマップ。同じものですが、キョリ測で描いたルートは、右の画像の通り。おおよその距離も入れてあります。関ケ原駅をスタートし、東首塚、陣場野公園、関ケ原古戦場開戦地、フジバカマの花畑、関ケ原ウォーランド、関ケ原古戦場決戦地から岐阜関ケ原古戦場記念館と回って、関ケ原駅がゴールでした。約5.5㎞で、家族向けのコース設定ですが、これで関ヶ原古戦場の主なところは見て回ることができました。

Img_4843c_20251012165401 Img_4867c  まずは、東首塚。関ヶ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に森が広がっており、その中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後、東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。

 続いて、陣場野公園。Img_4888c Img_4891c徳川家康最後陣跡が、公園として整備されています。関ケ原合戦の当日、午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動しました。ここから松尾山の小早川秀秋に向けての発砲を命じ、東軍への寝返りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています。合戦後はこの場(床几場)にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されたのです。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により、周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。

Img_4929c 関ヶ原古戦場開戦地です。北天満山を背にした西田運動広場の入口に、「開戦地」の大きな碑があります。合Img_4934c戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけとして、松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を掛けたのが開戦地であるといわれています。現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しましたが、結果的に、この辺りが合戦場のほぼ中央にあたるそうです。ということは、このあたりを武将たちが駆け巡ったということかと想像力が膨らみます。

Img_4959c  開戦地の跡には、このような案内板があり、各武将が、どこに陣地を置いたかなどが良く分かるようになっています。

Img_5004c_20251012165601 251012093524401c  開戦地からすぐのところに、フジバカマの花畑がつくられています。フジバカマといえば、アサギマダラ。ひょっとしたら、アサギマダラが見られるかと思ってやって来たのですが、期待は裏切られませんでした。アサギマダラが乱舞とまではいきませんでしたが、かなりたくさんのアサギマダラがフジバカマの蜜を吸っていました。ついうれしくなって、写真を撮りまくり。ちなみに、右の写真はスマホで撮影。

Img_5146c_20251012165601  このあとは関ケ原ウォーランド。昭和39(1964)年にオープンした歴史のある関ヶ原合戦のテーマパークです。約1万坪(野球場なら3面)の広大な敷地に、史実に基づいた戦の陣形が再現されています。昔は、たぶん賑わったところであろうと思います。開園前でもあり、写真を撮ったのみで通過してきました。

Img_5176cImg_5184c  関ヶ原古戦場決戦地の西、島左近陣地跡あたりでイベントが行われていました。昨日、今日と大関ヶ原祭が開かれており、ここ笹尾山ステージでは、鉄砲隊演武が開かれていたのです。この近くを歩いているとき、破裂音が聞こえてきたのですが、それがこの鉄砲隊の演武でした。発砲シーンを見てきたのですが、本物の火縄銃を使っていて、すごい迫力です。さまざまな射撃法が披露されたようです。出演は、関ケ原鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊だったそうです。

Img_5217c Img_5262c_20251012165601  いよいよ関ヶ原古戦場決戦地。笹尾山を背に、現在は田んぼが広がるところ。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変。これによって、一気に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。この決戦地は、東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。

Img_5375c_20251012165601  Img_5298c_20251012165601 最後の立ち寄り箇所は、岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原の戦いを体感できる、体験型の施設と謳っています。ここはNHKBSの歴史番組でも取り上げられており、ぜひとも訪ねたかったところ。とくに5階の展望室から古戦場を眺めてみたかったのです。大人ひとり¥1,000。

 Img_5301c_20251012165601 Img_5338c2階の展示室はざっと見て回ったのみで、5階へほぼ直行(苦笑)。フロアには左の写真のように古戦場の位置関係が示されています。記念館から半径1㎞の範囲にかなりたくさんの陣跡があります。もっと広いところで戦が行われたというイメージを持っていたのですが、そうでもないようでした。東西と北には、右のように、陣跡などの案内板があります。

Img_5304c_20251012165601 Img_5360c_20251012165601  一通り眺めてきたのですが、晴れていたらもっとよく見えたかもしれませんが、まぁよし。これらの2枚の写真は、先ほど訪ねてきた決戦地のあたり。

 Img_5399c岐阜関ケ原古戦場記念館からゴールの関ヶ原駅までは500mほど。大関ヶ原祭の会場を見ながらゴールへ。ここで何か食べたり、土産を買ったりしてもよかったのですが、大賑わいでしたからパス。関ヶ原駅には、10時50分ころに到着。ゴール受付をして、参加ポイントをゲット。

Screenshot_20251012104933c Screenshot_20251012104943c  こちらが参加ポイントの記録。係員の方が「90ポイントですね」といわれた気がしましたが、勘違いで、80ポイントでした。右の写真は、踏破距離一覧。JRさわやかウォーキングで、この1年間に歩いた距離。

251012114421692c 251012120233543c このあと、関ヶ原駅を11時20分に出る大垣行き普通に乗車。大垣駅には、11時33分に到着。¥240。大垣駅ビルにあるアスティ大垣おらが蕎麦で昼食。鶏天蕎麦、¥890。このおらが蕎麦、お気に入りなのです。津駅にも、チャムに同じ系列で信州そば処そじ坊という店があります。

 251012120730885c Screenshot_20251012120804c 養老鉄道大垣駅を12時26分に出る桑名行き普通に乗車します。養老鉄道大垣駅にもエキタグのデジタルスタンプが設置されていますので、ゲットしてきました。

251012121037856c 251012123058879c  できれば、今日は、養老鉄道のシナモロールラッピングトレインに乗りたかったのですが、往復とも600系の電車。シナモロールラッピングトレインとは、途中駅ですれ違ったのみ。桑名駅に13時38分着。乗り換え不要は楽なのですが、時間はそれなりにかかります。しかも、よく揺れる。文庫本でも読もうと思っていたのですが、揺れるので断念。帰りは、途中、さすがに爆睡した時間がありました。

 251012134016389c 養老鉄道では、桑名駅にも、大垣駅にも、シナモロールとのコラボを示す掲示がありました。写真は桑名駅にて。シナモロールとのコラボイベントは、12月25日までだそうですから、一度くらいはシナモロールラッピングトレインに乗りたいものです。

Screenshot_20251012140355c  こちらが、今日のGoogle Fitのデータ。7.87㎞、14,325歩でした。普段の散歩にプラスアルファくらい歩いたということです。

 1760234376675c 今日の土産は、まずは、関ヶ原駅前にある関ヶ原観光交流館で見つけた「日清どん兵衛 東西セット」(¥570)。関ケ原は食の世界でも天下分け目の地だということです。壬申の乱(672年)の後にこのあたりには、東山道(後の中山道)の不破関が設けられました。ここから関の東を「関東」と呼んだのです。日清のどん兵衛も、関西は「かつおと昆布だしがベースの色のうすいつゆ」、関東は「かつおだしベースの色の濃いつゆ」ということで、ここだけのオリジナルパッケージでセット販売されていました。

251013151333513c 251013151348875c  もう1つは、同じく関ヶ原観光交流館で買った「信長のえびしょっぱい」(8枚入り¥562)。「パイ」なのに「せんべい」と思う食感。砂糖の甘み、えびの香ばしさを味わいながら、時折しょっぱさを感じるという不思議な味わいでした。

2025年6月 8日 (日)

20250608JRさわやかウォーキング「東海道亀山宿と花しょうぶ園を訪ねて」へ(一回完結)

Img_2319c Img_2337c_20250608141301  曇りという予報でしたので、予定通りに、JRさわやかウォーキング「東海道亀山宿と花しょうぶ園を訪ねて」へ行ってきました。往きの電車で雨雲レーダーを見たら、現地には雨雲の端っこがかかっていて、前回に引き続いて雨の中のウォーキングかと覚悟したのですが(2025年5月31日:20250531JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」へ(一回完結))、実際には降られずに済みました。心がけがよかったのでしょう。冗談はさておき、JR関西線桑名駅を8時14分に発車する亀山行き普通に乗車。井田川駅に8時54分着、¥590。

Img_2332c Img_2341c  井田川駅はけっこうな賑わい。コースマップをいただいて、9時ちょうどにスタートします。今日設定されている立ち寄り先は、石上寺、亀山ローソクタウン、旧亀山城多聞櫓、亀山公園の花菖蒲園で開催されている花しょうぶ祭、旧舘家住宅、加藤家長屋門でした。実は、立ち寄り先のほとんどは、これまでにも訪ねたところ。同級生K氏との東海道ウォーキング(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編)、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))や、花しょうぶ祭にも行っています(2019年6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))。それ故、今日の立ち寄り先も、前を通っただけで立ち寄らなかったり、今日の記事では触れなかったりした寺社などがあります。ご興味がおありでしたら、以前の記事をご覧ください。今回の記事も、一回完結。

250608jrwalkingidagawa こちらが今日歩いてきたルートマップ。コースマップ通りに歩いてきました。マップ上は、6.4㎞です。

Img_2378c  井田川駅から亀山の町中までは旧東海道をたどっていきます。ここらあたりは、上記のように3年前に歩いています。

Img_2416c_20250608142901  最初の立ち寄り先は、石上寺(せきじょうじ)。那智山松寿院という号があります。本尊は子安延命地蔵菩薩。伊勢七福神の一つ。元は、このあたりに勧請された熊野神社の神宮寺で、大伽藍があったといいます。境内には、四国88箇所霊場巡りも再現されていました。この写真を撮っただけでパスしてきました。

Img_2427c_20250608143101  石上寺からほど近くに、和田一里塚跡。江戸日本橋から104里。慶長9(1604)年、亀山城主であった関一政が築造したもの。昭和59(1984)年、道路の拡幅にともない、それまで残っていた塚の一部がなくなり、跡地の東側のここに模式復元されたものです。

Img_2434c_20250608141501 Img_2441c  続いて、カメヤマローソクタウン。本当は、ここは立ち寄ってみたかったのですが、あいにくと10時30分からの営業でした。事前リサーチが不足。有名なカメヤマローソクが営むショップで、「ローソクを学んで!作って!買って!癒やされる!三重県亀山市の総合エンターテイメント施設」といううたい文句なのです。カメヤマローソクの工場に隣接しています。また機会があれば、訪ねることにしましょう。

Img_2476c Img_2484c_20250608141401  東海道からは離れ、さらに西に向かうと、亀山城跡に出ます。ここも何度か来ていますので、割愛。旧多聞櫓も、何度も見学しています。

Img_2508c_20250608141401  Img_2605c_20250608143701 旧多聞櫓の北側に亀山公園が広がっており、その中に花菖蒲園があります。今日・6月8日に花しょうぶ祭が開かれているのです。この菖蒲園は、平成10(1998)年に亀山城の堀跡にもともとあった花しょうぶ園が拡張整備されたもので、約4,000平米の敷地に県下最大規模の100品種、約1万2千株の花しょうぶが植えられています。

Img_2517c_20250608141401 Img_2522c_20250608141401  亀山公園は元々、亀山城藩主の別荘のあったところだそうです。また、花しょうぶは、亀山市の花になっています。

Img_2561c_20250608141401 Img_2539c_20250608141401  ステージイベントも行われ、物販店も出ており、市民の方で大賑わいでした。今年は、特に市制20周年だそうですから、より一層盛り上がっていたと思います。昨日の諸戸氏庭園と(2025年6月7日:20250607諸戸氏庭園の花菖蒲)、今日の亀山公園とで、私自身は花菖蒲を堪能しました。

Img_2618c_20250608141401 Img_2622c  亀山公園をあとにして、旧舘家住宅へ。明治6(1873)年に商家として建てられました。枡屋という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店です。土日に無料公開されています。

Img_2658cImg_2662c_20250608141401  続いて、加藤家長屋門。江戸時代後期、亀山城主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷の長屋門。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されています。

Img_2671c Img_2678c  これで立ち寄り先はコンプリート。ただし、加藤家長屋門に着いたのが、10時30分過ぎ。次の名古屋行き電車は、11時24分亀山駅発。ちょっと迷ったものの(早すぎるかと)、用意してきた弁当を食べてしまうことに。多聞櫓が見える小公園がありましたので、そこで早昼。今日も、ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥430)」。これで十分に満足。

Img_2686c  ゴールのJR関西線亀山駅には、10時55分に到着Img_2696c。今日も無事にJRさわやかウォーキングのスタンプをゲットしました。

 Img_2693c 250608105918474c ゴール受付を済ませて、駅前にある瑞宝軒へ。ここでは、東海道ウォーキングのとき、カフェの方でランチを食べたことがありますが(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))、今日は、土産を買うため。右の写真にある「亀乃尾」を買ってきました。江戸後期から続く銘菓だそうです。8個で税込み¥860。

Img_2704c  JR関西線亀山駅を11時24分に発車する快速名古屋行きに乗車。途中、四日市から快速になります。桑名駅には12時6分着、¥680。JRさわやかウォーキングに参加した人も多く、かなり混雑していましたが、早くから並びましたので、無事に座ってこられました。今日は、桑名では最高気温27.5℃でしたが、湿度が高く、若干蒸し暑い日でした。

Screenshot_20250608123026c  こちらは、いつものようにGoogle Fitのデータ。トータルで9.2㎞、15,219歩。蒸し暑かったので、ちょっと疲れました。

Screenshot-2025_06_08-14_50_57c Screenshot-2025_06_08-14_51_14c   JRさわやかウォーキングの記録は、こちら。

2025年5月31日 (土)

20250531JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」へ(一回完結)

Screenshot_20250531093455c  曇りという天気予報でしたし、桑名では、朝、晴れ間も出ていましたので、これなら大丈夫だろうと思って、JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」に行ってきました。ところが、受付のJR東海道線逢妻駅に着く頃には、雨。車内放送でも「さわやかウォーキングにご参加のお客様には、雨が降り始めましたので、足元にお気をつけてお歩きください」というアナウンスが流れたくらい。現地に近い大府のアメダスのデータでは、10時台から雨が記録されていました。

Img_1890c  桑名駅を7時48分に発車するJR関西線の普通電車に乗車。名古屋駅には8時22分着。8時31分発の東海道線の岡崎行き普通電車に乗り換え、逢妻駅には8時57分に着くはずだったのですが、熱田駅で急病の方が出て、救急隊到着まで停車。結局、この電車は運休となり、熱田駅であとから来る豊橋行き普通に乗り換え。当然、この電車も遅れていて、8時54分発のところを8分遅れで運行。逢妻駅には9分遅れの9時21分の到着。当初の予定からは30分弱遅くなりました。運賃は、¥360+¥430=¥790。名古屋駅で途中下車すると、通しで乗る¥870より、¥80安くなります。

Img_1883c 250531aiduma0  コースマップを受け取ったのですが、冒頭の画像のように15分で雨が止むと思い、しばし待機。9時50分を過ぎて、雨がほぼ止みましたので、ようやくスタート。今日のコースは、逢妻駅→刈谷市歴史博物館→亀城公園→市原稲荷神社→郷土資料館→秋葉社・松秀寺→刈谷駅がゴール。マップ上は5.4㎞。刈谷駅ではマルシェが開かれているということです。右は、実際に歩いてきたルートマップですが、コースマップ通りに歩きました。

Img_1894c_20250531160001  逢妻駅をスタートしてすぐのあたりでの写真。天気が悪くても、参加者はかなりたくさんありました。私など、普段は、天気予報がよくないと、簡単に諦めてしまいますので、反省した方がよいかも知れません。雨は降ったり止んだりを繰り返し、だんだんと強くなりました。途中からは、傘が手放せなくなりました。

 Img_1905c_20250531160001 最初の立ち寄り先は、刈谷市歴史博物館。ちょうど企画展「木札の世界ー木に書き残された歴史ー」が開かれていて、入場料金も¥600のところが、¥500で入れたのですが、空模様から見て、先を急いだ方がよかろうということで、パス。

 Img_1923c_20250531160001 Img_1970c 歴史博物館からすぐ先に亀城公園があります。亀城とも呼ばれた刈谷城址を利用した公園。現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀あとの城池、子亀池が城址の面影を残しています。桑名の九華公園と同様に、ソメイヨシノが約400本植えられており、花見で賑わうそうです。

Img_1974c  こちらは、本丸跡。正しくは「刈屋城」ですが、刈谷市が昭和25(1950)年4月に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになりましたので、城名もそれ合わせています。天文2(1533)年、水野忠政により築城。築城後、忠政は、本拠地を緒川から刈谷に移し、徳川家康の生母於大は、刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁しています。於大は父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についたため、松平氏を離縁された後、刈谷城近くの椎の木屋敷久松氏に再嫁するまでの日を過ごしています。 水野家のあとは、深溝松平家、久松松平家、稲垣家、阿部家、本多家(忠勝系)、三浦家と頻繁に城主が交代しています。 

Img_1952c  園内には十朋亭があります。日本庭園と調和し、各種会合、休憩所などに利用できます。十朋亭は、大正5(1916)年、刈谷城本丸隅櫓跡に財団法人刈谷士族会の集いの場として建築されました。その後、大野介蔵氏(刈谷藩士族、かんばん方式などの「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一の祖父)の隠居家として使われるようになり、昭和11(1936)年に刈谷町がこれを買い受けました。昭和47(1972)年には、故石田退三氏の厚意により改築され、今に至っています。私は、刈谷市内にある高校を卒業しているのですが、卒業して、第1回クラス会をここで行った記憶があります。建物の外観については、漠然と覚えているのですが、それ以外については、忘却の彼方(笑)。50年以上前の話です。

Img_1990c 本丸跡には、松本奎堂(けいどう)歌碑があります。昭和18(1943)年に建てられました。松本奎堂辞世の句「君か為 命死にきと世の人に 語りつきてよ 峯の松風」が彫られています。松本奎堂は、天保2(1831)年、刈谷藩士松本印南(いなみ)の次男として生まれました。青年期には尾張国沓掛村(現豊明市)の伊藤両村の門に入り、18歳のときには槍の試合中、あやまって左目を傷つけられました。その後、江戸に出て昌平坂学問所に学び、大変優秀な成績をあげました。勤皇の志強く、藩のいきかたにもあきたらず脱藩、文久3(1863)年、天誅組3総裁の1人として38名の同志とともに兵を挙げました。この挙兵は失敗しましたが、のちの倒幕運動の魁となりました。

Img_2010c Img_2024c_20250531163701  亀城公園に隣接して、刈谷球場があります。ここにも思い出があります。たぶん小学校6年生を卒業した春休みに中日ドラゴンズのオープン戦を同級生S君と一緒に見に来たのです。その時は、もちろんこんな立派な球場ではありません。小学校5年生になるまではジャイアンツファンだったのですが、5年生で同じクラスになったI君から、地元の球団を応援しなければならないと説得され、中日ファンに転向していたのです。今日は、愛知県高校野球連盟の招待試合として、仙台育英高校を招いて、第1試合は、中京大中京と、第2試合には、至学館高校がそれぞれ対戦する予定でしたが、中止となったようです。

Img_2067c_20250531160001 刈谷球場の南には、市原稲荷神社。白雉4(653)年、亀狭山(現在の亀城公園)に瑞兆(ずいちょう…良い事が起こる前兆)が現れ、その地に社殿を創立したのがはじまりといわれています。その後、天文2(1533)年、水野忠政の刈谷城築城により、現在の場所へ移りました。永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたとき、刈谷城は今川方であった鳴海城代岡部長教の襲撃に遭い、そのときに市原稲荷神社も焼失しましたが、同5(1562)年に再建され、初代藩主水野勝成以来の歴代刈谷藩主による寄進を始め、領内3社としての特別な崇敬を受けています。

Img_2046c_20250531160001 Img_2032c  ご祭神は、倉稲魂神保食神大山祇神の三柱。境内には、摂社、末社がいくつかありますが、こんな天候でしたから、お参りしてきたのは、刈谷神社(右の写真)のみ。もとは昭和初期まで旧刈谷城郭内にあった土井神社(明治年間の亀城殖産合名会社創設に当り土井家の藩祖利長公を祀る)。昭和18~19(1943~44)年頃、高射砲探照灯陣地備築のため、市原稲荷神社境内に刈谷士族会が社殿を移転したそうです。現在は、土井家歴代藩主、地元自治功労者、天誅組松本・宍戸両志士、日清・日露戦争以降の戦没者の英霊を併せ祀っています。

Img_2036c Img_2044c_20250531160001  境内には、小規模の花菖蒲園も。ハナショウブの生長もよく、花もきれいに咲いています。

Img_2104c_20250531160001 Img_2090c  市原稲荷神社を回ってから、亀城小学校のところにある郷土資料館へ。建物は、昭和3(1928)年10月に亀城尋常高等小学校(現在の刈谷市立亀城小学校)の本館として建設されました。この昭和初期の建築様式をとどめる亀城小学校旧本館の建物を保存活用して、昭和55(1980)年に開館しています。国の登録有形文化財。実は、私の出身高校が、旧制中学として大正8(1919)年4月に設立されたとき、刈谷町立亀城尋常高等小学校の一部を仮校舎としてスタートしています。建物の時代は異なりますが、その頃の雰囲気が少しは感じられるかと期待していたのです。

Img_2108c_20250531160001 Img_2116c_20250531160001  郷土資料館の庭には、下町の常夜灯と、丸形ポスト。下町の常夜灯は、現在の銀座6丁目の角にあったそうです。昔は、この角が旧熊村と、旧刈谷町の境になっていて、夜道を急ぐ人びとの目印になったそうです。大正時代までは、昔の姿で立っていたとか。丸形ポストは、刈谷市に現存する唯一のものだとありました。昭和42(1967)年6月に富士見町に設置されたもの。

Img_2125c  郷土資料館のすぐ先に刈谷藩校文礼館跡。文礼館の前身は、土井氏が西尾藩主であった時に藩士の子弟教育のために設立した藩校だといわれています。土井氏は刈谷に転封後、天明3(1783)年に美濃出身の儒者秦子恭を教授として招き、文礼館を開きました。一時は途絶えましたが、慶応4(1868)年5月に再興されました。明治期には刈谷義校(初等学校)に転換。明治6(1873)年には第一番小学刈谷学校となり、明治19(1886)年には尋常小学刈谷学校となっています。この学校は明治41(1908)年に亀城尋常高等小学校となり、現在は刈谷市立亀城小学校となっています。

 初めの方に書きましたが、刈谷には高校に通っていたのですが、今はもはや浦島太郎状態。すっかり変わってしまっていて、どこが何だかまったくといって良いほど分かりません。まぁ、高校時代も、名鉄三河線刈谷市駅で降りて、高校に往復するくらいで、あとはたまにラジオ部品を、当時あった中央無線に買いに行った程度ですから。

Img_2135c_20250531160101Img_2143c  スタートから3.5㎞の手前で秋葉神社。松秀寺の境内にあります。ご祭神は、迦具土神。火の神様。宝暦4(1754)年に、刈谷城下の6町の有志の発起により、松秀寺境内に秋葉堂を建立する提案がなされ、宝暦6(1756)年に秋葉堂が建てられ翌年から祭りが行われました。安永7(1778)年になり、各町組ごとの出し物に笛・太鼓で拍手をとる形態に変わり、この年に初めて万燈が登場しています。出し物は次第に万燈に統一され、秋葉祭礼は「万燈祭」ともいわれるようになりました。つまり、この秋葉神社が、万燈祭の起源。万燈祭は長い伝統を受け継ぎ、火難防除・町内安全の感謝と祈りを込めて現在も続いており、県指定無形民俗文化財に指定されています。

Img_2188c  秋葉神社の隣が円通山松秀寺。曹洞宗。Img_2164c寺伝によると、寛正4(1463)年、十王山松秀寺と号したのを始めとし、その後、正徳5(1715)年に幡豆郡長円寺第13世通方円達和尚が当寺にきて、曹洞宗として中興開山となり、山号を円通山に改めています。

Img_2193c_20250531160101 Img_2160c  観音堂に祀られている十一面観世音菩薩立像は、延宝4(1676)年、刈谷の町人太田忠右衛門長正が寄進したもので、市指定文化財になっています。境内には、天誅組に参加した宍戸弥四郎の墓があるそうですが、墓そのものは見てきませんでした。右の写真は、山門前にある宍戸弥四郎の墓碑があることを示す石碑。しかし、天誅組の中心メンバーが、刈谷藩を脱藩した松本奎堂や宍戸弥四郎らであったというのは、不勉強にして知りませんでした。

Img_2214c Img_2222c  これで立ち寄り先は、コンプリート。雨はいよいよ強く、時折強い風に煽られます。こんな日に来るんじゃなかったとは、ウォーキングに出かけたとき、ときどき思いますが、今日もまさにそれ。県道51号線に出て、ゴールの刈谷駅を目指します。名鉄三河線に沿って、JR東海道線を目指して歩いています。途中、デンソー本社あたりも見えます。

Img_2232c Img_2237c_20250531160101  東海道線の跨線橋を越えていくと、ようやくゴールのJR東海道線刈谷駅が見えてきます。雨の降る中、よく歩いてきました(自画自賛ですから、お気遣いなく)。11時20分過ぎにゴール。1時間半で5.4㎞を歩いてきたことになります。JRさわやかウォーキングのゴール受付の手前でマルシェが行われています。

Img_2242c_20250531160101 250531jrwalkingaidumadryellow  こちらがJRさわやかウォーキングのゴール受付。受付でさわやかウォーキングについてのアンケートを実施していました。スマホでQRコードを読み取り、ネット上で行うもの。これに回答すると、右の写真のカードがもらえるということで、協力して、1枚いただいてきました。ドクターイエローなど、新幹線の車両が写っています。

Screenshot_20250531113350c  Screenshot_20250531113340c今回も無事にポイントをゲットできました(左の写真のもっとも上にあります)。右の写真は、最近のJRさわやかウォーキングの記録。今日までの1年で歩いたのは、50.1㎞。刈谷駅を11時25分に出る岐阜行き普通に乗って、名古屋駅には11時56分着。12時06分の関西線亀山行き快速に乗り換えて、桑名には12時28分着。運賃は、往きと同じく、¥430+¥360=¥790。

Screenshot-2025_05_31-13_15_08c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.5㎞、12,991歩。普段の散歩に毛が生えたくらいでしたが、雨に降られましたから、その分、疲れました。できれば、刈谷駅に隣接する駅前観光案内所へ行って、土産を探したいと思っていたのですが、その気力はなし。リンク先にある、きしめんのルーツともいわれる「いもかわ(芋川)うどん」に関心があったのです。

2025年4月26日 (土)

20250426近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」へ(一回完結)

20250426kintetsuhikingshiohamamap  今日も4~5m/sの風が吹いていたものの、天気は良く、気温も23.4℃まで上がり、ハイキング日和です。予定通りに、近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」に行ってきました。JRさわやかウォーキングとの共同企画。ファミリー向きとなっていますが、コースマップ上は、7.6㎞あります。

Img_0604c  受付は、近鉄名古屋線塩浜駅で8時半から12時。急いで行く必要はありませんから、桑名駅を8時10分に出る、近鉄津新町行き普通電車に乗車。塩浜駅には8時45分に到着。¥430。コースマップを受け取り、8時50分を過ぎた頃スタート。

250426siohama0  こちらが実際に歩いてきたルートマップ。塩浜駅東口から近鉄名古屋線沿いに北に進み、塩浜一六三八市場、海山道神社を経て、鹿化川の手前で左折、西に向かいます。中央緑地公園を経てさらに西に。日永1丁目に入って、四日市あすなろう鉄道線の東で右折。ここからはしばらく旧東海道を歩き、この味本舗へ。いったん国道1号線に出て、その後、再び、旧東海道に入ります。諏訪神社までのスワマエ商店街は、旧東海道にあります。諏訪神社から東へ。太白永餅の金城軒に立ち寄って、JR関西線四日市駅がゴール。今回も、記事は一回完結。

Img_0618c  まずは、塩浜一六三八市場。近鉄名古屋線の海山道駅と、塩浜駅の間の線路沿いにありますので、以前からこの存在は知ってはいました。しかし、もちろんここに来る機会はありませんでした。こちらに四日市の定期市のリストがありますが、その名の通り、1、3、6、8のつく日に市が立ちます。昭和31(1956)年に開設されたという、私とほぼ同年齢の市場。そのせいか、昔懐かしさが感じられました。

Img_0631c_20250426142901  Img_0622c_20250426142901せっかくの機会ですから、内部を一通り見てきました。履物屋さん、陶器屋さん、八百屋さん、和菓子屋さんなどいろいろの店が出ていました。規模はさほど大きくはありません。一見すると、倉庫のように見える、昭和の雰囲気が漂う建屋内で市が開かれてます。雨等の悪天候でも気にせず買い物が楽しめそうです。和菓子屋さんのみたらし団子が気になりましたが、パス。

Img_0638c Img_0646c_20250426142901  続いて、海山道神社。近鉄ハイキング初心者の頃に訪ねたことがあります(2018年3月23日:近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)。本来は、洲崎濱宮神明神社(すざきはまみやしんめいじんじゃ)が本社で、海山道神社はその境内社でしたが、今は、海山道神社の方が大きくて有名になっています。詳しいことは、リンク先の記事をお読みください。

 さらに近鉄の線路沿いを進みます。Img_0662c_20250426142901こんなところもあって、いろいろの電車が通り、電車が嫌いではない私には、ちょっとした楽しみでした。

Img_0753c_20250426142901 Img_0720c  スタートから3㎞ほどで中央緑地公園に到着。結婚当初、しばらく四日市に住んでいましたが、その頃、何度か来たことがあります。現在は、体育館やフットボール場、ランニングコースなどのスポーツ施設がある緑地公園です。東京五輪2020に出場した選手が利用することもあるそうです。カフェやレストラン、遊具、広場などもありますから、誰でもが楽しめるでしょう。

Img_0778c Img_0795c_20250426142901  スタートから4㎞半ほどのところで、旧東海道に入ります。旧東海道は、すでに何度も歩きましたが、これまでは、下る方向でした。今日は、上っていきますので、この方向に歩くのは初めて。ちょっと新鮮でした。ルートマップでお分かりのように、四日市あすなろう鉄道線と平行していますので、あのナローゲージの電車が懸命に走っていくのが見えるところが何ヶ所もあります。この路線は、かつては近鉄内部線・八王子線でした。

Img_0783c_20250426142901 1745629432500c  旧東海道に入ってすぐ、西側に大宮神明社。4年前の「歩いて伊勢詣りツアー」のときに立ち寄っていますので(2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ)、今日はパス。ご祭神は、天照大神。由緒は不詳ですが、社伝によれば第11代・垂仁天皇の御代、皇大神宮が伊勢にお遷りになる時に岡山の丘陵地(現在、四日市南高校があるところ)に一時お留りになり、そこに神宮の神領地として皇大神宮を勧請したのが始まりとされています。詳しくは、リンク先の記事にあります。ちなみに、四日市市内の旧東海道には、右の写真のような幟旗が、各所に掲げられています。桑名も見習うとよいと思います。

Img_0808c  この味本舗です。うまみ調味料である「この味」という製品を製造販売しておられます。独自の製法により作られた“手作り限定生産品”で、かつお、昆布、椎茸の「うまみ成分」と「塩」で作られており、ジャンルを問わず、醤油や塩を使った料理なら、何にでも使えるそうです。料理の味が引き立つということですが、「買わなくてよい」といわれておりましたので、パス。

Img_0840c_20250426143001  このあと、いったん国道1号線の方を回り、諏訪栄町交差点から再び、旧東海道に向かいます。写真は、諏訪栄町交差点から近鉄百貨店四日市店、近鉄四日市駅方面を見たもの。

Img_0844c Img_0849c_20250426143001  初めの方にも書きましたが、このスワマエ商店街が、旧東海道にあります。ここも何度も来ていますが、けっこう盛り上がっています。

Img_0854c_20250426143001  お馴染み、大入道の、首が伸び縮みする大きな模型もあります。実物は、ずっと首が伸び縮みしています。

Img_0866c Img_0879c  スワマエ商店街を抜けたところに諏訪神社が御鎮座。ここも何度も訪ねています(たとえば、2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。鎌倉時代初期の建仁2(1202)年、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっています。主祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト;事代主神(コトシロヌシノカミ)ともいいます)で、四日市・浜田の総産土神とされます。

Img_0900c_20250426143001 Img_0904c  諏訪神社にお参りして、国道1号線を越えて東へ。JR関西線の手前に太白永餅の金城軒があります。今日は、ここの太白永餅を買おうと思ってきました。同じように思われた方が多かったようで、店の外まで行列。並んで待って、無事にゲット。ばら売りは、1本¥120で、6本を購入。

Img_0921c_20250426143001  金城軒からゴールのJR関西線四日市駅はすぐ。10時55分頃に到着。2時間あまりで7.7㎞を歩いてきました。けっこう速いペースだと自分でも思います。

Img_0914c_20250426143001 Img_0908c  今日は、ここで近鉄の抽選会。ここしばらく、抽選会では負け続けていましたが、今日は、祝!!ご当選。お茶のペットボトルが当たりました。もう1ランク上でしたら、あの「この味」がもらえたのですが……。

Screenshot_20250426114046c Screenshot_20250426114058c  今日の近鉄ハイキングは、アプリ連動ハイキングで、チェックポイントでチェックインして、デジタルスタンプをもらい、すべてチェックインすると、踏破賞がもらえます。左の画像で、最上段が今日ゲットしたデジタルスタンプ。右の画像で、左上が、今日の踏破賞。

Img_0917c Screenshot_20250426105738c  JRさわやかウォーキングの方でも、ポイントをもらって、完了。

Screenshot_20250426084903c  ちなみに、スタートの塩浜駅では、エキタグのデジタルスタンプを忘れずにゲットしてきました。近鉄の係員の方が、「うまくゲットできましたか?」と聞いてくださったのですが、この方もエキタグをやっておられるということでした。

Img_0932c  11時10分、JR四日市駅始発の名古屋行き普通に乗車。桑名駅着は、11時26分で帰宅。空いていて、楽チン。¥250。

Screenshot_20250426114453c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは10.34㎞、歩数は16,407。

Img_0939c  太白永餅です。桑名のなが餅でいうと、安永餅本舗 柏屋さんのものに似ていて、これは私の好み(笑)。という次第で、いつもと違うコースで旧東海道も愉しめ、しっかり歩いてきました。201回目のハイキング/ウォーキングも無事終了です。

 

 

2025年4月22日 (火)

ハイキング/ウォーキング200回の記録

 4月20日の記事にも書きましたが(20250420JRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」へ……ハイキング/ウォーキング200回記念(一回完結))、この日にJRさわやかウォーキングに参加して、ハイキング/ウォーキング200回を達成しました。ハイキング/ウォーキングに行くようになったのは、2017年のことでした。最初は、2017年10月5日に「勝手にハイキング」と称して、「朝日町歴史散歩」に行きました。JR朝日駅から朝日町歴史博物館まで、4.0㎞を歩いたのです( 2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。このときは、まさかハイキング/ウォーキングにハマるとは思ってもいませんでした。このときは、この日のしばらく前に桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたところ、涼しくなってきたので「歴史散歩」として出かけたのです。

 ハイキング/ウォーキングにはハマったきっかけは、この年の11月25日に出かけた「JRわやかウォーキング『~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き』」でした(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。この日は、朝5時過ぎに起き出して、ネット検索をしていたら、四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング『~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き』」があるのを知り、何を思ったか忘れましたが、出かけたのです。これが、現在に至るまで、ハイキング/ウォーキングにハマったきっかけでした。

 200回のうち、JRさわやかウォーキングが32回、近鉄ハイキングが81回、勝手にハイキング(自分で行き先、ルートを考えたもの)が86回、近鉄のあみま倶楽部ハイキングコースを歩いたのが1回で、合計200回となりました。200回で使った鉄道・バス運賃は合計¥196,110、現地で歩いた距離の合計は1568.1㎞。これに自宅から桑名駅往復が約2㎞ありますから、200回で400㎞。したがって、200回のハイキング/ウォーキングで歩いたのは、1968.1㎞あまりと思われます。昼食代には¥82,511を、また、土産代には¥78,163を使っています。運賃も含め、合計では¥356,784。これが多いのか、少ないのかの判断は難しいところですが、1回あたりにすれば、¥1,784ですから、レクリエーションとしてはさほどの金額ではないと思います。むしろ、この費用であちこち出かけ、見聞を広げられたとすれば、安いものといえましょう。

 ハイキング/ウォーキングについては、すべてブログの記事にしてありますし、一覧のリストも最近つくりました。旧桑名発達臨床研究室のサイトをモデルチェンジし、そこにハイキング/ウォーキングに関わる記事を載せたいと思っています。まだ具体的には考えていませんので、これがいつ実現するかは分かりません。

 また、これからも引き続き、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに、また、勝手にハイキングを企画して、歩きに行こうと思っています。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングについては、すでに行き尽くしたという感じもありますから、自分で企画しなければいけません。近鉄あみま倶楽部のハイキングコースも制覇したいと思っています。普段の散歩では、バードウォッチングをしてますが、それは実は、ハイキング/ウォーキングに出かけるためのトレーニングをしているという意味もあります。普段歩いている距離の倍くらいまでは、十分に歩けます。

2025年4月20日 (日)

20250420JRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」へ……ハイキング/ウォーキング200回記念(一回完結)

Img_0146c  曇りときどき晴れという予報で、雨は降りそうもありませんでしたので、予定通りにJRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」に行ってきました。桑名では最高気温は、23.9℃。春日井も同じくらいだったでしょう。少しむしっとする感じで、汗をかいたくらいです。JR中央線勝川駅で8時半から12時が受付でしたので、JR関西線桑名駅を7時48分に発車する名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時22分着。中央線の神領行き普通、8時29分発に乗り変えて、勝川駅には8時47分に到着。通しで支払うと¥690ですが、名古屋駅でいったん改札を出て、再入場すると、¥360+¥250=¥610。近郊区間の扱いで安くなるのです。今日の記事は、一回完結。一人旅。

250420jrwalkingmapkachigawa 250420routmap  こちらが配付されたコースマップ。右は、実際に歩いてきたルートマップ。勝川駅がスタート&ゴール。立ち寄り先は、道風記念館、太清寺、リニア中央新幹線勝川非常口の3ヶ所のみ。あとはひたすら7.7㎞を歩くという設定でした。

Img_0161c Img_0164c_20250420151901  JR勝川駅南口を8時50分過ぎにスタート。地蔵川を越え、名古屋第二環状線(名二環)を越えていきます。名二環という高速道路は、何度もこのあたりを通ったことがありますが、まさかその下を歩くとは思ってもみませんでした。道中、見るべきところは特にありません。

Img_0230c_20250420151901  春日井市道風記念館には、9時20分頃に到着。道風(とうふう)というのは、小野道風(おののとうふう)のこと。平安中期の書家。尾張の人ですが、春日井市には、古くから小野道風の誕生伝説があるのです。書道にすぐれ、和様発達の基礎を築いた、三蹟の一人。春日井市では、小野道風をたたえ、末永く後世に伝えたいと、昭和56(1981)年に、道風誕生の地と伝えられ、小野朝臣遺跡碑の建つ、ここ松河戸町に春日井市道風記念館を開館しています。全国的にも数少ない書専門の美術館であり、また書道史の研究施設でもあります。小野道風について、私は子どもの頃学校で習った記憶があるのですが、家族に聞いても、皆、「それ誰? 小野妹子なら知っている」という答え。小野氏の祖先が小野妹子ですから、道風は妹子の子孫。また、道風が書の達人と見なされる以前、自分の書く文字に満足できないでいた時、気晴らしに散歩に出たら、カエルが懸命に柳に飛びつこうとしているところに遭遇しました。カエルは諦めずに何度も飛びつこうとし、10回目にやっと飛びつくことができ、虫を捕らえました。これを見て、道風は、辛抱強くがんばろうと決意したという話もあります(たとえば、こちら)。道風記念館へは、団体料金の¥80で入館。

Img_0277c Img_0259c_20250420152001  記念館は、道風公園の中にあります。ここは、上記のように、道風の誕生地とされ、公園内には、小野社という神社があります。この祠のある場所は、古くから「小野道風屋敷跡」といわれていて、社の前には「小野朝臣遺跡之碑」という江戸時代に建てられた石碑も建っています。小野社は、元はここにあった八幡社の境内社であったという説もあります。小野道風の顕彰活動について、地元自治会の資料がこちらにあります。

Img_0316c_20250420152001 Img_0360c_20250420155901  道風記念館をあとにして龍源山太清寺(たいせいじ)に向かいます。道風記念館からはほぼ西に2.5㎞行ったところ。ここ太清寺は、臨済宗妙心寺派。かつては醍醐山龍源寺と呼ばれ、徳川家康の逸話が伝えられています。天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山から長久手に向かうとき、ここの阿弥陀堂(十王堂とも、現在のものは、右の写真)で休憩しました。家康が「ここは何というところか」と尋ね、庄屋の長谷川甚助が「勝川村です」と申し上げたところ、「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ」と喜んだといいます。また、そこで牡丹餅を食べようとしたところ、箸が一本折れてしまい、家康は顔を曇らせたのですが、甚助が「これはまさしく天下が一本になる予兆です」と申し上げたところ、破顔したとか。寺の前にあった兜の形に似た塚を見て勝ちを確信し、付近の竹やぶで旗竿を切り、全軍に甲冑をつけさせ、出陣したそうです。その後、家康は秀吉軍との戦いに見事勝利し、江戸時代には、勝川の旗竿は吉兆の品として、尾張徳川家へ毎年献上されたそうですし、勝利した際に家康が身に着けていた鎧兜は、大変縁起が良い「勝川の具足」として大切に扱われたといいます。

Img_0343c_20250420152001  こちらは本堂。ほかに薬師堂もあります。龍源寺は寛文3(1663)年に寺号を龍源山太清寺と改めています。現在の十王堂(阿弥陀堂)は、昭和55(1980)年に再建されたものです

Img_0334c  Img_0352c 太清寺で目立ったのが、藤と、ドウダンツツジ。藤はきれいに咲いていて、見事でした。ドウダンツツジ(右の写真)はかなり大きな木でした。ドウダンツツジの生長はゆっくりだと聞きますので、ここまで大きな気になるのにはかなりの年月がかかったものと思われます。

Img_0519c_20250420152001 Img_0400c  そして、いよいよ「リニア中央新幹線勝川非常口」の見学へ。工事現場に着いたのは、10時15分頃。ここまで5㎞あまりを歩いてきました。まずは、リニア中央新幹線の説明パネルを一通りチェック。動画も上映されていましたが、これはパス。

Img_0457c_20250420152001 Img_0461c  非常口の見学については、私がここに着いた時点で約25分待ちとのこと。1組、約1分で順番に案内され、それぞれにJR東海の職員の方が付いて、説明をしてくださるということでした。普段なら並ぶことは大嫌いで、「並んで待たなければいけないのなら、もういい」と思うのですが、ここはじっとガマン。

250420103254567c Img_0499c_20250420152001  安全のため、観覧場所は指定され、さらに安全ネット越しに見るようになっていました。超望遠コンデジと、スマホで撮影したのですが、こんな写真しか撮れず、残念。外径は40m、穴の深さは66m、右の写真で下の方に横穴(シールドトンネル)が見えますが、ここがリニア中央新幹線が通るトンネル。ここを上下線が走りますから、外径は14mです。非常口となる立坑は、約5㎞おきに設置され、非常時の客の誘導や、トンネル内の換気、保守作業に使われるそうです。この近くでは、神領、名城でもつくられています。立坑内には、現在は、何も設置されていませんが、営業のときには、換気設備(ファン)、静音設備、微気圧波対応設備、エレベーター、階段などが設けられるといいます。

Img_0429c Img_0452c  これらは、説明パネルを撮った写真。手がかりが少なくて恐縮ですが、上の2枚の写真とあわせて、想像力をたくましく働かせていただければ、幸いです。JRの方は親切に、丁寧に説明してくださり、拙い質問にもきちんと答えていただきました。何度か書きましたが、この年ではリニア中央新幹線に乗ることはできないかも知れませんから、せめて関連施設だけでも見たいと思って出かけた甲斐がありました(微笑)。JR東海による工事概要は、こちらにあります。

Rinia  ちなみに、出かける前にグーグル・マップで見たら、この画像のように、すでにリニア中央新幹線勝川非常口が載っていました。赤枠で囲んだところがそれです。

Img_0561c_20250420152001 Img_0568c_20250420152001  リニア中央新幹線勝川非常口からまた2.5㎞ほど歩いて、ゴールの勝川駅に戻ったのは、11時10分頃。スタートは南口でしたが、ゴールは北口。ゴール受付を済ませ、10ポイントをゲット。コースマップ上では、歩いた距離は7.7㎞、2時間20分ほどを要しました。

Img_0574c  JRの職員の方の手作り顔出しパネルなどもあって、リニア中央新幹線のPRにはかなり熱が入っているようです。

Img_0584c  リニア中央新幹線勝川非常口も無事に見られ、JR勝川駅を11時27分に出る名古屋行き普通で帰宅の途へ。名古屋駅に11時46分着。12時6分発の関西線亀山行きの快速に乗り換え、桑名には12時28分着。往きと同じく、名古屋駅でいったん改札を出て、料金は¥80を節約し、¥610。

250420120017836c 250420115143706c  名古屋駅で乗り換えの間に、中央線7・8番ホームにある立ち食いきしめんの店で昼食を済ませてきました(微笑)。朝、中央線の電車に乗ったときに、この店が見えましたので、帰りにぜひとも食べようと思ったのです。きしめん住よしで、かき揚げきしめん(¥660)をチョイス。かき揚げは、その場であげてもらえます。いやぁ、とても美味しくいただきました。

Screenshot_20250420124902c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。合計で10.18㎞、16,717歩を歩いてきました。

2024年12月28日 (土)

2024年ハイキング/ウォーキングのまとめ

 令和6(2024)年も近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングに参加する一方で、自分で計画した「勝手にハイキング」にも出かけました。計18回。残念ながら、令和5(2023)年よりも4回減っています(2023年12月30日:2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ)。以下、時系列に沿って今年のハイキング/ウォーキングのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2024年1月14日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」
4824e8b5 4bce265e  高田本山専修寺は好みのお寺ですし、お七夜も気に入っていますから、近鉄ハイキングのこの企画には、毎年のように参加しています。近鉄高田本山駅から、下津醤油直売所、一身田寺内町の館、高田本山専修寺、魚歳食品㈱はんぺい茶屋、三重県総合博物館と回って、近鉄津駅がゴール。現地で歩いたのは、10.0㎞。立ち寄り先が少なく、ただひたすら歩いたという感じでした。近鉄料金は、¥1,660。昼食は、私のお気に入りの 津駅ビルチャムの2階にあるそじ坊で「鴨南蛮(¥1,200)」 。土産に、専修寺で総本家春乃舎の「おこし(ミックス5つ入りで¥900)」。

2024/1/14:20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結)

2.2024年1月26日:津島神社初詣ウォーキング
D0647da8 E21ae542  同級生K氏とのウォーキング始めに、津島神社に初詣するウォーキングを計画しました。私自身は津島には初めて出かけましたが、歴史のある、見どころの多いところでした。名鉄津島駅をスタートし、天王通を進み、途中あちこち立ち寄りながら、主に津島神社、天王川公園を見て回り、本町筋を経て天王通に戻り、津島駅にゴールしました。7.2㎞。鉄道料金は、JR、名鉄の往復で¥1,000。昼食は、呼び込みに答えて、古民家カフェ・なすがままで「ランチ(コロッケ、税込み¥880)」 。土産には、総本家角政で「くつわ」「あかだ」のミックス(¥200)。

2024/1/26:20240126津島神社初詣ウォーキング(予告編)

2024/2/2:20240126津島神社初詣ウォーキング(その1)……常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡へ

2024/2/3:20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ

2024/2/4:20240126津島神社初詣ウォーキング(その3)……瑞泉寺、六角地蔵、本町筋、坂井町の井戸、津島神社道標、堤下神社を経て「なすがまま」で昼を食べ、津島神社にゴールにて「完」

3.2024年2月24日:はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング
E1c2e0b4 3d1b0c6b  はだか祭りで有名な国府宮神社に行ったことがありませんでしたので、同級生K氏と行ってみようということになり、はだか祭りが行われた翌々日、稲沢市を訪ねました。JR稲沢駅から、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)を経て、JR稲沢駅がゴール。JR利用で、料金は¥1,180。はだか祭に奉納された大鏡もちが、切餅として授与されているなど、期待したとおり、裸祭の余韻に浸ることができました。現地で歩いたのは、7.5㎞。昼食は、台湾料理盛源美食城で「Bランチ(チャーハン&唐揚げ3個、¥780)」 ¥780。

Bf37f324  国府宮神社で奉納された鏡餅の「切餅(小1個が初穂料¥100ということで、4個)」 を授与していただきました。

2024/2/24:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編)

2024/2/26:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

2024/2/27:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

4.2024年3月2日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」
Ccdac393 60e95462  酒蔵みてある記は、タイトル通り、酒蔵を訪ね、試飲ができ、お酒などの直売もあるという魅力的なハイキングです。この丸彦酒造の三重の寒梅は、とくにお気に入りなので、これを見逃す手はありません。同級生K氏と二人旅。近鉄伊勢松本駅から、松井神社、上布田遺跡から丸彦酒造を経て、近鉄伊勢川島駅がゴール。歩いたオンは5.1㎞。近鉄料金は往復で、¥960。同級生K氏は、抽選会で特賞「吟醸 三重の寒梅 金箔入1.8L」を引き当てるという大金星。お陰で、私は、試飲2杯をおごってもらいました。土産には、「純米吟醸 三重の寒梅 大寒しぼり」(¥1,600)と、吟醸「三重の寒梅」のワンカップ(¥300)を購入。

2024/3/2:20240302近鉄ハイキング酒蔵みてある記「 銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(一回完結)

5.2024年3月3日:JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」
744e095c 85c2a83c  この企画は以前にもあり、ぜひ参加したいと思っていたものです。「隠れ古道」というところにとても惹かれたのです。 JR亀山駅から南に向かい、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道をたどり、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ね、JR亀山駅がゴール。現地で歩いたのは、10.6㎞。JR料金は、¥1,360。昼食は、ファミマの「明太海苔弁当(¥460)」を亀山駅の待合室で。土産には、亀山駅に出ていた臨時販売ブースで、関宿の銘菓である「志ら玉(2個で¥240を2つ)」。

2024/3/3:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

2024/3/5:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ

2024/3/6:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その2)……松月地蔵、忍山神社から野村・京口門跡あたりへ

2024/3/7:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

6.2024年3月17日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」
421f7002 B8fc1b68  酒蔵みてある記は、各地で行われますが、この旭酒造も以前から訪ねてみたかったところでした。ただ、近鉄明星駅から遠くて、立ち寄り先も少ないので、これまでは参加をためらっていました。しかし、馬齢も重ねてきましたので、「行きたいところがあれば、サッサと出かけよう」と考え直した次第。近鉄明星駅から田園地帯をひたすら歩き、伊勢旭酒造、佐々夫江行宮跡、カケチカラ発祥の地記念碑、隆子女王の墓、史跡公園さいくう平安の杜と回って、近鉄斎宮駅がゴール。現地で歩いたのは、10.4㎞。近鉄料金は、¥2,580。昼食には、ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥390)」を買っていき、斎宮の杜にて食べてきました。旭酒造の「純米大吟醸酒(4合瓶、¥1,500)」、「斎宮せんべい(¥450)」を土産に購入。

2024/3/17:20240317近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」へ(一回完結)

7.2024年3月27日:「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」
Cc127b57 Fe5a5269  同級生K氏と、名鉄国府宮駅から宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなど美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりから、南に足を延ばして、性海寺を経て名鉄奥田駅にゴール。現地で歩いたのは、9.7㎞。近鉄と名鉄の料金は、往復で¥1,790。昼食はあらかじめリサーチしておいた、奥田駅に隣接するコーヒーショップ・エデンにて「イタリアンスパゲッティ(¥700)」。昭和の雰囲気たっぷりの喫茶店でした。

2024/3/27:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

2024/3/31:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

2024/4/1:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

2024/4/2:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

8.2024年4月27日:近鉄・三岐鉄道合同 近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」
3d756a75 C09e8996  朝日町は何度も訪ねていますが、今回の私の主たる目的は、稲垣酒造場。近鉄伊勢朝日駅から若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、夢菓子工房ことよ、新清月、ほしの湯、ロピア桑名 サンシティ店と回って、三岐鉄道星川駅がゴール。歩いたのは、9.3㎞でしたが、白梅の丘を越えるのはけっこうキツいルートでした。鉄道料金は、近鉄、三岐鉄道を合わせて¥480。土産に、稲垣酒造で「御山杉 純米吟醸(¥1,500)」.途中の夢菓子工房ことよ白梅の丘店で、みたらし団子2本をイートイン(1本¥75)。星川駅で行われていた抽選会ははずれで、ウェットティッシュ。
2024/4/27:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結)

9.2024年4月29日:近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」
59fbb385 Fe3d7c60  今回は、近鉄ハイキングと名鉄ハイキングの合同企画。近鉄烏森駅から、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。近鉄烏森駅を利用したのは、初めて。萱津神社は、全国で唯一の漬物の神社。現地で歩いたのは、8.8㎞。近鉄・名鉄料金は、合計 ¥1,270。 萱津神社のマルシェでよし田屋という津島の店の「えびしそ天むす(¥250)」。これが昼食代わり。太陽食品工業で「太陽ソースのミニパック」2個がプレゼントされました。

2024/4/29:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(予告編)

2024/4/30:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その1)……烏森駅から日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店から豊国参道「九の市」へ

2024/5/2:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」

10.2024年5月3日:近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」
F9d3c868 F04307c3  地元桑名での開催ということで、立ち寄り先は熟知していますので、地図がなくても歩けますが、真面目にコースマップにしたがって歩くことにしました。娘と同行。徒歩で近鉄桑名駅へ向かい、ここがスタート。寺町商店街・三八市、桑名宗社、とらや饅頭、九華公園、赤須賀神明社、はまぐりプラザ、中川ベーカリー、アイス饅頭の寿恵広から近鉄益生駅がゴール。歩いたのは、7.5㎞。益生駅から桑名駅の近鉄が、¥180。益生駅での抽選会ではハズレ。参加賞に鉄道シールをもらいました。

2024/5/3:20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)

11.2024年5月11日:JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」
Be930a51 E4d72536  依佐美送信所は、長波送信設備と、刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた高さ250mのアンテナ鉄塔8基がありました。太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に用いられ、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されたといいます。私は、刈谷市にある高校に通っていましたが、冬になると体育の時間にこのアンテナ鉄塔のあたりを走らされた記憶があります。JR刈谷駅からから、刈谷市美術館、依佐美送信所記念館、フローラルガーデンよさみ、ミササガパーク、刈谷市交通児童遊園と回り、7.2㎞。途中で勝手に、母校の高校に立ち寄って外から様子を見てきました。現地で歩いたのは、9.3㎞。JR料金は、¥1,580。

2024/5/11:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(一回完結)

2024/5/12:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編)

12.2024年5月17日:「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」
 吉崎海岸のハマヒルガオは、かつて2回ほど、近鉄ハイキングの企画で見に行ったことがあったのですが、2回とも見頃ではありませんでした(2018年5月19日:近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完)、2019年6月22日:20190622近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」……昨年のリベンジなるか?(完))。 前日の中日新聞朝刊に四日市市楠町の吉崎海岸でハマヒルガオが見頃を迎えているという記事がありましたので、これは行かなくっちゃということで、急遽出かけたという次第。近鉄北楠駅から途中、楠中央緑地に立ち寄ったのみで、吉崎海岸まで往復して、6.8㎞。ゴールも近鉄北楠駅。運賃は、往復で¥980。

2024/5/17:20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)

13.2024年6月8日:「斎宮の花菖蒲群落へ」
3ffcfa71 925817f6  前日の中日新聞松阪版に「ハナショウブ もうすぐ見頃 明和・斎宮の群落」という記事が出ていました(中日新聞の電子版を契約していますと、紙媒体で定期購読している以外に、ネットで各地の地方版を読めるのです)。ここのハナショウブは、5年前、近鉄ハイキングで見に行ったことがあったのですが(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、そのときはまだ早かったようで、あまり咲いていませんでした。平野で野花菖蒲の群落が見られるというのは珍しいので、もう一度見てみたいと思っていましたので、またもや「思い立ったが吉日」で、早速娘と見に行ってきました。近鉄斎宮駅からさいくう平安の杜、花菖蒲群落、北野公園、歴史の道、塚山古墳群、斎宮歴史博物館、古代伊勢道、1/10史跡全体模型を経て、いつき茶屋で昼食を摂って来ました。歩いたのは、7.6㎞。 近鉄料金は、往復で¥2,580。いつき茶屋で食べたのは、「いつきうどん(¥550)」。土産には、松阪駅で乗り換えの待ち時間に、あら竹商店販売所で「モー太郎寿司(¥1,200、1個)」。斎宮歴史博物館で「伊勢擬革紙」ガチャ(¥500)と、「斎宮ガイドブック」(¥1,000)をゲットしてきました。

2024/6/8:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)

14.2024年9月11日:あみま倶楽部「久居散策」
9ac42eeb 05e59e99  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、とても暑かったものの、歩きに行くことにしたのです。三交バスで近鉄久居駅へ。近鉄久居駅からはあみま倶楽部のハイキングコースにしたがって、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚、 高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴール。歩いたのは、7.0㎞でしたが、猛暑で汗だく、ヘトヘト。三交バスの榊原館前~久居駅往復が、¥1,160。

2024/9/11:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)

2024/9/13:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る

2024/9/15:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

15.2024年10月20日: JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」
904ed494 904ed494  何度か歩いたところですが、臨港橋と末広橋の2つの可動橋が見られますので、参加してきました。JR四日市駅から、思案橋、稲葉翁記念公園、プロムナード、臨港橋、末広橋梁と歩いてJR四日市駅に戻る、5.1㎞のコース。JR料金は、往復で¥500。

2024/10/20:20241020JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」へ(一回完結)

16.2024年10月26日: JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」
C1198e41 3f0cd5fc  この企画には、能褒野神社を訪ねるルートがありましたので、ぜひとも参加したかったのです。能褒野神社には、日本武尊のお墓があるのです。JR井田川駅をスタートして、みどり町という住宅団地を通り、安楽川を越えて能褒野神社へ。少し戻って田園地帯を抜けて中の山パイロットという集合茶畑から亀山公園、旧亀山城多聞櫓を経て、亀山駅にゴール。歩いたのは、10.8㎞でしたが、コースの各所にかなりのアップダウンがあり、相当の運動量でした。しかし、念願であった能褒野神社を訪ねられ、満足。昼食は、あらかじめ買っていったファミマ「おむすび&焼きそばセット(¥420)」を亀山公園にて。JR運賃は、往復で¥1,270。

2024/10/26:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(予告編)

2024/10/27:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その1)……井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロット(亀山茶畑)へ

2024/10/28:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」

17.2024年11月3日:近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」
Cd5d1de4 2d647125  松坂の宝塚1号古墳から出土した船形埴輪(国宝に指定されました)が見られるというので、この企画も見逃せませんでした。松阪にはもう何度も来ていますが、駅から北の方、川井町あたりには行ったことがありません。近鉄松阪駅から御厨神社、アニバーサリー、513 BAKERY 三重松阪川井町店、松阪市文化財センター「はにわ館」、鈴の森公園、MOMO café、自然生料理 本居庵、原田二郎旧宅、氏郷まつり会場、駅弁のあら竹と回って、豪商のまち松阪 観光交流センターがゴール。ここから近鉄松阪駅までは徒歩約10分。現地で歩いたのは、6.5㎞。近鉄料金は、往復で¥2,280。昼食は、買っていったファミマ「助六おかずセット(¥498)」を鈴の森公園にて。 土産には、まつさか物産交流館にて「老伴」6個入り (¥1,300)。

2024/11/3:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)

2024/11/4:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう

2024/11/5:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」から松坂城跡、御城番屋敷、原田二郎旧宅を経て、氏郷まつりを見て、豪商のまち松阪観光交流センターにゴールにて「完」

18.2024年12月8日:近鉄ハイキング「JR東海共同企画 ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」
241208kintetsuhikingmasuomap Img_7373c_20241208133101  今回も地元・桑名の開催で、勝手知ったるところばかり。地図がなくても歩けますが、コースマップにしたがって歩いてきました。近鉄益生駅から天武天皇社、寺町通り商店街、佛眼院、石取会館、桑名宗社(春日神社)、九華公園、本多忠勝像、七里の渡跡、六華苑、浄土寺を経て、桑名駅がゴール。6.5㎞でした。桑名駅から益生駅までの近鉄料金が、¥180。

2024/12/8:20241208近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキング「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」へ(一回完結)

 12月中にあみま倶楽部のハイキングコースである「七里の渡・大福田寺コース」を歩いて、今年のハイキング収めにしようかと思っていましたが、結果的に、この「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」が今年のハイキング納めとなりました。

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  • 平凡社: 街道アトラス

    平凡社: 街道アトラス
    旧街道に興味があります。ただし、あまりあちこちの街道を歩いたわけではありません。この本では、東海道と中山道は各宿場も紹介されるなど、詳しく載っていますが、その他の街道はダイジェスト。いわば、旧街道のカタログ本といったところ。現代の道と比べたり、旧街道がどのようにつながっていたかを知るにはよい本です。ただし、この本だけを頼りに旧街道を歩くことは、ほぼ不可能でしょう。 (★★★)

  • 保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)

    保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)
    今年は、昭和100年であり、戦後80年でもあるということで、新聞などでも特集記事が掲載されています。太平洋戦争は、日本という国を滅亡の一歩手前まで追い込みました。昭和という時代もそれが終わってから35年以上経ちますから、これからは歴史として語られるようになっていくはずです。この本は、二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇など、時代を大きく変えた8つの事象を取り上げ、当事者たちの感情や思惑排して見つめ直すことを通して、これまでの通説、定説とは異なるそれらの真相を浮かび上がらせようとしています。読後感としては、私なども、何となくそうなのかと思っていたことがひっくり返されたような感じを抱いています。目的と手段を取り違えている、事実や科学的知見から目をそらしている、希望的観測を事実と思い込む、妙な精神論に陥るなど、今も続く認知、思考は、太平洋戦争のときの軍指導者から始まっているのかも知れません。いろいろな意味で「戦後」という概念については、根本的に再検討が必要ですし、日清戦争から太平洋戦争に至る数十年の戦争の時代は、何に由来し、そこから何を学ぶか、よくよく考えてみる必要があると思いました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)

    保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)
    保阪正康さんは、一貫して近現代史を検証し続け、5,000人もの歴史の証人を取材してきています。この本は、月刊『文藝春秋』に掲載されたものから15編を選んでまとめられています。読み応えがあるのに、分かりやすい内容で、昭和史の証人として瀬島龍三、後藤田正晴などインタビューが、また、昭和の戦争7つの謎として無謀な開戦を決意した理由などが載せられています。その後、あの戦争と昭和史を語ろうということで、半藤一利さんなどとの対談が載っています。最後に、歴史をどう引き継ぐかということで、講演録があります。この講演では、江戸時代まで遡らなければ日本人は理解できない、江戸時代の260年を通じて、戦争をしなかったという事実から教訓、知恵を学ぶ必要があるなど、江戸時代に築かれた財産をもう一度取り戻すことの重要性が語られています。明治維新という、薩長の下級武士の暴力革命を経て、帝国主義国家が作られていく過程で、江戸自在の財産は放棄されたと著者はいいます。知識、技術は学び、取り入れたのに、哲学までには思いが至らなかったため、そうなっています。また、もう一つ、著者が強調するのは、天皇制の捉え方、論じ方です。天皇制は、本質的に戦争を嫌う制度だと著者はとらえています。これは、私には目から鱗の見方でした。さらに、天皇は何らかの形で京都にお住まいになって、政治の中心は東京にあってという江戸時代の知恵をもう一度取り戻すのもよいという提案は、真摯に検討する価値があると思います。 (★★★★★)

  • 芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)

    芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)
    関数電卓は持っていますし、その昔は、プログラム電卓で平均値、標準偏差などの計算をする簡単なプログラムを組んで使っていたこともあります。タイトルに惹かれて買ったのですが、ウ~ン、期待はずれでした。計算例が平方根以外にはほとんどありませんでした。関数電卓を片手に、その使い方や、どのような応用ができるかを知りたいと思ったのですが、そういう内容はあまりなくて残念でした。ただこの本を読んでよかったのは、数学の力と計算力とは別物であることが分かったこと。また、計算については、関数電卓などを駆使すればよいということでした。私自身、数学には自信がないのですが、「エェ!?、そうだったっけ?」と思う内容もありました(つまり、間違っているんじゃないの、と思える内容)。 (★)

  • 今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)

    今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)
    地名の由来については興味がありますから、この本を手に取ったのですが、読み始めたものの、すぐに「放置」していました。テーマごとに、それに関連する地名が列挙され、その由来について多少の説明(蘊蓄?)が書かれているのですが、列挙されている(例示されている)地名が煩雑で、読むのが面倒になってしまったのです。「地名マニア」の方であれば、これくらい何のそので読み進めたのでしょうが、私にはちょっと難行でした。2年くらい経って、気を取り直して、少々無理矢理に読み進めました。が、「不思議な名称には物語がある」という、帯の謳い文句には、いささか無理があるかなという気がします。物語というのであれば、個々の地名についてもうすこし物語って欲しい気がするのです。ただし、以上は、極めて個人的な感想です。 (★★)

  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)