散歩

2021年10月26日 (火)

今日はモズ・デー……九華公園のカモは19羽

Img_5235c Img_5240c_20211026145901  未明には雨は上がり、今日は一転して青空。気温も22.8℃とあがり、散歩をして来たら汗ばんだくらい。木曽御嶽山、乗鞍も(左の写真)、恵那山などもわりとよく見えていました。7時40分からいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。

Img_4730c_20211026150101  住吉神社前から揖斐長良川の中洲を見ると、ずいぶん久しぶりにアオサギたちが5羽、集まっていました。木の下にいる4羽にばかり目がいっていましたが、木の上にも1羽いました。以前はここが、アオサギ、ダイサギの集合場所でした。それが、復活してくれないかとずっと思っていました。

Img_4792c_20211026150101  三の丸公園でモズ。メス。七里の渡し跡にいるとき、鳴き声が聞こえてきて急いだものの、いったんどこかへ飛び去ってしまいました。諦めて三の丸水門の方へ行ったとたんに戻って来たようです。また引き返すなどウロウロ(苦笑)。

Img_4799c_20211026150101 Img_5145c_20211026150001  九華公園には8時に到着。最近、鎮国守国神社の社務所の裏にはアオサギは来ません。この春までは、ゴイサギが何羽かいたものの、夏が終わっても戻って来ません。その代わりにはならないのですが、寒くなってきた先週から、カワウが集まってきて、神戸櫓跡の松の木の上や、野球場の照明灯にいます。ときおり、集団で堀に降りて来て、漁をする光景がまた見られるようになりました。

Img_4927c_20211026151201 Img_4874c  奥平屋敷跡、今日もなかなか鳥は来なかったのですが、モズのオスがしばらく移動しつつ、鳴いていました。南側のサンゴ樹の木の中にウグイスのような鳥がいたのですが、ハッキリとは確認できず(右の証拠写真)。白い眉斑が見えて、身体の色はウグイスのように思えましたが、見失ってしまいました。他には、ヒヨドリが賑やか(苦笑)。

Img_5090c_20211026150001 Img_5114c_20211026150001  堀のカモは、今日は激減。19羽。キンクロハジロが15羽。ハシビロガモが2羽。ハシビロは、オス、メス1羽ずつと思うのですが、オスはエクリプス状態ですから、間違っているかも知れません。

Img_4909c_20211026150001 Img_5134c_20211026150001  他は、ヒドリガモのオス、メスが1羽ずつ。つかず離れずで泳いでいますから、ペアなのだろうと思います。一昨日の日曜は、54羽もいたのに、あれはいったい何だったのでしょう?

Img_4992c_20211026150001 Img_5053c  公園内を半周してくると、カワウだけがいた神戸櫓跡の松の木にコサギの姿。ここにはカワウが入れ替わり立ち代わりやって来るのですが、そのたびに首をすくめて避けているのが笑えました。

Img_4983c_20211026150001  チョー証拠写真ですが(爆)。カワセミ。今日は、2度見かけました。1度目は、奥平屋敷跡でカモを見ているときに二の丸堀を北から南へ超スピードで。これは2度目の写真。鎮国守国神社の社務所の裏の堀端にいるのを見つけ、カメラを構えたら逃げられたのです。一昨日に続き、失態(苦笑)。

Img_5081c_20211026150001  九華公園のオマケは、ヌートリア。まだまだいます。今日見かけたのは、二の丸堀と吉之丸堀の間。あちこちで目撃情報がありますし、「ヌートリア、まだいる?」「どこで見た?」が散歩友達の間での「合い言葉」(笑)。

Img_5179c Img_5149c_20211026150001  貝塚公園でもモズ。写真としては不出来。カワラヒワもいました。この他、メジロの鳴き声も盛んに聞こえていたのですが、姿は見えず。ヒヨドリは、この頃どこでも数を増してきています。

Img_5217c_20211026150001  老松公園から寺町に行く途中、南の空を見上げたら、猛禽類が飛んでいました。逆光の位置で、ちょうど太陽の下あたりでしたので、黒っぽく写っていますが、ノスリではなかったかと思います。

Img_4758c_20211026150101  さて、明日は江戸橋での仕事。午前中は晴れて、また22℃くらいになるという予報で、ありがたい(微笑)。ただ、授業の方は、前回時間配分を誤って、少し残ってしまいましたので、そこからやらねばなりません。四日市港潮汐表では、帰る頃、満潮から干潮に移行する時間帯。寄り道もしてくることにします。

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2021年10月24日 (日)

20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その3)……旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地へ

 Rokken4  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その3です。その2では、市場庄の古い町並みの先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所、さらに薬師寺まできました。その3では、いよいよ松阪の市街地に入り、旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家、三井家発祥の地を見て回り、その後、松阪駅北西にあるお寺を巡ってきました。

Img_1475c Img_1480c  その2で最後に立ち寄った薬師寺の先は、しばらく見るところはありません。しかし、このあたりにも古い家は残っています。左のお宅も、卯建が上がり、幕板があります。川井町3丁目の交差点を過ぎると、いよいよ松阪の市街地に入って行きます。

Img_1500c_20211024045901 Img_1505c_20211024045901  6㎞の手前で阪内川を渡ります。この川は、松坂城の外堀として位置づけられていました。左の写真で、中央に松阪市役所、松阪市民病院が少し見えています。その奥に松坂城跡。

Img_1509c_20211024045901 Img_1565c_20211024050001  大橋を渡ったところに旧小津清左衛門家があります。以前来たときは、松阪商人の館といっていました。江戸で一番の紙問屋、豪商小津清左衛門家の邸宅を公開しています。小津家は、松阪においては数多い江戸店持ちの豪商の中でも筆頭格だったそうです。外観は格子と矢来があり、質素なイメージなのですが、屋敷は意外なほど広く、土蔵も2つ残っています。

Img_1516c_20211024045901  承応2(1653)年に江戸・大伝馬町一丁目に紙店(小津屋)を開業し、明治以降は、銀行・紡績工場などを 設立して多角経営に乗り出しましたものの、関東大震災や金融恐慌などの難局を乗り切るため、本来の紙卸問屋に復し、現在は創業以来の地で小津産業株式会社として紙業と不動産業を継続しています。

Img_1528c_20211024045901 Img_1551c_20211024050001  蔵の一つで「小津家の信仰と年中行事」という秋季企画展が開かれていました。中には、その2で訪ねた慈眼山寿永院柳福寺との関わりを示す史料もあり、興味深く見てきました。いささか余談めきますが、蔵の内部は2階づくり。2階へ上がる階段は、1段の高さがかなりのもの。前期高齢者は、よほど注意して、「ヨイショ」とかけ声をかけないと登れません。いわゆる「階段箪笥」になっているためのようでした。

Img_1534c_20211024045901 Img_1541c_20211024045901  展示品の中には、大正16年(改元されて昭和2(1927)年。大正天皇の崩御が12月25日でしたので、それ以前に作成したのでしょう)1月付けの「大日本資産家一覧鑑」がありました。もちろん、小津家や、このあと訪ねた長谷川家の資料を提示するものですが、よくよく見たら桑名の諸戸家の名前もありました。右の写真で中央あたりに「諸戸清六」「諸戸精太」のお二人のお名前。

Img_1597c_20211024050001  旧小津清左衛門家からは、いったん伊勢街道を離れ、1本西にある魚町の通りへ。松阪肉の牛銀本店の前を通過(笑)。通過しただけで、食べてはおりません。ここは、いつ通っても、人が並んでいます。

Img_1609c_20211016181701 Img_1620c_20211024050001  牛銀本店の少し先、東側に本居宣長旧宅跡があります。本居宣長は、説明するまでもありませんが、江戸中期の有名な国学者、歌人。この宅地は、宣長の曾祖父小津三郎右衛門が承応3(1654)年に本町の家屋敷とともに小津某より購入したものです。本町の家が小津家の本宅であり宣長が生まれた家ですが、現在は何も残っていません。この宅跡とは溝を隔てて地続きで、裏口で通じていたそうです。宣長旧宅が移築されてからも、春庭宅とされている離れと土蔵、一部の樹木は残されて当時の名残を今に留(とど)めている。また礎石なども復元され、傍らには宅跡碑が建つ。旧宅そのものは、明治42(1909)年、松坂城跡に移築され、現在もそこにあります。

Img_1616c_20211024050001  本居宣長旧宅跡の向かいには御目見得医で親友の小泉見庵(こいずみけんあん)宅があります。宣長は商人を継ぐ気が全くなく、母親が見庵に相談したところ、「医者にでもしたらよろしかろう」という返事があったというエピソードが伝わっています。

Img_1679c_20211016181701 Hasegawa  旧長谷川治郎兵衛家。スタートから6.2㎞、時刻は13時25分頃到着。魚町一丁目の「丹波屋」を屋号とする松阪屈指の豪商、長谷川治郎兵衛家の本宅です。長谷川家は、数多い江戸店持ち伊勢商人の中でも、いち早く江戸に進出して成功をおさめました。延宝3(1675)年、3代治郎兵衛政幸を創業の祖とし、後には江戸の大伝馬町一丁目に5軒の出店を構える木綿商となります。広重作の「東都大伝馬街繁栄之図」には、長谷川家の江戸店が描かれており、その繁栄ぶりがうかがえます。右は、松阪市のサイトからお借りした配置図です。この広大な屋敷構えは、長い歴史の中で隣接地の買収と増築を繰り返し形成されたもので、近世から近代にかけて商家建築の変遷をたどることができます。正面の外観は建ちの低い、つし2階建てで、卯建が上がっていますし、幕板もあります。

Img_1636c_20211024050101  内部も一通り拝見してきましたが、母屋には30以上の部屋があります。蔵は5棟。17世紀後半から20世紀初頭にかけて順次建て増しされたもので、現存する古い商家としては、国内でベストテンに入るといわれます。

Img_1647c_20211024050101 Img_1644c_20211024050101  蔵の1つでは、長谷川家に伝わるさまざまなものが展示されていました。大判、小判、千両箱などなどもありましたが、右は、千両箱の模型。千両入ったのと同じ重さになっていました。千両箱はその名の通り、小判1,000両などを収納できます。用材は樫木を用い鉄帯や金具で頑丈につくられています。慶長小判は、1枚が約18gですので、箱の重さを含めると約20㎏。ヒョイとかついで、サッサと逃げるというわけにはいきません。

Img_1667c_20211024050101 Img_1659c_20211024050101  こちらは蔵の背後にある庭の池。中の島もありますが、私の個人的な興味は、あるものに集中。それは、カルガモ。20羽かそれ以上いたように思います。旧長谷川治郎兵衛家を訪ねた記事は、他にもあります(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。

Img_1686c_20211024050101  旧長谷川治郎兵衛家を楽しんだあとは、再び伊勢街道に戻り、三井家発祥の地。。三井家は、もちろんあの三井財閥の三井家。ここ松阪出身の高利(たかとし;1622~94年)を祖とします。高利は14歳から江戸で修行、28歳で松坂に戻り、家庭を持った後、金融業などで資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出。江戸・京都・大坂で呉服店を開き、両替商も営んで幕府・諸藩の為替御用の地位を得て発展しました。高利は、三井家の3代目。ここには白粉町来迎寺から移した初代高安と2代高俊の墓、高利の長兄らの供養碑、発祥の地の記念碑、また、高利の産湯に使ったという伝承のある井戸があります。一般には公開されていません。塀の隙間から覗いてみたら、井戸と石碑が見えました。

Img_1696c_20211024152201 Ea935f76  時刻は、14時。昼食もまだ食べていません(苦笑)。三井家発祥の地の南にある豪商ポケットパークで小休止。水分補給とおやつ(微笑)。四阿は、かつての三井家に存在した建物の2階部分の屋根をイメージした「寄棟」。四阿の前には「来遠像」が鎮座。来遠は、ライオン。三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として、三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたそうです。三越の前にいるライオンさんです(来遠像の写真は、2018年5月26日に撮影:2018年7月7日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その5)……松阪もめん手織りセンター、岡寺山継松寺を経て松阪駅)。

 伊勢街道は、豪商ポケットパークのところから直進して、日野町交差点に向かうのですが、この日は、伊勢街道とJR紀勢線との間に並ぶお寺を巡ることにしました。それはその4にて。

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河口堰でプチダイビング祭……九華公園のカモは早くも54羽

Img_3897c_20211024130901 Img_3917c_20211024130901  朝は冷えましたが、昨日ほど風は強くありません。そこで、長良川河口堰へ。8時10分着。東側の下流魚道は、昨日、ひらいさんが書いておられた以上にすごい状態と思われます(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。

Img_3949c  一部をズームアップして見ると、すごい数というか、過密状態。とても数えられません(苦笑)。これほど集まっているのを河口堰で見たのは初めてかも知れません。

Img_3963c  管理橋を渡って西に向かう途中、下流側でダイビングしているダイサギを発見したものの、ダイビングシーンは撮れず。しかし、そのダイサギが魚を咥えて東に向かって飛んで行くところは、バッチリ(微笑)。

Img_3997c_20211024131001 Img_4014c_20211024131001  西側の下流魚道には、ダイサギが2羽、アオサギが8羽。こちらは、東側に比べ過疎地帯と思えます。

Img_4036c_20211024131001  遠くて正体不明なのですが、カモのように見えました。西側の下流魚道のところにいました。可もらしき鳥は、これ1羽のみ。まだキンクロハジロも、ホシハジロも来ていませんでした。

Img_4139c_20211024131001 Img_4067c_20211024132001  親水広場は、伊勢大橋の架け替え工事が行われているのと、アユの孵化試験の準備が進んでいましたので、鳥はほとんどいません。

Img_4102c_20211024131001  Img_4173c_20211024131001 ここには、ハクセキレイがいたのみ。管理橋を渡って東に戻る途中、イソシギがやって来ました。西側の上流魚道のところ。

Img_4209c_20211024131001 Img_4257c_20211024131101  再び、東側の下流魚道へ。大規模にではありませんでしたが、ときどきダイビングをしていました。しかし、なかなかタイミングのよいシーンは撮れませんねぇ(苦笑)。一応ダイビングをしていたという証拠としてご覧ください。

Img_4261c_20211024131101 Img_4277c_20211024131101  ダイビングをしたあと、小魚を嘴に刺して戻ってくるところは、それなりに撮れました。この他にもときどきダイビングはするものの、出遅れたり、よそ見をしていたりでした(苦笑)。

Img_4304c_20211024131101  こちらのダイサギさんもいつのまにか、ダイビングをして魚を捕ったようで、小魚をくわえて飛んでいました。サギたちのプチダイビング祭、今シーズンは初めてでした。

Img_4529c_20211024131201  このあと、カモを見てこようと思って、九華公園へ。今日は、昨日からさらに増えて合計54羽。二の丸堀にほとんどがいたのですが、こちら吉之丸堀にも11羽のキンクロハジロたちが泳いでいました。

Img_4448c Img_4601c_20211024131201  ハシビロガモは、オスが1羽。といってもエクリプス状態で、パッと見はオスに見えません。今日、初登場は、ホシハジロのオス。1羽のみ。

Img_4443c_20211024131101  ヒドリガモは、またもやメス1羽のみに逆戻り。ということで、キンクロハジロが51羽、ハシビロガモのオス、ヒドリガモのメス、ホシハジロのオスがそれぞれ1羽。

Img_4543c_20211024131201 Img_4563c_20211024131201  九華公園にいたのは、9時40分から1時間。時間が遅いこともあって、ヒヨドリの天下(苦笑)。カワセミを撮りに来たとおっしゃる男性としゃべっていたら、カワセミが往復したものの、写真は撮れず、残念。他は、本丸跡でハクセキレイ5羽。5羽も一度にいるのは、珍しい。

Img_4388c_20211024131101 Img_4410c_20211024131101  ブロ友のひらいさんの昨日の記事で知ったトリビア(2021.10.23 お散歩日報(午後の部追加有り))。こちらに元ネタがあります。左の写真の案内板は、参宮通交差点の南にあります。何度も見ていたのに、私は何も気付かず。右の写真は、国道1号線と八間通の交差点の北にあります。「六・七・九と、遠くに 八、1.3km、1.2km、1.1kmで、-0.1kmずつ」というお話し。しかし、触発されてすぐ見に行く私もどうかしています(爆)。

Img_4418c_20211024131101  余計な追加。国道1号線の八間交差点を左折して、九華公園方面に向かいますと、大垣共立銀行桑名支店の前あたりにある案内板。「七、九、六」になっていますが、まぁこれは当たり前(微苦笑)。距離の差は、同じく0.1㎞ずつで、これも当たり前。

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2021年10月22日 (金)

九華公園のカモは23羽……カワセミ、モズは証拠写真

Img_3466c_20211022170801  水曜、木曜と仕事に励んでおりました。今日は、午後から、歯科受診と、定例の内科受診。つかの間の多用も一段落(苦笑)。普段、よくいえばスローペースで、有り体にいうとサボって暮らしていますから、いささか疲れます。歯科では、仮に入れてもらっている歯をいったん外すのに、いつぞやの再現フィルムで、ハンマーでガンガン。もちろん大丈夫なのですが、あれには参ります。内科は、主治医&同級生ですので、今日は世間話に終始(微笑)。

Img_3295c_20211022170801  さて、午前中は、7時半からいつものように散歩。火曜日以来。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。アピタでは、本屋に寄ったものの、欲しかった文庫本はありませんでした。既に売れてしまったようでした。

Img_3325c_20211022170801  午前中は雲が主体の空。気温も上がらず、鳥もおらず(苦笑)。わずかにいた鳥も、証拠写真ばかり。久しぶりにカワセミを見たのですが、遠くに逃げられ、こんな写真のみ。本当は、歩いていたすぐ近くにいたのですが、フェンスと植え込みで気付かず、逃げられるという不始末。

Img_3289c_20211022170801 Img_3366c_20211022170801  カモは、今日は23羽。キンクロハジロが22羽と、ヒドリガモのメスが1羽。奥平屋敷跡でも鳥を待ったものの、ヒヨドリばかり。カワラヒワが2羽やって来たものの、よく見えず。モズの鳴き声も聞こえ、探したのに、見つけられず。奥平屋敷跡には高い木が多いので、離れないと木の上が見えないのです。

Img_3421c_20211022170801  貝塚公園では、モズの証拠写真。ヒヨドリとカワラヒワしかいないので、帰ろうと思って、いったん公園の外に出たら、鳴き声が聞こえてきたのです。そんなこんなで、今日はあまり成果は上がりませんでした。

Img_3253c_20211022170801  ところで、水曜の江戸橋の授業のQ&Aを書かないといけないのですが、木曜が市役所の会議で、帰宅後は疲れてしまい、まだ半分くらい。いつもは、木曜日にはメールで送って、印刷をお願いしています。助手の先生には、月曜になる可能性が高いと伝えて、了解をもらっています。ゆっくりやれば良いのですが、こういうものは勢いに乗るということも必要。明日中には何とかしましょう。

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20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その2)……舟木家長屋門、柳福寺、古川水神から薬師寺へ

Rokken2  10月16日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」の本編その2です。その1では、市場庄の町並みを楽しみました。冒頭の画像は、実際に歩いたルートマップその2。近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで市場庄の古い町並みが続きます。その先で地蔵尊、道標などを見て、舟木家長屋門、柳福寺、地蔵尊、山の神と続き、松ヶ崎駅の先で古川水神常夜燈と遙拝所へと進んで行きます。

Img_1139c_20211021074301 Img_1149c_20211021074301  近鉄山田線の高架をくぐるところで、スタートから2.5㎞。時刻は11時15分頃。高架の先、左側(東側)に地蔵尊。この先、松阪市久米町に入りますが、その旧久米村の北の入り口に置かれています。村境にこのようにお地蔵様などをおいて、よくないものが村に入ってこないようにしていたと思います。

Img_1156c_20211021074301 Img_1160c  その先、三叉路のところに庚申堂、行者堂、山の神2基、道標、常夜燈が並んでいます。左の写真で、向かって右が庚申堂、左が行者堂。行者堂に木札があり、「金剛童子蔵王権現不動」とあります。中央は常夜燈。右の写真で、向かって右端は「いおちかんのん」への道標。山の神が2基。

Img_1180c_20211021074301  以前来たとき(2019年10月13日 :20191005近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」(その2)……中原神社、常夜燈2基を経て伊勢街道に入り、市場庄のまち並みを再確認)、みえの歴史街道「伊勢街道」のコースマップには「左さんぐう道」と刻まれた道標があるとなっていたのですが、見当たりませんでした。今回よくよく見たら、たぶんこれがその道標。何ということか、ゴミ捨て禁止などの立て看板が3つほどくくりつけられています。これは、いけません。前回は、まさかこんなことになっているとは思いもしませんでした。これでは、気付かないはず。

Img_1202c_20211021074401 Img_1195c_20211021074401  この三叉路で伊勢街道は左折、すぐに右折。その先に久米公会所。3㎞ほどになりますし、11時40分頃でしたので、ここで小休止。敷地内には、「太田雅城翁頌徳碑」がありました。裏の台座には、「久米區建設 昭和十四年一月十五日」とあります。久米はこのあたりの地名。太田雅城翁、本名は、太田政四郎といい、明治9(1876)年生まれ。温厚篤実、誠実な人柄で、大正元(1912)年、区長に推薦され、公共慈善に尽くしたとありました。これにより、昭和12(1937)年2月、この頌徳碑を建てることにしたとありました。

Img_1206c_20211021074401 Img_1210c_20211021074401  公会堂の敷地内、伊勢街道沿いに石標が1基あります。「北距安濃郡界貳(?)……」。下の方は読めませんでした。碑陰も「距/三重縣……/一志郡……」と同じくはっきりせず。里程標と思われます。安濃郡は、現在の津市。

Img_1226c_20211021074401 Img_1234c_20211016181701  続いて、舟木家長屋門。舟木家は、南北朝時代から続いた名家だそうです。江戸時代には、当時の久米村の惣庄屋を務め、後には紀州藩主からお目見えを許されたと伝えられます。長屋門は、舟木家の格式を示しています。特徴は、門の正面中央より下の部屋に施された海鼠壁(なまこかべ)。この長屋門は、寛政6(1794)年に建築され、天保5(1834)年に改修されました。門に向かって右には、武者窓もあります。

Img_1287c_20211021074401 Img_1274c_20211021074401  舟木家のすぐ南に慈眼山寿永院柳福寺。浄土宗のお寺です。観音堂に十一面観音があります。また、あとで訪ねる松阪の豪商三井家小津家の帰依を受けていました。

Img_1313c_20211021074501 Img_1298c_20211021074501  立福寺から伊勢街道に戻って、街道が左折するところに、庚申堂と山の神2基が、道を挟んで向かい合っています。これで、近鉄山田線の松ヶ崎駅の西まで来ました。

Img_1335c_20211021192301  スタートから3.7㎞、県道756号線の高架の手前に古川水神常夜燈・遙拝所があるのですが、常夜燈が見当たりません。古い写真(たとえば、こちらのブログの平成17年7月の記事)を見ますと、向かって左の石柱(「古川水神常夜燈」とあるもの)が常夜燈でした。常夜燈は、万延2(1861)年の建立。奥には小さな祠と、そのかたわらに「古川水神遙拝所」という石碑。ただし、この「古川水神」そのものは、情報がなく、よく分かりません。敷地内には、山の神も2基あります。

Rokken3  県道756号線を越えると、実測ルートマップはその3へ。4㎞を過ぎて、百々川のところに両宮常夜燈。その向かいに「富士大権現碑」があるというのですが、これはよく分かりませんでした。JR紀勢本線を渡ると、薬師寺。

Img_1364c_20211021193801  両宮常夜燈の手前に鍛冶屋さんがあります。「かじ栄 山田鉄工所」という看板がかかっています。ここでも農機具などをつくっていらっしゃるような感じでした。鉄工、溶接の他、農具、刃物と看板に書かれています。こういう鍛冶屋さんは、昔はけっこうあちこちにあったと思うのですが、最近はほとんど見なくなりました。

Img_1371c_20211021194001 Img_1375c_20211021194001  百々川(どどがわ)を塚本橋で渡ります。渡った東側(左手)に常夜燈があります。正面には、「奉納/常夜燈」と、碑陰には「嘉永五年壬子二月吉祥日」とあります。また、台石には「日本橋/○久/室壱」・「紅林氏」と掘られていました。嘉永5年は1852年。対馬に外国船が現れたり、ロシアの軍艦が下田に来港したりした年です。この常夜燈には、電線が引き込まれていますので、電気で今でも点灯するのかも知れません。この常夜燈の向かい側、百々川の手前を右に入ったところに「富士大権現碑」があるのですが、場所を勘違いして、見てきませんでした。百々川を渡ったところにある小公園にあるものと思い込んでいたのです。不覚をとりました。

Img_1389c_20211021194001 Img_1392c_20211021194001  ちなみにその小公園には、気になるものがありました。石柱なのですが、よく見ると「どゝ」「大正○○」とあります(半分くらいは土中に埋まっています)。塚本橋の古い親柱と思われます。小公園の入り口にもそれらしい石柱がありますが、こちらは、ゴミ収集の案内板が貼られていて、ちょっとなんだかなという気もしました。

Img_1411c_20211021194601  利生山延命院薬師寺。天台宗のお寺。聖武天皇の勅願所で、天平2(730)年、行基の開基と伝えられます。まさに古刹。仁王門(写真)と本堂が残っています。所蔵されている「木造薬師如来坐像」は、貞観年間(859~877年)末期の作といわれ、県の有形文化財。仁王門は、入母屋造、本瓦葺で阿吽の仁王像が安置されています。かなり傷んでしまっていて、仁王像は近くでは見られませんでした。もともとのものは「天正年間(1573~93年)の戦乱で灰燼に帰し、棟札からは、承応2(1653)年に再興された本堂の後に、仁王門も再興されたものと思われる」とありました。

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 本堂は修理中でした。戦国時代、織田氏が北畠氏を攻めた大河内(おかわち)合戦の後、講和の条件として、信長の二男・茶筅丸(信雄)が北畠氏の養子となり、永禄12(1569)年から3年間をここで過ごしたといいます。ちなみに、戦の舞台となった「大河内城跡」は、薬師寺から南西に10㎞ほどのところにあります。

Img_1447c_20211021194701  本堂の前には芭蕉句碑があります。「梅が香にのっと日の出る山路かな」とあります。高さ約2m38cmの細長い角柱の碑です。こういう角柱の句碑も珍しい気がします。句は中央に一行で刻まれ、碑陰には何も刻字がありませんので、この句碑は、いつ頃誰が建てたものか不明です。

Img_1329c_20211016181701 Img_1321c_20211016181701  キリが良いので、その2はここまでとしますが、余談を一つ。これもまた「歴史散歩」かも知れません(微笑)。古川水神常夜燈・遙拝所の手前(北)で、TE27レビン。カローラレビンの初代モデルが止められていました。昭和47(1972)年発売。セリカに積まれていた2T-Gという1.6Lツインカムエンジンを載せたモデル。110馬力という、当時では高性能エンジン。あまりにも懐かしく、しばし勝手に眺めてきました(微苦笑)。ちなみに、私は、AE86トレノ、通称「ハチロク」に乗っていたことがあります。実によく回るエンジンで、あちこちを走った記憶があります。青春時代でした(微笑)。

 その3では、いよいよ松阪の市街地に入ります。旧小津清左衛門家、旧長谷川治郎兵衛家など、松阪の豪商の旧宅めぐりからとなります。

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2021年10月20日 (水)

志登茂川にヒドリガモ、カルガモ、ダイサギなど……今日も強風の中、寄り道

Dsc_6254c  気温は、19.6℃と上がったものの、北西の風が強く、最大で8m/sを越えました。寒い日が続きます。今日は、江戸橋での仕事、後期3回目でした。なぜか出席者が41名と少なくなっていました。これまでの3回でもっとも多かったのは、47名。まさか、強風や寒さに負けたとか? 昨日が履修申告の確認期間の最終日でしたから、来週には確定した履修者名簿が届くはず。

Dscn4615c  授業が終わったところで、助手の先生から、「今日も、立ち寄って行かれますか?」と聞かれました(微笑)。行動パターンを熟知していらっしゃいます。強風でしたので、ちょっと迷ったものの、覗いてきました。志登茂川です。江戸橋駅まで戻る途中、おぼろタオルの向上の脇をちょっと入ると、志登茂川が見えます。ちょうど干潮が過ぎたくらいの頃合いでした。

Dscn4617c Dscn4619c  上流側でまず目に入ったのは、ダイサギ1羽。コンデジ(Nikon coolpix s7000)と単眼鏡を持っていたのですが、遠くにカモがいたものの、カルガモしか判別できず。パソコンで見たら、カルガモの中にヒドリガモらしきカモが数羽混じっていました(右の写真)。

Dscn4623c  さらに上流側の遠くにもカルガモなどがいるようでしたが、詳しくは分からず。超望遠コンデジや双眼鏡を持って行ければよいのですが、そうすると、いったい何をしにいっているのか分からなくなりますし、荷物が多すぎます(苦笑)。あくまでも仕事帰りの道草としての楽しみですから、ホドホドにしておきましょう。下流側には、アオサギが1羽飛来したものの、遠くて、コンデジではうまく撮れませんでした。

Dsc_6257c  帰宅後は、まず昼食。その後、一息入れて出欠確認。さらに、明日は終日、市役所の仕事ですから、本来ならば、補足説明に手を付けなくてはいけないのですが、何となく疲れてしまい、ついついダラダラと過ごしています(苦笑)。寄る年波のせいか、1コマの授業でも以前より疲れるようになった気がします。

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20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その1)……JR紀勢線・六軒駅を降りて、市場庄の古い町並みへ

211016isemairiall  「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」も10月16日に行ってきた「松阪・小津~松阪駅」で第12回となりました。今年の4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし(20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)、6ヶ月かかって松阪駅までやって来ました。冒頭の画像は、コースの全体像。東海道と伊勢街道(参宮街道)のみを通って、桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで辿ったもの。全行程で約94㎞。七里の渡し跡から松阪駅西の日野町交差点までが68.7㎞ありますから残りは25.3㎞。いよいよ内宮に近づいた気がしてきます。

Rokken0_20211019025901  さて、この日歩いたコースは、こちらです。前回のゴールであったJR紀勢線・六軒駅をスタートし、南へ。三渡川(みわたりがわ)を越えて六軒追分。ここは初瀬街道との追分。市場庄の古い町並みを抜けて、松ヶ崎駅近くの舟木家長屋門と柳福寺に立ち寄り、さらに薬師寺。川井町を過ぎるといよいよ松阪市街地に入ります。旧小津清左衛門家、本居宣長旧宅跡、旧長谷川治郎兵衛家と名家を廻り、松阪駅の西にある岡寺山継承寺などのお寺を巡って、松阪駅にゴール。歩いたのは、8㎞でした。天気予報では、曇りでしたが、実際には晴れて、暑いくらいでした。

Img_0782c_20211016181701 Img_0775c_20211019035501  いつものように、桑名駅を8時42分に出る近鉄の五十鈴川行き急行に乗車。津駅に9時24分着。JR紀勢線に乗り換えます。前回と同じく9時42分の鳥羽行き普通に乗って、JR六軒駅には、10時ちょうどに到着。近鉄が¥700、JRが¥240。JR六軒駅を10時5分にスタート。余談ですが、JR紀勢線の普通列車は、基本的にワンマン運転。運転台の後部に料金表と料金箱とがあります。列車を降りるのも、1両目の最前部の扉から。乗るのは、1両目の最後部の扉からで、整理券をとります。六軒駅は、参宮鉄道の駅として、明治27(1894年)1月に開業しています。参宮鉄道そのものは、明治26(1893)年12月31日に津~相可(現・多気)~宮川間が開通していますが、六軒駅は建設中でした。

Rokken1 Img_0789c_20211019035901  実際に歩いたルートマップのその1。六軒駅の東からが伊勢街道。三渡橋で三渡川を渡ります。渡ったところが初瀬街道との追分で、道標と常夜燈があります。ここから近鉄山田線の高架をくぐるあたりまで、2㎞弱にわたって市場庄の古い町並みが続きます。途中2㎞の手前に神楽寺、市場公会所、道十という屋号の江戸時代は茶道具商だった店、そこから少し東に忘井があります。

Img_0802c_20211019040001 Img_0815c_20211019040001  三渡橋。一昨年、近鉄ハイキングで来たときは、橋の架け替え工事中でした(2019年10月1日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ)。左の写真は、下流方向(伊勢湾の方角)。右は橋を渡ったところの西側。

Img_0797c_20211019040001 Img_0806c_20211019040001  最初から余談続きで恐縮ですが、三渡橋でバードウォッチング(微笑)。渡り鳥のヒドリガモのペア1組、アオサギの他、カルガモなどがいました。ときどきブログに書いていますが、バードウォッチングは、いつでもどこでも楽しめます。一緒に歩いている同級生K氏も、最近、私の悪影響をモロに受けて、「オイ、あれはアオサギだな」などというようになりました(微苦笑)。三渡川の名は、中世に渡しが3ヶ所あったことに因みます。

 

Img_0818c_20211019040801 三渡川を渡ったところが、初瀬街道(はせかいどう)との追分。京・大和方面と伊勢を結ぶ初瀬街道は、ここ松阪市六軒から青山峠を越え、名張を経て奈良県の初瀬(長谷)へと至ることからその名が付いています(左の写真で、奥の方に続く道が初瀬街道)。古くは「青山越」「阿保越」、参宮表街道、参宮北街道とも呼ばれ、古代には大海人皇子が名張に至った道であり、また斎王が伊勢へと赴いた道でもありました。

Img_0822c Img_0835c  道標には、「い加ごへ追分 六けん茶や/右いせみち六軒茶屋/やまとめぐり加うや道/大和七在所順道」と刻まれています。「い加ごへ追分」のところ、「加」の漢字に濁点がついているという珍しい文字でした。この道標、橋の架け替え工事中は、撤去されていて、その時には探してウロウロした記憶があります(2019年10月1日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その4)……三渡川を渡って常夜燈、市場庄のまち並み、忘井を見て斎王に思いをはせ、いよいよゴールの松ヶ崎駅へ)。その意味では、2年越しでようやく、これを観るという目標をコンプリートできました。

Img_0839c_20211019042401  道標の東には、常夜燈が1基あります。正面に「両宮/常夜燈」、右に「秋九月造建」、左に「文政元年戊寅」とあります。文政元年は、1818年。伊勢街道には、本当にたくさんの道標や、常夜燈があります。江戸時代は、おかげ参りなど、伊勢神宮にお参りする人が本当に多かったことを伺わせます。

Img_0934c_20211019043201 Img_0860c_20211016181701  ここから市場庄町に入ります。市場庄地区の伊勢街道沿いには、全国的にも珍しいといわれる妻入り(つまいり)と連子格子(れんじこうし)の町並が残り、当時の風情を漂わせています。左の写真は、道十の手前(北)にある合羽屋という屋号のお宅。軒には、雨除け・日除けのための幕板(大垂)もあり、屋号も掲げられています。「ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道(五街道ウォーク・八木牧夫著、山と渓谷社)」に詳しい紹介があります。また、こちらのサイトにも案内マップ。

Img_0916c_20211019044101 Img_0931c_20211019044201  丸ポストも残る伊勢街道を歩いて行きます。途中、「米銀よねぎん)跡」と書かれた蔵らしい建物。外壁がトタン板張りになっていますが、かなり古そうです。トタンで覆ってあるのはちょっと残念な気もしますが、そのさびたトタンにも味がある感じ。「味噌・醤油の米本銀蔵倉庫」の跡です。蔵の前にコンクリート製の用水桶が3つ。また、入り口の庇のデザインもいい感じ。

Img_0962c_20211016181701 Img_0971c  スタートから1.6㎞ほどのところに道十(どうじゅう)という屋号のお宅。このお宅は、妻入り、幕板、連子格子の典型的な建物で、神楽寺の西の三叉路に面しています。江戸時代には、「道十(どうじゅう」という茶道具商でした。道十の向かいにある蔵のところに道標があります。この道標は、米の庄神社への分岐点であり、「忘井之道」とまれています。宝暦元(1751)年に建てられたもの。「忘井」はこの道標から100mほど東にあります。斎王に関わる旧蹟ですから、これも見逃せません。

Img_0980c_20211016181701 Img_0985c_20211019044901  こちらが「忘井(わすれい)」。「忘井」とは、「忘れて捨てられた井戸」という意味なのですが、ここは、斎王群行(さいおうぐんこう;古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行といいました)に同行した官女甲斐(かい)の詠んだ歌で有名です。「わかれ行く都の方の恋しきにいざむすび見んわすれゐの水」(千載和歌集)。官女甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女(おおくのこうじょ)から数えて49代目の斎王、あい子内親王(在任期間1108~1123;「あい」の文字は変換不能でした。斎宮歴史博物館の斎王一覧のサイトをご覧ください)にしたがってこの忘井を通った際、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといいます。ちなみに、井戸そのものは現在は埋まってしまっています。右の写真で、忘井に向かって右にある石碑には、官女甲斐の和歌が刻まれているように思うのですが、はっきりとは読めませんでした(こちらの記述からすると、たぶん間違いないように思います)。

Img_0994c_20211019045301  忘井の奥には、山の神などがあるのですが、これについては、説明板にも言及はなく、詳細は不明。

Img_1068c_20211019170301 伊勢街道近くまで戻って、 護法山神楽寺(ごほうざん しんらくじ)。曹洞宗のお寺で、ご本尊は釈迦如来。市場庄公会所の東にあります(というよりも、市場庄公会所が、神楽寺の境内を利用して建てられたとされます)。神楽寺は、古くは旧米ノ庄村の熊野権現社の別当寺として権現坊護国院と称しており、その頃は熊野権現社の祭礼に際し、祭供を司り舞楽を演奏する道場であったといわれています。

Img_1016c_20211019170301  慶長16(1611)年3月、越中新川郡布目村(現富山県富山市)大安寺の5世聖山巌祝が曹洞宗に改め、寺号を神楽寺と改称して開山しました。本堂・山門ともに江戸時代中期の建立とされます。山門(左上の写真)は黄檗宗の山門に似ており、切妻造りの中央部分の屋根を切り上げてつくられています。宝暦7(1757)年の銘がある瓦も残されているそうで、本堂・山門の建立時期もそれ以前と考えられています。

Img_1024c_20211019170301  境内には、村の入り口にあったという青面金剛(ショウメンコンゴウ)像と、庚申塔があります。青面金剛は、帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂(「臂」は腕。六臂は、腕が六本ということ)、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとります。病魔を退散させる威力があり、俗に庚申会(こうしんえ)の本尊で、猿の形相をしているもの。この御堂には、文字庚申も入っています。ちなみに、「庚申」は、もとは道教の守庚申より出た庚申(かのえさる) の年または日の禁忌行事を伴う信仰。庚申の夜には、人の体内にいる三尸(さんし) の虫が、その体内を抜け出して天帝にその人の罪過を告げると信じられ、これを防ぐため道士たちは不眠の行を行いました。これが守庚申で、日本の民間信仰では庚申待、庚申講として伝えられています。

Img_1075c_20211019170301  神楽寺の山門の南には、見事な藤棚があります。

Img_1046c_20211019170301  いささか余談ですが、第11回の歩いて伊勢参りツアーで、円福寺の立派な蘇鉄を見て以来、お寺に行くと蘇鉄が気になるようになりました(2021年10月15日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ)。ここ神楽寺の本堂の前にも立派な蘇鉄がありました。

Img_1061c_20211019170301 Img_1065c_20211019170301  もう一つの余談。「敷居が高い」ということばがあります。「不義理や面目のないことがあって、その人の家へ行きにくい」というのが本来の意味ですが、最近では、「高級すぎたり、上品すぎたりして、入りにくい」と理解している人の方が多くなったそうです。現在、私たちが「敷居」といっているのは、「襖や障子などの建具を立て込むために開口部の下部に取り付ける、溝やレールがついた水平材」ですが、本来「敷居」とは、門の内外を分けるために敷く横木のことです。長々と屁理屈を書いていますが、この神楽寺の山門のところで見つけた、これが、敷居を填めていたところではないかという話になったのです。寺の山門にはこの敷居があるところがありますが、ここのものは、取り外せるようになっていたのだろうと、二人であれこれ思案(微笑)。

Img_1083c_20211019170301  市場庄公会所。大正7(1918)年に建てられ、昭和30(1955)年まで米ノ庄村役場として利用されていました。外壁が下見板張りの寄棟造桟瓦葺平屋建で、正面中央に切妻造起り屋根(むくりやね)の玄関が組み合わされています。建物の門前には、石製の門柱が立てられており、いかにも役場という雰囲気を感じさせます。現在は、公会所として利用されています。

Img_1088c_20211019170301  市場庄公会所の前には、「皇太子殿下御誕生紀念」と刻まれた石柱があります。これを建てたのは、「帝国在郷軍人會 米ノ庄村分會第二斑」でした(石柱の正面、下に刻まれています)。日付などは読めませんでしたが、現在の上皇陛下がお生まれになったときに、記念植樹をしたのでしょう。石柱の周囲にある木がそれではないかと思います。

Img_1109c_20211019175901 Img_1123c_20211019175901  市場庄公会所の先の伊勢街道。蔵が残っているお宅もたくさんあります。右の蔵のあるお宅で、ちょうどこの家の方が出てこられ、蔵などについていろいろと伺うことができました。維持していくのはかなり大変だそうです。お子さんたちは、結婚を機に独立することも多いそうですが、中には、広い敷地を活かして、離れを建てて同居する方もあるそうです。

 その1はここまで。その2では、近鉄山田線の高架をくぐった先から。市場庄のまち並みの案内や、地蔵尊があります。

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2021年10月19日 (火)

ジョウビタキのオスがやって来ました

Img_3191c  午前中、9時頃から昼くらいまではよく晴れていましたが、午後からは雲が広がり、15時半過ぎには、短い時間小雨が降りました。いつも通り、7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南寺町、老松公園、寺町と5.6㎞。もっと歩いた気もするのですが、散歩友達その他とたくさん出会って(10名!)、しゃべっていたからかも(苦笑)。こんなによくしゃべる性格だったか? とときどき思うのです。

Img_2736c_20211019154101 Img_2936c  これはという写真は撮れなかったのですが、今日は、ジョウビタキのオスがやって来ました。柿安コミュニティパークと(左の写真)、九華公園の奥平屋敷跡(右の写真)にて。同じ個体かも知れません。寒くなって(昨日は11月並だったそうです)、冬の鳥がたくさんやって来るかも知れません。

Img_2650c  さて、桑名七里の渡し公園では、雨が降ったのでせせらぎに水がたまり、カワラヒワやハシボソガラスが水浴びに来ていました。水浴びシーンは、残念ながらうまく撮れず。

Img_3023c_20211019154101  九華公園の奥平屋敷跡では、今日はたくさんの鳥がやって来ました。モズのオスは、ここでもっとも高い松の木のてっぺんに2回にわたってやって来ました。目立つところなのですが、奥平屋敷跡にいると、「灯台下暗し」で、うまく見えるところが限られます。それ故、ウロウロ(苦笑)。

Img_2812c_20211019154101 Img_2892c_20211019154101  コゲラも2羽。しばらく奥平屋敷跡を移動していましたが、写真はなかなか撮らせてくれません。シジュウカラも数羽。コゲラと伴に移動していました。こちらも難敵。

Img_2973c_20211019154101 Img_3002c_20211019154101  今日はカワラヒワはすくなく、2羽ほどしか来ず。ハクセキレイもやってきました。この他、メジロもたくさんいたのですが、これまたあいにく、写真はイマイチを量産(苦笑)。ハシボソガラス、ドバト、ヒヨドリ、ムクドリもいます。

Img_2862c_20211019154101  そして、こちら。さて、誰でしょう? ムシクイの仲間のように思うのですが、明るいところには出てこず、また、鳴きもせずで?? 

Img_3129c_20211019154101 Img_3124c_20211019154101  九華公園のカモ、今日は合計7羽。キンクロハジロのオス、メスがそれぞれ3羽と、ヒドリガモのメスが1羽。左は、二の丸堀に集まっていたキンクロハジロのオス2羽とメス3羽。右は、ヒドリガモのメス。吉之丸堀を泳いでいました。

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Img_3148c_20211019154101  いやぁ、良いですねぇ。堀にカモが浮かぶ光景。しかもまだ寒くはありませんから、のんびりというか、ほのぼのとした光景で、こちらの気持ちもゆったりしてきます。

Img_3167c  貝塚公園では、ヒヨドリ、メジロ、河原鶸の声が聞こえていましたが、撮れたのはカワラヒワのみ。内堀公園、老松公園では、ヒヨドリ、カワラヒワなど。

Img_3098c  オマケ。九華公園のヌートリア。久しぶりに見ました。神出鬼没で、いつどこに現れるか、予測がつきません。前管理人Oさんも「是非見てみたい」とおっしゃっているのですが、まだ遭遇できていないそうです。

Img_3176c_20211019162801  明日は江戸橋での仕事。天気予報は晴れ。しかし気温は上がらない模様。木曜は市役所の仕事と、珍しく多用(微苦笑)。2日続けて散歩&鳥見に行けないのは、カモも、ジョウビタキも来ているのに、ちょっと残念。

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2021年10月18日 (月)

九華公園のカモは6羽

Img_2159c_20211018190001  今日の最高気温は、17.5℃で寒い(苦笑)。一気に冬のような感じで、年寄りにはキツい。散歩に出るときは長袖にベストを着たのですが、途中で、ウィンドブレーカーに着替えたくらい。いつものように7時半過ぎに歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、寿町、参宮町、蓮見町と6.6㎞。

Img_2573c_20211018185901 Img_2555c  九華公園、カモが来ていますが、散歩友達に聞いたら、土曜日(10月16日)から来ていたようです。今日は、ヒドリガモのメス1羽(右の写真)と、キンクロハジロのオスが1羽、メスが4羽(うち1羽は、スズガモかも知れません)。

Img_2565c_20211018185901 Img_2581c_20211018185901  何れも二の丸堀にいます。キンクロのメスは、一時、どこかに飛び去ったものの、また戻って来ました。ちなみに、土曜日には、ヒドリガモのオスもいたそうです(複数の散歩友達の情報で、間違いはないでしょう)。

Img_2168c_20211018190001 Img_2197c  さて、散歩の初めに戻って、拙宅マンション前の電線にカワラヒワが1羽。近くでは、ヒヨドリの鳴き声。複数でした。また、メジロの鳴き声も聞こえていました。住吉水門のところでは、ハクセキレイ3羽。この頃、よくこの3羽がいます。

Img_2220c_20211018190001  三の丸公園の電線には、モズ。証拠写真(苦笑)。まぁ、観察記録ですから、きれいに撮れたに越したことはありませんが……。

Img_2273c_20211018190001 Img_2429c_20211018185901  九華公園の奥平屋敷跡では、まずはモズ。ここに着いたら、頭上で鳴いていたので、探しました。このあと、南の方に飛んで行ったので、貝塚公園に行ったかも知れません。奥平屋敷跡では、ほかにメジロが2羽。ただ、サンゴ樹などの木の奥にいて、ピンぼけ写真しか撮れず仕舞い。カワラヒワもいましたが、数は少ない。奥平屋敷跡では、ほかにドバト、キジバト、ヒヨドリ、ムクドリ、ハシボソガラス。

Img_2548c_20211018185901 Img_2289c_20211018190001  アオサギさんは、珍しいところにいました。辰巳櫓跡近くの松の木のてっぺんです。ごくまれにここにいます。見逃しそうでした。散歩友達&鳥見友達のYさんは、土曜日にムシクイの仲間らしき鳥を見たとおっしゃるのですが、私は最近出会っていません。今日は、カワウが10数羽。最近にしては多い。6羽くらいが、堀で集団で漁を行っていました。

Img_2601c_20211018185901  貝塚公園では、モズ。九華公園で見たモズと同じかも知れません。他には、カワラヒワ、キジバト、ヒヨドリなど。四阿でしばらく鳥の出待ちをしたのですが、何も来ず。カワラヒワやヒヨドリの鳴き声が聞こえたくらい。

Img_2623c_20211018185901  アピタ桑名店では新光堂書店へ。昨日、三洋堂書店で買い忘れた文庫本1冊をゲット。この頃、このように「忘れた!」「間違えた!」ということがときどきあります(苦笑)。若い頃にはほとんど考えられなかった事態で、ジジイになったなぁと思っています(まだまだボケていないと、自分では思っています)。余談ですが、江戸橋での授業のレジメ、今週印刷してもらって配布するものも間違えて、先週配ったものを再び送ってしまっていました。助手の先生からは、「先生のうっかりを発見できるなんて、嬉しい」などといってもらえましたが、お恥ずかしい次第。

Img_2205c_20211018190001  ところで、10月16日(土)に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」。超予告編にも書きましたが、写真を1,100枚以上撮って来て、その処理に時間を要していました。1,100枚も撮ったというのは、基本的に連写していて、同じところで同じ写真を3~4枚は撮るからというのが理由の1つ。もう1つの理由は、デジタル写真ですから、不要なものは消せばよいと思って、とにかく写真を撮ってきてしまうから。ようやく、今日の夕方になって処理終了しました。超予告編を予告編に書き直してから本編を書くか、このまま本編に突入するか思案中。

Img_2177c_20211018190001  今週は、水曜日が江戸橋の仕事(レジメ原稿は、正しいものを送り直しました……苦笑)、木曜は市役所の仕事(終日とはならない見込み)、金曜は歯科受診と、私にしては予定が立て込んでいます。土曜日夕方は、マンション管理組合で、エレベーターリニューアルの説明会。今時なら、リモートでやっても良いような気がしますが、集会室にて。

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2021年10月17日 (日)

九華公園にカモ飛来……キンクロハジロのオスとヒドリガモのメス

Img_2155c_20211017121701  昼頃からは晴れてきましたが、朝のうちは曇り。散歩途中、九華公園では小雨に見舞われました。家事を済ませ、家内からの指示で赤福がネット限定販売をしている「白餅黒餅」をゲットして、8時15分から散歩。今日は、散歩の後で三洋堂書店に行こうと思って、住吉神社、九華公園、京町、寺町と回って4.8㎞。

Img_2133c_20211017121701 Shirokuromain  天気は今ひとつでしたが、九華公園に行ってよかったと思いました。奥平屋敷跡で1時間近く、散歩友達のWさん、前管理人のOさんと話していたのですが、話し終わって歩き始めたら、二の丸堀にカモが来ているのを発見! 待ちに待ったという感じでしたから、小躍りしてしまいました(苦笑)。

Img_2064c_20211017121701 Img_2081c  キンクロハジロのオスと、ヒドリガモのメス。奥平屋敷跡に着いたとき、二の丸堀もチェックしたのですが、その時は姿は見えませんでしたから、今日の9時前後にここに到着したものと思われます。最初は、別々に離れていたのですが、そのうち、2羽で行動を共にしていました。いよいよ九華公園にもカモの季節がやって来ました(微笑)。

Img_2018c_20211017121701 Img_2030c_20211017121701  しかしながら、その他は、サッパリ(苦笑)。奥平屋敷跡では、ハクセキレイさんが2羽。その他は、ヒヨドリがそれなりにいたのと、ドバトが少数。もうムシクイの仲間や、コサメビタキは見られません。

Img_1995c  ドバトは、九華すずめ食堂に乗って、横着なことをしています。Oさん以外の方が、この本店にも朝日丸跡の支店にもパン屑をおくようになって、ドバトに占領されてしまっています。スズメより遙かに大きいので、そのうち餌台も壊れるのではないかと危惧しています。

Img_2124c_20211017121701  アーちゃん、今日は、野球場の南の堀にある石の上。

Img_1884c_20211017122901  このあといったん戻って、クルマで三洋堂へ。いつも買っているバーダーという雑誌を買いに行ったものの、売っておらずガッカリ。売れてしまったのか、売れないから取り扱いを止めたのか? やむを得ません、アマゾンかどこかで買うことにします。ほかに文庫本3冊と、フィールドノート1冊を購入。写真は、昨日、松阪駅前で撮った松阪牛のモニュメント。ハロウィーン仕様で、マスクを着用していました。

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