旅行・地域

2021年7月20日 (火)

20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その3)……神戸の町を歩いて、鈴鹿市駅へゴール(完)

210717oiwake5  7月17日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第5回、その3です。その2では、鈴鹿市に入り、高岡町を歩いてきました。階段付常夜燈や、神戸見附跡を見て、神戸の町に入りました。「神戸」は「かんべ」と読みます。詳細なコースマップは、その5。ご覧いただいてお分かりのように、ゴールに設定した鈴鹿市駅はすぐ近くですが、ちょっと通り越して、札の辻などを見てからゴール。マップでいうと、札の辻などがある三叉路で伊勢街道は左折(東へ)。次の安倍歯科のところで街道は右折しますが、この日の伊勢街道歩きはここまで。

Img_3283c_20210719042901  旅館加美亭の先は、神戸の古くからの町。古いものがいろいろと目に入ってきます。左は、桑名の町でも見る「祭車庫」。常磐町祭車庫とありました。ここ神戸にも石取祭があります(神戸石取祭)。その歴史は明治30(1897)年頃、常盤町・北萱町・南萱町(橋北三町)が、石取祭発祥の地である桑名より祭車を譲り受け、それまで行われていた夏祭とあわせ、祭車を曳き石取祭へと変遷したものと伝えられています。神館飯野高市本多神社(神戸宗社;鈴鹿市神戸2丁目)のお祭りとして挙行されます。ちなみに、この神舘飯野高市本多神社は、倭姫命ゆかりの神社で、ご巡幸の折、この地にしばらく滞在されたといいます。それが、「神舘」という名前に残っているのでしょう。

Img_3286c_20210719042901  その先で、古い看板や、昔のクーラーの室外機を見つけました。ペプシコーラやコカコーラの看板があります。「セーフガード」の広告看板には、「ひと息に、ヘルシー」と書かれていますし、「あゝ 未知の味。」とあるのは、100円販売機でお馴染み、チェリオのスウィーティー。室外機、これはまだエアコンではなく、クーラー(要するに冷やす専用)のものと思います。

Img_3289c_20210719042901 Img_3292c_20210719042901  さらに、軒先の瓦屋根。しかも、粘土瓦を使い、土葺がされています。昔は、これが普通だったのですが、今となっては珍しい。瓦屋根はずいぶん減ってしまいましたし、今、屋根を瓦で葺くとしても、防水シートを敷いて、薄くて軽い瓦を載せます。また、ガルバリウム鋼板を使った金属製の屋根もあります。右は乳母車。今でも保育園での散歩に子どもたちが乗っているところを見かけますが、一般的には見なくなりました。

Img_3299c_20210719053201  近鉄鈴鹿線の踏切を越えたところに「ナショナル」の看板。今はPanasonicブランドになっていますが、その昔は松下電器/松下電工でした。

Img_3303c_20210717171301 Img_3307c  ナショナルの看板があったところの手前、7.5㎞地点で近鉄鈴鹿線を越えています。その先に大橋。神戸小学校のすぐ東で、六郷川という小さい川を渡る橋です。このあたりは、かつては神戸藩士の水練場であったといいます。今では、こんなところで泳げたのか、という気がするくらいです。しかし、これは現代のわれわれの感想に過ぎません。ここはまた、蛍の名所でもあったそうです。

Img_3325c_20210717171301  大橋から200m、札の辻が見えてきます。江戸時代には、高札場があったところ。油伊(あぶい)旅館がありますが、その手前に里程標と道路元標があります。

Img_3334c_20210717171301 Img_3338c_20210719061201  里程標には、「大正三年拾壱月 三重縣」、「日永村へ 壱里貳拾町拾六間  白子町へ 壱里貳拾貳町四拾四間  神戸町」、「距 津市元標五里参拾四町拾七間」、「距 三重縣桑名郡長島村大字押付管轄境七里参拾壱町五拾間」とあります。また、里程標の手前にあるのが、「神戸町道路元標」で、大正3(1914)年の建立。

Img_3354c_20210717185801  油伊旅館も営業しています。築150年。素泊まりは¥4,000~だそうです。3年前に内装と水回りのリフォームを終えているといいます。先ほどの加美亭といい、この油伊旅館といい、こういうところに一度は泊まってみたいものです。

Img_3351c_20210719061301 Img_3348c_20210719061301  油伊旅館にも、いろいろ昔のものが残っていました。「松竹 東宝○○」「上映中」「次週上映」という文字が読めます。昔の映画館の看板がかかったのだと思います。

Img_3370c_20210719061601  軒下を見上げると、電線。実家の昔の家でも、こういう風に配線してありました。プラスとマイナスと別々の電線がこのように平行に、碍子を使って走っていたのです。

Img_3386c_20210717171301  この日の伊勢街道歩きは、油伊旅館の東の三叉路まで。伊勢街道は、マップで安倍歯科とあるところで右折して南に向かいます。ゴールに設定した近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅に向かいます。と書きましたが、実は、昼食を摂るところを探して、若干ウロウロしました(苦笑)。予め調べて行ったものの、行列ができていたり、店に入ったものの店の方がいなかったり(^_^)。近鉄ハイキングで来たときに入った喫茶店は、営業していませんでした(休業や閉店ではなさそうでしたが)。ウロウロした挙げ句、結局、駅横ファミマで軽食をゲットし、イートイン(神戸見附跡で休憩したときに、おやつをかなり食べたのです……爆)。一応、近鉄鈴鹿市駅には13時15分頃到着。30分の休憩を含め、3時間35分ほどで8.0㎞を歩いてきました。

Img_3383c_20210717171301 Img_3397c_20210717171301  電車は、13時38分発の伊勢若松行きに乗車。伊勢若松に13時42分着。ここで名古屋線の急行に乗り換え。名古屋行き急行は、13時55分。待ち時間がそれなりにありますが、まあ遊びに来ていますから、気になりません。桑名駅には、14時22分に到着。¥500。左の写真は鈴鹿市駅の改札、右は乗り換えた伊勢若松駅のホーム。

Img_3411c_20210717171301  この日の歩数。スマホのALKOOのデータでは、20,145歩。20,000歩越えは久しぶり。よく歩きました。あすなろう追分駅から近鉄鈴鹿市駅までが8.0㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞。合計10.2㎞を歩いたという次第。暑くなって大丈夫かとちょっと心配しましたが、日頃の修行の成果はあるようです。

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2021年7月19日 (月)

20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その2)……鈴鹿市に入り、階段付常夜燈や神戸見附跡を訪ねる

210717oiwake3 Img_3146c  7月17日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第5回その2です。その1では、四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、内部川を渡って、河原田の町を歩きました。光明山常超院の先で、鈴鹿市に入ります。常超院は県道103号線沿い。そのまま県道を進み善誓寺に立ち寄ったあと、伊勢街道に戻ります。鈴鹿市高岡町を進んでいます。高岡城址にある高岡神社と大福田寺にも行こうと思ったものの、かなり長い階段が見えて、断念。関西線沿いの常夜燈、鈴鹿川を高岡橋で渡って階段付常夜灯へというのが、詳細なコースマップその3。

Img_3150c_20210717171201 Img_3154c_20210717171201  鈴鹿に入って最初の立ち寄り先は、善誓寺。臨済宗妙心寺派のお寺。近鉄ハイキングの時にも立ち寄ったのですが、記事では言及していません(2019年4月11日:20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編))。平成30(2018)年の台風21号で大きな被害を受けたようで、山門、本堂、鐘楼とも立ち入らないようにという注意書きがありました。由緒のあるお寺と思うのですが、荒れているのはとても残念。ネット検索では詳しい情報は出て来ません。

Img_3162c_20210717171201  善誓寺の先では、JR関西線沿いを歩きます。この北にJR河原田駅があります。この駅で、関西線と伊勢鉄道線が別れ、伊勢街道は2つの路線の間を進んでいます。ちょうど、伊勢鉄道線を名古屋行きの快速みえが走っていきました。伊勢鉄道は河原田から津までの路線。関西線の名古屋方面と紀勢本線の津以南を短絡するため、昭和48(1973)年9月に国鉄伊勢線として開業したのですが、昭和62(1987)年3月から第三セクター「伊勢鉄道」に継承されています。特急「南紀」や快速「みえ」がここを通っています。

Img_3164c_20210718194501  関西線沿いに右手に「大泉源之助翁彰功碑」があります。これについてネットで検索すると、「大泉式稲作法(大泉源之助著、大正8(1919年、神戸町(三重県)」という本が出て来ました(こちら)。この著者の顕彰碑かと思うものの、確証はありません。

Img_3171c_20210718194901 Img_3178  県道103号線をくぐったところに高岡神社の社号標。その西、JR関西線の踏切の手間に、高岡神社の一の鳥居。大福田寺(臨済宗東福寺派)、高岡神社に立ち寄ろうと思ったものの、河原田神社と同じく、かなり階段を登っていかないといけないことが判明。断念しました(苦笑)。ここは、高岡城址。高岡城は神戸城の北の支城として築かれた城で、神戸城主・神戸友盛の家老、山路弾正種常が城主をつとめ、永禄10(1567)年と翌年の2度にわたって北伊勢に侵攻してきた織田信長の軍勢に攻められたものの、落城しませんでした。その後、三男・織田信孝の養子を条件に両者は和睦しました。その後、謀反の企てなどがあったのですが、失敗に終わり、信孝の異母兄弟にあたる小島兵部が城主となっています。本能寺の変後に、信孝が岐阜城主になると兵部は神戸城へ移り、廃城となり、現在は、城址の一部が「高岡城跡公園」として整備されており、わずかに土塁や空掘が残っているといいます。

Img_3181c_20210718195301  その先、JR関西線沿いに常夜燈が見えます。これは、寛政11(1799)年に建立されたもの。このあと渡る高岡橋の北詰にあったもののようで、江戸から寄進されたと伝わっています。

Img_3192c_20210717171201 Img_3199c_20210718195501  高岡橋で鈴鹿川を渡ります。江戸時代には、この高岡橋あたりは、嘉永6(1853)年に無銭渡しの木橋がかけられるまでは、橋はなく、大変不便であったといいます。橋は、現在の高岡橋よりも少し西(上流側)にあったようです。ほとんど余談ですが、高岡神社の一の鳥居当たりから、この高岡橋を渡ったところまでは、ウグイスがたくさんいて、あちこちで鳴いていました。右の写真は、高岡橋の下流側。

Img_3213c_20210717171201 Img_3202c_20210717171201  高岡橋を渡って、スタートから5.5㎞ほどのところに常夜燈。この常夜燈には、点火用の階段がついています。「太神宮常夜燈」「国土安穏」などと刻まれています。文化4(1807)年の建立。点火用の階段がついた常夜燈は、ここでしか見た記憶がありません。階段部分は傷んでしまったようで、平成11(1999)年に修復されています。「平成十一年十月吉日修復 大泉源之」とありました。平成の世の中になっても、こういうものを修復してくださる奇特な方がいたんだと感激しました。

Img_1390c  これを書いていて、思いついたのですが、先の顕彰碑は「大泉源之助」さんのもの。同じ名字ということは、修復した「大泉源之」さんは、「大泉源之助」の子孫なのでしょうか?(勝手な推測で、たまたま同じ名字の他人かも知れません)。この写真は、平成31(2019)年4月11日の撮影。

Img_3219c_20210717171201 Img_3231c_20210717171301  常夜燈のところから下って、高岡の町に入っていきます。「みえの歴史街道」の伊勢街道のマップの説明には、このあたりは「古代条里制の面影が残り、一直線に進んでいる」という説明があります。条里制とは、7~8世紀頃、全国的に平野部を区画した地割のこと。幅六町(約654メートル)の直交する条と里(り)によって、大区画を作り、これで囲まれた正方形の各辺を六等分した幅一町の線で面積を36等分します。この一辺一町の小区画が面積一町で、これをさらに長地形、半折形に10等分して一段になります。

210717oiwake4  詳細なコースマップはその4。十宮に入ると常夜燈があり、7㎞を過ぎたところには、神戸見附跡。その東に阿自賀神社社号標、すぐのところに旅館加美亭があります。

Img_3237c  スタートから6.6㎞、十宮(とみや)に入ったところに常夜燈。文化14(1817)年に建立されたもの。大正9(1920)年に再建されています。十宮村三軒屋の入り口にあります。ここで、同行のK氏が、「常夜燈の内側はどうなっているんだろう?」といいます。確かに、疑問。この記事を書くに当たって、ネットでいろいろと調べて見たら、台座のところは、外側は石が並べられていますが、もともとは砂が詰められているようでした(たとえば、常夜燈の据付直し工事 | 山本石材の近状報告ブログ)。現代、修理するときは、台座の内部はコンクリートで埋め、石の継ぎ目はボンドで貼り付け、目地はモルタル仕上げになるようです。

Img_3242c_20210717171301 Img_3245c_20210718202101  神戸(かんべ)見附跡。伊勢街道の両側に土塁と石垣を築いたものが残っています。ここが神戸宿の入り口。町の治安を守るために番人がいて、夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたといわれています。

F5d81910 Img_3254c  明治2(1869)年の絵図にこの見付の様子が描かれています。絵図では、上が神戸の町。石垣が両側にあり、両開きの木戸が描かれています。街道の両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っています(右の写真)。

Img_3269c_20210718204301  東側の土塁・石垣の傍らには、阿自賀神社社号標があります。「式内阿自賀神社 距此凡三町」とありました。明治2(1869)年建立。阿自賀(あじか)神社は、鈴鹿市須賀一丁目に現在もあります。距離がありましたので、行ってはいませんが、主祭神は品陀和気命、創建は建暦2(1212)年3月以前と考えられています。

Img_3273c_20210717171301  神戸見附跡で12時15分。ここまで休憩を取ってきませんでしたので、小休止。見附跡の西側は小公園になっていて、桜並木があり、ちょうど日陰になっていて、座れます。見附跡の西側の土塁が目の前にあり、またもやK氏から「土塁はどうやって作ってあるんだろう?」と。土塁は、もちろん「土を盛り上げて築いたとりで」。敵などの侵入を防ぐために築かれた、主に盛土による堤防状の防壁です。「城のつくり方図典(三浦正幸著)」によれば、平地に土塁を築く場合には、当然、よそから土を運んでこなければなりません。この神戸見附跡の場合、どのようにしたかは分かりませんが、城に土塁を作る場合、ほとんどの場合、土塁の横に堀を掘りますから、堀を掘った拝土を盛ったそうです。土塁の法面を保護するためには、草を植えるか、叩き固めるかの2つの方法があります。臨戦態勢では、叩きの方が堅固ですが、ひと雨降るごとに修復が必要になるので、やむを得ず草を植えたといいます。叩き土塁を築くには、厚さ数センチずつ層状に土砂を盛り上げ、各層ごとに叩き固める「版築(はんちく)」という工法が用いられました。この工法でつくって、乾燥すると大変強固な地盤となるそうです。土塁に植えられた草は、芝・小笹・麦門冬(ばくもんどう:ジャノヒゲまたはリュウノヒゲ)などが多かったといいます。余談が過ぎましたが、ここで30分ほど休憩。風がよく通って、暑かったものの、気持ちよいところでした。

Img_3279c_20210717171301  神戸見附跡のすぐ先、西側に、旅館加美(かみ)亭。創業250年以上のようです。主屋は明治13年に建てられたものですが、内部は、その後何度も改装されたそうです。今も営業しており、1泊4,000円。神戸は、十日市町(現神戸2丁目)が中心で、本陣や問屋もそこに集中していました。幕末には旅籠は19軒あり、常磐町(現神戸8丁目)に14軒もあったといいます。賀美亭は、当時は「紙屋」という屋号だったといいます。こちらに実際に泊まった方のブログ記事があります。

 ゴールは近いのですが、キリも良いので、その2はここまで。その3では神戸の町を歩きます。

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2021年7月18日 (日)

20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(その1)……四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、内部川を越え、河原田へ

Isemap  7月17日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第5回です。前回が5月22日でしたから、2ヶ月ぶり(2021年5月22日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(予告編))。サボっていたわけではなく、諸般の事情があったということです。5月22日には、四日市にある日永の追分まで来ています。この日永の追分は、東海道伊勢街道(参宮街道)の分岐点です。この日からは、伊勢街道を歩いていきます。距離は、およそ18里(約70km)で、脇街道として整備されています。江戸時代、多くの人が伊勢参りに来ています。時には500万人もの人々が熱狂的に伊勢を目指したのが、この伊勢街道。東海道に次いで交通量が多く、物資や文化、情報の行き交う賑やかな街道であったといいます。また東海道、伊勢別街道伊賀街道和歌山街道初瀬(はせ)街道など多くの街道と合流するこの街道は、伊勢国の幹線道路として、旅人だけでなく地元の人々にも利用されていました。マップは、みえの歴史街道からお借りしました

210717oiwake0  四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅まで。東海地方は、この日がやっと梅雨明け。桑名では最高気温は31.6℃でしたが、風が吹いていて「猛暑」という感じではありませんでした。今日は、いつものように「予告編」。同級生K氏との二人旅の続きです。左の画像が、この日歩いたコースの全体マップ。追分駅から旧伊勢街道である県道13号線を南下します。日永の追分の少し南からです。この日は、立ち寄るところは少なめ。とくに、内部川を越えて、河原田の町に入るまではほとんどありません。河原田の町で、又兵衛橋、里程標、河原田神社、忘帰處、常超院。その先で鈴鹿市に入り、善誓寺、鈴鹿川を渡って、階段付常夜燈、常夜燈、神戸見附跡。ここから神戸(かんべ)の町に入り、旅館加美亭、大橋、札の辻、里程標、道路元標、油伊旅館を経て、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅へゴール。8㎞となりました。ひたすら歩くという感じでしたが、あまりあちこち立ち寄らなかったせいか、さほど疲れたという感じはありません。

Img_2895c_20210717171001 Img_2898c_20210718164401  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。近鉄四日市駅で下車(8時55分着、¥300)。四日市あすなろう鉄道に乗り換えます。これらの写真は、あすなろう四日市駅。鉄道キャラクターの「鉄道むすめ『追分あすな』」ちゃんがいます(右の写真)。今年の3月にデビューしたとか。

Img_2902c_20210717171101Img_2906c  あすなろう四日市駅9時23分発の内部線の電車で追分駅まで行きます。左は、四日市あすなろう鉄道の電車。ここも、三岐鉄道北勢線と同じく、ナローゲージ。スピードもゆっくりで、いかにも電車に揺られているという感覚がたっぷり。

Img_2920c_20210717171101  今日のスタートである四日市あすなろう鉄道追分駅。追分駅には、9時35分着、¥270。9時40分にスタートします。

210717oiwake1  こちらが詳細なコースマップのその1。追分駅は、日永の追分のすぐ南西にあります。旧伊勢街道は、今は県道13号線。追分3丁目の交差点から県道13号線に入り、しばらくは、立ち寄るところはありません。工場地帯をひたすら南に歩いて行きます。

Img_2923c_20210717171101 Img_2926c  ここが追分3丁目の交差点。左は、日永の追分の方向を見たもの。残念ながら、道が少し曲がっていて、日永の追分は見えません。右の写真は、これから進む県道13号線の南の方面。時々、道ばたの水路を覗き込んで、魚や水生昆虫がいないか見るのですが、なかなか見つからず。

210717oiwake2  早くも詳細なコースマップその2。本来の伊勢街道は、このマップで大宗建設のところから萩野メタルワークスのある方向に進みます。しかし、今は、旧道に橋はなく、川原田橋を渡りますので、そのまま県道を直進。また、この本来の伊勢街道を行くと、大治田3丁目一里山に表忠碑と平和之礎があったのですが、県道からはそれは見えません。内部川を越えて、又兵衛橋、河原田小学校の北で里程標、小学校のところで孝女森田いと刀自像。河原田小学校の南西隅には、伊勢街道最初の一里塚があったそうですが、今は何もありません。その先で、河原田神社と忘帰處、また、常超院に立ち寄ります。

Img_2948c Img_2958c_20210718171901  河原田橋。内部川にかかっています。本来の伊勢街道のルートは、もう少し上流側。木橋がかかっていたそうです。右の写真で、小さい橋(NTTの電話ケーブルが通っています)のあたり。

Img_2971c_20210717171101 Img_2974c_20210717171101  河原田橋をわたってすぐに右折。堤防道路から降りて河原田の町に入っていきます。右が又兵衛橋。内部川のすぐ南側にある谷川を跨ぐ幅5.8m,長さ6.8mの小さな橋です。名前の由来は、橋の改修に尽力された石崎又兵衛という方からきています。昭和13(1938)年に鉄筋コンクリートで造られ、当時としては、数少ない石橋で河原田自慢の橋であったそうです(こちら)。

Img_2981c_20210717171101  又兵衛橋の先の伊勢街道。たぶん昔と同じくらいの道幅。いかにも旧街道というイメージです。伊勢までまだ約68㎞。先は長いのですが、ユルユルと参りましょう(微笑)。

Img_2999c Img_2989c  スタートから2.4㎞ほど、河原田の郵便局の近くに里程標があります。ここは、采女道(うねめみち)との交差点。「距 名古屋市 十五里十一町 守山町 十七里十五町」、「距 宇治山田市 十七里四町 久居町 八里三十二町」、「距 津市 六里三十二町 海蔵村 二里八町」と刻まれています。中央あたりで割れたのか、継いだ跡があります。これを観ていたら、散歩していた地元の高齢者の方が声をかけてこられました。「伊勢街道を歩いているの? この里程標は、20年の地震で折れてつないだんや」とおっしゃいました。20年の地震というのは、三河地震(昭和20(1945)年1月13日)かと思って尋ねたのですが、耳が遠いようで、返事はいただけませんでした。

Img_3014c_20210717171101 Img_3021c_20210718183801  その南に河原田小学校。伊勢街道に沿ったフェンスに子どもたちが書いたと思われる校歌や、街道沿いの名所の絵があります。右の写真は、先ほど渡ってきた又兵衛橋が描かれたもの。

Img_3003c Img_3010c_20210718183901  小学校には付きものだったのですが、二宮金次郎像。一時は気になって、桑名市内だけでも小学校を回ってチェックしようと思ったことがありました(苦笑)。さらにその近くに「孝女森田いと刀自像」。森田いとという方については調べても分かりませんでした。孝女(こうじょ)は、孝行な娘。刀自(とじ)は、「家事をつかさどる婦人。主婦。いえとうじ、あるいは、女性を尊敬または親愛の気持をこめて呼ぶ称」です。孝女を顕彰する石碑は、たまに見かけます。たとえば、津市の偕楽公園には「孝女登瀬碑」が、また、弥富の三ツ又池公園近くには、「孝女曽與(そよ)宅址」があります。

Img_3026c_20210718184801  この河原田小学校の南西隅には、かつて伊勢街道最初の一里塚があったといいます。この写真は、東側の塚があったと思われる場所です。慶長9(1604)年につくられ、街道の西側には松が、東側には榎が植っていたようですが、明治2(1869)年に樹木が切られ、今はありません。

Img_3031c Img_3047c_20210717171101  河原田小学校のすぐ南、スタートから2.6㎞あたりのところの西に河原田神社があります。明治42(1909)年6月、八幡社(河原田村大字内堀中屋敷)と須賀社(河原田村大字貝塚字一ノ縄)を三神社(河原田村大字河原田字三神山)へ合祀し、村社河原田神社と改名しました。平成10(1998)年12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼し、平成12(2000)年に再建されています。神社は小高い丘の上にあり、約100段ほどの階段を登っていかねばなりません。

Img_3059c_20210717171101  ご祭神は、天照大神大国主神弥都波能売神(ミツハノメノカミ;伊奘冉尊が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神としてまつられます)、猿田毘古神宇迦之御魂神建速須佐之男命五男三女神天児屋根命品陀和気命上筒之男命中筒之男命底筒之男命仁徳天皇木花之開耶姫命市杵島比売命の他、神社検索三重のサイトによれば、不詳八座とあります。

Img_3063c_20210718190201  拝殿の北には、頌徳碑が2つ。向かって左は、「熊沢市兵衛翁頌徳碑」です。熊澤家は農家で河原田の旧家で地主で、代々津藩・藤堂家の御金御用達の役を務めていました。熊澤市兵衛は幕末に庄屋などを務めており、戊辰戦争で『撒隊士』という身分で東征にしたがい、明治になって四日市に帰郷しました。明治時代に若くして三重県議会議員になり、河原田村の村長などの名誉職にも就いています。熊澤市兵衛は、農村出身の農民の家柄でしたが、勉学の必要性に気づき学問を重視していました。明治42(1909)年には河原田尋常高等小学校の建築費の一部を寄付しています。大正時代、皇太子であった裕仁親王の成婚時には、河原田尋常高等小学校の講堂を新築する費用の寄付と、入学志願者が少なくて不振だった三重郡立農学校(現・三重県立四日市農芸高等学校)に対しても、長男の熊澤一衛と協力して3万円と広い敷地を寄付しました。さらに、『熊沢奨学資金』を新設して、貧困家庭の子供たちの学業の補助をしています。また、河原田地区の西部丘陵地帯には、明治後半に熊沢市兵衛翁がみかん栽培を伝え、今も「河原田みかん」として親しまれています。 境内には、他に「神武天皇遙拝所」もあります。

Img_3091c Img_3078c_20210717171201  神社の西、さらに少し登ったところに忘帰處(ぼうきしょ)があります。河原田神社のある三神山頂上にあります。ここから見る眺めは河原田随一の景勝地だそうで、田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁宅を訪れた際に、この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということから「忘帰處」と名づけられています。標高41mあまりの山上に建てられている記念碑は、伯爵自らの筆によるもので、昭和8(1933)年10月、88歳になった熊沢市兵衛翁が建てています。山上からの眺めは一望千里に渡り、晴れた日には、知多半島から木曾御岳の山並みも望み見ることができる絶好の名勝地です。

Img_3074c_20210718190701  上左の写真が、「忘帰處」から見た東の方角。樹木がかなり茂っていて視界を妨げていました。木々がこれほど茂っていなければ、景色がよく見えると思います。見とれて帰るのを忘れるという気持ちは何となく分かります。我々は、ちょっと腰を下ろしてお茶を飲んだだけ。「帰るのを忘れないうちに、行こう」と降りていったのです(苦笑)。河原田神社、忘帰處の詳細は、こちらにあります。

Img_3118c_20210717171201  河原田神社から降りて来て、二の鳥居をくぐったところで、神社の前にある水路にアオサギさんを発見。何気なく佇んでいました。草が生い茂っていますが、餌の魚が捕れるのでしょうか?

Img_3112c_20210719065201  河原田神社に登っていく階段の下にも「森田いと女遺徳碑」があります。よほどその徳がすぐれていた刀のでしょう。ただ、木々や草が生い茂っていて、碑陰を確認できませんでした。どのような方か知りたかったのに、残念。

Img_3132c_20210717171201 Img_3136c_20210717171201  続いて、伊勢街道から少し外れ、光明山常超院に立ち寄りました。県道13号線に面しています。昇平3(応安元(1368))年に僧湛空の創建により、天台宗でしたが、寛永元(1624)年に真宗高田派に属しています。鐘楼門が大変立派なものでした。平成10(1998)年につくられたものと記憶しています。「鐘楼門といいながら、上がれないな。どうやって鐘をつくんだ?」などと思っていたら、門の内側に鐘をつくためのロープ(?)が下がっていました(苦笑)。伊勢街道には戻らず、そのまま県道13号線を進みます。

 その1は、ここまで。その2では、いよいよ鈴鹿市に入ります。

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2021年7月17日 (土)

20210717「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第5回「日永の追分~鈴鹿・神戸」(予告編)

Img_2902c_20210717171101  東海地方は、今日になってやっと梅雨明けが宣言されました。梅雨期の日数が62日と昭和26(1951)年の統計開始以降最長だったそうです。梅雨明けは、平年より2日、昨年より15日それぞれ早かったのですが、今年は梅雨入りが5月16日と平年より21日も早かったので、最長ということになったようです。梅雨明けを記念して、ということではありませんが、5月22日以来の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」に行ってきました(2021年5月22日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(予告編))。今日は第5回。「日永の追分~鈴鹿・神戸」ということで、四日市あすなろう鉄道追分駅をスタートし、近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅まで。桑名では最高気温は31.6℃でしたが、風が吹いていて「猛暑」という感じではありませんでした。今日は、いつものように「予告編」。同級生K氏との二人旅の続きです。

210717oiwake0  こちらが今日歩いてきたコースの全体図。四日市市追分から、鈴鹿に入り神戸(かんべ)まで、実際に歩いたのは、8㎞+α。追分駅からほぼひたすら南に歩くというコース。今日からは、伊勢街道(参宮街道)になります。今日は、立ち寄りポイントはあまりなく、ひたすら歩くという感じでした。しかし、あちこち立ち寄らなかったせいか、コースマップ上の距離は、これまでで最も長かったものの、さほど疲れたという感じはありません。

Img_2895c_20210717171001 Img_2920c_20210717171101  桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。近鉄四日市駅で下車し〈8時55分着、¥300)、四日市あすなろう鉄道に乗り換え。あすなろう四日市駅9時23分の内部線の電車で追分駅まで行きます。追分駅には、9時35分着、¥270。左は、四日市あすなろう鉄道あすなろう四日市駅、右は、今日のスタートである四日市あすなろう鉄道追分駅。9時40分にスタート。

Img_2923c_20210717171101 Img_2926c  追分三丁目の交差点から伊勢街道(県道13号線)に入ります。左の写真で向かって左から来て、手前に曲がりました。写真奥の方が、日永の追分。追分が見えないかと思ったのですが、道がカーブしていますので、残念ながら追分にある伊勢二の鳥居などは見えず。ここからしばらくは、立ち寄るところもありません。故にひたすら工場地帯の間を歩いて行くことになります。道沿いにある流れを時々眺めて、魚などが泳いでいないかを確かめるくらい。

Img_2948c Img_2971c_20210717171101  スタートから2㎞地点で内部川を渡ります。旧伊勢街道では、木橋がかかっていたのですが、今はありません。そのため、県道13号線にかかる河原田橋を渡ります。内部川を渡ると、河原田の町に入っていきます。

Img_2974c_20210717171101  河原田に入ってすぐに又兵衛橋。内部川のすぐ南側にある谷川を跨ぐ幅5.8m,長さ6.8mの小さな橋です。名前の由来は、橋の改修に尽力された石崎又兵衛という方からきています。昭和13(1938)年に鉄筋コンクリートで造られ、当時としては、数少ない石橋で河原田自慢の橋であったそうです(こちら)。

Img_2981c_20210717171101  又兵衛橋をわたったところから眺めた伊勢街道。県道13号線は、道幅も広く、交通量も多いので、昔の街道というイメージはほとんど感じられませんでしたが、このあたりからはいかにも旧街道という感じになります。

Img_2989c Img_2999c  スタートから2.4㎞ほど、河原田の郵便局の近くに里程標があります。ここは、采女道との交差点。「距 名古屋市 十五里十一町 守山町 十七里十五町」、「距 宇治山田市 十七里四町 久居町 八里三十二町」、「距 津市 六里三十二町 海蔵村 二里八町」と刻まれています。中央あたりで割れたのか、継いだ跡があります。これを観ていたら、散歩していた地元の高齢者の方が声をかけてこられました。「伊勢街道を歩いているの? この里程標は、20年の地震で折れてつないだんや」とおっしゃいました。20年の地震というのは、三河地震(昭和20(1945)年1月13日)かと思って尋ねたのですが、耳が遠いようで、返事はいただけませんでした。

Img_3014c_20210717171101 Img_3018c_20210717171101  その先に河原田小学校。敷地を囲うフェンスに「河原田小学校校歌」の他、伊勢街道や、近くの名所旧跡を示す絵が掲げられていました。たぶん子どもたちの手書き。こういうのは微笑ましくていい感じ。街道沿いの敷地内には、二宮金次郎像や、「孝女森田いく刀自像」がありました。また、河原田小学校の敷地南西隅には、伊勢街道最初の一里塚があり、西側には松、東側にはエノキが植わっていたそうですが、今は何もありません。

Img_3031c Img_3059c_20210717171101  河原田小学校のすぐ南、2.6㎞あたりのところの西に河原田神社があります。明治42(1909)年6月、八幡社(河原田村大字内堀中屋敷)と須賀社(河原田村大字貝塚字一ノ縄)を三神社(河原田村大字河原田字三神山)へ合祀し、村社河原田神社と改名しました。平成10(1998)年12月火災により本殿、拝殿、社務所を全焼し、平成12(2000)年に再建されています。ご祭神は、天照大神大国主神弥都波能売神(ミツハノメノカミ;伊奘冉尊が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神としてまつられます)、猿田毘古神宇迦之御魂神建速須佐之男命五男三女神天児屋根命品陀和気命上筒之男命中筒之男命底筒之男命仁徳天皇木花之開耶姫命市杵島比売命の他、神社検索三重のサイトによれば、不詳八座とあります。

Img_3078c_20210717171201 Img_3091c  河原田神社の西の、さらに高いところには忘帰處(ぼうきしょ)があります。ここは河原田随一の景勝地だそうで、田中光顕伯爵が熊沢市兵衛翁宅を訪れた際に、この地の風景の美しさに見とれて帰ることを忘れたということからと名づけられています。標高41mあまりの山上に建てられている記念碑は、伯爵自らの筆によるもので、昭和8(1933)年10月、88歳になった熊沢市兵衛翁が建てています。山上からの眺めは一望千里に渡り、晴れた日には、知多半島から木曾御岳の山並みも望み見ることができる絶好の名勝地とされます。ただ、今は、左の写真のように、木が生い茂ってしまい、眺めが少し妨げられています。ここは、2019年4月11日に近鉄ハイキングの「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り」で尋ねています(というか、そもそもこの伊勢詣りハイキングが、近鉄ハイキングのこの企画を再現しています(20190411近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅3日目~東海道、旅人気分で四日市宿から伊勢路へ」(予告編))。

Img_3132c_20210717171201 Img_3136c_20210717171201  河原田神社、忘帰處から伊勢街道に戻り、続いて光明山常超院に立ち寄りました。伊勢街道からは外れて、県道13号線に面しています。昇平3(応安元(1368))年に僧湛空の創建により、天台宗でしたが、寛永元(1624)年に真宗高田派に属しています。鐘楼門が大変立派なものでした。記憶では、平成10(1998)年につくられています。「鐘楼門といいながら、上がれないな。どうやって鐘をつくんだ?」などと思っていたら、門の内側に鐘をつくためのロープ(?)が下がっていました(苦笑)。伊勢街道には戻らず、そのまま県道13号線を進みます。

Img_3146c  スタートから4㎞の手前で鈴鹿市に入りました。思えば、桑名を出発したのが、4月9日でした(20210409「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第1回「七里の渡し跡~朝日」その1……七里の渡し跡から七曲見附跡)。朝日町、四日市市を経てここまで来られました。

Img_3150c_20210717171201 Img_3154c_20210717171201  鈴鹿に入って最初の立ち寄り先は、善誓寺。臨済宗妙心寺派のお寺。近鉄ハイキングの時にも立ち寄ったのですが、記事では言及していません。平成30(2018)年の台風21号で大きな被害を受けたようで、山門、本堂、鐘楼とも立ち入らないようにという注意書きがありました。ネット検索では詳しい情報は出て来ません。

Img_3178  善誓寺の先、県道103号線をくぐったところで大福田寺(臨済宗東福寺派)、高岡神社に立ち寄ろうと思ったものの、河原田神社と同じく、かなり階段を登っていかないといけないことが判明。断念しました(苦笑)。ここは、高岡城址。高岡城は神戸城の北の支城として築かれた城で、神戸城主・神戸友盛の家老、山路弾正種常が城主をつとめ、永禄10(1567)年と翌年の2度にわたって北伊勢に侵攻してきた織田信長の軍勢に攻められたものの、落城しませんでした。その後、三男・織田信孝の養子を条件に両者は和睦しました。その後、謀反の企てなどがあったのですが、失敗に終わり、信孝の異母兄弟にあたる小島兵部が城主となっています。本能寺の変後に、信孝が岐阜城主になると兵部は神戸城へ移り、廃城となり、現在は、城址の一部が「高岡城跡公園」として整備されており、わずかに土塁や空掘が残っているといいます。

Img_3192c_20210717171201  高岡橋で鈴鹿川を渡ります。江戸時代には、この高岡橋あたりは、嘉永6(1853)年に無銭渡しの木橋がかけられるまでは、橋はなく、大変不便であったといいます。橋は、現在の高岡橋よりも少し西(上流側)にあったようです。ほとんど余談ですが、高岡神社の一の鳥居当たりから、この高岡橋を渡ったところまでは、ウグイスがたくさんいて、あちこちで鳴いていました。

Img_3213c_20210717171201 Img_3202c_20210717171201  高岡橋を渡って、スタートから5.5㎞ほどのところに常夜燈。この常夜燈には、点火用の階段がついています。「太神宮常夜燈」「国土安穏」などと刻まれています。文化4(1807)年の建立。点火用の階段がついた常夜燈は、ここでしか見た記憶がありません。階段部分は傷んでしまったようで、平成11(1999)年に修復されています。「平成十一年十月吉日修復 大泉源之」とありました。平成の世の中になっても、こういうものを修復してくださる奇特な方がいたんだと感激しました。

Img_3231c_20210717171301 Img_3219c_20210717171201  常夜燈のところから下って、高岡の町に入っていきます。「みえの歴史街道」の伊勢街道のマップの説明には、このあたりは「古代条里制の面影が残り、一直線に進んでいる」という説明があります。

Img_3237c  スタートから6.6㎞、十宮(とみや)に入ったところに常夜燈。文化14(1817)年に建立されたもの。大正9(1920)年に再建されています。十宮村三軒屋の入り口にあります。

Img_3242c_20210717171301 Img_3254c  7.1㎞を過ぎたところ、常楽寺の東に神戸見附跡があります。伊勢街道神戸宿の入り口にあたり、両側に土塁と石垣を築いたものです。町の治安を守るために番人がいて、夜間遅くには木戸を閉じて通行を禁じたといわれています。明治2(1869)年の絵図にこの見付の様子が描かれています。街道の両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っています(右の写真)。この溝、近鉄ハイキングで来たときには見つけられませんでした(苦笑)。

Img_3273c_20210717171301  ここ、神戸見附跡の西側は、小公園として整備されています。ゴールまで1㎞もありませんでしたが、今まで休憩を取っていませんでしたので、ここで小休止。12時15分から30分ほど。桜の木がたくさん植えられており、春には花見ができそうです。風がよく通って、暑かったものの、気持ちよいところでした。

Img_3279c_20210717171301  神戸見附跡のすぐ先、西側に、旅館加美(かみ)亭。今も営業しており、1泊4,000円。神戸は、十日市町(現神戸2丁目)が中心で、本陣や問屋もそこに集中していました。幕末には旅籠は19軒あり、常磐町(現神戸8丁目)に14軒もあったといいます。賀美亭は、当時は「紙屋」という屋号だったといいます。こちらに実際に泊まった方のブログ記事があります。

Img_3303c_20210717171301 Img_3307c  7.5㎞地点で近鉄鈴鹿線を越えます。その先に大橋。神戸小学校の手前、六郷川という小さい川を渡る橋です。このあたりは、かつては神戸藩士の水練場であったといいます。今では、こんなところで泳げたのか、という気がするくらいです。しかし、これは現代のわれわれの感想に過ぎません。ここはまた、蛍の名所でもあったそうです。

Img_3325c_20210717171301 Img_3334c_20210717171301  大橋から200m、札の辻が見えてきます。江戸時代には、高札場があったところ。油伊(あぶい)旅館がありますが、その手前に里程標と道路元標があります。里程標には、「大正三年拾壱月 三重縣」、「日永村へ 壱里貳拾町拾六間  白子町へ 壱里貳拾貳町四拾四間  神戸町」、「距 津市元標五里参拾四町拾七間」、「距 三重縣桑名郡長島村大字押付管轄境七里参拾壱町五拾間」とあります。また、里程標の手前にあるのが、「神戸町道路元標」で、大正3(1914)年の建立。

Img_3354c_20210717185801  油伊旅館も営業しています。築150年。素泊まりは¥4,000~だそうです。3年前に内装と水回りのリフォームを終えているといいます。先ほどの加美亭といい、この油伊旅館といい、こういうところに一度は泊まってみたいものです。

Img_3386c_20210717171301  油伊旅館の先で、今日の伊勢街道歩きは区切り。ゴールに設定した近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅に向かいます。と書きましたが、昼食を摂るところを探して、若干ウロウロしました(苦笑)。予め調べて行ったものの、行列ができていたり、店に入ったものの店の方がいなかったり(^_^)。近鉄ハイキングで来たときに入った喫茶店は、営業していませんでした(休業や閉店ではなさそうでしたが)。ウロウロした結果、駅横ファミマで軽食をゲットし、イートイン(神戸見附跡で休憩したときに、おやつをかなり食べたのです……爆)。

Img_3383c_20210717171301 Img_3397c_20210717171301  鈴鹿市駅あたりには13時15分頃に着いたのですが、このようにウロウロした結果、結局、電車は、13時38分発の伊勢若松行きに乗車。伊勢若松に13時42分着。ここで名古屋線の急行に乗り換え。名古屋行き急行は、13時55分。待ち時間がそれなりにありますが、まあ遊びに来ていますから、気になりません。桑名駅には、14時22分に到着。¥500。

Img_3411c_20210717171301  今日の歩数。スマホのALKOOのデータでは、20,145歩。20,000歩越えは久しぶり。よく歩きました。あすなろう追分駅から近鉄鈴鹿市駅までが8㎞、自宅から桑名駅往復が2.2㎞。合計10.2㎞を歩いたという次第。暑くなって大丈夫かとちょっと心配しましたが、日頃の修行の成果はあるようです。以上、予告編でした。明日以降、本編を書きます。

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2021年7月14日 (水)

江戸橋、今日は降られず……桑名駅東口の旧駅舎の解体は完了

0713temrank  昨日の話の続き。桑名の最高気温が、35.4℃だったと書きましたが、これは全国でもっとも高くなっていました。こんなことで全国一というのは、返上したいものですが、桑名は、夏はかなり暑くなることがあります。鈴鹿山脈越えで、フェーン現象になって気温が上がるのだそうです(2010年8月16日中日新聞「空を見上げて(大和田先生のお天気講座)」による)。ちなみに、今日は、29.6℃

Dscn4285c Dscn4307c  それはさておき、今日の話。江戸橋での仕事の日でした。お陰様で雨には降られず。往きは晴れていたものの、授業をしている間に次第に曇ってきました。授業が終わった頃は、雲がけっこう厚くなっていて、遠くでゴロゴロという音も聞こえていました。助手の先生が「江戸橋駅まではもつと良いですね」というくらい。左の写真は、出勤したとき。右は、帰りの江戸橋駅。桑名の方が、津よりもまだ雲は薄く、降られずに済みました。

Dscn4301c  教室は冷房が入っているとはいえ、換気のため、ドアも窓もオープン。マスクもデフォルトですから、汗はかかないものの、さほど涼しいという感じはありません。加齢効果もあるのでしょうが、1コマ授業を終えてくると、けっこう疲れます。今日で15回のうち13回目が終了。去年は、1年間遠隔授業で、間が開きましたから、最初はどうなるかと心配しましたが、前期もゴールが見えてきました。授業は残り2回+試験1回。8月の第1週まで続きます。

Dscn4311c  さて、江戸橋からの帰り、桑名駅を降りると、いつもあの桑栄メイトと、旧桑名駅東口の駅舎があったところの間を通ってきます。ちなみに桑栄メイトは、閉館してそのまま残っています。長島観光開発(ナガシマスパーランド)がここにホテルを建てるというのですが、まだ工事が始Dscn4309cまる様子はありません。旧桑名駅の東口駅舎があったところは、先週まではまだ工事中で、中が見えないようになっていたと思うのですが、今日は、右の写真のように、金網のフェンスで覆われていて、工事はほぼ終わったようでした。

Dscn4314c  左の写真は、フェンスにピントがあってしまっていますが、古い駅舎はなくなりました。黒っぽいところは、自由通路。階段状になっているグレーの建物とその右にあるホームは、JR桑名駅。

Dscn4315c  こちらは、もう少し北から見た写真。旧駅舎のコンコースは2階にありました。そこへ上がっていく階段はまだ残っていますが、これは桑栄メイトの施設なのかも知れません。小林薬局は、桑名の調剤薬局チェーン。以前は、ここで薬局を営業していましたが、今は本社機能だけがあるようです。JRの駅舎を壊したスペース、フェンスで覆われていますが、何かに利用するのかどうかは、承知していません。駅西は最近行っていませんので分かりませんが、こちら、駅の東は駅前広場の整備はまだ途中。長島観光開発のホテルが建たないと整備は完了しないようです。

Mv_img_01  お陰様で、昨日騒動となった冷蔵庫は、無事に新しいものが入りました。まだ使い始めたばかりで、慣れていませんので、使い勝手その他は、また機会があれば紹介することにします。東芝ベジータです。キッチンの配置の関係で、600mm幅を選択。容量はもう少し多い方がよいかも知れませんが、幅を優先したので、さほど大きくはありません(写真は、東芝のサイトからお借りしました)。恐縮ながら、我が家の冷蔵庫の様子ではありません。

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2021年7月11日 (日)

船頭平河川公園でハスとチョウトンボ、ウグイス、治水神社でダイサギコロニー……上之輪新田のケリは稲が伸びてきて確認できず、残念

Img_1265c_20210711160401  梅雨明けかと思うくらいの好天になりましたが、お預けでした。明日は曇り予報。火、水曜は晴れとなっていますが、その後は、また曇りや雨のようです。最高気温は、32.9℃。若干迷ったのですが、長良川河口堰、船頭平河川公園、治水神社、上之輪新田と回って来ました。船頭平河川公園は愛知県、治水神社は岐阜県で、ちょっとだけ県境越え(久しぶりです)。船頭平ではハスとチョウトンボ、治水神社ではサギのコロニーを見ようと思ったのです。

Img_0320c_20210711160601 Img_0367c_20210711160601  長良川河口堰には7時40分に到着。サギが少しはいるかと思ったのですが、河口堰の施設や親水広場方面ではまったくいませんでした(苦笑)。カワウ、ハクセキレイ、ドバト、スズメが少しいただけで、ちょっとガッカリ。管理橋を渡って、西側へ行き、中洲を眺めたら、遠くにダイサギが1羽。

Img_0382c_20210711160601 Img_0429c_20210711160601  親水広場では、ホオジロのオスが1羽。この時は曇天で、証拠写真。このオス、あちこちをウロウロしていていました。オオヨシキリをもう一度見たかったのですが、チラッと見られたのが2度、3度。写真は撮れません。代わりによく見かけたのは、イソシギ。延べ5羽くらい。他には、ハクセキレイ。

Img_0494c_20210711160601 Img_0501c_20210711161801  親水広場から再び、管理橋の西の端へ。今度は、アオサギの姿が、先ほどダイサギがいた辺りに見えました。今日は、オオヨシキリの鳴き声は余り聞こえません。他には、カワウや、ダイサギが飛んでいたくらい。風はほとんどなく、すでに蒸し暑い(苦笑)。アユのぼりも、今日は元気なし。

Img_0517c_20210711160601  東側に戻って、魚道観察室方面を見たら、ハクセキレイの親子連れ。オスがヒナを連れていました。ヒナは餌をねだって、親のあとを付いて回っていましたが、餌はなかなかな見つからなかった様子。

Img_0882c Img_0612c_20210711160601  続いて、船頭平河川公園。到着したのは、8時50分。駐車場はあるのですが、9時30分にしか開きません。路上駐車がたくさんあったので、悪いとは思いつつ、見倣ってしまいました。ハスは、それなりに咲いていましたので、一通り見て歩きました。船頭平河川公園には、去年も6月23日に来ています(2020年6月23日:船頭平河川公園でハスの花、治水神社でサギのコロニー……愛知・岐阜両県へ遠征(微笑))。ハスの名前などは、リンク先にあります。

Img_0549c_20210711160601Img_0869c_20210711160701  ここは、品種別に植えられていて、それぞれに名前と説明があるのですが、今年はそれは確認してきませんでした。それ故、自分の気に入ったものをいくつか載せます。

Img_0944c_20210711162501Img_0951c_20210711160701  ご承知のようにハスの花は、早朝に開き、昼には閉じてしまいます。これを4日間繰り返して、花が散ります。

Img_0957c_20210711160701  ハチス。ハスの花の花托(茎が厚くなった、そこから花が育つ部分)。これも、おもしろい眺め。ちなみに、ハスは、7月の誕生花であり、夏の季語。花言葉は「雄弁」だそうです。

Img_0790c  公園内には、葦原もあり、オオヨシキリもあちこちで鳴いていたのですが、近くに行くと鳴き止んでしまい、姿は見えず。また、ウグイスもそこかしこで美しい鳴き声を聞かせていました。普通は、ウグイスも余り出てこないのですが、1羽だけ、目立つところで鳴いていました。しかし、姿を見てビックリ。とてもウグイスとは思えない色、模様。眉斑の白いのが見えますし、鳴き声は確かにウグイスでした。さらによく見たら、片足のようでした。

Img_0659c_20210711160501 Img_0723c_20210711160501  ハス池では、チョウトンボも舞っていました。いつもなら、東員町の万助溜公園へ見に行くのですが、今年はまだ出かけていません。ここでも見られるのです。数は、万助溜公園の方が多い印象。

Img_1012c_20210711160501 Img_1017c_20210711160501  せっかくですから、船頭平閘門も見てきました。木曽川と長良川をつなぐ閘門(こうもん)で、明治35年(1902)に完成しています。現役の閘門で、4年ほど前にこの船頭平閘門の舟巡りを経験しています(2017年4月3日:船頭平閘門舟めぐりへ……長良川河口堰にも立ち寄り【御衣黄について付記あります】)。

Img_1147c_20210711160401 Img_1128c_20210711160401  続いて、治水神社へ。国営木曽三川公園三川センターのすぐ南にあります。アオサギの小規模なコロニーがあるのです。というはずだったのですが、ここでもビックリ。アオサギは少数派に追いやられ、ダイサギのコロニーに代わってしまったようでした。

Img_1022c_20210711160501 Img_1038c_20210711160501  少しズームアップすると、こんな感じで、ダイサギばかりが目に入ってきます。そういえば、去年来たときも、ダイサギの方がたくさんいました(2020年6月23日:船頭平河川公園でハスの花、治水神社でサギのコロニー……愛知・岐阜両県へ遠征(微笑))。以前は、ほとんどアオサギコロニーでしたが(2019年4月15日:三重・岐阜・愛知三県御衣黃ツアーは成功したか?……木曽三川公園や、アオサギの様子なども【船頭平河川公園の御衣黃について付記しました(4/15)】)、時が経つと状況も変わるということです。

Img_1159c_20210711160401 Img_1070c  それはさておき、ダイサギもいろいろ、楽しませてくれました。左の写真は、暑かったためか、3羽が揃って口を開け、のどをブルブルしていたところ。木のてっぺんにいるダイサギもいます(右の写真)。

Img_1194c_20210711160401 Img_1079c_20210711160501  こちらのダイサギも御山の大将を気取っているのかも知れません。アオサギは、治水神社の鎮守の森では、2羽ほどしか見ませんでした(右の写真)。この他、神社の西の揖斐川の中洲には数羽のアオサギ(ヒナも含め)がいました。

Img_1123c_20210711160401 Img_1065c_20210711160401  木曽三川公園三川センターにもちょっとだけ立ち入ってきました。この正門辺りから、治水神社の鎮守の森、つまり、サギのコロニーがよく見えるのです。左の写真で、ゲートに向かって左手、道を1本はさんだところに治水神社があります。

Img_1238c_20210711160401 Img_1225c_20210711160401  さらに、このあと、上之輪新田へ。3週続けて行っていますが(2021年6月27日:上之輪新田でケリのヒナ、九華公園と貝塚公園でコゲラ……「茅の輪」は赤須賀神明社のものでした、2021年7月 4日:上之輪新田でケリのヒナ……先週とは別のヒナ【午後から散歩を追記】)、ケリのヒナが見られるかと思って、です。しかし、残念ながら、稲が生長してきて、大人のケリも左の写真くらいしか見えない状態。しかも、あちこちの畦道で草刈り作業が行われていて、見かけたケリはせいぜい数羽。威嚇もほとんどしてきませんでした。これでは、ヒナを探すのは困難と考え、すぐに撤収。

Img_0944c_20210711162501  上之輪新田の帰りにエディオンでプリンタのインクを、三洋堂書店桑名店で文庫本他を入手。午後からは、昨日採点を済ませたレポートの再チェックを済ませました。採点を一部修正したり、コメントを追加したり。これでレポートについては、作業完了。今週の授業で返却できます。ということで、今週は、いつも通り、水曜に江戸橋での仕事。天気予報は今のところ晴れて、31℃という予報。週末は、歩いて伊勢詣りツアーを再開する見込みですが、週間予報では曇りときどき雨。暑さも心配。

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2021年7月 6日 (火)

六華苑で古代ハスとカルガモ……九華公園には久しぶりにアオサギが登場

0630chunichi  今日も、曇り空。6月30日の中日新聞北勢版に「六華苑で古代ハス見ごろ」という記事が載っていて、気になっていましたので、今日散歩の帰りに見に行ってきました。ということで、朝7時半スタート。いつもとは逆回りに住吉入江、三崎通、田町、京町、吉津屋町、九華公園、住吉神社、六華苑、桑名七里の渡し公園と5.3㎞。10時半帰宅。

Img_8800c_20210706165501  まずは、古代ハスから。この古代ハスは、平成9(1997)年3月に「桑名市市制施行60周年」を記念し、友好都市である埼玉県行田市より寄贈されたものです。桑名市は平成10(1998)年11月9日、埼玉県行田市、福島県白河市と友好都市提携を結んでいます。3市間には江戸時代の国替え(文政6年(1823年)、桑名藩・忍藩(行田)・白河藩)で藩主が入れ替わったという歴史的なつながりがあるからです。

Img_8854c_20210706165501 Img_8845c_20210706165501  行田市の「古代蓮(行田蓮)」は、天然記念物であり、また、市の花でもあるそうです。行田には「古代蓮の里」という公園もあると言います。古代蓮は、公共施設建設工事の際に蓮の種子が掘削地の池で自然発芽し、昭和48(1973)年に開花したものです。出土した地層の遺物や木片の放射性炭素年代測定から、約1,400年から3,000年前のものと推定されたので、古代蓮と呼ばれるようになったようです。今日は、3輪が開花していました。ハスの花の命は4日間と言われ、朝に開き、午後には蕾の状態に戻ります。これを繰り返し、4日目に花弁が散るのです。

0706instarokkaen  帰ってきてから、六華苑のインスタを見たら、「古代蓮は3輪開花しました。つぼみは0個でした。今年は、今咲いているお花で見納めになりそうです」とありました。何とか間に合った、というところでした(微笑)。

Img_9037c_20210706172101 Img_9042c_20210706165501  六華苑でもう1つ見たかったものがあります。左に古代ハスとのコラボ写真を載せましたが、小さくて分かりにくいかも知れません。それは実は、カルガモ。珍しくもなんともない鳥ですが、6月に入ってからこのカルガモのペアが飛来し、それ以来居着いているそうです(こちら)。私が行ったときには、池の端に上陸してお休み中。

Img_9361c  ちなみに、古代ハスは、このマップに描き入れたところにあります。池の西の端、防空壕のある近くです。今年はもう花には間に合わないかも知れませんが……。入苑料は大人一人¥460。開苑は、午前9時~午後5時(ただし入苑時間は午後4時まで)、原則として、月曜休苑。

Img_9311c_20210706165401 Img_9077c_20210706165501  六華苑は、もう何度も取り上げていますが、山林王として知られた実業家・二代目諸戸清六の新居として明治44 (1911)年に着工、大正2(1913)年に竣工しました。揖斐・長良川を望む約18,000 ㎡の広大な敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」庭園で構成されています。一部の改修と戦災を受けたものの、創建時の姿をほぼそのままにとどめています。中でも洋館は、鹿鳴館やニコライ堂などを手がけ「日本近代建築の父」とも呼ばれたイギリス人建築家 ジョサイア・コンドルが設計したもの。コンドルが設計した建物で地方に残っているのは、この六華苑の洋館のみといいます。

Img_8751c_20210706165501 Img_8759c_20210706165501  こちらは、入り口の長屋門を望んだもの。塀の上には諸戸家の家紋である「違い鷹羽」が入った瓦が乗っています。桑名市は平成3 (1991)年に土地を取得し、建物は諸戸家からの寄贈を受け、整備工事の後、平成5(1993) 年に「六華苑」という名称で一般公開しています。そのうち、洋館および和館が平成9(1997)年に国の重要文化財に指定され、他の6棟は三重県の有形文化財に指定されています。また庭園は、平成13(2001)年に国の名勝に指定されました。それにしても、入館者数はかなりのもの。驚きました。

Img_8437c_20210706165401 Img_8441c_20210706165401  さて、散歩は、帰りに六華苑に寄ろうと思いましたので、いつもとは逆回り。まずは、田町の商店にあるツバメの巣。ヒナ4羽はとても元気。ツバメらしくなってきています。親ツバメは、相変わらずせっせとエサを運んで来ます。このあと、京町Mのツバメの巣も覗いたものの、親ツバメは不在。

Img_8482c_20210706165501  九華公園に行く途中、歴史を語る公園も覗いてきました。このあたりは、片町。桑名城の堀に面していて、町が片側にしかなかったので、この名前。昔の石垣が残っているのですが、船が係留してあったりして、景観は今ひとつ。いつも残念に思うのですが、船を係留する権利もあるのだとか(聞いた話で、確実かどうかは不明)。

Img_8507c_20210706165501  九華公園には立教小学校の体育館の方から入ろうと思ったのですが、奥平屋敷跡から西側の堀をアオサギが飛んでいくのが見えました。アオサギは、管理事務所から奥平屋敷跡へ行くところの花菖蒲園の西側に降り立ちました。九華公園でアオサギを見たのは、久しぶり。これをきっかけに戻って来てくれると、楽しみが増えるのですが、どうでしょう。例年、7月半ばくらいから復帰してきます。

Img_8653c_20210706165501 Img_8592c_20210706165501  奥平屋敷跡で散歩友達のWさん、Mさん、前管理人のOさん、現管理人のNさんと遭遇。コゲラを見たものの、撮影には失敗。ハクセキレイのヒナと思いますが、ちょっと白っぽい感じ。ハクセキレイは、この他にオスの大人とヒナが1羽ずつ。写真は撮ってきませんでしたが、セキセイインコは46羽になったそうです。「九華すずめ食堂」は相変わらずの人気。右は本店の写真ですが、朝日丸跡にある支店も賑わっていました。

Img_8708c_20210706165501 Img_8730c_20210706165501  いつもと逆回りですので、九華公園から柿安コミュニティパークを経て揖斐川の堤防へ。三の丸水門から見ると、中洲にアオサギの姿が見えます。さらに、住吉神社の近くでは、ダイサギが見えました。九華公園にもアオサギが来ましたし、そろそろ繁殖シーズンを終え、あちこちにサギが出てくるのかも知れません。

Img_8719c_20210706165501  三の丸公園で草刈り作業が行われていました。子どもみたいでお恥ずかしいのですが、こういう「働くクルマ」が気になります(笑)。一度乗ってみたいというか、これで草刈り作業をしてみたいと思うのです。草刈りが終わったところには、ツバメやムクドリが早速やって来ていました。

Img_8810c_20210706174201  帰宅後は、昨日の郷土史講座のまとめと、明日の予習。明日は、今のところ、曇りの予報になっていますが、蒸し暑そう。まぁ、雨が降らなければ、それだけでもありがたいと思います。明日は、傾聴の演習のレポート提出。どんなレポートが出てくるでしょうか、楽しみでもあり、不安も若干ありというところ。

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2021年7月 2日 (金)

梅雨らしい1日の今日から「半夏生」……余談は「桑名かき氷街道」

Img_6953c_20210702153001 0702amedas  今日も梅雨らしい1日になっています。夜の間の方がよく降り、朝からは雨量は少なくなっています。しかし、降ったり止んだりで、止み間は短い。やむなく、午前中は「雨読」の日。例の「久波奈名所図会」の読み下し作業を続けています。「久波奈名所図会」の上巻、本文(原典の影印部分)は144ページありますが、一応、90ページ過ぎまで来ました。内容は列挙しないと分かりませんが、桑名別院本統寺など、寺町にあるお寺の話まで。もう少し整理できたら、一度機会を見てこの件についても書こうと思います。

07020935rain  気象庁のナウキャストの画像、9時35分のものですが、朝から16時前まで似たようなパターン。それでも14時前には、画像で勝手に推測するに1時間くらいは、雨は降りそうもありませんでしたので、散歩に出て来ました。住吉神社、九華公園の前、江戸町、田町、住吉入江と2.2㎞ほど。途中で会った散歩友達は1人と1匹(ワンちゃん)。もう少し歩きたかったものの、空が暗くなってきましたので、撤収してきました。

Img_6994c Img_7007c_20210702153001  柿安コミュニティパークのところで、イソヒヨドリ3羽に遭遇。メスが2羽。最初は、藤棚のところにメスが1羽。西の堀沿いに飛んで行きましたので、見に行ったら、メスはもう1羽。

Img_7042c  移動している間にオスもいたようでしたので、ちょっと待っていたら、出て来ました。ほぼ同じ辺りにいましたから、ファミリーという気がします。

Img_7058c_20210702153001 Img_7055c_20210702153001  九華公園。空模様があやしくなってきていましたので、今日は、北門をみただけで、中には入らず。右は、柿安コミュニティパーク駐車場のクチナシ。やはり、花は極端に少ないのです。推測通り、去年、剪定時期を間違えたと思います。このあと、八間通郵便局から寺町交差点の間、八間通の南側歩道にもクチナシがありましたが、そこは満開。

Img_7069c_20210702153001  田町の商店にあるツバメの巣も見てきました。ヒナは、4羽しか見えないような気がします。5羽いたと思うのですが……。あまりゆっくりとは見てきませんでしたからまた確認しないといけません。巣の横の方から撮ると親が餌をやるところがよく分かるかと思ったのですが、失敗(苦笑)。親ツバメしか写りませんでした。

0702kakigoori1 0702kakigoori2  ところで、午前中、雨読の傍ら、ネットを見ていたら、左の写真のようなイベントを見つけました。「桑名かき氷街道」が、7月3日(土)から9月30日(木)の3ヶ月間にわたって開催されるというのです。市内の15店舗が参加し、個性豊かなかき氷が提供されます。スタンプラリーやSNSへの写真投稿によりオリジナルグッズなどが当たるイベントもあるとか。市内芳ヶ崎には、業務用かき氷機の国内シェアトップメーカー(株)中部コーポレーションがあるそうで、それもこのイベントに関連しています。

0702kakigoori3 0702kakigoori4_20210702155601  左の画像には、The Funatsuyaさんの「桃山」という桃を丸ごと1個上に乗せ、シロップにも桃の果肉を使用した豪華なかき氷が載っています。何と¥1,800。ちょっとよすぎるお値段。柿安本店や歌行燈本店も参戦しています。私が気になっているのは、右の画像にある、宿場の茶店ハジメの「岡村農園のあまりこと和三盆のかき氷(¥600)」です。あまりこは、甘いプチトマト。気になっている理由は、和三盆が使ってあるところ。四日市の大矢知に「亀屋佐吉」という和菓子屋さんがあり、ここで食べた「白玉和三盆金時みるく」や「和三盆みるく」のかき氷がとても美味しかったのを忘れられないのです(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑)、2018年7月24日:20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その2)……旧・大矢知村役場跡、龜屋佐吉でかき氷、八郷小学校の3つの石碑から東名阪自動車道まで)。¥600なら、まあまあ。とらや饅頭さんの「伊勢茶氷」もよさげ。

Img_6894c_20210702153001  タイトルに書きましたが、七十二候では、今日から「半夏生」。先だって、何度か写真を載せた半夏生の花とは別物。夏至(6月21日頃)から数えて11日目の7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間が半夏生。田植えは半夏生に入る前に終わらせるものとされ、この頃から梅雨が明けるといいます。「半夏生」の「半夏」は「烏柄勺(からすびしゃく)」という薬草のことだそうで、この薬草が生える時期を指した名称だといわれています。烏柄杓の地下にある球茎の皮を取って乾燥したものが漢方薬の生薬「半夏」。

Img_6898c_20210702153001  オマケ。先日、非常勤先から「大学でのワクチン職域接種」の準備を進め、政府への申請を行ったが、接種を受ける意向があるかという調査がメールで届きました。政府の予想を超える職域接種希望が全国から寄せられていますから、職域接種が予定通りに実施できるかどうかは分からないという前提です。予定は7月末から8月。ワクチンは、モデルナ製。お陰様で私自身は、先週土曜日に2回目の接種を終えましたから、希望はしません/できませんが、家内や娘などは「家族もしてくれないのか?」などと言っています。桑名市では、64歳以下の市民を対象にした接種券を6月28日(月)に発送するということなのですが、今日の午前中までにはまだ届いていません。このところ、コロナワクチンについて、政府の対応がアヤシいので、早く受けたいという気持ちは分かります。愚息は、会社で職域接種があると言っていました。最後の2枚の写真は、私のベランダ園芸のもので、内容とは関係ありません。最後は、万年青。名前の通り、青々と元気なのですが、花は咲きそうにありません。

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2021年6月29日 (火)

久々の真夏日……イソヒヨドリのメス、ホオジロ、トビなどなかなか(微笑)

Img_6142c_20210629160401 Img_6175c  暑いなと思ったら、午後から32.3℃にまでなっていました。久々の真夏日。身体がついていきません(苦笑)。好天はありがたいのですが、いきなりこうも暑くなるのは勘弁してもらいたいです。朝、家事を済ませたものの、小雨が降っていて、散歩に出たのは8時半。いつ戻り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、京町、南魚町、田町、三崎通、宝殿町、船場町と5.5㎞。もっと長く歩いた気がしたのですが、暑くて疲れただけだったのかも知れません。

Img_6169c_20210629160401 Img_6265c_20210629160501  いつもなら、鳥はいないとぼやき始めるところですが、今日は、七里の渡し跡でイソヒヨドリのメスに出遭いました。揖斐川の方から飛んで来て、七里の渡し跡の前にある電柱へ。身繕いをしていました。さらに、三の丸水門から揖斐川の高水敷を覗いたら、ホオジロのオスを発見(微笑)。珍しく、高水敷の地面を移動。餌でも探していたのでしょうか。

Img_6216c  もう一つ、ラッキーなことが。ホオジロを見ていたら、何やら頭上にいるような気がして、見上げたら、トビが旋回。かなり低空。ということは近いところ。いつものように、超望遠コンデジしか持っていませんでしたが、これくらいの写真が撮れました。

Img_6297c Img_6300c_20210629160501  九華公園には、9時過ぎに到着。いつもより1時間以上遅かったのですが、北門を入ってすぐの水たまりでスズメが水浴び。少し離れたところから見ていましたが、左の写真のようにバシャバシャと水を浴びた後、右の写真のように顔を上げ、周りを見回します。たぶん警戒しているのだと思います。基本的には、この2つを繰り返すパターン。今日は、ここまででいろいろと楽しめました。散歩時間もワンパターンではいけないかも知れません。

Img_6427c_20210629160401  奥平屋敷跡の「九華すずめ食堂」本店。餌は少し残っていて、スズメもチラホラとやって来ていました。Oさんのクルマはありましたので、たぶんいつもの時間に餌を補給されたと思います。時間が遅いこともあって、他に鳥は見られません。

Img_6542c_20210629160401 Img_6488c_20210629160401  朝日丸跡へ。「九華すずめ食堂」支店をチェック。こちらも餌は、少し減っていました。まだ本店ほどたくさんスズメは来ませんが、それでも多いときには4羽くらいが同時に餌を食べにやって来ています。開店が、この前の金曜でしたから、もう少しすると、大繁盛になると期待しています(2021年6月25日:「九華すずめ食堂」に支店が開業し、鳥小屋にはニューフェースが登場)。

Img_6577c_20210629160301 Img_6578c_20210629160301  今日も、吉之丸堀の上を通る電線には、ツバメが来ていました。ヒナは2羽。そのうち、1羽の給餌シーンを捉えることができました。親ツバメは、虫を捕まえてきたようです。いつ、どこで見ても同じですが、ヒナは、親を呑み込みそうな勢いで餌をもらっているのが、笑えます。

Img_6601c_20210629160301 Img_6609c_20210629160301  公園内の野球場で、カラス。暑くてぐったりしているように見えました。それに、右のクローズアップ写真を見ると、何かを訴えかけてきているように思えてしまいます。ハシボソガラスのようです。ちなみに、人を襲うのは、ハシブトガラスばかりだそうです(三上 修:電柱鳥類学 スズメはどこに止まってる?)。

Img_6616c_20210629160301 Img_6627c_20210629160301  公園内を半周して、いつものように、柿安のところから北門へ。公園に来たとき、スズメが水浴びをしていた水たまりのところにスズメのヒナ。「スズメのヒナの水浴びも見られるか」と思ったのですが、期待はずれ。公園の外周遊歩道東で、ハクセキレイ3羽。何れも若い鳥のようでした。

Img_6659c_20210629160301 Img_6666c_20210629160301  貝塚公園では、カワラヒワ。たぶんヒナ。昨日もここでカワラヒワのヒナを見ました。コゲラも鳴いていたのですが、姿は見つけられず。他に、最近、貝塚公園にはヒヨドリが数羽います。九華公園その他では、ヒヨドリはまったく見ません。

Img_6691c_20210629160301  京町Sのツバメの巣。ヒナ2羽は元気でした。親ツバメがエサを運んで来たのですが、クルマや自転車が通ったりして、チャンスを逃しました(苦笑)。京町Mの方は、留守。

Img_6754c_20210629160301 Img_6761c  田町の商店の巣。県道に面しています。大型トラックやダンプが通ると、「餌くれコール!」をするようです。メモを書こうとノートを取り出すと親がやって来ます。という風で、ちょっと気を緩めたり、何か他のことをしようとしたりすると、シャッターチャンスがやって来るようです(まるでマーフィーの法則)。

Img_6501c_20210608165801  ところで、散歩に出てすぐ、諸戸さんの仕事をしておられる知人から呼び止められました。何かと思ったら、「今朝7時半頃、池のコイに餌をやろうと思ったら、カワセミが来ていたよ」という話でした。「きれいな鳥やなぁ。居着いてくれるか?」とも。前々から諸戸氏庭園にバードウォッチングに行ってみたいと思っているのですが、実現は難しいでしょう(特別公開の時に入園料を払って入るしかありません)。写真は、今年6月8日に花菖蒲を見に行ったときのもの(20210608諸戸氏庭園の花菖蒲)。

Img_6678c_20210629160301 Img_6683c  吉津屋町辺りでの余談を2つ。ブロ友のひらいさんが、ときどき「KINGの自販機」を載せておられます(たとえば、2021.06.27 KING散歩!)。それに対抗してではありませんが、NPO法人千姫のところにある自販機。あられや、ジャガイモを売っていることもあります(2020年8月17日:39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)。自販機の全体像を載せたことはなかったかと思います。七里の渡あたりが、浮世絵風のイラストで描かれています。また、その近くにあった仏壇屋さんの跡地には、マンションが建ってきています。2年前(2019年)の6月12日に廃業され、跡地にマンションが建つと聞いていたのですが、それが姿を現してきたということです。

Img_6402c_20210629160401  明日は、江戸橋での仕事。天気予報は、曇りのち雨。微妙ですねぇ(苦笑)。演習の予定。その結果でレポートを提出です。レポートは20点満点で採点し、期末の成績評価に繰り入れます。何年か前には、大雨で心折れたのか、休んでしまった学生もいました。休むとレポートが書けませんので、期末試験を受けたとしても、80点満点で成績評価を受けることになります。合格基準は60点ですから、こうなるとけっこう苦しいと思います。欠席がないようにと祈っています。祈るというのもヘンに思われるかも知れませんが、成績評価をするというのは、案外気を遣うからです。つまり、悩ませないでくれるとありがたいということなのです。写真は、九華公園にて。

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2021年6月26日 (土)

「九華すずめ食堂」支店に早速、来客あり……午後からはコロナワクチン2回目

Img_4530c_20210626153501  曇りの一日。午後からは、2回目の新型コロナワクチン接種を受けてきました。これを書いている時点では、接種後3時間あまり経ちますが、今のところとくに変わったことはありません。昨日も書きましたが、すでに2回の接種を終えた散歩友達の方では、2回目の方が、接種部位の痛みがやや強いそうです。ただ、それ以上の副反応があったという方は今のところありません。「1回目のワクチン接種から免疫が働くまでには10日間から2週間は、感染防御能はまずない。そこから少しずつワクチンの効果が出てくる。2回目の接種から1週間ぐらいして中和抗体ができることで感染や重症化を抑える強い免疫になる」そうです。しかし、2回、ワクチンを接種したとしても、必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、油断してはいけないともいわれています。

Img_4045c_20210626153601  さて、散歩はいつも通り。7時20分から約3時間。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、桑名宗社、田町、桑名七里の渡し公園と6.3㎞。薄日が差す時間帯もありましたが、ほぼ曇り。風がなくなると、蒸し暑い。今日も鳥はいません。ここ数日よりも、さらにいない印象。スズメも、ムクドリも、ドバトもほとんどいません。船津屋さんの裏手でホオジロの鳴き声がしたものの、姿は見つけられませんでした。

Img_4088c_20210626153601  九華公園の奥平屋敷跡の元祖「九華すずめ食堂」、Oさんが来られるのが遅く、今日は私がいったときにはまだ餌が補給されていませんでした。しかし、お客はけっこうやって来ています。あれこれ眺めるものの、食べるものはなく、諦めて帰っていくというシーンが繰り返されます。

Img_4154c  朝日丸跡の「九華すずめ食堂」支店。開店2日目。8時前に見たときは、スズメは来ておらず。餌を食べた形跡もありませんでした。しかし、8時半過ぎにもう一度見に行ったら、チラホラ様子を窺うスズメが出現。

Img_4252c_20210626153701 Img_4201c  さらに見ていると、そのうちに餌台に上がってきて、餌を啄んでいくスズメも登場。餌台で餌を加えてきて、餌台が取り付けてある木に降りて食べていったりするスズメもありました。

Img_4207c_20210626153701 Img_4210c_20210626153701  もっと良いシーンがとれるかもと淡い期待を抱いて、見続けていると。稲穂に興味を持ったスズメがいました。飛び上がって、ホバリングといってよいのかどうか分かりませんが、羽ばたきながら、稲穂についている米を啄んでいったのです。稲穂、どうやって食べていくのかと思っていたのですが、まさかの方法でした。という次第で、「九華すずめ食堂」に助けられています(微苦笑)。

Img_4098c_20210626153601 Img_4131c_20210626153701  この他、九華公園で見た鳥は、ほとんどがスズメ。ハクセキレイもいたものの、遠いところでした。ムクドリ、ドバトもいましたが、まぁパス。

Img_4279c Img_4292c_20210626153601  ツバメは、今日も吉之丸堀の上空の電線に来て、自律訓練。今日は、合計6羽でしたが、4羽と2羽とに分かれていましたので、2家族のように思います。

Img_4343c_20210626153601  ちなみに、気になり始めている「茅の輪くぐり」について、鎮国守国神社では、今日、茅の輪をつくっておられました。鎮国さんでは、茅の輪くぐりは、例年、7月20日に行われます(2020年7月20日:散歩が修行に変わりゆく季節(苦笑))。

Img_4369c Img_4394c_20210626153601  貝塚公園、内堀公園の話は例によってパス(鳥はいません)。左の写真は、京町Sの巣。ヒナ2羽は元気です。右は、京町Mの巣。親ツバメは、マジメに巣に就いていました。

Img_4428c_20210626153501  このあと、久しぶりに桑名宗社(春日さん)へ。たぶん3月末に金龍桜とドウダンツツジを見に来て以来(2021年3月29日:春日神社の金龍桜とドウダンツツジが咲き始めました……ツツジの花芽も大きくなる)。何といっても「桑名総鎮守」ですから、たまにはお参りしないと行けません。

Img_4415c_20210626153601 Img_4410c_20210626153601  といいつつ、石取祭に関わることが気になっていたのです。左は、令和3年の石取祭ポスター。日付は入っていません。というのは、今年も祭車曳き回しは休止なのです(右の写真)。それ以外の祭典、神事は行われると書かれています。鉦鼓稽古、本来の祭礼日(7月31日、8月1日)の鉦鼓打囃子は行わないと宮司さんと保存会の会長さんの連名で通知されています。ちなみに、ポスターは、無料配布中だそうです。

Img_4419c_20210626153601  もう1つ、チェックしたかったのは、こちら。桑名宗社のインスタで、「7月に新しい『映えスポット』ができる」と投稿があったのです。いったいなんでしょう? まだよく分かりませんでした。

Img_4479c_20210626153501 Img_4497c  田町の商店にあるツバメの巣も気になっています。ヒナはいったい何羽いるのでしょうか。ここに着いたとき、ちょうどタイミング良く親ツバメがエサを運んで来ました。ヒナは、まだ目も開いていないようです。右の写真で見ると、4羽か5羽、ヒナがいるように見えます。

Img_4503c  余談。宝殿町を歩いていたら、先日、古い家屋を解体した跡地で中古車を売っていました。ホンダの軽トラ、こんな錆びた物が38万円もするのか?! と思ってよく見たら、こういう塗装がしてあるようでした。まぁ、こういうのが好きな人もいるかも知れません。以前は、軽トラは白いものばかりでしたが、カラフルになっていますし。

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