「選択と集中」の誤り……大学の研究費のお話し
毎日新聞に『画期的な研究成果は「選択と集中」より… 国の研究費18万件分析』という記事が載りました。私もかつて、大学の教員の端くれで、研究にも携わっていましたが、大学の研究者なら、おおかたは同意するだろうと思います。これは、筑波大学の大庭良介准教授と弘前大学の日比野愛子教授のチームが発表した研究です。記事の興味ある部分を引用します。ちなみに筑波大学によるプレスリリースはこちらにあります。論文は、PLoS ONEというオンラインジャーナルに掲載されています。
高額な研究費を少人数に集中して投じるより、少額でも多くの研究者に配分する方が、国全体として画期的な成果を効率良く出せるとの分析結果を、筑波大などの研究チームが発表した。1991年以降、国が支給した科学研究費助成事業(科研費)の投資効果を調べた。研究予算は、国が進める「選択と集中」路線よりも「広く浅く」配分する方が効果的としている。
その結果、少額(500万円以下)の研究費を多くの研究者に配る方が、より高額な研究費を少人数に配るより、投資総額に対する論文の数が多くなる傾向がみられたという。また、ノーベル賞級の成果や新たな研究分野に発展するキーワード数でも「広く浅く」の方が勝っていた。
研究者の側から見ると、1人当たりの受け取る研究費が高額であるほど、多くの成果を得られる傾向がみられた。ただし、5000万円以上になると、論文数などは頭打ちしていた。
私は、現場で13年ほど働いたのち、公立大学短大部の教員となり、改組により公立大学学部教員、さらに法人化により公立大学法人の大学の教員という経歴をたどりました。法人化するまで、研究費はランクに応じて定額が支給されていましたが、法人化後、それは激減し(1/3以下というか、1/4に近いくらいの額に)、科学研究費などを申請するように強く指導されました。しかし、大学全体で見ると、ある年の採択率は20%も行きません。私も毎年申請していましたが、1度も採択されませんでした。申請に当たってはかなりの分量の書類を書かなければなりませんでしたし、その書式が毎年微妙に変更されるという、意地悪というかいじめのような印象もありました。
とある国立大学の教員でいらした先生は、ブログに次のように書いておられますが、私もこれに賛成します。簡単にいうと、部分的にマネたために、全体としては(アカデミックな世界や、社会全体という意味)うまく機能しない結果に陥って、衰退しているのだと思います。我が国では、大学院進学者が減り、また、博士号取得者も減っているそうですが、それもある意味当然。博士号を取っても、世の中ではいいことはあまりありません。
日本では大学専任教員には誰でも一定の研究費を支給する「悪平等」の制度のほうがうまく機能するし、すぐれた論文を増やす効果があると述べた。つまり、「国立大学独法化」以前の制度は日本に合っていたのに、むりにアメリカ的な「申請しないと研究費が出ない」制度を真似たために「大学改革」は大失敗に終わったということだ。
さらにもう1つ最近知った面白いことは(と書くとお叱りを受けますが)、毎日新聞には『【クローズアップ】「研究負担軽減」国調査に悲鳴 大学教員ら「分量多い」』という記事も載っています。日本の研究力強化に向け、政府がこの夏、全国の大学教員らを対象にアンケートを進めているといいます。研究環境改善のため、研究以外の雑務が日々どの程度負担になっているかを問う内容なのですが、アンケートのあまりの分量の多さ(Excelのシート14枚に、130を越える質問項目があるとか)に「逆に負担が増えた」と研究者側から悲鳴が上がっているそうです。書類仕事が増え、それに忙殺されているのに、まさに「本末転倒」の事態。笑い話のようではありますが、笑っていられません。文科省のお役人さんたち、大丈夫でしょうか? 政治家も、「今だけ、金だけ、自分だけ」などと揶揄されますが、利権や自分のことばかり考えていないでことの本質をよく見ていい加減に気づかないと、取り返しのつかない事態に陥ると考えられます。
あまり昔、関わっていたことでぼやくのもどうかと思いますので、ここら辺で退散し、以後は慎みます。
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