お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

鉄道

2025年4月27日 (日)

今年もコアジサシはやって来たか?

Dsc07267c_20250427140501 Dsc07443c_20250427140501  朝は10℃を下回りましたが、日中は23.0℃となり、風もさほどありません。今日は、ほぼ2週間ぶりに長良川河口堰、長島町、上之輪新田を、まさにパトロールしてきました。7時15分過ぎにクルマで出て、一回り。歩いたのは、3.0㎞ほど。昨日たくさん歩いたから、というわけではありません。冒頭の2枚の写真は、長良川河口堰。右はその上流方向。伊勢大橋や、多度山が見えています。

Dsc08068c_20250427140501 Dsc07966c_20250427140501  まず、今日出かけた最大の目的は、こちら。そろそろやって来ているだろうと思って、確認に行ったのです。夏鳥としてやって来るコアジサシです。全長28cm。翼開長53cm。背は低く、体が細い鳥。上空から一気にダイビングして、小魚を捕ります。かなり以前は、比較的近いところに大規模なコロニーを営める空き地があり、たくさん来たのですが、最近、このあたりではそういう営巣地はなくなり、飛来する数も限られています。今日は、19羽を確認しました。

Dsc08619c_20250427140501  飛翔シーンにもチャレンジしたものの、いかにも遠い。一応、コアジサシだと見えるくらいの写真しか撮れませんでした。

 Dsc07253c_20250427140601 さて、話を戻して、長良川河口堰付近、今日は、上空をサギの仲間がたくさん飛んでいました。写真はコサギです。コサギがもっとも多かったのですが、アオサギ、ダイサギも割とよく見られました。

Dsc07386c_20250427140501  管理橋を渡る途中、キンクロハジロを発見。もうすべて帰ってしまったかと思ったら、オスが2羽にメスが1羽、残っていました。

Dsc07292c_20250427140501  Dsc07282c_20250427140501長良川左岸の上流側魚道には、コサギが5羽集まっていました。まだ婚姻色を呈しているものもいれば、いないものもいます。下流側では、管理橋からは遠いところにコサギが20羽以上、ダイサギも数羽がいました。

Dsc07517c_20250427140501 Dsc07518c_20250427140501  右岸の方でも、魚道の回りにたくさんのサギ。左の写真には、コサギ(ずっと向こうを向いていました)とダイサギ、右の写真は、アオサギ。

Dsc07713c_20250427140501 Dsc07866c_20250427140301  親水広場に降りていく坂道では、アオサギと、ホオジロのオス。親水広場の近くの長良川には、キンクロハジロが3羽と、オオバンが1羽。広場には無数のヒヨドリ。オオヨシキリの鳴き声を聞いたのですが、1回だけ。姿はなし、でした。

Dsc08788c_20250427140501  管理橋を渡って、左岸に戻ってきたら、魚道の下流側にコサギ。今日は、残念ながら、獲物をゲットするシーンは見られませんでした。

Dsc07364c_20250427140501  前回来たときに、魚道観察室の上に案山子が置かれているのに気づきましたが(2025年4月12日:長良川河口堰、長島町そして上之輪新田へ……念願のミジュマルライナーの写真も撮れました)、今日は、もう一体を見つけました。最初に気づいたときには、ギョッとしてしまいました。本当に人がいるように見えたのです。

Dsc08868c_20250427140301 Dsc08955c_20250427140301  続いて、長島町内を何ヶ所か巡回。某所その1では、ケリ2羽、コチドリ2羽、ヒバリ4羽。まずは、ケリ。最初、右の写真の個体が地面に座っていて、これはと思ったのですが、営巣していたのではありませんでした。

Dsc08902c Dsc09240c_20250427140301  こちらはコチドリ。コチドリも片方が、地面に座っていたのですが、巣は影も形もなしで、ガッカリ。

Dsc09340c_20250427140301 Dsc09408c_20250427140301  ヒバリ。左の写真がオス、右がメス。4羽で、2ペアと見えました。どちらも、オスが揚げ雲雀をして、縄張りを宣言。2組がいたところは、100m以上離れていました。このあと、某所その2では、コチドリが1羽いたのですが、すぐに飛び去りました。某所その3では、ケリが1羽いたのみ。

Dsc09665c_20250427140301 Dsc09788c_20250427140301  3ヶ所目、上之輪新田。今日は、農家の方が代かきや、草刈りなど作業をしておられました。ここに来ると、電車が撮りたくなります。今日もここにいた間に近鉄特急ひのとりがやってきました。

Dsc09680c_20250427142801  カラスがとてもたくさんいましたが、ケリの姿は1回見たのみ。ほかには、スズメやツバメ、ヒバリが少しいたのみでした。ケリの繁殖はどうでしょう? 前回来たときには、それなりの数のケリがいましたが……。

Dsc09581c_20250427140301  上之輪新田でのオマケ。前回来たとき、ミジュマルライナーの写真が撮れたのですが、その時の記事に「ポムポムプリンがラッピングされた『三十三銀行ラッピングトレイン』も狙っています」と書きました。今日、ここに着いたとき、まさにそのポムポムプリン電車が走っていたのです。急いで撮ったのですが、さすがにうまくは行かず(苦笑)。要再チャレンジ。

Dsc09834c_20250427140301  ゴールデンウィークが始まりましたが、いつもと変わりません。今週は特にアポはありませんし……。家内の実家にでも行こうかと思っているくらい。そのとき、できれば三重県総合博物館で開催されている「トピック展『伊勢路がみたい 伊勢参宮名所図屏風の世界』」を見てきたいところ。

2025年4月20日 (日)

20250420JRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」へ……ハイキング/ウォーキング200回記念(一回完結)

Img_0146c  曇りときどき晴れという予報で、雨は降りそうもありませんでしたので、予定通りにJRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」に行ってきました。桑名では最高気温は、23.9℃。春日井も同じくらいだったでしょう。少しむしっとする感じで、汗をかいたくらいです。JR中央線勝川駅で8時半から12時が受付でしたので、JR関西線桑名駅を7時48分に発車する名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時22分着。中央線の神領行き普通、8時29分発に乗り変えて、勝川駅には8時47分に到着。通しで支払うと¥690ですが、名古屋駅でいったん改札を出て、再入場すると、¥360+¥250=¥610。近郊区間の扱いで安くなるのです。今日の記事は、一回完結。一人旅。

250420jrwalkingmapkachigawa 250420routmap  こちらが配付されたコースマップ。右は、実際に歩いてきたルートマップ。勝川駅がスタート&ゴール。立ち寄り先は、道風記念館、太清寺、リニア中央新幹線勝川非常口の3ヶ所のみ。あとはひたすら7.7㎞を歩くという設定でした。

Img_0161c Img_0164c_20250420151901  JR勝川駅南口を8時50分過ぎにスタート。地蔵川を越え、名古屋第二環状線(名二環)を越えていきます。名二環という高速道路は、何度もこのあたりを通ったことがありますが、まさかその下を歩くとは思ってもみませんでした。道中、見るべきところは特にありません。

Img_0230c_20250420151901  春日井市道風記念館には、9時20分頃に到着。道風(とうふう)というのは、小野道風(おののとうふう)のこと。平安中期の書家。尾張の人ですが、春日井市には、古くから小野道風の誕生伝説があるのです。書道にすぐれ、和様発達の基礎を築いた、三蹟の一人。春日井市では、小野道風をたたえ、末永く後世に伝えたいと、昭和56(1981)年に、道風誕生の地と伝えられ、小野朝臣遺跡碑の建つ、ここ松河戸町に春日井市道風記念館を開館しています。全国的にも数少ない書専門の美術館であり、また書道史の研究施設でもあります。小野道風について、私は子どもの頃学校で習った記憶があるのですが、家族に聞いても、皆、「それ誰? 小野妹子なら知っている」という答え。小野氏の祖先が小野妹子ですから、道風は妹子の子孫。また、道風が書の達人と見なされる以前、自分の書く文字に満足できないでいた時、気晴らしに散歩に出たら、カエルが懸命に柳に飛びつこうとしているところに遭遇しました。カエルは諦めずに何度も飛びつこうとし、10回目にやっと飛びつくことができ、虫を捕らえました。これを見て、道風は、辛抱強くがんばろうと決意したという話もあります(たとえば、こちら)。道風記念館へは、団体料金の¥80で入館。

Img_0277c Img_0259c_20250420152001  記念館は、道風公園の中にあります。ここは、上記のように、道風の誕生地とされ、公園内には、小野社という神社があります。この祠のある場所は、古くから「小野道風屋敷跡」といわれていて、社の前には「小野朝臣遺跡之碑」という江戸時代に建てられた石碑も建っています。小野社は、元はここにあった八幡社の境内社であったという説もあります。小野道風の顕彰活動について、地元自治会の資料がこちらにあります。

Img_0316c_20250420152001 Img_0360c_20250420155901  道風記念館をあとにして龍源山太清寺(たいせいじ)に向かいます。道風記念館からはほぼ西に2.5㎞行ったところ。ここ太清寺は、臨済宗妙心寺派。かつては醍醐山龍源寺と呼ばれ、徳川家康の逸話が伝えられています。天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山から長久手に向かうとき、ここの阿弥陀堂(十王堂とも、現在のものは、右の写真)で休憩しました。家康が「ここは何というところか」と尋ね、庄屋の長谷川甚助が「勝川村です」と申し上げたところ、「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ」と喜んだといいます。また、そこで牡丹餅を食べようとしたところ、箸が一本折れてしまい、家康は顔を曇らせたのですが、甚助が「これはまさしく天下が一本になる予兆です」と申し上げたところ、破顔したとか。寺の前にあった兜の形に似た塚を見て勝ちを確信し、付近の竹やぶで旗竿を切り、全軍に甲冑をつけさせ、出陣したそうです。その後、家康は秀吉軍との戦いに見事勝利し、江戸時代には、勝川の旗竿は吉兆の品として、尾張徳川家へ毎年献上されたそうですし、勝利した際に家康が身に着けていた鎧兜は、大変縁起が良い「勝川の具足」として大切に扱われたといいます。

Img_0343c_20250420152001  こちらは本堂。ほかに薬師堂もあります。龍源寺は寛文3(1663)年に寺号を龍源山太清寺と改めています。現在の十王堂(阿弥陀堂)は、昭和55(1980)年に再建されたものです

Img_0334c  Img_0352c 太清寺で目立ったのが、藤と、ドウダンツツジ。藤はきれいに咲いていて、見事でした。ドウダンツツジ(右の写真)はかなり大きな木でした。ドウダンツツジの生長はゆっくりだと聞きますので、ここまで大きな気になるのにはかなりの年月がかかったものと思われます。

Img_0519c_20250420152001 Img_0400c  そして、いよいよ「リニア中央新幹線勝川非常口」の見学へ。工事現場に着いたのは、10時15分頃。ここまで5㎞あまりを歩いてきました。まずは、リニア中央新幹線の説明パネルを一通りチェック。動画も上映されていましたが、これはパス。

Img_0457c_20250420152001 Img_0461c  非常口の見学については、私がここに着いた時点で約25分待ちとのこと。1組、約1分で順番に案内され、それぞれにJR東海の職員の方が付いて、説明をしてくださるということでした。普段なら並ぶことは大嫌いで、「並んで待たなければいけないのなら、もういい」と思うのですが、ここはじっとガマン。

250420103254567c Img_0499c_20250420152001  安全のため、観覧場所は指定され、さらに安全ネット越しに見るようになっていました。超望遠コンデジと、スマホで撮影したのですが、こんな写真しか撮れず、残念。外径は40m、穴の深さは66m、右の写真で下の方に横穴(シールドトンネル)が見えますが、ここがリニア中央新幹線が通るトンネル。ここを上下線が走りますから、外径は14mです。非常口となる立坑は、約5㎞おきに設置され、非常時の客の誘導や、トンネル内の換気、保守作業に使われるそうです。この近くでは、神領、名城でもつくられています。立坑内には、現在は、何も設置されていませんが、営業のときには、換気設備(ファン)、静音設備、微気圧波対応設備、エレベーター、階段などが設けられるといいます。

Img_0429c Img_0452c  これらは、説明パネルを撮った写真。手がかりが少なくて恐縮ですが、上の2枚の写真とあわせて、想像力をたくましく働かせていただければ、幸いです。JRの方は親切に、丁寧に説明してくださり、拙い質問にもきちんと答えていただきました。何度か書きましたが、この年ではリニア中央新幹線に乗ることはできないかも知れませんから、せめて関連施設だけでも見たいと思って出かけた甲斐がありました(微笑)。JR東海による工事概要は、こちらにあります。

Rinia  ちなみに、出かける前にグーグル・マップで見たら、この画像のように、すでにリニア中央新幹線勝川非常口が載っていました。赤枠で囲んだところがそれです。

Img_0561c_20250420152001 Img_0568c_20250420152001  リニア中央新幹線勝川非常口からまた2.5㎞ほど歩いて、ゴールの勝川駅に戻ったのは、11時10分頃。スタートは南口でしたが、ゴールは北口。ゴール受付を済ませ、10ポイントをゲット。コースマップ上では、歩いた距離は7.7㎞、2時間20分ほどを要しました。

Img_0574c  JRの職員の方の手作り顔出しパネルなどもあって、リニア中央新幹線のPRにはかなり熱が入っているようです。

Img_0584c  リニア中央新幹線勝川非常口も無事に見られ、JR勝川駅を11時27分に出る名古屋行き普通で帰宅の途へ。名古屋駅に11時46分着。12時6分発の関西線亀山行きの快速に乗り換え、桑名には12時28分着。往きと同じく、名古屋駅でいったん改札を出て、料金は¥80を節約し、¥610。

250420120017836c 250420115143706c  名古屋駅で乗り換えの間に、中央線7・8番ホームにある立ち食いきしめんの店で昼食を済ませてきました(微笑)。朝、中央線の電車に乗ったときに、この店が見えましたので、帰りにぜひとも食べようと思ったのです。きしめん住よしで、かき揚げきしめん(¥660)をチョイス。かき揚げは、その場であげてもらえます。いやぁ、とても美味しくいただきました。

Screenshot_20250420124902c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。合計で10.18㎞、16,717歩を歩いてきました。

2025年4月12日 (土)

長良川河口堰、長島町そして上之輪新田へ……念願のミジュマルライナーの写真も撮れました

Dsc02344c_20250412151301 Dsc04547c_20250412151601  よく晴れて、気温も22.2℃まで上がりました。行楽日和、散歩日和です。今日企画されている近鉄ハイキングや、JRさわやかウォーキングは、私には魅力が今ひとつであったり、以前ほとんど同じところを歩いたりしていましたので、パス。最近、長良川河口堰方面に行っていませんでしたし、ここしばらく自分でクルマを運転していません。運転の仕方を忘れるといけませんので、長良川河口堰、長島町、上之輪新田とクルマで回ってきました。歩いたのは、3.5㎞のみ。冒頭の写真は、長良川河口堰。河口堰は、我が家の玄関先からもよく見えます(右の写真)。

Dsc02359c_20250412151301 Dsc02405c  まずは、長良川河口堰。繁殖シーズンですから、何もいないかと思ったら、豈図(あにはか)らんや。アオサギは1羽しかいませんでしたが、ダイサギやコサギはたくさんいました。左の写真はコサギ、右はダイサギ。いずれも婚姻色を呈しています。

Dsc02448c_20250412151301 Dsc02458c_20250412151301  河口堰の下流側には、まだキンクロハジロが多数いました。120羽以上。今日は数取器を持っていきませんでしたので、ざっと数えた結果。下流側には、ほかにカンムリカイツブリが2羽ほどと、カワウがかなりいました。上流側には、カルガモも2羽。

Dsc02735c_20250412151301 Dsc02771c_20250412151301  河口堰の西側について、閘門や魚道あたりにも、コサギ、ダイサギなどがたくさんいました。アオサギは、右の写真に写っている1羽のみ。

Dsc02701c_20250412151301  魚道にはオオバンも1羽。

Dsc03000c  親水広場にも降りて、一周してきました。ここにはアユの孵化試験を行う水路のほか、この写真のようにせせらぎもつくられています。見えている橋は、伊勢大橋。広々としていて、水辺でとても気持ち良い空間です。

Dsc03038c_20250412151401 Dsc02944c_20250412151301  親水広場には、ホオジロのペアが1組。左の写真がオス、右がメス。

Dsc02986c  ほかにはヒヨドリが10羽以上と、ツグミが1羽。ツグミは撮れず。

Dsc03152c_20250412151401 Dsc03319c_20250412151401  河口堰の東側に戻る途中、ユリカモメを2羽目撃しました。そのうち、1羽は、ガングロ。東側(左岸)の魚道のところでコサギが、獲物を探していました。このコサギさんは、婚姻色になっていません。

Dsc03418c_20250412151401 Dsc02521c_20250412151301  長良川河口堰に行ったのは、去年の11月以来でした(2024年11月10日:2ヶ月ぶりの長良川河口堰……九華公園にも行き、今日もカワセミ)。これほど長い間行かなかったのは、初めて。これから、コアジサシなども来るかも知れませんから、もう少し頻繁に通うことにします。

Dsc03206c_20250412151401 Dsc03199c_20250412151401  河口堰についての余談。左の写真は、「アユのぼり」。ここをアユが遡上していきますが、その遡上期間には通常の吹き流しが、このアユのぼりになっています。今日は、風がなくて、はためいてはいませんでした。右は、左岸にある魚道観察室のうえに置かれた案山子。下に窓のようなものが見えていますが、ここの奥が魚道観察室。アユが遡上する様子や、ほかの魚などが通って行くのが見られます。この近くでコサギ、ダイサギなどがエサを採るのが見られるのですが、サギたちが来ないようにするために、この案山子が置かれたのかと思っています。

Dsc02332c_20250412151301 Dsc03409c  もう1つ。伊勢大橋の架け替え工事が進んでいます。河口堰の東側から長良川の上流方向を見たら、長島側に橋桁がかけられているのが見えました。

Dsc02974c_20250412151301  こちらの写真は、西側にある親水広場から、架け替え工事現場を見たもの。橋桁は、工場で作って、船で運ばれてくるそうです(こちらに広報くわな2025年4月号の記事があります)。

Dsc03454c  河口堰からは、長島町内を何ヶ所か、巡回。ケリやコチドリなどが繁殖しそうなところです。まずは、某所その1。コチドリのペアが1組。ほかにヒバリが1羽、ツバメも3~4羽降りているところも見ました。

Dsc03553c_20250412151501  某所その2。ここにはケリが1羽。クルマを止めたところからは、お尻しか見えず、ようやくこの写真が撮れました。ただ、いかにも遠くていけません。ほかにコチドリのペアが2組いましたが、これは載せられる写真ではありません。ヒバリも2羽。たぶんペアですが、これもペケ写真で割愛。近くの水田には、ツグミも1羽。このあと、某所3、4、5と回りましたが、某所3は車は入れないようになっており、某所4は花市場のイベントの関係者駐車場となっていました。某所5には何もいません。県道沿いも見てくると良いのですが、今日は行っていません。

Dsc04032c_20250412151501 Dsc04065c  最後に上之輪新田。今日もここについてしばらくしたら、近鉄特急ひのとりが来ましたので、例によって「俄撮り鉄」。

Dsc04492c Dsc04320c_20250412151501  ケリや、ムナグロがいないかと思ったのですが、カラスが多数。ケリは見つけられた範囲で3羽。揚げ雲雀も何度か見ましたが、写真を撮るのはむずかしい。すぐに見失うのです。

Dsc04365c_20250412151501 Dsc04424c_20250412151601  ここで本格的な撮り鉄の方と出会い、「9時半過ぎにポケモンをペイントした電車が来る」と教えていただきました。「これはミジュマルライナーに違いない」と思い、私も30分あまり待って、これらの写真を撮れました。ミジュマルライナーは、今年2月27日にデビューしています。ミジュマルは、「みえ応援ポケモン」なのです。実は、ミジュマルライナーの写真、撮りたかったのです(微笑)。ちなみに、ミジュマル・トレインもあり、これには3回乗っています(2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」、2024年3月17日:20240317近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」へ(一回完結)、2024年6月8日:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結))。鉄ちゃんではありませんが、電車の写真は撮りたいのです。あとは、ポムポムプリンがラッピングされた「三十三銀行ラッピングトレイン」も狙っています。こちらは、準急や普通電車として運用されています。

Dsc02326c_20250412155301 Dsc02673c_20250412151301  明日は雨の予報です。JRさわやかウォーキングが名古屋で開催されますが(歴史と文化、満喫ウォーキング~名古屋のまちなみ、移り変わりを感じよう~)、雨ではダメですねぇ。モットーにしたがい、雨読の日でしょう。左の桜の写真は、長良川河口堰の駐車場にて。右は、長良川河口堰から見た桜堤防あたりの様子。

2025年4月 5日 (土)

20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結)

Img_9661c  今日は最高気温17.3℃、おおむね晴れで、風もさほど強くはなく(最大風速は4.0m/s)、絶好のハイキング日和。近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と「おふろcaféあげき温泉」でととのう」に行って来ました。三岐鉄道三岐線の丹生川駅で9時から11時半の受付でしたので、近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。近鉄富田駅に9時29分着。¥300。8時49分発の三岐鉄道三岐線西藤原行きに乗り換えて、丹生川駅には9時27分に到着。¥510。三岐鉄道三岐線では、今年度から、JR東海から導入した新型車両5000系が順次導入されますので(こちら)、写真の車両(西武鉄道から導入したもの)は廃車になるそうです。今回も一人旅。

Img_9654c  いきなりの余談ですが、三岐鉄道三岐線では、切符は、今でも硬券が用いられています。ICカード全盛、クレジットカードでも乗車できる時代に、大変貴重だと思います。

Img_9684c Img_9698c_20250405155101  丹生川駅は、ローカル線ののどかな駅というイメージがピッタリ。駅舎の中にツバメの巣があり、ツバメが止まっていたくらい。ただ、これに気を取られたせいで忘れてしまったことがあり、大失態。これについては、後述。

Img_9688c Img_9691c_20250405155101  コースマップを受け取り、9時半にスタートします。これは駅前から西の方を見た写真。奥に見えているのが、藤原岳。今日、歩いていた間、ほとんどのところからこの藤原岳がよく見えていました。藤原岳は、我が家の玄関先からもよく見えています。

250405kintetsuhikingnyugawa0  こちらが、今日歩いてきたルートマップ。丹生川駅からほぼ真北にある三岐鉄道北勢線の阿下喜駅を目指します。貨物鉄道博物館を見てから東に回り、員弁川に沿って植えられた桜並木を愉しみながら歩くという趣向。阿下喜では、いなべ阿下喜ベースに立ち寄ります。ルートマップ上は、5.6㎞でした。

Img_9706c_20250405155101  丹生川駅にほぼ隣接するように貨物鉄道博物館があります。三岐鉄道とボランティアの皆さんとの協同により、わが国初の鉄道貨物輸送専門の博物館として、平成15(2003)年9月15日に開館しました。子どもたちが小さい頃、たぶん開館して間もないときに1度訪ねたことがあります。その時に比べますと、展示内容はずいぶん充実したと思います。こちらもご覧ください。

Img_9702c Img_9715c  この博物館は、明治以降陸上貨物輸送の主役として活躍し今なおJR貨物や三岐鉄道をはじめとしたいくつかの鉄道会社が手がけている鉄道貨物輸送に焦点を当て、産業文化遺産として後世に残すべき貴重な貨車等を保存展示する施設です。定例開館日は、毎月第1日曜日のみ(入館無料)ですが、屋外の展示車両はいつでも見られます。今日は、近鉄ハイキングにあわせて午前中のみ臨時開館。

Img_9743c  貨物鉄道博物館を出たところで、近鉄富田往きの普通電車が来ましたので、今日もまた「俄撮り鉄」。丹生川まで来る電車にも撮り鉄と思われる方が乗車しておられましたし、コースの途中でも電車を撮ろうと待ち構えている方もいらっしゃいました。三岐鉄道は、撮り鉄の方には人気のようです。

Img_9771c_20250405155101  Img_9756cこれらは、コース途中の写真です。ほぼ田園地帯。いなべ市を近鉄ハイキングで最初に歩いたのは、7年前の2月末でしたが(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))、このときは初春でした。春にいなべ市を歩くというイメージが私にはあります。

Img_9805c  藤原岳の写真は、途中で何枚も撮ってきましたが、その1枚。東海環状道が通っています。藤原岳は、初めの方にも書きましたが、我が家からもよく見えますが、さすがにここまで来ると、近い!!

Img_9812c  ルートマップで、員弁川に出たあたりから「員弁川散歩道」となります。ここにソメイヨシノの並木が1㎞以上にわたって続いており、これが「員弁川桜並木」。ほぼ満開で、ハイキング参加者以外にも、たくさんの方が散策したり、写真を撮ったりしておられました。

 Img_9816c_20250405155101 Img_9868c途中、何カ所かで写真を撮ってきました。左の写真は、桜並木の始まったあたりから阿下喜方面を撮ったもの。ずっと桜並木が続いているのがお分かりいただけるでしょう。右は、桜並木と藤原岳とのコラボ写真。

Img_9887c  こちらは、阿下喜について桜並木から離れるとき、振り返って撮ったもの。これまでに私が見た桜並木では、鍋田川の桜並木が見事でしたが、それ以上と思います(2019年4月4日:20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その1)……近鉄弥富駅をスタート、鍋田川堤桜並木から源盛院で芭蕉句碑、常在院に立ち寄る)。

Img_9900c_20250405155201  桜並木からは、いなべ菓子店八舎が立ち寄り先に指定されていました。どら焼きが名物のようですが、例によって私は、立ち寄って写真を撮っただけで失礼してしまいました。

Img_0025c_20250405155201  Img_0021c_20250405155201 最後の立ち寄り先は、いなべ阿下喜ベース。以前は、阿下喜温泉として営業していましたが、リニューアルされ、おふろcaféあげき温泉新上木食堂AGEKI BASE HOTELの3つの施設が併設されています。ここで温泉に入れば、ととのったのですが、今回も入浴はせず。新上木食堂で昼食を食べることも考えたのですが、営業が11時から。ここに着いたのは10時45分で、次の西桑名行きは11時39分発でしたから、時間に余裕がなく、落ち着いて食べられないだろうと、断念(昼間、西桑名行きは1時間に1本なのです)。新上木食堂にあるショップでいなべ蕎麦を土産にゲット(¥480)したのみ。

Img_0052c Img_9944c_20250405155201  11時過ぎに三岐鉄道北勢線の阿下喜駅へゴール。ここで抽選会が行われていたのですが、敢えなく敗退。私のコースマップの番号は、#50でしたが、いなべ菓子店八舎さんのどら焼きは、下1桁が3、8。あげき温泉の入浴券の当り番号は、かすりもせず(苦笑)。

Img_0036c Img_0042c_20250405155201  西桑名行きの発車時刻まで時間がありましたので、軽便鉄道博物館を見てきました。左の写真は、再構築された阿下喜駅にあった軽便鉄道転車台。右は、北勢線を走っていたモニ226号電車の現車保存展示。

Img_0047c_20250405155201  こちらは、軽便鉄道博物館の建物と名松線家城駅にあった腕木式信号機

Img_0059c  阿下喜駅を11時39分に出る西桑名行きの普通電車に乗車します。最近、北勢線では全駅でICカードが使えるようになって、便利になりました。失礼ながら、ここだけハイテクという感じ。

Img_0066c_20250405155201 Img_0069c  電車はこちら。いわゆるナローゲージ。北勢線の線路幅は762mmで、新幹線の1,435mmに比べ、半分くらい。JR在来線などは、1,067mm。

Img_0075c  西桑名駅には、12時26分に到着。¥510。当然ながら、ICカードにチャージする機械も置かれていました。駅前では、「障サ連&桑名うまいもん横丁チャリティコラボイベント!キッチンカーやワークショップを楽しもう」が行われていましたので、覗いてきました。

Screenshot_20250405125018c  ところで、今日のGoogle Fitのデータ。8.88㎞で、14,286歩でした。よく歩きました。

Screenshot_20250405083346c  こちらは、三岐鉄道三岐線富田駅でゲットしたエキタグのデジタルスタンプ。このデジタルスタンプ、丹生川駅にも、阿下喜駅にもあったのですが、すっかり失念。ワーキングメモリーが弱くなっている証拠でしょう(苦笑)。丹生川駅では、ツバメに気を取られて忘れてしまいましたし、阿下喜駅にはデジタルスタンプがあること自体、未確認でした。大失態。また機会があれば、ゲットすることにします。

 ちなみに、今回で、通算199回目のハイキング/ウォーキング参加でした。200回目は、来週末にも達成できるでしょうか!?

2025年1月 6日 (月)

2025年元旦に歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダム(本編、一回完結)

Img_7830c_20250101162901  元旦の午後からドライブがてら、新年初の歴史散歩に出かけました。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。「どちら?」と聞かれるでしょうが、JR名松線伊勢奥津(いせおきつ)駅です(津市美杉町奥津)。名松線は、雲出川の渓流沿いを走るローカル線で、当初は、名張と松阪を結ぶ計画でしたから、両市の頭文字をとって名松線と名付けられまし。しかし、名張にまで延伸できず、往時の計画をしのばせる名前となっています。赤字83線として廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選ばれていましたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されました。平成26(2014)年に岩泉線が廃止されて以降は、JRが運営する唯一の特定地方交通線元対象線区です。平成21(2009)年、台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は部分廃止・バス転換を打ち出したのですが、沿線自治体の支援により平成28(2016)年3月26日に運行が再開されています。

Img_7947c_20250101162901  Img_7962c_20250101163001 というように、名松線は、超ローカル線。伊勢奥津駅は、名松線の終点。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本なのです。時刻表は、こちら

Img_7773c_20250105170301  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7987c_20250101163001  名松線を走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

Img_7802c_20250105171201  伊勢奥津駅についたのは、13時45分頃。時刻表を調べたら、次に来るのは、上記のように伊勢奥津駅着14時33分でした。せっかく来たので、車両も入れて写真を撮ろうと思い、待つことにしました。その間、駅舎や、駅周囲を探訪。駅には、観光交流施設ひだまりや、津市の八幡出張所が併設されています。

Img_7826c Img_7847c  名松線を守る会と、名松線を元気にする会とがあり、いろいろな活動をしておられます。伊勢奥津駅にも、昔の写真が掲示されていたり、自由に書けるノートが置かれていたりします。あちこちで鉄道が、利用者減少にともない、廃線になっていますが、個人的には、鉄道や、学校は廃止すると、その地域の衰退に直結するような気がしています。

Img_7839c_20250105171201  駅舎の向かいには、こんな建物があります。「日通跡」という小さな看板があります。日通は、日本通運。昔は、国鉄だけでなく、私鉄の主な駅の近くには、必ず日通の営業所がありました。私の郷里でもそうでした。○に通の字がマークでしたから、「マルツウ」と呼んでいました。

Img_7835c  駅舎の東には、川上若宮八幡宮への道標が建っています。「是ヨリ五十丁」とあります。1丁(1町)は、109.1mですから、約5.5㎞。川上若宮八幡宮へも行きたかったのですが、この日はパス。

 ここはまた、伊勢本街道の奥津宿であったところ。Img_7861c 伊勢奥津駅の南を伊勢本街道が通っています。街道歩きに興味がある私にとっては、魅力的なところ。

Img_8009c_20250101163001 Img_8045c  とあちこちウロウロしているうちに、松坂から来る伊勢奥津行きのディーゼルカーがやってくる時間となりました。給水塔にキハ11型を入れた写真や、キハ11型のズーム写真も撮り、伊勢奥津駅を後にすることにしました。

Img_7939c_20250105185001  ちなみに、待っている間にイソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのオスが登場。イソヒヨドリは、最近、内陸に進出しているとはいえ、もっとも近い海辺(松阪港あたり)で、27㎞ほどもある、山の中にいるとは驚き。

Img_8148c_20250101163001  伊勢奥津駅から、北畠神社へ(津市美杉町上多気)。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とします。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持ちます。

Img_8075c_20250101163001  由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20(1643)年3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀といいます。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間(1688~1704年)に下るとの説もあります。やがて八幡三神に倣い、北畠親房顕家を合祀します。明治14(1881)年11月、村社北畠神社に改称。昭和3(1928)年10月、社殿を新造して主神を遷座し、11月10日、別格官幣社に昇格。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にありましたが、天保11(1840)年春に火災に遭い、再興しないまま、明治31(1898)年に廃絶。 神社は、奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8059c_20250106081901  境内には、北畠氏館跡庭園(国史跡・名勝)という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園があります。また、神社の後方の標高560mの山頂を中心に、霧山城跡(国史跡)があります。南北の曲輪群に分かれ、堀切と土塁の遺構が残っています。築城は顕能が多気の地へ移った14世紀中頃と考えられています。 これらにも行ってみたいと思いますが、霧山城跡は急な勾配のところもあって、簡単には登れなさそうです(こちら)。写真は一の鳥居をくぐったところ。右手が神社と庭園への道、左手は霧山城跡へ登る道。

Img_8083c_20250101163001 Img_8092c_20250106081501  写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。境内には、ほかに北畠顕能の歌碑がありました。伊勢国司のときに詠んだもので、新葉和歌集に入っています。

 いかにして伊勢の浜荻ふく風の治まりにきと四方に知らせむ

Img_8152c  いずれにしても、下調べも何もせずに出かけましたので、名松線、北畠神社、北畠氏城館跡庭園、霧山城跡などは、きちんと調べて、出直したいところです。

Img_8157c_20250101163001  最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

2024年10月28日 (月)

20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」

20241026jrwalkingkameyama2  10月26日(土)に行ってきたJRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」の本編その2です。その1では、JR関西線井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロットまで来ました。中の山パイロットを通り抜けて、アイリス町、亀田町、羽若町と進み、亀山公園に行きます。このあたりもアップダウンがあり、この日、歩くのは大変でした。

Img_6546c_20241027145001 Img_6542c_20241027145001  亀田町に法蔵寺という浄土宗のお寺がありましたので、覗いてみました。由緒書きもありませんし、ネットでもほとんど情報は出て来ません。あるブログには、子育て観音があり、安産祈願もできるとありました。

Img_6569c_20241027145001  この先は、亀山市立医療センターの近くで左折し、南下。羽若町の町中を通って、亀山公園に向かうのですが、狭い町中の道をあちこちぐねぐねと歩きます。途中で2箇所ほど、こういうものがあるのに気づきました。津島神社の御札を祀った祠があるのです。調べてみたら、亀山市歴史博物館こちらのサイトにある天王信仰の風習と関連していると思われます。リンク先の記事の中に、「亀山地区の羽若町の辻天王さんは、疫病が流行った時に子供を守るためにまつった神様だといわれている」とあります。

Img_6582c  くどいのですが、羽若町から亀山公園にいたるあたりも、相当のアップダウンがありました。ヘトヘトになりながら、スタートから9.7㎞ほどで亀山公園の公園池までやって来ました。亀山公園へは、5年前に花しょうぶまつりを見に来ています(2019年6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))。このときは、ブログ記事のタイトルにもありますように、雨に降られて大変でした。写真で、右手にある赤い橋の奥が、花菖蒲園になっています。

 Img_6609c_20241026161101 Img_6624c_20241026161101 上の写真の赤い橋を渡って、さらに上った先にますみ児童公園があります。ここには、C58-359という蒸気機関車が保存されています。第二次大戦中の昭和19(1944)年につくられた客貨両用のもんで、昭和45(1970)年に廃車になっています。主に関西線で活躍した蒸気機関車です。

Img_6621c_20241026161101  ますみ児童公園でで11時半頃でしたので、お昼を食べることにしました。亀山駅のすぐ近くには、食事をするところがほとんどありませんので、あらかじめ桑名でコンビニ弁当を仕入れてきたのです。さらに、ここで昼ご飯にするとちょうどよいとも見込んでいました。ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥420)」。最近は、これくらいの量でちょうどよくなりました(苦笑)。

Img_6638c_20241026161201 Img_6645c_20241026161201  11時45分に再出発。旧亀山城のところを通って亀山駅に向かいます。ここには多聞櫓があります。この多聞櫓は、天守台と呼ばれる本丸高石垣上にあり、寛永 9(1632)年頃に築造されたと考えられています。三重県で唯一現存する城郭建造物で、県史跡。何度か内部を見学していますので(2019年6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))、今日はパス。多門櫓近くには、亀山神社、亀山演武場、明治天皇行在所旧蹟などがありますが、今回は訪ねていません。以前のブログ記事をご覧ください(2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ、2019年6月19日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その4)……亀山演武場、明治天皇行在所、いくつかの石碑と姫垣外苑からでころぼ坂を経て亀山駅にゴール(完)

Img_6648c_20241027152201  亀山城址をあとにして、池の側の畔を歩いて行くと、「石井兄弟敵討遺跡石碑」があります。元禄14(1701)年5月9日早朝に、石井源蔵(33歳)・半蔵(30歳)兄弟が、28年目にして父の敵・赤堀水之助を、ここ亀山城石坂門外で討ち取ったことを記念して、昭和7(1932)年に亀山保勝会によって建立されたものです。本懐を遂げた石井兄弟は、旧主の青山忠重に帰参を許されています。当時「元禄曽我兄弟」と称され、歌舞伎、講談、絵本、浮世絵などに取り上げられ、赤穂浪士の討ち入りと並び賞賛されました。

Img_6659c_20241026161201  亀山駅に行く途中、これまで見落としていたものに気づきました。田中病院の前あたりに「伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑」というものがあったのです。亀山ライオンズクラブと高梁ライオンズクラブが、平成元(1989)年に建てています。亀山藩主であった板倉勝澄(かつずみ)が、延享元(1744)年、備中松山に移り、石川総慶(ふさよし)が、備中松山から亀山に替わったのです。石川市は、慶安4(1651)年から寛文9(1669)年まで亀山に在城しましたので、75年ぶりに旧領に戻ったことになります。板倉氏とは、2度目の交替だそうです。

Img_6666c_20241026161201  この石碑からもう少し下ったところからも、旧亀山城多聞櫓がよく見えます。この眺めもなかなかのものです。

Img_6674c_20241026161201 Img_6678c_20241026161201  JR関西線亀山駅には、12時頃到着。ゴール受付で、参加ポイントをいただき、12時24分の関西線名古屋行き快速に乗車。四日市から快速になります。桑名駅には、13時8分着、¥680。亀山駅で何か、土産を売っていないかと思ったのですが、今日は何も店は出ておらず(キオスクは、数年前に廃止されています)。3月に来たときには、臨時の販売ブースが出ていて、関宿の銘菓である「志ら玉」を買っています(2024年3月3日:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編))。

Screenshot_20241026133016c Screenshot_20241026133025c  左の画像は、スマホアプリの「からだメイト」の記録。右は、同じくGoogle Fitのデータ。歩数は、ほぼ一緒で、22,000歩前後でしたが、歩いた距離は、16.3㎞と、13.7㎞。現地で歩いたのは、10.8㎞+αです。自宅から桑名駅往復は、2㎞あまりですから、やはりGoogle Fitの方が実際に歩いた距離に近いかも知れません。

2024年10月20日 (日)

20241020JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」へ(一回完結)

Img_5892c_20241020142101  昼くらいまではよく晴れました。朝は、17.1℃と涼しいくらいでしたが、気温は24.0℃まで上がりました。今日は、予定通り、JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」へ行って来ました。鉄道会社のウォーキング/ハイキングイベントに参加するのは、5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」以来(その後、勝手にハイキングなどには3回ほど行っていますが)。

Img_5888c_20241020142101 Img_6234c_20241020142201  JR桑名駅を8時14分に出る関西線亀山行き普通に乗車。JR四日市駅には、8時31分に到着。¥250。今日は、四日市駅がスタート&ゴール。参加者はさほど多くはありません。ここから、思案橋、稲葉翁記念公園、プロムナード、臨港橋、末広橋梁と歩く、5.1㎞のコース。タイトルにある2つの可動橋というのが、臨港橋と末広橋梁。

241020jrwalkingyokkaichi  こちらが今日歩いてきたルートマップ。実は、同じコースや、同じあたりはもう何度も訪ねていて、立ち寄り先さえ聞けば、地図なしで歩けます。初めに書きましたように、このところ、鉄道会社のウォーキングハイキングイベントに来ていませんでしたし、このあたりは気に入ったところなので、参加したという次第。臨港橋と末広橋梁が動くところも改めて見てみたいというのもありました。

Img_5926c_20241020142101 Img_5938c_20241020143501  思案橋。四日市市浜町と蔵町の間にあります。国道164号を挟んで両側の歩道に復元された橋が設置されています。古くは勧進橋とも呼ばれ、幅14間(約25.5m)の水路を跨ぐ水門でもあり、水路は新丁不動寺前に至っていました。天正10年6月、徳川家康は本能寺の変を避け泉州堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むかを思案したとされます。結局、当地の廻船問屋の協力を得て、海路を採り、常滑に渡ったといいます。この伝承があるため、思案橋と呼ばれることとなりました。この「神君伊賀越え」のルートについては、よく知られているように、諸説があります。伊勢湾を越えた海路についても、伊勢国長太(なご、現・三重県鈴鹿市)で乗船し、伊勢湾を横断して三河国大浜(現・愛知県碧南市)にたどり着いたという説もあります。私としては、郷土である三河国大浜についたという説に気持ちが傾きます。現在は、川は流れていませんが、昭和62(1987)年に橋を模したモニュメントが復元設置されています。

Img_6035c_20241020142101  Img_6043c_20241020142101 国道23号線を越え、四日市旧港に向かいます。ここには、四日市旧港を開いた稲葉三右衛門を記念した稲葉翁記念公園があります。左の写真は、「稲葉三右衛門君彰功碑」。明治30(1897)年に立てられています。そのすぐ南東には、波止改築紀念碑があります。これは、防波堤改築を記念して明治27(1894)年に作られた碑です。

Img_5983c_20241020142101 Img_6025c_20241020142101  旧港の東側にあるのが、潮吹防波堤。稲葉三右衛門が築いた旧港が暴風雨によって大破したため、改修工事を行い、明治26(1893)年に築かれました。この時の工事を担当したのが服部長七で、長七は人造石とよばれるものを発明して、防波堤に利用しています。現在も残る大小2列の防波堤は、潮吹防波堤と呼ばれ、波の力を弱めるため大堤に複数の穴が開いているのが特徴の堤で、一説には、政府のお雇外国人であったオランダ人ヨハネス・デレーケ設計案ではないかともされますが、真偽は不明。これらはいずれも国の重要文化財に指定されています。公園内には、この潮吹防波堤の、動く模型があります。ちなみに、服部長七は、私の郷土出身です。

Img_6039c_20241020142101Img_6017c_20241020142101  オマケ。波止改築紀念碑の先の突堤の基礎に、旧桑名城の石垣が使われています。基礎に使われていますから、見たことはありません。もう1つオマケ。今日は、旧港スタンプラリーも行われていました。思案橋と、ここ稲葉翁記念公園、臨港橋の3箇所でスタンプをもらいます。

Img_6054c_20241020142101 Img_6058c_20241020142101  稲葉翁記念公園の先にプロムナード。高潮護岸の防壁前面平場を利用した、遊歩道。旧港から千歳橋までつづいています。平成3(1991)年に整備されました。旧港を眺めながら散策することができ、ベンチもありますので、なかなかよいところ。

Img_6071c_20241020142201 Img_6094c_20241020142101  臨港橋。末広町と千歳町の間にある千歳運河に架けられた可動橋(跳ね上げ橋)です。船舶が通るときは遮断機で車の通行を止め、中央部の橋桁を約70度押し上げて開きます。初代は昭和7(1932)年に竣工しました。現在の橋は平成3(1991)年11月に完成した3代目。橋は、東側を起点にして跳ね上がります。

Img_6103c_20241020142101  今日は、3回開閉がありました。1回目の9時25分に間に合うよう、ここまでちょっと急いで歩いてきました。午前中は、ほぼ逆光になる位置からしか見えません。こちらに開くシーンの動画がアップロードしてあります。

Img_6118c_20241020142101 Img_6122c_20241020142101  臨港橋のすぐ北にあるのが、末広橋梁。千歳運河にかかる現役唯一の跳開式可動鉄道橋梁です。昭和6(1931)年に竣工しました。全長58メートルのうち中央部16メートルの橋桁が、80度ほど跳ね上がります。平成10(1998)年に国の重要文化財に指定されました。こちらに末広橋梁が降りてくるシーンの動画をアップロードしました(9時35分頃)。さらに、ここには、末広橋梁を貨車が通過するシーンの動画をアップロードしました(10時頃)。橋梁上で貨車が、一時停止したのですが、そこであいにく、カメラはバッテリー切れとなり、完全に通過するまでは撮れていません。このあと、貨車が戻ってきて、10時20分頃に末広橋梁が上がることになっていましたので、待っていたのですが、車両の不具合で、中止となってしまいました。残念。

Img_6157c_20241020142201 Img_6167c_20241020142201  末広橋梁、もう少し近付いて撮ってきた写真。左の写真で、向かって左側がJR四日市駅の方向です。通過する列車は、三岐鉄道三岐線東藤原からJR関西本線富田、四日市を経由して、四日市港の太平洋セメントへセメントや土砂を運ぶ貨物列車です。

Img_6181c Img_6206c_20241020142201  これで立ち寄り先はコンプリート。末広橋梁からゴールのJR四日市駅までは、1.5㎞弱。途中、再び国道23号線を越えます。住友電装があるところですが(左の写真)、ここはクルマではよく通るところ。まさか、徒歩でここを渡るとは思ってもみませんでした。右は、JR四日市駅にて、通称RedbearというJR貨物の機関車。正しくは、JR貨物DF200形ディーゼル機関車といい、電気式ディーゼル機関車です。つまり、ディーゼルエンジンで発電を行い、発生した電力によってモーターを回しているのです。

Img_6231c_20241020142201 Img_6222c_20241020142201  ゴールには、10時40分頃に到着。ゴール受付でポイントをいただき、さらに今日実施されていた「四日市港まちあるきイベント 秋の旧港スタンプラリー」もコンプリートしましたので、記念品の缶バッチをゲット。JR四日市駅を10時56分に出る関西線名古屋行き快速に乗車。桑名駅には11時8分着。¥250。今日の交通費は、往復で¥500で済みました(微笑)。

Screenshot_20241020112600c Screenshot_20241020112608c  今日歩いた距離と歩数。左のスクリーンショットは、「からだメイト」によるもの。歩いた距離は9.0㎞、歩数は12,229歩。右は、Google Fitのもの。歩数は11,785歩と、からだメイトと500歩弱しか違いませんが、歩いた距離は7.32㎞と、1.7㎞ほど違います。今日のコースはマップ上5.1㎞で、桑名駅往復は2.5㎞くらいですから、Google Fitの方が歩行距離は近いようです。

2024年7月 8日 (月)

九華公園にアオサギ戻る……最高気温38.9℃は、全国3位

Dsc01088c_20240708122301  ウンザリしていますが、今日も猛暑日となりました。13時現在で桑名の最高気温は38.0℃です(12時56分の記録)。予想は、37.0℃でしたが、すでに越えています。今朝は、最低気温も28.3℃でした。朝から暑いので、散歩開始を30分繰り上げて、7時スタート。しかしこれでは、まさに「焼け石に水」。というのも、あとから知ったのですが、7時にすでに31.4℃だったからです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、再び吉津屋町から、京町、南魚町、田町、三崎通と5.1㎞。

Dsc00766c_20240708122401  住吉神社前の揖斐川の堤防の様子。奥の方向に伊勢大橋があります。誰も歩いていません(苦笑)。鳥もいません。いつもなら、スズメやドバト、たまにカワラヒワもいますが、今日は、水際にカワウがいただけ。暑かったのですが、風が吹いていたので、まだ少しは楽でした。

Dsc00813c_20240708122401 Dsc00830c  柿安コミュニティパークでムクドリとスズメ。いつもならムクドリの写真は撮りませんが、「今日も何もいないかも知れない」と思って、保険をかける意味で撮ってきた次第。

Dsc00844c_20240708122401  九華公園には7時20分に到着。相撲場近くでドバト。奥平屋敷跡では、スズメとハシボソガラス。その後も、スズメの鳴き声を聞いたくらい。歩く人とはまばらで、毎日歩いている顔見知り&散歩友達のみのごく少数。

Dsc00924c_20240708122301  吉之丸堀の上を通っている電線にツバメの幼鳥。ここは、毎年、巣だったツバメのヒナが飛行訓練などに来るところですが、今シーズン見たのは、2回目で、2羽目。

Dsc00981c_20240708122301  鎮国守国神社を通り抜けて、再び、相撲場から社務所の裏へ。ふと見上げたら、いつもアオサギが来ているところにアオサギが来ていました。ヘンな日本語ですが、ずいぶん久しぶりなのです。きちんと比べていませんが、以前もここに来ていたアオサギさんとよく似た雰囲気です。いやぁ、よかった。アオサギに会えました。ちなみに、九華公園でアオサギを見たのは、今年2月15日以来(2024年2月15日:寺町の河津桜、ほころぶ)。

Dsc01063c  その後の公園は、どこもムクドリか、ハシボソガラスくらい。今日はスズメもほとんどいません。ただし、どこの公園でもクマゼミの合唱。まだ「大合唱」とまでは行きませんが、クマゼミが鳴いているところに行くと、やかましいくらい。そうそう、三の丸水門あたりと、九華公園で秋の(?)虫の声が聞こえていました。

Dsc01077c_20240708122301  帰宅後は、江戸橋方面での、あとから提出されたレポート1枚の採点。来週の授業資料と、さらに来週の研修会の資料の見直しを済ませました。午後はまた、市民大学郷土史学科の講義のまとめやら、読書やらで過ごすことにしましょう。ヒマワリは、陽和幼稚園のところにて。

0708temperature  【付記(7/8、17:45)】 17時現在の、今日の全国の最高気温ランキングです。この時刻以降、変わらないと思いますが、桑名の最高気温は結局、38.9℃(14:32)で、3位にランクイン。桑名も、年に1~2回、夏の最高気温ランキングのトップ10に入ります。鈴鹿山脈を越えてくる西風によってフェーン現象が起きるからだそうです。

2024年3月 8日 (金)

町屋川プチ遠征は、モズ・デー

Dsc05753c Dsc05755c  朝のうちは晴れて、風もなく暖かでした。行きたいと思いつつ、なかなか行けなかった町屋川に出かけてきました。桑名駅前を8時5分に出る日の出橋行きの三交バスで、城南口まで。8時14分着、¥220。国道1号線の町屋橋から町屋川左岸を下りながら、鳥を探そうという次第。カモなどの水鳥は少なくなっているかも知れませんが、キジがそろそろ姿を現さないかと期待して、です。

Dsc05798c Dsc05893c  ホオジロのオス。2ヶ所で見たうちの1羽。アオサギは、かなり離れたところから写真を撮ろうとしたら、逃げられました。右の写真は、逃げた先にて。

Dsc05961c_20240308153301 Dsc06035c_20240308153301  モズ。ここに載せた2羽は、かなり離れたところで見ましたので、ペアではないと思います。別のところでかなり近いところにペアかと思われるモズ2羽がいました。カワアイサがまだいないかと期待したのですが、今日は姿は見えませんでした。

Dsc06139c Dsc06149c_20240308153301  町屋橋から35分ほど歩いて、国道23号線のガード下をくぐります。ここまでキジの鳴き声はまったく聞こえません。ガードをくぐったところでメジロ。3羽が一緒にいました。その近くにモズのオス。今日は、モズをよく見ました。国道23号線のあたりでは、ホオジロのペアがいたのですが、まさに逆光の位置で、残念。

Dsc06185c_20240308153301 Dsc06208c  日の出橋には、9時過ぎに到着。中州からキジの鳴き声が聞こえてきました。確認に行ったものの、姿はまったく見えません。さらに町屋川沿いに下っていきます。

Dsc06300c_20240308153301 Dsc06566c_20240308153401  セグロカモメ。中州で何かを食べているようでしたが、遠く…何を食べていたのかは、よく分かりません。セグロカモメは、ほかにも数羽を見ました。ユリカモメもあちこちにいて、合計20羽ほど。

Dsc06367c Dsc06402c_20240308153401  このアオサギさんを堤防の上の、割と近いところから見ていたのですが、逃げずにいてくれました。その近くにダイサギ。

Dsc06671c Dsc06684c  町屋川の左岸に近いところにいたカモは、ヒドリガモのみ。ヒドリガモは中州や、右岸にもいて、もっともたくさんいるカモでした。その中州あたりには、コガモ、オカヨシガモ、オナガガモの姿も見えましたが、遠すぎました。

Dsc06482c Dsc06842c_20240308153401  ダイサギ2羽が、追いかけっこ。何かの争いなのか、理由はよく分からず。

Dsc06998c_20240308153501  日の出橋まで戻ってきて、もう一度、キジが見られないか確認したのですが、鳴き声は聞こえたのに、やはり姿は見えません。バスを待っている間にも、モズのメス。

Dsc06971c_20240308153501  日の出橋を10時14分に出る桑名駅前往きのバスにて帰宅。往きの運転士さんと同じ運転士さんでしたし、たぶん習熟のためと思いますが、若い女性の運転士さんが同乗しておられました。応援したくなります。桑名駅前には10時31分着、¥380。

Dsc06946c_20240308153501  余談その1。日の出橋に戻ってきたとき、桑名の方からこのクルマがやって来て、思わず撮影してしまいました。TE27トレノと思います。いつか書いたかと思いますが、若い頃AE86トレノに乗っていたことがありました。TE27トレノは、あこがれのクルマといっても過言ではありません。素晴らしい音を残して走り去っていきました。AE86もよく回るエンジンでした。

Dsc07040c  余談その2。私は、鉄ちゃんではないのですが、この三岐鉄道北勢線のヴィアティン・トレイン、一度はきちんと撮りたい列車なのですが、なかなか機会に恵まれません。最近は、北勢線沿いにあまり出かけないからです。バスターミナルのすぐ西に北勢線の西桑名駅がありますが、今日、帰りに通りかかったら停車していました。

2023年10月29日 (日)

20231029上之輪新田のコスモス畑……特急ひのとりとのコラボ写真

Dsc02211c_20231029153701  昨日、名古屋へウォーキングに出かけた帰り、揖斐長良川を渡ったあたりで車窓を眺めていたら、上之輪新田にコスモス畑が出現しているのを見つけました。 これは、出かけなくっちゃということで、今朝、早速行ってきました。上之輪新田にコスモス畑が作られたのは、5年ぶり(2018年10月19日:九華公園にハシビロガモ飛来……3日連続でコスモス畑、近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真)。ここの水田は耕地整理したため、1枚がかなり広くなっていますが、北東側の1面にコスモスが咲き誇っています。

Dsc02181c Dsc02183c_20231029153701  長良川河口堰に行った後に立ち寄ったのが、7時40分くらい。確か、大阪難波を6時に出る名古屋行きのひのとりが7時50分頃通過するであろうと見込んで、しばし待機。アーバンライナーや急行電車で撮影の練習をしていました。左の写真、ひのとりがもう少し進んで、全体がコスモスの花に隠れないように撮った方がよかったと反省点はあるものの、まあまあと自画自賛(苦笑)。もっと日が昇って、全体が明るくなってからの方がよいかも知れません。

Dsc01871c Dsc01855c_20231029153701  ここからは御在所岳もよく見えていました。コスモスもほぼ満開でしっかりと楽しめます。

2025年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

マイブックス

  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)