お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2023年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2018年1月以降の記事を残し、2017年12月以前の記事は削除しました(2018年1月1日から2023年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

勝手にハイキング

2023年6月 7日 (水)

20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その2)…養老街道との追分から西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺で芭蕉句碑を見て、田代神社ほかを周り、美濃高田駅駅にゴール(完)

Yoro2  6月4日に行ってきた美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」の本編その2です。その1では、養老駅をスタートし、養老町石畑にある浄誓寺まで来ました。その2では、美濃街道と養老街道の追分から養老街道に入り、西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺、田代神社、神明神社を経てミズノテクニクスを眺め、皇大神社へ。自由軒で昼食を摂ろうと思ったものの、満員で断念。そのままゴールの美濃高田駅まで行き、桑名行きの電車に乗ります。

Img_5863c_20230604190101  その1の最後に訪ねた浄誓寺から先、石畑というところを進むと、美濃街道と養老街道の追分に行き当たります。左の写真で向かって左の道が美濃街道。関ヶ原に続きます。最初は、美濃街道をそのまま歩くことも考えたのですが、この先、鉄道がありません。美濃街道と中山道との追分はJR関ヶ原駅のすぐ南。そこまではここから直線距離で10㎞弱。ちょっとハードですので、ここから養老街道に入り、大垣に向かうことにしたのです。養老街道は右手へ。

Img_5873c Img_5901c_20230604181201  養老街道に進む前に、この追分のところにある大桑神社へ。創建は不明ですが、『養老郡志』によると最古の棟札には寛文7(1667)年と記されているそうです。祭神は古来は大已貴神(おおなむちのかみ=大国主命)であったとされています。また、この神社は狼明神(おおかみみょうじん)とも呼ばれたと伝えられています。1年の作物の取高を占う粥占いの祭礼行事が残っています。

Img_5888c_20230606150801 Img_5893c_20230606151501  拝殿に向かって右手前には養老町指定天然記念物のケヤキの木があります。盤根(ばんこん)が隆起して見事な景観を呈しています。目通りの幹の周囲4.9m、根廻り9.8m、幹の高さ17m。幹は地上約9mのところで2つに分れ、その1つは直立していますが、分れ目より8mくらいでとまっています。もう1つは少し東南に傾いて更に二分しています。これほど見事な盤根も、木もなかなか見られません。

Img_5937c_20230604181201 Img_5932c_20230606152301  養老街道に入って養老小学校の方に向かいますが、途中、北西方向に伊吹山が見えます。さすがにここまで来れば伊吹山もよく見えます。直線距離で20㎞弱くらいです。

Img_5955c_20230606152801  余談。大桑神社から養老小学校の方へ行くのに、県道56号線、通称「薩摩カイコウズ街道」を渡りますが、南の方、養老警察の手前に養老ミートが見えます。養老うまいもん広場BBQなどもあって、飛騨牛の焼肉も食べられるのです。ちょっと気になるのですが、昼間から焼肉にビールというわけにもいかず、先に進みます。

Img_5976c_20230604181201  養老小学校を過ぎ、4.5㎞ほどのところに常夜灯。火袋のところに内宮の御札が飾られていますし、竹に挟んだ、内宮の御札が2つ、常夜灯に捧げられています。この地方の風習なのかとも思ったのですが、今のところわかりません。

Img_5990c_20230604181201 Img_5983c_20230606153401  その先で法性山西福寺。真宗大谷派のお寺なのですが、詳細はわかりません。

Img_5995c_20230604181201 Img_6010c_20230606154001  美濃街道に戻って、八幡神社。ご祭神は応神天皇です。正確な創立年代は不詳ですが、口伝によると貞治年中(1362〜1367年)頃の創建といわれています。

Img_6018c  境内には、養老町指定天然記念物の「ナギの木」があります。ナギは、この地方では珍しい木だそうで、この地方では北限のものとされます。葉をお守り袋や、鏡の裏に入れ災難除けにしたりします。目通りの幹の周り1.85m、樹高15m。

Img_6044c  もう1つの文化財として、高札場跡があります。境内の金刀比羅宮社殿の横、神社の高塀に囲まれた所にあります。完全に残っている高札場の一つと考えられています。屋根もしっかりしていて、江戸時代末期に作られたものと伝わっています。幅272㎝、奥行90㎝、高さ140㎝で石垣の高さは100㎝あり、道路からは見上げるほどの位置にあります。

Img_6050c_20230606155101 Img_6076c_20230606155101  事前に調べたところでは、養老町押越から高田あたりでは、美濃街道は不必要ではないかと思えるくらいクランクのルートをたどっていました。見るべきところもないかということで、現地で相談して少しコースを修正しています。この常夜灯は、ルートマップで5㎞地点にあったもの。右は、次の目的地である専念寺に入る前、県道215号沿いにあった秋葉神社。文政12(1829)年に勧請し、安政6(1859)年に天満神を合祀しています。昭和12(1937)年、本殿を始め造営工事が竣工し、ここに移転したといいます。

Img_6065c_20230606155101 Img_6072c_20230606155101  県道215号は、高田のメインストリートのようです。左の写真は美濃高田駅の方向、右は反対の西の方角。大きなガラス店や、古市ラジオ店があります。このラジオ店、現役のPanasonicの販売店のようです。

Img_6111c_20230606160001Img_6088c_20230604181301  さて、こちらは、真宗大谷派の専念寺。創建は不詳ですが、高田で最大の寺院だったといいます。しかし、文化11(1814)年に失火により焼失。明治初年に現在の本堂が再建されています。

Img_6122c_20230604181301 Img_6151c_20230606160401  続いて、キョリ測のマップには「即心寺」とあります。かつては慶安4(1651)年創建の妙智山即心禅寺がありましたが、平成22(2010)年に上石津の乾崇寺と合併し、現在は、即心山乾崇(けんそう)寺になっています。臨済宗妙心寺派

Img_6135c_20230604181301  境内に「蓑虫の音を聞きに来よ草庵(くさのいお)」という句碑があります。貞亨4(1681)年秋、深川芭蕉庵での作だそうです。芭蕉は、この句をもって秋の虫の音を聴く会を開くべく俳友に芭蕉庵へ来るようにさそったといいますが、なぜここにこの句碑があるのでしょう? ちなみに、上野市西日南町に芭蕉の弟子服部土芳の別邸で「蓑虫庵」があります。芭蕉五庵のうち、現存する唯一のものだそうですが、土芳が新庵に移って8日目に芭蕉が初めて当庵を訪れ、その後、この句を与え、初五の文字を新庵の名としたそうです。

Img_6169c_20230604181301 Img_6184c_20230604181301  田代神社。創建年月は不詳ですが、加茂、春日、熊野、諏訪、八幡、白鬚、御鍬の7社を奉斎しており、1,000年以上の歴史があるといいます。 慶長6(1601)年に、本町字古宮から現在地に水害を避けて遷座しています。それに続い、て住民も全体的に水の付かないところに移動してきたそうです。境内摂社に神明神社、稲荷神社、また、境内社に金刀比羅神社が祀られています。

Img_6190c_20230604181301  ミズノテクニクスの南に神明神社。この場所にはかつて神明神社のみが祀られていたのですが、昭和18(1943)年、美津濃株式会社養老工場(現ミズノ テクニクス株式会社)が建設されるのにともない、牧田川河川敷に祀られていた大神宮(金刀比羅神社)と秋葉神社が合祀されています。大神宮と秋葉神社の正確な元位置は不明。大神宮の西面には香川県琴平町の象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮にちなんで象頭山と刻んであるそうです。養老街道の高田町への入口であったため、通行の安全を願ったのではないかと言われています。境内は旧牧田川の河川敷にあり、その辺りに直江の渡しがありました。直江の渡しは、次回訪ねる予定。

Img_6204c_20230604181301  ミズノテクニクス養老工場。ミズノ製品の製造を中心にさまざまな製品の製造に携わっていますが、バットの製造がとくに知られています(こちら)。一緒に行った同級生K氏は、ここにゴルフのスイングの診断に来たことがあるそうです。

Img_6222c_20230606163001 Img_6227c_20230604181301  最後の立ち寄り先は、皇大神社。明治6(1873)年創立。島田中組で、最初、皇太神宮大麻を奉祀していたのを、県の指令によって、明治15(1882)年、分霊を迎えています。このとき、寄附を受けたり、島田中組が協力したりして設備を整え、昭和4(1929)年に石造神門2基、石橋、外玉垣を竣工しています。

Img_6253c_20230604181301 これで今日の立ち寄り先は、コンプリート。昼食は、ミズノテクニクスに来た有名野球選手たちも食事に立ち寄ったという自由軒に行ったのですが、ちょうど昼時で大賑わい。「電話番号を書いて、車でお待ちください」といわれたものの、われわれは青空のもと立ちん坊で待機しなくてはなりません。それ故、ここでの食事は断念。美濃高田駅に向かうことにしました。

Img_6260c_20230606163901 Img_6264c_20230606164201  途中、高田駅前の交差点のガソリンスタンドの隣に神社。きれいに手入れされていますから、きちんとお世話する方がいらっしゃるようです。しかし、神社庁のリストにもなく、不明。残念。美濃高田駅に向かいますが、駅前通りにはこれという店もありません。

Img_6268c_20230604181301Img_6272c  養老鉄道美濃高田駅に到着するのとほぼ同時に、12時6分発の桑名行きが出てしまい、次は12時46分発。昼ご飯は、桑名に戻ってからとし、やむなく待合室で菓子を食べ、お茶を飲み、話をしながら時間つぶし(苦笑)。朝、桑名駅で教えてもらったとおり、美濃高田から養老までの切符を購入、¥210。これで養老からは、往復切符で乗車。

Img_6286c_20230604181301  12時46分発桑名行きに乗車。桑名には13時38分着。

Img_6289c_20230604181001 Dsc_0879c  桑名に戻ってようやく昼食にありつけるのですが、以前何度か行ったエンシュウヤに行ったら、この日だけ臨時休業(苦笑)。危うく昼食難民になりそうでしたが、すぐ近くのとんかつ銀座へ。ちょっと遅めの時間からとんかつはマズいかとは思ったのですが、ほかに選択肢はなし。味噌カツランチ、¥1,100なり。夕食を相当控えましたので、体重増はありませんでした。

Screenshot_20230604145016c  この日、帰宅した時点でのGoogle Fitのデータ。トータルで9.3㎞。現地では7㎞を歩いています。歩数は、18,264歩でした。

20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その1)……養老駅をスタート、養老神明神社、金妙寺跡、千人塚1号古墳、大菩提寺、浄誓寺へ

Img_5599c_20230604181001  月替わりの頃、台風2号が来襲しましたが、週末は好天に恵まれました。6月4日、美濃街道ウォーキングの続きに行ってきました。前回、養老鉄道の美濃津屋駅から養老駅まで歩きましたので(2023年5月22日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(予告編))、この日は養老駅から1駅、美濃高田駅まで。当初つくったコースマップでは4.8㎞となっていたのですが、あちこち立ち寄ったためと、桑名では29℃以上になり、けっこう暑かったので、疲れました。年を取って、体力も低下してきたのかも知れません。今回も同級生K氏と二人旅。

Img_5602c_20230604181001 Img_5609c_20230604181001  桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。養老駅には9時1分着。桑名駅では普通に養老駅までの切符を買ったのですが(¥580)、改札で係の方から「今なら、『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、桑名~養老¥580+美濃高田~桑名¥700=¥1,280より¥70安くなる」と教えてもらい、それにしたがって左の写真の往復割引切符を購入。右は養老駅の改札口あたりの様子。名物のひょうたんがたくさん吊り下げられています。

Yoro0  こちらが今日歩いてきたルート全体のマップ。ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩いています。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道をたどっていきましたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、今日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道ということです。

Yoro1  詳しいルートマップその1です。養老駅すぐのところに立川勇次郎君之碑。さらに養老神明神社、マップには金妙寺があるとなっていますが、廃寺になったようです。養老公園東の交差点の西で、美濃街道からはいったん離れ、千人塚1号古墳、久保寺寶円、大悲閣(現在は、養老山大菩提寺に改称)へ寄り道。このあたりは、2018年の近鉄ハイキングでインチキをして(苦笑)、歩いたところ(2018年11月10日:20181110近鉄ハイキング「親孝行のふるさと『養老フェスタ』」へ……予告編)。このときは、養老公園内でコースミスをしでかし、2㎞ほど余分に歩いてから養老の滝へのぼりましたので、疲れてしまい、本来のゴールである美濃高田駅には向かわず、スタートの養老駅に戻って、勝手にゴールしたのです。それはさておき、美濃街道に戻って、養老古道いせ道の看板や、境松(傘松)跡、常夜灯から浄誓寺へ向かいます。

Img_5614c_20230604182301  養老駅を9時5分にスタート。駅前には「孝子源丞内の像」があります。老父を敬い大切にしていた源丞内は、毎日山に登り薪をとって売りながら老父を養っていましたが、貧しいがゆえに老父が好む酒を十分に買うことができませんでした。そんな源丞内が山奥で酒の湧き出ている泉を見つたという話が伝わっています(こちら)。源丞内の腰にはひょうたんが下げられています。このひょうたんに酒を入れて持ち帰ったというので、ひょうたんは養老名物になっています。

Img_5623c_20230604181001  養老駅のすぐそばに「立川勇次郎君之碑」。立川勇次郎(文久2(1862)~大正14(1925)年)は、岐阜県大垣市に生まれ、24歳のときに東京で代言人(弁護士)になりましたが、わずか3年で時代の流れを読み、実業家に転身。京浜急行電鉄の前進となる大師鉄道(現在の京急大師線)の専務取締役に就任した後、故郷の西濃地域を開発するため、養老鉄道株式会社(現在の養老鉄道とは、別の会社)を設立し、西濃地方の発展に貢献した人物です。地元の皆さんは、この鉄道の誕生を相当喜んだように思われます。というのも、この碑はかなり大きなものなのです。

Img_5640c_20230604181101 Img_5646c_20230604181101  県道56号線に向かう途中、民家の間の細い道を上っていったところに養老神明神社があります。大正9(1920)年に養老神風講社(しんぷうこうしゃ)が伊勢神宮などの神符を受け、民家の屋根に奉斎したことに始まり、昭和29(1954)年にここに遷ったそうです。ちなみに、神風講社は、明治になって始まった神道の普及活動に関わるもので、伊勢にある祖霊社が大きな関わりを持っていたようです(こちら)。

Img_5649c_20230604183801  神明神社の先に、ルートマップを描くのに用いている「キョリ測」によれば、上多度橋の手前に金妙寺があるとなっているのですが、実際には、この写真のように更地になっている上に「売物件」の看板がありました。金妙寺は、金峰山修験本宗の寺だったということですが、廃寺になったようです。

Img_5666c_20230605044601 Img_5669c_20230605044601  養老公園東の交差点を渡ったところに安田ひょうたん店が、さらにもう少し行ったところにひょうたん会館があります。養老駅前に「孝子源丞内の像」がありますが、この孝子源丞内の逸話から、ひょうたんは養老の名物になっているのです。工芸品もいろいろあるのですが、何も買ってはいません。

Img_5684c_20230604181101  ひょうたん会館の先で美濃街道をいったん外れます。ここは千人塚1号古墳。5世紀末~6世紀初頭につくられた全長35mの円墳。このあたりに日本武尊が滞在したという伝承があります。養老の滝に2㎞ともっとも近い古墳で、埋葬されたのはかなりの有力者だと推定できるといいいます。古墳は、今年度中に史跡に指定する予定だという掲示がありました。このあたりずっと登り坂で、けっこう大変でした。

Img_5696c_20230605063001 Img_5700c_20230605063001  その先に久保寺實円(くぼじじつえん?)というお寺らしきところがあります。神社・寺院検索サイト八百万の神には天台宗とされています。建物や境内はきれいに整備されているのですが、人がいる雰囲気は感じられませんし、高級乗用車も何台も止まっているものの、ナンバープレートがなかったり、タイヤがパンクしていたりしています。ということでよく分からないところでした。

Img_5709c_20230605063401 Img_5719c_20230604181101  その西に養老山大菩提寺。(ルートマップに使ったキョリ測では、「大悲閣」となっています)。昭和3(1928)年の創建で、臨済宗。大悲閣は当初の名前で、昭和28(1953)年に大菩提寺に改めたといいます。5年前の11月に訪ねたときは、ちょうど紅葉の時期で大変良い雰囲気でした(2018年11月10日:20181110近鉄ハイキング「親孝行のふるさと『養老フェスタ』」へ……予告編)。西美濃三十三霊場の第24番札所になっています。

Img_5722c_20230604181101  伊吹山で負傷した日本武尊がこのあたりへ来たとき足が痛み始めたといい、境内に史跡の石碑「日本武尊史跡 当芸野(たぎの)」があります。いささか余談めきますが、日本武尊は、古事記によれば、当芸から、杖衝坂、尾津、三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行き、能煩野(三重県亀山市)に到って亡くなるのですが、具体的にはどのルートをたどったのでしょう。歩いたのか、それとも船を利用したのか、いろいろと疑問が湧いてきます。

Img_5729c_20230604184501 Img_5742c_20230604181101  寄り道をしましたので、ひょうたん会館近くまで戻って、美濃街道を進みます。写真で2本の道路が並行していますが、この正面の道が美濃街道です。スタートから2㎞を過ぎ、細い川にかかる橋を渡ったところに「養老古道いせ道」の看板があります。ネットで調べたときには、ここの1本東の道を美濃街道とするサイトがあったのですが、この日歩いた方が美濃街道で間違いなさそうです。

Img_5753c_20230604181101  2㎞半の手前で「境松(傘松)跡」の石碑。ここは、柏尾と白石と鷲巣(松栄町)の3村の境界で、それを確定していた松の跡地を示すものとして、平成17(2005)年9月に建てられました。ルートマップをよくご覧いただくと村の境であったことが窺われます。

Img_5765c_20230604181101  その先の交差点の南西の角に道標がありました。ただし、これは平成27年に養老町教育委員会が建てたもの。北から来てここを右折すると養老の瀧方面に行け(たき道)、直進すると美濃街道(いせ道)なのです。ちなみに美濃街道は、美濃国(岐阜)では、「伊勢街道」「桑名街道」などと呼ばれていたようです。

Img_5782c_20230604181101 Img_5792c_20230604181101  ここを右折して下っていきます。下る途中、西側に小学校の跡地かと思われる避難場所があります。下りきったとことに常夜灯が1基。常夜灯の手前に小さな地蔵堂があるはずなのですが、見れど探せど見つかりません。Googleマップのストリートビューでも確認していたのですが、撤去されてしまったのかも知れません。

Img_5829c_20230604181101
 3㎞の手前で椿井(つばい)山浄誓寺。養老町石畑にあります。Img_5839c_20230606113201創建年代は不詳です。現在は真宗大谷派ですが、往古は天台宗で誓願寺と号しましたが、明応4(1495)年、浄円という僧が本願寺8世蓮如に帰依して真宗に改め、浄誓寺となりました。本堂は安政元(1854)年のもの。養老町指定天然記念物の「イヌマキ」が浄誓寺の正門を入ってすぐ右手にあります(左の写真に写っています)。根元の周囲3.0m、目通の幹2.05m、樹の高さ2.5m、樹齢は800年を超えるとか。また、同じく天然記念物の「侘助椿」が本堂の南側にあるというのですが、見つけられませんでした。リンク先をご覧ください。

Img_5851c_20230606115801 Img_5822c_20230604181101  境内には、「瑞泉寺桜」という説明が付いた桜の木もあります。ネットで調べると、瑞泉寺冬桜という冬に咲く桜があるというのですが、それかどうかは定かではありません。ほかにはアジサイもたくさん咲いていました。

Img_5798c_20230606120301 Img_5806c_20230606120301  さらに裏参道のところに「奈良時代 行基菩薩 本願寺第八代蓮如上人 有縁の寺」「長島一向一揆守縁の石地蔵 南北朝から室町時代の石佛と石塔群」と書かれた標柱が立っており、その傍らに石仏、石塔が並んでいました。こちらの説明によれば、浄誓寺やその周辺で見つかった多くの石仏や石塔が地蔵堂に納められているとあります。何か、説明があるとありがたかったところです。

 その1はここまで。その2は、美濃街道と養老街道の追分から美濃高田の町へと進みます。

2023年6月 4日 (日)

20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(予告編)

Img_5599c_20230604181001  この週末は好天に恵まれました。今日は、美濃街道ウォーキング。前回、養老鉄道の美濃津屋駅から養老駅まで歩きましたので(2023年5月22日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(予告編))、その続きで養老駅から1駅、美濃高田駅まで。当初つくったコースマップでは4.8㎞となっていたのですが、あちこち立ち寄ってきました。桑名では29℃以上になり、けっこう暑かったので、疲れました。年を取って、体力も低下してきたのかも知れません。今回も同級生K氏と二人旅。

Img_5602c_20230604181001 Img_5609c_20230604181001  桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。養老駅には9時1分着。桑名駅では普通に養老駅までの切符を買ったのですが(¥580)、改札で係の方から「今なら、『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、桑名~養老¥580+美濃高田~桑名¥700=¥1,280より¥70安くなる」と教えてもらい、それにしたがって左の写真の往復割引切符を購入。

Yoro0  こちらが今日歩いてきたルート全体のマップ。ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩いています。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道をたどっていきましたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、今日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道ということです。

Img_5614c_20230604182301Img_5623c_20230604181001  養老駅を9時5分にスタート。駅前には「孝子源丞内の像」があります。老父を敬い大切にしていた源丞内は、毎日山に登り薪をとって売りながら老父を養っていましたが、貧しいがゆえに老父が好む酒を十分に買うことができませんでした。そんな源丞内が山奥で酒の湧き出ている泉を見つたという話が伝わっています(こちら)。源丞内の腰にはひょうたんが下げられています。このひょうたんに酒を入れて持ち帰ったというので、ひょうたんは養老名物になっています。養老駅のすぐそばに「立川勇次郎君之碑」。立川勇次郎(文久2(1862)~大正14(1925)年)は、岐阜県大垣市に生まれ、24歳のときに東京で代言人(弁護士)になりましたが、わずか3年で時代の流れを読み、実業家に転身。京浜急行電鉄の前進となる大師鉄道の専務取締役に就任した後、故郷の西濃地域を開発するため、養老鉄道株式会社を設立し、西濃地方の発展に貢献した人物です。

Img_5646c_20230604181101 Img_5649c_20230604183801  その先で街道から少し入ったところに養老神明神社。大正9(1920)年に養老神風講社が伊勢神宮などの神符を受け、民家の屋根に奉斎したことに始まり、昭和29(1954)年にここに遷ったそうです。その先に「キョリ測」では金妙寺(金峯山修験本宗)があるとなっていますが、そこは更地で「売物件」の看板が立っています。廃寺になったと思われます。

Img_5684c_20230604181101  養老公園東の交差点をすぎると、「千人塚1号古墳」があります。5世紀末~6世紀初頭につくられた全長35mの円墳。日本武尊が滞在したという伝承があります。このあたりずっと登り坂で、けっこう大変でした。

Img_5719c_20230604181101 Img_5722c_20230604181101  養老山大菩提寺(ルートマップに使ったキョリ測では、「大悲閣」となっています)。昭和3(1928)年の創建で、臨済宗。大悲閣は当初の名前で、昭和28(1953)年に大菩提寺に改めたといいます。伊吹山で負傷した日本武尊がこのあたりへ来たとき足が痛み始めたといいます。境内に史跡の石碑「日本武尊史跡 当芸野(たぎの)」があります。

Img_5729c_20230604184501 Img_5742c_20230604181101  美濃街道からは少しはずれて大菩提寺まで来ていましたので、街道に戻ります。千人塚1号古墳の東から北上していき、2㎞を過ぎたあたり、小川を渡ったところに「養老古道いせ道」と書かれた木製の看板があります。説明はありませんでしたが、いかにも古い街道という感じのところです。

Img_5753c_20230604181101  Img_5765c_20230604181101 2㎞半の手前に「境松(傘松)跡」の石碑があります。ここは、柏尾と白石と鷲巣(松栄町)の3村の境界で、それを確定していた松の跡地を示すものとして、平成17(2005)年9月に建てられました。その先で道標。ただし、これは平成27年に養老町教育委員会が建てたもの。北から来てここを右折すると養老の瀧方面に行け(たき道)、直進すると美濃街道(いせ道)なのです。

Img_5792c_20230604181101  道標から右に逸れて、坂を下っていき、下りきったところに常夜灯。美濃街道の常夜灯は、かなり大きいものも見ましたが、養老町あたりでは、この写真のように割と小ぶりなものが多い気がします。

Img_5822c_20230604181101 Img_5829c_20230604181101  その先で椿井(つばい)山浄誓寺。真宗大谷派。もとは天台宗でしたが、蓮如上人の教化により明応4(1495)年に真宗に改宗し、浄誓寺と改称もしています。ここには町の天然記念物であるイヌマキの大木があります。

Img_5863c_20230604190101Img_5901c_20230604181201  美濃街道と養老街道の追分のところまできました。左の写真で向かって左の道が美濃街道。関ヶ原に続きます。養老街道は右手へ。ここに大桑神社。創建は不詳ですが、最古の棟札には寛文7(1667)年と記載されているそうです。

Img_5937c_20230604181201 Img_5976c_20230604181201 養老街道に入り、養老小学校の前を通っていくのですが、その前に北西に伊吹山らしき山が見えました。さすがにここまで来れば伊吹山もよく見えます。小学校の先の常夜灯。伊勢神宮の御札が掲げられています。ここから西福寺へ寄り道。

Img_5990c_20230604181201 Img_5995c_20230604181201  左の写真が西福寺。真宗大谷派。街道に戻って八幡神社へ。八幡神社の創始は不詳ですが、口伝によると貞治年中(1362~1367年)頃の創建といわれます。

 Img_6088c_20230604181301 事前に調べた範囲では、養老町押越から高田あたりでは、美濃街道は、不必要ではないかと思えるくらいクランクのルートをたどっていました。が、現地で相談して少しコースを修正しています。こちらは、真宗大谷派の専念寺。創建は不詳ですが、高田で最大の寺院だったといいます。しかし、文化11(1814)年に失火により焼失。明治初年に現在の本堂が再建されています。

Img_6122c_20230604181301 Img_6135c_20230604181301  続いて、キョリ測のマップには「即心寺」とありますが、現在は、即心山乾崇(けんそう)寺。平成22(2010)年に上石津の乾崇寺と、ここにあった即心寺が合併し、即心山乾崇寺になっています。臨済宗妙心寺派。境内に「蓑虫の音を聞きに来よ草庵」という句碑があるということでしたが、たぶん右の写真のもの

Img_6169c_20230604181301 Img_6184c_20230604181301  田代神社。創建年月は不詳ですが、加茂、春日、熊野、諏訪、八幡、白鬚、御鍬の7社を奉斎しており、1,000年以上の歴史があるといいます。

Img_6190c_20230604181301 Img_6227c_20230604181301  その先で神明神社と皇大神社(右の写真)とが続きます。神明神社の詳しいことはわかりません。皇大神社は、明治6(1873)年の創立です。

Img_6204c_20230604181301 Img_6253c_20230604181301  両神社の間、北側にはミズノテクニクス養老工場があります。ミズノ製品の製造を中心にさまざまな製品の製造に携わっていますが、バットの製造がとくに知られています(こちら)。これで今日の立ち寄り先は、コンプリート。昼食は、ミズノテクニクスに来た有名野球選手たちも食事に立ち寄ったという自由軒に行ったのですが、満員御礼でかなり待たなくてはならないということで、食事は断念。

Img_6268c_20230604181301 Img_6272c  養老鉄道美濃高田駅に到着したら、12時6分発の桑名行きがちょうど出てしまい、次は12時46分発。やむなく待合室で時間つぶし。朝、桑名駅で教えてもらったとおり、美濃高田から養老までの切符を購入、¥210。これで養老からは、往復切符で乗車。12時46分発桑名行きに乗車。桑名には13時38分着。

Img_6289c_20230604181001 Dsc_0879c  桑名に戻ってようやく昼食にありつけるのですが、以前何度か行ったエンシュウヤに行ったら、今日だけ臨時休業(苦笑)。昼食難民になりそうでしたが、すぐ近くのとんかつ銀座へ。ちょっと遅めの時間からとんかつはマズいかとは思ったのですが、ほかに選択肢はなし。味噌カツランチ、¥1,100なり。夕食を相当控えました(爆)。

Screenshot_20230604145016c  今日、帰宅した時点でのGoogle Fitのデータ。トータルで9.3㎞。現地では7㎞を歩いています。歩数は、18,264歩でした。本編は、また少しずつ書いていく予定です。

2023年5月26日 (金)

20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その3)……高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅にゴールにて「完」

Minotsuya3  5月22日に行ってきた美濃街道ウォーキング(美濃津屋~養老)の本編その3です。その2では、海津市から養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、福勝寺、大神宮常夜灯、八幡神社から小倉谷隧道を越えたところまででした。その3では、高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老鉄道養老駅にゴールします。

Img_5151c_20230522173801  上多度小学校のあたりでスタートから5㎞。少しいくと、高札場跡があります。養老町の史跡なのですが、あまり目立ちませんから見逃しそうでした。

Img_5166c_20230522173801  6㎞を過ぎたあたりの小さなY字路のところに「十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地」という石柱が立っています。鬼面山谷五郎(きめんざんたにごろう:文政9(1826)~明治4(1871)年)は、養老町鷲巣の出身で、明治になって初めての、また、岐阜県出身でただ一人の横綱でした。身長186㎝、体重140㎏もあったといいます。初め京都力士となり、25歳のとき、江戸の相撲武隅部屋に入門し修行。幕内成績は27場所143勝24敗16分で、優勝相当成績7回という輝かしい成績を残しています。明治2(1869)年に横綱になりましたが、翌年に引退。さらに引退後1年たたずに亡くなりました。この横綱の名前に記憶があったのですが、養老公園の入り口のところに「横綱鬼面山碑」があるのです。4年あまり前の近鉄ハイキングで見てきました(2018年12月4日:20181110近鉄ハイキング「親孝行のふるさと『養老フェスタ』」へ(その4)……元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場から大菩提寺を経て、勝手に養老駅にゴール変更(完))。

Img_5203c_20230522173801 Img_5188c_20230525195201  鬼面山谷五郎生誕之地の石碑をすぎると、段々とゴールの養老鉄道養老駅に近づきますが、養老駅の手前で街道を東の方に外れ、まずは、勢至山専明寺。真宗大谷派。創建などについては不明ですが、古くは勢至村に境内を構え、勢至山光堂寺と号する天台宗の寺院だったといいます。寛正5(1464)年に真宗に改めています。往時は多芸七坊の一翼を担っていましたが、その後衰退し、江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)に現在地に遷っています。

Img_5235c_20230522173801  専明寺から北に神社が見えます。白山神社です。ご祭神は、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみとこ)、そして菊理姫命(くくりひめのみこと:黄泉国からにげる伊奘諾尊が黄泉平坂(よもつひらさか)で伊奘冉尊と争ったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した。石川県白山比咩(しらやまひめ)神社の主祭神)。ちなみに、白山神社の境内には、キョリ測では光明寺があると、また、Googleマップで見ると薬師如来堂があると書かれています。それは神社の社務所の南の位置なのですが、今日は、何もありませんでした。廃されたと思われます。

Img_5223c_20230522173801 Img_5228c_20230525195601  この写真で、拝殿の手前に並んでいる両側の常夜灯は、鬼面山谷五郎が奉納したものです。

Img_5276c_20230525195701  境内には大木が何本もあったようですが、かなりが伐採されていました。その中の一つに「夫婦欅」という札が掲げられていました。Googleマップでチェックすると、1年ほど前の写真には、寄り添うように立つ2本の欅の写真が載っていました。

Img_5284c_20230525200101 Img_5297c  境内の北側には、延珠観世音菩薩が祀られています。大蔵重兵衛という、長年病気療養をしていた方の夢枕に観音様が立ち、拝殿前のムクノキの大木の根元で眠っていて、太陽が拝めないところに閉じ込められていると告げられたそうです。そこで知人に頼み、その根元を念入りに調べたところ、木の洞(うろ)に観音様がおられるのを見つけたといいます。観音様を拝めるようにしたところ、重兵衛さんは日増しに回復し、自分でお参りでき、働けるまでに回復したので、ここに遷したと説明板にありました。中央の洞の中に石仏が左を向いて鎮座しておられます。

Img_5324c_20230522173801 Img_5352c_20230525201101  美濃街道に戻り、養老駅を目指しますが、鷲巣公民館のところから養老駅の南の踏切までが坂道。ゴール目前に試練が課されました(苦笑)。が、無事に12時15分に到着。3時間15分ほどで8.5㎞を歩いてきたことになります。養老駅は、なかなかハイカラなのですが、建てられたのは大正2(1913)年7月31日に初代の養老鉄道(後の近鉄養老線)が養老駅から池野駅までの間、開通したとき駅ができ、開業しています。設立時の養老鉄道の本社がここに置かれ、駅舎入口の入母屋にはアルファベットのY(養老の「Y」)が刻まれた瓦も使われています。

Img_5332c_20230522173901  電車の時刻を確認しておいて、昼食のため、県道56号線方面へ。写真のマンションの1階にそば屋さんと喫茶店があり、両者とも営業しているはずでした。養老駅から「こどもの国」前の信号交差点までも登り坂でしたし、ここを横断するには地下道を使うしかありません。という次第で、昼食にありつくために最後の力を振り絞ったのですが、そば屋さんは20~26日は臨時休業、喫茶店はこの日に限って、12時で営業終了。無駄足を踏みましたが、これはまぁ結果論ですからやむを得ません。あまりにショックで店舗前で写真を撮るのを忘れました。桑名まで戻って昼ご飯にすることにしました。

Img_5339c Dsc_7122c 養老駅に戻って、まずは土産を入手するために駅前の「きび羊羹本家」へ。事前に調べたら「不定休」となっていましたので、心配したのですが、営業しておられました。毎朝、手作りしているといいます。一棹が¥850。「きいきび」と「寒天」と「はくざら(砂糖)」の3つの原料だけでつくり、添加物は一切使われていません。自然食品で身体にやさしくおいしい羊羹だといいます。お店の名物おばちゃんが、養老駅の説明とともに、羊羹についても話してくださったのです。

Img_5372c Img_5376c_20230525201701  養老駅12時51分発の桑名行きに乗車。桑名駅には13時38分着、¥580。帰りの電車は、空き空きで申し訳ないくらいでした。

Img_5389c_20230522173901 Dsc_7119c  桑名駅自由通路に「伊勢ノ国食堂しちり」があります。しばらく行っていませんでしたので、ここで「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。14時前になってようやく昼ご飯にありつけました(微笑)。

Screenshot_20230522143511c Kibiyokan  帰宅してGoogle Fitを確認したら、歩いた距離は9.6㎞、歩数は21,111歩となっていました。暑い中、これだけ歩いたら、疲れます(苦笑)。きび羊羹は、家内が待ち構えていて、早速この日のおやつに。柔らかめで、伺ったとおり、やさしくて美味しい羊羹でした。最近、若い方は冷凍にしておいてシャーベットのようにして食べるのだそうです(きび羊羹本家で聞いてきました)。これも試してみることにしましょう。右のきび羊羹の写真は、きび羊羹本家さんのサイトからお借りしました。

 

 

2023年5月25日 (木)

20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その2)……養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、もう1つの大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道へ

Minotsuya2  5月22日に行ってきた美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」の本編その2です。その1では、養老鉄道の美濃津屋駅を9時にスタートし、白山神社、津屋川龍神、本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社と歩いて、海津市から養老町に入りました。その2では、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、別の大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道を通過します。

Img_4981c_20230522173701 Img_4991c_20230522173701  3㎞の手前で西林寺。真宗大谷派。もとは南濃町津屋の山脇というところにあり、西林坊といいました。養老町の浄土真宗の寺の中には天台宗から転派した所も多いそうですが、西林寺は元から浄土真宗で、改宗したという記録はありません。こちらのサイトによれば、檀家は6軒と書かれています(ただし、いつの記録なのかは不明)。山門は多良の水行奉行・高木家搦め手(からめて)門を移したものであるという記録が残っています。ちなみに、高木家は江戸時代の交代寄合で、美濃国石津郡多良郷(現在の岐阜県大垣市)を所領としており、西高木家2,300石を筆頭に、東高木家1,000石、北高木家1,000石の高木氏3家からなっていました。高木家は17世紀前半の寛永年間(1624~1644年)から江戸幕府滅亡まで、木曽・長良・揖斐の三大河川地域における幕府の「川通御用」を勤め、治水のための新規・修復の工事の国役普請や、御手伝普請に際して普請奉行または普請見廻役として工事を監督する一方、同地で発生した水争いや境界争いなど各種村方争議における論所見分を行って意見書・報告書を評定所へ提出しました。また、宝永2(1705)年からは流域川通りの定期巡検を実施して河道維持に努めていました。宝暦治水にも携わっています。

Img_4998c_20230524041801  Img_5001c_20230524041801西林寺の先で古い看板が残っているお宅がありました。こういう古い看板には多少興味があり、街道歩きをしていて見つけると、写真を撮ってきます。左の写真で中央に「羽田」という結納用品店の看板があります。実はこのお店は、桑名や四日市の富州原にあったのです。北勢地方ではかなり広範囲にこの看板が残っていますが、養老町でも見られるとは思ってもみませんでした。お店はもう存在しないと思われます。そのほかは養老町高田の仏壇店や大垣の夕鶴衣装店御首(みくび)神社などの看板がありました。

Img_5008c もう一つ余談。屋根の上の鍾馗さんもところどころで見ました。鍾馗さんは鬼より強いというので、疫病退散などを願って、守り神として鎮座しています。桑名でもときどき見かけますが、もとは関西、特に京都での風習のようです。

Img_5012c_20230522173701  3㎞を過ぎて、大神宮常夜灯。「ご成婚記念」「大正十三年(1924年)」とありますので、昭和天皇のご結婚を記念して建てられたものと考えられます。

Img_5029c_20230522173701 Img_5038c_20230524044101  常夜灯の先で三峰山観音寺。臨済宗妙心寺派。詳細はわかりません。多くのお寺は西に向いてお参りするよう建てられていますが、この観音寺は、南向きに本堂が建てられていました。境内には庭園があります。

Img_5048c_20230524044601 Img_5044c_20230524044601  観音寺の北となりに神社がありました。鳥居はもとは朱塗りだったようですから、稲荷社と思われますが、ここについても、詳しい情報はまったく分かりません。観音寺との間には出入り口のあるフェンスがありましたから、観音寺と関わりがあるのかも知れません。

Img_5071c_20230522173701 Img_5079c_20230524044601  観音寺の先で東に入ったところに小倉山福勝寺。真宗大谷派のお寺なのですが、ここについても、これという情報が得られませんでした。

Img_5051c_20230522173701  福勝寺の東に常夜灯があったので気になって見てきました。「大神宮」と刻まれています。大神宮の文字が東に向かって刻まれています。東には津屋川。その昔、このあたりに湊でもあってそこから美濃街道に向かう目印だったのかというのは、勝手な想像。

Img_5094c_20230522173801  いったん美濃街道に戻って再び東へ。八幡神社です。創建は不詳ですが、延宝2(1673)年の棟札があるそうです。ご祭神は、応神天皇。境内には、御鍬神社ともう一社も祀られています。表参道は、ずっと東の方でしたが、暑かったので横着をして、「横入り」。

Img_5107c_20230524063901 Img_5111c_20230524063901  本殿裏には、鳥居に掲げられていたと思われる、割れた額が置かれていました。「八幡」と「元帥伯爵東郷平……」と読めます。あの東郷平八郎が揮毫したものでしょう。その脇には、古い社号標。「郷社 八幡神社」とあります。

Img_5121c_20230522173801 Img_5125c_20230524064401  美濃街道に戻って、スタートから5㎞地点に小倉谷隧道。小倉谷川という天井川を潜る水底トンネルです。岐阜県道56号線(南濃関ヶ原線)の旧道が、養老町の天井川である小倉谷川を潜るために建設されました。養老鉄道も、この西で同じように小倉谷川の下をくぐっています。ここで、ルートマップその2が終わりますので、その2はここまで。

2023年5月24日 (水)

20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ

Img_4748c_20230522173601 Minotsuya0  5月22日に行ってきた美濃街道ウォーキング(美濃津屋~養老)の本編その1です。珍しく平日に街道ウォーキングに出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。ほぼ1ヶ月ぶりとなりましたが、4月16日の美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」の続きです(2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編))。当初は、駒野から養老まで通して歩こうと思っていたのですが、コースマップ上で9㎞以上あり、しかも立ち寄りポイントもたくさんでしたので、2回に分けたものです。養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いたのですが、桑名のアメダスでは30.4℃と真夏日となりました。歩いているときも暑く、いささかへばりました。年を取って体力も低下してきたのかも知れません(笑)。冒頭の写真は、美濃津屋駅で、乗ってきた電車を見送った写真。

Img_4738c_20230523043801  いきなりの余談ですが、養老鉄道に乗るために桑名駅に行ったところ、自由通路が大混雑していました。この日の朝6時前に近鉄名古屋線で人身事故があり、近鉄は相当遅れていたようで、JRで振替輸送が行われていたからです。新しくなってから、桑名駅がこれほど混雑しているのは見たことがありませんでした。

Img_4757c Img_4765c  桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きの普通電車に乗車。平日でしたので、通学の高校生がたくさん乗っています。美濃津屋には8時55分着。¥530。ほぼ1ヶ月ぶりの街道ウォーキングですが、この日は養老の山並みがかなり近くに見えました。9時にスタートします。右の写真は、美濃津屋駅から美濃街道(岐阜では伊勢街道とか、桑名街道と呼ぶようです)に出たところ。北を向いて撮ったもので、この向きに歩いて行きます)。

Minotsuya1  この日歩いたルートの詳しいマップその1。養老鉄道の路線に沿って北上しました。白山神社、津屋川龍神、本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社と訪ね、諏訪神社の先で海津市から養老町に入ります。今回は、寺社仏閣、名所旧跡を訪ねるだけでなく、自然観察も含まれるのです。なお、キョリ測のマップでは、白山神社が「白口神社」となっていましたので、ここに示したマップでは訂正してあります。

Img_4754c_20230523155801  初めの方から余談を重ねるのもどうかと思いますが、気になる看板がありましたので。美濃津屋駅の大垣方面のホームに「氷砂糖資料館(中日本氷糖株式会社)」という看板があったのです。そういえば氷砂糖をどうやってつくるか知りません。中日本氷糖株式会社南濃工場がここから1㎞ほどのところにあり、そこにこの資料館があります。予約制で大人一人¥300。創業100周年記念で平成7(1995)に開館しています。ちなみにリンク先に氷砂糖の作り方が載っていました。原料のグラニュー糖を溶かして、精製、ろ過したものを加熱して氷砂糖の結晶を作るそうです。 氷砂糖は、砂糖の中でも最も純度が高く、ショ糖分100%の高級品だとか。こちらにその製造過程があります。

Img_4767c Img_4777c_20230523160601  さて、話を進めます。美濃津屋駅からすぐに大神宮常夜灯があります。明治12(1879)年に建てられたもの。ここを入って行くと、白山神社があります。Googleのストリート・ビューで見たときは、どこから入るのかよく分かりませんが、案ずるより産むが易し。現地に行って実際に歩いたら、すぐ分かりました。やはり現地現物は重要。

Img_4771c_20230522173601 Img_4774c_20230523160801  創建は不詳ですが、寛文8(1668)年に再興したという棟札があるそうですから、かなり古い神社です。ご祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。うっそうとした木々に囲まれています。そういえば、今回は多度から美濃街道を歩き始めたのですが、ここまでの道中たくさんの神社を訪ねてきましたが、どこもご神木も含め、大木がたくさんありました。町中の神社ではなかなかこういう景色は見られません。大木があると歴史を感じさせますし、いかにも神社らしい雰囲気を醸し出しています。

Img_4782c_20230522173601  白山神社を出たところで東の方、すぐのところに川というか、堤防が見えましたので、行ってみることにしました。グラウンドゴルフ場のところに津屋川龍神という石碑が建っています。由緒などは分かりませんが、龍神は雨・水力をつかさどる龍を神力を有する神様ですから、洪水などがないように願ったものかと思います。

Img_4786c_20230523161501  こちらは、津屋川龍神の先のあたり。北側。なかなかよい景色ですし、水もきれい。湧き水もありました。キショウブ(黄菖蒲)があちこちに咲いています。しっかりと意識していなかったのですが、ここが津屋川。川幅が、地図で見るともっと広い感じだったのですが、よく見れば地図の通りの形でした(微苦笑)。津屋川といえばヒガンバナの群生が有名ですが、撮影スポットはもう少し南のようです。

Img_4807c_20230522173601 Img_4815c_20230523162501  美濃街道に戻る前で歩き始めて1㎞。街道に戻ってすぐのところに獅子吼山本慶寺。真宗大谷派のお寺なのですが、ここは津屋城跡。津屋城には関ヶ原の合戦まで高木八郎左衛門正家が居城していたのですが、西軍にしたがったため没落し、廃城となっています。境内にある説明板によれば、八郎左衛門正家は、高須城主高木十郎左衛門の縁者で、十郎左衛門は『高須旧記』によると、文禄元(1592)~慶長5(1600)年まで高須城主で、豊臣秀吉の麾下と伝わります。城跡は、現在は、慶長8(1603)年に当時の領主徳永法印寿昌之許しを得て移された本慶寺となっています。

Img_4824c_20230523162501 Img_4827c_20230522173701  寺を中心とした一帯が城跡で、主郭部は境内にありますが、付近は道路が通じた住宅が建ち、全容は明らかにされていないといいます。境内には、本堂・庫裏の敷地が二の曲輪と考えられ、その南に三の曲輪があり、大手門があったと考えられています。津屋城跡は、北勢四十八家の城と城地条件や縄張り形式が相似しており、歴史的連携が窺われるそうです。右の写真は、本堂東のあたり。

Img_4821c_20230523162501 Img_4833c_20230524041001  山門は、長屋門のような形式で、城門を移築したという話も伝わっているそうです(こちら)。いささか余談ですが、本堂に向かって左に大きな太鼓がつるされています。喚鐘は、別につるされていましたが、この太鼓は何に使ったのでしょう。喚鐘と同じように、法会の始まりなどを知らせたのでしょうか。

Img_4849c_20230523164101  最初にコースマップをつくったときには見落としていたのですが、改めてコースの予習をしたら、本慶寺の近くにハリヨの生息地があることに気づきました。清水池ハリヨ生息地といいます。本慶寺から100mほどですから、これは見なくてはなりません。

Img_4902c_20230523164101 Img_4905c_20230522173701  本慶寺から100mほど東、津屋川の手前にこの生息地があります。ちょうど小学生たちが先生に引率されて校外学習に来ていました。一緒に混じって、ハリヨを見てきました。

Img_4873c_20230523164301 Img_4882c_20230522173701  こちらがハリヨ(たぶん)。かなりたくさんいるのが見えました。全長6cmで背ビレに独立した棘を3本、腹ビレに1対の長い棘をもっています。岐阜県と滋賀県に分布するそうで、岐阜県では大垣周辺にいるといいます。ということで歴史散歩でありながら、自然観察も。

Img_4914c_20230522173701 Img_4925c_20230523164601  美濃街道に戻って下多度小学校をすぎたところに福聚山慈眼寺。浄土宗。元は藤内寺と称していましたが、その後円通寺と改称。その後、慶長10(1605)年に天台宗より浄土宗へ改宗した折に、慈眼寺と名を改めまています。往時は、船路の街道であった津屋湊からも善男善女が慈眼寺に参拝したといいます。また、多芸七坊のうちの一寺でもありました。門は、長屋門のようなものでした。境内は、右の写真のように、木々や雑草が生い茂っていて、草刈りなどをしようにも、どこから手をつけたら良いか途方に暮れそうなくらいでした。

Img_4922c_20230524041501  鐘楼に行くところも、このように雑草が繁りすぎていて、とても鐘をつきには行けそうもありませんでした。歴史のあるお寺なのに、ちょっと残念。これを書いているときに思ったのですが、「津屋」という地名自体が、河川の要港で貨物の保管、販売を行い、口銭をとった倉庫業者を意味しますから、美濃津屋のあたりには川湊があったということでしょう。などと愚考してから、よく調べたらこれについて考察したサイトがありました(笑)。それによれば、「地名の由来は、古くは当地が伊勢湾に臨む港であったことによるという。『三河国猿投神社古図』にも海浜に津屋の名を記す。津屋川沿いの水田地帯はしばしば冠水による被害を受けた」とあります。津屋川龍神の謎も解けた気がします。

Img_4929c_20230522173701 Img_4940c_20230523170001  慈眼寺のすぐ先、2㎞を過ぎたところを東に入ると諏訪神社。創建は不詳です。ご祭神は、南方刀美神(みなかたとみのかみ:大国主命の子で諏訪大社のご祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)に同じ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ:諏訪大社のご祭神で南方刀美神の妃神)、天照大神豊受姫神

Img_4939c_20230523170401  この境内も大木があります。拝殿の脇には、イチョウの大木。かなりの樹齢と思われますが、境内には説明などはありませんし、ネットにも出て来ませんでした。

Img_4968c_20230523041301  諏訪神社の先、スタートから2.4㎞あまりのところで美濃街道は津屋川を渡りますが、ここが海津市南濃町と養老町との境目。キリがよいので、その1はここまで。その2は、養老町に入って、西林寺、大神宮常夜灯、福勝寺などへ進みます。

2023年5月22日 (月)

20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(予告編)

Img_4748c_20230522173601  珍しく平日に街道ウォーキングに出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。美濃街道ウォーキングの続きで(2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編))、養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いてきました。桑名のアメダスでは30.4℃で、今日は真夏日となりました。歩いているときも暑く、いささかへばりました。年を取ってきたのかも知れません(笑)。今日のところは、とりあえず予告編。

Img_4757c  桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きの普通電車に乗車。通学の高校生がたくさん乗っています。美濃津屋には8時55分着。¥530。ほぼ1ヶ月ぶりの街道ウォーキングです。9時にスタートします。

Minotsuya0  こちらが今日実際に歩いたルートマップ。養老鉄道の線路沿いに北上します。寄り道を考慮しなければ4㎞あまりのコースなのですが、あちこちウロウロした結果、現地では8.5㎞を歩いてきました。今日は、寺社仏閣、名所旧跡を訪ねるだけでなく、自然観察も含まれます。

Img_4767c Img_4771c_20230522173601  美濃津屋駅から美濃街道に出てすぐのところに大神宮常夜灯があります。ここを右折して東に入って行くと、白山神社。創建は不詳ですが、寛文8(1668)年に再興したという棟札があるそうですから、かなり古い神社です。ご祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。

Img_4782c_20230522173601  予定にはなかったのですが、白山神社から東へ。津屋川の方です。グラウンドゴルフ場のところに津屋川龍神がありました。由緒などは分かりませんが、龍神は雨・水力をつかさどる龍を神力を有する神様ですから、洪水などがないように願ったものかと思います。

Img_4807c_20230522173601  美濃街道に戻ってすぐに獅子吼山本慶寺。真宗大谷派のお寺なのですが、ここは津屋城跡。津屋城には関ヶ原の合戦まで高木八郎左衛門が居城していたのですが、西軍にしたがったため没落し、廃城となっています。現在、本慶寺境内に主郭の土塁、堀などが残っています。

Img_4852c Img_4905c_20230522173701  最初にコースマップをつくったときには見落としていたのですが、改めてコースの予習をしたら、本慶寺の近くにハリヨの生息地があることに気づきました。清水池ハリヨ生息地といいます。本慶寺から100mほど。これは見なくてはなりません。ちょうど小学生たちが校外学習に来ていました。

Img_4882c_20230522173701  これがたぶんハリヨ。かなりたくさんいるのが見えました。全長6cmで背ビレに独立した棘を3本、腹ビレに1対の長い棘をもっています。岐阜県と滋賀県に分布するそうで、岐阜県では大垣周辺にいるといいます。

Img_4914c_20230522173701 Img_4929c_20230522173701  下多度小学校のすぐ先に福聚山慈眼寺。浄土宗。門は、長屋門のようなものでした。境内は、木々や雑草が生い茂っていて、ちょっと残念。本編で境内の写真を載せますが、草刈りなどをしようにも、どこから手をつけたら良いか途方に暮れそうなくらいでした。慈眼寺のすぐ先を東に入ると、諏訪神社。創建は不詳です。ご祭神は、南方刀美神(みなかたとみのかみ:大国主命の子で諏訪大社のご祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)に同じ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ:諏訪大社のご祭神で南方刀美神の妃神)、天照大神豊受姫神

Img_4968c_20230523041301  諏訪神社の先、スタートから2.4㎞あまりのところで津屋川を渡りますが、ここが海津市と養老町の境。同級生K氏と美濃街道を歩き始めたのは、2021年2月27日でした(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。その後、2021年3月14日に多度まで歩いています(20210314勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(下深谷~多度)」(完))。三重県内の美濃街道は、「みえの歴史街道」にコースマップがありますが、岐阜県内についてはまとまった資料の入手が難しく、ようやく今年になって、1月21日に多度から石津というコースで、再開しました(20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編))。「ようやく養老まで来たか」という感慨もいささかあります。

Img_4981c_20230522173701 Img_4991c_20230522173701  3㎞の手前で西林寺。真宗大谷派。もとは南濃町津屋の山脇というところにあり、西林坊といいました。山門は多良の水行奉行(木曽三川などの河道の維持がその役割)高木家の搦手(からめて)門(城の裏門)を移したものであるという記録が残っています。どこかのサイトに檀家が6軒しかかないと書かれていましたが、ご覧のように手入れが十分ではありませんでした。

Img_5012c_20230522173701 Img_5029c_20230522173701  3㎞を過ぎて街道の西側、ここにも大神宮常夜灯。今日は「大神宮常夜灯」と刻まれた常夜灯がたくさんあります。その先で三峰山観音寺。臨済宗妙心寺派。

Img_5071c_20230522173701 Img_5051c_20230522173701  観音寺のすぐ先、街道の東に小倉山福勝寺。真宗大谷派のお寺なのですが、これという情報が得られませんでした。福勝寺の東に常夜灯があったので気になって見てきました。「大神宮」と刻まれています。大神宮の文字が東に向かって刻まれています。東には津屋川。その昔は、湊でもあってそこから美濃街道に向かう目印だったのかというのは、勝手な想像。

Img_5121c_20230522173801  福勝寺のあたりで4㎞を過ぎました。小倉谷隧道の手前で右折し、八幡神社へ。創建は不詳ですが、延宝2(1673)年の棟札があるそうです。ご祭神は、応神天皇。ちなみに、小倉谷隧道は、岐阜県道56号線(南濃関ヶ原線)の旧道が、養老町の天井川である小倉谷川を潜るために建設されたものです。養老鉄道の線路も、この西で小倉谷川の下をくぐっていきます。

Img_5151c_20230522173801 Img_5166c_20230522173801  上多度小学校のあたりでスタートから5㎞。少しいくと、高札場跡があります。養老町の史跡なのですが、あまり目立ちませんから見逃しそうでした。6㎞を過ぎたあたりの小さなY字路のところに「十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地」という石柱が立っています。鬼面山谷五郎(文政9(1826)~明治4(1871)年)は、養老町鷲巣の出身で、明治になって初めての、また、岐阜県出身でただ一人の横綱でした。身長186㎝、体重140㎏もあったといいます。

Img_5203c_20230522173801  鬼面山谷五郎の生誕の地をすぎると、もう養老駅は近くになります。駅の手前で街道を東の方に外れ、まずは、勢至山専明寺。真宗大谷派。創建などについては不明ですが、古くは勢至村に境内を構え、勢至山光堂寺と号する天台宗の寺院だったといいます。寛正5(1464)年に真宗に改めています。往時は多芸七坊の一翼を担っていましたが、その後衰退し、江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)に現在地に遷っています。

Img_5235c_20230522173801Img_5223c_20230522173801  専明寺から北に神社が見えます。白山神社です。ご祭神は、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみとこ)、そして菊理姫命(くくりひめのみこと:黄泉国からにげる伊奘諾尊が黄泉平坂(よもつひらさか)で伊奘冉尊と争ったとき、二神の主張を聞きいれ、助言した。石川県白山比咩(しらやまひめ)神社の主祭神)。右の写真で、拝殿の手前に並んでいる両側の常夜灯は、鬼面山谷五郎が奉納したもの。ルートマップを描くのに使った「キョリ測」では、ここに光明寺があると書いてあったのですが、何もありません。Googleマップで見ると、白山神社の境内に薬師如来堂があると書かれています。それは神社の社務所の南の位置なのですが、今日は、何もありませんでした。廃されたと思われます。

Img_5324c_20230522173801  養老鉄道養老駅には、12時15分に着きました。3時間15分ほどで8㎞ほどを歩いてきたことになります。養老駅は、なかなかハイカラなのですが、建てられたのは大正2(1913)年7月31日に初代の養老鉄道(後の近鉄養老線)が養老駅から池野駅までの間、開通したとき駅ができ、開業しています。

Img_5332c_20230522173901  電車の時刻を確認しておいて、昼食のため、県道56号線方面へ。そば屋さんと喫茶店があり、両者とも営業しているはずでした。養老駅から「こどもの国」前の信号交差点まで登り坂でしたし、ここを横断するには地下道を使うしかありません。という次第で、昼食にありつくために最後の力を振り絞ったのですが、そば屋さんは20~26日は臨時休業、喫茶店は今日に限って、12時で営業終了。無駄足を踏みましたが、これはまぁ結果論ですからやむを得ません。あまりにショックで店舗前で写真を撮るのを忘れました。

Img_5339c Dsc_7122c  養老駅に戻って、まずは土産を入手するために駅前の「きび羊羹本家」へ。調べたら「不定休」となっていましたので、心配したのですが、今日は営業しておられました。毎朝、手作りしているといいます。一棹が¥850。「きいきび」と「寒天」と「はくざら(砂糖)」の3つの原料だけでつくり、添加物は一切使われていません。自然食品で身体にやさしくおいしい羊羹だそうです。

Img_5372c  昼ご飯は、桑名駅まで戻って摂ることとし、養老駅12時51分発の桑名行きに乗車。桑名駅には13時38分着、¥580。帰りの電車は、空き空きで申し訳ないくらいでした。

Img_5389c_20230522173901 Dsc_7119c  桑名駅自由通路に「伊勢ノ国食堂しちり」があります。しばらく行っていませんでしたので、ここで「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。14時前になってようやく昼ご飯にありつけました(微笑)。

Screenshot_20230522143511c Kibiyokan  帰宅してGoogle Fitを確認したら、歩いた距離は9.6㎞、歩数は21,111歩となっていました。暑い中、これだけ歩いたら、疲れます(苦笑)。きび羊羹は、家内が待ち構えていて、早速今日のおやつに。柔らかめで、伺ったとおり、やさしくて美味しい羊羹でした。最近、若い方は冷凍にしておいてシャーベットのようにして食べるのだそうです(きび羊羹本家で聞いてきました)。これも試してみることにしましょう。右のきび羊羹の写真は、きび羊羹本家さんのサイトからお借りしました。

 本編はまた改めて少しずつ書いていきます。

2023年4月20日 (木)

20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その4)……桂林寺、臨迎寺、志津龍神神社から神明神社を経て美濃津屋駅にゴールにて「完」

Komano14Komano15  4月16日の美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」の本編その4です。その3では、コースマップその3からその4の途中まででした。具体的には、枝垂れ桜の皆善寺、天満神社、若宮八幡神社、綜蓮庵、善教寺、住吉神社と回っていきました。今回は、南濃町志津の桂林寺、臨迎寺から志津龍神神社、志津新田の神明神社を経て養老鉄道美濃津屋駅にゴールします。

Img_3415c_20230418184101 Img_3407c_20230416195101  住吉神社のところでスタートから7㎞、時刻は12時過ぎでした。県道56号線を渡って旧道へ入ります。8㎞の手前でまずは、光照山桂林寺。真宗大谷派。ここにも由緒書きはなく、ネット検索でも情報はありません。山門が、長屋門風でした。

Img_3420c_20230416195201  その山門にこの写真のような言葉が掲げられていました。「道の楽しみをともにせよ」とあります。同級生K氏と私の街道歩きを象徴するかのような言葉です。といささかふざけて書きましたが、この言葉は、実はお釈迦様の最後の説法に出てくるもののようです(こちらをご覧ください)。その一説に次のように説かれています:

弟子たちよ、おまえたちはこの教えのもとに、相和し、相敬い、争いを起こしてはならない。水と乳のように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない。ともに私の教えを守り、ともに学び、ともに修め、励ましあって、道の楽しみをともにせよ。つまらぬことに心を使い、無駄なことに時を費やさず、悟りの花を摘み、道の果実を取るがよい。

Img_3428c Img_3435c_20230418185301  美濃街道に戻って、臨迎寺。浄土宗の臨迎寺。ストリート・ビューで見た限り、どこが入り口か分かりませんでした。奥に見えるのが本堂ですが、その手前、普通なら境内と思われるところには花壇がいっぱいつくられていました。珍しいのですが、ちょっと入りにくい感じもします。ここも詳しいことは分かりませんでした。

Img_3469c_20230416195201  枯れ川をまた越えて、南濃北駐在所のすぐ東に「志津龍神神社」と表示された建物を見つけました。表示がなければ、とても神社とは思えません。この中に拝殿があります。創始は不詳ですが、往古、崇敬者が寄附をして創設したといいます。前回、今回と歩いている美濃街道では、谷や川のそばにお地蔵様や神様が祀られているところがけっこうあります。普段は川は涸れているのですが、大雨の時には洪水や土石流が起きるのでしょう。それらから守ってほしいという住民の願いからと思います。

Img_3508c_20230418185901 Img_3490c_20230416195201  南濃町志津新田に入って神明神社。ここも創始などは不詳。岐阜県神社庁のサイトによれば、「往古、某なる者社地を寄付して創建」とあります。ご祭神は天照大神

Img_3494c_20230418190301  境内には竹がかなり生い茂ってきていて、あちこちからタケノコがニョキニョキ。中には、この写真にあるようにとてつもなく成長したものがありました。もはやタケノコとは呼べないサイズ。これはもう食べられません。

Img_3521c_20230416195201  これで立ち寄り先はクリア。津屋の町に入ります。もっと大きな町というイメージがありましたが、そうではありませんでした。商店などもほとんどありません。

Img_3528c_20230416195201  美濃津屋駅には、12時50分にゴール。写真で向かって左に駅舎があるように見えますが、これは桑名方面行きの待合室の裏側。時刻表を確認したところ、12時57分、13時37分に桑名行きがあります。

Img_3547c_20230416195201  美濃津屋駅近辺には食事ができるところがありませんので、桑名であらかじめコンビニ弁当を仕入れてきました。13時37分に乗ることにして、待合室でランチタイム。ファミマの明太海苔弁当(¥100引きで¥385)。

Img_3557c_20230416195201 Screenshot_20230416144010c  弁当を食べ、しばし休憩した後に13時37分発の桑名行きに乗車。桑名には14時17分着。¥530。この日の電車賃は合計でジャスト¥1,000。この日使ったお金は、昼食込みで¥1,385ですから、安いもの(微苦笑)。ルートマップでは8.9㎞でしたが、Google Fitでは、11.3㎞を歩いたことになっています(自宅から桑名駅往復も含みます)。前回よりもたくさん歩きましたが、立ち寄り先が多かったことと、それぞれのところであれこれ歩き回ったため。

 このあとは、ゴールデンウィーク前に美濃津屋駅から養老駅までを歩きたいと思っています。 

 

2023年4月19日 (水)

20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その3)……皆善寺、天満神社、若宮八幡神社から綜蓮庵、善教寺、住吉神社へ

Komano13 4月16日の美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」の本編その3です。その2では、哲学と彫刻の広場(思索園)から庭田貝塚を見つけて、円満寺、神明神社、浄厳寺、春日神社と回ってきました。一部、県道56号線からはずれましたが、そちらが本来の美濃街道のように思われました。冒頭のコースマップが、その3。4㎞を超えています。まずは、皆善寺へ。お寺を出たところで川に道路が通っているのを見つけました。詳しくは本文で。天満神社に立ち寄り、徳田交差点で南に入って若宮八幡神社。

Img_3140c_20230418043901 Img_3144c  真宗大谷派の皆善寺。ここはしだれ桜で有名(こちら)。確かに見事なしだれ桜です。花の時期に来たかったものです。お寺も歴史を感じさせる、よい雰囲気のところでした。3年前に駒野の専通寺のしだれ桜を見に行きましたが(2020年4月3日:20200403「勝手に養老鉄道ハイキング『専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園』(駒野)」(完))、甲乙付けがたい印象です。できればやはり、桜の季節にこの皆善寺、専通寺に羽根谷だんだん公園の桜を見たいものです。

Img_3182c_20230418044201 Img_3175c_20230418044201  皆善寺を出たところで川に道があるのに気付きました。川の対岸に向かって、左の写真のように舗装された道が続いています。この川も涸れ川で、水が出ていない時はここを通ることができるようになっています。右の写真で右手に写っているのが、春日神社からここへ来る時に渡った徳田橋です。

Img_3179c  水が出た時、このままではここは堤防が切れていますので、水があふれます。そのため、堤防の切れ目の石垣には、柵が入れられるよう、溝が切られていました。こういう道路を何というか分からず、あれこれ検索してみましたが、今のところ不明。ご存じの方がいらっしゃったら、ぜひともご教示ください。

Img_3192c_20230416195101  県道56号線をわたって天満神社。ご祭神は菅原道真。境内に由緒書きなどはありませんが、慶安2(1649)年の創建といいます。境内には、山神社も祀られていました。

Img_3206c_20230416195101  5㎞を過ぎて、徳田交差点から南に入って、若宮八幡神社。創始は不詳ですが、延宝8(1679)年に再興されています。元禄5(1692)年、当地に遷りました。現在は、このような小さなお社が建っていますが、境内と思われるところはかなり広く、もっと大きな神社だったのかも知れません。ここでスタートから2時間ほど歩いてきましたので、20分ほど小休止。11時半に再スタート。

Img_3243c_20230416204301 Img_3251c_20230418152101  県道56号線=薩摩カイコウズ街道を歩いて行きます。若宮八幡神社の先では東海環状道の工事が進んでいました。養老インターの南で、ここからいなべ市の北勢インターまで令和8(2026)年度に開通予定です。

Komano14  ここからコースマップはその4へ。7㎞の手前にある三叉路で美濃街道は右手に入り、県道56号線からは逸れていきますが、三叉路のところに綜蓮庵、善教寺、住吉神社とありますので、そちらに立ち寄ってから美濃街道に戻ります。

Img_3272c_20230416195101  まずは、綜蓮庵。浄土宗。残念ながら、ここについても詳しいことは分かりません。きれいに手入れされてはいますが、無住のように思われました。

Img_3283c_20230418153301Img_3290c_20230418153301  綜蓮庵の西にその西に志津山東向院善教寺。浄土宗のお寺。写真のようになかなかよい雰囲気のところです。西美濃三十三霊場26番札所。創建年は不詳。往古、当地に開山不明の勢至山岩井坊という天台宗の寺院があったと伝わっています。その後、寺運が傾き、元和年間に山伏が住んでいたという伝承もあります。

Img_3296c_20230418153301  大垣藩3代藩主・戸田氏西(うじあき)が、志津方面へ鷹狩にたびたび来るうち、この地が気に入り、ここに自分の菩提寺を建てるよう遺言し、氏西の菩提寺となっています。遺言を受けて、元禄3(1690)年に志津山東向院善教寺として建立されました。この時、円通寺聴誉保山和尚の中興で浄土宗に転宗しています。本堂及び鐘楼は元禄5(1692)年の建物だそうです。

Img_3303c_20230418154301  また、嘉元元(1304)年、美濃鍛冶の開創期の名匠である志津三郎兼氏が住んでいたといわれ、境内にはその顕彰碑があります。兼氏は、奈良手掻(てがい)派の刀工で、美濃守護職の土岐氏に招かれ志津の鍛冶谷に27歳のときに移り住みました。志津山に居を構えた理由は、水が清く景勝であることのほかに、材質のよい砥石が産するためといわれます。

Img_3309c_20230416195101 Img_3328c  善教寺は、なかなか雰囲気がよいと書きましたが、お庭もそうです。左の写真は本堂の並びにあるところ。右は少し下ったところの様子。水は左の写真のところから右のそれへと流れているようでした。モミジの木も多く、秋の紅葉シーズンに来ると見事な景色が広がっているだろうと想像されます。

Img_3352c_20230418155501 Img_3338c_20230416195101  善教寺のすぐ北に住吉神社があります。ご祭神は、いわゆる住吉三神神功皇后。創始等は不詳。拝殿は一段高いところにあり、本殿はさらに高いところにありました。また、拝殿に「住吉社」と神社名が大書されているのは初めて見ました。

Img_3356c_20230416205401 Img_3360c_20230416195101  ここにはお歯黒堂があります。現地の説明板には、「元正天皇(女帝、在位は715~724年)が養老行幸の折り、志津の地へ来られ、そこで、歯を黒く染められたといい、志津の「お歯黒堂」として語り伝えられているのです」という説明があります。説明板の脇にあるお堂が、このお歯黒堂かどうかはよく分かりませんでした。お堂にはお地蔵様のような石仏がいらっしゃいます。元正天皇は、霊亀3(717)年と、養老2(718)年の2回、美濃国多芸郡に行幸されています(こちら)。

 コースマップその4の途中ですが、長くなりそうですから、その3はここまで。その4では、桂林寺から志津龍神神社、神明神社を経て美濃津屋駅にゴールします。

2023年4月18日 (火)

20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その2)……哲学と彫刻の広場、庭田貝塚、円満寺、神明神社、浄厳寺から春日神社へ

Komano12 4月16日の美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」の本編その2です。その1では、市神神社、徳永寺、八幡宮から駒野城跡を訪ねました。その2では、駒野城跡の城山小学校から県道56号線に出て、事前調査ではチェック漏れしていた庭田貝塚の案内板を発見し、見てきました。さらに哲学と彫刻の広場、円満寺から神明神社、浄厳寺、春日神社と進みます。当初想定したコースからはずれましたが、実際に歩いたところが本来の美濃街道であったような印象です。

Img_3262c_20230417190301 Img_2970c_20230417190701  県道56号線は、南濃関ヶ原線ともいわれ、もう少し先では「薩摩カイコウズ街道」という愛称があります。平成3(1991)年に岐阜県と鹿児島県の姉妹県盟約20周年を記念して、鹿児島県木のカイコウズが沿道に植栽され、この愛称が付けられたそうです。カイコウズは、海紅豆で、アメリカデイゴというマメ科の落葉低木です(と書きながら、今まで知りませんでした。薩摩カイコウズ街道という名前の道路であることは知っていましたが)。

Img_2942c_20230416195001  県道56号線に入ってじきに思索園。Googleマップには「哲学と彫刻の広場」として載っています。ネット検索では情報がなく、Googleストリート・ビューではよく分かりませんでした。正式には「思索園」というようです。石碑には「医療法人重和会」とあります。ここは国道258号藤沢交差点のところで「伊藤内科・神経科」を営んでいます。この医療法人が設けた公園と思われます。彫刻と、哲学者などの言葉を刻んだ石碑がいくつもありました。

Img_2970c_20230417190701 Img_2957c_20230416195001  思索園を出たら、「庭田貝塚」の案内板を見つけました。事前調査では未確認。しかし、気付いてしまったからには見てこなくてはなりません。美濃街道からはずれ、口庭田集会所から東へ。途中、地元の方に道を伺って行ってきました。先週訪ねた羽沢貝塚の北西に位置する岐阜県唯一の海水産貝塚。南北に長く周囲より高い扇状地扇端部に位置し、集落の形成は縄文前期、貝層の形成は中期(約5,000年前)だそうです。マガキを主としてアカニシ・ハマグリ・オオノガイ・イボニシなどがみられると説明にありました。

Img_2991c_20230417192301 Img_2994c  スタートからほぼ3㎞で三輪山円満寺。浄土宗のお寺。聖武天皇の勅願により行基が開基したといいます(こういうお寺は、各地にあります)。毎年、体育の日の前日に「円満寺まつり」が開かれるそうです。薬師如来御供養・放生会(ほうじょうえ)といわれる祭りで、生命を尊ぶことから、放鳥放魚の法要が行なわれ、1,200年の伝統があります。

Img_2978c Img_2982c  最近はあまり見かけませんが、以前はここの「円満寺霊園」の宣伝をよく見聞きしました。10万㎡(3万坪)の広さがあるそうです。「養老山麓最大の公園墓地。濃尾平野を見晴らす抜群の眺望に恵まれた、安らぎの聖地です」というのがセールスポイントです。上の方は確かに眺めはよさそうですが、お墓まで行くのは大変そうでした。実際、お坊さんが出てこられ、スクータに乗って霊園の方にいらっしゃるのを見ました。確かにそれくらい必要そうです。

Img_3039c_20230416195001 Img_3032c_20230418033701  庭田交差点のところに神明神社。創始などは不明ですが、ご祭神は天照大神。岐阜県神社庁のサイトの説明によれば、庭田村の枝郷の一つである奥庭田村にあったと伝わる舟附明神社が、この神明神社と考えられるとあります。この神社も(このあたりの神社にかなり多いのですが)、小さなお社でした。この神社のと頃から、県道56号線をそれ、1本東の道をたどります。

Img_3025c_20230418034101  ここの一の鳥居の前に道標がありました。いままでもあったのに気付かなかっただけという可能性も高いのですが、美濃街道ウォーキングで初めて見つけた道標です。「右 い世 くわな」「左 せきかはら たかた」とあり、また、この下に「乃」という文字も見えました。さらに「城山村徳田青年」ともあります。下の方が埋まってしまっています。ただし、この道標は東向きに建っており、指し示す方角は逆でした。よそにあったものを移設したのか、建て替える時に向きを間違えたのか。

Img_3051c_20230418035401  神明神社の北に大きくて、立派なお屋敷。長屋門があり、その前に桜の古木。このあと成願寺に行きましたが、その参道のところまで屋敷が続き、そこには倉もあります。庄屋さんの屋敷だったように思います。

Img_3068c_20230418035701 Img_3075c_20230416195001  横座山浄厳寺。真宗大谷派。事前の調べでは、特に情報はありませんでしたが、享禄4(1531)年の創建。開基は祐証といいます。明治25(1892)年6月に本堂を建立し、平成14(2002)年10月に本堂の屋根の修理と、瓦の総葺き替えをしたと旧鬼瓦にそえられた記にありました。

 さらに進むと、春日神社の一の鳥居のところに「大神宮」と刻まれた常夜灯が1基ありましたImg_3104c_20230418040201。常夜灯も、これまでの美濃街道ウォーキングではありませんでした。美濃街道で初の常夜灯です。

Img_3122c_20230418040201  春日神社Img_3107c創立は不詳ですが、元亀3(1572)年の「神社書上帖」にこの神社が載っていることから、元亀以前に勧請されたと考えられます。創立などの縁由を記した書面は、明治9(1876)年の伊勢暴動の折に火災に遭って失ったそうです。明治になって、現在地に移遷しています。ご祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、祝主神(いわいぬしのかみ:斎主神、経津主神とも)、比売神(ひめがみ)。このあと県道56号線に戻るのですが、歩いた印象としては、神明神社、浄厳寺からこの春日神社の東にある道が、美濃街道であったのではないかと強く感じました。

 その2は、ここまで。その3では徳田橋を渡って、皆善寺、天満神社へと進んでいきます。

Komano_20230421171001 【美濃街道のルートについての付記(4/21)】 本文中に「当初想定したコースからはずれましたが、実際に歩いたところが本来の美濃街道であったような印象です」などとのんきなことを書いていましたが、改めて確認したら、はずれた方が美濃街道のルートでした。この左の地図で、その先に赤く示したところを歩くべきでした。

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  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

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    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
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    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
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    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)

  • 本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

    本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)
    本田秀夫先生によるこのSB新書の4冊目のシリーズ。今回は、発達障害のあるお子さんの学校選び、学級選び、友達関係、学習や学力の悩み、不登校など、発達障害のあるお子さんの学校生活全般にわたって、どのような考え方に基づいてサポートしたら良いかについてまとめられています。それぞれ、親と先生とが、どのように取り組むことが基本となるか、解説されています。対策よりも予防的な工夫をコミュニケーション(要求ではなく)に基づいて行う、「学校の標準」を緩める、登校や成績を気にしすぎず、社会に出るための土台作りを考える、発達の特性には寛容になる、学びを大切にするが学力にこだわりすぎない、親と先生とが気づきを伝え合い相談、調整する、子どものモチベーションを重視するなど、具体的に書かれていて、分かりやすくなっています。発達障害のあるお子さんが小中学校で充実した学習が進められるための基本的な考え方やヒントが詰まっていますので、親御さんにも、先生方にもお勧めできます。 (★★★★★)

  • 佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?

    佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?
    サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」、「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究を本にしたもの。何故これをここに取り上げたかというと、私のブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供して欲しという依頼が出版社からあったのです。私が提供した写真は、本書の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。ざっと読みましたが、大人でも、古事記や神社についてよく知らない方が、最初に手に取って基本的なことがらを知るには、わかりやすくて良い本だと思います。 (★★★★★)

  • 森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)

    森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)
    ネットで見つけ、新刊かと思って購入したのですが、4年前の本でした(微苦笑)。 若い頃に森博嗣さんの小説をすべて読んでいました。いつの頃からか、小説は読まず、森さんのエッセイだけを読むようになっています。「読書の極意を教える」と帯にはあります。もちろんそれについて書かれているのですが、私にはある種の知的生産の技術について著者の方法を開示していると読めます。「何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある」というのは、よく首肯できます。また、「教養とは保留できる能力をいう」というのも確かにそうだと思います。自分の問題として抱続けられ、また、考え続けられるのは、容易ではありませんから。 (★★★★★)

  • 井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

    井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)
    愛媛県新居浜市にあった別子銅山は、元禄3(1690)年、伝説の切上り長兵衛によって発見されてから、昭和48(1973)年の閉山まで、283年間にわたり、累計65万トンの銅を産出しました。これは、世界の銅の産出量の1/6にも達するといいます。巨大財閥住友の礎となっただけでなく、日本の貿易や近代化にも大きく貢献したのがこの別子銅山です。江戸時代には貨幣改鋳にも深く関わった世界屈指の鉱山を舞台に、そこに関わった人達を鮮やかに描いた、本当の意味での大河小説です。徳間時代小説文庫で読みました。  (★★★★)

  • 養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)

    養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)
    養老孟司先生と池田清彦先生の対談であれば、外れはありません。サブタイトルのように、「はみ出し日本論」ではありません。ど真ん中の日本論といってもよい本で、楽しみながら読めます。しかし、それは、自分のアタマできちんと考えているからこそ論じられる内容だと思います。常識や、マスコミで報道されることがらだけをフォローしていては、こういう風に考えることはできません。きちんとした理論、知識、データに基づかなければなりません。さらには、物事を捉える大きな枠組み、私の世代にとっては「パラダイム」といえるものが必要。それも、確固たるパラダイムが必要です。私にとってそれはある種の理想なのですが、なかなか難しい。しかし、まぁ、年寄りになったからこそ見えるものや、年寄りなりの知恵も働くようになるということもありますから、養老・池田の「怖いものなし」コンビを1つの目安として、言うべきこともいえるようになりたいものです。 (★★★★★)

  • 土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)

    土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)
    先に同じく土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を挙げましたが、入手したのはこちらが先。「一汁一菜でよい」というスタイルに至るまでの土井さんの修行、出会い、発見、迷いなどなどが書かれています。「家庭料理に失敗なんて、ない」、「すべては人を幸せにする料理に繋がる」というのが基本。具だくさんの味噌汁はおかずの1つになる。余裕があれば、食べたいものや、食べさせたいものをその都度調べてつくればよい。一汁一菜を入り口にして、一つ一つおかずをつくってみて、10種類ほどでもできるようになれば、それで幸せに一生やっていける。といった話があり、へぇーと感心させられました。これだけで健康に健やかに自足できるとも述べられています。一汁一菜なら、私にもできる、でしょうか?? (★★★★★)

  • 土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)

    土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)
    著者の土井善晴先生は、私と同世代。そして、私の世代にとってはあの土井勝さんの息子というイメージが強くあります。テレビなどにもよく出ておられ、なかなか面白い視点でものを見る人だなと思っていました。この本は,出版された当時(2016年秋)から知っていたのですが、手に取ったのはごく最近。文庫本を探していたのですがなかなか遭遇しなかったのです。「一汁一菜でよい」というのは、ご飯と具だくさんの味噌汁があればよいということです。家庭料理についての提案なのですが、実は、この本はもっと奥深いことを述べています。一言で言えば、日本文化や日本人の哲学について述べる中で、食や生活、生き方などについても論じられています。解説を書いておられる養老孟司先生は、それを「自足の思想」と表現していらっしゃいます。優しい、わかりやすい本ですが、実は奥が深い。著者の端正さもよく表れています (★★★★★)

  • 奥山 景布子: 流転の中将

    奥山 景布子: 流転の中将
    幕末の桑名藩主・松平定敬を描いた歴史小説。定敬は、実の兄で会津藩主である容保とともに徳川家のために尽くそうとしたものの、最後の将軍・徳川慶喜に振り回され、裏切られてしまいます。定敬は、それでも抗おうとしたのですが、国元の家臣たちはいち早く恭順を決め、藩主の座も追われてしまいます。朝敵といわれ、越後、箱館から上海まで流浪した定敬の波乱に満ちた人生と、秘めたる思いが生き生きと書かれています。定敬については、歴史講座で学んだり、本で読んだりしてきましたが、小説家の手にかかるとこのように立体的に、活き活きと動き出すものなのだと実感します。 (★★★★★)

  • サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)

    サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)
    たまには専門のアカデミックな本も取り上げます(微笑)。本屋でみつけ、購入。この本は、同じ著者が東大出版会から昨年刊行した「臨床心理学史」で果たせなかったことを果たそうと構想されたもの。果たせなかったのは、日本の臨床心理学史に触れることと、コンパクトな歴史記述だそうです。東大出版会の本は、読んでみたい気もしますが、¥7,000もしますし、内容もハードそうです。こうして臨床心理学の歴史を俯瞰してみますと、やはり実験心理学を抜きにしては臨床心理学も語れないといえます。私個人の考えでも、臨床心理学を学び、実践するには、実験心理学を学び、実験・調査などの方法で研究をした経験が必須です。臨床心理士、公認心理師の資格に関わり、心理学を志す人は多く、また、大学でも臨床心理学部や臨床心理学科もあります。しかし、私は、自分自身の経験からもやはり、実験心理学などの基礎心理学を抜きにして、臨床心理学は成り立たないと考えますし、学生も実験心理学を含めた基礎心理学を、少なくとも学部段階ではきちんと修得した方がよいと思います。本書を読んで、その考えはいっそう強くなりました。 (★★★★★)

  • 昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ

    昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ
    本屋に別の本を買いに行って見つけ、即買い(微苦笑)。私の好むタイプの本です。三重県の地形や地質、歴史、文化、産業などを、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント本。地図も歴史も文化も好きなのです。地図で読み解く三重の大地、三重を駆ける充実の交通網、三重の歴史を深読み!の3部構成。2017年11月にたまたまみつけたJRさわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」に行って以来、JRさわやか、近鉄ハイキング、勝手にハイキングで県内や近郊のあちこちに電車で行って電車で帰るハイキング/ウォーキングをしています。それによって訪ねたあちこちのことが改めてまとめられていて、とても楽しめます。各県のバージョンが出ているようです (★★★★★)

  • 磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)

    磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)
    歴史家・磯田道史さんが、鎌倉女学院高校で行った特別授業の記録と、ビリギャルの小林さやかさんなどとの対談を収めてあります。基本的には、「歴史の見方」についての本なのですが、それに留まりません。ものの見方、考え方を説いた内容です。むしろ、ものの見方、考え方を学びたい方にお勧めしたいと思うくらいです。ちなみに、タイトルは、「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世の中を歩くためのむしろ実用品である」という意味です。これは、歴史の見方について、あまりよく理解されていないポイントと思います。講義録ですから、読みやすく、しかも大変おもしろい本です。 (★★★★★)

  • 久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)

    久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)
    この著者の前著「三河吉田藩・お国入り道中記」で読んだ、三河吉田藩(豊橋)の参勤交代の話も大変おもしろく読めましたし、江戸時代の藩邸の様子、殿様や家臣の仕事、暮らしなどに興味があったので、読んでみました。三河吉田藩に残る「江戸日記」などの古文書から、江戸の大名屋敷がどのようなところであったか、江戸で働く武士の状況、江戸の藩邸で起きた事件のいろいろ、藩邸の奥向きの様子、さらには、明治維新後の藩邸から子爵邸への変化について、リアルな武士の暮らしのもろもろがまとまっていて、とても興味深く読めました。三河吉田藩は、現在の愛知県豊橋市にあり、松平伊豆守家が長く藩主を務めています。松平伊豆守家は、「知恵伊豆」の異名を持つ松平伊豆守信綱を初代とし、忍藩、川越藩、古河藩、吉田藩、浜松藩と国替えを繰り返した後、寛延2(1749)年から明治維新まで三河吉田を治めています。 (★★★★)

  • 安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)

    安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)
    サブタイトルに「大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ」とあり、さらに、オビには「300年前は えっ!? 今よりもっと愉快な旅行天国」ともあります。ただし、旅行を心から楽しめたのは、庶民に限られていたようです。参詣者を増やしたい各地の寺社、温泉、宿泊業者が積極的に営業したからです。一方、武士や大名は、トラブルメーカーだったといいます。公用で旅行したり、参勤交代したりなのですが、宿泊料のダンピング、備品の破壊などなどトラブルをまき散らしながらの旅であったり、権威を笠に着たりで、あまり歓迎されなかったようです。江戸時代の旅のエピソード満載で、楽しめる本です。 (★★★★)

  • 藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック

    藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック
    この本は、WISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの知能検査の結果(アセスメント情報)を「子どもの自立と社会参加」により役立つものにしていくには、どのように伝えたらよいか(フィードバック)についてまとめられています。過去には、保護者、学校の担任、子どもたち自身に知能検査の結果を伝えることはされていませんでした。しかし、現在では、苦戦している子どもたちが、自分のことを理解し、自分なりにも工夫して、学習や生活スキルを向上させ、将来の自立と社会参加につなげるために、知能検査の結果(アセスメント情報)を子どもたち自身にも伝えるようになってきています。私も、相談では、お子さんに直接、フィードバックを行い、子どもたち自身が自己理解を深め、意欲的、積極的に取り組めるようにしています。この本は、子どもと支援をつなぐ、支援者をつなぐという視点から、心理検査のフィードバックについて基礎から応用、事例を含んでその全体像を把握できる、優れたものとなっています。 (★★★★★)

  • 新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)

    新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)
    藤沢周平の作品案内、小説に見られる名言集、映像化された作品の出演者や、関係者による評伝などによって藤沢周平の作品についてすべてとはいいませんが、かなりが分かります。私は、藤沢周平の小説が好きで、たぶんほとんど読んだと思います。ただそれは、15~6年以上前のことで、リストアップもしていませんから、すべて読んだかどうかについては、不確か。こういう本を読むと、もう一度読もうかという気になります。この本では、娘の遠藤展子さんの「父にとっての家族」がもっとも興味深く読めました。また、藤沢周平の言葉で私が気に入っているのは、「普通が一番」です。ほかにも、「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」という言葉が、遠藤さんが父から言われて心に深く残っていることばだそうです。 (★★★★)

  • 千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)

    千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)
    新型コロナのまん延にともなって、政治的な判断や、もろもろの政策は、迷走したといってもよいと思います。突然の全国一斉休校要請、いわゆるアベノマスクの配布や、閣議決定をやり直した一律給付金など、なぜああいうドタバタになるのか、国民の信頼が得られなかったというか、失ったというのか、ずっと疑問を抱いていました。著者は、元厚生官僚で、社会保障・労働分野で仕事をし、現在はコンサルティング会社を経営。この本では、最近のコロナ禍での出来事の背景を記述する中から、官僚主導から官邸主導への変化に、政治の仕組みの変化がついて行けていないからだとしています。これに関して、政治家、官僚ともに仕事のやり方を変えることが必要であるとともに、国民の側にも良い政策をつくるためには望まれることがあるといいます。 (★★★★)

  • 嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい

    嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい
    「観察するのが面白くなる! ガンカモ類のひみつ」というキャッチコピーです。私がほぼ毎日散歩に行く九華公園の堀には、秋が深まるとカモたちがやってきます。キンクロハジロが最も多く、次いでハシビロガモ。他にはヒドリガモやホシハジロも数少ないものの来ています。カルガモ、カイツブリ、オオバンなども来ることがあります。これらカモやその仲間、近縁種についてもっとよく知り、観察のポイントを増やしたいと思って、この本を読んだ次第。著者は、宮城県の伊豆沼・内沼をフィールドとする専門の研究者。形態的な特徴と行動との関連性、渡り、繁殖地での暮らし、越冬地での生活など、ガン・カモ類について、ちょっと専門的な部分も多いものの、一通りの知識を得られ、また、行動観察などの方法についても知ることができました。 (★★★★)

  • 田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)

    田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)
    「江戸学の第一人者による「遊郭入門」の決定版!」と帯に書かれていて、ついつい手に取ってしまいました。遊郭にはとても興味があります。などと書くと「好色な人物か」と思われるかも知れません(苦笑)。遊郭や遊女は、今日の人権やジェンダーの観点からすると、許されない存在です。これは間違いのないことですが、一方で、たとえば、江戸時代の吉原遊郭の花魁と呼ばれたようなハイクラスの遊女は、高い教養を持ち、芸事や生け花、茶道にも通じていました。ある意味で日本文化の守り手でもあったという面も持っているのです。こうした観点から著者は、「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」と述べています。ちなみに、「好色」ということばの意味は、平安時代以来、和歌や琴、舞などの風流、風雅を好む人を「色好み」と呼んでいたことによります。「色」には恋愛や性愛という意味もありますが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったものだそうです。 (★★★★)

  • 養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ

    養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ
    養老先生が、コロナ禍の2年間でお考えになったことの集大成です。新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、NHKのBSの番組「まいにち 養老先生、ときどき まる」だったかで、「老人は、もともと不要不急の存在だ」とおっしゃった気がしますが、この本は「人生は不要不急か」という章から始まっています。これがたぶんコロナ禍や、養老先生ご自身のご病気(心筋梗塞)を経験し、お考えになった結論の1つ。さらに、不要不急の人生ではあるものの、それでも生きる価値はどこにあるか様々な視点から考察されています。「人生とはそんなもの」と思いつつ、自分に居心地の良い場所をつくりながら、万事テキトーに終わるのが良さそうです。 (★★★★★)

  • 松原,始: カラスの教科書

    松原,始: カラスの教科書
    ちょっとマニアックな本と思われるかも知れません。そもそもカラスに好意を抱いている方は少ないでしょうし(微笑)。カラスには、「賢い」というイメージもありますが、ゴミをあさって、カアカアとうるさい、真っ黒で気持ち悪いなど「嫌われ者」といってよいかも知れません。私もバードウォッチングをしますが、カラスの写真はほとんど撮っていません。しかし、九華公園などでは、カラスがいるとついついその行動を見てしまいます。よくよく見るとやっていることは、結構おもしろいのです。本書に引用されていますが、ある鳥類学者のことばによれば、「小心者でお調子者」だそうですが、頷けます。ところで、カラスとひと言で言っていますが、何種類もいるのはご存じでしょうか? 街中でよく見るカラスでさえ、ハシボソガラスとハシブトガラスの2種類がいます。同じカラスといっても、この2種類だけでも行動パターンはかなり違います。さらに、記紀に登場するカラスもいます。八咫烏(ヤタガラス)です。このカラスは、神武天皇一行が熊野山中で道に迷った際、道案内として遣わされています。そのため、熊野本宮大社などのシンボルになっています。カラスの迷宮に入り込んでしまうと、おもしろいことがたくさんあって、出て来たくなるかも知れません。すべての方にお勧めする本ではありませんが、物好きの方にはよいかも(微笑)。 (★★★★★)

  • 竹内政明 : 「編集手帳」の文章術 (文春新書)

    竹内政明 : 「編集手帳」の文章術 (文春新書)
    何を今さら「文章術」なのか? と訝られる向きもおありでしょう(微笑)。どこで読んだか忘れてしまったのですが、ある方の文章で文章術の本としては、これがベストと書いてあったので、気になったのです。いろいろと反省するところ多々あり、でした。しかし、その一方で「耳で書く」など、ずっと以前から心がけていて、学生にもレポートを書く際に注意事項として伝えていることもありました。私は、音読すると、論旨があいまいなところや、日本語がヘンなところがよく分かると考えていましたが、著者も同様のことを書いておられます。自分の文章術(などという大げさなものはありませんが)も、あながち独断と偏見ではなかったと安心したところもあります。その他、明示されてはいませんが、ひとまず書いた上で読み直し、推敲して、削っていくというのもありのようです。文章の書き方にかなりご関心がおありの方には、お読みになるとよいでしょう。 (★★★★)

  • BIRDER編集部: BIRDER (バーダー) 2021年 11月号 [雑誌]

    BIRDER編集部: BIRDER (バーダー) 2021年 11月号 [雑誌]
    この号の特集は、「お散歩バードウォッチングのススメ」。まさに、私が毎日実践していること。表紙がいつもとは違って、今風のイラストなのはちょっと気になりますが、それはともかくとして、冬にオススメのアウトドア、身近な鳥見スポットを探せ、あなたの鳥見散歩教えてください-鳥見散歩のすすめ-といったテーマが並んでいます。かねてからバードウォッチングは、いつ、どこでも楽しめる趣味と考えています。散歩しながらのバードウォッチングは、まさに一石二鳥どころか、一石何鳥にもなります(微笑)。今日(2021/10/24)も2ヶ所で、13鳥。うまく行けば2~3時間近所を歩いているだけでもっとたくさんの鳥に出逢えます。是非とも同好の士を増やしたいと思っています。ご関心がおありの方は、ご一読をオススメします。 (★★★★★)

  • 本田秀夫: 子どもの発達障害 子育てで大切なこと、やってはいけないこと (SB新書)

    本田秀夫: 子どもの発達障害 子育てで大切なこと、やってはいけないこと (SB新書)
    本田秀夫先生の発達障害3部作の最新刊。これを書いている時点では、発売日前なのですが、本屋に立ち寄ったら売っていたので、買ってきて一気読みしました。私も発達障害のあるお子さんの相談に携わっていますが、これまでの助言と一致していたところもたくさんありますし、なるほどそういう風に考えればよいのかと思うところも多々ありました。発達障害についての解説本はたくさん出ていますが、その育て方、しかも、子どもを主役にした育て方の本はほとんどなかったでしょう。この本は、子どもを主役にした、幼児期から思春期に入る頃までの発達障害のあるお子さんの育て方、どのように育っていくかを丁寧に解説しています。発達障害のある子どもとはどういう子どもなのかからスタートしています。ポイントは、そのお子さんは、どんなお子さんなのか、また、そのお子さんがとっている行動は何に由来するのかをきちんと見て、捉えることからスタートするということ。親の都合で、「こういう子どもになって欲しい」という考え方から抜けることが必要と説いていますが、まさにその通りと思います。具体的な内容は多岐に渡っています。ほめ方・叱り方、暮らし方、発達障害の子の育て方といったないようになっています。載っている方法をそのまま使うのではなく、「うちの子のことだ」と思ったことを取り入れ、他は参考程度に読むとよいと著者が書いていますが、これも重要なポイント。発達障害のお子さんをもつ親御さんだけでなく、関わりのある方には是非ともご一読をお勧めします。 (★★★★★)

  • 本郷和人: 世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか (NHK出版新書)

    本郷和人: 世襲の日本史: 「階級社会」はいかに生まれたか (NHK出版新書)
    この本の内容は、以前、マイブックスにあげた「 日本史の法則 (河出新書)」にも、「地位より人、血より家-世襲が強い-」として取り上げられています(出版は、今回の「世襲の日本史」の方が、2019年と先)。世襲というのは、今も、政治家、芸能人、医者、実業家などあちこちで見られます。「売り家と唐様で書く三代目」ということわざがあったり、「三代目が会社を潰す」という話があったりします。しかし、著者がいうには、日本では「地位より人」と考えられてきており、その「人」というのは、その人が受け継いでいる「血」であるといいます。より慎重に見ると「血よりも家」で、「家が肝心・要」というのが大原則だそうです。インドのカーストのように細かな具体性を備えていないので、人々の意識に浸透しやすく、そのため未だに世襲を黙認する社会意識を産み、さらにまたそれが、格差社会を容認する空気につながっていると著者は考えています。歴史上、世襲がなかったのは、明治維新。明治維新では能力主義が徹底され、いわゆる明治の元勲たちも、個人の財産は別として、地位などは世襲させませんでした。いわゆる「立身出世」がそれ。これは、画期的でしたが、続きませんでした。世襲という原則の方が勝ったのでしょう。著者は、「日本の歴史はぬるい-変わるときは外圧-」ともいっています。明治時代に立身出世となったのは、「黒船襲来」という外圧によるものでした。現代の外圧は、「人口減少」だと著者はいっています。江戸時代、地方で育った人材が、明治維新で根こそぎ東京に持って行かれましたが、もう一度、地方からやり直すということが必要とも著者はいいます。 (★★★★)

  • 本郷和人: 日本史の法則 (河出新書)

    本郷和人: 日本史の法則 (河出新書)
    著者の本郷和人さんは、東京大学史料編纂所教授。テレビにも出ておられますし、一般向けの歴史書もたくさん書いておられます。専門は日本中世史。この本は、日本の歴史がどのように動いてきたかを、本郷さん独自の視点(通説とは異なるとらえ方をなさっているところも多々あるようです)から説いたもの。「日本は西高東低」「歴史は一つではない」「日本の歴史はぬるい-変わるときは外圧-」「信じるものは救われない」「地位より人、血より家-世襲が強い-」「日本社会は平和を選んだ」という6つの論点から考察されていますが、これがなかなかおもしろい。「蒙を啓かれた」と書くと、ちょっと大げさかも知れませんが、なるほど、そういう風に見るとよく分かるということが多々ありました。いつ、どこで何があったということだけではなく、もうちょっと物語的に、どういう動機でそうなったかという視点を導入すると、歴史がもっとおもしろくなるんだと実感した本。 (★★★★★)

  • 吉田 友和: ご近所 半日旅 - いちばん気軽な「新しい旅」のスタイル - (ワニブックスPLUS新書)

    吉田 友和: ご近所 半日旅 - いちばん気軽な「新しい旅」のスタイル - (ワニブックスPLUS新書)
    本屋で偶然見つけてついつい買ってしまいました。タイトルを見たとき、「ご近所半日旅」なら、私自身が、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングから派生して「勝手にハイキング」と名付けて歩いているのが、それに相当するのだろうと思いました。これで1冊、本が書けるのかというのが読む前の感想。勝手にハイキングや、普段の散歩に新たな視点、やり方、楽しみ方が導入できるかと思って読んだ次第。ご近所半日旅は「いちばん気軽な『新しい旅』のスタイル」と銘打っていますが、コロナ禍の現在、そうかも知れません。心得七ヵ条があげられていましたが、私としては、①お金をかけて楽しもう、④疲れることは基本的にしない、⑦予定を決めすぎないという3点に啓発されました。また、⑥スマホをうまく活用せよにあったグーグルマップの使い方などにも興味が持てました。長く続けていると、自分なりのスタイルができあがってきますが、別の見方をするとマンネリに陥っているともいえます。こういう本で刺激を与えると、私の中に新しいものが生まれてくるかも知れません。コロナで旅行に行けなくなったと嘆いておられる方、自分の住んでいる近所なんかにおもしろいところなんかあるのかと思っておられる方、一読なさると、新しい世界が開けます。 (★★★★)