お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年3月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年3月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

勝手にハイキング

2024年4月 2日 (火)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

Kohnomiya2  3月27日に行ってきた勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その3です。その2では、旧美濃路や、稲葉宿あたりを訪ね、大塚北にある八幡社まで行きました。この先、ルートマップは、その2になります。白鬚社、性海寺、日吉社、西福院、恵明寺と回って、ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9380c_20240327175801 Img_9377c_20240401165701  大江川に出て、川沿いに進み、4㎞半を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神。ここも詳しいことは分かりません。

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺(しょうかいじ)。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、熱田神宮参詣の途中、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。ただし、実際には、当地の豪族長谷部氏によって、平安時代に創建されたと考えられています。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼足利尊氏織田敏定浅野長政松平忠吉徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建で、入母屋造、杮葺き。内部には善光寺如来を祀る、鎌倉時代の宝塔が安置されているそうです。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9416c_20240401170901 Img_9420c_20240401170901  こちらの御堂にも「愛染明王」と書かれています。説明書きには、「多宝塔の中に納められている愛染明王は江戸時代より特に耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底ヌケのひしゃくが奉納してあります。現在でもこの方法で祈願しております。」と書かれています。確かに底が抜けたひしゃくが多数奉納されており、新しいものもありました。

Img_9388c_20240327180801 Img_9392c_20240401171201  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。

Img_9460c_20240327180801  また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で、幅7m、深さ1mの周溝をともなっています。墳丘上部は中世以降の盛り土がされており、市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9480c_20240401173801 Img_9498c_20240327180801  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神も不明ですが、本社の日吉大社から倣えば、大己貴神(おおなむちのかみ)もしくは大山咋神(おおやまくいのかみ)のどちらかと思われます。

Img_9494c_20240401173801 Img_9490c_20240401173801  この日吉社にも蕃塀がありました。神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。伊勢神宮、熱田神宮、津島神社などにあります。私が直接訪ねた範囲では、愛知県尾張地方の神社に多い印象があります。三重県内ではあまり見かけません。また、この日吉社では右の写真の景色がなかなかよいと思いました。

Img_9522c_20240401183101 Img_9539c_20240327190901  その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。「せんき」は「疝気」。 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいいます。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9510c_20240401183101  西福院の北側には、広大な駐車場がありました。われわれが歩いていたときも、駐車場に入ってこられる方がありました。 

Img_9517c_20240401183101  駐車場から西福院に行く途中、白龍王大神。由緒書きはありません。名古屋の白龍神社のご祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)ですから、ここも同じかと思われます。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、この日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かってひたすら歩いて行きます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、7.7㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132845732c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

240327132156444c  ここは、昭和レトロの喫茶店であることも確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

Img_9601c_20240327192701  ここで大失敗。その1の初めに「珍道中」と書きましたが、まさにその通り。奥田駅は、対面式のホームで、それぞれに専用の改札口があります。が、われわれは何も考えずに、エデンから近い改札に交通系ICカードで入ってしまったのですが、それは岐阜方面の改札でした。やむを得ず、インターフォンで係員の方に事情を伝え、対応してもらいました。年を取るというのは、こういうことなのでしょう。世間様にご迷惑をおかけしないようにしているつもりではあるのですが……。結局、名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14時25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。

2024年4月 1日 (月)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

Kohnomiya1  3月27日の勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その2です。その1では、国府宮駅をスタートし、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社まで行きました。ルートマップは、まだその1の範囲です。この先は、旧街道の美濃路に入り、旧稲葉宿のあたりへと進んでいきます。金神社から南に行き、最初の信号交差点を左折しますが、この道が旧美濃路となります。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。稲葉宿は、当初は中島郡稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に小沢村が加宿となっています。ちなみに、明治8(1875)年に稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となっています。

Img_9221c_20240331170301  旧稲葉宿あたりの美濃路には、今もこうした古い建物がそこかしこに残っています。リノベーションされた建物も散見されます。昔からの街道だなという印象があり、楽しめます。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  宝光寺というお寺の手前、街道の南側の商店であったところの脇に津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。ルートマップには出ていませんが、この東に「札の辻」という地名が残っており、稲葉宿の中心が近いことが分かります。

Img_9243c Img_9250c_20240331172001  こちらは道標の向かいにある紅葉山宝光寺。真宗大谷派。立派なお寺ですが、由緒書きはありませんし、ネットで検索してもとくに情報はヒットしませんでした。

Img_9264c_20240327174401 Img_9259c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは昭和58(1983)年に稲沢ロータリークラブが建てた、新しいものです。碑には「四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は慶長五年に開設され、本陣、脇本陣の他、小沢、東町、西町には問屋場が置かれて、人馬の往来、物資の輸送の為に供されたが、 文化三年に人足二十二人、馬四十五頭が常備される助郷の制があった。ここは東町問屋場である。宿場役人伊東氏の住居である。」と刻まれています。四ツ家追分は、稲沢市井之口四家町にあります(JR稲沢駅の南)。慶長5年は1600年、文化3年は1806年。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。その後は、東邦電力中部電力稲沢営業所となり、現在は稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701 Img_9307c_20240401044101  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。ここで小休止。ちなみに、「稲葉宿本陣跡の碑」という石碑が建っています。「愛知県知事桑原幹根書」とありますが、桑原幹根さんは、われわれが子どもの頃、愛知県知事を務めた方。

Img_9314c_20240401044601  稲葉宿本陣跡ひろばから道を1本挟んで東に金剛山崇福寺。臨済宗妙心寺派。美濃路と三宅川の間にあります。明徳2(1391)年以前の創建で、開山は禅源寺開山大清。貞享4(1687)年、神明宮境内から現在地へ移したと伝わります。

Img_9330c  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺についても、詳しい情報はありません。

Img_9334c_20240401045501 Img_9349c_20240401162401  大江川に出る前、住宅街を歩いていたら、鳥居が見えましたので、行ってみました。八幡社でしたが、ここも由緒書きはなく、ネット検索でもこれと行ってヒットしません。

Img_9345c Img_9338c_20240401162401  ただし、ご神木であるムクノキは、市の文化財。樹高16.0m、枝幅19.5m、目通り3.0mで、地上約2mの所で幹が二本にわかれています。また、この神社にも蕃塀があります。蕃塀がどうも気になるのです。ルートマップその1は、ここまで。キリがよいので、その2の記事もここまで。

 

2024年3月31日 (日)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

Img_9567c_20240329074001  3月27日、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和でした。当初は、翌日の28日を予定していましたが、この日の方が天気がよいということで日程を変更し、稲沢へハイキングに行ってきました。「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。冒頭の写真は、前回の国府宮ウォーキングでも見てきた三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所にある高さ173mのエレベーター試験塔。この日のコース終盤でよく見えていました。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。珍道中と書きましたが、いくつかハプニングがありました。まずは、桑名駅で乗る電車の発車時刻を8時39分と私が勘違いしていました。調べるときに土日休日の時刻表を見たため。名鉄名古屋駅では、当初予定していたとおりの電車に乗ることができ、結果オーライ(苦笑)。

Kohnomiya0  こちらがこの日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、この日は、名鉄国府宮駅から西、さらに南西のあたりを歩いてきました。美濃路、旧稲葉宿から南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

Kohnomiya1  詳しいルートマップその1。名鉄国府宮駅をスタートして、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺、金神社などを回り、その先、宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりになります。

Img_8952c_20240327170901 Img_8980c_20240329074901  国府宮駅からすぐ近くに補陀山観音禅寺。臨済宗妙心寺派。説明板によれば、元は北方の稲島町にあり、暦応元(1338)年、清拙が創建したと伝わります。しかし、時代とともに衰え、江戸時代、現在地に忠嶽によって再興されました。明治24(1891)年の濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮境内にあった古堂2棟から現本堂ほかがつくられ、文翁和尚によって再建されました。

Img_8970c_20240329074901  境内で気になったのは、こちら。道標のようで、「左 国の宮/こまき 道」と彫られていました。どこかにあったものがここに移設されているのであろうと思います。観音禅寺について調べていたら、「観音寺のむじな」という昔話がヒットしました。昔、観音寺の裏には藪があり、そこにむじなたぬきの親子が住んでおり、和尚さんが可愛がったのに、小僧たちがいたずらをしたというような話です。

Img_9021c_20240327170901  松下一丁目北交差点の近くに赤染衛門歌碑公園があります。赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます(『小倉百人一首』に載っている歌。高校のときに暗記した記憶があります)。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に約90首入集、和泉式部と並び称されます。家集に「赤染衛門集」があり、「栄花物語」前編の作者ともいわれます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任しました。

Img_9007c_20240329080001 Img_9009c_20240329080001  大江匡衡と赤染衛門が詠んだ歌が歌碑になっています。稲沢市制30周年を記念して、平成元(1998)年に建立。以下の引用のように刻まれています。また、「衣かけ松の跡」の石碑も建てられています。赤染衛門が長保3(1001)年、夫ともにここに隅、この松の枝に衣を掛けたと伝わっています。この石碑は、昭和46(1971)年に稲沢市教育委員会によって建てられました。

国にいきつきたりしにはつ雪のふりしに
はつ雪とおもほへぬかなこのたびは 稲ふる里を思ひいでつつ 匡衡
めずらしきことはふりずぞ思ほゆる 行きかへりみるところなれども 赤染

Img_9024c_20240329083001  赤染衛門歌碑公園を出てすぐのところに「尾張国衙址」という案内板があるのを見つけました。ウォーキングコース沿いにある名所旧跡は一応チェックしたつもりでしたが、見逃していました。ただし、調べてみると、次の交差点を南に入って200mほど行った松下公民館のところにありました。国衙は、律令制において国司が地方政務を執った役所が置かれていたところ。尾張の国衙は、松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったといいます。

Img_9059c_20240329083701Img_9033c_20240327170901  スタートから1㎞あたりに修理若御子(すりわかみこ)神社。由緒書きによれば、尾張大国霊神(尾張大国霊神社=国府宮神社のご祭神)が国内を修理するのを助けた修理若御子命(墨染天神)がご祭神。天香山命(あまのかぐやまのみこと:尾張連等の祖神)の御子、天村雲命(あめのむらくものみこと)といいます。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。

Img_9041c_20240329083701 Img_9050c  境内末社には、神明社、津島社、富士浅閒社の3社があります。津島社は、拝殿に向かって右手前に鎮座。おもしろかったのは、神明社が拝殿に向かって右手奥の、玉垣の中に鎮座しておられたこと。さらに境内の南西には、右の写真のように、塚のようなところがあり、「延覚行者」等と刻まれた石碑が建ち並び、もっとも高いところにはお社が祀られていました。これについては、由緒書きにも触れられておらず、不詳。こちらのサイトによれば、御嶽信仰の大師たちが祀られているといいます。

Img_9063c_20240330065901  稲葉神社に行く途中、白龍社が祀られていました。白龍社といえば、水の神様。ここは、宮田用水土地改良区の建物が建つ敷地内。用水土地改良区ですから、白龍社を祀ったのでしょう。

Img_9075c_20240327170901 Img_9086c_20240330070201  稲葉神社。昭和32(1957)年に伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀し、伊奈波神社となりました。ご祭神は、物部印葉連公(もののべいんばむらじのきみ)、櫛御気之命(くしみけのみこと:須佐之男命の別名とされる)、伊邪那美神(いざまみのかみ)、大山昨神(おおやまくいのかみ)です。昭和36(1961)年に稲葉神社と改められました。

Img_9116c_20240331155702 Img_9138c_20240327170901  稲葉神社の西、愛知文教女子短期大学の近くに金華山禅源寺があります。臨済宗妙心寺派。長い参道の先に勅使門があります。残念ながら、門から先には入れないようになっていました。永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛の折、旅宿となっています。このとき、寺内で家光の不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許され、本堂の大屋根などに用いられています。勅使門は、寛永年間(1624~44年)の建立。8代虎岩和尚の隠居後、しばらく無住が続いた後、九代満源和尚が美濃妻木の崇禅寺から伝法を受け、寛文6(1666)年に本堂を再建。延宝7(1679)年に十一面観音を祀って本尊とし、再興されています。

Img_9116c_20240331155702 Img_9130c_20240331155701  左の写真は、勅使門から拝見した禅源寺の境内。なかなか落ち着いた、よい感じのお寺です。右の写真は、本堂の大屋にある葵の紋。

Img_9124c_20240331155701  勅使門に向かって左手には、秋葉三尺坊大権現秋葉神社も、秋葉三尺大権現も、神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として祀られます。禅源寺の守護神という位置づけなのかと思います。

Img_9159c  先にも書きましたが、愛知文教女子短期大学があります。学校法人足立学園により昭和26(1951)年に稲沢女子短期大学として設置されています。現在は昼間2学科(幼児教育学科第一部・第三部、生活文化学科生活文化専攻・食物栄養専攻)となっています。

Img_9166c_20240327174401 Img_9175c_20240331162001  その先に金(こがね)神社。ご祭神は、物部金弓連公。物部氏の祖である宇摩志麻治命の子孫で、4世紀中頃の人と思われるそうです。禅源寺の鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として奉斎したといいます。

Img_9197c_20240331162101  金神社の南に愛知啓成高校。学校法人愛知真和学園が設置しています。昭和2(1927)年に設立された稲沢高等女学校がその起源。昭和23(1947)年に学制改革で、稲沢女子高校となり、さらに平成13(2001)年に男女共学化を図り、愛知啓成高校になっています。平成18(2006)年には野球部が選抜高校野球大会に出場しました。

 この先で旧街道の美濃路や、旧稲葉宿に入ります。キリがよいので、その1はここまで。

2024年3月27日 (水)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

Img_9366c_20240327170501  降水確率ゼロで、よく晴れて、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和です。予定通り、稲沢へハイキングに行ってきました。とりあえず「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。今日は、予告編。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。

Kohnomiya0  こちらが今日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、今日は名鉄国府宮駅から西へ。宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりにあります。そこから南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

 国府宮駅からすぐ近くに補陀山Img_8952c_20240327170901観音禅寺。臨済宗妙心寺派。暦応元(1338)年の創建ですが、時代とともに衰え、江戸時代に現在地に再興されました。濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮から建物2棟を購入し、文翁和尚によって再建されました。

Img_9021c_20240327170901  赤染衛門歌碑公園赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任。そのとき衣をかけた松がここにあったといいます。

Img_9033c_20240327170901 Img_9075c_20240327170901  続いて修理若御子(すりわかみこ)神社。尾張大国霊神が国内を修理するのを助けた修理若御子命がご祭神。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。1㎞を過ぎて稲葉神社。昭和32(1957)年、伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀した神社です。

Img_9138c_20240327170901  その西に金華山禅源寺。臨済宗妙心寺派。寺伝では永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛したとき宿となりました。そのとき、家光が寺内で不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許されています。残念ながら、境内には入れないようになっていました。写真は、寛永年間(1624~44年)建立の勅使門。

Img_9166c_20240327174401  愛知啓成高校の北に金(こがね)神社。祭神は物部金弓連公。禅源寺鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として祀ったといいます。ここから南に向かい、次の信号を左折しましたが、ここからが美濃路。新しい建物もたくさんありますが、昔ながらの町家も残っています。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  2㎞半を過ぎたあたりに津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。

Img_9264c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは新しいものです。このお宅のように古い建物がところどころに残っていて、昔の街道の雰囲気が十分に感じられます。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。現在は、稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。

Img_9330c Img_9380c_20240327175801  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺については、詳しい情報はありません。大江川に沿って進み、4㎞を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼、足利尊氏、織田敏定、浅野長政、松平忠吉、徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9388c_20240327180801 Img_9460c_20240327180801  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9498c_20240327180801 Img_9539c_20240327190901  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神は、大物主神または大山咋神。その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、今日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、6.5㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132156444c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、昭和レトロの喫茶店であることを確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

240327132845732c  これもあらかじめ調べていたのですが、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

Img_9601c_20240327192701  名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14次25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分発の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。次は、江南市布袋あたりに行こうかと計画中。本編は、またボチボチと書き進めるつもりです。

2024年2月27日 (火)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

Img_7292c_20240225190901 Inazawa0  2月24日に行ってきた「はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング」の本編その2です。その1では、JR稲沢駅をスタートし、神明社、宮前公園、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社まで行きました。その2では、国府宮神社から南へ神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居から長束梅公園、大光寺、白山神社、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所のエレベーター試験塔と回ります。

Img_7299c_20240225191201 Img_7316c_20240224154201  国府宮神社から南に300mほど行ったところに大御霊神社への道標があります。ここを右折して200mあまり行くと、大御霊神社があります。ここも国府宮三社の1つ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。JRさわやかウォーキングの参加賞品でもらった三角チェアが大活躍。お茶を飲んで水分補給をするとともに、甘い物でエネルギー補給。

Img_7337c_20240224154201  参道に戻ってさらに南へ。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301 Img_7347c_20240225192301  こちらは中高記念館。珍しい名前ですが、明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。「中島郡高等小学校」を略して「中高」なのでしょう。もともとは、明治13(1880)年に建てられたようですが、何に使われていたかは定かではありません。高等小学校当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7380c_20240225192401 Img_7373c_20240224154301  中高記念館の南、大江橋の手前にある国府宮神社の鳥居。神社からここまで600mほど参道が続いています。この日、参道は、臨時駐車場になっていました。 社号標も大きく、その南には、2月11日の「儺追神事(はだか祭)標柱建式」で建てられた標柱があります。

Img_7403c_20240224154301  この鳥居のすぐ南に大江川にかかる大江橋があります。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7419c Img_7411c_20240225193001  稲沢中学校の西側をまだまだ南へ進んでいきます。道の両側には、石灯籠が並んでいます。これは、大鏡餅を奉納した地区が奉納した石灯籠のようです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木(樹齢90年ほど)でした。

Img_7479c_20240225193401  これは、長束梅の花。実は、この公園内に長束正家邸址があったのですが、それは見忘れました(苦笑)。長束正家は、豊臣五奉行の一人で、ここが生誕地とされています。コースマップには書いておいたのですが、うっかり。注意力が低下しているようです。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401 Img_7530c_20240225193601  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。ちなみに拙宅マンションのエレベーターも三菱ビルソリューションズのものです。

Img_7556c_20240224154401  せっかくここまで北からにはと思い、工場の入り口のところまで行ってエレベーター試験塔を見てきました。迫力があります。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  この日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、2.5㎞ほどですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。

 ちなみに国府宮神社で授与していただいた「儺追大鏡餅(切餅)」は、焼いて醤油をつけ、海苔を巻いていただきました。

 

 

2024年2月26日 (月)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

Img_7242c_20240224154101  2月24日は、久しぶりに天気が回復。よく晴れて、暖かくなりました。桑名では最高気温は、12.7℃。風も弱く、ウォーキング日和。この日は、予定通り、国府宮へウォーキング。2月22日にはだか祭が行われたばかりの国府宮神社などへ行ってきました。「まだ、はだか祭りの余韻が残っているか」と期待しつつ、です。この日も、同級生K氏と二人旅。

Img_7014c_20240224154101 JR桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時56分着。東海道線に乗り換え。9時4分発岐阜行きの普通電車で、稲沢駅に9時16分着。¥590。稲沢に来たのは、私はたぶん2回目。息子が小さいときに、愛知機関区(旧稲沢機関区)に機関車や貨車を見に来た記憶があります。

Inazawa0   こちらがこの日歩いたルートマップ。JR東海道線稲沢駅と名鉄名古屋本線国府宮駅に挟まれたエリア。主な立ち寄り先は、稲沢神明社、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)。コースマップ上は、6㎞。9時20分過ぎに稲沢駅西口をスタート。

Img_7029c_20240225161101  稲沢駅から西へ。200mほどのところに神明社があります。稲沢神明社とあります。神明社ですから、ご祭神は天照大神。それ以外のことは調べてもよく分かりません。

Img_7045c_20240225162001 Img_7048c_20240224154101  続いて宮前公園。ライオンズの森という石碑もありました。この公園内にD51機関車が保存されています(D51の823号機)。昭和45(1970)年8月まで走っていたといいますが、残念ながら金網におおわれていて、その姿はよく見えません。

Img_7062c_20240225162401 Img_7224c_20240224154101  宮前公園から北に行くと、長沼山華王院萬徳寺真言宗のお寺。8世紀中頃の創建ですが、その後衰え、建長6(1254)年に常円上人が再興し、亀山天皇の綸旨により勅願寺となりました。常円は、「沙石集」をあらわした無住一円の兄です。萬徳寺は尾張国の真言宗の大本山と称し、53の末寺をもち、寺領53石を有していました。

Img_7115c_20240225162901 Img_7130c_20240225162901  左の写真は、多宝塔(重要文化財)。2層の構造をもつ宝塔で、初層は方形、2層の中心部は円筒形、屋根は方形で、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)となっています。上下層とも檜皮葺きで、塔の上に相輪が上がっており、室町時代後期の建造と考えられています。多宝塔の北に鎮守堂(重要文化財)があります。一間社流造、檜皮葺きの神社建築です。棟札によれば、享禄3(1530)年の建立です。

Img_7166c_20240224154101  ここ萬徳寺は「ぼたん寺」と呼ばれるほど、牡丹で有名。境内には約700本の牡丹があるそうです。牡丹の季節には、見事だろうと思います。

Img_7193c_20240224154201 Img_7196c_20240224154201  萬徳寺から南の道路に出て西に向かいます。日本軽金属の工場や、吹上公園の北を通り、国府宮神社に行く前に舟形神社に立ち寄ります。舟形神社。国府宮神社の別宮で、「国府宮三社」の1つ。ご祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと:宗像三女神の1つ)。

Img_7224c_20240224154101  国府宮神社(正式には、尾張大国霊神社)に近づくにつれ、クルマの渋滞が見られ、人出も増えてきました。期待した「はだか祭の余韻」はかなりありそうな感じです。2月22日にあの有名な「はだか祭」が行われたばかりなのです。崇神天皇の時代に鎮座と伝わります。式内社。主祭神は、国土(くにつち)の神、尾張大国霊神・大御霊神(尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされ)とともに、宗像(むなかた)神(市杵嶋姫命田心姫命湍津姫命の海神です。宗像神が祀られているのは、三宅川を利用して伊勢湾にいたる水路の安全を守る神社でもあったと考えられています。この楼門(重要文化財)は、室町時代初期のもの。

Img_7253c_20240224154101 Img_7263c_20240224154101  実は、拝殿にお参りする前、楼門をくぐったところに「切餅最後尾」という看板を見つけてしまいました。はだか祭に大鏡餅が奉納されるのですが、それが切餅として授与されるのです。これを逃す手はないということで、まずは列に並び、小1個が初穂料¥100ということで、4個をゲット。

240225081750248c  ちなみに、こちらが帰宅して開けて見た切餅。正月にいただく、普通の切餅くらいのサイズでした。このお餅をいただくと、夏病みしない、あるいは、1年を健康に過ごせるといわれるそうです。

Img_7280c_20240224154101  建物配置は「尾張式(尾張造)」で、楼門から拝殿、本殿の配置が「く」の字になっています。こちらの拝殿(重要文化財)は江戸時代初期の建立。平安時代末期には尾張総社と呼ばれ、古くから厄除けの神として信仰を集めています。隣接する松下町一帯が尾張の国府の所在地(尾張国衙)であったと考えられることから、国府宮と呼ばれました。旧暦で正月13日の儺追(なおい)神事は、国府宮のはだか祭として有名です。

Img_7276c_20240225170501 Img_7272c_20240225170501  ところで左の写真が、はだか祭で裸男がもみ合いをするところ。テレビで見ていると、もっと広いところのように思っていましたが、案外狭い。写真を撮った場所の背後には、桟敷席が設けられていました。左の写真で奥の建物が、儺追殿(なおいでん)。建物に向かって右端にはだか祭のとき、神男が儺追殿に納まるところがあります(右の写真)。

Img_7247c_20240225170901  余談。楼門をくぐったところには蕃塀(ばんぺい)がありました。参道上で拝殿の前に存在する短い塀です。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたといわれていますが、正確な目的は不明だそうです。桑名あたりでは見たことがありません。伊勢神宮には内宮、外宮ともにあります。尾張地方の神社でよく見ます。先日訪ねた津島神社にもありました(2024年2月3日 :20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ)。

Img_7296c_20240225171401  先日の津島神社もそうでしたが、ここ国府宮神社も、ぜひとも一度は訪ねてみたかったところですので、また念願が一つ叶ったということです。その1はここまで。その2では、国府宮神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋などに向かいます。

2024年2月24日 (土)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編)

Img_7242c_20240224154101  雨続きでしたが、久しぶりに天気が回復。よく晴れて、暖かくなりました。桑名では最高気温は、12.7℃。風も弱く、ウォーキング日和。今日は、予定通り、国府宮へウォーキング。2月22日にはだか祭が行われた国府宮神社などへ行ってきました。「まだ、はだか祭りの余韻が残っているか」と期待しつつ、です。同級生K氏と二人旅。今回は、予告編。

Img_7014c_20240224154101 Img_7590c_20240224154401  JR桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時56分着。東海道線に乗り換え。9時4分発岐阜行きの普通電車で、稲沢駅に9時16分着。¥590。稲沢に来たのは、私はたぶん2回目。息子が小さいときに、愛知機関区に機関車や貨車を見に来た記憶があります。

Inazawa0  こちらが今日歩いたルートマップ。JR東海道線稲沢駅と名鉄名古屋本線国府宮駅に挟まれたエリア。主な立ち寄り先は、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)。コースマップ上は、6㎞。9時20分過ぎに稲沢駅をスタート。

Img_7048c_20240224154101  宮前公園には、D51機関車が保存されています(D51の823号機)。昭和45(1970)年8月まで走っていたといいますが、残念ながら金網におおわれていて、その姿はよく見えません。

Img_7103c_20240224154101 Img_7152c_20240224154101  続いて、長沼山華王院萬徳寺。真言宗のお寺。8世紀中頃の創建ですが、その後衰え、建長6(1254)年に常円上人が再興し、亀山天皇の綸旨により勅願寺となりました。尾張国の真言宗の大本山と称し、53の末寺をもち、寺領53石を有していました。多宝塔、鎮守堂(いずれも重要文化財、室町時代後期)があります。

Img_7166c_20240224154101  萬徳寺は「ぼたん寺」と呼ばれるほど、牡丹で有名。境内には約700本の牡丹があるそうです。

Img_7193c_20240224154201 Img_7196c_20240224154201  国府宮神社の東に舟形神社。国府宮神社の別宮で、「国府宮三社」の1つ。ご祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと:宗像三女神の1つ)。

Img_7224c_20240224154101 Img_7280c_20240224154101  いよいよ国府宮神社(尾張大国霊神社)へ。2月22日にあの有名な「はだか祭」が行われたのがこちら。崇神天皇の時代に鎮座と伝わります。式内社。主祭神は、国土(くにつち)の神、尾張大国霊神・大御霊神(尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされ)とともに、宗像(むなかた)神(市杵嶋姫命田心姫命湍津姫命です。建物配置は「尾張式」で、楼門から拝殿、本殿の配置が「く」の字になっています。楼門(重要文化財)は、室町時代初期のもの。拝殿(重要文化財)は江戸時代初期の建立。平安時代末期には尾張総社と呼ばれ、古くから厄除けの神として信仰を集めています。旧暦で正月13日の儺追(なおい)神事は、国府宮のはだか祭として有名です。

Img_7253c_20240224154101 Img_7263c_20240224154101  実は、拝殿にお参りする前、楼門をくぐったところに「切餅最後尾」という看板を見つけてしまいました。はだか祭に大鏡もちが奉納されるのですが、それが切餅として授与されるのです。これを逃す手はないということで、まずは列に並び、小1個が初穂料¥100ということで、4個をゲット。このお餅をいただくと、夏病みしないといわれるそうです。

Img_7268c_20240224154101  ちなみに、こちらは、はだか祭のとき、神男が儺追殿に納まるところ。

Img_7316c_20240224154201  国府宮神社からは「国府宮三社」のもう1社である大御霊神社へ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。

Img_7337c_20240224154201  このあたり、国府宮神社の参道が続いています。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301  中高記念館。明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7403c_20240224154301  その先、稲沢中学校のところに大江橋。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木でした。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  本日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、1㎞余りですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。本編の記事は、また明日以降ということで。

2024年2月12日 (月)

症状は軽快しています

240212160735356c  お陰様で「外出を控えることが推奨される期間」の5日間は無事に過ぎ、今日は「症状軽快から24時間経過するまでの間」でした(正確にいえば、症状が軽快したのは、9日か10日ですが……)。咳がごくたまに出るのと、鼻水が少し出るくらいでした。曇っている時間帯もありましたが、晴れて、気温も12.5℃まであがりましたので、「少しくらい外に出ようか」という誘惑に駆られましたが、そこはまぁ自分で「もう1日おとなしくしている」と決めたので、守らなければなりません。明日は、晴れて、最高気温も14℃、風は弱いという予報です。外出は、明日からとしましょう。

Saya  今日も、ウォーキング、街道歩きについてあれこれ調べていました。佐屋街道津島の上街道、下街道伊勢別街道などについて、そのルートをチェックしています。キョリ測ですでにルートを描いた街道もあり、参考資料と照らし合わせて、そのチェック&修正。左の画像は、佐屋街道のルート。佐屋街道は、江戸時代に東海道宮宿(名古屋市)と桑名宿(桑名市)との間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路6里を経て、佐屋から桑名宿への水路3里の渡しによって結んでいた街道です。前から興味はあったのですが、ルートマップをご覧いただくとお分かりになりますが、八田駅(JR、近鉄、地下鉄)を過ぎると、名鉄津島駅近くまで、鉄道路線から離れていて、どうしたものかと思っていたのです。調べてみますと津島駅と名鉄バスセンター/栄を結ぶバス路線がありますので、それを利用すれば、何回かに分けて歩けそうです。

Isebetsu  こちらは、伊勢別街道のルート。関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ4里26町(約18.5㎞)の街道です。関宿へはJR関西線で行けます。江戸橋駅は、非常勤に行く時の最寄り駅です。街道歩きになれた方は、1日で歩ききってしまう距離ですが、2回に分けようと思うと、途中、やはり鉄道がありません。しかし、こちらも三重交通のバスが津から椋本まで出ていることがわかりましたので、ぜひともチャレンジしようという気になっています。

2024年2月 4日 (日)

20240126津島神社初詣ウォーキング(その3)……瑞泉寺、六角地蔵、本町筋、坂井町の井戸、津島神社道標、堤下神社を経て「なすがまま」で昼を食べ、津島神社にゴールにて「完」

Tsushima1   1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その3です。その2では、大イチョウ(津島神社御旅所跡)から、東鳥居脇の大イチョウ、総本家角政を経て、津島神社に初詣し、天王川公園まで行きました。その3では、瑞泉寺、六角地蔵、ヨネ・ノグチ生家跡、三養荘、坂井町の井戸、津島神社参道を示す道標、堤下神社を経て、「なすがまま」という古民家カフェで昼食。その後、白山社を経て名鉄津島駅にゴール。

Img_6708c_20240126162101  鏡池山瑞泉寺。もとは、天王川西岸の天王島にあり真言宗の瑠璃光寺といったのですが、良王君が逝去し瑞泉寺殿と号したことから菩提寺となり、瑞泉寺に改号したと伝わります。永正14(1517)年、舟戸の地に移転し、浄土宗に改宗。津島四家、七苗字の一つである大橋氏の菩提寺。芭蕉句碑があるというのですが、津島幼稚園を併設していて、境内には入れないようになっていました。このあたりは津島上街道に沿っています。

Img_6684c_20240203150901  この瑞泉寺の東側には、稚児門という門がありました。現在、津島の川祭車を準備するのは、車河戸と呼ばれる津島湊跡ですが、この湊は江戸時代中期までは、ここ瑞泉寺の南隣まで奥行きがあったそうです。そのためこのあたりは舟戸町と名付けられています。稚児門は、川祭の祭礼当日、乗船する稚児が門外の水路から小船で祭礼本船に向かったことから、このように名付けられ、祭を執り行う上で重要な役割を持つもんだったといいます。

 瑞泉寺の南東Img_6677c_20240203151501 Img_6680c_20240203151501 の交差点には、「舟戸小路」というプレートがはめられていました。この名前は、このあたりまで水辺だったという言い伝えがあるそうです。

Img_6704c_20240126162001 Img_6699c_20240203152001   瑞泉寺・津島幼稚園の向かい、東側に六角地蔵(六地蔵尊)。灯篭型の六角で珍しい地蔵堂です。厨子の中に地蔵尊像があり、厨子の外周りには六地蔵が立てられています。境内には延享2(1745)年奉献の石灯篭があります。この六地蔵尊は、人間に姿を変えて深夜の盗賊を追い払ったという逸話が残されています。元は船戸町にありました。

Img_6715c_20240126162001  今回、コース設定にあたって参考にした「津島市散策マップ」には、六角地蔵の先にヨネ・ノグチ生家があると載っているのですが、予習のときにGoogle Street Viewでチェックしたら、それらしい建物はありませんでした。瑞泉寺や六地蔵の先で右折して確認してきましたが、ご覧のような状況。更地というか、駐車場というか、そういうスペースになっていました。リンク先の写真と見比べていただくとよくお分かりになるでしょう。

Img_6729c_20240126162001  ヨネ・ノグチ生家跡から津島街道に戻って、三養荘。三養荘は貞享2(1685)年)の建築とされ、300年以上前の原形を今も留めています。徳川家に縁ある津島の堀田家から豪商服部家に移り、昭和60(1985)年に平山学園清林館高等学校へ引き継がれました。同校所有となり「信仰・勤労・実際」の三つの心を込め「三養荘」と名付けられ、情操教育の場として活用されているそうです。

Img_6737c_20240203152901  三養荘には屋根神が祀られています。屋根神様の内には津島、伊勢、秋葉、熱田神社の神札を納められており、各町内でお供えをしているといいます。この津島上街道にそったあたりは、本町筋と呼ばれ、古い町並みが残っています。鎌倉時代以来の旧津島上街道の一部で、江戸期には津島と名古屋城下を結ぶ道として賑わいました。沿道には、昔ながらの町家が多く、ノスタルジックな雰囲気。道自体が緩やかにカーブしていますが、それは、かつてこの道が天王川の堤防に沿っていたからだといわれています。

Img_6783c_20240126162001 Img_6772c_20240203153501  上述のように津島街道沿いには古い民家がたくさんあります。こちらのお宅には、屋根神さまと卯建が上がっています。「卯建が上がらない」ということばがありますが、それは「地位・生活などがよくならない。ぱっとしない」といった意味。

Img_6818c_20240126162001  Img_6828c 本町2丁目と3丁目の境あたりに「坂井町の井戸」。町角に花崗岩の方形石組みの井戸があります。「大正七年十二月坂口町」と刻まれていますが、明らかに辻井の形態が残っています。昭和10(1935)年頃まで使用されていたと伝わっています。ちょっと覗いてみたのが、右の写真。かなり深く、底には今も水がたまっていました。

Img_6854c_20240126162001 Img_6859c_20240126162001  本町通りから橋詰町に入る北西角に道標。これは津島神社への参道を案内するものです。明治29(1896)年、尾西鉄道が開通した年に、氏子の浅井代次郎氏が寄附したものです。大正3(1914)年、尾西鉄道が名古屋鉄道に買収され、駅を今市場通りに設けてから、この鉄道を多く用いることとなり、参拝者の多くは、今市場通りから本町を経て橋詰で西へ折れ、神社へ出たのですが、天王通の開設とともに駅を移転した結果、こちらは、今日では裏通りとなっています。

Img_6905c_20240126162101 Img_6892c_20240203154301  これで当初予定していたところはほぼ回ってきましたが、天王通に出るところで堤下(とうげ)神社。もとは金燈篭社と称し、天明5(1785)年の天王川築留め以前は、川を隔てて津島神社の遙拝所であったといいます。祭神は須佐之男命奇御魂となっていますが、古くから乳児の夜泣き封じの信仰で広く知られています。

Img_6895c_20240203154301  堤下神社の境内にも井戸がありました。この井戸は、ここが津島神社の遙拝所であった頃、手洗いの井戸として用いられたといいます。

Tsushima1  ルートマップは再びその1。

Img_6926c_20240126162101 240126121907961c  天王通に出て名鉄津島駅に向かっていると、とある民家風の建物の前に女性が立っておられました。あらかじめランチが食べられる店はチェックしていたのですが、ここ「なすがまま」もその1つ。ただし、おっさんが入るような店ではないなと思って、候補に入れていませんでした。しかし、この女性から声をかけられ、いろいろと伺う内にこれも縁かと思って、K氏とここで食事をしていくことに。「古民家カフェ」という位置づけのお店。ここを借りて、直してカフェにしているそうです。魅力的なメニューが並んでいたのですが、ランチをチョイス。今日は、コロッケ。これで¥880(税込み)。昼食がてら、12時過ぎから1時間ほど休憩。ゆったりできるお店でした。

Img_6940c_20240203154601 Img_6933c_20240203154601  なすがままを出て津島駅に向かっていたら、通り沿いに白山社がありました。天王通の南側に一段高く石垣が積まれ、玉垣に囲われた瓦葺の社が見えます。弘和元(1381)年、三輿村(現在の愛西市見越町)に創建、慶長13(1608)年、当地に移転したとあります。隣接する観音寺(こちらにはお参りしていませんが)とともに遷ってきたようですが、詳細は不明。ご祭神は、大国主命

Img_6947c_20240203154601  白山社でおもしろかったのは、こちら。賽銭箱なのですが、石造。石造りの賽銭箱も見たことはありますが、こういうタイプはたぶん初めて。いろいろあるものです。

Img_6951c_20240126162101 Img_6955c_20240126162101  白山社からは、名鉄津島駅は目と鼻の先。13時10分を過ぎた頃にゴール。右の写真は、津島駅のホームから見た西の方角。この中央に見えるのが、今日歩いた天王通。奥に見える山並みは養老山地。かなり近くに見えます。13時24分発の弥富行き普通に乗車し、弥富には14時35分着。弥富からはJRに乗り換えて桑名へ。13時43分発のJR四日市行き普通で、桑名には13時50分着。電車賃は、朝と同じく合計¥500。

Screenshot_20240126142209c  こちらはこの日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、9.5㎞。自宅から桑名駅往復は、2.5㎞ほどと認識しています。それが正しければ、7㎞ほどを現地で歩いてきたはずで、歩数は、15,700歩でした。

240126142250898c  総本家角政で土産に買ってきた「くつわ」「あかだ」のミックス。¥200でした。津島神社の門前で、いくつかの店が製造販売しています。米の粉を熱湯でこね、それを輪切りにし、伸ばしてちぎり、油で揚げたのが「あかだ」。うるち米ともち米に砂糖を混ぜ、同じく熱湯でこねたあとせいろで蒸してから轡(くつわ)の形に仕上げてあぶらであげたのが「くつわ」。どちらも大変固いのですが、これを食べると病気をしないという言い伝えがあります。歯の悪い私は、角政の店員さんの助言にしたがい、口の中に含んでしばらくしゃぶってから食べられました。

2024年2月 3日 (土)

20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ

Tsushima1 Tsushima1   1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その2です。その1では、名鉄津島駅をスタートし、天王通を西に向かい、常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡などを回りました。冒頭に載せたルートマップその1では、中央からやや左のあたりまでです。その2では、大イチョウ(御旅所跡)から、ルートマップその2に入って、東鳥居脇の大イチョウ、総本家角政を経て、津島神社に初詣し、天王川公園へ。

Img_6222c_20240126161901  Img_6263c_20240126161901 津島神社の手前、神社の御旅所跡に大イチョウがあります。小高い丘の上に幹周囲5.41m、樹高30m、推定樹齢400年のイチョウがあり、実に見事です。大イチョウはもう1本、東鳥居の脇にもあります(右の写真)。こちらは、幹周囲5.30m、樹高25m、推定樹齢600年と。どちらも愛知県の天然記念物に指定されています。

Img_6260c_20240126161901 Img_6241c_20240126161901  さて、いよいよ津島神社にお参りというところなのですが、参道のところに総本家角政さんを見つけてしまいました。ここは津島銘菓である「くつわ」「あかだ」という伝統的なお菓子を製造販売しているお店の1軒。くつわは、「茅ノ輪くぐり」に使われる 茅ノ輪を型どったものであり、馬のくつわに形が 似ていてることから名がついたといわれます。一方の「あかだ」は平安時代から続く疫病除けの菓子。あかだは梵語で、無病息災の意があり(阿伽陀)、それがこのお菓子の名前になったと伝えられています。どちらもリンク先に詳しい説明がありますが、固いお菓子としても有名。お店の方に伺ったら、「口に入れてしゃぶっていると、柔らかくなります」ということで、歯の悪い私も安心してかってきました。ということで、お参りする前に土産を買ってしまうという周到さ(笑)。買ったのは、右の写真で右側にある「くつわ」「あかだ」がミックスされて少量ずつ入っている¥200のもの。

Img_6230c_20240126161901  話が逸れましたが、ようやく津島神社へ。社格は、国幣小社。古くは津島牛頭天王社といいました。今日も一般に「お天王さま」と呼ばれています。社伝によれば、欽明天皇元(540)年の鎮座ですから。1500年近くの歴史があります。疫病や厄除けの神様として親しまれています。「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる天王社の総本社です。「お伊勢さんに詣って天王さんを詣らぬのは片詣り」、「東の津島、西の八坂(祇園社)」といわれ、京都の八坂神社と並ぶ牛頭天王信仰の中心でした。この「伊勢に参って○○を詣らぬは片参り」というのは、あちこちにあります。Wikipediaで「片参り」を調べると、伊勢神宮については、多度大社、金剛證寺、香良洲神社、津観音、多賀大社、津島神社、熊野三山、出羽三山がリストアップされています。津島神社については「お伊勢参らば津島へ参れ、津島参らば片参り」、多度大社については「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」といわれています。

Img_6271c  朱塗りの鳥居をくぐり、アーチ型の石橋を過ぎると檜皮葺き入母屋造楼門があります(東門、重要文化財)。天正19(1591)~20(1592)年に建立されたと考えられています。この楼門は、本殿の東に位置していますが、かつては神社の東側を天王川が流れ、神輿渡御の御旅所もあるため、一般にはこの門が正門としての役割を担っていて、門前町も東側に広がっていました。豊臣秀吉が寄進したという話も伝わっています。

Img_6284c_20240202151101  こちらが拝殿。拝殿も檜皮葺きで、切妻造。この奥に祭文殿と釣殿(いずれも県文化財)、さらに本殿(重要文化財)があります。本殿は、檜皮葺き、三間社流造で、徳川家康の四男松平忠吉の妻が、病弱な忠義の健康を祈願して寄進したものです。棟札により慶長10(1605)年の迭営であることが分かっています。これらの建造物はほぼ左右対称に配置され、回廊で結ばれています。尾張造といわれるこの地方独特の形式のものです。江戸時代の『尾張名所図会』に描かれた姿が、現在もほぼ同じ形で残されているそうです。ご祭神は、建速須佐之男命。相殿神は、大穴牟遅命(大国主命)

Img_6329c_20240126161901  南門(県文化財)は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風によって倒壊しましたが、復旧作業の際にみつかった墨書により、豊臣秀吉が発病した慶長3(1598)年に、秀頼が父の病気平癒を願って造営したことがあきらかになっています。

Img_6317c  こちらは、蕃塀(県文化財)。何故か、蕃塀が気になるのです。蕃塀とは、神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。桑名あたりの神社では、見たことはありませんが、これまでに私は、伊勢神宮、熱田神宮のほか、尾張地方のいくつかの神社で見ています。ほかにも県指定文化財の建造物として、祭文殿・廻廊、摂社弥五郎殿本殿・拝殿、居森社本殿、荒魂社本殿、八柱社本殿などがあるなど、文化財もたくさんあります。

Img_6354c_20240202154801 Img_6366c_20240202154801  境内末社の1つである菅原社に「三つ石」があります。直径2m、1.4m、3m短径1m前後の滑らかな硬砂岩の自然石3個が、巴状に並んでいます。この「三つ石」は、「尾張名所図会」の神社境内図にもほぼ現在の位置に描かれているそうです。古代祭礼の場としての磐境(いわさか)と考えられ、神社の鎮座と何らかの関わりがあるとされています。

Img_6390c_20240202155601 Img_6401c_20240126161901  津島神社の南の鳥居を出て、左折し東へ100mほど行くと、堀田家住宅(重要文化財)があります。江戸時代中期の正徳年間(1711~1716年)に建てられたといわれ、屋敷の構えや間取りなどには尾張の地方色がよく現れているといいます。堀田家は、津島神社の社家の系譜を引く一族で、初代は福島正則に仕えましたが、慶長5(1600)年、津島に戻り神職に就いたといいます。その後、手広い事業で財をなし、名家として名字帯刀を許されるほどの家柄になりました。今も、2,000平方メートルを越える敷地に、内玄関、茶室、卯建の上がった屋根などを備えているそうです。ただ、残念ながら、土・日・祝日の未公開で、われわれが訪ねたのは、金曜日で拝観できず。

Img_6529c_20240126161901 Img_6425c_20240126161901  堀田家住宅から目と鼻の先に天王川公園があります。木曽川の支流である佐屋川に合流する天王川が、江戸時代まで当時の町の中央を流れていましたが、江戸時代中期の河川改修で佐屋川が廃され、天王川はここに丸池として残りました。天王川公園は大正9(1920)年に完成し、日本歴史公園100選の1つに選ばれています。桜もきれいだそうですが、尾張津島藤まつりは有名ですし、夏には尾張津島天王祭が開かれます。どちらも私は来たことがないのですが、一度は見てみたいと思います。

Img_6457c_20240126161901  その天王川公園の中之島にヨネ・ノグチ銅像があります。といってもご存じない方がほとんどのように思います。かく申す私も知りませんでした。が、この方、あの彫刻家イサム・ノグチのお父さんなのです。ヨネ・ノグチこと野口米次郎は、明治8(1875)年に津島市で生まれました。愛知一中から慶應義塾を中退してサンフランシスコへひとり旅立ち、北米の大詩人ホアキン・ミラーと出会い、詩作を始めます。明治29(1896)年の詩集「Seen and Unseen」、明治36(1903)年の「From the Eastern Sea」は、優美な情緒にあふれ、欧米で絶賛されましたが、日露戦争を機に日本に帰国。銅像は、佐織の梶浦正之らが発起人になり建立されました。

Img_6482c_20240202164401 Img_6478c_20240202164501  ヨネ・ノグチ銅像の近くに「石景 百六拾顆」があります。大正十二年六月と刻まれ、「志州答志島」とありますから、鳥羽の答志島から石を運んだということかと思われます。寄付者総代として、中村六右衛門、西川善之助のお二人の名前がありますが、ネット検索では情報は出て来ません。

Img_6512c_20240202163901  公園の南西側に片岡春吉翁像が立っています。片岡春吉(かたおか はるきち:明治5(1872)~大正12(1923)年)は、岐阜県養老郡多良村(後の上石津町、現在の大垣市)出身の実業家で、毛織物製造や染色整理を行った片岡毛織の創業者です。「片岡式織機」を創り上げ毛織物の発展に貢献しました。尾西地域の毛織物業(尾州毛織物)の先駆者の一人として、「毛織物業界の父」と呼ばれています。

Img_6583c_20240126161901  藤棚を見て、公園の南を回って東側に回ります。ここに入江のようになったところがあります。ここは津島湊跡。津島は尾張から伊勢を結ぶ天王川舟運の川湊として繁栄を極め、全国でも有数の商業地として発展しました。とくに室町時代には、津島湊に商人が集まり、多くの物資の集積場となっています。

Img_6574c_20240126161901 Img_6591c_20240202165301  津島湊跡のところに車河戸(くるまこうど)。「車」は天王祭の船のこと。祭船に乗せる屋形が石垣に囲まれた島に1年中置いてあります。これは江戸時代からのしきたりだそうです。宵祭りの提灯付けなどの祭の準備はここで行われるそうです。車河戸の南には、祭船が保管されています。

 その2はここまで。その3では、瑞泉寺、六角地蔵、三養荘・屋根神など、本町筋に沿って昔の町屋や、旧跡などを見て回ります。

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  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)