お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年3月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年3月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

勝手にハイキング

2025年1月 1日 (水)

歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダムへ(予告編)

Img_7830c_20250101162901 Img_7947c_20250101162901 元旦の今日、午後からドライブがてら、新年初回の歴史散歩へ。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。どちら? と聞かれそうですが、JR名松線伊勢奥津(いせおきつ)駅です。JR紀勢線の松阪駅から伸びている、超ローカル線。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本という、まさに超ローカル線です。

Img_8009c_20250101163001  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7962c_20250101163001 Img_7987c_20250101163001  伊勢奥津駅は、名松線の終着駅。走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

 Img_8075c_20250101163001 Img_8148c_20250101163001 伊勢奥津駅から、北畠神社へ。主なご祭神は、北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公。奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8083c_20250101163001  境内には、北畠氏館跡庭園という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園がありますが、今日はそちらには行っていません。改めて是非とも訪ねたいと思っています。写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。

 Img_8157c_20250101163001 最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

 今日のところは、予告編。下調べも何せずに出かけましたので、改めて、本編を書くつもり。

2024年12月28日 (土)

2024年ハイキング/ウォーキングのまとめ

 令和6(2024)年も近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングに参加する一方で、自分で計画した「勝手にハイキング」にも出かけました。計18回。残念ながら、令和5(2023)年よりも4回減っています(2023年12月30日:2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ)。以下、時系列に沿って今年のハイキング/ウォーキングのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2024年1月14日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」
4824e8b5 4bce265e  高田本山専修寺は好みのお寺ですし、お七夜も気に入っていますから、近鉄ハイキングのこの企画には、毎年のように参加しています。近鉄高田本山駅から、下津醤油直売所、一身田寺内町の館、高田本山専修寺、魚歳食品㈱はんぺい茶屋、三重県総合博物館と回って、近鉄津駅がゴール。現地で歩いたのは、10.0㎞。立ち寄り先が少なく、ただひたすら歩いたという感じでした。近鉄料金は、¥1,660。昼食は、私のお気に入りの 津駅ビルチャムの2階にあるそじ坊で「鴨南蛮(¥1,200)」 。土産に、専修寺で総本家春乃舎の「おこし(ミックス5つ入りで¥900)」。

2024/1/14:20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結)

2.2024年1月26日:津島神社初詣ウォーキング
D0647da8 E21ae542  同級生K氏とのウォーキング始めに、津島神社に初詣するウォーキングを計画しました。私自身は津島には初めて出かけましたが、歴史のある、見どころの多いところでした。名鉄津島駅をスタートし、天王通を進み、途中あちこち立ち寄りながら、主に津島神社、天王川公園を見て回り、本町筋を経て天王通に戻り、津島駅にゴールしました。7.2㎞。鉄道料金は、JR、名鉄の往復で¥1,000。昼食は、呼び込みに答えて、古民家カフェ・なすがままで「ランチ(コロッケ、税込み¥880)」 。土産には、総本家角政で「くつわ」「あかだ」のミックス(¥200)。

2024/1/26:20240126津島神社初詣ウォーキング(予告編)

2024/2/2:20240126津島神社初詣ウォーキング(その1)……常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡へ

2024/2/3:20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ

2024/2/4:20240126津島神社初詣ウォーキング(その3)……瑞泉寺、六角地蔵、本町筋、坂井町の井戸、津島神社道標、堤下神社を経て「なすがまま」で昼を食べ、津島神社にゴールにて「完」

3.2024年2月24日:はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング
E1c2e0b4 3d1b0c6b  はだか祭りで有名な国府宮神社に行ったことがありませんでしたので、同級生K氏と行ってみようということになり、はだか祭りが行われた翌々日、稲沢市を訪ねました。JR稲沢駅から、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)を経て、JR稲沢駅がゴール。JR利用で、料金は¥1,180。はだか祭に奉納された大鏡もちが、切餅として授与されているなど、期待したとおり、裸祭の余韻に浸ることができました。現地で歩いたのは、7.5㎞。昼食は、台湾料理盛源美食城で「Bランチ(チャーハン&唐揚げ3個、¥780)」 ¥780。

Bf37f324  国府宮神社で奉納された鏡餅の「切餅(小1個が初穂料¥100ということで、4個)」 を授与していただきました。

2024/2/24:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編)

2024/2/26:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

2024/2/27:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

4.2024年3月2日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」
Ccdac393 60e95462  酒蔵みてある記は、タイトル通り、酒蔵を訪ね、試飲ができ、お酒などの直売もあるという魅力的なハイキングです。この丸彦酒造の三重の寒梅は、とくにお気に入りなので、これを見逃す手はありません。同級生K氏と二人旅。近鉄伊勢松本駅から、松井神社、上布田遺跡から丸彦酒造を経て、近鉄伊勢川島駅がゴール。歩いたオンは5.1㎞。近鉄料金は往復で、¥960。同級生K氏は、抽選会で特賞「吟醸 三重の寒梅 金箔入1.8L」を引き当てるという大金星。お陰で、私は、試飲2杯をおごってもらいました。土産には、「純米吟醸 三重の寒梅 大寒しぼり」(¥1,600)と、吟醸「三重の寒梅」のワンカップ(¥300)を購入。

2024/3/2:20240302近鉄ハイキング酒蔵みてある記「 銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(一回完結)

5.2024年3月3日:JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」
744e095c 85c2a83c  この企画は以前にもあり、ぜひ参加したいと思っていたものです。「隠れ古道」というところにとても惹かれたのです。 JR亀山駅から南に向かい、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道をたどり、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ね、JR亀山駅がゴール。現地で歩いたのは、10.6㎞。JR料金は、¥1,360。昼食は、ファミマの「明太海苔弁当(¥460)」を亀山駅の待合室で。土産には、亀山駅に出ていた臨時販売ブースで、関宿の銘菓である「志ら玉(2個で¥240を2つ)」。

2024/3/3:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

2024/3/5:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ

2024/3/6:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その2)……松月地蔵、忍山神社から野村・京口門跡あたりへ

2024/3/7:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

6.2024年3月17日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」
421f7002 B8fc1b68  酒蔵みてある記は、各地で行われますが、この旭酒造も以前から訪ねてみたかったところでした。ただ、近鉄明星駅から遠くて、立ち寄り先も少ないので、これまでは参加をためらっていました。しかし、馬齢も重ねてきましたので、「行きたいところがあれば、サッサと出かけよう」と考え直した次第。近鉄明星駅から田園地帯をひたすら歩き、伊勢旭酒造、佐々夫江行宮跡、カケチカラ発祥の地記念碑、隆子女王の墓、史跡公園さいくう平安の杜と回って、近鉄斎宮駅がゴール。現地で歩いたのは、10.4㎞。近鉄料金は、¥2,580。昼食には、ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥390)」を買っていき、斎宮の杜にて食べてきました。旭酒造の「純米大吟醸酒(4合瓶、¥1,500)」、「斎宮せんべい(¥450)」を土産に購入。

2024/3/17:20240317近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」へ(一回完結)

7.2024年3月27日:「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」
Cc127b57 Fe5a5269  同級生K氏と、名鉄国府宮駅から宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなど美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりから、南に足を延ばして、性海寺を経て名鉄奥田駅にゴール。現地で歩いたのは、9.7㎞。近鉄と名鉄の料金は、往復で¥1,790。昼食はあらかじめリサーチしておいた、奥田駅に隣接するコーヒーショップ・エデンにて「イタリアンスパゲッティ(¥700)」。昭和の雰囲気たっぷりの喫茶店でした。

2024/3/27:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

2024/3/31:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

2024/4/1:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

2024/4/2:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

8.2024年4月27日:近鉄・三岐鉄道合同 近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」
3d756a75 C09e8996  朝日町は何度も訪ねていますが、今回の私の主たる目的は、稲垣酒造場。近鉄伊勢朝日駅から若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、夢菓子工房ことよ、新清月、ほしの湯、ロピア桑名 サンシティ店と回って、三岐鉄道星川駅がゴール。歩いたのは、9.3㎞でしたが、白梅の丘を越えるのはけっこうキツいルートでした。鉄道料金は、近鉄、三岐鉄道を合わせて¥480。土産に、稲垣酒造で「御山杉 純米吟醸(¥1,500)」.途中の夢菓子工房ことよ白梅の丘店で、みたらし団子2本をイートイン(1本¥75)。星川駅で行われていた抽選会ははずれで、ウェットティッシュ。
2024/4/27:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結)

9.2024年4月29日:近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」
59fbb385 Fe3d7c60  今回は、近鉄ハイキングと名鉄ハイキングの合同企画。近鉄烏森駅から、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。近鉄烏森駅を利用したのは、初めて。萱津神社は、全国で唯一の漬物の神社。現地で歩いたのは、8.8㎞。近鉄・名鉄料金は、合計 ¥1,270。 萱津神社のマルシェでよし田屋という津島の店の「えびしそ天むす(¥250)」。これが昼食代わり。太陽食品工業で「太陽ソースのミニパック」2個がプレゼントされました。

2024/4/29:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(予告編)

2024/4/30:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その1)……烏森駅から日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店から豊国参道「九の市」へ

2024/5/2:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」

10.2024年5月3日:近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」
F9d3c868 F04307c3  地元桑名での開催ということで、立ち寄り先は熟知していますので、地図がなくても歩けますが、真面目にコースマップにしたがって歩くことにしました。娘と同行。徒歩で近鉄桑名駅へ向かい、ここがスタート。寺町商店街・三八市、桑名宗社、とらや饅頭、九華公園、赤須賀神明社、はまぐりプラザ、中川ベーカリー、アイス饅頭の寿恵広から近鉄益生駅がゴール。歩いたのは、7.5㎞。益生駅から桑名駅の近鉄が、¥180。益生駅での抽選会ではハズレ。参加賞に鉄道シールをもらいました。

2024/5/3:20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)

11.2024年5月11日:JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」
Be930a51 E4d72536  依佐美送信所は、長波送信設備と、刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた高さ250mのアンテナ鉄塔8基がありました。太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に用いられ、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されたといいます。私は、刈谷市にある高校に通っていましたが、冬になると体育の時間にこのアンテナ鉄塔のあたりを走らされた記憶があります。JR刈谷駅からから、刈谷市美術館、依佐美送信所記念館、フローラルガーデンよさみ、ミササガパーク、刈谷市交通児童遊園と回り、7.2㎞。途中で勝手に、母校の高校に立ち寄って外から様子を見てきました。現地で歩いたのは、9.3㎞。JR料金は、¥1,580。

2024/5/11:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(一回完結)

2024/5/12:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編)

12.2024年5月17日:「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」
 吉崎海岸のハマヒルガオは、かつて2回ほど、近鉄ハイキングの企画で見に行ったことがあったのですが、2回とも見頃ではありませんでした(2018年5月19日:近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完)、2019年6月22日:20190622近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」……昨年のリベンジなるか?(完))。 前日の中日新聞朝刊に四日市市楠町の吉崎海岸でハマヒルガオが見頃を迎えているという記事がありましたので、これは行かなくっちゃということで、急遽出かけたという次第。近鉄北楠駅から途中、楠中央緑地に立ち寄ったのみで、吉崎海岸まで往復して、6.8㎞。ゴールも近鉄北楠駅。運賃は、往復で¥980。

2024/5/17:20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)

13.2024年6月8日:「斎宮の花菖蒲群落へ」
3ffcfa71 925817f6  前日の中日新聞松阪版に「ハナショウブ もうすぐ見頃 明和・斎宮の群落」という記事が出ていました(中日新聞の電子版を契約していますと、紙媒体で定期購読している以外に、ネットで各地の地方版を読めるのです)。ここのハナショウブは、5年前、近鉄ハイキングで見に行ったことがあったのですが(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、そのときはまだ早かったようで、あまり咲いていませんでした。平野で野花菖蒲の群落が見られるというのは珍しいので、もう一度見てみたいと思っていましたので、またもや「思い立ったが吉日」で、早速娘と見に行ってきました。近鉄斎宮駅からさいくう平安の杜、花菖蒲群落、北野公園、歴史の道、塚山古墳群、斎宮歴史博物館、古代伊勢道、1/10史跡全体模型を経て、いつき茶屋で昼食を摂って来ました。歩いたのは、7.6㎞。 近鉄料金は、往復で¥2,580。いつき茶屋で食べたのは、「いつきうどん(¥550)」。土産には、松阪駅で乗り換えの待ち時間に、あら竹商店販売所で「モー太郎寿司(¥1,200、1個)」。斎宮歴史博物館で「伊勢擬革紙」ガチャ(¥500)と、「斎宮ガイドブック」(¥1,000)をゲットしてきました。

2024/6/8:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)

14.2024年9月11日:あみま倶楽部「久居散策」
9ac42eeb 05e59e99  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、とても暑かったものの、歩きに行くことにしたのです。三交バスで近鉄久居駅へ。近鉄久居駅からはあみま倶楽部のハイキングコースにしたがって、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚、 高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴール。歩いたのは、7.0㎞でしたが、猛暑で汗だく、ヘトヘト。三交バスの榊原館前~久居駅往復が、¥1,160。

2024/9/11:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)

2024/9/13:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る

2024/9/15:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

15.2024年10月20日: JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」
904ed494 904ed494  何度か歩いたところですが、臨港橋と末広橋の2つの可動橋が見られますので、参加してきました。JR四日市駅から、思案橋、稲葉翁記念公園、プロムナード、臨港橋、末広橋梁と歩いてJR四日市駅に戻る、5.1㎞のコース。JR料金は、往復で¥500。

2024/10/20:20241020JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」へ(一回完結)

16.2024年10月26日: JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」
C1198e41 3f0cd5fc  この企画には、能褒野神社を訪ねるルートがありましたので、ぜひとも参加したかったのです。能褒野神社には、日本武尊のお墓があるのです。JR井田川駅をスタートして、みどり町という住宅団地を通り、安楽川を越えて能褒野神社へ。少し戻って田園地帯を抜けて中の山パイロットという集合茶畑から亀山公園、旧亀山城多聞櫓を経て、亀山駅にゴール。歩いたのは、10.8㎞でしたが、コースの各所にかなりのアップダウンがあり、相当の運動量でした。しかし、念願であった能褒野神社を訪ねられ、満足。昼食は、あらかじめ買っていったファミマ「おむすび&焼きそばセット(¥420)」を亀山公園にて。JR運賃は、往復で¥1,270。

2024/10/26:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(予告編)

2024/10/27:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その1)……井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロット(亀山茶畑)へ

2024/10/28:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」

17.2024年11月3日:近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」
Cd5d1de4 2d647125  松坂の宝塚1号古墳から出土した船形埴輪(国宝に指定されました)が見られるというので、この企画も見逃せませんでした。松阪にはもう何度も来ていますが、駅から北の方、川井町あたりには行ったことがありません。近鉄松阪駅から御厨神社、アニバーサリー、513 BAKERY 三重松阪川井町店、松阪市文化財センター「はにわ館」、鈴の森公園、MOMO café、自然生料理 本居庵、原田二郎旧宅、氏郷まつり会場、駅弁のあら竹と回って、豪商のまち松阪 観光交流センターがゴール。ここから近鉄松阪駅までは徒歩約10分。現地で歩いたのは、6.5㎞。近鉄料金は、往復で¥2,280。昼食は、買っていったファミマ「助六おかずセット(¥498)」を鈴の森公園にて。 土産には、まつさか物産交流館にて「老伴」6個入り (¥1,300)。

2024/11/3:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)

2024/11/4:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう

2024/11/5:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」から松坂城跡、御城番屋敷、原田二郎旧宅を経て、氏郷まつりを見て、豪商のまち松阪観光交流センターにゴールにて「完」

18.2024年12月8日:近鉄ハイキング「JR東海共同企画 ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」
241208kintetsuhikingmasuomap Img_7373c_20241208133101  今回も地元・桑名の開催で、勝手知ったるところばかり。地図がなくても歩けますが、コースマップにしたがって歩いてきました。近鉄益生駅から天武天皇社、寺町通り商店街、佛眼院、石取会館、桑名宗社(春日神社)、九華公園、本多忠勝像、七里の渡跡、六華苑、浄土寺を経て、桑名駅がゴール。6.5㎞でした。桑名駅から益生駅までの近鉄料金が、¥180。

2024/12/8:20241208近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキング「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」へ(一回完結)

 12月中にあみま倶楽部のハイキングコースである「七里の渡・大福田寺コース」を歩いて、今年のハイキング収めにしようかと思っていましたが、結果的に、この「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」が今年のハイキング納めとなりました。

2024年6月 8日 (土)

20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)

0607chunichinp  6月7日の中日新聞松阪版に「ハナショウブ もうすぐ見頃 明和・斎宮の群落」という記事が出ていました(中日新聞の電子版を契約していますと、 紙媒体で定期購読している以外に、ネットで各地の地方版を読めるのです)。ここのハナショウブは、5年前、近鉄ハイキングで見に行ったことがあったのですが(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、そのときはまだ早かったようで、あまり咲いていませんでした。平野で野花菖蒲の群落が見られるというのは珍しいので、もう一度見てみたいと思っていました。先だっても吉崎海岸のハマヒルガオのリベンジを果たしましたが(2024年5月17日:20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結))、今回も「これを見逃す手はない」と、早速行ってきました。何を思ったか、娘が一緒に行くというので、娘と二人旅。

Img_2384c_20240608175601 Img_2381c_20240608175601  近鉄桑名駅を8時42分に発車する五十鈴川行き急行で松阪まで。9時48分に到着。10時10分発の鳥羽行き普通に乗り換えて、斎宮駅には10時20分に到着。¥1,290。今日は、ここ近鉄斎宮駅がスタート&ゴール。

240608saiku  こちらは昨日、急いでつくったコースマップ。斎宮駅からさいくう平安の杜、花菖蒲群落、北野公園、歴史の道、塚山古墳群、斎宮歴史博物館、古代伊勢道、1/10史跡全体模型を経て、いつき茶屋で昼食を摂って来ました。マップ上は6.3キロのコース。

 さいくう平安の杜Img_2400c_20240608175601 Img_2403c_20240608175601ここには、三棟の平安時代の建物「斎宮寮庁」が復元されています。いにしえの斎宮の姿を再現してるのです。三棟の建物は、斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられます。

Img_2451c_20240608175601 240608105615333c  このあとは、2㎞以上をひたすら歩いて、斎宮ハナショウブ群落へ。昭和11(1936)年12月に国の天然記念物に指定されています。現在3,000株が群生しており、地元では「どんど花」と呼ばれているそうです。また、ノハナショウブは明和町の町の花になっています。部分的に見ますと(左の写真)、それなりに咲いている印象でしたが、全体としては(右の写真)ちょっと寂しいかなという感じ。ちなみに、ノハナショウブ(野花菖蒲)は、ハナショウブの原種です。

Img_2533c_20240608175601  このあと、1/10史跡全体模型のところでお目にかかったボランティア案内人の方に伺ったところでは、昔は(本当に昔です、とおっしゃいましたから、たぶん30年、40年かそれ以上前なのでしょう)、このあたりに木々が生い茂っていて、日陰になっていて、水も豊富に湧いていて、あたり一面に野花菖蒲の紫の花が咲き誇っていたといいます。その後、環境や気候の変化で、その当時に比べると、野花菖蒲はかなり減ってしまったそうです。ちなみにこの方は、桑名の九華公園の花菖蒲園のこともご存じでした。

Img_2583c_20240608175501  花菖蒲群落からまた、ひたすら歩きます。途中、北野公園で小休止。11時半過ぎ。持参したおにぎりで小腹をみたしました。

Img_2597c Img_2602c_20240608175501  12時前に再スタート。花菖蒲群落からは2㎞あまり歩いて、歴史の道へ。斎宮歴史博物館に続く道に、斎王や斎王ゆかりの和歌が刻まれた24基の歌碑が並んでいます。右の写真には、歴史的に存在が確認できる最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ) の歌があります。「吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之(わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし)」という歌。万葉集巻第2、105~106番に弟の大津皇子がひそかに伊勢神宮に下向してきた時に詠んだ歌として載っています。

Img_2614c_20240608175501  斎宮歴史博物館の手前に塚山古墳群。5世紀末~6世紀初頭の古墳群で、42基が発見され、13基が現存しています。円墳で、大きいものでは直径15m。

Img_2658c_20240608175501 Img_2622c_20240608175501  県立斎宮歴史博物館。テーマ博物館であるとともに、三重県埋蔵文化財センターとしての機能を有しています。先日まで、企画展示「源氏物語と斎宮-王朝のきらめき 光る君の栄華ー」が行われていました。今年3月26日、愛子内親王殿下が大学卒業を報告されるために伊勢神宮を参拝されましたが、そのときにここ斎宮歴史博物館も訪ねていらっしゃいます

Img_2626c_20240608175501 Img_2634c_20240608175501  常設展を一通り見てきました。左の写真は、「葱花輦(ソウカレン)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴くときにも使われました。右の写真は、斎宮の復元模型。

Img_2637c_20240608175501  ここで一休みしようと思って、休憩室に行ったら、面白いものを見つけてしまいました。それは、ガチャです。「いい年をして、ガチャなんかするのか?!」と思われるでしょうが、ご覧のように「伊勢擬革紙」のガチャなのです。「擬革紙」は、その名の通り、革に似せて、油紙でつくられたもの。使い込むほどに革のように柔らかくなるそうです。伊勢の国では、このことに着目した堀木忠次郎(三忠)が貞享元(1684)年からその製造を始めたと伝えられています。その後、池部清兵衛(壺屋)が煙草入れに加工し売り出しました。当時、皮革が貴重であったことから、擬革紙の煙草入れが伊勢参りのみやげ物として大流行したそうです。昭和初期には生産されなくなったのですが、最近になって復活されています。

Img_2647c_20240608175501  擬革紙を使った工芸品としては、カード入れ、財布、キーホルダー、名刺入れ、小銭入れなどがあるのですが、もっとも安い名刺入れでも¥8,000もします。もう名刺入れは必要ありませんし、ほかのものもおいそれとは手が出ません。それが、このガチャでは、¥500でコードクリップがゲットできるのです。ということで恥ずかしながら、飛びついてしまいました。こちらをゲット。

Img_2651c_20240608175501 Img_2655c  斎宮歴史博物館にいった主たる目的が、この「斎宮ガイドブック」を入手することでした。¥1,000。受付で購入。まだ読んでいません。これからゆっくり読むつもり。休憩室でお茶を飲んでいたら、ミュージアムショップの方から、来館アンケートを依頼されました。それに答えたら、右のような缶バッジをいただきました。

Img_2669c  斎宮歴史博物館からは古代伊勢道を通って、1/10史跡全体模型へ。古代伊勢道は奈良時代の幹線道路「官道」で、ここは復元されたところ。道幅は8~9mほどありそうです。斎宮が当時、かなり重要な役割を果たしていたと思わせます。

Img_2690c_20240608175501 Img_2694c_20240608175501  1/10史跡全体模型。これは、本当に良くできています。史跡全体を10分の1のスケールで表示して、その広大な規模と当時の姿を実感できます。これまでの発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物も、10分の1のサイズで配置されています。

Img_2703c_20240608175501 Img_2707c_20240608175501  以上で今日の予定はコンプリート。斎王の森と、斎宮跡歴史ロマン広場花菖蒲園は、今日はパスしています。13時半前にいつき茶屋に到着。ここで昼食。私は、いつきうどん(¥550)をチョイス。娘は、伊勢うどん(¥450)を食べました。写真は、いつきうどん。

Img_2724c 240608135835902c  斎宮駅13時58分発の伊勢中川行き普通に乗車。これがまたもやミジュマルトレイン。「またもや」というのは、たぶん3回目の乗車なのです。山田線を主に走っていますから、桑名では目にしないのです。松阪駅に14時10分に到着。14時15分に松阪駅始発の名古屋行き急行がありましたので、それに乗り換えて、桑名駅には15時22分に到着。¥1,290。

Img_2371c_20240608175601 Img_2374c_20240608175601  今日の土産は、すでに往きの乗り換え待ち時間にゲット。松阪駅のJR改札脇にあら竹商店の販売所があります。そこで、モー太郎寿司(¥1,200)を1個、お買い上げ。

Screenshot_20240608154336c  今日は桑名では、最高気温は27.3℃になりましたが、斎宮あたりでは風がよく吹いていて、さほど暑くは感じず、ウォーキング日和でした。Google Fitのデータでは、歩いたのはトータルで9.6㎞、歩数は16,059。明日は、長島方面に出かけたいと思っているのですが、現在の予報では雨模様で、難しいかも知れません。

240609113608443c 【付記(6/9)】 ガチャでゲットしたコードクリップ、このように使うようです。イヤフォンで試してみました。 

2024年5月17日 (金)

20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)

Dsc04819c_20240517151801  好天で、26.9℃と夏日になりました。昨日の中日新聞朝刊に四日市市楠町の吉崎海岸でハマヒルガオが見頃を迎えているという記事がありました。過去に2回、近鉄ハイキングでこのハマヒルガオを見に行くという企画があって参加したのですが、いずれの時も満開ではなかったという経験がありました(2019年6月22日:20190622近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」……昨年のリベンジなるか?(完)、2018年5月19日:近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完))。5~6年ぶりにリベンジの機会が与えられたような気がし、早速、今日行ってきました。

Dsc04690c_20240517151801  近鉄桑名駅を7時59分に発車する近鉄四日市行き準急に乗車。乗り換えが必要かと思っていたら、この電車が四日市からそのまま白塚行き普通になり、楽チン。北楠駅には8時39分に到着。¥490。

240517kitakusu  こちらが今日歩いてきたルートマップ。途中、楠中央緑地に立ち寄ったのみで、吉崎海岸まで往復してきました。過去2回行っていますので、現地では地図なしで大丈夫でした。北楠駅についてすぐにスタートしましたから、8時40分から歩き始めました。

Dsc04699c_20240517151801 Dsc04709c  北楠駅を出てじきに田園地帯になります。右は楠中央緑地。広々としていて気持ちの良い公園です。過去の近鉄ハイキングでも来ていて、中央に見える丘の上の展望台には、2018年に上っています。伊勢湾から多度山、名駅前の高層ビル群などがよく見えました。

Dsc04751c_20240517151802 Dsc04760c_20240517151801  吉崎海岸は、磯津漁港のすぐ南側。ここには、9時25分頃に到着。右の看板の所が入り口。ここから海岸まで木道が続いています。木道脇にも、ハマヒルガオが少し咲いていました。吉崎海岸は、四日市市内で唯一残る自然海岸です。ハマヒルガオなどの貴重な海浜植物のほか、シロチドリの営巣地でもあり、また、ウミガメの産卵も行われるところです。

Dsc04877c_20240517153001 Dsc05226c_20240517151701  木道から海岸に降りると、辺り一面にとは行きませんでしたが、ハマヒルガオがよく咲いていました。これで、冒頭に書きましたように、5年前、6年前のリベンジに成功しました(微笑)。10数名くらいの方が、ハマヒルガオを見たり、写真に撮ったりしておられました。何度かいらっしゃったという方は、「今年はよく咲いている」とおっしゃっています。

Dsc04819c_20240517151801 Dsc04871c  あちこち歩き回って、良いスポットはないか探し回って、けっこうな枚数の写真を撮ってきました。十分に堪能した気がします。

Dsc04995c_20240517153401  ハチが蜜を吸いに来たところもうまい具合に撮ることが出来ました。

Dsc05000c_20240517153701 Dsc05073c_20240517151701  ほかには、ハマボウフウもかなり咲いていました。右の写真の小さい黄色い花が咲くのは、コマツヨイグサではないかと思います。

Dsc04939c_20240517154001  さらにこちらは、ハマダイコンかなという気がしますが、確信はありませんので、間違っていましたら、ご教示をお願いします。

Dsc05131c Dsc05148c  吉崎海岸は、天気の良い日に行くととても気持ちの良いところです。伊勢湾に面しており、南の方は(右の写真)、鈴鹿市方面もよく見えます。

Dsc05053c_20240517151701  現地では1時間ほど花や海を見たり、撮影したりしてきました。10時半前に吉崎海岸を出て、往きとは少しだけ違う道を通って、北楠駅に。

Dsc05340c_20240517151701  北楠駅には11時過ぎに到着。11時17分発の四日市行き普通に乗車し、次の塩浜駅に11時19分着。11時24分の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には11時40分着。¥490。けっこう暑かったのですが、5年ぶりにリベンジも果たせ、ハマヒルガオも吉崎海岸も楽しめ、満足、満足。これでシロチドリがいてくれたら、いうことはなかったのですが、私は見つけられませんでした。そうそう贅沢をいってはいけません。

Screenshot_20240517120403  今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は、トータルで9.1㎞。吉崎海岸で歩き回りました。歩数は、14,404でした。

2024年4月 2日 (火)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

Kohnomiya2  3月27日に行ってきた勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その3です。その2では、旧美濃路や、稲葉宿あたりを訪ね、大塚北にある八幡社まで行きました。この先、ルートマップは、その2になります。白鬚社、性海寺、日吉社、西福院、恵明寺と回って、ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9380c_20240327175801 Img_9377c_20240401165701  大江川に出て、川沿いに進み、4㎞半を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神。ここも詳しいことは分かりません。

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺(しょうかいじ)。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、熱田神宮参詣の途中、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。ただし、実際には、当地の豪族長谷部氏によって、平安時代に創建されたと考えられています。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼足利尊氏織田敏定浅野長政松平忠吉徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建で、入母屋造、杮葺き。内部には善光寺如来を祀る、鎌倉時代の宝塔が安置されているそうです。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9416c_20240401170901 Img_9420c_20240401170901  こちらの御堂にも「愛染明王」と書かれています。説明書きには、「多宝塔の中に納められている愛染明王は江戸時代より特に耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底ヌケのひしゃくが奉納してあります。現在でもこの方法で祈願しております。」と書かれています。確かに底が抜けたひしゃくが多数奉納されており、新しいものもありました。

Img_9388c_20240327180801 Img_9392c_20240401171201  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。

Img_9460c_20240327180801  また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で、幅7m、深さ1mの周溝をともなっています。墳丘上部は中世以降の盛り土がされており、市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9480c_20240401173801 Img_9498c_20240327180801  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神も不明ですが、本社の日吉大社から倣えば、大己貴神(おおなむちのかみ)もしくは大山咋神(おおやまくいのかみ)のどちらかと思われます。

Img_9494c_20240401173801 Img_9490c_20240401173801  この日吉社にも蕃塀がありました。神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。伊勢神宮、熱田神宮、津島神社などにあります。私が直接訪ねた範囲では、愛知県尾張地方の神社に多い印象があります。三重県内ではあまり見かけません。また、この日吉社では右の写真の景色がなかなかよいと思いました。

Img_9522c_20240401183101 Img_9539c_20240327190901  その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。「せんき」は「疝気」。 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいいます。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9510c_20240401183101  西福院の北側には、広大な駐車場がありました。われわれが歩いていたときも、駐車場に入ってこられる方がありました。 

Img_9517c_20240401183101  駐車場から西福院に行く途中、白龍王大神。由緒書きはありません。名古屋の白龍神社のご祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)ですから、ここも同じかと思われます。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、この日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かってひたすら歩いて行きます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、7.7㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132845732c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

240327132156444c  ここは、昭和レトロの喫茶店であることも確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

Img_9601c_20240327192701  ここで大失敗。その1の初めに「珍道中」と書きましたが、まさにその通り。奥田駅は、対面式のホームで、それぞれに専用の改札口があります。が、われわれは何も考えずに、エデンから近い改札に交通系ICカードで入ってしまったのですが、それは岐阜方面の改札でした。やむを得ず、インターフォンで係員の方に事情を伝え、対応してもらいました。年を取るというのは、こういうことなのでしょう。世間様にご迷惑をおかけしないようにしているつもりではあるのですが……。結局、名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14時25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。

2024年4月 1日 (月)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

Kohnomiya1  3月27日の勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その2です。その1では、国府宮駅をスタートし、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社まで行きました。ルートマップは、まだその1の範囲です。この先は、旧街道の美濃路に入り、旧稲葉宿のあたりへと進んでいきます。金神社から南に行き、最初の信号交差点を左折しますが、この道が旧美濃路となります。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。稲葉宿は、当初は中島郡稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に小沢村が加宿となっています。ちなみに、明治8(1875)年に稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となっています。

Img_9221c_20240331170301  旧稲葉宿あたりの美濃路には、今もこうした古い建物がそこかしこに残っています。リノベーションされた建物も散見されます。昔からの街道だなという印象があり、楽しめます。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  宝光寺というお寺の手前、街道の南側の商店であったところの脇に津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。ルートマップには出ていませんが、この東に「札の辻」という地名が残っており、稲葉宿の中心が近いことが分かります。

Img_9243c Img_9250c_20240331172001  こちらは道標の向かいにある紅葉山宝光寺。真宗大谷派。立派なお寺ですが、由緒書きはありませんし、ネットで検索してもとくに情報はヒットしませんでした。

Img_9264c_20240327174401 Img_9259c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは昭和58(1983)年に稲沢ロータリークラブが建てた、新しいものです。碑には「四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は慶長五年に開設され、本陣、脇本陣の他、小沢、東町、西町には問屋場が置かれて、人馬の往来、物資の輸送の為に供されたが、 文化三年に人足二十二人、馬四十五頭が常備される助郷の制があった。ここは東町問屋場である。宿場役人伊東氏の住居である。」と刻まれています。四ツ家追分は、稲沢市井之口四家町にあります(JR稲沢駅の南)。慶長5年は1600年、文化3年は1806年。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。その後は、東邦電力中部電力稲沢営業所となり、現在は稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701 Img_9307c_20240401044101  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。ここで小休止。ちなみに、「稲葉宿本陣跡の碑」という石碑が建っています。「愛知県知事桑原幹根書」とありますが、桑原幹根さんは、われわれが子どもの頃、愛知県知事を務めた方。

Img_9314c_20240401044601  稲葉宿本陣跡ひろばから道を1本挟んで東に金剛山崇福寺。臨済宗妙心寺派。美濃路と三宅川の間にあります。明徳2(1391)年以前の創建で、開山は禅源寺開山大清。貞享4(1687)年、神明宮境内から現在地へ移したと伝わります。

Img_9330c  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺についても、詳しい情報はありません。

Img_9334c_20240401045501 Img_9349c_20240401162401  大江川に出る前、住宅街を歩いていたら、鳥居が見えましたので、行ってみました。八幡社でしたが、ここも由緒書きはなく、ネット検索でもこれと行ってヒットしません。

Img_9345c Img_9338c_20240401162401  ただし、ご神木であるムクノキは、市の文化財。樹高16.0m、枝幅19.5m、目通り3.0mで、地上約2mの所で幹が二本にわかれています。また、この神社にも蕃塀があります。蕃塀がどうも気になるのです。ルートマップその1は、ここまで。キリがよいので、その2の記事もここまで。

 

2024年3月31日 (日)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

Img_9567c_20240329074001  3月27日、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和でした。当初は、翌日の28日を予定していましたが、この日の方が天気がよいということで日程を変更し、稲沢へハイキングに行ってきました。「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。冒頭の写真は、前回の国府宮ウォーキングでも見てきた三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所にある高さ173mのエレベーター試験塔。この日のコース終盤でよく見えていました。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。珍道中と書きましたが、いくつかハプニングがありました。まずは、桑名駅で乗る電車の発車時刻を8時39分と私が勘違いしていました。調べるときに土日休日の時刻表を見たため。名鉄名古屋駅では、当初予定していたとおりの電車に乗ることができ、結果オーライ(苦笑)。

Kohnomiya0  こちらがこの日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、この日は、名鉄国府宮駅から西、さらに南西のあたりを歩いてきました。美濃路、旧稲葉宿から南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

Kohnomiya1  詳しいルートマップその1。名鉄国府宮駅をスタートして、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺、金神社などを回り、その先、宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりになります。

Img_8952c_20240327170901 Img_8980c_20240329074901  国府宮駅からすぐ近くに補陀山観音禅寺。臨済宗妙心寺派。説明板によれば、元は北方の稲島町にあり、暦応元(1338)年、清拙が創建したと伝わります。しかし、時代とともに衰え、江戸時代、現在地に忠嶽によって再興されました。明治24(1891)年の濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮境内にあった古堂2棟から現本堂ほかがつくられ、文翁和尚によって再建されました。

Img_8970c_20240329074901  境内で気になったのは、こちら。道標のようで、「左 国の宮/こまき 道」と彫られていました。どこかにあったものがここに移設されているのであろうと思います。観音禅寺について調べていたら、「観音寺のむじな」という昔話がヒットしました。昔、観音寺の裏には藪があり、そこにむじなたぬきの親子が住んでおり、和尚さんが可愛がったのに、小僧たちがいたずらをしたというような話です。

Img_9021c_20240327170901  松下一丁目北交差点の近くに赤染衛門歌碑公園があります。赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます(『小倉百人一首』に載っている歌。高校のときに暗記した記憶があります)。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に約90首入集、和泉式部と並び称されます。家集に「赤染衛門集」があり、「栄花物語」前編の作者ともいわれます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任しました。

Img_9007c_20240329080001 Img_9009c_20240329080001  大江匡衡と赤染衛門が詠んだ歌が歌碑になっています。稲沢市制30周年を記念して、平成元(1998)年に建立。以下の引用のように刻まれています。また、「衣かけ松の跡」の石碑も建てられています。赤染衛門が長保3(1001)年、夫ともにここに隅、この松の枝に衣を掛けたと伝わっています。この石碑は、昭和46(1971)年に稲沢市教育委員会によって建てられました。

国にいきつきたりしにはつ雪のふりしに
はつ雪とおもほへぬかなこのたびは 稲ふる里を思ひいでつつ 匡衡
めずらしきことはふりずぞ思ほゆる 行きかへりみるところなれども 赤染

Img_9024c_20240329083001  赤染衛門歌碑公園を出てすぐのところに「尾張国衙址」という案内板があるのを見つけました。ウォーキングコース沿いにある名所旧跡は一応チェックしたつもりでしたが、見逃していました。ただし、調べてみると、次の交差点を南に入って200mほど行った松下公民館のところにありました。国衙は、律令制において国司が地方政務を執った役所が置かれていたところ。尾張の国衙は、松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったといいます。

Img_9059c_20240329083701Img_9033c_20240327170901  スタートから1㎞あたりに修理若御子(すりわかみこ)神社。由緒書きによれば、尾張大国霊神(尾張大国霊神社=国府宮神社のご祭神)が国内を修理するのを助けた修理若御子命(墨染天神)がご祭神。天香山命(あまのかぐやまのみこと:尾張連等の祖神)の御子、天村雲命(あめのむらくものみこと)といいます。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。

Img_9041c_20240329083701 Img_9050c  境内末社には、神明社、津島社、富士浅閒社の3社があります。津島社は、拝殿に向かって右手前に鎮座。おもしろかったのは、神明社が拝殿に向かって右手奥の、玉垣の中に鎮座しておられたこと。さらに境内の南西には、右の写真のように、塚のようなところがあり、「延覚行者」等と刻まれた石碑が建ち並び、もっとも高いところにはお社が祀られていました。これについては、由緒書きにも触れられておらず、不詳。こちらのサイトによれば、御嶽信仰の大師たちが祀られているといいます。

Img_9063c_20240330065901  稲葉神社に行く途中、白龍社が祀られていました。白龍社といえば、水の神様。ここは、宮田用水土地改良区の建物が建つ敷地内。用水土地改良区ですから、白龍社を祀ったのでしょう。

Img_9075c_20240327170901 Img_9086c_20240330070201  稲葉神社。昭和32(1957)年に伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀し、伊奈波神社となりました。ご祭神は、物部印葉連公(もののべいんばむらじのきみ)、櫛御気之命(くしみけのみこと:須佐之男命の別名とされる)、伊邪那美神(いざまみのかみ)、大山昨神(おおやまくいのかみ)です。昭和36(1961)年に稲葉神社と改められました。

Img_9116c_20240331155702 Img_9138c_20240327170901  稲葉神社の西、愛知文教女子短期大学の近くに金華山禅源寺があります。臨済宗妙心寺派。長い参道の先に勅使門があります。残念ながら、門から先には入れないようになっていました。永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛の折、旅宿となっています。このとき、寺内で家光の不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許され、本堂の大屋根などに用いられています。勅使門は、寛永年間(1624~44年)の建立。8代虎岩和尚の隠居後、しばらく無住が続いた後、九代満源和尚が美濃妻木の崇禅寺から伝法を受け、寛文6(1666)年に本堂を再建。延宝7(1679)年に十一面観音を祀って本尊とし、再興されています。

Img_9116c_20240331155702 Img_9130c_20240331155701  左の写真は、勅使門から拝見した禅源寺の境内。なかなか落ち着いた、よい感じのお寺です。右の写真は、本堂の大屋にある葵の紋。

Img_9124c_20240331155701  勅使門に向かって左手には、秋葉三尺坊大権現秋葉神社も、秋葉三尺大権現も、神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として祀られます。禅源寺の守護神という位置づけなのかと思います。

Img_9159c  先にも書きましたが、愛知文教女子短期大学があります。学校法人足立学園により昭和26(1951)年に稲沢女子短期大学として設置されています。現在は昼間2学科(幼児教育学科第一部・第三部、生活文化学科生活文化専攻・食物栄養専攻)となっています。

Img_9166c_20240327174401 Img_9175c_20240331162001  その先に金(こがね)神社。ご祭神は、物部金弓連公。物部氏の祖である宇摩志麻治命の子孫で、4世紀中頃の人と思われるそうです。禅源寺の鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として奉斎したといいます。

Img_9197c_20240331162101  金神社の南に愛知啓成高校。学校法人愛知真和学園が設置しています。昭和2(1927)年に設立された稲沢高等女学校がその起源。昭和23(1947)年に学制改革で、稲沢女子高校となり、さらに平成13(2001)年に男女共学化を図り、愛知啓成高校になっています。平成18(2006)年には野球部が選抜高校野球大会に出場しました。

 この先で旧街道の美濃路や、旧稲葉宿に入ります。キリがよいので、その1はここまで。

2024年3月27日 (水)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

Img_9366c_20240327170501  降水確率ゼロで、よく晴れて、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和です。予定通り、稲沢へハイキングに行ってきました。とりあえず「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。今日は、予告編。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。

Kohnomiya0  こちらが今日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、今日は名鉄国府宮駅から西へ。宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりにあります。そこから南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

 国府宮駅からすぐ近くに補陀山Img_8952c_20240327170901観音禅寺。臨済宗妙心寺派。暦応元(1338)年の創建ですが、時代とともに衰え、江戸時代に現在地に再興されました。濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮から建物2棟を購入し、文翁和尚によって再建されました。

Img_9021c_20240327170901  赤染衛門歌碑公園赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任。そのとき衣をかけた松がここにあったといいます。

Img_9033c_20240327170901 Img_9075c_20240327170901  続いて修理若御子(すりわかみこ)神社。尾張大国霊神が国内を修理するのを助けた修理若御子命がご祭神。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。1㎞を過ぎて稲葉神社。昭和32(1957)年、伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀した神社です。

Img_9138c_20240327170901  その西に金華山禅源寺。臨済宗妙心寺派。寺伝では永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛したとき宿となりました。そのとき、家光が寺内で不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許されています。残念ながら、境内には入れないようになっていました。写真は、寛永年間(1624~44年)建立の勅使門。

Img_9166c_20240327174401  愛知啓成高校の北に金(こがね)神社。祭神は物部金弓連公。禅源寺鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として祀ったといいます。ここから南に向かい、次の信号を左折しましたが、ここからが美濃路。新しい建物もたくさんありますが、昔ながらの町家も残っています。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  2㎞半を過ぎたあたりに津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。

Img_9264c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは新しいものです。このお宅のように古い建物がところどころに残っていて、昔の街道の雰囲気が十分に感じられます。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。現在は、稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。

Img_9330c Img_9380c_20240327175801  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺については、詳しい情報はありません。大江川に沿って進み、4㎞を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼、足利尊氏、織田敏定、浅野長政、松平忠吉、徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9388c_20240327180801 Img_9460c_20240327180801  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9498c_20240327180801 Img_9539c_20240327190901  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神は、大物主神または大山咋神。その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、今日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、6.5㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132156444c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、昭和レトロの喫茶店であることを確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

240327132845732c  これもあらかじめ調べていたのですが、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

Img_9601c_20240327192701  名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14次25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分発の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。次は、江南市布袋あたりに行こうかと計画中。本編は、またボチボチと書き進めるつもりです。

2024年2月27日 (火)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

Img_7292c_20240225190901 Inazawa0  2月24日に行ってきた「はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング」の本編その2です。その1では、JR稲沢駅をスタートし、神明社、宮前公園、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社まで行きました。その2では、国府宮神社から南へ神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居から長束梅公園、大光寺、白山神社、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所のエレベーター試験塔と回ります。

Img_7299c_20240225191201 Img_7316c_20240224154201  国府宮神社から南に300mほど行ったところに大御霊神社への道標があります。ここを右折して200mあまり行くと、大御霊神社があります。ここも国府宮三社の1つ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。JRさわやかウォーキングの参加賞品でもらった三角チェアが大活躍。お茶を飲んで水分補給をするとともに、甘い物でエネルギー補給。

Img_7337c_20240224154201  参道に戻ってさらに南へ。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301 Img_7347c_20240225192301  こちらは中高記念館。珍しい名前ですが、明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。「中島郡高等小学校」を略して「中高」なのでしょう。もともとは、明治13(1880)年に建てられたようですが、何に使われていたかは定かではありません。高等小学校当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7380c_20240225192401 Img_7373c_20240224154301  中高記念館の南、大江橋の手前にある国府宮神社の鳥居。神社からここまで600mほど参道が続いています。この日、参道は、臨時駐車場になっていました。 社号標も大きく、その南には、2月11日の「儺追神事(はだか祭)標柱建式」で建てられた標柱があります。

Img_7403c_20240224154301  この鳥居のすぐ南に大江川にかかる大江橋があります。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7419c Img_7411c_20240225193001  稲沢中学校の西側をまだまだ南へ進んでいきます。道の両側には、石灯籠が並んでいます。これは、大鏡餅を奉納した地区が奉納した石灯籠のようです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木(樹齢90年ほど)でした。

Img_7479c_20240225193401  これは、長束梅の花。実は、この公園内に長束正家邸址があったのですが、それは見忘れました(苦笑)。長束正家は、豊臣五奉行の一人で、ここが生誕地とされています。コースマップには書いておいたのですが、うっかり。注意力が低下しているようです。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401 Img_7530c_20240225193601  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。ちなみに拙宅マンションのエレベーターも三菱ビルソリューションズのものです。

Img_7556c_20240224154401  せっかくここまで北からにはと思い、工場の入り口のところまで行ってエレベーター試験塔を見てきました。迫力があります。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  この日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、2.5㎞ほどですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。

 ちなみに国府宮神社で授与していただいた「儺追大鏡餅(切餅)」は、焼いて醤油をつけ、海苔を巻いていただきました。

 

 

2024年2月26日 (月)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

Img_7242c_20240224154101  2月24日は、久しぶりに天気が回復。よく晴れて、暖かくなりました。桑名では最高気温は、12.7℃。風も弱く、ウォーキング日和。この日は、予定通り、国府宮へウォーキング。2月22日にはだか祭が行われたばかりの国府宮神社などへ行ってきました。「まだ、はだか祭りの余韻が残っているか」と期待しつつ、です。この日も、同級生K氏と二人旅。

Img_7014c_20240224154101 JR桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時56分着。東海道線に乗り換え。9時4分発岐阜行きの普通電車で、稲沢駅に9時16分着。¥590。稲沢に来たのは、私はたぶん2回目。息子が小さいときに、愛知機関区(旧稲沢機関区)に機関車や貨車を見に来た記憶があります。

Inazawa0   こちらがこの日歩いたルートマップ。JR東海道線稲沢駅と名鉄名古屋本線国府宮駅に挟まれたエリア。主な立ち寄り先は、稲沢神明社、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)。コースマップ上は、6㎞。9時20分過ぎに稲沢駅西口をスタート。

Img_7029c_20240225161101  稲沢駅から西へ。200mほどのところに神明社があります。稲沢神明社とあります。神明社ですから、ご祭神は天照大神。それ以外のことは調べてもよく分かりません。

Img_7045c_20240225162001 Img_7048c_20240224154101  続いて宮前公園。ライオンズの森という石碑もありました。この公園内にD51機関車が保存されています(D51の823号機)。昭和45(1970)年8月まで走っていたといいますが、残念ながら金網におおわれていて、その姿はよく見えません。

Img_7062c_20240225162401 Img_7224c_20240224154101  宮前公園から北に行くと、長沼山華王院萬徳寺真言宗のお寺。8世紀中頃の創建ですが、その後衰え、建長6(1254)年に常円上人が再興し、亀山天皇の綸旨により勅願寺となりました。常円は、「沙石集」をあらわした無住一円の兄です。萬徳寺は尾張国の真言宗の大本山と称し、53の末寺をもち、寺領53石を有していました。

Img_7115c_20240225162901 Img_7130c_20240225162901  左の写真は、多宝塔(重要文化財)。2層の構造をもつ宝塔で、初層は方形、2層の中心部は円筒形、屋根は方形で、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)となっています。上下層とも檜皮葺きで、塔の上に相輪が上がっており、室町時代後期の建造と考えられています。多宝塔の北に鎮守堂(重要文化財)があります。一間社流造、檜皮葺きの神社建築です。棟札によれば、享禄3(1530)年の建立です。

Img_7166c_20240224154101  ここ萬徳寺は「ぼたん寺」と呼ばれるほど、牡丹で有名。境内には約700本の牡丹があるそうです。牡丹の季節には、見事だろうと思います。

Img_7193c_20240224154201 Img_7196c_20240224154201  萬徳寺から南の道路に出て西に向かいます。日本軽金属の工場や、吹上公園の北を通り、国府宮神社に行く前に舟形神社に立ち寄ります。舟形神社。国府宮神社の別宮で、「国府宮三社」の1つ。ご祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと:宗像三女神の1つ)。

Img_7224c_20240224154101  国府宮神社(正式には、尾張大国霊神社)に近づくにつれ、クルマの渋滞が見られ、人出も増えてきました。期待した「はだか祭の余韻」はかなりありそうな感じです。2月22日にあの有名な「はだか祭」が行われたばかりなのです。崇神天皇の時代に鎮座と伝わります。式内社。主祭神は、国土(くにつち)の神、尾張大国霊神・大御霊神(尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされ)とともに、宗像(むなかた)神(市杵嶋姫命田心姫命湍津姫命の海神です。宗像神が祀られているのは、三宅川を利用して伊勢湾にいたる水路の安全を守る神社でもあったと考えられています。この楼門(重要文化財)は、室町時代初期のもの。

Img_7253c_20240224154101 Img_7263c_20240224154101  実は、拝殿にお参りする前、楼門をくぐったところに「切餅最後尾」という看板を見つけてしまいました。はだか祭に大鏡餅が奉納されるのですが、それが切餅として授与されるのです。これを逃す手はないということで、まずは列に並び、小1個が初穂料¥100ということで、4個をゲット。

240225081750248c  ちなみに、こちらが帰宅して開けて見た切餅。正月にいただく、普通の切餅くらいのサイズでした。このお餅をいただくと、夏病みしない、あるいは、1年を健康に過ごせるといわれるそうです。

Img_7280c_20240224154101  建物配置は「尾張式(尾張造)」で、楼門から拝殿、本殿の配置が「く」の字になっています。こちらの拝殿(重要文化財)は江戸時代初期の建立。平安時代末期には尾張総社と呼ばれ、古くから厄除けの神として信仰を集めています。隣接する松下町一帯が尾張の国府の所在地(尾張国衙)であったと考えられることから、国府宮と呼ばれました。旧暦で正月13日の儺追(なおい)神事は、国府宮のはだか祭として有名です。

Img_7276c_20240225170501 Img_7272c_20240225170501  ところで左の写真が、はだか祭で裸男がもみ合いをするところ。テレビで見ていると、もっと広いところのように思っていましたが、案外狭い。写真を撮った場所の背後には、桟敷席が設けられていました。左の写真で奥の建物が、儺追殿(なおいでん)。建物に向かって右端にはだか祭のとき、神男が儺追殿に納まるところがあります(右の写真)。

Img_7247c_20240225170901  余談。楼門をくぐったところには蕃塀(ばんぺい)がありました。参道上で拝殿の前に存在する短い塀です。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたといわれていますが、正確な目的は不明だそうです。桑名あたりでは見たことがありません。伊勢神宮には内宮、外宮ともにあります。尾張地方の神社でよく見ます。先日訪ねた津島神社にもありました(2024年2月3日 :20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ)。

Img_7296c_20240225171401  先日の津島神社もそうでしたが、ここ国府宮神社も、ぜひとも一度は訪ねてみたかったところですので、また念願が一つ叶ったということです。その1はここまで。その2では、国府宮神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋などに向かいます。

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  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

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    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

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    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

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  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)