20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」から松坂城跡、御城番屋敷、原田二郎旧宅を経て、氏郷まつりを見て、豪商のまち松阪観光交流センターにゴールにて「完」
11月3日に行って来た近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」の本編その2です。その1では、松阪駅北口をスタートし、御厨神社、アニバーサリー、513Bakeryと回って、鈴の森公園に向かうところまででした。
松阪市立図書館を過ぎると、鈴の森公園への入口があります。その1でも書きましたように、ここはカネボウ綿糸松阪工場跡。大正12(1923)年に建築された煉瓦倉庫も残っていて、市民ギャラリーとして活用されています。
公園内から「はにわ館」へ入ります。はにわ館へは、その煉瓦倉庫を活用した市民ギャラリーのところを通って行きます。この建物は、国の登録有形文化財となっています。
こちらが、松阪市文化財センター「はにわ館」。これは煉瓦で作ったようになっていますが、煉瓦倉庫を利用した建物ではありません。
「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」と、「王権と首長墓の埴輪」の2つの展覧会が開かれています。入館料が¥200のところ、近鉄ハイキング割引で、¥160(団体料金)。写真は、「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」の展示室の入口。パネルが斬新で、カッコイイ。この「宝塚古墳の謎」の方は、フラッシュを焚かなければ、写真撮影可でした(「王権と首長墓の埴輪」展は、個人利用の場合のみ撮影可で、SNSへの利用は不可)。
こちらが国宝に指定された船形埴輪。三重県宝塚1号古墳から出土しています。船形埴輪は、ほぼ完全な形で復元されています。船形埴輪は、大阪府や奈良県をはじめとして全国各地でみつかっていますが、宝塚1号墳の船形埴輪は、全長140cm、円筒台を含めた高さ94cm、最大幅36cmと、これまでにみつかっているものの中では最大規模のものだそうです。さらに特筆すべき特徴として、他に類例のない豪華な装飾がほどこされていることがあげられるといいます。しばし見入ってしまい、横から、裏からとしっかり眺めてきました。
ほかにも、宝塚1号古墳から出土した埴輪が展示されていました。左の写真で中央からやや左にあるのは、家形埴輪。右の写真に写っているのは、盾形埴輪。
宝塚1号古墳の様子も模型で展示されています。宝塚古墳は、松阪市宝塚町・光町にある古墳2基(宝塚1号墳・宝塚2号墳)の総称。松阪市街地から南方約3㎞、阪内川右岸の低丘陵地(南北1㎞・東西1.25㎞)上に築造された古墳2基です。国の史跡に指定され、1号墳から出土した埴輪が国宝に指定されています。宝塚1号古墳は、伊勢地域最大の前方後円墳(全長111m)。
船形埴輪をしっかり見て、満足しつつ、次に向かいます。鈴の森公園に隣接してあるのが、MOMO café。ここもパスしたのですが、あとで調べたら、鈴の森公園を見ながら食事やお茶がいただけるそうで、なかなかよい感じ。阪内川を越え、殿町中学から松坂城の裏手を通って、自然生料理本居庵。このあたりは何度も来ていますので、この本居庵があるのは知っていました。自然薯料理の専門店です。この近くには、松坂城跡、本居宣長記念館、本居宣長ノ宮、松阪神社、御城番屋敷が集まっています。
ここは、松坂城の搦手門のところ。松坂城跡も何度も訪ねています(2018年6月23日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その3)……本居宣長旧宅、松坂城跡(まだ書きかけです)、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。今回は立ち寄っていませんので、詳しいことは、これらリンク先の記事をご覧ください。
続いて、御城番屋敷のところを通って行きます(2022年5月31日:20220528松阪ウォーキング(その2)……樹敬寺で本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪三珍花の発祥地をめぐり、原田二郎旧宅、松阪工業高校の赤壁校舎から御城番屋敷へ)。ここも今回は通り抜けただけです。詳しいことはリンク先の記事をお読みください。御城番屋敷は、松坂城を警護する「松坂御城番」という役職の武士20人とその家族が住んだ武士の組屋敷です。屋敷には、今も子孫の方が住み、維持管理を行っています。この景色、私の気に入ったところです。松坂城二の丸跡からこの御城番屋敷を見下ろした景色も素晴らしいものです。
ここからルートマップは、その4へ。原田二郎旧宅から、氏郷まつりの会場へ。コースマップでは、駅弁のあら竹に寄ってからゴールの豪商のまち松阪観光交流センターに向かうのですが、私は、先にゴールへ。観光交流センターの近くにある三井家発祥の地が、11月の土日は特定公開されていますので、それを見て松阪駅に。氏郷まつりの会場は賑わっていましたので、1本東のお寺が集まっているところを通って、駅弁のあら竹商店を見て、松阪駅南口へ。
原田二郎旧宅。ここも何度も来ていますので(2022年5月31日:20220528松阪ウォーキング(その2)……樹敬寺で本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪三珍花の発祥地をめぐり、原田二郎旧宅、松阪工業高校の赤壁校舎から御城番屋敷へ)、今日はパス。詳しくは、リンク先の記事をご覧ください。
氏郷まつりのメイン会場は、日野町交差点。ステージも設けられ、大賑わい。商都松阪の礎を築いた蒲生氏郷公を偲んで開催する氏郷まつりは、今年で63回だそうです。翌日の中日新聞によれば、18万人もの人出だったそうです。観光交流センターに向かう県道60号線も露店やら人出やらで混雑。松阪肉で有名な和田金もこの通りにあります。その和田金の手前を入ると、不二屋というお店があります。以前ここで食べた焼きそばが美味しかったので(2022年6月1日:20220528松阪ウォーキング(その3)……本居宣長ノ宮、松阪神社、松坂城跡から不二屋で焼きそばにて「完」)、もう一度食べようかと思ったのですが、店外まで大行列で断念。
こちらがゴールの豪商のまち松阪観光交流センター。今日は、近鉄ハイキングのゴール受付があり、コースマップに印字された番号で、抽選会。
私がいただいたマップの番号は、#120。「下1桁が、0、5」はクッキー1枚ということで、プレーン・クッキーをいただいてきました。よくみたら、立ち寄り先の1つであるアニバーサリーの品物でした。
三井家発祥の地が、11月の土日は特定公開という情報を見ましたので、立ち寄ってきました(こちらに読売新聞オンラインの記事があります)。残念ながら、内部は撮影禁止ということで、外観というか、入口だけ。ここは、三井高利の兄である俊次、弘重の屋敷のいずれかにあたるといわれています。
大正7(1918)年、 先祖顕彰と事業の安寧を祈念して三井家同族会により、発祥地の整備が開始され、 昭和7(1932)年、 総領家第10代当主で男爵の三井高棟は、 遠祖高俊300年祭の際に発祥地へ記念碑を建立し、保存されてきました。その後、戦後の荒廃と地元有志による維持を経て、昭和31(1956)年、霊廟として整備され、松阪市指定史跡となりました。昭和58(1983)年には、三井家同族会と三井グループ各社が、霊廟・墓所の整備、植樹を実施し、以後、今日まで折節の改修を経て護持されています。現在、ここには高利の祖父高安と父高俊の墓碑、高利の長兄俊次らの供養碑とともに、高利の産湯に使ったという伝承の井戸があります。
ここから松阪駅に戻るのですが、メインストリートは大賑わいでしたので、1本東の道へ。岡寺山継松寺(左の写真)など、お寺が集まっている通りです。継松寺ほか、このあたりにあるお寺については、すでに訪ねましたので(2021年10月25日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その4)……松阪駅手前で寺めぐりで「完」)、この日は行っていません。詳しくは、リンク先の記事をご覧ください。
いったん祭会場のベルタウン前に出て、駅弁のあら竹商店前を通って、松阪駅南口へ。あら竹商店さんの駅弁は買いたかったのですが、それなりのお値段ですので、今日は諦めました。松阪駅南口には、12時10分頃到着。
駅前のまつさか物産交流館で土産に「老伴(おいのとも)」を購入。これ、大好物なのです。6個入りが、税込み¥1,300。実は、これをつくっている柳屋奉善の店の前も通ったのですが、わらび餅などの出店があり、大賑わいでしたので、こちらでゲット。
昼ご飯を食べ損ねましたので、やむなく駅ナカ・ファミマで弁当を購入。次の名古屋行き急行は、12時33分でしたので、ホームのベンチでランチタイム(笑)。年を取って、恥ずかしげもなく、こういうことができるようになりました。これも進歩でしょうか?? 今日は、「助六おかずセット(税込み¥498)」。12時33分の名古屋行き急行に乗り、桑名には13時40分着。¥1,140。桑名から松阪は結構遠いな、と思うようになりました。
今日は、松阪駅で、エキタグのデジタルスタンプをゲットしてきました。これで9個目。なかなか増えませんが、地道に集めましょう。
歩いた距離は、Google Fitのデータでは、9.3㎞。原地では、6.5㎞ほどですから、これくらいでしょう。歩数は、15,655。普段の散歩より5割増しくらいの歩数でした。この日は、高低差はあまりありませんでしたので、筋肉痛にはなっていません。
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