お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年3月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年3月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

名所旧跡

2024年4月 2日 (火)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

Kohnomiya2  3月27日に行ってきた勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その3です。その2では、旧美濃路や、稲葉宿あたりを訪ね、大塚北にある八幡社まで行きました。この先、ルートマップは、その2になります。白鬚社、性海寺、日吉社、西福院、恵明寺と回って、ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9380c_20240327175801 Img_9377c_20240401165701  大江川に出て、川沿いに進み、4㎞半を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神。ここも詳しいことは分かりません。

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺(しょうかいじ)。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、熱田神宮参詣の途中、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。ただし、実際には、当地の豪族長谷部氏によって、平安時代に創建されたと考えられています。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼足利尊氏織田敏定浅野長政松平忠吉徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建で、入母屋造、杮葺き。内部には善光寺如来を祀る、鎌倉時代の宝塔が安置されているそうです。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9416c_20240401170901 Img_9420c_20240401170901  こちらの御堂にも「愛染明王」と書かれています。説明書きには、「多宝塔の中に納められている愛染明王は江戸時代より特に耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底ヌケのひしゃくが奉納してあります。現在でもこの方法で祈願しております。」と書かれています。確かに底が抜けたひしゃくが多数奉納されており、新しいものもありました。

Img_9388c_20240327180801 Img_9392c_20240401171201  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。

Img_9460c_20240327180801  また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で、幅7m、深さ1mの周溝をともなっています。墳丘上部は中世以降の盛り土がされており、市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9480c_20240401173801 Img_9498c_20240327180801  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神も不明ですが、本社の日吉大社から倣えば、大己貴神(おおなむちのかみ)もしくは大山咋神(おおやまくいのかみ)のどちらかと思われます。

Img_9494c_20240401173801 Img_9490c_20240401173801  この日吉社にも蕃塀がありました。神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。伊勢神宮、熱田神宮、津島神社などにあります。私が直接訪ねた範囲では、愛知県尾張地方の神社に多い印象があります。三重県内ではあまり見かけません。また、この日吉社では右の写真の景色がなかなかよいと思いました。

Img_9522c_20240401183101 Img_9539c_20240327190901  その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。「せんき」は「疝気」。 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいいます。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9510c_20240401183101  西福院の北側には、広大な駐車場がありました。われわれが歩いていたときも、駐車場に入ってこられる方がありました。 

Img_9517c_20240401183101  駐車場から西福院に行く途中、白龍王大神。由緒書きはありません。名古屋の白龍神社のご祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)ですから、ここも同じかと思われます。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、この日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かってひたすら歩いて行きます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、7.7㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132845732c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

240327132156444c  ここは、昭和レトロの喫茶店であることも確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

Img_9601c_20240327192701  ここで大失敗。その1の初めに「珍道中」と書きましたが、まさにその通り。奥田駅は、対面式のホームで、それぞれに専用の改札口があります。が、われわれは何も考えずに、エデンから近い改札に交通系ICカードで入ってしまったのですが、それは岐阜方面の改札でした。やむを得ず、インターフォンで係員の方に事情を伝え、対応してもらいました。年を取るというのは、こういうことなのでしょう。世間様にご迷惑をおかけしないようにしているつもりではあるのですが……。結局、名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14時25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。

2024年4月 1日 (月)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

Kohnomiya1  3月27日の勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その2です。その1では、国府宮駅をスタートし、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社まで行きました。ルートマップは、まだその1の範囲です。この先は、旧街道の美濃路に入り、旧稲葉宿のあたりへと進んでいきます。金神社から南に行き、最初の信号交差点を左折しますが、この道が旧美濃路となります。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。稲葉宿は、当初は中島郡稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に小沢村が加宿となっています。ちなみに、明治8(1875)年に稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となっています。

Img_9221c_20240331170301  旧稲葉宿あたりの美濃路には、今もこうした古い建物がそこかしこに残っています。リノベーションされた建物も散見されます。昔からの街道だなという印象があり、楽しめます。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  宝光寺というお寺の手前、街道の南側の商店であったところの脇に津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。ルートマップには出ていませんが、この東に「札の辻」という地名が残っており、稲葉宿の中心が近いことが分かります。

Img_9243c Img_9250c_20240331172001  こちらは道標の向かいにある紅葉山宝光寺。真宗大谷派。立派なお寺ですが、由緒書きはありませんし、ネットで検索してもとくに情報はヒットしませんでした。

Img_9264c_20240327174401 Img_9259c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは昭和58(1983)年に稲沢ロータリークラブが建てた、新しいものです。碑には「四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は慶長五年に開設され、本陣、脇本陣の他、小沢、東町、西町には問屋場が置かれて、人馬の往来、物資の輸送の為に供されたが、 文化三年に人足二十二人、馬四十五頭が常備される助郷の制があった。ここは東町問屋場である。宿場役人伊東氏の住居である。」と刻まれています。四ツ家追分は、稲沢市井之口四家町にあります(JR稲沢駅の南)。慶長5年は1600年、文化3年は1806年。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。その後は、東邦電力中部電力稲沢営業所となり、現在は稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701 Img_9307c_20240401044101  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。ここで小休止。ちなみに、「稲葉宿本陣跡の碑」という石碑が建っています。「愛知県知事桑原幹根書」とありますが、桑原幹根さんは、われわれが子どもの頃、愛知県知事を務めた方。

Img_9314c_20240401044601  稲葉宿本陣跡ひろばから道を1本挟んで東に金剛山崇福寺。臨済宗妙心寺派。美濃路と三宅川の間にあります。明徳2(1391)年以前の創建で、開山は禅源寺開山大清。貞享4(1687)年、神明宮境内から現在地へ移したと伝わります。

Img_9330c  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺についても、詳しい情報はありません。

Img_9334c_20240401045501 Img_9349c_20240401162401  大江川に出る前、住宅街を歩いていたら、鳥居が見えましたので、行ってみました。八幡社でしたが、ここも由緒書きはなく、ネット検索でもこれと行ってヒットしません。

Img_9345c Img_9338c_20240401162401  ただし、ご神木であるムクノキは、市の文化財。樹高16.0m、枝幅19.5m、目通り3.0mで、地上約2mの所で幹が二本にわかれています。また、この神社にも蕃塀があります。蕃塀がどうも気になるのです。ルートマップその1は、ここまで。キリがよいので、その2の記事もここまで。

 

2024年3月31日 (日)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

Img_9567c_20240329074001  3月27日、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和でした。当初は、翌日の28日を予定していましたが、この日の方が天気がよいということで日程を変更し、稲沢へハイキングに行ってきました。「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。冒頭の写真は、前回の国府宮ウォーキングでも見てきた三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所にある高さ173mのエレベーター試験塔。この日のコース終盤でよく見えていました。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。珍道中と書きましたが、いくつかハプニングがありました。まずは、桑名駅で乗る電車の発車時刻を8時39分と私が勘違いしていました。調べるときに土日休日の時刻表を見たため。名鉄名古屋駅では、当初予定していたとおりの電車に乗ることができ、結果オーライ(苦笑)。

Kohnomiya0  こちらがこの日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、この日は、名鉄国府宮駅から西、さらに南西のあたりを歩いてきました。美濃路、旧稲葉宿から南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

Kohnomiya1  詳しいルートマップその1。名鉄国府宮駅をスタートして、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺、金神社などを回り、その先、宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりになります。

Img_8952c_20240327170901 Img_8980c_20240329074901  国府宮駅からすぐ近くに補陀山観音禅寺。臨済宗妙心寺派。説明板によれば、元は北方の稲島町にあり、暦応元(1338)年、清拙が創建したと伝わります。しかし、時代とともに衰え、江戸時代、現在地に忠嶽によって再興されました。明治24(1891)年の濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮境内にあった古堂2棟から現本堂ほかがつくられ、文翁和尚によって再建されました。

Img_8970c_20240329074901  境内で気になったのは、こちら。道標のようで、「左 国の宮/こまき 道」と彫られていました。どこかにあったものがここに移設されているのであろうと思います。観音禅寺について調べていたら、「観音寺のむじな」という昔話がヒットしました。昔、観音寺の裏には藪があり、そこにむじなたぬきの親子が住んでおり、和尚さんが可愛がったのに、小僧たちがいたずらをしたというような話です。

Img_9021c_20240327170901  松下一丁目北交差点の近くに赤染衛門歌碑公園があります。赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます(『小倉百人一首』に載っている歌。高校のときに暗記した記憶があります)。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に約90首入集、和泉式部と並び称されます。家集に「赤染衛門集」があり、「栄花物語」前編の作者ともいわれます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任しました。

Img_9007c_20240329080001 Img_9009c_20240329080001  大江匡衡と赤染衛門が詠んだ歌が歌碑になっています。稲沢市制30周年を記念して、平成元(1998)年に建立。以下の引用のように刻まれています。また、「衣かけ松の跡」の石碑も建てられています。赤染衛門が長保3(1001)年、夫ともにここに隅、この松の枝に衣を掛けたと伝わっています。この石碑は、昭和46(1971)年に稲沢市教育委員会によって建てられました。

国にいきつきたりしにはつ雪のふりしに
はつ雪とおもほへぬかなこのたびは 稲ふる里を思ひいでつつ 匡衡
めずらしきことはふりずぞ思ほゆる 行きかへりみるところなれども 赤染

Img_9024c_20240329083001  赤染衛門歌碑公園を出てすぐのところに「尾張国衙址」という案内板があるのを見つけました。ウォーキングコース沿いにある名所旧跡は一応チェックしたつもりでしたが、見逃していました。ただし、調べてみると、次の交差点を南に入って200mほど行った松下公民館のところにありました。国衙は、律令制において国司が地方政務を執った役所が置かれていたところ。尾張の国衙は、松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったといいます。

Img_9059c_20240329083701Img_9033c_20240327170901  スタートから1㎞あたりに修理若御子(すりわかみこ)神社。由緒書きによれば、尾張大国霊神(尾張大国霊神社=国府宮神社のご祭神)が国内を修理するのを助けた修理若御子命(墨染天神)がご祭神。天香山命(あまのかぐやまのみこと:尾張連等の祖神)の御子、天村雲命(あめのむらくものみこと)といいます。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。

Img_9041c_20240329083701 Img_9050c  境内末社には、神明社、津島社、富士浅閒社の3社があります。津島社は、拝殿に向かって右手前に鎮座。おもしろかったのは、神明社が拝殿に向かって右手奥の、玉垣の中に鎮座しておられたこと。さらに境内の南西には、右の写真のように、塚のようなところがあり、「延覚行者」等と刻まれた石碑が建ち並び、もっとも高いところにはお社が祀られていました。これについては、由緒書きにも触れられておらず、不詳。こちらのサイトによれば、御嶽信仰の大師たちが祀られているといいます。

Img_9063c_20240330065901  稲葉神社に行く途中、白龍社が祀られていました。白龍社といえば、水の神様。ここは、宮田用水土地改良区の建物が建つ敷地内。用水土地改良区ですから、白龍社を祀ったのでしょう。

Img_9075c_20240327170901 Img_9086c_20240330070201  稲葉神社。昭和32(1957)年に伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀し、伊奈波神社となりました。ご祭神は、物部印葉連公(もののべいんばむらじのきみ)、櫛御気之命(くしみけのみこと:須佐之男命の別名とされる)、伊邪那美神(いざまみのかみ)、大山昨神(おおやまくいのかみ)です。昭和36(1961)年に稲葉神社と改められました。

Img_9116c_20240331155702 Img_9138c_20240327170901  稲葉神社の西、愛知文教女子短期大学の近くに金華山禅源寺があります。臨済宗妙心寺派。長い参道の先に勅使門があります。残念ながら、門から先には入れないようになっていました。永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛の折、旅宿となっています。このとき、寺内で家光の不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許され、本堂の大屋根などに用いられています。勅使門は、寛永年間(1624~44年)の建立。8代虎岩和尚の隠居後、しばらく無住が続いた後、九代満源和尚が美濃妻木の崇禅寺から伝法を受け、寛文6(1666)年に本堂を再建。延宝7(1679)年に十一面観音を祀って本尊とし、再興されています。

Img_9116c_20240331155702 Img_9130c_20240331155701  左の写真は、勅使門から拝見した禅源寺の境内。なかなか落ち着いた、よい感じのお寺です。右の写真は、本堂の大屋にある葵の紋。

Img_9124c_20240331155701  勅使門に向かって左手には、秋葉三尺坊大権現秋葉神社も、秋葉三尺大権現も、神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として祀られます。禅源寺の守護神という位置づけなのかと思います。

Img_9159c  先にも書きましたが、愛知文教女子短期大学があります。学校法人足立学園により昭和26(1951)年に稲沢女子短期大学として設置されています。現在は昼間2学科(幼児教育学科第一部・第三部、生活文化学科生活文化専攻・食物栄養専攻)となっています。

Img_9166c_20240327174401 Img_9175c_20240331162001  その先に金(こがね)神社。ご祭神は、物部金弓連公。物部氏の祖である宇摩志麻治命の子孫で、4世紀中頃の人と思われるそうです。禅源寺の鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として奉斎したといいます。

Img_9197c_20240331162101  金神社の南に愛知啓成高校。学校法人愛知真和学園が設置しています。昭和2(1927)年に設立された稲沢高等女学校がその起源。昭和23(1947)年に学制改革で、稲沢女子高校となり、さらに平成13(2001)年に男女共学化を図り、愛知啓成高校になっています。平成18(2006)年には野球部が選抜高校野球大会に出場しました。

 この先で旧街道の美濃路や、旧稲葉宿に入ります。キリがよいので、その1はここまで。

2024年3月27日 (水)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

Img_9366c_20240327170501  降水確率ゼロで、よく晴れて、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和です。予定通り、稲沢へハイキングに行ってきました。とりあえず「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。今日は、予告編。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。

Kohnomiya0  こちらが今日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、今日は名鉄国府宮駅から西へ。宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりにあります。そこから南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

 国府宮駅からすぐ近くに補陀山Img_8952c_20240327170901観音禅寺。臨済宗妙心寺派。暦応元(1338)年の創建ですが、時代とともに衰え、江戸時代に現在地に再興されました。濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮から建物2棟を購入し、文翁和尚によって再建されました。

Img_9021c_20240327170901  赤染衛門歌碑公園赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任。そのとき衣をかけた松がここにあったといいます。

Img_9033c_20240327170901 Img_9075c_20240327170901  続いて修理若御子(すりわかみこ)神社。尾張大国霊神が国内を修理するのを助けた修理若御子命がご祭神。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。1㎞を過ぎて稲葉神社。昭和32(1957)年、伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀した神社です。

Img_9138c_20240327170901  その西に金華山禅源寺。臨済宗妙心寺派。寺伝では永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛したとき宿となりました。そのとき、家光が寺内で不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許されています。残念ながら、境内には入れないようになっていました。写真は、寛永年間(1624~44年)建立の勅使門。

Img_9166c_20240327174401  愛知啓成高校の北に金(こがね)神社。祭神は物部金弓連公。禅源寺鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として祀ったといいます。ここから南に向かい、次の信号を左折しましたが、ここからが美濃路。新しい建物もたくさんありますが、昔ながらの町家も残っています。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  2㎞半を過ぎたあたりに津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。

Img_9264c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは新しいものです。このお宅のように古い建物がところどころに残っていて、昔の街道の雰囲気が十分に感じられます。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。現在は、稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。

Img_9330c Img_9380c_20240327175801  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺については、詳しい情報はありません。大江川に沿って進み、4㎞を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼、足利尊氏、織田敏定、浅野長政、松平忠吉、徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9388c_20240327180801 Img_9460c_20240327180801  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9498c_20240327180801 Img_9539c_20240327190901  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神は、大物主神または大山咋神。その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、今日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、6.5㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132156444c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、昭和レトロの喫茶店であることを確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

240327132845732c  これもあらかじめ調べていたのですが、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

Img_9601c_20240327192701  名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14次25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分発の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。次は、江南市布袋あたりに行こうかと計画中。本編は、またボチボチと書き進めるつもりです。

2024年3月17日 (日)

20240317近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」へ(一回完結)

Img_8457c_20240317161101  晴れ間もあるという予報でしたが、ほぼ曇り。帰りの電車では鈴鹿、四日市あたりで雨が降っていましたし、桑名駅から自宅までの間でも小雨でした。しかし、ハイキング中は、雨に降られることもなく、歩きやすい陽気でした。ということで、予定通りに、近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」に行ってきました。今回は、一人旅。立ち寄り先も少なかったため、記事も一回で完結。桑名では、最高気温は16.8℃でした。

Img_8460c_20240317161101 Img_8435c  近鉄桑名駅を7時52分に出る宇治山田行き急行で近鉄松阪駅まで。松阪には8時55分着。9時6分発の賢島行き普通に乗り換えて、近鉄明星駅に9時19分着。¥1,290。松阪駅から乗った普通電車は、ミジュマル・トレインでした。これに乗ったのは、去年7月15日の「伊勢河崎ウォーキング」以来2回目(2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」)。

240317khmyojo  こちらが今日歩いてきたルートマップ。電車としては、明星駅から斎宮駅まで1駅なのですが、明和町大淀の方を大回り。もらったコースマップには約11㎞とありました。立ち寄り先は多くはなく、伊勢旭酒造、佐々夫江行宮跡、カケチカラ発祥の地記念碑、隆子女王の墓、史跡公園さいくう平安の杜の5ヶ所。9時25分にスタートしました。明星駅で乗降したのは、初めて。

Img_8469c_20240317161101 Img_8477c_20240317161101  近鉄ハイキングのWebサイトに「山田線・明星駅~田園地帯~旭酒造……」とありましたが、まさにその通り。旭酒造まで5㎞あまりですが、その間、ほぼ田園地帯でした。ひたすら歩きました。もちろんところどころに住宅地や、グラウンド、太陽光発電などがあります。

Img_8501c_20240317161101  国道23号線を越えて、大淀東交差点のところで三重交通の「ミジュマルバス」に遭遇。調べてみたら、小型電気バス(9001号車)で、三重交通が伊勢市より受託しているコミュニティバス(おかげばす)でした。この路線は、山大淀から伊勢赤十字病院まで運行されています。

Img_8520c_20240317161101 Img_8536c_20240317161101  スタートからほぼ1時間で、伊勢旭酒造に到着。5㎞あまりをかなり速いペースで歩いてきました。旭酒造の酒蔵みてある記は、ずっと以前から興味があり、来たかったところ。明和町のゆるキャラである「めい姫」も来ています。斎王と斎宮をずっとそばで見ていたノハナショウブが、斎王にあこがれ続けるうち、その思いがめい姫の姿になったといわれています。みんなからちやほやされるのがだーい好きな、自称「いとをかし」なお姫様だとか。

Img_8525c_20240317161101 Img_8646c_20240317161201  それはさておき、今日の酒蔵みてある記でも、コースマップに割り振られた番号で抽選会があり、まずはそちらへ。ちょっとだけ期待したのですが、前回の丸彦酒造に続き、今回も敢えなく敗退(苦笑)。私の番号は、#135でした。下2桁が30ならばタオル、同じく40であれば大吟醸アイスクリームだったのに。

Img_8529c_20240317161101 Img_8533c_20240317161101  続いて、試飲。今回は、無料。銘柄は、「上撰 伊勢旭」。神宮にも奉納されるお酒でした。無料ですので、カップサイズは右の写真の通り。今日は、ここから斎宮駅まで5㎞半ほど歩かねばなりませんし、一人旅でしたから、この無料試飲1杯だけ(笑)。1合瓶も売っていたのですが、それを飲んだら歩くのに難儀しそうです。

Img_8544c_20240317161101 Img_8795c_20240317161201  直売所では、いつものように土産に4合瓶をゲット。純米大吟醸酒です。¥1,500。ちなみに、伊勢旭酒造さんのWebサイトを見ると、鳥羽一郎さんの「兄弟船」という演歌にちなんだ「兄弟船」というお酒もあるようでしたが、直売所には出ていませんでした。

Img_8592c_20240317161101 Img_8567c_20240317161101  抽選にはずれ、試飲も済ませ、土産も買いましたので、サッサと次の目的地へ(現役の頃、「用事が済んだらサッサと帰る」というのが、モットーの1つでした)。旭酒造さんからすぐ近くの水田の中に「佐々夫江行宮跡(ささふえあんぐうあと)」があります。リンク先には、「倭姫命が伊勢の地に入られてから、大淀に御船をとどめてつくったお宮跡」とありますが、「行宮」であれば、倭姫命がしばらくここにとどまられたところであろうと思います。

Img_8577c_20240317161101  現在、山大淀の西、笹笛橋の近くには田の中に1mほどの高さの碑が立ち、「竹佐々夫江旧跡」と刻んであるのですが、勝手には入っていけませんので、望遠でこの写真を撮ってきました。

Img_8609c_20240317161101  佐々夫江行宮跡から笹笛橋で笹笛川を渡ると、すぐに「カケチカラ発祥の地記念碑」があります。ここも、その名前が不思議な気がして、一度来てみたかったところです。

Img_8618c_20240317161101  「斎宮」を構成する文化財の中に「カケチカラ発祥の地」というものがあります。説明では「神嘗祭に初穂の稲束を伊勢神宮の内玉垣に懸け、国の永遠の繁栄を祈る懸税(カケチカラ)行事の発祥の地」とあります(こちらに詳しい話が載っています)。

Img_8626c_20240317161101  要約しますと、一羽の真名鶴が、根は一株で八握穂に茂っている稲を示し、倭姫命がそれを大神に捧げたという伝説があり、懸税(かけちから)/毎年10月に伊勢神宮で行われる神嘗祭で内垣に掛けられる稲束)の発祥の地とされ、記念碑が建てられています。懸税は、 上代、稲の初穂を、穂のまま青竹にかけて神に供えたもので、伊勢神宮では、現在でも神嘗祭のときに、内宮、外宮の正宮や、別宮の御垣(みかき)に稲束が掛けられるそうです(こちら)。

Img_8672c_20240317161201  カケチカラ発祥の地記念碑からまた国道23号線をくぐって、次の目的地に向かってひたすら歩きました。それは、「隆子女王の墓」。斎王の中にはわずか5歳で選ばれ、親や都から遠く離れた斎宮で寂しく辛い思いをされた斎王もいました。斎王として遣わされた醍醐天皇の孫女「隆子女王」は斎宮で亡くなった初めての斎王。隆子女王の年齢はわかっていませんが、少女と考えられます。隆子女王は、安和2(969)年に斎王とされ、2年後の天禄2(971)年9月に伊勢へ群行しました。天延2(974)年閏10月17日に疱瘡(天然痘)を患い斎宮寮で亡くなり、諡号は「小松女院」とされています。初めて斎宮で亡くなった斎王です。わずか在位3年で病死されたため、都に帰ることはなくこの地で手厚く葬られました。隆子女王の墓には、木々が生い茂り清楚なただずまいを見せています。

Img_8680c_20240317161201  隆子女王の墓は、所在地が失われ地域の住民からも斎王の墓だとは認識されなていなかったのですが、墓にまつわる伝承は語り継がれて来ました。それも根拠の一部となり明治16(1883)年3月20日に多気郡馬之上村戸長潮田又吉らから三重県令岩村定高宛てに、馬之上村の「小松塚」を隆子女王の墓とする「上申書」が提出され、「小松塚」は宮内省によって隆子女王墓と決定されています。墓は、現在も宮内庁で管理され、命日を新暦に換算した12月7日には現地で正辰祭が行われているといいます。こちらもご覧ください。

Img_8727c Img_8731c_20240317161201  このあと、明和町中央公民館、町役場、明和中学のあたりを歩いて、11時45分を過ぎた頃、「史跡公園さいくう平安の杜」に到着。斎宮跡には、これまでに3回ほど来ています(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編)、2019年10月27日:20191027近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」(予告編)、2021年11月6日:20211106「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第14回「櫛田~斎宮」(予告編))。それ故、今日はあちこち見て回ってはいません。

Img_8754c  斎宮駅はもう目の前ですので、公園のベンチでお昼にしました。あら竹商店モー太郎寿司がいいなどと昨日は書きましたが、去年から1個¥1,200に値上がりしていました。ちなみにモー太郎弁当は、¥1,700になっています。これでは、年金生活者のハイキングの昼ご飯にはいかにもお高い。そこで、いつものように、朝、桑名駅で電車に乗る前にファミマで「おむすび&焼きそばセット」(税込み¥390)をゲットしてきました(微笑)。十分です。

Img_8757c_20240317161201 Img_8799c_20240317161201  昼ご飯を済ませてから、「いつき茶屋斎宮跡無料休憩所」で適当な土産がないか、見てきました。ここは無料休憩所であり、土産も売っており、また、軽食(伊勢うどんなど)を食べられるところです。「十二単バウムクーヘン」も売っていましたが、なんと¥2,000を超える値段。そこで、まぁ何でもいいかということで、「斎宮せんべい(¥450)」。伊勢神宮ゆかりの古代米を使っているそうです。普段のおやつにすればちょうどよいという算段。

Img_8761c_20240317161201  余談ですが、この無料休憩所の入り口横にあった飲料水の自販機も、ミジュマル仕様でした。ミジュマルに関したものは、桑名など北西地域よりも、この伊勢志摩方面の方がよく目にする気がします。

Img_8770c_20240317161201 Img_8777c_20240317161201  近鉄山田線斎宮駅には、12時10分過ぎに到着。次の松阪方面の電車は、12時31分発の伊勢中川行き普通。これに乗って松阪まで。松阪着は、12時42分。12時54分に松阪始発の急行名古屋行きがありますので、それに乗り換えて、桑名には14時3分着。¥1,290。斎宮駅で電車を待っていたら、下りホームにミジュマル・トレイン。今日は、ミジュマル・デーかも知れません。

Screenshot_20240317142405c  今日のGoogle Fitのデータ。12.77㎞で、20,485歩でした。朝は、車で桑名駅近くまで送ってもらっています。キョリ測で見ますと、現地では11.2㎞を歩いていますから、歩いた距離はこれくらいでしょう。

Screenshot_20240317121901c Screenshot_20240317121849c  余談その1。今日のハイキングは、「近鉄あみま倶楽部」アプリと連動しています。デジタルでチェックポイントでチェックがあり、踏破賞もデジタルでもらえます。去年9月に続いて2回目。名鉄やJR東海のように、全部デジタル化してあった方が便利な気がします。名鉄ハイキングでは、コースマップもスマホで見られるようです。

Screenshot_20240317074059c Screenshot_20240317143837c  余談その2。昨日、下調べをしていたら、「エキタグ」というデジタルの駅スタンプアプリを見つけました。近鉄でも導入されているということで、早速、桑名駅と明星駅でゲットしてきました。新しいものがあると、すぐに飛びつく傾向があるのです(笑)。

 以上、今日の酒蔵みてある記「伊勢旭酒造」は、これにて「完」。

 

2024年3月 7日 (木)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

240303jrwalkkameyama3  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その3です。その2では、松月地蔵、忍山神社から野村町に出て旧東海道沿いのお寺、旧家を見て京口門跡あたりまで来ました。京口門跡から先のあたりも、2022年に訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。詳しくはこちらの記事もご覧ください。

Img_8170c_20240306070501  京口門跡の先で東海道は、右折します。そこに亀山城西の丸外堀跡があります。亀山城の外堀の一部で、東海道と外堀が並行して接する場所で、城の防御上、また、景観上重要な場所だったといいます。町屋側には番所、した。跡北復元地南には西之丸西櫓があったそうです。深さ1.8m程度の水堀で、水深は60㎝程度であったといいます。

Img_8190c_20240306070701  右折し、さらに左折したところに旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。市文化財です。この日は、おひな様の展示が行われていましたが、パス。

Img_8194c_20240306071501  東海道が左折するところに飯沼慾斎生家跡。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応1元(1865)年)は、江戸後期の蘭方医、植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。2022年に大垣に行ったとき、飯沼慾斎邸跡を確認しています(2022年06月21日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その3)……船町川湊から美濃路を歩いてゴールの大垣駅へ(完))。

Img_8201c_20240306072101 Img_8205c  北に向かって行くと、青木門跡。西の丸の西南に位置する門で枡形を形成しており、今もそれが残っています。元和元(1615)年、徳川家康が大阪へ出陣のとき、亀山城に宿泊し、搦手門から出立の時、附近に繁茂した青木を見て、「おお青木」と賞賛したことから、門を青木門と呼ぶようになったという話が伝わっています。

Img_8208c  枡形の先に旧加藤家屋敷があります。江戸時代後期、亀山藩主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷跡です。もともとは相当な敷地面積があったようですが、明治以降、ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築です。

Img_8216c_20240303164601 Img_8229c_20240306073001  田中病院のところから外堀であった「池の側」のところに出ます。ここで東海道からはいったん離れます。「池の側」自体が、堀の名残であるこの池の名前になっています。そこから旧亀山城多門櫓が見えます。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9 (1632)年頃に築造されたとみられます。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。土日祝日は公開されています。

D16900dd 06273b02  以前、2回ほど内部を拝観しています(2022年4月27日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その3)……亀山城址にて多門櫓、明治天皇行在所旧蹟、亀山演武場などを見て、亀山駅にゴール(完)、2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)。 左の写真は2022年、右の写真は2019年に訪ねたときのもの。

Img_8239c_20240306074201 Img_8248c_20240306074201  亀山城跡にあるますみ児童公園で2回目の小休止。ここには、SL C58359が保存されています。保存状態はかなりよいといえます。昭和19(1944)年、川崎車両神戸工場で製造され、王寺機関区、竜華機関区、亀山機関区で運行されていた車両です。昭和45(1970)年3月に廃車となるまでに1,315,593kmを走行しました。こちらに設置されたのは昭和45(1970)年の12月。

Img_8261c_20240306074701  Img_8268c_20240306074701 亀山市役所と亀山西小学校の間を東に向かうと、江ヶ室交番前交差点に出ます。ここは、亀山藩の高札場跡。今は、高札場跡の説明板があるところに広告が多数掲げられていて、さながら「現代の高札場」となっています。ここから江戸までは百四里半、庄野宿まで二里、関宿まで一里半あったそうです。

Img_8272c_20240306075001 Img_8276c_20240306075001  江ヶ室交番前交差点で再び東海道に出ます。江戸方面の東海道は、ここから東に直進しますが、今回のコースでは、京都に戻る方向に歩きます。東海道へはここで右折し、下っていきます。枡形のようになったところの東に「ナガイ種苗東店」がありますが、そこに「東海道亀山宿 横町 わかさざ跡」と書かれた看板が見えました。近くには、ほかに「ひらいや跡」の看板もあるそうです。横町は、古い町名なのでしょう。「わかさざ」が、たとえば「若狭座」であれば、芝居小屋だったのかも知れません。「ひらいや」は何かの商店か、屋号を示すものかでしょう。こちらの市民協働センターの記事によれば、2003年に400枚の屋号看板を取り付けたとありますから、その名残と思われます。

Img_8345c_20240303164701  その先に延寿山地蔵院遍照寺(へんじょうじ)。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末の天保14(1843)年7月に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。中本山に次ぐ四末頭に位置づけられるお寺の1つだそうです。江戸時代には、天台真盛宗を学ぶ多くの修行僧がいたといいます。

Img_8327c_20240303164701 Img_8315c_20240306081501  本堂は、明治5(1843)年に旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。運慶の弟子である行快の作といわれます。両脇侍として、木造観音菩薩坐像・木造勢至菩薩像(県文化財)が安置されています。正面の鬼瓦には、亀山藩の笹竜胆がそのまま使われ、三角形の千鳥破風の降り棟には波型の瓦に上り亀と下り亀の瓦が施されています。

 遍照寺は、Img_8295c_20240306081601 Img_8338c_20240306081601 街道から鐘楼門をくぐると急な坂で、坂の下に本堂があるため「頭で鐘撞く遍照寺」といわれたそうです。実際、左の写真は、東海道から見下ろして撮ったもの。右は、境内から山門を見上げて撮っていますが、東海道からはかなり低くなっています。

Img_8320c_20240306082201  遍照寺では、女性の方(お寺の奥様かと思いました)が、寺のことを説明してくださった上に、説明書と散華をいただきました。

Img_8349c_20240306082101 Img_8362c_20240306082101  遍照寺の西に梅照山誓昌院。真宗高田派のお寺。静かな、よい感じのお寺ですが、詳しいことは分かりませんでした。

Img_8384c_20240303164701 Img_8377c_20240303164701  誓昌院から池の側の南を通って亀山駅に向かって下っていきます。亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8393c_20240306083001Img_8390c_20240306083001  余談ですが、この日、亀山駅には、三重応援ポケモンであるミジュマルが来ていました。11時から12時頃まで、みえ鉄道スタンプラリー最後のイベントキャラバン田ということで、賑わっていました。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで昼食も無事に済ませ、12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。

 

2024年3月 6日 (水)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その2)……松月地蔵、忍山神社から野村・京口門跡あたりへ

240303jrwalkkameyama2 240303jrwalkkameyama3  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その2です。その1では、蓮光寺から金王道まで来ました。金王道は、天神公園のところまで約2㎞、続いています。天神公園のところから県道28号線に出て北上。亀山橋の手前から左折し、鈴鹿川沿いを西に向かいます。忍山橋を渡って、忍山神社へ。さらに旧東海道沿いを東に向かって歩きます。このウォーキングの企画で立ち寄り先となっていたのは、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺でした。しかしせっかくですから、以前訪ねたことのある名所旧跡、寺社なども見てきました。

Img_8038c_20240305164001 Img_8048c_20240305164001  6㎞地点あたりの写真。公園になっていましたので、ベンチで小休止。6㎞というと、普段の散歩で歩く距離です。さらに川沿いを進みます。

Img_8058c_20240305164401  忍山橋を渡って、JR関西本線の方に少し行ったところに松月(しょうげつ)地蔵があります。五体のお地蔵様がいらっしゃいます。リンク先の亀山市歴史博物館のサイトによれば、亀山駅近くに住む方が中心になってお世話をしておられ、地蔵や五輪塔(部分)を「松月地蔵」と名づけたそうです。「川原の地蔵さん」というのが昔からの呼び名のようです。詳しい由緒などは、検索しても不明ですし、亀山市歴史博物館のサイトにもありません。

Img_8068c_20240305165101  スタートから7㎞を過ぎ、1時間45分ほどで忍山神社に着きます。式内社です。第10代崇神天皇7年(紀元前91年)、伊香我色雄命(いかがしこめのみこと)に猿田彦を鎮座せしめられ、その子・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の子孫(80代)が相継いで神主となって明治に至ったとされます。

Img_8083c_20240303164601  主祭神は、猿田彦命と、天照皇大神。相殿神は、天児屋根命倭姫命ほか21柱。この忍山神社は、以前にも訪ねていますので、詳しくはそちらの記事をご覧ください(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。明治41(1908)年、村社能牟良(のむら)神社他、近隣の20社を合祀しています。

Img_8080c_20240305174501  垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されています。倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。拝殿前には倭姫命がここにいらっしゃったことを記した柱が立っています。ちなみに、倭姫命が「ここはどこか」と聞いたところ、大比古命が「味酒鈴鹿国(ウマサケスズカノクニ」と答えたといいます。

Img_8108c_20240306044601 Img_8100c_20240306044601  忍山神社を出て坂道を250mほど登っていくと旧東海道に出ます。街道に出たところに「焼肉長治郎」があります。以前見たときも古い建物をリノベーションしてあるなと思ったのですが、新たに「明治天皇お召替所跡 内池家主屋」 という説明板が掲げられていました。明治13(1880)年5月、明治天皇は東京から山梨県を行幸され、続いて伊勢神宮を参拝されました。東京にお帰りになる途中、5月11、12日に亀山では陸軍の大坂鎮台の勢揃いをご覧になっています。その折、当家でお休みになり、御茶料として3円を下されたそうです。

Img_8111c_20240306052201  この焼肉長治郎のところから旧東海道を歩いて行きます。寺や旧家、旧跡がありますが、それらのほとんどは一昨年の東海道ウォーキングで訪ねています(2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。

Img_8115c_20240306052701 5d4bcda1  スタートから8㎞あたりに亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥陀如来立像(国重要文化財。右の写真。これは、2019年6月9日に訪ねたときに撮らせていただきました(2019年6月15日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】))。現在は無住となっており、ほかのお寺のご住職が兼務されているそうですが、境内は檀家の皆さんが手入れされていらっしゃっていて、きれいに保たれています。詳しくは、2019年の記事をご覧ください。

Img_8122c_20240306053301  続いて、真宗本願寺派の究竟山光明寺。ここも一昨年訪ねています。そのときは、話し好きのご住職がいらっしゃり、いろいろな話を伺えたのですが、いつまで経っても話が終わらないような感じで気をもんだことを思い出します(2022年5月12日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その2)……野村から太岡寺畷へ)。見えている大木は、イチョウとクスノキ。ほかにイスノキがあり、そのイスノキにできる虫こぶが、「ひょんなこと」の語源になっているそうです。詳しくは、2022年の記事にあります。

Img_8131c_20240306063501  京口坂の手前に旧佐野家住宅。大地主の商家で、家主は質店などを経営していました。明治初期に改築されていますが、江戸時代の家の様子も引き継ぐといいます。「入り母屋妻入り」の造りで、街道に切り妻の正面を向ける妻入りの町屋は多くないそうです。

Img_8143c_20240306063701  その先、北側に妙亀山照光寺。日蓮宗のお寺。山門の写真は、京口橋の西側から撮っています。見下ろすようになっていますが、昔の東海道は、この山門の高さのところを通っていました。照光寺は、その1で見てきた蓮光寺の由緒のところに出てくるお寺です(2024年3月5日:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ)。

Img_8147c_20240306064001  京口門跡。西側から撮っています。亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に門がありました。東町に築かれた江戸口門とともに亀山城総構の城門として位置づけられました。大正3(1914)年、京口橋がかけられ、この坂道を登る道筋は途絶えてしまいましたが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗だったといいます。この先に京口門、亀山城が見えたということです。歌川広重が東海道五十三次で描いた「亀山」は、このあたりから見た景色という説があります。

Img_8155c_20240306064001  京口門跡の先に純一山常寿院梅厳寺。浄土宗のお寺。伊勢亀山藩主・石川氏の先祖・石川家成は徳川家康の忠実なる家臣であり、石川昌勝が慶安2(1650)年、伊勢亀山藩主となった時に、石川家成の菩提寺をここに移して、藩主・石川氏の菩提寺にしています。寺名の梅巌は、石川家成の院号だそうです。このあたりの詳しいことは、2019年に訪ねたときの記事をご覧ください(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。

 長くなりますので、その2は、ここ京口門跡あたりまでとします。その3は、亀山城西の丸外堀跡、旧舘家住宅などから。

2024年3月 5日 (火)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ

Img_7765c_20240303164501  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その1です。企画のタイトルにある「本能寺の変のとき、家康公が通ったと言い伝えのある隠れ古道」とは、「金王道(こんのうみち/こんのみち)」です。以前からJRさわやかウォーキングの企画で、毎年1回くらいこの金王道を歩くものがあり、一度は参加してみたいと思っていました。この日、朝は冷えましたが、日中、桑名では12.6℃となり、風も昨日よりも弱く、絶好の行楽日和。「物好きな」とか、「元気だな」などといわれること必至ですが、前日の「近鉄ハイキング酒蔵みてある記」に続き、JRさわやかウォーキングに行ったという次第。今回は、一人旅。

Img_7777c_20240303164501  JR桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山駅には、9時ちょうどに到着。¥680。参加者は少ないかと思っていたのですが、電車にもウォーキングに参加すると思われる方がかなり乗車していました。コースマップを受け取って、9時7分頃スタート。

240303jrwalkkameyama  こちらがこの日歩いてきたルートマップ。亀山駅の北側、亀山城跡や東海道に沿ったあたりは、ほとんどのところを訪ねました(たとえば、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。今日は、亀山駅から南、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道を歩き、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ねてきました(このマップでは、旧東海道沿いの一部のところを割愛しています)。

Img_7773c_20240305095101 Img_7792c_20240305095101  亀山駅前は、リニア開通を見越して再開発が行われています。左の写真で中央の建物は、キットテラス亀山。図書館が入っています。奥に見える高い建物は、マンション。駅前の広場もきれいに整備され、バス・タクシー乗り場や、一般車乗降場もあります。かつてはここに能褒野神社の大鳥居があったのですが、それは撤去され、新たに「ヤマトタケル・オトタチバナヒメ」の銅像が建立されました。亀山市名誉市民で文化勲章受章者の彫刻家 中村晋也さんが制作されたもの。

240303jrwalkkameyama1  さて、詳細なルートマップその1です。亀山駅をスタートし、北へ向かい、すぐに右折。さらに右折。県道28号線(亀山白山線)に出て、JR関西本線と紀勢本線の踏切を過ぎ、亀山橋で鈴鹿川を渡り、天神から阿野田の方へ向かいます。1㎞半を過ぎて、最初の立ち寄り先である蓮光寺に至ります。

Img_7850c_20240305100501 Img_7854c  こちらが亀山橋。下流側には、JR紀勢本線の鉄橋もかかっています。この鉄橋の先、津へ行く方向のところで、第二次大戦中の昭和20(1945)年8月2日、硫黄島から飛来した米軍戦闘機P51ムスタング2機が、亀山駅を出発した鳥羽行き列車を攻撃したという「亀山列車銃撃事件」がありました。40名以上が亡くなったといわれ、最大規模の犠牲者を出した列車銃撃だそうです。

Img_7875c_20240305102601  蓮光寺に入って行く交差点のところに公園がありました。ネットの地図で見ると「袴柄園」とあります。なんと読むのかも分かりませんし、ネット検索では何も情報が出て来ません。公園の奥(西北)には石碑が立っていますが、近くまで行って見ては来ませんでした。向かって左端の石碑には「殉国之碑」とあるようです。右端の石碑には、「神社合祀紀念」とあります(昭和44(1969)年4月建立とあります)。かつてここに神社があり、それがほかの神社に合祀されたということと思われます。

Img_7883c_20240303164501  最初の立ち寄り先は、 榊宮山蓮光寺(しんぐうさんれんこうじ)。天台真盛宗のお寺。創建などは不明です。こちらに説明があるのですが、私には今ひとつよく理解できません(とくに2つめの段落では、主語がはっきり書かれていないため)。当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝わり、もとは安養寺に祀られていました(市文化財)。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間(1596~1615年)の火災で堂宇を焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚く守られてきたといいます。十一面観世音像について、山門前にあった教育委員会による説明板には次のようにありましたが、蓮光寺の由緒については言及されていません。

 阿野田町にもと伊勢三十三番札所の一つである慈眼寺があった。亀山城主板倉重常公の母?子は、深く法華宗を信じ野村町に照光寺を建てて、本山とし慈眼寺をその末寺とした。明治の初め慈眼寺が廃寺となってその財産分割に当り本山、末寺の間に争いがあって協議の結果、本尊を照光寺へ脇侍は蓮光寺に残すことになった。しかし本尊、脇侍の区別がはっきりしないまま近年に及んだ。

 昭和二十九年十二月三重郷土史会員の調査の結果、照光寺のものは徳川期の作で脇侍であり蓮光寺に残したものが本尊であることが判明した。なお十一面観音は立像で高さ105センチ、鎌倉から室町にかけての作と推定され秘佛となっている。 昭和57年11月健之 亀山市教育委員会

 ちなみに、山門前に幡間山安養寺について書かれた石柱が立てられています。そこには次のようにあります。

 縁起 二見より多度に至る勢国三十三所第十九番札所幡間山安養寺は当山の西南半里旧阿野田村幡間谷にあり本尊の伝恵心僧都作十一面観世音菩薩は長く人びとの信仰を集めてきた。近世に一時亀山領主板倉氏の庇護を受けた寺も明治維新に際して廃寺の悲運に遭ったが本尊は郷土信者の奔走によって当山に寄託護持せられ大光普照の法燈絶えることなく今に至ったものである。 神宮山蓮光寺

 これには次の和歌が添えられています。

 ふりつつや ここはあのたの はたま谷 訪ね行くてふ 山寺の道

Img_7893c_20240305105201 Img_7897c_20240305105201  本堂は改修工事中でお参りはできませんでした。右の写真が十一面観音立像が納められている観音堂と思います。ちなみに、蓮光寺は伊勢西国三十三所の元第19番札所です。もともとは安養寺が第19番札所であったため、蓮光寺は「元19番」なのです。

Img_7901c_20240305105201  山門を入った左手に「切支丹灯籠」があります。この燈籠は、文政5(1822)年に、妙玄という迎接庵の主が建立したそうです。いわゆる織部灯籠なのでしょうが、竿部の形が十字架に似ていることから、「切支丹灯籠」という名前が付けられたといいます。竿石(胴の部分)に十字模様や像を刻み、これをキリストの尊像と見立てて崇拝することもあったようです。

Img_7909c_20240305121901 Img_7924c_20240305121901  蓮光寺から1㎞半弱、いわゆる田舎道を進んでいきます。こういう道を歩くのは、気持ちがよいものです。

240303jrwalkkameyama2  ルートマップは、その2になります。その1と似たような範囲になりますが、スタートから約3㎞のところから2㎞ほどが金王道になります。地名では、阿野田から天神まで、金王道が残っています。途中で、JR紀勢本線の阿野田隧道の上を越えていきます。

Img_7930c_20240303164501 Img_7934c_20240303164601  スタートから3㎞、45分ほどで金王道(こんのうみち/こんのみち)の入り口に来ました。金王道は、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常磐御前に義朝の最期の様子を知らせに馳せ上った道であると伝えられます。また、家康の、あの「伊賀越え」のときにここ金王道を通ったという説もあります(こちら)。東海道から離れ、起伏を避け、目立たないように南部丘陵地帯を縫うようにつくられたルートです。

Img_7966c_20240303164601 Img_7981c_20240303164601  金王道は、比較的歩きやすく整備されたところもありましたが、けっこう急なところもあり、いかにも古道という雰囲気でした。こういうところを歩くのは、なかなか楽しいものです。ちなみに、金王丸(こんのうまる)は源義朝の童として義朝のそば近くに仕え、義朝の死後は出家し、諸国を行脚し主の菩提を弔ったとも、土佐坊昌俊(しょうしゅん)と名を変え頼朝に仕えたともいいますが定かではありません。

Img_8004c_20240303164601 Img_8009c_20240305122701  金王道は約2㎞続いていましたが、30分足らずで歩き終えられました。天神公園のところに出て来ます。 天神公園は、休憩に最適という情報もありましたが、先に進むことにしました。公園のところからは亀山の市内が遠望できます。

Img_8027c_20240303164601  このあと、鈴鹿川に沿ったあたりを歩いていきます。この時分にはかなり暖かくなってきました。その1では、蓮光寺についてあれこれ調べ、講釈を垂れました。由緒については結局よく分かりません。さらに、リソースで書いてあることが違っていたりしています。その1はここまで。その2は忍山神社から。

2024年3月 3日 (日)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

Img_7765c_20240303164501  朝は冷えましたが、日中、桑名では12.6℃となり、風も昨日よりも弱く、絶好の行楽日和。「物好きな」とか、「元気だな」などといわれること必至ですが、昨日の「近鉄ハイキング酒蔵みてある記」に続き、今日はJRさわやかウォーキングに行ってきました。数年前、今よりも若い頃は、土日連続でよくハイキング/ウォーキングに行っていました。今日のJRさわやかウォーキングのコースには、前から興味があった「金王道」が含まれていましたので、是非とも行きたいと考えたのです。今日は、一人旅。予告編です。

Img_7777c_20240303164501  JR桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山駅には、9時ちょうどに到着。¥680。参加者は少ないかと思っていたのですが、電車にもウォーキングに参加すると思われる方がかなり乗車していました。コースマップを受け取って、9時7分頃スタート。

240303jrwalkkameyama  こちらが今日歩いてきたルートマップ。亀山駅の北側、亀山城跡や東海道に沿ったあたりは、ほとんどのところを訪ねました(たとえば、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。今日は、駅から南、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道を歩き、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ねてきました(マップでは、一部のところを割愛しています)。

Img_7883c_20240303164501  最初の立ち寄り先は、 榊宮山蓮光寺(しんぐうさんれんこうじ)。天台真盛宗のお寺。創建などは不明です。当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝わり、もとは安養寺に祀られていました。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間の火災で堂宇を焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚く守られてきたといいます。

Img_7930c_20240303164501 Img_7934c_20240303164601  続いて、待望の金王道(こんのうみち/こんのみち)。金王道は、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常磐御前に義朝の最期の様子を知らせに馳せ上った道であると伝えられます。また、家康の、あの「伊賀越え」のときにここ金王道を通ったという説もあります(こちら)。東海道から離れ、起伏を避け、目立たないように南部丘陵地帯を縫うようにつくられたルートです。以前からときどきJRさわやかウォーキングのコースに設定されていて、一度は歩いてみたかったところです。

Img_7966c_20240303164601 Img_7981c_20240303164601  金王道は、比較的歩きやすく整備されたところもありましたが、けっこう急なところもあり、いかにも古道という雰囲気でした。こういうところをあるくのは、なかなか楽しいものです。ちなみに、金王丸(こんのうまる)は源義朝の童として義朝のそば近くに仕え、義朝の死後は出家し、諸国を行脚し主の菩提を弔ったとも、土佐坊昌俊(しょうしゅん)と名を変え頼朝に仕えたともいいますが定かではありません。

Img_8027c_20240303164601  このあと、鈴鹿川に沿ったあたりを歩いていきます。この時分にはかなり暖かくなってきました。

Img_8083c_20240303164601  忍山神社。式内社。垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされたと伝わります。以前にも訪ねていますので、詳しくはそちらの記事をご覧ください(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。

Img_8190c_20240303164601  旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。ここも一昨年訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。今日は、おひな様が飾られているということでしたが、パスしました。

Img_8216c_20240303164601Img_8239c_20240303164601  旧亀山城多門櫓。三重県内に唯一残る江戸時代の城郭建造物です。ここも3年前に訪ね、内部も見学していますので(2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)、今日は外観を見ただけ。

Img_8345c_20240303164701 Img_8327c_20240303164701  亀山城跡の東に延寿山地蔵院遍照寺。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。本堂は旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。

Img_8377c_20240303164701 Img_8384c_20240303164701  亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。本編は、またあれこれ調べながらボチボチと書いていきます。

2024年2月27日 (火)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

Img_7292c_20240225190901 Inazawa0  2月24日に行ってきた「はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング」の本編その2です。その1では、JR稲沢駅をスタートし、神明社、宮前公園、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社まで行きました。その2では、国府宮神社から南へ神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居から長束梅公園、大光寺、白山神社、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所のエレベーター試験塔と回ります。

Img_7299c_20240225191201 Img_7316c_20240224154201  国府宮神社から南に300mほど行ったところに大御霊神社への道標があります。ここを右折して200mあまり行くと、大御霊神社があります。ここも国府宮三社の1つ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。JRさわやかウォーキングの参加賞品でもらった三角チェアが大活躍。お茶を飲んで水分補給をするとともに、甘い物でエネルギー補給。

Img_7337c_20240224154201  参道に戻ってさらに南へ。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301 Img_7347c_20240225192301  こちらは中高記念館。珍しい名前ですが、明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。「中島郡高等小学校」を略して「中高」なのでしょう。もともとは、明治13(1880)年に建てられたようですが、何に使われていたかは定かではありません。高等小学校当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7380c_20240225192401 Img_7373c_20240224154301  中高記念館の南、大江橋の手前にある国府宮神社の鳥居。神社からここまで600mほど参道が続いています。この日、参道は、臨時駐車場になっていました。 社号標も大きく、その南には、2月11日の「儺追神事(はだか祭)標柱建式」で建てられた標柱があります。

Img_7403c_20240224154301  この鳥居のすぐ南に大江川にかかる大江橋があります。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7419c Img_7411c_20240225193001  稲沢中学校の西側をまだまだ南へ進んでいきます。道の両側には、石灯籠が並んでいます。これは、大鏡餅を奉納した地区が奉納した石灯籠のようです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木(樹齢90年ほど)でした。

Img_7479c_20240225193401  これは、長束梅の花。実は、この公園内に長束正家邸址があったのですが、それは見忘れました(苦笑)。長束正家は、豊臣五奉行の一人で、ここが生誕地とされています。コースマップには書いておいたのですが、うっかり。注意力が低下しているようです。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401 Img_7530c_20240225193601  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。ちなみに拙宅マンションのエレベーターも三菱ビルソリューションズのものです。

Img_7556c_20240224154401  せっかくここまで北からにはと思い、工場の入り口のところまで行ってエレベーター試験塔を見てきました。迫力があります。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  この日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、2.5㎞ほどですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。

 ちなみに国府宮神社で授与していただいた「儺追大鏡餅(切餅)」は、焼いて醤油をつけ、海苔を巻いていただきました。

 

 

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  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

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    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

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    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)