お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

城・城跡

2024年9月15日 (日)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

 9月11日に行って来た、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコース「久居(ひさい)散策」の本編その2です。その1では、久居駅をスタートし、寺町あたりで寺社を巡ってから、子午の鐘・木槿塚までやってきました。このその2では、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、高通児童公園、伊勢自動車道をくぐって戸木地区を回ってから、賢明寺、本念寺などへと続きます。

Img_4374c_20240915133101  子午の鐘・木槿塚を西に出たところに、「幸町(さやまち)御門跡」という案内がありました。初代藩主・藤堂高通は、藩主御殿と武家屋敷の周りを堤や土構で囲み、城外の、万町、幸町、旅篭町、本町、ニノ町(奈良街道筋)には町人を住まわせています。ここは、武家屋敷と町屋を結ぶ御門があったところ。

Hisai2  こちらは、実際に歩いてきたルートマップその2。誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けます。江戸時代には、武家屋敷があったところです。久居中学の西に隣接して、高通(たかみち)児童公園があります。その後は、伊勢自動車道を潜り、戸木(へき)地区を廻り、再び伊勢自動車道を越えます。

Img_4421c_20240911165401  高津藩主藤堂高虎の孫高通が、宗家から分かれて久居藩を立てたのですが、その藩主御殿跡がこの高通児童公園になっています。隣にある久居中学校の敷地までが久居陣屋だったそうです。津2代藩主・藤堂高次が隠居するとき(寛文9(1669)年)、津藩領32万3950石のうち、5万石を弟の高通に分けて、久居藩がつくられています。翌年から陣屋や城下町を建設し、寛文11(1671)年に高通が入府しました。「永久に鎮居する」という意味で、「久居」と名づけています。陣屋の遺構はありませんが、陣屋御殿跡と開府の碑などがあります。こちらに久居350年の歴史についての説明があります。左の写真は、「御殿山記念碑」。久居藩初代藩主高通公の久居入府250年を記念して大正10(1921)年に建てられた「御殿山の記念碑」があります。石碑は、本体だけで高さ4mを超える大きなもので、歴代の久居藩主の功績をたたえる碑文が彫られています。高通の入府250年を記念して、大正10(1921)年に建てられています。

Img_4425c_20240915134401  御殿山記念碑に向かって左手には、「高通公生誕三百五十年記念句碑」が立っています。平成6(1994)年の建立。高通は、文教藩学をすすめ、俳人としても秀れていて、任口(にんこう)と号しています。句碑には、「躬(み)やことし高野にからば花の春 任口」と彫られています。また、説明板には、「町生まる世も斯く湧けり雲の峰 及道」「伊勢路より伊賀路に入りて句碑のどか 芳泉」の句が添えられていました。

Img_4438c_20240915135101  こちらは、昭和3(1928)年に建てられた「玉井丈次郎先生彰徳碑」。玉井丈次郎(たまいじょうじろう)は、明治41(1908)年、津~久居間の軽便鉄道の開通に重要な役割を果たし、また陸軍第三師団が三重県に部隊を置く際には、連隊の誘致に乗り出し、歩兵第51連隊の招致を成功させるなど、久居の町の発展に著しく貢献をした人物で、碑文には、その功績が記されています。

Img_4410c_20240915135501  また、昭和8(1933)年に建てられた久居町と本村の合併記念碑も公園内に立っています。明治22(1889)年、市制・町村制の施行により、久居は町制を施行しています。そのとき、東鷹跡町に役場を置きました。一方、本村(もとむら)は、小戸木村(こへきむら)と合併し、本村(もとむら)と称しています。久井町と本村は、人家が続いて市街を形成していて、近隣同士で生活を助けあう関係にあったといいます。また、陸軍用地が両町村にまたがっていたこともあり、経済的にも密接なつながりがありました。このようなことから、昭和6(1931)年に無条件で合併したのです。

Img_4450c_20240915140101 Img_4542c  このあとは伊勢自動車道の下をくぐって戸木地区へ。戸木小学校のところを通り、遠くに青山高原などを眺めながら、暑い中、ひたすら2㎞以上を歩きます。

Img_4535c_20240911174101 Img_4505c_20240915140401  このような水田地帯が続きます。春や秋でしたら、さぞ気持ちがよいのでしょうが、この日は最高気温32.3℃とかなり暑く、結構大変でした。

Hisai3  この先、ルートマップはその3へ。賢明寺、本念寺、川併神社へと進みます。

Img_4599c_20240911165501 Img_4611c_20240915140701  再び伊勢自動車道をくぐって、青龍山千手院賢明寺(けんみょうじ)へ。天台宗。「ひさいの観音さん」と親しまれているそうです。比叡山延暦寺の末寺に属し、創建は奈良時代の天平年間(730年ごろ)で、聖武天皇の勅願により、行基によって開かれたと伝えられています。南北朝時代に兵火を被りましたが、北畠氏が再建し、以来北畠氏代々の祈願所となっています。その後、織田信長の軍勢により焼失したものの、江戸期に入り寛永年間(1630年ごろ)に再興されました。仁王門(市文化財)は、貞享元(1684)年のもので、大変立派でした。

Img_4608c_20240915140701 Img_4655c_20240911165501  久居藩初代藩主高通公も深く本尊に帰依し、貞享2(1685)年に銅灯籠を寄進しています(市文化財)。また、このお寺には、鎌倉時代(弘安8(1285)年)の石造板五輪塔(県文化財)があります。鎌倉中期の代表的な五輪塔で、石を組み合わせたものではなく、花崗岩の板状の一石を五輪塔に刻んだものです。この石造板五輪塔は、東大寺大仏殿を再建した重源上人(ちょうげんしょうにん)の母の三十三回忌供養のために建立されたものと伝えられています。三重県下最古のもので、三重県の指定文化財にもなっています。

Img_4670c_20240911165501 Img_4674c_20240915141401  賢明寺の近くに受福山本念寺。真宗高田派。天正年間(1573~1592年)の創建。もとは真言宗でした。

Img_4736c_20240915141901 Img_4697c_20240911165501  本念寺から東に川併(かわい)神社式内社。ご祭神は、天忍穂耳命ほか9座(詳細は、上野リンク先をご覧ください)。創始は明らかではありませんが、平安時代以前と考えられ地升。戦国時代、荒廃していましたが、久居藩が建てられる前は、地名にちなんで「野辺惣社」と称し、村域の氏神でした。寛永2(1625)年、本殿が造立され、同7(1632)年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請して配祀されています。元禄4(1691)年に社殿が造立され、久居藩主参列のもと盛大な完成式典が斎行されたといいます。

Img_4707cc  神社の説明板によれば、本殿は、この地方には稀な、古風な「一間社春日造(いっけんやしろかすがづくり)」の様式を伝えているそうです。「一間」というのは、井桁の土台の上に4本の丸柱を立てた平面が、方一間であるからです。「方」は正方形の一辺の長さを意味します。要するに、正方形の井桁の形に、四つの柱を立てたものの上に床や屋根を乗せています。「春日造」は、春日神社本殿の形式であるということ。塀の隙間から写真を撮ってきました。なお、久居にある神社については、「久居浄化案内人の会」がこちらにまとめておられます。

Img_4716c_20240915141901  ほかに境内には、神宮遙拝所もあります。

Img_4754c_20240911165501 Img_4401c_20240915143901  川併神社から北東に向かいます。途中、このような古い町屋も残っています。この家は、奈良道に沿ったところに建っていました。奈良道とは、月本追分で伊勢街道から分かれ、雲出川を遡り、久居の町から戸木、羽野、塩見阪、稲葉をへて五百野(津市美里町五百野)で伊賀街道と合流します。「伊賀越えならみち」「奈良道」と呼ばれ、古くから開けたルートでしたが、藤堂高虎が津へ入城すると、津と上野間の往来が激しくなり、明治10(1877)年には津から上野までが「伊賀街道」となり、奈良道の名称は月本~久居~五百野の間だけ残ることになっています。「奈良道」は、2018年12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」で、別のところを少しだけ歩いています(2018年12月26日:20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ)。そういえば、街のあちこちに、奈良道などを案内する石柱が立てられていました。

Img_4761c_20240915145401 Img_4779c_20240911170301  さて、久居駅にほど近いところに寂陽山法苑院妙華寺。真宗高田派。天和元(1681)年の創建。藤堂家の姻戚寺院だそうです。本堂は、国の有形登録文化財。

Img_4804c Img_4826c_20240915145801  妙華寺の東に霊雲山玉セン寺。天台真誠宗。山門は武家の屋敷門の形式。久居藩の菩提所として初代藩主高通公から境内地が与えられ、延宝7(1679)年に創建されました。文政4(1821)年の「久居焼け」といわれる大火により焼失しましたが翌年に再建、また明治36(1903)年に再び焼失し、現在の本堂は大正3(1914)年に再建されたものです。今も鐘堂に大火の跡が残されています。本堂には市の文化財である藩主の木像(初代藩主高通公の像、2代藩主高堅公の像)が納められているそうです。

Img_4830c_20240911170401  久居藩主2代高堅(たかかた)、3代高陣(たかのぶ)の墓所があり、それぞれの大五輪塔があります。この写真がそれと思います。 

Img_4823c_20240911175801  当初は、玉泉寺といったのですが、2代藩主高堅のときに高虎の官名「和泉守」に差し障るという理由で改名しています。正しい文字は、左の写真のとおりです(パソコンでは変換できませんでした。ATOKの手書き入力でも不可能)。これで目的地はコンプリート。なお、久居にあるお寺については、「久居城下案内人の会」が解説をWebにあげておられます(こちら)。

Hisai4 Img_4840c_20240911170401  ゴールは、スタートした久居駅。11時10分に戻ってきました。2時間40分かかっています。蒸し暑かったため、全身汗びっしょり。歩いた距離は、Google Fitでは8.1㎞(実家に戻った時点で)。スマホの「からだメイト」では、11.8㎞になっていましたが、これは過大評価でしょう。11時16分に実家方面へ行くバスがあり、それに乗って12時前には実家に帰宅。

Screenshot_20240911112503c Screenshot_20240911112512c  今日歩いたコースは、初めに書きましたように近鉄あみま俱楽部のハイキングコース。アプリ対応コースでしたので、 左の画像のように、久居駅、子午の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉セン寺でデジタルスタンプをゲット。また、右の画像(左上)のように踏破賞ももらいました。

2024年9月11日 (水)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)

Img_4077c_20240911165201  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、今日は暑かったものの、ハイキングへ。津のアメダスでは、最高気温は32.3℃。湿度も高く、蒸し暑い日でした。そういえば、ウォーキング/ハイキングは、6月8日に斎宮へ花菖蒲を見に行って以来です(2024年6月8日:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結))。今日は、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコースから「久居(ひさい)散策」を選びました。近鉄名古屋線久居駅がスタート&ゴールで、約7㎞。久しぶりに歩くには、ちょうど良い距離。今日の記事は、予告編。

Hisai0  実家からは三重交通のバスで久居駅へ。約30分、¥580。8時半に久居駅前をスタート。主な立ち寄り先は、子午(とき)の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉せん寺。アプリ対応コースですので、チェックポイントでチェックインすると、デジタルスタンプがもらえ、すべてそろえると踏破賞のデジタルスタンプが1個。

Img_4119c_20240911165201 Img_4128c_20240911165201  久居駅からすぐ西に永昌山本妙寺。日蓮宗。延宝5(1677)年の創建。久居藩初代藩主・藤堂高通(たかみち)が寺領1,500坪を与えました。続いて、万松山専淋寺。真宗本願寺派。元禄元(1688)年、津の大門にある専淋寺から分寺。

Img_4158c_20240911165301  このあたりは久居の寺町。その先に曹洞宗の龍沢山天心寺。残念ながら、雑草が生い茂ってしまっていました。寛文10(1670)年の創建。

Img_4161c_20240911165301 Img_4177c  寺町交差点を渡ったところに見性寺。曹洞宗。寛文2(1662)年、初代藩主・藤堂高通の筆頭家老・藤堂源助(高虎の甥)が開府2年前に伊賀上野から来る途中、長野峠で和尚に会い、寺を開くことになったといいます。藤堂源助一族の墓所がありました。

Img_4197c_20240911165301  寺町交差点の南西に見上山光月院天然寺。浄土宗。寛文11(1671)年の創建。久居藩初代藩主・藤堂高通が、津の天然寺五世聖誉(しょうよ)上人に帰依しており、分封の時に建立寄進。

Img_4279c_20240911165301 Img_4217c_20240911165301  天然寺の南に久居八幡宮。ご祭神は品陀和気命ほか11座。久居藩ができるとき、領内小戸木にあった八幡宮を御殿の(うしとら)の方角に鬼門除けとして遷し、久居の総守護としました。明治の合祀令により、近在の21社を合祀し、野辺野(のべの)神社と改称しましたが、令和2(2020)年に久居八幡宮に復しています。

Img_4320c_20240911165401  寺町交差点まで戻って、その西に浄土宗の超然寺。元和3(1683)年、伊賀上野代超寺の末寺としてつくられています。

Img_4349c Img_4362c_20240911165401  超然寺から南に行き、見逃しそうな細い道を入っていきます。そこに子午(とき)の鐘(市文化財)。天文元(1736)年に、当時の久居城下に時を知らせる鐘としてつくられたもの。寛政元(1789)年に現在地に移転。この子午の鐘のすぐ西に芭蕉の句碑があります。「道端(原文は道ばた)の木槿は午に喰われけり」とあります。安永7(1778)年の建立。

Img_4421c_20240911165401  このあとは、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、スタートから2㎞あまりで高通児童公園へ。津藩主藤堂高虎の孫高通が、宗家から分かれて久居藩を立てたのですが、その藩主御殿跡がこの公園になっています。津2代藩主・藤堂高次が隠居するとき(寛文9(1669)年)、津藩領32万3950石のうち、5万石を弟の高通に分けて、久居藩がつくられています。翌年から陣屋や城下町を建設し、寛文11(1671)年に高通が入府しました。「永久に鎮居する」という意味で、「久居」と名づけています。陣屋の遺構はありませんが、陣屋御殿跡と開府の碑などがあります。こちらに久居350年の歴史についての説明があります。

Img_4535c_20240911174101 Img_4542c  このあとは伊勢自動車道の下をくぐって戸木地区へ。遠くに青山高原などを眺めながら、暑い中、ひたすら2㎞以上を歩きます。

Img_4599c_20240911165501 Img_4655c_20240911165501  再び伊勢自動車道をくぐって、青龍山千手院賢明寺(けんみょうじ)へ。天台宗。「ひさいの観音さん」と親しまれているそうです。仁王門(市文化財)は、貞享元(1684)年のもので、大変立派でした。このお寺には、鎌倉時代(弘安8(1285)年)の石造板五輪塔(県文化財)があります。鎌倉中期の代表的な五輪塔で、石を組み合わせたものではなく、花崗岩の板状の一石を五輪塔に刻んだもの。

Img_4697c_20240911165501  Img_4670c_20240911165501 賢明寺の近くに受福山本念寺。真宗高田派。天正年間(1573~1592年)の創建。もとは真言宗でした。本念寺から東に川併(かわい)神社。ご祭神は、天忍穂耳命ほか9座。創始は明らかではありませんが、江戸時代は、地名にちなんで「野辺惣社」と称していました。式内社。

Img_4779c_20240911170301  川併神社から北に向かいます。駅にほど近いところに寂陽山法苑院妙華寺。真宗高田派。天和元(1681)年の創建。藤堂家の姻戚寺院だそうです。本堂は、国の有形登録文化財。

Img_4804c Img_4830c_20240911170401  その東に霊雲山玉セン寺。天台真誠宗。山門は武家の屋敷門の形式。久居藩主2代高堅(たかかた)、3代高陣(たかのぶ)の墓所があります。右の写真がそれと思います。

Img_4823c_20240911175801  当初は、玉泉寺といったのですが、2代藩主高堅のときに高虎の官名「和泉守」に差し障るという理由で改名しています。正しい文字は、左の写真のとおりです(パソコンで変換できるか、確かめていません)。これで目的地はコンプリート。なお、久居にあるお寺については、「久居城下案内人の会」が解説をWebにあげておられます(こちら)。

Img_4840c_20240911170401 Screenshot_20240911112054c  ゴールは、スタートした久居駅。11時10分に戻ってきました。2時間40分。全身汗びっしょり。歩いた距離は、Google Fitでは8.1㎞(実家に戻った時点で)。スマホの「からだメイト」では、11.8㎞になっていましたが、これは過大評価でしょう。11時16分に実家方面へ行くバスがあり、それに乗って12時前には実家に帰宅。

Screenshot_20240911112503c Screenshot_20240911112512c  今日歩いたコースは、初めに書きましたように近鉄あみま俱楽部のハイキングコース。アプリ対応コースでしたので、 左の画像のように、久居駅、子午の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉セン寺でデジタルスタンプをゲット。また、右の画像(左上)のように踏破賞ももらいました。

2024年5月 3日 (金)

20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)

Img_1629c_20240503131801  朝からよく晴れました。気温は上がるという予報ですが、絶好のハイキング日和です。いつもの散歩コースとかなり重なりますので、若干迷ったのですが、近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」に行ってきました。珍しく、娘が一緒に行くというので、二人で歩いてきました。約6㎞、ファミリー向けコースという設定です。

Img_1610c_20240503131301 Img_1423c_20240503131301  自宅から徒歩にて桑名駅へ。受け付け開始は、9時半。場所は、桑名駅2階の自由通路、近鉄改札前。受け付け開始の頃に着いたのですが、少し早めに始まっていたようです。

Img_1427c_20240503131301 240503kintetsuhikekuwana0  今日のコースマップ。地元で、しかも熟知したエリアですから、地図がなくても歩けますが、真面目にコースマップにしたがって歩くことにしました。右が、実際に歩いたルートマップ。ちょうど6㎞でした。9時30分を少し回った頃にスタート。

Img_1433c_20240503131301 Img_1436c_20240503132101  八間通を行くかと思ったのですが、総合医療センターや、精義小学校のところから寺町商店街の南に向かいます。左の写真は、駅前のサンファーレ。左端には、7年前に閉館した桑栄メイトが写っています。桑栄ビルの売却が進まず、再開発が遅れています(こちら)。右の写真は、国道1号線を渡るところ。愛知銀行桑名支店の向こうに桑名市総合医療センターが見えています。

Img_1442c_20240503131301 Img_1453c_20240503131401  寺町商店街には、9時45分頃に到着。ゴールデンウィークとあってか、三八市は大賑わいでした。買い物はせず、通過してきました。

Img_1451c_20240503131401  ただ、途中で、このようなものが展示されていました。「大名行列 南寺町」という幟旗がありますが、駕籠は大名が乗るほど立派ではないように見えます。説明はありませんでした。何かの行事に使ったように思われました。

Img_1460c_20240503131401 Img_1472c_20240503131401  続いて、春日神社(桑名宗社)の門前にあるとらや饅頭へ。ハイキング参加特典でとらや饅頭が、1個¥170のところ、¥150でしたが、われわれはみたらし団子をチョイス。歩き始めて30分もたっていないのに、小休止。焼きたてでめちゃめちゃ美味しい。1本が¥100。

Img_1478c_20240503131401 Img_1474c_20240503131401  ちなみにこちらが、春日神社。左の写真は、青銅の鳥居。旧東海道に面しています。右の写真は、楼門。青銅の鳥居から東海道に出て、七里の渡し跡まで往復。

Img_1485c_20240503131401 Img_1481c_20240503131401  七里の渡し跡。毎日の散歩コースです。いつもは、この伊勢一の鳥居の向こう側を通っていきます。右の写真は、歌行燈本店あたりの旧東海道の様子。奥に七里の渡し跡があります。

Img_1518c_20240503131401  七里の渡し跡から春日神社の東にある中橋まで戻って、九華公園へ。毎日のように来て、バードウォッチングをしています。

 Img_1499c_20240503131401 Img_1503c_20240503131401 今日は、公園に隣接する鎮国守国神社金魚まつりが行われています。神社の方には行っていません。堀には金魚のオブジェが浮かび、祭が行われる町内には、行灯が掲げられています。

Img_1522c_20240503131401  九華公園を東に抜け、吉之丸北自治会の集会所で、金魚御輿。散歩友達のAさんと出会い、しばし歓談してきました。今日は、午後から、鎮国守国神社に金魚御輿の練り込みがあります。

Img_1542c_20240503131401 Img_1530c_20240503131401  続いて赤須賀神明社へ。赤須賀は、室町時代に三河国から渡来した武将たちによって開発された漁業の町であり、産土神として、三河より移遷した神明社が祀られています。ご祭神は、天照大神。左の写真で向かって左が神明社。右は、一目連神社。ご祭神は、天目一箇命。寛政3(1791)年に多度大社より水災除守護神として勧請されています。ここも石取祭が行われます。鳥居は、伊勢神宮の式年遷宮のとき、滝原宮のものが下賜されています。

Img_1534c_20240503131401  ここには、雷様が落ちた井戸があります。娘は知らないというので、見てきました(2012年6月18日:雷様の落ちた井戸を見に行く……赤須賀神明社へ)。詳しいことは、リンク先の記事をご覧ください。

Img_1545c_20240503131401  次は、はまぐりプラザ。桑名市の城東街づくり拠点施設になっています。裏(西)側を通って来ただけですので、写真も裏側から。ここには食堂はまかぜがあり、蛤などが食べられますが、ゴールデンウィーク後半はお休み。ここで時刻は10時半。歩いた距離は3.5㎞ほど。残りの立ち寄り先は、2ヶ所。

Img_1556c_20240503131401 Img_1581c_20240503131401  貝塚公園や内堀南公園の近くを通って、柳原から新屋敷に行くと、中川ベーカリーがあります。バウムクーヘンなどで有名な洋菓子店。¥1,000以上買うと、10%割引でしたが、通過。国道1号線を越え、三ツ矢橋で寿恵広。アイス饅頭で有名なお店。アイス饅頭が10%引きでしたが、あの堅さ! 今の私の歯では、まさに歯が立ちません(苦笑)。

Img_1586c_20240503131401 Img_1595c_20240503131401  11時にゴールの近鉄名古屋線益生駅に到着。6㎞を1時間半で歩いて来るという、ハイスピードハイキングでした。娘の方が歩くのが速いのです。抽選会があるということで少しだけ楽しみにしてきました(期待しすぎるとよくありません)。が、今日もまたハズレ。参加賞ということで右の写真のようなシールをいただきました。

Img_1609c_20240503131401  11時9分に名古屋行き準急がありましたので、それに乗車。桑名駅には11時12分着。¥180。11時半には帰宅。朝、自宅を出たのが9時15分頃でしたから、2時間15分ほどですべて完了。使ったお金は、みたらし2本で¥200と、電車賃の¥180で、計¥380でした。まさに「安近短」の典型。

Screenshot_20240503112922c Screenshot_20240503110700c  こちらはGoogle Fitのデータ。8.71㎞で、歩数は、13,504。いつもの散歩に毛が生えたくらいの距離と歩数。右のスクリーンショットは、エキタグでゲットした益生駅のデジタルスタンプ。これで集めたスタンプは7個。

Img_1512c  ところで、この1週間で3回も近鉄ハイキングに参加しています。数年前と同じくらいのハイペース。明日も、菰野で近鉄ハイキング「菰野まるごとハイキング・春 春の菰野富士ハイキング」があります。菰野富士は、5年前に登りました(2019年9月16日:20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編))。このときは9月で暑かったため余計にしんどかったと思うのですが、明日は今日より気温が上がるという予報。今回は、パス。菰野富士の標高は396m、コースは約8㎞でした。スタート&ゴールの湯の山温泉駅は、標高約135mですから、昨年、養老の滝に登ったくらいの高低差です(2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編))。

【付記(5/4)】 寺町商店街に飾られていた「大名行列 南寺町」とある駕籠は、南寺町が鎮国守国神社の金魚まつりに参加していたときのものだそうです。精義OBさまからコメントでご教示いただきました。お礼申し上げます。

2024年3月 7日 (木)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

240303jrwalkkameyama3  3月3日に行ってきたJRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」の本編その3です。その2では、松月地蔵、忍山神社から野村町に出て旧東海道沿いのお寺、旧家を見て京口門跡あたりまで来ました。京口門跡から先のあたりも、2022年に訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。詳しくはこちらの記事もご覧ください。

Img_8170c_20240306070501  京口門跡の先で東海道は、右折します。そこに亀山城西の丸外堀跡があります。亀山城の外堀の一部で、東海道と外堀が並行して接する場所で、城の防御上、また、景観上重要な場所だったといいます。町屋側には番所、した。跡北復元地南には西之丸西櫓があったそうです。深さ1.8m程度の水堀で、水深は60㎝程度であったといいます。

Img_8190c_20240306070701  右折し、さらに左折したところに旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。市文化財です。この日は、おひな様の展示が行われていましたが、パス。

Img_8194c_20240306071501  東海道が左折するところに飯沼慾斎生家跡。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応1元(1865)年)は、江戸後期の蘭方医、植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。2022年に大垣に行ったとき、飯沼慾斎邸跡を確認しています(2022年06月21日:20220612水の都・大垣ウォーキング(その3)……船町川湊から美濃路を歩いてゴールの大垣駅へ(完))。

Img_8201c_20240306072101 Img_8205c  北に向かって行くと、青木門跡。西の丸の西南に位置する門で枡形を形成しており、今もそれが残っています。元和元(1615)年、徳川家康が大阪へ出陣のとき、亀山城に宿泊し、搦手門から出立の時、附近に繁茂した青木を見て、「おお青木」と賞賛したことから、門を青木門と呼ぶようになったという話が伝わっています。

Img_8208c  枡形の先に旧加藤家屋敷があります。江戸時代後期、亀山藩主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷跡です。もともとは相当な敷地面積があったようですが、明治以降、ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築です。

Img_8216c_20240303164601 Img_8229c_20240306073001  田中病院のところから外堀であった「池の側」のところに出ます。ここで東海道からはいったん離れます。「池の側」自体が、堀の名残であるこの池の名前になっています。そこから旧亀山城多門櫓が見えます。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9 (1632)年頃に築造されたとみられます。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。土日祝日は公開されています。

D16900dd 06273b02  以前、2回ほど内部を拝観しています(2022年4月27日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(その3)……亀山城址にて多門櫓、明治天皇行在所旧蹟、亀山演武場などを見て、亀山駅にゴール(完)、2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)。 左の写真は2022年、右の写真は2019年に訪ねたときのもの。

Img_8239c_20240306074201 Img_8248c_20240306074201  亀山城跡にあるますみ児童公園で2回目の小休止。ここには、SL C58359が保存されています。保存状態はかなりよいといえます。昭和19(1944)年、川崎車両神戸工場で製造され、王寺機関区、竜華機関区、亀山機関区で運行されていた車両です。昭和45(1970)年3月に廃車となるまでに1,315,593kmを走行しました。こちらに設置されたのは昭和45(1970)年の12月。

Img_8261c_20240306074701  Img_8268c_20240306074701 亀山市役所と亀山西小学校の間を東に向かうと、江ヶ室交番前交差点に出ます。ここは、亀山藩の高札場跡。今は、高札場跡の説明板があるところに広告が多数掲げられていて、さながら「現代の高札場」となっています。ここから江戸までは百四里半、庄野宿まで二里、関宿まで一里半あったそうです。

Img_8272c_20240306075001 Img_8276c_20240306075001  江ヶ室交番前交差点で再び東海道に出ます。江戸方面の東海道は、ここから東に直進しますが、今回のコースでは、京都に戻る方向に歩きます。東海道へはここで右折し、下っていきます。枡形のようになったところの東に「ナガイ種苗東店」がありますが、そこに「東海道亀山宿 横町 わかさざ跡」と書かれた看板が見えました。近くには、ほかに「ひらいや跡」の看板もあるそうです。横町は、古い町名なのでしょう。「わかさざ」が、たとえば「若狭座」であれば、芝居小屋だったのかも知れません。「ひらいや」は何かの商店か、屋号を示すものかでしょう。こちらの市民協働センターの記事によれば、2003年に400枚の屋号看板を取り付けたとありますから、その名残と思われます。

Img_8345c_20240303164701  その先に延寿山地蔵院遍照寺(へんじょうじ)。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末の天保14(1843)年7月に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。中本山に次ぐ四末頭に位置づけられるお寺の1つだそうです。江戸時代には、天台真盛宗を学ぶ多くの修行僧がいたといいます。

Img_8327c_20240303164701 Img_8315c_20240306081501  本堂は、明治5(1843)年に旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。運慶の弟子である行快の作といわれます。両脇侍として、木造観音菩薩坐像・木造勢至菩薩像(県文化財)が安置されています。正面の鬼瓦には、亀山藩の笹竜胆がそのまま使われ、三角形の千鳥破風の降り棟には波型の瓦に上り亀と下り亀の瓦が施されています。

 遍照寺は、Img_8295c_20240306081601 Img_8338c_20240306081601 街道から鐘楼門をくぐると急な坂で、坂の下に本堂があるため「頭で鐘撞く遍照寺」といわれたそうです。実際、左の写真は、東海道から見下ろして撮ったもの。右は、境内から山門を見上げて撮っていますが、東海道からはかなり低くなっています。

Img_8320c_20240306082201  遍照寺では、女性の方(お寺の奥様かと思いました)が、寺のことを説明してくださった上に、説明書と散華をいただきました。

Img_8349c_20240306082101 Img_8362c_20240306082101  遍照寺の西に梅照山誓昌院。真宗高田派のお寺。静かな、よい感じのお寺ですが、詳しいことは分かりませんでした。

Img_8384c_20240303164701 Img_8377c_20240303164701  誓昌院から池の側の南を通って亀山駅に向かって下っていきます。亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8393c_20240306083001Img_8390c_20240306083001  余談ですが、この日、亀山駅には、三重応援ポケモンであるミジュマルが来ていました。11時から12時頃まで、みえ鉄道スタンプラリー最後のイベントキャラバン田ということで、賑わっていました。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで昼食も無事に済ませ、12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。

 

2024年3月 3日 (日)

20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

Img_7765c_20240303164501  朝は冷えましたが、日中、桑名では12.6℃となり、風も昨日よりも弱く、絶好の行楽日和。「物好きな」とか、「元気だな」などといわれること必至ですが、昨日の「近鉄ハイキング酒蔵みてある記」に続き、今日はJRさわやかウォーキングに行ってきました。数年前、今よりも若い頃は、土日連続でよくハイキング/ウォーキングに行っていました。今日のJRさわやかウォーキングのコースには、前から興味があった「金王道」が含まれていましたので、是非とも行きたいと考えたのです。今日は、一人旅。予告編です。

Img_7777c_20240303164501  JR桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山駅には、9時ちょうどに到着。¥680。参加者は少ないかと思っていたのですが、電車にもウォーキングに参加すると思われる方がかなり乗車していました。コースマップを受け取って、9時7分頃スタート。

240303jrwalkkameyama  こちらが今日歩いてきたルートマップ。亀山駅の北側、亀山城跡や東海道に沿ったあたりは、ほとんどのところを訪ねました(たとえば、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。今日は、駅から南、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道を歩き、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ねてきました(マップでは、一部のところを割愛しています)。

Img_7883c_20240303164501  最初の立ち寄り先は、 榊宮山蓮光寺(しんぐうさんれんこうじ)。天台真盛宗のお寺。創建などは不明です。当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝わり、もとは安養寺に祀られていました。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間の火災で堂宇を焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚く守られてきたといいます。

Img_7930c_20240303164501 Img_7934c_20240303164601  続いて、待望の金王道(こんのうみち/こんのみち)。金王道は、尾張の地で最期を遂げた源義朝に仕えた金王丸が、京の常磐御前に義朝の最期の様子を知らせに馳せ上った道であると伝えられます。また、家康の、あの「伊賀越え」のときにここ金王道を通ったという説もあります(こちら)。東海道から離れ、起伏を避け、目立たないように南部丘陵地帯を縫うようにつくられたルートです。以前からときどきJRさわやかウォーキングのコースに設定されていて、一度は歩いてみたかったところです。

Img_7966c_20240303164601 Img_7981c_20240303164601  金王道は、比較的歩きやすく整備されたところもありましたが、けっこう急なところもあり、いかにも古道という雰囲気でした。こういうところをあるくのは、なかなか楽しいものです。ちなみに、金王丸(こんのうまる)は源義朝の童として義朝のそば近くに仕え、義朝の死後は出家し、諸国を行脚し主の菩提を弔ったとも、土佐坊昌俊(しょうしゅん)と名を変え頼朝に仕えたともいいますが定かではありません。

Img_8027c_20240303164601  このあと、鈴鹿川に沿ったあたりを歩いていきます。この時分にはかなり暖かくなってきました。

Img_8083c_20240303164601  忍山神社。式内社。垂仁天皇の御代に倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされたと伝わります。以前にも訪ねていますので、詳しくはそちらの記事をご覧ください(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。

Img_8190c_20240303164601  旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。ここも一昨年訪ねています(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)。今日は、おひな様が飾られているということでしたが、パスしました。

Img_8216c_20240303164601Img_8239c_20240303164601  旧亀山城多門櫓。三重県内に唯一残る江戸時代の城郭建造物です。ここも3年前に訪ね、内部も見学していますので(2019年6月17日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その3)……雨の中、亀山古城跡、花しょうぶまつり、亀山城多門櫓から亀山神社へ)、今日は外観を見ただけ。

Img_8345c_20240303164701 Img_8327c_20240303164701  亀山城跡の東に延寿山地蔵院遍照寺。天台真盛宗のお寺。江戸時代の末に焼失したため、創建した時代は不明ですが、亀山有数の古刹。本堂は旧亀山城二の丸御殿玄関を移築したもので、近世殿舎建築の希少な遺構です。本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもの(県文化財)です。

Img_8377c_20240303164701 Img_8384c_20240303164701  亀山駅に戻ってきたのは、11時50分過ぎ。10.6㎞を2時間45分ほどで歩いてきました。ゴール受付でチェックを受け、10ポイントをゲット。さらに今日の参加記念として「金王道」ストラップをいただきました。竹細工のようです。

Img_8396c_20240303164701 Img_8399c_20240303164701  家内から「ひなまつりだから土産に関の戸を買ってきて欲しい」といわれていたのですが、亀山駅ではキオスクはなくなってしまっていました。臨時の販売ブースが出ていたのですが、そこにも関の戸は売っておらず。しかし、同じ関宿の銘菓である「志ら玉」がありましたので、それを購入。2個で¥240を2つ。こし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な生菓子です。三色の彩りは、四季を現しているそうです。

Img_8402c  昼食をどうしようかと思って、いちおう電車に乗る前にファミマで「明太海苔弁当(¥460)」を買ってきていました。次の名古屋行きは12時24分発でしたので、待合室のベンチでこれをいただいてきました。若い頃でしたら、こういうことは恥ずかしくてできませんでしたが、これも年を取って図々しくなったお陰でしょうか(苦笑)。

Img_8381  ということで12時24分発の快速名古屋行きに乗車。四日市までは各駅に停車します。桑名には13時8分着。 賑わっていましたが、何とか座席を確保できました。¥680。

Screenshot_20240303132830c  今日のGoogle Fitのデータ。12.86㎞、21,668歩でした。久しぶりによく歩いたと実感。現地では、10.4㎞+αを歩きました(ルートマップには、立ち寄り先で歩いた分はカウントしていません)。本編は、またあれこれ調べながらボチボチと書いていきます。

2024年1月14日 (日)

20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結)

Img_5603c_20240114154601  桑名では最低気温が-1.8℃とかなり冷えましたが、天気はよさそうでしたし、風もさほどではないという予報でしたので、予定通り、近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」に行ってきました。タイトルにあるように、専修寺では現在「お七夜」が行われています。専修寺は好みのお寺ですし、お七夜も気に入っているからです。津では、最高気温は6.8℃。歩いた前半はほとんど風もなく、むしろ暖かく感じたくらいでした。令和6(2024)年、初ハイキング/ウォーキングです。

Img_5526c_20240114154501 Img_5522c_20240114154701  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。白子駅に9時12分に着いて、9時14分の津新町行きに乗り換え。高田本山駅には9時30分に到着。¥830。受付開始も9時30分。コースマップを受け取って9時35分にスタート。

240114kintetsutakada  こちらが今日歩いてきたルート。近鉄ハイキングのホームページを見ても、約9㎞とあるのに、立ち寄り先は下津醤油直売所、一身田寺内町の館、高田本山専修寺、魚歳食品㈱はんぺい茶屋、三重県総合博物館のみ。「これはひたすら歩く」ということだなと思ったのですが、まさにその通りでした。このあたりは何度も行っていますので、よく承知のエリア。立ち寄り先をパスするつもりもあり、結局、専修寺と魚歳食品に立ち寄っただけで、ルートマップ上8.3㎞をひたすら歩いた感じでした。

Img_5532c_20240114154501 Img_5538c_20240114154501  高田本山駅から専修寺に向かう道は、一本道。西向かってまっすぐ進みます。伊勢鉄道東一身田駅のところで伊勢鉄道の高架をくぐります。

Img_5544c Img_5561c_20240114154601  高架をくぐってすぐに下津醤油の直売所。醤油は買ってくるなと厳命されていますが、ここの利兵衛団子は、おいしそう。醤油だれが好みです(というか、個人的には甘だれの団子は、団子ではないと思っています)。パスして、先に進みます。その先に一身田寺内町の館。一身田寺内町における地域固有の歴史、文化等を紹介しています。案内もここでお願いできます。何度も来ていますので、ここもパス。

Img_5565c_20240114154601  寺内町の館を過ぎると、専修寺が見えてきます。露店がたくさん並んでいて、けっこう賑わっています。数年前までは、植木屋さんも出ていたのですが、最近はまったく見なくなりました。亡くなった家内の父は、お七夜に行くと、必ず植木を買って帰ったそうです。

Img_5569c  専修寺には9時50分頃に到着。お七夜とは、報恩講のことです。親鸞上人の忌日は、本願寺派・高田派の本山では新暦で1月9日から16日に、他派の本山は旧暦で11月21日から28日まで行なわれるそうです。写真は、山門。重要文化財。2階建で、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの大きな門です。

Img_5607c_20240114154601 Img_5583c_20240114154601  左の写真は、御影堂。780畳という大きな御堂。国宝。右は、如来堂。教義上はこちらが本堂だそうです。ご本尊として「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を祀ってあります。これも国宝。

Img_5596c_20240114161201  専修寺を訪ねたら、納骨堂にも必ずお参りしてきます。家内の父のお骨が納めてあるからです。義母のお骨は、家内や息子がまだ手元に置いておきたいということで、納骨はしていません。

240114100533155c 240115145703986c  さてお参りを済ませたら、お七夜土産。名物のおこしです。これを買わないと、お七夜にお参りした気がしないのです。ミックス5つ入りで¥900。総本家春乃舎さんのもの。創業250年だそうです。寺内町の館の隣にお店があります。専修寺は、これまでに何度も訪れ、一通りは見て回っていますので、今日のところはこれで次に向かいます。

Img_5614c_20240114154601 Img_5621c_20240114154601  JR一身田駅前を通り、窪田の常夜灯を眺めて田園地帯へ。一身田駅の駅舎は、大正12(1923)年12月に竣功し、平成3(1991)年に改修されました。趣のある駅舎です。窪田の常夜燈は高さ8.6mで、津市内最大の常夜灯。滋賀県の商人が資金を出して造り、当初は伊勢神宮まで運ぶつもりだったのが、大きすぎて運ぶのが困難になり、やむなくこの地に設置したものだといいます。文化14(1817)年のもの。

Img_5641c_20240114154601  魚歳食品に着くすぐ前、石積神社(いしづみじんじゃ)があります。以前来ましたので、パス(こちらをご覧ください)。創立は、延喜年間(901~923年)以前ですが、詳細は不詳。織田信長の兵火により灰儘に帰し、神霊は伊勢神宮に遷ったのですが、故あってこの旧社地窪田に奉遷。主祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ;山をつかさどる神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子)。

Img_5655c_20240114154601 Img_5652c_20240114154601  続いて魚歳食品はんぺい茶屋。ここでハイキング特典として、先着150名限定で揚げたての天ぷらの試食があるのです。150名に入れるかと気をもんだのですが、十分に間に合いました(ちなみに今日もらったコースマップの番号は#72でした)。残念ながら、揚げたてではなかったものの、おいしい揚げはんぺいでした。

Img_5658c_20240114163501  さて、ここからは三重県総合文化センターや三重県総合博物館のあるあたりに向かって県道10号線をひたすら歩きます。以前の近鉄ハイキングでは、 天台真盛宗の日照山勝久寺や、大乃己所神社(おおのこそじんじゃ)に立ち寄ったのですが、今日はそれはなし。写真は国道23号線中勢バイパスをくぐったところ。

Img_5665c_20240114154601 Img_5669c_20240114154601  総合文化センターの手前の信号で右折して坂道を登って行くと、上津部田城趾洞門があります。この上に上津部田城址があるそうです。上津部田城(こうづべたじょう)は、志登茂川流域の平地を見下ろす丘陵の北端部に位置する戦国時代の城です。城趾公園も整備されているのですが、ひたすら歩いてきて、いささか疲れていたので、パスしてしまいました。

Img_5677c_20240114154601  次の信号を曲がってから、この洞門のあたりを見るとこういう景色になっています。戦国時代には、こういう小高い丘に城といいますか、城館が築かれることが多かったようです。

Img_5681c_20240114154601 Img_5695c_20240114154601  11時20分頃、三重県総合博物館のあたりに来ました。魚歳食品ではんぺいをいただくときに短時間座っただけで、歩きづめでしたから、ここの駐車場の隅で小休止。博物館では、昭和のはじめ頃から現代にかけて、くらしのさまざまな場面で使われてきた道具を紹介する「くらしの道具」展が開かれており、コースマップを呈示すると観覧料金が2割引(¥520→¥410)になるということでしたが、これまたパス。

Img_5703c  その後、大谷町の住宅街や、三重県総合教育センター、三重県立美術館の近くを通って、11時40分を過ぎた頃、近鉄津駅にゴール。2時間ほどで8㎞以上を歩いてきたことになります。

Img_5707 1705200422873c  今日は家族から、「津駅に行くなら、蜂蜜まんじゅうを買ってくるように」という指令が出ていました。津駅東口(JR津駅側)に蜂蜜まん本舗の出張販売所があるのです。江戸橋に行く水曜日は定休日ですから、非常勤に行くときには買えません。今日こそはと勇んでいったら、「品切れ中」の表示。店の方に伺ったら、「入荷待ちですが、何時に入るかは分かりません」とのこと。

Img_5710c_20240114154601 240114115919591c  やむなく先に食事。津駅ビルチャムの2階にあるそじ坊へ。このお店、大のお気に入りなのです。先日、テレビか何かで見てから食べたかった「鴨南蛮」(¥1,200)をチョイス。とてもおいしく、また、体も温まりました。その後、3階にある別所書店を覗いて、再び蜂蜜まんじゅうが入荷していないか見に行ったものの、まだ。残念ながら、今日は手に入れられず。

Img_5714c_20240114154601  近鉄津駅12時40分発の名古屋行き急行に乗って、桑名駅には13時22分着。非常勤の授業の帰りによく乗る時間です。¥830。写真は、途中で撮った長太の大楠。以前よりも、葉っぱが出て来ている感じです。

Screenshot_20240114134627c  今日のGoogle Fitのデータ。19,110歩、12.29㎞となっています。よく歩きました。ということで、今日の近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」の記事は、これにて完結。

2023年12月30日 (土)

2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ

 猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症も、今年5月8日からは5類感染症に位置づけられ、外出などの制限もなくなりました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングも次第に復活してきましたので、それらにも参加しつつ「勝手にハイキング」にも出かけました。令和5(2023)年は、計22回のウォーキングに行っており、令和4(2022)年よりも5回増えました。以下、時系列に沿ってそのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2023年1月21日:美濃街道ウォーキング「多度から石津」

 一般に美濃街道とは、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道垂井宿をつなぐ脇街道のことをいいますが(こちらは「美濃路」とも呼ばれています)、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。美濃街道は、すでに桑名から多度までは歩きましたが、その先はルートがよく確認できず未踏でした。昨年になって調べがつきましたので、同級生K氏と話し合い、今年は、美濃街道から養老街道、美濃路を経て大垣まで歩こうということになったのです。この日がその第1回。美濃街道は、美濃国では伊勢街道あるいは桑名街道と呼ばれたようです。

B0bd64ef Dd42f59a この日歩いたのは、養老鉄道多度駅から石津駅まで。多度川にかかるみどり橋まではこれまでに歩きましたから、ここが実際にはスタート地点。空念寺、宇賀神社、柚井遺跡、八幡神社、御鍬神社、願超寺から山除川沿いを北上。子安・延命地蔵尊、天白神社と周り、石津駅の手前で杉生神社(写真)に立ち寄ってゴール。歩いたのは11.9㎞。電車賃は計¥730。この日は、途中、食堂も、コンビニも1軒もないルートでした。昼食は、桑名に戻って、桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年1月21日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編)

2023年1月22日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その1)……多度駅をスタートし、空念寺と宇賀神社へ【空念寺について追記(1/29)】

2023年1月23日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その2)……柚井遺跡、難儀した「ブッシュ・ウォーキング」を経て八幡神社、御鍬神社から願超寺へ

2023年1月24日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その3)……山除川沿いの地蔵尊、天白神社から国道258号線を渡って杉生神社にお参りし、石津駅にゴールで「完」

2.2023年2月12日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」

9564307b 21cc6c2c  近鉄蟹江駅をスタート&ゴールとする「酒蔵みてある記 水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」という企画でした。近鉄の「酒蔵みてある記」は人気企画でしたが、コロナ禍でハイキングそのものの企画がほとんどなくなっていました。2021~2022年冬シーズンは、「酒蔵立ち寄りハイキング」として少し復活し、今年は本格的に復活。この日は、いつもの同級生K氏と二人で。蟹江駅から銭洗尾張弁財天富吉神社、大相撲ストリート、蟹江町まちなか交流センター楽人、蟹江町観光交流センター祭人、冨吉建速神社・八剱社、蟹江山常楽寺龍照院から山田酒造へ。善教寺に立ち寄って、蟹江駅にゴール。山田酒造の試飲では、「何杯でも、何種類でもどうぞ」ということで2種類試飲した上で、さらに有料の「大吟醸 酔泉」も試飲(¥300)。土産には「本醸造酔泉 しぼりたて生原酒」(720ml)を買ってきました(税込み¥1,100)。歩いたのは、13.1㎞。電車賃は往復で¥600。近鉄蟹江駅あたりでは昼食を摂るところがなく、この日も桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。

2023年2月12日:20230212近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」へ(一回完結)

3.2023年2月26日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」

860f0bc4 F5efb3f0  この日の立ち寄り先は、ほぼ神楽酒造のみ。スタートは近鉄湯の山線伊勢松本駅。途中、春の丘、夏の広場を通りますが、今年は夏の広場で小休止。この2箇所は、「四郷地区風致地区 ふるさとの道」として整備されています。ただし、夏の広場近くで標高が68メートルあり(キョリ測によるデータ)、アップダウンはかなりキツく、運動量はけっこうなものでした。ゴールは、四日市あすなろう鉄道西日野駅。同級生K氏と二人旅。「神楽 特別純米生酒」(720ml入り、¥1,320)を買ってきました。あわせて300ml入りの「神楽」を1本買って、K氏とシェアして、ささやかな宴会をしてきました。歩いた距離は7.9㎞。電車賃は往復で¥970。昼食は、四日市駅で途中下車して、餃子の王将四日市ふれあいモール店にて「餃子の王将ラーメン」(¥572)。

2023年02月26日:20230226近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」(一回完結)

4.2023年3月4日:JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」

749c67fb 38cf6b02  同級生K氏と二人旅。このときと同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。この日は、JR参宮線松下駅がスタート。民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩(写真)、賓日館、御塩殿神社などを歩いて、参宮線二見浦駅がゴール。歩いた距離は、9.5㎞、昼食は、伊勢市駅で途中下車して、外宮参道にある「じろべえ」にて。伊勢うどんとビールしかメニューがないお店。「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。この日は桑名から伊勢市の間は近鉄を利用し、伊勢市から松下、二見浦から伊勢市はJR参宮線を利用。運賃は、往復で¥2,860。

2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)

2023年3月7日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その1)……松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁へ

2023年3月8日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ

2023年3月9日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」

5.2023年3月11日:勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」

0e1d83c1 Ddb3e864  同級生K氏とともに四日市に行ってきました。当初は、四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」を見て、東海道四日市宿資料館を訪ねようと思っていたのですが、資料館は日曜しか開館していませんでした(この日は土曜日)。そこで、急遽、四日市旧港あたりを回ってから博物館に行くことにした次第。JR四日市駅から東へ。国道23号線を越えて、四日市港へ。このあたりが、稲葉三右衛門が最初に開発した港で、「四日市旧港」と呼ばれます。大師之寺、納屋運河跡地、末広橋梁(写真)、臨港橋を回って、稲葉翁記念公園・波止改築紀念碑・潮吹き堤防を見て、大師寺に立ち寄って、再び23号線を超え、「どうする家康」の思案橋へ。JR四日市駅近くの3つのお寺(得願寺、不動寺、善光寺四日市別院)を回ってから、四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展を見てきました。昼食は、アピタ四日市店にある若鯱屋で五目うどん(¥814)。若鯱屋といえばカレーうどんなのですが、あいにく白い服を着ていたのです。近鉄四日市駅から帰宅。帰りにアピタ桑名店に立ち寄りましたので、歩いたのは11.8㎞。電車賃は、合計¥600。

2023年3月11日:20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結)

6.2023年4月9日:美濃街道ウォーキング「石津から駒野」

C24e3f57 A8a33559  この日は、養老鉄道石津駅をスタートし、ほぼ養老鉄道や揖斐川に沿って北上。円成寺、金毘羅大権現、願海寺、清浄寺、卜全塚、存徳寺、八幡神社、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社、春日神社、羽沢貝塚と回り、駒野駅にゴール。養老鉄道でいえば、2駅分。途中、3ヶ所の天井川で、川の下を養老鉄道がくぐるところもあり(写真)、なかなかおもしろいウォーキングでした。昼食は駒野駅から200mほどのところにあるカフェレスト千代乃へ。駅近では、ここしか選択肢はありません。昔ながらの洋食屋さんでオムライス(¥600)。懐かしい感じのオムライスでした。おみやげにハッサクをいただき、ラッキー。10.7㎞を歩きました。運賃は往復で¥890。同級生K氏と二人旅。

2023年4月9日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(予告編)

2023年4月11日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その1)……石津駅をスタートし、円成寺、金毘羅大権現、願海寺から般若谷川を越えて清浄寺へ

2023年4月12日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その2)……卜全塚に寄り道のあと、存徳寺、八幡神社へ

2023年4月13日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その3)……養老鉄道が天井川をくぐるところを確認して、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社を訪ねる

2023年4月15日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その4)……大専寺で親鸞上人縁の梅の木、春日神社、羽沢貝塚から南明寺を経て駒野駅にゴール(完)

7.2023年4月16日:美濃街道ウォーキング「駒野から美濃津屋」

Ca98eac7 526408b5  養老鉄道の駒野駅から美濃津屋駅まで、1駅分でしたが、11.3㎞を歩きました。駒野駅をスタートし、市神神社、八幡宮、駒野城跡、庭田貝塚、円満寺、神明神社、春日神社、天満神社、若宮八幡神社と神社を訪ね、綜蓮庵、善教寺、住吉神社。臨迎寺、志津龍神神社、神明神社と回って、美濃津屋駅にゴール。同級生K氏と二人旅。この日もコースには食堂もコンビニもありませんので、あらかじめ買っておいたファミマの明太海苔弁当(エコ割の¥100引きで¥385)を待合室でいただきました。電車賃は往復で¥1,000。

2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編)

2023年4月17日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その1)……駒野駅をスタート、市神神社、徳永寺、八幡宮から駒野城跡へ

2023年4月18日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その2)……哲学と彫刻の広場、庭田貝塚、円満寺、神明神社、浄厳寺から春日神社へ

2023年4月19日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その3)……皆善寺、天満神社、若宮八幡神社から綜蓮庵、善教寺、住吉神社へ

2023年4月20日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その4)……桂林寺、臨迎寺、志津龍神神社から神明神社を経て美濃津屋駅にゴールにて「完」

8.2023年5月5日:JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」

45fb571f E25cb15d  このさわやかウォーキングでは、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力でした。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。一人旅。松阪までは近鉄を利用。松阪から多気へはJR紀勢本線。多気まで来たのは2回目。多気駅から、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と歩いて、田丸城跡(写真)がゴール。ゴールでは「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。「しろあとマルシェ」が行われていたのですが、念のため買っておいたファミマの助六寿司(¥480)で昼食。その後、田丸駅へ。15.5㎞も歩きました。帰りは、田丸駅から松阪駅まではJR参宮線。松阪からは近鉄に乗ったもの運転トラブルに遭い、桑名駅の1つ手前の益生駅で電車は停車したまま動かず。ここで臨時に、しかも運転席から下車させてもらうというレアな体験もしました。運賃合計は、¥3,120。

2023年5月5日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)

2023年5月6日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その1)……多気駅をスタートし、坂倉遺跡から伊勢本街道に入り、しあわせのの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しへ

2023年5月7日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ

2023年5月8日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)

9.2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」

1286868f 0d663714  珍しく月曜日に出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。美濃街道ウォーキングの続きで、養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いてきました。養老鉄道の線路沿いに北上。白山神社、津屋川龍神、本慶寺(津屋城跡、写真)、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社、西林寺、観音寺、福勝寺、八幡神社、高札場跡、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅に到着。トータルで歩いた距離は9.6㎞。電車賃合計は、¥1,110。養老駅前にある「きび羊羹本家」で土産にきび羊羹一棹(¥850)を購入。昼食は桑名駅まで戻って、桑名駅自由通路にある「伊勢ノ国食堂しちり」で「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。

2023年5月24日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ

2023年5月25日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その2)……養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、もう1つの大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道へ

2023年5月26日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その3)……高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅にゴールにて「完」

10.2023年6月4日:美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」

2bec1637_20231229034901 0f9c49f2  この日は、養老駅から1駅、美濃高田駅まで、ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩きました。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道でしたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、この日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道。立ち寄り先は、養老神明神社、大菩提寺(写真)、千人塚1号古墳、境松(傘松)跡、浄誓寺、大桑神社、八幡神社、乾崇寺、田代神社、神明神社、皇大神社。美濃高田駅には、食事をするところはありませんので、桑名に戻ってとんかつ銀座で味噌カツランチ(¥1,100)。歩いたのは、9.3㎞。電車賃は、普通に買うと往復で¥1,280でしたが、桑名駅の改札で係の方から「『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、¥70安くなる」と教えていただいて、それにしたがいました。同級生K氏と二人旅。

2023年6月4日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(予告編)

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その1)……養老駅をスタート、養老神明神社、金妙寺跡、千人塚1号古墳、大菩提寺、浄誓寺へ

2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その2)…養老街道との追分から西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺で芭蕉句碑を見て、田代神社ほかを周り、美濃高田駅にゴール(完)

11.2023年6月25日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」

22b6c3d6 8bc14db9  この日は養老鉄道美濃高田駅から美濃青柳(みのやなぎ)駅まで。この間、養老鉄道の駅は、烏江、大外羽、友江と3つあります。蒸し暑かった上に、自分でつくったコースなのに、コースミスをしでかし、余計に疲れました(苦笑)。今回も同級生K氏と二人旅。美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、西光寺跡、馬頭観音、大神宮常夜灯、北直江渡し跡、蓮光寺、旧多芸小学校跡、小畑川ダム、大神宮常夜灯・小畑橋跡、蛇持経塚跡、浄徳寺、真照寺、報恩寺(写真)、徳勝寺、経説寺。本来は、大神宮常夜灯・小畑橋跡から養北小のすぐ北に出て、そこから北東に進み、蛇持経塚跡に向かうはずでしたが、コースミスをしでかし寺社2つほどすっ飛ばす羽目に。さらにその余波で渡し場跡1ヶ所も見忘れました。養老道美濃青柳駅に着く前にハシンというカフェでランチ。オムカレーライスにハムカツ(¥800)。歩いたのは、14.6㎞。 運賃は往復で¥1,400。

2023年6月25日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(予告編)

2023年6月27日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その1)……美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、金光寺跡、北直江渡し跡、蓮光寺から多芸公民館へ

2023年6月28日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その2)……小畑川ダム、常夜灯を見てコースミス、蛇持経塚跡から養老橋を渡っていよいよ大垣市へ

2023年6月29日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その3)……大垣市に入り、大神宮常夜灯から6つの寺をめぐって美濃青柳駅にゴールにて「完」

12.2023年7月2日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」

D7b70f02 9aede48f  美濃街道ウォーキングもいよいよゴールへ。この日は、養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅まで。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、この日までに合計9回で大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ、「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。美濃青柳駅から杭瀬川に出て、川沿いに北上します。六社神社、正円寺、法永寺、長源寺、塩田橋(養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路を歩きます。写真)、徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、愛宕神社、正覚寺、常楽寺、誓雲寺、奥の細道むすびの地、御朱印地遮那院跡、大垣城東惣門跡(ここまでが美濃路)を経て大垣駅にゴール。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」(¥690)。歩いたのは14.0㎞。普通に乗車券を買うと合計¥1,530ですので、1日フリー切符(¥1,500)を利用。

2023年7月3日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(予告編)

2023年7月7日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで

2023年7月9日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その2)……徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、水神神社の夜泣き松、愛宕神社、正覚寺で芭蕉木因遺跡へ

2023年7月10日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その3)……常楽寺、大泉寺、誓運寺、常隆寺から御朱印地遮那院跡を経て大垣駅にゴールで「完」

13.2023年7月15日:伊勢河崎ウォーキング

904407eb 4d881dda  梅雨の晴れ間、曇りがちでしたが蒸し暑い日でした。同級生K氏と二人旅。近鉄宇治山田駅がスタート&ゴール。宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店へ。倉田山公園の野球場を経て松尾観音寺から倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅にあるまんぷく食堂で昼食。プチからあげ丼(¥650)。ここは伊勢でも有名なB級グルメの店で、一度食べてみたかったところです。 電車賃は往復で¥2,900。歩いたのは、10.1㎞。写真は、伊勢河崎商人館。

2023年7月15日:20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編)

2023年7月18日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか

2023年7月19日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ

2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」

14.2023年7月31日:西別所ウォーキング

99ade8a2 D76f1f12  名古屋へのウォーキングも考えていたのですが、真夏にコンクリートジャングルを歩くと猛暑で熱中症になるかも知れないと危惧し、田舎を歩くことにしました。三岐鉄道北勢線西別所駅から在良駅まで、2駅、現地で実際に歩いたのは5.4㎞でした。夏場ですから、短めの距離にしたのです。同級生K氏と二人。私は、西桑名駅を8時5分に出る東員行きの電車に乗って、西別所駅には8時12分着。この電車は、今時珍しくエアコンなしで扇風機が回っているレアもの(苦笑)。西別所駅から延寿院、万機庵跡(藪がひどくて入っていけませんので、眺めただけ)、西別所城跡、八幡神社、蓮花寺川沿いから山神社、蓮花寺、白山神社、蓮花寺東城跡、宇賀神社、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(増田、写真)から三岐鉄道北勢線在良駅にゴール。西桑名駅まで移動し、エンシュウヤで「今日のランチ」。おろしソースのハンバーグ(¥750)。歩いたのは7.5㎞。電車賃は往復で¥400。

2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング(一回完結)

15.2023年8月29日:赤尾・在良ウォーキング

1108e1b4 518eba0c  「赤尾・在良ウォーキング」とは、出発地点とゴール地点の地名を取って命名しています。同級生K氏と二人旅。7.5㎞と距離は短かったのですが、夏場はこれくらいにしておいた方がよいでしょう。八風バス志知線の羽田(はねだ)バス停から照順寺、鞆尾神社、御厨神社、圓授寺を周り、坂井橋を渡ります。坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡碑(写真)、額田神社(額田)と周り、三岐鉄道北勢線在良駅がゴールなのですが、その前にファミリーキッチン馬車屋さんで昼食。前回(2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング)のときは定休日(月曜日)でしたので、この日はリベンジ。家内の強い勧めにしたがい、ハンバーグ定食(¥1,000)をチョイス。バス代・電車賃合計で¥610。

2023年8月29日:20230829赤尾・在良ウォーキング(予告編)

2023年8月30日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その1)……羽田バス停から照順寺、鞆尾神社、中河御厨神社、圓授寺へ

2023年8月31日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その2)……坂井橋を渡り、北勢線坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡から額田神社にて「完」

16.2023年9月9日:近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』

4ecde91e 52c81962  三岐鉄道との合同企画です。朝日町へは、近鉄ハイキングでも、個人的な「勝手にハイキング」でも何度か訪れ、めぼしいところはかなり回りました。しかし、今回は初めてのところが2ヶ所含まれていましたので、参加したという次第。今回は、一人旅。三岐鉄道三岐線大矢知駅をスタートし、移田(うつしだ)神社、井後(いじり)神社、若松園(和菓子)、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、浄泉坊、朝日町資料館、語らいの広場(抽選会あり)を経て近鉄名古屋線・伊勢朝日駅がゴール。語らいの広場での抽選会では、見事当選! 若松園さんのお菓子が1つということで、みやこまんじゅうをいただきました。土産は、稲垣酒造場の樽酒。「御山杉」の純米酒を樽に詰めたものをさらに瓶詰めにして販売。¥1,800。今日は、自宅にて昼食。運賃合計は¥730。右の画像は、あみま倶楽部のデジタルスタンプ。

2023年9月9日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(予告編)

2023年9月11日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その1)……大矢知駅から八風街道の常夜灯、朝明川堤防を経て移田神社へ

2023年9月12日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その2)……井後神社、若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館へ

2023年9月13日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その3)……浄泉坊、朝日小学校の円形校舎、朝日町資料館から語らいの広場で抽選会を経て伊勢朝日駅にゴールにて「完」

17.2023年9月15日:「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)

5b42cdde 26179ba5  1月から7月にかけて歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーの1つです。美濃街道を歩きながら、同級生K氏と養老の滝や、行基寺にも行こうと話していたのですが、まずは大垣まで歩き通すことを優先しました。養老駅をスタートし、養老公園から妙見堂、養老の滝(写真)を経て、養老神社・菊水泉、北原白秋歌碑、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場、鬼面山谷五郎碑などを経て養老駅に戻るというコースです。養老駅あたりの標高が20m、養老の滝が270m(いずれもキョリ測による数値)で、高低差は250mという高齢者にとってはいささか難コース。昼食は、前回、美濃街道ウォーキングのときに休みで(2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」)、行けなかった「そば処たみと」さんで「ざる蕎麦(白)」(¥950)。十割蕎麦です。運賃は往復で¥1,160。

2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編)

2023年9月17日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その1……養老駅をスタートし、聖武天皇巡幸記念碑、せせらぎ街道から妙見堂を経て養老の滝から養老神社へ

2023年9月18日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その2……北原白秋歌碑、豆馬亭、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場から横綱鬼面山谷五郎碑を見て養老駅に戻って「完」

18.2023年10月20日:行基寺ウォーキング(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#2)

36cdb10e A14986d8  今年1月から歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーその2です。養老鉄道美濃山崎駅から行基寺までを往復。高低差は125mほど(キョリ測のデータ)。同級生K氏と二人旅。養老鉄道美濃山崎駅から浄国寺、宝珠院、龍芳寺、杖つき坂を回って行基寺(写真)へ。寺内、庭園を拝観し、御山の燈台を見てから覚法寺、八幡神社を経て美濃山崎駅へ戻ってきました。美濃山崎駅あたりでは食事をするところがありませんので、朝、ファミマで買ってきた「明太海苔弁当」(¥460)を待合室で食べてきました。歩いたのは9.8㎞。運賃は往復で¥840。

2023年10月20日:20231020行基寺ウォーキング

2023年10月22日:20231020行基寺ウォーキング……行基寺は素晴らしい

19.2023年10月28日:名古屋ウォーキング

6a537a38 E5bfd444  夏前から考えていたのが、この名古屋ウォーキング。しかし、猛暑の時期はさすがによくないだろうとこの日になりました。JR名古屋駅をスタート&ゴールとし、丸の内から名古屋東照宮、那古野神社、愛知県護国神社(写真)、名古屋市市政資料館から名古屋城の南を歩いて、四間道と円頓寺商店街へ。四間道で屋根神と子守地蔵尊、円頓寺商店街では真宗高田派愛知別院から金刀比羅神社、円頓寺を、また、円頓寺本町商店街では多賀宮などを回ってきました。同級生K氏と二人旅。昼食は、途中の円頓寺商店街にあるスペイン料理Bar Dufiで、ローストビーフ丼(¥880)。電車賃は往復で¥700。

2023年10月28日:20231028名古屋ウォーキング(予告編)

2023年10月31日:20231028名古屋ウォーキング(その1)……JR名古屋駅をスタートし、白山神社、那古野神社、名古屋東照宮、愛知県護国神社へ

2023年11月2日:20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)

20.2023年11月3日:近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”

 73bf022f 959222cc 桑名からスタート地点の名鉄津島線木田駅に行くには、JR関西線で弥富まで行き、名鉄に乗り換えます。名鉄木田駅をスタートし、あま市七宝焼 アートヴィレッジ、佐藤醸造(あまの蔵・海部のくちどけ)、七宝焼原産地道標、蟹江町観光交流センター「祭人」、龍照院、山田酒造、お漬物若菜とめぐって、近鉄名古屋線蟹江駅がゴール。同級生K氏と二人旅。山田酒造で、それぞれ酔泉の一合瓶を買ってキッチンカースペースで楽しんで来ました(写真)。これが昼食代わり(苦笑)。酒とつまみで¥400。土産は、もっとも好みであった「最愛」の純米生酒。720mlで¥1,600。運賃は合計¥970。

2023年11月3日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)

2023年11月5日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)

21.2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」

E0b6e836 0e754a76  前日から寒くなり、今日がその寒さの底だという予報でしたが、同級生K氏と二人で菰野を訪ね歩いてきました。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。近鉄湯の山線菰野駅から見性寺、廣幡神社、菰野城跡、瑞龍寺、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、蟹池(智積養水の水源地、写真)、二分八分、三十三限筒と周り、湯の山線桜駅がゴール。昼食は、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店で「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)。歩いたのは13.0㎞。運賃は、合計で¥1,070。

2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編)

2023年11月29日:20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ

2023年12月6日:20231125「菰野ウォーキング」(その2)……札の辻、廣幡神社庄部御旅所、五郎兵衛地蔵から湧水池でカワセミを見る

2023年12月7日:20231125「菰野ウォーキング」(その3)……蟹池、二分八分、三十三限筒から智積養水記念公園を経て桜駅にゴールにて「完」

22.2023年12月16日 :「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング

Kodayu0_20231229152301 Img_4057c_20231216185201_20231229152301  この日は、ロシアを初めて見た日本人である大黒屋光太夫のふるさと・伊勢若松を歩いてきました。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。伊勢若松駅がスタート&ゴール。緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。伊勢若松駅は急行停車駅で、また、鈴鹿線が分岐するところですが、駅の近くには食事をするところがありません。昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当。「おむすび&焼きそばセット」(¥390)を待合室を借りて食べてきました。電車賃は、往復で¥1,060。右の写真は、伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫の銅像。

2023年12月16日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(予告編)

2023年12月17日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その1)……伊勢若松駅をスタートし、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見る

2023年12月18日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その2)……小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)へ

023年12月19日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その3)……大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂、若松漁港開港記念碑から清水清三郎商店を見て、西運寺、深田神社、弘善寺を経て伊勢若松駅にゴールにて「完」

 以上、22回のうち19回は同級生K氏との二人旅。つき合ってもらえることに感謝。

 なお、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの記事のリンクは、この記事執筆当初は、ココログになっていましたが、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事のものに変更しました(2024/01/01)。

2023年12月29日 (金)

2017ウォーキング/ハイキングの記録

 何を今さらと思うのですが、2017(平成29)年のウォーキング/ハイキングの記録を作っておきます。というのも、2017年はJRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングにデビューした年ですが、それは11月も終わりの頃でした。2017年末までには鉄道会社のイベントには3回しか参加していませんでしたので、とくにまとめはつくってなかったのです。それ以外も含めて4回のウォーキング/ハイキングの記録です。

1.2017年10月5日:朝日町歴史散歩

Fc5bb588 1f8e91d7  このときは、この先「歴史散歩」にハマるとは思ってもいませんでした。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現した次第。桑名からJR関西線に乗って一駅、三重郡朝日町へ。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。JR朝日駅から西光寺、浄専坊、橘守部生誕の地、小向神社、初代森有節の墓、朝日町歴史博物館、柿城跡を回って来ました。帰りは、朝日町歴史博物館まで家内に迎えに来てもらい、天ぷら兎波で味噌天丼を食べて帰宅。往きのJRの運賃は¥190。歩いた距離は5.1㎞。

2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼

2.2017年11月25日:JRわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」

F8d6c3d6 3ab895a7  この日、朝5時過ぎに起き出してネット検索をしていたら、今日、JR四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング」があるということを知ったのです。「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」というもの。コースは、「駅がスタート、駅がゴール」という宣伝文句の通り、JR四日市駅から四日市旧港を回る、約6.6㎞、2時間ほどのコース。思案橋、稲葉翁記念公園、臨港橋、末広橋梁の他、みなと公園近くの桟橋では、「清掃船じんべい」やタグボート「ちとせ丸」見学会もあり、この辺りで見たいと思っていたところが網羅されていましたので、これは行くしかないと思って出かけたのです。いまから思えば、これが鉄道会社主催のウォーキング/ハイキングイベントにハマったきっかけでした。

2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き

3.2017年12月17日:JRさわやかウォーキング「醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク」

8beaea6b Fffd4eaf  この日は、関西線南四日市駅がスタート&ゴール。ただし、桑名で最高気温が5.8℃(ただし、真夜中の0時13分)、最低気温は1.0℃(9時45分)。歩いている途中、雪もちらつくという悪条件でした。とても「さわやか」とは行きません。歩いたコースは、四日市市南部の日永、泊、四郷あたりです。伊勢蔵、東海道日永郷土資料館、日永の追分(写真)、白鬚神社、南部丘陵公園、登城山、夢菓子工房ことよ、神楽酒造、室生神社、法蔵寺、四郷郷土資料館、日永神社、薬師堂、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松をへて南四日市駅へ。11.5㎞を歩きました。電車賃は往復で¥640。

2017年12月17日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)

2017年12月18日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2)

2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)

4.2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」

A0e6a572 57585e40  近鉄ハイキングへのデビューでした。名古屋線の川越富洲原駅を出発、霞ヶ浦駅まで約8㎞というコースです。コースは、川越富洲原駅を出発し、田村寺(写真)、薬師寺、常照寺、茂福神社、伊賀留我神社、浄恩寺から垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まで。現地で実際に歩いたのは、10.8㎞。自宅から桑名駅までの往復を入れると、13.0㎞。電車賃は合計で¥520。

2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1)

2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)

2017年12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完)

 2017年は、以上の4回、ウォーキング/ハイキングに行ってきたのですが、これが今日に至る、私の主な趣味の1つになっているのです。人生、何がきっかけに変わるのか、分からないものです。早起きして、ネット検索をしていたのが、現在に至るとは、まったくの想定外でした。が、今となっては、とてもよかったと思っています。

2023年11月29日 (水)

20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ

Img_3792c_20231125165401  前日から寒くなり、この日がその寒さの底だという予報でしたが、11月25日に「菰野ウォーキング」に行ってきました。2018年が「湯の山温泉開湯1300年記念」ということで、近鉄ハイキングが何回も開催され、それらに参加して、私自身は菰野町をかなり歩きました(2018年9月2日:20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編、2018年10月12日:20181012近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”(予告編)、2018年10月20日:20181020近鉄ハイキング「芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング」へ……菰野駅をスタート、五郎兵衛地蔵、三滝川ジョギングコース、大羽根園運動公園から湯の山温泉駅、観光列車「つどい」もしっかり見てきました(完)、2019年9月16日:20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編))。今回は、同級生K氏と二人旅。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。冒頭の写真は、スタートして4㎞あたりの湧水池のあたりから見た鈴鹿山脈。中央に御在所岳があるのですが、上の方はたぶん雪雲におおわれています。桑名では最高気温は13.5℃、最大風速は5.5m/sでした。

Img_3379c_20231125165301  Img_3384c_20231128164701 近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗り、近鉄四日市駅に8時34分到着。8時50分発の湯の山線湯の山温泉行き普通に乗り換えて、菰野駅に9時9分着。¥560。

Komono0  こちらがこの日歩いてきた全ルートマップ。主な立ち寄り先は、西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡、菰野城跡、瑞龍寺、湧水池、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、湧水池、蟹池(智積養水の水源地)、二分八分、三十三限筒そして智積養水記念公園です。ルートマップ上では、8.5㎞。

 詳しいルートマップその1はこちら。Komono1 菰野駅のすぐ西に西覚寺。湯の山線を渡って南に行ったところに見性寺。西に向かうと廣幡神社。北に向かい、旧横山家住宅、菰野城角櫓跡、菰野城跡、札の辻、瑞龍寺と進みます。

Img_3387c_20231128164701  まずは、宝樹院西覚寺。菰野駅西の踏切の側にあります。浄土真宗大谷派。大変立派な本堂があるお寺ですが、ネットではこれという情報はありませんし、寺にも案内板などはありませんでした。

Img_3399c_20231128165401 Img_3403c_20231128165401  西覚寺から見性寺に向かう途中で見た鈴鹿山脈。このときは、全体としては晴れていたのですが、山の高いところには雲がかかっています。

Img_3407c_20231128165701  真如山見性寺は、臨済宗妙心寺派。菰野藩主・土方氏の菩提寺として、寛永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。開山の三霊和尚は臨済初期の高僧で、後に孝明天皇より紫衣と禅師号を賜わっています(こちら)。なお、菰野藩は外様、1万2,000石。

Img_3481c_20231125165401  寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。山門は豪壮で、大名の菩提寺にふさわしい、立派なものです。

Img_3436c_20231128171901  本堂は禅宗の方丈建築様式です。方丈は、もとは1丈 (約 3m) 四方の部屋の意で、禅宗寺院の住持や長老の居室をさしました。方丈建築様式は、分かりやすく書けば、「多目的建造物」といえそうです(こちら)。本堂に向かって右は、書院の玄関。これは菰野出身の名工・高木藤造の作です。高木藤造は、菰野の城下の川原町、新池の西に屋敷を構え、藩の御用大工を勤めていました。文化5(1808)年の生れ。その一代に見性寺をはじめ石榑の照光寺、中上の遍崇寺、 大強原の随法寺など、多くのお宮、お寺の建築にたずさわった宮大工です。

Img_3476c_20231128172301  方丈のとなりには、大師堂があります。3代藩主土方雄豊(かつとよ)夫人寄進の梵鐘があります。この鐘は、寛文3(1663)年、京都の鋳物師近藤丹波掾藤久の作になるもので、鐘銘は2世住職越伝の撰文です。戦争中の供出にも危うく難を免れて保存されているといいます。

Img_3455c_20231128174601 Img_3448c_20231128174601  本堂の左手、階段を上ったところに土方家歴代藩主の墓所があります。こちらは、階段を上がった正面にある、2代藩主・雄高公のお墓。藩祖である雄氏(かつうじ)公の墓碑は、京都北山の功運院にあります(こちら)。これは、雄氏公が、京都に住んでいたためと思われます。また、土方家の墓地は東京湯島の麟祥院と高野山奥の院にもあるそうです。なお、12代雄永(かつなが)公は神葬の為、墓地はありません。外様大名で、これだけの大きい藩主の墓碑が残るところは珍しいといいます(こちら)。

Img_3458c_20231128174601 Img_3410c_20231128175101  前回ここに来たときには気づかなかったのですが、藩主墓所の向かい側には藩主夫人などの墓所がありました。左の写真は、初代藩主・雄氏公の正室八重姫(天正16(1588)~延宝7(1679)年)のお墓。八重姫は、織田信雄の娘で、4歳で雄氏と婚約したといいます。幼少期から菰野藩で育ち、藩の草創期の礎を築いた陰の功労者といえ、最近、その業績が見直されているようです。晩年はここ見性寺で座禅三昧の生活を送ったといわれています。また当時としては異例の長寿で92歳の天寿を全うしました。

 続いて廣幡神社へ。Img_3542c_20231129061901 旧くは正八幡宮と称し、寛永7(1630)年8月、菰野藩主・土方雄氏公が、京都の石清水八幡宮より勧請し、それ以来、同家の鎮守社となっています。一の鳥居は、金渓川のすぐ北に建っています。神社に行くには、金渓川にかかる廣幡橋を渡って、さらに南へ。擬宝珠の付いた立派な橋は、昭和9(1934)年5月に架けられたとしるされています。

Img_3495c_20231129062101 Img_3510c_20231125165401  神社は小山の麓の少し高いところにあります。右の写真が、廣幡神社の拝殿。合殿に諏訪神社がありますが、これは、菰野郷草創の社で、村中里民の産土神であったものを、慶長年間に土方家並に藩士の産土神としますが、慶長13(1608)年3月、領主雄高公の命で諏訪神社を南山に奉遷しました。明治4(1871)年10月、菰野県庁の命によって諏訪神社を正八幡宮に合祀して廣幡神社と改称しています。明治40(1907)年から、村内全部の郷社1、村社である倭文神社、菰野神社、平岡神社、日吉神社、江田神社、須賀神社、豊岡御厨神社、春日神社を合祀しました。これだけ合祀したためか、御祭神は、主祭神の誉田天皇(応神天皇)の他、28座もの多数。詳細は、2018年10月25日の記事をご参照ください(20181012近鉄ハイキング「こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!」へ(その1)……菰野駅をスタート、西覚寺、忠魂碑・地蔵堂、道標を見て、廣幡神社へ)。ここ廣幡神社の拝殿には、大小様々な絵馬・額があります。それらについても、このリンク先に写真とともに書いていますので、そちらをご覧ください。

Img_3523c_20231129063201  見性寺でもそうでしたが、ここも紅葉が見事でした。

Img_3530c_20231129063301  廣幡神社にいた頃から空模様が怪しくなってきました。鈴鹿山脈は、雲におおわれ、廣幡神社あたりにもみぞれのようなものが風で飛んでくるのです。寒くて、冷たい!

Img_3550c_20231125165401 Img_3554c_20231129063601  廣幡神社のすぐ北に旧横山家住宅があります。建物は登録有形文化財で、庭園は登録文化財(名勝地)となっています。一般公開はされてはいないのですが、外からだけでも見てみようと立ち寄ってきました。横山氏は、永禄7(1564)年に菰野地域に移り住んだとされ、江戸時代には菰野藩士で代官を務め、明治時代以降も村長や衆議院議員を輩出しています。

Img_3568c_20231129070401 Img_3572c_20231129070401  ミルクロードの下、湯の山線の線路脇に菰野城角櫓跡。菰野城(実際には、陣屋)は、このあと訪ねる菰野小学校の所にありました。説明板によれば、菰野藩は外様の小藩でしたので、城の防御に堀や角櫓を設けることは許されず、城の周りに土居を築き、その上に竹木を植え、柵を編み、それを守りとしていたそうです。幕府が滅び、その禁が解け、12代藩主雄永の正室として京都の公家から益子姫を迎えるとき、城域の雰囲気を高めようと領民の力を借りて、明治2(1869)年に堀を掘り、角櫓を建てたといいます。このあたりがその角櫓の跡ということです。

Img_3589c_20231125165401  菰野城跡にやって来ました。菰野藩1万2,000石の大名土方氏の代々の居城であったところです。現在は、町立菰野小学校の敷地になっています。菰野城跡の碑があるのは、藩邸の庭園の一部(西南の隅)です。石碑には、「薦野城址」と刻まれています。初代・雄氏公の頃の藩邸はきわめて簡素でしたが、2代・雄高公は城の中心部に館を建て、藩邸の整備を行い、領内の藩士を周囲に住まわせま、四日市街道沿いに東町、庄部、河原町などの街区を整え、城下町造りを行っています。3代・雄豊公が、万治3(1660)年、陣屋の全面修理を行いました。陣屋は大手門、玄関、対面所、御用部屋、書院、奥居間、納戸、台所などに間取りされ、その周りを馬小屋、兵糧庫、武器庫、中間部屋などが取り囲んでいたといいます。現在は、西側と北側に城壕の一部と築地が遺り、また、西南を流れる振子川に面して、角櫓跡があり、その東方に石積の遺構の一部が見られるのですが、角櫓跡以外は見てきていません。

 キリがよいので、その1はここまで。その2は、札の辻・高札場跡や瑞龍寺から。

2023年11月25日 (土)

20231125「菰野ウォーキング」(予告編)

Img_3792c_20231125165401  昨日から寒くなり、今日がその寒さの底だという予報でしたが、予定通り、「菰野ウォーキング」に行ってきました。2018年が「湯の山温泉開湯1300年記念」ということで、近鉄ハイキングが何回も開催され、それらに参加して、私自身は菰野町をかなり歩きました(2018年9月2日:20180902近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」菰野藩主土方雄豊公ゆかりの見性寺での開湯1300年記念祭を訪ねて”へ……予告編、2018年10月12日:20181012近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”(予告編)、2018年10月20日:20181020近鉄ハイキング「芸術の秋!鈴鹿山脈を望み湯ったりウォーキング」へ……菰野駅をスタート、五郎兵衛地蔵、三滝川ジョギングコース、大羽根園運動公園から湯の山温泉駅、観光列車「つどい」もしっかり見てきました(完)、2019年9月16日:20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編))。今回は、同級生K氏と二人で菰野を訪ね歩いてきました。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。冒頭の写真は、スタートして4㎞あたりの湧水池のあたりから見た鈴鹿山脈。中央に御在所岳があるのですが、上の方はたぶん雪雲におおわれています。桑名では最高気温は13.5℃、最大風速は5.5m/sでした。今日のところは、予告編。

Img_3379c_20231125165301  近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗り、近鉄四日市駅に8時34分到着。8時50分発の湯の山線湯の山温泉行き普通に乗り換えて、菰野駅に9時9分着。¥560。

Komono0  こちらが今日歩いてきたルートマップ。立ち寄り先で見て回った分は割愛してあります。主な立ち寄り先は、見性寺、廣幡神社、菰野城跡、瑞龍寺、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、蟹池(智積養水の水源地)、二分八分、三十三限筒です。ルートマップ上では、8.5㎞。

Img_3481c_20231125165401  最初の立ち寄り先の真如山見性寺は、臨済宗妙心寺派。菰野藩主・土方氏の菩提寺として、寛永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。開山の三霊和尚は臨済初期の高僧で、後に孝明天皇より紫衣と禅師号を賜わっています(こちら)。寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。山門は豪壮で、立派なものでした。

Img_3510c_20231125165401  続いて、廣幡神社。旧くは「正八幡宮」と称し、寛永7(1630)年8月15日、菰野藩主・土方雄氏が、京都の石清水八幡宮から勧請したもので、それ以来、土方家の鎮守社となっています。主祭神は、八幡様ということで、誉田天皇ですが、相殿神は、29柱もいらっしゃいます。明治4(1871)年に諏訪神社を合祀してからは廣幡神社と号するようになりました。

Img_3550c_20231125165401  廣幡神社からすぐ北に旧横山家住宅があります。建物は登録有形文化財で、庭園は登録文化財(名勝地)となっています。一般公開はされてはいないのですが、外からだけでも見てみようと立ち寄ってきました。横山氏は、永禄7(1564)年に菰野地域に移り住んだとされ、江戸時代には菰野藩士で代官を務め、明治時代以降も村長や衆議院議員を輩出しています。

Img_3589c_20231125165401  菰野城跡。菰野藩1万2,000石の大名土方氏の代々の居城であったところです。現在は、町立菰野小学校の敷地になっています。菰野城跡の碑があるのは、藩邸の庭園の一部(西南の隅)です。石碑には、「薦野城址」と刻まれています。初代・雄氏の頃の藩邸はきわめて簡素でしたが、2代・雄高は城の中心部に館を建て、藩邸の整備を行い、領内の藩士を周囲に住まわせま、四日市街道沿いに東町、庄部、河原町などの街区を整え、城下町造りを行っています。

Img_3603c_20231125165401  菰野城跡の東に札の辻。ここには高札場もありました。巡見街道菰野道が交差しています。

Img_3638c  札の辻のすぐ東には、長松山瑞龍寺。臨済宗妙心寺派です。ご本尊は薬師如来。菰野藩士たちの菩提寺として崇敬を集めてきました。もとは天台宗のお寺でしたが、永禄11(1568)年、信長の兵火により焼失し、正保年間(1644~47年)に宗貞和尚によって臨済宗のお寺として再建されています。境内には延命殿があり、お地蔵様がいらっしゃいました。地蔵さんは延命除災の功徳があるとあつい信仰を受け、菰野の町に昔から大きな火事が起きたことがないことも、この地蔵さんの加護があるからと信じられているそうです。

Img_3672c_20231125165401  瑞龍寺から湯の山街道を渡り、廣幡神社の庄部御旅所(庄部は、地名)へ。ここは、元は菰野神社でしたが、明治40(1907)年に廣幡神社に合祀されました。前回来たときには(2018年10月12日:20181012近鉄ハイキング“「開湯1300年 ゆこうよ 湯の山」こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!”(予告編))、拝殿に奉納された絵馬があったのですが、今日は見当たりませんでした。

Img_3717c_20231125165401  御旅所から菰野中学、菰野高校の南を通って、五郎兵衛地蔵へ。南部公民館の隣にあります。昔、五郎兵衛という男がおり、お地蔵様の前の石がみんなの邪魔になると思って動かしたところ、その後、五郎兵衛が困難に直面したとき、お地蔵さまは五郎兵衛を助けてくれたということです。これに因んでお地蔵様は、「五郎兵衛地蔵」と呼ばれ、大事にされてきていま。お地蔵様は、堤防にあったものを明治10(1877)年2月、ここにお堂を建てたそうです。

Img_3867c_20231125165401  このあと湧水池を1ヶ所回り、水田地帯をひたすら歩いて、蟹池へ。ここは、智積養水の水源地です。智積養水は、ここから四日市市智積町へと1.784kmを流れています。幅は1~2m、水量は1日あたり19tで、水温は1年を通して安定しています。水はとてもきれいです。智積町あたりの智積養水は、これまでに訪ねたことがあり(2020年2月8日:20200208近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」へ(一回完結))、水源地の蟹池を訪ねたいと思っていました。

Img_3904c  湯の山水産研究センターのところに「二分八分(にぶはちぶ)」という、分水地点があります。ここは、江戸時代の頃から、たびたび「水争い」の争点となった場所だそうで、「蟹池」からの流水が、この地点で「二分八分」の割で分流され、二分の流水は神森地区東方の水田を灌漑し、八分は智積養水路に流されました。ネットで調べた限りでは、正確な場所は特定できませんでしたが、先のリンク先の説明によれば、この写真の奥のところが「二分八分」と考えられます。

Img_3965c_20231125165401  もう1ヶ所、智積養水に関する重要ポイントは、「三十三限筒(さんじゅうさんげんどう)」。蟹池の湧水を、智積側に引いてくるには、金渓川と天王川がその行程の障害になります。そこで、考え出されたのが、金渓川と天王川の両川を横切る形で、川底に樋を埋設して貫通させ、川の北岸(神森)から、南岸(桜一色)へ水を送る土木工法です。つまり、二つ川はこの三十三間筒の上を交差する形で流れています。この埋設された樋の長さが三十三間(約59m)あるので、三十三間筒と呼んでいます。

Img_3985c_20231125165401  桜駅の北側に智積養水記念公園。せせらぎを中心とした憩いの公園です。このせせらぎは、智積養水を引いていて、透明度が高く清々しい気持ちにさせてくれます。ここに来たときが、13時10分頃。ちょうど四日市行きの電車が駅に入って来てしまいましたので、どこかで昼食を、ということになりました。

Img_3995c_20231125165401  231125132745652c イタリアンのキャナリィ・ロウもあったのですが、大賑わいの様子。そこで、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店へ。大正解(微笑)。「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)をチョイス。体が冷えていましたので、暖まったのが何よりですし、美味しかったのです。

Img_3999c_20231125165401  近鉄湯の山線・桜駅には13時40分着。13時45分に四日市行き普通があり、それに乗車。四日市には13時59分に到着し、14時10分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名には14時22分に到着。¥510。

Screenshot_20231125144800c  こちらは今日のGoogle Fitのデータ。ほぼ13㎞を歩き、21,303歩。自宅から桑名駅までの往復も含みます。現地ではほぼ10㎞を歩いてきたことになります。本編は、またいつものように、明日以降ボチボチと書いていきます。年内の同級生K氏とのウォーキングは、12月中旬にでももう1回行こうと話しています。

Img_3757c_20231126031301 Img_3807c_20231125165401  余談。今日は、途中でバードウォッチングも楽しめました(微笑)。まずは、4㎞地点に「湧水池」とありますが、そこで出て来たカワセミ。アオサギは、6㎞地点の蟹池の手前に2羽。ほかにノスリや、ハイタカの仲間と思われる猛禽も見かけました。

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  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

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    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

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    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

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    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

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    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

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    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

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    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

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    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)