20250206近鉄あみま倶楽部ハイキング「七里の渡・大福田寺コース」へ(一回完結)
今朝は冷えました。-1.2℃と今シーズン最低。あちこちで氷が張っているのを、この冬、初めて見ました。最高気温は、7.0℃。今日は、「朋あり遠方より来たる」(論語)ではありませんが、名古屋から大学時代の同級生である友人が、「桑名散策に行きたい」ということで来てくれました。近鉄あみま倶楽部のアプリ対応コースに「七里の渡・大福田寺コース」がありますので、このコースを歩くことに。実は、最近、同級生K氏とのウォーキングに行けていませんので、自分であみま倶楽部のハイキングコースでも歩こうかと考えていたところで、まさに「渡りに舟」。
こちらが、近鉄あみま倶楽部の「七里の渡・大福田寺コース」にならってつくったコースマップ。桑名駅東口から、海蔵寺、本統寺、寺町商店街、六華苑、住吉神社、七里の渡跡、九華公園、春日神社、大福田寺、照源寺を回って、桑名駅西口がゴール。9時過ぎにスタートし、春日神社から大福田寺に行く途中、昼食を食べ、桑名駅西口には14時前にゴール。私にとっては、勝手知ったるところですから、mamekichiバージョンの「ブラ桑名」のようなもの。以下、主な立ち寄り先を簡単に。
海蔵寺は、曹洞宗のお寺。ここには、いわゆる薩摩義士の墓所があります。宝暦3(1753)年、幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5(1755)年、工事は完成しましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他23基の墓石が現存しています。
本統寺は、真宗大谷派桑名別院。地元では、「御坊さん」と呼ばれ、親しまれています。
徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、境内には、松尾芭蕉が貞享元(1684)年、野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています。
このあと、寺町商店街、三崎見附跡、諸戸氏庭園前、桑名七里の渡し公園を経て、六華苑へ。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園があります。実業家の2代目諸戸清六の新居として、1911年(明治44年)にジョサイア・コンドルの設計で着工し、1913(大正2)年に竣工しました。コンドルが設計した現存建造物の大半は東京に集中しており、地方では桑名市のみに現存しています。
住吉神社を経て、七里の渡跡へ。熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として賑わいました。この鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
本多忠勝像のところから九華公園へ。このあたりは、毎日の散歩コースです。本多忠勝は、桑名藩初代藩主。慶長の町割を実施するともに、桑名城をつくり、現代にもつながる桑名の町のもとをつくったといえます。桑名城址に整備されたのが、九華公園。昭和3(1928)年に松平定信(守国公、楽翁)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されたものです。
続いては、桑名宗社(春日神社)。地元では、「春日さん」と呼ばれています。桑名神社と中臣神社の2つの神社からなっています。石取祭は、ここのご神事。門前には、青銅の鳥居があります。これは、寛文年間(1661~1673年)につくられたもの。
春日さんのあたりで11時半前でしたので、どこかでランチをということになり、寺町商店街の南口にある「てらまちダイニングUOSUE」さんへ。1階で魚屋さんを営んでおられ、2階が食事のできるお店になっています。1度来てみたかったのですが、一人では敷居が高かったのです。
魚屋さんですから、刺身定食をチョイス。カンパチ。定食にしていただくと、これで¥1,375。美味しい上にこの値段は、かなりお得です。
1時過ぎにウォーキングを再開。桑名駅方面に向かいます。駅西に行くのに、こちらの踏切を渡りました。3種類の幅の線路を一またぎしています。手前から(西側から撮っています)、近鉄名古屋線(広軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)。踏切の名称は、それぞれの鉄道会社で異なっており、近鉄名古屋線は益生第4号踏切、JR東海関西線は桑名駅構内踏切、三岐鉄道北勢線は西桑名第2号踏切。これらを横断し、レールの幅を実際に見て体感できます。
大福田寺。高野山真言宗のお寺。聖徳太子創建と伝えられます。山門は、江戸時代建立といわれるもの。毎年2月3日には節分祭、4月1日・2日には日本三大聖天の一つ桑名聖天大祭が行われ、2日には伊勢大神楽の奉納が行われます。節分祭では、鬼が市内を練り歩く鬼追い厄払いがあります。今年も、我が家の近くで、螺貝の音が聞こえていましたので、「大福田寺の鬼追い」が来たなと分かります。
大福田寺の境内で、白梅がかなり咲いていました。このあたり、昔はときどき散歩をしたのですが、最近はすっかりご無沙汰。いつもの散歩コースでは、常信寺の紅梅がもっとも早く咲くのですが、それよりこの白梅の方が早く咲くと思われます。
最後の目的地は、照源寺。浄土宗。久松松平家の菩提寺。寛永元(1624)年、桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建しました。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続しました。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。境内には定綱が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります。
「七里の渡・大福田寺コース」のウォーキングは、このあと桑名駅西口で完了。こちらは、Google Fitのデータ。約6キロのコースですが、自宅~桑名駅往復を含め、なんと12.1㎞も歩いていました。歩数も2万歩を超え、驚き。
このコースは、初めの方にも書きましたが、あみま倶楽部のアプリ対応コースでしたので、デジタルスタンプも集めてきました。踏破証もこれで5つになったのですが、有効期限内のものは、3つ。これで交換できるのは、オリジナルステッカーです(微苦笑)。
【付記(2/7)】 2月7日の中日新聞朝刊三重版に「六華苑の池で浚渫作業が行われていて、いつもは池の底にある、第2次大戦中に投下された爆弾の痕跡が見られる」という記事が載っていました。そういえば、池の中央あたりに直径数mの跡がありました。それが爆弾であいた穴をふさいだところだったようです。六華苑には「浚渫作業をしています」という掲示はあったと思うのですが、受付などにもこの爆弾の跡が見られるとでも示しておいてくれたら、皆さん、興味を持ってみられたんじゃないかと思います。
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