お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2026年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2021年1月以降の記事を残し、2020年12月以前の記事は削除しました。2021年1月1日以降の記事は、両方にあります。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

城・城跡

2026年9月23日 (水)

20260923近鉄ハイキング「桑名かき氷街道と三八市めぐり」へ(一回完結)

 あれこれ屁理屈を垂れていましたが、実は、今日は、桑名で近鉄ハイキング「桑名かき氷街道と三八市めぐり」が予定されていました。腰痛&座骨神経痛が出て以来、近鉄ハイキングにも、JRさわやかウォーキングにもご無沙汰していました。地元開催で、しかも約5㎞ということでしたので、体調が許せば、参加したいと思っていたのです。勝手知ったるところばかりで、面白み、新鮮味はないのですが、お試しということで。

Img_2007c  受付は、近鉄桑名駅で9時50分から11時20分まで。ハイキングコースが約5㎞で、わが家から駅までは片道1㎞余り。すべて歩くと、8㎞弱になりますので、駅まではクルマで送り迎えしてもらいました。最近は、毎日、せいぜい3㎞しか歩いていませんので(苦笑)。桑名駅まで来たのは、久しぶり。たぶん去年11月1日以来(2025年11月1日:20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結))。

Img_2016c Img_2020c  9時50分に駅に着いたのですが、すでに受付は始まっていたようで、コースマップを持った方々がたくさん駅から出て、歩いていました。

Img_2029c 260923kintetsuhikingroute  左の写真が、今日のコースマップ。右は、実際に歩いたルートマップ。マップ上、5.6㎞ほどでした。以前や、最近、散歩しているところばかりで、初めの方に書きましたように、「勝手知ったるところ」ばかり。途中で知人に出会ったのですが、「お宅の庭みたいなところばかり歩くんやな」と笑われました。ということもあって、今回の記事は一回完結。9時55分にスタート。

Img_2242c  いきなり、余談から。桑名駅東口には、かつて桑栄メイトという複合用途ビルがありました(2020年7月30日:桑栄メイト、新旧桑名駅、桑名駅あたりの繁華街を訪ねる(その1)……新旧桑名駅、桑栄メイト)。商業店舗と、住宅が入居するビルで、昭和48(1973)年10月に完成し、令和2(2020)年7月31日に閉館に至っています。今年3月末から、ようやく解体工事が始まりました。

Img_2042c  その桑栄メイトの前を通って、八間通へ。桑名駅から東へ進んでいます。このあと、国道1号線を渡って、最初の目的地である寺町商店街へ。ちなみに、桑名かき氷街道に参加している店を訪ねて、かき氷を食べるという企画ですが、そちらはパスしています。

Img_2066c Img_2059c  寺町商店街。これまでにも、このブログで何度も取り上げています。3と8がつく日に「三八市」が開催されています。実は、すし工房なばなの箱寿司があったら、買おうと思っていたのですが、すでに売り切れたのか、店は出ていませんでした。ここの箱寿司は、私の郷土でも同じような寿司があったので、いわばソウル・フードの1つなのです(2025年4月24日:天気晴朗なれど、野鳥は相変わらずいません……オマケはポケふた)。

 Img_2064c以前、「くわな まちの駅」があったところは、このように変わっていました。旧町屋川珈琲が、風の子スクエア桑名として、4月からここに移って来ています。

Img_2097c Img_2093c_20260923143101  続いては、桑名宗社(春日さん)へ。久しぶりに来ましたので(2026年7月10日:茅の輪くぐりには出遅れてしまいました……公園の修景池にいる水生昆虫を捉えました)、お参りしてきました。

Img_2112c Img_2130c  3ヶ所目は、九華公園。以前の「マイ・パーク」(笑)。コースは、本丸跡を通って、野球場の南から東側に抜け、揖斐川の堤防道路に出ます。九華橋の近くの樹上には、アオサギさんが来ていました。居残りキンクロハジロは、コース沿いでは見られず。

 Img_2144c Img_2158c左の写真は、揖斐川の堤防道路から、揖斐川と長良川を見たもの。このあたりで2つの川は合流します。中州には、アオサギや、ダイサギがいるのが見えました。柿安コミュニティパークの南を通り、あの本多忠勝公の銅像を見て、旧東海道へ。

Img_2171c Img_2167c_20260923143101  こちらが旧東海道。南から北、七里の渡し跡の方を見ています。右の写真は、七里の渡し跡。名古屋の宮の渡しからここまで、東海道は海上7里でした。

Img_2199c  七里の渡し跡から再び、揖斐川の堤防道路へ。住吉神社のところを通ります。ここは、最近の散歩コースで、桑名七里の渡し公園もよく見えます。

Img_2203c Img_2213c  六華苑です。旧2代目諸戸清六邸(東諸戸邸)でした。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と、池泉回遊式日本庭園があります。2代目諸戸清六の新居として、明治44(1911)年にジョサイア・コンドルの設計で着工し、大正2(1913)年に竣工。コンドルが設計した現存建造物の大半は東京に集中しており、地方では桑名市のみに現存しています。ここも、何度も訪れていますので、外観の写真を撮って、パス。

Img_2231c Img_2227c  その後、再び、寺町商店街を通るルートになっていましたので、マジメにそれにしたがいました。11時を過ぎており、閉店準備をする出店者の方もありました。右の写真は、以前にもこのブログで紹介したことがある、雑貨屋さん。いつも、何人かのお客さんがあります。物珍しかったり、懐かしかったりするのでしょう。

Img_2250c  ゴールの桑名駅には、11時25分に戻ってきました。5.6㎞を1時間半で歩いてきましたから、まぁまぁのペース。途中、腰が重い感じがしたのですが、痛みや、しびれが出るということはなく、一安心(ただし、明日以降、出てくるかもしれませんので、要注意です)。

Img_2027c Img_2255c  今日は、ゴールで抽選会があるということで、途中で勝手に自宅に向かうことはせず、歩き通しました(微苦笑)。しかし、せっかくゴールまで来たのに、私のコースマップの番号「167」は、残念ながらハズレ。

Screenshot_20260923115131c  こちらは、今日のGoogleFitのデータ。6.05㎞、11,193歩ということでした。最高気温は28.0℃でしたが、日が当たると蒸し暑く、汗を掻きました。ちなみに、こんなに歩いたのは、2月23日以来でした(2026年2月23日:ヒヨドリは食べ物に困り、パンジーの花や葉っぱを食べる)。

 

2026年1月 5日 (月)

クリスマス以来久しぶりに九華公園にアオサギが登場

Dsc08078c_20260105141801  二十四節気では、今日からは小寒。今日は、寒の入りともいわれ、寒さがいっそう厳しくなる頃(こちら)。晴れ時々曇りで、最高気温は10.8℃。陽が出ていると暖かいのですが、陰ると寒く感じます。いつも通りに7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、歴史を語る公園、内堀公園、外堀、春日さん(桑名宗社)、田町、住吉入江と6.4㎞。冒頭の写真は、散歩から帰った10時頃の北の空。中央に写っている“valor(バロー)”は、岐阜県発祥のスーパー。わが家から徒歩5分ほどで、便利。100均ショップも入っていますし、隣には衣類のディスカウントショップである「あかのれん」もあります。ちなみに、バローは、名古屋市場の初競りで『青森県大間産 天然生本まぐろ』を競り落とし、今日、明日、この桑名東店でも販売するとか(こちら)。Webサイトの写真を見ると、「中トロ 100g  ¥1,580」とあります。さすがによいお値段。

Dsc06589c_20260105142001 Dsc06665c_20260105142501  住吉水門の内側には、ヒドリガモが3ペアと、オオバンが2羽。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ており、水鳥は見当たりません。

Dsc06681c Dsc06767c_20260105142001  七里の渡し跡では、オオバンが2羽。潜って撮ってきた水草を食べているところも見られました(右の写真)。

Dsc06790c_20260105142001 Dsc06827c_20260105142001  さらにコガモも。オスが1羽にメスが2羽。コガモは、七里の渡し跡まではよく来ていますが、柿安コミュニティパークや、九華公園まではめったにやって来ません。

 Dsc06898c_20260105141901ワンパターンの極致ですが、九華公園のアイガモは、元気そうでした。アイガモを見ようと、北門を入ってすぐの堀端に立つと、ユリカモメや、キンクロハジロ、ハシビロガモが、エサがもらえるかと思って、急いでやって来ます。

 相撲場のところには、ツグミ。Dsc06857c_20260105141901地面に降りてきてエサを探していました。毎年、年が改まった頃から、こうやって地面に降りてくるようになります(飛来してきて、年末くらいまでは樹上で過ごすことがほとんど)。

Dsc07016c_20260105141901  鎮国守国神社の社務所裏の木には、久しぶりにアオサギが来ていました。ここにアオサギが来るのは、クリスマス以来(2025年12月25日:春日さんで奉納された「左馬の絵馬」を見てくる)。散歩友達でも、ここにアオサギが来るのを楽しみにしている方があり、「今日は、アオサギが来ていますね」という声も聞かれました。やはり、ここにアオサギが来ていないといけません。

Dsc07523c_20260105143801  Dsc07158c_20260105141901奥平屋敷跡の入り口でシメ。どうにも写真が撮りにくいところにいて、こんな証拠写真しか撮れませんでした(苦笑)。木のてっぺんで、枝かぶりの位置なのです。鎮国守国神社を通り抜けて、柿安本店の駐車場でハクセキレイが1羽。

Dsc07801c_20260105141901  Dsc07569c_20260105141901再び相撲場のところに来たら、カワラヒワ。さらに、九華公園の外周遊歩道の南では、ジョウビタキのオスに遭遇。

Dsc07284c_20260105141901 Dsc06934c_20260105144201  水鳥たち。ホシハジロは、今日もオスが1羽のみ。キンクロハジロは、今日は多く、54羽もいました。

Dsc06941c_20260105141901  Dsc07324c_20260105141901 ハシビロガモは、10羽。左の写真はオスですが、頭がかなり青くなってきています。ヒドリガモは、1ペア。

Dsc07065c_20260105141901 Dsc07228c_20260105141901  ユリカモメも、今日は多くて、数えた限りで85羽。

Dsc07724c_20260105141901 Dsc07373c_20260105141901  ハジロカイツブリと、カイツブリは今日も1羽ずつがいました。場所は、いつもと同じく、二の丸堀の東側エリア。

Dsc07346c_20260105141901  見ていると、やはりカイツブリが、ハジロカイツブリのあとに付いて行っているようです。

Dsc07848c_20260105141901  歴史を語る公園には、「切絵図」のことで立ち寄りました。それについては、後述。ちょっと距離があったのですが、ここでもジョウビタキのオス。まん丸でジョビボール。

Dsc07907c Dsc07879c_20260105141901  ここにはさらに、オオバンも。見ていたら首のあたりを掻き始めました。右には、弁足が見えています。オオバンも水鳥ですが、足には水かきではなく、この「弁足(べんそく)」と呼ばれる閉じたり開いたりする葉のようなものが付いてます。 これで水を蹴る、泥の上でも沈まずにしっかり歩けるのです。

Dsc07927c_20260105141801 Dsc07962c_20260105141801  春日さんへは、初詣に行って来ました。元旦の朝にも行こうと思ったのですが、朝早かったにもかかわらず、大賑わいでしたので、出直したのです(微笑)。さすがに今日は空いていましたので、ゆっくりとお参りできました。

Dsc07915c Dsc07920c_20260105142201  歴史を語る公園(左の写真)に立ち寄ったのは、「切絵図」のことと書きました。ここは七里の渡し跡から続く、桑名城の外堀沿いにあります。昨日歩いてきた三之丸とはこの外堀を挟んでいます。この公園の南に、現在、南大手橋がかかっています(右の写真)。その名の通り、旧桑名城につながる橋ですが、江戸時代の位置とは異なっています。

Dsc07833c_20260105142201 Minamiote  現在の橋より少し北にあったということは知っていましたが、『桑名城下切絵図』の「丸之内」に、「明治30年代に20m余り南へ。大正年間更にその南へ移設」とありました。「切絵図」と現在の地図とを照らし合わせると、左の写真で2階建ての家が建っているあたりに江戸時代は、南大手橋があったと思われます。右の画像は、『久波奈名所図会』の「南追手」に描かれた南大手橋。向かって左が西、右が東で、城内。南大手橋は木橋で、いざというときには橋を落とせます。渡ったところに南大手門。この門は、高麗門または薬医門の形式で、渡った先には枡形があったと思われます。ということで、趣味というか、暇つぶしというか(笑)。

2025年10月13日 (月)

20251013JRさわやかウォーキング「桑名を満喫!! 東海道お手軽ウォーキング」へ(一回完結)

Img_5409c  昨日に引き続き、今日もまたJRさわやかウォーキングに出かけました。もっと若い頃は、土日に連チャンでJRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行っていましたが、最近はそういう勢いはなくなっています。しかし、今日のJRさわやかウォーキングは、地元・桑名での開催なのです。題して、「桑名を満喫!!東海道お手軽ウォーキング」。いつもの散歩コースに近いものなのですが、これは行かない手はありません(微笑)。今日は、よく晴れて真夏日が復活。最高気温は、正午前に記録した31.3℃。

Img_5414c 251013jwalkingkuwana こちらが配付されたコースマップ。右は、ネットのキョリ測というサイトで描いたルートマップ。マップ上は、約4.8㎞となっています。桑名駅をスタートし、浄土寺、六華苑、住吉神社、→七里の渡し→九華公園→桑名宗社(春日神社)、桑名市博物館、寺町通商店街(三八市))を経て、桑名駅にゴール。ご近所の方とご一緒させてもらったのですが、途中からは、「両手に花」でした(これは、今では、セクハラ用語かもしれませんが、他意はありませんので、ご容赦ください)。記事は、一回完結。訪ねた場所も、何度も取り上げていますので、概要のみを記しています。8時35分頃にスタート。

Img_5421c_20251013142401  見慣れ、歩き慣れたあたりをずっと歩いていきます。八間通あたりの風景です。

Img_5425c_20251013142401 Img_5429c_20251013142401  最初の立ち寄り先は、袖野山浄土寺。西山浄土宗。本多忠勝公の本廟がありますし、地蔵盆で売られる幽霊飴が知られています。

Img_5433c_20251013142401  こちらが、本多忠勝公の廟所。境内の北西の奥にあります。

Img_5439c_20251013142401  浄土寺から、諸戸氏庭園の前を通って、六華苑に向かいます。秋の特別公開は、10月25日(土)から12月7日(日)。紅葉がきれいです。

Img_5448c  六華苑。もとは、2代目諸戸清六邸(東諸戸邸)です。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園を持ち、総面積は18,000平方メートル余に及びます。実業家の2代目諸戸清六の新居として、明治44(1911)年にジョサイア・コンドルの設計で着工し、大正2(1913)年に竣工。コンドルが設計した建物で、地方に残るのはここだけです。

 Img_5461c_20251013142301今日は天気がよく、建物がきれいに見えました。正面が洋館、向かって左に和館が続いているという、独特の建築様式。上記のように、池泉回遊式の日本庭園も見事です。

Img_5483c  続いて、住吉神社を経て、七里の渡し跡へ。このあたりは、いつもの散歩コースです。今日は、名古屋駅前の高層ビル群はもちろん、木曽御嶽山まで見えていました。

Img_5486c Img_5490c  立ち寄り先にはありませんでしたが、蟠龍(ばんりゅう)櫓にも登ってきました。2階が展望室になっているのです。蟠龍とは、地上にうずくまって、まだ昇天しない龍のこと。櫓の1階の屋根部分、揖斐川の方向に蟠龍が控えています(右の写真)。

Img_5497c_20251013142301 Img_5501c_20251013142301  九華公園の入り口、コミュニティパーク側に本多忠勝像があります。立坂神社が所有する「紙本淡彩 本多忠勝像」をもとにつくられています。九華公園は、ごく一部を通過したのみ。右の写真は、九華公園をご存じの方でもあまり意識してご覧になったことがないかも知れません。九華公園の扇橋西にあり、石に「九華公園」と刻まれています。

Img_5508c Img_5528c  中橋から桑名宗社へ。通称、春日神社あるいは春日さん。桑名神社(ご祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)と、天久々斯比乃命(あめのくぐしびめのみこと:桑名首(くわなおびと=上代桑名の豪族)の祖神))と、中臣神社(ご祭神は、天日別命(あめのひわけのみこと)。相殿神は、春日四柱神(かすがよはしらのかみ)、すなわち、建御雷神(たけみかずちのかみ)、斎主神(いわいぬしのかみ)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ))の2社からなっています。リンク先に由緒があります。社は、2つの社が連続してます(右の写真)。

Img_5512c_20251013142301  ちなみに、珍しいものとして、青銅の鳥居のかたわらに「志るべ石」があります。正面には「志類べ以志」と刻まれています。「迷い子石」ともいわれ、人の大勢集まる所に立てられました。自分の子どもが迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子どもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもがいた場所などを貼ります。明治18(1885)年に東京の蘆田政吉氏が建立。同じものが多度大社の鳥居の横にもあるそうですが、私はそれはまだ確認していません。

Img_5535c  次に、桑名市博物館が立ち寄り先になっていますが、私は先日、「なんの花か咲く」展は見てきましたので(2025年10月10日:桑名市博物館で「なんの花か咲く-花のある風景-」展を見る)、パス。次の「桑名の豪商 諸戸家の至宝」展が楽しみです。

Img_5538c Img_5542c  最後は、寺町商店街の三八市へ。私は、昨日、散財しましたので(2025年10月12日:20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編))、見てきただけ。

Img_5557c_20251013142301  ゴール受付の桑名駅へ戻ります。11時25分頃到着。今日は、浄土寺、六華苑、蟠龍櫓などゆっくり見て回りましたので、ほぼ3時間かかっています。踏破ポイント、昨日で90ポイントになったと思っていたのですが、勘違い(苦笑)。今日で90ポイントでした。そういえば、「東海道お手軽ウォーキング」でしたが、七里の渡し跡と、博物館付近で東海道を歩いた(に触れた)くらいです。

Img_5548c  桑名駅東口では、障サ連チャリティーコラボイベントが行われていて、キッチンカーなども多数出展していましたが、これもパス。

Screenshot-2025_10_13-11_49_50c  本日のGoogle Fitのデータ。マップ上4.8㎞ですが、8.7㎞、14,995歩も歩いていました。立ち寄り先であちこち見て回ったためです。

2025年6月12日 (木)

20250612勝手にハイキング「津・円光寺で沙羅双樹の花を見る」(一回完結)

250612094934657c  昨日(6月11日)の中日新聞朝刊に「沙羅双樹、はかなき美しさ 津・円光寺で見頃」という記事が載っていました。沙羅双樹の花については、あの平家物語の冒頭にも出てきますし、お釈迦様のご入滅された場所にはこの木が四方を囲んで植えられていたという話もあります。この記事を読んだら、沙羅双樹の花を見たいと思ってしまい、今日、早速出かけてきました。円光寺は、津市河芸町上野にありますが、このあたりは伊勢街道が通っています。ついでに伊勢街道も久しぶりに少し歩くかとも思ったのです。

 250612kawage 昨日のうちに、このコースをつくりました。近鉄名古屋線千里駅から伊勢街道に入り、田中地蔵堂、田中川河川改修竣功記念碑・常夜灯跡、上野公民館(明治天皇御休所址)、最勝寺、上野神社から円光寺へ。さらに、伊勢上野城跡(本城山青少年公園)、枡形・道路改修記念碑、弘法井戸、道路元標跡、満流寺から近鉄名古屋線豊津上野駅まで、3.6㎞のコースです。さらに、今朝、Googleマップを見ていましたら、豊津上野駅の近くに小伝塚という旧跡があるのを見つけ、そこにも立ち寄ってきたという次第。

Img_3165c  桑名駅を8時1分に出る近鉄四日市行きの準急に乗車。この電車、近鉄四日市駅に8時24分に着くのですが、この車両がそのまま8時31分発の白塚行き普通になるのです。通勤時間帯ですから、急行は混んでいますので、多少時間はかかっても、この方が楽チン。千里駅には9時10分に到着。¥680。9時15分にスタート。なお、千里駅から伊勢上野城跡までは、6年前の近鉄ハイキングで歩いています(2019年2月2日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。詳しい記事は、その時のものをご覧ください(2019年2月8日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ、2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。

Img_3174c Img_3186c_20250612143401  国道23号線を越えてじきに田中地蔵堂。民家の間に立っていますが、由緒などは不明。近くを流れる川が田中川であるための名前かという気がします。その先、大蔵橋で田中川を渡ります。渡ったところが、上野宿の北の入り口。橋を渡ったところに「田中川河川改修竣功記念碑(昭和59(1984)年の建立)」。昭和49(1974)年7月25日に豪雨があり、その水害からの復旧工事が終わったことを記念するものです。この脇に小さな説明板には、「常夜燈があり、向かい側には接待所・光明院もあった」と書かれていました。常夜燈は今はありません。

Img_3190c Img_3205c  初めにも書きましたが、今日歩いたところのほとんどは、伊勢街道で、上野宿に当たります。右は、上野公民館ですが、ここは元秋田家住居址であり、明治天皇御休所址です。2回ここでお休みになったそうです。

Img_3234c_20250612143401 Img_3240c  伊勢街道からいったん離れて、真宗高田派の金光山最勝寺。明応4(1493)年の創建とされます。20mほどの高台にあり、お寺からの眺めは良好で、伊勢湾までよく見えます。

Img_3258c Img_3271c_20250612143401  続いて、上野神社。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられています(建徳2(1371)年という説があります)。主祭神は、誉田別尊。境内社に八幡稲荷神社、さらに神宮・皇居遙拝所もあります。

Img_3439c Img_3305c  9時45分、本日の主たる目的地、萬松山円光寺に到着。臨済宗東福寺派のお寺です。ご本尊は、釈迦牟尼。延文3(1358)年、栗真庄中山(現在の津市栗真中山町)に後光厳天皇の勅願寺として開創されたと伝えられています。徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名。竹林などに囲まれた、大変雰囲気のよいお寺です。沙羅双樹と、紅葉で知られています。

Img_3340c Img_3337c_20250612143501  沙羅双樹の木は、現在10本あるそうですが、咲いていたのは、まだ1本だけ。山門を入った、左手にある木でした。沙羅双樹は、フタバガキ科サラノキ属の常緑高木ですが、日本の寺院に聖樹として植わっている木のほとんどは、ナツツバキ(夏椿)だそうです。沙羅双樹は、耐寒性が弱く、育たないので、ナツツバキを沙羅双樹として扱うことが多いそうです(こちら)。

Img_3319c Img_3453c_20250612143501  沙羅双樹は、仏教の三大聖樹の1つで、お釈迦様が入滅された場所には、この木が四方を囲んで植えられていたのですが、入滅された際にこの木が枯れて、鶴の羽根のように白くなったとの伝説から、仏教では聖木とされています。また、朝に咲き、夕方には散ってしまう一日花で、はかなさを象徴しています。「平家物語」の冒頭にも取り上げられ、世の中の無常を表現していることでも有名です。以下に引用しておきますが、高校時代に習って、暗記している方も多いのではないでしょうか。右の写真は、山門を入って少し進んでから振り返ったもの。右手の山門より高い木が沙羅双樹です。

祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必滅の理をあらはす

おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし

Img_3377cImg_3348c_20250612143501 私が行ったとき、ちょうどご住職がいらっしゃり、お寺のことや、沙羅双樹の木のことなど、いろいろと話してくださいました。「桑名から来た」というと、たいそう驚かれ、「新聞に載ると、すごい影響力がありますな」とおっしゃっていました。さらに、ヒメシャラもあると教えていただいたのが、こちら。ヒメシャラ(姫沙羅)はツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。ナツツバキに似ていますが、花も葉も小ぶりです。

Img_3355c  和名のヒメシャラは、誤って娑羅樹と伝えられたナツツバキ(別名:シャラノキ)よりも小さいことによるものだそうです。たしかにかわいらしい花でした。今日、私がいる間にも、新聞で見たという方など、数名が沙羅双樹の花を見にいらっしゃいました。毎年来ているという男性もあります。帰り際には、地元の三重テレビが取材に来ていました。

Img_3480c  円光寺から、伊勢上野城跡へ。織田信長の弟、織田信包が津城の仮城として元亀元(1570)年に築城しました。「賤ヶ岳の戦い」の後、お市の方の遺児である茶々・初・江の三姉妹はこの城で過ごしたといわれています。現在は、本城山青少年公園として整備されています。写真は、本丸跡。奥に見える展望台は、天守台跡に建っています。標高30mほどのところにあり、展望台に上るとかなりの眺望が利きます。

Img_3509c Img_3517c_20250612153101  伊勢上野城跡から降りて、再び伊勢街道に入ります。少し北に戻ったところに弘法井戸。弘法井戸は、長さ2mほどで、貯水槽のような形をしています。水面は、手を少し伸ばせば届きそうなところにあり、水深も1mほどの浅い井戸です。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しか出ないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。それを村人が「弘法井戸」と称して大切に使ってきました。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。

Img_3505c 弘法井戸の南に枡形・道路改修記念碑があります。上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。

Img_3531c  Img_3540cさらに南に行くと、道路元標跡があります。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、頂上部は銅板製。現物は損傷が激しいので、津市河芸公民館に保管されています。この道路元標跡があるあたりが、上野宿の中心で、本陣や問屋場があったところだそうです。

Img_3551c_20250612143601  その先に、真宗高田派の満流寺。ネット検索でも、伊勢街道のガイドブックにもこれという情報は載っていません。満流寺を過ぎて、左折し、国道23号線を再び越え、ゴールの豊津上野駅に向かいます。

Img_3577c_20250612143601 Img_3591c  豊津上野駅の北、駐輪場などの一角に小伝塚があります。現地の説明板によれば、伊勢上野城主の分部左京亮の家臣であった中条小伝の墓。禄は150石。慶長5(1600)年、津城の籠城に義父とともに、主君分部光嘉にしたがい、奮戦。その豪胆さに敵もその勇を賞したといわれます。慶長8(1603)年に没し、ここに心月宗光居士として葬られたといいます。

Img_3600c  ゴールの豊津上野駅には、10時45分過ぎに到着。普通しか停車しませんが、四日市行き普通は、10時40分に出たばかり。次は、11時13分の名古屋行き普通。これに乗って、白子駅に11時22分着。11時29分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名には12時3分着。¥760。

Screenshot_20250612122530c  Screenshot_20250612110614c 今日のGoogle Fitのデータ。6.9㎞で、10,519歩でしたから、普段の散歩より少しだけ長く歩いただけ。ただし、標高30mの伊勢上野城跡まで上り下りしましたから、運動量はいつもより多いでしょう。往きに降りた千里駅で、エキタグのデジタルスタンプをゲットしてきました。

2025年6月 8日 (日)

20250608JRさわやかウォーキング「東海道亀山宿と花しょうぶ園を訪ねて」へ(一回完結)

Img_2319c Img_2337c_20250608141301  曇りという予報でしたので、予定通りに、JRさわやかウォーキング「東海道亀山宿と花しょうぶ園を訪ねて」へ行ってきました。往きの電車で雨雲レーダーを見たら、現地には雨雲の端っこがかかっていて、前回に引き続いて雨の中のウォーキングかと覚悟したのですが(2025年5月31日:20250531JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」へ(一回完結))、実際には降られずに済みました。心がけがよかったのでしょう。冗談はさておき、JR関西線桑名駅を8時14分に発車する亀山行き普通に乗車。井田川駅に8時54分着、¥590。

Img_2332c Img_2341c  井田川駅はけっこうな賑わい。コースマップをいただいて、9時ちょうどにスタートします。今日設定されている立ち寄り先は、石上寺、亀山ローソクタウン、旧亀山城多聞櫓、亀山公園の花菖蒲園で開催されている花しょうぶ祭、旧舘家住宅、加藤家長屋門でした。実は、立ち寄り先のほとんどは、これまでにも訪ねたところ。同級生K氏との東海道ウォーキング(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編)、2022年5月7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))や、花しょうぶ祭にも行っています(2019年6月9日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(予告編)……雨にも負けず(苦笑))。それ故、今日の立ち寄り先も、前を通っただけで立ち寄らなかったり、今日の記事では触れなかったりした寺社などがあります。ご興味がおありでしたら、以前の記事をご覧ください。今回の記事も、一回完結。

250608jrwalkingidagawa こちらが今日歩いてきたルートマップ。コースマップ通りに歩いてきました。マップ上は、6.4㎞です。

Img_2378c  井田川駅から亀山の町中までは旧東海道をたどっていきます。ここらあたりは、上記のように3年前に歩いています。

Img_2416c_20250608142901  最初の立ち寄り先は、石上寺(せきじょうじ)。那智山松寿院という号があります。本尊は子安延命地蔵菩薩。伊勢七福神の一つ。元は、このあたりに勧請された熊野神社の神宮寺で、大伽藍があったといいます。境内には、四国88箇所霊場巡りも再現されていました。この写真を撮っただけでパスしてきました。

Img_2427c_20250608143101  石上寺からほど近くに、和田一里塚跡。江戸日本橋から104里。慶長9(1604)年、亀山城主であった関一政が築造したもの。昭和59(1984)年、道路の拡幅にともない、それまで残っていた塚の一部がなくなり、跡地の東側のここに模式復元されたものです。

Img_2434c_20250608141501 Img_2441c  続いて、カメヤマローソクタウン。本当は、ここは立ち寄ってみたかったのですが、あいにくと10時30分からの営業でした。事前リサーチが不足。有名なカメヤマローソクが営むショップで、「ローソクを学んで!作って!買って!癒やされる!三重県亀山市の総合エンターテイメント施設」といううたい文句なのです。カメヤマローソクの工場に隣接しています。また機会があれば、訪ねることにしましょう。

Img_2476c Img_2484c_20250608141401  東海道からは離れ、さらに西に向かうと、亀山城跡に出ます。ここも何度か来ていますので、割愛。旧多聞櫓も、何度も見学しています。

Img_2508c_20250608141401  Img_2605c_20250608143701 旧多聞櫓の北側に亀山公園が広がっており、その中に花菖蒲園があります。今日・6月8日に花しょうぶ祭が開かれているのです。この菖蒲園は、平成10(1998)年に亀山城の堀跡にもともとあった花しょうぶ園が拡張整備されたもので、約4,000平米の敷地に県下最大規模の100品種、約1万2千株の花しょうぶが植えられています。

Img_2517c_20250608141401 Img_2522c_20250608141401  亀山公園は元々、亀山城藩主の別荘のあったところだそうです。また、花しょうぶは、亀山市の花になっています。

Img_2561c_20250608141401 Img_2539c_20250608141401  ステージイベントも行われ、物販店も出ており、市民の方で大賑わいでした。今年は、特に市制20周年だそうですから、より一層盛り上がっていたと思います。昨日の諸戸氏庭園と(2025年6月7日:20250607諸戸氏庭園の花菖蒲)、今日の亀山公園とで、私自身は花菖蒲を堪能しました。

Img_2618c_20250608141401 Img_2622c  亀山公園をあとにして、旧舘家住宅へ。明治6(1873)年に商家として建てられました。枡屋という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店です。土日に無料公開されています。

Img_2658cImg_2662c_20250608141401  続いて、加藤家長屋門。江戸時代後期、亀山城主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷の長屋門。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されています。

Img_2671c Img_2678c  これで立ち寄り先はコンプリート。ただし、加藤家長屋門に着いたのが、10時30分過ぎ。次の名古屋行き電車は、11時24分亀山駅発。ちょっと迷ったものの(早すぎるかと)、用意してきた弁当を食べてしまうことに。多聞櫓が見える小公園がありましたので、そこで早昼。今日も、ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥430)」。これで十分に満足。

Img_2686c  ゴールのJR関西線亀山駅には、10時55分に到着Img_2696c。今日も無事にJRさわやかウォーキングのスタンプをゲットしました。

 Img_2693c 250608105918474c ゴール受付を済ませて、駅前にある瑞宝軒へ。ここでは、東海道ウォーキングのとき、カフェの方でランチを食べたことがありますが(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))、今日は、土産を買うため。右の写真にある「亀乃尾」を買ってきました。江戸後期から続く銘菓だそうです。8個で税込み¥860。

Img_2704c  JR関西線亀山駅を11時24分に発車する快速名古屋行きに乗車。途中、四日市から快速になります。桑名駅には12時6分着、¥680。JRさわやかウォーキングに参加した人も多く、かなり混雑していましたが、早くから並びましたので、無事に座ってこられました。今日は、桑名では最高気温27.5℃でしたが、湿度が高く、若干蒸し暑い日でした。

Screenshot_20250608123026c  こちらは、いつものようにGoogle Fitのデータ。トータルで9.2㎞、15,219歩。蒸し暑かったので、ちょっと疲れました。

Screenshot-2025_06_08-14_50_57c Screenshot-2025_06_08-14_51_14c   JRさわやかウォーキングの記録は、こちら。

2025年5月31日 (土)

20250531JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」へ(一回完結)

Screenshot_20250531093455c  曇りという天気予報でしたし、桑名では、朝、晴れ間も出ていましたので、これなら大丈夫だろうと思って、JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」に行ってきました。ところが、受付のJR東海道線逢妻駅に着く頃には、雨。車内放送でも「さわやかウォーキングにご参加のお客様には、雨が降り始めましたので、足元にお気をつけてお歩きください」というアナウンスが流れたくらい。現地に近い大府のアメダスのデータでは、10時台から雨が記録されていました。

Img_1890c  桑名駅を7時48分に発車するJR関西線の普通電車に乗車。名古屋駅には8時22分着。8時31分発の東海道線の岡崎行き普通電車に乗り換え、逢妻駅には8時57分に着くはずだったのですが、熱田駅で急病の方が出て、救急隊到着まで停車。結局、この電車は運休となり、熱田駅であとから来る豊橋行き普通に乗り換え。当然、この電車も遅れていて、8時54分発のところを8分遅れで運行。逢妻駅には9分遅れの9時21分の到着。当初の予定からは30分弱遅くなりました。運賃は、¥360+¥430=¥790。名古屋駅で途中下車すると、通しで乗る¥870より、¥80安くなります。

Img_1883c 250531aiduma0  コースマップを受け取ったのですが、冒頭の画像のように15分で雨が止むと思い、しばし待機。9時50分を過ぎて、雨がほぼ止みましたので、ようやくスタート。今日のコースは、逢妻駅→刈谷市歴史博物館→亀城公園→市原稲荷神社→郷土資料館→秋葉社・松秀寺→刈谷駅がゴール。マップ上は5.4㎞。刈谷駅ではマルシェが開かれているということです。右は、実際に歩いてきたルートマップですが、コースマップ通りに歩きました。

Img_1894c_20250531160001  逢妻駅をスタートしてすぐのあたりでの写真。天気が悪くても、参加者はかなりたくさんありました。私など、普段は、天気予報がよくないと、簡単に諦めてしまいますので、反省した方がよいかも知れません。雨は降ったり止んだりを繰り返し、だんだんと強くなりました。途中からは、傘が手放せなくなりました。

 Img_1905c_20250531160001 最初の立ち寄り先は、刈谷市歴史博物館。ちょうど企画展「木札の世界ー木に書き残された歴史ー」が開かれていて、入場料金も¥600のところが、¥500で入れたのですが、空模様から見て、先を急いだ方がよかろうということで、パス。

 Img_1923c_20250531160001 Img_1970c 歴史博物館からすぐ先に亀城公園があります。亀城とも呼ばれた刈谷城址を利用した公園。現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀あとの城池、子亀池が城址の面影を残しています。桑名の九華公園と同様に、ソメイヨシノが約400本植えられており、花見で賑わうそうです。

Img_1974c  こちらは、本丸跡。正しくは「刈屋城」ですが、刈谷市が昭和25(1950)年4月に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになりましたので、城名もそれ合わせています。天文2(1533)年、水野忠政により築城。築城後、忠政は、本拠地を緒川から刈谷に移し、徳川家康の生母於大は、刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁しています。於大は父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についたため、松平氏を離縁された後、刈谷城近くの椎の木屋敷で久松氏に再嫁するまでの日を過ごしています。 水野家のあとは、深溝松平家、久松松平家、稲垣家、阿部家、本多家(忠勝系)、三浦家と頻繁に城主が交代しています。 

Img_1952c  園内には十朋亭があります。日本庭園と調和し、各種会合、休憩所などに利用できます。十朋亭は、大正5(1916)年、刈谷城本丸隅櫓跡に財団法人刈谷士族会の集いの場として建築されました。その後、大野介蔵氏(刈谷藩士族、かんばん方式などの「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一の祖父)の隠居家として使われるようになり、昭和11(1936)年に刈谷町がこれを買い受けました。昭和47(1972)年には、故石田退三氏の厚意により改築され、今に至っています。私は、刈谷市内にある高校を卒業しているのですが、卒業して、第1回クラス会をここで行った記憶があります。建物の外観については、漠然と覚えているのですが、それ以外については、忘却の彼方(笑)。50年以上前の話です。

Img_1990c 本丸跡には、松本奎堂(けいどう)歌碑があります。昭和18(1943)年に建てられました。松本奎堂辞世の句「君か為 命死にきと世の人に 語りつきてよ 峯の松風」が彫られています。松本奎堂は、天保2(1831)年、刈谷藩士松本印南(いなみ)の次男として生まれました。青年期には尾張国沓掛村(現豊明市)の伊藤両村の門に入り、18歳のときには槍の試合中、あやまって左目を傷つけられました。その後、江戸に出て昌平坂学問所に学び、大変優秀な成績をあげました。勤皇の志強く、藩のいきかたにもあきたらず脱藩、文久3(1863)年、天誅組3総裁の1人として38名の同志とともに兵を挙げました。この挙兵は失敗しましたが、のちの倒幕運動の魁となりました。

Img_2010c Img_2024c_20250531163701  亀城公園に隣接して、刈谷球場があります。ここにも思い出があります。たぶん小学校6年生を卒業した春休みに中日ドラゴンズのオープン戦を同級生S君と一緒に見に来たのです。その時は、もちろんこんな立派な球場ではありません。小学校5年生になるまではジャイアンツファンだったのですが、5年生で同じクラスになったI君から、地元の球団を応援しなければならないと説得され、中日ファンに転向していたのです。今日は、愛知県高校野球連盟の招待試合として、仙台育英高校を招いて、第1試合は、中京大中京と、第2試合には、至学館高校がそれぞれ対戦する予定でしたが、中止となったようです。

Img_2067c_20250531160001 刈谷球場の南には、市原稲荷神社。白雉4(653)年、亀狭山(現在の亀城公園)に瑞兆(ずいちょう…良い事が起こる前兆)が現れ、その地に社殿を創立したのがはじまりといわれています。その後、天文2(1533)年、水野忠政の刈谷城築城により、現在の場所へ移りました。永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたとき、刈谷城は今川方であった鳴海城代岡部長教の襲撃に遭い、そのときに市原稲荷神社も焼失しましたが、同5(1562)年に再建され、初代藩主水野勝成以来の歴代刈谷藩主による寄進を始め、領内3社としての特別な崇敬を受けています。

Img_2046c_20250531160001 Img_2032c  ご祭神は、倉稲魂神、保食神、大山祇神の三柱。境内には、摂社、末社がいくつかありますが、こんな天候でしたから、お参りしてきたのは、刈谷神社(右の写真)のみ。もとは昭和初期まで旧刈谷城郭内にあった土井神社(明治年間の亀城殖産合名会社創設に当り土井家の藩祖利長公を祀る)。昭和18~19(1943~44)年頃、高射砲探照灯陣地備築のため、市原稲荷神社境内に刈谷士族会が社殿を移転したそうです。現在は、土井家歴代藩主、地元自治功労者、天誅組松本・宍戸両志士、日清・日露戦争以降の戦没者の英霊を併せ祀っています。

Img_2036c Img_2044c_20250531160001  境内には、小規模の花菖蒲園も。ハナショウブの生長もよく、花もきれいに咲いています。

Img_2104c_20250531160001 Img_2090c  市原稲荷神社を回ってから、亀城小学校のところにある郷土資料館へ。建物は、昭和3(1928)年10月に亀城尋常高等小学校(現在の刈谷市立亀城小学校)の本館として建設されました。この昭和初期の建築様式をとどめる亀城小学校旧本館の建物を保存活用して、昭和55(1980)年に開館しています。国の登録有形文化財。実は、私の出身高校が、旧制中学として大正8(1919)年4月に設立されたとき、刈谷町立亀城尋常高等小学校の一部を仮校舎としてスタートしています。建物の時代は異なりますが、その頃の雰囲気が少しは感じられるかと期待していたのです。

Img_2108c_20250531160001 Img_2116c_20250531160001  郷土資料館の庭には、下町の常夜灯と、丸形ポスト。下町の常夜灯は、現在の銀座6丁目の角にあったそうです。昔は、この角が旧熊村と、旧刈谷町の境になっていて、夜道を急ぐ人びとの目印になったそうです。大正時代までは、昔の姿で立っていたとか。丸形ポストは、刈谷市に現存する唯一のものだとありました。昭和42(1967)年6月に富士見町に設置されたもの。

Img_2125c  郷土資料館のすぐ先に刈谷藩校文礼館跡。文礼館の前身は、土井氏が西尾藩主であった時に藩士の子弟教育のために設立した藩校だといわれています。土井氏は刈谷に転封後、天明3(1783)年に美濃出身の儒者秦子恭を教授として招き、文礼館を開きました。一時は途絶えましたが、慶応4(1868)年5月に再興されました。明治期には刈谷義校(初等学校)に転換。明治6(1873)年には第一番小学刈谷学校となり、明治19(1886)年には尋常小学刈谷学校となっています。この学校は明治41(1908)年に亀城尋常高等小学校となり、現在は刈谷市立亀城小学校となっています。

 初めの方に書きましたが、刈谷には高校に通っていたのですが、今はもはや浦島太郎状態。すっかり変わってしまっていて、どこが何だかまったくといって良いほど分かりません。まぁ、高校時代も、名鉄三河線刈谷市駅で降りて、高校に往復するくらいで、あとはたまにラジオ部品を、当時あった中央無線に買いに行った程度ですから。

Img_2135c_20250531160101Img_2143c  スタートから3.5㎞の手前で秋葉神社。松秀寺の境内にあります。ご祭神は、迦具土神。火の神様。宝暦4(1754)年に、刈谷城下の6町の有志の発起により、松秀寺境内に秋葉堂を建立する提案がなされ、宝暦6(1756)年に秋葉堂が建てられ翌年から祭りが行われました。安永7(1778)年になり、各町組ごとの出し物に笛・太鼓で拍手をとる形態に変わり、この年に初めて万燈が登場しています。出し物は次第に万燈に統一され、秋葉祭礼は「万燈祭」ともいわれるようになりました。つまり、この秋葉神社が、万燈祭の起源。万燈祭は長い伝統を受け継ぎ、火難防除・町内安全の感謝と祈りを込めて現在も続いており、県指定無形民俗文化財に指定されています。

Img_2188c  秋葉神社の隣が円通山松秀寺。曹洞宗。Img_2164c寺伝によると、寛正4(1463)年、十王山松秀寺と号したのを始めとし、その後、正徳5(1715)年に幡豆郡長円寺第13世通方円達和尚が当寺にきて、曹洞宗として中興開山となり、山号を円通山に改めています。

Img_2193c_20250531160101 Img_2160c  観音堂に祀られている十一面観世音菩薩立像は、延宝4(1676)年、刈谷の町人太田忠右衛門長正が寄進したもので、市指定文化財になっています。境内には、天誅組に参加した宍戸弥四郎の墓があるそうですが、墓そのものは見てきませんでした。右の写真は、山門前にある宍戸弥四郎の墓碑があることを示す石碑。しかし、天誅組の中心メンバーが、刈谷藩を脱藩した松本奎堂や宍戸弥四郎らであったというのは、不勉強にして知りませんでした。

Img_2214c Img_2222c  これで立ち寄り先は、コンプリート。雨はいよいよ強く、時折強い風に煽られます。こんな日に来るんじゃなかったとは、ウォーキングに出かけたとき、ときどき思いますが、今日もまさにそれ。県道51号線に出て、ゴールの刈谷駅を目指します。名鉄三河線に沿って、JR東海道線を目指して歩いています。途中、デンソー本社あたりも見えます。

Img_2232c Img_2237c_20250531160101  東海道線の跨線橋を越えていくと、ようやくゴールのJR東海道線刈谷駅が見えてきます。雨の降る中、よく歩いてきました(自画自賛ですから、お気遣いなく)。11時20分過ぎにゴール。1時間半で5.4㎞を歩いてきたことになります。JRさわやかウォーキングのゴール受付の手前でマルシェが行われています。

Img_2242c_20250531160101 250531jrwalkingaidumadryellow  こちらがJRさわやかウォーキングのゴール受付。受付でさわやかウォーキングについてのアンケートを実施していました。スマホでQRコードを読み取り、ネット上で行うもの。これに回答すると、右の写真のカードがもらえるということで、協力して、1枚いただいてきました。ドクターイエローなど、新幹線の車両が写っています。

Screenshot_20250531113350c  Screenshot_20250531113340c今回も無事にポイントをゲットできました(左の写真のもっとも上にあります)。右の写真は、最近のJRさわやかウォーキングの記録。今日までの1年で歩いたのは、50.1㎞。刈谷駅を11時25分に出る岐阜行き普通に乗って、名古屋駅には11時56分着。12時06分の関西線亀山行き快速に乗り換えて、桑名には12時28分着。運賃は、往きと同じく、¥430+¥360=¥790。

Screenshot-2025_05_31-13_15_08c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.5㎞、12,991歩。普段の散歩に毛が生えたくらいでしたが、雨に降られましたから、その分、疲れました。できれば、刈谷駅に隣接する駅前観光案内所へ行って、土産を探したいと思っていたのですが、その気力はなし。リンク先にある、きしめんのルーツともいわれる「いもかわ(芋川)うどん」に関心があったのです。

2025年2月 6日 (木)

20250206近鉄あみま倶楽部ハイキング「七里の渡・大福田寺コース」へ(一回完結)

Img_9006c_20250206163101  今朝は冷えました。-1.2℃と今シーズン最低。あちこちで氷が張っているのを、この冬、初めて見ました。最高気温は、7.0℃。今日は、「朋あり遠方より来たる」(論語)ではありませんが、名古屋から大学時代の同級生である友人が、「桑名散策に行きたい」ということで来てくれました。近鉄あみま倶楽部のアプリ対応コースに「七里の渡・大福田寺コース」がありますので、このコースを歩くことに。実は、最近、同級生K氏とのウォーキングに行けていませんので、自分であみま倶楽部のハイキングコースでも歩こうかと考えていたところで、まさに「渡りに舟」。

250206kuwanawalkingmap  こちらが、近鉄あみま倶楽部の「七里の渡・大福田寺コース」にならってつくったコースマップ。桑名駅東口から、海蔵寺、本統寺、寺町商店街、六華苑、住吉神社、七里の渡跡、九華公園、春日神社、大福田寺、照源寺を回って、桑名駅西口がゴール。9時過ぎにスタートし、春日神社から大福田寺に行く途中、昼食を食べ、桑名駅西口には14時前にゴール。私にとっては、勝手知ったるところですから、mamekichiバージョンの「ブラ桑名」のようなもの。以下、主な立ち寄り先を簡単に。

Img_8926c Img_8937c  海蔵寺は、曹洞宗のお寺。ここには、いわゆる薩摩義士の墓所があります。宝暦3(1753)年、幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5(1755)年、工事は完成しましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他23基の墓石が現存しています。

 本統寺は、真宗大谷派桑名別院。地元では、「御坊さん」と呼ばれ、親しまれています。Img_8949c_20250206153701 Img_8946c_20250206153701徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、境内には、松尾芭蕉が貞享元(1684)年、野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています。

 このあと、寺町商店街、三崎見附跡、諸戸氏庭園前、桑名七里の渡し公園を経て、六華苑へ。Img_8970c国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園があります。実業家の2代目諸戸清六の新居として、1911年(明治44年)にジョサイア・コンドルの設計で着工し、1913(大正2)年に竣工しました。コンドルが設計した現存建造物の大半は東京に集中しており、地方では桑名市のみに現存しています。

 住吉神社を経て、七里の渡跡へ。Img_8973c_20250206153701熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として賑わいました。この鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

Img_8981c_20250206153701  本多忠勝像のところから九華公園へ。このあたりは、毎日の散歩コースです。本多忠勝は、桑名藩初代藩主。慶長の町割を実施するともに、桑名城をつくり、現代にもつながる桑名の町のもとをつくったといえます。桑名城址に整備されたのが、九華公園。昭和3(1928)年に松平定信(守国公、楽翁)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されたものです。

Img_8995c  続いては、桑名宗社(春日神社)。地元では、「春日さん」と呼ばれています。桑名神社と中臣神社の2つの神社からなっています。石取祭は、ここのご神事。門前には、青銅の鳥居があります。これは、寛文年間(1661~1673年)につくられたもの。

Img_8998c 250206114606420c  春日さんのあたりで11時半前でしたので、どこかでランチをということになり、寺町商店街の南口にある「てらまちダイニングUOSUE」さんへ。1階で魚屋さんを営んでおられ、2階が食事のできるお店になっています。1度来てみたかったのですが、一人では敷居が高かったのです。

250206114555387c  魚屋さんですから、刺身定食をチョイス。カンパチ。定食にしていただくと、これで¥1,375。美味しい上にこの値段は、かなりお得です。

Img_9002c  1時過ぎにウォーキングを再開。桑名駅方面に向かいます。駅西に行くのに、こちらの踏切を渡りました。3種類の幅の線路を一またぎしています。手前から(西側から撮っています)、近鉄名古屋線(広軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)。踏切の名称は、それぞれの鉄道会社で異なっており、近鉄名古屋線は益生第4号踏切、JR東海関西線は桑名駅構内踏切、三岐鉄道北勢線は西桑名第2号踏切。これらを横断し、レールの幅を実際に見て体感できます。

Img_9016c  大福田寺。高野山真言宗のお寺。聖徳太子創建と伝えられます。山門は、江戸時代建立といわれるもの。毎年2月3日には節分祭、4月1日・2日には日本三大聖天の一つ桑名聖天大祭が行われ、2日には伊勢大神楽の奉納が行われます。節分祭では、鬼が市内を練り歩く鬼追い厄払いがあります。今年も、我が家の近くで、螺貝の音が聞こえていましたので、「大福田寺の鬼追い」が来たなと分かります。

 Img_9023c 大福田寺の境内で、白梅がかなり咲いていました。このあたり、昔はときどき散歩をしたのですが、最近はすっかりご無沙汰。いつもの散歩コースでは、常信寺の紅梅がもっとも早く咲くのですが、それよりこの白梅の方が早く咲くと思われます。

Img_9050c_20250206153701  最後の目的地は、照源寺。浄土宗。久松松平家の菩提寺。寛永元(1624)年、桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建しました。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続しました。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。境内には定綱が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります。

Screenshot_20250206143223c  「七里の渡・大福田寺コース」のウォーキングは、このあと桑名駅西口で完了。こちらは、Google Fitのデータ。約6キロのコースですが、自宅~桑名駅往復を含め、なんと12.1㎞も歩いていました。歩数も2万歩を超え、驚き。

Screenshot_20250206140719c Screenshot_20250206140816c  このコースは、初めの方にも書きましたが、あみま倶楽部のアプリ対応コースでしたので、デジタルスタンプも集めてきました。踏破証もこれで5つになったのですが、有効期限内のものは、3つ。これで交換できるのは、オリジナルステッカーです(微苦笑)。

【付記(2/7)】 2月7日の中日新聞朝刊三重版に「六華苑の池で浚渫作業が行われていて、いつもは池の底にある、第2次大戦中に投下された爆弾の痕跡が見られる」という記事が載っていました。そういえば、池の中央あたりに直径数mの跡がありました。それが爆弾であいた穴をふさいだところだったようです。六華苑には「浚渫作業をしています」という掲示はあったと思うのですが、受付などにもこの爆弾の跡が見られるとでも示しておいてくれたら、皆さん、興味を持ってみられたんじゃないかと思います。

2025年1月 6日 (月)

2025年元旦に歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダム(本編、一回完結)

Img_7830c_20250101162901  元旦の午後からドライブがてら、新年初の歴史散歩に出かけました。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。「どちら?」と聞かれるでしょうが、JR名松線の伊勢奥津(いせおきつ)駅です(津市美杉町奥津)。名松線は、雲出川の渓流沿いを走るローカル線で、当初は、名張と松阪を結ぶ計画でしたから、両市の頭文字をとって名松線と名付けられまし。しかし、名張にまで延伸できず、往時の計画をしのばせる名前となっています。赤字83線として廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選ばれていましたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されました。平成26(2014)年に岩泉線が廃止されて以降は、JRが運営する唯一の特定地方交通線元対象線区です。平成21(2009)年、台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は部分廃止・バス転換を打ち出したのですが、沿線自治体の支援により平成28(2016)年3月26日に運行が再開されています。

Img_7947c_20250101162901  Img_7962c_20250101163001 というように、名松線は、超ローカル線。伊勢奥津駅は、名松線の終点。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本なのです。時刻表は、こちら。

Img_7773c_20250105170301  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7987c_20250101163001  名松線を走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

Img_7802c_20250105171201  伊勢奥津駅についたのは、13時45分頃。時刻表を調べたら、次に来るのは、上記のように伊勢奥津駅着14時33分でした。せっかく来たので、車両も入れて写真を撮ろうと思い、待つことにしました。その間、駅舎や、駅周囲を探訪。駅には、観光交流施設ひだまりや、津市の八幡出張所が併設されています。

Img_7826c Img_7847c  名松線を守る会と、名松線を元気にする会とがあり、いろいろな活動をしておられます。伊勢奥津駅にも、昔の写真が掲示されていたり、自由に書けるノートが置かれていたりします。あちこちで鉄道が、利用者減少にともない、廃線になっていますが、個人的には、鉄道や、学校は廃止すると、その地域の衰退に直結するような気がしています。

Img_7839c_20250105171201  駅舎の向かいには、こんな建物があります。「日通跡」という小さな看板があります。日通は、日本通運。昔は、国鉄だけでなく、私鉄の主な駅の近くには、必ず日通の営業所がありました。私の郷里でもそうでした。○に通の字がマークでしたから、「マルツウ」と呼んでいました。

Img_7835c  駅舎の東には、川上若宮八幡宮への道標が建っています。「是ヨリ五十丁」とあります。1丁(1町)は、109.1mですから、約5.5㎞。川上若宮八幡宮へも行きたかったのですが、この日はパス。

 ここはまた、伊勢本街道の奥津宿であったところ。Img_7861c 伊勢奥津駅の南を伊勢本街道が通っています。街道歩きに興味がある私にとっては、魅力的なところ。

Img_8009c_20250101163001 Img_8045c  とあちこちウロウロしているうちに、松坂から来る伊勢奥津行きのディーゼルカーがやってくる時間となりました。給水塔にキハ11型を入れた写真や、キハ11型のズーム写真も撮り、伊勢奥津駅を後にすることにしました。

Img_7939c_20250105185001  ちなみに、待っている間にイソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのオスが登場。イソヒヨドリは、最近、内陸に進出しているとはいえ、もっとも近い海辺(松阪港あたり)で、27㎞ほどもある、山の中にいるとは驚き。

Img_8148c_20250101163001  伊勢奥津駅から、北畠神社へ(津市美杉町上多気)。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とします。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持ちます。

Img_8075c_20250101163001  由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20(1643)年3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀といいます。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間(1688~1704年)に下るとの説もあります。やがて八幡三神に倣い、北畠親房・顕家を合祀します。明治14(1881)年11月、村社北畠神社に改称。昭和3(1928)年10月、社殿を新造して主神を遷座し、11月10日、別格官幣社に昇格。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にありましたが、天保11(1840)年春に火災に遭い、再興しないまま、明治31(1898)年に廃絶。 神社は、奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8059c_20250106081901  境内には、北畠氏館跡庭園(国史跡・名勝)という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園があります。また、神社の後方の標高560mの山頂を中心に、霧山城跡(国史跡)があります。南北の曲輪群に分かれ、堀切と土塁の遺構が残っています。築城は顕能が多気の地へ移った14世紀中頃と考えられています。 これらにも行ってみたいと思いますが、霧山城跡は急な勾配のところもあって、簡単には登れなさそうです(こちら)。写真は一の鳥居をくぐったところ。右手が神社と庭園への道、左手は霧山城跡へ登る道。

Img_8083c_20250101163001 Img_8092c_20250106081501  写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。境内には、ほかに北畠顕能の歌碑がありました。伊勢国司のときに詠んだもので、新葉和歌集に入っています。

 いかにして伊勢の浜荻ふく風の治まりにきと四方に知らせむ

Img_8152c  いずれにしても、下調べも何もせずに出かけましたので、名松線、北畠神社、北畠氏城館跡庭園、霧山城跡などは、きちんと調べて、出直したいところです。

Img_8157c_20250101163001  最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

2025年1月 5日 (日)

20250105近鉄ハイキング酒蔵みてある記 伊藤酒造「鈿女」へ(一回完結)

 Img_8502c_20250105151201 朝は、この冬初めての氷点下になりましたが(-0.3℃)、日中は風も弱くて、暖かくなり(10.2℃)、絶好のハイキング日和でした。予定通り、近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記 伊藤酒造『鈿女』」へ行って来ました。桑名駅を9時2分に出る松坂行き急行に乗り、四日市駅に9時15分着。ここで湯の山線の湯の山温泉行き(9時29分発)に乗り換え。菰野駅に9時48分に到着。¥560。湯の山線の電車も、菰野駅も大賑わい。今回は、一人旅。記事は、一回完結。

Img_8506c 250105kintetsuhikingkomono  こちらが今日のコースマップ。番号がついていますが(伊藤酒造で抽選会があるのです)、私のものは#199。菰野駅をスタートし、明福寺、菰野城跡、見性寺と回って、伊藤酒造で酒蔵見学。ゴールは、同じ湯の山線の桜駅。マップ上、約6㎞のコース。右は実際に歩いたルートマップですが、今日は、道草は食っておりません。10時過ぎにスタート。

Img_8530c Img_8546c_20250105151301  最初の立ち寄り先は、菰野駅から400m足らずのところにある発起山明福寺(ほっきざんみょうふくじ)。真宗大谷派。開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正(1504~1521年)の頃に伊勢へと移り住み、菰野に念仏道場を開きました。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与されています。享保(1716~1736年)の頃に山門と鐘楼を建立。本堂は安政元(1854)年の大地震にて倒壊後、再建されました。文化11(1814)年には、測量に訪れた伊能忠敬がこの寺に宿泊したそうです。

Img_8538c Img_8542c  本堂に安置されている薬師如来/阿弥陀如来像は円空による作。一材の両面に二仏が掘られた「両面仏」と呼ばれる珍しいもので、延宝2年(1674年)の作。13世住職であった賢竜の弟・大正が明治初年の廃仏毀釈により、像が伝来していたものの、廃寺となった伊勢の常明寺から譲り受けて、明福寺へと持ち帰ったものです。昭和36(1961)年には、俳人の山口誓子が当寺の住職に招かれて寺を訪れ、円空仏に感銘を受けて句を詠んでいます。句は、「円空仏外に出で来て枯銀杏」。昭和51(1976)年に建てられたその句碑があります。

Img_8573c_20250105151301 Img_8577c_20250105151301  次の立ち寄り先は、菰野城跡。菰野城は、菰野藩一万二千石の大名土方氏の代々の居城でした。現在は菰野小学校の敷地になっており、西側と北側に城壕に一部と築地が遺り、藩邸の庭園の一部が西南の隅に僅かながら名残をとどめ、そこに菰野城跡の碑があります。また、西南を流れる振子川に面して、角櫓跡があり、その東方に石積の遺構の一部があります。ここは、私は何度か訪ねています(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8587c_20250105153201 Img_8596c  菰野城跡の先、国道306号のところでほぼUターン。湯の山線の踏切がありますが、このあたりが菰野城の隅櫓跡。その先に洗心教団の本部があります。その前に道標。「右 ゆ乃山?」と刻まれています。みえの歴史街道の菰野道の説明によれば、ここは、昔の「湯の山道」と呼ばれる道と思います。

Img_8625c_20250105151301  続いて、真如山見性寺。臨済宗妙心寺派。菰野藩土方家の菩提寺として、寛永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。ここも何度も訪ねていますので、今日はパス(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8651c_20250105151301 Img_8616c  見性寺から伊藤酒造まで、立ち寄るところはなく、ほぼ3㎞の距離をひたすら歩きます。このひたすら歩くというのは、けっこう苦痛(苦笑)。ただ、今日は、コースのあちこちで鈴鹿山脈や、御在所岳(右の写真)が見えていましたので、まだよかった方でしょう。

Img_8681c  伊藤酒造には、11時20分頃に到着。ここも賑わっていました。私は、酒蔵みてある記で何度も訪ねています(たとえば、2020年2月8日:20200208近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」へ(一回完結))。

Img_8695c_20250105151301 Img_8697c  まずは、試飲(笑)。今日は、「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」。先月搾った新酒。とはいえ、無料試飲ですから、コップのサイズは右の写真のとおり。一口でした。

Img_8704c_20250105151301  抽選会は、ご覧のとおり、今回も見事にハズレ。最近、当たった試しがありません。

Img_8714c_20250105151301 Img_8753c_20250105151301  新酒即売会では、試飲をした「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」の720ml詰めを1本購入。¥1,400。

Img_8677c  有料試飲や、燗酒(一合瓶)、つまみの販売もされていて、小宴会ができるようになっていました。ずいぶん迷いましたが、今日は、一人でしたので、一人で飲んでもつまらないと思い、諦めました。

Img_8721c_20250105151301 Img_8758c_20250105151301  そのまま近鉄・桜駅へ。11時35分頃に到着。桜駅を11時45分発の四日市行きに乗車し、近鉄四日市駅には11時59分着。12時11分の名古屋行き急行に乗り変えて、桑名駅には12時23分着。乗り換えの待ち時間にいったん改札を出て、近鉄百貨店四日市店へ。家内から、赤福のぜんざいを買ってくるようにという指令が届いたのです。3つ入りで¥2,300。酒よりいいお値段(笑)。途中下車しましたので、近鉄料金は、桜~四日市が¥320、四日市~桑名が¥360で、合計¥680。

Screenshot-2025_01_05-12_50_34c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は、約8.8㎞。歩数は、14,037でした。

2025年1月 1日 (水)

歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダムへ(予告編)

Img_7830c_20250101162901 Img_7947c_20250101162901 元旦の今日、午後からドライブがてら、新年初回の歴史散歩へ。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。どちら? と聞かれそうですが、JR名松線の伊勢奥津(いせおきつ)駅です。JR紀勢線の松阪駅から伸びている、超ローカル線。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本という、まさに超ローカル線です。

Img_8009c_20250101163001  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7962c_20250101163001 Img_7987c_20250101163001  伊勢奥津駅は、名松線の終着駅。走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

 Img_8075c_20250101163001 Img_8148c_20250101163001 伊勢奥津駅から、北畠神社へ。主なご祭神は、北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公。奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8083c_20250101163001  境内には、北畠氏館跡庭園という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園がありますが、今日はそちらには行っていません。改めて是非とも訪ねたいと思っています。写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。

 Img_8157c_20250101163001 最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

 今日のところは、予告編。下調べも何せずに出かけましたので、改めて、本編を書くつもり。

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  • 釈撤宗: 100分de名著 親鸞 教行信証
    何を今さらといわれるかもしれませんが、NHKの100分de名著という番組で、親鸞の『教行信証』の勉強をしました。勉強したとはいえ、エッセンスを垣間見たくらい。たぶん何度も復習をしないと、私の理解を超えています。「自力を手放し、現実を力強く生きる」「他力の念仏・信心で救われる道筋」とありますが、自力を手放し、他力に身を委ねるということは、実はとても難しいことで、私などにはとても到達できる心境ではないという気がしています。さてはて、阿弥陀如来にすべてを任せられるようになるものでしょうか? (★★★★★)
  • 本郷和人: インテリジェンス関ヶ原
    関ヶ原合戦については、昨年(2025年)10月にJRさわやかウォーキングで旧跡を訪ねたこともあって、興味があります。以前、高橋陽介:さんの「シン・関ヶ原」をマイブックスにあげましたが、今回の本も、それと同様に、徳川家康は合戦前から天下人であり、勝負は決選前にすでについていたという立場に立っています。関ヶ原合戦は、わずか半日で決着がついたのですが、実はその前に行われた外交戦、情報戦こそが意味を持っていたのです。家康がどのようにして、この外交戦、情報戦を勝ち抜いたかも重要ですが、石田三成など、いわゆる豊臣方の大名たちが、なぜ失敗したのかについても着目してこれを読むと、一段とおもしろいでしょう。 (★★★★★)
  • 渡辺祐基: 鳥は飛びながら眠る-超小型センサーで覗く野生動物の私生活-(中公新書)
    著者は、野生動物に小型の記録計をつけるバイオロギングという手法で魚類、海鳥、海生哺乳類の生態を調べる研究者です。記録計は、超小型センサーや、カメラです。サバンナに生きる動物、極致の海に潜る海生哺乳類、大空を飛んで渡る野鳥などにバイキングサイエンスの手法を適用し、動物たちがどのように食べ、逃げ、眠り、子育てをするのかという謎に迫っています。これにより、厳しい環境を生き抜く進化のメカニズムが明らかになり、さらにそれらは、人の身体や行動に潜む進化的な意味も明らかにしてくれます。ヒヒは多数決で行き先を決める、アザラシは一晩に4000回も狩りをするなどなど、新しい、興味深い知見満載で、おもしろい本でした。 (★★★★)
  • 高橋陽介: シン・関ヶ原 (講談社現代新書)

    高橋陽介: シン・関ヶ原 (講談社現代新書)
    関ヶ原で起こった戦闘の経緯について、新しい説を提起しています。私たちが知っている関ヶ原の戦いとは、まったく違う見方で、驚きました。この本では、「徳川家康はすでに天下人であった」という大前提のもとに当時の一次資料を読み(ここがポイント)、そこから「石田三成は西軍決起の『首謀者』ではない」「小早川秀秋は開戦前に東軍であった」「東西両軍の和談は決戦前日に成立していた」など新たな見方が示されています。すべて当時の書状などの一次資料の内容に基づいています。これらがすべて歴史学界で認められた説ではないものの、新鮮で、大変おもしろい内容でした。ちなみに通説は、帝国陸軍参謀総本部が、一次資料のほか、江戸時代の『関ヶ原軍記大成』『徳川実記」などさまざまな編纂史料をもとに再構築したものと、それをもとに司馬遼太郎さんが書いた小説『関ヶ原』に基づいているといいいます。 (★★★★★)

  • 銅冶英雄: 悩み・不安・困った!を専門医がスッキリ解決 腰部脊柱管狭窄症

    銅冶英雄: 悩み・不安・困った!を専門医がスッキリ解決 腰部脊柱管狭窄症
    体操で改善を目指すことを謳い文句とした本です。脊柱管狭窄症については、これで4冊の本を読みました。それぞれに一般向けに分かりやすく書かれており、これら4冊の本で決定的な差はありません。むしろ、何冊か読むことで、脊柱管狭窄症についての理解が深まりました。多くの本で脊柱管狭窄症を改善する運動療法が紹介されています。この本では、「痛みナビ体操」が紹介されています。私自身は、近いうちにかかりつけの整形外科医院で理学療法士さんに運動療法を教えていただくことになっていますので、それを優先しますが、そういう機会のない方には、この「痛みナビ体操」を試してもよいように思います。 (★★★★)

  • 菊地 臣一 ほか: 脊柱管狭窄症 腰の名医20人が教える最高の治し方大全 ~聞きたくても聞けなかった150問に専門医が本音で回答! ~ (健康実用)

    菊地 臣一 ほか: 脊柱管狭窄症 腰の名医20人が教える最高の治し方大全 ~聞きたくても聞けなかった150問に専門医が本音で回答! ~ (健康実用)
    脊柱管狭窄症について、病気そのもの、症状、診察・診断、薬物療法、運動療法、そのほかの保存療法、セルフケア、食事、症状別対策、手術などの全貌についてのガイドブックです。タイトルにあるように、専門医が150の質問についてわかりやすく解説しています。図、写真も使われていて、よくわかります。 (★★★★★)

  • 文藝春秋: 文藝春秋 2026年6月号[雑誌]

    文藝春秋: 文藝春秋 2026年6月号[雑誌]
    特集記事の「総理の夫 初告白20時間」という、高市首相の夫である高市拓さんのインタビュー記事が載っていて、それを読んでみたいと思って、20年ぶり以上に文藝春秋を買いました。余談ですが、この6月号は、特別定価¥1,250で、ビックリ。定価がそもそも¥1,200だそうです。それはともかく、高市首相は公邸で夫のワンオペ介護をしているという話がしばらく前に話題になりましたが、実態はどうもかなり違ったようです。最近の高市拓さんは、シャワーも一人で浴びられ、トイレも大丈夫、食事も一人で準備し、食べられるそうです。週末は拓さんが簡単なご飯を作って、平日夜は官邸の食堂からお弁当を運んでいるといいます。そのほか、夫婦関係、再婚と改姓、介護問題などについて語っていますが、結局、「へぇ~、そうなんだ」と思われる内容で、私としてはちょっと期待はずれ。それに、あまりおおっぴらに書くのは憚られますが、私のセンスではちと変わったご夫婦のように思えました。 (★★★★)

  • 林 将之, 株式会社アマナ: 新版 葉っぱで見わけ五感で楽しむ樹木図鑑

    林 将之, 株式会社アマナ: 新版 葉っぱで見わけ五感で楽しむ樹木図鑑
    樹木の図鑑でわかりやすい、よいものがないか探していて見つけました。図鑑ですから、通読はしていませんが、「葉っぱの写真を手がかりに探せる」ことと、「五感を使った観察の楽しみ方を紹介」というのがポイントで、使いやすそうです。前者については、葉の形、ふち、生え方などを確認し、リアルな質感を再現した葉っぱスキャン画像と実際の葉を見比べることで、樹木の種類を検索できます。葉っぱをスキャンした画像が、実にリアルです。後者については、各樹木の解説ページでは、「見る・聴く・かぐ・触る・味わう」の五感を使った観察の楽しみ方、鳥や動物などの樹木とつながっている生き物も紹介されています。近所の公園の木の種類を調べていますが、今まで見当をつけた種類が間違いないか、これを持っていって照らし合わせてみようと思っています。 (★★★★)

  • 若山滋: 漢字文化圏の興亡―中国の限界、日本の前途―(新潮新書)

    若山滋: 漢字文化圏の興亡―中国の限界、日本の前途―(新潮新書)
    建築家である著者が、「漢字文化圏の興亡」というタイトルの本を書いたということに気持ちが動きました。サブタイトルには、「中国の限界、日本の前途」とあります。日本は古来、「漢字文化圏」の中心である中国から大きな影響を受け、漢字に「かな」を補うという独自の形でその文化を受容してきました。戦国時代から近現代には、アルファベット文化圏の西洋からの洗礼を受けますが、こちらも柔軟に受け入れます。建築と文字の関係に以前から着目してきた著者は、その受容の仕方を「和能」と呼びます。東西の力学が激変する中、日本の進むべき道はどこなのか。漢字文化圏の影響力には限界があり、中国が永続的に支配的な地位を占めることはない、しかし日本には可能性があるといいます。壮大な文明論が展開されています。今の政治家の人たちも、こういう本を読む必要があると思います。 (★★★★★)

  • 今泉忠明, 高橋秀男, 武田正倫, 小宮輝之, 岡島秀治: 自然観察 (学研の図鑑 新・ポケット版 16)

    今泉忠明, 高橋秀男, 武田正倫, 小宮輝之, 岡島秀治: 自然観察 (学研の図鑑 新・ポケット版 16)
    最近、近所の桑名七里の渡し公園でで野鳥、樹木、雑草、昆虫の観察に勤しんでいます。「自然観察」としているというと格好がつくかもしれません(笑)。自然観察入門によい本はないかとネットで探して、見つけたのがこの本です。学研出版のサイトでは「こどもの本」に分類されていおり、対象は小学生となっていますが、まぁこれくらいがちょうどよいと思います。内容は、かなり高度ですが、テーマごとにまとめられていて、分かりやすいので、しっかり勉強しようと思います。 (★★★★)

  • 松田圭太: 腰痛は医者には治せない ~2人に1人が「筋肉」「関節」が原因!理学療法士の神ワザ治療~

    松田圭太: 腰痛は医者には治せない ~2人に1人が「筋肉」「関節」が原因!理学療法士の神ワザ治療~
    1つ前に紹介した「大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全」と一緒に入手しました。この本の著者は、腰痛治療に特化した施術院を経営する理学療法士。これは、たぶん好みの問題も関わるのでしょうが、私個人としては、1つ前に紹介した本の方が、読みやすく、実際にも役立つと思いました。この本も運動療法を重視しています。ただ、その説明や、説明に至るプロセスで呈示される根拠の説明が弱い気がします。また、具体的な運動療法の仕方については、必ずしも体系的には説明されていません。著者の書いている「痛みは悪いものではなく、体を守るための相棒」「自分の体は自分で治すという気概を持つと、治りが早い」「とにかく食べて とにかく動く」「痛みに負けない根気を持つ」「やりたいことがみつかれば、体が動く」「日常で笑顔になることをたくさん見つける」など、本書のあちこちにちりばめられた著者の言葉は、大切だと思います。 (★★★★)

  • 猪瀬弘之: 大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全

    猪瀬弘之: 大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全
    2月末に脊柱管狭窄症と診断され、服薬とリハビリを続けていますが、ここで一度、きちんとした知識を得て、これら以外の治療法はないか調べた方がよいと思っていたところにこの本を見つけました。著者は脊椎脊髄外科が専門の整形外科医。タイトルのように大学病院で「背骨外来」を開いています。脊柱管狭窄症についての総合的なガイドブックであり、狭窄した脊柱管、椎間孔を広げる、各種の運動療法を体系的に紹介しています。「体系的に」というところが味噌で、症状に応じてどのような運動療法を行うと、脊柱管や、椎間孔を広げられるか、分かりやすく(写真、図示を用いて)説明されています。私は一通り熟読し、まずは脊柱管を広げる運動療法を試し始めました。まだその評価をする段階ではありませんが、もうしばらく続けてみて、また追記したいと思っています。医学用語や、背骨、神経の図など専門的な内容も出て来ますが、めげずに読むと、その運動療法をする意味が分かってきます。意味を分かった上で取り組むことが大切だと、私は思います。ちなみに、運動療法は、いわゆる筋トレではありません。正しい体の動かし方を習得することです。 (★★★★★)

  • 古荘純一: 境界知能の人たち (講談社現代新書)

    古荘純一: 境界知能の人たち (講談社現代新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家以外の人たちにはほとんど馴染みがないものでしょう。専門家であってもその支援については、見落とされてきており、支援が必要であるのに、その谷間に陥ってしまった人たちということもができます。境界知能というのは、IQ(知能指数)でいえば、70以上80未満(誤差を考慮して、85未満とする考え方もあります)の人たちとなります。ただし、知的水準だけでなく、適応行動が取れているかも、考慮する必要があります。たとえば、言語化が苦手、段取りを覚えられない、行動がワンテンポ遅い、対人関係の距離感が極端、金銭管理ができない、ダマされやすいといった特徴があると著者は指摘します(もちろん、これらは境界知能の人たちに限るということではありません。ほかの障害でも見られる可能性があります)。本書は、定義など学問的な内容から、事例、支援についての提案、さらには用語解説、境界知能の所見リストなど、多方面から境界知能の人たちの困難と、その支援について述べています。医療、心理、教育、福祉に関わる方たちには、ぜひ手に取っていただきたい本です。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 真の保守とは何か 近代日本の地下水脈 (文春新書)

    保阪 正康: 真の保守とは何か 近代日本の地下水脈 (文春新書)
    著者は昭和史研究家。約5,000人もの方に取材してきました。この本は、高市政権圧勝、参政党躍進を受けて書かれたもので、「日本人の選択をいま問う」と帯にあります。著者は、高市政権を「国家主義的右派」と位置づけており、「保守」ではないとします。著者のいう「真の保守」である10ヵ条とは、①常に歴史を読め、歴史の中の声を聞け、②師たる政治家を持て、③甘言、巧言は敵とせよ、④誤りから学べ、⑤良きブレーンを持て、⑥精錬の徳を持て、⑦討論、対話を厭うな、⑧典故、先例に通じよ、⑨読書に勝る良薬はない、⑩氷山のごとき人格たれです。これらは、著者の歴史の教訓を政治の現場に伝えなければならないという危機感から来ています。これに照らすと、今の高市政権の中枢をなす政治家は、極めてアヤシいと思われてなりません。私には、とくに、勉強していない(=本を読んで、考えていない)と思えるのです。ほかにこの本で気になったのは、鶴見俊輔さんがいったという「民主主義の後をファシズムが影絵のようについてくる」ということばです。石橋湛山、池田勇人や、後藤田正晴といった政治家たちの足跡をもう一度ふり返り、良識派の保守の姿を取り戻すことが大切と思います。また、石橋湛山が掲げた①小日本主義(帝国主義否定)、②非軍事志向(軍事で物事を解決しようとしない)、③論理的基盤(共同体的な情緒を克服し、個の意志を明確に示す)といったこともとても重要で、意味があると思います。今の時代に違和感を覚える方には是非ともお勧めします。 (★★★★★)

  • 日浦 勇: 自然観察入門: 草木虫魚とのつきあい (中公新書 389)

    日浦 勇: 自然観察入門: 草木虫魚とのつきあい (中公新書 389)
    1975年出版という古い本です。若い頃持っていたのですが、その後は所在不明。最近になって、もう一度読みたいと思って、古本で入手しました。この本に載っているレベルをきちんとおさえれば自然観察の基礎は身につくと思ったからです。著者は大阪市立自然史博物館の学芸員などを務めています。子どもたちを対象として、自然観察教室を開いたり、授業でエコロジー/生態学を教えたりするときの手引きとして書かれたものです。 春の草花を調べる、川の生物を観察する、トンボを捕まえて分類するなど、いくつかのテーマを立て、種の見分け方、水辺の危険への注意、採集法、学習のポイントなどが示されています。著者の経験に基づいて書かれていて、かなり実用的ですが、読んでおもしろいとはいいがたいところが難点。 (★★★★)

  • 伊藤氏貴: 読む技法 詩から法律まで、論理的に正しく理解する (中公新書)

    伊藤氏貴: 読む技法 詩から法律まで、論理的に正しく理解する (中公新書)
    評判の本のようでしたので、読んでみました。本の帯に「『読めたつもり』が危ない!」とありますが、それはまさにその通り。30歳代半ばから教職にありましたので、それは実感しています。とくに60歳を過ぎてから短大の非常勤講師になってから、学生たちの読解力がアヤシいと思うようになっていました。読解力そのものも低下しているとともに、集中力が続かないことも影響しているように思っていました。きちんと読めて、書き手の意図することを正しく理解できないと、議論も思索も成り立ちません。この本は、解釈学、構造主義、ナラトロジーなどさまざまな読む技法を具体例に則して紹介しています。世の中、コスパ、タイパが重視される時代ですが、敢えて深く、論理的にじっくりと読み、考えることも大切と思います。 (★★★★)

  • 滝口 正哉: 江戸町奉行所 与力・同心の世界 (岩波新書)

    滝口 正哉: 江戸町奉行所 与力・同心の世界 (岩波新書)
    時代小説が好きでよく読みますので、町奉行所の与力や同心がどのように仕事し、いかに暮らしていたかには、とても興味があります。この本の帯には、「時代劇でおなじみ 江戸の町を守る『八丁堀の旦那』、その本当の姿 くらし、仕事、文化活動」とありますので、割と気楽に読めるかと思ったら、学術的に書かれていました。与力・同心の仕事は、治安維持が主なものではなく、もっと幅広い仕事をしていました。さらに、深い教養を身につけ、豊かな人脈に裏打ちされた文化活動を行う人たちもいたということには驚きました。さらに、明治維新以降の新しい時代と格闘しつつ、江戸を語り継いだ彼らの実像が明らかにされています。寝転がって読むのは、ちょっと難しいかなと思います。 (★★★★)

  • 森 章司: 仏教的ものの見方: 仏教の原点を探る

    森 章司: 仏教的ものの見方: 仏教の原点を探る
    仏教のものの見方の基本は「あるがまま」を「あるがまま」に見ることにあるとして、仏教の人間観、仏・菩薩観、世界観、人生観、見方、生き方を体系的に説いています。著者は、仏教学者で、東洋大学名誉教授。専門はインド仏教。元浄土真宗本願寺派僧侶です。大学時代の同級生に真宗本願寺派のお寺の住職を務めていた友人がいます。私が体調を崩していたとき、「仏教の勉強をするとよい」といわれ、それがずっと記憶に残っていました。いろいろ本を読んだり、テレビ番組を見たりしましたが、どうも今ひとつピンときませんでした.そういう中でこの本を知り、ようやく入手して、やっと読み終えました。初めに書きましたように、「あるがまま」を「あるがまま」に見ることは、簡単そうで難しい。 「あるがまま」を「あるがまま」に見ることが知ることだといいます。哲学も見ることだそうです。「小欲知足」が、仏教のもっとも基本的な生活態度であり、これが「戒」を導くといいますし、自己中心的な思いも減り、慈悲につながるそうです。これらが、つまらないことにこだわることもなくなり、行動の根源となる意思も、考えも、言葉も、行為も生活も正しいものとなり、偏見や固定観念、先入観が消え去って、「あるがまま」を「あるがまま」に見ることができるようになると説かれていました。読みやすい本とはいえませんが、ここに書いたエッセンスを頭に置いて読むと、いくらか分かりやすい気がします。私自身、今は分かったような気がしていますが、たびたび思い出して、振り返る必要があります。 (★★★★)

  • 林望: リンボウ先生 老いてのたのしみ (祥伝社新書)

    林望: リンボウ先生 老いてのたのしみ (祥伝社新書)
    リンボウ先生こと林望さんが実践する「令和老人生活要領」を説いた本です。リンボウ先生は、ちょっと変人で、群れない、威張らない、信念は曲げないという人。初めての老い(誰でも、自分にとってはそうですが)に対して、先手先手でいろいろと考え、対策、対応を考え、実行しています。その第一は危機管理。たとえばどこに行くのにも「誤嚥防止ボード」を持って行き、外食の際でもそれを目の前に立てながら食事をするそうです。他人がどう思おうが構わないとか。見ならいたいことはたくさん書かれていますが、ごく普通の老人には「それはちょっとなぁ」と思うことも多いでしょう。「流行には迎合しない」というのが、リンボウ先生のモットーの1つでもあります。老後の趣味の心得などについても触れられていて、参考になることもあるかと思います。 (★★★★)

  • 平凡社: 街道アトラス

    平凡社: 街道アトラス
    旧街道に興味があります。ただし、あまりあちこちの街道を歩いたわけではありません。この本では、東海道と中山道は各宿場も紹介されるなど、詳しく載っていますが、その他の街道はダイジェスト。いわば、旧街道のカタログ本といったところ。現代の道と比べたり、旧街道がどのようにつながっていたかを知るにはよい本です。ただし、この本だけを頼りに旧街道を歩くことは、ほぼ不可能でしょう。 (★★★)

  • 保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)

    保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)
    今年は、昭和100年であり、戦後80年でもあるということで、新聞などでも特集記事が掲載されています。太平洋戦争は、日本という国を滅亡の一歩手前まで追い込みました。昭和という時代もそれが終わってから35年以上経ちますから、これからは歴史として語られるようになっていくはずです。この本は、二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇など、時代を大きく変えた8つの事象を取り上げ、当事者たちの感情や思惑排して見つめ直すことを通して、これまでの通説、定説とは異なるそれらの真相を浮かび上がらせようとしています。読後感としては、私なども、何となくそうなのかと思っていたことがひっくり返されたような感じを抱いています。目的と手段を取り違えている、事実や科学的知見から目をそらしている、希望的観測を事実と思い込む、妙な精神論に陥るなど、今も続く認知、思考は、太平洋戦争のときの軍指導者から始まっているのかも知れません。いろいろな意味で「戦後」という概念については、根本的に再検討が必要ですし、日清戦争から太平洋戦争に至る数十年の戦争の時代は、何に由来し、そこから何を学ぶか、よくよく考えてみる必要があると思いました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)

    保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)
    保阪正康さんは、一貫して近現代史を検証し続け、5,000人もの歴史の証人を取材してきています。この本は、月刊『文藝春秋』に掲載されたものから15編を選んでまとめられています。読み応えがあるのに、分かりやすい内容で、昭和史の証人として瀬島龍三、後藤田正晴などインタビューが、また、昭和の戦争7つの謎として無謀な開戦を決意した理由などが載せられています。その後、あの戦争と昭和史を語ろうということで、半藤一利さんなどとの対談が載っています。最後に、歴史をどう引き継ぐかということで、講演録があります。この講演では、江戸時代まで遡らなければ日本人は理解できない、江戸時代の260年を通じて、戦争をしなかったという事実から教訓、知恵を学ぶ必要があるなど、江戸時代に築かれた財産をもう一度取り戻すことの重要性が語られています。明治維新という、薩長の下級武士の暴力革命を経て、帝国主義国家が作られていく過程で、江戸自在の財産は放棄されたと著者はいいます。知識、技術は学び、取り入れたのに、哲学までには思いが至らなかったため、そうなっています。また、もう一つ、著者が強調するのは、天皇制の捉え方、論じ方です。天皇制は、本質的に戦争を嫌う制度だと著者はとらえています。これは、私には目から鱗の見方でした。さらに、天皇は何らかの形で京都にお住まいになって、政治の中心は東京にあってという江戸時代の知恵をもう一度取り戻すのもよいという提案は、真摯に検討する価値があると思います。 (★★★★★)

  • 芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)

    芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)
    関数電卓は持っていますし、その昔は、プログラム電卓で平均値、標準偏差などの計算をする簡単なプログラムを組んで使っていたこともあります。タイトルに惹かれて買ったのですが、ウ~ン、期待はずれでした。計算例が平方根以外にはほとんどありませんでした。関数電卓を片手に、その使い方や、どのような応用ができるかを知りたいと思ったのですが、そういう内容はあまりなくて残念でした。ただこの本を読んでよかったのは、数学の力と計算力とは別物であることが分かったこと。また、計算については、関数電卓などを駆使すればよいということでした。私自身、数学には自信がないのですが、「エェ!?、そうだったっけ?」と思う内容もありました(つまり、間違っているんじゃないの、と思える内容)。 (★)

  • 今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)

    今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)
    地名の由来については興味がありますから、この本を手に取ったのですが、読み始めたものの、すぐに「放置」していました。テーマごとに、それに関連する地名が列挙され、その由来について多少の説明(蘊蓄?)が書かれているのですが、列挙されている(例示されている)地名が煩雑で、読むのが面倒になってしまったのです。「地名マニア」の方であれば、これくらい何のそので読み進めたのでしょうが、私にはちょっと難行でした。2年くらい経って、気を取り直して、少々無理矢理に読み進めました。が、「不思議な名称には物語がある」という、帯の謳い文句には、いささか無理があるかなという気がします。物語というのであれば、個々の地名についてもうすこし物語って欲しい気がするのです。ただし、以上は、極めて個人的な感想です。 (★★)

  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)