お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年10月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年10月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

近鉄ハイキング

2025年11月 3日 (月)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(補遺編)

 11月1日に行ってきた「近鉄ハイキング『【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物』の補遺編です。その後調べたことなどを追記しています。

Img_5635c_20251101152901  まずは、北勢線東員駅。東員駅(とういんえき)は、三重県員弁郡東員町大字山田にあります。平成17(2005)年3月26日に六把野駅と北大社駅(現北大社信号場)とを統合し、両駅の中間に新設開業したものです。東員駅の開業によって、従来、北大社駅で行われていた北勢線全域の管制業務、および、西桑名駅で行われていた運転業務(運転士兼車掌関係の現業区:近鉄時代の塩浜列車区西桑名分室)は、東員駅に統合・移設されています。

Img_5702cImg_5711c_20251101152901  員弁山浄厳寺の由緒について。大木神社の別当寺として員弁寺があったといいますが、天正年間(1573~1592年)に大木神社とともに織田信長の兵火にかかって焼失しています。員弁寺の創建者とされる春澄善縄の子孫・員弁進士行綱(員弁の郡司)の子・行経が祝髪し、入道となり浄源坊と称し、員弁寺に住したようです。これが浄源寺の寺号の由来となっています。数世を経て浄圓坊という道心堅固の僧があり、天台宗真盛上人の徳風を慕い、笈を負って随うこと数年の後、念仏の教えを授けられ、さらに晩年には、文明年間(1469~1489年)に本願寺第8代門主蓮如上人に帰依し、師に従って諸国を巡歴して、帰坊の後、賜った六字名号を安置し、念仏勤行を勧めたので、天台宗から専修念仏の道場へと変わりました。初代・釋順西が、師の教えを相続して、天文年間(1531~1534年)に本願寺第10代・証如上人の時代に浄土真宗の宗風に改め、浄土真宗寺院となっています。しかし、順西は、まもなく始まった長島一向一揆で(天正2(1574)年)に討ち死にしました。この順西をもって浄土真宗本願寺派員弁山浄源寺の開基と定められています。2代・釋正圓(順西の子)は、兵火が治まった天正12(1584)年に旧地の近く(現在地)に仮御堂を建立し、浄源寺を再興しました。

Img_5720c Img_5734c  浄源寺の裏手にある鳥取山田神社。左の写真は、ハイキング・コース沿いにあった鳥居。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様について、ChatGPTで調べた結果、概略次のような回答が得られました。

天角己利命(あめの つのこりのみこと)は、日本古代の神話・系譜資料に登場する神名のひとつで、同義あるいは近縁とされる神名に 角凝命(つのこりのみこと)・ 角凝魂命(つのこりむすびのみこと)があります。その系譜・氏族的な位置づけとしては、古代氏族「鳥取氏(ととり‐し/ととりうじ)」の祖神として、『新撰姓氏録』などに記載があります。学界では、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」は、同一神、あるい非常に近い神格を持つ存在ではないかという説があります。 名の「つのこり/こり」は「凝る・固まる」「杭・杙(くい)」などの語に関係づけられ、「国土形成」「村里の境界」「杭・棒による防塞」などの象徴性を伴う神とされることがあります。 『新撰姓氏録』では、山城国・神別(天神)において「鳥取連」が「天角己利命(三世孫)天湯河板挙命の後なり」と記されています。 また、和泉国・神別には「鳥取」が「角凝命三世孫、天湯河桁命の後也」とも記されており、角凝/角凝魂/天角己利命という名の神が氏族祖神として複数地域で用いられていることがわかります。 研究では、鳥取氏・倭文氏・錦部氏など織物・布関連の氏族系譜と深い関わりが指摘されています。特に、「鳥取氏」と「倭文氏」が「角凝魂命」を祖とする近縁氏族とされる資料があります。 明確な神話物語での登場は限られており、個別のエピソードが豊富に伝わる神というわけではありません。ただし、「角凝/角杙神」系の神名が、『古事記』『日本書紀』などの創世神話の中で「杭・杙(くい)」を象徴する神、すなわち土地・国土が固まる(安定する)段階での神として論じられることがあります。 また、上述の織物関連氏族との繋がりから、「織物」「布」「機織」の職能や氏族の祭祀とも結びついて解釈される研究もあります。例えば、鳥取氏の祖とされる天湯河板挙命にまつわる機織・鳥捕りの伝承から、鳥取氏が「織物関係氏族」であったという説が提出されています。

 以上の説明に関して、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」が同一神であるか、あるい別個の神であるかについては、はっきりとした定説はなく、資料によって名称や系譜が異なり、同一化・混同されてきた経緯があるといいます。また、 物語上の活動・伝承が少ないため、いわゆる「メインの神話を持つ神」ではなく、氏族祖神・地元神・職能氏族の祖といった位置づけでとらえられることが多いようです。祭祀・神社の主祭神として明確に「天角己利命」が祀られている例は少なく、「角凝命」「角凝魂命」の名義で祀られている事例の方が資料上は多いそうです。

Img_5887c Img_5891c_20251101153001  猪名部神社の上げ馬神事について。令和2(2020)年のコロナ禍以降、感染対策により中止の状態が続き、令和5(2023)年は境内などを馬に乗って練り歩く「馬曳き」のみの開催とし、翌年以降も、「コロナ禍で馬を飼う地域の人が減り、神事のノウハウが継承できなくなった」として「馬曳き」のみの開催となっているようです。近年の動物愛護意識の高まりにともない、上げ馬は虐待ではないかとの批判が上がっており、指摘を受けた県の調査で、平成22(2010)年に1頭が転倒したその場で死に、その翌年と平成27(2015)年にはそれぞれ1頭が骨折の後獣医師によって殺処分されていたことが判明しています。

Img_5985c  大木神社について。本編では、主祭神は品陀和気命、相殿神は、豊受比売神、天照大神としていましたが、相殿神は、伊邪那岐命速玉之男命事解之男神豊受大神須佐之男神久那斗神(くなどのかみ)大山袛神天照大御神でした。

Img_6007c 大木神社の創祀は明らかではありませんが、もともとは大木字大鳥居前に鎮座し、八幡社あるいは八幡神社といいました。古くは御旅所と3つの摂社、別当寺である員弁寺を擁する大規模な神社でしたが、天正年間(1573~1592年)に員弁寺とともに織田信長の兵火にかかって焼失したため、社殿や由緒、祭式の古例を失ったといいます。その後は小さな祠を祀っていましたが、元和年間(1615~1624年)の初めに社殿が再建されました。

Img_5976c  大木城跡について。永禄年中(1558~1569年)、金井城主種村高盛の5男・大木信盛が居城したのですが、織田信長に降伏し、配下となりました。天正4(1576)年、滝川一益に不信をもたれ、伊勢長島城へ出頭を命ぜられたものの、先に出頭した甥の金井城主種村秀信が城内で切腹させられたことを知り、信盛は途中から西国へ落ち延び、廃城となりました。員弁川を南にした台地の端にあり、現在、土塁や堀が部分的に残り、壇も見られるそうです。ちなみに、遁走した大木信盛は肥後細川家の家臣となったと伝えられています。

Img_6012c  続いて、明法寺。当初は、大木村道場という禅宗寺院で、青木駿河守の菩提を弔っていたのですが、永正年間(1504~1520年)に開基の順西が出奔して、寺宝などが散逸し、道場は荒廃しました。大永元(1251)年、片樋道場(のち片樋村・教楽寺)から親子4人が移り住んだと伝わっています。さらに、隆善は片樋村に、祐善は北大社村に、教祐は南大社村の寺に住まわせ、善教が大木村道場を継承しています。大永3(1523)年、本願寺9代・実如上人から六字名号一幅を授けられ、浄土真宗に改宗しました。翌大永4(1524)年、3間・2間半の本堂を再建しています。その後のことは割愛しますが、明治14(1881)年、第13世善龍の時、7間四面の現在の本堂となっています。

Img_6037c  大泉駅。大泉駅(おおいずみえき)は、三重県いなべ市員弁町大泉にあります。大泉駅を新設する計画は、三岐鉄道が北勢線の運営継承を決定した後に提案されました。計画段階での仮称は新大泉駅でした。ちなみに、旧大泉東駅も過去には大泉駅と称しています。計画当初は、駅単独の建設予定でしたが、その後、員弁町役場(現:いなべ市役所)に隣接した地元農産物販売施設「うりぼう」を増床・拡充の上「ふれあいの駅うりぼう」と名称変更して当駅に移転することになりました。なお、当駅は大泉東駅と長宮駅を統合し、両駅の中間部分に新設されたものですが、名目上は、大泉東駅を廃止し、長宮駅を大泉駅に改称の上で現在地に移設したことになっているそうです。

 以上、ネット検索による情報と、第19回北勢線の魅力を探る報告書「再発見! 魅力ある北勢線沿線 東員駅~楚原駅」を参照しました。11月1日付けの記事(2025年11月1日:20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結))は、「予告編」から「一回完結」に変更しました。

2025年11月 1日 (土)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結)

20251101kintetsuhikingtoinmapc  晴れて、20℃を超えるという予報でしたので、近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」に行ってきました。三岐鉄道北勢線の東員駅から大泉駅まで約5㎞というコース。立ち寄り先は、東員駅をスタートし、圓光寺、浄源寺、東員町中部公園、コスモス畑、猪名部神社、まこと商店、ふれあいの駅 うりぼうで、大泉駅がゴール。コスモス畑を見たいのと、まこと商店に行ってみたかったのです。初めは、曇っていて、途中から晴れて来ました。気温も歩いている間は、18~20℃くらいで、ちょっと暑いかなと思うくらいでした。今日はひとり旅。記事は、とりあえず予告編としましたが、実際にどうするかは未定。

Img_5635c_20251101152901 Img_5618c  三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時59分に発車する東員行きに乗車。東員駅には9時24分に到着、¥340。北勢線は、ナローゲージの電車です。線路幅は、762mm。新幹線などの1,435mmのほぼ半分で、電車も右の写真のようにかわいらしいもの。

Img_5621c_20251101152901  東員駅には、エキタグのデジタルスタンプがあったのですが、電車の写真を撮り、トイレに立ち寄っているうちに失念(苦笑)。三岐鉄道でエキタグのデジタルスタンプがもらえるということが、しっかりとインプットされていないようです(2025年4月5日:20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結))。この写真で、向かって右はここまで乗ってきた電車、左は、レトロカラーにペイントされたもの。レトロカラーとは、200系が旧三重交通の色に塗装されているのです(こちら)。

251101kintetsuhikingtoinrout  Img_5631c_202511011539019時半からの受付でしたが、少し早めに始まりました。コースマップを受け取り、9時半にスタート。上記の立ち寄り先のほかに、途中で見つけた神社、寺院などにも立ち寄ってきました。右が、実際に歩いたルートマップ。コースマップでは約5㎞となっていましたが、キョリ測では5.4㎞。

Img_5668c Img_5661c  スタートしてすぐは、田園地帯を進みます。西の方には、鈴鹿の山並みが見えています(右の写真)。右の写真でもっとも右端に見える(雲がかかっていますが)のが、藤原岳。

 最初の立ち寄り先は、Img_5688c1㎞を過ぎて、Img_5692c_20251101152901員弁山円光寺。真宗大谷派。ネット検索ではこれという情報はヒットせず。由緒書きなどもありません。

Img_5702c Img_5711c_20251101152901  円光寺のすぐお隣には、員弁山浄源寺。こちらは、真宗本願寺派。もともとは天台真盛宗でしたが、天文年間(1531~1534年)に真宗に改宗しています。隣り合って、同じ山号のお寺というのも、珍しい。

Img_5720c Img_5734c  さらにこれらのお寺の裏手に鳥取山田神社。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様は、初めて。神魂命の子で、伊佐布魂命の親といいますが、さらに調べが必要です。相殿神は、天児屋根命大山祇神須佐之男命天照皇大神菅原道真品陀和気命火産霊神天湯河桁命。創始などは不詳ですが、文政10(1827)年の『桑名領郷村案内帳』に載っているそうです。

Img_5764c_20251101152901 Img_5768c_20251101152901  東員町役場の南を通って、東員町中部公園へ。ここは以前は、アジサイや、チョウトンボを見るなどよく来ていました(2018年6月11日:東員町の中部公園と万助溜公園へ……アジサイを楽しみ、チョウトンボをチラッと見る)。池にカワセミがいたこともあります。今日は、通過したのみ。

251101100524350c Img_5823c  中部公園の西にコスモス畑。今年はここということで、年によっては違う場所にコスモス畑がつくられます。ずっと以前も、ここにつくられたときに見に来ています(2012年10月11日:「仮釈放」にはなりませんでしたが、コスモスを楽しんできました……受診のあと、東員町コスモスまつりへ)。ピークはちょっと過ぎたかなという感じ。

251101100732056c  あれこれ試してみたのですが、雲も多く、また、すでに枯れた花もあって、ズームアップはなかなか難しい。今日、持っていったのは、Canon Powershot SX-60HSとスマホ。スマホの方が簡単に、うまく撮れたりします。これはスマホ写真で、上の2枚はPowershotを使ったもの。

 Img_5866c_20251101153001コスモス畑のすぐ北に「吉澄神社遺跡」という石碑がありました。現地の説明板によれば、この付近の田畑は、明治41(1908)年3月、猪名部神社に合祀された、吉澄神社約3反歩(3,000平方メートル)の境内であったとあります。

Img_5887c Img_5903c  コスモス畑から西へすぐのところに、その猪名部神社があります。ここへは、2度ほどアオバズクを見に来ています(2014年6月10日:アオバズクを見に行く……東員町の猪名部神社へ、2019年7月29日:東員町ツアー……万助溜公園でチョウトンボと、ハスの花の香り、猪名部神社でアオバズク )。主祭神は、伊香我色男命(いかがしこおのみこと)。この神様は、『記紀』等に伝わる古代日本の豪族。物部氏の祖であり、猪名部氏の祖神とされます。創建時代は明らかでありませんが、延喜式内社に列しています。古墳が多い神社としても有名で、本殿は前方後円墳の上に立っています。ずっと以前、詳しい記事を書きましたので、詳細はそちらをご覧ください。

Img_5891c_20251101153001  猪名部神社は、上げ馬神事の発祥の地です。写真は、神事が行われる「上げ馬坂」。

Img_5927c Img_5932c  猪名部神社の先でスタートから3㎞。すぐにまこと商店があります。通常は11時から営業なのですが、今日は近鉄ハイキングのため9時半から開店。以前から知っていて、一度、来てみたかったところ。築100年の家屋を改装した店舗で、「さつまいものアーモンドタルト」「干し芋けんぴ」「さつまいもチップス」をはじめ、「鬼まんじゅう」など素朴なお菓子を販売。

251101102738404c 今日は、サツマイモマドレーヌミニ4個(1個税込み¥180)をお買い上げ。早速、今日午後のおやつに。

Img_5950c  まこと商店から1㎞ほどは、立ち寄り先も何もありません。稲部小学校のところに「殉国碑」。西南の役から第2次世界大戦までの戦没者供養のためのもの。

Img_5985c Img_6007c  スタートから4.5㎞ほどのところに大木神社。主祭神は、品陀和気命。相殿神は、豊受比売神天照大神。現地の説明板によれば、もとは八幡社といい、天正(1573~1592年)の兵火で焼失して勧請されたのですが、年月は不明。明治41(1908)年8月に熊野社、若 宮社、天王社、赤口社、山神社、神明社を合祀し、翌42(1909)年に天王社の跡地に移し、現在の大木神社となったといいます。

Img_5976c  大木神社の手前に「大木城跡」という看板がありました。大木城は、中世城館の1つで、規模は東西45メートル、南北55メートルを誇り、永禄年中(1558~1569)、大木舎人(おおきとねり)が居城しましたが、織田信長に降伏しその配下になったといいます。その後、天正4(1576)年に滝川一益に不信感をもたれ大木舎人は西国に落ち延びたため廃城になったようです。現地には行っていません。

Img_6016c_20251101153001  Img_6012c大木神社の先に曜恵山明法寺(みょうほうじ)。真宗本願寺派。ここもネット検索ではこれという情報はヒットしませんし、由緒書きなどもありませんでした。

Img_6037c Img_6041c_20251101153001  スタートから5.4㎞、11時頃に北勢線大泉駅に到着。今日は、コースマップに付された番号で抽選会があったのですが、見事はずれ(苦笑)。#19でしたが、かすりもせず。あたっていれば、まこと商店のお菓子か、このあと行ったうりぼう提供のお米などがもらえたのです。最近、こういう抽選会ではあたった試しがありません。

Img_6051c_20251101153001 251101110431735c  次の西桑名行きは11時26分発でしたので、駅に隣接する「ふれあいの駅 うりぼう」へ。まずは、ジェラート屋さんの「ジェラートの駅 うりぼーの」で、「石榑(いしぐれ)茶のジェラート」。ワンカップ¥380。ここのジェラートはおいしいのです(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。

251101124515136c 251101124523032c  ついで、うりぼうで土産を物色。お腹が空いていたので、そばと寿司とを買ってしまいました(苦笑)。「いなべ蕎麦半生(¥580)」と、「押し寿司・巻き寿司セット(¥530)」。寿司は、帰宅して昼ご飯に(微笑)。ちなみに、この2つの土産、7年前にも同じものを買って、家内の実家に行っています(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。進歩のなさに我ながら笑えてきます。さらに、このときも、ジェラートを食べています(爆)。

 Img_6073c大泉駅発11時26分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、11時56分に到着。¥390。

Screenshot-2025_11_01-17_17_09c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.4㎞、13,350歩でした。

 今日の記事は、「一回完結」に変更しました。11月3日付けで「補遺編」を掲載します。

2025年5月 8日 (木)

20250508近鉄あみま倶楽部ハイキング「津・一身田寺内町コース」へ(一回完結)

Img_1022c_20250508154301  好天で風も弱いという予報でしたので、近鉄あみま倶楽部が常設コースとして設定している「津・一身田寺内町コース」を歩いてきました。このコースあたりは、何度でも歩いたところですが、1つには、三重県総合博物館で開催されている「トピック 展『伊勢路がみたい 伊勢参宮名所図屏風の世界』 」を見たいと思ったのと、高田本山専修寺(せんじゅじ)に最近、お参りしていないなと思ったからです(2024年1月14日:20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結))。それならば、この2ヶ所がコースに設定されている「津・一身田寺内町コース」を歩こうという次第。近鉄桑名駅を8時23分に発車する松阪行き急行に乗車。津駅には9時5分に到着。¥830。桑名では、最高気温は24.1℃。

 こちらが今日歩いてきたルートマップ。250508ishindenmap津駅をスタートし、三重県総合博物館(MieMu)、一身田寺内町、高田本山専修寺、高田本山駅と、コースマップ上は7.2㎞。アプリ連動ハイキングで、ここにあげたところが、チェックポイントでした。今回も、記事は一回完結で、一人旅でした。

Img_1037c  津駅西の交差点のところに津偕楽公園があります。もとは「下部田山(しもべたやま)」あるいは「御殿山」と呼ばれ、藩主の鷹狩り場の休憩所の御殿が建てられていました。貞応年間(1652~1655)には藩士に労をねぎらうために、遊息の地として分け与えられたという記録があるそうです。以前、近鉄ハイキングで訪ね、中を歩き回りましたので(2019年5月23日:20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)、今回はパス。詳しいことは、リンク先の記事をご覧ください。

Img_1052c  三重県総合博物館は緩い坂道を1.5㎞ほど登っていきます。ここも何度も来ています。平日で、とても空いていました。

Img_1162c Img_1075c_20250508154401  今回の目当ては、初めにも書きましたように、「トピック展『伊勢路がみたい 伊勢参宮名所図屏風の世界』」です。写真撮影可でしたので、伊勢参宮名所図屏風の左隻の写真のみを載せておきます。「伊勢参宮名所図屏風」を中心に、全国から多くの人びとがやってきた伊勢参宮について、三重県総合博物館が所蔵する資料で紹介します。江戸時代の参宮の風景が描かれた浮世絵や名所図会が展示されています。この「伊勢参宮名所図屏風」は、幕末から明治にかけて作られたとみられ、今回初めて展示されています。5月18日までで、入場は無料です。私のほかに観客はお一人で、ほぼ独占状態で見てきました。

Img_1059c  Img_1166c 三重県総合博物館へ行くと、必ず見てくるものが2つあります。その1つは、ミエゾウの骨格標本。企画展示室の前にあります。もう1つは、サンショウウオのさんちゃん。ミュージアム・ショップの隣にいます。三重県総合博物館の収蔵資料のうち、唯一生きている標本です。

Img_1205c_20250508154401  三重県総合博物館から一身田寺内町まで、立ち寄るところはありません。三重県総合文化センターのところから、田園地帯を歩いて行きます。こちらは、2.5㎞ほどのところで、高田本山専修寺方面を撮った写真。中央に高田本山専修寺が小さく写っています。

Img_1248c_20250508154401  Img_1254c JR紀勢線の踏切を越え、4㎞地点あたりでいったん伊勢別街道に出ます。関宿東追分で東海道から分かれ、江戸橋で伊勢街道に合流します。この伊勢別街道も1度は歩き通したい街道です。この街道沿いに伊勢木綿を製造している臼井織布があります。この臼井織布のところを右に曲がって一身田寺内町に向かいます。

Img_1269c Img_1297c_20250508154401  一身田寺内町の入口にある常盤橋。環濠となっている毛無川(けなしがわ)にかかっています。一身田寺内町は、東西500m、南北450mの環濠に囲まれています。ここにはかつて黒門という門がありました。寺内町への南の出入り口で、番小屋と門があり、夜間は通れませんでした。黒門の先、百五銀行支店のところに道標があります。「右 江戸みち 左 御堂并京道」とあります。ちなみに、一身田寺内町、高田本山専修寺については、こちらの記事(2022年1月10日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(予告編))に詳しくあります。

Img_1308c_20250508154401  一身田寺内町の商店街。高田本山専修寺を中心に広がる「寺内町商店街」は、江戸期以来から続く伝統ある店が軒を連ねています。こちらにも詳しく載っています。今日は、目当ての和菓子屋さんが、ガス工事でお休みだったりして、ちょっと残念でした。

Img_1331c  スタートから5㎞あまりで、高田本山専修寺へ。真宗高田派の本山です。写真は、山門。ここは、家内の方の宗旨であり、私も気に入っているお寺。我が家は真宗大谷派ですが、個人的にはこちらに宗旨替えしてもよいと思うくらいです。

 Img_1342c Img_1346c_20250508154401左の写真が御影堂。開祖である親鸞上人の木像が安置されています。右の写真は、如来堂。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊とし、教義上この堂が伽藍の本堂。室町時代中期、天台宗の延暦寺は、浄土真宗本願寺派と対立していました。延暦寺は同じ浄土真宗である高田派も同一視して敵視して来たため、真慧が比叡山に赴き、高田派は本願寺派とは全く別であることを陳述しました。さらに7日間にわたって親鸞の教えである浄土真宗の教義を講義したところ、延暦寺の僧侶等は感動し、高田派こそ真宗の教えを正しく受け継ぐ教団であると認めたのです。その証拠にと、真慧は延暦寺から第3代天台座主円仁(慈覚大師)が一刀三礼で彫り上げた阿弥陀如来立像を譲り受けました。それ以来、この阿弥陀如来立像は「証拠の如来」と呼ばれ専修寺の本尊となっています。

Img_1365c  ここには家内の父のお骨が納めてありますので、訪ねるたびに納骨堂にもお参りしてきます。今日は、平日で、境内も、納骨堂も空いており、ゆっくりとお参りしてきました。

Img_1381c_20250508154401 Img_1384c_20250508154401  専修寺を出て、東側に回り、太鼓門のところから、一御田神社へ。太鼓門は、専修寺の東入口となる門で、平屋建ての長屋門の上に三層の櫓をのせ、その最上階に大太鼓を吊っています。明治5(1872)年の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、ここの太鼓が町の人々に時刻を知らせていたそうです。一御田神社の創立は不詳ですが、棟礼に嘉吉元(1441)年のものがありますで、これ以前と思われます。今日は、御田植え祭(5月11日だそうです)の準備をしておられました。

Img_1391c  一御田神社から赤門跡へ回りました。ここは、一身田寺内町の北東部にあたります。江戸方面への出入り口で、朱塗りの門と橋があり、赤門と呼ばれていたのです。ここから再び、黒門跡方面に向かいます。

1746671610079c  一身田寺内町を離れる前に、土産に買ってくるようにといわれた、京林堂さんへ。ところが、開店時刻の11時を過ぎても、シャッターが閉まったまま。ここの名物であるカレー焼きが食べたかったのに、残念。どんなものかは、リンク先をご覧ください(食べログのサイトです)。今日は、土産はなし。

Img_1420c_20250508154401 Img_1435c  やむなくそのままゴールの近鉄高田本山駅を目指します。残りは1㎞あまり。伊勢鉄道の高架をくぐり、田園地帯を歩きます。しかし、それにしても、今日は好天で、絶好のハイキング日和です。

Img_1459c_20250508154401  高田本山駅には、11時50分を過ぎた頃到着。この駅も何度も利用しています。12時7分に出る名古屋行き普通に乗車。白子駅に12時22分着。ここで12時28分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には13時3分に到着。江戸橋方面へ非常勤講師に行っていた頃、よく利用した電車でした。白子駅で、途中下車しましたので、料金は¥360+¥590=¥950。

Screenshot_20250508132619c  今日のGoogle Fitのデータ。11.03㎞、18,322歩でした。マップ上は、7.2㎞でしたが、三重県総合博物館や、専修寺で中を歩き回ったからです。自宅から桑名駅往復は、2.5㎞もありません。

Screenshot_20250508121203c Screenshot_20250508121136c  今日のハイキングは、アプリ連動ハイキングで、チェックポイントでチェックインしますと、デジタルスタンプがもらえます(左の画像)。さらにすべてのチェックポイントをクリアすると、踏破賞が付与されます(右の画像で、もっとも左上のもの)。

 Screenshot_20250508122421c 白子駅で途中下車したと書きました。乗り換えに時間がありましたので、エキタグのデジタルスタンプをゲットしに行ってきたのです。以前は、白子駅をスタート、ゴールにする近鉄ハイキングがよく企画されていたのですが、最近はあまりなくなってしまい、ここに来る機会がありませんので、ちょっと余分な出費をすることになったのですが、せっかくだからという次第。

2025年4月26日 (土)

20250426近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」へ(一回完結)

20250426kintetsuhikingshiohamamap  今日も4~5m/sの風が吹いていたものの、天気は良く、気温も23.4℃まで上がり、ハイキング日和です。予定通りに、近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」に行ってきました。JRさわやかウォーキングとの共同企画。ファミリー向きとなっていますが、コースマップ上は、7.6㎞あります。

Img_0604c  受付は、近鉄名古屋線塩浜駅で8時半から12時。急いで行く必要はありませんから、桑名駅を8時10分に出る、近鉄津新町行き普通電車に乗車。塩浜駅には8時45分に到着。¥430。コースマップを受け取り、8時50分を過ぎた頃スタート。

250426siohama0  こちらが実際に歩いてきたルートマップ。塩浜駅東口から近鉄名古屋線沿いに北に進み、塩浜一六三八市場、海山道神社を経て、鹿化川の手前で左折、西に向かいます。中央緑地公園を経てさらに西に。日永1丁目に入って、四日市あすなろう鉄道線の東で右折。ここからはしばらく旧東海道を歩き、この味本舗へ。いったん国道1号線に出て、その後、再び、旧東海道に入ります。諏訪神社までのスワマエ商店街は、旧東海道にあります。諏訪神社から東へ。太白永餅の金城軒に立ち寄って、JR関西線四日市駅がゴール。今回も、記事は一回完結。

Img_0618c  まずは、塩浜一六三八市場。近鉄名古屋線の海山道駅と、塩浜駅の間の線路沿いにありますので、以前からこの存在は知ってはいました。しかし、もちろんここに来る機会はありませんでした。こちらに四日市の定期市のリストがありますが、その名の通り、1、3、6、8のつく日に市が立ちます。昭和31(1956)年に開設されたという、私とほぼ同年齢の市場。そのせいか、昔懐かしさが感じられました。

Img_0631c_20250426142901  Img_0622c_20250426142901せっかくの機会ですから、内部を一通り見てきました。履物屋さん、陶器屋さん、八百屋さん、和菓子屋さんなどいろいろの店が出ていました。規模はさほど大きくはありません。一見すると、倉庫のように見える、昭和の雰囲気が漂う建屋内で市が開かれてます。雨等の悪天候でも気にせず買い物が楽しめそうです。和菓子屋さんのみたらし団子が気になりましたが、パス。

Img_0638c Img_0646c_20250426142901  続いて、海山道神社。近鉄ハイキング初心者の頃に訪ねたことがあります(2018年3月23日:近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)。本来は、洲崎濱宮神明神社(すざきはまみやしんめいじんじゃ)が本社で、海山道神社はその境内社でしたが、今は、海山道神社の方が大きくて有名になっています。詳しいことは、リンク先の記事をお読みください。

 さらに近鉄の線路沿いを進みます。Img_0662c_20250426142901こんなところもあって、いろいろの電車が通り、電車が嫌いではない私には、ちょっとした楽しみでした。

Img_0753c_20250426142901 Img_0720c  スタートから3㎞ほどで中央緑地公園に到着。結婚当初、しばらく四日市に住んでいましたが、その頃、何度か来たことがあります。現在は、体育館やフットボール場、ランニングコースなどのスポーツ施設がある緑地公園です。東京五輪2020に出場した選手が利用することもあるそうです。カフェやレストラン、遊具、広場などもありますから、誰でもが楽しめるでしょう。

Img_0778c Img_0795c_20250426142901  スタートから4㎞半ほどのところで、旧東海道に入ります。旧東海道は、すでに何度も歩きましたが、これまでは、下る方向でした。今日は、上っていきますので、この方向に歩くのは初めて。ちょっと新鮮でした。ルートマップでお分かりのように、四日市あすなろう鉄道線と平行していますので、あのナローゲージの電車が懸命に走っていくのが見えるところが何ヶ所もあります。この路線は、かつては近鉄内部線・八王子線でした。

Img_0783c_20250426142901 1745629432500c  旧東海道に入ってすぐ、西側に大宮神明社。4年前の「歩いて伊勢詣りツアー」のときに立ち寄っていますので(2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ)、今日はパス。ご祭神は、天照大神。由緒は不詳ですが、社伝によれば第11代・垂仁天皇の御代、皇大神宮が伊勢にお遷りになる時に岡山の丘陵地(現在、四日市南高校があるところ)に一時お留りになり、そこに神宮の神領地として皇大神宮を勧請したのが始まりとされています。詳しくは、リンク先の記事にあります。ちなみに、四日市市内の旧東海道には、右の写真のような幟旗が、各所に掲げられています。桑名も見習うとよいと思います。

Img_0808c  この味本舗です。うまみ調味料である「この味」という製品を製造販売しておられます。独自の製法により作られた“手作り限定生産品”で、かつお、昆布、椎茸の「うまみ成分」と「塩」で作られており、ジャンルを問わず、醤油や塩を使った料理なら、何にでも使えるそうです。料理の味が引き立つということですが、「買わなくてよい」といわれておりましたので、パス。

Img_0840c_20250426143001  このあと、いったん国道1号線の方を回り、諏訪栄町交差点から再び、旧東海道に向かいます。写真は、諏訪栄町交差点から近鉄百貨店四日市店、近鉄四日市駅方面を見たもの。

Img_0844c Img_0849c_20250426143001  初めの方にも書きましたが、このスワマエ商店街が、旧東海道にあります。ここも何度も来ていますが、けっこう盛り上がっています。

Img_0854c_20250426143001  お馴染み、大入道の、首が伸び縮みする大きな模型もあります。実物は、ずっと首が伸び縮みしています。

Img_0866c Img_0879c  スワマエ商店街を抜けたところに諏訪神社が御鎮座。ここも何度も訪ねています(たとえば、2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。鎌倉時代初期の建仁2(1202)年、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっています。主祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト;事代主神(コトシロヌシノカミ)ともいいます)で、四日市・浜田の総産土神とされます。

Img_0900c_20250426143001 Img_0904c  諏訪神社にお参りして、国道1号線を越えて東へ。JR関西線の手前に太白永餅の金城軒があります。今日は、ここの太白永餅を買おうと思ってきました。同じように思われた方が多かったようで、店の外まで行列。並んで待って、無事にゲット。ばら売りは、1本¥120で、6本を購入。

Img_0921c_20250426143001  金城軒からゴールのJR関西線四日市駅はすぐ。10時55分頃に到着。2時間あまりで7.7㎞を歩いてきました。けっこう速いペースだと自分でも思います。

Img_0914c_20250426143001 Img_0908c  今日は、ここで近鉄の抽選会。ここしばらく、抽選会では負け続けていましたが、今日は、祝!!ご当選。お茶のペットボトルが当たりました。もう1ランク上でしたら、あの「この味」がもらえたのですが……。

Screenshot_20250426114046c Screenshot_20250426114058c  今日の近鉄ハイキングは、アプリ連動ハイキングで、チェックポイントでチェックインして、デジタルスタンプをもらい、すべてチェックインすると、踏破賞がもらえます。左の画像で、最上段が今日ゲットしたデジタルスタンプ。右の画像で、左上が、今日の踏破賞。

Img_0917c Screenshot_20250426105738c  JRさわやかウォーキングの方でも、ポイントをもらって、完了。

Screenshot_20250426084903c  ちなみに、スタートの塩浜駅では、エキタグのデジタルスタンプを忘れずにゲットしてきました。近鉄の係員の方が、「うまくゲットできましたか?」と聞いてくださったのですが、この方もエキタグをやっておられるということでした。

Img_0932c  11時10分、JR四日市駅始発の名古屋行き普通に乗車。桑名駅着は、11時26分で帰宅。空いていて、楽チン。¥250。

Screenshot_20250426114453c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは10.34㎞、歩数は16,407。

Img_0939c  太白永餅です。桑名のなが餅でいうと、安永餅本舗 柏屋さんのものに似ていて、これは私の好み(笑)。という次第で、いつもと違うコースで旧東海道も愉しめ、しっかり歩いてきました。201回目のハイキング/ウォーキングも無事終了です。

 

 

2025年4月22日 (火)

ハイキング/ウォーキング200回の記録

 4月20日の記事にも書きましたが(20250420JRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」へ……ハイキング/ウォーキング200回記念(一回完結))、この日にJRさわやかウォーキングに参加して、ハイキング/ウォーキング200回を達成しました。ハイキング/ウォーキングに行くようになったのは、2017年のことでした。最初は、2017年10月5日に「勝手にハイキング」と称して、「朝日町歴史散歩」に行きました。JR朝日駅から朝日町歴史博物館まで、4.0㎞を歩いたのです( 2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。このときは、まさかハイキング/ウォーキングにハマるとは思ってもいませんでした。このときは、この日のしばらく前に桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたところ、涼しくなってきたので「歴史散歩」として出かけたのです。

 ハイキング/ウォーキングにはハマったきっかけは、この年の11月25日に出かけた「JRわやかウォーキング『~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き』」でした(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)。この日は、朝5時過ぎに起き出して、ネット検索をしていたら、四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング『~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き』」があるのを知り、何を思ったか忘れましたが、出かけたのです。これが、現在に至るまで、ハイキング/ウォーキングにハマったきっかけでした。

 200回のうち、JRさわやかウォーキングが32回、近鉄ハイキングが81回、勝手にハイキング(自分で行き先、ルートを考えたもの)が86回、近鉄のあみま倶楽部ハイキングコースを歩いたのが1回で、合計200回となりました。200回で使った鉄道・バス運賃は合計¥196,110、現地で歩いた距離の合計は1568.1㎞。これに自宅から桑名駅往復が約2㎞ありますから、200回で400㎞。したがって、200回のハイキング/ウォーキングで歩いたのは、1968.1㎞あまりと思われます。昼食代には¥82,511を、また、土産代には¥78,163を使っています。運賃も含め、合計では¥356,784。これが多いのか、少ないのかの判断は難しいところですが、1回あたりにすれば、¥1,784ですから、レクリエーションとしてはさほどの金額ではないと思います。むしろ、この費用であちこち出かけ、見聞を広げられたとすれば、安いものといえましょう。

 ハイキング/ウォーキングについては、すべてブログの記事にしてありますし、一覧のリストも最近つくりました。旧桑名発達臨床研究室のサイトをモデルチェンジし、そこにハイキング/ウォーキングに関わる記事を載せたいと思っています。まだ具体的には考えていませんので、これがいつ実現するかは分かりません。

 また、これからも引き続き、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに、また、勝手にハイキングを企画して、歩きに行こうと思っています。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングについては、すでに行き尽くしたという感じもありますから、自分で企画しなければいけません。近鉄あみま倶楽部のハイキングコースも制覇したいと思っています。普段の散歩では、バードウォッチングをしてますが、それは実は、ハイキング/ウォーキングに出かけるためのトレーニングをしているという意味もあります。普段歩いている距離の倍くらいまでは、十分に歩けます。

2025年4月 5日 (土)

20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結)

Img_9661c  今日は最高気温17.3℃、おおむね晴れで、風もさほど強くはなく(最大風速は4.0m/s)、絶好のハイキング日和。近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と「おふろcaféあげき温泉」でととのう」に行って来ました。三岐鉄道三岐線の丹生川駅で9時から11時半の受付でしたので、近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。近鉄富田駅に9時29分着。¥300。8時49分発の三岐鉄道三岐線西藤原行きに乗り換えて、丹生川駅には9時27分に到着。¥510。三岐鉄道三岐線では、今年度から、JR東海から導入した新型車両5000系が順次導入されますので(こちら)、写真の車両(西武鉄道から導入したもの)は廃車になるそうです。今回も一人旅。

Img_9654c  いきなりの余談ですが、三岐鉄道三岐線では、切符は、今でも硬券が用いられています。ICカード全盛、クレジットカードでも乗車できる時代に、大変貴重だと思います。

Img_9684c Img_9698c_20250405155101  丹生川駅は、ローカル線ののどかな駅というイメージがピッタリ。駅舎の中にツバメの巣があり、ツバメが止まっていたくらい。ただ、これに気を取られたせいで忘れてしまったことがあり、大失態。これについては、後述。

Img_9688c Img_9691c_20250405155101  コースマップを受け取り、9時半にスタートします。これは駅前から西の方を見た写真。奥に見えているのが、藤原岳。今日、歩いていた間、ほとんどのところからこの藤原岳がよく見えていました。藤原岳は、我が家の玄関先からもよく見えています。

250405kintetsuhikingnyugawa0  こちらが、今日歩いてきたルートマップ。丹生川駅からほぼ真北にある三岐鉄道北勢線の阿下喜駅を目指します。貨物鉄道博物館を見てから東に回り、員弁川に沿って植えられた桜並木を愉しみながら歩くという趣向。阿下喜では、いなべ阿下喜ベースに立ち寄ります。ルートマップ上は、5.6㎞でした。

Img_9706c_20250405155101  丹生川駅にほぼ隣接するように貨物鉄道博物館があります。三岐鉄道とボランティアの皆さんとの協同により、わが国初の鉄道貨物輸送専門の博物館として、平成15(2003)年9月15日に開館しました。子どもたちが小さい頃、たぶん開館して間もないときに1度訪ねたことがあります。その時に比べますと、展示内容はずいぶん充実したと思います。こちらもご覧ください。

Img_9702c Img_9715c  この博物館は、明治以降陸上貨物輸送の主役として活躍し今なおJR貨物や三岐鉄道をはじめとしたいくつかの鉄道会社が手がけている鉄道貨物輸送に焦点を当て、産業文化遺産として後世に残すべき貴重な貨車等を保存展示する施設です。定例開館日は、毎月第1日曜日のみ(入館無料)ですが、屋外の展示車両はいつでも見られます。今日は、近鉄ハイキングにあわせて午前中のみ臨時開館。

Img_9743c  貨物鉄道博物館を出たところで、近鉄富田往きの普通電車が来ましたので、今日もまた「俄撮り鉄」。丹生川まで来る電車にも撮り鉄と思われる方が乗車しておられましたし、コースの途中でも電車を撮ろうと待ち構えている方もいらっしゃいました。三岐鉄道は、撮り鉄の方には人気のようです。

Img_9771c_20250405155101  Img_9756cこれらは、コース途中の写真です。ほぼ田園地帯。いなべ市を近鉄ハイキングで最初に歩いたのは、7年前の2月末でしたが(2018年2月27日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))、このときは初春でした。春にいなべ市を歩くというイメージが私にはあります。

Img_9805c  藤原岳の写真は、途中で何枚も撮ってきましたが、その1枚。東海環状道が通っています。藤原岳は、初めの方にも書きましたが、我が家からもよく見えますが、さすがにここまで来ると、近い!!

Img_9812c  ルートマップで、員弁川に出たあたりから「員弁川散歩道」となります。ここにソメイヨシノの並木が1㎞以上にわたって続いており、これが「員弁川桜並木」。ほぼ満開で、ハイキング参加者以外にも、たくさんの方が散策したり、写真を撮ったりしておられました。

 Img_9816c_20250405155101 Img_9868c途中、何カ所かで写真を撮ってきました。左の写真は、桜並木の始まったあたりから阿下喜方面を撮ったもの。ずっと桜並木が続いているのがお分かりいただけるでしょう。右は、桜並木と藤原岳とのコラボ写真。

Img_9887c  こちらは、阿下喜について桜並木から離れるとき、振り返って撮ったもの。これまでに私が見た桜並木では、鍋田川の桜並木が見事でしたが、それ以上と思います(2019年4月4日:20190403近鉄ハイキング「木曽岬町の採れたてトマトを食すハイキング 鍋田川堤の桜トンネルと『きそさきトマト』」へ(その1)……近鉄弥富駅をスタート、鍋田川堤桜並木から源盛院で芭蕉句碑、常在院に立ち寄る)。

Img_9900c_20250405155201  桜並木からは、いなべ菓子店八舎が立ち寄り先に指定されていました。どら焼きが名物のようですが、例によって私は、立ち寄って写真を撮っただけで失礼してしまいました。

Img_0025c_20250405155201  Img_0021c_20250405155201 最後の立ち寄り先は、いなべ阿下喜ベース。以前は、阿下喜温泉として営業していましたが、リニューアルされ、おふろcaféあげき温泉新上木食堂AGEKI BASE HOTELの3つの施設が併設されています。ここで温泉に入れば、ととのったのですが、今回も入浴はせず。新上木食堂で昼食を食べることも考えたのですが、営業が11時から。ここに着いたのは10時45分で、次の西桑名行きは11時39分発でしたから、時間に余裕がなく、落ち着いて食べられないだろうと、断念(昼間、西桑名行きは1時間に1本なのです)。新上木食堂にあるショップでいなべ蕎麦を土産にゲット(¥480)したのみ。

Img_0052c Img_9944c_20250405155201  11時過ぎに三岐鉄道北勢線の阿下喜駅へゴール。ここで抽選会が行われていたのですが、敢えなく敗退。私のコースマップの番号は、#50でしたが、いなべ菓子店八舎さんのどら焼きは、下1桁が3、8。あげき温泉の入浴券の当り番号は、かすりもせず(苦笑)。

Img_0036c Img_0042c_20250405155201  西桑名行きの発車時刻まで時間がありましたので、軽便鉄道博物館を見てきました。左の写真は、再構築された阿下喜駅にあった軽便鉄道転車台。右は、北勢線を走っていたモニ226号電車の現車保存展示。

Img_0047c_20250405155201  こちらは、軽便鉄道博物館の建物と名松線家城駅にあった腕木式信号機

Img_0059c  阿下喜駅を11時39分に出る西桑名行きの普通電車に乗車します。最近、北勢線では全駅でICカードが使えるようになって、便利になりました。失礼ながら、ここだけハイテクという感じ。

Img_0066c_20250405155201 Img_0069c  電車はこちら。いわゆるナローゲージ。北勢線の線路幅は762mmで、新幹線の1,435mmに比べ、半分くらい。JR在来線などは、1,067mm。

Img_0075c  西桑名駅には、12時26分に到着。¥510。当然ながら、ICカードにチャージする機械も置かれていました。駅前では、「障サ連&桑名うまいもん横丁チャリティコラボイベント!キッチンカーやワークショップを楽しもう」が行われていましたので、覗いてきました。

Screenshot_20250405125018c  ところで、今日のGoogle Fitのデータ。8.88㎞で、14,286歩でした。よく歩きました。

Screenshot_20250405083346c  こちらは、三岐鉄道三岐線富田駅でゲットしたエキタグのデジタルスタンプ。このデジタルスタンプ、丹生川駅にも、阿下喜駅にもあったのですが、すっかり失念。ワーキングメモリーが弱くなっている証拠でしょう(苦笑)。丹生川駅では、ツバメに気を取られて忘れてしまいましたし、阿下喜駅にはデジタルスタンプがあること自体、未確認でした。大失態。また機会があれば、ゲットすることにします。

 ちなみに、今回で、通算199回目のハイキング/ウォーキング参加でした。200回目は、来週末にも達成できるでしょうか!?

2025年2月23日 (日)

20250223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 神楽酒造『神楽』」へ(一回完結)

Img_9311cImg_9315c  今朝は、また氷点下になりました。-1.5℃と、今シーズン最低かも知れません。最高気温は、8.4℃。風はあまり強くなく、最大風速が4.1m/s。予定通り、近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 神楽酒造『神楽』」に行ってきました。近鉄湯の山線伊勢川島駅で9時20分から受付。いつもなら、受付開始前につく時刻の電車で行くのですが、酒蔵みてある記は大人気なのに、伊勢川島駅前は狭いことから、ゆっくり出かけました。近鉄桑名駅を9時2分に出る松阪行き急行で、近鉄四日市駅に9時14分着。9時29分発湯の山温泉行きに乗り換えて、伊勢川島駅には9時38分着。¥510。これでも、湯の山温泉行きの電車は、座れない人がかなりいました。

 

Img_9319c_20250223143101  こちらが本日のコースマップ。伊勢川島駅から南に向かいます。吉野地蔵尊から鹿化川沿いを歩いて、県道8号線に出て、四日市市室山町で東に折れたところが、目的地の神楽酒造です。神楽酒造からは、ほぼ1㎞で四日市あすなろう鉄道西日野駅に至ります。これで約5㎞というコース。ただし、川島の住宅団地と、鹿化川から室山町にいたるところと2つの丘を越えます。9時40分過ぎにスタート。

250223isekawashimarout 250223routmis  実際に歩いたルートマップは、こちら。出発早々、伊勢川島駅から吉野地蔵尊に向かうところで、何気なく、ほかの多くの参加者のあとをついて行ったら、コースミスをしでかし、吉野地蔵尊には行けず仕舞い(苦笑)。コースミスは、ずいぶん久しぶりにやらかしました。右のマップに歩いたルートと、本来のルートとを比較しました。伊勢川島駅の南、東に向かっていたところで、もう1本先の横断歩道を渡り、階段を上らなければなりませんでした。実際に歩いたルートから右折して正しいルートには行けないので、回り道が必要だったのです。少し歩いたところで、ルートの形と、実際に歩いている道路の形状が違っており、いつまで経っても吉野地蔵尊に至らないので、気づいたのですが、時すでに遅し。三滝台2丁目バス停あたりから、南下すると鹿化川に行き当たりますから、それで正しいルートに戻ったという次第。その後は、コースマップに忠実に沿って歩きました(笑)。場所によっては、「道の右側の歩道を歩く」といった指定があったのです。

Img_9328c Img_9332c_20250223143101  鹿化川の景色。何度も来ていますが、この川沿いには5㎞にわたって、約1,000本の桜が植えられていて、春には、鹿化川桜まつりが開かれます。

Img_9335c_20250223143101  鹿化川沿いからは、鈴鹿の山並みも見えます。多くはありませんが、冠雪しているのが遠くに望めました。

Img_9357c_20250223143101  目的地の神楽酒造には、10時25分過ぎに到着。すでに大賑わいでした。酒蔵みてある記は、本当に人気があります。抽選会、無料試飲、甘酒の振る舞い、有料試飲、直売会、キッチンカーなどによるつまみその他の販売が、たいていセットされているのです。過去には、私も、直売会で1合瓶をゲットし、つまみも買って、「小宴会」や「一人宴会」をしたことがよくあります。

Img_9374c  まずは、抽選会へ。コースマップの右肩に個別番号が印刷されています。今日の私の番号は、#219。左の写真が当選番号ですが、残念ながら、大ハズレ(笑)。私の直前の方が「#75」だったようで、「オッ、5番がある」とアピールしておられたのですが、当選番号は、1桁の#5で、ぬか喜び。ガックリしておられました。私は、神楽酒造では当たった試しがありません(早川酒造部でもでした。再来週酒蔵みてある記がある丸彦酒造では、ワンカップが当たりましたし、多度の細川酒造では4合瓶を当てたことがあります)。

Img_9383c_20250223143101  続いて無料試飲。飲む前から写真がピンぼけになりました(苦笑)。いただいたのは、純米吟醸生酒の「神楽」でした。小さなカップですので、もっと飲めましたが、今日は有料試飲はやめておきました。四日市あすなろう鉄道西日野駅まで、交通量が多い通りを歩かねばなりません。

Img_9391c_20250223143101  試飲を終えて、直売所へ直行。というか、試飲会場の隣が、直売所。写真の中央にある「火入 特別純米酒 神楽」(¥,200)を1本、買ってきました。

 Img_9395c 神楽酒造では、直売所で酒を買い、キッチンかなどでつまみを入手して、宴会ができるようにしてもらってあり、後ろ髪を引かれる思いがしたのですが、土産も買いましたから、西日野駅に向かいます。

Img_9405c_20250223143101  四日市あすなろう鉄道西日野駅へは、10時55分に到着。平成27(20159年から、四日市あすなろう鉄道は、旧近鉄内部線、八王子線を運営しています。西日野駅から日永駅までが八王子線。日永駅からあすなろう四日市駅は、内部線。

Img_9408c_20250223143101 Img_9412c  ご覧のように、小さい電車です。というのも、いわゆるナローゲージの鉄道。三岐鉄道北勢線も、同じくナローゲージです。全国に残っているナローゲージは、この四日市あすなろう鉄道、三岐鉄道北勢線と、黒部峡谷トロッコ鉄道の3社のみ。11時発のあすなろう四日市駅行きに乗り、四日市駅には11時9分着。¥270。近鉄名古屋線に乗り換え。近鉄四日市駅発11時28分の名古屋行き急行で、桑名駅には11時40分に到着。¥360。

250223123031084c  こちらが土産に買ってきた「火入 特別純米酒 神楽」。火入れをして、1年熟成されています。香りが芳醇で、口当たりは軽いお酒。私の好みです。今日の晩酌はこれ。毎回お断りしていますが、決して大酒飲みではありませんので、誤解なきよう願います。

 Screenshot_20250223111553c Screenshot_20250223112451c 近鉄四日市駅で乗り換えに時間がありましたので、エキタグのデジタルスタンプをゲットしてきました。この1年近く、近鉄四日市駅で下車する機会がなかったのです。デザインは、こにゅうどうくん工場夜景。こにゅうどうくんは、四日市のマスコットキャラクターですし、工場夜景は、四日市のコンビナートの名物。

Screenshot_20250223120242c  本日のGoogle Fitのデータが、こちら。歩いた距離は7.53㎞で、歩数は12,097でした。距離は、いつもの散歩よりも少し長かったのですが、2つの丘を越えましたので、運動量は、いつもより多くなっています。

 本日の教訓。他人様の流れに何となくついて行ってはいけませんね。自分でよく見て、確かめて進まないと間違いをしでかします。

【追記】 このハイキングで、これまでにJRさわやかウォーキング、近鉄ハイキング、勝手にハイキングに198回も出かけたことになります。近いうちに200回を達成できる見込みです。ハイキング/ウォーキングに行き始めたのは、平成29(2017)年10月からで、最初は、朝日町への歴史散歩でした(2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。JRさわやかウォーキングへは同じく、平成29(2017)年の11月から(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)、近鉄ハイキングには翌12月から(2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1))参加しています。これらで、すっかりハマってしまったのです。ちなみに、これまでに使った電車賃は¥196,110、昼食代金は¥82,511、土産代は¥78,163ということで、費用総額は¥356,784。現地で歩いた距離の合計は1568.1㎞です。

2025年2月 9日 (日)

20250209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(一回完結)

Img_9069c  昨日降り積もった雪が残る中、予定通りに近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」に行って来ました。近鉄富田駅での受け付けが9時20分から11時まででしたので、近鉄桑名駅を9時11分に出る津新町行き普通に乗車。近鉄富田駅には、9時23分に到着。¥300。富田駅前や、付近の道路にも、昨日の雪が残っていました。さすがに、参加者は、いつもよりは少ない印象。桑名では、最低気温が-1.9℃、最高気温は6.7℃。午前中は、風はほとんどありませんでした。

250209kintetsuhikingtomida0  こちらが今日のコースマップ。20250209kintetsuhikingtomita近鉄富田駅から富貴堂、鳥出神社、水と緑のせせらぎ広場、杵福本舗を経て、早川酒造部へ。その後、八幡神社へ立ち寄って、近鉄川越富洲原駅までという、約5㎞のコース。右の画像は、いつものように、キョリ測で描いたもの。実際には、5.4㎞を歩いてきました。

250209kintetsuhikingtomida1  コース前半を拡大したマップ。近鉄富田駅から東南へ。富貴堂、鳥出神社からJR関西線を越え、国道1号線を渡ったところで左折し、水と緑のせせらぎ広場と行って、富田の町を進みます。

Img_9079c_20250209141401  最初の立ち寄り先は、御菓子処富貴堂生クリーム大福で有名なお店。私は、たいていの菓子屋さんには立ち寄りません。増して、今回は酒蔵みてある記なのですから(微笑)。ここの御菓子は、地元スーパーでも売っているところがあります。

Img_9091c_20250209141401  鳥出神社鯨船行事で有名な神社で、以前から1度訪ねてみたかったところです。鯨船行事については、リンク先に説明がありますが、捕鯨を模した行事で、富田の石取祭と同時に行われる、富田地区の夏祭りです。毎年お盆の8月14日と15日の2日間に鳥出神社を中心に四日市市東富田町の町内と古川町自治会の町内で開催され、富田地区連合自治会が主催します。

Img_9109c_20250209141401  主祭神は、日本武尊事代主神。配神は、宇迦之御霊命蛭子命天照大御神天石戸別神大鷦鷯天皇(仁徳天皇)波邇夜須毘古神、波邇夜須毘賣神應神天皇天児屋根命大山祇神菅原道真。正応元(12883年)年と安永9(1780)年の大火により、古文書を消失したため、当社の創祀の年代は詳らかではありませんが、延喜式神名帳にはすでに記されています。朝明地方における中心の神社として崇敬を受けていたと思われます。また、江戸時代には、富田六郷の総氏神として信仰を集めていました。本社の造営に当たっては、天正13(1585)年以来、伊勢神宮の式年遷宮毎に古材を拝領して行われる古例があり、現在の本殿、拝門、瑞垣、鳥居、社務所などは、いずれもこれにより営繕されているそうです。

Img_9117c Img_9113c_20250209141401  境内には、稲荷社(左の写真)や、神宮遙拝所などもあります(右の写真)。神宮遙拝所は、四日市市内の神社にはよく設けられていますが、桑名市内の神社ではほとんど見たことがありません。

Img_9134c_20250209141401  こちらは、Img_9130c龍神社。山の神などもあわせて祀られていました。このほか、頌徳碑などもありましたが、ネット検索では情報は出て来ませんでした。足元が悪かったため、裏面は見ていません。

Img_9184c_20250209141501 Img_9192c_20250209141501  水と緑のせせらぎ広場。本来は、この中を通るコース設定になっていたのですが、雪に埋もれていましたので、そばの歩道を進みます。

250209kintetsuhikingtomida2  コース後半の拡大マップです。水と緑のせせらぎ広場からはしばらく立ち寄るところがありませんので、凍った雪に滑らないよう注意して、ひたすら歩きました。

Img_9210c_20250209141501  杵福本舗の直売所に立ち寄るコースになっていたのに、今日もらったコースマップでは、「2/9は休業日」と赤字で書かれていました。近くにいらした女性が、「コースになっているのに、変なの」と。ここは、おかきやさんの直売所。

Img_9214c_20250209141501 Img_9221c  スタートから3㎞半ほどで早川酒造部へ。最近も、何度も来たと思っていたのですが、もっとも最近来たのは、2020年2月9日と、ちょうど5年前でした(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。そうです、日本でコロナが大騒ぎになる直前でした。このあと、近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキング中止となってしまったのでした。

Img_9218c_20250209141501 Img_9225c  まずは、抽選会へ。早川酒造部での抽選は、抽選箱に入れられた、清酒の瓶の蓋を引くというやり方です。「赤」が出ると「しぼりたて原酒720ml」が当たったのですが、残念ながら、ハズレ(苦笑)。早川酒造では、これで4戦全敗。思わず、「ここでは当たったことがないな」といってしまいました(失礼)。ついで、試飲会場へ。以前は、2種類の試飲をさせてもらえたのですが、今回は1種類。ブランドをしっかりと見てきませんでした。

Img_9229c Img_9236c_20250209141501  さらに、いつものように、直売会場へ。今回は、「純米酒 天一」(720ml、¥1,200)をゲット。これは、家内の強い希望によります。私は、搾りたて生原酒の方がよいのですが、たまには、家内の希望を入れることにしたのです。試飲だけではちょっとものたらず、かといって、今日のように足元のアヤシいなかで「ひとり宴会」をすると、川越富洲原駅まで無事にたどり着けないかも知れませんので、有料試飲を1杯だけ追加。欲しかった生搾り原酒(¥200)を飲んできました。

Img_9243c_20250209141501  早川酒造部を10時40分に出て、次の立ち寄り先である高松八幡神社は、ちょっとよい気分になっていて、「何度も来たから、まぁいいか」とパス。以前訪ねたときの記事をご覧ください(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))このあと、川越富洲原駅まで、また、立ち寄るところはありませんので、雪が残っていないところをなるべく選んで、またもやひたすら2㎞近くを歩きました(苦笑)。

Img_9250c_20250209141501  川越富洲原駅には、11時10分に到着。11時22分に出る名古屋行き普通電車に乗車。桑名駅には、11時30分着。¥300。

Img_9299c_20250209141501  こちらが、今日の土産。上にも書きましたが、「純米酒 天一」(720ml、¥1,200)です。今日の晩酌は、これ。

Screenshot_20250209111637c Screenshot_20250209111647c  このところ、エキタグをしていませんでしたが、近鉄富田駅でも、川越富洲原駅でもデジタルスタンプがもらえますので、ゲットしてきました。左が近鉄富田駅のもの、右が川越富洲原駅のもの。

Screenshot-2025_02_10-4_05_46c  ゲットしたスタンプは、近鉄のものが10個と、三岐鉄道北勢線が1個で、これで合計11個となりました。先は長いというか、ゴールがあるのかどうか??

 Screenshot_20250209115101c 今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は7.9㎞。現地で5.4㎞ですから、まあこれくらいでしょう。歩数は、13,948。歩いた距離に比べ、歩数が多くなっていますが、これは滑らないよう小股で歩いたところがかなりあったからでしょう。

2025年2月 6日 (木)

20250206近鉄あみま倶楽部ハイキング「七里の渡・大福田寺コース」へ(一回完結)

Img_9006c_20250206163101  今朝は冷えました。-1.2℃と今シーズン最低。あちこちで氷が張っているのを、この冬、初めて見ました。最高気温は、7.0℃。今日は、「朋あり遠方より来たる」(論語)ではありませんが、名古屋から大学時代の同級生である友人が、「桑名散策に行きたい」ということで来てくれました。近鉄あみま倶楽部のアプリ対応コースに「七里の渡・大福田寺コース」がありますので、このコースを歩くことに。実は、最近、同級生K氏とのウォーキングに行けていませんので、自分であみま倶楽部のハイキングコースでも歩こうかと考えていたところで、まさに「渡りに舟」。

250206kuwanawalkingmap  こちらが、近鉄あみま倶楽部の「七里の渡・大福田寺コース」にならってつくったコースマップ。桑名駅東口から、海蔵寺、本統寺、寺町商店街、六華苑、住吉神社、七里の渡跡、九華公園、春日神社、大福田寺、照源寺を回って、桑名駅西口がゴール。9時過ぎにスタートし、春日神社から大福田寺に行く途中、昼食を食べ、桑名駅西口には14時前にゴール。私にとっては、勝手知ったるところですから、mamekichiバージョンの「ブラ桑名」のようなもの。以下、主な立ち寄り先を簡単に。

Img_8926c Img_8937c  海蔵寺は、曹洞宗のお寺。ここには、いわゆる薩摩義士の墓所があります。宝暦3(1753)年、幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5(1755)年、工事は完成しましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他23基の墓石が現存しています。

 本統寺は、真宗大谷派桑名別院。地元では、「御坊さん」と呼ばれ、親しまれています。Img_8949c_20250206153701 Img_8946c_20250206153701徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、境内には、松尾芭蕉が貞享元(1684)年、野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています。

 このあと、寺町商店街、三崎見附跡、諸戸氏庭園前、桑名七里の渡し公園を経て、六華苑へ。Img_8970c国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園があります。実業家の2代目諸戸清六の新居として、1911年(明治44年)にジョサイア・コンドルの設計で着工し、1913(大正2)年に竣工しました。コンドルが設計した現存建造物の大半は東京に集中しており、地方では桑名市のみに現存しています。

 住吉神社を経て、七里の渡跡へ。Img_8973c_20250206153701熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として賑わいました。この鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

Img_8981c_20250206153701  本多忠勝像のところから九華公園へ。このあたりは、毎日の散歩コースです。本多忠勝は、桑名藩初代藩主。慶長の町割を実施するともに、桑名城をつくり、現代にもつながる桑名の町のもとをつくったといえます。桑名城址に整備されたのが、九華公園。昭和3(1928)年に松平定信(守国公、楽翁)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されたものです。

Img_8995c  続いては、桑名宗社(春日神社)。地元では、「春日さん」と呼ばれています。桑名神社と中臣神社の2つの神社からなっています。石取祭は、ここのご神事。門前には、青銅の鳥居があります。これは、寛文年間(1661~1673年)につくられたもの。

Img_8998c 250206114606420c  春日さんのあたりで11時半前でしたので、どこかでランチをということになり、寺町商店街の南口にある「てらまちダイニングUOSUE」さんへ。1階で魚屋さんを営んでおられ、2階が食事のできるお店になっています。1度来てみたかったのですが、一人では敷居が高かったのです。

250206114555387c  魚屋さんですから、刺身定食をチョイス。カンパチ。定食にしていただくと、これで¥1,375。美味しい上にこの値段は、かなりお得です。

Img_9002c  1時過ぎにウォーキングを再開。桑名駅方面に向かいます。駅西に行くのに、こちらの踏切を渡りました。3種類の幅の線路を一またぎしています。手前から(西側から撮っています)、近鉄名古屋線(広軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)。踏切の名称は、それぞれの鉄道会社で異なっており、近鉄名古屋線は益生第4号踏切、JR東海関西線は桑名駅構内踏切、三岐鉄道北勢線は西桑名第2号踏切。これらを横断し、レールの幅を実際に見て体感できます。

Img_9016c  大福田寺。高野山真言宗のお寺。聖徳太子創建と伝えられます。山門は、江戸時代建立といわれるもの。毎年2月3日には節分祭、4月1日・2日には日本三大聖天の一つ桑名聖天大祭が行われ、2日には伊勢大神楽の奉納が行われます。節分祭では、鬼が市内を練り歩く鬼追い厄払いがあります。今年も、我が家の近くで、螺貝の音が聞こえていましたので、「大福田寺の鬼追い」が来たなと分かります。

 Img_9023c 大福田寺の境内で、白梅がかなり咲いていました。このあたり、昔はときどき散歩をしたのですが、最近はすっかりご無沙汰。いつもの散歩コースでは、常信寺の紅梅がもっとも早く咲くのですが、それよりこの白梅の方が早く咲くと思われます。

Img_9050c_20250206153701  最後の目的地は、照源寺。浄土宗。久松松平家の菩提寺。寛永元(1624)年、桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建しました。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続しました。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。境内には定綱が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります。

Screenshot_20250206143223c  「七里の渡・大福田寺コース」のウォーキングは、このあと桑名駅西口で完了。こちらは、Google Fitのデータ。約6キロのコースですが、自宅~桑名駅往復を含め、なんと12.1㎞も歩いていました。歩数も2万歩を超え、驚き。

Screenshot_20250206140719c Screenshot_20250206140816c  このコースは、初めの方にも書きましたが、あみま倶楽部のアプリ対応コースでしたので、デジタルスタンプも集めてきました。踏破証もこれで5つになったのですが、有効期限内のものは、3つ。これで交換できるのは、オリジナルステッカーです(微苦笑)。

【付記(2/7)】 2月7日の中日新聞朝刊三重版に「六華苑の池で浚渫作業が行われていて、いつもは池の底にある、第2次大戦中に投下された爆弾の痕跡が見られる」という記事が載っていました。そういえば、池の中央あたりに直径数mの跡がありました。それが爆弾であいた穴をふさいだところだったようです。六華苑には「浚渫作業をしています」という掲示はあったと思うのですが、受付などにもこの爆弾の跡が見られるとでも示しておいてくれたら、皆さん、興味を持ってみられたんじゃないかと思います。

2025年1月 5日 (日)

20250105近鉄ハイキング酒蔵みてある記 伊藤酒造「鈿女」へ(一回完結)

 Img_8502c_20250105151201 朝は、この冬初めての氷点下になりましたが(-0.3℃)、日中は風も弱くて、暖かくなり(10.2℃)、絶好のハイキング日和でした。予定通り、近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記 伊藤酒造『鈿女』」へ行って来ました。桑名駅を9時2分に出る松坂行き急行に乗り、四日市駅に9時15分着。ここで湯の山線の湯の山温泉行き(9時29分発)に乗り換え。菰野駅に9時48分に到着。¥560。湯の山線の電車も、菰野駅も大賑わい。今回は、一人旅。記事は、一回完結。

Img_8506c 250105kintetsuhikingkomono  こちらが今日のコースマップ。番号がついていますが(伊藤酒造で抽選会があるのです)、私のものは#199。菰野駅をスタートし、明福寺、菰野城跡、見性寺と回って、伊藤酒造で酒蔵見学。ゴールは、同じ湯の山線の桜駅。マップ上、約6㎞のコース。右は実際に歩いたルートマップですが、今日は、道草は食っておりません。10時過ぎにスタート。

Img_8530c Img_8546c_20250105151301  最初の立ち寄り先は、菰野駅から400m足らずのところにある発起山明福寺(ほっきざんみょうふくじ)。真宗大谷派。開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正(1504~1521年)の頃に伊勢へと移り住み、菰野に念仏道場を開きました。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与されています。享保(1716~1736年)の頃に山門と鐘楼を建立。本堂は安政元(1854)年の大地震にて倒壊後、再建されました。文化11(1814)年には、測量に訪れた伊能忠敬がこの寺に宿泊したそうです。

Img_8538c Img_8542c  本堂に安置されている薬師如来/阿弥陀如来像は円空による作。一材の両面に二仏が掘られた「両面仏」と呼ばれる珍しいもので、延宝2年(1674年)の作。13世住職であった賢竜の弟・大正が明治初年の廃仏毀釈により、像が伝来していたものの、廃寺となった伊勢の常明寺から譲り受けて、明福寺へと持ち帰ったものです。昭和36(1961)年には、俳人の山口誓子が当寺の住職に招かれて寺を訪れ、円空仏に感銘を受けて句を詠んでいます。句は、「円空仏外に出で来て枯銀杏」。昭和51(1976)年に建てられたその句碑があります。

Img_8573c_20250105151301 Img_8577c_20250105151301  次の立ち寄り先は、菰野城跡。菰野城は、菰野藩一万二千石の大名土方氏の代々の居城でした。現在は菰野小学校の敷地になっており、西側と北側に城壕に一部と築地が遺り、藩邸の庭園の一部が西南の隅に僅かながら名残をとどめ、そこに菰野城跡の碑があります。また、西南を流れる振子川に面して、角櫓跡があり、その東方に石積の遺構の一部があります。ここは、私は何度か訪ねています(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8587c_20250105153201 Img_8596c  菰野城跡の先、国道306号のところでほぼUターン。湯の山線の踏切がありますが、このあたりが菰野城の隅櫓跡。その先に洗心教団の本部があります。その前に道標。「右 ゆ乃山?」と刻まれています。みえの歴史街道の菰野道の説明によれば、ここは、昔の「湯の山道」と呼ばれる道と思います。

Img_8625c_20250105151301  続いて、真如山見性寺。臨済宗妙心寺派。菰野藩土方家の菩提寺として、寛永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。ここも何度も訪ねていますので、今日はパス(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8651c_20250105151301 Img_8616c  見性寺から伊藤酒造まで、立ち寄るところはなく、ほぼ3㎞の距離をひたすら歩きます。このひたすら歩くというのは、けっこう苦痛(苦笑)。ただ、今日は、コースのあちこちで鈴鹿山脈や、御在所岳(右の写真)が見えていましたので、まだよかった方でしょう。

Img_8681c  伊藤酒造には、11時20分頃に到着。ここも賑わっていました。私は、酒蔵みてある記で何度も訪ねています(たとえば、2020年2月8日:20200208近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」へ(一回完結))。

Img_8695c_20250105151301 Img_8697c  まずは、試飲(笑)。今日は、「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」。先月搾った新酒。とはいえ、無料試飲ですから、コップのサイズは右の写真のとおり。一口でした。

Img_8704c_20250105151301  抽選会は、ご覧のとおり、今回も見事にハズレ。最近、当たった試しがありません。

Img_8714c_20250105151301 Img_8753c_20250105151301  新酒即売会では、試飲をした「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」の720ml詰めを1本購入。¥1,400。

Img_8677c  有料試飲や、燗酒(一合瓶)、つまみの販売もされていて、小宴会ができるようになっていました。ずいぶん迷いましたが、今日は、一人でしたので、一人で飲んでもつまらないと思い、諦めました。

Img_8721c_20250105151301 Img_8758c_20250105151301  そのまま近鉄・桜駅へ。11時35分頃に到着。桜駅を11時45分発の四日市行きに乗車し、近鉄四日市駅には11時59分着。12時11分の名古屋行き急行に乗り変えて、桑名駅には12時23分着。乗り換えの待ち時間にいったん改札を出て、近鉄百貨店四日市店へ。家内から、赤福ぜんざいを買ってくるようにという指令が届いたのです。3つ入りで¥2,300。酒よりいいお値段(笑)。途中下車しましたので、近鉄料金は、桜~四日市が¥320、四日市~桑名が¥360で、合計¥680。

Screenshot-2025_01_05-12_50_34c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は、約8.8㎞。歩数は、14,037でした。

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  • 平凡社: 街道アトラス

    平凡社: 街道アトラス
    旧街道に興味があります。ただし、あまりあちこちの街道を歩いたわけではありません。この本では、東海道と中山道は各宿場も紹介されるなど、詳しく載っていますが、その他の街道はダイジェスト。いわば、旧街道のカタログ本といったところ。現代の道と比べたり、旧街道がどのようにつながっていたかを知るにはよい本です。ただし、この本だけを頼りに旧街道を歩くことは、ほぼ不可能でしょう。 (★★★)

  • 保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)

    保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)
    今年は、昭和100年であり、戦後80年でもあるということで、新聞などでも特集記事が掲載されています。太平洋戦争は、日本という国を滅亡の一歩手前まで追い込みました。昭和という時代もそれが終わってから35年以上経ちますから、これからは歴史として語られるようになっていくはずです。この本は、二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇など、時代を大きく変えた8つの事象を取り上げ、当事者たちの感情や思惑排して見つめ直すことを通して、これまでの通説、定説とは異なるそれらの真相を浮かび上がらせようとしています。読後感としては、私なども、何となくそうなのかと思っていたことがひっくり返されたような感じを抱いています。目的と手段を取り違えている、事実や科学的知見から目をそらしている、希望的観測を事実と思い込む、妙な精神論に陥るなど、今も続く認知、思考は、太平洋戦争のときの軍指導者から始まっているのかも知れません。いろいろな意味で「戦後」という概念については、根本的に再検討が必要ですし、日清戦争から太平洋戦争に至る数十年の戦争の時代は、何に由来し、そこから何を学ぶか、よくよく考えてみる必要があると思いました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)

    保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)
    保阪正康さんは、一貫して近現代史を検証し続け、5,000人もの歴史の証人を取材してきています。この本は、月刊『文藝春秋』に掲載されたものから15編を選んでまとめられています。読み応えがあるのに、分かりやすい内容で、昭和史の証人として瀬島龍三、後藤田正晴などインタビューが、また、昭和の戦争7つの謎として無謀な開戦を決意した理由などが載せられています。その後、あの戦争と昭和史を語ろうということで、半藤一利さんなどとの対談が載っています。最後に、歴史をどう引き継ぐかということで、講演録があります。この講演では、江戸時代まで遡らなければ日本人は理解できない、江戸時代の260年を通じて、戦争をしなかったという事実から教訓、知恵を学ぶ必要があるなど、江戸時代に築かれた財産をもう一度取り戻すことの重要性が語られています。明治維新という、薩長の下級武士の暴力革命を経て、帝国主義国家が作られていく過程で、江戸自在の財産は放棄されたと著者はいいます。知識、技術は学び、取り入れたのに、哲学までには思いが至らなかったため、そうなっています。また、もう一つ、著者が強調するのは、天皇制の捉え方、論じ方です。天皇制は、本質的に戦争を嫌う制度だと著者はとらえています。これは、私には目から鱗の見方でした。さらに、天皇は何らかの形で京都にお住まいになって、政治の中心は東京にあってという江戸時代の知恵をもう一度取り戻すのもよいという提案は、真摯に検討する価値があると思います。 (★★★★★)

  • 芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)

    芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)
    関数電卓は持っていますし、その昔は、プログラム電卓で平均値、標準偏差などの計算をする簡単なプログラムを組んで使っていたこともあります。タイトルに惹かれて買ったのですが、ウ~ン、期待はずれでした。計算例が平方根以外にはほとんどありませんでした。関数電卓を片手に、その使い方や、どのような応用ができるかを知りたいと思ったのですが、そういう内容はあまりなくて残念でした。ただこの本を読んでよかったのは、数学の力と計算力とは別物であることが分かったこと。また、計算については、関数電卓などを駆使すればよいということでした。私自身、数学には自信がないのですが、「エェ!?、そうだったっけ?」と思う内容もありました(つまり、間違っているんじゃないの、と思える内容)。 (★)

  • 今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)

    今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)
    地名の由来については興味がありますから、この本を手に取ったのですが、読み始めたものの、すぐに「放置」していました。テーマごとに、それに関連する地名が列挙され、その由来について多少の説明(蘊蓄?)が書かれているのですが、列挙されている(例示されている)地名が煩雑で、読むのが面倒になってしまったのです。「地名マニア」の方であれば、これくらい何のそので読み進めたのでしょうが、私にはちょっと難行でした。2年くらい経って、気を取り直して、少々無理矢理に読み進めました。が、「不思議な名称には物語がある」という、帯の謳い文句には、いささか無理があるかなという気がします。物語というのであれば、個々の地名についてもうすこし物語って欲しい気がするのです。ただし、以上は、極めて個人的な感想です。 (★★)

  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)