お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年4月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年4月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

歴史散歩

2025年5月 8日 (木)

20250508近鉄あみま倶楽部ハイキング「津・一身田寺内町コース」へ(一回完結)

Img_1022c_20250508154301  好天で風も弱いという予報でしたので、近鉄あみま倶楽部が常設コースとして設定している「津・一身田寺内町コース」を歩いてきました。このコースあたりは、何度でも歩いたところですが、1つには、三重県総合博物館で開催されている「トピック 展『伊勢路がみたい 伊勢参宮名所図屏風の世界』 」を見たいと思ったのと、高田本山専修寺(せんじゅじ)に最近、お参りしていないなと思ったからです(2024年1月14日:20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結))。それならば、この2ヶ所がコースに設定されている「津・一身田寺内町コース」を歩こうという次第。近鉄桑名駅を8時23分に発車する松阪行き急行に乗車。津駅には9時5分に到着。¥830。桑名では、最高気温は24.1℃。

 こちらが今日歩いてきたルートマップ。250508ishindenmap津駅をスタートし、三重県総合博物館(MieMu)、一身田寺内町、高田本山専修寺、高田本山駅と、コースマップ上は7.2㎞。アプリ連動ハイキングで、ここにあげたところが、チェックポイントでした。今回も、記事は一回完結で、一人旅でした。

Img_1037c  津駅西の交差点のところに津偕楽公園があります。もとは「下部田山(しもべたやま)」あるいは「御殿山」と呼ばれ、藩主の鷹狩り場の休憩所の御殿が建てられていました。貞応年間(1652~1655)には藩士に労をねぎらうために、遊息の地として分け与えられたという記録があるそうです。以前、近鉄ハイキングで訪ね、中を歩き回りましたので(2019年5月23日:20190519近鉄ハイキング「谷川士清旧宅と県立美術館・総合博物館春の専修寺を訪ねて」へ(その2)……津偕楽公園と、三重県立美術館「没後200年記念 増山雪斎展」)、今回はパス。詳しいことは、リンク先の記事をご覧ください。

Img_1052c  三重県総合博物館は緩い坂道を1.5㎞ほど登っていきます。ここも何度も来ています。平日で、とても空いていました。

Img_1162c Img_1075c_20250508154401  今回の目当ては、初めにも書きましたように、「トピック展『伊勢路がみたい 伊勢参宮名所図屏風の世界』」です。写真撮影可でしたので、伊勢参宮名所図屏風の左隻の写真のみを載せておきます。「伊勢参宮名所図屏風」を中心に、全国から多くの人びとがやってきた伊勢参宮について、三重県総合博物館が所蔵する資料で紹介します。江戸時代の参宮の風景が描かれた浮世絵や名所図会が展示されています。この「伊勢参宮名所図屏風」は、幕末から明治にかけて作られたとみられ、今回初めて展示されています。5月18日までで、入場は無料です。私のほかに観客はお一人で、ほぼ独占状態で見てきました。

Img_1059c  Img_1166c 三重県総合博物館へ行くと、必ず見てくるものが2つあります。その1つは、ミエゾウの骨格標本。企画展示室の前にあります。もう1つは、サンショウウオのさんちゃん。ミュージアム・ショップの隣にいます。三重県総合博物館の収蔵資料のうち、唯一生きている標本です。

Img_1205c_20250508154401  三重県総合博物館から一身田寺内町まで、立ち寄るところはありません。三重県総合文化センターのところから、田園地帯を歩いて行きます。こちらは、2.5㎞ほどのところで、高田本山専修寺方面を撮った写真。中央に高田本山専修寺が小さく写っています。

Img_1248c_20250508154401  Img_1254c JR紀勢線の踏切を越え、4㎞地点あたりでいったん伊勢別街道に出ます。関宿東追分で東海道から分かれ、江戸橋で伊勢街道に合流します。この伊勢別街道も1度は歩き通したい街道です。この街道沿いに伊勢木綿を製造している臼井織布があります。この臼井織布のところを右に曲がって一身田寺内町に向かいます。

Img_1269c Img_1297c_20250508154401  一身田寺内町の入口にある常盤橋。環濠となっている毛無川(けなしがわ)にかかっています。一身田寺内町は、東西500m、南北450mの環濠に囲まれています。ここにはかつて黒門という門がありました。寺内町への南の出入り口で、番小屋と門があり、夜間は通れませんでした。黒門の先、百五銀行支店のところに道標があります。「右 江戸みち 左 御堂并京道」とあります。ちなみに、一身田寺内町、高田本山専修寺については、こちらの記事(2022年1月10日:20220110勝手にハイキング「高田本山専修寺のお七夜」へ(予告編))に詳しくあります。

Img_1308c_20250508154401  一身田寺内町の商店街。高田本山専修寺を中心に広がる「寺内町商店街」は、江戸期以来から続く伝統ある店が軒を連ねています。こちらにも詳しく載っています。今日は、目当ての和菓子屋さんが、ガス工事でお休みだったりして、ちょっと残念でした。

Img_1331c  スタートから5㎞あまりで、高田本山専修寺へ。真宗高田派の本山です。写真は、山門。ここは、家内の方の宗旨であり、私も気に入っているお寺。我が家は真宗大谷派ですが、個人的にはこちらに宗旨替えしてもよいと思うくらいです。

 Img_1342c Img_1346c_20250508154401左の写真が御影堂。開祖である親鸞上人の木像が安置されています。右の写真は、如来堂。「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来立像(快慶作 国指定重要文化財)を本尊とし、教義上この堂が伽藍の本堂。室町時代中期、天台宗の延暦寺は、浄土真宗本願寺派と対立していました。延暦寺は同じ浄土真宗である高田派も同一視して敵視して来たため、真慧が比叡山に赴き、高田派は本願寺派とは全く別であることを陳述しました。さらに7日間にわたって親鸞の教えである浄土真宗の教義を講義したところ、延暦寺の僧侶等は感動し、高田派こそ真宗の教えを正しく受け継ぐ教団であると認めたのです。その証拠にと、真慧は延暦寺から第3代天台座主円仁(慈覚大師)が一刀三礼で彫り上げた阿弥陀如来立像を譲り受けました。それ以来、この阿弥陀如来立像は「証拠の如来」と呼ばれ専修寺の本尊となっています。

Img_1365c  ここには家内の父のお骨が納めてありますので、訪ねるたびに納骨堂にもお参りしてきます。今日は、平日で、境内も、納骨堂も空いており、ゆっくりとお参りしてきました。

Img_1381c_20250508154401 Img_1384c_20250508154401  専修寺を出て、東側に回り、太鼓門のところから、一御田神社へ。太鼓門は、専修寺の東入口となる門で、平屋建ての長屋門の上に三層の櫓をのせ、その最上階に大太鼓を吊っています。明治5(1872)年の暦制改正によって時刻が西洋式となるまで、ここの太鼓が町の人々に時刻を知らせていたそうです。一御田神社の創立は不詳ですが、棟礼に嘉吉元(1441)年のものがありますで、これ以前と思われます。今日は、御田植え祭(5月11日だそうです)の準備をしておられました。

Img_1391c  一御田神社から赤門跡へ回りました。ここは、一身田寺内町の北東部にあたります。江戸方面への出入り口で、朱塗りの門と橋があり、赤門と呼ばれていたのです。ここから再び、黒門跡方面に向かいます。

1746671610079c  一身田寺内町を離れる前に、土産に買ってくるようにといわれた、京林堂さんへ。ところが、開店時刻の11時を過ぎても、シャッターが閉まったまま。ここの名物であるカレー焼きが食べたかったのに、残念。どんなものかは、リンク先をご覧ください(食べログのサイトです)。今日は、土産はなし。

Img_1420c_20250508154401 Img_1435c  やむなくそのままゴールの近鉄高田本山駅を目指します。残りは1㎞あまり。伊勢鉄道の高架をくぐり、田園地帯を歩きます。しかし、それにしても、今日は好天で、絶好のハイキング日和です。

Img_1459c_20250508154401  高田本山駅には、11時50分を過ぎた頃到着。この駅も何度も利用しています。12時7分に出る名古屋行き普通に乗車。白子駅に12時22分着。ここで12時28分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名駅には13時3分に到着。江戸橋方面へ非常勤講師に行っていた頃、よく利用した電車でした。白子駅で、途中下車しましたので、料金は¥360+¥590=¥950。

Screenshot_20250508132619c  今日のGoogle Fitのデータ。11.03㎞、18,322歩でした。マップ上は、7.2㎞でしたが、三重県総合博物館や、専修寺で中を歩き回ったからです。自宅から桑名駅往復は、2.5㎞もありません。

Screenshot_20250508121203c Screenshot_20250508121136c  今日のハイキングは、アプリ連動ハイキングで、チェックポイントでチェックインしますと、デジタルスタンプがもらえます(左の画像)。さらにすべてのチェックポイントをクリアすると、踏破賞が付与されます(右の画像で、もっとも左上のもの)。

 Screenshot_20250508122421c 白子駅で途中下車したと書きました。乗り換えに時間がありましたので、エキタグのデジタルスタンプをゲットしに行ってきたのです。以前は、白子駅をスタート、ゴールにする近鉄ハイキングがよく企画されていたのですが、最近はあまりなくなってしまい、ここに来る機会がありませんので、ちょっと余分な出費をすることになったのですが、せっかくだからという次第。

2025年4月26日 (土)

20250426近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」へ(一回完結)

20250426kintetsuhikingshiohamamap  今日も4~5m/sの風が吹いていたものの、天気は良く、気温も23.4℃まで上がり、ハイキング日和です。予定通りに、近鉄ハイキング「【JR東海合同企画】海山道神社から東海道へいつもと違うコースを歩く」に行ってきました。JRさわやかウォーキングとの共同企画。ファミリー向きとなっていますが、コースマップ上は、7.6㎞あります。

Img_0604c  受付は、近鉄名古屋線塩浜駅で8時半から12時。急いで行く必要はありませんから、桑名駅を8時10分に出る、近鉄津新町行き普通電車に乗車。塩浜駅には8時45分に到着。¥430。コースマップを受け取り、8時50分を過ぎた頃スタート。

250426siohama0  こちらが実際に歩いてきたルートマップ。塩浜駅東口から近鉄名古屋線沿いに北に進み、塩浜一六三八市場、海山道神社を経て、鹿化川の手前で左折、西に向かいます。中央緑地公園を経てさらに西に。日永1丁目に入って、四日市あすなろう鉄道線の東で右折。ここからはしばらく旧東海道を歩き、この味本舗へ。いったん国道1号線に出て、その後、再び、旧東海道に入ります。諏訪神社までのスワマエ商店街は、旧東海道にあります。諏訪神社から東へ。太白永餅の金城軒に立ち寄って、JR関西線四日市駅がゴール。今回も、記事は一回完結。

Img_0618c  まずは、塩浜一六三八市場。近鉄名古屋線の海山道駅と、塩浜駅の間の線路沿いにありますので、以前からこの存在は知ってはいました。しかし、もちろんここに来る機会はありませんでした。こちらに四日市の定期市のリストがありますが、その名の通り、1、3、6、8のつく日に市が立ちます。昭和31(1956)年に開設されたという、私とほぼ同年齢の市場。そのせいか、昔懐かしさが感じられました。

Img_0631c_20250426142901  Img_0622c_20250426142901せっかくの機会ですから、内部を一通り見てきました。履物屋さん、陶器屋さん、八百屋さん、和菓子屋さんなどいろいろの店が出ていました。規模はさほど大きくはありません。一見すると、倉庫のように見える、昭和の雰囲気が漂う建屋内で市が開かれてます。雨等の悪天候でも気にせず買い物が楽しめそうです。和菓子屋さんのみたらし団子が気になりましたが、パス。

Img_0638c Img_0646c_20250426142901  続いて、海山道神社。近鉄ハイキング初心者の頃に訪ねたことがあります(2018年3月23日:近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ……海山道稲荷を訪ねる)。本来は、洲崎濱宮神明神社(すざきはまみやしんめいじんじゃ)が本社で、海山道神社はその境内社でしたが、今は、海山道神社の方が大きくて有名になっています。詳しいことは、リンク先の記事をお読みください。

 さらに近鉄の線路沿いを進みます。Img_0662c_20250426142901こんなところもあって、いろいろの電車が通り、電車が嫌いではない私には、ちょっとした楽しみでした。

Img_0753c_20250426142901 Img_0720c  スタートから3㎞ほどで中央緑地公園に到着。結婚当初、しばらく四日市に住んでいましたが、その頃、何度か来たことがあります。現在は、体育館やフットボール場、ランニングコースなどのスポーツ施設がある緑地公園です。東京五輪2020に出場した選手が利用することもあるそうです。カフェやレストラン、遊具、広場などもありますから、誰でもが楽しめるでしょう。

Img_0778c Img_0795c_20250426142901  スタートから4㎞半ほどのところで、旧東海道に入ります。旧東海道は、すでに何度も歩きましたが、これまでは、下る方向でした。今日は、上っていきますので、この方向に歩くのは初めて。ちょっと新鮮でした。ルートマップでお分かりのように、四日市あすなろう鉄道線と平行していますので、あのナローゲージの電車が懸命に走っていくのが見えるところが何ヶ所もあります。この路線は、かつては近鉄内部線・八王子線でした。

Img_0783c_20250426142901 1745629432500c  旧東海道に入ってすぐ、西側に大宮神明社。4年前の「歩いて伊勢詣りツアー」のときに立ち寄っていますので(2021年5月23日:20210522「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第4回「四日市~日永の追分」(その1)……近鉄四日市駅をスタート、崇顕寺(丹羽文雄の生家)、東漸寺、大宮神明社へ)、今日はパス。ご祭神は、天照大神。由緒は不詳ですが、社伝によれば第11代・垂仁天皇の御代、皇大神宮が伊勢にお遷りになる時に岡山の丘陵地(現在、四日市南高校があるところ)に一時お留りになり、そこに神宮の神領地として皇大神宮を勧請したのが始まりとされています。詳しくは、リンク先の記事にあります。ちなみに、四日市市内の旧東海道には、右の写真のような幟旗が、各所に掲げられています。桑名も見習うとよいと思います。

Img_0808c  この味本舗です。うまみ調味料である「この味」という製品を製造販売しておられます。独自の製法により作られた“手作り限定生産品”で、かつお、昆布、椎茸の「うまみ成分」と「塩」で作られており、ジャンルを問わず、醤油や塩を使った料理なら、何にでも使えるそうです。料理の味が引き立つということですが、「買わなくてよい」といわれておりましたので、パス。

Img_0840c_20250426143001  このあと、いったん国道1号線の方を回り、諏訪栄町交差点から再び、旧東海道に向かいます。写真は、諏訪栄町交差点から近鉄百貨店四日市店、近鉄四日市駅方面を見たもの。

Img_0844c Img_0849c_20250426143001  初めの方にも書きましたが、このスワマエ商店街が、旧東海道にあります。ここも何度も来ていますが、けっこう盛り上がっています。

Img_0854c_20250426143001  お馴染み、大入道の、首が伸び縮みする大きな模型もあります。実物は、ずっと首が伸び縮みしています。

Img_0866c Img_0879c  スワマエ商店街を抜けたところに諏訪神社が御鎮座。ここも何度も訪ねています(たとえば、2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。鎌倉時代初期の建仁2(1202)年、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝わっています。主祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト;事代主神(コトシロヌシノカミ)ともいいます)で、四日市・浜田の総産土神とされます。

Img_0900c_20250426143001 Img_0904c  諏訪神社にお参りして、国道1号線を越えて東へ。JR関西線の手前に太白永餅の金城軒があります。今日は、ここの太白永餅を買おうと思ってきました。同じように思われた方が多かったようで、店の外まで行列。並んで待って、無事にゲット。ばら売りは、1本¥120で、6本を購入。

Img_0921c_20250426143001  金城軒からゴールのJR関西線四日市駅はすぐ。10時55分頃に到着。2時間あまりで7.7㎞を歩いてきました。けっこう速いペースだと自分でも思います。

Img_0914c_20250426143001 Img_0908c  今日は、ここで近鉄の抽選会。ここしばらく、抽選会では負け続けていましたが、今日は、祝!!ご当選。お茶のペットボトルが当たりました。もう1ランク上でしたら、あの「この味」がもらえたのですが……。

Screenshot_20250426114046c Screenshot_20250426114058c  今日の近鉄ハイキングは、アプリ連動ハイキングで、チェックポイントでチェックインして、デジタルスタンプをもらい、すべてチェックインすると、踏破賞がもらえます。左の画像で、最上段が今日ゲットしたデジタルスタンプ。右の画像で、左上が、今日の踏破賞。

Img_0917c Screenshot_20250426105738c  JRさわやかウォーキングの方でも、ポイントをもらって、完了。

Screenshot_20250426084903c  ちなみに、スタートの塩浜駅では、エキタグのデジタルスタンプを忘れずにゲットしてきました。近鉄の係員の方が、「うまくゲットできましたか?」と聞いてくださったのですが、この方もエキタグをやっておられるということでした。

Img_0932c  11時10分、JR四日市駅始発の名古屋行き普通に乗車。桑名駅着は、11時26分で帰宅。空いていて、楽チン。¥250。

Screenshot_20250426114453c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは10.34㎞、歩数は16,407。

Img_0939c  太白永餅です。桑名のなが餅でいうと、安永餅本舗 柏屋さんのものに似ていて、これは私の好み(笑)。という次第で、いつもと違うコースで旧東海道も愉しめ、しっかり歩いてきました。201回目のハイキング/ウォーキングも無事終了です。

 

 

2025年4月20日 (日)

20250420JRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」へ……ハイキング/ウォーキング200回記念(一回完結)

Img_0146c  曇りときどき晴れという予報で、雨は降りそうもありませんでしたので、予定通りにJRさわやかウォーキング「リニア中央新幹線『勝川非常口』見学コース」に行ってきました。桑名では最高気温は、23.9℃。春日井も同じくらいだったでしょう。少しむしっとする感じで、汗をかいたくらいです。JR中央線勝川駅で8時半から12時が受付でしたので、JR関西線桑名駅を7時48分に発車する名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時22分着。中央線の神領行き普通、8時29分発に乗り変えて、勝川駅には8時47分に到着。通しで支払うと¥690ですが、名古屋駅でいったん改札を出て、再入場すると、¥360+¥250=¥610。近郊区間の扱いで安くなるのです。今日の記事は、一回完結。一人旅。

250420jrwalkingmapkachigawa 250420routmap  こちらが配付されたコースマップ。右は、実際に歩いてきたルートマップ。勝川駅がスタート&ゴール。立ち寄り先は、道風記念館、太清寺、リニア中央新幹線勝川非常口の3ヶ所のみ。あとはひたすら7.7㎞を歩くという設定でした。

Img_0161c Img_0164c_20250420151901  JR勝川駅南口を8時50分過ぎにスタート。地蔵川を越え、名古屋第二環状線(名二環)を越えていきます。名二環という高速道路は、何度もこのあたりを通ったことがありますが、まさかその下を歩くとは思ってもみませんでした。道中、見るべきところは特にありません。

Img_0230c_20250420151901  春日井市道風記念館には、9時20分頃に到着。道風(とうふう)というのは、小野道風(おののとうふう)のこと。平安中期の書家。尾張の人ですが、春日井市には、古くから小野道風の誕生伝説があるのです。書道にすぐれ、和様発達の基礎を築いた。三蹟の一人。春日井市では、小野道風をたたえ、末永く後世に伝えたいと、昭和56(1981)年に、道風誕生の地と伝えられ、小野朝臣遺跡碑の建つ、ここ松河戸町に春日井市道風記念館を開館しています。全国的にも数少ない書専門の美術館であり、また書道史の研究施設でもあります。小野道風について、私は子どもの頃学校で習った記憶があるのですが、家族に聞いても、皆、「それ誰? 小野妹子なら知っている」という答え。小野氏の祖先が小野妹子ですから、道風は妹子の子孫。また、道風が書の達人と見なされる以前、自分の書く文字に満足できないでいた時、気晴らしに散歩に出たら、カエルが懸命に柳に飛びつこうとしているところに遭遇しました。カエルは諦めずに何度も飛びつこうとし、10回目にやっと飛びつくことができ、虫を捕らえました。これを見て、道風は、辛抱強くがんばろうと決意したという話もあります(たとえば、こちら)。道風記念館へは、団体料金の¥80で入館。

Img_0277c Img_0259c_20250420152001  記念館は、道風公園の中にあります。ここは、上記のように、道風の誕生地とされ、公園内には、小野社という神社があります。この祠のある場所は、古くから「小野道風屋敷跡」といわれていて、社の前には「小野朝臣遺跡之碑」という江戸時代に建てられた石碑も建っています。小野社は、元はここにあった八幡社の境内社であったという説もあります。小野道風の顕彰活動について、地元自治会の資料がこちらにあります。

Img_0316c_20250420152001 Img_0360c_20250420155901  道風記念館をあとにして龍源山太清寺(たいせいじ)に向かいます。道風記念館からはほぼ西に2.5㎞行ったところ。ここ太清寺は、臨済宗妙心寺派。かつては醍醐山龍源寺と呼ばれ、徳川家康の逸話が伝えられています。天正12(1584)年の小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山から長久手に向かうとき、ここの阿弥陀堂(十王堂とも、現在のものは、右の写真)で休憩しました。家康が「ここは何というところか」と尋ね、庄屋の長谷川甚助が「勝川村です」と申し上げたところ、「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ」と喜んだといいます。また、そこで牡丹餅を食べようとしたところ、箸が一本折れてしまい、家康は顔を曇らせたのですが、甚助が「これはまさしく天下が一本になる予兆です」と申し上げたところ、破顔したとか。寺の前にあった兜の形に似た塚を見て勝ちを確信し、付近の竹やぶで旗竿を切り、全軍に甲冑をつけさせ、出陣したそうです。その後、家康は秀吉軍との戦いに見事勝利し、江戸時代には、勝川の旗竿は吉兆の品として、尾張徳川家へ毎年献上されたそうですし、勝利した際に家康が身に着けていた鎧兜は、大変縁起が良い「勝川の具足」として大切に扱われたといいます。

Img_0343c_20250420152001  こちらは本堂。ほかに薬師堂もあります。龍源寺は寛文3(1663)年に寺号を龍源山太清寺と改めています。現在の十王堂(阿弥陀堂)は、昭和55(1980)年に再建されたものです

Img_0334c  Img_0352c 太清寺で目立ったのが、藤と、ドウダンツツジ。藤はきれいに咲いていて、見事でした。ドウダンツツジ(右の写真)はかなり大きな木でした。ドウダンツツジの生長はゆっくりだと聞きますので、ここまで大きな気になるのにはかなりの年月がかかったものと思われます。

Img_0519c_20250420152001 Img_0400c  そして、いよいよ「リニア中央新幹線勝川非常口」の見学へ。工事現場に着いたのは、10時15分頃。ここまで5㎞あまりを歩いてきました。まずは、リニア中央新幹線の説明パネルを一通りチェック。動画も上映されていましたが、これはパス。

Img_0457c_20250420152001 Img_0461c  非常口の見学については、私がここに着いた時点で約25分待ちとのこと。1組、約1分で順番に案内され、それぞれにJR東海の職員の方が付いて、説明をしてくださるということでした。普段なら並ぶことは大嫌いで、「並んで待たなければいけないのなら、もういい」と思うのですが、ここはじっとガマン。

250420103254567c Img_0499c_20250420152001  安全のため、観覧場所は指定され、さらに安全ネット越しに見るようになっていました。超望遠コンデジと、スマホで撮影したのですが、こんな写真しか撮れず、残念。外径は40m、穴の深さは66m、右の写真で下の方に横穴(シールドトンネル)が見えますが、ここがリニア中央新幹線が通るトンネル。ここを上下線が走りますから、外径は14mです。非常口となる立坑は、約5㎞おきに設置され、非常時の客の誘導や、トンネル内の換気、保守作業に使われるそうです。この近くでは、神領、名城でもつくられています。立坑内には、現在は、何も設置されていませんが、営業のときには、換気設備(ファン)、静音設備、微気圧波対応設備、エレベーター、階段などが設けられるといいます。

Img_0429c Img_0452c  これらは、説明パネルを撮った写真。手がかりが少なくて恐縮ですが、上の2枚の写真とあわせて、想像力をたくましく働かせていただければ、幸いです。JRの方は親切に、丁寧に説明してくださり、拙い質問にもきちんと答えていただきました。何度か書きましたが、この年ではリニア中央新幹線に乗ることはできないかも知れませんから、せめて関連施設だけでも見たいと思って出かけた甲斐がありました(微笑)。JR東海による工事概要は、こちらにあります。

Rinia  ちなみに、出かける前にグーグル・マップで見たら、この画像のように、すでにリニア中央新幹線勝川非常口が載っていました。赤枠で囲んだところがそれです。

Img_0561c_20250420152001 Img_0568c_20250420152001  リニア中央新幹線勝川非常口からまた2.5㎞ほど歩いて、ゴールの勝川駅に戻ったのは、11時10分頃。スタートは南口でしたが、ゴールは北口。ゴール受付を済ませ、10ポイントをゲット。コースマップ上では、歩いた距離は7.7㎞、2時間20分ほどを要しました。

Img_0574c  JRの職員の方の手作り顔出しパネルなどもあって、リニア中央新幹線のPRにはかなり熱が入っているようです。

Img_0584c  リニア中央新幹線勝川非常口も無事に見られ、JR勝川駅を11時27分に出る名古屋行き普通で帰宅の途へ。名古屋駅に11時46分着。12時6分発の関西線亀山行きの快速に乗り換え、桑名には12時28分着。往きと同じく、名古屋駅でいったん改札を出て、料金は¥80を節約し、¥610。

250420120017836c 250420115143706c  名古屋駅で乗り換えの間に、中央線7・8番ホームにある立ち食いきしめんの店で昼食を済ませてきました(微笑)。朝、中央線の電車に乗ったときに、この店が見えましたので、帰りにぜひとも食べようと思ったのです。きしめん住よしで、かき揚げきしめん(¥660)をチョイス。かき揚げは、その場であげてもらえます。いやぁ、とても美味しくいただきました。

Screenshot_20250420124902c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。合計で10.18㎞、16,717歩を歩いてきました。

2025年3月14日 (金)

20250314四日市市立博物館の「四日市の生んだ『日本のライト兄弟』玉井兄弟展」へ

Dscn0003c 250314095651894c  今日も最高気温は19.8℃と、とても暖かくなりました。散歩日和ですが、今日は、こちらへ行って来ました。四日市市立博物館です。ここで、3月1日から5月6日まで「四日市の生んだ『日本のライト兄弟』玉井兄弟展」が開かれているのです。玉井兄弟については、いつ、何で知ったか、記憶はないのですが、四日市出身で日本のライト兄弟と呼ばれることは承知していたのです。3月2日の中日新聞の「『日本のライト兄弟』四日市出身の玉井清太郎・藤一郎の偉業広めたい 市立博物館で企画展 」という記事でこの展覧会の紹介があり、これはぜひ見たいと思ったのです。近鉄桑名駅を8時57分に出る四日市行き準急で、近鉄四日市駅に9時23分着。¥360。四日市駅から歩くと、博物館の開館時刻である9時30分に着けるのです。

Dscn0007c  この展覧会は、博物館3階のロビーと、時空街道の中にある「白里亭」という展示処で行われています。入場は、無料。玉井兄弟とは、四日市市浜田町(現在の諏訪栄町)出身の玉井清太郎(明治25(1892)~大正6(1917)年)、藤一郎(明治27(1894)~昭和53(1978)年)のお二人。民間航空の草創期に活躍しています。兄・玉井清太郎は、織機や製糸機械の製造業を営む織具屋・玉井常太郎の長男として生まれました。日本飛行学校教官。大正6(1917)年5月20日、自作の新型機にて東京の芝浦海岸を飛行中に墜落。24歳の生涯を閉じています。弟・玉井藤一郎は、玉井常太郎の次男。兄が立ち上げた日本飛行学校を手伝っていました。兄が墜落した翌年の大正7(1918)年に照高(てるたか)と改名し独立。後に郷里の四日市で兄の追善飛行を行っています。

 Dscn0017c兄の清太郎は、16歳の時にライト兄弟の成功を知り、飛行機製作を決意。2年後の明治43(1910)年に弟の藤一郎も協力して、実物大の自作機・玉井式単葉機を母校浜田小学校の校庭で組み立てました。滑走実験を数回行ったものの機体が浮上せず失敗。その後も改良と挑戦を繰り返すがいずれも成功していません。明治44(1911)年に上京し、公式記録として日本で初めて飛行機で飛んだとされる徳川好敏大尉に会って助言を受けています。その後、何度も挑戦しますが、失敗をくり返した後、大正5(1916)年に「日本飛行学校」を設立。同年10月5日に、飛行練習場と定めた多摩川河口の干潟、通称・三本葦(さんぼんよし)でキャメロン25馬力エンジンを搭載した「玉井式2号機」の飛行に成功ました。ここは、現在、東京国際空港となった羽田の地です。

Dscn0009c Dscn0012c  展覧会には80点ほどの資料が展示されています。その多くは、玉井兄弟のおいで津市に住む玉井勝則さんが父・恒三さんから譲り受け、昨年3月に四日市市立博物館へ寄付したもの(これについての中日新聞の記事は、こちら)。清太郎が亡くなった時に付けていたゴーグルや懐中時計などの遺品が収められた写真、郷里での初飛行の成功後に撮影された藤一郎の写真などががあります。学芸員の方が作ったNFS2号機の10分の1スケールの模型も展示されています(左の写真)。右の写真は、日本飛行学校のジオラマ。

Dscn0019c  さらに、実際の飛行機に使った直径約3メートルのプロペラも見られます。プロペラは、四日市空襲で焼失したと思われていたのですが、清太郎と共に飛行機の製作に当たった友野直二の親族からの連絡で、東京にあることが判明。羽に「TAMAI」と刻まれていたことから兄弟のものと分かったといいます。玉井兄弟のことについては、もっと知られてもよいのではないかと思います。

250314094757706c 250314094910574x  ところで、四日市市立博物館の時空街道は、私の好きな展示です。以前にも何度か載せたことがありますが、四日市の原始・古代から江戸時代までの歴史を扱っています。なかでも江戸時代に関わる展示は、何度見ても飽きません。これらは、江戸時代の旅籠。人形でその様子を再現してありますが、リアルです。

250314095035757c 250314095043113x  こちらは、馬。江戸時代には、人が乗ったり、荷物を運んだりと重用されましたが、馬も草鞋を履いているのに目が向きます。

250314094936092c  ここは、饅頭屋ですが、ときどき焼き蛤屋に模様替えされています。

 250314103022827c 博物館の後は、アピタ四日市店でドンクのミニワンに寄って、ミニクロワッサン、ミニチョコクロワッサンのほかに季節限定の苺のフロマージュを買い、さらに近鉄百貨店四日市店にある丸善で本を買って帰宅。近鉄四日市駅を10時52分に出る名古屋行き準急で、近鉄桑名駅には11時11分着。¥360。

【追記(3/16)】 玉井兄弟については、四日市市文化会館の情報誌「よんぶんデジタル」の2020年3月創刊号に記事があります。ここをご覧ください。

2025年2月 9日 (日)

20250209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(一回完結)

Img_9069c  昨日降り積もった雪が残る中、予定通りに近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」に行って来ました。近鉄富田駅での受け付けが9時20分から11時まででしたので、近鉄桑名駅を9時11分に出る津新町行き普通に乗車。近鉄富田駅には、9時23分に到着。¥300。富田駅前や、付近の道路にも、昨日の雪が残っていました。さすがに、参加者は、いつもよりは少ない印象。桑名では、最低気温が-1.9℃、最高気温は6.7℃。午前中は、風はほとんどありませんでした。

250209kintetsuhikingtomida0  こちらが今日のコースマップ。20250209kintetsuhikingtomita近鉄富田駅から富貴堂、鳥出神社、水と緑のせせらぎ広場、杵福本舗を経て、早川酒造部へ。その後、八幡神社へ立ち寄って、近鉄川越富洲原駅までという、約5㎞のコース。右の画像は、いつものように、キョリ測で描いたもの。実際には、5.4㎞を歩いてきました。

250209kintetsuhikingtomida1  コース前半を拡大したマップ。近鉄富田駅から東南へ。富貴堂、鳥出神社からJR関西線を越え、国道1号線を渡ったところで左折し、水と緑のせせらぎ広場と行って、富田の町を進みます。

Img_9079c_20250209141401  最初の立ち寄り先は、御菓子処富貴堂生クリーム大福で有名なお店。私は、たいていの菓子屋さんには立ち寄りません。増して、今回は酒蔵みてある記なのですから(微笑)。ここの御菓子は、地元スーパーでも売っているところがあります。

Img_9091c_20250209141401  鳥出神社鯨船行事で有名な神社で、以前から1度訪ねてみたかったところです。鯨船行事については、リンク先に説明がありますが、捕鯨を模した行事で、富田の石取祭と同時に行われる、富田地区の夏祭りです。毎年お盆の8月14日と15日の2日間に鳥出神社を中心に四日市市東富田町の町内と古川町自治会の町内で開催され、富田地区連合自治会が主催します。

Img_9109c_20250209141401  主祭神は、日本武尊事代主神。配神は、宇迦之御霊命蛭子命天照大御神天石戸別神大鷦鷯天皇(仁徳天皇)波邇夜須毘古神、波邇夜須毘賣神應神天皇天児屋根命大山祇神菅原道真。正応元(12883年)年と安永9(1780)年の大火により、古文書を消失したため、当社の創祀の年代は詳らかではありませんが、延喜式神名帳にはすでに記されています。朝明地方における中心の神社として崇敬を受けていたと思われます。また、江戸時代には、富田六郷の総氏神として信仰を集めていました。本社の造営に当たっては、天正13(1585)年以来、伊勢神宮の式年遷宮毎に古材を拝領して行われる古例があり、現在の本殿、拝門、瑞垣、鳥居、社務所などは、いずれもこれにより営繕されているそうです。

Img_9117c Img_9113c_20250209141401  境内には、稲荷社(左の写真)や、神宮遙拝所などもあります(右の写真)。神宮遙拝所は、四日市市内の神社にはよく設けられていますが、桑名市内の神社ではほとんど見たことがありません。

Img_9134c_20250209141401  こちらは、Img_9130c龍神社。山の神などもあわせて祀られていました。このほか、頌徳碑などもありましたが、ネット検索では情報は出て来ませんでした。足元が悪かったため、裏面は見ていません。

Img_9184c_20250209141501 Img_9192c_20250209141501  水と緑のせせらぎ広場。本来は、この中を通るコース設定になっていたのですが、雪に埋もれていましたので、そばの歩道を進みます。

250209kintetsuhikingtomida2  コース後半の拡大マップです。水と緑のせせらぎ広場からはしばらく立ち寄るところがありませんので、凍った雪に滑らないよう注意して、ひたすら歩きました。

Img_9210c_20250209141501  杵福本舗の直売所に立ち寄るコースになっていたのに、今日もらったコースマップでは、「2/9は休業日」と赤字で書かれていました。近くにいらした女性が、「コースになっているのに、変なの」と。ここは、おかきやさんの直売所。

Img_9214c_20250209141501 Img_9221c  スタートから3㎞半ほどで早川酒造部へ。最近も、何度も来たと思っていたのですが、もっとも最近来たのは、2020年2月9日と、ちょうど5年前でした(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。そうです、日本でコロナが大騒ぎになる直前でした。このあと、近鉄ハイキングも、JRさわやかウォーキング中止となってしまったのでした。

Img_9218c_20250209141501 Img_9225c  まずは、抽選会へ。早川酒造部での抽選は、抽選箱に入れられた、清酒の瓶の蓋を引くというやり方です。「赤」が出ると「しぼりたて原酒720ml」が当たったのですが、残念ながら、ハズレ(苦笑)。早川酒造では、これで4戦全敗。思わず、「ここでは当たったことがないな」といってしまいました(失礼)。ついで、試飲会場へ。以前は、2種類の試飲をさせてもらえたのですが、今回は1種類。ブランドをしっかりと見てきませんでした。

Img_9229c Img_9236c_20250209141501  さらに、いつものように、直売会場へ。今回は、「純米酒 天一」(720ml、¥1,200)をゲット。これは、家内の強い希望によります。私は、搾りたて生原酒の方がよいのですが、たまには、家内の希望を入れることにしたのです。試飲だけではちょっとものたらず、かといって、今日のように足元のアヤシいなかで「ひとり宴会」をすると、川越富洲原駅まで無事にたどり着けないかも知れませんので、有料試飲を1杯だけ追加。欲しかった生搾り原酒(¥200)を飲んできました。

Img_9243c_20250209141501  早川酒造部を10時40分に出て、次の立ち寄り先である高松八幡神社は、ちょっとよい気分になっていて、「何度も来たから、まぁいいか」とパス。以前訪ねたときの記事をご覧ください(2020年2月9日:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))このあと、川越富洲原駅まで、また、立ち寄るところはありませんので、雪が残っていないところをなるべく選んで、またもやひたすら2㎞近くを歩きました(苦笑)。

Img_9250c_20250209141501  川越富洲原駅には、11時10分に到着。11時22分に出る名古屋行き普通電車に乗車。桑名駅には、11時30分着。¥300。

Img_9299c_20250209141501  こちらが、今日の土産。上にも書きましたが、「純米酒 天一」(720ml、¥1,200)です。今日の晩酌は、これ。

Screenshot_20250209111637c Screenshot_20250209111647c  このところ、エキタグをしていませんでしたが、近鉄富田駅でも、川越富洲原駅でもデジタルスタンプがもらえますので、ゲットしてきました。左が近鉄富田駅のもの、右が川越富洲原駅のもの。

Screenshot-2025_02_10-4_05_46c  ゲットしたスタンプは、近鉄のものが10個と、三岐鉄道北勢線が1個で、これで合計11個となりました。先は長いというか、ゴールがあるのかどうか??

 Screenshot_20250209115101c 今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は7.9㎞。現地で5.4㎞ですから、まあこれくらいでしょう。歩数は、13,948。歩いた距離に比べ、歩数が多くなっていますが、これは滑らないよう小股で歩いたところがかなりあったからでしょう。

2025年2月 6日 (木)

20250206近鉄あみま倶楽部ハイキング「七里の渡・大福田寺コース」へ(一回完結)

Img_9006c_20250206163101  今朝は冷えました。-1.2℃と今シーズン最低。あちこちで氷が張っているのを、この冬、初めて見ました。最高気温は、7.0℃。今日は、「朋あり遠方より来たる」(論語)ではありませんが、名古屋から大学時代の同級生である友人が、「桑名散策に行きたい」ということで来てくれました。近鉄あみま倶楽部のアプリ対応コースに「七里の渡・大福田寺コース」がありますので、このコースを歩くことに。実は、最近、同級生K氏とのウォーキングに行けていませんので、自分であみま倶楽部のハイキングコースでも歩こうかと考えていたところで、まさに「渡りに舟」。

250206kuwanawalkingmap  こちらが、近鉄あみま倶楽部の「七里の渡・大福田寺コース」にならってつくったコースマップ。桑名駅東口から、海蔵寺、本統寺、寺町商店街、六華苑、住吉神社、七里の渡跡、九華公園、春日神社、大福田寺、照源寺を回って、桑名駅西口がゴール。9時過ぎにスタートし、春日神社から大福田寺に行く途中、昼食を食べ、桑名駅西口には14時前にゴール。私にとっては、勝手知ったるところですから、mamekichiバージョンの「ブラ桑名」のようなもの。以下、主な立ち寄り先を簡単に。

Img_8926c Img_8937c  海蔵寺は、曹洞宗のお寺。ここには、いわゆる薩摩義士の墓所があります。宝暦3(1753)年、幕府より薩摩藩は揖斐・長良・木曽三大河川工事を命ぜられました。宝暦5(1755)年、工事は完成しましたが、多くの犠牲者と巨額の経費がかさんだことの責任感から、工事総奉行平田靭負は自刃しました。これら義士の墓所は岐阜・三重県下14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負他23基の墓石が現存しています。

 本統寺は、真宗大谷派桑名別院。地元では、「御坊さん」と呼ばれ、親しまれています。Img_8949c_20250206153701 Img_8946c_20250206153701徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺で、境内には、松尾芭蕉が貞享元(1684)年、野ざらし紀行の初旅の折り、この地で詠んだ句「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句碑(冬牡丹句碑)が建てられています。

 このあと、寺町商店街、三崎見附跡、諸戸氏庭園前、桑名七里の渡し公園を経て、六華苑へ。Img_8970c国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園があります。実業家の2代目諸戸清六の新居として、1911年(明治44年)にジョサイア・コンドルの設計で着工し、1913(大正2)年に竣工しました。コンドルが設計した現存建造物の大半は東京に集中しており、地方では桑名市のみに現存しています。

 住吉神社を経て、七里の渡跡へ。Img_8973c_20250206153701熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しに着いたことから「七里の渡し」と呼ばれています。当時は、東海道の42番目の宿場町として賑わいました。この鳥居は、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。

Img_8981c_20250206153701  本多忠勝像のところから九華公園へ。このあたりは、毎日の散歩コースです。本多忠勝は、桑名藩初代藩主。慶長の町割を実施するともに、桑名城をつくり、現代にもつながる桑名の町のもとをつくったといえます。桑名城址に整備されたのが、九華公園。昭和3(1928)年に松平定信(守国公、楽翁)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されたものです。

Img_8995c  続いては、桑名宗社(春日神社)。地元では、「春日さん」と呼ばれています。桑名神社と中臣神社の2つの神社からなっています。石取祭は、ここのご神事。門前には、青銅の鳥居があります。これは、寛文年間(1661~1673年)につくられたもの。

Img_8998c 250206114606420c  春日さんのあたりで11時半前でしたので、どこかでランチをということになり、寺町商店街の南口にある「てらまちダイニングUOSUE」さんへ。1階で魚屋さんを営んでおられ、2階が食事のできるお店になっています。1度来てみたかったのですが、一人では敷居が高かったのです。

250206114555387c  魚屋さんですから、刺身定食をチョイス。カンパチ。定食にしていただくと、これで¥1,375。美味しい上にこの値段は、かなりお得です。

Img_9002c  1時過ぎにウォーキングを再開。桑名駅方面に向かいます。駅西に行くのに、こちらの踏切を渡りました。3種類の幅の線路を一またぎしています。手前から(西側から撮っています)、近鉄名古屋線(広軌)、JR関西線(狭軌)、三岐鉄道北勢線(ナローゲージ)。踏切の名称は、それぞれの鉄道会社で異なっており、近鉄名古屋線は益生第4号踏切、JR東海関西線は桑名駅構内踏切、三岐鉄道北勢線は西桑名第2号踏切。これらを横断し、レールの幅を実際に見て体感できます。

Img_9016c  大福田寺。高野山真言宗のお寺。聖徳太子創建と伝えられます。山門は、江戸時代建立といわれるもの。毎年2月3日には節分祭、4月1日・2日には日本三大聖天の一つ桑名聖天大祭が行われ、2日には伊勢大神楽の奉納が行われます。節分祭では、鬼が市内を練り歩く鬼追い厄払いがあります。今年も、我が家の近くで、螺貝の音が聞こえていましたので、「大福田寺の鬼追い」が来たなと分かります。

 Img_9023c 大福田寺の境内で、白梅がかなり咲いていました。このあたり、昔はときどき散歩をしたのですが、最近はすっかりご無沙汰。いつもの散歩コースでは、常信寺の紅梅がもっとも早く咲くのですが、それよりこの白梅の方が早く咲くと思われます。

Img_9050c_20250206153701  最後の目的地は、照源寺。浄土宗。久松松平家の菩提寺。寛永元(1624)年、桑名藩主松平定勝が死去したため、その子定行が創建しました。定行は伊予松山へ移封しましたが、弟定綱が藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続しました。「松平定綱及び一統之墓所」(県指定文化財)には藩主ら二十八基の墓石があります。境内には定綱が摂津の天台宗金龍寺から分植した金龍桜があります。

Screenshot_20250206143223c  「七里の渡・大福田寺コース」のウォーキングは、このあと桑名駅西口で完了。こちらは、Google Fitのデータ。約6キロのコースですが、自宅~桑名駅往復を含め、なんと12.1㎞も歩いていました。歩数も2万歩を超え、驚き。

Screenshot_20250206140719c Screenshot_20250206140816c  このコースは、初めの方にも書きましたが、あみま倶楽部のアプリ対応コースでしたので、デジタルスタンプも集めてきました。踏破証もこれで5つになったのですが、有効期限内のものは、3つ。これで交換できるのは、オリジナルステッカーです(微苦笑)。

【付記(2/7)】 2月7日の中日新聞朝刊三重版に「六華苑の池で浚渫作業が行われていて、いつもは池の底にある、第2次大戦中に投下された爆弾の痕跡が見られる」という記事が載っていました。そういえば、池の中央あたりに直径数mの跡がありました。それが爆弾であいた穴をふさいだところだったようです。六華苑には「浚渫作業をしています」という掲示はあったと思うのですが、受付などにもこの爆弾の跡が見られるとでも示しておいてくれたら、皆さん、興味を持ってみられたんじゃないかと思います。

2025年1月 6日 (月)

2025年元旦に歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダム(本編、一回完結)

Img_7830c_20250101162901  元旦の午後からドライブがてら、新年初の歴史散歩に出かけました。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。「どちら?」と聞かれるでしょうが、JR名松線伊勢奥津(いせおきつ)駅です(津市美杉町奥津)。名松線は、雲出川の渓流沿いを走るローカル線で、当初は、名張と松阪を結ぶ計画でしたから、両市の頭文字をとって名松線と名付けられまし。しかし、名張にまで延伸できず、往時の計画をしのばせる名前となっています。赤字83線として廃止勧告対象となり、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選ばれていましたが、岩泉線とともに代替道路未整備を理由に廃止対象から除外されました。平成26(2014)年に岩泉線が廃止されて以降は、JRが運営する唯一の特定地方交通線元対象線区です。平成21(2009)年、台風18号により甚大な被害を受け、JR東海は部分廃止・バス転換を打ち出したのですが、沿線自治体の支援により平成28(2016)年3月26日に運行が再開されています。

Img_7947c_20250101162901  Img_7962c_20250101163001 というように、名松線は、超ローカル線。伊勢奥津駅は、名松線の終点。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本なのです。時刻表は、こちら

Img_7773c_20250105170301  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7987c_20250101163001  名松線を走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

Img_7802c_20250105171201  伊勢奥津駅についたのは、13時45分頃。時刻表を調べたら、次に来るのは、上記のように伊勢奥津駅着14時33分でした。せっかく来たので、車両も入れて写真を撮ろうと思い、待つことにしました。その間、駅舎や、駅周囲を探訪。駅には、観光交流施設ひだまりや、津市の八幡出張所が併設されています。

Img_7826c Img_7847c  名松線を守る会と、名松線を元気にする会とがあり、いろいろな活動をしておられます。伊勢奥津駅にも、昔の写真が掲示されていたり、自由に書けるノートが置かれていたりします。あちこちで鉄道が、利用者減少にともない、廃線になっていますが、個人的には、鉄道や、学校は廃止すると、その地域の衰退に直結するような気がしています。

Img_7839c_20250105171201  駅舎の向かいには、こんな建物があります。「日通跡」という小さな看板があります。日通は、日本通運。昔は、国鉄だけでなく、私鉄の主な駅の近くには、必ず日通の営業所がありました。私の郷里でもそうでした。○に通の字がマークでしたから、「マルツウ」と呼んでいました。

Img_7835c  駅舎の東には、川上若宮八幡宮への道標が建っています。「是ヨリ五十丁」とあります。1丁(1町)は、109.1mですから、約5.5㎞。川上若宮八幡宮へも行きたかったのですが、この日はパス。

 ここはまた、伊勢本街道の奥津宿であったところ。Img_7861c 伊勢奥津駅の南を伊勢本街道が通っています。街道歩きに興味がある私にとっては、魅力的なところ。

Img_8009c_20250101163001 Img_8045c  とあちこちウロウロしているうちに、松坂から来る伊勢奥津行きのディーゼルカーがやってくる時間となりました。給水塔にキハ11型を入れた写真や、キハ11型のズーム写真も撮り、伊勢奥津駅を後にすることにしました。

Img_7939c_20250105185001  ちなみに、待っている間にイソヒヨドリのメスと、ジョウビタキのオスが登場。イソヒヨドリは、最近、内陸に進出しているとはいえ、もっとも近い海辺(松阪港あたり)で、27㎞ほどもある、山の中にいるとは驚き。

Img_8148c_20250101163001  伊勢奥津駅から、北畠神社へ(津市美杉町上多気)。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とします。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持ちます。

Img_8075c_20250101163001  由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20(1643)年3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀といいます。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間(1688~1704年)に下るとの説もあります。やがて八幡三神に倣い、北畠親房顕家を合祀します。明治14(1881)年11月、村社北畠神社に改称。昭和3(1928)年10月、社殿を新造して主神を遷座し、11月10日、別格官幣社に昇格。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にありましたが、天保11(1840)年春に火災に遭い、再興しないまま、明治31(1898)年に廃絶。 神社は、奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8059c_20250106081901  境内には、北畠氏館跡庭園(国史跡・名勝)という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園があります。また、神社の後方の標高560mの山頂を中心に、霧山城跡(国史跡)があります。南北の曲輪群に分かれ、堀切と土塁の遺構が残っています。築城は顕能が多気の地へ移った14世紀中頃と考えられています。 これらにも行ってみたいと思いますが、霧山城跡は急な勾配のところもあって、簡単には登れなさそうです(こちら)。写真は一の鳥居をくぐったところ。右手が神社と庭園への道、左手は霧山城跡へ登る道。

Img_8083c_20250101163001 Img_8092c_20250106081501  写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。境内には、ほかに北畠顕能の歌碑がありました。伊勢国司のときに詠んだもので、新葉和歌集に入っています。

 いかにして伊勢の浜荻ふく風の治まりにきと四方に知らせむ

Img_8152c  いずれにしても、下調べも何もせずに出かけましたので、名松線、北畠神社、北畠氏城館跡庭園、霧山城跡などは、きちんと調べて、出直したいところです。

Img_8157c_20250101163001  最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

2025年1月 5日 (日)

20250105近鉄ハイキング酒蔵みてある記 伊藤酒造「鈿女」へ(一回完結)

 Img_8502c_20250105151201 朝は、この冬初めての氷点下になりましたが(-0.3℃)、日中は風も弱くて、暖かくなり(10.2℃)、絶好のハイキング日和でした。予定通り、近鉄ハイキングの「酒蔵みてある記 伊藤酒造『鈿女』」へ行って来ました。桑名駅を9時2分に出る松坂行き急行に乗り、四日市駅に9時15分着。ここで湯の山線の湯の山温泉行き(9時29分発)に乗り換え。菰野駅に9時48分に到着。¥560。湯の山線の電車も、菰野駅も大賑わい。今回は、一人旅。記事は、一回完結。

Img_8506c 250105kintetsuhikingkomono  こちらが今日のコースマップ。番号がついていますが(伊藤酒造で抽選会があるのです)、私のものは#199。菰野駅をスタートし、明福寺、菰野城跡、見性寺と回って、伊藤酒造で酒蔵見学。ゴールは、同じ湯の山線の桜駅。マップ上、約6㎞のコース。右は実際に歩いたルートマップですが、今日は、道草は食っておりません。10時過ぎにスタート。

Img_8530c Img_8546c_20250105151301  最初の立ち寄り先は、菰野駅から400m足らずのところにある発起山明福寺(ほっきざんみょうふくじ)。真宗大谷派。開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正(1504~1521年)の頃に伊勢へと移り住み、菰野に念仏道場を開きました。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与されています。享保(1716~1736年)の頃に山門と鐘楼を建立。本堂は安政元(1854)年の大地震にて倒壊後、再建されました。文化11(1814)年には、測量に訪れた伊能忠敬がこの寺に宿泊したそうです。

Img_8538c Img_8542c  本堂に安置されている薬師如来/阿弥陀如来像は円空による作。一材の両面に二仏が掘られた「両面仏」と呼ばれる珍しいもので、延宝2年(1674年)の作。13世住職であった賢竜の弟・大正が明治初年の廃仏毀釈により、像が伝来していたものの、廃寺となった伊勢の常明寺から譲り受けて、明福寺へと持ち帰ったものです。昭和36(1961)年には、俳人の山口誓子が当寺の住職に招かれて寺を訪れ、円空仏に感銘を受けて句を詠んでいます。句は、「円空仏外に出で来て枯銀杏」。昭和51(1976)年に建てられたその句碑があります。

Img_8573c_20250105151301 Img_8577c_20250105151301  次の立ち寄り先は、菰野城跡。菰野城は、菰野藩一万二千石の大名土方氏の代々の居城でした。現在は菰野小学校の敷地になっており、西側と北側に城壕に一部と築地が遺り、藩邸の庭園の一部が西南の隅に僅かながら名残をとどめ、そこに菰野城跡の碑があります。また、西南を流れる振子川に面して、角櫓跡があり、その東方に石積の遺構の一部があります。ここは、私は何度か訪ねています(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8587c_20250105153201 Img_8596c  菰野城跡の先、国道306号のところでほぼUターン。湯の山線の踏切がありますが、このあたりが菰野城の隅櫓跡。その先に洗心教団の本部があります。その前に道標。「右 ゆ乃山?」と刻まれています。みえの歴史街道の菰野道の説明によれば、ここは、昔の「湯の山道」と呼ばれる道と思います。

Img_8625c_20250105151301  続いて、真如山見性寺。臨済宗妙心寺派。菰野藩土方家の菩提寺として、寛永21(1644)年に菰野藩第2代藩主・土方雄高(かつたか)が三霊禅師を尾張国より招き、この地に創建したのが始まりといいます。寛文9 (1669)年、火災により庫裡が焼失しましたが、享保11(1726)年、菰野藩5代藩主・土方雄房(かつふさ)が本堂、庫裡、山門を再建立しました。ここも何度も訪ねていますので、今日はパス(2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編))。

Img_8651c_20250105151301 Img_8616c  見性寺から伊藤酒造まで、立ち寄るところはなく、ほぼ3㎞の距離をひたすら歩きます。このひたすら歩くというのは、けっこう苦痛(苦笑)。ただ、今日は、コースのあちこちで鈴鹿山脈や、御在所岳(右の写真)が見えていましたので、まだよかった方でしょう。

Img_8681c  伊藤酒造には、11時20分頃に到着。ここも賑わっていました。私は、酒蔵みてある記で何度も訪ねています(たとえば、2020年2月8日:20200208近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒「鈿女」伊藤酒造と智積養水をたずねて」へ(一回完結))。

Img_8695c_20250105151301 Img_8697c  まずは、試飲(笑)。今日は、「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」。先月搾った新酒。とはいえ、無料試飲ですから、コップのサイズは右の写真のとおり。一口でした。

Img_8704c_20250105151301  抽選会は、ご覧のとおり、今回も見事にハズレ。最近、当たった試しがありません。

Img_8714c_20250105151301 Img_8753c_20250105151301  新酒即売会では、試飲をした「絞りたて鈿女 無濾過 生原酒 特別本醸造」の720ml詰めを1本購入。¥1,400。

Img_8677c  有料試飲や、燗酒(一合瓶)、つまみの販売もされていて、小宴会ができるようになっていました。ずいぶん迷いましたが、今日は、一人でしたので、一人で飲んでもつまらないと思い、諦めました。

Img_8721c_20250105151301 Img_8758c_20250105151301  そのまま近鉄・桜駅へ。11時35分頃に到着。桜駅を11時45分発の四日市行きに乗車し、近鉄四日市駅には11時59分着。12時11分の名古屋行き急行に乗り変えて、桑名駅には12時23分着。乗り換えの待ち時間にいったん改札を出て、近鉄百貨店四日市店へ。家内から、赤福ぜんざいを買ってくるようにという指令が届いたのです。3つ入りで¥2,300。酒よりいいお値段(笑)。途中下車しましたので、近鉄料金は、桜~四日市が¥320、四日市~桑名が¥360で、合計¥680。

Screenshot-2025_01_05-12_50_34c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いた距離は、約8.8㎞。歩数は、14,037でした。

2025年1月 1日 (水)

歴史散歩ならぬ、歴史ドライブへ……伊勢奥津駅、北畠神社、君ヶ野ダムへ(予告編)

Img_7830c_20250101162901 Img_7947c_20250101162901 元旦の今日、午後からドライブがてら、新年初回の歴史散歩へ。といっても、あまり歩いてはいません。強いていうならば、「歴史ドライブ」(笑)。まずは、こちら。どちら? と聞かれそうですが、JR名松線伊勢奥津(いせおきつ)駅です。JR紀勢線の松阪駅から伸びている、超ローカル線。松阪駅発の伊勢奥津方面行きは、1日8本。すなわち、2時間に1本。始発は、7時32分の家城(いえき)行き。終電は、21時27分の家城行き。伊勢奥津の始発は5時56分の家城行き。終電は、18時58分発の松阪行きで、こちらも1日8本という、まさに超ローカル線です。

Img_8009c_20250101163001  こんな超ローカル線にいったい何をしに行ったのかというと、左の写真に写っている給水塔を見に行ったのです。昨年末、この給水塔が国の登録有形文化財に指定されましたので(こちら)、一度見たいと思ったのです。蒸気機関車(SL)に水を注ぐために使われていたもので、約90年前に設置された鉄道遺産です。

Img_7962c_20250101163001 Img_7987c_20250101163001  伊勢奥津駅は、名松線の終着駅。走っているのは、キハ11型。ローカル線用の軽快気動車。撮影したのは、伊勢奥津駅14時33分着。1両のみです。

 Img_8075c_20250101163001 Img_8148c_20250101163001 伊勢奥津駅から、北畠神社へ。主なご祭神は、北畠顕能公・北畠親房公・北畠顕家公。奥一志の多気(たげ)御所として栄華を誇った伊勢国司の北畠顕能を祀っている、「太平記」ゆかりの神社でもあります。

Img_8083c_20250101163001  境内には、北畠氏館跡庭園という、枯山水と池泉回遊式を組み合わせた室町期の名園がありますが、今日はそちらには行っていません。改めて是非とも訪ねたいと思っています。写真は、花将軍とも呼ばれた北畠顕家公の像。

 Img_8157c_20250101163001 最後は、君ヶ野ダムを回ってきました。八手俣川(はてまたがわ)にかかるダムで、水量が増えた場合、流れ込む水をダムに貯え、下流の雲出川の水位上昇を抑制し、下流域を洪水から守る役割を果たしています。ここには、レイクサイド君ヶ野という宿泊施設があり、若い頃に一度泊まったことがあります。

 今日のところは、予告編。下調べも何せずに出かけましたので、改めて、本編を書くつもり。

2024年12月28日 (土)

2024年ハイキング/ウォーキングのまとめ

 令和6(2024)年も近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングに参加する一方で、自分で計画した「勝手にハイキング」にも出かけました。計18回。残念ながら、令和5(2023)年よりも4回減っています(2023年12月30日:2023年ウォーキング/ハイキングのまとめ)。以下、時系列に沿って今年のハイキング/ウォーキングのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。

1.2024年1月14日:近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」
4824e8b5 4bce265e  高田本山専修寺は好みのお寺ですし、お七夜も気に入っていますから、近鉄ハイキングのこの企画には、毎年のように参加しています。近鉄高田本山駅から、下津醤油直売所、一身田寺内町の館、高田本山専修寺、魚歳食品㈱はんぺい茶屋、三重県総合博物館と回って、近鉄津駅がゴール。現地で歩いたのは、10.0㎞。立ち寄り先が少なく、ただひたすら歩いたという感じでした。近鉄料金は、¥1,660。昼食は、私のお気に入りの 津駅ビルチャムの2階にあるそじ坊で「鴨南蛮(¥1,200)」 。土産に、専修寺で総本家春乃舎の「おこし(ミックス5つ入りで¥900)」。

2024/1/14:20230114近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と新春の寺内町散策」へ(一回完結)

2.2024年1月26日:津島神社初詣ウォーキング
D0647da8 E21ae542  同級生K氏とのウォーキング始めに、津島神社に初詣するウォーキングを計画しました。私自身は津島には初めて出かけましたが、歴史のある、見どころの多いところでした。名鉄津島駅をスタートし、天王通を進み、途中あちこち立ち寄りながら、主に津島神社、天王川公園を見て回り、本町筋を経て天王通に戻り、津島駅にゴールしました。7.2㎞。鉄道料金は、JR、名鉄の往復で¥1,000。昼食は、呼び込みに答えて、古民家カフェ・なすがままで「ランチ(コロッケ、税込み¥880)」 。土産には、総本家角政で「くつわ」「あかだ」のミックス(¥200)。

2024/1/26:20240126津島神社初詣ウォーキング(予告編)

2024/2/2:20240126津島神社初詣ウォーキング(その1)……常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡へ

2024/2/3:20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ

2024/2/4:20240126津島神社初詣ウォーキング(その3)……瑞泉寺、六角地蔵、本町筋、坂井町の井戸、津島神社道標、堤下神社を経て「なすがまま」で昼を食べ、津島神社にゴールにて「完」

3.2024年2月24日:はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング
E1c2e0b4 3d1b0c6b  はだか祭りで有名な国府宮神社に行ったことがありませんでしたので、同級生K氏と行ってみようということになり、はだか祭りが行われた翌々日、稲沢市を訪ねました。JR稲沢駅から、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)を経て、JR稲沢駅がゴール。JR利用で、料金は¥1,180。はだか祭に奉納された大鏡もちが、切餅として授与されているなど、期待したとおり、裸祭の余韻に浸ることができました。現地で歩いたのは、7.5㎞。昼食は、台湾料理盛源美食城で「Bランチ(チャーハン&唐揚げ3個、¥780)」 ¥780。

Bf37f324  国府宮神社で奉納された鏡餅の「切餅(小1個が初穂料¥100ということで、4個)」 を授与していただきました。

2024/2/24:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編)

2024/2/26:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

2024/2/27:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

4.2024年3月2日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」
Ccdac393 60e95462  酒蔵みてある記は、タイトル通り、酒蔵を訪ね、試飲ができ、お酒などの直売もあるという魅力的なハイキングです。この丸彦酒造の三重の寒梅は、とくにお気に入りなので、これを見逃す手はありません。同級生K氏と二人旅。近鉄伊勢松本駅から、松井神社、上布田遺跡から丸彦酒造を経て、近鉄伊勢川島駅がゴール。歩いたオンは5.1㎞。近鉄料金は往復で、¥960。同級生K氏は、抽選会で特賞「吟醸 三重の寒梅 金箔入1.8L」を引き当てるという大金星。お陰で、私は、試飲2杯をおごってもらいました。土産には、「純米吟醸 三重の寒梅 大寒しぼり」(¥1,600)と、吟醸「三重の寒梅」のワンカップ(¥300)を購入。

2024/3/2:20240302近鉄ハイキング酒蔵みてある記「 銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(一回完結)

5.2024年3月3日:JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」
744e095c 85c2a83c  この企画は以前にもあり、ぜひ参加したいと思っていたものです。「隠れ古道」というところにとても惹かれたのです。 JR亀山駅から南に向かい、鈴鹿川を越えて、蓮光寺、金王道と歩き、鈴鹿川を再び越えて忍山神社から旧東海道をたどり、旧舘家住宅、旧亀山城多門櫓、遍照寺等を訪ね、JR亀山駅がゴール。現地で歩いたのは、10.6㎞。JR料金は、¥1,360。昼食は、ファミマの「明太海苔弁当(¥460)」を亀山駅の待合室で。土産には、亀山駅に出ていた臨時販売ブースで、関宿の銘菓である「志ら玉(2個で¥240を2つ)」。

2024/3/3:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)

2024/3/5:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その1)……亀山駅をスタートし、蓮光寺、金王道へ

2024/3/6:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その2)……松月地蔵、忍山神社から野村・京口門跡あたりへ

2024/3/7:20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)

6.2024年3月17日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」
421f7002 B8fc1b68  酒蔵みてある記は、各地で行われますが、この旭酒造も以前から訪ねてみたかったところでした。ただ、近鉄明星駅から遠くて、立ち寄り先も少ないので、これまでは参加をためらっていました。しかし、馬齢も重ねてきましたので、「行きたいところがあれば、サッサと出かけよう」と考え直した次第。近鉄明星駅から田園地帯をひたすら歩き、伊勢旭酒造、佐々夫江行宮跡、カケチカラ発祥の地記念碑、隆子女王の墓、史跡公園さいくう平安の杜と回って、近鉄斎宮駅がゴール。現地で歩いたのは、10.4㎞。近鉄料金は、¥2,580。昼食には、ファミマの「おむすび&焼きそばセット(税込み¥390)」を買っていき、斎宮の杜にて食べてきました。旭酒造の「純米大吟醸酒(4合瓶、¥1,500)」、「斎宮せんべい(¥450)」を土産に購入。

2024/3/17:20240317近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『伊勢旭』旭酒造をたずねて」へ(一回完結)

7.2024年3月27日:「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」
Cc127b57 Fe5a5269  同級生K氏と、名鉄国府宮駅から宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなど美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりから、南に足を延ばして、性海寺を経て名鉄奥田駅にゴール。現地で歩いたのは、9.7㎞。近鉄と名鉄の料金は、往復で¥1,790。昼食はあらかじめリサーチしておいた、奥田駅に隣接するコーヒーショップ・エデンにて「イタリアンスパゲッティ(¥700)」。昭和の雰囲気たっぷりの喫茶店でした。

2024/3/27:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

2024/3/31:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

2024/4/1:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

2024/4/2:20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

8.2024年4月27日:近鉄・三岐鉄道合同 近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」
3d756a75 C09e8996  朝日町は何度も訪ねていますが、今回の私の主たる目的は、稲垣酒造場。近鉄伊勢朝日駅から若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、夢菓子工房ことよ、新清月、ほしの湯、ロピア桑名 サンシティ店と回って、三岐鉄道星川駅がゴール。歩いたのは、9.3㎞でしたが、白梅の丘を越えるのはけっこうキツいルートでした。鉄道料金は、近鉄、三岐鉄道を合わせて¥480。土産に、稲垣酒造で「御山杉 純米吟醸(¥1,500)」.途中の夢菓子工房ことよ白梅の丘店で、みたらし団子2本をイートイン(1本¥75)。星川駅で行われていた抽選会ははずれで、ウェットティッシュ。
2024/4/27:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結)

9.2024年4月29日:近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」
59fbb385 Fe3d7c60  今回は、近鉄ハイキングと名鉄ハイキングの合同企画。近鉄烏森駅から、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。近鉄烏森駅を利用したのは、初めて。萱津神社は、全国で唯一の漬物の神社。現地で歩いたのは、8.8㎞。近鉄・名鉄料金は、合計 ¥1,270。 萱津神社のマルシェでよし田屋という津島の店の「えびしそ天むす(¥250)」。これが昼食代わり。太陽食品工業で「太陽ソースのミニパック」2個がプレゼントされました。

2024/4/29:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(予告編)

2024/4/30:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その1)……烏森駅から日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店から豊国参道「九の市」へ

2024/5/2:20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」

10.2024年5月3日:近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」
F9d3c868 F04307c3  地元桑名での開催ということで、立ち寄り先は熟知していますので、地図がなくても歩けますが、真面目にコースマップにしたがって歩くことにしました。娘と同行。徒歩で近鉄桑名駅へ向かい、ここがスタート。寺町商店街・三八市、桑名宗社、とらや饅頭、九華公園、赤須賀神明社、はまぐりプラザ、中川ベーカリー、アイス饅頭の寿恵広から近鉄益生駅がゴール。歩いたのは、7.5㎞。益生駅から桑名駅の近鉄が、¥180。益生駅での抽選会ではハズレ。参加賞に鉄道シールをもらいました。

2024/5/3:20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)

11.2024年5月11日:JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」
Be930a51 E4d72536  依佐美送信所は、長波送信設備と、刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた高さ250mのアンテナ鉄塔8基がありました。太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に用いられ、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されたといいます。私は、刈谷市にある高校に通っていましたが、冬になると体育の時間にこのアンテナ鉄塔のあたりを走らされた記憶があります。JR刈谷駅からから、刈谷市美術館、依佐美送信所記念館、フローラルガーデンよさみ、ミササガパーク、刈谷市交通児童遊園と回り、7.2㎞。途中で勝手に、母校の高校に立ち寄って外から様子を見てきました。現地で歩いたのは、9.3㎞。JR料金は、¥1,580。

2024/5/11:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(一回完結)

2024/5/12:20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編)

12.2024年5月17日:「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」
 吉崎海岸のハマヒルガオは、かつて2回ほど、近鉄ハイキングの企画で見に行ったことがあったのですが、2回とも見頃ではありませんでした(2018年5月19日:近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと春のおとずれを感じて」へ……楠中央緑地公園、吉崎海岸でハマヒルガオそして御園神社(完)、2019年6月22日:20190622近鉄ハイキング「潮風薫るハマヒルガオと夏のおとずれを感じて」……昨年のリベンジなるか?(完))。 前日の中日新聞朝刊に四日市市楠町の吉崎海岸でハマヒルガオが見頃を迎えているという記事がありましたので、これは行かなくっちゃということで、急遽出かけたという次第。近鉄北楠駅から途中、楠中央緑地に立ち寄ったのみで、吉崎海岸まで往復して、6.8㎞。ゴールも近鉄北楠駅。運賃は、往復で¥980。

2024/5/17:20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)

13.2024年6月8日:「斎宮の花菖蒲群落へ」
3ffcfa71 925817f6  前日の中日新聞松阪版に「ハナショウブ もうすぐ見頃 明和・斎宮の群落」という記事が出ていました(中日新聞の電子版を契約していますと、紙媒体で定期購読している以外に、ネットで各地の地方版を読めるのです)。ここのハナショウブは、5年前、近鉄ハイキングで見に行ったことがあったのですが(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、そのときはまだ早かったようで、あまり咲いていませんでした。平野で野花菖蒲の群落が見られるというのは珍しいので、もう一度見てみたいと思っていましたので、またもや「思い立ったが吉日」で、早速娘と見に行ってきました。近鉄斎宮駅からさいくう平安の杜、花菖蒲群落、北野公園、歴史の道、塚山古墳群、斎宮歴史博物館、古代伊勢道、1/10史跡全体模型を経て、いつき茶屋で昼食を摂って来ました。歩いたのは、7.6㎞。 近鉄料金は、往復で¥2,580。いつき茶屋で食べたのは、「いつきうどん(¥550)」。土産には、松阪駅で乗り換えの待ち時間に、あら竹商店販売所で「モー太郎寿司(¥1,200、1個)」。斎宮歴史博物館で「伊勢擬革紙」ガチャ(¥500)と、「斎宮ガイドブック」(¥1,000)をゲットしてきました。

2024/6/8:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)

14.2024年9月11日:あみま倶楽部「久居散策」
9ac42eeb 05e59e99  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、とても暑かったものの、歩きに行くことにしたのです。三交バスで近鉄久居駅へ。近鉄久居駅からはあみま倶楽部のハイキングコースにしたがって、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚、 高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴール。歩いたのは、7.0㎞でしたが、猛暑で汗だく、ヘトヘト。三交バスの榊原館前~久居駅往復が、¥1,160。

2024/9/11:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)

2024/9/13:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る

2024/9/15:20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

15.2024年10月20日: JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」
904ed494 904ed494  何度か歩いたところですが、臨港橋と末広橋の2つの可動橋が見られますので、参加してきました。JR四日市駅から、思案橋、稲葉翁記念公園、プロムナード、臨港橋、末広橋梁と歩いてJR四日市駅に戻る、5.1㎞のコース。JR料金は、往復で¥500。

2024/10/20:20241020JRさわやかウォーキング「2つの可動橋と旧みなとまち巡り」へ(一回完結)

16.2024年10月26日: JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」
C1198e41 3f0cd5fc  この企画には、能褒野神社を訪ねるルートがありましたので、ぜひとも参加したかったのです。能褒野神社には、日本武尊のお墓があるのです。JR井田川駅をスタートして、みどり町という住宅団地を通り、安楽川を越えて能褒野神社へ。少し戻って田園地帯を抜けて中の山パイロットという集合茶畑から亀山公園、旧亀山城多聞櫓を経て、亀山駅にゴール。歩いたのは、10.8㎞でしたが、コースの各所にかなりのアップダウンがあり、相当の運動量でした。しかし、念願であった能褒野神社を訪ねられ、満足。昼食は、あらかじめ買っていったファミマ「おむすび&焼きそばセット(¥420)」を亀山公園にて。JR運賃は、往復で¥1,270。

2024/10/26:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(予告編)

2024/10/27:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その1)……井田川駅をスタートし、能褒野神社、中の山パイロット(亀山茶畑)へ

2024/10/28:20241026JRさわやかウォーキング「亀山の広大な茶畑を歩く」へ(その2)……亀山公園、ますみ児童公園、多聞櫓、石井兄弟敵討遺跡石碑、伊勢亀山 備中松山藩主交替之碑から亀山駅にゴールにて「完」

17.2024年11月3日:近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」
Cd5d1de4 2d647125  松坂の宝塚1号古墳から出土した船形埴輪(国宝に指定されました)が見られるというので、この企画も見逃せませんでした。松阪にはもう何度も来ていますが、駅から北の方、川井町あたりには行ったことがありません。近鉄松阪駅から御厨神社、アニバーサリー、513 BAKERY 三重松阪川井町店、松阪市文化財センター「はにわ館」、鈴の森公園、MOMO café、自然生料理 本居庵、原田二郎旧宅、氏郷まつり会場、駅弁のあら竹と回って、豪商のまち松阪 観光交流センターがゴール。ここから近鉄松阪駅までは徒歩約10分。現地で歩いたのは、6.5㎞。近鉄料金は、往復で¥2,280。昼食は、買っていったファミマ「助六おかずセット(¥498)」を鈴の森公園にて。 土産には、まつさか物産交流館にて「老伴」6個入り (¥1,300)。

2024/11/3:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(予告編)

2024/11/4:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その1)……松阪駅をスタートし、御厨神社から、アニバーサリー、513Bakeryを見て、鈴の森公園に向かう

2024/11/5:20241103近鉄ハイキング「祝!国宝指定!!『宝塚1号墳出土の船形埴輪』と松阪『氏郷まつり』をたずねて」へ(その2)……松阪市文化財センター「はにわ館」から松坂城跡、御城番屋敷、原田二郎旧宅を経て、氏郷まつりを見て、豪商のまち松阪観光交流センターにゴールにて「完」

18.2024年12月8日:近鉄ハイキング「JR東海共同企画 ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」
241208kintetsuhikingmasuomap Img_7373c_20241208133101  今回も地元・桑名の開催で、勝手知ったるところばかり。地図がなくても歩けますが、コースマップにしたがって歩いてきました。近鉄益生駅から天武天皇社、寺町通り商店街、佛眼院、石取会館、桑名宗社(春日神社)、九華公園、本多忠勝像、七里の渡跡、六華苑、浄土寺を経て、桑名駅がゴール。6.5㎞でした。桑名駅から益生駅までの近鉄料金が、¥180。

2024/12/8:20241208近鉄ハイキング・JRさわやかウォーキング「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」へ(一回完結)

 12月中にあみま倶楽部のハイキングコースである「七里の渡・大福田寺コース」を歩いて、今年のハイキング収めにしようかと思っていましたが、結果的に、この「ぶらり東海道桑名宿 歴史と和菓子めぐり」が今年のハイキング納めとなりました。

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  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)