お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年5月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

歴史散歩

2024年6月 8日 (土)

20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)

0607chunichinp  6月7日の中日新聞松阪版に「ハナショウブ もうすぐ見頃 明和・斎宮の群落」という記事が出ていました(中日新聞の電子版を契約していますと、 紙媒体で定期購読している以外に、ネットで各地の地方版を読めるのです)。ここのハナショウブは、5年前、近鉄ハイキングで見に行ったことがあったのですが(2019年6月2日:20190602近鉄ハイキング「斎王まつり 日本遺産斎宮散策と王朝絵巻『斎王群行』」へ(予告編))、そのときはまだ早かったようで、あまり咲いていませんでした。平野で野花菖蒲の群落が見られるというのは珍しいので、もう一度見てみたいと思っていました。先だっても吉崎海岸のハマヒルガオのリベンジを果たしましたが(2024年5月17日:20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結))、今回も「これを見逃す手はない」と、早速行ってきました。何を思ったか、娘が一緒に行くというので、娘と二人旅。

Img_2384c_20240608175601 Img_2381c_20240608175601  近鉄桑名駅を8時42分に発車する五十鈴川行き急行で松阪まで。9時48分に到着。10時10分発の鳥羽行き普通に乗り換えて、斎宮駅には10時20分に到着。¥1,290。今日は、ここ近鉄斎宮駅がスタート&ゴール。

240608saiku  こちらは昨日、急いでつくったコースマップ。斎宮駅からさいくう平安の杜、花菖蒲群落、北野公園、歴史の道、塚山古墳群、斎宮歴史博物館、古代伊勢道、1/10史跡全体模型を経て、いつき茶屋で昼食を摂って来ました。マップ上は6.3キロのコース。

 さいくう平安の杜Img_2400c_20240608175601 Img_2403c_20240608175601ここには、三棟の平安時代の建物「斎宮寮庁」が復元されています。いにしえの斎宮の姿を再現してるのです。三棟の建物は、斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたと考えられます。

Img_2451c_20240608175601 240608105615333c  このあとは、2㎞以上をひたすら歩いて、斎宮ハナショウブ群落へ。昭和11(1936)年12月に国の天然記念物に指定されています。現在3,000株が群生しており、地元では「どんど花」と呼ばれているそうです。また、ノハナショウブは明和町の町の花になっています。部分的に見ますと(左の写真)、それなりに咲いている印象でしたが、全体としては(右の写真)ちょっと寂しいかなという感じ。ちなみに、ノハナショウブ(野花菖蒲)は、ハナショウブの原種です。

Img_2533c_20240608175601  このあと、1/10史跡全体模型のところでお目にかかったボランティア案内人の方に伺ったところでは、昔は(本当に昔です、とおっしゃいましたから、たぶん30年、40年かそれ以上前なのでしょう)、このあたりに木々が生い茂っていて、日陰になっていて、水も豊富に湧いていて、あたり一面に野花菖蒲の紫の花が咲き誇っていたといいます。その後、環境や気候の変化で、その当時に比べると、野花菖蒲はかなり減ってしまったそうです。ちなみにこの方は、桑名の九華公園の花菖蒲園のこともご存じでした。

Img_2583c_20240608175501  花菖蒲群落からまた、ひたすら歩きます。途中、北野公園で小休止。11時半過ぎ。持参したおにぎりで小腹をみたしました。

Img_2597c Img_2602c_20240608175501  12時前に再スタート。花菖蒲群落からは2㎞あまり歩いて、歴史の道へ。斎宮歴史博物館に続く道に、斎王や斎王ゆかりの和歌が刻まれた24基の歌碑が並んでいます。右の写真には、歴史的に存在が確認できる最初の斎王である大来皇女(おおくのこうじょ) の歌があります。「吾勢祜乎 倭邊遣登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之(わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし)」という歌。万葉集巻第2、105~106番に弟の大津皇子がひそかに伊勢神宮に下向してきた時に詠んだ歌として載っています。

Img_2614c_20240608175501  斎宮歴史博物館の手前に塚山古墳群。5世紀末~6世紀初頭の古墳群で、42基が発見され、13基が現存しています。円墳で、大きいものでは直径15m。

Img_2658c_20240608175501 Img_2622c_20240608175501  県立斎宮歴史博物館。テーマ博物館であるとともに、三重県埋蔵文化財センターとしての機能を有しています。先日まで、企画展示「源氏物語と斎宮-王朝のきらめき 光る君の栄華ー」が行われていました。今年3月26日、愛子内親王殿下が大学卒業を報告されるために伊勢神宮を参拝されましたが、そのときにここ斎宮歴史博物館も訪ねていらっしゃいます

Img_2626c_20240608175501 Img_2634c_20240608175501  常設展を一通り見てきました。左の写真は、「葱花輦(ソウカレン)」。屋根の上に金色の葱(ねぎ)の花の形の飾りをつけた輿(こし)です。本来は、天皇の略儀の行幸に用いるのですが、斎王が都から斎宮に赴くときにも使われました。右の写真は、斎宮の復元模型。

Img_2637c_20240608175501  ここで一休みしようと思って、休憩室に行ったら、面白いものを見つけてしまいました。それは、ガチャです。「いい年をして、ガチャなんかするのか?!」と思われるでしょうが、ご覧のように「伊勢擬革紙」のガチャなのです。「擬革紙」は、その名の通り、革に似せて、油紙でつくられたもの。使い込むほどに革のように柔らかくなるそうです。伊勢の国では、このことに着目した堀木忠次郎(三忠)が貞享元(1684)年からその製造を始めたと伝えられています。その後、池部清兵衛(壺屋)が煙草入れに加工し売り出しました。当時、皮革が貴重であったことから、擬革紙の煙草入れが伊勢参りのみやげ物として大流行したそうです。昭和初期には生産されなくなったのですが、最近になって復活されています。

Img_2647c_20240608175501  擬革紙を使った工芸品としては、カード入れ、財布、キーホルダー、名刺入れ、小銭入れなどがあるのですが、もっとも安い名刺入れでも¥8,000もします。もう名刺入れは必要ありませんし、ほかのものもおいそれとは手が出ません。それが、このガチャでは、¥500でコードクリップがゲットできるのです。ということで恥ずかしながら、飛びついてしまいました。こちらをゲット。

Img_2651c_20240608175501 Img_2655c  斎宮歴史博物館にいった主たる目的が、この「斎宮ガイドブック」を入手することでした。¥1,000。受付で購入。まだ読んでいません。これからゆっくり読むつもり。休憩室でお茶を飲んでいたら、ミュージアムショップの方から、来館アンケートを依頼されました。それに答えたら、右のような缶バッジをいただきました。

Img_2669c  斎宮歴史博物館からは古代伊勢道を通って、1/10史跡全体模型へ。古代伊勢道は奈良時代の幹線道路「官道」で、ここは復元されたところ。道幅は8~9mほどありそうです。斎宮が当時、かなり重要な役割を果たしていたと思わせます。

Img_2690c_20240608175501 Img_2694c_20240608175501  1/10史跡全体模型。これは、本当に良くできています。史跡全体を10分の1のスケールで表示して、その広大な規模と当時の姿を実感できます。これまでの発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとする中心区画の建物も、10分の1のサイズで配置されています。

Img_2703c_20240608175501 Img_2707c_20240608175501  以上で今日の予定はコンプリート。斎王の森と、斎宮跡歴史ロマン広場花菖蒲園は、今日はパスしています。13時半前にいつき茶屋に到着。ここで昼食。私は、いつきうどん(¥550)をチョイス。娘は、伊勢うどん(¥450)を食べました。写真は、いつきうどん。

Img_2724c 240608135835902c  斎宮駅13時58分発の伊勢中川行き普通に乗車。これがまたもやミジュマルトレイン。「またもや」というのは、たぶん3回目の乗車なのです。山田線を主に走っていますから、桑名では目にしないのです。松阪駅に14時10分に到着。14時15分に松阪駅始発の名古屋行き急行がありましたので、それに乗り換えて、桑名駅には15時22分に到着。¥1,290。

Img_2371c_20240608175601 Img_2374c_20240608175601  今日の土産は、すでに往きの乗り換え待ち時間にゲット。松阪駅のJR改札脇にあら竹商店の販売所があります。そこで、モー太郎寿司(¥1,200)を1個、お買い上げ。

Screenshot_20240608154336c  今日は桑名では、最高気温は27.3℃になりましたが、斎宮あたりでは風がよく吹いていて、さほど暑くは感じず、ウォーキング日和でした。Google Fitのデータでは、歩いたのはトータルで9.6㎞、歩数は16,059。明日は、長島方面に出かけたいと思っているのですが、現在の予報では雨模様で、難しいかも知れません。

240609113608443c 【付記(6/9)】 ガチャでゲットしたコードクリップ、このように使うようです。イヤフォンで試してみました。 

2024年5月12日 (日)

20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(補遺編)

Img_1866c_20240512154901  5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」で訪れた依佐美送信所記念館などについてもう少し書いておこうと思って、この補遺編としました。内容が本編と重複する部分もあります。

Img_1918c_20240511150801 Img_2167c  依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は、愛知県碧海郡依佐美村(現在の刈⾕市⾼須町⼭ノ⽥1番地)に建設された、超⻑波の使⽤を主とした無線送信所です。アンテナ出力500kW(世界最大級)、波長17.2km、周波数17.442kHzの長波送信所として、昭和4(1929)年に運⽤を開始しました。その敷地面積は6.6haもありました。長波は、海面下まで電波が届くという特性から、太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に重用され、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されています。戦後は⽶軍に接収されましたが、平成5(1993)年、⽶軍より閉鎖する旨の通告を受け、翌平成6(1994)年に⽇本に返還されています。平成9(1997)年にはアンテナ鉄塔が、また、建物は平成18 (2006)年にそれぞれ解体されました。送信設備の⼀部は依佐美送信所記念館に保存され、平成19(2007)年に⾼周波発電機が機械遺産に認定、平成20(2008)年には送信設備⼀式が未来技術遺産に制定されています。さらに、平成21(2009)年には、IEEEよりマイルストーンとして認定されています。

Img_2104c_20240511150901 Img_2108c_20240511150901  ⾼さ250 mの鉄塔8基(4基×2列)によって⻑さ1.8 km、16条のアンテナ⽤ワイヤーを⽀えていました。鉄塔は鉄骨を組み合わせた構造で、一辺が3mの正三角柱です。鉄塔には自立式と支線式があり、依佐美の長波鉄塔は支線式でした。倒れないよう3方向から支線と呼ばれるワイヤーロープで支えていました。この記念鉄塔には支線は1段しかありませんが、実際は6段ありました。鉄塔の下の部分は鉛筆の先を下にして立てたように尖っており、これが支線式鉄塔の特徴です。根元は固定されておらず、台座の上に置いてあるだけです。支線式鉄塔は弱そうに見えるものの、非常に丈夫なつくりで、昭和20(1945)年の三河地震や昭和34(1959)年の伊勢湾台風にも耐えています。ちなみに250mという高さは、東京タワー(333m)が建設される昭和33(1958)年まで、「東洋一」の高さを誇っていました。現在は、鉄塔の下部25mと、先端部分とが保存されています。アース線は、1.76km×0.88kmの範囲内の地中に深さ60 cmで網の目状に敷き詰められていたといいます。

Img_1900c  こちらは、鉄塔の頂上部分。最上部に滑車が3個ありますが、その上にアンテナ線16条(本)をつるすための吊架線(ワイヤーロープ)が乗っていたそうです。その下に航空障害灯(赤色灯)が設置されていました。

Img_2015c_20240511150801 Img_2124c_20240511153801  記念館には、依佐美送信所のジオラマが2つあり、8本の鉄塔がどのように建っていたかを見ることができます。私は、ここからほど近い高校に通っていましたが、冬になると体育の授業では、最初にこのあたりを持久走ということで数㎞走らされていました。ただし、どのあたりを走ったかは、忘却の彼方です。また、働くようになってから、東京などへの出張の帰りに、新幹線の車窓からこの鉄塔が見えてくると、「あぁ、帰ってきたな」と思ったものです。

Img_2163c_20240511150901  ちなみに、撤去された7基の跡地には、クスノキが2本ずつ植えられています。クスノキは、刈谷市の木です。写真は、記念館から南にある「依佐美のクスノキ(6号)」と思われます。

Img_2007c_20240511150801 Img_2095c_20240511150801  長波を発生させるためには、巨大なアンテナのほかに大きな電力が必要だそうです。そのため、依佐美送信所では、大電力のテレフンケン式発電機(ドイツ製)を使用した長波送信設備がありました。しかも、商⽤電源から交流モーターを使って直接発電機を回すのではなく、まず交流モーターで直流発電機を回転させて直流電⼒を発⽣させ、取り出した直流を使って直流モーターで⾼周波発電機を回転させていたといいます。依佐美では予備を含めてこのセットを2組⽤意し、これらを含めた送信設備は鉄筋コンクリート造り、建延1338.5平⽅メートルの送信機室に納められていました(現在、依佐美送信所記念館には、このうち1組が保存されています)。発電機の出⼒周波数には⾼い安定性が求められるため、発電機の回転部分は16トンもの重量(もしくは慣性能率が16トン)がありました。

Img_1991c_20240512164801 Img_2098c_20240512164801  一通り見て回った印象は、送信所というよりは発電所だなというものでした。私の知識では発電機など個々の機器の説明は、手に余りますので割愛。依佐美送信所の公式サイトや、依佐美送信所記念館のパンフレット(pdf)をご覧ください。

Img_2131c_20240511150901 240511jrwalkingkariya2  こちらは、ジオラマの1つにあった「依佐美送信所ジオラマ」。中央にあるのが本館。その背後の大きな建物が、長波送信所。依佐美送信所記念館は、この送信所の建物を模して、規模を縮小してつくられています。記念館は、平成19(2007)年に開館しています。記念館を含め、フローラルガーデンよさみがあるのは、社宅があったところだそうです。保存されている鉄塔が立っているところは、2号塔の跡。本館や送信所は、フローラルガーデンよさみと双葉小学校の間にありました。

Img_2208c_20240511150901  フローラルガーデンよさみにあるフローラルプラザは、依佐美送信所の建物をモチーフにつくられています。

Yokkaichi  ここ依佐美送信所は、その名の通り、超長波の送信に特化した施設でした。通信を行うためには、対となる受信所も必要です。受信所の立地条件としては、送信電波が受信を妨害しないために、受信所の位置は対⼿局と送信所とを⼤圏をもつて連絡する線に対し、送信所より⾒て60度以上転位し、約30km以上離れていることが必要でした。この条件に合致するところとして、三重県三重郡海蔵村(現在の四日市市海蔵地区。海蔵川の両岸、阿倉川や三ツ谷など)が選ばれ、海蔵受信所が昭和3(1928)年につくられています。13,000の坪の敷地にアンテナは、高さ85mの鉄塔が2基と60mの鉄塔3基が並んでおり、長波と短波の受信機が配置されていました(こちら)。その後、昭和5(1930)年に海蔵村が四⽇市市に編⼊されたため、四⽇市受信所と改称。しかし、昭和13(1938) に対外通信整備拡張計画にもとづいて、兵庫県加東郡⼩野町に受信所が新設されたことにともなって、⼿狭な四日市同受信所 は廃⽌されています。10年間という短い歴史しかありませんので、四日市受信所のことは地元でもあまり知られていないようです。

 以上、5月11日のJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」の補遺編でした。なお、今後、読み直して、追加修正を行うかも知れません。

2024年5月11日 (土)

20240511JRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」へ(一回完結)

Img_1649c_20240511150501  よく晴れて、桑名では夏日になりました。最高気温は、25.3℃。予定通りにJRさわやかウォーキング「かつて世界最大級の無線通信所!! 依佐美送信所記念館を訪ねて」に行ってきました。桑名駅を8時ちょうどに出るJR名古屋行きの普通に乗車。名古屋には、8時32分着。名古屋駅を8時43分に出る豊橋行き特別快速に乗り換えて、JR刈谷駅には9時3分に到着。料金は、通しで¥870ですが、名古屋駅でいったん改札を出て、乗車区間を桑名~名古屋、名古屋~刈谷と分けますと、¥360+¥430=¥790と、¥80安くなります。

Img_2331c_20240511150901 Img_1653c_20240511150901  スタート&ゴールは、JR刈谷駅。刈谷市にある高校に通っていましたが、通学に利用したのは、名鉄刈谷市駅。刈谷駅で下車したのは、たぶん50年ぶりくらい。高校の第1回クラス会のときと記憶しています。その後、もう1回クラス会があったのですが、そのときは確か東刈谷駅で降りています。

240511jrwalkingkariya0  こちらが今日実際に歩いてきたルートマップ。刈谷駅南口から、刈谷市美術館、依佐美送信所記念館、フローラルガーデンよさみ、ミササガパーク、刈谷市交通児童遊園と回り、7.2㎞。

Img_1662c_20240511150501 Img_1686c_20240511150801  刈谷駅の南口あたりの様子。まったく知らない街に来た感じで笑えます。9時10分頃にスタートしました。

Img_1709c_20240511150801  最初の立ち寄り先は、刈谷市美術館になっています。「new born 荒井良二 いつも しらないところへ たびするきぶんだった」という展覧会が開催されており、ウォーキング参加者は割引がありますが、パス。

Img_1756c_20240511150801 Img_1740c_20240511150801  1㎞半あまりを歩いたところで、勝手に寄り道をしてきました。私の出身高校があるのです。卒業生とはいえ、勝手に立ち入るのははばかられましたので、門のところから、校訓が刻まれた石碑を見るなどしてきたくらいです。正門は、昔と同じままでした。ちなみに校訓は「質実剛健」というもので、「飾りけがなく、まじめで、心身ともに強くたくましい」という意味。旧制中学の初代校長である羽生隆先生の書によります。ちなみに、創立は大正8(1919)年。私が入学したのが昭和45(1970)年で、卒業は昭和48(1973)年ですから、卒業して51年。年を取るわけです。

Img_1918c_20240511150801 Img_1898c_20240511150801  コースに戻って、真面目に2.5㎞あまりを歩くと、依佐美送信所記念館に至ります。依佐美送信所とは、現在の刈谷市(当時の愛知県碧海郡依佐美村)に世界最大級の大電力無線通信所として設立され、昭和4(1929)年からヨーロッパに向けて運用を開始しています。大電力のテレフンケン式発電機(ドイツ製)を使用した長波送信設備と、刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた高さ250mのアンテナ鉄塔8基がありました。長波は、海面下まで電波を届けることが特性があるため、太平洋戦争時には日本海軍潜水艦との交信に重用され、「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も依佐美送信所から潜水艦へ発信されたといいます。戦後は、アメリカ軍に接収され、アメリカ軍が運用していましたが、平成5(1993)年にその役目を終えました。

Img_2015c_20240511150801  ここは以前から訪ねてみたかったところです。というのも、高校生時代、冬になると体育の授業では、最初にこのあたりを持久走ということで数㎞走らされたのです(「走らされた」などと書いていますが、当時はまさにそういう気持ちでした)。ジオラマの写真を撮ってきましたが、鉄塔は8基。どのあたりを走ったかは、忘却の彼方です。また、働くようになってから、東京などへの出張の帰りに、新幹線の車窓から、この鉄塔が見えてくると、「あぁ、帰ってきたな」と思ったものです。

Img_2007c_20240511150801 Img_2095c_20240511150801  記念館内には、2セットあった長波送信設備のうちの1セットが保存されています。産業考古学会(現在は産業遺産学会)から産業遺産に認定されていますし、ほかも機械遺産に指定されるなど、いくつもの団体から認められた遺産です。

Img_2163c_20240511150901  依佐美送信所記念館に行ったら、もう1つぜひ確認したいものがありました。上述のように、鉄塔は8基ありましたが、現在は、高さ250mであったものの1基下部25mと、先端部分1基が保存されています。撤去された7基の跡地には、クスノキが2本ずつ植えられていますが、それもぜひ見たいと思ったのです。写真は、記念館から南にある「依佐美のクスノキ(6号)」と思います。NHKのBSで放送している「日本縦断こころ旅」で、2019年4月18日に火野正平さんが、この「よさみの記念鉄塔近くの2本の楠(クスノキ)」を訪ねています。

Img_2176c_20240511150901 Img_2185c  記念館見学を終えて、隣にあるフローラルガーデンよさみで一休み。園内には、明治用水の水を引いたせせらぎがありました。私の出身は西三河でしたが、小学校の道徳の教科書にこの明治用水の話が載っていました。明治用水の祖である都築弥厚(つづきやこう)という方について学んだのです。今でも、私は明治用水と見聞きすると、都築弥厚というお名前が浮かんできます。

Img_2208c_20240511150901  こちらはフローラルガーデンよさみのフローラルプラザ。依佐美送信所の建物をモチーフにつくられています。

Img_2223c_20240511150901  スタートから5.5㎞ほどでミササガパーク。ミササガパーク(猿渡公園)は、刈谷市と姉妹提携都市であるカナダのミササガ市との友好を記念して整備された公園だそうです。ここはパスしてきました。

Img_2272c_20240511150901 Img_2282c_20240511150901  さらに6.5㎞ほどのところに刈谷市交通児童遊園。ここも素通りしたのですが、名古屋の市電1603号と、蒸気機関車D51の777号だけ写真を撮ってきました。このあと、JR東海道線の下をくぐるのですが、その左手に「宮城道雄供養塔」があるのですが、道路から見えると思っていたら、道路沿いに塀が巡らされていて、見えず。失敗しました。「春の海」を作曲した筝曲家宮城道雄は、大阪・神戸・京都など関西での演奏旅行のため夜行急行「銀河」に乗ったところ、昭和31(1956)年6月25日未明、刈谷駅東で列車から転落して亡くなったのです。

Img_2309c_20240511150901 Img_2315c_20240511150901  11時25分頃、JR刈谷駅北口に戻ってきました。南口と同様に、すっかり変貌しています。ゴール受付をして、参加ポイントをいただいて、11時37分の大垣行き特別快速に乗車し、名古屋駅には11時58分着。往きと同じく、いったん改札を出て、12時6分発の関西線亀山行きの快速に乗車。快速は、桑名駅まで止まりませんから、21分で桑名に到着(12時27分着)。料金は、朝と同じく、¥430+¥360=¥790。往復でペットボトル飲料1本分くらいの節約(微苦笑)。

Screenshot_20240511124927c Screenshot_20240511122248c  今日のGoogle Fitのデータ。11.63㎞で、歩数は17,134でした。出身高まで寄り道しましたから、現地で歩いたのは7.2㎞+α。右は、JRさわやかウォーキングアプリに登録されたウォーキングログ。直近12ヶ月の記録が載っています。JRさわやかウォーキングは、近場ではなかなか開催されませんから、参加回数が伸びません。

Img_2167c  一回完結としましたが、依佐美送信所記念館については、明日以降にでも補遺編を書こうかと考えています。

 

2024年5月 5日 (日)

20240505諸戸氏庭園の新緑

Dsc08413c_20240505161301  4月20日に引き続き(2024年4月20日:20240420諸戸氏庭園(その1)……庭園の花々、2024年4月21日:20240420諸戸氏庭園(その2)……建物編))、諸戸氏庭園に行ってきました。ツツジやフジの花は終わり、そろそろ新緑がきれいだろうと考えて、です。

Dsc08665c_20240505165201 Dsc08437c  左の写真は、御殿玄関。右は、庭園入り口を入ったあたりから見た御殿。

Dsc08466c_20240505165301 Dsc08451c_20240505165301  こちらは、推敲亭。江戸時代以前からある草庵。私の好きな建物の1つ。推敲亭には立ち入れませんので、入ったつもりになって、菖蒲池を覗いて撮った写真が右のもの。この景色も私の好み。

Dsc08480c_20240505164401  東側に回ってDsc08580c_20240505164501 、菖蒲池越しに見た推敲亭の周囲の様子。花菖蒲は、葉が青々として、よく育っている印象。今月後半から咲き始め、下旬頃には見頃になるのではないかと思います。右の写真は、菖蒲池にある石橋から、低いアングルで推敲亭の方を見たところ。

Dsc08506c Dsc08522c_20240505164401  主屋の裏手から煉瓦蔵の裏手に通じる小径。モミジの木があり、そこからの木漏れ日がいい感じです。紅葉の季節にはとてもきれいになります。右の写真は、煉瓦蔵の裏手にある睡蓮鉢。メダカが何種類も泳いでいて、涼しげ。

Dsc08538c Dsc08558c  藤茶屋には、花手水。右の写真は、藤茶屋の西にある門を西から見たところ。フジの花はほぼ終わっています。藤茶屋では、今日は、子ども縁日が行われていました。

Dsc08619c Dsc08641c_20240505164501  御殿を正面、池庭越しに見た景色。その池庭は、右の写真のようになっています。池庭は、出羽の本間邸や、近江八景を模したものといわれています。揖斐川から水が入っており、潮入の池。

Dsc08669c_20240505164501  大門。薬医門形式になっています。この手前に、冒頭の写真にも写っていますが、昔ながらの丸ポストがあります。この丸ポストは、現役。

Dsc08680c_20240505164501  こちらは、拙宅玄関前から見下ろした諸戸氏庭園。青々としていて気持ちのよい景色です。緑も、微妙な色の違いがあり、楽しめます。

Facility  諸戸氏庭園のWebサイトの「庭園の紹介」からお借りしました。1.本邸(重文)、2.大門(重文)、3.玉突場(重文)、4.洋館(重文)、5.御殿玄関(重文)、6.推敲亭、7.煉瓦蔵、8.藤茶屋、9.菖蒲池、10.神祠周辺、11.御殿広間(重文) となっています。リンク先にそれぞれの説明があります。

2024年5月 3日 (金)

20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)

Img_1629c_20240503131801  朝からよく晴れました。気温は上がるという予報ですが、絶好のハイキング日和です。いつもの散歩コースとかなり重なりますので、若干迷ったのですが、近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」に行ってきました。珍しく、娘が一緒に行くというので、二人で歩いてきました。約6㎞、ファミリー向けコースという設定です。

Img_1610c_20240503131301 Img_1423c_20240503131301  自宅から徒歩にて桑名駅へ。受け付け開始は、9時半。場所は、桑名駅2階の自由通路、近鉄改札前。受け付け開始の頃に着いたのですが、少し早めに始まっていたようです。

Img_1427c_20240503131301 240503kintetsuhikekuwana0  今日のコースマップ。地元で、しかも熟知したエリアですから、地図がなくても歩けますが、真面目にコースマップにしたがって歩くことにしました。右が、実際に歩いたルートマップ。ちょうど6㎞でした。9時30分を少し回った頃にスタート。

Img_1433c_20240503131301 Img_1436c_20240503132101  八間通を行くかと思ったのですが、総合医療センターや、精義小学校のところから寺町商店街の南に向かいます。左の写真は、駅前のサンファーレ。左端には、7年前に閉館した桑栄メイトが写っています。桑栄ビルの売却が進まず、再開発が遅れています(こちら)。右の写真は、国道1号線を渡るところ。愛知銀行桑名支店の向こうに桑名市総合医療センターが見えています。

Img_1442c_20240503131301 Img_1453c_20240503131401  寺町商店街には、9時45分頃に到着。ゴールデンウィークとあってか、三八市は大賑わいでした。買い物はせず、通過してきました。

Img_1451c_20240503131401  ただ、途中で、このようなものが展示されていました。「大名行列 南寺町」という幟旗がありますが、駕籠は大名が乗るほど立派ではないように見えます。説明はありませんでした。何かの行事に使ったように思われました。

Img_1460c_20240503131401 Img_1472c_20240503131401  続いて、春日神社(桑名宗社)の門前にあるとらや饅頭へ。ハイキング参加特典でとらや饅頭が、1個¥170のところ、¥150でしたが、われわれはみたらし団子をチョイス。歩き始めて30分もたっていないのに、小休止。焼きたてでめちゃめちゃ美味しい。1本が¥100。

Img_1478c_20240503131401 Img_1474c_20240503131401  ちなみにこちらが、春日神社。左の写真は、青銅の鳥居。旧東海道に面しています。右の写真は、楼門。青銅の鳥居から東海道に出て、七里の渡し跡まで往復。

Img_1485c_20240503131401 Img_1481c_20240503131401  七里の渡し跡。毎日の散歩コースです。いつもは、この伊勢一の鳥居の向こう側を通っていきます。右の写真は、歌行燈本店あたりの旧東海道の様子。奥に七里の渡し跡があります。

Img_1518c_20240503131401  七里の渡し跡から春日神社の東にある中橋まで戻って、九華公園へ。毎日のように来て、バードウォッチングをしています。

 Img_1499c_20240503131401 Img_1503c_20240503131401 今日は、公園に隣接する鎮国守国神社金魚まつりが行われています。神社の方には行っていません。堀には金魚のオブジェが浮かび、祭が行われる町内には、行灯が掲げられています。

Img_1522c_20240503131401  九華公園を東に抜け、吉之丸北自治会の集会所で、金魚御輿。散歩友達のAさんと出会い、しばし歓談してきました。今日は、午後から、鎮国守国神社に金魚御輿の練り込みがあります。

Img_1542c_20240503131401 Img_1530c_20240503131401  続いて赤須賀神明社へ。赤須賀は、室町時代に三河国から渡来した武将たちによって開発された漁業の町であり、産土神として、三河より移遷した神明社が祀られています。ご祭神は、天照大神。左の写真で向かって左が神明社。右は、一目連神社。ご祭神は、天目一箇命。寛政3(1791)年に多度大社より水災除守護神として勧請されています。ここも石取祭が行われます。鳥居は、伊勢神宮の式年遷宮のとき、滝原宮のものが下賜されています。

Img_1534c_20240503131401  ここには、雷様が落ちた井戸があります。娘は知らないというので、見てきました(2012年6月18日:雷様の落ちた井戸を見に行く……赤須賀神明社へ)。詳しいことは、リンク先の記事をご覧ください。

Img_1545c_20240503131401  次は、はまぐりプラザ。桑名市の城東街づくり拠点施設になっています。裏(西)側を通って来ただけですので、写真も裏側から。ここには食堂はまかぜがあり、蛤などが食べられますが、ゴールデンウィーク後半はお休み。ここで時刻は10時半。歩いた距離は3.5㎞ほど。残りの立ち寄り先は、2ヶ所。

Img_1556c_20240503131401 Img_1581c_20240503131401  貝塚公園や内堀南公園の近くを通って、柳原から新屋敷に行くと、中川ベーカリーがあります。バウムクーヘンなどで有名な洋菓子店。¥1,000以上買うと、10%割引でしたが、通過。国道1号線を越え、三ツ矢橋で寿恵広。アイス饅頭で有名なお店。アイス饅頭が10%引きでしたが、あの堅さ! 今の私の歯では、まさに歯が立ちません(苦笑)。

Img_1586c_20240503131401 Img_1595c_20240503131401  11時にゴールの近鉄名古屋線益生駅に到着。6㎞を1時間半で歩いて来るという、ハイスピードハイキングでした。娘の方が歩くのが速いのです。抽選会があるということで少しだけ楽しみにしてきました(期待しすぎるとよくありません)。が、今日もまたハズレ。参加賞ということで右の写真のようなシールをいただきました。

Img_1609c_20240503131401  11時9分に名古屋行き準急がありましたので、それに乗車。桑名駅には11時12分着。¥180。11時半には帰宅。朝、自宅を出たのが9時15分頃でしたから、2時間15分ほどですべて完了。使ったお金は、みたらし2本で¥200と、電車賃の¥180で、計¥380でした。まさに「安近短」の典型。

Screenshot_20240503112922c Screenshot_20240503110700c  こちらはGoogle Fitのデータ。8.71㎞で、歩数は、13,504。いつもの散歩に毛が生えたくらいの距離と歩数。右のスクリーンショットは、エキタグでゲットした益生駅のデジタルスタンプ。これで集めたスタンプは7個。

Img_1512c  ところで、この1週間で3回も近鉄ハイキングに参加しています。数年前と同じくらいのハイペース。明日も、菰野で近鉄ハイキング「菰野まるごとハイキング・春 春の菰野富士ハイキング」があります。菰野富士は、5年前に登りました(2019年9月16日:20190916近鉄ハイキング「特別企画ハイキング 菰野まるごとハイキング・夏 そろそろ夏納め♪ 菰野富士ハイキング」……菰野で富士登山(笑)(予告編))。このときは9月で暑かったため余計にしんどかったと思うのですが、明日は今日より気温が上がるという予報。今回は、パス。菰野富士の標高は396m、コースは約8㎞でした。スタート&ゴールの湯の山温泉駅は、標高約135mですから、昨年、養老の滝に登ったくらいの高低差です(2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編))。

【付記(5/4)】 寺町商店街に飾られていた「大名行列 南寺町」とある駕籠は、南寺町が鎮国守国神社の金魚まつりに参加していたときのものだそうです。精義OBさまからコメントでご教示いただきました。お礼申し上げます。

2024年4月30日 (火)

20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その1)……烏森駅から日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店から豊国参道「九の市」へ

Img_0908c_20240429161601 Img_0922c_20240429161601  4月29日(月・祝)は薄曇りで、最高気温も22.8℃と、4月27日と同じくハイキング日和(2024年4月27日:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結))。予定通り、近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ行ってきました。一人旅です。受付は8時半からでしたが、慌てないでよいと思い、近鉄桑名駅を8時16分に出る名古屋行き普通に乗車。烏森駅に8時50分に到着。¥490。受付は空いていました。タイトル通り、名鉄ハイキングとの合同企画

Img_0914c_20240429161601 Img_0918c_20240429161601  コースマップは、今日もA4サイズで両面。近鉄ハイキングは、このようにコースマップが配られますが、名鉄の方は、DXが進んでいて(こちら)、スマホアプリで受け付け、コースマップもスマホでチェックします。ポイントでは、土曜日の近鉄ハイキングのようにチェックインをしていきます。ゴールでもチェックインを行い、「踏破ポイント」をゲットできるのです。

240429kintetsuhikekasumori0  こちらは「キョリ測」で描いた、この日歩いたルートマップ。烏森駅を利用したのは、初めて。近鉄烏森駅から、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。8時55分にスタート。

240429kintetsuhikekasumori1  詳しいルートマップその1です。烏森駅を利用するのは初めてと書きましたが、ここから大鳥居のあるところまでのエリアを歩いたのも初めてでした。烏森駅西口を出て、ほぼ北上していきます。名古屋高速の高架下をくぐって、日之宮神社と、下中八幡宮とをまずは訪ねました。

Img_0925c_20240430092601  スタートしてすぐに烏森駅西の交差点に出ます。ハイキングのコースは、交差点を渡って右に進むのですが、左手前から奥の方向の道路が、旧佐屋街道です。ここもいずれは歩いてみたいと思っています。いきなりの余談でした。

Img_0942c_20240430093201  烏森駅からほぼ1.5㎞のところに日吉公園があります。昭和10(1935)年に作られた公園です。

Img_0951c_20240429161601  この公園の中に森があるのですが、そこが日之宮神社です。次に立ち寄った下中八幡宮の境外社。もとは日吉権現といい、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社と伝わっています。秀吉が幼名を日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところから名づけられたといいます。

Img_0951c_20240429161601  しかし、いつ建立されたのかや、ご祭神がどなたかなどはよく分かりません。日吉大社の系列であれば、ご祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大己貴神(おおなむちのかみ)であると考えられます。もとの日吉権現は、秀吉が大坂に持っていったとも、家康によって取り壊されたともいわれ、江戸時代にはすでに廃社となっていたようです。

Img_0968c_20240429161601 Img_0975c_20240430104601  日之宮神社から400mほどのところに下中八幡宮。社伝によれば、創建は保元元(1156)年で、源為朝が関わる神社といいます。ただし、この頃、為朝は、保元の乱に関わり、伊豆大島に流されていますから、尾張で神社をつくるのは不可能と思われます。加藤清正が中村に勧請した3つの八幡社の1つという説もありますし(あとで訪ねる中村公園内にも、清正が勧請したという八幡社があります)、秀吉の母が安産祈願をした神社とも、秀吉の氏神だったともいう話も伝わっており、正確なところはよく分かりません。神社は後に衰退し、寛永20(1643)年に再興されました。ご祭神は、誉田別尊(ほむだわけのみこと:応神天皇)と息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)。

Img_0979c_20240430104801  境内社に龍神社があります。ご祭神は、 龍神と楠木大神。ほかにも、鹽竈社があるというのですが、こちらには気がつきませんでした。

240429kintetsuhikekasumori2  この先、ルートマップはその2になります。下中八幡宮から豊国通りに出て北へ向かい、中村公園前の交差点へ。ここには大鳥居と、孝和堂本店があります。その先は、豊国神社への参道「豊国参道」となり、9の付く日には市が立ちます。正面に中村公園と豊国神社、その東に妙行寺があります。

Img_1004c_20240429161601  中村公園前の交差点には、大鳥居。昭和4(1929)年に立てられ、高さ24メートル、笠木の幅34メートルの大きさ。「赤鳥居」と呼ばれ、親しまれています。京都市の平安神宮大鳥居と同じ高さだそうです。創建当時は、世界一高い鳥居だったといいます。一昨年、町の活性化のために黄金色に塗り替えるという話が出たそうですが、この鳥居、もともと「中(なか)」という村だったこの辺り一帯が名古屋市に編入されたのを記念して住民がお金を出し合って建てました。豊國神社参道の入り口にあるのですが、神社のものではありません。大鳥居が立っているのは名古屋市の道路上ですが、市の持ち物でもなく、公式には「所有者不明の建造物」という扱いになっているそうです(こちら)。

Img_1014c_20240429161601  大鳥居に向かって右手に孝和堂本店があります。草餅、おはぎなどが名物の和菓子店です。ハイキング参加者の行列ができていましたが、例によって、私は見てきただけ。

Img_1022c_20240429165001 Img_1030c  豊国神社への参道を「豊国参道」といいます。9の付く日には市が立ち、「九の市」と呼ばれています。この日も、食品、草花、衣料品、米菓子など実にさまざまな店が出て、大賑わい。桑名でいえば三八市が似ていると思いますが、賑わいはさすがにこちらの方が凌駕していました。懐かしいポン菓子の店もありました。その1は、キリがよいので、ここまで。その2では、妙行寺、豊国神社からとします。

2024年4月29日 (月)

20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(予告編)

Img_0908c_20240429161601Img_0922c_20240429161601  今日は薄曇りで、最高気温も22.8℃と、土曜日と同じくハイキング日和(2024年4月27日:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結))。予定通り、近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ行ってきました。一人旅です。今日のところは、予告編。近鉄桑名駅を8時16分に出る名古屋行き普通に乗車。烏森駅に8時50分に到着。¥490。受付は8時半から始まっています。タイトル通り、名鉄ハイキングとの合同企画

Img_0914c_20240429161601 Img_0918c_20240429161601  コースマップは、今日もA4サイズで両面。近鉄ハイキングは、このようにコースマップが配られますが、名鉄の方は、DXが進んでいて、スマホアプリで受け付け、コースマップもスマホでチェックします。ポイントでは、土曜日の近鉄ハイキングのようにチェックインをしていきます。ゴールでもチェックインを行い、「踏破ポイント」をゲットできるのです。

240429kintetsuhikekasumori0  こちらは「キョリ測」で描いた、今日歩いたルートマップ。烏森駅を利用したのは、初めて。ここから、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。8時55分にスタート。

Img_0951c_20240429161601  最初の立ち寄り先は、日吉公園にある日之宮神社。もとは日吉権現といい、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社と伝わっています。秀吉が幼名を日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところだそうです。ただし、いつ建立されたのかや、ご祭神がどなたかなどはよく分かりません(こちらを参照)。江戸時代には社はなく、日吉公園がつくられた昭和10(1935)年に同時に再建されたという指摘があります。次に立ち寄った下中八幡宮の境外社。

Img_0968c_20240429161601  続いて、下中八幡宮。社伝によれば、創建は保元元(1156)年で、源為朝が関わるものであるといいます。加藤清正が中村に勧請した3つの八幡社の1つとされますが、後に衰退し、寛永20(1643)年に再興されました。ご祭神は、応神天皇(誉田別命)と神功皇后(息長帯比賣命)。秀吉の母が安産祈願をした神社とも、秀吉の氏神だったともいう話も伝わっており、正確なところはよく分かりません。

Img_1004c_20240429161601 Img_1014c_20240429161601  下中八幡宮から豊国通りに出て北へ向かうと、中村公園前の交差点に出ます。そこに大鳥居。昭和4(1929)年に立てられ、高さ24メートル、幅34メートルの大きさ。「赤鳥居」と呼ばれ、親しまれています。大鳥居に向かって右手に孝和堂本店があります。草餅、おはぎなどが名物の和菓子店ですが、例によって、私は見てきただけ。

Img_1022c_20240429165001  ここから豊国神社の参道になります。9の付く日に市が立ち、「九の市」と呼ばれています。食品、草花、衣料品、米菓子など実にさまざまな店が出て、大賑わい。桑名でいえば三八市が似ていると思いますが、賑わいはさすがにこちらの方が凌駕していました。

Img_1037c_20240429161601 Img_1049c_20240429161601  正悦山妙行寺。日蓮宗。豊国神社の東にあり、加藤清正公誕生地とされています。この寺の創建時期については不詳。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、現在地から約220mほど東にありましたが、永仁2(1294)年に日像によって日蓮宗に改宗されたといいます。その後、火災により焼失したものの、天文4(1535)年に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建されました。加藤清正は、もともと妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15(1610)年に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建しています。

Img_1036c_20240429161601 Img_1108c_20240429161701  豊国神社(とよくにじんじゃ)。ご祭神は豊臣秀吉。同名の神社は全国にありますが、ここは豊臣秀吉の生誕地に当たります(秀吉生誕地については諸説があります)。明治16(1883)年、当時の県令国貞廉平をはじめ地元の人々による豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月、秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定したのです。明治18(1885)年1月に竣工し、7月には神社が創建されています。以前訪ねていますので、詳しいことはそちらをご覧ください(2018年11月7日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完))。

Img_1184c_20240429161701  このあとは名古屋競輪場のところから、中村高校前を経て、豊公橋(ほうこうばし)を渡ります。庄内川と新川を越えてあま市に入ります。

Img_1249c_20240429161701 Img_1266c_20240429161701  新川から五条川沿いに進み、次の立ち寄り先は、長正山妙勝寺。日蓮宗。初めは真言宗の密勝寺という寺でしたが、文応2/弘長元(1261)年に日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を妙勝寺に改称しています。天文年間(1532~1555年)に兵火により七堂伽藍を焼失しましたが、その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護を受けています。山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は福島正則が寄進したものと伝わっています。今日は、ふれあいマルシェ萱津マルシェが開かれており、私が行ったときには、本堂で、甚目寺南中学校のブラスバンド演奏が行われていました。

Img_1340c_20240429161701 Img_1336c_20240429161701  妙勝寺から徒歩3分ほどで萱津神社。漬物の神社と知られています。境内には漬物を納める「香の物殿」があり、毎年8月21日の「香の物祭」には多くの漬物業者が参列するそうです。創建時期は不明。ご祭神は、鹿屋野比売神。かつては「草ノ社」「種の社」「阿波手の杜」とも呼ばれたといいます。言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたのに加え、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったそうです。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったことから、漬け物の神社として有名になっています。

Img_1322c_20240429161701 Img_1325c_20240429161701  萱津神社もマルシェの会場となっていました。ここに着いたのは10時40分ころで、ちょうど小腹が空いていましたから、天むすを1個購入して、小休止。天むす よし田屋という津島のお店。お勧めは、えびしそ天むすということで、¥250。割と小ぶりで、一口で行けそうでした。

Img_1368c_20240429161701 Img_1381c_20240429161801  萱津神社を出て、再び五条川を渡り、清須市へ。最後の立ち寄り先は、ゴールの名鉄須ヶ口駅の目の前にある太陽食品工業。ソースとケチャップを作っている会社。太陽ソースとケチャップを使用した試食と販売会が行われ、来場者には太陽ソースのミニパックをプレゼントということでした。試食したところ、ソースもケチャップもコクがあり、美味しいものでした。なくなるかと心配したミニパックも2ついただけました。販売会では、何も買うなという指令がありましたので、買っていません。

Img_1402c_20240429161801  ゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅には、11時15分過ぎに到着。2時間20分で9㎞ほどを歩いてきました。須ヶ口駅は電車で通ったことはありますが、ここを利用するのは初めて。 ちょうど11時22分に豊明行き準急がありましたので、それに乗車。名鉄名古屋駅には、11時36分に到着。¥250。近鉄も、11時41分発の松阪行き急行があり、それに乗り換えて、桑名駅には12時1分着。¥530。

Screenshot_20240429122916c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。11.08㎞で、17,937歩でした。現地で歩いたのが約9㎞、自宅から桑名駅往復が2㎞あまりですから、妥当な数値。

Screenshot_20240429114045c  近鉄名古屋駅では、エキタグのデジタル駅スタンプをゲットしてきました。これで6個目です。まぁボチボチと。本編は明日以降、少しずつ書いていきます。

2024年4月24日 (水)

20240420諸戸氏庭園(その3)……トリビア編

Dsc09406c_20240420182901  4月20日から始まった諸戸氏庭園の春の一般公開に、初日に行ってきました。その1では花を、その2では建物について取り上げました。その3では、その他。その他といってもいろいろありえますが、まぁトリビア。雑学的知識です。これがトリビアリズムとなると、瑣末(さまつ)主義。ウ~ン、私はこちらかも知れません。

Facility  その2に引き続いて、諸戸氏庭園の図面。1.本邸(重文)、2.大門(重文)、3.玉突場(重文)、4.洋館(重文)、5.御殿玄関(重文)、6.推敲亭、7.煉瓦蔵、8.藤茶屋、9.菖蒲池、10.神祠周辺、11.御殿広間(重文) となっています。

Dsc09041c_20240422175101  70e398e7 まずは、図面では庭園入り口のあたりにあります。井戸に見えますが、左側に鉄管があります。これは、諸戸水道の鉄管だそうです。諸戸氏庭園の西側に諸戸水道の給水塔があります(右の写真、2022年11月28日:九華公園でウグイス、ジョウビタキ、カイツブリ)。ここから諸戸氏庭園内に引き込まれた、最初の水道の鉄管ということです。

Dsc09043c_20240422175101 Dsc09045c_20240421145301  庭園マップの1は本邸(主屋)です。その西に茶室があります。伴松軒といいます。その鬼瓦が右の写真。 これは、表千家の茶室・残月亭の鬼瓦と同じデザインだそうです。リンク先の写真をご覧ください。残月亭の鬼瓦は、樂家五代の宗入(現在は十二代弘入)が焼いたものだそうです。

Dsc09252c_20240421145401 Dsc09247c_20240422193401  こちらは藤茶屋。江戸時代、山田彦左衛門の隠居所であった頃には、桑名藩主を招いてもてなしたといわれます。 この藤茶屋に向かって右には、茶室があります。茶室といえば、出入りは、通常、躙口(にじりぐち)からとなります。しかし、この茶室は、正面に見えるように、貴人口(きにんぐち)が設けられています。すなわち、「貴人が立ったまま出入りできるように、席の一方に明り障子や襖を二枚立てて設けた出入口」です。

Dsc09239c_20240422193401 Dsc09237c_20240422194401  こちらは茶室の内部。右手やや上に明かり取りの障子窓が見えています。障子を開けたらどうなる?と思ったら、屋根の上を見ると、右の写真のようになっていました。

Dsc09295c_20240424065501  蘇鉄山の背後にこういう石燈籠があります。庭園内に燈籠は多数ありますが、こちらの燈籠、竿の部分が米俵のデザインになっています。初代諸戸清六が、米の仲買いを行いながら、わずか2年ですべての借金を返済し、後の商売の基礎を着実に固めたエピソードにちなんでいるのでしょう。

Dsc09307c_20240421154301 Dsc09317c_20240421145401  続いて神祠。江戸時代からの神祠として伝えられ、『久波奈名所図会』にも「稲荷」として載っています。鬼瓦、軒瓦ともに丸に「金」という文字が見えます。これは、お金のことではなく、ここには金毘羅様も祀られており、その「金」だそうです。

Dsc09347c_20240422180101  御殿です。右の写真は、御殿の内部を撮ったもの。Dsc09327c_20240421145401藍色で霞が描かれているように見えますが、建築当時は銀泥で霞が描かれていたそうです。銀は空気中の硫黄で硫化銀となり黒変するので、このように変色したといいます。先だっての修理の際に元の銀色に戻すことも検討されたそうですが、そのままとなっています。御殿の広間は西本願寺を模しているそうです。

Dsc09373c_20240421145401  こちらは御殿の鬼瓦。ここにもカタカナで「モロト」とあります。広間が西本願寺を模したというだけあって、懸魚(げぎょ、けんぎょ)もあります(写真中央)。「懸魚」とは、神社やお寺の屋根の破風板部分に取り付けられた妻飾りのことで、屋根の構造が、切妻造りか入母屋造りであればたいてい付けられています。 この「懸魚」の語源は、文字通り「魚を懸ける」ことであり、水と関わりの深い魚を屋根に懸けることによって、「水をかける」という意味に通じています。

 その他、興味深いもの、こと、ところはたくさんありますが、今回はこれくらいにて。

 

2024年4月 2日 (火)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

Kohnomiya2  3月27日に行ってきた勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その3です。その2では、旧美濃路や、稲葉宿あたりを訪ね、大塚北にある八幡社まで行きました。この先、ルートマップは、その2になります。白鬚社、性海寺、日吉社、西福院、恵明寺と回って、ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9380c_20240327175801 Img_9377c_20240401165701  大江川に出て、川沿いに進み、4㎞半を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神。ここも詳しいことは分かりません。

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺(しょうかいじ)。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、熱田神宮参詣の途中、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。ただし、実際には、当地の豪族長谷部氏によって、平安時代に創建されたと考えられています。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼足利尊氏織田敏定浅野長政松平忠吉徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建で、入母屋造、杮葺き。内部には善光寺如来を祀る、鎌倉時代の宝塔が安置されているそうです。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9416c_20240401170901 Img_9420c_20240401170901  こちらの御堂にも「愛染明王」と書かれています。説明書きには、「多宝塔の中に納められている愛染明王は江戸時代より特に耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底ヌケのひしゃくが奉納してあります。現在でもこの方法で祈願しております。」と書かれています。確かに底が抜けたひしゃくが多数奉納されており、新しいものもありました。

Img_9388c_20240327180801 Img_9392c_20240401171201  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。

Img_9460c_20240327180801  また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で、幅7m、深さ1mの周溝をともなっています。墳丘上部は中世以降の盛り土がされており、市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9480c_20240401173801 Img_9498c_20240327180801  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神も不明ですが、本社の日吉大社から倣えば、大己貴神(おおなむちのかみ)もしくは大山咋神(おおやまくいのかみ)のどちらかと思われます。

Img_9494c_20240401173801 Img_9490c_20240401173801  この日吉社にも蕃塀がありました。神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。伊勢神宮、熱田神宮、津島神社などにあります。私が直接訪ねた範囲では、愛知県尾張地方の神社に多い印象があります。三重県内ではあまり見かけません。また、この日吉社では右の写真の景色がなかなかよいと思いました。

Img_9522c_20240401183101 Img_9539c_20240327190901  その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。「せんき」は「疝気」。 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいいます。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9510c_20240401183101  西福院の北側には、広大な駐車場がありました。われわれが歩いていたときも、駐車場に入ってこられる方がありました。 

Img_9517c_20240401183101  駐車場から西福院に行く途中、白龍王大神。由緒書きはありません。名古屋の白龍神社のご祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)ですから、ここも同じかと思われます。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、この日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かってひたすら歩いて行きます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、7.7㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132845732c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

240327132156444c  ここは、昭和レトロの喫茶店であることも確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

Img_9601c_20240327192701  ここで大失敗。その1の初めに「珍道中」と書きましたが、まさにその通り。奥田駅は、対面式のホームで、それぞれに専用の改札口があります。が、われわれは何も考えずに、エデンから近い改札に交通系ICカードで入ってしまったのですが、それは岐阜方面の改札でした。やむを得ず、インターフォンで係員の方に事情を伝え、対応してもらいました。年を取るというのは、こういうことなのでしょう。世間様にご迷惑をおかけしないようにしているつもりではあるのですが……。結局、名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14時25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。

2024年4月 1日 (月)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

Kohnomiya1  3月27日の勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その2です。その1では、国府宮駅をスタートし、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社まで行きました。ルートマップは、まだその1の範囲です。この先は、旧街道の美濃路に入り、旧稲葉宿のあたりへと進んでいきます。金神社から南に行き、最初の信号交差点を左折しますが、この道が旧美濃路となります。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。稲葉宿は、当初は中島郡稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に小沢村が加宿となっています。ちなみに、明治8(1875)年に稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となっています。

Img_9221c_20240331170301  旧稲葉宿あたりの美濃路には、今もこうした古い建物がそこかしこに残っています。リノベーションされた建物も散見されます。昔からの街道だなという印象があり、楽しめます。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  宝光寺というお寺の手前、街道の南側の商店であったところの脇に津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。ルートマップには出ていませんが、この東に「札の辻」という地名が残っており、稲葉宿の中心が近いことが分かります。

Img_9243c Img_9250c_20240331172001  こちらは道標の向かいにある紅葉山宝光寺。真宗大谷派。立派なお寺ですが、由緒書きはありませんし、ネットで検索してもとくに情報はヒットしませんでした。

Img_9264c_20240327174401 Img_9259c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは昭和58(1983)年に稲沢ロータリークラブが建てた、新しいものです。碑には「四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は慶長五年に開設され、本陣、脇本陣の他、小沢、東町、西町には問屋場が置かれて、人馬の往来、物資の輸送の為に供されたが、 文化三年に人足二十二人、馬四十五頭が常備される助郷の制があった。ここは東町問屋場である。宿場役人伊東氏の住居である。」と刻まれています。四ツ家追分は、稲沢市井之口四家町にあります(JR稲沢駅の南)。慶長5年は1600年、文化3年は1806年。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。その後は、東邦電力中部電力稲沢営業所となり、現在は稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701 Img_9307c_20240401044101  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。ここで小休止。ちなみに、「稲葉宿本陣跡の碑」という石碑が建っています。「愛知県知事桑原幹根書」とありますが、桑原幹根さんは、われわれが子どもの頃、愛知県知事を務めた方。

Img_9314c_20240401044601  稲葉宿本陣跡ひろばから道を1本挟んで東に金剛山崇福寺。臨済宗妙心寺派。美濃路と三宅川の間にあります。明徳2(1391)年以前の創建で、開山は禅源寺開山大清。貞享4(1687)年、神明宮境内から現在地へ移したと伝わります。

Img_9330c  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺についても、詳しい情報はありません。

Img_9334c_20240401045501 Img_9349c_20240401162401  大江川に出る前、住宅街を歩いていたら、鳥居が見えましたので、行ってみました。八幡社でしたが、ここも由緒書きはなく、ネット検索でもこれと行ってヒットしません。

Img_9345c Img_9338c_20240401162401  ただし、ご神木であるムクノキは、市の文化財。樹高16.0m、枝幅19.5m、目通り3.0mで、地上約2mの所で幹が二本にわかれています。また、この神社にも蕃塀があります。蕃塀がどうも気になるのです。ルートマップその1は、ここまで。キリがよいので、その2の記事もここまで。

 

より以前の記事一覧

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)