お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年12月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2021年1月以降の記事を残し、2020年12月以前の記事は削除しました。2021年1月1日以降の記事は、両方にあります。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

歴史散歩

2026年1月18日 (日)

ウェブページに「桑名の東海道を行く」を公開しました

 このココログのWebページに「桑名の東海道を行く」を掲載しました。これは、平成30(2018)年8月に「桑名の東海道」と題してつくった「パネル展示」をもとにしてあります。このパネル展示は、当時、九華公園の指定管理者であった株式会社KMI桑名様のご協力、ご理解をいただいて、九華公園に展示したものです。その内容をもとにウェブページとしてつくりました。文章は、必要に応じて加筆修正をしましたが、さらに吟味したいと考えています。桑名の東海道を散策される際の参考としてご覧いただければ幸いです。

 スマホでご覧いただく場合、上記のリンクから見ていただけます。ココログのサイドバーに「ウェブページ」へのリンク集がありますが、このサイドバーは、スマホではご覧いただけません。「PC版サイト」または「デスクトップ用Webサイト表示」をご利用ください。Androidスマホでは、スマホのサイト表示をPC版に切り替えてください。スマホでココログを表示していただき、右上のメニューボタン(縦3点)から「PC版サイト」を選択するとPC版が表示されます。iPhoneでPC版ココログを見るには、Safariでブログのページを開き、アドレスバーの「AA」アイコンをタップして「デスクトップ用Webサイトを表示」を選択するか、更新アイコンを長押しして同様のオプションを選んでください。

 なお、写真は、基本的には、当時のものをとりあえずそのまま使用していますが、撮り直した方がよいかも知れません。

2025年12月27日 (土)

野鳥も年末年始の連休か、ジョウビタキ、イソヒヨドリくらい……ついでに歴史散歩へ

Dsc04371c_20251227140601  世間様は、年末年始の連休に入ったようで、今朝は散歩している間、町がいつもの土曜日以上に静かな感じでした。その今朝の最低気温は1.2℃。名古屋などでは、氷点下になったようですが、そこまで寒くはありませんでした。風は弱く、歩いている間もさほど寒い気はせず。住吉神社、九華公園、吉之丸、赤須賀、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、寺町と、いつもより少し足を延ばして、6.2㎞。日中も気温は上がらず、最高気温は、8.6℃。

Dsc03344c_20251227140001  こちらは、散歩に出たときの藤原岳。下の方まで冠雪しています。わが家から北西に24㎞ほどのところ。三重・滋賀の県境で、鈴鹿山脈の北部にあります。標高は、1,144m。

 Dsc03515c_20251227140001散歩に出てすぐ、近所の知人に久しぶりに出会い、喋っていたら、ジョウビタキのメスが登場。日が当たっておらず、こんな証拠写真しか撮れず。しばらく前にわが家近くに縄張りを定めたジョウビタキのメスがいると書きましたが、たぶんそのジョウビタキ。

 Dsc03568c_20251227140001住吉水門のところでは、ヒドリガモが2ペア。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が数隻出ていて、水鳥はほかには見えません。七里の渡し跡では、川口水門の方にキンクロハジロのオスが1羽いただけ。

Dsc03641c  イソヒヨドリのメス、今日は蟠龍櫓の屋根のてっぺんにいました。

Dsc03710c_20251227140101  出がけに知人と話していましたので、九華公園到着は、8時前。アイガモたちは、元気そうです。今日は、ユリカモメも、キンクロハジロもそばにはいませんでしたから、誰にもエサはもらっていなかったと思われます。

Dsc03714c_20251227140101 Dsc03731c_20251227140101  最初に、町が静かだったと書きましたが、九華公園も散歩する人はいつもより少なく、散歩友達にもほとんど会えませんでした。会ったのは、管理人さんと、シルバー人材センターから清掃に来ていらっしゃる方々のみ。野鳥も少なく、野鳥たちも年末年始の連休に入ったのかと思ったくらい。アオサギさんも休み。相撲場のところでカワラヒワが2羽。

Dsc04062c_20251227140101Dsc03882c_20251227140101 朝日丸跡で、ジョウビタキのオス。さらに、外周遊歩道の東でも、ジョウビタキのオス。最初に見たところから50mも離れていないところで見ましたので、同じ個体の可能性が高いと思います。ほかに見た小型の野鳥は、ハクセキレイ、ゴイサギ(相撲場のはるか上空を通過していきました)、ヒヨドリ、ドバトくらい。最近、ムクドリ、スズメを見なくなっています。

Dsc03766c-2 Dsc03872c_20251227140101  水鳥たちもあまり多くはありませんでした。ホシハジロのオスは、今日も1羽。左の写真では、お休み態勢になってはいますが、目は開いていて、こちらをしっかりと見ています。写真を撮るだけで、何もしませんから、そんなキツい目で見ないでほしい(笑)。キンクロハジロは、36羽。

Dsc03996c_20251227140101 Dsc03836c_20251227140101  ハシビロガモは、10羽。左の写真はメス、右はオス。カモの写真は、代わり映えしないものになり勝ちですので、何とかバリエーションをつけたいと思っていますが、なかなか難しい。

Dsc03827c_20251227143001  ヒドリガモは、1ペアのみ。ハジロカイツブリと、カイツブリは、すっかり見なくなってしまいました。残念。

Dsc03983c_20251227140101  ユリカモメもほとんどおらず、今日は6羽のみ。今日のバードウォッチングは、以上。

Dsc04261c_20251227140201  吉之丸と、赤須賀へ足を延ばしたと書きました。さほど遠回りをしたわけではありません。昨日の記事で、『くわな史跡めぐり』で訪ねていないところをチェックしていると書きました(2025年12月26日:雪国のような空模様)。その中で「矢部駿河守御用屋敷」と、「藩校立教館」に言及されていました。これらのことはもちろん知っていますが、その場所についてはあまりハッキリ認識していなかったのです。桑名市が刊行した『桑名城下切絵図』も参照して調べたら、前者は吉之丸に、後者は赤須賀にあることが分かったので、「それなら散歩ついでに行ってみよう」と思い立った次第。

Yabesurugagoyoyashiki3  矢部駿河守定謙(寛政元(1789)〜天保 13(1842)年)は、江⼾時代後期の旗本です。堺奉行、大坂西町奉行、勘定奉行、江戸南町奉行などを歴任し、名奉行といわれましたが、天保の改革の株仲間解散令などに反対したため罷免され、桑名藩お預けとなっています。天保13(1842)年5月1日、護送の行列は江戸を立ち、13日に桑名に着きました。当時の藩主は松平定猷。お預けから3ヶ月後、通説では、無罪を主張して食を絶って亡くなったとされていますが、桑名での資料では病死となっています。矢部駿河守の座敷牢は吉之丸にあった「別会剣術所」を改修してつくられました。吉之丸通りを挟んだ向かい側には家老服部半蔵と三輪権右衛門の屋敷があり、厳重に塀をめぐらせた敷地の中に、さらに囲われた座敷牢があり、警備もものものしかったといいます。現在は、民家となっています。ということで、九華公園のすぐ南あたりが、その場所。左の画像は、『桑名城下切絵図』の「2 吉之丸』を参考に描いたもの。私がいつも歩いているところのすぐ近く(微笑)。ちなみに、吉之丸通りは、江戸時代からあったようです。


Dsc04176c Dsc04215c_20251227140201  まずは、吉之丸通り。この写真は、西から東を見ています。向かって左手に三輪権右衛門と、服部半蔵の屋敷があったところで、通りを挟んだ右手側に矢部駿河守御用屋敷がつくられたということになります。右の写真あたりに(東から西を向いて撮影)、手前側から服部半蔵の屋敷、その向こうに三輪権右衛門の屋敷があったと思われます。

Dsc04205c_20251227140201  この、現在は民家が建ち並んでいるところに別会剣術所があり、そこを矢部駿河守御用屋敷にしたと考えられます。矢部駿河守桑名藩預かりについては、たとえば、こちらに詳しい言及があります。

Rikkyokanruin 続いて、藩校立教館跡。「立教館(りっきょうかん)」は、江戸時代に松平定信が白河藩に設置した藩校で、久松松平家が桑名に移封になって、桑名藩に移り、伊賀町に設立されています(松平定永の代)。明治初年に廃止され、桑名市立立教小学校にその名前が引き継がれています。『桑名城下切絵図』の「5 伊賀町」には、左の画像で、赤い四角を付したところにあったといいますが、『くわな史跡めぐり』では、その西、青い丸のところにあったと書かれています。どちらが正しいのか、あるいは、移転したりしたのかなどについては、現時点では不明。ただい、『桑名市史 本編(p.493)』には、「文政6年(1823)定信の子定永が桑名へ復封されると、旧領主松平下総守の旧慣により、学校を伊賀町に置き、同じく立教館と称し(中略)、明治元年(1868)正月藩主定敬が罪を朝廷に得、同2年8月まで一旦閉校したが、3年5月更に校舎を吉之丸に旧藩主一門松平帯刀の邸宅を卜し、ここに移し改築した」とあります。ちなみに、松平帯刀は、上の地図で「松平信濃守」とある人物と思います。

Dsc04305c-2  Dsc04281c_20251227140201『桑名城下切絵図』にある立教館跡は、この写真中央の民家のあるところ(新高須屋 十一万石とあるところの手前)です。『くわな史跡めぐり』にあるのは、右の写真あたりと思います。ということで、今日は、こちらの歴史散歩がメインだったかもしれません。どちらも今は、民家になってしまっていますから、見てきてもどうということはないんじゃないか?というお考えもあるかも知れませんが、まぁ、趣味の範疇です(微笑)。

2025年12月26日 (金)

雪国のような空模様

Dsc03147c_20251226110801 Dsc03153c_20251226110801  雨のち晴れという予報ですが、午前中は曇りときどき雨。最高気温は7℃、最低気温は4℃という予報ですが、実際の最高気温は、0時36分に記録した8.0℃。そこから気温は少しずつ下がり、11時までのところで最低気温は、3.5℃。晴れるのは、夕方以降のようです。冒頭の写真は、7時前の北の空。写真の中央に見える多度山あたりでは、雪が降っているように見えます。

Screenshot-2025_12_26-7_34_41c  こちらは、7時半頃にチェックしたYahoosの雨雲レーダーの画像。北西の方角から雨雲/雪雲が流れ込んできているのが見てとれます。今のところ、わが家あたりでは、雪やあられなどは降っていませんが、もっと強い寒気が入ってくると、雪になるかもしれません。最大風速は、6.3m/sということで、「今日は、散歩には行かないように」と強い指示が出ました(苦笑)。まぁ、カメラを持って歩きますから、これだけ天気が悪いと、散歩には行きません。散歩に行けないと、ウロウロしますが、やむを得ません。

Dsc03178c_20251226110801  今日は、ベランダ写真と、玄関先写真でお茶を濁します。まずは、御嶽山。標高3,067mで、3,000mを越える山としては、もっとも西にあるそうです。冬になるとよく見えます。下の方は雲におおわれていますが、高いところは冠雪しています。

251226071536378c251226071654997c  ベランダから外を眺めていたら、陽が昇るにつれ、大きな虹が見えてきました。左の写真は、ベランダから撮ったもので、南西の方角。右の写真は、玄関先から撮ったもので、ほぼ北の方角。つながっているのかどうかは、拙宅マンションの陰になっていて、確認できず。

Shisekimeguri1c  余談。先日、今年度最後のくわな市民大学郷土史学科の講座のまとめを仕上げたと書きました。それ以外に、歴史、郷土史の関係では、『久波奈名所図会』の私的な読み下しを細々と続けていますが、そのほかに、思いついて取りかかったことがあります。桑名市が発行した『くわな史跡めぐり』(2017年)という本があります。実は、刊行直後に、誤記、脱字などの指摘が相次ぎ、修正は100箇所にも及んで、販売が停止されてしまったもの。東海道のルートも誤っています。正誤表を入手し、赤字で書き込んで、利用しています。市内の歴史散歩には、格好のガイドブックなのです。

Shisekimeguri2c  こちらは、その実際の、あるページ。正誤表にしたがって、赤字で訂正が入れてあります。名称にチェックがつけてあるところは、すでに訪ねたところ。あちこち歩き回っていますから、かなり訪ねています。ピンクの蛍光ペンで囲んだものは、まだ訪ねていない、あるいは、それがあるところは訪ねたものの、見逃したというもの。これらをリストアップする作業を始めたのです。訪ねていないところ、見ていないものも、できれば行ってみたいと思っていますが、とりあえずはそれらをチェックし、整理しようという次第。

Gemini_generated_image_gajkegajkegajkegc  追記です。自分で撮った写真を題材にGoogleGeminiで遊ぶかもと書きましたが、結局、ずっと『くわな史跡めぐり』のチェックをしていました。その上、発想が極めて貧困であることを改めてハッキリと自覚したのですが、GoogleGeminiでどう遊ぶか、これというアイデアを思いつきませんでした(爆)。もうクリスマスは終わったにもかかわらず、「サンタクロースに変身させてください」です。こちらは、飛んでいるユリカモメの写真を使いました。が、翼があるにも関わらず、腕がついていて、ちょっとヘン(苦笑)。

 Gemini_generated_image_2nwo252nwo252nwocこちらは、昨日の記事に載せたもの(右の写真)を加工したもの。正面顔には、似合っているような気がしますが、Dsc02995c_20251225133401サンタクロースの赤い洋服の着方がヘンです。胴体からハズレてしまっています。

Gemini_generated_image_g255ksg255ksg255c 251224095109459c   あまりあれこれやってはみませんでしたが、先日載せた、寺町商店街の仏壇屋さんの店頭にあった白いゾウを元にしたものが、まぁいいかと思えるくらいでした。これ、プレゼントがかなりたくさんあって、それがよいのかも(笑)。固くなったアタマをもっともっと柔軟に働かせないといけませんねぇ(爆)。

2025年11月 3日 (月)

7年前に訪ねた神社のことが分かりました……阿下喜のイチガミ神社

F7c3b78c B2520299  タイトルをご覧になって、いったい何をいいたいんだ? と思われることでしょう。7年前の近鉄ハイキングで訪ねた神社のことに触れている資料を見つけ、長年の疑問が氷解したということです。7年前の近鉄ハイキングとは、平成30(2018)年2月27日に行われた「昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め『あげきのおひなさん』という企画(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。このとき、大西神社から西念寺に向かうとき、「イチガミ神社」と地図に書かれている神社を見つけ、立ち寄ってきました(2018年3月5日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その4)……メイン会場のウッドヘッドで大ひな壇を見て、12㎞以上、4時間半を歩いた末いよいよ完結(長いです))。

878877dc この神社について、いったいどういう神社かという疑問を持ち続けていました。数日前から、近場でハイキングによいところはないかと思い、「北勢線の魅力を探る会」などが主催して行われている「北勢線の魅力を探る」というウォーキングの報告書#21「 再発見! 魅力あ る 北勢線沿線阿下喜とふれあう」を見ていましたら、「市神さん」として言及されているのを見つけたのです。この報告書の3ページに、伊藤通敏さんの文章で、以下のように説明があります。引用させていただきます。

 西念寺の山門を出てすぐ北側の三叉路の正面に小さな茂みがあり石の鳥居が建っている。ここが阿下喜の市神さんである。鳥居の貫(ぬき)の高さは低く、背の高い人は頭をぶつけそうである。鳥居に接するように屋形灯篭が建ち、左手の1坪ほどの石組みの上に小さな社殿が建っている。ここで「ふるさといなべ市の語り部」の井後純子さんから説明を聞く。
 この市神さんは阿下喜(本町)の商売繁盛を願って祀られた神社で、阿下喜は昔からいろいろの商家が立ち並び近村の生活の便を図った商業の中心をなした街である。江戸時代、六斎市が開かれ本町から西町にかけて大層賑わった。六斎市とは毎月6回、3、7の斎日に行われ、とりわけ7月7日と年末の大市は諸方よりの買物客で大いに賑わった。この市神さんも江戸時代には本町通りにあったそうである。現在の社叢が狭いのは道路の拡幅によるもので、社殿の右手に御神石が祀られている。
 現在も本町の市神さんとして3月23日(今は3月最後の日曜日)を祭礼の日としている。その日には黒豆のおこわを二段重に詰めてお供えをし、禰宜さんを招いて祝詞を上げてもらっている。昔は屋形に提灯、鉦、太鼓で盛大に行ったそうである。

 これを読んで、なるほどと納得しました。また、初めにも書きましたが、これまでの疑問が氷解しました。ネット検索だけで調べるのではなく、図書館に行って文献を調べれば、もっと早くに分かったはずですが、当時は、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングを知り、とにかくあちこち出かけるのが楽しかったものですから、詳しく調べようなどとは思わなかったのです(苦笑)。

 それはさておき、北勢線の魅力を探るというハイキングには、参加したことはありませんが、その報告書を見る限り、歴史、地理、地学など広範囲にわたって知ることがでいる大変興味深い企画です。報告書とコースマップはネットに載っていますので、これは、これからのハイキングを考えるのにとてもよい参考資料です。ということで、まさに自分のための記事で恐縮です。

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(補遺編)

 11月1日に行ってきた「近鉄ハイキング『【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物』の補遺編です。その後調べたことなどを追記しています。

Img_5635c_20251101152901  まずは、北勢線東員駅。東員駅(とういんえき)は、三重県員弁郡東員町大字山田にあります。平成17(2005)年3月26日に六把野駅と北大社駅(現北大社信号場)とを統合し、両駅の中間に新設開業したものです。東員駅の開業によって、従来、北大社駅で行われていた北勢線全域の管制業務、および、西桑名駅で行われていた運転業務(運転士兼車掌関係の現業区:近鉄時代の塩浜列車区西桑名分室)は、東員駅に統合・移設されています。

Img_5702cImg_5711c_20251101152901  員弁山浄厳寺の由緒について。大木神社の別当寺として員弁寺があったといいますが、天正年間(1573~1592年)に大木神社とともに織田信長の兵火にかかって焼失しています。員弁寺の創建者とされる春澄善縄の子孫・員弁進士行綱(員弁の郡司)の子・行経が祝髪し、入道となり浄源坊と称し、員弁寺に住したようです。これが浄源寺の寺号の由来となっています。数世を経て浄圓坊という道心堅固の僧があり、天台宗真盛上人の徳風を慕い、笈を負って随うこと数年の後、念仏の教えを授けられ、さらに晩年には、文明年間(1469~1489年)に本願寺第8代門主蓮如上人に帰依し、師に従って諸国を巡歴して、帰坊の後、賜った六字名号を安置し、念仏勤行を勧めたので、天台宗から専修念仏の道場へと変わりました。初代・釋順西が、師の教えを相続して、天文年間(1531~1534年)に本願寺第10代・証如上人の時代に浄土真宗の宗風に改め、浄土真宗寺院となっています。しかし、順西は、まもなく始まった長島一向一揆で(天正2(1574)年)に討ち死にしました。この順西をもって浄土真宗本願寺派員弁山浄源寺の開基と定められています。2代・釋正圓(順西の子)は、兵火が治まった天正12(1584)年に旧地の近く(現在地)に仮御堂を建立し、浄源寺を再興しました。

Img_5720c Img_5734c  浄源寺の裏手にある鳥取山田神社。左の写真は、ハイキング・コース沿いにあった鳥居。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様について、ChatGPTで調べた結果、概略次のような回答が得られました。

天角己利命(あめの つのこりのみこと)は、日本古代の神話・系譜資料に登場する神名のひとつで、同義あるいは近縁とされる神名に 角凝命(つのこりのみこと)・ 角凝魂命(つのこりむすびのみこと)があります。その系譜・氏族的な位置づけとしては、古代氏族「鳥取氏(ととり‐し/ととりうじ)」の祖神として、『新撰姓氏録』などに記載があります。学界では、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」は、同一神、あるい非常に近い神格を持つ存在ではないかという説があります。 名の「つのこり/こり」は「凝る・固まる」「杭・杙(くい)」などの語に関係づけられ、「国土形成」「村里の境界」「杭・棒による防塞」などの象徴性を伴う神とされることがあります。 『新撰姓氏録』では、山城国・神別(天神)において「鳥取連」が「天角己利命(三世孫)天湯河板挙命の後なり」と記されています。 また、和泉国・神別には「鳥取」が「角凝命三世孫、天湯河桁命の後也」とも記されており、角凝/角凝魂/天角己利命という名の神が氏族祖神として複数地域で用いられていることがわかります。 研究では、鳥取氏・倭文氏・錦部氏など織物・布関連の氏族系譜と深い関わりが指摘されています。特に、「鳥取氏」と「倭文氏」が「角凝魂命」を祖とする近縁氏族とされる資料があります。 明確な神話物語での登場は限られており、個別のエピソードが豊富に伝わる神というわけではありません。ただし、「角凝/角杙神」系の神名が、『古事記』『日本書紀』などの創世神話の中で「杭・杙(くい)」を象徴する神、すなわち土地・国土が固まる(安定する)段階での神として論じられることがあります。 また、上述の織物関連氏族との繋がりから、「織物」「布」「機織」の職能や氏族の祭祀とも結びついて解釈される研究もあります。例えば、鳥取氏の祖とされる天湯河板挙命にまつわる機織・鳥捕りの伝承から、鳥取氏が「織物関係氏族」であったという説が提出されています。

 以上の説明に関して、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」が同一神であるか、あるい別個の神であるかについては、はっきりとした定説はなく、資料によって名称や系譜が異なり、同一化・混同されてきた経緯があるといいます。また、 物語上の活動・伝承が少ないため、いわゆる「メインの神話を持つ神」ではなく、氏族祖神・地元神・職能氏族の祖といった位置づけでとらえられることが多いようです。祭祀・神社の主祭神として明確に「天角己利命」が祀られている例は少なく、「角凝命」「角凝魂命」の名義で祀られている事例の方が資料上は多いそうです。

Img_5887c Img_5891c_20251101153001  猪名部神社の上げ馬神事について。令和2(2020)年のコロナ禍以降、感染対策により中止の状態が続き、令和5(2023)年は境内などを馬に乗って練り歩く「馬曳き」のみの開催とし、翌年以降も、「コロナ禍で馬を飼う地域の人が減り、神事のノウハウが継承できなくなった」として「馬曳き」のみの開催となっているようです。近年の動物愛護意識の高まりにともない、上げ馬は虐待ではないかとの批判が上がっており、指摘を受けた県の調査で、平成22(2010)年に1頭が転倒したその場で死に、その翌年と平成27(2015)年にはそれぞれ1頭が骨折の後獣医師によって殺処分されていたことが判明しています。

Img_5985c  大木神社について。本編では、主祭神は品陀和気命、相殿神は、豊受比売神、天照大神としていましたが、相殿神は、伊邪那岐命速玉之男命事解之男神豊受大神須佐之男神久那斗神(くなどのかみ)大山袛神天照大御神でした。

Img_6007c 大木神社の創祀は明らかではありませんが、もともとは大木字大鳥居前に鎮座し、八幡社あるいは八幡神社といいました。古くは御旅所と3つの摂社、別当寺である員弁寺を擁する大規模な神社でしたが、天正年間(1573~1592年)に員弁寺とともに織田信長の兵火にかかって焼失したため、社殿や由緒、祭式の古例を失ったといいます。その後は小さな祠を祀っていましたが、元和年間(1615~1624年)の初めに社殿が再建されました。

Img_5976c  大木城跡について。永禄年中(1558~1569年)、金井城主種村高盛の5男・大木信盛が居城したのですが、織田信長に降伏し、配下となりました。天正4(1576)年、滝川一益に不信をもたれ、伊勢長島城へ出頭を命ぜられたものの、先に出頭した甥の金井城主種村秀信が城内で切腹させられたことを知り、信盛は途中から西国へ落ち延び、廃城となりました。員弁川を南にした台地の端にあり、現在、土塁や堀が部分的に残り、壇も見られるそうです。ちなみに、遁走した大木信盛は肥後細川家の家臣となったと伝えられています。

Img_6012c  続いて、明法寺。当初は、大木村道場という禅宗寺院で、青木駿河守の菩提を弔っていたのですが、永正年間(1504~1520年)に開基の順西が出奔して、寺宝などが散逸し、道場は荒廃しました。大永元(1251)年、片樋道場(のち片樋村・教楽寺)から親子4人が移り住んだと伝わっています。さらに、隆善は片樋村に、祐善は北大社村に、教祐は南大社村の寺に住まわせ、善教が大木村道場を継承しています。大永3(1523)年、本願寺9代・実如上人から六字名号一幅を授けられ、浄土真宗に改宗しました。翌大永4(1524)年、3間・2間半の本堂を再建しています。その後のことは割愛しますが、明治14(1881)年、第13世善龍の時、7間四面の現在の本堂となっています。

Img_6037c  大泉駅。大泉駅(おおいずみえき)は、三重県いなべ市員弁町大泉にあります。大泉駅を新設する計画は、三岐鉄道が北勢線の運営継承を決定した後に提案されました。計画段階での仮称は新大泉駅でした。ちなみに、旧大泉東駅も過去には大泉駅と称しています。計画当初は、駅単独の建設予定でしたが、その後、員弁町役場(現:いなべ市役所)に隣接した地元農産物販売施設「うりぼう」を増床・拡充の上「ふれあいの駅うりぼう」と名称変更して当駅に移転することになりました。なお、当駅は大泉東駅と長宮駅を統合し、両駅の中間部分に新設されたものですが、名目上は、大泉東駅を廃止し、長宮駅を大泉駅に改称の上で現在地に移設したことになっているそうです。

 以上、ネット検索による情報と、第19回北勢線の魅力を探る報告書「再発見! 魅力ある北勢線沿線 東員駅~楚原駅」を参照しました。11月1日付けの記事(2025年11月1日:20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結))は、「予告編」から「一回完結」に変更しました。

2025年11月 1日 (土)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結)

20251101kintetsuhikingtoinmapc  晴れて、20℃を超えるという予報でしたので、近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」に行ってきました。三岐鉄道北勢線の東員駅から大泉駅まで約5㎞というコース。立ち寄り先は、東員駅をスタートし、圓光寺、浄源寺、東員町中部公園、コスモス畑、猪名部神社、まこと商店、ふれあいの駅 うりぼうで、大泉駅がゴール。コスモス畑を見たいのと、まこと商店に行ってみたかったのです。初めは、曇っていて、途中から晴れて来ました。気温も歩いている間は、18~20℃くらいで、ちょっと暑いかなと思うくらいでした。今日はひとり旅。記事は、とりあえず予告編としましたが、実際にどうするかは未定。

Img_5635c_20251101152901 Img_5618c  三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時59分に発車する東員行きに乗車。東員駅には9時24分に到着、¥340。北勢線は、ナローゲージの電車です。線路幅は、762mm。新幹線などの1,435mmのほぼ半分で、電車も右の写真のようにかわいらしいもの。

Img_5621c_20251101152901  東員駅には、エキタグのデジタルスタンプがあったのですが、電車の写真を撮り、トイレに立ち寄っているうちに失念(苦笑)。三岐鉄道でエキタグのデジタルスタンプがもらえるということが、しっかりとインプットされていないようです(2025年4月5日:20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結))。この写真で、向かって右はここまで乗ってきた電車、左は、レトロカラーにペイントされたもの。レトロカラーとは、200系が旧三重交通の色に塗装されているのです(こちら)。

251101kintetsuhikingtoinrout  Img_5631c_202511011539019時半からの受付でしたが、少し早めに始まりました。コースマップを受け取り、9時半にスタート。上記の立ち寄り先のほかに、途中で見つけた神社、寺院などにも立ち寄ってきました。右が、実際に歩いたルートマップ。コースマップでは約5㎞となっていましたが、キョリ測では5.4㎞。

Img_5668c Img_5661c  スタートしてすぐは、田園地帯を進みます。西の方には、鈴鹿の山並みが見えています(右の写真)。右の写真でもっとも右端に見える(雲がかかっていますが)のが、藤原岳。

 最初の立ち寄り先は、Img_5688c1㎞を過ぎて、Img_5692c_20251101152901員弁山円光寺。真宗大谷派。ネット検索ではこれという情報はヒットせず。由緒書きなどもありません。

Img_5702c Img_5711c_20251101152901  円光寺のすぐお隣には、員弁山浄源寺。こちらは、真宗本願寺派。もともとは天台真盛宗でしたが、天文年間(1531~1534年)に真宗に改宗しています。隣り合って、同じ山号のお寺というのも、珍しい。

Img_5720c Img_5734c  さらにこれらのお寺の裏手に鳥取山田神社。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様は、初めて。神魂命の子で、伊佐布魂命の親といいますが、さらに調べが必要です。相殿神は、天児屋根命大山祇神須佐之男命天照皇大神菅原道真品陀和気命火産霊神天湯河桁命。創始などは不詳ですが、文政10(1827)年の『桑名領郷村案内帳』に載っているそうです。

Img_5764c_20251101152901 Img_5768c_20251101152901  東員町役場の南を通って、東員町中部公園へ。ここは以前は、アジサイや、チョウトンボを見るなどよく来ていました(2018年6月11日:東員町の中部公園と万助溜公園へ……アジサイを楽しみ、チョウトンボをチラッと見る)。池にカワセミがいたこともあります。今日は、通過したのみ。

251101100524350c Img_5823c  中部公園の西にコスモス畑。今年はここということで、年によっては違う場所にコスモス畑がつくられます。ずっと以前も、ここにつくられたときに見に来ています(2012年10月11日:「仮釈放」にはなりませんでしたが、コスモスを楽しんできました……受診のあと、東員町コスモスまつりへ)。ピークはちょっと過ぎたかなという感じ。

251101100732056c  あれこれ試してみたのですが、雲も多く、また、すでに枯れた花もあって、ズームアップはなかなか難しい。今日、持っていったのは、Canon Powershot SX-60HSとスマホ。スマホの方が簡単に、うまく撮れたりします。これはスマホ写真で、上の2枚はPowershotを使ったもの。

 Img_5866c_20251101153001コスモス畑のすぐ北に「吉澄神社遺跡」という石碑がありました。現地の説明板によれば、この付近の田畑は、明治41(1908)年3月、猪名部神社に合祀された、吉澄神社約3反歩(3,000平方メートル)の境内であったとあります。

Img_5887c Img_5903c  コスモス畑から西へすぐのところに、その猪名部神社があります。ここへは、2度ほどアオバズクを見に来ています(2014年6月10日:アオバズクを見に行く……東員町の猪名部神社へ、2019年7月29日:東員町ツアー……万助溜公園でチョウトンボと、ハスの花の香り、猪名部神社でアオバズク )。主祭神は、伊香我色男命(いかがしこおのみこと)。この神様は、『記紀』等に伝わる古代日本の豪族。物部氏の祖であり、猪名部氏の祖神とされます。創建時代は明らかでありませんが、延喜式内社に列しています。古墳が多い神社としても有名で、本殿は前方後円墳の上に立っています。ずっと以前、詳しい記事を書きましたので、詳細はそちらをご覧ください。

Img_5891c_20251101153001  猪名部神社は、上げ馬神事の発祥の地です。写真は、神事が行われる「上げ馬坂」。

Img_5927c Img_5932c  猪名部神社の先でスタートから3㎞。すぐにまこと商店があります。通常は11時から営業なのですが、今日は近鉄ハイキングのため9時半から開店。以前から知っていて、一度、来てみたかったところ。築100年の家屋を改装した店舗で、「さつまいものアーモンドタルト」「干し芋けんぴ」「さつまいもチップス」をはじめ、「鬼まんじゅう」など素朴なお菓子を販売。

251101102738404c 今日は、サツマイモマドレーヌミニ4個(1個税込み¥180)をお買い上げ。早速、今日午後のおやつに。

Img_5950c  まこと商店から1㎞ほどは、立ち寄り先も何もありません。稲部小学校のところに「殉国碑」。西南の役から第2次世界大戦までの戦没者供養のためのもの。

Img_5985c Img_6007c  スタートから4.5㎞ほどのところに大木神社。主祭神は、品陀和気命。相殿神は、豊受比売神天照大神。現地の説明板によれば、もとは八幡社といい、天正(1573~1592年)の兵火で焼失して勧請されたのですが、年月は不明。明治41(1908)年8月に熊野社、若 宮社、天王社、赤口社、山神社、神明社を合祀し、翌42(1909)年に天王社の跡地に移し、現在の大木神社となったといいます。

Img_5976c  大木神社の手前に「大木城跡」という看板がありました。大木城は、中世城館の1つで、規模は東西45メートル、南北55メートルを誇り、永禄年中(1558~1569)、大木舎人(おおきとねり)が居城しましたが、織田信長に降伏しその配下になったといいます。その後、天正4(1576)年に滝川一益に不信感をもたれ大木舎人は西国に落ち延びたため廃城になったようです。現地には行っていません。

Img_6016c_20251101153001  Img_6012c大木神社の先に曜恵山明法寺(みょうほうじ)。真宗本願寺派。ここもネット検索ではこれという情報はヒットしませんし、由緒書きなどもありませんでした。

Img_6037c Img_6041c_20251101153001  スタートから5.4㎞、11時頃に北勢線大泉駅に到着。今日は、コースマップに付された番号で抽選会があったのですが、見事はずれ(苦笑)。#19でしたが、かすりもせず。あたっていれば、まこと商店のお菓子か、このあと行ったうりぼう提供のお米などがもらえたのです。最近、こういう抽選会ではあたった試しがありません。

Img_6051c_20251101153001 251101110431735c  次の西桑名行きは11時26分発でしたので、駅に隣接する「ふれあいの駅 うりぼう」へ。まずは、ジェラート屋さんの「ジェラートの駅 うりぼーの」で、「石榑(いしぐれ)茶のジェラート」。ワンカップ¥380。ここのジェラートはおいしいのです(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。

251101124515136c 251101124523032c  ついで、うりぼうで土産を物色。お腹が空いていたので、そばと寿司とを買ってしまいました(苦笑)。「いなべ蕎麦半生(¥580)」と、「押し寿司・巻き寿司セット(¥530)」。寿司は、帰宅して昼ご飯に(微笑)。ちなみに、この2つの土産、7年前にも同じものを買って、家内の実家に行っています(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。進歩のなさに我ながら笑えてきます。さらに、このときも、ジェラートを食べています(爆)。

 Img_6073c大泉駅発11時26分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、11時56分に到着。¥390。

Screenshot-2025_11_01-17_17_09c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.4㎞、13,350歩でした。

 今日の記事は、「一回完結」に変更しました。11月3日付けで「補遺編」を掲載します。

2025年10月15日 (水)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(その2)……フジバカマの花畑でアサギマダラを見て、関ケ原ウォーランド、笹尾山ステージで鉄砲隊演武、関ヶ原合戦決戦地を経て、岐阜関ケ原古戦場記念館にて「完」

251012jrwalkingsekigahara2  10月12日に行ってきた、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」の本編その2です。詳しいルートマップは、その2の途中です。本編その1では、関ヶ原の合戦開戦地と、その隣の小西行長陣跡まで来ました。その続きで、フジバカマの花畑から、関ケ原ウォーランドへと向かいます。

Img_5004c_20251012165601 事前告知用のコースマップを見たときから期待していたのですが、開戦地からすぐのところに、フジバカマの花畑がつくられています。フジバカマといえば、アサギマダラ。ひょっとしたら、アサギマダラが見られるかと思ってやって来たのですが、期待は裏切られませんでした。

Img_4988c_20251014101201  251012093524401c アサギマダラが乱舞とまではいきませんでしたが、かなりたくさんのアサギマダラがフジバカマの蜜を吸っていました。ついうれしくなって、写真を撮りまくり。ちなみに、左の写真はスマホで撮影。右の写真は、いつもウォーキング・ハイキングに持っていく超望遠コンデジによるもの(Canon Powershot SX-60HS)。タイミングを見計らうと(アサギマダラが蜜を吸い始めてしばらく経った頃)、スマホでもうまく撮れました。

 Img_5068c_20251014101101私のほかにも、たくさんのウォーキング参加者の皆さんが、アサギマダラの写真を撮っておられました。アサギマダラは、桑名や多度でも見たことはありましたが(2015年10月2日:アサギマダラを見つけました……九華公園の様子、秋の水郷舟めぐり案内)、これほどきれいに写真に撮れたのは初めて(微笑)。

Img_5123c Img_5126c  閑話休題。左の写真は、町中で見つけた「通学路注意」の看板。いかにも関ヶ原古戦場という感じ。右の写真は、たぶんお地蔵さん。関ヶ原の町のあちこちにお地蔵さんや、小さな祠がありました。供養や祈りのためのものかという気がします。

Img_5146c_20251012165601  このあとは関ケ原ウォーランド。昭和39(1964)年にオープンした歴史のある関ヶ原合戦のテーマパークです。約1万坪(野球場なら3面)の広大な敷地に、史実に基づいた戦の陣形が再現されています。昔は、たぶん賑わったところであろうと思います。開園前でもあり、写真を撮ったのみで通過してきました。

Img_5129c_20251014102601 関ケ原ウォーランドの東に天満山宝蔵寺というお寺がありました。高野山真言宗。ご本尊は、大元帥明王。関ケ原の戦いの犠牲者を弔う戦場の寺院です。関ケ原ウォーランドが開園したときに、当時の館長の意思で、関ヶ原合戦の戦没者供養のために寺院が創建されたということでした。毎年10月に戦没者供養が行われているそうです。

Img_5153c  関ケ原ウォーランドから国道365号線に出る途中の三叉路に大神宮常夜灯。ネットでは、これという情報はヒットしませんでした。関ヶ原で中山道から分かれた「伊勢街道(三重では、美濃街道と呼びます)」があるのは知っていましたが、この常夜灯はその追分からは北西に1.5㎞ほどのところにあります。

251012jrwalkingsekigahara3  ここらあたりから詳しいルートマップは、その3へ。島左近陣跡(ここに笹尾山ステージ)、笹尾山交流館の前を通って、関ヶ原合戦決戦地に向かいます。

Img_5172c Img_5176c  国道365号線を歩いていると、左手から発砲音らしき音が何回か聞こえてきました。最初はちょっと驚きました。国道から島左近陣跡の方に向かっていくと、笹尾山ステージでイベントが行われているようでした。

Img_5184c  10月11日、12日と大関ヶ原祭が開かれており、ここ笹尾山ステージでは、鉄砲隊演武が開かれていたのです。この近くを歩いているとき、破裂音が聞こえてきたのですが、それがこの鉄砲隊の演武でした。発砲シーンを見てきたのですが、本物の火縄銃を使っていて、すごい迫力です。さまざまな射撃法が披露されたようです。出演は、関ケ原鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊だったそうです。YouTubeに短い動画を載せてあります。こちらをご覧ください。

Img_5208c  笹尾山交流館の前を通って、いよいよ関ヶ原合戦開戦地へ。ここは、西に西軍・石田三成陣跡、正面には決戦地を望む、抜群のロケーションにあります。ここでは、甲冑体験が有料でできるそうです。戦国武将になりきれるプレミアム甲冑から足軽甲冑まで、種類も様々あるとか。

Img_5217c Img_5262c_20251012165601  関ヶ原古戦場決戦地に到着。笹尾山を背に、現在は田んぼが広がるところで、のどかな光景が広がっており、ここで激戦が繰り広げられたとは思えません。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。慶長5(1600)年9月15日午前、関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変。これによって、一気に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。この決戦地は、東軍諸隊が石田三成首級(しゅきゅう)を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所だそうです。

Img_5290c 251012jrwalkingsekigahara1  これで残す立ち寄り先は、岐阜関ケ原古戦場記念館のみ。記念館の近くに町役場などがあり、このあたりが、大関ヶ原祭のメイン会場で、ステージが催されていたり、キッチンカーなどがたくさん出店していて、大賑わいでした。ルートマップは、その1に戻っています(右の画像)。

Img_5375c_20251012165601  こちらが岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原の戦いを体感できる、体験型の施設として、5年前に開館しています。関ヶ原の戦いを映像技術や、デジタル技術を駆使して再現していて、人気スポットになっています。ここはNHKBSの歴史番組でも取り上げられており、ぜひとも訪ねたかったところ。とくに5階の展望室から古戦場を眺めてみたかったのです。通常は、大人ひとり¥500ですが、2階展示室で企画展「世界三大古戦場展 連携展示『激戦の地 ゲティスバーグ・ワーテルローの現在』」が開かれていて、¥1,000。

Img_5298c_20251012165601 Img_5338c  1階のシアターは予約がないと入れません。2階の展示室はざっと見て回ったのみで、5階へほぼ直行(苦笑)。フロアには右の写真のように古戦場の位置関係が示されています。記念館から半径1㎞の範囲にかなりたくさんの陣跡があります。もっと広いところで戦が行われたというイメージを持っていたのですが、そうでもないようでした。

Img_5301c_20251012165601  展示室内の東西と北には、右の写真のように、陣跡などの案内板があります。

Img_5304c_20251012165601 Img_5360c_20251012165601  東西、北と一通り眺めてきたのですが、晴れていたらもっとよく見えたかもしれませんが、まぁよし。これらの2枚の写真は、先ほど訪ねてきた決戦地のあたり。

Img_5357c  西側、展望室のすぐ下には、初めの方で見た陣場野公園が見下ろせました。ここも大関ヶ原祭のイベント会場です。

Img_5399c  岐阜関ケ原古戦場記念館からゴールの関ヶ原駅までは500mほど。大関ヶ原祭の会場を見ながらゴールへ。ここで何か食べたり、土産を買ったりしてもよかったのですが、大賑わいでしたからパス。関ヶ原駅には、10時50分ころに到着。ゴール受付をして、参加ポイントをゲット。

Screenshot_20251012104933c Screenshot_20251012104943c  こちらが参加ポイントの記録。係の方が「90ポイントですね」とおっしゃったような気がしましたが、勘違い。80ポイントでした。右の写真は、踏破距離一覧。JRさわやかウォーキングで、この1年間に歩いた距離。

251012120233543c 251012114421692c  このあと、関ヶ原駅を11時20分に出る大垣行き普通に乗車。大垣駅には、11時33分に到着。¥240。大垣駅ビルにあるアスティ大垣のおらが蕎麦で昼食。鶏天蕎麦、¥890。このおらが蕎麦、お気に入りなのです。津駅にも、チャムに同じ系列で信州そば処そじ坊という店があります。

 251012120730885c Screenshot_20251012120804c 養老鉄道大垣駅を12時26分に出る桑名行き普通に乗車します。養老鉄道大垣駅にもエキタグのデジタルスタンプが設置されていますので、ゲットしてきました。

251012121037856c 251012123058879c  できれば、今日は、養老鉄道のシナモロールラッピングトレインに乗りたかったのですが、往復とも600系の電車。シナモロールラッピングトレインとは、途中駅ですれ違ったのみ。桑名駅に13時38分着。乗り換え不要は楽なのですが、時間はそれなりにかかります。しかも、よく揺れる。文庫本でも読もうと思っていたのですが、揺れるので断念。帰りは、途中、さすがに爆睡した時間がありました。

251012134016389c  養老鉄道では、桑名駅にも、大垣駅にも、シナモロールとのコラボを示す掲示がありました。写真は桑名駅にて。シナモロールとのコラボイベントは、12月25日までだそうですから、一度くらいは、シナモロールラッピングトレインに乗りたいもの。

Screenshot_20251012140355c  こちらが、今日のGoogle Fitのデータ。7.87㎞、14,325歩でした。普段の散歩にプラスアルファくらい歩いたということです。

1760234376675c  今日の土産は、まずは、関ヶ原駅前にある関ヶ原観光交流館で見つけた「日清どん兵衛 東西セット」(¥570)。関ケ原は食の世界でも天下分け目の地だということです。壬申の乱(672年)の後にこのあたりには、東山道(後の中山道)の不破関が設けられました。ここから関の東を「関東」と呼んだのです。日清のどん兵衛も、関西は「かつおと昆布だしがベースの色のうすいつゆ」、関東は「かつおだしベースの色の濃いつゆ」ということで、ここだけのオリジナルパッケージでセット販売されていました。

251013151348875c  251013151333513cもう1つは、同じく関ヶ原観光交流館で買った「信長のえびしょっぱい」(8枚入り¥562)。「パイ」なのに「せんべい」と思う食感。砂糖の甘み、えびの香ばしさを味わいながら、時折しょっぱさを感じるというセールスの通りでした。

2025年10月14日 (火)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(その1)……東首塚、陣場野公園から関ヶ原合戦開戦地へ

Img_4810c  10月12日に行ってきた、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」の本編その1です。関ヶ原古戦場には、興味があり、一度は訪ねてみたいと思っていました。しかし、自分で出かけるとなると、ちょっと遠く、また、JRで行くとしますと、名古屋経由で、グルッと遠回りする必要があり、なかなか実現しないでいたのです。今回、JRさわやかウォーキングで関ヶ原を訪ねる企画があり、「これだ!」と飛びついた次第。今回も、ひとり旅。この日、桑名では、最高気温は、26.3℃。関ヶ原は曇っていて、やや蒸し暑い感じでした。

Img_4775c Img_4778c_20251012165401  JR関西線、東海道線経由で行きますと、桑名~関ヶ原間は、快速を利用しても1時間40分かかります。結局、大垣までは養老鉄道を利用することとしました。この方が、所要時間はわずかに短いのです。養老鉄道桑名駅を7時13分に出る大垣行き普通に乗車。大垣着は、8時31分。今日は、1日フリーきっぷ(¥1,500)を利用。桑名~大垣間は、普通に買うと¥830ですから、往復では¥160おトク。大垣からは、8時36分発のJR東海道線米原行き特別快速に乗車。関ヶ原駅には、8時49分に到着。¥240。

Img_4795c_20251012165401 Img_4804c_20251012165401  関ヶ原駅は、大賑わいで、JRさわやかウォーキングに参加する方も多数。コースマップを受け取り、8時55分にスタート。

251012jrwalkingcoursemapc 251012jralkingsekigahara0  こちらがこの日のコースマップ。同じものですが、キョリ測で描いたルートは、右の画像の通り。おおよその距離も入れてあります。関ケ原駅をスタートし、東首塚、陣場野公園、関ケ原古戦場開戦地、フジバカマの花畑、関ケ原ウォーランド、関ケ原古戦場決戦地から岐阜関ケ原古戦場記念館と回って、関ケ原駅がゴールでした。約5.5㎞で、家族向けのコース設定ですが、これで関ヶ原古戦場の主なところは見て回ることができました。

251012jrwalkingsekigahara1  ルートマップが続きますが、詳しいルートマップその1。JR東海道線関ヶ原駅をスタートし、西にある跨線橋に向かいます。跨線橋を渡ったところに東首塚。そこから北西に向かうと、徳川家康最後陣跡である陣場野公園。ここは、最後に立ち寄る岐阜関ケ原古戦場記念館のすぐ西。関ヶ原の町を歩いて、関ヶ原古戦場開戦地に向かいます。

Img_5395c Img_4818c_20251013185901  跨線橋に向かう坂道には、関ヶ原の合戦に関するパネルが並んでいます。きちんと見ていけば、関ヶ原の合戦について、相当の知識が得られると思いました。ということは、しっかりとは見ていません(苦笑)。

Img_4867c  東首塚です。関ヶ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に森が広がっており、その中に「東首塚」があります。私は、コースの都合で裏から入ったのですが、西側に朱色の大きな門があります。

Img_4850c_20251013190501 Img_4843c_20251012165401  そこを抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康床几場で首実検をし、その後、東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。

Img_4841c_20251013190901  ここは、文化14(1817)年、関ヶ原宿本陣の主を務めていた古山兵四郎が、関ヶ原合戦の地が将来忘れ去られることを危惧し、首級墳碑を建てたのです。この写真は、右上の写真に写っている説明板です。

 さらに、Img_4827cこの地は、Img_4832c松平忠吉・井伊直政陣跡でもあります。関ケ原の戦いで、井伊直政は事実上の総大将で、先鋒役の意識が強く、直政の娘婿で初陣でもある松平忠吉に手柄を立てさせたい一念であったといいます。東軍先鋒は福島隊と決まっていたのですが、午前8時頃に、福島隊の先頭隊長・可児才蔵の制止を振り切り、宇喜多隊へ発砲し開戦となっています。合戦の終わりがけ、島津隊が敵中突破を試みた際には、直政と忠吉は島津隊を追撃し、大きな戦果を挙げたものの、2人とも島津隊兵士に狙撃されて傷を負ってしまいます。とくに、直政の傷は深く、その傷がもとで2年後に亡くなっています。

Img_4871c  東首塚から陣場野公園へ向かう途中の写真です。関ヶ原古戦場は、それなりに高低差のあるところでした。歩いた距離はさほど長くはありませんが、運動量はけっこうあった気がします。

Img_4875c_20251013192001Img_4879c_20251013192001  陣場野公園に行くまで、岐阜関ケ原古戦場記念館の西にも、陣跡があります。田中吉政陣所古址田中吉政は、三河岡崎の10万石を治める熱心なキリシタン大名でした。その吉政が布陣したといわれる場所は徳川家康最後陣跡のすぐ隣にあります。以前は、関ケ原字甲斐墓という場所にあり、現在の陣場野に移されたのは昭和62(1987)年でした。『関原合戦図志』によると、合戦時の田中隊のはっきりとした布陣地はわかっていないようです。

Img_4888c  続いて、陣場野公園です。徳川家康最後陣跡が、公園として整備されています。関ケ原合戦の当日、午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動しました。ここから松尾山の小早川秀秋に向けての発砲を命じ、東軍への寝返りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています。

Img_4891c Img_4895c_20251013192501  合戦後はこの場(床几場)にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されたのです。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により、周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。

251012jrwalkingsekigahara2  詳しいルートマップは、その2になります。神明神社、関ヶ原合戦400年記念平和の杜を経て、関ヶ原合戦開戦地へ。ここは、小西行長陣跡と隣接しています。さらに、フジバカマの花畑から、関ケ原ウォーランドへと向かいます。

Img_4907c Img_4918c  陣場野公園から、次の目的地である関ヶ原合戦開戦地までは、1㎞ほどあります。途中、神明神社と、関ヶ原合戦400年記念平和の杜。神明神社の創建は不詳ですが、関ヶ原合戦の際には、関ヶ原町大字関ヶ原字西甲斐墓の丘陵に祀られており、島津義弘が陣地としても好適の地であるとして、この神社の境内を本陣となし、戦勝を祈願したといいます。嘉永6(1853)年、火災にあい、隣地の字神田に移転しています。関ヶ原合戦400年記念平和の杜は、関ケ原合戦後400年の節目にあたる平成12(2000)年10月1日に、「関ケ原と世界平和」をテーマにした作品が設置され、開園しました。芝生が美しく、巨大な石の彫刻がたたずんでいます。彫刻作品は、フランスの世界的石彫家であるピエール・セーカリー氏と日本人石彫家の坂井達省氏により作られたものだそうです。

Img_4929cImg_4934c  そして、いよいよ関ヶ原合戦開戦地へ。北天満山を背にした西田運動広場の入口に「開戦地」の大きな碑があります。合戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけとして、松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を掛けたのが、ここ開戦地であるといわれています。現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しましたが、結果的に、この辺りが合戦場のほぼ中央にあたるそうです。ということは、このあたりを武将たちが駆け巡ったということかと想像力が膨らみます。

Img_4959c  開戦地の跡には、このような案内板があり、各武将が、どこに陣地を置いたかなどが良く分かるようになっています。

Img_4973c Img_4977c_20251014042501  開戦地の隣に小西行長陣跡。北天満山の裾野を流れる梨木川右岸にあります。ここは、北は北国街道、南は中山道を押さえる重要な場所でした。関ケ原合戦が始まると、北天満山から烽火(のろし)をあげて味方に開戦の合図をしたそうです。午後になり、大谷隊が敗れたとの知らせを受けると、天満山を越えて揖斐郡の春日方面へ敗走したといわれます。山頂に布陣できるスペースはなく、中腹に布陣したと考えられています。また、後に村人らがここに大きな溜め池を設けたため、当時の陣地は池の中に没したと『関ケ原合戦図志』に紹介されています。ルートマップその2の途中ですが、キリがよいので本編その1は、ここまで。

2025年10月13日 (月)

20251013JRさわやかウォーキング「桑名を満喫!! 東海道お手軽ウォーキング」へ(一回完結)

Img_5409c  昨日に引き続き、今日もまたJRさわやかウォーキングに出かけました。もっと若い頃は、土日に連チャンでJRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行っていましたが、最近はそういう勢いはなくなっています。しかし、今日のJRさわやかウォーキングは、地元・桑名での開催なのです。題して、「桑名を満喫!!東海道お手軽ウォーキング」。いつもの散歩コースに近いものなのですが、これは行かない手はありません(微笑)。今日は、よく晴れて真夏日が復活。最高気温は、正午前に記録した31.3℃。

Img_5414c 251013jwalkingkuwana こちらが配付されたコースマップ。右は、ネットのキョリ測というサイトで描いたルートマップ。マップ上は、約4.8㎞となっています。桑名駅をスタートし、浄土寺、六華苑、住吉神社、→七里の渡し→九華公園→桑名宗社(春日神社)、桑名市博物館、寺町通商店街(三八市))を経て、桑名駅にゴール。ご近所の方とご一緒させてもらったのですが、途中からは、「両手に花」でした(これは、今では、セクハラ用語かもしれませんが、他意はありませんので、ご容赦ください)。記事は、一回完結。訪ねた場所も、何度も取り上げていますので、概要のみを記しています。8時35分頃にスタート。

Img_5421c_20251013142401  見慣れ、歩き慣れたあたりをずっと歩いていきます。八間通あたりの風景です。

Img_5425c_20251013142401 Img_5429c_20251013142401  最初の立ち寄り先は、袖野山浄土寺。西山浄土宗。本多忠勝公の本廟がありますし、地蔵盆で売られる幽霊飴が知られています。

Img_5433c_20251013142401  こちらが、本多忠勝公の廟所。境内の北西の奥にあります。

Img_5439c_20251013142401  浄土寺から、諸戸氏庭園の前を通って、六華苑に向かいます。秋の特別公開は、10月25日(土)から12月7日(日)。紅葉がきれいです。

Img_5448c  六華苑。もとは、2代目諸戸清六邸(東諸戸邸)です。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園を持ち、総面積は18,000平方メートル余に及びます。実業家の2代目諸戸清六の新居として、明治44(1911)年にジョサイア・コンドルの設計で着工し、大正2(1913)年に竣工。コンドルが設計した建物で、地方に残るのはここだけです。

 Img_5461c_20251013142301今日は天気がよく、建物がきれいに見えました。正面が洋館、向かって左に和館が続いているという、独特の建築様式。上記のように、池泉回遊式の日本庭園も見事です。

Img_5483c  続いて、住吉神社を経て、七里の渡し跡へ。このあたりは、いつもの散歩コースです。今日は、名古屋駅前の高層ビル群はもちろん、木曽御嶽山まで見えていました。

Img_5486c Img_5490c  立ち寄り先にはありませんでしたが、蟠龍(ばんりゅう)櫓にも登ってきました。2階が展望室になっているのです。蟠龍とは、地上にうずくまって、まだ昇天しない龍のこと。櫓の1階の屋根部分、揖斐川の方向に蟠龍が控えています(右の写真)。

Img_5497c_20251013142301 Img_5501c_20251013142301  九華公園の入り口、コミュニティパーク側に本多忠勝像があります。立坂神社が所有する「紙本淡彩 本多忠勝像」をもとにつくられています。九華公園は、ごく一部を通過したのみ。右の写真は、九華公園をご存じの方でもあまり意識してご覧になったことがないかも知れません。九華公園の扇橋西にあり、石に「九華公園」と刻まれています。

Img_5508c Img_5528c  中橋から桑名宗社へ。通称、春日神社あるいは春日さん。桑名神社(ご祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)と、天久々斯比乃命(あめのくぐしびめのみこと:桑名首(くわなおびと=上代桑名の豪族)の祖神))と、中臣神社(ご祭神は、天日別命(あめのひわけのみこと)。相殿神は、春日四柱神(かすがよはしらのかみ)、すなわち、建御雷神(たけみかずちのかみ)、斎主神(いわいぬしのかみ)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ))の2社からなっています。リンク先に由緒があります。社は、2つの社が連続してます(右の写真)。

Img_5512c_20251013142301  ちなみに、珍しいものとして、青銅の鳥居のかたわらに「志るべ石」があります。正面には「志類べ以志」と刻まれています。「迷い子石」ともいわれ、人の大勢集まる所に立てられました。自分の子どもが迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子どもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもがいた場所などを貼ります。明治18(1885)年に東京の蘆田政吉氏が建立。同じものが多度大社の鳥居の横にもあるそうですが、私はそれはまだ確認していません。

Img_5535c  次に、桑名市博物館が立ち寄り先になっていますが、私は先日、「なんの花か咲く」展は見てきましたので(2025年10月10日:桑名市博物館で「なんの花か咲く-花のある風景-」展を見る)、パス。次の「桑名の豪商 諸戸家の至宝」展が楽しみです。

Img_5538c Img_5542c  最後は、寺町商店街三八市へ。私は、昨日、散財しましたので(2025年10月12日:20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編))、見てきただけ。

Img_5557c_20251013142301  ゴール受付の桑名駅へ戻ります。11時25分頃到着。今日は、浄土寺、六華苑、蟠龍櫓などゆっくり見て回りましたので、ほぼ3時間かかっています。踏破ポイント、昨日で90ポイントになったと思っていたのですが、勘違い(苦笑)。今日で90ポイントでした。そういえば、「東海道お手軽ウォーキング」でしたが、七里の渡し跡と、博物館付近で東海道を歩いた(に触れた)くらいです。

Img_5548c  桑名駅東口では、障サ連チャリティーコラボイベントが行われていて、キッチンカーなども多数出展していましたが、これもパス。

Screenshot-2025_10_13-11_49_50c  本日のGoogle Fitのデータ。マップ上4.8㎞ですが、8.7㎞、14,995歩も歩いていました。立ち寄り先であちこち見て回ったためです。

2025年10月12日 (日)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編)

Img_4810c  今日は、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ行ってきました。関ヶ原古戦場には、興味があり、一度は訪ねてみたいと思っていました。しかし、自分で出かけるとなると、ちょっと遠く、また、公共交通機関を利用するとなると、グルッと遠回りする必要があり、なかなか実現しないでいたのです。今回、JRさわやかウォーキングで関ヶ原を訪ねる企画があり、「これだ!」と飛びついた次第。今回も、ひとり旅。今日のところは、予告編です。桑名では、最高気温は、26.3℃。関ヶ原は曇っていて、やや蒸し暑い感じでした。

Img_4775c Img_4778c_20251012165401  ルートを考えた挙げ句、大垣までは養老鉄道を利用することとしました。養老鉄道桑名駅を7時13分に出る大垣行き普通に乗車。大垣着は、8時31分。今日は、1日フリーきっぷ(¥1,500)を利用。桑名~大垣間は、普通に買うと¥830なので、往復では¥160おトク。大垣からは、8時36分発の東海道線米原行き特別快速に乗車。関ヶ原駅には、8時49分に到着。¥240。

Img_4804c_20251012165401 Img_4795c_20251012165401  関ヶ原駅は、大賑わいで、JRさわやかウォーキングに参加する方も多数。コースマップを受け取り、8時55分にスタート。

251012jralkingsekigahara0 251012jrwalkingcoursemapcこちらが今日のコースマップ。同じものですが、キョリ測で描いたルートは、右の画像の通り。おおよその距離も入れてあります。関ケ原駅をスタートし、東首塚、陣場野公園、関ケ原古戦場開戦地、フジバカマの花畑、関ケ原ウォーランド、関ケ原古戦場決戦地から岐阜関ケ原古戦場記念館と回って、関ケ原駅がゴールでした。約5.5㎞で、家族向けのコース設定ですが、これで関ヶ原古戦場の主なところは見て回ることができました。

Img_4843c_20251012165401 Img_4867c  まずは、東首塚。関ヶ原駅のすぐ西の跨線橋を渡ると、左手に森が広がっており、その中に「東首塚」があります。朱色の大きな門を抜けると、その奥にスダジイの大木が茂った塚があります。この塚は関ケ原合戦後、徳川家康が床几場で首実検をし、その後、東西2ヶ所に埋葬したことから「東首塚」と呼ばれています。この首塚に、当時この地の領主であった竹中重門が、家康の命により関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。

 続いて、陣場野公園。Img_4888c Img_4891c徳川家康最後陣跡が、公園として整備されています。関ケ原合戦の当日、午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を桃配山からまさに関ケ原の中央部、三成本陣の笹尾山のすぐ下(直線距離にて約800m)へ移動しました。ここから松尾山の小早川秀秋に向けての発砲を命じ、東軍への寝返りへと仕向け、関ケ原合戦を勝利へと導いたとされています。合戦後はこの場(床几場)にて引見が行われ、討ち取ってきた敵の首級が実検されたのです。その後、幕府の命を受けた領主の竹中家により、周囲の土塁や中央の土壇が築かれました。

Img_4929c 関ヶ原古戦場開戦地です。北天満山を背にした西田運動広場の入口に、「開戦地」の大きな碑があります。合Img_4934c戦当日の朝、霧が薄くなったのをきっかけとして、松平・井伊隊が、先峰の福島隊の脇を通り抜け、宇喜多隊の前へ進出し発砲。この井伊隊の抜け駆けに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃を掛けたのが開戦地であるといわれています。現在の標柱の位置は、圃場整備によって史跡指定時よりも約300m北に移動しましたが、結果的に、この辺りが合戦場のほぼ中央にあたるそうです。ということは、このあたりを武将たちが駆け巡ったということかと想像力が膨らみます。

Img_4959c  開戦地の跡には、このような案内板があり、各武将が、どこに陣地を置いたかなどが良く分かるようになっています。

Img_5004c_20251012165601 251012093524401c  開戦地からすぐのところに、フジバカマの花畑がつくられています。フジバカマといえば、アサギマダラ。ひょっとしたら、アサギマダラが見られるかと思ってやって来たのですが、期待は裏切られませんでした。アサギマダラが乱舞とまではいきませんでしたが、かなりたくさんのアサギマダラがフジバカマの蜜を吸っていました。ついうれしくなって、写真を撮りまくり。ちなみに、右の写真はスマホで撮影。

Img_5146c_20251012165601  このあとは関ケ原ウォーランド。昭和39(1964)年にオープンした歴史のある関ヶ原合戦のテーマパークです。約1万坪(野球場なら3面)の広大な敷地に、史実に基づいた戦の陣形が再現されています。昔は、たぶん賑わったところであろうと思います。開園前でもあり、写真を撮ったのみで通過してきました。

Img_5176cImg_5184c  関ヶ原古戦場決戦地の西、島左近陣地跡あたりでイベントが行われていました。昨日、今日と大関ヶ原祭が開かれており、ここ笹尾山ステージでは、鉄砲隊演武が開かれていたのです。この近くを歩いているとき、破裂音が聞こえてきたのですが、それがこの鉄砲隊の演武でした。発砲シーンを見てきたのですが、本物の火縄銃を使っていて、すごい迫力です。さまざまな射撃法が披露されたようです。出演は、関ケ原鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊だったそうです。

Img_5217c Img_5262c_20251012165601  いよいよ関ヶ原古戦場決戦地。笹尾山を背に、現在は田んぼが広がるところ。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。1600年9月15日午前、関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変。これによって、一気に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。この決戦地は、東軍諸隊が三成の首級を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所といわれています。

Img_5375c_20251012165601  Img_5298c_20251012165601 最後の立ち寄り箇所は、岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原の戦いを体感できる、体験型の施設と謳っています。ここはNHKBSの歴史番組でも取り上げられており、ぜひとも訪ねたかったところ。とくに5階の展望室から古戦場を眺めてみたかったのです。大人ひとり¥1,000。

 Img_5301c_20251012165601 Img_5338c2階の展示室はざっと見て回ったのみで、5階へほぼ直行(苦笑)。フロアには左の写真のように古戦場の位置関係が示されています。記念館から半径1㎞の範囲にかなりたくさんの陣跡があります。もっと広いところで戦が行われたというイメージを持っていたのですが、そうでもないようでした。東西と北には、右のように、陣跡などの案内板があります。

Img_5304c_20251012165601 Img_5360c_20251012165601  一通り眺めてきたのですが、晴れていたらもっとよく見えたかもしれませんが、まぁよし。これらの2枚の写真は、先ほど訪ねてきた決戦地のあたり。

 Img_5399c岐阜関ケ原古戦場記念館からゴールの関ヶ原駅までは500mほど。大関ヶ原祭の会場を見ながらゴールへ。ここで何か食べたり、土産を買ったりしてもよかったのですが、大賑わいでしたからパス。関ヶ原駅には、10時50分ころに到着。ゴール受付をして、参加ポイントをゲット。

Screenshot_20251012104933c Screenshot_20251012104943c  こちらが参加ポイントの記録。係員の方が「90ポイントですね」といわれた気がしましたが、勘違いで、80ポイントでした。右の写真は、踏破距離一覧。JRさわやかウォーキングで、この1年間に歩いた距離。

251012114421692c 251012120233543c このあと、関ヶ原駅を11時20分に出る大垣行き普通に乗車。大垣駅には、11時33分に到着。¥240。大垣駅ビルにあるアスティ大垣おらが蕎麦で昼食。鶏天蕎麦、¥890。このおらが蕎麦、お気に入りなのです。津駅にも、チャムに同じ系列で信州そば処そじ坊という店があります。

 251012120730885c Screenshot_20251012120804c 養老鉄道大垣駅を12時26分に出る桑名行き普通に乗車します。養老鉄道大垣駅にもエキタグのデジタルスタンプが設置されていますので、ゲットしてきました。

251012121037856c 251012123058879c  できれば、今日は、養老鉄道のシナモロールラッピングトレインに乗りたかったのですが、往復とも600系の電車。シナモロールラッピングトレインとは、途中駅ですれ違ったのみ。桑名駅に13時38分着。乗り換え不要は楽なのですが、時間はそれなりにかかります。しかも、よく揺れる。文庫本でも読もうと思っていたのですが、揺れるので断念。帰りは、途中、さすがに爆睡した時間がありました。

 251012134016389c 養老鉄道では、桑名駅にも、大垣駅にも、シナモロールとのコラボを示す掲示がありました。写真は桑名駅にて。シナモロールとのコラボイベントは、12月25日までだそうですから、一度くらいはシナモロールラッピングトレインに乗りたいものです。

Screenshot_20251012140355c  こちらが、今日のGoogle Fitのデータ。7.87㎞、14,325歩でした。普段の散歩にプラスアルファくらい歩いたということです。

 1760234376675c 今日の土産は、まずは、関ヶ原駅前にある関ヶ原観光交流館で見つけた「日清どん兵衛 東西セット」(¥570)。関ケ原は食の世界でも天下分け目の地だということです。壬申の乱(672年)の後にこのあたりには、東山道(後の中山道)の不破関が設けられました。ここから関の東を「関東」と呼んだのです。日清のどん兵衛も、関西は「かつおと昆布だしがベースの色のうすいつゆ」、関東は「かつおだしベースの色の濃いつゆ」ということで、ここだけのオリジナルパッケージでセット販売されていました。

251013151333513c 251013151348875c  もう1つは、同じく関ヶ原観光交流館で買った「信長のえびしょっぱい」(8枚入り¥562)。「パイ」なのに「せんべい」と思う食感。砂糖の甘み、えびの香ばしさを味わいながら、時折しょっぱさを感じるという不思議な味わいでした。

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  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)