お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2026年5月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2021年1月以降の記事を残し、2020年12月以前の記事は削除しました。2021年1月1日以降の記事は、両方にあります。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

歴史散歩

2026年3月23日 (月)

野鳥もおらず、新しい花も見つからず

Dsc00087c  雨は朝5時過ぎには上がりましたが、アメダスには雨量の記録はほとんどありません。24時間雨量は1.5mm。水不足解消にはほど遠いと思われます。10時頃からは晴れて来て、最高気温は19.3℃。8時50分からいつものように、桑名七里の渡し公園、住吉入江沿いへ。約1時間。その後、5日ぶりにリハビリへ。連休明けでしたので、リハビリも混んでいましたが、幸い、長時間待つようなことはありませんでした。冒頭の写真は、散歩から帰ったときのもの。

Dsc09386c_20260323145201  朝8時頃、南側のベランダにいたら、道を1本挟んだ向こうにある2階建てアパートの屋根にイソヒヨドリのメスがやって来ました。急いでカメラを撮ってきて撮ったのがこちら。写真としては、出来がよくありませんが、イソヒヨドリを見たのは、いつ以来でしょう?

Dsc09626c_20260323145201 Dsc09571c  さて、桑名七里の渡し公園で見た鳥たち。まずは、ドバト。公園に着いたとき、芝生広場に数羽のドバトがいて、エサを拾っていたのです。続いて、キジバト。公園の西側エリアの木の上。

 Dsc09619c_20260323145201カワラヒワもいましたが、まだ曇っていて、どれも写真はあまりよくありません。ほかにはカラス(たぶんハシボソガラス)と、スズメがいたくらい。あまりにも野鳥がいませんので、笑えてきます。

Dsc09904c  Dsc09835c_20260323145301 住吉入江沿いや、住吉水門の内側に水鳥がいないか見に行ったら、オオバンが1羽のみ。入江の南側には、ツグミが2羽。ただし、これも証拠写真です。

Dsc09723c_20260323151501  草花も、今日は新しいものは見つけられませんでした。この花を見つけ、これは私にとっては新種だ! と喜んだのですが、Googleレンズはオオイヌノフグリだというのです。それでもと思って、GoogleGeminiに聞いても、やはりオオイヌノフグリの可能性が高いといいます。ぬか喜びで、ガッカリ。まだまだ勉強が足りません。

Dsc09771c_20260323145201 Dsc09650c_20260323145201  左の写真は、ホトケノザ。右は、昨日も触れましたが、ヒメオドリコソウ。どちらもシソ科で、花も似たようなものをつけます。

Dsc09669c_20260323145201  こちらも以前に載せたヒュウガミズキ。ということで、今日は、これまでに見ていない花は咲いていませんでした。私には、まだ葉っぱだけでは、何かということが分かりません。『雑草の話(田中修、中公新書、2007年)』や、『目から鱗の自然観察(唐沢孝一、中公新書、2018年)』なども少しずつ読んでいるのですが、見つけたものについて、これらを読んで確認し、勉強している段階です。

Dsc00069c_20260323145301 Dsc09970c_20260323145301  諸戸氏庭園の前のマイソメイヨシノは、花が少しずつ増えていますが、まだ1分咲きともいえないくらい。右の写真は、住吉ポンプ場の南東あたりにあるソメイヨシノのもの。住吉入江沿いには、ソメイヨシノを中心として、桜並木があります。ベランダから眺めると、あちこちで咲いていますので、また、それらを見て回ろうと思っています。

Dsc00026c_20260323145301 Dsc00004c_20260323152901  帰り道、諸戸氏庭園の前を歩いてきたら、庭園の海鼠(なまこ)壁などの修理が終わっていました。桑名に引っ越してきた頃、どなたかに「ここで時代劇の撮影が行われたことがある」と伺った記憶があります。左の写真で、右にある土蔵は、石取祭の祭車が保管してある「祭車庫」(2026年3月8日:気分転換に出て諸戸家の石取祭祭車を見る)。これも修復されたのですが、本格的な土蔵のつくり方で修復されていました。壁は竹を組んだところに、泥団子を打ち付けて壁を塗っているのを見ました。

Yamada  Dsc00016c門は、薬医門となっています。以前あった門は、このような立派な門ではなく、金属製の扉がついているという感じでした。江戸時代、ここには豪商山田彦左衛門の隠居所がありました。『久波奈名所図会』には、「山田氏林泉図」として載っています(右の画像)。「山田氏林泉 太一丸にあり、時々、藤花盛りの日、君侯御成りがある」と書かれています。右の画像には、よく見ると「御成門」とあります。ただし、修復された門は、この御成門とは、位置が異なるようです。

2026年3月 5日 (木)

外の空気を吸いに行ってきました(笑)

Img_0869c  昨日よりは弱まったものの、今日もかなり強い風が吹いています。天気は良く、最高気温は、14.2℃。今日はとくに用はありません(微笑)。

Img_0890c Img_0894c  ここ1週間ほどは、病院やリハビリに行く以外は、蟄居生活を送っていました。しかし、天気も良いのに1日中、室内にいるのでは、息がつまってきます。また、服薬とリハビリのお陰でしょうが、痛みは軽くなってきています。そこで、退屈しのぎに外の空気を吸いがてら、ちょっとそこまで行ってきました。「そこまで」というのは、この写真のところまででで、片道はせいぜい100mあまり。わが家隣の諸戸氏庭園前の住吉入江あたりです。

Img_0911c  右上の写真で、もっとも手前に写っているのは「マイ・ソメイヨシノ」。勝手にそう認定していますが、認定すると愛着が湧くのです。今年は、ソメイヨシノの開花が早く、名古屋では今月20日という予想が出ています。ここのソメイヨシノはどうかといいますと、この写真のように、つぼみは膨らんではいますし、つぼみの先に緑色の部分が見えていますが、これでいつ頃咲くのでしょう?

Img_0913c  260305104257504c ソメイヨシノの根元には、タンポポ。しゃがみ込んで総苞片を見ることはできませんでしたので、ニホンタンポポなのか、セイヨウタンポポなのかははっきりしません。また、タンポポの近くには、ツクシも出ていました。もうちょっと早い時期に見られれば、もっときれいだったと思います。ここには、ずっと以前はもっとたくさんツクシが出ていたのですが、最近はよく探さないと見つけられません。

260304121818183c 260304122135951c  こちらは、昨日、常信寺で撮ってきた写真。左の写真は、ハクモクレンのつぼみ。ピントが手前のつぼみではなく、中央あたりのものに合ってしまいました(スマホ写真です)。右は、たぶんベニバナトキワマンサクです(ChatGPTの見解)。

20220305107c9837 20220305ff70bc96  ここからは、またまた過去記事から拾ったネタ。これらは、4年前の近鉄ハイキングで丸彦酒造に出かけたときのもの(2022年3月5日:20220305近鉄酒蔵立ち寄りハイキング「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(1回完結))。酒蔵ハイキングでは、どこでも試飲があります。丸彦酒造さんは、有料(1杯¥100)ですが、その分、紙コップになみなみと注いでもらえます。薦樽にある「三重の寒梅」がここのブランド。

20190305295cc4d4 最近は、野鳥の写真がありませんでした。7年前のものですが、町屋川にプチ遠征したときのものがあります(2019年3月5日:町屋川へ……ミサゴ、チュウヒ、セグロカモメ、マガモ、オナガガモなど)。町屋川は、正式名称を員弁川といい、桑名の坂井橋から下流を町屋川と呼んでいます。

20190305e52b0415 201903052f222ead  町屋川緑地公園あたりで、これはミサゴ(左の写真)。かなりトリミングしています。右の写真は、カモメと思います。

201903052566ef8f  こちらは、オナガガモ。私の好きなカモの1つ。散歩コースにはやって来ませんが、町屋川には来ることがあります。右の写真は、マガモ。10数年前には九華公園にも来ましたが、その後はサッパリ。これも町屋川では見られることがあります。ただ、町屋川は、鳥たちがいるところが遠いのが難点。

2016030583bf4ac8 201603056cb1d049  10年前の写真です(2016年3月5日:散歩のついでに「徳川四天王の城-桑名城絵図展」へ……拙宅マンションでコゲラ、「梅にヒヨドリ(笑)」など)。当時、鎮国守国神社で新参集殿の建築工事が行われており、その現場で見ました。小型のコンクリート・ミキサーです。子どもの頃には、あちこちの工事現場や、住宅の建築現場で見かけた記憶があります。このとき、工事をしている男性に「懐かしい」と話しかけたら、「そうですか?」という、割と素っ気ない返事でした。このときならず、今でも使われているようです。ネットで「小型コンクリートミキサー」と検索すると、通販でも売っていました。

20150305653055bc  さらに古く、11年前に撮ったもの(2015年3月5日:今日は、特別支援教育支援員養成講座の講師)。名古屋市市政資料館です。私の好きな建築物で、何度となく訪れています。もとは、大正11(1922)年に名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎として建設されています。ネオ・バロック様式のレンガ造建築物。現在は、名古屋市の公文書館として、市政に関連した資料が閲覧できるほか、建物・市政・司法についての展示が行われています。国の重要文化財です。映画やドラマのロケ地としても有名です。たとえば、NHKの「虎に翼」のロケも行われています。私のブログで詳しく取り上げた記事もあります(2016年10月6日:支援員講座のあと、名古屋市市政資料館へ……旧・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所)。

2021100310be1166 201803113e473616  とくに気に入っているところの写真を載せておきます。左の写真は、中央階段室。1回の正面玄関を入ってすぐのところ。ここのステンドグラスはとても見事です。これらの写真は、11年前ではなく、別の機会に撮ったものです。

 2019123067b2cf00 もう1ヶ所は、留置場の独房。隠れた人気スポットなのだそうです。「独房」が4つ並んでいます。「第貳號」から番号がついていましたが、「4号」は欠番となっています。やはり縁起が悪いのでしょうか。「第貳号」は、室内が見られるようになっています(この写真)。窓は大きく、明るい感じですが、決してこういうところには入りたくはありません。この留置場についての詳しい記事は、こちらにあります。

260304121613259c_20260305135701  ところで、この間から少しずつ古いデジタル写真の整理をしていますが、これが大変。「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事をチェックして、その日のデジタル写真のうち、そこに載っていないもので、不要なもの、重複したものなどを削除しています。この照合、チェックがとてつもなく面倒なのです。2~3時間かかって1日分がやっと終わるということもあります。これに関しては、Windows11のエクスプローラの動きが極端に遅くなることも影響しています。2月26日に空き領域が494GBだったのが、今日現在、498GBと、回復したのは、4GB。手間の割に回復量は少ない気がします(苦笑)。花手水の写真は、昨日、常信寺で撮影しました。

2026年1月28日 (水)

ウェブページに桑名から伊勢神宮内宮まで歩いて参詣した記録を載せました……2019年と2021年と2回歩いています

 ウェブページに次の2つの記事を追加しました。いずれも、桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮内宮まで歩いて参詣したハイキングの記録です。

  1. 近鉄ハイキング「お伊勢さんハイキング 昔も今もお伊勢参り」の記録(2019年)
  2. 東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りハイキング(2021年)

 前者は、近鉄ハイキングの企画「お伊勢さんハイキング 昔も今もお伊勢参り」で12回に分けて、桑名の七里の渡し跡から東海道、伊勢街道を歩いて、伊勢神宮にお参りしたものの記録です。

 後者は、1.近鉄ハイキング「お伊勢さんハイキング 昔も今もお伊勢参り」の記録(2019年)に興味をもった同級生K氏と2021年に二人で出かけた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りハイキング」の記録です。こちらは、17回に分けて、桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮内宮まで歩いて、お参りしています。

 ブログ記事には、詳しいルートマップもつけてありますし、途中で訪ねたり、見たりしてきたところについてあれこれ書いてあります。ご覧いただいて、興味をお持ちになったら、記事の内容をもとに歩いていただくことができると思います。

2026年1月18日 (日)

ウェブページに「桑名の東海道を行く」を公開しました

 このココログのWebページに「桑名の東海道を行く」を掲載しました。これは、平成30(2018)年8月に「桑名の東海道」と題してつくった「パネル展示」をもとにしてあります。このパネル展示は、当時、九華公園の指定管理者であった株式会社KMI桑名様のご協力、ご理解をいただいて、九華公園に展示したものです。その内容をもとにウェブページとしてつくりました。文章は、必要に応じて加筆修正をしましたが、さらに吟味したいと考えています。桑名の東海道を散策される際の参考としてご覧いただければ幸いです。

 スマホでご覧いただく場合、上記のリンクから見ていただけます。ココログのサイドバーに「ウェブページ」へのリンク集がありますが、このサイドバーは、スマホではご覧いただけません。「PC版サイト」または「デスクトップ用Webサイト表示」をご利用ください。Androidスマホでは、スマホのサイト表示をPC版に切り替えてください。スマホでココログを表示していただき、右上のメニューボタン(縦3点)から「PC版サイト」を選択するとPC版が表示されます。iPhoneでPC版ココログを見るには、Safariでブログのページを開き、アドレスバーの「AA」アイコンをタップして「デスクトップ用Webサイトを表示」を選択するか、更新アイコンを長押しして同様のオプションを選んでください。

 なお、写真は、基本的には、当時のものをとりあえずそのまま使用していますが、撮り直した方がよいかも知れません。

2025年12月27日 (土)

野鳥も年末年始の連休か、ジョウビタキ、イソヒヨドリくらい……ついでに歴史散歩へ

Dsc04371c_20251227140601  世間様は、年末年始の連休に入ったようで、今朝は散歩している間、町がいつもの土曜日以上に静かな感じでした。その今朝の最低気温は1.2℃。名古屋などでは、氷点下になったようですが、そこまで寒くはありませんでした。風は弱く、歩いている間もさほど寒い気はせず。住吉神社、九華公園、吉之丸、赤須賀、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、寺町と、いつもより少し足を延ばして、6.2㎞。日中も気温は上がらず、最高気温は、8.6℃。

Dsc03344c_20251227140001  こちらは、散歩に出たときの藤原岳。下の方まで冠雪しています。わが家から北西に24㎞ほどのところ。三重・滋賀の県境で、鈴鹿山脈の北部にあります。標高は、1,144m。

 Dsc03515c_20251227140001散歩に出てすぐ、近所の知人に久しぶりに出会い、喋っていたら、ジョウビタキのメスが登場。日が当たっておらず、こんな証拠写真しか撮れず。しばらく前にわが家近くに縄張りを定めたジョウビタキのメスがいると書きましたが、たぶんそのジョウビタキ。

 Dsc03568c_20251227140001住吉水門のところでは、ヒドリガモが2ペア。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が数隻出ていて、水鳥はほかには見えません。七里の渡し跡では、川口水門の方にキンクロハジロのオスが1羽いただけ。

Dsc03641c  イソヒヨドリのメス、今日は蟠龍櫓の屋根のてっぺんにいました。

Dsc03710c_20251227140101  出がけに知人と話していましたので、九華公園到着は、8時前。アイガモたちは、元気そうです。今日は、ユリカモメも、キンクロハジロもそばにはいませんでしたから、誰にもエサはもらっていなかったと思われます。

Dsc03714c_20251227140101 Dsc03731c_20251227140101  最初に、町が静かだったと書きましたが、九華公園も散歩する人はいつもより少なく、散歩友達にもほとんど会えませんでした。会ったのは、管理人さんと、シルバー人材センターから清掃に来ていらっしゃる方々のみ。野鳥も少なく、野鳥たちも年末年始の連休に入ったのかと思ったくらい。アオサギさんも休み。相撲場のところでカワラヒワが2羽。

Dsc04062c_20251227140101Dsc03882c_20251227140101 朝日丸跡で、ジョウビタキのオス。さらに、外周遊歩道の東でも、ジョウビタキのオス。最初に見たところから50mも離れていないところで見ましたので、同じ個体の可能性が高いと思います。ほかに見た小型の野鳥は、ハクセキレイ、ゴイサギ(相撲場のはるか上空を通過していきました)、ヒヨドリ、ドバトくらい。最近、ムクドリ、スズメを見なくなっています。

Dsc03766c-2 Dsc03872c_20251227140101  水鳥たちもあまり多くはありませんでした。ホシハジロのオスは、今日も1羽。左の写真では、お休み態勢になってはいますが、目は開いていて、こちらをしっかりと見ています。写真を撮るだけで、何もしませんから、そんなキツい目で見ないでほしい(笑)。キンクロハジロは、36羽。

Dsc03996c_20251227140101 Dsc03836c_20251227140101  ハシビロガモは、10羽。左の写真はメス、右はオス。カモの写真は、代わり映えしないものになり勝ちですので、何とかバリエーションをつけたいと思っていますが、なかなか難しい。

Dsc03827c_20251227143001  ヒドリガモは、1ペアのみ。ハジロカイツブリと、カイツブリは、すっかり見なくなってしまいました。残念。

Dsc03983c_20251227140101  ユリカモメもほとんどおらず、今日は6羽のみ。今日のバードウォッチングは、以上。

Dsc04261c_20251227140201  吉之丸と、赤須賀へ足を延ばしたと書きました。さほど遠回りをしたわけではありません。昨日の記事で、『くわな史跡めぐり』で訪ねていないところをチェックしていると書きました(2025年12月26日:雪国のような空模様)。その中で「矢部駿河守御用屋敷」と、「藩校立教館」に言及されていました。これらのことはもちろん知っていますが、その場所についてはあまりハッキリ認識していなかったのです。桑名市が刊行した『桑名城下切絵図』も参照して調べたら、前者は吉之丸に、後者は赤須賀にあることが分かったので、「それなら散歩ついでに行ってみよう」と思い立った次第。

Yabesurugagoyoyashiki3  矢部駿河守定謙(寛政元(1789)〜天保 13(1842)年)は、江⼾時代後期の旗本です。堺奉行、大坂西町奉行、勘定奉行、江戸南町奉行などを歴任し、名奉行といわれましたが、天保の改革の株仲間解散令などに反対したため罷免され、桑名藩お預けとなっています。天保13(1842)年5月1日、護送の行列は江戸を立ち、13日に桑名に着きました。当時の藩主は松平定猷。お預けから3ヶ月後、通説では、無罪を主張して食を絶って亡くなったとされていますが、桑名での資料では病死となっています。矢部駿河守の座敷牢は吉之丸にあった「別会剣術所」を改修してつくられました。吉之丸通りを挟んだ向かい側には家老服部半蔵と三輪権右衛門の屋敷があり、厳重に塀をめぐらせた敷地の中に、さらに囲われた座敷牢があり、警備もものものしかったといいます。現在は、民家となっています。ということで、九華公園のすぐ南あたりが、その場所。左の画像は、『桑名城下切絵図』の「2 吉之丸』を参考に描いたもの。私がいつも歩いているところのすぐ近く(微笑)。ちなみに、吉之丸通りは、江戸時代からあったようです。


Dsc04176c Dsc04215c_20251227140201  まずは、吉之丸通り。この写真は、西から東を見ています。向かって左手に三輪権右衛門と、服部半蔵の屋敷があったところで、通りを挟んだ右手側に矢部駿河守御用屋敷がつくられたということになります。右の写真あたりに(東から西を向いて撮影)、手前側から服部半蔵の屋敷、その向こうに三輪権右衛門の屋敷があったと思われます。

Dsc04205c_20251227140201  この、現在は民家が建ち並んでいるところに別会剣術所があり、そこを矢部駿河守御用屋敷にしたと考えられます。矢部駿河守桑名藩預かりについては、たとえば、こちらに詳しい言及があります。

Rikkyokanruin 続いて、藩校立教館跡。「立教館(りっきょうかん)」は、江戸時代に松平定信が白河藩に設置した藩校で、久松松平家が桑名に移封になって、桑名藩に移り、伊賀町に設立されています(松平定永の代)。明治初年に廃止され、桑名市立立教小学校にその名前が引き継がれています。『桑名城下切絵図』の「5 伊賀町」には、左の画像で、赤い四角を付したところにあったといいますが、『くわな史跡めぐり』では、その西、青い丸のところにあったと書かれています。どちらが正しいのか、あるいは、移転したりしたのかなどについては、現時点では不明。ただい、『桑名市史 本編(p.493)』には、「文政6年(1823)定信の子定永が桑名へ復封されると、旧領主松平下総守の旧慣により、学校を伊賀町に置き、同じく立教館と称し(中略)、明治元年(1868)正月藩主定敬が罪を朝廷に得、同2年8月まで一旦閉校したが、3年5月更に校舎を吉之丸に旧藩主一門松平帯刀の邸宅を卜し、ここに移し改築した」とあります。ちなみに、松平帯刀は、上の地図で「松平信濃守」とある人物と思います。

Dsc04305c-2  Dsc04281c_20251227140201『桑名城下切絵図』にある立教館跡は、この写真中央の民家のあるところ(新高須屋 十一万石とあるところの手前)です。『くわな史跡めぐり』にあるのは、右の写真あたりと思います。ということで、今日は、こちらの歴史散歩がメインだったかもしれません。どちらも今は、民家になってしまっていますから、見てきてもどうということはないんじゃないか?というお考えもあるかも知れませんが、まぁ、趣味の範疇です(微笑)。

2025年12月26日 (金)

雪国のような空模様

Dsc03147c_20251226110801 Dsc03153c_20251226110801  雨のち晴れという予報ですが、午前中は曇りときどき雨。最高気温は7℃、最低気温は4℃という予報ですが、実際の最高気温は、0時36分に記録した8.0℃。そこから気温は少しずつ下がり、11時までのところで最低気温は、3.5℃。晴れるのは、夕方以降のようです。冒頭の写真は、7時前の北の空。写真の中央に見える多度山あたりでは、雪が降っているように見えます。

Screenshot-2025_12_26-7_34_41c  こちらは、7時半頃にチェックしたYahoosの雨雲レーダーの画像。北西の方角から雨雲/雪雲が流れ込んできているのが見てとれます。今のところ、わが家あたりでは、雪やあられなどは降っていませんが、もっと強い寒気が入ってくると、雪になるかもしれません。最大風速は、6.3m/sということで、「今日は、散歩には行かないように」と強い指示が出ました(苦笑)。まぁ、カメラを持って歩きますから、これだけ天気が悪いと、散歩には行きません。散歩に行けないと、ウロウロしますが、やむを得ません。

Dsc03178c_20251226110801  今日は、ベランダ写真と、玄関先写真でお茶を濁します。まずは、御嶽山。標高3,067mで、3,000mを越える山としては、もっとも西にあるそうです。冬になるとよく見えます。下の方は雲におおわれていますが、高いところは冠雪しています。

251226071536378c251226071654997c  ベランダから外を眺めていたら、陽が昇るにつれ、大きな虹が見えてきました。左の写真は、ベランダから撮ったもので、南西の方角。右の写真は、玄関先から撮ったもので、ほぼ北の方角。つながっているのかどうかは、拙宅マンションの陰になっていて、確認できず。

Shisekimeguri1c  余談。先日、今年度最後のくわな市民大学郷土史学科の講座のまとめを仕上げたと書きました。それ以外に、歴史、郷土史の関係では、『久波奈名所図会』の私的な読み下しを細々と続けていますが、そのほかに、思いついて取りかかったことがあります。桑名市が発行した『くわな史跡めぐり』(2017年)という本があります。実は、刊行直後に、誤記、脱字などの指摘が相次ぎ、修正は100箇所にも及んで、販売が停止されてしまったもの。東海道のルートも誤っています。正誤表を入手し、赤字で書き込んで、利用しています。市内の歴史散歩には、格好のガイドブックなのです。

Shisekimeguri2c  こちらは、その実際の、あるページ。正誤表にしたがって、赤字で訂正が入れてあります。名称にチェックがつけてあるところは、すでに訪ねたところ。あちこち歩き回っていますから、かなり訪ねています。ピンクの蛍光ペンで囲んだものは、まだ訪ねていない、あるいは、それがあるところは訪ねたものの、見逃したというもの。これらをリストアップする作業を始めたのです。訪ねていないところ、見ていないものも、できれば行ってみたいと思っていますが、とりあえずはそれらをチェックし、整理しようという次第。

Gemini_generated_image_gajkegajkegajkegc  追記です。自分で撮った写真を題材にGoogleGeminiで遊ぶかもと書きましたが、結局、ずっと『くわな史跡めぐり』のチェックをしていました。その上、発想が極めて貧困であることを改めてハッキリと自覚したのですが、GoogleGeminiでどう遊ぶか、これというアイデアを思いつきませんでした(爆)。もうクリスマスは終わったにもかかわらず、「サンタクロースに変身させてください」です。こちらは、飛んでいるユリカモメの写真を使いました。が、翼があるにも関わらず、腕がついていて、ちょっとヘン(苦笑)。

 Gemini_generated_image_2nwo252nwo252nwocこちらは、昨日の記事に載せたもの(右の写真)を加工したもの。正面顔には、似合っているような気がしますが、Dsc02995c_20251225133401サンタクロースの赤い洋服の着方がヘンです。胴体からハズレてしまっています。

Gemini_generated_image_g255ksg255ksg255c 251224095109459c   あまりあれこれやってはみませんでしたが、先日載せた、寺町商店街の仏壇屋さんの店頭にあった白いゾウを元にしたものが、まぁいいかと思えるくらいでした。これ、プレゼントがかなりたくさんあって、それがよいのかも(笑)。固くなったアタマをもっともっと柔軟に働かせないといけませんねぇ(爆)。

2025年11月 3日 (月)

7年前に訪ねた神社のことが分かりました……阿下喜のイチガミ神社

F7c3b78c B2520299  タイトルをご覧になって、いったい何をいいたいんだ? と思われることでしょう。7年前の近鉄ハイキングで訪ねた神社のことに触れている資料を見つけ、長年の疑問が氷解したということです。7年前の近鉄ハイキングとは、平成30(2018)年2月27日に行われた「昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め『あげきのおひなさん』という企画(近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(予告編)……マップ上9kmなのに、12.4kmも歩いたお話(笑))。このとき、大西神社から西念寺に向かうとき、「イチガミ神社」と地図に書かれている神社を見つけ、立ち寄ってきました(2018年3月5日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その4)……メイン会場のウッドヘッドで大ひな壇を見て、12㎞以上、4時間半を歩いた末いよいよ完結(長いです))。

878877dc この神社について、いったいどういう神社かという疑問を持ち続けていました。数日前から、近場でハイキングによいところはないかと思い、「北勢線の魅力を探る会」などが主催して行われている「北勢線の魅力を探る」というウォーキングの報告書#21「 再発見! 魅力あ る 北勢線沿線阿下喜とふれあう」を見ていましたら、「市神さん」として言及されているのを見つけたのです。この報告書の3ページに、伊藤通敏さんの文章で、以下のように説明があります。引用させていただきます。

 西念寺の山門を出てすぐ北側の三叉路の正面に小さな茂みがあり石の鳥居が建っている。ここが阿下喜の市神さんである。鳥居の貫(ぬき)の高さは低く、背の高い人は頭をぶつけそうである。鳥居に接するように屋形灯篭が建ち、左手の1坪ほどの石組みの上に小さな社殿が建っている。ここで「ふるさといなべ市の語り部」の井後純子さんから説明を聞く。
 この市神さんは阿下喜(本町)の商売繁盛を願って祀られた神社で、阿下喜は昔からいろいろの商家が立ち並び近村の生活の便を図った商業の中心をなした街である。江戸時代、六斎市が開かれ本町から西町にかけて大層賑わった。六斎市とは毎月6回、3、7の斎日に行われ、とりわけ7月7日と年末の大市は諸方よりの買物客で大いに賑わった。この市神さんも江戸時代には本町通りにあったそうである。現在の社叢が狭いのは道路の拡幅によるもので、社殿の右手に御神石が祀られている。
 現在も本町の市神さんとして3月23日(今は3月最後の日曜日)を祭礼の日としている。その日には黒豆のおこわを二段重に詰めてお供えをし、禰宜さんを招いて祝詞を上げてもらっている。昔は屋形に提灯、鉦、太鼓で盛大に行ったそうである。

 これを読んで、なるほどと納得しました。また、初めにも書きましたが、これまでの疑問が氷解しました。ネット検索だけで調べるのではなく、図書館に行って文献を調べれば、もっと早くに分かったはずですが、当時は、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングを知り、とにかくあちこち出かけるのが楽しかったものですから、詳しく調べようなどとは思わなかったのです(苦笑)。

 それはさておき、北勢線の魅力を探るというハイキングには、参加したことはありませんが、その報告書を見る限り、歴史、地理、地学など広範囲にわたって知ることがでいる大変興味深い企画です。報告書とコースマップはネットに載っていますので、これは、これからのハイキングを考えるのにとてもよい参考資料です。ということで、まさに自分のための記事で恐縮です。

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(補遺編)

 11月1日に行ってきた「近鉄ハイキング『【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物』の補遺編です。その後調べたことなどを追記しています。

Img_5635c_20251101152901  まずは、北勢線東員駅。東員駅(とういんえき)は、三重県員弁郡東員町大字山田にあります。平成17(2005)年3月26日に六把野駅と北大社駅(現北大社信号場)とを統合し、両駅の中間に新設開業したものです。東員駅の開業によって、従来、北大社駅で行われていた北勢線全域の管制業務、および、西桑名駅で行われていた運転業務(運転士兼車掌関係の現業区:近鉄時代の塩浜列車区西桑名分室)は、東員駅に統合・移設されています。

Img_5702cImg_5711c_20251101152901  員弁山浄厳寺の由緒について。大木神社の別当寺として員弁寺があったといいますが、天正年間(1573~1592年)に大木神社とともに織田信長の兵火にかかって焼失しています。員弁寺の創建者とされる春澄善縄の子孫・員弁進士行綱(員弁の郡司)の子・行経が祝髪し、入道となり浄源坊と称し、員弁寺に住したようです。これが浄源寺の寺号の由来となっています。数世を経て浄圓坊という道心堅固の僧があり、天台宗真盛上人の徳風を慕い、笈を負って随うこと数年の後、念仏の教えを授けられ、さらに晩年には、文明年間(1469~1489年)に本願寺第8代門主蓮如上人に帰依し、師に従って諸国を巡歴して、帰坊の後、賜った六字名号を安置し、念仏勤行を勧めたので、天台宗から専修念仏の道場へと変わりました。初代・釋順西が、師の教えを相続して、天文年間(1531~1534年)に本願寺第10代・証如上人の時代に浄土真宗の宗風に改め、浄土真宗寺院となっています。しかし、順西は、まもなく始まった長島一向一揆で(天正2(1574)年)に討ち死にしました。この順西をもって浄土真宗本願寺派員弁山浄源寺の開基と定められています。2代・釋正圓(順西の子)は、兵火が治まった天正12(1584)年に旧地の近く(現在地)に仮御堂を建立し、浄源寺を再興しました。

Img_5720c Img_5734c  浄源寺の裏手にある鳥取山田神社。左の写真は、ハイキング・コース沿いにあった鳥居。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様について、ChatGPTで調べた結果、概略次のような回答が得られました。

天角己利命(あめの つのこりのみこと)は、日本古代の神話・系譜資料に登場する神名のひとつで、同義あるいは近縁とされる神名に 角凝命(つのこりのみこと)・ 角凝魂命(つのこりむすびのみこと)があります。その系譜・氏族的な位置づけとしては、古代氏族「鳥取氏(ととり‐し/ととりうじ)」の祖神として、『新撰姓氏録』などに記載があります。学界では、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」は、同一神、あるい非常に近い神格を持つ存在ではないかという説があります。 名の「つのこり/こり」は「凝る・固まる」「杭・杙(くい)」などの語に関係づけられ、「国土形成」「村里の境界」「杭・棒による防塞」などの象徴性を伴う神とされることがあります。 『新撰姓氏録』では、山城国・神別(天神)において「鳥取連」が「天角己利命(三世孫)天湯河板挙命の後なり」と記されています。 また、和泉国・神別には「鳥取」が「角凝命三世孫、天湯河桁命の後也」とも記されており、角凝/角凝魂/天角己利命という名の神が氏族祖神として複数地域で用いられていることがわかります。 研究では、鳥取氏・倭文氏・錦部氏など織物・布関連の氏族系譜と深い関わりが指摘されています。特に、「鳥取氏」と「倭文氏」が「角凝魂命」を祖とする近縁氏族とされる資料があります。 明確な神話物語での登場は限られており、個別のエピソードが豊富に伝わる神というわけではありません。ただし、「角凝/角杙神」系の神名が、『古事記』『日本書紀』などの創世神話の中で「杭・杙(くい)」を象徴する神、すなわち土地・国土が固まる(安定する)段階での神として論じられることがあります。 また、上述の織物関連氏族との繋がりから、「織物」「布」「機織」の職能や氏族の祭祀とも結びついて解釈される研究もあります。例えば、鳥取氏の祖とされる天湯河板挙命にまつわる機織・鳥捕りの伝承から、鳥取氏が「織物関係氏族」であったという説が提出されています。

 以上の説明に関して、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」が同一神であるか、あるい別個の神であるかについては、はっきりとした定説はなく、資料によって名称や系譜が異なり、同一化・混同されてきた経緯があるといいます。また、 物語上の活動・伝承が少ないため、いわゆる「メインの神話を持つ神」ではなく、氏族祖神・地元神・職能氏族の祖といった位置づけでとらえられることが多いようです。祭祀・神社の主祭神として明確に「天角己利命」が祀られている例は少なく、「角凝命」「角凝魂命」の名義で祀られている事例の方が資料上は多いそうです。

Img_5887c Img_5891c_20251101153001  猪名部神社の上げ馬神事について。令和2(2020)年のコロナ禍以降、感染対策により中止の状態が続き、令和5(2023)年は境内などを馬に乗って練り歩く「馬曳き」のみの開催とし、翌年以降も、「コロナ禍で馬を飼う地域の人が減り、神事のノウハウが継承できなくなった」として「馬曳き」のみの開催となっているようです。近年の動物愛護意識の高まりにともない、上げ馬は虐待ではないかとの批判が上がっており、指摘を受けた県の調査で、平成22(2010)年に1頭が転倒したその場で死に、その翌年と平成27(2015)年にはそれぞれ1頭が骨折の後獣医師によって殺処分されていたことが判明しています。

Img_5985c  大木神社について。本編では、主祭神は品陀和気命、相殿神は、豊受比売神、天照大神としていましたが、相殿神は、伊邪那岐命速玉之男命事解之男神豊受大神須佐之男神久那斗神(くなどのかみ)大山袛神天照大御神でした。

Img_6007c 大木神社の創祀は明らかではありませんが、もともとは大木字大鳥居前に鎮座し、八幡社あるいは八幡神社といいました。古くは御旅所と3つの摂社、別当寺である員弁寺を擁する大規模な神社でしたが、天正年間(1573~1592年)に員弁寺とともに織田信長の兵火にかかって焼失したため、社殿や由緒、祭式の古例を失ったといいます。その後は小さな祠を祀っていましたが、元和年間(1615~1624年)の初めに社殿が再建されました。

Img_5976c  大木城跡について。永禄年中(1558~1569年)、金井城主種村高盛の5男・大木信盛が居城したのですが、織田信長に降伏し、配下となりました。天正4(1576)年、滝川一益に不信をもたれ、伊勢長島城へ出頭を命ぜられたものの、先に出頭した甥の金井城主種村秀信が城内で切腹させられたことを知り、信盛は途中から西国へ落ち延び、廃城となりました。員弁川を南にした台地の端にあり、現在、土塁や堀が部分的に残り、壇も見られるそうです。ちなみに、遁走した大木信盛は肥後細川家の家臣となったと伝えられています。

Img_6012c  続いて、明法寺。当初は、大木村道場という禅宗寺院で、青木駿河守の菩提を弔っていたのですが、永正年間(1504~1520年)に開基の順西が出奔して、寺宝などが散逸し、道場は荒廃しました。大永元(1251)年、片樋道場(のち片樋村・教楽寺)から親子4人が移り住んだと伝わっています。さらに、隆善は片樋村に、祐善は北大社村に、教祐は南大社村の寺に住まわせ、善教が大木村道場を継承しています。大永3(1523)年、本願寺9代・実如上人から六字名号一幅を授けられ、浄土真宗に改宗しました。翌大永4(1524)年、3間・2間半の本堂を再建しています。その後のことは割愛しますが、明治14(1881)年、第13世善龍の時、7間四面の現在の本堂となっています。

Img_6037c  大泉駅。大泉駅(おおいずみえき)は、三重県いなべ市員弁町大泉にあります。大泉駅を新設する計画は、三岐鉄道が北勢線の運営継承を決定した後に提案されました。計画段階での仮称は新大泉駅でした。ちなみに、旧大泉東駅も過去には大泉駅と称しています。計画当初は、駅単独の建設予定でしたが、その後、員弁町役場(現:いなべ市役所)に隣接した地元農産物販売施設「うりぼう」を増床・拡充の上「ふれあいの駅うりぼう」と名称変更して当駅に移転することになりました。なお、当駅は大泉東駅と長宮駅を統合し、両駅の中間部分に新設されたものですが、名目上は、大泉東駅を廃止し、長宮駅を大泉駅に改称の上で現在地に移設したことになっているそうです。

 以上、ネット検索による情報と、第19回北勢線の魅力を探る報告書「再発見! 魅力ある北勢線沿線 東員駅~楚原駅」を参照しました。11月1日付けの記事(2025年11月1日:20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結))は、「予告編」から「一回完結」に変更しました。

2025年11月 1日 (土)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結)

20251101kintetsuhikingtoinmapc  晴れて、20℃を超えるという予報でしたので、近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」に行ってきました。三岐鉄道北勢線の東員駅から大泉駅まで約5㎞というコース。立ち寄り先は、東員駅をスタートし、圓光寺、浄源寺、東員町中部公園、コスモス畑、猪名部神社、まこと商店、ふれあいの駅 うりぼうで、大泉駅がゴール。コスモス畑を見たいのと、まこと商店に行ってみたかったのです。初めは、曇っていて、途中から晴れて来ました。気温も歩いている間は、18~20℃くらいで、ちょっと暑いかなと思うくらいでした。今日はひとり旅。記事は、とりあえず予告編としましたが、実際にどうするかは未定。

Img_5635c_20251101152901 Img_5618c  三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時59分に発車する東員行きに乗車。東員駅には9時24分に到着、¥340。北勢線は、ナローゲージの電車です。線路幅は、762mm。新幹線などの1,435mmのほぼ半分で、電車も右の写真のようにかわいらしいもの。

Img_5621c_20251101152901  東員駅には、エキタグのデジタルスタンプがあったのですが、電車の写真を撮り、トイレに立ち寄っているうちに失念(苦笑)。三岐鉄道でエキタグのデジタルスタンプがもらえるということが、しっかりとインプットされていないようです(2025年4月5日:20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結))。この写真で、向かって右はここまで乗ってきた電車、左は、レトロカラーにペイントされたもの。レトロカラーとは、200系が旧三重交通の色に塗装されているのです(こちら)。

251101kintetsuhikingtoinrout  Img_5631c_202511011539019時半からの受付でしたが、少し早めに始まりました。コースマップを受け取り、9時半にスタート。上記の立ち寄り先のほかに、途中で見つけた神社、寺院などにも立ち寄ってきました。右が、実際に歩いたルートマップ。コースマップでは約5㎞となっていましたが、キョリ測では5.4㎞。

Img_5668c Img_5661c  スタートしてすぐは、田園地帯を進みます。西の方には、鈴鹿の山並みが見えています(右の写真)。右の写真でもっとも右端に見える(雲がかかっていますが)のが、藤原岳。

 最初の立ち寄り先は、Img_5688c1㎞を過ぎて、Img_5692c_20251101152901員弁山円光寺。真宗大谷派。ネット検索ではこれという情報はヒットせず。由緒書きなどもありません。

Img_5702c Img_5711c_20251101152901  円光寺のすぐお隣には、員弁山浄源寺。こちらは、真宗本願寺派。もともとは天台真盛宗でしたが、天文年間(1531~1534年)に真宗に改宗しています。隣り合って、同じ山号のお寺というのも、珍しい。

Img_5720c Img_5734c  さらにこれらのお寺の裏手に鳥取山田神社。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様は、初めて。神魂命の子で、伊佐布魂命の親といいますが、さらに調べが必要です。相殿神は、天児屋根命大山祇神須佐之男命天照皇大神菅原道真品陀和気命火産霊神天湯河桁命。創始などは不詳ですが、文政10(1827)年の『桑名領郷村案内帳』に載っているそうです。

Img_5764c_20251101152901 Img_5768c_20251101152901  東員町役場の南を通って、東員町中部公園へ。ここは以前は、アジサイや、チョウトンボを見るなどよく来ていました(2018年6月11日:東員町の中部公園と万助溜公園へ……アジサイを楽しみ、チョウトンボをチラッと見る)。池にカワセミがいたこともあります。今日は、通過したのみ。

251101100524350c Img_5823c  中部公園の西にコスモス畑。今年はここということで、年によっては違う場所にコスモス畑がつくられます。ずっと以前も、ここにつくられたときに見に来ています(2012年10月11日:「仮釈放」にはなりませんでしたが、コスモスを楽しんできました……受診のあと、東員町コスモスまつりへ)。ピークはちょっと過ぎたかなという感じ。

251101100732056c  あれこれ試してみたのですが、雲も多く、また、すでに枯れた花もあって、ズームアップはなかなか難しい。今日、持っていったのは、Canon Powershot SX-60HSとスマホ。スマホの方が簡単に、うまく撮れたりします。これはスマホ写真で、上の2枚はPowershotを使ったもの。

 Img_5866c_20251101153001コスモス畑のすぐ北に「吉澄神社遺跡」という石碑がありました。現地の説明板によれば、この付近の田畑は、明治41(1908)年3月、猪名部神社に合祀された、吉澄神社約3反歩(3,000平方メートル)の境内であったとあります。

Img_5887c Img_5903c  コスモス畑から西へすぐのところに、その猪名部神社があります。ここへは、2度ほどアオバズクを見に来ています(2014年6月10日:アオバズクを見に行く……東員町の猪名部神社へ、2019年7月29日:東員町ツアー……万助溜公園でチョウトンボと、ハスの花の香り、猪名部神社でアオバズク )。主祭神は、伊香我色男命(いかがしこおのみこと)。この神様は、『記紀』等に伝わる古代日本の豪族。物部氏の祖であり、猪名部氏の祖神とされます。創建時代は明らかでありませんが、延喜式内社に列しています。古墳が多い神社としても有名で、本殿は前方後円墳の上に立っています。ずっと以前、詳しい記事を書きましたので、詳細はそちらをご覧ください。

Img_5891c_20251101153001  猪名部神社は、上げ馬神事の発祥の地です。写真は、神事が行われる「上げ馬坂」。

Img_5927c Img_5932c  猪名部神社の先でスタートから3㎞。すぐにまこと商店があります。通常は11時から営業なのですが、今日は近鉄ハイキングのため9時半から開店。以前から知っていて、一度、来てみたかったところ。築100年の家屋を改装した店舗で、「さつまいものアーモンドタルト」「干し芋けんぴ」「さつまいもチップス」をはじめ、「鬼まんじゅう」など素朴なお菓子を販売。

251101102738404c 今日は、サツマイモマドレーヌミニ4個(1個税込み¥180)をお買い上げ。早速、今日午後のおやつに。

Img_5950c  まこと商店から1㎞ほどは、立ち寄り先も何もありません。稲部小学校のところに「殉国碑」。西南の役から第2次世界大戦までの戦没者供養のためのもの。

Img_5985c Img_6007c  スタートから4.5㎞ほどのところに大木神社。主祭神は、品陀和気命。相殿神は、豊受比売神天照大神。現地の説明板によれば、もとは八幡社といい、天正(1573~1592年)の兵火で焼失して勧請されたのですが、年月は不明。明治41(1908)年8月に熊野社、若 宮社、天王社、赤口社、山神社、神明社を合祀し、翌42(1909)年に天王社の跡地に移し、現在の大木神社となったといいます。

Img_5976c  大木神社の手前に「大木城跡」という看板がありました。大木城は、中世城館の1つで、規模は東西45メートル、南北55メートルを誇り、永禄年中(1558~1569)、大木舎人(おおきとねり)が居城しましたが、織田信長に降伏しその配下になったといいます。その後、天正4(1576)年に滝川一益に不信感をもたれ大木舎人は西国に落ち延びたため廃城になったようです。現地には行っていません。

Img_6016c_20251101153001  Img_6012c大木神社の先に曜恵山明法寺(みょうほうじ)。真宗本願寺派。ここもネット検索ではこれという情報はヒットしませんし、由緒書きなどもありませんでした。

Img_6037c Img_6041c_20251101153001  スタートから5.4㎞、11時頃に北勢線大泉駅に到着。今日は、コースマップに付された番号で抽選会があったのですが、見事はずれ(苦笑)。#19でしたが、かすりもせず。あたっていれば、まこと商店のお菓子か、このあと行ったうりぼう提供のお米などがもらえたのです。最近、こういう抽選会ではあたった試しがありません。

Img_6051c_20251101153001 251101110431735c  次の西桑名行きは11時26分発でしたので、駅に隣接する「ふれあいの駅 うりぼう」へ。まずは、ジェラート屋さんの「ジェラートの駅 うりぼーの」で、「石榑(いしぐれ)茶のジェラート」。ワンカップ¥380。ここのジェラートはおいしいのです(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。

251101124515136c 251101124523032c  ついで、うりぼうで土産を物色。お腹が空いていたので、そばと寿司とを買ってしまいました(苦笑)。「いなべ蕎麦半生(¥580)」と、「押し寿司・巻き寿司セット(¥530)」。寿司は、帰宅して昼ご飯に(微笑)。ちなみに、この2つの土産、7年前にも同じものを買って、家内の実家に行っています(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。進歩のなさに我ながら笑えてきます。さらに、このときも、ジェラートを食べています(爆)。

 Img_6073c大泉駅発11時26分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、11時56分に到着。¥390。

Screenshot-2025_11_01-17_17_09c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.4㎞、13,350歩でした。

 今日の記事は、「一回完結」に変更しました。11月3日付けで「補遺編」を掲載します。

2025年10月15日 (水)

20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(その2)……フジバカマの花畑でアサギマダラを見て、関ケ原ウォーランド、笹尾山ステージで鉄砲隊演武、関ヶ原合戦決戦地を経て、岐阜関ケ原古戦場記念館にて「完」

251012jrwalkingsekigahara2  10月12日に行ってきた、JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」の本編その2です。詳しいルートマップは、その2の途中です。本編その1では、関ヶ原の合戦開戦地と、その隣の小西行長陣跡まで来ました。その続きで、フジバカマの花畑から、関ケ原ウォーランドへと向かいます。

Img_5004c_20251012165601 事前告知用のコースマップを見たときから期待していたのですが、開戦地からすぐのところに、フジバカマの花畑がつくられています。フジバカマといえば、アサギマダラ。ひょっとしたら、アサギマダラが見られるかと思ってやって来たのですが、期待は裏切られませんでした。

Img_4988c_20251014101201  251012093524401c アサギマダラが乱舞とまではいきませんでしたが、かなりたくさんのアサギマダラがフジバカマの蜜を吸っていました。ついうれしくなって、写真を撮りまくり。ちなみに、左の写真はスマホで撮影。右の写真は、いつもウォーキング・ハイキングに持っていく超望遠コンデジによるもの(Canon Powershot SX-60HS)。タイミングを見計らうと(アサギマダラが蜜を吸い始めてしばらく経った頃)、スマホでもうまく撮れました。

 Img_5068c_20251014101101私のほかにも、たくさんのウォーキング参加者の皆さんが、アサギマダラの写真を撮っておられました。アサギマダラは、桑名や多度でも見たことはありましたが(2015年10月2日:アサギマダラを見つけました……九華公園の様子、秋の水郷舟めぐり案内)、これほどきれいに写真に撮れたのは初めて(微笑)。

Img_5123c Img_5126c  閑話休題。左の写真は、町中で見つけた「通学路注意」の看板。いかにも関ヶ原古戦場という感じ。右の写真は、たぶんお地蔵さん。関ヶ原の町のあちこちにお地蔵さんや、小さな祠がありました。供養や祈りのためのものかという気がします。

Img_5146c_20251012165601  このあとは関ケ原ウォーランド。昭和39(1964)年にオープンした歴史のある関ヶ原合戦のテーマパークです。約1万坪(野球場なら3面)の広大な敷地に、史実に基づいた戦の陣形が再現されています。昔は、たぶん賑わったところであろうと思います。開園前でもあり、写真を撮ったのみで通過してきました。

Img_5129c_20251014102601 関ケ原ウォーランドの東に天満山宝蔵寺というお寺がありました。高野山真言宗。ご本尊は、大元帥明王。関ケ原の戦いの犠牲者を弔う戦場の寺院です。関ケ原ウォーランドが開園したときに、当時の館長の意思で、関ヶ原合戦の戦没者供養のために寺院が創建されたということでした。毎年10月に戦没者供養が行われているそうです。

Img_5153c  関ケ原ウォーランドから国道365号線に出る途中の三叉路に大神宮常夜灯。ネットでは、これという情報はヒットしませんでした。関ヶ原で中山道から分かれた「伊勢街道(三重では、美濃街道と呼びます)」があるのは知っていましたが、この常夜灯はその追分からは北西に1.5㎞ほどのところにあります。

251012jrwalkingsekigahara3  ここらあたりから詳しいルートマップは、その3へ。島左近陣跡(ここに笹尾山ステージ)、笹尾山交流館の前を通って、関ヶ原合戦決戦地に向かいます。

Img_5172c Img_5176c  国道365号線を歩いていると、左手から発砲音らしき音が何回か聞こえてきました。最初はちょっと驚きました。国道から島左近陣跡の方に向かっていくと、笹尾山ステージでイベントが行われているようでした。

Img_5184c  10月11日、12日と大関ヶ原祭が開かれており、ここ笹尾山ステージでは、鉄砲隊演武が開かれていたのです。この近くを歩いているとき、破裂音が聞こえてきたのですが、それがこの鉄砲隊の演武でした。発砲シーンを見てきたのですが、本物の火縄銃を使っていて、すごい迫力です。さまざまな射撃法が披露されたようです。出演は、関ケ原鉄砲隊、紀州九度山真田鉄砲隊だったそうです。YouTubeに短い動画を載せてあります。こちらをご覧ください。

Img_5208c  笹尾山交流館の前を通って、いよいよ関ヶ原合戦開戦地へ。ここは、西に西軍・石田三成陣跡、正面には決戦地を望む、抜群のロケーションにあります。ここでは、甲冑体験が有料でできるそうです。戦国武将になりきれるプレミアム甲冑から足軽甲冑まで、種類も様々あるとか。

Img_5217c Img_5262c_20251012165601  関ヶ原古戦場決戦地に到着。笹尾山を背に、現在は田んぼが広がるところで、のどかな光景が広がっており、ここで激戦が繰り広げられたとは思えません。ここには大きな石碑、徳川家・石田家の家紋入りの旗があります。慶長5(1600)年9月15日午前、関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれています。しかし、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変。これによって、一気に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北します。この決戦地は、東軍諸隊が石田三成首級(しゅきゅう)を狙って、最大級の激戦が繰り広げられた場所だそうです。

Img_5290c 251012jrwalkingsekigahara1  これで残す立ち寄り先は、岐阜関ケ原古戦場記念館のみ。記念館の近くに町役場などがあり、このあたりが、大関ヶ原祭のメイン会場で、ステージが催されていたり、キッチンカーなどがたくさん出店していて、大賑わいでした。ルートマップは、その1に戻っています(右の画像)。

Img_5375c_20251012165601  こちらが岐阜関ケ原古戦場記念館。関ヶ原の戦いを体感できる、体験型の施設として、5年前に開館しています。関ヶ原の戦いを映像技術や、デジタル技術を駆使して再現していて、人気スポットになっています。ここはNHKBSの歴史番組でも取り上げられており、ぜひとも訪ねたかったところ。とくに5階の展望室から古戦場を眺めてみたかったのです。通常は、大人ひとり¥500ですが、2階展示室で企画展「世界三大古戦場展 連携展示『激戦の地 ゲティスバーグ・ワーテルローの現在』」が開かれていて、¥1,000。

Img_5298c_20251012165601 Img_5338c  1階のシアターは予約がないと入れません。2階の展示室はざっと見て回ったのみで、5階へほぼ直行(苦笑)。フロアには右の写真のように古戦場の位置関係が示されています。記念館から半径1㎞の範囲にかなりたくさんの陣跡があります。もっと広いところで戦が行われたというイメージを持っていたのですが、そうでもないようでした。

Img_5301c_20251012165601  展示室内の東西と北には、右の写真のように、陣跡などの案内板があります。

Img_5304c_20251012165601 Img_5360c_20251012165601  東西、北と一通り眺めてきたのですが、晴れていたらもっとよく見えたかもしれませんが、まぁよし。これらの2枚の写真は、先ほど訪ねてきた決戦地のあたり。

Img_5357c  西側、展望室のすぐ下には、初めの方で見た陣場野公園が見下ろせました。ここも大関ヶ原祭のイベント会場です。

Img_5399c  岐阜関ケ原古戦場記念館からゴールの関ヶ原駅までは500mほど。大関ヶ原祭の会場を見ながらゴールへ。ここで何か食べたり、土産を買ったりしてもよかったのですが、大賑わいでしたからパス。関ヶ原駅には、10時50分ころに到着。ゴール受付をして、参加ポイントをゲット。

Screenshot_20251012104933c Screenshot_20251012104943c  こちらが参加ポイントの記録。係の方が「90ポイントですね」とおっしゃったような気がしましたが、勘違い。80ポイントでした。右の写真は、踏破距離一覧。JRさわやかウォーキングで、この1年間に歩いた距離。

251012120233543c 251012114421692c  このあと、関ヶ原駅を11時20分に出る大垣行き普通に乗車。大垣駅には、11時33分に到着。¥240。大垣駅ビルにあるアスティ大垣のおらが蕎麦で昼食。鶏天蕎麦、¥890。このおらが蕎麦、お気に入りなのです。津駅にも、チャムに同じ系列で信州そば処そじ坊という店があります。

 251012120730885c Screenshot_20251012120804c 養老鉄道大垣駅を12時26分に出る桑名行き普通に乗車します。養老鉄道大垣駅にもエキタグのデジタルスタンプが設置されていますので、ゲットしてきました。

251012121037856c 251012123058879c  できれば、今日は、養老鉄道のシナモロールラッピングトレインに乗りたかったのですが、往復とも600系の電車。シナモロールラッピングトレインとは、途中駅ですれ違ったのみ。桑名駅に13時38分着。乗り換え不要は楽なのですが、時間はそれなりにかかります。しかも、よく揺れる。文庫本でも読もうと思っていたのですが、揺れるので断念。帰りは、途中、さすがに爆睡した時間がありました。

251012134016389c  養老鉄道では、桑名駅にも、大垣駅にも、シナモロールとのコラボを示す掲示がありました。写真は桑名駅にて。シナモロールとのコラボイベントは、12月25日までだそうですから、一度くらいは、シナモロールラッピングトレインに乗りたいもの。

Screenshot_20251012140355c  こちらが、今日のGoogle Fitのデータ。7.87㎞、14,325歩でした。普段の散歩にプラスアルファくらい歩いたということです。

1760234376675c  今日の土産は、まずは、関ヶ原駅前にある関ヶ原観光交流館で見つけた「日清どん兵衛 東西セット」(¥570)。関ケ原は食の世界でも天下分け目の地だということです。壬申の乱(672年)の後にこのあたりには、東山道(後の中山道)の不破関が設けられました。ここから関の東を「関東」と呼んだのです。日清のどん兵衛も、関西は「かつおと昆布だしがベースの色のうすいつゆ」、関東は「かつおだしベースの色の濃いつゆ」ということで、ここだけのオリジナルパッケージでセット販売されていました。

251013151348875c  251013151333513cもう1つは、同じく関ヶ原観光交流館で買った「信長のえびしょっぱい」(8枚入り¥562)。「パイ」なのに「せんべい」と思う食感。砂糖の甘み、えびの香ばしさを味わいながら、時折しょっぱさを感じるというセールスの通りでした。

より以前の記事一覧

2026年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 高橋陽介: シン・関ヶ原 (講談社現代新書)

    高橋陽介: シン・関ヶ原 (講談社現代新書)
    関ヶ原で起こった戦闘の経緯について、新しい説を提起しています。私たちが知っている関ヶ原の戦いとは、まったく違う見方で、驚きました。この本では、「徳川家康はすでに天下人であった」という大前提のもとに当時の一次資料を読み(ここがポイント)、そこから「石田三成は西軍決起の『首謀者』ではない」「小早川秀秋は開戦前に東軍であった」「東西両軍の和談は決戦前日に成立していた」など新たな見方が示されています。すべて当時の書状などの一次資料の内容に基づいています。これらがすべて歴史学界で認められた説ではないものの、新鮮で、大変おもしろい内容でした。ちなみに通説は、帝国陸軍参謀総本部が、一次資料のほか、江戸時代の『関ヶ原軍記大成』『徳川実記」などさまざまな編纂史料をもとに再構築したものと、それをもとに司馬遼太郎さんが書いた小説『関ヶ原』に基づいているといいいます。 (★★★★★)

  • 銅冶英雄: 悩み・不安・困った!を専門医がスッキリ解決 腰部脊柱管狭窄症

    銅冶英雄: 悩み・不安・困った!を専門医がスッキリ解決 腰部脊柱管狭窄症
    体操で改善を目指すことを謳い文句とした本です。脊柱管狭窄症については、これで4冊の本を読みました。それぞれに一般向けに分かりやすく書かれており、これら4冊の本で決定的な差はありません。むしろ、何冊か読むことで、脊柱管狭窄症についての理解が深まりました。多くの本で脊柱管狭窄症を改善する運動療法が紹介されています。この本では、「痛みナビ体操」が紹介されています。私自身は、近いうちにかかりつけの整形外科医院で理学療法士さんに運動療法を教えていただくことになっていますので、それを優先しますが、そういう機会のない方には、この「痛みナビ体操」を試してもよいように思います。 (★★★★)

  • 菊地 臣一 ほか: 脊柱管狭窄症 腰の名医20人が教える最高の治し方大全 ~聞きたくても聞けなかった150問に専門医が本音で回答! ~ (健康実用)

    菊地 臣一 ほか: 脊柱管狭窄症 腰の名医20人が教える最高の治し方大全 ~聞きたくても聞けなかった150問に専門医が本音で回答! ~ (健康実用)
    脊柱管狭窄症について、病気そのもの、症状、診察・診断、薬物療法、運動療法、そのほかの保存療法、セルフケア、食事、症状別対策、手術などの全貌についてのガイドブックです。タイトルにあるように、専門医が150の質問についてわかりやすく解説しています。図、写真も使われていて、よくわかります。 (★★★★★)

  • 文藝春秋: 文藝春秋 2026年6月号[雑誌]

    文藝春秋: 文藝春秋 2026年6月号[雑誌]
    特集記事の「総理の夫 初告白20時間」という、高市首相の夫である高市拓さんのインタビュー記事が載っていて、それを読んでみたいと思って、20年ぶり以上に文藝春秋を買いました。余談ですが、この6月号は、特別定価¥1,250で、ビックリ。定価がそもそも¥1,200だそうです。それはともかく、高市首相は公邸で夫のワンオペ介護をしているという話がしばらく前に話題になりましたが、実態はどうもかなり違ったようです。最近の高市拓さんは、シャワーも一人で浴びられ、トイレも大丈夫、食事も一人で準備し、食べられるそうです。週末は拓さんが簡単なご飯を作って、平日夜は官邸の食堂からお弁当を運んでいるといいます。そのほか、夫婦関係、再婚と改姓、介護問題などについて語っていますが、結局、「へぇ~、そうなんだ」と思われる内容で、私としてはちょっと期待はずれ。それに、あまりおおっぴらに書くのは憚られますが、私のセンスではちと変わったご夫婦のように思えました。 (★★★★)

  • 林 将之, 株式会社アマナ: 新版 葉っぱで見わけ五感で楽しむ樹木図鑑

    林 将之, 株式会社アマナ: 新版 葉っぱで見わけ五感で楽しむ樹木図鑑
    樹木の図鑑でわかりやすい、よいものがないか探していて見つけました。図鑑ですから、通読はしていませんが、「葉っぱの写真を手がかりに探せる」ことと、「五感を使った観察の楽しみ方を紹介」というのがポイントで、使いやすそうです。前者については、葉の形、ふち、生え方などを確認し、リアルな質感を再現した葉っぱスキャン画像と実際の葉を見比べることで、樹木の種類を検索できます。葉っぱをスキャンした画像が、実にリアルです。後者については、各樹木の解説ページでは、「見る・聴く・かぐ・触る・味わう」の五感を使った観察の楽しみ方、鳥や動物などの樹木とつながっている生き物も紹介されています。近所の公園の木の種類を調べていますが、今まで見当をつけた種類が間違いないか、これを持っていって照らし合わせてみようと思っています。 (★★★★)

  • 若山滋: 漢字文化圏の興亡―中国の限界、日本の前途―(新潮新書)

    若山滋: 漢字文化圏の興亡―中国の限界、日本の前途―(新潮新書)
    建築家である著者が、「漢字文化圏の興亡」というタイトルの本を書いたということに気持ちが動きました。サブタイトルには、「中国の限界、日本の前途」とあります。日本は古来、「漢字文化圏」の中心である中国から大きな影響を受け、漢字に「かな」を補うという独自の形でその文化を受容してきました。戦国時代から近現代には、アルファベット文化圏の西洋からの洗礼を受けますが、こちらも柔軟に受け入れます。建築と文字の関係に以前から着目してきた著者は、その受容の仕方を「和能」と呼びます。東西の力学が激変する中、日本の進むべき道はどこなのか。漢字文化圏の影響力には限界があり、中国が永続的に支配的な地位を占めることはない、しかし日本には可能性があるといいます。壮大な文明論が展開されています。今の政治家の人たちも、こういう本を読む必要があると思います。 (★★★★★)

  • 今泉忠明, 高橋秀男, 武田正倫, 小宮輝之, 岡島秀治: 自然観察 (学研の図鑑 新・ポケット版 16)

    今泉忠明, 高橋秀男, 武田正倫, 小宮輝之, 岡島秀治: 自然観察 (学研の図鑑 新・ポケット版 16)
    最近、近所の桑名七里の渡し公園でで野鳥、樹木、雑草、昆虫の観察に勤しんでいます。「自然観察」としているというと格好がつくかもしれません(笑)。自然観察入門によい本はないかとネットで探して、見つけたのがこの本です。学研出版のサイトでは「こどもの本」に分類されていおり、対象は小学生となっていますが、まぁこれくらいがちょうどよいと思います。内容は、かなり高度ですが、テーマごとにまとめられていて、分かりやすいので、しっかり勉強しようと思います。 (★★★★)

  • 松田圭太: 腰痛は医者には治せない ~2人に1人が「筋肉」「関節」が原因!理学療法士の神ワザ治療~

    松田圭太: 腰痛は医者には治せない ~2人に1人が「筋肉」「関節」が原因!理学療法士の神ワザ治療~
    1つ前に紹介した「大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全」と一緒に入手しました。この本の著者は、腰痛治療に特化した施術院を経営する理学療法士。これは、たぶん好みの問題も関わるのでしょうが、私個人としては、1つ前に紹介した本の方が、読みやすく、実際にも役立つと思いました。この本も運動療法を重視しています。ただ、その説明や、説明に至るプロセスで呈示される根拠の説明が弱い気がします。また、具体的な運動療法の仕方については、必ずしも体系的には説明されていません。著者の書いている「痛みは悪いものではなく、体を守るための相棒」「自分の体は自分で治すという気概を持つと、治りが早い」「とにかく食べて とにかく動く」「痛みに負けない根気を持つ」「やりたいことがみつかれば、体が動く」「日常で笑顔になることをたくさん見つける」など、本書のあちこちにちりばめられた著者の言葉は、大切だと思います。 (★★★★)

  • 猪瀬弘之: 大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全

    猪瀬弘之: 大学病院「背骨外来」の名医が教える 脊柱管狭窄症 自力で克服! 一生役立つ痛みほぐし地図大全
    2月末に脊柱管狭窄症と診断され、服薬とリハビリを続けていますが、ここで一度、きちんとした知識を得て、これら以外の治療法はないか調べた方がよいと思っていたところにこの本を見つけました。著者は脊椎脊髄外科が専門の整形外科医。タイトルのように大学病院で「背骨外来」を開いています。脊柱管狭窄症についての総合的なガイドブックであり、狭窄した脊柱管、椎間孔を広げる、各種の運動療法を体系的に紹介しています。「体系的に」というところが味噌で、症状に応じてどのような運動療法を行うと、脊柱管や、椎間孔を広げられるか、分かりやすく(写真、図示を用いて)説明されています。私は一通り熟読し、まずは脊柱管を広げる運動療法を試し始めました。まだその評価をする段階ではありませんが、もうしばらく続けてみて、また追記したいと思っています。医学用語や、背骨、神経の図など専門的な内容も出て来ますが、めげずに読むと、その運動療法をする意味が分かってきます。意味を分かった上で取り組むことが大切だと、私は思います。ちなみに、運動療法は、いわゆる筋トレではありません。正しい体の動かし方を習得することです。 (★★★★★)

  • 古荘純一: 境界知能の人たち (講談社現代新書)

    古荘純一: 境界知能の人たち (講談社現代新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家以外の人たちにはほとんど馴染みがないものでしょう。専門家であってもその支援については、見落とされてきており、支援が必要であるのに、その谷間に陥ってしまった人たちということもができます。境界知能というのは、IQ(知能指数)でいえば、70以上80未満(誤差を考慮して、85未満とする考え方もあります)の人たちとなります。ただし、知的水準だけでなく、適応行動が取れているかも、考慮する必要があります。たとえば、言語化が苦手、段取りを覚えられない、行動がワンテンポ遅い、対人関係の距離感が極端、金銭管理ができない、ダマされやすいといった特徴があると著者は指摘します(もちろん、これらは境界知能の人たちに限るということではありません。ほかの障害でも見られる可能性があります)。本書は、定義など学問的な内容から、事例、支援についての提案、さらには用語解説、境界知能の所見リストなど、多方面から境界知能の人たちの困難と、その支援について述べています。医療、心理、教育、福祉に関わる方たちには、ぜひ手に取っていただきたい本です。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 真の保守とは何か 近代日本の地下水脈 (文春新書)

    保阪 正康: 真の保守とは何か 近代日本の地下水脈 (文春新書)
    著者は昭和史研究家。約5,000人もの方に取材してきました。この本は、高市政権圧勝、参政党躍進を受けて書かれたもので、「日本人の選択をいま問う」と帯にあります。著者は、高市政権を「国家主義的右派」と位置づけており、「保守」ではないとします。著者のいう「真の保守」である10ヵ条とは、①常に歴史を読め、歴史の中の声を聞け、②師たる政治家を持て、③甘言、巧言は敵とせよ、④誤りから学べ、⑤良きブレーンを持て、⑥精錬の徳を持て、⑦討論、対話を厭うな、⑧典故、先例に通じよ、⑨読書に勝る良薬はない、⑩氷山のごとき人格たれです。これらは、著者の歴史の教訓を政治の現場に伝えなければならないという危機感から来ています。これに照らすと、今の高市政権の中枢をなす政治家は、極めてアヤシいと思われてなりません。私には、とくに、勉強していない(=本を読んで、考えていない)と思えるのです。ほかにこの本で気になったのは、鶴見俊輔さんがいったという「民主主義の後をファシズムが影絵のようについてくる」ということばです。石橋湛山、池田勇人や、後藤田正晴といった政治家たちの足跡をもう一度ふり返り、良識派の保守の姿を取り戻すことが大切と思います。また、石橋湛山が掲げた①小日本主義(帝国主義否定)、②非軍事志向(軍事で物事を解決しようとしない)、③論理的基盤(共同体的な情緒を克服し、個の意志を明確に示す)といったこともとても重要で、意味があると思います。今の時代に違和感を覚える方には是非ともお勧めします。 (★★★★★)

  • 日浦 勇: 自然観察入門: 草木虫魚とのつきあい (中公新書 389)

    日浦 勇: 自然観察入門: 草木虫魚とのつきあい (中公新書 389)
    1975年出版という古い本です。若い頃持っていたのですが、その後は所在不明。最近になって、もう一度読みたいと思って、古本で入手しました。この本に載っているレベルをきちんとおさえれば自然観察の基礎は身につくと思ったからです。著者は大阪市立自然史博物館の学芸員などを務めています。子どもたちを対象として、自然観察教室を開いたり、授業でエコロジー/生態学を教えたりするときの手引きとして書かれたものです。 春の草花を調べる、川の生物を観察する、トンボを捕まえて分類するなど、いくつかのテーマを立て、種の見分け方、水辺の危険への注意、採集法、学習のポイントなどが示されています。著者の経験に基づいて書かれていて、かなり実用的ですが、読んでおもしろいとはいいがたいところが難点。 (★★★★)

  • 伊藤氏貴: 読む技法 詩から法律まで、論理的に正しく理解する (中公新書)

    伊藤氏貴: 読む技法 詩から法律まで、論理的に正しく理解する (中公新書)
    評判の本のようでしたので、読んでみました。本の帯に「『読めたつもり』が危ない!」とありますが、それはまさにその通り。30歳代半ばから教職にありましたので、それは実感しています。とくに60歳を過ぎてから短大の非常勤講師になってから、学生たちの読解力がアヤシいと思うようになっていました。読解力そのものも低下しているとともに、集中力が続かないことも影響しているように思っていました。きちんと読めて、書き手の意図することを正しく理解できないと、議論も思索も成り立ちません。この本は、解釈学、構造主義、ナラトロジーなどさまざまな読む技法を具体例に則して紹介しています。世の中、コスパ、タイパが重視される時代ですが、敢えて深く、論理的にじっくりと読み、考えることも大切と思います。 (★★★★)

  • 滝口 正哉: 江戸町奉行所 与力・同心の世界 (岩波新書)

    滝口 正哉: 江戸町奉行所 与力・同心の世界 (岩波新書)
    時代小説が好きでよく読みますので、町奉行所の与力や同心がどのように仕事し、いかに暮らしていたかには、とても興味があります。この本の帯には、「時代劇でおなじみ 江戸の町を守る『八丁堀の旦那』、その本当の姿 くらし、仕事、文化活動」とありますので、割と気楽に読めるかと思ったら、学術的に書かれていました。与力・同心の仕事は、治安維持が主なものではなく、もっと幅広い仕事をしていました。さらに、深い教養を身につけ、豊かな人脈に裏打ちされた文化活動を行う人たちもいたということには驚きました。さらに、明治維新以降の新しい時代と格闘しつつ、江戸を語り継いだ彼らの実像が明らかにされています。寝転がって読むのは、ちょっと難しいかなと思います。 (★★★★)

  • 森 章司: 仏教的ものの見方: 仏教の原点を探る

    森 章司: 仏教的ものの見方: 仏教の原点を探る
    仏教のものの見方の基本は「あるがまま」を「あるがまま」に見ることにあるとして、仏教の人間観、仏・菩薩観、世界観、人生観、見方、生き方を体系的に説いています。著者は、仏教学者で、東洋大学名誉教授。専門はインド仏教。元浄土真宗本願寺派僧侶です。大学時代の同級生に真宗本願寺派のお寺の住職を務めていた友人がいます。私が体調を崩していたとき、「仏教の勉強をするとよい」といわれ、それがずっと記憶に残っていました。いろいろ本を読んだり、テレビ番組を見たりしましたが、どうも今ひとつピンときませんでした.そういう中でこの本を知り、ようやく入手して、やっと読み終えました。初めに書きましたように、「あるがまま」を「あるがまま」に見ることは、簡単そうで難しい。 「あるがまま」を「あるがまま」に見ることが知ることだといいます。哲学も見ることだそうです。「小欲知足」が、仏教のもっとも基本的な生活態度であり、これが「戒」を導くといいますし、自己中心的な思いも減り、慈悲につながるそうです。これらが、つまらないことにこだわることもなくなり、行動の根源となる意思も、考えも、言葉も、行為も生活も正しいものとなり、偏見や固定観念、先入観が消え去って、「あるがまま」を「あるがまま」に見ることができるようになると説かれていました。読みやすい本とはいえませんが、ここに書いたエッセンスを頭に置いて読むと、いくらか分かりやすい気がします。私自身、今は分かったような気がしていますが、たびたび思い出して、振り返る必要があります。 (★★★★)

  • 林望: リンボウ先生 老いてのたのしみ (祥伝社新書)

    林望: リンボウ先生 老いてのたのしみ (祥伝社新書)
    リンボウ先生こと林望さんが実践する「令和老人生活要領」を説いた本です。リンボウ先生は、ちょっと変人で、群れない、威張らない、信念は曲げないという人。初めての老い(誰でも、自分にとってはそうですが)に対して、先手先手でいろいろと考え、対策、対応を考え、実行しています。その第一は危機管理。たとえばどこに行くのにも「誤嚥防止ボード」を持って行き、外食の際でもそれを目の前に立てながら食事をするそうです。他人がどう思おうが構わないとか。見ならいたいことはたくさん書かれていますが、ごく普通の老人には「それはちょっとなぁ」と思うことも多いでしょう。「流行には迎合しない」というのが、リンボウ先生のモットーの1つでもあります。老後の趣味の心得などについても触れられていて、参考になることもあるかと思います。 (★★★★)

  • 平凡社: 街道アトラス

    平凡社: 街道アトラス
    旧街道に興味があります。ただし、あまりあちこちの街道を歩いたわけではありません。この本では、東海道と中山道は各宿場も紹介されるなど、詳しく載っていますが、その他の街道はダイジェスト。いわば、旧街道のカタログ本といったところ。現代の道と比べたり、旧街道がどのようにつながっていたかを知るにはよい本です。ただし、この本だけを頼りに旧街道を歩くことは、ほぼ不可能でしょう。 (★★★)

  • 保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)

    保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)
    今年は、昭和100年であり、戦後80年でもあるということで、新聞などでも特集記事が掲載されています。太平洋戦争は、日本という国を滅亡の一歩手前まで追い込みました。昭和という時代もそれが終わってから35年以上経ちますから、これからは歴史として語られるようになっていくはずです。この本は、二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇など、時代を大きく変えた8つの事象を取り上げ、当事者たちの感情や思惑排して見つめ直すことを通して、これまでの通説、定説とは異なるそれらの真相を浮かび上がらせようとしています。読後感としては、私なども、何となくそうなのかと思っていたことがひっくり返されたような感じを抱いています。目的と手段を取り違えている、事実や科学的知見から目をそらしている、希望的観測を事実と思い込む、妙な精神論に陥るなど、今も続く認知、思考は、太平洋戦争のときの軍指導者から始まっているのかも知れません。いろいろな意味で「戦後」という概念については、根本的に再検討が必要ですし、日清戦争から太平洋戦争に至る数十年の戦争の時代は、何に由来し、そこから何を学ぶか、よくよく考えてみる必要があると思いました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)

    保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)
    保阪正康さんは、一貫して近現代史を検証し続け、5,000人もの歴史の証人を取材してきています。この本は、月刊『文藝春秋』に掲載されたものから15編を選んでまとめられています。読み応えがあるのに、分かりやすい内容で、昭和史の証人として瀬島龍三、後藤田正晴などインタビューが、また、昭和の戦争7つの謎として無謀な開戦を決意した理由などが載せられています。その後、あの戦争と昭和史を語ろうということで、半藤一利さんなどとの対談が載っています。最後に、歴史をどう引き継ぐかということで、講演録があります。この講演では、江戸時代まで遡らなければ日本人は理解できない、江戸時代の260年を通じて、戦争をしなかったという事実から教訓、知恵を学ぶ必要があるなど、江戸時代に築かれた財産をもう一度取り戻すことの重要性が語られています。明治維新という、薩長の下級武士の暴力革命を経て、帝国主義国家が作られていく過程で、江戸自在の財産は放棄されたと著者はいいます。知識、技術は学び、取り入れたのに、哲学までには思いが至らなかったため、そうなっています。また、もう一つ、著者が強調するのは、天皇制の捉え方、論じ方です。天皇制は、本質的に戦争を嫌う制度だと著者はとらえています。これは、私には目から鱗の見方でした。さらに、天皇は何らかの形で京都にお住まいになって、政治の中心は東京にあってという江戸時代の知恵をもう一度取り戻すのもよいという提案は、真摯に検討する価値があると思います。 (★★★★★)

  • 芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)

    芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)
    関数電卓は持っていますし、その昔は、プログラム電卓で平均値、標準偏差などの計算をする簡単なプログラムを組んで使っていたこともあります。タイトルに惹かれて買ったのですが、ウ~ン、期待はずれでした。計算例が平方根以外にはほとんどありませんでした。関数電卓を片手に、その使い方や、どのような応用ができるかを知りたいと思ったのですが、そういう内容はあまりなくて残念でした。ただこの本を読んでよかったのは、数学の力と計算力とは別物であることが分かったこと。また、計算については、関数電卓などを駆使すればよいということでした。私自身、数学には自信がないのですが、「エェ!?、そうだったっけ?」と思う内容もありました(つまり、間違っているんじゃないの、と思える内容)。 (★)

  • 今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)

    今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)
    地名の由来については興味がありますから、この本を手に取ったのですが、読み始めたものの、すぐに「放置」していました。テーマごとに、それに関連する地名が列挙され、その由来について多少の説明(蘊蓄?)が書かれているのですが、列挙されている(例示されている)地名が煩雑で、読むのが面倒になってしまったのです。「地名マニア」の方であれば、これくらい何のそので読み進めたのでしょうが、私にはちょっと難行でした。2年くらい経って、気を取り直して、少々無理矢理に読み進めました。が、「不思議な名称には物語がある」という、帯の謳い文句には、いささか無理があるかなという気がします。物語というのであれば、個々の地名についてもうすこし物語って欲しい気がするのです。ただし、以上は、極めて個人的な感想です。 (★★)

  • piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)

    piro piro piccolo: 意外と知らない鳥の生活 (コミックエッセイ)
    本の帯に「あなたが毎日スルーしている鳥たちの素顔」「カラスも本当は人が怖い」とあります。ほとんど知っている内容でしたが、このように改めて、まとめてあると、いっそうよく分かりました。野鳥観察を始めたばかりの方、野鳥に興味を持ち始めた方には、最適な参考書の1つと思います。身近にいる鳥ばかりが取り上げられていますが、それだけに身近な鳥の行動や、特徴がよく分かって、野鳥がもっと好きになること請け合いです。タイトル通り、まさに「意外と知らない」です。自分では知っているつもりでも、意外と知らないことは多々ありそうです。 (★★★★★)

  • 五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)

    五味 洋治: 高容姫 「金正恩の母」になった在日コリアン (文春新書)
    高容姫という女性を知る人は多くはないかも知れませんが、本のサブタイトルにあるように、金正恩の母となった在日コリアンの女性です。北朝鮮では、日本から帰国した人間の社会的地位は低いため、その存在は公的には明らかにされていませんし、「国母」として崇拝されることもありません。これは、金正恩の弱点でもあり、コンプレックスにもなっているかも知れません。大阪の鶴橋で生まれ育った少女の数奇な運命をたどった、力作です。よくぞここまで取材したものだと思います。高容姫の人生をたどることで、北朝鮮の体制、社会、歴史にまで理解が及びます。ほとんど一気読みをしてしまいました。ちなみに、現在も大阪には、金正恩の伯父を始め、親戚が50名以上も暮らしているといいます。このことは、日朝関係の改善や、拉致問題の解決の手がかりになるのではないかという気がします。 (★★★★★)

  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)