地蔵

2021年2月27日 (土)

20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完)

 朝は風が冷たかったものの、次第に風も弱まり、暖かくなりました。ほぼ1年前に、新型コロナウィルス感染症によって、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングが軒並み中止となったため、「勝手に養老鉄道ハイキング」を企画し、桑名の美濃街道を歩きました(20200301勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(川口町~下深谷)(予告編)20200306勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く」(下深谷~多度)(予告編))。今回、同級生K氏と、昨年と同じルートをもう一度辿ることとし、今日は、川口町から下深谷までを歩いてきました。

Mino  こちらが、今日のコース。昨年3月1日と同じです。美濃街道は、七里の渡しから東海道を南へ160mほど下ったところ、川口町Img_5029c と江戸町の間の三叉路が起点となります。ここから三崎通、参宮通、国道1号線、上之輪、深谷と進みます。今日は、養老鉄道下深谷駅をゴールとし、マップ上6.3㎞の距離。

Img_5035c_20210227155501Img_5032c_20210227155501  これは、お馴染み七里の渡し跡。いつもの散歩コースです。ここから南に向かって東海道が延びています(右の写真)。このあたりもたまに歩くところです。

Img_5041c_20210227155501  上述のように七里の渡し跡から160mほど行ったところに歌行燈本店があります。ここが美濃街道の起点です。9時にスタートしたのですが、次に行く前にいきなりの余談。

Img_5044c_20210227155501 Img_5047c  この三叉路のところに「通り井跡」があります。桑名では地下水に海水が混じるため、寛永3(1626)年に町屋川から水を引いた水道をつくり、町内の主要道路の地下につつを埋め、ところどころの道路中央に正方形のマスを開けて、一般の利用に供しました。これが「通り井」。ここは、昭和37(1962)年、工事のため道路を掘っていて、通り井の跡の一つがみつかったところ。道路面には「井」と書いた石が埋められています。

Cca076f9 Img_5062c_20210227155501 スタートして西に向かい、370mほどのところに、三崎見附跡(今日は写真を撮り忘れましたので、これは去年のもの)。多度や美濃国への出入り口として、番所と三崎門があり、また、寺の開帳や芝居・相撲の開催を告げる立て札が立てられるところでもあったといいます。その先、750mで(スタートから、以下同じ)北桑名神社。我が家の氏神様ですが、天照大御神、建速須佐之男命の他、持統天皇も祀っています。明治41(1908)年、宝殿町にあった佐乃富神社を合祀したのですが、佐乃富神社が、壬申の乱のとき、後の持統天皇が滞在された桑名郡家であると伝わっています(由緒書による)。

8c32c2f3 Dsc00374  北桑名神社のすぐ先で追分に行き当たります。かつてここには、常夜燈と道標がありました(右の写真)。美濃街道は、左の写真で向かって右の細い道(福島縄手といわれました)。左の道は八丁畷といわれ、久松松平家の墓所がある東海山照源寺に続いています。常夜燈は、安政3(1856)年の建立でした。400人ほどが寄進を行い、現在も桑名で営業している店の屋号も刻まれていました。道標(弘化4(1847)年建立)には,「右 みの 多度道」「左 すてん志ょみち」とありました。美濃街道はこの先、スタートから1㎞のところで国道1号線と重なります。

Img_5067c_20210227155501 Img_5070c_20210227155501  美濃街道が国道1号線に重なるところに「参宮国道碑」があります。大正時代まで、木曽・長良・揖斐の三大川は渡船に頼っていました。そこに橋を架ける運動が進むとともに、「東海道国道」が新しくつくられました(現在の国道1号線)。町屋橋から伊勢大橋までの3.87㎞は、昭和6~7(1931~32)年にかけて、当時のお金で55万円でつくられたそうです。その竣工記念として西桑名町(当時)によって建てられたのがこの碑。ここから立代町あたりまで、700mほど、国道1号線を行きます。

Img_5088c_20210227155501 Img_5095c_20210227155501  立代町交差点で1号線から離れ、大山田川に向かいます。スタートから2㎞ほどのところに桑北山西浄寺。もとは、北河原葬所の境内の庵でした。お寺という感じの建物ではありません。右の写真は、六地蔵。元禄3(1690)年のもの。六地蔵は、地蔵菩薩の6分身。生前の行為の善悪によって、人は死後、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するとされますが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の6地蔵をいいます。

Img_5085c  さらに、ここには、釈迦如来立像と六字名号碑があります。写真の向かって左が、釈迦如来立像。去年来たとき、きちんとした写真を撮り忘れたのです。これは、嘉永2(1849)年のもので、美濃街道沿いにあったものを昭和10(1935)年に移動しています。六字名号碑は、天保12(1841)年のもので、これももとは街道沿いに建っていたのですが、昭和4(1929)年に移動したそうです。

B5357cfa Img_5103c_20210227155501  西浄寺の先で大山田川を渡ります。美濃街道のルートには、現在は、人自転車専用橋が架かっています。このあたりは、冬にときどきバードウォッチングに来るところ。カワセミ、ウグイス、メジロ、ホオジロ、オオジュリン、アオジなどがいます。

Img_5109c_20210227155501 Img_5117c_20210227155501  橋を渡ってすぐに上之輪神社(神明社・縣社・多度社)。主祭神は、天照大神。相殿神は、天津日子根命(あまつひこねのみこと)と天穂日命(アマノホヒノミコト)。この上之輪神社あたりに中江城があったとされます。戦国時代の豪族・中江(あるいは森)清十郎が居城しました。長島一向一揆の時には、5大拠点の一つで、最後まで抵抗した砦です。多数の人が立て籠もったところを焼き払われたと伝わっています。現在は、城の遺構は認められません。

Img_5119c  上之輪神社(2.3㎞地点)を過ぎると、深谷までは見るところ、立ち寄るところはありませんので、ひたすら歩くのですが、近鉄、JRの線路が見えるところに出たら、近鉄特急ひのとり(名古屋行き)。どうも予定しないときに遭遇することがよくあります。この先は、東名阪道・桑名東インターに抜ける道で、クルマがたく三通り増す。

Img_5146c_20210227155501Img_5163c_20210227155501  美濃街道は、桑名東インターの下をくぐって、深谷に入ります。スタートから5㎞ほど来たところの東に稲荷社があります。去年も立ち寄りました。あれこれ推測したのですが、同級生K氏の話その他で、もう少し詳しいことが分かりました。個人の方がご自宅の敷地内に勧請した稲荷社でした。この方は、ここのすぐ目の前で商売をしておられたのですが、大変信仰心の篤い方でいらっしゃったようです。ここで、歩き始めて1時間あまり。近くにあった高砂公園で小休止。

Img_5169c_20210227155501 Img_5172c_20210227155401  稲荷社のすぐ先には、真宗大谷派の深江山南楽寺(ふかえざんなんらくじ)が西に見えます。平安時代初期の天長元(824)年に天台宗の僧院として建立されましたが、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火で焼失し、再建後、浄土真宗に改宗しています。以前は、深江山阿弥陀寺といい、正保2(1645)年にここに移ってきたそうです。

Img_4668c_20210227175901 Img_4672c_20210227175901  頌徳碑が1基あったのですが、黒ずんでいて判読困難でした。帰宅後、「桑名市史 補編」にある「第7章 主要墓碑集覧」をチェックしたところ、「南楽寺」のところに載っていました(p.456)。調べてみるものです。題額には「頌徳碑」。「宇野智賢頌徳碑 山脇春樹題額 花山大安撰、 江東子 原雪堂書 大正九年八月建立」とあるそうです(ちなみに、この主要簿費集覧は、照源寺に碑があった平岡潤によるもの。2021年2月5日:20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その3)……円妙寺、照源寺から専明寺まで)。山脇 春樹(やまわき はるき、明治4(1871)~昭和23(1948)年)は、農商務・内務官僚、教育者。官選県知事。大正8(1919)年4月から大正11(1922)年9月まで三重県知事。花山大安(元治元(1864)~昭和11(1936)年)は、花戸山遍崇寺(へんそうじ)(東員町中上)の第10世住職。真宗大谷派。明治21(1888)年住職に就任、明治29(1896)年真宗京都中学校教授となり、同44(1911)年に大谷大学教授となっています(こちら)。肝心の宇野智賢は、今のところ不明。原雪堂も同様。

31eb1ab7 Img_5182c_20210227155401  去年は、この先にある末広屋さんでみたらし団子を買ってくるようにという司令があったのですが、今年はパス。醤油だけの味付けで私好みなのです。末広屋の先で流石川に突き当たり、美濃街道はここで左折し、西に向かうのですが、この曲がり角、流石川の右岸に地元の方が「角の地蔵」と呼ぶ地蔵堂があります。「地蔵」といいながら、祀られているのは、如来様。ただし、「くわな史跡めぐり」には「薬師如来」とあるのに、「みえの歴史街道ウォーキングマップ」には「阿弥陀如来」とあり、詳細は不明。

4c044825  深谷の町を進み、美濃街道は、深江神社や養老鉄道の東のあたりを北上するのですが、街道歩きは、今日はここまで(左の写真の交差点)。去年同様、ここで左折して、深江神社に向かいます。

Img_5185c_20210227155401  深江神社。深江(ふかえ)はこのあたりの古名。勧請年月は不詳ですが、延喜式神名帳に「伊勢国桑名郡深江神社」とありますので、いわゆる「式内社」と考えられます。ここも、織田信長の伊勢侵攻の時、兵火に焼かれました。桑名藩主・松平定勝の子・定実(さだざね)が深く信仰し、元和8(1622)年、社殿を寄進し、現在に至るといいます。主祭神は、天之菩毘能命(アマノホヒノミコト)と、天照大御神。相殿神は、宇迦之御魂神、大山津見神、武三熊之大人(たけみくまのうし;『古事記』では建比良鳥命(たけひらとりのみこと)とされます。

Img_5195c_20210227155401  深江神社のすぐ西には、西林寺。現在は、真宗本願寺派ですが、永正6(1509)年、北廻城主・近藤家教が父の菩提を弔うために創建しました。当時は、禅宗の済林寺。天正2(1574)年、本願寺第9世実如上人(蓮如上人の5男;「御文(おふみ)」を布教の指針としました)により、真宗に改めました。織田信長の伊勢侵攻の時、焼失し、後再建されています。

Img_5198c  この西林寺の裏山あたりが、北廻(きたはざま)城址といわれます。織田信長の侵攻によって滅ぼされましたが、北廻城は堅固な城であり、信長勢(滝川一益)も攻めあぐねて、ついにトンネルを掘って、地下から攻め登ったといいます。籠城したのですが、水がなくなったのを知られないため、馬を洗うのに白米を用いました。遠目には水に見えたからです。これによって「白米城」とも呼ばれました。北廻城主であった近藤氏の子孫が、この西林寺の住職になっています(こちら)。

Img_5227c_20210227155401  西林寺から、桑名北高校の裏手を通って、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺。東寺真言宗のお寺。ご本尊は、十一面観世音菩薩。伊勢西国三十三ヵ所観音巡礼の第32番札所。延暦13(794)年、大和国生駒山周辺から黄金の花瓶(けびょう;十一面観音の持物)を喰えた霊鳥が、現在地より2km山中の坊ケ谷に飛んで来て、美声にて仏法を説いたといいます。その噂を聞きつけた弘法大師が来山し、霊鳥が十一面観音に変化したそうで、弘法大師は、早速、感得されたお姿を一刀三礼して等身大の御尊像を刻み草庵に安置し、霊鳥が飛来した寺という事で「飛鳥寺(ひちょうじ)」と名付けたことに始まります。最盛期には、寺域一里半、寺領千石、12の坊舎が並ぶ密・律・禅の名刹となっています。しかし、ここもご多分に漏れず、元亀2(1571)年、織田信長の伊勢長島の一向一揆攻略により全山灰燼に帰し、小堂一宇を残すのみとなりました。その後、寛永12(1635)年、桑名藩主松平定網公が、眼病平癒祈願のため参籠し、その満願の夜に、観世音菩薩の花瓶より滴る霊薬水で洗眼する夢をご覧になられ、忽ちに平癒したといいます。定綱は供料田を寄進し、また、万治3(1660)年には定重から年々の祈願料が寄進されました。元禄年間、桑名藩家臣・南條三太左衛門宗親が、念持仏として地蔵菩薩を得て、それを奉安しています。山号については止雨のみならず、雨壷という古い陶器の壷があり、旱魃の時にこれに水を滴らすと忽ちに降雨したので、「雨尾山(あまおさん)」と呼ばれています。

Img_5230c_20210227155401  明治2(1869)年、参詣に不便ということで本堂及び地蔵堂が現在地に移転。木曽三川を眼下に、名古屋市街、濃尾平野、遠くは木曽御嶽山が、一望できる眺望絶佳の高台にあります。こちらがその眺め。平成29(2017)年末にNHKで放送していたドラマ「マチ工場のオンナ」のロケ地の1つです。ちなみに、去年来たときには、桑名北高校の裏手から、この飛鳥寺の墓地あたりにニホンザルがたくさんいたのですが、今年はまったく見当たりませんでした。

Img_4851c_20210227182801  飛鳥寺にも招魂碑らしきものがあり、去年の段階では調べが付きませんでした。「桑名市史 補編」「第7章 主要墓碑集覧」の「飛鳥寺」のところにありました。(pp.456~457)。これは、「忠魂碑」でした。日清・日露両戦争での戦没者9名のための忠魂碑で、あの立見尚文の篆額幷書の詩があります。

Img_5260c  このあと、下深谷駅の東にある安養寺にも立ち寄るつもりでしたが、下深谷駅まで来たら、12時7分。次の桑名行きは12時12分、その次は12時52分でしたので、今日はここまで。安養寺は、次回のスタートの時にということにしました。スタートからほぼ3時間、コースマップ上は6.3㎞を歩いてきました。

Img_5268c_20210227155401 Img_5264c_20210227155401  12時12分発の桑名行きに乗車。桑名までは¥260。さらに、桑名着は何と12時18分。3時間かけて歩いてきたのに、電車ではたったの6分で到着。笑えます。

Img_5276c 1614397570497c  例によって例の如く、せっかく出て来ましたので、お昼は外食。サンファーレの北や東のエリアを探索して、「とんかつ銀座」へ。トンカツランチ(¥1,000)をチョイス。いつもながら、家ではなかなか食べさせてもらえないもの(苦笑)。前回(2021年2月 6日:20210206桑名の八風街道を行く(能部から志知へ)(予告編))、桑名駅にある伊勢ノ国ダイニングSicili(シチリ)で食べた「とろアジフライランチ(税込み¥980)」はボリュームがあり過ぎましたが、今日は、適量(微笑)。

Img_5291c_20210227155401  ALKOOによる歩数データは、17,545歩。実際に歩いたのは、我が家からスタート地点までと、桑名駅から帰宅までを含めて、9.2㎞でした。

Img_5272c_20210227155401  桑名駅で養老鉄道を降りたところから、元の駅舎があったあたりの写真を撮ってきました。すっかり様変わりしています。

Img_5211c_20210227155401  余談を少しだけ。深谷の町を歩いているとき、我々よりも高齢の男性から、「何かの調査をしているんですか?」と訪ねられました(微苦笑)。自作コースマップを持ち、リュックを背負って歩いていますが、そんな風に見えるのでしょうか。また、あるお寺では、「どちら様ですか?」と不審そうに誰何されました。これからは、「街道歩き」といったゼッケンでもつくってつけて歩いた方がよいか、という気もします(爆)。

 今日の勝手にハイキングは1回完結。詳細は、昨年の記事をご参照ください。

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2021年2月 4日 (木)

20210201勝手に養老鉄道ハイキング「桑名駅西歴史散歩」(その2)……秋葉三尺膨大権現、尾畑山城跡、立坂神社旧蹟から円妙寺墓地で松平定良公墓所へ

210201ekinishi2  2月1日の「勝手に養老鉄道ハイキング『桑名駅西歴史散歩』」のその2です。その1では、播磨を出発して、北別所神明社、北別所中世墓を経て、高塚第三公園から高塚山古墳に登ろうとして、途中で断念。竹林にある式部泉のあたりを通って、土佛山聖衆寺まできました。その2は、この聖衆寺の奥の院でもある、秋葉三尺膨大権現からです。

Img_2534c_20210202203501Img_2550c_20210201192701 聖衆寺の本堂に向かって右手に秋葉三尺坊大権現へ上がっていく階段があります。かなり急な階段。左の写真の上にさらに階段があるのです。私より年配の男性が、手すりにしがみつくようにして降りてこられます。笑えません。「明日は我が身」という気がします。

Img_2595c  こちらが秋葉三尺坊大権現の本殿。伝承によると、三尺坊という信濃出身で、越後の栃尾蔵王堂所属の修験者がいました。秋葉山(浜松市天竜区の天竜川中流左岸にある山。別称「あきばさん」。標高885m。頂上には古くから火伏せの神をまつる秋葉神社があります)に一千日参籠し火生三昧(かしようざんまい:身から火炎を出す三昧で、身から火炎を出し、その火でいっさいの悪魔、煩悩を焼き尽くすというもの)の法を修し、神通不思議の験力を得、飛行昇天したので、秋葉山に合祀し、秋葉三尺坊というようになったとも、秋葉山に大火が発生した際に三尺坊が現れ、火生三昧を修して猛火を止めたことにより火防鎮守としてまつられたとも伝わっています。ここに祀られた経緯については調べが付きませんでしたが、毎年4月17日に行なわれる秋葉大祭火渡り神事は、明治元(1868)年より続いています。

Img_2559c_20210203041401  この秋葉堂には、天手力雄命(アマノタヂカラオノミコト:天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神)、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと:天照大神に天岩戸から出てもらうことを考え、成功させた神(ちなみに、思兼神(おもいかねのかみ)とは、多くの思慮を兼ね備えた神、深く思慮する神)、妙音楽天女(みょうおんがくてんにょ:弁才天(べんざいてん:インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰されました。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶を弾く天女の姿で表されます。日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰されています)の異称。美しい音楽を奏するところからこの名前)、天表治命(あめのうわはるのみこと:天八意思兼命の子)、九頭竜大神(くずりゅうのImg_2565c おおかみ:戸隠山の地主神)、地蔵大菩薩、秋葉三尺房大権現、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ:七観音(千手・馬頭・十一面・聖・如意輪・准胝・不空羂索)または、六観音(七観音のうち不空羂索を除く)の一つ。普通、観音といった場合は、聖観世音菩薩をさします。左の手に蓮華(れんげ)を持ち、右手を開いた形をし、衆生を救済するために種々の身を現ずる大慈大悲の菩薩)、恵比須神(えびすがみ:七福神の一つ。蛭子神(ひるこのかみ)とも、事代主命(ことしろぬしのみこと)ともいわれます。風折り烏帽子に狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)を着け、釣りざおで鯛を釣りあげている姿をしており、商家の福の神として祭られることが多くあります)、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん:頭は象、身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王で、のち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は、男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合・子宝の神として信仰されます)、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう:仏教守護の明王。無動尊・無動使者・不動尊とも呼ばれます。明王中の最高とされ、忿怒(ふんぬ)の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔を祓います)、大黒天(だいこくてん:もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、大自在天の眷(けん)族として三宝を守護し、飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺の厨房などに祭られました。日本の民間信仰では、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされます。七福神の一で、米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で知られています)および毘沙門天(びしゃもんてん:四天王の一神で、北方の世界を守護します。一般に右手に宝棒、左手に宝塔をもつ姿で表され、財宝を施す神として施財天ともいわれます。七福神の一。常に仏法の道場を守り、日夜、法を聞くので多聞天(たもんてん)ともいう)が祀られています。いつも通り、神様などを調べたのですが、たくさんいらっしゃり、大変でした(苦笑)。これだけたくさん祀られているには、理由があると思うのですが、私にはとても理解が及びません。

Img_2574c_20210203050101 Img_2580c_20210203050101  境内には他にもいろいろとあります。まずは、正一位福寿稲荷大明神。「正一位」は、お稲荷さんには必ずといってよいほど書かれていますが、最高位の位階。京都の伏見稲荷大社が正一位を授与されたことから、各地の稲荷もそのように称しているという話を読んだことがあります。他のお稲荷さんも、由緒が分からないことが多いのですが、この福寿稲荷大明神も同じ。

Img_2618c_20210203050601 Img_2598c_20210203050601  拝殿に向かって左手前には、小さなお社とお地蔵様。どちらもその名前などは掲げられていません。同じく拝殿に向かって右側には、「秋葉権現堂由来記」があります。伊藤文助翁という桑名南魚町の人(大正6(1917)年12月、77才で亡くなる)が勧請した旨のことが書かれていました。勧請年月については、記されていません。碑は昭和19(1944)年4月に建立。

Img_2625c_20210203075601  奥の院は高台で見晴らし良く、往時は景勝地として憩いの場所であったと伝えられていまImg_2628c_20210203075801 す。実際、聖衆寺からここまでの階段を登り切ったところから東を見ますと、左の写真のような眺望が広がっています。今ほど木々が生い茂っていなければ、揖斐・長良川から伊勢湾まで見えるでしょう。ズームアップすると、右の写真のように、長良川河口堰や、名古屋駅前の高層ビル群まで望めます。

Img_2632c_20210201202201  また、もう少し右に視線を向けると、この写真のように、桑名市街地のマンションの奥には、名港トリトンまでよく見えます。蟠龍櫓も見えていますので、今はマンションの陰になってしまっていますが、桑名城なども見えたと思われます。景勝地であったであろうことがよく分かります。

Img_2656c_20210203081401  聖衆寺に降りて来て、次の目的地に向かいますが、ここ聖衆寺に来たのは2回目(2006年2月11日:標高88.62メートル)。まだ、その山号の由来となった土佛を拝観したことはありません。是非その機会を得たいもの。

Img_2661c_20210203081801  スタートから3.2㎞ほど、照源寺霊園の西まで来ました。コミュニティバスの北別所バス停のところに道標が1基建っていました。「右Img_2665c_20210201192701  土佛山 左 西方(にしかた)」とあります(西方は、ここから西へ1㎞あまりのところの地名(イオン桑名があるあたりですが、現在は、新西方となっています。また、これから行く大福田寺、円妙寺、照源寺などは「東方」)。石碑には、「東京 多賀源」とも刻まれています。この向かい側(東北側)に小高い丘というか、山というかがあります。ここは、尾畑城跡(おばたじょうせき)。ただし、今は私有地になっていますので、入れません。ここには、やはり15年ほど前に来ています(2006年1月9日:尾畑城跡を求めて6.5㎞)。史料には、田辺伊勢丸が居城したとありますが、築城時期など詳細は不明。中世の城館跡で、土塁を巡られた方形の曲輪が残っているといいます。

210201ekinishi3  その先、照源寺墓地の角を右折し、南へ。県立桑名高校の方へ進みます。さらに、桑陽(そうよう)保育所に向かいます。ここの敷地内に立坂神社旧蹟があるのです。このあとは、円妙寺墓地、大福田寺、円妙寺と回り、北に向かって、照源寺を目指します。照源寺は、私が好きなお寺で何度も訪ねています。

Img_2671c_20210201192701 Img_2686c_20210201192701  市立桑陽保育所の敷地内にある立坂神社旧蹟。元はこのあたりを田宮村といい、その産土神である「高野御前」を祀ったそうです。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたので、草鞋(わらじ)社とも呼ばれました。ここにあった立坂神社は、尾野神社に合祀されています(新矢田にある立坂神社は、もともと矢田八幡社と称しており、明治以後、式内立坂神社と称しています)。実は、この立坂神社旧蹟、桑陽保育所の敷地内にあるはずと思って行ったのですが、なかなか見つけられず、ちょっと苦労(右の写真が桑陽保育所。立坂神社旧蹟は、写真の右端にあります)。というのも、石碑は西向きに建っているのですが、この裏手から西に向かって歩いていたので、木陰になっていて見えず、通り過ぎてウロウロしたという次第。

Img_2697c_20210201192701  続いて、県立桑名高校の北を通って、円妙寺(えんみょうじ)墓地へ。桑名藩6代藩主・松平定良(1632~1657)とその正室養仙院の墓があります。

Img_2709c_20210201192701Img_2713c_20210203090101  定良公は明暦2(1656)年に病となり、有馬温泉で治療しましたが、翌明暦3(1657)年7月18日、桑名への帰路、京都で26歳の若さで客死しています。日蓮宗を信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され、ここに葬られました。法名は、光徳院円妙日法大居士。霊廟は墓地の奥(北隅)に東面し、石廟造りで、正面4mの光徳院殿が松平定良公、その後方右から一安院は殉死堀田一可、法性院は殉死多賀道次、蓮心院は殉死長瀬政直で計4基。霊廟は、荒廃して石垣が崩れ、樹木雑草に蔽われているのは、残念。円妙寺はもともとこの墓地の東北あたりにあったといいます。

Img_2727c_20210203090101  こちらは、正室養仙院の墓。墓地よりやや斜面を下がった東側に独立しています。養仙院(~1683年)は7代定重の母、京極高広の女、法名は、養仙院了栄妙護日立。

Img_2737c_20210201192701  円妙寺からすぐ南東に大福田寺があります。このあたりでほぼ4㎞、時刻は10時20分。大福田寺は、高野山真言宗の寺。山号は神宝山。院号は法皇院。本尊は阿弥陀如来。ほかに聖天(歓喜天ともいう:仏教を守護する天部の善神。多く象頭人身で表されます。仏教に取り入れられてからは富貴・子孫・消厄の得の神とされ、双身で男女抱合像として祀られることもあります)を祀り、日本三大聖天(三大聖天には、東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)の2つは必ず入っていますが、他はいろいろ)の一つに数えられています。毎年2月3日に節分祭が、また、4月1日・2日に桑名聖天大祭が行われます。

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 この寺の創建年代については正確ではありませんが、用明天皇の時、聖徳太子が度会郡山田に開いたと伝えられます。鎌倉時代中期、後宇多天皇の建治年間に神宮詞人大和守・額田部実澄(ぬかたべのさねずみ)・忍性(にんしょう)によって、市内江場大福地内に再興されましたが、度重なる兵火や風水害によって、寛文2(1662)年、現在地に移築されています。当初は、福田村にあったため福田寺と称したのですが、足利尊氏から「大」の字を賜り、大福田寺と改められたという話が伝わっています。左の写真は、本堂。

Img_2753c_20210201192701 Img_2744c  こちらが聖天堂。歓喜天(聖天)は松平定信の寄進によるものとされるそうです。この日は2月1日でしたが、すでに節分祭が始まっていたようで、人も多く、露店も複数出ていました(ただし、今年は豆まきは中止)。境内には、稲荷社もあります。ちなみに、ここ大福田寺の節分行事は、地元では有名。境内では豆まきや福餅投げが行なわれ、大賑わいになります。また、鬼が市内を練り歩く「鬼追い厄払い」もあり、大福田寺にお願いすると、施設だけでなく、個人宅でも赤鬼・青鬼が揃ってやって来てくれます。

 その2も長くなりましたので、ここまで。その3では、円妙寺、照源寺、円妙寺、尾野神社からゴールまでを取り上げます。

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2021年1月 6日 (水)

2020JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング・勝手にハイキングの記録

 令和2(2020)年のJRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングおよび勝手にハイキングなどの記録です。令和2年は、新型コロナウィルス感染症に翻弄され、JRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングは2月下旬から10月まで中止されました。11月から再開されたものの、近鉄ハイキングはあちこちでの企画はなく、常設コースのみの開催(一部でアプリを利用できるようになりましたが)。JRさわやかウォーキングも回数は少なく、遠くに行くのが憚られる感じで、再開後は、11月に1回参加したのみ。この間、市内の旧街道を中心に勝手にハイキングを企画し、一人であるいは友人と歩きました。この記事は、それらの記録です。それぞれのハイキング・ウォーキングの主な立ち寄り箇所、スタート~ゴール時刻、現地で歩いた距離、かかった費用が併記してあります。

    1. 2020/01/11 JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」 名鉄ハイキングとの共催、JR笠寺駅をスタートし、松重閘門、名古屋国際会議場(あいち・なごや生物多様性EXPO)、白鳥庭園、白鳥公園、宮の渡し跡、秋葉山円通寺、熱田神宮を経て、名鉄神宮前駅がゴール。9時33分~13時13分、8.4㎞、¥1,300
    2. 2020/01/12 近鉄ハイキング「高田本山専修寺『お七夜』と寺内町散策へ」 近鉄江戸橋駅をスタートし、勝久寺、魚歳食品(はんぺいの試食あり)、石積神社、窪田の常夜燈、高田本山専修寺(「お七夜」が行われていました)、一身田寺内町の館、おぼろタオル、江戸橋駅がゴール。9時25分~13時15分、11.2㎞、¥1,400、お昼は、専修寺でお非時をいただきました
    3. 2020/01/26 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」 同級生K氏の近鉄ハイキングデビュー(酒蔵みてある記が魅力の様子)。養老鉄道多度駅をスタートし、鯉料理の大黒屋、多度大社、細川酒造へ。試飲ののち、即売会でワンカップと焼き蛤を入手し、小宴会で満足。岩や姫から三重交通の臨時バスで多度駅へ、ゴール。9時50分~13時40分、6.3㎞、養老鉄道が¥620、バスが¥350。細川酒造では、お楽しみ抽選会で「純米酒 上げ馬720ml」が当たりました。ワンカップ、つまみで¥1,000、2時間も滞在(微笑)。岩や姫で軽い昼食(焼きそば、¥350)
    4. 2020/02/01 JRさわやかウォーキング「加納城下町と節分の巨大赤鬼が立ち並ぶ中山道をぶらり散策」 JR岐阜駅南口から清水緑地、加納城跡、玉性院、加納天満宮、芝生広場で丸窓電車を見て、岐阜駅北口にゴール。9時35分~11時25分、5.7㎞、¥1,640。昼食は、岐阜駅ビルのASTY岐阜にある「赤い鳥」という焼き肉店で「鶏(けい)ちゃん炒めランチ」(税別¥800)
    5. 2020/02/02 JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」 チラシに「ツゥ、ツゥ、ツゥの日にツゥの真ん中ウォーク」とありました。JR津駅東口をスタートし、津偕楽公園、比佐豆知(ひさずち)神社、お城公園(津城跡)、高山(こうざん)神社、観音橋、大門商店街、津観音寺、四天王寺を経て津駅がゴール。9時35分~12時40分、9.7㎞、JRさわやかウォーキングなのに、往復とも近鉄利用で¥1,400。昼食は、津駅ビルのChum2階にある「美濃味匠」で「きまぐれ総菜弁当(¥648)」。イートインすると、味噌汁がサービスでつくのがありがたい
    6. 2020/02/08 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」 近鉄高角駅をスタート、一生吹山(いっしょうぶきやま:標高109m)を上り、毘沙門天に参拝。大師堂、椿岸神社、智積養水、西勝寺から伊藤酒造へ。ゴールは近鉄桜駅。酒蔵見学、試飲のあと、同級生K氏と現地にて小宴会(熱燗一合(¥300)と、おつまみセット(酒粕入り特製チヂミと枝豆;¥250))。9時55分~12時20分、4.3㎞、¥860
    7. 2020/02/09 近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」 連日の酒蔵みてある記(微笑)。近鉄伊勢朝日駅をスタートし、旧東海道を少し歩いて、朝日町歴史博物館、若松園(和菓子屋)、川越町に入り、朝明川沿いを歩いて早川酒造部で酒蔵見学、高松八幡神社、山武食品を経て、近鉄川越富洲原駅がゴール。9時25分~12時15分、8.2㎞、¥470。早川酒造部では、「しぼりたて 本醸造 蔵出し生原酒」と「純米酒 天一」の2種類を試飲。さらに、「純米酒天一」のワンカップ(¥200)と山武食品が出店している店で焼きたて鯛蒲(¥300)で一人宴会。その後、高松八幡社でも御神酒として「天一」をいただきました
    8. 2020/03/01 勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く(川口町~下深谷)」 新型コロナウィルスで、鉄道会社のハイキング/ウォーキングも軒並み中止となってしまい、「勝手にハイキング」を企画。まずは、美濃街道を多度まで、2回に分けて歩くことに。桑名市川口町の歌行燈本店脇にある東海道と美濃街道の追分をスタート、三崎通、堤原を経て北へ(福島縄手)、上之輪、汰上(ゆりあげ)を通って深谷まで。深谷で南楽寺、角の地蔵、深江神社、雨尾山味光院飛鳥(ひちょう)寺を回り、養老鉄道下深谷駅がゴール。8時35分~11時10分、7.5㎞、¥260
    9. 2020/03/06 勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道を歩く(下深谷~多度)」 播磨駅から養老鉄道に乗り下深谷駅へ。そこから、法光寺、三砂川、森大明神社、明光寺、大淀の松跡、徳蓮寺、延柳寺、野志里(のじり)神社、肱江川を渡り、船着社、尾津神社(戸津)、尾津神社(小山)を経て、養老鉄道多度駅がゴール。多度の町の中で迷い、旧戸津村の庄屋屋敷・長屋門を見られず(美濃街道ウォーキングマップにミスがあったためと判明)。8時55分~11時30分、7.9㎞、¥520
    10. 2020/03/15 勝手に三岐鉄道ハイキング「桑名の員弁街道を歩く(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)」 「勝手にハイキング」企画の第2弾。「桑名の員弁街道を歩く」に出かけてきました。員弁街道(濃州道)は、桑名市の三ツ矢橋町から、東員町鳥取、いなべ市員弁町笠田、いなべ市北勢町阿下喜、いなべ市藤原町川合などを通り、いなべ市藤原町山口で巡見道と合流して濃州(今の岐阜県)へ向かう街道。近鉄益生駅に集合し、有王塚・俊寬塚を見たあと、員弁街道起点の三ツ矢橋交差点へ。馬道辺りで善龍寺、走井山勧学寺、玉三(たまみつ)稲荷神社、いくつかの地蔵堂、額田神社標柱を見て、員弁川の堤防から星川駅にゴール。9時~11時25分。6.6㎞、¥400。昼食は、昨年7月に閉館した桑栄メイトのエベレストでカレーランチ、¥700
    11. 2020/03/29 勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング「桑名の員弁街道を歩く(星川~東員)」 三岐鉄道北勢線星川駅をスタートし、星川城跡、星川神社、安渡寺、森忠名神明神社、天皇八幡神社、クロガネモチの木(市天然記念物)、大日堂と地蔵堂、弁天橋、穴太徳(あのうとく)の碑、延命地蔵堂、そりみ坂の句碑、鳥取塚と珪化木の碑を経て、三岐鉄道北勢線東員駅にゴールするのですが、その直前、カフェレスト・ラフィーネで昼食。オムライス・ランチセット(¥980)。10時55分~13時40分(朝方、雨模様でスタートを遅らせました)、8.4㎞、¥580
    12. 2020/04/03 勝手に養老鉄道ハイキング「専通寺のしだれ桜と羽根谷だんだん公園(養老鉄道・駒野駅)」 散歩友達の勧めで海津市にある専通寺のしだれ桜と、羽根谷だんだん公園の桜などを見てきました。養老鉄道駒野駅がスタート&ゴール(往きは播磨駅から乗車、帰りは桑名駅まで)。駅のすぐそばに市神神社、ナイガイテキスタイルの工場脇から薩摩カイコウズ街道と国道258号線を渡り、専通寺へ。しだれ桜を見たのち、羽根谷だんだん公園。ソメイヨシノの見応えある桜並木を眺め、上流にあるさぼう遊学館方面へ。ヨハネスデレーケが指導してつくったという「巨石積み堰堤(砂防ダム)」を見て駒野駅に戻りました。9時20分~11時35分、5.7㎞+α、¥940
    13. 2020/04/11 勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング「員弁街道を歩く(東員~楚原)」 員弁街道ハイキングの第3弾。三岐鉄道北勢線東員駅をスタートし、チリン坂・律師智傳之碑を見て、員弁街道に入り、大谷神社、大泉駅に併設された「うりぼう(農産物直売所)」、大谷神社(通称長宮)、神明社、石仏墓地(美濃国守護・土岐大膳太夫父子の墓)、ヨシヅヤ員弁店のスガキヤで昼食。「直火焼き塩豚カルビ丼・サラダセット(¥350)」。その後、ねじり橋・めがね橋を見て、楚原駅にゴール。9時10分~13時45分、11.3㎞、¥770
    14. 2020/05/01 「ご近所神社めぐりその1その2」 目先を変えて気分も変えようと、「ご近所神社めぐり」と銘打って歩きました。国道1号線沿い、市役所から南あたりにある立坂神社、神舘神社、八重垣神社、若宮町から大福を回って、旧東海道にある一目連神社、本願寺跡・梅花仏鏡塔、天武天皇社、伝馬公園、金刀比羅社と巡ってきました。8時20分~11時10分、6.9㎞、全コース徒歩のため¥0
    15. 2020/08/17 「村正史跡めぐりスタンプラリー」 桑名宗社の「宝刀村正特別公開」に合わせて、8月13日から31日まで「村正史跡めぐりスタンプラリー」が企画されていました。うちわ型スタンプラリー台紙を持って、市内8か所の村正にゆかりあるチェックポイントを回り、コンプリートしたら村正の鐔(つば)の形をした記念ピンバッジがもらえるのです。桑名宗社に集合し、京町交差点、走井山勧学寺へ。ここで最初のスタンプを押し、ゴールに向かいます。和菓子屋さん・玉川軒、旧東海道を通って天武天皇社、寺町近くの仏眼院、我が家近くの浄土寺、七里の渡し跡と歩き、最終ポイントの柿安コミュニティパーク入り口にある本多忠勝像を経て、桑名宗社にゴール。9時過ぎ~12時、7.9㎞。全コース徒歩にて、¥0。39.2℃という猛暑のもと、玉川軒で葛アイス(¥200)を食べ、あちこちで休憩し、水分補給
    16. 2020/10/03 勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング「員弁街道を歩く(楚原~阿下喜)」 雨で予定が狂ったり、猛暑を避けたりして、前回からずいぶん日にちが経ちましたが、員弁街道ハイキングの第4弾。楚原駅をスタートし、いきなり寄り道(楚原神社、天白神社、真養寺)ののち、1㎞あまり歩いて、員弁街道(濃州道)に戻り、瑞龍院観音堂、寝覚めの橋、文治の墓から大聖不動。山田橋あたりまでは員弁街道を辿っていきましたが、旧・員弁街道はここから現在の員弁街道(県道5号線)の方へ回るため、別ルートへ。久保院・麻績塚古墳・戦没者紀念碑に立ち寄り、麻生田(おうだ)で旧・員弁街道に戻り、いなべ市北勢町阿下喜へ。阿下喜では、大西神社の御旅所、献燈籠を見て、巡見道(枝道)との分岐点まで。昼食を摂るのに、ちょっと歩いて「カドヤ食堂」にてカツ丼(¥700)。その後、阿下喜駅まで下ってゴール。途中、萬笑院にも立ち寄ろうと思ったものの、ちょっと行き過ぎてしまい、断念。9時10分~13時28分、約9㎞、¥940。
    17. 2020/10/07 「桑名城惣構ツアー」 ネットで知り合った方のご依頼で桑名城の惣構を案内。夏に何度か下調べをしました。惣構(そうがまえ)とは、城や砦の外郭、またはその囲まれた内部をいいます。今回は、惣堀を一周。ご一行4名の方とは、柿安コミュニティパークにある本多忠勝銅像で待ち合わせ。九華公園(桑名城址)、中橋から歴史を語る公園あたりの桑名城城壁、春日神社の青銅鳥居、志るべ石、貝塚公園を経てはまぐりプラザへ。ここで昼食(焼きはまぐり定食(¥2,000)をご馳走になりました)、赤須賀漁港のところから、東野神社、桑名税務署北、日進小学校南、伝馬公園、掛樋・一色町・鍛冶町辺りの遊歩道、吉津屋見附跡から東海道を京町見附跡(京町公園)へ。一部、寺町商店街を通って、桑名別院本統寺で芭蕉の句碑を見て、本多忠勝の菩提寺である浄土寺へ。その後、拙宅前の住吉入江まで。ご一行は、このあと六華苑をご覧になって、揖斐川沿いを歩いて、七里の渡し跡、蟠龍櫓から本多忠勝銅像に戻られました。「ブラタモリ」みたいでおもしろいといっていただいたので、素人ツアコンとしては一安心
    18. 2020/10/31 勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング「員弁街道を歩く(山口~阿下喜)」 員弁街道ハイキングの最終回。これまでの続きからすると、三岐鉄道北勢線阿下喜駅から員弁街道の終点(巡見街道との合流点)まで歩くのですが、そうすると、帰りに困ります。それ故、阿下喜駅からいなべ市藤原町山口の巡見街道と員弁街道が合流する辺りまでタクシーで行き、阿下喜駅に戻るコース。合流点近くの常夜燈までタクシー(¥2,990)。本郷社、円琳寺、猪名部神社、徳円寺、川合神社、春日神社、うどん釜田で土曜限定ランチ(天ぷらランチ、¥980)、大西神社と回り、阿下喜駅にゴール。10時35分~15時、8.9㎞、三岐鉄道¥1,020、タクシー割り勘¥1,000
    19. 2020/11/08 JRさわやかウォーキング「蟹江町を散策。寺社・史跡巡り」 JR蟹江駅をスタートし、蟹江城跡、蟹江神明社、甘強酒造(残念ながら試飲軽く1杯のみ)、銭洗尾張弁財天富吉神社、まちなか交流センター「楽人」、尾張温泉かにえ病院のところにある「足湯かにえの郷」、観光交流センター「祭人」、富吉建速神社・八剣社と蟹江山龍照院、ゴールは蟹江駅そばにある「はつらつ公園」。昼食は、蟹蟹フェアでゲットした魚屋バーガーの「蟹コロバーガー(蟹みそ入り、¥600」をはつらつ公園にて。9時30分~11時55分、8.5㎞、¥480
    20. 2020/12/19 「桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)」 JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングの代わりに市内の旧街道を歩こうと考えました。美濃街道、員弁街道に続いて、この八風(はっぷう)街道。本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津(へいづ)を経て菰野町田光(たびか)で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が、昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井(ひがしかない)から志知(しち)まで約7㎞、その先は東員町に入ります。志知から先はルートがよく分かりません。この日は、三交バスで桑名駅前から日の出橋行きに乗車、城南口で降りて1㎞ほど歩き、東金井の八風街道起点へ。春日神社、徳元寺廃寺、御講堂、薬師堂、須賀神社を回り、桑部城跡を眺め、桑部の町で教専寺、善徳寺、長谷(ながたに)神社。能部(のんべ)神社にも行く予定が、帰りのバスの時間の都合で、八風バス能部バス停がゴール。9時40分~12時20分、7.0㎞、¥550。昼食は、桑名駅前に戻ってサンファーレ1階にある貝侍で「伊勢津唐揚げ定食(¥780)」

 以上、20回が令和2(2020)年のハイキングのすべて。前半の方が良く出かけていました。去年は、短大の非常勤の授業が、新型コロナウィルス感染症のため、開講が6月24日と遅れ、また、すべて遠隔授業となりました。その方針が定まった6月初旬からはその準備、後処理などに追われていました。また、去年の夏も猛暑でした。今年もまだまだ新型コロナウィルス感染症の収束は難しいでしょう。JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングなどどうなるでしょうか。

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2021年1月 4日 (月)

2020~2021年末年始実家de散歩

Img_8937c_20210103172001  年末12月30日から1月2日まで、家内の実家で年越しをしてきました。12月29日の記事に「たぶん散歩納め」とは書いたものImg_8895c の、実家へ行っても、午前中は歩いていました。Wi-Fi環境がありませんので、散歩、読書、ラジオが暇つぶしの主たる手段なのです。辰水神社のジャンボ干支は、1月3日の記事(吉例正月光景2021)に載せましたが、実はこれ、12月30日に実家へ行く途中、立ち寄って見て来たもの。実際には、右の写真のように、「潜り門」になっています。これを潜って、辰水神社に向かう階段へとなります(神社は、小高い丘の上。2020年1月4日:津市・辰水神社のジャンボ干支……金色のネズミ)。

Img_8910c_20210104172001  辰水神社では、ジャンボ干支の丑に向かって左手には、アマビエの像もありました。今年こそ「病魔退散」となりたいものです。

Img_8985c_20210104172001  実家には10時過ぎに到着。少し休んでから昼ご飯まで、町内一周。西に向かって歩いて行きますと、榊原川にかかる湯香里橋のところに貝石山があります。かつてここが海であったことを示す多種多様な貝の化石が見つかっています。標高は162m。今から2,000万年ほど前の地層から形成されているそうで、江戸時代から、ここで多くの貝の化石が産出したといいます。実は、ここ、私にとっては、珍鳥遭遇スポット。2018年にはオシドリを見ています(2018年5月5日:オシドリ発見、歴史散歩と高田本山専修寺へも……家内の実家へ(5/4、5))。今回も、1月2日にカワガラスに遭遇しました(後述)。

Img_8998c_20210104172901  氏神様は、射山(いやま)神社。これまで何度もお参りしています。主なご祭神は、大己貴命少彦名命・天照大神。式内社の一つで、大己貴命と少彦名命の二座を温泉大明神として古くから祀られてきました。神社の北にある射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹八合目に御社跡が残っています。伊勢神宮の祭礼では、この地に自生する榊の枝を、神社内に湧く泉「長命水」に一晩浸して奉納する習わしがあり、古くから「神の井」として、伊勢詣でに訪れる人々の信仰を集めてきたといいます。

Img_8991c_20210103172001  拝殿前には、かつてご神木だった長命杉が飾られていました。令和元(2019)年11月に伐採されました。「当地の榊原城主Img_9475c_20210104173501 榊原信濃守興経がここに社殿を再興されたときに植えられた杉の木」だったと伝わります。それが天文19(1550)年だそうですから、樹齢は470年。このご神木を使った「長命お守り」があります(右の写真)。

Img_9009c_20210104172001  途中、コサギが上空を通過。コサギ、アオサギ、ダイサギなどを見ることがあります。

Img_9019c_20210104172001  町内のあちこちに山の神、大日様などが祀られています。左の写真は、三交バス榊原口停留Img_9030c_20210104172001 所の東にあるもの。このすぐそばには、常夜灯も建っています。

Img_9032c  常夜燈は、他にもいくつかあります。これは、同じく榊原病院前バス停の近くにあるもの。隣にはお地蔵様もいらっしゃいます。残念ながら、私には由来などは不明。

Img_9051c_20210104172101  真宗高田派の萬照山善福寺近くの水田に、トビが降りていました。トビもよく見ます。多いときには、一度に30羽くらいが飛んでいます。

Img_9061c_20210104172101  善福寺。実家の菩提寺ではありませんが、立ち寄ることがあります。本堂前に大イチョウ。高田派のお寺で、掲示板には「お七夜」のポスターがありました(1月9~16日)。お七夜は、報恩講で、親鸞聖人のご命日の法要。高田本山専修寺は、我が家の宗旨ではありまImg_9013c_20210104172001 せんが、ここは私が好きなお寺。2~3年、続けてお七夜に行っているのですが、今年は、感染防止のためお非時もないそうです。行きたいのですが、どうでしょうねぇ?

Img_9063c_20210104172101  善福寺から実家に戻る途中、金比羅山(こんぴらさん)への登山口があります。たぶん標高は100mあまり。しかし、頂上まで登ると、伊勢湾まで遠望できます。頂上には金比羅宮がありますので、金比羅山。若いときには何度か登りましたが、今はねぇ……(爆)。

Img_9065c_20210104172101  実家の裏庭には、愚息手製の野鳥の餌台がありました。つくったという話は聞いていたものの、久しぶりに行ったので、見るのは初めて。屋根に鳥の糞がついていましたので、エサを置いておけば野鳥が来るのだと思います。

Img_9071c_20210103172001  12月31日の朝は、銀世界。津市のアメダスでは4cmの積雪といっていましたが、もう少しImg_9083c_20210103172001 たくさん積もった感じ。これらの写真は、朝7時過ぎに撮ったもの。

Img_9102c_20210103172001  この日は、9時45分頃から散歩開始。左の写真は、上右の辺りと同じところを撮ったもの。歩いていても、まだときどき雪が降っていました。

Img_9115c_20210104175601  貝石山、射山神社と、前日と同じコースを回って、射山神社の東にあるお宅で、屋根にコサギを発見。風もかなり強かったので、ご覧のような有様。雪であまり見るべきものはありません。

Img_9123c_20210104175601  こちらは、林性寺。天台真盛宗のお寺。山号は、六龍山。戦国時代の榊原氏(リンク先にある「清和源氏仁木氏流の榊原氏」)の菩提寺。毎年、3月14日から16日まで開帳される涅槃図があります。これは、縦3.4m、横2.58mと大きなもので、室町時代の作。他のものには見られない三毛猫が描かれているという珍しいもの。これは、何度か拝観に行きました(2018年3月14日:林性寺の涅槃図を拝み、稲荷大師堂も拝観)。

Img_9141c_20210104175601  誓願寺観音堂。もとは別の場所の山裾にあったのですが、明治7(1874)年8月に廃寺となり、その開基・由緒などは判りません。廃寺になって残された観音堂は、昭和11(1936)年12月の榊原温泉復興行事の一環として朱色に彩色されて展望のきく貝石山の中腹に移設されました。当時、区会所に移されていた十王堂の閻魔像、湯治場の観音堂にあった三十三体の観音像などをあわせて安置しています。しかし、貝石山に移された観音堂は山道が険しく、参詣に不便なため、昭和40(1965)年頃に地元の方が提供した現在の三交バス林性寺前バス停の南脇の地に移築されています。

Img_9147c_20210104175601  榊原口バス停東の榊原川でアオサギさんを発見。気づかないで歩いていたのですが、向こうが逃げ、葦原の陰に。さらにそのImg_9161c 西、第2区集会所近くの電柱にトビが降りて来ました。

Img_9298c_20210103172001  元旦。初日の出は、吉例正月光景2021に書いたとおりですが、再掲。実家は、山の陰にあります。200mほど歩いて、東が開けたところから。津市の元旦の日の出は7時1分でしたが、やはり山陰になりますから、遅れます。7時25分頃、陽が昇ってくるのが見え始めました。初日の出に向かって右に見えるのは、真宗高田派の萬照山善福寺。

Img_9317c  元旦の散歩は、強風のためもあ利、また、陽が昇って暖かくなってからと思い、10時15分頃から。実家から西の方には、青山高原がよく見えます。青山高原には、風力発電用の風車がたくさん建てられています。

Img_9327c_20210104180901  射山神社で初詣。さすがにちょっとした行列。バス通りに面した鳥居のところから拝殿までの行列。10時半Img_9392c_20210104180901 頃。お参りをしたあとで、お下がりに「福餅」をいただきました。家内の母に聞くと、昔は、紅白の干菓子だったそうですが、今は、このようにお餅でした。

Img_9353c_20210104190501  途中、前日までと同じようなところを通り、また、榊原口バス停東の榊原川へ。前日、アオサギさんがいた橋の下流側でこの日は、ダイサギ。橋のすぐ下にいたのが、私に気づいて、逃げたところ。

Img_9362c_20210104190601  その東辺りのお宅の前でモズのメス。風で少々モシャっています(微Img_9383c_20210104190601 笑)。この日もまた、善福寺の方へ。善福寺近くの水田に小型の野鳥の群。ウ~ン、誰? ヒタキの仲間は間違いなし。

Img_9413c_20210104180901  1月2日の散歩。前日までの3日間は、実家から西へ向かい、反時計回りに回っていたのですが、この日は逆Img_9430c_20210104192001 コース。東に向かい、善福寺から榊原病院前バス停方面へ。重複するところは割愛。榊原口バス停近くの電線でハクセキレイ。さらに西に向かい、榊原幼稚園から少し南へ。式内射山神社一の鳥居跡と榊原信濃守塚跡。去年8月にも訪ねています(2020年8月16日:連日の猛暑……いささかの仕事と昨日の散歩写真@家内の実家)。一の鳥居跡は、昭和63(1988)年に朽ちかけた石柱を立て替えています。榊原信濃守塚跡碑は、「榊原郷土を守る会」(田中萬年会長)が、明治27(1894)年に温泉会所が作成した絵地図を基に、榊原姓の発祥となった榊原城初代城主の榊原信濃守興経(おきつね)の塚跡碑を建立したものです(平成30(2018)年8月)。ここは、現在は、水田のあぜ道となっていますが、温泉に向かう古道沿い。

Img_9438c_20210104192001  県道28号線を西へ。榊原幼稚園の西にも、山の神などを祀ったところがあります。花も供えられ、今でもきちんとお世話をImg_9440c_20210104192001 してくださる方がいるようです。さらにその西へ行くと、県道28号線と県道512号線の分岐に行き当たります。右の写真は、その手前から見た西の空。

Img_9446c  県道512号線は、青山高原に入っていく道。航空自衛隊の笠取山レーダー基地もあります。平成橋を渡って、私はすぐ右折し、榊原の町へ向かいます。

Img_9486c_20210104192001  射山神社近くまで戻って来て、旅館・食堂味楽だったところで、紅梅の花が一輪。他にもほころびかけてきているものもあり、また、つぼみは多数膨らんで来ていました。

Img_9500c_20210104192001  さらにその先、旧・国民宿舎紫峰閣の辺りの榊原川のところ。掛子橋の上流側で、セグロセキレイ。ここは、初めの方に書いた湯香里橋の上流約160mのところ。

Img_9515c Img_9555c_20210104192001  このあと、湯香里橋まで行って、見慣れない鳥が飛ぶのに気づきました。カワガラスのような気がして、掛子橋まで戻ります。2羽がいたものの、鳥はまたもや湯香里橋方面へ。ということを繰り返すこと3回。それ故、掛子橋と湯香里橋の間を3往復(苦笑)。ようやく撮ったのが、これらの写真。ウ~ン、証拠写真ですが、カワガラス。全長22cm。初見、初撮影。もうちょっとクリアな写真を撮りたいもの。

Img_9570c_20210104192001  湯香里橋から実家に戻る途中のお宅にて。こういうものは初めて見ましたが、「正月に歳神を家々に迎える依代として門口にImg_9572c_20210104192001立てる松飾り」という意味では、門松と同じ意味のものなのでしょう。

 という次第で、いつもながら、長々と、しかも、まとまらないものですが、令和2(2020)年12月30日から令和3(2021)年1月2日にかけての実家de散歩であります。

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2020年12月19日 (土)

20201219桑名の八風街道を行く(東金井から能部へ)

Kuwanahappu  今日は、タイトルのように、桑名の八風街道を歩いてきました。本来の八風街道は、四日市市富田一色を起点として東海道と交差し、大矢知、平津を経て菰野町田光で巡見道と合流、八風峠を越える道です。桑名では、町屋川右岸の街道を八風街道を呼びます(くわな史跡めぐり)。これは、町屋川右岸の道が田光付近で四日市からの八風道と交わるからとも、桑名の道が昔は八風道と呼ばれていたからと、諸説があります。桑名の八風街道は、桑名市東金井から志知まで約7㎞あります。その先は東員町に入るのですが、東員町から先はルートがよく分かりません(調べがついていないということ)。コロナであちこちで歩くのも憚られますし、JRさわやかウォーキングや近鉄ハイキングも一時期中止されましたので、「桑名の街道を歩く」一環として桑名市内の八風街道を歩こうと考えた次第。このマップは、桑名市内の八風街道の全体。

1219happu  これを2回に分けて歩くこととしました。今日は、東金井(ひがしかない)から能部(のんべ)まで。町屋川の右岸(南側)です。東金井、西金井、桑部、能部と歩いてきましたが、桑名の八風海道の始点は、町屋橋をわたった先、朝日町との境目あたり、春日台公園の近く(「くわな史跡めぐり」による)。東海道が通っているところからやや北からという、ちょっと中途半端なところ。なぜここが始点かは、不明。

Img_5406c  スタート地点まで行くのにもっとも便利なルートは、三交バスで桑名駅前から、日の出橋行きに乗車して、城南口で降りて1㎞Img_5408c_20201219193701 ほど歩くもの。日の出橋行きのバスは、町屋川へバードウォッチングに行くときに利用するバス。桑名駅前のバスターミナル・3番乗り場から9時30分発の日の出橋行きのバスに乗車。城南口には9時39分着。¥210。町屋橋を渡って、東海道を横切って行きます。

1219happu1  こちらが詳しいルートマップその1。春日台公園あたりから北西へ。JR関西線、近鉄名古屋線を越えて行きます。東金井公民館の近くで、春日神社と徳元寺。西金井バス停のところで、御講堂、薬師堂、須賀神社と立ち寄りながら、八風街道を進んでいきます。

Img_5482c  東金井の公民館。公民館というからにはもう少し立派な建物を想像していました。けっこう古くて、小さいImg_5476c (失礼)。古い看板や、町内案内板が壁一杯にあります。何となく懐かしい光景。公民館の手前には、地蔵堂と「蓮如上人御𦾔跡」の石碑。この石碑、中央のやや下で二つに折れたようです。コンクリートで石碑を覆ってあり、いつ頃のものかなどは分かりません。

Img_5436c_20201219193701  ここで左折して春日神社へ。東金井に鎮座していた春日社、その境内摂社神明社、境内神社火霊社、山神社の3社が、明治41(1908)年、長谷神社(あとで訪ねます)に合祀になりました。戦後、氏子の総意により旧社地に分祀鎮座となっています。

Img_5438c_20201219193701  主祭神は、天児屋根命(あまのこやねのみこと:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)。相殿神は、天照大御神大山津見命(おおやまつみのみこと:山を司る神)、火産霊神(ほむすびのかみ:火の神)。ちなみに、この春日神社の南側には金井城跡があります。松岡彦之進家勝が築城し、織田信長によって滅ぼされています。遺構は郭、土塁、堀、遺物は五輪塔。城跡に山家氏や戦没者の墓塚が見られるのですが、下調べ不十分にて見てこず。なお、松岡氏は、北勢四十八家のひとつ。

Img_5470c_20201219193701  春日神社の東に徳元寺(廃寺)。浄土真宗本願寺派の寺でした。徳元寺は東金井城主・松岡彦之進の被官・山家氏一族の祐Img_5465c_20201219193701 西坊により明応年間(1492~1501)に開基され、長島一向一揆の際に、信長勢に攻められて廃寺になりましたが、慶長5(1600)年に再興し、本堂は文化2(1805)年に建立されました。なのですが、平成に入って、廃寺。その後も、鐘楼堂のみ残っていたのですが、今はそれもありません。

Img_5449c_20201219193701  鐘楼堂の梵鐘は、明治初年まで、桑名の春日神宮寺(仏眼院)にあった北勢地方最古のものでした。寛永15(1638)年の銘があります。廃仏毀釈の際に徳元寺に買い取られましたが、さらにその後、平成29(2017)F3f5c514 年になって仏眼院が買い戻しています。仏眼院は何度も訪ねています(たとえば、2020年8月15日:寺町寺めぐりの続き)。右の写真は、仏眼院にあるその梵鐘。寛永15(1638)年、京都の冶工・近藤丹波、藤久の作で鐘銘は桑名藩三宅正堅の撰文だそうです。「くわな史跡めぐり」には、徳元寺の鐘楼の写真が載っていましたので、まだそれがあるものと思って訪ねたのですが、諸行無常。ちょっと残念でした。

Img_5488c_20201219193701  八風街道に戻って、西金井のバス停(コミュニティバス)から南西へ。まずは、御講堂。御講堂の前には、Img_5485c_20201219193701 地蔵堂がありますが、どちらも詳細は不明。御講堂は、お寺とはいえないようですが、内部には仏像も安置されているようです。宗旨宗派は分かりませんでした。

Img_5501c_20201219193801  御講堂の南西、社会福祉法人憩の裏手には、薬師堂があります。小高くなったところに立っていて、なかなかよい感じ。古墳か?という気もしましたが、定かではありません。由緒がありそうですが、これまた、詳細不明で、残念。ネット検索では限界があります。

Img_5510c_20201219193801  続いて、須賀神社。桑部にある長谷神社の分霊を祀る神社として、ここ西Img_5519c 金井に鎮座しています。由緒などは不明。須賀神社の本殿は、土蔵造りです。これは、昭和3(1928)年に桑部小学校の奉安殿としてつくられた建物を戦後、移築したものです。奉安殿は、天皇皇后両陛下のご真影と教育勅語を納めていた建物。余談ですが、私が通った小学校にも奉安殿が残っていた記憶があります。

1219happu2  詳しいルートマップはその2へ。桑部橋の南を通ります。桑部橋南の交差点の南には、桑部城跡があるのですが、信長の伊勢侵攻で滅ぼされ、現在は減失してしまっています。桑部の町に入って、教専寺、善徳寺、長谷神社を訪れていきます。

Img_5525c_20201219193801  桑部橋の手前あたりからは、藤原岳などがよく見えました。藤原岳には、一昨日の雪がまだそのまま残ってImg_5531c_20201219193801 いました。開けていて、このあたりでは風が強く、寒いこと(苦笑)。

Img_5535c_20201219193801  桑部橋南の交差点。写真の奥が桑部橋。左下方向へ進み、丘に上がったあたりに桑部城跡。今は減失してしまっています。リンク先に、桑部城跡の説明と発掘調査結果の概要があります。桑部城は、室町時代末期に築かれました。北城と南城とがあったと伝わります。北城の城主は毛利次郎左衛門、南城が大儀須若狭守で、両城とも織田信長の伊勢侵攻(1567年)により滅ぼされました。その後、小牧長久手の戦いのとき(1584)年、豊臣秀吉が改修を命じた古文書があるそうです。ちなみに、ここから先、今日歩いたところは、2019年2月9日に近鉄ハイキングで来ています(20190209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 『北勢線応援酒』を発売する桑名の酒蔵・後藤酒造場をたずねて」(予告編))。

Img_5543c_20201219193801  桑部橋南の交差点の先から八風街道をそれて、桑部の町を歩くことにしました。途中、「町屋川珈琲」という洒落たカフェ。上記の近鉄ハイキングで来たときはありませんでした(昨年5月1日にオープンですから)。就労継続支援・生活介護などを行っている「風の子 ビレッジ」が営んでいます。

Img_5551c_20201219193801  町屋川珈琲のすぐ先に藤花山教専寺。その先に古城山善徳寺。いずれも真宗本願寺派の寺です。この2つのおImg_5561c_20201219193801 寺、由緒その他は、不明。

Img_5565c_20201219193801  さらに、長谷(ながたに)神社。「延喜式」にある「桑名郡長谷神社」と考えられています。村社。奈良時代、称徳天皇の神護景雲元(767)年、常陸国鹿島神宮の御祭神を勧請し、桑部村の地、谷の奥にあたる長谷に鎮座したといいます。常陸国から大和国への遷座の際、当地に立ち寄った使者が、藤原氏の興隆にあやかりたいと、当地の有力者の懇願による勧請だったと伝わっています。

Img_5581c_20201219193801 御祭神は、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)、斎主神天児屋根命(あまのこやねのみこと)、姫大神品陀和気命(ほんだわけのみこと;応神天皇)、大山祇命(おおやつみのかみ;山の神)、天目一箇命(あまのまひとつのかみ;金工の神)、須佐之男命(すさのおのみこと;天照大神の弟。乱暴を行ったため、天照大神が怒って高天原から追放された。出雲に降り、八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じた)。 明治41(1908)年、能部神社、須賀神社、、春日神社を合祀していますが、昭和56(1981)年に春日神社(東金井字西谷)、昭和57(1982)年に能部神社を分祀しました。ちなみに、明治初年に至るまで、桑名春日神社(現桑名宗社)の神事において桑部の人たちが招聘され、当社の協力を得て行われたといいます。

Img_5591c_20201219193801  境内には、八天宮社がありました。八天宮は、火伏の神。桑名・員弁地方ではたくさん祀られているそうです(こちらに言及あり。八天宮は秋葉神社と同じとも書かれています)。それは、江戸時代・文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされたからだといいます。

Img_5572c_20201219193801  また、一の鳥居をくぐった右側(西側)には、忠魂碑、日露戦役祈念碑、五箇条の御誓文を刻んだ石碑、まImg_5575c た、忠魂義胆郷党軍人記念之碑がありました。忠魂碑は、「桑名の戦争遺跡」によれば、昭和15(1940)年1月の建立。建立者は、石原末松。支那事変と太平洋戦争の戦没者83名の名が刻まれています。日露戦役祈念碑は、同書によれば、明治40(1907)年4月に山本鐵太郎他19名により建立され、日露戦争での戦没者7名と、従軍者36名の名前があります。この五箇条の御誓文碑は、桑部小学校にあったものを戦後、現在地へ移したそうです(こちらに記述があります)。忠魂義胆郷党軍人記念之碑は、明治28(1895)年2月、桑部村大字桑部壮年会が建てています。

Img_5584c_20201219193801  拝殿前の狛犬がちょっとユニーク。何と形容してよいかよく分かりませんが、髪の毛がベタッとなっている感じで、ユーモラス。狛犬は、いろいろあっておもしろいというか、退屈しないというか(微笑)。ここ長谷神社で一休み。作業に来ていらした氏子の方から、「何のハイキング?」と聞かれ、「勝手にハイキングをしている」と答えたら、大ウケ(爆)。今日の立ち寄り先は、ここまで。長谷神社を出たら、時雨れてきて、向かいにある桑部まちづくり拠点施設でしばし、雨宿り。今日のゴールは、能部のバス停(八風バス)に設定してありましたので、そこに向かいます。12時を過ぎていたので、立ち寄ろうと思っていた能部神社は、次回に回します。

Img_5597c  能部バス停。城南口からは、7㎞を歩いてきました。12時20分少し過ぎに到着。ここを12時39分に出る桑和駅前行きのバス1219happu3 がありましたので、それに乗ろうと思ってきたのです。この路線、昼間は1時間に1本しか走っていません。無事に予定のバスに乗って、桑名駅前まで。バスは桑部橋南から左折して、桑部橋を渡り、県道63号線へ。益生駅前などを通って、桑名駅前には12時58分着。¥340。

Img_5608c  サンファーレにある貝侍で昼食。伊勢うどんのタレでつけ込んだという唐揚げを試してみたくて、「伊勢津唐揚げ定食」をチョイス。¥780。なかなかの美味。量が多いというか、唐揚げ一つ一つがビッグサイズで、満腹。「普段、家で食べさせてもらえないものを食べるんだろう」と思われた方、大正解です(苦笑)。

Img_5614c  今日のALKOOのデータ。家に帰ってすぐに撮影するのを忘れましたので、若干増えていますが、16,773歩でした。自宅から桑名駅前のバスターミナルまでが、往復2.4㎞。今日歩いたのは、合計9.4㎞でした。次回は、1月中旬の予定。桑名の八風街道、後半を歩きます。

 

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2020年12月11日 (金)

20201211勝手にJRさわやかウォーキング三重・朝日町へ……朝日町歴史博物館の「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」を見て、井後神社、善照寺、移田神社、井後神社旧址へ

Img_2215c_20201211154401  晴れて、風もなく、穏やかな日になるという予報でしたので、「勝手にJRさわやかウォーキング」というか、「マイGO TO トラベル」というか、出かけてきました。「GO TO トラベル」とはいえ、私の場合は、「安・近・短」プラス「疎」です(微苦笑)。出かけた先は、お隣の三重県朝日町。桑名からはJR関西線で1駅。朝日町歴史博物館で開催中の「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」でも見て、その近くを歩いてこようという次第。

201211asahiwalking  桑名駅を8時51分に出る四日市行き普通電車に乗車、朝日駅には8時56分着(ただし、今日は3分遅れ)。¥190。朝日町歴史博Img_2227c_20201211154401 物館をまず訪れ、展覧会を見たのち、井後(いじり)神社、善照寺、移田(うつしだ)神社を回り、もう1箇所、井後神社旧址を確認してくる計画です。左は、今日、歩いてきたコースマップ。朝日町内には、旧東海道が通っていますが、これはすでに歩いています。また、何度か来ていて、名所旧跡、寺社仏閣のかなりのところは尋ねています。今日の2社1寺などだけが、未踏となっているので、それを埋めてしまおうということです。こちらに朝日町の観光マップがあります。

Img_2239c_20201211154401  朝日町歴史博物館は、JR関西線朝日駅からは400mほど。途中、南側の住宅団地のところに柿城跡が見えます(ここには、2度行っています:2016年10月13日:アオサギのお尻写真、モズ……午後からは朝日町歴史博物館へ、ついでにカワセミも見られました、2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼)。室町時代に沢木宗政によって築かれ、弘治3(1557)年、近江国の六角氏家臣・小倉三河守が伊勢に侵攻したときに滅ぼされたといいます。現在、城跡は公園として整備されていますが、残っているのは本丸部分だけで、わずかに土塁跡が確認できます。

Img_2250c  朝日町歴史博物館。教育文化施設の一角にあります。もう何度もお邪魔しています。企画展がなかなかおもしろいのです(たとえば、2018年11月9日:萬古焼の展覧会巡り……「再考!萬古焼」と「萬古焼の粋」へ、2017年11月3日:九華公園にヒドリガモ、ホシハジロ登場……午後からは、朝日町歴史博物館で「朝日のいにしえ-縄生廃寺-」展を見る、など)。今日は、「古文書から歴史をよみとく-江戸時代の朝日-」という展覧会(12月13日まで、入館無料)。秀吉や家康などの書状、橘の守部の書状など他、江戸時代初期から幕末にかけ、現在の朝日町内の様子などが記録された古文書が出展されています。個人的には、祭のために借金をした証文や、家に盗賊が入った村人が大声で叫ぶと皆が駆けつけ、盗賊が逃げ出したというエピソードが書かれた文書などの方がおもしろく思いました。じっくり見て回って、約30分、貸し切りで拝観してこられました(微笑)。

Img_2263c_20201211154401  朝日駅の西に戻り、南下し、井後神社を目指します。朝日駅の西口では、ポケットパークの工事中。近鉄伊勢朝日駅のとこImg_2266c_20201211154401 ろ、東海道沿いにもポケットパークがあります。駅の西から少しだけ坂を登っていきます。右の写真で前方の森が、井後神社。スタートの朝日駅からは約1.2㎞。

Img_2272c  裏参道から入ってしまいましたが、まあ勘弁していただきましょう。井後神社は、「いじり Img_2275c_20201211154401 じんじゃ」と読みます。創祀は不詳ですが、元は柿村大字井戸尻の田間に鎮座し、貴船大明神とも称したようです。延喜式内社とされています。明治41(1908)年、柿神社及び山神社を合祀したのですが、狭く、低地で洪水等の恐れがあり、かつ人家より離れていたため、明治44(1911)年、移田神社を合祀するにあたり、現在地すなわち旧柿神社に移転しています。

Img_2284c_20201211154401  主祭神は、高龗神(たかおかみのかみ:水を司る神)。相殿神は、建速須佐之男命(たけはやのすさのおのみこと:八岐大蛇を退治し、奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、大蛇の尾から得た天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を天照大神に献じた神)、大山祇神(オオヤマツミノカミ:山を司る神)の2柱。上述のように、江戸時Img_2278c_20201211154401 代までは貴船大明神と称して高龗神を祀っていたといいます。京都の貴船神社は玉依姫命が水神を祀ったのが始まりとされる古い神社で、現在の祭神は高龗神。ちなみに、九華公園にある鎮国守国神社にも、高龗神を祀る小さな社があります。しかし、なぜ、水の神である高龗神を祀ったのでしょう。元あったところが低地で洪水の恐れがあったから、それを鎮めたいということでしょうか。

Img_2291c_20201211154501  境内には、拝殿に向かって左(南)にもう1つお社があります。このお社の脇にある由緒書きには、「多賀大社」も祀っているとあります。伊邪那岐神、伊邪那美神が御祭神。「明治の合祀ののち、護国の神霊もあわせて奉祀し奉る多賀大社祭神伊邪那岐神、伊邪那美神も井後神社境内に摂社として奉祀した」とあります。

Img_2311c Img_2328c  裏参道から入ってしまいましたので、気づくのが後になったのですが、表参道から登って来る途中に「山城門」という随身門(ずいじんもん)があります。随身門は、神社を守護する門守神(かどもりのかみ)を安置した神門。桑名宗社(春日神社)にもあります。

Img_2340c_20201211154501  門守神は、俗に左大臣、右大臣と呼ばれています。右、左は神様から見てですから、左の写Img_2330c_20201211154501 真が右大臣、右の写真が左大臣となります。左大臣が翁、右大臣は若者になっていると記憶しています。

Img_2348c_20201211154501  随身門の南東脇には、「力石」。四日市周辺では、寺社の境内、街道脇などにこういう「力石」が置かれているところがあります。

Img_2363c_20201211154501  この井後神社は、標高20mほどの小高い丘の上にあります。周囲を見ると、古墳か、城館でもあったところかと思ったのですが、帰宅後、調べてみたら、神社の西に「城ノ広遺跡」という前方後円墳があったようです。 

Img_2387c_20201211170301  この写真は、神社の南西にある井後神社交差点のところですが、向かって右が神社、左の奥に写っている、やや高くなった住宅地の辺りに古墳があったようです。井後神社を参拝し終えてちょうど10時。地名でいうと、柿(かき)から埋縄(うずなわ)へ向かいます。南東に進み、伊勢湾岸道のみえ朝日インターチェンジの近くまで。

Img_2394c  途中は、省略しますが、住宅地と水田の境あたりの道を歩いて行きます。左の写真には伊勢湾岸道や、その向こうにある中部Img_2405c_20201211154501 電力川越火力発電所の煙突が見えています。風はほとんどなく、暖かくて、散歩日和という感じ。2㎞ほど来て、曲がるところにこれから訪れる善照寺の案内標識と、移田神社の社号標、案内の石柱が立っていました。案内の石柱には、「延喜式内移田神社 是ヨリ二丁」とあります。一丁は60間、 すなわち約109mですから、218m。

Img_2422c_20201211154501  実は、いったんちょっと行き過ぎて、埋縄公民館まで行ってしまいました(苦笑)。光雲山善照寺です。真宗本願寺派のおImg_2442c_20201211154501 寺。寛永18(1641)年の創建で、本尊は阿弥陀如来立像を祀っています。説明書きによれば天正年間(1573~91年)に埋縄城主・疋田左京の菩提を家臣・西脇善照が弔ったのですが、その息子である善明が出家して、祐乗を名乗り、浄土真宗に帰依し、創建しました。疋田左京の菩提を弔った草庵は、字植松にあり、奥寺跡とされています。ご本尊の阿弥陀如来像は、「寛永十八辛巳年 八月十六日 釋良如 願主善照寺祐乗」とあるそうです。本堂は、入母屋造瓦葺きで、天保7(1836)年の建立。

Img_2455c_20201211154501  移田(うつしだ)神社は、善照寺の西にありますが、これまた丘の上。坂道というか、階段というかを登って行かねばなりまImg_2463c_20201211154501 せんでした。登り切ると、西の方に鳥居などが見えます。登り切ったところからは、朝日の町並みがよく見えて、気持ちの良いところです。歩いて行く右手には、みかん畑。

Img_2467c_20201211154501  鳥居の手前に地蔵堂。中にはお地蔵様が2体。「大本山信貴山王蔵院/ ?(梵字か?) 大僧正秀明和尚 不生?/ 蓮谷秀?/ 阿波密秀」という表示がありましたが、よく分からず。仏像の写真が2枚飾られていました。よく分からなかったのですが、移田神社の由緒書きに「大正10年頃跡地敷地内に大和信貴山から毘沙門天王を招いて祀り近年まで祀っていたが、後継者がなく、平成11(1999)年11月を以て信貴山にお返しをした」とありました。後述のように、移田神社は、明治41(1908)年にいったん、井後神社に合祀されていますので、その跡地に毘沙門天を勧請したということでしょう。上記の「大本山信貴山王蔵院……」はそれに関わるもの、また、仏像の写真は勧請した毘沙門天王かも知れません。

Img_2484c_20201211154501  移田神社。延喜式内社。朝日町には、農業に因んだと思われる名前の神社が他にもあります。苗代神社がそれです。井後神社もそうかも知れません。明治40(1907)年、神明社の境内一社と字北谷にある八幡社、字入ケ谷の山の神社を合祀しています。さらに、明治41(1908)年、井後神社に合祀されましたが、昭和27(1952)年、移田神社は分祀し、旧地に復帰しました。神殿、拝殿は、毘沙門天の跡に平成15(2003)年、新たに造営されています。

Img_2505c_20201211154501  主祭神は、埴安姫神(はにやすひめ:土をつかさどる神)、応神天皇大山祇命の3柱と神社検索三重のサイトではなっていImg_2522c_20201211190801 ます。しかし、由緒書きには、建速須佐之男命、天照大神、応神天皇、大山祇神となっています。その由緒書きには、「移田神社の祭神は神社に奉納されていた古い神名札に稲霊埴安神とあったといわれ、埴安姫神であったものをのちに天王といい、建速須佐之男命と呼ぶようになったと伝えられる」とあります。その後の経緯は、前のパラグラフの記述の通り。

Img_2513c_20201211154501  この神社の拝殿前の狛犬、ちょっとモダンな雰囲気というか、エジプトにあるスフィンクスのような感じ。狛犬にも実にいろImg_2509c_20201211154501 いろ、さまざまあります。

Img_2549c_20201211154601  拝殿の南側には、自然石でできた「山の神」と刻まれたと思われる石碑が一つ。そのそばにImg_2534c_20201211154501 は、狛犬。狛犬は本殿をはさんで反対側にも、対のものがありました。さらに、境内にはもう1つの社がありました。神明社か、八幡社か? 由緒書きにはありません。

Img_2556c  帰り際、拝殿前の鳥居脇・北の方に、これも狛犬でしょうか。ただし、1基しかなく、対にはなっていません。よく分からないこと、多々あります(苦笑)。ネットで調べても、これに関する情報は出て来ません。

Img_2571c_20201211154601  このあとは、来た道を戻り、井後神社の南へ。墓地の近くのお宅の屋根に、鍾馗様。その先に、井後神社のImg_2583c_20201211154601社号標がありました。こちらが表参道。本来であれば、こちらからお参りすべきでしたが、コース設定の都合上、裏参道からになったという次第。右の写真で奥に見える小高い森が、井後神社。

Img_2598c_20201211154601  JR関西線の踏切を渡ります。朝日駅の南西。「桑名道踏切」という名称。JRの踏切には、すべてこのように設置された場所に因んだ名前がついています。しかし、なぜ「桑名道」なのかは不明(昔から、桑名道と呼ばれたのでしょうが……)。この先は東海道に行き当たることが関係しているのかも知れません。

Img_2612c_20201211154601  その東海道に出て北東へ。100mほど東海道を歩いて、右折(南東へ)。この道は、JR朝日駅東口からまっImg_2619c_20201211192301 すぐ来た道。200mほど進み、左折(北東へ)。

Img_2656c_20201211154601  井後神社旧址は、地図でおおよそ見当はつけて来たものの、ちょっと探しました。「コーポラス貴船」の駐車場の一角にあるはず。左折して100mほどのところにコーポラス貴船がありました。その北東角、駐車場の一角に「井後神社旧址」の石柱。碑陰の文字は、薄くなっていて読めませんでした。周囲は、水田地帯だったところに住宅やアパートが建ってきたという印象。神社があったと思われる痕跡はありません。井後神社の説明のところに「江戸時代は、貴船大明神とも称したようだ」と書きましたが、ここに立つアパートが、「コーポラス貴船」というのは、それを知ってか知らずにか、興味あるところ。

Asahitown  これで、今日の目的地はコンプリート。左は、朝日町のサイトからお借りした観光案内図。今日のウォーキングでこのマップに載っている名所旧跡、寺社仏閣などはすべて訪ねました。

Img_2688c_20201211154601  JR朝日駅に戻ります。11時過ぎに到着。4.7㎞ほどを歩いてきました。ホームは、対面式。駅舎はありませImg_2712c_20201211154601 ん。階段を登ったところ、ホームの入り口にICカードをタッチする改札機が置いてあるだけ。11時21分に名古屋行き普通があり、それに乗車。桑名駅には、11時26分。¥190。電車は、往きも帰りに、1両に乗っていたのは4~5名。訪れた先でも、他の人はほとんどいません。歩いていたのは田舎道ですれ違う人もあまりなし。ということで、今日の「勝手にJRさわやかウォーキング」または「マイGO TOトラベル」は、無事終了。JR料金は片道¥190という「安」、桑名駅から1駅という「近」、8時半に家を出て12時前には十分帰宅という「短」にして、「疎」でした。

Img_2734c_20201211154601  我が家からJR関西線桑名駅までは往復2.1㎞ほど。トータルで6.8㎞、13,269歩を歩いてきました。歩数は、普段の散歩でちょっとよく歩いたなというくらい。天気もよく、暖かく散歩日和でした。

 

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2020年11月 8日 (日)

20201108JRさわやかウォーキング「蟹江町を散策。寺社・史跡巡り」へ(完)

1108kanie

 新型コロナウィルス感染症のため、2月からJRさわやかウォーキングも、近鉄ハイキングも中止になっていましたが、11月に入ってどちらも再開。ただし、近鉄ハイキングはイベントタイプのものはまだ行われず、常設コースに近い形。JRさわやかウォーキングは、感染症対策を施して、3密にならないよう配慮された、イベントタイプで行われるようになりました。ほぼ9ヶ月ぶりに参加(微笑)(近鉄ハイキングは、2月9日以来:20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完);JRさわやかウォーキングは、2月2日以来:20200202JRさわやかウォーキング「~新春キャンペーン~令和2年2月2日に、津の真ん中ウォーク 藤堂高虎ゆかりの地と日本三観音『津観音寺』を訪ねて」へ(予告編))。

Img_9465c_20201108162201  今日のJRさわやかウォーキングは、JR関西線蟹江駅がスタート&ゴール。受付は、8時半~12時。桑名駅を9時2分に出る名古屋行き普通に乗車。蟹江駅には9時21分着のところ、3~4分遅れ。¥240。蟹江のウォーキングは、去年11月3日にも開催され、参加しています(2019年11月3日:20191102JRさわやかウォーキング「老舗酒造『甘強酒造』の蔵開きと蟹江うまいもの巡り」(予告編))。

Img_9473c_20201108162201  駅前でコースマップ(冒頭の画像)と、「第3回蟹蟹フェア」のチラシを受け取ります。そして、久しぶりに「JRさわやかウォKanikani3 ーキング スタート」の看板を見られました。蟹江町のキャラクター「かに丸くん」がポーズを取ってくれます。受付開始から1時間経っていますが、参加者はコロナ以前よりも少ない印象があります。

20201108jrwalkingkanie  こちらは、今日歩いたルートの全体マップ。コースマップ上、7.8㎞となっていましたが、実際に歩いたのは、8.5㎞(実は途中で少しだけショートカットしているのですが)。蟹江でのJRさわやかウォーキングに参加するのは、上述の去年11月の他、2018年3月4日にも来ています(今日は、JRさわやかウォーキング「老舗造り酒屋できき酒と蟹江のまちを散策」へ(予告編))。それ故、3回目でかなり馴染みがあります。ほとんど訪ねたことがあるところですので、今回は1回完結の記事。

20201108jrwalkingkanie1  こちらは、コース前半部分の詳しいルートマップ。JR蟹江駅から南へ。蟹江城跡、蟹江神明社から、お楽しみの甘強酒造、銭洗尾張弁財天富吉神社にお参り。蟹江川を越えて、まちなか交流センター「楽人」、尾張温泉かにえ病院のところにある「足湯かにえの郷」と周り、JR関西線を越えます。

Img_9486c_20201108162201  蟹江駅前通に神社があったのですが、社号標も説明板もありません。ネットの地図にも載っておらず、不Img_9489c 明。三重県の神社については、「神社検索(三重)」というサイトがあって便利なのですが、これの愛知県バージョンはなさそう。右の写真は、駅前公民館の東あたりの様子。

Img_9499c_20201108162201  最初の立ち寄り先は、蟹江城跡。蟹江城は永享年間(1429年頃)、北条時Img_9505c_20201108162201 任(ときとう)が城塞を築いたのが初めといわれます。戦国時代には、本丸、二の丸、三の丸の三郭(さんかく)がありましたが、天正12(1584)年に起きた蟹江合戦と翌年の大地震(天正大地震)で壊滅しています。城跡の西、30mのところにで蟹江城本丸井戸跡。細い路地の、民家の軒先にあります。江戸時代の蟹江本町村絵図にも、ここに「古井」と記されています。この井戸跡が、蟹江城がここにあった証拠と考えられています。

Img_9507c_20201108162201  蟹江城本丸井戸跡のすぐ西には、秋葉社があり、氏子の方々が清掃奉仕をしていらっしゃいました。この秋葉社も、ネットの地図にも載っていませんし、ネット検索しても情報は出て来ません。しかし、地域の方が大事に守っていらっしゃる神社と思いました。以前のハイキングでも感じたことですが、蟹江のあたりには、秋葉社がたくさんあります。江戸時代に、火災予防のために祀ったのかも知れません。

Img_9532c_20201108162301  蟹江川沿いを歩いて、蟹江神明社へ。永享年間(1429~1441年)、北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸Img_9518c_20201108162301 南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが始まり。天正12(1584)年、蟹江合戦で兵火に遭い、すべてが焼失し、元和5(1619)年に社殿を再興しました。御祭神は、天照大神。

Img_9535c_20201108162301  蟹江神明社の東隣には、「東照山」と山号のあるお堂と、地蔵堂がありますが、これもよく分かりません。「分からないのに何故書くのか?」と思われるでしょうが、その昔、研究者の端くれでした。研究をする上では、何が分かって、何が分からないかを区別しておくことが大切ですし、必要なのです。ひょっとしてご存じの方もいらっしゃるかも知れませんし、教えていただける可能性もゼロではないからなのです。

Img_9543c_20201108162301  続いて、私にとって、今日の最大の目的地・甘強(かんきょう)酒造。左の写真にある旧本社事務所の建物は、昭和12(1937)年建築で、登録有形文化財。味醂、清酒などをつくっておられます。去年11月にも来ています。

Img_9556c_20201108162301 Img_9558c_20201108162301  試飲を楽しみに来たのですが、去年同様、ミニカップでした(微苦笑)。名古屋正宗(本醸造)、いっこく(純米吟醸)(甘強酒造の日本酒のリストはここ)、里香梅 紅麹梅酒、味醂などから選べました。いっこくをいただいてきました。お願いすれば、他も試飲できそうでしたが、時節柄、自粛(苦笑)。

Img_9566c_20201108162301  直売も行われていましたが、今年はセット販売のみ。いっこく、名古屋正宗、あまさけの3本セット(いずれも350ml)を¥1,000でお買い上げ。¥3,000以上買うと、記念品(アルコール カンキョウ77:消毒用エタノールの代用品として、手指消毒に使用可能なもの。飲めませんし、火気厳禁だそうです。左の写真で右端に写っているのがそれ)がいただけ、抽選もできたのですが、さすがに荷物になりますからパス。

Img_9580c_20201108162301  甘強酒造さんの構内にも「蟹蟹フェア」の会場が設けられていました。かにかまの天ぷら、かにかま寿司もあったのですが、Img_9577c_20201108162301 気になったのは魚屋バーガーの蟹コロバーガー(蟹みそ入り)、¥600。「限定50食」とあって、並んでいる人もあり気になります(微苦笑)。元来、行列は大嫌いなのですが、さほど並んではいなかったので、少しだけ我慢。今日の昼ご飯にしようという算段(微笑)。これで、土産も買い、昼ご飯も用意しましたので、安心して歩けます。

Img_9598c_20201108162301  次に立ち寄るのは、銭洗尾張弁財天富吉神社。ここも、たぶん3回目の訪問。尾張で唯一の銭洗弁財天です。Img_9596c_20201108162301 室町時代、永享年間、北条平八郎時満が蟹江城を築くにあたり神のご加護を頂くため、鎌倉より銭洗弁天を勧請し、黄金の井戸銭洗いを造り、その浄水で軍資金を洗い、この福銭をもって蟹江城を築城したと伝えられています。さすがにお札を洗うのは、憚られましたし、大金はありませんので、持っているだけの小銭を洗ってきました。

Img_9621c_20201108162401  蟹江川を渡り、蟹江町役場、蟹江町体育館の前を通って、スタートから2.7㎞ほどで、まちなか交流センター「楽人」。カワラケツメイ茶のサービスがあるということでしたが、よく分からず、通過。カワラケツメイ茶は、健康茶として飲まれているようです。あとで訪ねた蟹江山龍照院でも、提供されていました。

Img_9630c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院に行くまでの道路の歩道に写真のようなものがあるのを見つけました。「大相撲ストリート」といって、ここ尾張温泉通りに、二子山部屋・高砂部屋の力士16名の足型が路上に設置されていましImg_9634c_20201108162401 た。貴乃花、若乃花、朝青龍などの足型もありました。

Img_9637c Img_9646c_20201108162401  尾張温泉かにえ病院のところには、「足湯かにえの郷」。源泉掛け流しの足湯で、無料で利用できます。ウォーキング参加者でも足を浸している方もありましたが、今日は、21℃を超え、この時期にしては少し暑いくらい。なので、パス。

Img_9649c Img_9656c_20201108162401  蟹江のハイキング・ウォーキングは3回目と思いますが、西の方に来たのは初めて。帰ってから地図を見て、ホントに尾張温泉近くまで行ったんだと実感。しかし、温泉には立ち寄りません。北上してJR関西線を越えます。右の写真は、JR関西線を越えたあたりの公園のそば。マップで「今西3」とあるあたり。この先に八幡神社や、地図にはありませんが、松秀寺があり、立ち寄ってみたいとは思いつつ、先を急ぎました。

20201108jrwalkingkanie2  詳しいルートマップは、その2へ。スタートから6㎞ほど、須西小学校のところで、再び蟹江川沿いを歩きます。この先に観光交流センター「祭人」。そのすぐ北東に富吉建速神社・八剣社と、蟹江山龍照院。ここが最後の立ち寄りスポット。龍照院を出てからは、1.3㎞ほど歩いてゴールのはつらつ公園へ。コロナの関係で、ゴール受付はあるものの、参加証へのスタンプ押印はなし。はつらつ公園から蟹江駅までは約300m。

Img_9678c_20201108162401  途中、割愛して、観光交流センター「祭人」。ここは大賑わい。ユネスコ無形文化遺産「須成祭」の展示もありますが、それImg_9681c_20201108162401 は以前見たのでパス。去年も買ったのですが、蟹江の味彩もへのさんが出展していたので、「蟹タクちらし」(¥300)をゲット。去年11月のJRさわやかウォーキングのとき、「小腹が空いていませんか?」と売り込まれ、思わず買っしまったのが、とても美味しかったのです。ただし、これ、今日は土産にするつもり。

Img_9687c_20201108162401

 「祭人」では蟹タクちらしを買っただけで、富吉建速神社・八剣社、蟹江山龍照院へ。本来設定されたコースでは、御葭橋まで戻って、蟹江川を東に渡って行くようになっていたのですが、ショートカット(苦笑)。割とマジメだと自認しているのですが、そこまで堅くはありません(微笑)。

Img_9694c  まずは、富吉建速(とみよしたけはや)神社・八剣(はっけん)社にお参り。両社とも、天平5(733)年に創建、木曽義仲が再建、織田信長が社殿を造営したといわれます。須成祭は、この両社の祭礼とImg_9699c_20201108162401 して行われる川祭です。津島神社の天王祭りと似たお祭です。

Img_9705c_20201108162401 Img_9708c_20201108162401  両社の北に蟹江山常楽寺龍照院真言宗智山派のお寺。天平5年に行基菩薩によって、本尊に十一面観世音菩薩を奉安し創建されたといわれています。御本尊十一面観世音菩薩像は、寿永元(1182年)年、仏師僧教円によって造立されたといい、国の重要文化財となっています。今日は、特別にご開帳があり、拝観してきました。

Img_9735c_20201108185501  境内には、大日如来堂があり、木曾義仲の菩提を弔うために巴御前が安置したといわれる大日如来坐像があります。巴御前は、木曾義仲とともに幼少のころから生涯をともにし、木曾義仲が平家追討の兵を上げたとき、義仲に従って上洛した女性です。義仲の妾(しょう)とされ、元暦元(1184)年1月、近江粟津の戦では敵の首をねじ捨てるなどの活躍をしたのですが、死を覚悟した義仲の命令で戦場を離脱しています。巴御前は、故郷の信濃に向かう途中義仲が建てた寺があることを知り、出家、剃髪し義仲を弔ったという話があり、それがここ常楽寺龍照院だといいます。

Img_9722c  龍照院にお参りしたら、お下がりだということで、飴とポケットティッシュをいただいてしまいました。実Img_9719c は、銭洗尾張弁財天富吉神社で洗った小銭しかなかったので、お賽銭を上げず、拝んだだけなので、気が引けました(苦笑)。

Img_9725c  旧・須成村は、新撰組隊士・佐野七五三之助(さのしめのすけ)の出身地だそうで、境内にはその展示パネルがあり、「かにえボランティア夢案内人」の方が出て、説明をしておられました。佐野七五三之助は、天保5(1834)年、尾張国海部郡須成村の神職、寺西伊予守家班(いよのかみいえのり)の嫡子として誕生。嘉永3(1850)年、父が死去したImg_9728c 後、尊王攘夷を志し、名前を佐野七五三之助と改め、江戸へ向かい、北辰一刀流を学び、元治元(18649年、30歳のとき、新選組の隊士となり京へ行きました。慶応3(1867)年、新選組総員の幕臣取立に抗議し、新選組からの離脱を企てたものの挫折。京都守護職邸で仲間3人とともに自刃。ほぼ即死状態だったといわれる状況で、遺体を運ぼうとした新選組隊士に自分ののどに刺さっていた小刀で斬りかかったといいます。驚いたほかの隊士によりわき腹にとどめを刺されたのですが、屯所に運ばれる途中にも、息絶えたはずの佐野が、縛られていた縄を噛んだといい、隊士たちを仰天させたという壮絶な最後が伝わっています。京都・光縁寺に埋葬されています。享年34。明治2(1869)年、故郷須成村に伝えられ、神葬祭が営まれ、須成天王橋西に墓があります。佐野七五三之助の甥(妹の子)が、第24代内閣・総理大臣加藤高明

Img_9770c_20201108162501  これですべて回りましたので、ゴールのはつらつ公園に向かいます。龍照院からは1.3㎞ほど。11時42分に到着。ゴールにImg_9778c_20201108162501 は、いつものJRさわやかウォーキングのゴールパネル。これを観たのも9ヶ月ぶり。

Img_9784c  はつらつ公園では、甘強酒造さんでゲットしてきた蟹コロバーガーを食べることに。昼食という次第。美味しかったのですが、味が淡泊で、ちょっともの足らない気もしました。蟹みそも入っているということでしたが、よく分からず。バンズは、「全粒粉入りオーガニック」ですから、健康志向のバーガー。味が薄いのもやむを得ないか?

Img_9801c_20201108162501  ゴールのはつらつ公園から蟹江駅までは約5分。11時55分に到着。蟹江駅までが、8.5㎞。割とよく歩いていました。12時ちょうどに四日市行き普通電車があり、それに乗って桑名まで。12時16分着。

Img_9823c_20201108162501  今日のALKOOのデータ。17,066歩。JRさわやかウォーキングで歩いたImg_9824c_20201108162501 のが、8.5㎞。桑名駅往復が2.2㎞。合計10.7㎞を歩きました。JRさわやかウォーキングは、コロナで中断していましたので、スタンプの有効期間は、1年延長されます。スタンプ、今日で6個目。延長のお陰で有効期間はまだ1年以上ありますから、10個はクリアできそう。

Img_9817c_20201108162501  蟹タクちらしは、晩ご飯の時に家族でシェア。甘強酒造で買ってきた土産から、「名古屋正宗」を晩酌に(微笑)。酒蔵に行ったのも、2月9日に早川酒造部に行って以来(20200209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ(完))。次は、11月21日(土)に開催予定の「戦国武将ゆかりの地を眺めながら、岐阜公園を訪ねて」に行きたいのですが、この日は相談会を調整中。

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2020年11月 6日 (金)

20201031「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(いなべ市藤原町山口~阿下喜)」(その1)……いなべ市藤原町長尾の常夜燈、本郷社、円琳寺、東泉寺、長尾廃寺から猪名部神社へ

 10月31日に出かけた「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(山口~阿下喜)」の本編その1です。「みえの歴史街道」にある「濃州道(員弁街道)」を歩くシリーズの最終回。濃州道は、桑名では員弁街道と呼ばれます。三岐鉄道北勢線とほぼ平行に通っています。この街道は員弁郡下から桑名城下へと続く道として発展したもの。3月15日に、桑名市三ツ矢橋から歩き始め(2020年3月15日:20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編))、この日は星川駅まで。続いて、3月29日には星川駅から東員駅まで(20200329「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』(星川~東員)」(予告編))、夏を越え、10月3日には楚原駅から阿下喜駅(20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(予告編))と歩いてきました。当初は、桑名市内の街道を歩くつもりで計画したのですが、せっかくだから終点まで歩こうということになったのです。

201031inabe0  この日は、今までのやり方ですと、前回のゴールであった三岐鉄道北勢線阿下喜(あげき)駅から、いなべ市藤原町山口の員弁街道の終点(ここで、亀山からの巡見道と合流します。巡見道は、幕府の巡見使が通った道)までを歩くのですが、そうするとゴールしてからが困ります。阿下喜駅に戻るには、来た道をトボトボ歩いて、倍の距離になります。藤原には三岐鉄道三岐線が通っていますが、その終点の西藤原駅までは、ゴール地点から3.2㎞はあります。そこで、考えた末に、タクシーで終点まで行って、阿下喜駅に戻るルートを採用。同級生K氏、畏友M氏と3人旅。

Img_7226c  天気は良好。三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時23分に発車する阿下喜行き普通に乗車。阿下喜までは、20.4㎞。途中には11の駅Img_7230c_20201105045301 があります。単線ですから、何回か列車のすれ違いがありますし、最高速度は45㎞/hですから、阿下喜到着は、9時22分。ほぼ1時間、ガタンゴトンとゆられ、小旅行という感じ。運賃は¥510。途中からK氏も乗込み、沿線風景を眺めながら行きます。M氏とは阿下喜駅で合流。

Img_7235c_20201031192801  阿下喜駅のホームから見える藤原岳(標高1,144m)。我が家からも見えますが、ここまで来ると目の前。駅前にはタクシーImg_7248c_20201031192801乗り場はあるものの、待機しているクルマはなし。やむなく麻生田(おうだ)にある近鉄タクシー配車センターに電話で依頼したものの、「出払っていて、いつ戻るか分からない。『かなりお待ちいただきます』としか申し上げられません」と、好天なのに、いきなり暗雲が垂れ込めたような感じ(苦笑)。

Img_7237c  やむなく、阿下喜駅前で待つことに。駅の南にある軽便鉄道博物館の車両やレールを見たり、私は、上空にImg_7260c 飛んできたトビや、ロータリーの木にやって来たジョウビタキを撮影したりしていますが、タクシーはいっこうにやって来ません。駅前にいなべ市の福祉バス(無料)のバス停があり、目的地の山口を通る「立田線」があるのを発見。「これでいいじゃないか!」となったものの、発車時刻になってもやって来ず。よくよく見たら、「土日祝日は運休」(爆)。よくあるパターン。桑名のコミュニティバスも、日曜は運休。待つことほぼ1時間でやって来たタクシーに乗って、いなべ市藤原町山口まで移動。¥2,990。

Img_7281c  本来であれば、員弁街道の終点はさらに西へ200mほど行ったところですが、目印になるものがありません。そこで、この常夜燈のところで下車。ここから歩くことにしました。集落の入り口にある常夜燈で、「内宮外宮/村内安全」と彫られています。

201031inabe1  こちらが実際に歩いたルートマップの詳細図その1。北側に流れているのは、員弁川。田舎の街道ですから、「員弁街道」などという表示はありませんし、道標も建ってはいません。自作コースマップとGoogleマップ(これには「濃州道」という表示が出るのです)が頼り。しかしながら、円琳寺・地蔵堂の手前で南側の道を歩くところで、直進するというミス(苦笑)。まぁこれくらいはやむを得ないかも知れません。

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 さて、常夜燈の背後(西側)には、忠魂碑が建っていました。「故陸軍軍曹勲七等藤田学之碑」とあります。昭和19(1944)年に建てられていますので、第二次世界大戦に従軍された方のものと思われます。常夜燈の北東にImg_7293c_20201105060701 も、同じように、忠魂碑が3基ありました。「故陸軍歩兵上等兵藤田政治郎碑」「故陸軍歩兵田中鐵治郎碑」などとありました。このあたりの村から出征された方のものでしょう。

Img_7308c  スタートから800mほどのところに本郷社という神社がありましたが、コースマップを描いたキョリ測にはImg_7329c_20201105124501 載っていません。しかし、見つけてしまったからには、立ち寄ります。勧請年月は不詳。樹齢からして数百年以上の歴史を持つと推測されます。従来、天白天神だけが鎮座していたのですが、天保6(1835)年、八幡大神を久保の旧社地から遷し、天保91838)年、天照大神を神明社の旧社地(現在の地蔵堂:あとで訪ねるところ)から遷し、三神宮または三神社と呼ばれたといいます。

Img_7334c Img_7331c_20201105062001  主祭神は、火産霊命(ほむすびのみこと:火の神)。相殿神は、品田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)、天照大御神天白大明神(天白信仰(てんぱくしんこう)は、本州のほぼ東半分にみられる民間信仰。長野県・静岡県を中心とし、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限としている。様々な研究・解釈が行なわれたが、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなった)、大山祇神(オオヤマツミノカミ:山を司る神)、麓山祇命(はやまつみのみこと:山の麓を司る神)、道反大神(おおみちがえしのかみ:伊弉諾尊が伊弉尊に追われた時、さえぎるために用いた石のことで、道反大神とも呼んだ)、手置帆負神(たおきほおいのかみ:紀伊の忌部(いんべ)の祖。国ゆずり・国土平定の話に登場し、笠づくりの役目をになった)、彦狭知神(ひこさしりのみこと:天照大御神が天岩戸に隠れた時、手置帆負命とともに天御量を作り、材木を切って瑞殿を作ったことによ、木工の祖神とされている)の8柱。ずいぶんいろいろな神様がいらっしゃいます。初めて名前を知った神様も多い。ウ~ン、神社の世界、神様も奥が深い。

Img_7324c_20201105062001  本郷社は、なかなかよい雰囲気の神社。杜も、左の写真のように巨樹からなっています。拝殿、本殿も上の2枚の写真のようImg_7338c_20201105062101 に、木々に囲まれ、厳かな雰囲気が醸し出されています。聖なる空間という感じ。燈籠も苔生していたりして、これもこの雰囲気に貢献している気がします。ということで、なかなかよいスタートを切ることができました(微笑)。

Img_7309c  本郷社のすぐ近くのお宅で、「鍾馗様」を発見。たいていは、屋根の上に鎮座しているのですが、ここは「塀の上の鍾馗様」になっています。K氏も、M氏も初めて見たそうですが、私はずいぶん前から見つけるたびに写真を撮っています。京都で多いそうですが(こちら)、桑名でも時々見かけます。

Img_7301c_20201105124101  本郷社の先、スタートから1㎞を過ぎたあたりで、東南の道に入るべきところを直進してしImg_7356c まいましたが、すぐに員弁街道に戻りますので、まぁご愛敬。田園風景もよい感じ。蕎麦の畑もあちこちにありますが、花の季節は終わり、実がついていました。

Img_7350c_20201105124701  「すばらしきふるさと 白瀨マップ」という大きな看板を過ぎると、員弁街道沿いに地蔵堂と円琳寺。地蔵Img_7358c 堂の詳細は、不明ですが、本郷社の説明板によればここに神明社があったと思われます。地蔵堂の前に立つ石柱には、「地蔵堂再建記念」と刻まれていました。

Img_7362c_20201105125501  地蔵堂の奥、西側にあるのが、青龍山円琳寺(せいりゅうざんえんりんじ)。真宗大谷派のお寺。門は、石の柱が立っており、さらに、鳥居かと見まごうようなものがついていて、お寺の門とは思えないイメージ。もとは天台宗でしたが、天和2(1682)年、本山4世常如(じょうにょ)上人の頃に真宗大谷派の寺となり、桑名の本統寺与力の寺となったそうです。

Img_7365c_20201031192801  桑名藩主・久松松平家の知遇を得て、その家紋「梅鉢」を賜り、使用を許されています。円琳寺は代々学者として有名な人物が多く、特に赤心校を開き郷弟の教育に尽くし「猪名部神譜」の大作を世に送った梅田春濤先生、その子香樟先生も漢学者として有名で、町内には碑文が多く残されているといいます。寺の西に春濤先生の碑(大賀賢励撰・市川進書)と赤心校の跡があるそうですが、事前によく調べなかったため、見てきませんでした。

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 円琳寺・地蔵堂のところで員弁街道は左折して、北に向かいます。1.8㎞ほどのところで員弁川を渡ります。本郷橋です。員弁川は、鈴鹿Img_7382c_20201105130301 山脈御池岳北麓に発し、桑名と川越町との境で伊勢湾に注ぎます。桑名あたりでは、町屋川と呼ばれ、河口部では川幅はかなり広いのですが、この辺りは、当然ながら、イメージが違います。

Img_7385c_20201105130301  橋の上から振り返ると、藤原岳が見えますが、北東の方向から見る眺めですので、いつも我が家から見ている藤原岳とはまったく違います。我が家から見えるところは、太平洋セメント藤原鉱山となっていて、石灰石が山容が変わるほど採掘されているのです。

201031inabe2  員弁川を越えて少し進むと、実測ルートマップはその2の範囲になります。員弁街道はいったん員弁川から離れて、小高いところを進みます。東泉寺、猪名部神社とお参りしたあと、またもやコースミス(苦笑)。しゃべっていて、地図を確認し忘れます。懲りないというか、反省しないというか。本来の員弁街道はオレンジ色のルートを行くのですが、大回りしてしまいました。

Img_7389c_20201105132501  2㎞を過ぎたところに長尾山東泉寺(ながおさんとうせんじ)。臨済宗妙心寺派のお寺。この一帯は、伽藍遺跡「長尾廃寺」Img_7405c_20201105132501 だといいます。長尾廃寺は、「長尾山福林寺」と号し、俗に「地蔵寺」として親しまれました。現在の、この東泉寺境内、及び付近一帯が廃寺跡とされます。平安時代の延暦年間(782年-806年)の創建と伝わり、猪名部神社の宮寺、白瀨城主・近藤弾正左衛門吉綱(北勢四十八家の一つ)の菩提所であったともいわれます。

Img_7392c_20201105132501  東泉寺についての詳細は不明。ネットでも、「ふるさと いなべ市の紹介(いなべ市観光協Img_7395c_20201105132501 会・ふるさといなべ市の語り部の会発行)」にも情報はありません。なかなかよい感じのお寺です。

Img_7398c_20201105132501  境内には稲荷社がありました。福寿稲荷大神。由緒などを書いたものはありません。社殿の背後には、階段があり、居合わせた方に伺うと、誰かの墓があり、その向こうに池か何かあると聞いたということでした。先ほどの長尾廃寺の説明板によれば、山頂付近には「長尾経塚」とも「員弁三郎行綱の墓」とも呼ばれる墓石があるといいます。員弁三郎行綱は、鎌倉時代員弁大領であった員弁家綱の子で、現在の東員町大木の御殿に居城し、源頼朝の騎射・巻狩の上意に従って、青少年の士気を鼓舞するため建久3(1192)年、追野原に於いて流鏑馬の神事を奉納したといいます。これが、東員町の猪名部神社で現在も行われている上げ馬神事のもと。

Img_7411c_20201031192801  東泉寺の少し東に猪名部神社。上述のように、東員町北大社にも同名の神社があります。「延喜式神名帳」にある「猪名部神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社ですが、どちらが延喜式神名帳の猪名部神社かは決着がついていないようです。近代社格では村社。創祀・創建年代は不詳。東員町北大社の猪名部神社と同様に、春澄善縄(はるずみの よしただ:平安時代前期の公卿(くぎょう)、学者。文章(もんじょう)博士。藤原良房と「続日本後紀」を完成。伊勢出身。本姓は猪名部)・春澄洽子(高子:はるずみの こうし)(平安時代前期~中期の女官。陽成天皇の即位にともない皇太夫人となった藤原高子との同名をさけ、洽子(こうし)(「あまねいこ」ともよむ)と改名。従三位、典侍。古今和歌集に和歌1首がおさめられている)の父娘の伝承が残っています。

Img_7417c_20201031192801  主祭神は、伊香我色男命(イカガシコオノミコト:古代日本の豪族・物部氏の祖にして、猪名部氏の祖神。天孫瓊々杵尊(ニニギノミコト:天照大神の孫)の兄、饒速日命(ニギハヤヒノミコト:物部氏の祖神)の六世の孫)。相殿神は、大山祇神(おおやまつみのかみ:山の神)、火産霊神(ほむすびのかみ=軻遇突智神(かぐつちのかみ):火の神)、春澄善縄宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと:五穀、食物をつかさどる神)。員弁川の北岸、集落の中に鎮座するのですが、集落の西北隅の松林の中に春澄氏第宅跡と称する平坦な一角があり、土地の人はそこを「春澄屋敷」と称しているそうです。こちらにこのあたりの詳しい話があります。

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2020年10月31日 (土)

20201031「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(山口~阿下喜)」(超予告編)

Img_7235c_20201031192801  10月も末日になりました。今月3日に続き(2020年10月 3日:20201003「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(楚原~阿下喜)」(予告編))、「勝手に三岐鉄道北勢線ハイキング『員弁街道を歩く』(山口~阿下喜)」に行ってきました。これで、員弁街道はほぼコンプリート。「ほぼ」というのは、微妙なところですが、これまでところどころで員弁街道を外れましたし、今日はコースミスもしでかしましたので、正確には「ほぼ」コンプリートということです。遠隔授業第4回の課題チェック、コメント書きや、明日はオンライン研修会もありますので、取り敢えず「超予告編」。実際に歩いたルートマップをまだつくっていません。当初調べたコースマップでは、8.5㎞となっていました。

Img_7248c_20201031192801  今までの続きからとなりますと、三岐鉄道北勢線阿下喜駅から、員弁街道(濃州道)の終点にして、巡見道との合流点であるいなべ市藤原町山口まで歩くのですが、藤原町山口から阿下喜駅に戻ると、倍の距離を歩かねばなりません。三岐鉄道三岐線の西藤原駅まで行くと、さらに3.2㎞を歩かねばなりません。それ故、阿下喜駅からタクシーで終点まで行き、そこから戻るというコース設定。しかし、阿下喜駅で近鉄配車センターに電話すると、「いつ戻ってくるか分かりません。かなりかかります」と。いなべ市の福祉バスがあるのですが、土日祝日は運休でした。結局、50分ほど待ってやって来たタクシーに乗車する羽目に。西桑名を8時23分に乗車し、阿下喜には9時22分着。¥510。タクシーに乗れたのは10時15分過ぎ。いなべ市藤原町山口まで約15分、¥2,990。

201031inabec  こちらが用意していったコースマップ。実際は、もっと拡大して5枚に分割しています。藤原町山口にある常夜燈のところを10時35分にスタート、途中、昼食休憩を取りましたが、阿下喜駅にゴールしたのは、15時少し前。4時間半ほどかかりました。東海道や、参宮街道など、メインの街道では道標や道案内がありますが、田舎の街道ではそういうものはほとんどありません。あちこちでルートを確かめたのですが(Googleマップには「濃州道」という表示が出て来て、ずいぶん助けられました)、何度かコースミスをしました。

Img_7281c  巡見道との合流点から歩くつもりでしたが、タクシーの運転手さんに分かりやすい目標ということで,こちらの常夜燈のところでクルマを降りました。集落の入り口に当たるところにあり、「内宮外宮/村内安全」と刻まれています。背後にあるのは,個人の忠魂碑。この常夜燈の東にも、忠魂碑が3基ありました。ここから東に向かって歩き始めたのが、10時35分頃。

Img_7331c_20201031192801  藤原町本郷にある本郷社。キョリ測のマップには載っておらず、リサーチしていませんでした。主祭神は、火産霊命。相殿神は、品田別命ほか7柱。勧請年月は不詳。なかなかよい雰囲気の神社でした。

Img_7356c  歩いたルート沿いのあちこちには、蕎麦畑。花はほとんど終わり、実が生長している途中です。ごく一部には、赤蕎麦が栽培されているところもありました。

Img_7358c  円琳寺の手前に地蔵堂。その奥に青龍山円琳寺(せいりゅうざんえんりんImg_7365c_20201031192801 じ)。今は、真宗大谷派ですが、もとは天台宗でした。天和2(1682)年、本山4世常如上人の頃に、真宗大谷派に改宗、桑名の本統寺与力の寺となっています。桑名藩主・久松松平家の知遇を得て、松平候の家紋「梅鉢」を賜り、その使用を許されました。

Img_7411c_20201031192801 Img_7417c_20201031192801  続いて、猪名部神社。「猪名部神社」というと、上げ馬の神事も行われる東員町の猪名部神社を思い浮かべる方もいらっしゃるとは思いますが、こちらも同名の神社。猪名部氏の祖神伊香我色男命を主神として祀り、古くから長尾、日内、川合の三村の氏神と尊崇してきた神社。猪名部氏の祖神伊香我色男命を主神として祀り、古くから長尾、日内、川合の三村の氏神と尊崇してきた古社です。延喜式内社。

Img_7440c_20201031192801  猪名部神社からしばらく行くと、村境に鳥居が立っています。鳥居の傍らにある道標によれば、これは猪名部神社の一の鳥居のようでした。

Img_7462c_20201031192801  さらに進みますと、徳円寺。真宗大谷派。

Img_7486c_20201031192801  その先、員弁川を渡ったところに川合神社。主祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと:大国主命の子、諏訪神社の祭神)。御鎮座年月は不詳。

Img_7533c_20201031192801  野尻橋の手前で春日神社。主祭神は、少名毘古那命(すくなびこなのみこと:農業・酒造・医薬・温泉の神)。勧請年月は不詳。獅子舞があります。桑名の春日神社の分霊を奉祀したという伝承もあるといいます。このあと、鎌田川を渡ります。

Img_7577c  阿下喜の町に戻ってきて、大西神社。主祭神は、建御名方神(たけみながたのかみ)。境内は広く、拝殿のほかに神輿殿があImg_7561c_20201031200401 り、神輿が保管されています。

Img_7568c_20201031200401  大西神社の拝殿前の狛犬。時節柄、マスク着用。前足で子供をあやしている「子取り」になっています。これには、子孫繁栄の意味があるのですが、その子の方もマスクをつけています。狛犬ですから、もう一方の方とは当然、ソーシャルディスタンスを十分にとっています。

Img_7597c_20201031200401  阿下喜駅には、初めに書きましたように、15時少し前に到着。15時1分に西桑名行きの電車があり、ジャストタイム。桑名には15時56分着。¥510。

Img_7613c_20201031200401  今日の歩数。ALKOOでは、22,940歩。17.5㎞となっていますが、これほどは歩いていないと思います。冒頭に書きましたように、やるべき仕事が滞っていますので、たぶん来週になってから本編を書く時間がとれると思います。ということで、超予告編でした。

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2020年10月14日 (水)

20201014勝手に養老鉄道ハイキング「多度山に登ろう」

Img_3204c_20201014183701  「思い立ったが吉日」と申します。以前から漠然と考えていたものの、なかなか実行に移せずにいたのですが、つい2~3日Img_3868c 前、「多度山なら、どのコースで登っても、1時間もあれば、頂上に行けますよ」といわれ、その気になってしまいました(爆)。後で良く考えたら、これをおっしゃった方は、キャンプの達人でした(苦笑)。多度山は、我が家の玄関先からもよく見えています。

Img_3207c  朝、養老鉄道播磨駅まで送ってもらい、8時47分の大垣行きに乗車。やって来た電車は、「近鉄ラビットカImg_3216c_20201014183901 ー」の600系。近鉄の時代に導入された車両で、名古屋線や大阪線を走っていたそうです(こちら)。昭和40年代製とか。

Img_3223c_20201014183901  多度駅には、8時58分に到着。¥310。今日は、近鉄ハイキングの「多度山水郷展望コースImg_3226c_20201014183901 のマップを利用して、多度山に登っていくつもりで、拡大コピーした自作マップを持参。9時にスタート。

201014tadoyama  こちらが、今日、多度で歩いたルートマップ。市の観光案内では、「眺望満喫コース」となっています。これを歩いて、多度山の頂上へ。帰りも途中までこれを辿ってきたのですが、途中第1見晴台の下から「のんびりコース」へ。愛宕神社にお参りして、そこからは「健脚コース」を下ってきました。

Img_3229c_20201014183901  多度駅から北に向かいます。多度川を多度橋で渡って、Img_3232c_20201014183901 600mあまり行くと、宇賀神社の一の鳥居があり、そこが多度山に登るコースの入り口の一つになっています。多度橋から見た多度山が右の写真。標高は403m。

Img_3242c  宇賀神社の一の鳥居。向かって右の常夜燈の陰になっていますが、オレンジ色の看板で「入り口 多度山上公園/自然教室・Img_3258c_20201014185401 水郷展望ハイキングコース」と大書されています。その、向かって右の常夜燈の背後に石碑があったのですが、良く読めず、残念。碑表には、名前が刻まれているようでしたので、忠魂碑のようなものかも知れません。碑陰には、「明治39年7月建之」とともに、西田さんという名字の方5名の他、「取持 宮守中・消防組」「肝煎 字総代」とあります。この一の鳥居のところを左折し(西に向かい)、多度山の登山道に入っていきます。ここの交差点でスタートから650m。

Img_3261c_20201014183901  200mほど行くと、宇賀神社があります。元々は、有力者を祀っていたのが、後に農耕神として宇迦之御魂神を祀るようになImg_3267c_20201014185601 ったといわれています。正面にはシイの巨木群があります。主祭神は、宇賀御魂神。相殿神は、大山津見神火之迦具土神、火之夜芸速男神、火之炫毘古神(以上の2神は、火之迦具土神に同じ)、表筒男神、中筒男神、底筒男神(以上の3神は、いわゆる住吉大神)、大己貴命少彦名命

Img_3276c Img_3283c_20201014185601  古くは「天田社」といったといい、天田はあがたの訛ではないかとされています。「県の神」として農耕神を祀り五穀豊熟を祈つた社ではなかったかと推測されるのです。延喜式内社で明治43(1910)年、境内、区内の神々を合祀し、現在の宇賀神社となっています。大正年間に村社より郷社に昇格したのですが、遠く、仁寿元(851)年すでに神階正六位に叙せられています。農事、山と火の安全、舟便、医薬の神として崇められているといいます。

Img_3270c_20201014190701  ちなみに、正面にシイの巨木群があります。拝殿の前にも、ご覧のように巨木が立っています。教育委員会による「シイの巨Img_3290c 樹からなる宇賀神社の森」という説明板もありました。

Img_3296c_20201014191001 Img_3293c_20201014191001  宇賀神社から登山ルートに入ると、そこには「農道竣工の碑」がありました。

Img_3303c  ポケットパークの駐車場の手前に、こんな石碑がありまImg_3322c_20201014191901 す。昭和4年11月2日に神社に畑を寄附したという記念碑でした。こういう畑を寄附した記念碑は、初めて見ました。ここからいよいよ本格的に登りになります。

Img_3402c_20201014192001  途中、お地蔵様。2.5㎞地点にある「中央地蔵」と思いますが、詳細は不明。このあとは、ひたすら登りでしたので、割愛して、一気に、頂上近くまでワープします。

Img_3479c が、一つだけ。パラグライダーが飛び立つ「飛行台(発射台?)」がありました。以前は、良く多度山からパラグライダーが飛んでくるのを見ました。

Img_3486c_20201014192301 Img_3491c  スタートから1時間半、10時半頃、山上公園に到着。このあたりで、約4.6㎞を歩いてきたはず。登り始めと、この近くがキツく、「来なければ良かった」と思わないでもありませんでした(苦笑)。途中、中間あたりは、平坦なところもあり、見晴台や休憩所もあり、休憩を取りつつ来ましたので、比較的楽でした。

Img_3497c_20201014192301  山上公園の広場を見て、いよいよ頂上へ。やっと403m(三角点の正式な高さは、402.7mとなっていました)を登り切れまImg_3513c_20201014192301 した。いや、天気が良くて良かった (^_^) 多度山には一度は登りたいと思っていましたので、念願を叶えられました(微笑)。

Img_3501c_20201014192301  こちらが、三角点や、「三本杉の相場振り」のところ。「三本杉の相場振り」というのは、電信電話がまだ発達していなかった明治の初期、大阪、桑名、名古屋、大垣の間の米相場は、「旗振り通信」で伝えられていました。相場の値段が決まると、高いところから赤・白の大きな旗(旗信号)を振って、その値段を伝えたのです。ここ三本杉にも信号所(中継所)が設けられていて、桑名米穀取引所から送られる旗信号を望遠鏡で確認して、同じ信号を振ると、四日市・名古屋・高須で見て、次々と中継されて各地に伝えられました。

Img_3506c_20201014192301  こちらが、「相場振り」の説明。「新桑名歴史散歩(西羽晃著)」によれば、桑名米穀取引所では、他の市場が閉店した後、夕市が開かれ、とくに注目されたといいます。あの初代諸戸清六氏は、大隈重信と懇意になり、情報を早く仕入れ、政府の公金を低利で借り入れ、米相場で成功しています。

Img_3517c_20201014193901  さて、山頂からの眺めは抜群。左の写真、中央あたりが、木曽三川公園木曽三川公園センター。川は、手Img_3530c_20201014193901 前から揖斐、長良、木曽の木曽三川。そのやや左上に名古屋駅前の高層ビル群がありますが、この写真でははっきりしません。右は、木曽三川の下流方向。中央やや上には、ナガシマスパーランドが見えますし、その手前には国道23号線の揖斐長良大橋。中央の左には、長良川河口堰、JR・近鉄の揖斐長良川鉄橋、東名阪高速道路の鉄橋なども見えます。ただ、この時間、南の方角はやや雲がかかっていましたし、逆光で今ひとつ。

Img_3574c 山頂には、高峯神社があります。神社の境内に三本杉があります。商売繁盛・家内安全・進学祈願の神様だそうです。

Img_3565c また、高峯神社の脇には、千体地蔵菩薩が安置されている御堂がありました。多度大社にお参りするものImg_3567c_20201014195001
は、ここに鎮座する高峯神社と、地蔵大菩薩に額づいて、心身を清めたそうです。高峯神社と千体地蔵菩薩との間には、「多度山古戦場跡戦没者総慰霊之碑」があります。詳細は不明。「壬申の乱に関わる」としているブログもありました(こちら)。山頂には、10時50分まで20分ほど滞在。

Img_3614c 山頂近くには、いくつもの無線中継所が立っています。山上公園の西側あたりです。ここから、来たルートを下っていきます。

Img_3655c 途中、木曽三川公園や名古屋駅方面がさらによく見えるところがありました。同じところかImg_3667c_20201014200101 ら、木曽三川の下流方面も眺めてみました。

Img_3650c_20201014200201 木曽三川公園の手前をよく見ますと、平野のあちこちに池や、曲がりくねった水路が残っているのが見えます。これらは、かつて河川が蛇行していた跡だそうです。「河跡湖(かせきこ)」あるいは「三日月湖」と呼ばれています。河川改修工事で、川の流路を変え、堤防を建設するなど、多くの治水工事をした結果、このような姿になったのです。

Img_3683c_20201014200101  登ってきたときの1.5㎞地点に戻って来ました。ここから「のんびりコース」にルート変更。まっすぐ行くと、多度大社に出Img_3690c_20201014200101 ます。名前の通り、起伏はあるものの、さほどではありません。右の写真は、赤谷川にかかる長尾橋。

Img_3707c_20201014200801  長尾橋を越えてしばらく行くと、約9㎞地点に愛宕神社があります。ここにも立ち寄りたかったのです。社伝によれば、勧請の年月は不詳であものの、古くから鎮座し、元亀年間の兵火に遭い、いったんは衰退したものを、元和2(1616)年、桑名藩主・松平定勝公が再興されたのを、松平定行公が寛永6(1629)年、再び社殿を造営し、毎年正月・5月・9月の3度家臣を遣わして厚く祭祀を厳修せしめたといいます。その後も、松平家によって崇敬され、手厚く庇護されたそうです。『多度大神本縁略記』には多度大社の第四別宮であったことが伝わっています。大正9(1920)年、境内社山神社、厳島社を合祀しています。

Img_3711c  御祭神は、火之夜芸速男神。境内には、合祀された神様を祀っていると思われる社がありましたが、説明板などはありませImg_3716c ん。

Img_3725c_20201014200801  愛宕神社から健脚コースへ降りていきます。道をはさんで、駐車場の脇に下に降りていく階Img_3727c 段がそれ。距離は約1,680メートルで、所要時間約40分と最短コースなのですが、これはとても登れそうにありません。短い間でしたが、下るのにも苦労しました。

Img_3745c  多度の町に降りてきました。予想通り、桔梗屋さんの東にある鳥居のところでした。多度のハイキングで、ここに鳥居があるのが気になっていました。ハイキングコースを調べると、たぶんここからが健脚コースだろうと思っていたのです。「いにしえコース」と石柱が建っています。昔の人たちはここを登ったということでしょうか。桔梗屋さんは、享保元(1716)年の和菓子の店。八壺豆(多度豆)などを売っていたと思います。写真で、左手に行くと多度大社、右手は多度駅方面。

Img_3773c_20201014200801  大黒屋さん。鯉料理のお店。過去に近鉄ハイキングで庭を拝見しています(2020年1月26日:20200126近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 細川酒造の銘酒『上げ馬』と多度大社・追儺祭」へ……祝ご当選!でめでたく「完」)。こちらにも詳しい案内があります。

Img_3792c  汗だくになって、多度駅にゴール。12時15分。3時間15分かかり、10.5㎞を歩いてきました。カッターがImg_3816c_20201014200801 濡れて気持ち悪かったので、着替えたくらい(苦笑)。桑名行きは、12時42分。¥310。電車は、養老鉄道7700系、通称「緑歌舞伎」でした。桑名には、12時58分着。

Img_3871c_20201014203101  いやぁ、よく歩きました。それに、400mの高低差(苦笑)。登りはさすがにキツかったですねぇ。現地で10.5㎞、桑名駅から自宅が1.1㎞ですから、合計11.6㎞ほど。スマホのALKOOでは、21,000歩あまりの記録。途中、私よりも高齢、70歳代と覚しき男性が自転車でスイスイと登っていくのを目撃。次の見晴台で休憩しておられたので、話しかけてみたら、何と電動自転車でした。脊柱管狭窄症を患い、10分も歩くとしびれるので、電動自転車なら登れるかと思って来たとおっしゃっていました。他にも走って登る人が3名。いろいろな方に出会いました。

 余談、こぼれ話はまだありますが、それらはまた明日以降のオマケに。

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