お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年6月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年6月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

寺院

2024年7月19日 (金)

20240719御坊さんライトアップ

240719191252276c  今日、明日と寺町商店街で「ビックリ夜店」が開かれています。御坊さん(真宗大谷派桑名別院本統寺)では、これにあわせて19時から21時にライトアップをするということで、見てきました。今日の日の入りは、19時5分。本当はもっと暗くなってからの方がよいのでしょうが、19時過ぎに出かけました。

 こちらは表参道。寺町商店街から御坊さん240719193329753c に入るところ。参道の両側に明かりが灯されています。その明かりで、ソメイヨシノの木や、山門がライトアップされています。

240719192151166c  御坊さんの本堂。元亀・天正の頃、石山本願寺と織田信長が、幾度となくぶつかり合っていました。当時、伊勢・尾張・美濃の三国の水陸の交通の要所であった桑名の地は、長島一向一揆をはじめとする真宗にとって苦難に直面していました。本願寺第11代顕如(けんにょ)上人が、三崎(当時の名称)に「今寺(いまでら)」と呼ばれた坊舎を草創し、本山との連絡、諸種の法務、非常時の際の協議集合の便を図りました。それが本統寺のルーツ。本統寺としては、慶長元(1596)年、本願寺第12代教如(きょうにょ)上人によって、開創されています。

240719191607076c  本堂にも上がってお参りをしてきました。正面はご本尊の阿弥陀如来。

240719192112157c 240719192135812c  燈籠にも明かりが灯されています。この燈籠は、享保16(1731)年に建立された青銅製燈籠で、本堂の前に1対があります。

240719192103578c  ということで、珍しく夜になってから出歩いて、御坊さんライトアップを見てきたという次第。ちなみに、この記事の写真はすべてスマホ写真。シャープのAQUOS sense7で、AI設定によって撮りました。

2024年7月13日 (土)

今日も修行ですねぇ(苦笑)……野鳥はいないのです

Dsc02470c  昼過ぎまでは晴れていましたが、その後は薄曇り。最低気温は22.2℃、最高気温は30.6℃。真夏日ですが、風が少しありますから、耐えられない暑さではありません。プチ遠征も考えましたが、三ツ又池公園のカイツブリも少なく、河口堰でもサギは多くないでしょうから、いつものコースへ。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、寺町と5.8㎞。

Dsc02544c_20240713141701 Dsc02664c_20240713141701  今日も野鳥はいません。マンションのプレイロットにハシボソガラスの一家が3羽いただけで、三の丸水門まで鳥はいません。三の丸水門のところでスズメ。柿安コミュニティパークでも、スズメ、ムクドリ。九華公園に着いてカワウ。スズメはなぜか、近くに寄ってきました。

Dsc02623c  カワラヒワは証拠写真。奥平屋敷跡に3羽がやってきたのです。ほかに見たのは、ムクドリ、ドバト、ハシボソガラスくらい。今日はアオサギはいませんでしたし、カワセミは最近見かけなくなっています。

Dsc02603c_20240713141701  奥平屋敷跡では、ミドリガメが産卵用の穴を掘っていました。穴はまだまだ浅く、卵を産み始めるにはまだまだ時間がかかりそうでした。

Dsc02765c_20240713141701  貝塚公園でも野鳥はいません。子連れのカラスだけ。先だって見たカラスの幼鳥(2024年7月9日:鳥はいませんので、修行に専念(苦笑))の親と思います。子ガラスはうまく写真が撮れず。

Dsc02697c_20240713141701 Dsc02735c_20240713141701  野鳥がいませんから、昆虫でも撮ろうと思うのですが、それもなかなかです。以前より、チョウもトンボも数が減っている印象。陽和幼稚園にあるヒマワリで、たぶんチャバネセセリと、クマバチ。

Dsc02863c_20240713141801  寺町商店街のところで、アゲハ。

Dsc02890c_20240713141801  ところで、御坊さん(桑名別院本統寺)にお参りしたら、賽銭箱にこのポスターがありました。寺町商店街のビックリ夜店にあわせて「夏の夜間特別参拝」が行われるそうです。燈籠にも点灯されるそうですし、山門のライトアップもあるといいます。普段、夜は出歩きませんが、見てみたいですねぇ。

Dsc02804c_20240713141701  オマケは、咲きかけのヒマワリ。昨日の記事の最後に載せた写真のヒマワリ(2024年7月12日:九華公園でアオサギ)。

 

2024年5月 2日 (木)

20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」

240429kintetsuhikekasumori2  4月29日に行ってきた近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」の本編その2です。その1では、近鉄烏森駅をスタートし、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」まで行きました。その2は、妙行寺、豊国神社から庄内川、五条川を越えて、あま市に入ります。

Img_1037c_20240429161601 Img_1049c_20240429161601  正悦山妙行寺。日蓮宗。豊国神社の東にあり、加藤清正公誕生地とされています。この寺の創建時期については不詳。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、現在地から約220mほど東にありましたが、永仁2(1294)年に日像によって日蓮宗に改宗されたといいます。その後、火災により焼失したものの、天文4(1535)年に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建されました。加藤清正は、もともと妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15(1610)年に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建しています。

Img_1057c_20240501043401 Img_1076c_20240501043401  境内には、加藤清正像があります。 昭和35(1960)年4月、清正の350回忌の際、清正公奉賛会により建立されたものです。また、「清正公誕生地之碑」という石碑もあります。

Img_1036c_20240429161601 Img_1104c_20240501043901  豊国神社(とよくにじんじゃ)に戻ります。中村公園内にあります。中村公園は、秀吉の出生地と伝わるこの地に明治18(1885)年に、秀吉の偉業を偲んでつくられたもので、「秀吉清正公園」という愛称があります。

Img_1108c_20240429161701  豊国神社のご祭神は豊臣秀吉。同名の神社は全国にありますが、ここは、上述のように、豊臣秀吉の生誕地に当たります(秀吉生誕地については諸説があります)。明治16(1883)年、当時の県令国貞廉平をはじめ地元の人々による豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月、秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定したのです。明治18(1885)年1月に竣工し、7月には神社が創建されています。以前訪ねていますので、詳しいことはそちらをご覧ください(2018年11月7日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完))。

Img_1112c_20240501044201  公園内には、「豊公誕生之地」という石碑もあります。説明板には「豊臣秀吉誕生の地」として、「天文5年(1536年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次歳暮)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は、異父同母の弟妹である。出生地については、区内下中村町という説もある」とあります。

240429kintetsuhikekasumori3  ここからルートマップはその3に入ります。このマップの範囲では、立ち寄り先は指定されていませんが、見どころはありました。旧鎌倉街道、三嶋神社、立ち寄りませんでしたが、光明寺です。

Img_1184c_20240429161701  Img_1161c_20240501044801 豊国神社から中村公園の中を通り抜け、名古屋競輪場脇から、中村高校前を経て、豊公橋(ほうこうばし)で庄内川を渡り、また、萱津橋で新川を越えてあま市に入ります。

Img_1220c_20240501052601  新川と五条川の合流地点から五条川沿いを歩いて行きますと、旧鎌倉街道になります。鎌倉街道は、鎌倉時代、鎌倉から諸国に通じていた主要道路です。愛知県内では、岐阜県の墨俣から木曽川を渡って愛知県に入り、黒田(一宮市)、稲沢市の下津(おりづ)、清須市を経てあま市萱津に至る幅2mほどの曲折の多い道となっています。このあたりが萱津で、庄内川の渡し場としてにぎわったところ(こちら)。この写真は、ルートマップその3で、五条川の堤防道路から萱津の町に降りたあたりで撮ったもの。

Img_1228c_20240501052601 Img_1232c_20240501052601  三嶋神社があります。ご祭神は、大山祇神。昔、里人が藤沢の浄光明寺に参詣の折に、伊豆の三島明神を勧請したと伝わります。ここも拝殿の前に蕃塀があります。あとで訪ねた萱津神社と関連する神社のようです。

Img_1237c_20240501052601  三嶋神社の西に横笛山光明寺。ただし、道路からこの写真を撮ったのみで通過しました。しかし、あとで調べたら、時宗の寺院で、秀吉ゆかりの寺でした。弘安5(1282)年、一遍上人の弟子である他阿真教による開基で、萱津道場と呼ばれた大寺で、室町将軍からも保護を受けたといいます。豊臣秀吉が幼少の頃にこの光明寺に預けられたと伝わっています。7歳で父と死別した秀吉は、8歳でこの寺に入るも、すぐに飛び出し、15歳の時、放浪に出たとされます。

 実際に歩いたルートマップはその4になります。240429kintetsuhikekasumori4 いよいよゴールも近くなりますが、妙勝寺、萱津神社が立ち寄り先に指定されていますが、その途中で正法禅寺も見てきました。萱津神社を出ると、再び五条川を渡って太陽食品工業を目指します。五条川を渡ったところは津島街道。太陽食品工業からゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅は、目の前。

Img_1249c_20240429161701 Img_1266c_20240429161701  長正山妙勝寺。日蓮宗。初めは真言宗の密勝寺という寺でしたが、文応2/弘長元(1261)年に日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を妙勝寺に改称しています。天文年間(1532~1555年)に兵火により七堂伽藍を焼失しましたが、その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護を受けています。山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は福島正則が寄進したものと伝わっています。この日は、ふれあいマルシェ萱津マルシェが開かれており、私が行ったときには、本堂で、甚目寺南中学校のブラスバンド演奏が行われていました。

Img_1271c_20240501071401  こちらは、妙勝寺のマルシェの会場。五平餅や、団子、たこ焼きなど、気になりましたが、次の萱津神社でもマルシェが開かれていますから、何も買わず、何も食べず(微笑)。

 Img_1281c_20240501071801 Img_1285c_20240501071801 萱津神社に向かう途中に日東山正法禅寺がありましたので、拝観してきました。曹洞宗のお寺。帰ってから調べたら、墓地に「反魂塚碑」があるということでした。奈良時代の伝説で、今の福島県信夫(しのぶ)(福島県南部に昔あった村)の地に恩雄(やすたか、21歳)と藤姫(ふじひめ、16歳)という若い夫婦がいました。藤姫の父は橋本中将といい、左遷が許された時、この地に姫を残して都に帰ります。成人した姫は、父恋しさに夫と上って行く途中病気になり、悲しくも帰らぬ人となったのですが、それがここ萱津。夫は仏門に入り、妻の塚の辺りに庵を結び、日ごと、香をたいて回向したといいます。

Img_1340c_20240429161701 Img_1336c_20240429161701  妙勝寺から徒歩3分ほどで萱津(かやつ)神社。漬物の神社として知られています。境内には漬物を納める「香の物殿」があり、毎年8月21日の「香の物祭」には多くの漬物業者が参列するそうです。創建時期は不明。ご祭神は、鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)。かつては「草ノ社」「種の社」「阿波手(あわで)の杜」とも呼ばれたといいます。言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたのに加え、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったそうです。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったことから、漬け物の神社として有名になっています。ちなみに、「阿波手の杜」については、日本武尊が当地で妻の宮簀姫に逢えなかったことから「不遇(あわで)の森」と呼ばれるようになったとか、また尊が植えた雌雄二本の榊が「連理の榊」として御神木となったという伝説もあります。

Img_1304c_20240501072301 Img_1299c_20240501072301  境内には、鹿屋野比売神の像と、「香の物発祥の地」の石碑があります。この石碑によれば、「当社は野を司る鹿屋野比売神を祀る我が国で唯一の漬物の祖神であります。人皇十二代景行天皇の御世、日本武尊御東征の砌当社にお立ち寄りの際、村人が漬物を献上し長途のお慰めをするとともに、その霊験あらたかなこと等をお話ししたところ、尊は御賞味され大変感慨深げに『藪に神物(こうのもの)』と仰せられたと伝えられる。このお言葉は、今日漬物を表す香の物の語源になったと言われております。ここ萱津神社がその発祥の地です。この古事を尊び、尊が熱田の地に祀られた後、村人はその昔を偲び熱田神宮の四大祭に特殊神饌として献進されています」とあります。

Img_1322c_20240429161701 Img_1325c_20240429161701  萱津神社もマルシェの会場となっていました。ここに着いたのは10時40分ころで、ちょうど小腹が空いていましたから、天むすを1個購入して、小休止。天むすよし田屋という津島のお店。お勧めは、えびしそ天むすということで、¥250。割と小ぶりで、一口で行けそうでした。小声でいいますが、津にある千寿の天むすの方がはるかに美味しいと思います。さらに、名古屋で働いていたときに食べた多香野の天むすもよかったです。ちなみに、千寿が天むす発祥の地です。

 

Img_1356Img_1364c_20240502190201 萱津神社を出て、法界門橋で再び五条川を渡り、清須市へ。この法界門橋から500mほどは、津島上街道を歩きます。清須市立桃栄小学校の南あたりです。津島上街道も、またきちんとすべてを歩きたい街道です。右の写真は、そこから進んだ須ヶ口交差点。

Img_1368c_20240429161701Img_1376c_20240502191001 最後の立ち寄り先は、ゴールの名鉄須ヶ口駅の目の前にある太陽食品工業。ソースとケチャップを作っている会社。太陽ソースとケチャップを使用した試食と販売会が行われています。右の写真は、太陽ソースの試食。ソースもケチャップもコクがあり、美味しいものでした。

Img_1381c_20240429161801  来場者には太陽ソースのミニパックをプレゼントということでした。「なくなり次第終了」ということでしたので、心配したのですが、ミニパックも無事に2ついただけました。販売会では、何も買うなという指令がありましたので、買っていません。

Img_1402c_20240429161801  ゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅には、11時15分過ぎに到着。2時間20分で9㎞ほどを歩いてきました。須ヶ口駅は電車で通ったことはありますが、ここを利用するのは初めて。 ちょうど11時22分に豊明行き準急がありましたので、それに乗車。名鉄名古屋駅には、11時36分に到着。¥250。近鉄も、11時41分発の松阪行き急行があり、それに乗り換えて、桑名駅には12時1分着。¥530。

Screenshot_20240429122916c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。11.08㎞で、17,937歩でした。現地で歩いたのが約9㎞、自宅から桑名駅往復が2㎞あまりですから、妥当な数値でしょう。

Screenshot_20240429114045c  近鉄名古屋駅では、エキタグのデジタル駅スタンプをゲットしてきました。どこにタグがあるか、分かりにくかったのですが、改札横にありました。これで6個目です。なかなか増えませんが、まぁボチボチと。

2024年4月29日 (月)

20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(予告編)

Img_0908c_20240429161601Img_0922c_20240429161601  今日は薄曇りで、最高気温も22.8℃と、土曜日と同じくハイキング日和(2024年4月27日:20240427近鉄ハイキング「(【三岐鉄道合同企画】白梅の丘をこえて桑名『ほしの湯』でととのう」へ(一回完結))。予定通り、近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ行ってきました。一人旅です。今日のところは、予告編。近鉄桑名駅を8時16分に出る名古屋行き普通に乗車。烏森駅に8時50分に到着。¥490。受付は8時半から始まっています。タイトル通り、名鉄ハイキングとの合同企画

Img_0914c_20240429161601 Img_0918c_20240429161601  コースマップは、今日もA4サイズで両面。近鉄ハイキングは、このようにコースマップが配られますが、名鉄の方は、DXが進んでいて、スマホアプリで受け付け、コースマップもスマホでチェックします。ポイントでは、土曜日の近鉄ハイキングのようにチェックインをしていきます。ゴールでもチェックインを行い、「踏破ポイント」をゲットできるのです。

240429kintetsuhikekasumori0  こちらは「キョリ測」で描いた、今日歩いたルートマップ。烏森駅を利用したのは、初めて。ここから、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」、妙行寺、豊國神社、妙勝寺、萱津神社、太陽食品工業と回り、名鉄名古屋本線須ケ口駅がゴール。8時55分にスタート。

Img_0951c_20240429161601  最初の立ち寄り先は、日吉公園にある日之宮神社。もとは日吉権現といい、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社と伝わっています。秀吉が幼名を日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところだそうです。ただし、いつ建立されたのかや、ご祭神がどなたかなどはよく分かりません(こちらを参照)。江戸時代には社はなく、日吉公園がつくられた昭和10(1935)年に同時に再建されたという指摘があります。次に立ち寄った下中八幡宮の境外社。

Img_0968c_20240429161601  続いて、下中八幡宮。社伝によれば、創建は保元元(1156)年で、源為朝が関わるものであるといいます。加藤清正が中村に勧請した3つの八幡社の1つとされますが、後に衰退し、寛永20(1643)年に再興されました。ご祭神は、応神天皇(誉田別命)と神功皇后(息長帯比賣命)。秀吉の母が安産祈願をした神社とも、秀吉の氏神だったともいう話も伝わっており、正確なところはよく分かりません。

Img_1004c_20240429161601 Img_1014c_20240429161601  下中八幡宮から豊国通りに出て北へ向かうと、中村公園前の交差点に出ます。そこに大鳥居。昭和4(1929)年に立てられ、高さ24メートル、幅34メートルの大きさ。「赤鳥居」と呼ばれ、親しまれています。大鳥居に向かって右手に孝和堂本店があります。草餅、おはぎなどが名物の和菓子店ですが、例によって、私は見てきただけ。

Img_1022c_20240429165001  ここから豊国神社の参道になります。9の付く日に市が立ち、「九の市」と呼ばれています。食品、草花、衣料品、米菓子など実にさまざまな店が出て、大賑わい。桑名でいえば三八市が似ていると思いますが、賑わいはさすがにこちらの方が凌駕していました。

Img_1037c_20240429161601 Img_1049c_20240429161601  正悦山妙行寺。日蓮宗。豊国神社の東にあり、加藤清正公誕生地とされています。この寺の創建時期については不詳。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、現在地から約220mほど東にありましたが、永仁2(1294)年に日像によって日蓮宗に改宗されたといいます。その後、火災により焼失したものの、天文4(1535)年に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建されました。加藤清正は、もともと妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15(1610)年に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建しています。

Img_1036c_20240429161601 Img_1108c_20240429161701  豊国神社(とよくにじんじゃ)。ご祭神は豊臣秀吉。同名の神社は全国にありますが、ここは豊臣秀吉の生誕地に当たります(秀吉生誕地については諸説があります)。明治16(1883)年、当時の県令国貞廉平をはじめ地元の人々による豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月、秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定したのです。明治18(1885)年1月に竣工し、7月には神社が創建されています。以前訪ねていますので、詳しいことはそちらをご覧ください(2018年11月7日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完))。

Img_1184c_20240429161701  このあとは名古屋競輪場のところから、中村高校前を経て、豊公橋(ほうこうばし)を渡ります。庄内川と新川を越えてあま市に入ります。

Img_1249c_20240429161701 Img_1266c_20240429161701  新川から五条川沿いに進み、次の立ち寄り先は、長正山妙勝寺。日蓮宗。初めは真言宗の密勝寺という寺でしたが、文応2/弘長元(1261)年に日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を妙勝寺に改称しています。天文年間(1532~1555年)に兵火により七堂伽藍を焼失しましたが、その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護を受けています。山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は福島正則が寄進したものと伝わっています。今日は、ふれあいマルシェ萱津マルシェが開かれており、私が行ったときには、本堂で、甚目寺南中学校のブラスバンド演奏が行われていました。

Img_1340c_20240429161701 Img_1336c_20240429161701  妙勝寺から徒歩3分ほどで萱津神社。漬物の神社と知られています。境内には漬物を納める「香の物殿」があり、毎年8月21日の「香の物祭」には多くの漬物業者が参列するそうです。創建時期は不明。ご祭神は、鹿屋野比売神。かつては「草ノ社」「種の社」「阿波手の杜」とも呼ばれたといいます。言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたのに加え、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったそうです。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったことから、漬け物の神社として有名になっています。

Img_1322c_20240429161701 Img_1325c_20240429161701  萱津神社もマルシェの会場となっていました。ここに着いたのは10時40分ころで、ちょうど小腹が空いていましたから、天むすを1個購入して、小休止。天むす よし田屋という津島のお店。お勧めは、えびしそ天むすということで、¥250。割と小ぶりで、一口で行けそうでした。

Img_1368c_20240429161701 Img_1381c_20240429161801  萱津神社を出て、再び五条川を渡り、清須市へ。最後の立ち寄り先は、ゴールの名鉄須ヶ口駅の目の前にある太陽食品工業。ソースとケチャップを作っている会社。太陽ソースとケチャップを使用した試食と販売会が行われ、来場者には太陽ソースのミニパックをプレゼントということでした。試食したところ、ソースもケチャップもコクがあり、美味しいものでした。なくなるかと心配したミニパックも2ついただけました。販売会では、何も買うなという指令がありましたので、買っていません。

Img_1402c_20240429161801  ゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅には、11時15分過ぎに到着。2時間20分で9㎞ほどを歩いてきました。須ヶ口駅は電車で通ったことはありますが、ここを利用するのは初めて。 ちょうど11時22分に豊明行き準急がありましたので、それに乗車。名鉄名古屋駅には、11時36分に到着。¥250。近鉄も、11時41分発の松阪行き急行があり、それに乗り換えて、桑名駅には12時1分着。¥530。

Screenshot_20240429122916c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。11.08㎞で、17,937歩でした。現地で歩いたのが約9㎞、自宅から桑名駅往復が2㎞あまりですから、妥当な数値。

Screenshot_20240429114045c  近鉄名古屋駅では、エキタグのデジタル駅スタンプをゲットしてきました。これで6個目です。まぁボチボチと。本編は明日以降、少しずつ書いていきます。

2024年4月 7日 (日)

神湯館の糸桜

Img_0366c_20240407155301  実家、2日目は、朝7時過ぎから散歩へ。ゆっくりしつつ、することはいつもと同じ(微笑)。町内一周で、6.1㎞ほどを2時間で歩いてきました。津のアメダスでの最低気温は13.2℃、最高は21.3℃。よく晴れていましたが15時頃からは曇ってきました。どこへ行ってもソメイヨシノはほぼ満開。山もご覧のように桜が咲いているのが見えます。

Img_9706c_20240407155301  実家では6時過ぎからイソヒヨドリの鳴き声が聞こえていました。オス、メスともにやってきています。メスは巣材をくわえています。朝の内と、夕方近くにやってくるようです。

Img_9741c_20240407155201  散歩に出てすぐに出会ったのはツグミ。ツグミはあちこちで見かけました。

Img_9806c_20240407155301 Img_9823c_20240407155201  ツバメもよく飛んでいます。実家から少し西に行ったところにあるお宅では、車庫を出入りし、近くで巣の材料を調達していました。

Img_9837c_20240407155301  廃業した国民宿舎の屋上からは、キセキレイの鳴き声がしていました。証拠写真。

Img_9885c_20240407155201 Img_9901c  射山神社にお参りした後、隣にある神湯館へ。今日の散歩のメインの目的があります。それは「糸桜」。しだれ桜の一種で、江戸時代から榊原温泉のシンボルであったそうです。400年程前、湯治場の一角に植えられた糸桜の2代目といいます。現在は、神湯館にあります。ソメイヨシノよりも早く咲き始めます。少し葉が出てきてはいましたが、見応えは十分。

Img_9931c_20240407155301  農民研修所へ回りました。ここにはコシアカツバメが巣を作ります。まだ早いかと思ったのですが、2羽、いました。

Img_0127c_20240407155301  菩提寺に行って墓参り。山門脇のしだれ桜が咲いていて、きれいです。地面近くまで枝が垂れていますが、そこにも花が咲いています。

Img_0154c_20240407155301 Img_0179c_20240407155301  このあとは、昨日こちらに来るときに見つけた菜の花畑へ。毎年田んぼアートが行われる水田の近くです。その途中でもツグミ。菜の花畑の近くでホオジロのオス。

Img_0190c_20240407155201 Img_0207c_20240407155301  その菜の花畑はこちら。もう少し高いところから撮ることができたら、もっと良かったと思いますが、そういう場所はなし。

Img_0195c_20240407155301  実家のあたりは、あちこちに桜があります。名もない桜で、名所ではありませんが、それでも自分が好きな景色。たとえば、菜の花畑の近くにはこういう所がありました。

Img_0270c_20240407155401  ほかに今日よく見たのは、トビ。何カ所かで旋回していました。多いときには、一度に10羽以上が飛んでいるのを見ることもあります。超望遠コンデジしか持って行きませんので、飛翔シーンはうまく撮れません。

Img_9896c_20240407155201  ところで今週水曜日からは、いよいよ江戸橋方面での非常勤の仕事が始まります。1月末以来ですから、早く勘を取り戻さないといけません。それに、来年度末で非常勤講師の定年を迎えますから、今年度がラストイヤー。最後まで無事に務めたいところ。週末には、また、ウォーキングも予定しています。

2024年4月 2日 (火)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」

Kohnomiya2  3月27日に行ってきた勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その3です。その2では、旧美濃路や、稲葉宿あたりを訪ね、大塚北にある八幡社まで行きました。この先、ルートマップは、その2になります。白鬚社、性海寺、日吉社、西福院、恵明寺と回って、ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9380c_20240327175801 Img_9377c_20240401165701  大江川に出て、川沿いに進み、4㎞半を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神。ここも詳しいことは分かりません。

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺(しょうかいじ)。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、熱田神宮参詣の途中、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。ただし、実際には、当地の豪族長谷部氏によって、平安時代に創建されたと考えられています。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼足利尊氏織田敏定浅野長政松平忠吉徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建で、入母屋造、杮葺き。内部には善光寺如来を祀る、鎌倉時代の宝塔が安置されているそうです。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9416c_20240401170901 Img_9420c_20240401170901  こちらの御堂にも「愛染明王」と書かれています。説明書きには、「多宝塔の中に納められている愛染明王は江戸時代より特に耳の病の信仰があり、この拝殿には全部底ヌケのひしゃくが奉納してあります。現在でもこの方法で祈願しております。」と書かれています。確かに底が抜けたひしゃくが多数奉納されており、新しいものもありました。

Img_9388c_20240327180801 Img_9392c_20240401171201  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。

Img_9460c_20240327180801  また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で、幅7m、深さ1mの周溝をともなっています。墳丘上部は中世以降の盛り土がされており、市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9480c_20240401173801 Img_9498c_20240327180801  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神も不明ですが、本社の日吉大社から倣えば、大己貴神(おおなむちのかみ)もしくは大山咋神(おおやまくいのかみ)のどちらかと思われます。

Img_9494c_20240401173801 Img_9490c_20240401173801  この日吉社にも蕃塀がありました。神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。伊勢神宮、熱田神宮、津島神社などにあります。私が直接訪ねた範囲では、愛知県尾張地方の神社に多い印象があります。三重県内ではあまり見かけません。また、この日吉社では右の写真の景色がなかなかよいと思いました。

Img_9522c_20240401183101 Img_9539c_20240327190901  その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。「せんき」は「疝気」。 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいいます。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9510c_20240401183101  西福院の北側には、広大な駐車場がありました。われわれが歩いていたときも、駐車場に入ってこられる方がありました。 

Img_9517c_20240401183101  駐車場から西福院に行く途中、白龍王大神。由緒書きはありません。名古屋の白龍神社のご祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)ですから、ここも同じかと思われます。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、この日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かってひたすら歩いて行きます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、7.7㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132845732c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

240327132156444c  ここは、昭和レトロの喫茶店であることも確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

Img_9601c_20240327192701  ここで大失敗。その1の初めに「珍道中」と書きましたが、まさにその通り。奥田駅は、対面式のホームで、それぞれに専用の改札口があります。が、われわれは何も考えずに、エデンから近い改札に交通系ICカードで入ってしまったのですが、それは岐阜方面の改札でした。やむを得ず、インターフォンで係員の方に事情を伝え、対応してもらいました。年を取るというのは、こういうことなのでしょう。世間様にご迷惑をおかけしないようにしているつもりではあるのですが……。結局、名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14時25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。

2024年4月 1日 (月)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ

Kohnomiya1  3月27日の勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」の本編その2です。その1では、国府宮駅をスタートし、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社まで行きました。ルートマップは、まだその1の範囲です。この先は、旧街道の美濃路に入り、旧稲葉宿のあたりへと進んでいきます。金神社から南に行き、最初の信号交差点を左折しますが、この道が旧美濃路となります。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。稲葉宿は、当初は中島郡稲葉村だけで宿場を構成していましたが、後に小沢村が加宿となっています。ちなみに、明治8(1875)年に稲葉村と小沢村が合併して稲沢村となっています。

Img_9221c_20240331170301  旧稲葉宿あたりの美濃路には、今もこうした古い建物がそこかしこに残っています。リノベーションされた建物も散見されます。昔からの街道だなという印象があり、楽しめます。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  宝光寺というお寺の手前、街道の南側の商店であったところの脇に津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。ルートマップには出ていませんが、この東に「札の辻」という地名が残っており、稲葉宿の中心が近いことが分かります。

Img_9243c Img_9250c_20240331172001  こちらは道標の向かいにある紅葉山宝光寺。真宗大谷派。立派なお寺ですが、由緒書きはありませんし、ネットで検索してもとくに情報はヒットしませんでした。

Img_9264c_20240327174401 Img_9259c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは昭和58(1983)年に稲沢ロータリークラブが建てた、新しいものです。碑には「四ッ家追分から分かれたこの美濃路の稲葉宿は慶長五年に開設され、本陣、脇本陣の他、小沢、東町、西町には問屋場が置かれて、人馬の往来、物資の輸送の為に供されたが、 文化三年に人足二十二人、馬四十五頭が常備される助郷の制があった。ここは東町問屋場である。宿場役人伊東氏の住居である。」と刻まれています。四ツ家追分は、稲沢市井之口四家町にあります(JR稲沢駅の南)。慶長5年は1600年、文化3年は1806年。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。その後は、東邦電力中部電力稲沢営業所となり、現在は稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701 Img_9307c_20240401044101  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。ここで小休止。ちなみに、「稲葉宿本陣跡の碑」という石碑が建っています。「愛知県知事桑原幹根書」とありますが、桑原幹根さんは、われわれが子どもの頃、愛知県知事を務めた方。

Img_9314c_20240401044601  稲葉宿本陣跡ひろばから道を1本挟んで東に金剛山崇福寺。臨済宗妙心寺派。美濃路と三宅川の間にあります。明徳2(1391)年以前の創建で、開山は禅源寺開山大清。貞享4(1687)年、神明宮境内から現在地へ移したと伝わります。

Img_9330c  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺についても、詳しい情報はありません。

Img_9334c_20240401045501 Img_9349c_20240401162401  大江川に出る前、住宅街を歩いていたら、鳥居が見えましたので、行ってみました。八幡社でしたが、ここも由緒書きはなく、ネット検索でもこれと行ってヒットしません。

Img_9345c Img_9338c_20240401162401  ただし、ご神木であるムクノキは、市の文化財。樹高16.0m、枝幅19.5m、目通り3.0mで、地上約2mの所で幹が二本にわかれています。また、この神社にも蕃塀があります。蕃塀がどうも気になるのです。ルートマップその1は、ここまで。キリがよいので、その2の記事もここまで。

 

2024年3月31日 (日)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ

Img_9567c_20240329074001  3月27日、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和でした。当初は、翌日の28日を予定していましたが、この日の方が天気がよいということで日程を変更し、稲沢へハイキングに行ってきました。「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。冒頭の写真は、前回の国府宮ウォーキングでも見てきた三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所にある高さ173mのエレベーター試験塔。この日のコース終盤でよく見えていました。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。珍道中と書きましたが、いくつかハプニングがありました。まずは、桑名駅で乗る電車の発車時刻を8時39分と私が勘違いしていました。調べるときに土日休日の時刻表を見たため。名鉄名古屋駅では、当初予定していたとおりの電車に乗ることができ、結果オーライ(苦笑)。

Kohnomiya0  こちらがこの日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、この日は、名鉄国府宮駅から西、さらに南西のあたりを歩いてきました。美濃路、旧稲葉宿から南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

Kohnomiya1  詳しいルートマップその1。名鉄国府宮駅をスタートして、観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺、金神社などを回り、その先、宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりになります。

Img_8952c_20240327170901 Img_8980c_20240329074901  国府宮駅からすぐ近くに補陀山観音禅寺。臨済宗妙心寺派。説明板によれば、元は北方の稲島町にあり、暦応元(1338)年、清拙が創建したと伝わります。しかし、時代とともに衰え、江戸時代、現在地に忠嶽によって再興されました。明治24(1891)年の濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮境内にあった古堂2棟から現本堂ほかがつくられ、文翁和尚によって再建されました。

Img_8970c_20240329074901  境内で気になったのは、こちら。道標のようで、「左 国の宮/こまき 道」と彫られていました。どこかにあったものがここに移設されているのであろうと思います。観音禅寺について調べていたら、「観音寺のむじな」という昔話がヒットしました。昔、観音寺の裏には藪があり、そこにむじなたぬきの親子が住んでおり、和尚さんが可愛がったのに、小僧たちがいたずらをしたというような話です。

Img_9021c_20240327170901  松下一丁目北交差点の近くに赤染衛門歌碑公園があります。赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます(『小倉百人一首』に載っている歌。高校のときに暗記した記憶があります)。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に約90首入集、和泉式部と並び称されます。家集に「赤染衛門集」があり、「栄花物語」前編の作者ともいわれます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任しました。

Img_9007c_20240329080001 Img_9009c_20240329080001  大江匡衡と赤染衛門が詠んだ歌が歌碑になっています。稲沢市制30周年を記念して、平成元(1998)年に建立。以下の引用のように刻まれています。また、「衣かけ松の跡」の石碑も建てられています。赤染衛門が長保3(1001)年、夫ともにここに隅、この松の枝に衣を掛けたと伝わっています。この石碑は、昭和46(1971)年に稲沢市教育委員会によって建てられました。

国にいきつきたりしにはつ雪のふりしに
はつ雪とおもほへぬかなこのたびは 稲ふる里を思ひいでつつ 匡衡
めずらしきことはふりずぞ思ほゆる 行きかへりみるところなれども 赤染

Img_9024c_20240329083001  赤染衛門歌碑公園を出てすぐのところに「尾張国衙址」という案内板があるのを見つけました。ウォーキングコース沿いにある名所旧跡は一応チェックしたつもりでしたが、見逃していました。ただし、調べてみると、次の交差点を南に入って200mほど行った松下公民館のところにありました。国衙は、律令制において国司が地方政務を執った役所が置かれていたところ。尾張の国衙は、松下の地にあったとされ、この地が政治・文化の中心であったといいます。

Img_9059c_20240329083701Img_9033c_20240327170901  スタートから1㎞あたりに修理若御子(すりわかみこ)神社。由緒書きによれば、尾張大国霊神(尾張大国霊神社=国府宮神社のご祭神)が国内を修理するのを助けた修理若御子命(墨染天神)がご祭神。天香山命(あまのかぐやまのみこと:尾張連等の祖神)の御子、天村雲命(あめのむらくものみこと)といいます。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。

Img_9041c_20240329083701 Img_9050c  境内末社には、神明社、津島社、富士浅閒社の3社があります。津島社は、拝殿に向かって右手前に鎮座。おもしろかったのは、神明社が拝殿に向かって右手奥の、玉垣の中に鎮座しておられたこと。さらに境内の南西には、右の写真のように、塚のようなところがあり、「延覚行者」等と刻まれた石碑が建ち並び、もっとも高いところにはお社が祀られていました。これについては、由緒書きにも触れられておらず、不詳。こちらのサイトによれば、御嶽信仰の大師たちが祀られているといいます。

Img_9063c_20240330065901  稲葉神社に行く途中、白龍社が祀られていました。白龍社といえば、水の神様。ここは、宮田用水土地改良区の建物が建つ敷地内。用水土地改良区ですから、白龍社を祀ったのでしょう。

Img_9075c_20240327170901 Img_9086c_20240330070201  稲葉神社。昭和32(1957)年に伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀し、伊奈波神社となりました。ご祭神は、物部印葉連公(もののべいんばむらじのきみ)、櫛御気之命(くしみけのみこと:須佐之男命の別名とされる)、伊邪那美神(いざまみのかみ)、大山昨神(おおやまくいのかみ)です。昭和36(1961)年に稲葉神社と改められました。

Img_9116c_20240331155702 Img_9138c_20240327170901  稲葉神社の西、愛知文教女子短期大学の近くに金華山禅源寺があります。臨済宗妙心寺派。長い参道の先に勅使門があります。残念ながら、門から先には入れないようになっていました。永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛の折、旅宿となっています。このとき、寺内で家光の不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許され、本堂の大屋根などに用いられています。勅使門は、寛永年間(1624~44年)の建立。8代虎岩和尚の隠居後、しばらく無住が続いた後、九代満源和尚が美濃妻木の崇禅寺から伝法を受け、寛文6(1666)年に本堂を再建。延宝7(1679)年に十一面観音を祀って本尊とし、再興されています。

Img_9116c_20240331155702 Img_9130c_20240331155701  左の写真は、勅使門から拝見した禅源寺の境内。なかなか落ち着いた、よい感じのお寺です。右の写真は、本堂の大屋にある葵の紋。

Img_9124c_20240331155701  勅使門に向かって左手には、秋葉三尺坊大権現秋葉神社も、秋葉三尺大権現も、神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として祀られます。禅源寺の守護神という位置づけなのかと思います。

Img_9159c  先にも書きましたが、愛知文教女子短期大学があります。学校法人足立学園により昭和26(1951)年に稲沢女子短期大学として設置されています。現在は昼間2学科(幼児教育学科第一部・第三部、生活文化学科生活文化専攻・食物栄養専攻)となっています。

Img_9166c_20240327174401 Img_9175c_20240331162001  その先に金(こがね)神社。ご祭神は、物部金弓連公。物部氏の祖である宇摩志麻治命の子孫で、4世紀中頃の人と思われるそうです。禅源寺の鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として奉斎したといいます。

Img_9197c_20240331162101  金神社の南に愛知啓成高校。学校法人愛知真和学園が設置しています。昭和2(1927)年に設立された稲沢高等女学校がその起源。昭和23(1947)年に学制改革で、稲沢女子高校となり、さらに平成13(2001)年に男女共学化を図り、愛知啓成高校になっています。平成18(2006)年には野球部が選抜高校野球大会に出場しました。

 この先で旧街道の美濃路や、旧稲葉宿に入ります。キリがよいので、その1はここまで。

2024年3月27日 (水)

20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(予告編)

Img_9366c_20240327170501  降水確率ゼロで、よく晴れて、桑名では最高気温が18.5℃になりました。風は4~5m/sとやや強かったものの、ハイキング日和です。予定通り、稲沢へハイキングに行ってきました。とりあえず「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」というテーマにしました。同級生K氏と二人旅の珍道中。今日は、予告編。

Img_8948c_20240327170501  近鉄桑名駅を8時45分に出る名古屋往き急行に乗車、近鉄名古屋駅には9時9分着。¥530。名鉄に乗り換え。9時11分発須ヶ口行き特急に乗り、須ヶ口には9時18分着。9時21分発岐阜行き普通に乗り換えて、国府宮駅に9時31分着。¥400。9時35分にスタート。

Kohnomiya0  こちらが今日のルートマップ。前回は、JR稲沢駅から国府宮神社などを回りましたが(2024年2月24日:20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編))、今日は名鉄国府宮駅から西へ。宝光寺、津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、本陣跡ひろばなどが、美濃路に沿った旧稲葉宿のあたりにあります。そこから南に足を延ばして、性海寺から名鉄奥田駅へゴールというコース。マップ上は、7.7㎞でした。

 国府宮駅からすぐ近くに補陀山Img_8952c_20240327170901観音禅寺。臨済宗妙心寺派。暦応元(1338)年の創建ですが、時代とともに衰え、江戸時代に現在地に再興されました。濃尾地震で全壊し、明治35~37(1902~1904)年にかけて名古屋の東照宮から建物2棟を購入し、文翁和尚によって再建されました。

Img_9021c_20240327170901  赤染衛門歌碑公園赤染衛門は女流歌人で、平安の中古36歌仙の一人。「やすらわで寝なましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」で知られます。尾張守に任じられた夫(大江匡衡)とともに稲沢に赴任。そのとき衣をかけた松がここにあったといいます。

Img_9033c_20240327170901 Img_9075c_20240327170901  続いて修理若御子(すりわかみこ)神社。尾張大国霊神が国内を修理するのを助けた修理若御子命がご祭神。江戸時代は、墨染天神と称したといいます。1㎞を過ぎて稲葉神社。昭和32(1957)年、伊奈波神社、熊野・白山社、日吉社の3社を合祀した神社です。

Img_9138c_20240327170901  その西に金華山禅源寺。臨済宗妙心寺派。寺伝では永和2(1376)年、南禅寺47世太清禅師の建立といいます。寛永11(1634)年に徳川家光が上洛したとき宿となりました。そのとき、家光が寺内で不快(おこり)が治癒したことを喜び、葵の紋をつけることが許されています。残念ながら、境内には入れないようになっていました。写真は、寛永年間(1624~44年)建立の勅使門。

Img_9166c_20240327174401  愛知啓成高校の北に金(こがね)神社。祭神は物部金弓連公。禅源寺鎮守であった金宮大明神をここ西町の産土神として祀ったといいます。ここから南に向かい、次の信号を左折しましたが、ここからが美濃路。新しい建物もたくさんありますが、昔ながらの町家も残っています。

Img_9235c Img_9240c_20240327174401  2㎞半を過ぎたあたりに津島道道標があります。商店であった建物の東側。「右 津島道 三里」とあります。ここを南に行くと津島に至るということです。

Img_9264c_20240327174401  その先の民家の前に「稲葉宿問屋場址」の石碑が建っています。石碑そのものは新しいものです。このお宅のように古い建物がところどころに残っていて、昔の街道の雰囲気が十分に感じられます。

Img_9280c_20240327175701  問屋場址から目と鼻の先に中部電力旧稲沢営業所。昭和8(1933)年頃の竣工。鉄筋造で一部3階建て。稲沢電灯の本社として建てられたものです。現在は、稲沢市民俗資料館の収蔵庫になっています。

Img_9303c_20240327175701  稲葉宿本陣跡ひろば。稲葉宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣を務めました。本陣があったこの場所は、歴史公園「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」として整備されています。美濃路は、ここで右折し、南に向かいます。

Img_9330c Img_9380c_20240327175801  真宗大谷派の貞信寺を経て、南に向かいます。貞信寺については、詳しい情報はありません。大江川に沿って進み、4㎞を過ぎたあたりに白鬚社。ご祭神は、猿田彦神

Img_9400c_20240327180801  そして、いよいよ大塚山性海寺。真言宗智山派。今日のハイキングは、「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」と題しましたが、むしろここがメインといえます。弘仁年間(810~824年)、空海によって愛染明王を本尊して創建されたと伝えられます。この山門は、江戸時代(17世紀)のもので市文化財。寺は、北条時頼、足利尊氏、織田敏定、浅野長政、松平忠吉、徳川義直の庇護を受けています。

Img_9446c_20240327180801 Img_9428c_20240327180801  左の写真が本堂(重要文化財)。江戸時代初期の再建。右の写真は、多宝塔(重要文化財)。和様と禅宗様の建築様式で室町時代の建造とされます。 内部には愛染明王が祀られています。

Img_9388c_20240327180801 Img_9460c_20240327180801  境内に隣接して大塚性海寺歴史公園が整備されています。ここにはアジサイ約90種1万株があり、「稲沢あじさいまつり」が開かれます。また、西側には、大塚古墳があります。高さ5m、直径40mの円墳で市内最大の古墳。被葬者は、三宅川の灌漑権・水運交通権を掌握した豪族と考えられています。

Img_9498c_20240327180801 Img_9539c_20240327190901  性海寺の東にまずは、日吉社。創建年代は不詳ですが、慶長年間(1596~1615年)以前からあったと思われます。祭神は、大物主神または大山咋神。その東に日出山西福院。「せんき薬師」として有名。約500年前から続く、せんき薬師如来を本尊とする真言宗智山派の祈祷寺。病平癒を願う方は多いようで、境内には奉納された幟旗が無数に掲げられていました。

Img_9551c_20240327190901  西福院の南には、同じく真言宗智山派の恵明寺。ここは静かな、普通のお寺でした。これで、今日の目的地はコンプリート。ゴールの名鉄名古屋本線奥田駅に向かいます。

Img_9579c_20240327190901  奥田駅には、13時10分に到着。スタートからは3時間35分。コースマップ上の距離は、6.5㎞。電車に乗る前に昼食。

Img_9587c_20240327190901 240327132156444c  昼食は、駅近にあるコーヒーショップ・エデンにて。あらかじめ調べ、昭和レトロの喫茶店であることを確認済み(微笑)。今は懐かしのスペースインベーダーゲームマシンや、麻雀マシンがあるお店。ただし、われわれは、ゲームにはチャレンジしていません。

240327132845732c  これもあらかじめ調べていたのですが、チョイスはイタリアンスパゲッティの一択。¥700。この器、卵が敷かれた上にイタリアンスパゲッティ。ウィンナソーセージも載っています。これしかありません。懐かしの味で、十二分に満足。

Img_9601c_20240327192701  名鉄奥田駅発14時10分の須ヶ口行き普通に乗車し、須ヶ口には14時18分着。14次25分発の豊明行き普通に乗り換えて、名鉄名古屋駅には14時36分着。¥330。近鉄名古屋駅発14時41分発の五十鈴川行き急行で、桑名駅には15時1分着。¥530。

Screenshot_20240327152721c  よく歩きました。Google Fitのデータでは、12.0㎞ほどで、20,583歩。ルートマップ上は現地では、7.7㎞ほどでしたが、自宅~桑名駅往復を除いて10㎞近くを歩いたことになります。古希を前にしてこれだけ歩けるのは、ありがたいことです。次は、江南市布袋あたりに行こうかと計画中。本編は、またボチボチと書き進めるつもりです。

2024年3月10日 (日)

桑名市博物館の「春期企画展『刀剣アラカルト』」と光徳寺のヒカンザクラにメジロ……寺町で気象予報士の山田修作さんに遭遇

Dsc08326c_20240310165601 Dsc08332c_20240310165601  天気は良く、気温も昨日よりは高く、10.7℃になりました。風は弱くなるという予報でしたが、7.1m/sとけっこう吹いていました。朝7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から桑名市博物館へ。さらに外堀から先日も行った光徳寺、旧東海道、鍛治町、吉津屋町、京町、寺町と7.6㎞も歩いてきました(微苦笑)。今朝は、藤原岳など鈴鹿の山並みは雪景色。

Dsc08570c  住吉入江には、ヒドリガモのオスが2羽にメスが1羽。例によってお休み中でしたから、写真は割愛。船津屋さんの裏手で久しぶりにホオジロ。オス。写真が撮りにくいところにいて、枝かぶり。近くにメジロもいました。

Dsc08726c_20240310165701  Dsc08751c_20240310170601 柿安コミュニティパークの堀には、今日もカンムリカイツブリ。コガモもオスが5羽にメスが8羽。昨日と同じ。

Dsc08787c  オオバンも2羽がいて、これまた最近ずっと同じ。カンムリカイツブリも、コガモも、オオバンも最近はここに常駐しているのか? と思えてきます。

Dsc08911c Dsc09155c_20240310165701  九華公園の奥平屋敷跡では、ツグミ。カワラヒワもかなりたくさんやって来ます。ほかには、ハクセキレイなども来ました。今日は天気は良かったのですが、小型野鳥は少なく、ジョウビタキも、コゲラも見られませんでした。

Dsc09226c Dsc09340c  ユリカモメは24羽ほど。ユリカモメは、英語では“black headed gull”といいますが、よく見ると頭部が夏羽の黒色に少しずつ変わってきています。さらに今日も、カイツブリが1羽。ときどき来ている若い個体と思います。

Dsc09029c_20240310165701 Dsc09040c_20240310165701  カモは、キンクロハジロがなんと84羽。今シーズン最多記録。ハシビロガモは12羽、ヒドリガモは2ペア、ホシハジロは1ペアとオス1羽。

Dsc09537c  貝塚公園では、ツグミ。2羽を確認しました。

Dsc09582c Dsc09590c_20240310165801  続いて桑名市博物館へ。昨日から春季企画展「刀剣アラカルト」が開催されていますので、早速見に行ったという次第。桑名といえば、「村正」ということになりますが、それ以外にもさまざまな刀剣などが展示され、その見どころが紹介されています。また、あわせて桑名市文化功労者である江川香竹先生の没後一周忌にあたり、2階展示室にて特集陳列「川のように 風のように ―江川香竹回顧展―」も開かれています。

Dsc09600c_20240310165801  毎回1点だけ撮影可能という展示があります。今回は、こちら。「脇差 銘 桑名住義朋斎三品廣房作/慶応二年四月 以多度斎火鍛之(わきざし めい くわなじゅうぎほうさいみしなひろふささく・けいおうにねんしがつ たどいみびをもってこれをきたう)」とあります。三品廣房は、19世紀半ば、桑名で活躍した刀工(現在、打刃物広房として営業しておられるお店の先祖)。多度大社の斎火(いみび)で鍛えたものということ。

Dsc09826c_20240310165901 Dsc09641c_20240310165901  さらに、光徳寺へ。先月29日にもここのヒカンザクラ(ただしくは、カンヒザクラですが、桑名市の観光サイトには「ヒカンザクラ」とあります)を見に行ったのですが(2024年2月29日:光徳寺のヒカンザクラ…ふれあい教室にも早咲きの桜がほぼ満開)、そろそろ見頃という話しを聞き、それならと足を延ばしました。いや、老木ではありますが、見応えがありました。

Dsc09694c_20240310165801 Dsc09807c_20240310165901  このヒカンザクラを今まで知らなかったのは、実にもったいない気がしました。ヒカンザクラは、2~3月、葉の出る前に、緋紅(ひこう)色の花が鐘状に半開して下向きに咲くといいますが、その通り。

Dsc09872c Dsc00024c  桜をあちこちから撮影していたら、ちょうどよいタイミングでメジロが登場してくれました。数羽がやって来て、賑やかでした。

Dsc09913c  こんなシーンも撮れました。メジロも役者です。

240310104219477c  ところで帰り道、今日もまた寺町商店街に立ち寄ったのですが、そこでこの方に遭遇。河津桜の前で花見団子を持ってポーズを取っているのは、メ~テレのドデスカ!と、ドデスカ!+で天気予報を担当している山田修作さん。番組のロケをしておられたようです。今週、放送があるかも知れません。

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  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

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    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)