お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年12月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2021年1月以降の記事を残し、2020年12月以前の記事は削除しました。2021年1月1日以降の記事は、両方にあります。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

寺院

2026年1月18日 (日)

ウェブページに「桑名の東海道を行く」を公開しました

 このココログのWebページに「桑名の東海道を行く」を掲載しました。これは、平成30(2018)年8月に「桑名の東海道」と題してつくった「パネル展示」をもとにしてあります。このパネル展示は、当時、九華公園の指定管理者であった株式会社KMI桑名様のご協力、ご理解をいただいて、九華公園に展示したものです。その内容をもとにウェブページとしてつくりました。文章は、必要に応じて加筆修正をしましたが、さらに吟味したいと考えています。桑名の東海道を散策される際の参考としてご覧いただければ幸いです。

 スマホでご覧いただく場合、上記のリンクから見ていただけます。ココログのサイドバーに「ウェブページ」へのリンク集がありますが、このサイドバーは、スマホではご覧いただけません。「PC版サイト」または「デスクトップ用Webサイト表示」をご利用ください。Androidスマホでは、スマホのサイト表示をPC版に切り替えてください。スマホでココログを表示していただき、右上のメニューボタン(縦3点)から「PC版サイト」を選択するとPC版が表示されます。iPhoneでPC版ココログを見るには、Safariでブログのページを開き、アドレスバーの「AA」アイコンをタップして「デスクトップ用Webサイトを表示」を選択するか、更新アイコンを長押しして同様のオプションを選んでください。

 なお、写真は、基本的には、当時のものをとりあえずそのまま使用していますが、撮り直した方がよいかも知れません。

2026年1月 2日 (金)

2025年散歩距離・歩数の記録

 毎年恒例の散歩、歩数の記録です。個人的な記録として令和7(2025)年の散歩記録を載せます。歩数は、毎日記録しています。歩いた距離については、令和5(2023)年からは、散歩など以外に非常勤などでの仕事に出かけた場合も含めています。したがって、それ以降の記録は、令和4(2022)年以前のものとは単純には比較できません。歩いた距離は、基本的にはGoogle Fitのデータを利用していますが、実感とあまりにかけ離れている場合には、インターネットの「キョリ測」というサイトを利用して測定した日もあります。歩数は、スマホのアプリ(からだメイト)を利用しています。令和7(2025)年の1年間で、歩いた距離の記録があったのは332日。

1.月ごとの毎日の平均散歩距離

2025walkingmeandistance   こちらのグラフは、月ごとに毎日の平均散歩距離を示したものです。平均の範囲は、5.5(SD=1.6)㎞(8月)~6.3(SD=1.1)㎞(1月)となっていました。天候が悪い時や、他に用事があるときは出かけません。昨年は、JRさわやかウォーキング、近鉄ハイキングおよび勝手にハイキングは、18回出かけています(2025年12月22日:2025年ハイキング/ウォーキングのまとめ)。令和7(2025)年の年間トータルでの1日の平均散歩距離は、5.8㎞でした。昨年(2025年)は6.3㎞、一昨年(2024年)は6.1㎞でしたから、やや短め。しかし、これで2018年以降は、毎日ほぼ6.0㎞を歩いていることになります。なお、各グラフとも平均値を折れ線グラフで示しています。ちなみに1日でもっとも長い距離を歩いたのは、2月6日の12.1㎞でした。この日は、名古屋から大学時代の友人が訪ねてくれ、桑名散策を行った日でした(2025年2月6日:20250206近鉄あみま倶楽部ハイキング「七里の渡・大福田寺コース」へ(一回完結))。もっとも短かったのは2月4日と5月2日の1.0㎞でした。2月は市役所で会議、5月は雨でした(2025年2月4日:会議の後にランチ、 2025年5月2日:よく降りました

2.月ごとの合計散歩距離

2025walkingtotalbymonth  次のグラフは、月ごとの合計散歩距離となっています。当然のことながら、最初のグラフとはほぼ似た傾向になります。その範囲は144.2㎞(3月)~182.3㎞(1月)でした。年間総散歩距離は、1,934.0㎞でした。昨年よりやや減少しています。桑名駅を起点に直線で行くと、台湾の台北市と高雄市の中間あたりまで行ける距離です。

3.月ごとの毎日の平均歩数

2025walkingmeansteps  さて、こちらは、月ごとに毎日の平均歩数をグラフにしたものです。平均の範囲は、8,519.1歩(SD=4032.7)(3月)~10,788.1(SD=3166.5)(4月)でした。1年を通じての日々の平均歩数が9,689.6歩でした。いずれの月も、データのバラツキを示す標準偏差(SD)がかなり大きいので、日によって歩数の差が大きいといえます。

4.月ごとの合計歩数

2025walkingtotalstepbymonth  最後のグラフには、月ごとの合計歩数を示しました。26,4092歩(3月)~32,3643歩(4月)という範囲に散らばっています。去年1年の総歩数は、3,533,476歩でした。2025年の総歩数は3,498,726歩でした、2024年は3,895,625歩でしたので、やや減少しています。毎日の散歩は、JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングなど、よそへウォーキングに出かけるときのトレーニングの意味もあります。しばらく前から、野鳥がいないところでは、なるべく歩幅を大きくとって、腕の振りも大きくするよう心がけています。

 以上から、令和7(2025)年は、平均して毎日、5.8㎞、9,689.6歩を歩いていたことになります。年間332日、散歩またはウォーキングとして歩きました。距離の長短、歩数の多寡などはともかく、それなりにしっかり歩いたと思っています(自己満足の世界ですから、お気遣いなく……苦笑)。古希を超えましたので、よりいっそう健康に留意しないといけませんが、今年も日々の散歩&バードウォッチング、歴史散歩を続け、引き続きしっかり歩くことにします。「晴歩雨読」がモットーですので。

2025年12月 6日 (土)

20251206「津・円光寺の紅葉を見る」

251206114205104c  今日は、かねてより見に行きたかった、津市河芸町にある円光寺の紅葉を見てきました。ここは、今年6月に沙羅双樹の花を見に行ったところ(2025年6月12日:20250612勝手にハイキング「津・円光寺で沙羅双樹の花を見る」(一回完結))。紅葉の名所であることは、以前から知っていました。11月29日の中日新聞の津市民版に「境内移ろう紅葉の濃淡 津の円光寺で見頃 」という記事が載って、先週末に出かけたかったのですが、機会を失っていました。新聞記事では、12月中旬頃までが見頃とあり、今日、ほかに行く途中立ち寄ってきたのです。11時半頃に円光寺に着いたのですが、駐車場にはかなりたくさんのクルマ。紅葉の名所だけあって、見に来る方はたくさんありました。

 Img_6117c_20251206153301冒頭の写真は、山門のあたりを南から撮ったもの。この左の写真は、本堂と、その右手にあるモミジの木。本来であれば、この木がメインのはずだったのですが、3日ほど前の強風で紅葉した葉がほとんど落ちてしまったのだそうです。「もう1週間早く来ていただいたら、見事でした」とのこと。残念。ここの紅葉が、山門を通して見られると思ったのです。

 251206114044520c 251206114608361c左の写真は、本堂の東あたりの紅葉。右の写真は、左の写真の右手あたり。

 251206114048618c Img_6156c_20251206153401こちらは、山門の内側。右手に写っている葉の落ちた木が、6月に見に来た沙羅双樹(ナツツバキ)。

251206114337536c ちなみに、萬松山円光寺は、臨済宗東福寺派のお寺。ご本尊は、釈迦牟尼。延文3(1358)年、栗真庄中山(現在の津市栗真中山町)に後光厳天皇の勅願寺として開創されたと伝えられています。徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺とされます。応永4(1397)には将軍・足利義満から祈願所とされ、義持・義教・義政の三祖公のご教書を拝領するなど、足利将軍家の帰依を受けました。分部光嘉が中山から、元亀年間(1570~73)、現在の上野の地に居城と寺を移し、分部氏の菩提寺としました。2代藩主・分部光信が、近江・大溝藩主に転封となり、円光寺も同時に近江に移りましたが、残った堂宇をもとに円光寺は現在地にも存続しています。ちなみに、近江に移った円光寺は滋賀県高島市に存続し、大溝藩主・分部氏の菩提寺となっています。ここ、河芸の円光寺には、過去に近鉄ハイキングでも訪ねています(2019年2月8日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ)。今シーズンの紅葉、諸戸氏庭園(2025年11月23日:20251122諸戸氏庭園の紅葉)と、ここ円光寺で見られました。桑名の照源寺には、残念ながら行きそびれました。

2025年11月17日 (月)

柿の木レストランにメジロたち

Dsc08525c-2  暖かいのは今日までだそうです。今日は、最低気温が9.5℃、最高気温は、20.6℃。明日は、天気はよさそうですが、最低気温は10℃であるものの、最高気温は13℃という予報。夏の暑さにも参りましたが、寒さも身にしみるようになっています(苦笑)。今朝も7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、吉津屋町、京町、寺町と5.5㎞。2時間半もウロウロしていました。

Dsc06819c_20251117140601 Dsc06839c_20251117140601  諸戸氏庭園や、桑名七里の渡し公園でヒヨドリや、キジバトを見たものの、それ以外の鳥はいません。揖斐川にも何も浮かんでおらず。蟠龍櫓の東まで来て、ようやくイソヒヨドリのメスを見ました。三之丸公園でモズが鳴いていたのですが、姿は見えず。三の丸水門を覗き込んだら、驚いたヒドリガモ10羽ほどが、揖斐川に逃げていきました。

Dsc08065c_20251117140701  Dsc06856c-2九華公園のアイガモ、今朝も私が着いた頃に2組の方からエサをもらっていました。かなりたくさんの方がエサを与えているようです。アオサギは、今日も、鎮国守国神社の社務所の裏の木に。いつもほとんどおなじところにいます。

Dsc06966c_20251117140701  相撲場の近くの樹上にはツグミ。九華公園に着いたときから鳴き声が聞こえていました。複数います。

Dsc07570cDsc07742c_20251117140701  今日も小型の野鳥は少なく、奥平屋敷跡ではヒヨドリのみ。二の丸跡には何もいませんでしたが、ウグイスの鳴き声が2ヶ所から聞こえていました。朝日丸跡に来て、まずはコゲラ。コゲラと一緒にいたのは、メジロ。メジロも10羽近くがいました。2羽いたうちの1羽。

Dsc07655c_20251117140701 Dsc07802c_20251117140701  シジュウカラも数羽がいましたが、よく動くのと、枝や葉の陰に入ってしまい、なかなか撮れません。

Dsc08004c_20251117140701 Dsc08160c_20251117140701  本丸跡に戻ってきたら、ジョウビタキのオス。時計塔のあたりで鳴き声がしたのですが、なかなか見つけられませんでした。ジョウビタキは、九華公園の外周遊歩道の東でも出て来ました。同じ個体かも知れません(右の写真)。

Dsc08298c_20251117140701 Dsc08374c_20251117140801  外周遊歩道の南のお宅に柿の木があります。今年は、実を採っておられません。ヒヨドリ、ムクドリ、カラスなどが来ているのは、これまでも見ていましたが、今日はメジロたちがやって来ていました。


Dsc07014c_20251117140701
Dsc07081c カモたち。まずは、ホシハジロのオス。ホシハジロは、この1羽のみで、メスは今シーズンまだ見ていません。キンクロハジロは、33羽。右の写真は、メス。

Dsc07036c_20251117140701 Dsc07510c_20251117140701  ハシビロガモは、13羽。ヒドリガモは、今日もオス2羽、メス1羽と変わりなし。

Dsc07543c-2 Dsc07165c_20251117140701  ユリカモメは、16羽ほど。散歩&鳥見友だちのOさんがエサをやるときに撮ったのが、右の写真。かなりの枚数撮ったのですが、飛翔シーンは難しい。とくにエサをやるときには、乱舞状態になりますから、ボツ写真を量産します(苦笑)。

Dsc08197c_20251117140701  ハジロカイツブリは、二の丸堀の東側エリアで見つけました。散歩&鳥見友だちのYさんも同じあたりで見たそうですが、飛んできて着水しましたので、どこかに行っていたのでしょうか?

Dsc08469c_20251117140801  その後の公園では、これという野鳥はいません。住吉入江まで戻ってきたら、ジョウビタキのメスが出て来ました。拙宅からも近いところですので、例の、このあたりに縄張りを定めたジョウビタキのように思います。

251117080518009c  Dsc06739c散歩コースにあるソメイヨシノの葉っぱはほとんど色づき、落葉しているところがほとんど。こういうところを歩くと、足元が賑やかです。写真は、諸戸氏庭園前の住吉入江あたりにて。右の写真は、九華公園の奥平屋敷跡にて。イチョウです。

Dscn0207c Dscn0193c  今日もNikon Coolpix S7000も持って歩いてきました。スペシャルエフェクトは、硬調モノクロームに設定。まずは、昭和レトロムードがたっぷり残る寺町商店街。今日は定休日ですので人出はありません。

Dscn0199c Dscn0203c  続いて、寺町商店街の中心にある御坊さん(真宗大谷派桑名別院本統寺)。長島一向一揆の頃からある、由緒正しいお寺。

Dscn0217c  もう1枚は、お隣にある諸戸氏庭園の主屋と大門。モノクロ写真ですから、それなりに、ある種の雰囲気が醸し出されますが、撮っただけでは、あまりにも能がありません(苦笑)。トイカメラ風で撮っても、同じです。もう一ひねりが必要です。それを工夫しなければなりません。

2025年11月 3日 (月)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(補遺編)

 11月1日に行ってきた「近鉄ハイキング『【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物』の補遺編です。その後調べたことなどを追記しています。

Img_5635c_20251101152901  まずは、北勢線東員駅。東員駅(とういんえき)は、三重県員弁郡東員町大字山田にあります。平成17(2005)年3月26日に六把野駅と北大社駅(現北大社信号場)とを統合し、両駅の中間に新設開業したものです。東員駅の開業によって、従来、北大社駅で行われていた北勢線全域の管制業務、および、西桑名駅で行われていた運転業務(運転士兼車掌関係の現業区:近鉄時代の塩浜列車区西桑名分室)は、東員駅に統合・移設されています。

Img_5702cImg_5711c_20251101152901  員弁山浄厳寺の由緒について。大木神社の別当寺として員弁寺があったといいますが、天正年間(1573~1592年)に大木神社とともに織田信長の兵火にかかって焼失しています。員弁寺の創建者とされる春澄善縄の子孫・員弁進士行綱(員弁の郡司)の子・行経が祝髪し、入道となり浄源坊と称し、員弁寺に住したようです。これが浄源寺の寺号の由来となっています。数世を経て浄圓坊という道心堅固の僧があり、天台宗真盛上人の徳風を慕い、笈を負って随うこと数年の後、念仏の教えを授けられ、さらに晩年には、文明年間(1469~1489年)に本願寺第8代門主蓮如上人に帰依し、師に従って諸国を巡歴して、帰坊の後、賜った六字名号を安置し、念仏勤行を勧めたので、天台宗から専修念仏の道場へと変わりました。初代・釋順西が、師の教えを相続して、天文年間(1531~1534年)に本願寺第10代・証如上人の時代に浄土真宗の宗風に改め、浄土真宗寺院となっています。しかし、順西は、まもなく始まった長島一向一揆で(天正2(1574)年)に討ち死にしました。この順西をもって浄土真宗本願寺派員弁山浄源寺の開基と定められています。2代・釋正圓(順西の子)は、兵火が治まった天正12(1584)年に旧地の近く(現在地)に仮御堂を建立し、浄源寺を再興しました。

Img_5720c Img_5734c  浄源寺の裏手にある鳥取山田神社。左の写真は、ハイキング・コース沿いにあった鳥居。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様について、ChatGPTで調べた結果、概略次のような回答が得られました。

天角己利命(あめの つのこりのみこと)は、日本古代の神話・系譜資料に登場する神名のひとつで、同義あるいは近縁とされる神名に 角凝命(つのこりのみこと)・ 角凝魂命(つのこりむすびのみこと)があります。その系譜・氏族的な位置づけとしては、古代氏族「鳥取氏(ととり‐し/ととりうじ)」の祖神として、『新撰姓氏録』などに記載があります。学界では、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」は、同一神、あるい非常に近い神格を持つ存在ではないかという説があります。 名の「つのこり/こり」は「凝る・固まる」「杭・杙(くい)」などの語に関係づけられ、「国土形成」「村里の境界」「杭・棒による防塞」などの象徴性を伴う神とされることがあります。 『新撰姓氏録』では、山城国・神別(天神)において「鳥取連」が「天角己利命(三世孫)天湯河板挙命の後なり」と記されています。 また、和泉国・神別には「鳥取」が「角凝命三世孫、天湯河桁命の後也」とも記されており、角凝/角凝魂/天角己利命という名の神が氏族祖神として複数地域で用いられていることがわかります。 研究では、鳥取氏・倭文氏・錦部氏など織物・布関連の氏族系譜と深い関わりが指摘されています。特に、「鳥取氏」と「倭文氏」が「角凝魂命」を祖とする近縁氏族とされる資料があります。 明確な神話物語での登場は限られており、個別のエピソードが豊富に伝わる神というわけではありません。ただし、「角凝/角杙神」系の神名が、『古事記』『日本書紀』などの創世神話の中で「杭・杙(くい)」を象徴する神、すなわち土地・国土が固まる(安定する)段階での神として論じられることがあります。 また、上述の織物関連氏族との繋がりから、「織物」「布」「機織」の職能や氏族の祭祀とも結びついて解釈される研究もあります。例えば、鳥取氏の祖とされる天湯河板挙命にまつわる機織・鳥捕りの伝承から、鳥取氏が「織物関係氏族」であったという説が提出されています。

 以上の説明に関して、「天角己利命」「角凝命」「角凝魂命」が同一神であるか、あるい別個の神であるかについては、はっきりとした定説はなく、資料によって名称や系譜が異なり、同一化・混同されてきた経緯があるといいます。また、 物語上の活動・伝承が少ないため、いわゆる「メインの神話を持つ神」ではなく、氏族祖神・地元神・職能氏族の祖といった位置づけでとらえられることが多いようです。祭祀・神社の主祭神として明確に「天角己利命」が祀られている例は少なく、「角凝命」「角凝魂命」の名義で祀られている事例の方が資料上は多いそうです。

Img_5887c Img_5891c_20251101153001  猪名部神社の上げ馬神事について。令和2(2020)年のコロナ禍以降、感染対策により中止の状態が続き、令和5(2023)年は境内などを馬に乗って練り歩く「馬曳き」のみの開催とし、翌年以降も、「コロナ禍で馬を飼う地域の人が減り、神事のノウハウが継承できなくなった」として「馬曳き」のみの開催となっているようです。近年の動物愛護意識の高まりにともない、上げ馬は虐待ではないかとの批判が上がっており、指摘を受けた県の調査で、平成22(2010)年に1頭が転倒したその場で死に、その翌年と平成27(2015)年にはそれぞれ1頭が骨折の後獣医師によって殺処分されていたことが判明しています。

Img_5985c  大木神社について。本編では、主祭神は品陀和気命、相殿神は、豊受比売神、天照大神としていましたが、相殿神は、伊邪那岐命速玉之男命事解之男神豊受大神須佐之男神久那斗神(くなどのかみ)大山袛神天照大御神でした。

Img_6007c 大木神社の創祀は明らかではありませんが、もともとは大木字大鳥居前に鎮座し、八幡社あるいは八幡神社といいました。古くは御旅所と3つの摂社、別当寺である員弁寺を擁する大規模な神社でしたが、天正年間(1573~1592年)に員弁寺とともに織田信長の兵火にかかって焼失したため、社殿や由緒、祭式の古例を失ったといいます。その後は小さな祠を祀っていましたが、元和年間(1615~1624年)の初めに社殿が再建されました。

Img_5976c  大木城跡について。永禄年中(1558~1569年)、金井城主種村高盛の5男・大木信盛が居城したのですが、織田信長に降伏し、配下となりました。天正4(1576)年、滝川一益に不信をもたれ、伊勢長島城へ出頭を命ぜられたものの、先に出頭した甥の金井城主種村秀信が城内で切腹させられたことを知り、信盛は途中から西国へ落ち延び、廃城となりました。員弁川を南にした台地の端にあり、現在、土塁や堀が部分的に残り、壇も見られるそうです。ちなみに、遁走した大木信盛は肥後細川家の家臣となったと伝えられています。

Img_6012c  続いて、明法寺。当初は、大木村道場という禅宗寺院で、青木駿河守の菩提を弔っていたのですが、永正年間(1504~1520年)に開基の順西が出奔して、寺宝などが散逸し、道場は荒廃しました。大永元(1251)年、片樋道場(のち片樋村・教楽寺)から親子4人が移り住んだと伝わっています。さらに、隆善は片樋村に、祐善は北大社村に、教祐は南大社村の寺に住まわせ、善教が大木村道場を継承しています。大永3(1523)年、本願寺9代・実如上人から六字名号一幅を授けられ、浄土真宗に改宗しました。翌大永4(1524)年、3間・2間半の本堂を再建しています。その後のことは割愛しますが、明治14(1881)年、第13世善龍の時、7間四面の現在の本堂となっています。

Img_6037c  大泉駅。大泉駅(おおいずみえき)は、三重県いなべ市員弁町大泉にあります。大泉駅を新設する計画は、三岐鉄道が北勢線の運営継承を決定した後に提案されました。計画段階での仮称は新大泉駅でした。ちなみに、旧大泉東駅も過去には大泉駅と称しています。計画当初は、駅単独の建設予定でしたが、その後、員弁町役場(現:いなべ市役所)に隣接した地元農産物販売施設「うりぼう」を増床・拡充の上「ふれあいの駅うりぼう」と名称変更して当駅に移転することになりました。なお、当駅は大泉東駅と長宮駅を統合し、両駅の中間部分に新設されたものですが、名目上は、大泉東駅を廃止し、長宮駅を大泉駅に改称の上で現在地に移設したことになっているそうです。

 以上、ネット検索による情報と、第19回北勢線の魅力を探る報告書「再発見! 魅力ある北勢線沿線 東員駅~楚原駅」を参照しました。11月1日付けの記事(2025年11月1日:20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結))は、「予告編」から「一回完結」に変更しました。

2025年11月 1日 (土)

20251101近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」へ(一回完結)

20251101kintetsuhikingtoinmapc  晴れて、20℃を超えるという予報でしたので、近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】コスモス畑と地元まごころ農産物」に行ってきました。三岐鉄道北勢線の東員駅から大泉駅まで約5㎞というコース。立ち寄り先は、東員駅をスタートし、圓光寺、浄源寺、東員町中部公園、コスモス畑、猪名部神社、まこと商店、ふれあいの駅 うりぼうで、大泉駅がゴール。コスモス畑を見たいのと、まこと商店に行ってみたかったのです。初めは、曇っていて、途中から晴れて来ました。気温も歩いている間は、18~20℃くらいで、ちょっと暑いかなと思うくらいでした。今日はひとり旅。記事は、とりあえず予告編としましたが、実際にどうするかは未定。

Img_5635c_20251101152901 Img_5618c  三岐鉄道北勢線西桑名駅を8時59分に発車する東員行きに乗車。東員駅には9時24分に到着、¥340。北勢線は、ナローゲージの電車です。線路幅は、762mm。新幹線などの1,435mmのほぼ半分で、電車も右の写真のようにかわいらしいもの。

Img_5621c_20251101152901  東員駅には、エキタグのデジタルスタンプがあったのですが、電車の写真を撮り、トイレに立ち寄っているうちに失念(苦笑)。三岐鉄道でエキタグのデジタルスタンプがもらえるということが、しっかりとインプットされていないようです(2025年4月5日:20250405近鉄ハイキング「【三岐鉄道合同企画】いなべの桜・貨物鉄道博物館と『おふろcaféあげき温泉』でととのう」へ(一回完結))。この写真で、向かって右はここまで乗ってきた電車、左は、レトロカラーにペイントされたもの。レトロカラーとは、200系が旧三重交通の色に塗装されているのです(こちら)。

251101kintetsuhikingtoinrout  Img_5631c_202511011539019時半からの受付でしたが、少し早めに始まりました。コースマップを受け取り、9時半にスタート。上記の立ち寄り先のほかに、途中で見つけた神社、寺院などにも立ち寄ってきました。右が、実際に歩いたルートマップ。コースマップでは約5㎞となっていましたが、キョリ測では5.4㎞。

Img_5668c Img_5661c  スタートしてすぐは、田園地帯を進みます。西の方には、鈴鹿の山並みが見えています(右の写真)。右の写真でもっとも右端に見える(雲がかかっていますが)のが、藤原岳。

 最初の立ち寄り先は、Img_5688c1㎞を過ぎて、Img_5692c_20251101152901員弁山円光寺。真宗大谷派。ネット検索ではこれという情報はヒットせず。由緒書きなどもありません。

Img_5702c Img_5711c_20251101152901  円光寺のすぐお隣には、員弁山浄源寺。こちらは、真宗本願寺派。もともとは天台真盛宗でしたが、天文年間(1531~1534年)に真宗に改宗しています。隣り合って、同じ山号のお寺というのも、珍しい。

Img_5720c Img_5734c  さらにこれらのお寺の裏手に鳥取山田神社。主祭神は、角凝魂命(つのこちむすひのみこと/つぬごりたまのみこと)。この神様は、初めて。神魂命の子で、伊佐布魂命の親といいますが、さらに調べが必要です。相殿神は、天児屋根命大山祇神須佐之男命天照皇大神菅原道真品陀和気命火産霊神天湯河桁命。創始などは不詳ですが、文政10(1827)年の『桑名領郷村案内帳』に載っているそうです。

Img_5764c_20251101152901 Img_5768c_20251101152901  東員町役場の南を通って、東員町中部公園へ。ここは以前は、アジサイや、チョウトンボを見るなどよく来ていました(2018年6月11日:東員町の中部公園と万助溜公園へ……アジサイを楽しみ、チョウトンボをチラッと見る)。池にカワセミがいたこともあります。今日は、通過したのみ。

251101100524350c Img_5823c  中部公園の西にコスモス畑。今年はここということで、年によっては違う場所にコスモス畑がつくられます。ずっと以前も、ここにつくられたときに見に来ています(2012年10月11日:「仮釈放」にはなりませんでしたが、コスモスを楽しんできました……受診のあと、東員町コスモスまつりへ)。ピークはちょっと過ぎたかなという感じ。

251101100732056c  あれこれ試してみたのですが、雲も多く、また、すでに枯れた花もあって、ズームアップはなかなか難しい。今日、持っていったのは、Canon Powershot SX-60HSとスマホ。スマホの方が簡単に、うまく撮れたりします。これはスマホ写真で、上の2枚はPowershotを使ったもの。

 Img_5866c_20251101153001コスモス畑のすぐ北に「吉澄神社遺跡」という石碑がありました。現地の説明板によれば、この付近の田畑は、明治41(1908)年3月、猪名部神社に合祀された、吉澄神社約3反歩(3,000平方メートル)の境内であったとあります。

Img_5887c Img_5903c  コスモス畑から西へすぐのところに、その猪名部神社があります。ここへは、2度ほどアオバズクを見に来ています(2014年6月10日:アオバズクを見に行く……東員町の猪名部神社へ、2019年7月29日:東員町ツアー……万助溜公園でチョウトンボと、ハスの花の香り、猪名部神社でアオバズク )。主祭神は、伊香我色男命(いかがしこおのみこと)。この神様は、『記紀』等に伝わる古代日本の豪族。物部氏の祖であり、猪名部氏の祖神とされます。創建時代は明らかでありませんが、延喜式内社に列しています。古墳が多い神社としても有名で、本殿は前方後円墳の上に立っています。ずっと以前、詳しい記事を書きましたので、詳細はそちらをご覧ください。

Img_5891c_20251101153001  猪名部神社は、上げ馬神事の発祥の地です。写真は、神事が行われる「上げ馬坂」。

Img_5927c Img_5932c  猪名部神社の先でスタートから3㎞。すぐにまこと商店があります。通常は11時から営業なのですが、今日は近鉄ハイキングのため9時半から開店。以前から知っていて、一度、来てみたかったところ。築100年の家屋を改装した店舗で、「さつまいものアーモンドタルト」「干し芋けんぴ」「さつまいもチップス」をはじめ、「鬼まんじゅう」など素朴なお菓子を販売。

251101102738404c 今日は、サツマイモマドレーヌミニ4個(1個税込み¥180)をお買い上げ。早速、今日午後のおやつに。

Img_5950c  まこと商店から1㎞ほどは、立ち寄り先も何もありません。稲部小学校のところに「殉国碑」。西南の役から第2次世界大戦までの戦没者供養のためのもの。

Img_5985c Img_6007c  スタートから4.5㎞ほどのところに大木神社。主祭神は、品陀和気命。相殿神は、豊受比売神天照大神。現地の説明板によれば、もとは八幡社といい、天正(1573~1592年)の兵火で焼失して勧請されたのですが、年月は不明。明治41(1908)年8月に熊野社、若 宮社、天王社、赤口社、山神社、神明社を合祀し、翌42(1909)年に天王社の跡地に移し、現在の大木神社となったといいます。

Img_5976c  大木神社の手前に「大木城跡」という看板がありました。大木城は、中世城館の1つで、規模は東西45メートル、南北55メートルを誇り、永禄年中(1558~1569)、大木舎人(おおきとねり)が居城しましたが、織田信長に降伏しその配下になったといいます。その後、天正4(1576)年に滝川一益に不信感をもたれ大木舎人は西国に落ち延びたため廃城になったようです。現地には行っていません。

Img_6016c_20251101153001  Img_6012c大木神社の先に曜恵山明法寺(みょうほうじ)。真宗本願寺派。ここもネット検索ではこれという情報はヒットしませんし、由緒書きなどもありませんでした。

Img_6037c Img_6041c_20251101153001  スタートから5.4㎞、11時頃に北勢線大泉駅に到着。今日は、コースマップに付された番号で抽選会があったのですが、見事はずれ(苦笑)。#19でしたが、かすりもせず。あたっていれば、まこと商店のお菓子か、このあと行ったうりぼう提供のお米などがもらえたのです。最近、こういう抽選会ではあたった試しがありません。

Img_6051c_20251101153001 251101110431735c  次の西桑名行きは11時26分発でしたので、駅に隣接する「ふれあいの駅 うりぼう」へ。まずは、ジェラート屋さんの「ジェラートの駅 うりぼーの」で、「石榑(いしぐれ)茶のジェラート」。ワンカップ¥380。ここのジェラートはおいしいのです(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。

251101124515136c 251101124523032c  ついで、うりぼうで土産を物色。お腹が空いていたので、そばと寿司とを買ってしまいました(苦笑)。「いなべ蕎麦半生(¥580)」と、「押し寿司・巻き寿司セット(¥530)」。寿司は、帰宅して昼ご飯に(微笑)。ちなみに、この2つの土産、7年前にも同じものを買って、家内の実家に行っています(2018年7月16日:いなべの「うりぼう」から家内の実家へ)。進歩のなさに我ながら笑えてきます。さらに、このときも、ジェラートを食べています(爆)。

 Img_6073c大泉駅発11時26分の西桑名行きに乗車。西桑名駅には、11時56分に到着。¥390。

Screenshot-2025_11_01-17_17_09c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.4㎞、13,350歩でした。

 今日の記事は、「一回完結」に変更しました。11月3日付けで「補遺編」を掲載します。

2025年10月13日 (月)

20251013JRさわやかウォーキング「桑名を満喫!! 東海道お手軽ウォーキング」へ(一回完結)

Img_5409c  昨日に引き続き、今日もまたJRさわやかウォーキングに出かけました。もっと若い頃は、土日に連チャンでJRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングに行っていましたが、最近はそういう勢いはなくなっています。しかし、今日のJRさわやかウォーキングは、地元・桑名での開催なのです。題して、「桑名を満喫!!東海道お手軽ウォーキング」。いつもの散歩コースに近いものなのですが、これは行かない手はありません(微笑)。今日は、よく晴れて真夏日が復活。最高気温は、正午前に記録した31.3℃。

Img_5414c 251013jwalkingkuwana こちらが配付されたコースマップ。右は、ネットのキョリ測というサイトで描いたルートマップ。マップ上は、約4.8㎞となっています。桑名駅をスタートし、浄土寺、六華苑、住吉神社、→七里の渡し→九華公園→桑名宗社(春日神社)、桑名市博物館、寺町通商店街(三八市))を経て、桑名駅にゴール。ご近所の方とご一緒させてもらったのですが、途中からは、「両手に花」でした(これは、今では、セクハラ用語かもしれませんが、他意はありませんので、ご容赦ください)。記事は、一回完結。訪ねた場所も、何度も取り上げていますので、概要のみを記しています。8時35分頃にスタート。

Img_5421c_20251013142401  見慣れ、歩き慣れたあたりをずっと歩いていきます。八間通あたりの風景です。

Img_5425c_20251013142401 Img_5429c_20251013142401  最初の立ち寄り先は、袖野山浄土寺。西山浄土宗。本多忠勝公の本廟がありますし、地蔵盆で売られる幽霊飴が知られています。

Img_5433c_20251013142401  こちらが、本多忠勝公の廟所。境内の北西の奥にあります。

Img_5439c_20251013142401  浄土寺から、諸戸氏庭園の前を通って、六華苑に向かいます。秋の特別公開は、10月25日(土)から12月7日(日)。紅葉がきれいです。

Img_5448c  六華苑。もとは、2代目諸戸清六邸(東諸戸邸)です。国の重要文化財・名勝。洋館とそれに連なる和館、複数の蔵などの建造物と池泉回遊式日本庭園を持ち、総面積は18,000平方メートル余に及びます。実業家の2代目諸戸清六の新居として、明治44(1911)年にジョサイア・コンドルの設計で着工し、大正2(1913)年に竣工。コンドルが設計した建物で、地方に残るのはここだけです。

 Img_5461c_20251013142301今日は天気がよく、建物がきれいに見えました。正面が洋館、向かって左に和館が続いているという、独特の建築様式。上記のように、池泉回遊式の日本庭園も見事です。

Img_5483c  続いて、住吉神社を経て、七里の渡し跡へ。このあたりは、いつもの散歩コースです。今日は、名古屋駅前の高層ビル群はもちろん、木曽御嶽山まで見えていました。

Img_5486c Img_5490c  立ち寄り先にはありませんでしたが、蟠龍(ばんりゅう)櫓にも登ってきました。2階が展望室になっているのです。蟠龍とは、地上にうずくまって、まだ昇天しない龍のこと。櫓の1階の屋根部分、揖斐川の方向に蟠龍が控えています(右の写真)。

Img_5497c_20251013142301 Img_5501c_20251013142301  九華公園の入り口、コミュニティパーク側に本多忠勝像があります。立坂神社が所有する「紙本淡彩 本多忠勝像」をもとにつくられています。九華公園は、ごく一部を通過したのみ。右の写真は、九華公園をご存じの方でもあまり意識してご覧になったことがないかも知れません。九華公園の扇橋西にあり、石に「九華公園」と刻まれています。

Img_5508c Img_5528c  中橋から桑名宗社へ。通称、春日神社あるいは春日さん。桑名神社(ご祭神は、天津彦根命(あまつひこねのみこと)と、天久々斯比乃命(あめのくぐしびめのみこと:桑名首(くわなおびと=上代桑名の豪族)の祖神))と、中臣神社(ご祭神は、天日別命(あめのひわけのみこと)。相殿神は、春日四柱神(かすがよはしらのかみ)、すなわち、建御雷神(たけみかずちのかみ)、斎主神(いわいぬしのかみ)、天児屋根命(あまのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ))の2社からなっています。リンク先に由緒があります。社は、2つの社が連続してます(右の写真)。

Img_5512c_20251013142301  ちなみに、珍しいものとして、青銅の鳥居のかたわらに「志るべ石」があります。正面には「志類べ以志」と刻まれています。「迷い子石」ともいわれ、人の大勢集まる所に立てられました。自分の子どもが迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子どもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもがいた場所などを貼ります。明治18(1885)年に東京の蘆田政吉氏が建立。同じものが多度大社の鳥居の横にもあるそうですが、私はそれはまだ確認していません。

Img_5535c  次に、桑名市博物館が立ち寄り先になっていますが、私は先日、「なんの花か咲く」展は見てきましたので(2025年10月10日:桑名市博物館で「なんの花か咲く-花のある風景-」展を見る)、パス。次の「桑名の豪商 諸戸家の至宝」展が楽しみです。

Img_5538c Img_5542c  最後は、寺町商店街三八市へ。私は、昨日、散財しましたので(2025年10月12日:20251012JRさわやかウォーキング「子供から大人まで楽しめる関ヶ原の歴史と自然を満喫しよう」へ(予告編))、見てきただけ。

Img_5557c_20251013142301  ゴール受付の桑名駅へ戻ります。11時25分頃到着。今日は、浄土寺、六華苑、蟠龍櫓などゆっくり見て回りましたので、ほぼ3時間かかっています。踏破ポイント、昨日で90ポイントになったと思っていたのですが、勘違い(苦笑)。今日で90ポイントでした。そういえば、「東海道お手軽ウォーキング」でしたが、七里の渡し跡と、博物館付近で東海道を歩いた(に触れた)くらいです。

Img_5548c  桑名駅東口では、障サ連チャリティーコラボイベントが行われていて、キッチンカーなども多数出展していましたが、これもパス。

Screenshot-2025_10_13-11_49_50c  本日のGoogle Fitのデータ。マップ上4.8㎞ですが、8.7㎞、14,995歩も歩いていました。立ち寄り先であちこち見て回ったためです。

2025年9月27日 (土)

20250923勝手にハイキング「巡礼道を行く」(その4)……千王神社、専称寺から伊勢街道との追分に到着し「完」

Junreimichi14  9月23日に行ってきた勝手にハイキング「巡礼道を行く」の本編その4です。その3では、詳しいルートマップその4の途中になりましたが、白郷稲荷神社、八雲神社を回り、菓心庵前田屋さんで白塚まんじゅうを買い、白塚町内で5ヶ所の寺を巡りました。今回は、まずは、ルートマップその4で残っている千王神社から。

Img_4445c Img_4454c  千王神社は、創立不詳ですが、持統天皇の伊勢行幸の際(持統6(692)年)に田を賜ったという伝説があります。また、慶長6(1601)年に、領主から社領1石を寄付されたといいます。明治41(1908)年。境内社などを合祀しています。

Img_4457c_20250925162201  写真のように参道は、なかなか気持ちのよい空間でした。

 Img_4465c主祭神は、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)。相殿神は、大山祇命倉稲魂命天照皇大神建速須佐之男命豊宇気毘売命天之菩卑命火雷命。この千王神社の祭礼行事(雨乞神事)では、巨大龍踊り(町屋百人衆)が奉納されます。巨大龍は、自作されたもので、日本一の長さを誇る全長55メートル(参道の長さ)の電飾が施してあり、龍の口からは炭酸ガスが吹き出します。毎年7月上旬に催されるこの巨大龍踊りは、伊勢街道を練り歩き、国道23号線で舞い踊ります(今年、テレビのニュースで見ました)。

Img_4500c  境内社には一目連神社があります。一目連は、ひとつめむらじとも呼ばれ、片目がつぶれた竜神です。江戸時代には、海難防止の祈願と、雨乞が盛んに行われました。洪水から難を防ぐ神でもあります。地元では水神さんと呼ばれているといいます。

Img_4492c  Img_4488cほかに境内にあったのは、「皇居遙拝所」(左の写真)、「神宮遙拝所」(右の写真)。神宮は、もちろん伊勢神宮。

 Img_4496c さらに、「畝傍山陵 橿原神宮 遙拝所」。ここは、神武天皇が主祭神ですから、これら畝傍山陵と、橿原神宮とを遙拝するところがあるのは、納得です。 

Junreimichi15  ここから、詳しいルートマップは、その5になります。専称寺を経て、いよいよ伊勢街道と合流します。ここは、津市栗屋町屋町。この追分が巡礼道歩きとしては、ゴールです。その後は、近鉄江戸橋駅に向かいます。途中、江戸橋を渡り、伊勢別街道と伊勢街道の追分にある常夜灯、道標を見ていきます。

 伊勢街道との追分の手前に、真宗大谷派の松林山専称寺。Img_4513c Img_4510cここも詳しいことは分かりません。ネット検索では、情報は得られませんでした。

Img_4524c  スタートから8㎞で、巡礼道は、伊勢街道に合流します。左の写真は、巡礼道から見た追分。ここには、常夜灯、名残の松、忠魂碑、道標があります。

Img_4562c  Img_4542c_20250925165301 この追分を南から撮った写真が左のもの。右の写真は、ここにある常夜燈。常夜燈は、高さ4.2m、笠の南面に「両宮常夜燈」、東面に「天保10(1839)年巳亥正月」と刻まれています。武州(武蔵国)の木綿業者が寄進したもので、西面に「武州 岩槻 木綿問屋中」と彫られています。当時の伊勢国は、木綿の産地として有名で、武蔵国の木綿問屋が伊勢にも来ていたのかもしれません。

Img_4529c_20250923192101 Img_4560c  こちらは、道標。道標には「右 白塚豊津道」、「左 上野 白子 神戸 四日市道」とあります。「青年會町屋支部」が建てたもの。道標の写真は、南から北向きに撮りましたので、「右 白塚豊津道」とある方が、巡礼道を示しています。忠魂碑の碑表はほとんど読めませんでした。碑陰の撰文をざっと読むと、数名の兵士の名前と、日清戦争(1894~95年)に従軍した旨が刻まれていました。明治35(1902)年5月に建立されていますので、日清戦争に参戦された方の忠魂碑と思われます。

Img_4571c  ここからは伊勢街道を歩きます。このあたりは、これまでに2回、歩いています(2021年9月12日:20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その1)……雨にも負けず、高田本山駅から巡礼道との追分、孟夏の常夜燈を経て、三重大学前へ、2019年9月7日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その2)……逆川神社、巡礼道との追分、孟夏の常夜灯から江戸橋へ)。

Img_4575c_20250925170001  追分のすぐ南には、「孟夏の常夜燈」があります。一身田中学校国児分校の西。かなり荒い彫りの山燈籠で、高さは約2.8m。正面に「両宮常夜燈」とあります。「嘉永四年辛亥孟夏 五穀成就」とあります(1851年)。飢饉が続いたあと、ようやく穀物が実った喜びの表現と思われます。ちなみに「孟夏」とは、初夏あるいは陰暦4月の異称だそうで、これが「孟夏の常夜燈」といわれる所以でしょう。

Img_4586c Img_4598c_20250923192501  孟夏の常夜燈の先で、国道23号線の三重大学前交差点に出ます。この交差点の東を入ると、三重大学のキャンパスが広がっています。伊勢街道は、江戸橋のところまで国道23号線と重なります。

Img_4579c  閑話休題。三重大学前交差点に出る手前に、サンドウィッチのおいしいパンリッチというパン屋さんがあったのですが、閉店していました。営業していれば、ここにも立ち寄って、パンやサンドウィッチを買おうと思っていたのに、残念至極。

Img_4604c Img_4637c  国道23号線から右(西)に逸れて行き、江戸橋を渡ります。志登茂川にかかっています。津にあるのに、なぜ江戸橋というのかというと、津藩主・藤堂氏が参勤交代で江戸に向かうとき、家臣などがこの橋のたもとまで見送りに来たことから江戸橋と名づけられたとされます。

Img_4612c Img_4640c_20250925171401  そのため、江戸橋には、この写真のような参勤交代のレリーフが飾られています。こちらの江戸橋は、市道に架かるもの(国道23号線の方は、新江戸橋)。平成31(2019)年の春、この新しい橋が完成しています。江戸橋を渡った先の信号交差点が、伊勢別街道と伊勢街道の追分です。ここには、常夜燈と、高田本山への道標が立っています。常夜燈は、安永6(1777)年に建立された、津市内最古の常夜燈です(津市指定文化財)。高田本山への道標には「左 高田本山道」と刻まれています。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。

Img_4662c  近鉄江戸橋駅。この近くにある某短大に、この3月まで非常勤講師として9年間通いましたので、懐かしい駅であり、慣れ親しんだ駅でもあります。ここまで9.4㎞+αを歩いて、11時45分頃に到着。

 Img_4675c江戸橋駅を12時2分に発車する名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、12時40分着。¥830。

Screenshot_20250923125943c  この日のGoogle Fitのデータ。約12㎞を歩いて、歩数は23,340でした。久しぶりによく歩きました。

250923145013133c  土産に買ってきた前田屋さんの白塚まんじゅう。白塚芋の旨さと、風味を活かしたまんじゅうです。きめ細かく、柔らかな生地の中に、黄金色をした芋餡がたっぷり入っています。素朴であっさりした味わい。いくらでも食べられそうでした。おいしいまんじゅうです。

 

 

2025年9月26日 (金)

20250923勝手にハイキング「巡礼道を行く」(その3)……白郷稲荷神社、白塚の八雲神社から白塚の町で寺巡り

Img_4094c_20250925140201  9月23日に行ってきた勝手にハイキング「巡礼道を行く」の本編その3です。その2では、巡礼道を歩いて、田中川を越え、中別保の八雲神社、松林寺、丹羽虎太郎顕彰碑、満願寺、西教寺、本昌寺、影重の八雲神社まで来ました。津市白塚町に来ています。冒頭の写真は、旧河芸町のマンホール蓋。町のマスコットキャラクター「河夢(カーム)ちゃん」と町章が描かれています。その2で触れた本昌寺の近くで撮影。

Junreimichi14  詳しいルートマップは、その4となります。近鉄白塚駅の南で、スタートから6㎞を過ぎます。そこに白郷稲荷神社。7㎞の手前に八雲神社、東海寺、信行寺、薩摩寺が集まっています。八雲神社を出たところで菓心庵前田屋に立ち寄って、土産をゲット。7㎞を過ぎて、巡礼道から少し離れたところにある長安寺と、万年寺に立ち寄り、続いて、千王神社へ。

Img_4258c  白郷稲荷神社Img_4187cです。主祭神は、倉稲魂命。昭和6(1931)年に京都の伏見稲荷大社から許可を得て、五社稲荷大神の神号を得たといいます。それなりに由緒はありそうな神社なのですが、ネット検索ではこれ以上の情報は出て来ません。境内には、摂社か、末社かよく分からないのですが、多数の社が並んでいます。中には朽ちかけた社もありましたし、笠木が落ちてしまった朱塗りの鳥居もあります。そもそも、一の鳥居からして、額束が落ちて、鳥居脇に置いてあったくらいです。境内には、「○○明神」「○○大神」「○○大明神」と刻まれた石も多数並んでいます。

Img_4283c Img_4296c  7㎞の手前で、巡礼道の東に八雲神社があります。創建、由緒ともに不詳ですが、天正時代(1573~1592年)以前と伝わっています。社伝によれば、往古は、大梵天王(だいぼんてんのう)と称し、村名は古里(ふるさと)と呼ばれていました。かつて高波に襲われ、村人は船で避難しましたが、潮が引いて戻ってみると、村は白い砂浜に変わってしまっていたものの、神社だけは難を逃れたので、もとの地に戻って復興を果たし、村名を白塚に改めたといいます。その後、置之(おきの)神社と呼ばれたこともありましたが、明治になって須佐之男命を祀る八雲神社に変更されています。

 Img_4321c Img_4326c 主祭神は、須佐之男命。相殿神は、木花佐久耶姫命事代主命彦火火出見命猿田比古命大山津見命大日孁貴命伊邪那美命蛭子命大宮姫命大田神金山彦命大国主命市杵島姫命稲倉魂命足名椎命、手名椎命。拝殿は垣に囲まれ、左の写真のような門があります。

Img_4292c_20250925142801 Img_4316c_20250925142901  境内社には、明治の神社合祀令によって村内から移った霞浦(かすみがうら)神社と、菅原神社とがあります。

Img_4309c  毎年、例祭日の夜には、「やぶねり」神事が行われます。これは、祭神の須佐之男命が退治した八岐大蛇をまねた青竹を束ねて作った「やぶ」をかついで町中を 練り歩き、悪病退散などを願うエネルギッシュな行事だそうです。また、江戸時代中期に伝わったとされる厄除けの獅子舞神事もあるといいます(白塚獅子舞)。獅子舞は、毎年3月の初午祭の前後3日間に、町内西町地区の若者によって演じられ、厄歳に関係する氏子の家々を中心に門舞を斎行し、厄除けのご神札を授けます。

 Img_4332c境内には、「畝傍山陵 橿原神宮 遙拝所」があります。畝傍山陵は神武天皇の陵墓であり、橿原神宮は神武天皇が創建しています。しかし、ご祭神に神武天皇はありませんし、由緒にも神武天皇は関わっていません。それなのに、なぜこの遙拝所があるのでしょうか? 

Img_4305c_20250925142901 Img_4296c  このほか、「征清祈念碑」と、「明治三十七八年 戦没祈念碑」があります。征清祈念碑には、日清戦争従軍者のお名前が刻まれており、明治30(1897)年7月の建立。明治三十七八年戦没祈念碑は、日露戦争の戦没者を記念するものでしょう。こちらは碑蔭を見るのを失念。

Img_4340c  八雲神社の南にある駐車場の一画にも、「慰霊塚」がありました。碑蔭には、戦没者として多数の方のお名前がありましたので、こちらは太平洋戦争のものではないかと思います。

Img_4356c Img_4353c_20250923191201  八雲神社のすぐ南に「菓心庵 前田屋」さんがあります。事前にこの巡礼道を調べていたとき、ここの白塚まんじゅうが名物だと知り、ぜひとも買って帰ろうと思っていたのです。月曜・火曜が定休日となっていたのですが、お彼岸だからやっているだろうと見込んでいたら、大正解。芋餡のまんじゅう。1個¥135(税込み)を8個買ってきました。

Img_4369c_20250925153801 Img_4377c_20250925153801 お土産も無事に入手しましたので、このあたりでお寺巡り。ただし、5ヶ所のお寺ともに、詳しい情報が得られていません。まずは、真宗高田派の鷲峰山薩摩寺。無住なのか、境内はちょっと荒れていました。

Img_4383c Img_4396c_20250925153801  続いて、同じく真宗高田派の西光山東海寺。

Img_4406c  さらに、こちらも真宗高田派の信行寺。500年以上前の創建だそうです。本堂は、江戸時代中期に築かれたものを平成27(2015)年に改修しています。山門の写真も撮ったのですが、ピンボケ(苦笑)。それにしても、高田本山専修寺に近いとはいえ、高田派のお寺が3軒も隣り合ってあるとは、ちょっと驚きでした。

Img_4423c Img_4427c_20250925154901  巡礼道の西側にもお寺がありますので、そちらにも回ってきました。まずは、真宗高田派の松樹山長安寺。ここも詳細は不明。

 Img_4431c Img_4436c 長安寺の南に真宗高田派の万年寺(ばんねんじ)。ここも詳しいことは分からなかったのですが、白塚愛児園を営んでおられるようでした。

 詳しいルートマップその4の途中ですが、この先を書くと長くなりますので、その3はここまでとします。本編その4は、千王神社から。

2025年9月25日 (木)

20250923勝手にハイキング「巡礼道を行く」(その2)……田中川を越え、中別保の八雲神社、松林寺、丹羽虎太郎顕彰碑、満願寺、西教寺、本昌寺、影重の八雲神社へ

Img_3845c_20250924150101  9月23日に行ってきた、勝手にハイキング「巡礼道を行く」本編その2です。その1では、近鉄千里駅をスタートし、甕釜冠地蔵堂、信光寺、尾前神社、正法寺と歩いて、田中川を汐見橋で渡りました。汐見橋を渡ってすぐがスタートから2㎞。ここから1㎞ほどは立ち寄るところはありません。田中川に行き当たるまでは、細い、田舎道でしたが、汐見橋から先は、住宅地になっていて、道もよくなっています。

Junreimichi12  こちらが詳しいルートマップその2。スタートから3㎞のところで西にある八雲神社へ。八雲神社はたくさんあり、ここは中別保の八雲神社。その先で松林寺。豊津小学校の脇に豊川稲荷神社があります。4㎞を過ぎると、万願寺、西教寺と、影重の八雲神社。

Img_3857c_20250924155201   Img_3861c 巡礼道沿いに中別保の八雲神社の一の鳥居があります。ここの鳥居は、背が低くて、太い感じがします。神社はこの鳥居から200mあまり先のこんもりした森のところ。故老の言によると、「天正年間(1573~1592年)に、尾張方面から上野城主であった織田氏を慕って来た野島精次郎なる者が領主となって、牛頭天王を勧請したのが当社の創始である」といいます。織田信包が上野に城(伊勢上野城)を築いたのが元亀元(1570)年、その4年後に天正が始まることから考え合わせると、天正年間の創建は間違いないとされています。牛頭天王は、須佐之男命。勧請したもとは、津島神社と考えられます。

Img_3887c_20250924155201 Img_3892c_20250924155201  主祭神は、須佐之男命。相殿神は、倉稲魂命

Img_3872c_20250924161401  境内社には、山神社がありました。

Img_3908c_20250924155201 Img_3904c_20250924155201  八雲神社から巡礼道に戻って少し行くと、大きな松が見えてきます。旧河芸町(現在は、津市に合併)の保存樹木第1号に指定されていた木です。

Img_3912c_20250924155201 Img_3921c_20250924155201  この松があるのが、松林寺。真宗大谷派。ここもネット検索では特に情報はヒットしません。

Img_3938c_20250924155201  松林寺の先に大きな顕彰碑が建っていました。丹羽虎太郎顕彰碑です。丹羽虎太郎という人は、戦前の河芸の漁業組合長。当時、河芸漁港は、イワシや小女子(こうなご)の水揚げ量が全国トップだったこともあったといいます。イワシを獲るのに「巾着網漁」という、長い網で囲い込む漁法を用いていたのですが、無制限にすると魚をすべて獲ってしまいますから、各村の漁業組合長を集め、漁獲量の調整を行い、水産資源を残しつつ、漁を続ける方法を模索した方だそうです。ちなみに、誰の筆かを見て驚きました。「若槻禮次郎筆」とあったのです。若槻礼次郎といえば、大正15(1926)年、総理大臣になった政治家。あちこちを歩いて、昔の顕彰碑をたくさん見てきましたが、その多くが、高名な政治家や、著名な軍人に依頼して書いてあります。

Img_3956cImg_3964c 津市立豊津小学校の東に豊川稲荷神社。ここの詳細は分かりませんが、鳥居脇に建っていた「豊川吒枳尼(だきに)真天分霊」と刻まれた石柱には、「昭和6(1931)年3月吉日」とありました。

Img_3996 Img_4004  スタートから4.2㎞ほどのところにお寺が2つ並んでいます。まずは、真宗高田派の光明山満願寺。ここもネットでは、これという情報は出て来ませんが、珍しかったのは、塀が煉瓦製ということ。煉瓦塀のお寺というのは、初めて見た気がします。

Img_4014 Img_4022  その南にあるのが、真宗大谷派の西教寺。ここも残念ながら特に情報は出て来ませんでした。このあと、大チョンボ(苦笑)。この2つのお寺の西にも八雲神社(一色の八雲神社)があるのですが、コースマップを作るとき、キョリ測のメニューに隠れていて見落としたのです(苦笑)。ただ、この一色の八雲神社は、6年前の近鉄ハイキングで訪ねていました(2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。そのときにはお祓いまで受けています。一色の八雲神社には、「ざるやぶり神事」が伝わっています。

Junreimichi13  この先、詳しいルートマップは、その3に入ります。4.5㎞あたり、里山学院のところに本昌寺。そこを西に入ったところに、影重の八雲神社があります。5.5㎞地点には、稲荷神社・山の神。

Img_4037c  恭敬山本昌寺は、天台真盛宗のお寺。境内には、神社もあります。周囲を里山学院の施設が取り囲んでいます。

Img_4045c_20250924165701 Img_4050c  まずは、神社。両側に立つ石柱には「白毛大明神」「御追号影繁大明神」とあります。「大明神」とは、 神号の1つで、神名の下につけ、明神をさらに尊んでいう称です。「明神」は、神の尊称。神仏習合説による、仏教側からの神祇のいい方。向かって左にある石柱の右側には、「里山伊奈利大明神」とありますから、もとはお稲荷さんかと思えます。鳥居も朱塗りですし。向かって右の石柱の左側には「漁事万足海上安穏」とありますから、豊漁と、漁業の安全を祈る文言のように考えられます。

Img_4071c Img_4067c  こちらが本昌寺の本堂と思われます。里山学院の法人情報を見ますと、里山学院の創設に天台真盛宗の寺院、僧侶が関わっているようです。その関係で本昌寺と里山学院が一体となったような配置になっているのでしょう。本昌寺については、詳しいことはネット検索では分かりません。

Img_4098c_20250924171701 Img_4115c_20250924171701  本昌寺から西に行ったところにも八雲神社。ここは、影重の八雲神社。ご祭神は、天穂日之命天兒屋根命建速須佐之男命

 Img_4119c 境内社には、山神社がありました。

Img_4103c この神社には、写真のような案内がありました。このあたりでは、「影重の名犬」という物語が伝わっています。「影重の名犬」とは、ここ河芸町影重(現在の三重県津市河芸町)で優れた猟犬を得たと伝えられる伝説で、その犬が後に義犬として語り継がれているのです。この一帯を治めていた長野氏の家臣で、鹿間という侍が、影重で犬を手に入れました。鹿間は、狩が好きで犬を連れてよく狩をしていたのですが、あるとき、夢のお告げで名犬を手に入れ、その犬を連れて山に入りました。この犬の働きで獲物を多く捕ったその帰り道、犬が激しく吠えたてて鹿間の行く手を阻みます。怒った鹿間が刀で犬の首を刎ねると、犬の首は宙を飛び、木の上から鹿間を狙っていた大蛇の喉に噛みついたといいます。名犬のおかげで命拾いをした鹿間は、その行いを悔いて、犬の首を埋めて地蔵堂を建てたとされており、それが、「影重の名犬」として伝わっているのです。神社では、この掲示にあるように、人、個人家族(犬)とともに参拝を促しています。

 Img_4155c_20250924171301 Img_4164c さらに歩き続け、スタートから約5.5㎞のところ、巡礼道の傍らに、小さな木製の常夜灯があります。ここの藪の奥に、稲荷神社と山の神が祀られています。といっても、祠は傾いてしまっており、世話が行き届いていない感じ。ここも詳しいことは分かりませんが、祠の左手にあった賽銭箱に個人名が書かれていましたので、個人で祀ったものなのかという気がします。このあたりは、津市白塚町。その2はここまで。

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  • 平凡社: 街道アトラス

    平凡社: 街道アトラス
    旧街道に興味があります。ただし、あまりあちこちの街道を歩いたわけではありません。この本では、東海道と中山道は各宿場も紹介されるなど、詳しく載っていますが、その他の街道はダイジェスト。いわば、旧街道のカタログ本といったところ。現代の道と比べたり、旧街道がどのようにつながっていたかを知るにはよい本です。ただし、この本だけを頼りに旧街道を歩くことは、ほぼ不可能でしょう。 (★★★)

  • 保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)

    保阪正康: なぜ日本人は間違えたのか―真説・昭和100年と戦後80年―(新潮新書)
    今年は、昭和100年であり、戦後80年でもあるということで、新聞などでも特集記事が掲載されています。太平洋戦争は、日本という国を滅亡の一歩手前まで追い込みました。昭和という時代もそれが終わってから35年以上経ちますから、これからは歴史として語られるようになっていくはずです。この本は、二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇など、時代を大きく変えた8つの事象を取り上げ、当事者たちの感情や思惑排して見つめ直すことを通して、これまでの通説、定説とは異なるそれらの真相を浮かび上がらせようとしています。読後感としては、私なども、何となくそうなのかと思っていたことがひっくり返されたような感じを抱いています。目的と手段を取り違えている、事実や科学的知見から目をそらしている、希望的観測を事実と思い込む、妙な精神論に陥るなど、今も続く認知、思考は、太平洋戦争のときの軍指導者から始まっているのかも知れません。いろいろな意味で「戦後」という概念については、根本的に再検討が必要ですし、日清戦争から太平洋戦争に至る数十年の戦争の時代は、何に由来し、そこから何を学ぶか、よくよく考えてみる必要があると思いました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)

    保阪 正康: 保阪正康と昭和史を学ぼう (文春新書)
    保阪正康さんは、一貫して近現代史を検証し続け、5,000人もの歴史の証人を取材してきています。この本は、月刊『文藝春秋』に掲載されたものから15編を選んでまとめられています。読み応えがあるのに、分かりやすい内容で、昭和史の証人として瀬島龍三、後藤田正晴などインタビューが、また、昭和の戦争7つの謎として無謀な開戦を決意した理由などが載せられています。その後、あの戦争と昭和史を語ろうということで、半藤一利さんなどとの対談が載っています。最後に、歴史をどう引き継ぐかということで、講演録があります。この講演では、江戸時代まで遡らなければ日本人は理解できない、江戸時代の260年を通じて、戦争をしなかったという事実から教訓、知恵を学ぶ必要があるなど、江戸時代に築かれた財産をもう一度取り戻すことの重要性が語られています。明治維新という、薩長の下級武士の暴力革命を経て、帝国主義国家が作られていく過程で、江戸自在の財産は放棄されたと著者はいいます。知識、技術は学び、取り入れたのに、哲学までには思いが至らなかったため、そうなっています。また、もう一つ、著者が強調するのは、天皇制の捉え方、論じ方です。天皇制は、本質的に戦争を嫌う制度だと著者はとらえています。これは、私には目から鱗の見方でした。さらに、天皇は何らかの形で京都にお住まいになって、政治の中心は東京にあってという江戸時代の知恵をもう一度取り戻すのもよいという提案は、真摯に検討する価値があると思います。 (★★★★★)

  • 芝村 裕吏: 関数電卓がすごい (ハヤカワ新書)

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    関数電卓は持っていますし、その昔は、プログラム電卓で平均値、標準偏差などの計算をする簡単なプログラムを組んで使っていたこともあります。タイトルに惹かれて買ったのですが、ウ~ン、期待はずれでした。計算例が平方根以外にはほとんどありませんでした。関数電卓を片手に、その使い方や、どのような応用ができるかを知りたいと思ったのですが、そういう内容はあまりなくて残念でした。ただこの本を読んでよかったのは、数学の力と計算力とは別物であることが分かったこと。また、計算については、関数電卓などを駆使すればよいということでした。私自身、数学には自信がないのですが、「エェ!?、そうだったっけ?」と思う内容もありました(つまり、間違っているんじゃないの、と思える内容)。 (★)

  • 今尾 恵介: 地名散歩 地図に隠された歴史をたどる (角川新書)

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    地名の由来については興味がありますから、この本を手に取ったのですが、読み始めたものの、すぐに「放置」していました。テーマごとに、それに関連する地名が列挙され、その由来について多少の説明(蘊蓄?)が書かれているのですが、列挙されている(例示されている)地名が煩雑で、読むのが面倒になってしまったのです。「地名マニア」の方であれば、これくらい何のそので読み進めたのでしょうが、私にはちょっと難行でした。2年くらい経って、気を取り直して、少々無理矢理に読み進めました。が、「不思議な名称には物語がある」という、帯の謳い文句には、いささか無理があるかなという気がします。物語というのであれば、個々の地名についてもうすこし物語って欲しい気がするのです。ただし、以上は、極めて個人的な感想です。 (★★)

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  • 本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)

    本郷 和人: 東大生に教える日本史 (文春新書)
    別に「東大生に教える」でなくてもよいのですが、この本の元になったのが、東京大学教養学部の学生たちに「暗記不要、歴史を考えるおもしろさを伝えたい」ということで行った連続講義ですから、そういうタイトルになっています。歴史、とくに高校時代に学んだ歴史は、やはり暗記科目でした。あれから50年以上経った今でも、そこから抜けきっていない気がします。そういう意味では暗記ではなく、時代を動かす原動力は何か、誰が時代を変えていくのかという視点から歴史を見て、考えるのは、新鮮です。史実は変わりませんが、それを材料に、自分の視点から、自分の見方で論理を組み立て、自分なりの歴史像を造ってみることを愉しめばよいという著者の考え方をしっかりと身につけられたらよいなというのが、読後感です。 (★★★★★)

  • 木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)

    木村幹: 国立大学教授のお仕事 ――とある部局長のホンネ (ちくま新書)
    未だにこういう本を手にするということは、過去の仕事に未練があるのか、と思われそうです。確かに、健康問題がためとはいえ、定年のはるか前にリタイアせざるを得ませんでしたので、未練がまったくないとはいえません。部局長になったことはありませんでしたが、副学部長に相当する立場や、大学の評議員、セクハラマニュアル作成や、セクハラ実態調査を実施する責任者にはなりました。故に、1つの部局内だけではなく、全学的な立場での仕事も経験しました。ごく小さな研究会の会長をしたこともありますし、いくつかの学会で査読委員も依頼されたこともあります。自慢を書いているのではなく、この本の著者の経験と似たような経験もしてきたということです。世間でもたれている大学の教員のイメージは、著者が書いておられるように、実態に即したものというより、先入観がかなり先行したものと思います。現実には、多岐にわたり、大量の仕事、それも本来の業務である教育研究以外の仕事が占める比率が、年々高まっています。われわれが学生だった頃は、まさに古き良き時代でした。独法化されて以降は、教員受難時代といえるかも知れません。日本人は、大学に限らず、小中校ともに、教員に過剰に期待し、酷使していると私は考えています。専門性を尊重し、それが発揮できるような環境条件を整えてこそ、国も民も栄えるような気がします。大学の教員がどのような人達で、どのように働いているかを理解するには、好著と思います。 (★★★★)

  • デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]

    デジタルカメラマガジン編集部: デジタルカメラマガジン 2025年5月号[雑誌]
    ブロ友さんから教えていただきました。昔は、書店でよく立ち読みしていた雑誌です。2025年5月号の特集は、「野鳥撮影超入門ガイド」。内容はもちろん参考になることがたくさんありますが、載っている野鳥の写真がどれもきれいで、驚くくらい。これを眺めているだけでも楽しめるかも知れません。これで¥1,200なら、安い買い物といえるでしょう。 (★★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)