お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

神社

2024年9月15日 (日)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」

 9月11日に行って来た、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコース「久居(ひさい)散策」の本編その2です。その1では、久居駅をスタートし、寺町あたりで寺社を巡ってから、子午の鐘・木槿塚までやってきました。このその2では、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、高通児童公園、伊勢自動車道をくぐって戸木地区を回ってから、賢明寺、本念寺などへと続きます。

Img_4374c_20240915133101  子午の鐘・木槿塚を西に出たところに、「幸町(さやまち)御門跡」という案内がありました。初代藩主・藤堂高通は、藩主御殿と武家屋敷の周りを堤や土構で囲み、城外の、万町、幸町、旅篭町、本町、ニノ町(奈良街道筋)には町人を住まわせています。ここは、武家屋敷と町屋を結ぶ御門があったところ。

Hisai2  こちらは、実際に歩いてきたルートマップその2。誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けます。江戸時代には、武家屋敷があったところです。久居中学の西に隣接して、高通(たかみち)児童公園があります。その後は、伊勢自動車道を潜り、戸木(へき)地区を廻り、再び伊勢自動車道を越えます。

Img_4421c_20240911165401  高津藩主藤堂高虎の孫高通が、宗家から分かれて久居藩を立てたのですが、その藩主御殿跡がこの高通児童公園になっています。隣にある久居中学校の敷地までが久居陣屋だったそうです。津2代藩主・藤堂高次が隠居するとき(寛文9(1669)年)、津藩領32万3950石のうち、5万石を弟の高通に分けて、久居藩がつくられています。翌年から陣屋や城下町を建設し、寛文11(1671)年に高通が入府しました。「永久に鎮居する」という意味で、「久居」と名づけています。陣屋の遺構はありませんが、陣屋御殿跡と開府の碑などがあります。こちらに久居350年の歴史についての説明があります。左の写真は、「御殿山記念碑」。久居藩初代藩主高通公の久居入府250年を記念して大正10(1921)年に建てられた「御殿山の記念碑」があります。石碑は、本体だけで高さ4mを超える大きなもので、歴代の久居藩主の功績をたたえる碑文が彫られています。高通の入府250年を記念して、大正10(1921)年に建てられています。

Img_4425c_20240915134401  御殿山記念碑に向かって左手には、「高通公生誕三百五十年記念句碑」が立っています。平成6(1994)年の建立。高通は、文教藩学をすすめ、俳人としても秀れていて、任口(にんこう)と号しています。句碑には、「躬(み)やことし高野にからば花の春 任口」と彫られています。また、説明板には、「町生まる世も斯く湧けり雲の峰 及道」「伊勢路より伊賀路に入りて句碑のどか 芳泉」の句が添えられていました。

Img_4438c_20240915135101  こちらは、昭和3(1928)年に建てられた「玉井丈次郎先生彰徳碑」。玉井丈次郎(たまいじょうじろう)は、明治41(1908)年、津~久居間の軽便鉄道の開通に重要な役割を果たし、また陸軍第三師団が三重県に部隊を置く際には、連隊の誘致に乗り出し、歩兵第51連隊の招致を成功させるなど、久居の町の発展に著しく貢献をした人物で、碑文には、その功績が記されています。

Img_4410c_20240915135501  また、昭和8(1933)年に建てられた久居町と本村の合併記念碑も公園内に立っています。明治22(1889)年、市制・町村制の施行により、久居は町制を施行しています。そのとき、東鷹跡町に役場を置きました。一方、本村(もとむら)は、小戸木村(こへきむら)と合併し、本村(もとむら)と称しています。久井町と本村は、人家が続いて市街を形成していて、近隣同士で生活を助けあう関係にあったといいます。また、陸軍用地が両町村にまたがっていたこともあり、経済的にも密接なつながりがありました。このようなことから、昭和6(1931)年に無条件で合併したのです。

Img_4450c_20240915140101 Img_4542c  このあとは伊勢自動車道の下をくぐって戸木地区へ。戸木小学校のところを通り、遠くに青山高原などを眺めながら、暑い中、ひたすら2㎞以上を歩きます。

Img_4535c_20240911174101 Img_4505c_20240915140401  このような水田地帯が続きます。春や秋でしたら、さぞ気持ちがよいのでしょうが、この日は最高気温32.3℃とかなり暑く、結構大変でした。

Hisai3  この先、ルートマップはその3へ。賢明寺、本念寺、川併神社へと進みます。

Img_4599c_20240911165501 Img_4611c_20240915140701  再び伊勢自動車道をくぐって、青龍山千手院賢明寺(けんみょうじ)へ。天台宗。「ひさいの観音さん」と親しまれているそうです。比叡山延暦寺の末寺に属し、創建は奈良時代の天平年間(730年ごろ)で、聖武天皇の勅願により、行基によって開かれたと伝えられています。南北朝時代に兵火を被りましたが、北畠氏が再建し、以来北畠氏代々の祈願所となっています。その後、織田信長の軍勢により焼失したものの、江戸期に入り寛永年間(1630年ごろ)に再興されました。仁王門(市文化財)は、貞享元(1684)年のもので、大変立派でした。

Img_4608c_20240915140701 Img_4655c_20240911165501  久居藩初代藩主高通公も深く本尊に帰依し、貞享2(1685)年に銅灯籠を寄進しています(市文化財)。また、このお寺には、鎌倉時代(弘安8(1285)年)の石造板五輪塔(県文化財)があります。鎌倉中期の代表的な五輪塔で、石を組み合わせたものではなく、花崗岩の板状の一石を五輪塔に刻んだものです。この石造板五輪塔は、東大寺大仏殿を再建した重源上人(ちょうげんしょうにん)の母の三十三回忌供養のために建立されたものと伝えられています。三重県下最古のもので、三重県の指定文化財にもなっています。

Img_4670c_20240911165501 Img_4674c_20240915141401  賢明寺の近くに受福山本念寺。真宗高田派。天正年間(1573~1592年)の創建。もとは真言宗でした。

Img_4736c_20240915141901 Img_4697c_20240911165501  本念寺から東に川併(かわい)神社式内社。ご祭神は、天忍穂耳命ほか9座(詳細は、上野リンク先をご覧ください)。創始は明らかではありませんが、平安時代以前と考えられ地升。戦国時代、荒廃していましたが、久居藩が建てられる前は、地名にちなんで「野辺惣社」と称し、村域の氏神でした。寛永2(1625)年、本殿が造立され、同7(1632)年には山城国宇治郡木幡神社より八王子を勧請して配祀されています。元禄4(1691)年に社殿が造立され、久居藩主参列のもと盛大な完成式典が斎行されたといいます。

Img_4707cc  神社の説明板によれば、本殿は、この地方には稀な、古風な「一間社春日造(いっけんやしろかすがづくり)」の様式を伝えているそうです。「一間」というのは、井桁の土台の上に4本の丸柱を立てた平面が、方一間であるからです。「方」は正方形の一辺の長さを意味します。要するに、正方形の井桁の形に、四つの柱を立てたものの上に床や屋根を乗せています。「春日造」は、春日神社本殿の形式であるということ。塀の隙間から写真を撮ってきました。なお、久居にある神社については、「久居浄化案内人の会」がこちらにまとめておられます。

Img_4716c_20240915141901  ほかに境内には、神宮遙拝所もあります。

Img_4754c_20240911165501 Img_4401c_20240915143901  川併神社から北東に向かいます。途中、このような古い町屋も残っています。この家は、奈良道に沿ったところに建っていました。奈良道とは、月本追分で伊勢街道から分かれ、雲出川を遡り、久居の町から戸木、羽野、塩見阪、稲葉をへて五百野(津市美里町五百野)で伊賀街道と合流します。「伊賀越えならみち」「奈良道」と呼ばれ、古くから開けたルートでしたが、藤堂高虎が津へ入城すると、津と上野間の往来が激しくなり、明治10(1877)年には津から上野までが「伊賀街道」となり、奈良道の名称は月本~久居~五百野の間だけ残ることになっています。「奈良道」は、2018年12月23日の近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」で、別のところを少しだけ歩いています(2018年12月26日:20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ(その2)……宝樹寺から奈良道を通って、八柱神社に立ち寄り、栄松寺へ)。そういえば、街のあちこちに、奈良道などを案内する石柱が立てられていました。

Img_4761c_20240915145401 Img_4779c_20240911170301  さて、久居駅にほど近いところに寂陽山法苑院妙華寺。真宗高田派。天和元(1681)年の創建。藤堂家の姻戚寺院だそうです。本堂は、国の有形登録文化財。

Img_4804c Img_4826c_20240915145801  妙華寺の東に霊雲山玉セン寺。天台真誠宗。山門は武家の屋敷門の形式。久居藩の菩提所として初代藩主高通公から境内地が与えられ、延宝7(1679)年に創建されました。文政4(1821)年の「久居焼け」といわれる大火により焼失しましたが翌年に再建、また明治36(1903)年に再び焼失し、現在の本堂は大正3(1914)年に再建されたものです。今も鐘堂に大火の跡が残されています。本堂には市の文化財である藩主の木像(初代藩主高通公の像、2代藩主高堅公の像)が納められているそうです。

Img_4830c_20240911170401  久居藩主2代高堅(たかかた)、3代高陣(たかのぶ)の墓所があり、それぞれの大五輪塔があります。この写真がそれと思います。 

Img_4823c_20240911175801  当初は、玉泉寺といったのですが、2代藩主高堅のときに高虎の官名「和泉守」に差し障るという理由で改名しています。正しい文字は、左の写真のとおりです(パソコンでは変換できませんでした。ATOKの手書き入力でも不可能)。これで目的地はコンプリート。なお、久居にあるお寺については、「久居城下案内人の会」が解説をWebにあげておられます(こちら)。

Hisai4 Img_4840c_20240911170401  ゴールは、スタートした久居駅。11時10分に戻ってきました。2時間40分かかっています。蒸し暑かったため、全身汗びっしょり。歩いた距離は、Google Fitでは8.1㎞(実家に戻った時点で)。スマホの「からだメイト」では、11.8㎞になっていましたが、これは過大評価でしょう。11時16分に実家方面へ行くバスがあり、それに乗って12時前には実家に帰宅。

Screenshot_20240911112503c Screenshot_20240911112512c  今日歩いたコースは、初めに書きましたように近鉄あみま俱楽部のハイキングコース。アプリ対応コースでしたので、 左の画像のように、久居駅、子午の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉セン寺でデジタルスタンプをゲット。また、右の画像(左上)のように踏破賞ももらいました。

2024年9月13日 (金)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る

Img_4077c_20240911165201  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、9月11日は暑かったものの、ハイキングへ。津のアメダスでは、最高気温は32.3℃。湿度も高く、蒸し暑い日でした。そういえば、ウォーキング/ハイキングは、6月8日に斎宮へ花菖蒲を見に行って以来です(2024年6月8日:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結))。今日は、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコースから「久居(ひさい)散策」を選びました。近鉄名古屋線久居駅がスタート&ゴールで、約7㎞。久しぶりに歩くには、ちょうど良い距離。今日の記事は、予告編。

Hisai0  実家からは三重交通のバスで久居駅へ。約30分、¥580。左の画像は、この日歩いたコース。主な立ち寄り先は、子午(とき)の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉せん寺。アプリ対応コースですので、これらのチェックポイントでチェックインすると、デジタルスタンプがもらえ、すべてそろえると踏破賞のデジタルスタンプが1個いただけます。8時半に久居駅前をスタート。

Hisai1  こちらは、詳しいルートマップその1。久居駅をスタートし、久居寺町にあるお寺をまずは巡って、その後、久居八幡宮へ足を伸ばし、再び寺町に戻り、超然寺から子午の鐘・木槿塚へ。

Img_4119c_20240911165201 Img_4115c_20240912162901  久居駅からすぐ西に永昌山本妙寺。日蓮宗。延宝5(1677)年の創建。開山は、本妙院日厳聖人(津・仏眼寺第十五世)。久居藩初代藩主・藤堂高通(たかみち)が寺領1,500坪を与えました。

Img_4128c_20240911165201 Img_4124c_20240912163301  続いて、本妙寺のすぐ西にあるのが万松山専淋寺。真宗本願寺派。元禄元(1688)年、津の大門にある専淋寺から分寺。

Img_4158c_20240911165301 Img_4137c_20240912163601  このあたりは久居の寺町。専淋寺の西に曹洞宗の龍沢山天心寺。残念ながら、雑草が生い茂ってしまっていました。寛文10(1670)年の創建。

Img_4151c_20240912163601  馬頭観音立像があるということでしたが、よく分かりませんでした。このお堂かと思ったのですが、内部にはさらに厨子があり、何が祀られているかは不明。

Img_4161c_20240911165301 Img_4173c_20240912164001  寺町交差点を渡ったところに見性寺。曹洞宗。寛文2(1662)年、初代藩主・藤堂高通の筆頭家老・藤堂源助(高虎の甥、2,000石)が開府2年前に伊賀上野から来る途中、長野峠で和尚に会い、寺を開くことになったといいます。

Img_4177c  境内には、藤堂源助一族の墓所がありました。ほかにも多数の藩士の墓があるそうです。

Img_4190c_20240912164201 Img_4197c_20240911165301  寺町交差点の南西に見上山(けんしょうざん)光月院天然寺(てんねんじ)。浄土宗。寛文11(1671)年の創建。久居藩初代藩主・藤堂高通が、津の天然寺五世聖誉(しょうよ)上人に帰依しており、分封の時に建立し、寄進しています。久居藩主の藤堂高通は俳諧を好み、たびたび城内で句会を開催していたようで、ある観月の宴の席で、藩主が夜空に輝く月を見て「見上ぐれば 月も今宵は 天然寺」と詠んだそうです。その日同席していた天然寺二世本誉上人が、その句を山号と院号に頂戴したいと願い出たところ、これが許され、「見上山 光月院 天然寺」と称するようになったといいます。山門に向かって右に、この句を刻んだ天然石の碑があります(左の写真で丸くみえるのがそれ。昭和48(1973)年の建立)。

Img_4194c_20240912164901 Img_4201c_20240912165001  山門は、文化5(1808)年に上棟再建されたものを、平成2(1990)年に大修理を施したものだそうです。文化4(1832)年の久居大火のとき、この山門だけが焼けませんでした。梵鐘と鐘楼は、貞享4(1687)年に製作建立されたのですが、久居大火で鐘楼を焼失し、翌文政5(1808)年にによって再建されました。鐘楼はさらに、昭和34(1959)年、改築されていますが、梵鐘は久居大火によって少しひびが入っているものの製作当時のものだそうです。第2次大戦中、一度は供出されたものの、制作年代が貞享4年と古いことから戻され、今日に至っているといいます。

Img_4279c_20240911165301  久居八幡宮。主祭神は、品陀和気命。相殿神は、11座(煩雑になりますので、割愛します。詳細は、こちらを参照してください)。久居藩ができるとき、領内小戸木にあった八幡宮を御殿の艮(うしとら)の方角に鬼門除けとして遷し、久居の総守護としました。明治の合祀令により、近在の21社を合祀し、野辺野(のべの)神社と改称しましたが、令和2(2020)年に久居八幡宮に復しています。

Img_4242c_20240913144201 Img_4259c_20240913144301  ご神木と思いますが、立派な大木。右の写真に写っているのは、「在士の藤(ざいじのふじ)」といい、久居藩を治めた藤堂家の出身地である滋賀県甲良町に鎮座する在士八幡神社から株分けされたものだそうです。藤堂家始祖の三河守景盛が応永年間に京都の石清水八幡宮から近江国犬上郡藤堂村(現滋賀県甲良町)に八幡大神を勧請したとき、男山から柴藤一枝を持ち帰り、子孫繁栄を願って神社の庭に植えたものです。

Img_4225c_20240913144201 Img_4246c_20240913144201  境内には、天満宮や、稲荷社も祀られています。

Img_4232c_20240913144201  また、皇居遙拝所と、神宮遙拝所もあり、境内も広く、立派な神社でした。さすがに久居の総守護というだけのことはあります。

Img_4307c_20240913145501 Img_4320c_20240911165401  久居八幡宮から寺町交差点に戻り、西へ。一本松交差点の手前に浄土宗の超然寺。元和3(1683)年、伊賀上野代超寺の末寺としてつくられています。

Img_4313c_20240913145501 Img_4325c_20240913145501  久居城下案内人の会のWebサイトには、石造地蔵菩薩と、エンマ像があると書かれていましたが、現地には表示などはとくにありませんでした。これがそうかなという気がします。

Img_4349c  これで寺町あたりのお寺、神社はほぼ回りました。続いては、子午の鐘・木槿塚へ行くのですが、うっかりすると見逃しそうな瀬古道を入っていきます。子午の鐘と、木槿塚は並んでいます。左の写真が、子午(とき)の鐘(市文化財)。天文元(1736)年に、当時の久居城下に時を知らせる鐘として、津の鋳物師・辻越後種茂につくらせたもの。もとは武家屋敷の中大手町(現。久居東鷹跡町)にありましたが、寛政元(1789)年に現在地に移転。

Img_4362c_20240911165401  この子午の鐘のすぐ西に芭蕉の句碑があります。「道端(原文は道ばた)の木槿は午に喰われけり」とあります。安永7(1778)年の建立。旅の途次の静岡県大井川付近でつくったといわれ、貞亨元(1684)年『甲子吟行』にでているそうです。また『野ざらし紀行』には「眼前」と前書して載っているといいます。句碑の建立について、正確なところは不明のようです。

 その1が長くなりましたが、これでルートマップその1に載せたところはすべて回りました。その2は、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、スタートから2㎞あまりで高通児童公園へと続きます。

2024年9月11日 (水)

20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)

Img_4077c_20240911165201  家内の実家での一人暮らしの退屈しのぎに、今日は暑かったものの、ハイキングへ。津のアメダスでは、最高気温は32.3℃。湿度も高く、蒸し暑い日でした。そういえば、ウォーキング/ハイキングは、6月8日に斎宮へ花菖蒲を見に行って以来です(2024年6月8日:20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結))。今日は、近鉄のあみま俱楽部のハイキングコースから「久居(ひさい)散策」を選びました。近鉄名古屋線久居駅がスタート&ゴールで、約7㎞。久しぶりに歩くには、ちょうど良い距離。今日の記事は、予告編。

Hisai0  実家からは三重交通のバスで久居駅へ。約30分、¥580。8時半に久居駅前をスタート。主な立ち寄り先は、子午(とき)の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉せん寺。アプリ対応コースですので、チェックポイントでチェックインすると、デジタルスタンプがもらえ、すべてそろえると踏破賞のデジタルスタンプが1個。

Img_4119c_20240911165201 Img_4128c_20240911165201  久居駅からすぐ西に永昌山本妙寺。日蓮宗。延宝5(1677)年の創建。久居藩初代藩主・藤堂高通(たかみち)が寺領1,500坪を与えました。続いて、万松山専淋寺。真宗本願寺派。元禄元(1688)年、津の大門にある専淋寺から分寺。

Img_4158c_20240911165301  このあたりは久居の寺町。その先に曹洞宗の龍沢山天心寺。残念ながら、雑草が生い茂ってしまっていました。寛文10(1670)年の創建。

Img_4161c_20240911165301 Img_4177c  寺町交差点を渡ったところに見性寺。曹洞宗。寛文2(1662)年、初代藩主・藤堂高通の筆頭家老・藤堂源助(高虎の甥)が開府2年前に伊賀上野から来る途中、長野峠で和尚に会い、寺を開くことになったといいます。藤堂源助一族の墓所がありました。

Img_4197c_20240911165301  寺町交差点の南西に見上山光月院天然寺。浄土宗。寛文11(1671)年の創建。久居藩初代藩主・藤堂高通が、津の天然寺五世聖誉(しょうよ)上人に帰依しており、分封の時に建立寄進。

Img_4279c_20240911165301 Img_4217c_20240911165301  天然寺の南に久居八幡宮。ご祭神は品陀和気命ほか11座。久居藩ができるとき、領内小戸木にあった八幡宮を御殿の(うしとら)の方角に鬼門除けとして遷し、久居の総守護としました。明治の合祀令により、近在の21社を合祀し、野辺野(のべの)神社と改称しましたが、令和2(2020)年に久居八幡宮に復しています。

Img_4320c_20240911165401  寺町交差点まで戻って、その西に浄土宗の超然寺。元和3(1683)年、伊賀上野代超寺の末寺としてつくられています。

Img_4349c Img_4362c_20240911165401  超然寺から南に行き、見逃しそうな細い道を入っていきます。そこに子午(とき)の鐘(市文化財)。天文元(1736)年に、当時の久居城下に時を知らせる鐘としてつくられたもの。寛政元(1789)年に現在地に移転。この子午の鐘のすぐ西に芭蕉の句碑があります。「道端(原文は道ばた)の木槿は午に喰われけり」とあります。安永7(1778)年の建立。

Img_4421c_20240911165401  このあとは、誠之小学校、久居農林高校、久居中学校と文教地区を通り抜けて、スタートから2㎞あまりで高通児童公園へ。津藩主藤堂高虎の孫高通が、宗家から分かれて久居藩を立てたのですが、その藩主御殿跡がこの公園になっています。津2代藩主・藤堂高次が隠居するとき(寛文9(1669)年)、津藩領32万3950石のうち、5万石を弟の高通に分けて、久居藩がつくられています。翌年から陣屋や城下町を建設し、寛文11(1671)年に高通が入府しました。「永久に鎮居する」という意味で、「久居」と名づけています。陣屋の遺構はありませんが、陣屋御殿跡と開府の碑などがあります。こちらに久居350年の歴史についての説明があります。

Img_4535c_20240911174101 Img_4542c  このあとは伊勢自動車道の下をくぐって戸木地区へ。遠くに青山高原などを眺めながら、暑い中、ひたすら2㎞以上を歩きます。

Img_4599c_20240911165501 Img_4655c_20240911165501  再び伊勢自動車道をくぐって、青龍山千手院賢明寺(けんみょうじ)へ。天台宗。「ひさいの観音さん」と親しまれているそうです。仁王門(市文化財)は、貞享元(1684)年のもので、大変立派でした。このお寺には、鎌倉時代(弘安8(1285)年)の石造板五輪塔(県文化財)があります。鎌倉中期の代表的な五輪塔で、石を組み合わせたものではなく、花崗岩の板状の一石を五輪塔に刻んだもの。

Img_4697c_20240911165501  Img_4670c_20240911165501 賢明寺の近くに受福山本念寺。真宗高田派。天正年間(1573~1592年)の創建。もとは真言宗でした。本念寺から東に川併(かわい)神社。ご祭神は、天忍穂耳命ほか9座。創始は明らかではありませんが、江戸時代は、地名にちなんで「野辺惣社」と称していました。式内社。

Img_4779c_20240911170301  川併神社から北に向かいます。駅にほど近いところに寂陽山法苑院妙華寺。真宗高田派。天和元(1681)年の創建。藤堂家の姻戚寺院だそうです。本堂は、国の有形登録文化財。

Img_4804c Img_4830c_20240911170401  その東に霊雲山玉セン寺。天台真誠宗。山門は武家の屋敷門の形式。久居藩主2代高堅(たかかた)、3代高陣(たかのぶ)の墓所があります。右の写真がそれと思います。

Img_4823c_20240911175801  当初は、玉泉寺といったのですが、2代藩主高堅のときに高虎の官名「和泉守」に差し障るという理由で改名しています。正しい文字は、左の写真のとおりです(パソコンで変換できるか、確かめていません)。これで目的地はコンプリート。なお、久居にあるお寺については、「久居城下案内人の会」が解説をWebにあげておられます(こちら)。

Img_4840c_20240911170401 Screenshot_20240911112054c  ゴールは、スタートした久居駅。11時10分に戻ってきました。2時間40分。全身汗びっしょり。歩いた距離は、Google Fitでは8.1㎞(実家に戻った時点で)。スマホの「からだメイト」では、11.8㎞になっていましたが、これは過大評価でしょう。11時16分に実家方面へ行くバスがあり、それに乗って12時前には実家に帰宅。

Screenshot_20240911112503c Screenshot_20240911112512c  今日歩いたコースは、初めに書きましたように近鉄あみま俱楽部のハイキングコース。アプリ対応コースでしたので、 左の画像のように、久居駅、子午の鐘、高通児童公園、賢明寺、玉セン寺でデジタルスタンプをゲット。また、右の画像(左上)のように踏破賞ももらいました。

2024年7月26日 (金)

アブラゼミが登場し始めました

Dsc06409c_20240726155201  熱帯夜にはなりませんでした。最低気温は24.8℃。朝、ベランダに出たら「涼しい」と感じたくらいで、温度感覚がヘンになっているようです。日中は、35.3℃と猛暑日。少し遅くなり、7時10分からいつものコースへ散歩に。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、寺町と6.7㎞。汗びっしょりで、1㎏くらい体重が減っていることがあります。もちろん水分が抜けたことによるのが大半でしょう。

Dsc06491c Dsc06529c  このところ、毎日同じフレーズを書いていますが、こう暑いと鳥はいません。まぁ、ここ数年、同じパターン。今日はムクドリもあまり見ません。ヒヨドリはこの頃、見た事がありません。カワウは、柿安コミュニティパークにて。九華公園では、アオサギさんがいてくれました。

Dsc06596c Dsc06660c_20240726155201  さらに今日は、九華公園の吉之丸堀の上を通る電線にツバメ3羽。初めは成鳥1羽だけでしたが、そこへ2羽がやってきました。この2羽は、幼鳥のように見えます。ここは、巣立ったツバメのヒナが、親に連れられて飛行訓練にやってくることがよくあるのです。

Dsc07178c_20240726155301  拙宅近くまで戻ってきたら、玉重橋のところにスズメ。スズメはほかの公園でも見ました。

Dsc06558c Dsc06737c_20240726155201  セミは相変わらずクマゼミがあちこちで大合唱中。そんな中、九華公園でアブラゼミを見つけました。今シーズン初見。例年、今頃からアブラゼミを見始めます。ただし、散歩コース辺りでは、アブラゼミが鳴いているのはあまり聞きません。都市化の進んだ地域ではヒートアイランド現象による乾燥化によってアブラゼミにとっては非常に生息しにくい環境となっているそうです。

Dsc06905c_20240726155301 Dsc06929c_20240726155301  野鳥がいませんから、今日もヒマワリの観察。左の写真は、内堀南公園近くのお宅にて。散歩コースでは、入江葭町から吉津屋町あたりにヒマワリを育てておられるお宅が何軒かあります。勝手に「ヒマワリ銀座」と名づけています。右の写真は入江葭町のお宅にて。

Dsc06954c_20240726155301 Dsc06962c_20240726155301  こちらは少し前から、散歩に行くたびに見ているヒマワリたち。もっとも高くなったヒマワリは3mに迫るほどになっています。その花のクローズアップが右の写真。ヒマワリはやはり、青空&好天が似合います。

Dsc06968c Dsc06977c_20240726155301  これは、左上の写真で左下に写っている、あの大きな花。お辞儀をしている状態をすぎて、首が折れています。

Dsc06993c_20240726155301  ハチがやってきて蜜を吸っていました。画像検索をしてから調べると、タイワンタケクマバチではないかと思われます。近くに同じハチが何羽もいました。

Dsc06420c  ところで、明日、桑名水郷花火大会が予定されています。散歩コース辺りでも準備が進んでいます。住吉神社はいつものように、フェンスで囲われています。まだお参りできるよう、1ヶ所だけ開いています。

Dsc06462c Dsc06447c_20240726155201  その住吉神社の南東には、大会本部のテント。住吉神社から上流側の高水敷は、観覧席。パイプ椅子がきれいに並べられています。右の写真のあたりは、「特別協賛席」だそうですから、スポンサーの方々の席なのでしょう。打ち上げ場所の目の前ですし。

Dsc06455c  打ち上げ場所の様子。揖斐長良川の中州に設けられています。ここは、拙宅の玄関先からよく見えます。それ故、水郷花火大会は、いつも玄関先から鑑賞するのです。

Dsc06468c_20240726155201  船津屋さんの前の揖斐川の高水敷も観覧席。ここは、「イス席B」だそうで、1席が6,000円で、1,218席あるようです(こちら)。ちなみに、打ち上げ場所の正面のイス席は、1席10,000円とか。

Dsc07193c_20240726155301  拙宅マンション辺りでは、路上駐車は禁止になります。県道613号線や、市道江場福島線は、通行止め。去年はとくに渋滞がひどくなっていました。

Dsc07113c  明日は、いつものように玄関先から見るつもりですが、写真を撮ろうかどうしようか思案中。SONY DSCRX10-M4ですと、広角側が24mm(35mm換算で)。打ち上げ場所に近いので、大きな花火が上がると画面からはみ出てしまいます。しかし、コンデジではうまく撮れません。スマホ写真/動画でもいいか、なんて思ったりしています。

Dsc06836c  そうそう、一昨日の授業のQ&Aは、今日、散歩から早く帰りましたので、午前中に完成。午後からチェックし、修正してすでに助手の先生に送りました。学生に印刷物が渡るのは、試験当日になりますから、pdfでGoogle Classroomに載せています。写真は、先日来、興味を持ってみているボタンクサギ。まだ咲く木がありました。

2024年7月21日 (日)

九華公園で半月ぶりにカワセミ

Dsc05931c  今日からしばらくはいちだんと暑くなるという予報の通り、桑名の最高気温は36.7℃になっています。朝、少し早い時間に散歩に出ても、無駄な抵抗とは知りつつも、今日も6時50分スタートで散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、柳原、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、寺町と、6.4㎞。7時の気温が26.1℃、9時には31.1℃で、今日も汗びっしょりで帰宅。まぁ、1日中エアコンの中にいるよりも、汗をかき、体を動かした方がよいでしょう。

Dsc05475c_20240721142301  今日は、九華公園の吉之丸堀でカワセミを目撃しました。日の当たる角度があまりよくなく、証拠写真なのがちょっと悔しいところですが、暑い中出て来たご褒美。九華公園でカワセミを見たのは、7月4日以来(2024年7月4日:とうとう猛暑日がやってきました……九華公園でカワセミ2羽、クマゼミも鳴き始めました)。このときも猛暑日でした。

Dsc05250c_20240721142301  話を戻して、柿安コミュニティパークまでほとんど鳥はいません。ここで、カワウ。いつも電柱の上にいます。スズメとムクドリもわずかにいました。

Dsc05269c  九華公園では、いつもの九華橋の北の木にアオサギさん。敬称をつけたくなるのです(笑)。たまに姿勢を変えたり、身繕いをしたりしていますが、じっとたたずんでいます。ほかに九華公園で見たのは、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、カワラヒワ。いずれもごく少数。鳴き声を聞いたのは、キジバト。

Dsc05541x Dsc05561c_20240721142301  鎮国守国神社では、今日も、金魚風鈴が気になって、これまでとは別のアングルから撮ってみました。しかし、やはりこれはという写真を撮るのは、なかなか難しいものです。

 

Dsc05651c_20240721142301Dsc05733c ほかの公園でも鳥は、せいぜいスズメが1~2羽いたくらい。外堀のお宅で、サルスベリ。ほかのところではまだこれほど咲いていないと思います。桑名港交差点のところで、オシロイバナ。

Dsc05773c_20240721142401Dsc05794c_20240721142401 これまた、このところの日課になっていますが、吉津屋町のヒマワリ。あのヒマワリは、ますます深くお辞儀をするようになりました。背の高いヒマワリ、今日はあまり成長しているようには見えませんでしたが、近くの花がよく咲いてきています。

Dsc05823c Dsc05845c_20240721142501  ヒマワリのクローズアップで遊んでみました。ヒマワリの花をこれほど間近で、マジマジと見たことがありませんでしたから、「ヘェ~、こんな風になっているんだ」と感心しています。

 

Dsc05875c_20240721142301Dsc05920c_20240721142301 クマゼミは、朝早くから、ますます元気に鳴いています。すでに命を終えたクマゼミが落ちているのもよく見るようになっています。昔いわれたように、寿命が1週間ということはなさそうです。

Dsc05868c  ところで、今週は猛暑続きという予報ですが、毎年、私にとってはこの時期は多用です。月曜、木曜は、9時から終日市役所の仕事で缶詰。水曜は、いよいよ江戸橋での非常勤の授業の最終回。これらを乗り切りますと、土曜日には桑名水郷花火大会を迎えます。ご多分にもれず、観覧席は全て有料。駐車場も同様で、事前予約制。予約はすでに埋まっているとか。近所のスーパーに駐車する方もたくさんあったのですが、今年は13時以降入構不可(出庫のみ可能)になっています。

2024年7月20日 (土)

毎日、アオサギさんだけで、これはもう笑うしかありません

Dsc05204c  梅雨明けが宣言されて以来、雲が広がりがちですが、それにしても蒸し暑い。今日の最高気温は、今のところ34.7℃。朝、散歩に行った頃は本当に蒸し暑く、全身汗びっしょりで帰ってきました。その散歩は、7時スタート。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と6.3㎞。

Dsc04580c_20240720134501 Dsc04807c_20240720134501  揖斐長良川の中州にダイサギらしい姿を見ましたが、それ以外には、ごく少数のスズメとムクドリを見たくらい。柿安コミュニティパークの電柱に、いつもいるカワウが1羽。九華公園でもほとんど野鳥の姿を見ません。ときどき「いったい何をしに来ているのだろう?」と思わなくもありません。今日も救いの神は、あのアオサギさん。お賽銭を上げて拝みたいくらい(笑)。ほかに九華公園で見た鳥は、スズメとムクドリ。

 

Dsc04667c_20240720134501 Dsc04776c_20240720134501  鎮国守国神社の茅の輪くぐりは、昨日の16時~19時に行われ、茅の輪がくぐれるようになっていました。昨日は、確か土用の入り。鎮国さんの茅の輪くぐりは、毎年、土用の入りの日に行われます。払え串の話題についても昨日、一昨日と触れましたが、住所と名前を書いて、この払え串をもって茅の輪を潜り、それを神社に納めます。右の写真のようにたくさんの払え串が収められていました。

 

Dsc04725c_20240720134501 Dsc04750c  拝殿に飾られている金魚風鈴がどうも気になっています。今日もこれまでと異なったアングルから何枚か撮ってみました。しかし、なかなか難しいものです。

 

Dsc04872c_20240720134501 Dsc04908c_20240720134501  朝5時過ぎからクマゼミは鳴いており、この時間、どの公園に行っても、クマゼミの大合唱が聞こえています。しかし、その姿を見つけるのは、簡単ではありません。左は九華公園で、右は貝塚公園にて。

Dsc04890c  陽和幼稚園のところにあるヒマワリは、盛りが過ぎたものが増えてきました。

Dsc04936c_20240720134401  吉津屋町のヒマワリ。左の写真のヒマワリは、どのように咲いていくかを見ていたもの。花が重たくなってしまい、お辞儀をし始めました。

Dsc04945c_20240720134401  昨日、2.5mを越えたと伺ったヒマワリ(向かって左)はさらに成長したような気がします。

Dsc05006c_20240720134401  ここには何本もヒマワリがありますが、このヒマワリの花は、向かって右の方から開いたように思えます。2枚前の写真のヒマワリは、上から開いていましたので、ヒマワリは上の方から花びらが開くかと思いましたが、単なる個体差のようです。ちなみに、今日も、このヒマワリを作っておられる方に出会いました。

Dsc05076c  御坊さんに今日も行ってきました。キョウチクトウが咲き始めているのに気づきました。スイレンも赤い花2つのほかに、白いスイレンも咲いていました。寺町商店街では、今日も「ビックリ夜店」があります。昨日は家族連れで大賑わいでした。昨日撮ってきた御坊さんライトアップの写真に満足していないのですが(20240719御坊さんライトアップ)、今夜も蒸し暑そうですから、リベンジには出ないかな? と思います。

2024年7月18日 (木)

梅雨明けが宣言されました

Screenshot_20240718111730c Dsc03528c_20240718155101  東海地方と関東地方に梅雨明けが宣言されました。平年より1日早いそうです。「梅雨明け10日」といって、梅雨明けから10日間ほどは、好天で暑い日が続くことが多いのですが、ちょっと雲が多め。最高気温は、34.5℃と猛暑日一歩手前にとどまっています。朝早い時間の方が天気がよかった感じでした。右の写真は、6時50分頃の撮影。暑くなるといけないと思い、この6時50分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、寺町と5.7㎞。2時間弱で帰宅。時間が早くても、やはり暑くて、汗だく。

Dsc03556c_20240718155101 Dsc03560c_20240718155101  住吉神社の前など、揖斐川の堤防では、少しずつ桑名水郷花火大会の準備が進んでいます。左の写真に写っているのは、たぶん住吉神社を囲うフェンス。右の写真は、船津屋さんの裏手の堤防。ここの高水敷も、観覧会場になるようです。降りていく階段が設けられ、草が刈られていました。今年は有料観覧席のみ。駐車場も有料で、事前予約のみ。すでに予約はすべて埋まったといいます。

Dsc03583c_20240718155101  柿安コミュニティパークでカワウ。今日も、野鳥はほとんどいません。ここに来るまでに見たのは、少数のスズメと、ムクドリくらい。

Dsc03600c  九華公園でもクマゼミは大合唱していたのですが、野鳥はやはりほとんどおらず。今日もアオサギさんに救われました。

Dsc03664c_20240718155101 Dsc03739c_20240718155101  暑くなっていますが、公園内のあちこちにミドリガメが上がって来ています。右の写真のカメは、鎮国守国神社の境内で産卵用の穴を掘っているところ。

240718072513245c  Dsc03910c_20240718155001 その鎮国守国神社では、明日の茅の輪くぐりに向けて、茅の輪が設置されていました。まだくぐれませんので、また、明後日以降にでも。氏子の方のお宅には、右の写真のように「払え串」が配られています。これに住所、氏名を書いて、茅の輪くぐりのときに神社に納めるのです。

Dsc03714c_20240718155101 240718072447332c  神社ではあわせて拝殿にも金魚の風鈴が飾られていました。5月に金魚まつりが行われますから、それにちなんだものだと思います。

Dsc03678c_20240718155101 Screenshot_20240716042138c  鎮国守国神社の南、本丸跡にはこんなものがつくられ始めていました。2年前に「2022桑名大夏祭り」が行われ、その時来ていたお化け屋敷に似た感じがします(2022年8月1日:ハギが1輪咲いていました@九華公園)。検索したら、情報がありました。7月27日の桑名水郷花火大会にあわせて、「桑名大夏祭り」が行われるのです。「お化け屋敷」とこのポスターにも大書してあります。

Dsc03885c Dsc03838c_20240718155001  クマゼミ。今日は割とあちこちで見つけやすくなっていました。それだけ数が増えたということでしょう。

Dsc03932c_20240718155001  暑かったからではありませんが、吉津屋町にあるヒマワリを見に行き損ねました(苦笑)。代わりに総合福祉会館のところのヒマワリ。かなり小型の花。

Dsc03857c_20240718155001  昨日の授業のQ&Aは、午前中に一通り完成。午後からチェックして、すでに助手の先生にメールで送っています。授業で説明した内容を、逆に理解している学生がいたりします。いったいどうしたらそういう理解になるのか、不明。聞いていないのか、自分の価値観や判断基準に合わせてゆがめてしまうのか?? 自分の知識に押し込んで理解しようとする傾向はよく見受けられます。このためかも知れません。まぁ、残りの授業は、あと1回。

Dsc03862c_20240718155001  江戸橋での非常勤の授業についてのさらなる余談。天気星取り表(笑)。まだすべてが終了していませんが、初回の4月10日から昨日までの14回で、雨に降られたのは、4月24日と5月1日の2回で、今のところ12勝2敗。この2日も、弱い雨でした。来週は、週間予報では晴れて猛暑日。花は、九華公園の外周遊歩道の南で毎年咲きます。ボタンクサギ(牡丹臭木)という、ちょっとかわいそうな名前。花の少ない今の時期に薄暗い場所で煌びやかに咲いているのに、と思います。

2024年6月25日 (火)

半年ぶりにカワセミに遭遇……春日さんに茅の輪

Dsc07157c_20240625115201  曇りで、最高気温は30度という予報です。朝早くは、けっこう蒸し暑く感じました。7時半からいつものように散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀公園、春日さん(桑名宗社)、田町、三崎通、桑名七里の渡し公園と5.8㎞。熱中症にならないよう、水分補給をしっかり行い、塩分タブレットも。

Dsc06916c  今日は、なんといってもこちら。そう、カワセミです。九華公園の相撲場東の堀にて。ここでカワセミを見たのは、昨年末以来、半年ぶり(2023年12月26日:久しぶりのカワセミ……神社に門松が登場)。オスです。先週、カワセミが死んでいるのを見つけ(2024年6月20日:コゲラの日)、いなくなったわけではないと思ったのですが、元気でいたのを見られて、嬉しくなります。

Dsc07102c_20240625115201 Dsc07120c_20240625115201  さらに、春日さんのインスタに「茅の輪が設置された」という記事が載っていましたので、早速行ってきました。くぐってもよさそうでしたので、左回り、右回り、左回りとくぐって、お参りしてきました。本来でしたら、夏越しの大祓神事は、半年のうちに知らず知らずに受けた罪、穢れを人形(ひとがた)に移して、川へ流す祭礼ですから、勝手に略式にて。

Dsc06920c_20240625115301 Dsc06989c_20240625115301  さて、今日も鳥も、散歩友達も少ない日でした。九華公園に着くまでに見たのは、スズメ、ムクドリのみ。ドバトも、カラスもほとんどいません。九華公園では、カワウと、スズメの親子連れ。スズメの親子連れはあちこちで見かけます。このあとの公園でも、スズメ、ムクドリばかり。貝塚公園では、シジュウカラを見かけたのですが、残念ながら写真は撮れず。

Dsc07073c_20240625115201 Dsc07079c_20240625115201  宮町あたりのお宅でハイビスカス。真っ赤で印象的です。しべのところをクローズアップしようと思ったのですが、ピントが案外合いにくいものでした。 

Dsc07037c_20240625115301  明日は、江戸橋での非常勤の授業。もう12回目となります。先週の演習結果に基づいて書いたレポートの提出日。楽しみでもあり、ちょっと心配というか、恐ろしいというか、そういう気持ちもあります(微苦笑)。1年生ですと、たぶん初めて書くレポートですから。

2024年5月 4日 (土)

貝塚公園でモズのヒナ2羽

Dsc05740c_20240504143301  今日も良い天気で、夏日になっています。今のところ、最高気温は26.6℃。日差しはかなり強い感じです。いつもどおり、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回ったところで、いったん家内に迎えに来てもらい、買い物へ。買い物を終えて、京町でクルマから降ろしてもらって、ツバメの巣の様子を見るために京町、南魚町、田町、三崎通と歩いてきました。合計5.8㎞。冒頭の写真は、七里の渡し跡にある伊勢一の鳥居。昨日の近鉄ハイキングでは、反対側からこれを眺めました。

Dsc06313c_20240504143201  今日のトップは、こちら。しばらく前から、貝塚公園でモズのDsc06144c_20240504143201ペアを見かけていました。ひょっとしたらここで繁殖しているのではないかと思っていたのですが、今日、モズのヒナ2羽を確認しました。 モズのオスが、警戒するような鳴き声をしながら、あるエリアの廻りを移動していました。そのあたりでは鳥のヒナの鳴き声がしており、これらのヒナを見つけたのです。写真は別の個体であろうと思って載せましたが、同一個体かも知れません。

Dsc06106c  こちらは、今日見た、モズのオス。

Dsc05826c_20240504144701  さて、九華公園まで、少数のスズメ、ドバト、ツバメを除いてほとんど鳥は見ませんでした。九華公園の神戸櫓跡にあるカワウの巣では、ヒナが少し成長してきて、首から上が見えるようになっています。双眼鏡でよくよく眺め、また、写真を撮って拡大して見た結果、ヒナは3羽いると思われます。この写真で親の手前に重なるようにして3羽のヒナが写っています。

Dsc05886c_20240504143201 Dsc05957c_20240504143201  その九華公園でも、鳥は少なく、奥平屋敷跡では、カワラヒワ、コゲラ、メジロ2羽のほかには、スズメ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ドバトくらい。

Dsc06328c_20240504143101  初めに書きましたように、貝塚公園から買い物に行って、その後京町からツバメの巣を見てきました。一昨日くらいまでは、親ツバメが巣にいたり、いなかったりしていました。まずは、京町にあるお宅の巣。今日は、メスが巣に就いていました。ここはこれまでにも、比較的ずっと巣に就いています。

Dsc06353c Dsc06388c_20240504143101  京町の商店にある巣。ここにはかつて使われた巣が複数あります。今年は奥にある巣を使っています。今日は、巣に就いていました。お店の前の電線では、オスが休憩中でした。

Dsc06437c_20240504143101  田町の商店にある巣でも、今日は、親ツバメが巣にいました。今年は、この3ヶ所の巣でツバメが営巣するのは、確実と思います。引き続き、定期的に巡回しましょう。抱卵日数は、13~17日といいいますから、今月20日前後にはヒナが孵るでしょう。

Dsc06037c_20240504143101  余談。昨日は、近鉄ハイキングで九華公園を通ったものの、鎮国守国神社には行きませんでした。手水舎には、風鈴が飾られていました。金魚が描かれています。

 

2024年5月 2日 (木)

20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」

240429kintetsuhikekasumori2  4月29日に行ってきた近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」の本編その2です。その1では、近鉄烏森駅をスタートし、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」まで行きました。その2は、妙行寺、豊国神社から庄内川、五条川を越えて、あま市に入ります。

Img_1037c_20240429161601 Img_1049c_20240429161601  正悦山妙行寺。日蓮宗。豊国神社の東にあり、加藤清正公誕生地とされています。この寺の創建時期については不詳。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、現在地から約220mほど東にありましたが、永仁2(1294)年に日像によって日蓮宗に改宗されたといいます。その後、火災により焼失したものの、天文4(1535)年に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建されました。加藤清正は、もともと妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15(1610)年に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建しています。

Img_1057c_20240501043401 Img_1076c_20240501043401  境内には、加藤清正像があります。 昭和35(1960)年4月、清正の350回忌の際、清正公奉賛会により建立されたものです。また、「清正公誕生地之碑」という石碑もあります。

Img_1036c_20240429161601 Img_1104c_20240501043901  豊国神社(とよくにじんじゃ)に戻ります。中村公園内にあります。中村公園は、秀吉の出生地と伝わるこの地に明治18(1885)年に、秀吉の偉業を偲んでつくられたもので、「秀吉清正公園」という愛称があります。

Img_1108c_20240429161701  豊国神社のご祭神は豊臣秀吉。同名の神社は全国にありますが、ここは、上述のように、豊臣秀吉の生誕地に当たります(秀吉生誕地については諸説があります)。明治16(1883)年、当時の県令国貞廉平をはじめ地元の人々による豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月、秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定したのです。明治18(1885)年1月に竣工し、7月には神社が創建されています。以前訪ねていますので、詳しいことはそちらをご覧ください(2018年11月7日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完))。

Img_1112c_20240501044201  公園内には、「豊公誕生之地」という石碑もあります。説明板には「豊臣秀吉誕生の地」として、「天文5年(1536年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次歳暮)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は、異父同母の弟妹である。出生地については、区内下中村町という説もある」とあります。

240429kintetsuhikekasumori3  ここからルートマップはその3に入ります。このマップの範囲では、立ち寄り先は指定されていませんが、見どころはありました。旧鎌倉街道、三嶋神社、立ち寄りませんでしたが、光明寺です。

Img_1184c_20240429161701  Img_1161c_20240501044801 豊国神社から中村公園の中を通り抜け、名古屋競輪場脇から、中村高校前を経て、豊公橋(ほうこうばし)で庄内川を渡り、また、萱津橋で新川を越えてあま市に入ります。

Img_1220c_20240501052601  新川と五条川の合流地点から五条川沿いを歩いて行きますと、旧鎌倉街道になります。鎌倉街道は、鎌倉時代、鎌倉から諸国に通じていた主要道路です。愛知県内では、岐阜県の墨俣から木曽川を渡って愛知県に入り、黒田(一宮市)、稲沢市の下津(おりづ)、清須市を経てあま市萱津に至る幅2mほどの曲折の多い道となっています。このあたりが萱津で、庄内川の渡し場としてにぎわったところ(こちら)。この写真は、ルートマップその3で、五条川の堤防道路から萱津の町に降りたあたりで撮ったもの。

Img_1228c_20240501052601 Img_1232c_20240501052601  三嶋神社があります。ご祭神は、大山祇神。昔、里人が藤沢の浄光明寺に参詣の折に、伊豆の三島明神を勧請したと伝わります。ここも拝殿の前に蕃塀があります。あとで訪ねた萱津神社と関連する神社のようです。

Img_1237c_20240501052601  三嶋神社の西に横笛山光明寺。ただし、道路からこの写真を撮ったのみで通過しました。しかし、あとで調べたら、時宗の寺院で、秀吉ゆかりの寺でした。弘安5(1282)年、一遍上人の弟子である他阿真教による開基で、萱津道場と呼ばれた大寺で、室町将軍からも保護を受けたといいます。豊臣秀吉が幼少の頃にこの光明寺に預けられたと伝わっています。7歳で父と死別した秀吉は、8歳でこの寺に入るも、すぐに飛び出し、15歳の時、放浪に出たとされます。

 実際に歩いたルートマップはその4になります。240429kintetsuhikekasumori4 いよいよゴールも近くなりますが、妙勝寺、萱津神社が立ち寄り先に指定されていますが、その途中で正法禅寺も見てきました。萱津神社を出ると、再び五条川を渡って太陽食品工業を目指します。五条川を渡ったところは津島街道。太陽食品工業からゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅は、目の前。

Img_1249c_20240429161701 Img_1266c_20240429161701  長正山妙勝寺。日蓮宗。初めは真言宗の密勝寺という寺でしたが、文応2/弘長元(1261)年に日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を妙勝寺に改称しています。天文年間(1532~1555年)に兵火により七堂伽藍を焼失しましたが、その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護を受けています。山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は福島正則が寄進したものと伝わっています。この日は、ふれあいマルシェ萱津マルシェが開かれており、私が行ったときには、本堂で、甚目寺南中学校のブラスバンド演奏が行われていました。

Img_1271c_20240501071401  こちらは、妙勝寺のマルシェの会場。五平餅や、団子、たこ焼きなど、気になりましたが、次の萱津神社でもマルシェが開かれていますから、何も買わず、何も食べず(微笑)。

 Img_1281c_20240501071801 Img_1285c_20240501071801 萱津神社に向かう途中に日東山正法禅寺がありましたので、拝観してきました。曹洞宗のお寺。帰ってから調べたら、墓地に「反魂塚碑」があるということでした。奈良時代の伝説で、今の福島県信夫(しのぶ)(福島県南部に昔あった村)の地に恩雄(やすたか、21歳)と藤姫(ふじひめ、16歳)という若い夫婦がいました。藤姫の父は橋本中将といい、左遷が許された時、この地に姫を残して都に帰ります。成人した姫は、父恋しさに夫と上って行く途中病気になり、悲しくも帰らぬ人となったのですが、それがここ萱津。夫は仏門に入り、妻の塚の辺りに庵を結び、日ごと、香をたいて回向したといいます。

Img_1340c_20240429161701 Img_1336c_20240429161701  妙勝寺から徒歩3分ほどで萱津(かやつ)神社。漬物の神社として知られています。境内には漬物を納める「香の物殿」があり、毎年8月21日の「香の物祭」には多くの漬物業者が参列するそうです。創建時期は不明。ご祭神は、鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)。かつては「草ノ社」「種の社」「阿波手(あわで)の杜」とも呼ばれたといいます。言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたのに加え、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったそうです。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったことから、漬け物の神社として有名になっています。ちなみに、「阿波手の杜」については、日本武尊が当地で妻の宮簀姫に逢えなかったことから「不遇(あわで)の森」と呼ばれるようになったとか、また尊が植えた雌雄二本の榊が「連理の榊」として御神木となったという伝説もあります。

Img_1304c_20240501072301 Img_1299c_20240501072301  境内には、鹿屋野比売神の像と、「香の物発祥の地」の石碑があります。この石碑によれば、「当社は野を司る鹿屋野比売神を祀る我が国で唯一の漬物の祖神であります。人皇十二代景行天皇の御世、日本武尊御東征の砌当社にお立ち寄りの際、村人が漬物を献上し長途のお慰めをするとともに、その霊験あらたかなこと等をお話ししたところ、尊は御賞味され大変感慨深げに『藪に神物(こうのもの)』と仰せられたと伝えられる。このお言葉は、今日漬物を表す香の物の語源になったと言われております。ここ萱津神社がその発祥の地です。この古事を尊び、尊が熱田の地に祀られた後、村人はその昔を偲び熱田神宮の四大祭に特殊神饌として献進されています」とあります。

Img_1322c_20240429161701 Img_1325c_20240429161701  萱津神社もマルシェの会場となっていました。ここに着いたのは10時40分ころで、ちょうど小腹が空いていましたから、天むすを1個購入して、小休止。天むすよし田屋という津島のお店。お勧めは、えびしそ天むすということで、¥250。割と小ぶりで、一口で行けそうでした。小声でいいますが、津にある千寿の天むすの方がはるかに美味しいと思います。さらに、名古屋で働いていたときに食べた多香野の天むすもよかったです。ちなみに、千寿が天むす発祥の地です。

 

Img_1356Img_1364c_20240502190201 萱津神社を出て、法界門橋で再び五条川を渡り、清須市へ。この法界門橋から500mほどは、津島上街道を歩きます。清須市立桃栄小学校の南あたりです。津島上街道も、またきちんとすべてを歩きたい街道です。右の写真は、そこから進んだ須ヶ口交差点。

Img_1368c_20240429161701Img_1376c_20240502191001 最後の立ち寄り先は、ゴールの名鉄須ヶ口駅の目の前にある太陽食品工業。ソースとケチャップを作っている会社。太陽ソースとケチャップを使用した試食と販売会が行われています。右の写真は、太陽ソースの試食。ソースもケチャップもコクがあり、美味しいものでした。

Img_1381c_20240429161801  来場者には太陽ソースのミニパックをプレゼントということでした。「なくなり次第終了」ということでしたので、心配したのですが、ミニパックも無事に2ついただけました。販売会では、何も買うなという指令がありましたので、買っていません。

Img_1402c_20240429161801  ゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅には、11時15分過ぎに到着。2時間20分で9㎞ほどを歩いてきました。須ヶ口駅は電車で通ったことはありますが、ここを利用するのは初めて。 ちょうど11時22分に豊明行き準急がありましたので、それに乗車。名鉄名古屋駅には、11時36分に到着。¥250。近鉄も、11時41分発の松阪行き急行があり、それに乗り換えて、桑名駅には12時1分着。¥530。

Screenshot_20240429122916c  こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。11.08㎞で、17,937歩でした。現地で歩いたのが約9㎞、自宅から桑名駅往復が2㎞あまりですから、妥当な数値でしょう。

Screenshot_20240429114045c  近鉄名古屋駅では、エキタグのデジタル駅スタンプをゲットしてきました。どこにタグがあるか、分かりにくかったのですが、改札横にありました。これで6個目です。なかなか増えませんが、まぁボチボチと。

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    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)