20250520勝手にハイキング「離宮院跡を訪ねて」(一回完結)
暑い日になりました。真夏日という予報もありましたが、桑名では28.5℃にとどまっています。先般放送された「新ブラタモリ」で、タモリさんが斎宮跡を訪ねたのを見て(第五夜▼ついにゴールの神宮へ!斎宮・二見浦)、そういえば「歩いて伊勢参りツアー」をしたときに、見逃したところがあったのを思い出しました。それが、離宮院跡。この近くを伊勢街道が通っていて、街道沿いに看板があったにもかかわらず、「まぁいいか」と通り過ぎたのです(2021年12月15日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その1)……明野駅をスタートし、宮川を渡り、神領域へ)。この離宮院跡は、あとで触れますが、斎宮の関連施設があったところなのです。やり残した宿題を解消しようという感じで、離宮院跡と官舎神社を訪ね、ついでにへんば屋でへんば餅その他を買おうと思って、出かけてきました。
離宮院跡と官舎神社の最寄り駅は、JR参宮線宮川駅。桑名から、まずは近鉄で松阪へ。桑名駅発8時40分の五十鈴川行き急行に乗車し、松阪駅には9時47分着。¥1,140。JR松阪駅発10時7分の鳥羽行き普通に乗り換え、宮川駅には10時47分に到着のはずでしたが、快速みえの遅れの影響を受け、8分ほど遅延。¥330。
宮川駅から1本道を隔ててすぐ南に森があります。この写真の左端に小さく写っているのが、宮川駅。大きな森が、離宮院跡と官舎神社。
今日歩いてきたルートマップ。現地では、マップ上は3.4㎞となっていますが、離宮院跡と官舎神社で歩き回りましたから、実際にはもっと歩いています。帰りは、近鉄山田線明野駅から電車に乗りますが、この道筋は、「歩いて伊勢参りツアー」でも歩いたルートとほぼ同じ(2021年12月15日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その1)……明野駅をスタートし、宮川を渡り、神領域へ)。
離宮院は、斎王(伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女・王女)が、伊勢神宮に奉仕する際に宿泊所としていた施設で、大神宮司の政庁や度会郡の駅家でもありました。元は、山田原沼木郷高河原(現在の伊勢市宮後、月夜見宮のあたり)にありましたが、水害によって、延暦16(797)年8月にこの地(湯田郷宇羽西村、現在の伊勢市小俣町)に移転しています。天長元(824)年に多気の斎宮(現在の斎宮跡)が不便なために、ここ離宮院を斎宮にあてたことがありましたが、承和6(839)年に火災で全焼し、斎宮は多気に戻っています。鎌倉時代以降、斎宮の廃絶によって、離宮院も次第に荒廃しましたた。大正13(1924)年に国の史跡に指定されています。
現地には、土塁が残っています。その表示もありますが、土塁ということばからは、もっと高い土の盛り上がりがあるかと思ったのですが、私にとっては必ずしもはっきりしませんでした。
敷地はかなり広大で、現在は離宮院公園として整備されています。左の写真は、宮川駅のすぐ南あたりの様子。右は、離宮院跡の説明看板。正門と思われる八脚門や、それに続く垣(塀)や建物の跡が、昭和54(1979)年の発掘調査で見つかっているそうです。ただ、斎宮跡ほどきちんとした調査は行われていないような印象でした。
「力藤」と書かれた藤棚がありました。「力藤の伝説」があり、力藤の生存した時代に必ず一人、腕の強力な力士が生まれ、決して負けなかったそうですが、何をいいたいのか、今ひとつよく分かりませんでした。その近くには、梅園があります。
官舎神社が離宮院跡の西側にあります。このようなところを通って、官舎神社の方へ歩いて行きます。東側からは、裏参道となっているようでした。途中には、皇大神宮遥拝所があります。
官舎神社は、なかなかよい感じの神社でした。神社の説明板によれば、主祭神は建御雷之男神、経津主神、天児屋根尊、姫神です。延暦16(797)年8月3日、離宮院が創設されたとき、神宮祭主大中臣朝臣諸魚らが、中臣氏祖神・春日明神を大仏山東麓津島崎から離宮院西方に遷座。平安・鎌倉時代は、延喜式内「官舎神社」と同じ神として、歴代大宮司により氏神祭が行われたといいます。15世紀後半の離宮院廃絶にともない、この社も廃れ、中世末から、近世にかけては社殿もないまま離宮の神として祀られていたそうです。寛文3(1663)年、大宮司中臣精長が、離宮の一角に中臣氏社を再興し、離宮の神と一体のものとして明治に及びました。珍しい社名ですが、大宮司の庁院や斎内親王の離宮の「官舎」に由来すると伝えられています。
「離宮さん」「旅の宮」「大漁宮」とも呼ばれ、航空・交通安全や、漁業者の方からの信仰も集めているといいます。
目を引いたのは、狛犬。狛犬には詳しくありませんが、かなりグラマラスです。「足留め」といって、不幸や、悪事、厄災を止めるために「足留祈願紐」を狛犬の足にくくりつけると効果があるそうです。
社務所の近くには、獅子岩が祀られていました。離宮院が盛んな頃、鬼門を守る災難除けとして、獅子頭に似た奇石を祀ったと思われるそうです。現在は鬼門の位置から社務所の近くに写され、石を撫でると災難除けになるといわれ、信仰を集めています。
以上で、本日の目的地はほぼコンプリート。もっと見て回るところがあると思ったのですが、ちょっと当てが外れたというのが本当のところ。離宮院跡は、国の史跡ですからもう少し整備し、説明板なども充実して欲しい気がします。宮川駅の方を回って、伊勢街道に出ます。このあたりの伊勢街道は、2回歩きましたが、いずれも桑名方面から来ました。今日は、逆に桑名を向いて行きます。小俣小学校のところに小俣町道路元標(右の写真)。
2.5㎞の手前に新出の庚申堂と、常夜灯。庚申堂は、安永年間(1772~1781年)の建立で、ここは新出村の南口。悪いものが入ってこないようにということであろうと思います。
ほぼ3㎞地点にへんばや本店。今日の2つ目のミッションは、ここでへんば餅と、昆布の佃煮を買い、さわ餅を食べてくることでした。餅屋で佃煮?と思われるでしょうが、これがおいしいのです。さわ餅は、松阪から伊勢あたりの名物餅の1つ。残念ながら、工事中で店内に埃が立つことがあるので、店内飲食は取りやめているということで、さわ餅も2個パック1つを買ってきました。
へんばやの向かいにシイの木が2本。昔は、椎の辻と呼ばれていて、このシイの木に触ると、祟りがあるといわれたそうです。
3㎞あまりですから、割と早く、12時過ぎにゴールの近鉄山田線明野駅に到着。近鉄松阪駅の駅ナカファミマで「おむすび&焼きそばセット(¥430)」をゲットしておきましたので、待合室で昼食。明野駅発12時25分の普通電車伊勢中川行きで、松阪に12時42分に到着。12時54分発の急行名古屋行きに乗り換えて、桑名駅には14時3分に到着。¥1,370。それにしても、今日の目的地は、伊勢の手前(実際には、伊勢市内)でしたが、これはやはり遠い(笑)。
今日は、やはり暑かったですね。トータルで7.78㎞を歩き、歩数は11,326。普段の散歩に毛が生えたくらいですが、暑くて、汗をかきましたし、500mlのペットボトルのお茶を飲み干しました。
こちらは、土産に買ってきたもの。左の写真で、向かって左にあるのが、さわ餅。四角に切ったのし餅に餡を挟んだシンプルなお餅です。白とよもぎの2種類があり、甘さもひかえめでした。へんば餅や、昆布の佃煮は、上のリンク先にきちんとした画像と説明があります。
オマケその1。往きに桑名駅で電車を待っていたら、ミジュマルライナーがやって来ました。上之輪新田でミジュマルライナーの写真を撮っていたのですが(2025年4月12日:長良川河口堰、長島町そして上之輪新田へ……念願のミジュマルライナーの写真も撮れました)、間近で見るのは初めて。ちなみに、途中、白塚駅にある白塚車庫にポムポムプリンがペイントされた「三十三銀行ラッピングトレイン」(2025年4月27日:今年もコアジサシはやって来たか?)が留置してありましたが、これは写真は撮れず。
オマケその2。松阪駅から乗車した参宮線の電車は、ワンマン運転でした(2枚目の写真)。ワンマン列車への乗降はすでに慣れましたが(2021年10月15日:20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ、2021年10月20日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(その1)……JR紀勢線・六軒駅を降りて、市場庄の古い町並みへ)、最初は戸惑いました(笑)。これらの写真は、車内のものですが、車外にもドアの開閉ボタンがあります。ランプが点灯している間(つまり、停車中)にこれを押すと、ドアが開閉して、乗降できるのです。宮川駅で下車する際も、先頭車両の運転室のすぐ後のドアを利用するのですが、運転士さんに切符を渡したあと、自分で「開くボタン」を押して電車を降りました。
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