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2021年10月15日 (金)

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(その1)……JR高茶屋駅をスタートし、玉造院、明治天皇島貫御小休所跡、円福寺を見て、雲出川を渡って松阪へ

Takachaya0  10月9日に行ってきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」の本編その1です。仕事があったりして、書き始めるのが遅くなりました。この日は、絶好のウォーキング日和でした。前回、前々回と雨に祟られていましたが、やはりウォーキングは天気の良い日でなくてはなりません。前回ゴールしたJR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅まで。桑名のアメダスでは、最高気温は29.2℃。現地では、暑いくらいでかなり汗を掻きました。高茶屋駅からほぼまっすぐ南下。旧三雲町(広域合併で、松阪市になっています)へ。今日も同級生K氏と。

Img_8216c_20211009192401 Img_8211c_20211009192401  桑名から津まで近鉄。桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。津駅には、9時24分着。¥700。ここでJR紀勢本線に乗り換え。9時42分の鳥羽行き普通で、高茶屋駅まで。高茶屋には、9時52分着。¥200。10時にスタート。右の写真は、高茶屋駅の跨線橋から見た津方面。

Img_8204c_20211013071401  列車は、ジーゼルの2両編成。ワンマン運転ですので、降車は、1両目の前の扉から。普通なら、ランプのついた緑のボタンを押して、ドアを開けるのですが、幸い、係員の方が添乗していて、その必要はありません。ワンマンの電車の乗り方にもずいぶん慣れました(微笑)。

Takachaya1 Img_8227c_20211013071501  こちらは、歩いたコースの詳しいルートマップその1。高茶屋駅を出て左折したところからが伊勢街道。国道165号線の高架をくぐり、JR紀勢本線の踏切を渡って南へ。玉造院、社跡と回って、その後しばらくは立ち寄るところはありません。右の写真は、伊勢街道に入ったところ。南向きで撮っています。

Img_3236c_20211013071701  Img_8234c_20211013071501 ちなみに(いきなり余談)、JRの駅名は、「たかちゃや」なのですが、地名は「たかじゃや」。左の写真は、前回撮ったもの(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。右は、町名表示板。“Takajaya”とあります。

Img_8296c_20211009192401 Img_8255c_20211009192401  最初の立ち寄り先は、スタートから700mほどのところにある龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。みえの歴史街道のマップや、ネット検索ではこれという情報は出て来ません。

Img_8259c_20211013072401 Img_8274c_20211013072401  境内には四国八十八所霊場巡りの石仏が並んでいます。これについての説明はありませんでしたが、石仏を納めた小堂には、寄進者の名前が刻まれていました。信者の方々の寄進によってつくられたものと思われます。

Img_8304c_20211013072701 Img_8311c_20211013072701  玉造院からすぐ南、伊勢街道から西に入ったところには、社跡があります。ここも詳しいことは分かりませんが、集落の南北の入り口にあったという山の神が4基、移設されていました。

Img_8317c_20211009192401 Img_8324c_20211013073001  この先、しばらく立ち寄るところはありません。田園地帯をひたすら歩いて行きます。稲刈りが済んでいないところもけっこうありました。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらいです。かつては造船所でした。西の空を見ると、まるで夏のような青空と白い雲。

Takachaya2  詳細なルートマップは、その2になります。雲出市民館を通り過ぎ、雲出島貫町の中心へ。明治天皇島貫御小休所跡碑・雲出宿柏本陣跡、円福寺、毘沙門堂跡・島貫の松、島貫の常夜燈と見て回り、いよいよ雲出川を渡ります。ここで津市から松阪市に入り、小野古江渡り跡、常夜燈を経て、本楽寺から松浦武四郎誕生地へ。

Img_8336c_20211013073801 Img_8357c_20211013172401  雲出市民館の先に津市殿木地区圃場整備事業記念碑と紀念碑。圃場整備事業紀念碑は、津市長岡村初博の揮毫。岡村市長は、昭和49(1974)~平成6(1994)年に市長在職。紀念碑は、風化していてよく読めません。碑陰には「殿木區民建設之」、さらに「第二次移住者」として4名の方の名前が刻まれていました。明治33(1900)年の建立。新しく開発し、移住して農業を始めたということかと思われます。紀念碑は、現在地の北200mの所から平成8(1996)年に移設。2つの碑の間には、よく見ると山の神が2基。どういうわけか、向かい合って建てられています。想像するに、集落の南北の入り口にあったものを、そのままの向きでここへ移設したのか? という気がします(当てずっぽうです)。

Img_8363c_20211009192401  旧雲出宿に入っていきます。スタートから2㎞を過ぎたところに、明治天皇島貫御小休所跡碑があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。今は、かつて宿場であったことを伺わせるものはないように思えます。

Img_8375c_20211009192501 Img_8379c_20211014071501  この奥に槙の木の大木と、山の神が2基あります。正式に「マキ」と呼ばれる木はなく、複数の酒類をまとめて呼ぶ名称だそうです。多くの場合は、イヌマキを「マキ」と呼ぶことが多いそうです。マキで大木をあまり見たことはないと思ったのですが、イヌマキは、高さ20mほどになるそうです。

Img_8396c_20211009192501 Img_8410c_20211009192501  いったん伊勢街道に戻って少し先を入ったところに寿光山円福寺。真宗高田派の寺。境内に、立派な蘇鉄があります。ここの蘇鉄は、10数本の株が伸びており、最も太い幹は2m近くあるといいます。県下でももっとも古い蘇鉄で、樹齢400年以上になると推定されています。津市天然記念物。

Img_8384c_20211009194801  円福寺に入っていく伊勢街道のかたわらに道標が1基あります。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_8434c Img_8439c_20211014072101  この先で伊勢街道は、雲出川に行き当たります。堤防に上がる前に、1ヶ所寄り道。すぐに毘沙門堂跡。「開運毘沙門天霊場 三十三ヶ所観世音分身安置 北畠大納言の守護尊」と石碑に刻まれています。北畠大納言は、北畠顕泰(きたばたけあきやす)。南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿・武将。右大臣北畠顕能の二男。父から伊勢国司を継ぎ、南朝方として多気を拠点に活躍したのですが、南北朝合一後は室町幕府に帰順しています。ここに毘沙門堂があり、その境内に33の観音堂があったということ。観音堂は、今は、この石碑の北側に並んでいました。

Img_8444c_20211009192501 Img_8448c_20211015043401  また、ここには、「島貫の松」の碑があります。毘沙門堂の境内にあったもので、伊勢湾台風で枯れるまで、立派な松の木があったそうです。今の松の木は、その代わりに植えられたものと思われます。

Img_8463c_20211015043701  雲出川。奈良県境にある三峰山から伊勢湾まで55㎞を流れています。川の名前の由来は、河口部一帯にある塩田の塩釜から立ち上る煙の様子が雲のように見えたことという説と、上流山地部に雲が多く、渦を巻く様子が下流部からよく見えたからという説と2つあるそうです。津市と松阪市の境。

Img_8475c_20211009192501  3㎞を過ぎて、雲出川にかかる雲出橋。北のたもとには、島貫の常夜燈。天保5(1834)年建立。宮立型。元は、ここから200mほど戻った、渡しの北岸にあったものを雲出橋の架け替えの時移設。天保元(1830)年にはお蔭参りが流行しましたが、旅人の安全を祈願して建てられています。上でも少し触れましたが、島貫は伊勢街道の宿場で栄えたところでした。昭和の初めまでは旅籠も何軒か残っていたのですが、参宮鉄道が敷設された頃から寂れてしまいました。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さは4.6mという立派なもの。

Img_8500c Img_8498c  雲出橋を渡って、いよいよ松阪市に入ります。この日の朝、同級生K氏が駅の路線図をマジマジと見て、「だいぶ歩いたな」といっていましたが、本当にそうです。今回で、全体の行程の2/3を越えるはず。

Img_8507c_20211009192601  雲出橋を渡った西側には、小野古江渡(おののふるえわたり)跡。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。慶長19(1614)年頃までは川越場から人馬によって川越をしていたといいます。江戸時代のおかげ参りでは、全国から多いときには500万人もの人が往来したそうです。明治13(1880)年に雲出橋が架けられました(現在の橋は、平成12(2000)年のもの)。

Img_8511c_20211009192501  小野古江渡跡の向かいにも常夜燈があります。寛政12(1800)年に雲出川の川端に建てられたもので、元はここから200mほど下流にあった伊勢街道の渡し場にありました。平成12(2000)年に雲出橋が新しくなるとき、ここに移設されています。幾度かの大地震で倒れたものの、そのたびに建て直されています。近年では昭和19(1944)年の東南海大地震で倒壊し、火袋が補修されました。宮立型という形で、高さは4.7m、花崗岩製。この常夜燈の西面には「常夜燈」、東面には「寛政十二龍集庚申晩春穀旦」、北面に「京都○講大坂屋藤七(○の部分は、○に漢数字の一)」、さらに南面には「腰山市左衛門 藤忠三」と刻まれています。常夜燈を見て、雲出川を下流方向に少し歩いて、堤防から降り、右折し小野江の町に入って行きますが、長くなりましたので、その1はここまで。その2は小野江の町や、松浦武四郎誕生地から。

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2021年10月 9日 (土)

20211009「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第11回「津・高茶屋~松阪・小津」(予告編)

Takachaya0  絶好のウォーキング日和でした。今日は、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第11回。「津・高茶屋~松阪・小津」に行ってきました。前回、前々回と雨に祟られていましたが、やはりウォーキングは天気の良い日でなくてはなりません。前回ゴールしたJR紀勢線・高茶屋駅から、雲出川を越え、いよいよ松阪市に入り、JR紀勢線・六軒駅まで、8㎞を歩いてきました。桑名のアメダスでは、最高気温は29.2℃。現地では、暑いくらいでかなり汗を掻きました。冒頭の画像は、コースの全体マップ。高茶屋駅からほぼまっすぐ南下。旧三雲町(広域合併で、松阪市になっています)へ。今日も同級生K氏と。まずは、予告編。

Img_8216c_20211009192401 Img_8211c_20211009192401  桑名から津まで近鉄。桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。津駅には、9時24分着。¥700。ここでJR紀勢本線に乗り換え。9時42分の鳥羽行き普通で、高茶屋駅まで。高茶屋には、9時52分着。¥200。10時にスタート。

Img_8231c_20211009192401  高茶屋駅のすぐ西で左折して、伊勢街道に入ります(左の写真)。国道165号線の高架をくぐり、紀勢本線の踏切を越えて行きます。地名は、雲出島貫町。

Img_8296c_20211009192401 Img_8255c_20211009192401  スタートから700mほどで龍護山玉造院(りゅうごさんぎょくぞういん)〔池田大師〕があります。高野山真言宗のお寺。境内には四国八十八所霊場巡りの石仏が並んでいます。

Img_8300c  玉造院から南へ100mあまりの所、西側に少し入って「社跡」を見てきました。集落の両側の入口から移設した山ノ神が4基ありました。今日、このあとにもたくさんの山の神を見てきましたが、昔はあちこちに山の神様が祀られていたのだということがよく分かります。

Img_8317c_20211009192401  このあたりは田園地帯。稲刈りが済んでいないところもけっこうありました。東の方には、JFEエンジニアリング津製作所が見えます。われわれの世代には、日本鋼管といった方が馴染みがあります。住所は、今でも津市雲出鋼管町というくらいです。かつては造船所でした。

Img_8363c_20211009192401  円福寺というお寺の近くに「明治天皇島貫御小休所跡碑」があります。ここは、伊勢街道・雲出宿本陣柏屋の跡。明治天皇は明治2(1869)年3月10日、明治13(1880)年7月7日、9日の3回、本陣柏屋で休憩されました。伊勢街道で明治天皇がお休みになられたところは、津八幡町に続いて2ヶ所目(2021年9月25日:20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末)。

Img_8384c_20211009194801  明治天皇の御小休所跡のすぐ先、円福寺の参道入り口に道標。「神明道」と刻まれています。上部が少し欠けており、また、文字もやや不鮮明になっています。神明道は、雲出長常村の神明社へ至る道を示しています。雲出長常村の神明社というのは、現在の雲出神社(津市雲出本郷町)かと思います。

Img_8396c_20211009192501 Img_8410c_20211009192501  寿光山円福寺。真宗高田派の寺。ここの境内には、立派な蘇鉄があります。ここの蘇鉄は、10数本の株が伸びており、最も太い幹は2m近くあるといいます。県下でももっとも古い蘇鉄で、樹齢400年以上になると推定されています。津市天然記念物。

Img_8431c Img_8444c_20211009192501  円福寺の先で雲出川に行き当たり、伊勢街道は右折。右折してすぐに毘沙門堂跡。「開運毘沙門天霊場 三十三ヶ所観世音分身安置 北畠大納言の守護尊」と石碑に刻まれていて、その北に、33の観音堂が並んでいました。また、ここには、「島貫の松」の碑があります。伊勢湾台風で枯れるまで、立派な松の木があったそうです。

Img_8475c_20211009192501 Img_8500c  3㎞を過ぎて、雲出川にかかる雲出橋。北のたもとには、島貫の常夜燈。天保5(1834)年建立。宮立型。元は、ここから200mほど戻った、渡しの北岸にあったものを雲出橋の架け替えの時移設。天保元(1830)年にはお蔭参りが流行しましたが、旅人の安全を祈願して建てられています。雲出橋は、450mほどもある長い橋。川には、コイかフナかと思われる、けっこう大きな魚が悠然と泳いでいました。また、アオサギ、コサギが群れになって飛び立ってきていました。

Img_8507c_20211009192601 Img_8511c_20211009192501  雲出橋を渡った、南のたもと、西側には「小野古江渡跡(おののふるえのわたりあと)」があります。雲出川は、櫛田川・宮川と並ぶ三大河川の1つで、南北朝時代には南朝方と北朝方との境界であり、軍事上の問題から橋は架けられませんでした。そのため渡し場が設けられ、その1つがこの小野古江渡です。その向かいにも、常夜燈。こちらは、寛政12(1800)年に建てられたもの。元は、ここから200mほど下流の渡し場にありました。昭和19(1944)年の東南海大地震で崩壊し、再建。宮立型花崗岩製。

Img_8547c_20211009192501  雲出橋を渡って左折し、堤防から降りて南へ。次回歩く予定の市場庄あたりにもあったと思いますが、この小野江町の街道沿いのお宅には、かつての「屋号」が表示してあり、眺めていくといろいろと想像も膨らみ、楽しいものがあります。

Img_8611c_20211009192601  スタートから4㎞、11時半を過ぎた頃に松浦武四郎誕生地松浦武四郎(文化15(1818)~明治21(1888)年)は、 探検家。幕末に蝦夷地(現北海道)を6回にわたって歩き、「蝦夷日誌」と呼ばれる調査記録をまとめています。アイヌ民族とも交流を深め、北海道開拓の基礎を築いた人。画家、書道家、歌人、登山家としての顔も持っています。ここは、その松浦の生家。入館料¥110を払い、内部も拝見してきました。客は、われわれ二人のみ。係の方に丁寧に案内や、説明をしていただけ、ラッキー。建物は天保3(1832)年の建築で、本家の家督を譲った武四郎の父・圭介が購入し、移住したといわれています。後に増改築された箇所があるものの、ほぼ当時の様子を残しているそうです。このあと、近くにある松浦武四郎記念館も訪ねようと思ったのですが、あいにく改装工事ということでした。来春完成予定とか。

Img_8651c_20211009192601  金剛寺の向かいに常夜燈。正面には「両宮 常夜燈」、裏には「文政七年甲申三月吉日」とあります。常夜燈の下部には、「江戸/乾物問屋中」とあり、江戸の乾物問屋の集まりが、文政7(1824)年に建てたと考えられます。

Img_8656c_20211009192701 Img_8680c_20211009192601  常夜燈の東に王殿山瑠璃光院金剛寺。真宗高田派。ご本尊は、来迎阿弥陀如来立像。このお寺、ご覧のように生け垣が山門風にしつらえられていました。槙かと思います。こういうのは、2018年12月23日の近鉄ハイキングのとき久居の宝窟山栄松寺でみました(20181223近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 酒蔵めぐり油正『初日』と桃園三地蔵」へ……予告編、年内のウォーキング/ハイキング納め)。

Img_8663c  金剛寺の少し東には、胎蔵界大日如来があります。お地蔵様に見えます。大日如来は、真言密教の教主にして、宇宙の実相を仏格化した根本仏。一切の現実経験世界の現象はこの如来そのものであるといわれ、諸仏諸菩薩はすべて大日如来から出生したと説かれます。さらに、大日如来には、智徳の面を現示した金剛界大日如来と,理徳の面を現示した胎蔵界大日如来とがあります。こちらの仏様は、その後者。母胎中に男女の諸子を守り育てる意義を有しており、仏の大悲が衆生を守護して育てることを意味しているそうです。

Img_8731c_20211009192701  少し飛ばして、月本追分(つきもとおいわけ)。スタートからは6㎞を過ぎています。奈良街道との追分です。左の写真(南から北を向いて撮っています)で、奥から来るのが伊勢街道、左手が奈良街道。ここには旅人や籠かきなどの休憩所であった立場が置かれていました。県指定史跡文化財で、常夜燈と道標があります。月本という地名は、古くから月読社(つきよみしゃ;月読命(ツクヨミ、ツキヨミ;月の神。夜の食国(おすくに)の支配を命じられた)を祭神とする神社)が勧進されており、月読社の本の集落という意味から生まれたといわれています。

Img_8716c_20211009192701 Img_8705c_20211009192701  「両宮常夜燈」と刻まれた常夜燈。この追分の東北の角に立っています。花崗岩製の宮立型。この常夜燈は、天保年間(1830~43年)に角屋精兵衛、綿屋萬助、村田屋新兵衛によって建立されています(角屋、村田屋、錦屋などは、ここにあった立場茶屋や煮売屋のようです)。再発起は、当国有信中により、明治3(1872)年11月に建立されています。追分の西南側には道標と変形宮立型燈籠(道標も兼ねています)があります。向かって左の道標は、高さ3.1mで伊勢街道では最大のものです。江戸時代後期に建てられたもので、東面に「月本おひわけ」、西面に「右さんぐうみち」、北面に「右いかご江なら道」、南面に「左やまと七在所順道」と刻まれています。実に立派な道標です。変形宮立型燈籠は、明治16(1883)年に再建されたもの。正面に「永代常夜燈」と、向かって右側、左側ともに「右大和七在所道/ならはせ/いがこゑ本道 かうや道」と刻まれています。「ならはせ」は奈良街道、「いがこゑ本道」は伊賀本街道。「かうや道」は和歌山街道かと思います。「大和七在所道」は、今ひとつよく分かりませんが、「『七在所巡道しるべ』(宝暦11年:国会図蔵)序文に、『伊勢参宮して大和の神社を巡高野へ行、住吉天王寺岩清水へ詣、宇治伏見を見て京へ上り、三井寺石山を巡終として帰る。是を七在所巡といふ予住所の辺にて昔よりかくいへども何所をかぞゆるやらん不知昔より巡たるあとを巡也』とある。」という記述がありました。

Img_8745c_20211009192701  月本追分を出て、さらに南へ。5.5㎞を過ぎたところに道標が1基。かなり小ぶりですが、「右からす道」と彫られています。左面には「一志驛跡」とありますが、これは後に加えられたもの。「一志驛」は、古代律令制の「駅制」で設けられた駅(30里(約16㎞)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供)。実は、この少し東には、「常夜燈(天保3(1832)年建立)」と、「勅使塚(「吾妻鏡」の中に源氏追討祈願のため伊勢神宮に向かった勅使大中臣定隆が、一志驛で急逝したことが記されており、それを元に大正8(1919)年に碑が建てられたもの)」があるのです。

Img_8768c  6.8㎞のところに三叉路。伊勢街道は、左手に向かうのですが、そこに道標、常夜燈、他1基があります。これは、伊勢街道のマップにはありません。他にあったものをここに集めたような気がします。向かって右は常夜燈で、「太一」と刻まれています。伊勢神宮では、天照大神を「太一」とする解釈がなされることがあり、実際、遷宮の際行われる御木曳の奉曳車には「太一」と記されています。これはおそらく神宮のことを意味しています。中央の道標には、正面に「左さんぐう道」、右に「津みち」とあります。向かって左にあるものは、形を見ると、橋の親柱かという気がします。穴のあいている部分には高欄が通っていたように思います。「山神松」という文字が見えますが、さらに下に文字が隠れている気がします。

Img_8775c_20211009192701  さらにすぐに中道公会所があり、石柱が1基と、道標が2基立っています。伊勢街道のマップには、常夜燈もあると書かれているのですが、それはありません(リンク先のマップは、平成23(2011)年2月現在のもの)。石柱の表には「天白村中道青年團」、裏には「昭和十二年十月建之」とありました。「天白村」は、このあたりにかつてあった村。中道もここの付近の地名ですから、地元青年団が建てたもの。中央にある道標には「右さんぐう道」とあります。この道標、中央に穴があいているという珍しいタイプ。もう一本、向かって右にある道標には、「右からす道」と刻まれていますが、ちょっと不鮮明。「天白村中道青年團」の石柱の東に金毘羅大権現と、山の神が2基ありました。

Img_8795c  中道公会所のすぐ南の民家のブロック塀の角に道標。「左からす道」とあります。「からす」は何度も出て来ますが、「香良洲」。平成18(2006)年、旧・津市など10市町村で合併するまでは、一志郡香良洲町でした。雲出川古川、雲出川、伊勢湾に挟まれた小さな町。伊勢神宮の御薗で、塩を奉納していたところ。香良洲神社の参詣者で賑わいましたので、あちこちに道標があると思われます。香良洲神社の御祭神は、天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」とされました。

Img_8808c_20211009192701 Img_8812c_20211009192701  国道23号線の高架を潜って200mも行かないところに「小津一里塚跡」の碑があります。これまで見てきた一里塚跡の碑はかなり大きくて、目立つものばかりでしたので、危うく見逃すくらい小さい。引いて撮ると左のような景色。「一里塚龍宮橋より南凡そ95メートル」と刻まれています。昭和54(1979)年に再建されたもの。

Img_8819c_20211009192701  今日のゴールに予定していた六軒駅の東、スタートからは7.7㎞のところに道標と常夜燈。常夜燈は、明治45(1912)年建立。入母屋型竿長。明治の終わり頃、参宮鉄道が開通しても、白装束の参宮客は六軒駅で降り、ここを曲がって伊勢まで歩いて行ったといいます。道標はかなり読みにくくなっていますが、「右松阪及山田○○」「左津及香良洲○○」とあります。下部が埋まってしまっていて、文字は一部不明。大正3(1914)年の建立。

Img_8835c_20211009192701  今日の伊勢街道歩きは、ここまで。この常夜燈・道標のところから、歩いてきた道を振り返った写真。道中、ずっと晴天。「日に焼けると疲れる」とか、「それは陽に当たると疲れるのだ」とかいいながら歩いてきました。

Img_8843c_20211009192701 Img_8878c_20211009192701  ゴールのJR紀勢線・六軒駅。スタートからは8㎞、時刻は、13時40分。いってはいけませんが、いかにも田舎の駅。味というか、風情があります。建物があるだけで、切符の販売機も、飲料の自販機もありません。右の写真は、跨線橋から津方面を見た写真。気持ちの良い景色が広がっています。

Img_8872c_20211009192701  津方面の亀山行き普通は14時ちょうど。1時間に1本が基本ですので、すぐに電車がなければ、近くの近鉄山田線伊勢中原駅に回ろうかと思っていたのですが、14時の電車に乗ることにします。スタートした高茶屋駅からはたったの1駅。下っていくと、次の駅は松阪駅。いよいよ遠くまでやって来た気がします。津駅には14時18分に到着。¥240。

Img_8893c_20211009192701 Dsc_6246c  3回連続になりますが、津駅の駅ビル・チャムで昼食。今回は、豚そば・ぎんやでつけ麺。¥850。つけだれはちょっと辛かったものの、美味しく食べられました。

Img_8897c_20211009204101 Img_8909c_20211009192701  昼食を済ませ、津からは近鉄。15時16分発名古屋行き急行で、桑名には16時4分着。今日の歩数は、19,444歩。現地で8㎞、自宅~桑名駅往復が2.2㎞で、計10.2㎞。天気もよかったので、いささか日に焼け、ちょっと疲れたかなと思っています。本編は、いつも通り、また明日以降ユルユルと書いていきます。

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2021年10月 1日 (金)

アオサギとアーちゃんが救いの神、今朝のバードウォッチング(お粗末)……ヤモリの赤ちゃんを発見

Img_4798c_20211001161301  我が家あたりでは、台風の影響はほとんどなく済みましたが、昼前からは、吹き返しの風(台風も来ていないのに吹き返しというのもヘンですが)が数m/s吹いています。午後から気温が上がって、27.8℃。午後から晴れてくるという予報でしたが、今のところは曇天。曇天ではありますが、朝は、木曽御嶽山や恵那山も見えていました。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常磐町、老松公園、寺町と6.4㎞。今日は九華公園をほぼ2週。

Img_4884c_20211001161301 Img_4902c_20211001161301  小型の野鳥が出て来そうで、なかなか出てこないという日々が続いていて、ちょっとしたフラストレーション(微苦笑)。揖斐長良川の中洲では、まず、三の丸水門の東にはダイサギが1羽。十万山の南端には、アオサギが1羽。これでも、今日はとくに貴重な鳥さんたち。

Img_5037c_20211001161401 Img_5080c_20211001161401  九華公園に着いたものの、最初の感想は「今日は、一段と静かだなぁ」というもの。ドバトが少しいただけ。そういう中、あおさぎさんだけはきょうもいてくれました。さらに、しばらく見ていると、あれこれ芸をしてくれ、退屈せず。左の写真は、痒くて掻いていたとき。右の写真は、身繕いの後ストレッチをしている一コマ。

Img_4952c_20211001161401  最近、アオサギがよくいる場所は、こちら。右端に写っているのが、九華橋。手前の堀は、北門を入って、相撲場と鎮国守国神社の社務所との間にある堀。赤丸の中にアオサギがいるのが写っています。ときどき「よく見つけるなぁ」といわれますが、だいたいいるところは決まっています。他の小型野鳥では、動くか、鳴くかしてくれないと気づかないこともよくあります。

Img_5083c_20211001161401  奥平屋敷跡。今日は、何も来ず。いつもなら、ハシボソガラス、ドバト、ムクドリくらいはいるのですが、今日はサッパリ。「いやぁ~、参ったなぁ」というのが正直な感想。いつものように二の丸跡、朝日丸跡、鎮国さんの境内と回ってもサッパリ。二度目の相撲場のところで、カワラヒワ数羽。これだけ(爆)。やむなく、奥平屋敷跡の鳥小屋の様子。最近、セキセイインコのひなが2羽ほど、巣箱から出て来ました。よく動くので数えられませんが、オカメインコと合わせると、50羽を越えたと思います。

Img_5096c Img_5102c_20211001161401  管理人さんが、鳥小屋の掃除中、珍しいものを見つけました。ヤモリの赤ちゃんと思います。鳥小屋の床で保護されました。セキセイインコも、オカメインコも、植物性の餌を食べますから、食べられるということはないでしょうが、鳥小屋本体からは外へ放されました。

Img_5115c_20211001161401  アーちゃんは、今日も、野球場南の堀の、決まった石の上に。これは、お休み体勢。このところ、アオサギさんとカルガモ・アーちゃんがバードウォッチングの救いの神。今日の鳥は以上(爆)。

Img_5151c_20211001161401 Img_5157c  諸戸氏庭園の祭車庫の工事の状況。祭車庫の内部は、2階建てのようになっています。その2階部分の内側は、壁が塗られているように見えました。今日は、作業が行われていましたので、住吉入江の土手越しの撮影。

Img_4792c_20211001161301  ネタがありませんので、余談で埋めます(苦笑)。アサガオ、もうつぼみはないと書きましたが、見逃していました。今朝は1つ咲いています。花の大きさは、5cmに足りないくらい。

Img_3306c  メダカの餌。メーカーは変えていないのですが、最近は、このように「にんにく配合」「納豆菌配合」というタイプにしてみました。メダカたちの食いつきは上々(微笑)。ニンニクと納豆菌が入っているなら、人の身体にも良さそうな気がしたりして、恐ろしい(苦笑)。

Img_4813c_20211001161301 Img_4809c_20211001161301  住吉神社の拝殿前。ほとんど見たことがない光景。御神酒があがっていました。それも、「純金箔入」「上撰」。何かとくにお願いしたいことがおありだったのでしょう。

Img_5128c_20211001161401  超余談。岸田文雄さん、「聞く力」があるといったことをおっしゃっていたのですが、いったい誰の話を聞くことがお得意なのでしょう? われわれ国民の話を「聞く耳」も是非とも持っていただきたいと強く願います。

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2021年9月29日 (水)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その4)……金剛寺、南昌寺、加良比乃神社の石柱、称念寺から高茶屋神社を経て、高茶屋駅にゴール(完)

Tsu5  9月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」の本編その4です。その3では、「4分間待つ信号」から成就寺まで来ました。その4では、成就寺の塔頭であった金剛寺、南昌寺と進みますが、雨がけっこう降ってきて、立ち寄りポイントは眺めただけとか、スルーとかしてしまって、先を急ぎました。マップで三角印を付したところは、立ち寄ろうと思ったものの、この日は断念したところです。

Img_3118c_20210925195701 1e5ac82d  交差点すぐのところに金剛寺。真宗高田派のお寺。もとは、成就寺の金剛坊でした。ここは、ちょっと奥まっていましたので、この日は、この写真を撮っただけ。境内には、念仏塚があります(右の写真。2019年9月22日に撮影)。「寛政六年甲寅季秋中旬勢州一志郡垂水邨法林山金剛教寺」と彫られています。成就寺は真言宗醍醐寺派であるのに、ここと次の南昌寺は、成就寺の塔頭であったにもかかわらず真宗高田派になっているのには疑問がありますが、理由は不明。

Img_3122c_20210925195701 Img_3124c_20210928041801  こちらが金剛寺の南にある南昌寺。真宗高田派。こちらはとくに由緒あるものはないようでした。

Img_3131c_20210925195701  南昌寺から南へ150mほどのところに須賀神社があります。事前の調べでは、「垂水の産土神」ということでした。前回の近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の時もパスしてしまったのですが、この日も雨でしたので、この写真だけ撮って、通過してしまいました。主祭神は、建速須佐之男命。他に12柱の神様が合祀されています。由緒は不明ですが、明治時代に加良比乃神社に合祀されていたものを昭和26(1951)年に分祀。これを書くのに再び調べたら、境内に「首切られ地蔵」があるということでした(こちら)。織田信長が北畠家を攻略する際、身代わりになって切られたお地蔵様だそうです。

Img_3134c_20210925195701  スタートから7.8㎞の手前に石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社(からびのじんじゃ)への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。加良比乃神社は、垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、神殿を建築して鎮座したところとされます(すなわち、いわゆる「元伊勢」の1つ)。そのとき、この地は水が不便な地であり、この神社のある場所の片側が急な斜面になっているため、樋を用いて泉の水を引いたことから「片桶宮」と称しました。4年を経て、御神記によって他所に遷座されたのですが、この宮跡に御倉板擧神、伊豆能売神を祀り「加良比乃神社」となり、土地の人々が産土神として崇敬してきました。ちなみに、「加良比」は「片樋」のなまったものといわれています。2019年9月22日に訪ねていますので、詳しくはその時の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)。加良比乃神社の参道の途中、南側に円光寺がありますが、ここもパスしています。

Img_3151c  城山特別支援学校の東を歩いているはずですが、学校は森の向こうで見えません。伊勢街道の東側に紀念碑がありました。「髙郷井用排水路改修竣工紀念 三重縣知事 田中 覚書」と読めます。「髙郷井」は、江戸時代初期、雲出川に堰を設け、戸木村(現・津市戸木町)から雲出地域まで水路を通し、高茶屋で三分(髙郷井、八寸、揚溝)して水田を潤した水路の一つ。この工事は、津藩2代藩主・藤堂高次公が、西島八兵衛(慶長元(1596)~延宝8(1680)年:藤堂高虎の近習として禄高150石で仕えて以来、高虎の信頼を得て津藩を水利・灌漑の面から支えた人物)に命じて行わせたもの(こちらを参照)。その高郷水を排水する水路を改修したということなのでしょうが、碑陰を見られず、また、ネットでも情報は出てこず、この改修工事そのものについては分かりませんでした。ちなみに、田中 覚(たなか さとる、明治42(1909)~平成14(2002)年)が三重県知事であったのは、昭和30(1955)~昭和47(1972)年)でした。

Tsu6  詳細なルートマップは、いよいよ最後、その6に入ります。残る立ち寄り先は、称念寺と高茶屋神社の2ヶ所。雨は相変わらず降り続いています。この先で伊勢街道から離れ、JR紀勢本線・高茶屋駅へゴール。

Img_3161c  天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗。みえの歴史街道(伊勢街道)の資料には、「円光大師二五霊場」とあります。円光大師二十五霊場のリストにはありません。こちらのWeb版浄土宗大辞典によれば、これ以外に、正式なものを模倣して作った「うつし霊場」がいくつかあるそうです。円光大師は、法然上人の勅諡号。寺の前に常夜燈1基と、六阿弥陀堂があると、伊勢街道の資料にあるのですが、常夜燈はどこを見てもありません。

Img_3168c_20210928064801  こちらは、六阿弥陀堂。六阿弥陀堂の前にある石碑などのうち、向かって左のものには「薬師堂記念碑 六阿弥陀堂 昭和五十年五月建?」とあります。ちなみに、六阿弥陀(ろくあみだ)は、もともと阿弥陀仏を安置する六つの寺を巡拝すること。元禄年間(1688~1704年)のころから行基作と伝える阿弥陀像を祀る六か寺を春秋の彼岸に参詣して歩くことが盛んに行われたことに始まります(詳細はリンク先をご覧ください)。その後、各地に「○○六阿弥陀」ができたそうです。

Img_3171c_20210928065201  称念寺の先に「耕地整理記念碑」がありました。高茶屋村の東部地区の耕地整理は村を一変する大事業として、大正9(1920)年、時の村長服部米次郎の陣頭指揮の下に実現しました。この記念碑は、昭和16(1941)年に建立されていますが、長年の夢が叶って今までの湿田が美田になり、村の明るい将来が約束された喜びが歌われています(碑文は、こちらの7~8ページにあります)。

Img_3194c  高茶屋神社(たかぢゃやじんじゃ)。高茶屋(たかぢゃや)は、高台にあり周辺に茶屋が多かったことが名前の由来です。高茶屋神社は、通称、粟嶋さんと呼ばれています。主祭神は、玉柱屋姫命です。志摩郡伊雑村の神である、伊佐波登美命の奥方です。倭姫命を出迎えた神様で、豊受社の神様だそうです。玉は星とすると、屋は夜という意味なので、「星の柱の夜の姫」という意味になります。つまり、天の川のお姫様。

Img_3186c_20210925201101  第53代淳和天皇の時代の824年、一志狭山枚男という人が伊雑村の祭神をこの地に祀り、栗嶋神社と称したとされます。粟嶋神というのは、1,500年前、粟で作られた船で航海の折、紀州灘佐之郡という所に漂着し、この神、粟嶋大明神を祀ったところ、人々の病を治したというので、病を治してくれる神様、または薬の神様として伝わっています。昔、高茶屋神社は、玉柱屋姫命の祭神のほかに九ヶ所に祠が奉られその祭神をあわせて、十社宮と呼ばれていました。後に、十社杜、粟嶋神社などを明治41(1908)年に合祀し、高茶屋神社となりました。ちなみに、鎌倉時代、津市には神宮領である御厨・御園が20近くありました。高茶屋神社は、4ヵ月に一度神に塩を献上する神社として指定をうけていたといいます。また、十社の森と呼ばれ、街道の勅使休泊所として使われたそうです。雨でしたので、拝殿まで上がる余裕がありませんでしたので、詳しくは近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング」の記事をご覧ください(2019年9月25日:20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ

Img_3182c  余談。伊勢街道から最初の鳥居のところにこんなものが。御幣のところに、これは恵比寿様のお顔でしょうか。ウ~ン、いったい何のため??

Img_3197c_20210928112601  このあとは、ゴールの高茶屋駅に向かいます。写真は、高茶屋駅に向かって左折するとき、振り返って見た伊勢街道。路面はしっかり雨に濡れています。

Img_3206c_20210925201601 Img_3211c_20210928112701  雨の中、JR紀勢本線・高茶屋駅には、13時15分に到着。ところが、津方面に向かう亀山行き普通は、13時13分に出たばかり。ここには普通しか止まりません。紀勢本線と呼ぶにもかかわらず、基本的に1時間に1本しか走っていない(爆)。「次は?」と時刻表を見たら、何と14時8分。やむを得ません。待合室で、おやつを食べながら、話をして待つことに。

Img_3214c_20210925201601 Img_3236c_20210928112801  駅は、明治26(1893)年に参宮鉄道が、津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されたという歴史のある駅。ご覧のように、昭和30~40年代にでもワープしたかのようなレトロ感たっぷりの駅です。同じ紀勢線の駅では、一身田駅に似ています。ちなみに、JRの駅の名前としては、「たかちゃや」。町名は「たかぢゃや」。

Img_3253c_20210925201601 Img_3249c_20210925201601  高茶屋駅には、切符の販売機もありませんし、トイカなどカードで乗車できる機械もありません。同行のK氏は、「おい、どうやって乗るんだ?!」 駅に掲示があります。1両目の後ろのドアから乗車し、そこにある整理券を取り、降りるときは1両目の前のドアから。整理券と運賃を入れるという、ワンマンバスと同じスタイル。ちなみに、ドアは、ランプのついているボタンを押して開けなければなりません。などなど、心配し、予習した上で、14時8分の亀山行き普通に乗車。ところが、本来は、ワンマン運転なのですが、乗った電車には係員の方が乗車しており、整理券は取る必要がなく、車内で精算してもらえました(微笑)。津駅までは200円。14時18分着。ということは、今日、雨も降る中、3時間45分もかけて歩いてきたのに、10分で戻ってしまうことになります(苦笑)。

Img_3259c_20210925201601 Dsc_6237c  今日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。今日は、信州そば処「そじ坊」。雨にも濡れてしまいましたので、温かいそばをということで、にしんそば。税込み¥950。時分時をはずれ、客は我々二人のみ。

Img_3256c  食事を済ませ、近鉄で帰ります(左の写真は、JR津駅の駅名表示板)。14時56分発名古屋行き急行に乗車。桑名駅には15時40分に到着。¥700。帰宅は、16時頃。後半、雨に降られてしまい、パスしたところも何ヶ所かあり、ちょっと残念な気もしますが、天気ばかりはやむを得ません。

Img_3269c_20210925201601  この日の歩数は、ご覧のように、22,540歩。現地で9.9㎞+α、自宅から桑名駅往復が2.5㎞ですから、合計12.4㎞+αを歩いてきました。これだけ歩くと、さすがにしっかり歩いたなという気がします。

Isemairiallc Isemairi8c  ところで、今回で「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」も第10回でした。今年4月9日に桑名の七里の渡し跡をスタートし、東海道を歩いて、四日市の日永の追分から伊勢街道に入りました。七里の渡し跡から、目的地の伊勢神宮・内宮まで、どこにも立ち寄らず、ひたすら東海道と伊勢街道とを歩くと、約94㎞あります。どのあたりまで来たかというと、これらの2枚のマップのようになります。左のマップは、コースの全体像。半分は優に超え、2/3に迫るところまで来ています。右は、拡大図。JR高茶屋駅の西で、約56.5㎞です。1回のウォーキングで、コースマップ上(立ち寄り先は含まないで)、6~7㎞を歩いていますが、毎回の積み重ねは大きいといえます。

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2021年9月27日 (月)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(その2)……津の観音さん、大門商店街から浄安寺、閻魔堂、市杵島姫神社から阿漕町神明神社へ

Tsu2  9月25日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回「津・栄町~津・高茶屋」、その2です。その1では、津駅をスタートし、四天王寺など寺巡りをして(というか、この間、お寺しか見るところがありません)、塔世橋を渡りました。冒頭の画像は、詳しいルートマップのその2です。塔世橋からしばらく国道23号線を歩き、2㎞地点で左折し、東に入ります。津観音寺にお参りし、大門商店街を通り、フェニックス通りを越えて岩田川を観音橋で渡ります。

Img_2778c_20210927040401  いきなり余談から。国道23号線から東に入るところに松阪肉の朝日屋があります。たぶん三重県では有名。東京にも支店があるようですが……。有名というのは、たとえば、大晦日にすき焼きを食べるということはよくあると思いますが、ここは大人気の店で、たくさんのお客さんが買いに来る光景が、ローカルニュースで毎年、取り上げられるのです。

Img_2781c_20210927040401  さて、国道23号線から東に入ったあたりの伊勢街道の様子。国道からいうと、1本裏道ということ。国道沿いとはずいぶん雰囲気も変わってきます。ちなみに、この辺を歩いている頃から、空には雲ばかりになってきます。

Img_2787c_20210927040401  観音寺に行くのですが、西側の門から入るため、2.3㎞地点で左折し、いったん伊勢街道からは離れます。観音寺に行く途中、津大門シネマがあります。平成13(2001)年4月に閉館した津東宝劇場の建物や設備を用いて、平成16(2004)年3月に津大門シネマとして開館。しかし、平成21(2009)年7月に閉館。大門シネマと同じビルに入っている喫茶サンモリッツ(ここも歴史があるようです)は、営業しています。

Img_2834c_20210925185001 Img_2805c_20210925184901  恵日山観音寺。地元では、「津の観音さん」と呼ばれています。真言宗醍醐寺派。本尊は聖観音菩薩。日本三大観音の一つとされます(ちなみに他の2つは、浅草観音、大須観音)。和銅2(709)年の建立とされ、室町時代の永享2(1430)年に、将軍足利義教が勅命を奉じ境内に三重塔や恵音院を建立したり、延徳2年(1490)には天台真盛宗の開祖、真盛上人が山内不動院に滞在し、観音堂に於いて説法され天台真盛宗を広められたといいます。ここは、2度ほど訪ねています。四天王寺の詳しいことは、3年前の「勝手にハイキング」の記事にあります(2018年5月 1日 :20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その2)……乱歩の墓のある浄明院、阿漕平治に関わる上宮寺、西来寺、大門商店街から津観音、2018年5月 2日:20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その3)……津観音から、蜂蜜まん本舗、千寿で天むすをゲットし、お城公園へ)。

Img_2840c_20210925185001 Img_2862c_20210927040601  津観音から南に出ると、大門商店街。観音寺の先の四つ角に道標があります。「すぐ こうのあみだ 左 げこうみち・右 さんぐうみち 左 こうのあミだ」とあります。碑陰には、「明治廿五年十二月立之□セハ松田傳兵衛/桝田伊蔵」。「こうのあみだ」は、津観音寺を指しています。明治25(1892)年建立。大門商店街は、ご多分に漏れず、往時の賑わいはありません。

Img_2868c_20210927040601  道標から西に入ったところに、平治煎餅本店があります。平治煎餅は、津の銘菓の1つ。よくあるカステラ生地の薄焼き煎餅。桑名でいえば、かぶら煎餅。平治煎餅の由来は、こちら。この由来にある平治のエピソードから「阿漕な」ということばができています。店だけ見てきました。さらにこの近くには、蜂蜜まん本店天むすの千寿などがあります。千寿は、天むす発祥の店。ただし、今日は、どれも食べてはいません(笑)。

Img_2860c_20210925185001 Img_2865c_20210925185001  大門商店街には、津宿の本陣跡と、脇本陣跡があります。ただし、今はまったく別の店になっています。本陣跡は百五銀行、脇本陣跡はニューマツザカヤというブティック。

Img_2868c_20210927040601  もう1店。大門商店街の南の端に「とらや本家」。ここは、いちご大福などが名物というか、いちご大福発祥の店だそうです。そのいちご大福が生まれたのは昭和61(1986)年。とらや本家のご主人とおかみさんが、たまたま休憩のときに、あまった大福餅にいちごをのせて食べたところ、これが意外に美味しかったことから、約1ヶ月の 研究を重ね、その年の2月13日から販売を開始。その後も、お客さんへの店頭での試食やアンケートを重ねて今のスタイルになったということです。他にもさまざまなフルーツ大福があり、近鉄ハイキングで立ち寄ったときに、「なし大福」を食べたことがあります(2019年9月11日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その2)……平治煎餅本店、津観音寺、大門商店街、とらや本家、閻魔堂、市杵島姫神社から「まんどさん」)。この日は、「もも大福」という看板が出ていましたが、立ち寄っていません。

Img_2872c_20210925185001  フェニックス通りを渡ります。津市中央と津市なぎさまちとを結んでいます。中央分離帯にフェニックスが植えられていますから、このように呼ばれています。近鉄道路までは、昭和42(1967)年に開通しています。フェニックスは八丈島産で、6m間隔で99本植えられているそうです。

Img_2882c_20210925185001  スタートから3.3㎞で岩田川に行き当たります。本来の予定では、前回、ここまで歩いて、近鉄津新町駅に向かうはずでした(笑)。なので、ここまでは、前回の宿題をしていた感じ。岩田川にかかる観音橋を渡っていきます。この橋について詳しいことは分かりませんが、その名前からして、観音寺の参道というような意味合いがあるのかも知れません。

Img_2884c Img_2894c_20210927040601  観音橋の数10m上流に国道23号線の岩田橋がかかっています。橋の北詰には、松菱百貨店。昭和11(1936)年5月、三重県初の大型百貨店である大門百貨店として開業した老舗。駐車場に車が溢れていましたが、この日は「全国うまいもん博」を開催していたためか? 岩田橋南詰の西側には、百五銀行本店(右の写真の中央のビル)。明治11(1878)年12月、旧津藩(藤堂氏)の武士たちにより、国立銀行条例に基づく第百五国立銀行として設立されています。

Img_2898c_20210927065801 Tsu3  岩田橋のところからが、本来の第10回伊勢詣りツアーのスタート。詳細なルートマップはその3へ。津球場の東あたりは、国道23号線を歩きます。浄安寺に立ち寄ってから、岩田交差点で左折し、東へ。真教寺、市杵島姫神社、教圓寺と進み、阿漕の町へ入ります。阿漕の町には古い家並みが残っています。ここで、阿漕町神明神社にお参り。

Img_2938c_20210927065801 Img_2917c  ノーチェックでしたが、岩田山浄安寺。浄土宗。国道から立派な鐘楼門が見えましたので、立ち寄って来ました。室町時代末期の永禄3(1560)年、玉蓮社瑞誉上人秀等大和尚により創建されました。桶狭間の戦いがあった年です。

Img_2921c_20210927065801  本堂の前に法輪があり、「法輪をまわしましょう」という説明がありました。法輪があるのは、初めて見ました。車の輪が回り続けるように、未来に向かって永遠に広められていく仏の教え、すなわち仏法を象徴しているということです。法輪をまわすと、お釈迦様の御経をすべて読んだことになるそうです。

Img_2927c_20210927065801  また、境内には平子鐸嶺(ひらこたくれい)の墓所があります。平子鐸嶺(明治10(1877)~明治44(1911)年)という方は知りませんでしたが、三重県出身の明治時代の美術史家。東京美術学校を卒業。若くして亡くなっています。内務省古社寺保存会委員で、法隆寺非再建論をとなえました。

Img_2931c_20210927065801  平子鐸嶺墓所のとなりに「聯芳塔(れんぽうとう)」というものがありました。墓のようですが、現地ではよく分かりませんでした。これを書くに当たって、ネットでいろいろ調べてみたら、お寺の歴代住職の墓をこう呼ぶことがあるようです。なるほどと思うと同時に、知らないことは、本当にたくさんあるものだとも思います。

Img_2960c  岩田交差点を左折し、東南へ向かいます。この頃から空模様が一段と怪しくなり、雨が当たってきました(苦笑)。真教寺につく前からやむなく、傘を差して歩き始めるほど。スタートから5㎞を歩いて、阿古木山真教寺(あこぎざんしんきょうじ)。天台宗。通称は、「閻魔堂」。慶長19(1607)年、津藩第2代藩主である藤堂高次公が建立したと伝わっています。ここは、津城下への南の入り口に当たります。悪霊や疫病が津の町に入らないようにという願いが込められているのです。

Img_2952c_20210927165601 Img_2949c_20210927165701  御堂の中には、閻魔王座像や、円空作という十一面観音立像が安置されています。十一面観音立像は、総高236cmで円空仏としては屈指の大きさだそうです。左の写真では、正面が閻魔王座像、向かって左が円空作の十一面観音立像。余談ですが、この目の前に三重交通のバス停があり、その名もまさに「エンマ堂前」。我々が閻魔堂の中を覗いて降りようと思ったら、ちょうどバスが来て、乗車扉が開きました(苦笑)。乗ってしまうと、この日のゴールである高茶屋駅のすぐ近くにあるイオンモール津南まで行けたのですが、いくら何でもそういう訳にはいきません。

Img_2946c_20210927165601  閻魔堂には、その手前に(西に)地蔵堂もあります。中には、お地蔵様が3体いらっしゃいました。

Img_2973c_20210927170801  閻魔堂に並んで、市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)があります。この写真で、向かって左が閻魔堂、右が市杵島姫神社

Img_2963c_20210925185001  市杵島姫神社は、通称「弁財(べざい)さん」。それによって、このあたりの地名が、津市下弁財(しもべざい)町。この付近にあった庚申塚の境内に、建武年間(鎌倉時代から室町時代(南北朝時代)にかけての1334~1336年まで、後醍醐天皇の代の元号)、伊勢の国司であった北畠氏が守り本尊としていた市杵島姫大神を祀って町の産土神として崇めたといいます。主祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。相殿神は、建速須佐之男命、宇迦之御魂命、大物主神、猿田毘古神、大山津見命、天照皇大御神、徳川家康、事比良神。万物の生命をつかさどる水の神、音楽芸能、子孫繁栄の神様として崇敬されています。この神社には、青銅製の「湯立釜」があります(市指定文化財)。釜屋町(現・北丸之内)の辻氏と並び称された中山村(現・津市栗真中山町)の鋳物師・阿保氏の作(元文5(1740年鋳造)。

Img_2968c  境内には樹齢が、400年とも500年ともいわれる、大きなイチョウの御神木があります。周囲は約4m。昭和20(1945)年の津空襲の時、湯気のようにもうもうとしたものが出て御神殿をつつみこみ焼失を防ぎ、風の向きも変え、火の手を止めたといわれています。

Img_2986c_20210925185001 Img_2984c_20210927165801  市杵島姫神社からすぐのところに一乗山教圓寺。真宗高田派のお寺。落ち着いた良い感じのお寺ですが、由緒などは不明(案内板はなく、ネット検索でも情報は出て来ません)。

Img_2990c_20210927165801  閻魔堂や市杵島姫神社から南の伊勢街道沿いには、古い家がかなりたくさん残っていて、風情を感じます。たとえば、こちらのお宅。大垂があり、連子格子になっています。

Img_3010c_20210925185001  教圓寺から南へ150mほどのところに阿漕町神明神社があります。ここは一風変わった神社で街道脇に鳥居があるのですが、そのすぐ奥が拝殿となっています。鳥居も拝殿も小振り。江戸時代の絵図には「一万度祓(いちまんどはらい)納社」として描かれているそうです。説明板によると、悪病が流行して町中がとても苦しんだ時に、人々が相談して阿漕町の中心部に神社を祭り祈祷したところ、病が治まったことから、町の守護として信仰を集めるようになり、毎年4月8日に大祭が催されるようになったといいます。

56aa99c5 50fe27db  珍しいことに、御祭神(大日孁貴命(オオヒルメノムチノミコト;天照大神の異称)は屋根に作られた天窓の上に祭られています。これら2枚の写真は、2019年5月10日に撮影したもの(20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。この近鉄ハイキングの時は、氏子の方がいらっしゃり、許可をいただいて、拝殿前でかがみ込んで見上げて撮ったもの。このように天窓の上に神様がいらっしゃるので、地元では「まんどさん」と呼ばれています。

Img_2996c_20210925185001 Img_3000c_20210927180701  「まんどさん」がどんな風になっているのか疑問だったのですが、以前はこの両側に家が建っていて裏側は覗けませんでした。この日は、向かって右が更地になっていましたので、裏に回れました。ご覧のように、奥(東側)の屋根から出た柱に本殿(といっていいのでしょうが)が固定されていました。この本殿を、上左の写真にあるように、拝殿にある天窓から拝むという仕組み。なぜ、わざわざこのようなスタイルにしたのでしょう? きっと理由はあったと思うのですが、ネットで調べる限りは不明。その2はここまで。その3は、阿漕町神明神社殻150mほど先にある薬師庵跡、松原寺など阿漕を歩いて、国道23号線を西に越え、垂水に入っていきます。

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2021年9月25日 (土)

20210925「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第10回「津・栄町~津・高茶屋」(予告編)……今日も雨に降られる始末

Tsu0   天気予報が微妙でしたが(微妙というのは、桑名など三重県北勢地域は晴れか曇り、津から南は弱い雨)、エイヤッと、「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第10回に行ってきました。前回、降雨コールドゲームではありませんが、途中、津駅までで断念しましたので、今日は津駅からスタート(津駅は栄町にあります)。前回の残りで津市の岩田川あたりまでがプラス。ゴールは、高茶屋。JR紀勢線・高茶屋駅に設定。冒頭の画像は、今日歩いたコースの全体像。現地で歩いたのは、9.9㎞+α。スタートした津駅あたりでは晴れ間もあったのですが、途中、5㎞地点の閻魔堂・市杵島姫神社に着く前から雨が降り始め。その後は、強弱はあったものの、ゴールの高茶屋駅までほとんど雨。前回の再現フィルムのような感じ。今日は、予告編。同級生K氏と二人旅が続いています。

Img_2551c_20210925184901  桑名駅を8時42分に発車する五十鈴川行き急行に乗車。津駅には9時24分着。いつも非常勤に行くときと同じ時間帯。津駅東口に出て、9時半にスタート。東に向かい、国道23号線の1本手前を右折し、伊勢街道に入ります。スタートしたときは、ご覧のように青空。

Img_2580c_20210925184901  右折してまもなくさらに右折し、寄り道。馬寶山蓮光院初馬寺真言宗御室寺派。聖徳太子が厄除け、病気平癒のため開創したという伝承があります。通称は、津の初午さん。三重四国八十八ヶ所第64番札所。津藩主が藤堂高虎の時、藩主祈願所となっています。

Img_2634c Img_2667c_20210925184901  伊勢街道に戻って、スタートからほぼ1㎞で、塔世山四天王寺。曹洞宗。推古天皇の勅願によって、聖徳太子が建立したといいます。戦火で荒廃と復興を繰り返していましたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓があります。その他、藤堂高虎夫人の九芳院の墓、斎藤拙堂らの学者・文化人の墓、幕末の写真家で藩校有造館で化学を講じた堀江鍬次郎(くわじろう)の墓などがあります。さらに、芭蕉翁文塚など詩文に関係深い碑も数多い。

Img_2671c_20210925184901  こちらは、織田信長、信包の生母である、土田御前のお墓。土田御前(どたごぜん/つちだごぜん、?~ 文禄3(1594)年)は、天正18(1590)年、信包を頼って伊勢安濃津城に移り、文禄3(1594)年に死去、ここ四天王寺に祀られました。

Img_2834c_20210925185001 Img_2805c_20210925184901  四天王寺からは、伊勢街道に戻らず、そのまま安濃川へ出て、塔世橋を渡ります。しばらく国道23号線を進み、松阪肉の朝日屋のところから国道を外れ、東へ。スタートから2㎞を過ぎると、恵日山観音寺。通称、「津の観音さん」。真言宗醍醐寺派。和銅2(709)年の建立とされ、室町時代の永享2(1430)年に将軍・足利義教が勅命で三重塔などを建立しています。

Img_2840c_20210925185001  観音寺の南には、大門商店街がありますが、ご多分に漏れず、往時の賑わいはありません。観音寺のすぐ南に道標が1基。「すぐ こうのあみだ 左 げこうみち・右 さんぐうみち 左 こうのあミだ」とあります。この近くには、平治煎餅本店蜂蜜まん本店天むすの千寿などがあります。今日は、どれも食べてはいません(笑)。

Img_2860c_20210925185001 Img_2865c_20210925185001  大門商店街には、津宿の本陣跡と、脇本陣跡があります。ただし、今はまったく別の店になっています。本陣跡は百五銀行、脇本陣跡はニューマツザカヤというブティック。

Img_2872c_20210925185001 Img_2882c_20210925185001  フェニックス通りを越えて、観音橋を渡ります。観音橋は岩田川にかかっており、この近くには、百五銀行本店や、松菱百貨店があります。岩田橋の南たもとに出て、そのまま国道23号線をしばらく進みます。

Img_2960c Img_2963c_20210925185001  津球場を超えた、国道23号線岩田交差点の先で、伊勢街道は左折し、柳山に入っていきます。スタートから5㎞程のところに、阿古木山真教寺(通称、閻魔堂)と、市杵島姫神社が並んでいます。閻魔堂には、閻魔王座像や円空作十一面観音立像などがあります。江戸時代、このあたりは津の南の端で、津藩2代藩主・藤堂高次公が建立したものです。津の城下に悪霊や疫病が入り込まないようにという願いが込められています。市杵島姫神社は、通称「べざいさん」。建武年間(650年程前)からこの地にあり、伊勢の国司であった北畠氏が守り本尊としていたご神体が、ここに遷ったといいます。主祭神は、市杵島姫命。

Img_3010c_20210925185001  阿漕町神明神社。江戸時代、悪病が流行して町中がとても苦しんだとき、人々が相談して阿漕町中心部に神社を祀って、祈祷したところ、病が治まったといいます。ここの通称は「まんどさん」。拝殿の天井中央あたりに天窓があり。その向こうに 大日孁貴命(おおひめむるちのみこと:天照大神の異称)が祀られています。

56aa99c5 50fe27db  こちらがその「まんどさん」。拝殿の内部を撮影したものです。天井の中央あたりに天窓があり、そこだけ明るくなっているのがお分かりいただけると思います。拝殿の手前にしゃがみ込んで、見上げて撮った写真が右のもの(これらの写真は、2019年5月10日に撮影したもの:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。

Img_2996c_20210925185001  「まんどさん」がどんな風になっているのか疑問だったのですが、以前はこの両側に家が建っていて裏側は覗けませんでした。今日は、向かって右が更地になっていましたので、裏に回れました。この写真のようになっていました。これって、バラしたらマズい情報でしょうか?

Img_3032c_20210925185001 Img_3035c_20210925185001  神明神社の先には薬師庵跡、松原寺と続きます。薬師庵跡は、この山門をくぐったところ。地蔵堂と、空き地の奥に石碑が建っており、北畠国主の祈願仏であった薬師如来の庵があったのです。永禄12(1569)年、兵乱により家士等が如来様をゆかりのある一志郡松崎村の船乗りを業とする者に預け、厨子に入れたまま小船に乗せ、ここ八幡の地に安置すべく、新たに庵室を建てたのですが、平成18(2006)年に、この南にある松源寺とともに火災で焼失してしまいました。その松源寺は、天台真盛宗のお寺で、代々の津藩主の位牌が祀られているそうです。ここの山門と地蔵堂は、以前に来たときから一新されていました(2019年9月12日:20190907近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅7日目~伊勢街道、旅人気分で津のまちから垂水へ」(その3)……山二造酢、薬師庵跡、松源寺地蔵堂、明治天皇津八幡町御小休所碑、香良洲道との追分を経て、やっとの思いで昼食にありついて後、南が丘駅にゴール(完))。山門は、簡素化されたというとお叱りをいただくかも知れませんが、そんな印象。地蔵堂は、山門脇にあったものが奥に新設。地蔵は、弘法大師作と伝わります。宝暦年間(1751~1761年)、松源寺に立ち寄ったあと、富士参りに向かった度会郡の人が富士山中で道に迷っていたら、旅僧に姿を変えたこの地蔵に助けられたという逸話が伝わっています。

Img_3048cImg_3074c_20210925185001  その先で、「史跡明治天皇津八幡町御小休所」という石碑が、民家の敷地内に建っています。さらに進み、国道23号線南垂水交差点の手前に、小さな橋と追分。右の写真で、小さな橋(これが思案橋)の手前から左に入る道が、香良洲(からす)道といい、香良洲神社に行けます。「からす詣らな片参宮」といわれ、伊勢参宮の往路か復路に多くの人が香良洲神社を訪ねたといいます。この橋のところで、香良洲神社に参ろうかどうか思案したところから、思案橋と呼ばれたのです。

Img_3088c_20210925185001 国道23号線を越えてしばらく行くと、このような表示のある信号に出ます。このあたりの伊勢街道は、道幅が狭く、また、バス路線にもなっています。そのため、この信号機は、交互通行式になっています。赤の時は、4分間待つ必要があり、そのように表示されています。

Img_3114cImg_3100c_20210925195701  この「4分間待つ信号」は、さらに先の成就寺のところの信号とも一体となっています。成就寺は、真言宗醍醐寺派。ご本尊は大日如来座像。白河法皇によって建立され、七堂伽藍の大きな寺でした。水に恵まれなかったここ垂水で、良質な水が出て、街道を通る人も水を求めて立ち寄ったといいます。西行法師も立ち寄り、歌を残しています。

Img_3118c_20210925195701 Img_3122c_20210925195701  成就寺の先には、かつて成就寺の塔頭であった金剛寺と南昌寺があります。理由は定かではありませんが、どちらも現在は、真宗高田派となっています。このあたりでは、雨がけっこう降っていましたので、先を急ぎ、ゆっくりお参りはしていません。

Img_3131c_20210925195701 Img_3134c_20210925195701  南昌寺から南へ150mほどのところに須賀神社があります。ここは、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーで来たときもパスしました。また来る機会があるだろうと思ったのですが、今日も雨で、結局パス。「垂水の産土神」です。その先、伊勢街道脇に、石柱と、青銅製の常夜燈があります。ここは加良比乃神社(からびのじんじゃ)への参道の入り口。石柱には、「式内加良比乃神社」とあります。常夜燈は、明和元(1764)年の建立。加良比乃神社は、ここから西へ150mほど入ったところにあります。近鉄ハイキングできたこともあり、今日は雨でもありでパス。こちらに近鉄ハイキングで来たときの記事があります。垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神を奉戴し、神殿を建築して鎮座したところとされます。

Img_3161c Img_3194c  雨で先を急いでしまっています。天神橋を渡ると、すぐ右手に(西側に)、寳福山雙樹院称念寺。浄土宗のお寺。称念寺のすぐ先に高茶屋神社。高茶屋という名前は、高台にあり、周辺に茶屋が多かったことに由来。鳥居のところに常夜燈があります。文久3(1863)年のもので、「十三社 常夜燈」とあります。

Img_3186c_20210925201101  ここも、2019年9月22日に来ていますので(20190922近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅8日目~伊勢街道、旅人気分で垂水から雲出へ」(その1)……南が丘駅をスタート、成就寺、金剛寺、南昌寺から元伊勢の一つである加良比乃神社、称念寺、高茶屋神社へ)、拝殿の下まで行って、後はパスしてきました。

Img_3206c_20210925201601 Img_3207c_20210925201601  雨の中、JR紀勢線・高茶屋駅には、13時15分に到着。ところが、津方面に向かう亀山行き普通は、13時13分に出たばかり。ここには普通しか止まりません。紀勢本線と呼ぶにもかかわらず、基本的に1時間に1本(爆)。「次は?」と時刻表を見たら、何と14時8分。やむを得ません。待合室で、おやつを食べながら、話をして待つことに。

Img_3214c_20210925201601 Img_3249c_20210925201601  駅は、明治26(1893)年に参宮鉄道が、津~相可(現・多気)~宮川間で開業した際に設置されたという歴史のある駅。ご覧のように、昭和30~40年代にでもワープしたかのようなレトロ感たっぷりの駅です。同じ紀勢線の駅では、一身田駅に似ています。14時8分の亀山行き普通に乗車。本来は、ワンマン運転ですが、乗った電車には係の方も同乗。整理券は取る必要がなく、車内で精算してもらえました。津駅までは200円。14時18分着。ということは、今日、雨も降る中、3時間45分もかけて歩いてきたのに、10分で戻ってしまうことになります(苦笑)。

Img_3259c_20210925201601 Dsc_6237c  今日もまた、津駅ビル2階のチャムで昼食。今日は、信州そば処「そじ坊」。雨にも濡れてしまいましたので、温かいそばをということで、にしんそば。税込み¥950。時分時をはずれ、客は我々二人のみ。

Img_3269c_20210925201601  食事を済ませ、近鉄で帰ります。14時56分発名古屋行き急行に乗車。桑名駅には15時40分に到着。¥700。帰宅は、16時頃。今日の歩数は、ご覧のように、22,540歩。現地で9.9㎞+α、自宅から桑名駅往復が2.5㎞ですから、合計12.4㎞を歩いてきました。これだけ歩くと、さすがにしっかり歩いたなという気がします。本日は、予告編ということで以上。本編はまたボチボチ書くことにします。

Img_2848c_20210925185001  余談を1つだけ。ブロ友のひらいさんの好物(微笑)。TASTERという会社が、KINGのブランドで展開しているオリジナル自販機オリジナル商品は安いのです。180mlの缶コーヒーは¥80。大門商店街の一角に置いてありました。

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2021年9月22日 (水)

鳥はおらず、証拠写真ばかり……意気の上がらない天候

Img_1655c_20210922162101  上天気はなかなか続かないようです。今日は、ほぼ曇りですが、ときどき雨。散歩中も、霧雨に何度か見舞われました。いつも通り7時半から歩き始め、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、春日さん(桑名宗社)、三崎通、寺町、御坊さん(桑名別院)と6.3㎞。けっこう蒸し暑くて、汗をかきました。

Img_1677c_20210922162501 Img_1683c  鳥はいるような、いないような(苦笑)。揖斐長良川、今朝は、満潮が6時23分(四日市港)で水が多く、昨日のように、ダイサギやアオサギは来ていません。七里の渡し跡ではスズメ。ここにはいつも数羽のスズメがいます。柿安コミュニティパークでは、ムクドリが数羽いたほか、ハクセキレイも1羽。

Img_1726c_20210922162101  九華公園には8時前に到着。アオサギは、九華橋の近くの樹上で、身繕いに懸命。翼をきちんと手入れしておかないと、いざというときに飛ぶのに差し障りがでるのだそうです。今日は、カワセミがいないどころか、北門から相撲場のあたりには、キジバト、ドバトが少しいただけ。曇天で、雨も降りそうですから、こんな日は鳥見にはあまり向きません。

Img_1772c_20210922162101  奥平屋敷跡でも、ドバト、ムクドリばかり。ハシボソガラスもあまり来ませんし、カワラヒワもほとんどいません。奥平屋敷跡の北側で、何かがパッと飛んでは戻るという動きを繰り返していました。ヒョッとしたらと思い、しばらく見ていたら、フライキャッチャーが登場。しかし、遠くて、暗くて、また、向こう向きの位置ばかりで、コサメビタキなのか、エゾビタキなのかなど、判然とはせず。チョー証拠写真(苦笑)。

Img_1780c_20210922162101 Img_1784c_20210922162101  二の丸跡、朝日丸跡でも鳥はいません。九華すずめ食堂支店の屋根は、修理どころかリノベーションされて、元管理人Oさんが持ってこられました。「石を載せたらどうだ」といった方があって、そのようになりました。今日は、久しぶりに餌も置いて行かれたのですが、私が見ていた間には、鳥は来ず。

Img_1813c_20210922162101 Img_1821c_20210922162101  カルガモのアーちゃんは、元気でした。このところ、毎日います。吉之丸堀の東側のエリアが気に入っているようです。貝塚公園でも、証拠写真。シジュウカラが2羽。今日は、やはりバードウォッチングには不向き。

Img_1854c Img_1868c_20210922162101  そういうことだからではありませんが、春日さんに寄って来ました。社務所の改修工事が始まったとインスタに投稿されていたのです。

Img_1861c_20210922162101 Img_1865c_20210922162101  不勉強にも知らなかったのですが、春日さんの社務所は、明治天皇が宿泊された明治時代の旧船津屋の建物を移築したものだそうです(昭和35(1961)年に移築)。宿泊された部屋が残っており、随所に菊の紋が使われているとか。『明治天皇御製』の掛け軸もあるといいます。左の写真で手前の「社務所」の看板がある建物がそれ。向かって左奥の建物は取り壊されます。社務所は、改修の上、来春に一般公開の予定。村正のレプリカなどもここで常設展示されると聞いています。

Img_1884c_20210922162101  お彼岸なので、御坊さんへお参り。私にとっての恒例行事。実家方面へ行くと菩提寺はあるのですが、いかにも遠い。何度か書きましたが、墓はありません。そのため、いつも御坊さんにお参りしています。

Img_1533c_20210922165501  今日のような天候ですと、意気が上がりません(苦笑)。毎度のことですが、ソーラーパワーは偉大だといつも思います。「九華公園の野鳥たち」の改訂作業を進めていますが、悪い癖が出て、いったんやり始めるとあちこち気になってしまい、なかなか収拾がついていません(爆)。野鳥の説明文を修正したり、もっとマシな写真はなかったかと過去のブログを探したり、です。後期の授業準備は、第3回のレジメを修正し終えました。自分で自分にカツを入れるため、鎮国さんの狛犬のドアップ写真を載せておきます。

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2021年9月13日 (月)

20210912「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第9回「津・一身田~津駅」(その2)……三重大学前から江戸橋を渡り、上浜の町を通って津駅へゴール(完)

210912takadahonzan0  9月12日、雨の中を出かけてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第9回「津・一身田~津駅」のその2です。4㎞しか歩いていませんので、今回のマップは1枚。三重大学の前(西)の国道23号線を歩いています。雨は本降りに近いくらい。国道23号線の新江戸橋の手前で、伊勢街道に架かる江戸橋の方に逸れ、上浜の町へ入っていきます。ここは、津宿の北の入り口。お寺2箇所、阿部家住宅、小丹神社、鶴之宮跡碑を見て行きます。雨が弱まるかと期待したのですが、それはなさそうでしたので、津新町駅まで行くのを諦め、津駅をゴールに変更。

Img_7016c_20210913031301 Img_7019c_20210913031301  三重大学の西の国道23号線。その東側に大学のキャンパスが広がっています。スタートから2㎞ほど。10時50分過ぎ。ここに教育学部、生物資源学部、工学部、人文学部、医学部、医学部付属病院(右の写真)が集まっています。

Img_7027c_20210913031301  医学部付属病院の北、23号線から見ると、左に風力発電の風車が見えます。愚息は、この風車の勉強をしていました。大型の3枚羽根のものの他、縦型のコンパクトな風力発電の風車もあります。これは、左の写真で、大型の風車の左手前に見えているのですが、写真では分かりにくいかも知れません。

Img_7031c_20210913031401 Img_7044c_20210913031401  2.4㎞のところで、国道23号線から右(西)に逸れて行き、江戸橋を渡ります。志登茂川にかかっています。津にあるのに、なぜ江戸橋というのか?という疑問がおありかも知れません。津藩主・藤堂氏が参勤交代で江戸に向かうとき、家臣などがこの橋のたもとまで見送りに来たことから江戸橋と名づけられたとされます。橋には、右の写真のような参勤交代のレリーフが飾られています。こちらの江戸橋は、市道に架かるもの。4年ほどの架け替え工事を経て、平成31(2019)年の春、新しい橋が完成しています。

42755caa Img_7048c_20210913031401  近鉄江戸橋駅から三重大学に通う学生の皆さんなどの利用が多いので、写真のように車道と、自転車道、歩道とが分離され、しかも、自転車歩行者専用道の部分がかなり広くなっています(左の写真は、2019年9月1日に撮影)。江戸時代には橋は架けられていたといいます。余談ですが、ここはまたバードウォッチングのスポットでもあります。令和元年度の後期は、授業の帰りにバードウォッチングに立ち寄っていました(たとえば、2019年10月30日:非常勤の帰りに志登茂川でバードウォッチング)。今年度後期も授業に来る予定ですから、また、ここで冬鳥を見られると思います。

Img_7059c_20210913031401 Img_7063c_20210913031401  江戸橋を渡ったところの交差点の北東には、常夜燈と、高田本山への道標が立っています。常夜燈は、安永6(1777)年に建立された、津市内最古の常夜燈です(津市指定文化財)。高田本山への道標には「左 高田本山道」と刻まれています。高田本山専修寺へはここから北へ、伊勢別街道をたどっておよそ3㎞。明治22(1889)年に「愛知縣名古屋市別院下請講中」によって再建されたと刻まれています。

Img_7071c_20210913031401 Img_7075c_20210913031401  この常夜燈と道標のある交差点が、伊勢別街道との追分で、伊勢別街道の終着点。伊勢別街道は、亀山市にある関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、ここまでの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)。伊勢街道はこの交差点で左折し、南に向かいます。左の写真で、左手が江戸橋。伊勢街道は、写真奥の方向に進みます。右の写真で、右の方に続く道が伊勢別街道。冒頭のマップと合わせてご覧ください。

Img_7079c_20210913031401 Img_7083c  交差点を左折して、伊勢街道を上浜の町へと進みます。スタートから2.8㎞のところにあるのが、真宗高田派の深正寺(じんしょうじ)。「お寺も1箇所くらい、寄って行くか」という次第。雨で歩きにくかったのですが、ここのお寺は庭もあり、緑も多くて、雨に濡れて、風情がありました。県の有形文化財に指定されている「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」を所蔵しています。これは、14世紀中頃の製作と考えられ、鎌倉時代来迎図の成立事情を示す極めて貴重な資料だそうです。

Img_7091c_20210913031401 Img_7105c_20210913031501  深正寺を出てすぐの左手(西側)に阿部家住宅があります。醸造業の大店。このあたりは、醸造業を営む者が多かったといいます。阿部家は、江戸時代から伊勢街道沿いに店を構える商家で、もとは酒造業でしたが、明治時代に味噌醤油醸造業に変わっています。その主屋は典型的な大店の商家建築で、市の文化財に指定されています。主屋は伊勢街道に面して東向きに建っています。主屋の間口は7間半(13.5m)で、外観は切妻造、桟瓦葺きの大屋根となっています。さらに、右の写真でわかるように、卯建(うだつ)が上がっていますし、庇の下には「おおだれ(雨除け)」があります。その他、大戸、荒格子、千本格子など、大店の格式と貫禄が窺えます。上記のリンク先に詳しい説明や、図面があります。建築様式から見て、江戸時代後期の建物と考えられています。現在も、阿部喜兵衛商店として営業しています。機会があれば内部も是非見たいところです。

Img_7122c_20210913035501  こちらの写真は、このあと訪ねた光蓮寺から見た阿部家住宅。主屋の南側には倉庫などに使われた南棟が付属しているのがよく見えます。主屋に向かって右、松の木が見えているところには、高塀と木戸があります。

Img_7109c_20210913031501 Img_7119c  阿部家住宅の先、東側には、真宗本願寺派の宝池院八葉山光蓮寺。広い駐車場の奥に山門があります。境内にはよく手入れされた、枝振りのよい松。なかなか落ち着いた感じのお寺でした。

Img_7136c  3.1㎞を過ぎたところ、右手(西側)に小丹(おにの)神社の拝殿。2年前、近鉄ハイキングの伊勢詣りツアーで来たときには、よく分からなかった神社です(2019年9月 8日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その3)……阿部家住宅、鶴之宮跡碑から近鉄津駅にゴールして、美濃味匠でランチ(完))。本社は、上浜西の山上に鎮座しています。延喜式内社で、埴夜須毘売命(はにやすひめのみこと)大山祇神を祀っています。景行天皇(第12代天皇。垂仁天皇の第3皇子)の時代に鎮座したといいます。

Img_7144c_20210913031501  上浜町一丁目の上浜南公園に「鶴之宮跡碑」があります。津藩の第2代藩主・藤堂高次公が、この場所で狩りをしていて鶴を射止めたちょうどそのとき、朝廷より官位昇進の知らせが届き、大変めでたいことであったので、その射止めた鶴を埋めて、社殿を造り、祀ったということによります。しかし、神社は、明治40(1907)年に小丹神社(津市上浜町6丁目、JR紀勢線・近鉄名古屋線の西)に合祀され、社殿はなくなりました。現在は、この石碑が建っています。碑は、昭和7(1932)年9月に建之。こういうところに鶴がいたのかと思うのですが、江戸時代初期は、このあたりは原野だったそうです。

Img_7158c_20210913031501 Img_7161c_20210913031501  上浜町の南端から栄町あたりにかけての伊勢街道。このあたりは、鈴鹿で働いていた頃から、知らないところではないのですが、もっと古い家などが建て込んでいて、道も狭かった記憶があります。一帯は再開発され、きれいになっていて、昔の面影はありません。途中、「伊勢参宮街道」という、新しい石碑もあります。

Img_7163c_20210913031501 Img_7169c_20210913031501  国道23号線・津駅東交差点のすぐ西。この日の伊勢街道歩きは、ここまで。写真の左手が国道23号線。ここで右折すると、すぐに津駅。JR紀勢線と近鉄名古屋線、伊勢鉄道が乗り入れています。

Img_7174c  11時40分に到着。1時間半で4㎞を歩いてきました。写真は、東口で、こちら側がJRと伊勢鉄道の津駅。

Img_7181c_20210913031501 Img_7179c_20210913031501  食事をして帰ることにして、駅ビルの津Cham2階へ。蕎麦屋、サイゼリア、パン屋などあるのですが、いつもの美濃味匠へ。「お総菜カフェ」。弁当などを売っているのですが、イートインができるのです。この日は、「たまごわやさしい」弁当。たまご、まめ、ごま、わかめ、やさい、さかな、しいたけ、いもの頭文字で、バラエティに富んだ、栄養バランスのよい弁当。その場で暖かいしいたけご飯を入れてもらえ、¥712。

1631416392316c  続いて、1階にあるドトールでコーヒータイム。1階には津銘菓を売っている土産物屋さんがあるのですが、ちょっと覗いて、蜂蜜まんの話をしていたら、店員さんが、近鉄の切符売り場の前で売っていると教えてくれました。

1631417804701c Main  こちらが、蜂蜜まんの出張販売店舗。こしあんを、蜂蜜風味の皮が包んでいます。本店で焼き立てをほおばると皮がぱりっとしていて、美味しいのです。緊急事態宣言が出たため営業していないという話も聞いていたので、これはラッキーでした。10個入り¥600を土産に購入。これでお分かりのように、1個¥60。津の方のソウルフードといってもよいでしょう(蜂蜜まんの写真は、レッ津ゴー旅サイトからお借りしました)。

Img_7185c_20210913031501  津駅を12時40分発の名古屋行き急行に乗車できました(電車が少し遅れていたお蔭)。桑名駅には、13時22分着。桑名の方は、雨はあまり降らなかったようです(苦笑)。まぁ、こんなもの。駅までクルマで迎えに来てもらい、帰宅途中に、知事選挙・県会議員補欠選挙の投票に行ってきました。

Img_7191c_20210913031501  4㎞しか歩いていませんでしたので、歩数は、ご覧のように、9,778歩と伸びていません。「雨にも負けず」の伊勢詣りツアー第9回は、これにて「完」。四天王寺、津観音、大門商店街などを回って、津新町駅まで行く予定でしたが、それは次回に回します。次回は、津新町からJR紀勢線の高茶屋までを計画していました。今回の残りを加えると、歩く距離が9㎞近くになりますが、チャレンジしてみよう、ダメなら途中で、近鉄南が丘駅までにしようという相談がまとまっています。

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2021年9月 5日 (日)

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その3)逆川神社にお参りし、昼食を摂って高田本山駅にゴールで「完」

210828isemairi84  8月28日の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その3です。その2では、津市栗真小川町に入り、善行寺、観音寺と回って来ました。約6㎞を歩いています。観音寺の先で近鉄名古屋線の踏切を渡ります。そのすぐ先に逆川神社。ずっと以前、鈴鹿で働いていた頃から、近くの国道23号線を通ると、「逆川神社前」という交差点があり、変わった名前の神社だなと思っていました。ここにお参りして、この日の目的地はコンプリート。ゴールは近鉄高田本山駅にしてあったのですが、その前に餃子の王将三重大前店に立ち寄って昼食を摂った後、志登茂川を渡って、ゴール。

Img_3137c_20210829151001 Img_3134c  逆川(さかがわ)神社。スタートから7㎞ほど。時刻は、12時20分頃。主祭神は、伊邪那美命。他に、高御産巣日神(たかみむすびのみこと;高天原にあらわれた造化三神の一神。天照大神とともに高天原を主宰する)、豊宇気比売命(トヨウケビメノカミ;豊受大神の異称)、豊玉毘売命(トヨタマビメ;海神豊玉彦神の娘。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)の妻となる)、神産巣日神(かんみむすひのみこと;別天神(ことあまつかみ)の一神で、天御中主神、高皇産霊尊とともに造化三神をなす)、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト;天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき、鏡を作った神)、大国主命建速須佐之男命菅原道真大山祇命天之菩毘能命を祀っています。

Img_3150c_20210829151001 Img_3160c_20210829151001  後一条天皇の頃(11世紀前半)の創建と伝わっています。この神社は、しもやけの宮として知られ、境内にある弁天池や逆川の水を、土用の丑の日にくみ取り手足につけると、ひびやしもやけ、下の病に効くといわれ、昭和の初期ごろまでは、はるばる東京・大阪・京都からもこの水を取りに来る人がいたといいます。社殿の裏手には弁天池があります。かつては立派な松林があったそうです。

Img_3154c_20210904075301 Img_3170c_20210904075301  境内は広く、かつては立派な松林があったといいます。境内西側には、橿原神宮遙拝所が(左の写真)、また、南東側には、神宮遙拝所がありました(右の写真。こちらはもちろん、伊勢神宮を遙拝するところ)。

Img_7661c_20210904075501  「かっこ踊」の絵馬2面が津市指定文化財となっています。この踊りは、津市内の何カ所かで伝承されています(かんこ踊というところもあります)。田植えの装束に身を包んだ「かんこ」と呼ばれる踊り手が、胸に「かっこ」(太鼓)を吊り、背中に18本の「しで」を背負いながら、豊作や厄病退散などを祈願し踊るもの。ちなみに、家内の実家の辺りでは、「かんこ踊」として伝わっており、地区ごとに行われていました。結婚してしばらくの頃に見に行ったことがあります。

Img_3180c_20210829151001  珍しい名称の神社ですが、その由来は、この神社の南側に「逆川」が流れていることから。この川は東から西へ流れているので、逆川と名付けられました。すなわち、このあたり、ほとんどの川は、西から東へ流れ、伊勢湾に注ぐのですが、流れが逆向きということです。写真は、神社の南で撮ったもの。ただし、以前来たときと同様、水はよどんでいて、流れてはおらず、西に流れているのかどうかは確認できませんでした。

Img_3187c_20210829151001  これでこの日の目的地は、ほとんどコンプリート。栗真中山町の伊勢街道を国道23号線栗真中山町交差点に向かって歩いて行きます。途中の民家のところに、津の地酒である「寒紅梅酒造」の看板があって気になりました。三重大学ブランドの日本酒もつくっていますが、酒蔵巡りではありませ(苦笑)。安政元(1854)年創業で、現在で7代続いているそうです。「寒紅梅」というお酒は、飲んだことがありません。酒屋さんで見つけたら試してみましょう。

Img_3199c_20210829151001 1630122847678c  ゴールの前に、昼食。国道23号線栗真中山町交差点近くにあった餃子の王将三重大前店へ。スタートからは7.8㎞、12時40分頃。この日は、ことのほか暑かったので、「餃子でビールを1杯やったら堪らないだろなぁ」といいつつ、餃子と焼きそばに留めました(苦笑)。¥682。もっと若かったら、ビールを飲んだと思いますが、ロートルがこの状況で飲んだら、しばらく動かなく(動けなく?)なりそうです。13時15分頃昼食を済ませ、近鉄高田本山駅へ。

Img_3208c_20210829151001 Img_3211c  駅の手前で志登茂川を渡ります。この下流で、非常勤先の近くを流れています。また、江戸橋もかかっています。その江戸橋は、伊勢街道にかかっています。次回、江戸橋を渡り、津の市街地に入ります。

Img_3228c Img_3238c_20210828200001  ゴールの高田本山駅には、13時25分頃到着。トータルで4時間ほどかかりました。駅の手前の踏切で、ちょうど「ひのとり」が通過。何度見てもカッコイイ電車です。ちなみに、真宗高田派本山の専修寺は、ここから西へ1.4㎞ほど。13時34分発四日市行き普通に乗車。白子駅に13時49分に到着。13時51分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名駅には、14時22分着。¥700。

Img_3278c_20210828200101  この日現地で歩いたのは、8.4㎞。歩数は、19,331歩。これには、自宅から桑名駅往復の2.2㎞も含みますので、この日のトータルの歩行距離は、10.6㎞。さすがに疲れ、帰宅後は、午睡(というか、爆睡していました)。次回、第9回は、9月11日の予定。高田本山駅からスタートし、江戸橋を渡り、伊勢別街道との追分から津駅前を通って、四天王寺、津観音、大門商店街などを経て、津新町駅まで7.1㎞の予定。

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2021年9月 4日 (土)

20210828「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第8回「津・河芸~津・一身田」(その2)……旧上野宿から高山地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社、痔神社を経て栗真の町へ

210828isemairi82  8月28日に歩いてきた「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」の第8回「津・河芸~津・一身田」の本編その2です。その1では、旧上野宿の満流寺まで来ました。スタートからほぼ2㎞、時刻は、10時20分頃です。スタートしたのが9時半でしたから、まだ1時間も歩いていません。冒頭の画像は、詳細なルートマップのその2。その2では、光勝禅寺にお参りして、朝陽中学校前で河芸郡役所跡、国道23号線を東に渡って、高山地蔵尊、地蔵尊、松林寺、中瀬八幡神社と回って行きます。

Img_2956c_20210829150801 Img_2926c_20210828200101  輝雲山光勝禅寺。伊勢上野城跡から700mほどのところにあります。伊勢街道からは少し西に入っています。臨済宗妙心寺派のお寺。伊勢上野藩主・分部光嘉が嫡男・光勝の菩提を弔うために、慶長6(1601)年に開創しました。光勝(みつかつ)の菩提寺ですから、光勝寺(こうしょうじ)ということ(光勝は29歳で病死)。ご本尊は、宝冠釈迦如来。分部光嘉は文禄3(1594)年、豊臣秀吉の直参となり、伊勢上野城主(河芸町)1万石を領しました。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いで東軍に加わり、2万石の伊勢上野藩主となったのですが、光勝寺開創後亡くなっています。宝暦元(1751)年、光勝寺は現在地に移転しましたが、明治30(1897)年に焼失。その後再建。

Img_2933c_20210903174801Img_1241c_20210903175101  境内には、観音堂があり、そこに祀られている馬頭観音は初午観音と呼ばれ信仰を集めています。右の写真は、2019年2月 2日の撮影(20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。これで、上野宿を見て回ってきたことになります。

Img_2973c_20210829150901 Img_2979c_20210903180201  津市立朝陽中学校のところまで来ました。ここには、かつて安芸郡河芸町(あげぐんかわげちょう)役場がありました。ほぼ3㎞地点。昭和29(1954)年10月、河芸郡豊津村・上野村・黒田村が合併して河芸郡河芸町が発足。平成の大合併(平成18(2006)年)で津市と合併。役場の庁舎は、それに先だって平成12(2000)年に移転し(現在の津市河芸支所)、旧庁舎は平成13(2001)年3月に解体されました。朝陽中学校の前で国道23号線を地下道でくぐります。

Img_2985c Img_2993c_20210829150901  国道23号線を越えてすぐに、高山地蔵尊。ここは、上野城時代に罪人を処刑する場所であったといわれます。地蔵は処刑された武士の霊を慰め、この地で不慮の災害にあった人の菩提を弔うために建てられたといいます。右は、その先ある別の地蔵尊。こちらの由緒は不明。この2つの地蔵尊は、リソースによって写真and/or説明が入れ替わっていたりして、過去にはちょっと混乱しましたが、この記述で間違いないと思います。それにしても、右の写真の地蔵尊、由緒不明の割に屋根が立派。

Img_2999c_20210904032601 2つの地蔵尊を見て、さらに伊勢街道を進みます。詳細ルートマップその2には書きませんでしたが、松林寺の手前に「常夜燈」と彫られた石柱が建っています。省略してしまいましたが、その1で書いた上野神社の社号標のところにも同じようなものがありました。もちろん、この石柱が常夜燈ではありません。ここに常夜燈があったということなのでしょうか。街道歩きをしていても、あちこちにちょっと考えるとよく分からないもの・ことがあります。

Img_3003c_20210829150901 Img_3007c_20210829150901  玉光山松林寺。4㎞地点の手前で、11時頃。松林寺と中瀬八幡神社とが隣り合っています。松林寺は、天台真盛宗のお寺。詳細については、不明。

Img_3017c_20210829150901 Img_3019c_20210829150901  その隣に中瀬八幡神社。ここは、中瀬金城の守護神。明治41(1908)年、上野神社に合祀されたものの、昭和26(1951)年に分祀されました。ここで11時頃でしたので、休憩したのですが、草ぼうぼうでヤブ蚊がたくさん。蚊に刺されながら、20分ほど滞在(苦笑)。

Img_3023c_20210904034301  座るところがありませんでしたので、失礼して拝殿前に腰を下ろして、ヤブ蚊を追い払いながら水分補給とおやつ。休憩しながら、目の前の景色を見ていたら、何となく、「子どもの頃見た、夏休みの景色」という感じがして写真を撮ったものの、私のイメージからはかなり離れた写真しか撮れず。さほどマジメに写真のトレーニングに励んできた訳ではありませんが、改めて「写真は難しいなぁ」と独り言。

210828isemairi83 Img_3030c  ヤブ蚊から逃げるため、いつもの休憩よりも早く退散。伊勢街道は、国道23号線中瀬交差点で、その23号線と同じルートを辿るのですが、この中瀬交差点の東にあるのが、痔神社。私自身は、2度ほど訪ねています(たとえば、2019年9月 6日:20190901近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅6日目~伊勢街道、旅人気分で河芸から潮風薫る江戸橋へ」(その1)……豊津上野駅をスタート。屋根の上の鍾馗様を見つけ、痔神大明神にお参り、権現山観音寺と常夜燈)。

Img_3043c Img_3039c_20210829164101  痔神社の起源、由来については不明ですが、土地の神である「地神」から「痔神」へと呼び名が変わったという説があります。参詣する方は地元だけでなく、県内や、豊橋、名古屋、大阪からもあるといいます。毎年4月3日が祭礼日。この日にはとくにたくさんの方がお参りされるそうです。ご神体は白蛇であるといわれ、海から渡ってきたと伝わっています。明治40(1907)年頃には、45cm位の小さな須屋(仮小屋)の祠でしたが、大正の末頃に一身田、森の一女人が、痔疾がこの神社の霊験によって治癒したお礼に大きな祠を奉納し、これよって痔神として霊験あらたかであることが知られて、信奉者も増えたといいます。

Img_3035c_20210828200901 Img_3045c_20210904035801  ご神体は、影重の神社へも渡るともいわれているそうです。影重の神社とは、ここから北東へ700mほど行ったところにある八雲神社であろうと思います。国道23号線中瀬交差点に戻るときに気づいたのですが、右の写真のように、「ぢ神参道」という石柱が建っていました。こういう石柱が建っているということは、かなりたくさんお参りする人があったのだろうと思えます。

Img_3065c_20210829150901  中瀬交差点からは1㎞ほど国道23号線を歩きます。日陰もないので、暑いこと。さらに、歩道は車道とは分離されているとはいえ、近くを車がビュンビュン走るのは、あまり気持ちの良いことではありません。スタートから5㎞を過ぎ、栗真小川町に入って、伊勢街道は国道23号線から右(西)に逸れて行きます。

Img_3072c_20210904040601  栗真小川町に入ってしばらく行くと、民家の敷地に地蔵堂。地蔵堂は、あちこちにありますが、由来が分からないものもたくさんあります。地元の方に伺うと分かるのでしょうが、街道マップやネット情報には、よほど有名でないものは出て来ません。ここも由来は不明。

Img_3082c_20210829150901  スタートから6㎞ほどで、栗真山善行寺。真宗高田派。境内に道標があり、「是より尓しい志てん道」と刻まれていると「ちゃんと歩ける伊勢参宮街道・善光寺街道」にも、「みえの歴史街道」のみえの歴史街道」の「伊勢街道」のマップにもあったのですが、見つけられず。境内にあるとか、裏庭にあるとか、情報源によっていろいろ(苦笑)。迷います。

Img_3115c_20210829151001 336da59c 善行寺のすぐ南に観音寺が見えています。宗派や、詳細については不明。熊野勧進十界曼荼羅図(津市文化財)が一幅収められています。これは、江戸時代初めのもので、縦132.2cm、横126.2cmの地獄・極楽の絵。熊野信仰の布教と関わって描かれたもので、熊野比丘尼が折りたたんで携行し、勧進や布教の道具として使用したといいます。熊野勧進十界曼荼羅図は三重県に数多く残っているそうです。

Img_3109c_20210829151001Img_3100c_20210829150901  境内には、いろいろのものがありました。まずは、馬頭観音の石碑。馬頭観音は、観世音菩薩の化身で、六観音の一つ。人身で、頭が馬のものと、馬の頭飾りを戴くものとがあり、馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされます。しかし、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されています。馬頭観音の石碑の脇に小さい石碑。「子」という文字が見えますので、「子安観音」かという気がします。この他、彰功碑、地蔵堂があります。彰功碑は、小菅宣弘を顕彰する碑です。小菅氏は、この観音寺を再建するに当たってとくに功績があったと刻まれています。再建3周年を記念して、昭和45(1970)年3月に建立されています。

Img_3119c_20210829151001 観音寺の門前(南側)には、常夜燈があります。竿石の正面には「太神宮」、右側に「権現」、碑陰に「文化三丙寅年六月」、左側には「金比羅大権現」とあります。文化3年は、1806年。「太神宮」はもちろん、伊勢神宮のこと。この常夜燈の西側には石柱が建っています。が、かなり風化が進み読めません。「七月三日」という文字は分かりましたが、他は残念ながら不明。碑陰も読めませんでした。常夜燈は、火袋が失われています。伊勢街道沿いにあったのかも知れません。

 その2は、ここまで。その3では、逆川神社を訪ね、昼食を摂ってから、近鉄高田本山駅へゴールの予定。

 

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