20250612勝手にハイキング「津・円光寺で沙羅双樹の花を見る」(一回完結)
昨日(6月11日)の中日新聞朝刊に「沙羅双樹、はかなき美しさ 津・円光寺で見頃」という記事が載っていました。沙羅双樹の花については、あの平家物語の冒頭にも出てきますし、お釈迦様のご入滅された場所にはこの木が四方を囲んで植えられていたという話もあります。この記事を読んだら、沙羅双樹の花を見たいと思ってしまい、今日、早速出かけてきました。円光寺は、津市河芸町上野にありますが、このあたりは伊勢街道が通っています。ついでに伊勢街道も久しぶりに少し歩くかとも思ったのです。
昨日のうちに、このコースをつくりました。近鉄名古屋線千里駅から伊勢街道に入り、田中地蔵堂、田中川河川改修竣功記念碑・常夜灯跡、上野公民館(明治天皇御休所址)、最勝寺、上野神社から円光寺へ。さらに、伊勢上野城跡(本城山青少年公園)、枡形・道路改修記念碑、弘法井戸、道路元標跡、満流寺から近鉄名古屋線豊津上野駅まで、3.6㎞のコースです。さらに、今朝、Googleマップを見ていましたら、豊津上野駅の近くに小伝塚という旧跡があるのを見つけ、そこにも立ち寄ってきたという次第。
桑名駅を8時1分に出る近鉄四日市行きの準急に乗車。この電車、近鉄四日市駅に8時24分に着くのですが、この車両がそのまま8時31分発の白塚行き普通になるのです。通勤時間帯ですから、急行は混んでいますので、多少時間はかかっても、この方が楽チン。千里駅には9時10分に到着。¥680。9時15分にスタート。なお、千里駅から伊勢上野城跡までは、6年前の近鉄ハイキングで歩いています(2019年2月2日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(予告編))。詳しい記事は、その時のものをご覧ください(2019年2月8日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その1)……千里駅をスタートし、上野神社、円光寺へ、2019年2月11日:20190202近鉄ハイキング「名所・旧跡めぐり お江の里と海の幸」へ(その2)……伊勢上野城跡、光勝寺から八雲神社でお祓いを受ける)。
国道23号線を越えてじきに田中地蔵堂。民家の間に立っていますが、由緒などは不明。近くを流れる川が田中川であるための名前かという気がします。その先、大蔵橋で田中川を渡ります。渡ったところが、上野宿の北の入り口。橋を渡ったところに「田中川河川改修竣功記念碑(昭和59(1984)年の建立)」。昭和49(1974)年7月25日に豪雨があり、その水害からの復旧工事が終わったことを記念するものです。この脇に小さな説明板には、「常夜燈があり、向かい側には接待所・光明院もあった」と書かれていました。常夜燈は今はありません。
初めにも書きましたが、今日歩いたところのほとんどは、伊勢街道で、上野宿に当たります。右は、上野公民館ですが、ここは元秋田家住居址であり、明治天皇御休所址です。2回ここでお休みになったそうです。
伊勢街道からいったん離れて、真宗高田派の金光山最勝寺。明応4(1493)年の創建とされます。20mほどの高台にあり、お寺からの眺めは良好で、伊勢湾までよく見えます。
続いて、上野神社。創始年代は不詳ですが、伊勢の国司・北畠氏の祈願社として奉祀されたと伝えられています(建徳2(1371)年という説があります)。主祭神は、誉田別尊。境内社に八幡稲荷神社、さらに神宮・皇居遙拝所もあります。
9時45分、本日の主たる目的地、萬松山円光寺に到着。臨済宗東福寺派のお寺です。ご本尊は、釈迦牟尼。延文3(1358)年、栗真庄中山(現在の津市栗真中山町)に後光厳天皇の勅願寺として開創されたと伝えられています。徳川秀忠の正室となったお江にゆかりのある寺として有名。竹林などに囲まれた、大変雰囲気のよいお寺です。沙羅双樹と、紅葉で知られています。
沙羅双樹の木は、現在10本あるそうですが、咲いていたのは、まだ1本だけ。山門を入った、左手にある木でした。沙羅双樹は、フタバガキ科サラノキ属の常緑高木ですが、日本の寺院に聖樹として植わっている木のほとんどは、ナツツバキ(夏椿)だそうです。沙羅双樹は、耐寒性が弱く、育たないので、ナツツバキを沙羅双樹として扱うことが多いそうです(こちら)。
沙羅双樹は、仏教の三大聖樹の1つで、お釈迦様が入滅された場所には、この木が四方を囲んで植えられていたのですが、入滅された際にこの木が枯れて、鶴の羽根のように白くなったとの伝説から、仏教では聖木とされています。また、朝に咲き、夕方には散ってしまう一日花で、はかなさを象徴しています。「平家物語」の冒頭にも取り上げられ、世の中の無常を表現していることでも有名です。以下に引用しておきますが、高校時代に習って、暗記している方も多いのではないでしょうか。右の写真は、山門を入って少し進んでから振り返ったもの。右手の山門より高い木が沙羅双樹です。
祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必滅の理をあらはすおごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
私が行ったとき、ちょうどご住職がいらっしゃり、お寺のことや、沙羅双樹の木のことなど、いろいろと話してくださいました。「桑名から来た」というと、たいそう驚かれ、「新聞に載ると、すごい影響力がありますな」とおっしゃっていました。さらに、ヒメシャラもあると教えていただいたのが、こちら。ヒメシャラ(姫沙羅)はツバキ科ナツツバキ属の落葉高木。ナツツバキに似ていますが、花も葉も小ぶりです。
和名のヒメシャラは、誤って娑羅樹と伝えられたナツツバキ(別名:シャラノキ)よりも小さいことによるものだそうです。たしかにかわいらしい花でした。今日、私がいる間にも、新聞で見たという方など、数名が沙羅双樹の花を見にいらっしゃいました。毎年来ているという男性もあります。帰り際には、地元の三重テレビが取材に来ていました。
円光寺から、伊勢上野城跡へ。織田信長の弟、織田信包が津城の仮城として元亀元(1570)年に築城しました。「賤ヶ岳の戦い」の後、お市の方の遺児である茶々・初・江の三姉妹はこの城で過ごしたといわれています。現在は、本城山青少年公園として整備されています。写真は、本丸跡。奥に見える展望台は、天守台跡に建っています。標高30mほどのところにあり、展望台に上るとかなりの眺望が利きます。
伊勢上野城跡から降りて、再び伊勢街道に入ります。少し北に戻ったところに弘法井戸。弘法井戸は、長さ2mほどで、貯水槽のような形をしています。水面は、手を少し伸ばせば届きそうなところにあり、水深も1mほどの浅い井戸です。昔、上野村を通りかかった旅の高僧(弘法大師)が一軒の農家に立ち寄り、水を所望しました。その家の人が、このあたりは赤水しか出ないので、きれいな水を遠くまで汲みに行き、差し上げたところ、大師は大変喜ばれ、「さぞ日々の飲み水に困っている事でしょう。ここを掘ってみなさい」と錫杖でお指しになったところを掘ると、清水があふれ出たというのです。それを村人が「弘法井戸」と称して大切に使ってきました。弘法大師のお告げにより井戸を掘ったという伝説は全国各地にありますが、弘法大師の時代にはまだ伊勢街道はありませんでした。大師伝説とこの清水を結び付けて弘法井戸と名付けたと思われます。
弘法井戸の南に枡形・道路改修記念碑があります。上野宿には戦国時代、戦術上3ヶ所の枡形がありました。道幅が狭く、直角に曲がっているため、時々人馬が衝突したので、有志が北角の家を購入し、道路を拡幅したときの記念碑だそうです。確かにここはクランクではなく、カーブが緩やかになっていました。記念碑は風化してしまい、読めません。
さらに南に行くと、道路元標跡があります。上野村の道路元標があったところ。ここの道路元標は木製で、頂上部は銅板製。現物は損傷が激しいので、津市河芸公民館に保管されています。この道路元標跡があるあたりが、上野宿の中心で、本陣や問屋場があったところだそうです。
その先に、真宗高田派の満流寺。ネット検索でも、伊勢街道のガイドブックにもこれという情報は載っていません。満流寺を過ぎて、左折し、国道23号線を再び越え、ゴールの豊津上野駅に向かいます。
豊津上野駅の北、駐輪場などの一角に小伝塚があります。現地の説明板によれば、伊勢上野城主の分部左京亮の家臣であった中条小伝の墓。禄は150石。慶長5(1600)年、津城の籠城に義父とともに、主君分部光嘉にしたがい、奮戦。その豪胆さに敵もその勇を賞したといわれます。慶長8(1603)年に没し、ここに心月宗光居士として葬られたといいます。
ゴールの豊津上野駅には、10時45分過ぎに到着。普通しか停車しませんが、四日市行き普通は、10時40分に出たばかり。次は、11時13分の名古屋行き普通。これに乗って、白子駅に11時22分着。11時29分発の名古屋行き急行に乗り換え、桑名には12時3分着。¥760。
今日のGoogle Fitのデータ。6.9㎞で、10,519歩でしたから、普段の散歩より少しだけ長く歩いただけ。ただし、標高30mの伊勢上野城跡まで上り下りしましたから、運動量はいつもより多いでしょう。往きに降りた千里駅で、エキタグのデジタルスタンプをゲットしてきました。
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