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  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年6月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年6月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2025年5月31日 (土)

20250531JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」へ(一回完結)

Screenshot_20250531093455c  曇りという天気予報でしたし、桑名では、朝、晴れ間も出ていましたので、これなら大丈夫だろうと思って、JRさわやかウォーキング「刈谷市制施行75周年 刈谷城下町&ご褒美マルシェ満喫散歩」に行ってきました。ところが、受付のJR東海道線逢妻駅に着く頃には、雨。車内放送でも「さわやかウォーキングにご参加のお客様には、雨が降り始めましたので、足元にお気をつけてお歩きください」というアナウンスが流れたくらい。現地に近い大府のアメダスのデータでは、10時台から雨が記録されていました。

Img_1890c  桑名駅を7時48分に発車するJR関西線の普通電車に乗車。名古屋駅には8時22分着。8時31分発の東海道線の岡崎行き普通電車に乗り換え、逢妻駅には8時57分に着くはずだったのですが、熱田駅で急病の方が出て、救急隊到着まで停車。結局、この電車は運休となり、熱田駅であとから来る豊橋行き普通に乗り換え。当然、この電車も遅れていて、8時54分発のところを8分遅れで運行。逢妻駅には9分遅れの9時21分の到着。当初の予定からは30分弱遅くなりました。運賃は、¥360+¥430=¥790。名古屋駅で途中下車すると、通しで乗る¥870より、¥80安くなります。

Img_1883c 250531aiduma0  コースマップを受け取ったのですが、冒頭の画像のように15分で雨が止むと思い、しばし待機。9時50分を過ぎて、雨がほぼ止みましたので、ようやくスタート。今日のコースは、逢妻駅→刈谷市歴史博物館→亀城公園→市原稲荷神社→郷土資料館→秋葉社・松秀寺→刈谷駅がゴール。マップ上は5.4㎞。刈谷駅ではマルシェが開かれているということです。右は、実際に歩いてきたルートマップですが、コースマップ通りに歩きました。

Img_1894c_20250531160001  逢妻駅をスタートしてすぐのあたりでの写真。天気が悪くても、参加者はかなりたくさんありました。私など、普段は、天気予報がよくないと、簡単に諦めてしまいますので、反省した方がよいかも知れません。雨は降ったり止んだりを繰り返し、だんだんと強くなりました。途中からは、傘が手放せなくなりました。

 Img_1905c_20250531160001 最初の立ち寄り先は、刈谷市歴史博物館。ちょうど企画展「木札の世界ー木に書き残された歴史ー」が開かれていて、入場料金も¥600のところが、¥500で入れたのですが、空模様から見て、先を急いだ方がよかろうということで、パス。

 Img_1923c_20250531160001 Img_1970c 歴史博物館からすぐ先に亀城公園があります。亀城とも呼ばれた刈谷城址を利用した公園。現在、刈谷城の姿はありませんが、お堀あとの城池、子亀池が城址の面影を残しています。桑名の九華公園と同様に、ソメイヨシノが約400本植えられており、花見で賑わうそうです。

Img_1974c  こちらは、本丸跡。正しくは「刈屋城」ですが、刈谷市が昭和25(1950)年4月に市制施行してから「刈谷」と表記されるようになりましたので、城名もそれ合わせています。天文2(1533)年、水野忠政により築城。築城後、忠政は、本拠地を緒川から刈谷に移し、徳川家康の生母於大は、刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁しています。於大は父忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田氏についたため、松平氏を離縁された後、刈谷城近くの椎の木屋敷久松氏に再嫁するまでの日を過ごしています。 水野家のあとは、深溝松平家、久松松平家、稲垣家、阿部家、本多家(忠勝系)、三浦家と頻繁に城主が交代しています。 

Img_1952c  園内には十朋亭があります。日本庭園と調和し、各種会合、休憩所などに利用できます。十朋亭は、大正5(1916)年、刈谷城本丸隅櫓跡に財団法人刈谷士族会の集いの場として建築されました。その後、大野介蔵氏(刈谷藩士族、かんばん方式などの「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一の祖父)の隠居家として使われるようになり、昭和11(1936)年に刈谷町がこれを買い受けました。昭和47(1972)年には、故石田退三氏の厚意により改築され、今に至っています。私は、刈谷市内にある高校を卒業しているのですが、卒業して、第1回クラス会をここで行った記憶があります。建物の外観については、漠然と覚えているのですが、それ以外については、忘却の彼方(笑)。50年以上前の話です。

Img_1990c 本丸跡には、松本奎堂(けいどう)歌碑があります。昭和18(1943)年に建てられました。松本奎堂辞世の句「君か為 命死にきと世の人に 語りつきてよ 峯の松風」が彫られています。松本奎堂は、天保2(1831)年、刈谷藩士松本印南(いなみ)の次男として生まれました。青年期には尾張国沓掛村(現豊明市)の伊藤両村の門に入り、18歳のときには槍の試合中、あやまって左目を傷つけられました。その後、江戸に出て昌平坂学問所に学び、大変優秀な成績をあげました。勤皇の志強く、藩のいきかたにもあきたらず脱藩、文久3(1863)年、天誅組3総裁の1人として38名の同志とともに兵を挙げました。この挙兵は失敗しましたが、のちの倒幕運動の魁となりました。

Img_2010c Img_2024c_20250531163701  亀城公園に隣接して、刈谷球場があります。ここにも思い出があります。たぶん小学校6年生を卒業した春休みに中日ドラゴンズのオープン戦を同級生S君と一緒に見に来たのです。その時は、もちろんこんな立派な球場ではありません。小学校5年生になるまではジャイアンツファンだったのですが、5年生で同じクラスになったI君から、地元の球団を応援しなければならないと説得され、中日ファンに転向していたのです。今日は、愛知県高校野球連盟の招待試合として、仙台育英高校を招いて、第1試合は、中京大中京と、第2試合には、至学館高校がそれぞれ対戦する予定でしたが、中止となったようです。

Img_2067c_20250531160001 刈谷球場の南には、市原稲荷神社。白雉4(653)年、亀狭山(現在の亀城公園)に瑞兆(ずいちょう…良い事が起こる前兆)が現れ、その地に社殿を創立したのがはじまりといわれています。その後、天文2(1533)年、水野忠政の刈谷城築城により、現在の場所へ移りました。永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたとき、刈谷城は今川方であった鳴海城代岡部長教の襲撃に遭い、そのときに市原稲荷神社も焼失しましたが、同5(1562)年に再建され、初代藩主水野勝成以来の歴代刈谷藩主による寄進を始め、領内3社としての特別な崇敬を受けています。

Img_2046c_20250531160001 Img_2032c  ご祭神は、倉稲魂神保食神大山祇神の三柱。境内には、摂社、末社がいくつかありますが、こんな天候でしたから、お参りしてきたのは、刈谷神社(右の写真)のみ。もとは昭和初期まで旧刈谷城郭内にあった土井神社(明治年間の亀城殖産合名会社創設に当り土井家の藩祖利長公を祀る)。昭和18~19(1943~44)年頃、高射砲探照灯陣地備築のため、市原稲荷神社境内に刈谷士族会が社殿を移転したそうです。現在は、土井家歴代藩主、地元自治功労者、天誅組松本・宍戸両志士、日清・日露戦争以降の戦没者の英霊を併せ祀っています。

Img_2036c Img_2044c_20250531160001  境内には、小規模の花菖蒲園も。ハナショウブの生長もよく、花もきれいに咲いています。

Img_2104c_20250531160001 Img_2090c  市原稲荷神社を回ってから、亀城小学校のところにある郷土資料館へ。建物は、昭和3(1928)年10月に亀城尋常高等小学校(現在の刈谷市立亀城小学校)の本館として建設されました。この昭和初期の建築様式をとどめる亀城小学校旧本館の建物を保存活用して、昭和55(1980)年に開館しています。国の登録有形文化財。実は、私の出身高校が、旧制中学として大正8(1919)年4月に設立されたとき、刈谷町立亀城尋常高等小学校の一部を仮校舎としてスタートしています。建物の時代は異なりますが、その頃の雰囲気が少しは感じられるかと期待していたのです。

Img_2108c_20250531160001 Img_2116c_20250531160001  郷土資料館の庭には、下町の常夜灯と、丸形ポスト。下町の常夜灯は、現在の銀座6丁目の角にあったそうです。昔は、この角が旧熊村と、旧刈谷町の境になっていて、夜道を急ぐ人びとの目印になったそうです。大正時代までは、昔の姿で立っていたとか。丸形ポストは、刈谷市に現存する唯一のものだとありました。昭和42(1967)年6月に富士見町に設置されたもの。

Img_2125c  郷土資料館のすぐ先に刈谷藩校文礼館跡。文礼館の前身は、土井氏が西尾藩主であった時に藩士の子弟教育のために設立した藩校だといわれています。土井氏は刈谷に転封後、天明3(1783)年に美濃出身の儒者秦子恭を教授として招き、文礼館を開きました。一時は途絶えましたが、慶応4(1868)年5月に再興されました。明治期には刈谷義校(初等学校)に転換。明治6(1873)年には第一番小学刈谷学校となり、明治19(1886)年には尋常小学刈谷学校となっています。この学校は明治41(1908)年に亀城尋常高等小学校となり、現在は刈谷市立亀城小学校となっています。

 初めの方に書きましたが、刈谷には高校に通っていたのですが、今はもはや浦島太郎状態。すっかり変わってしまっていて、どこが何だかまったくといって良いほど分かりません。まぁ、高校時代も、名鉄三河線刈谷市駅で降りて、高校に往復するくらいで、あとはたまにラジオ部品を、当時あった中央無線に買いに行った程度ですから。

Img_2135c_20250531160101Img_2143c  スタートから3.5㎞の手前で秋葉神社。松秀寺の境内にあります。ご祭神は、迦具土神。火の神様。宝暦4(1754)年に、刈谷城下の6町の有志の発起により、松秀寺境内に秋葉堂を建立する提案がなされ、宝暦6(1756)年に秋葉堂が建てられ翌年から祭りが行われました。安永7(1778)年になり、各町組ごとの出し物に笛・太鼓で拍手をとる形態に変わり、この年に初めて万燈が登場しています。出し物は次第に万燈に統一され、秋葉祭礼は「万燈祭」ともいわれるようになりました。つまり、この秋葉神社が、万燈祭の起源。万燈祭は長い伝統を受け継ぎ、火難防除・町内安全の感謝と祈りを込めて現在も続いており、県指定無形民俗文化財に指定されています。

Img_2188c  秋葉神社の隣が円通山松秀寺。曹洞宗。Img_2164c寺伝によると、寛正4(1463)年、十王山松秀寺と号したのを始めとし、その後、正徳5(1715)年に幡豆郡長円寺第13世通方円達和尚が当寺にきて、曹洞宗として中興開山となり、山号を円通山に改めています。

Img_2193c_20250531160101 Img_2160c  観音堂に祀られている十一面観世音菩薩立像は、延宝4(1676)年、刈谷の町人太田忠右衛門長正が寄進したもので、市指定文化財になっています。境内には、天誅組に参加した宍戸弥四郎の墓があるそうですが、墓そのものは見てきませんでした。右の写真は、山門前にある宍戸弥四郎の墓碑があることを示す石碑。しかし、天誅組の中心メンバーが、刈谷藩を脱藩した松本奎堂や宍戸弥四郎らであったというのは、不勉強にして知りませんでした。

Img_2214c Img_2222c  これで立ち寄り先は、コンプリート。雨はいよいよ強く、時折強い風に煽られます。こんな日に来るんじゃなかったとは、ウォーキングに出かけたとき、ときどき思いますが、今日もまさにそれ。県道51号線に出て、ゴールの刈谷駅を目指します。名鉄三河線に沿って、JR東海道線を目指して歩いています。途中、デンソー本社あたりも見えます。

Img_2232c Img_2237c_20250531160101  東海道線の跨線橋を越えていくと、ようやくゴールのJR東海道線刈谷駅が見えてきます。雨の降る中、よく歩いてきました(自画自賛ですから、お気遣いなく)。11時20分過ぎにゴール。1時間半で5.4㎞を歩いてきたことになります。JRさわやかウォーキングのゴール受付の手前でマルシェが行われています。

Img_2242c_20250531160101 250531jrwalkingaidumadryellow  こちらがJRさわやかウォーキングのゴール受付。受付でさわやかウォーキングについてのアンケートを実施していました。スマホでQRコードを読み取り、ネット上で行うもの。これに回答すると、右の写真のカードがもらえるということで、協力して、1枚いただいてきました。ドクターイエローなど、新幹線の車両が写っています。

Screenshot_20250531113350c  Screenshot_20250531113340c今回も無事にポイントをゲットできました(左の写真のもっとも上にあります)。右の写真は、最近のJRさわやかウォーキングの記録。今日までの1年で歩いたのは、50.1㎞。刈谷駅を11時25分に出る岐阜行き普通に乗って、名古屋駅には11時56分着。12時06分の関西線亀山行き快速に乗り換えて、桑名には12時28分着。運賃は、往きと同じく、¥430+¥360=¥790。

Screenshot-2025_05_31-13_15_08c  今日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、7.5㎞、12,991歩。普段の散歩に毛が生えたくらいでしたが、雨に降られましたから、その分、疲れました。できれば、刈谷駅に隣接する駅前観光案内所へ行って、土産を探したいと思っていたのですが、その気力はなし。リンク先にある、きしめんのルーツともいわれる「いもかわ(芋川)うどん」に関心があったのです。

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  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
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  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)