20241130ご近所イチョウ巡りツアー
1つ前の記事にも書きましたが、今日は、「ご近所イチョウ巡りツアー」に行ってきました。前の記事と内容が重複しますが、7時過ぎにクルマで送ってもらって、7時10分に市内江場にある円通寺へ。大イチョウを見てきました。その後、萱町にある顕本寺と、法盛寺へ。九華公園や、鎮国守国神社でもイチョウを撮影。六華苑、諸戸氏庭園の大イチョウも見てきました。御坊さん(桑名別院本統寺)にも大きなイチョウがありますが、それはまた明日にでも。スマホ写真も使っています。冒頭の写真は、円通寺の大イチョウ。
法城山円通寺は、真宗本願寺派のお寺。元亀3(1572)年、江場城主の子・佐藤秀道が出家して教円と名乗り、開基したと伝わります。ここのイチョウの木の高さは30m、幹囲は5.7m、樹齢は400年以上だといいます(8年前に訪ねたとき、お寺の方にそのように伺いました)。ただし、享和2年(1802年)8月に完稿した『久波奈名所図会』の「円通寺」の図には、本堂の前に2本の木は描かれているものの、イチョウとは違うように思えます。
このイチョウには、この写真のように、「乳根」(乳頭、乳柱ともよばれます)がいくつかあります。老木になりますと、幹や大枝から円錐形の気根状突起が生じることがあるのです。イチョウの乳と呼ぶこともあるそうです。
ここでは、例によって、大イチョウからパワーをいただいてきました。
円通寺から県道613号線を250mほど北に行くと、自栄山顕本寺があります。日蓮宗のお寺。檀家には桑名藩士が多く、関連する墓が多数現存します。中でも、吉村又右衛門宣充の墓と、水谷九左衛門光勝の墓は桑名市指定文化財に指定されています。また、服部半蔵の墓もあります。
顕本寺から萱町交差点を越えて県道613号線を200mあまり行ったところに般若山法盛寺。桑名坊舎柳堂と号し、浄土真宗本願寺派のお寺。東御坊の本統寺に対し、西御坊とも呼ばれます。元は三河国矢矧(やはぎ)(現岡崎市)にあり、応仁2(1468)年、桑名郡益田庄に移ったのち現在地に移っています。明治初年まで尾張、美濃、伊勢に末寺200余ヵ寺を数え、境内には寺内寺が7ヵ寺あったといいます。ここにもイチョウはありますが、大イチョウではありません(右の写真)。本堂の前にあるのは柳の大木です(左の写真)。
鎮国守国神社の拝殿の裏にも大イチョウがあります。ただ、ここは残念ながら、その全貌をきれいに撮影できるポイントがありません。イチョウがある裏側は、市民プールになっているのです。左の写真は、鎮国守国神社の拝殿の西にある九華招魂社のところからとったもの。右の写真は、鎮国守国神社と市民プールの間を通る、細い道から西を向いて撮りました。
九華公園内にも、大イチョウといえるほどではありませんが、イチョウの木は何本もあります。左の写真は、いつも鳥待ちをしている奥平屋敷跡。立教小学校のところから堀越しに撮っています。この写真で正面に見えるイチョウの木をそばに行って見上げたものが、右の写真。
鎮国守国神社の社務所裏、九華公園でいうと、相撲場があるところにもイチョウがあります(左の写真)。右の写真は、管理事務所の近く、旧アヒル小屋のところにあるイチョウ。奥平屋敷跡から二の丸跡に渡る橋からの撮影。
続いて、六華苑の入口、長屋門の脇にある大イチョウ。六華苑(旧諸戸清六邸) は、山林王として知られた実業家・二代諸戸清六の新居として明治44 (1911)年に着工、大正2(1913) 年に竣工。揖斐・長良川を望む約18,000㎡の敷地に、洋館と和館、蔵などの建造物群と「池泉回遊式」庭園で構成されています。中でも、洋館は、鹿鳴館やニコライ堂などを手がけたイギリス人建築家 ジョサイア・コンドルが設計したもの。
この六華苑の大イチョウも大きいのですが、円通寺の大イチョウの方が、大きいように思われます。六華苑の大イチョウのサイズについては、ネットで検索しても情報は得られませんでした。
こちらは諸戸氏庭園にある大イチョウ。あちこち歩き回って確認しましたが、結局、揖斐川右岸の堤防道路の住吉水門近くから見るのが(東側から見ています)、もっともよく見えると思われました。右の写真は、我が家の玄関先から見下ろしたもの。
これで我が家から徒歩で30分圏内にある大イチョウは、御坊さん(桑名別院本統寺)のものを除いて、すべて見てきました。御坊さんの大イチョウは、また明日にでも見てこようと思います。この写真は、円通寺の大イチョウ。この大イチョウ、我が家のベランダからも肉眼で見えます(右の写真、2023年11月30日に撮影)。
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