20240429近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」へ(その2)……清正誕生の地・妙行寺、豊国神社、光明寺、萱津神社から太陽食品工業を経て名鉄須ヶ口駅にゴールで「完」
4月29日に行ってきた近鉄ハイキング「【名古屋鉄道合同企画】秀吉と清正の生誕地、豊國参道『九の市』と清須の地」の本編その2です。その1では、近鉄烏森駅をスタートし、日之宮神社、下中八幡宮、大鳥居、孝和堂本店、豊國神社参道「九の市」まで行きました。その2は、妙行寺、豊国神社から庄内川、五条川を越えて、あま市に入ります。
正悦山妙行寺。日蓮宗。豊国神社の東にあり、加藤清正公誕生地とされています。この寺の創建時期については不詳。もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、現在地から約220mほど東にありましたが、永仁2(1294)年に日像によって日蓮宗に改宗されたといいます。その後、火災により焼失したものの、天文4(1535)年に中興・日勢上人により「妙行寺」として再建されました。加藤清正は、もともと妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、慶長15(1610)年に名古屋城築城の際、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建しています。
境内には、加藤清正像があります。 昭和35(1960)年4月、清正の350回忌の際、清正公奉賛会により建立されたものです。また、「清正公誕生地之碑」という石碑もあります。
豊国神社(とよくにじんじゃ)に戻ります。中村公園内にあります。中村公園は、秀吉の出生地と伝わるこの地に明治18(1885)年に、秀吉の偉業を偲んでつくられたもので、「秀吉清正公園」という愛称があります。
豊国神社のご祭神は豊臣秀吉。同名の神社は全国にありますが、ここは、上述のように、豊臣秀吉の生誕地に当たります(秀吉生誕地については諸説があります)。明治16(1883)年、当時の県令国貞廉平をはじめ地元の人々による豊臣秀吉の生誕地で秀吉を祀る神社を作ろうという運動が盛んとなり、同年7月、秀吉の生誕地とされる当地に豊国神社の創建が決定したのです。明治18(1885)年1月に竣工し、7月には神社が創建されています。以前訪ねていますので、詳しいことはそちらをご覧ください(2018年11月7日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その4)……豊国神社(中村公園)でゴール(完))。
公園内には、「豊公誕生之地」という石碑もあります。説明板には「豊臣秀吉誕生の地」として、「天文5年(1536年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次歳暮)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は、異父同母の弟妹である。出生地については、区内下中村町という説もある」とあります。
ここからルートマップはその3に入ります。このマップの範囲では、立ち寄り先は指定されていませんが、見どころはありました。旧鎌倉街道、三嶋神社、立ち寄りませんでしたが、光明寺です。
豊国神社から中村公園の中を通り抜け、名古屋競輪場脇から、中村高校前を経て、豊公橋(ほうこうばし)で庄内川を渡り、また、萱津橋で新川を越えてあま市に入ります。
新川と五条川の合流地点から五条川沿いを歩いて行きますと、旧鎌倉街道になります。鎌倉街道は、鎌倉時代、鎌倉から諸国に通じていた主要道路です。愛知県内では、岐阜県の墨俣から木曽川を渡って愛知県に入り、黒田(一宮市)、稲沢市の下津(おりづ)、清須市を経てあま市萱津に至る幅2mほどの曲折の多い道となっています。このあたりが萱津で、庄内川の渡し場としてにぎわったところ(こちら)。この写真は、ルートマップその3で、五条川の堤防道路から萱津の町に降りたあたりで撮ったもの。
三嶋神社があります。ご祭神は、大山祇神。昔、里人が藤沢の浄光明寺に参詣の折に、伊豆の三島明神を勧請したと伝わります。ここも拝殿の前に蕃塀があります。あとで訪ねた萱津神社と関連する神社のようです。
三嶋神社の西に横笛山光明寺。ただし、道路からこの写真を撮ったのみで通過しました。しかし、あとで調べたら、時宗の寺院で、秀吉ゆかりの寺でした。弘安5(1282)年、一遍上人の弟子である他阿真教による開基で、萱津道場と呼ばれた大寺で、室町将軍からも保護を受けたといいます。豊臣秀吉が幼少の頃にこの光明寺に預けられたと伝わっています。7歳で父と死別した秀吉は、8歳でこの寺に入るも、すぐに飛び出し、15歳の時、放浪に出たとされます。
実際に歩いたルートマップはその4になります。 いよいよゴールも近くなりますが、妙勝寺、萱津神社が立ち寄り先に指定されていますが、その途中で正法禅寺も見てきました。萱津神社を出ると、再び五条川を渡って太陽食品工業を目指します。五条川を渡ったところは津島街道。太陽食品工業からゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅は、目の前。
長正山妙勝寺。日蓮宗。初めは真言宗の密勝寺という寺でしたが、文応2/弘長元(1261)年に日蓮との問答の末、日蓮宗に改宗し、寺号を妙勝寺に改称しています。天文年間(1532~1555年)に兵火により七堂伽藍を焼失しましたが、その後、織田氏・福島氏・徳川氏の庇護を受けています。山門は鎌倉から室町時代のもので、庫裡は福島正則が寄進したものと伝わっています。この日は、ふれあいマルシェ萱津マルシェが開かれており、私が行ったときには、本堂で、甚目寺南中学校のブラスバンド演奏が行われていました。
こちらは、妙勝寺のマルシェの会場。五平餅や、団子、たこ焼きなど、気になりましたが、次の萱津神社でもマルシェが開かれていますから、何も買わず、何も食べず(微笑)。
萱津神社に向かう途中に日東山正法禅寺がありましたので、拝観してきました。曹洞宗のお寺。帰ってから調べたら、墓地に「反魂塚碑」があるということでした。奈良時代の伝説で、今の福島県信夫(しのぶ)(福島県南部に昔あった村)の地に恩雄(やすたか、21歳)と藤姫(ふじひめ、16歳)という若い夫婦がいました。藤姫の父は橋本中将といい、左遷が許された時、この地に姫を残して都に帰ります。成人した姫は、父恋しさに夫と上って行く途中病気になり、悲しくも帰らぬ人となったのですが、それがここ萱津。夫は仏門に入り、妻の塚の辺りに庵を結び、日ごと、香をたいて回向したといいます。
妙勝寺から徒歩3分ほどで萱津(かやつ)神社。漬物の神社として知られています。境内には漬物を納める「香の物殿」があり、毎年8月21日の「香の物祭」には多くの漬物業者が参列するそうです。創建時期は不明。ご祭神は、鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)。かつては「草ノ社」「種の社」「阿波手(あわで)の杜」とも呼ばれたといいます。言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたのに加え、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになったそうです。やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったことから、漬け物の神社として有名になっています。ちなみに、「阿波手の杜」については、日本武尊が当地で妻の宮簀姫に逢えなかったことから「不遇(あわで)の森」と呼ばれるようになったとか、また尊が植えた雌雄二本の榊が「連理の榊」として御神木となったという伝説もあります。
境内には、鹿屋野比売神の像と、「香の物発祥の地」の石碑があります。この石碑によれば、「当社は野を司る鹿屋野比売神を祀る我が国で唯一の漬物の祖神であります。人皇十二代景行天皇の御世、日本武尊御東征の砌当社にお立ち寄りの際、村人が漬物を献上し長途のお慰めをするとともに、その霊験あらたかなこと等をお話ししたところ、尊は御賞味され大変感慨深げに『藪に神物(こうのもの)』と仰せられたと伝えられる。このお言葉は、今日漬物を表す香の物の語源になったと言われております。ここ萱津神社がその発祥の地です。この古事を尊び、尊が熱田の地に祀られた後、村人はその昔を偲び熱田神宮の四大祭に特殊神饌として献進されています」とあります。
萱津神社もマルシェの会場となっていました。ここに着いたのは10時40分ころで、ちょうど小腹が空いていましたから、天むすを1個購入して、小休止。天むすよし田屋という津島のお店。お勧めは、えびしそ天むすということで、¥250。割と小ぶりで、一口で行けそうでした。小声でいいますが、津にある千寿の天むすの方がはるかに美味しいと思います。さらに、名古屋で働いていたときに食べた多香野の天むすもよかったです。ちなみに、千寿が天むす発祥の地です。
萱津神社を出て、法界門橋で再び五条川を渡り、清須市へ。この法界門橋から500mほどは、津島上街道を歩きます。清須市立桃栄小学校の南あたりです。津島上街道も、またきちんとすべてを歩きたい街道です。右の写真は、そこから進んだ須ヶ口交差点。
最後の立ち寄り先は、ゴールの名鉄須ヶ口駅の目の前にある太陽食品工業。ソースとケチャップを作っている会社。太陽ソースとケチャップを使用した試食と販売会が行われています。右の写真は、太陽ソースの試食。ソースもケチャップもコクがあり、美味しいものでした。
来場者には太陽ソースのミニパックをプレゼントということでした。「なくなり次第終了」ということでしたので、心配したのですが、ミニパックも無事に2ついただけました。販売会では、何も買うなという指令がありましたので、買っていません。
ゴールの名鉄名古屋本線須ヶ口駅には、11時15分過ぎに到着。2時間20分で9㎞ほどを歩いてきました。須ヶ口駅は電車で通ったことはありますが、ここを利用するのは初めて。 ちょうど11時22分に豊明行き準急がありましたので、それに乗車。名鉄名古屋駅には、11時36分に到着。¥250。近鉄も、11時41分発の松阪行き急行があり、それに乗り換えて、桑名駅には12時1分着。¥530。
こちらは、今日のGoogle Fitのデータ。11.08㎞で、17,937歩でした。現地で歩いたのが約9㎞、自宅から桑名駅往復が2㎞あまりですから、妥当な数値でしょう。
近鉄名古屋駅では、エキタグのデジタル駅スタンプをゲットしてきました。どこにタグがあるか、分かりにくかったのですが、改札横にありました。これで6個目です。なかなか増えませんが、まぁボチボチと。
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