20240126津島神社初詣ウォーキング(その1)……常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡へ
1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その1です。この日は、晴れて気温も上がるという予報でしたが、桑名では最高気温は、7.3℃。歩き始めは、日も照っていて風もなかったのですが、次第に雲が増え、風も出てきましたが、無事に初ウォーキングを終えられました。同級生K氏と今年の初ウォーキングです。津島には初めて出かけましたが、歴史のある、見どころの多いところでした(2024年1月26日:20240126津島神社初詣ウォーキング(予告編))。
JR桑名駅を8時38分に出る名古屋行き普通に乗車。弥富駅に8時45分に着いて、名鉄尾西線に乗り変え。8時48分発の普通豊明行きに乗り換えます。津島には8時59分に到着。運賃はJRが¥200、名鉄が¥300。9時5分頃に津島駅をスタート。
こちらが詳しいルートマップその1。名鉄津島駅から天王通を西に向かいます。常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、市神神社、清正公遺跡(清正公社)などを回って津島神社に向かいます。津島神社の手前で大イチョウ2本を見て、先に総本家角政で土産を買ってしまいました(微苦笑)。なお、このマップの範囲外になっていますが、津島神社、天王川公園を回って、本町筋から再び天王通に出て津島駅に戻るコースになっています。
津島には初めて行ったのですが、地図を見ていた限りでは、天王通は駅からのメインストリートで、もっと広くて賑やかな通りを想像していたのですが、閉まっている店などもたくさんあり、そうでもありませんでした。私の勝手なイメージですから、津島にお住まいの方にはお叱りを受けるかも知れません。最近は、どこでも駅前通りだからといって、繁栄しているとは限らないことはよく承知しています。
まず立ち寄ったのは、補陀山常楽禅寺。地図に載っているのは知っていましたが、よく調べておらず、ノーチェック。曹洞宗。本尊は如意輪観音坐像。元中9(1392)年、太初継覚和尚の開山で、津島牛頭天王社神主家氷室氏の菩提所でした。江戸時代の華人で尾張桂園派を牽引した氷室長翁(ひむろながとし/ちょうおう)の墓があるというのですが、事前の調べをしていきませんでしたので、見逃しました。やはり予習は重要です(苦笑)。
常楽禅寺の西の駐車場からお寺が見えましたので、立ち寄りました。岳翁山往生院西方寺(さいほうじ)。浄土宗鎮西派。創建は、天文9(1540)年。元は橋詰町にありましたが、火難を逃れて延享4(1747)年に西の十王堂も合わせて現在地に移転しています。現在その十王像は本堂に祀られています。この十王像は、十尊揃いの完全な形で残っているそうです。十王像が作られた年代ははっきりしないそうですが、西方寺の移転が江戸時代初期のことというから、少なくとも17世紀前半には存在が認められると考えられます。十王とは、仏教、道教の地獄で、亡者の裁判を執り行う十尊のこと。亡者は順次に各王の裁きを受け、来世の場所を定められるといいますが、あの閻魔様もこの十王に含まれます。
西方寺の山門前にはこの御堂があります。西方寺は奥まったところにありますので、この御堂は目印。御堂のところには、西方寺の案内とともに、旧町名の説明もあります。ここは、今は「天王通四丁目」ですが、昔は「布屋」といい、かつては湿地帯であったため、「沼ノ谷(ぬのや)」と呼ばれたことに由来するそうです。この日歩いたところのあちこちには、こういう旧町名とその由来を示す案内板があり、楽しめました。
西方寺から天王通に戻って、天王通三丁目に円空作木造千体仏が納められた地蔵堂があります。津島上街道との交差点のすぐ手前です。この地蔵堂の千体仏は、円空最盛期の延宝年間(1673~1681年)の作品で、厨子の中に本尊の地蔵菩薩像を中心に5~7cmの小さな仏像1008体 が、光背の形式で配置されています。円空の千体仏の中でも完全な形で残る貴重な作品だそうです。それにしても、町中の、とくにこれということもない地蔵堂の中に、このような円空作の貴重な仏像が保管されているとは驚きでした。
円空千体仏の地蔵堂の先で、津島上街道に行き当たります。右折して、この上街道に沿って少し行くと、津島観光交流センターがあります。津島市の歴史や文化の展示や観光の拠点として開館しています。津島で初めての鉄筋コンクリート造の建物で、昭和3(1929)年に銀行として建てられました。建物の正面は「復興式」と呼ばれる建築様式で、西洋建築におけるルネッサンス様式を基調としながらも意匠や装飾を簡略化したものです。名古屋銀行、東海銀行津島支店を経て、津島信用金庫本店として使用されました。
裏手には土蔵があります。この土蔵は江戸時代から明治時代初期にみられる土蔵の形式を持った建物であり、明治26(1893)年にこの地に開業した津島銀行の付属家屋か、それ以前にこの地にあった商家の付属家屋と考えられています。
観光交流センターの先、東に久遠山成信坊(じょうしんぼう)。真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。創建年は不詳。明徳2(1391)年、7代慶専の時に天台宗から浄土真宗に改宗しています。戦国時代に織田信長と本願寺門徒らが長島一向一揆で争ったとき、成信坊住職の祐念は教如上人の身代わりになり、津島御坊の称号を授けられました。
山門横には白梅の大木があり、その山門をくぐると、境内には見事な松の巨木があります。境内は広く、また、さまざまな巨木が残っており、寺の歴史の古さを物語っています。本堂への参道は石畳となっていますが、この石、実は、臼です。このため、俗に「ひき臼寺」と呼ばれています。塔頭の金光寺があった頃、山門から金光寺まで臼供養にと信者から寄付されて敷かれたものですが、現在もその一部が残っています。
成信坊の向かいの街道沿いに井戸がありました。「上切の井戸」です。津島地方は、木曽川の豊かな水がもたらす伏流水が多く、井戸に恵まれた土地でした。古地図にもいくつかの町角に辻井や井戸が記入されているといいます。これらの井戸は、通称「本抜(ほんぬき)井戸」と呼ばれ、湧き井戸で住民の共同井戸でした。この井戸は古書によれば、津島天王祭の船や屋台を連結するのに使用するわら縄を編む際の打ち水に使用したとの記録もあるそうです。花崗岩の立派な石組をもった古井戸は貴重です。
井戸のすぐ北に細い道があり、そこに「清正公遺」と彫られた石柱。このあと訪ねた「清正公遺跡」を示していると思います(「跡」の文字の部分は、埋まってしまっているのでしょう)。
その先の変則五叉路のところに市神社(いちがみしゃ)。津島神社の境外末社の1つ。ご祭神は、大市比売命(おおいちひめのみこと:大山津見神の娘。須佐之男命と結婚し、大年神、宇迦之御魂神を生んだ)、大歳神、宇迦之御魂神。津島上街道に沿って立ち並んだ商家の守り神として崇められていました。
市神社のところで左折し、西に向かいます。さらに清正公遺跡に向かうため左折しますが、その交差点に「旧天王川東堤」というプレートがはめ込まれていました。天王川(てんのうがわ)は、かつて存在した木曽川分流である佐屋川支流の河川です。現在では、あとから訪ねた天王川公園にその名残があります。
この交差点を左折し、南下したところに清正公遺跡(清正公社)。加藤清正は、永禄5(1562)年)に今の名古屋市中村区で生まれました。清正が数え3つの年に父・清忠が亡くなり、永禄9(1566)年、母とともに叔父が住んでいたここ津島市上河原町に寄寓(きぐう)しました。清正が子供の頃、賊を追い払うのに用いたという鬼面をかぶった親鬼が伝わっています。清正公社は、清正の叔父の家があったと伝わる地に加藤清正の徳を偲んで明治18(1885)年、社と碑(右の写真)が建てられました。
清正公社の向かいに大きな地蔵堂があります。上河原地蔵堂です。ここのお地蔵様は、身の丈二尺五寸(75.8cm)の石像。昔から眼病または乳の授かる地蔵として篤く信仰されてきました。祈願する女性が、難産のときは身代わりとなって、全身に汗をかくので、汗かき地蔵とも呼ばれるそうです(現地の説明板による)。
このあと、天王通に戻って津島神社に向かいますが、長くなりますので、その1はここまで。まだスタートした津島駅からは1㎞あまりしか歩いていません。
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