お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2024年1月 | トップページ | 2024年3月 »

2024年2月

2024年2月29日 (木)

光徳寺のヒカンザクラ…ふれあい教室にも早咲きの桜がほぼ満開

Dsc01610c  夕方からは雨という予報です。朝からずっと曇り。9.6℃と気温も上がらず、肌寒い日です。いつも通りに7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園から柳原、新屋敷、萱町を通って新町にある光徳寺へ。帰りは、旧東海道を歩いて、鍛治町、吉津屋町、京町、寺町と6.7㎞。

Dsc00231c  住吉入江にはヒドリガモが3ペア(左の写真)。オオバンも2羽いました。揖斐川には赤須賀漁港の漁船が出ていて、水鳥は見えません。アオサギが1羽、上空を通過。七里の渡し跡には、ヒドリガモが3ペア、上陸してお休み。オオバンが3羽。

Dsc00397c Dsc00439c_20240229150801  三之丸公園でツグミ。ほかにはムクドリ。三の丸水門には、ハクセキレイが1羽、やって来ました。柿安コミュニティパークの堀には、コガモのメスが2羽、オオバンが2羽。

Dsc00525c_20240229150801 Dsc00643c_20240229150801  九華公園の北門でツグミ。奥平屋敷跡では、ハクセキレイ。ほかにツグミ、シメ、カワラヒワも来たのですが、遠くて、曇天で証拠写真以下でした。

Dsc00895c Dsc00987c  朝日丸跡でカワラヒワ。カワラヒワは、皆、ペアで行動しています。グラウンドにハクセキレイが1羽。今日は、あまり鳥がいません。

Dsc00844c Dsc00690c_20240229150801  ユリカモメは、14羽(左の写真)。今日もまた二の丸橋の欄干や、二の丸堀にいます。カモは、キンクロハジロがやはり多くて、63羽。ハシビロガモは16羽。ヒドリガモは1ペアと、他にオスが1羽。ホシハジロも1ペアと、別にオス1羽(右の写真)。公園西側の堀には、コガモのペアが1組来ていました。

Dsc00962c_20240229152301  吉之丸堀にかかる端の橋脚には、ずっとハシビロガモのオスがいます。昨年、翼を傷めて帰れなかった個体のように思えます。翼が治ったとは思えませんので、今年も居残りかも知れません。貝塚公園ではヒヨドリ、ハシボソガラスくらいしかいません。

Dsc01066c  新町にある鎮照山凝念院光徳寺。浄土宗のお寺。鎌倉時代に、恵心僧都が泡洲崎念仏道場として創建。明治7(1874)年に日進小学校の前身である進善学校が開始されたところ。先日、旧知の歴史案内人のKさんから、ここにヒカンザクラ(本来は、カンヒザクラが正しいようです)があって、寺町の河津桜が植えられる前は、桑名で最も早く咲く桜だったという話を伺ったので、一度見てみようと思ったのです。

Dsc01228c  本堂の南東にあるのが、そのヒカンザクラだと思います。まだ咲き始めたばかりという印象。

Dsc01102c_20240229150901 Dsc01117c_20240229150901  曇天でしたが、薄日が差しており、どのアングルから撮るとよいかちょっと迷いました。レタッチソフトで明るさなどを修正しています。花はまだまだでしたから、もう少ししたらもう一度見に行った方がよいかも知れません。

Dsc01151c  ちなみに、光徳寺には、萬古焼の創始者である沼波弄山(ぬなみろうざん)の墓もあります。桑名の豪商ですが、別宅のあった小向(現在の朝日町小向)に窯を築き、作陶を始めています。

Dsc01057c_20240229150901  もう一つ余談。光徳寺のとなりには、泡洲崎八幡社があります。この付近、旧泡洲崎の鎮守。桑名は、江戸時代以前、町屋川の流れによって、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の3つの洲に分かれていました。その泡洲崎の鎮守でした。慶長の町割の時、現在の一色町からここに遷ってきました。

Dsc01292c_20240229150901 Dsc01302c_20240229150901  光徳寺、泡洲崎八幡社は旧東海道に面していますので、帰りは短い距離でしたが、旧東海道を歩いてきました。鍛治町にある桑名市教育支援センター(ふれあい教室)の敷地にも早咲きの桜がほぼ満開になっていました。さて、この桜は何? 見た感じでは、河津桜に似ているのですが、植物には弱いので、確信はありません。

Dsc01553c_20240229150801 Dsc01435c  今日もまたしつこく寺町の河津桜へ。ほぼ満開。週末、寒くなるそうですが、見頃と思います。

Dsc01354c_20240229151001 Dsc01482c_20240229151001  メジロはいたものの、数が少なく、おまけによく動きましたので、今日も「河津桜にメジロ」はイマイチ。雨は明日の朝には上がるという予報ですから、また明日、リベンジのつもり。

2024年2月28日 (水)

遅い時間だった割にまあまあの鳥果

Dsc09626c_20240228140801  良い天気で最高気温は14.6℃と高くなりました。風は昨日より弱いものの、冷たく感じます。朝一番にいつものS理容院さんで散髪。9時に終わって散歩へ。中橋、九華公園と回ったところで散歩友達の方に出会い、「うちでコーヒーでもどう?」と誘われ、寄り道30分。その後、貝塚公園、内堀南公園、吉津屋町、京町、寺町と5.3㎞。当初は、新町にある光徳寺まで足を延ばそうと考えていたのですが、時間切れ。光徳寺にヒカンザクラがあると教えてもらったので、一度見てこようと思ったのです。これはまた明日にでも。

Dsc09636c_20240228140801 Dsc09644c_20240228140801  中橋には、ゴイサギやホシゴイが集まる木があります。最近は数が減ったと聞いていますが、その通りでした。今日は、ゴイサギが2羽いただけ。ブロ友のひらいさんによれば、弥富のサギ山にすでにアオサギがかなり集まっているそうですから(2024.02.23~25 お散歩週報)、ゴイサギもサギ山に行ったのかも知れません。九華公園にもアオサギは来なくなっています。

Dsc09677c_20240228140801 Dsc09713c_20240228140801  九華公園では相撲場近くでジョウビタキのメス。ジョウビタキのメスは、久しぶりに見ました。その近くで、カワラヒワ。最近、よく見ます。地上にもよく降りてきています。ペアで行動しているのがほとんど。巣材を運ぶところはまだ見ていません。

Dsc09779c  奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオス。いつもならここで30分~1時間鳥待ちをするのですが、今日は遅いので、一回りしたのみ。

Dsc09917c_20240228140801 Dsc09952c_20240228140801  本丸跡でツグミとハクセキレイ。ツグミは、グラウンドにも1羽いました。

Dsc09856c Dsc09876c_20240228140801  ユリカモメは、15羽ほど。二の丸橋の欄干と、二の丸堀に散らばっています。その二の丸堀には、今日もカイツブリが来ていました。近くで撮れなかったので、証拠写真。

Dsc09891c Dsc09911c  カモ、今日もキンクロハジロが多数。65羽もいました。ハシビロガモが少し減って10羽(右の写真)。ホシハジロはオスのみ2羽(左の写真)。ヒドリガモは見当たりませんでした。

Dsc00002c_20240228140801  貝塚公園ではモズ。以前にも書きましたが、ここは古くて大きな木々が伐採されて、明るくなりました。それ以来、野鳥が寄ってこなくなった気がします。防犯のためでしょうから、やむを得ませんが、ちょっと寂しい感じ。公園を出るとき、はるか上空をトビが旋回しているのが見えました。

Dsc00170c_20240228140801  拙宅前の住吉入江には、ヒドリガモが3ペア。ということでいつもより1時間半遅い散歩でしたが、成果はまあまあ。

Dsc00150c_20240228140801  寺町の河津桜も見てきたのですが、今日は三八市が開催されていて、人出が多く、桜見物の方も多かったためか、メジロは見当たりませんでした。

Dsc00157c_20240228140801  余談。午後、教育委員会の先生から電話があり、来年度も仕事の依頼をいただきました。ありがたいことです。微力を尽くすとともに、老害でご迷惑をかけないように十分に留意する所存です。

2024年2月27日 (火)

メジロの求愛行動?

Dsc09624c_20240227160001  昨日と同じく、晴れて風が強くなっています。気温はやや下がって11.0℃。今朝も7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.3㎞(昨日と同じところを歩いたのですが、Google Fitのデータでは、0.8㎞も違います)。

Dsc07614c_20240227160001 Dsc07656c_20240227160201  散歩に出てすぐ、拙宅マンション敷地内でメジロに遭遇しましたが、写真は撮れず。諸戸氏庭園のところにジョウビタキのオス。日がよく当たりすぎ(苦笑)。住吉入江には、今日もヒドリガモ。3ペアにオスがもう1羽。昨日と同じメンバー構成です。

Dsc07728c_20240227160101 Dsc07754c_20240227160101  住吉水門のところには、内側にヒドリガモが5ペアとオオバンが1羽。外側にもヒドリガモ2ペアとコガモのオス(左の写真)。揖斐川は、風でけっこう波立っていて、カンムリカイツブリが2羽いたのみ。

Dsc07786c_20240227160101 Dsc07839c_20240227160101  七里の渡し跡では、まず、ハクセキレイ(左の写真)。コガモ(右の写真)が4ペアと、ほかにメスが1羽。オオバン2羽や、キンクロハジロ羽もいました。

Dsc07994c_20240227160101 Dsc07909c  柿安コミュニティパークでは、ジョウビタキのオス。かなり近づけました。コガモのオス1羽とメスが4羽、上陸して休んでいたほか、オオバン3羽とキンクロハジロのメス2羽も。右の写真のオオバンは、別の個体とトラブった直後の様子。

Dsc08076c_20240227160101  Dsc08251c_20240227160101 九華公園に着いて、相撲場近くの堀でコガモのペアが1組。奥平屋敷跡では、ツグミ2羽。シメも一瞬だけ見ました。ほかにはカワラヒワや、ジョウビタキのオス、ドバトが来たくらい。

Dsc08276c  鳥待ちをしていたら、20羽以上いたドバトがいきなり飛び立って驚きました。二の丸堀の方を見ると、目の前にトビ。これに驚いたのでしょう。トビが神戸櫓跡の方に行くと、そこにいたカワウたちも逃げていきます。その後、カラス2羽がトビにちょっかいを出し、揖斐川の方へ飛び去ってしまいました。写真は撮れず。その後、ミサゴがやって来たのですが(左の写真)、二の丸堀の東の端の上空を旋回しており、いかにも遠い。

Dsc08871c_20240227160101 Dsc09011c_20240227160201  辰巳櫓跡でシロハラを見つけました。これほど近くで見たのは、今シーズン初めて(前回は遠くから撮った証拠写真だけでした)。 本丸跡では、ツグミ。他にはカワラヒワがたくさん地上に降りて、エサ探しをしていました。

Dsc08966c  鎮国守国神社では、「豊後梅ジロウ」。梅の花は、盛りを過ぎつつあります。

Dsc08154c Dsc08737c  二の丸堀の西側エリアにカイツブリ。カモ、今日はキンクロハジロが多く、58羽(右の写真、オス)。ヒドリガモは1ペアとオス1羽、ハシビロガモは12羽、ホシハジロはオス2羽にメス1羽。

Dsc09048c_20240227160201 Dsc08609c_20240227160101  ユリカモメは39羽。最近は、二の丸堀にかかる二の丸橋の欄干に集まっています。

Dsc09307c_20240227160301 Dsc09438c_20240227160301  今日も寺町の河津桜を見てきました。といっても桜そのものよりも、河津桜にメジロを期待して、です。昨日も、今日も風が強いので、撮影はなかなか難しい。

Dsc09567c_20240227162301 Dsc09581c_20240227163201  そういう中、メジロの求愛行動と思われるシーンを見られました。左の写真のメジロは、オスと思われ、翼を振るわせながら盛んに鳴いていました。引いて撮った写真が右のもの。この写真で向かって左下にいるのが、このメジロ。少し離れて対面しているメジロはメスと思われます。上にもう1羽いますが、これは不明。「お邪魔虫」なのでしょうか??

Dsc09208c_20240227160301  拙宅前まで戻ってきたら、住吉入江には、散歩に出るときにいたヒドリガモたちがまだいました。明日は、もう少し気温が上がる一方、風は少し弱くなるという予報です。散髪に行ってから、また、「河津桜にメジロ」を見に行くことにしましょう。写真は、河津桜。寺町商店街の南の端のあたりにて。

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その2)……国府宮神社から大御霊神社、中高記念館、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園から三菱ビルソリューションズのエレベーター試験塔を見て稲沢駅にゴールにて「完」

Img_7292c_20240225190901 Inazawa0  2月24日に行ってきた「はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング」の本編その2です。その1では、JR稲沢駅をスタートし、神明社、宮前公園、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社まで行きました。その2では、国府宮神社から南へ神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居から長束梅公園、大光寺、白山神社、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所のエレベーター試験塔と回ります。

Img_7299c_20240225191201 Img_7316c_20240224154201  国府宮神社から南に300mほど行ったところに大御霊神社への道標があります。ここを右折して200mあまり行くと、大御霊神社があります。ここも国府宮三社の1つ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。JRさわやかウォーキングの参加賞品でもらった三角チェアが大活躍。お茶を飲んで水分補給をするとともに、甘い物でエネルギー補給。

Img_7337c_20240224154201  参道に戻ってさらに南へ。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301 Img_7347c_20240225192301  こちらは中高記念館。珍しい名前ですが、明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。「中島郡高等小学校」を略して「中高」なのでしょう。もともとは、明治13(1880)年に建てられたようですが、何に使われていたかは定かではありません。高等小学校当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7380c_20240225192401 Img_7373c_20240224154301  中高記念館の南、大江橋の手前にある国府宮神社の鳥居。神社からここまで600mほど参道が続いています。この日、参道は、臨時駐車場になっていました。 社号標も大きく、その南には、2月11日の「儺追神事(はだか祭)標柱建式」で建てられた標柱があります。

Img_7403c_20240224154301  この鳥居のすぐ南に大江川にかかる大江橋があります。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7419c Img_7411c_20240225193001  稲沢中学校の西側をまだまだ南へ進んでいきます。道の両側には、石灯籠が並んでいます。これは、大鏡餅を奉納した地区が奉納した石灯籠のようです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木(樹齢90年ほど)でした。

Img_7479c_20240225193401  これは、長束梅の花。実は、この公園内に長束正家邸址があったのですが、それは見忘れました(苦笑)。長束正家は、豊臣五奉行の一人で、ここが生誕地とされています。コースマップには書いておいたのですが、うっかり。注意力が低下しているようです。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401 Img_7530c_20240225193601  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。ちなみに拙宅マンションのエレベーターも三菱ビルソリューションズのものです。

Img_7556c_20240224154401  せっかくここまで北からにはと思い、工場の入り口のところまで行ってエレベーター試験塔を見てきました。迫力があります。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  この日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、2.5㎞ほどですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。

 ちなみに国府宮神社で授与していただいた「儺追大鏡餅(切餅)」は、焼いて醤油をつけ、海苔を巻いていただきました。

 

 

2024年2月26日 (月)

河津桜もよく咲き、今日は「河津桜にメジロ」

Dsc07594c_20240226162001  天気は良く、気温も13.2℃まで上がったのですが、季節風が強くて寒く感じます。最大風速は、7.1m/s。以前と同じように、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.5㎞。冒頭の写真は、散歩から帰ったときのものですが、多度山から雲が流れてくるという、典型的な冬の空。

Dsc06400c Dsc07522c  まずは、寺町商店街の河津桜。木によって違いがありますが、ほぼ満開となった木も増えてきました。今日のような風の強い日は避けた方がよいでしょうが、そろそろ花見を楽しめます。

 

Dsc07485c_20240226162301 Dsc06967c_20240226162201  河津桜がよく咲いてくると、私が気になるのは、メジロ。今日も30分くらいかけてじっくり見てきました。「河津桜にメジロ」です。「サクジロー」と呼ぶ方もありますが、私には今ひとつピンときません。何かいい呼び方がないでしょうか。

Dsc07346c_20240226162301  河津桜にメジロで膨大な枚数の写真を撮ってきました。合計で2,300枚以上。今日だけで、です。ペケ写真が多いのですが、それでも一通りチェックしなければならず。大変でした。自業自得とはいえ……。

Dsc05251c_20240226162101Dsc05445c 散歩の初めから。住吉入江には、ヒドリガモが合計7ペア。私が散歩に出た時間対は、まだ休憩中。オオバンも2羽いました。2羽が一緒に行動しているように思えましたから、これもペアなのかも知れません。

Dsc05333c_20240226162101  桑名七里の渡し公園から諸戸氏庭園上空をトビが旋回していました。割と近くにミサゴらしき鳥も見えましたが、こちらはうまく撮れず。

Dsc05567c  七里の渡し跡にもヒドリガモが2ペアと、コガモのオスが2羽にメスが3羽(写真はありません)。三之丸公園でツグミ(左の写真)。

Dsc05598c Dsc05655c_20240226162101 柿安コミュニティパークの堀には、コガモのオス(左の写真)が3羽にメスが5羽。ここにもオオバン(右の写真)が2羽。

Dsc05670c Dsc05918c  九華公園には8時に到着。奥平屋敷跡でツグミ。シメも2度ほど見たのですが、写真には撮れずじまい。ハクセキレイもやって来ました。しかし、風が強いこともあってか、小型の野鳥はあまり来ません。

Dsc06147c Dsc06284c_20240226162201  本丸跡でジョウビタキのオス。見慣れた色模様で、いつも本丸跡や、朝日丸跡で見る個体。ほかにもカワラヒワ、メジロなどがいました。鎮国守国神社の境内では、久しぶりにウメジロウ。今日は、1羽だけ。

Dsc05763c Dsc06317c  ユリカモメは、28羽。左の写真は、珍しく奥平屋敷跡に降りてきたところ。右の写真は、二の丸橋の欄干に並んだシーン。

Dsc06047c Dsc06060c  カモは、キンクロハジロが何と69羽。日によって増減がかなりあります。ハシビロガモは20羽。オス1羽は、今日も吉之丸堀の橋の橋脚で休んでいて気になります。ホシハジロは、オス、メスとも1羽ずつ。ヒドリガモは、オス1羽にメス1羽。

Dsc06685c  このあとの公園ではヒヨドリ、スズメ、ムクドリくらい。非常勤先の授業評価アンケートへのコメントは先週送り、今日、「受け取った」という返事がありました。これで今年度の非常勤の仕事はすべて完了。来月後半になると、来年度の学事日程などが届くはず。今週は、土曜日に近鉄ハイキングの酒蔵みてある記に行きたいと思っています。河津桜が盛りの間に、河津桜とメジロを究めねば(微笑)。

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(その1)……稲沢駅をスタートし、萬徳寺から舟形神社を経て国府宮神社へ

Img_7242c_20240224154101  2月24日は、久しぶりに天気が回復。よく晴れて、暖かくなりました。桑名では最高気温は、12.7℃。風も弱く、ウォーキング日和。この日は、予定通り、国府宮へウォーキング。2月22日にはだか祭が行われたばかりの国府宮神社などへ行ってきました。「まだ、はだか祭りの余韻が残っているか」と期待しつつ、です。この日も、同級生K氏と二人旅。

Img_7014c_20240224154101 JR桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時56分着。東海道線に乗り換え。9時4分発岐阜行きの普通電車で、稲沢駅に9時16分着。¥590。稲沢に来たのは、私はたぶん2回目。息子が小さいときに、愛知機関区(旧稲沢機関区)に機関車や貨車を見に来た記憶があります。

Inazawa0   こちらがこの日歩いたルートマップ。JR東海道線稲沢駅と名鉄名古屋本線国府宮駅に挟まれたエリア。主な立ち寄り先は、稲沢神明社、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、国府宮神社一の鳥居、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)。コースマップ上は、6㎞。9時20分過ぎに稲沢駅西口をスタート。

Img_7029c_20240225161101  稲沢駅から西へ。200mほどのところに神明社があります。稲沢神明社とあります。神明社ですから、ご祭神は天照大神。それ以外のことは調べてもよく分かりません。

Img_7045c_20240225162001 Img_7048c_20240224154101  続いて宮前公園。ライオンズの森という石碑もありました。この公園内にD51機関車が保存されています(D51の823号機)。昭和45(1970)年8月まで走っていたといいますが、残念ながら金網におおわれていて、その姿はよく見えません。

Img_7062c_20240225162401 Img_7224c_20240224154101  宮前公園から北に行くと、長沼山華王院萬徳寺真言宗のお寺。8世紀中頃の創建ですが、その後衰え、建長6(1254)年に常円上人が再興し、亀山天皇の綸旨により勅願寺となりました。常円は、「沙石集」をあらわした無住一円の兄です。萬徳寺は尾張国の真言宗の大本山と称し、53の末寺をもち、寺領53石を有していました。

Img_7115c_20240225162901 Img_7130c_20240225162901  左の写真は、多宝塔(重要文化財)。2層の構造をもつ宝塔で、初層は方形、2層の中心部は円筒形、屋根は方形で、上下の連続部分は饅頭形(亀腹)となっています。上下層とも檜皮葺きで、塔の上に相輪が上がっており、室町時代後期の建造と考えられています。多宝塔の北に鎮守堂(重要文化財)があります。一間社流造、檜皮葺きの神社建築です。棟札によれば、享禄3(1530)年の建立です。

Img_7166c_20240224154101  ここ萬徳寺は「ぼたん寺」と呼ばれるほど、牡丹で有名。境内には約700本の牡丹があるそうです。牡丹の季節には、見事だろうと思います。

Img_7193c_20240224154201 Img_7196c_20240224154201  萬徳寺から南の道路に出て西に向かいます。日本軽金属の工場や、吹上公園の北を通り、国府宮神社に行く前に舟形神社に立ち寄ります。舟形神社。国府宮神社の別宮で、「国府宮三社」の1つ。ご祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと:宗像三女神の1つ)。

Img_7224c_20240224154101  国府宮神社(正式には、尾張大国霊神社)に近づくにつれ、クルマの渋滞が見られ、人出も増えてきました。期待した「はだか祭の余韻」はかなりありそうな感じです。2月22日にあの有名な「はだか祭」が行われたばかりなのです。崇神天皇の時代に鎮座と伝わります。式内社。主祭神は、国土(くにつち)の神、尾張大国霊神・大御霊神(尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされ)とともに、宗像(むなかた)神(市杵嶋姫命田心姫命湍津姫命の海神です。宗像神が祀られているのは、三宅川を利用して伊勢湾にいたる水路の安全を守る神社でもあったと考えられています。この楼門(重要文化財)は、室町時代初期のもの。

Img_7253c_20240224154101 Img_7263c_20240224154101  実は、拝殿にお参りする前、楼門をくぐったところに「切餅最後尾」という看板を見つけてしまいました。はだか祭に大鏡餅が奉納されるのですが、それが切餅として授与されるのです。これを逃す手はないということで、まずは列に並び、小1個が初穂料¥100ということで、4個をゲット。

240225081750248c  ちなみに、こちらが帰宅して開けて見た切餅。正月にいただく、普通の切餅くらいのサイズでした。このお餅をいただくと、夏病みしない、あるいは、1年を健康に過ごせるといわれるそうです。

Img_7280c_20240224154101  建物配置は「尾張式(尾張造)」で、楼門から拝殿、本殿の配置が「く」の字になっています。こちらの拝殿(重要文化財)は江戸時代初期の建立。平安時代末期には尾張総社と呼ばれ、古くから厄除けの神として信仰を集めています。隣接する松下町一帯が尾張の国府の所在地(尾張国衙)であったと考えられることから、国府宮と呼ばれました。旧暦で正月13日の儺追(なおい)神事は、国府宮のはだか祭として有名です。

Img_7276c_20240225170501 Img_7272c_20240225170501  ところで左の写真が、はだか祭で裸男がもみ合いをするところ。テレビで見ていると、もっと広いところのように思っていましたが、案外狭い。写真を撮った場所の背後には、桟敷席が設けられていました。左の写真で奥の建物が、儺追殿(なおいでん)。建物に向かって右端にはだか祭のとき、神男が儺追殿に納まるところがあります(右の写真)。

Img_7247c_20240225170901  余談。楼門をくぐったところには蕃塀(ばんぺい)がありました。参道上で拝殿の前に存在する短い塀です。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたといわれていますが、正確な目的は不明だそうです。桑名あたりでは見たことがありません。伊勢神宮には内宮、外宮ともにあります。尾張地方の神社でよく見ます。先日訪ねた津島神社にもありました(2024年2月3日 :20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ)。

Img_7296c_20240225171401  先日の津島神社もそうでしたが、ここ国府宮神社も、ぜひとも一度は訪ねてみたかったところですので、また念願が一つ叶ったということです。その1はここまで。その2では、国府宮神社の参道を下りながら、大御霊神社、中高記念館、大江橋などに向かいます。

2024年2月25日 (日)

20240225「昭和のくらし 昭和の一隅展」へ@四日市市立博物館

 朝から雨になっていますが、さほど強く降ることはなさそうでした。いつもなら「雨読の日」なのですが、急に思い立って、出かけてきました。行き先は、四日市市立博物館。1月2日から3月3日まで「昭和のくらし 昭和の一隅展」が開かれているのです。この「昭和のくらし」展は、毎年、1月から3月の恒例展覧会。このところ必ず見に行っています。今日の天気予報では「弱い雨」でしたので、それなら行ってくるかと思い立ったのです。

240225093020674c 240225100214637c  近鉄桑名駅を8時59分に出る塩浜行き普通に乗車。近鉄四日市駅には9時23分着。¥360。博物館まで歩いていくと、開館時刻の9時半に着けるという見込みで、その見込み通り開館と同時に入館。 初めのうちは、ほぼ独占状態で見られました。¥500。

240225093653298c  今回の目玉は、太田隆司さんのペーパーアートが多数展示されていることです。いわゆる「ペーバークラフト」とはまったく異なり、紙を微妙に重ねて「絵が描いてある」という感じの作品です。二次元の「絵」でもなく、360度から見える完全な立体でもありません。17センチの奥行きの中に独特の世界が展開されています。これは、百聞は一見にしかずの世界。興味をお持ちになったら、ご覧になることをお勧めします(撮影可、SNSで公開可となっています)。こちらは、「春 アクシデント」という作品。

240225093758014c  どの作品もとても興味深いのですが、2つを取り上げます。左の作品、白黒カラーのスポーツカーが見えます。「秋 上小出オート」というタイトル。若い頃、私はトヨタのAE86トレノに乗っていたのですが、これはたぶん86レビン。1,600ccの直列4気筒DOHCエンジンで、130馬力を叩き出し実によく走りました。

240225094134257c  Ddb3e864_20240225130901 もう1つは、四日市にちなんだシーンということで、末広橋梁。市内の千歳運河にかかる跳開式可動橋です。作品のタイトルは、「昭和の文化遺産-四日市末広橋梁-」。何度も現地に行ったことがあります。右の写真は、去年の3月11日に撮ったもの(2023年3月11日:20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結))。

240225094614521c  「昭和のくらし」の方は、例年と同じようなものが出ています。こちらでは、昭和30年代の家庭の光景が再現されています。私の子どもの頃の自宅の雰囲気もそっくり。

240225094356756c  真空管ラジオ。5球スーパーというもの。わが家にあったものは、ナショナル(現在のPanasonic)製でしたが、外観はこれによく似ていました。

240225094650197c 240225094643619c  かつてはどこのお宅も、電話といえばこれでした。いわゆる「黒電話」。いまでは、博物館に展示され、その使い方も掲示で説明されています。今日は載せませんが、平成の時代に流行った「二つ折り携帯電話」もすでに展示されています。

240225094703296c  英文タイプライターです。大学に入った年に安い、ブラザーか、オリベッティか忘れましたが、英文タイプライターを買って、それに附属していた教則本に沿ってしばらくタッチタイピングの練習を行い、そのスキルを身につけられました。これは、就職してから現在に至るまでパソコンを使うのにとても役に立っています。

240225095725933c  タイプライターといえば、昭和54(1979)年に就職してから、学会発表の資料やグラフをつくるのに、和文タイプライターを使ったこともありました。「キーによる盤面操作で活字箱から任意の活字を取り出す」というメカニズムが採用されていますが、英文であればアルファベットは26文字ですが、日本語では、ひらがな・カタカナ・漢字と膨大な数の活字が必要になります。ごくまれに活字が納められているところをひっくり返してしまい、元に戻すのに膨大な時間と労力を注いだこともありました。

240225095509244c_20240226043601  今回、展示のところどころに「あなたの昭和度は?」という展示というか、掲示というかが出ていました。こちらは初級編。「アベック」という言葉、今でも使ってしまいます。英語の筆記体が書けるのは当然と思っています(今は習わないようです)。「当たり前だ」といえば、あのクラッカーです。風船ガム、練習しましたねぇ。冷凍ミカン、駅の売店で売っていました。「巨人・大鵬・卵焼き」世代です。この展示、中級編、上級編、名人編、師範編と5段階に分かれています。

240225100715532c 240225100728036c  ここからは以前のブログでも紹介したことがありますが、四日市市立博物館にある時空街道の展示。これらは、江戸時代に荷物を運んだ馬の様子。馬といってもサラブレッドではなく、日本在来馬。足には、蹄鉄ではなく、馬用の草鞋を履いています。馬用の草鞋が気に入っているのです。

240225100512520c  もう1つ。焼き蛤の店。江戸時代のものを再現しています。「その手は桑名の焼き蛤」といいますが、朝日町の小向や、四日市の富田あたりでも焼き蛤が売られていました。小向、富田は江戸時代は、桑名藩領でした。

240225100930470c  本屋に立ち寄って新書を2冊買い、四日市近鉄百貨店の食品売り場を覗いて、近鉄四日市駅発10時51分の名古屋行き急行で帰宅。桑名駅には、11時3分の到着。¥360。

2024年2月24日 (土)

20240224はだか祭の余韻残る国府宮神社ウォーキング(予告編)

Img_7242c_20240224154101  雨続きでしたが、久しぶりに天気が回復。よく晴れて、暖かくなりました。桑名では最高気温は、12.7℃。風も弱く、ウォーキング日和。今日は、予定通り、国府宮へウォーキング。2月22日にはだか祭が行われた国府宮神社などへ行ってきました。「まだ、はだか祭りの余韻が残っているか」と期待しつつ、です。同級生K氏と二人旅。今回は、予告編。

Img_7014c_20240224154101 Img_7590c_20240224154401  JR桑名駅を8時25分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には8時56分着。東海道線に乗り換え。9時4分発岐阜行きの普通電車で、稲沢駅に9時16分着。¥590。稲沢に来たのは、私はたぶん2回目。息子が小さいときに、愛知機関区に機関車や貨車を見に来た記憶があります。

Inazawa0  こちらが今日歩いたルートマップ。JR東海道線稲沢駅と名鉄名古屋本線国府宮駅に挟まれたエリア。主な立ち寄り先は、宮前公園、萬徳寺、舟形神社、国府宮神社(尾張大国霊神社)、大御霊神社、中高記念館、大江橋、長束梅公園、大光寺、三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所(エレベーター試験塔)。コースマップ上は、6㎞。9時20分過ぎに稲沢駅をスタート。

Img_7048c_20240224154101  宮前公園には、D51機関車が保存されています(D51の823号機)。昭和45(1970)年8月まで走っていたといいますが、残念ながら金網におおわれていて、その姿はよく見えません。

Img_7103c_20240224154101 Img_7152c_20240224154101  続いて、長沼山華王院萬徳寺。真言宗のお寺。8世紀中頃の創建ですが、その後衰え、建長6(1254)年に常円上人が再興し、亀山天皇の綸旨により勅願寺となりました。尾張国の真言宗の大本山と称し、53の末寺をもち、寺領53石を有していました。多宝塔、鎮守堂(いずれも重要文化財、室町時代後期)があります。

Img_7166c_20240224154101  萬徳寺は「ぼたん寺」と呼ばれるほど、牡丹で有名。境内には約700本の牡丹があるそうです。

Img_7193c_20240224154201 Img_7196c_20240224154201  国府宮神社の東に舟形神社。国府宮神社の別宮で、「国府宮三社」の1つ。ご祭神は、田心姫命(たごりひめのみこと:宗像三女神の1つ)。

Img_7224c_20240224154101 Img_7280c_20240224154101  いよいよ国府宮神社(尾張大国霊神社)へ。2月22日にあの有名な「はだか祭」が行われたのがこちら。崇神天皇の時代に鎮座と伝わります。式内社。主祭神は、国土(くにつち)の神、尾張大国霊神・大御霊神(尾張人の祖先が当地を開拓する中で、自分達を養う土地の霊力を神と崇めたものとされ)とともに、宗像(むなかた)神(市杵嶋姫命田心姫命湍津姫命です。建物配置は「尾張式」で、楼門から拝殿、本殿の配置が「く」の字になっています。楼門(重要文化財)は、室町時代初期のもの。拝殿(重要文化財)は江戸時代初期の建立。平安時代末期には尾張総社と呼ばれ、古くから厄除けの神として信仰を集めています。旧暦で正月13日の儺追(なおい)神事は、国府宮のはだか祭として有名です。

Img_7253c_20240224154101 Img_7263c_20240224154101  実は、拝殿にお参りする前、楼門をくぐったところに「切餅最後尾」という看板を見つけてしまいました。はだか祭に大鏡もちが奉納されるのですが、それが切餅として授与されるのです。これを逃す手はないということで、まずは列に並び、小1個が初穂料¥100ということで、4個をゲット。このお餅をいただくと、夏病みしないといわれるそうです。

Img_7268c_20240224154101  ちなみに、こちらは、はだか祭のとき、神男が儺追殿に納まるところ。

Img_7316c_20240224154201  国府宮神社からは「国府宮三社」のもう1社である大御霊神社へ。国府宮神社の別宮。ご祭神は、大歳神之御子(大年神の御子神の大国御魂神)。ここで、小休止。

Img_7337c_20240224154201  このあたり、国府宮神社の参道が続いています。はだか祭の時には、この本来の参道は裸男専用で、両側の道が一般参拝者の参道になるようです。今日もまだ露店がたくさん出ていました。

Img_7339c_20240224154301  中高記念館。明治20(1887)年4月に開校した中島郡高等小学校の建物でした。当時は稲葉村禅源寺山にありました。明治45(1912)年1月高御堂に移し、稲沢町役場として活用され、その後、学校などに使っていたものを昭和35(1960)年現在地に移築され、保存されることになりました。明治中期の学校建築以降として貴重な建物です。

Img_7403c_20240224154301  その先、稲沢中学校のところに大江橋。昭和30(1955)年、稲沢市の前身である稲沢町の誕生の際に町村合併記念として整備された橋だそうです。

Img_7433c_20240224154301  国府宮神社から1㎞余り南下したところに国府宮神社一の鳥居があります。この一の鳥居は、美濃路という旧街道に面しています。ここから名鉄名古屋本線沿いにさらに南へ。稲沢市民会館(名古屋文理大学文化フォーラム)や、文化の丘公園のあるあたりで東へ。

Img_7454c_20240224154401 Img_7473c_20240224154401  県道136号線を越えたところに長束(なづか)梅公園。このあたり・稲沢市長束町原産の「長束梅」の原木が植えられています。現存する長束梅の木は非常に少なく、全国的にもほとんど残っていないそうです。長束梅は、梅干しなどに多く用いられたといいます。ここの原木もかなりの老木でした。

Img_7487c_20240224154401 Img_7503c  その東に恵日山大光寺と白山社。大光寺は、臨済宗妙心寺派。白山社は、創建年代など詳細は不明ですが、17世紀後半から19世紀初頭までの間に創建されたものと推測されています。ご祭神は社名からみて菊理媛命(くくりひめのみこと)と考えられます。これで立ち寄り先は、ほぼコンプリート。

Img_7546c_20240224154401  三菱ビルソリューションズ稲沢ビルシステム製作所の周りを西から北へと歩きます。ここには、稲沢にちなんで高さ173mのエレベーター試験塔があり、遠くからでもよく見えます。高さは、世界最高レベルです。工場内には当然立ち入れませんので、あちこちから眺めてきました。

Img_7564c_20240224154401 240224122347908c  稲沢駅の周りには、昼食を食べられるところがあまりないということで、途中、駅前4丁目交差点にあった台湾料理盛源美食城でランチ。Bランチで、チャーハン&唐揚げ3個をチョイス。これで¥780はお得。唐揚げはとても大きく、満腹。

Img_7576c_20240224154401  稲沢駅には12時45分に戻ってきました。13時ちょうどに大府行き普通電車がありましたので、それに乗って名古屋駅に13時11分着。関西線に乗り換え。13時16分発の四日市行き普通で桑名には、13時50分着。¥590。

Screenshot_20240224141844c  本日のGoogle Fitのデータ。9.8㎞、16,712歩でした。自宅~桑名駅往復は、1㎞余りですから、現地では7㎞あまりを歩いてきたことになります。本編の記事は、また明日以降ということで。

2024年2月23日 (金)

エイヤッと出かけたら、案の定降られて途中で撤退

Dsc04168c_20240223161001  雨雲レーダーでは薄い雨雲がかかっているとなっていたのですが、実際には雨は降っていませんでしたから、7時40分から散歩へ。しかし、やはり降られました(苦笑)。懲りないというか、学習しないというか。住吉神社から九華公園を往復して帰宅。4.5㎞。九華公園にいる間にポツポツと雨が落ちてきたのです。

Dsc04172c_20240223161001 Dsc04236c_20240223161001  拙宅前の住吉入江や、住吉水門の内側にヒドリガモたち。9ペアとオスが1羽。今の時期になって相手が見つからないのは、ヤバいのではないかと思います。オオバンも1羽。

Dsc04281c_20240223161001  Dsc04365c_20240223161001 七里の渡し跡にイソヒヨドリのメス。今日の写真は、曇天で暗かったこともあって、皆今ひとつ。三之丸公園ではジョウビタキのオス。近づくとすぐに逃げられ、苦労しました。

Dsc04612c  九華公園の奥平屋敷跡では、2ヶ所でウグイスがさえずっていました。一方はかなり上手にさえずるのに、もう一方はまだまだ練習が必要で、ずっこけそうになりました。写真は、超証拠写真。ほかにここでは、カワラヒワやツグミ。

Dsc04718c_20240223161101  二の丸堀には、カイツブリ。ちょっと距離がありましたので、これも証拠写真。この頃には、雨も降っていました。

Dsc04935c_20240223161001 Dsc04903c_20240223161001  本丸跡では、シメとシロハラ。九華公園では、シロハラは今シーズン初めて見ました。

Dsc05004c_20240223161001  神戸櫓跡の説明板にジョウビタキのオス。

Dsc04854c_20240223161001 Dsc04837c  野球場では、ツグミが3羽。ハクセキレイ2羽。ツグミはいずれもちょっと遠いところ。

Dsc04543c_20240223161101Dsc05041c_20240223161001  カモは、ハシビロガモは17羽いましたが、キンクロハジロは19羽。今日はヒドリガモはいませんでした。代わりに相撲場近くの堀にコガモのオス2羽、メス1羽。帰る途中、柿安コミュニティパークでメスのジョウビタキ、また、船津屋さんの裏手でホオジロのカップルにも出会いましたが、雨がけっこう降っていて、証拠写真以下の写真しか撮れず。

Dsc05027c_20240223161001  午後になって雨は上がり、夕方近くには晴れ間も見えてきました。明日は、晴れのち曇りの予報。稲沢へウォーキングに出かけることにしています。昨日、裸祭が行われた国府宮神社にも立ち寄るつもりです。写真は、お気に入りの鎮国守国神社の豊後梅。

2024年2月22日 (木)

九華公園にビンズイが登場

Dsc04158c  雨は朝方には上がりました。雨雲レーダーを見ても、大きな雨雲の隙間に入り、降りそうもありませんでしたので、8時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、新築公園からアピタ桑名店へ。寺町を通って、6.3㎞。午後からは晴れ間も見えたくらいです。気温は上がらず、最高13.4℃。

Dsc03851c_20240222150201 Dsc03433c_20240222150101  今日は、これらから。まずはビンズイ。冬のシーズンに九華公園に来るのですが、今シーズンは、今日が初見。辰巳櫓跡の近くに3羽がいました。また、久しぶりにコゲラも九華公園に登場。公園に着いたときから鳴き声が聞こえていましたが、本丸跡で遭遇。

Dsc02971c_20240222150201 Dsc03019c  さて、散歩の初めから。住吉水門の周囲にヒドリガモが13ペア。このあたりに集まって帰っていくのではないかと想像しているのですが、そういうシーンはまだ見ていません。揖斐川には、カンムリカイツブリが2羽。ちょっと遠かったのですが、夏羽に変わってきているのが分かります。

Dsc03076c_20240222150201 Dsc03090c  七里の渡し跡では、コガモのオス2羽とメス3羽とが上陸していました。コガモたち、まん丸になっています。帰っていく前に栄養をつけているのかと思うのですが、これで飛べるのかという気もします。

Dsc03153c  三の丸水門のところでオカヨシガモのペア。久しぶりに見ました。あたりには、オオバンやヒドリガモもいました。柿安コミュニティパークではムクドリやヒヨドリのほか、堀にはオオバン1羽とキンクロハジロのメスが2羽。

Dsc03351c_20240222150101 Dsc03339c_20240222150101  九華公園では、野鳥は少なく、また、いたとしても遠くてビンズイ、コゲラ以外に収穫はあまりありませんでした。ハクセキレイは、本丸跡にて。

Dsc03260c  ツグミも本丸跡に2羽いたのですが、遠い(苦笑)。今日は、ジョウビタキなどは見られませんでした。

Dsc03237c Dsc03942c  ユリカモメは10羽ほど。カモも少なく、キンクロハジロは10羽しかいません。ハシビロガモは13羽、ヒドリガモは1ペア。このあとの公園では、スズメがいたくらい。

Dsc03462c  鎮国守国神社の豊後梅。かなり咲きました。ほぼ満開といってよいでしょう。

Dsc03978c_20240222150101 Dsc03992c_20240222150101  こちらは常信寺の墓地にある桜。種類は分かりませんが、早咲きです。右は、ミツマタの花。ようやく1~2輪が咲き始めました。

Dsc04019c_20240222150101  同じく常信寺にあるミモザ

Dsc04056c_20240222150101 Dsc04107c  寺町の河津桜も見てきました。実は、河津桜そのものも気になるのですが、メジロが蜜を吸いに来ていないかが、もっと気になるのです。メジロの鳴き声も聞こえたのですが、姿は見つけられませんでした。

Dsc03890c  余談。アピタに久しぶりに行ってきました。新光堂書店があったときはたまに行ったのですが、去年の9月10日に閉店してしまってからはご無沙汰(2023年9月1日:ハシビロガモのオスの羽ばたきで翼の傷み具合を見る)。今日は、100均ショップのセリアが移転して、広くなったといいますので、様子を見がてらメダカの睡蓮鉢に使う赤玉土などを買ってきました。

 

2024年2月21日 (水)

授業評価の結果が届く

240221100759338c  240221amedas 雨の止み間があったら、散歩に行こうと思ったのですが、結局それはほとんどなさそうです。それ故、今日は「雨読の日」。来年度の授業の準備に手をつけるのは、まだ早すぎますから、月曜日にも書きましたが、いま住んでいるあたりの歴史を調べる作業の続き(2024年2月19日:ホームセンターで散歩?)。『桑名市史』や『久波奈名所図会』などが参考文献。

240221101325250c  午前中、非常勤先からメールで、学生による後期の授業評価の結果が届き、コメントを書くよう依頼がありました。授業評価は、コロナ禍の頃から、Google Classroomを使ってWebで行われるようになったのですが、それ以降、回答率が低下しています。コロナ禍前の令和元年度の後期の授業評価はアンケート用紙を配付して教室で行い、その回答率は77.8%。この数値は、当日の出席率79.6%とほぼ同じでした。令和2年度分は手元にデータがありませんが、令和3年度は38%、令和4年度は9%(ちなみに、この数値、間違いではありません)、令和5年度は71%でした。評価は、総合評価のほか、わかりやすさ、教材、学生の質問や意見、教員の熱意などで、合計8項目について6段階評価で行われています。今年の私の総合評価は5.3で、評点5・6が79%を占めていましたから、たぶん悪くはないと思います。「と思います」というのは、自分の結果しか知らされませんから、何とも判断がつかないのです。 ちなみに総合評価が最も高かったのは、令和元年度で5.6でした。さぁ、どういうコメントを書こうか、思案中です。これまでに何度も書いていますが、比較対象のデータがないと、「あぁ、そうですか」で終わってしまうのです(2021年8月30日:暑くて歩いている人はいません……アサガオは8輪開花、カワセミは撮り逃がす)。

1708494888596c  ところで実家に出かけた家内から畑の写真が届きました。玉ねぎが作ってあったのですが、ご覧のように、全滅。先週も一部やられていたのですが、とうとう全部やられてしまいました。やった犯人は、サル。最近、あまり出て来ていなかったのですが、今日は根こそぎ食べられていたそうです。柵はしてあるのですが、それは実際には、気休め。いやはや。

 

2024年2月20日 (火)

ウグイスの初鳴きを聞く

Dsc02930c_20240220151201  暖かいというより、蒸し暑いくらいの日になりました。最高気温は21.8℃。散歩途中でジャケットを脱いだにもかかわらず、汗をかいて帰宅したくらい。7時40分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.0㎞。

Dsc01397c_20240220151301 Dsc01425c_20240220151301  住吉水門の内側にキンクロハジロ2羽と、オオバンが3羽。この間までは、ヒドリガモが集まっていたのですが、ここ数日は来なくなりました。ヒドリガモたちはすでに北の国に帰って行きつつあるのかも知れません。

Dsc01516c Dsc01529c  七里の渡し跡では、ヒドリガモが2ペアとオオバン2羽。ここにもしばらく前にはヒドリガモがたくさんいましたが、少なくなりました。

Dsc01554c_20240220151301  三の丸水門のところでは、ツグミが1羽。柿安コミュニティパークの堀には、コガモのオス2羽とメス1羽とが、上陸して休んでいました。

Dsc01617c Dsc01764c_20240220151301  九華公園には8時に到着。奥平屋敷跡でツグミを複数目撃。実際には2羽か、3羽と思います。最近になってようやくツグミをよく見るようになりました。ジョウビタキのオスも登場。

Dsc01819c Dsc02057c_20240220151401  さらにシメも。同じシメが奥平屋敷跡のあたりを回っているようでした。シメもこのところやっとよく見るようになりました。シメは、本丸跡でも見ています。ウグイスも3羽ほどを目撃。ただし、苦労したのですが、写真は超証拠写真。今シーズン初めて、さえずるのを聞きました。

Dsc02672c  ユリカモメは22羽ほど。二の丸橋でお子さんがエサをやっていましたので、飛翔シーンも撮れました。

Dsc02674c_20240220151401 Dsc02675c_20240220151401  この2羽を追いかけて連写していたら、こんなシーンが写っていました(苦笑)。向こう側を飛ぶユリカモメから白い物体が放出されています。

Dsc02310c_20240220151401 Dsc02407c_20240220151401  カモは、ホシハジロのオスが2羽、メスが1羽(左の写真)、ハシビロガモが18羽、ヒドリガモのオスが2羽にメスが1羽、キンクロハジロが17羽。

Dsc02195c_20240220151401  九華公園の神戸櫓跡にある松の木には、カワウがたむろしています。カワウたちのなかには、木の枝をくわえて、運んでくるのを見ます。今年もここで営巣すると思われます。ハシボソガラスも、奥平屋敷跡の松の木に木の枝を運んできています。カラスも、去年同様、営巣しそうです。

Dsc02811c_20240220151301  内堀公園でカワラヒワ。カワラヒワは、九華公園でもたくさん見られました。ペアで行動しているところをよく見ます。

Dsc02524c Dsc02556c  左の写真は、鎮国守国神社の豊後梅。よく咲いてきました。右は、同じく、ピンクの枝垂れ梅。これらはほぼ満開です。

Dsc02834c Dsc02883c_20240220151201  寺町の河津桜。こちらもよく咲いてきています。明日は終日雨の予報で、しかも気温は今日より10℃以上下がるとか。体調管理をしっかりしないといけません。

 

 

2024年2月19日 (月)

ホームセンターで散歩?

0219rader 0219amedas  雨の止み間を見て散歩に行こうと思ったものの、結局、ほぼずっと降り続いています。残念ながら、今日は散歩は無理と考えざるを得ません。こういう日は、モットーの通り、「晴歩雨読」となるのですが、午前中は外出してきました。

240219094840801c 240219095256401c  行き先はこちら。某ホームセンターであります。10年以上前には、雨の日は、ホームセンターまでクルマで行ってその店内を歩いたりしましたが、最近はそれはやめました。珍しく、自分も買い物に行ったという次第。ここと、もう1軒、100均ショップにも行き、靴、印刷用紙、サギソウの株分けに必要な鹿沼土と水ゴケ、また、メダカに使うカルキ抜きなどを買ってきました。ちなみに歩いたのは、1.9㎞ですから、散歩にはなりません。

240219113209856c  100均ショップの店内を回っていたら、こんなものも見つけてしまいました。松永のしるこサンドなのですが、抹茶味。1月から販売されている、期間限定商品。ご多分にもれず「期間限定」ということばには弱いのです。100均ショップで売っていますから、60グラムが入って¥110。ちなみにしるこサンドは、昭和41(1966)年に発売されており、私にとっては、ソウルフードならぬ「ソウルおやつ」という感じ。確か、ザ・ピーナッツがCMソングを歌っていたと思います。こちらにあるのがそうではないかと思います。

240216173956015c 240216174046110c  余談。先日、愚息が出張で能登方面に出かけました。JRで行くと、出発が遅くなるのと、ホテルがまったく取れないということで、車で片道4時間以上かけて往復。ヘトヘトになって帰ってきましたが、それでも土産といってこれと、羽二重餅を買ってきてくれました。今庄宿(南越前町)にある4つの酒蔵でつくられている日本酒の飲み比べセットです。いずれも江戸時代創業という古い酒蔵。

Bunseikiriezu  午後からは「雨読」。本を読むのと、自分がこちらに来てからずっと住んでいるところの歴史調べをしていますが、その続き。左の画像はそれに使っている、桑名市・桑名市博物館が令和4(2022)年に発行した『桑名城下切絵図ー文政8年城下絵図による桑名藩士居宅ー』(桑名叢書Ⅳ)の一部。

2024年2月18日 (日)

天気も鳥見もパッとせず

Dsc00391c  曇りのちときどき雨。気温は最低気温が10.4℃、最高気温は13.8℃とあまり変わりありません。今日は7時半から散歩に出てみました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、歴史を語る公園、中橋、南魚町、寺町と6.0㎞。

Dsc00395c  住吉入江には、オオバンが1羽いたのみ。このところヒドリガモがたくさん来ていたのですが、今日はゼロ。暖かい日が続いていますから、もう帰っていったのかと思えてしまいます。揖斐川では赤須賀漁港の漁船が漁に出ていて、水鳥はいません。七里の渡し跡にも、今日は何もおらず。

Dsc00453c_20240218143101 Dsc00523c  三之丸公園に来てようやくツグミが1羽。ほかにはムクドリが数羽。蟠龍櫓にイソヒヨドリのメス。柿安コミュニティパークの堀ではオオバンが2羽。堤防には、コガモのオス1羽にメス5羽が上陸してお休み。

Dsc00795c_20240218143101  九華公園でも野鳥は少なく、前管理人Oさんとおしゃべりばかり(苦笑)。奥平屋敷跡にはカワラヒワ、ヒヨドリ、シメ。ジョウビタキのオスは、二の丸跡にて。

Dsc01050c_20240218143101 Dsc01130c_20240218143101  本丸跡では、ハクセキレイとツグミ。今日のバードウォッチングは今ひとつです。

Dsc00910c_20240218143101 Dsc00944c  カモは、ハシビロガモが16羽、キンクロハジロが38羽、ヒドリガモは1ペア、ホシハジロのオスが1羽。オオバンも1羽、混じっていました。

Dsc01173c_20240218143001  貝塚公園ではヒヨドリがいたのと、ウグイスの鳴き声ガ聞こえたくらい。最近、ここはまた野鳥が少なくなっています。シロハラもしばらく前に1回見ただけ。内堀南公園ではヒヨドリのみ。内堀公園では、ジョウビタキのオス。ほかにスズメ、ヒヨドリ、ツグミ。

Dsc01253c_20240218143001 Dsc01259c  中橋のところにゴイサギがいるか、見てきました。九華公園にいるとき、上空をゴイサギやホシゴイが10数羽旋回しているのが見えたからです。しかし、いたのはゴイサギ1羽にホシゴイ4羽でした。最近はやや少なめのようです。

Dsc01324c Dsc01332c_20240218143001  寺町の河津桜が気になったので、今日も見てきました。並木の北側半分くらいしか見てきませんでしたが、花の数は、倍以上に増えている印象です。3月9日・10日に寺町商店街では、河津桜まつりを開くそうです。このあと、拙宅マンションまで戻ってきたら、プレイロットにシロハラがいたのですが、諸戸氏庭園に逃げられ、写真は撮れず。目撃は、今シーズン2回目。

Dsc01094c  早いものでもう2月も後半になっています。仕事のアポはもうありません。週末に稲沢へウォーキングに行く計画を立てているのですが、今週はずっと雨模様という予報です。写真は、鎮国守国神社の豊後梅。

 

2024年2月17日 (土)

河口堰でチュウヒ

Dsc09304c_20240217150301  昼前後に晴れ間がありましたが、ほぼ曇りの1日。最高気温は14.6℃。曇り予報でしたので、ちょっと迷ったのですが、風はないということでしたので、2ヶ所に出かけてきました。まずは、治水神社。春にアオサギの営巣を見に行くことはあったのですが、この時期に行くのは初めて。

Dsc09478c_20240217150401 Dsc09621c_20240217150401  ブロ友のひらいさんが、弥富のサギ山にはアオサギなどが集まり始めていると書いておられました(2024.02.10~12 お散歩週報)。ここにも、アオサギさんもいて、巣材を運んでいるのが見えたのですが、数はさほどではありませんでした。

Dsc09312c_20240217150301  むしろ目立ったのは、カワウたち。その数は、アオサギたちをはるかに凌駕しています。昨年からカワウが営巣のため、ここに進出してきていますが(2023年04月23日:性懲りもなく、またプチ遠征へ……ケリのヒナを確認)、乗っ取ってしまいそうな勢いです。令和2年度から千本松原あたりでカワウの駆除が行われましたので、こちらに来たのではないかと思います。

Dsc09362c_20240217150301 Dsc09337c_20240217150301  境内でほかに見たのは、ツグミ。西側の揖斐川にはカモたちもたくさんいました。多かったのは、カルガモと、ヒドリガモ。

Dsc09435c  ヒドリガモのほかにマガモもいたのですが、ここのカモたち、人慣れしていないのか、私が歩いているとすぐに逃げてしまうので、遠くてマガモは撮れず。ほかの小型野鳥に巡り会えることもあるそうですが、今日は見かけず。

Dsc09847c Dsc09865c  続いて、長良川河口堰。三ツ又池公園も考えたのですが、今年は水鳥が少なく、パンダガモも見込めない気がしましたので、こちらへ。繁殖シーズンも始まりつつありますから、サギはいないだろうとは思ったのですが、東側の魚道、下流側にコサギ。

Dsc09853c_20240217150401 Dsc09917c_20240217150401  証拠写真もいいところですが、東側で、魚道のはるか上流にカイツブリ。こんな写真でも載せたのは、河口堰でカイツブリを見る子とはほとんどないからです。証拠写真ついでに、カモたち。キンクロハジロがほとんどで、ホシハジロが混じっています。前回来たときより(2024年1月7日:ミコアイサを見に)、数はかなり減っています。数えては来ませんでしたが、半分以下のように見えます。

Dsc00013c_20240217150401 Dsc00048c_20240217150401  河口堰西側では、閘門へのアプローチのところにアオサギが合計7羽。ほかにはカワウが少し。親水広場に降りていく坂道でハクセキレイ。西側の中州にホオジロのオスが登場。ちょっと距離がありました。

Dsc00207c_20240217150401 Dsc00315c_20240217150501  カルガモも、カンムリカイツブリも前回より少なくなっていました。カルガモは半分以下くらい、カンムリカイツブリは1/5くらいの印象。

Dsc00142c_20240217150401  親水広場を歩いていたら、西側の中州からチュウヒが登場。揖斐長良川の中州のもっと下流あたりを飛ぶのを見たことがありますが、河口堰のところではたぶん初めて見ます。

Dsc00223c_20240217150501 Dsc00249c_20240217150501  親水広場の北東エリアでは、ホオジロのペア。ツグミの鳴き声もしたのですが、姿は見えず。東まで戻ってきたら、モズをチラッと見ました。という次第で、2ヶ所で合わせて5.7㎞を歩いてきました。明日は、雨時々曇りという予報で、散歩は難しいでしょうか。

2024年2月16日 (金)

日本アルプス遠望

Dsc09273c_20240216144401  年に何回もこれほどよく見えることはありません。何がかといいますと、タイトル通り、日本アルプスが見えることです。冬になると、空気が澄むのか、ときどき雪を被ったアルプスの山並みが見えることがありますが、これほどクリアに見えるのは、年に1~2回です。

Dsc09275c Dsc09277c  北の方から。左の写真で向かって右に写っている山は、木曽御岳山。その左手に見えるのは、北アルプス(飛騨山脈)の山々。右の写真は、名古屋駅方面。向かって右端に見えるのが、名古屋駅前の高層ビル群。中央に広がっているのが、中央アルプス(木曽山脈)

Dsc09279c Dsc09281c_20240216144401  名駅の高層ビル群の右手を見たのが、左の写真。この写真で向かって右に見えているのが、恵那山。右の写真は、さらに南の方向。雪を被っているのは、南アルプス(赤石山脈)と思います。今日は、本当によく見えています。

今年も例によって勝手に開花宣言……寺町の河津桜

Dsc09283c_20240216144401  朝のうちは雲がかかっていましたが、10時前くらいからよく晴れて来ました。しかし、季節風がかなり強く吹いています。最高気温は、13.6℃。室内にいると暖かく過ごせます。15時頃で24℃くらいあります。朝は7時50分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と5.3㎞(もう少し歩いた気がしますが、Google Fitのデータでは)。

Dsc09222c_20240216144401 Dsc09256c_20240216144401  昨日、寺町の河津桜がほころんできたと書きましたが(2024年2月15日:寺町の河津桜、ほころぶ)、今日は、あちこちで合計7輪咲いていました。桜の開花宣言の基準は、標準木で5〜6輪の花が咲いたかどうかです(こちら)から、この基準は満たしませんが、これだけ咲いたので、例によって、勝手に開花宣言します(微笑)。

Dsc08033c Dsc08049c_20240216144501  さて、散歩の初めから。住吉入江では、ヒドリガモが14ペアも集まっていて、ビックリ。帰る準備をしているのかと思えます。オオバンも3羽。

Dsc08212c Dsc08433c_20240216144501  九華公園に着いたのは8時10分過ぎ。奥平屋敷跡では、今日はいろいろと出て来ました。まずは、ツグミ。計3羽。モズのメスも登場。

Dsc08340c_20240216144501  Dsc08459c_20240216144501 ハクセキレイもやって来ました。ほかにはカワラヒワがけっこう来ています。去年今頃、ハシボソガラスが松の木で営巣を始めていましたが、今年は今のところまだです。ただ、ハシボソガラスが集まってきていますから、巣をつくるかも知れません。ヒヨドリ、ムクドリ、ドバトはほとんど来ません。

Dsc08835c Dsc08899c_20240216144401  朝日丸跡では、カワラヒワ。カワラヒワをよく見るようになりました。たいていペアで行動しています。ここには、ジョウビタキのオスもやって来ました。

Dsc08953c_20240216144401 Dsc08989c_20240216144401  鎮国守国神社では、今日もウメジロウ。ただし、今日は今ひとつ。

Dsc09055c_20240216144401  本丸跡でもハクセキレイ。

Dsc08633c Dsc08580c_20240216144401  ユリカモメは70羽以上やって来て、どういう訳か(エサももらえないのに)、二の丸橋あたりにたむろしています。連写ならぬ「乱写」したら、おもしろいシーンも撮れていました(左の写真)。

Dsc09122c_20240216144401  カモは、キンクロハジロが35羽(日による変動がかなりあります)、ハシビロガモが15羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽、ホシハジロのオスが1羽。散歩&鳥見友だちのYさんは、今日もカイツブリがいたとおっしゃっていましたが、私は確認できず。

Dsc09187c_20240216144401 Dsc09160c_20240216151201  貝塚公園、最近、古い大きな木が伐採されて、公園全体がかなり明るくなりました(右の写真)。防犯対策なのでしょうが、そのせいもあってか、野鳥が少ない気がします。新築公園でジョウビタキのオス。昨シーズンはよく見たのですが、今シーズン、ここでは初めて。

Dsc08928c  豊後梅は少しずつ花が増えています。鎮国守国神社の大奥様に豊後梅だと教えていただいて以来、毎年、咲くのを気にしています。梅の変種の1種で、大きな実がつきます。

2024年2月15日 (木)

寺町の河津桜、ほころぶ

Dsc07022c_20240215151601  アメダスのデータには出ていませんが、14時過ぎからときどき雨になっています。最高気温は14.2℃。朝は8時から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と、5.5㎞ほど。

Dsc07922c_20240215151401  今日はまずはこちらから。寺町の河津桜、一輪だけ咲いていました。一輪では、いくら勝手にでも開花宣言はできません。ちなみに、去年は2月7日に咲き始めています(2023年2月7日:寺町商店街の河津桜が咲き始めました……午後から散歩)。

Dsc07096c_20240215151601  証拠写真ではありますが、住吉ポンプ場のテレビアンテナにモズ。

Dsc07120c_20240215151601 Dsc07143c  住吉水門の内側に浮桟橋があります。そこにオオバン。ここでよく身繕いをしています。その近くにホシハジロのオス。ここでときどき見かけるホシハジロです。嘴の先端、右側が欠けたようになっています。

Dsc07249c_20240215151601 Dsc07336c  船津屋さんの裏手でシジュウカラ。あたりにはメジロもいました。三之丸公園ではツグミ。

Dsc07291c_20240215151601  七里の渡し跡にはヒドリガモが15ペアも集まっていました。これだけの数が集まっていると、そろそろ北の国に帰っていくカモたちもいるのかと思えます。ほかにはコガモが3ペアと、コガモのメスが2羽。

Dsc07380c_20240215151501  柿安コミュニティパークでもツグミ。堀にはオオバン1羽と、コガモのメスだけが5羽。

Dsc07405c_20240215151501 Dsc07553c_20240215151501  九華公園に着いたのは8時半近く。サザンカの木にメジロ。二の丸跡へ渡る橋にハクセキレイ。

Dsc07706c_20240215151401 Dsc07754c_20240215151401  公園内を半周して、鎮国守国神社の社務所裏を見たら、久しぶりにアオサギ。境内の白梅では、ちょっとだけウメジロウ。

Dsc07721c  その鎮国守国神社では、昨日咲き始めた豊後梅の花が少し増えていました。

Dsc07636c_20240215151401  九華公園の堀には、今日もカイツブリの姿が。昨日と同じカイツブリではないかと思われます。

Dsc07827c Dsc07871c  ユリカモメは、今日は、5羽。カモ、今日はキンクロハジロが昨日の72羽から激減して、15羽のみ。ハシビロガモは19羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽、ホシハジロのオスが1羽。今日は、野鳥は少なく、このあとの公演でもほとんど見ませんでした。

Dsc08003c  拙宅前の住吉入江のところでオオバン。出がけに住吉水門のところにいたオオバンかも知れません。明日は、日が昇る頃には晴れてくるという予報です。気温は、今日より下がるようですが、バードウォッチングは、明日に期待しましょう。

 

2024年2月14日 (水)

今日もウメジロウ……九華公園にカイツブリ

Dsc05880c_20240214155001  暖かくなりました。最高気温は、何と18.0℃。15時過ぎからは雲が広がってきたものの、それまではよく晴れていました。今朝は8時から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.0㎞。体調は悪くありませんし、疲れもしませんでした。まぁボチボチとやります。

Dsc05957c_20240214155101 Dsc05993c_20240214155101  住吉入江には今日もヒドリがが1ペアいましたが、逆光の位置で写真はうまく撮れず。七里の渡し跡でホシハジロのオス。ヒドリガモが4ペアに、コガモ2ペアが上陸してお休み。

Dsc06018c_20240214155101  柿安コミュニティパークの堀には、オオバン1羽と、コガモが1ペア。あちこちで水鳥もペアになっています。

Dsc06049c Dsc06075c_20240214155101  九華公園には8時20分到着。相撲場近くにツグミ。管理事務所のところでジョウビタキのオスが出て来ました。

Dsc06220c Dsc06249c_20240214155101  奥平屋敷跡で散歩友達のYさん。久しぶりです。ここでは、ツグミ2羽、シメ1羽のほか、カワラヒワ、カラス。カラスといえば、去年の今頃は、巣作りを始めていましたが(2023年2月14日:九華公園に今日もミサゴとカンムリカイツブリ……花のない梅に「ウメジロウ」とはこれいかに?)、今年はその様子はまだありません。

Dsc06399c Dsc06734c_20240214155201  朝日丸跡でジョウビタキのオス。本丸跡には、シメが降りていたのですが、近づこうとした瞬間に逃げられました(苦笑)。グラウンドには、ハクセキレイ。

Dsc06513c_20240214155201  鎮国守国神社の境内では、Dsc06465c_20240214155201 ウメジロウ。天守台のところに咲いている白梅にて。2羽がいたのですが、生け垣近くでなかなか撮りにくいところ。

Dsc06718c_20240214155301  しかし、まあそれなりに撮れましたので、良しとしましょう。

Dsc06424c_20240214155101 Dsc06437c  その鎮国守国神社の境内には、梅がたくさん植えられています。久松松平家の家紋が梅鉢紋ですから、それにちなんでいると思います。右は、豊後梅。ほかの梅よりも咲くのがやや遅めで、今日ようやく1輪がほころんでいました。

Dsc06205c_20240214155101 Dsc06362c_20240214155101  九華公園の堀には、珍客。カイツブリ。若い個体のようです。毎年、冬になるとカイツブリがときどきやって来ます。Yさんによれば、このところ毎日見かけるといいます。さらにカルガモも2羽。先週の初めにも来ていました。

Dsc06336c Dsc06807c_20240214155201  カモは、キンクロハジロが72羽もいました(左の写真)。こんなにいるのは久しぶり。ハシビロガモが17羽(ハシビロガモ)、ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモのオスが2羽、メスが1羽。

Dsc06772c  ユリカモメは、7羽のみ。

Dsc06859c Dsc06910c_20240214155201  貝塚公園ではモズのオスが、また、内堀公園ではジョウビタキのオスがそれぞれ出て来ました。久しぶりに散歩に出ましたが、なかなかのメンバーを見られました。

Dsc06983c_20240214155201  寺町商店街では、河津桜が咲いているかと期待したのですが、残念ながらまだでした。しかし、今日は18℃になりましたから、そろそろだろうと思っています。明日は雨時々曇りの予報ですから、散歩は無理か??

2024年2月13日 (火)

足慣らし散歩へ

Dsc05621c  コロナの症状はほとんどなくなりましたし、発症から1週間となりました。本当は、今日は午前中に市役所の会議が1つあったのですが、迷惑をおかけするといけないと考え、先週末にキャンセルさせていただきました。それ故、あまりおおっぴらに散歩に行くのもはばかられますので、今日は「足慣らし散歩」へ。8時半から小1時間。住吉入江、寺町堀、吉津屋町、新築公園、常盤町、常信寺、寺町と2.9㎞ほど。

Dsc05606c  散歩に出ようとマンションの玄関を出たところでプレイロットにウグイスがいたのですが、見ただけで写真は撮れず。住吉入江には、ヒドリガモが1ペア、お休み中。

Dsc05778c_20240213113601 Dsc05640c_20240213113601  寺町の河津桜が気になっていました。商店街の東にある寺町堀沿いに並木があります。ほとんどの木では、右の写真にありますように、つぼみがかなり膨らんで来ていました。私が散歩に行けないものですから、ブロ友のひらいさんや、旧知の歴史案内人のKさんが、昨日、様子をお知らせくださったほどで、お手数をおかけしました。

Dsc05783c_20240213113601  Dsc05645c_20240213114301 早いものでは、この左の写真のような感じ、間もなく花が開きそうでした。今日の最高気温予想は14℃、明日は17℃ですから、そろそろ咲き始めるだろうと思われます。河津桜を見上げていたら、女性の方が「もう咲いていますかね?」と話しかけてこられ、しばらく一緒に花が咲いていないか見て歩いてきました。

Dsc05677c  新築公園では、スズメとヒヨドリ。たまにはヒヨドリの写真も載せておきます。

Dsc05704c Dsc05720c  常信寺の梅はよく咲いています。このほかに紅梅、白梅が1本ずつあります。ミツマタはつぼみがけっこう出て来ています。ただし、去年、いろいろの樹木が剪定されました。ミツマタも、サンシュユも剪定され、花はいずれもこれからという印象でした。

Dsc05847c_20240213113601  住吉入江に戻ってきたところにジョウビタキのオスが登場。久しぶりに散歩に出られたご褒美です。ということで、2.9㎞、約5,000歩の「足慣らし散歩」は無事終了。とくに疲れもありませんし、筋力が低下した感じもありません(まあ1週間のブランクですから)。明日はいつものコースへ行きたいと考えています。

2024年2月12日 (月)

症状は軽快しています

240212160735356c  お陰様で「外出を控えることが推奨される期間」の5日間は無事に過ぎ、今日は「症状軽快から24時間経過するまでの間」でした(正確にいえば、症状が軽快したのは、9日か10日ですが……)。咳がごくたまに出るのと、鼻水が少し出るくらいでした。曇っている時間帯もありましたが、晴れて、気温も12.5℃まであがりましたので、「少しくらい外に出ようか」という誘惑に駆られましたが、そこはまぁ自分で「もう1日おとなしくしている」と決めたので、守らなければなりません。明日は、晴れて、最高気温も14℃、風は弱いという予報です。外出は、明日からとしましょう。

Saya  今日も、ウォーキング、街道歩きについてあれこれ調べていました。佐屋街道津島の上街道、下街道伊勢別街道などについて、そのルートをチェックしています。キョリ測ですでにルートを描いた街道もあり、参考資料と照らし合わせて、そのチェック&修正。左の画像は、佐屋街道のルート。佐屋街道は、江戸時代に東海道宮宿(名古屋市)と桑名宿(桑名市)との間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路6里を経て、佐屋から桑名宿への水路3里の渡しによって結んでいた街道です。前から興味はあったのですが、ルートマップをご覧いただくとお分かりになりますが、八田駅(JR、近鉄、地下鉄)を過ぎると、名鉄津島駅近くまで、鉄道路線から離れていて、どうしたものかと思っていたのです。調べてみますと津島駅と名鉄バスセンター/栄を結ぶバス路線がありますので、それを利用すれば、何回かに分けて歩けそうです。

Isebetsu  こちらは、伊勢別街道のルート。関宿東追分から津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ4里26町(約18.5㎞)の街道です。関宿へはJR関西線で行けます。江戸橋駅は、非常勤に行く時の最寄り駅です。街道歩きになれた方は、1日で歩ききってしまう距離ですが、2回に分けようと思うと、途中、やはり鉄道がありません。しかし、こちらも三重交通のバスが津から椋本まで出ていることがわかりましたので、ぜひともチャレンジしようという気になっています。

2024年2月11日 (日)

体調は普通という感じ

Dsc05565c_20240211163601  主観的には「もう治った」と思えるくらい、普通の体調と感じていますが、ルールにはしたがおうと、今日も外出はしていません。雲が広がる時間帯もありましたが、日が差してくると、部屋の中は暖かくてぬくぬくと過ごしています。お陰様で暇を持て余すということはほとんどありません。読書のほか、ウォーキングのことを調べたりなどしています。昨日書きましたように、明日までは外出を控えておきます。万一、他人様にうつすなどということをしでかしてしまっては申し訳ありませんから。

Dsc05558c  ベランダからあちこちと眺めることもあります。いま気になっているのは、寺町商店街にある河津桜は咲き始めたか? ということです。双眼鏡で見ても、カメラの望遠で撮ってみても、ピンク色は見えませんから、咲いていたとしても、まだ本当に咲き始めたくらいでしょう。ちなみに去年は、2月7日に開花しています(2023年2月7日:寺町商店街の河津桜が咲き始めました……午後から散歩)。今週は、会議を1つキャンセルさせてもらいましたので、特にアポはありません。

2024年2月10日 (土)

「外出を控えることが推奨される期間」の4日目

Dsc05051c_20240210153001  「外出を控えることが推奨される期間」も4日目となりました。平熱となり、咳も鼻水もほとんど出なくなりました。外は天気がよく、暖かそうですから、散歩の虫がウズウズしてきますが、室外に出たのはベランダのみ(苦笑)。症状がなくなってきましたが、まだ大手を振って外に出るのは避けねばなりません。そのためもあって「感染者」であることを忘れないよう、布団は敷きっぱなしで、また、パジャマで過ごしています(苦笑)。単なる無精だろうというご意見がおありでしょうが、こういう「制服」にはさまざまな実用的機能があるほかに、心理社会的機能もあります。その1つに「役割意識の明確化」があります。それが典型的に現れるのは、警察官、消防官、自衛官、医療関係者といえます。私の場合は、「まだしっかりとは治っていないぞ」というのを我が身に言い聞かせるためです(笑)。まあ、明日には、起床したら布団もたたみ、パジャマから着替えようとは思っていますが……。

Dsc05062c_20240210152901  「外出を控えることが推奨される期間」の5日間は、明日で満たされるのですが、昨日の記事のリンク先の三重県のサイトをよく読みますと、「診断された方(症状のある方)」は、「発症後5日間経過するまで、かつ、症状軽快から24時間経過するまでの間」が、「外出を控えることが推奨される期間」となっています。2つの条件がandでつながれていますから、この2つともを満たすことが望ましいということ。となると、12日(月・振替休日)までは、じっとしていなくてはなりませんねぇ。ということで、ヒマがありますと、つまらないことをあれこれと考えるのです。ウメジロウの写真は、2月6日に鎮国守国神社で撮ったもの。

2024年2月 9日 (金)

療養中

240209130639985c  2月7日に「しばらく休みます」と宣言しましたが、実のところは新型コロナに感染してしまい、療養中であります。前日の6日の夕方から体調不良を感じ始め、その真夜中から7日いっぱいは、発熱もあって「絶不調」でした。昨日から熱は下がり始め、今日はほぼ平熱に戻っています。家族が先に発症したのですが、私自身はなかなか症状が出ず、「これなら逃げ切れるか」と思っていましたが、たぶん4日近くの潜伏期間ののち発症したと思われます。症状は、これまで見聞きしていたものとも、また、当然ながら家族とも同じでしたので、私自身はあえて受診はせず、療養しています。私の場合、2月11日(日)までが「外出を控えることが推奨される期間」です(三重県:「新型コロナウイルス感染症と診断された皆様へ(令和5年5月8日以降の取り扱いについて)」)。また、5日間経過後はウィルス排出量は大きく減少するものの、10日後まではウィルスを排出している可能性があるそうです。12日以降、体調の回復状況を見極めつつ、活動再開の時期を考えるつもりです。ブログの本格的な記事更新も来週半ば以降となるでしょう。

240201165531768c  来週、1つ会議をキャンセルさせていただくことにしましたので、ご迷惑をおかけしてしまうのですが、江戸橋での非常勤の仕事は、成績評価まで終えられていたのはよかったと安堵しています。なお、体調は回復しつつありますので、お見舞いのコメントなど、何卒お気遣いいただきませんように。写真は、2月1日の夕景です。

2024年2月 7日 (水)

しばらくお休みします

 事情によりしばらくお休みします。

2024年2月 6日 (火)

今シーズン初めての「ウメジロウ」

Dsc05555c  朝のうちはよく晴れていたのですが、昼前から雲も広がって来ました。最高気温は10.9℃まで上がったのですが、季節風も強く、寒い日です。 今日は7時50分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.3㎞。

Dsc05275c_20240206153401 Dsc05287c_20240206153401  今日のハイライトは、こちら。今シーズン初めての「ウメジロウ」。鎮国守国神社の境内にて。梅にメジロで「ウメジロウ」。

Dsc04991c_20240206153301 Dsc05087c_20240206153401  数100枚も撮ってしまい、確認に大わらわ(苦笑)。中にはこれらのようにおもしろい体勢のものもありました。メジロも役者だといえます。これからまだ「ウメジロウ」を撮るチャンスがあると思いますので、さらにチャレンジです。

Dsc04256c_20240206153001 Dsc04165c_20240206153001  さて、話を戻して。住吉入江から住吉水門のあたりには、この頃ヒドリガモがたくさん来ています。今日は、水門の外にオカヨシガモのペアも来ていました。ただ、これでは証拠写真。水門の内側にはオオバンも。ヒドリガモ、オオバンが恒例のメンバー。

Dsc04371c  七里の渡し跡のところで飛び出してきたのは、イソヒヨドリのメス。あいにく位置関係がよくなく、イマイチの写真。

Dsc04485c_20240206153301 Dsc04604c  柿安コミュニティパークでは、まずは、ホオジロのオス。さえずっています。続いて、桜並木には、ジョウビタキのオスがやって来ました。

Dsc05409c_20240206153001  Dsc04814c_20240206153301 九華公園は、今日も静かでした。その主たる要因は、ヒヨドリ、ムクドリ、ドバト、カラスがほとんど来ないことです。ただ、今日はほかの小型野鳥も少なく、残念。しかし、本丸跡にはシメが来ていました。同じく、本丸跡ではジョウビタキのオス。

Dsc04762c Dsc04668c_20240206153301  ユリカモメは、24羽。カモは、キンクロハジロが59羽、ハシビロガモ(右の写真)が18羽、ヒドリガモのオスが2羽にメスが1羽。キンクロハジロがまた増えてきています。ホシハジロはまた来なくなりましたし、カルガモはこの間の顔見せだけです。

Dsc05434c  いつもならユリカモメが並ぶ二の丸橋にいたのは、ハクセキレイ。ほかの公園では、これという鳥はいません。スズメ、メジロくらい。

Dsc05481c_20240206153001  こちらは寺町商店街にある河津桜。この間とあまり変わりませんが、つぼみが膨らみ始めています。河津桜は早咲きですから、毎年、今の時期の楽しみなのです。

2024年2月 5日 (月)

古いデジタル写真の整理中

Dsc04081c  昨日は立春らしい暖かい1日でしたが、今日は一転して冷たい雨となりました。今のところ、最高気温は7時53分の5.8℃で、その後気温は下がり、11時分に最低気温3.4℃を記録しています。散歩とバードウォッチングが趣味というか、日課というか、ですが、天気の悪い日には、困ります。外へ出られないで、ウロウロしてしまいます(苦笑)。

Screenshot_20240205095348c  スマホでYahoo!JAPANの天気アプリを見ますと、ご覧のように夜10時まで雨とか。これでは仕方ありません。散歩は諦めざるを得ません。ずっと以前は、雨の日はホームセンターまで車で行って、何かおもしろいものはないかと見て回りながら、散歩代わりに歩いたものですが、最近はもうそういうことはしなくなりました。

Prtc  代わりに今日は、昨年末から折を見て行っている、昔のデジタル写真の整理にボチボチと取り組んでいます。デジタル写真は、外付けの8TBのハードディスクをRAID0にして、ほぼすべてを保存していました(8TBを折半して、4TBのそれぞれに同じデータが保存してあります。こうしておくと、一方が壊れても、もう一方から復元可能です)。しかし、さすがに残りの容量が800GBを切ってきましたので、重い腰を上げて、整理することにしたのです。ブログの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に2005年10月末の、ブログ開始当初からの記事が載せてありますので、その記事を見ながら外付けハードディスクに保管した写真を確認して、重複している、ピンボケ、不要、よく分からないといった写真を削除しています。現在、2009年3月について作業中。ついつい昔のブログ記事を読むのに夢中になったりして(昔、大掃除をするのに畳を上げたら、古新聞が出て来て、読みふけったということと同じ)、作業はなかなか進みません(苦笑)。

2024年2月 4日 (日)

2月になってやっとシロハラを初見

Dsc04075c_20240204143601  朝のうちは雲が広がっていましたが、10時過ぎからよく晴れて来て、気温も上がりました。14.3℃です。南向きのリビングにいますと、23℃を超え、暖房いらずです。今日も、7時45分から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.3㎞。

Dsc03988c  今日のトップニュースは、こちら。2月になってやっと、今シーズン初のシロハラです。場所は、貝塚公園。目の前をシロハラらしき鳥が横切った気がしましたので、かなり粘りました。

Dsc03122c_20240204143801  さて、最初に戻って。諸戸氏庭園前の桜並木にシジュウカラがいましたが、曇っていてうまく撮れず。住吉入江から住吉水門の内側までの間には、ヒドリガモのオスが3羽にメスが2羽。日もほとんど当たっていませんので、皆お休み中。ですが、目は開いていたりします。揖斐川には赤須賀漁港の漁船が数隻出ていて、水鳥はいません。

Dsc03206c_20240204143701 Dsc03227c_20240204143701  七里の渡し跡では、コガモのメスが2羽と、ヒドリガモのオス3羽にメス2羽。最近は、オカヨシガモは見なくなっています。割と好きなカモですから、ちょっと残念。

Dsc03339c  柿安コミュニティパークの駐車場のところでジョウビタキのメス。ソメイヨシノの木に飛び出て来ました。ほかにはハクセキレイと、堀にオオバンが1羽ずつ。

Dsc03385c_20240204143701 Dsc03429c  九華公園には8時10分頃到着。北門近くのサザンカの木からメジロの鳴き声ガ聞こえてきます。鼻が少し痛んでいるのは残念ですが、サザンカにメジロ。

Dsc03516c_20240204143701  ヒヨドリやムクドリ、ドバト、カラスが少なく、今日も九華公園は全体として静かです。奥平屋敷跡にもほとんど何も来ません。二の丸跡、朝日丸跡も同様。管理事務所近くの電線にシメがやってきましたが、少し遠い。

Dsc03587c Dsc03660c  また、グラウンドの遠くにツグミが1羽見えたのと、グラウンドの南の堀際でハクセキレイ1羽。九華公園の外周遊歩道の東では、シジュウカラとメジロがいたのですが、うまく撮れず。

Dsc03484c  カモたち、キンクロハジロがあちこちに散らばっていたものの、55羽と久しぶりにたくさんいました。ハシビロガモは15羽、ホシハジロのオスが1羽、ヒドリガモはオス2羽、メス1羽。吉之丸堀にかかる橋の橋脚には、今日もハシビロガモのオスが1羽。身繕いをしていますが、連日、ここにいるのを見ます。

Dsc03759c Dsc03615c_20240204143701  今日は、九華公園の堀に珍客。吉之丸堀にカルガモ2羽がいたのです。カルガモは数年前まで何羽かが常駐していましたが、ここ1~2年は姿を見せていませんでした。ユリカモメは33羽。

Dsc03791c  貝塚公園に向かって歩いていたとき、シルバー人材センターのところで何か飛んだと思って待っていましたら、ジョウビタキのメスが出て来ました。このあと、貝塚公園では、冒頭に書きましたように、シロハラを今シーズン初見(微笑)。

Dsc04005c_20240204143601  内堀公園では、カワラヒワ2羽。ここではツグミやジョウビタキのオスをよく見るのですが、今日はほかには何もいませんでした。

Dsc04064c_20240204143601  拙宅近くの住吉入江では、オオバン。ここにはオオバンは割とよく来ています。

Dsc03572c  江戸橋での非常勤の仕事も成績を報告し終えましたので、仕事関係は一段落。今週はとくにアポはありません。明日は曇りのち雨か雪、最高気温も5℃という予報です。これでは終日蟄居を余儀なくされそうです。火曜以降は天気も回復して暖かくなるようです。今日は立春。明後日以降また、散歩と鳥見に励むことにしましょう。写真は、鎮国守国神社の枝垂れ梅。豊後梅はまだまだ、ドウダンツツジは芽吹いてきたところです。

20240126津島神社初詣ウォーキング(その3)……瑞泉寺、六角地蔵、本町筋、坂井町の井戸、津島神社道標、堤下神社を経て「なすがまま」で昼を食べ、津島神社にゴールにて「完」

Tsushima1   1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その3です。その2では、大イチョウ(津島神社御旅所跡)から、東鳥居脇の大イチョウ、総本家角政を経て、津島神社に初詣し、天王川公園まで行きました。その3では、瑞泉寺、六角地蔵、ヨネ・ノグチ生家跡、三養荘、坂井町の井戸、津島神社参道を示す道標、堤下神社を経て、「なすがまま」という古民家カフェで昼食。その後、白山社を経て名鉄津島駅にゴール。

Img_6708c_20240126162101  鏡池山瑞泉寺。もとは、天王川西岸の天王島にあり真言宗の瑠璃光寺といったのですが、良王君が逝去し瑞泉寺殿と号したことから菩提寺となり、瑞泉寺に改号したと伝わります。永正14(1517)年、舟戸の地に移転し、浄土宗に改宗。津島四家、七苗字の一つである大橋氏の菩提寺。芭蕉句碑があるというのですが、津島幼稚園を併設していて、境内には入れないようになっていました。このあたりは津島上街道に沿っています。

Img_6684c_20240203150901  この瑞泉寺の東側には、稚児門という門がありました。現在、津島の川祭車を準備するのは、車河戸と呼ばれる津島湊跡ですが、この湊は江戸時代中期までは、ここ瑞泉寺の南隣まで奥行きがあったそうです。そのためこのあたりは舟戸町と名付けられています。稚児門は、川祭の祭礼当日、乗船する稚児が門外の水路から小船で祭礼本船に向かったことから、このように名付けられ、祭を執り行う上で重要な役割を持つもんだったといいます。

 瑞泉寺の南東Img_6677c_20240203151501 Img_6680c_20240203151501 の交差点には、「舟戸小路」というプレートがはめられていました。この名前は、このあたりまで水辺だったという言い伝えがあるそうです。

Img_6704c_20240126162001 Img_6699c_20240203152001   瑞泉寺・津島幼稚園の向かい、東側に六角地蔵(六地蔵尊)。灯篭型の六角で珍しい地蔵堂です。厨子の中に地蔵尊像があり、厨子の外周りには六地蔵が立てられています。境内には延享2(1745)年奉献の石灯篭があります。この六地蔵尊は、人間に姿を変えて深夜の盗賊を追い払ったという逸話が残されています。元は船戸町にありました。

Img_6715c_20240126162001  今回、コース設定にあたって参考にした「津島市散策マップ」には、六角地蔵の先にヨネ・ノグチ生家があると載っているのですが、予習のときにGoogle Street Viewでチェックしたら、それらしい建物はありませんでした。瑞泉寺や六地蔵の先で右折して確認してきましたが、ご覧のような状況。更地というか、駐車場というか、そういうスペースになっていました。リンク先の写真と見比べていただくとよくお分かりになるでしょう。

Img_6729c_20240126162001  ヨネ・ノグチ生家跡から津島街道に戻って、三養荘。三養荘は貞享2(1685)年)の建築とされ、300年以上前の原形を今も留めています。徳川家に縁ある津島の堀田家から豪商服部家に移り、昭和60(1985)年に平山学園清林館高等学校へ引き継がれました。同校所有となり「信仰・勤労・実際」の三つの心を込め「三養荘」と名付けられ、情操教育の場として活用されているそうです。

Img_6737c_20240203152901  三養荘には屋根神が祀られています。屋根神様の内には津島、伊勢、秋葉、熱田神社の神札を納められており、各町内でお供えをしているといいます。この津島上街道にそったあたりは、本町筋と呼ばれ、古い町並みが残っています。鎌倉時代以来の旧津島上街道の一部で、江戸期には津島と名古屋城下を結ぶ道として賑わいました。沿道には、昔ながらの町家が多く、ノスタルジックな雰囲気。道自体が緩やかにカーブしていますが、それは、かつてこの道が天王川の堤防に沿っていたからだといわれています。

Img_6783c_20240126162001 Img_6772c_20240203153501  上述のように津島街道沿いには古い民家がたくさんあります。こちらのお宅には、屋根神さまと卯建が上がっています。「卯建が上がらない」ということばがありますが、それは「地位・生活などがよくならない。ぱっとしない」といった意味。

Img_6818c_20240126162001  Img_6828c 本町2丁目と3丁目の境あたりに「坂井町の井戸」。町角に花崗岩の方形石組みの井戸があります。「大正七年十二月坂口町」と刻まれていますが、明らかに辻井の形態が残っています。昭和10(1935)年頃まで使用されていたと伝わっています。ちょっと覗いてみたのが、右の写真。かなり深く、底には今も水がたまっていました。

Img_6854c_20240126162001 Img_6859c_20240126162001  本町通りから橋詰町に入る北西角に道標。これは津島神社への参道を案内するものです。明治29(1896)年、尾西鉄道が開通した年に、氏子の浅井代次郎氏が寄附したものです。大正3(1914)年、尾西鉄道が名古屋鉄道に買収され、駅を今市場通りに設けてから、この鉄道を多く用いることとなり、参拝者の多くは、今市場通りから本町を経て橋詰で西へ折れ、神社へ出たのですが、天王通の開設とともに駅を移転した結果、こちらは、今日では裏通りとなっています。

Img_6905c_20240126162101 Img_6892c_20240203154301  これで当初予定していたところはほぼ回ってきましたが、天王通に出るところで堤下(とうげ)神社。もとは金燈篭社と称し、天明5(1785)年の天王川築留め以前は、川を隔てて津島神社の遙拝所であったといいます。祭神は須佐之男命奇御魂となっていますが、古くから乳児の夜泣き封じの信仰で広く知られています。

Img_6895c_20240203154301  堤下神社の境内にも井戸がありました。この井戸は、ここが津島神社の遙拝所であった頃、手洗いの井戸として用いられたといいます。

Tsushima1  ルートマップは再びその1。

Img_6926c_20240126162101 240126121907961c  天王通に出て名鉄津島駅に向かっていると、とある民家風の建物の前に女性が立っておられました。あらかじめランチが食べられる店はチェックしていたのですが、ここ「なすがまま」もその1つ。ただし、おっさんが入るような店ではないなと思って、候補に入れていませんでした。しかし、この女性から声をかけられ、いろいろと伺う内にこれも縁かと思って、K氏とここで食事をしていくことに。「古民家カフェ」という位置づけのお店。ここを借りて、直してカフェにしているそうです。魅力的なメニューが並んでいたのですが、ランチをチョイス。今日は、コロッケ。これで¥880(税込み)。昼食がてら、12時過ぎから1時間ほど休憩。ゆったりできるお店でした。

Img_6940c_20240203154601 Img_6933c_20240203154601  なすがままを出て津島駅に向かっていたら、通り沿いに白山社がありました。天王通の南側に一段高く石垣が積まれ、玉垣に囲われた瓦葺の社が見えます。弘和元(1381)年、三輿村(現在の愛西市見越町)に創建、慶長13(1608)年、当地に移転したとあります。隣接する観音寺(こちらにはお参りしていませんが)とともに遷ってきたようですが、詳細は不明。ご祭神は、大国主命

Img_6947c_20240203154601  白山社でおもしろかったのは、こちら。賽銭箱なのですが、石造。石造りの賽銭箱も見たことはありますが、こういうタイプはたぶん初めて。いろいろあるものです。

Img_6951c_20240126162101 Img_6955c_20240126162101  白山社からは、名鉄津島駅は目と鼻の先。13時10分を過ぎた頃にゴール。右の写真は、津島駅のホームから見た西の方角。この中央に見えるのが、今日歩いた天王通。奥に見える山並みは養老山地。かなり近くに見えます。13時24分発の弥富行き普通に乗車し、弥富には14時35分着。弥富からはJRに乗り換えて桑名へ。13時43分発のJR四日市行き普通で、桑名には13時50分着。電車賃は、朝と同じく合計¥500。

Screenshot_20240126142209c  こちらはこの日のGoogle Fitのデータ。歩いたのは、9.5㎞。自宅から桑名駅往復は、2.5㎞ほどと認識しています。それが正しければ、7㎞ほどを現地で歩いてきたはずで、歩数は、15,700歩でした。

240126142250898c  総本家角政で土産に買ってきた「くつわ」「あかだ」のミックス。¥200でした。津島神社の門前で、いくつかの店が製造販売しています。米の粉を熱湯でこね、それを輪切りにし、伸ばしてちぎり、油で揚げたのが「あかだ」。うるち米ともち米に砂糖を混ぜ、同じく熱湯でこねたあとせいろで蒸してから轡(くつわ)の形に仕上げてあぶらであげたのが「くつわ」。どちらも大変固いのですが、これを食べると病気をしないという言い伝えがあります。歯の悪い私は、角政の店員さんの助言にしたがい、口の中に含んでしばらくしゃぶってから食べられました。

2024年2月 3日 (土)

ミコアイサはいませんでした

Dsc03013c_20240203144201  晴れて、11.8℃になりました。ほぼ1ヶ月ぶりに三ツ又池公園へ行ってきました(2024年1月7日:ミコアイサを見に)。このとき、ミコアイサは、オスが1羽しかいませんでしたので、今日こそはオスもメスも見ようという次第。7時50分に到着し、小1時間の滞在。

Dsc02393c Dsc02406c_20240203144301  池の南東側でまず目についたのは、オオバン。周りにも何羽かいました。続いて、カルガモ。中之島の周囲に20羽以上いました。

Dsc02523c_20240203144301  カンムリカイツブリもあちこちに散らばっていたものの、10羽以上。カイツブリの姿はあまりありません。いても、池の周囲の遊歩道からは遠いところ。

Dsc02542c Dsc02693c_20240203144301  親水砂浜広場の周りには、ハシビロガモやコガモ。しかし、従来よりも、どちらも数が少なくなっています。

Dsc02588c_20240203144301  カモを見ていたら、足元にヌートリアが出現。人間を見ても平気のようで、逃げたりはしません。

Dsc02633c_20240203144301  遊水池の水は少なく、親水砂浜広場近くでは、池底が露出しています。そこにイソシギ。ちょっとイマイチの写真です。ほかには、ハクセキレイもいたのですが、そちらはピンボケでした。

Dsc02792c Dsc02827c  北の方を回って中之島まで戻ってきたら、ミサゴの姿が見えました。旋回しながら獲物を探していたのですが、ダイビングしたのはちょっと離れたところでよく見えず。その後、北の方へ飛び去って行きますので、追いかけたのですが、いかにも遠い。大きな魚をわしづかみにしているのがかろうじて分かりました。

Dsc02890c Dsc02928c  中之島の南西で、これはマガモのメスでしょうか。前回は、オス、メスともにいたのですが……。その近くで、ようやくカイツブリが比較的近いところにいました。

Dsc02914c_20240203144301  さらに同じあたりでまたもやヌートリア。三ツ又池公園に来ると、必ずいます。

Dsc02995c_20240203144301  オオバン、今度は、上陸して草を食べていました。

Dsc02376c_20240203150301  という次第で、今日は、残念ながら、ミコアイサの姿はありませんでした。見られないとなると、余計に見たくなります。いつもならついでに長良川河口堰にも寄ってくるのですが、今日は、所用が出来し、そのまま帰宅。

20240126津島神社初詣ウォーキング(その2)……大イチョウ、総本家角政から津島神社、天王川公園へ

Tsushima1 Tsushima1   1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その2です。その1では、名鉄津島駅をスタートし、天王通を西に向かい、常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡などを回りました。冒頭に載せたルートマップその1では、中央からやや左のあたりまでです。その2では、大イチョウ(御旅所跡)から、ルートマップその2に入って、東鳥居脇の大イチョウ、総本家角政を経て、津島神社に初詣し、天王川公園へ。

Img_6222c_20240126161901  Img_6263c_20240126161901 津島神社の手前、神社の御旅所跡に大イチョウがあります。小高い丘の上に幹周囲5.41m、樹高30m、推定樹齢400年のイチョウがあり、実に見事です。大イチョウはもう1本、東鳥居の脇にもあります(右の写真)。こちらは、幹周囲5.30m、樹高25m、推定樹齢600年と。どちらも愛知県の天然記念物に指定されています。

Img_6260c_20240126161901 Img_6241c_20240126161901  さて、いよいよ津島神社にお参りというところなのですが、参道のところに総本家角政さんを見つけてしまいました。ここは津島銘菓である「くつわ」「あかだ」という伝統的なお菓子を製造販売しているお店の1軒。くつわは、「茅ノ輪くぐり」に使われる 茅ノ輪を型どったものであり、馬のくつわに形が 似ていてることから名がついたといわれます。一方の「あかだ」は平安時代から続く疫病除けの菓子。あかだは梵語で、無病息災の意があり(阿伽陀)、それがこのお菓子の名前になったと伝えられています。どちらもリンク先に詳しい説明がありますが、固いお菓子としても有名。お店の方に伺ったら、「口に入れてしゃぶっていると、柔らかくなります」ということで、歯の悪い私も安心してかってきました。ということで、お参りする前に土産を買ってしまうという周到さ(笑)。買ったのは、右の写真で右側にある「くつわ」「あかだ」がミックスされて少量ずつ入っている¥200のもの。

Img_6230c_20240126161901  話が逸れましたが、ようやく津島神社へ。社格は、国幣小社。古くは津島牛頭天王社といいました。今日も一般に「お天王さま」と呼ばれています。社伝によれば、欽明天皇元(540)年の鎮座ですから。1500年近くの歴史があります。疫病や厄除けの神様として親しまれています。「西の八坂神社、東の津島神社」と並び称され、全国に3000余あるといわれる天王社の総本社です。「お伊勢さんに詣って天王さんを詣らぬのは片詣り」、「東の津島、西の八坂(祇園社)」といわれ、京都の八坂神社と並ぶ牛頭天王信仰の中心でした。この「伊勢に参って○○を詣らぬは片参り」というのは、あちこちにあります。Wikipediaで「片参り」を調べると、伊勢神宮については、多度大社、金剛證寺、香良洲神社、津観音、多賀大社、津島神社、熊野三山、出羽三山がリストアップされています。津島神社については「お伊勢参らば津島へ参れ、津島参らば片参り」、多度大社については「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」といわれています。

Img_6271c  朱塗りの鳥居をくぐり、アーチ型の石橋を過ぎると檜皮葺き入母屋造楼門があります(東門、重要文化財)。天正19(1591)~20(1592)年に建立されたと考えられています。この楼門は、本殿の東に位置していますが、かつては神社の東側を天王川が流れ、神輿渡御の御旅所もあるため、一般にはこの門が正門としての役割を担っていて、門前町も東側に広がっていました。豊臣秀吉が寄進したという話も伝わっています。

Img_6284c_20240202151101  こちらが拝殿。拝殿も檜皮葺きで、切妻造。この奥に祭文殿と釣殿(いずれも県文化財)、さらに本殿(重要文化財)があります。本殿は、檜皮葺き、三間社流造で、徳川家康の四男松平忠吉の妻が、病弱な忠義の健康を祈願して寄進したものです。棟札により慶長10(1605)年の迭営であることが分かっています。これらの建造物はほぼ左右対称に配置され、回廊で結ばれています。尾張造といわれるこの地方独特の形式のものです。江戸時代の『尾張名所図会』に描かれた姿が、現在もほぼ同じ形で残されているそうです。ご祭神は、建速須佐之男命。相殿神は、大穴牟遅命(大国主命)

Img_6329c_20240126161901  南門(県文化財)は、昭和34(1959)年の伊勢湾台風によって倒壊しましたが、復旧作業の際にみつかった墨書により、豊臣秀吉が発病した慶長3(1598)年に、秀頼が父の病気平癒を願って造営したことがあきらかになっています。

Img_6317c  こちらは、蕃塀(県文化財)。何故か、蕃塀が気になるのです。蕃塀とは、神社の参道上にある塀で、社殿を直視できないようにするため、または不浄なものの侵入を防ぐために造られたとされます。桑名あたりの神社では、見たことはありませんが、これまでに私は、伊勢神宮、熱田神宮のほか、尾張地方のいくつかの神社で見ています。ほかにも県指定文化財の建造物として、祭文殿・廻廊、摂社弥五郎殿本殿・拝殿、居森社本殿、荒魂社本殿、八柱社本殿などがあるなど、文化財もたくさんあります。

Img_6354c_20240202154801 Img_6366c_20240202154801  境内末社の1つである菅原社に「三つ石」があります。直径2m、1.4m、3m短径1m前後の滑らかな硬砂岩の自然石3個が、巴状に並んでいます。この「三つ石」は、「尾張名所図会」の神社境内図にもほぼ現在の位置に描かれているそうです。古代祭礼の場としての磐境(いわさか)と考えられ、神社の鎮座と何らかの関わりがあるとされています。

Img_6390c_20240202155601 Img_6401c_20240126161901  津島神社の南の鳥居を出て、左折し東へ100mほど行くと、堀田家住宅(重要文化財)があります。江戸時代中期の正徳年間(1711~1716年)に建てられたといわれ、屋敷の構えや間取りなどには尾張の地方色がよく現れているといいます。堀田家は、津島神社の社家の系譜を引く一族で、初代は福島正則に仕えましたが、慶長5(1600)年、津島に戻り神職に就いたといいます。その後、手広い事業で財をなし、名家として名字帯刀を許されるほどの家柄になりました。今も、2,000平方メートルを越える敷地に、内玄関、茶室、卯建の上がった屋根などを備えているそうです。ただ、残念ながら、土・日・祝日の未公開で、われわれが訪ねたのは、金曜日で拝観できず。

Img_6529c_20240126161901 Img_6425c_20240126161901  堀田家住宅から目と鼻の先に天王川公園があります。木曽川の支流である佐屋川に合流する天王川が、江戸時代まで当時の町の中央を流れていましたが、江戸時代中期の河川改修で佐屋川が廃され、天王川はここに丸池として残りました。天王川公園は大正9(1920)年に完成し、日本歴史公園100選の1つに選ばれています。桜もきれいだそうですが、尾張津島藤まつりは有名ですし、夏には尾張津島天王祭が開かれます。どちらも私は来たことがないのですが、一度は見てみたいと思います。

Img_6457c_20240126161901  その天王川公園の中之島にヨネ・ノグチ銅像があります。といってもご存じない方がほとんどのように思います。かく申す私も知りませんでした。が、この方、あの彫刻家イサム・ノグチのお父さんなのです。ヨネ・ノグチこと野口米次郎は、明治8(1875)年に津島市で生まれました。愛知一中から慶應義塾を中退してサンフランシスコへひとり旅立ち、北米の大詩人ホアキン・ミラーと出会い、詩作を始めます。明治29(1896)年の詩集「Seen and Unseen」、明治36(1903)年の「From the Eastern Sea」は、優美な情緒にあふれ、欧米で絶賛されましたが、日露戦争を機に日本に帰国。銅像は、佐織の梶浦正之らが発起人になり建立されました。

Img_6482c_20240202164401 Img_6478c_20240202164501  ヨネ・ノグチ銅像の近くに「石景 百六拾顆」があります。大正十二年六月と刻まれ、「志州答志島」とありますから、鳥羽の答志島から石を運んだということかと思われます。寄付者総代として、中村六右衛門、西川善之助のお二人の名前がありますが、ネット検索では情報は出て来ません。

Img_6512c_20240202163901  公園の南西側に片岡春吉翁像が立っています。片岡春吉(かたおか はるきち:明治5(1872)~大正12(1923)年)は、岐阜県養老郡多良村(後の上石津町、現在の大垣市)出身の実業家で、毛織物製造や染色整理を行った片岡毛織の創業者です。「片岡式織機」を創り上げ毛織物の発展に貢献しました。尾西地域の毛織物業(尾州毛織物)の先駆者の一人として、「毛織物業界の父」と呼ばれています。

Img_6583c_20240126161901  藤棚を見て、公園の南を回って東側に回ります。ここに入江のようになったところがあります。ここは津島湊跡。津島は尾張から伊勢を結ぶ天王川舟運の川湊として繁栄を極め、全国でも有数の商業地として発展しました。とくに室町時代には、津島湊に商人が集まり、多くの物資の集積場となっています。

Img_6574c_20240126161901 Img_6591c_20240202165301  津島湊跡のところに車河戸(くるまこうど)。「車」は天王祭の船のこと。祭船に乗せる屋形が石垣に囲まれた島に1年中置いてあります。これは江戸時代からのしきたりだそうです。宵祭りの提灯付けなどの祭の準備はここで行われるそうです。車河戸の南には、祭船が保管されています。

 その2はここまで。その3では、瑞泉寺、六角地蔵、三養荘・屋根神など、本町筋に沿って昔の町屋や、旧跡などを見て回ります。

2024年2月 2日 (金)

シメが地面に降りて餌を食べ始めました

Dsc01409c_20240202140501  節分を前に、また寒くなりました。晴れているものの、最高気温は8.7℃で北西の季節風が数m/s。今日も7時45分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、南魚町、田町、殿町と6.0㎞。殿町では、郵便局に立ち寄ってお年玉付き年賀ハガキで当たった切手シート2枚をもらってきました。

Dsc02131c_20240202140401  今日のハイライトは、こちら。シメです。今シーズンも何度か見ていますが、地上に降りてエサを拾っているところを見るのは、初めて。九華公園の本丸跡にて。

Dsc01416c_20240202140501 Dsc01429c_20240202140501  さて、散歩の初めから。拙宅前の住吉入江のところにヒドリガモが5ペア。お休み中。オオバンも1羽が近くにいます。

 Dsc01494c 七里の渡し跡ではコガモ。オスは1羽だけでメスが8羽。ほとんどは写真のように堤防に上がってお休み。ここにもオオバンが1羽と、ヒドリガモ1ペアがエサ探し。

Dsc01574c_20240202140501 Dsc01600c_20240202140501  柿安コミュニティパークの堀には、今日はオオバン1羽のみ。ガルウィングのようなシーンも撮れましたし、右の写真には特徴的な弁足が写っています。弁足とは、オオバンやカイツブリなどに特徴的な水かきです。それぞれの趾(あしゆび)から葉のように弁膜が広がっているのです。

Dsc01538c_20240202140501  三之丸公園では、シメ1羽を目撃したほか、ツグミ2羽。

Dsc01627c  九華公園に着きましたが、今日も静かです。ヒヨドリ、ムクドリ、ドバトがほとんどいません。たぶん食べるものがないのでしょう。カラスはそれなりにいて、騒いでいることもあります。

Dsc01901c_20240202140401  奥平屋敷跡も静かでしたが、ウグイスを見つけました。しつこく追いかけて、粘りに粘ってようやく撮れました(微笑)。しかし、奥平屋敷跡での成果は、これだけ(苦笑)。

Dsc02146c_20240202140401 Dsc02212c  本丸跡では、シメのほかにはハクセキレイ。散歩友達のYさんは、二の丸跡や朝日丸跡でジョウビタキ3羽などをご覧になったそうです。

Dsc02275c_20240202140401 Dsc01636c_20240202140401  ユリカモメは、32羽。カモは、キンクロハジロが41羽、ホシハジロのオス(右の写真)が2羽、ヒドリガモのオスが2羽、メスが1羽、ハシビロガモは16羽。

Dsc02033c_20240202140401  昨日からハシビロガモのオス1羽が吉之丸堀にかかる橋の下で休んでいるのを見ます。昨シーズン、翼を傷めて帰れなかった個体かも知れませんが、その確認は難しいでしょうね。このあとの公園では、ヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいませんでした。

Dsc02138c_20240202140401 Dsc02303c  江戸橋での後期試験の成績評価は、何度かチェックして完了。午前中に事務にメールで連絡し終えました。現在、その返事待ちですが、きちんと先方に届けば、後期の非常勤に関わる仕事はほぼ終了。あとは授業評価の結果が来て、それに対するコメントを求められます。梅は鎮国守国神社にて、ロウバイは内堀のとあるお宅にて。

【追記(2/2)】 成績報告は、無事に非常勤先の事務に届いたという連絡があり、これにてほぼ一件落着(微笑)。

20240126津島神社初詣ウォーキング(その1)……常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、成信坊、市神社から清正公遺跡へ

Img_6288c_20240126161901 Tsushima0  1月26日に行ってきた「津島神社初詣ウォーキング」の本編その1です。この日は、晴れて気温も上がるという予報でしたが、桑名では最高気温は、7.3℃。歩き始めは、日も照っていて風もなかったのですが、次第に雲が増え、風も出てきましたが、無事に初ウォーキングを終えられました。同級生K氏と今年の初ウォーキングです。津島には初めて出かけましたが、歴史のある、見どころの多いところでした(2024年1月26日:20240126津島神社初詣ウォーキング(予告編))。

Img_5847c_20240126161801  JR桑名駅を8時38分に出る名古屋行き普通に乗車。弥富駅に8時45分に着いて、名鉄尾西線に乗り変え。8時48分発の普通豊明行きに乗り換えます。津島には8時59分に到着。運賃はJRが¥200、名鉄が¥300。9時5分頃に津島駅をスタート。

Tsushima1  こちらが詳しいルートマップその1。名鉄津島駅から天王通を西に向かいます。常楽禅寺、西方寺、円空千体仏、観光交流センター、市神神社、清正公遺跡(清正公社)などを回って津島神社に向かいます。津島神社の手前で大イチョウ2本を見て、先に総本家角政で土産を買ってしまいました(微苦笑)。なお、このマップの範囲外になっていますが、津島神社、天王川公園を回って、本町筋から再び天王通に出て津島駅に戻るコースになっています。

Img_5854c_20240201180401  津島には初めて行ったのですが、地図を見ていた限りでは、天王通は駅からのメインストリートで、もっと広くて賑やかな通りを想像していたのですが、閉まっている店などもたくさんあり、そうでもありませんでした。私の勝手なイメージですから、津島にお住まいの方にはお叱りを受けるかも知れません。最近は、どこでも駅前通りだからといって、繁栄しているとは限らないことはよく承知しています。

Img_5868c_20240201180901 Img_5864c_20240201180901  まず立ち寄ったのは、補陀山常楽禅寺。地図に載っているのは知っていましたが、よく調べておらず、ノーチェック。曹洞宗。本尊は如意輪観音坐像。元中9(1392)年、太初継覚和尚の開山で、津島牛頭天王社神主家氷室氏の菩提所でした。江戸時代の華人で尾張桂園派を牽引した氷室長翁(ひむろながとし/ちょうおう)の墓があるというのですが、事前の調べをしていきませんでしたので、見逃しました。やはり予習は重要です(苦笑)。

Img_5868c_20240201180901 Img_5893c_20240201181601  常楽禅寺の西の駐車場からお寺が見えましたので、立ち寄りました。岳翁山往生院西方寺(さいほうじ)。浄土宗鎮西派。創建は、天文9(1540)年。元は橋詰町にありましたが、火難を逃れて延享4(1747)年に西の十王堂も合わせて現在地に移転しています。現在その十王像は本堂に祀られています。この十王像は、十尊揃いの完全な形で残っているそうです。十王像が作られた年代ははっきりしないそうですが、西方寺の移転が江戸時代初期のことというから、少なくとも17世紀前半には存在が認められると考えられます。十王とは、仏教、道教の地獄で、亡者の裁判を執り行う十尊のこと。亡者は順次に各王の裁きを受け、来世の場所を定められるといいますが、あの閻魔様もこの十王に含まれます。

Img_5901c_20240201182501  西方寺の山門前にはこの御堂があります。西方寺は奥まったところにありますので、この御堂は目印。御堂のところには、西方寺の案内とともに、旧町名の説明もあります。ここは、今は「天王通四丁目」ですが、昔は「布屋」といい、かつては湿地帯であったため、「沼ノ谷(ぬのや)」と呼ばれたことに由来するそうです。この日歩いたところのあちこちには、こういう旧町名とその由来を示す案内板があり、楽しめました。

Img_5921c_20240126161801 Img_5924c_20240201192401  西方寺から天王通に戻って、天王通三丁目に円空作木造千体仏が納められた地蔵堂があります。津島上街道との交差点のすぐ手前です。この地蔵堂の千体仏は、円空最盛期の延宝年間(1673~1681年)の作品で、厨子の中に本尊の地蔵菩薩像を中心に5~7cmの小さな仏像1008体 が、光背の形式で配置されています。円空の千体仏の中でも完全な形で残る貴重な作品だそうです。それにしても、町中の、とくにこれということもない地蔵堂の中に、このような円空作の貴重な仏像が保管されているとは驚きでした。

Img_5948c  円空千体仏の地蔵堂の先で、津島上街道に行き当たります。右折して、この上街道に沿って少し行くと、津島観光交流センターがあります。津島市の歴史や文化の展示や観光の拠点として開館しています。津島で初めての鉄筋コンクリート造の建物で、昭和3(1929)年に銀行として建てられました。建物の正面は「復興式」と呼ばれる建築様式で、西洋建築におけるルネッサンス様式を基調としながらも意匠や装飾を簡略化したものです。名古屋銀行、東海銀行津島支店を経て、津島信用金庫本店として使用されました。

Img_5966c  裏手には土蔵があります。この土蔵は江戸時代から明治時代初期にみられる土蔵の形式を持った建物であり、明治26(1893)年にこの地に開業した津島銀行の付属家屋か、それ以前にこの地にあった商家の付属家屋と考えられています。

Img_6032c_20240202033501  観光交流センターの先、東に久遠山成信坊(じょうしんぼう)。真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。創建年は不詳。明徳2(1391)年、7代慶専の時に天台宗から浄土真宗に改宗しています。戦国時代に織田信長と本願寺門徒らが長島一向一揆で争ったとき、成信坊住職の祐念は教如上人の身代わりになり、津島御坊の称号を授けられました。

 Img_5987c_20240126161801 Img_5992c_20240126161801 山門横には白梅の大木があり、その山門をくぐると、境内には見事な松の巨木があります。境内は広く、また、さまざまな巨木が残っており、寺の歴史の古さを物語っています。本堂への参道は石畳となっていますが、この石、実は、臼です。このため、俗に「ひき臼寺」と呼ばれています。塔頭の金光寺があった頃、山門から金光寺まで臼供養にと信者から寄付されて敷かれたものですが、現在もその一部が残っています。

Img_6036c_20240202034401  成信坊の向かいの街道沿いに井戸がありました。「上切の井戸」です。津島地方は、木曽川の豊かな水がもたらす伏流水が多く、井戸に恵まれた土地でした。古地図にもいくつかの町角に辻井や井戸が記入されているといいます。これらの井戸は、通称「本抜(ほんぬき)井戸」と呼ばれ、湧き井戸で住民の共同井戸でした。この井戸は古書によれば、津島天王祭の船や屋台を連結するのに使用するわら縄を編む際の打ち水に使用したとの記録もあるそうです。花崗岩の立派な石組をもった古井戸は貴重です。

Img_6051c_20240202035101 Img_6054c_20240202035101  井戸のすぐ北に細い道があり、そこに「清正公遺」と彫られた石柱。このあと訪ねた「清正公遺跡」を示していると思います(「跡」の文字の部分は、埋まってしまっているのでしょう)。

Img_6069c_20240126161801 Img_6079c_20240202041801  その先の変則五叉路のところに市神社(いちがみしゃ)。津島神社の境外末社の1つ。ご祭神は、大市比売命(おおいちひめのみこと:大山津見神の娘。須佐之男命と結婚し、大年神、宇迦之御魂神を生んだ)、大歳神、宇迦之御魂神。津島上街道に沿って立ち並んだ商家の守り神として崇められていました。

Img_6110c_20240202042401 Img_6114c_20240202042401  市神社のところで左折し、西に向かいます。さらに清正公遺跡に向かうため左折しますが、その交差点に「旧天王川東堤」というプレートがはめ込まれていました。天王川(てんのうがわ)は、かつて存在した木曽川分流である佐屋川支流の河川です。現在では、あとから訪ねた天王川公園にその名残があります。

Img_6169c_20240126161901 Img_6164c_20240202043501  この交差点を左折し、南下したところに清正公遺跡(清正公社)。加藤清正は、永禄5(1562)年)に今の名古屋市中村区で生まれました。清正が数え3つの年に父・清忠が亡くなり、永禄9(1566)年、母とともに叔父が住んでいたここ津島市上河原町に寄寓(きぐう)しました。清正が子供の頃、賊を追い払うのに用いたという鬼面をかぶった親鬼が伝わっています。清正公社は、清正の叔父の家があったと伝わる地に加藤清正の徳を偲んで明治18(1885)年、社と碑(右の写真)が建てられました。

Img_6122c_20240202043901  清正公社の向かいに大きな地蔵堂があります。上河原地蔵堂です。ここのお地蔵様は、身の丈二尺五寸(75.8cm)の石像。昔から眼病または乳の授かる地蔵として篤く信仰されてきました。祈願する女性が、難産のときは身代わりとなって、全身に汗をかくので、汗かき地蔵とも呼ばれるそうです(現地の説明板による)。

 このあと、天王通に戻って津島神社に向かいますが、長くなりますので、その1はここまで。まだスタートした津島駅からは1㎞あまりしか歩いていません。

2024年2月 1日 (木)

採点は一通り終えました

Dsc01407c_20240201145401  日中は晴れてくるという予報でしたが、雲の多い天気です。14.4℃と気温は上がったものの、あまり暖かい感じはしません。朝は、7時45分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と5.8㎞。2時間ほど。

Dsc00808c_20240201145401 Dsc00953c  諸戸氏庭園前の桜の木にシジュウカラが2羽いたものの、動き回ってうまく撮れません。住吉入江には、ヒドリガモのオスが8羽、メスが9羽。いずれも休んでいます。住吉水門のところには、オオバンが1羽。揖斐川では、シラウオ漁の漁船が3組出ていて水鳥はほとんどいません。いたのはカンムリカイツブリ2羽くらい。

Dsc00930c_20240201145401  七里の渡し跡でイソヒヨドリのメス。ここから続く堀には、オオバンの姿も見えます。柿安コミュニティパークの堀では、コガモが上陸してお休み。オス1羽にメスが7羽。

Dsc01140c_20240201145401  九華公園にはいつもより遅く、8時10分に到着。今日は静か。ヒヨドリ、カラス、ムクドリ、ドバトもあまりいません。辰巳櫓跡にある松の木に、ずいぶん久しぶりにアオサギが来ていました。1月15日以来のこと(2024年1月15日:常信寺で紅梅のつぼみが膨らむ)。

Dsc01164c_20240201145401 Dsc01218c  本丸跡で、ハクセキレイ。ただし、一緒に行動していたのではなく、別々。グラウンドにツグミがいるのが見えたのですが、遠いところで写真には撮れず。

Dsc01291c_20240201145401  さらにジョウビタキのオスが、今日も出て来ました。

Dsc01376c_20240201145401 Dsc01027c  ユリカモメは今日も6羽ほど。カモは、キンクロハジロgあ33羽、ハシビロガモ14羽、ヒドリガモのオスが2羽にメスが1羽、ホシハジロのオスが1羽。

Dsc01398c  貝塚公園には何もいませんでした。内堀公園でもジョウビタキのオス。新築公園ではスズメだけ。老松公園ではツグミを見たものの、逃げられ、写真は撮れませんでした。という次第で今日のバードウォッチングは、もう一つという感じ。

Dsc01245c  散歩から帰って昨日の期末試験の採点の続き。午前中に一通り終えられました。合否判定に困る事態には至らず、ちょっと安心しています。というより、むしろ、例年より全般にできがよい印象です。最近、成績は、秀-優-良-可-不可の5段階で判定します。このうち、秀や優が多く、可は少ない見込み。不可はつけずに済みそうです。もう一度採点をチェックしてから成績判定を行い、提出するつもり。紅梅は、鎮国守国神社にて。

« 2024年1月 | トップページ | 2024年3月 »

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)