20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その2)……小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)へ
12月16日に行ってきた「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの本編その2です。その1では、伊勢若松駅をスタートして、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見てきました。その2では、大黒屋光太夫記念館が10時開館でしたので、その前に小川神社と心海寺を見てきました。さらに宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)と回っていきます。
小川神社は、若松小学校の南にあります。式内社。由緒書きによれば、平安時代、大同4(809)年、第52代嵯峨天皇の御代に現在の中野地区に創建されたといいます。天明6(1786)年の棟札によれば、社殿倒壊のため長らく春日社の相殿であったそうです(こちらによれば、安永6(1777)年に社殿が大破したため春日社(春日社は南若松町西裏所在の小川神社という、現社地より南東150mの小川神社か?)。また、元の鎮座地は現在地の北方約500mのところと伝わっています。明治40(1907)、明治42(1909)年の2度に渡って村内の神社を合祀。明治42(1909)年に村社、明治44(1911)年に現在地に奉斎されました。
主祭神は、弥都波能売神(みつはのめのかみ)。水の神様。相殿神は、合祀を繰り返したためか、たくさんの相殿神がいらっしゃいます(右の写真をご覧下さい)。列記すると、宇気母知神(うけもちのかみ)、大国主神 (おおくにのぬしのかみ)、木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)、大山津見神(オオヤマツミノカミ)、天児屋命(アマノコヤネノミコト)、迩迩芸命(ににぎのみこと)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、迦具土神(カグツチノカミ)、品陀和気命(ホンダワケノミコト)、菊理比売命(くくりひめのみこと)、瀬織津比売命(セオリツヒメノミコト)、上津綿津見命(わたつみのかみ)、中津綿津見命(ナカツワタツミノミコト)、底津綿津見命(そこつわたつみのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)、以上18柱。前回訪れた時の記事に説明とリンクがあります(2018年10月4日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その2)……心海寺、小川神社、宝祥寺)。
拝殿はかなり大きくて立派でした。神社の拝殿の建築様式については詳しくないのですが、ここに先立って訪ねた春日稲荷神社と同じく、基本的には春日造なのかという気がします。詳しい方がいらっしゃれば、ぜひともご教示ください。境内には、弁財天も祀られています。由緒書きでは触れられていません。弁財天は、貧困を救い財物を与える天女で、七福神の一人。ちなみに、前回この御堂を覗いてみたのですが、中に金の狛犬が鎮座。上記の2018年10月4日の記事をご覧ください。写真があります。
小川神社の向かいに松生山心海寺。真宗高田派。元禄16(1703)年に現在地より東に約300メートルの場所に創建されました。しかし地盤沈下などで本堂の床下まで浸水するようになり、明治23(1890)年にここに移転されました。大黒屋家と、光太夫と共にロシアから戻った磯吉の菩提寺です。磯吉(明和3(1766)~享保14(1729)年)は、大黒屋光太夫の神昌丸乗組員。このあと訪れた光太夫らの供養碑で、地元の方に伺ったところ、磯吉の子孫の方が今もいらっしゃるそうです。
心海寺の当時の住職・実静が、帰郷した磯吉から聞き取った見聞録をまとめた「極珍書(ごくちんしょ)」というものが保存されているそうです。光太夫の帰国後、桂川甫周(かつらがわほしゅう:幕末の蘭方医で、幕府の医官)が聞き取ってまとめたものに「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」があります。これは、いわば公式記録であるのに対して、「極珍書」の方は、少しも拘束を受けぬ私的な陳述書で、磯吉の若さからくる新鮮な観察が随所にみられるとされます(吉村昭「大黒屋光太夫」新潮文庫版のあとがきにあるそうです。こちら)。さらに、「魯西亜国漂舶聞書」という磯吉の陳述記録もあるそうで、これら2編はいずれも、顕彰会が発掘したものだそうです。
ところで、この心海寺は大黒屋の菩提寺であると書きました。境内には、「寄進者・大黒屋銀太夫、同彦太夫」の名が刻まれた御手洗石(享保14(1729)年)があります。享保14年ですから、光太夫が生まれる前(光太夫は、宝暦1(1751)年生まれ)。ご先祖ということになります。
前回来たときには気づかなかったのですが、鐘楼の鐘の前に仏様がいらっしゃいました。「いのちの鐘」という表示があります。ここで9時55分。ちょうど良い時間となりましたから、大黒屋光太夫記念館へ。
大黒屋光太夫記念館は、平成17(2005)年に開館。主な収蔵品は、光太夫が書いたロシア語の墨書やロシア使節の人相書、漂流記、古文書などです。現在、企画展「知っておどろき!大黒屋光太夫」が開催されており、見てきました。光太夫とともに漂流した小市の遺品も展示されていました。入場は無料。見学は10時~16時。休館日は、月・火曜日、第3水曜日(ただし、月曜日のみ休日の場合は開館)と年末年始。なお、記念館の前身は、鈴鹿市立若松小学校の校舎内に平成3(1991)年に設けられた『大黒屋光太夫資料室』です(平成17年まで)。ここにも大黒屋光太夫の銅像があります(2018年9月24日撮影)。
この記念館の前にあるのが、開国曙光碑の初代の一部。大正7(1918)年に「大黒屋光太夫頌功碑」として建てられたのですが、その1で書いたように室戸台風で倒壊し(2つに折れ、上部1.5mが現存)、千代崎海岸に2代目が建立されたのです。
記念館から塩浜街道(県道6号線)を越えて榮松山宝祥寺へ。真宗高田派。寺の由緒については、ネットでも情報は出てこず、また、お寺にも由緒書きなどはありませんでした。
ここは、光太夫とともに帰国した小市の菩提寺です。光太夫と帰国できたのは、この小市と磯吉だけでした。しかし、小市は、根室に到着して約半年後の寛政5(1793)年4月2日に根室で亡くなってしまい、伊勢には戻れませんでした(享年46)。この寺には、小市の供養碑があります。遺品は故郷の妻に下げ渡され、宝祥寺では追善供養も執り行われたといいます。遺品は、市の文化財に指定されています(リンク先のpdfに画像があります)。なお、小市は根室で亡くなったため、根室にも供養碑があり、毎年4月2日の命日には供養が行われているそうです。ここ宝祥寺の供養碑は、小市之さらに安らかな眠りを願い、また後世に伝えるために平成17(2005)年10月に建立されています。
宝祥寺の境内には、地蔵堂があります。その説明板には、光太夫や小市は、このお堂の付近で生まれ育ち、幼少のこれからこの境内で遊び、お参りしたと伝えられているとあります。地蔵堂には、延命地蔵尊が安置されています。本堂の東、100mの海岸(通称なべのはな)から不思議に光る地蔵菩薩の石像が漁夫によって引き上げられ、村人が宝祥寺境内にこの御堂を建てて安置、供養したといいます(建久元(1190)年)。このお地蔵様は、海出山延命地蔵菩薩として、海に出て業をなす人の安全や、多くの人々の無病息災を願って信仰されてきました。
宝祥寺から堤防道路に出たところに山の神が祀られていました。「山の神」と刻まれた石と、鳥居があるだけで、詳細、由緒などは不明。ここから住宅街に入っていくと、光太夫らの供養碑があります。
大黒屋光太夫らの供養碑。大黒屋光太夫以下17人が乗り組んだ神昌丸は、天明2(1782)年12月13日、白子の湊を出帆し、遠州灘沖で暴風雨に遭い、行方不明になります。神昌丸は、紀州藩の廻米、木綿、瓦、紙などを積んでいたそうです。漂流すること7ヶ月あまりでアリューシャン列島にあるアムチトカ島に漂着します。
上左の写真では、2基の墓が並んでいます。向かって左がこれ。こちらは、大黒屋光太夫らの供養碑です。これは、遭難から三回忌にあたる天明4(1784)年12月に神昌丸の荷主であった木綿問屋・長谷川家によって建立されたもの。背面。「維持 江戸大伝馬町一丁目 天明四甲辰年十二月 施主 太物店行司頭 長谷川次良兵衛 長谷川市左衛門」とあります。この長谷川家は、三重県松阪市出身の伊勢商人です。「丹波屋」という屋号で寛永12(1635)年、一族の者である布屋市右衛門が日本橋大伝馬町で木綿売買を始めています。その旧宅は三重県松阪市に現存しており、平成25(2013)年4月に長谷川家から松阪市に寄贈されています。この長谷川家旧宅は、2018年5月のJRさわやかウォーキングで訪ねています(2018年5月26日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編)、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。江戸時代、松阪も白子も紀州藩の領地であった時代があります。その関係かと思いますが、思わぬところで歴史はつながっているものだと感心。正面には「釋久味例 南無阿弥陀仏 俗名 光太夫」と刻まれています。向かって右に建つのが「亀屋一門の墓」です。大黒屋光太夫は、亀屋に生まれ、大黒屋に行ったという説が有力です。これは、亀屋(緑芳寺過去帳には南亀屋)の墓碑。正面には、光太夫の法名(釋久味)が刻まれています。磯吉のご子孫は、今もこの近くにお住まいだそうです。前回訪ねたとき、顕彰会の方から伺いました。
金沢川を渡って、千代崎海岸あたりへ。ここは、波が穏やかで家族連れに大人気だそうです。伊勢湾では県内で最も北に位置する海水浴場。写真は、原永緑地。きれいに整備されています。
原永緑地の先、千代崎観光案内所(訪ねた時は閉まっていました)のところに「開国曙光碑(2代目)」があります。初代の碑が、昭和9(1934)年に室戸台風により倒壊したため、ここ千代崎海岸に再建されたもlのです。しかし、この2代目の碑も昭和34(1959)年には、伊勢湾台風により上部が欠けてしまいまいした。そのため、3代目の開国曙光碑が昭和51(1976)年に建立されています。開国曙光碑の碑も、光太夫と同じく、波乱万丈な経過をたどっているのです。
ちなみに、金沢川を渡る橋の東に千代崎漁港があります。通りかかって、とても驚きました。ホシハジロの大群です。英語でいうと、“uncountable”なくらいの数。とても数えられません。カウンターを持っていても、です。端っこの方にヒドリガモもごく少数混じっていました。バードウォッチングは、どこでもいつでもできる良い趣味です(微笑)。
その2は、ここまで。その3は若松緑地にある大黒屋光太夫漂流記の壁画から。
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