20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(予告編)
アメダスのデータには出ていませんが、桑名では朝方まで雨でした。しかし、行き先の鈴鹿では曇りの予報でしたので、予定通り、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングに行ってきました。私が以前、近鉄ハイキングで訪ねた「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」(2018年09月24日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(予告編))を多少モディファイしたコース。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。
近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢若松駅には8時48分着。¥530。曇天でしたが、次第に空も明るくなり、途中、青空が見えるときもありました。
こちらが今日歩いてきたコース。伊勢若松駅をスタートし、緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。今日のところは予告編。
大黒屋光太夫(宝暦元(1751)年~文政11(1828)年)は、江戸時代、ロシアに漂流した船頭です。大黒屋は屋号。養子に入り、亀屋兵蔵と称したこともあります。天明2 (1782) 年 12月、伊勢の白子から江戸への航行中、駿河灘で台風にあい、7ヵ月余漂流を続けて翌年夏、アリューシャン列島のアムチトカ島に着き、4年後、カムチャツカ半島に渡ります。のち帰国を願ってシベリアを西行し、1791年、首都ペテルブルグにいたり、女帝エカテリーナ2世 (大帝) に謁見。寛政4 (1792) 年、遣日使節 A.ラクスマンに連れられて帰国し、将軍家斉に謁見しています。吉村昭の小説「大黒屋光太夫」や、井上靖の「おろしや国酔夢譚」のモデル。写真では向かって左が大黒屋光太夫(大黒屋光太夫記念館にて)。
伊勢若松駅のすぐ西にあるのが、緑芳寺。真宗大谷派のお寺。光太夫の菩提寺(生家といわれる亀屋の菩提寺)です。ここには、光太夫がエカテリーナ2世から下賜された銀貨や、ロシア語で書かれた箴言(しんげん)が光太夫から寄進されています。光太夫からは離れますが、緑芳寺には、松尾芭蕉句碑があります。「雁ゆくかたやしろ子若松」と刻まれているそうですが、ほとんど読めません。当時の住職であった櫟玄籍によって嘉永年間(1848~54)に建てられたという説があります。
緑芳寺の近くで観誘寺(左の写真)と、台蓮寺。いずれも真宗高田派のお寺。観誘寺には地蔵堂があります。どちらもネット検索でもとくに情報はなく、現地にも案内板などはありませんでした。
春日稲荷神社。創始等は不詳ですが、往古より地域の産土神であったとされます。ご祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、天之児屋根尊(あめのこやねのみこと)、品田別尊(ほんだわけのみこと)。
水田地帯を歩いて若松地区市民センターへ。ここには3代目の「開国曙光碑」があります。鈴鹿市若松地区市民センターの敷地内です。この碑は光太夫の功績を称えた顕彰碑。碑に刻まれた「開国曙光」の文字は、江戸幕府崩壊後、徳川宗家を相続した徳川家達(いえさと)公爵の筆であり、「開国へ向けて差し込んだ明け方の光」という意味。碑の本文は、広辞苑の編者で知られる新村出(しんむらいづる)博士によります。ここに建つ碑は、3代目。もともと、大正7(1918)年、若松尋常小学校長の伊藤六三郎氏や若松村長の内山治右衛門氏などが発起人になって寄付を募り、若松小学校校門前に建設されました。しかし、碑は昭和9(1934)年の室戸台風で倒壊。千代崎海岸に2代目が再建されたものの、これも昭和34(1959)年の伊勢湾台風で上部が欠けてしまいます。3代目のこの碑は、昭和51(1976)年に建てられたもの。
前回来たときに見つけたのですが、鈴鹿市立若松小学校の校舎前に石像があります。そのとき最初は、二宮金次郎像かと思ったのですが、座った像です。これは、大黒屋光太夫の像でした。光太夫の石像の脇には、道標があります。他のところから移設されて保存されていると思われます。
小川神社。式内社。由緒は、大同4(809)年2月奉斎と古い棟札にあったそうです。また、天明6(1786)年までは春日社の相殿でした。明治44(1911)年、現在地に移転しています。明治40(1907)年、42(1909)年の2回にわたり村内の神社を合祀したため、相殿神は多数いらっしゃいます。主祭神は、弥都波能売神(みずはのめのかみ:水の神)。
小川神社の向かいにあるのが心海寺。真宗高田派のお寺。元禄16(1703)年に現在地より東に約300メートルの場所に創建されました。しかし地盤沈下などで本堂の床下まで浸水するようになり、明治23(1890)年にここに移転されています。大黒屋光太夫家と、光太夫と共にロシアから戻った磯吉の菩提寺です。磯吉(明和3(1766)~享保14(1729)年)は、大黒屋光太夫の神昌丸(しんしょうまる)の乗組員。前回来たときに大黒屋光太夫顕彰会の方から伺ったところ、磯吉の子孫の方は今もいらっしゃるそうです。
大黒屋光太夫記念館。10時から開館でしたので、先に小川神社と心海寺を見てきました。平成17(2005)年に開館。主な収蔵品は、光太夫が書いたロシア語の墨書やロシア使節の人相書、漂流記、古文書などです。現在、企画展「知っておどろき!大黒屋光太夫」が開催されていましたので、見てきました。入場は無料。この記念館の前にあるのが、開国曙光碑の初代の一部です。
宝祥寺。
真宗高田派。ここは、光太夫とともに帰国した小市の菩提寺。光太夫と帰国できたのは、この小市と磯吉だけでした。しかし、小市は、根室に到着して約半年後の寛政5(1793)年4月2日に根室で亡くなってしまい、伊勢には戻れませんでした。この寺には、小市の供養碑があります。
大黒屋光太夫供養碑です。宝祥寺から200mほど南へ行った、千代崎漁港近くの住宅街の真ん中の墓地に大黒屋光太夫の供養碑があります。光太夫らが消息を絶った2年後(天明4(1784)年に、荷主である木綿問屋長谷川家(松阪の出身)によって建てられています。長谷川家(丹波屋)は、松阪の豪商のひとり。
金沢川を渡って、千代崎海水浴場近くに開国曙光碑(2代目)があります。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で上部が欠けてしまったものが、これです。開国曙光碑は、光太夫の人生と同じように波瀾万丈と思います。ここからまた戻り、若松緑地方面へ。
若松緑地には、堤防に「漂流記壁画」があります。その名の通り、光太夫の漂流記を10枚の絵にしてあります。
堤防道路をさらに北上。スタートから6㎞半を過ぎたところに徳本上人御堂と若松漁港開港記念碑。徳本上人はひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え全国を行脚し、庶民の苦難を救ったとされます。その徳本上人を祀るのがこの御堂。若松漁港は、昭和30(1955)年に漁港指定を受けています。
若松漁港の西に清水清三郎商店。知る人ぞ知るかも知れませんが、伊勢志摩サミットのときに提供された「作(ザク)」というお酒の蔵元です。まだ呑んだことはありません。例えばこちらで通販がありますが、それなりのお値段なのです。右の写真は、このあと訪ねた深田神社に奉納された作と鈴鹿川の薦樽。
清水清三郎商店の南西に西運寺。真宗高田派。ここはこれという情報は見つけられませんでした。その北に深田神社。式内社ですが、創建などは不詳。古代より鎮座していたと思われます。ご祭神は、豊宇迦能売命。外宮と同じご祭神です。
最後の立ち寄り先は弘善寺。真宗高田派。ここもネットでは、特に情報は出て来ませんでしたし、現地にも案内板はありません。
伊勢若松駅に戻ってきたのは、12時50分頃。途中で2回ほど休憩していますから、歩いたのは実質3時間余り。この駅周辺には飲食店がありませんので、今日の昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当 。「おむすび&焼きそばセット」、¥390。おにぎり2個と焼きそばが少し。食べすぎはよくありません(微苦笑)。駅の待合室を借りて、ランチタイム。13時16分の名古屋行き急行に乗車して、桑名駅着は13時40分。¥530。
今日のGoogle Fitのデータ。12.1㎞で、21,560歩。自宅から桑名駅までの往復を含みます。マップ上、現地では8㎞ほどでしたが、実際には9㎞あまりを歩いてきたことになります。いつものように本編は、また明日以降書いていきます。
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