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今日もよく晴れて、風も弱いので暖かく感じます。年末ですが、7時半からいつも通りに散歩へ。よくいえば規則正しい、悪くいえばワンパターン(苦笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、紺屋町、吉津屋町、京町、南魚町と6.3㎞。
拙宅マンション前の住吉入江には、今朝もカンムリカイツブリがいました。夜をここで過ごしたのでしょうか。住吉神社前の揖斐川には、ヒドリガモが1ペアと、オカヨシガモがやはり1ペア。逆光の位置でしたので、証拠写真を撮ったのみ。七里の渡し跡でハクセキレイ1羽。寒いのか、ふっくらしています。柿安コミュニティパークの堀には、コガモのメスが2羽。
九華公園では、今日もヒヨドリやカラス、ムクドリ、ドバトが少なく、静か。奥平屋敷跡では、まずはハクセキレイのペア。
ジョウビタキのオスもやって来ました。ゆっくり近づいたら、数メートル以内まで行けました。他には、メジロが6羽、カワラヒワが2羽。ただし、木の高いところにいて、写真は撮れずじまい。
本丸跡の神戸櫓跡のところでもジョウビタキのオス。カワラヒワも、本丸跡にて。本丸跡や、鎮国守国神社の境内にかなりの数のカワラヒワがいました。
ユリカモメは、数えた範囲では38羽。エサをやる人が複数あって、そのたびに大騒ぎ。カモを蹴散らし、エサをユリカモメ同士で奪い合いでした。そのシーンも撮ったのですが、今ひとつの写真ばかりでした。
カモは、今日もキンクロハジロとハシビロガモしかいません。合計44羽。キンクロハジロが26羽、ハシビロガモは18羽。このくらいの数で年越しなのでしょう。写真のキンクロハジロのオスは、身繕い中。
貝塚公園、内堀南公園ではヒヨドリくらいしかいませんでした。わが家近くの住吉入江まで戻ってきたところで、ジョウビタキのメスが出て来たのですが、枝かぶり写真しか撮れないうちに逃げられました。ジョウビタキのメスは、本当に久しぶりで、悔しいのでペケ写真ですのが載せておきます。
明日の午前中は雨の予報ですから、今日で、今年の散歩納めかも知れません。
猛威を振るっていた新型コロナウイルス感染症も、今年5月8日からは5類感染症に位置づけられ、外出などの制限もなくなりました。JRさわやかウォーキングや、近鉄ハイキングも次第に復活してきましたので、それらにも参加しつつ「勝手にハイキング」にも出かけました。令和5(2023)年は、計22回のウォーキングに行っており、令和4(2022)年よりも5回増えました。以下、時系列に沿ってそのまとめをしています。リンクは、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事に貼ってあります。
1.2023年1月21日:美濃街道ウォーキング「多度から石津」
一般に美濃街道とは、尾張の東海道宮宿と美濃の中山道垂井宿をつなぐ脇街道のことをいいますが(こちらは「美濃路」とも呼ばれています)、江戸時代には、桑名から長良川に沿って美濃へと通じる街道を美濃街道と呼んでいました。美濃街道は、すでに桑名から多度までは歩きましたが、その先はルートがよく確認できず未踏でした。昨年になって調べがつきましたので、同級生K氏と話し合い、今年は、美濃街道から養老街道、美濃路を経て大垣まで歩こうということになったのです。この日がその第1回。美濃街道は、美濃国では伊勢街道あるいは桑名街道と呼ばれたようです。
この日歩いたのは、養老鉄道多度駅から石津駅まで。多度川にかかるみどり橋まではこれまでに歩きましたから、ここが実際にはスタート地点。空念寺、宇賀神社、柚井遺跡、八幡神社、御鍬神社、願超寺から山除川沿いを北上。子安・延命地蔵尊、天白神社と周り、石津駅の手前で杉生神社(写真)に立ち寄ってゴール。歩いたのは11.9㎞。電車賃は計¥730。この日は、途中、食堂も、コンビニも1軒もないルートでした。昼食は、桑名に戻って、桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。
2023年1月21日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(予告編)
2023年1月22日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その1)……多度駅をスタートし、空念寺と宇賀神社へ【空念寺について追記(1/29)】
2023年1月23日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その2)……柚井遺跡、難儀した「ブッシュ・ウォーキング」を経て八幡神社、御鍬神社から願超寺へ
2023年1月24日:20230121美濃街道ウォーキング「多度から石津」(その3)……山除川沿いの地蔵尊、天白神社から国道258号線を渡って杉生神社にお参りし、石津駅にゴールで「完」
2.2023年2月12日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」
近鉄蟹江駅をスタート&ゴールとする「酒蔵みてある記 水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」という企画でした。近鉄の「酒蔵みてある記」は人気企画でしたが、コロナ禍でハイキングそのものの企画がほとんどなくなっていました。2021~2022年冬シーズンは、「酒蔵立ち寄りハイキング」として少し復活し、今年は本格的に復活。この日は、いつもの同級生K氏と二人で。蟹江駅から銭洗尾張弁財天富吉神社、大相撲ストリート、蟹江町まちなか交流センター楽人、蟹江町観光交流センター祭人、冨吉建速神社・八剱社、蟹江山常楽寺龍照院から山田酒造へ。善教寺に立ち寄って、蟹江駅にゴール。山田酒造の試飲では、「何杯でも、何種類でもどうぞ」ということで2種類試飲した上で、さらに有料の「大吟醸 酔泉」も試飲(¥300)。土産には「本醸造酔泉 しぼりたて生原酒」(720ml)を買ってきました(税込み¥1,100)。歩いたのは、13.1㎞。電車賃は往復で¥600。近鉄蟹江駅あたりでは昼食を摂るところがなく、この日も桑名一番街にあるエンシュウヤで、日替わりランチ(味噌カツ)。¥750。
2023年2月12日:20230212近鉄ハイキング酒蔵みてある記「水郷 蟹江散策と山田酒造『醉泉』・『最愛』」へ(一回完結)
3.2023年2月26日:近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」
この日の立ち寄り先は、ほぼ神楽酒造のみ。スタートは近鉄湯の山線伊勢松本駅。途中、春の丘、夏の広場を通りますが、今年は夏の広場で小休止。この2箇所は、「四郷地区風致地区 ふるさとの道」として整備されています。ただし、夏の広場近くで標高が68メートルあり(キョリ測によるデータ)、アップダウンはかなりキツく、運動量はけっこうなものでした。ゴールは、四日市あすなろう鉄道西日野駅。同級生K氏と二人旅。「神楽 特別純米生酒」(720ml入り、¥1,320)を買ってきました。あわせて300ml入りの「神楽」を1本買って、K氏とシェアして、ささやかな宴会をしてきました。歩いた距離は7.9㎞。電車賃は往復で¥970。昼食は、四日市駅で途中下車して、餃子の王将四日市ふれあいモール店にて「餃子の王将ラーメン」(¥572)。
2023年02月26日:20230226近鉄ハイキング酒蔵みてある記「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」(一回完結)
4.2023年3月4日:JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」
同級生K氏と二人旅。このときと同じコースのJRさわやかウォーキングは、毎年企画があり、以前から行ってみたいと思っていたのですが、何といっても遠いのです。二見浦は、今は伊勢市になりましたが、旧・二見町にあり、伊勢と鳥羽の間なのです。この日は、JR参宮線松下駅がスタート。民話の駅蘇民、松下社、伊勢シーパラダイス(水族館)、二見興玉神社と夫婦岩(写真)、賓日館、御塩殿神社などを歩いて、参宮線二見浦駅がゴール。歩いた距離は、9.5㎞、昼食は、伊勢市駅で途中下車して、外宮参道にある「じろべえ」にて。伊勢うどんとビールしかメニューがないお店。「月見伊勢うどん(¥650)」をチョイス。この日は桑名から伊勢市の間は近鉄を利用し、伊勢市から松下、二見浦から伊勢市はJR参宮線を利用。運賃は、往復で¥2,860。
2023年3月4日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(予告編)
2023年3月8日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ
5.2023年3月11日:勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」
同級生K氏とともに四日市に行ってきました。当初は、四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」を見て、東海道四日市宿資料館を訪ねようと思っていたのですが、資料館は日曜しか開館していませんでした(この日は土曜日)。そこで、急遽、四日市旧港あたりを回ってから博物館に行くことにした次第。JR四日市駅から東へ。国道23号線を越えて、四日市港へ。このあたりが、稲葉三右衛門が最初に開発した港で、「四日市旧港」と呼ばれます。大師之寺、納屋運河跡地、末広橋梁(写真)、臨港橋を回って、稲葉翁記念公園・波止改築紀念碑・潮吹き堤防を見て、大師寺に立ち寄って、再び23号線を超え、「どうする家康」の思案橋へ。JR四日市駅近くの3つのお寺(得願寺、不動寺、善光寺四日市別院)を回ってから、四日市市立博物館で「昭和のくらし 昭和のおもちゃ」展を見てきました。昼食は、アピタ四日市店にある若鯱屋で五目うどん(¥814)。若鯱屋といえばカレーうどんなのですが、あいにく白い服を着ていたのです。近鉄四日市駅から帰宅。帰りにアピタ桑名店に立ち寄りましたので、歩いたのは11.8㎞。電車賃は、合計¥600。
2023年3月11日:20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結)
6.2023年4月9日:美濃街道ウォーキング「石津から駒野」
この日は、養老鉄道石津駅をスタートし、ほぼ養老鉄道や揖斐川に沿って北上。円成寺、金毘羅大権現、願海寺、清浄寺、卜全塚、存徳寺、八幡神社、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社、春日神社、羽沢貝塚と回り、駒野駅にゴール。養老鉄道でいえば、2駅分。途中、3ヶ所の天井川で、川の下を養老鉄道がくぐるところもあり(写真)、なかなかおもしろいウォーキングでした。昼食は駒野駅から200mほどのところにあるカフェレスト千代乃へ。駅近では、ここしか選択肢はありません。昔ながらの洋食屋さんでオムライス(¥600)。懐かしい感じのオムライスでした。おみやげにハッサクをいただき、ラッキー。10.7㎞を歩きました。運賃は往復で¥890。同級生K氏と二人旅。
2023年4月9日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(予告編)
2023年4月11日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その1)……石津駅をスタートし、円成寺、金毘羅大権現、願海寺から般若谷川を越えて清浄寺へ
2023年4月12日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その2)……卜全塚に寄り道のあと、存徳寺、八幡神社へ
2023年4月13日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その3)……養老鉄道が天井川をくぐるところを確認して、西浄寺、寒窓寺、白鬚神社を訪ねる
2023年4月15日:20230409美濃街道ウォーキング「石津~駒野」(その4)……大専寺で親鸞上人縁の梅の木、春日神社、羽沢貝塚から南明寺を経て駒野駅にゴール(完)
7.2023年4月16日:美濃街道ウォーキング「駒野から美濃津屋」
養老鉄道の駒野駅から美濃津屋駅まで、1駅分でしたが、11.3㎞を歩きました。駒野駅をスタートし、市神神社、八幡宮、駒野城跡、庭田貝塚、円満寺、神明神社、春日神社、天満神社、若宮八幡神社と神社を訪ね、綜蓮庵、善教寺、住吉神社。臨迎寺、志津龍神神社、神明神社と回って、美濃津屋駅にゴール。同級生K氏と二人旅。この日もコースには食堂もコンビニもありませんので、あらかじめ買っておいたファミマの明太海苔弁当(エコ割の¥100引きで¥385)を待合室でいただきました。電車賃は往復で¥1,000。
2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編)
2023年4月17日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その1)……駒野駅をスタート、市神神社、徳永寺、八幡宮から駒野城跡へ
2023年4月18日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その2)……哲学と彫刻の広場、庭田貝塚、円満寺、神明神社、浄厳寺から春日神社へ
2023年4月19日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その3)……皆善寺、天満神社、若宮八幡神社から綜蓮庵、善教寺、住吉神社へ
2023年4月20日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(その4)……桂林寺、臨迎寺、志津龍神神社から神明神社を経て美濃津屋駅にゴールにて「完」
8.2023年5月5日:JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」
このさわやかウォーキングでは、伊勢本街道を歩けるということと、田丸城跡を訪ねられるというのが魅力でした。田丸城跡には以前から一度は訪ねてみたいと思っていたのです。一人旅。松阪までは近鉄を利用。松阪から多気へはJR紀勢本線。多気まで来たのは2回目。多気駅から、しあわせの宮、七度狐の森、伏拝坂の切り通しと石燈籠、正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、玉城まちかど博物館伊勢美夜之窯、田丸神社と歩いて、田丸城跡(写真)がゴール。ゴールでは「神領 玉城水」(500mlペットボトル)と、「参宮線130周年記念さわやかウォーキング参加証」をいただきました。「しろあとマルシェ」が行われていたのですが、念のため買っておいたファミマの助六寿司(¥480)で昼食。その後、田丸駅へ。15.5㎞も歩きました。帰りは、田丸駅から松阪駅まではJR参宮線。松阪からは近鉄に乗ったもの運転トラブルに遭い、桑名駅の1つ手前の益生駅で電車は停車したまま動かず。ここで臨時に、しかも運転席から下車させてもらうというレアな体験もしました。運賃合計は、¥3,120。
2023年5月5日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(予告編)
2023年5月7日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その2)……正念僧・即身仏供養碑塚、上田辺羽根遙拝場、田丸神社へ
2023年5月8日:20230515JRさわやかウォーキング「参宮線130周年記念 大和と伊勢神宮を結ぶ最古の道・伊勢本街道を歩いて」(その3)……田丸城跡でゴールし、田丸駅から参宮線で帰宅へ(完)
9.2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」
珍しく月曜日に出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。美濃街道ウォーキングの続きで、養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いてきました。養老鉄道の線路沿いに北上。白山神社、津屋川龍神、本慶寺(津屋城跡、写真)、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社、西林寺、観音寺、福勝寺、八幡神社、高札場跡、十三代横綱鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅に到着。トータルで歩いた距離は9.6㎞。電車賃合計は、¥1,110。養老駅前にある「きび羊羹本家」で土産にきび羊羹一棹(¥850)を購入。昼食は桑名駅まで戻って、桑名駅自由通路にある「伊勢ノ国食堂しちり」で「鶏天おろしうどん」。¥960(税込み)。
2023年5月24日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ
2023年5月25日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その2)……養老町に入り、西林寺、大神宮常夜灯、観音寺、もう1つの大神宮常夜灯、福勝寺、八幡神社から小倉谷隧道へ
2023年5月26日:20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その3)……高札場跡、鬼面山谷五郎生誕之地、専明寺、白山神社を経て養老駅にゴールにて「完」
10.2023年6月4日:美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」
この日は、養老駅から1駅、美濃高田駅まで、ほぼ養老鉄道の路線に沿って歩きました。途中、石畑の大桑神社あたりまでは美濃街道でしたが、この神社のところから美濃街道は関ヶ原に向かいます。この先、関ヶ原まで鉄道はありませんので、ここから養老街道に入って大垣を目指します。それ故、この日のウォーキングは、正確には「美濃街道・養老街道ウォーキング」になります。養老街道は、大垣の美濃路追分から養老に至る脇街道。立ち寄り先は、養老神明神社、大菩提寺(写真)、千人塚1号古墳、境松(傘松)跡、浄誓寺、大桑神社、八幡神社、乾崇寺、田代神社、神明神社、皇大神社。美濃高田駅には、食事をするところはありませんので、桑名に戻ってとんかつ銀座で味噌カツランチ(¥1,100)。歩いたのは、9.3㎞。電車賃は、普通に買うと往復で¥1,280でしたが、桑名駅の改札で係の方から「『養老公園県営100周年記念 往復割引切符』を買うと、養老まで1,000円で往復できる。帰りは美濃高田から養老まで1駅分¥210の切符を買うと、合計¥1,210となって、¥70安くなる」と教えていただいて、それにしたがいました。同級生K氏と二人旅。
2023年6月4日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(予告編)
2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その1)……養老駅をスタート、養老神明神社、金妙寺跡、千人塚1号古墳、大菩提寺、浄誓寺へ
2023年6月7日:20230604美濃街道ウォーキング「養老~美濃高田」(その2)…養老街道との追分から西福寺、八幡神社、専念寺、乾崇寺で芭蕉句碑を見て、田代神社ほかを周り、美濃高田駅にゴール(完)
11.2023年6月25日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」
この日は養老鉄道美濃高田駅から美濃青柳(みのやなぎ)駅まで。この間、養老鉄道の駅は、烏江、大外羽、友江と3つあります。蒸し暑かった上に、自分でつくったコースなのに、コースミスをしでかし、余計に疲れました(苦笑)。今回も同級生K氏と二人旅。美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、西光寺跡、馬頭観音、大神宮常夜灯、北直江渡し跡、蓮光寺、旧多芸小学校跡、小畑川ダム、大神宮常夜灯・小畑橋跡、蛇持経塚跡、浄徳寺、真照寺、報恩寺(写真)、徳勝寺、経説寺。本来は、大神宮常夜灯・小畑橋跡から養北小のすぐ北に出て、そこから北東に進み、蛇持経塚跡に向かうはずでしたが、コースミスをしでかし寺社2つほどすっ飛ばす羽目に。さらにその余波で渡し場跡1ヶ所も見忘れました。養老道美濃青柳駅に着く前にハシンというカフェでランチ。オムカレーライスにハムカツ(¥800)。歩いたのは、14.6㎞。 運賃は往復で¥1,400。
2023年6月25日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(予告編)
2023年6月27日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その1)……美濃高田駅をスタートし、南直江渡し跡、金光寺跡、北直江渡し跡、蓮光寺から多芸公民館へ
2023年6月28日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その2)……小畑川ダム、常夜灯を見てコースミス、蛇持経塚跡から養老橋を渡っていよいよ大垣市へ
2023年6月29日:20230625美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃高田~美濃青柳」(その3)……大垣市に入り、大神宮常夜灯から6つの寺をめぐって美濃青柳駅にゴールにて「完」
12.2023年7月2日:美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」
美濃街道ウォーキングもいよいよゴールへ。この日は、養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅まで。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、この日までに合計9回で大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ、「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。美濃青柳駅から杭瀬川に出て、川沿いに北上します。六社神社、正円寺、法永寺、長源寺、塩田橋(養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路を歩きます。写真)、徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、愛宕神社、正覚寺、常楽寺、誓雲寺、奥の細道むすびの地、御朱印地遮那院跡、大垣城東惣門跡(ここまでが美濃路)を経て大垣駅にゴール。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」(¥690)。歩いたのは14.0㎞。普通に乗車券を買うと合計¥1,530ですので、1日フリー切符(¥1,500)を利用。
2023年7月3日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(予告編)
2023年7月7日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで
2023年7月9日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その2)……徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、水神神社の夜泣き松、愛宕神社、正覚寺で芭蕉木因遺跡へ
2023年7月10日:20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その3)……常楽寺、大泉寺、誓運寺、常隆寺から御朱印地遮那院跡を経て大垣駅にゴールで「完」
13.2023年7月15日:伊勢河崎ウォーキング
梅雨の晴れ間、曇りがちでしたが蒸し暑い日でした。同級生K氏と二人旅。近鉄宇治山田駅がスタート&ゴール。宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店へ。倉田山公園の野球場を経て松尾観音寺から倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅にあるまんぷく食堂で昼食。プチからあげ丼(¥650)。ここは伊勢でも有名なB級グルメの店で、一度食べてみたかったところです。 電車賃は往復で¥2,900。歩いたのは、10.1㎞。写真は、伊勢河崎商人館。
2023年7月15日:20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編)
2023年7月18日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか
2023年7月19日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ
2023年7月20日:20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」
14.2023年7月31日:西別所ウォーキング
名古屋へのウォーキングも考えていたのですが、真夏にコンクリートジャングルを歩くと猛暑で熱中症になるかも知れないと危惧し、田舎を歩くことにしました。三岐鉄道北勢線西別所駅から在良駅まで、2駅、現地で実際に歩いたのは5.4㎞でした。夏場ですから、短めの距離にしたのです。同級生K氏と二人。私は、西桑名駅を8時5分に出る東員行きの電車に乗って、西別所駅には8時12分着。この電車は、今時珍しくエアコンなしで扇風機が回っているレアもの(苦笑)。西別所駅から延寿院、万機庵跡(藪がひどくて入っていけませんので、眺めただけ)、西別所城跡、八幡神社、蓮花寺川沿いから山神社、蓮花寺、白山神社、蓮花寺東城跡、宇賀神社、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(増田、写真)から三岐鉄道北勢線在良駅にゴール。西桑名駅まで移動し、エンシュウヤで「今日のランチ」。おろしソースのハンバーグ(¥750)。歩いたのは7.5㎞。電車賃は往復で¥400。
2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング(一回完結)
15.2023年8月29日:赤尾・在良ウォーキング
「赤尾・在良ウォーキング」とは、出発地点とゴール地点の地名を取って命名しています。同級生K氏と二人旅。7.5㎞と距離は短かったのですが、夏場はこれくらいにしておいた方がよいでしょう。八風バス志知線の羽田(はねだ)バス停から照順寺、鞆尾神社、御厨神社、圓授寺を周り、坂井橋を渡ります。坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡碑(写真)、額田神社(額田)と周り、三岐鉄道北勢線在良駅がゴールなのですが、その前にファミリーキッチン馬車屋さんで昼食。前回(2023年7月31日:20230731西別所ウォーキング)のときは定休日(月曜日)でしたので、この日はリベンジ。家内の強い勧めにしたがい、ハンバーグ定食(¥1,000)をチョイス。バス代・電車賃合計で¥610。
2023年8月29日:20230829赤尾・在良ウォーキング(予告編)
2023年8月30日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その1)……羽田バス停から照順寺、鞆尾神社、中河御厨神社、圓授寺へ
2023年8月31日:20230829赤尾・在良ウォーキング(その2)……坂井橋を渡り、北勢線坂井橋駅跡、貞昭院、額田廃寺跡から額田神社にて「完」
16.2023年9月9日:近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』
三岐鉄道との合同企画です。朝日町へは、近鉄ハイキングでも、個人的な「勝手にハイキング」でも何度か訪れ、めぼしいところはかなり回りました。しかし、今回は初めてのところが2ヶ所含まれていましたので、参加したという次第。今回は、一人旅。三岐鉄道三岐線大矢知駅をスタートし、移田(うつしだ)神社、井後(いじり)神社、若松園(和菓子)、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館、浄泉坊、朝日町資料館、語らいの広場(抽選会あり)を経て近鉄名古屋線・伊勢朝日駅がゴール。語らいの広場での抽選会では、見事当選! 若松園さんのお菓子が1つということで、みやこまんじゅうをいただきました。土産は、稲垣酒造場の樽酒。「御山杉」の純米酒を樽に詰めたものをさらに瓶詰めにして販売。¥1,800。今日は、自宅にて昼食。運賃合計は¥730。右の画像は、あみま倶楽部のデジタルスタンプ。
2023年9月9日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(予告編)
2023年9月11日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その1)……大矢知駅から八風街道の常夜灯、朝明川堤防を経て移田神社へ
2023年9月12日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その2)……井後神社、若松園、稲垣酒造場、朝日町歴史博物館へ
2023年9月13日:20230909近鉄ハイキング『三重県で一番小さな町「朝日町」を歩く』(その3)……浄泉坊、朝日小学校の円形校舎、朝日町資料館から語らいの広場で抽選会を経て伊勢朝日駅にゴールにて「完」
17.2023年9月15日:「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)
1月から7月にかけて歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーの1つです。美濃街道を歩きながら、同級生K氏と養老の滝や、行基寺にも行こうと話していたのですが、まずは大垣まで歩き通すことを優先しました。養老駅をスタートし、養老公園から妙見堂、養老の滝(写真)を経て、養老神社・菊水泉、北原白秋歌碑、元正天皇行幸遺跡、養老寺、養老説教場、鬼面山谷五郎碑などを経て養老駅に戻るというコースです。養老駅あたりの標高が20m、養老の滝が270m(いずれもキョリ測による数値)で、高低差は250mという高齢者にとってはいささか難コース。昼食は、前回、美濃街道ウォーキングのときに休みで(2023年5月22日:美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」)、行けなかった「そば処たみと」さんで「ざる蕎麦(白)」(¥950)。十割蕎麦です。運賃は往復で¥1,160。
2023年9月15日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)(予告編)
2023年9月17日:20230915「養老の滝ウォーキング」(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#1)その1……養老駅をスタートし、聖武天皇巡幸記念碑、せせらぎ街道から妙見堂を経て養老の滝から養老神社へ
18.2023年10月20日:行基寺ウォーキング(美濃街道ウォーキングオプショナルツアー#2)
今年1月から歩いていた「美濃街道ウォーキング」のオプショナルツアーその2です。養老鉄道美濃山崎駅から行基寺までを往復。高低差は125mほど(キョリ測のデータ)。同級生K氏と二人旅。養老鉄道美濃山崎駅から浄国寺、宝珠院、龍芳寺、杖つき坂を回って行基寺(写真)へ。寺内、庭園を拝観し、御山の燈台を見てから覚法寺、八幡神社を経て美濃山崎駅へ戻ってきました。美濃山崎駅あたりでは食事をするところがありませんので、朝、ファミマで買ってきた「明太海苔弁当」(¥460)を待合室で食べてきました。歩いたのは9.8㎞。運賃は往復で¥840。
2023年10月20日:20231020行基寺ウォーキング
2023年10月22日:20231020行基寺ウォーキング……行基寺は素晴らしい
19.2023年10月28日:名古屋ウォーキング
夏前から考えていたのが、この名古屋ウォーキング。しかし、猛暑の時期はさすがによくないだろうとこの日になりました。JR名古屋駅をスタート&ゴールとし、丸の内から名古屋東照宮、那古野神社、愛知県護国神社(写真)、名古屋市市政資料館から名古屋城の南を歩いて、四間道と円頓寺商店街へ。四間道で屋根神と子守地蔵尊、円頓寺商店街では真宗高田派愛知別院から金刀比羅神社、円頓寺を、また、円頓寺本町商店街では多賀宮などを回ってきました。同級生K氏と二人旅。昼食は、途中の円頓寺商店街にあるスペイン料理Bar Dufiで、ローストビーフ丼(¥880)。電車賃は往復で¥700。
2023年10月28日:20231028名古屋ウォーキング(予告編)
2023年10月31日:20231028名古屋ウォーキング(その1)……JR名古屋駅をスタートし、白山神社、那古野神社、名古屋東照宮、愛知県護国神社へ
2023年11月2日:20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)
20.2023年11月3日:近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”
桑名からスタート地点の名鉄津島線木田駅に行くには、JR関西線で弥富まで行き、名鉄に乗り換えます。名鉄木田駅をスタートし、あま市七宝焼 アートヴィレッジ、佐藤醸造(あまの蔵・海部のくちどけ)、七宝焼原産地道標、蟹江町観光交流センター「祭人」、龍照院、山田酒造、お漬物若菜とめぐって、近鉄名古屋線蟹江駅がゴール。同級生K氏と二人旅。山田酒造で、それぞれ酔泉の一合瓶を買ってキッチンカースペースで楽しんで来ました(写真)。これが昼食代わり(苦笑)。酒とつまみで¥400。土産は、もっとも好みであった「最愛」の純米生酒。720mlで¥1,600。運賃は合計¥970。
2023年11月3日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(概要編)
2023年11月5日:20231103近鉄ハイキング“名古屋鉄道合同企画 「佐藤醸造」と「山田酒造」尾張の醸造文化に触れる”(補遺編にて完)
21.2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」
前日から寒くなり、今日がその寒さの底だという予報でしたが、同級生K氏と二人で菰野を訪ね歩いてきました。歩き始めは晴れていたのですが、途中、鈴鹿の山にかかる雪雲からみぞれのようなものが飛んできたり、冷たい風に吹かれたりということもありました。近鉄湯の山線菰野駅から見性寺、廣幡神社、菰野城跡、瑞龍寺、廣幡神社御旅所(旧菰野神社)、五郎兵衛地蔵、蟹池(智積養水の水源地、写真)、二分八分、三十三限筒と周り、湯の山線桜駅がゴール。昼食は、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店で「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)。歩いたのは13.0㎞。運賃は、合計で¥1,070。
2023年11月25日:20231125「菰野ウォーキング」(予告編)
2023年11月29日:20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ
2023年12月6日:20231125「菰野ウォーキング」(その2)……札の辻、廣幡神社庄部御旅所、五郎兵衛地蔵から湧水池でカワセミを見る
2023年12月7日:20231125「菰野ウォーキング」(その3)……蟹池、二分八分、三十三限筒から智積養水記念公園を経て桜駅にゴールにて「完」
22.2023年12月16日 :「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング
この日は、ロシアを初めて見た日本人である大黒屋光太夫のふるさと・伊勢若松を歩いてきました。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。伊勢若松駅がスタート&ゴール。緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。伊勢若松駅は急行停車駅で、また、鈴鹿線が分岐するところですが、駅の近くには食事をするところがありません。昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当。「おむすび&焼きそばセット」(¥390)を待合室を借りて食べてきました。電車賃は、往復で¥1,060。右の写真は、伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫の銅像。
2023年12月16日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(予告編)
2023年12月17日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その1)……伊勢若松駅をスタートし、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見る
2023年12月18日:20231216「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキング(その2)……小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)へ
以上、22回のうち19回は同級生K氏との二人旅。つき合ってもらえることに感謝。
なお、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの記事のリンクは、この記事執筆当初は、ココログになっていましたが、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」の記事のものに変更しました(2024/01/01)。
何を今さらと思うのですが、2017(平成29)年のウォーキング/ハイキングの記録を作っておきます。というのも、2017年はJRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングにデビューした年ですが、それは11月も終わりの頃でした。2017年末までには鉄道会社のイベントには3回しか参加していませんでしたので、とくにまとめはつくってなかったのです。それ以外も含めて4回のウォーキング/ハイキングの記録です。
1.2017年10月5日:朝日町歴史散歩
このときは、この先「歴史散歩」にハマるとは思ってもいませんでした。桑名駅にあった「JR関西本線ウォーキングガイド 朝日駅編」というパンフレットを入手し、一度行ってみようと思っていたのですが、涼しくなってきたので、ようやく実現した次第。桑名からJR関西線に乗って一駅、三重郡朝日町へ。朝日町は、小さな町ですが、弥生時代の遺跡があり、壬申の乱の時には、この付近で大海人皇子(天武天皇)が伊勢神宮を遥拝し、戦勝祈願をしたと伝わっています。また、縄生廃寺からは、国の重要文化財に指定された出土した舎利具などの遺物が発掘されています。町名は、天武天皇が壬申の乱の際に付近で朝日を拝んだという、日本書紀の故事によるといいます。JR朝日駅から西光寺、浄専坊、橘守部生誕の地、小向神社、初代森有節の墓、朝日町歴史博物館、柿城跡を回って来ました。帰りは、朝日町歴史博物館まで家内に迎えに来てもらい、天ぷら兎波で味噌天丼を食べて帰宅。往きのJRの運賃は¥190。歩いた距離は5.1㎞。
2017年10月5日:朝日町歴史散歩へ……昼は、味噌天丼
2.2017年11月25日:JRわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」
この日、朝5時過ぎに起き出してネット検索をしていたら、今日、JR四日市駅出発でJR東海の「さわやかウォーキング」があるということを知ったのです。「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」というもの。コースは、「駅がスタート、駅がゴール」という宣伝文句の通り、JR四日市駅から四日市旧港を回る、約6.6㎞、2時間ほどのコース。思案橋、稲葉翁記念公園、臨港橋、末広橋梁の他、みなと公園近くの桟橋では、「清掃船じんべい」やタグボート「ちとせ丸」見学会もあり、この辺りで見たいと思っていたところが網羅されていましたので、これは行くしかないと思って出かけたのです。いまから思えば、これが鉄道会社主催のウォーキング/ハイキングイベントにハマったきっかけでした。
2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き
3.2017年12月17日:JRさわやかウォーキング「醸造文化(味噌・醤油・酒)が残る四日市を丸ごと体験ウォーク」
この日は、関西線南四日市駅がスタート&ゴール。ただし、桑名で最高気温が5.8℃(ただし、真夜中の0時13分)、最低気温は1.0℃(9時45分)。歩いている途中、雪もちらつくという悪条件でした。とても「さわやか」とは行きません。歩いたコースは、四日市市南部の日永、泊、四郷あたりです。伊勢蔵、東海道日永郷土資料館、日永の追分(写真)、白鬚神社、南部丘陵公園、登城山、夢菓子工房ことよ、神楽酒造、室生神社、法蔵寺、四郷郷土資料館、日永神社、薬師堂、西昌寺、日永一里塚跡、東海道名残の一本松をへて南四日市駅へ。11.5㎞を歩きました。電車賃は往復で¥640。
2017年12月17日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その1)
2017年12月18日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その2)
2017年12月19日:雪もちらつく中、JRさわやかウォーキング(関西線・南四日市駅)へ……10.9㎞コース(その3、完)
4.2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」
近鉄ハイキングへのデビューでした。名古屋線の川越富洲原駅を出発、霞ヶ浦駅まで約8㎞というコースです。コースは、川越富洲原駅を出発し、田村寺(写真)、薬師寺、常照寺、茂福神社、伊賀留我神社、浄恩寺から垂坂公園を経て、名古屋線・霞ヶ浦駅まで。現地で実際に歩いたのは、10.8㎞。自宅から桑名駅までの往復を入れると、13.0㎞。電車賃は合計で¥520。
2017年12月22日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」へ(その1)
2017年12月23日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その2)
2017年12月24日:近鉄ハイキング「巨大かぼちゃ『中風封じの田村寺』と垂坂公園を訪ねて!!」(12/22)へ(その3で完)
2017年は、以上の4回、ウォーキング/ハイキングに行ってきたのですが、これが今日に至る、私の主な趣味の1つになっているのです。人生、何がきっかけに変わるのか、分からないものです。早起きして、ネット検索をしていたのが、現在に至るとは、まったくの想定外でした。が、今となっては、とてもよかったと思っています。
昨日よりさらに暖かくなりました。最低気温は5.4℃、最高気温は14.3℃。アメダスのデータにはありませんが、朝方雨が降ったようです。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、御坊さん、寺町と6.8㎞。
結論から書きますと、タイトル通りでした(微苦笑)。九華公園までで見たのは、揖斐川にいたカンムリカイツブリ1羽、カモメ1羽、柿安コミュニティパークの堀にいたキンクロハジロのメス1羽と、ドバト数羽。九華公園では、カラスとヒヨドリが多く、他に見たのは、ウグイス、カワラヒワ、スズメ、ドバトくらい。鳴き声を聞いたのはツグミにメジロ。待てど暮らせど、歩けど歩けど、鳥はいませんでした。ハクセキレイは、野球場の南にいました。アオサギは、今日もまた辰巳櫓跡にある松の木に。
ユリカモメは、約30羽。旧アヒル小屋にいたり、野球場のフェンスにいたり。飛翔シーン撮影も試みたものの、曇天で暗くてうまく行きませんでした。カモは、キンクロハジロが33羽に、ハシビロガモが9羽。ヒドリガモはまた見ませんでした。他の公園でも、ムクドリやヒヨドリがいたくらいで、今日の鳥見はほとんど坊主。昨日はけっこうたくさん見られたのですが、あれで鳥たちも御用納めだったのかも知れません。
内堀にあるお宅では、ロウバイが咲き始め、また、スイセンはよく咲いていました。
帰宅後、パソコンや外付けハードディスク、デスク周りを掃除し、整理整頓。必要なものや、大切なものはスキャナで取り込んでpdfで保管していますが、油断すると、印刷した資料やパンフレットがあふれるのです。写真は、揖斐川の堤防から見た「天使の梯(薄明光線)」。
よく晴れて風も弱く、暖かい日です。最高気温は12.7℃。いつものように7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、歴史を語る公園、京町、南魚町、田町、三崎通と5.9㎞を散歩してきました。
住吉入江、揖斐川あたりには野鳥はいませんでした。天気も良く、水面も静かなのにもったいない。柿安コミュニティパークの堀には、コガモのオスが1羽にメス2羽が上陸してお休み。オオバンは2羽。
九華公園に着いて鎮国守国神社の社務所裏を見たら、ゴイサギが3羽。ずいぶん久しぶりです。春先以来と思いますが、確認はしていません。ゴイサギたちは、このあとどこかへ飛び去ってしまいました。
奥平屋敷跡では、いきなりシジュウカラ3~4羽とジョウビタキのオス1羽が登場。幸先がいい(微笑)。シジュウカラは、しばらく移動しながら餌を食べていました。
ハクセキレイもいつものペアがやって来ました。タイミングがよいと、このペアは1時間くらいの間に何回も登場します。他には、カワラヒワなど。今日は、ヒヨドリ、ドバト、カラスは少なめ。
続いて、真打ち。ウグイス。ウグイスは15分あまり割とよく見えるところや、木の高いところに現れてくれました。ただ、写真を撮るには手強い。かなりの枚数を撮りました。
アオサギは、今日もまた辰巳櫓跡にある松の木にいました。野球場の南に柳の木があります。今日はここにメジロ2羽。この柳の木には、シジュウカラが来ることもよくあります。
ユリカモメは、22羽。二の丸橋や、野球場のフェンスなどに散っていました。
カモは今日は、ヒドリガモが復活。オス2羽、メス1羽がいました。散歩友達の方達に確認すると、1日のうちでも時間帯によっていたり、いなかったりすることもあるようです。
キンクロハジロは20羽、ハシビロガモが18羽。ヒドリガモも入れて、合計は41羽。今日も少ない。
貝塚公園は静かでした。内堀公園で、ツグミとモズを見ましたが、遠くて、証拠写真です。今年はツグミをあまり見ません(渡ってきた頃、集団でいるのは見ました)。地上で餌を食べているところはまだまったく見ていません。去年の例では、そろそろシロハラも来る頃ですが、これほど暖かいとまだ先かも知れません。
拙宅マンション前の住吉入江まで戻ってきたら、カンムリカイツブリが休んでいました。朝出かけるときにはおらず。長良川河口堰や、三ツ又池公園で休んでいるところを遠くから見るのですが、実際に首や頭がどうなっているのかよく分かりませんでした。こんな風になっていたのだと、よく分かりました。
午後からは、仏壇掃除を済ませました。あとは自分のパソコンやデスク、書棚あたりを掃除しますが、これは明日。新年を迎えるのに、以前ほど大げさな準備その他はしなくなってきました。何もしなくても、新しい年は来るなどと嘯いているのです。
しばらくは良い天気が続きそうです。今朝は、5.3℃と比較的気温も高く、日中は14.4℃まで上がっています。予定通り、朝一番にいつものS理容院さんで散髪。9時10分にS理容院さんから散歩へ。中橋、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.9㎞。
拙宅マンションを出て、住吉入江にカンムリカイツブリがいました。昨日もここにカンムリカイツブリがいましたから、同じ個体かも知れません。居着いているのでしょうか。
散髪を終えて、まずは中橋に行ったのですが、ゴイサギが3羽に、ホシゴイが3羽。他の方に伺っても、朝早い時間帯はゴイサギは少なく、10時を過ぎると10羽を越えるようです。どこかから飛来するのか、奥にいたものが表に出てくるのかは分かりません。
九華公園では前管理人でいまは散歩友達のOさんに遭遇。「アオサギしかいません」ということでしたが、朝日丸跡でジョウビタキのオスに遭遇。そのアオサギさんは、辰巳櫓跡にある松の木に隠れるようにして止まっていました。最近は、ここがお気に入り。
カワラヒワは、鎮国守国神社の境内に10羽ほどと、相撲場あたりに数羽。写真のカワラヒワは、相撲場近くで撮ったもの。シロハラ、ビンズイはまだ見ていません。
ユリカモメは、旧アヒル小屋のところと野球場のフェンスに合わせて15羽。最近、少なくなっています。例年であれば、12月末ならば数10羽~100羽以上来ることもあるのですが、どうなっているのでしょう。
カモも少なく、キンクロハジロが31羽と、ハシビロガモが17羽。ヒドリガモは来なくなってしまいました。気候のせいなのか、堀にゴミがたくさん浮いているせいなのかなどと思うのですが、よく分かりません。
貝塚公園では、ウグイスの姿をチラッと見たほかは、ヒヨドリの鳴き声を聞いたくらい。他の公園には何もいません。拙宅南の住吉入江にさしかかったところで、ジョウビタキのオスが目の前を横切って、堀の対岸へ。
拙宅前まで戻ってきたら、住吉入江にはまだカンムリカイツブリ。さらにオオバンが1羽やって来て、護岸についた藻を食べていました。
ところで、昨日、桑名宗社(春日さん)に立ち寄ってきましたが、令和6年の厄年、八方ふさがり年表、戌の日、七五三と並んで「年祝い年表」が掲げられていました。あまりしっかりと意識していなかったのですが、「年祝い年表」を見て「そうか、そうだよなぁ」 としっかりと認識しました。私は昭和30年の生まれですから、年が明けると数えで70歳。ということは古希を迎えるのです。昔は、古希を迎えるとその長寿を祝ったものですが、まさか自分が古希を迎えるようになるとはという驚きと、そんな年になったのかと思って愕然とした気持ちと複雑な気分です。まぁ、自分で自分を慰めるとすれば、満年齢でいえばまだ70歳ではないということ(苦笑)。
ちなみに、古希は、『唐詩選』の杜甫の曲江詩に「人生七十古来稀」とあることに由来します。関西詩吟文化協会のサイトを参照しました。
曲江<杜 甫>
朝(ちょう)より回って 日日 春衣(しゅんい)を典(てん)す
毎日江頭(こうとう) 醉(すい)を盡(つく)して歸る
酒債尋常(しゅさいじんじょう) 行く處に有り
人生七十 古來稀なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう) 深深として見え
水に點(てん)ずる蜻蜓(せいてい) 款款(かんかん)として飛ぶ
傳語(でんご)す風光 共に流轉(るてん)し
暫時(ざんじ)相賞(あいしょう)して 相違(あいたご)うこと莫(なか)れと
この詩の意味は、次のようなところ:
朝廷を退出すると、毎日春着を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
酒代の借金はあたりまえのことで行く先々にあり、どうせ人生七十まで生きられるのはめったにない。(だから今のうちに飲んで楽しんでおきたいものだ)
あたりを見ると蝶は花のしげみに見えかくれして飛び、とんぼは水面に尾をつけてゆるやかに飛んでゆくのどかな風景である。
私はこの春景色にことづてしたい。我が身も春光もともに流れに身をまかせ、春のしばらくの間でも、その美しさを賞(め)で楽しみ、そむくことのないようにしようではないかと。
今日・12月27日は満月です。正確には、午前9時33分に満月になるそうですが、朝5時頃、雲が晴れてきましたので、撮影。それまでは空一面雲っていたのが、新聞を取りに降りるとき、晴れて来ていたのです。 アメリカの農事暦では、「コールドムーン(cold moon)」と呼ばれています。日本語で言うと、「寒月」なのでしょうか。
1枚目の写真はトリミングをしましたが、こちらはノートリミング。いずれもソニーDSCーRX10M4を使い、f/8、SS1/125秒、ISO感度250、オートホワイトバランス、600mmズームで撮っています。
これは、スマホ写真。結構きれいに撮れるものです。ただし、月をクローズアップしようと、8倍ズームにすると、ボケボケでした。
12.9℃と暖かくなりました。最低気温も2.3℃と少し高め。午前中は、風も弱く、散歩日和でした。朝一番に家事を済ませ、8時15分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、歴史を語る公園、中橋、春日神社、寺町と6.1㎞。
揖斐川は、川面も穏やかでしたが、水鳥はほとんどいません。カンムリカイツブリが2~3羽いたくらい。住吉水門には、コガモのメスと、オカヨシガモのオス(右の写真)、ヒドリガモのペアがいました。
九華公園に着いてすぐ、カワセミの鳴き声。久しぶりに見ましたが、日陰に止まってしまい、きれいには撮れず、ちょっと残念。相撲場のところでは、ツグミ。これまた木の中で暗い写真になってしまいました。
奥平屋敷跡では、シメ。ただ、ちょっと遠い木の上で枝も被って、なかなか上手く撮れません。シメ、今シーズンはまだ1羽でいるところしか見ていませんし、地上に降りているところも見られません。カワラヒワは、証拠写真。
ほかに奥平屋敷跡に来たのは、ハクセキレイのペア。ヒヨドリ、ドバト、カラスは今日は、あまり来ていません。
公園内を半周して、もう一度カワセミを見た鎮国守国神社の社務所裏の堀を見に行ったら、コガモのペアが石の上でお休み。ここは、アカミミガメがよく甲羅干しをしているところ。アオサギは、社務所の裏に木に。
カモは、今日も少なく、43羽。キンクロハジロが31羽、ハシビロガモが12羽。ヒドリガモがこのところ見当たりません。ホシハジロも来なくなっています。ユリカモメは、8羽くらいが野球場のフェンスにいたのですが、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまいました。
他の公園でもこれという鳥がいませんでしたので、今日も中橋へ行ってゴイサギを見てきました。このところ、ここのゴイサギが「救いの神」になっています。
拙宅マンション前の住吉入江まで戻ってきたら、カンムリカイツブリが1羽。ここによく来る個体と思います。気に入ってくれ、毎日でも来てほしいと思います。
ところで、鎮国守国神社でも、桑名宗社でも門松が立てられ、正月の準備が進んでいます。これらは、鎮国守国神社のもの。12月23日に氏子の皆さんがつくられたそうです。竹が太くて立派。
こちらは、桑名宗社(春日神社)のもの。楼門の前に立てられています。これは、毎年、桑名建築組合が奉納しておられます。これも見事です。
桑名宗社では、拝殿前の鳥居にも装飾が施され、縁起熊手が対になって飾られています。
拝殿には、桑名高校書道部の生徒さんが書いた「龍」の文字を大書した絵馬が奉納されていました。
ところで、年賀状は、1日遅れで今日の午後投函してきました。これで年内のdutyで残っているのは、仏壇掃除くらいでしょうか。また、今日は、昔々に共著で書いた本の印税が、わずかに振り込まれたという連絡がありました。4桁のかなり少ない金額ですから、これでご馳走に与ろうなどと思わないでください(微笑)。
今朝はまた、0.3℃と冷えました。日中は晴れて、11.1℃まで気温は上がりました。風も弱く、散歩日和ですが、今日は名古屋へ。その昔は、名古屋へ働きに行っていましたが、今年、名古屋へ出かけたのは3回目(2023年5月27日:20230527院生OG会、2023年10月28日:20231028名古屋ウォーキング(予告編))。まさに「今は昔」という感。JR関西線を利用し、桑名駅を9時21分に出る名古屋行き普通に乗車。名古屋駅には、9時56分に到着。¥350。運賃が安いのです。
行き先は、こちら。JR名古屋タカシマヤです。タカシマヤに来るなど、いつ以来かよく覚えがないくらい(爆)。タワーズガーデンには、JRさわやかウォーキングで来ていますが(2018年10月27日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(予告編))、ブログの記事で検索してみたら、9年ぶり(2014年12月17日:名古屋で教え子とお茶)。ただし、このときはタカシマヤではなく、名古屋マリオットアソシアホテル15階のロビーラウンジ「シーナリー」で教え子のOさんに会ってきたのです。さらに調べると、この2ヶ月ほど前に東急ハンズに行っていました(2014年10月2日:今日は、特別支援教育支援員養成講座へ)。
今日の目的は、美術展。「開館25周年記念展 京都細見美術館の名品 琳派、若冲、ときめきの日本美術」という展覧会が、1月7日までJR名古屋タカシマヤの10階の特設会場で開かれているのです。細見美術館(京都市左京区)は、実業家・日本美術コレクター、細見古香庵(ほそみここうあん:1901~79年)に始まる細見家三代の蒐集品を基礎として、1998年に開館しました。コレクションは、神道・仏教美術から茶の湯の美術、琳派・伊藤若冲といった江戸絵画など、日本美術のほとんどすべての分野・時代を網羅するものです。江戸橋での非常勤のときに同じ時間に出講していらっしゃる美学の先生から、招待券をいただいたので早速拝観しに行ったという次第。今年10月15日にパラミタミュージアムで「つながる琳派スピリット 神坂雪佳展」を見てきましたが、その時もこの先生に招待券をいただきました(2023年10月15日:午後から「つながる琳派スピリット 神坂雪佳展」へ)。
JR名古屋タカシマヤは10時開店。展覧会も同様です。始まる時間に入ったら空いているだろうと思って出かけたのですが、予想は大はずれ(苦笑)。年配の観覧者が多かったのですが、皆さん同じことをお考えになったようで、入ってすぐのあたりはとくに大賑わい。後半からは人並みがばらけていたので、ゆっくり見て回ることができました。伊藤若冲のものがたくさんでていて、興味深く見てきました。パラミタミュージアムでも見た神坂雪佳のものもありました。
大枚をはたいて図録も購入してきました。税込み¥2,750だったのです。出かける前に調べたら、結構なお値段でしたから、迷ったのですが、招待券をくださった先生も書いておられましたので、買ってきました。またじっくりと眺めようと思っています。
展覧会を見たあとは、こちら方面へ。名鉄百貨店・名鉄名古屋駅を通り過ぎていきます。
お分かりになった方もいらっしゃるでしょうが、ナナちゃんを見てきたのです(微笑)。今月13日から「Christmasナナちゃん」に変身中。ナナちゃんの誕生は、昭和48(1973)年。私が大学に入学した年。ただナナちゃんを見に行ったのではなく、サンロードにある金券ショップで年賀ハガキを買おうと思って、こちらに回ったのです。残念ながら無地の年賀ハガキの在庫はありませんでした。ここからJR名古屋駅に戻って関西線の電車に乗るのも大変でしたので、帰りは近鉄。11時1分発の松阪行き急行に乗り、桑名には11時21分着。¥540と、JRより¥190も高い!
せっかくだからと昼は、外食。とはいえ桑名駅近辺ではランチできるところは限られます。伊勢ノ国食堂しちりで、天ぷら中華そば。以前もこれを食べたことがあります。税込み¥1,078でしたが、端数切り捨てで¥1,070。
ということで、「展覧会弾丸ツアー」に行ってきました。名古屋でお昼を食べて来ようとも思ったのですが、年末で平日なのに人出がすごくて、早々に退散してきました。そういえば、今日はクリスマスでしたねぇ(そんなの関係ねぇ……ですが……)。写真は、帰りに近鉄桑名駅を降りたとき、養老鉄道のホームに止まっていたラッピング電車「みんなをつなぐトレイン」。「養老鉄道」と「シナモロール」がコラボし、養老鉄道の車両にシナモロールのデザインがあしらわれています。来年1月28日までの運行です。1度くらいは乗ってみたいと思っています。
朝は1.3℃でしたが、日中は10℃を超えました。寒さは底を打ったようです。今日は、プチ遠征。パンダガモが来ていないか確かめるために三ツ又池公園まで行ってきました。帰り道には長良川河口堰と上之輪新田にも寄ってきました。7時半出発。現地で歩いたのは、6.6㎞。12月2日以来のプチ遠征(2023年12月 2日:ミコアイサはいなかったものの、カワセミに遭遇@三ツ又池公園)。三ツ又池公園には7時45分から8時25分まで。
まずは、三ツ又池公園。出迎えてくれたのは、オオバン。池全体では、10羽足らず。次いで、カイツブリも。ただ、カイツブリも少なく、全体で数羽くらい。冬になると、九華公園でもたまに見ますから、よそへ行ったりするのかも知れません。
もっとも多かったのは、コガモでした。とはいえ、全体では30~40羽くらいで、以前より少なめ。よい写真はありませんが、ハシビロガモも2~3羽。以前は、ハシビロガモも多数来ていたのに、今年は全体にカモは少なくなっています。ハクセキレイは、あちこちで見ました。
遠目にはコガモかと思ったのですが、オカヨシガモのオス。この1羽だけだったように思います。メスがいたかどうかは、不明。カルガモもあちこちにいて、合計30羽以上いたと思います。
ジョウビタキのメスは、まったくの証拠写真。 いきなり現れ、すぐに逃げていきました。ジョウビタキのメスは、久しぶりに見ました。散歩コースでは、この頃サッパリ見かけなくなっているのです。
カンムリカイツブリもいたのですが、池の中央あたりにほとんどが集まっていました。
三ツ又池公園で最後に見たのは、こちら。ヌートリア・ファミリー。たぶん両親と子ども2匹で、4匹。このほかにも、単独行動している大人と思われる個体が2匹。という次第で、ミコアイサはおらず、残念。
東側魚道では、上流の遠くにアオサギが1羽。管理橋の下流側、すぐ下にコサギが1羽。
カンムリカイツブリは、主に堰の上流側にいました。20~30羽くらいかと思います(今日は、数はカウントしていません)。カルガモも多数。こちらは、堰の上流側に集まっています。
堰の中央あたり、下流側にはカモたち。キンクロハジロとホシハジロです。無数にいます(微笑)。西側の閘門へのアプローチや、魚道あたりには、アオサギ、コサギ、カワウがごく少数。今日は、サギもカワウもほとんどいません。
親水広場も一回りしたのですが、ハクセキレイと、ムクドリ、キジバトくらいしかいません。
親水広場の西側、揖斐長良川の中州が広がるところで、ホオジロ。オスとメスが、最初はすぐ近くにいました。その後も、つかず離れずという感じで移動。
さらにオオジュリン。広場に近いところにもいたのですが、皆、遠くに逃げてしまいましたので、証拠写真。上之輪新田では、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ハシボソガラスのほかに、小型の野鳥を複数見かけたのですが、逃げ足が速くて、種類は不明。
12月もいよいよ残すところ1週間あまり。昨日の忘年会は、いつもの私的なもの。気の置けない友人で楽しいひとときでした。これで年内の予定は終了。明日は、ちょっと出かけようと思っています。あとは散髪や、仏壇掃除などをしないといけません。町屋川にも、年内に1回は行きたいところです。
今日も寒い日になっています。0.7℃/7.2℃です。寒くても、淡々と飽きもせず、散歩三昧です。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、歴史を語る公園、中橋、七里の渡し跡、住吉神社前と6.6㎞。今日は風がとても弱く、昨日よりも楽でした。
住吉ポンプ場近くの住吉入江にカンムリカイツブリがいました。一昨日、玉重橋より南で魚と格闘していたカンムリカイツブリかも知れません(2023年12月21日:九華公園にシメ)。
住吉神社の前から、伊勢大橋のほうを見たら、雪が積もった山がよく見えました。方角からして、岐阜・福井県境にある能郷白山(のうごうはくさん)ではないかと思うのですが、確信はありません。揖斐川も静かでしたが、水鳥は、カンムリカイツブリが3~4羽見えたくらい。
七里の渡し跡で今日も、コガモのメス。2羽が懸命にエサをついばんでいまいた。
三の丸水門のところには、イソヒヨドリのメス。このあたりでよく見かけます。柿安コミュニティパークの堀には、キンクロハジロのメスが2羽と、コガモのメスが1羽。
九華公園では、今日もヒヨドリやドバトは少なめでした。スズメやカラスも少しいます。奥平屋敷跡で1時間近く鳥待ちをしたのですが、シメとカワラヒワ、ジョウビタキをチラッと見たほかは、ハクセキレイのペアが何度も来たくらい。
さすがに諦めて、移動しようとしたところへメスのモズが登場。ラッキーでした。ちょっと追いかけて、これを撮ることができました。
アオサギは、今日も辰巳櫓跡にある松の木にいました。先だっても書きましたが、隠れるようにしています。二の丸跡でアレを見つけ、朝日丸跡へ追いかけました。
ユリカモメは、今日は、12羽しか来ていませんし、すぐにいなくなりました。カモは、キンクロハジロが40羽とハシビロガモが11羽のみ。ヒドリガモは見当たりませんし、ホシハジロは来ません。
ちょっと物足らないなぁと思って、公園の外周遊歩道へ入ったら、ジョウビタキのオスがやって来ました。向こうもビックリして、民家の屋根へ行ってしまいました。寒くて、ふっくらしています。
このあとの公園では、ヒヨドリ、カワラヒワ、スズメくらいしかいませんでしたので、中橋へゴイサギを見に行ってきました。左の写真が、ほぼ全体像。ゴイサギが9羽と、ホシゴイが5羽確認できました。
倉庫の屋根で日向ぼっこしているゴイサギや、ホシゴイもいます。夜行性ですから、昼は休憩時間。今日は風も弱く、陽もよく当たっていましたから、さぞ気持ちよさそうです。
木の中にたくさんいます。右の写真のホシゴイは、堀を挟んだ、対岸の木に1羽だけいたものです。
諸戸氏庭園にある蔵の屋根にドバト。名づけて「モロトドバト」。鬼瓦には「モロト」と文字が入っていますが、その上にいるがための命名(微笑)。今晩は、唯一ある忘年会の予定。
冬至の今日は、最低気温が0.1℃と冷え込みました。名古屋では氷点下になったそうです。九華公園の外周遊歩道では、水たまりに氷が張っていました。今シーズン初氷。
冬至だから、朝日でもと思い、7時頃に撮影。わが家から見ていますと、柿安本社ビルのあたりから陽が昇ってきます。右は、御在所岳。頂上にある気象観測ドームも、御在所ロープウェイの白い鉄塔(6号支柱)もよく見えます。この6号支柱は、御在所岳の標高約943m地点に建つ御在所ロープウエイの支柱です。高さは61mあり、日本一の規模。雪は少しだけ残っています。
今朝も、寒かったものの、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、御坊さんと6.8㎞。歩き始めた頃は、まだ2℃にもなっていませんでしたが、風はほとんどなく、さほど寒くはありませんでした。
住吉水門のところにカモたち。 ヒドリガモばかりと思ったら、オカヨシガモのオスも混じっていました。ヒドリガモが8羽にオカヨシガモのオスが1羽。オカヨシガモは、昨シーズンも、このあたりや七里の渡し跡で見かけています。 柿安コミュニティパークの堀では、今日もキンクロハジロのメスが1羽だけいました。
九華公園では、今日もヒヨドリやドバトはほとんどおらず、静か。カラスも最初のうちはほとんどいなかったのですが、9時頃になったら奥平屋敷跡に集まってきて、賑やかでした。その奥平屋敷跡では、まずは、ハクセキレイのペア。いつもここに来るハクセキレイたち。さらに、ジョウビタキのオスも1羽。
さらに、今日はウグイスも登場。こういう明るくて、拓けたところにはなかなか出て来てくれません。ちょっと枝かぶりですが、まぁいいでしょう。連写というか、激写というかした中には、右の写真も。舌も写っています。300枚以上撮りました(苦笑)。
アオサギは、いつものように、辰巳櫓跡にある松の木にいます。冬はここにいることが多いような気がします。
ユリカモメは、今日は16羽ほど。最近また少なくなっていますし、滞在時間も短くなってきている印象があります。
カモ、今日は合計46羽。キンクロハジロが39羽にハシビロガモが7羽。散歩&鳥見友だちのYさんは、ヒドリガモのオスも見たといいますが、私は確認できず。
御坊さん(真宗大谷派桑名別院)では、報恩講が行われていますので、お参りしてきました。
ところで、今週の授業の補足説明は、昨晩のうちにチェック&修正を完了し、助手の先生に送って、印刷などをお願いしました。さらに、今朝も早くに目が覚めましたので、後期の期末試験問題作成にも着手。これも一応は、完成。ということで、冬至の今日で、年内の仕事は完了。勝手に「御用納め」に至りました(微笑)。
日中の気温は、8.8℃まで上がりましたが、最大風速は9.7m/sとほぼ1日中強風。とても寒く感じました。冒頭の写真は、散歩から帰った10時前の多度山方向の空。典型的な冬の空。多度山から雲が湧いて、流れてくるように見えるのです。朝は、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.9㎞。寒くて、早く帰ろうかと思ったくらい。
強風のためか、野鳥の姿はありません。揖斐川はかなり波立っていて、水鳥の姿はなし。七里の渡し跡まで来て、コガモのメスが3羽。柿安コミュニティパークの堀には、キンクロハジロのメスが1羽。余談ですが、三之丸公園の南西隅にテントが張ってありました。写真は割愛しますが、ここで野宿した方があったようです。寒くて寝られなかったのではないかと、余計なお世話ながら心配になりました。
九華公園では、今日も以前よりヒヨドリ、カラス、ドバトが少ない印象。奥平屋敷跡も、鳥はほとんどいません。そういうなか、ほぼ証拠写真ではありますが、ツグミとシメがいました。ツグミは延べ3羽、シメは1羽。シメはもう少し近くに行って撮ろうと思ったものの、ヒヨドリに追われて行方不明。
他に来たのは、ハクセキレイ2羽。寒いためか、ふっくらしています。スズメなら「福良雀」ですが、福良ハクセキレイ。
カワラヒワも10数羽。松の実から種を取って食べていました。何かをきっかけに一斉に飛び立ったのですが、その中に「あの鳥」が混じっていました。これでもうずいぶん長く滞在しています。もうしばらくここにいて欲しいと念願しています。
ユリカモメは、今日も旧アヒル小屋あたりに集まっていましたが、しばらくしたら、皆いなくなっていました。その数は、16羽。誰もエサをやらないからだろうと思います。
カモは合計57羽。キンクロハジロがやや増えて38羽。ハシビロガモは16羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽。ホシハジロはしばらく見ていません。九華公園でのバードウォッチングは以上。このあとの公園でもスズメ、ヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいません。
住吉入江まで戻ってきたら、カンムリカイツブリが魚をくわえているシーンに遭遇。10分あまり見ていたのですが、魚が大きすぎたのか、結局、放棄してしまっていました。飲み込めなかったようです。もったいない。
午後は、予定通り、市役所での会議に出席してきました。この会議は、これで今年度は終了。詳細は書けませんが、いろいろと課題はあるものの、桑名市では先進的な取り組みもなされています。
ところで昨日の授業のQ&Aは、心配したものの、会議に出かける前に一通り完成。いつものように寝かせてありますが、このあとか明朝確認し、修正が必要ならば修正し、メールで送るつもり。これができあがれば、私の今年の仕事は完了します。世間様よりもかなり早く、「御用納め」とできそうです。この写真は、今朝散歩に出た時、住吉神社の前から撮ったもの。
昨日よりも気温はやや上がって、最低気温が5.0℃、最高気温は13.2℃となりました。朝は風も弱く、暖かく感じたのですが、昼前後から強風。帰宅するときには、朝より寒く感じたくらいです。年内最後にして、13回目の講義でした。ただし、学生達は、25日まで講義があります。出席率が心配でしたが、80%台半ばとまあまあです。新年は、学生達は1月4日スタートですが、私の講義は10日から。ということで、しばし冬休み気分。
今日は「幸福感と人間関係」というテーマ。お金持ち、健康な人、学歴の高い人、美男美女は、そうではない人に比べ幸せと思いがちですが、実証的研究では、こういう常識的な見解とは異なる結果が得られています。毎年良くある感想ですが、学生達にとってはお金持ちだからと言って幸せであるとは限らないということに驚いています。
帰りには、いつものように志登茂川へ寄り道。今日は、四日市港潮汐表では、満潮が12時4分でしたが、思い切って、超望遠コンデジ(Canon Powershot sx60hs)を持って生きました。左の写真は、上流方向。ダイサギらしきサギが飛んでいくのが小さく写っています。
堤防から覗き込むと、アオサギや、コサギ、コガモらしき姿が見えました。カモは休んでいるのがほとんど。
下流側。江戸橋の方角です。川面に浮いているカモも少しいますし、堤防したに上陸して休んでいるカモもたくさん見えます。
浮かんでいたのは、ホシハジロやヒドリガモ。写真に撮った以外にも、ホシハジロ、ヒドリガモは川に浮かんでいました。
堤防下に上がっていたのは、コガモ、ヒドリガモ、オナガガモ。入り交じってお休み中。珍しかったのは、カイツブリが3羽いたことです。ここでカイツブリを見た記憶はありません。
カイツブリも見られ、満足して帰宅。出欠チェックを終え、今日実施した「主観的幸福感」と「心理的well-being」の2つの尺度の集計を行っています。明日から週末にかけては、最強寒波襲来とか。このあたりでも雪が降るかもしれないそうです。
最低気温は4.0℃、最高気温は9.9℃とほぼ予報通り。午前中は晴れていたものの、昼過ぎから薄雲が広がっています。朝一番に家事を済ませ、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園からバローに立ち寄って帰宅。5.5㎞。
住吉水門の内側でオオバンが1羽。揖斐川には、カンムリカイツブリが3羽ほど。今日は、カモの姿は見えません。
七里の渡し跡では、コガモが堤防のうえで休憩中。休憩中の写真は、絵になりませんが、一応載せておきます。三之丸公園にジョウビタキのオス。
九華公園到着は、8時40分。昨日までに比べ、ヒヨドリもカラスも激減した印象。やかましいくらい鳴き声がしていたのですが、今日は静かな印象。奥平屋敷跡では、ハクセキレイ1羽のみ。ヒヨドリ、ドバトはごく少数。
アオサギは、今日もまた、辰巳櫓跡にある松の木にいますが、最近はこの写真のように奥深くに隠れているようにしています。朝日丸跡でカワラヒワ。5~6羽が集まっていました。散歩友達のYさんは、二の丸跡や朝日丸跡でモズ、ジョウビタキのオスとメスをご覧になったそうですが、ほかにはヒヨドリ、カラスがいたくらい。
歩いている途中で上空にミサゴが登場。九華公園上空をしばらく旋回していました。冬になると、ミサゴがときどきやって来ますので、これからが楽しみです。
ユリカモメは、18羽ほど。ここ2~3日は、旧アヒル小屋あたりに集まってきています。
カモは今日も少なく、合計37羽。キンクロハジロが23羽、ハシビロガモが12羽、ヒドリガモが1ペア。例年であれば、12月中旬であれば少なくとも60羽、多ければ100羽近くのカモがいるのですが、最近、減っています。キンクロハジロの数がとくに減っているのが気になります。
バローへは忘年会準備で行ってきました。私の担当分は、準備完了。明日は、江戸橋での年内最後の講義。13回目です。新年は1月10日からですので、しばらく冬休み気分。去年は、曜日の関係で、御用始めの1月4日が最初の講義でしたが、私も学生達も正月気分のままでした(微苦笑)。明日は、晴れ間もあって、気温ももう少し上がるそうですが、木曜からは最強寒波襲来とか。どちら様も、体調管理には気をつけましょう。写真は、今朝、散歩に行くときに撮った藤原岳。
12月16日に行ってきた「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの本編その3です。その2では、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、大黒屋光太夫供養碑から開国曙光碑(2代目)を回ってきました。開国曙光碑(2代目)は近鉄千代崎駅に近いところにありますが、その3ではそこから若松に戻り、大黒屋光太夫漂流記壁画を見て、しばらく堤防道路を歩き、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回って、近鉄伊勢若松駅にゴール。
若松緑地の堤防に「大黒屋光太夫漂流記壁画」が描かれています。200mほどに渡って、10枚の壁画が並んでいます。壁画は、金属板に描かれたもの。
途中、堤防工事のために少し迂回しましたが、ここからは堤防道路を歩いて北に向かいます。退屈するかと思いましたが、海岸や海の景色を楽しめました。対岸にあるセントレアも遠望できます。
若松漁港の手前に徳本上人御堂と若松漁港開港記念碑が並んでいます。若松漁港は、昭和30(1955)年に漁港指定を受けています。
徳本上人は、宝暦8(1758)年、現在の和歌山県日高町志賀に生まれました。数えでわずか2歳の年、姉に抱かれながら、月に向かって「南無仏」と唱えたとか、4歳のころ、仲のよかった隣家の子どもの急死に無常を感じ、常に念仏を唱えるようになったとかの逸話が残っています。天明4(1784)年に出家した後は、草庵に住み、1日1合の豆粉や麦粉を口にするだけで、ひたすら念仏を唱え続けました。また、水行をしたり、藤の蔓につかまって崖をよじ登るなど、他に例のない過酷な修行をしたことも伝えられており、行場跡も多く残っています。寛政6(1794)年ころから始められたといわれる全国行脚は、紀伊・河内・摂津・京都・大和・近江・江戸・相模・下総・信濃・飛騨・越後・越中・加賀など、驚くほど広い範囲に及んでいます。上人の足跡を物語る石碑(名号碑)は、全国各地に千基以上あるといいます。
徳本上人御堂の西に清水清三郎商店があります。商店という名前ですが、酒蔵。知る人ぞ知るかも知れませんが、伊勢志摩サミットで供された「作(ざく)」の蔵元がここのです。まだ呑んだことはありません。例えばこちらで通販がありますが、それなりのお値段なのです。
清水清三郎商店の南西に若松山西運寺。真宗高田派。近鉄のあみま倶楽部のハイキングマップ「潮風満喫鈴鹿コース」によれば、ここはもともと地元の豪農が建立したといいます。もとは目前庵と称し、寛文元(1661)年に現在の寺名に改名しています。
西運寺の北に深田(ふかた)神社。塩浜街道(県道6号線)沿いに建つ社号標は、大きくて目立ちます。創祀などについては不詳ですが、延喜式内社ですので、1,000年以上前の平安時代にはすでにあったものと考えられます。神社の西のあたりを深田と呼んだのが、社名の起こりであるといわれています。
天正15(1587)年、慶安2(1649)年、元禄10(1697)年、享保6(1711)年、安永7(1779)年の122枚の棟札があり、式年での造営が行われてきているそうです。現在も20年ごとに社殿の改修、境内整備、40年ごとに本殿の建て替えがおこなれています。訪ねたこの日、鳥居が新しいことが目を引きましたが、今年、本殿、手水舎、鳥居が新築されています。
明治5(1872)年に村社となり、明治41(1908)年6月村内の無格社17社を合祀しています。主祭神は、豊宇迦能賣命(とようかのめのみこと)。外宮のご祭神である豊受大神の異称です。相殿神は、素盞雄尊(すさのおのみこと)、大山津見命(おおやまつみのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、五男三女神(ごなんさんじょしん)、誉田別命(ほむだわけのみこと)、大物主神(おおものぬしのかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、火産霊命(ほむすびのみこと)、大井神(おおいのかみ)、宇賀之御魂神(うかのみたまのかみ)の12柱。境内社には、酒井神社(大井神/おおいのかみ)、菅原社(菅原道真公)、山神社(大山祇命/おおやまずみのみこと)、浅間社(木花咲耶姫命/このはなさくやひめのみこと)。
深田神社の鳥居をくぐったところには、先ほど見てきた清水清三郎商店がつくっている「作(ざく)」と「鈴鹿川」の薦樽が並んでいました。
最後の立ち寄り先は仏誓山弘善寺。真宗高田派。ここのお寺、ネットでは、特に情報は出て来ませんでしたし、現地にも案内板はありません。すでに来月、高田本山専修寺で行われる「お七夜」(報恩講)のポスターが貼ってありました。
伊勢若松駅に戻ってきたのは、12時50分頃。途中で2回ほど休憩していますから、歩いたのは実質3時間余り。この駅周辺には飲食店がありませんので、今日の昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当 。「おむすび&焼きそばセット」、¥390。おにぎり2個と焼きそばが少し。食べすぎはよくありません(微苦笑)。駅の待合室を借りて、ランチタイム。13時16分の名古屋行き急行に乗車して、桑名駅着は13時40分。¥530。
この日のGoogle Fitのデータ。12.1㎞で、21,560歩。自宅から桑名駅までの往復を含みます。マップ上、現地では8㎞ほどでしたが、実際には9㎞あまりを歩いてきたことになります。これにて、今年のウォーキング納め。
最低気温が2.3℃、最高気温は8.4℃と冷たい1日になっています。雲も多く、ソーラーパワーがありませんので、リビングにいても冷えて、今日は今シーズン初めて、昼中もファンヒーターのお世話になっています。朝は、いつものように7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.2㎞。
住吉ポンプ場東の住吉入江にヒドリガモのペアが来ていました。1週間前にも、ここにヒドリガモのオスが来ていましたが(2023年12月11日 :九華公園で久しぶりにカワセミ)、冬が進むにつれ、この住吉入江に入ってくる水鳥も増えてきます。
住吉神社の前の揖斐川では、キンクロハジロ。全部で20羽ほどいます。多少波立っていて、他の水鳥はいません。
七里の渡し跡では、コガモ。オスが2羽にメスが6羽。ここも、もう少しするとコガモの他にヒドリガモやオオバンが来ます。
三の丸水門では、イソヒヨドリのメス。最近このあたりでよく見かけます。
九華公園に着いて、今日もヒヨドリは賑やか。カラスは、いつもより少ない印象。九華橋のところでハクセキレイ。相撲場のところで樹上にツグミが2羽。
奥平屋敷跡で30分ほど鳥待ちをしましたが、立ち止まっていると寒いこと。常に動き回っていました。が、ヒヨドリ、ドバト、カラス以外に来たのは、ハクセキレイ2羽のみ。
アオサギは、まずは、辰巳櫓跡にある松の木に1羽。このほか、本丸跡を歩いているときに鎮国守国神社の境内の方から2羽が飛んできました。境内のどこかにいたように思われます。この2羽のアオサギは、その後、神戸櫓上空も飛んでいました。
今日は、ユリカモメがたくさん来ていました。数えられた限りでは38羽でしたが、もっとたくさんいたように思います。
橋の欄干にも並んでくれましたが、最も長い二の丸橋ではなかったので、数羽ずつしか並ばず、それはちょっと残念。
カモ、今日はさらに少なく、合計24羽。キンクロハジロが13羽、ハシビロガモが10羽、ヒドリガモのオスが1羽。
貝塚公園に向かう途中、二の丸橋の南の袂でもハクセキレイ。このハクセキレイの一方は、脚が悪いので、今日も奥平屋敷跡で見たペアと思います。今日は、ハクセキレイ・デーですねぇ。
貝塚公園ではヒヨドリとメジロのみ。内堀公園の東のお宅でジョウビタキのオス。今年、このところあまりジョウビタキには出会いません。モズも、ツグミも同様。シロハラ、ビンズイ、シメはまだ(シメは1度だけ、チラッと見ましたが)。
拙宅前の住吉入江に戻ってきたら、何と、カンムリカイツブリがやって来ていました。これは嬉しい。カンムリカイツブリのヘアスタイルが気に入っていますので2枚、載せておきます。
ところで、貝塚公園の北門のところでアツバキミガヨラン(鐘型で緑白色の美しい花がたくさん咲くのが印象的です。ただし、名前がなかなか覚えられず、毎回、検索してしまいます(苦笑)。 右は、内堀にあるお宅にて。ツバキなのか、サザンカなのか?? 素人には判別不能。
冒頭に今日は冷えると書きましたが、多度山が白くなったのは、今シーズン初と思います。藤原岳は、散歩から帰ったときにも雲の中。かなり下の方まで白くなっているようです。
12月16日に行ってきた「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングの本編その2です。その1では、伊勢若松駅をスタートして、菩提寺の緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校の大黒屋光太夫座像を見てきました。その2では、大黒屋光太夫記念館が10時開館でしたので、その前に小川神社と心海寺を見てきました。さらに宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)と回っていきます。
小川神社は、若松小学校の南にあります。式内社。由緒書きによれば、平安時代、大同4(809)年、第52代嵯峨天皇の御代に現在の中野地区に創建されたといいます。天明6(1786)年の棟札によれば、社殿倒壊のため長らく春日社の相殿であったそうです(こちらによれば、安永6(1777)年に社殿が大破したため春日社(春日社は南若松町西裏所在の小川神社という、現社地より南東150mの小川神社か?)。また、元の鎮座地は現在地の北方約500mのところと伝わっています。明治40(1907)、明治42(1909)年の2度に渡って村内の神社を合祀。明治42(1909)年に村社、明治44(1911)年に現在地に奉斎されました。
主祭神は、弥都波能売神(みつはのめのかみ)。水の神様。相殿神は、合祀を繰り返したためか、たくさんの相殿神がいらっしゃいます(右の写真をご覧下さい)。列記すると、宇気母知神(うけもちのかみ)、大国主神 (おおくにのぬしのかみ)、木花佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)、大山津見神(オオヤマツミノカミ)、天児屋命(アマノコヤネノミコト)、迩迩芸命(ににぎのみこと)、市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、迦具土神(カグツチノカミ)、品陀和気命(ホンダワケノミコト)、菊理比売命(くくりひめのみこと)、瀬織津比売命(セオリツヒメノミコト)、上津綿津見命(わたつみのかみ)、中津綿津見命(ナカツワタツミノミコト)、底津綿津見命(そこつわたつみのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、宇加之御魂神(うかのみたまのかみ)、以上18柱。前回訪れた時の記事に説明とリンクがあります(2018年10月4日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その2)……心海寺、小川神社、宝祥寺)。
拝殿はかなり大きくて立派でした。神社の拝殿の建築様式については詳しくないのですが、ここに先立って訪ねた春日稲荷神社と同じく、基本的には春日造なのかという気がします。詳しい方がいらっしゃれば、ぜひともご教示ください。境内には、弁財天も祀られています。由緒書きでは触れられていません。弁財天は、貧困を救い財物を与える天女で、七福神の一人。ちなみに、前回この御堂を覗いてみたのですが、中に金の狛犬が鎮座。上記の2018年10月4日の記事をご覧ください。写真があります。
小川神社の向かいに松生山心海寺。真宗高田派。元禄16(1703)年に現在地より東に約300メートルの場所に創建されました。しかし地盤沈下などで本堂の床下まで浸水するようになり、明治23(1890)年にここに移転されました。大黒屋家と、光太夫と共にロシアから戻った磯吉の菩提寺です。磯吉(明和3(1766)~享保14(1729)年)は、大黒屋光太夫の神昌丸乗組員。このあと訪れた光太夫らの供養碑で、地元の方に伺ったところ、磯吉の子孫の方が今もいらっしゃるそうです。
心海寺の当時の住職・実静が、帰郷した磯吉から聞き取った見聞録をまとめた「極珍書(ごくちんしょ)」というものが保存されているそうです。光太夫の帰国後、桂川甫周(かつらがわほしゅう:幕末の蘭方医で、幕府の医官)が聞き取ってまとめたものに「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」があります。これは、いわば公式記録であるのに対して、「極珍書」の方は、少しも拘束を受けぬ私的な陳述書で、磯吉の若さからくる新鮮な観察が随所にみられるとされます(吉村昭「大黒屋光太夫」新潮文庫版のあとがきにあるそうです。こちら)。さらに、「魯西亜国漂舶聞書」という磯吉の陳述記録もあるそうで、これら2編はいずれも、顕彰会が発掘したものだそうです。
ところで、この心海寺は大黒屋の菩提寺であると書きました。境内には、「寄進者・大黒屋銀太夫、同彦太夫」の名が刻まれた御手洗石(享保14(1729)年)があります。享保14年ですから、光太夫が生まれる前(光太夫は、宝暦1(1751)年生まれ)。ご先祖ということになります。
前回来たときには気づかなかったのですが、鐘楼の鐘の前に仏様がいらっしゃいました。「いのちの鐘」という表示があります。ここで9時55分。ちょうど良い時間となりましたから、大黒屋光太夫記念館へ。
大黒屋光太夫記念館は、平成17(2005)年に開館。主な収蔵品は、光太夫が書いたロシア語の墨書やロシア使節の人相書、漂流記、古文書などです。現在、企画展「知っておどろき!大黒屋光太夫」が開催されており、見てきました。光太夫とともに漂流した小市の遺品も展示されていました。入場は無料。見学は10時~16時。休館日は、月・火曜日、第3水曜日(ただし、月曜日のみ休日の場合は開館)と年末年始。なお、記念館の前身は、鈴鹿市立若松小学校の校舎内に平成3(1991)年に設けられた『大黒屋光太夫資料室』です(平成17年まで)。ここにも大黒屋光太夫の銅像があります(2018年9月24日撮影)。
この記念館の前にあるのが、開国曙光碑の初代の一部。大正7(1918)年に「大黒屋光太夫頌功碑」として建てられたのですが、その1で書いたように室戸台風で倒壊し(2つに折れ、上部1.5mが現存)、千代崎海岸に2代目が建立されたのです。
記念館から塩浜街道(県道6号線)を越えて榮松山宝祥寺へ。真宗高田派。寺の由緒については、ネットでも情報は出てこず、また、お寺にも由緒書きなどはありませんでした。
ここは、光太夫とともに帰国した小市の菩提寺です。光太夫と帰国できたのは、この小市と磯吉だけでした。しかし、小市は、根室に到着して約半年後の寛政5(1793)年4月2日に根室で亡くなってしまい、伊勢には戻れませんでした(享年46)。この寺には、小市の供養碑があります。遺品は故郷の妻に下げ渡され、宝祥寺では追善供養も執り行われたといいます。遺品は、市の文化財に指定されています(リンク先のpdfに画像があります)。なお、小市は根室で亡くなったため、根室にも供養碑があり、毎年4月2日の命日には供養が行われているそうです。ここ宝祥寺の供養碑は、小市之さらに安らかな眠りを願い、また後世に伝えるために平成17(2005)年10月に建立されています。
宝祥寺の境内には、地蔵堂があります。その説明板には、光太夫や小市は、このお堂の付近で生まれ育ち、幼少のこれからこの境内で遊び、お参りしたと伝えられているとあります。地蔵堂には、延命地蔵尊が安置されています。本堂の東、100mの海岸(通称なべのはな)から不思議に光る地蔵菩薩の石像が漁夫によって引き上げられ、村人が宝祥寺境内にこの御堂を建てて安置、供養したといいます(建久元(1190)年)。このお地蔵様は、海出山延命地蔵菩薩として、海に出て業をなす人の安全や、多くの人々の無病息災を願って信仰されてきました。
宝祥寺から堤防道路に出たところに山の神が祀られていました。「山の神」と刻まれた石と、鳥居があるだけで、詳細、由緒などは不明。ここから住宅街に入っていくと、光太夫らの供養碑があります。
大黒屋光太夫らの供養碑。大黒屋光太夫以下17人が乗り組んだ神昌丸は、天明2(1782)年12月13日、白子の湊を出帆し、遠州灘沖で暴風雨に遭い、行方不明になります。神昌丸は、紀州藩の廻米、木綿、瓦、紙などを積んでいたそうです。漂流すること7ヶ月あまりでアリューシャン列島にあるアムチトカ島に漂着します。
上左の写真では、2基の墓が並んでいます。向かって左がこれ。こちらは、大黒屋光太夫らの供養碑です。これは、遭難から三回忌にあたる天明4(1784)年12月に神昌丸の荷主であった木綿問屋・長谷川家によって建立されたもの。背面。「維持 江戸大伝馬町一丁目 天明四甲辰年十二月 施主 太物店行司頭 長谷川次良兵衛 長谷川市左衛門」とあります。この長谷川家は、三重県松阪市出身の伊勢商人です。「丹波屋」という屋号で寛永12(1635)年、一族の者である布屋市右衛門が日本橋大伝馬町で木綿売買を始めています。その旧宅は三重県松阪市に現存しており、平成25(2013)年4月に長谷川家から松阪市に寄贈されています。この長谷川家旧宅は、2018年5月のJRさわやかウォーキングで訪ねています(2018年5月26日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(予告編)、2018年7月6日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その4)……松坂城跡の続きから旧長谷川邸まで)。江戸時代、松阪も白子も紀州藩の領地であった時代があります。その関係かと思いますが、思わぬところで歴史はつながっているものだと感心。正面には「釋久味例 南無阿弥陀仏 俗名 光太夫」と刻まれています。向かって右に建つのが「亀屋一門の墓」です。大黒屋光太夫は、亀屋に生まれ、大黒屋に行ったという説が有力です。これは、亀屋(緑芳寺過去帳には南亀屋)の墓碑。正面には、光太夫の法名(釋久味)が刻まれています。磯吉のご子孫は、今もこの近くにお住まいだそうです。前回訪ねたとき、顕彰会の方から伺いました。
金沢川を渡って、千代崎海岸あたりへ。ここは、波が穏やかで家族連れに大人気だそうです。伊勢湾では県内で最も北に位置する海水浴場。写真は、原永緑地。きれいに整備されています。
原永緑地の先、千代崎観光案内所(訪ねた時は閉まっていました)のところに「開国曙光碑(2代目)」があります。初代の碑が、昭和9(1934)年に室戸台風により倒壊したため、ここ千代崎海岸に再建されたもlのです。しかし、この2代目の碑も昭和34(1959)年には、伊勢湾台風により上部が欠けてしまいまいした。そのため、3代目の開国曙光碑が昭和51(1976)年に建立されています。開国曙光碑の碑も、光太夫と同じく、波乱万丈な経過をたどっているのです。
ちなみに、金沢川を渡る橋の東に千代崎漁港があります。通りかかって、とても驚きました。ホシハジロの大群です。英語でいうと、“uncountable”なくらいの数。とても数えられません。カウンターを持っていても、です。端っこの方にヒドリガモもごく少数混じっていました。バードウォッチングは、どこでもいつでもできる良い趣味です(微笑)。
その2は、ここまで。その3は若松緑地にある大黒屋光太夫漂流記の壁画から。
この日、アメダスのデータには出ませんでしたが、桑名では朝方まで雨でした。しかし、行き先の鈴鹿では曇りの予報でしたので、予定通り、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングに行ってきました。私が以前、近鉄ハイキングで訪ねた「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」(2018年09月24日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(予告編))を多少モディファイしたコース。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。冒頭の写真は、近鉄伊勢若松駅前にある大黒屋光太夫銅像。昭和62(1987)年、若松小学校創立100周年記念として、小学校校庭に建立されたものが、「大黒屋光太夫記念館」完成を機に、光太夫のふるさとの玄関口となる伊勢若松駅前に移設されました。
大黒屋光太夫(宝暦元(1751)年~文政11(1828)年)は、江戸時代、ロシアに漂流した船頭です。大黒屋は屋号。養子に入り、亀屋兵蔵と称したこともあります。天明2 (1782) 年 12月、伊勢の白子から江戸への航行中、駿河灘で台風にあい、7ヵ月余漂流を続けて翌年夏、アリューシャン列島のアムチトカ島に着き、4年後、カムチャツカ半島に渡ります。のち帰国を願ってシベリアを西行し、1791年、首都ペテルブルグにいたり、女帝エカテリーナ2世 (大帝) に謁見。寛政4 (1792) 年、遣日使節 A.ラクスマンに連れられて帰国し、将軍家斉に謁見しています。吉村昭の小説「大黒屋光太夫」や、井上靖の「おろしや国酔夢譚」のモデル。写真では向かって左が大黒屋光太夫(大黒屋光太夫記念館にて)。
この日歩いたコースマップ。伊勢若松駅がスタート&ゴールで、反時計回りにグルッと歩いてきたという次第。マップその1で、伊勢若松駅をスタートして、まずは、緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社へ。ここからマップその2へ。若松地区市民センターで開国曙光碑(3代目)、若松小学校にある大黒屋光太夫座像を見て、小川神社、心海寺を経て、大黒屋光太夫記念館へ。
近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢若松駅には8時48分着。¥530。曇天でしたが、次第に空も明るくなり、途中、青空が見えるときもありました。
伊勢若松駅の西300mほどのところにあるのが、榮松山緑芳寺。真宗大谷派のお寺。光太夫の菩提寺(生家といわれる亀屋の菩提寺)です。開創は不詳ですが、もともと三州幡豆浅水(現在の愛知県西尾市)で、順正法師により開基、戦乱等から逃れるため、名古屋、伊勢長島を経て、天正3(1575)年、当地に移り、現在に至っているそうです。
ここには、光太夫がエカテリーナ2世から下賜された銀貨や、ロシア語で書かれた箴言(しんげん)が光太夫から寄進されています。前回来たときに(2018年10月1日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(その1)……伊勢若松駅をスタートして、緑芳寺、開国曙光碑、大黒屋光太夫記念館へ)、特別にお宝を見せていただけました。左は、エカテリーナ2世から下賜された銀貨。エカテリーナ2世の像が刻まれています。寛政7(1795)年8月に光太夫が寄進したもの。ご住職は、磨くと価値が下がるかも知れないと心配され、磨いていないとおっしゃっていました。右は、ロシア語で書かれた箴言(しんげん)。当然、小生には読めません。これも光太夫ゆかりの品。
光太夫からは離れますが、緑芳寺には、松尾芭蕉句碑があります。「雁ゆくかたやしろ子若松」と刻まれているそうですが、ほとんど読めません。当時の住職であった櫟玄籍によって嘉永年間(1848~54年)に建てられたという説があります。これは、元禄3(1690)年、越人の『ひさご』の中の花見の部にでています(こちら)。菅沼曲水、珍碩(浜田洒堂(はまだしゃどう)ともいいます。高田本山専修寺にも句碑がありました)らと詠んだうちの付句。付句を刻した碑は全国的に非常に珍しいといいます。
緑芳寺に曲がるところには道標が1基あります。「左 箕田 長太 四日市道」、「右 白子道」と刻まれていました。これについては、ネットで検索したものの、情報は見つかりません。箕田(みだ)、長太(なご)は若松より北にある地名。白子は、南にあります。
緑芳寺の西にお寺が2ヶ所あります。いずれも真宗高田派のお寺で、左の写真は、楽邦山観誘寺。狭い道沿いに本堂だけがあるお寺。
その西北に隣接してあるのが、七宝山台蓮寺。参道には立派な松の木が並んでおり、本堂の前には柳の木。これら2箇所のお寺について、ネットではこれという情報はありません。
2箇所のお寺の西には、春日稲荷神社。住宅街の先に御鎮座。創祀年代等は不詳ですが、往古より地域の産土神として崇敬を受けてきたといいます。明治42(1909)年10月、中若松地内の別の1社と、当社境内社とを合祀して今の社となっています。
主祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、天之児屋根尊(あめのこやねのみこと)、品田別尊(ほんだわけのみこと)。合祀されているのは、山津見命(大山祇神(おおやまつみのかみ)と同じとおもいます。「山津見」とは、山津持(やまつもち)、すなわち山を持ち、つかさどる神のことであるといいます(賀茂真淵(かもまぶち)の説))、彦魂神(不明。ただし、「彦神/比古神」は男の神を意味する)、素盞雄命。拝殿の形式が珍しかったのですが、調べてみると、基本的には春日造(かすがづくり)であろうと思います。
春日稲荷神社から水田地帯や近鉄名古屋線の線路沿いを歩いて、若松地区市民センターへ。ここからマップは、その2の範囲です。この敷地内に「開国曙光碑(3代目)」があります。この碑は光太夫の功績を称えた顕彰碑。碑に刻まれた「開国曙光」の文字は、江戸幕府崩壊後、徳川宗家を相続した徳川家達(いえさと)公爵の筆であり、「開国へ向けて差し込んだ明け方の光」という意味。碑の本文は、広辞苑の編者で知られる新村出(しんむらいづる)博士によります。ここに建つ碑は、3代目。もともと、大正7(1918)年、若松尋常小学校長の伊藤六三郎氏や若松村長の内山治右衛門氏などが発起人になって寄付を募り、若松小学校校門前に建設されました。しかし、碑は昭和9(1934)年の室戸台風で倒壊。千代崎海岸に2代目が再建されたものの、これも昭和34(1959)年の伊勢湾台風で上部が欠けてしまいます。3代目のこの碑は、昭和51(1976)年に建てられたもの。
若松地区市民センターの敷地には、この「南無阿弥陀仏」と刻まれた碑も建っています。開国曙光碑のすぐ北隣にあります。若松地区遺族会が建てた忠霊塔で、英霊189柱を祀る碑ということです。碑陰には何も由来などは刻まれていません。
市民センターの向かい側が、鈴鹿市立若松小学校。ここの校舎前には、二宮金次郎像ではなく、大黒屋光太夫座像があります。前回来たとき、大黒屋光太夫記念館の前から何気なく見たら、「変わったものがある」と気づいたのです。台座には「大黒屋光太夫之像」と刻まれています。敷地内に勝手に入れませんので、学校のサイトを見ると「台座には「皇紀二千六百年記念」 「昭和15(1940)年2月11日」「寄贈者 若松村女子青年団」とあり台座の上の跡からおそらく石像の金次郎像があったと思われる。その後、何かの理由で金次郎像がなくなり、あとに光太夫像が昭和42(1967)年に設置されたようだ」とありました。寄付者は、「中條信男」他3名の連名だそうです。上記のリンク先に詳しい情報があります。光太夫座像に向かって左には、道標がありますが、これはもとは塩浜街道沿いの何処かにあったと思われるということです。「右 四日市道 すぐ船場」、「弘化四丁未春 施主 西城吉次郎」、「左 白子みち」とあるそうです。右の写真は、2018年9月24日に撮影。
長くなりましたので、その1はここまで。その2は、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館から。
正午現在の気温は8.1℃ですが、最高気温は深夜に記録した11.7℃。風が強く、最大風速は8.3m/s(11時50分)。リビングにいれば、日がよく当たってポカポカなのですが……。 藤原岳の上の方は冠雪していました。右の写真は、市民プール近くから600mm望遠で撮ったもの。左端にあるのが拙宅マンション。すぐ裏に巨大な藤原岳があるように見えます。
寒さにも、昨日のウォーキングの疲労にもめげず、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と7.2㎞(こんなに歩いたかなぁ?と思いますが、Google Fitのデータ)。はっきり書くと、鳥はいません。揖斐川も波立っていて、住吉水門のところにキンクロハジロが3羽いたのと、ユリカモメが数羽飛んでいたくらい。
柿安コミュニティパークの堀にいたのは、これはスズガモのようです。「寝癖(冠羽)」がないと思われます。
九華公園も強風で、小型の野鳥はほとんどいません。モズのメスは、奥平屋敷跡にて。ハクセキレイは、奥平屋敷跡にも来ましたが、右の写真は野球場南で見た個体。ヒヨドリ、ドバトはいつもよりやや少ないものの、たくさんいました。ほかにはカワラヒワの鳴き声を聞いたくらい。
カモは今日も少なく、合計35羽。キンクロハジロはやはり少なく、16羽しかいません。ハシビロガモは15羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽。キンクロハジロに混じって、ホシハジロのメスが1羽(左の写真)。
ユリカモメは、54羽も来ていましたが、今日は堀に浮いていることが多く、これという写真はありません。あまりにも野鳥が少ないので、カワウさんも登場させます。
内堀公園でメジロ。2羽来ていました。散歩中、公園の中で風がさえぎられ、日がよく当たるとそれなりに暖かいのですが、堤防の上などはとても寒く感じました。
アメダスのデータには出ていませんが、桑名では朝方まで雨でした。しかし、行き先の鈴鹿では曇りの予報でしたので、予定通り、「大黒屋光太夫ゆかりの地をめぐる」ウォーキングに行ってきました。私が以前、近鉄ハイキングで訪ねた「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」(2018年09月24日:20180924近鉄ハイキング「ロシアを見てきた最初の日本人 鈴鹿の偉人・大黒屋光太夫のふるさとを歩く!」へ(予告編))を多少モディファイしたコース。いつものように同級生K氏と二人旅にして、今年のウォーキング納め。
近鉄桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢若松駅には8時48分着。¥530。曇天でしたが、次第に空も明るくなり、途中、青空が見えるときもありました。
こちらが今日歩いてきたコース。伊勢若松駅をスタートし、緑芳寺、観誘寺、台蓮寺、春日稲荷神社、開国曙光碑(3代目)、若松小学校、小川神社、心海寺、大黒屋光太夫記念館、宝祥寺、大黒屋光太夫供養碑、開国曙光碑(2代目)、大黒屋光太夫漂流記壁画、徳本上人御堂・若松漁港開港記念碑、清水清三郎商店、西運寺、深田神社、弘善寺と回ってきました。今日のところは予告編。
大黒屋光太夫(宝暦元(1751)年~文政11(1828)年)は、江戸時代、ロシアに漂流した船頭です。大黒屋は屋号。養子に入り、亀屋兵蔵と称したこともあります。天明2 (1782) 年 12月、伊勢の白子から江戸への航行中、駿河灘で台風にあい、7ヵ月余漂流を続けて翌年夏、アリューシャン列島のアムチトカ島に着き、4年後、カムチャツカ半島に渡ります。のち帰国を願ってシベリアを西行し、1791年、首都ペテルブルグにいたり、女帝エカテリーナ2世 (大帝) に謁見。寛政4 (1792) 年、遣日使節 A.ラクスマンに連れられて帰国し、将軍家斉に謁見しています。吉村昭の小説「大黒屋光太夫」や、井上靖の「おろしや国酔夢譚」のモデル。写真では向かって左が大黒屋光太夫(大黒屋光太夫記念館にて)。
伊勢若松駅のすぐ西にあるのが、緑芳寺。真宗大谷派のお寺。光太夫の菩提寺(生家といわれる亀屋の菩提寺)です。ここには、光太夫がエカテリーナ2世から下賜された銀貨や、ロシア語で書かれた箴言(しんげん)が光太夫から寄進されています。光太夫からは離れますが、緑芳寺には、松尾芭蕉句碑があります。「雁ゆくかたやしろ子若松」と刻まれているそうですが、ほとんど読めません。当時の住職であった櫟玄籍によって嘉永年間(1848~54)に建てられたという説があります。
緑芳寺の近くで観誘寺(左の写真)と、台蓮寺。いずれも真宗高田派のお寺。観誘寺には地蔵堂があります。どちらもネット検索でもとくに情報はなく、現地にも案内板などはありませんでした。
春日稲荷神社。創始等は不詳ですが、往古より地域の産土神であったとされます。ご祭神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、保食神(うけもちのかみ)、天之児屋根尊(あめのこやねのみこと)、品田別尊(ほんだわけのみこと)。
水田地帯を歩いて若松地区市民センターへ。ここには3代目の「開国曙光碑」があります。鈴鹿市若松地区市民センターの敷地内です。この碑は光太夫の功績を称えた顕彰碑。碑に刻まれた「開国曙光」の文字は、江戸幕府崩壊後、徳川宗家を相続した徳川家達(いえさと)公爵の筆であり、「開国へ向けて差し込んだ明け方の光」という意味。碑の本文は、広辞苑の編者で知られる新村出(しんむらいづる)博士によります。ここに建つ碑は、3代目。もともと、大正7(1918)年、若松尋常小学校長の伊藤六三郎氏や若松村長の内山治右衛門氏などが発起人になって寄付を募り、若松小学校校門前に建設されました。しかし、碑は昭和9(1934)年の室戸台風で倒壊。千代崎海岸に2代目が再建されたものの、これも昭和34(1959)年の伊勢湾台風で上部が欠けてしまいます。3代目のこの碑は、昭和51(1976)年に建てられたもの。
前回来たときに見つけたのですが、鈴鹿市立若松小学校の校舎前に石像があります。そのとき最初は、二宮金次郎像かと思ったのですが、座った像です。これは、大黒屋光太夫の像でした。光太夫の石像の脇には、道標があります。他のところから移設されて保存されていると思われます。
小川神社。式内社。由緒は、大同4(809)年2月奉斎と古い棟札にあったそうです。また、天明6(1786)年までは春日社の相殿でした。明治44(1911)年、現在地に移転しています。明治40(1907)年、42(1909)年の2回にわたり村内の神社を合祀したため、相殿神は多数いらっしゃいます。主祭神は、弥都波能売神(みずはのめのかみ:水の神)。
小川神社の向かいにあるのが心海寺。真宗高田派のお寺。元禄16(1703)年に現在地より東に約300メートルの場所に創建されました。しかし地盤沈下などで本堂の床下まで浸水するようになり、明治23(1890)年にここに移転されています。大黒屋光太夫家と、光太夫と共にロシアから戻った磯吉の菩提寺です。磯吉(明和3(1766)~享保14(1729)年)は、大黒屋光太夫の神昌丸(しんしょうまる)の乗組員。前回来たときに大黒屋光太夫顕彰会の方から伺ったところ、磯吉の子孫の方は今もいらっしゃるそうです。
大黒屋光太夫記念館。10時から開館でしたので、先に小川神社と心海寺を見てきました。平成17(2005)年に開館。主な収蔵品は、光太夫が書いたロシア語の墨書やロシア使節の人相書、漂流記、古文書などです。現在、企画展「知っておどろき!大黒屋光太夫」が開催されていましたので、見てきました。入場は無料。この記念館の前にあるのが、開国曙光碑の初代の一部です。
宝祥寺。真宗高田派。ここは、光太夫とともに帰国した小市の菩提寺。光太夫と帰国できたのは、この小市と磯吉だけでした。しかし、小市は、根室に到着して約半年後の寛政5(1793)年4月2日に根室で亡くなってしまい、伊勢には戻れませんでした。この寺には、小市の供養碑があります。
大黒屋光太夫供養碑です。宝祥寺から200mほど南へ行った、千代崎漁港近くの住宅街の真ん中の墓地に大黒屋光太夫の供養碑があります。光太夫らが消息を絶った2年後(天明4(1784)年に、荷主である木綿問屋長谷川家(松阪の出身)によって建てられています。長谷川家(丹波屋)は、松阪の豪商のひとり。
金沢川を渡って、千代崎海水浴場近くに開国曙光碑(2代目)があります。昭和34(1959)年の伊勢湾台風で上部が欠けてしまったものが、これです。開国曙光碑は、光太夫の人生と同じように波瀾万丈と思います。ここからまた戻り、若松緑地方面へ。
若松緑地には、堤防に「漂流記壁画」があります。その名の通り、光太夫の漂流記を10枚の絵にしてあります。
堤防道路をさらに北上。スタートから6㎞半を過ぎたところに徳本上人御堂と若松漁港開港記念碑。徳本上人はひたすら「南無阿弥陀仏」を唱え全国を行脚し、庶民の苦難を救ったとされます。その徳本上人を祀るのがこの御堂。若松漁港は、昭和30(1955)年に漁港指定を受けています。
若松漁港の西に清水清三郎商店。知る人ぞ知るかも知れませんが、伊勢志摩サミットのときに提供された「作(ザク)」というお酒の蔵元です。まだ呑んだことはありません。例えばこちらで通販がありますが、それなりのお値段なのです。右の写真は、このあと訪ねた深田神社に奉納された作と鈴鹿川の薦樽。
清水清三郎商店の南西に西運寺。真宗高田派。ここはこれという情報は見つけられませんでした。その北に深田神社。式内社ですが、創建などは不詳。古代より鎮座していたと思われます。ご祭神は、豊宇迦能売命。外宮と同じご祭神です。
最後の立ち寄り先は弘善寺。真宗高田派。ここもネットでは、特に情報は出て来ませんでしたし、現地にも案内板はありません。
伊勢若松駅に戻ってきたのは、12時50分頃。途中で2回ほど休憩していますから、歩いたのは実質3時間余り。この駅周辺には飲食店がありませんので、今日の昼食は、ファミマで仕入れてきた弁当 。「おむすび&焼きそばセット」、¥390。おにぎり2個と焼きそばが少し。食べすぎはよくありません(微苦笑)。駅の待合室を借りて、ランチタイム。13時16分の名古屋行き急行に乗車して、桑名駅着は13時40分。¥530。
今日のGoogle Fitのデータ。12.1㎞で、21,560歩。自宅から桑名駅までの往復を含みます。マップ上、現地では8㎞ほどでしたが、実際には9㎞あまりを歩いてきたことになります。いつものように本編は、また明日以降書いていきます。
思ったほど雨は降らず、8時過ぎには雨雲は通り過ぎていきました。8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、歴史を語る公園、中橋、田町、三崎通と7.0㎞(ちょっと過大評価のような気がしますが)。途中、九華公園で霧雨に降られたものの、大したことはなく済みました。
揖斐川には、キンクロハジロが5羽ほど見えましたが、今日はカンムリカイツブリやサギの姿はありません。七里の渡し跡にも何もおらず、蟠龍櫓まで来て、イソヒヨドリのメスに遭遇。雨が上がったばかりで、まだ空も暗く、散歩する人はほとんどありません。
柿安コミュニティパーク西の堀には、オオバンが2羽。しばらく前に七里の渡し跡奥の堀にオオバンらしき鳥がいるのは見ていましたが、きちんと確認したのは今シーズン初めて。電柱にはユリカモメが1羽。
九華公園では、ヒヨドリやカラスたちが賑やかでしたが、小型野鳥はほとんどいません。本丸跡でカワラヒワを見たのと、外周遊歩道の東で、一瞬だけジョウビタキのオスを見たくらい。アオサギは、辰巳櫓跡にある松の木にいました。
カモは今日は極端に少なく、合計27羽。キンクロハジロは激減で、11羽。ハシビロガモは16羽。ヒドリガモは見当たりませんでした。
ユリカモメも少なく、15羽ほど。もう少しくらいは鳥がいるかと思ったのですが、案外でした。九華公園の外周遊歩道の南にある照明灯にアオサギが飛来。近づいて、この写真を撮ったら、再び飛んで、辰巳櫓跡にある松の木へ。上の写真のアオサギは、いったん北の方へ飛び去ったのですが、それがここに来たのかも知れません。
他の公園ではスズメ、ヒヨドリ、カワラヒワくらいしかいませんでしたので、今日も中橋へ。天気が良くないためか、ゴイサギもホシゴイも木の中に隠れていました。ゴイサギは3羽、ホシゴイが2羽。
拙宅マンション前まで戻ってきたら、ハクセキレイが1羽。いつものハクセキレイと思います。一昨日の授業のQ&Aは、昨晩のうちにチェックし、修正してメールで送りました。明日は、鈴鹿の若松あたりで大黒屋光太夫ゆかりの地ウォーキングを予定しています。天気はスッキリしないようですが、日中はほぼ曇りのようですから、予定通り出かけられるのではないかと期待しています。これで年内のウォーキング納め。
朝は4.2℃と冷えましたが、日中は15.0℃まで上がり、しかも風も弱く、暖かい日でした。いつものように7時半から散歩へ。コースはちょっと変えて、住吉神社、九華公園、中橋、歴史を語る公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と6.8㎞。
拙宅を出てすぐ、住吉入江のところでジョウビタキのオスに出会ったのですが、逆光で真っ黒の写真。その近くにはハクセキレイ。いつもこのあたりにいるハクセキレイです。
住吉水門のところにはアオサギ。逆光の位置でしたが、露出補正+2に加え、レタッチ。揖斐川には、カンムリカイツブリも3羽ほど浮いていました。
アオサギを撮っていたら、ヒドリガモが6羽ほどやって来て着水。
七里の渡し跡。朝、7時45分頃の写真ですが、晴れて日がよく当たって、このようにきれいに見えるのはあまり多くありません。
九華公園の奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオスが、何度も登場。ここにある古い彫像のうえにも止まりました(右の写真)。ちょっと珍しいシーン。
ほかに奥平屋敷跡へやって来たのは、ハクセキレイとカワラヒワ。ハクセキレイは1羽のみ。カワラヒワは、入れ替わり立ち替わりで延べ10羽以上。
ユリカモメは、22羽ほど。今日は、右の写真のように、「ユリカモメのお尻 6連発」写真が撮れました(微笑)。これまでのお尻写真でも、最多のお尻。
カモは今日は極端に少なく、合計41羽。キンクロハジロが26羽しかいませんでした。ハシビロガモは13羽とこれも少し少ない。ヒドリガモは1ペア。数が少ないのは、ちょっと気になります。
このあと思い立って中橋へ。掃除を担当している女性が、この間、中橋のところにゴイサギがいるといっていらしたのを思い出したのです。いました! ゴイサギが6羽にホシゴイが2羽。またときどき見に来なくてはなりません。このあと、内堀公園でもジョウビタキのオスに出会ったのですが、逃げられ、写真は撮れず。
ところで昨日の授業のQ&Aは、午後、一通り完成。いつものように寝かせ中。昨日は、対人ストレス尺度を実施しました。3つの下位尺度からなるもので、それぞれの質問項目数が異なりますので、得点可能範囲も違います(当然、平均値その他も異なります)。それなのに、自分の3つの下位尺度の得点をそのまま比較して、何が高い/低いというコメントがけっこうあり、ガックリしました。こういう場合には、偏差値を求めないと比較できません。そこで、今回の結果から偏差値を求める手順の説明と、ある学生さんの結果を借りて、具体例をつけました。
明日は午前中は雨という予報です。午後からは晴れ間もあるようですから、午後から散歩ですねぇ。この花は、乙女椿でしょうか??
水曜日ですので、江戸橋での授業日。気温は上がりそうでしたが、風が出てくるとかで、服装に迷ったものの、ジャケットにマフラーで出かけることに。自宅を出た頃は風も弱かったのですが、江戸橋駅で電車を降りたら、3~4m/sの風でちょっと寒く感じました。今日で12回目。講義は、これで残り3回。年内は来週まで。年始は、去年は仕事始めの1月4日からでしたが、今年は10日がスタート。
今日のテーマは、ストレスと人間関係。途中で、パソコンのマウス操作ができなくなって困りました。パワーポイントのファイルをQ&Aから今日の講義のものに切り替えるとき、マウスポインターが画面から消えてしまい、マウスも、トラックパッドも操作が効かなくなってしまったのです。パワポがないと講義ができないことはないのですが、不便です。しばらく印刷して配ったレジメによって話をしていて、パソコンのディスプレイをふと見たら、マウスポインターが再登場していて、それからは、無事に復活。いったい何だったのでしょう?
帰りにはいつものように、志登茂川へ。ちょうど12時過ぎが四日市港では干潮の時刻。左の写真は、上流方向。アオサギ、ダイサギのほか、カモやユリカモメが見えます。
ユリカモメの向こうにいるのは、ほとんどがカルガモのようでしたが、ここに写っていないところには、コガモもいました。
こちらは下流方向。こちらにもサギたちが見えていました。江戸橋駅に向かうには、この方向に歩くのですが、私が近づいていくと、サギたちは逃げてしまいましたが、アオサギとダイサギでした。
堤防にあがって休んでいたのは、すべてヒドリガモ。コンデジではなかなか上手く撮れませんが(液晶ビューでは、被写体に狙いをつけてズームするのが難しいのです)、ホシハジロもいました。ほかには、コガモ、キンクロハジロも少数。
さらに、今までも見ていたのですが、これこそコンデジでは撮れなかったのが、たぶんイソシギ。
このあと、津駅まで行って別所書店へ。文庫本2冊と新刊書1冊をゲット。もう1冊、文庫本を探したのですが、そのシリーズの文庫本は扱っていませんでした。
オマケ。江戸橋駅のホームの掲示板にありました。すでに12月2日からはじまっていますが、「酒蔵みてある記」。「酒蔵と史跡を訪ねるハイキング」というのがお気に入りのポイント。ただし、近いところはすべて行ったことがあり(2度、3度と訪ねたところもあります)、新しいところへと思うと、遠いのが難点。
雨は朝7時前には上がりました。午前中はほぼ曇っていたのですが、午後になって晴れ間も見えてきています。今日も暖かく、最高気温は19.5℃。なんだか調子が狂います。7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と6.6㎞。途中、貝塚公園で、霧雨に見舞われましたが、大したことはなし。
揖斐川には、キンクロハジロ40羽ほどと、カンムリカイツブリや、ユリカモメが浮いているのが見えました。川口水門のところ(七里の渡し跡の水門)で、ツグミ。七里の渡し跡を通り過ぎてふり返ったら、コガモのオスとメスが1羽ずつ来ていました。柿安コミュニティパークでは、今日もクスノキにユリカモメが来ていました。10羽ほど。
九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にアオサギ。奥平屋敷跡では、30分余り鳥待ちをしたものの、雨上がりのためもあってか、いつもよりまた鳥が少ない気がします。ヒヨドリもドバトもさほどやって来ません。二の丸跡では、モズ。ちょっと遠くて、木陰で暗かったので、証拠写真。
辰巳櫓跡にある松の木にも、アオサギ。社務所の裏にいたのとは、別のアオサギさんと思います。
ユリカモメは、今日は、19羽。カモは合計40羽。キンクロハジロは19羽。ひょっとしたら、揖斐川にいたキンクロハジロのかなりは、九華公園から来ている?? ハシビロガモは18羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽。
このあとは、ヒヨドリはあちこちにいたものの、それ以外には、貝塚公園でメジロ、内堀公園でカワラヒワ、老松公園でツグミを見たくらい。写真は、九華公園にいたハシビロガモのオス。
明日は、江戸橋での授業ですが、晴れるものの、最高気温は15℃と、今日に比べ4℃以上下がる予報。参りますねぇ。昼には授業を終えて帰ってきますから、まったくの冬装束をすると、帰りにはコートは邪魔になりそうです。
夜には雨となるようですが、晴れのち曇りでした。気温は、今日も18℃を超え、暖かいというか、散歩してくると多少汗ばむくらいでした。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町商店街と3時間コース。午後の歯科検診も含め、歩いたのは7.4㎞。
今シーズン初めて住吉水門の内側の住吉入江にカモがやって来ました。ヒドリガモのオスが1羽。護岸についた藻を食べていました。
その住吉水門の揖斐川の方には、アオサギさん。ただしまともに逆光の位置。露出補正をしないと左の写真のようにシルエットになりました。プラス2の補正で右のような写真。いろいろと試していますので、ご容赦を。しかし、シルエットであっても、アオサギというのは分かるものです。
揖斐川は静かで、あちこちにカンムリカイツブリの姿が見えました。10羽弱。カンムリカイツブリが見られると、何となく嬉しくなります。ほかにはキンクロハジロが数羽。
七里の渡し跡では、コガモのメスが4羽。休んでいたり、エサを探していたり。ここは川口水門の内側ですが、その水門の外の揖斐川には、オオバンの姿が2羽、見えました。しかし、ちょっと遠くて、暗かったので写真は見られたものではありません。
柿安コミュニティパークにはユリカモメが数羽飛来。ここにあるクスノキの実をついばみに来たり、電柱などで休んだりしています。右の写真では、先に電柱にいた個体が、あとからやって来たユリカモメに追い払われるところ。「先取り優先ルール」は成り立たないようで、見ていると、先にいた個体があとから来た個体にその場所を譲るようになっています。
九華公園に到着した途端にカワセミの鳴き声。ラッキーです。久しぶり。相撲場の近くにオスのカワセミがいました。
九華公園では今日もカラスが多く、ほかの鳥たちはあまり見られません。奥平屋敷跡では小1時間いたのですが、シジュウカラ数羽、カワラヒワ2羽、オスのジョウビタキ1羽を見たくらい。今日は、ヒヨドリ、ドバト、ムクドリもあまり来ませんでした。
アオサギさんは、今日も辰巳櫓跡の松の木の中にいました。最近はここにいることが多く、九華橋近くの木にはあまり行きません。
ユリカモメは、35羽。二の丸堀にユリカモメたちが降りているとき、数を数えようと堀端に立つとエサをもらえるかと思ってたくさんが殺到してくることがあります。かなり貪欲。
カモは、今日は合計65羽。キンクロハジロが44羽、ハシビロガモが21羽(ハシビロさんは、重複して数えたかも知れません)。ヒドリガモの姿はありませんでした。
ハシビロガモは、二の丸橋の南の袂にあるソメイヨシノの枝が水面に垂れたところでよく休んでいます。今日は、嘴を開いているところを見つけ、パチリ。右の写真を拡大してご覧いただくと、嘴にあるブラシのようなところがお分かりいただけます。ハシビロガモは、水面に嘴をつけて水ごと食物を吸い込み、この部分で食物だけを濾し取り水だけを吐き出して食餌を行います。
鎮国守国神社のドウダンツツジは、ようやく全体が紅葉してきました。深紅となり、見事です。今日は歯科検診でした。歯周病チェックとクリーニングをしてもらってきたのですが、「ブリッジを入れた下の歯の一部が少し動きます」と、恐ろしいことをいわれました(苦笑)。何度か書きましたが、「歯が抜けてだんだんジジイになる」というのは友人&主治医の名言ですが、まさにその道をまっしぐらかも。
ところで、今日、財団法人日本臨床心理士資格認定協会から資格更新の連絡が郵送されてきました。あれこれ考えたのですが、資格更新はしないこととしています。「老兵は死なず、単に消え去るのみ」(Old soldiers never die, they simply fade away)という心境なのです。このことばの出典は兵隊歌『Old Soldiers Never Die』のようで、イギリスやアメリカ合衆国の軍人によって19世紀頃から歌われたほか、ダグラス・マッカーサーが退任演説の際に引用したことでよく知られています(こちら)。 「戦争を戦い抜いた兵士も、時間と共に忘れ去られていく」、「兵士は老いながらも生き続けることはできるが、彼らが生きていることと彼らの成し遂げたものは忘れ去られていく」、転じて「役割を終えたものは表舞台を去る」といった意味に解釈されます。格好をつけているつもりはありませんが、いつまでもメンツにこだわって、他人様に思わぬご迷惑をおかけする前に身を引いた方が良いだろうと思うが故です。
今日の最高気温は、21.3℃でした。暖かいのはありがたいのですが、ここまで気温が上がると、いったいどうしたのか? とかえって心配になります。今朝も7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と5.4㎞。軽く汗ばみました。
住吉水門のところにアオサギさん。揖斐川を向いてなのか、太陽の方を向いてなのかよく分かりませんが、何をしているのか気になります。揖斐川には、漁船が出ていて、ほかに水鳥はいません。
七里の渡し跡には、コガモのメスが2羽とハクセキレイが1羽。ハクセキレイは、右の写真のように、岸壁にこびりついた藻のを食べているように見えました。柿安コミュニティパークでは、カワウ、ユリカモメが電柱にいたほか、堀にはキンクロハジロが2羽。
九華公園は、今日もカラスの天下。暴れ回ってはいませんでしたが、あちこちで賑やかにしたり、飛び回ったりしています。最近は、散歩コースのほかのところでもカラスが多い印象があります。メジロは、まったくの証拠写真ですが、今日もまた小型の野鳥がいなかったので、敢えて載せました。奥平屋敷跡は静かで、ヒヨドリもドバトも少ないくらい。二の丸跡にあるクスノキにはツグミがいたものの、どこかへ飛び去ってしまいました。
その代わりにというか、アオサギさんがいろいろと見せてくれました。アオサギは、私が奥平屋敷跡にいたとき南の方から飛んできて、九華橋近くの木に降りたのです。公園内を半周して見に行ったとき、ちょうどカラスがちょっかいをかけました。その時、ギャーッというような声を発し、たぶん怒ったというか、一喝したというか、そのシーンがこれです。「怒髪天を衝く」ようなイメージです。
怒りは時期に収まったようなのですが、緊張も緩んだのか、上の写真を撮って程なく、今度はこんなシーン。パッと見ただけではよく分からないと思いますが、お嫌でなければ、是非ともクリックして拡大してご確認ください。アオサギのお尻の下に、白いラインが見えています。そうなのです、排泄シーンがまともに撮れたのです(苦笑)。かなりの勢いで排泄しますので、ラインはほぼ直線。
これでこのアオサギさん、緊張も解消したのか、通常モードへ(爆)。今日は、このアオサギさんのお陰で、バードウォッチングが楽しめました。
ユリカモメは合計38羽と、やや多めでした。カモの方は、合計50羽ちょうど。キンクロハジロが38羽、ハシビロガモが19羽、ヒドリガモはオス2羽にメスが1羽。ユリカモメも、カモも、例年であれば、もっとたくさん来るようになる頃です。
貝塚公園では、ツグミの証拠写真。ツグミは11月に飛来した頃、かなりの数がいたと思うのですが、その後、なかなか見ません。地上に降りたところもほとんど見ていません。シメ、シロハラ、ビンズイなども、今のところ、ゼロ。暖かいせいでしょうか。
内堀公園でも、カワラヒワの証拠写真。カワラヒワも例年より少ないと思います。ヤマガラは9月に1回見ただけですし、エナガは最近はサッパリです。
今週は、明日午後歯科検診。ブリッジは入れてもらいましたので、検診とクリーニングのはず。水曜は、江戸橋での講義。土曜日には伊勢若松で大黒屋光太夫ゆかりの地ウォーキングを計画しています。白い花はサザンカと思います。右は、ドウダンツツジの紅葉。いずれも貝塚公園にて。
朝は5.2℃でしたが、日中は16℃まで上がり、今日も暖かくなっています。7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.4㎞。
諸戸氏庭園の前では、今日もハクセキレイが1羽。昨日見たのと同じ個体なのかも知れません。
風は弱く、揖斐川は静かでしたが、見られたのはカンムリカイツブリのみ。ちょっと遠かったので、写真は割愛。七里の渡し跡には、今日もコガモのオスが1羽にメスが3羽。
さらに、同じく七里の渡し跡にヒドリガモのオスが2羽。三の丸水門のところで、これまた今日もハクセキレイ。2羽が一緒にいました。
九華公園では、カラスの大群。ゴイサギらしき鳥を追いかけていたりなど、大暴れ。カラスがこんなに多いのは、今まで見たことがありません。カラスが多いので、小型野鳥が来ないのかと思いたくなります。奥平屋敷跡では、ジョウビタキのオス、カワラヒワ、ヒヨドリ、ドバト、メジロくらいでこれという鳥は来ません。近くには来ず、写真も上手く撮れません。辰巳櫓跡のところまで来たら、ジョウビタキのオスが2羽。すぐ近くにいました。左の写真はそのうちの1羽。
鎮国守国神社にお参りして出て来たら、そこにもジョウビタキのオスが1羽。
ユリカモメは、今日は、16羽。カモは、合計52羽。キンクロハジロが30羽、ハシビロガモが18羽、ヒドリガモはオス1羽にメス1羽。さらに今日は、ホシハジロのメス(右の写真)が1羽。今年は、ホシハジロは、オス・メスが一緒にいるところを見ません。謎のヒタキ、今日は見られませんでした。
貝塚公園に着いたとき、オスのモズが姿を現しました。公園内を回っていたら、ウグイスの姿が。2羽は同時にいるのを見て、さらに少し離れたところでもう1羽。ちょっと暗い、証拠写真。暖かいので、もっとたくさん鳥が出て来てくれると嬉しいのですが、そうそううまくはいきません。
夜は、マンションの管理組合の総会。昨年、理事長を務めた関係で、今年の理事会にはずっとオブザーバーで出席してきましたが、今日の総会で、それも終了。ようやく肩の荷がすっかり下ります。紅葉は、九華公園の朝日丸跡にて。
よく晴れて、風も弱く、最高気温は17.0℃にもなりました。暖かくていい日です。朝一番に家事を済ませ、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と6.4㎞。汗ばみました。
散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園の前でハクセキレイが1羽。このところ、ハクセキレイを良く見るようになってきています。また、わざわざ写真は撮っていませんが、2~3日前くらいからスズメが戻ってきている印象があります。
七里の渡し跡でヒドリガモのペア。ここにはコガモがよく来ているのですが、今日はいませんでした。また、今シーズンはまだ見ていませんが、冬にはオオバンが来ていることもよくあります。
柿安コミュニティパーク西の堀でもヒドリガモのペア。首を伸ばして、ダンスを踊るような動作を繰り返していました。求愛かなという気がします。近くには、コガモのオスが1羽、メスが2羽。
柿安コミュニティパークでは、グラウンドゴルフの準備が行われていましたが、隅の方にハクセキレイのペア。今日は、ハクセキレイによく出会います。
九華公園には8時40分頃に到着。今日もヒヨドリとカラスたちが賑やか。アオサギさんは、鎮国守国神社の社務所裏、やや南のセンダンの木の中にいました。枝かぶりになって、写真が撮りにくかったこと。
奥平屋敷跡の入り口で散歩&鳥見友だちのYさんと前管理人Oさんに遭遇。そのとき、奥平屋敷跡から二の丸跡にジョウビタキのオスに追われて逃げる鳥が見えました。先週日曜にも見た鳥と同じではないかという気がします(2023年12月3日:ユリカモメは、飛びながら首をひねっています)。ヒタキの仲間ではないかと思うのですが、どうでしょう? 明日も注意して探してみます。
今日も小型の野鳥は少なく、メジロ、カワラヒワ、ジョウビタキのオスをチラッと見たくらい。天気が良くて、鳥見日和なのに残念。カワラヒワは、朝日丸跡にて。
ユリカモメは、22羽。今日は、なかなか良いシーンには巡り会えませんでした。
カモは合計62羽。キンクロハジロが42羽、ハシビロガモが17羽、ヒドリガモがオス2羽にメス1羽。ホシハジロのオスは見当たりません。
このあと奥平屋敷跡に戻ったら、ハクセキレイのペアがいましたが、写真は撮れず。こちらのハクセキレイは、九華公園の外周遊歩道の南で見たもの。メスタイプもいました。
一昨日の授業のQ&Aは、昨晩チェック&修正を終え、夜のうちに助手の先生にメールで送って、印刷などをお願いしました。このところ、Q&A作成のペースが少し速くなり、金曜朝まで持ち越すことはなくなりました。良い傾向です(微笑)。
朝のうちは晴れて、風も弱く暖かかったのですが、昼前から雲も広がり、風が出てきました。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町と6.4㎞。
結論からいうと、野鳥、とくに小型の野鳥は、あまりいませんでした。まぁ、こういう日もあります。七里の渡し跡でコガモのオス1羽とメスが2羽。
柿安コミュニティパークあたりでユリカモメが数羽飛んでいたり、休んでいたり。ここにあるクスノキの実をついばんでいるものもいました。
九華公園でも野鳥は少なく、ちょっと残念。ヒヨドリとカラスはたくさんいて、賑やかにしていますが、それが良くないのかもと思ったりします。奥平屋敷跡では、ヒヨドリもドバトも少なく、それ以外にやって来たのは、ハクセキレイのペアのみ。ほかに見たのは、カワラヒワとツグミ。写真はうまくは撮れません。
アオサギさんは、今日も辰巳櫓跡にある松の木にいました。以前は、九華橋近くの樹上にいたアオサギのように思うのですが、確信は持てません。
ユリカモメは、今日は20数羽。珍しく、旧アヒル小屋の屋根でも休んでいました。飛んでいるシーンもあったのですが、タイミングがうまく合わず、今日は飛翔シーン撮影の練習はできず。
カモは、合計52羽。キンクロハジロが34羽、ハシビロガモが14羽、ヒドリガモはオス2羽にメス1羽、そしてホシハジロのオスが1羽。なかなか増えません。ほかにはスズメがいたくらい。ほかの公園でもヒヨドリやスズメ、メジロくらい。貝塚公園ではモズの鳴き声が聞こえたのですが、姿は見えず。
昨日の授業のQ&Aは、午後になって一通り完成。例によって例のごとく、現在は寝かせてあります。夜か、明日の早朝にチェックして、必要な修正を施し、完成予定。
11月25日に行ってきた「菰野ウォーキング」の本編その3です。その2では、札の辻・高札場跡、瑞龍寺から湧水池を見て、廣幡神社庄部御旅所、もう1つの湧水池まで見てきました。その3では、さらに水田地帯を歩いて智積養水の水源池である蟹池、二分八分、三十三限筒と2ヶ所、智積養水に関わるポイントを見て、ゴールに設定した近鉄湯の山線桜駅に向かいます。桜駅のところには、智積養水記念公園があります。左の画像が、実際にあるいたルートマップのその2。立ち寄り箇所は、蟹池のみで、退屈するかと思ったのですが、景色を楽しめました。
こちらは、カワセミを見た湧水池から蟹池に向かう途中の景色。左の写真は、進行方向とは逆側、鈴鹿山脈の様子。雪雲のような雲がかかって います。右は、進行方向。歩いているところは、菰野町ですが、四日市市にかなり近づいてきています。
途中、アオサギを2羽、見ましたし、トビも旋回していました。さらに、カラスよりやや小さい猛禽類も見かけました。歴史散歩の途中で、バードウォッチングも楽しめるという、渡しにとっては一石二鳥のコースです(微笑)。
こちらが蟹池。智積養水の水源地です。所在地は、菰野町大字神森字北森。縦5m、横7m、深さ5m、⾯積35平⽅メートルの⼩さい池ですが、湧水量は毎秒250リットルもあるそうです。蟹池という名前は、蟹のように年中ブツブツ泡をふいて⽔が湧き上がってくる様⼦に加えて、付近には川蟹がたくさん棲んでいたところから、蟹池と呼ばれるようになったといいます。智積養水は、ここから四日市市智積町まで、1,784mを流れています。ちなみに、「養水」と呼ばれたのは、人々の生活に密着した水だったため「用水」ではなく、人々を養う水として「養水」と呼ばれるようになったのです。名水百選に選ばれています。
ちなみに、智積養水の歴史は、こちらに詳しいのですが、何時の頃からか定かではないものの、智積村では、森村の「蟹池」の水をもらい受けるために、同池から智積村まで長い用水路を造って、村内の広大な水田を灌漑してきたといいます。文献で確認できるのは、『明治17年調伊勢国三重郡智積村地誌』に、「江戸時代の1711年(正徳元)、金渓川の川底の埋樋(うずめとい)「三十三間筒(さんじゅうさんげんどう)を伏せ替えた」と記されているのが最初だそうです。したがって、正徳元(1711)年に伏せ替える以前の智積用水の存在が明白です。歴史的考察によれば、その期限は、中世にまで遡ると考えられています。写真は2019年2月16日に撮影(2019年2月16日:20190216近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 銘酒『鈿女』伊藤酒造と智積養水をたずねて」(完))。四日市市智積町にある桜岡山西勝寺の前を流れる智積養水。
まずは、「二分八分(にぶはちぶ)」。最初は、どういう意味か分からなかったのですが、智積養⽔の「⼆分⼋分」の分⽔地点ということです。蟹池からは、516m下流のところ。ネットの地図をいろいろ調べたものの、ピンポイントで場所を特定するのは難しく、「菰野町神森。湯の⼭⽔産センター研究所(旧三重県⽔産技術センター跡)の直ぐ北側」としか分かりませんでした。 おおよその見当をつけて、あとは現地で見て判断しようということでやって来ました。左の写真は、南側から撮っていますが、この養水路のもっとも奥のあたりが、二分八分であろうと思われます。ここは、江⼾時代の頃から、たびたび「⽔争い」の争点となった場所で、「蟹池」からの流⽔が、この地点で「⼆分⼋分」の割で分流され、⼆分の流⽔は神森地区東⽅の⽔⽥を灌漑し、⼋分は智積養⽔路に流されたといいます。
次に「三十三限筒(さんじゅうさんげんどう)」。菰野町神森にある蟹池の湧水を、智積側に引いてくるには、金渓川(かんだにがわ)と天王川(てんのうがわ)がその行程の障害になります。そこで、考え出されたのが、金渓川と天王川の両川を横切る形で、川底に樋(とい)を埋設して貫通させ、川の北岸(神森)から、南岸(桜一色)へ水を送る土木工法です。つまり、二つ川はこの三十三間筒の上を交差する形で流れています。この埋設された樋の長さが三十三間(約59m)あるので、三十三間筒と呼ばれています。これらの写真は、南側(桜一色側)の様子。
北側(神森側)の吸水口も見に行こうと思ったのですが、左の写真のような藪で断念せざるを得ませんでした。右の写真は、金渓川の、三十三限筒が通っているところ。
これで今回の立ち寄り先は、ほぼコンプリート。最後に、桜駅前にある智積養水記念公園。智積養水の水が引かれたせせらぎを中心とした憩いの公園です。透明度が高く清々しい気持ちになります。公園内にはベンチや東屋もあり、水の景色と調和していて駅前とは思えない落ち着いた空間が広がっていました。ここに来たときが、13時10分頃。ちょうど四日市行きの電車が駅に入って来てしまいましたので、どこかで昼食を、ということになりました。
イタリアンのキャナリィ・ロウもあったのですが、大賑わいの様子。そこで、桜駅の北側にある韓丼四日市インター桜店へ。大正解(微笑)。「温玉カルビ丼(並み)」(¥720)をチョイス。体が冷えていましたので、暖まったのが何よりですし、美味しかったのです。
近鉄湯の山線・桜駅には13時40分着。13時45分に四日市行き普通があり、それに乗車。四日市には13時59分に到着し、14時10分発の名古屋行き急行に乗り換えて、桑名には14時22分に到着。¥510。
こちらはこの日のGoogle Fitのデータ。ほぼ13㎞を歩き、21,303歩。自宅から桑名駅までの往復も含みます。現地ではほぼ10㎞を歩いてきたことになります。
好天で、日中は17℃になりました。風も強くはありませんでした。絶好の散歩日和ですが、江戸橋での後期の講義、11回目です。前回は、出席率が今期最高となったのですが(97%)、今日は85%とやや低下。助手の先生とも話していたのですが、昨今の学生たちの出欠行動についてはよく分かりません。
今日のテーマは、「健康増進のコミュニケーション」。健康増進がメインではなく、ヘルスプロモーションや、ヘルスコミュニケーションに必要な概念、スキルについて。具体的には、動機づけ、自己効力感、ソーシャルサポート、説得的コミュニケーション。最後に、一般セルフ・エフィカシー(自己効力感)を測定する質問紙を実施。2~3回に1回くらい、質問紙や尺度を実施して、学生たちの自己理解に資するようなことをしています。
ところで、江戸橋駅から非常勤先までの通勤途上に、しばらく前から「一身田あんこ」というたい焼き屋さんがオープンしています(写真は11月1日に撮影)。リング焼きや焼き芋なども扱っています。家族から、たい焼きを買ってくるようにという指令があったのですが、残念ながらお休みでした。週末は必ず開店しているものの、そのほかは不定休のようです。また、今度、リベンジ。
志登茂川にも、いつも通り、寄り道したのですが、今日は、四日市港潮汐表では12時39分が満潮。ご覧のような状況で、川面に浮かんでいる水鳥はほとんどいませんでした。
しかし、右岸堤防の下を覗くと、ヒドリガモ、コガモ、オカヨシガモなどがあがって休んでいました。
オナガガモもいます。まあまあのメンバーが揃っていて、何となく嬉しくなります。
桑名駅を降りて自由通路を歩いていたら、こんなポスターが貼ってありました。桑名駅のイルミネーションに合わせて「花金横丁」なるイベントが行われるそうです。12月から来年2月まで、毎週金曜日の16時~21時に週替わりでキッチンカーなどがやってきて温かいものが食べられるとありました。最近、この時間帯に外出することは、ほとんどありませんが、気になります。
11月25日に行ってきた「菰野ウォーキング」の本編その2です。その1(2023年11月29日:20231125「菰野ウォーキング」(その1)……西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城隅櫓跡から菰野城跡へ)からずいぶん間が空いてしまいましたが、忘れていたわけではありません。暇ではあるものの、いろいろあったりするのです。その1では菰野駅をスタートし、西覚寺、見性寺、廣幡神社、旧横山家住宅、菰野城跡と見て回りました。その2では、札の辻・高札場跡から湧水池を1つ見て、廣幡神社御旅所、五郎兵衛地蔵、もう1つの湧水池と回って、智積養水の水源池である蟹池を目指します。
スタートから2㎞を過ぎると、札の辻に至ります。現在は、歯科医院などが建っている交差点がそれです。ここは、菰野道と巡見街道との交差点でした。ここには、代官所、問屋のほか、高札場もありました。ちなみに、ここから東には東町商店街があります。閉店しているところもありますが、書店、菓子屋さん、衣料品店などが頑張っています。昔は繁華街だったのでしょう。旅館をしていたところなどもあります。
東町商店街の一角にある長松山瑞龍寺。臨済宗妙心寺派ですが、もとは天台宗のお寺。ご本尊は薬師如来。菰野藩士たちの菩提寺でした。永禄11(168)年、信長の兵火により焼失し、正保年間(1644~47年)に宗貞和尚によって臨済宗のお寺として再建されています。元文5(1740)年に鐘楼が建立され、安永2(1773)年に本堂が新築されました。
こちらは、延命殿。お地蔵様がいらっしゃいます(2018年10月26日:20181012近鉄ハイキング「こもガク&大日本市菰野博覧会を楽しもう!」へ(その2)……道の駅・菰野で「早春」を購入、大日本市博覧会を見て、庄部御旅所から東町商店街を経て無事菰野駅)。地蔵は延命除災の功徳があるとあつい信仰を受け、菰野の町に昔から大きな火事が起きたことがないことも、この地蔵さんの加護があるからと信じられているそうです。8月24日には、地蔵盆が盛大に行われます。延命殿にいらっしゃるお地蔵様は、元は本堂に祀られていたご本尊だったそうです。それが、慶安年間(1648~52)に、川原町の河合松兵衛家からお薬師さんがこの寺へ移されご本尊に代わったため、地蔵さんは延命殿に収まったといいます。
この延命殿には、鏝絵がありました。前回来たときにもあったはずですが、まったく気づきませんでした。黄綬褒章を受章された、現代の名工である河合英喜氏作のものだそうです。
さらに瑞龍寺で目立ったのは、このイチョウの木。ネットで調べてみましたが、高さなどのデータは見つけられませんでした。しかし、大きくて立派。
瑞龍寺から巡見街道に戻って北へ。巡見街道は、江戸時代に幕府の巡見使の通った道のことです。県内の巡見道は、亀山市の東町で東海道から分かれ、現在の国道306号を縫うようにして北上しています。廣幡神社の庄部御旅所への途中に、右の写真のような湧水池があります。この日歩いたコース沿いには、何カ所もこのようなきれいな水が湧いている池がありました。
廣幡神社の庄部御旅所(庄部は、地名)。ここは、もとは菰野神社でしたが、明治40(1907)年に廣幡神社に合祀されています。前回来たときには、御旅所の拝殿(といっていいのか、分かりませんが)には、絵馬がたくさん奉納されていたのですが(こちらを参照)、この日は見当たりませんでした。この庄部御旅所はかなり広く、境内に相撲場や、大きな常夜灯があります。常夜灯は、天保12(1841)年、安政5(1858)年という年号が刻まれていました。
廣幡神社の庄部御旅所からは東に向かいます。菰野中学校、菰野高校の南側を東に進みますが、菰野高校のところにちょっとしたイチョウ並木があり、きれいでした。菰野高校は、野球の強豪校。この日も生徒たちが練習していました。 野球部からは多数のプロ野球選手が出ており、現役では中日ドラゴンズの岡林勇希選手が有名。
菰野高校の南にある南部公民館のところに五郎兵衛地蔵があります。昔、五郎兵衛という男がおり、お地蔵様の前の石がみんなの邪魔になると思って動かしたところ、その後、五郎兵衛が困難に直面したとき、お地蔵さまは五郎兵衛を助けてくれたということです。これに因んでお地蔵様は、「五郎兵衛地蔵」と呼ばれ、大事にされてきていま。お地蔵様は、堤防にあったものを明治10(1877)年2月、ここにお堂を建てたそうです。
お地蔵様に向かって右手前に布がかけられた石があります。前回来たとき「重軽石がある」という掲示がありましたが、確かめてきませんでした。この日は、失礼して布を持ち上げたら、このような石が置かれていました。
五郎兵衛地蔵の南に「地蔵池」があります。正式には「上池(かみいけ)」だそうですが、五郎兵衛地蔵の近くにあることから、地蔵池と呼ばれています。常に池底から水が湧いているのが見えます。コイ、カワムツ、アブラハヤがいるといいます。
ここ五郎兵衛地蔵までは、以前、近鉄ハイキングで訪ねたところばかりでしたが、この先は私にとって未知の領域(大げさな!)。田園地帯に民家が点在するところを歩いていきます。水の流れは豊富にあり 退屈しません。
4㎞地点にも湧水池があります。それぞれの湧水池には、名前があるのかも知れませんが、地図には表示されてはいません。この湧水池は、かなり広く、ベンチも置かれています。
この湧水池の手前で、カワセミを見つけました。思わぬご褒美という感じ。 その2は、ここまで。その3ではさらに田園をあるいて智積養水の水源池である蟹池を目指します。
曇って寒い日になっています。寒い地方にお住まいの方からは笑われるでしょうが、底冷えがする感じです。最高気温は、8.9℃。今シーズンもっとも低いと思います。今朝も7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町、寺町と7.7㎞を歩いたことになっていますが、Google Fitが過大評価している気がします。
住吉水門のところにアオサギがいました。その近くの揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽。ほかにコガモのメスも2羽みえました。少し前には、キンクロハジロがいたのですが、このところは見なくなっています。
九華公園は、今日は静かでした。相撲場あたりにツグミが5~6羽。樹上に集まっていましたが、曇天で暗い写真でしたから、割愛。奥平屋敷跡では、今日は、ヒヨドリもドバトもほとんどいません。アオサギは、今日も辰巳櫓跡にある松の木にいます。本丸跡でモズの鳴き声がしていたのですが、姿は見つけられませんでした。ハクセキレイが1ペア。メスの方は、脚が悪いので、いつも奥平屋敷跡に来るペアです。
鎮国守国神社の境内でメジロ。野球場の南の遊歩道で、ハクセキレイ。今日は、小型野鳥が本当に少ない。
九華公園の外周遊歩道の南で、ジョウビタキのオス。曇っていて今ひとつきれいに撮れないのは、残念。
カモ、今日は合計51羽。ホシハジロのオス1羽が、久しぶりに登場しました。ヒドリガモは1ペアが復活。キンクロハジロは33羽、ハシビロガモは15羽。カモの数は、なかなか増えません。
ユリカモメは、確認した限りでは25羽。散歩友達のYさんは、40羽くらいいたとおっしゃっていました。ユリカモメも、例年であればそろそろもっと増える頃です。
ところで南魚町では、仏眼院に立ち寄ってきました。というのも、昨日の郷土史講座で、ここの墓地に村正の墓と考えられる墓石があると聞き、確かめようと思ったのです。といいますか、以前、伊藤武左衛門親子の墓を見に来た時「千子宗入禅定門」と刻まれた墓石が、無縁墓を集めたところにあったような記憶がありました。と思って調べたら、3年前の8月にすでにブログに写真を載せていました(2020年08月15日:寺町寺めぐりの続き)。記憶があるはず(苦笑)。墓には「承応4年(1655)正月16日」と没日が刻まれていますが、何代目の村正に当るのかは不明です。リンク先の記事に伊藤武左衛門親子の墓についても書いてあります。仏眼院は、天台宗の寺院。山号は寳興山(ほうこうざん)。創建については不詳ですが、最澄の創建と伝わり、古くは東方にあったといいます。江戸時代に桑名宗社(春日神社)の神宮寺となっていました。刀工千子村正の菩提寺であったとする説もあります。
明日は、江戸橋での講義日。11回目。12月の出講は、明日を含め3回です。晴れ時々曇りで、最高気温は17℃という予報。陽が当たって暖かくなるのは嬉しいのですが、この寒暖差には気をつけないといけません。
今朝の最低気温は、2.1℃と今シーズン最低。名古屋でも同じで、名古屋では初氷が観測されたそうです。日中は14℃まで上がり、日向では暖かく過ごせました。7時半から、いつも通り、散歩へ。「寒いからやめたら」という声を振り切って、でした。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と回って、6.8㎞ほど。出がけに藤原岳を見たら、頂上附近には雪が積もっているのが見えました。
今日のハイライトはこちら。「今日の」と書きましたが、これだけクリアに撮れたのはほぼ初めて。九華公園の辰巳櫓跡近くの柳の木に出て来たウグイス。近くのツツジの植え込みからもう1羽の鳴き声が聞こえていました。「寒いからやめたら」という声を振り切って出て来た甲斐があるということです。
諸戸氏庭園の前でハクセキレイが1羽。このあたりには時々ハクセキレイが来ています。揖斐川には、カンムリカイツブリが合計5羽。今日は、カモの姿は見えませんし、サギもいません。
七里の渡し跡では、コガモのメスが2羽。今日は、あちこちで2~3羽ずつ、スズメがいるのを見ます。
九華公園に着いて、相撲場あたりでツグミが4~5羽いたのですが、上手く撮れず、証拠写真。明るいところにも出て来たのですが、すぐに移動してしまったのです。
奥平屋敷跡では30分余り粘ったのですが、写真が撮れたのは、ハクセキレイだけ。モズのオスが来たのですが、逆光の位置でしたから、回り込もうと思ったら、逃げられました(苦笑)。ほかにはヒヨドリとドバト、カラスくらい。昨日見た「謎のヒタキ」らしき鳥は、今日はまったく見られませんでした。
アオサギは、辰巳櫓跡にある松の木にいました。以前は、九華橋近くの樹上に来ていたアオサギではないかと思います。その九華橋近くの木は、落葉樹で葉がほぼ落ちてしまい、居心地が悪いのでしょう。 朝日丸跡では、10羽弱、カワラヒワが集まっていました。松の実から種を取って食べています。
ユリカモメは、今日は、21羽。野球場のフェンスにいたり、二の丸橋の欄干に並んだりしています。エサがもらえないかと思っているような気がします。
こちらのハクセキレイは、吉之丸堀にある浮御堂の屋根で身繕い中でした。このあと、ウグイスに遭遇しましたが、同じ柳の木にシジュウカラも来ていましたが、今日はウグイスに集中。本丸跡ではジョウビタキのオスが目の前を横切ったものの、ツツジの植え込みに入ってしまい、出てこず。柿安本社の駐車場脇の木に小型の猛禽類らしき鳥がいたのですが、カメラを向けた途端に逃げられました。ハシボソガラスよりやや小さい印象でした。惜しいことをしました(苦笑)。貝塚公園、内堀公園では、ヒヨドリくらい。
午後からは、今年度最後の市民大学郷土史学科の講座へ。今年度のテーマは「史跡・名勝・伝説に見る桑名」でしたが、今日は、歴史上の人物にまつわる話と、水と火にまつわる遺跡という内容でした。知っていることもあったのですが、より詳しいことを聞けたり、江戸時代末の文政年間まで、火の見櫓があったか資料では確認できないという、私には新しい知見があったりで、興味をもって聴講してきました。
7回すべての講座に出席しましたので、今年度も「修了証書」をいただいてきました。ぜひ受講者の氏名を入れてほしいと思うのですが、それは今回もかなわず(令和元年度までは、名前を入れたものをいただけたのです)。
今朝は、3.3℃とかなり冷えました。たぶん今シーズンの最低と思います。日中は13℃を超えましたが、季節風も強くなっています。今日も7時半から散歩へ。この時間帯は、風は弱く、陽が当たるところではさほど寒くは感じませんでした。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町、寺町と、たぶん6㎞前後(たぶんというのは、Google Fitでは9㎞以上歩いたことになっているのですが、このコースでは、それはほぼあり得ないのです)。
住吉神社の前でハクセキレイ。さらにその先の揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽。今日は、赤須賀漁港の出漁日ですので、漁船が出ており、水鳥はほとんどいませんでした。
この季節、余り小型の野鳥は見かけません。今日も、スズメを少し見たくらいで、柿安コミュニティパークへ。ここで、いつものカワウが、いつもの電柱の上にいました。照明灯の上には、ユリカモメ。ほかにあたりを飛んでいるユリカモメもいました。
九華公園の北門に着く直前、公園からコサギが飛んできて、コミュニティパーク西の堀におりましたので、Uターン。写真に収めてきました。
九華公園に着いて、鎮国守国神社の社務所裏を確認していたら、カワセミの鳴き声。いったん社務所の裏の植え込みの中に入ったのですが、待っていたら、出て来ました。しかし、日陰になった、堀の対岸で余りきれいな写真は撮れません。相撲場近くの樹上にカワラヒワ。
奥平屋敷跡では、ヒヨドリ、ドバトが少しいたくらいでしたが、ここをゆっくりと回って野鳥を探していたら、ジョウビタキのオス。この写真も日陰で撮りましたので、分かりにくいのですが、クスノキの実か何かをくわえていました。
さらに二の丸跡へ行こうとしたら、見慣れない鳥を見つけました。木の中に入っていたり、堀のそばで水浴びをしていたりでなかなか写真が撮れません。そのうちに散歩する人が来て、逃げられ、見失ってしまいました。ヒタキの仲間のように思えますし、ずっと以前見た珍しいヒタキかもしれないと思ったりしています。
本丸跡ではハクセキレイ。ほかにカワラヒワが10羽ほどいたのですが、その写真は上手く撮れませんでした。カモは、合計55羽。ただし、ヒドリガモはおらず、キンクロハジロが36羽に、ハシビロガモが19羽でした。ハシビロガモは毎日ほぼ一定数いますが、キンクロハジロの数はかなり変動します。
ユリカモメは、40羽ほどが来ていました。今日もまた、飛翔シーンを撮る練習をしていたのですが、なかなか上達せず。それなりの写真が撮れる「歩留率」を上げたいと思っています。
たくさん撮った中に、こんなシーンが写っていました。ユリカモメが飛びながら、首を左右にひねっていたのです。何枚かこういうシーンがありましたので、2~3回、首をひねったものと思われます。
ところで、散歩途中、あちこちでJRさわやかウォーキングのコースを示す掲示がありました。今日は桑名駅スタート&ゴールで「徳川四天王 本多忠勝が統治した桑名をめぐる!」というウォーキングが行われたのです。「どこ行く家康」シリーズの1つで、桑名駅をスタートし、浄土寺(本多忠勝の墓所)、六華苑、七里の渡し跡、本多忠勝像、九華公園(桑名城跡)、春日神社を経て桑名駅まで、約5.5㎞というコース。勝手知ったるところばかりですから、参加はしておりません。
今週は、明日午後、市民大学郷土史学科の講座。今年度は明日で終了。水曜日には江戸橋での後期の講義11回目。土曜日夜は、マンションの管理組合総会。去年は理事長でしたから、緊張して臨みましたが、今年は、一組合員の立場で、気は楽。
最低気温は5.4℃、最高気温が11.6℃と寒くなっています。朝のうちは風は弱かったのですが、日中は、最大5.4m/s。今日は、久しぶりに弥富の三ツ又池公園と長良川河口堰へプチ遠征。7時半出発で、歩いたのは合計6.3㎞。
三ツ又池公園に来たのは、6月18日以来(2023年6月18日:長良川河口堰でセッカ、鳥図鑑+1)。このときは、カイツブリのヒナを見に行ったのです。今日は、ミコアイサ(パンダガモ)が来ていないか、確認したかったのですが、残念ながら、その姿はありませんでした。代わりにここの主役であるカイツブリは、10羽以上いました。
ミコアイサはいなかったのですが、カワセミには遭遇。ちょっと遠かったのですが、それなりに撮れました。メスのカワセミ。さらに、マガモのカップルも1組。オスの頭の緑色がきれいです。
冬にここに結構たくさん来ているのが、カンムリカイツブリ。10羽以上確認できました。右の写真のカンムリカイツブリは、私の目の前に浮かんできて、私を見つけ驚いたところ。
5羽ほどしか見られませんでしたが、カルガモもいましたし、ハクセキレイも遊歩道のあちこちで見られました。
カモはといえば、ハシビロガモは1羽のみ(写真は撮れていません)で、コガモが合わせて30羽ほど。ほかの種類のカモは、見られませんでした。さらに、北側の水田にある電柱にトビを見つけました。
1時間ほど滞在して、長良川河口堰へ移動。9時頃から40分ほどここにいました。
もっとサギたちがいるかと思ったのですが、かなり少なめ。東側の魚道では、下流側にコサギが1羽いたくらい。上流側も、下流側も遠くにアオサギが1羽ずつ見えたのみ。
カモは、管理橋中央あたりの下流側に集まっていました。全体像は、左の写真のとおり。数えようというモチベーションは湧いてきませんでした。大半はキンクロハジロでしたが、ホシハジロも混じっています。
カルガモはあちこちに小グループで点在。合計では50羽以上。カンムリカイツブリは、上流側に多かったのですが、下流側にも数羽いました。15羽ほど。
河口堰の西側でもサギは少なく、ちょっと残念。左の写真は、上流側の魚道のところにいたアオサギ。カメラを向けた途端に逃げの体勢。親水広場では、ホオジロのオス。
アユの孵化試験をする水路では、ハクセキレイ2羽とセグロセキレイ。セグロセキレイは遠くて、証拠写真以下の写真で割愛。
このあと、六華苑方面へ。先日の「ご近所イチョウ巡りツアー」の締めくくり(2023年11月30日:ご近所イチョウ巡りツアー)。入苑はせず、向かい側の駐車場から写真だけを撮ってきました。
朝のうちは季節風も弱く、散歩中は昨日ほど寒くは感じませんでした。朝7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.2㎞。
今日は揖斐川に赤須賀漁港の漁船が出ていましたので、水鳥はほとんどいませんでしたが、住吉神社の前にはキンクロハジロ7羽と、カンムリカイツブリ1羽がいました。さらに住吉水門のところには、若いアオサギさんが1羽。
柿安コミュニティパーク西の堀には、今日もコガモたち7羽。堀に浮いてお休み中。いつもの電柱には、カワウさん。たぶんいつもここにいるカワウと思いますが、勝手な推測。
九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にコサギ。掘りに降りていたのですが、私に気づいて、ここに逃げたのです。今頃の季節になると、コサギがやって来ます。アオサギは、神戸櫓跡の木の上にいました。
奥平屋敷跡では、今日はヒヨドリ、ドバトが少なく、静か。しかし、今日はジョウビタキのオスがやって来ました。ほかにはカワラヒワも何度か来たものの、写真には撮れず。
奥平屋敷跡から二の丸跡に行く橋から、鎮国守国神社の社務所裏にダイサギもいるのが見えました。ダイサギは、コサギとトラブって、飛び立ち、われわれの頭上を南の方へ去って行きました。なかなかいい感じで撮れました。ダイサギも冬場に九華公園ではよく見る気がします。
本丸跡の柳の木にはシジュウカラが3羽ほど。ちょっとイマイチの写真ですが、せっかくですから載せておきます。
九華橋から、また鎮国守国神社の社務所裏を見ますと、コサギが2羽。このうち1羽は、九華公園に来たときにいたものかと思います。同じ木の高いところと、低いところとにいたのです。
ユリカモメは、今日は28羽。今日は、揖斐川から堀に水を入れていましたので、その導水口のあたりでエサを採っている様子も見られました。右の写真は、野球場のフェンスを支えている支柱で、先にここに止まっていたユリカモメをあとから来たユリカモメが追い払うところ。こういうシーンは、よく見ます。
カモは、今日は合計71羽と多くなっています。キンクロハジロが49羽、ハシビロガモが19羽、ヒドリガモはオスが2羽にメスが1羽。今日は、珍しいシーンが撮れました。この写真は、ハシビロガモのオスが口を開けたところのクローズアップ。嘴にブラシのようなものがはっきりと見えます。これは、エサを採るためのもの。水を吸い込んで、ここでプランクトンなどを漉し採るのです。
九華公園から貝塚公園に行く途中、はあぶ工房の作業所があります。ハーブを育てている畑があるのですが、そこに無人販売所もあります。先日、楊貴妃メダカを買えなかったのがここ(2023年11月28日:久しぶりの「柿ジロウ」)。今日は、「メダカ販売中」という幟旗が出ていて、小躍り。普通のメダカとともに、欲しかった楊貴妃メダカもありました。4匹で¥500なりで、早速お買い上げ(微笑)。メダカを持っていましたので、貝塚公園は前を通過し、内堀公園に少し立ち寄って、帰宅の途へ。
ところで、早いもので、今日から12月。今年も残すところ1ヶ月となりました。これまでに何度も書いていますが、年を取ってからは、本当に月日が経つのが速くなった気がします。散歩コースの紅葉は、ほぼ終盤と書きました。左の写真は、九華公園の奥平屋敷跡にて。右は、鎮国守国神社にあるドウダンツツジ。かなり色づいてきました。まだもう少しだけは楽しめそうです。
今週の授業のQ&Aは、昨晩チェックを終え、助手の先生にメールで送って、印刷をお願いしました。今回の授業は、ネット社会の人間関係というテーマでした。学生諸君の関心も高かったのですが、SNSなどの匿名性は、利用者からはそのように見えるものの、プロバイダーなどの管理者が記録をきちんと分析すると、発信者はほぼ特定されるということはほとんどが知らなかったようです。また、何事にもメリット/デメリットが伴うものですが、ネットやSNSについては、どちらか一面しか見えていない学生も多かったようです。折に触れてこのことは強調して来たのですが、なかなか実感できなかったのでしょう。似たようなコメント、感想が多かったため、私からのコメントも同じようなものが頻出(苦笑)。
小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)
和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)
彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)
石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)
養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)
宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)
森永 卓郎: 書いてはいけない
他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)
立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)
諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)
松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)
文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)
石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)
柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)
内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)
本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)
BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)
磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)
保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)
佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)
養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)
佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)
安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)
大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。
私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。
ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。
この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)
磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)
多井 学: 大学教授こそこそ日記
文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)
宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)
関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)
安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)
石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)
千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)
唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)
堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)
奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)
國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)
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