20231028名古屋ウォーキング(その2)……愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から四間道、円頓寺商店街、円頓寺本町商店街へ(完)
10月28日に行ってきた勝手にハイキングシリーズ「名古屋ウォーキング」の本編その2です。その1では、JR名古屋駅をスタートし、白山神社、名古屋東照宮、那古野神社、愛知県護国神社と回りました。その2では、愛知県議員会館、名古屋市市政資料館から名古屋城の南を歩いて、四間道と円頓寺商店街へ向かいます。ルートマップはその2になります。
愛知県護国神社からは三之丸にある官庁街の南、外堀通りを東に向かいます。こちらは大津橋。名古屋城三の丸のお堀と大津通りの交点にかかっています。大津通は、県庁や市役所のある官庁街から南、栄、大須、金山に向かう名古屋の南北の目抜き通りの一つです。欄干にあるベイス(飾り花瓶)と球形電球が4本ある照明がレトロ感を出しています。 昭和8(1933)年に完成。
市政資料館南の交差点を左折して、北へ。愛知県議員会館があります。標札は「愛知縣議員会館」。元々は名古屋市長も務めた弁護士・大喜多寅之助(慶応2(1866)~昭和36(1961)年)の自邸兼事務所でした。東京帝国大学法科大学を明治25(1892)年に卒業後、名古屋市で弁護士事務所を開業し、その後、名古屋市会議員、同参事会員、名古屋市会議長に選出され、大正10(1921)年には名古屋市長に就任しています。大正9(1920)年に建てられた邸宅は、木造平屋建の洋館と木造二階建の日本家屋、土蔵で構成されていて、名古屋市の中心街に残る数少ない戦前の邸宅建築です。こういう建物、邸宅は是非とも内部を見てみたいものです。
続いて、名古屋市市政資料館。このブログではすでに何度も取り上げています。大正11(1922)年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、昭和54(1979)年まで裁判所として使用されました。昭和59(1984)年5月、国の重要文化財に指定されました。詳しい紹介は、「2016年10月06日:支援員講座のあと、名古屋市市政資料館へ……旧・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所」にあります。
こちらは、地下にある留置場。ステンドグラスは、もちろんきれいなので気に入っているのですが、留置場も何故だか、気になるのです。当然、こういうところに収容されたような経験はありませんし、これから先もないことを痛切に願っています(苦笑)。ナオ、留置場についての詳しい記事は、「2018年03月11日:ウィルあいちで支援員養成講座の講師……終わって市政資料館で留置場を見て、名古屋ウィメンズマラソンにも遭遇」をご覧ください。市政資料館の前庭で小休止。
いささか余談。名古屋市市政資料館の北に名古屋拘置所があります。この建物を見ると、何となく緊張を感じます。ここに収容されている受刑者は、刑が確定し、移送先の刑務所が決定するまでの間、居室内で紙加工等短期間でも技能習得可能な軽作業を行っているそうです。昭和13(1938)年5月に竣工し、同年7月2日に開所式・落成式が行われました。昭和20(1945)年に戦災で一部が焼失したものの、昭和23(1948)年に復旧。その後、全面改築工事が行われ、昭和58(1983)年(昭和58年)3月に竣工。外塀のない高層都市型矯正施設は日本初といいます。私の最初の職場であった国立療養所を管轄していた当時の厚生省東海北陸地方医務局が確か、このすぐ近くにあったのです。
市役所交差点まで来ると、名古屋市役所と愛知県庁とが見えます。私の2番目の職場は、「親方丸八(名古屋市のマークが○に漢数字の『八』なのです)」でしたが、用事がありませんでしたので、市役所の本庁舎には行ったことはありません。どちらも帝冠様式という建て方の建物です。帝冠様式(ていかんようしき)は、昭和10年前後(1930年代)の日本で流行した和洋折衷の建築様式です。鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根を冠しています。愛知県庁は、屋根の葺き替え工事が行われています。
出来町通(県道215号線)を西へ。国道22号との交差点・三之丸一丁目で左折して南へ。新御園橋交差点を右折、すぐに景雲橋を左折して、五条橋を渡ります。慶長年間の「清洲越し」で、清洲の五条川にあった木造の橋をそのまま名古屋に移したため、名称ももとのままになっています。昭和13(1938)年に木造の橋に似せたデザインで架け替えられました。ここを渡ると、四間道や円頓寺商店街になります。
まずは、四間道(しけみち)へ。堀川の西側にあり、江戸時代の初め慶長15(1610)年、名古屋城築城とともに始まった清須越にともなってつくられた商人町です。四間道は、元禄13(1700)年の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。四間道は、療養していた頃に一度来たことがあります(2010年12月14日:名古屋、四間道を散歩)。町の外観はあまり変わっていませんが、新しいカフェ、レストランなどがたくさんできていて、その意味では様相は一変していました。
ここで見てきたのは、屋根神様と、子守地蔵尊。この屋根神様は、津島神社、秋葉神社、熱田神宮を祭神としています。屋根神は名古屋独特だそうで、疫病や火災などから身を守るために創られたということです。長屋住まいが多く、社殿が建てられないために工夫されたものだそうです。
子守地蔵尊は、路地の突き当たりに祭られていて、風情があります。この子守地蔵尊は、約150年前に井戸を掘っていた際に発見された約30センチのお地蔵様を祀っています。お地蔵様はさらにその150年も前に作られたもので、洪水の際に流れて埋もれたと推測されているそうです。お地蔵様が掘り出して祀ってほしいという意志が、掘り出させたと信じられており、1895年から祀られているそうです。
四間道から円頓寺商店街に戻る途中で真宗高田派愛知別院。正保4(1647)年、専稱院義起玄怒によって尾張国皆戸町(現在の中区丸の内付近)に臨光山信行院として創建されました。明暦3(1657)年、元は東本願寺の末寺で、前年に高田派へ転じた順正寺を合併して現在地に移転しています。ご本尊は恵心僧都作と伝えられています。山門が倒壊する危険性があると書かれていました。
いよいよ円頓寺商店街へ。愛知別院から円頓寺商店街に入るところの角にスペイン料理屋Bar Dufiという店があり、大賑わいでした。時刻も12時20分頃で、「これだけ賑わっているなら、美味しいのかもしれない」ということで急遽、ここで昼食を摂ることに。これが大正解。私は、ローストビーフ丼を選びました。とても美味しかったのい、¥880。みそ汁もついています。スペイン料理屋でなぜローストビーフ丼かという疑問があるかも知れませんが、ランチメニューの1つ。
ランチを済ませ、円頓寺商店街をブラブラ。こちらは、金刀比羅神社。名古屋弁みくじで有名です(2018年10月31日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)。今日は女性で大賑わいでしたので、おみくじは引いてきませんでした。リンク先の記事にここでおみくじを引いた話があります。右の写真は、そのときに引いた名古屋弁みくじ。これを読んでいたら、河村たかし名古屋市長に何かいわれているような感じがしたのを思い出します。
金刀比羅神社の目と鼻の先に、長久山円頓寺。円頓寺商店街は、このお寺の門前町が発展したもの。円頓寺は、承応3(1654)年に、普敬院日言上人によって開創された日蓮宗のお寺。当初は、普敬院と称したものが、円頓寺に改められました。ちなみに、お寺の名前は「えんどんじ」と読むようですが、商店街は「えんどうじしょうてんがい」。
円頓寺にも色々なものがありますが、それは以前訪ねたときの記事(2018年10月31日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)をご覧ください。お寺の北西で巨大・高級マンションの工事が行われていました。極めて現代風の景色となりそうです。
名古屋市道江川線を越えた先は、円頓寺本町商店街。円頓寺商店街と同じく、昭和レトロの雰囲気がたっぷり。江川線の交差点の4隅に三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)と水戸黄門のモニュメント像がありますが(2018年10月31日:20181027JRさわやかウォーキング「来てちょ~だゃ~名古屋の産業をめぐって 秀吉生誕の地 中村へ!!」へ(その2)……円頓寺商店街を歩く)、今回は割愛。リンク先をご覧ください。
円頓寺本町商店街の一角には、多賀社があります。御祭神は、伊邪那岐、伊邪那美の2神。由来書によれば、明治中期、多賀大社から分祀したとあります。現在の社殿は、昭和32(1957)年に改修したもの。これで目的地は、ほぼコンプリート。名古屋駅に向かいます。
が、余談を2つ(苦笑)。円頓寺本町商店街にある店で、例のものを見つけました。お食事処・富士の店先に、あのKingの飲料水自販機。こんなところで目にするとは、想定外でした。ちなみに、四日市や津、伊勢では見たことがありますが、桑名では未発見。
もう1つは、飲み屋さん。 円頓寺商店街、円頓寺本町商店街とも飲食店は多数あります。ここは「立呑み お酒の神様」という名前。よほどお参りしていこうかと思ったくらいのネーミング。すでに営業しており、お客さんも二人。立ち呑みしていらっしゃるんでしょうか。気になりつつ名古屋駅に向かったのです。
JR名古屋駅に行く途中で名古屋市消防局特殊消防隊とある建物。いわゆる「ハイパーレスキューNAGOYA」の庁舎でした。第一方面隊から第五方面隊まで5つの部隊が設置され、それぞれ異なる災害への装備・任務が与えられているそうで、ここ第二方面隊は、低所災害と地下災害に対応するのが役割だそうです。
JR名古屋駅には、13時半近くに戻ってきました。13時37分の快速みえ11号・鳥羽行きに乗れました。桑名には、13時59分着。¥350。さすがに速いのです。快速でも、自由席であれば、普通運賃のみで乗車できるのが嬉しい。Google Fitのデータでは、歩いたのは13.46㎞、21,508歩。
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