20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」
7月15日の伊勢河崎ウォーキング本編その3です。その2では、河崎の町にある河邊七種神社、伊勢河崎商人館、そして、川の駅・河崎を回り、勢田川沿いを下って二軒茶屋まで歩きました。その3では、二軒茶屋から旧三重交通神都線の線路跡をたどって倉田山公園に向かいます。ここにある野口みずき金メダルロード顕彰碑と、沢村栄治投手&西村幸生投手の胸像を見て、松尾観音寺、倭姫宮をたどっていきます。
二軒茶屋から倉田山公園に向かう途中、再びJR参宮線をくぐります。その1にも書きましたが、このあたりは旧三重交通神都線の跡です。などということを思い出しながら県道22号線を越え、倉田山公園入り口の信号から、さあ坂を登ろうと思ったら、タイミングよく神都バスが来ました。三重交通が運用しています。神都線の路面電車が、第62回式年遷宮(平成25(2013)年)に合わせて、路面電車型バスとなって生まれ変わったものです。
倉田山公園には11時45分頃到着。それまではほぼ平地を歩いていたのですが、10数mまで登ってきました。ここにはダイムスタジアム伊勢という野球場があり、この日は甲子園の三重県予選が行われていました。我々がここに着いた時には、宇治山田商業対亀山の試合中。次の試合は、皇學館対上野で、球場あたりには皇學館の応援に来た方がたくさん。皇學館高校はここからすぐのところ にあるのです。
球場脇にまずは、野口みずき金メダルロード顕彰碑。野口みずき選手は、伊勢市出身。平成16(2004)年のアテネオリンピックの女子マラソンで優勝しました。その功績を顕彰し記念するため、三重県立宇治山田商業高等学校時代に実際にトレーニングで走ったコースを顕彰記念道路として設置し、その愛称を「野口みずき金メダルロード」と名付けたのです。顕彰碑は、平成17(2005)年10月に建てられています。
球場に近いところにこちらの胸像。伊勢が生んだ2人の名投手、沢村栄治投手と、西村幸生投手。この胸像は元々別のところにあったのですが、平成26(2014)年3月、隣り合わせに移設されました。この記念と、球場のリニューアルオープンを記念して、創立80周年を迎えた読売巨人軍と、翌年80周年を迎えた阪神の2球団による「伝統の巨人阪神戦80周年企画」の一環として行われました。向かって左が沢村栄治投手(大正6(1917)~昭和19(1944)年)、右が西村幸生投手(明治43(1910)~昭和20(1945)年)。沢村は、宇治山田駅前にある明倫商店街に生家跡があります。旧京都商業(現在の京都学園高等学校)に進み、甲子園にも出場。17歳の時に出場した日米野球ではベーブ・ルースらがいた大リーグ選抜を1点に抑えました。巨人では3度のノーヒットノーラン試合を達成しています。昭和19(1944)年、3度目の出征の際、輸送船が台湾沖で攻撃され、27歳で戦死しました。背番号14は巨人初の永久欠番。今も、「沢村賞」にその名を残しています。西村は、現在の伊勢市大世古町出身。学生野球(関西大学)で活躍した後、昭和12(1937)年、大阪(現阪神)タイガースに投手として入団。同年秋、翌年春の優勝に貢献しています。昭和14(1939)年に退団、昭和20(1945)年4月、フィリピンで戦死しました。沢村投手との対戦を望んで阪神タイガースに入団したといいます。
ルートマップはその4になります。倉田山公園からさらに少し登ると龍池山松尾観音寺があります。奈良時代始め(712年)、行基が伊勢神宮参拝の折、この松尾山に雄・雌の龍が住むと伝えられる池があることを知り、その池のほとりに自ら観音様を刻み寺を創建したと伝えられています。その後は、伊勢国の国司であった北畠(きたばたけ)氏が祈願寺として守護し、その後、北畠家一統の木造(こつくり)氏が氏寺として守護してきました。創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない「単立」という特異な形態の祈願寺です。ご本尊は、「十一面観世音菩薩」と、脇仕の「地蔵菩薩」「毘沙門天」。この本堂は、約200年前の文政3(1820)年、総欅(そうけやき)造りで建てられています。
今シーズンは、まだ蓮を見ていなかったのですが、ここで見られました。本堂裏には、二つ池(龍池)と呼ばれる2つの池があり、昔から東の池には雄龍、西の池には雌龍がそれぞれ住んでおり、観音様をお守りになっているといわれています。今から約600年前の応永10(1403)年5月、本堂が火災に遭った際、池から2体の龍神が姿を現わし、雄龍は燃え盛る炎を飲み込みながら舞い降り、観音様を自らの体で幾重にも巻き付け、また、雌龍は何度も池の水を炎に吹きかけ、観音様を火災から守ったという伝説が残っています。ここの境内には、庚申堂、松尾龍池社などさまざまなものがあります。詳しくは平成30(2018)年10月8日に訪ねた記事をご覧ください(2018年10月24日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その4)……角屋麦酒、神都線線路跡(?)、野口みずき金メダルロード顕彰碑、沢村栄治・西村幸生胸像を見て、松尾観音寺へ)。
松尾観音寺から倭姫宮へ向かうのですが、学校法人皇學館が経営する皇學館中学・高校・大学の敷地の脇を通っていきます。さらに住宅地の中を通り抜けると倭姫前交差点に出ます。そこに神宮文庫があり、立派な門が立っています。神道、文学、歴史などの貴重な和書20万冊を含み、約31万冊が収蔵されているそうです。慶安元(1648)年、外宮の東隣に豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)が創設、また、貞享3(1686)年には、内宮文庫が立てられました。元禄3(1690)年に内宮近くの林崎の地に移され、林崎文庫と改称されています。久邇宮朝彦親王が林崎文庫内に皇學館を創設したのですが、両文庫は、図書館であると共に神職子弟の教育機関でもあった訳です。「諸車通行禁止」とありましたので、入るのがはばかられ、覗いても来ませんでした。
倭姫前交差点のところに道標が1基あります。3面に矢印とともにいずれも「古市へ二町」と刻まれています。碑陰には、「昭和四年十二月建之」とあります。古市は、外宮と内宮を結ぶ参宮街道沿いにあり、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街としてにぎわったところ。要するに、伊勢参りの参拝客が増加するにつれ、参拝後に精進落としをする場所として賑わったのです。最盛期の天明(1781~1789年)頃には妓楼70軒、遊女1,000人、浄瑠璃小屋も数軒というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳があるほど活気に溢れていたといいます。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しました。二町は、218mあまりのこと。
さらに交差点の北側には、「崇敬致誠」という石碑があります。これは、神宮徴古館が設立されたときの記念碑です。明治42(1909)年、神宮徴古館は内宮や外宮の神苑を整備した神苑会により設立されました。神苑会は、徴古館設立後に役目を終え、神宮に徴古館を献納して解散しています。この石碑の題字「崇敬至誠」は、徴古館建設に関わった多くの方の崇敬を伝えるものだそうです。なお、題字は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王(文久2(1862)~大正2(1913)年)によります。
倭姫宮です。御祭神は、倭姫命(やまとひめのみこと)。垂仁天皇の皇女。『日本書紀』によれば、天照大神を伊勢に祀り、伊勢神宮の初代斎宮(さいぐう)となりました。また、東征に向かう甥の日本武尊に草薙剣を与えたといいます。倭姫命は、垂仁天皇25年、それまで倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)で天照大神を奉斎していた崇神天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にかわって「御杖代(みつえしろ)」として奉仕。さらによい鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃、尾張を経て伊勢国五十鈴(いすず)川上に遷座したと伝承されます。
倭姫宮交差点近くにある鳥居をくぐってから200mあまりの参道を進んで行くと、社殿があります。倭姫宮は、大正12(1921)年に御鎮座という、新しいお宮なのですが、木々は鬱蒼としていて、神聖な雰囲気は十分。大きな功績を示した倭姫命の御神徳を慕って、大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が、命を祀るお宮の創立を請願し、大正10(1921)年1月、皇大神宮別宮として創立が許可され、同12(1921)年11月にご鎮座祭が執り行われたといいます。伊勢神宮には、別宮・摂社・末社・所管社の諸宮社(神宮が管理するのは、125社)があります。いずれも由緒は古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、設立が明らかで、極めて新しいのは、この倭姫宮のみです。
倭姫宮から神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館のところを通って神田久志本本町の方へ下っていきます。実際にあるいたルートマップは、その5といいたいところですが、その1に逆戻り。御幸道路に出たところに日蓮聖人誓願の井戸。金刀比羅神社は、坂道を登っていかねばならないところを通り過ぎてしまい、パス。正寿院と光明寺を見て、スタート&ゴールの宇治山田駅に向かいます。
日蓮聖人誓願の井戸です。延長5(1253)年、日蓮上人が関東下向の途中で旧常明寺(じょうみょうじ)に参籠し、境内の井戸を潔斎して3つの誓い(三大誓願)を立てた場所です。日蓮の三大誓願とは、「我 日本の柱とならん、我 日本の眼目とならん、我 日本の大船とならん」です。常明寺は継体天皇代の創建とされ、もとは真言宗でしたが、寛永年間(1624~1644年)に天台宗に改宗。度会氏(二門)の氏寺。常明寺は、明治の廃仏毀釈の際、廃寺になり、明治15(1882)年、常明寺跡に伊勢・欣浄寺が復興されていますが、のちに移転。倭姫命の陵墓の伝承地が隣接します。『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、倭姫命は尾上山峰に退いて「石隠」したといいますが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であるといわれるそうです(宇治山田陵墓参考地に指定)。この倭姫命の陵墓は、パスしてしまった金刀比羅神社の手前にあったのだそうで、これはちょっと失敗。
左の写真が、日蓮聖人が100日間にわたって水垢離をした井戸。また、ここには、誓願塔や石造宝塔が建てられています。大正13(1924)年、正法護持財団によって上人の遺跡の聖域や井戸が整備修復され、誓願塔も建てられています。また、平成3(1991)年には、新しく石造宝塔が建てられました(こちら)。
御幸道路を宇治山田駅の方に向かっていくと、勢田川の手前、右側にお寺が2つ並んでいます。まず、大塚山正寿院赤心門寺。浄土宗。平安時代前期の弘仁3(812)年に弘法大師・空海が真言密教の道場として創設したのが始まりで、安土桃山時代の天正2(1574)年に浄土宗に改宗しています。
宝暦13(1763)年、霊元天皇の皇子職仁親王第二世に当たられる有栖川宮織仁親王殿下が伊勢神宮参拝の時、当山の南楼黒書院に宿泊されて以来、有栖川宮家と深い関わりができています。山門に菊のご紋章があしらわれていたのは、このためのようです。この写真は、平成22(2010)年にできあがった赤心殿。
こちらは、金鼓山(きんこざん)光明寺。臨済宗東福寺派。寺伝では、天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により伊勢神宮外宮宮域の南方の前山の鼓ヶ岳(現伊勢市前山町)に創建されたといいます。しかし、もとは外宮宮域の北方の山田の世木(現在の伊勢市駅前付近の伊勢市吹上、勢田川左岸)の世木神社の近くにあり、外宮神職であった度会氏の世木広光が創建したというのが定説とされます。鎌倉時代末期の元応元(1319)年、禅僧の月波恵観(げっぱえかん)が再興。恵観はもともと天台宗でしたが、東福寺の禅師癡兀大恵(ちこつだいえ)に師事したことから当寺が臨済宗に改宗されたと考えられています。
ここはまた、南北朝時代の南朝の武将結城宗広(ゆうきむねひろ;?~延元3=暦応1(1338)年)の終焉の地でもあります。結城宗広は、延元元・建武3(1336)年、北畠顕家とともに陸奥の大軍を率いて西上、足利尊氏を九州へ走らせ、翌延元2・建武4(1337)年ふたたび尊氏追討のために奥州をたったものの失敗し、吉野に逃れます。翌年、顕家、義貞が相次いで戦死したため、奥州における南朝勢力再建を企図し、伊勢大湊(いせおおみなと)を出航したものの、天竜灘で暴風にあって吹き戻され、延元3・暦応元(1338)年、伊勢光明寺で病没しています。自決であったともいいます。宗広は当寺境内の「結城宗廣卿墳墓」に葬られました。ちなみに、結城宗広に関連して、津市にある結城神社は結城宗広をご祭神としていますし、境内に墓もあります(2019年5月10日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。結城宗広の墓は、福島県白河市の関川寺(かんせんじ;結城家の菩提寺)にもあります。伊勢の光明寺あたりが終焉の地で、結城神社近くの阿漕浦海岸で遭難したという言い伝えもあるようです。
これで目的地はコンプリート。宇治山田駅近くには13時15分頃に戻ってきました。暑かったので冷麺か、冷たい蕎麦でも食べたかったのですが、我々が行った「うじやまだ駅前横丁」にはそば屋はなく、ラーメン屋さんは営業していませんでした。そこでまんぷく食堂さんへ。プチからあげ丼、¥650をチョイス。からあげ丼では、ちょっと量が多そうな気がしたのです。プチにして正解。ちなみに、ここまんぷく食堂さんは、伊勢のソウルフードといえば必ず名前が上がる店だそうです。「からあげ丼」は来客の8割が頼むという超人気の品。スパイシーな唐揚げを、出汁と卵でふんわりととじてあり、クセになりそうでした。
帰りは、宇治山田駅発13時40分の伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には14時20分に到着。14時23分の名古屋行き急行に乗り換え、桑名には15時22分着。¥1,450。運賃もそれなりに高く、乗車時間も結構長かったのです。
本日のお土産は、もちろん二軒茶屋餅。10個入りで¥840。あんこの入ったきなこ餅です。シンプルでとても美味しいのです。個人的意見としては、赤福や、ひょっとしたらへんば餅もより美味しいかも知れません。賞味期限は2日間で、7月16日まで。賞味期限が短いこともあって、あまりあちこちで売っていないので、ちょっと残念。ここ本店、伊勢角屋麦酒外宮前店、伊勢角屋麦酒内宮前店(おかげ横丁)のほか、宇治山田駅のファミマでも売っているようです。
この日のGoogle Fitのデータ。ルートマップでは現地で歩いたのは8.2㎞。Google Fitではトータル10.1㎞。帰りは桑名駅までクルマで迎えに来てもらいましたので、これくらいでしょう。歩数は、18,738。よく歩きました。今回は、暑い日でいささかへばりました。
オマケ。帰りに宇治山田から伊勢中川まで乗った電車は、ミジュマルトレイン。去年の1月から運行されているそうですが、主に賢島~伊勢中川間を走っていますので、なかなか目にする機会がありませんでしたし、乗ったのも初めて。
ミジュマルというのは、みえ応援ポケモンに認定されているポケモン。鳥羽の方では、ミジュマルバスも走っているそうですし、県内各地で「ポケふた」というポケモンのキャラクターをあしらったマンホールの蓋が順次設置されているそうです(ただし、桑名はまだ)。
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