20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ
7月15日の「伊勢河崎ウォーキング」の本編その2です。その1の後半から伊勢・河崎の町に入っています。その2では、河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎と進んでいきます。
河邊七種(かわべななくさ)神社。河崎の氏神様。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名によって河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。例祭は7月14日ですが、その日に近い日曜日に地域の夏祭り「天王祭」が開かれます。我々が訪ねた翌日が、この天王祭。神輿が町内中を「そいやそいや」のかけ声で練り歩き、夜店とイベントでにぎやかだそうです。祭りの最後には、勢田川に浮かべた船から打ち上げられる花火と、川面を走る水中金魚花火が恒例といいます。
旧社格は、村社。明治23(1890)年9月、菅原社、秋葉社を合祀。明治41(1908)年11月、広峰社、水神社、稲荷社、幸神社、猿田社、金毘羅社を合祀しています。主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。相殿神は、次の8柱:八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比売神(やちまたひめのかみ:集落や道の要所にすわり、八衢比古神とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ)、久那斗神(クナドノカミ:集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ、種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐと信じられた)、大物主神(オオモノヌシノカミ:大国主命の別名。大神(おおみわ)神社の祭神。別名は三輪明神)、火産霊神(ほむすびのかみ:迦具土神(かぐつちのかみ)ともいう。火の神)、菅原道真公、水神、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:稲の精霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどる神)。このほか、祭神不詳二座となっています。
境内社には、吉家稲荷神社(吉家神社)があります。町内に無格社として祀られていたものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。20年に一度、御遷座が行われているようです(たとえばこちら)。
他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。楠の前には、鳥居がありましたので、ご神木かと思います。さらに、このクスノキの根元をよく見ると、右の写真のような石柱がありました。「橿原神宮…」という文字が見て取れます。「橿原神宮遙拝所」なのでしょう。
ご神木の南には、「両宮遙拝所」と刻まれた石柱があります。両宮は、もちろん外宮と内宮ですが、こんなに近いところなのに遙拝所があるとは何となく不思議な感じがします。ちなみに、2枚目の写真に一の鳥居が写っていますが、それに向かって右手の更地は、河崎会所跡であり、さらに遡ると、明治元(1868)年にここに山田商法会所(後の伊勢商工会議所)があったところのようです。
続いて、伊勢河崎商人館。ここは、江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋・小川商店の建物を利用しています。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなり、伊勢河崎を代表する商家といわれます。この小川酒店を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。9時30分~17時00分、火曜日休館、大人350円です。受付で拝観についてとても丁寧に説明していただけます。日本最古の紙幣である山田羽書をはじめ、伊勢と河崎の歴史と文化の資料が展示されています。右は、受付のある建物(左の写真)の2階から河崎本通り(南の方角)を眺めたもの。電柱がなければ、江戸時代かとも思えます。
これは、伊勢河崎商人館の案内図。伊勢河崎商人館のWebサイトからお借りしました。
今回、私が見たかったのは、日本最古の紙幣とされる「山田羽書」でした。山田羽書というのは、慶長15(1610)年頃、伊勢山田(現伊勢市)の町衆によって生み出され、明治時代まで約250年間に渡り、伊勢周辺で流通した紙幣です。伊勢の町はその歴史的・地理的な特殊性もあって早くから商業が発達し、また御師(おんし)の信用力が大きく、信用経済的な萌芽の素地が形成されていたといいます。とくに室町時代以降は、御師(おんし)を中心に自治が行われ、神都伊勢の風土に培われた信用力と、自治都市運営に対する町衆の力が相まって、地域経済上、個人の手形的なものが次第に紙幣の形態を整え、独自の紙幣「山田羽書」が生み出されたと考えられています。
余談ながら、伊勢河崎商人館の入館券が、この山田羽書のサイズでつくられていました。左の写真で向かって右に写っているもの。受け取った時、何故こんな中途半端な大きさなのだろうと思ったのですが、それには意味がありました。この山田羽書と河崎の歴史資料は、河崎まちなみ館(明治5(1872)年)に展示されています。
母屋は、通り土間のある河崎を代表する商家の間取りの建物です。ここにある茶室は、京都の裏千家の茶室である、「咄々斎(とつとつさい)」を写したものだそうです(明治末期)。母屋の内蔵資料館には、伊勢の学芸の資料とそれを支えた商業の道具と記録が展示されています。
そのほか、母屋などに古いものがいくつも置いてありました。興味があったのは、これら。左の写真は、氷を入れて冷やす冷蔵庫(氷冷蔵庫)。上の段に氷を入れるのです。本体は木製で、扉の内側や庫内は保温のためトタン張りでした。詳細は覚えていないのですが、子どもの頃、使っていたことがあります。親戚からもらったような記憶があります。右の写真は、二眼レフカメラ。中判フィルムを利用する縦長の箱型のカメラで、2つの光学系・レンズが縦に並んでいます。下の光学系が撮影用で焦点面にはフィルムがあり、上の光学系がファインダー用で焦点面にはスリガラスがあります。これは、オヤジが使っていました。いずれも昭和30年代のお話し。
もう1つは、和文タイプライター。欧文タイプや、パソコンのキーボードとは全く異なる発想で、「キーによる盤面操作で活字箱から任意の活字を取り出す」というメカニズムになっています。この展示品はかなり古そうでしたが、私自身、就職した頃、学会発表のスライドなどをつくるのに和文タイプライターを使っていたことがあります。活字配列は決まっているのですが、私が使ったのは小型のものでしたが、活字数は、1,000を越えていたとおもいます。そこから適切な文字を探して一文字ずつ打ち込むのは、とてつもなく面倒でした。
川に面して建つ酒類の、3つの商品蔵は、現在は商人蔵として日常で使う雑貨、食品を中心とした販売と展示をしています(こちらを参照)。商人蔵には約20店舗が出店。カフェなども入っています。伊勢河崎商人館以外にも、河崎の町ではあちこちでいろいろな店があります。伊勢河崎商人館の散歩地図を見ると、お分かりいただけます。
川の駅・河崎です。伊勢河崎商人館のすぐ先にあります。平成15(2003)年に開設されました。100年以上前の醤油蔵を再生したものです。左の写真のように、問屋街から見ると、古い蔵を改修し施設なのですが、川に面した裏口の方は、白く塗られたウッドデッキになっていています。三重交通神都線の駅舎をモチーフにしているそうです。
ここは、川の駅と、伊勢河崎商人館の商人蔵の裏手。向かって左に勢田川が流れています。なかなかよい感じの石積み。奥の蔵の手前には階段とスロープがついています。ここで荷揚げをしたことが窺われます。右の写真は、北新橋を渡って、勢田川の右岸から見た商人蔵から川の駅あたりの景色。河崎の観光パンフレットにも使われているような景色です。ちなみに、タモリさんもあのブラタモリで河崎を訪れたそうです(こちら)。
北新橋から勢田川右岸を下って行きます。5年前の近鉄ハイキングでは左岸を歩き、かなり下流の瀬田大橋(阿竹の渡し跡)を渡りました。ちょっと大回りですので、今回はこのルート。ルートマップはその3。3㎞を過ぎたところに信吉(しんきち)稲荷神社(ルートマップでは、「伏見稲荷神社」になっています)。二軒茶屋は、その昔、2軒の茶屋があったのです。今は二軒茶屋餅角屋本店のみが営業。ここには、明治天皇が伊勢参拝にいらしたときに船を下りて上陸したという記念碑があります。
信吉稲荷神社。勢田川の堤防から少し入ったところにあります。詳細は不明ですが、みえの歴史街道の「二見道」の説明では、昭和11(1936)年に祀られたとあります。ちょっと荒れてしまっています。お社は、何かで囲われていたのではないかと思われます。お社の手前、左側に割と大きな常夜灯がありました。
信吉稲荷神社の先に二軒茶屋餅角屋本店があります。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業しました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は今はありません。二軒茶屋は、舟参宮の船着き場でした。土産に二軒茶屋餅10個入りをお買い上げ(微笑)。二軒茶屋餅はこし餡を薄い餅皮で包んで、きな粉をまぶした素朴なお餅です。
角屋本店の裏手の勢田川沿いには、船着き場が再現されています。船着き場を入って行くと、右の写真のように、大楠の向こうに二軒茶屋餅角屋本店が見えてきます。
その大楠は、樹齢400余年といわれます。大楠の下に明治天皇御上陸地記念碑があります。明治天皇は、明治5(1872)年5月、西国ご巡幸の際、伊勢神宮に参拝されました。このときは軍艦で来られ、鳥羽でご一泊。25日に二軒茶屋にご上陸、両宮ご親拝の後、27日にお帰りになりました。このとき、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立されたものです。このときが明治天皇にとっては、初めての伊勢参拝だそうで、供奉したものの中には西郷隆盛などの名前があったといいます。
長くなりましたが、もう1つ。二軒茶屋餅角屋本店は、天正年間(1575年)創業の二軒茶屋餅、大正12(1923)年創業の味噌・醤油の醸造業、そして平成9(1997)年創業の伊勢角屋麦酒の3部門から成り立っています。二軒茶屋餅を売っている店から道を挟んで向かいに「伊勢角屋麦酒 直売店 麦酒蔵」があります。大いに気になるのですが、冷えたビールを目の間に絵にすると、我慢できる自信がありませんでしたので、店の外観だけ見て次へ。ということで、本編その2はここまで。その3は、倉田山公園にある野口みずき金メダルロード顕彰碑・沢村栄治&西村幸生胸像などから。
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