20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか
7月15日に行ってきた「伊勢河崎ウォーキング」の本編その1です。この日、梅雨はまだ明けていません。桑名のアメダスでは最高気温は33.7℃、伊勢市小俣では32.5℃と真夏日。同級生K氏と二人で近鉄宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店から倉田山公園のダイムスタジアム伊勢を経て、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅まで8.2㎞。お昼は、うじやまだ駅前横丁にあるまんぷく食堂で昼食。私は、ほぼ同じコースの近鉄ハイキングに平成30(2018)年10月8日に参加しています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。
桑名駅を7時52分に出る宇治山田行き急行に乗車。宇治山田駅には9時12分に到着予定でしたが、途中、明星駅で急病の方が出たということで4分遅れ。宇治山田駅をスタートしたのは、9時20分。詳細なルートマップその1は、右の画像の通り。宇治山田駅を出て岩淵交差点から少しだけ御幸道路を通って錦水橋へ。ここで左折して北に向かい、桜橋を渡って勢田川の右岸へ。旭湯を見て清浄坊橋を渡って河崎の町並みへ進みます。
錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。
ここは、昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。
桜橋から見た勢田川。勢田川は、宮川の支流で、五十鈴川と合流して伊勢湾に注ぐ6.9kmの小河川です。江戸時代にはお蔭参りの客や物資の輸送で大変賑わったといいます。御贄川(おんべがわ)の異名も持ち、伊勢神宮へ献上するための魚を獲っていた川でもあるそうです。
1㎞の手前でJR参宮線の橋をくぐります。参宮線は、その名の通り、伊勢神宮にお参りするためにつくられた路線。明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在の参宮線は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もとは亀山駅から鳥羽駅までが参宮線として予定されていました。紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和45(1970)年に近鉄鳥羽線が開業すると乗客は激減したといいます。鉄橋の煉瓦積みにも歴史を感じます。
その先で旭湯。汐湯・おかげ風呂館と称しておられます。この先にある清浄坊橋は、二見の御塩田から外宮に御塩を運ぶ道だったため、「神聖な清浄なる道」ということに由来するそうです。旭湯さんには、その塩の道沿いということにちなんで、二見の海水を汲み上げて運び、沸かしている「潮湯」があるそうです。そのほかにも、旭湯さんはいろんなアイデアがいっぱいのようで、「潮浴び参宮」など、おもしろそうな看板が並んでいました。インスタで知り合った街道歩きの達人の方は、実際にここで潮湯に入浴なさったそうです。私も、時間があれば、入浴してみたいところですが、12時から営業でした。
この旭湯前に松の木があり、「駕籠たて松」という説明板があります。明治15(1882)年に日本最初の潮湯(海水温浴所)ができその当時、人を運ぶ仕事をしていた駕籠屋が松の下で休憩する際に杖を立てたことから駕籠たて松」という名がついたそうです。ちなみに、この説明板は「長与専斎をしのぶ会」が立てています。長与専斎(天保9(1838)~明治35(1902)年は、幕末明治期の蘭方医で、明治7(1874)年の医制発布の中心的人物として活躍しました。衛生思想の普及にも努めています。最近、どこかで名前を見た記憶があったのですが、長与は、明治15(1882)年、内務省衛生局長として禊場である二見の立石崎を海水浴場として開設した人物です(こちら)。二見の立石崎は、日本第一号の国指定海水浴場です。今年3月4日にJRさわやかウォーキングで訪ねた二見の賓日館の門前に「二見浦浴潮場石」が建っており、そこに長与専斎の名前が出て来ます(2023年3月9日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」)。
清浄坊橋を渡って、いよいよ河崎の町並みに入って行きます。伊勢市河崎は、伊勢市の中心を流れる勢田川の中流域両側に広がる町です。勢田川の水運を生かした問屋街として知られ、特に江戸時代からは伊勢神宮の参宮客への物資を供給する「伊勢の台所」として栄えた歴史があります。当時は蔵や町家が川の両岸に建ち並び、直接船から物資を蔵に入れることができるようになっていました。その景観は、昭和49(1974)年7月7日の「七夕水害」を契機にした河川改修工事によってその姿は一変したのですが、歴史ある町並みの景観は、今もなお残り、さらに発展しています。こちらに「河崎まちあるき情報」があります。
ここから実際にあるいたルートマップは、その2へ。河崎の町並みについては、上記の「河崎まちあるき情報」に分かりやすい絵地図がありますので、ご覧ください。河崎の町を歩いて、河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎と周り、北新橋から勢田川の右岸に移り、右岸の堤防を下っていきます。
河崎の町だけでなく、伊勢あたりのお宅の玄関でよく見るのが、この「笑門」の木札がついた注連縄。1年中掲げられています。「笑門」には招福の意味が込められているとも、後で取り上げます「蘇民将来子孫家門」を略して「将門」としたものが転じたともいいます。また、われわれが河崎にお邪魔した翌日が、天王祭だそうで、町のあちこちにポスターが貼られていました。
河崎の町に入っていすぐ、通りの左側に常夜灯と、河崎南町庚申堂。地元の皆さんがお守りをしていらっしゃるそうで、60日ごとに庚申さんの行事を続けているようです。「庚申」は、「かのえさる」。干支は、日毎にも割り当てられています。「庚申信仰」では、人間の中にいる3つの虫が、庚申の日になると寝ている間に出てきて、神様にその人の行った悪いことを告げ口するとされます。そのため、庚申の日は一晩中起きていることで、体からその虫が出て行かないように注意するという次第。
こちらは絲印煎餅で有名な播田屋さんの本店。隣に工場があります。一昨年の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」で播田屋浦の口店に立ち寄って、絲印煎餅を買っています(2021年12月17日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その2)……茶屋町の道標、筋向橋、旧御師丸岡宗大夫邸、小西萬金丹から伊勢神宮・外宮にお参りして「完」)。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を用いて薄く焼き上げた煎餅。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のこと。今回は、二軒茶屋餅を買おうと思っていましたので、店を拝見したのみ。ちなみに、河崎にある町屋は、妻入りになっています。一説には、伊勢神宮の建物が平入であるため、一般の民家が神宮と同じでは恐れ多いと遠慮したためとよくいわれますが、これには史料的な裏付けがないそうですし、建築史の専門家も妻入民家の分布状況などから見て、この説には否定的といいます(こちら)。
播田屋さんの先の路地(伊勢では、世古と呼びます)に道標があります。西を向いた面に「すぐさんぐう道」、北面に「右宮川道」、東面に「左二見神社大湊道」と刻まれています。余談ですが、「すぐ」とは「すぐそこ」ではなく「まっすぐ」という意味です。
河崎の町には古い建物がたくさん残っているのですが、古いままでなく、それらを利用して現代風のカフェや、古本屋、レストラン、寿司屋などさまざまな店がつくられています。左の写真の店は、「河崎2丁目食堂」といい、「ご馳走カレー&シチュー専門店」です。右の写真は、和具屋。陶器屋さんで、町角博物館でもあります。江戸末期から明治初期にかけての各地の陶器や錦絵のコレクションがあるほか、築300年の蔵が未だ現役だそうです。また、その蔵に続く古いトロッコレール(64mほど)が残っているとか。これらはいずれも、この記事を書くのに調べて分かったので、この日には見ていません(残念)。
ルートマップその2の途中ですが、長くなりますので、本編その1はここまで。その2は河邊七種神社から。さらに河崎の町を歩いて行きます。
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