お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2023年7月

2023年7月31日 (月)

20230731西別所ウォーキング(一回完結)

Img_8999c Img_8995c_20230731152101  熱中症警戒アラートは発令されませんでしたので、予定通り、西別所ウォーキングに行ってきました。三岐鉄道北勢線西別所駅から在良駅まで、2駅、実際に歩いたのは5.4㎞でした。夏場ですので、短めの距離にしたのです。いつものように、同級生K氏と二人。私は、西桑名駅を8時5分に出る東員行きの電車に乗って、西別所駅には8時12分着。そこでK氏と待ち合わせ。¥190。往きの電車は、今時珍しく、エアコンなしで扇風機が回っているレアもの(苦笑)。

Nishibessho  こちらが今日歩いてきたルートマップ。このコースは、2021年3月31日に私一人で歩いたウォーキングのときとほぼ同じです(2021年3月31日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(予告編))。このときに見忘れた西別所城跡を加え、濃州街道歩きで見た照林寺(2020年3月15日:20200315「勝手に三岐鉄道ハイキング『桑名の員弁街道を歩く』」(三ツ矢橋から三岐鉄道北勢線・星川駅)(予告編))は割愛しています。今回の記事は、一回完結です。

Img_9010c_20230731152101  まずは、国道258号線の下をくぐって、その東にある慈眼院北寺延寿院。高野山真言宗。ご本尊は、十一面観音菩薩。地元では、集落の北のはずれにあることから「北寺」と呼ばれます。延宝年中(1673~81年)、奥平貞登が観音堂を建てたのに始まります。奥平貞登の一族は、桑名藩5代藩主・松平定綱に使えて家老職を務めました。この地に山荘を建て、かたわらに小堂を建てて観音像を安置したと考えられています。享保21(元文元)(1736)年、大福田寺の住職・實圓がここを隠居寺としてから大福田寺の庵室となり、江戸末期からは尼僧によって住持されていました。しかし、檀家もなく、昭和中期には無住となり荒廃したため、西別所在住の有志によって昭和57(1982)年に本堂が修復され、また、北寺奉賛会が設立され、維持されています。

Img_9014c_20230731152101  境内には、宝暦5(1755)年に入寂した實圓と、安永5(1776)年入寂の實豊の墓碑である五輪塔2基などが残っています。左の写真で中央にある五輪塔が實圓のもの、向かって左が實豊のものです。国道258号線を走るクルマの音が聞こえては来ますが、静かで落ち着いたお寺です。ちなみに、かつては延寿院の北に白山神社があり(8年ほど前に八幡神社に合祀されたようです:こちら)、そのあたりが白山城跡だといいます。

 国道258号線の西側に戻ると、Img_9032c_20230731152101前方の森に、万機庵跡があります。万機山蔵鷺庵(ばんきざん ぞうろあん)が正式名称ですが、万機庵、または、蔵六庵と呼びます。もとは曹洞宗のお寺で、ご本尊は、観世音。明暦元(1655)年に、楊柳寺(市内新屋敷)第6世万機和尚が創建し、ここに閑居した庵跡といわれています。万機和尚は、真田幸村(信繁)の3男で、楊柳寺に在住30年。「桑名市史」によれば、桑名藩第3代藩主・松平定重が、ここに山荘を設け、遊興したといいます。万機庵は「明治初めに無檀家の理由を以て廃庵となり、現在、跡地は竹林となって」(こちら)います。前回来た時には荒れていて入っていけませんでした(送電線の鉄塔巡視路が通っているのです)。跡地には、万機和尚の墓石を含め、15基の墓石があるそうです。こちらのブログには、「送電線の鉄塔が立っているので、そこへの鉄塔巡視路はあるものの、きびしい藪と地形で、歩き回ることができず、墓石の場所は判らなかった」とありました。今回も万機庵跡に行くのは断念。なお、墓石の写真は、このWebサイトにあります。

Img_9051c_20230731152101  住宅地の間を通って、希望ヶ丘第1南公園の先、光陽希望ヶ丘保育園の裏手が、西別所城跡。室町時代の城館跡で、北畠氏に従う矢田俊元の与力・後藤弥五郎基成が居城していましたが、羽柴秀吉・織田信盛・丹羽長秀らの大軍の前になすすべもなく落城したといいます(こちら)。

Img_9055c_20230731152101  八幡神社。天正元(1573)年、西別所城山、城下橋(員弁街道の方。橋のたもとに子安地蔵尊があります)北の山腹に八幡社があったといいます。元禄14(1702)年、その西別所城山にあった八幡社を現在地に勧請しました。明治44(1911)年、境内社を合祀しています。

Img_9058c_20230731152101 Img_9069c_20230731162201  主祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇)。相殿神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神)、大山津見命(おおやまつみのみこと、山の神)、火産霊神(ほむすびのかみ、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神)。以上は、神社検索三重のサイトにある御祭神。神社の由緒書きには、菅原道真公もありました。この八幡神社は標高30数mのところにあり、眺望が利きました。右の写真は、桑名市稗田から町屋川の向こう、桑部方面が見えています。ここでしばし休憩。

Img_9110c_20230731152101 Img_9102c_20230731152101  蓮花寺川沿いに西に向かい、山神社へ。御祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ、山を司る神)。正親町天皇の天正年間(1573~92年)以前の創始だそうです。蓮花寺村宇賀の城山(あとから訪ねる白山神社あたりか?)に内山源吾が城主として居城し、奉祀したといいます。天正年間、織田勢に滅ぼされたものの、その後も氏子の方々が「山の神」と称し、祭祀してきました。民家のまん中にあり、ブロック塀に囲まれた神社というのも珍しいのですが、氏子の方に祭祀されてきたというのが、よく分かる気がします。

Img_9117c_20230731152101  蓮花寺へ行く前に珍百景。前回来たときにもこのお宅にスワンボートがありました(2021年4月2日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その2)……山神社、蓮花寺、白山神社・蓮花寺西城跡、蓮華寺東城跡、宇賀神社、宇賀遺跡)。前回は、カーポートの中ではありませんでしたが……。カーポートに入れているということは、よほど大事にしていらっしゃるのでしょう。

Img_9127c_20230731152201 Img_9131c_20230731163101  総仏山蓮花寺。真宗大谷派。ご本尊は、阿弥陀如来。第二次世界大戦までは、総仏堂という説教所でした。『在良村郷土誌』によれば、蓮花寺先々代の紀伊浩洋は、漢籍で名高い人物であったそうです。堂は、先代が昭和33(1958)年に建て変え、旧村名(蓮花寺村)をとって総仏山蓮花寺と名づけたといいます。寺にある鐘は、戦時中に金属供出として出されたもの(今は、中里ダムの湖底に沈んだ深尾山薬王庵の持ち物)を譲り受けたといいます。かつてこの近くには、地名の語源となった「蓮華寺」がありました(ここ蓮花寺とは別の寺。蓮華寺は、後述の白山神社の西北西あたりにあったといいます)。蓮華寺村も、寺も、鎌倉時代にはかなり繁栄したそうですが、住宅開発に埋もれ、蓮華寺の寺跡は窺い知れません。

Img_9138c_20230731152201  蓮花寺の西に白山神社。「キョリ測」では、倍率にもよりますが、「宇賀神社」と表示されることがあります。しかし、ここにあるのは白山神社で、宇賀神社は、この南150mほどのところにあります。白山神社の御祭神は、菊理姫命(くくりひめのみこと、白山比咩神社の主祭神。水を恵み、ものごとの和合・仲介・招福の神)。由緒書きによれば、白山権現菊理姫社と称し、正親町天皇の永禄年間(1558~70年)以前からあったといいます。境内社には、津島神社、火産霊社が、また、別宮には、護国神社があります。ここ、白山神社があるところは、蓮花寺西城(城山城)跡で、内山源吾正則が居城したといいます。織田信長に滅ぼされています。

Img_9157c_20230731152201  白山神社の北に神田池という大きな灌漑池があります。その南の端あたりが、蓮花寺東城(宇賀城)跡といわれます。蓮花寺東城には、後藤庄左衛門氏篤が居城しましたが、こちらも永禄年間(1558~1570年)に織田信長に滅ぼされています。城の遺構は、ここもありません。何となくもの足らない気もしますが、やむを得ません。今は大規模住宅団地の一角になっています。

Img_9171c_20230731152201  白山神社、蓮花寺東城跡から大きく回って、宇賀神社。白山神社の南150mほどの宇賀公園の中にあります。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、食物、とくに稲の神霊)。ここも創始は不詳ですが、正親町天皇の御代(1557~86年)以前と伝えられ、蓮花寺西城(城山城)主・後藤庄左衛門の崇敬が厚かったといいます。この南あたりに宇賀遺跡があります。公園の南にある住宅地から、コミュニティバスの「マザック前」停留所のあたりがそれ。縄文時代から中世にかけての複合遺跡で、弥生時代の遺構からは、井堰が見つかっており、稲の穂積みに使う木包丁も出土し、稲作が行われていたと考えられています。

Img_9188c_20230731152201 Img_9184c_20230731152201  蓮花寺駅の西で三岐鉄道北勢線、県道63号線を越え増田へ。扶桑工機の工場南に増田集会所があります。集会所の建物の裏手にひっそりと「額田神社旧跡」という石碑が建っています。前回このあたりを歩いたとき(2021年4月3日:20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その3)……額田神社(増田)、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(額田)を経て北勢線在良駅にゴール(完))、増田の額田神社で氏子の方に教えていただいたところ。ここが、旧増田村の中心ということで、神社があったものと思われます。なお、集会所の敷地内には地蔵堂もありましたが、詳細は分かりません。

Img_9218c Img_9214c_20230731152201  集会所から西に向かうと、額田山源流寺。真宗大谷派の寺。ご本尊は、阿弥陀如来。このお寺の詳細については、調べた範囲ではよく分かりませんでしたし、『桑名市史 本編』にも出て来ません。

Img_9221c_20230731152201  源流寺のすぐ南に増田の額田神社があります。この神社には、いろいろと由来があります。前回お目にかかった氏子の方の話と『桑名市史 本編(pp.53~54)』によれば、次の通り。もともと、この神社は、桑名郡額田村・増田村両村の鎮守として祭祀し、初めは、増田村にあったものを額田村の宮山に移遷しました(額田の増田神社)。移遷の理由は、旧地が町屋川のすぐ側にあり、洪水によく遭ったということです。その後、増田村から宮山まで参詣するのに不便だということで、額田にある本社からこの増田の額田神社を文政8(1825)年に分祀奉遷したそうです。ただし、『桑名市史 本編』には、古社は本来宮山にあり、一時の事情によって増田に移遷したのを、再びその故地に復遷したという説があるとも書かれています。御祭神は、意富伊我都命(おおいがつのみこと、または、おほいかつのみこと:古代、この地方を開発した額田連(ぬかたのむらじ)の祖)。相殿神は、天照皇大御神天津彦根命(あまつひこねのみこと:)。この額田神社の詳しいことは、2021年4月3日の記事「20210331“勝手に北勢線ハイキング「西別所・蓮花寺を行く」”(その3)……額田神社(増田)、額田神社旧跡、源流寺、額田神社(額田)を経て北勢線在良駅にゴール(完)」をご覧ください。氏子の方のお許しをいただいて本殿を参拝したことや、境内にある鬼瓦についても書いています。

Img_9241c_20230731152201  これで今日の目的地はコンプリート。額田神社で休憩したあと、北勢線在良駅に11時にゴール。ここまで歩いたのは5.4㎞。11時15分発の西桑名行きに乗車。西桑名には11時26分着、¥210。帰りの電車は、エアコンが効いて快適でした(微笑)。

 Img_9266c_20230731152201 230731114300035c 桑名駅あたりで昼食をということになったのですが、飲み屋さんはたくさんあるものの、ランチ営業をしている店は非常に限られています。二人とも気に入っているエンシュウヤさんへ。ちょうど11時半開店なのです。町の洋食屋さんという感じのお店。「町中華」ということばがありますが、それに倣えば「町洋食」といえます。「今日のランチ」は、おろしソースのハンバーグ(¥750)。開店を待っていたお客さんが、我々を含め4組ほど。30分もしないうちに満席になるという人気店。オッサンだけでなく、若い人(女性も含め)もけっこういます。

1690772548630c  ほぼ食べ終えたら、おばちゃんが、「小さいけど、デザート」といってスイカを一切れ。今年初めてスイカを食べました。家内がうらやましがること。

Img_9234c_20230731152201  余談その1。在良駅の南にある自動車整備工場にトゥクトゥクが1台置いてありました。これ、一度くらい、自分で運転して乗ってみたい気がします。排気量は660ccのものが多いようですが、車両区分は「側車付自動二輪車」。つまり、バイクに側車をつけたサイドカーという解釈だそうで、運転するための免許は、自動二輪車ではなく、普通自動車運転免許ということ。

Img_9077c_20230731152101  余談その2。今日あちこちで見たのが、ハグロトンボ。細長く、黒っぽい翅を持った、ヒラヒラと飛ぶトンボです。オスの胴体は金緑色に輝き、メスは全身が黒いのが特徴。

Img_9256c_20230731152201 Img_9260c  余談その3。北勢線は、今年が三岐鉄道に移管されて20周年です。軽便鉄道、近鉄を経て、平成15(2003)年4月1日から10年間の地元自治体の支援を条件として三岐鉄道が運営を継承しています。その後は3年ごとに更新。電車の先頭にはそれを記念したマークが掲出されています。また、スタンプラリーなども行われています(こちら)。

Screenshot-2023_07_31-12_31_24c  ということで、今日も35.0℃となり、結局は猛暑日になったのですが、トータルで7.5㎞、14,000歩あまりを歩いてきました。猛暑の中ですから、これくらいが適当でしょう。次もまた市内ウォーキングの予定ですが、それは、旧のお盆が終わってから。

2023年7月30日 (日)

赤福氷

Dsc00664c Dsc00677c_20230730163601  今日も猛暑日です。桑名は、35.8℃。三重県には、熱中症警戒アラートが出ています。土用の丑の日だそうです。寺町商店街には、ズバリ「うなぎや」というお店がありますし、魚末さんの店頭にも「本日 うなぎ土用丑の日」と朱書された紙が貼られていました。ちなみに、夕食にウナギが登場するということはなさそうな雰囲気です。

Dsc00711c_20230730163601  今朝も、暑さを避けようといつもより30分早く、7時から散歩へ。寺町、京町、吉津屋町、外堀、内堀南公園、貝塚公園、九華公園、住吉神社と逆回りコース。歩いたのは、このあとの外出も含め、トータルで6.8㎞。暑いのと、昨日の花火の影響か、鳥影はほとんどありません。スズメやムクドリでさえほとんど見ないのです。九華公園で越夏中だったハシビロガモのオスも、今日は所在不明。これまでにいたところを見て回ってきたのですが、いませんでした。花火の大音響に驚いて、どうかしたのではないかと心配しています。

Dsc00831c_20230730163601 Dsc00779c  その九華公園で見た鳥は、スズメとハクセキレイ。ほかにはハシボソガラスを数羽。ドバトやムクドリもいません。スズメは奥平屋敷跡のところの花菖蒲園で、ハクセキレイは吉之丸堀の上を通る電線で。ハクセキレイは暑いのか、口を開けていました。

Dsc00742c_20230730163601  トンボは同じようなメンバーしかいません。奥平屋敷跡の南の堀で、コシアキトンボが止まっていました。散歩友達にも誰にも会わず。

Dsc01092c_20230730163601  揖斐川沿いでは、昨日の花火大会の後片付けが行われていました。住吉神社を囲っていたフェンスも撤去されています。

230730123821226c  1690694895349c 散歩から帰ったら、娘が四日市に所用があるというので付いていって、ついでにこちらへ。東名阪道御在所サービスエリアのEXPASA御在所(上り線側)です。一般道から入れ、専用駐車場があります。ここにある赤福のお店で、赤福氷をいただこうという次第。

230730131126853c  230730131315679c いつもは並んで待つというのはしないのですが、このときは別。20分ほど行列して待ち、赤福の夏の涼味「赤福氷(¥600)」。餡とお餅は赤福そのものではなく、冷たい氷になじむよう特製されたものが、別々に入っています。蜜は、抹茶。

Dsc00681c_20230730163601  今週は、江戸橋方面での非常勤の仕事はありません。補講期間で、私は休み。明日は、熱中症警戒アラートが発令されなければ、同級生K氏と市内ウォーキングに行こうといっています。来週までほかに仕事その他はありません。

20230729桑名水郷花火大会

230729194946500c 230729194958834c  令和5(2023)年の桑名水郷花火大会は、予定通り7月29日(土)19時30分から開催されました。20時30分頃までの約1時間。速報にも書きましたが、場所取りに出遅れてしまい、いつものところ(非常階段の踊り場)から撮れず。非常階段のところはさえぎるものもなく、見晴らしがよいのです。やむなく拙宅玄関前の通路から撮影したのですが、カメラを向けると非常階段が視野に入ってしまい、今ひとつでした。さらに、ソニーのRX10-M4を準備したものの、結局、スマホ写真になりました。シャープのAquos sense7でAIモードを使うと、花火がきれいに撮れるという説明があったからです(こちら)。

230729195753252c 230729200623556c  しかし、スマホで花火写真を撮るのは初めてでしたので、とにかくたくさん撮って、マシなものを選んだという次第。しかし、スマホでこれだけきれいに花火が撮れるとは思ってもみませんでした。AIで適切な撮影条件を設定できるのと、かなりの画像処理をしているのではないかとは思いますが、スマホ写真、恐るべしです。

230729202028914c2 230729201143969c  速報にも書きましたが、花火がたくさん打ち上がって「明るさがある程度あれば、スマホでけっこうそれなりに撮れる」と思います。

2307292c 230729last4c  花火そのものは、同じマンションの親しい知人のご家族や、お隣さんなどと楽しみました。知人は、お嬢さんとそのご主人、お子さん5人とともに。賑やかで、子どもたちの反応がけっこう面白いのです。

230729201145092c  という次第で、今年も桑名水郷花火大会を楽しむことができました。来週末は、石取祭。桑名の夏が続くのです。さらに8月11日(土)からはナガシマスパーランドの花火大競演も開催されます。これは、ベランダから見えます。ナガシマの花火撮影にも挑戦しなくっちゃ。

2023年7月29日 (土)

20230729桑名水郷花火大会(速報)

230729194958834c 2307292c  令和5(2023)年の桑名水郷花火大会は、予定通り今日開催されました。19時30分から20時30分頃までの約1時間。速報でお伝えします。例年の通り、拙宅玄関前から撮影しました。

230729200623556c 230729202028914c  静止画、動画とも撮りましたが、まだ、ざっと見ただけですので、よさそうな写真を選んで載せています。また、明日しっかり確認してからちゃんとした写真を載せて、記事を書くつもりです。ちなみに、ソニーのRX10-M4も準備したのですが、場所取りに出遅れてしまい、いつもの非常階段の踊り場からは撮れず(ここが見晴らしがよいのです)。さらに、結局、スマホ写真になりました。シャープのAquos sense7を使って、AIモードで撮りました。明るさがある程度あれば、けっこうそれなりに撮れるというのが、とりあえずの結論。

1時間早くから歩いても、鳥はいませんねぇ

Dsc00633c_20230729111901  最高気温予想は35℃です。11時現在、最高気温は34.1℃。今日は、桑名水郷花火大会。19時30分~20時25分の予定。過去には、プログラムが新聞に折り込まれて届いたのですが、今年はありません。有料観客のことしか考えていないのか、と勘ぐっています。花火は、今年も撮影しようと思っています。

Dsc00168c_20230729111901  Dsc00172c_20230729111901 さて、今朝は、早い時間に散歩に行ったら、鳥が少しは多いかと思い、6時半スタートでいつものコースへ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.7㎞。8時15分に帰宅。拙宅玄関前から花火の打ち上げ場所がよく見えます(左の写真)。桑名七里の渡し公園は、今日は臨時休園。

Dsc00176c_20230729112001 Dsc00194c  その先、住吉橋の下には、有料エリアのため15時以降は入れないという案内表示。住吉神社は、先日も写真を載せましたが、フェンスに囲われています。

Dsc00196c_20230729111901 Dsc00206c_20230729111901  住吉裏休憩施設の東側。仮設トイレの向こうのあたりが、たぶんイス席Aの¥10,000のところ。住吉水門の下流側には、堤防上にも、高水敷にもイスが並べられています。特別招待席と書かれていました。そのさらに向こうが、イス席Cの¥6,000のところ。

Dsc00223c_20230729112001 Dsc00218c_20230729111901  イスには、座面に番号が貼られています。いつもなら自由に歩けるのですが、堤防上にもイスが並んでいますので、歩きにくい(苦笑)。

Dsc00252c Dsc00265c_20230729112001  七里の渡し跡から下流側は、有料エリアからはずれていますので、ブルーシートなどで観覧場所取りがされていました。三の丸水門のところや、柿安コミュニティパークには露店が出るようです。

Dsc00272c  九華公園には6時55分着。いつもより1時間早いものの、やはり鳥はいません(苦笑)。ほとんど予測通り。相撲場近くでハシボソガラスがお出迎え。スズメもほとんどいませんし、ドバトも、ムクドリもいませんでした。日の出から間もない時間から歩かないと駄目なのでしょう。

Dsc00341c_20230729111901 Dsc00326c_20230729111901  奥平屋敷跡では、ハシボソガラス3羽と、ハシブトガラス2羽が木陰で休憩。皆、暑いためか、口を開けています。

Dsc00362c_20230729111901 Dsc00409c_20230729111901  ハシビロガモのオス、今日は、辰巳櫓跡近くにある松の木のところにいました。私が行った時には、身繕い中でした。元気と思います。

Dsc00290c_20230729111901 Dsc00314c  鳥はいませんから、今日もトンボ。奥平屋敷跡あたりでシオカラトンボ。左はオス、右はメス。

Dsc00471c_20230729111901  コシアキトンボ。九華橋の上から、堀あたりを飛んでいるのを見下ろして。イマイチです。シャッター アイランドをもっと上げないといけませんが、急いでいてプログラムモードで撮ったのです。

Dsc00535c  内堀あたりでカワラヒワ。あるお宅の屋根に降りてきたところ。このあとで京町のお宅のツバメの巣を見てきましたが、ヒナはもういませんでした。やはり木曜日には巣立っていたのでしょう(2023年7月27日:トンボコレクション……鳥はいませんから)。

Dsc00612c Dsc00623c_20230729111901  拙宅マンションまで戻ってきて、プレイロットでスズメ。早く出かけましたが、この程度の早さでは、野鳥の種類、数はほとんど変わりはないことがわかりました。もっと早く出かけないといけないようです。

Dsc00509c Dsc00583c_20230729111901  ところで、初めに書きましたが、桑名水郷花火大会を撮影するつもりですが、いつもこのシーズンになって、ぶっつけ本番状態。去年は、カメラをソニーのRX10に買えましたので、上手くいかず、不全感が残りました。ナガシマスパーランドの花火でも十分には練習ができませんでしたので、どうなりますか? 上手く撮れれば、ここに載せましょう。

230729165648163c  17時前の様子です。花火大会の会場に向かって歩く人も増えてきましたし、道路は大渋滞。パトカーも1台、渋滞に巻き込まれて動けなくなっていました。このあと17時半からは通行止めになります。16時以降、宅配が2件届いたのですが、郵便局の方は「大回りして来た」とおっしゃっていました。S急便のドライバーさんからは「渋滞で、今日は行けないかもしれない」という連絡があったのですが、その後、「何とかなりそうだから、今から配達に行く」と電話があり、配達していただきました。今年は、車の渋滞の程度がかなり激しい気がします。

Dsc00187c_20230730040901 【追記(7/30)】 大事な写真を1枚、載せ忘れていました。ケラです。普通は、オケラと呼んでいます。子どもの頃、実家の庭でよく見ましたが、最近は極めてまれにしか見なくなりました。住吉入江から住吉神社に上がっていく階段のところで見つけました。茶褐色のコオロギに近い昆虫で、畑・草原の地中で暮らしていますが、飛ぶこともできます。ミミズや植物の根などを食べます。

2023年7月28日 (金)

会議2日目

230728083911963c  三重県には、今日も熱中症警戒アラートが発令されていましたが、桑名では最高気温は35.5℃でした。月曜日に引き続いて、会議の2日目でした。9時から16時過ぎまで出席してきました。月曜の時ほどは疲れませんでしたが、それでも細かい書類を見るのに、目はショボショボ。アタマもそれなりに使って、多少飽和した感じがあります。委員長の先生には、さぞお疲れだっただろうと思います。

230728120616031c  例によって例のごとく、昼食の弁当レポート(笑)。ごはん一番さんのもの。今日は、こちら照り焼きチキン&焼きそば弁当。ほかのチョイスは、焼シャケ&焼きそばか、サラダ巻き助六(こちら)。先日の歯科受診以来、上の左の歯がグラグラしていますので、ゆっくり、慎重に食べました(苦笑)。

230728084302172c  昼休みは1時間取れましたが、今日は外へ歩きには行っていません。猛暑続きに負けてしまったというところです。昼食を済ませてから、缶コーヒーを買いに行って、あとは持参した野鳥の本を読んでいました。野鳥といえば、いつものように7時半から散歩するよりも、もう少し早く行くと、少しはたくさんいるかという気がしますので、明日は、1時間くらいは約散歩に出てみようかと思っています。

 余談。グラグラしていた歯は、結局ポロリととれました(爆)。先日、歯科受診のとき、先生から「動いていますね。でも、下には歯がないから機能はしていません」といわれていたところ。グラグラしているよりは、とれてスッキリした感じ。このままでまぁいいかと思っています。

2023年7月27日 (木)

トンボコレクション……鳥はいませんから

230727115932461c 0727temp  今日も暑くなっています。14時現在で桑名の最高気温は36.6℃(11時)。比較的近いところにある愛西では39.3℃で、13時40分現在全国ランキングのトップ(その後、大阪・枚方が39.8℃を記録していますし、愛西は5位にランクダウン)。大垣は38.7℃で、最高気温の記録を更新したそうです。今朝は家事を済ませ、8時20分から散歩へ。この時点ですでに30℃。ほとんど誰も歩いてなんかいません(苦笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.2㎞。10時には帰宅。

Dsc09815c Dsc09825c_20230727141501  住吉神社あたりでは、土曜日の桑名水郷花火大会の準備が進んでいます。すでに住吉神社は柵で囲われています。堤防にはテントが張られ、椅子などが運び込まれてきています。今年は、入場制限のためという理由で、全席有料。伊勢大橋に近い一般観覧エリアでも¥3,500。打ち上げ場所正面のイス席Aは、¥10,000だそうです。

Dsc09827c Dsc09832c_20230727141501  船津屋さんの裏手、七里の渡し跡のところまで観覧席が設けられます。このあたりは、イス席Cで、¥6,000。ちょっと高いんじゃないの? と個人的には思います。

Dsc09848c_20230727141501  柿安コミュニティパークまで来て、カワウ1羽。ここまでで見たのは、ツバメとスズメを2~3羽ずつ。暑すぎて鳥がいないのです。やはり1回くらい、もっと朝早く散歩して、様子を見てもよさそうです。

Dsc09866c_20230727141501  九華公園について、奥平屋敷跡に行ったら、散歩友達のYさん、Oさん、Wさんが「暑い」「何もいない」と三者会談中(微笑)。見たのは、ムクドリ、スズメ、ハシボソガラス、ツバメ。そして、カワラヒワの幼鳥。暗いところにいたので、無理矢理修正した写真。鎮国守国神社の社務所の裏から、ホシゴイが1羽、飛び出したのですが、写真は撮れませんでした。

Dsc00123c_20230727141501 Dsc00132c  ハシビロガモのオスは、ソメイヨシノの枝が掘すれすれに垂れ下がったところで休憩中。最近は、ここによくいます。

Dsc09971c  鳥がいませんので、トンボ。まずは、ウチワヤンマ。九華公園では堀沿いを何頭もが、縄張りパトロールをしており、ポピュラーなトンボ。

Dsc09951c_20230727141501 Dsc09971c  シオカラトンボもたくさんいます。今日、ほかに見たのは、コシアキトンボ。なかなか止まりませんので、上手く写真には撮れません。2年前には、オニヤンマを見たこともありますが(2021年7月3日:オニヤンマにセミの鳴き始め……余談は「神社に行こう!」というアプリ【付記:コロナワクチン接種券、届きました(7/3)】)、その後はサッパリ。

Dsc09946c_20230727141501  セミは相変わらず賑やかです。クマゼミがほとんどですが、アブラゼミもけっこう見るようにありました。ただ、アブラゼミの鳴き声をあまり聞かない気がします。クマゼミの鳴き声にかき消されているのでしょうか。ほかの公園でもクマゼミの鳴き声が聞こえるばかり。貝塚公園ではキジバトがいたくらい。

Dsc00150c  京町のお宅のツバメの巣を見てきたのですが、空っぽ。近くを親子のツバメが飛行訓練でもしているような感じでした。追いかけては逃げられを繰り返し、暑さでヘトヘトになって、写真は撮れずじまい。

Dsc00157c  昨日の授業の補足説明は、出席者も少なく、書かれていた量も少なかったので、今朝、完成。散歩から帰ってチェックして、任務完了。助手の先生にメールで送り、印刷をお願いしました。これであとは、8月になってからの期末試験を残すのみ。明日は、また終日、会議。

2023年7月26日 (水)

授業最終日は猛暑日……出席少なく、気になってしまいます

230726093203819c230726amedas  7月の最終水曜日の今日は、江戸橋での前期の講義の最終日でもありました。4月12日に始まり(2023年4月12日:いよいよ新学期【ChatGPTについて追記しました(4/12夜)】)、これで全15回をコンプリートということです。今年度前期は、さほど天気が悪くて困ったということはありませんでしたが、最終日の今日は猛暑日。桑名では、15時に36.8℃を記録しています。津でも34.6℃。朝、江戸橋駅を降りて非常勤先に向かう頃にはすでに30℃を超えていました。

230726101321331c 無事に最終回を迎えたものの、出席率が何と70%を下回ってしまい、最終回にして最低記録を更新するという、ちょっと気になる展開。学生諸君、今日の暑さに負けたのか、はたまた、暑さ続きで体調を崩したのか、またもや気になってしまいます。授業の総まとめをして、期末試験について説明するのは分かっていたと思うのですが、それを欠席する? というふうにも思ってしまいます。まぁ、15回のうち10回(2/3)以上出席すれば、期末試験の受験資格はありますから、それはそれでよいと考えることもできますが……。いずれにしても来週は補講期間で、私の授業はありません。8月9日(水)に期末試験を行います。以前にも書きましたが、最近は、その筋のお達しで授業をきちんと15回実施した上で、別枠で試験を行わなければならないのです。

230726121110576c 230726134633508c  帰りに江戸橋駅まで歩いた10分あまりで汗だく(苦笑)。津駅まで行って、今日もまた別所書店に立ち寄って新書2冊を購入。津駅を12時40分に出る名古屋行き急行で帰宅。桑名駅には、13時22分着。10数分、汗まみれになって歩いて帰宅。グッタリ。どこもまぶしい空に入道雲がモクモクと湧いています。昼食を済ませて、出欠確認を終えたところです。出席票はざっと眺めましたが、時間がかかる質問、感想はなさそう。

230726120644198c  余談を2つ。江戸橋駅から非常勤先に行く途中にこのような店がオープンしていました。先週はやっていませんでしたので、それ以降に開店したのでしょう。店名が今ひとつよく分かりませんが「一身田あんこ」かなと思われます。Googleマップにはまだ載っていませんし、ネットで検索してもヒットしません。「愛好家認定 たい焼き」「うまいリング焼」という幟旗が出ています。昼時でしたが、お客さんはいませんでした。

Img_8942c_20230726153101  もう1つは、長太(なご)の大楠。写真を撮ったのは、伊勢河崎ウォーキングに行った帰りの電車からでしたので(2023年7月15日:20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編))、7月15日。ご覧のように葉っぱの出方がかなり少なくなっています。こちらに朝日新聞に載った記事がありますが、まさに再生に向けて正念場というところ。

 

2023年7月25日 (火)

アサガオが咲きました

Dsc09482c_20230725151401  待望のアサガオの花が2輪、咲きました。今年は5月8日に種を蒔き(2023年5月8日:市民大学郷土史学科の講座が始まる……ツバメは3ヶ所で巣に就いています)、5月13日に発芽しています(2023年5月13日:河口堰、長島町内へ……コアジサシは6羽、サギの狩猟シーン、ケリに威嚇された話)。発芽以来、2ヶ月と10日あまりでようやく咲きました。去年、花は確か2色しかありませんでしたが、今年はどうでしょう?

Dsc09709c  さて、昨日、久しぶりにかなりアタマを使ったせいか、夜は何度か目覚めました。脳が興奮した状態が続いていたのかなという気がしますが、熱帯夜も影響しているのでしょう。今朝は、暑さを避けようと、また7時スタートで散歩へ。またまた逆回りに、寺町、京町、内堀公園、外堀、内堀南公園、貝塚公園、九華公園、住吉神社と歩いてきました。その後、今日は午前中に定例の内科受診へ。ついでに買い物に付き合ってきて、歩いたのはトータルで6.6㎞。

Dsc09494c_20230725151401  Dsc09530c_20230725151401 こう暑いと、7時過ぎでも野鳥はほとんどいません。もっと早い時間帯に一度くらい、歩いてみないといけないかも知れません。左の写真は寺町掘で見たスズメ。スズメももちろん、あまり見かけません。京町のお宅のツバメの巣では、残ったヒナ1羽は、元気そうでした。

Dsc09600c Dsc09575c  どこの公園へ行っても、蝉時雨のシャワー。クマゼミの大合唱がほとんどなのですが、今日はアブラゼミも割とよく見かけました。しかし、アブラゼミの「ジリジリ」という鳴き声をほとんど聞かない気がします。アブラゼミは、最近、都市部では減っているといわれています(たとえば、こちら)。ニイニイゼミは、今日も九華公園で鳴いているのには気付いたのですが、姿は見つけられませんでした。

Dsc09664c Dsc09682c  九華公園で越夏中のハシビロガモのオス、今日はどこにいるかなかなか見つけられなかったのですが、最終的には吉之丸堀にある東屋の下の日陰にいました。日陰や、風が通るところを探して、その日居心地が良いところにいるような気がします。九華公園ではほかに見たのは、ごく少数のスズメ、ドバト、ムクドリ、ハシボソガラス、カワウくらい。アオサギさんは、残念ながら来ていませんでした。

Dsc09744c_20230725151501  柿安コミュニティパークを過ぎると、堤防の上を歩きますので、日陰がありません。いささか疲れて歩いていたのですが、船津屋さんの裏へ来たら、鳥の幼鳥らしき鳴き声が聞こえてきました。探してみたら、ホオジロが幼鳥2羽を連れて出て来ていました。ヒナを撮ることはできませんでしたし、親鳥も草がちょっと被ってしまいました。

Dsc09608c_20230725151401  九華公園近くにあるお宅の庭で、これはヤブツバキの実かなと思います。先日、柿の実も大きくなってきていると書きましたが、よく見ると、季節の変化がわかるような気がします。明日も良い天気で暑そうですが、いよいよ江戸橋での講義も、最終回を迎えます。総まとめと試験の説明について。

2023年7月24日 (月)

終日、缶詰で仕事……アサガオは明日咲くでしょう

230724122708010c  昨日が、二十四節気の大暑でした。一年でもっとも暑さが厳しく感じられる頃ということです。今日は、桑名では最高気温は、33.7℃と真夏日でした。予定通り、朝9時から夕方17時過ぎまで、こちらでの会議に出席してきました。それ故、散歩も何もしておりません。昼休みに近くのコンビニまで歩いて行ってきたくらいで、今日1日で歩いたのはたったの2.1㎞。会議の方は、かなりハードでした。検討内容が多かったのですが、委員長の先生の采配で予定からさほど延長することなく終了。老眼が進んだジイ様にとって辛いのは、資料が多い上に、用紙の節約のため縮小コピーされていること。老眼鏡だけでは読めないものがあります。今朝、よほど拡大鏡を持っていこうかと思ったくらいなのです。

230724120846424c B0847b21  毎度のことながら、今日のように終日缶詰での会議となりますと、楽しみは昼ご飯。いつものところの弁当です。今日は、エビフライをチョイス。ほかの選択肢は、白身魚のフライと、助六寿司。値段は昨年までと同じく、インスタントみそ汁と、500mlのお茶のペットボトルがついて¥500だったのですが、さすがに諸色高騰の折から、ご飯・おかずとも量が減っていました(たぶん、間違いはありません)。ちなみに、右の写真は、去年のもの(2022年7月21日:終日、会議で缶詰 )。金曜日にもう1回、同じ会議の続きがあります。

230724184219659c  ところで、帰宅してベランダのアサガオを見たら、つぼみがこんな感じになっていました。これなら明日の朝、花が咲くと思います。これくらいのつぼみがもう1つあります。

2023年7月23日 (日)

東員町でチョウトンボ……九華公園のハシビロガモのオスは健在でした

Dsc09478c_20230723154901  昨日、チョウトンボを見られませんでしたので、一種の緊張状態にあります(昔風の心理学ですが、ツァイガルニク効果というものがあり、いくつかの課題を学習するにあたって、完全に学習した場合よりも未完了の場合の方がその課題の種類をよく思い出すのです。その要因として、未完了課題にはこれを完了させようとする緊張が残存するためと考えられたのです)。緊張解消は、なるべく早いほうが良いだろうということで、朝6時半から東員町方面へ。万助溜公園と山田溜公園に行ってきました。その後、この間から所在不明になっているハシビロガモのオスが気になりましたので、九華公園へ。歩いたのは、合計5.7㎞。

Dsc08645c Dsc08660c_20230723155101  万助溜公園は、去年もチョウトンボを見に行っています(2022年7月23日:チョウトンボはほとんどおらず、残念)。去年もそうでしたが、蓮池はかなりの部分がガマにおおわれてきています。蓮も一時に比べると、少なくなっていて寂しい感じ。昨日の船頭平河川公園といい、維持管理が難しいのかも知れません。

Dsc08757c Dsc08740c  ここでは、ブロ友のmakoさんが1ヶ月近く前に30頭くらいチョウトンボが舞っていたと書いておられたのですが(わ!出た^^!)、今日は、かなり粘ったにもかかわらず、3頭ほどしか見られず。しかもここにいる間、雲がかかりがちで、あのメタリックカラーもイマイチでした。ほかにいたのは、シオカラトンボ、コシアキトンボ、ウチワヤンマ、ギンヤンマ、ショウジョウトンボ(右の写真)など。

Dsc08655c  蓮池にはスイレンも咲いているのですが、これもちょっと寂しい。 

Dsc08775c_20230723155101 Dsc09159c_20230723155201  ちょっと迷ったものの、もう少し緊張解消をしていこうと、山田溜公園へ。山田溜公園は調べたら、3年ぶりでした(2020年7月22日:今日も万助溜公園にてチョウトンボ……余談はアサガオの支柱を立てた話とメダカの赤ちゃん)。ここはスイレン池があり、そこに割とチョウトンボがいるのですが、ここでも4頭くらいを見ただけ。

Dsc08793c_20230723155101  ウ~ン、どうもねぇという感じですが、いないものは仕方ありません。30分近く粘ったのですが、やはりイマイチ。緊張解消は、中途半端に終わっています。スイレンを撮って撤収。九華公園へ。

Dsc09276c_20230723161001 Dsc09250c  8時半に到着。クルマで移動しています。九華公園についてからは快晴で暑くなっています。それでも、散歩友達は、Oさん、Wさんに会えました。今日は、九華橋近くの樹上にアオサギさんが1羽来ていました。

Dsc09215c Dsc09427c_20230723155001  気になっていたハシビロガモのオスは、よく探したところ、二の丸堀にかかる二の丸橋の南側の袂そばのソメイヨシノの下にいました。左の写真でほぼ中央に写っています。

Dsc09328c  ハシビロガモのオスがいたのは遊歩道のすぐそばで、近くを人が歩いたら堀に出て来ました。元気そうで、安心しました。身繕いのあと、バッサバッサと翼を羽ばたかせています。ほかには鳥は少なく、スズメも、ドバトもほとんど見ませんでした。

Dsc09289c  Dsc09468c_20230723155001 公園の外周遊歩道の東で、ニイニイゼミを発見。ソメイヨシノの木にいたのですが、樹皮に同化していて見つけにくいのです。クマゼミがほとんどなのですが、アブラゼミもごくたまに見ます。

Dsc09307c  ところで今週は、私にしては用事の多い1週間です。月曜、金曜と毎年恒例の会議。2日間とも、終日、缶詰です。水曜は、江戸橋の講義の最終回(ただし、8月に期末試験があります)。火曜午後は、定例の内科受診に行かないと。

Dsc08628c_20230723161701  オマケ。わが家の朝顔、昨日の夕方、ようやくつぼみを見つけました。今のところ3つ。今朝はまだ咲いていません。もう少し膨らまないと、咲かないでしょう。しかし、楽しみです。小学生みたいですが……。

2023年7月22日 (土)

あちこち見て回る……コアジサシ、コチドリその他

Dsc08147c  今日は、プチ遠征。コアジサシが気になっていますので、それを見てから長良川河口堰へ。長島町内でアマサギがいないか見てから、船頭平河川公園へ。さらに国営木曽三川公園近く神社。愛知・岐阜・三重を制覇してきました(微笑)。今日も朝6時半出発。冒頭の写真は、長良川河口堰の親水広場から西の方を見たもの。

Dsc07662c_20230722142501  7月16日にコアジサシファミリーがいたところは(2023年7月16日:コアジサシ・ファミリーその2とコチドリ、アオサギほか)、翌日には何もいなくなったそうですが、念のためまずはそこへ。最初は、スズメしかいなかったのですが、しばらく待ったら、コアジサシの成鳥が1羽、飛んできて降りました。ただし、何をするでもなく10分近くほぼ動きませんでした。コチドリがいたところには、ドバトとムクドリのみ。

Dsc07715c_20230722142501 Dsc07816c_20230722142501  さらにもう1ヶ所、別のところへ。NP2としておきます(仲間内だけでわかる符帳で、恐縮)。ここには、コアジサシの成鳥が2羽。クルマの中から見ていたのですが、警戒して近くへ飛んできます。ヒナがいたり、抱卵していたりするという話しなのですが、そこまでは確認できませんでした。しかし、かなり警戒していましたので、その可能性は十分にあるかと思います。

Dsc07990c_20230722142601 Dsc07995c  SP2では、コチドリが2羽。左の写真は成鳥ですが、右の写真のものは幼鳥のように見えます。

Dsc08031c_20230722142601 Dsc08044c  続いて長良川河口堰へ。結論から書きますと、静かでした。東側の魚道では上流側にコサギ、下流側にアオサギが、それぞれ1羽いたのみ。

 Dsc08079c Dsc08110c_20230722142601 西側では、上流側の魚道のところにコサギが1羽。親水広場の水路にコチドリの幼鳥と思います。ほかに2羽のコチドリが飛び去ったのを目撃。監視塔近くにコアジサシの成長が1羽やって来ていたほかは、カワラヒワの姿を見ました。今日は、中州からオオヨシキリの鳴き声は聞こえず。

Dsc08152c_20230722142601  管理橋を渡って東側に戻る途中、閘門のところにアオサギが1羽やって来ていました。ほかには、カワウを数羽見たくらいで、先に書きましたように、静かでした。過去には、今頃、ダイビング祭が行われていたこともあって、多少は期待したのですが……。その後、長島町内を少しだけ回ったのですが、水田にはサギの姿はありませんでした。

Dsc08274c_20230722142601 Dsc08238c  船頭平河川公園なのですが、ここに着いてから去年のことを思い出しました。失敗です。というのは、去年7月に船頭平河川公園の蓮が全滅したという話を聞いていたのです(2022年7月2日:万助溜公園にてチョウトンボと蓮の花)。去年の様子を見ていませんからなんともいえませんが、蓮田、蓮の花とも一昨年来たときに比べ(2021年7月11日:船頭平河川公園でハスとチョウトンボ、ウグイス、治水神社でダイサギコロニー……上之輪新田のケリは稲が伸びてきて確認できず、残念)、激減。葦が生い茂っていてしまっていました。

Dsc08379c_20230722142601 Dsc08428c  チョウトンボを探して歩き回ったものの、やはり見つけられませんでした。もっとも多かったのはシオカラトンボ。ギンヤンマも少しいました。写真は撮れなかったのですが、赤とんぼの仲間も見られました。

Dsc08310c_20230722142601  ほかにはミドリガメやウシガエル、さらにアメリカザリガニDsc08298c_20230722142601条件付特定外来生物」に指定されてしまいましたが、子どもの頃はあちこちの田んぼや水路にたくさんいました。スイレンも少しだけ咲いていましたが、全体として通路にも草が生えてしまっていたりして一昨年来たときに比べ、ちょっと残念な状況でした。

Dsc08346c_20230722142601  鳥は、ウグイスがあちこちで鳴き、キジバトを見かけたほかは、上空を北から南に向けて、ダイサギが1羽、通過するのを見たくらい。

Dsc08517c Dsc08527c_20230722150501  最後に、こちらの近くにある神社。アオサギやダイサギが営巣しています。今日見た限りでは、ほとんどがダイサギでした。

Dsc08448c_20230722142601 Dsc08480c  よく見えるところにはあまり営巣していませんでしたし、すでに「ヒナ」といえる小さい個体は見当たらず、今年生まれのダイサギも、親と変わらないくらいの大きさになっています。

Dsc08609c  今日は32.4℃。わが家は、朝のうちは風が通って涼しいのですが、さすがに午後からはいけません。エアコンのお世話になることが多くなります。チョウトンボを今年は見ていませんので、明日、ほかのところへ行きたいなと思っているところです。写真は、近所のお宅のサルスベリ。

2023年7月21日 (金)

ハシビロガモのオス、所在が不明

Dsc07633c_20230721142301  気温が少し落ち着いて、今日は31.7℃にとどまっています。10時前くらいから風も吹いてきて、昨日までよりも多少楽な感じです。今朝も家事を済ませ、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と、今日は4.8㎞。いつもと同じように歩いたつもりですが、九華公園内であまり歩き回らなかったためでしょう。

Dsc07342c Dsc07362c  鳥は相変わらず少なく、張り合いがありません。スズメは、船津屋さんの裏で、また、ドバトは、三の丸水門でそれぞれ撮りました。鳥を見たときに撮っておかないと、空振りになりそうだからです(苦笑)。

Dsc07430c_20230721142301 Dsc07412c_20230721142301  九華公園の北門のところで散歩友達のYさんに出会いましたが、「今日も何もいないよ」ということでした。確かにその通りで、スズメ、ドバト、ムクドリなどもほとんどいません。カワウは、吉之丸堀にて。吉之丸堀といえば、気になることがあります。昨日からハシビロガモのオスの所在が不明になっています。右は、ハシビロさんがよくいたところ。今日も一通り見て回ったのですが、いません。

Dsc07379c Dsc07391c  鎮国守国神社では、ご神事も終わり、茅の輪くぐりができるようになっていましたので、今年2回目ですが、くぐってきました。払え串もたくさん収められています。

Dsc07516c Dsc07588c  京町のお宅のツバメの巣が気になって、今日も見てきました。が、昨日、巣の下にいたヒナ1羽は姿が見えなくなっていました。残るヒナは、巣にいる1羽のみ。4羽いましたから、25%になってしまったという次第。この1羽だけでも無事に巣立ってほしいものです。

Dsc07605c_20230721142301 1689815231611c  帰りは、寺町商店街のアーケードを通ってきました。アーケードは、今では少なくなってしまいましたが、雨の日や、今日のような天気が良くて暑い日にはとても助かります。商店街では、今日・明日と「びっくり夜市」が予定されています。子どもたちが小さかった頃には出かけましたが、今はご縁がありませんねぇ。

Dsc07483c Dsc07449c_20230721142301  鳥はおらず、暑くて歩く距離も短く、クマゼミの大合唱を聞きに行ったような散歩でした(苦笑)。まぁ、しかし、暑くても歩いて、体を動かし、日に当たって汗をかく方が良いでしょうから、明日からも「修行」を続けましょう。右の写真は、九華公園近くのお宅で見たセンニチコウ

 

2023年7月20日 (木)

梅雨明け宣言で、桑名はまた最高気温ランキングトップか!?

Rainyseasonendc0720tempranking   東海地方は、午前中に中国(山口県を除く)、近畿地方とともに梅雨明けが宣言されました(冒頭の写真は、中日新聞Webの記事から)。そして、今日もまた、桑名の最高気温36.1℃(13時20分)は、17時現在の速報値で全国ランキングのトップです。この時刻から、ランキングは変わらないでしょう。今シーズン2回目です。梅雨が明けると、いよいよ猛暑の日々が続くのを覚悟しなければなりません。

Dsc07284c  今朝は家事を済ませ、8時15分から散歩へ。いつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.2㎞。気温は高かったものの、昨日までほど湿度は高くなく、木陰では風もあって多少は楽でした。

Dsc06565c_20230720144501 Dsc06563c  夏にしては珍しく、木曽御嶽山まで見通せました。多少雲がかかっていたものの、右の写真のようによく見えていました。

Dsc06568c Dsc06735c  揖斐川沿いでは、7月29日の桑名水郷花火大会の準備が進んでいます。住吉神社の近くでは草刈り作業が行われていました。今年は、船津屋さんの裏手の揖斐川の高水敷も観客席になるようで、すでに草が刈られ、高水敷に降りる階段も仮設されています。

Dsc06578c  今年も、去年に引き続き全席有料だそうです。揖斐川の堤防道路には、「場所取り禁止」などの掲示が出ています。小学校のグラウンドを臨時駐車場にしますが、1台¥2,000だとか。1時間の花火でこの値段、しかも送迎もなしというのは、ちょっと高いんじゃないかという気がします。

Dsc06719c_20230720144401 Dsc06759c  などと、暑い中ぼやきながら歩いていましたら、船津屋さんの裏でホオジロのオスを見つけました。ぼやくのも悪くないかも知れません。暑い時期にもごくたまにこのあたりでホオジロを見ます。七里の渡し跡では、スズメ。

Dsc06875c_20230720144401  九華公園までで出会った散歩友達は、Wさんのみ。「誰もいないぞ」といわれましたが、いつも通り九華公園へ。鳥もいませんでした。カワウさんは、吉之丸堀の東屋の下にいました。さすがに暑いのでしょう。鳥は、ほとんどいません。見たのは、ムクドリ、ハシボソガラス、ドバトなど少数。スズメもほとんどいません。ハシビロガモのオスも、今日は見当たりません。

Dsc06822c_20230720144401 Dsc06830c  相変わらずクマゼミの大合唱なのですが、ふと見たソメイヨシノの木にアブラゼミがひっそりと止まっていました。今年初めてアブラゼミを見ました。

Dsc06864c Dsc06853c_20230720144401  鎮国守国神社では、土用の入りの今日が、茅の輪くぐり。ご神事は毎年16時からですので、いったことはありません。午前中はまだ、茅の輪はくぐれないようになっていました。また明日、です。右の写真に写っているのは、「払え串」。氏子の方のお宅に配られ、茅の輪くぐりの当日、鎮国さんに収めるとお祓いをしていただけるのです。

Dsc06914c_20230720144401  そうそう九華公園の外周遊歩道の南でシジュウカラを見ました。例の幼鳥きょうだいと思います。虫を捕まえて、一所懸命に食べていました。貝塚公園、内堀南公園、内堀公園には、ほとんどクマゼミしかいません。

Dsc07014c_20230720144401  京町のお宅のツバメの巣を見てビックリ。巣の中には、ヒナは1羽しかいないのです。月曜に目の前でヒナ1羽が落下するのを見ましたが(2023年7月17日:悲報! 京町のツバメの巣でヒナが落下)、そのあとも同様の悲劇が起きて、ついに1羽になってしまったのかと思ったら、すぐ近くからツバメのヒナの鳴き声が聞こえてきました。

Dsc07028c_20230720144401 Dsc07144c_20230720144301  この巣は、駐車場の天井に作られているのですが、そこの床に1羽が落ちていたのです。よく見ると、ケガをしている様子もなく、元気そうでした。道の向かい側からしばらく見ていましたら、親ツバメは、落ちたこのヒナにもエサを運んできていました。

Dsc07244c_20230720144301  もちろん巣に残っているヒナにも、親はエサを与えに来ています。ツバメのヒナの巣立ち率は約50%といいますが、これでちょうど50%。落ちたヒナも元気に育ってほしいものです。ここのお宅の方は、毎年ツバメがくるのを楽しみにしておられますので、大丈夫であろうと思っています。

Dsc07273c  ところで昨日の授業のQ&Aは、今朝は、早く目が覚めましたので、早朝から作業に励み、朝食までに一応完成。散歩から帰って昼食までにチェックして、仕上げました。これで一安心。赤い花は、モミジアオイ。寺町近くのお宅にて。

Dsc06843c  冒頭に書きましたように、梅雨明けが宣言されました。週間予報を見ますと、来週初めに天気が少し崩れるようですが、それ以外は晴れて猛暑の日々という予報。「梅雨明け十日」といいますが、その通りのようです。暑さに負けず、元気を出そうということで八重ヒマワリの黄色い花の写真。鎮国守国神社にて。黄色は、ビタミンカラーだそうですから。

20230715伊勢河崎ウォーキング(その3)……倉田山公園、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を経て宇治山田駅へゴールにて「完」

Kawasaki4 Kawasaki5  7月15日の伊勢河崎ウォーキング本編その3です。その2では、河崎の町にある河邊七種神社、伊勢河崎商人館、そして、川の駅・河崎を回り、勢田川沿いを下って二軒茶屋まで歩きました。その3では、二軒茶屋から旧三重交通神都線の線路跡をたどって倉田山公園に向かいます。ここにある野口みずき金メダルロード顕彰碑と、沢村栄治投手&西村幸生投手の胸像を見て、松尾観音寺、倭姫宮をたどっていきます。

Img_8685c_20230718041201 Img_8694c_20230718041201  二軒茶屋から倉田山公園に向かう途中、再びJR参宮線をくぐります。その1にも書きましたが、このあたりは旧三重交通神都線の跡です。などということを思い出しながら県道22号線を越え、倉田山公園入り口の信号から、さあ坂を登ろうと思ったら、タイミングよく神都バスが来ました。三重交通が運用しています。神都線の路面電車が、第62回式年遷宮(平成25(2013)年)に合わせて、路面電車型バスとなって生まれ変わったものです。

Img_8707c_20230718041901  倉田山公園には11時45分頃到着。それまではほぼ平地を歩いていたのですが、10数mまで登ってきました。ここにはダイムスタジアム伊勢という野球場があり、この日は甲子園の三重県予選が行われていました。我々がここに着いた時には、宇治山田商業対亀山の試合中。次の試合は、皇學館対上野で、球場あたりには皇學館の応援に来た方がたくさん。皇學館高校はここからすぐのところ にあるのです。

Img_8696c_20230718041901 Img_8703c_20230718041901  球場脇にまずは、野口みずき金メダルロード顕彰碑野口みずき選手は、伊勢市出身。平成16(2004)年のアテネオリンピックの女子マラソンで優勝しました。その功績を顕彰し記念するため、三重県立宇治山田商業高等学校時代に実際にトレーニングで走ったコースを顕彰記念道路として設置し、その愛称を「野口みずき金メダルロード」と名付けたのです。顕彰碑は、平成17(2005)年10月に建てられています。

Img_8714c_20230718041901  球場に近いところにこちらの胸像。伊勢が生んだ2人の名投手、沢村栄治投手と、西村幸生投手。この胸像は元々別のところにあったのですが、平成26(2014)年3月、隣り合わせに移設されました。この記念と、球場のリニューアルオープンを記念して、創立80周年を迎えた読売巨人軍と、翌年80周年を迎えた阪神の2球団による「伝統の巨人阪神戦80周年企画」の一環として行われました。向かって左が沢村栄治投手(大正6(1917)~昭和19(1944)年)、右が西村幸生投手(明治43(1910)~昭和20(1945)年)。沢村は、宇治山田駅前にある明倫商店街に生家跡があります。旧京都商業(現在の京都学園高等学校)に進み、甲子園にも出場。17歳の時に出場した日米野球ではベーブ・ルースらがいた大リーグ選抜を1点に抑えました。巨人では3度のノーヒットノーラン試合を達成しています。昭和19(1944)年、3度目の出征の際、輸送船が台湾沖で攻撃され、27歳で戦死しました。背番号14は巨人初の永久欠番。今も、「沢村賞」にその名を残しています。西村は、現在の伊勢市大世古町出身。学生野球(関西大学)で活躍した後、昭和12(1937)年、大阪(現阪神)タイガースに投手として入団。同年秋、翌年春の優勝に貢献しています。昭和14(1939)年に退団、昭和20(1945)年4月、フィリピンで戦死しました。沢村投手との対戦を望んで阪神タイガースに入団したといいます。

Img_8743c  ルートマップはその4になります。倉田山公園からさらに少し登ると龍池山松尾観音寺があります。奈良時代始め(712年)、行基が伊勢神宮参拝の折、この松尾山に雄・雌の龍が住むと伝えられる池があることを知り、その池のほとりに自ら観音様を刻み寺を創建したと伝えられています。その後は、伊勢国の国司であった北畠(きたばたけ)氏が祈願寺として守護し、その後、北畠家一統の木造(こつくり)氏が氏寺として守護してきました。創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない「単立」という特異な形態の祈願寺です。ご本尊は、「十一面観世音菩薩」と、脇仕の「地蔵菩薩」「毘沙門天」。この本堂は、約200年前の文政3(1820)年、総欅(そうけやき)造りで建てられています。

Img_8729c_20230715172901  今シーズンは、まだ蓮を見ていなかったのですが、ここで見られました。本堂裏には、二つ池(龍池)と呼ばれる2つの池があり、昔から東の池には雄龍、西の池には雌龍がそれぞれ住んでおり、観音様をお守りになっているといわれています。今から約600年前の応永10(1403)年5月、本堂が火災に遭った際、池から2体の龍神が姿を現わし、雄龍は燃え盛る炎を飲み込みながら舞い降り、観音様を自らの体で幾重にも巻き付け、また、雌龍は何度も池の水を炎に吹きかけ、観音様を火災から守ったという伝説が残っています。ここの境内には、庚申堂、松尾龍池社などさまざまなものがあります。詳しくは平成30(2018)年10月8日に訪ねた記事をご覧ください(2018年10月24日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(その4)……角屋麦酒、神都線線路跡(?)、野口みずき金メダルロード顕彰碑、沢村栄治・西村幸生胸像を見て、松尾観音寺へ)。

Img_8767c_20230718044701  Img_8774c 松尾観音寺から倭姫宮へ向かうのですが、学校法人皇學館が経営する皇學館中学・高校・大学の敷地の脇を通っていきます。さらに住宅地の中を通り抜けると倭姫前交差点に出ます。そこに神宮文庫があり、立派な門が立っています。神道、文学、歴史などの貴重な和書20万冊を含み、約31万冊が収蔵されているそうです。慶安元(1648)年、外宮の東隣に豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)が創設、また、貞享3(1686)年には、内宮文庫が立てられました。元禄3(1690)年に内宮近くの林崎の地に移され、林崎文庫と改称されています。久邇宮朝彦親王が林崎文庫内に皇學館を創設したのですが、両文庫は、図書館であると共に神職子弟の教育機関でもあった訳です。「諸車通行禁止」とありましたので、入るのがはばかられ、覗いても来ませんでした。

Img_8781c_20230718061801  倭姫前交差点のところに道標が1基あります。3面に矢印とともにいずれも「古市へ二町」と刻まれています。碑陰には、「昭和四年十二月建之」とあります。古市は、外宮と内宮を結ぶ参宮街道沿いにあり、17世紀以降には遊郭や芝居小屋、旅館が並び、伊勢随一の歓楽街としてにぎわったところ。要するに、伊勢参りの参拝客が増加するにつれ、参拝後に精進落としをする場所として賑わったのです。最盛期の天明(1781~1789年)頃には妓楼70軒、遊女1,000人、浄瑠璃小屋も数軒というにぎやかさで、「伊勢参り 大神宮にもちょっと寄り」という川柳があるほど活気に溢れていたといいます。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場しました。二町は、218mあまりのこと。

 さらに交差点の北側には、Img_8785c_20230718062001「崇敬致誠」という石碑があります。これは、神宮徴古館が設立されたときの記念碑です。明治42(1909)年、神宮徴古館は内宮や外宮の神苑を整備した神苑会により設立されました。神苑会は、徴古館設立後に役目を終え、神宮に徴古館を献納して解散しています。この石碑の題字「崇敬至誠」は、徴古館建設に関わった多くの方の崇敬を伝えるものだそうです。なお、題字は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王(文久2(1862)~大正2(1913)年)によります。

Img_8795c_20230715172901  倭姫宮です。御祭神は、倭姫命(やまとひめのみこと)。垂仁天皇の皇女。『日本書紀』によれば、天照大神を伊勢に祀り、伊勢神宮の初代斎宮(さいぐう)となりました。また、東征に向かう甥の日本武尊に草薙剣を与えたといいます。倭姫命は、垂仁天皇25年、それまで倭(やまと)の笠縫邑(かさぬいのむら)で天照大神を奉斎していた崇神天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にかわって「御杖代(みつえしろ)」として奉仕。さらによい鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃、尾張を経て伊勢国五十鈴(いすず)川上に遷座したと伝承されます。

Img_8803c_20230715172901  倭姫宮交差点近くにある鳥居をくぐってから200mあまりの参道を進んで行くと、社殿があります。倭姫宮は、大正12(1921)年に御鎮座という、新しいお宮なのですが、木々は鬱蒼としていて、神聖な雰囲気は十分。大きな功績を示した倭姫命の御神徳を慕って、大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が、命を祀るお宮の創立を請願し、大正10(1921)年1月、皇大神宮別宮として創立が許可され、同12(1921)年11月にご鎮座祭が執り行われたといいます。伊勢神宮には、別宮・摂社・末社・所管社の諸宮社(神宮が管理するのは、125社)があります。いずれも由緒は古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、設立が明らかで、極めて新しいのは、この倭姫宮のみです。

Kawasaki1  倭姫宮から神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館のところを通って神田久志本本町の方へ下っていきます。実際にあるいたルートマップは、その5といいたいところですが、その1に逆戻り。御幸道路に出たところに日蓮聖人誓願の井戸。金刀比羅神社は、坂道を登っていかねばならないところを通り過ぎてしまい、パス。正寿院と光明寺を見て、スタート&ゴールの宇治山田駅に向かいます。

Img_8812c_20230718100701 Img_8822c_20230715172901  日蓮聖人誓願の井戸です。延長5(1253)年、日蓮上人が関東下向の途中で旧常明寺(じょうみょうじ)に参籠し、境内の井戸を潔斎して3つの誓い(三大誓願)を立てた場所です。日蓮の三大誓願とは、「我 日本の柱とならん、我 日本の眼目とならん、我 日本の大船とならん」です。常明寺は継体天皇代の創建とされ、もとは真言宗でしたが、寛永年間(1624~1644年)に天台宗に改宗。度会氏(二門)の氏寺。常明寺は、明治の廃仏毀釈の際、廃寺になり、明治15(1882)年、常明寺跡に伊勢・欣浄寺が復興されていますが、のちに移転。倭姫命の陵墓の伝承地が隣接します。『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、倭姫命は尾上山峰に退いて「石隠」したといいますが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であるといわれるそうです(宇治山田陵墓参考地に指定)。この倭姫命の陵墓は、パスしてしまった金刀比羅神社の手前にあったのだそうで、これはちょっと失敗。

Img_8830c_20230718100701 Img_8834c  左の写真が、日蓮聖人が100日間にわたって水垢離をした井戸。また、ここには、誓願塔や石造宝塔が建てられています。大正13(1924)年、正法護持財団によって上人の遺跡の聖域や井戸が整備修復され、誓願塔も建てられています。また、平成3(1991)年には、新しく石造宝塔が建てられました(こちら)。

Img_8852c_20230718103201 Img_8849c_20230718103201  御幸道路を宇治山田駅の方に向かっていくと、勢田川の手前、右側にお寺が2つ並んでいます。まず、大塚山正寿院赤心門寺。浄土宗。平安時代前期の弘仁3(812)年に弘法大師・空海が真言密教の道場として創設したのが始まりで、安土桃山時代の天正2(1574)年に浄土宗に改宗しています。

Img_8845c_20230718103201  宝暦13(1763)年、霊元天皇の皇子職仁親王第二世に当たられる有栖川宮織仁親王殿下が伊勢神宮参拝の時、当山の南楼黒書院に宿泊されて以来、有栖川宮家と深い関わりができています。山門に菊のご紋章があしらわれていたのは、このためのようです。この写真は、平成22(2010)年にできあがった赤心殿。

Img_8858c Img_8871c_20230718103201  こちらは、金鼓山(きんこざん)光明寺。臨済宗東福寺派。寺伝では、天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により伊勢神宮外宮宮域の南方の前山の鼓ヶ岳(現伊勢市前山町)に創建されたといいます。しかし、もとは外宮宮域の北方の山田の世木(現在の伊勢市駅前付近の伊勢市吹上、勢田川左岸)の世木神社の近くにあり、外宮神職であった度会氏の世木広光が創建したというのが定説とされます。鎌倉時代末期の元応元(1319)年、禅僧の月波恵観(げっぱえかん)が再興。恵観はもともと天台宗でしたが、東福寺の禅師癡兀大恵(ちこつだいえ)に師事したことから当寺が臨済宗に改宗されたと考えられています。

Img_8865c_20230718103201  ここはまた、南北朝時代の南朝の武将結城宗広(ゆうきむねひろ;?~延元3=暦応1(1338)年)の終焉の地でもあります。結城宗広は、延元元・建武3(1336)年、北畠顕家とともに陸奥の大軍を率いて西上、足利尊氏を九州へ走らせ、翌延元2・建武4(1337)年ふたたび尊氏追討のために奥州をたったものの失敗し、吉野に逃れます。翌年、顕家、義貞が相次いで戦死したため、奥州における南朝勢力再建を企図し、伊勢大湊(いせおおみなと)を出航したものの、天竜灘で暴風にあって吹き戻され、延元3・暦応元(1338)年、伊勢光明寺で病没しています。自決であったともいいます。宗広は当寺境内の「結城宗廣卿墳墓」に葬られました。ちなみに、結城宗広に関連して、津市にある結城神社は結城宗広をご祭神としていますし、境内に墓もあります(2019年5月10日:20190428近鉄ハイキング「『阿漕』砂浜ハイキングと津グルメ散策」へ(その2)……教圓寺、神明神社、山二造酢を経て結城神社へ)。結城宗広の墓は、福島県白河市の関川寺(かんせんじ;結城家の菩提寺)にもあります。伊勢の光明寺あたりが終焉の地で、結城神社近くの阿漕浦海岸で遭難したという言い伝えもあるようです。

Img_8896c_20230715172901 1689394935695c  これで目的地はコンプリート。宇治山田駅近くには13時15分頃に戻ってきました。暑かったので冷麺か、冷たい蕎麦でも食べたかったのですが、我々が行った「うじやまだ駅前横丁」にはそば屋はなく、ラーメン屋さんは営業していませんでした。そこでまんぷく食堂さんへ。プチからあげ丼、¥650をチョイス。からあげ丼では、ちょっと量が多そうな気がしたのです。プチにして正解。ちなみに、ここまんぷく食堂さんは、伊勢のソウルフードといえば必ず名前が上がる店だそうです。「からあげ丼」は来客の8割が頼むという超人気の品。スパイシーな唐揚げを、出汁と卵でふんわりととじてあり、クセになりそうでした。

Img_8911c_20230715172901  帰りは、宇治山田駅発13時40分の伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には14時20分に到着。14時23分の名古屋行き急行に乗り換え、桑名には15時22分着。¥1,450。運賃もそれなりに高く、乗車時間も結構長かったのです。

230715165343428c  230715170118008c 本日のお土産は、もちろん二軒茶屋餅。10個入りで¥840。あんこの入ったきなこ餅です。シンプルでとても美味しいのです。個人的意見としては、赤福や、ひょっとしたらへんば餅もより美味しいかも知れません。賞味期限は2日間で、7月16日まで。賞味期限が短いこともあって、あまりあちこちで売っていないので、ちょっと残念。ここ本店、伊勢角屋麦酒外宮前店伊勢角屋麦酒内宮前店(おかげ横丁)のほか、宇治山田駅のファミマでも売っているようです。

 Screenshot_20230715153958cこの日のGoogle Fitのデータ。ルートマップでは現地で歩いたのは8.2㎞。Google Fitではトータル10.1㎞。帰りは桑名駅までクルマで迎えに来てもらいましたので、これくらいでしょう。歩数は、18,738。よく歩きました。今回は、暑い日でいささかへばりました。

Img_8918c_20230722113301 230715134839230c  オマケ。帰りに宇治山田から伊勢中川まで乗った電車は、ミジュマルトレイン。去年の1月から運行されているそうですが、主に賢島~伊勢中川間を走っていますので、なかなか目にする機会がありませんでしたし、乗ったのも初めて。

Img_8936c_20230722113301  ミジュマルというのは、みえ応援ポケモンに認定されているポケモン。鳥羽の方では、ミジュマルバスも走っているそうですし、県内各地で「ポケふた」というポケモンのキャラクターをあしらったマンホールの蓋が順次設置されているそうです(ただし、桑名はまだ)。

2023年7月19日 (水)

江戸橋での講義も残すところ1回

Amedas0719  昨日より最高気温は低くなったものの、それでも34.3℃と真夏日。さすがに今日は、全国最高気温ランキングのトップ10には入っていません。江戸橋での第14回目の講義でした。残りの講義は1回で、8月2週目に期末試験を行います。授業中は、雲がかかっていたのに、自宅でも、勤務先でも駅との往復のときは、何故かカンカン照り。汗だくになりました。

230719093249058c  講義の本格的な内容は、今日でオシマイ。来週は、期末試験に向けての総まとめです。先週、出席率が70%ほどに低下して心配したのですが、今日は80%弱に回復。「レポートを提出して、緊張が緩んだ」という仮説はほぼ認められたような気がします。ただ、先々週までは、80%台半ば以上の出席率を維持していましたから、今日は、暑さに負けた学生もいるような気がします。個々の学生達は、もちろんそんなことは気にせず、自分の事情、都合で欠席しているのでしょうが、教員としては出席率が下がると、心配になります。「親の心、子知らず」ということばがありますが、「教員の心、学生知らず」なのかも知れません。

230719121713125c  今日は、志登茂川へも、津駅の別所書店にも寄り道はしていません。川には鳥はいないでしょうし、今のところ欲しい本もありません。そして何よりも、この暑さでは、早々に家に帰って涼みたいと思うのです(苦笑)。帰宅後は、シャワーを浴びて、昼食を済ませ、出欠確認を終えたところです。これからボチボチと、いつものようにQ&A作成に着手します。夜は雨のようですが、明日は晴れて、最高気温は35℃という予報。朝、家事をしなければなりませんが、8時過ぎから散歩に出ていては、すでに暑くなっているかも知れません。対策を考えないといけません。

20230715伊勢河崎ウォーキング(その2)……河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎から二軒茶屋へ

Kawasaki2  7月15日の「伊勢河崎ウォーキング」の本編その2です。その1の後半から伊勢・河崎の町に入っています。その2では、河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎と進んでいきます。

Img_8437c_20230715172901 Img_8332c_20230717111701  河邊七種(かわべななくさ)神社。河崎の氏神様。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名によって河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。例祭は7月14日ですが、その日に近い日曜日に地域の夏祭り「天王祭」が開かれます。我々が訪ねた翌日が、この天王祭。神輿が町内中を「そいやそいや」のかけ声で練り歩き、夜店とイベントでにぎやかだそうです。祭りの最後には、勢田川に浮かべた船から打ち上げられる花火と、川面を走る水中金魚花火が恒例といいます。

Img_8419c_20230715172901  旧社格は、村社。明治23(1890)年9月、菅原社、秋葉社を合祀。明治41(1908)年11月、広峰社、水神社、稲荷社、幸神社、猿田社、金毘羅社を合祀しています。主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。相殿神は、次の8柱:八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比売神(やちまたひめのかみ:集落や道の要所にすわり、八衢比古神とともに邪神・悪霊の侵入をふせぐ)、久那斗神(クナドノカミ:集落の入り口や道路の分岐点などにまつられ、種々の邪霊・禍災の侵入を防ぐと信じられた)、大物主神(オオモノヌシノカミ:大国主命の別名。大神(おおみわ)神社の祭神。別名は三輪明神)、火産霊神(ほむすびのかみ:迦具土神(かぐつちのかみ)ともいう。火の神)、菅原道真公水神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:稲の精霊が神格化されたもので、五穀、食物をつかさどる神)。このほか、祭神不詳二座となっています。

Img_8424c_20230717155601  境内社には、吉家稲荷神社(吉家神社)があります。町内に無格社として祀られていたものを昭和11(1936)年にここに遷し、祀っています。20年に一度、御遷座が行われているようです(たとえばこちら)。

Img_8408c Img_8412c_20230717155701  他には、境内には、樹齢600年といわれる大楠がありました。楠の前には、鳥居がありましたので、ご神木かと思います。さらに、このクスノキの根元をよく見ると、右の写真のような石柱がありました。「橿原神宮…」という文字が見て取れます。「橿原神宮遙拝所」なのでしょう。

Img_8434c_20230717155801  ご神木の南には、「両宮遙拝所」と刻まれた石柱があります。両宮は、もちろん外宮と内宮ですが、こんなに近いところなのに遙拝所があるとは何となく不思議な感じがします。ちなみに、2枚目の写真に一の鳥居が写っていますが、それに向かって右手の更地は、河崎会所跡であり、さらに遡ると、明治元(1868)年にここに山田商法会所(後の伊勢商工会議所)があったところのようです。

Img_8457c_20230715172901 Img_8469c_20230715172901  続いて、伊勢河崎商人館。ここは、江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋・小川商店の建物を利用しています。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなり、伊勢河崎を代表する商家といわれます。この小川酒店を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。9時30分~17時00分、火曜日休館、大人350円です。受付で拝観についてとても丁寧に説明していただけます。日本最古の紙幣である山田羽書をはじめ、伊勢と河崎の歴史と文化の資料が展示されています。右は、受付のある建物(左の写真)の2階から河崎本通り(南の方角)を眺めたもの。電柱がなければ、江戸時代かとも思えます。

Info_mitorizu  これは、伊勢河崎商人館の案内図。伊勢河崎商人館のWebサイトからお借りしました。

Img_8556c_20230717170301 Img_8560c_20230717170301  今回、私が見たかったのは、日本最古の紙幣とされる「山田羽書」でした。山田羽書というのは、慶長15(1610)年頃、伊勢山田(現伊勢市)の町衆によって生み出され、明治時代まで約250年間に渡り、伊勢周辺で流通した紙幣です。伊勢の町はその歴史的・地理的な特殊性もあって早くから商業が発達し、また御師(おんし)の信用力が大きく、信用経済的な萌芽の素地が形成されていたといいます。とくに室町時代以降は、御師(おんし)を中心に自治が行われ、神都伊勢の風土に培われた信用力と、自治都市運営に対する町衆の力が相まって、地域経済上、個人の手形的なものが次第に紙幣の形態を整え、独自の紙幣「山田羽書」が生み出されたと考えられています。

230716100411645c  余談ながら、伊勢河崎商人館の入館券が、この山田羽書のサイズでつくられていました。左の写真で向かって右に写っているもの。受け取った時、何故こんな中途半端な大きさなのだろうと思ったのですが、それには意味がありました。この山田羽書と河崎の歴史資料は、河崎まちなみ館(明治5(1872)年)に展示されています。

 母屋は、Img_8500c_20230717170301通り土間のある河崎を代表する商家の間取りの建物です。ここにある茶室は、京都の裏千家の茶室である、「咄々斎(とつとつさい)」を写したものだそうです(明治末期)。母屋の内蔵資料館には、伊勢の学芸の資料とそれを支えた商業の道具と記録が展示されています。

Img_8533c_20230717172101 Img_8528c_20230717172101  そのほか、母屋などに古いものがいくつも置いてありました。興味があったのは、これら。左の写真は、氷を入れて冷やす冷蔵庫(氷冷蔵庫)。上の段に氷を入れるのです。本体は木製で、扉の内側や庫内は保温のためトタン張りでした。詳細は覚えていないのですが、子どもの頃、使っていたことがあります。親戚からもらったような記憶があります。右の写真は、二眼レフカメラ。中判フィルムを利用する縦長の箱型のカメラで、2つの光学系・レンズが縦に並んでいます。下の光学系が撮影用で焦点面にはフィルムがあり、上の光学系がファインダー用で焦点面にはスリガラスがあります。これは、オヤジが使っていました。いずれも昭和30年代のお話し。

Img_8522c_20230717172101  もう1つは、和文タイプライター。欧文タイプや、パソコンのキーボードとは全く異なる発想で、「キーによる盤面操作で活字箱から任意の活字を取り出す」というメカニズムになっています。この展示品はかなり古そうでしたが、私自身、就職した頃、学会発表のスライドなどをつくるのに和文タイプライターを使っていたことがあります。活字配列は決まっているのですが、私が使ったのは小型のものでしたが、活字数は、1,000を越えていたとおもいます。そこから適切な文字を探して一文字ずつ打ち込むのは、とてつもなく面倒でした。

6a25af11  川に面して建つ酒類の、3つの商品蔵は、現在は商人蔵として日常で使う雑貨、食品を中心とした販売と展示をしています(こちらを参照)。商人蔵には約20店舗が出店。カフェなども入っています。伊勢河崎商人館以外にも、河崎の町ではあちこちでいろいろな店があります。伊勢河崎商人館の散歩地図を見ると、お分かりいただけます。

Img_8572c  Img_8576c_20230717173801 川の駅・河崎です。伊勢河崎商人館のすぐ先にあります。平成15(2003)年に開設されました。100年以上前の醤油蔵を再生したものです。左の写真のように、問屋街から見ると、古い蔵を改修し施設なのですが、川に面した裏口の方は、白く塗られたウッドデッキになっていています。三重交通神都線の駅舎をモチーフにしているそうです。

Img_8587c_20230717174901 Img_8609c_20230717175001  ここは、川の駅と、伊勢河崎商人館の商人蔵の裏手。向かって左に勢田川が流れています。なかなかよい感じの石積み。奥の蔵の手前には階段とスロープがついています。ここで荷揚げをしたことが窺われます。右の写真は、北新橋を渡って、勢田川の右岸から見た商人蔵から川の駅あたりの景色。河崎の観光パンフレットにも使われているような景色です。ちなみに、タモリさんもあのブラタモリで河崎を訪れたそうです(こちら)。

Kawasaki3  北新橋から勢田川右岸を下って行きます。5年前の近鉄ハイキングでは左岸を歩き、かなり下流の瀬田大橋(阿竹の渡し跡)を渡りました。ちょっと大回りですので、今回はこのルート。ルートマップはその3。3㎞を過ぎたところに信吉(しんきち)稲荷神社(ルートマップでは、「伏見稲荷神社」になっています)。二軒茶屋は、その昔、2軒の茶屋があったのです。今は二軒茶屋餅角屋本店のみが営業。ここには、明治天皇が伊勢参拝にいらしたときに船を下りて上陸したという記念碑があります。

Img_8631c_20230717180401 Img_8624c_20230717180401  信吉稲荷神社。勢田川の堤防から少し入ったところにあります。詳細は不明ですが、みえの歴史街道の「二見道」の説明では、昭和11(1936)年に祀られたとあります。ちょっと荒れてしまっています。お社は、何かで囲われていたのではないかと思われます。お社の手前、左側に割と大きな常夜灯がありました。

Img_8665c_20230715172901 Img_8669c_20230717180901  信吉稲荷神社の先に二軒茶屋餅角屋本店があります。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業しました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は今はありません。二軒茶屋は、舟参宮の船着き場でした。土産に二軒茶屋餅10個入りをお買い上げ(微笑)。二軒茶屋餅はこし餡を薄い餅皮で包んで、きな粉をまぶした素朴なお餅です。

Img_8638c_20230717181301 Img_8646c_20230717181301  角屋本店の裏手の勢田川沿いには、船着き場が再現されています。船着き場を入って行くと、右の写真のように、大楠の向こうに二軒茶屋餅角屋本店が見えてきます。

Img_8654c_20230717184901  その大楠は、樹齢400余年といわれます。大楠の下に明治天皇御上陸地記念碑があります。明治天皇は、明治5(1872)年5月、西国ご巡幸の際、伊勢神宮に参拝されました。このときは軍艦で来られ、鳥羽でご一泊。25日に二軒茶屋にご上陸、両宮ご親拝の後、27日にお帰りになりました。このとき、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立されたものです。このときが明治天皇にとっては、初めての伊勢参拝だそうで、供奉したものの中には西郷隆盛などの名前があったといいます。

Img_8680c_20230717185801  長くなりましたが、もう1つ。二軒茶屋餅角屋本店は、天正年間(1575年)創業の二軒茶屋餅、大正12(1923)年創業の味噌・醤油の醸造業、そして平成9(1997)年創業の伊勢角屋麦酒の3部門から成り立っています。二軒茶屋餅を売っている店から道を挟んで向かいに「伊勢角屋麦酒 直売店 麦酒蔵」があります。大いに気になるのですが、冷えたビールを目の間に絵にすると、我慢できる自信がありませんでしたので、店の外観だけ見て次へ。ということで、本編その2はここまで。その3は、倉田山公園にある野口みずき金メダルロード顕彰碑・沢村栄治&西村幸生胸像などから。

2023年7月18日 (火)

今日の最高気温39.0℃は、全国トップ

0718temp  今日はまた一段と暑いなと思ったら、何と桑名の最高気温39.0℃は、今日の全国ランキングトップでした。東から張り出してくる太平洋高気圧の縁に沿って吹いてくる西寄りの風が、伊吹山地や鈴鹿山脈を越えて吹き下るフェーン現象が起きるためだと聞いた記憶があります。

Dsc05092c  今朝も、朝7時スタート、9時帰宅で散歩。今日も寺町、京町、内堀公園、内堀南公園、貝塚公園、九華公園、住吉神社と6.0㎞。暑いせいか、散歩友達はゼロ。九華公園で、鎮国守国神社の氏子総代をなさっている知人にお目にかかっただけ。今日は、茅の輪をつくっていらっしゃいました。7月11日に書きましたが(2023年7月11日:アオサギ、リターンズ@九華公園)、鎮国さんでは茅の輪くぐりは、土用の入りの日に行われます。今年は7月20日だそうです。

Dsc05036c_20230718162701  京町のお宅のツバメの巣の様子。残り3羽のヒナは元気で、親ツバメはせっせとエサを運んできています。見ているとほぼ5分に1回くらいはやってきます。ヒナはご覧のように元気いっぱいに「エサくれ」アピールをしているのですが、昨日、落下事故を見ていますから、ちょっとヒヤッとしました。内堀公園から貝塚公園までの間では、これという鳥はいません。朝7時にすでに28℃を超えていますから、さもありなん。

Dsc05104c Dsc05134c  九華公園には7時45分に到着。どこの公園もクマゼミの大合唱。ニイニイゼミも鳴いてはいるものの、ごく少数。クマゼミしかいないかのような感じ。ハシビロガモのオスは、今日も元気に吉之丸堀を泳いでいました。ひょっとしたら、上手く越夏してくれるかという感じが強くなってきました。

Dsc05345c Dsc05307c_20230718162701  奥平屋敷跡の南の堀で、ウチワヤンマ。交尾しながら飛んでいて、堀に落ちた木の枝の先に止まるカップルもいました。

Dsc05395c Dsc05600c_20230718162701  奥平屋敷跡でシジュウカラの幼鳥きょうだいを見たのですが、すぐに見失ってしまいました。その後、朝日丸跡へ行ったら、たぶん同じきょうだいに遭遇。

Dsc05233c_20230718162701 Dsc05274c_20230718162701  今日は、7月11日以来ですが、アオサギが来ていました。あのときと同じアオサギに見えます。九華橋の北の樹上で、前回と同じ場所にいます。その近くでスズメの幼鳥。ここまでスズメもあまり見ませんでした。

Dsc06299c Dsc06328c_20230718162801  いつもと逆回りでしたので、九華公園の北門から帰ろうとしたら、あちこちでスズメが砂浴びをしていました。人気スポットがあるようで、順番待ちが出たり、砂浴びをしている先客を追い出したり、賑やかでした。しかし、スズメの砂浴びをそれらしくとるのは、難しい。かなりの枚数の写真を撮ったのですが、一見してそれと分かるものはほとんどありません。修行が必要です。

Dsc06485c  住吉ポンプ場の敷地内で、イソヒヨドリの若いオスが、カナヘビらしきものを捕まえていました(pnさんからのコメントにあるように、ヤモリかも知れません。しかし、夜行性のヤモリが日中、この暑い中外にいるのも不思議)。フェンス越しに撮影しています。苦手な方は、クリックして拡大なさらないでください。先日もこのすぐ近くの諸戸氏庭園前の桜並木のところでイソヒヨドリの若いオス達を見ています。この辺が生活エリアなのでしょう。

Dsc05078c_20230718162701  ところで、暑さのせいか、内堀南公園では、季節はずれの藤の花が咲いていました。初夏に剪定することで意図的に夏に開花させることもできるそうですが(こちら)、ここは春以降、剪定はされていないと記憶しています。

Dsc05097c  九華公園近くのお宅では、柿の実が大きくなってきています。いつも思いますが、暑い暑いと文句をいっている蔭では、季節は進んでいるのだと思えます。明日は、江戸橋での講義。明日を含め、講義は残り2回。天気予報は晴れのち雨。ただし、雨は夜だそうです。最高気温は、桑名で34℃の予想。今日よりは楽に過ごせそうに思えますが、猛暑日に近い真夏日ですねぇ。

20230715伊勢河崎ウォーキング(その1)……宇治山田駅をスタートし、金水橋、旭湯から河崎の町で庚申堂、播田屋、道標ほか

230715kawasaki0  7月15日に行ってきた「伊勢河崎ウォーキング」の本編その1です。この日、梅雨はまだ明けていません。桑名のアメダスでは最高気温は33.7℃、伊勢市小俣では32.5℃と真夏日。同級生K氏と二人で近鉄宇治山田駅から伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店から倉田山公園のダイムスタジアム伊勢を経て、松尾観音寺、倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅まで8.2㎞。お昼は、うじやまだ駅前横丁にあるまんぷく食堂で昼食。私は、ほぼ同じコースの近鉄ハイキングに平成30(2018)年10月8日に参加しています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。

Img_8244c_20230715172901 Kawasaki1  桑名駅を7時52分に出る宇治山田行き急行に乗車。宇治山田駅には9時12分に到着予定でしたが、途中、明星駅で急病の方が出たということで4分遅れ。宇治山田駅をスタートしたのは、9時20分。詳細なルートマップその1は、右の画像の通り。宇治山田駅を出て岩淵交差点から少しだけ御幸道路を通って錦水橋へ。ここで左折して北に向かい、桜橋を渡って勢田川の右岸へ。旭湯を見て清浄坊橋を渡って河崎の町並みへ進みます。

Img_8257c_20230717062901 Img_8262c_20230717063301  錦水橋。御幸道路が勢田川を渡る橋です。12 基の擬宝珠 が付いたこの橋は、明治36(1903)年、倉田山に神宮徴古館が開館した時にできました。この橋のあたりから山の方を見ると、秋には紅葉が広がり、それが「錦」のようだったため名付けられたといいます。

92bc7ef8  ここは、昔は路面電車(三重交通神都線)も走る橋でした。三重交通神都線は、山田駅(現・伊勢市駅)前を起点とし、内宮までと二見までの路線がありましたが、昭和36(1961)年に廃線となり、バス路線に替わりました。伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割を果たしていたのです。全路線長は、14.0km。

Img_8268c_20230717062901  桜橋から見た勢田川。勢田川は、宮川の支流で、五十鈴川と合流して伊勢湾に注ぐ6.9kmの小河川です。江戸時代にはお蔭参りの客や物資の輸送で大変賑わったといいます。御贄川(おんべがわ)の異名も持ち、伊勢神宮へ献上するための魚を獲っていた川でもあるそうです。

 1㎞の手前でJR参宮線の橋をくぐります。Img_8275c_20230717063901参宮線は、その名の通り、伊勢神宮にお参りするためにつくられた路線。明治26(1893)年から明治44(1911)年にかけて開業しました。現在の参宮線は、紀勢本線の多気駅から分岐していますが、もとは亀山駅から鳥羽駅までが参宮線として予定されていました。紀勢本線が全通した昭和34(1959)年に参宮線は多気駅~鳥羽駅間に変更されています。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたのですが、昭和45(1970)年に近鉄鳥羽線が開業すると乗客は激減したといいます。鉄橋の煉瓦積みにも歴史を感じます。

Img_8300c_20230717062901 Img_8282c_20230717062901  その先で旭湯。汐湯・おかげ風呂館と称しておられます。この先にある清浄坊橋は、二見の御塩田から外宮に御塩を運ぶ道だったため、「神聖な清浄なる道」ということに由来するそうです。旭湯さんには、その塩の道沿いということにちなんで、二見の海水を汲み上げて運び、沸かしている「潮湯」があるそうです。そのほかにも、旭湯さんはいろんなアイデアがいっぱいのようで、「潮浴び参宮」など、おもしろそうな看板が並んでいました。インスタで知り合った街道歩きの達人の方は、実際にここで潮湯に入浴なさったそうです。私も、時間があれば、入浴してみたいところですが、12時から営業でした。

Img_8289c_20230717062901 Img_8301c_20230717110601  この旭湯前に松の木があり、「駕籠たて松」という説明板があります。明治15(1882)年に日本最初の潮湯(海水温浴所)ができその当時、人を運ぶ仕事をしていた駕籠屋が松の下で休憩する際に杖を立てたことから駕籠たて松」という名がついたそうです。ちなみに、この説明板は「長与専斎をしのぶ会」が立てています。長与専斎(天保9(1838)~明治35(1902)年は、幕末明治期の蘭方医で、明治7(1874)年の医制発布の中心的人物として活躍しました。衛生思想の普及にも努めています。最近、どこかで名前を見た記憶があったのですが、長与は、明治15(1882)年、内務省衛生局長として禊場である二見の立石崎を海水浴場として開設した人物です(こちら)。二見の立石崎は、日本第一号の国指定海水浴場です。今年3月4日にJRさわやかウォーキングで訪ねた二見の賓日館の門前に「二見浦浴潮場石」が建っており、そこに長与専斎の名前が出て来ます(2023年3月9日:20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その3)……賓日館、御塩殿神社を回って二見浦駅にゴール、伊勢市駅で昼食にて「完」)。

Img_8310c_20230717110701 Img_8313c_20230717110701  清浄坊橋を渡って、いよいよ河崎の町並みに入って行きます。伊勢市河崎は、伊勢市の中心を流れる勢田川の中流域両側に広がる町です。勢田川の水運を生かした問屋街として知られ、特に江戸時代からは伊勢神宮の参宮客への物資を供給する「伊勢の台所」として栄えた歴史があります。当時は蔵や町家が川の両岸に建ち並び、直接船から物資を蔵に入れることができるようになっていました。その景観は、昭和49(1974)年7月7日の「七夕水害」を契機にした河川改修工事によってその姿は一変したのですが、歴史ある町並みの景観は、今もなお残り、さらに発展しています。こちらに「河崎まちあるき情報」があります。

Kawasaki2  ここから実際にあるいたルートマップは、その2へ。河崎の町並みについては、上記の「河崎まちあるき情報」に分かりやすい絵地図がありますので、ご覧ください。河崎の町を歩いて、河邊七種神社、伊勢河崎商人館、川の駅・河崎と周り、北新橋から勢田川の右岸に移り、右岸の堤防を下っていきます。

Img_8317c_20230717111701 Img_8332c_20230717111701  河崎の町だけでなく、伊勢あたりのお宅の玄関でよく見るのが、この「笑門」の木札がついた注連縄。1年中掲げられています。「笑門」には招福の意味が込められているとも、後で取り上げます「蘇民将来子孫家門」を略して「将門」としたものが転じたともいいます。また、われわれが河崎にお邪魔した翌日が、天王祭だそうで、町のあちこちにポスターが貼られていました。

Img_8327c_20230717111701  河崎の町に入っていすぐ、通りの左側に常夜灯と、河崎南町庚申堂。地元の皆さんがお守りをしていらっしゃるそうで、60日ごとに庚申さんの行事を続けているようです。「庚申」は、「かのえさる」。干支は、日毎にも割り当てられています。「庚申信仰」では、人間の中にいる3つの虫が、庚申の日になると寝ている間に出てきて、神様にその人の行った悪いことを告げ口するとされます。そのため、庚申の日は一晩中起きていることで、体からその虫が出て行かないように注意するという次第。

Img_8350c_20230717111701  こちらは絲印煎餅で有名な播田屋さんの本店。隣に工場があります。一昨年の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」で播田屋浦の口店に立ち寄って、絲印煎餅を買っています(2021年12月17日:20211211「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第16回「明野からいよいよ伊勢神宮・外宮へ」(その2)……茶屋町の道標、筋向橋、旧御師丸岡宗大夫邸、小西萬金丹から伊勢神宮・外宮にお参りして「完」)。絲印煎餅は、鶏卵、砂糖、小麦粉を用いて薄く焼き上げた煎餅。絲印とは、室町時代以降中国からわが国に輸入された生糸に添付されていた銅印のこと。今回は、二軒茶屋餅を買おうと思っていましたので、店を拝見したのみ。ちなみに、河崎にある町屋は、妻入りになっています。一説には、伊勢神宮の建物が平入であるため、一般の民家が神宮と同じでは恐れ多いと遠慮したためとよくいわれますが、これには史料的な裏付けがないそうですし、建築史の専門家も妻入民家の分布状況などから見て、この説には否定的といいます(こちら)。

Img_8362c_20230717111701  播田屋さんの先の路地(伊勢では、世古と呼びます)に道標があります。西を向いた面に「すぐさんぐう道」、北面に「右宮川道」、東面に「左二見神社大湊道」と刻まれています。余談ですが、「すぐ」とは「すぐそこ」ではなく「まっすぐ」という意味です。

Img_8338c_20230717122501 Img_8387c_20230717123701  河崎の町には古い建物がたくさん残っているのですが、古いままでなく、それらを利用して現代風のカフェや、古本屋、レストラン、寿司屋などさまざまな店がつくられています。左の写真の店は、「河崎2丁目食堂」といい、「ご馳走カレー&シチュー専門店」です。右の写真は、和具屋。陶器屋さんで、町角博物館でもあります。江戸末期から明治初期にかけての各地の陶器や錦絵のコレクションがあるほか、築300年の蔵が未だ現役だそうです。また、その蔵に続く古いトロッコレール(64mほど)が残っているとか。これらはいずれも、この記事を書くのに調べて分かったので、この日には見ていません(残念)。

 ルートマップその2の途中ですが、長くなりますので、本編その1はここまで。その2は河邊七種神社から。さらに河崎の町を歩いて行きます。

2023年7月17日 (月)

悲報! 京町のツバメの巣でヒナが落下

Dsc04336c Dsc04313c  予報では最高気温は、37~38℃になるということでしたが、今のところ36.8℃にとどまっています。しかし、猛暑であることに変わりはありません。暑くなるのを見越して、今日はいつもより30分早く、7時から散歩開始。いつもと逆回りに、寺町、京町、内堀公園、外堀、内堀南公園、貝塚公園、九華公園、中橋、住吉神社と5.7㎞。9時過ぎに帰宅。冒頭の写真は、住吉入江の南端、散歩に出た時のもの。このあたりでスズメを2~3羽見たくらい。

Dsc02476c_20230714152201 Dsc04547c  京町にあるお宅のツバメの巣を見に行ったのですが、タイトル通り、ヒナが1羽、落下するのを目撃してしまいました。「虫の知らせ」があったというのではありません。たまたま遭遇したのです。左の写真は、7月14日の記事に載せたもの(2023年7月14日:京町のお宅でツバメのヒナ誕生&イソヒヨドリのオスの幼鳥そろい踏み)。右は、今日の最新のもの。かわいそうですが、4羽から3羽に減ってしまいました。経過は以下の通りです。

Dsc04361c Dsc04370c  ここに行った時、ちょうど親ツバメがエサを運んできました。写真を撮っている時はよく分かりませんでしたが、あとでゆっくり見てみたら、左の写真でもっとも勢いよく伸びて、エサを要求していたヒナが、たぶん勢い余って、巣から落ちそうになったようでした。右の写真では巣から転落しそうになっているのが見えます。

Dsc04377c  Dsc04394c こちらの写真は、そのあとの様子。左は、親がエサを与え終わって、飛び去ろうとしているところ。右は、親が、飛び去った直後。転落しそうになっているヒナは、逆さまで頭が下になっています。

Dsc04465c_20230717150501 Dsc04530c  その後、このヒナは巣に戻ろうと、いろいろと試したのですが、ズルズルと下の方に下がってしまいます。右の写真を撮った直後にあえなく落下してしまいました。この間2~3分のできごと。ツバメの巣立ち率は、約50%といわれます。

Dsc04620c_20230717150501 Dsc04652c_20230717150601  ヒナが1羽落下したあとも、親ツバメはエサを運んできて、ほかのヒナに与えています。右は、エサを与えたあと、近くの電線で一休みしているところ。

Dsc04754c Dsc04707c_20230717150601  内堀公園、内堀南公園、貝塚公園ではとくにこれという野鳥はいません。九華公園に着いたのは、7時40分。クマゼミだけが元気で、公園中で鳴いています。

Dsc04729c  ハシビロガモのオスは、吉之丸堀の東側エリアで、泳ぎながらエサをとっていましたが、ほかに野鳥はほとんどいません。少数のハシボソガラス、ムクドリを見るくらい。カワウも、スズメもとても少なく、ほとんど見ません。いつもなら奥平屋敷で1時間ほど鳥見をするのですが、何もいませんし、8時半ですでに30℃を超えましたので、早々に退散。中橋でゴイサギがいないか見に行ったものの、ゼロ。

Dsc04882c_20230717150601 Dsc04911c_20230717153401  このあとは、七里の渡し跡に隣接する旅館山月が解体された更地でスズメを見たくらい。幼鳥のようでした。揖斐長良川の中州・十万山では、7月29日の桑名水郷花火大会の打ち上げ場所の準備が行われています。草刈りは先週行われたようで、今日は重機が入って整地作業が進んでいます。

Dsc04713c  梅雨明けは宣言されていませんが、これだけの猛暑続きでは、参ります。明日も、7時スタートで散歩に行こうかと思っています。今日の経験では、多少は楽だったからです。ずっと以前は、8時半から散歩に行っていましたが、2~3年前の夏から、暑さを避けるのに7時半スタートに繰り上げました。その後は、年中、7時半から散歩しています。朝5時には起きています。それからもろもろするとなるとあまりにも早くから散歩は難しいのですが、7時からなら散歩に出られます。夏場は、7時スタートにした方がよさそうです。

2023年7月16日 (日)

コアジサシ・ファミリーその2とコチドリ、アオサギほか

Dsc03264c  猛暑日になりました。35.6℃になっています。暑くなるのを見越して、朝6時半から活動開始(微苦笑)。某所へコアジサシ・ファミリーを確認に行き、その帰りに長良川河口堰に立ち寄り。さらに九華公園によって帰ってきました。あちこちで歩いたのは合計5.1㎞。朝から暑かった。コアジサシは、ブロ友のひらいさんから教えていただいた情報です。いつもお世話になっているのです。先だって見に行ったところの近くに別のコアジサシ・ファミリーがいるのです。ヒナは2羽。こちらの方が最近、孵ったので、かわいい。

Dsc02861c Dsc02880c  観察できるところからちょっと遠い側にいましたので、写真はイマイチで、証拠写真ですが……。これらの2枚では、親がエサを与えていたのですが、このヒナにはちょっと大きな小魚(日本語がヘンな気もしますが)でした。双眼鏡でもよく見えなかったのですが、なんとか呑み込んだようでした。

Dsc03517c_20230716153401 Dsc03554c  このコアジサシ・ファミリーがいた近くには、コチドリが4羽。そのうち1羽(右の写真)は、幼鳥のように見えました。こちらも離れたところからしか見えませんでした。

Dsc03602c  続いて、長良川河口堰へ。前回までは()、アユのぼりが掲げられていたのですが、普通の吹き流しに変わっていました。アユの遡上状況は、7月に入ってから更新されていないようですが、もうシーズンは終わったのでしょうか?? アユが遡上している間は、アユのぼりが掲げられていると聞いています。

Dsc03580c_20230716153401 Dsc03589c  吹き流しの写真にも写っていますが、河口堰東側の上流にはアオサギとコサギが1羽ずつ。アオサギは、暑いので、嘴を開いて、喉をブルブル震わせています。たぶん、イヌがハアハアとしているのと同じと思います。

Dsc03611c_20230716153401  下流側の魚道にもアオサギが1羽。ほかにはカワウが1羽いたのみ。暑いので、サギたちもすくなそうですが、管理橋を渡って西側にある親水広場まで行ってみます。

Dsc03632c_20230716153301 Dsc03708c  管理橋を渡っている途中で、ダイサギとアオサギとが、1羽ずつ飛んでいるのを見ました。

Dsc03914c_20230716153301 Dsc03795c_20230716153301  閘門の下流側の橋の上にもアオサギが1羽。親水広場の西では、これはホオジロの幼鳥でしょうか(右の写真)。このあたりではホオジロの成鳥をよく見ますし、過去にもホオジロの幼鳥と思われる鳥を見ています。

Dsc03925c_20230716153301  河口堰でのバードウォッチングは以上なのですが、残念なことに、カワセミ2羽を親水広場で見たのに、写真は撮れませんでした。

Dsc04209c_20230716153301 Dsc04215c_20230716153301  続いて、九華公園へ。ムクドリ、ドバト、スズメが少しいたくらい。ハシビロガモのオスは、今日は、辰巳櫓跡近くの松の木に。暑いせいでしょう、しっかり木陰にいます。猛暑日ですが、なんとか夏の暑さを乗りきってもらいたいと思っています。

Dsc04086c  さらに暑い中出て来たご褒美か、トビが2羽飛来。散歩友達のWさん、前管理人のOさんと出会ったのですが、暑いので9時過ぎに退散してきました。明日、明後日はもっと暑くなるとか。超早朝散歩にしないといけないかも知れません。

Dsc04279c Dsc03621c_20230716153401  明日は、海の日だそうです。祝日などほとんど関係のないくらしですから、ほぼ失念していました(苦笑)。今週は水曜日に非常勤の授業があるのみ。

2023年7月15日 (土)

20230715伊勢河崎ウォーキング(超予告編)

Img_8244c_20230715172901  梅雨の晴れ間、曇りがちでしたが蒸し暑い日です。予定通り、伊勢河崎ウォーキングに行ってきました。桑名のアメダスでは最高気温は33.7℃、伊勢市小俣では32.5℃と真夏日。桑名駅を7時52分に出る宇治山田行き急行に乗車。宇治山田駅には9時12分に到着予定でしたが、途中、明星駅で急病の方が出たということで4分遅れ。いつものように、同級生K氏と二人旅。蒸し暑くてさすがに疲れましたので、今日は超予告編。

230715kawasaki0  こちらが今日歩いたルートマップ。近鉄宇治山田駅がスタート&ゴール。ここから伊勢の河崎の町並みを通り抜けて、二軒茶屋餅本店へ。倉田山公園の野球場を経て松尾観音寺から倭姫宮、日蓮聖人誓願の井戸、正寿院、光明寺を回り、宇治山田駅にあるまんぷく食堂で昼食。帰りは、宇治山田駅を13時40分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川駅には14時20分に到着。14時23分の名古屋行き急行で桑名駅到着は15時22分。片道¥1,450。さすがに電車に乗りでがありました(苦笑)。ちなみにほぼ同じコースの近鉄ハイキングに2018年10月8日に参加しています(2018年10月8日:20181008近鉄ハイキング「路面電車跡を巡り名物二軒茶屋餅で舌鼓」へ(予告編))。

Img_8437c_20230715172901 Img_8419c_20230715172901  超予告編ですので、かなり端折って書きます。河崎の町の氏神様である河邊七種神社。通称は「天王さん」。創祀の年代は不詳ですが、旧家村田氏が宝徳3(1451)年、室町・足利時代に初めて当地に来住し祭祀して創立され、河邊の里の地名由来により、河崎社と称したのを、明治4(1871)年6月から河邊七種神社となりました。主祭神は、須佐之男神(スサノオノミコト)。昨日が例祭、明日が天王祭だそうです。

Img_8457c_20230715172901 Img_8469c_20230715172901  伊勢河崎商人館。前回来た時は、拝観はしませんでしたので、今日は一通り見てきました。入館料は¥350。江戸時代中期(約300年前)に創業された酒問屋「小川酒店」を保存し、伊勢河崎の歴史文化興隆拠点として整備された施設です。江戸・明治期に建築された蔵7棟、町家2棟からなっています。ちなみに、町並みは「切妻妻入(きりづまつまいり)」になっています。神宮の御正殿が平入りのため、同じでは畏れ多いという理由だそうです。

Img_8609c_20230715172901  伊勢河崎商人館や川の駅・河崎を見てから、勢田川の対岸にわたると、このような景色が見えます。伊勢・河崎の観光写真でよく使われています。ブラタモリでタモリさんも来られたそうです。蔵は、伊勢河崎商人館のもの。右の端に川の駅が写っています。

Img_8665c_20230715172901  二軒茶屋餅角屋本店です。角屋は、天正3(1575)年に伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった大湊から勢田川をさかのぼる舟着場の近くで創業されました。創業当時、舟着場付近には角屋と湊屋の二軒の茶屋があったことから、このあたりは、二軒茶屋と呼ばれるようになったと伝えられます。湊屋は、今はありません。ここには、明治5(1872)年に明治天皇が海路より伊勢神宮に参拝した際、二軒茶屋に上陸したことを記念して建立された明治天皇上陸記念碑があります。樹齢400余年の大楠の下に建っています。 

Img_8743c Img_8729c_20230715172901  倉田山公園にはダイムスタジアム伊勢という野球場があり、甲子園の予選を行っていました。我々が通った時は宇治山田商業対亀山の試合が行われており、外まで応援の声が聞こえていました。こちらはスタジアムの南にある龍池山松尾観音寺。約1,300年前の奈良時代始め(712年)、当時の高僧・行基が伊勢神宮参拝の折、この松尾山に雄・雌の龍が住むと伝えられる池があることを知り、その池のほとりに自ら観音様を刻み寺を創建したと伝えられています。創建以来、本山も末寺も檀家も持たず、いずれの既成宗派にも属さない“単立”という特異な形態の祈願寺です。ご本尊は、「十一面観世音菩薩」と脇仕の「地蔵菩薩」「毘沙門天」。龍神伝説に因んで、「災難除け」「縁結び」などに利益があるとされます。ここで今シーズン初めて蓮の花を見られました。

Img_8795c_20230715172901 Img_8803c_20230715172901  皇學館中・高・大の裏を抜けて、倭姫宮へ。御祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)。伊勢神宮には内宮と外宮と合わせ別宮は14宮ありますが、そのうち創建が明確であるのはここ倭姫宮だけです。大正12(1923)年11月5日創建で、もっとも新しい別宮です。倭姫命は、第11代垂仁天皇の第四皇女と伝えられます。倭姫命は天照大神を祀る宮を定めるため、数国を経たのち現在地に伊勢神宮を創建し、祭祀や神職の制度を定め、神道の基礎を作ったと伝えられます。その途中、桑名にも立ち寄られています。

Img_8822c_20230715172901  倭姫宮から日蓮聖人誓願の井戸へ。延長5(1253)年、日蓮上人が関東下向の途中で旧常明寺(倭町)に参籠し、境内の井戸を潔斎して3つの誓いを立てた場所です。常明寺は、明治の廃仏毀釈の際、廃寺になりました。ここには、誓願塔や石造宝塔が建てられています。このあと2つの寺に立ち寄っています。

Img_8896c_20230715172901 1689394935695c  宇治山田駅近くには13時15分頃に戻ってきました。暑かったので冷麺か、冷たい蕎麦でも食べたかったのですが、我々が行ったうじやまだ駅前横丁にはそば屋はなく、中華の店は営業時間外。そこでまんぷく食堂さんへ。プチからあげ丼、¥650をチョイス。からあげ丼では、ちょっと量が多そうな気がしたのです。プチにして正解。

230715165343428c 本日のお土産は、もちろん二軒茶屋餅。10個入りで¥840。あんこの入ったきなこ餅です。シンプルでとても美味しいのです。個人的意見としては、赤福や、ひょっとしたらへんば餅もより美味しいかも知れません。賞味期限は明日・7月16日までと2日間。これがあって、あまりあちこちで売っていないのです。ここ本店のほか、伊勢角屋麦酒外宮前店と、伊勢角屋麦酒内宮前店、さらに宇治山田駅のファミマでも売っているようです。

Screenshot_20230715153958c  今日のGoogle Fitのデータ。ルートマップでは現地で歩いたのは8.2㎞。Google Fitではトータル10.1㎞。帰りは桑名駅までクルマで迎えに来てもらいましたので、これくらいでしょう。歩数は、18,738。よく歩きました。今回は、いささかへばったこともあって、「超予告編」としました。明日以降、暑い日が続くようですが、ボチボチと写真整理をして、本編に着手しましょう。

2023年7月14日 (金)

京町のお宅でツバメのヒナ誕生&イソヒヨドリのオスの幼鳥そろい踏み

Dsc02020c  薄い雲が広がっていますが、真夏日。30.7℃になっています。授業のQ&Aは、昨晩のうちに送って、任務完了。昨日の会議は、会長の先生の采配で無事終了。今朝は家事を済ませて、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀講演、京町、寺町と5.9㎞。汗だくです。

Dsc02059c_20230714152101  拙宅マンション内のプレイロットでイソヒヨドリ。幼鳥というか、若いというか、オスのようです。人に対する警戒心がまだ薄いのか、割と近くまで寄ることができました。これは幸先がいい(微笑)。

Dsc02161c Dsc02112c_20230714152101  しかし、その先ずっとスズメもほとんどいません。三の丸水門の近くでハクセキレイ1羽を目撃しただけで九華公園へ。九華公園でもクマゼミは賑やかに鳴いているものの、鳥の姿はあまりありません。アオサギさんも今日は不在。管理事務所の近くでスズメファミリー。雑草の実というか、穂先を食べているようでした。

Dsc02167c_20230714152201  奥平屋敷跡ではムクドリがいるくらいで何もいません。二の丸跡、朝日丸跡、本丸跡もクマゼミの鳴き声ばかり。ハシビロガモのオスは、今日もまた野球場の南の堀にいました。ずいぶん色あせてきましたが、繁殖期もとっくに過ぎたからでしょう。それでも元気そうです。貝塚公園、内堀南公園、内堀公園でもスズメがいたりいなかったり。

Dsc02476c_20230714152201 Dsc02356c_20230714152201  京町のお宅について、ツバメの巣を見て、ビックリ。ヒナが孵っていたのです。その数、4羽。まだ目は開いていないようでした。親が頻繁にやって来てエサを与えていきます。5月の前半に呉服屋さんの巣、田町の商店の巣でヒナを見て以来ですので、なんだか嬉しくなります。暑さに負けず、元気に育って欲しいと切に願います。

Dsc02586c_20230714152301 Dsc02659c_20230714152301  拙宅前まで戻ってきたら、諸戸氏庭園前の桜並木の根元あたりに鳥が集まっています。今朝、この土手の草刈りが行われていましたから、エサとなる虫などがたくさんいるのでしょう。イソヒヨドリの幼鳥もいます。3羽いたように見えたのですが、写真を撮れたのは、2羽。いずれも幼鳥のオス。左の写真の個体は、散歩に出た時にプレイロットにいたイソヒヨドリとよく似ているように見えます。実は昨日も、お隣のベランダにイソヒヨドリが来ていましたし、鳴き声もよく聞きます。わが家あたりのエリアで繁殖したものと思われます。

Dsc02499c_20230714152301 Dsc02513c_20230714152301  明日は、伊勢河崎ウォーキングに出かける予定です。河崎の町並二軒茶屋餅松尾観音寺倭姫宮などを回るつもり。伊勢の天気予報は、曇りのち晴れ、最高気温は32℃。明日も暑そうです。もういい年ですから、熱中症にはならないよう休憩を取り、水分&塩分補給を怠らないようにします。左の写真はコムラサキかと思います。右は、ペンタスでしょうか。

2023年7月13日 (木)

雨でウロウロ……授業の補足説明は完成

0713rader Img_8212c_20230713143401  曇りときどき雨模様という天気です。コアジサシのヒナをまた見に行きたいと思っていたのですが、雨模様ですので、断念。午前中は、昨日の授業のQ&A書きに専念していました。お陰様でQ&Aは無事完成です。ときどき散歩の虫がウズウズして、空模様を眺めていたのですが、今日はやはり無理のようです(苦笑)。

Img_8219c  ベランダ園芸もネタ切れ気味ですが、今日は熱帯スイレンは咲く気がないようです。1つの花は、3日くらいしか花は咲かなかったかな?と思って調べたのですが、今のところ、そういう説明は見つけていません。

Img_8223c_20230713143401 Img_8227c_20230713143401  花が終わったといえば、サギソウです。現在、わが家には5鉢おいてありますが、そのうち3鉢は花が咲いて、もう枯れてしまいました。残りの2鉢は、葉っぱは出ていて、元気そうなのに、茎というか、花芽というか、出てくる気配がありません。7月も半ばになってこれでは、これら2鉢は失敗なのかも知れません。

Img_8233c_20230713143401  午後は、市役所でとある会議に出席してきました。子どもたちの教育に関わる会議です。

2023年7月12日 (水)

学生たち、気が緩んだか

230712093135321c  猛暑日になりました。35.9℃です。江戸橋での講義の日。教室はエアコンが入って楽になったのですが、1時間半しゃべってくるとさすがにけっこう疲れます。今日は、先週提出されたレポートを返却する日でしたが、学生の出席率が著しく低下(70%!)。先週レポートを出したので、気が緩んだのではないかと疑っています。実際、去年も、同じことが起きていました。助手の先生に伺うと、他の授業でも出席率が低下しているということでした。「欠席できる回数を見越して、勝手に出欠を調整しているのではないか」とおっしゃる先生もあるそうです。

230712120859889c  そのレポートを返却された学生たちの反応は、いろいろ。評点が芳しくなかった学生の中には、「読み返してみると、感想文だった」「レポートの書き方をちゃんと勉強しないといけないと思った」「ショックだったけど、読み返したら先生のコメントのとおりだった」などなど。

230712123616131c  今日は津駅方面に寄り道はせず、直帰しましたので、12時19分発の名古屋行き急行に乗れました。この間から、鈴鹿にある長太の大楠の様子が気になっていましたので、写真を撮ろうと構えたのですが、スマホカメラでは上手く撮れず。葉っぱが部分的にしか出ていないのです。リンク先にある写真は、樹勢のあるときのもので、現在は、この1/10以下くらいに見えます。

230712134324206c 1689140419214c  帰宅して昼食を摂ってから、出欠チェックだけ済ませました。これからいつものようにQ&Aに着手します。帰りに桑名駅に着いた頃、雨が落ちていましたが、その後はご覧のような空。これを書いている14時半過ぎには、空が暗くなってきて、雷鳴が聞こえてきました。くわばらくわばら。

2023年7月11日 (火)

アオサギ、リターンズ@九華公園

Dsc01625c  午前中いつものように散歩をしてきました。昨日の方がかなり蒸し暑かったように感じましたが、今日の最高気温は33.9℃で、昨日より0.5℃低いだけ。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、寺町と6.5㎞。冒頭の写真は、住吉神社の狛犬。

Dsc01671c Dsc01688c  今日のハイライトは、アオサギさん。ずいぶん久しぶりに九華公園に戻ってきました。九華橋近くの樹上にです。ざっと調べたところでは、2月28日以来です(2023年2月28日:いろいろいましたが、パッとはせず)。たぶん繁殖を終えて帰ってきたということだろうと思います。左右の写真は、同じ個体。このまま毎日やって来てくれるといいのですが、どうでしょう?

Dsc01647c Dsc01656c_20230711140001  さて、散歩の始めに戻って、今日もまたスズメから。2枚とも幼鳥です。左の写真のものは、三の丸水門のところで。虫のようなものをくわえています。右の写真の幼鳥は、柿安コミュニティ・パークにて。今日も暑いので、鳥はいないだろうなと思ったのですが、このあと、九華公園で救世主ともいえるアオサギさんに出会ったのです。

Dsc01801c  アオサギを見ていたら、メジロの鳴き声が近くでしました。3羽ほどいたと思いますが、なかなか思うように撮らせてくれません。証拠写真です。このあと奥平屋敷跡でいつものように鳥を待っていたのですが、ハシボソガラス、スズメ、ムクドリくらい。ハクセキレイもちょっとだけ顔出しをしたのですが、写真は今日も撮れず。

Dsc01822c_20230711140001 Dsc01838c_20230711140001  なんとか撮ったのは、スズメとヒヨドリ。スズメは幼鳥ですが、親鳥に連れられてきていました。ヒヨドリは、この1羽だけがやって来て、木から木へと移りながら、エサを探しているようでした。

Dsc01877c_20230711140001 Dsc01906c_20230711140001  カワウは数羽がいますが、いずれも暑そうで、喉をブルブルさせています。犬がハアハアするのと同じだろうと思います。たぶん放熱しているのでしょう。ハシビロガモのオスは、甲羅干しをしているカメと並んで、今日もまた野球場の南の堀の端っこにいます。

Dsc01919c  クマゼミはあちこちで大合唱。すでに梅雨が明けたかのような雰囲気を醸し出しています。今日聞いたセミの鳴き声は、ほとんどがクマゼミのそれでした。ごくわずかにニイニイゼミが鳴いていましたが、姿は見つけられませんでした。他の公園では、スズメがいたり、いなかったり。

Dsc01988c  京町のお宅にあるツバメの巣。ここに着いたときにはツバメはいなかったのですが、待っていたら1分ほどで戻ってきました。1~2分、巣の中を覗いたり、何かをくわえたりしたあと、またどこかに飛んでいってしまいました。卵はあると思うのですが、ずっと巣に就いているのではなさそうです。

Dsc01926c  ところで、内堀南公園の掲示板に鎮国守国神社茅の輪くぐりのポスターが出ていました。他の神社では6月30日に行われるところが多いのですが、鎮国さんでは毎年、土用の入りの日に行われます。と書いているものの、ご神事に伺ったことはありません。神事が終わった後、個人的に茅の輪くぐりをさせてもらうのです。

Dsc02008c  明日は、江戸橋での講義。先週提出してもらったレポートを返却しますが、受け取ってビックリする学生もいると思います。かなりメリハリをつけて、評点をつけたからです。私が学生の頃、単位が取りやすい教員は「老人、外人、非常勤」といわれました。この3つの条件のうち、私には2つがあてはまっていますが、そうそう甘い顔をするわけにもいきません。授業の初めにレポートを返し、その後、補足説明の最初にレポートについての講評をします。

Dsc01932c_20230711140001  専門領域の演習は後期にありますので、1年生諸君は、まだレポートの書き方についてきちんと指導は受けていないでしょう。その分、不利ではあると思いますが、演習のときにレポートの書き方を説明していますから、それをきちんと受けとめて、それなりに考えていれば、一定の水準のものは書けると期待したのですが、学生たちの反応を楽しみにしましょう。サルスベリは内堀あたりで、マツバギク桑名市博物館のところで。

2023年7月10日 (月)

熱帯スイレンが咲きました

Dsc01240c_20230710145601 0710rader_20230710160001  34.4℃で猛暑日にはなっていませんが、それにしても蒸し暑いこと。九州北部から山口にかけては大雨の被害が出ています。午後からは三重県中勢、伊勢志摩地方などでも強い雨雲が発生し、雷も鳴っていたようです。15時頃の雨雲レーダーでは大阪から和歌山にかけて強い雨雲が見えています。これからこの雨雲がやってくる可能性がだいです。わが家あたりでも十分に気をつけなければなりません。

Dsc01616c  今日はまずはこちらから。熱帯スイレンが開花。散歩に出るまではまだ咲いていませんでした。15時過ぎには、花は閉じてきています。この熱帯スイレン、今年4月24日に導入したもの(2023年4月24日:もう1箇所のカワウの巣でもヒナが孵りました……貝塚公園にはまだツグミが2羽)。

Dsc01248c_20230710145601  さて、朝は、いつも通りに7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、新築公園、常盤町、常信寺、御坊さん、寺町と7.0㎞。10時過ぎには帰宅。歩いている人は多くはありません。もっと早い時間に歩く人が増えたのでしょう。

Dsc01261c Dsc01284c  今日もたくさん見たのはスズメ。左の写真のスズメの幼鳥は住吉水門のところに親と一緒にいました。九華公園の北門を入ったところで、鳥見の大先輩Sさんがスズメにエサをやっておられました。スズメが入れ替わり立ち替わりやって来てエサをもらっています。

Dsc01438c_20230710145501 Dsc01485c_20230710145501  奥平屋敷跡は、今日も鳥は少なかったのですが、子連れのシジュウカラと、メジロ3羽が少しだけ姿を見せてくれました。シジュウカラは、親と幼鳥が1羽ずつ。写真は親。暑い時期にメジロを見るのは珍しいのですが、一昨日の土曜日にもチラッと見ています。

Dsc01380c_20230710145501  今日もまた、あちこちでクマゼミが鳴いています。わが家近くの諸戸氏庭園でも盛んに鳴くようになりました。九華公園はもちろん、貝塚公園でもよく鳴いています。一段と暑く感じられます。貝塚公園その他ではスズメがいたくらい。京町のお宅のツバメの巣、私が見たときには親ツバメはいなかったのですが、通り過ぎてふり返ったときに戻ってきました。鳥がいないと、この暑さですから、まさに修行をしている感じ。今日のような蒸し暑い日には、水分補給と塩分タブレットが欠かせません。

Dsc01600c_20230710145501  午後からは定期の歯科検診。桑名に来て以来ずっとお世話になっています。先生ともほぼ同年代です。上下ともブリッジを入れてもらっています。歯のない部分もありますが、そこには義歯を入れた方がいいよといわれ続けています。ただ、食べたり、しゃべったりがしにくくなるというので、今のところ「まだいいです」と返事しています。果たして、この主張はいつまで通るか?? 写真は、キンシバイと思います。常信寺にて。

Dsc01587c_20230710145501  ところで、常信寺では、ヤマボウシも見てきました。実がついていますが、8月頃になると色づいてくるでしょう。明日も明後日も晴れて暑くなりそうです。梅雨明けはまだかも知れませんが、すでに真夏の雰囲気。体調管理に気をつかわなければなりません。

20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その3)……常楽寺、大泉寺、誓運寺、常隆寺から御朱印地遮那院跡を経て大垣駅にゴールで「完」

Minoyanagi2  7月2日に行った美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」の本編その3です。ルートマップはまだ2の範囲をウロウロしています(苦笑)。講釈や屁理屈がすきなものですから、あれこれ調べたりして、時間もかかっています。その3では、船町7丁目交差点の東にある常楽寺から。大泉寺、誓運寺、常隆寺を経て奥の細道むすびの地に至ります。ここは、去年6月12日の「大垣ウォーキング」で訪ねています(2022年6月12日:20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編))。このあたりも美濃路を歩いていますが、この先、ほとんどの見どころはすでに回りました。1ヶ所、見逃していた御朱印地遮那院跡を訪ねて、大垣駅に向かいます。

Img_7845c_20230702200301 Img_7856c_20230709072001  照徳山雲光院常楽寺。浄土宗のお寺。元和3(1617)年、戸田氏鉄(うじかね)が近江国膳所藩から摂津国尼崎藩に国替えされた際に、尼崎の地に菩提寺として建立されたのが始まり。寛永12(1635)年、美濃国大垣藩初代藩主に命ぜられた戸田氏鉄は、開山である乗誉春把を本尊とともに同行させ、大垣八幡神社の境内にあった寒松寺に仮寺務所を置きました。のちに現在の大垣市宮町に伽藍を造営しています。さらに2代藩主氏信が大垣城の裏鬼門除よけとして現在地に移転。この間、一時、中絶もあったようですが、延宝5(1677)年に単誉流源が中興しました。また享保年間(1716~1736年)に4代藩主氏定が初代より代々尊崇していた空海作と伝えられる毘沙門天尊像を奉安。山門がなかなかユニークでした。

Img_7877c_20230702200401 Img_7875c_20230709073001  常楽寺から道を挟んで北側に真宗大谷派の大泉寺。このお寺の詳しいことは分かりませんでしたが、このあたりは、美濃路沿いに設けられた寺町のような感じです。

Img_7882c_20230702200601 Img_7883c_20230709073701  船町4丁目の交差点の南にお寺が見えました。ルートマップを描くのにネットにある「キョリ測」というサイトを使っていますが、ネット上の地図は表示させるサイズによって、あるはずの建物や施設が上手く表示されないことがあります。ルートを調べたとき、この誓運寺は表示されず、清念寺が表示されていただけ。現地で気づいて、「見つけたなら行かなくっちゃ」と立ち寄ってきました。事前調査からはもれていました。五乗山誓運(せいうん)寺は、寛正5(1464)年の創建で、大垣城下町の整備に伴い元和6(1620)に現在地へ移転しました。真宗大谷派。

Img_7886c_20230709074201  この寺に生まれた南條文雄(なんじょうぶんゆう)は、ここ誓運寺に生まれ、サンスクリット語による仏典研究に力を尽くし、明治21(1888)年、わが国初の文学博士となり、境内にはその功績をたたえる顕彰碑が建てられています。南條は、幼時より漢学・仏典の才に優れ、慶応2(1866)年、大垣藩の僧兵隊に参加。明治元(1868)年、京都東本願寺の高倉学寮に入り翌年帰郷。明治4(1871)年、高倉学寮で教鞭を取っていた福井県の金剛山憶念寺(おくねんじ)南条神興(じんこう:1841~1887年)の養子となり南条姓に改姓、再び学寮に赴き護法場(慶応4(1868)年に、キリスト教研究の目的で学寮内井波屋敷に設置されたのが「護法場」である)でキリスト教など仏教以外の諸学を修めています。明治9(1876)年には東本願寺から派遣されてイギリスに留学し、マックス・ミュラーに師事してサンスクリット語学を学び、明治17(1884)年に帰国。東京大学講師、真宗大学(大谷大学の前身)教授などを歴任し、大正3(1914)年から大正12(1923)年まで大谷大学の第2代学長を務めています。

Img_7893c_20230709080001  誓運寺の裏手に浄業山清念寺。地図に出て来ていたのは、こちらのお寺でした。しかしこの写真は、誓運寺の墓地から見たもので、清念寺には行っていません。浄土宗のお寺。ここの詳しいことも不明。

Img_7904c_20230709082501  誓運寺から出たところの角に三輪酒造。天保8(1837)年創業だそうです。同級生K氏は、ここの酒を飲んだような気がするといっていましたが、この日は暑くて、店先を覗いただけで立ち寄らず。ひょっとしたら惜しいことをしたのかも知れません。

Img_7921c Img_7924c_20230709082801  奥の細道むすびの地記念館の手前に日蓮宗の常隆寺。無住のようですが、寺には珍しく竜宮門があります。竜宮門というのは楼門の一種で、1階部分が漆喰塗籠めの袴腰になっている門です(こちらを参照)。浦島太郎の絵本で竜宮城の城門として描かれているのがそれです。常隆寺の門は、1階部分にも屋根がある二重門タイプの竜宮門で、ことさらに珍しいそうです。1階部分には屋根がない楼門タイプの竜宮門のほうが一般的ということ。

Img_7935c_20230702201101  こちらが奥の細道むすびの地。ここから先も美濃路をたどっていくのですが、初めの方に書きましたように、主なところは去年6月12日の「大垣ウォーキング」ですでに訪ねていますので(2022年6月12日:20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編))、今回はほとんどをパス。

Minoyanagi3  この先、ルートマップはその3へ。美濃路大垣宿本陣跡などがありますが、去年しっかり拝見し、説明もしていただきました。そのほか問屋場跡などありますがパス。

Img_8044c  御朱印地遮那院跡(ごしゅいんちしゃないんあと)。ここは、去年、パスしたところ。遮那院は天武天皇の勅願所として白鳳年間に百済の王子沙門金珠が創立し、のち天長年間(824~834年)に弘法大師が来訪、真言宗有縁の聖地であるとして大日如来・不動明王・愛染明王を彫刻し本尊とし、以後真言宗牛屋山大日寺遮那院と称したといいます。江戸時代には朱印地でした。現在、跡地はホテル・住宅・墓地などになっており、墓地の一隅に「御朱印地遮那院跡」の石碑があります。

 もう一ヶ所は、Img_8055c_20230702201601大垣城東惣門跡。美濃路はここを右折して名古屋方面に向かいます。われわれはここで美濃路に別れを告げ、左折して新大橋を経て大垣駅方面に進みます。

Img_8100c_20230702201701 Img_8087c_20230702201701  大垣駅にゴールする前に金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。今日は、けっこうな賑わいでした。

Img_8092c_20230709084601  店頭では、このように器に入った水まんじゅうが冷やされています。注文を受けると店員さんが、器から水まんじゅうをはずし、パッケージに入れて販売しています。

Img_8107c_20230702202101 230702135944932c  このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。去年と同じ(微苦笑)。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」をチョイス(¥690)。見た目よりも蕎麦の量も多く、満足。食べ過ぎではありません。ここは、津駅ビルのチャムにある「そじ坊」と同じ系列のフランチャイズ店で、私は好きな店の1つ。非常勤の授業のあと、津駅の別所書店に立ち寄るときがありま。そういうときそじ坊さんでお昼を食べたいと思うのですが、昼はいつも賑わっていて店の前で待っている人も多く、なかなか食べられません。

Img_8111c_20230702202101 Img_8115c_20230709085101  養老鉄道大垣駅には、14時15分頃到着。ここが今日のゴールであり、われわれの「美濃街道(養老街道)ウォーキング」のゴールでもあります。14時26分に桑名行き普通電車がありましたので、それに乗車。桑名には15時38分に到着。

Img_8133c_20230702202801  今日の土産は、こちら。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で買った水まんじゅう。「3種セット」と「オオガキ珈琲水まんじゅう」。いずれも4つずつ入っています。合わせて¥1,120。これを買うのが、今日最大のミッションだったのです。

Screenshot_20230702160655c  こちらはこの日のGoogle Fitのデータ。トータルで14㎞を歩いたことになっていますが、過大評価かも知れません。ルートマップ上では、8.7㎞。自宅から桑名駅往復は、せいぜい2.5㎞ですので。歩数は21,603歩。

2023年7月 9日 (日)

今日も雨の止み間散歩

Dsc01109c_20230709150501  朝方よく降りましたが、その後は曇りときどき雨。最高気温は29.4℃。午後から雨雲レーダーを見ていたらしばらく降りそうにないと思えましたので、13時15分頃から散歩へ。寺町、京町、内堀公園、歴史を語る公園、九華公園といつもと逆回り。ところが、九華公園を歩いていたら小雨。遠くでは雷鳴。慌てて住吉神社を経て帰宅。1時間ほど、3.9㎞。まぁ散歩に出られただけ良しとしましょう。

Dsc01113c  玉重橋の袂にこんな看板が早くも出ていました。今年の桑名水郷花火大会は、7月29日に予定されています。19時半から20時25分までの1時間弱。今年も二尺玉が複数打ち上げられると思います。楽しみです。

Dsc01191c_20230709150501 Dsc01198c  九華公園には13時40分過ぎに到着したものの、こんな時間で、このような天気ですから鳥はいません。見たのはスズメくらい。

Dsc01169c_20230709150501  ハシビロガモのオスは、いつものように野球場の南の堀にいました。春先には、オスらしいきれいな色をしていたのですが、けっこう色あせてきています。ここまでいつもと逆回りに半周したあたりで、雨。やむなく帰宅へ。

Img_8142c_20230709150601  午前中、散歩に行けないかと思って、ベランダ園芸の写真を撮っておきました。朝顔は2鉢に種を蒔いたのですが、ご覧のように格段の違い。土が違うのが影響していると思います。どちらも100均ショップで購入したのですが、向かって左のものには肥料が含まれていたのです。右のものにも肥料は施したのですが、あまり成長していません。種を蒔いてからすでに2ヶ月をすぎましたので、そろそろ花が咲かないかと思っています。

Img_8180c_20230709150501 Img_8187c  サギソウの花は早くから咲き始めましたが、今も咲いているのはこの一輪。花がまだ咲いていない鉢は2輪あるのですが、茎というか花芽というか、見えません。例年であればすでに伸びてきている頃ですから、これは咲かないかも知れません。

Img_8145c_20230709150601  万年青も元気ですが、今年は花は咲いていません。毎年咲かせるのは、難しいという気がします。

Img_8149c_20230709150601 Img_8157c_20230709151901  こちらはメダカの住まいの睡蓮鉢。熱帯スイレンとホテイソウがジャングルのように茂っています。これまで、こんなに育ったことはありません。ホテイソウの育ち具合は、右の写真の方がよく分かります。花は8月から10月に咲くそうですが、私のところではこれまで咲いたことはありません。一度くらいはぜひ見てみたいものです。

Img_8153c  熱帯スイレンには、先日も紹介しましたように、つぼみが出て来ました。確か黄色い花が咲く品種だったと思います。

Dsc01124c  ところで、レポートの採点は昨日終了したと書きました。レポートの講評も含め、前回の授業の補足説明も作り終えましたので、それは昨日、助手の先生にメールで送って、印刷をお願いしました。レポートは、今週水曜の授業で返却します。かなりメリハリをつけて採点をしましたので、低い評価だった学生は驚くかも知れません。採点が終わって、気が楽になりました(微笑)。

Dsc01130c_20230709150501  そのほか、今週は、月曜に定例の歯科受診。木曜午後は、市役所の会議。土曜か日曜には、同級生K氏とのウォーキングを予定。今回は、伊勢・河崎あたりの予定。この花は、サルビア・インボルクラータ(ローズリーフセージ)のようです。散歩途中のお宅に咲いていました。初めて見た気がします。

20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その2)……徳円寺、求浄庵、久瀬川神社、水神神社の夜泣き松、愛宕神社、正覚寺で芭蕉木因遺跡へ

Minoyanagi2 Img_7562c_20230707041901  7月2日の美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」の本編その2です。その1では、養老鉄道美濃青柳駅をスタートし、杭瀬川に沿って北上し、六社神社、正円寺など3つの寺を周り、養老街道と美濃路との追分である塩田橋まで来ました。ここからは美濃路を歩いて行きます。地図では塩田橋のすぐ近くに秋葉神社が書かれていますが、このあたりは草地で神社らしきところは見当たりませんでした。その先で徳円寺、求浄庵に立ち寄り、さらに久瀬川神社、水神神社、愛宕神社から正覚寺など寺を5つ回っていき、去年も訪ねた奥の細道むすびの地に至ります。

Img_7593c_20230702194201 Img_7602c_20230707041901  県道31号線を渡る手前に郡境山徳円寺。真宗大谷派。天文4(1535)年、若森城の城主であった宮川安定が室町幕府12代将軍足利義晴の命を受けて創建したというのですが、ちょっと傷みが目立ちました。宮川安定は土岐氏の一族で、天文4(1535)年に大垣城を築城したと伝わっています。

Img_7618c_20230702194601  県道を越えたところに紫雲山求浄庵(ぐじょうあん)。浄土宗。ここも大垣領主宮川安定が、天文2(1533)年に開いたといいます。西美濃三十三霊場第二十二番札所です。近くに流れる杭瀬川に御首が流れ来た如意輪観音(にょいりんかんのん)が本尊であるといわれ、首から上の病にことさら霊験多いとされています。本堂前に地蔵も置かれています。享保年間勝沼儀左門家菩提のため創建。2代目から尼寺でしたが、現在は無住だそうです 。

Img_7648c_20230707042001  Img_7624c_20230707042001 入口の目印とした大イチョウの下には聖観音(しょうかんのん)が建っています。大イチョウは、樹齢180年以上で、樹高は約25m、幹の周囲は約3m、大垣市の特別保護樹に指定されています。

Img_7633c_20230707042001 Img_7640c_20230707042001  さらに境内には、「椓川法尼之碑」があります(左の写真)。椓川法尼は、嘉永元(1848)年、久瀬川の勝沼家に生まれ、漢学、仏教などを学び、非凡の才能を発揮。岐阜県師範学校や、愛知県師範学校の教員を経て、故あって求浄庵を預かります。濃尾地震で寺は崩壊してしまったのですが、立て直しに尽力し、中興の号を本山から与えられました。昭和7(1932)年に亡くなられたのですが、その功績をたたえて建てられたもの。もう一つは、「勝沼信之君紀功之碑」。勝沼信之は、濃尾震災で死亡した人々の追善供養の会である「慈眼会」の会主といいますが、詳細は分かりません。久瀬川の勝沼家は、西久瀬川の勝沼分支配者であり、西久瀬川村にこの求浄庵及び水神神社を創立した名士だとあります(こちら)。

Img_7680c_20230702194901 Img_7690c_20230709060501  スタートから4㎞を過ぎて大垣西小学校の北側にある久瀬川(くぜがわ)神社へ。創建年月は不詳。主祭神は倉稲魂神。摂末社祭神として、火産霊神(ほむすびのかみ=火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ))が祀られています。大正期に他の「稲荷神社」や「愛宕神社」と合併しているようです。

Img_7692c_20230709060901  久瀬川神社の南には、「久瀬川神社愛宕山車(もとの文字は、車偏に旁が山)」が保管されています。市指定重要文化財。毎年10月中旬に行われる久瀬川まつりでこの愛宕山車が曳き回されます。

Img_7725c_20230702194901 Img_7734c_20230709061801  美濃路に戻って、養老鉄道の線路を渡り、久瀬川町2丁目交差点をすぎたとことに水神神社があります。祭神は、罔象女神(くらおかみのかみ)。伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神として祀られます。久瀬川村の勝沼信之の先祖である大塚長兵衛が、寛永10(1633)年に創建したといいます。

Img_7739c  ここの境内には、「夜泣き松」があります。この松の木の葉を採って寝床に敷くと、夜泣き(疳の虫)が治まるとされました。段々と枝を折り取ったため、松は枯れてしまい、その跡にまた植えたそうです。追々人家も増えてきましたので、その松を東に移したといいます。もとは、松の根近くに飯沢勘平他7人の山伏を祀った塚があり、その法力の済度によると伝わっています。

 水神神社のすぐ東に極楽院空也堂大垣別院というお寺があります。単立寺院といいますが、詳細は不明。京都にImg_7743c_20230709063001天台宗の寺で、紫雲山光勝寺(しうんざんこうしょうじ)空也堂極楽院(ごくらくいん)というお寺がありますが、関連は不明。ちなみに、空也は、平安時代中期の僧。尾張の国分寺で出家したのち、諸国をめぐり、阿弥陀念仏をとなえ、橋をかけ、井戸をほるなどの社会事業を行いました。天慶(てんぎょう)元(938)年から京都市中で庶民に念仏と浄土信仰を説き、市聖(いちのひじり)、市上人、阿弥陀聖などと呼ばれます。

Img_7820c_20230702195701 Img_7766c_20230709064101  水神神社の向かいに愛宕神社と正覚寺があります。愛宕神社の創建年代は不詳です。主祭神 は、軻遇突智神(かぐつちのかみ)。火の神様です。

Img_7813c_20230702200001 Img_7799c_20230709064201  愛宕神社に隣接して冷水山正覚寺があります。曹洞宗のお寺。お寺について、詳しいことは分かりませんが、正覚寺の境内に「芭蕉木因遺跡」があります。

Img_7772c_20230709064601 Img_7783c_20230709064601  芭蕉は、元禄7(1694)年、大阪で病に倒れ、10月12日に51歳で世を去りました。生前の遺志によって、近江国、大津の義仲寺に葬られたのですが、百箇日に大垣の俳人木因如行らが、「芭蕉翁」石碑を建て追善の俳を挙行しています。その「芭蕉翁」と刻した天然石の芭蕉追悼塚(尾花塚)が、右の写真中央に見えます。路通の筆によります。また、

Img_7803c_20230709065801  木因の死後には木因と芭蕉の親交を偲び、木因碑を建て「芭蕉木因遺跡」としています。上左の写真にある説明板の脇には、木因の墓があります。

 まだルートマップその2の途中で、この記事では2㎞ほどしか進んでいませんが、その2はここで一区切りとします。その3は船町7丁目交差点を越えたところにある常楽寺から。

2023年7月 8日 (土)

今日もスズメとカラスくらい……レポート採点は一通り完了

Dsc00846c_20230708181401  桑名では雨はほとんど降っていませんが、警報級の雨が降っているところがあります。被害が出ないことを願っています。今日もいつものように朝7時半から散歩へ。蒸し暑い中、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、南魚町、田町、三崎通と5.7㎞。汗をかいて少々疲れました。

Dsc00870c_20230708181401 Dsc00889c  スズメかカラスしかいません(苦笑)。これらはいずれも七里の渡し跡にて。ただし、他の公園でもほぼ同じ。

Dsc00911c_20230708181401 Dsc00931c  九華公園の奥平屋敷跡では、若いカワウさん。最近ここのステージ裏にときどきいます。さらに、珍しくヒヨドリもやって来ました。今年は、春先からヒヨドリをほとんど見なくなっています。

Dsc00939c_20230708181401 Dsc01039c_20230708181401  ハシビロガモのオスはどこにいるのか分からなかったのですが、朝日丸跡の北側にいました。ここは案外盲点。このあと回った他の公園でも鳥はほとんどいません。いたとしてもスズメくらい。京町のお宅の巣には、ツバメが来て、交代したところ。卵があると思います。期待しましょう。

291647795_581097646970638_12803628740595  昨日、桑名七里の渡し公園で行われていたイベントはこれでした(こちら)。そういえば「一番搾り」と書かれた提灯がぶら下がっていました。もうちょっと大々的に宣伝してほしいなぁという気がします。

Dsc01092c  ところで、レポートの採点は難儀しましたが、夕方までに一通り終えました。評点の高いレポートは、一度読んだだけで内容が良く理解でき、頭にスッと入ってきます。これは、①清書する前に内容の整理、順序、内容同士の関連性についてよく考えてあり、また、②主語、述語、目的語などをきちんと意識して書いてあるためです。一方、評点の低いレポートに共通する点は、何回か読み直しても内容が分かりにくかったり、バラバラの内容が並列してあったりします。おそらく上記の①②がきちんとなされていないのです。満点をつけたレポートもけっこうありますが、点数が満点の半分にもならないレポートもけっこうあります。考える習慣があるかないか、どのように考えるかといったトレーニングがなされているかなどが大きく影響している気がします。

2023年7月 7日 (金)

コアジサシ・ファミリーを見てきました

Dsc09671c  今日は、七夕でもありますが、二十四節気では小暑でもあります。小暑は、梅雨が明け、暑さが本格的になる頃です。セミも鳴き始め、暑中見舞いを出すのもこの頃ということ。昨日ほどは暑くはなく、今のところ、最高気温は32.1℃。ブロ友のひらいさんからの情報で、某所でコアジサシのヒナがいるということでしたので、早速見に行ってきました。歩いて行って、トータル8.7㎞を歩いてきました。

Dsc09819c Dsc00170c_20230707143001  ひらいさんからいただいた情報通りのところで、コアジサシ・ファミリーを発見。親2羽に、かなり成長したヒナも2羽。ヒナも自由に歩き回っていました。ただ、伺っていたよりも数は少なかったので、どうしたのか気になります。

Dsc09909c Dsc09990c_20230707142901  ヒナもこれだけ成長すれば、このまま無事に巣立っていくのではないかと思えます。ヒナは、少しは飛べるようで右の写真のようなシーンも見られました。ここの近くでは、コチドリ1羽も見られました。

Dsc00483c  出かけたついでに長良川河口堰も通過してきました。通過してきたというのは、いつもならば管理橋を渡って、親水広場を一周して駐車場に戻るのですが、今日は東から管理橋を渡って、親水広場を通って中堤道路に出て伊勢大橋を渡って帰ってきたのです。

Dsc00487c_20230707143001 Dsc00516c  河口堰も野鳥は少なかったのですが、アオサギを合計5羽、ダイサギを1羽、また、コサギも1羽を見られました。ほかにオオヨシキリや、コチドリの鳴き声もよく聞こえていました。これら2枚と次の1枚のアオサギは、管理橋から親水広場に降りていく坂道のところで見たもの。

Dsc00559c_20230707143101  Dsc00587c こちらはなかなか逃げなかったのですが、さすがにかなり近づくと、このように逃げの体勢に。右の写真のコサギは、河口堰上流西側の監視塔近くにいました。親水広場で一休みしていたら、すぐ近くからオオヨシキリの声がしたのですが、姿は見つけられませんでした。

Dsc09697c_20230707144201 Dsc09703c_20230707144401  伊勢大橋を1往復半。片道1,105.8mあります。下流側では新しい橋の橋脚が、たぶんほとんどできあがってきています。右は、桑名側、国交省の木曽川下流河川事務所のすぐ東に、この春できあがった橋脚。東から見ています。

Dsc09715c_20230707142901 Dsc09754c  伊勢大橋を渡っているときに見たのは、ハクセキレイ3羽と、カルガモ2羽。ハクセキレイは揖斐川の上に、カルガモは長良川左岸にそれぞれいました。

Dsc09675c Dsc00843c_20230707143101  余談ですが、桑名七里の渡し公園では、何かイベントがあるようで、テントがいくつも張られていました。もう一つの余談は、熱帯スイレン。ようやくつぼみが1つ見えてきました。

Dsc09224c_20230707161401  ところで、レポートの本格的な採点をしなくてはなりませんが、これがなかなか(苦笑)。読みにくいものに当たったり、指示を守っていないもの(鉛筆書き、箇条書き)が出て来たりすると、途端にモチベーションが下がるのです。読みにくいものは、あまりよく考えないで書かれたものです。よく考え、整理して書いてあるものは、一読して内容が頭にスッと入ってきます。気を取り直してやることにします

20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(その1)……美濃青柳駅をスタートし、六社神社、正円寺他を周り美濃路との追分の塩田橋まで

Img_7293c_20230702190601  7月2日の美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」の本編その1です。この日は、梅雨の晴れ間で好天。桑名では最高気温が33.9℃という蒸し暑い日でした。養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅までを歩き、美濃街道(養老街道)ウォーキングもいよいよ最終回。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、この日までに合計9回。いよいよ大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。

Minoyanagi0  こちらがこの日歩いたルートマップ。美濃青柳駅から、前回、養老街道を離れた綾野まで、杭瀬川を越えて1㎞あまり。そこから杭瀬川沿いに北上。3㎞ほどで杭瀬川を渡る塩田橋に行き当たります。ここが養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路をたどって大垣の市街地へ。8㎞地点が大垣城東口惣門。美濃路はここで東に向かいますので、ここまでが街道歩き。ゴールに設定した大垣駅に向かいます。現地で歩いたのは8.7㎞でした。

Img_7271c_20230702185801 Img_7246c_20230702185801  桑名駅を8時9分に出る大垣行き普通に乗車。美濃青柳駅には9時20分に到着。この日は普通に乗車券を買うと、合計¥1,530となり(桑名~美濃青柳が¥700、大垣~桑名が¥830)、1日フリー切符(¥1,500)の方が、わずかながら安いので(¥30)そちらを利用。

 Img_7294c_20230705061501 Img_7319c 美濃青柳駅を9時20分過ぎにスタート。杭瀬川を渡り、前回、養老街道から離れた綾野を目指します。冒頭の写真は、杭瀬川を渡っているときに通過した東海道新幹線を撮ったもの。左の写真は青柳橋、右の写真は綾野の県道96号線から養老街道が右に逸れるところ。

Minoyanagi1  くわしいルートマップその1。美濃青柳駅をスタートし、杭瀬川を青柳橋で渡ります。綾野の町にある浄徳寺、真照寺、報恩寺の3つのお寺は前回立ち寄りました。東海道新幹線の線路をくぐって杭瀬川に沿って北上します。2㎞を過ぎたところにある六社神社にまずは向かいます。

Img_7322c_20230705064101 Img_7338c_20230705064101  東海道新幹線の高架を潜り、杭瀬川沿いを北上します。写真で分かるように、上天気。堤防の上の道を歩いていますので、暑いこと。

Img_7368c_20230705064901  Img_7352c_20230702185801 スタートから2㎞あまりで六社神社。ご祭神は素戔男命大己貴命(大国主命)、少彦名命の3柱に、地主神の出早雄神(いずはやおのみこと:長野県内の民間信仰の神で、諏訪地方では建御名方神(諏訪大社の祭神)の御子神とされています)、塩野神、和世田神の6柱。文明2(1470)年、旧塩田村開発のときに、開拓者であった塩田一族が、発祥地である信濃国塩田邑の産土神である塩野神社(長野県上田市にある塩野神社と思われる)の御霊を勧請したといいます。その塩野神社は、白鳳元(673)年4月 出雲大社から分霊を勧請して、塩田地方の産子神としたと伝わっています。

Img_7372c_20230705064901 境内の南方に山神跡があり、そこは往古より、”おしゃもり”さんと俗称され神厳で、信濃諏訪大社信仰による『御左口神』で、国津神である健御名方命を祀ったものと推察できるそうです。この御左口神(みさこじしん)は、現在は、本殿の北に遷座しています。この神は、中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジ信仰)で祀られる神(精霊)といいます。長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられています。全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられているそうです。

 六社神社から再び杭瀬川の堤防道路に戻り、北に向かいます。Minoyanagi2   くわしいルートマップはその2へ。静里の町に入って、正円寺、法永寺、長源寺の3つの寺を訪ねた後、塩田橋へ。ここが美濃路と養老街道との追分。常夜灯、道標、旧盬田橋親柱があります。ここからは美濃路をたどり、徳円寺、求浄庵、久瀬川神社に向かいます。

Img_7431c_20230702185801 Img_7441c  まずは、真宗大谷派の七峰山正円寺。お寺の創建など詳しいことは分かりませんが、古くは七峯山宗暁寺といったようです。

Img_7445c Img_7449c_20230706170501  本堂の南に「正円寺経塚(県史跡)」があります。経塚の敷地は約4㎡で、周囲は柵で囲まれ、その中に碑が建っています。高さ70cm、台石の幅50cm。文治5(1189)年の築造と推定されています。近郷の僧俗多数の方の協力があったそうです。

Img_7464c_20230702192101 Img_7468c_20230706170601  続いて、曹洞宗の法永寺。ネットでは詳細な情報はありませんでしたが、ここの住職を務められた小沢道雄師(大正9(1920)~昭和53(1978)年)が、第2次大戦後のシベリア抑留で両足を失ったにも関わらず、たくましく生き抜く生涯を描いた自伝小説「本日ただいま誕生-苦しむのは比べるからだ-」を書いておられるそうです。この小説は昭和54(1979)年に映画化もされ、植木等さんが主人公を演じています(こちら)。

Img_7484c_20230702192101 Img_7495c_20230706171601  真宗大谷派の長源寺。ここもネットでは詳細な情報はありません。

Img_7492c_20230706171601 Img_7488c_20230706171601  ここ長源寺の山門前に「蒼立 空海師 卅保院(?) 徧照山功徳光院長源教寺」というやや古い石柱が建っています。これもネットで調べたものの、特に情報は出て来ませんでした。もとは空海が創立したということなのでしょうか?? 山門に向かって左には、右の写真のように「大谷派由緒地長源教寺」と刻まれた石柱も建っていますが、これもまたよく分かりません。分からないことばかりです(苦笑)。

Img_7499c_20230706171601  さらに境内には、「大日本国 仏暦開祖 普門律師の碑」と刻まれた石碑が建っています。普門律師(建暦2(1212)~正応4(1291)年)は、鎌倉中期の臨済宗の僧と思われます。南禅寺派の祖で、長野の人。40歳のときに入宋、帰国後再び円爾弁円に随侍しています。弘安4(1281)年東福寺第三世。正応4(1291)年亀山上皇の帰依を受けて南禅寺開山となりました。この石碑は、天保10(1839)年の建立。「推歩傳持」という名前が右面にあります。「推歩」は、辞書的には、「たどるようにして歩くこと」ですが、名前か雅号かも知れません。「伝持」は、 仏教で、法をうけ伝えて維持することです。

Img_7510c_20230706185601  3ヶ寺からすぐ近くに塩田橋があります。ここにはかつて塩田湊がありました。明治の頃、桑名湊と赤坂湊との間は舟運が盛んで、塩田湊はその中継箇所として常時20~30艘の船が停泊し、船頭相手の銭湯、米屋、雑貨屋等の店が軒を並べ大変賑わったそうです。明治12(1880)年8月に杭瀬川を往来する船の安全祈願と航路標識、伊勢両宮への献灯として湊の西側に塩田湊常夜灯が建立されました。ただ、この常夜灯は、残念なことに平成30(2018)年9月4日の台風21号によって被害を受けてしまっています。

Img_7531c_20230702194101 この常夜灯のところに旧盬田橋の親柱と、養老街道の道標もあります。旧盬田橋の親柱には、木製と鉄の欄干との接続に鉄板が使われたため、くびれがあり、その跡がはっきりと残っています。道標は明治13(1880)年に建てられたもので、碑表には「從是 養老公園道」、また、右面には「養老へ三里 高田へ弐里」とあります。東面には「明治十三年十月 大垣本町 久保田鐵蔵 建立」とあります。

Img_7556c_20230702193301  塩田橋を渡ってさらに進みますが、長くなりますからその1はここまでとします。その2は、この先の徳円寺から。この塩田橋からは、美濃路をたどっていきます。

2023年7月 6日 (木)

ついにやって来ました猛暑日

0706amedas Dsc09402c_20230706153001  アメダスのデータでは、14時29分に35.7℃を記録しています。ついにというか、とうとうというか、猛暑日がやって来ました。朝から暑く、散歩に出た8時15分頃には、ほとんど誰も歩いていないような状況でした。右は、8時20分頃の住吉神社前の様子。ここからいつものように、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、寺町、御坊さんと5.9㎞を歩いてきました10時頃には帰宅という、私にしては短い時間での散歩でしたが、暑くて鳥も、散歩友達もいないのです。

Dsc09431c Dsc09466c_20230706153001   今日もっともたくさん見たのは、スズメ。左の写真のスズメは、船津屋さんの裏あたりの揖斐川の堤防にて。右の写真のスズメのヒナは、九華公園の北門近くにて。九華公園までに見たのもスズメと、わずかな数のムクドリのみ。

Dsc09472c  九華公園の相撲場の近くでは、ドバトが枯れ草をくわえていました。今から巣作りなのでしょうか? ドバトは、4~5月が多いものの、通年繁殖し、年3回以上繁殖するといいますから(こちら)、これから巣を作る可能性も十分ありそうです。暑いのに、ご苦労さんといいたくなります。

Dsc09511c  奥平屋敷跡そのほかでも、野鳥はほとんどいません。九華公園でスズメ意外によく見たのは、カラス。左の写真のハシブトガラスは、神戸櫓跡近くで。九華公園には、このところ、カラスファミリーが3組くらいいます。

Dsc09543c  ハシビロガモのオスは、暑さにも負けず、元気にしています。野球場の南の堀で盛んに身繕いをしていました。他の公園でも、鳥はほとんどいません。朝8時にはすでに26.4℃もありましたから、さもありなんです。

Dsc09569c_20230706153001  ところで、昨日の授業のQ&Aは、昨晩と、今朝早くそして散歩から帰ってと作業を行い、午前中には一通りできあがりました。今回は、先週の演習のレポートも見ますから、その講評も含めてつくります。週末にかけてそれらの作業も行って、週明け一番に助手の先生に送る予定。

Dsc09629c  演習のレポートは、午後から一通り目を通しました。レベルは、さまざま。添削するとしたら、ほとんど手を入れないで済むような、分かりやすくよくまとまったものから、「全面的書き直し」を求めたいものまで。これは、毎年そうです。あまり裏話を書くとよくありませんが、実は、先週、演習の終わりにレポートの書式を配ったら、その途端にレポート用紙に書き始めた強者も複数いたのです。他の授業で、授業中にレポートを書くものがあるようですから、その影響もあるのかも知れませんが、説明も聞かずにレポートを書く等というのは、私の感覚では信じられません。

Dsc09645c_20230706153001  よく書けているレポートは、事前に書くべき内容を整理し、書く順序や内容同士の関連性についてよく考えてあり、また、主語、述語、目的語などをきちんと意識して書いてあります。書き直しを指示したいレポートは、まずは内容が貧弱。項目が羅列してあるだけで、考えたという形跡があまり窺えないのです。他に目立つのは、1文ごとに改行してあるものがけっこうあります。これはSNSの文章の影響かなと思うのですが、本当にそうかどうかはわかりません。一方、今年度のレポートで全体的によいのは、話し言葉で書かれていないこと、誤字・脱字が極めて少ないことです。今晩か、明日にでも精読しながら、点数をつけ、コメントを書くつもり。花の写真は、順にコムラサキ(外堀にて)、サルビア(京町にて)、ヒマワリの仲間(詳細は不明、小型の花が多数咲いています。北寺町にて)。

0706temperture 【追記】 全国の今日の最高気温ランキングを見たら(15時20分現在の速報値)、桑名は全国6位の暑さでした。ジジイ故、午後からはエアコンのお世話になっております。

2023年7月 5日 (水)

今日はレポート提出日

230705093120165c  梅雨空ですが、講義を終えて帰宅途中、桑名駅を出る頃までは雨は降りませんでした。駅を降りたころから小雨がポツポツと落ちてきました。今日で講義も12回目。残り3回と試験1回。今日は、先週の「傾聴の演習」についてのレポートの提出日。まだ提出者を確認しながら、ざっと眺めただけですが、指示を守っていないものが散見されました。「箇条書きは不可、文章で書くこと」と先週の授業でも注意しましたし、その後、Google Classroomの連絡事項にも再度、同じことを載せておいたのですがねぇ……。毎年のことながら、一定の割合で注意事項を見逃す学生がいます。箇条書きではないと本人はいうでしょうが、1文ごとに改行してあるレポートもいくつかあります。これは実質的には箇条書きとみなします。レポートの書き方を学ぶ授業はなさそうですからやむを得ないかも知れません。SNSで文章を入力するときの習慣がそのまま出ている気もします。こういうことがあると、評価や採点が、悩ましいのです。

230705121421895c  授業終了後は、またまた津駅まで行って別所書店に立ち寄ってきました。今日発売の文春文庫を1冊と、新書を1冊購入してきたのです。江戸橋から津まで¥180かかりますが、本を早く入手するにはやむを得ない支出と思っています。

230705134342349c  ところで帰宅途中、町のあちこちに石取祭の幟旗が立っていました。今年は、7月17日(海の日)に石取祭囃子優勝大会、8月4日(金)24時から叩き出し、8月5日(土)18:00頃から試楽、8月6日(日)に本楽。本楽では、13時頃から北市場整列で、花車渡祭は18時30分からとなっています。北市場整列では、拙宅マンションのすぐ近くに祭車が整列するので、一段と賑やかになります。

230705134049084c  今週は、いつものように授業の補足説明をつくるとともに、レポートの採点、評価、コメント書きもしなくてはなりません。明日、明後日は天候が回復するようですが、週末は梅雨空という予報。おとなしくレポートに取り組むことにします。

2023年7月 4日 (火)

クマゼミを初確認……博物館で「生誕200年 帆山花乃舎」展を見る

Dsc09067c_20230704153701  今日の最高気温は、昨日と同じく34.2℃となっています。九華公園で堀に囲まれている奥平屋敷跡や二の丸跡にいると、朝8時過ぎは涼しい風が吹いてくるのですが、30分ほど経つと水も温まってくるのか、生ぬるい風になります。日陰でもけっこう暑く感じます。今日もクマゼミがよく鳴いていました。わが家周辺ではまだ鳴いていませんが、九華公園や貝塚公園はすでに賑やかです。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から桑名市博物館へ。その後、京町、和菓子の花乃屋さんに立ち寄って田町、寺町から帰宅。6.2㎞。冒頭の写真は、九華公園で見つけたクマゼミ。

Dsc08755c  今日も朝7時ですでに25℃以上。鳥は一段と少なく、九華公園までに見かけたのは少数のスズメのみ。梅雨も明けていませんが、いよいよ散歩ではなく、本格的な修行シーズンといえます。

Dsc08781c Dsc08879c  九華公園の奥平屋敷跡。スズメ、ムクドリ、ドバトがチラッと顔見せをした程度。カワラヒワはけっこうやって来ました。降りてきてエサ探しをしたりしています。「もう何も来ないか」と思った頃になってシジュウカラの幼鳥が登場。なかなか撮らせてくれませんでしたが、何とか。

Dsc09004c_20230704153801 Dsc09013c  野球場の南の堀には、ハシビロガモのオスと、カワウが並んでいました。カワウは2羽。

Dsc09205c_20230704153701 Dsc09234c_20230704153701  貝塚公園でもスズメとシジュウカラの幼鳥。右の写真のスズメは、内堀公園にて。

Dsc09325c_20230704153701  話しの順序は少しちがいますが、京町のお宅のツバメの巣。ここに到着したときには留守だったのですが、すぐに戻ってきました。

Dsc09267c Dsc09255c_20230704153701  さて、桑名市博物館では、初夏の企画展「生誕200年 帆山花乃舎」を見てきました。今週の日曜まで開催中。帆山 花乃舎(ほやま はなのや/1823~1894年)は桑名の真宗高田派・䑳崇寺(りんそうじ)の住職を務めた人物で、僧侶でありながら絵を得意とした画僧です。花乃舎は、浮田一蕙(1795~1859年)や渡辺清(1778~1861年)ら復古大和絵派の絵師に師事し、幕末から明治にかけて画人としてその才能を開花させていきました。実は、昨日の市民大学郷土史学科の講義で、講師の大塚先生が「照源寺蔵の勅修圓光大師御絵伝が出ているからぜひ見てください」とおっしゃったのです。これは法然上人の生涯を説いた伝記絵で、「伝帆山花乃舎」となっていますが、素晴らしいものでした。出品リストはこちらにあります。なお、恒例の【特集陳列】では、「二人だけの世界―神内生一郎の肖像画―」と、「刀剣セレクションI―刀鍛冶の郷・桑名の刀工―」が開かれています。

Dsc09282c  こちらも恒例、毎回1点だけ撮影可能な展示があります。「脇指 銘 桑名住國吉」です。國吉は桑名の刀工と考えられています。桑名市博物館が所蔵する國吉は、この一振りだけだそうです。

Dsc09352c  Dsc09359c_20230704153701 そして、今回の「生誕200年 帆山花乃舎」展では、特別なサービスがあります。博物館から北に150mあまり行ったところに「花乃舎」があります。明治初年に権大納言久我通富卿より「花乃舎」の号を授けられた和菓子の老舗。展覧会入館券の半券を持参すると、当日一人一回限りで都饅頭を1個プレゼントしていただけるのです。

Dsc09365c  こちらがそれ。博物館の入館料は¥150。都饅頭は、1個¥162。お金のことをあれこれいうのは、ちょっとどうかという気がしますが、おトクです(微笑)。

2023年7月 3日 (月)

クマゼミ、初鳴き……余計に暑い(苦笑)

Dsc08410c  最高気温は、34.2℃と蒸し暑い日になっています。午前中はいつものように7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、寺町と散歩。午後は、第3回のくわな市民大学郷土史学科の講義へ。歩いたのは、トータルで7.4㎞ほど。朝7時には26.5℃もあり、散歩している人はいつも出会う散歩友達ばかりでした。

Dsc08418c_20230703172601 Dsc08442c  三之丸公園でスズメの幼鳥。三の丸水門のところでハクセキレイ。ハクセキレイ、警戒態勢をとっていますが、上空を他のハクセキレイのオスが通過したためと思われます。

Dsc08453c  今日もあちこちで見るのは、スズメばかり。ドバトもムクドリもほとんどおらず、ヒヨドリにいたっては今日はまったく見ませんでした。

Dsc08494c  九華公園の奥平屋敷跡では、今シーズン初めてクマゼミが鳴いていました。クマゼミは九華公園のあちこちでも、また、貝塚公園でも鳴いていました。クマゼミの姿は見つけられませんでした。鳴き声の入った動画は撮ってきましたが、余計に暑くなりそうですから、割愛します。ハシボソガラスのファミリーがいましたが、暑そうで、嘴を開けていたぐらい。

Dsc08529c Dsc08518c  他に奥平屋敷跡で見たのは、カワウ。左は成鳥、右は幼鳥と思います。ステージ裏の旧お立ち台(かつてはここによくアオサギが来て、木鶏のごとく佇んでいたので、このように名付けました)。

Dsc08551c Dsc08580c  二の丸跡の木にカワラヒワ。カワラヒワは、今日はけっこうたくさん見ました。本丸跡の辰巳櫓跡でシジュウカラの幼鳥。エサを捕まえて食べていました。

Dsc08661c  ハシビロガモのオスは、今日もまた野球場の南の堀のところにいました。右の翼は、垂れています。傷み方が酷くなったのではないか心配になります。このあとの公園でも、いてもスズメくらい。京町のお宅のツバメの巣、今日は留守でした。

Dsc08684c Thekasuga_2023_0619  こう暑いと、こんなポスターが気になります。今年も7月1日から「桑名かき氷街道」が始まりました。家内と娘は、昨日、THE KASUGAへ行って、黒蜜きな粉(800)などを食べてきたそうです。ここのかき氷は、かつて堤原にあった長栄堂さん監修なのです。私も食べてみたい!

230703124923967c 230703154910614c  午後からはくわな市民大学郷土史学科の講義へ。おなじみのパブリックセンターにて。今回は桑名市長島町を中心としたお話し。いつものように講義資料、内容をもとに調べて、自分なりのまとめをつくることにします。

Dsc08697c Dsc08716c_20230703172601  明日も晴れて暑そうです。Yahoos!の天気予報では最高気温は33℃とか。日陰が恋しくなります。この分では明日もクマゼミが鳴きそうで、鳥も少なそうです。しかし、めげずに明日もいつも通り散歩に行くことにしましょう。住吉入江沿いの桜の木の根元にグラジオラスが咲いています。どなたかが球根を植えたのでしょう

20230702美濃街道(養老街道)ウォーキング「美濃青柳~大垣」(予告編)

Img_7293c_20230702190601  梅雨の晴れ間で好天、桑名では最高気温が33.9℃という蒸し暑い中、美濃街道(養老街道)ウォーキングに行ってきました。今日は、養老鉄道美濃青柳駅から大垣駅まで。美濃街道(養老街道)ウォーキングは、2021年2月27日に桑名市川口町の東海道との追分から歩き始めました(20210227勝手に養老鉄道ハイキング「桑名の美濃街道再び(川口町~下深谷)」(完))。以来、間が空いたりしましたが、今日までに合計9回で大垣まで到達。三重県でいう「美濃街道」(岐阜では伊勢街道、桑名街道と呼ぶようです)は、関ヶ原で中山道に至るのですが、美濃高田近くからは、美濃街道は鉄道の駅からは離れ、「電車で行って電車で帰る」スタイルで歩くのは困難となります。そこで、美濃高田あたりから養老街道に入り、大垣を目指すことにしたのです。今回も同級生K氏と二人旅。今日のところは予告編。

Img_7271c_20230702185801 Img_7246c_20230702185801  桑名駅を8時9分に出る大垣行き普通に乗車。美濃青柳駅には9時20分に到着。今日は普通に乗車券を買うと、合計¥1,530となり、1日フリー切符(¥1,500)の方が、わずかながら安いので(¥30)そちらを利用。

Minoyanagi0  こちらが今日歩いたルートマップ。前回、養老街道を離れた綾野まで、杭瀬川を越えて1㎞あまり。そこから杭瀬川沿いに北上。3㎞ほどで杭瀬川を渡る塩田橋に行き当たります。ここが養老街道と美濃路との追分。ここからは美濃路をたどって大垣の市街地へ。8㎞地点が大垣城東口惣門。美濃路はここで東に向かいますので、ここまでが街道歩き。ゴールに設定した大垣駅に向かいます。現地で歩いたのは8.7㎞でした。

Img_7322c_20230702191101 Img_7352c_20230702185801  東海道新幹線の高架を潜り、スタートから2㎞あまりで六社神社。ご祭神は素戔男命、大己貴命(大国主命)、少彦名命の3柱に、地主神の出早雄神、塩野神、和世田神の6柱。文明2(1470)年、旧塩田村開発のときに、開拓者であった塩田一族が、発祥地である信濃国塩田邑の産土神である塩野神社の御霊を勧請したといいます。

Img_7431c_20230702185801 Img_7445c  さらに堤防道路を歩いて3㎞あたりに3つのお寺。まずは、真宗大谷派の七峰山正円寺。本堂の南に「正円寺経塚」があります。文治5(1189)年の築造と推定されています。近郷の僧俗多数の方の協力があったそうです。

Img_7464c_20230702192101 Img_7484c_20230702192101  左の写真は曹洞宗の法永寺。右の写真は、真宗大谷派の長源寺。どちらもネットでは詳細な情報はありません。ただし、長源寺は、山門前に「蒼立 空海師 卅保? 徧照山功徳光院長源教寺」というやや古い石柱が立っています。もう少し調べてみようと思います。

Img_7556c_20230702193301  Img_7531c_20230702194101 これら3ヶ寺のすぐ近くに塩田橋があります。古い表記では「盬田橋」。ここが養老街道と美濃路との追分。美濃路(みのじ)は、江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)です。ここには「伊勢両宮献灯」と書かれた常夜灯のほか、旧盬田橋の親柱2基と、養老公園への道標(碑表には「從是 養老公園道」)があります。

Img_7593c_20230702194201Img_7618c_20230702194601  美濃路に入って、県道31号線を渡る手前に徳円寺。真宗大谷派。天文4(1535)年、若森城の城主であった宮川安定が室町幕府12代将軍足利義晴の命を受けて創建したというのですが、ちょっと傷みが目立ちました。県道を越えたところに紫雲山求浄庵(ぐじょうあん)。浄土宗。ここも大垣領主宮川安定が、天文2(1533)年に開いたといいます。

Img_7680c_20230702194901 Img_7725c_20230702194901  大垣西小学校の北東側に久瀬川神社。創建年月は不詳。主祭神は倉稲魂神。さらにその先に水神神社。主祭神は、罔象女神(くらおかみのかみ)。伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火神を生んで病んだとき、その尿より生まれ、水の神として祀られます。ここの境内には、「夜泣き松」がありますが、それはまた本編にて。

Img_7820c_20230702195701 Img_7813c_20230702200001  水神神社の向かいに愛宕神社と正覚寺。愛宕神社の創建年代は不詳です。主祭神 は、軻遇突智神(かぐつちのかみ)。火の神様です。正覚寺は、曹洞宗のお寺。境内に「芭蕉木因遺跡」があります。「芭蕉翁」と刻した天然石の芭蕉追悼塚(尾花塚)があるのです。

Img_7845c_20230702200301 Img_7877c_20230702200401  その東に照徳山雲光院常楽寺。浄土宗のお寺。元和3(1617)年、戸田氏鉄(うじかね)が近江国膳所藩から摂津国尼崎藩に国替えされた際に、尼崎の地に菩提寺として建立されたのに始まるそうです。山門がなかなかユニークでした。道を挟んで北側に真宗大谷派の大泉寺。このあたりは、美濃路沿いに設けられた寺町のような感じです。

Img_7882c_20230702200601Img_7921c  大泉寺の先、南東に五条山誓雲寺。事前調査からはもれていました。寛正5(1464)年の創建で、大垣城下町の整備に伴い元和6(1620)に現在地へ移転しました。この寺に生まれた南條文雄(なんじょうぶんゆう)は近代的な仏教研究の普及に尽力し、明治21(1888)年、わが国初の文学博士となり、境内にはその功績をたたえる顕彰碑が建てられています。奥の細道むすびの地記念館の手前に日蓮宗の常隆寺。無住のようですが、寺には珍しく竜宮門があります。

Img_7935c_20230702201101 Img_8044c  これで今日立ち寄ろうと思ったところはほとんどコンプリート。奥の細道むすびの地に出て、水門川に沿って美濃路を進みます。ここから先は、去年6月12日の「大垣ウォーキング」で歩きましたので(2022年6月12日:20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編))、名所旧跡はほとんど見ただけで通過。立ち寄ってきたのは、御朱印地遮那院跡(右の写真)。遮那院は天武天皇の勅願所として白鳳年間に創立され、のちに弘法大師が再興。江戸時代には朱印地でした。現在は、墓地になっています。

Img_8055c_20230702201601  さらに進み大垣城東惣門跡。美濃路はここを右折して名古屋方面に向かいます。われわれはここで美濃路に別れを告げ、左折して新大橋を経て大垣駅方面に進みます。

Img_8100c_20230702201701 Img_8087c_20230702201701  大垣駅にゴールする前に金蝶製菓総本家大垣駅前本店で水まんじゅうを土産に購入。今日は、けっこうな賑わいでした。店頭で器から水まんじゅうをはずし、パッケージに入れて販売しています。

230702135944932c Img_8107c_20230702202101  このあと、JR大垣駅ビルにある「おらが蕎麦」で昼食。去年と同じ(微苦笑)。「ちくわ天おろしぶっかけ蕎麦」をチョイス(¥690)。見た目よりも蕎麦の量も多く、満足。食べ過ぎではありません。ここは、津駅ビルのチャムにある「そじ坊」と同じ系列のフランチャイズ店。

Img_8111c_20230702202101  養老鉄道大垣駅には、14時15分頃到着。ここが今日のゴールであり、われわれの「美濃街道(養老街道)ウォーキング」のゴールでもあります。14時26分に桑名行き普通電車がありましたので、それに乗車。桑名には15時38分に到着。

Img_8133c_20230702202801  今日の土産は、こちら。金蝶製菓総本家大垣駅前本店で買った水まんじゅう。「3種セット」と「オオガキ珈琲水まんじゅう」。合わせて¥1,120。これを買うのが、今日最大のミッションだったのです。

Screenshot_20230702160655c  こちらは今日のGoogle Fitのデータ。トータルで14㎞を歩いたことになっていますが、過大評価かも知れません。ルートマップ上では、8.7㎞。自宅から桑名駅往復は、せいぜい2.5㎞ですので。歩数は21,603歩。以上、今日のところは予告編。本編は、また明日以降書いていきます

 

 

2023年7月 1日 (土)

止み間散歩でイソヒヨドリ

Dsc08241c_20230701140801  梅雨らしい天候です。桑名あたりでは、今のところ、朝のうちに降ってその後は、雲の隙間に入っています。最高気温は30℃を超えて、蒸し暑くなっています。9時頃、しばらく降りそうもないと見込んで散歩に出ました。住吉神社、九華公園、歴史を語る公園、京町、寺町と4.5㎞。九華公園で雨雲レーダーを見たら、「45分後から雨が降る」と表示されたので、「これはいかん」と帰途に。寺町商店街あたりからぽつりぽつりと降り始めました。降らないと思って出ると降られるというのはよくあるパターン。

Dsc08256c_20230701140801 Dsc08284c  最近、毎度おなじみになっていますが、ハシボソガラス。鳥が他にいないということもありますが、カラスをあちこちでよく見るのです。このハシボソさんは、住吉神社の近くにいました。蟠龍櫓の近くでは、ハクセキレイ。このあたりや三の丸水門のところでは、このところハクセキレイをよく見ます。以前は、九華公園の奥平屋敷跡にも毎日来ていたのですが、最近そちらへはご無沙汰。

Dsc08312c_20230701140801 Dsc08323c_20230701140801  九華公園には9時半頃到着。相撲場のところで、イソヒヨドリが2羽。メス2羽なのか、どちらか、あるいは両方とも幼鳥なのか。

Dsc08346c  Dsc08365c_20230701140801 公園内をほぼ半周したのですが、今日はスズメもほとんどいませんでした。ハシビロガモのオスは、いつものように、野球場の南の堀にいます。右の翼は、ご覧のようになっていて、これでは飛べないだろうと思います。他に見たのは、カワウ。奥平屋敷跡にいたのを立教小学校の方から見た写真。

Dsc08372c  京町のお宅のツバメの巣。今日は、親が巣に就いていました。ちょうど交代したところで、この巣に行く直前、もう1羽のツバメが飛び立っていきました。このあたりから小雨が降り始めたのです(苦笑)。寺町商店街は、今でもアーケードになっているので、そちらを通り抜けて帰宅。

Dsc08393c_20230701140801  結局1時間あまりで帰宅とはなったものの、何とか「雨読の日」にはなりませんでした。イソヒヨドリも見られましたし、まぁ良し。夜は、マンションの管理組合の理事会にオブザーバーで出席予定。明日は、梅雨の晴れ間という予報。真夏日になりそうですが、美濃街道(養老街道)ウォーキングの最終回に行けそうです。桑名をスタートして、美濃街道、養老街道を歩いて大垣駅を目指しています。無事にゴールできたら、「美濃街道ウォーキング」のまとめもすることにしましょう。

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  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)