20230522美濃街道ウォーキング「美濃津屋~養老」(その1)……美濃津屋駅をスタートし、白山神社、津屋城跡の本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺から諏訪神社へ
5月22日に行ってきた美濃街道ウォーキング(美濃津屋~養老)の本編その1です。珍しく平日に街道ウォーキングに出かけました。とくにこれという理由はありませんが、同級生K氏との相談で今日ということになったのです。ほぼ1ヶ月ぶりとなりましたが、4月16日の美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」の続きです(2023年4月16日:20230416美濃街道ウォーキング「駒野~美濃津屋」(予告編))。当初は、駒野から養老まで通して歩こうと思っていたのですが、コースマップ上で9㎞以上あり、しかも立ち寄りポイントもたくさんでしたので、2回に分けたものです。養老鉄道美濃津屋駅から養老駅までを歩いたのですが、桑名のアメダスでは30.4℃と真夏日となりました。歩いているときも暑く、いささかへばりました。年を取って体力も低下してきたのかも知れません(笑)。冒頭の写真は、美濃津屋駅で、乗ってきた電車を見送った写真。
いきなりの余談ですが、養老鉄道に乗るために桑名駅に行ったところ、自由通路が大混雑していました。この日の朝6時前に近鉄名古屋線で人身事故があり、近鉄は相当遅れていたようで、JRで振替輸送が行われていたからです。新しくなってから、桑名駅がこれほど混雑しているのは見たことがありませんでした。
桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きの普通電車に乗車。平日でしたので、通学の高校生がたくさん乗っています。美濃津屋には8時55分着。¥530。ほぼ1ヶ月ぶりの街道ウォーキングですが、この日は養老の山並みがかなり近くに見えました。9時にスタートします。右の写真は、美濃津屋駅から美濃街道(岐阜では伊勢街道とか、桑名街道と呼ぶようです)に出たところ。北を向いて撮ったもので、この向きに歩いて行きます)。
この日歩いたルートの詳しいマップその1。養老鉄道の路線に沿って北上しました。白山神社、津屋川龍神、本慶寺、清水池ハリヨ生息地、慈眼寺、諏訪神社と訪ね、諏訪神社の先で海津市から養老町に入ります。今回は、寺社仏閣、名所旧跡を訪ねるだけでなく、自然観察も含まれるのです。なお、キョリ測のマップでは、白山神社が「白口神社」となっていましたので、ここに示したマップでは訂正してあります。
初めの方から余談を重ねるのもどうかと思いますが、気になる看板がありましたので。美濃津屋駅の大垣方面のホームに「氷砂糖資料館(中日本氷糖株式会社)」という看板があったのです。そういえば氷砂糖をどうやってつくるか知りません。中日本氷糖株式会社南濃工場がここから1㎞ほどのところにあり、そこにこの資料館があります。予約制で大人一人¥300。創業100周年記念で平成7(1995)に開館しています。ちなみにリンク先に氷砂糖の作り方が載っていました。原料のグラニュー糖を溶かして、精製、ろ過したものを加熱して氷砂糖の結晶を作るそうです。 氷砂糖は、砂糖の中でも最も純度が高く、ショ糖分100%の高級品だとか。こちらにその製造過程があります。
さて、話を進めます。美濃津屋駅からすぐに大神宮常夜灯があります。明治12(1879)年に建てられたもの。ここを入って行くと、白山神社があります。Googleのストリート・ビューで見たときは、どこから入るのかよく分かりませんが、案ずるより産むが易し。現地に行って実際に歩いたら、すぐ分かりました。やはり現地現物は重要。
創建は不詳ですが、寛文8(1668)年に再興したという棟札があるそうですから、かなり古い神社です。ご祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。うっそうとした木々に囲まれています。そういえば、今回は多度から美濃街道を歩き始めたのですが、ここまでの道中たくさんの神社を訪ねてきましたが、どこもご神木も含め、大木がたくさんありました。町中の神社ではなかなかこういう景色は見られません。大木があると歴史を感じさせますし、いかにも神社らしい雰囲気を醸し出しています。
白山神社を出たところで東の方、すぐのところに川というか、堤防が見えましたので、行ってみることにしました。グラウンドゴルフ場のところに津屋川龍神という石碑が建っています。由緒などは分かりませんが、龍神は雨・水力をつかさどる龍を神力を有する神様ですから、洪水などがないように願ったものかと思います。
こちらは、津屋川龍神の先のあたり。北側。なかなかよい景色ですし、水もきれい。湧き水もありました。キショウブ(黄菖蒲)があちこちに咲いています。しっかりと意識していなかったのですが、ここが津屋川。川幅が、地図で見るともっと広い感じだったのですが、よく見れば地図の通りの形でした(微苦笑)。津屋川といえばヒガンバナの群生が有名ですが、撮影スポットはもう少し南のようです。
美濃街道に戻る前で歩き始めて1㎞。街道に戻ってすぐのところに獅子吼山本慶寺。真宗大谷派のお寺なのですが、ここは津屋城跡。津屋城には関ヶ原の合戦まで高木八郎左衛門正家が居城していたのですが、西軍にしたがったため没落し、廃城となっています。境内にある説明板によれば、八郎左衛門正家は、高須城主高木十郎左衛門の縁者で、十郎左衛門は『高須旧記』によると、文禄元(1592)~慶長5(1600)年まで高須城主で、豊臣秀吉の麾下と伝わります。城跡は、現在は、慶長8(1603)年に当時の領主徳永法印寿昌之許しを得て移された本慶寺となっています。
寺を中心とした一帯が城跡で、主郭部は境内にありますが、付近は道路が通じた住宅が建ち、全容は明らかにされていないといいます。境内には、本堂・庫裏の敷地が二の曲輪と考えられ、その南に三の曲輪があり、大手門があったと考えられています。津屋城跡は、北勢四十八家の城と城地条件や縄張り形式が相似しており、歴史的連携が窺われるそうです。右の写真は、本堂東のあたり。
山門は、長屋門のような形式で、城門を移築したという話も伝わっているそうです(こちら)。いささか余談ですが、本堂に向かって左に大きな太鼓がつるされています。喚鐘は、別につるされていましたが、この太鼓は何に使ったのでしょう。喚鐘と同じように、法会の始まりなどを知らせたのでしょうか。
最初にコースマップをつくったときには見落としていたのですが、改めてコースの予習をしたら、本慶寺の近くにハリヨの生息地があることに気づきました。清水池ハリヨ生息地といいます。本慶寺から100mほどですから、これは見なくてはなりません。
本慶寺から100mほど東、津屋川の手前にこの生息地があります。ちょうど小学生たちが先生に引率されて校外学習に来ていました。一緒に混じって、ハリヨを見てきました。
こちらがハリヨ(たぶん)。かなりたくさんいるのが見えました。全長6cmで背ビレに独立した棘を3本、腹ビレに1対の長い棘をもっています。岐阜県と滋賀県に分布するそうで、岐阜県では大垣周辺にいるといいます。ということで歴史散歩でありながら、自然観察も。
美濃街道に戻って下多度小学校をすぎたところに福聚山慈眼寺。浄土宗。元は藤内寺と称していましたが、その後円通寺と改称。その後、慶長10(1605)年に天台宗より浄土宗へ改宗した折に、慈眼寺と名を改めまています。往時は、船路の街道であった津屋湊からも善男善女が慈眼寺に参拝したといいます。また、多芸七坊のうちの一寺でもありました。門は、長屋門のようなものでした。境内は、右の写真のように、木々や雑草が生い茂っていて、草刈りなどをしようにも、どこから手をつけたら良いか途方に暮れそうなくらいでした。
鐘楼に行くところも、このように雑草が繁りすぎていて、とても鐘をつきには行けそうもありませんでした。歴史のあるお寺なのに、ちょっと残念。これを書いているときに思ったのですが、「津屋」という地名自体が、河川の要港で貨物の保管、販売を行い、口銭をとった倉庫業者を意味しますから、美濃津屋のあたりには川湊があったということでしょう。などと愚考してから、よく調べたらこれについて考察したサイトがありました(笑)。それによれば、「地名の由来は、古くは当地が伊勢湾に臨む港であったことによるという。『三河国猿投神社古図』にも海浜に津屋の名を記す。津屋川沿いの水田地帯はしばしば冠水による被害を受けた」とあります。津屋川龍神の謎も解けた気がします。
慈眼寺のすぐ先、2㎞を過ぎたところを東に入ると諏訪神社。創建は不詳です。ご祭神は、南方刀美神(みなかたとみのかみ:大国主命の子で諏訪大社のご祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)に同じ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ:諏訪大社のご祭神で南方刀美神の妃神)、天照大神、豊受姫神。
この境内も大木があります。拝殿の脇には、イチョウの大木。かなりの樹齢と思われますが、境内には説明などはありませんし、ネットにも出て来ませんでした。
諏訪神社の先、スタートから2.4㎞あまりのところで美濃街道は津屋川を渡りますが、ここが海津市南濃町と養老町との境目。キリがよいので、その1はここまで。その2は、養老町に入って、西林寺、大神宮常夜灯、福勝寺などへ進みます。
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