20230304JRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」(その2)……夫婦岩、二見興玉神社から二見浦記念碑へ
3月4日のJRさわやかウォーキング「早春の開運&良縁祈願で運気up! 海辺の海獣・ひな祭とふれあい神宮参り前の『禊』へ」の本編その2です。その1では、JR参宮線松下駅をスタートし、民話の駅蘇民、松下社、太江寺と周り、二見町江の町から伊勢シーパラダイス、伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けました。その2では、いよいよ夫婦岩、二見興玉神社、賓日館とこの日、私にとってはメインの目的地が続きます。
伊勢夫婦岩めおと横丁を通り抜けると、こういう景色が広がっています。夫婦岩あたりから先が、二見浦(ふたみがうら)の海岸になりますので、このあたりはまだ二見浦とはいえないかも知れません。二見浦は、伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の渚百選にも選ばれています。かつては伊勢神宮参拝の禊場でもあったところですし、神宮の御塩を貢進してきたところでもあります。背後に音無山、前面に伊勢湾を隔てて知多、渥美半島に対し、右手に神島、答志島を、左に鈴鹿の連山を望め、平安朝以来、伊勢の名勝地として知られ、多くの歌にも詠まれてきました。
西側から来ましたので、二見興玉神社の裏参道からお参りするということになります。まずは、境内社の竜宮社があります。ご祭神は、綿津見大神(わたつみのおおかみ:海の神)。往古、この郷に津波が襲来し、郷人は困窮して神の御加護を願うほかはないとして、海の守護神と仰ぐ綿津見大神を勧請し奉祀したところ、その後の寛保の荒浪、明治の高潮にも霊験があり、被害を減じられたといいます。そのため、氏子だけでなく、多数の崇敬者を得て、龍神さん、龍宮さんと親しまれているそうです。
二見興玉神社の本社に行くまでに「契りの松」があります。江戸時代末期、お陰参りなどで伊勢参詣がもっとも賑わった頃、阿波国から若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み、塩垢離(禊ぎ)をし、着物を松の木にかけて結び、夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したところから「契りの松」と呼ばれます。昭和28(1953)年9月25日の台風13号で流失したものを平成3(1991)年に再現されたものです。
契りの松を過ぎると、禊橋を渡ります。この橋を過ぎると、いよいよ夫婦岩が見えてきます。神社の手前に鳥居があり、「日の神 皇居遙拝所」という石碑が建っています。この鳥居越しに見る夫婦岩もなかなか神々しい感じがします。
二見興玉神社です。御祭神に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある神社。相殿神は、迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)。夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社です。猿田彦大神は天孫降臨の際に道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれています。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいます。倭姫命が天照大神を奉戴し、この二見浦に舟を停めた時、興玉大神が海上の厳島(興玉神石)にお出ましになったことから、五十鈴川のほとりに皇大神宮を定められたといいます。興玉神は、その守護 神として内宮御垣内にも奉斎されているそうです。ちなみに、三重県では2番目に参拝者の多い神社です。オッサン二人で縁結びの神様にお参りするのもどうかと思ったのですが、わが家には居候がいますので、代参(苦笑)。K氏には、「本人を連れてこないとなぁ」と言われてしまいました。それに、導きの神ですから、これからの人生を導いていただけるかも知れません。
古くより神宮参拝の前に二見浦の海水で心身を清める禊をする「浜参宮」という習わしがあり、現在でもまずこちらに参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かう参拝者も多いそうです。
そして、改めて説明するまでもありませんが、夫婦岩です。夫婦岩は古来より日の出遙拝所として知られてきました。沖合約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、そこは降臨する神の依り代であり、常世の国から神が寄りつく聖なる処といわれてきました。
夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされています。男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、その間は9mあります。毎年3回、大注連縄の張り替え神事が行われますし、5~7月には、夫婦岩の間から日の出を見ることができます。とくに夏至前後の天気のよい日には、遠く、富士山から昇る日の出を見ることができます。
余談ですが、この記事を書くのにあれこれ調べていましたら、夫婦岩のあたりを中央構造線が通っていることに気づきました。うかつでした(苦笑)。画像は、「虚空座標」さんからお借りしました。夫婦岩の間を中央構造線が通っているという話もあるようですが、これは誤りで、もう少し北側という話もあり、素人の手には余ります。ネット検索では限界があります。余談を重ねますと、奈良県境に近い松阪市飯高町には「月出の中央構造線」といって、断層が高さ約80m、幅約50mにわたって露出しているところがあるそうです。一度くらい見てみたいと思っています。
こちらは、二見興玉神社の境内にある「天の岩屋」です。参道の突堤のほとりにある東を向いた岩窟です。この岩窟は、往古より宇迦御魂大神を祀った三宮神社が鎮座していたところですが、文禄年間(1592~96年)に外側の境内に遷祀しています。
古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられているそうです。ただし、天岩戸とされる場所は、全国各地にあります(たとえば、こちら)。
二見浦は、初めの方にも書きましたように、平安朝以来、名勝地として親しまれ、多くの歌などに詠まれてきました。二見興玉神社や夫婦岩のあたりには、歌碑、句碑などがたくさんあります。そのうち一つだけ、ここで紹介しておきます。山口誓子の句碑です。表参道にあります。「初富士の鳥居ともなる夫婦岩」という句が刻まれています。昭和62(1987)年正月に山口誓子が参拝しれた時に、当時の宮司より「今朝 夫婦岩の間に富士山が見えた」と聞き、直ちに詠んだ句(こちら)。
二見興玉神社をあとにして、夫婦岩の表参道を賓日館に向かって歩いて行きます。松並木のある道を歩いて行くのですが、南側には旅館街。私の両親の世代、故郷の西三河地方の小学生の修学旅行は、ここ二見と伊勢だったと聞いています。このあたりの旅館に泊まったのかも知れません。そう思うと、何となく懐かしい景色のように思えてきます。同級生K氏のお母様は、このあたりの松並木をバックに撮った記念写真があったそうです。
今も営業している旅館やホテルもたくさんあります。その旅館の一つ。岩戸館とありました。Webサイトを見ると、なかなかよさげなところです。二見浦を目の前にして眺めもよさそうです。ウォーキングだけでなく、泊まりがけで二見、伊勢を回るのもいいでしょうね。
賓日館の向かいあたりに「二見浦記念碑」が建っています。説明板によれば、明治20(1887)年、英照皇太后(明治天皇の母)が当地にいらっしゃるのに合わせ、地元住民が鳥羽街道をつくり、また、神宮の崇敬団体である神苑会会員は皇太后陛下ご滞在のため賓日館を建てました。明治24(1891)年7月29日から3週間余り、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が、避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて賓日館に滞在されました。神苑会の太田小三郎や、二見の事業家辻喜代蔵らが、この間の事情を記しておこうと考え、三重県知事であった江川成之の許しを得てこの石碑を建てたのです。明治26(1893)年3月の建立。題字は三重県知事の成川尚義、撰文は三重県度会郡長の満岡勇之助。
その2は若干短いのですが、キリがよいことと、賓日館の話になると長くなりそうですから、ここまで。その3は、賓日館から。
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