20230311勝手にハイキング「四日市旧港から四日市市立博物館へ……『昭和のくらし 昭和のおもちゃ』展で昔を懐かしむ」(一回完結)
今日もよく晴れて20℃を超え、暖かい日になりました。日当たりを歩いていると、暑いくらいです。予定通り、同級生K氏とともに四日市に行ってきました。当初は、四日市市立博物館で開催中の「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」を見て、東海道四日市宿資料館を訪ねようと思っていたのですが、資料館は日曜しか開館していませんでした。そこで、急遽、四日市旧港あたりを回ってから博物館に行くことにした次第。冒頭の画像が今日歩いてきたコース。JR四日市駅から東へ。国道23号線を越えて、四日市港へ。このあたりが、稲葉三右衛門が最初に開発した港で、「四日市旧港」と呼ばれます。大師之寺、納屋運河跡地、末広橋梁、臨港橋を回って、稲葉翁記念公園・波止改築紀念碑・潮吹き堤防を見て、大師寺に立ち寄って、再び23号線を超え、「どうする家康」の思案橋へ。JR四日市駅近くの3つのお寺(得願寺、不動寺、善光寺四日市別院)を回ってから、四日市市立博物館へ。アピタ四日市店でお昼を食べて、近鉄四日市駅から帰宅というコースでした。1回完結の記事です。
JR桑名駅を8時3分に発車する伊勢市行きの快速みえ51号に乗車。JR四日市駅には8時16分着。¥240と安い! このあたり、昔は栄えたのですが、今は残念ながら往時の賑わいはありません。四日市駅から北へ少し行き、右折して中納屋町の交差点で国道23号線を越えます。このあたりの地名は、蔵町、納屋町で、昔は湊の蔵や納屋が並んでいたのではないかと思わせます。
スタートして1㎞足らずで、金剛宝閣大師之寺(こんごうほうかく だいしのてら)。高野山真言宗の寺です。明治30(1897)年に隆道和尚が説教所として開きました。四国八十八ヶ所霊場のお砂が堂内に集められていて、毎年4月29日にお参りする法要があります。三重四国八十八ヶ所の第八番札所でもあります。以前、JRさわやかウォーキングでこの近くを通って、気になっていたお寺です。
大師之寺から南西にかけて納屋防災緑地が広がっています。ここはもとは、納屋運河でした。四日市港は、明治初年に稲葉三右衛門翁の手により修築され、近代港湾への基礎が築かれたのですが、その後、旧港だけでは船舶の入港に応じきれないため新港の開削が計画され、昭和11(1936)年に完成しました。その中で昌栄町から北納屋町に通じる納屋運河が誕生し、作業船や小型漁船の停泊地として、また釣り人の姿など見られ、岸辺の人々の憩いの場でもあったといいます。しかし、昭和27(1952)年頃より臨海工業地帯の急激な発展により転換期を迎え、運河の使命も終わり、昭和55(1970)年度から2か年で納屋防災緑地として整備されたのです。この納屋防災緑地の南端、昌栄橋の北の袂に稲葉三右衛門の銅像があったそうですが、戦時に供出されています。跡地にはそれを示すものはありません。
昌栄橋を渡って、倉庫地帯を進むとJR貨物の構外側線に行き当たります。これはJR関西線四日市駅から四日市港にいたる貨物専用線で、三岐鉄道三岐線東藤原駅からJR富田駅、四日市駅を経由して四日市港の太平洋セメントに石灰などを運ぶ貨物列車が通ります。この貨物船が千歳運河を渡るところに末広橋梁が架かっています。昭和6(1931)年に完成した日本最古の鉄道用可動橋。全長58m、幅4m、中央の桁部分16.6mを橋脚上に立つ高さ15.6mの鉄塔頂部からワイヤで巻きとり、80度に跳ね上がります。貨物列車が通るときには桁が下げられます。前回訪ねたときには、貨物列車が通る様子を見ています(2019年11月30日:20191130JRさわやかウォーキング「JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまちめぐり」へ(完))。また、その時撮ったJR貨物のディーゼル機関車のレッドベアが、港に向かって通過していく動画(こちら)と、末広橋梁が跳ね上がる動画(ここ)をYouTubeに載せてあります。
末広橋梁の南にある臨港橋も可動橋です。船舶が通過するとき、油圧ジャッキで橋梁が70度ほどに押し上げられて開きます。左の写真に写っている部分が可動部分。昭和6(1931)年にかけられ、現在の橋は、平成3(1991)に完成した3代目。端の両端には鉄道の踏切のように、遮断機と警報器があります。臨港橋が上がったようすも以前見ています(2019年11月30日:20191130JRさわやかウォーキング「JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまちめぐり」へ(完)、2018年11月24日:20181124JRさわやかウォーキング四日市「日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング」へ……四日市旧港で桑名城の石垣の石を使った場所を確認【地図を付記(11/26)】)。2018年11月の時の方が、いろいろなところから写真がきれいに撮れています。
臨港橋を渡って千歳運河の東川を北上します。このあたりも工場や倉庫が建ち並んでいます。千戈(ちとせ)橋を渡ると、運河沿いに遊歩道(プロムナード)が整備されています。ここを通って、稲葉翁記念公園に向かいます。広々としていて、水があり、気持ちの良い空間です。水はかなりきれいでした。
稲葉翁記念公園には9時50分頃到着。4㎞弱を歩いてきました。四日市港の近代化の礎を築いた稲葉三右衛門を偲ぶ公園で、左の写真は、「稲葉三右衛門君彰功碑」。明治30年(1897)に建てられました。この向かいに、潮吹き堤防があります。明治時代に作られた独特の仕組みを持つ防波堤で、国の重要文化財にも指定されています。あのヨハニス・デ・レーケの計画案によるものと言われており、工事は三河の左官職人であった服部長七が請け負いました。明治26年(1893)に築かれています。
公園内には、この潮吹き堤防のレプリカがあります。これは、実際に動いて、潮吹き堤防の働きが見て分かるという優れもの。
公園の傍らには、波止(なみどめ)改築紀念碑が建っています。防波堤改築を記念して明治27年(1894)に作られた碑です。この紀念碑の先に突堤が伸びています。この突堤の基礎部分には、旧桑名城の石垣の石が使われています(2018年11月24日:20181124JRさわやかウォーキング四日市「日本最古の鉄道可動橋と四日市旧港まちあるきウォーキング」へ……四日市旧港で桑名城の石垣の石を使った場所を確認【地図を付記(11/26)】)。同級生K氏は、ここが確認したいといっていたのです。今日は、かなり潮が引いていたものの、もちろんどこのどの石が桑名城の石垣の石だったかを知るすべはありません。
ここから市街地の方へ戻ります。逢来橋を渡り、国道23号線を再び渡る前に大師寺。高野山真言宗の寺。今日、最初に訪ねたのは「大師之寺」で、こことは別。この大師寺は、天保年間(1830~1844年)に四日市市北納屋町に住む人々が弘法大師像を勧請して、一宇の堂を建立したのに始まります。四日市における真言宗最初の道場でした。当時より、海上安全・家内安全を祈り、弘法大師の加護により、安穏の日々を送って来たと伝えられています。
国道23号線を超え、浜町と蔵町との間に思案橋。「思案橋」という名前の橋は各地にありますが、ここは「どうする家康」に関わる橋があったところ。国道164号を挟んで両側の歩道に復元された橋が設置されています。古くは勧進橋とも呼ばれ、幅14間の水路を跨ぐ水門でした。徳川家康は本能寺の変を避け、堺より浜松に向かう途上、ここより海路を進むか、陸路を進むかを思案したとされます。結果、当地の廻船問屋の協力を得て、海路を採ったというのです。この伝承を元に、思案橋と呼ばれることになりました。家康は、この功を称えて、現在の四日市一帯を天領としたとされます。道路拡張などの結果、現在、川は流れていないものの、昭和62(1987)年に橋を模したモニュメントが復元設置されました。昔は、この近くに四日市の湊があったのです。
JR関西線を超え、新町交差点で左折。すぐに真宗大谷派の得願寺があります。「勢州三重郡柴田 四日市場 得願寺」と掲げられていますが、コンクリート建ての近代的建物。ネットでは詳しい情報は得られませんでしたし、由緒書きなどもありません。
続いて、不動寺。ここは珍しく、黄檗宗のお寺。山門が特徴的です。以前、JRさわやかウォーキングのときも(2017年11月25日:どういうわけか、JRさわやかウォーキングへ……~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き)、この山門に惹かれて、立ち寄り先でもなかったのに、見てきたことがあります。かつては、寺近くまで海であり、四日市湊のそばにあったそうです。寛永16(1639)年、揖斐川の大洪水のとき、美濃国高須にある観音寺から不動明王像が流れだし、四日市南納屋の漁師の網にかかったといいます。この地に縁のある仏様だろうと、竜灯松(竜の形をした松に灯明をつけて、灯台代わりにしていたもの)の下にお堂を建立し、祀ったのが始まりと伝わっています。
もう一ヶ所、以前から気になっていたのが、こちら。善光寺四日市別院です。明治2(1869)年、三枝樹守道(四日市、浄土宗三重山光運寺第19世)が、市内東部の新開地に教派拡大を目指して「聖覚教院」を新規開設しました。当時、丸池(今の蔵町)にあったので、丸池御坊と呼ばれ親しまれたそうです。明治13(1880)年、信州善光寺より一光三尊善光寺如来の分身仏を奉戴し、明治20(1887)年11月に信州善光寺伊勢国出張所(善光寺四日市別院)となっています。その後、明治41(1908)年、現在の地(四日市市本町)に移転、戒壇巡りのある寺として大正、昭和初期には近郊より多くの参拝者を集めたといいます。第二次大戦の四日市空襲により、堂宇をことごとく焼失しましたが、その後、本堂・庫裡・観音堂を再建しています。
JR四日市駅前に戻ってきました。駅前のロータリーに、今日の記事で何度も登場した稲葉三右衛門(天保8(1837)~大正3(1914)年)の銅像があります。美濃国出身で明治時代の公共事業家です。四日市で廻船問屋を営んでいたのですが、明治6(1873)年、四日市港の修築に着手しました。工事は困難を極め、しばしば中断したのですが、私財を投じて明治17(1884)年に完成。現在は「旧港」と呼ばれているところ。銅像は最初、納屋運河のほとりにあったのですが、戦争で供出され、昭和31(1956)年11月、ここに再建されています。
ここからは四日市市立博物館に向かいます。四日市市役所の前を通り、国道1号線を越え、一昨年歩いた東海道の一部であるスワ前商店街のところから近鉄四日市駅の西へ。さすがにこのあたりに来ると、人がたくさん出ています。
四日市市立博物館には、11時20分頃到着。明日まで「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」と「四日市代官所跡出土品展」が開催されています。「昭和のくらし 昭和のおもちゃⅡ」展の方は有料。大人一人¥400。
写真撮影可でしたが、キリがありませんので、そのごく一部を紹介します。昭和のくらしに関しての2枚。これらは、子どもの頃の私たちの生活の様子をよく現しています。と同時に懐かしさを憶える光景です。左の写真は室内の様子。右は、物干しなど、庭の様子。子どもの頃、私の実家でも、こんな感じでした。
これは昭和の路地の風景。トタン板の壁や、ゴミ箱がいかにも昭和の雰囲気です。ホーロー看板もあちこちにありましたっけ。
こちらは「四日市代官所跡出土品展」。四日市は、ほとんどの時代、天領でしたので、代官所が置かれていました。場所は、現在の四日市市北町で、跡地には、現在、市立中部西小学校があります。校門横に石碑と説明板があるのみで、遺構はありません。展示は、常設展示の「時空街道」の中で行われていました。右の写真は、『東海道分間延絵図』の四日市のあたりの部分。四日市代官所跡には、「伊勢参りツアー」のとき、2回訪ねています(2019年3月31日:20190324近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅2日目~ 東海道、旅人気分で間の宿・富田から四日市宿へ」(その4)……四日市宿中心部(建福寺、四日市陣屋跡、黒川本陣跡、帯屋脇本陣跡、問屋場跡、札の辻)、道標を見て、諏訪神社からゴールの近鉄四日市駅へ(完)、2021年5月13日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その4)……建福寺、四日市陣屋跡、札の辻、本陣跡、問屋場跡、道標、諏訪神社からスワマエ商店街で「完」)。リンク先では、「四日市陣屋跡」として言及しています。
器など多数展示されていましたが、もっとも気になったのは、こちら(微苦笑)。江戸時代の入れ歯。柘植の木でできているそうです。丹念に細工されていて見事ですが、どのくらい実用性があったかは不明。お歯黒のあともあります。
ちなみにここ「時空街道」の展示は、気に入っています。宿場の風景が再現されています。左の写真は、旅籠屋の一シーン。右は宿場の風景。手前に「名物 まんぢう」の看板があります。ここ、季節によっては「焼蛤」の店にモデルチェンジしています。
もう一つ気に入っているのが、荷運びの馬。今のサラブレッドではなく、日本の馬ですから、小型。足には、蹄鉄ならぬ馬用の草鞋を履いているのがとても気に入っています。
四日市市立博物館の展示は、ちょうど正午過ぎに見終えました。隣にあるアピタ四日市店で昼食。桑名のアピタにもある若鯱屋でうどん。若鯱屋といえば、カレーうどんなのですが、あいにく白い服を着ていましたので、五目うどんにしました(¥814)。
近鉄四日市駅13時10分発の名古屋行き急行に乗車。桑名駅には13時22分着。¥300。帰りにアピタ桑名店によって来ましたので、今日のトータルの距離は、11.8㎞。キョリ測ではかると、現地ではおおよそ7.5㎞ほどを歩きました。歩数は19,433ですから、けっこう歩いたことになります。今回の記事は、1回完結です。
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ひらいさん、こんにちは。
昨日は良い天気で、暑いくらいでした。
歩いている途中で上着を脱いだくらいです。
四日市旧港あたり、ひらいさんも以前は何度かいらしていましたね。
実は、潮吹き堤防がここにあるのをきちんと分かったのも、ひらいさんのブログのお陰です。
末広橋梁、貨車が通過する時刻まで1時間もありましたので、さすがに待てず(苦笑)。
四日市市立博物館の「昭和のくらし」展は、毎年正月から3月初めまで開かれる、恒例の展覧会です。
本来は、小学生向けの学習支援展示ですが、私の世代にとっては、懐かしいものがあふれています。
そのため、ほぼ毎年見に行っているのです。
以前は、黒電話が展示され、先生が小学生に使い方を説明しているのを見て、ショックを受けました(苦笑)。
今は、二つ折りケータイも展示されていますよ。
ほかに今回は、サンダーバードの模型も出ていました。
投稿: mamekichi | 2023年3月12日 (日) 16時41分
mamekichiさん、おはようございます!
昨日は良い天気でしたね、気温もちょっと高めで少し暑いくらいでしたが、散歩日和で良かったです。そしてこのコースは自分も以前良く歩いたところで、懐かしいです、最近この辺りには用事が無くなってしまって残念、跳ね上げ橋もまた見に行きたいです。
四日市市立博物館、何やら面白そうなイベントですね、自分の感覚では昭和の時代から何も変わってないような気がしていましたが、今とは全然雰囲気違いますね、やはり懐かしい気分になってしまいます。
投稿: ひらい | 2023年3月12日 (日) 08時21分