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2022年12月10日 (土)

20221210近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗』を訪ねて(酒蔵みてある記)」(1回完結)

Img_5387c_20221210144901  若干迷っていたのですが、結局、今日は、近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗(こめそう)』を訪ねて」に行ってきました。今日は、朝は4.9℃と冷えたものの、風も弱く暖かく、歩いていて汗ばんだくらいでした。桑名での最高気温は、15℃を超えています。近鉄ハイキングでは、3年ぶりに「酒蔵みてある記」が復活し、今日がその初回。これはやはり行くしかありません。

Img_5225c_20221210144801 Img_5221c_20221210144801  受付は、近鉄名古屋線弥富駅で9時30分からでしたので、桑名駅を9時21分に出る名古屋行き普通電車に乗車。弥富には、9時29分に到着。¥260。酒蔵みてある記ではよくあることですが、すでに受付は始まっていました。No.72の番号が附されたコースマップを受け取り、早速スタートします。

221210map  こちらが今日、歩いたルート。弥富駅を出て途中、薬師寺、難畑地蔵尊、興善寺地蔵に立ち寄り、東名阪自動車道を越えて、愛西市へ。青木酒造で試飲、抽選会、即売会。その後は、ひたすら弥富駅に戻るコースですが、帰り道に源空寺と聖覚寺にちょっとだけ寄ってきました。前回(2018年12月9日:20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(予告編)……いよいよ「酒蔵みてある記」の季節到来)、試飲のし過ぎもあってか、コースミスをしでかしましたが、今日は完璧(微苦笑)。

Img_5287c_20221210144801 Img_5280c_20221210144801  最初の立ち寄り先は、鯏浦山薬師寺。スタートから約1.4㎞。ここは、曹洞宗のお寺ですが、かつて織田信長が築いた鯏浦城と呼ばれる砦がありました。このあたりに勢力を持つ一向門徒・服部党(服部友貞が当主)を攻めるためです。信長の弟・信興が城主となったのですが、元亀元(1570)年、小木江城で戦死。怒った信長は大軍を送って、天正2(1574)年、ことごとく焼き尽くしたといいます。鯏浦城には信興の念持仏薬師如来を安置する御堂があり、それがこの薬師寺の前身です。右は、境内にある「鯏浦城跡」の石碑(昭和51(1976)年に建立)。この辺りは、昔は海岸線であり、荷之上集落とともに自然堤防上に立地し、蟹江城と並んで中世期城砦の最南に位置しており、織田が服部党に対峙する拠点だったのでしょう。

Img_5262c_20221210144801 Img_5266c_20221210144801  境内には、また、クスノキの大木があり、「薬師寺の大楠」として親しまれています。この大楠は、樹齢600年以上といわれます。かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名だったそうです。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には豊臣秀吉が舟をつないだとも伝えられています。樹下には小祠神明社が祀られ参拝者が跡を絶たなかったようですが、明治時代に弥富神杜に合祀されています。織田信長と一向門徒・服部党との戦いは、後の長島一向一揆にもつながるものです。

Img_5296c_20221210144801 Img_5306c  続いて、難畑地蔵尊。このお地蔵様は、織田信長と服部党・一向門徒との戦場となり多くの犠牲者を供養するために建立されたもので、もとは、この場所ではなく、この東にある東弥生台団地の一角にあったそうです。信長に一面焼き払われた「鯏浦下の割」古戦場は、その後、その後人骨や武具、矢刀などが掘り出され、耕作しようとしても大変難儀に合うことがあり、難畑と呼ばれていました。そのうちに遺骨などを集めて、地蔵尊を祀りました。明治になって、ある時、農家の娘が眼病になり、地蔵尊が「我を中地道の人通りに移してくれたらお前の眼病を治してやる」とその娘の夢枕にたったといいます。村人十数人が、そのとおり、中地道の傍らにお堂を建立し、道行く人にお参りさせたら娘の眼病はたちどころに治ったという言い伝えがあります。これは、前回来た時にボランティアガイドの方に伺った話。

Img_5316c_20221210144901 Img_5324c_20221210144901  西中地の交差点を左折し、東名阪自動車道弥富インターチェンジの方に向かいます。インターの手前に興善寺地蔵。このあたりは、「白頭(しらこうべ)」といい、蓮如上人の孫にあたる実正を養子に迎えたほどの由緒ある寺「荷上山(がじょうざん)興善寺」がありました。寺伝によると、桓武天皇の勅願で延暦14(796)年に創建されたといます。元は天台宗でしたが、永正年間(1504~1521年)に浄土真宗に改めています。信長の時代に長島の願證寺と組んで一揆を起こし、天正2(1574)年に焼き払われたものの、直ちに復興。しかし 寛永4(1627)年の大地震で倒壊し 清州に移転し、さらに名古屋に移りました。廃跡となったその後、白頭池からこの2体の石仏が掘り出され、「興善寺の地蔵」として、服部肇家と斎藤光男家が先代より代々この墓地に安置してきました。昭和51(1976)年に弥富の文化財に指定を受けてからは荷之上区が管理しています。弥富市に残るもっとも古い石仏だそうです。ちなみに、ネットで調べると、名古屋市中区新栄に真宗本願寺派の興善寺という寺があります。

Img_5364c_20221210144901   東名阪自動車道をくぐり、田園地帯に入って、多度山を遠くに見ながら進みます。4年前に同じコースのハイキングに来た日は、寒くて、多度山など養老山脈には雪が積もっていたのですが、今日は、初めにも書きましたように、暖かい。ネックウォーマーは、歩き始めてすぐに外したくらい。ダウンジャケットでなくてもよかったかもしれません。

Img_5380c_20221210144901 Img_5383c_20221210144901  スタートから4.4㎞ほど、10時25分くらいに青木酒造に到着。青木酒造さん、創業は江戸後期である文化2(1805)年。こちらに「蔵元のこだわり」がありますが、濃厚で強い酒、本醸造以上のお酒を製造し、酒母は山廃仕込(山卸廃止仕込み)、生酛仕込(山卸仕込み)をメインとしています。

Img_5392c_20221210152401 Img_5399c_20221210152501  まずは、抽選会場でチェック。勇んでいったものの、敢えなく敗退。前回も外れましたので、これで連敗です(苦笑)。1番違いの71番であれば、近鉄クリアファイルがもらえたのに。

Img_5406c_20221210144901 Img_5402c_20221210144901  続いて、試飲へ。純米初しぼりの「純米米宗」をいただきました。辛口で、トロッとした印象のお酒。美味い! 前回は、このほか、「活性手汲みどぶ 純米酒」や梅酒など、計4杯も試飲しましたが、そのあとコースミスをしましたので、今日は、この1杯だけ。ホントです。

Img_5410c_20221210144901 Img_5413c_20221210153101  即売会では、試飲した「純米米宗」の720mmlを1本買ってきました。4年前は、1本¥1,300でしたが、今回は¥1,600。たまにはちょっと贅沢をしても罰は当たらないでしょう。時節柄、敷地内での飲食は不可ですし、キッチンカーなども来ていませんでしたので、サッサと出て来ました。来年2月4日(土)にも酒蔵開放があるそうです。

Img_5438c_20221210144901  青木酒造から東へ300mほどのところに、稱名山源空寺。浄土宗のお寺。前回も勝手に立ち寄ったのですが、由緒などを記した看板もなく、ネットで検索しても何も出て来ませんでした。クスノキでしょうか、大木が印象的です。源空寺の先、2本目の交差点を曲がるのが正しいルート。前回は、なぜか「ここは違うな」と思い込んで、もう1本先まで行ってしまったのですが、今日は試飲も控え目にし、ストリートビューでも予習してきましたので、バッチリ(微苦笑)。

Img_5455c_20221210144901 Img_5459c_20221210144901  曲がったすぐのところに真宗大谷派の金剛山聖覚寺。ここも詳しいことは分かりませんでしたが、田園地帯にあり、自然環境のよいお寺。山門が、長屋門のような立派な門であるのが印象的でした。

Img_5513c_20221210145001  このあとは立ち寄るところはありません。途中からは、往きに通ったのと同じ道をたどって、近鉄弥富駅へ。11時20分頃到着。一回りしてきた訳ですが、歩いたのは7.9㎞。時間は2時間弱。ハイ・スピード・ハイキング(笑)。立ち寄り先が少なく、立ち寄ったところでも見て回る事もありませんでした。酒蔵も宴会ができませんでしたから、こんなもの。弥富まで電車で来て、酒蔵へ歩いて酒を買いに行ったという感じ。

Img_5534c_20221210154601 Img_5566c_20221210145001  弥富駅11時24分発の四日市行き準急に乗車。桑名駅には11時32分着。¥260。帰宅は、11時50分。朝、家を出たのが8時55分頃でしたから、全行程含めて、3時間。歩いた距離は、Google Fitのデータではトータルで11.7㎞。ちょっと実際よりも多い気がします。

Img_5508c_20221210145001  余談その1。前回の記事にも書きました。前回来た時「鯏」という漢字が読めませんでした。「ウグイ」です。ウグイは淡水魚ですが、昔このあたりにたくさんいたということかもしれません。

Img_5543c_20221210145001  余談その2。帰りに桑名駅に着いて、自由通路から三岐鉄道北勢線西桑名駅を眺めたら、「ヴィアティン三重」ペインティングの車両が止まっていました。この車両、きちんと撮影したことがありませんでした。急いで行ったのですが、発車直後になってしまい残念。来年3月末日まで運行されますから(こちら)、それまでの間にぜひ、きちんと撮影したいものです。

1670636005718c  こちらは、今日の晩酌にでもいただこうかと思っています(微笑)。

 【付記【12/10夜】 これは美味しい(微笑)。試飲のところで書いたとおり、辛口でトロッとしていて、堪りません。酒蔵のこだわり通り、濃くて強い酒。ついつい飲み過ぎそうです。ここはグッと我慢。明日以降にも残しておきます。

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コメント

こころんさん、おはようございます。

お忙しいのに、ありがとうございます。

市民大学は、これで6年目を無事に終了しました。
受講者は、高齢男性が多いのですが、女性や、現役世代の若い型も混じっています。
月曜午後に開催されますので、働いている方は参加しにくいかも知れません。

修了証には、ぜひとも名前を入れていただきたいです。
重みが違いますから。

ところで、ハイキングは、4年前とほぼ同じコース、立ち寄り箇所で、前回、寒くて風がある中を歩きましたので、「イメージが悪く」参加を迷いました。
しかし、昨日は天気も良く、暖かくて、歩くのも楽でした。

地方の酒蔵を続けるのは、たぶん色々と難しいことがあると思います。
亡くなった家内の父が好きだった酒を造っていた酒蔵(津市)も、2~3年前に廃業してしまいました。

三重県北勢地方には、かなり多くの酒蔵があり、それぞれにユニークな酒を造っています。
是非とも頑張って続けて欲しいと思っています。

投稿: mamekichi | 2022年12月11日 (日) 04時11分

こんばんは
忙しくてゆっくり訪問できずに
御無沙汰しております(^-^;

市民大学修了おめでとうございます。
ブラボー!\(^_^)/
市民大学というのは年齢層はどんな感じでしょうか?
名前があるのと無いのと違いますね。
省略せず入れて欲しいものです。

ハイキングは4年前を思い出しながら面白そうですね。
お酒、4年前と値段が上がってるのは仕方ないですが
なんでもそうですが地酒の味を同じ味にキープし続けるのは難しいでしょうね。
今の時代、4年前と同じお酒に出会えて良かったですね。
これに限らず、これからも各地の伝統が消えずに
続いていって欲しいですね。

投稿: こころん | 2022年12月10日 (土) 21時42分

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