お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2022年12月 3日 (土)

20221203桑名駅西&諸戸水道ウォーキング(1回完結)【カワセミについて付記(12/17)】

Img_4582c_20221203154501  今朝は、2.2℃まで冷えました。わが家の玄関先から見える藤原岳も初冠雪していました。道理で冷えたわけです。木曽御嶽山にも雪が積もっているのも見えました。

1203kuwanawest  今日は、予定通り、「桑名駅西&諸戸水道ウォーキング」に出かけてきました。ルートマップは、桑名駅スタートと書きましたが、実際には、桑名神明社で同級生K氏と待ち合わせ。そこから、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長善寺、諸戸徳成邸跡、徳成第一公園、走井山公園、勧学寺、上野御膳水、上野神社、十念寺墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城跡、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回ってきました。桑名駅スタート&ゴールでカウントしますと、6.8㎞のコース。アップダウンがかなりあり、最高地点は海抜70mくらいでした。かなりの運動量。昨年3月20日に同じところを回っていますので(2021年3月20日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編))、今日の記事は簡略版で1回完結。

Img_4586c_20221203155401  桑名駅東口。写真を撮っただけで、今日は通過。今年もイルミをしていますが、まだ見ていません。夜はほとんど出歩かないのです。形式上、ここがスタート地点。

Img_4593c_20221203154501 Img_4602c_20221203154501  桑名駅の南300mほどのところに、東から西へ順に、三岐鉄道北勢線のナローゲージ、JR関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌と、3種類の線路幅を渡る踏切があります。この3種類の幅の線路を渡る踏切は、全国でここだけだそうです。右の写真では、ちょうどJR関西線の列車(手前)と近鉄名古屋線の電車が通過していくところ。

Img_4635c_20221203154501 Img_4639c_20221203161801  こちらが、今日の集合場所である桑名神明社。由緒書きによれば、創始は応永年間(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。天正年間(1573~1591年)、兵火のため類焼に逢い、社誌古帳等すべて灰となって、詳細は分からないといいます。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時、地域の神社を合祀しており、境内には、八天宮、山の神社、一二三社(稲田の神)の他、稲荷社が。

Img_4646c_20221203154501  桑名神明社の東にある信号を渡って、シェルメール桑名東方というマンションのすぐ東にある細い道を南に入って行くと、諸戸水道水源井があります。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。この井戸は、その水源でした。諸戸水道は、近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。この水源井のすぐ西に貯水池遺構もありますが、ルートの関係で、先にもう1箇所を訪ねます。ちなみに、この水源井の近くでは、常に地下水が染み出ているところがあります。それだけ水が豊富に出たところだった証しでしょう。

Img_4664c_20221203154501 Img_4671c_20221203154501  続いて、蓮華山養泉寺。真宗大谷派のお寺。桑名願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺です。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年にここに来ています。多度、長島を含め桑名市内には、長嶋一向一揆に関わりのあるお寺がたくさんあります。

Img_4704c_20221203154501 Img_4699c_20221203154501  養泉寺のすぐ北には、諸戸水道貯水池遺構があります。初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、延長14㎞にも及ぶ給水管で桑名町周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。上屋は失われてしまっています。

Img_4717c_20221203154501 Img_4721c_20221203154501  この遺構の南には、万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。「桑名市史 本編」によれば、天正の頃、美濃高須城主・徳永左馬助正重が田地を寄附して一宇を建立したとあります。薩摩義士・和田善助の墓があります。ただ、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、敷居が高い(苦笑)。お寺は、もっとオープンでいて欲しいと思います。

Img_4749c_20221203154501 Img_4755c_20221203154501  次へ行く前に、諸戸徳成邸があったところを見てきました。以前にも立ち寄ったのですが(2020年8月17日:39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)、すっかり高級住宅街に再開発されています。ただし、諸戸家墓所はそのまま残っています(右の写真)。諸戸徳成邸は、2017年に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。

Img_4768c_20221203154501  続いて徳成第一公園。徳成農園跡です。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)(嘉永7(1852)~大正13(1924)、明治~大正時代の実業家、貴族院議員)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。

Img_4771c_20221203154501  走井山公園。桜の名所でもあります。戦国時代に矢田城がありました。北畠氏の家臣である矢田半右衛門俊元の居城でしたが、織田信長の伊勢侵攻の際に滝川一益によって攻められ落城すると、その後は一益に与えられ、長島一向一揆を攻略する最前線基地として使われました。

Img_4795c_20221203154601  走井山勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いとされます。

Img_4858c_20221203154601  走井山公園から南、三岐鉄道北勢線馬道駅の方に降りてきたところから振り返った写真。何度か取り上げていますが、この写真に三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)があります。この三猿は私のお気に入り。ここで見上げたら、背後にイチョウの大木があって、なかなか良い景色でした。

Img_4888c_20221203154601  こちらは上野御膳水(ごぜんみず)。背後の上野の丘から湧き出た水で、江戸時代、桑名藩主の飲料水として、毎日、桑名城まで運ばれたのが、ここ上野の湧水なのです。そのため、「御膳水」と呼ばれます。以前は、筧から水が流れ出ていたそうです。今は、飲用には適しません。

Img_4912c_20221203154601 上野御膳水の西に上野神社。上野神社のご祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ:鹿島神宮の神)、齋主神(いわひぬしのかみ:経津主神(ふつぬしのかみ)ともいう、香取神宮の神)、天児屋根神(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)など7柱。上野村の氏神様。

 Img_4917c_20221203154601 石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)は、桑名神社と中臣神社の2社からなっていますが、中臣神社はもともと上野に鎮座していたといいます。神護景雲2(768)年、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮から奈良市の春日大社に建御雷之男神を勧請した際、ここ上野に一時鎮座し、翌神護景雲3(769)年にその鎮座地に創建されたのが、その中臣神社であると伝わっています。この中臣神社は、正応2(1289)年8月、桑名神社境内に遷座され、上野を離れました。永仁4(1296)年8月、中臣神社に春日大社から建御雷之男神、斉主神、天児屋根神、姫大神の4柱が勧請されたのですが、その際には上野村(現在の桑名市太夫)の若太夫と一太夫が遣わされたとされます。その後、中臣神社の旧鎮座地に春日大社の4柱を祭神とする四之宮神社が祀られました。明治41(1908)年、上野村内にあった山神社(祭神は 大山津見神)と富士浅間社(祭神は木花咲耶比売命)、繁松新田の一目連神社(祭神は天目一箇命)とともに立坂神社へ合祀されたのですが、戦後、四之宮神社を旧地に戻そうという動きがあり、昭和23(1948)年4月に、現在地へ分祀。この時、四之宮神社とともに合祀されていた旧村内3社の祭神もあわせて祀り、社号は上野神社と改められています。

Img_4935c_20221203154601 Img_4938c_20221203154601  上野神社から竹林の中を少し登っていきます。最初に来た時はずいぶん不安を抱きながら登っていった記憶があります。ここに上野墓地があります。「十念寺山」とも呼ばれます。慶長の町割のとき(慶長6(1601)年)、十念寺は桑名城付近から現在地の伝馬町に移転したのですが、しかし、面積が不足したため、この一帯を藩主に賜ったといいます。十念寺の歴代住職の墓などがあります。見つけた中でもっとも古いお墓は、「寛永五年(1628年)」とあり、驚きました。花が手向けられている墓もたくさんありました。

Img_4969c_20221203154601 Img_4966c_20221203154601  上の墓地からさらに登って、井坂山冷水庵(いさかさんれいすいあん)。曹洞宗。明暦2(1656)年に茂右衛門が境内地を寄進し、建立したといいます。位牌によれば、海蔵寺3世の剣嶺(けんれい)大和尚が開山し、その弟子である愚白(ぐはく)禅師が開基。海蔵寺の末寺。弘法大師の作という虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ:智慧と功徳が広大無辺である菩薩)を本尊とします。現在の本堂は、棟札によれば文化 13(1816)年4月に建てられたもの。境内に阿波国出身で桑名藩校進脩館(しんゆうかん)の副教(副校長)をつとめた佐父理希亮(安永3(1774)~文政3(1820)年:さぶりまれすけ)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」があります。妻の柔は夫が異郷の地で亡くなり、将来は夫の業績がだれにも知られなくなることを嘆いて、自分の装身具を売り払い、ここに墓を建てたのです。

Img_4976c_20221203154601  南大山田神社。元は太夫村八幡社でした。この八幡社は、明治41(1908)年10月に西桑名神社に合祀され、合祀した新しい神社を南大山田神社といいました。その後、第二次大戦後に分祀されたのではないかと思います。境内には、「八天宮」と刻まれた石柱と「両宮遙拝所」とがあります。「八天宮」は、火伏せの神。江戸時代の文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされ、桑名員弁地方で特に信仰が多いそうです。両宮遙拝所は、もちろん伊勢神宮の外宮・内宮。伊勢神宮の遙拝所は、桑名あたりではあまり見かけません。ここで、小休止。

769fa848 Img_4983c_20221203154601  太夫の大楠(たゆうのおおくす)。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年、その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つありますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。このあたり、八幡社(南大山田神社)の境内地であったと思われ、ご神木だったといいます。全体像の写真を撮り忘れましたので、左の写真は去年3月20日に撮ったもの。

Img_5009c_20221203154601 大楠から北へ、すぐのところに、増田神社。ここは、伊勢太神楽で有名。伊勢太神楽は、伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。

Img_5013c_20221203154601  増田神社の御祭神は、天照皇大神など7柱。由緒書きによれば、白鳳元(672)年、壬申の乱の際に大海人皇子が、吉野から桑名に逃れ、桑名郡家に泊まられたという伝えがあります。そのときに神宮を遙拝された地に、この増田神社を奉祭されたとありました。

58a7b945  ここで一度、伊勢太神楽を見たいと思うのですが、未だ実現せず。大賑わいになるからです(人が大勢いるところは好まなくなりました)。伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日:春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。

Img_5042c_20221203154601  余談ながら、増田神社から県道を越えて、西桑名神社に向かいますが、県道交差点のところにある三和シヤッター販売店には、鉄人28号とスパイダーマンがいます。この光景は、地元ではたぶんかなり有名。

Img_5066c_20221203154601  その先に、西桑名神社。主祭神は、品陀和氣命(ほんだわけのみこと:応神天皇)。勧請年月は明らかでないようですが、現在の西方配水場のあるところに、滝川一益が永禄年間(1558~1570年)に西方城を築かせた加藤勘助の祈願所であったといいます。また、この西桑名神社にも、大海人皇子(天武天皇)が白鳳年間(白鳳は、私年号)に桑名に立ち寄られたときに、ここから神宮を遙拝されたという伝説もあると由緒書きにはあります。

 Img_5049c_20221203154601 西桑名神社は、明治41(1908)年10月に太夫村の八幡社(南大山田神社)を合祀し、南大山田神社と称しています。昭和9(1934)年9月、西桑名神社に改称。天正年中(1573~1591年)滝川氏の頃、既に城廓があったので、それ以前からの社であるとされています。

Img_5070c_20221203154701  西方城跡は、今日は、場所を確認しただけで通過。かなり上り下りしてきましたので、これ以上の登りは勘弁して欲しいということ(苦笑)。西方城は、滝川一益の家臣加藤勘助が築いたとされます。矢田城を中心とする西別所3城(西方城、白山城、西別所城)の1つ。天正11(1583)年、滝川一益が転封の後、廃城となりました。現在は配水場、竹林、畑に変わっており、竹林内に土塁らしきものが残ります。前回の記事をご覧ください(2021年3月23日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」)。

Img_5073c_20221203154601 Img_5082c  西方状の北に西方寺(さいほうじ)。入り口に「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基し、ご本尊も同年のものが伝わっています。かつては道場で、「旧道場」「総仏堂」「阿弥陀寺」と呼ばれました。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。

Img_5103c_20221203154601  ここは今日歩いた中でたぶん最も高いところで、キョリ測で見ると、海抜約70m。眺めも良く、名古屋駅前の高層ビル群もよく見えたくらい。紅葉は、まだこれからという感じでした。

Img_5117c_20221203154701  西方寺から下って、マリアモンテッソーリ幼稚園(右の写真)Img_5111c_20221203154601 の南側を通って、西方廃寺跡。西桑名神社の北東にある笹山溜池公園がそれです(以前は、標識が建っていたようですが、今はありません)。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです(こちらを参照)。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。西方窯跡は、現在は、マリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内のようで、立ち入りはできません(こちらを参照)。

Img_5143c_20221203154701 Img_5136c  最後の目的地は、東明山海善寺。元木観音とも呼ばれています。前回来た時には、かなり荒れていたのですが、少しずつ修復されているようでした。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます(くわな史跡めぐり)。千手観音が安置されています。前回は厨子の中で拝観できなかったのですが、今日は、しっかりと見られました。これで今日の目的地はコンプリート。時刻は11時45分。昼食を摂るために桑名駅方面に向かいますが、ここから先は、下り坂のみ。BSプレミアムの「日本縦断こころ旅」で火野正平さんが、自転車で坂を下る時の決め台詞に「人生、下り坂最高!」というのがありますが、似たような気分。

Img_5154c_20221203154701  余談。桑名駅では、自由通路を通って東側へ。自由通路には、ベンチがいくつか設置されていました。今週水曜の非常勤に行った時には気づきませんでしたので、それ以降に置かれたかと思います。ベンチの足が、桑名の鋳物でつくられたものもありました。ベンチ本体は、多度山の間伐材を使っているのかなという気がします。

Img_5162c Dsc_6871c  桑名駅の周囲は、ランチが取れるところ店は多くありません。今日もウロウロしてしまい、結局、最近も行った「桑名ホルモン&目利きの銀次」へ。12時半になっていました。「サバかつ定食(¥880)」で昼食。1時半過ぎまでしゃべって解散。

 Img_5181c_20221203154701 今日歩いた距離。Google Fitで約10㎞。ここまでの歩数は、17,767歩でした。よく歩きましたし、アップダウンがかなりありましたから、けっこうな運動量。年内にもう1回、長島の方へウォーキングに行きたいと思っています。

Img_4905c_20221217044201 【カワセミについて付記(12/17)】 12月16日に鳥見の知人から、上野御膳水の南にある農業用のため池に最近、カワセミがペアで登場しているという情報を得ました。コースマップでは上野御膳水のすぐ南西にある池がそれです。オスのカワセミが以前からいたところにメスも来るようになったというお話しでした。

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  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

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    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)