お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2023年8月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2018年1月以降の記事を残し、2017年12月以前の記事は削除しました(2018年1月1日から2023年8月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2022年11月 | トップページ | 2023年1月 »

2022年12月

2022年12月31日 (土)

よい年をお迎えください

Img_7026c_20221231144601 Img_6838c_20221231144601  いよいよ令和4年も大晦日を迎えました。大晦日でもまずは、散歩と変わりありません。今朝の津の最低気温は、2.4℃でしたが、アメダスがあるのは島崎町の津地方気象台。伊勢湾沿いですから、実家あたりとは気温などずいぶん違うはず。7時に散歩に出たときは、冷たくて手がかじかんでいました。いつものように町内一周+アルファで、7.5㎞。日が昇ってきて、日が当たるようになったら、ずいぶん暖かくなりました。

Img_6951c_20221231144601 Img_6957c_20221231144601  しっかり歩いたのに、残念ながら、今朝は鳥は本当に少なく、サギはまったく見ませんでした。トビも鳴き声はあちこちで聞いたものの、姿は確認できず。ほかは、ハクセキレイ、カワラヒワにスズメくらい。榊原川沿いでキセキレイ、カワガラスを見たのに、写真は撮れずか、ピンぼけ。最後の締めくくりなのに、鳥果は上がりませんでした。まともに写真が撮れたのは、コガモたち。

Img_7096c_20221231144601  実家に戻ってきたら、ジョウビタキのメスが出迎えてくれました。ジョビ姫は、実家あたりに縄張りを構えたようで、毎日、よく見ます。

Img_6998c_20221231144601 Img_6990c_20221231144601  ところで、Googl Mapを見ていたら、二区集会所のところに「本願寺跡・明治の榊原小学校遺構」とあるのに気づき、見てきました。集会所では、ずいぶん昔、かんこ踊りが行われるのを亡くなった義父に誘われ見に行きました。お墓のようなものが並んでいるなとは思ったのですが、さほど気にしていませんでした。右の写真の場所が、本願寺跡・明治の榊原小学校遺構のはず。榊原小学校の沿革を見ますと、「明治8(1875)年6月1日、榊原小学校 谷杣学校創設」とあります。その地がここなのだろうと思うのですが、ネット検索のみでは、これ以上は不明。本願寺跡についても、分かりませんでした。

Img_6850c_20221231144601  さて、この1年、拙いブログにお付き合いいただきまして、皆様には厚く御礼申し上げます。住まいのマンションの管理組合理事長も、今月半ばでなんとか任期を終えられ、ずいぶん気が楽になりました。来年も引き続き、「淡々と飽きもせず……」「晴歩雨読」「散歩生活、ときどき仕事」でボチボチとやって行こうと考えています。江戸橋での非常勤は来年度も続けられますし、教育委員会関係の仕事も続くと思います。ウォーキングは、近鉄ハイキングやJRさわやかウォーキングのほか、「勝手にハイキング」では美濃街道、養老街道、美濃路をたどって大垣まで行きたいと思っています(すでに多度までの美濃街道は歩きました)。もちろん、日々の散歩とバードウォッチングは生活の中心です。引き続きよろしくお願い申し上げます。

Img_6806c_20221231144601  皆様には、どうぞ良い年をお迎えください。

2022年12月30日 (金)

トビとセキレイ3種のそろい踏み

Img_6406c_20221230142301  最低気温は3.7℃。朝の内は風もほとんどなく、暖かったのですが、昼前から風が出てきて、日が陰ると寒くなりました。今朝も7時半過ぎから実家にて散歩。町内一周で5.5㎞ほど。青山高原にある風力発電の風車がよく見えていました。

Img_6415c_20221230142301  氏神様の射山(いやま)神社。ここに来るまでに何カ所かでウグイスの地鳴きを聞きましたが、姿は見えず。掛子橋のところでカワガラスが飛んでいましたが、写真には収められませんでした。いずれも残念。射山神社では、迎春の準備が整っているようでした。

Img_6470c_20221230142301 Img_6481c_20221230142301  誓願寺、林性寺あたりを周り、県道26号亀山白山線に出て、南東に向かいます。いつものコースですが、鳥にはなかなか遭遇しません。ラムちゃんパーク湯の瀬のところまで来て、ようやくダイサギ1羽に遭遇。先だって、食事には来ましたが(2022年11月19日:四十九日法要は無事に務められました…昼食はラムちゃんパーク湯の瀬にてラムの焼き肉)、私はまだお風呂には入っていません。

Img_6494c_20221230142301  菩提寺の近くの榊原川では、アオサギ1羽。橋の上から写真を撮っていたのですが、やはり逃げていきました(苦笑)。どこのアオサギも同じ行動パターンです。図体はデカいのに、神経質というか、警戒心が強いというか。

Img_6540c_20221230142301  菩提寺で墓参り。家内の実家に来て、朝散歩をするときの習慣となっています。真宗高田派の高福山清浄光院圓浄寺です。ここで散歩コースのほぼ折り返し点でもあります。

Img_6569c_20221230142301  お寺近くの市場地区小公園で一休みしようと思ったら、小さい野鳥が飛んでくるのが見えました。あまり近くまでは寄れませんでしたが、シメでした。九華公園では、最近見なくなっています。

Img_6574c  さらにハクセキレイもいました。ペアです。奥にいるオスの方は、何かイモムシのようなものをくわえていました。散歩の初めは、野鳥はほとんどいませんでしたが、少しずつ調子が出てきた感じ(微笑)。

Img_6611c_20221230142201 Img_6619c_20221230142201  県道近くまで戻ってきたら、トビが舞っているのが見えました。歩きながら見ていたら、電柱に降りてきたので、「これはチャンス!」と思い、電柱近くへ。なかなか良い感じ。左の写真を撮って、すぐにふわりと舞い上がったところが、右の写真。実家のあたり、トビはたくさんいます。多いときには、10羽くらいが同時に飛んでいるのを見ます。

Img_6658c_20221230142201  榊原川の北側の水田地帯へ。ここは見通しがよくきき、眺めの良いところ。西の景色が、この写真。青山高原までよく見えるのです。定番の散歩コース。ただ、冬、風が強いときにはまさに「寒風吹きすさぶ…」となり、寒くてたまりません。今日は、この時間、まだ穏やかで助かりました。

Img_6677c_20221230142201  真宗高田派の善福寺近くの水田では、セグロセキレイ。3羽ほどがいました。セグロセキレイは、たまに見かけます。

Img_6696c_20221230142201 Img_6707c_20221230142201  さらに壺の木あたりの榊原川へ。この少し上流で、榊原川は、湯元榊原館清少納言といった温泉旅館の裏手を流れています。このあたりの景色が、気に入っていますので、散歩では必ずといって良いほど通るのです。春先などにはハクセキレイが子育てをしているのを見たことがありますし、アオサギもよくいます。今日も下流側(右の写真)にいたのですが、案の定、写真を撮ろうとカメラを構えたら、逃げていきました。

Img_6761c_20221230142201  実家に戻ってきたら、キセキレイ。今日はこれで、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キセキレイとセキレイ3種を制覇(微笑)。という次第で、自宅にいても、実家に来ても、散歩生活。年末年始も散歩生活を続けるつもり。

Img_6560c_20221230142301 Img_6564c_20221230142301  余談。お寺に立ち寄ってから、市場地区小公園で休むときに温かい飲み物が欲しいと思って、寺の駐車場にある自販機でホットコーヒーを買ったのですが、自販機をよく見て、ニヤリとしてしまいました。サントリーの飲料を売っているのですが、コイン投入口のところをよく見たら、右のようなシールが貼ってあるのです。「テイスター」となっています。テイスターといえば、あのKINGと書かれた謎のおじさんロゴがあしらわれた自販機をやっている会社。「噂のネボケKINGコーヒー」が売られているのがそれ(2022年2月27日:20220227近鉄ハイキング「銘酒『神楽』神楽酒造をたずねて」へ(完)……ほぼ2年ぶりの近鉄ハイキングに参加、オマケはKINGの自販機の話)。こういうサントリーの自販機の管理もしているということなのでしょうね。

5f00532a 280a3d7c  ちなみに、こちらが、テイスターのオリジナル自販機と、「噂のネボケKINGコーヒー」(2022年22月27日、近鉄湯の山線伊勢松本駅前で撮影)。この缶コーヒーは¥80。味その他は、きわめてフツーの缶コーヒーのものでした。以上、きわめて内輪というか、個人的な余談。

Img_6537c_20221230142301  明日は、いよいよ大晦日。今日は、辰水神社のジャンボ干支を見に行っていません。全長3m、高さ2.8mのウサギを明日、見に行けるでしょうか。また、大晦日恒例のそば打ちもするよう、家族からいわれています。

2022年12月29日 (木)

九華公園にセグロカモメ飛来

Img_6167c_20221229151201  いよいよ世間様も、年末年始の休みに入りましたが、私自身はいつもと同じ生活。モットーにありますように、「淡々と飽きもせず…」と「散歩生活、ときどき仕事」です。非常勤の仕事は世間並みに休みですから、「散歩生活」となります。今朝は、8時40分から10時くらいまで散歩。住吉神社、九華公園、内堀公園、京町、寺町と4.7㎞ほど。11℃を超え、日向では暖かい日になりました。

Img_6201c_20221229151201  住吉水門のところにアオサギさんの若者。ずっと以前から、アオサギは好みの鳥ですので、散歩でアオサギに出会えると、それだけでかなり満足します。このほか、住吉水門の内側にはオオバンが1羽だけいました。

Img_6178c_20221229151901  余談ながら、住吉水門のところに住吉神社があります。春日さん(桑名宗社)の境外末社となっています。最近、初日の出に合わせて、限定のお守りと御朱印が授けられます。3年前に1回だけ御朱印をいただいたことがあります(2020年1月1日:あけましておめでとうございます)。来年も実施されるという記事が、今朝の中日新聞に載っていました(こちら)。ここは鳥居の間から初日の出が登ってくるように見えますので、桑名の初日の出スポットです。

Img_6231c_20221229151201 Img_6244c_20221229151201  七里の渡し跡。ここは、今は堤防に覆われていますが、揖斐川に面しています。今日は、ヒドリガモが9羽。他には、コガモやオオバンが来ていることがあります。このあと、蟠龍櫓のところの高水敷にもヒドリガモの群れがいたのですが、気づかず。飛び立って、「あ! いたんだ」と思ったような次第。

Img_6253c_20221229151201  柿安コミュニティパーク西の堀には、オオバンが1羽とキンクロハジロのメスが1羽。禁句露産はお休み中でしたので、写真は割愛。またもや余談ながら、この公園のすぐ南に柿安本店があります。今日は年末ですし、29日で「肉の日」ということで朝から賑わっていました。昼前には駐車場に入るクルマが渋滞していたくらい。

Img_6264c_20221229151201 Img_6261c_20221229151201  九華公園には9時10分に到着。さすがに散歩をしている人は数えるほど。散歩友達ではWさんに出会ったのみ。ヒヨドリやドバト、スズメのほかの野鳥はあまりいません。カモたちは、今日は合計56羽。今日もホシハジロのオスが1羽いました(左の写真)。キンクロハジロが42羽(右の写真)。ハシビロガモが13羽いたのですが、ヒドリガモは見当たらず。

Img_6312c_20221229151201 Img_6322c_20221229151201  アオサギは、今日も、辰巳櫓跡の松の木の上にいました。ちょっと目つきが悪い気がしますが、機嫌が良くないのでしょうか(笑)。ユリカモメはあまり多くはなく、20羽くらいが堀に浮いていたり、野球場のフェンスに止まっていたり。

Img_6331c_20221229151201 Img_6346c_20221229151201  今日のハイライトはこちら。セグロカモメ。二の丸堀の東側エリアを、悠然と泳いでいるのを見つけました。年に何回かやってきます。一般的には、決して珍しい鳥ではありませんが、九華公園では珍鳥の部類。全長60㎝と大型です。右の写真でユリカモメ(全長40㎝)と比べるとその大きさがよく分かります。

Img_6385c_20221229151201 Img_6372c_20221229151201  ところで昼過ぎから家内の実家に来ています。義母は亡くなりましたが、こちらで年越しをしようという次第なのです。こちらに来ると、時間の流れ方がかなり違う感じがします。あの辰水神社のジャンボ干支も見てこようと思っています(2022年1月1日:明けましておめでとうございます)。右の写真は、実家で出迎えてくれたジョウビタキのメス。通称「おジョウ」。

2022年12月28日 (水)

私の御用納めは、散髪(笑)

Dsc01423c  風も弱く、最高気温は10℃ほどですが、割と暖かい日になりました。世間では、今日で御用納めというところも多いのではないでしょうか。私の御用納めは、散髪(微笑)。いつものS理容院さんで8時から散髪。8時少し前に電話したら、「今すぐ来られる?」といわれたのです。8時半くらいから3人の方が相次いでやってこられました。ちょうど良いタイミングだったようです。9時に終わって、春日さん(桑名宗社)、中橋、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、南魚町、寺町と4.7㎞。冒頭の写真は、藤原岳とその周辺の山々の今朝の様子。うっすら雪化粧が続いています。

Dsc01452c_20221228145401  中橋へは、ゴイサギ&ホシゴイを見に行ってきました。春日さんと九華公園の間にある堀にかかっています。写真の正面に歩きの辺りと、この対岸にゴイサギ、ホシゴイが集まってくるのです。今日は、合計でゴイサギが2羽、ホシゴイが10羽。

Dsc01462c_20221228145401 Dsc01481c  元来が夜行性ですので、昼はマッタリしています。英語では、”night heron”というくらい。ホシゴイは、ゴイサギの幼鳥。幼鳥は上面が褐色の羽毛で被われ、黄褐色の斑点が入っており、この斑点が星のように見えるため、このように呼ばれます。

Dsc01661c  九華公園に着いたのは9時10分過ぎ。散歩友達はすでにいない時間帯。鳥も少なく、ちょっと残念。奥平屋敷跡では、ヒヨドリとドバトが少しいたほかは、ハクセキレイ2羽がやってきたのみ。

Dsc01752c_20221228145301  アオサギさんは、例によって辰巳櫓跡の松の木に。この頃は隠れるようにしていることが多いのですが、今日は背筋をやや伸ばしていました。

Dsc01618c Dsc01553c_20221228145401  カモは合計70羽。やや多くなっています。今日、特筆すべきはホシハジロのオス(左の写真)が1羽だけですが、いたこと。今シーズンは、2~3回くらい見ただけでした。キンクロハジロは56羽。ハシビロガモが9羽、ヒドリガモは2ペア。右の写真は、ヒドリガモのオス。

Dsc01730c  ユリカモメは、13羽。いかにも少ない。二の丸堀の東側エリアで、ユリカモメ同士が何かを争っているようにみえました。近づいてよく見ると、エサなのか、魚の骨らしきものを取り合っているようです。いつかも書きましたが、最近は、エサをやっている人はまったく見なくなりました。以前は、散歩をしている間にも2~3組の人達がエサをやるのを見ました。

Dsc01851c_20221228145301  貝塚公園ではシロハラか?と思う鳥を見たのですが、確認できませんでした。内堀公園で一休みしていたら、まずツグミが登場。昨日は、九華公園でツグミをたくさん見ましたので、九華公園にいるかと思ったら、さっぱりで、鳴き声が少し聞こえたくらい。これほど近くで見られたのは、今シーズン初。

Dsc01869c  さらに、ジョウビタキのオスも出て来ました。わざわざ顔見せに来るような気もします(微笑)。人なつっこいところがある鳥です。

Dsc01427c Dsc01436c  ところで春日さんにも行ったのですが、門松を見てこようと思ったのです。毎年、桑名建設組合の方々が奉納される、大変立派なものなのです。

Dsc01886c  今日は散髪も済ませ、初めに書きましたように、これで年内の予定は完了。帰宅後、仏壇の掃除も済ませましたので、あとは新年を迎えるばかりかなと思っています。大掃除は、特段しないようになっています。仕事始めは、1月4日の江戸橋での非常勤の授業。年末年始も、いつも通り、淡々と飽きもせずに、散歩生活のつもり。

2022年12月27日 (火)

九華公園でツグミの群れ

Dsc00599c_20221227135001  日の出が7時ちょうどくらいですので、7時半に歩き始めて住吉神社の前まで行って南東の空を見ると、冒頭の写真のようになっています。こういう景色、なかなか良い感じと思います。今日も7時半から散歩に出て、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、寿町、八間通と7.8㎞。昨日アピタに行ったついでに済ませてくれば良かったのに、用事を1つ忘れたのです。

Dsc00582c_20221227134901  散歩に出てすぐ、住吉入江にはオスのキンクロハジロが1羽。今年はまだあまりたくさん、奥までは入ってきません。昨シーズンは、カンムリカイツブリも来ていましたし、ハジロカイツブリが来たこともあります。

Dsc00642c Dsc00677c  住吉水門のすぐ外で、カンムリカイツブリが魚をゲットしたばかり。すぐ下流側の住吉水門には、若いアオサギさん。まったくの逆光の位置でした。揖斐川には今日はほかにはキンクロハジロが8羽と、ユリカモメが1羽飛んでいたくらい。

Dsc00715c  柿安コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロのメス(左の写真)とオスが1羽ずつ。今日は、オオバンやコガモを見ません。九華公園までに、ドバト、ハクセキレイなどもいませんでした。

Dsc00780c Dsc00790c  九華公園の奥平屋敷跡でいつものように30分くらい鳥待ちをしたものの、やはり鳥は少なく、ちょっとガッカリ。ウグイスの鳴き声が聞こえたほか、ジョウビタキのオスが一瞬登場したのと、ミサゴが上空を通過して行ったくらい。

Dsc00839c Dsc00868c  ほかは、ハクセキレイのペア1組。散歩する人も少なく、散歩友達もWさんとCちゃんというワンちゃんをつれた方のみ。皆さん、年末で忙しいのでしょうね。

Dsc00872c  アオサギさんは、昨日と同じく、辰巳櫓跡の松の木にいました。最近、ここがお気に入りのようで、同じところによくいます。ただ、ここではエサをゲットするのは不便。かなりたかいところなのです。何をしているのかは、不明。

Dsc00745c Dsc00760c_20221227134901  カモは合計62羽。キンクロハジロは50羽とやや多かったのですが、ハシビロガモ(右の写真)は8羽、ヒドリガモ(左の写真)は2ペアといつも並。

Dsc00894c Dsc01217c  ユリカモメは、44羽。吉之丸堀の東側エリアに浮かんでいたり、野球場のフェンスに止まっていたり。

Dsc00945c Dsc01168c  その野球場のグラウンでにツグミが20羽以上集まっていました。すぐに散ってしまいましたので、正確には数えられませんでしたが、左の写真に写っているものの倍以上いたと思います。今シーズンは、今まであまり見ず、しかも樹上にいることが多かったので、ちょっとビックリ。これからあちこちで見られるか、と期待が高まります。

Dsc01129c_20221227134901  辰巳櫓跡のところでも、ジョウビタキのオスが登場。櫓跡の上の木には、ツグミが2羽ほどいたのですが、これは写真には撮れず。このあと、九華公園の外周遊歩道の南でアオサギ。といってもわたしは、まったく気づかず、逃げられて初めてアオサギがいたのに気づいたという大失態(苦笑)。

Dsc01316c_20221227134901  貝塚公園ではシロハラを目撃したのに、見失って、写真は撮れませんでした。しかし、散歩友達のSさんに久しぶりに遭遇。内堀公園では、メジロ(左の写真)。枝かぶりの証拠写真。メジロは新築公園でも見ました。

Dsc01369c Dsc01390c_20221227134801  用事を済ませ、わが家近くまで戻ってきたら、住吉入江の南でシジュウカラとメジロ。日陰になっているところで、イマイチ。

Dsc01413c  玄関先まで戻ってきて眺めたら、名古屋駅前の高層ビル群の背後に、たぶん中央アルプスの山並み。しっかり雪化粧しています。冬になると、何度かみえる景色。

Dsc01419c  雪景色といえば、藤原岳方面が久しぶりに晴れてよく見えました。こちらもしっかりと雪が積もっています。

Dsc01417c_20221227134801  11℃を超え、日が当たっていると温かく感じられます。今日は、午後、歯科でようやく上のブリッジが入れてもらって来ました。先生は、「これで餅を食べても大丈夫」と太鼓判。正月に間に合いました。

20221223長島ウォーキング(本編その3)……長島川遊歩道を歩いて日神神社にお参りしなばなの里へゴールして地ビールで乾杯(完)

20221223nagashima2 12月23日に行ってきた「長島ウォーキング」の本編その3です。その2の水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷までで主な立ち寄りポイントは回ってきました。

Img_6084c_20221223190201 Img_6080c_20221223190201  水辺のやすらぎパークでスタートからほぼ5㎞。そこからは長島川遊歩道を歩きます(右の写真)。近鉄長島駅の近くから、長島川に沿って遊歩道が整備されています。今回のように寒い時期はともかく、春、秋など季候の良い時期にはブラブラ歩くのに適しています。右の写真は、水辺のやすらぎパークあたりから北西方向の長島川と遊歩道を眺めたもの。

B4918894  スタートから6㎞を過ぎると、なばなの里花市場にやって来ます。なばなの里は、イルミネーションで有名。花市場は、フラワーショップ&ファーマーズマーケット。花市場にはたまに買い物に来ます。ここで売っている「押し寿司」(左の写真)は、私のソウルフードと同じものなので、食べたくなることがあるのです。

Img_6094c_20221223190201 Img_6090c_20221223190201  その花市場の駐車場の一角にあるのが、日神神社(ひがみじんじゃ)。初めて見つけた時には、なぜここに神社があるのか? と不思議に思いました。しかし、神社はよほどのことがなければ、ほかのところに遷るということはしませんから、もともとここに日神神社があって、その近くになばなの里ができて、駐車場の一角にこれが残されたということなのでしょう。天照大神を祀っています。由緒書きには、元和3(1617)年頃開墾された駒江新田に延宝6(1678)年、西外面(にしども)の八幡社の摂社として現在地に勧請されています。

Img_6116c_20221223190301 Img_6109c_20221223190301  そして、いよいよなばなの里へゴール。今の時期は、イルミネーションで賑わいます。今年のテーマは、「天空の船」だそうです。「国内最大級の煌めきがつくる、奇跡の絶景」というのがセールスポイント。イルミについては、ブロ友&鳥友のひらいさんが、詳しく記事を書いておられます(2022年度N里イルミ製作日記(2022.10.22 製作日記完結!))。

Img_6105c_20221223190301 Img_6102c_20221226040901  この日(12月23日)から12月25日は、「貸し切り営業」となっていました。誰が貸し切った?と思うのですが、「クリスマス特別営業」のため、14時でいったん閉園し、15時以降は、「クリスマス特別営業専用チケット」がないと入れないということ。このチケット、日付指定で、なんと¥5,000とか。なばなの里に着いたのは、12時20分頃で、同級生K氏のもつ年間パスポートで入りました。入るときに「14時までの営業です」と念押しされましたが、この日は園内を見て回る訳ではありません。6.8㎞を歩いてきました。

Img_6114c_20221223190301 1671765881508c  こちら、長島ビール園にほぼ直行。長島の地ビールが飲めるのです。その1にも書きましたが、今年のウォーキング納めのため、なばなの里で、ビールで乾杯しようというのが、この日の最大のミッションだったのです。

1671765866792c 1671768328600c  まずは、冬季限定「ボック」で祝杯。何を祝っているかといいますと、今年1年のウォーキングが無事に終えられたこと、です。続いて、デュンケル。こちらは、ドイツ・バイエルン地方で古くから伝わる下面発酵ビール。泡立ちも良く、口当たりはとても滑らかなビールでした。中ジョッキ2杯もいただいてしまいました(微笑)。

Img_6119c_20221223203401 Img_6134c_20221223190301  何ごともなくゴールし、ウォーキング納めも終えられました。イルミネーションが行われている期間には、なばなの里からは近鉄長島駅まで三重交通のバスが出ています。昼間は1時間に1本で、13時35分発に乗車。近鉄長島駅までは10分ほど。¥220。

Img_6143c_20221226042201 Img_6151c_20221226042201  近鉄長島駅では、13時49分に四日市行き準急があり、すぐに乗れました。桑名駅には13時53分着。¥210。桑名駅の自由通路で、先日設置されたベンチが気持ちよさそうでしたから、試しにちょっと座ってきました。このベンチ、中学生の提案で設置されたそうです。なかなかいい感じでした。

Img_6161c_20221223190301  この日歩いたのは、Google Fitのデータでは12.6㎞。現地で歩いたのが6.8㎞+αですから、この歩行距離はちょっと過大評価になっているかも知れません。これで年内のウォーキングは完了。来年は、美濃街道、養老街道などを通って、多度から大垣まで歩き通そうと話し合っています。コースは現在、調べて、検討中。美濃街道は岐阜県では、伊勢街道とか、桑名街道とか呼ばれているそうです。このルートはほぼ分かったものの、養老の先から養老街道に入りたいのですが、そのルートが今ひとつはっきりしません。養老街道で大垣市内に入り、その先は美濃路をたどるつもりです。

2022年12月26日 (月)

鎮国守国神社に門松

Dsc09345c_20221226150501  暖かいような、寒いような日です。日が当たると暖かい気がしますが、陰ると寒い(当たり前といえばそうですが、極端な気がします)。日の出前は強風でしたが、日が昇ってからは収まってきました。今日もまた、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、寿町、八間通、住吉入江と回って7.9㎞。多度山には、今朝も雪が見えました。

Dsc09371c Dsc09384c  住吉入江や、七里の渡し跡にオオバンが1羽ずつ。暗いのできれいには写りません。写真は、七里の渡し跡にいたヒドリガモ達。合計32羽。堤防に上がって草をついばんでいたり、堀に浮かんでいたり。

Dsc09401c_20221226150501  三の丸水門のところには、アオサギの若者。風で羽毛が逆立って、丸で角が生えているみたい。笑えます。やはりアオサギさんは、役者。何かをしてくれます。

Dsc09541c_20221226150501  柿安コミュニティパークでは、ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラ。ヤマガラは1羽のみ。シジュウカラは数羽。いずれも上手く撮れず。コゲラのみなんとか。

Dsc09625c Dsc09641c_20221226150501  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏にゴイサギ、アオサギ、コサギ2羽。ゴイサギは、ビワの木に。アオサギとコサギは、社務所裏のいつもの木。

Dsc09681c_20221226150501 Dsc09715c  コサギ。左の写真は、ちょっと枝かぶり。しかも、私を察知して、ちょっと浮き足立っています。

Dsc09920c Dsc09963c  奥平屋敷跡では、今日は、ツグミが4~5羽。奥平屋敷跡の北の花菖蒲園脇にある木の上や、その下に。ツグミが着始めた頃にはよく見たものの、その後、あまり見なくなっていました。また、それもあって、地上に降りているところは、まだほとんど見ません。

Dsc00035c_20221226150501  奥平屋敷跡ではほかに、ジョウビタキのオス1羽。ヒヨドリやドバトはいるものの、今日はこれだけ。

Dsc00212c Dsc00190c  二の丸橋の欄干には、ずっとユリカモメが並んでいました。ここに並んでいたのは最多で22羽。野球場のフェンスや二の丸堀の西側エリアにいたものも合わせると、今日は51羽。かなり増えました。

Dsc00354c  アオサギは、辰巳櫓跡の松の木にもいました。私が歩いている間に飛んできた様子はありませんので、今日は九華公園にアオサギが2羽いたと思われます。

Dsc00502c  奥平屋敷跡にいたときと、野球場の南を歩いていたときの2回、ミサゴが九華公園上空にやって来ました。ただ、かなり高いところでホバリングしていましたので、良い写真ではありません。冬になるとよくやって来ます。今年1月には、ダイビングシーンも見られたのですが(2022年1月7日:九華公園にミサゴが4羽も登場……ダイビングシーンも見られ、ジイ様バーダーたちは大興奮(微苦笑))、今日は飛んでいただけ。

Dsc00543c 公園の外周遊歩道を回って、二の丸橋の南側に行ったときも、ユリカモメはまだ少数が欄干に止まっていました。

Dsc09663c_20221226150501  そうそう、カモは今日は合計43羽。キンクロハジロが31羽に、ハシビロガモが12羽。ヒドリガモは、今日は見当たりませんでした。カモは、種類、数とも今のところパッとせず、という感じ。

Dsc00365c Dsc00372c_20221226150501  ところで、鎮国守国神社では昨日、迎春準備が行われたようでした。門松も立派に立てられていたのですが、知人の氏子の方が「昨日は納得がいくようにできあがらなかった」とおっしゃて、手直しをしておられました。いよいよ正月が近づいたという雰囲気です。

Dsc00570c_20221226150601  貝塚公園や内堀公園、新築公園ではこれという鳥はいません。アピタ桑名店では、新光堂書店でパソコン雑誌を買い、文房具も見てきたのですが、欲しい文房具は売っていませんでした。

20221223長島ウォーキング(本編その2)……正敬寺、花林院、善明寺、蓮生寺、明治の東海道道標、又木神明社、願證寺、深行寺から水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷へ

20221223nagashima1  12月23日に行ってきた「長島ウォーキング」の本編その2です。その1は、旧長島城跡まででした。ルートマップはその1。マップの中央あたりです。その2では、長島川を渡って、川の東へ。正敬寺、花梨院、善明寺、蓮生寺とお寺が続きます。

Img_5801c_20221223190001 Img_5807c_20221223190001  まずは、石城山正敬寺(しょうきょうじ)。真宗大谷派。写真でお分かりのように、手入れが行き届いた、良いお寺なのですが、残念ながら、由緒書きもなく、また、ネット検索ではとくに情報は出て来ません。

Img_5849c_20221223190101 正敬寺の北に盤龍山花林院(ばんりゅうざんかりんいん)へ。曹洞宗のお寺。家康の異父同母弟である松平康元が父久松俊勝の冥福を祈るため、三州西郡(こちらの記述によれば、現在の愛知県蒲郡市に含まれる地域)に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけたそうです。その後、松平氏は下総関宿へ移封。さらに加納、信州小諸へと移封されたので、寺もこれにしたがって移転しています。松平康尚が長島藩主となると、花林院も長島に寺基を移しました。その後、増山氏が長島に入封すると増山氏もまた花林院を代々の位牌所として庇護しています。門の脇に「乳授薬師(ちちやくし)」という石碑も建っています。

Img_5845c_20221223190101  禅寺らしく、山門の脇には、大きな「戒壇石(かいだんせき)」があり、「不許葷酒入山門(=葷酒山門に入るを許さず」と刻まれています。山門をくぐった右手(北側)には、地蔵堂が2ヶ所あります。

Img_5824c_20221223190001  元の本堂は天保年間の建立だったそうですが、昭和36(1961)年に焼失。その後、鉄筋コンクリートで再建されています。

Img_5830c  長島藩主松平、増山両家の位牌所で、墓所には増山氏の13基の墓碑があるそうです。左の写真は、増山正修(ましやま まさなお)公のお墓。天保13(1842)年、長島藩主増山家7代となっています。

Img_5839c_20221223190001 Kyuka  境内には、また、福原銭太郎(ふくはらせんたろう:慶応3(1867)~昭和13(1938)年))の墓があります。福原は、伊勢国桑名郡長島村(現在の三重県桑名市長島町)出身。士族・福原資英の長男として生まれ、陸軍軍人で最終階級は陸軍中将。日清、日露戦争に参戦。陸軍士官学校教官、参謀本部部員、近衛師団参謀も歴任し、日露戦争時には第12師団高級参謀を務めています。大正9(1920)年、桑名町長に選出され、10年間在職。また、大正11(1922)年には三重県会議員に当選し、2期務めました。その後、昭和6(1931)年から昭和8(1933)年まで長島村長も務めています。余談ながら、福原は、九華公園の西側入り口にある碑の文字を書いています(右の写真)。この碑陰には、「昭和3年5月建之 桑名町会議員一同」とあります。

Img_5868c_20221223190101 Img_5862c_20221223190101  続いては、長崎山善明寺。真宗大谷派で、長島六坊の1つ。開祖は長崎新蔵。長崎は一向一揆の後しばらく尾張にいましたが、その後長島に戻り、寛永12(1635)年、善明寺を開創。現本堂は大正4年(1915)の再建。

Img_5883c_20221223190101 Img_5896c_20221223190101  善明寺の先でグルッと回って今度は西へ。紫雲山蓮生寺。真宗高田派。このお寺では、旧長島城の大手門の一部が山門として使われています。蓮生寺第十一世賢道のとき(明治9(1876)年)に払い下げを受けたものです。旧大手門より縮小されているそうです。

Img_5879c_20221225190701  山門の瓦には、当時の藩主・増山家の家紋が見られます。

Img_5931c_20221223190101  一回りして、稲荷阿岐波神社の近くにある大手橋のところに戻ってきました。橋の東側に道標が1基あります。稲荷阿岐波神社の前から大手橋のところは街道であったようです。ここは三叉路で、道標の正面には正面には、「👈 前ヶ須 津島/宮 名古屋道」、左右両面には「右 久波奈ミち」「左 くわなみち」とそれぞれ刻まれています。この道標は、「明治の東海道」を示しているものでした。明治4(1871)年に七里や三里の渡しが廃止され、東海道は熱田から前ヶ須(現在の弥富市)に至り、前ヶ須から官営渡船で長島を横断する鰻江川(うなぎえがわ:長島輪中と葭ヶ崎輪中の間の水路を鰻江川といいました。明治24(1891)年に締め切られています)を通り、桑名川口町へ着くコースに変更されました。なお、これとは別に、前ヶ須から民営渡船で押付(桑名市長島町、国道1号線と県道7号線の交差点あたり)へ渡り、長島を陸路で横断し、十日外面(とおかども:伊勢大橋東詰交差点あたり)から桑名福島へ渡る民営渡船のコースもありました。

Img_5953c_20221223190101 Img_5943c_20221223190101  このあと、国道1号線を越えて、1号線の南側へ。まずは、又木交差点のところにある神明社へ。ご祭神は、天照大神。慶長19(1614)年、西外面村遠浅に神明宮として勧請したのが始まりといいます。その後、荒廃したため、西外面鎮座のハ幡宮を当地の産土神として崇敬するに至りました。大阪の陣に際し、当地の民が多く徴発されて出陣しましたが、全員つつがなく帰村したのは、神明の加護によるものとして再び社殿を造営し奉斎したと伝えられています。さらに、享和3(1803)年には秋葉社を、また、天保2(1831)年には末社金刀比羅宮を勧請し、当地の氏神として多くの崇敬者の信仰を集めています。簡素な社ですが、それなりの由緒、経緯があるものです。

Img_5963c Img_5957c_20221223190101  神明社の東に真宗大谷派の崇泉寺。草木が生い茂っていて、無住かとも思えますが、墓地は割ときれいでした。この崇泉寺については、詳しいことは不明。

Img_5999c Img_5982c  さて、いよいよ願證寺(がんしょうじ)へ。山号は、長島山願證寺。長島御坊ともいいます。願證寺は戦国時代、織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった長島一向一揆の舞台となった寺として、悲惨な歴史があります。しかし、もとの願證寺は杉江につくられ、その跡は明治期の河川改修工事によって、長良川の川底に沈んでしまいました。現在の願證寺は、門徒のために祐泉寺を寺縁により願證寺の名称で呼ぶようになったものです。

Img_5989c  こちらが長島一向一揆殉教の碑。長島願證寺は、当時、東海地方の一向宗の中心として、その門徒は、およそ10万人といわれるほどで、長島の城主伊藤重晴を追い出し、一向宗門徒による自治を行っていました。天正2(1574)年7月、信長は三度目の長島攻撃を開始し、志摩の九鬼水軍を中心に数百艘の軍船を用いるなど、これまでにない大軍を動員しました。この軍船の威力は大きく、長島方の受けた被害は甚大でした。長島方では食糧不足から餓死者が続出、二つの砦は落ち、風雨に紛れて砦から脱出した男女千人余りが信長軍に斬り殺されました。三カ月にわたる籠城戦が続き、9月29日、遂に長島方は降伏し、門徒衆は船で逃げ出しました。しかし、待ちかまえていた信長軍に攻められ、砦に残っていた男女2万人余りは、周囲に柵を設けて閉じ込められ、四方から火を放たれ焼き殺されてしまったといいます。殉教の碑は、長島一向一揆400年追悼法要を勤修するに当り、昭和50(1975)年9月に建てられています。今は、ナガシマスパーランド、なばなの里、イルミなど観光で知られる長島の地にも、このような痛ましい出来事があったのです。

Img_6003c_20221223190201  次の深行寺へ行く途中に小さな社がありました。コースマップを描いた「キョリ測」には載っていなかったのですが、皇大(こうたい)神社です。元禄12(1699)年、長島藩主松平忠充公により勧請されたとしています。後年、増山氏が藩主になってからも、例祭には必ず幣帛が供進されるなど、代々の長嶋城主の崇敬と附近の人々の信仰が篤い神社であると伝えられています。明治3(1870)年、現在地に遷っています。後同城主増山公の代に毎年旧暦九月一六日の例祭には必ず幣帛を供進され、

Img_6027c_20221223190201 Img_6033c_20221223190201  願證寺の東には、佐々木山深行寺(じんぎょうじ)。真宗大谷派で、ここも長島六坊の1つ。開祖は平野智忍。平野は、一向一揆の後しばらくは、越前にいましたが、寛永3(1626)年、千倉に創設し、元禄3(1690)年殿名に遷っています。このとき、佐々木と改姓。長島城の奥書院がここに移築され、本堂として使われていたそうですが、昭和63(1988)年老朽化のため改築されています。

Img_6047c_20221223190201  深行寺から長島水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷へと戻ります。ここは、ボタンの名所で、見に来たことがあります(2020年4月28日:河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました)。久我屋敷は、長島藩の重臣であった久我家のもの。明治になって久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治めました。、家屋は明治12(1879)年)に建築されたもの。水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷については、昨年4月に訪ねた記事にも詳しくあります(2021年4月24日:20210422勝手に近鉄名古屋線ハイキング「長島漫歩」(その2)……稲荷阿岐波神社、道標、長島水辺のやすらぎパークから花市場に立ち寄り、そのまま歩いて伊勢大橋を渡り「完」)。

 その2はここまで。その3では、長島川遊歩道を歩いて、日神神社にお参りし、なばなの里にゴール。「ウォーキング納め」で祝杯(微笑)。

2022年12月25日 (日)

20221223長島ウォーキング(本編その1)……近鉄長島駅から光岳寺、長島八幡社、小田江神崎神社、大智院、光栄寺、稲荷阿岐波神社、長島城跡へ

Img_5605c_20221223190501  12月23日に行ってきた「長島ウォーキング」の本編その1です。この日から「クリスマス寒波襲来」ということで、西風が強くて寒い日でした。しかし、これで令和4(2022)年のウォーキング納めということで、予定通り出かけたという次第。いつものように、同級生K氏と二人で歩いてきました。冒頭の写真は、この日の朝の藤原岳。

Img_5618c_20221223185901 20221223nagashima0  近鉄桑名駅を8時23分に出る名古屋行き準急に乗車。近鉄長島駅までは1駅で、8時27分に到着。¥210。今日のウォーキングは、昔流行った言葉でいえば「安近短」です。右の画像が、この日歩いたルートマップ。近鉄長島駅から南のあたりの歴史散歩という次第。主な立ち寄りスポットは、光岳寺、長島八幡社、小田江神崎神社、大智院、光栄寺、稲荷阿岐波神社、長島城跡、正敬寺、花林院、善明寺、蓮生寺、神明社、崇泉寺、願證寺、皇大神社、深行寺、旧久我屋敷・水辺のやすらぎパーク、長島川遊歩道、日神神社と回って、なばなの里がゴール。この日が、年内最後のウォーキングということで、「ウォーキング納めだからなばなの里で乾杯しよう」というのが、最大のテーマ(微笑)。

20221223nagashima1  ルートマップその1。この範囲に訪ねたところのほとんどがあります。さほど広くはない範囲をあちこちウロウロしてきました。たくさん立ち寄りたいところがありましたから、なるべく効率的に回ろうと考えた結果です。崇泉寺から先は、願證寺、皇大神社、深行寺と回って、水辺のやすらぎパーク・旧久我屋敷に戻る形でしたので、ルートが往復となって、重複しています。

Img_5624c_20221224084401 Img_5621c_20221224085201  近鉄長島駅を8時半にスタートしましたが、駅前に「伊勢湾台風水位標」があります。伊勢湾台風に襲われたとき、当時の桑名郡長島町内では堤防が15ヶ所も決壊し、1ヶ月間は水没したままであったそうです。この水位標の上の部分にあるのが、伊勢湾台風の時の水位です。輪中の郷にも同様の水位標がありますが、そこでの水位は3.9mだったといいます。 

Img_5628c_20221224085301  最初の目的地である光岳寺に向かう途中、西を見ると鈴鹿の山並みがみえました。長島は、もともと輪中地帯ですから、ほぼ平地で、あちこちで鈴鹿山脈がみえるのです。

Img_5658c_20221223185901 Img_5635c  近鉄長島駅から500m弱で天機山伝通院光岳寺。浄土宗のお寺。屋根瓦や、山門に三つ葉葵の御紋があります。徳川家康の母である伝通院の菩提寺の1つだからです。

Img_5641c_20221223185901  創建は不詳ですが、古くは、下野国(現在の千葉県関宿)にあり、弘経寺と称していました。慶長7(1602)年、徳川家康は母親である伝通院の菩提寺の1つに定め、天機山伝通院光岳寺と改称しました(伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼という法名によると思われます)。当時の領主で、家康の異父弟である松平康元が光岳寺を庇護し、同家の移封先である加納藩(岐阜県岐阜市)、小諸藩(長野県小諸市)に随行し、慶安2(1649)年、当時の当主松平康尚(やすひさ)が長島藩に移封になると、長島城下に移りました。ここに祀られている「沓踏子安延命地蔵菩薩」は、伝教大師最澄が自ら彫り込んだと伝えられるもので、伝通院の念持仏だったといいます。

Img_5683c_20221223185901 Img_5676c_20221223185901  光岳寺からは長島八幡神社へ。この神社は、寛元3(1245)年に藤原(九条)道家が勧請したと伝えられている、長島最古の神社です。ご祭神は、応神天皇仲哀(ちゅうあい)天皇神功皇后(じんぐうこうごう)。天正12(1584)年には、小牧長久手の戦いに際して織田信雄が戦勝祈願をなし、その賽謝として鎧・兜一領を奉納したといい、また、歴代長島城主からも武神として崇敬されていました。獅子舞は、元禄12(1699)年に北島村の氏子によって始められた獅子舞神事が今も伝わっています。この獅子舞を一度は見てみたいとずっと思っているのですが、なかなか実現していません。

Img_5673c_20221224180701  ここの境内は、歴史を感じさせる、なかなか良い雰囲気です。一の鳥居をくぐると、池があり、太鼓橋が架かっています。この橋を渡って境内に進むのです。

Img_5700c_20221223190001  八幡神社からは、長島自動車学校、エスペランス桑名の南を通って、予定では大智院に向かうことにしていました。しかし、曲がり角で小田江神崎神社(おだえかんざきじんじゃ)がすぐ近くに見えましたので、寄り道。ご祭神は天照大神、豊受大神。

Img_5696c_20221223190001  社頭にあった由緒書きには、概略次のような説明がありました。天文13(1544)年、小田江崎(於多井川の川元)に勧請奉祀したと伝わります。その後洪水や長島一向一揆の際の小田御崎砦の近くであったため社頭は大破。慶長8(1603)年、再建されています。寛文7(1667)年、藩主・松平良尚公が、社頭近くを往還が通るのを見て、社頭を東表にし南方の藪下に往還を付け替え、社の前後50間の社地を与えています。20年ごとに遷宮を行い、それが今なお受け継がれています。

Img_5693c_20221223190001  この神社は、一説には天文13(1544)年の大水の時、上流から漂着した流れ宮を村民が拾い上げて勧請したともいう。この社の対岸、現在の桑名市蛎塚の揖斐川堤腹に蛇ノ宮という社があり、この社に大蛇が住んで、常にこの両者の間を行き来しているので、この川を船が通行するときには両岸の社に向かって、船頭が拝礼をしないと、川に濁流が渦巻いて、その船の進路をふさぎ、船を襲うといい伝えられているといいます。そのため、当社では、毎年8月7日の祭礼でかがり火をたいて、夜を徹する行事を行うそうです(濁り祭)。

Img_5713c_20221223190001 Img_5710c_20221223190001  長良川左岸の堤防道路に沿って南下すると、大智院があります。真言宗智山派のお寺。ここは、元禄2(1689)年松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝に行ったのですが、その最初に立ち寄ったところです。ここで、芭蕉は挨拶句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」をしたためたといいます。その直筆の色紙「真蹟懐紙」が残されています。

Img_5707c_20221225164801  芭蕉が来訪した100年後(寛政元(1789)年)に長島藩主・増山正賢(雪斎)公は、近習などを集めて詩文をつくったり、自筆によって記念の石碑を建立しました。それが、この「蕉翁信宿処」の石碑です。時の藩主が自ら筆をとり顕彰碑を建立したのは珍しいことで、歴史、文学的に評価が高いものだそうです。 文人藩主らしい堂々とした風格の書体と評されています。また、三重県内に現存する芭蕉碑(約120基)中11番目に古く大切に保管されてきたそうです。なお、「信宿」は、同じ場所に二泊するという意味だそうです。

Img_5716c_20221225164801  山門の脇にあるこちらの碑は、曽良塚です。右の方には、「伊勢乃国 長島……曽良」とあるようです。調べてみましたら、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」という句が刻まれているということです。元禄2年8月の「おくのほそ道」本文に、山中温泉滞在中の出来事として、「曾良は腹を病て、伊勢の国長島と云所にゆかりあれば、先立ちて行に、「行き行きてたふれ伏とも萩の原」曾良 と書置たり(後略)」とあるそうです。この「ゆかり」が大智院で、第四世住職法印良就が曽良の叔父です。ちなみに、前回訪ねたときも忘れたのですが、今回も、境内にあるはずの芭蕉句碑を見逃しました(苦笑)。前期の句に「伊勢国長島大智院に信宿ス」という前書きがつけられた句碑があるのです(「信宿」は、二泊という意味)。元の句碑は、伊勢湾台風でながされてしまい、後に再建されたそうです。この芭蕉の句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」は、後に『嵯峨日記』で推敲されて、「憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥」と変えられています。

Img_5734c_20221223190001 Img_5742c_20221223190001  大智院のすぐ南には、長島六坊の1つである銀杏山光栄寺。真宗大谷派。長島六坊は、織田信長の長島攻めに抵抗するため石山本願寺から寺侍として願證寺に送り込まれた僧らによって創建された寺院です。長島一向一揆では門徒衆の旗頭として活躍しました。長島落城後は、一時、それぞれ石山本願寺や北陸方面へ退散したのですが、豊臣秀吉が天下を統一した頃には、これらの僧やその師弟らは長島に帰ってきて再び寺を建てています。長島六坊は、すべて真宗大谷派の寺院で、元禄年間に六坊の公称が認められ、白袈裟着用を許されるなど大谷派の中でも一般末寺とは異なる特別な地位が与えられました。現在、桑名市長島町にはそのうち4つが残っています。光栄寺は、飯田九蔵が慶長4(1599)年に開創しました。宝暦の洪水を受け、現在の西外面(ども)に堂宇を再建しています。

Img_5770c_20221223190001  続いて、稲荷阿岐波神社に向かいます。光栄寺の南で左折し、東へ。ほぼ水田の中を歩いて行きます。旧長島城の大手橋の西にこの神社があります。主祭神は、宇迦之御魂神。相殿神は、大名持之命。変わった名前ですが、これは大国主命の別名。大国主命には、たくさんの別称があるようです(こちら)。

Img_5759c_20221223190001  社伝などによれば、初めは、萱町の田村邸の邸内社でしたが、後に中町の花林院門側に遷座、それ以後、次第に長島三町(下町、中町、萱町と思われます)の産土神として祀られています。また、長島城内未申に位置する二ノ丸櫓東隅に「杉峠稲荷社」が祀られており、歴代長島城主の崇敬をうけ、藩主・松平忠充により貞享3(1686)年、礼殿等の造営がなされていたといいます。その後、天保年間(1830~1843年)に至って、藩主・定政(神社検索(三重)にはこのようにありますが、享和元(1801)~天保13(1842)年の藩主は7代・増山正寧(まさやす)、天保13(1842)~明治2(1869)年は、増山正修(まさなお)が8代藩主。「定政」という名前は、増山家の藩主には見当たりません。こちら)により現鎮座地への遷座が行なわれました。大正3(1914)年、中町の稲荷社を合祀し、稲荷阿岐波神社と単称しています。「阿岐波神社」という割には、秋葉さんを祀っていないのが不思議。

Img_5747c_20221225171101 Img_5750c_20221225171101  下町・中町・萱町の3町内によって石取祭が行われており、7月最終の金・土曜日に町内を回ります。説明板によれば、もともとは稲荷社境内秋葉社の石取神事として行われ、神社の玉垣の敷石を年に一度新しくするために、美しい石を町屋川から拾い採ってきたもので、江戸時代末期ごろからは大祭として行われるようになっています。かつては街道沿いに神社があり、渡祭も行われていたのですが、昭和初期に稲荷社へ合祀となり、現在は、祭車を曳いて鐘や太鼓を鳴らしながら歩く町練りのみが行われています。なお、境内には、日露戦役記念碑が建っています。書は、大山巌。元帥、陸軍大将。日露戦争のときは、満州軍総司令官を務めています。

Img_5781c_20221223190001 Img_5785c_20221226034501  稲荷阿岐波神社からすぐ北に長島城跡があります。現在、城跡は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、遺構の大半は失われていますが、東側に石垣および堀が残るそうです(ネットにある情報では、石垣は大手橋の下にあるそうです)。長島城の起源は、寛元3(1245)年、藤原(九条)道家が館を築いたことにさかのぼります。文明14(1482)年、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。元亀元(1570)年、一向宗・願証寺の住職・証意蓮淳蓮如上人の6男)の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりますが、その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となりました。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるのですが、天正14(1586)年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、信雄は清洲城に移りました。江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で封じられ、長島城を改修。元和7(1621)年、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となったものの、慶安2(1649)年、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興されました。元禄15(1702)年には、4代将軍家綱の生母の弟・増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き明治維新に至っています。この間、城郭は順次拡大されましたが、天守は上げられませんでした。

Img_5777c_20221223190001 C56bcffa  長島中部小学校内の「大松」は、天然記念物であり、市の指定文化財にもなっています。これは、クロマツの大樹で、樹齢300年以上と推定されており、長島城があった当時は本丸の西南にあったといいます。また、長島中学校の建物は何となく、お城風に作られています。右の写真は校門(2021年4月22日に撮影)。

 キリがよいので、その1はここまで。その2は、長島川を東に渡って、真宗大谷派の正敬寺から。

今日は、ゴイサギ&ホシゴイ・デー

Dsc07969c  最高気温は10℃になったのですが、日が陰ると寒い気がします。今朝も、いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、春日さん(桑名宗社)、中橋、江戸町、川口町、船場町と6.5㎞。多度山の頂上には、今朝も雪がうっすらと積もっていました。

Dsc08136c  揖斐長良川の中州にはアオサギさんが1羽だけ。住吉水門のところには、ヒドリガモが1ペアと、キンクロハジロ達が10羽。カンムリカイツブリも1羽(以上については、写真はありません)。七里の渡し跡でオオバンが2羽、ヒドリガモが5ペア(左の写真)、キンクロハジロのメスが1羽。ユリカモメも15羽ほどが飛んでいました。柿安コミュニティパーク西の堀には、オオバン2羽と、キンクロハジロのメスが2羽。

Dsc08218c Dsc08240c  九華公園について、ふと鎮国守国神社の社務所裏を見ると、ホシゴイやゴイサギがみえました。社務所の真裏ではなく、少し北側の木です。ホシゴイが3羽とゴイサギが1羽。

Dsc08269c_20221225134701  ゴイサギとホシゴイ1羽が、ちょっと撮りにくい位置だったので、移動して近づいたら、ホシゴイは逃げ腰(苦笑)。しかしながら、逃げたのはゴイサギの方でした。

Dsc08326c  奥平屋敷跡では、シメとツグミを1羽ずつ見たものの、いずれも樹上で、枝かぶり。その木の下にモズが登場。オス。しばしポーズを撮ってくれました。

Dsc08426c Dsc08468c  しばらく待っていたら、今度は、イソシギもやって来ました。上手く木に隠れて待っていたら、すぐ目の前まで近づいてきたのが、右の写真。先だっては、ずっと動かず立っていたら、気づかれませんでした。

Dsc08566c Dsc08593c_20221225135801  ほかに来たのは、ハクセキレイ2羽。ヤマガラも来たのですが、松の木の高いところにいて、写真には撮れず。ヒヨドリ、ドバト以外は、以上。

Dsc08816c_20221225134601 Dsc08923c_20221225134601  二の丸跡でヤマガラ。今日は、ヤマガラのみで、シジュウカラやコゲラはいませんでした。アオサギさんは、辰巳櫓跡の松の木の葉っぱの中。

Dsc08870c Dsc08916c_20221225134601  カモは、あちこちに分散していましたが、合計45羽。キンクロハジロが33羽(左の写真)、ハシビロガモは10羽(右の写真)、ヒドリガモが1ペア。

Dsc08934c  ユリカモメは65羽。二の丸堀の西側エリアや、野球場のフェンスに分かれていましたが、私が本丸跡を回っている間にほとんどはいなくなってしまいました。貝塚公園ではヒヨドリとメジロ、内堀公園でスズメとメジロ。

Dsc08985c Dsc09016c  内堀公園にいるときに思いついて、中橋にゴイサギたちが集まっているか見てきました。ここは、川口水門、七里の渡し跡の奥の堀。以前は、左の写真にあるように、橋の北東側の木に集まっていたのですが、最近はそこに加えて堀を挟んだ反対側、橋から北西側の植え込みにも集まるようになっています(右の写真)。

Dsc09008c Dsc09086c_20221225134601  これら2枚の写真は、北東側の木とその近くにいました。こちら側には、ゴイサギ2羽と、ホシゴイが3羽いました。

Dsc09035c Dsc09029c  西側の方が数が多く、ゴイサギ、ホシゴイともに4羽ずつがいました。ここには、何年かおきにゴイサギ・ホシゴイが集まります。それは2~3年続くこともありますし、1年で終わってしまうこともあります。

Dsc09098c  ゴイサギ&ホシゴイを見ていたら、九華公園上空をトビが旋回しているのが見えました。

Dsc09208c  ところで、今年も今日を入れて残すところ1週間。いよいよ押し迫ってきました。火曜は歯科治療。上のブリッジが入るはず。正月に間に合いそうです。水曜は、散髪に行ってこようかと思っています。新年最初の非常勤の授業は、すでに準備完了。写真は、七里の渡し跡。いつもは伊勢一の鳥居の向こう側を通りますが、今日は、旧東海道筋からやって来ましたので、このアングル。

2022年12月24日 (土)

初雪にて蟄居中……午後から散歩

Dsc07508c_20221224093101 Dsc07510c  世間ではクリスマスイブです。わが家のあたり、昨日は、雪は降りませんでしたし、今朝も早い時間は降っていなかったのですが、8時前から雪が降り始め、今シーズンの初雪。「ホワイトクリスマス」と喜んでいる方もおありでしょうが、私にとっては、散歩に出られませんので、ちょっとねぇという感じ。

2212240800cloud 2212240830cloud  こちらは、気象庁の「ナウキャスト」の画像。左は、このあたりの8時の雨雲・雪雲の様子。桑名・朝日・川越・木曽岬は雲に覆われ、四日市も北東部は雲の下。わが家あたりで雪が降る時には、右の画像のように、琵琶湖北部や伊吹山あたりから雪雲が流れてきます。

Dsc07512c  午前中は雪という予報ですから、今のところ(9時半過ぎ)は蟄居して「雨読」中。「三重県の歴史散歩(山川出版)」の「三重のあゆみ」や「年表」をスキャナで読み込んで、OCRソフトで文字化。さらにWordのファイルにしていました。午後から雪が上がって、状況が良ければ散歩したいと思っています。散歩依存症なので(笑)。

Dsc07514c その後の話。雪は昼前には上がり、北の空には虹が架かっているのが見えました。11時半頃です。虹を見たのは、久しぶり。

Dsc07517c Dsc07520c_20221224161001  午後から晴れ間も見えてきましたから、14時過ぎから15時過ぎにかけて散歩。住吉神社から九華公園を一周し、京町、寺町と歩いて、5.1㎞。散歩に出る頃、藤原岳方面はまだまだ雪雲の中。

Dsc07523c  諸戸氏庭園前の住吉入江のところに誰かが作った雪だるまが残っています。高さは30㎝くらい。いささか溶けてきていました。

Dsc07676c  住吉神社のところや、三の丸水門あたりから揖斐長良川の中州を眺めると、あちこちにアオサギの姿が見えます。その数、合計10羽。朝早い時間にはまだ来ていないため、普段私が散歩するときには見られないということでしょう。あの「集合場所」(住吉神社から北東方向の中州)にも4羽ほどがいました。

Dsc07546c_20221224161101 Dsc07569c_20221224161101  ほかに揖斐川には、カンムリカイツブリが1羽。キンクロハジロ達も8羽。午後から出て来た割に、まあまあ水鳥も見られました。

Dsc07624c  七里の渡し跡では、ヒドリガモが2ペア、キンクロハジロのメスが1羽、オオバンが1羽。左の写真は、ヒドリガモのオス。

Dsc07642c Dsc07651c  コミュニティパークと三の丸水門がつながる水路にアオサギさん。私が気づいた途端に向きをクルッと変え、逃走態勢に入るのが笑えました。後ろ向きの証拠写真ではありますが、ご想像ください。

Dsc07723c Dsc07755c_20221224161101  九華公園には14時35分に到着。ヒヨドリが賑やかでしたが、ほかの小型の野鳥はいません。カモは合計33羽と少なめ。キンクロハジロが24羽、ハシビロガモが5羽、ヒドリガモが2ペア。

Dsc07766c_20221224161101  Dsc07848c_20221224161101 ユリカモメは、53羽。吉之丸堀の西側エリアや、野球場のフェンスに集まっていましたが、ときどき二の丸跡のクスノキの実をついばみに飛んできます。

Dsc07945c  明日午前中は晴れて、気温ももう少し上がりそうです。いつも通りに散歩に行けるでしょう、というか、行きたい(微笑)。やはり立派な散歩依存症です。写真は散歩コースにある知人のお宅に咲いていました。菊の仲間なのは分かりますが、それ以上は??

2022年12月23日 (金)

20221223長島ウォーキング(予告編)

Img_5605c_20221223190501  クリスマス寒波襲来だそうで、今日は一段と寒くなりました。桑名では、最低気温0.2℃、最高気温6.3℃、最大風速7.4m/s。冷たい西風が肌を刺しました。予定通り、同級生K氏と二人で桑名市長島町をウォーキング。今回は予告編。冒頭の写真は、朝出かける時の藤原岳。中腹からやや下くらいまで冠雪していました。

Img_5618c_20221223185901 20221223nagashima0  近鉄桑名駅を8時23分に出る名古屋行き準急に乗車。近鉄長島駅には8時27分に到着。¥210。今日のウォーキングは、昔流行った言葉でいえば「安近短」です。右の画像が、今日歩いたルートマップ。近鉄長島駅から南のあたりの歴史散歩という次第。主な立ち寄りスポットは、光岳寺、長島八幡社、小田江神崎神社、大智院、光栄寺、稲荷阿岐波神社、長島城跡、正敬寺、花林院、善明寺、蓮生寺、神明社、崇泉寺、願證寺、皇大神社、深行寺、旧久我屋敷・水辺のやすらぎパーク、長島川遊歩道、日神神社と回って、なばなの里がゴール。

Img_5658c_20221223185901 Img_5641c_20221223185901  天機山伝通院光岳寺。浄土宗のお寺。徳川家康の母である伝通院の方の菩提寺です。創建は不詳ですが、古くは、下野国(現在の千葉県関宿)にあり、弘経寺と称していました。慶長7(1602)年、徳川家康は母親である伝通院の菩提寺の1つに定め、天機山伝通院光岳寺と改称しました。当時の領主で、家康の異父弟である松平康元が光岳寺を庇護し、同家の移封先である加納藩(岐阜県岐阜市)、小諸藩(長野県小諸市)に随行し、慶安2(1649)年、当時の当主松平康尚(やすひさ)が長島藩に移封になると、長島城下に移りました。

Img_5683c_20221223185901 Img_5676c_20221223185901  長島最古の神社である八幡神社です。ご祭神は、応神天皇。この神社は、寛元3(1245)年に藤原(九条)道家が勧請したと伝えられています。歴代長島城主からも武神として崇敬されていたそうです。元禄12(1699)年に北島村の氏子によって始められたという獅子舞神事が伝わっています。この獅子舞を一度は見たいと思い続けていますが、まだその機会はありません。

Img_5700c_20221223190001 Img_5696c_20221223190001  長島自動車学校、エスペランス桑名の南側を通って、大智院に行くつもりでしたが、小田江神崎神社(おだえかんざきじんじゃ)がすぐ近くでしたので立ち寄ってきました。祭神は天照大神、豊受大神。天文13(1544)年、小田江崎(於多井川の川元)に勧請奉祀したと伝わります。その後洪水や長島一向一揆の際の小田御崎砦の近くであったため社頭は大破。慶長8(1603)年、再建されています。

Img_5710c_20221223190001 Img_5713c_20221223190001  長良川左岸の堤防道路に沿って南下すると、大智院があります。ここは、元禄2(1689)年、松尾芭蕉が奥の細道の旅を大垣で結んだ後、伊勢神宮の遷宮を参拝に行ったのですが、その最初に立ち寄ったところです。芭蕉は挨拶句「うき我を さひしからせよ 秋の寺」をしたためたといい、その直筆の色紙「真蹟懐紙」が残されています。芭蕉が来訪した100年後に長島藩主・増山正賢(ましやままさかた)(雪斎)公は、近習などを集めて詩文をつくったり、記念の石碑を建立したりしました。

Img_5734c_20221223190001 Img_5742c_20221223190001  大智院のすぐ南には、長島六坊の1つである光栄寺。真宗大谷派。長島六坊は織田信長の長島攻めに抵抗するため石山本願寺から寺侍として願證寺に送り込まれた僧らによって創建された寺院。現在、桑名市長島町にはそのうち4つが残っています。光栄寺は、飯田九蔵が慶長4(1599)年に開創しました。

Img_5759c_20221223190001 Img_5770c_20221223190001  光栄寺からは東に向かいます。長島中学校、長島中部小学校の南を通って、稲荷阿岐波神社。主祭神は、宇迦之御魂神。初めは、萱町の田村邸の邸内社でしたが、後に中町花林院門側に遷座、それ以後、次第に長島三町の産土神として祀られています。下町・中町・萱町の3町内によって石取祭が行われており、7月第3金・土曜日に町内を回ります。

Img_5789c_20221223190001 Img_5781c_20221223190001  長島城の跡は、現在は、長島中学校(左の写真)と長島中部小学校になっています。長島城の起源は、寛元3(1245)年、藤原(九条)道家が館を築いたことにさかのぼります。文明14(1482)年、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。元亀元(1570)年、一向宗・願証寺の住職・証意(蓮淳(蓮如上人の6男)の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりますが、その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となりました。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるのですが、天正14(1586)年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、信雄は清洲城に移りました。江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で封じられ、長島城を改修。元和7(1621)年、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となったものの、慶安2(1649)年、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興されました。元禄15(1702)年には、4代将軍家綱の生母の弟・増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き明治維新に至っています。この間、城郭は順次拡大されましたが、天守は上げられませんでした。

Img_5777c_20221223190001  城の遺構の大半は失われていますが、東側に石垣および堀が残るそうです(ただし、どこにあるかは確認できませんでした。ネットの情報では大手橋の下だそうです)。長島中部小学校内の「大松」は、天然記念物であり、市の指定文化財にもなっています。クロマツの大樹で、樹齢300年以上と推定されており、長島城があった当時は本丸の西南にあったといいます。

Img_5801c_20221223190001 Img_5807c_20221223190001  長島川を渡って、石城山正敬寺(しょうきょうじ)。真宗大谷派。ここについては、ネット検索ではとくに情報は出て来ません。

Img_5845c_20221223190101 Img_5824c_20221223190001  続いて、盤龍山花林院(ばんりゅうざんかりんいん)へ。曹洞宗のお寺。家康の異父同母弟である松平康元が父俊勝の冥福を祈るため、三州西郡に一寺を建て父の法号を採って花林院と名づけたそうです。

Img_5830c  長島藩主松平、増山両家の位牌所で、墓所には増山氏の13基の墓碑があるそうです。左の写真は、増山正修(ましやま まさなお)公のお墓。天保13(1842)年、長島藩主増山家7代となっています。

Img_5862c_20221223190101 Img_5868c_20221223190101  お寺が続きます。長崎山善明寺。真宗大谷派で、長島六坊の1つ。開祖は長崎新蔵。長崎は一向一揆の後しばらく尾張にいましたが、その後長島に戻り、寛永12(1635)年、善明寺を開創。現本堂は大正4年(1915)の再建。

Img_5883c_20221223190101 Img_5896c_20221223190101  さらに、紫雲山蓮生寺。真宗高田派。このお寺では、大手門の一部が山門として使われています。蓮生寺第十一世賢道のとき(明治9(1876)年)に払い下げを受けたものです。旧大手門より縮小されているそうです。

Img_5931c_20221223190101  一回りして、稲荷阿岐波神社の近くにある大手橋のところに戻ってきました。橋の東側に道標が1基あります。稲荷阿岐波神社の前から大手橋のところは街道であったようです。ここは三叉路で、道標の正面には正面には、「👈 前ヶ須 浮(? 「津」とも見えます)島/宮 名古屋道」、左右両面には「右 久波奈ミち」「左 くわなみち」とそれぞれ刻まれています。

Img_5953c_20221223190101 Img_5943c_20221223190101  ここから少しだけ長島川に沿って下流へ。国道1号線を越えた左手(東側)に又木の神明社。ご祭神は、天照大神。慶長19(1614)年、西外面村遠浅に神明宮として勧請したのが始まりといいます。

Img_5957c_20221223190101 Img_5963c  神明社の東に真宗大谷派の崇泉寺。草木が生い茂っていて、無住かと思えますが、墓地は割ときれいでした。この崇泉寺については、詳しいことは不明。

Img_5971c_20221223190101 Img_5982c  長島山願證寺。願證寺(がんしょうじ)は戦国時代、織田信長と長島の一向宗門徒の間で起こった長島一向一揆の舞台となった寺として、悲惨な歴史があります。しかし、もとの願證寺は杉江につくられ、その跡は明治期の河川改修工事によって、長良川の川底に沈んでしまいました。現在の願證寺は、門徒のために祐泉寺を寺縁により願證寺の名称で呼ぶようになったものです。

Img_5989c こちらが長島一向一揆殉教の碑。長島願證寺は、当時、東海地方の一向宗の中心として、その門徒は、およそ10万人といわれるほどで、長島の城主伊藤重晴を追い出し、一向宗門徒による自治を行っていました。天正2(1574)年7月、信長は三度目の長島攻撃を開始し、志摩の九鬼水軍を中心に数百艘の軍船を用いるなど、これまでにない大軍を動員しました。この軍船の威力は大きく、長島方の受けた被害は甚大でした。長島方では食糧不足から餓死者が続出、二つの砦は落ち、風雨に紛れて砦から脱出した男女千人余りが信長軍に斬り殺されました。三カ月にわたる籠城戦が続き、9月29日、遂に長島方は降伏し、門徒衆は船で逃げ出しました。しかし、待ちかまえていた信長軍に攻められ、砦に残っていた男女2万人余りは、周囲に柵を設けて閉じ込められ、四方から火を放たれ焼き殺されてしまったといいます。殉教の碑は、長島一向一揆400年追悼法要を勤修するに当り、昭和50(1975)年9月に建てられています。

Img_6010c_20221223190201 Img_6003c_20221223190201  深行寺に行く途中に皇大(こうたい)神社があります。元禄12(1699)年、長島藩主松平忠充により勧請されたとしています。後年、増山氏が藩主になってからも篤く崇敬されたそうです。明治3(1870)年、現在地に遷っています。

Img_6027c_20221223190201 Img_6033c_20221223190201  佐々木山深行寺(じんぎょうじ)。真宗大谷派で、ここも長島六坊の1つ。開祖は平野智忍。千倉に創設し、元禄3(1690)年、殿名に遷っています。これを書く時に調べていたら、長島城の奥書院がここに移築され、本堂として使われていたそうです。

Img_6047c_20221223190201 Img_6051c_20221223190201  深行寺から引き返して、長島水辺のやすらぎパークにある旧久我屋敷へ。ここは、ボタンの名所で、見に来たことがあります(2020年4月28日:河口堰でコアジサシ、コムクドリ、ヒレンジャク、ササゴイ、長島水辺のやすらぎパークで牡丹……プチ遠征を楽しみました)。久我屋敷は、長島藩の重臣であった久我家のもの。明治になって久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治めました。、家屋は明治12(1879)年)に建築されたもの。

Img_6080c_20221223190201 Img_6084c_20221223190201  これで見るべきところはほぼコンプリート。長島川遊歩道を下っていきます。冬はお勧めしませんが、春や秋など季候のよい頃には、散歩に適任のコースです。

Img_6090c_20221223190201 Img_6094c_20221223190201  なばなの里にゴールする直前、なばなの里の駐車場のすぐ隣に日神神社があります。初めて見つけた時には、なぜここに神社があるのか? と不思議に思いました。しかし、神社はよほどのことがなければ、ほかのところに遷るということはしませんから、もともとここに日神神社があって、その近くになばなの里ができて、駐車場の一角にこれが残されたということなのでしょう。

Img_6116c_20221223190301Img_6105c_20221223190301  なばなの里へゴールしたのは12時20分頃。スタートから約4時間。6.8㎞ほどを歩いてきました。今日から25日までの間は、クリスマス期間でイルミネーションが混雑するため、14時でいったん閉園して、15時から期日指定の予約チケットをもった人だけが入れます。

Img_6114c_20221223190301 1671765866792c  ゴールしましたので、かねてから考えていたとおり、今年のウォーキング納めを祝して、ビールで乾杯することにしていました(微笑)。左の写真にある「長島ビール園」へ。冬季限定のビールである「ボック」で祝杯を挙げてきました。

Img_6119c_20221223203401 Img_6134c_20221223190301  帰りは、なばなの里から近鉄長島駅まで三重交通のバスを利用。13時35分発に乗って、近鉄長島駅には10分ほどで到着、¥220。13時49分に四日市行き準急があり、すぐに乗れました。桑名駅には13時53分着。¥210。

Img_6161c_20221223190301  歩いたのは、12.6㎞。現地で歩いたのが6.8㎞+αですから、この歩行距離はちょっと過大評価になっているかも知れません。

 Img_6109c_20221223190301 これで年内のウォーキングは完了。来年は、美濃街道、養老街道などを通って、多度から大垣まで歩き通そうと考えています。コースは現在、検討中。本編はまた明日以降、ゆっくりと書いていきます。

2022年12月22日 (木)

冬至の今日は、イソシギに接近遭遇

Dsc07486c_20221222182901  冬至です。ゆず湯につかり、カボチャを食べました。夜が最も長くなるのですが、寒さは今頃から一段とつのってきます。明日は、極寒という予報。朝8時頃までは雨が降っていました。8時半を過ぎて散歩に出ました。コースはいつも通り、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園からアピタ桑名店、寿町、末広町、堤原と回って6.8㎞。いつもより遅い時間で、雨上がりでしたから、散歩友達には会わず。

Dsc06156c Dsc06169c  雨は上がったものの、曇天。午後からも小雨が降ったかも知れません(アメダスのデータには出ていませんが)。住吉入江では、オオバン。冬の恒例。住吉神社の前の街灯の上にハクセキレイ。雨上がりで鳥は少ないかと思ったのですが、そうではないかも知れません。

Dsc06212c Dsc06219c  船津屋さんの裏手の揖斐川右岸にカンムリカイツブリ、1羽。私が歩いている右岸の近くにいました。カンムリカイツブリを見ていたら、少し先にツグミが登場。ツグミ、渡ってくるのは遅くはなかったと思うのですが、その後あまり見られません。九華公園でも樹上にいるのは見ますが、地上に降りているのを見るのは数えるほど。どうなっているのでしょう??

Dsc06305c Dsc06448c  三の丸水門の下流側にアオサギさん。若者が1羽。アオサギはもっとも好みの鳥で、散歩していてアオサギが見られれば、その日のバードウォッチングは大満足といえるくらい。さらに、柿安コミュニティパーク西の堀にもアオサギがいました。これは、バードウォッチングの吉日といっても良いかも知れません。

Dsc06435c Dsc06388c  同じく、コミュニティパークの西の堀にはキンクロハジロのメスが3羽。コミュニティパークには、メジロとシジュウカラがいました。いつもなら、ヤマガラやコゲラも一緒に見るのですが、今日はこの2種類だけ。メジロは撮れましたが、シジュウカラはピンボケ(苦笑)。

Dsc06492c Dsc06480c  九華公園には9時に到着。北門を入ってすぐの堀にハシビロガモ(左の写真)とキンクロハジロ。先にカモの数を書きますが、合計56羽。キンクロハジロは合計39羽、ハシビロガモが9羽、ヒドリガモは今日は2ペア。

Dsc06525c_20221222182901  筏橋の近くでジョウビタキのオスが登場。晴れていたらもっときれいに見えるのですが、曇天ではこれくらい。

Dsc06610c_20221222182901 Dsc06740c  その近くにはヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、コゲラの混群。写真が撮れたのはコゲラ。2羽いました。右はメジロ。ヤマガラ、シジュウカラは落ち着きがないほど、あちこち移動して、上手く撮れず。奥平屋敷跡では、ヒヨドリをイカルかと見間違えそうになったりしました(苦笑)。実際にはヒヨドリとドバトしかいません。

Dsc06823c  二の丸跡から辰巳櫓跡を見たら、アオサギさん。いつも以上に松葉に埋もれている感じがします。朝日丸跡に行ったら、イソシギ。遊歩道で立ち止まっていたら、すぐ近くまでやって来ました。3m以内という感じ。私が動かないでいると、エサを探しながら寄ってきたのです。カメラを操作するなど細かい動きをしても大丈夫でした。歩くとか、そういう大きな動きをしなければ、鳥たちは気にしないようです。敏感な ようで、鈍感なのかも知れません。

Dsc07177c Dsc07194c  鎮国守国神社の境内では、シロハラを2羽、同時に目撃。写真がイマイチだったのは、残念。バトルシーンも見られました。双方が跳び蹴りで応酬したように見えましたが、結局、私から見て向かって左のシロハラが勝ったようでした。

Dsc07299cDsc07261c ユリカモメ、今日は、34羽ほど。堀の上を飛んだり、クスノキのみをついばんだり、野球場のフェンスで休んだり。今日もエサをやる人はありませんでした。右は、野球場南の堀で撮ったハシビロガモのオス。

Dsc07396c Dsc07416c  貝塚公園ではヒヨドリとメジロを見たのみ。内堀公園で、ジョウビタキのオスが登場。いつも、挨拶に出てくるように思えます。内堀公園では、スズメのほかにもメジロがいました。

Dsc06191c  雨上がりで、曇天でしたが、それなりの鳥たちに出会えましたので、まあ良しというところ。明日は、金曜ですが、同級生K氏と桑名市長島町をウォーキングの予定。気温も上がらず、強風で「極寒」という予報。防寒対策をしっかり整えて歩きます。非常勤の授業のQ&Aは一通り完成しています。後ほどチェックし、加除修正が必要ならそれを行い、助手の先生にメールで送って、印刷などをお願いするつもり。

2022年12月21日 (水)

年内最後の非常勤の授業

Dsc_6901c  今日は、年内最後の江戸橋での非常勤の授業でした。曇りがちでしたが、午前中は風はさほどなくて助かりました。出席率は84%でしたから、まあまあ。これで11回目が終了。年明けは、1月4日の御用始めの日から。ちょっと早すぎる気もしますが、15回の講義を行うよう強いお達しがあるようですから、やむを得ません。1月に試験1回を含め、4回の授業があります。

0c760dde Afccd68a  授業の最後に気分転換と、私の趣味の紹介を兼ねて、自分で撮影した野鳥の写真を何枚か見せています。今日、大ウケだったのは、「おばあちゃんのキジ」。今年4月3日に町屋川で撮ったもの(2022年4月3日:町屋川でキジ再び……今日のおやつは「千なり」)。ちょっと草がかぶってしまい、写真としては不出来です。リンク先に説明を書いてあります、たぶん高齢化したメスのキジ。右は、普通のメスの写真。

A071ced3  ちなみにこちらがオスのキジ。日本の国鳥ですが、狩猟も許可されています。学生諸君、キジは知っているものの、その実物を見たことはみんなありません。先週のコメントで、「先生の野鳥写真を見ていたら、自分でも撮ってみたくなった」というものがありました。ごくまれに「私もこの間、志登茂川へ行ってみたら、水鳥がいました」と報告する学生もいます。忙しく、ややこしい世の中ですが、道草、寄り道の意義をときどき話しています。

Dscn5609c Dscn5611c  さて、その寄り道、今日は行ってきました。先週は、歯のトラブルがあってサッサと帰ってきてしまいましたから、2週間ぶり。潮汐表を見ていなかったのですが、ちょうどよい具合。左の写真は、志登茂川の上流方向。ちょっと遠いところですが、水鳥が見えます。右のクローズアップに写っているのは、ほとんどコガモ。一部に、オナガガモとヒドリガモも混じっています。

Dscn5613c  こちらは上流の合流地点に近いあたり。アオサギも1羽、コガモが大半。カルガモ、ヒドリガモなども見えていました。

Dscn5618c Dscn5620c  下流方向の写真。こちらも、遠くに鳥たちが見えます。まず目立ったのは、ダイサギ1羽。いつものように、おぼろタオルの工場脇から志登茂川の堤防に上がったところから見ています。

Dscn5622c Dscn5624c  さらに、カルガモたちと、オナガガモも何羽かいるのが見えました。

Dscn5634c  対岸にはセグロカモメらしき姿も見えます。ほかにはハクセキレイが堤防近くにいたくらい。今日の鳥果は、まあまあ。まあまあなら、よし(微笑)。

Dscn5642c  13時半過ぎに帰宅。昼食を摂って、出欠と、今日実施した「一般性セルフ・エフィカシー尺度」の結果の集計を済ませたところ。これから、いつものようにQ&Aに取りかかります。明日中に完成させ、明後日は「長島ウォーキング」に出かける予定。

2022年12月20日 (火)

ジョウビタキのオス・デー

Dsc05282c_20221220152801 今朝も昨日と同じく、-0.1℃でしたが、散歩コースでは氷は張っていませんでした。最高気温は、9.4℃まで上がり、寒さは少し和らいだ感じです。12月20日ですから、今年も残すところ10日あまり。早いものです。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、御坊さん、寺町と7.3㎞。

Dsc05286cDsc05343c  住吉水門の内側にある桟橋のところにオオバンが1羽。水門の外の下流側には、アオサギさん。若者ですが、ちょうど逆光の位置で肉眼でも確認しづらく、写真も撮りにくい。

Dsc05320c Dsc05360c_20221220152801

 揖斐川には、カンムリカイツブリ。住吉水門の少し下流、私が歩いている右岸に近いところにいました。ほかにもカンムリカイツブリは4羽ほど。キンクロハジロのオスも1羽。

 

Dsc05439c_20221220152701 キンクロハジロは、七里の渡し跡の先の揖斐川にも8羽。柿安コミュニティパーク西の堀には、コガモが5羽、キンクロハジロが3羽、オオバンが3羽。左の写真は、コガモのオス。

Dsc05531c コミュニティパークでは駐車場脇の桜並木で、ヤマガラとシジュウカラの混群。今日は、メジロやコゲラは一緒ではありませんでした。シジュウカラは、上手く撮れず。

Dsc05646cDsc05701c  九華公園では相撲場の近くでツグミを目撃。最近このあたりでいつも鳴き声が聞こえるのですが、まだ樹から降りてきません。鎮国守国神社の境内では、シロハラを今日も見たものの、写真は撮れずじまい。奥平屋敷跡は、今日はとても静かでした。ヒヨドリも、ドバトもほとんどいませんし、ほかの鳥たちもなかなかやって来ません。小1時間待って、見られたのは3種類。左の写真は、ジョウビタキのオス。右は、モズのオス。

Dsc05594c  もう1種類は、ハクセキレイ。いつもペアでやって来ます。今日は、アオサギも、コサギも見られませんでした。

Dsc05565c Dsc05554c_20221220152701  カモは今日は合計58羽。キンクロハジロ(左の写真、オス)が47羽、ハシビロガモ(右の写真、メス)は6羽、ヒドリガモは2ペア+メス1羽。ホシハジロは、1ヶ月くらい前にちらっと、メスが来たのみ。

Dsc05800c  ユリカモメは29羽。最近は、神戸櫓跡に生えているクスノキのみをついばむ様子が見られます。繰り返し書いていますが、最近は(コロナ禍以降)、カモやユリカモメにエサをやる人がほとんどいなくなりました。それ以前は、朝、私が散歩しているときに、エサをやる人を必ずといって良いほど見かけたのです。時には2組が同時にあっちとこっちでエサをやるということもあったくらい。

Dsc05881c Dsc06068c  貝塚公園で、珍しくジョウビタキのオス。今シーズン2回目くらい。ほかにいたのは、ヒヨドリとカワラヒワ。さらに、内堀公園でも、ジョウビタキのオス。どちらも寒いので、ふっくら、フワフワ。今日は、ジョウビタキのオス・デー(長い!)。

Dsc06094c Dsc06099c_20221220152701  ところで、御坊さん(真宗大谷派桑名別院本統寺)では今日から23日まで報恩講が執り行われています。ちょっとだけお参りしてきました。

Dsc06089c  御坊さんの門前にある寺町商店街では、大売り出しの幟旗がたくさん出ていますが、平日はかなり空いています。三八市のときは、大賑わい。

Dsc05356c  午後からは歯科治療へ。今日が本来の予約日。先週はハプニングその他で臨時に診てもらったのです。本当であれば、今日、ブリッジが入る予定でしたが、それは来週へ。ブリッジの土台部分を作り直しということになったのです。しかし、年内に入れてもらえるということで、一安心。明日は、江戸橋での授業。年内最終回にして、第11回目。

2022年12月19日 (月)

今朝は氷点下

Dsc04814c  今朝は、この冬初めての氷点下になりました。-0.1℃。九華公園では日陰の水たまりが凍っていました。冒頭の写真は、相撲場の土俵に掛けられたカバーに溜まった水が凍ったところ。朝は家事を済ませ、8時10分から10時まで散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町。いったん帰宅してから駅方面へ所要に出かけ、合わせて7.4㎞。

Dsc04600c Dsc04595c_20221219145801  わが家から見える山々にも雪が積もっているのがよく見えます。左の写真は、昨日も載せた藤原岳。右の写真は、多度山に向かって右手に見えます。岐阜・福井県境の山並みではないかと思っています。冬になるとよく見えるようになります。

Dsc04691c_20221219145801 Dsc04773c  今日は住吉入江あたりには鳥影はありません。船津屋さんの裏手まで来て、メジロが2羽。揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ていて、やはり鳥はあまりいません。カンムリカイツブリも1羽だけが見えたくらい。

Dsc04784c  三の丸水門のところを歩いていたら、南の方から手を振ってくる人が……。よく見たら、散歩友達のWさん。70代半ばの男性。「どうせ手を振ってくれるなら、若い女性がいいな」といったら、「贅沢をいったらアカン」と(苦笑)。ここから西を見ると、左のような景色。毎年載せていると思いますが、奥の山は藤原岳。手前のマンションは拙宅からも近いところにあります。「望遠レンズによる圧縮効果」で藤原岳のすぐ手前にマンションがあるように見え、面白いのです。

Dsc04802c  柿安コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロが5羽。今日は、コガモやオオバンはいません。

Dsc04850c_20221219145801  九華公園には8時半過ぎに到着。散歩友達のYさんに出合ったくらい。ハクセキレイは、九華橋のところで見かけました。Yさんによれば、ミサゴとジョウビタキを見たくらいだそうですが、もう一度、奥平屋敷跡に付き合っていただきました。今日はその近くで落ち葉の清掃作業が行われ、ブロワーの音が響いていました。

Dsc05118c  あまり鳥はいないと思ったのですが、ウグイスの鳴き声が聞こえてきましたので、ちょっと粘ってみました。例によって、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で撮りまくったところ、当りがありました(笑)。ほかにここにいたのは、ヒヨドリ、ドバトくらい。

Dsc04834c Dsc05159c  カモは、今日は合計53羽。キンクロハジロは41羽、ハシビロガモが8羽、ヒドリガモが2ペア。今シーズンは、いまのところ、50羽を越えるくらいに留まっています。

Dsc05167c_20221219145801 Dsc05222c_20221219145801  ユリカモメは、たったの8羽。このあと、鎮国守国神社の境内でシロハラを見たのですが、写真は撮れませんでした。貝塚公園ではヒヨドリ、カワラヒワ、内堀公園ではスズメとジョウビタキのオス(右の写真)。ただし、これでは証拠写真以下。追いかけたものの、逃げられたのです。野鳥の種類、数は限られましたが、ウグイスをそれなりに見られましたから、まあ良し。

Dsc05266c  こちらは、冬、散歩の帰りに小休止するところ。住吉入江のほとり。諸戸氏庭園の南側。諸戸氏庭園でさえぎられ、風はあまり当たらないので、天気が良いと割と暖かいところです。

Dsc05235c Dsc05241c  その諸戸氏庭園の本邸あたりは、修復工事もほぼ終わったようです。右の写真にある本邸に隣接する洋室はまだもう少し、仕上げか何かが行われるようです。

Dsc05252c_20221219152201  こちらは大門。ここを入ったところの紅葉が見事なはず。早くこれら本邸や、大門、奥にあるビリヤード場や、御殿なども拝観したいと思っています。

Dsc05273c  ところで、先週土曜日に管理組合の理事長の任期を終え、引き継ぎも済ませ、ずいぶん気が楽になりました。毎日、日報をチェックする必要もなくなりましたし、何かアクシデントや不具合が出来しないかと気にすることもありませんから。

2022年12月18日 (日)

鈴鹿山脈が冠雪

Dsc03611c_20221218152601  冷たい北風が強くて寒い1日です。冒頭の写真は、朝7時半に散歩に出るときに撮ったもの。多度山は、わが家の北の方角にあります。冬、北風が強くて寒い日の典型的な空と雲。よく晴れて、多度山から雲が飛んでくるように見えるのです。風は、5~7m/s。晴れたものの、最高気温も7.4℃。ただし、これは11時前に記録。散歩は、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、寺町と6.2㎞。寒くて、鳥も、散歩友達もおらず、2時間弱で帰宅(笑)。

Dsc03638c_20221218152601 Dsc03639c  拙宅前の住吉入江には、ハクセキレイが1羽。冬場にここでハクセキレイをよく見る気がします。さらに入り江には、キンクロハジロのオスが1羽、入り込んできていました。これも、寒さがつのってからよく見るようになります。ほぼ居ながらにしてバードウォッチングができるという次第。

Dsc03654c Dsc03725c  揖斐川では、まずはコサギ4羽とカワウたちが飛んでいるところ。ピントが甘いのですが、なかなか見られない光景なので。ほかには、カモメの仲間(たぶんセグロカモメと思うのですが、はっきりとは確認できず)が1羽飛び、3羽が揖斐川に浮かんでいました。これらも、冬、寒くなるとみられます。右の写真もコサギ。三の丸水門あたりにて。

Dsc03815c Dsc03844c_20221218152701  七里の渡し跡では、コガモのオス1羽にメス2羽、ヒドリガモもオス1羽にメス2羽。堤防についたこけのようなものを食べています。柿安コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロが6羽。

Dsc03870c Dsc04016c_20221218152501  今日はハクセキレイをよく見ました。左の写真は三の丸水門のところで、右の写真は九華公園の奥平屋敷跡にて。みんな寒くてふっくらしています。

Dsc04165c Dsc04205c_20221218152501  九華公園は割と静かでした。ヒヨドリが少ないのです。奥平屋敷跡で鳥の出待ち。しかし、今日は風が冷たくて、私一人でもあり、30分で断念。ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラが一応やって来てくれました。寒さを我慢していたので、それなりに配慮してもらったのかも(苦笑)。

Dsc04347c Dsc04367c_20221218152501  こちらはコゲラ。コゲラは2羽いましたので、いつものヤマガラ軍団と思います。撤収間際には、ジョウビタキのオスも登場。曇ってしまったので、イマイチの写真。二の丸跡ではオスのモズにであったのですが、ピンボケ写真と枝かぶり写真で残念。

Dsc04411c Dsc04467c  カモ、今日は合計40羽。キンクロハジロが33羽にハシビロガモは、今日は7羽。ヒドリガモは、今日は見当たりません。12月も後半になると、以前は数10羽、時には100羽近くもいたのですがねぇ。

Dsc04482c  ユリカモメも、12羽。強風のため、あまりやって来ていなかったのかも知れません。貝塚公園ではヒヨドリとカワラヒワがごくわずか。内堀公園には何もいません。

Dsc04558c  ところで、こちらは今朝の藤原岳(1,144m)。今シーズン3回目くらいの冠雪。こういう景色を見ると、寒さが余計に身にしみます。今週は、明後日午後に歯科治療(本当はブリッジが入る予定でしたが、土台がアヤシくなったので、そのやり直しの見込み)、水曜は年内最終の江戸橋での授業。これで11回目。金曜は、年内最後のウォーキングの予定。桑名市長島町へ。

Dsc04563c_20221218155201 Dsc04560c  さらに、左の写真は、御在所岳(1,212m)。あまりクリアには撮れませんでした。晴れていたらもっときれいに見えます。右の写真は、鈴鹿山脈の釈迦ヶ岳(1,091m)と思います。わが家からほぼ真西に見えます。ちなみに、桑名では、去年は今日が初雪でした(2021年12月18日:初雪にて、結局、終日蟄居)。オマケの話。コロナワクチンの第5回目接種のあと、接種部位に痛みがあったくらいで、副反応はとくになく済んでいます。

2022年12月17日 (土)

九華公園にイカルとシロハラ

Dsc02603c  アメダスのデータには出ませんが、昼前から小雨になっています。気温も6℃前後に留まっていて、底冷えするような寒さです。朝のうちは降ってはいませんでしたので、いつも通り7時半から散歩に出ていました。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、歴史を語る公園、中橋、江戸町、川口町、船場町と回って6.9㎞。日がほとんど当たらず、寒いこと。出がけに見た藤原岳には、少し雪が見えていました。

Dsc02660c 揖斐川には、カンムリカイツブリが合計で5羽。ほぼ毎日見られるようになりました。ほかには、住吉水門のところでオオバンが1羽、キンクロハジロが5羽。

Dsc02718c Dsc02733c  柿安コミュニティパークで、コサギ5羽。最近、九華公園やその周辺でよく見ます。コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロのメスが2羽と、ほかにオオバンも2羽。

Dsc02766cDsc02811c  九華公園について、鎮国守国神社の社務所裏の木にコサギが1羽。今日は、ヒヨドリが少ないようで、割と静かでした。カモは、今日も少なく、合計35羽。あちこちに散らばっています。キンクロハジロ(右の写真)が23羽、ヒドリガモのオスが2羽、メスが3羽、ハシビロガモが7羽。

Dsc02876c_20221217141101 Dsc02856c  奥平屋敷跡は、今日もヒッソリ(苦笑)。ヒヨドリ、ドバトがいたもののすぐにどこかにいってしまい、しばらく何も来ません。30分以上経って、ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラの混群が来たものの、ほとんど通過していきました。そのため、写真が撮れたのは、コゲラのみ。続いてきたのは、ハクセキレイ2羽。もう移動しようかと思ったら、散歩友達のWさんが「まぁ、いつものように9時まで待ってみたら」というので、それにしたがって、しばしウロウロ。

Dsc03103c_20221217141101  それでも何も来ず、9時近くになったので、Dsc02977c_20221217141101 二の丸跡へ行こうと思ったら、イカルが10数羽やって来たのを見つけました。やはり人様の意見には、素直に耳を傾けるもののようです。イカルは、今年の冬から春先にかけて、九華公園にもよくやって来ていました(2022年3月9日:イカルはまだ滞在中で、14日目)。しばらく滞在してくれるとありがたいのですが、どうでしょう?

Dsc03148c Dsc03225c_20221217141101  さらに、鎮国守国神社の境内でシロハラを見つけました。先日から鳴き声が聞こえているような気がしていました。今シーズン初見です。ユリカモメは、今日は25羽ほど。昨日も書きましたが、最近はエサをやる人をまったく見かけません。クスノキの実をついばんだり、野球場のフェンスで休んだり、ヒマそうにしています。

Dsc03303c Dsc03508c_20221217141101  貝塚公園ではヒヨドリとメジロがいましたが、写真は撮らず。内堀公園でオスのジョウビタキ。寒いのでふっくら、モフモフ。歴史を語る公園は、旧桑名城の堀に沿った、片町にあります。今も堀と石垣が残っています。そこにオオバンが1羽。身繕いの途中。

Dsc03542c_20221217141101  中橋へは、ゴイサギやホシゴイがいないか、見に行ったのです。先日はいなかったのですが、あまり早い時間にはいないかも知れないと散歩友達のYさんがいうのです。先日は8時前、今日は10時前。ホシゴイ(ゴイサギの幼鳥)が4羽ほどと、ゴイサギが2羽ほど、中橋北の堀沿いにある木の中で休んでいました。

Dsc03609c_20221217141101  冒頭に書きましたが、寒い1日です。夕方から管理組合の仕事。総会と理事長業務の引き継ぎ。わが家のマンション、建ってから30年近くになります。今年はエレベーター・リニューアル工事もありましたし、長期修繕計画についても具体的な検討が必要であったり、課題がたくさんありました。それに理事長には、管理員さんから毎日、日報が届き、それを確認しなければなりません。たいていは何もないのですが、何かあったら対応が必要です。これ、結構気苦労でした。あと少し、無事に任務完了を迎えたいものです。

【付記(12/17夜)】 管理組合総会は2時間かかって終了。例年、これくらいですから、とくに長時間を要したわけではありません。建設的な意見、提案はありがたいのですが、そうではない発言もなきにしもあらずです。私が説明している途中であれこれ意見を言い始める人もいたりしますが、今日は、「そういう趣旨ではありませんので、まずは最後まで説明をお聞きになっていただけませんか?」と申し上げたこともありました。次の理事長さんへの引き継ぎも終えましたので、これで任務はほぼ完了。フォーマルには、あとは今日の総会議事録のチェックが残っています。次期理事会へは、たぶんオブザーバーで参加します。

2022年12月16日 (金)

コロナワクチン、第5回目接種

Dsc01571c_20221216164501  最低気温は2.5℃。午前中は晴れていたのですが、午後からは曇ってきて、寒い。このところ「寒い」とばかり書いています(苦笑)。寄る年波と、先日まで暖かかったので、寒さが身にしみるのです。とはいえ、今日も朝は7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町と6.0㎞。この時間、気温は4℃くらい。冒頭の写真は、川口水門から見た蟠龍櫓。

Dsc01593c Dsc01615c_20221216164401  住吉水門の内側にある仮設桟橋にアオサギ。こちらが気づいたときにはすでに飛び立っていて、写真は撮れず。水門外側には、ヒドリガモ、オオバン、キンクロハジロ達。七里の渡し跡まで来たら、コガモのオスが1羽にメスが2羽。オスはとっとと逃げてしまい、メスの写真(左の写真)。ハクセキレイは、三の丸水門のところで。寒くてふっくらしています。

Dsc01669c Dsc01633c  柿安コミュニティパークの電柱にコサギ。西の堀には、コガモのオスが2羽。多くはないのですが、ここまでの散歩コースには、ボチボチと鳥がいます。

Dsc01693c  九華公園に行く前に、先日も見に行った中橋の所をチェック。しかし、残念ながら、今日はゴイサギも、ホシゴイもいません。散歩友達のYさんによれば、近くの小さい茂みから出てくることもあるそうです。また、ときどき確認に行かなくては。

Dsc01767c Dsc01803c_20221216164401  九華公園、今日は、ヒヨドリもいつもよりかなり少なめ。奥平屋敷跡でも、最初の15分くらいはヒヨドリはいませんでした。ドバトもおらず、ウロウロ。左の写真は、今日ここに最初にやって来たヒヨドリ。いつもならヒヨドリは撮影しませんが、特別。「九華スズメ食堂」には、今日もスズメがやって来たものの、エサはなし。前管理人Oさんは、また持ってきてやろうとおっしゃっています。

Dsc01852c Dsc01882c  30分以上経ってようやくジョウビタキのオスが登場。と思ったら、ほぼ同時にモズのオスもやって来ました。モズのオスは、なぜか木の枝の切れ端をくわえています。近くのツツジの植え込みから出て来たようにおもうのですが、いったい何をしたかったのか?

Dsc02218c_20221216164301 Dsc02142c  さらには、イソシギも出て来ました。われわれが見ていたのは20分くらいですが、奥平屋敷跡を回りながらエサを探しています。右の写真では、たぶんミミズ、それも乾燥して丸くなったものを見つけてくわえたところ。

Dsc02234c  奥平屋敷跡にいたとき、東の空(揖斐川の上空あたり)を見たら、カワウのとんでもない大群が、揖斐川の上流方向に飛んでいくのが見えました。この写真は、そのごく一部というか、一瞬。1,000羽を遙かに超える数という印象。

Dsc01725c Dsc01755c  ほかに奥平屋敷跡にやって来たのは、ハクセキレイ2羽。ほかのところとの間をいったりきたりしています。

Dsc01711c Dsc02287c_20221216164301  カモは、今日は、キンクロハジロ24羽、ハシビロガモ9羽。Yさんはヒドリガモを2ペア見たというのですが、私は確認できず。カモの数は、減っています。その上、堀のあちこちに散らばっていますから、かなり少ないように見えてしまいます。最近エサを与えているところを見ませんから、ほかに写ってしまっているのかも知れません。

Dsc02253c_20221216164301 Dsc02471c_20221216164301  アオサギさんは、辰巳櫓跡の松の木の中。写真を撮った途端に飛び去っていきました。鎮国守国神社の社務所裏にコサギが4羽。カワウの後を追いかけて、おこぼれを狙っているようなのですが、今日はカワウは集団漁はしていませんでした。

Dsc02400c_20221216164301 Dsc02443c  本丸跡で、シメとツグミの超証拠写真(爆)。シメは地上に降りているところは、今シーズン初めて。近寄ろうとそっと動いたら、逃げられました。ツグミは、何羽か木の上で鳴いているのは聞くのですが、こちらは地上に降りてきません。

Dsc02369c Dsc02506c  ユリカモメは、25羽。カモにエサをやる人がいませんから、ユリカモメたちもご相伴には預かれていません。例年、12月半ばには、数10羽いることが多いので、ちょっと寂しい。

Dsc02579c_20221216164301  貝塚公園にいたのはヒヨドリとメジロ。内堀公園でジョウビタキのオス。ここでもジョウビタキのオスをよく見ます。

Dsc02522c_20221216164301  午後からは、予定通り、内科へ。定例の受診と、コロナワクチンの第5回目接種。10月に受けた特定健診の結果も聞いてきましたが、とくに問題はなしということで一安心。世の中では、健康診断は受ける必要はない、調子が悪くなったら病院に行けば良いという専門家もいますが、まぁ受けておいた方がよいかと思っています。コロナワクチンは、オミクロン株対応のもの。15時に打ってもらいましたが、これを書いている17時過ぎにはとくに副反応は感じていません。このまま過ぎて欲しいところ。ちなみに、内科はいつものところですが、電子カルテに移行する準備をしていて、大変そうでした。「ブラインドタッチで打てたよね? 教えに来てよ」と本気なのか、冗談なのか??

Dsc02599c_20221216164301  明日は天気が下り坂だそうです。午後からは雨の予報ですが、朝はいつものように散歩に行くつもり。夜には、管理組合の総会があります。無事に終えたいもの。この1年、理事長を仰せつかってきましたが、これを終えるとお役御免になります。次期理事長さんへの引き継ぎのアポも採ってあります。

2022年12月15日 (木)

朝は今シーズン一番の冷え込み

Dsc00687c_20221215170401  天気予報通り、寒くなりました。最低気温は2.2℃、最高気温は9.9℃。日が出ていると、リビングの奥まで日差しが入って、ぬくぬくと過ごせるのですが、曇ると底冷えがするような感じです。朝は、いつもと同じく7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と6.8㎞。久しぶりにしっかり散歩したというところ。

Dsc00775c Dsc00755c  揖斐川にはオオバン、キンクロハジロ、カンムリカイツブリ(左の写真)などが所々に浮いているのが見えます。皆、川面が静かなときよりも、少し風があって、波立っているときの方がよく見る気がします。七里の渡し跡には、ヒドリガモのペアが1組、休んでいました。保温体勢です。

Dsc00825c_20221215170401  途中、鳥は少なく、とくに一時少し見たツグミはまったく見なくなりました。いったいどこへ行ったのか、聞きたくなります。昨シーズンは、七里の渡し近くや三の丸公園などでジョウビタキをよく見たのですが、今年はまだ見ていません。柿安コミュニティパークではユリカモメが3羽。西の堀には、オオバンが2羽。

Dsc01045c 九華公園、今日は散歩友達も少ない。Wさんと同級生K氏くらい。本格的に寒くなって、散歩する人は明らかに減りました。奥平屋敷跡では、まずは、ジョウビタキのオス。2回くらい登場。もうちょっとよいポジションでお願いしたいと思います。

Dsc01234c_20221215170501 Dsc01181c_20221215170501  さらに、あまり賑やかではなかったのですが、ヤマガラ、シジュウカラ、コゲラの混群もいました。じっと見ていたら、目の前3~4メートルくらいのところにヤマガラもコゲラもやって来ました。それも30分あまりにわたって、です。同級生K氏も、「こんな近いところでキツツキが見られるのか」と驚いていました。ただ、写真がちょっと不満足。

Dsc00846c Dsc01012c  シメは、久しぶりに見ましたので、超証拠写真ではありますが、載せます(苦笑)。もう1つ。春先以来ではないかと思うのですが、「九華スズメ食堂」。前管理人Oさんが置いていかれたのでしょうが、米があり、そこにスズメ2羽がやって来ていました。この直前には、「ハト食堂」になっていましたが……。

Dsc00873c Dsc01303c  カモはあちこちに散らばっていて、ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモ(左の写真、オス)は4羽、キンクロハジロ(右の写真)は24羽とかなり少なめでした。

Dsc01271c  ユリカモメは23羽。クスノキの実をついばんだりするものもいましたが、大半は写真のように、野球場の外野フェンスに並んでいます。今日の野鳥は以上。種類は少なかったものの、奥平屋敷跡で楽しめました。貝塚公園ではヒヨドリのほかにメジロとカワラヒワの鳴き声を確認。内堀公園にはスズメとジョウビタキのオスがいたのですが、逃げられ写真は撮れませんでした。新築公園、昨シーズンはオスのジョウビタキがよくやって来たのですが、今シーズンはまだ見ていません。

Dsc01315c  散歩から帰ったあとと、午後は昨日の授業のQ&A書きに専念。夕方には一通り終えられました。後ほどチェックするつもり。出席票に書かれた質問、感想などをパワーポイントに打ち直し、それらに回答、コメントをつけるのです。次の授業の冒頭に印刷したものを配付し、いくつか取り上げて口頭でも説明します。勘違いしている学生もありますし、こちらの説明が不十分な点もありますから、授業をやりっぱなしではよくないのです。けっこう面倒なのですが、時間はありますし、私は非常勤ですから授業の時にしか行きませんので、これで学生諸君とやりとりをしようということもあります。それ故、可能な限り続けようと思っています。写真は、鎮国守国神社の境内にあるドウダンツツジの紅葉。

Dsc01331c_20221215170501  明日は、午後から内科の定期受診とコロナワクチンの第5回目接種の予定。それに、明後日に備えて、管理組合の理事長の仕事の引き継ぎ書類のチェックをして、完成させておかねばなりません。こちらの写真は、新築町にある桑名宗社の御旅所。新築町の集会所も兼ねた建物があります。なかなかよい感じの場所です。そうそう、歯はお陰様で今のところ、落ち着いています。次回受診は来週火曜。

2022年12月14日 (水)

江戸橋での非常勤の授業は2/3を終了

Dsc_0514c  一気に寒くなりました。それも、最高気温は朝8時20分頃に記録した11.3℃。そこから気温は少しずつ下がり、16時半には7℃を切るくらい。また、風も出て来て寒いこと。今晩22時頃にふたご座流星群がピークを迎えるそうですが、これだけ寒いと観察は厳しいですねぇ。今日は、水曜日ですから、江戸橋での非常勤の授業。本日で10回目。2/3を無事に終了。出欠チェックを終え、これからQ&Aに着手します。

Dsc_0517c  今日は昨日、歯科で入れ直してもらった仮の歯の調子が今ひとつでしたので、急いで帰宅して昼食を済ませ、再受診してきました。歯の調子が悪いと食べるのにも不自由ですし、講義で話すのにも支障があります。残念ながら、帰りに寄り道をする余裕はありませんでした。それにしても、空を見るだけでいかにも冬、寒そうという風になってきました。そうそう、年内の非常勤の授業は、来週まで。新年は、なんと1月4日から。

2022年12月13日 (火)

ユリカモメの整列を見て喜んでいたら、とんでもないハプニング(苦笑)

Dsc00158c  夜中から昼くらいまで断続的に雨でした。雨量はさほどではないものの、午前中は散歩には出られず。マンションの管理組合の仕事の引き継ぎ書類のチェックと修正を行い、ほぼ終えられました。14時から散歩に出たのですが、九華公園で予想外の出来事が生じ、やむなく引き返してきました。1時間ほど、4.6㎞でやむなく散歩は中断(苦笑)。

Dsc00175c_20221213164701 Dsc00191c_20221213164701  住吉入江でキンクロハジロのオス1羽と、オオバン2羽。このメンバーは、昨シーズンもここでよく見かけました。もう少し慣れてくると、わが家の前の方まで入ってくるようになると思います。

Dsc00196c_20221213164701 Dsc00208c  住吉神社。天気がよいのと、朝とは日の光の当たり方が異なりますので、イメージがずいぶん違います。揖斐長良川の中州を見ると、ずっと以前「アオサギの集合場所」と呼んでいたところに、アオサギたちが6羽。朝7時半にはいないのですが、時間帯によってはこのように集まってくるということだろうと思います。カワウも10羽ほどいます。

Dsc00218c_20221213164701 Dsc00227c_20221213164701  住吉水門でハクセキレイ。揖斐川をずっと眺めていたら、カンムリカイツブリがあちこちに合計4羽ほど見えました。揖斐川の中程から中州寄りによくいます。たまに右岸の方にも寄ってくるという感じ。

Dsc00244c  1羽のカンムリカイツブリが、こんな体勢で下流に向かって進んでいました。この進行方向には、ほかのカンムリカイツブリが少し離れて、2羽います。いったい何をしているのでしょう? 思いついたのは、縄張りに関わる行動なのかということですが、根拠はありません。

Dsc00276c_20221213164701 Dsc00301c  九華公園に到着。北門を入ったところの堀の脇の樹上にゴイサギ。鎮国守国神社の社務所裏の木には、コサギが3羽。ほかには、ヒヨドリ、ドバト、キジバトなど。小型の野鳥では、シジュウカラとコゲラを見ました。

Dsc00439c_20221213164701  カモは合計34羽と少なめ。ただし、公園全部を回る前にハプニングで帰宅してしまいましたので、未確認のエリアがあります。キンクロハジロが27羽、ヒドリガモが2ペア、ハシビロガモが3羽。写真はヒドリガモのオス。

Dsc00449c  ユリカモメは多く、合計77羽もいました。二の丸堀にかかる二の丸橋の欄干に並んでいました。ここに並ぶのは今シーズンになってから見ていますが、写真が撮れたのはたぶん初めて。

Dsc00519c_20221213164801  このあと最近ほとんど会わなかった散歩友達2人と、ずいぶん久しぶりに遭遇。相次いでしゃべっていたのですが、ハプニングが! 歯科の治療中で、仮の歯を入れてもらってあったのですが、それが見事に外れたのです(爆)。これがキチンとなっていないと食べるのにも困難を来しますし、明日の授業でも話をするのに不自由そう。ということで、急いで帰宅。歯科に電話して、入れ直してもらってきたという次第。ホントに「歯抜けジジイ」で嫌になります。歯科の先生に伺ったら、来週火曜にブリッジを入れるのでさほど強力な接着剤を使っていなかったのだそうです。

Dsc00671c Dsc00681c  オマケはまだまだ紅葉。2枚の写真とも、鎮国守国神社の境内にて。

2022年12月12日 (月)

ゴイサギは中橋にいました

Dsc09327c  今日も、時折、冷たい北風が吹くものの、まだ暖かい日が続いています。夜遅くから明日の朝までは雨で、その後は寒くなるとか。いつもの通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園から中橋へ。散歩の終点は、桑名宗社(春日さん)。このあと買い物に行くため、家内にクルマで拾ってもらったのです。歩いたのは5.9㎞。

Dsc09336c_20221212151401  住吉入江ではオオバン。去年も、こんな光景を何度も見ています。浮桟橋の下にいて、身繕いをしているのです。揖斐川ではカンムリカイツブリが2羽ほど。住吉水門の外には3羽のキンクロハジロに、堤防上にヒドリガモらしきカモが20羽ほど。ただし、まったくの逆光の位置で、肉眼でも種類はよく分からず、推測。

Dsc09421c Dsc09475c  柿安コミュニティパーク西の堀には、キンクロハジロ。オス1羽にメス2羽。駐車場脇の桜並木にモズのメス。虫をくわえていました。かなり追いかけたものの、これがベスト(苦笑)。

Dsc09513c  九華公園では、北門を入ったすぐの堀にコサギが8羽。最初は、1羽しか見えず。こんなにいるとは思わず。驚かせたようで次から次へと飛び出してきて、こちらもビックリ。1羽だけが、鎮国守国神社の社務所裏の木に止まったところ。

Dsc09902c Dsc09863c  奥平屋敷跡では、今日は、イソシギの独演会。一時的に二の丸跡に行ったりしたものの、ほぼ40分間、奥平屋敷跡の中をお尻を振りながらエサ探し。この間、ジョウビタキのオスが、ちらっと姿を見せました。

Dsc09838c  他に来たのは、ハクセキレイ2羽。ヒヨドリ、ドバト、ムクドリも来たのですが、今日は以上(微苦笑)。

Dsc09533c Dsc09548c  カモは合計56羽。キンクロハジロが44羽、ハシビロガモが9羽、ヒドリガモのオスが1羽にメスが2羽。種類も、数もあまり変わりありません。ユリカモメは、奥平屋敷跡から眺めたときは10数羽いたのに、じきにどこかへ行ってしまいました。

Dsc00001c Dsc00008c  コサギが8羽いたと書きましたが、今日も、カワウの後を追いかけていました。8羽はたぶん最多記録。カワウが集団漁をやめてしまうと、残ったのはこの2羽。自分で堀にダイビングしているコサギもいました。

Dsc09958c  ダイサギも1羽が来ていました。これは、二の丸跡にあるクスノキのてっぺんに止まったところ。二の丸跡と鎮国守国神社の境内では、ウグイスの地鳴きが聞こえました。さらに鎮国さんでは、シロハラか?と思える鳴き声も聞かれ、しばらく探したのですが、見つけられませんでした。貝塚公園ではヒヨドリ、メジロ、カワラヒワ。

Dsc00044c Dsc00050c  中橋は、九華公園と桑名宗社の間にある堀にかかっています。この北にある木にゴイサギがいるという情報を聞いて、確認に行ったのです。何年かおきにここにゴイサギたちが集まるのです。ちょっと急いだので、ゆっくりとは確認してきませんでしたが、ホシゴイ(ゴイサギの子ども)が4羽、ゴイサギが1羽見えました。反対側の柿安の駐車場からも見ている必要があります。

Dsc00066c Dsc00074c  この写真のように木の奥や、中橋から見て向こう側(柿安の駐車場側)にもゴイサギ、ホシゴイがいます。また、ときどきチェックに行かないといけません。九華公園の鎮国守国神社の社務所裏の木にいないときは、こちらにいる可能性が高いのです。

Dsc00036c Dsc00017c  オマケ。まだまだ紅葉。左の写真は、鎮国守国神社の境内にあるドウダンツツジ。かなり色づいてきたのですが、まだ真っ赤ではありませんし、ムラがあるように見えます。右の写真は、昔、桑名城の櫓があったところにある松の木。モミジの種が洞に落ちて、そこから生えてきたもの。毎年、紅葉します。ちょっと不思議な気もします。

Dsc00147c  木曽御嶽山に向かって左に冠雪した山並みが見えます。ここは乗鞍岳。条件がよいと、乗鞍岳まで見えます。買い物は、カインズでメダカ水槽に入れる水草を、また、TSUTAYA書店で新刊書を1冊買ってきました。

 

2022年12月11日 (日)

今日も弥富方面へ(笑)……三ツ又池公園と長良川河口堰、寄り道2箇所

Dsc07693c  今日も15℃を超えています。師走とは思えませんが、火曜日に雨が降ってからは、冷たい空気が入り、木曜くらいから寒くなるそうですから、用心しないといけません。今朝は7時に出て、またもやまずは、弥富方面へ。三ツ又池公園が目的地。ミコアイサが来ていないか見に行こうという次第。その後、2箇所に寄り道して、長良川河口堰へ。歩いたのは合わせて5.2㎞。冒頭の写真は、朝7時頃のもの。今日の日の出は、6時52分です。

Dsc07697c_20221211150301 Dsc07753c  三ツ又池公園には7時半に到着。曇りがちで、ちょっと暗いので、野鳥撮影には早すぎたか(苦笑)。コガモや、カルガモ(右の写真)、オオバンが出迎えてくれました。しかし、コガモや、オオバンは黒っぽく写ってしまいました。

Dsc07864c Dsc07904c_20221211150301  中之島の近くまで来たら、青い小鳥が見えます。カワセミです。九華公園では、このところ、サッパリご無沙汰でした。もうちょっと明るいとよかったのですが、贅沢はいえません。

 

Dsc07858c  例によってたくさん撮ったのですが、その中にこんな写真が混じっていました。ダイビングしたあとの様子。水滴を飛ばすのに、頭を高速で振り回したところ。シャッタースピードは、1/250秒でした。まぁ、余興のような写真。

Dsc07951c Dsc08081c_20221211151301  カンムリカイツブリがあちこちに合計5羽ほど。揖斐川や、長良川河口堰と違って、割と近くでも見られます。

 

Dsc08572c_20221211150201 Dsc08253c_20221211151601  三ツ又池公園といえば、カイツブリなのですが、今日も10羽弱を確認。

 

Dsc08275c_20221211150301  上右のカイツブリを撮っていたら、ちょうどこちらを向いて、ほぼ正面の顔が撮れました。カイツブリの正面顔は、今まで写真に撮った記憶はありません。これも余談。

Dsc08323c  公園の北側エリアで、モズのオス。秋から冬にここへ来ると、たいていモズが見られます。

Dsc08204c Dsc08472c  今日は、結論からいいますと、ミコアイサはいなかったのですが、マガモが5羽いました。オスが2羽にメスが3羽。マガモは別に珍しくはありませんが、私のいつもの行動範囲では木曽川に行かないとみられませんでした。

 

Dsc08593c_20221211150201 Dsc08385c  今日、ここにもっともたくさんいたのは、コガモ。池のあちこちにいます。去年までは、ハシビロガモもたくさんいたのですが、今日は見当たりません。

 

Dsc08604c_20221211150201 Dsc08628c  オオバンもまあまあたくさんいました。他には、ハクセキレイ。今日見たのは、1羽のみ。ミコアイサがいなかったのは、残念。まだ、時期が早かったためかもしれません。月末くらいにもう1度来てみたいもの。

Dsc08542c  三ツ又池公園でのさらなる余談は、ヌートリアの親子。ヌートリアも、ここで毎回見ますから、ここに住んでいるのは確かでしょう。

Dsc09262c Dsc08838c  寄り道の話は、後ほどとし、長良川河口堰。カモやカルガモはかなりたくさんいたものの、他には、期待したほど、鳥たちはいませんでした。

Dsc08869c_20221211150101 Dsc08923c  カモは、ほとんどがキンクロハジロで、一部にホシハジロが混じっていました。合計で250羽以上。ちょっと壮観です。

Dsc08932c Dsc08967c  カルガモも、150羽ほど。これほどたくさんここに集まっているのは、見たことがありません。カンムリカイツブリは7~8羽。

Dsc09003c_20221211150101 Dsc09031c_20221211150101  管理橋を渡って西側へ。閘門へのアプローチの下流側にはアオサギ7羽にダイサギが1羽。西側の魚道、下流側には、アオサギが3羽。3羽とも、若いアオサギでした。

Dsc09086c Dsc09240c  アオサギたち、やはり神経質で、少し近寄って写真を撮ろうとすると、逃げます。決定的シーンとはいいがたいのですが、まあそれなりに撮れました。

Dsc09205c  親水広場には、ムクドリがたくさんいたほかは、モズのオスのみ。ハクセキレイもいません。アユの孵化試験を行う水路に水が入っていて、網がかかっていますから、エサも採れないためかも知れません。今日のバードウォッチングは、以上。

Dsc08718c  ここからは寄り道編。早くに出たため、三ツ又池公園を一回りし終えたのが8時半でした。以前から弥富で行ってみようと思っていたところ2箇所に寄ってきたのです。まずは、「おみよし松」。妙な名前だと思ったのですが、漢字で書くと「御神葭松」。

Dsc08738c  この松は、正保3(1646)年、平島新田が開拓された当時に植えられたと伝わっています。名前の由来は、筏川の岸に津島神社の天王祭の御葦舟(葦で編んだ小舟)が流れ着いたのを記念して植樹し、名付けたとされます。この兄弟松が平島地内にあったそうですが、今は枯れてしまいました。現在の樹高は約21m、幹回りは5.25mといいます。昭和33(1958)年から平成20(2008)年までここに弥富中学校があり、松は校庭にあったため生徒達にも親しまれったそうです。

Dsc08728c  おみよし松のところには、「水難の碑」もあります。このあたりは昭和34(1959)年の伊勢湾台風で水没したのですが、その当時の水深を碑面に標し、長く子孫に伝え、再びこのような惨禍を繰り返さないために昭和34(1959)年12月に建てられています。ちなみに当時の岸信介総理が揮毫したもの。

Dsc08763c Dsc08769c  寄り道その2。前ヶ須蓮如堂。今から400年ほど前、美濃の大垣城主であった伊藤彦兵衛盛宗(盛正とも)は、関ヶ原の戦いで敗れて安八郡の満福寺(現在の大垣市)に逃げ延びたのですが、そこで、安八郡の女人衆から蓮如上人直筆の画像を託されました。その後、盛宗は木曽川河口の前ケ須にたどり着き、そこに草庵を造り画像を本尊として祀っています。明治時代には、本尊の管理が村に託され、村の寺として蓮如堂ができたのが、この蓮如堂です。昭和26(1951)年、前ケ須の大火で蓮如堂は焼失したものの、本尊は無事で、寺は翌年、旧佐織町勝幡の光坊堂の建物を譲り受け、移築して現在に至っています。毎年4月に開催される蓮如まつりの期間中は、本尊を見学することができるそうです。

Dsc08788c  蓮如堂の前には、明治の東海道を整備し、前ケ須の宿駅の完成にも尽力した村田宗之助の墓石があります。村田は佐屋より前ヶ須に移住した元宿役人。前ヶ須の人々とともに新政府に請願し、明治5(1872)年、前ヶ須が公認の宿場となり、また、「新東海道」がつくられました。前ヶ須から平島、六条、筏場福田を経て、熱田、鳴海に最短距離で至る道で、前ヶ須には渡し場と宿駅が設けられています。昭和8(1933)年、尾張大橋が開通するまで前ヶ須は交通の要所だったのです。

 さて、今週は水曜日に非常勤の授業。金曜は、5回目のコロナワクチン接種を予約しています。そして、土曜日はいよいよ管理組合の総会。これを無事に乗り切ると、1年間務めてきた理事長業務から解放されます。

2022年12月10日 (土)

20221210近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗』を訪ねて(酒蔵みてある記)」(1回完結)

Img_5387c_20221210144901  若干迷っていたのですが、結局、今日は、近鉄ハイキング「青木酒造の銘酒『米宗(こめそう)』を訪ねて」に行ってきました。今日は、朝は4.9℃と冷えたものの、風も弱く暖かく、歩いていて汗ばんだくらいでした。桑名での最高気温は、15℃を超えています。近鉄ハイキングでは、3年ぶりに「酒蔵みてある記」が復活し、今日がその初回。これはやはり行くしかありません。

Img_5225c_20221210144801 Img_5221c_20221210144801  受付は、近鉄名古屋線弥富駅で9時30分からでしたので、桑名駅を9時21分に出る名古屋行き普通電車に乗車。弥富には、9時29分に到着。¥260。酒蔵みてある記ではよくあることですが、すでに受付は始まっていました。No.72の番号が附されたコースマップを受け取り、早速スタートします。

221210map  こちらが今日、歩いたルート。弥富駅を出て途中、薬師寺、難畑地蔵尊、興善寺地蔵に立ち寄り、東名阪自動車道を越えて、愛西市へ。青木酒造で試飲、抽選会、即売会。その後は、ひたすら弥富駅に戻るコースですが、帰り道に源空寺と聖覚寺にちょっとだけ寄ってきました。前回(2018年12月9日:20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(予告編)……いよいよ「酒蔵みてある記」の季節到来)、試飲のし過ぎもあってか、コースミスをしでかしましたが、今日は完璧(微苦笑)。

Img_5287c_20221210144801 Img_5280c_20221210144801  最初の立ち寄り先は、鯏浦山薬師寺。スタートから約1.4㎞。ここは、曹洞宗のお寺ですが、かつて織田信長が築いた鯏浦城と呼ばれる砦がありました。このあたりに勢力を持つ一向門徒・服部党(服部友貞が当主)を攻めるためです。信長の弟・信興が城主となったのですが、元亀元(1570)年、小木江城で戦死。怒った信長は大軍を送って、天正2(1574)年、ことごとく焼き尽くしたといいます。鯏浦城には信興の念持仏薬師如来を安置する御堂があり、それがこの薬師寺の前身です。右は、境内にある「鯏浦城跡」の石碑(昭和51(1976)年に建立)。この辺りは、昔は海岸線であり、荷之上集落とともに自然堤防上に立地し、蟹江城と並んで中世期城砦の最南に位置しており、織田が服部党に対峙する拠点だったのでしょう。

Img_5262c_20221210144801 Img_5266c_20221210144801  境内には、また、クスノキの大木があり、「薬師寺の大楠」として親しまれています。この大楠は、樹齢600年以上といわれます。かつてこの付近が海岸線だったことから磯部の楠として有名だったそうです。人々は、この楠の葉を薬として用い病を治したといわれ、 また一説には豊臣秀吉が舟をつないだとも伝えられています。樹下には小祠神明社が祀られ参拝者が跡を絶たなかったようですが、明治時代に弥富神杜に合祀されています。織田信長と一向門徒・服部党との戦いは、後の長島一向一揆にもつながるものです。

Img_5296c_20221210144801 Img_5306c  続いて、難畑地蔵尊。このお地蔵様は、織田信長と服部党・一向門徒との戦場となり多くの犠牲者を供養するために建立されたもので、もとは、この場所ではなく、この東にある東弥生台団地の一角にあったそうです。信長に一面焼き払われた「鯏浦下の割」古戦場は、その後、その後人骨や武具、矢刀などが掘り出され、耕作しようとしても大変難儀に合うことがあり、難畑と呼ばれていました。そのうちに遺骨などを集めて、地蔵尊を祀りました。明治になって、ある時、農家の娘が眼病になり、地蔵尊が「我を中地道の人通りに移してくれたらお前の眼病を治してやる」とその娘の夢枕にたったといいます。村人十数人が、そのとおり、中地道の傍らにお堂を建立し、道行く人にお参りさせたら娘の眼病はたちどころに治ったという言い伝えがあります。これは、前回来た時にボランティアガイドの方に伺った話。

Img_5316c_20221210144901 Img_5324c_20221210144901  西中地の交差点を左折し、東名阪自動車道弥富インターチェンジの方に向かいます。インターの手前に興善寺地蔵。このあたりは、「白頭(しらこうべ)」といい、蓮如上人の孫にあたる実正を養子に迎えたほどの由緒ある寺「荷上山(がじょうざん)興善寺」がありました。寺伝によると、桓武天皇の勅願で延暦14(796)年に創建されたといます。元は天台宗でしたが、永正年間(1504~1521年)に浄土真宗に改めています。信長の時代に長島の願證寺と組んで一揆を起こし、天正2(1574)年に焼き払われたものの、直ちに復興。しかし 寛永4(1627)年の大地震で倒壊し 清州に移転し、さらに名古屋に移りました。廃跡となったその後、白頭池からこの2体の石仏が掘り出され、「興善寺の地蔵」として、服部肇家と斎藤光男家が先代より代々この墓地に安置してきました。昭和51(1976)年に弥富の文化財に指定を受けてからは荷之上区が管理しています。弥富市に残るもっとも古い石仏だそうです。ちなみに、ネットで調べると、名古屋市中区新栄に真宗本願寺派の興善寺という寺があります。

Img_5364c_20221210144901   東名阪自動車道をくぐり、田園地帯に入って、多度山を遠くに見ながら進みます。4年前に同じコースのハイキングに来た日は、寒くて、多度山など養老山脈には雪が積もっていたのですが、今日は、初めにも書きましたように、暖かい。ネックウォーマーは、歩き始めてすぐに外したくらい。ダウンジャケットでなくてもよかったかもしれません。

Img_5380c_20221210144901 Img_5383c_20221210144901  スタートから4.4㎞ほど、10時25分くらいに青木酒造に到着。青木酒造さん、創業は江戸後期である文化2(1805)年。こちらに「蔵元のこだわり」がありますが、濃厚で強い酒、本醸造以上のお酒を製造し、酒母は山廃仕込(山卸廃止仕込み)、生酛仕込(山卸仕込み)をメインとしています。

Img_5392c_20221210152401 Img_5399c_20221210152501  まずは、抽選会場でチェック。勇んでいったものの、敢えなく敗退。前回も外れましたので、これで連敗です(苦笑)。1番違いの71番であれば、近鉄クリアファイルがもらえたのに。

Img_5406c_20221210144901 Img_5402c_20221210144901  続いて、試飲へ。純米初しぼりの「純米米宗」をいただきました。辛口で、トロッとした印象のお酒。美味い! 前回は、このほか、「活性手汲みどぶ 純米酒」や梅酒など、計4杯も試飲しましたが、そのあとコースミスをしましたので、今日は、この1杯だけ。ホントです。

Img_5410c_20221210144901 Img_5413c_20221210153101  即売会では、試飲した「純米米宗」の720mmlを1本買ってきました。4年前は、1本¥1,300でしたが、今回は¥1,600。たまにはちょっと贅沢をしても罰は当たらないでしょう。時節柄、敷地内での飲食は不可ですし、キッチンカーなども来ていませんでしたので、サッサと出て来ました。来年2月4日(土)にも酒蔵開放があるそうです。

Img_5438c_20221210144901  青木酒造から東へ300mほどのところに、稱名山源空寺。浄土宗のお寺。前回も勝手に立ち寄ったのですが、由緒などを記した看板もなく、ネットで検索しても何も出て来ませんでした。クスノキでしょうか、大木が印象的です。源空寺の先、2本目の交差点を曲がるのが正しいルート。前回は、なぜか「ここは違うな」と思い込んで、もう1本先まで行ってしまったのですが、今日は試飲も控え目にし、ストリートビューでも予習してきましたので、バッチリ(微苦笑)。

Img_5455c_20221210144901 Img_5459c_20221210144901  曲がったすぐのところに真宗大谷派の金剛山聖覚寺。ここも詳しいことは分かりませんでしたが、田園地帯にあり、自然環境のよいお寺。山門が、長屋門のような立派な門であるのが印象的でした。

Img_5513c_20221210145001  このあとは立ち寄るところはありません。途中からは、往きに通ったのと同じ道をたどって、近鉄弥富駅へ。11時20分頃到着。一回りしてきた訳ですが、歩いたのは7.9㎞。時間は2時間弱。ハイ・スピード・ハイキング(笑)。立ち寄り先が少なく、立ち寄ったところでも見て回る事もありませんでした。酒蔵も宴会ができませんでしたから、こんなもの。弥富まで電車で来て、酒蔵へ歩いて酒を買いに行ったという感じ。

Img_5534c_20221210154601 Img_5566c_20221210145001  弥富駅11時24分発の四日市行き準急に乗車。桑名駅には11時32分着。¥260。帰宅は、11時50分。朝、家を出たのが8時55分頃でしたから、全行程含めて、3時間。歩いた距離は、Google Fitのデータではトータルで11.7㎞。ちょっと実際よりも多い気がします。

Img_5508c_20221210145001  余談その1。前回の記事にも書きました。前回来た時「鯏」という漢字が読めませんでした。「ウグイ」です。ウグイは淡水魚ですが、昔このあたりにたくさんいたということかもしれません。

Img_5543c_20221210145001  余談その2。帰りに桑名駅に着いて、自由通路から三岐鉄道北勢線西桑名駅を眺めたら、「ヴィアティン三重」ペインティングの車両が止まっていました。この車両、きちんと撮影したことがありませんでした。急いで行ったのですが、発車直後になってしまい残念。来年3月末日まで運行されますから(こちら)、それまでの間にぜひ、きちんと撮影したいものです。

1670636005718c  こちらは、今日の晩酌にでもいただこうかと思っています(微笑)。

 【付記【12/10夜】 これは美味しい(微笑)。試飲のところで書いたとおり、辛口でトロッとしていて、堪りません。酒蔵のこだわり通り、濃くて強い酒。ついつい飲み過ぎそうです。ここはグッと我慢。明日以降にも残しておきます。

2022年12月 9日 (金)

久しぶりに九華公園でエナガを見て、バードウォッチングの吉日

Dsc07691c  よく晴れて、風もほとんどなく、暖かい日でした。最高気温は14.4℃。朝はさすがに冷え、4.5℃。非常勤の授業のQ&Aは、今朝、チェックして修正の上、メールで送って完了。このところ、木曜の夕方までに一通りはできあがるというパターンに復活してきました。7時40分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.5㎞。

Dsc06696c_20221209154501  今日はまず、ハイライトから(微笑)。エナガ(柄長)です。綿を丸めたような体に長い尾羽がついた、かわいらしい鳥。和名は極端に長い尾(全長14 cmに対して尾の長さが7~8 cm)を柄の長い柄杓に例えたことに由来。去年8月に三の丸水門のところで見ています(2021年8月31日:三の丸水門近くでエナガに遭遇)。九華公園で見たのは、2年以上ぶり(2020年9月16日:九華公園にカワセミは2羽いる……エナガにも遭遇、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラも混群で)。奥平屋敷跡で、ヤマガラ、シジュウカラ、メジロ、コゲラと混群で40分以上滞在してて、しっかり楽しませてもらえました。

Dsc05973c Dsc05990c  さて、散歩の初めから。七里の渡し跡にオオバンが2羽(写真は割愛)。スズメは、蟠龍櫓のところで。最近、散歩コースではスズメをあまり見なくなっています。揖斐川の上空には、カワウの群れ。他には、ユリカモメが2羽ほど飛んでいました。

Dsc06001c  三の丸水門のところでは、アオサギが飛んでいました。九華公園方面から来て一回りして、また戻っていきました。

Dsc06062c Dsc06136c_20221209154501  九華公園では、鎮国守国神社の社務所裏の木にコサギが1羽。最近、コサギがよくやって来ます。カワウの集団漁のおこぼれ狙い。今日もコサギは4羽。相撲場の近くの樹上にツグミ。なかなか地上に降りては来ません。

Dsc07028c_20221209154501 Dsc06865c_20221209154501  このあと、奥平屋敷跡でエナガ、ヤマガラたちに遭遇。散歩&鳥見友達のYさんは、初めて見たそうです。エナガも20羽くらいいたと思いますが、ヤマガラやシジュウカラもたくさんいて、賑やかで落ち着きません。こちらも、どこにカメラを向けるかウロウロ(苦笑)。今日は、1,500枚以上も写真を撮ってしまいました。ただし、大半は使い物にならない写真です。

Dsc07220c Dsc06808c_20221209154501  コゲラは2羽。近くの樹上には、シメが1羽。私は、久しぶりでしたが、Yさんは、先だっては3日連続で見たそうです。シメもまだ地上には降りてきません。シロハラビンズイがそろそろ来るかと期待しているのですが、まだ見ていません。

Dsc07272c Dsc07334c  アオサギは、辰巳櫓跡の松の木にいます。最近、お気に入りの場所。松の葉っぱにヒッソリと身を隠すように止まっています。日当たり良好なのが気に入っているのか、という気がします。今日は、ダイサギもいて、右の写真は二の丸橋にやって来たところ。

Dsc07505c_20221209154501 Dsc07248c  カモ、今日は、合計63羽。キンクロハジロが53羽とやや増えました。ヒドリガモは2ペア、ハシビロガモは6羽。ヒドリガモはだいたい同じ数ですが、ハシビロガモは微妙に増えたり、減ったり。ホシハジロは、その後、やって来ません。最近、カルガモのアーちゃんはまったく見ていません。

Dsc07357c  ユリカモメは、今日は17羽。今日も飛翔シーンを狙ったものの、上手くは行かず(苦笑)。諦めずに、地道に練習しましょう。このあと、貝塚公園ではヒヨドリ、ヤマガラ、シジュウカラに遭遇。内堀公園ではスズメだけ。

Dsc07671c  諸戸氏庭園の写真を先日載せました。今日は、本邸の東に付属する洋間のところの多いが外されていました。先日(2022年12月 6日:九華公園で8ヶ月ぶりにゴイサギ)、こんな色だったのかと思ったと書いたのが、こちら。もちろん私が知っているのは、30年近く前ここに引っ越してきた時に見たもので、それはかなりくすんでいました。今風にいうと、「カワイイ」建物なのでしょう。

Dsc07660c  先日の記事には載せませんでしたが、諸戸氏庭園の大門の脇には、今でも丸ポストがあります。少し前に塗り替えられて、きれいになっています。1日に2回収集に来る、現役の丸ポストです。

3bb32ed2  明日は、近鉄ハイキングに行こうか、思案中。いよいよ「酒蔵みてある記」のシーズンなのです。「青木酒造の銘酒『米宗』をたずねて」が名古屋線・弥富駅で開催されます。同じコースに以前参加しています(2018年12月9日:20181209近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 青木酒造の銘酒「米宗」をたずねて」へ(予告編)……いよいよ「酒蔵みてある記」の季節到来)。このときは帰りにコースミスをしでかして、500mほど余分に歩きました。酔っ払うほど試飲はしなかったつもりですが……。写真は、4年前に青木酒造に行った時に買ってきた「純米 米宗(完全発酵 初しぼり 無濾過生原酒)」。720ml入りで、¥1,300でした。

2022年12月 8日 (木)

今年最後の満月

Dsc05875c  10時から昼前くらいまではよく晴れました。晴れて、日が当たるとソーラーパワーが得られて暖かいのですが、曇ると寒い。今朝は家事を済ませ、8時20分頃から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町とちょうど6.0㎞。2時間コース。

Dsc04943c_20221208185401 Dsc04978c_20221208185401  住吉ポンプ場の東の住吉入江でキンクロハジロのメス1羽。一昨日もここで見ています。揖斐川ではカンムリカイツブリが1羽。たくさんいる時も、今日のように1羽しか見ない時もあります。他には、川口水門の上流側にキンクロハジロが8羽見えました。

Dsc04991c_20221208185401 Dsc05041c_20221208185401  七里の渡し跡では、オオバンが3羽にコガモが1ペア。三の丸水門のところでは、ハクセキレイのペア1組。

Dsc05217c_20221208185401 Dsc05227c_20221208185401  九華公園では、今日はコサギが5羽。つるんでいます。さらには、カワウの集団漁について回っています。左右の写真は、奥平屋敷跡の西の堀のところ。カワウたちが飛び立ったあと、コサギたちも追いかけていきました。

Dsc05351c Dsc05576c  管理事務所の近くでヤマガラ2羽とシジュウカラを見たものの、写真は撮れず。奥平屋敷跡では、ドバトとヒヨドリがいたのみ。二の丸跡方面にコサギがやって来たのが見えたくらい。朝日丸跡でメジロ。

Dsc05376c Dsc05363c_20221208185401  カモは、今日は堀のあちこちに散らばっていました。合計48羽。キンクロハジロ(左の写真)が39羽、ハシビロガモ(右の写真)は5羽、ヒドリガモは2ペア。

Dsc05624c Dsc05638c  吉之丸堀にかかる橋でハクセキレイのペア。

Dsc05707c_20221208185301  ユリカモメは合計36羽。例年なら、そろそろもっと増えてくる頃ですが、どうなるでしょう? コロナ禍以来、カモにもユリカモメにもエサをやる人は激減しています。これが、両者の飛来数に影響しているような気もします。

Dsc05500c_20221208185501 Dsc05537c  ユリカモメは二の丸跡のクスノキに来て、実をついばんで行きます。今日はちょうどたくさんやって来ていましたので、撮影にチャレンジ。なかなか難しい(苦笑)。

Dsc05557c  この写真はよく見ていただくと、実を嘴に挟んでいるのが見えると思います。基本的には動物性のものを食べるのですが、雑食です。

Dsc05760c Dsc05794c  九華公園の外周遊歩道の南西で、ジョウビタキのオスが2羽、相次いで登場。直接対決はなし。

Dsc05850c  貝塚公園ではヒヨドリと、カワラヒワ2羽。内堀公園でスズメを見たのですが、新築公園や老松公園には何もいません。昨シーズンは、内堀公園、新築公園でジョウビタキに良く出会ったのですが、今年は、内堀公園ではときどき見ますが、新築公園ではまだ見ていません。

Img_5185c_20221208185301 Img_5213c_20221208185301  ところで、今日は今年最後の満月だそうです。夕方6時頃、超望遠コンデジ(Canon Powershot SX60HS)で撮影。アメリカの農事暦で「コールドムーン」と呼ぶそうです。

Dsc05689c_20221208185301  昨日の非常勤の授業のQ&Aは、一通りできあがりました。いつものように、プリントアウトして寝かせてあります。このあとか、明日の朝早くに確認するつもり。時間を置いた方が、もろもろのミスに気づきやすいのです。写真は、九華公園で撮ったサザンカ。

2022年12月 7日 (水)

非常勤先にもクリスマス・ツリー

Dsc_0499c  昼前はよく晴れていましたが、最低気温は5.5℃と冷え、寒い感じの1日です。水曜日ですから、江戸橋での非常勤の授業。今日で9回目。先日は、期末試験実施方法のアンケートが来て、また、試験問題を学生部で印刷してもらうためには、12月26日までに提出するようにという連絡も届きました。いよいよゴールが視野に入ってくる感じ。今日の出席率は、88.6%。同じ時間帯を担当している先生が、「先週は10数名も欠席でしたが、いったいどうしたのでしょう?」とおっしゃっていました。私の授業でも、12名も欠席したことがありました。他の大学・短大でも同じことがあるのか、最近の状況はよく分かりませんが、ときどきたくさんの学生が一度に休むことがあります。今日のテーマは、非言語行動。非言語的コミュニケーションともいわれます。学生たちの授業中の姿勢、仕草なども織り込んで話をすると、ニヤッとしたり、マズいという表情をしたりです(微笑)。

Dsc_0504c  非常勤先の校舎棟の玄関ホールには、12月に入ると、大きなクリスマスツリーが飾られます。以前、事務局長をしていた方が寄附されたと伺いました。季節感があってなかなか良いと思っています。帰宅後は、昼食を済ませ、出欠のチェックまでとりあえず終えました。このあと、補足説明(Q&A)に着手します。明日中には終えたいと願っています。

Dscn5581c  さて、帰りにはいつも通り、志登茂川を覗いてきました。四日市港潮汐表では、11時17分に干潮。写真は、コンデジ(Nikon CoolpixS7000)で撮っています。左の写真は、上流方向。カモがかなりたくさんいますし、サギやカモメも見えます(微笑)。

Dscn5583c Dscn5585c  まず、左の写真は、ホシハジロ。手前の2羽はメス、奥の1羽がオス。右の写真は、オナガガモ。向かって右の2羽がオス、左の2羽がメス。

Dscn5587c Dscn5590c  こちらは、顔がはっきり写っていませんが、ヒドリガモ。右の写真は、かなり遠く、合流地点近くにいたセグロカモメと思われます。

Dscn5591c Dscn5598c  もう1種類、確認できたのは、ダイサギ。という次第で、見られたカモは、ホシハジロ、オナガガモ、ヒドリガモと、カルガモ。いずれもかなりの数(数えてはいません)。なかなかの鳥果でした。ちなみに、バードウォッチングはあくまでもオマケです。念のため。

2022年12月 6日 (火)

九華公園で8ヶ月ぶりにゴイサギ

Dsc04346c Dsc04261c  最高気温は、なんと15.4℃。室内にいますと、日差しが部屋の奥まで入って暖かいのですが、外は風が冷たい。朝のうちは、雲も出ていて、その雲がいかにも冬という感じでした。左は、揖斐川沿いで北の空を撮ったもの、右は、藤原岳。いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と5.7㎞。今日は控えめ(微苦笑)。午後は歯科へ。今日はかみ合わせのチェックで、ブリッジは次回入れてもらえる予定。

Dsc04265c_20221206151901 Dsc04278c_20221206151901  住吉ポンプ場の東でオオバン1羽とキンクロハジロのメス1羽。一緒に行動しているように見えました。最近、諸戸氏庭園や桑名七里の渡し公園あたりでは、ヒヨドリ、キジバト、ドバトくらいしかいません。11月初めくらいまでは、諸戸氏庭園からヤマガラやシジュウカラ、ときどきコゲラが出て来たのですが、最近はサッパリ。

Dsc04312c_20221206151901  揖斐川は、今日は川面がとても穏やかでしたが、こういう日には、むしろ水鳥は見られないことが多いのです。今日見たのも、カンムリカイツブリ1羽だけ。旅館山月の裏でホオジロのオス1羽と、メジロの群れを見つけたのですが、暴れん坊のヒヨドリが乱入して、どこかに行ってしまい、残念。

Dsc04372c  三の丸水門のところでは、アオサギの若者。たまにこのあたりに来ているアオサギさんのように思えます。柿安コミュニティパーク西の堀には、今日もオオバンが1羽。

Dsc04404c  九華公園に着いて、北門を入ってふと見上げたら、アオサギ。相撲場の西にある、高い松の木の上です。正面顔なので、横から撮ろうと思ったものの、他の位置からは見えませんでした。こんなところにアオサギがいるのは、ほとんど見たことがありません。

Dsc04477c_20221206152001 Dsc04540c  さらに鎮国守国神社の社務所裏の木に、今日は、コサギ2羽と、お久しぶりのゴイサギが1羽。ゴイサギをここで見たのは、たぶん今年4月7日以来(2022年4月7日:小貝須方面でケリとムナグロ……桜は散り始めで花筏と「遠山のカメさん」)。

Dsc04568c Dsc04608c  相撲場近くでは、ツグミを一瞬だけ目撃(苦笑)。こんな証拠写真しか撮れずじまい。奥平屋敷跡では、ツグミが地上にいるのを見たものの、すぐに逃げられました。また、シメらしき鳥も見たのですが、これも見失ってしまいました。結局、奥平屋敷跡で見たのは、ジョウビタキのオス1羽だけ。

Dsc04660c Dsc04616c  朝日丸跡では、カワラヒワ5羽。今日は、鳥は少なかったのです。ユリカモメも、奥平屋敷跡から眺めていた時は、10羽以上いたのに、すぐにいなくなってしまいました。右のユリカモメは、奥平屋敷跡西の堀に降りてきた1羽。

Dsc04519c Dsc04633c  カモ、今日は合計44羽。なかなか増えてきません。キンクロハジロが32羽、ハシビロガモが8羽、ヒドリガモが2ペア。

Dsc04758c_20221206151901  コサギは、今日もまたカワウの集団漁を追いかけています。鎮国守国神社の社務所裏には2羽しかいませんでしたが、最多で4羽を同時に確認しました。九華公園に来るということは、ここでエサが採れているということでしょう。もうしばらくやって来てくれると楽しめます。このほかは、貝塚公園でヒヨドリとカワラヒワがいただけ。

Dsc04894c Dsc04900c  わが家のお隣の諸戸氏庭園では、修復作業が行われています。散歩から帰ってきたら、本邸の前にあったフェンスが撤去され、建物がよく見えるようになっていました。左の写真でもっとも大きな建物が本邸です(重要文化財)。明治中期の建物。私がここに引っ越してきた時には、ここが諸戸林業の本社として使われていた記憶があります。右は2階の瓦、鬼瓦。「モロト」と入っています。

Dsc04911c Dsc04872c  こちらは、大門(重要文化財)。上左の写真では、向かって左手奥に写っています。薬医門形式で、これも明治中期のもの。修復工事中は、奥の方に移動されていましたが、元の位置に戻っています。右は、諸戸家が所有する石取祭の祭車が保管されている蔵。本格的な蔵の作り方で修復されています。

7a6e595c_20221206160801  諸戸家の石取祭の祭車。これは、7年前、桑名七里の渡し公園のオープニングセレモニーで展示された時に撮影したその写真。明治30(1897)年のもの。彫刻は、高村光雲の工房がつくった「四神」・「雷獣」など。祭車に載せられているつくりものは、神鹿。石取祭保存会「祭車紹介」のサイトの「その他」に「太一丸」として載っています。

Dsc04866c Dsc04928c  もう1つ。本邸の東に洋間があります。まだ白い布で大部分が覆われていますが、こんな色だったのかと感心。建築当時の色を再現していると思いますが、記憶ではもっとくすんでいました。早くこれら、修復された建物も拝観したいものです。右は、わが家の玄関先方見た諸戸氏庭園のあたり。

2022年12月 5日 (月)

アオサギの飛び立ちシーン……午後からは市民大学郷土史学科へ

Dsc03723c  午前中は晴れ間もありましたが、午後からは概ね曇り。気温は14℃を超えました。午前中はまだ良かったのですが、午後からは肌寒くなりました。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、内堀公園、京町、寺町と6.4㎞。揖斐川には、遠くにカンムリカイツブリが1羽見えましたが、鳥はあまりいません。

Dsc03737c_20221205171201 Dsc03782c  七里の渡し跡に来て、これはキンクロハジロのメスと思います。1羽のみ。柿安コミュニティパーク西の堀にも、キンクロハジロのメスが1羽。ドバトやヒヨドリもほとんどいません。

Dsc03776c  コミュニティパークでカワウ。真っ黒な鳥というイメージがあるかも知れませんが、そうではありません。目の色はよく見るとかなりきれいです。嘴の先は、鉤状になっています。

Dsc03850c_20221205171201  九華公園に着いて、相撲場近くでツグミを2羽目撃。まだまだ樹上にいます。地上にいるのを見たのは、先日、三の丸公園で1回だけ。

Dsc03896c Dsc04006c  奥平屋敷跡では、今日は、ドバト、ヒヨドリの他には、まずは、ハクセキレイ。ペアでやって来ます。二の丸跡へ移動しようとしたら、シジュウカラとメジロの群れ。今日は、ヤマガラやコゲラはいませんでした。

Dsc04070c_20221205171301 Dsc04063c  コサギ3羽ほどが上空を飛んでいましたが、2羽が降りてきました。神戸櫓跡と辰巳櫓跡の間、二の丸堀に突き出た松の木。ここ数日、コサギはよくやって来ます。たいていカワウが集団で漁をするところを追いかけています。おこぼれに預かろうと考えているようです。

Dsc04127c Dsc04155c  辰巳櫓跡近くの松の木の高いところにアオサギ。なんとなく動きはじめたなと思ったら、飛び立ちました。飛び出しのシーンをゲット。

Dsc03941c_20221205171301 Dsc03796c  カモたちは、合計53羽。キンクロハジロが39羽、ハシビロガモが10羽、ヒドリガモは2ペア。これまでのところ、50話を超えるくらいが最多。

Dsc04213c  ユリカモメは、12話ほどが飛んでいるのが見えたのですが、さぁ写真を撮ろうと、いつも止まって休んでいる野球場のフェンスに近づいたら、一斉に飛び立ってしまい、1羽のみ。ガッカリ(苦笑)。このあと、貝塚公園ではヒヨドリとカワラヒワくらい。内堀南公園にはたいてい鳥はいません。内堀公園を出る時にジョウビタキを見た気がしましたが、確認できず。

Dsc_6884c Dsc_6888c  午後からは、今年度最後の市民大学ゼミナール郷土史学科の講義。最終回はどのようなテーマか、期待していたのですが、地名についてでした。伊勢、額田国、桑名、益田庄、三崎、町屋川など。ローカルな地名で、恐縮。他に桑名の名産品についても。蛤、白魚はよく知られていますが、今は少なくなってしまった青のりも江戸時代から採れたようです。さらに、「久波奈名所図会」には「貝焼灰」というものが載っています。蛤、蜆の殻を焼いたもので、家蔵の白壁に使うとあります。捨ててしまう資源の再利用というか、今でいえば、SDGsでしょうか。これらについては、機会があれば、触れることにします。

Dsc_6887c  そして、今日は最終回で、私は皆出席でしたので、修了証書をいただいてきました(7回中5回以上の出席でもらえるそうです)。去年も書いたのですが、われわれの名前もぜひ入れていただきたいと思います。過去のものを見ると、令和元年度までは名前が入っていました。MicrosoftのWordであれば、差し込み印刷を利用すれば、さほど手間はかからないと思うのですが、贅沢な望みでしょうか?

Dsc03968c_20221205171201 Dsc03974c  オマケの話。今日、奥平屋敷跡で見た光景。私の勝手な命名によるところでは「旅ネコ」さんです。インコ、文鳥が飼われている鳥小屋でズーッとインコたちを見ていました。獲物を狙っているのでしょうが、さすがにムリです。

 

2022年12月 4日 (日)

寒い1日、鳥もあまりいません

Dsc02767c  最高気温は14℃を超えたのに、曇っていて寒い日です。昨日約10㎞を歩いた疲れもなく(微苦笑)、今日もまた7時半から散歩。この時間たぶん6℃くらいでした。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町から新築公園へ。その後、知人に会うために中央公園方面に立ち寄り、常盤町、老松公園、御坊さん、寺町と6.7㎞。

Dsc02806c  寒いせいか、鳥はあまり見られませんでした。九華公園までに見たのは、柿安コミュニティパーク西の堀にいたコガモのメス1羽と、オオバン1羽のみ。並んで、石垣についた藻を食べていました。

Dsc02973c  九華公園では、まず、鎮国守国神社の社務所裏にコサギが1羽。周りでは、ヒヨドリが賑やか。ハシボソガラスも何羽かいて、これも負けずに賑やかでした。コサギは、その後、二の丸跡に4羽がいるのも確認しました。

Dsc03337c_20221204153501 Dsc03199c_20221204153501  奥平屋敷跡で40分ほど滞在。鳥待ちをしていたのですが、ヒヨドリ、ドバト以外はなかなかやって来ません。30分近くたってようやくヤマガラ(左の写真)、シジュウカラ(右の写真)、コゲラ、メジロの混群。

Dsc03115c_20221204153501 Dsc03412c_20221204153601  こちらはコゲラ。2羽いましたので、いつも良く出会う混群と思います。もう1つ、別の混群もいるような気がしているのですが、まだ確信はありません。メジロはここではうまく撮れず。右の写真は、朝日丸跡で撮ったもの。

Dsc03515c_20221204153601 Dsc02914c  カモたち、今日は、あちこちの堀に散らばっていました。合計42羽。キンクロハジロが36羽、ハシビロガモが6羽。今日は、ヒドリガモは見当たりません。

Dsc03433c_20221204153601 Dsc03480c  ユリカモメは、25羽ほど。吉之丸堀にかかる朱い橋に並んでくれたのですが、日陰でしたし、擬宝珠があるので、写真が撮りにくい。贅沢をいってはいけませんが…………。

Dsc03541c_20221204153601 Dsc03586c  鎮国守国神社の境内で、ジョウビタキのオス。さらに、久しぶりに再び、北門の方から回ってきたら、九華橋の近くの樹上にアオサギさん。落葉が進み、見やすくなりました。このあと、貝塚公園ではヒヨドリとカワラヒワくらい。他の公園でも、ヒヨドリがいたくらいでした。

Dsc03655c  拙宅前まで戻ってきたら、住吉入江にオオバンが1羽。ここは、住吉水門で揖斐川とつながっています。先日、住吉水門のすぐ内側でオオバンを見ましたが、ここまで入ってきたのは、今シーズン初です。もっと寒くなると、キンクロハジロも来るようになるはず。上手くいくと、カンムリカイツブリやハジロカイツブリが来たりもします。

Dsc03398c_20221204153601  今週は、明日月曜は市民大学郷土史学科。全7回の講義も、いよいよ今年度最後。火曜は歯科治療。かみ合わせのチェックで、ブリッジはまだ入りません。年内には入れてもらえるか、というところ。水曜は、非常勤の授業9回目。市民大学の11月の講義内容のまとめがまだ終わっていません。一通りは完成しているのですが、チェックが途中。また、来年のウォーキングも企画中。美濃街道を桑名・江戸町にある東海道との追分から多度まで歩いたのですが、その先、岐阜県へ入って、養老まで行き、養老街道、美濃路をたどって大垣まで行こうと考えています。しかし、養老街道のルートがまだ十分に調べがついていません。美濃街道は、岐阜県に入ると伊勢街道と呼ばれていたようです。

2022年12月 3日 (土)

20221203桑名駅西&諸戸水道ウォーキング(1回完結)【カワセミについて付記(12/17)】

Img_4582c_20221203154501  今朝は、2.2℃まで冷えました。わが家の玄関先から見える藤原岳も初冠雪していました。道理で冷えたわけです。木曽御嶽山にも雪が積もっているのも見えました。

1203kuwanawest  今日は、予定通り、「桑名駅西&諸戸水道ウォーキング」に出かけてきました。ルートマップは、桑名駅スタートと書きましたが、実際には、桑名神明社で同級生K氏と待ち合わせ。そこから、諸戸水道水源井、養泉寺、諸戸水道貯水池遺構、長善寺、諸戸徳成邸跡、徳成第一公園、走井山公園、勧学寺、上野御膳水、上野神社、十念寺墓地、冷水庵、南大山田神社、太夫の大楠、増田神社、西桑名神社、西方城跡、西方寺、西方廃寺跡、海善寺と回ってきました。桑名駅スタート&ゴールでカウントしますと、6.8㎞のコース。アップダウンがかなりあり、最高地点は海抜70mくらいでした。かなりの運動量。昨年3月20日に同じところを回っていますので(2021年3月20日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編))、今日の記事は簡略版で1回完結。

Img_4586c_20221203155401  桑名駅東口。写真を撮っただけで、今日は通過。今年もイルミをしていますが、まだ見ていません。夜はほとんど出歩かないのです。形式上、ここがスタート地点。

Img_4593c_20221203154501 Img_4602c_20221203154501  桑名駅の南300mほどのところに、東から西へ順に、三岐鉄道北勢線のナローゲージ、JR関西線の狭軌、近鉄名古屋線の標準軌と、3種類の線路幅を渡る踏切があります。この3種類の幅の線路を渡る踏切は、全国でここだけだそうです。右の写真では、ちょうどJR関西線の列車(手前)と近鉄名古屋線の電車が通過していくところ。

Img_4635c_20221203154501 Img_4639c_20221203161801  こちらが、今日の集合場所である桑名神明社。由緒書きによれば、創始は応永年間(1394~1427年)で、伊勢神宮の分社とし天照大神を遷座し、村の氏神として祀ったといいます。天正年間(1573~1591年)、兵火のため類焼に逢い、社誌古帳等すべて灰となって、詳細は分からないといいます。明治3(1870)年に社殿を改築し、その時、地域の神社を合祀しており、境内には、八天宮、山の神社、一二三社(稲田の神)の他、稲荷社が。

Img_4646c_20221203154501  桑名神明社の東にある信号を渡って、シェルメール桑名東方というマンションのすぐ東にある細い道を南に入って行くと、諸戸水道水源井があります。諸戸水道は、初代諸戸清六が、独力で上水道敷設を計画し、東方丘陵地の地下水を集めた貯水池を築き、桑名市内に上水道を普及させたもの。この井戸は、その水源でした。諸戸水道は、近代的な上水道としては、全国で7番目に完成しました。明治37(1904)年に竣工し、昭和4(1929)年まで使用されています。この水源井のすぐ西に貯水池遺構もありますが、ルートの関係で、先にもう1箇所を訪ねます。ちなみに、この水源井の近くでは、常に地下水が染み出ているところがあります。それだけ水が豊富に出たところだった証しでしょう。

Img_4664c_20221203154501 Img_4671c_20221203154501  続いて、蓮華山養泉寺。真宗大谷派のお寺。桑名願証寺内にあったのですが、願証寺が高田派に改宗したときにしたがわず、独立しました。長島一向一揆の総指揮者で戦死した下間豊前の子・舎人が出家し、伝馬町に再建された願証寺内で創始したお寺です。移転を繰り返したのですが、昭和4(1929)年にここに来ています。多度、長島を含め桑名市内には、長嶋一向一揆に関わりのあるお寺がたくさんあります。

Img_4704c_20221203154501 Img_4699c_20221203154501  養泉寺のすぐ北には、諸戸水道貯水池遺構があります。初代諸戸清六は、ここに東方丘陵地の地下水を集めた貯水池(東西約13.4m・南北約23.2m、深さ約3.6m)を築き、延長14㎞にも及ぶ給水管で桑名町周辺(給水区域:旧桑名町・旧赤須賀村・旧益生村、旧大山田村の一部)に共用栓55ヶ所、消火栓24ヶ所を設置し、市民に無償提供したのです。貯水池の側壁と底面はコンクリート造、内壁は全て煉瓦積です。上屋は失われてしまっています。

Img_4717c_20221203154501 Img_4721c_20221203154501  この遺構の南には、万年山長禅寺。曹洞宗のお寺。かつては長島にあったのですが、明治の木曽三川改修工事のため、現在地に移転しています。「桑名市史 本編」によれば、天正の頃、美濃高須城主・徳永左馬助正重が田地を寄附して一宇を建立したとあります。薩摩義士・和田善助の墓があります。ただ、このお寺、至る所に「用のない方は入らないように」という掲示があり、敷居が高い(苦笑)。お寺は、もっとオープンでいて欲しいと思います。

Img_4749c_20221203154501 Img_4755c_20221203154501  次へ行く前に、諸戸徳成邸があったところを見てきました。以前にも立ち寄ったのですが(2020年8月17日:39.2℃のもと村正史跡めぐりスタンプラリーへ……3時間で7.9㎞を歩き村正の鍔の形のピンバッジをゲット)、すっかり高級住宅街に再開発されています。ただし、諸戸家墓所はそのまま残っています(右の写真)。諸戸徳成邸は、2017年に最後の公開を見に行っています(2017年4月29日:「諸戸徳成邸」特別公開へ……「見納め」になるということで)。

Img_4768c_20221203154501  続いて徳成第一公園。徳成農園跡です。ここは、東洋紡績の前身である三重紡績を創立した一人、伊藤傳七(第10代)(嘉永7(1852)~大正13(1924)、明治~大正時代の実業家、貴族院議員)が果樹栽培などの研究のため、明治43(1910)年に園芸場を設けた跡地です。

Img_4771c_20221203154501  走井山公園。桜の名所でもあります。戦国時代に矢田城がありました。北畠氏の家臣である矢田半右衛門俊元の居城でしたが、織田信長の伊勢侵攻の際に滝川一益によって攻められ落城すると、その後は一益に与えられ、長島一向一揆を攻略する最前線基地として使われました。

Img_4795c_20221203154601  走井山勧学寺の本堂。聖武天皇の御代(724~749年)、行基菩薩の草創によるものと伝えられています。室町の頃(1390~1570年)までは走井山北麓にありました。同地内(現在の桑名高校付近)の海善寺が廃寺となり、本尊の千手観音立像が当寺へ移されてきています。桑名藩主・松平定重公(1657~1710年)の時、現在地の矢田城跡に再建されました。明治の初め(1870~1880年頃)、いったん廃寺の憂き目に遭ったものの、近在の信者有志の尽力により再興されました。本堂は、松平定重公寄進のもので、市内に現存する寺社建築としては最も古いとされます。

Img_4858c_20221203154601  走井山公園から南、三岐鉄道北勢線馬道駅の方に降りてきたところから振り返った写真。何度か取り上げていますが、この写真に三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)があります。この三猿は私のお気に入り。ここで見上げたら、背後にイチョウの大木があって、なかなか良い景色でした。

Img_4888c_20221203154601  こちらは上野御膳水(ごぜんみず)。背後の上野の丘から湧き出た水で、江戸時代、桑名藩主の飲料水として、毎日、桑名城まで運ばれたのが、ここ上野の湧水なのです。そのため、「御膳水」と呼ばれます。以前は、筧から水が流れ出ていたそうです。今は、飲用には適しません。

Img_4912c_20221203154601 上野御膳水の西に上野神社。上野神社のご祭神は、建御雷之男神(タケミカヅチノカミ:鹿島神宮の神)、齋主神(いわひぬしのかみ:経津主神(ふつぬしのかみ)ともいう、香取神宮の神)、天児屋根神(アマノコヤネノミコト:天照大神が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神)など7柱。上野村の氏神様。

 Img_4917c_20221203154601 石取祭で有名な春日神社(桑名宗社)は、桑名神社と中臣神社の2社からなっていますが、中臣神社はもともと上野に鎮座していたといいます。神護景雲2(768)年、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮から奈良市の春日大社に建御雷之男神を勧請した際、ここ上野に一時鎮座し、翌神護景雲3(769)年にその鎮座地に創建されたのが、その中臣神社であると伝わっています。この中臣神社は、正応2(1289)年8月、桑名神社境内に遷座され、上野を離れました。永仁4(1296)年8月、中臣神社に春日大社から建御雷之男神、斉主神、天児屋根神、姫大神の4柱が勧請されたのですが、その際には上野村(現在の桑名市太夫)の若太夫と一太夫が遣わされたとされます。その後、中臣神社の旧鎮座地に春日大社の4柱を祭神とする四之宮神社が祀られました。明治41(1908)年、上野村内にあった山神社(祭神は 大山津見神)と富士浅間社(祭神は木花咲耶比売命)、繁松新田の一目連神社(祭神は天目一箇命)とともに立坂神社へ合祀されたのですが、戦後、四之宮神社を旧地に戻そうという動きがあり、昭和23(1948)年4月に、現在地へ分祀。この時、四之宮神社とともに合祀されていた旧村内3社の祭神もあわせて祀り、社号は上野神社と改められています。

Img_4935c_20221203154601 Img_4938c_20221203154601  上野神社から竹林の中を少し登っていきます。最初に来た時はずいぶん不安を抱きながら登っていった記憶があります。ここに上野墓地があります。「十念寺山」とも呼ばれます。慶長の町割のとき(慶長6(1601)年)、十念寺は桑名城付近から現在地の伝馬町に移転したのですが、しかし、面積が不足したため、この一帯を藩主に賜ったといいます。十念寺の歴代住職の墓などがあります。見つけた中でもっとも古いお墓は、「寛永五年(1628年)」とあり、驚きました。花が手向けられている墓もたくさんありました。

Img_4969c_20221203154601 Img_4966c_20221203154601  上の墓地からさらに登って、井坂山冷水庵(いさかさんれいすいあん)。曹洞宗。明暦2(1656)年に茂右衛門が境内地を寄進し、建立したといいます。位牌によれば、海蔵寺3世の剣嶺(けんれい)大和尚が開山し、その弟子である愚白(ぐはく)禅師が開基。海蔵寺の末寺。弘法大師の作という虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ:智慧と功徳が広大無辺である菩薩)を本尊とします。現在の本堂は、棟札によれば文化 13(1816)年4月に建てられたもの。境内に阿波国出身で桑名藩校進脩館(しんゆうかん)の副教(副校長)をつとめた佐父理希亮(安永3(1774)~文政3(1820)年:さぶりまれすけ)の墓で、亀に乗った「亀跌(きく)」があります。妻の柔は夫が異郷の地で亡くなり、将来は夫の業績がだれにも知られなくなることを嘆いて、自分の装身具を売り払い、ここに墓を建てたのです。

Img_4976c_20221203154601  南大山田神社。元は太夫村八幡社でした。この八幡社は、明治41(1908)年10月に西桑名神社に合祀され、合祀した新しい神社を南大山田神社といいました。その後、第二次大戦後に分祀されたのではないかと思います。境内には、「八天宮」と刻まれた石柱と「両宮遙拝所」とがあります。「八天宮」は、火伏せの神。江戸時代の文政7(1824)年、桑名藩主の命で各村に八天宮を祭るようにされ、桑名員弁地方で特に信仰が多いそうです。両宮遙拝所は、もちろん伊勢神宮の外宮・内宮。伊勢神宮の遙拝所は、桑名あたりではあまり見かけません。ここで、小休止。

769fa848 Img_4983c_20221203154601  太夫の大楠(たゆうのおおくす)。元々、六本楠という名称の楠(楠群)があり、楠が6本あったといいます。 天正年間(1573~92)、三河の武士が、この六本楠に隠れて追手から逃れることができ、 一命を取り留めたそうです。後年、その楠が枯れた時に、その母親がお礼に植えたという話が伝わっています。幹が2つありますが、環境省巨樹巨木林データベースによれば、幹周6.80m、樹高20m、地上60cmの所で測ると、幹周は10.08mとあります。このあたり、八幡社(南大山田神社)の境内地であったと思われ、ご神木だったといいます。全体像の写真を撮り忘れましたので、左の写真は去年3月20日に撮ったもの。

Img_5009c_20221203154601 大楠から北へ、すぐのところに、増田神社。ここは、伊勢太神楽で有名。伊勢太神楽は、伊勢神宮に参拝できない人の代わりに神楽を奉納する神事で、桑名市内の伊勢太神楽講社の人々によって受け継がれているもの。普段は各地を回っていますが、12月24日には増田神社境内で全曲が奉納されます。豪壮な獅子舞に加え、皿回しや軽業といった曲芸などもあります。 伊勢太神楽は、国の重要無形民俗文化財。

Img_5013c_20221203154601  増田神社の御祭神は、天照皇大神など7柱。由緒書きによれば、白鳳元(672)年、壬申の乱の際に大海人皇子が、吉野から桑名に逃れ、桑名郡家に泊まられたという伝えがあります。そのときに神宮を遙拝された地に、この増田神社を奉祭されたとありました。

58a7b945  ここで一度、伊勢太神楽を見たいと思うのですが、未だ実現せず。大賑わいになるからです(人が大勢いるところは好まなくなりました)。伊勢太神楽、私は、春日神社の左大臣・右大臣奉納奉告祭で見ました(2016年8月21日:春日さんの左大臣・右大臣奉納奉告祭……伊勢大神楽の奉納も【動画をYouTubeにアップしました】)。

Img_5042c_20221203154601  余談ながら、増田神社から県道を越えて、西桑名神社に向かいますが、県道交差点のところにある三和シヤッター販売店には、鉄人28号とスパイダーマンがいます。この光景は、地元ではたぶんかなり有名。

Img_5066c_20221203154601  その先に、西桑名神社。主祭神は、品陀和氣命(ほんだわけのみこと:応神天皇)。勧請年月は明らかでないようですが、現在の西方配水場のあるところに、滝川一益が永禄年間(1558~1570年)に西方城を築かせた加藤勘助の祈願所であったといいます。また、この西桑名神社にも、大海人皇子(天武天皇)が白鳳年間(白鳳は、私年号)に桑名に立ち寄られたときに、ここから神宮を遙拝されたという伝説もあると由緒書きにはあります。

 Img_5049c_20221203154601 西桑名神社は、明治41(1908)年10月に太夫村の八幡社(南大山田神社)を合祀し、南大山田神社と称しています。昭和9(1934)年9月、西桑名神社に改称。天正年中(1573~1591年)滝川氏の頃、既に城廓があったので、それ以前からの社であるとされています。

Img_5070c_20221203154701  西方城跡は、今日は、場所を確認しただけで通過。かなり上り下りしてきましたので、これ以上の登りは勘弁して欲しいということ(苦笑)。西方城は、滝川一益の家臣加藤勘助が築いたとされます。矢田城を中心とする西別所3城(西方城、白山城、西別所城)の1つ。天正11(1583)年、滝川一益が転封の後、廃城となりました。現在は配水場、竹林、畑に変わっており、竹林内に土塁らしきものが残ります。前回の記事をご覧ください(2021年3月23日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」……その3(南大山田神社から海善寺を経て桑名駅西口にゴールで「完」)。

Img_5073c_20221203154601 Img_5082c  西方状の北に西方寺(さいほうじ)。入り口に「真宗大谷派阿弥陀堂」と刻まれた門柱が立っています。天文16(1547)年、道覚が開基し、ご本尊も同年のものが伝わっています。かつては道場で、「旧道場」「総仏堂」「阿弥陀寺」と呼ばれました。昭和17(1942)年には「西方教会」と改称し、昭和27(1952)年に現在のように、西方寺となりました。

Img_5103c_20221203154601  ここは今日歩いた中でたぶん最も高いところで、キョリ測で見ると、海抜約70m。眺めも良く、名古屋駅前の高層ビル群もよく見えたくらい。紅葉は、まだこれからという感じでした。

Img_5117c_20221203154701  西方寺から下って、マリアモンテッソーリ幼稚園(右の写真)Img_5111c_20221203154601 の南側を通って、西方廃寺跡。西桑名神社の北東にある笹山溜池公園がそれです(以前は、標識が建っていたようですが、今はありません)。西方廃寺は、奈良時代の寺院と考えられています。というのも、志摩国分寺や縄生廃寺(朝日町)と同系の瓦が出土しているためです(こちらを参照)。この近くには、西方窯跡があり、西方廃寺に瓦を供給するために創業した窯跡でした。4基の窯があったといいます。西方窯跡は、現在は、マリア・モンテッソーリ幼稚園の敷地内のようで、立ち入りはできません(こちらを参照)。

Img_5143c_20221203154701 Img_5136c  最後の目的地は、東明山海善寺。元木観音とも呼ばれています。前回来た時には、かなり荒れていたのですが、少しずつ修復されているようでした。江戸時代には、境内に大きな松があり、「元木の笠松」と呼ばれていました。また、付近は松林となっており、サギが生息していたので「鷺山」といわれていたといいます。古代からの寺院・海善寺の跡地とされます(くわな史跡めぐり)。千手観音が安置されています。前回は厨子の中で拝観できなかったのですが、今日は、しっかりと見られました。これで今日の目的地はコンプリート。時刻は11時45分。昼食を摂るために桑名駅方面に向かいますが、ここから先は、下り坂のみ。BSプレミアムの「日本縦断こころ旅」で火野正平さんが、自転車で坂を下る時の決め台詞に「人生、下り坂最高!」というのがありますが、似たような気分。

Img_5154c_20221203154701  余談。桑名駅では、自由通路を通って東側へ。自由通路には、ベンチがいくつか設置されていました。今週水曜の非常勤に行った時には気づきませんでしたので、それ以降に置かれたかと思います。ベンチの足が、桑名の鋳物でつくられたものもありました。ベンチ本体は、多度山の間伐材を使っているのかなという気がします。

Img_5162c Dsc_6871c  桑名駅の周囲は、ランチが取れるところ店は多くありません。今日もウロウロしてしまい、結局、最近も行った「桑名ホルモン&目利きの銀次」へ。12時半になっていました。「サバかつ定食(¥880)」で昼食。1時半過ぎまでしゃべって解散。

 Img_5181c_20221203154701 今日歩いた距離。Google Fitで約10㎞。ここまでの歩数は、17,767歩でした。よく歩きましたし、アップダウンがかなりありましたから、けっこうな運動量。年内にもう1回、長島の方へウォーキングに行きたいと思っています。

Img_4905c_20221217044201 【カワセミについて付記(12/17)】 12月16日に鳥見の知人から、上野御膳水の南にある農業用のため池に最近、カワセミがペアで登場しているという情報を得ました。コースマップでは上野御膳水のすぐ南西にある池がそれです。オスのカワセミが以前からいたところにメスも来るようになったというお話しでした。

2022年12月 2日 (金)

ユリカモメのお尻写真

Dsc01938c  11月末まで暖かかったので、北風が身にしみます(苦笑)。今朝は、4時過ぎに目が覚めましたので、ワールドカップの日本対スペイン戦を、前半戦の15分くらいからリアルタイムで見ていました。久しぶりに興奮。大変失礼ながら、日本が勝つとはまったく予想していませんでした。散歩はいつも通り、7時半から。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、吉津屋町、新築公園からファミマによって、老松公園、寺町と6.8㎞。ファミマに立ち寄ったのは、伊藤園の「お~いお茶 緑茶600ml」に『あつまれ どうぶつの森』のペットボトルカバー(全6種)がついたキャンペーンが行われているので、ゲットしてくるようにという指示があったのです(笑)。しかし、残念ながら、ファミマは参加していないようで、dutyは果たせず。

Dsc01947c_20221202125601 Dsc01982c  住吉水門の内側でオオバンを1羽見つけました。毎年、ここ住吉水門の内側には、オオバンやヒドリガモがやって来ます。ときどき、思いもかけない時にカイツブリ、カンムリカイツブリ、ハジロカイツブリが来ます。住吉神社の前の揖斐川では、カンムリカイツブリ。カンムリカイツブリは、ほかにも2羽。この時間帯、日が陰っており、川沿いで風もよく当たって、寒いこと。

Dsc02007c Dsc02017c  七里の渡し跡では、コガモのオスが3羽、メスが4羽。急に寒くなったせいか、散歩する人は激減。11月までは毎日のように出会っていた方たちも、見かけなくなりました。

Dsc02075c Dsc02097c_20221202125601  三の丸公園では、ツグミが地上に降りているのを確認しました。今シーズン、地上で見たツグミ第1号です(微笑)。ほかには、ハクセキレイが2羽。11月中旬くらいまでは、ここで必ずといってよいほどモズを見ましたが、最近はサッパリ。昨シーズンは、ジョウビタキがよくいたのですが、今年はこのあたりではまだ見ていません。

Dsc02116c  柿安コミュニティパーク西の堀には、オオバンが3羽。

Dsc02155c_20221202125601 Dsc02235c_20221202125601  九華公園に着いて、管理事務所のすぐ北でヤマガラたち。シジュウカラや、メジロもいたのですが、撮影できたのは、ヤマガラとコゲラ。曇天、逆光位置ということで、証拠写真。

Dsc02414c_20221202125601 Dsc02352c  奥平屋敷跡では、まずはジョウビタキのオス。そして、今日もコサギが2羽、公園の堀を飛び回っています。カワウたちが集団で漁をするところを追いかけて、おこぼれを狙っているようなのです。この右の写真は、奥平屋敷跡のソメイヨシノの木に止まったところ。ほかに、ツグミ、ヤマガラも見たものの、暗いペケ写真を量産(苦笑)。

Dsc02550c_20221202125601 Dsc02522c  カモたちは、なかなか増えてきません。今日は合計54羽。キンクロハジロが38羽、ハシビロガモは8羽、ヒドリガモはオス3羽にメス2羽。

Dsc02606c Dsc02675c_20221202125501  ユリカモメは40羽。今シーズン最多。今日はけっこう活動的で、いつものように、野球場のフェンスに止まっているかと思えば、二の丸跡のクスノキにたかったり、堀に降りたりしていました。

Dsc02698c  そして、毎年恒例、ユリカモメのお尻写真もゲット。この写真、インスタに上げると喜んでくださるファンの方がいらっしゃいます(微笑)。今日のバードウォッチングは以上。貝塚公園にはヒヨドリがいたものの、内堀南公園、新築公園、老松公園には何もいませんでした。急に寒くなって、鳥たちも震え上がっているのでしょうか?

Dsc02590c_20221202125501  非常勤の授業のQ&Aは、昨日の夕食後に確認して、昨晩のうちにメールで送信。最近まれに見る早い仕上がり(爆)。「やればできるじゃん」というところ。明日は、桑名駅西&諸戸水道ウォーキングの予定(勝手に命名しています)。昨年3月20日に歩いたコースを同級生K氏と再現するのです(2021年3月20日:20210320勝手にハイキング「諸戸水道・駅西を行く」(予告編))。明日の予報では、最高気温は14℃と今日より高いのですが、最低気温は3℃とかなり冷え込みそう。

2022年12月 1日 (木)

九華公園と貝塚公園でツグミ

Dsc01143c  いよいよというか、とうとうというか、12月になりました。一気に寒くなり、最高気温は、13.6℃。北西の風が、最大で6.2m/sと強い。いつも通り、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、常盤町、常信寺、寺町と6.8㎞の散歩。日が当たっていれば、それなりに暖かいのですが、日が陰り、風に吹かれると寒さが身にしみます。

Dsc01204c Dsc01247c  揖斐川には、赤須賀漁港の漁船が出ていて、水鳥の姿はありません。七里の渡し跡には、ヒドリガモのオスが5羽、メスが8羽。三の丸水門のところでハクセキレイが2羽。鳥はあまりいません。

Dsc01376c_20221201171101  九華公園に着いて、相撲場の近くの樹上に入れ替わりで、ツグミが10羽近く登場。鳴き声は先日から聞いていたのですが、きちんと姿を捉えたのは、今シーズン初めてといって良いくらい(2022年11月21日:シメとツグミもやって来ました)。今しばらくは、樹上にると思いますが、そのうち地上に降りてくるはず。

Dsc01428c  コサギが2羽。公園内外を飛び回っていました。ときどきホリにダイビングして、魚を捕っているところも見えたのですが、遠くて写真には撮れず、残念。

Dsc01822c Dsc01827c  カモは合計50羽。キンクロハジロ(左の写真)が38羽、ハシビロガモ(右の写真)が10羽、ヒドリガモは今日は、1ペア。ユリカモメは、私が奥平屋敷跡にいたときに、二の丸跡のクスノキにたかっているのが見えましたが、すぐに姿を消してしまい、ノーカウント。

Dsc01443c Dsc01573c  奥平屋敷跡では、待っていたら、ヤマガラ(左の写真)、シジュウカラ(右の写真)、メジロ、コゲラの、いつもの混群が登場。しばし滞在。

Dsc01562c Dsc01674c  メジロとコゲラ。この混群、私がいたところのすぐ目の前に滞在していたのですが、よく動きますので、写真にはなかなか上手く撮れません。

Dsc01803c_20221201171201  奥平屋敷跡には、ほかにはハクセキレイのペア。今日は、シメ、モズ、ジョウビタキ、アオサギはやって来ませんでした。冬になるとビンズイや、シロハラも来るのですが、まだ見ていません。

Dsc01920c  貝塚公園でも、ツグミを1羽見かけました。ほかにはメジロとヒヨドリ。ヒヨドリは今日も、どこに行ってもたくさんいます。内堀公園、新築公園では何もおらず。

Dsc01851c  昨日の授業のQ&Aは、夕方完成。プリントアウトして、寝かせてあります。夜か明日の朝にでも確認して、メールで送る予定。割とスムーズに書き終えられました。今年は喪中ですので、すでにその連絡は済ませました。年賀状を用意しなくて良いのは、楽なような、ちょっともの足らないような気がしています。明日はもう少し寒くなるといいます。写真は、鎮国守国神社の紅葉。

« 2022年11月 | トップページ | 2023年1月 »

2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)

  • 本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

    本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)
    本田秀夫先生によるこのSB新書の4冊目のシリーズ。今回は、発達障害のあるお子さんの学校選び、学級選び、友達関係、学習や学力の悩み、不登校など、発達障害のあるお子さんの学校生活全般にわたって、どのような考え方に基づいてサポートしたら良いかについてまとめられています。それぞれ、親と先生とが、どのように取り組むことが基本となるか、解説されています。対策よりも予防的な工夫をコミュニケーション(要求ではなく)に基づいて行う、「学校の標準」を緩める、登校や成績を気にしすぎず、社会に出るための土台作りを考える、発達の特性には寛容になる、学びを大切にするが学力にこだわりすぎない、親と先生とが気づきを伝え合い相談、調整する、子どものモチベーションを重視するなど、具体的に書かれていて、分かりやすくなっています。発達障害のあるお子さんが小中学校で充実した学習が進められるための基本的な考え方やヒントが詰まっていますので、親御さんにも、先生方にもお勧めできます。 (★★★★★)

  • 佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?

    佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?
    サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」、「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究を本にしたもの。何故これをここに取り上げたかというと、私のブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供して欲しという依頼が出版社からあったのです。私が提供した写真は、本書の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。ざっと読みましたが、大人でも、古事記や神社についてよく知らない方が、最初に手に取って基本的なことがらを知るには、わかりやすくて良い本だと思います。 (★★★★★)

  • 森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)

    森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)
    ネットで見つけ、新刊かと思って購入したのですが、4年前の本でした(微苦笑)。 若い頃に森博嗣さんの小説をすべて読んでいました。いつの頃からか、小説は読まず、森さんのエッセイだけを読むようになっています。「読書の極意を教える」と帯にはあります。もちろんそれについて書かれているのですが、私にはある種の知的生産の技術について著者の方法を開示していると読めます。「何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある」というのは、よく首肯できます。また、「教養とは保留できる能力をいう」というのも確かにそうだと思います。自分の問題として抱続けられ、また、考え続けられるのは、容易ではありませんから。 (★★★★★)

  • 井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

    井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)
    愛媛県新居浜市にあった別子銅山は、元禄3(1690)年、伝説の切上り長兵衛によって発見されてから、昭和48(1973)年の閉山まで、283年間にわたり、累計65万トンの銅を産出しました。これは、世界の銅の産出量の1/6にも達するといいます。巨大財閥住友の礎となっただけでなく、日本の貿易や近代化にも大きく貢献したのがこの別子銅山です。江戸時代には貨幣改鋳にも深く関わった世界屈指の鉱山を舞台に、そこに関わった人達を鮮やかに描いた、本当の意味での大河小説です。徳間時代小説文庫で読みました。  (★★★★)

  • 養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)

    養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)
    養老孟司先生と池田清彦先生の対談であれば、外れはありません。サブタイトルのように、「はみ出し日本論」ではありません。ど真ん中の日本論といってもよい本で、楽しみながら読めます。しかし、それは、自分のアタマできちんと考えているからこそ論じられる内容だと思います。常識や、マスコミで報道されることがらだけをフォローしていては、こういう風に考えることはできません。きちんとした理論、知識、データに基づかなければなりません。さらには、物事を捉える大きな枠組み、私の世代にとっては「パラダイム」といえるものが必要。それも、確固たるパラダイムが必要です。私にとってそれはある種の理想なのですが、なかなか難しい。しかし、まぁ、年寄りになったからこそ見えるものや、年寄りなりの知恵も働くようになるということもありますから、養老・池田の「怖いものなし」コンビを1つの目安として、言うべきこともいえるようになりたいものです。 (★★★★★)

  • 土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)

    土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)
    先に同じく土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を挙げましたが、入手したのはこちらが先。「一汁一菜でよい」というスタイルに至るまでの土井さんの修行、出会い、発見、迷いなどなどが書かれています。「家庭料理に失敗なんて、ない」、「すべては人を幸せにする料理に繋がる」というのが基本。具だくさんの味噌汁はおかずの1つになる。余裕があれば、食べたいものや、食べさせたいものをその都度調べてつくればよい。一汁一菜を入り口にして、一つ一つおかずをつくってみて、10種類ほどでもできるようになれば、それで幸せに一生やっていける。といった話があり、へぇーと感心させられました。これだけで健康に健やかに自足できるとも述べられています。一汁一菜なら、私にもできる、でしょうか?? (★★★★★)

  • 土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)

    土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)
    著者の土井善晴先生は、私と同世代。そして、私の世代にとってはあの土井勝さんの息子というイメージが強くあります。テレビなどにもよく出ておられ、なかなか面白い視点でものを見る人だなと思っていました。この本は,出版された当時(2016年秋)から知っていたのですが、手に取ったのはごく最近。文庫本を探していたのですがなかなか遭遇しなかったのです。「一汁一菜でよい」というのは、ご飯と具だくさんの味噌汁があればよいということです。家庭料理についての提案なのですが、実は、この本はもっと奥深いことを述べています。一言で言えば、日本文化や日本人の哲学について述べる中で、食や生活、生き方などについても論じられています。解説を書いておられる養老孟司先生は、それを「自足の思想」と表現していらっしゃいます。優しい、わかりやすい本ですが、実は奥が深い。著者の端正さもよく表れています (★★★★★)

  • 奥山 景布子: 流転の中将

    奥山 景布子: 流転の中将
    幕末の桑名藩主・松平定敬を描いた歴史小説。定敬は、実の兄で会津藩主である容保とともに徳川家のために尽くそうとしたものの、最後の将軍・徳川慶喜に振り回され、裏切られてしまいます。定敬は、それでも抗おうとしたのですが、国元の家臣たちはいち早く恭順を決め、藩主の座も追われてしまいます。朝敵といわれ、越後、箱館から上海まで流浪した定敬の波乱に満ちた人生と、秘めたる思いが生き生きと書かれています。定敬については、歴史講座で学んだり、本で読んだりしてきましたが、小説家の手にかかるとこのように立体的に、活き活きと動き出すものなのだと実感します。 (★★★★★)

  • サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)

    サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)
    たまには専門のアカデミックな本も取り上げます(微笑)。本屋でみつけ、購入。この本は、同じ著者が東大出版会から昨年刊行した「臨床心理学史」で果たせなかったことを果たそうと構想されたもの。果たせなかったのは、日本の臨床心理学史に触れることと、コンパクトな歴史記述だそうです。東大出版会の本は、読んでみたい気もしますが、¥7,000もしますし、内容もハードそうです。こうして臨床心理学の歴史を俯瞰してみますと、やはり実験心理学を抜きにしては臨床心理学も語れないといえます。私個人の考えでも、臨床心理学を学び、実践するには、実験心理学を学び、実験・調査などの方法で研究をした経験が必須です。臨床心理士、公認心理師の資格に関わり、心理学を志す人は多く、また、大学でも臨床心理学部や臨床心理学科もあります。しかし、私は、自分自身の経験からもやはり、実験心理学などの基礎心理学を抜きにして、臨床心理学は成り立たないと考えますし、学生も実験心理学を含めた基礎心理学を、少なくとも学部段階ではきちんと修得した方がよいと思います。本書を読んで、その考えはいっそう強くなりました。 (★★★★★)

  • 昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ

    昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ
    本屋に別の本を買いに行って見つけ、即買い(微苦笑)。私の好むタイプの本です。三重県の地形や地質、歴史、文化、産業などを、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント本。地図も歴史も文化も好きなのです。地図で読み解く三重の大地、三重を駆ける充実の交通網、三重の歴史を深読み!の3部構成。2017年11月にたまたまみつけたJRさわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」に行って以来、JRさわやか、近鉄ハイキング、勝手にハイキングで県内や近郊のあちこちに電車で行って電車で帰るハイキング/ウォーキングをしています。それによって訪ねたあちこちのことが改めてまとめられていて、とても楽しめます。各県のバージョンが出ているようです (★★★★★)

  • 磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)

    磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)
    歴史家・磯田道史さんが、鎌倉女学院高校で行った特別授業の記録と、ビリギャルの小林さやかさんなどとの対談を収めてあります。基本的には、「歴史の見方」についての本なのですが、それに留まりません。ものの見方、考え方を説いた内容です。むしろ、ものの見方、考え方を学びたい方にお勧めしたいと思うくらいです。ちなみに、タイトルは、「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世の中を歩くためのむしろ実用品である」という意味です。これは、歴史の見方について、あまりよく理解されていないポイントと思います。講義録ですから、読みやすく、しかも大変おもしろい本です。 (★★★★★)

  • 久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)

    久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)
    この著者の前著「三河吉田藩・お国入り道中記」で読んだ、三河吉田藩(豊橋)の参勤交代の話も大変おもしろく読めましたし、江戸時代の藩邸の様子、殿様や家臣の仕事、暮らしなどに興味があったので、読んでみました。三河吉田藩に残る「江戸日記」などの古文書から、江戸の大名屋敷がどのようなところであったか、江戸で働く武士の状況、江戸の藩邸で起きた事件のいろいろ、藩邸の奥向きの様子、さらには、明治維新後の藩邸から子爵邸への変化について、リアルな武士の暮らしのもろもろがまとまっていて、とても興味深く読めました。三河吉田藩は、現在の愛知県豊橋市にあり、松平伊豆守家が長く藩主を務めています。松平伊豆守家は、「知恵伊豆」の異名を持つ松平伊豆守信綱を初代とし、忍藩、川越藩、古河藩、吉田藩、浜松藩と国替えを繰り返した後、寛延2(1749)年から明治維新まで三河吉田を治めています。 (★★★★)

  • 安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)

    安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)
    サブタイトルに「大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ」とあり、さらに、オビには「300年前は えっ!? 今よりもっと愉快な旅行天国」ともあります。ただし、旅行を心から楽しめたのは、庶民に限られていたようです。参詣者を増やしたい各地の寺社、温泉、宿泊業者が積極的に営業したからです。一方、武士や大名は、トラブルメーカーだったといいます。公用で旅行したり、参勤交代したりなのですが、宿泊料のダンピング、備品の破壊などなどトラブルをまき散らしながらの旅であったり、権威を笠に着たりで、あまり歓迎されなかったようです。江戸時代の旅のエピソード満載で、楽しめる本です。 (★★★★)

  • 藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック

    藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック
    この本は、WISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの知能検査の結果(アセスメント情報)を「子どもの自立と社会参加」により役立つものにしていくには、どのように伝えたらよいか(フィードバック)についてまとめられています。過去には、保護者、学校の担任、子どもたち自身に知能検査の結果を伝えることはされていませんでした。しかし、現在では、苦戦している子どもたちが、自分のことを理解し、自分なりにも工夫して、学習や生活スキルを向上させ、将来の自立と社会参加につなげるために、知能検査の結果(アセスメント情報)を子どもたち自身にも伝えるようになってきています。私も、相談では、お子さんに直接、フィードバックを行い、子どもたち自身が自己理解を深め、意欲的、積極的に取り組めるようにしています。この本は、子どもと支援をつなぐ、支援者をつなぐという視点から、心理検査のフィードバックについて基礎から応用、事例を含んでその全体像を把握できる、優れたものとなっています。 (★★★★★)

  • 新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)

    新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)
    藤沢周平の作品案内、小説に見られる名言集、映像化された作品の出演者や、関係者による評伝などによって藤沢周平の作品についてすべてとはいいませんが、かなりが分かります。私は、藤沢周平の小説が好きで、たぶんほとんど読んだと思います。ただそれは、15~6年以上前のことで、リストアップもしていませんから、すべて読んだかどうかについては、不確か。こういう本を読むと、もう一度読もうかという気になります。この本では、娘の遠藤展子さんの「父にとっての家族」がもっとも興味深く読めました。また、藤沢周平の言葉で私が気に入っているのは、「普通が一番」です。ほかにも、「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」という言葉が、遠藤さんが父から言われて心に深く残っていることばだそうです。 (★★★★)

  • 千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)

    千正康裕: 官邸は今日も間違える(新潮新書)
    新型コロナのまん延にともなって、政治的な判断や、もろもろの政策は、迷走したといってもよいと思います。突然の全国一斉休校要請、いわゆるアベノマスクの配布や、閣議決定をやり直した一律給付金など、なぜああいうドタバタになるのか、国民の信頼が得られなかったというか、失ったというのか、ずっと疑問を抱いていました。著者は、元厚生官僚で、社会保障・労働分野で仕事をし、現在はコンサルティング会社を経営。この本では、最近のコロナ禍での出来事の背景を記述する中から、官僚主導から官邸主導への変化に、政治の仕組みの変化がついて行けていないからだとしています。これに関して、政治家、官僚ともに仕事のやり方を変えることが必要であるとともに、国民の側にも良い政策をつくるためには望まれることがあるといいます。 (★★★★)

  • 嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい

    嶋田 哲郎, 森本 元: 知って楽しいカモ学講座 : カモ、ガン、ハクチョウのせかい
    「観察するのが面白くなる! ガンカモ類のひみつ」というキャッチコピーです。私がほぼ毎日散歩に行く九華公園の堀には、秋が深まるとカモたちがやってきます。キンクロハジロが最も多く、次いでハシビロガモ。他にはヒドリガモやホシハジロも数少ないものの来ています。カルガモ、カイツブリ、オオバンなども来ることがあります。これらカモやその仲間、近縁種についてもっとよく知り、観察のポイントを増やしたいと思って、この本を読んだ次第。著者は、宮城県の伊豆沼・内沼をフィールドとする専門の研究者。形態的な特徴と行動との関連性、渡り、繁殖地での暮らし、越冬地での生活など、ガン・カモ類について、ちょっと専門的な部分も多いものの、一通りの知識を得られ、また、行動観察などの方法についても知ることができました。 (★★★★)

  • 田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)

    田中優子: 遊廓と日本人 (講談社現代新書)
    「江戸学の第一人者による「遊郭入門」の決定版!」と帯に書かれていて、ついつい手に取ってしまいました。遊郭にはとても興味があります。などと書くと「好色な人物か」と思われるかも知れません(苦笑)。遊郭や遊女は、今日の人権やジェンダーの観点からすると、許されない存在です。これは間違いのないことですが、一方で、たとえば、江戸時代の吉原遊郭の花魁と呼ばれたようなハイクラスの遊女は、高い教養を持ち、芸事や生け花、茶道にも通じていました。ある意味で日本文化の守り手でもあったという面も持っているのです。こうした観点から著者は、「遊郭は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」と述べています。ちなみに、「好色」ということばの意味は、平安時代以来、和歌や琴、舞などの風流、風雅を好む人を「色好み」と呼んでいたことによります。「色」には恋愛や性愛という意味もありますが、もともとは恋愛と文化的美意識が組み合わさったものだそうです。 (★★★★)

  • 養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ

    養老孟司: ヒトの壁(新潮新書) 「壁」シリーズ
    養老先生が、コロナ禍の2年間でお考えになったことの集大成です。新型コロナウイルス感染症が蔓延し始めた頃、NHKのBSの番組「まいにち 養老先生、ときどき まる」だったかで、「老人は、もともと不要不急の存在だ」とおっしゃった気がしますが、この本は「人生は不要不急か」という章から始まっています。これがたぶんコロナ禍や、養老先生ご自身のご病気(心筋梗塞)を経験し、お考えになった結論の1つ。さらに、不要不急の人生ではあるものの、それでも生きる価値はどこにあるか様々な視点から考察されています。「人生とはそんなもの」と思いつつ、自分に居心地の良い場所をつくりながら、万事テキトーに終わるのが良さそうです。 (★★★★★)