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2022年9月24日 (土)

20220924笠寺ウォーキング(超予告編)

 昨日計画していた「笠寺ウォーキング」は、台風15号の影響で雨になりましたので、今日に順延。今日は、まさに台風一過で、よく晴れました。最高気温も、桑名で31.0℃。ちょっと暑くはなったものの、真夏ほどでもなく、それなりに歩きやすい気候でした。いつものように、同級生K氏と二人旅。今日のところは、超予告編。以前は、ウォーキングに行って帰ってからもまだ元気があって、写真の整理や、実際に歩いたルートマップの作成などを難なくこなしたのですが、最近はなかなか(苦笑)。それ故、「超予告編」。ちょっと手抜きもありますが、明日以降、この予告編にも手を入れつつ、本編も書いていきます。

Kasadera0  こちらが実際に歩いたルートマップ。名鉄名古屋本線桜駅をスタート。桜神明社、富部神社、呼続公園、長楽寺から東海道を少し歩いて笠寺観音へお参り。続いて笠寺公園にある見晴台考古資料館から笠寺一里塚跡と七所神社を経て、名鉄名古屋本線本笠寺駅まで。名鉄線では、1駅分でしたが、ぐるぐると回って、実際に歩いたのは5.7㎞ほど。

Img_1922c_20220924191801  近鉄桑名駅を8時25分に出る名古屋行き急行に乗車。近鉄名古屋駅には8時46分着。名鉄名古屋駅を8時54分発の東岡崎行き普通に乗り換え。桜駅には9時7分着。近鉄が¥450、名鉄は¥300。桜駅スタートは、9時10分頃。

Img_1990c_20220924191801 Img_1969c  桜駅のすぐ南に桜神明社。創建時期は不明。ご祭神は、天照大神を含む8柱(こちらに詳しい説明があります)。大正5(1916)年、近在にあった熊野権現社の祭神を合祀。また、天保年間の作と伝わる馬具が伝わっていて、毎年10月の例大祭の際に展示されるそうです。このあたりは、鎌倉街道と塩付街道が交わるあたり。

Img_1972c_20220924191801  桜神明社の本殿は古墳の上に建っています。桜神明社古墳と名付けられた古墳は、直径が36メートルほどの円墳で、出土品の須恵器などから5世紀末に造られたものと考えられています。かつては比米塚(ひめづか)と呼ばれていたようで、姫塚の字を当てることもあったといわれます。墳丘の西と北に周濠の一部が残っており、円墳部分も元の形状をよく保っています。

Img_2019c_20220924191801 Img_2052c_20220924191801  こちらは富部神社。笠寺台地上に位置し、古代、この台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれています。慶長年間、清洲城主松平忠吉公(徳川家康四男)が、富部神社を創建しました。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財、また、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。

Img_2066c_20220924191801 Img_2071c_20220924191801  富部神社の北から西は呼続公園になっています。このあたりこは、3年前JRさわやかウォーキングで来ています(2019年2月3日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編)。そのとき、事前によく調べず、後からここにあるのに気づいたが、「頼朝公旗掛松」。今日はこれは是非観ないとと思って行ってきました。源頼朝公が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を取ったといわれる松です。ちなみに、源頼朝は、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、翌建久元(1190)年、ついに上洛を果たしました。このときに旗をかけて休んだとすれば、830年も前からある松ということになります。確かにそう言われても納得しそうな雰囲気の老松です。

Img_2099c_20220924191901  続いて稲荷山長楽寺。曹洞宗。寺伝では、弘仁12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。ここは最近、ペット供養で有名です。今日われわれが訪ねた時も、愛犬の「8周忌法要」が営まれていました。

Img_2108c_20220924194801  ここで、私がもう一度見たかったのは、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷です。前回は、標識を見つけられなかったのですが、今回はしっかり確認してきました。向こう側には「旧今川領」という標識が立っていました。長楽寺からしばらくは、旧東海道を歩きます。

Img_2180c_20220924191901 Img_2239c_20220924191901  スタートから3㎞弱で、笠寺観音に到着。正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派の寺院。前回来たのは、節分のときで大賑わいで、境内をしっかり見て回る余裕がありませんでした。本堂の周りも新しい建物があったり、本堂へのスロープも新しくなったようです。

Img_2302c_20220924191901  笠寺観音の東、笠寺公園の中に名古屋市見晴台考古資料館があります。このあたりには、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)があります。弥生時代後期を中心とした環濠集落で、この資料館は見晴台遺跡を中心として調査、建久、展示をしています。弥生時代の竪穴式住居を再現したところもありますし、笠寺高射砲陣地の遺構もあります。あのきんさんぎんさん桜もここにあります。

Img_2372c_20220924191901  笠寺公園から南に降りてまっすぐ行くと、東海道に行き当たり、笠寺一里塚跡があります。日本橋からは88里。名古屋市内には、9カ所に一里塚があったそうですが、現存するのはこの「笠寺一里塚」だけです。かつては一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代までムクノキが植えられていました。こちらには、土を盛った上に大きなエノキが根を張っています。節分に来た時には水仙が満開でしたが、今日は、ヒガンバナ。

Img_2381c_20220924191901 Img_2388c_20220924192001  今日最後の目的地は、七所(ななしょ)神社。ご祭神は、日本武尊、須佐之男尊、宇賀御魂尊(うがのみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父)、宮簀媛命(みやずひめのみこと;日本武尊の妃)、乎止与命(おとよのみこと;天火明命(天忍穂耳尊の子)の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造)の七柱。これらの七柱を祀っていることから、七所神社と呼ばれています。天慶3(940)年、平将門降伏祈願のために、熱田の宮の神々を勧請したと伝えられています。また境内には、昔から熱田神楽の正統を継承してきた神楽師の碑があります。

Dsc_6813c Img_2427c_20220924191901  ここからゴールの名鉄本笠寺駅へ向かいます。駅前に着いたのは12時半頃。例によって昼食ということで店を探しました。まず目についたのはうなぎ屋さんでしたが、これが小丼のうな丼でも¥1,980。手が出ません(苦笑)。その先の「珈琲ミハル」へ。創業60年を超えている、まさに昭和風の喫茶店。昭和のオッサンであるわれわれにはこちらの方がぴったり(苦笑)。和風ハンバーグランチ、コーヒー付きで¥850。

Img_2424c_20220924191901  食事を済ませ本笠寺駅に着いたのは、13時20分過ぎ。現地で歩いたのは5.7㎞。本笠寺駅を13時30分に発車する犬山行き普通に乗車し、名鉄名古屋駅には13時46分着。14時1分の松阪行きの近鉄急行に乗り換え、近鉄桑名駅には、14時22分着。電車賃、名鉄は往きと同じく¥300。桜と本笠寺は隣の駅。今日は1駅分を歩いたのみなのです。近鉄の料金は¥450。

Img_2464c_20220924191901 Img_2455c_20220925063201  帰りに柿安シティホールに立ち寄って、ご近所の方が関わっておられる写真展を見てきました。自宅から桑名駅往復、今日は2.8㎞。今日歩いたのはトータルで8.5㎞、歩数は16,636歩でした。以上、今日のところは、超予告編。明日以降、本編を書いていきます。

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