20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その3)……久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、忍藩大矢知陣屋跡から龜屋佐吉でかき氷を食べて大矢知駅にゴール(完)
9月2日の勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の本編その3です。その2では、浄恩寺、南伊賀留我神社、福徳寿御嶽神社、北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳碑、浄恩寺道石碑と回ってきました。実際に歩いたルートマップは、まだその2です。その3では、天武天皇迹太川御遙拝所跡から久留倍官衙遺跡へ行きます。久留倍官衙遺跡には、くるべ古代歴史館もあり、この日は、壬申の乱から1350年を記念した企画展も開かれていました。
荒木十兵衛頌徳碑から十四川を挟んですぐのところに「天武天皇迹太川御遙拝所跡」があります。(県指定史跡)。壬申の乱(672年)の際、大海人皇子(のちの天武天皇)は、奈良の吉野を離れて伊賀に入り、鈴鹿から三重郡家に進み、さらに朝明郡の迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したといいます。御遥拝所跡の碑が立つこの地は、江戸時代の人がその場所であると考えたところだそうです。
慶応2(1866)年に造立された石柱には「天武天皇呪志(のろし)の御松斉宮」とあります。近年まで松の古木が立っていたといい、そのためこの地が御遥拝所跡として昭和16(1941)年に県の史跡に指定されたのです。松は平成14(2002)年に枯れ、今は、地元自治会が植えた槇の木があります。ここはよく手入れされています。この御遥拝所跡は、十四川(じゅうしがわ)沿いにあります。十四川は、古くは、咒志川(しゅうしがわ)といったようです。「迹太川(とおがわ)」は、現在の「米洗川(よないがわ)」とされます(ホントに歩く東海道など)。米洗川は、垂坂公園の北から東にかけて流れている川で、四日市港の霞大橋の近くに注いでいます。この地に「天武天皇のろしの松」とされた老松があったために天武天皇の御遥拝所と定められたということですから、確かにここで大海人皇子が戦勝祈願をしたかどうかは、分かりません。その2にも書きましたが、大海人皇子が遙拝したのは、伊勢神宮というよりも、太陽神である天照太神即ち太陽(朝日)だと考える方が妥当だともいわれています。遙拝の際には、遙拝所を設け、結界を結んで儀式を行ったと、くるべ古代歴史館で出会ったボランティアガイドの方がおっしゃっていました。結界を結んだのですから、御幣も用いたはずで、それがその1で訪ねた志氐神社に繋がっているのだろうと思います。
余談。十四川を渡って天武天皇迹太川御遙拝所跡に入っていくところに「斎宮橋」という名前の橋がかかっています。コースマップでこれを知った同級生K氏は、もっと立派な橋がかかっていると思ったらしく、「何だ、こんな橋か」とガッカリしていました。確かにそういえば、そうです(左の写真の橋が、斎宮橋)。
スタートから5㎞あまり、10時55分に「くるべ古代歴史館」に到着。くるべ古代歴史館は、四日市市大矢知町で見つかった久留部官衙(くるべかんが)遺跡の中に、2018年3月25日にオープンしています。
大矢知町は四日市市北部にあり、伊勢湾を望む丘陵の東先端部に「久留倍遺跡」という弥生時代から室町時代にかけての遺跡があります。久留倍官衙遺跡は、この久留倍遺跡に含まれています。国道1号線北勢バイパス建設の事前調査によって、古代の役所跡が発見され、それが国指定史跡久留倍官衙遺跡となっています。「久留部」は地名(訓覇とも書くようです)、「官衙 」は役所ですから、久留部にあった役所の跡ということです。古代、このあたりは「朝明郡」と呼ばれましたので、「朝明郡役所跡」という意味になります。左の写真で、下の方を左右に北勢バイパスが通っています。北勢バイパスの南に駐車場や、くるべ古代歴史館があります。史跡に指定された範囲は、北勢バイパスの上(北西側)に広がっています。ここに、正殿(せいでん)・脇殿(わきでん)・東門(八脚門(はっきゃくもん)などを備える東を向く政庁(せいちょう:役所の中心)の跡が見つかったのです。周囲には、官衙関連施設と考えられる多くの建物も見つかっています。この久留倍官衙遺跡は、また、壬申の乱や聖武天皇の東国行幸などの史実との関連も注目されていて、 考古学のみならず古代史や万葉集研究にも一石を投じる重要な遺跡と考えられています。
くるべ古代歴史館を入ったところにあるパネルと人形(ここから4枚のくるべ古代歴史館の写真は、2018年に撮影したものです。この日は、内部の写真は撮りませんでした)。発掘調査は平成11(1999)年に始まりました。平成18(2006)年には、伊勢国朝明郡の郡家(ぐんけ、ぐうけ、官衙)跡である可能性が高いということで国の史跡に指定されています。朝明郡は、現在の四日市市北部を中心とした地域です。館内には、学習展示室があり、久留倍官衙遺跡の変遷や、古代朝明郡のこと、壬申の乱や聖武天皇東国行幸、万葉集との関わりを、イラストや建物の模型、映像、出土遺物で解説されています。
壬申の乱のことも詳しい展示があります。このとき、大海人皇子(のちの天武天皇)は、672年6月24日、吉野を出立し、翌25日までに吉野、宇陀、榛原、室生、名張、伊賀、柘植(加太越え)、鈴鹿(伊勢国司が出迎え)、河曲、采女と100km以上を進んでいます(河曲、采女は現在の四日市市)。さらに、26日には、朝明郡家から桑名郡家へ入りますが、その前に「迹太川」のほとりで天照大神を遙拝し、戦勝祈願をしたとされます(日本書紀)。これが、天武天皇迹太川御遥拝所跡とされるのです。ボランティアガイドの方に一通り、説明をしてもらいました。
北勢バイパスの取り付け道路をくぐると、久留倍官衙遺跡のある「くるべ歴史公園」に出ます。北勢バイパスが目の前に見えていますが、その向こうに八脚門と正殿とが復元されています(こちら)。前回来た時には(2018年9月15日:20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(予告編))、八脚門の復元工事が始まったばかりでした。
丘陵上部に政庁が建てられ、正殿とその手前左右(南北)の脇殿が「コ」の字形に並び、これらの東側正面に八脚門がありました。八脚門とは、正面柱間が3間で、本柱の前後に控柱が4本ずつ(計8本)立つ形式の門で、格式の高い門とされます。政庁区域の規模は、東西42m、南北51m、面積2,142平方メートルでした。こちらが八脚門です。古代の役所のほとんどは、正門が南にありますが、ここの場合は東にあります。門は当時の建物と同じ外観でつくられています。
八脚門の北に正殿が復元されています。正殿は「丁屋」とも呼ばれ、11.3m×7.4m、83.6平方メートル(畳52枚分)の広さ。政庁の中心的な建物で、正殿前の広場では、役人が集まって儀式や宴といったまつりごとが行われたといいます。復元された建物は、正殿の大きさを示すもので、現代の材料と工法が用いられ、休憩所として利用できます。こちらは、現代の素材を用いて再現された「立体表示」です。
ここでは他にも、半立体表示として、短い柱を立てて、当時の建物の大きさが分かるようにしてあるところもあります。広々としていて、とても気持ちが良いところ。小高い丘にあり、伊勢湾の方まで眺望がよく利きます。公園内には、他にも万葉植物が植えられたエリアもあります。
久留倍官衙遺跡には11時半頃まで滞在。ここから、実際に歩いたルートマップはその3となります。ゴールの三岐鉄道三岐線大矢知駅も近くなります。長倉神社、照恩寺、郷倉を見て、大矢知阪神や後である大矢知興譲小学校へ。ハ風街道に出て道標を見て、今日の最大の目的ともいえる亀屋佐吉でかき氷。そして、大矢知駅へと向かいます。
久留倍官衙遺跡のすぐ北、歩き始めてから6㎞を過ぎたところに長倉神社があります。これは二の鳥居。ここからかなり昇っていきます。今日は、けっこうアップダウンのあるコースです。この二の鳥居をくぐっていくと、すぐにお稲荷さんの朱い鳥居が並んでいます。豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)です。ネット検索では何も情報は出て来ません。神社検索(三重)の長倉神社の項目にも言及はありません。
稲荷舎の参道の鳥居脇に、「祈念表」という石碑が建っています。大正9(1920)年7月に、素麺製造のための機械が発明され、それを組合が率先して試用したところ収益顕著に加わり、幾多の改善が得られたことを祈念して建てたといった趣旨の内容が記されていました。石碑には、発起人として松永仁吉、水谷丑松、人見猪之松の3名の方他多数の名前が刻まれています。大矢知は、江戸時代末期(約200年前)から素麺造りが、農家の副業として行われるようになったところです。旅の僧侶をもてなしたお礼として素麺の作り方を伝えられたという話も伝わっています。大正時代中頃には、それまでの手延べ生産から機械生産に次第に移ったということですから、この石碑はそれに関わるものと思われます。生産量は、全国の1%にも満たないそうですが、コシの強さには評判があります。
豊栄稲荷神社からさらに100mほど登って行くと、ようやく長倉神社に到着。境内は結構広くなっていました。延喜式内社。江戸時代には八幡神社と称して、應神天皇を奉斎していたといいます。創祀不詳。主祭神は、応神天皇。相殿神は、木花之佐久夜毘売神(このはなさくやひめのかみ:大山祇命の娘、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃にして、富士山の神。浅間神社に祀られる)、大山祇命(おおやまつみのみこと:山をつかさどる神)、高龗神(たかおかみのかみ:雨をつかさどる神)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、倭姫命(やまとひめのみこと:垂仁天皇の皇女。天照大神の社を、伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられる)、宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ:五穀、食物をつかさどる)。明治41(1908)年2月、大矢知村大字大矢知字山畑の無格社・斎宮神社、井後神社、山神社二坐を合祀しています。さらに、同年10月、字冨士谷の村社桜神社も合祀。昭和6(1931)年、村社から郷社に昇格。同年神饌幣帛料供進社に指定されています。このうち、斎宮神祠は天武天皇が天照大神を拝んだ迹太川遙拝所跡だという説があります(こちら)。
さてこの長倉神社には神馬殿に向かって左手に「宮城遙拝所」があります。皇紀二千六百年(昭和15年、1940年:神武天皇の即位から2600年目に当たるとされた)に建之されています(これはある意味、お約束)。献主は、人見重吉。さらに、境内に入る鳥居脇には、「神宮遙拝所」。神宮は、もちろん伊勢神宮。伊勢神宮に向かっています(右の写真)。こちらも皇紀二千六百年に建之。献主は小林三郎。これまであちこち神社を訪ねた範囲では、四日市市の北部にこういう宮城遙拝所や、神宮遙拝所が多い印象を持っています。
神社の拝殿脇には、「大矢知砦跡」の説明板もあります。それによれば、南北朝時代(1331~1392)、北勢地区は南朝方の北畠氏の配下でしたが、足利幕府(北朝)は伊勢守護を二木義長に命じ、文中元(1372)年、大矢知に砦を築いて伊勢攻略の足がかりとしました(二木義長は、仁木義長か?)。このとき、南富田の地頭・南部頼勝(こちらに出て来ます)が北朝方の二木氏に味方して大矢知砦に立てこもり、いったんは南朝軍を破ったものの、垂坂山の合戦(こちらに言及があります)で大敗北してのち、廃城になったといいます。長倉神社には、4ね前にも訪ねています。他にも色々とありますので、詳しくはその記事をご覧ください(2018年9月20日:20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(その3)……豊栄稲荷神社、長倉神社、大矢知砦跡そして桑名城城門のある照恩寺)。
続いて、青木山照恩寺という、浄土真宗本願寺派のお寺。ここは、前回、近鉄ハイキングできた時たまたま立ち寄ったお寺。開基は天文4(1535)年。寛文10(1634)年12月に本願時代13世・良如上人から阿弥陀如来像と寺号を下賜されています。現本堂の創建は宝暦年間(1746~1751年)と伝えられています。
前回立ち寄った時、本堂脇にこのような説明板があるのを見つけました。山門が、桑名城内の城門の一つで、四日市市蒔田にある長明寺に移転されたのち、大正15(1926)年に照恩寺に受譲されたという記述が棟札にあるというのです。右の写真がその山門。桑名城のどこの門下は、不明のようです。
照恩寺から出たところに「郷倉」があります。単なる古い蔵のようで、そのまま通り過ぎそうですが、大矢知地区で唯一現存してる郷倉だそうです。江戸時代末期~明治初期の建築と推察され、その用途は大家千村の穀物倉庫として、また、緊急非常用の米を一時保管するために建てられたもの。郷倉番や、五人組が管理したといいます。
大矢知興譲小学校です。大矢知の地名の由来は、朝明川流域で最初の大きな谷地を形成することによるといわれれます。古くは朝明郡に属し、中世には、大矢知御厨がありました。江戸時代には、大矢知村は桑名藩領でしたが、文政6(1823)年武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。文政6(1823)年、桑名藩主・松平忠堯(ただたか)公(奥平系)が、武蔵国忍藩へ国替えとなったのですが、忍藩では桑名に比べ石高が少なく、それを補うため、北勢四郡のうち72ヵ村(松寺、蒔田、西富田を除く)4万3,000石が忍藩領になりました。そのとき、ここ大矢知に陣屋が置かれ、忍藩が支配したのです。
その陣屋跡を示すものは、学校の敷地の東側にある「忍藩大矢知陣屋(想像図)解説」です。代官所を中心に郡代屋敷、目付詰所、米蔵、足軽長屋などがあり、羽津用水で囲まれている様子が描かれています。表門が、現在の小学校正門にあたります。西側には観音山、妙見山が見えています。明治3(1870)年に忍藩は、藩士のために興譲堂を開設しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校の興譲館を大矢知陣屋に興しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校ができたということです。明治5(1872)年の廃藩置県にともない、ここは懲役場(刑務所)となったのち、明治9年(1876)年の伊勢暴動で焼失。明治13(1880)年、興譲学校として再建され、現在に至っていると説明にあります。今の大矢知興譲小学校の名称も、これに因んでいます。小学校のサイトには、「興譲の精神を育むために/ めざす学校の姿 「興譲」の意義を受けつぐ"開かれた学校"」とあります。
想像図には、羽津用水が流れている様子が描かれていますが、今もその痕跡が学校の北側にあります。もっとも今は、暗渠になっていますが、この下には、昔のままに羽津用水が流れているものと思われます。
大矢知興譲小学校から三岐鉄道三岐線の踏切を越えると八風街道に行き当たります。その交差点の北東側に道標があります。南側(左の写真)には「左 たどミち」とあります。北側(右の写真)には「右 こものミち」とあります。写真は割愛しますが、西側には「右 四日市ミち 左 くわなミち」と掘られています。碑陰(東側)には「安政三年 辰七月なつ 御蔵米問屋 石仙蔵 車力中」とありました。安政3年は1856年。この道標は大矢知陣屋の年貢米を扱う車力衆により立てられたものだそうです。当時は、米を運ぶ大八車の往来も盛んだったのでしょう。現在は、十字路北東に立っていますが、もとは北へ抜ける道はなく、羽津の金場町で東海道と分かれた濃州道と八風道の交差する三差路であり、この道標は、三差路中央に立っていたといいます(『よっかいち歴史と文化財散歩』より)。
続いて、これが今日のメインイベントかも知れません。道標からすぐ東にある亀屋佐吉。ここのかき氷が絶品なのです。9月の初めでまだ暑いだろうから、帰りに是非ともここに立ち寄って、かき氷を食べようと思って、ここまで歩いてきたのです(笑)。「白玉和三盆みるく」(¥870)。をいただいてきました。私は、今までに2回、来ています(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑)、2018年7月24日:20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その2)……旧・大矢知村役場跡、龜屋佐吉でかき氷、八郷小学校の3つの石碑から東名阪自動車道まで)。9月に入り、しかも平日(金曜日)でしたので、空いていました。
三岐鉄道三岐線大矢知駅にゴールしたのは、12時35分。7.5㎞を3時間19分ほどで歩いてきました。 亀屋佐吉さんに30分近く滞在していました(おばちゃんとしゃべったりして)。12時49分の近鉄富田行き普通に乗車。近鉄富田には、12時54分着。12時56分に名古屋行き急行がありましたから、それに乗って桑名駅には13時3分着。¥450。
大矢知駅はまさにローカル線の駅の風情。のんびりした感じで、ゆったりと時間が過ぎていきます。待ち時間も苦になりません。
また三岐鉄道三岐線では、切符は今でもいわゆる「硬券」が使われています。これに改札口ではさみを入れてもらうのです。
昼食は、桑名駅のコンコースにある伊勢ノ国食堂しちりで。この日は、「天ぷら中華そば」(¥850)。このお店、最近ランチでは、麺類と丼物がメインとなっています。昔の「支那そば」という感じ。鰹出汁が効いた醤油味の和風スープで若干、甘みがあるものの、あっさりとした味わいでした。
この日の歩数は、18,686歩。現地で歩いたのは、7.5㎞。桑名駅往復が、2.7㎞(帰りにアピタ桑名店に寄って、文庫本を買ってきました)。歩いた距離の合計は、10.2㎞。スマホのアプリでは14㎞ほど歩いたことになっていますが、さすがにそれほどは歩いていないはず。その3は、長くなりましたが、これにて勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の記事は、「完」。
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