お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2025年3月31日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2020年1月以降の記事を残し、2019年12月以前の記事は削除しました(2020年1月1日から2025年3月31日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

2022年9月

2022年9月30日 (金)

コゲラがスゴい勢いで木をつつく……九華公園でコザクラインコも

Dsc01363c  9月も末、明日からは10月。毎度同じ感想ですが、月日が経つのは本当に早い。今年も残すところあと3ヶ月(微笑)。おせち料理の宣伝は8月末からやっていますし、明日からは不二家がクリスマスケーキの予約を受けつけるとか。あまり煽らないで欲しいと思います。私は私のペースを守って、今朝も7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.2㎞。朝のうちは、過ごしやすい気温だったのですが、10時前から南寄りの風で、気温も25℃を超えやや暑くなりました。

Dsc01748c  今日は、九華公園の奥平屋敷跡で、このコザクラインコを見ました。どこかのお宅で飼われていたものが、逃げたのではないかと思います。ひょっとしたら、飼い主さんが探していらっしゃるかと思って、インスタにも挙げたのですが、夕方までにはレスポンスはありませんでした。南の立教小学校の方から飛んできて、しばらく奥平屋敷跡あたりを回っていました。堀に降りようとしたりしていましたので、水が飲みたかったのかも知れません。

Dsc01397c Dsc01460c  さて、揖斐川沿い、住吉水門と川口水門との間にアオサギの若者。毎日のように、このあたりのどこかにいます。ずーっと佇んでいます。三の丸公園では今日もモズ。メスのようです。川口水門から入った堀端にあるソメイヨシノの木の上。向かって右は堀、左は公園なのですが、現在、草ボウボウでなかなか入れず。証拠写真。

Dsc01497c  柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイが1羽。写真は撮りませんでしたが、今日はやけにヒヨドリが多い。旅館山月の裏手の揖斐川の高水敷からは、100羽以上いるかと思うくらいの大群が飛び立ってきましたし、九華公園でもヒヨドリばかりでした。

Dsc01548c Dsc01597c  九華公園のアオサギさんは、いつものように、九華橋の近くの樹上にいます。奥平屋敷跡には、ハクセキレイが2羽。最近またよくやって来るようになりました。

Dsc01654c  そして、今日もコサメビタキ。貝塚公園にいるコサメちゃんは愛想が良いのですが、こちらは木の高いところや、枝かぶりになるようなところばかりにいます。

Dsc01856c  カワラヒワも10数羽を見ました。奥平屋敷跡では、松の木にたかって、松の実をほじって食べているようでした。これから、次第にカワラヒワもたくさん戻ってくると思います。

Dsc01884c_20220930170301 Dsc02048c  こちらはコゲラ。8時半過ぎに登場。2羽がやって来たのですが、そのうち1羽が、ずっと同じところをつついていました。左右の写真を是非見比べてみてください。同じところをつついていたのですが、左右の写真を撮った時間間隔は7分。7分の間に右の写真のように、コゲラの頭が十分入るくらい大きな穴を掘ってしまいました。驚くべき速さで、散歩友達一同、「速いな」「凄いな」と口を開けて見とれていました(爆)。入り口だけを見ると、巣穴になりそうな大きさですが、今の時期から巣穴を掘るとは考えにくく、しかし、エサ探しにしては穴が大きすぎる気がします。

Dsc02180c  午後からは歯科治療。上の歯を治してもらっているといいますか、かなりの範囲にブリッジを架けるべく治療を進めてもらってきました。ようやく今日は、型を取ってもらい、次回、歯が入るかというところまで来ました。恐ろしいのは、治療費(苦笑)。去年、下の歯にブリッジをかけてもらったときは数万円。高額医療で国保から一部返ってきたくらい。しかし、歯は大事ですからねぇ……。管理組合のシミュレーションは、一応完了。相談を受けた発達性読み書き障害の資料を早く仕上げないといけません。

20220924笠寺ウォーキング(その3)……法性寺、笠寺公園で見晴台考古資料館、住居跡観察舎、笠寺高射砲陣地跡、きんさん桜・ぎんさん桜、笠寺一里塚跡、七所神社を巡る(完)

Kasadera2 Kasadera3  9月24日に行ってきた「笠寺ウォーキング」の本編その3です。その2では、長楽寺から少しだけ東海道を歩いて笠寺観音へお参りしました。実際に歩いたルートマップその2の途中です。その3では、法性寺から笠寺公園に向かいます。笠寺公園では、まず、見晴台考古資料館、住居跡を見て、笠寺高射砲陣地跡ときんさん桜・ぎんさん桜と廻り、東海道に残る笠寺一里塚跡へ。ここからルートマップはその3になります。

Img_2300c_20220929151501  笠寺観音を出て笠寺公園に向かいます。いったん坂を下ってまた登ります。下り坂の途中に法性寺。真宗高田派のお寺。調べたら、ご本尊は「善光寺式阿弥陀三尊」とありました。浄土真宗のご本尊が阿弥陀如来であることは知っているのですが、不勉強にしてこれはよく知らず。日本最古の仏像と伝承される、信州善光寺の本尊を模した一光三尊形式の阿弥陀如来像のことで、善光寺式如来とも呼ばれるそうです。鎌倉時代以降に日本各地で盛んに制作されたといいます。

Img_2302c_20220924191901  笠寺観音のあたりと同じく、笠寺公園は、標高15mほどの高台になっています。上述のように笠寺観音からいったん下って、また登るとそこに名古屋市見晴台考古資料館があります。ここは、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)と呼ばれ、弥生時代後期を中心とした環濠集落の跡です。資料館には、見晴台遺跡に関する史料の展示や、調査研究を行っています。

Img_2306c_20220929152501 Img_2309c_20220929152501  資料館の南に「住居跡観察舎」という建物がありました。弥生時代の竪穴住居跡を見ることができます。この建物が建っている場所を発掘調査した際にみつかった遺構を、特殊な樹脂で固めて剥ぎ取り、遺構に砂をかけ埋めもどした後に、ほぼ同じ場所にかぶせたものだそうです。

Img_2319c_20220929152801 Img_2323c_20220929152801  住居跡観察舎を出て、笠寺公園内を歩くと、資料館や観察舎の裏手(東から南東)にかけて、「笠寺公園高射砲砲座(かさでらこうえんこうしゃほうほうざ)」があります。太平洋戦争中、ここには高射砲陣地があり、これは高射砲を据えていた砲台の跡です。6基あったもののうち、2基が残っています。

Img_2326c_20220929152801  少し離れたところには、砲側弾薬庫(ほうそくだんやくこ)の跡があるのですが、雑草が生い茂ってほとんど見えなくなっていました。

Df8826b8 71adacea  これは、以前訪ねたときに撮った写真(2019年2月17日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その2)……笠寺観音、名古屋市見晴台考古資料館、笠寺公園、きんさん桜・ぎんさん桜)。愛知県は軍需工場と熱田神宮があるため、いくつかの高射砲陣地が造られ、また、本土防空は陸軍の担当なので、笠寺陣地は陸軍の施設であったといいます。なお、見晴台考古資料館には、この陣地から見つかったという、アメリカ軍爆撃機B29のジュラルミン破片が常設展示されていました。

Img_2335c_20220929154001 Img_2344c_20220929154001  笠寺公園の東側エリアには、「きんさん桜・ぎんさん桜」が移植されています。「きんさん・ぎんさん」は、あの100歳ご長寿で有名な、双子の長寿姉妹、故成田きんさん(享年107)、故蟹江ぎんさん(享年108)。お二人は生前南区にお住まいで、この長寿桜(岐阜県根尾村(現本巣市)から植樹された、樹齢1,500年といわれる淡墨桜)の若木植樹されたのです。以前は、南区役所にあったものが、平成25(2013)年にここ笠寺公園に移されたのです。が、しかし、ここも雑草に埋もれてしまっていて、かなり残念。左の写真がきんさん桜、右の写真がぎんさん桜。

Img_2359c_20220929154201 Img_2372c_20220924191901  笠寺公園から南に下りますと、旧東海道に行き当たります。スタートから4㎞の少し手前に笠寺一里塚跡があります。 名古屋市内には、かつて9ヶ所の一里塚があったそうですが、現在残っているのはここのみ。ここも、かつては、一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代まで塚があったそうです。江戸・日本橋からは、88里にあたります。この一里塚の上にはエノキが植えられています。また、塚にはたくさんのヒガンバナが咲いていました。写真は、南側から撮っています。塚に向かって左の道が、旧・東海道。

Img_2381c_20220924191901 続いて、この日最後の目的地である七所神社(ななしょじんじゃ)に向かいます。笠寺一里塚跡からは1㎞弱。笠寺精治療病院のところからぐるっと住宅街を回っていきます。御祭神は、日本武尊須佐之男尊(すさのおのみこと)、宇賀魂命(うがみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたものの、大国主命に味方して復命しなかった)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父。天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれた神)、乎止与尊(おとよのみこと;天火明命の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造となった)、宮簀比売尊(みやずひめのみこと;日本武尊の妃。尾張の豪族の娘)の七柱。そのため、七所神社と呼ばれます。

Img_2388c_20220924192001  天慶3(940)年に、平将門の乱を鎮める祈願のため、熱田の宮の神々を勧請したと伝わっています。確かに、御祭神は、熱田神宮に関わりが深い神様が多くなっています。将門の乱は、平安中期、関東に起こった内乱です。平将門は、天慶2(939)年、常陸・下野・上野の国府を占領し、一時関東を支配下において新皇を称したのですが、天慶3(940)年、平貞盛・藤原秀郷らに討たれています。同時期に瀬戸内海で起こった藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱といいます。

Img_2402c_20220929155401  境内には熱田神楽の正統を継承してきた「神楽師の碑」があります。熱田神楽は、愛知県の尾張・西三河地方に伝わる巫女神楽の一種で、熱田神宮内で行われていたものがこの地域全体に広まったのだそうです。碑表には、「熱田神楽師 宗家 荒川関三郎師 稲熊代三郎師 壽碑」とあります。昭和27(1952)年の建之。この年、荒川関三郎氏は56歳、稲熊代三郎氏は58歳でした。碑にある荒川関三郎(あらかわせきさぶろう、明治30年生まれ)は、4代目宗家を名乗り、多くの弟子を育てたそうです。碑陰の文章は、次のリンク先にあります:神楽師の碑

Img_2397c_20220929155801

 ちなみに、ここの境内にも秋葉社がありました。「新町秋葉社」とあります。

Kasadera3  これで、この日の目的地は、コンプリート。環状線を越え、名鉄名古屋本線本笠寺駅に向かいます。ほとんど意味をなしませんが、実際に歩いたルートマップはその4。マップを見るとよく分かりますが、本笠寺駅は、笠寺観音からすぐ近く。駅の東の方をぐるっと一回りしてきたという感じです。

Img_2427c_20220924191901 Dsc_6813c  本笠寺駅前に着いたのは12時半頃。例によって昼食ということで店を探しました。まず目についたのはうなぎ屋さんでしたが、これが小丼のうな丼でも¥1,980。手が出ません(苦笑)。その先の「珈琲ミハル」へ。創業60年を超えている、まさに昭和風の喫茶店。昭和のオッサンであるわれわれにはこちらの方がぴったり(苦笑)。和風ハンバーグランチ、コーヒー付きで¥850。

Img_2424c_20220924191901  食事を済ませ本笠寺駅に着いたのは、13時20分過ぎ。現地で歩いたのは5.7㎞。本笠寺駅を13時30分に発車する犬山行き普通に乗車し、名鉄名古屋駅には13時46分着。14時1分の松阪行きの近鉄急行に乗り換え、近鉄桑名駅には、14時22分着。電車賃、名鉄は往きと同じく¥300。桜と本笠寺は隣の駅。今日は1駅分を歩いたのみなのです。近鉄の名古屋~桑名の料金は¥450。

Img_2464c_20220924191901  帰りに柿安シティホールに立ち寄って、ご近所の方が関わっておられる全日写連桑名支部の写真展を見てきましたので、自宅から桑名駅往復、この日は2.8㎞。今日歩いたのはトータルで8.5㎞、歩数は16,636歩でした。次回は、10月に入ってから桑名市内のウォーキングを計画中。

2022年9月29日 (木)

モズは遠い

Dsc01357c  薄曇りでときどき青空が覗きます。最高気温は、27.1℃。ちょっと湿度が高い感じです。今日は、9時半から11時までエレベーター点検でしたが、エイヤッといつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園と回ったところで歩数を見たら、なんと8,000歩を超えていました。いつもなら6,000歩くらい。アピタへでも行って本を見てから帰ろうと思っていたのですが、寄り道はやめて、内堀公園、京町、寺町と回って帰宅。測定上は、5.7㎞。しかし、九華公園の奥平屋敷跡で鳥を追いかけてかなり歩きましたので、これにプラスアルファがかなりあるはず。10時20分くらいに帰宅しましたので、歩いて9階まで。たまには鍛えないといけません。

Dsc00701c  住吉水門の下流側にアオサギさん。若いアオサギ。ほかには、揖斐長良川の中州にダイサギらしき姿が見えましたが、遠すぎます。

Dsc00729c_20220929144401  遠すぎといえば、こちらも。三の丸公園の西側にあるソメイヨシノの木のてっぺんでモズ。この写真は七里の渡し跡を通り抜けたところから撮影。もっと近くに寄りたかったのですが、三の丸公園には雑草が生い茂っていて、近づけず。

Dsc00785c  九華公園では、アオサギは神戸櫓跡の松の木のてっぺんにいました。最近はここによくいます。九華橋近くの樹上に来るアオサギと同じ個体と思うのですが、気分によって居場所を変えるのでしょうか。

Dsc00856c Dsc00848c  奥平屋敷跡では、着いたときにコサメビタキらしき鳥と、ハクセキレイが2羽いたのですが、その後はサッパリ。30分以上、ほとんど何も来ません。諦めかけた頃、コゲラが2羽登場。右の写真では、左手奥にも1羽が写っています。

Dsc01115c  さらに、1時間ほど経つ頃、コサメビタキをなんとか捉えることができました。動きが素早くて、しかもじっとしていないのです。そのほか、立教小学校にある木にモズがいるのも見えましたが、これまた遠い。鳴き声がしなければ、気づきませんでした。

Dsc01160c_20220929144401 Dsc01205c_20220929144401  朝日丸跡では、カワラヒワ。鎮国守国神社を回って、九華公園の北門から再び入って、九華橋のところで確認すると、アオサギさんがこちらに移動していました。アオサギを見ていたら、上空をダイサギが通過したので写真を撮ったものの、ピンボケ。

Dsc01239c Dsc01292c  貝塚公園でも、コサメビタキ。こちらのコサメちゃんは、愛想が良いのか、しばらくポーズを撮ってくれました。貝塚公園でも、モズ。ただ、ここで最も高い木の上で、やはり遠い(苦笑)。

Dsc01335c  ところで、諸戸氏庭園の修復工事が続いています。主屋とそれに付属する洋室、祭車庫などの修復がほぼ終わりを迎えつつあります。

Dsc01341c Dsc07569c  こちらは、主屋。主屋を覆っていた足場は、すでに取り外されています。主屋に向かって右手にある洋館のところには、まだ足場が組まれています。主屋に向かって左手には大門が、元の場所に戻っています(右の写真。これは9月25日の撮影)。

Dsc01346c_20220929144401  祭車庫。本格的な蔵の作り方で修復されました。壁は何度も塗っては乾かすという工程を繰り返していました。諸戸氏庭園の秋の特別公開は、11月5日から12月4日の予定ですが、このときには主屋、大門なども修復がなった姿が拝観できるのでしょうか。

Dsc_0323c 【付記(9/29)】 メダカの赤ちゃんが誕生していました。夕方、メダカの世話をしていたら、赤ちゃん2匹を見つけました。水草を別の水槽に入れて保管しておいたのですが、そこで2匹が泳いでいるではありませんか。「無駄飯食い」などと暴言を吐いていましたが、卵を産んでいたのです。前言取り消しです。

20220924笠寺ウォーキング(その2)……長楽寺、東海道、笠寺観音へ

Kasadera1 Kasadera2  9月24日の「笠寺ウォーキング」の本編その2です。その1では、ルートマップその1の途中、呼続公園にある「頼朝公旗掛松」まででした。長楽寺を経て、東海道を少し歩きます。その後、ルートマップその2に入り、笠寺観音、法性寺から笠寺公園に向かいます。公園には、見晴台考古資料館、そこに付属する住居跡観察舎、笠寺高射砲陣地跡、きんさん桜・ぎんさん桜と見ていきます。

Img_2099c_20220924191901 Img_2119c  呼続公園の東に稲荷山長楽寺(ちょうらくじ)。曹洞宗のお寺。寺伝では、弘仁12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天(だきにしんてん)」を安置したのが始まりといいます。「荼枳尼天」は、日本では稲荷信仰と混同されて習合し、稲荷権現、飯綱権現と同一視されています。その後、寺は一山十二坊を有する大寺になりましたが、文明の頃(1470年頃)に衰微してしまいます。 それを稲荷山2世の義山禅師が再興し、宗派も曹洞宗に改宗し、第1世の明谷禅師を中興の開祖として、寺名を現在の長楽寺と改めましました。ここも、2019年2月3日に訪れています。そのときの記事もご覧ください(2019年2月15日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その1))。左の写真は、前回、見忘れたと思った本堂が、たぶんこれ。右の写真は、その「鎮守清水叱枳眞天」が祀られている稲荷社。「清水稲荷大明神」とあります。

Img_2087c_20220924191901 Img_2093c  長楽寺は、最近はペット供養で有名になっています。左の写真は、「信者修行堂」という建物ですが、ここがペットの葬儀、法要に使われているようでした。われわれが訪ねたときも、右の写真のように、あるご家族の愛犬の「八周忌」法要が執り行われていました。他にも、四十九日法要、百か日法要、二周忌法要など特別法要の案内が9つ掲げられていました。ペットが、家族同様に大切にされていることがよく分かります。

Img_2111c Img_2108c_20220924194801  長楽寺には、戦国時代の織田領と今川領の境界線が残っています。前回来たときには、たぶんここだろうという谷の写真を載せましたが、今回は、きちんと表示があるところを確認してきました。本堂から清水稲荷大明神に行く途中にあります。この谷を基準に長楽寺側が旧織田領、その反対側が旧今川領です。

Img_2142c_20220927041601 Img_2128c_20220927043701  長楽寺についての余談。左の写真は、前回来たときにも会ったたワンちゃん。長楽寺の番犬かと思います。吠えられました(苦笑)。右は、清水稲荷大明神近くで放し飼いになっている鶏。名古屋コーチンではないかと思います。

Img_2148c_20220927044001 Img_2151c  長楽寺を出て東に向かうと、東海道に出ます。左の写真は、東海道の北の方角。これを行くと、先だって訪ねた熱田にある宮の渡し方面に行けます。東海道に出たところに、右の写真のような「東海道」の石碑。新しいのですが、これは「宿駅制度制定四百年記念碑」(平成13(2001)年)です。

Img_2154c_20220927044001  さらにこの石碑のすぐそばに「名古屋十名所」と刻まれた石柱があります。名古屋十名所は、大正14(1925)年8月に新愛知新聞社(現・中日新聞社)が主催して募集し、上位10位に選ばれた名古屋市の名所です。①天理教々務支庁、②正木町闇の森、③笠寺観世音、④圓頓寺、⑤久屋町金刀比羅神社、⑥熱田神宮、⑦呼続町桜田勝景、⑧押切町榎権現、⑨名古屋城、⑩山田町元大将之社です。ちなみに、長楽寺にある清水稲荷大明神は、次点の11位(呼続町清水稲荷)。そのため、この石碑がここにあるのではないかと思われます。

Img_2157c_20220927065401 Img_2171c_20220927065401  ここからルートマップはその2の範囲になります。笠寺観音の西門まで東海道を歩いて行きます。途中、名鉄の踏切を渡りますが、その手前に秋葉社と笠寺町西之門公会堂が並んでいます。町名「西之門」は、笠寺観音西門に続く門前町から来ていると思われます。秋葉社の創建などは不明。

Img_2177c_20220927182701  スタートから2㎞あまりで笠寺西門の交差点へ。10時半頃です。ここを渡るとすぐに笠寺観音の西門に至ります。

Img_2180c_20220924191901 30471a83  こちらが笠寺観音の西門です。3年前の節分の日にJRさわやかウォーキングで訪ねたときは、恵方でもなかったのに、この西門から大賑わいで、前に進めませんでした(2019年2月17日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その2)……笠寺観音、名古屋市見晴台考古資料館、笠寺公園、きんさん桜・ぎんさん桜)。右は、そのときの写真。

Img_2239c_20220924191901 Img_2188c_20220928193901  笠寺観音です。前回来たときには、「いざ境内に入ると、前に進めない、身動きできない……。台風や事故で電車が止まったときの名古屋駅の構内のような感じ」などと書いていました。この日は、右の写真のように、「かんのんひろば」(毎月第4土曜日に開催)というイベントが開かれていました、空いていました。

Img_2184c_20220928194201 Img_2292c_20220928194301  正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派。名古屋城を中心に恵方が巡る尾張四観音の一つ(他の三観音は、荒子観音甚目寺観音龍泉寺観音)。ご本尊は、十一面観音。聖武天皇の天平8(736)年、呼続の浜に流れついた流木に禅光上人が十一面観音像を刻んで安置し、小松寺と称したのが始めといわれます。その後1世紀以上を経て、堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていたのを旅の途中で通りかかった藤原兼平(875~935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫(たまてるひめ)と名付け、妻としました。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたといいます。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来するそうです。

Img_2279c_20220928195001 Img_2286c  笠寺観音にはいろいろのお堂、石碑などがあります(笠寺観音のWebサイトから、「山案内」→「山内紹介」を見ると、一覧があります)が、まずは仁王門(山門)。対になった仁王様が寺の入り口を守っています。左の写真は、仁王門に向かって左におられる仁王様。

Img_2205c_20220929045101 Img_2208c_20220929045101  こちらは、多宝塔。二重の塔で、阿弥陀如来を奉っていますが、如来像は外部に寄託されているそうです。その前に、「徳川家康公御幼少之砌 人質交換之地」という石柱があります。平成22(2010)年に建てられた新しいもの。天文16(1547)年、織田と今川の間にあった三河の松平氏が、今川方に援護を頼むため6歳の竹千代(後の徳川家康)を人質として差し出すのですが、護送中に竹千代は織田方の手に落ちます。その年、安祥城を陥落し織田信廣(信長の異母兄)を捕らえた今川方は、織田方に信廣と竹千代との人質交換を持ちかけ、ここ笠寺観音において両者の交換が成立したのだそうです(碑文による)。

 鐘楼です。Img_2266c_20220929064401阿願上人の願によって鎌倉時代に作られた梵鐘で、尾張三名鐘のひとつです。建長3(1251)年の刻銘があるそうです。

 多宝塔の裏手に芭蕉の「春雨塚」があります。「春雨塚」の石碑に向かって左にあるのがそれです。Img_2220c_20220929065201芭蕉の句「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」が刻まれていることから「春雨塚」と呼ばれています。これは、芭蕉が鳴海の下里知足に依頼されて書いた奉納句で、芭蕉80回忌にあたる安永2(1773)年に知足の孫の下郷蝶羅が、知足の60回忌、亀世33回忌を追善し、建立したものと考えられています。表面には、次のように刻まれています:

此御寺の縁起の人のかたるを聞侍りて   芭蕉翁
 笠寺やもらぬ岩屋も春乃雨     桃青(芭蕉の別号)
 たびねを起す花の鐘撞          知足
 かさ寺や夕日こぼるる晴しぐれ      素堂
 大悲のこの葉鰭となる池        蝶羽

Img_2263c_20220929065801 Img_2259c_20220929070201  芭蕉の句碑はもう1つあるのですが、事前の調べが不十分で見忘れました。左の写真にある薬師堂のそばに「星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉翁」と刻まれた句碑があるはず。この薬師堂のところには、「宮本武蔵之碑」もあります。「新免武蔵守玄信之碑」と刻まれています。剣豪・宮本武蔵は、播磨国に生まれ、各地を回りながら修行を重ねたといわれますが、尾張城下、現在の南区に滞在したこともあるようで、南区笠寺にある東光院を宿坊にしていたと伝えられています。また、この碑は武蔵の弟子によって建立された顕彰碑とされます(こちら)。

Img_2295c Img_2283c_20220929071501  笠寺観音の境内には、ほかにも六地蔵堂、行者堂などさまざまなお堂、笠寺稲荷、白山社などのお社がありますが、それらは割愛。仁王門の南に池があります。放生池とも亀池とも呼ばれているようです。かつては湧き水もあったそうですが、それも枯れ、池はかなり荒れ果てたそうで、再生プロジェクトが行われています(こちら)。外来種も増えたそうですが、それでもクサガメ、イシガメ、スッポンもいるといいます。産卵に適したエリアもあり、当日もボランティの方が活動しておられました。

 その2はここまで。またもやルートマップの途中ですが、ご愛敬。その3では、法性寺から笠寺公園に向かいます。

2022年9月28日 (水)

アオサギ&ダイサギデー

Dsc09532c_20220928172101  曇りでときどき雨、午後は晴れてくるという予報でした。雨は降らないだろうと高をくくって散歩に出たら、見事、帰り際に降られました。「返り討ち」に遭った気分(苦笑)。いつも通り、7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園と歩き、外堀あたりに来たら、雨が落ちてきました。10時過ぎのこと。吉津屋町から寺町を通って、6.1㎞。10時半頃帰宅。帰宅してしばらくで雨は上がり、青空も見えてくるという天気。

Dsc09581c Dsc09673c  今日は、アオサギデーというか、アオサギ&ダイサギデーというか。住吉水門のところから見たら川口水門の上流側にダイサギ(左の写真)。ここにいると、幡龍櫓を回って、川口水門の下流側に行かないと見えません。ところが、その下流側に行ったら、そこにいたのはなんとアオサギさん(右の写真)。狐につままれたような気持ちでいたら、アオサギに向かって左手からダイサギが飛び立ち、三の丸水門方面へ。水門のあたりに降りたのですが、そこは堤防の上からは死角になっています。たぶん場所争いをして、ダイサギが移動したのでしょう。

Dsc09697c Dsc00029c  柿安コミュニティパーク西の堀を覗いたら、またもやアオサギさん(左の写真)。片足で立っていますから、リラックスしているのかも知れません。九華公園では、神戸櫓跡の松の木にアオサギ(右の写真)。

Dsc00276c Dsc00296c  九華公園で鳥を見て、公園内を回っていたら、朝日丸跡の北側の堀にダイサギ。「魚を捕りそうで、なかなか捕らないな」と思ってみていたら、アオサギが近くに乱入(右の写真)。

Dsc00363c  ダイサギは、堪らず飛び立って行ってしまいました。ダイサギはこの後確認したら、公園の西の堀に降りていました。この2羽、ひょっとしたら川口水門のところで場所取り合戦をしたサギたちのような気もします。ということで、「延べ数」ではないかと思いますが、アオサギ4羽、ダイサギ2羽を見ました。

Dsc09726c 話を戻して、柿安コミュニティパークでは、ハクセキレイ1羽。他には何もいませんでした。

Dsc09878c Dsc00227c_20220928172101  九華公園の奥平屋敷跡では、コサメビタキ。他にも似たような鳥が2羽いたものの、それが何かは確認できませんでした。シジュウカラが2羽、ヤマガラも3羽ほど来ましたが、残念ながらこのときは写真に撮れず。奥平屋敷跡では、コサメビタキやヤマガラに振り回され、あちこちウロウロ。かなり歩数を重ねました(微苦笑)。右の写真のシジュウカラは、朝日丸跡にて。今日は、シジュウカラとヤマガラは、別行動でした。

Dsc00458c Dsc00372c  本丸跡で、ヤマガラの写真をなんとか撮ることができました。アーちゃんは、鎮国守国神社の社務所裏の堀にいました。最近よくいますから、ある散歩友達は、「主みたいなものだなぁ」といいます。

Dsc00582c Dsc00515c  貝塚公園でも、コサメビタキ1羽とシジュウカラの群れ。今日のバードウォッチングは以上。

Dsc00487c Dsc00477c  こちらは、たぶん椿の実ではないかと思います。「今頃?」と思ったのですが、夏にかけて実が生長し、9月に収穫するといいます。ヒッソリと実って、はじけたという感じです。

Dsc00467c  ところでブログに載せる写真の整理をしようと思って、写真加工用のアプリを立ち上げたのですが、エラーで起動しなくなり焦りました。考えてみたら、アプリを立ち上げているときに必要があってパソコンを再起動したのですが、それが良くなかったのかも知れません。ダウンロード版を購入したものなのですが、再ダウンロードするところが見つかりません(涙)。やむなくそのアプリの最新バージョンの1つ下のグレードのものを購入。余分なお金を使ってしまったなぁと思ったのですが、最上級の1つ前のバージョンよりも動作が軽くなった気がします(理由は定かではありません。サイズ変更に相当の時間がかかっていたのに、一瞬でできるようになりました)。ワークスペースも使いやすいものに設定し、これでほぼ元通り。

Dsc00472c  もう1つ。非常勤先の助手の先生に、来週の授業で使うレジメなどを送りし、印刷をお願いしていましたが、今日、その返事をいただきました。徐々に「仕事モード」に切り替えないといけません。非常勤先では、夏休みに校舎棟の補修工事が行われたはず。気分も新たに授業ができるかと期待しています。

2022年9月27日 (火)

やっとモズがやって来ました

Dsc08563c Dsc08556c  曇りのち雨という予報です。雨は夕方くらいからの見込み。最高気温は、29.7℃。湿度が高いようで、今日も蒸し暑くなっています。いつも通り、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、寺町と6.3㎞。冒頭の写真は、住吉神社。昨日と同じく、揖斐長良川の中州には、ダイサギが1羽見えました。が、昨日よりさらに小さいので、写真は割愛。右の写真は、住吉ポンプ場のところにいたハクセキレイ。

Dsc08597c_20220927143501  住吉水門のところを通ったら、アオサギが飛び立ち、川口水門へ。七里の渡し跡から幡龍櫓を回って、川口水門の下流側から覗いてみたのが、左の写真。若いアオサギさん。揖斐川あたりでときどき見るアオサギのように思います。このあと、柿安コミュニティパークから九華公園へと向かう途中で、何カ所かからモズの鳴き声が聞こえてきました。が、その姿は見つけられず。

Dsc08681c_20220927143501  九華公園では、いつものところにアオサギさん。今日は後ろ姿。視線を左に向けたときにパチリ。このときも、モズの鳴き声が聞こえ、近くの相撲場のところにエゾビタキ1羽と、エゾビタキかコサメビタキかがもう1羽。写真は撮ったものの、遠くて、曇っていて暗い写真。これも割愛。

Dsc08716c  奥平屋敷跡を歩いていて、立ち止まって堀の方を見たら、目の前にイソシギ。しばらく、気づかれませんでした。近くにいた散歩友達のYさんを呼んで、二人で観察。Yさんは、イソシギは初めて。「シギというから、もっと大きな鳥かと思った」そうです。奥平屋敷跡では、ムシクイらしき鳥も来たものの、はっきりとは確認できず。その後、ヤマガラ、ハクセキレイ、ドバトなども登場。ヤマガラははっきり見たものの、写真は逆光で真っ黒(笑)。

Dsc09073c Dsc08938c  朝日丸跡を歩いていたら、ヤマガラとシジュウカラの混群が登場。ヤマガラ3羽ほどと、シジュウカラ5~6羽。シジュウカラには、右の写真のように若者が混じっています。昨日見た混群と同じグループかも知れません。また、今年はヤマガラの当たり年のような気がしてきました。

Dsc09343c  このあと、二の丸跡の方に散歩友達のSさんが来たので、そちらへ行って話していたら、頭上から本日の真打ちの鳴き声が聞こえてきました。そう、モズです。ようやく姿を見られました。オスのモズが、松の木のてっぺんに来て高鳴き。縄張り宣言ですが、しばらく鳴いて、南の方へ飛んでいきました。モズは、さらに鎮国守国神社の境内でも2羽を目撃しました。

Dsc09427c_20220927143401  Dsc09439c_20220927143401 アーちゃんは、今日も野球場南の堀のところでお休み中。マッタリしています。九華公園の外周遊歩道、二の丸橋の袂・南側にやっとヒガンバナが咲いてきました。以前はもっとたくさんあったのに、パラパラとしかありません。

Dsc09444c  貝塚公園で見たモズの証拠写真(苦笑)。オス。九華公園の二の丸跡から南に飛んだモズがいましたので、それかも知れません。

Dsc09530c  余談。今日は、散歩中と、昼ご飯のあとに珍しく電話がかかってきました。1日に2回もというのは、ほとんどないのです。散歩中の電話は、マンションの管理会社から。昼ご飯のあとは知人から。「小1の男の子で、ひらがなが書けないが、何か良い教材は?」という相談。ひょっとしてと思って状況を確認したら、発達性読み書き障害の可能性が高いと思われました。筑波大学にいらした宇野彰先生によれば、7~8%のお子さんに何らかの程度の読み書きの苦手さがあるそうです。しかし、世間では、自閉スペクトラム症や、ADHDほどは認知されていません。学校の先生方の間でも広く知られているとはいいがたい状況で、苦しんでいるお子さんはたくさんいると思います。中には「自分はバカだから読んだり、書いたりできない」と思い込んでいることもあります(私の経験でもそう思っているお子さんは少なからずいました)。以前、マイブックスに紹介しました「うちの子は字が書けないかもと思ったら」などの本が分かりやすいと思います。

 さらなる余分。最近は、世間でそのときどきに話題になっていることについては書かないようにして来ました。しかし、これについてはぼそっと一言。安倍晋三さんの国葬儀(ちなみに、「こくそうぎ」と入力して変換したら「国葬気」と出て来ました(ATOKを使っています)。「国葬儀」とするには「くにそうぎ」と入力する必要がありました。ヘンなところからですが、「国葬」を「国葬儀」と表現して目くらましをしようとすることには無理があると思います)。もちろんどなたであれ、一人の方が亡くなられたことについては、哀悼の意を表すのが自然です。それがたとえ、自分にとっては意に沿わないような方であっても、です。私は、安倍晋三さんの政策や、やり方についてはいかがなものかと思っていますが、昭恵夫人をはじめ、ご家族の心情は察するにあまりあります。それと、安部さんを国葬でお送りするかどうかは、やはり分けて考えた方が良いと思います。とくに、一国の首相である岸田文雄総理としては、ことばあるいは情理を尽くして国民にその意義を語りかける必要がありました。表面的な「在職期間が長かった」といったようなことを書いた文章を棒読みしただけでは、国民一人一人の心には届かず、結果的に法治国家のルールを軽視し、賛否両論の渦を巻き起こし、収拾がつかなくなっています。これは、一国の首相のやり方としては、いかにもマズい。一国のリーダーに望まれるのは、「聞く力」ではなく、世論が割れる、ここぞというときに合意形成を得られるような「語る力」ではないかと愚考します。菅さんも岸田さんも安部さんのやり方を踏襲していると思いますが、それではもうやれないような気がします。岸田総理ご本人ほか政権与党の皆様が気づいているかどうか、それもアヤシい。

2022年9月26日 (月)

20220924笠寺ウォーキング(その1)……名鉄桜駅をスタートし、桜神明社、富部神社、呼続公園の頼朝公旗掛松

Img_1911c_20220926042101  9月24日の「笠寺ウォーキング」の本編その1です。当初は、9月23日に出かける予定をしていたのですが、この日は台風15号が接近し、大雨となりましたので、順延。当日は、まさに台風一過の良い天気となりました。今回歩いたコースは、3年7ヶ月あまり前にJRさわやかウォーキングで行ったところを多少アレンジしたものです(2019年2月3日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編))。笠寺観音は行ったことがありませんでした。この年、笠寺観音は恵方ではなかったので、空いているだろうと思ったら、まったくの想定外。大賑わいで前にも進めないような混雑。一度ゆっくり見て回りたいと思っていたのです。今回も、同級生K氏と二人旅。

Kasadera0  こちらがこの日、歩いたルートマップ。名鉄名古屋本線桜駅から桜神明社、富部神社、呼続公園で頼朝公旗掛の松、長楽寺から東海道を少し歩いて笠寺観音へお参り。続いて笠寺公園にある見晴台考古資料館、笠寺高射砲陣地跡、きんさん桜・ぎんさん桜を見て、笠寺一里塚跡と七所神社を経て、名鉄名古屋本線本笠寺駅まで。名鉄線では、1駅分でしたが、ぐるぐると回って、実際に歩いたのは5.7㎞ほどです。

Img_1922c_20220924191801  近鉄桑名駅を8時25分に出る名古屋行き急行に乗車。近鉄名古屋駅には8時46分着。名鉄名古屋駅を8時54分発の東岡崎行き普通に乗り換え。桜駅には9時7分着。近鉄が¥450、名鉄は¥300。桜駅スタートは、9時10分頃。ちなみに、桜駅も、本笠寺駅も乗り降りするのは、初めて。学生時代、通学に名鉄を使っていましたので、何回も通っていました。

Kasadera1  詳しいルートマップのその1。桜駅の南に桜神明社があります。駅の名前が何に由来するのかずっと分からなかったのですが、たぶんこの神社の名前から来ているのでしょう。今回、気づきました。桜駅の出入り口は駅の西にあるのですが、地図で見るとそこから神社に直接行けるかどうかよく分からず、大回り。塩付街道を少し歩き、東海道を横切って富部神社、呼続公園、長楽寺と廻り、東海道へ出て南に向かいます。

Img_1939c_20220926043001 Img_1934c_20220926043001  桜駅は普通電車しか停まりません。対面式のホームで、名鉄には珍しいと思うのですが、跨線橋があります。駅の北側の踏切を回っていきます。さすがに名鉄名古屋本線。ひっきりなしに電車が通っていきます。

Img_1942c_20220926043101 Img_1945c_20220926043101  桜駅の東側の路地。子どもの頃よく見たような、まさに昭和の風景で、懐かしく感じます。そう思って、あちこちキョロキョロしていたら、イヌに吠えられました(苦笑)。若くはないパグでしたが、立派に番犬の任務を果たしています。

Img_1990c_20220924191801  ぐるっと回って、スタートから300mほどで桜神明社。江戸時代は櫻村にあったということで、桜神明社と呼ばれます。境内の説明板によると、創建年は不明。本殿は古墳の上にあり、大正5(1916)年に近くにあった熊野三社をここに移して合祀したとのことです。

Img_1969c  ご祭神は、天照大神伊佐那岐命(いざなぎのみこと)、事解之男命(ことさかのをのみこと:伊邪那岐命が吐いた唾を掃きはらって生まれた神)、速玉之男命(はやたまのをのみこと:伊邪那岐命が黄泉国の伊邪那美命を訪れたとき、見ないでほしいといわれたその姿を見てしまい、離縁することになったが、その約束をかためるためにはいた唾から生まれた神)、應神天皇木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと:大山祇神の娘で、富士山の神とされる)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと:穀物神)です。拝殿は神明造。

Img_1972c_20220924191801 Img_1948c  この桜神明社には、古墳があります。直径36m、高さ4.5mの円墳で、北側から西側にかけて幅3メートルの濠の一部が原形のまま残っていて、比較的保存状態が良い古墳です。墳裾から埴輪片などが出土しており、5世紀末頃の古墳と推定されています。その古墳の上に本殿が建っています。左の写真は、拝殿の脇から撮ったもの。右の写真は、神社の東、名鉄の線路越しに撮ったもの。古墳は、「ひめ塚」とも呼ばれていたと説明板にありました(比米塚、姫塚の字を当てることもあるようです)。環濠は見たものの、写真は撮り忘れました。

Img_1982c_20220926181901 Img_1986c_20220926181901  大正5(1916)年に近くにあった熊野三社をここに移して合祀しました。「合祀之記」によれば、神明社に移された熊野三社は平安時代創建という古い神社で、今の鯛取通一丁目あたりにあり(鎌倉街道と塩付街道が交差するあたり)、500坪ほどの境内を有し、松や杉の大木が密生していたといいます。本地垂迹記によれば、僧侶が代々奉仕し、また、修験者の道場としても広く知られていたそうです。

Img_1976c_20220926183101 Img_1979c_20220926183101  境内には、秋葉神社と、津島神社とがあります。秋葉神社は火伏せの神ですから、桑名でも江戸時代、藩命で防火のためあちこちに建てたそうです。ちなみに、桶狭間の合戦のとき、ここは、織田方の兵卒の宿舎になったところと伝わっているそうです(こちら)。

Img_1995c_20220926184201 Img_1998c_20220924191801  桜神明社の前の道が、塩付街道であったといわれます。星崎7ヵ村といわれた山崎・戸部・笠寺・本地・南野・荒井・牛毛の各村の塩浜(ほぼ現在のJR東海道本線沿い)では、塩の生産が盛んで「前浜塩(星崎の浜の塩)」として有名だったようです。慶長13(1608)年頃には約100ヘクタールの塩浜があったといいます。各村の塩浜で生産された塩は一度、村の塩倉に集められ、富部神社あたりから桜(東宝寺西から鳥栖神明社西)、新屋敷、中根を経て遠く信州塩尻まで、馬の背に乗せられて送られたといいます。左の写真は塩付街道であった道、右は東海道との交差点。新しい石碑に「塩付街道」と刻まれています。

Img_2019c_20220924191801  桜神明社から、その塩付街道であったと考えられる道を通って、富部神社へ。ここは、2019年2月3日のJRさわやかウォーキングで訪ねています(2019年2月15日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(その1))。詳細は、そのときの記事をご覧ください。

Img_2052c_20220924191801  慶長8(1603)年、愛知県津島市に鎮座する津島神社から牛頭天王を勧請したもので、「戸部天王」とか、「蛇毒天王」とも呼ばれたそうです。「蛇毒神(あるいは蛇毒気神((ダドクケノカミ)」は私にとっては初見。京都の八坂神社に祭られているそうで、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が変化したものとも言われています。その後、慶長11(1606)年、清洲城主・松平忠吉(ただよし)(徳川家康四男)が、病気平癒の祈願をしたところ、日ならずして快復し、その恩頼奉謝のしるしとして本殿以下拝殿・祭文殿・廻廊が創建されました。本殿は桃山建築の姿を残し、国の重要文化財に指定されています。ご祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)。相殿神は、田心姫命(タゴリヒメノミコト;記紀神話の神。宗像三女神の一柱。天照大神と素戔嗚尊との誓約(うけい)の際生まれた)、湍津姫命(タギツヒメノミコト;天照大神と素戔嗚尊との誓約のときに、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の祭神)、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト;こちらも、天照大神と素戔嗚尊との誓約の時に生まれた三女神の一。福岡県の宗像大社の辺津(へつ)宮の祭神)、菊理媛神(ククリヒメノカミ;伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされているものの、そのとき菊理媛神が何を言ったかや、出自なども不明の神様)。

Img_2038c_20220926192901 Img_2041c_20220926193001  前回訪ねたときに気づかなかったものについて触れておきます。左の写真は「明治天皇御駐蹕(ちゅうひつ)之處」の石柱。鳥居をくぐった先の参道の右にあります。「駐蹕」は、天皇が行幸の途中、一時乗り物をとめること。また、一時その土地に滞在すること。「駐輦(ちゅうれん)」ともいいます。明治天皇は、明治4(1872)年、ここ富部神社で一時、滞在なさったようです。右は、「當古城主戸部新左衛門政直墓地移轉記念碑」。戸部政直(生没年不詳)は、戦国時代の武将。尾張国戸部城主。初め織田氏にしたがっていたのですが、今川氏とも関係を持ち、織田信秀の死後は今川義元に寝返ったとされます。墓は、当初、名古屋市南区戸部町の戸部城址にあったのですが、。 現在は、ここ富部神社に移されています。

Img_2066c_20220924191801 Img_2071c_20220924191801  富部神社は、呼続公園の隣にあります。呼続公園も、JRさわやかウォーキングで訪ねたのですが、そのときはまったく知らず、後で調べたら、呼続公園には「頼朝公旗掛松」があるのを知りました。この日は、これは是非とも見なくてはと思って行ってきました。源頼朝が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を取ったといわれる松です。ちなみに、源頼朝は、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、翌建久元(1190)年、ついに上洛を果たしました。このときに旗をかけて休んだとすれば、830年も前からある松ということになります。確かにそう言われても納得しそうな雰囲気の老松です。

 その1は、ここまで。その2は、長楽寺から。

ムシクイ、コサメビタキ、エゾビタキ、ヤマガラ、シジュウカラと豪華ラインナップ

Dsc08532c  今頃どうかと思うような、残暑(といって良いのか、よく分かりませんが)。今日も、最高気温は30℃を超え、30.8℃。朝は21.7℃とそれなりに涼しかったので、暑さが堪えます。いつものように、7時半から散歩を開始。今日は、所用が2つありましたので、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、新築公園から寿町、八間通を通って、いったん帰宅。すぐに出て、八間通郵便局まで往復。合計、なんと7.6㎞も歩き回ってきました(歩きすぎ)。

Dsc07585c Dsc07612c  桑名七里の渡し公園の休憩所の屋根にハクセキレイが1羽。他にもシジュウカラが5~6羽でここを通過していくのが見えました。住吉神社の前から揖斐長良川の中州を眺めると、今日も、長良川河口堰方面にダイサギらしき姿が見えます。

Dsc07614c  さらに揖斐川の下流を見ると、川口水門(七里の渡し跡)のところには、アオサギの姿。川口水門で、七里の渡しのところや、幡龍櫓の方(下流側)から回って見たものの、全身を見ることはできず。

Dsc07670c  九華公園では、今日もあのアオサギ。九華橋の近くの樹上にいます。シルバー人材センターから草刈り作業に来ていらっしゃる方も、作業日には、このアオサギを見るのを楽しみにしているとおっしゃっていました。

Dsc08088c  奥平屋敷跡では、ずいぶん久しぶりにハクセキレイが3羽。兄弟のように見えます(あまり根拠はありません。印象では)。

Dsc07743c  散歩友達のYさんと鳥を探していたら、小型の野鳥が数羽動いているのに気づきました。しかし、けっこうよく動き、葉っぱや枝の奥にいたり、高いところに移動したりで、確認や、撮影には苦労しました。まず、左の写真はムシクイの仲間。九華公園でよく見るのは、センダイムシクイですから、多分そうだろうと思いますが、断定はできず。

Dsc07851cDsc07998c  つづいて、左の写真はコサメビタキ。右の写真は、エゾビタキ。ムシクイと共に、これら3種類が同じあたりを移動していたので、紛らわしいこと。写真は撮れなかったのですが、同じ頃、ヤマガラも3羽ほどがやって来ていました。今日は、「忙しいな!」と嬉しい悲鳴(微笑)。

Dsc08255c Dsc08363c_20220926165201  この後、本丸跡から鎮国守国神社の境内でも、ムシクイの仲間、ヤマガラ、シジュウカラの群れに遭遇。奥平屋敷跡にいた群れが、二の丸跡、朝日丸跡と回ってきたのだろうと思います。鎮国守国神社の境内で、ヤマガラとシジュウカラをなんとか撮ることができました。今シーズンは、ヤマガラがよく出て来て嬉しい。これは、明日以降も楽しみです。そろそろモズも出てこないかとか、コムクドリがひょっとしたら立ち寄らないかと、勝手に期待を膨らませています。

Dsc07626c_20220926165201 Dsc08519c  ところで、今日は、伊勢湾台風から63年です。先日の台風14号も、一時、伊勢湾台風並み、あるいは、それを超える強さといわれ心配しました。前にも書きましたが、伊勢湾台風のとき、私は4歳。断片的な記憶は、先日書きました(2022年9月19日:台風にて蟄居生活中(午後からの様子についての付記あります))。そこに書いたほかに、日中は天気が良かったのに、夕方以降、急に雨風が強くなって、とても怖い思いをした記憶もあります。Wikipediaをみると、「26日18時過ぎ、929 mbの勢力を持って潮岬の西15キロ付近に上陸した。上陸時の勢力としては、本州へ上陸した台風の中では今でも史上最強の記録である。26日朝までの進行速度は毎時30km以下であったが次第に加速して、上陸後は60~70kmで紀伊半島を縦断し」とあります。また、名古屋の西を通過したのは、21~22時だったそうです。上陸してからかなり加速しましたから、急激に天気も変わったという訳です。私の郷里でも、高潮が発生し、干拓の堤防が決壊し、また、家屋倒壊などにより、市内で11名の方が亡くなり、全壊戸数473戸、流出56戸、半壊1,065戸、床上浸水1,213戸、床下浸水805戸だったといいます。

2022年9月25日 (日)

貝塚公園でエゾビタキ

Dsc06748c  今朝は、最低気温が16.8℃と寒いくらいでした。散歩をしていた10時頃までは、曇天。その後晴れて来て、日中は28.5℃。いつものように、7時半から散歩。長島方面に行くことも考えたのですが、曇っていたので、いつものコースへ。これだけ涼しければ、野鳥もいるだろうと期待したのです。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、紺屋町、南魚町、田町、三崎通と6.3㎞。

Dsc06761c Dsc06820c  住吉神社から三の丸水門に行く途中、揖斐長良川の中州を眺めますと、ダイサギとアオサギが、計2羽ずついるのが見えました。左の写真は、住吉神社から見てやや東北の方角。ここには以前は、たくさんのアオサギが集まったところですが、この2~3年はそういう光景は見られなくなりました。

Dsc06868c  九華公園で、まずはアオサギさん。今日は、神戸櫓跡にある高い松の木のてっぺんにいました。九華橋の近くの樹上に来るのと同じ個体と思うのですが、たまにこちらにいます。何か理由があるのか、気分によるのかは不明。奥平屋敷跡では、3周もしたのに、ドバト、キジバト、ヒヨドリしかいませんでした。

Dsc06883c  鎮国守国神社の境内も、今日は静か。土曜日の台風で、社の裏側には、さらにたくさんのギンナンが落ちていました。カワウも、カメも、カルガモもいません(苦笑)。

Dsc06919c Dsc06947c  公園の外周遊歩道の東側で、ようやくコゲラとシジュウカラを見つけました。ただし、曇っていましたし、よく動きますので、ようやく捉えたのがバレバレ。

Dsc07174c  貝塚公園では、ヤマガラや、シジュウカラの混群に出会ったのですが、このときは写真は撮れず。その後、四阿の方へ行ったら、小型の灰色っぽい野鳥が飛ぶのに気づきました。そっと追いかけたら、こちらのように、エゾビタキでした。

Dsc07406c Dsc07462c  その後、また、ヤマガラやシジュウカラに遭遇。合計10羽近く。公園の東側のエリアにて。かなり高いところで、どちらもエサ探しをしていました。これもなんとか撮ったというだけです(苦笑)。

Dsc07541c_20220925145301  という風で、期待した割に鳥果は上がりませんでした。しかし、そろそろモズがやって来る頃ですし、これからが本番です。今週は、9月も最終週。水曜くらいには、来週から始まる非常勤の講義のレジメ原稿を送って印刷をお願いしなければなりません。金曜午後は、また歯科治療に行かねば。

2022年9月24日 (土)

20220924笠寺ウォーキング(超予告編)

 昨日計画していた「笠寺ウォーキング」は、台風15号の影響で雨になりましたので、今日に順延。今日は、まさに台風一過で、よく晴れました。最高気温も、桑名で31.0℃。ちょっと暑くはなったものの、真夏ほどでもなく、それなりに歩きやすい気候でした。いつものように、同級生K氏と二人旅。今日のところは、超予告編。以前は、ウォーキングに行って帰ってからもまだ元気があって、写真の整理や、実際に歩いたルートマップの作成などを難なくこなしたのですが、最近はなかなか(苦笑)。それ故、「超予告編」。ちょっと手抜きもありますが、明日以降、この予告編にも手を入れつつ、本編も書いていきます。

Kasadera0  こちらが実際に歩いたルートマップ。名鉄名古屋本線桜駅をスタート。桜神明社、富部神社、呼続公園、長楽寺から東海道を少し歩いて笠寺観音へお参り。続いて笠寺公園にある見晴台考古資料館から笠寺一里塚跡と七所神社を経て、名鉄名古屋本線本笠寺駅まで。名鉄線では、1駅分でしたが、ぐるぐると回って、実際に歩いたのは5.7㎞ほど。

Img_1922c_20220924191801  近鉄桑名駅を8時25分に出る名古屋行き急行に乗車。近鉄名古屋駅には8時46分着。名鉄名古屋駅を8時54分発の東岡崎行き普通に乗り換え。桜駅には9時7分着。近鉄が¥450、名鉄は¥300。桜駅スタートは、9時10分頃。

Img_1990c_20220924191801 Img_1969c  桜駅のすぐ南に桜神明社。創建時期は不明。ご祭神は、天照大神を含む8柱(こちらに詳しい説明があります)。大正5(1916)年、近在にあった熊野権現社の祭神を合祀。また、天保年間の作と伝わる馬具が伝わっていて、毎年10月の例大祭の際に展示されるそうです。このあたりは、鎌倉街道と塩付街道が交わるあたり。

Img_1972c_20220924191801  桜神明社の本殿は古墳の上に建っています。桜神明社古墳と名付けられた古墳は、直径が36メートルほどの円墳で、出土品の須恵器などから5世紀末に造られたものと考えられています。かつては比米塚(ひめづか)と呼ばれていたようで、姫塚の字を当てることもあったといわれます。墳丘の西と北に周濠の一部が残っており、円墳部分も元の形状をよく保っています。

Img_2019c_20220924191801 Img_2052c_20220924191801  こちらは富部神社。笠寺台地上に位置し、古代、この台地の周辺は海で「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれ、「愛知」の地名のおこりの地ともいわれています。慶長年間、清洲城主松平忠吉公(徳川家康四男)が、富部神社を創建しました。桃山建築の姿を残す本殿は、国の重要文化財、また、祭文殿・廻廊そして享保12年(1727)作の山車は名古屋市指定有形文化財に指定されています。

Img_2066c_20220924191801 Img_2071c_20220924191801  富部神社の北から西は呼続公園になっています。このあたりこは、3年前JRさわやかウォーキングで来ています(2019年2月3日:20190203JRさわやかウォーキング「節分の尾張四観音・笠寺観音と旧東海道めぐり」へ(予告編)。そのとき、事前によく調べず、後からここにあるのに気づいたが、「頼朝公旗掛松」。今日はこれは是非観ないとと思って行ってきました。源頼朝公が上洛の折、ここに旗を掛けて休息を取ったといわれる松です。ちなみに、源頼朝は、文治5(1189)年の奥州征伐によって藤原泰衡を滅ぼし、翌建久元(1190)年、ついに上洛を果たしました。このときに旗をかけて休んだとすれば、830年も前からある松ということになります。確かにそう言われても納得しそうな雰囲気の老松です。

Img_2099c_20220924191901  続いて稲荷山長楽寺。曹洞宗。寺伝では、弘仁12(821)年に弘法大師が巡礼に訪れた際に見た夢のお告げで、呼続の浜に七堂伽藍を創建、真言宗戸部道場寛蔵寺と命名して「鎮守清水叱枳眞天」を安置したのが始まりといいます。ここは最近、ペット供養で有名です。今日われわれが訪ねた時も、愛犬の「8周忌法要」が営まれていました。

Img_2108c_20220924194801  ここで、私がもう一度見たかったのは、戦国時代に織田と今川両家の国境線であった谷です。前回は、標識を見つけられなかったのですが、今回はしっかり確認してきました。向こう側には「旧今川領」という標識が立っていました。長楽寺からしばらくは、旧東海道を歩きます。

Img_2180c_20220924191901 Img_2239c_20220924191901  スタートから3㎞弱で、笠寺観音に到着。正式な名称は、天林山笠覆寺(りゅうふくじ)。真言宗智山派の寺院。前回来たのは、節分のときで大賑わいで、境内をしっかり見て回る余裕がありませんでした。本堂の周りも新しい建物があったり、本堂へのスロープも新しくなったようです。

Img_2302c_20220924191901  笠寺観音の東、笠寺公園の中に名古屋市見晴台考古資料館があります。このあたりには、見晴台遺跡(みはらしだいいせき)があります。弥生時代後期を中心とした環濠集落で、この資料館は見晴台遺跡を中心として調査、建久、展示をしています。弥生時代の竪穴式住居を再現したところもありますし、笠寺高射砲陣地の遺構もあります。あのきんさんぎんさん桜もここにあります。

Img_2372c_20220924191901  笠寺公園から南に降りてまっすぐ行くと、東海道に行き当たり、笠寺一里塚跡があります。日本橋からは88里。名古屋市内には、9カ所に一里塚があったそうですが、現存するのはこの「笠寺一里塚」だけです。かつては一対の塚で、道を隔てた南側に大正時代までムクノキが植えられていました。こちらには、土を盛った上に大きなエノキが根を張っています。節分に来た時には水仙が満開でしたが、今日は、ヒガンバナ。

Img_2381c_20220924191901 Img_2388c_20220924192001  今日最後の目的地は、七所(ななしょ)神社。ご祭神は、日本武尊、須佐之男尊、宇賀御魂尊(うがのみたまのみこと)、天穂日尊(あめのほひのみこと;天照大神の子)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと;瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父)、宮簀媛命(みやずひめのみこと;日本武尊の妃)、乎止与命(おとよのみこと;天火明命(天忍穂耳尊の子)の子孫で尾張氏の十一世。尾張国造)の七柱。これらの七柱を祀っていることから、七所神社と呼ばれています。天慶3(940)年、平将門降伏祈願のために、熱田の宮の神々を勧請したと伝えられています。また境内には、昔から熱田神楽の正統を継承してきた神楽師の碑があります。

Dsc_6813c Img_2427c_20220924191901  ここからゴールの名鉄本笠寺駅へ向かいます。駅前に着いたのは12時半頃。例によって昼食ということで店を探しました。まず目についたのはうなぎ屋さんでしたが、これが小丼のうな丼でも¥1,980。手が出ません(苦笑)。その先の「珈琲ミハル」へ。創業60年を超えている、まさに昭和風の喫茶店。昭和のオッサンであるわれわれにはこちらの方がぴったり(苦笑)。和風ハンバーグランチ、コーヒー付きで¥850。

Img_2424c_20220924191901  食事を済ませ本笠寺駅に着いたのは、13時20分過ぎ。現地で歩いたのは5.7㎞。本笠寺駅を13時30分に発車する犬山行き普通に乗車し、名鉄名古屋駅には13時46分着。14時1分の松阪行きの近鉄急行に乗り換え、近鉄桑名駅には、14時22分着。電車賃、名鉄は往きと同じく¥300。桜と本笠寺は隣の駅。今日は1駅分を歩いたのみなのです。近鉄の料金は¥450。

Img_2464c_20220924191901 Img_2455c_20220925063201  帰りに柿安シティホールに立ち寄って、ご近所の方が関わっておられる写真展を見てきました。自宅から桑名駅往復、今日は2.8㎞。今日歩いたのはトータルで8.5㎞、歩数は16,636歩でした。以上、今日のところは、超予告編。明日以降、本編を書いていきます。

2022年9月23日 (金)

台風15号の影響で雨

0923weatherforecast 0923rain  熱帯低気圧が今朝、台風15号になったということで、朝からずっと雨です。冒頭の画像は、10時発表の3時間ごとの天気予報ですが、15時から「豪雨」となっています。確かに12時15分の気象庁のナウキャストを見ますと、右のような画像で、三重県南部に真っ赤あるいは紫色の強い雨を示すエリアがあります。

0923amedas1  15時のアメダス。天気予報よりも早く、13時代から14時台にかけてよく降りました。それでもいずれも16mm前後の雨量で済んでいます。

Img_1898c_20220923151501  このような天気ですから、「蟄居」というか「晴歩雨読」というか、そういう1日です。朝、まだあまり降っていないうちに近所のコンビニに行ってきたくらいで、家事、読書に録りためたビデオを観て過ごしています。が、読書も、ビデオ鑑賞も眼が疲れます。他には、近々行こうと考えているウォーキングのコースを考えたり。これもパソコンに向かってルートを描いたり、立ち寄り先について調べて、説明をコース・マップに書き込んだりで眼を使います。何かをして時間を潰すのも容易ではないな、などとどうでも良いことが浮かんできます(苦笑)。

Img_1901c_20220923151501  雨は明日の朝方にやんで次第に晴れてくるという予報ですので、今日予定していたウォーキングは、明日、行けそうです。

Img_1907c_20220923173601 【夕方気づいたオマケ】 散歩に行っていませんので、写真に色気がないなと思っていました。夕方ベランダに出たら、アサガオが1輪、咲いているのに気づきました。小さめで、色も薄いのですが……。今年はもう終わりと思っていたので、ちょっと嬉しい。

2022年9月22日 (木)

また、こりもせずに降られる(苦笑)……授業資料をかなり作成

Dsc06346c  天気は下り坂で、日本の南海上にある熱帯低気圧が、明日の朝には台風になる見込みだそうです。連休になると台風というパターンなのでしょうか? 今朝は、空模様が怪しかったのですが、いつも通りに散歩に出たら、やはり降られました(苦笑)。ちっとも学習しないのです。ちなみにアメダスには、雨が降ったというデータは出ていません。7時半から住吉神社、九華公園、京町、寺町と3.9㎞。1時間半ほど。

Dsc06358c Dsc06379c  揖斐長良川の中州には、今日も遠くにダイサギらしき姿。長良川河口堰に近いあたりで、たぶん800mほど先。神社の近くにある住吉水門のところにアオサギの若者。ときどき揖斐川沿いにある水門のところに若いアオサギがいます。同じ個体かも知れません。今日も、上空をコサギが通過していきました。

Dsc06406c Dsc06426c  幡龍櫓のところでハクセキレイのオス。この頃から、空模様はさらにアヤシくなりますが、行けるところまでいこうという次第。

Dsc06481c  九華公園。九華橋の近くの樹上にいつものアオサギさん。天気が良くないせいか、テンションが上がらないようで、この後すぐにお休みになりました。

Dsc06494c  管理事務所の近くで、シジュウカラとコゲラの混群がいましたが、暗くて撮れませんし、撮ってもピンボケばかり。その中に、左の写真の小型の野鳥。ウ~ンと唸っています。アイリングははっきりしないので、昨日見たようなコサメビタキではなさそうです。Google Lesで検索すると、キビタキのメス、オオルリのメスなどが候補に上がってきますが、今ひとつはっきりしません。もうちょっと調べてみましょう。

Dsc06678c  さらに奥平屋敷跡では、こちら。胸に縦の斑紋はなさそうですから、コサメビタキの可能性が高いと思います。しばらく奥平屋敷跡を移動していたのですが、この頃には霧雨も降ってきましたし、割と高いところを移動していましたので、こちらも今ひとつはっきりせず。

Dsc06722c  だんだん雨も強くなってきましたので、九華公園で退散することにしました。カルガモのアーちゃん、今日は、堀をあちこち泳ぎ回っていました。背中に細かい粒が見えますが、これは雨粒。

Dsc06741c  九華公園から京町を通って、寺町商店街のアーケードを通って帰宅。こういう雨の日は、アーケードは助かります。250mほど、アーケードが続いているのです。

Dsc06737c  帰宅後、午前中に来月からの非常勤の講義のレジメづくりをしていました。これまでにつくった授業資料を確認し、少し修正したり、追加したりして、印刷配布するレジメの原稿を仕上げ、pdfにして、11月までの分を作り終えました。ちなみに、後期の授業は「人間関係論」です。明日は、終日雨の予報。ウォーキングは、延期でしょうねぇ。

2022年9月21日 (水)

九華公園でコサメビタキ……桑名市博物館で秋季企画展「秋、ものや想ふ」を見てくる

Dsc05634c  日中は27.3℃になりましたが、朝は、なんと18.8℃。涼しいというか、肌寒いくらいでした。一気に秋になった感じ。いつものように、7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、桑名市博物館、京町、常盤町、御坊さん、寺町と6.3㎞。涼しくなったから、今日こそ鳥が出てくるか、と期待しましたが、さてどうだったでしょう?

Dsc05674c Dsc05725c  住吉神社の前から長良川河口堰の方を見たら、ダイサギらしき姿。超証拠写真(苦笑)。遠すぎます。このほか、コサギが1羽、通過していったのですが、気づくのが遅れ、上手く撮れず。ずっとあまり鳥はおらず、柿安コミュニティパークで、ハクセキレイが1羽。

Dsc05919c  九華公園では、アオサギさんは、神戸櫓跡の松の木のてっぺんに。この色模様からすると、いつもは九華橋の近くの樹上にいるアオサギさんと思います。今日は、ヒヨドリがけっこうたくさんいました。涼しくなって戻ってきたように思います。

Dsc05895c  奥平屋敷跡も静かで、ハシボソガラスが2羽いたのみ。しばらくすると、南東側のエリアに小型の野鳥。コサメビタキ。スズメより小さく、13㎝。夏鳥として日本に来ます。九華公園では、9月から10月初めくらいに見ることがあります(たとえば、2021年10月5日:九華公園でコサギとコサメビタキ……貝塚公園も重点観察地域に勝手に指定(微笑))。去年は、9月の終わりから10月初めにかけて滞在していました。しばらくいてくれると嬉しいところ。

Dsc06150c Dsc06254c_20220921170301  ほかには、神戸櫓のところでシジュウカラの群れ。5~6羽くらい。若者と成鳥とが入り交じっていました。かなり高いところを移動していましたので、見上げて写真を撮っていたら、首が痛くなりました(苦笑)。

Dsc06262c_20220921170301  カルガモのアーちゃん(たぶん)は、野球場の南の堀のところにいました。久しぶりに見ました。このあと、貝塚公園にはハシボソガラスしかいませんし、内堀公園ではヒヨドリとスズメ。

Dsc06319c Akimonoposter  桑名市博物館。9月10日から10月10日まで秋季企画展「秋、ものや想ふ―中世もののふ物語をそえて―」が開催されていますので、これを見てきました。今回の展示は、とくに紅葉と月が取り上げられています。月を眺めてもの想うのは、昔から変わらないようで、名歌、名画がたくさんあります。唐の都から大和を偲んだ阿部仲麻呂を描いた「望郷図」や、月明りに見える故郷の道に想いを馳せる「いつか来た道」などが出品されています。また、「もののふ物語」に関連しては、平家物語や北条時頼・曽我兄弟などの逸話を題材にした絵画を見ることができます。2階では、「北村けんじ―ぼくがサムライになった日―」と、「刀剣セレクション3―四日市市立博物館所蔵刀剣より―」とが併せて開催されています。北村けんじさんは、地元・多度の小学校教員を務めながら、児童文学作家でもありました。『ぼくがサムライになった日(金の星社、1983年)』、『うりんこの山(理論社、1968年)』などの作品があります。右の画像は、桑名市博物館のサイトからお借りしました。

Dsc06321c_20220921170201  こちらは、いつも博物館1階に展示されている、1点だけ撮影可能な出品。「短刀 銘 村正」とあります。村正の特長としては、薄い重ねや、表裏そろいの刃文、ふくらの枯れた刃先、茎(なかご)がたなごといったことがあります。この短刀は、重ねが厚く、切っ先の肉付きもあって、がっしりとした印象があり、村正の特長から外れるところもあるものの、全体的には村正のと口調を備えているそうです。2階の「刀剣セレクション3」では、「刀 銘 河内守国助」の刃文が印象的でした。

Dsc06330c Dsc06332c  昨日からお彼岸になりましたので、御坊さんにお参りしてきました。わが家は真宗大谷派で、実家の方に檀那寺はあるものの、遠いので、最近は御坊さんにお参りしています。 

Dsc05804c Dsc05963c  ヒガンバナ。あまり代わり映えはしませんが、アングル、背景など、ちょっとだけ工夫しています。

Dsc05715c  明日は、朝から雨の予報で、金曜も1日雨となっています。「晴歩雨読」ですから、サボっている管理組合の仕事や、非常勤の講義のレジメでもつくることにしましょう。ウォーキングは、土曜以降に延期せざるをえないでしょう。

2022年9月20日 (火)

シロバナヒガンバナ

Dsc05161c  台風14号、結局、わが家あたりではさほどの雨は降らず、風が強かったということで、被害はありませんでした。ただ、市内では高齢の女性お二人が、風にあおられてケガをなさったというニュースが流れていました。さらに、風は吹き返しの風の方が強くて、今日の11時には最大風速10.2m/sを記録しています。天気は、台風一過のすっきりした青空とは行きませんでしたが、最高気温は27.6℃で過ごしやすい。

Dsc05167c  朝は家事を済ませ、8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、京町、南魚町、田町、三崎通、桑名七里の渡し公園と5.9㎞。台風の後には、「珍しい鳥が、強風で飛ばされて来たり、風から避難したりしてきていないか?」と期待するのですが、今までそんなうまい話はありませんでした。もちろん、今日も。むしろ、鳥は少ないのが実際。この写真は、木曽御嶽山。

Dsc05227c Dsc05283c  柿安コミュニティパークでハクセキレイ。ほかにはムクドリが多数集まっていました。九華公園には8時40分ころ到着。いつものアオサギさんも、さすがにこの強風で来ていませんでした。鳥も概して少なく、スズメ、ドバトくらい。散歩友達もいません。

Dsc05363c Dsc05500c  鎮国守国神社の境内でシジュウカラやコゲラの鳴き声。探すと、九華招魂社の方にいました。左の写真は、シジュウカラの若者。右は大人。10羽弱の群れでした。

Dsc05348c_20220920154401  そこにコゲラも混じっていました。2羽いたと思います。この写真は、そのうちの1羽。

Dsc05309c Dsc05313c  九華公園内では、台風の影響で、木々の枝が折れて落ちていたり、葉っぱが散っていたりしています(左の写真)。桜も松も老木が多いのです。右は、鎮国守国神社の本殿の裏手。イチョウの木が何本もありますので、ギンナンが大量に落ちています。

Dsc05541c  九華公園の外周遊歩道の東南を歩いたら、二の丸堀の橋の向こうにダイサギが来ているのが見えました。歩いていたところからは、150メートルほど先。「これはチャンス!」と思ったのですが、走ると危ないので、早足(苦笑)。しかし、写真に写っているにの丸橋のところに行った時には、すでにダイサギの姿はなし。残念。残念といえば、鎮国守国神社にお参りして、再び北門の方から社務所裏の堀に行った時に、カワセミが飛んだのですが、見失いました。この後、貝塚公園にはハシボソガラスしかいませんでしたし、ほかの公園ではスズメくらい。

Dsc05554c_20220920154301 Dsc05602c  田町から三崎通あたりの県道613号線沿いには、ヒガンバナ、シロバナヒガンバナが毎年咲きますので、見てきました。2箇所くらいにシロバナヒガンバナが咲いているのを見つけられました。

Dsc05196c  午後からは歯科受診。まだしばらく通わなければなりません。明日までは天気は良さそうですが、その後木曜からは雨模様。金曜にウォーキングに行こう時計隠しているのですが、ちょっと無理かも知れません。

2022年9月19日 (月)

台風にて蟄居生活中(午後からの様子についての付記あります)

0919amedas 0919rader  大型で強い台風14号は、8時現在、北九州市付近にあるようです。中心気圧は970hPa、中心付近の最大風速は35m/s。わが家辺りでは、今のところ、雨はほとんど降っていません。ただ、風は、朝4時頃は4m/sほどだったのが、今は、6m/sを超える南東の風が吹いています。本当は、散歩に行きたいところですが、この強風ですから、控えています。

Dsc05150c   これという写真もありませんが、北側の玄関先からは、長良川河口堰がよく見えます。左の写真でも、堰の下流側で白波が立っているのが見て取れます。こちらでライブ画像も見られます(5秒おきの静止画)。

Dsc05152c  河口堰のクローズアップ写真。これを書いている時点(9月19日10時頃)では、オーバーフローの状態ですが、大雨が降るなどして水量が増えると、ゲートが全開になることもあります。

Dsc05149c_20220919095001  もう1つ、強風だと書きました。ここに住んでほぼ30年になりますが、過去の強力な台風のとき、ベランダの隔板(かくはん:隣のお宅との境目に設置されたプライバシー保護のための壁)が破れたことがありますし、隔板の金属部分が折れて板にひびが入ったこともあります。もちろんそれらは、とっくに修理済みなのですが、この強風で隔板がかなり揺れているのが、妙に気になります(苦笑)。4歳の時に伊勢湾台風も経験しているのですが、風の凄い音が怖かったことや、当時、実家にあった足踏み式ミシンの下に避難というか隠れていたこと、父親がなかなか仕事から帰ってこず心細かったことなどを思い出します。ちなみに、このころ、実家の敷地内に親戚の土建会社の資材置き場があったのですが、そこから強風にあおられて足場を組む丸太が何本も、実家の屋根を越えて裏側の細い溝に落ちていたということもありました。

Dsc05136c  という次第で、小人閑居してはおりますが、不善はなしていません(微苦笑)。「晴歩雨読」がモットーですから、かなり昔のことばでいえば「自宅警備員」を務めながら、読書、ビデオ鑑賞その他で過ごすつもり。台風14号の東海地方への最接近は夜中くらいのようです。何事もなく過ぎることを願っています。皆様もどうかお気をつけください。

Img_1889c_20220919142701 09191420rain 【付記】 13時37分に暴風警報が発令され、14時過ぎからは猛烈な雨が降ってきました。気象庁のナウキャストを見ますと、真っ赤に表示された強い雨雲が通過している最中です。波浪注意報、雷注意報も出ています。左の写真は、北側にある諸戸氏庭園の方を撮ったもの。揖斐川などはまったく見えないくらい降っています。

Img_1893c_20220919142701  こちらは、南側の写真。室内から撮りましたが、窓ガラスにも雨粒がかなり当たって、そこにピントが合ってしまっています。ベランダの向こうの町並みもかすむくらいの雨の強さです。

2022年9月18日 (日)

雨の止み間に散歩……ヤマガラ、キセキレイにイソシギ

Img_1572c_20220918153201  大型で猛烈な台風14号が気になります。14時現在、屋久島付近にあり、北北西へ毎時20kmで進んでいるそうです。中心気圧は930hPa、中心付近の最大風速は45m/sと、やはり伊勢湾台風並の強さです。東海地方には、明日の夜から明後日の朝、最接近する見込みで、警戒が必要です。今朝は、7時頃まで雨。その後もYahoo!天気を見ていると、「○分後から雨が降ります」という表示で、散歩を迷っていましたが、8時半頃には青空も見えてきて、1時間くらい、雨は大丈夫そうでしたから、思い切って歩いてきました。住吉神社、九華公園と歩き、九華公園で、空模様が怪しくなってきましたし、また、30分後から雨ということで、引き返してきました。結局、住吉神社まで戻ってきた辺りから雨に降られました(苦笑)。冒頭の写真は、住吉神社から見た東の空。

Img_1460c_20220918153201 Img_1510c_20220918153201  散歩に出てすぐ、諸戸氏庭園でヤマガラ、シジュウカラ、コゲラの鳴き声や、木をつつく音が聞こえてきました。見ていると、住吉入江沿いのソメイヨシノの木に出て来ましたので、ちょっと引き返して撮影。このときは、曇天で、枝かぶりなども多く、証拠写真です。ヤマガラは少なくとも2羽、シジュウカラは5~6羽。

Img_1526c_20220918153201  こちらはコゲラ。コゲラは1羽しかいなかったようです。思い切って出て来て良かったと思ったのですが、雨に濡れると嫌でしたから、持ってきたカメラは、超望遠コンデジ(Canon Poweshot SX65HS)。曇天で少し暗いと、このくらいの写真になります。

Img_1586c_20220918154201  台風襲来に備えて、揖斐川沿いの水門は全て閉じられています。ここは、川口水門。七里の渡し跡があるところ。天気は怪しいのですが、私のように、散歩の虫がウズウズする人はやはりいらっしゃるようで、何人か歩いたり、ランニングしたりしておられました。

Img_1689c_20220918153201  九華公園には8時50分に到着。北門を入ってすぐの堀にカワセミ。堀に落ちた木の枝に止まっていました。木の陰に隠れて接近しようとしたら、逃げられました。残念。代わりに、小型の黄色い野鳥が堀の対岸に見えます。キセキレイでした。川の中流~上流部でよく見られ、九華公園では年に1~2回見ます。ラッキーでした。

Img_1708c_20220918153201  九華橋近くの樹上に来るアオサギさんも、いつも通りにいました。毎日、ほぼ必ずいてくれますので、まさにバードウォッチングの「救いの神」です。

Img_1817c_20220918153201  奥平屋敷跡で、散歩友達のWさん。私と同じで、空模様を見ながら、散歩に出ようかどうしようか迷っていたといいます。ここの南側で、イソシギ。つい先日も、2回ほど見ました。過去にも1回見ると、数日間、滞在していたと思います。冒頭に書きましたように、この辺りから風も強くなり、空模様もかなり怪しくなってきましたので、北大手橋、七里の渡し跡、住吉神社を通って帰宅。歩いたのは、3.8㎞。ほぼ1時間。最後に降られるという、よくあるパターン。

Img_1727c_20220918155001 Img_1731c_20220918155001  繰り返しになりますが、台風が心配です。皆様もお気をつけください。今週は、火曜日に歯科治療。台風の最中になるでしょうか? 金曜・祝日は、名古屋へウォーキングに行こうと計画しているのですが、今のところ雨の予報。先週も書いていたと思いますが、いよいよ10月からの非常勤の授業のレジメ、もう1回見直さないといけません。ヒガンバナは、九華公園の管理事務所の近くにて。

 

2022年9月17日 (土)

長良川河口堰でモズのオス

Dsc04638c  雨は夕方以降で、それまでは曇りという予報でしたので、週末恒例の「プチ遠征」。木曽川、長良川河口堰、上之輪新田へ。今日のハイライトは、こちら。モズのオス。長良川河口堰の親水広場の北側にて。かなり追いかけたのですが、近づけず、ちょっとピントが甘い証拠写真ですが、今シーズン初撮影。

Dsc03751c_20220917145601 Dsc03745c_20220917145601  まずは、7時35分に国道23号線木曽川大橋のところへ。久しぶりに橋の上流側も覗いてきました。伊曽島神社に車を置いて、歩いてすぐ。ただ、ここからは高水敷には降りられません。眺めたら、アオサギさんが1羽いただけで、すぐに木曽川大橋の下流側に移動。

Dsc03785c Dsc03779c  水制が3つ並んでいますので、歩きながらチェック。あちこちにカワウ、アオサギ、ダイサギ、コサギがいます。しかし、例によって、アオサギとダイサギは、神経質で、こちらの姿を認めるとすぐに逃げます。

Dsc03835c Dsc03954c  コサギさんは、体は小さいのに比較的落ち着いていて、水制の近くまで行っても逃げません。

Dsc04005c_20220917145701  木曽川大橋から上流へ3つめの水制のところには、カルガモが30羽近くいました。現地では全てカルガモと思って帰ってきたのですが、パソコンで写真をよく見たら、違うカモも混じっているのに気づきました。この写真では、3羽のカモが写っていますが、中央はカルガモ、両側は違う種類のカモ。向かって左はヒドリガモのメスに似ている気もします。右は何でしょう?

Dsc04039c  さらにカルガモの中にも、ほかのカモとのハイブリッドかと思われるカモも見えました。この写真で、左から2羽の目のカモがそれです。ほかにいたのは、ハクセキレイくらい。最近見たマガモやハシビロガモは、今日は姿は見えませんでした。

Dsc04062c Dsc04108c  車を止めたところまで戻る途中、アオサギを見ていたら、ダイビングを見せてくれました!思わぬところで、見られました。

Dsc04109c Dsc04118c  上右の写真の次のシーンが、この左の写真。期待したのですが、獲物は逃したようでした。このあともしばらく、2回目がないか待ったのですが、残念ながらそれはなし。

Dsc04265c Dsc04196c_20220917145801  続いて、長良川河口堰。8時15分から1時間弱滞在。堰の東側では、まず、アオサギ。魚道の下流側にいました。不用意に覗いて、逃げられないようそっと行ったら、この写真が撮れました。

Dsc04209c Dsc04231c  さらに上流側の魚道のところには、ダイサギとコサギとが1羽ずつ。

Dsc04363c  管理橋を渡っていると、機械室の下流側のところ、2箇所にダイサギがいました。

Dsc04739c_20220917145801 Dsc04712c  河口堰西側には、アオサギ、ダイサギ、コサギが合わせて10数羽。閘門の上流側のところには、アオサギ1羽にダイサギが4羽並んでいました。

Dsc04542c  親水広場では、冒頭に書きましたようにモズを見たほかは、ハクセキレイくらい。2羽がいました。

Dsc04685c  親水広場から河口堰の管理橋に戻る時、アオサギが降りてきたのですが、私には気づかなかったようです。振り向いて、私に気づいたのが左の写真。さすがに驚いたようです。

Dsc04688c_20220917145801Dsc04691c  この後は、慌てて離陸準備(苦笑)。すぐに飛び立って逃げていきました。

Dsc04978c Dsc04909c  上之輪新田では、ダイサギがあちこちに計6羽。しかし、どのダイサギも逃げ足が速いこと。右は、いたという証拠写真。あちこちで歩いたのは、計5.3㎞。

Dsc05051c_20220917152501  ところで、台風14号は、大型で猛烈な台風になっています。中心付近の気圧は910hPaとか。伊勢湾台風が、最低気圧が895hPa、潮岬に上陸した時が929hPaでした(伊勢湾台風のとき、私は4歳でした)。用心しなくてはなりません。今日は、夜に管理組合の理事会があります。

2022年9月16日 (金)

アオサギさんくらいですねぇ

Dsc03115c_20220916164701  午前中から割とよく晴れました。最高気温は、31.6℃と高くなったものの、散歩中は楽になりました。真夏のように汗びっしょりにならずに済んでいます。今日は7時半から住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、常信寺、寺町と6.0㎞ちょうど。

Dsc03125c_20220916164701 Dsc03172c_20220916164701  住吉神社の前から揖斐長良川の中州を見ると、ダイサギの姿が1羽。以前は、中州にアオサギやダイサギがよく集まっていましたが、最近はあまり見なくなりました。幡龍櫓のところでは、ハクセキレイ。

Dsc03225c  柿安コミュニティパークでは、スズメ。巣立ってきて間もないように見えます。この直前、親からエサをもらっていました。Wikipediaによれば、繁殖は3~8月に行われるということですから、今の時期に巣立ってきたのも不思議はなさそうです。

Dsc03240c_20220916164701 Dsc03301c  さらに柿安コミュニティパークの西にある堀で、アオサギの若者を発見。堀の西側の石垣の上を歩いていました。見ていると、右の写真のように、ダイビングして、エサをとろうかという雰囲気に。「これは、これは」と期待してみていたのですが、残念ながら、漁は諦めてしまい、このあと身繕いに。

Dsc03348c  アオサギを見ていましたので、九華公園にはいつもより20分くらい遅く、8時過ぎに到着。九華橋近くの樹上には、いつものアオサギさん。今日は、「寝落ち寸前」という感じ(微笑)。このアオサギさんは、いろいろなところを見せてくれ、まさに「役者なぁ」と思います。

Dsc03424c Dsc03476c  管理事務所の南では、今日もシジュウカラとコゲラ。ただ、高くて、葉の茂った木にいて、なかなか写真が撮れないのです。シジュウカラとコゲラは、この後、神戸櫓のところでも見ました。公園内を順番に移動しているのです。九華公園でのバードウォッチングだけでなく、今日のバードウォッチングは、ここまで。貝塚公園ではハシボソガラスのみ。新築公園ではスズメだけという風でした。

Dsc03362c_20220916164801 Dsc03406c  九華公園では、今日もヒガンバナの撮影に挑戦(というほど大げさなものではありませんが……)。左の写真は、光の当たり具合がまあまあかと。右は、ちょっと見上げるアングルから青空を入れて撮ってみました。これらは、管理事務所の近くにて。

Dsc03640c  こちらは、鎮国守国神社の境内で。背景がもっと全面的に暗い方が、ヒガンバナの赤色が映えたと思います。シロバナヒガンバナなど、色違いも探しているのですが、散歩コースではまだ見かけません。

Dsc03696c Dsc03718c  常信寺で、左の写真は、ヤマボウシの実。リンク先の説明によれば、「8月から9月に紅橙色に熟し、果肉は粘質で甘く生食できます」ということですが、お寺のものを勝手にいただくわけには行きませんねぇ(苦笑)。右は、同じく常信寺に咲いていたムラサキナツフジ

Dsc03501c_20220916164801 0916weatherforecast  オマケ。九華公園の奥平屋敷跡で鳥を探しに回っている時、見上げた空に月。月齢でいうと18.9。明後日18日が下弦の月。今日までは天気は良かったのですが、明日からの3連休は台風14号が襲来するということで、心配です。大型で非常に強い台風になったといいます。桑名辺りでは、18日(日)~20日(火)にかけて大きな影響が出るという予報です。

2022年9月15日 (木)

九華公園で目の前にカワセミ!!

Dsc03103c  30℃にはならないという予報でしたが、30.3℃。微妙なところですが、真夏日になりました。ただ、昨日ほどは暑くはない感じ。今朝も、家事を済ませ、8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、吉津屋町、新築公園、常盤町、老松公園、寺町と6.4㎞。

Dsc02967c Dsc02884c_20220915151401  朗報です(微笑)。といっても私にとって、ということですが……。九華公園で、カワセミを目の前で見て、これらの写真を撮ることができました。公園内を半周して、鎮国守国神社の境内を抜け、社務所裏の堀端に来たら、カワセミ登場。最初は、ソメイヨシノの木に止まり、今イチのポジショニングでしたが、移動してくれたおかげで、カワセミから数メートルのところまでいけたのです。600mmズームで撮って、多少トリミングしています。ここしばらくどこへ行ってもカワセミは、見るだけで欲求不満が募っていましたが、これで一気に解消しました。

Dsc02476c Dsc02505c  さて、それ以外の鳥見はあまり芳しくありませんでした。揖斐川沿い、川口水門と三の丸水門の間の堤防にアオサギ。いつもいる若者のようです。住吉水門のところから見ました。この位置にいるアオサギは、水門や堤防の上の道路から、他に見られるところはないのです。右は、柿安コミュニティパークの電柱にいたカワウさん。このカワウさんも、よくここにいる同じカワウのように思います。

Dsc03044c Dsc02539c  九華公園では、カワセミ以外に見たのは、シジュウカラ。10羽近くの群れが、管理事務所前にいたのですが、ちょうど頭の真上で、枝や葉っぱの多いところで、上手く撮れず。アオサギの写真は、今日は、友人と出会ってしゃべりながら撮ったら、ピンボケ(苦笑)。しかし、アオサギさんは、いつものように、九華橋近くの樹上にいました。他に、これも写真としてはまったく不出来ですが、カルガモ1羽。いたという記録(苦笑)。

Dsc02569c_20220915151401 Dsc02596c  ヒガンバナ。鎮国守国神社の境内にて。かなりたくさん咲いてきましたので、ちょっとは工夫して撮れそうです。左の写真はクローズアップ。右は、もうちょっと後ろがボケると良かったのですが、絞りの値を調節しないといけません。

Dsc03073c  この後、貝塚公園では今日もハシボソガラスのみ。他の公園には、スズメがいたくらい。この花は、九華公園の南にあるお宅で撮らせてもらいました。Google Lensで検索すると、ダリアと出てくるのですが、ダリアなのでしょうか? 花や葉は、キク科のもののようです。

Dsc03105c  余談というか、自分の記憶のため。6月にそれまで使っていたパソコンが壊れ、富士通のESPRIMO FH56/E3(FMVF56E3LB)を買いました(2022年6月8日:江戸橋での仕事は中間地点を通過……パソコンのその後)。Windows11にアップグレード可能で、SSDが搭載されている、Windows10のデスクトップPCということでこれにしたのですが、Windows11にまだアップグレードをしていませんでした。先日、コンビニでパソコン雑誌を見ていたら「もうWindows11にアップグレードしても大丈夫」という記事が出ていましたので、今朝、散歩中にアップグレードを実施。帰宅して、再起動をしたり、Windowsアップデートをしたりして、2時間半ほどで作業を完了しました。今のところ、以前から使っているソフトもプリンタなど周辺機器も無事に動いています。また、さほど違和感もなく使えています。起動スピードは、Windows10のときより、若干早くなった印象があります。

2022年9月14日 (水)

九華公園でヤマガラとシジュウカラ

Dsc02458c_20220914145701  今日の最高気温は、34.3℃。昨日より少しだけ高くなっています。いったいいつまで暑いのか? と思えてきます。散歩から帰って、午前中はエアコンなしで過ごしていますが、昨日も今日も、昼くらいから風もなくなり、一気に蒸し暑くなります。朝は家事を行い、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と5.9㎞。1時間50分コース。

Dsc02070c  今日も、揖斐川の住吉水門と川口水門との間にアオサギさんが1羽。このところ、住吉水門から三の丸水門の間に若いアオサギがよくいます。このアオサギさんも若者ですから、同じアオサギかも知れません。

Dsc02100c Dsc02106c  九華公園のいつものアオサギさんも、いつものところにいます。今日は、身繕い中。身繕いをしながらも、ときどきは動作を中断し、顔を上げて廻りを確認します。アヤシいやつがいないかチェックしているのでしょう。アオサギを見ていたら、神戸櫓跡の方から、ヤマガラやシジュウカラ、コゲラの鳴き声が聞こえてきました。探したものの、姿は見えず。

Dsc02201c_20220914145701 Dsc02245c_20220914145701  ところが、管理事務所前から奥平屋敷跡へ行こうとしたら、またもや鳴き声が聞こえてきました。それも頭上から。探しました。今度こそいました(微笑)。ヤマガラは、ちょっと見上げる感じになり、シジュウカラは枝の多いところでイマイチではありますが、一応、写真が撮れました。

Dsc02322c Dsc02333c  奥平屋敷跡では、エゾビタキを探したものの、今日は影も形もなし。代わりにいたのは、カワラヒワが1羽。他は、スズメも、ドバトもおらず。やむを得ず、先日、鳥小屋に来た文鳥を1枚。「文ちゃん」と呼びたくなります。

Dsc02374c  九華公園に着く前、三の丸水門のところで散歩友達Yさんに会い、九華公園でWさんに出会ったほか、人はあまり歩いていません。ヒガンバナも増えてきていますが、まだ、鎮国守国神社の本殿の裏など、日陰が中心。アングルを工夫しようと思ってはいるものの、なかなか難しい。こちらは、一応光の当たり方がおもしろいかと思ったもの。

Dsc02420c  貝塚公園、先日、サンコウチョウを見て以来、ここも鳥は少なく、今日はスズメとハシボソガラス3羽。暑そうで、3羽とも嘴を開けています。

Dsc02409c_20220914145701 Dsc02414c  またまた、鳥が少ないので、花の観察(微苦笑)。シロバナハギと思います。九華公園の外周遊歩道の南のお宅で咲き始めました。その近くで、ムクゲ。ムクゲは他でも、もっと前から咲いていますが、今シーズン写真を撮ったのはたぶん初めて。

Dsc02444c_20220914145701 Dsc02440c  寺町商店街。10時開店の少し前。三八市のない、平日はこんな風で、閑散としています。「寺町」と書かれた旗が秋バージョンに変わっていました。

Dsc02450c_20220914152201  このところの暑さのせいか、モチベーションがイマイチ湧いてきません(苦笑)。依頼されたこともあるので、やらなければないのに。夏バテとか、秋バテとかいわれますが、そうではない気がします。先週の市民大学ゼミナール郷土史学科のまとめは、一通りは完成しましたから、プリントアウトしてこれから確認するつもり。

Dsc_0317c  もう9月もちょうど半ばになりますから、そろそろ非常勤の講義資料をもう1回、一通り見た方が良いかも知れません。そうそう、書き忘れていましたが、先週、非常勤先の先生から、「来年度も講義をお願いします」というご依頼をいただきました。ありがたいことです。現在お世話になっているところの非常勤講師の定年は、確か70歳。3月生まれですので、来年度は68歳、再来年度は69歳、再来年度末で70歳を迎えますから、元気で呆けていなければ、あと2年半働くことができます。

2022年9月13日 (火)

九華公園でイソシギ

Dsc02029c_20220913151801  朝からよく晴れています。今朝は23.7℃と涼しかったのに、日中は33.6℃と猛暑日に近い気温。もう9月も中旬なのにと思います。それはさておき、今日も朝7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町、南魚町、田町、三崎通と6.4㎞。そんなに歩いたか?と思います。真夏の頃よりは、歩く距離が少し長くなりました。さすがにあの頃は、朝歩き始める頃から暑かったのですが、今はそこまでは暑くはありません。今日、30℃を超えたのは11時頃。

Dsc01884c  いつものように住吉神社のところから揖斐川を眺めると、川口水門と三の丸水門の間にアオサギが見えます。300mほど先。回り込んで近くで見たいとは思うものの、このアオサギがいるところは、堤防からも水門のところからも死角になるのです。

Dsc01921c_20220913151801  スズメは見るものの、ほとんど鳥は見ません(苦笑)。九華公園に到着。あのアオサギさんは、いつものところにいました。が、お休み中(苦笑)。起こすのもかわいそうですから、写真を撮ってそのまま退散。奥平屋敷跡で、先日から滞在しているエゾビタキらしき鳥は、屋敷跡を移動しているのですが、なかなか良いポジションには来てくれません。もう1種類、小型の猛禽類のような鳥が、何かを追いかけているところを一瞬、目撃。ドバトと似たような大きさでしたが、形は明らかに猛禽でした。どちらも写真は撮れず、残念。

Dsc01949c  と思って、朝日丸跡を歩いていたら、小さいシギが野球場方面へ飛ぶのが見えました。60mほど先にいます。600mmズームで撮って、大トリミングしたのが、この写真。1~2年に1回くらい、九華公園でイソシギを見ます。今日のバードウォッチングは以上(苦笑)。それでも、エゾビタキにも、小型猛禽にも欲求不満が残ったのですが、これでかなり解消できました。ちなみに、貝塚公園では、何も見られませんでした。

Dsc01935c  鎮国守国神社や、九華公園では少しずつヒガンバナが増えてきました。実はあまり好きな花ではないのですが、季節が感じられますので、ついつい撮影しています。散歩コースの他のところでは、まだ咲いているのを見ません。シロバナヒガンバナも探そうと思っています。

Dsc02012c_20220913151901 Dsc02018c  鳥が少なかったので、また、自分のために花の勉強(微笑)。左の写真は、イソトマ(ローレンティア)。地中海沿岸やアフリカなどが原産。右は、マリーゴールドでしょうか。詳しく見ると、さらに色々の種類に分かれるようです。あちこちで咲いているのを見かけますが、名前と花とが私の中で結びついていませんでした(微苦笑)。

Dsc_0316c  アサガオ、今朝は計5輪。「茂君」の方(写真奥の方)は、まだまだつぼみが出て来ます。もう一方は、そろそろ限界かも知れません。また、最近は取り上げていませんでしたが、メダカもまだ飼っています。ただ、最近は、数が減り、今は15匹ほど。プラスティック製の睡蓮鉢が住み処Dsc01454c 。高齢化が進んだためなのか、卵を産まなくなっています。よく分からなくなっていますが、3年以上生きているメダカもいるように思います。

2022年9月12日 (月)

残暑厳しく、アオサギ2羽のみ

Dsc01455c_20220912155001  朝夕は過ごしやすくなりましたが、日中の残暑はまだまだ厳しい。今日も、33.8℃になりました。今朝も7時半から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、紺屋町、新築公園、アピタ桑名店、寿町、八間通、堤原と6.5㎞。よく歩きました。週末は、野鳥に恵まれましたが、そうそううまい話は続きません(苦笑)。

Dsc01511cIbigawamap  まずは、川口水門のところにアオサギの若者。住吉神社前からいつも揖斐川や、揖斐長良川の中州を眺めるのですが、そのときに気づきました。ただし、水門のところにいても、場所を選ばないと、堤防上の道路からは見えないことがあります。このアオサギも、川口水門の上流側にいました。七里の渡し跡を過ぎて、幡龍櫓の東を大きく回って、川口水門の下流側に行って、ようやく写真が撮れたという次第。このあたり、一時期、ホオジロがいたのですが、最近はさっぱり。

Dsc01549c Kawaguchimeishozue  ついでに先日も載せましたが、アオサギを見たところから七里の渡し跡を撮ると左の写真。中央に伊勢一の鳥居。その向かって右、松の木の陰に常夜灯が1基あります。「久波奈名所図会」の「船場」に同じ辺りの絵があります。向かって左下に「幡龍櫓」、中央やや左下に「鳥居」があります。他に問屋場、舟会所、御番所なども示されています。

Dsc01595c_20220912154901 Dsc01831c  話を戻して、九華公園。アオサギさん、最初は、神戸櫓跡にある松の木のてっぺんで、カワウといっしょにいましたが、しばらくするとここからはいなくなり、鎮国守国神社を回ってくると、最近よくいる九華橋近くの樹上に移動。色・模様をよく見比べると同じアオサギさんと思われます。

Dsc01606c Dsc01626c  奥平屋敷跡では、珍しい色・模様のドバト。他には、カワラヒワが今日はかなりたくさん来ていました。ただ、松の木の高いところ似よくいましたから、なかなか写真は撮らせてくれません。

Dsc01763c_20220912154901  エゾビタキらしき鳥は、今日もいました。しかし、今日は、なかなか良いところには出てこず、証拠写真しか撮れず。カワラヒワなども見ながら小1時間粘ったのですが……。諦めて二の丸跡に行こうとした時、橋のたもとからカワセミが飛び去っていきました(苦笑)。今日も、見ただけです。

Dsc01554c_20220912154901  鎮国守国神社の境内以外にも、管理事務所近くで、ヒガンバナが咲き始めました。この後、貝塚公園でも、昨日のことがありますから、サンコウチョウその他がいないか見て回ったものの、今日は、スズメ、ヒヨドリくらいで、今日のバードウォッチングは、今ひとつ。アピタ桑名店にはあるものを探しに行ったのですが、気に入ったものはありませんでした。

Dsc01459c_20220912161701  今日の桑名七里の渡し公園ではありませんが、今日の私の活動は「休園状態」のようなもの(笑)。

Dsc01421c_20220912154901 Dsc01431c  そうそう、こちらもイマイチで、チャレンジしてみましたというだけの写真。今朝4時過ぎの写真。十六夜の月に木星が接近するというので、撮ってみました。ただし、カメラの設定が、先日の十五夜のときと同じか、ちょっと変更しただけでしたので上手く撮れず。よく見ると、点のように木星が見えるかも。

2022年9月11日 (日)

サンコウチョウ、ヒガンバナ、アオサギ3連発(微笑)

Dsc00466c  朝からよく晴れて、日中は32.4℃になっています。散歩をしてくると、さすがに汗をかなりかきます。今朝も7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、新築公園、常盤町、寺町と6.5㎞。アピタ桑名店にも行こうと思ったものの、新築公園で力尽き、帰宅(苦笑)。力尽きたのは、貝塚公園で珍しい鳥に出会い、それをなんとか撮影しようとウロウロしたため(微笑)。

Dsc01258c  その貝塚公園で出会った珍しい鳥とは、こちら。サンコウチョウのオス。尾があまり長くありませんので、若いオスと思います。2014年9月28日にサンコウチョウのメスと思われる鳥をちらっと見たことはありますが(2014年9月30日:9月28日(日)の散歩写真から……コサメビタキ、ヤマガラ、コゲラ、シジュウカラ、センダイムシクイ(?)、正体不明の鳥など)、それ以来。密かに、ずーっと見たいと思っていました。2年前に九華公園で管理人さんが見たとおっしゃったのですが(2020年8月9日:九華公園でサンコウチョウの目撃情報)、そのときは確認できませんでした。小さな冠羽があり、目の周りとくちばしは、きれいなコバルト色をしています。日本では本州・四国・九州・沖縄に夏鳥として渡来し、平地から低い山のうす暗い林で繁殖します。今日見かけたのも林の中のあまり明るくないところでした。いったん見失ったのですが、最初にいたところに戻ったら、サンコウチョウもそこに戻っていました(微笑)。

Dsc00690c Dsc00729c_20220911142401  もう1つ、今日のトピックス。ヒガンバナが咲き始めていました。場所は、鎮国守国神社の境内。本殿の裏手で、日があまり当たらないところです。咲いていたのはまだ1輪だけ。しかし、ヒガンバナは、右の写真のように、ニョキニョキとたくさん出て来ています。いつも、早くから咲くのは、桑名市シルバー人材センターの敷地内なのですが、そこは雑草が繁っていて、まだヒガンバナは見えてきません。九華公園の二の丸橋の南側の袂も毎年たくさん咲くのですが、そこもまだ芽が出て来ていません。

Dsc00496c_20220911142501 Dsc00552c  さて、散歩の始めに戻って、アオサギさん3連発。左の写真は、住吉水門のところにいたアオサギさんの若者。ここにはときどき、アオサギが来て佇んでいます。右の写真は、柿安コミュニティパーク西の堀のところにいた、アオサギさんのやはり若者。エサを探していたのか、堀の石垣をゆっくりと移動していました。ここまでで「今日は、アオサギさんデー」かと思いました(笑)。

Dsc00570c Dsc00614c_20220911142501  九華公園でも、いつもの九華橋近くの樹上にアオサギさんの大人。これで、「アオサギさん3連発」。当初の幸運も、まずは、ここまで。ドバトや、スズメが少しいたくらい。カワラヒワは、奥平屋敷跡でちらっと登場(右の写真)。

Dsc00763c Dsc00752c  天気は良かったものの、九華公園を散歩する人はかなり少なく、人にはほとんど出会いませんでした。

Dsc00990c_20220911142401  このあと、貝塚公園へ。まず出会ったのは、シジュウカラ。これも若者のようです。青い虫をくわえて、食べていました。このあと、公園内某所でサンコウチョウを見つけたという次第。

Dsc01391c_20220911142401  野鳥は、拙宅近くの住吉入江でイソヒヨドリのメス。「何か飛んできた!」「ヒヨドリじゃないぞ!」と思ったら、イソヒヨドリだったということです。

Dsc00588c  という次第で、サンコウチョウを見られ、アオサギさんも3連発で、なかなか良い散歩でした。中秋の名月も過ぎ、ハギもかなり咲いてきて、少しずつ秋になっていってもらいたいところです。今週は、土曜日にマンション管理組合の理事会。他にはとくにアポはありません。一昨日、非常勤先から後期の授業について連絡が来ました。もう一度、授業のレジメを見直しておいた方が良いかも知れません(微笑)。

Dsc00641c Dsc00653c  オマケ。鎮国守国神社のギンナン。銀杏の木にもたくさん実がついていますが、すでに落ちているギンナンも多数。まだ熟していないものも多数落ちていて、もったいない。「桑名ほんぱく」の申し込みが始まったのですが、是非参加したいと思っていた企画、今朝、ネットを見たらすでに満員御礼で、残念。今年こそ、出遅れないようにと思ったのに。

2022年9月10日 (土)

20220910中秋の名月

Dsc00408c_20220910202501 Dsc00409c  今日、9月10日は中秋の名月です。わが家のベランダ(南側)では、夜8時ころから、東の空に満月が見え始めます。8時過ぎにこの中秋の名月を撮ってみました。ソニーDSCーRX10M4を使い、f/8、SS1/125秒、ISO感度250、オートホワイトバランス、600mmズームです。左の写真は、この条件で撮って、トリミングをしています。右の写真は、ノートリミング。

Dsc00402c  どこに見えているかを示す写真。こちらは、f/6.3、1/8秒、ISO感度250、オートホワイトバランス、広角24mmで撮影し、トリミングを若干しています。写真の左上に月、右下に長島温泉花火大競演の花火がうっすら見えています。この後、8時15分には月は雲の向こうに隠れてしまいました。

 ちなみに、9月も半ばになりましたので、長島温泉花火大競演は、もういいかということになりました。朝晩は涼しくなってきましたので、「気分的に」ということです。

木曽川でチュウシャクシギとハシビロガモ

Dsc09534c  夜中には大雨が降ったようですが、日中はほぼ晴れ。最高気温は、31.8℃。今日は、最近、週末の恒例となりつつあるプチ遠征。コースもほぼ定まり、長島町内→国道23号線木曽川大橋→長良川河口堰→上之輪新田→大山田川沢南橋。あちこちで歩いたのは、合計5.0㎞。冒頭の写真は、木曽川の様子。

Dsc09940c_20220910152701  木曽川では、まずこちら。木曽川大橋から上流へ3つめの水制まで往復して、帰り道に10羽ほどが集団で飛んできました。チュウシャクシギ(中杓鴫)と思います。旅鳥として飛来します。

Dsc09590c_20220910152601  また、ハシビロガモも2羽、確認しました。写真には3羽のカモが写っていますが、右下はカルガモ。上の2羽が、ハシビロガモ。先週見かけたマガモは、今日は、確認した範囲では見られませんでした(2022年9月4日:木曽川でカモ、河口堰で新発見)。代わりにカルガモが20羽以上いました。

Dsc09578c Dsc09720c  他に見たのは、いつものラインナップ。アオサギは、1羽。水制に止まっているのですが、ちょっと近づくと離れた水制に逃げるのを繰り返します。右の写真は、ダイサギ。こちらも全身が映るところまで移動しようとしたら、逃げました。

Dsc09659c Dsc09609c_20220910152601  コサギも2羽。こちらは、アオサギやダイサギに比べると、すぐに逃げるということはありません。右の写真に小さく写っているのは、イソシギ。ここには30分ほど滞在して、長良川河口堰へ。

Dsc00118c_20220910152701  河口堰、今日は、あまり鳥はいませんでした。今日もまた、カワセミを一瞬だけ目撃したものの、ダイビングしてからどこへ行ったか分からなくなりました。

Dsc00069c_20220910155401 Dsc00079c  河口堰の東側の魚道のところ。上流側にはコサギが1羽。下流側にはダイサギとコサギが1羽ずつ見えたのですが、アオサギも1羽いました(気づかず)。

Dsc00155c Dsc00161c  管理橋を渡って西側へ。先週は、下流側から閘門に入っていくところにサギが多数集まっていたのですが、今日はダイサギが1羽と、カワウ数羽。左右の写真は、上流側の魚道のところなどで見たアオサギとダイサギ。ダイサギとアオサギは、別のところにも1羽ずつ。他に、コサギが計2羽。

Dsc00264c_20220910152701  東側に戻ってきたら、魚道にダイサギ。今日は、獲物を捕るところは1回だけ見たものの、ピンボケ写真しか撮れず。

Dsc00329c Dsc00334c_20220910152601  上之輪新田。稲がかなり色づいて、穂が垂れてきています。稲刈りも近いかと思います。

Dsc00340c Dsc00374c  ここの北東のエリア、近鉄の線路に近いあたりに1区画、休耕田があります。先週も、今日もここにサギがいました。ダイサギとアオサギが1羽ずつ。

Dsc00368c_20220910152601  さらに、ハクセキレイ。これは、たぶん若者。モズがいないかと期待したのですが、まだでした。ちなみに、長島町内では、あちこちの水田に白いサギが見えましたが、あまりまとまってはいませんでした。大山田川沢南橋では、今日は何も見られませんでした。

Dsc09522c  ところで、まだまだアサガオです。2輪+5輪で計7輪。5輪は「茂君」の方。先に咲き始めた方の鉢では、種がかなり大きくなって来ています。

2022年9月 9日 (金)

散歩帰りに専正寺にて鳥居強右衛門一族の墓を見てくる【神社図鑑について付記しました(9/9)】

Img_1402c_20220909152201  曇りときどき雨という予報。雨は朝7時台に少し降っただけ。最高気温は3.13℃で、午後からは蒸し暑い。今朝は、8時から散歩。南の方に雨雲が見えましたので、迷っていたのですが、エイヤッと出かけました。歩いている途中で雨雲は消失。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店、八間通、堤原、専正寺と回って、6.4㎞。今日は、降られずに済みました(微笑)。が、鳥はいません(苦笑)。午後からは、歯科受診。

Img_1209c_20220909152201  住吉神社のところで、スズメたち。10羽ほど。揖斐川の堤防を七里の渡し跡の方へ歩こうとしたら、南東の空からアオサギが2羽飛来。諸戸氏庭園の方に飛んでいきました。今日は、超望遠コンデジでしたので、ピンボケ写真で残念(苦笑)。

Img_1251c  九華公園では、いつもの九華橋近くの樹上にアオサギ。「救いの神」は、健在。このあと、奥平屋敷跡でシギ、たぶんイソシギらしき姿を一瞬見たので、回り込もうとしたら、散歩友達某氏がやって来てどこかへ行ってしまい、確認できず。イソシギなら、数年に1回、姿を見せます。他には、本丸跡でシジュウカラ。バードウォッチングは、以上(笑)。

Img_1358c_20220909152201 Img_1392c_20220909152201  堤原から専正寺に回ってきたと書きました。火曜日に専正寺に行って鳥居強右衛門(とりいすねえもん)一族の墓を見てこないと、と書いたのですが(2022年9月6日:昨日の罪滅ぼしか、九華公園にアオサギ2羽)、ようやく行ってこられました。三竜山専正寺、真宗本願寺派です。専久寺と正念寺とが合併して専正寺になっています。正念寺は、寛永4(1627)年に常祐により「称念寺」として創建されています。法盛寺の末寺でした。承応元(1652)年、藩主松平定良公から境内地の寄付があり、その時に「正念寺」と改名しました。一方の専久寺は、天和年間、願信が創設し、元は三崎辺りにありましたが、6代住職閑嶺が正念寺から入寺して、萱町に移転中興。こちらも、もとは法盛寺の末寺。しかし、昭和20(1945)年、戦災にて焼失し、復興できませんでした。そこで、昭和22(1947)年に専久寺は正念寺と合して、専正寺となった次第。

Img_1372c_20220909152201Img_1366c_20220909152201  「蛤墳」。これは、火曜の記事にも載せました。説明板によれば、昔この辺りは、漁村で付近一帯にたくさんの貝殻が埋もれていました。文政6(1823)年に今一色(このあたり)に住んでいた谷氏が蛤の供養のためにこの碑を正念寺(現在の専正寺)に建てました。碑の中央に「蛤墳」、その両側に細字で碑文と歌一首が次のように刻まれています。「みでらちかきわたりには年を経(3字不明)蛤のさはにとられけるを谷何がしのいたみてそれが為に石ふみ建て供養し侍る いせのうみのあさからぬ心さしははまぐりも身をひるがへしてよろこばざらめや(3字不明)さとらめ あまおふねのりのみ声にはまぐりの貝の耳にもとめてしのばむ 一雲山人行業」。裏の銘は、「文政六年癸末九月 今一色谷氏 建之」。一雲山人行業は黒沢翁満(国学者、歌人、桑名藩士)の父で、狂歌に秀でた人。もとは1m足らずのものでしたが、大正年間、時雨蛤の同業8人が現在のように改築しています。市文化財。

Img_1377c_20220909152201 Img_1385c_20220909152201  鳥居強右衛門一族の墓は、蛤墳から西に行った墓所内にありました。初代鳥居強右衛門勝商(かつあき:?~天正3(1575)年)は、三河長篠城主奥平貞昌の家臣。天正3(1575)年5月、長篠城が武田勝頼に包囲されたとき、使となって城を脱出、岡崎に赴き、徳川家康、織田信長に救援を求め快諾を得ましたが、帰途、城外で武田側に捕らえられます。武田方は強右衛門を城近くに連行し、城中に向かって、援軍は来ないから降参せよというよう命じました。強右衛門は偽ってこれにしたがい、大声で、近く援軍がくるからもうしばらく辛抱せよと呼ばわります。そのため激怒した武田方のために磔にされました。初代強右衛門には子どもがおり、代々、強右衛門を襲名し、奥平松平家に仕えています。奥平松平家は宝永7(1710)年に桑名城主となりましたので、6代強右衛門清商も桑名に来て、桑名で亡くなり、新屋敷にあった桃林寺に葬られました。以後、11代強右衛門まで桃林寺に葬られましたが、文政6(1823)年に奥平松平家は桑名から武蔵国・忍(現行田市)に移りましたので、鳥居家も桃林寺も忍に移ってしまいました。鳥居家の墓は桑名に残ったままで、真如寺が管理していましたが、日進小学校の拡張や都市計画道路の建設などで、鳥居家の墓碑7基(7代、9代、10代、11代の4基と関係者3基)は、ここ専正寺の墓地に移されて現存しているのです。鳥居強右衛門一族の墓を確認し、長年の宿題をようやく果たした気分。

51rivh7lnql_sy291_bo1204203200_ql40_ml2_ 1bc16878 【神社図鑑についての付記(9/9)】 マイブックスにも取り上げましたが、サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」および「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究をまとめた本です。出版社から依頼があって、このブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供したのです。この本の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。元記事は、2012年12月5日の「立坂神社(市内新矢田)へ散歩」です。この鳥居は、立坂神社西側の桑名カトリック教会に面したところに建っています。

2022年9月 8日 (木)

アオサギ2羽を見たところで、またもや雨に降られる(苦笑)

Dsc09514c  アメダスのデータには出ていないところもありますが、曇りときどき雨。朝一番に家事を済ませ、8時20分に散歩に出る頃は、わが家辺りには雨雲はなかったのですが、こういう日のお決まりパターン。九華公園にいる時に降ってきました(苦笑)。住吉神社から九華公園を半周して、帰宅の途へ。三の丸、川口町、船場町と3.1㎞、1時間で帰宅。

Dsc09391c  こういう天気ですから、鳥は少なく、スズメもドバトも、ムクドリもいません。それでも、柿安コミュニティパークでハクセキレイ1羽。

Dsc09406c Dsc09419c  九華公園に北門から入ったら相撲場東の堀にアオサギの若者が1羽、降りてきました。今日はカワセミはいません。九華橋近くの樹上にはいつものアオサギの大人。今日のバードウォッチングは、これらアオサギ2羽を見てオシマイ(苦笑)。

Dsc09443c  奥平屋敷跡に行った頃から細かい雨が落ちて来て、次第に本降りに。木陰でYahoo!天気の雨雲レーダーを見たら、しばらく降るようでしたので、カルガモのアーちゃんに挨拶して、帰宅。九華公園の北門に戻り、いつもなら八間通を西に向かうのですが、たまには違う道へ。

Dsc09465c Dsc09471c  三の丸の珈琲館はせ川のところから北大手橋へ。昔、桑名城があった時にも、ここに北大手橋がかかっていました。橋の東側、すなわち城内に向かう方には、今も鉤の手になったところが残っています(右の写真)。

Dsc09483c  七里の渡し跡。いつもの散歩では、鳥居の向こう側を通過していきます。今日は、南側からの写真。右手奥に見えているのは、幡龍櫓。歌川広重の有名な浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名を表すためにこの櫓が象徴的に描かれています。今は、水門管理所として、昔の櫓の外観を再現して建てられました。

Dsc09516c_20220908154301  帰宅後も、少し明るくなったりした時間もあったものの、午後になってまた雨。「晴歩雨読」のモットーにしたがって、読んだり、先日の市民大学の講義の内容をまとめたり。明日の予報は、曇り。明日は、いつも通りに散歩したいものです。アサガオの「茂君」、今日は4輪咲いています。

20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その3)……久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、忍藩大矢知陣屋跡から龜屋佐吉でかき氷を食べて大矢知駅にゴール(完)

Kasumigaura2 9月2日の勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の本編その3です。その2では、浄恩寺、南伊賀留我神社、福徳寿御嶽神社、北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳碑、浄恩寺道石碑と回ってきました。実際に歩いたルートマップは、まだその2です。その3では、天武天皇迹太川御遙拝所跡から久留倍官衙遺跡へ行きます。久留倍官衙遺跡には、くるべ古代歴史館もあり、この日は、壬申の乱から1350年を記念した企画展も開かれていました。

Img_0925c_20220902194101  荒木十兵衛頌徳碑から十四川を挟んですぐのところに「天武天皇迹太川御遙拝所跡」があります。(県指定史跡)。壬申の乱(672年)の際、大海人皇子(のちの天武天皇)は、奈良の吉野を離れて伊賀に入り、鈴鹿から三重郡家に進み、さらに朝明郡の迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したといいます。御遥拝所跡の碑が立つこの地は、江戸時代の人がその場所であると考えたところだそうです。

Img_0928c  慶応2(1866)年に造立された石柱には「天武天皇呪志(のろし)の御松斉宮」とあります。近年まで松の古木が立っていたといい、そのためこの地が御遥拝所跡として昭和16(1941)年に県の史跡に指定されたのです。松は平成14(2002)年に枯れ、今は、地元自治会が植えた槇の木があります。ここはよく手入れされています。この御遥拝所跡は、十四川(じゅうしがわ)沿いにあります。十四川は、古くは、咒志川(しゅうしがわ)といったようです。「迹太川(とおがわ)」は、現在の「米洗川(よないがわ)」とされます(ホントに歩く東海道など)。米洗川は、垂坂公園の北から東にかけて流れている川で、四日市港の霞大橋の近くに注いでいます。この地に「天武天皇のろしの松」とされた老松があったために天武天皇の御遥拝所と定められたということですから、確かにここで大海人皇子が戦勝祈願をしたかどうかは、分かりません。その2にも書きましたが、大海人皇子が遙拝したのは、伊勢神宮というよりも、太陽神である天照太神即ち太陽(朝日)だと考える方が妥当だともいわれています。遙拝の際には、遙拝所を設け、結界を結んで儀式を行ったと、くるべ古代歴史館で出会ったボランティアガイドの方がおっしゃっていました。結界を結んだのですから、御幣も用いたはずで、それがその1で訪ねた志氐神社に繋がっているのだろうと思います。

Img_0919c_20220907172801  余談。十四川を渡って天武天皇迹太川御遙拝所跡に入っていくところに「斎宮橋」という名前の橋がかかっています。コースマップでこれを知った同級生K氏は、もっと立派な橋がかかっていると思ったらしく、「何だ、こんな橋か」とガッカリしていました。確かにそういえば、そうです(左の写真の橋が、斎宮橋)。

Img_0938c_20220902194101  スタートから5㎞あまり、10時55分に「くるべ古代歴史館」に到着。くるべ古代歴史館は、四日市市大矢知町で見つかった久留部官衙(くるべかんが)遺跡の中に、2018年3月25日にオープンしています。

Img_0962c_20220902194101  大矢知町は四日市市北部にあり、伊勢湾を望む丘陵の東先端部に「久留倍遺跡」という弥生時代から室町時代にかけての遺跡があります。久留倍官衙遺跡は、この久留倍遺跡に含まれています。国道1号線北勢バイパス建設の事前調査によって、古代の役所跡が発見され、それが国指定史跡久留倍官衙遺跡となっています。「久留部」は地名(訓覇とも書くようです)、「官衙 」は役所ですから、久留部にあった役所の跡ということです。古代、このあたりは「朝明郡」と呼ばれましたので、「朝明郡役所跡」という意味になります。左の写真で、下の方を左右に北勢バイパスが通っています。北勢バイパスの南に駐車場や、くるべ古代歴史館があります。史跡に指定された範囲は、北勢バイパスの上(北西側)に広がっています。ここに、正殿(せいでん)・脇殿(わきでん)・東門(八脚門(はっきゃくもん)などを備える東を向く政庁(せいちょう:役所の中心)の跡が見つかったのです。周囲には、官衙関連施設と考えられる多くの建物も見つかっています。この久留倍官衙遺跡は、また、壬申の乱や聖武天皇の東国行幸などの史実との関連も注目されていて、 考古学のみならず古代史や万葉集研究にも一石を投じる重要な遺跡と考えられています。

A53e042e 39a107df  くるべ古代歴史館を入ったところにあるパネルと人形(ここから4枚のくるべ古代歴史館の写真は、2018年に撮影したものです。この日は、内部の写真は撮りませんでした)。発掘調査は平成11(1999)年に始まりました。平成18(2006)年には、伊勢国朝明郡の郡家(ぐんけ、ぐうけ、官衙)跡である可能性が高いということで国の史跡に指定されています。朝明郡は、現在の四日市市北部を中心とした地域です。館内には、学習展示室があり、久留倍官衙遺跡の変遷や、古代朝明郡のこと、壬申の乱や聖武天皇東国行幸、万葉集との関わりを、イラストや建物の模型、映像、出土遺物で解説されています。

C1e6c4bc 321a3345

 壬申の乱のことも詳しい展示があります。このとき、大海人皇子(のちの天武天皇)は、672年6月24日、吉野を出立し、翌25日までに吉野、宇陀、榛原、室生、名張、伊賀、柘植(加太越え)、鈴鹿(伊勢国司が出迎え)、河曲、采女と100km以上を進んでいます(河曲、采女は現在の四日市市)。さらに、26日には、朝明郡家から桑名郡家へ入りますが、その前に「迹太川」のほとりで天照大神を遙拝し、戦勝祈願をしたとされます(日本書紀)。これが、天武天皇迹太川御遥拝所跡とされるのです。ボランティアガイドの方に一通り、説明をしてもらいました。

Img_0958c_20220908042401  北勢バイパスの取り付け道路をくぐると、久留倍官衙遺跡のある「くるべ歴史公園」に出ます。北勢バイパスが目の前に見えていますが、その向こうに八脚門と正殿とが復元されています(こちら)。前回来た時には(2018年9月15日:20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(予告編))、八脚門の復元工事が始まったばかりでした。

Img_0976c_20220902194101 Img_0980c_20220908044101  丘陵上部に政庁が建てられ、正殿とその手前左右(南北)の脇殿が「コ」の字形に並び、これらの東側正面に八脚門がありました。八脚門とは、正面柱間が3間で、本柱の前後に控柱が4本ずつ(計8本)立つ形式の門で、格式の高い門とされます。政庁区域の規模は、東西42m、南北51m、面積2,142平方メートルでした。こちらが八脚門です。古代の役所のほとんどは、正門が南にありますが、ここの場合は東にあります。門は当時の建物と同じ外観でつくられています。

Img_0987c Img_0991c_20220908044201  八脚門の北に正殿が復元されています。正殿は「丁屋」とも呼ばれ、11.3m×7.4m、83.6平方メートル(畳52枚分)の広さ。政庁の中心的な建物で、正殿前の広場では、役人が集まって儀式や宴といったまつりごとが行われたといいます。復元された建物は、正殿の大きさを示すもので、現代の材料と工法が用いられ、休憩所として利用できます。こちらは、現代の素材を用いて再現された「立体表示」です。

Img_0997c_20220908044701 Img_0984c_20220902194101 ここでは他にも、半立体表示として、短い柱を立てて、当時の建物の大きさが分かるようにしてあるところもあります。広々としていて、とても気持ちが良いところ。小高い丘にあり、伊勢湾の方まで眺望がよく利きます。公園内には、他にも万葉植物が植えられたエリアもあります。

Kasumigaura3  久留倍官衙遺跡には11時半頃まで滞在。ここから、実際に歩いたルートマップはその3となります。ゴールの三岐鉄道三岐線大矢知駅も近くなります。長倉神社、照恩寺、郷倉を見て、大矢知阪神や後である大矢知興譲小学校へ。ハ風街道に出て道標を見て、今日の最大の目的ともいえる亀屋佐吉でかき氷。そして、大矢知駅へと向かいます。

Img_1048c_20220908061801 Img_1012c_20220908061801  久留倍官衙遺跡のすぐ北、歩き始めてから6㎞を過ぎたところに長倉神社があります。これは二の鳥居。ここからかなり昇っていきます。今日は、けっこうアップダウンのあるコースです。この二の鳥居をくぐっていくと、すぐにお稲荷さんの朱い鳥居が並んでいます。豊栄稲荷神社(とよさかいなりじんじゃ)です。ネット検索では何も情報は出て来ません。神社検索(三重)の長倉神社の項目にも言及はありません。

Img_1015c_20220908061801  稲荷舎の参道の鳥居脇に、「祈念表」という石碑が建っています。大正9(1920)年7月に、素麺製造のための機械が発明され、それを組合が率先して試用したところ収益顕著に加わり、幾多の改善が得られたことを祈念して建てたといった趣旨の内容が記されていました。石碑には、発起人として松永仁吉、水谷丑松、人見猪之松の3名の方他多数の名前が刻まれています。大矢知は、江戸時代末期(約200年前)から素麺造りが、農家の副業として行われるようになったところです。旅の僧侶をもてなしたお礼として素麺の作り方を伝えられたという話も伝わっています。大正時代中頃には、それまでの手延べ生産から機械生産に次第に移ったということですから、この石碑はそれに関わるものと思われます。生産量は、全国の1%にも満たないそうですが、コシの強さには評判があります。

Img_1018c_20220902194101  豊栄稲荷神社からさらに100mほど登って行くと、ようやく長倉神社に到着。境内は結構広くなっていました。延喜式内社。江戸時代には八幡神社と称して、應神天皇を奉斎していたといいます。創祀不詳。主祭神は、応神天皇。相殿神は、木花之佐久夜毘売神(このはなさくやひめのかみ:大山祇命の娘、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妃にして、富士山の神。浅間神社に祀られる)、大山祇命(おおやまつみのみこと:山をつかさどる神)、高龗神(たかおかみのかみ:雨をつかさどる神)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、倭姫命(やまとひめのみこと:垂仁天皇の皇女。天照大神の社を、伊勢の五十鈴川のほとりに建てたと伝えられる)、宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ:五穀、食物をつかさどる)。明治41(1908)年2月、大矢知村大字大矢知字山畑の無格社・斎宮神社、井後神社、山神社二坐を合祀しています。さらに、同年10月、字冨士谷の村社桜神社も合祀。昭和6(1931)年、村社から郷社に昇格。同年神饌幣帛料供進社に指定されています。このうち、斎宮神祠は天武天皇が天照大神を拝んだ迹太川遙拝所跡だという説があります(こちら)。

Img_1021c_20220908061801  さてこの長倉神社には神馬殿に向かって左手に「宮城遙拝所」があります。皇紀二千六百年(昭和15年、1940年:神武天皇の即位から2600年目に当たるとされた)に建之されています(これはある意味、お約束)。献主は、人見重吉。さらに、境内に入る鳥居脇には、「神宮遙拝所」。神宮は、もちろん伊勢神宮。伊勢神宮に向かっています(右の写真)。こちらも皇紀二千六百年に建之。献主は小林三郎。これまであちこち神社を訪ねた範囲では、四日市市の北部にこういう宮城遙拝所や、神宮遙拝所が多い印象を持っています。

Img_1027c_20220908063401 Img_1039c_20220908061801  神社の拝殿脇には、「大矢知砦跡」の説明板もあります。それによれば、南北朝時代(1331~1392)、北勢地区は南朝方の北畠氏の配下でしたが、足利幕府(北朝)は伊勢守護を二木義長に命じ、文中元(1372)年、大矢知に砦を築いて伊勢攻略の足がかりとしました(二木義長は、仁木義長か?)。このとき、南富田の地頭・南部頼勝(こちらに出て来ます)が北朝方の二木氏に味方して大矢知砦に立てこもり、いったんは南朝軍を破ったものの、垂坂山の合戦(こちらに言及があります)で大敗北してのち、廃城になったといいます。長倉神社には、4ね前にも訪ねています。他にも色々とありますので、詳しくはその記事をご覧ください(2018年9月20日:20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(その3)……豊栄稲荷神社、長倉神社、大矢知砦跡そして桑名城城門のある照恩寺)。

Img_1053c_20220908064901  続いて、青木山照恩寺という、浄土真宗本願寺派のお寺。ここは、前回、近鉄ハイキングできた時たまたま立ち寄ったお寺。開基は天文4(1535)年。寛文10(1634)年12月に本願時代13世・良如上人から阿弥陀如来像と寺号を下賜されています。現本堂の創建は宝暦年間(1746~1751年)と伝えられています。

Img_1056c_20220908064901 Img_1059c_20220902194101  前回立ち寄った時、本堂脇にこのような説明板があるのを見つけました。山門が、桑名城内の城門の一つで、四日市市蒔田にある長明寺に移転されたのち、大正15(1926)年に照恩寺に受譲されたという記述が棟札にあるというのです。右の写真がその山門。桑名城のどこの門下は、不明のようです。

Img_1063c_20220908065301  照恩寺から出たところに「郷倉」があります。単なる古い蔵のようで、そのまま通り過ぎそうですが、大矢知地区で唯一現存してる郷倉だそうです。江戸時代末期~明治初期の建築と推察され、その用途は大家千村の穀物倉庫として、また、緊急非常用の米を一時保管するために建てられたもの。郷倉番や、五人組が管理したといいます。

Img_1081c_20220902194101  大矢知興譲小学校です。大矢知の地名の由来は、朝明川流域で最初の大きな谷地を形成することによるといわれれます。古くは朝明郡に属し、中世には、大矢知御厨がありました。江戸時代には、大矢知村は桑名藩領でしたが、文政6(1823)年武蔵国忍藩領、天保13(1842)年に幕府領(近江信楽代官所支配)、安政元(1854)年に再び忍藩領となっています。文政6(1823)年、桑名藩主・松平忠堯(ただたか)公(奥平系)が、武蔵国忍藩へ国替えとなったのですが、忍藩では桑名に比べ石高が少なく、それを補うため、北勢四郡のうち72ヵ村(松寺、蒔田、西富田を除く)4万3,000石が忍藩領になりました。そのとき、ここ大矢知に陣屋が置かれ、忍藩が支配したのです。

Img_1093c_20220902194101 Img_1094c_20220908065801  その陣屋跡を示すものは、学校の敷地の東側にある「忍藩大矢知陣屋(想像図)解説」です。代官所を中心に郡代屋敷、目付詰所、米蔵、足軽長屋などがあり、羽津用水で囲まれている様子が描かれています。表門が、現在の小学校正門にあたります。西側には観音山、妙見山が見えています。明治3(1870)年に忍藩は、藩士のために興譲堂を開設しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校の興譲館を大矢知陣屋に興しました。忍藩の進修館の分館とも言える藩学校ができたということです。明治5(1872)年の廃藩置県にともない、ここは懲役場(刑務所)となったのち、明治9年(1876)年の伊勢暴動で焼失。明治13(1880)年、興譲学校として再建され、現在に至っていると説明にあります。今の大矢知興譲小学校の名称も、これに因んでいます。小学校のサイトには、「興譲の精神を育むために/ めざす学校の姿 「興譲」の意義を受けつぐ"開かれた学校"」とあります。

Img_1100c_20220908070101  想像図には、羽津用水が流れている様子が描かれていますが、今もその痕跡が学校の北側にあります。もっとも今は、暗渠になっていますが、この下には、昔のままに羽津用水が流れているものと思われます。

Img_1111c_20220908070301 Img_1117c_20220908070301  大矢知興譲小学校から三岐鉄道三岐線の踏切を越えると八風街道に行き当たります。その交差点の北東側に道標があります。南側(左の写真)には「左 たどミち」とあります。北側(右の写真)には「右 こものミち」とあります。写真は割愛しますが、西側には「右 四日市ミち 左 くわなミち」と掘られています。碑陰(東側)には「安政三年 辰七月なつ 御蔵米問屋 石仙蔵 車力中」とありました。安政3年は1856年。この道標は大矢知陣屋の年貢米を扱う車力衆により立てられたものだそうです。当時は、米を運ぶ大八車の往来も盛んだったのでしょう。現在は、十字路北東に立っていますが、もとは北へ抜ける道はなく、羽津の金場町で東海道と分かれた濃州道と八風道の交差する三差路であり、この道標は、三差路中央に立っていたといいます(『よっかいち歴史と文化財散歩』より)。

Img_1122c_20220902194101 Dsc_6802c  続いて、これが今日のメインイベントかも知れません。道標からすぐ東にある亀屋佐吉。ここのかき氷が絶品なのです。9月の初めでまだ暑いだろうから、帰りに是非ともここに立ち寄って、かき氷を食べようと思って、ここまで歩いてきたのです(笑)。「白玉和三盆みるく」(¥870)。をいただいてきました。私は、今までに2回、来ています(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑)、2018年7月24日:20180714近鉄ハイキング「湖面を渡る風が心地よい夏の伊坂ダムを訪ねて」(その2)……旧・大矢知村役場跡、龜屋佐吉でかき氷、八郷小学校の3つの石碑から東名阪自動車道まで)。9月に入り、しかも平日(金曜日)でしたので、空いていました。

Img_1135c Img_1141c_20220908072701  三岐鉄道三岐線大矢知駅にゴールしたのは、12時35分。7.5㎞を3時間19分ほどで歩いてきました。 亀屋佐吉さんに30分近く滞在していました(おばちゃんとしゃべったりして)。12時49分の近鉄富田行き普通に乗車。近鉄富田には、12時54分着。12時56分に名古屋行き急行がありましたから、それに乗って桑名駅には13時3分着。¥450。

Img_1144c_20220908072701 Img_1166c_20220908072701  大矢知駅はまさにローカル線の駅の風情。のんびりした感じで、ゆったりと時間が過ぎていきます。待ち時間も苦になりません。

Img_1138c_20220908072701  また三岐鉄道三岐線では、切符は今でもいわゆる「硬券」が使われています。これに改札口ではさみを入れてもらうのです。

Img_1193c_20220902194201 Dsc_0284c  昼食は、桑名駅のコンコースにある伊勢ノ国食堂しちりで。この日は、「天ぷら中華そば」(¥850)。このお店、最近ランチでは、麺類と丼物がメインとなっています。昔の「支那そば」という感じ。鰹出汁が効いた醤油味の和風スープで若干、甘みがあるものの、あっさりとした味わいでした。

Img_1196c_20220902194201  この日の歩数は、18,686歩。現地で歩いたのは、7.5㎞。桑名駅往復が、2.7㎞(帰りにアピタ桑名店に寄って、文庫本を買ってきました)。歩いた距離の合計は、10.2㎞。スマホのアプリでは14㎞ほど歩いたことになっていますが、さすがにそれほどは歩いていないはず。その3は、長くなりましたが、これにて勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の記事は、「完」。

2022年9月 7日 (水)

鳥果大いにあって秋も近いと思えます(微笑)

Dsc09336c Dsc08722c  昨晩遅くにザーッと少し強い雨が降りましたが、今日は朝からまあまあの天気になりました。雲の形を見ても、これまでよりも大気が安定しているような感じです。最高気温も、34.4℃と高くなりました。いつも通り、7時半から散歩へ。コースもいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、京町公園、寺町と5.7㎞。今朝は、拙宅マンションから出たところで、シジュウカラがやって来ましたし(右の写真)、コゲラの鳴き声も聞こえてきました。これは幸先が良いかも。

Dsc09234c Dsc09274c_20220907162701  という期待通り、鳥果大いにありでした(微笑)。話の順序は、バラバラです。九華公園を一回りし、鎮国守国神社を見て相撲場の方に向かっていたら、散歩友達のYさんが呼んでいます。カワセミでした。ずっと見るだけという状況が続いていましたが、久しぶりに写真に収められました。日陰でしたので、今ひとつキレイに撮れませんでしたが、贅沢をいうと罰が当たります。左右の写真は、同じ個体。下の嘴に赤い色が見えますから、メス。

Dsc08917c Dsc08990c_20220907162401  さらに、奥平屋敷跡でYさんと「鳥はいないなぁ。今日はこれまでか」と思って次に行こうとしたら、小さい鳥が動いたのが見えました。胸に縦の斑紋があるように見えますから、エゾビタキでしょう。エゾビタキなら2年ぶり(2020年10月21日:ジョウビタキのオスが九華公園に登場、カワセミにも久しぶりに遭遇)。去年はコサメビタキが来ています(2021年9月30日:九華公園にコサメビタキ……今日も証拠写真が多くて苦笑)。

Dsc09079c Dsc09154c  また、これも久しぶりですが、ダイサギが来ていました。神戸櫓の下の吉之丸堀。最近、水量が少ないのです。気づいてすぐに、魚をゲット。魚はよく分からないのですが、以前も見た、ハゼに似た大型の魚でした。

Dsc09172c_20220907162501 Dsc09175c  しばらく苦労した挙げ句に丸呑み。これで満足したのか、丸呑みしてから水を飲んで、東の方に飛び去っていきました。

Dsc08833c  他には、アオサギさん1羽。いつものように、九華橋近くの樹上にいました。とここまで、実際に見た順序は、アオサギ、エゾビタキ、ダイサギ、カワセミでした。

Dsc08778c Dsc08789c  さらに話は遡りますが、幡龍櫓のところで、ハクセキレイを2羽。という次第で、今日は、久しぶりに鳥果が大いに上がりました(微笑)。もう9月も7日ですから、そろそろ他の鳥たちもやって来るかという期待が高まります。

Dsc09338c_20220907162301  市民大学のまとめはボチボチと進んでいます。歴史的な文書を比較すると、その成立などが推定できるということがよく分かってきました。また、文書に書かれていることをそのまま信用するのは良くなく、やはり他の文書と十分に比較検討することが重要です。この辺りは、自分がやって来た学問で、文献をよく読み、比較検討することが必要なのと同じです。写真は、あの「茂君」9月に入ってから、頑張っております。今日は、6輪咲いています。早くから咲いていたもう1鉢の方は、小休止していますが、まだつぼみがあります。

20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その2)……浄恩寺、南北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳碑から浄恩寺道道標へ

Kasumigaura2  9月2日に行ってきた、勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の本編その2です。その1では、まだ、スタートした霞ヶ浦駅から2㎞あまりの大膳寺跡までしかたどり着いていません。志氐神社について、あれこれ講釈を垂れてしまったため。左は、その2で歩いた辺りの詳しいルートマップ。浄恩寺、南伊賀留我神社、福徳寿御嶽神社、北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳碑、浄恩寺道石碑から天武天皇迹太川御遙拝所跡へと進んでいきます。

Img_0802c_20220906165901 Img_0764c_20220905191801  斑鳩山浄恩寺。真宗本願寺派。その1で立ち寄った旧・斑鳩山大膳寺(天台宗)に長享2(1488)年3月、本願寺の蓮如上人が立ち寄った際、その教化を受けて延徳年間(1489~1490年)に浄土真宗に転じたといいます。このとき、蓮如上人から御親筆六字及び十字の名号が与えられ、寺宝として残されているそうです。現在の本堂は明治28(1895)年の建立。

Img_0798c_20220906165901  境内には、聖徳太子堂があります。聖徳太子は仏教を篤く敬い保護したため、日本仏教興隆の祖として宗派を問わず信仰されています。様々な寺院に聖徳太子像を安置した堂があり、仏像同様篤く信仰されているのです。この太子堂は、明治2(1869)年に、四日市市西富田町にある三光寺(浄土真宗本願寺派)から移建されたものです。ちなみに、三光寺には、去年の「歩いて伊勢参りツアー」の時、立ち寄っています(2021年4月25日:20210425「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」……第2回「朝日~富田」(予告編))。余談ですが、このあたりの地名は「羽津戌(はづぼ)」だそうです。ちょっと珍しい感じ。

Img_0815c_20220902194101  浄恩寺辺りは、細い入り組んだ道。3㎞を過ぎて、南伊賀留我神社へ。伊賀留我神社は、南と北と2社があります。北伊賀留我神社にあった説明板には、伊賀留我神社は、斎宮と記されており、斎宮は伊勢神宮の斎宮ですから、伊勢神宮との関連があると思われます。また、鵤(いかるが)の地名は、大和の斑鳩との関わりも伺わせます。ここ鵤は、聖徳太子の御料地という言い伝えもあるそうです。この御遙拝所跡の北西には、「斎宮」という地名もあります。

Img_0824c_20220902194101 Img_0885c_20220907041501  鵤村は、もとは一つの村でしたが、寛永年間(1624~1645年)に南北2村に分れました。北鵤村は桑名藩領で、北の伊賀留我神社は、齋宮(いつきのみや)大明神とか、北鵤村伊賀留我神社と称しました。一方、分村した南鵤村(こちらは、忍藩支配所)にも、新たに伊賀留我神社を祀り(左の写真)、ここに新旧二社が併立となりました。しかし、安永8(1779)年に、両村の氏子で本社末社の争論が起こったといいます。社記によれば鵤御厨(いかるがみくりや)の地名より起り、垂仁天皇のとき、額田部の子孫が天照大神を奉斎して鈴鹿忍山宮への巡幸中に休んだ場所に天照大神の荒御魂を祀ったと伝えられるものの、天正の信長の兵乱によって神社所有の古文書などが失われ、創祀年代など由緒は不詳だということです。以上は、北伊賀留我神社にあった説明板(右の写真)によります。

Img_0849c_20220906172901  御祭神は、天照大御神荒魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)、大年命(おおとしのみこと:稲の実りを守護する神)、大山津見命(おおやまつみのみこと:山の神)、天武天皇。「荒魂」は、「物事に対して激しく活動する神霊」をいい、「和魂(にぎみたま)」に対して称されます。古く日本人は神の霊魂の作用および徳用を異なる作用を持つ霊魂の複合によると考えたことによります。伊勢神宮の内宮にも、別宮として「荒祭宮」があり、そこには天照大神の荒魂が祀られています。

Img_0828c_20220906171501 Img_0825c  南伊賀留我神社には、皇居遙拝所と神宮遙拝所とがあります。左の写真が皇居遙拝所。昭和11(1936)年10月、「角力會」が建立しています。昭和11年は、226事件、ベルリンオリンピック、日独防共協定成立など、大きな動きがあった年。皇居遙拝所は、これまでに訪ねた神社では、同じく四日市の椿岸神社(2018年2月20日:20180217酒蔵みてある記「伊藤酒造の銘酒「鈿女」と智積養水をたずねて」(その2)……大師堂と、椿岸神社あれこれ)、鈴鹿の蒲冠者範頼之社(2019年5月5日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡)にありました。

Img_0834c_20220906171501  以前に来た時には、気づきませんでしたが、砲弾らしきものも置かれていました。ネットで検索したら、こういうものもきちんと調べている方がありました(こちら)。全長約82㎝、直径約25㎝。弾体に次のように文字が刻まれているそうです:大正元年奉納 海軍一等水兵勲八等 相松弥曾七」。大正元年は、1912年。他の神社で私も砲弾などが奉納されているのを見たことがあります。例えば、川越町の神明神社上海事変記念のもの(2019年2月10日:20190210近鉄ハイキング「酒蔵みてある記 早川酒造部『天一』」へ……早川酒造部で楽しんで「完」、いなべ市下笠田の八幡神社の砲弾と機雷(2018年3月2日:近鉄ハイキングで“昭和レトロな町でおひなさん 早春の鈴鹿山脈を眺め「あげきのおひなさん」へ”(その2)……下笠田の八幡神社)などがあります。八幡神社のものは、日露戦争の記念品のように思われました。

Img_0837c_20220907032801 Img_0846c_20220907033301  拝殿に向かって左手(西側)には、スダジイの古木。幹の内部は空洞になってしまい、樹皮だけで生きていると説明がありました。それでも上部では枝を伸ばし、青々と葉が茂っています。樹齢などは書かれていませんでしたが、「老樹の不老長寿にあやかり、健康長寿を祈りましょう」とも書かれています。もう1つ(右の写真)、南伊賀留我神社の由緒を記した石碑もありました。なお、南伊賀留我神社では、「日待祭」が伝わっているそうです。「日待」とは、旧暦1・5・9月の15日または農事のひまな日に講員が頭屋(とうや)に集まり、斎戒して神をまつり徹宵して日の出を待つ行事といいます。ここ伊賀留我神社では、祈年祭の前夜、2月15日の夕刻から16日の早朝にわたって日待祭が執り行われています。

Img_0852c_20220907033801 Img_0858c_20220907033801  北伊賀留我神社へ行く前に近くに福徳寿御嶽神社という神社があるのが分かっていましたので、寄ってみることにしました。由緒などは分かりませんが、御嶽信仰に関わる神社のようです。御嶽信仰であれば、ご祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと:天地創成神話の国土神の最初の神)、少彦名命(すくなひこのみこと:穀霊、酒造りの神、医薬の神、温泉の神)、大己貴命(おおあなむちのみこと:「日本書紀」が設定した国の神の首魁(しゅかい)=大国主命)と思われます。

Img_0870c_20220907033801 Img_0862c_20220907033801  境内には色々なものがありましたが、左の写真にある石碑を見ると、「御嶽山頂上鎮座 大己貴命-神武天皇-白河天皇(白河大神)総霊神」、「噴火の御嶽山鎮座」などと刻まれています。「五円玉」は、全産業に渡って「ご縁をいただくもの」とありました。この神社の境内から、裏にある糠塚山に登れるという話もあったのですが、そちらはパスしてしまいました。

Img_0874c  これが、その糠塚山。県道64号線の伊賀留我神社前交差点近くから撮った写真。額突山、斑鳩山、浄恩寺山ともいいます。壬申の乱の時、天武天皇(大海人皇子)が、迹太川(とほがわ)の辺に進み、天照大神を望遥し、戦勝祈願をしたとされていますが、このとき遥拝した丘(山)が糠塚山であるという説があります。すなわち、ここで「ぬかずいた」ため「糠塚(ぬかづか)山」となったというのです。古墳でもあり、頂上には「天武天皇神宮遙拝所」の石柱があるそうです。しかし、当時の伊勢神宮の主神は天照大神ではなく、高御産巣日神(たかみむすびのかみ:高皇産霊尊ともいう:天地開闢の時、天御中主(あめのみなかぬし)神、神皇産霊(かんみむすひ)尊とともに高天原に現れた神)であったと考えられており、伊勢神宮を拝んだというよりも、太陽神である天照太神即ち太陽(朝日)を拝んだと考える方が、地形から見ても妥当といわれています。ちなみに、日本書紀には「丙戌に、旦に、朝明郡の迹太川の辺にして、天照太神を望拝みたまふ。」とあります。

Img_0881c Img_0891c_20220902194101  伊賀留我神社前の交差点の北に北伊賀留我神社があります。ご祭神は、大日霊貴命(おおひるめのむちのみこと:天照大神の別称)。相殿神は、大山祇命(おおやまつみのみこと:山の神)、意富伊我都命(おういがつのみこと:武神として崇敬を集めた天之御影神の息子)、倉稲魂(うかのみたま:食物(稲)の霊魂)。この神社には、「いのこ神事」の名残の大太鼓、大鉦が伝わっているそうです。「いのこ」は、「亥の子」で、旧暦10月の亥の日に、行われる行事で、収穫祭の一つのようです。古来、春の亥の日にやって来られた田の神が、山に去っていく日と信じられているそうです。関西地方で盛んに行われるといいます。「祭典行事表」には、「11月26日 奉告祭 いのこ」とあり、実際には11月末の日曜日にあると書かれていました。

Img_0900c_20220902194101  北伊賀留我神社から100mほど北に荒木十兵衛頌徳碑があります。荒木十兵衛は、桑名藩領朝明郡北鵤村の庄屋で、羽津用水を築造した人物です。田園地帯であるこの地は七つのため池があるものの、水利に恵まれずたびたび干害に見舞われました。十兵衛は村を干害から救うために、困難な利害を調整し、朝明郡平津村(現平津町)の朝明川から取水工事を行い、宝永3(1706)年、全長6㎞に及ぶ羽津用水を完成させました。この用水のおかげで北鵤、羽津、茂福等の村々の水田に水を潤すことができ、作物も豊かに実るようになったといいます。

Img_0903c しかし、同年、十兵衛の俊英を恐れた桑名藩は、褒賞を与えると見せかけて十兵衛を城内に召し、毒殺してしまったそうです。昭和27(1952)年(昭和28(1953)年4月としている情報源もあります)、四日市市長の吉田千九郎は十兵衛の功績を讃え、顕彰碑を北鵤の地に建てました。鵤説教所には、荒木十兵衛の位牌が安置されているそうです。なお、羽津用水の開削者については、時の郡代・野村増右衛門とする異説もあります(ただし、こちらは根拠が弱いようです。上記の羽津用水のリンク先をご覧ください)。

7b05544d  荒木十兵衛頌徳之碑に並んで「殉難の碑」があります。こちらは、羽津用水改作の際、十四川と交差させる地下の難工事で殉じた方々のためのものです(写真は、2018年9月18日撮影)。

Img_0915c_20220907044001 Img_0907c_20220907044001  さらに、荒木十兵衛頌徳碑の西、100m足らずのところに「浄恩寺道」の道標があります。「昭和貳年三月 道路改修祈念 現住専行」とあります。ここは、十四川のほとり。浄恩寺への参道であることを示すものと思われます。昭和2年ですから、1927年の建立。冒頭のルートマップを見ていただくと、ここから南西にまっすぐ、浄恩寺に道が続いています。

 ルートマップその2の途中ですが、長くなりましたので、本編その2はここまで。その3は、天武天皇迹太川遙拝所跡から。

2022年9月 6日 (火)

昨日の罪滅ぼしか、九華公園にアオサギ2羽

Dsc08379c_20220906155701  アメダスでは、朝5時台と7時台に雨の記録があります。6時前には、今日も西の空に虹が出ていました。天気は色々。曇りあり、雨あり、晴れありで、風は次第に強くなってきている印象。台風11号の余波でしょう。朝、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、寺町と5.6㎞。途中、外堀辺りを歩いている時と、寺町に入る直前と2回降られました(苦笑)。

Dsc08429c  住吉神社の前から見た東の空。いかにも安定しない空模様が見て取れます。風が強いので、珍しい鳥でも飛んできていないかと思ったのですが、そういうことはありません。逆に、いつもより少ないくらい。スズメが少しだけ。

Dsc08446c Dsc08562c  九華公園では、今日はアオサギさんが復活。左の写真は、いつもの九華橋の近くにいるアオサギさん。この写真を撮って、ビックリ。奥にもう1羽いるではありませんか! 昨日、「救いの神」に見放された償いかも知れません。右がもう1羽のアオサギさん。

Dsc08554c  2羽の位置関係は、こんな風。写真に向かって右が南側。経は、散歩友達どころか、ほとんど誰も歩いていません(苦笑)。風が強く、7時台雨が降ったためでしょう。鳥も、ドバト、キジバト、スズメが少しずついただけ。カワセミもちらっと見た気がしたのですが、あれは幻想かも(苦笑)。

Dsc08623c  貝塚公園でも鳥はいません。代わりにイチモンジセセリ。蝶です。茶色く、後翅に白い斑点がつながった「一文字模様」を持っています。

Dsc08629c_20220906155701  貝塚公園近くのお宅で、あのヘクソカズラが、塀の外にまで進出してきているのを発見。本当に悪臭を放つかどうか、確かめてみました。「葉や茎を傷つけると、顔をしかめるような悪臭を放つ」とされるのです。茎を折ったり、葉っぱをちぎったりしてみましたが、悪臭というほどの臭いは感じられませんでした。もっともんでみたりしないといけないのかも知れません。もう1回、確かめてみようかとも思うのですが、その悪臭が取れないと困るな、という気もしてちょっと迷います。

Dsc08462c  九華公園で見つけた、桑名市博物館の次回の展覧会のポスター。9月10日(土)~10月10日(日)まで「
秋季企画展 秋、ものや想ふ-中世もののふの物語をそえて-」という展覧会が開かれます。詳しい内容は、博物館のサイトにもまだ上がっていません。絵画と「もののふ」ですから、武士の話?? 併せて、【特集陳列】「北村けんじーぼくがサムライになった日ー」と「刀剣セレクションⅢ」が、これらは2回で展示されるのでしょう。北村けんじさんは、多度在住であった児童文学作家です。

04059a86 E9571613  帰宅後は、昨日の市民大学ゼミナール郷土史学科の資料整理と、まとめづくりを開始。昨日の話の中に、近くの専正寺の話題が出て、文化財2件があるから是非見てくるようにということでした。その1つは、蛤墳(こうふん)。蛤供養のために建てられたもの。専正寺のあたり一帯は江戸初期には漁村で、蛤の貝殻で厚く地面は覆われていました。文政年間、この地の住人谷氏がこれら無尽蔵の貝殻を見て、蛤に対する感謝と供養のため建てられたと伝えられています。もう1つは、鳥居強右衛門(とりいすねえもん)一族の墓。鳥居強右衛門は、長篠合戦で活躍した人物で、奥平松平家の家臣でした(奥平松平家は、宝永7(1710)年から文政6(1823)年まで桑名藩主でした)。その縁で、専正寺に墓があります。蛤墳は見たことがありますが(2017年4月11日:明日から「新学期」……専正寺の「蛤墳」についても)、鳥居強右衛門一族の墓は確認していません。リンク先に詳しい説明があります。写真は、この2017年4月11日の記事から。

Dsc08647c  台風11号は日本海を北東に進んでいるようです。わが家辺りの予報は、明日の朝まで雨。ずっと安定しない天候が続いていますから、そろそろすっきりした青空が拝みたいと思います。大気の状態が不安定なためでしょうが、予報も安定しません。先ほど見た気象協会の予報では、台風が過ぎ去ると晴れるとありましたが、今朝までは、この先もまだはっきりしない予報でした。いったいどうなる? 黄色い花は、外堀で見た、たぶんミズキンバイ(水金梅)。水路に生えていました。外来種だそうです。

2022年9月 5日 (月)

20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(その1)……霞ヶ浦駅から志氐神社、明円寺そして大膳寺跡へ

Img_0938c_20220902194101  9月2日に行ってきた、勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」の本編その1です。前回ウォーキングに行ったのは、7月17日で(2022年7月17日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング)、それから1ヶ月半ぶり。今回の行き先は、四日市の大矢知あたり。今年(2022年)は、壬申の乱(672年)から1350年。壬申の乱には、桑名や四日市辺りも大いにかかわりがあります。桑名市博物館でも「壬申の乱と桑名」という展覧会がありましたし(2022年7月24日:九華公園のアオサギは2羽……博物館で「壬申の乱と桑名」を観る)、今日の行き先の1つであるくるべ古代歴史館でも記念展示が行われています。ということで、まさに勝手に「壬申の乱から1350年記念」と銘打って、ゆかりのところを中心に訪ね歩く「霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」に出かけたという次第。台風11号と秋雨前線の影響を心配したのですが、午前中は上天気。桑名では最高気温32.8℃。汗だくになって歩いてきたのですが、最後に、これまた勝手にご褒美を設定しておきました。冒頭の写真はくるべ古代歴史館。今回も、同級生K氏とのウォーキング。

 いきなりの余談ですが、壬申の乱と桑名のかかわりは、概略、次の通りで、これらのことが「日本書紀」に書かれているのです。ちなみに「桑名」の名前が資料に初めて出てくるのが、この「日本書紀」の記述です。また、今回のウォーキングで歩いたのが、次の中に出てくる「朝明」なのです。

天智天皇が亡くなると、討手がかかるのを恐れた大海人皇子は、6月24日、少人数で吉野を脱出し、休息はあっても昼夜道を急ぎ、伊賀・鈴鹿・三重(現在の四日市市の一部・菰野町)・朝明(あさけ:現在の四日市市の一部と川越町・朝日町)を経て26日に桑名へ着いてやっと宿泊するという強行軍で、吉野から約145㎞離れた桑名に到着しました。

Kasumigaura0  この日歩いたルートの全体図。近鉄名古屋線の霞ヶ浦駅をスタートして、志氐(しで)神社、明円寺、大膳寺跡、浄恩寺、南北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳之碑、天武天皇迹太川遙拝所跡、久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、大矢知興譲小学校(忍藩陣屋跡)、亀屋佐吉などを回って、三岐鉄道三岐線大矢知駅まで。現地で実際に歩いたのでは、7.5㎞でした。

Img_0681c_20220902194001Kasumigaura1  近鉄桑名駅を8時30分に発車する塩浜行き普通電車に乗車。霞ヶ浦駅には8時43分に到着。¥260。8時50分頃にスタート。右の画像は、詳しいルートマップその1。マップには、旧東海道のルートも示してあります。ここは、去年の伊勢参りツアーでも歩きました(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)。

Img_0753c_20220902194001  まずは、志氐(しで)神社。前から訪ねたかったところです。昨年、東海道を歩いたとき、一の鳥居と、ここの神社に関わる「妋石(みよといし)(夫婦石)」は見ています(2021年5月10日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(その2)……八幡常夜燈、八幡地蔵堂、八幡神社跡、かわらずの松、志氐神社一の鳥居と妋石、光明寺を経て国道1号線へ)。

Img_0711c_20220902194001  御祭神は、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)他9柱です。気吹戸主神は罪・穢れけがれを祓い去る神様で、様々な災いから守り、生きる気力を授けるとされます。また、伊邪那岐命・伊邪那美命を祀っており、縁結び・夫婦円満などの信仰も篤く、これが東海道にある「妋石(みよといし)」に関わります。羽津の氏神様でもあります。

Img_0689c_20220904043601  垂仁天皇の御代の鎮座とされ、古くは高野御前(たかのみまえ)と称されていました。倭姫命が天照大神を奉斎して神宮御鎮座の地を求めて巡幸された際、桑名野代の宮から鈴鹿忍山宮への途次に当たっているため、伊勢の皇大神宮の御鎮座である垂仁26(BC4)年より前とみられています。壬申の乱の際、大海人皇子が吉野から鈴鹿を経て桑名の頓宮へ至る途中、迹太(とほ)川のほとりで伊勢の皇大神宮を遥拝しています。その時、「御幣(しで)」を垂らして禊祓いをしたことによって、この地に「志氐(しで)」の名が起こり、社名となったといいます。皇子がお祓いをした岡が御祓岡(岡山)、天照大神を望拝された山が額塚山(ぬかつかやま)であり、望拝の時に献じる米を迹太川で洗ったので、以後これを米洗川(よないがわ)と称したとされています(以上は、志氐神社のサイトにある説明)。延喜式内社

Img_0738c_20220904045301  明治維新までは羽津村、吉沢村、別名村、八幡村、鵤村の総社とされ、明治40(1907)年以降、白須賀の神明社と住吉社、八幡の八幡神社、別名の長谷神社と荒神社、各字の山之神、その他の祭神が合祀されています。

Img_0711c_20220902194001  境内にはさまざまなものがあります。まずは古墳。拝殿に向かって左手の森がそれです。古墳時代前期に築造された北勢随一の前方後円墳で、培塚は7基あったと伝えられていますが、現在は1基残すのみです。社務所建築等により前方部は取り壊されていますが、椎の古樹が前端部にあたるとされています。嘉永5(1852)年、後円部の墳頂が発掘され、内行花文鏡、勾玉、管玉、車輪石などが出土したそうです。古墳の規模、出土品等からこの地の高貴な方の墳墓とみられ、一説には額田連(ぬかたのむらじ)の祖・意富伊賀都命(おういがつのみこと)の陵墓ともいわれています。四日市市内に残る唯一の前方後円墳。

Img_0731c Img_0719c_20220905064101  こちらは、四泥(しで)の御神木。樹齢推定500年と伝えられるスダジイの木です。意富伊賀都命の陵墓とされる前方後円墳の前方部の位置に自生しています。古より四泥能埼の霊木として力強い双幹の樹形をしており、それは夫婦和合の象徴の姿だとされています。御神木のところには、万葉集の歌碑があります。いかに引用する歌が刻まれていますが、聖武天皇が天平12(740)年、藤原広嗣の乱のとき、戦禍をさけて奈良の京をたち、一志郡の方から朝明、桑名と美濃に潜幸された際に、従者の丹比家(屋)主真人(たじひのやかぬしのまひと)が詠んだ歌とされています。奈良の都に残した妻を恋しく思い、志氐神社の神様にお供えして妻の無事を祈った歌といいます。

後爾之 人乎思久 四泥能埼 木綿取之泥而 将徃跡其念

(後(おくれ)にし 人(ひと)をしのはく 志氐(しで)の崎(さき)
木綿(ゆふ)取りしでて さきくとそおもう)
巻第六 一〇三一番  丹比家主真人

Img_0701c_20220905190101  ちなみに、この歌碑に関連して、「万葉旧跡 四泥能埼(しでのさき)」という石碑もあります。これは、昭和48(1973)年に寿風会が建てたもの。

Img_0741c_20220905064401  妻恋稲荷神社(つまこいいなりじんじゃ)。御祭神は、倉稲魂命、日本武尊、弟橘田媛命。この本社は、東京都文京区妻恋町妻恋坂に鎮座する妻恋神社。日本武尊が、東征の時、「吾妻者耶……」と恋い慕った故事から、妻恋明神と号されています。源頼義が奥州鎮圧のとき信仰したことや、徳川家康・家光・慶善などの崇敬篤く、関八州の稲荷の総司とも仰がれた名社で、江戸庶民の崇敬深く、ことに「虫封じ」の祈願は有名で、大正天皇が御幼少の折にも御祈祷を奉斎された神社だといいます。神社名の妻は日本武尊、恋は弟橘媛命、稲荷は倉稲魂命に由来します。嘉永6(1853)年、志氐神社の神主森出雲守泰友の代に、この妻恋神社の御分霊を庭内に分霊されています。

Img_0692c_20220905070601  個人的にもっとも目を引かれたのは、こちら。戦艦陸奥の第3砲塔の破片だそうです。戦艦陸奥は、日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の2番艦。大正9(1920)年進水、大正10(1921)年就役の超弩級戦艦。ミッドウェー海戦に参加。昭和18(1943)年、広島湾において火薬庫の爆発事故のため沈没しています。破片につけられたプレートには「燈99小型20四分電路筐」「小型18四分(舟右発電機室)」「◎施術科倉庫通路」「◎入口」「小型22四分(甲板倉庫入口)」という表示があったのですが、私にはちんぷんかんぷん。これがここにある由来については、「神社の近所にあるスクラップ業者が『こういうものが入ったので神社に納めたい』と持ってこられたもの」という話がこちらのブログに載っていました。社務所でお聞きになったということですから、間違いはなさそうです。しかし、そのスクラップ業者さんは、どこから手に入れたのか、気になります。

Img_0698c Img_0708c_20220905190101  他に志氐神社にあったのは、明治神宮遙拝所と、皇大神宮遙拝所です。明治神宮遙拝所は、四日市市内の神社でときどき見かけます。たとえば、小許曽神社(2019年3月7日:20190302近鉄ハイキング「ふるさとの味と春風を感じて悲劇の千奈美姫に想いを馳せる 四日市うつべのヤマトタケル・芭蕉の足跡を体感!」へ(その1)……塩浜駅をスタート、観音寺と小許曽神社へ【小許曽神社の記述を加筆修正しました(3/7)】)や、諏訪神社(2018年3月26日:20180323近鉄ハイキング「港町、四日市を散策 みやまどさんから四日市臨港をたずねて」へ(オマケ)……四日市旧港の「波止改築記念碑」、諏訪神社の伊勢神宮遙拝所、諏訪公園の「誓文御文御柱」)で見たことがあります。

Img_0757c_20220902194001 Img_0764c_20220905191801  志氐神社には、どうやら裏参道から入って、表参道から出たようでした(苦笑)。表参道の鳥居から出たところに真宗本願寺派の放光山明円寺。事前に何も調べず、ノーマークでした。創建は、永正12(1515)年だそうですが、ネットで調べたものの、由緒その他は分かりませんでした。

Img_0780c  この後、別名あたりを歩いて、南いかるが町へ。2㎞を過ぎたところにある某マンションの北東にあるお宅の庭に「大膳寺跡」という石碑があります。道路からは奥まっていますので、見逃しそうなところ。ここには、延長7(929)年にに慈恵大師(じえだいし:良源。元三大師とも呼ばれる)の弟子である覚鎮(かくちん)が建立した斑鳩山大膳寺があったといいます。昭和52(1977)年から5年にわたる発掘調査で、建物跡や土壙(穴のこと)、溝址などの遺構とともに平安時代の前期から後期にわたる瓦や土馬などが発掘されています。ちなみに、延長7(929)年に、慈恵大師は垂坂に観音寺を建てています。その後、名僧が続いて法威を保ち近在の人々の篤い信仰を得て隆盛を極めました。第21代空源の時に織田信長に対して伊勢美濃三河の僧徒とともに長島に一揆をおこし、7年間に亘って抵抗したものの、天正2年7月、信長の大軍の前に敗れて空源は戦死。大膳寺は、この戦闘の際に信長の家臣、滝川一益によって、観音寺とともに焼き払われたとされています。この大膳寺は、このあと訪ねた慈恩寺にも関連しますが、長くなりましたので、その1はここまで。その2は、慈恩寺から。

とうとう「救いの神」にも見放されたか?!

Dsc_0296c  夜明け前に雨が降りましたが、朝一番には、西の空に虹も見え、7時過ぎからは良く晴れて来ました。最高気温は32.6℃で、蒸し暑い1日。午前中は、いつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、入江葭町、吉津屋町、寺町商店街と5.9㎞。2時間半。汗びっしょり。午後は、2ヶ月ぶりにくわな市民大学ゼミナール郷土史学科へ。アタマ、主にワーキングメモリーをフルに使ってきました。講師の先生のお話を聞きながらメモをとるというマルチタスク作業は、ワーキングメモリーをかなり使うのです。これが、老化防止になるのではないかと密かに期待しています(微苦笑)。

Dsc08130c_20220905170901 Dsc08198c  さて、散歩では、本当に鳥がいませんでした。あの「救いの神」であるはずのアオサギさんも不在。カワセミに遭遇したものの、今日も見ただけでオシマイ(苦笑)。しかし、九華公園の奥平屋敷跡にある鳥小屋には、ニューフェースが登場していました。文鳥が6羽。写真は、金網越しですので、イマイチ。白いのと黒いのと3羽ずつ。先週末にやって来たようです。つぶらな瞳にふんわりして、愛らしい。文鳥は5種類いるということですが、白文鳥とノーマル文鳥なのでしょうか? イマイチよく分かりません。まだ慣れないのか、集まって小屋の隅にいることがほとんどでした。

Dsc08256c_20220905173101 Dsc08114c  奥平屋敷跡で見たのは、カワラヒワとムクドリ、ヒヨドリのみ。カワセミは、貝塚公園に行こうと、九華公園の外周遊歩道の南あたりを歩いていたら、足下から飛び立ちました(苦笑)。ツツジの植え込みにさえぎられて、気づかなかったのです。そうそう、忘れるところでした。柿安コミュニティパークでは、あのカワウさんがいました(右の写真)。

Dsc_0303c Dsc_0305c  午後からは、パブリック・センターで市民大学ゼミナール郷土史学科。5月から始まり、先月は夏休みで、今日が4回目。「久波奈名所図会」からテーマを選んで、講師の先生が話をしてくださるのですが、今日は、大福田寺という真言宗のお寺の由緒や、わが家近くにあった「会下(えげ)」という地名、また、この近辺にある北桑名神社専正寺についてでした。北桑名神社も、専正寺も拙宅すぐ近くにあります。

Dsc_0306c  これは、久波奈名所図会の一部。今日の資料。毎回取り上げられるテーマは、もちろん知っているところがほとんどで、たいていこれまでに訪ねたこともありますから、とても興味深く聞けます。自分のこれまでの理解の浅さが、反省されたりもします。今日は、資料を丁寧に読んでいきましたので、こういう文書の読み方も少し分かった気がします。やはり何かをきちんと勉強するには、方法論を身につけないといけません。

Dsc_0299c  ほとんど余談。「茂君」は、急に頑張り始めました(微笑)。写真では6輪しか見えませんが、葉っぱの奥深くにもう1輪咲いていて、合計7輪。明日もまだ台風11号や、秋雨前線の影響がありそうです。九州地方には大雨とか、ご注意ください。

2022年9月 4日 (日)

木曽川でカモ、河口堰で新発見

0904amedas  夜中に猛烈な雨が降り、大雨警報や土砂災害警戒情報も出たくらいでした。しかし、今日は8時頃からよく晴れて、暑くなりました。今のところ、最高気温は31.6℃。予報でも晴れてくるということでしたので、長島町方面へプチ遠征。このところ、週末恒例行事になっています。長島町内、木曽川、長良川河口堰、桑名市街地に戻って上之輪新田、大山田川の澤南橋辺りを回ってきました。歩いたのは、4.4㎞。

Dsc07073c  まずは、長島町内をクルマで流しながら、サギ探し。県道沿いの某所で20数羽の集団を見つけ、見てきました。写真は、そのごく一部。アマサギさんたちが、稲刈りの終わった水田でエサ探し中でした。飴色はかなりあせてきています。

Dsc07146c  続いて、木曽川へ。国道23号線の木曽川大橋のすぐ上流あたり。サギの他に、シギやチドリがいないかと思ったのですが、干潮の時間ではなく、イソシギらしき鳥をちらっと見ただけでした。

Dsc07230c_20220904140501 Dsc07390c  しかし、驚くことにカモの姿を見つけました。最初は、目を疑いましたが、間違いありません。左の写真のカモは、水制のあたりにいました。よく分からないのですが、エクリプス状態のマガモのオスかなという気がします。最終的には5羽がいたのですが、遠くて逆光でしたから、よく分かりませんが、マガモたちかと想像しています。

Dsc07162c Dsc07156c  木曽川大橋から上流へ2つ目の水制にコサギが3羽。マッタリと、身繕いなどをしていました。もうちょっとたくさんいるかと思ったのですが、まぁ良し。

Dsc07290c_20220904140601 Dsc07315c  もう1つ上流側の水制には、アオサギが飛んできて降り立ちました。この水制の上流側には、ダイサギが1羽。これで、コサギ、ダイサギ、アオサギと一通り見られました。

Dsc07308c  ここにある灯標の上では、カワウさんが翼を広げて、乾かしていました。

Dsc07831c Dsc07626c  さらに、長良川河口堰へ。ここでは、新発見というと大げさなのですが、新たに気づいたことがありました。そのヒントは、右の写真。といっても鳥は小さく写っているだけで、これでは分かりません。

Dsc07605c Dsc07611c  部分的にクローズアップした写真が、これらの2枚。遠目には、コサギだと思ったのですが、よくよく見ると、この辺りに集まっているのは、アマサギでした。まだ、婚姻色の飴色を呈している個体もいます。今まで気づかなかっただけかも知れませんが、長良川河口堰にもアマサギが来るというのは、私にとっては新たな発見でした。他にダイサギやアオサギもこのあたりにいました。

Dsc07423c Dsc07478c  話は戻りますが、河口堰の東側の魚道には、ダイサギや、コサギがいました。左右の写真で、ダイサギは同じ個体。したがって、ダイサギもコサギも1羽ずつ。このほか、アオサギも1羽。

Dsc07539c Dsc07556c  今日は、堰のゲートの上を水が流れていませんでしたので、ゲートの上にハクセキレイや、ダイサギが止まっているのをよく見ました。ダイサギサン、ここから見ていてエサがとれるのでしょうか? 残念ながら、今日はサギたちがダイビングする姿は見られませんでした。

 Dsc07650c 河口堰西の閘門の上Dsc07636c流側にも、ダイサギやコサギがいます。今日は、東西とも魚道には水が通っておらず、魚道でエサ探しという光景は見られませんでした。親水広場も一回りしてきたものの、スズメくらいしかいません。アユの孵化試験をする水路などに水がかなり流れていて、ハクセキレイもおらず。

Dsc07745c_20220904140601  親水広場から管理橋に戻ったところで、聞き覚えのある鳴き声。魚道をのぞき込んだら、カワセミの背中が見えたので、慌ててカメラを構えたものの、逃げられました(苦笑)。15分ほどウロウロしながら、その辺りで待ったのですが、再登場はなし。最近は、九華公園でも、大山田川でも、カワセミは見られるものの、写真は撮れない状況が続いています。待っている間に閘門のところで撮ったのは、ダイサギ、コサギ、ダイサギの整列写真。

Dsc07761c Dsc07794c  もう1つは、閘門を通る漁船。赤須賀漁港の漁船で、今日はシジミ漁のようでした。左は、閘門内で水位調整を待っているところ。この船の舳先の方には、右の写真にあるように大量のシジミが積んでありました。

Dsc07876c  河口堰の東側に戻ってきたところにダイサギ。駐車場に戻ってクルマに乗ろうと思ったら、モズの鳴き声が聞こえました。駐車場西側の木にいたので、写真を撮ろうと思ったら、河口堰管理事務所の方に逃げられ、追いかけたものの、最終的に見失ってしまい、残念。今日は、カワセミも、モズも見るだけでオシマイ(苦笑)。

Dsc07982c Dsc08000c_20220904140701  上之輪新田。稲は青々として、実ってきています。一部の水田では、稲がかなり色づいていて、穂が垂れていました。今日は、あぜ道や水田の周りの草刈り作業が行われていました。

Dsc07896c Dsc07963c  新田の北東側にアオサギとダイサギとがいたので、そちらへ。ただし、アオサギにはすぐに逃げられました。セグロセキレイもいたのですが、ポジショニングが悪く、フロントウィンドウ越しの撮影になり、ピンボケ(苦笑)。別のところで、ハクセキレイ(右の写真)。

Dsc08020c Dsc08023c  最後に大山田川の沢南橋のところへ。先だっては、ここでカワセミを見ましたから、リベンジのつもりでしたが、昨晩の大雨で流れが多く、しかも濁っていて、鳥はほとんどいませんでした。沢南橋の下流側の高水敷にイソシギが1羽いたのみ。ちょっと遠かったのですが、なんとか捉えられました。ということで、本日のプチ遠征、サギがほとんどだったのですが、カモも見つけ、また、河口堰にもアマサギが来るのに気づきと、まあまあでした。

Dsc07039c  今週は、明日の午後、くわな市民大学ゼミナール郷土史学科の第4回目の講座があります。「桑名の史跡を深掘りする」というテーマですが、明日はどのような内容か、期待が高まります。金曜は、歯科治療の続き。台風や秋雨前線の影響から早く逃れたいものです。

2022年9月 3日 (土)

今日も散歩帰りに降られる始末(苦笑)

Dsc06706c  いつものように朝7時半から散歩に出かけたのですが、曇天。帰り際、拙宅マンション直前で雨に降られるという始末。その後は、次第に天気は回復という皮肉なというか、毎度のパターンというか、そういう散歩でした。気温は、30℃を超え、蒸し暑くなりました。散歩は、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀、吉津屋町、京町、南魚町、田町、三崎通、桑名七里の渡し公園と5.7㎞。

Dsc06726c_20220903171701 Dsc06760c  今日も鳥はいません(苦笑)。8月頃からずっと同じことを書き続けています。スズメは、住吉水門のところで。右の写真のカワウは、柿安コミュニティパークにて。最近よく同じような写真を載せていますが、いつも同じ電柱の上にいます。たぶん同じカワウ。

Dsc06799c Dsc06863c  九華公園では、今日も救いの神様がいてくれました。アオサギさんは、このところ、毎日います。朝日丸跡では、ヒヨドリの若者。ずっと昔、バードウォッチングを始めた頃、ヒヨドリの若を見て、「珍しい鳥や」と思ったことがありました(苦笑)。今は昔の笑い話。

Dsc06849c_20220903172201  朝日丸跡では、スズメがコガネムシらしき虫をくわえていました。今日の野鳥はこれくらい。カルガモのアーちゃんもいたのですが、超証拠写真でしたから割愛。カワラヒワのヒナが親からエサをもらっているシーンも見たのですが、遠くてくらい写真で、これも割愛。もう半月くらいしたら、もっと野鳥が来ると期待しています。

Dsc07019c  桑名七里の渡し公園。ここまで戻ってきたら、雨が降り始めました。しばし休憩所で雨宿りをしていたのですが、止みそうもありませんでしたから、折りたたみ傘を取り出して、帰宅。

Dsc06961c  鳥がいませんから、またもや花の写真。九華公園の外周遊歩道の南でボタンクサギ。中国南部原産で冬に葉を落とす落葉性の低木。漢字では「牡丹臭木」。クサギは日本でも古くから親しまれているそうですが、葉っぱをもんだりすると臭いニオイがするのでその名前がついたといいます。そういう植物は、けっこうあるようです(先日のヘクソカズラも)。

Dsc06731c  こちらは、船津屋さんの裏手の揖斐川の堤防で見つけたもの。花の色、形は、八重咲きのヤマブキに似ていますが、花が咲く時期がまったく違います。何でしょう? 花や植物も、判別は難しい。図鑑を眺めているだけでは、分かりません。ご存じの方がいらっしゃれば、ご教示ください。

Dsc06687c Dsc06699c  ところで、我が家のアサガオ。あの「茂君」と名付けて、咲かないのをぼやいていた方の鉢も、昨日からようやく咲き始めました。左の写真は、今朝のもの。3輪ずつ、計6輪で、最多記録。右は、昨日の「茂君」。種をまいてほぼ4ヶ月もかかって咲くようになりました。

0903cloud 【付記(9/3)】 今日の長島温泉花火大競演、撮影をどうしようかなぁと迷っていたのですが(昨日の疲れかも)、中止だそうです。イマイチモチベーションが湧かなかったのですが、ちょっとホッとしました。18時45分頃の雨雲レーダー。よく降っています。

2022年9月 2日 (金)

20220902勝手にハイキング「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」(予告編)

Img_0938c_20220902194101  前回(2022年7月17日:20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング)から1ヶ月半ぶりに勝手にハイキングに行ってきました。今日の行き先は、四日市市内。タイトルのように、今年(2022年)は、壬申の乱(672年)から1350年です。桑名市博物館でも「壬申の乱と桑名」という展覧会がありましたし(2022年7月24日:九華公園のアオサギは2羽……博物館で「壬申の乱と桑名」を観る)、今日の行き先の1つであるくるべ古代歴史館でも記念展示が行われています。ということで、「壬申の乱から1350年記念 霞ヶ浦~大矢知ウォーキング」と銘打って出かけてきました。台風11号と秋雨前線の影響を心配したのですが、午前中は上天気。桑名では最高気温32.8℃。今日のところは、「予告編」。冒頭の写真は、くるべ古代歴史館。今回も、同級生K氏とのウォーキング。

Img_0681c_20220902194001Kasumigaura0  近鉄桑名駅を8時30分に発車する塩浜行き普通電車に乗車。霞ヶ浦駅には8時43分に到着。¥260。8時50分頃にスタート。右は、今日実際に歩いた全体のコースマップ。霞ヶ浦駅をスタートして、志氐神社、明円寺、大膳寺跡、浄恩寺、南北伊賀留我神社、荒木十兵衛頌徳之碑、天武天皇迹太川遙拝所跡、久留倍官衙遺跡・くるべ古代歴史館、長倉神社、照恩寺、大矢知興譲小学校(忍藩陣屋跡)、亀屋佐吉などを回って、三岐鉄道三岐線大矢知駅まで。現地で実際に歩いたのでは、7.5㎞でした。

Img_0711c_20220902194001 Img_0753c_20220902194001  志氐(しで)神社。前から訪ねたかったところです。東海道を歩いたとき、一の鳥居と、ここの神社に関わる「妋石(みよといし)(夫婦石)」は見ています(2021年5月8日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(予告編))。垂仁天皇の御代にご鎮座。志氐の名は、天武天皇が壬申の乱を避けて吉野から桑名への途次、迹太川(とほがわ)のほとりで伊勢の神宮を望拝されたときの御幣に由来するという説があります。また、ここには志氐神社古墳もありましたし、戦艦陸奥の破片なども奉納されています。

Img_0757c_20220902194001 Img_0780c  志氐神社を出たところ、北側に真宗本願寺派の放光山明円寺。事前に何も調べず、ノーマークでした。創建は、永正12(1515)年だそうです。続いて、南いかるが町のマンションの駐車場脇に「大膳寺跡」の石柱が立っています。斑鳩山大膳寺は、伝承によると、天延2(974)年、覚鎮によって開基された天台宗の寺院。延徳年間(1489~1490年)、蓮如上人の教化によって第16代円爾が寺を出て、真宗に改宗し、斑鳩山浄恩寺を起こしました。大膳寺は織田信長の兵火により焼失。

Img_0794c_20220902194101  続いて、その斑鳩山浄恩寺。ここは4年前にも、近鉄ハイキングで訪ねています(2018年9月15日:20180915近鉄ハイキング「四日市の古代ロマンを想う 歴史探訪! くるべ古代歴史館を訪ねる」へ(予告編))。現在の本堂は、明治28(1895)年の建築。境内には聖徳太子堂もあります。

Img_0881cImg_0815c_20220902194101 浄恩寺からほど近いところに、南北の伊賀留我神社2社があります。鵤(いかるが)村は、もとは一つの村でしたが、寛永年間(1624~1645年)に南北2村に分れました。北鵤村は、桑名藩領で、北の伊賀留我神社は(左の写真)、齋宮(いつきのみや)大明神とか、北鵤村伊賀留我神社と称しました。一方、分村した南鵤村(こちらは、忍藩支配所)にも、新たに伊賀留我神社を祀り(右の写真)、ここに新旧二社が併立となりました。

Img_0900c_20220902194101  北伊賀留我神社のすぐ近くに荒木十兵衛頌徳之碑があります。荒木十兵衛は、桑名藩領朝明郡北鵤村の庄屋で、羽津用水を築造した人物です。この地は七つのため池があるものの、水利に恵まれずたびたび干害に見舞われました。十兵衛は村を干害から救うために、困難な利害を調整し、朝明郡平津村(現平津町)の朝明川から取水工事を行い、宝永3(1706)年全長6㎞に及ぶ羽津用水を完成させました。この用水のおかげで北鵤、羽津、茂福等の村々の水田に水を潤すことができ、作物も豊かに実るようになったといいます。

Img_0925c_20220902194101  そのすぐ近くに、今日のメインの目的地の1つである「天武天皇迹太川御遙拝所跡」。私は、たぶん3回目くらい。県指定史跡。壬申の乱(672年)の際、大海人皇子(のちの天武天皇)は、奈良の吉野を離れて伊賀に入り、鈴鹿から三重郡家に進み、さらに朝明郡の迹太川(とおがわ)のほとりで天照大神に戦勝祈願したといいます。御遥拝所跡の碑が立つこの地は、江戸時代の人がその場所であると考えたところだそうです。

Img_0962c_20220902194101 Img_0984c_20220902194101  スタートから5.5㎞、10時55分頃に久留倍官衙遺跡に到着。久留倍はこの辺りの地名。飛鳥時代(670年頃?)から奈良時代(8世紀前半頃)まで、朝明郡の役所が置かれていた跡と考えられています。正殿・脇殿・東門(八脚門)とそれを囲む塀からなる郡衙政庁が、東向きに建てられていたといい、郡の政治を行う中心的な建物群があったところです。くるべ古代歴史館で展示を見て、ボランティアガイドの方の説明を伺ってから、北勢バイパスをくぐって、建物が再現されたエリアへ。小高い丘の上にあり、東に向かって開けています。伊勢湾などが一望できたと思われます。

Img_0976c_20220902194101  遺跡の北側のエリアには八脚門、正殿が復元されています。4年前の時は、これらはまだ復元されていませんでした。左の写真は、八脚門。当時としては、非常に格式の高い門だったそうです。大海人皇子(天武天皇)がいらした「朝明郡家」はここであるという説があります。

Img_1018c_20220902194101 Img_1059c_20220902194101  久留倍官衙遺跡を見たあとは、長倉神社(左の写真)へ。延喜式内社ではあるものの、由緒は不明。拝殿の北側には大矢知砦跡があります。右の写真は、次に訪れた青木山照恩寺(真宗本願寺派)の山門。この門は、桑名城の城門の1つであったと伝わっています。

Img_1081c_20220902194101 Img_1093c_20220902194101  大矢知興譲小学校。敷地の東側に立派な松の木の並木があります。ここは、忍藩の陣屋があったところ。大矢知は江戸時代を通じて、ほとんどの時代、桑名藩領でしたが、文政6(1823)年、当時の桑名藩主・松平忠堯(ただたか)公が、武蔵国忍藩へ国替えとなったのです。しかし、忍藩では桑名に比べ石高が少なく、それを補うため、北勢四郡のうち72ヵ村(松寺、蒔田、西富田を除く)4万3,000石が忍藩領になりました。そのとき、ここ大矢知に陣屋が置かれ、忍藩が支配したのです。

Img_1122c_20220902194101 Dsc_6802c  これで訪ねるところはほとんどコンプリートしたのですが、今日、もっともメインの訪問先(微笑)が残っています。それがこちら。龜屋佐吉さん。暑い時期に大矢知に来るなら、何が何でも立ち寄って、氷を食べなくてはならないのです。私は3回目(2016年7月3日:コアジサシの営巣地で給餌シーン……なばなの里ではコチドリが抱卵、午後からは龜屋佐吉で氷(苦笑))、K氏は初体験。「白玉和三盆金時みるく」(¥870)をいただいてきました。初めて行ったときには30分待ちでしたが、今日は待ち時間ゼロ。9月になると空くそうです。汗だくになって歩いてきましたので、冷たい氷、美味しくいただき、しっかり涼しくなりました。

Img_1135c  三岐鉄道三岐線大矢知駅。12時半頃に到着。龜屋佐吉さんに30分近く滞在していました。それ故、今日歩いていたのは、3時間10分ほど。ここまで7.5㎞。12時49分の近鉄富田行き普通に乗車。近鉄富田には、12時54分着。12時56分に名古屋行き急行がありましたから、それに乗って桑名駅には13時3分着。¥450。

Img_1193c_20220902194201 Dsc_0284c  桑名駅のコンコースにある伊勢ノ国食堂しちりで、ランチ。今日は、「天ぷら中華そば」(¥850)。最近ランチでは、麺類と丼物がメインとなっています。昔の「支那そば」という感じ。鰹出汁が効いた醤油味の
和風スープで若干、甘みがあるものの、あっさりとした味わいでした。

Img_1196c_20220902194201  今日の歩数。18,686歩。現地で歩いたのは、7.5㎞。桑名駅往復が、2.7㎞(帰りにアピタ桑名店に寄って、文庫本を買ってきました)。歩いた距離の合計は、10.2㎞。スマホのアプリでは14㎞ほど歩いたことになっていますが、さすがにそれはないでしょう。本編は、また明後日くらい以降から。

2022年9月 1日 (木)

案の定降られました……野鳥はダイサギとアオサギだけ

Img_0606c_20220901123901  9月になりましたが、天気はすっきりしません。散歩に出るのを迷っていたのですが、雨雲レーダーを見たらしばらく大丈夫そうでしたから、8時20分頃から出かけました。が、こういう天気の時は、降られるというジンクスがあります。住吉神社から九華公園辺りまではよかったのですが、九華公園でYahoo!天気をチェックしたら、「55分後から雨が降る」と出てきて、急ぎました。アピタ桑名店で本を見てこようと思っていたのですが、それは諦め、歴史を語る公園、京町から寺町商店街へ。ここにはアーケードがあります。しかし、皮肉なことに、アーケードを出たとたんに雨が落ちてきました(運が悪い)。3.8㎞を歩いて、9時半に帰宅。出かけたときは、冒頭の写真のように、青空も見えていたのに……。

Img_0623c_20220901123901  住吉神社のところから揖斐川を眺めたら、川口水門の少し上流にダイサギがいるのが見えました。ここは高水敷に降りられますので、少しでも近づいて写真を撮ろうと思ったら、飛び立ってしまいました。100m以上離れていたのに、警戒しすぎです。

Img_0647c_20220901123901  九華公園では、前管理人のOさんに出会いました。例の「桑名城ペーパークラフト」はつくり始めたということでした。また、ゆっくりとお話を伺うことにします。鳥は、今日もアオサギさんのみ(ドバト、スズメ、ムクドリはいましたが)。早く台風11号や、秋雨前線が過ぎ去って、天気が回復してくれないかと思います。9月になると、そろそろ野鳥たちが戻ってくる頃ですから。

Img_0660c_20220901123901  九華公園には、桜の木が450本あるとされますが、もう葉っぱの色が変わり始め、散ってきています。今日も30℃を超え、三重県には熱中症警戒アラートが発令されていますが、季節は着実に進んでいると思えます。

Img_0666c_20220901123901  帰宅したときの写真。けっこう強く降っていますが、この後、雨は止んでしまいました。慌てて散歩に行かず、もう少し様子を見ていればよかったと思うものの、後の祭り(苦笑)。もう1度出かけようというモチベーションは出てきません。帰宅後は、ずっと中断していた「久波奈名所図会」中巻の読み下しを再開。今は、走井山辺りのところを読んでいます。勧学寺など、なじみのところが取り上げられていますから、比較的読みやすくなっています。

Img_0669c_20220901123901 Dsc_6790c  アサガオは、まだ少しずつ咲いています。今日は1輪だけ。アサガオの花、咲いたところはもちろんよいのですが、個人的には、咲く前日、つぼみが膨らんできたところも捨てがたいと思っています。「茂君」の方も、まもなくつぼみがもっと膨らんできそう。

Img_0632c_20220901123901  明日は、四日市で勝手にハイキングの予定なのですが、天気がどうなるでしょう? 気象協会の予報では明日午前中は晴れなのですが……。

« 2022年8月 | トップページ | 2022年10月 »

2025年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 3か月でマスターする 江戸時代 2025年 1月~3月 [雑誌] (NHKテキスト)
    NHKのEテレで放送された、同名の番組のテキストです。今年の大河ドラマ「べらぼう」の関連番組ともいえます。放送を見なくとも、このテキストを通読することによって、江戸時代の概要をおさらいし、さらに、学生時代に学んだ知識をアップデートすることができます。とくに私のように、学生時代から50年近く過ぎたものにとって、昔、教科書で学んだことが、今やまったく書き替えられていることもよくあります。図表、写真も多用されていて、とても分かりやすいものです。 (★★★★)

  • 田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)

    田中 優子: 蔦屋重三郎 江戸を編集した男 (文春新書)
    今年の大河ドラマの主人公である蔦屋重三郎について書かれた本ですが、読み終えるのに難儀しました(苦笑)。蔦屋重三郎は、数多くの洒落本、黄表紙、狂歌を世に出し、歌麿、写楽を売り出した人物です。江戸最大のプロデューサーというか、編集者というか。大河ドラマの主人公になるくらいなら読んでみるかと思って、気楽に手に取ったものの、専門書ではないかと思えるような内容、記述で読むのに苦労しました。著者の田中優子さんは、法政大学総長も務めた日本近世文学、江戸文化の大家。 (★★★)

  • 岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)

    岩波 明: 高学歴発達障害 エリートたちの転落と再生 (文春新書)
    高学歴、高機能の発達障害の方たちの人生は、かなり激しいアップダウンを示すことがよくあります。ダウンした、長いつらい時期を過ごさざるを得ない人達であっても、そこから這い上がり、復活して、成功をつかむことが可能な人達も多くいます。その一方で、長きにわたって低迷した状態から抜け出せない人や、失敗、挫折を何度もくり返してしまう人もいます。高学歴、高機能の人達は、理解がよく、必要な情報に容易にアクセスする能力を持っているのですが、この点がマイナスに作用することもあります。知識量が多くて混乱したり、自分の考えに固執して医師と対立関係になったりすることがあるからです。私自身は、発達障害のある人には、自覚と工夫が必要と考えていますが、この本を読み終えた現在も、その考えに大きな間違いはないと思っています。さらに、発達障害の特性があったとしても、広い意味での環境要因を整えることはとても重要です。専門家による専門的な援助はもちろん、学校、職場の環境調整、家族の適切なサポートなどがそれです。「工夫」をする際には、とくに力量のある専門家からの援助は不可欠です。ASDについては、中核的症状に対する、有効な薬剤がない現状では、心理教育や、認知行動療法、SSTが有用です。ADHDの諸症状には、有効な薬剤が複数ありますし、心理教育や、認知行動療法のアプローチも有用でしょう。苦手なことについてがんばろうとしないことや、自分の得意な事が上手く発揮できたり、活かせたりすることを考えることもとても大切です。この本は、当事者の方やご家族、関わりを持つ教師などの皆さんにとても参考になるでしょう。 (★★★★)

  • 外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)

    外山滋比古: 人生の整理学 読まれる自分史を書く (イースト新書Q)
    著者は、私の出身高校が旧制中学であった時代の大先輩。『思考の整理学』ほか、多数のベストセラーを書いておられます。この本は、ほかの本を探しに書店に行ったときに見つけて、即買い。自分史を書こうとは思っていませんが、これまでの人生を振り返るのに、何か参考になるかも知れないと思って、買ってきました。「サクセスストーリーのほとんどが退屈」「言いたくてむずむずするところは抑える」「『私』をおさえて『間接話法」で書いてみる」「お手本の文章をみつけて、軟度も読む」「内田百閒『戦後日記』のようにさらっと書いてみる」などなど、首肯するところ多々ありました。 (★★★★)

  • 小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)

    小松 正: なぜヒトは心を病むようになったのか? (文春新書)
    進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野です。私が現役の頃から発展してきた、新しい心理学の分野です。この本は、ヒトが陥る自己否定的な状態、他人に対する攻撃性、人間同士の対立や分断など、ネガティブな性質がなぜ進化の過程で残ったのかを考察しています。一言でいうと、それは生存や繁殖と深い関係があるというのです。進化心理学から捉えることで、これら、心のダークサイドがよりよく見えてきます。 (★★★★)

  • 林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)

    林 望: 節約を楽しむ あえて今、現金主義の理由 (朝日新書)
    林望こと、リンボウ先生の本は、昔々、よく読みました。「イギリスはおいしい」などのエッセイは楽しみました。この本のタイトルをネットで見たとき、まさかあのリンボウ先生だとは思ってもみませんでした。リンボウ先生と節約というのが結びつかなかったのです。しかし、読んでみると、まがいもなくあのリンボウ先生の文章でした。ただの節約術の本ではなく、高齢になったときのライフスタイル、生き方について、リンボウ先生の考え方が展開されていました。筋金入りのへそ曲がりにして、頑固者のリンボウ先生らしい生き方です。キーワードを拾っただけでも、その一端が分かります。「銀行は信用してはいけません」「(お金を)知らない人に預ける危険性を考える」「高齢者は見栄を張らない」「冠婚葬祭は義理を欠く」「自然の調整機能に任せる」などなど。私はリンボウ先生ほど変人でも頑固でもないと思っていますが(多少は変人で、融通が利かないという自覚はあります)、なるほどと思ったことは参考にして行きます。 (★★★★)

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)