20220717堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング(その1)……アオサギを見つけ、松重閘門から堀川沿いを下り、闇之森八幡社、堀川橋梁へ
7月17日に行ってきた「堀川・宮の渡し跡・熱田神宮ウォーキング」の本編その1です。名鉄名古屋本線・山王駅をスタートし、松重閘門から掘川沿いを歩いて下り、熱田神宮公園で断夫山古墳と、すぐ近くにある白鳥古墳を見て、宮の渡し跡へ。その後、円通寺と熱田神宮にお参りしてきました。2年あまり前、コロナがまだ問題になる前に行ったJRさわやかウォーキングのルートをほぼたどってきました(2020年1月11日:20200111JRさわやかウォーキング「あいち・なごや生物多様性EXPOと宮の渡し跡から熱田神宮」(予告編))。同級生K氏と二人旅。K氏が、「宮の渡し跡も、一度は見ておきたいな」といったので、実現したウォーキング。
スタートの名鉄山王駅。桑名駅を8時25分に出る名古屋行き急行に乗車。近鉄名古屋駅には8時46分着。名鉄名古屋駅から、8時54分発の東岡崎行き普通に乗り換え。山王駅までは1駅で、8時56分着。近鉄が¥450、名鉄が¥170。山王駅は、かつては「中日球場前駅」、「ナゴヤ球場前駅」という名称で、平成8(1996)年まで中日ドラゴンズのホームグラウンドだったナゴヤ球場への最寄り駅でした。しかし、ホームグラウンドが平成9(1997)年からナゴヤドームに移転したため、利用客も激減し、平成17(2005)年に開業当時と同じ現在の駅名に改称しました。中日球場、ナゴヤ球場の時代、いずれもドラゴンズの試合を見に来たことがあり、かなり懐かしい駅です。ナゴヤ球場は、中日ドラゴンズ二軍の本拠地球場および練習場となっています。ホームから南西に見えますが、一軍の本拠地だった頃とはかなり変貌してしまっています(右の写真:2019年1月11日の撮影)。
この日歩いた詳しいルートマップのその1です。山王駅の南にナゴヤ球場があります。駅から北へ。中川運河に突き当たって右折し、松重閘門へ。南北橋、松重橋を渡って、堀川沿いを南に下っていきました。古渡橋のところで、闇森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)へ寄り道。堀川沿いに戻って、さらに南下。JR東海道線・中央線・名鉄名古屋本線の堀川橋梁をくぐるところまで。
中川運河です。港区の名古屋港から、中川区の旧国鉄笹島貨物駅(昭和61(1986)年11月1日廃止)の間を結ぶために掘られた運河。昭和時代初頭から昭和30年代頃まで、名古屋地域における中心的な水上輸送路として活用されました。大正15(1926)年に起工され、昭和5(1930)年に竣工しています。
運河沿いを歩いていたら、アオサギの若鳥を見つけました。ウォーキングをしながら、バードウォッチングも楽しめ、まさに一石二鳥。運河沿いの建物の屋根に2羽。このほか、松重閘門近くにも、アオサギの成鳥が1羽いました。
松重閘門。中川運河が開削されたとき、堀川とを結ぶためにつくられたもので、昭和5(1930)年に建設、供用開始は、昭和7(1932)年。両河川は水位が2メートルほど違ったそうです。構造は、水門が上下に動くストーニー式で、水門で仕切られた閘室内の水位を上下に調整することで船の通航を可能としていました。陸上輸送の発達により船の利用が減少したため、昭和51(1976)年に閉鎖されましたが、市民の強い要望により保存されており、昭和61(1986)年に名古屋市指定有形文化財に、平成5(1993)年には名古屋市都市景観重要工作物に指定されました。今は、水路は埋められており、船の通航はできません。
東西長さ90mの水路の両端に高さ約20mの塔が2棟ずつあり、一対の塔をつなぐ橋に吊られた40トンの鉄板を上げ下げしました。塔の内部には鋼板を動かすのに使う錘が入っています。日本の閘門では、扉式が多いそうですが、このように両側に塔を建設するやり方は珍しいとされます。こちらの写真は、東側の塔です。写真に写っていますが、夜景が素晴らしいようです。
奥に続いているのが、堀川。堀川は、江戸時代初期の名古屋開府に際して、建築資材運搬用の運河として伊勢湾から名古屋城付近まで開削されたことがそのルーツとされます。ここにかかっているのが、松重橋(右の写真)。堀川にかかる橋のうち、古いものは、親柱や照明のデザインがなかなかカッコいいのです。これから、堀川沿いを下っていく時にそれらを見るのも楽しみなのです。
古渡橋の手前で見つけた光景。堀川に材木が浮かんでおり、その蕎麦には材木をつり上げるためのクレーンがあります。この辺りは、材木店が多かったところ。今もかなりたくさん残っています。こちらに「堀川と木材」という記事があります。
古渡橋(ふるわたりばし)です。堀川が掘られたころにかけられた「堀川七橋(ほりかわななはし)」の1つです。このあたりの地名「古渡」から名付けたといわれています。近くには、昔、鎌倉街道が通っていたといいます。また、古渡城跡が、現在は、真宗大谷派名古屋別院(東別院)になっています。古渡城は、織田信長の父・信秀が天文3(1534)年、東南方に備えるために築城した城で、信長はここで元服したといいます。
古渡橋のところで左折し、寄り道。闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)へ。若宮八幡宮ともいわれます。ご祭神は、應神天皇、神功皇后、仁徳天皇。かつて神域には大木が鬱蒼と茂り、それは月の光も射さぬと句に詠まれるほどで、いつしか闇の森と呼ばれるようになったといいます。名古屋十名所の1つ。
創建は長寛元(1163)年。源為朝が石清水八幡宮を勧請したと伝えられます。境内に為朝の甲冑を埋めたといわれる「鎧塚」があるそうです(残念ながら、見てきませんでした)。
この神社を一躍有名にしたのは、江戸時代中期の享保18(1733)年に起きた心中未遂事件を描いた「睦月連理玉椿(むつまじきれんりのたまつばき)」でした。「名古屋心中」として知られる浄瑠璃で、翌年に名古屋で大当たりとなり、続いて江戸でもヒットして闇森を全国区にしました。飴屋町(中区)にある遊郭「花村屋(金村屋とも)」の遊女・小さんと、日置町の畳職人・喜八が、ここ闇森で心中を図り、未遂に終わりました。江戸時代、心中は大変重い罪で、たとえ生き残っても3日間さらし者にされ、身分を奪われることになっていました。しかし、当時の尾張藩主徳川宗春は、この心中未遂の話を聞き、3日間さらし者にしたあとは2人を親元に帰すように命じ、2人は結婚して幸せに暮らしたといいます。
この神社には、鳥居をくぐったところに木製の蕃塀(ばんぺい)があります。なかなかよい感じの蕃塀です。蕃塀、けっこう好きなのです。ちなみに、蕃塀とは、蕃塀は、神社の一施設で、通常は参道上で拝殿の前に存在する短い塀である。「不浄除け」、「透垣」、「籬」などとも呼ばれる。正殿を直視しない(できない)ようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたと思われるが、正確な目的は不明。伊勢神宮や熱田神宮などにもあります。
堀川沿いに戻って、JR東海道線・中央線・名鉄名古屋本線の堀川橋梁。鉄橋は、北から順にJR中央線、名鉄名古屋本線、JR東海道線です。この3路線の橋梁はかなり古いもの(こちらを参照)。ちょっと煩雑になりますが、以下のような歴史がありました。東海道線の熱田~名古屋間は、明治32(1899)年7月に複線化されました。堀川橋梁は、南側の新線(上り線)に移設されています。中央線の多治見~名古屋間の開通は明治33(1900)年7月で、同線の堀川橋梁は、複線化で余剰となった東海道線の初代橋梁を転用しています。さらに、名鉄名古屋本線の新名古屋~神宮前間は第二次世界大戦中の昭和19(1944)年9月に開通。名鉄の堀川橋梁の下り線は、この区間建設に伴う中央線の線路移設時に廃線となった旧線の橋梁を転用しているといいます。
この写真で向かって右側の2つが名鉄名古屋本線の橋脚。したがって、右の写真でもっとも右に写っているものが、もっとも古い橋脚となります。向かって左にあるのが、東海道線の橋脚です。明治時代の橋脚や橋桁が今も使われているというのは、驚き。キリがよいので、その1はここまで。その2は尾頭橋から南の辺り。
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