20220612水の都・大垣ウォーキング(その1)……大垣城、郷土館、藩校敬教堂跡から八幡神社へ
6月12日に行ってきた「水の都・大垣ウォーキング」の本編その1です。当初は、前日の6月11日に出かける予定でしたが、天気があまり良くないという予報で、この日に延期しました。大垣は水の都といわれますが、まさにその通りで、とても良いところでした。私は、大垣へは、子どもたちが小学校に入る頃、家族で出かけたことがありますが、それはもう20年以上昔の話。金蝶園製菓総本家で水まんじゅうを食べたことと、大垣城のある大垣公園で遊んだ記憶しかありません。この日は、同級生K氏と二人旅。歩いた距離は、6.3㎞ほどでしたが、あちこちで資料館なども見て回り、現地で過ごしたのは、4時間半ほど。
こちらが、当日歩いたルートマップ。養老鉄道大垣駅がスタート&ゴール。大垣城、郷土館、大垣藩校敬教堂跡、八幡神社、円通寺、奥の細道むすびの地、住吉神社、船町湊跡・港灯台、船町道標、美濃路大垣宿本陣跡、大手門跡、堀抜井発祥の地、愛宕神社・岐阜町道標などを回ってきました。大垣の最高気温は、28.1℃。風がかなりあって、思っていたよりも楽に歩けました。
桑名から大垣までは、養老鉄道が通っています。桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。9時26分に大垣駅に到着。この日は、冒頭の写真のように、1日フリー切符を購入。桑名~大垣は、通常料金は片道¥830ですが、フリー切符は¥1,500です。往復では、¥160もおトク。9時30分にスタート。
初めのところに書きましたが、大垣へは、20年以上前に1回来ただけで、ほとんど記憶はありません。左は駅前から南の方を撮った写真ですが、失礼ながら、「けっこう都会だな」というのが、第一印象。右の写真は、少し進んで、大垣駅方面を振り返った写真。
駅の少し南に金蝶園製菓総本家がありました。以前来たとき、確かここのお店で、水まんじゅうを食べたのです。同級生K氏は、今朝、奥さんが「金蝶園の水まんじゅうは、美味しいんだ」といっておられたとか。あちこち見て回る前に、二人とも今日の土産は、ここで買うことに決定。ゴールは大垣駅にしてありますので、ゴールしてから購入します。
何の写真か不鮮明になってしまいましたが、「守屋多々志画伯青雲の碑」。守屋 多々志(もりや ただし、大正元(1912)~平成15(2003)年は、大垣市出身の日本画家で、元愛知県立芸術大学教授。文化功労者。文化勲章受章。歴史画の第一人者だそうです。市内には、守屋多々志美術館もあります。この碑は、大垣共立銀行大垣駅前支店の向かい側にあります。
スタートから400mほどで水門川にかかる新大橋まで来ます。水門川は、大垣市街を大垣城に沿うように流れ、揖斐川の支流である牧田川に合流します。寛永12(1635)年、大垣藩主になった戸田氏鉄により大垣城の外堀として築かれたのですが、大垣城の外堀のみならず、揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割を持っていました。
新大橋から200mも行かないところ、郭町で右折すると、大垣城が見えます。こんな風だったか? と、以前の記憶は全くありません(苦笑)。大垣城は、天文4(1535)年に美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定によって創建されたといわれています。創建当初は水門川を外堀に利用した小規模なもので、慶長元(1596)年、伊藤祐盛が城主の時に天守が造営されたといわれます。江戸時代に入り、改修が行われ、4層4階の天守となり、総堀が完成しました。明治維新後も店主などは残り、昭和11(1936)年に天守等が国宝(旧国宝)に指定されましたが、昭和20(1945)年7月29日の大垣空襲により、天守や艮櫓などが焼失しました。左の写真に写っている門は、東門。天守が復興された際に、七口之門の 1つである内柳門がここに移築されています。ちなみに、大垣城は、麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれました。
現在の天守閣は、昭和34(1959)年に、また、乾櫓は、昭和42(1967)年に鉄筋コンクリート造りで、郡上八幡城を参考に外観復元されたものですが、観光用に窓を大きくするなどの改変がなされています。郡上八幡城は、戦前の大垣城をモデルに復元されたものだったのだそうです。天守閣は、資料館として、関ヶ原の戦などに関する展示がされており、ここで1時間近く見て回りました。
天守4階からの眺め。左の写真は西の方角。中央奥からやや右手に頂上が覗いているのが伊吹山。関ヶ原は、中央奥のややくぼんだあたり。右の写真は北の方角。中央あたりに大垣駅があります。このほか、南には養老山地が見えました。
城内にはいろいろとありましたが、2つだけ。左の写真は、戌亥櫓。戌亥は、北西の方角ですから、北西の方角にある櫓。右の写真は、「おあむの松」。江戸時代前期に、石田三成の家臣・山田去暦(やまだきょれき)の娘であった老尼が、少女時代に体験した関ヶ原の戦いの頃の様子を子供たちに語った話の筆録で「おあむ物語」というものがあります。関ヶ原の戦いに父に従い大垣城に籠城していた一女性が、年老いてから当時の体験を物語ったものです。書名の「おあむ」は御庵で老尼の意味と思われます。落城寸前に城から脱出した際、天守の西側にあった腰曲輪の松の木に縄をかけ、それを伝って内堀に降り、たらいに乗って逃げたといいます。その後継の松がこれです。
天守閣の北西に常葉(ときわ)神社があります。藩祖・戸田一西の他、戸田氏の歴代大垣藩藩主を祭神としており、かつては大垣城城内の神社でした。例年10月第2日曜日に行われる十万石まつりは、元々常葉神社の例祭です。嘉永5(1852)年、大垣藩戸田氏9代目藩主である戸田氏正が、戸田一西の250回忌の際に、戸田一西を祭神として大垣城内に創建しました。このとき、伊勢神宮神官より「常葉大神」と名づけられたといいます。明治維新後、いったんは、大垣八幡神社の境内に移転しましたが、濃尾地震で倒壊。明治35(1902)年に現在地へ新築、移転しています。
大垣城のある大垣公園のすぐ西に大垣市郷土館。戸田公入城350年記念事業として建設され、昭和60(1985)年10月に開館しました。歴代大垣藩主戸田公の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築きあげてきた先賢の美術品等が展示されています。ここには、右の写真のように、大垣の城下町のジオラマもありました。
庭園は、「さつき庭園」という名前が付いていました。赤い花と、白い花とあるようです。門を入ったすぐ右手には、「麋城の井戸」がありました。これは新しく掘った井戸のようで、以前はどこの家にもあった自噴の井戸を偲んでつくったそうです。
郷土館を出て、北に向かいます。水門川にかかる滝の口橋のところは、大垣城の辰之口門があったところです。大垣城には7つの門があり、「七口之門」と呼ばれていました。ここはその1つ。
滝の口橋のすぐ北に保健センター。ここは、大垣藩の藩校であった敬教堂がありました。大垣藩第8代藩主・戸田氏庸(うじつね)が、藩士の子弟を教育するため、天保11(1840)年、大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館(ちどうかん)、敬教堂(けいきょうどう)、学館(がっかん)と改称されています。第10代藩主・戸田氏彬のとき、孔子像を祀った大成殿を設け、その雷除けとして「剣の木」と俗称されるトネリコを植えたそうです(右の写真)。明治維新後、藩校は文学校と武学校に分かれ、また、このトネリコも道路上に残されたため、ここに移されました。
藩校跡で西に向かいます。このあたりから、水門川に沿って、遊歩道・四季の路を歩いて行きました。水門川が南に曲がるところに八幡神社。通称、大垣八幡神社。大垣市の総鎮守。建武元(1334)年、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりといいます。天文15(1546)年には、斎藤道三の兵火で焼失しましたが、慶長13(1608)年、幣殿、拝殿、舞殿が建てられ、正保4・慶安元(1648)年、大垣藩初代藩主・戸田氏鉄が再建整備しています。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭といいます。
ご祭神は、応神天皇、神功皇后、比咩大神(ひめのおおかみ)。比咩大神は、神道の女神です。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもので、八幡社では比売大神を祀りますが、その正体については、諸説がありますし、地域によっても異なるようです。
境内社がいくつかあります。出雲社(左の写真:大国主大神(大黒大神)・美保津姫神・事代主大神(恵比寿大神))、大福稲荷神社(宇迦之御魂神)、大垣天満宮(菅原道真公)、大垣竜神王(霊蛇神)、広瀬神社・龍田神社(右の写真:広瀬神社 和加宇賀之売命(若宇加能売命)、龍田神社 志那都比古神(天御柱神)・志那都比売神(国御柱神))。
所在地
境内には、平成16(2004)年に整備された新しい自噴水があり、地下125mから水が吹き出る井戸となっています。大垣では、多くの家庭に自噴井戸があり、至る所に水路があり、清水が流れていたといいます。この湧水は、大垣南ライオンズクラブが、結成30周年を記念して掘削したものです。その1は、ここまで。その2では、四季の路から円通寺を通り、奥の細道むすびの地方面へと行きます。
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