20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編)
昨日、天気があまり良くないという予報で、今日に延期した「大垣ウォーキング」に行ってきました。大垣は、水の都といわれますが、まさにその通りで、とても良いところでした。歩いた距離は、6.3㎞ほどでしたが、あちこちで資料館なども見て回り、現地で過ごしたのは、4時間半ほど。今日も同級生K氏と二人旅。今回は、いつも通り、予告編。
こちらが今日歩いたルートマップ。養老鉄道大垣駅がスタート&ゴール。大垣城、郷土館、大垣藩校敬教堂跡、八幡神社、円通寺、奥の細道むすびの地、住吉神社、船町港跡・港灯台、船町道標、美濃路大垣宿本陣跡、大手門跡、堀抜井発祥の地、愛宕神社・岐阜町道標などを回ってきました。大垣の今日の最高気温は、28.1℃。風がかなりあって、思っていたよりも楽に歩けました。
桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。9時26分に大垣駅に到着。今日は、冒頭の写真のように、1日フリー切符を購入。桑名~大垣は、普通に買うと片道¥830ですが、フリー切符は¥1,500です。往復では、¥160もおトク。9時30分にスタート。
まずは、大垣城へ。美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4(1535)年に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が10万石の城主となり明治まで続きました。天守閣は、昭和11(1936)年に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年7月、戦災で焼失。昭和34(1959)年4月、4層4階の天守が再建されました。麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれます。天守閣は、現在、資料館になっています。
こちらは、郷土館。戸田公入城350年記念事業として建設され、昭和60(1985)年10月に開館しました。
歴代大垣藩主戸田公の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築きあげてきた先賢の美術品等が展示されています。ここには、右の写真のように、大垣の城下町のジオラマもありました。
大垣藩校敬教堂跡。現在は、保健センターになっています。大垣藩第8代藩主・戸田氏庸(うじつね)が、藩士の子弟を教育するため、天保11(1840)年、大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館、敬教堂、学館と改称されています。このあたりから、水門川に沿って、遊歩道・四季の路を歩いて行きました。
その先に八幡神社。通称、大垣八幡神社。大垣市の総鎮守。建武元(1334)年、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりといいます。天文15(1546)年には、斎藤道三の兵火で焼失しましたが、慶長13(1608)年、幣殿、拝殿、舞殿が建てられ、正保4・慶安元(1648)年、大垣藩初代藩主・戸田氏鉄が再建整備しています。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭といいます。境内には、平成16(2004)年に整備された新しい自噴水があり、地下125mから水が吹き出る井戸となっています。
旭光山円通寺。浄土宗のお寺で、大垣藩主戸田氏歴代の菩提寺です。慶長6(1601)年)に膳所藩主であった戸田氏鉄が膳所で建立し、その後、戸田氏鉄が元和2(1616)年、尼崎藩主となると尼崎へと移転しています。さらに寛永12(1635)年に大垣藩へ転封となった際に、大垣城の西側へ移されました。以降、歴代大垣藩主の墓所が設けられました。一部の藩主の墓所は蓮光寺にあったのですが、後にここ円通寺に分骨が行われています。また、多くの大垣藩家臣の墓所もあります。右の写真は、初代の戸田氏鉄の墓所。
四季の路は、水門川に沿った遊歩道で、様々な花木も植えられ、また、ところどころに芭蕉の句碑が建てられています。芭蕉の句は、奥の細道の旅で詠まれたもの。水門川は、寛永12(1635)年、戸田氏鉄により大垣城の外堀として築かれました。大垣城の外堀のみならず、揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割を持っていました。
奥の細道むすびの地です。江戸時代の大垣は、東西交通の要所として、また、東西文化の接点として、経済・文化が発展した地でした。元禄2(1689)年の秋には、松尾芭蕉が「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下り、約5か月間の『奥の細道』の旅を終えています。右の写真で、向かって左が芭蕉、右は大垣の俳人である谷木因(船問屋)。
ここには、奥の細道むすびの地記念館があります。芭蕉は、元禄2(1689)年3月27日に、弟子の曽良とともに江戸を出発し、東北・北陸地方を巡り、8月21日に大垣で「奥の細道」の旅を終えています。このとき、芭蕉46歳。距離にしておよそ2,400㎞、150日あまりにおよぶ生涯で最大の旅でした。この記念館は、平成24(2012)年4月にオープン。「奥の細道」の解説をはじめ、芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介する「芭蕉館」、大垣の歴史や文化・芸術を築き上げた幕末の先賢の偉業を紹介する「先賢館」、大垣藩藩老・小原鉄心の別荘で、市指定文化財である「無何有荘大醒榭」などがあります。
水門川を挟んだ東側には、住吉神社(左の写真)や、船町港跡・港灯台(右の写真)があります。船町港は、水門川舟運の河港で、大垣城の城下町の物資の集積地として大変賑わった所です。ここに集められた物資は水門川を経由して揖斐川や牧田川で各地に運ばれ、逆に各地の産物が船町港から大消費地である大垣城の城下町にもたらされました。明治時代に入っても大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。
このあと、先に進む前に、桃源山全昌寺へ。もとは、戸田氏鉄の室・大誓院がその叔父の戸田甚五郎(法名:徳翁全昌)の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立した寺です。この寺は、戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたります。尼崎全昌寺の住職であった照岩文鏡が大垣全昌寺の開山となり、大垣鷹匠町に創建されました。その後、慶安4(1651)年に現在地に移転。元禄元(1688)年、時の大垣藩主戸田氏定より50俵を与えられています。元禄5(1692)年、火災により灰燼に帰したのですが、5世住持の単伝清和の下で中興を果たしたものの、明治24(1891)年の濃尾地震で壊滅的被害を受けました。明治29(1896)年に本堂と庫裏を再建されましたが、昭和20(1945)年の大垣空襲によって再び伽藍が焼失。現在の堂宇はその後再建されたものです。
水門川の東側に戻り、美濃路を歩きます。水都公園の近くに船町道標。道標は、高さ約2mの円柱状の石製で、文政年間(1818~1830年)に大垣城下京口御門(西総門)の南、美濃路沿いに建立されました。その標面には「左 江戸道」・「右 京みち」とあり、さらに上部には旅人の道中の安全を願い梵字(種子)が刻まれています。第二次大戦で被害を受け、路傍に横たわっていたのですが、修復されたといいます。
美濃路の途中に柿羊羹で有名なつちや(槌谷)の俵町本店があります。とても立派なお店ですが、こちらは、宝暦5(1755)年(薩摩義士による宝暦治水工事が完成した翌年)に、園助という人が「柏屋光章」という屋号で店を開いたのが始まりだそうです。柿羊羹は四代目右助という人が天保9(1838)年に、堂上蜂屋柿の濃密な甘味に注目して、これを羊羹の材料として利用して創製したといいます。
美濃路大垣宿本陣跡。美濃路は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道です。ここ大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569年)に創建されたとされています。明治11(1878)年には明治天皇が東海・北陸御巡幸の際に宿泊されており、「大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡」として大垣市の史跡に指定されています。この明治天皇の北陸・東海巡幸は、明治11(1878)年8月30日に出発し、東京から前橋・長野・新潟・富山・金沢・福井・京都・岐阜・名古屋・静岡をめぐって11月9日帰京するという、陸路72日間の大旅行だったそうです。
本町に大垣城大手門跡があります。うっかりすると見逃しそうなところ。現在は、広峰神社が建てられていて、神社の東の水路がかつては、堀でした。
大垣駅近くまで戻ってきました。平和通りに堀抜井発祥の地。天明年間(1781~1789年)頃まで大垣地方では、生活用水として各町の裏通りを流れる用水を利用していましたが、渇水期になると、大垣の三清水(西外側町、清水町、室町)まで汲みにゆくことになり、非常に不便でした。天明2(1782)年、こんにゃく屋文七が、川端に2m程の穴を掘りそこに5mの材木を打ち込み、その後へ節を抜いた青竹を力いっぱい打ち込んだところ、その竹の先からきれいな水が噴出してきたといいます。これはこれはと大層喜び、「これはの井」と名付けられたそうです。それ以来どこの家でも、自噴の井戸が掘られるようになり「井戸槽(いどぶね)」と呼ばれています。
大垣駅のすぐ南東に、愛宕神社があり、その境内に岐阜町道標。 愛宕神社のご祭神は、軻遇突智神(かぐつちのかみ)。寛政6(1794)年に創建され、文化9(1826)年、火災に遭い近くにある文珠寺の北へ遷座したのですが、明治4(1871)、創建の旧地へ戻っています。岐阜町道標(ぎふまちみちしるべ)は、重要有形民俗文化財に指定されている道標。高さ3m余の角柱状の常夜燈で、文政5(1822)年、石工の中谷甚平光景が岐阜町から美濃路への南の出口に建立したものです。正面に「右きそ路」「左・京ミち」、左面には「北たにくミ道」とあるほか、道中の安全を願い、梵字(種子)が右面に8文字、左面の上部に1文字深く刻まれています。
以上で、今日訪れるところは、コンプリート。14時になっていましたので、何はともあれ、昼ご飯。大垣駅ビルのアスティ大垣へ。1階にある「おらが蕎麦」でちくわ天おろしそば(¥660)。調べてみたら、津駅にある津チャムの「信州そば処 そじ坊」と同じ会社(グルメ杵屋レストラン)でした。
お腹を満たしたあと、もう1つ重要なミッションがあります。土産を買わなければなりません(微笑)。朝、大垣駅をスタートした直後、狙いをつけておいた「金蝶園製菓総本家」へ。大垣駅の南。ここで、大垣名物水まんじゅうを買うことにしていたのです。大垣の水まんじゅうは、大垣の名水によって明治時代の初めに生まれました。冷たい地下水に漬けて冷やすよう、葛に水に強いわらび粉を混ぜ、柔らかく炊き上げた生地を陶器のお猪口に流して固めたものです。
こちらが、今日の土産。こし餡のものと、向かって右は、「ミナモ」。岐阜県のキャラクターであるミナモをイメージし、水色(ソーダ餡)と黄色(レモン餡)がストライプ状になっています。
養老鉄道大垣駅には、14時40分にゴール。次の桑名行きは、15時6分発。桑名には、16時18分着。行きも帰りも、7700系の電車。東急からやってきたステンレス車両。
今日の歩数は、19,089歩でした。現地で6.3㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞ですから、合計8.7㎞。まぁ、よく歩いた感じです。写真が950枚もあり、まだ全部をキチンとは見ていません。写真整理ができ次第、本編を書き始めます。
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