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2022年6月13日 (月)

コゲラとチュウヒ?

Dsc09134c_20220613155001  昼過ぎまでは良く晴れていましたが、午後からは雲が広がってきました。明日は雨で、梅雨入りかといわれています。鬱陶しい季節は、やはり嫌です。今朝も、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、田町、三崎通から堤原、参宮通、蓮見町と、6.3㎞。後半、いつもと違うあたりを回ってきました。そのわけは、後で。

Dsc08751c  三の丸水門あたりから、揖斐長良川の中州を見たら、葭原のすぐ上を猛禽類が飛んでいました。チュウヒのような気がします。最終的には、葭の中に降りて、見えなくなりました。

Dsc08855c Dsc08793c  今日は(も?)、鳥は少なかったのですが、九華公園ではコゲラを確認。この1羽のみ。ムクドリにちょっかいを出されていました。スズメもいたものの、全般に鳥の種類、数は少なく、張り合いなし。ほかに見たのは、ハシボソガラス、ムクドリ、カワラヒワ、ドバト、キジバトくらい。

Dsc08779c  久しぶりにアカミミガメが、産卵のために穴を掘っているところに遭遇。奥平屋敷跡の中央あたり。まだ、穴を掘り始めたばかりで、産卵までには相当時間がかかりそうでした。それ故、産卵を待たず、散歩を継続。

Dsc09045c Dsc09108c  京町のお宅のツバメの巣。ちょうど親ツバメが、餌を運んできたところも見られました。トンボを与えています。田町の商店の巣では、出戻りヒナが1羽いましたが、今日はもういません。一時的に帰ってきただけなのでしょう。右の写真は、三崎通のお宅の巣。修復作業は済んだのか否か、主は、先だって巣立ったツバメの親なのかどうか、疑問はありますが、卵が産まれたら、観察しましょう。

Dsc09113c_20220613155101  ところで、昨日、大垣で、船町川湊の跡を見てきました。昨日の予告編に「明治時代に入っても大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であった」と書きましたが、もちろん江戸時代にも、ここから桑名まで定期船が運航されていたそうです。桑名で、客船が着いたのが、美濃路にあった三崎御門あたりでした。今は、住吉入江として整備されたこのあたりが、そのための船着き場であったと思われます。奥に見えるのは、玉重橋と諸戸氏庭園。

Dsc09117c Dsc09123c  堤原から参宮通へは、北桑名神社に行きたかったからです。我が家の氏神様で、もう何度も訪ねていますが、先週のくわな市民大学郷土史学科の講義で、壬申の乱などの話題が少し出ました。ここ北桑名神社はそれに関わりがあるのです。もとは三崎神明社と称し、今一色各町内の氏神。創祀年代は不詳。明治41(1908)年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃冨神社」を合祀し「北桑名総社北桑名神社」と改称しています。神社の由緒書きには、「壬申の乱(672年)が起こり大海人皇子は一族を連れて桑名郡家に、着き妻の菟野皇女(後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名郡家に残し戦場となる不破へと向かわれ、戦いは大海人軍が勝利し桑名の地にもどられました。この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えられています。蒐野皇女に対する奉仕と功労により蒐野皇女より「硯と鏡」を賜り、社宝として当社に伝承されてきました」とあります。それ故、鳥居の脇に「持統天皇御𦾔跡」という石碑が建っています。

Dsc08968c  今週は、水曜日に江戸橋での非常勤。DVD視聴学習の予定。土曜は、会議が2つ。午後は、菰野町にある社会福祉法人の評議会、夜は、マンションの管理組合の理事会。まぁ、淡々と飽きもせず……のモットーで。

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