お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2024年9月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2019年1月以降の記事を残し、2018年12月以前の記事は削除しました(2019年1月1日から2024年9月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022年6月

2022年6月30日 (木)

一段と猛暑の今日は、車検で散歩なし

519fdcfc  相変わらずというよりも、段々とエスカレートしている猛暑です。今日の桑名の最高気温は、37.3℃。予想は38℃でしたが、ここまで来ると多少の違いは意味をなしません。今日は、散歩には行っていません。猛暑で中止したのではなく、コペンの車検で、行けなかったのです。三重県川越町にある共和モータースさんにずっとお世話になっています。いつも書いていますが、社長さん以下スタッフの皆さんは皆フレンドリーで親切。メカニックの方のスキルも確かで、すっかり頼っています。9時に入庫。30分あまり待つ間に点検をしていただき、その後、説明を受け、整備箇所を決めます。

9c152380_20220630164801  3年落ちの中古車で買って、すでに17年経ったと思います。気に入っています。オープンカーになるのですが、それが不調を来していました。しかし、無料チェックの範囲では、原因不明。コントロールしているコンピュータシステムがおかしいかも知れないということでしたが、これ以上調べようと思うと、万単位の費用になるということで、今日のところは、ここまでで断念。

Dsc_6602c  こちらは、台車で借りたダイハツ・タフト。「こんないいクルマを借りていいの?」と聞いたくらい、ピカピカ(微笑)。どうやってエンジンをかけるのか? パーキングブレーキはどうなっている? 等と聞いたくらい、時代遅れになっていて、我ながら苦笑(時代遅れになっているのは、もちろん自分自身)。ちなみに、車検は、夕方までに終了して、家内がクルマを取りに行きました。タフトに乗ってみたかったのではないかと疑っています。娘は、自分も乗ってみたかったようです。

Img_5527c_20220630164801 Img_5539c_20220630164701  さて、冒頭にも書きましたが、猛暑。熱中症警戒アラートが、昨日に引き続いて発令されています。写真は、13時20分頃の南の空。見るからに暑そうな感じ。歩いている人はほとんど見られません。右の写真は、諸戸氏庭園から揖斐川、長良川の方を撮ったものです。いつもなら多少暑くても、人影があるのですが、まさに人っ子一人歩いてはいません。

Img_5546c_20220630164801  車検に入庫して帰宅してからは、昨日の授業のQ&A書きにいそしんでいました。毎回の授業の最後に、出席チェックを兼ねて、A5サイズ用紙に質問、感想、コメントなどを書いてもらっています。質問への回答や、感想・コメントに対する私のコメントを書いて、それを「補足説明」(通称、Q&A)と称して、次の時間の冒頭にピックアップして説明します。質問には答えなければなりませんし、勘違いは訂正しておかなければなりません。良いところに気づいたコメントは、ほかの学生にも紹介したいと思います。ほかの学生たちの考えたこと、感じたことを知るのは、勉強になるとも思っています。本音を言えば、面倒で、大変なのですが、こう考えると止められなくなります。

Img_5550c_20220630164701  散歩に行っていませんので、今日も余談でお茶を濁しますm(_ _)m 散歩の時に持ち歩いている新潮文庫の野鳥図鑑「ひと目で見分ける287種 野鳥ポケット図鑑(久保田修)」。発行は、平成22年4月1日。ということは、12年も使っています。使っているというよりも、見た野鳥をチェックするのと、散歩途中で野鳥について聞かれることがあるので、そのときに説明するのに使っています。散歩コースで見かける鳥は、大体分かっているので、これで野鳥を調べるということはほとんどなくなりました。

Img_5553c_20220630164701  ごらんのように、相当ボロボロになっていて、本自体がばらけてきてしまっています。まさに愛用しているといえるかも知れません。上記のQ&Aは、後ほど確認して、修正を施し、完了予定。明日は、散歩に行きたいと思いますし、散髪もしてこないといけません。さらに重要なdutyとしては、昨日提出された学生のレポートを読み始めなくてはなりません。

【追記】 BS朝日の番組「百年名家」で、今日と来週の木曜と、諸戸氏庭園が取り上げられます。今日は「#292 屈指の資産家が造った圧巻の庭園~三重・桑名市『諸戸氏庭園』~」、来週は「#293 明治の要人をもてなす迎賓御殿~三重・桑名市「諸戸氏庭園」続編~」というテーマです。

2022年6月29日 (水)

3日連続の猛暑……授業は汗だく

Dscn5426c  連日の好天に猛暑。今日は、桑名では36.1℃、非常勤先のある津では33.2℃。非常勤先は、近鉄江戸橋駅から約800m、歩いて10分あまりですが、川や海に近いので、朝、出勤するときはいつも多少風が吹いていて、少しは楽。授業開始前の教室の気温は31℃! 授業が始まる頃、エアコンが入ったらしいのですが(あとで聞いて分かったような次第)、あまりそういう感じはせず(苦笑)。授業終了時点では、30℃。けっこう汗だくで授業をしてきました。予算が厳しくて、エアコン使用にはかなり厳しい制限がありますが(そのために、各教室に温度計が置かれたとか)、年寄りには、厳しい。学生たちの学習効果も上がらない気がします。もうちょっと楽に授業が出来るようにしていただきたいと強く願っています。今日は、先週やった「傾聴の演習」のレポート提出日にしてありましたが、それは無事に全員提出。来週までにチェックし、点数を付け、コメントを書かないといけません。これがけっこう大変(苦笑)。

Dsc_6586c  授業が終わって江戸橋駅まで。今日は寄り道する元気も、気持ちもありません。少し風はあったものの、暑い。またもや汗を拭きつつ、駅へ。13時半頃帰宅。昼食を食べ、出欠チェックと、レポートの提出確認を済ませたら、グッタリ。今日もまた爆睡。これから、まずは、今日のQ&Aに手をつけるつもり。これを明日までに終え、金曜から週末にかけて、レポートをチェックする予定なのですが、予定通りに行くかどうかは不透明。

Dsc_6587c  暑くて、写真もありませんので、余談ばかり。先日から、JR桑名駅に出ている手書き看板。これ、好きで、密かなファンだったのですが、「長い間ご愛読いただきありがとうございました。」だそうです。その脇には、「立つ鳥跡を濁さず」が好きな言葉だと書いてありました。最近、ことわざを見聞きすることは減っていますが、もう少し顧みても良いという気がしています。

Dsc_6589c  新型コロナウィルスワクチン、4回目の接種券が届きました。3回目は、2月15日に接種を受けましたので(2022年2月15日:今日はカワセミさんの感謝デー……コロナワクチンの第3回接種を終え、久しぶりに祝ご当選もあり)、7月15日から接種可。先日の定例内科受診のとき、主治医&友人に聞いたら、「打った方がいいんじゃない」ということでした。う~ん、まぁ、そうしましょうかねぇ。

Dsc_6591c Dsc_6597c  ベランダ園芸。まずは、サギソウ。5月11日にネット通販で5鉢を購入しましたが(2022年5月11日:2週間ぶりの江戸橋での仕事……サギソウが届きました)、その後は、順調(と思います)。アサガオは、2鉢。テキトーに間引きしましたが、勢いが今ひとつのような気もします(苦笑)。葉っぱが傷んでいるようなものもありますが、エアコンの室外機が近いせいもありそうです。気づいてからは、室外機からはなるべく話すようにしていますが、さほど広くはないベランダですから、どうなるでしょう?

Dsc_6593c  万年青は、結局、実は付かないでオシマイのようです。何年も、花も咲きませんでしたから、今年は、花が見られただけで良しとしましょう。万年青そのものや、育て方についてもうちょっと勉強した方が良いかも知れませんが、ベランダ園芸では、たくさん育てるわけにも行かず、考えどころ。

Dsc_6582c 9c152380  明日は、愛車・コペンの車検(2020年7月2日:車検待ちの間に川越町を散歩)。最近は、すっかり娘の通勤用になってしまっていて、自由には乗れなくなっているのです。

 

2022年6月28日 (火)

暑すぎます

Dsc05848c_20220628150601  今日は、九州北部・四国・中国・近畿・北陸が梅雨明けしたそうです(こちら)。これで東北地方を除いて、梅雨が明けました。桑名は、今日は34.8℃(11:00)となっていますが、相変わらず暑い。朝一番は家事を済ませ、8時半から歩き始めたのですが、すでに気温は30℃くらい。汗だくで、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、春日さん、田町、三崎通など5.4㎞。今日も微妙に距離が短い(苦笑)。

Dsc05192c  こちらは、住吉神社の前から北を見た写真。歩いているのは、ずっと向こうに2人いるだけ。鳥も人もいません。暑すぎます。三の丸水門のところで、散歩友達のYさん。いつもなら九華公園で会うのですが、「ほとんど何もいなかった」そうです。話をしていたら、水門脇の木からセンダイムシクイのような鳴き声が聞こえてきたものの、声は段々と遠ざかって行ってしまい、姿は見えず。

Dsc05842c  九華公園では、今日はスズメも少ない(苦笑)。ドバトも、ムクドリもほとんどいません。散歩友達はWさんのみ。「誰もいないよ」と一言。確かに、歩いている知り合いはいません。

Dsc05707c Dsc05259c  ツバメたちは、今日も飛行練習。左の写真、ポツポツと小さい点が見えるのが、ツバメたち。主にヒナ。今日も、しばらく飛行シーンの撮影練習をしてきましたが、なかなか歩留率は上がりません。ボツ写真を大量生産しただけ。

Dsc05341c  面白いシーンも撮れましたが、写真としては、まだまだ(苦笑)。明日は、非常勤ですから、練習には行けません。

Dsc05681c  鎮国守国神社の境内で、シジュウカラの若鳥。昨日、奥平屋敷跡で見たのと同じシジュウカラかと思います。

Dsc05867c Dsc05883c_20220628153101  春日さんに2日連続で行きましたが、実は、昨日はカメラの設定をしくじっていたのに気づかなかったので、茅の輪をもう一度撮影しようという次第。これで気が済みました(微笑)。本当は、赤須賀神明社の茅の輪を見に行こうと思ったのですが、暑かったので、回り道は止めました。

Dsc05897c_20220628150601 Dsc05885c  田町の商店にあるツバメの巣。「暑い中、お疲れさん」と声をかけてきました。右の写真は、三崎通のお宅の巣。こちらも、親は真面目に巣に就いていました。

Dsc05929c  三崎通の巣の近くの電線には、もう1羽のツバメ。巣に就いているツバメの相方なのでしょう。いかにも暑そうな写真になってしまいました。

Dsc05856c  午後からは、さすがに疲れたのか、爆睡(苦笑)。梅雨明けの暑い時期、散歩してきた午後は、いつもそうです。写真は、ボタンクサギ。九華公園の外周遊歩道の南で咲いていました。

Dsc05858c  明日は、上にも書きましたが、江戸橋での非常勤。天気予報は、晴れ。最高気温予想は、桑名で34℃。エアコンは7月から入ると掲示してあったのですが、30℃を超えるなら、入れてくれるんでしょうねぇ(微苦笑)。キキョウは、南魚町の県道沿いの時計屋さんの前に咲いていました。

 暑すぎるが故の余分なつぶやき。猛暑もあって電力不足が指摘され、節電が呼びかけられています。節電に協力するのが嫌なわけではありませんが、何か問題があると、自粛を呼びかけるというのは、おかしな話。ましてや、よく訳の分からない節電ポイントを導入するのも、解せません。節電に協力する家庭にはとりあえず2,000ポイントを与えるものの、毎月のポイントはせいぜい数10ポイントとか。われわれをバカにしています。そもそも電力が不足するに至ったのは、電力自由化のやり方を間違ったからですから、そこを修正しないといけません。また、国民民主党は、電気代高騰対策として「再エネ賦課金の徴収停止」を行い、電気代を1割強値下げすることを参院選の追加公約として発表しました。家庭用電気代の約12%、産業用・業務用電気代の16%が再エネ賦課金なのだそうです。このこと自体が変な政策ですから、これは是非とも実現して欲しい。

2022年6月27日 (月)

早くも梅雨が明け、猛暑日……春日さんで茅の輪をくぐって祓い清めてきました

Dsc04233c_20220627152501  九州南部、東海、関東甲信地方は、梅雨明けが宣言されました(こちら)。東海地方の梅雨の期間は、1951年の統計開始以来、最短の13日間だそうです(こちら)。梅雨明けの時期も、平年より22日、昨年より20日それぞれ早く、6月22日だった1963年に次いで、過去2番目の早さという、異例ずくめの梅雨でした。オマケに今日は、35.2℃と猛暑日。まったく参ります。

Dsc05120c Dsc05117c  そろそろ茅の輪が設けられているだろうと思って、散歩帰りに、春日さん(桑名総社)に立ち寄ってきました。昨日、桑名建築組合の方々が奉納されたそうです。早速、夏越しの大祓ということで、半年間、知らず知らずの間に犯した過ちや、罪・汚れを祓うべく、茅の輪くぐりをさせてもらってきました。これで、夏を無事に過ごしたいと思っています。

Dsc04266c  さて、今日も朝7時半から散歩をはじめたのですが、すでに28℃くらいあり、ほぼ無風状態で暑いこと。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、内堀公園、宮町、春日さん、田町、三崎通と5.5㎞。このところ、蒸し暑いので、散歩の距離が微妙に短くなっています(微苦笑)。体が熱さに慣れたら、また6㎞くらい歩きたいところ。暑いのに、今日も、揖斐川沿い、三の丸水門のあたりでヒバリ。この写真は、オス。暑いので、嘴を開いています。メスもいましたが、草の陰。

Dsc04285c Dsc04402c  九華公園。スズメばかり。今日もヒナが目立ちました。ドバトや、ヒヨドリ、ムクドリはほとんど見られません。奥平屋敷跡で、珍しくシジュウカラ。それも、今年巣立ったばかりと思われる幼鳥(右の写真)。単独行動をしていました。カワラヒワも来たものの、写真を撮る間もなく飛び去っていきました。

Dsc04627c_20220627151901  鎮国守国神社のあたりでは、今日もツバメが多数飛び交っていました。そこで、また、飛ぶシーンを撮る練習にチャレンジ。少しはマシなものが撮れるようになって来ました。これは、ツバメのヒナ。コゲラの鳴き声がしたのですが、姿は見られず。

Dsc04310c  管理事務所近くで、オレンジ色の花が咲いてきました。Google Lensで検索してから、調べてみると、ヤブカンゾウ(藪萱草)かと思われます。

Dsc05096c Dsc05099c_20220627151901  さらに、九華公園の外周遊歩道の東にあるお宅では、グロリオサが咲いています。和名は、キツネユリ(狐百合)。つぼみは下を向いているののですが、開花すると、花がそり上がってくるようです。

Dsc05132c_20220627151901 Dsc05156c_20220627151901  貝塚公園その他では、スズメ、カワラヒワくらい。左の写真は、田町の商店にあるツバメの巣。親ツバメ、嘴を開けています。暑いのでしょう。卵を抱いているのも、楽ではなさそうです。右は、三崎通のお宅の巣。こちらも、今日は真面目に巣に就いていました(笑)。

Dsc04503c  鎮国守国神社では、宮司さんと氏子であり、散歩友達のAさんが茅の輪づくりに取りかかっておられました。ただし、これは、赤須賀神明社で使うものだそうです。国道23号線地蔵交差点より南の揖斐川沿いで葦を撮ってこられたとか。鎮国さんの茅の輪くぐりは、毎年、7月20日ころです(2021年7月20日:今日も暑い……アオサギが1羽いて救われた感じ)。

Dsc04312c  午後から定例の歯科検診に行ったはずが、治療が必要なところを見つけられ(苦笑)、またしばらく通わなければならなくなりました。トホホです。

2022年6月26日 (日)

アマサギには会えず……プチ遠征も、雷鳴で早々に撤退

Dsc03510c  今日も不安定な天候が続いています。朝は、冒頭の写真のように、よく晴れていました。「これは良い」と長島方面にプチ遠征に出かけたのですが、だんだんと空模様は怪しくなっていき、長良川河口堰にいたら、雷鳴が聞こえてきました。慌ててYahoo!天気をチェックしたら、「20分後から雨が降り始めます」とあり、撤退準備。空を眺めながら、上之輪新田にちょっと立ち寄って帰宅。帰宅と同時に雨が落ちてきたという次第。その後、昼前にはまた、明るくなってきました。という次第で、7時15分に出て、長島町内、長良川河口堰、上之輪新田と回って、9時20分頃帰宅。

Dsc03517c Dsc03541c  長島では、まず、アマサギを探して、県道7号線を押付交差点から福豊あたりまで往復したものの、アマサギは見つけられず。アオサギとダイサギが並んでいるのと、アオサギの若者とを見たのみ。この写真を撮っている時、遠くの別のところに、アオサギが降りてきました。アマサギには、再チャレンジしなくては。去年は5月に見ていました(2021年5月29日:アマサギは見られたものの、コアジサシはおらず……ホオジロデーだったかも(笑))。

Dsc03610c Dsc03651c  続いて、長良川河口堰へ。この頃には空模様がややアヤシくなってきていました。河口堰の東側では、上流の遠いところにダイサギらしき鳥が1羽。西側について、閘門へのアプローチのところに、コサギが2羽(右の写真)。離れたところにいたのですが、向かって左のコサギがだんだんと近づいてきたのです。何をしようとしたのかは、不明。

Dsc03911c  西側までくると、中州でオオヨシキリが盛んに鳴いているのですが、今日も、結局、姿は見えませんでした。前回と同じく、替わって登場したのは、ホオジロのオス。

Dsc03852c Dsc03897c  コチドリ、今日は3羽いましたが、そのうち1羽は、長良川を越えて東の方へ。左の写真のコチドリは、鮎の孵化試験をする水路にて、右の写真のコチドリは、伊勢大橋の架け替え工事現場の盛り土の上にて。どちらも、例によって、「ピウピウ」と鳴いています。

Dsc03731c_20220626113501 Dsc03879c_20220626113501  ハクセキレイも3羽ほど。うち、2羽は、左の写真のような色模様の個体。若かも知れないと思います。

Dsc03818c  さらに、親水広場でハグロトンボ。体長6㎝前後。ヒラヒラと飛びます。ヒラヒラと飛ぶといえば、今年はまだ、チョウトンボを見に行っていないのを思い出しました。去年は、船頭平河川公園で見ました(2021年7月11日:船頭平河川公園でハスとチョウトンボ、ウグイス、治水神社でダイサギコロニー……上之輪新田のケリは稲が伸びてきて確認できず、残念)。

Dsc04005c  「雨が降る」とYahoo!天気にいわれ、戻る途中、西側の閘門へのアプローチのところに、これはダイサギ。河口堰、まだまだサギたちはあまりいません。

Dsc04035c Dsc04133c  空を眺めながら、まだ大丈夫そうでしたので、上之輪新田も覗いてきました。前回は、ケリばかりでしたが(2022年6月19日:「閑中忙あり」の2日目……鳥果はあがらず@長良川河口堰&上の輪新田)、今日は、ケリはまったく見当たらず。代わりに、まずは、アオサギ。

Dsc04161c Dsc04174c  そして、これらは、両方ともダイサギと思います。サギたちは、皆、上之輪新田の南の端のエリアにいました。

Dsc03074c  午後からは、来客。今週は、明日、定例の歯科検診。水曜日に、江戸橋にて非常勤の授業。木曜は、コペンの車検といろいろあります。この写真は、昨日、九華公園にて。

2022年6月25日 (土)

貝塚公園でクマゼミが鳴いていました……写真も動画もありませんが(苦笑)

Dsc03032c_20220625160801  午前中は良く晴れて、昼頃には34.2℃になりました。梅雨明けか、はたまた、一気に真夏になったかと思うほどでしたが、午後からは、にわか雨というか、雨雲が次々に湧いてきて、雷も鳴って、一時は雨もよく降り、雷と竜巻の注意報が出ました。朝7時半から、散歩。三崎通、田町、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店、八間通とちょっと変則パターンで散歩。6.4㎞を歩いたのですが、10時には帰宅。アピタの本屋を覗こうと思って、先にツバメの巣を見に回ったのです。

Dsc02892c Dsc02902c  三崎通のお宅の巣にも(左の写真)、田町の商店にある巣にも、親ツバメがきちんといました。三崎通のお宅では、親ツバメが巣に就くようになったのは、6月16日(2022年6月16日:九華公園でダイサギが魚をゲット……コミュニティパークのクチナシは、わずかに咲く)田町の商店では、修復が終わって親ツバメが巣に就くのを確認したのは、6月21日(2022年6月21日:夏至の今日は雨模様)でした。ツバメの抱卵日数は、13~17日といいます。早ければ、月末から7月初めにヒナが見られそうです。

Dsc03015c Dsc03027c  揖斐川の堤防、船津屋さんの裏手ではヒバリ。左の写真はオス、右のものはメス。嘴を開いていますが、鳴き声は聞こえませんでしたから、暑くてそうしていたのだろうと思います。

Dsc03036c Dsc03080c  九華公園では、今日も昨日と同じく、鳥はいません。ヒナをつれたスズメが何組か見られたくらい。コゲラの鳴き声を聞いたものの、すぐにどこかに行ってしまいました。奥平屋敷跡では、今日もカメ。右の写真のカメさん、すでに産卵を終えて、穴を埋め戻していました。散歩友達もWさんだけ。暑くて、風も通りません。

Dsc03285c Dsc03177c  鎮国守国神社のところでは、今日もツバメたちが飛行訓練中。飛ぶところを撮る練習をしてきましたが、まだまだ努力がかなり必要です。普通のツバメばかりと思っていたのですが、左の写真に写っているのは、コシアカツバメでした。右の写真、画面の上の端になんとか写っていたという代物。証拠写真以下。

Dsc03141c  カワウ。公園内の野球場にある照明灯の上。最近、カワウは少なく、いても1~2羽。こんな日当たりの良いところにいると、暑いはず。嘴を開いて、喉をブルブルさせています。たぶん、夏にイヌがハアハアしているのと同じだと思います。貝塚公園では、クマゼミが鳴いていました。写真も、動画も撮れませんでした(家内には、気のせいだといわれましたが、空耳ではありません)。コゲラの鳴き声もしたのですが、姿は見えず。

Dsc03502c Dsc03072c  他の公園では、スズメがいたくらい。アピタ桑名店では新光堂書店で文庫本を1冊、購入。午後からは、それを読んでいましたが、雷鳴が響いたり、雨が降ってきたりしています。明日は、午後から、ちょっとした用事がありますが、午前中は、天気が良ければ散歩、バードウォッチングに行きたいところ。

Dsc_6578c  オマケ。万年青の実は、どうも付かない感じです。受粉が出来なかったということなのでしょうね。

2022年6月24日 (金)

スズメのヒナばかり……二番仔たちの季節

Dsc02886c  暑い! 最高気温は、32.9℃。7時半からいつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、田町、三崎通と5.4㎞。このところ、蒸し暑いせいか、歩く距離が微妙に短い(苦笑)。自分としては、6㎞以上歩いたように感じるのですがねぇ……。

Dsc02287c  三の丸水門あたりでヒバリが2羽。こちらは、オス。最初に見つけてカメラを構えたら、逃げられ、追いかけたものの、こんな写真。手前に生えている草にけっこうピントを取られていました。

Dsc02358c Dsc02365c  九華公園では、スズメのヒナがたくさん。二番仔たちを親が連れてきているようでした。

Dsc02383c Dsc02397c  奥平屋敷跡では、カメ、カメ……。産卵シーズンは、まだ続いています。2年前には、ちょうど卵を産むシーンも見たのですが(2020年5月22日:ミドリガメの産卵と「スズメの学校」……今年は桑名水郷花火大会も中止で残念至極)、今年はまだ見られません。ちなみに、ほとんどの場合、ミドリガメが卵を産んだ後、カラスが掘り返して、卵を食べてしまいます。

Dsc02377c Dsc02418c_20220624165801  堀では、小さなミドリガメも甲羅干し。去年、孵ったミドリガメのように思います。鳥は相変わらず、いません。奥平屋敷跡では、今日は、カワラヒワが数羽。ただし、高いところにいて、証拠写真。

Dsc02458c  このところ、鎮国守国神社の社務所のあたりで、ツバメのヒナが飛行訓練をしています。飛ぶシーンを撮る練習もしているのですが、失敗ばかり(苦笑)。一休みしたところしか、撮れずじまいで、苦笑せざるを得ません。

Dsc02860c Dsc02870c  その後、貝塚公園では、スズメ、ヒヨドリ、カワラヒワがいたくらい。田町の商店にあるツバメの巣では、親ツバメが真面目に巣に就いていました。右の写真は、三崎通のお宅の巣。今日も、親ツバメはいませんでした。ウ~ン、どうなっているのでしょう?

Dsc02371c  という次第で、今日も、鳥はあまりいません。散歩友達のばあちゃんたちに会ったのですが、九華公園でではなく、京町公園あたりで。最近会わないと思ったら、「朝5時から歩いている」のだそうです。別の女性は、6時から歩くといっておられました。年配の散歩友達の皆さんは、かなり早い時間に歩いているため、私が行く時間では会わないのです。ただし、私には、これはちょっとマネできません(笑)。

Dsc02874c  お隣の諸戸氏庭園の主屋のDsc02884c様子。建物を覆っていたものは、かなり取り外されました。左の写真を見ますと、玄関あたりはまだ工事が終わっていないようですが、主屋本体の工事は、ほぼ終わっているように見えます。建物の向かって右に洋室があったのですが、それも解体修復されています。そちらは、まだのようでした。

Dsc02232c Dsc02238c  たまには、メダカの話。昨日の写真です。暑くなってきたこともあって、水が汚れやすくなってきました。水替えを頻繁にやらなくてはなりません。左の写真のような大きなプラスティック製の睡蓮鉢1つと、100均で買ってきた食品保存容器1つ(右の写真)に棲んでいます。今年は(去年も)、卵を産んだ様子はありません。先日、「無駄飯食いだ」などと書きましたが、まぁ、自分と大して変わらない気もします。明日は曇りの予報で、やはり30℃くらいになるとか。

2022年6月23日 (木)

今日は一段と鳥が少ない

Dsc02230c  30度を超え、とくに午後からは蒸し暑くなりました。朝一番に家事を済ませ、8時20分から散歩に出たものの、今日はまた一段と鳥が少ない。三崎通、田町、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、常盤町から寿町で用事を1つ済ませ、参宮通から帰宅。5.4㎞しか歩いていませんでした。

Dsc02140c Dsc02153c  田町の商店にあるツバメの巣では、親ツバメがいましたが、三崎通のお宅の方は留守。九華公園に着いて、カワラヒワのヒナ。しかし、他には、わずかにスズメとムクドリがいたくらい。上空をコサギらしき鳥が通過したものの、見ただけでオシマイ。

Dsc02199c  内堀公園でスズメのヒナ。今日の野鳥の写真は、以上(苦笑)。そもそも撮ってきた写真が、100枚くらいしかないのです。いつもなら少なくても300枚、多いと5~600枚くらいになるのに、です。

Dsc02175c Dsc02177c  九華公園の朝日丸跡で妙なものがたくさん生えてきているのに、気づきました。調べてみたら、ムラサキナギナタダケ(紫長刀茸)のようでした。地上に束のように叢生し、大きさは2.5~12㎝。食べられると書いてありましたが、ちょっとその気にはなりません。また、今年は、右のようなキノコもたくさん出てきています。ツルタケ(鶴茸)というのにも似ていますが、ツルタケダマシではないかという気がします。そうだとしたら、毒キノコ。

Dsc02186c Dsc02190c  お口直しに、ユリの写真(微笑)。三の丸のあるお宅にて。ちょっと調べたものの、ユリはいろいろとあってよく分かりません。Googleレンズで調べると、スカシユリと出てくるのですが、ちょっと違うような気がします。

Dsc02192c  さらに、こちらは、内堀公園で見つけたもの。前にも調べた記憶がありますが、名前は忘却の彼方(苦笑)。というより、きちんと覚えなかった可能性が高い。ギンバイカ(銀梅花)と思います。花は、結婚式の飾りなどでよく使われるそうで、「祝いの木」ともいうそうです。

Dsc02167c  さて、昨日の授業のQ&Aは、昨晩のうちに一通り書き終え、散歩から帰ってチェックし、すでに助手の先生にメールで送って、印刷その他をお願いしました。ついでに、授業のレジメも、最終回の分まで、確認&修正を済ませました。

2022年6月22日 (水)

今日は楽しい(?)演習

0622amedas  朝方に雨が上がり、その後は曇りの予報でしたが、桑名では昼前まで降ったようです。今日は、江戸橋での非常勤。朝、江戸橋駅で電車を降りたときは、曇っていたものの、授業が終わって江戸橋まで行くときには、雨。桑名に戻ってきたら、空は明るくなってきていました。ということで、天気に関しては「引き分け」。夕方近くになって晴れ間も見えてきました。

Dsc_6567c  今日は、これまでの授業で教えた内容をベースに「傾聴の演習」。やり方を説明しているときには、学生たちは、皆、緊張している様子でした。説明を聞き漏らすまいという雰囲気がありあり。先週、授業が終わってから、「グループ分けは、どうなりますか?」と聞いてきた学生もあり、「そんなに先取りして心配しなくても大丈夫」と答えておきました。

Dsc_6570c  たまには多少はいいでしょうから、演習風景を載せておきます。いざ始めると、学生たちは皆楽しそうに取り組んでいました。出席票の感想や、コメントには、一言で言えば「聞くとやるとでは大違いだった」と書かれていました。来週は、演習の成果をA4用紙1枚にまとめたレポートを提出してもらいます。

Dsc_6562c  今日は、結構蒸し暑かったものの、エアコンは7月から9月と掲示してありました(苦笑)。いつもなら1時間半、話をするところ、今日は演習でしたので、私が話したのは30分あまり。ちょっと楽をさせてもらったのに、それなりに疲れました。帰宅して昼食を摂って、出欠チェックまでは終了。これから、いつものように、Q&Aをつくらねばなりません。ちなみに、授業は今日で、めでたく10回をクリア。残りは、試験1回を含め、5回になりました。

Dsc_6557c Dsc_6558c  余談は、ベランダ園芸の万年青、その後。実が付くかどうか、アヤシい感じになってきました。これは、付かないかも知れません。明日は、晴れの予報。蒸し暑いかも知れませんが、修行ではなく、散歩に行きましょう。

2022年6月21日 (火)

夏至の今日は雨模様

Dsc01527c  夏至ですが、曇りのち雨という天気。四日市港での日の出は4時39分、日の入りは19時10分だそうですが、今日はお日様は拝めそうもありません。天気予報では、昼くらいから雨ということでしたので、7時半から散歩に出たものの、九華公園にいたら降り始めるというよくあるパターン(苦笑)。やむを得ず、撤収。今日は、三崎通、田町、九華公園を半周して、京町から寺町商店街のアーケードを通って帰宅。歩いたのは、いつもの半分、3.2㎞。帰宅は、9時半前。冒頭の写真は、久しぶりに見てきた歌行燈本店のアジサイ。

Dsc01476c Dsc01486c  まずは、ツバメの巣を見ていこうと思って、いつもと違うルートをたどりました。左の写真は三崎通のお宅、右は田町の商店。いずれの巣にも、親ツバメが就いていました。どちらにも卵が産んであるものと思います。

Dsc01615c Dsc01680c  九華公園では、スズメ、シジュウカラ、カワラヒワなどがいましたが、今日は、ツバメの観察に終始。奥平屋敷跡と二の丸跡の間の電線に今日も、ヒナが2羽。巣立ってきて間もないと思います。親ツバメが来ると、ヒナは右の写真のように、大騒ぎ。

Dsc01959c Dsc01956c  別のアングルからも眺めてみました。よくよく、また、何度も見ていると、餌を与えていないことの方が多いようでした。餌を与えたこともあったのですが、ごく小さい虫(蚊のようなものか?)くらいで、トンボなど大きな餌は与えていません。たぶん、フェイントをかけて、飛ぶように促しているのではないかと思います。

Dsc01874c  ヒナは、この写真のように2羽がいたのですが、手前のヒナが、上の4枚の写真の主人公。奥にいて、ピントが合っているヒナは、勝手に飛んでいって、しばらくするとここに休憩しに来るという感じ。こちらのヒナのところには親ツバメは来ません。きょうだいなのか、別々の家族なのかもよく分かりませんが……。

Dsc02097c Dsc02120c  このツバメ・ショーを見終えたら、雨が落ちてきましたので、なんとなく不消化な気分のまま帰宅。寺町商店街の南の入り口で、イソヒヨドリのメス。寺町商店街には、この写真のようにアーケードがあります。散歩途中で雨に降られたときには助かります。9時過ぎの写真。まだ開店準備中。

Dsc01554c Dsc01557c  オマケ。ソテツ。九華公園にも寄せ植えが1カ所にあります。新芽というには、かなり伸びていますが、新しい葉が出てきていて、新鮮な光景に見えました。花菖蒲はほぼオシマイ。お礼の肥料を施したり、株分けをしたりする必要があると思うのですが、そういう動きはなし。一部の話では、株分けは、市民に花菖蒲を分けるために行うと思っている節があるらしいとか。本末転倒。今年も、花菖蒲の頒布会はするとか。

Dsc01472c Dsc01533c_20220621152801  明日は、江戸橋での非常勤。楽しい演習の予定(笑)。「傾聴の演習」を行います。学生諸君は、なんとなくカウンセリングの演習と勘違いするようですが、違います。梅雨に入りましたので、天気が気になりますが、今のところ、曇りの予報。

20220612水の都・大垣ウォーキング(その3)……船町川湊から美濃路を歩いてゴールの大垣駅へ(完)

Ogaki0_20220620182901  6月12日の「水の都・大垣」ウォーキングの本編その3です。奥の細道むすびの地をしっかり見て、船町道標のところへ来ました。ここから美濃路を歩いて行きます。ルートマップでは、左下にある水都公園のあたりからになります。船町道標のところに大垣城京口門跡、その近くに飯沼慾斎邸跡、柿羊羹で有名なつちや本店を見て、美濃路大垣宿本陣跡、善念寺、問屋場跡、本町道標、大垣城大手門跡、広嶺神社、大垣城名古屋口門跡、稲荷神社、栗屋公園を経て、掘抜井発祥の地、愛宕神社、岐阜町道標を回って、大垣駅へ。昼食を食べてから、金蝶園製菓本店で土産の水まんじゅうをゲットして、コンプリート。

Img_5179c_20220612191201 Img_5197c_20220618175701   水門川の東側に戻り、美濃路を歩きます。水都公園の近くに船町道標。道標は、高さ約2mの円柱状の石製で、文政年間(1818~1830年)に大垣城下京口御門(西総門)の南、美濃路沿いに建立されました。その標面には「左 江戸道」・「右 京みち」とあり、さらに上部には旅人の道中の安全を願い梵字(種子)が刻まれています。第二次大戦で被害を受け、路傍に横たわっていたのですが、修復されたといいます。船町道標の東、水都公園の脇に大垣城西総門(京口門)跡(右の写真)。京都方面にあることから、京口門とも呼ばれました。総堀に橋を架け、門をもうけることによって、防御としています。

Img_5215c_20220618202401  水都公園から北に向かい、はな街道に出た東南角のところが、飯沼慾斎(いいぬまよくさい)邸跡です。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応元(1865)年)は、伊勢亀山の西村安守の次男で(2022年5月11日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで)、母方の親戚である大垣の飯沼長顕の娘と結婚し、この地で蘭方医として医学に従事しました。長顕は大垣で町医者をしており、慾斎はそのもとで儒学、医学を習い、京都で福井丹波守に学んだ後に、長顕の娘と結婚して飯沼長顕の跡を継いでいます。28歳の時に、江戸で宇田川玄真に蘭学を学び、天保3(1832)年に義弟に家業を譲って隠居し、大垣郊外に平林荘を築いて30年ほど本草学の研究に専念しました。リンネの分類法を用いた日本で最初の体系的な植物図鑑「草木図説」を安政3(1856)年から文久2(1862)年にかけて出版。人体解剖、種痘、写真の研究などにも取り組んだそうです。

Img_5222c_20220619045601  美濃路をたどっていくと、スタートから4㎞を過ぎたあたりに、柿羊羹のつちや俵町本店があります。すごい建物というか、看板が屋根に乗っており、また、卯建も上がっています。しばし、見入ってしまったくらい。宝暦5(1755)年(薩摩義士による宝暦治水工事が完成した翌年)に、園助という人が「柏屋光章」という屋号で店を開いたのが始まりだそうです。柿羊羹は四代目右助という人が天保9(1838)年に、堂上蜂屋柿の濃密な甘味に注目して、これを羊羹の材料として利用して創製したといいます。ちなみに、柿羊羹は、今回のウォーキングでは購入しておりません。

Img_5247c_20220612191201  つちや俵町本店の先に美濃路大垣宿本陣跡。美濃路は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道です。ここ大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569年)に創建されたとされています。建物の一部が保存されていますし、明治天皇がお泊まりになったときの部屋も残っています。また、大垣祭の山車に関する資料もたくさん展示されていて、地元の方が説明してくださいました。地元の方が、交代でここに詰めて、観光客の対応をしておられます。ちなみに、明治天皇は、明治11(1878)年の東海・北陸御巡幸の際に宿泊されており、「大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡」として大垣市の史跡に指定されています。この明治天皇の北陸・東海巡幸は、明治11(1878)年8月30日に出発し、東京から前橋・長野・新潟・富山・金沢・福井・京都・岐阜・名古屋・静岡をめぐって11月9日帰京するという、陸路72日間の大旅行だったそうです。

Img_5258c_20220619075801 Img_5266c_20220619075801  大垣宿本陣跡からさらに東へ。美濃路は、結構何度も曲がっています。北に向かう角に真宗大谷派の龍谷山善念寺。事前の調べでは、特に情報はなかったのですが、山門が左の写真のように、珍しいものでしたから、同級生K氏曰く「これは珍しいから、写真を撮って、ブログに載せろ」(笑)。山門の屋根の材質は何か分かりませんが、銀色で、太陽の光を反射して目立っていました。

Img_5270c_20220619080201  善念寺の対面に問屋場跡があります。問屋場は、宿場において人馬の継ぎ立て業務を行ったところです。問屋役や、その助役の年寄、事務担当の帳付、馬指、人馬指が詰めていました。大賀寄宿の問屋場は、もとは本町にありましたが、寛文の頃(1661~1673年)、ここに移ったといいます。幕末には、問屋役は飯沼家が、本陣役と兼帯していたそうです。

Img_5274c_20220619120801  問屋場の先に本町道標。「左江戸道 右京道」と刻まれています。新しいなと思ったら、昭和48(1973)年に再建されたものだそうです。美濃路と竹鼻街道の分岐点に建てられたもので、竹鼻街道は、当初、大垣と竹鼻の往来に利用されたのですが、宝暦治水工事の完成と、宝暦11(1761)年に駒塚の渡しが開設されて、美濃路の短絡道として盛んに利用されることになったといいます。竹鼻街道は美濃国大垣宿から美濃街道と分れ、揖斐川、長良川、木曽川の大河を渡り、尾張国富田宿(愛知県一宮市尾西・富田)で再び美濃街道と合流する街道です。

Img_5289c  続いて、大垣城大手門跡へ。美濃路からは、少し西に入ります。大垣城七口之門の1つで、お城の東にあり、大垣城の正門で、本町に通じていました。初めに高麗門と呼ばれる外の門をくぐると、内側には第二の門である櫓門があり、二重に城門を配置した枡形形式の堅固な門だったといいます。明治4(1871)年に大手門を取り壊し、その跡地に広嶺神社が移建されています。境内東側の石垣は往時のものといわれており、そこにある水路がかつては、堀でした。

Img_5299c_20220620181101 Img_5302c_20220620181101  広嶺神社は、天正年間(1573~1592年)の創建で、もとは下魚屋町にありました。上記のように、明治4(1871)年にここ大手門跡に移転し、広嶺神社と改称しています。大正9(1920)年、本殿・拝殿を造営したものの、昭和20(1945)年7月の空襲で焼失しています。

Img_5304c  狛犬が独特でした。狛犬については、興味はあるものの、詳しくはありません。このタイプの狛犬をどこかで見た記憶はあるのですが、どこの神社だったか、今のところ思い出せません。

Img_5313c_20220620183101 Img_5319c_20220620183101  美濃路に戻って、田中屋煎餅総本家の前に脇本陣跡。この場所は本町大手北側で、戸田家の大垣入封に随従した上田家が務めるようになった元禄の頃(1688~1704年)に成立したといいます。この脇本陣は、「本町本陣」とも呼ばれ、間口12間半、奥行き16間半あまりで坪数127坪半もの格式ある建物でした。その先、美濃路が右折して、東に向かうところが高札場跡。ここは、いわゆる札の辻。高札場は、明治6(1873)年に廃止されましたが、その後、昭和になっても、掲示板として使われていたといいます。

Img_5324c_20220620192701 Img_5327c  高札場跡の先に大垣祭の軕(山車)が収めてある倉。美濃路大垣宿本陣跡で聞いた説明によれば、確かこの倉に収まっている、本町の軕がもっとも大きということでした。右の写真は、大垣城名古屋門口跡。

Img_5331c_20220620193301 Img_5335c_20220620193301  交差点を渡った先には、稲荷神社。大垣城主戸田氏定によって、享保12(1727)年9月の建立。大垣藩主から、毎年御供米15俵などが寄付されたそうです。廃藩後は、明治8(1875)年以降、中町、栗屋町の神社となっています。この稲荷神社も、昭和20年の空襲で、焼失しています。

Img_5350c_20220620194101 Img_5363c_20220620194101  稲荷神社の北に栗屋公園があります。美濃路沿いにここにも自噴井があるというので立ち寄ってきました。いくつかの自噴井がありました。右の写真にある説明板によれば地下150mから563リットル/分の湧水があるそうです(設置時のデータ)。

Img_5365c_20220612191201
 大垣駅近くまで戻ってきました。平和通りに堀抜井発祥の地。天明年間(1781~1789年)頃まで大垣地方では、生活用水として各町の裏通りを流れる用水を利用していましたが、渇水期になると、大垣の三清水(西外側町、清水町、室町)まで汲みにゆくことになり、非常に不便でした。天明2(1782)年、こんにゃく屋文七が、川端に2m程の穴を掘りそこに5mの材木を打ち込み、その後へ節を抜いた青竹を力いっぱい打ち込んだところ、その竹の先からきれいな水が噴出してきたといいます。これはこれはと大層喜び、「これはの井」と名付けられたそうです。それ以来どこの家でも、自噴の井戸が掘られるようになり「井戸槽(いどぶね)」と呼ばれています。

Img_5382c_20220612191201 Img_5379c  大垣駅のすぐ南東に、愛宕神社があり、その境内に岐阜町道標。 愛宕神社のご祭神は、軻遇突智神(かぐつちのかみ)。寛政6(1794)年に創建され、文化9(1826)年、火災に遭い近くにある文珠寺の北へ遷座したのですが、明治4(1871)、創建の旧地へ戻っています。岐阜町道標(ぎふまちみちしるべ)は、重要有形民俗文化財に指定されている道標。高さ3m余の角柱状の常夜燈で、文政5(1822)年、石工の中谷甚平光景が岐阜町から美濃路への南の出口に建立したものです。正面に「右きそ路」「左・京ミち」、左面には「北たにくミ道」とあるほか、道中の安全を願い、梵字(種子)が右面に8文字、左面の上部に1文字深く刻まれています。

Img_5399c_20220620194601 Dsc_6530c  これで今日訪れるところは、コンプリート。14時になっていましたので、何はともあれ、昼ご飯。大垣駅ビルのアスティ大垣へ。1階にある「おらが蕎麦」でちくわ天おろしそば(¥660)。なんとなく既視感があって、調べてみたら、津駅にある津チャムの「信州そば処 そじ坊」と同じ会社(グルメ杵屋レストラン)でした。

Img_5405c_20220612191201 お腹を満たしたあと、もう1つ重要なミッションがあります。土産を買わなければなりません(微笑)。朝、大垣駅をスタートした直後、狙いをつけておいた「金蝶園製菓総本家」へ。大垣駅の南。ここで、大垣名物水まんじゅうを買うことにしていたのです。大垣の水まんじゅうは、大垣の名水によって明治時代の初めに生まれました。冷たい地下水に漬けて冷やすよう、葛に水に強いわらび粉を混ぜ、柔らかく炊き上げた生地を陶器のお猪口に流して固めたものです。

Img_5455c_20220612191201  こちらが、今日の土産。こし餡のものと、向かって右は、「ミナモ」。岐阜県のキャラクターであるミナモをイメージし、水色(ソーダ餡)と黄色(レモン餡)がストライプ状になっています。

Img_5414c_20220612191201 Img_5411c_20220612191301  養老鉄道大垣駅には、14時40分にゴール。次の桑名行きは、15時6分発。桑名には、16時18分着。

Img_4549c_20220620195101  行きも帰りも、7700系の電車。東急からやってきたステンレス車両。

Img_5460c_20220612191201  この日の歩数は、19,089歩でした。現地で6.3㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞ですから、合計8.7㎞。まぁ、よく歩いた感じです。

2022年6月20日 (月)

散歩が修行に移りゆく季節

Dsc01191c  予想より気温は高く、31.0℃になりました。最低気温も、22.2℃でした。いよいよ散歩が修行に変わる季節を迎えています(苦笑)。今日も歩いてきたら、汗をかなりかきました。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、田町、三崎通と5.7㎞です。蒸し暑いので、歩く距離がやや短めになってきています。冒頭の写真は、柿安コミュニティパークの東側から揖斐川の上流方向を見たもの。幡龍櫓が写っています。

Dsc01181c  毎年、今頃は同じなのですが、鳥も、散歩友達も少ない時期。三の丸水門あたりでハクセキレイを見た以外、九華公園に行くまでに見た鳥は、スズメ、カワラヒワ、ヒバリくらい。

Dsc01234c_20220620160301 Dsc01241c  九華公園でも似たような感じ。公園内で、鳥の鳴き声はあまり聞こえてきません。ツバメも少ない感じです。これらのツバメは、奥平屋敷跡と二の丸跡の間の電線に来て休んでいたもの。ヒナ2羽と、親が2羽。ヒナは、まだ餌をもらっていますから、巣立ってきて間もないと思われます。

Dsc01310c_20220620160301 Dsc01346c  ほかには、スズメがもっとも多かったくらい。ヒナもよく見かけますので、二番仔なのでしょう。鎮国守国神社の境内では、シジュウカラとコゲラの鳴き声を耳にしたものの、姿は見えませんでした。貝塚公園でも、スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリが少しいただけ。右のカワラヒワは、京町公園にて。ここでカワラヒワを見るのは珍しい。このあと、羽毛のようなものをくわえていきました。まだこれから巣作りをするのでしょうか?

Dsc01421c  田町の商店(左の写真)と、三崎通のお宅とでツバメの巣を見てきたのですが、どちらも親ツバメは不在。田町の商店ではまだ卵は産んでいないように思います。三崎通のお宅では、親が巣に就いているのを何度か見ていますから、卵はあるように思います。今年の観察結果からは、卵があっても、親ツバメはずっと巣に就いている訳でもなさそうです。

Dsc01318c  ところで、午後からは定例の内科受診。2ヶ月に1回。主治医&友人ですが、「元気だよね」で、あとは世間話(微少)。帰りにエディオン桑名店に立ち寄って、あの壊れたパソコンの修理を依頼してきました。直ったら、家内の実家に置くつもり。

2022年6月19日 (日)

「閑中忙あり」の2日目……鳥果はあがらず@長良川河口堰&上の輪新田

Dsc00334c  「閑中忙あり」の2日目です(苦笑)。午後から、心理アセスメントの研究会が、オンラインで予定されています。朝は、訳あって家事を済ませ、8時20分から散歩に出られることに。いつものコースではほとんど鳥はいません。ちょっと迷ったのですが、長良川河口堰へバードウォッチングに行ってきました。河口堰も、この時期、あまり鳥はいないのですが、オオヨシキリをきちんと見ていませんので、それだけでもと思ったのです。8時35分から1時間ほど河口堰に滞在、その後、上の輪新田に立ち寄って帰宅。それにしても暑くて(最高気温は、30.6℃)、疲れました。

Dsc00294c  河口堰の東側の魚道には、何もいません。カルガモが1羽、魚道の堤防の上に座り込んでいただけ。上空で揚げひばり。魚道の東側の道路に降りてきたところが、この写真。

Dsc00337c  管理橋の西側にも鳥はいません。カワウが見えるくらい。ここまで行くと、中州からオオヨシキリの鳴き声が盛んに聞こえてきます。しかし、今日は、管理橋の西の端の南にある林でよく鳴いており、親水広場に降りる坂道や、広場の西ではほとんど聞こえません。ということで、結局、今日もオオヨシキリはきちんと見えず。歓迎してくれたのは、まずは、ホオジロのオス。親水広場に降りる坂道のところにて。

Dsc00478c  親水広場も静かでしたが、あの「ぴうぴう」という鳴き声だけが響いていました。勝手に「ぴうぴう鳥」と名付けましたが、コチドリ。この頃は、いつ来ても1羽だけがいます。

Dsc00534c Dsc00559c_20220619164501  ハクセキレイも今日は少なく、オスと今年巣立ったと思われる若い個体が1羽。コアジサシは、影も形もありません。今日も、全く姿は見ませんでした。どこかで元亀にしていてほしいもの。ほかには、上空をトビとアオサギが通過したくらい。

Dsc00713c  戻るとき、閘門脇の柵にダイサギさん。ほかは、カワウを数羽見たくらいで、今日の河口堰での鳥果は、以上(苦笑)。

Dsc00991c Dsc01055c_20220619164501  上の輪新田。全面的に田植えがされ、苗も少し伸びてきていました。今日は、鉄ちゃんが数組来ていました。何か、特別な車両でも走るのでしょうか? 私は、赤熊のほかには、ひのとりを見たくらい。

Dsc00742c_20220619164501 Dsc00795c_20220619164501  鳥は、ケリが合計7羽ほど。新田の中央の道を往復して、ざっと見たものの、成鳥ばかりで、ヒナの姿も、巣も見当たりませんでした。う~ん、残念。今年は、ケリの巣も、ヒナも見られない可能性が高くなりました。

Dsc00879c  イワツバメがよく飛んできています。遠くて、逆光で証拠写真ではありますが、1枚だけ載せておきます。枯れ草を加えているようです。このあと、新宮西橋の巣があるところにも立ち寄りましたが、若干数は少ない印象ではあったものの、イワツバメが飛び交っていました。

Dsc01069c_20220619164501 Dsc01093c_20220619164501  拙宅マンションのところに戻ってきて、住吉入江沿いで休んでいたら、イソヒヨドリ2羽。左右の写真は、別の個体です。メスなのか、今年巣立った若鳥なのか。若いイソヒヨドリのような気がします。

Dsc00510c  午後からは、オンラインで研究会。動画を視聴した後、事例紹介をしてもらい、その事例について、コメントをするよう仰せつかっていたのです。事例のお子さんの困りごとと、検査による所見とを結びつけ、困りごとの要因を明らかにする必要がありますが、これがなかなか難しい。難しいが故にアセスメントの醍醐味でもあるのですが……。まぁ、とにかくこれで、とりあえず「閑中忙あり」は乗り切ることができたと思います。今週は、定例の内科受診に行かねばなりません。水曜は、江戸橋での非常勤。傾聴についての演習の予定。意地悪な表現をしますと、「普段、いかにきちんと他人様の話を聴いていないか」を実感してもらいたいと思っています。

【ベランダ園芸についての追記】

Dsc_6554c  サギソウは、順調です。5月11日に届いていますから、1ヶ月と1週間ほどになります(2022年5月11日:2週間ぶりの江戸橋での仕事……サギソウが届きました)。

Dsc_6555c Dsc_6556c  万年青の花のその後は、こんな感じ。左の写真の方は、中央に実が付くのか??という気がしますが、右の写真の方は、アヤシい。

2022年6月18日 (土)

「閑中忙あり」(笑)

Dsc00172c  曇りのち雨。午後は、結構よく降った時間帯がありました。朝は、7時半から2時間ほど散歩。午後出かけるため、時間制限で歩いてきたのです。住吉神社、九華公園、京町、田町、三崎通と4.2㎞。今日は、人も、鳥も少ないこと。

Dsc00204c  揖斐川の堤防、船津屋さんの裏手でホオジロのオスがいた以外は、スズメ、ムクドリ、カワラヒワ、ドバトくらいで、笑えます。ホオジロも、こんな証拠写真しかとれず。メスか、幼鳥もいたのですが、それには逃げられました。

Dsc00239c  九華公園も同様。散歩友達は、Wさんと前管理人のOさんだけ。世間話をしてオシマイ(苦笑)。ツバメがいる!と思ったら、幼鳥ではなく、親鳥が1羽だけで休んでいました。吉之丸堀の上を通る電線のところ。

Dsc00253c Dsc00259c  京町のお宅のツバメの巣、今日は空っぽ。ヒナはずいぶん成長していましたから、順番に巣立っていってしまったのでしょう。田町の商店にあるツバメの巣は、修復作業が進んでいるようでした。

Dsc00265c  こちらは、三崎通にある巣。最近は、私が見に行くと、親鳥が座っていないことが多かったのですが、今日は巣に就いていました。右上の田町の商店の巣と、ここの巣とが、まだしばらくは楽しめそうです。市立博物館には今年は、ツバメは来ませんでした。京町の呉服屋さんの巣には、その後、ツバメは来ていません。

Dsc00277c  午後からは、菰野までクルマで行ってきました。片道40分あまり。東員町あたりから雨が落ちてきて、会議中には、一時土砂降りになったくらい。会議は、1時間半足らずで終了。次は、来年の3月のはず。夜、もう1つ、管理組合の理事会があります。1日に2つの会議等というのは、久しぶり。現職の頃は、会議をはしごするというのもよくあったのですが、それは今は昔。「忙中閑あり」だったのが、「閑中忙あり」です。

Dsc00223c_20220618162101  明日は、晴れの予報ですが、午後からは、オンラインで研究会。事例紹介にコメントをするように仰せつかっています。そろそろこういうことからも、リタイアしようかと思っています(微苦笑)。まぁ、午前中は、いつものように、散歩に行って、気分転換をしてから、研究会に取り組むことにします。ノウゼンカズラは相生町のお宅にて、アジサイは九華公園にて、それぞれ撮影してきました。

20220612水の都・大垣ウォーキング(その2)……四季の路を通り、円通寺から船町川湊、奥の細道むすびの地へ

Ogaki0_20220620182901   6月12日の「水の都・大垣」ウォーキングの本編その2です。その1では、養老鉄道大垣駅をスタートして、大垣城、郷土館、大垣藩校・敬教堂跡、八幡神社と回ってきました。この先は、水門川に沿って南に歩いて行きます。水門川沿いには、四季の路がもうけられ、花木が植えられ、芭蕉の句碑がいくつも建っています。スタートから2㎞ほどのところには、大垣藩主・戸田家の菩提寺である円通寺、大垣市役所を過ぎると、奥の細道むすびの地に至ります。

Img_4954c_20220612191101Img_4857c_20220617065201  左の写真は、四季の路から眺めた水門川の流れ。右は、四季の路にある芭蕉の句碑の1つ。句碑には、芭蕉が奥の細道で詠んだ俳句が刻まれています。この写真の句碑には、「一家に 遊女も寝たり 萩と月」の句が刻まれています。市振(新潟県糸魚川市)で詠んだものです。

Img_4873c_20220617065701  こちらは、旭光山円通寺。浄土宗のお寺で、大垣藩主戸田氏歴代の菩提寺です。慶長6(1601)年)に膳所藩主であった戸田氏鉄(うじかね)が膳所で建立し、その後、戸田氏鉄が元和2(1616)年、尼崎藩主となると尼崎へと移転しています。さらに寛永12(1635)年に大垣藩へ転封となった際に、大垣城の西側へ移されました。以降、歴代大垣藩主の墓所が設けられました。大垣藩へ転封となった時、尼崎の本寺から伽藍を移したそうです。山門は、その後、雷火のために数回焼失したのですが、天保年間(1830~1844年)に再建されたもの。市指定文化財です。

Img_4894c_20220612191101  Img_4883c_20220612191101 一部の藩主の墓所は蓮光寺にあったのですが、後にここ円通寺に分骨が行われています。また、多くの大垣藩家臣の墓所もあります。右の写真は、初代の戸田氏鉄の墓所。

Img_4936c_20220617193901  四季の路を歩いていると、大垣市役所の西にある清水口橋のところに「神の田(かみのた)地蔵」がありました。その昔、ここは地域の守り神である八幡神社の神田(しんでん)だったそうです。鎌倉期の大井荘(おおいのそう:東大寺領の荘園)の文書に「八幡宮の神楽田(しんがくでん)」とあり、これが今の神田のもとかも知れないと説明板にありました。

Img_4970c_20220617194801 Img_5021c_20220617195901  スタートから2.5㎞ほどのところで、水門川は枡形のように曲がっています。総合福祉会館、秋葉神社、水都公園などに囲まれたエリア。川には大きな鯉がたくさん泳いでいました。虹の橋を渡ったところに四阿があり、そこでしばし休憩。時刻は、12時少し前。

Img_5040c_20220617200101  その四阿からは、伊吹山も遠くに見えていました。桑名からは、伊吹山は多度山の陰になって見えません。伊吹山があちこちから見えるのは、ちょっとうらやましい気がします。

Img_5045c_20220617200201 Img_5049c_20220617200201  奥の細道むすびの地の手前にこんなものがありました。左の写真は、今ひとつで、なんだかよく分かりませんが、右の写真には、「明治16年2月 大垣・桑名間汽船開通 大垣水運の歴史のひとこま ここに記す 大垣水とライオンズクラブ」とあります。左の写真は、桑名・大垣間の蒸気船が開通した頃の、ここの湊の様子と思います。西羽晃先生の「桑名港の『みなと文化』」によれば、「に大垣と桑名間は明治 15 年に小型蒸気船による定期航路が開かれた。22 年には東京-神戸間に東海道鉄道が開通したので、桑名から汽船で大垣へ行き、大垣駅から鉄道を利用すれば、東西への旅が非常に便利になった」とあります。

Img_5054c_20220617201201 Img_5058c_20220617201201  その先に、道標と句碑。道標は「木因俳句道標」で、「南 いせくわなへ十り ざいがうみち」とあります。ただし、この道標はレプリカで、本物はこの西にある「奥の細道むすびの地記念館」に保存されています。手前の句碑には、「い勢にまかりけるを ひとの送りけれは 蛤のふたみに別行秋そ」とあります。この「蛤のふたみに別行秋そ」は、芭蕉がここで詠んだ句。「ハマグリの殻と身とを引き剥がすように、又再び悲しい別れの時が来たことだ。千住出発の折りの歌『行く春や鳥なき魚の目は泪』と対をなす。『ふたみ』は、『双身』とこれから行く『二見ヶ浦』にかけている」ということです。さらにその奥にあるのは、木因の句碑で、そこには「惜ひひげ剃たり窓に夏木立 白桜下木因」とあります。谷木因は、江戸前期の俳人。大垣の船問屋を業とする富裕な商人でした。

Img_5067c_20220612191101 Img_5063c_20220612191201  さらにすぐ南に、「芭蕉翁と木因翁」と題した、芭蕉と木因とが向き合う銅像。ここには、右の写真のように、「史跡 奥の細道 むすびの地」と刻まれた石碑が建っています。ご承知のように、松尾芭蕉は、江戸時代の元禄2(1689)年3月27日に、弟子の曽良とともに江戸を出発し、東北・北陸地方を巡り、8月21日に大垣で「奥の細道」の旅を終えています。このとき、芭蕉46歳。その道のりは、およそ2,400㎞に及び、旅の体験や感想をもとに俳句と紀行文を組み合わせた「奥の細道」という文学作品を書いています。芭蕉が東北・北陸地方をめぐる「奥の細道」の旅を終えた地が大垣です。芭蕉は、2週間ほど大垣の人々と交流してすごしたあと、伊勢神宮の遷宮参拝のため、水門川を舟でくだり桑名へ旅立ちました。そのときに詠んだのが、上掲の「蛤のふたみに別行秋そ」という俳句です。

Img_5088c_20220612191101 Img_5095c_20220618065001  この奥の細道むすびの地に「奥の細道むすびの地記念館」があります。この記念館は、平成24(2012)年4月にオープン。「奥の細道」の解説をはじめ、芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介する「芭蕉館」、大垣の歴史や文化・芸術を築き上げた幕末の先賢の偉業を紹介する「先賢館」、幕末の大垣藩藩老・小原鉄心(おはらてっしん)の別荘で、市指定文化財である「無何有荘大醒榭」などがあります(右の写真)。

Img_5076c_20220618065401 Img_5104c_20220618071201  このあたりは、「おくのほそ道の風景地 大垣船町川湊」として、国指定の名勝になっています。揖斐川の支流水門川の両岸に川湊の趣の残る風景地です。船町川湊は、大垣藩により慶長年間(1596~1615年)に大垣城下船町に設置されて以降、西濃地域の人・物資・文化の交流拠点として人々の生活を支えてきました。現在川湊としての機能は失われていますが、このあたりは、静かな水面にソメイヨシノの並木が生える桜の名所となっています。

Img_5117c_20220612191201  橋を渡って対岸に行くと、まずは住吉神社があります。 ご祭神は、上筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)及び底筒男命(そこつつのおのみこと)のいわゆる住吉三神。天保11(1840)年創建。

Img_5129c_20220612191201 Img_5142c_20220618104401  住吉神社の北に船町港灯台。高さは8m、寄棟造りで上部に油紙障子を填め込んであります。もとは、元禄年間(1688〜1704年)に建造された灯台で、現存する灯台は明治20(1887)年の再建。大垣〜桑名間は明治15(1882)年に小型蒸気船による定期航路が開設され、大正8(1919)年に桑名〜大垣間に養老鉄道が開通するまで通船が続いていました。昭和初期には年間1万もの船が行き来していたという記録が残っています。

Img_5150c_20220618104601 Img_5145c_20220618104601  このあたりは、住吉公園となっていました。芭蕉の木が植えられていて、花が咲いていたり、「芭蕉送別の連句塚」があったりします。連句塚には、次の4句が刻まれています:

秋の暮行先々ハ苫屋哉(木因)

萩にねようか荻にねようか(芭蕉)

霧晴ぬ暫ク岸に立給へ(如行

蛤のふたみへ別行秋そ(芭蕉)

 如行は、江戸時代前期~中期大垣の俳人・近藤如行(じょこう)。大垣藩士。

Img_5165c_20220612191201 Img_5170c_20220618105501  この連句塚があるのは、貝殻橋のたもと。ここで行きに立ち寄らなかった桃源山全昌寺へ。曹洞宗のお寺。もとは、戸田氏鉄の室・大誓院がその叔父の戸田甚五郎(法名:徳翁全昌)の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立した寺です。この寺は、戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたります。尼崎全昌寺の住職であった照岩文鏡が大垣全昌寺の開山となり、大垣鷹匠町に創建されました。その後、慶安4(1651)年に現在地に移転。元禄元(1688)年、時の大垣藩主戸田氏定より50俵を与えられています。元禄5(1692)年、火災により灰燼に帰したのですが、5世住持の単伝清和の下で中興を果たしたものの、明治24(1891)年の濃尾地震で壊滅的被害を受けました。明治29(1896)年に本堂と庫裏を再建されましたが、昭和20(1945)年の大垣空襲によって再び伽藍が焼失。現在の堂宇はその後再建されたものです。

Img_5173c_20220618105501  ここにお地蔵さんがあったのですが、「みたらし地蔵」と書いてあるのです。面白いと思ったのですが、そのいわれは、ちょっともの悲しい話でした。「歯痛でぽっくりと亡くなった小僧を哀れんでまつった地蔵で、それを知った町の人が、歯痛で食べ物が食べられなくひもじい思いをした小僧を弔ってみたらし団子を供えるようになったそうです。歯痛の子がいる際は、団子の代わりに箸を一本供えると歯痛が治ると信仰されています」ということでした(こちら)。このあと、下調べの時に、この西に江月寺という臨済宗妙心寺派のお寺があると地図にあったので、見に行ったのですが、廃寺になってしまったようで、広い駐車場でした。ということで、その2はここまで。

2022年6月17日 (金)

ダイサギ、今日はテナガエビがごちそう……田町の商店にあるツバメの巣が修復中!?

Dsc09738c  朝9時過ぎからは晴れるという予報でしたが、曇り。午後になってようやく晴れ間が出てきました。しかし、南寄りの湿った風に、29.4℃と蒸し暑くなりました。エアコンは使ってはいませんが、扇風機で風を動かしています。7時半から散歩を開始し、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、寺町、田町、三崎通と5.9㎞。午前中から蒸し暑く、汗をかいて帰宅(苦笑)。冒頭の写真は、九華公園の管理事務所のところで咲き始めたアジサイ。ここは、いつもやや遅くから咲きます。

Dsc09782c_20220617162301Dsc09763c_20220617162301  昨日、ダイサギがハゼか、ドンコを捕まえたシーンを載せましたが、今日は、エビが獲物でした。テナガエビの仲間のようですが、かなりデカい。10数センチくらいでしょうか。

Dsc09837c_20220617162301 Dsc09876c  今日も相変わらず、鳥は少なく、九華公園に行くまでに見たのは、カワラヒワ、スズメ、ツバメ、コシアカツバメ。コシアカツバメは、桑名七里の渡し公園のところと、柿安コミュニティパークのところと、2カ所で目撃。飛んでいるところを撮るのにチャレンジしているのですが、まだまだ練習不足。左の写真は、九華公園の奥平屋敷跡と二の丸跡の間の電線に止まっていたツバメの幼鳥。4羽ほどが一緒にいました。右は、奥平屋敷跡で見たハクセキレイ。

Dsc09744c Dsc09888c  その奥平屋敷跡で産卵のための穴を掘っているアカミミガメを見つけました。かなり深く掘ったのですが、まだ不十分なようでした。しばらくすると、ハシボソガラスが近くにやって来て、卵を産んだか確認していたようです。ところが、ハシボソガラスがやって来たため、アカミミガメは作業を中止して、堀へドッボン。穴は、右の写真のようで、卵は1つも産まず。久しぶりにアカミミガメの産卵シーンが見られるかと思ったら、カラスにしてやられました。最近は取り上げていませんが、公園内のあちこちにカラスが、アカミミガメが卵を産んだところを掘り返して、卵の殻が散乱しています。

Dsc00015c Dsc00109c  京町のお宅のツバメの巣。ヒナは成長しているのですが、今日確認できたのは、2羽。たしか4羽孵ったはずです(2022年6月 9日:カワセミを目撃したものの、写真は撮れず残念……田町の商店のツバメの巣では巣立ちが始まる)。三崎通のお宅の巣は、今日私が見た時は、留守。

Dsc00113c_20220617162401  こちらは、田町の商店にあるツバメの巣。なんと、巣を修復しています。先日、ヒナたちが巣立った後は、巣の手前側が、ヒナが餌をもらうのに何度も乗り出したため、擦れて、凹んでいたのが、直されています。ここの巣からヒナが完全に巣立ったのは、今週初めですから(2022年6月13日:コゲラとチュウヒ?)、その親がまた卵を産むというのは考えられません。別の親ツバメなのだろうと思います。

Dsc00107c  さて、明日は、午後から夜にかけて会議が2つ。暇なのに、忙しい(微苦笑)。午後は菰野町の社会福祉法人の評議員会、夜は、マンションの管理組合の会議。午前中は、時間制限で散歩に行きたいところ。

Dsc_6545c Screenshot_20220617181737c  余談を2件、追加。その1は、ケータイの話。ケータイのキャリアは、25年以上au(使い始めた当初は、日本移動通信(IDO)でした)を使ってきましたが、このたび、UQモバイルに変更しました。とはいえ、同じKDDIのブランドですから、ほとんどSIMカードを差し替えるだけでOKでした。UQモバイルでは、「くりこしプランS+5G」(¥1,628)をチョイス。基本データ容量は3GB/月。ただし、基本国内通話料は、別に税込22円/30秒。電話は自分ではほとんどかけませんから、このプランで多分大丈夫。これまでは、毎月¥4,500あまりを払ってきましたから、これでやれればかなりの節約になります。また、3GBのデータ容量があれば、やってみたかった「桑名城探訪」アプリの「古地図でまちあるき」もやれると思います。UQモバイルへの変更は、ネットで完結。今日、宅配でSIMカードが届き、回線切り替えをネットで行い、SIMカードを入れ替え、そのあとちょっともたつきましたが、ほぼ手間なしで移行完了です。

Dsc09725c Dsc09736c  余談その2。今日歩いていたら、あちこちに左の写真のような看板が出ていました。岸田総理が、三重県に遊説に来られるということでした。柿安や、京町にあるお茶屋さんにこの看板が出ていました。国会も終わって参議院選挙モードだそうで、三重県の自民党新人候補の応援ということでしょう。桑名シティホテルの駐車場前で14時からだそうでしたが、私は出かけてはおりません。

 

20220612水の都・大垣ウォーキング(その1)……大垣城、郷土館、藩校敬教堂跡から八幡神社へ

Img_4553c_20220612191101  6月12日に行ってきた「水の都・大垣ウォーキング」の本編その1です。当初は、前日の6月11日に出かける予定でしたが、天気があまり良くないという予報で、この日に延期しました。大垣は水の都といわれますが、まさにその通りで、とても良いところでした。私は、大垣へは、子どもたちが小学校に入る頃、家族で出かけたことがありますが、それはもう20年以上昔の話。金蝶園製菓総本家で水まんじゅうを食べたことと、大垣城のある大垣公園で遊んだ記憶しかありません。この日は、同級生K氏と二人旅。歩いた距離は、6.3㎞ほどでしたが、あちこちで資料館なども見て回り、現地で過ごしたのは、4時間半ほど。

Ogaki0_20220620182901  こちらが、当日歩いたルートマップ。養老鉄道大垣駅がスタート&ゴール。大垣城、郷土館、大垣藩校敬教堂跡、八幡神社、円通寺、奥の細道むすびの地、住吉神社、船町湊跡・港灯台、船町道標、美濃路大垣宿本陣跡、大手門跡、堀抜井発祥の地、愛宕神社・岐阜町道標などを回ってきました。大垣の最高気温は、28.1℃。風がかなりあって、思っていたよりも楽に歩けました。

Img_4520c_20220615062601 Img_4559c_20220612191101  桑名から大垣までは、養老鉄道が通っています。桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。9時26分に大垣駅に到着。この日は、冒頭の写真のように、1日フリー切符を購入。桑名~大垣は、通常料金は片道¥830ですが、フリー切符は¥1,500です。往復では、¥160もおトク。9時30分にスタート。

Img_4568c_20220615062901 Img_4575c  初めのところに書きましたが、大垣へは、20年以上前に1回来ただけで、ほとんど記憶はありません。左は駅前から南の方を撮った写真ですが、失礼ながら、「けっこう都会だな」というのが、第一印象。右の写真は、少し進んで、大垣駅方面を振り返った写真。

Img_4572c_20220615063501  駅の少し南に金蝶園製菓総本家がありました。以前来たとき、確かここのお店で、水まんじゅうを食べたのです。同級生K氏は、今朝、奥さんが「金蝶園の水まんじゅうは、美味しいんだ」といっておられたとか。あちこち見て回る前に、二人とも今日の土産は、ここで買うことに決定。ゴールは大垣駅にしてありますので、ゴールしてから購入します。

Img_4578c_20220615064001  何の写真か不鮮明になってしまいましたが、「守屋多々志画伯青雲の碑」。守屋 多々志(もりや ただし、大正元(1912)~平成15(2003)年は、大垣市出身の日本画家で、元愛知県立芸術大学教授。文化功労者。文化勲章受章。歴史画の第一人者だそうです。市内には、守屋多々志美術館もあります。この碑は、大垣共立銀行大垣駅前支店の向かい側にあります。

Img_4587c_20220615064401 Img_4592c_20220615064401  スタートから400mほどで水門川にかかる新大橋まで来ます。水門川は、大垣市街を大垣城に沿うように流れ、揖斐川の支流である牧田川に合流します。寛永12(1635)年、大垣藩主になった戸田氏鉄により大垣城の外堀として築かれたのですが、大垣城の外堀のみならず、揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割を持っていました。

Img_4608c_20220615064901 Img_4632c_20220615064901  新大橋から200mも行かないところ、郭町で右折すると、大垣城が見えます。こんな風だったか? と、以前の記憶は全くありません(苦笑)。大垣城は、天文4(1535)年に美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定によって創建されたといわれています。創建当初は水門川を外堀に利用した小規模なもので、慶長元(1596)年、伊藤祐盛が城主の時に天守が造営されたといわれます。江戸時代に入り、改修が行われ、4層4階の天守となり、総堀が完成しました。明治維新後も店主などは残り、昭和11(1936)年に天守等が国宝(旧国宝)に指定されましたが、昭和20(1945)年7月29日の大垣空襲により、天守や艮櫓などが焼失しました。左の写真に写っている門は、東門。天守が復興された際に、七口之門の 1つである内柳門がここに移築されています。ちなみに、大垣城は、麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれました。

 Img_4719c_20220612191101Img_4713c_20220615065901現在の天守閣は、昭和34(1959)年に、また、乾櫓は、昭和42(1967)年に鉄筋コンクリート造りで、郡上八幡城を参考に外観復元されたものですが、観光用に窓を大きくするなどの改変がなされています。郡上八幡城は、戦前の大垣城をモデルに復元されたものだったのだそうです。天守閣は、資料館として、関ヶ原の戦などに関する展示がされており、ここで1時間近く見て回りました。

Img_4655c_20220615070801 Img_4669c_20220615070901  天守4階からの眺め。左の写真は西の方角。中央奥からやや右手に頂上が覗いているのが伊吹山。関ヶ原は、中央奥のややくぼんだあたり。右の写真は北の方角。中央あたりに大垣駅があります。このほか、南には養老山地が見えました。

Img_4697c_20220616192701 Img_4694c_20220616192701  城内にはいろいろとありましたが、2つだけ。左の写真は、戌亥櫓。戌亥は、北西の方角ですから、北西の方角にある櫓。右の写真は、「おあむの松」。江戸時代前期に、石田三成の家臣・山田去暦(やまだきょれき)の娘であった老尼が、少女時代に体験した関ヶ原の戦いの頃の様子を子供たちに語った話の筆録で「おあむ物語」というものがあります。関ヶ原の戦いに父に従い大垣城に籠城していた一女性が、年老いてから当時の体験を物語ったものです。書名の「おあむ」は御庵で老尼の意味と思われます。落城寸前に城から脱出した際、天守の西側にあった腰曲輪の松の木に縄をかけ、それを伝って内堀に降り、たらいに乗って逃げたといいます。その後継の松がこれです。

Img_4722c_20220616194301 Img_4728c_20220616194301  天守閣の北西に常葉(ときわ)神社があります。藩祖・戸田一西の他、戸田氏の歴代大垣藩藩主を祭神としており、かつては大垣城城内の神社でした。例年10月第2日曜日に行われる十万石まつりは、元々常葉神社の例祭です。嘉永5(1852)年、大垣藩戸田氏9代目藩主である戸田氏正が、戸田一西の250回忌の際に、戸田一西を祭神として大垣城内に創建しました。このとき、伊勢神宮神官より「常葉大神」と名づけられたといいます。明治維新後、いったんは、大垣八幡神社の境内に移転しましたが、濃尾地震で倒壊。明治35(1902)年に現在地へ新築、移転しています。

Img_4738c_20220612191101 Img_4752c_20220612191101  大垣城のある大垣公園のすぐ西に大垣市郷土館。戸田公入城350年記念事業として建設され、昭和60(1985)年10月に開館しました。歴代大垣藩主戸田公の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築きあげてきた先賢の美術品等が展示されています。ここには、右の写真のように、大垣の城下町のジオラマもありました。

Img_4744c_20220616195401Img_4747c_20220616195401  庭園は、「さつき庭園」という名前が付いていました。赤い花と、白い花とあるようです。門を入ったすぐ右手には、「麋城の井戸」がありました。これは新しく掘った井戸のようで、以前はどこの家にもあった自噴の井戸を偲んでつくったそうです。

Img_4771c_20220616200201 郷土館を出て、北に向かいます。水門川にかかる滝の口橋のところは、大垣城の辰之口門があったところです。大垣城には7つの門があり、「七口之門」と呼ばれていました。ここはその1つ。

Img_4778c_20220612191101 Img_4792c_20220616200901  滝の口橋のすぐ北に保健センター。ここは、大垣藩の藩校であった敬教堂がありました。大垣藩第8代藩主・戸田氏庸(うじつね)が、藩士の子弟を教育するため、天保11(1840)年、大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館(ちどうかん)、敬教堂(けいきょうどう)、学館(がっかん)と改称されています。第10代藩主・戸田氏彬のとき、孔子像を祀った大成殿を設け、その雷除けとして「剣の木」と俗称されるトネリコを植えたそうです(右の写真)。明治維新後、藩校は文学校と武学校に分かれ、また、このトネリコも道路上に残されたため、ここに移されました。

Img_4803c_20220612191101  藩校跡で西に向かいます。このあたりから、水門川に沿って、遊歩道・四季の路を歩いて行きました。水門川が南に曲がるところに八幡神社。通称、大垣八幡神社。大垣市の総鎮守。建武元(1334)年、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりといいます。天文15(1546)年には、斎藤道三の兵火で焼失しましたが、慶長13(1608)年、幣殿、拝殿、舞殿が建てられ、正保4・慶安元(1648)年、大垣藩初代藩主・戸田氏鉄が再建整備しています。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭といいます。

Img_4825c_20220612191101  ご祭神は、応神天皇神功皇后比咩大神(ひめのおおかみ)。比咩大神は、神道の女神です。これは特定の神の名前ではなく、神社の主祭神の妻や娘、あるいは関係の深い女神を指すもので、八幡社では比売大神を祀りますが、その正体については、諸説がありますし、地域によっても異なるようです。

Img_4828c_20220617062501 Img_4834c_20220617062501  境内社がいくつかあります。出雲社(左の写真:大国主大神(大黒大神)・美保津姫神・事代主大神(恵比寿大神))、大福稲荷神社(宇迦之御魂神)、大垣天満宮(菅原道真公)、大垣竜神王(霊蛇神)、広瀬神社・龍田神社(右の写真:広瀬神社 和加宇賀之売命(若宇加能売命)、龍田神社 志那都比古神(天御柱神)・志那都比売神(国御柱神))。
所在地

Img_4846c_20220617062601  境内には、平成16(2004)年に整備された新しい自噴水があり、地下125mから水が吹き出る井戸となっています。大垣では、多くの家庭に自噴井戸があり、至る所に水路があり、清水が流れていたといいます。この湧水は、大垣南ライオンズクラブが、結成30周年を記念して掘削したものです。その1は、ここまで。その2では、四季の路から円通寺を通り、奥の細道むすびの地方面へと行きます。

2022年6月16日 (木)

九華公園でダイサギが魚をゲット……コミュニティパークのクチナシは、わずかに咲く

Dsc09295c  梅雨入り3日目、雨は降っていませんが、薄曇り。最高気温は、24.5℃。さほど暑くはありません。朝は家事を済ませ、8時20分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、南魚町、田町、三崎通、桑名七里の渡し公園と5.5㎞。冒頭の写真は、九華公園の花菖蒲。花菖蒲まつりは、昨日で終わりましたが、今年は不消化なままです。一部には、ご覧のようにきれいに咲いているものがまだあります。

Dsc09159c  桑名七里の渡し公園のところで、コシアカツバメ。最近、朝、このあたりでよく見ます。もう1羽いると思います。どこかに巣があると思うのですが、散歩コースでは見かけません。普通のツバメより、やや大きめ。

Dsc09223c_20220616150001 Dsc09230c  三の丸水門のところで、ツバメの巣立ってきた幼鳥2羽。親ツバメが地面に降りているのは、泥や枯れ草など巣材を取る時がほとんどですが、幼鳥は割とよくこういうシーンを見ます。警戒心がまだ薄いのか、比較的近くまで行けます。

Dsc09314c_20220616145901 Dsc09347c  九華公園では、鳥は少なく、少数のカワラヒワとスズメが主なもの。ただ、最近、石垣修理のため、堀の水が抜かれているのですが、ダイサギがときどき来ています。今日も、奥平屋敷跡にいたら、ダイサギ1羽がやって来ました。写真は、吉之丸堀で魚をゲットした時に撮ったもの。魚は、ハゼの仲間か、ドンコのように見えます。

Dsc09387c  野球場で、ハクセキレイ。ネット越しに撮影しました。虫を捕まえていました。

Dsc09274c  九華公園では、上にも少し書きましたが、二の丸跡の南側の石垣が崩れたところの修理が、ほぼ終わっていました。昨日、修理が行われることになっていました。去年の11月から崩れ始めていたものが、7ヶ月経ってようやく修理されたのです(2021年11月19日:円通寺の大イチョウ……法盛寺で渡部平太夫の墓、顕本寺でもイチョウを見てきました)。その前に崩れたところの修理がいかにもテキトーでしたので(2020年2月10日:初雪、薄氷の中、ウグイスにカワセミ……九華公園の石垣修理は、どうもねぇ)、心配したのですが、今度は専門業者によってきちんと直されていました。

Dsc09610c Dsc09510c  左の写真は、京町のお宅にあるツバメの巣。ヒナは少し大きくなっていましたが、3羽しかいないようにも見えます(当初は、4羽がいました)。また、きちんと確認してきます。右の写真は、三崎通のお宅の巣。第1陣が巣立って、10日後くらいから巣の補修をするツバメが現れていました。今週の月曜までは、こういう姿は見られませんでしたが(2022年6月13日:コゲラとチュウヒ?)、今日は、親ツバメが巣に付いていました。第1陣とは別のツバメではないかと思っています。

Dsc09237c Dsc09239c  ところで、柿安コミュニティパークの駐車場にあるクチナシは、3月頃に剪定されてしまい(2022年4月22日:貝塚公園でセンダイムシクイ……「桑名城探訪」アプリの「まちあるき」をコンプリート)、今年は咲かないだろうと思っていたら、チラホラ花が付いていました。

Dsc09252c_20220616145901  九華公園では、イトランと思いますが、管理事務所の南で満開になってきています。それにしても、Googlレンズは便利です(微苦笑)。検索したあとは、植物のサイトで確認しています。

Dsc09402c_20220616145901 昨日の授業のQ&Aは、完了しました。いつもより1日早いのですが、学生諸君が書いたものは感想、コメントがほとんどで、質問はごく少数でした。そこで、質問にはきちんと説明を書きましたが、そのほかは、ほぼそのまま転記。ほかの学生たちが何を考え、感じたかを読むのも勉強になるという理屈です。明日は、梅雨の晴れ間という予報です。ありがたいが、暑くなるでしょうね。

2022年6月15日 (水)

梅雨らしい天気……志登茂川にはキンクロハジロ!

Dsc_6540c  梅雨入り2日目。雨のち曇りの予報でしたが、午後からも、雨雲レーダーには雨雲は映っていないのに、雨が降るといういかにも梅雨らしい天気。今日は、江戸橋での仕事の日でしたが、今シーズン初めて、雨に見舞われました。江戸橋駅から非常勤先に出勤するときは弱い雨。帰りは上がっていたものの、駅のホームで電車を待っていたら、霧雨。授業では、予定通り、DVDでカウンセリングの場面を視聴。今まで、話して説明していたことが、一目瞭然という次第。来週は、傾聴の演習を行いますので、今日の学習成果を思う存分発揮してくれると期待しています。

Dscn5398c Dscn5400c  授業を終えて、江戸橋駅までの途中、若干迷ったものの、やはり寄り道して、見るだけは見ていこうと思って志登茂川へ。ごらんのように、ほとんど何もいないように見えたのですが……。

Dscn5402c  よくよく見たら、黒っぽいものがいました。たぶんキンクロハジロのオス。シベリア方面から冬に渡って来ます。九華公園にもたくさん来るのですが、4月末には北の国に帰っていきます。何らかの理由で帰れなかったのかも知れません。ほかに見えたのは、カルガモ2羽。

Dscn5410c Dscn5408c  雨で写真もほとんど撮ってこず、何も話題がありませんので、以下は余談。江戸橋駅から非常勤先に行く途中、旧伊勢別街道に出ます。そこに極真空手の道場があります。「極真会館・本部直轄三重道場」の津道場ですが、そこにある飲料自販機。WONDAとありますので、アサヒ飲料の自販機ですが、極真空手バージョンなのです。

Dscn5424c  通勤に使っている近鉄の回数券カード。往きに使うのは、「パールカード11(普通回数券カード)」。通常の回数券で、10回分の料金で11回乗車可能。帰りは、「オフピークチケット(時差回数券カード)」。平日の10~16時)と、土曜日・休日に利用可能で、10回分の運賃で12回乗車できます。割引率は約16%。どちらもすでに9回分を利用。

Dscn5421c  ベランダ園芸、今日は、サギソウ。5鉢とも順調です。今日の仕事、帰宅後、出欠チェックは終了。Q&Aに着手。出席票をざっと眺めたら、質問は少なく、感想などがほとんどでした。ほかの学生たちが何を感じ、考えたかを読むのも勉強になりますので、今回は、学生の書いたものをほぼそのまま転記するつもり。

2022年6月14日 (火)

梅雨入り

0614cloud 0614amedas  中国、近畿、東海、北陸地方に梅雨入り宣言が出されました。東海地方は、平年では6月6日頃ですので、8日遅く、去年よりも1日遅い梅雨入りだそうです(こちら)。去年はもっと早かった記憶があったのですが(2021年5月16日:早くも梅雨入り……ベランダ園芸の近況も)、後から訂正されたというか、検討の結果、確定されたのが6月13日頃ということだったようです。記憶の上書きがされていなかったということ。予報では、明日の昼過ぎまでは雨。ということで、明日は、今シーズン初めて、雨の江戸橋になりそうです。

Img_5487c_20220614152201 Dsc_6537  散歩には行っておりません。朝の内は、日曜日の大垣ウォーキングの写真整理。900枚以上の写真を撮っていました。それが終わって、仕事関係のメールを1通書いて、所用に出かけました。ホームセンターで木ネジを購入。ついでに、ランドリーで今日の洗濯物を乾燥(苦笑)。ランドリーに付いていって、クルマで待っていた経験はあったものの、作業をしたのは、初めて。「何事も経験」であります(苦笑)。ボケ防止に良い効果もあるか知れません。

Img_5522c_20220614152201  「散歩生活ときどき仕事」などとうそぶいていますが、雨に弱いのが難点です。今日も「つまらないなぁ」とぼやいていたのですが、午後になって、外からイソヒヨドリのさえずりが聞こえてきました。拙宅マンショから道路を1本挟んだ南にある居宅介護&デイサービスの施設の屋根に来ていました。「救いの神」というか、「幸せの青い鳥」というか(微笑)。しばし楽しめました。

Img_5494c_20220614152201  万年青の様子。2本に1つずつ花が付いていましたが、花はクリーム色に変化し、その後は枯れてきた感じです。1本の方は、上に薄い緑色の部分があります。ここに実が付くのか? と思っていますが、何分にも花は初めてですので、分かりません。

Dsc09092c  もう少し明るい写真を最後に。昨日、西魚町も通ったのですが、そこにあるお宅にもノウゼンカズラがあり、咲き始めていました。

2022年6月13日 (月)

コゲラとチュウヒ?

Dsc09134c_20220613155001  昼過ぎまでは良く晴れていましたが、午後からは雲が広がってきました。明日は雨で、梅雨入りかといわれています。鬱陶しい季節は、やはり嫌です。今朝も、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、南魚町、田町、三崎通から堤原、参宮通、蓮見町と、6.3㎞。後半、いつもと違うあたりを回ってきました。そのわけは、後で。

Dsc08751c  三の丸水門あたりから、揖斐長良川の中州を見たら、葭原のすぐ上を猛禽類が飛んでいました。チュウヒのような気がします。最終的には、葭の中に降りて、見えなくなりました。

Dsc08855c Dsc08793c  今日は(も?)、鳥は少なかったのですが、九華公園ではコゲラを確認。この1羽のみ。ムクドリにちょっかいを出されていました。スズメもいたものの、全般に鳥の種類、数は少なく、張り合いなし。ほかに見たのは、ハシボソガラス、ムクドリ、カワラヒワ、ドバト、キジバトくらい。

Dsc08779c  久しぶりにアカミミガメが、産卵のために穴を掘っているところに遭遇。奥平屋敷跡の中央あたり。まだ、穴を掘り始めたばかりで、産卵までには相当時間がかかりそうでした。それ故、産卵を待たず、散歩を継続。

Dsc09045c Dsc09108c  京町のお宅のツバメの巣。ちょうど親ツバメが、餌を運んできたところも見られました。トンボを与えています。田町の商店の巣では、出戻りヒナが1羽いましたが、今日はもういません。一時的に帰ってきただけなのでしょう。右の写真は、三崎通のお宅の巣。修復作業は済んだのか否か、主は、先だって巣立ったツバメの親なのかどうか、疑問はありますが、卵が産まれたら、観察しましょう。

Dsc09113c_20220613155101  ところで、昨日、大垣で、船町川湊の跡を見てきました。昨日の予告編に「明治時代に入っても大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であった」と書きましたが、もちろん江戸時代にも、ここから桑名まで定期船が運航されていたそうです。桑名で、客船が着いたのが、美濃路にあった三崎御門あたりでした。今は、住吉入江として整備されたこのあたりが、そのための船着き場であったと思われます。奥に見えるのは、玉重橋と諸戸氏庭園。

Dsc09117c Dsc09123c  堤原から参宮通へは、北桑名神社に行きたかったからです。我が家の氏神様で、もう何度も訪ねていますが、先週のくわな市民大学郷土史学科の講義で、壬申の乱などの話題が少し出ました。ここ北桑名神社はそれに関わりがあるのです。もとは三崎神明社と称し、今一色各町内の氏神。創祀年代は不詳。明治41(1908)年、太一丸にあった「太一丸神明社」、宝殿町にあった「佐乃冨神社」を合祀し「北桑名総社北桑名神社」と改称しています。神社の由緒書きには、「壬申の乱(672年)が起こり大海人皇子は一族を連れて桑名郡家に、着き妻の菟野皇女(後の持統天皇)と幼い草壁皇子を桑名郡家に残し戦場となる不破へと向かわれ、戦いは大海人軍が勝利し桑名の地にもどられました。この間、菟野皇女は桑名郡家に滞在され、それが当社であると伝えられています。蒐野皇女に対する奉仕と功労により蒐野皇女より「硯と鏡」を賜り、社宝として当社に伝承されてきました」とあります。それ故、鳥居の脇に「持統天皇御𦾔跡」という石碑が建っています。

Dsc08968c  今週は、水曜日に江戸橋での非常勤。DVD視聴学習の予定。土曜は、会議が2つ。午後は、菰野町にある社会福祉法人の評議会、夜は、マンションの管理組合の理事会。まぁ、淡々と飽きもせず……のモットーで。

2022年6月12日 (日)

20220612水の都・大垣ウォーキング(予告編)

Img_4553c_20220612191101  昨日、天気があまり良くないという予報で、今日に延期した「大垣ウォーキング」に行ってきました。大垣は、水の都といわれますが、まさにその通りで、とても良いところでした。歩いた距離は、6.3㎞ほどでしたが、あちこちで資料館なども見て回り、現地で過ごしたのは、4時間半ほど。今日も同級生K氏と二人旅。今回は、いつも通り、予告編。

Ogaki0_20220620182901  こちらが今日歩いたルートマップ。養老鉄道大垣駅がスタート&ゴール。大垣城、郷土館、大垣藩校敬教堂跡、八幡神社、円通寺、奥の細道むすびの地、住吉神社、船町港跡・港灯台、船町道標、美濃路大垣宿本陣跡、大手門跡、堀抜井発祥の地、愛宕神社・岐阜町道標などを回ってきました。大垣の今日の最高気温は、28.1℃。風がかなりあって、思っていたよりも楽に歩けました。

Img_4559c_20220612191101  桑名駅を8時9分に出る養老鉄道大垣行きに乗車。9時26分に大垣駅に到着。今日は、冒頭の写真のように、1日フリー切符を購入。桑名~大垣は、普通に買うと片道¥830ですが、フリー切符は¥1,500です。往復では、¥160もおトク。9時30分にスタート。

Img_4719c_20220612191101  まずは、大垣城へ。美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4(1535)年に創建されたと伝えられています。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となりました。その後、戸田氏が10万石の城主となり明治まで続きました。天守閣は、昭和11(1936)年に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年7月、戦災で焼失。昭和34(1959)年4月、4層4階の天守が再建されました。麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれます。天守閣は、現在、資料館になっています。

Img_4738c_20220612191101 Img_4752c_20220612191101  こちらは、郷土館。戸田公入城350年記念事業として建設され、昭和60(1985)年10月に開館しました。
歴代大垣藩主戸田公の顕彰を中心に、大垣の歴史的風土を築きあげてきた先賢の美術品等が展示されています。ここには、右の写真のように、大垣の城下町のジオラマもありました。

Img_4778c_20220612191101  大垣藩校敬教堂跡。現在は、保健センターになっています。大垣藩第8代藩主・戸田氏庸(うじつね)が、藩士の子弟を教育するため、天保11(1840)年、大垣城籠の口門外(現在地)に学問所を設立し、後に致道館、敬教堂、学館と改称されています。このあたりから、水門川に沿って、遊歩道・四季の路を歩いて行きました。

Img_4803c_20220612191101 Img_4825c_20220612191101  その先に八幡神社。通称、大垣八幡神社。大垣市の総鎮守。建武元(1334)年、東大寺の荘園大井荘であった美濃国安八郡大井(現大垣市)に、東大寺の鎮護神である手向山八幡宮を勧請したのが始まりといいます。天文15(1546)年には、斎藤道三の兵火で焼失しましたが、慶長13(1608)年、幣殿、拝殿、舞殿が建てられ、正保4・慶安元(1648)年、大垣藩初代藩主・戸田氏鉄が再建整備しています。この再建を祝って始まった例祭が大垣祭といいます。境内には、平成16(2004)年に整備された新しい自噴水があり、地下125mから水が吹き出る井戸となっています。

Img_4883c_20220612191101 Img_4894c_20220612191101  旭光山円通寺。浄土宗のお寺で、大垣藩主戸田氏歴代の菩提寺です。慶長6(1601)年)に膳所藩主であった戸田氏鉄が膳所で建立し、その後、戸田氏鉄が元和2(1616)年、尼崎藩主となると尼崎へと移転しています。さらに寛永12(1635)年に大垣藩へ転封となった際に、大垣城の西側へ移されました。以降、歴代大垣藩主の墓所が設けられました。一部の藩主の墓所は蓮光寺にあったのですが、後にここ円通寺に分骨が行われています。また、多くの大垣藩家臣の墓所もあります。右の写真は、初代の戸田氏鉄の墓所。

Img_4954c_20220612191101 Img_4912c_20220612194501  四季の路は、水門川に沿った遊歩道で、様々な花木も植えられ、また、ところどころに芭蕉の句碑が建てられています。芭蕉の句は、奥の細道の旅で詠まれたもの。水門川は、寛永12(1635)年、戸田氏鉄により大垣城の外堀として築かれました。大垣城の外堀のみならず、揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割を持っていました。

Img_5063c_20220612191201 Img_5072c_20220612191101  奥の細道むすびの地です。江戸時代の大垣は、東西交通の要所として、また、東西文化の接点として、経済・文化が発展した地でした。元禄2(1689)年の秋には、松尾芭蕉が「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」と詠んで、水門川の船町港から桑名へ舟で下り、約5か月間の『奥の細道』の旅を終えています。右の写真で、向かって左が芭蕉、右は大垣の俳人である谷木因(船問屋)。

Img_5088c_20220612191101  ここには、奥の細道むすびの地記念館があります。芭蕉は、元禄2(1689)年3月27日に、弟子の曽良とともに江戸を出発し、東北・北陸地方を巡り、8月21日に大垣で「奥の細道」の旅を終えています。このとき、芭蕉46歳。距離にしておよそ2,400㎞、150日あまりにおよぶ生涯で最大の旅でした。この記念館は、平成24(2012)年4月にオープン。「奥の細道」の解説をはじめ、芭蕉の人となりや旅に生きた人生を紹介する「芭蕉館」、大垣の歴史や文化・芸術を築き上げた幕末の先賢の偉業を紹介する「先賢館」、大垣藩藩老・小原鉄心の別荘で、市指定文化財である「無何有荘大醒榭」などがあります。

Img_5117c_20220612191201 Img_5129c_20220612191201  水門川を挟んだ東側には、住吉神社(左の写真)や、船町港跡・港灯台(右の写真)があります。船町港は、水門川舟運の河港で、大垣城の城下町の物資の集積地として大変賑わった所です。ここに集められた物資は水門川を経由して揖斐川や牧田川で各地に運ばれ、逆に各地の産物が船町港から大消費地である大垣城の城下町にもたらされました。明治時代に入っても大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、物資や人の流れが多くたいへん賑やかな港であったといわれ、昭和初期には年間約1万もの船が行き来していたといわれています。

Img_5165c_20220612191201  このあと、先に進む前に、桃源山全昌寺へ。もとは、戸田氏鉄の室・大誓院がその叔父の戸田甚五郎(法名:徳翁全昌)の菩提を弔うため、摂津尼崎に建立した寺です。この寺は、戸田氏が大垣藩へ移された際に大垣で新たに創建されたものであり、尼崎の全昌寺は本院にあたります。尼崎全昌寺の住職であった照岩文鏡が大垣全昌寺の開山となり、大垣鷹匠町に創建されました。その後、慶安4(1651)年に現在地に移転。元禄元(1688)年、時の大垣藩主戸田氏定より50俵を与えられています。元禄5(1692)年、火災により灰燼に帰したのですが、5世住持の単伝清和の下で中興を果たしたものの、明治24(1891)年の濃尾地震で壊滅的被害を受けました。明治29(1896)年に本堂と庫裏を再建されましたが、昭和20(1945)年の大垣空襲によって再び伽藍が焼失。現在の堂宇はその後再建されたものです。

 水門川の東側に戻り、美濃路を歩きます。水都公園の近くに船町道標Img_5179c_20220612191201道標は、高さ約2mの円柱状の石製で、文政年間(1818~1830年)に大垣城下京口御門(西総門)の南、美濃路沿いに建立されました。その標面には「左 江戸道」・「右 京みち」とあり、さらに上部には旅人の道中の安全を願い梵字(種子)が刻まれています。第二次大戦で被害を受け、路傍に横たわっていたのですが、修復されたといいます。

Img_5225c_20220612191201  美濃路の途中に柿羊羹で有名なつちや(槌谷)の俵町本店があります。とても立派なお店ですが、こちらは、宝暦5(1755)年(薩摩義士による宝暦治水工事が完成した翌年)に、園助という人が「柏屋光章」という屋号で店を開いたのが始まりだそうです。柿羊羹は四代目右助という人が天保9(1838)年に、堂上蜂屋柿の濃密な甘味に注目して、これを羊羹の材料として利用して創製したといいます。

 美濃路大垣宿本陣跡Img_5247c_20220612191201美濃路は、中山道の垂井宿から、東海道の宮宿(名古屋市熱田)までの約57.5kmの街道です。ここ大垣宿の本陣は、永禄年間(1558~1569年)に創建されたとされています。明治11(1878)年には明治天皇が東海・北陸御巡幸の際に宿泊されており、「大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡」として大垣市の史跡に指定されています。この明治天皇の北陸・東海巡幸は、明治11(1878)年8月30日に出発し、東京から前橋・長野・新潟・富山・金沢・福井・京都・岐阜・名古屋・静岡をめぐって11月9日帰京するという、陸路72日間の大旅行だったそうです。

Img_5289c  本町に大垣城大手門跡があります。うっかりすると見逃しそうなところ。現在は、広峰神社が建てられていて、神社の東の水路がかつては、堀でした。

Img_5365c_20220612191201  大垣駅近くまで戻ってきました。平和通りに堀抜井発祥の地。天明年間(1781~1789年)頃まで大垣地方では、生活用水として各町の裏通りを流れる用水を利用していましたが、渇水期になると、大垣の三清水(西外側町、清水町、室町)まで汲みにゆくことになり、非常に不便でした。天明2(1782)年、こんにゃく屋文七が、川端に2m程の穴を掘りそこに5mの材木を打ち込み、その後へ節を抜いた青竹を力いっぱい打ち込んだところ、その竹の先からきれいな水が噴出してきたといいます。これはこれはと大層喜び、「これはの井」と名付けられたそうです。それ以来どこの家でも、自噴の井戸が掘られるようになり「井戸槽(いどぶね)」と呼ばれています。

Img_5379c Img_5382c_20220612191201  大垣駅のすぐ南東に、愛宕神社があり、その境内に岐阜町道標。 愛宕神社のご祭神は、軻遇突智神(かぐつちのかみ)。寛政6(1794)年に創建され、文化9(1826)年、火災に遭い近くにある文珠寺の北へ遷座したのですが、明治4(1871)、創建の旧地へ戻っています。岐阜町道標(ぎふまちみちしるべ)は、重要有形民俗文化財に指定されている道標。高さ3m余の角柱状の常夜燈で、文政5(1822)年、石工の中谷甚平光景が岐阜町から美濃路への南の出口に建立したものです。正面に「右きそ路」「左・京ミち」、左面には「北たにくミ道」とあるほか、道中の安全を願い、梵字(種子)が右面に8文字、左面の上部に1文字深く刻まれています。

Img_5395c_20220612191301 Dsc_6530c  以上で、今日訪れるところは、コンプリート。14時になっていましたので、何はともあれ、昼ご飯。大垣駅ビルのアスティ大垣へ。1階にある「おらが蕎麦」でちくわ天おろしそば(¥660)。調べてみたら、津駅にある津チャムの「信州そば処 そじ坊」と同じ会社(グルメ杵屋レストラン)でした。

Img_5408c_20220612191201 Img_5405c_20220612191201  お腹を満たしたあと、もう1つ重要なミッションがあります。土産を買わなければなりません(微笑)。朝、大垣駅をスタートした直後、狙いをつけておいた「金蝶園製菓総本家」へ。大垣駅の南。ここで、大垣名物水まんじゅうを買うことにしていたのです。大垣の水まんじゅうは、大垣の名水によって明治時代の初めに生まれました。冷たい地下水に漬けて冷やすよう、葛に水に強いわらび粉を混ぜ、柔らかく炊き上げた生地を陶器のお猪口に流して固めたものです。

Img_5455c_20220612191201  こちらが、今日の土産。こし餡のものと、向かって右は、「ミナモ」。岐阜県のキャラクターであるミナモをイメージし、水色(ソーダ餡)と黄色(レモン餡)がストライプ状になっています。

Img_5411c_20220612191301 Img_5414c_20220612191201  養老鉄道大垣駅には、14時40分にゴール。次の桑名行きは、15時6分発。桑名には、16時18分着。行きも帰りも、7700系の電車。東急からやってきたステンレス車両。

Img_5460c_20220612191201  今日の歩数は、19,089歩でした。現地で6.3㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞ですから、合計8.7㎞。まぁ、よく歩いた感じです。写真が950枚もあり、まだ全部をキチンとは見ていません。写真整理ができ次第、本編を書き始めます。

2022年6月11日 (土)

雨に降られた今日は「ヒナ・デー」……田町の商店の巣には出戻りヒナが1羽

Img_4356c_20220611114301  大垣へウォーキングに行く予定でしたが、雨の予報でしたし、桑名から大垣あたりにかけて雨雲がわいていましたので、明日に延期。明日の予報は晴れ。桑名では30℃になると予想されています。ウォーキングは延期したのですが、散歩の虫は抑えられず、早く行って早く帰ろうと、いつものように7時半から散歩へ。ところが、案の定というか、降られて帰ってきました(苦笑)。住吉神社から九華公園に行ったのですが、九華公園を回っていたら、ポツポツと雨が落ちてきました。やむなく、公園を1周して、京町、南魚町、田町、三崎通と4.4㎞、1時間あまりで帰宅。帰宅したらじきに雨は上がり、正午現在、降っていません。なんともまぁ間が悪いこと。

Img_4277c_20220611114401  桑名七里の渡し公園のところにコシアカツバメ。ここ数日、同じあたりで、普通のツバメよりやや大きい感じのツバメを見かけていましたが、それもコシアカツバメかも知れません。我が家あたりでは、コシアカツバメはたまに見かけます。江戸橋にある非常勤先では、昨年、非常勤講師控え室の前にコシアカツバメが巣を作っていました(2021年7月7日:コシアカツバメでした……江戸橋での仕事12回目)。

Img_4303c_20220611114401  七里の渡し跡の近くに、今年巣立ったツバメの幼鳥がいました。見ていたら、親ツバメがやって来て、餌を与えていました。先日も引用しましたが、巣立って2週間ほどは、親ツバメが餌を与えて、世話をするそうです(こちら)。ヒナは、巣立ってから2週間ほどたつと、親鳥から離れて、水辺のヨシ原などで、集団で夜を過ごすようになります。

Img_4328c_20220611114401 Img_4334c_20220611114401  九華公園には7時55分頃到着。誰も歩いていないかと思ったら、散歩&鳥見友達のYさんも来ておられました。雨が降るといけないということで、少し話をしただけ。鳥は少なく、スズメのヒナと、カワラヒワのヒナを見たくらい。

Img_4367c_20220611114301  途中で雨が落ちてきましたので、貝塚公園その他を回るのは諦め、九華公園から京町へ。いつものお宅で、ツバメの巣をチェック。ヒナ4羽は、元気でした。雨が降っていたので、親ツバメが餌を運んでくるシーンをとるのは断念。京町の呉服屋さんの巣は、一番仔が巣立ってからは、空いています。

Img_4387c_20220611114301 Img_4392c_20220611114301  田町の商店にある巣には、誰もいなくなったのを確認してから、角を1つ曲がって、三崎通のお宅にある巣を見てきました。昨日からさらに修復が進んでいるように見えました。この間巣立ちを終えたツバメとは別のツバメがやってきて、巣を使うような気がします。ここで、ちょっと気になって、田町の商店にある巣に戻ったら、なんと巣立ったはずの雛が1羽戻ってきていました。こんなことがあるんですね。ゆったりと巣に座っていましたので、すぐには飛び立つという感じはありませんでした。

Img_4405c_20220611114301  相生町にあるお宅で、ノウゼンカズラが咲き始めていました。ここは、寺町交差点のすぐ北で、三崎見附があったところ。毎年、このお宅のノウゼンカズラを楽しみにしています。去年、かなり剪定されたのですが、今年も花が咲き始めていて、一安心。

Img_4413c_20220611114301  拙宅マンション近くまで戻ってきたら、玉重橋あたりにツバメの幼鳥が3羽。時々、親ツバメがやって来て、餌を与えていました。今日は、「ヒナ・デー」です(微笑)。

Img_4498c_20220611114301

Img_4491c_20220611114301  オマケは、ベランダ園芸と、たまにはメダカ。万年青の花は、クリーム色から枯れてきた感じ。赤い実がつくはずというのを信じて、見守っています。サギソウは、おかげさまで順調です。

Img_4506c_20220611114301 Img_4502c_20220611114301  アサガオは、リング付き支柱に蔓が勝手に巻き付いて、伸びています。このままですと、去年のように、伸び放題でジャングル化しそうです。

Img_4482c_20220611114301 Img_4489c_20220611114301  メダカの写真は、ずいぶん久しぶりです。帰宅後、水を替えました。プラスチック製の睡蓮鉢1つと、100均ショップで買ってきた食品保存容器1つで、合計40匹くらいでしょうか。餌は食べて元気にしていますが、卵を産んでいないようです。いわば「無駄飯食い」。まぁ、われわれ年寄りと似たようなものです(笑)。

2022年6月10日 (金)

新しいパソコンは快適、快調なのですが、OneDriveには参った

220610amedas  Dsc08579c 明け方に大雨でした。三重県でも北部というか、桑名のあたりだけだったようで、非常勤先の助手の先生にQ&Aを送ったら、津の方は、曇ってはいたが雨は降らなかったという返事が届きました。ということで、午前中は散歩には出ずに、新しいパソコンのセットアップやら、これまでの様々なファイルの整理をしていました。

Dsc08583c  午後2時を過ぎて、散歩。いつもとは、違う順序で、三崎通、田町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、春日神社、春日町、住吉神社と4.6㎞ほど。三崎通のお宅にあるツバメの巣、昨日、親ツバメが座っていました(2022年6月 9日:カワセミを目撃したものの、写真は撮れず残念……田町の商店のツバメの巣では巣立ちが始まる)。今日は、巣の修復をしています。いったいどういうことでしょう? 昨日も書きましたように、ツバメは、2回目の繁殖をするのですが、巣立ってから2週間ほどは親から餌をもらうそうです。前回の巣立ちから10日ほどで巣の修復をするのは、あまりにも早い気がします。先日巣立ったヒナの親ツバメではなく、ほかのツバメがやって来て作業をしているのでしょうか?

Dsc08592c  一方、田町の商店にあるツバメの巣では、ヒナはいなくなっていました。残っていた3羽も無事に巣立ったものと思います。

Dsc08600c_20220610172001 Dsc08599c  江戸町にある歌行燈本店のアジサイ。そろそろ盛りといえるかも知れません。まさに多種多様なアジサイを育てておられ、しかもきちんと手入れされていますので、いつ見せてもらってもきれいで、楽しませてもらえます。

Dsc08616c  九華公園には、14時40分頃到着。午後から来ることはほとんどありません。花菖蒲を見に来られたと思われる方々がそれなりにありました。誰も知り合いはいないだろうと思ったら、散歩友達のSさんに遭遇。ほかにも、いつもすれ違って挨拶だけする方も。皆さん、午前中に歩けなかったので、私と同じように午後から来たということでした。

Dsc08610c_20220610172001 Dsc08618c  野鳥はいません。スズメ、ドバト、ムクドリくらい。そのほかには、ハクセキレイのオスと、カワウ。ハクセキレイは、相撲場近くの堀端にて、カワウは奥平屋敷跡にあるステージの裏で。

Dsc08629c  京町にあるお宅のツバメの巣。6月7日の火曜日にヒナが孵っているのを見つけました(2022年6月 7日:強風の1日……美白スズメ2号を見つけ、イソヒヨドリはごちそうにありつき、浄土寺で昨日の講座の実地見学)。ヒナは皆、元気そうでした。

Dsc08641c Dsc08643c  春日さんへは、石取祭の祭車順番表を見てこようと思って、立ち寄ってきました。6月5日の日曜に「御籤占式」が行われ、渡祭の順番が決まったのです(こちら)。今年の祭りは、8月6日(土)に試楽、7日(日)に本楽が行われます。参加する町内は、27とこれまでより10町内ほど少なくなっています。いつもなら田町で行われる曳き別れもないそうです。

Dsc08657c Dsc08662c_20220610171901  あちこちウロウロしていますが、春日町にある美容院のところのアジサイも見てきました。ここのアジサイは、カラフル。数年前に散歩友達の女性に教えていただいてから、毎年1回は見ています。

Dsc08679c Dsc08581c  まとまりませんが、諸戸氏庭園の主屋の修復工事が終わったようで、覆いが外されていると書きました。規模が大きいだけに、取り外すのにも時間がかかっています。今日は、こんな風でした。

Dsc08654c  ところで、新しいパソコンは、快適です。SSDで起動が速いのです。あっという間に起動しています。アプリなどは、古いパソコンで使っていたものとほぼ同じ状態になりつつあります。ファイルは、バックアップしていたものをチェックし、不要と見なしたものは消してしまい、新しいパソコンのドキュメントフォルダにコピーを終えました。が、ここで1つだけ、予想外のことが生じ、いささか立腹しています。というのも、MicrosoftのOneDriveと勝手に同期し、パソコンにあるデスクトップ、マイドキュメント、マイピクチャを勝手にOneDriveにコピーしたのです。その上、「まもなくファイルの同期が停止する可能性があります。ストーレジがいっぱいです」という表示が登場。「OneDriveがいっぱいになるので、有料でストーレジを購入するように」という意味のメッセージが出てきます。勝手にそういう仕様にしておいて、ストーレジを買えというのでは、だまし討ちに遭った上に、押し売りされているような気分。強欲の現れかと勘ぐったりもしています。エクスプローラーにあるOneDriveには、赤いバッテンがついていて、新品のパソコンなのに、それも気分を害する要因になっています。設定などから、同期を停止するべくトライしていますが、今のところはうまくいっていません。

 明日は、大垣へウォーキングに行く予定ですが、曇り後時々雨の予報。微妙です。せっかく出かけるからには、好天がいいですねぇ。

2022年6月 9日 (木)

カワセミを目撃したものの、写真は撮れず残念……田町の商店のツバメの巣では巣立ちが始まる

Dsc08104c  今日も良く晴れました。最高気温は、26.6℃とさほど暑くはありません。朝一番に家事を済ませ、8時過ぎから散歩へ。住吉神社、九華公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店、常盤町、老松公園、寺町、田町、三崎通と5.8㎞。途中、知人と出会って30分以上もしゃべっていましたので、11時過ぎ帰宅。

Dsc08214c  三の丸公園でシジュウカラを見たものの、写真は撮れませんでした。柿安コミュニティパークの西の高水敷のところで、ヒバリが2羽。揚げひばりです。ここは、先日、草刈りが行われましたので、ヒバリがいるだろうと時々見ていました。ようやくヒバリに出会ったという次第。ほかには、スズメ、ムクドリ。ツバメも餌をとりにたくさん飛んできます。

Dsc08370c Dsc08438c  九華公園には、8時半前に到着。静かです(苦笑)。スズメ、カワラヒワ、ムクドリなどがいます。奥平屋敷跡でコゲラを久しぶりに見ました。なかなか条件の良いところには来ず、証拠写真。さらに、カワセミも来たのですが、こちらは証拠写真も撮れず、見ただけでオシマイ。残念至極。ケリが上空を通過していきましたが、九華公園には、降りてきません。何もいませんので、仕方なく、カワウの写真。ミドリガメも写っています。野球場の南のところにて。

Dsc08409c_20220609170401  しばらく前から飛んでいましたが、写真を撮ったのは、今シーズン初めて。ウチワヤンマ。腹部の先端に、うちわ型の突起を持つ、大きなサナエトンボの仲間。私のお気に入りのトンボ。朝日丸跡の北側にて。このほか、コシアキトンボも飛んでいますが、なかなか撮れません。このあと、知人に出会い、即席スマホ講習会(微苦笑)。散歩友達の中では、詳しい方のようで、時々使い方を聞かれます。今日は、あの「桑名城探訪」アプリについて(2022年4月21日:鳥は少なかったので、「桑名城探訪」アプリで遊ぶ)。

Dsc08482c Dsc08503c  京町にあるお宅のツバメの巣。ヒナは4羽でした。いつもより時間が遅くなってしまいましたので、親ツバメが来るまでは待ちませんでした。右の写真は、田町の商店にある巣。おとといまでは、ヒナ5羽がいましたが、今日は3羽のみ。この2日の間に2羽は巣立ったのでしょう。いつぞや常盤町でツバメの雛が巣立ちそうになっているのを1時間くらい見ていたことがありますが、一斉に巣立つのではありませんでした。

Dsc08550c  さらに、念のためにと思って、三崎通にあるお宅の巣を見たら、親ツバメが座っていました。ここの巣では、5月30日に一番仔の巣立ちが始まり(2022年5月30日:三崎通のお宅のツバメの巣では、巣立ちが始まっていました)、翌日には見ないなくなっていました(2022年5月31日:御坊さんで菩提樹の花が咲き始めました……ホオジロの親子も)。ツバメは、2回目の繁殖をするのですが、巣立ってから2週間ほどは親から餌をもらうそうです(ツバメの子育て状況調査2013~2015 結果報告)。前回の巣立ちから10日ほどというのは、あまりにも早い気がします。ちなみに、市立博物館の巣には、今年はツバメは来ていません。京町の呉服屋さんの巣には、その後、ツバメは来ていません。

Dsc08454c  午後、15時30分からは、市役所の会議。Zoomで行われたのですが、たぶんホスト側の接続が不安定で、音声が途切れがちでした。不安定の原因は、インターネット接続の帯域が狭くなってしまったためと思われます。出席者が皆、いったん退出して15分後に再開となったのですが、多少改善したくらいでした。オンライン会議は、便利なのですが、こういうことがあると困ります。

Dsc08451c  オマケ。アガパンサスが咲いてきました。九華公園の外周遊歩道の東にあるお宅にて。涼しげな感じがして、暑い中を歩いているとホッとします。今日は、拙宅マンションでちょっとした修理工事もあり、それを確認してきたり、Zoomでの会議もあったりで、昨日の授業のQ&Aがはかどっていません(苦笑)。まだ1/3くらい。気合いを入れないといけません。

2022年6月 8日 (水)

江戸橋での仕事は中間地点を通過……パソコンのその後

Dscn5365c  最高気温は、桑名で28.3℃になりましたが、午前中は、北寄りの風が吹いて、暑くはありませんでした。予定通り、江戸橋での非常勤の授業の第8回目。いつものように、8時40分発の五十鈴川行き急行で出勤。授業を済ませ、津駅まで行って本屋に立ち寄り、津駅発12時56分の名古屋行き急行に乗って帰宅。今日で8回目の授業を終えましたので、中間地点を過ぎました。

Dscn5377c  今日の授業は、カウンセリングの重要概念についてで、特に大切な内容でしたが、出席率は前回の92%から86%へとやや低下。来週は、DVDでカウンセリングの場面や、実際のやりとりを見聞きして確認。再来週は、いよいよ傾聴についての演習と、授業も佳境に入っていきます。学生の皆さんにもしっかりとやってほしいところです。

Dscn5381c Dscn5363c  授業を終えて、来週のDVD視聴に備えて、プレイヤーとプロジェクターの接続確認をすませ、さらに、質問に来た学生さん一人に対応して、12時15分くらいに非常勤先を出ました。今日は、四日市港潮汐表によれば、12時4分が満潮でしたから、志登茂川はパス。江戸橋駅12時35分の普通電車で津駅へ。駅ビルチャムにある別所書店に。昨日、アピタ桑名店ではまだ入荷していなかった文春文庫の今月の新刊2冊と、ほかに新書を1冊購入。チャムの2階で食事をしようかとも思ったのですが、そのまま帰宅。昼食を済ませ、出欠確認をしたところ。もうしばらくしたら、Q&Aに取りかかろうと思っています。

Dscn5387c Dscn5385c  ほかにネタがありませんから、ベランダ園芸の様子。万年青の花は、ごらんのような状況。クリーム色に変わった後、花が少し縮んだような印象。何分にも実際に万年青の花を見るのは、初めてですから、よくわかっていないというのが、正直なところ。実がなるのか、ちょっとドキドキしています。

Dscn5390c Dscn5396c  5月11日に届いたサギソウは(2022年5月11日:2週間ぶりの江戸橋での仕事……サギソウが届きました)、5鉢すべてが順調です。アサガオは、適当に間引き、リング支柱を立てましたが、蔓がだんだんと伸びてきて、支柱に勝手に巻き付いてきました。またもや、去年のように、放置してジャングルのようになるかも知れません。

00000008676046_a01  ところで、おととい、デスクトップパソコンが壊れた話を書きました。心配して、ご助言もいただき、感謝しています。壊れたパソコンは、長期保証の期間中ですので、修理を依頼することにします。ただ、修理には時間がかかりますので、その間、不便になります。そこで、販売価格なども相当に考慮した上で、Windows11にアップグレード可能で、SSDが搭載されている、Windows10のデスクトップPCを買うことにしました。同じ富士通のESPRIMO FH56/E3(FMVF56E3LB)という機種をビックカメラで見つけ、これが第一候補。富士通のパソコンがなんとなく好きで、また、最近は、ビックカメラばかり利用しています。SSD搭載機種の起動スピードの速さは、Let's noteで十分体験しています。古いパソコンの修理ができたら、それは家内の実家にでも持っていき、向こうに行ったときに使うことにしようと思っています。という次第で、節約生活に励まねばなりません。

2022年6月 7日 (火)

強風の1日……美白スズメ2号を見つけ、イソヒヨドリはごちそうにありつき、浄土寺で昨日の講座の実地見学

Dsc07669c  天気は良くなったのに、1日中強風。最大風速は、8.7m/sとアメダスのデータにありますが、諸戸氏庭園の工事現場の吹き流しは真横に流れていました。10m/s以上吹いていたに違いありません。風のせいか、気温は上がらず24.9℃。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店、寺町、田町、浄土寺と6.9㎞を歩いてきました。浄土寺は、昨日の市民大学ゼミナール郷土史学科で聞いたことを確かめに行ったのです。

Dsc07634c  桑名七里の渡し公園のところで、イソヒヨドリのメス。写真は、ご注意ください。カナヘビ(ニホンカナヘビか?)を捕まえて咥えているところです。見つけたときには、すでにカナヘビを咥えており、振り回して、地面似たたき付け、弱らせている最中でした。この後、カナヘビを咥えたまま、どこかへ飛び去っていきました。ごちそうをゆっくり味わうということではないと思いますが……。

Dsc07661c  住吉神社の前で、カワラヒワ。しばらくあまり見なかったのですが、またボチボチと散歩コースのあちこちに出てくるようになりました。船津屋から山月の裏手で、ホオジロのオスとメスを見たのですが、写真は撮れませんでした。このあたりでよく見ます。縄張りにしているのかも知れません。

Dsc07757c  揖斐川の右岸の高水敷の草刈りが行われましたので、ヒバリなどがいないか見て回りましたが、ムクドリと、ツバメが飛んでいるだけ。柿安コミュニティパークの桜の木に、やたら白っぽい鳥。スズメの幼鳥のようです。ずっと以前「美白スズメ」と名付けたスズメが我が家近辺にいましたが((2015/11/21:アオサギの飛び姿、“美白スズメ”、ノスリ(?)、そしてクルマ好きのジョウビタキ……照源寺では、紅葉とツグミ、シロハラも;2015/11/24:美白スズメとユリカモメ、再び、ハシビロガモも脱エクリプスの途中か?……キタキチョウもいました)、いわばその第2号(美白スズメ2号)。向かって左に普通のスズメの幼鳥も写っています。

Dsc07776c Dsc07842c  九華公園では、今日もまた、とくにこれという鳥はいません。スズメの幼鳥は、公園のあちこちにいます。すでにエサをもらっている姿は見られず、皆、自立したようです。ツバメの幼鳥も1羽。親鳥2羽とともに、野球場の近くのワイヤーで休んでいました。

Dsc07886c  京町のお宅のツバメの巣を見て、びっくり。親が不在のことが多かったのですが、今日言ってみたら、ヒナが3羽、孵っていたのです。田町の商店や、三崎通のお宅でも、私が見に行くと巣には親鳥がいないことがよくありました。親自身がエサでも採りに行っていたのかも知れませんが、ずっと抱卵しているとは限らないのでしょう。

Dsc07928c Dsc07983c  こちらは、田町の商店にある巣。5羽とも元気で、巣からあふれそうなくらい大きくなってきました。これは、巣立ちも近そうです。巣立ちを見られることはなかなかありません。明日は江戸橋での非常勤に行きますが、その間に巣立ってしまうかも。親鳥は、エサを運んできて、向かって右端のヒナに与えていたのですが、なかなか口に入らなかったようで、隣とその隣のヒナが、「自分にくれ!」とばかりに接近していました。

Dsc08045c Dsc08057c  この後、袖野山浄土寺へ。西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)のお寺。昨日のくわな市民大学ゼミナール郷土史学科で、ここの話を聞き、今まであまりはっきりと意識していないことがありましたので、それを確かめに行ったのです。

Dsc08061c  ここには、本多忠勝公の本廟があることはよく知られています。ただし、昨日も書いたように、本多家の菩提寺ではありません。菩提寺は西岸寺で、これはいまは岡崎にあります。もともとは、本多忠勝公がなくなられたとき、ここに諱からとって、西岸寺という寺を建て、菩提寺にしたのですが、2代・本多忠政公が、元和3(1617)年、播磨国姫路に転封されたとき、菩提寺の西岸寺も姫路に移りました。その跡地に、浄土寺が移転してきたのです。その際の条件に、本多忠勝公の廟所を守るということがあったとか。

Dsc08076c Dsc08074c  確かめたかったことの一つは、忠勝公の墓所の手前(南側)に、梶勝忠(左の写真)、中根忠実(右の写真)の二人の墓があり、それらは、互いの墓が向かい合って建っているというのです。

Dsc08070c_20220607161701 Dsc08067c  向かい合って建っているところを写真に撮るのは困難ですが、左の写真は梶勝忠の、右の写真は中根忠実の墓をそれぞれ入れて、本多忠勝公の廟所を撮ったもの。奥に見えているのが、忠勝公の廟所(本来は、上屋に覆われていたと思われます)。殉死をしたのであれば、主君の墓のそばに並んで墓が建てられるのだそうですが、そうはなっていません。その理由には、①当時存命であった徳川家康が、殉死を禁じていた、②梶、中根の両社は、本多家のもともとの家臣ではなく、本多忠勝が大多喜に封じられたとき、家康から付けられた家臣(御付人)であったからなどが考えられるといいます。

Dsc08059c  もう一つの確かめたかったことは、こちらのお墓。「贄氏目阿弥之墓(にえしもくあみのはか)」の存在。確かそういう墓があったなというくらいの認識でした。桑名に贄左京進という豪家があり、出家して目阿といいました。宝治元(1247)年10月に頓死しました。その頃、この近辺の人が、関東からの帰り道、箱根山で日が暮れてしまったとき、忽然とこの贄氏が現れ、今月7日になくなったのだが、冥界の苦痛が耐えがたいので、所領の芦野を三崎の地蔵尊(浄土寺)に寄進して、住職に弔ってくれるよう依頼したといいます。贄氏である証拠に、衣服の片袖を引き裂いて渡しました。その人が桑名に戻って、妻子にそのままを語り、証拠の片袖を見せたところ、棺の中にある衣服の片袖であったといいます。驚いて、地蔵尊参詣し、道観上人にお願いして、追善をしたと出て、「私は今こそ、浄土に往生できた」といったという話が、「久波奈名所図会」に載っています。その贄目阿弥の墓がこれなのです。講師の大塚先生は、桑名に残るもっとも古い墓ではないかとおっしゃっていました。「ひびが入っているから、触ったらダメよ。見るだけ」とも(微笑)。

Dsc07903c  明日は、江戸橋での非常勤の8回目。明日で、折り返し地点を通過できます。晴れの予報でありがたい。

2022年6月 6日 (月)

デスクトップPCが壊れました

Img_4247c_20220606163401  未明から明け方にかけてよく降りました。関東・甲信地方は梅雨入り宣言が出されましたが、東海地方はまだだとか。しかし、今週半ば以降は、すっきりしない天気予報になっています。さて、今朝、とんでもないことが起きてしまいました。パソコンが起動しなくなったのです。この富士通のパソコンをベースにしたエディオン・オリジナルモデルのデスクトップ(FMV77BK1KG)をメインに使っていたのですが、この画面から先に進まず。何度繰り返しても同じ。5年前の9月に購入したもの(2017年9月29日:神出鬼没のアオサギ(笑)……新しいパソコンをゲットしてしまいました(苦笑))。5年弱というのが、長いのか短いのか、よく分かりませんが、酷使していましたから、やむを得ません。リンク先の記事には、「非常勤講師の給与の前期分以上をはたいた」と書いていますが、それを5で割れば、1年3~4万円くらい。よく使ったから、まあいいかという気もします。ハードディスクが壊れたと思われます。エディオンの長期保証の対象期間中ですから無料で修理はできるのですが、ハードディスクが壊れたとなると、アプリケーションやデータはぶっ飛びます(データは、毎朝8時にバックアップをとっていますので、大丈夫。写真は、RAIDを組んだディスクに保存してありますから、これも大丈夫)。現在は、とりあえず、中古で買ったPanasonicのCF-SZ5を代わりに使っています(2019年8月30日:散歩に行くも降られ2.4㎞……ハイキング用品ゲットと、パソコン入れ替えの話)。3月にSONYのデジタルカメラ(RX-10)を買ったばかりで懐具合は寂しいのですが(2022年3月3日:お試し中)、デスクトップがないのはいかにも不便。新しくして、節約生活をしようと考慮中。

Img_4265c  雨でしたから、散歩には行っておりません。午後は、市民大学ゼミナール郷土史学科へ。今日は、2回目。「久波奈名所図会」を中心に桑名の史跡を深掘りするというテーマ。今日は、我が家に近いあたりのお話でした。浄土寺、袖野、水主町、三崎御門と三崎御番所。山田彦左衛門といった内容。

Img_4268c_20220606163701 Img_4262c  浄土寺は、我が家のベランダからすぐそばに見えます。本多忠勝公の墓所があります(ただし、菩提寺ではありません。菩提寺は西岸寺で、これはいまは岡崎にあります)。袖野は、今の諸戸氏庭園の御殿あたりにあった地名、水主町は、時代によって場所が移っていますが、諸戸氏庭園の東西に2カ所、三崎御門・御番所は、三崎通の住吉入江南端あたりにありました。山田彦左衛門は、江戸時代の桑名の豪商で、その隠居所の跡が、現在の諸戸氏庭園です。また、閑を見て、資料をスキャンし、内容をまとめることにします。

Dsc_6517c  冒頭に書きましたように、デスクトップPCが壊れましたので、写真のレタッチソフトや、メーラー(Thunderbird)が吹っ飛びました。写真はネットの無料サイトでトリミングやリサイズをしています(明るさ、色の調整は不可で、ちょっと見にくくなっています)。メーラーもダメになりましたので、アドレス帳、これまでのメールも消滅していますが、すべてG-mailに転送して管理していますので、交友のある皆様のメールアドレス、これまでのメールは、手間暇をかければ、G-mailから探せます。

2022年6月 5日 (日)

貝塚公園でコゲラ2羽

Dsc07145c  夜中から雨という予報ですが、昼過ぎまでは晴れ間もありました。最高気温は26.6℃ですが、多少湿度がある感じ。朝は、家事を済ませ、8時から散歩。住吉神社、七里の渡し跡、江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、寺町、田町と5.6㎞ほど。2時間半コース。冒頭の写真は、九華公園の近くのお宅のアジサイ。

Dsc06858c  船津屋さんの裏手で、ホオジロのオス。この近くにもう2~3羽いましたので、ファミリーでいたように思います。

Dsc06874c_20220605150601 Dsc06882c  江戸町では、歌行燈本店のアジサイ。多種多様のアジサイが、かなり良く咲いています。ほぼ見ごろといって良いでしょう。

Dsc06902c Dsc06932c  九華公園では、散歩する人も多くはありませんでした。散歩友達も、前管理人のOさんにお目にかかっただけ。スズメのヒナはあちこちにいます。今日は、カワラヒワをいつもより多く見かけました。右の写真のカワラヒワは、タンポポの綿帽子を咥えたところ。

Dsc06938c Dsc07027c  吉之丸堀の上空を通っている電線には、巣立ってきたツバメのヒナ。1羽だけ。しばらくここに泊まっていたので、様子を見ていましたが、親はやって来ず。ヒナも飛び立って、野球場の方へ去って行きました。九華公園の上空にトビが3羽。トビがどのくらいの高さを飛ぶのか、ちょっと調べたら、こちらに最高213mであったというデータがありました。

Dsc07125c  九華公園では、毎年今頃、ミドリガメが産卵のため上陸して来ますが、今年はあまり見かけません。カラスに食べられたと思われる卵の殻が散乱しているのは見ましたので、産卵には来ているはず。左の写真のミドリガメは、鎮国守国神社の境内で見ました。ここまで上がってくるのは、産卵のためと思います。

Dsc07260c_20220605150501 Dsc07298c  貝塚公園で、コゲラ2羽を目撃。これら2枚は、同じ個体。嘴に黄色い部分があるように見えますので、今年巣立った幼鳥かと思います。右のポーズは、アクロバティックな体勢で背伸びしていましたが、何をしているのでしょう。

Dsc07344c  こちらは、何か食べ物を見つけたようです。

Dsc07479c Dsc07487c_20220605150501  ツバメの巣も見てきましたが、京町のお宅の巣は、今日も不在でした。これらは、田町にある商店の巣。ヒナは5羽が、元気にしています。

Dsc07422c  寺町の常信寺でも、菩提樹の花が咲き始めました。御坊さんとは数10mしか離れていないのに、咲き始めは数日違いました(2022年5月31日:御坊さんで菩提樹の花が咲き始めました……ホオジロの親子も)。

Dsc06888c  ところで、今週は、明日は市民大学郷土史学科の講義。水曜は江戸橋での非常勤の授業、8回目。木曜午後には市役所の会議がオンラインであります。土曜は、大垣へウォーキングに行こうと計画しています。

2022年6月 4日 (土)

長良川河口堰でササゴイ……コアジサシはゼロ【追記あります(6/5)】

Dsc06574c  今日までよい天気だそうです。最高気温は、27.6℃。朝、家事をしていて遅くなったのですが、いつもと違うところ、また、オオヨシキリを見たいと思い、長良川河口堰へ。8時25分から1時間20分ほど滞在。帰りには、上之輪新田に寄ってきました。

Dsc05852cDsc05871c  長良川河口堰、結局、鳥はあまりいませんでしたが、比較的珍しい鳥にも遭遇しました。それは、ササゴイ。河口堰にごくたまにいますし、柿安コミュニティパーク西の堀で見たこともあります。左岸側の下流魚道にいました。もう少し下流側には、アオサギ。

Dsc05891c Dsc05913c  途中、管理橋ではハクセキレイを4羽ほどと、スズメ多数。西側の閘門のところにもアオサギ。ダイサギもいたものの、逃げられました(右の写真)。西側の閘門、魚道にいたのは、これだけ。

Dsc05943c_20220604135601  十万山の方にオレンジ色の柱が立っています。その上にアオサギ1羽と、川にダイサギらしき姿が2羽。今日は、本当に鳥が少ないのです。コアジサシも、今日は、目撃ゼロ。4月の終わりに10羽ほど、前回は2羽でした。

Dsc06035c Dsc06025c  親水広場では、アユの孵化試験を行う水路のところで、ハクセキレイの親子。ヒナは2羽。左の写真で、雑草の陰に1羽がいます。ヒナを連れていたのは、オスのハクセキレイ。あちこち、飛び回っていました。

Dsc06099c  親水広場の北端、伊勢大橋の架け替え工事が行われていたところにコチドリが1羽。他にもいないか、探したものの、この1羽だけでした。

Dsc06179c Dsc06252c  親水広場の西側、揖斐長良川の中洲に面したところで、オオヨシキリを探したのですが、声はすれども姿はなし。ただし、今日は、あまり鳴いていませんし、鳴いていたとしても遠くで。その時、目の前に何か出て来たのですが、これは、ホオジロのヒナ。単独で行動していました。2枚の写真は、同じ個体。

Dsc06483c_20220604135501 Dsc06545c  管理橋を渡って、東側へ戻ろうとしたら、西側の魚道上流側にダイサギ、閘門下流側にコサギ、それぞれ1羽。という次第で、目的であったオオヨシキリは見られず、コアジサシもやって来ずでした。

Dsc06540c Dsc06516c_20220604135501  ところで、管理橋の西から揖斐川の右岸の河川敷を見たら、こんな光景が展開されていました。といっても、左の写真では小さすぎて分かりませんが……。もう少しズームアップすると、右の写真の通り。自衛隊の車両や、テントが見えたのです。テントの前には自衛隊員と思われる方も写っています。

Dsc06528c Dsc06535c  車両が止まっているところをさらにズームすると、ダンプカー、普通のトラック、幌付トラック、赤十字マークのついた車両、さらにジープも止まっています。少し離れた、伊勢大橋西詰交差点近くには、クレーンのような重機もあります。何かの演習でもするのでしょうか?

Dsc05996c Dsc06002c  車両が止まっているところの下流側には、これらのテントや、仮設トイレ、タンク車も見えていました。いつもと違う、珍しいものがあるときになるのです(苦笑)。

Dsc06610c  上之輪新田は、全面的に田植が行われていました。それもつい最近という感じ。家内の実家方面ですと、飯米ではなく、米粉を取るための田植は今頃行われますが、このあたりはどうなのでしょう。全面的にと書きましたように、今年は休耕田はありません。4年前、コスモス畑が出現しましたが(2018年10月18日:上之輪新田のコスモス再チャレンジ……河口堰で魚道観察室からコサギ撮影、木曽川へも、2018年10月19日:九華公園にハシビロガモ飛来……3日連続でコスモス畑、近鉄特急「しまかぜ」とのコラボ写真)、それはなさそうです

Dsc06614c  アオサギを遠くに見つけ、クルマを止めたのですが、その途端に逃げられました。神経質で、逃げ足の速いこと。

Dsc06662c Dsc06702c  さらに、驚いたことに、ケリを合計9羽も目撃。5羽と4羽との2つのグループであったように思います。中央の道路を往復して、眺めてみたものの、巣はありませんでした。すでに大きくなった幼鳥を連れているのでしょうか? 威嚇はしてきませんでした。あれこれ想像はするものの、実際、どうなのかは不明。

Dsc06682c  今年は、ケリの巣や、ヒナを見るのは、すでに時期的に難しそうです。

Dsc06707c Dsc06792c  上之輪新田に行くと、俄撮り鉄になります(微笑)。今日は、機関車の赤熊(レッドベア)と、特急ひのとり。

【追記(6/5)】 揖斐川右岸では、今日、92式浮橋を用いて渡河訓練が行われたそうです。92式浮橋があるのは、宇治市にある大久保駐屯地の第4施設団という話を聞いて、調べて見たら、令和2年6月1~5日には、津市の雲出川で「渡河訓練」を実施し、中部方面隊の各施設科部隊が参加し、機能別訓練及び総合訓練を実施し、渡河作業の練度を向上させたとありました(こちら)。同様の訓練だったのかも知れません。

2022年6月 3日 (金)

モズに遭遇……ツバメのヒナのマル秘写真も

Dsc05340c  真夏日になりました。朝、散歩に出た頃は22~23℃くらいで楽だったのですが、9時半頃には暑くなってきました。この頃、25℃を超えていました。最終的には、31.8℃。7時半から、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、アピタ、常磐町、常信寺、御坊さん、寺町、田町と6.9㎞。アピタでは新光堂書店に行って、何かおもしろい本はないかと探したのですが、これはというものは見つからず。

Dsc05513c  ちょっと季節はずれと思うのですが、九華公園でオスのモズ。管理事務所近くの松の木のてっぺんで鳴いていました。遠くからもよく聞こえ、神戸櫓跡あたりで気づいて、探しに行きました。

Dsc05360c  鳥は相変わらず少ないのですが、スズメのヒナはあちこちで見かけます。三の丸水門のところで、スズメの親子連れ。向かって左の2羽がヒナ。親スズメは、何となく疲れた様子にも見えます。

Dsc05346c Dsc05543c  スズメの親が巣立ったヒナを世話するのは、10日ほどだといいます。もう独り立ちしたというか、独り立ちさせられたというか、単独行動をしているヒナもよく見るようになりました。左の写真は、船津屋の裏手の揖斐川の堤防にて、右の写真は貝塚公園にて。

Dsc05454c Dsc05458c  九華公園では、ヒョッとしたら今シーズン初めて、カワラヒワのヒナを見ました。手前に親、向こうにいるのはヒワと思います。昨年などは、5月頃から九華公園でカワラヒワのファミリーをよく見たのですが、今年はなぜかサッパリ。カワラヒワそのものを見る機会が減っていました。

Dsc05404c  その九華公園では、ハクセキレイのヒナもやって来ました。昨日も遠くにメスか、日中のどちらかがいたのですが、このヒナだったのかも知れません。

Dsc05554c  さて、散歩コースで現在、親が巣に就いていたり、ヒナがいたりするツバメの巣は、2箇所。左の写真は、京町のお宅の巣ですが、最近は、私が見に行ったときは、親ツバメがいないので、どうなっているのか気になります。

Dsc05739c  こちらは、田町にある商店の巣。昨日は4羽しか見えず(2022年6月2日:ムシクイに遭遇……鳥はやはりいません(苦笑))、心配しましたが、5羽揃って元気でした。この写真では、まん中にいるヒナが、エサにトンボをもらったところ。5羽いるのが、確認できます。

Dsc05653c Dsc05660c  この巣でしばらくツバメのヒナたちの様子を見ていたら、1羽が左の写真のようなポーズに。「これは!」と思ったら、やっぱり(苦笑)。右の写真をよくご覧ください。お尻の穴から白い物体が出かかっています(失礼)。

Dsc05663c  こちらは発射直後の写真。白い物体は、お尻を離れ、巣の手前を通過中。

Dsc05487c_20220603164401  ところで、ここからは花。九華公園の花菖蒲。これは、本丸跡の菖蒲園のところ。今年は、こんな感じです。先頃補植したハナショウブの苗には、花芽が出ているものもありますが、それはかなり少なめ。

Dsc05575c_20220603164401Dsc05579c  常信寺で見たキンシバイ(金糸梅)。ここは、花木にすべて名札がつけてありますので、私にもよく分かります。オトギリソウの仲間だそうです。常信寺には、アジサイも各種あります。ボダイジュもあるのですが、ここのものは、まだつぼみ。

Dsc05829c Img_4243c  昨日訪ねた諸戸氏庭園では、平成22年度から修復工事が続いています。最近は、主屋の辺りの工事が行われていたのですが、一昨日も書きましたように(2022年6月 1日:屋上からの眺め)、その工事現場の覆いが外されてきています。覆いが外されるということは、主屋の修復工事も終わるのでしょう。左の写真は10時半頃、散歩から帰ったときに撮ったもの。右は、16時過ぎのもの。主屋の向こうに石取祭の祭車庫がありますが、そこは蔵造り。昔ながらのやり方で修復中。壁を塗っては乾かすという作業が繰り返されています。

Dsc05583c  水曜日の江戸橋での授業のQ&Aは、昨晩書き終え、今朝チェックして完了。これで7回まで済みました。最終回は期末試験ですから、授業としては、折り返し点。

Img_4234c_20220603164501  オマケ。アサガオは思いついて、テキトーに間引きました。これが吉と出るか、凶と出るか(笑)?

2022年6月 2日 (木)

20220602諸戸氏庭園花菖蒲

Dsc05087c Dsc05089c  まだちょっと早いかという気もしましたが、実際に見に行ってみないことには分かりませんので、今日、散歩帰りに諸戸氏庭園に行って、花菖蒲を見てきました。諸戸氏庭園に行ったのは10時半過ぎ。30分あまり、庭園を拝見して、花菖蒲の写真などを撮ってきました。ちなみに、春の特別公開は、6月12日まで。大人は一人¥500。

Dsc05099c Dsc05111c  先週末、歴史案内人のKさんから6月2~4日くらいが見ごろでしょうという話を伺っていました。パッと見た印象では、やはりまだ少し早かったかも知れないというものでした。前回は、2021年6月8日に(20210608諸戸氏庭園の花菖蒲)、その前は、2019年6月4日に行っています(諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)。2020年はコロナで特別公開はありませんでした。

Dsc05126c Dsc05237c  私の好きな推敲亭を入れた景色。推敲亭には、覚々斎原叟(かくかくさいげんそう;延宝6(1678)~享保15(1730)年))作であれば、17世紀末か、18世紀初めのもの。立ち入り禁止なのですが、いつも一度でいいからここに入って景色を眺めてみたいと思います。

Dsc05222c Dsc05231c

 撮影スポットという表示もありましたが、推敲亭の西側から推敲亭越しに見た景色。推敲亭は、わずか3畳の大きさなのですが、かなりゆったり出来そうな空間です。お金を払っても良いので、一度ここに座って、庭園を眺めたいと思っているのです。

Dsc05138c   ここは、専属の庭師さんがいらっしゃって、毎日手入れをしておられますので、きれいですし、見事に育っていて、見応えがあります。今年も、あの「濡れ燕」は見当たりませんでした。(2019年6月4日:諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)。

Dsc05121cDsc05247c  花菖蒲の他の花。左はコウホネ。花菖蒲に入り交じって咲いていました。右の写真は、クチナシ。柿安コミュニティパークの駐車場にあるのですが、施肥も不十分で、株分けをしなかったこと、また、3月くらいに剪定をして花芽を切ってしまったと思われるます。

Dsc05156c Dsc05201c  今ひとつかと思いつつ、けっこう楽しめました。こちらは、御殿とその東にある池。御殿はかなり前に修理が終わっています。早く全体の修復工事が終わって、すべてを見られるようになってもらいたいと思っています。

Dsc05307c  余談。エントランスにこういうものが、籠に入っておかれていて、「ご自由にお持ちください」とありました。蘇鉄の実だそうです。

 

ムシクイに遭遇……鳥はやはりいません(苦笑)

Dsc05311c  今日も28.5℃と暑くなりました。午前中の散歩では、かなり汗を掻いて帰ってきたくらい。いつもと同じく、7時半から散歩を開始。住吉神社、七里の渡し跡、江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、春日さん、田町、諸戸氏庭園と6.1㎞。諸戸氏庭園では、花菖蒲を見てきましたが、それは別の記事にしました。11時過ぎに帰宅。

Dsc04734c  相変わらず鳥はいません。散歩友達の間では、去年もこれほど鳥はいなかったのかというのが、毎日話題になります。ちなみに、去年の今頃のブログを見ると(2021年6月1日:鳥の餌台は、来客ゼロ、2021年6月3日:淡々と散歩(苦笑)……鳥はいません、6月2日は江戸橋での仕事でした)、鳥はいないとぼやいてはいるものの、ホオジロや、シジュウカラのファミリー、カワラヒワのファミリーを見ていますし、ミドリガメの産卵シーンも見ていました。今年は、シジュウカラやカワラヒワのファミリーは見ません。写真は、今日、九華公園で見たハクセキレイのオス。奥平屋敷跡では、メスも見ましたし、カワラヒワも見ましたが、遠くて、載せられるような写真はありません。

Dsc04916c_20220602204901  鎮国守国神社の一の鳥居あたりや、九華公園の外周遊歩道の南で、ムシクイ。貝塚公園にもいました。センダイムシクイではないかと思うのですが、確認は出来ませんでした。センダイムシクイは、地鳴きでは、「ジッ」「ヴィ」と鳴くそうですが、それに近い印象はありました。

Dsc05070c  京町のお宅のツバメの巣は、今日行った時は不在。写真は、田町にある商店の巣。ヒナはやはり4羽でした。今日は、親が餌をやりに来たシーンは、タイミングがずれてうまくとれませんでした。当初は5羽がいたのですが、1羽は落下してしまったのかも知れませんが、確かめる術はありません。

Dsc04704c Dsc04706c  話は戻りますが、江戸町にある歌行燈本店さんのアジサイ。かなり咲いてきましたが、勝手に期待したのよりはまだ少ない感じ。まぁ、勝手に期待していたのですから、やむを得ません。もうしばらく楽しませてもらえると考えることにします。

Dsc04765c Dsc04767c  九華公園の花菖蒲、咲いてはいるものの、「花菖蒲園がある!」と威張れるほどではありません。テレビのニュースではあちこちで花称場見ごろと伝えていますが、それに比べるとかなり恥ずかしい状況。花菖蒲は、三重県の県花でもあり、また、桑名市の花でもあります。市役所の担当の方には九華公園に足を運んで、現状をしっかりと認識していただきたいと強く願っています。これらの写真は、九華公園で撮ったものではありますが、写真は撮り方によっては真実を伝えません。

Dsc05014c Dsc05024c  内堀から外堀に行くあたりでチョウの写真。左の写真はナミアゲハ、右の写真はアオスジアゲハです。ナミアゲハは、アゲハチョウとも呼ばれ、もっともよく見るアゲハの仲間です。アオスジアゲハは、なぜか私の好みのアゲハで、以前は良く撮っていました。写真はありませんが、ここ2~3日前から、コシアキトンボが良く飛ぶようになりましたし、ギンヤンマと思われるトンボも見るようになりました。

Dsc04803c  余談は、鎮国守国神社の境内にあったもの。鎮国守国神社には、たくさんの梅の木が植えられています。拝殿前に、このように1袋¥300で売られていました。梅は好きなのですが、自分のところで梅干しにつけたり、梅酒を造ったりしたことはありませんので、見てきただけです。昨日の授業のQ&A二はちょっと苦労しましたが、夕方までには一通り終えられました。熟成期間を経て、明日、印刷をお願いする予定。

2022年6月 1日 (水)

屋上からの眺め

Dscn5340c 6月に入りました。梅雨入りが気になりますが、午前中は良く晴れ、昼過ぎからは薄曇り。もっと暑くなるかと思ったのですが、26.4℃とさほどでもなく、江戸橋への行き帰りも比較的楽でした。いつものように、8時40分の五十鈴川行き急行に乗り、10時半から12時まで講義。終了後、学生が2人ほど質問に来ましたし、出席票への記入を待っていて、12時15分にすべて終了。出席率は、ここ3回ほどは90%を越えていますから、まあまあ。今日は、理論の話でしたが、学生諸君も頑張ってついてきていました。

Dscn5341c Dscn5345c

 帰りには、ちょっと迷ったものの、「覗くだけ覗いてこよう」と道草。いつもの志登茂川のところ。四日市港の潮汐表では、12時56分が干潮であるというのが、動機づけになったのです。しかしながら、下流側の江戸橋の手前にコサギらしき姿が3羽、遠くに見えたのみ。上流方向(左の写真)には、鳥影はなし。という次第でサッサと江戸橋駅へ。12時42分の名古屋行き急行に乗って帰宅。帰宅後は、昼食を済ませ、出欠確認まで。

Dsc_6509c Dsc_6510c  今日は、もう1つ予定がありました。拙宅マンションにはエレベーターが2基あります。我が家が使う方は、4月にリニューアル工事を終えましたが、もう1基が今日まで工事で、今日は16時からその完了検査に立ち会うことになっていたのです。屋上に機械室があり、そこに制御装置、巻上機、地震感知器などがあります。それらはすべて交換されて新しい機器に。その確認やら、エレベーターの籠の中の更新箇所などをチェックするのです。このとき、普段は立ち入れない、屋上に行けるのです。前回は、余裕がなかったのですが、今日はスマホで写真を撮ってきました。

Dsc_6511c  わが家は9階にありますが、そことは2フロア+α分しか高さの違いはないのに、眺めはさらによい印象があります。視点が高くなると、視野も広くなる気がしますし、見え方はもちろんかなり異なります。薄曇りだったのは残念ですが、気持ちの良い眺望を少しだけ楽しんできました。

Dsc_6512c  諸戸氏庭園も、我が家からみるよりも上から覗き込む感じで見えます。中央にある主屋も解体修理が行われていましたが、昨日くらいから建物を覆っていたところが取り外され始めています。写真では分かりにくいのですが、主屋の手前には、大門も元の位置に戻されているのが見えます。諸戸氏庭園といえば、先日お目にかかった歴史案内人のKさんが、6月2~4日頃が花菖蒲の見頃になりそうだとおっしゃっていましたから、そろそろ見てこようと思います(2019年6月4日:諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)。

Dsc_6514c Dsc_6515c  連日、同じ余談で恐縮ながら、今日も万年青など。万年青は、1鉢に2本、植わっています。どちらにも花がついているのですが、よりいっそうクリーム色になってきました。クリーム色になったあとは、オレンジ色になるそうです。

Dsc_6505c アサガオは、我慢しきれず、昨日、リング支柱を立ててしまいました。間引きはまだ行っていません。また、「おつまみ枝豆」は、5月8日に種を蒔いたものの(2022年5月 8日:コゲラの雛をとらえたか? ……何となくそれらしい写真)、芽が出て来ませんので、失敗したと判断し、撤去しました。

Dsc_6507c  忘れていましたので、追記。帰りに桑名駅で見つけたポスター。6月5日(日)11~17時に桑名駅東口前広場で“KUWANA CRAFT BEER HOUR”というイベントが開催されるそうです。これ、興味ありますねぇ。

20220528松阪ウォーキング(その3)……本居宣長ノ宮、松阪神社、松坂城跡から不二屋で焼きそばにて「完」

220528matsusaka2 Img_4011c_20220531044101  5月28日に行ってきた松阪ウォーキングの本編その3です。その2では、御城番屋敷までやって来ました。ここまで歩いてきたのは、3.8㎞ほどでしたが、時刻は12時も過ぎていましたので、松坂城裏門跡のところある御城番屋敷が眺められる木陰で小休止。

Img_4028c_20220528200101  その後、まずは、本居宣長ノ宮へ。本居宣長(秋津彦美豆櫻根大人)と平田篤胤(神霊能真柱大人)をご祭神としています。もとは、本居大人奥墓(おくつき)がある旧山室村にあったのですが、大正4(1915)年、この森に遷座しました。本居宣長を神と祀る世論は早くからあったようですが、明治8(1875)年3月、川口常文等が主唱し、旧山室村(現・松阪市山室町高峰)の大人奥墓の傍に社宇を建て、山室山神社と号しました。その後、現・松阪市役所所在地を経て、昭和6(1931)年に現在地に遷座。昭和21(1946)年に社号を本居神社と改称。平成7(1995)年4月、本居宣長ノ宮と称しています。合格祈願・学業成就などの御利益があるとされます。

Img_4035c  本居宣長ノ宮には、本居宣長の歌碑があります。「志きしまの やまとこころを 人とはば あさひににほふ 山さくら花」という宣長61歳(寛政2(1790)年)の時の自画像に添えられたもの。この自画像は、本居宣長記念館のサイトにあるこの画像と思います。

Img_4044c_20220528200101  松阪神社は、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。御祭神は、主祭神が誉田別命と、宇迦之魂神。合祀されている神様は、33柱。明治に17神社を合祀したために多いと思われます。松阪神社については、次の記事をご参照ください:2018年11月12日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その4)……松阪神社、本居宣長ノ宮

Img_4056c_20220531063901 松阪神社についてもう1つだけ。それは、このご神木。クスノキの大変古い巨木。氏郷が松坂城をつくった頃すでに、この位置に500年を経過した木としてあったといいます。それ故、樹齢900年以上。樹高25m、胸高周囲7mで、木の下には、深さ3mの穴があり、太い根が穴の上にまたがって生えています。

 961b9bed 本居宣長ノ宮・松阪神社と松坂城跡の間には本居宣長記念館がありますが、12時半を過ぎていました。最後に行って昼食を食べようと思っていた不二屋のランチ営業が、14時半までということで、ちょっと急ぎましたから、パス。本居宣長記念館、私は4年前の5月に訪ねています(2018年6月18日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その2)……御城番屋敷、本居宣長記念館)。写真は、このときのもの。

Img_4015c_20220528200101 Img_4024c_20220528200101  松坂城跡へは、裏門跡のところから入りますが、その前に1つ、2つ。裏門跡の西側にある石垣のところに「捨石」の遺構があります。ここは、隠居丸あたりで、江戸時代の修理のあとのようです。表土から約0.2m下。幅0.8~1.0m、長さ19mで、石垣が孕んだ部分だけにあるといいます。

Img_4021c_20220531065901 Img_4018c  捨て石の遺構から裏門跡のところには大きな常夜燈が2基あります。左の写真のものは、「旧櫛田川渡し場常夜灯」。安永9(1780)年のもの。向かって左には、「銚子場組 江戸干鰯問屋」とあります。右の写真のものは、「永代 常夜灯」、文政6(1823)年のもの。こちらの台石には「新玉講」と刻まれています。

Img_4075c_20220528200101  さて、いよいよ松坂城跡へ。まずは、二の丸跡から御城番屋敷を眺めます。ここからの御城番屋敷の眺めもすばらしいものがあります。奥の右手には、松阪工業高校が見えます。

Img_4096c_20220528200101 Img_4122c  天守閣跡まで登ってきましたが、けっこうな高低差で、かなりの運動量でした。しかも、御城の曲輪をつなぐ階段は、どういうわけか段差がかなり高いのです。ちなみに、松坂城は、天正16(1588)年に蒲生氏郷によって築城されました。建造物はなく、豪荘な石垣が残るのみです。

Img_4129c  天正18(1590)年、氏郷は、小田原征伐の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て若松城に移りました。その後、藩主の入れ替わりが何度かあり、元和5(1619)年、紀州藩の藩領となりました。松坂城はこのあたりを統括する城として城代が置かれました。天守は、正保元(1644)年に台風のため倒壊したとされ、以後は天守台のみが残ることとなっています。寛政6(1794)年、二の丸に紀州藩陣屋が建てられ、以後、紀州藩領として明治維新を迎えました。城内には、松阪市歴史民俗資料館があり、2階に小津安二郎松阪記念館が開設されていますが、こちらもこの日はパス。

8db7334f  このあと、鈴の森公園まで足を伸ばして、松阪市埋蔵文化財センター(はにわ館)で船形埴輪などを見ようと思っていたのですが、松坂城跡を見終わった時点で、13時。実は、この日の朝、同級生K氏と駅で待ち合わせたとき、不二屋で焼きそばを食べようということになり、これが今日最大のミッションになっていたのです。不二屋は、昼の営業が14時30分まで。さらに、今朝のメ~テレの「ドデスカ ドようびです。」で不二屋の焼きそばが取り上げられていました。賑わっていて入れない、食べられないのはマズいということで、埴輪はパスして、不二屋へ(笑)。写真は、2018年5月26日の撮影。

Img_4138c_20220528200101 Img_4142c_20220528200101  不二屋は、中町にある松阪肉の和田金や、和菓子で、お土産で有名な老伴をつくっている柳屋奉善の近くにあります。が、これらの店には、目もくれず、不二屋へ。

 

Img_4145c Dsc_6492c  こちらが、その不二屋。13時10分過ぎに到着。店の外まで行列か?と心配したら、杞憂に終わりました(微笑)。待っていたお客さんは1組(ただし、われわれのあとからも続々とお客さんは来ていました)。無事に焼きそばを食べられました(¥800)。麺は揚げてあり、サクサク。タレは和風出汁が効いた少し固めのもの。不二屋さん独自の「かたやきそば」。サッパリとして美味しい焼きそばを堪能できました。ちなみに、テレビで取り上げられるずっと前から、家内の勧めでこの店のことは知っていたのですが、実際に訪れて、食べたのはこの日が初めてでした。

Img_4160c_20220528200101 Img_4172c_20220528200101  昼食を済ませ、松阪駅には、14時5分に戻って来ました。松阪駅を14時15分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、15時22分に到着。¥960。暑かったので少しお疲れ。現地では、6.3㎞ほどを歩きました。自宅から桑名駅往復が、2.4㎞ですので、合計8.7㎞。歩数は、17,332歩。

Dsc_6502c  この日は、とくに土産は買ってこなくてよいということでしたが、観光物産センターを覗いたら、柳屋奉善の老伴(おいのとも)に新しいバージョン、レモン味がありましたので、それを試しに買ってきました。こちらは、1個¥230。昔ながらのものは、1個¥180。

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

マイブックス

  • 関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)

    関裕二: アマテラスの正体(新潮新書)
    著者の前著『スサノヲの正体』も、興味深く読みました。斬新な着眼点と発想で、思いもかけない結論に至っています。読み物としてはとてもおもしろいという点で、☆を5つとしました。ネタバレになりますから、詳しいことを書くのは控えておきますが、著者は、伊勢神宮に祀られているのは、いわゆる「天照大神」ではなく、別の霊威の強い(祟る)、二柱の神だとしています。祟るが故に、伊勢に放逐されたのだと主張するのです。ただ、著者の肩書きは、歴史作家にして、武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェローであり、仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究したということですから、現在の歴史学や考古学が明らかにした内容と整合性がとれている主張なのかどうかは、私には判断はできかねます。それ故、「読み物としてはおもしろい」と評価しています。 (★★★★★)

  • 小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)

    小塩真司: 「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学 (ちくま新書)
    タイトルに惹かれて読みました。ただし、初めにお断りしておきますが、図表こそないものの、心理学の専門書といっても良いくらいの、分厚い記述になっていますので、馴染みのない方にとっては読みやすいものではありません。「性格が悪い」ことについて、最近研究が進んできた「ダークな性格」を中心にまとめられています。ダークな性格とは、マキャベリアニズム、サイコパシー、ナルシシズム、サディズムの4つの特性です。これらの特性とリーダーシップ、社会的成功との関連、身近な人間関係中でのダークな性格、ダークな人物の内面、ダークな性格の遺伝、ダークさとは何かについて、文献を引用しつつ論じられています。その上で、性格の良し悪しは、その内容ではなく、どのような結果に結びつくかで判断されるというのが、著者の結論でした。 (★★★★)

  • 和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)

    和田 秀樹: 老いるが勝ち! (文春新書)
    和田秀樹さんは、もともと高齢者専門の精神科医です。浴風会病院というところで35年間勤務され、6,000人以上の高齢者の方を診てこられました。その臨床経験から、高齢者については、理屈通りに行かないと思うことがたくさんあるといっておられます。タバコをたくさん吸っていても100歳まで生きる人もいれば、検査データはすべて正常なのにガンで亡くなる人もいるのだそうです。医者にいわれて血圧その他に注意していたのに、脳卒中を起こす人もいます。和田さんはこの本で80歳を過ぎたら我慢せず、好きな物を食べ、行きたいように生きることを勧めています。また、医療に関わらない方が長生きできる共書いています。不摂生を勧めておられるわけではありませんが、常識にとらわれず、自由に生きた方が楽しみも見つかってよいのではないかと思います。養老孟司先生流にいえば「なるようになる」のですから。 (★★★★★)

  • 彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)

    彬子女王: 赤と青のガウン オックスフォード留学記 (PHP文庫)
    彬子女王殿下の英国留学記です。彬子女王は、ヒゲの寛仁親王のご長女。殿下は、女性皇族として初めての博士号をオックスフォード大学で取得されました。この留学記は、ネットで話題になっていましたので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。今上天皇の「テムズとともに」も読んだことがありますが、皇族の皆様は、どなたも誠実で朗らかで、それでいてユーモア溢れるお人柄をお持ちのようですが、殿下も同様でいらっしゃり、それがよく感じられる文章で楽しく拝読し、爽やかな読後感を持ちました。 (★★★★★)

  • 石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す

    石井光太: ルポ スマホ育児が子どもを壊す
    タイトルに惹かれて買ったのですが、帯にあるように「衝撃の現場報告」でした。この本に書かれているエピソードのうち、いくつかはこれまでにもマスコミ報道などで接していましたが、これだけのことがらが一度に示されると圧倒されます。現代の子どもたちは、まさに私たちが知っている(知っていた)子どもではなくなっているといえるようです。たとえば、「2歳児のネット利用率は58.8%」「子守歌はアプリで聞く赤ちゃん」「ヘッドガードの制服化」「教室の『アツ』に怯える小学生」「褒められ中毒はエスカレートする」などなど。スマホが登場して16年でその影響は大ですが、子どもたちの特徴に影響しているのはスマホだけではなく、現代社会や、大人達のありようも大きく影響しているといえます。「『将来の夢は交通整理のバイト』と言う女子高生」などはその例でしょう。私が教えている学生も、「『アツ』がすごい」ということがあり、いったい何だ?と思っていましたが、よく分かりました。すでに若い先生方は、デジタル・ネイティブ世代になっていますし、この本に登場する若者達が社会に出て、その中核を担うのも遠い将来のことではありません。これらの若者は、高い情報処理能力を持ち、周囲に適応する力もあり、コンプライアンス能力も高いのですが、それらを認めた上で、彼らが自立した大人になるために何が必要か見極め、それを提供することが必要とされるのでしょう。その意味では、大人の世代にも彼らを適切に理解し、必要な支援を提供する責任があります。 (★★★★)

  • 養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く

    養老 孟司, 中川 恵一: 養老先生、再び病院へ行く
    『養老先生、病院へ行く』の続編です。医療とは距離をとっておられる養老先生が、再診のため1年3ヶ月ぶりに東大病院に行かれました。大病から復活された今だからこそ語ることができる老い、医療、健康、死との付き合い方について、養老先生ご自身と、教え子にして主治医の中川恵一先生がお書きになっています。養老先生のスタイルをそのまままねすることは、凡人には不可能であり、よろしくはありません。しかし、健康についての考え方や、死についてのとらえ方などはとても参考になります。私が啓蒙されたことがらは、「健康法は人の数だけ存在する」「養老先生は抜け道の天才」「不連続な体調の変化に気をつける」「具合が悪いときは一週間様子を見ると医者に行くべきかどうか分かる」「お酒はもはや百薬の長ではないが飲む飲まないは自分で決めてよい」などでした。 (★★★★★)

  • 宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)

    宮口幸治: 歪んだ幸せを求める人たち―ケーキの切れない非行少年たち3―(新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」シリーズの3冊目です。本の帯には「『幸せを求めて不幸を招く人』の戦慄ロジック」とあります。「みんな幸せになりたい」という動機は万人がもつものでしょう。しかし、幸せの形は人それぞれですし、幸せになりたいと強く願うものの、かえって生きづらさや苦悩を抱える人たちもたくさんいます。著者は、人は幸せになりたいが故に、結果的に他人が不幸になることでもやってしまうといいます。さらに、幸せになりたいのだけれど、そのやり方がよくない」と考える、結果的に他人を不幸にする人たちを理解できるともいいます。著者が長年関わってきた非行少年達にもそれは共通するそうです。歪んだ幸せを求める人たちの背景にある要因として、著者は、怒りの歪み、嫉妬の歪み、自己愛の歪み、所有欲の歪み、判断の歪みの5つの歪みを取り上げ、事例も含めて考察しています。これを読むと、こうした5つの歪みは、ごく普通の人びとも多少とももっているものといえます。最終章では、自分と他者の「ストーリー」という概念を用いて、歪んだ幸せを求める事についてどう向き合えばよいか、提案されています。 (★★★★)

  • 森永 卓郎: 書いてはいけない

    森永 卓郎: 書いてはいけない
    他の本を買いに行った時、書店で平積みになっていましたので、思わず買ってしまいました。メディアのタブーに触れつつ、現在の日本が凋落している要因を3つ指摘しています。サブタイトルは、「日本経済墜落の真相」となっています。3つは、ジャニーズの性加害、財務省のカルト的財政緊縮主義、日本航空123便の墜落事件。この3つについては、関係者は皆知っているものの、触れてはいけない、本当のことをいってはいけないタブーになっているといいます。メディアで触れたら、瞬時にメディアには2度と出られなくなるそうです。ジャニーズ問題は、BBCの報道のためにオープンになってしまいましたが、著者の森永さんは、ご自身が病を得られたこともあって、現状を打破するためにこの本を書かれました。財務省による必要以上の財政緊縮政策と、日航123便の事故のお陰で日本がアメリカに対してどんどん主権を失っていったことが、日本経済の衰退の主たる要因と主張しています。たぶんそれは本当だろうなというのが、私の読後感。 (★★★★)

  • 立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)

    立木 康介: フロイト『夢判断』 2024年4月 (NHKテキスト)
    何を今さら勉強しているのか? と思われるかも知れませんが、ちょっと前に流行った言葉でいえば、リスキリングに相当するかも知れません。学生時代に読みましたが、しっかり理解したかといえば、アヤシいのです。学生時代からは50年近い月日が経っていますので、その後の研究成果も含め、新しいことがあるだろうと思ったのです。100分de名著というNHK Eテレの番組のテキストです。講師の立木先生は、パリ第8大学で精神分析の博士号を取得され、京大人文科学研究所の教授。精神分析は「昨日までとは違う自分を手に入れるために行う」とおっしゃっていました。この番組でもっとも印象に残ったのは、あの有名な「エディプス・コンプレックス」よりも、今日、重要なフロイトが提案した概念は、「両性性」であるということでした。これは、いかなる個人も与えられた解剖学的性にしばられないセクシュアリティの自由を持つことをうたうものです。この視点に立てば、同性愛も、トランスジェンダーもいわば当たり前の存在であるということになります。これらを踏まえると120年間に書かれた「夢判断」の内容は、きわめて今日的な意義を持ってくると再認識する必要があります。 (★★★★★)

  • 諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧

    諸富 祥彦: NHK「100分de名著」ブックス フランクル 夜と霧
    フランクルのこの本は、改めて紹介するまでもないほど、有名な本です。私も学生時代、霜山徳爾先生の翻訳で読みましたが、ことばでは書き尽くせないほどの衝撃を受けたことを、いまでもよく覚えています。第二次世界大戦中にナチスの強制収容所に収監された経験をもとに、精神医学者・フランクルが、人生の目的を明確にし、その実現に向けて没頭する心理療法を紹介する本です。原題を直訳すると「それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する」となります。実存心理学の名著であり、極限の環境におかれたとしても、何かが、あるいは、誰かがあなたを待っているということを主張しています。絶望して終わるのではなく、人生が何をわれわれに期待しているのかが問題であり、私たちはそれを学ぶことが重要だとしています。何度か読み直すことによって、人生への理解が深まる気がします。 (★★★★★)

  • 松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉

    松田 忠徳, 増田 晋作: 枕草子の日本三名泉 榊原温泉
    榊原温泉は、全国的に有名とはいえないかも知れませんが、名湯です。それは、枕草子に「湯は七栗の湯 有馬の湯 玉造の湯」にある、七栗の湯が榊原温泉と考えられるからです。最近、日本三名泉といえば、有馬温泉/兵庫県、草津温泉/群馬県、下呂温泉/岐阜県とされますが、枕草子に取り上げられたのはそれよりも古く、「元祖日本三名泉」といえます。榊原温泉の湯は、肌がきれいになる「美人の湯」というだけでなく、抗酸化作用もある健康の湯でもあります。この本は、日本一の温泉教授・松田先生と、地元を知り尽くした増田さんの共著で、「何もない」といわれていた榊原温泉の魅力を語り尽くしています。ちなみに、私にとっては家内の実家を知る上で格好のガイドブックです。 (★★★★)

  • 文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)

    文藝春秋: 定年後に読む不滅の名著200選 (文春新書)
    この本の帯には「これが定年後の知の道しるべ!」とありますが、私自身はさほど大上段に構えたつもりで読んではいません。どのような本が選ばれているかにももちろん興味はあったのですが、それらがどのように紹介されているかといった方面に興味があって読みました。本を紹介している方々はいろいろな分野で功なり、名を挙げた方ばかり。それらの方がどんな本を読み、どのように唱歌していらっしゃるかが知りたかったのです。ちょっと邪道な読み方ではありましたが、しっかりと楽しめました。 (★★★★)

  • 石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)

    石田泰弘(編著): 街道今昔 佐屋路をゆく (東海の街道2) (爽BOOKS 東海の街道 2)
    さほど本格的に取り組んでいるわけではありませんが、昔の街道を歩くのは好きです。この本のテーマである佐屋路(佐屋街道)も歩きたいと思って調べています。佐屋路は、東海道佐屋廻りとも呼ばれたように、東海道の迂回路でした。江戸時代に東海道宮宿と桑名宿の間を、陸路万場宿、佐屋宿の陸路を経て、佐屋から桑名宿への水路三里の渡しによって結んでいた街道です。実際に歩いて書かれたと考えられますが、旅人目線で書かれたウォーキングガイドです。津島街道、高須道も取り上げられています。部分的には歩いたところがありますが、佐屋路はいずれ、歩いてみたいと思い、計画中ですので、とても参考になりました。実際に歩かなくとも、歴史読み物としても楽しめます。 (★★★★★)

  • 柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)

    柳瀬博一: カワセミ都市トーキョー 【電子限定カラー版】 (平凡社新書1049)
    東京都心にたくさんのカワセミが棲んでいるというのは、最近割とよく知られるようになっています。清流の鳥というイメージがあるかも知れませんが、東京の「野生」環境をうまく利用して繁殖もしています。そのカワセミが暮らす街は東京屈指の高級住宅街ばかりだそうです。すなわちカワセミも、人間も好む環境は同じというのです。カワセミが暮らす街は、人間にとってもよい街ということです。カワセミの存在に気付いたことから、「小流域源流」をキーワードに「新しい野生」と「古い野生」の繋がりを論じています。カワセミの生態も詳しく観察されていますので、私も今までよく知らなかったことが多々書かれていて、興味深く読みました。 (★★★★)

  • 内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)

    内田 樹: コモンの再生 (文春文庫)
    私は、内田樹先生の評論が好きで割とよく読みます。「コモン(common)」とは、形容詞としては「共通の、共同の、公共の、ふつうの、ありふれた」という意味ですし、名詞としては「町や村の共有地、公有地、囲いのない草地や荒れ地」を意味します。昔は、ヨーロッパでも日本でも村落共同体はそういう「共有地」を持っていました。コモンを管理するには「みんなが、いつでも、いつまでも使えるように」という気配りが必要になるのですが、近代になって怒った「囲い込み」によって「コモンの私有化」が起こり、村落共同体が消え、集団的に維持されていた儀礼、祭祀、伝統芸能、生活文化が消えてしまったのです。著者は、このコモンを再生することが市民の原子化、砂粒化、血縁、地域共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠たる現状を何とかするために必要と考えています。ちなみに、マルクスとエンゲルスによるコミュニズムは、著者によれば「共同体主義」と訳した方がよく、彼らは「コモンの再生」が必要と提言したといいます。「共産主義」と訳されてしまったがため、なんだかよく分からないことになっているのです。「共有主義」あるいは「共同体主義」と意訳してくれていたら、もろもろが変わっていたかも知れないという話には、膝を打ちました。 (★★★★★)

  • 本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)

    本田 秀夫: 知的障害と発達障害の子どもたち (SB新書)
    児童精神科医の本田先生の最新刊です。今回は知的障害が取り上げられています。これまでの本田先生の御著書では、発達障害が主に取り上げられてきたのですが、実は知的障害を持つ子どもたちも一定数存在していますし、発達障害と知的障害を合わせ持つ子どもたちもいます。その意味で、発達に困難のある子どもたちのことをきちんと理解して、適切な支援をする上では、両者を視野に入れることが重要です。著者は、知的障害の支援では、「早く」と「ゆっくり」がキーワードになると書いておられます。これは私もそうだと思います。可能な限り早期から支援を受けた方がよく、一方で、発達のスピードに合わせて「ゆっくり」としたペースで支援をすることが大切になります。発達障害の子どもたちにも「本児のペースに遭わせた支援が必要」とおっしゃる方がありますが、発達障害の子どもたちの理解/支援の上でのキーワードは「アンバランス」です。この本は、発達が気になるお子さんをお持ちの保護者の方、特別支援教育に携わる教員の方々にとって、基本的なテキストといえます。 (★★★★★)

  • BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)

    BIRDER編集部: お手本でわかる!野鳥撮影術 (BIRDER SPECIAL)
    バードウォッチングや野鳥撮影を趣味にしています。とはいえ珍鳥を追うのではなく、主に自宅近くを散歩しながら、いわば「定点観測」のように野鳥を見ています。自分の写真の撮り方を振り返ると、図鑑的に撮ることがほとんどです。なぜそうなのかを考えてみると、研究者の端くれであったことが関わっている気がします。つまり、写真を撮ることを、観察した記録やデータと見ているからではないかということに思い当たりました。野鳥撮影の「幅を広げたい」と思っていたら、この本が出版されました。ざっと目を通したところ、「色とりどりの花と鳥」「木の実レストラン」「やわらかい表情を追う」などさまざまなテーマで鳥とその周辺を撮る方法が載っています。これを参考に、自分の野鳥写真の世界を広げられたらいいなと思える本です。 (★★★★★)

  • 磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)

    磯田 道史: 磯田道史と日本史を語ろう (文春新書)
    磯田道史さんが、さまざまな分野の達人と歴史についての論賛をしたのをまとめた本です。論纂とは、①人の徳行や業績などを論じたたえること、②史伝の終わりに著者が書き記した史実に対する論評のこと。異分野の専門家同士が議論をすることによって生まれるものは、別次元となり、大変興味深いものとなります。この本がその論より証拠。養老孟司さんとの論賛からは「脳化社会は江戸時代から始まった」という話が出て来ています。忠、孝、身分などは、シンボリズムであり、それらは見たり、触れたりできません。また、関東大震災に遭遇したことは、被害に対する鈍感さをもたらし、それが太平洋戦争につながったという指摘には、なるほどそういう面も確かにありそうだと思わされました。その他、歴史や人間について、実にさまざまな、新しい見方が示され、大変おもしろく読み終えました。 (★★★★★)

  • 保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)

    保阪 正康: 近代日本の地下水脈 I 哲学なき軍事国家の悲劇 (文春新書 1440)
    本の帯に「『水脈史観』で日本の失敗を読み解く」とあります。「水脈史観」という概念には初めて接しましたが、「攘夷のエネルギーは、いまも日本社会の根底に流れている」という見方です。明治維新後、日本がとりえた国家像は、欧米型帝国主義国家、道義的帝国主義国家、自由民権国家、米国型連邦制国家、攘夷を貫く小日本国家の5つであったが、哲学なきまま欧米型帝国主義国家の道を突き進み、軍事中心の国家作りを推し進めたことが、戦前の日本の失敗の原因であったというのが著者の主張です。それは確かにそうだと思いますが、私には、ほんのサブタイトルにある「哲学なき国家」ということが、現代日本の様々な問題の背景にあるような気がしてなりません。 (★★★★)

  • 佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)

    佐伯 泰英: 陰流苗木(かげりゅうなえき)~芋洗河岸(1)~ (光文社文庫)
    今回も特別に時代小説を取り上げます。この2つ前の本に佐伯泰英さんの「恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六)」を取り上げ、これは佐伯さんの300冊目の「文庫書き下ろし小説」だと書きました。今回のこの本は、301冊目です。しかも、80歳を越えて、さらに新しいシリーズを始められたのです。美濃を食い詰めた浪人・小此木善治郎が、職なし、金なし、住むあてなしながら、剣の達人にしてとぼけた侍であるものの、なんとも頼りになる存在で、親切な住人や大家によって受け入れられた長屋の秘密と謎の渦に巻き込まれるという設定。これまたおもしろそうなシリーズです。毎月刊行で、全3巻の予定とか。第2巻が待ち遠しい内容です。 (★★★★★)

  • 養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)

    養老孟司, 鵜飼哲夫: なるようになる。 僕はこんなふうに生きてきた(中央公論新社)
    養老先生の新刊が出たというので早速入手し、ほぼ一気に読み終えました。「はじめての自伝!」といううたい文句で、帯には「虫と猫と、バカの壁。考え続けた86年」ともあります。養老先生は、かなりしつこい性格でいらっしゃるようで、疑問に思ったことは「まぁいいか」などと思わず、考え続けてこられたそうです。その結果が、これまでのユニークな著作に結実しています。それはさておき、考え続けた結果、「なるようになる。」というのが、養老先生の現時点での結論だそうです。「なるようにしかならない」ではなく、「なるようになる。」のです。物事は、はっきりとした目的意識があって進むのではないので、「なるようになる。」なのです。忘れてしまったような些事がその後の人生を動かしてきたかもしれないともあります。なるほどと、この本を読み、養老先生の来し方をいささか知ると、納得できます。というか、納得した気になっているだけかも知れませんが…… (★★★★★)

  • 佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)

    佐伯 泰英: 恋か隠居か 新・酔いどれ小籐次(二十六) (文春文庫)
    佐伯泰英さんは、この本で「文庫書き下ろし小説」というジャンルで300冊刊行を達成されました。佐伯さんの時代小説はすべて読んでいます。まさにストーリー・テラーといえる作家で、実に読み応えのある時代小説をたくさん書いておられます。このシリーズは、いったん完結となったかと思ったのですが、この「恋か隠居か」で復活しました(と理解しています)。隠居を考える小籐次ですが、小籐次親子に挑戦状が届くところから始まる物語。今回も楽しめました。 (★★★★★)

  • 安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)

    安藤優一郎: 15の街道からよむ日本史 (日経ビジネス人文庫)
    街道歩きを少ししています。三重県内では、東海道のほとんど、伊勢参宮街道、美濃街道・養老街道などを歩きました。もっとあちこちの街道を歩きたいと思っていますが、そのときにこの本が出版されましたので、早速入手して読みました。芭蕉の奥州街道、伊勢参宮街道のお伊勢参り、武士の旅日記などの章をとくに興味深く読みました。主要な街道を取り上げることで読みやすい歴史物語となっています。 (★★★★)

  • 大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)

    大芦治: 心理学をつくった実験30 (ちくま新書)
    「誰もが一度は耳にしたことがある有名実験の背景・内容・影響を紹介、新たな心理学像を呈示する」と帯にあります。心理学全般に関心を持つ社会人を読者に想定しているといいますが、私には心理学史のテキストとして、あるいは、入門段階の心理学を学んだ方がさらに学習を深める際に読む本としてもよいかも知れません。 私自身も、心理学の教科書を執筆したことが何度かありますが、そこに引用する理論や実験については、いわゆる「孫引き」をしてしまったこともよくありました。この本の著者は、可能な限り原典にあたって執筆していらっしゃり、その意味では参考になったところが多々あります。 ところで、著者は心理学の未来にあまり明るい展望を持てないようです。臨床心理士、公認心理師の資格が人気を集め、心理学部などもたくさん設けられました。私自身の勝手な個人的意見を書けば、資格ができると、レベルは下がると思っています。根拠はありません。個人的な印象によるものです。私は実験心理学でトレーニングを受け、臨床心理の分野に進みました。心理学の基本は実験心理学と個人差測定心理学にあると思っています。学部段階からいきなり臨床心理学プロパーに進むのは、相当よろしくないと思います。臨床実践にあたってはその基礎となる確かな、科学的な学問(知見、理論なども含む)が必要です。また、仮説演繹法などのものの見方もきちんと身に付ける必要があります。これらは実験心理学と個人差測定心理学から養われると思っています。 この本は、基礎的知識がない方がいきなり読むのは難しいでしょうが、科学的心理学を学びたいと思う方にはよい参考書となります。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)

    磯田 道史: 家康の誤算 「神君の仕組み」の創造と崩壊 (PHP新書)
    磯田先生の書く本はどれもとても面白く読めます。といっても、私が読むのは研究書ではなく、新書だからなのかも知れません。この本は、家康がなぜ幕藩体制を創ることができたのか、江戸時代、誰が神君の仕組みを崩わしたのか、幕末、かくして神君の仕組みは崩壊した、神君の仕組みを破壊した人々が創った近代日本とは、家康から考える日本人というものという5つの章からなっています。家康は天下を取ったあとこの国を支配するのに巧妙な仕掛けをつくり、平和な時代が続いたのですが、誤算が生じて、徳川政権が変質し、崩壊に至ったと著者は考え、そのプロセスを俯瞰しています。いろいろな時点で「神君の仕組み」を骨抜きにする人物や政策が表れたといいます。組織が弱体化する姿を見ておくと、自分たちの劣化を防ぐ力が養われると磯田先生は述べています。徳川時代が現在にあたえている影響も多く、その分析も興味深く読めます。 (★★★★★)

  • 多井 学: 大学教授こそこそ日記

    多井 学: 大学教授こそこそ日記
    文庫本を買いに本屋に行ったら、平積みしてあるのを見つけて思わず買ってしまいました。私もその昔、ご同業だったことがあったからです。帯に「いくらでも手抜きのできる仕事」とありますが、私の経験でもそういう人もそれなりにいました。ちなみに私自身は、こき使われたと思っています。さらに「現役教授が打ち明けるちっとも優雅じゃない生活」とも書かれていますが、これはまさに私の体験と同じ。本に書かれていることがらも、ことごとく納得できます。私は、「そうそう!」といいながら読み終えました。大学教授で儲けている人はごく一部などなど。まぁ大学教授の仕事や生活に興味をお持ちの方は、さほど多くはいらっしゃらないとは思いますが、お暇な方にはどうぞ。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

    宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)
    「境界知能」という言葉は、専門家はよく知っていると思いますが、一般のご父兄や、小中学校の先生方にはあまりなじみがないかも知れません。IQという指標でいえば、多くの場合70以上85未満の子どもたちがこれに該当する可能性があります。一見したところでは普通の子どもたちと変わりはなく、なかなか気づかれません。しかし、理論的には約14%の子どもたちが含まれますから、本の帯にあるように「日本人の7人に1人」となります。平均と知的障害のはざまにあり、気づかれにくいものの、授業について行けなかったり、友だちと上手くつきあえなかったり、感情のコントロールが苦手であったりして、当事者の子どもたちは苦戦し、辛い思いをしています。発達障害はよく知られるようになりましたが、境界知能の子どもたちにもしっかり目を向け、必要な支援を提供することは喫緊の課題といえます。この本では、境界知能とはどのような状態なのか、教科学習の前に認知機能を向上することの重要性、子どもの可能性をいかに伸ばしたら良いかについて具体的に、分かりやすく解説されています。 (★★★★)

  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)