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2022年5月12日 (木)

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その2)……野村から太岡寺畷へ

Kameyama1  5月7日の東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」の本編その2です。その1では、亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで来ました。歩いているところは、ルートマップその1の中央あたりで、スタートからはまだ2㎞も来ていません。

Img_1579c_20220511072601 Img_1585c_20220511072601  街道の右手に大木が目立つお寺がありました。ノーチェックだったのですが、大木につられて拝観へ。真宗本願寺派の究竟山光明寺。たまたまご住職がいらっしゃり、いろいろな話を伺いました。その1で触れた京口橋は、バスを通すために大正時代にかけられたとか。大木は、イチョウとクスノキ。イチョウは防火になりますので、寺社に多いのは分かりますが、クスノキは燃えやすそうです。

Img_1588c_20220511072601  なかでもヘェ~と思ったのが、こちらの木。予期しないこと、意外なさまを「ひょんなこと」といいますが、それは、このイスノキの葉にできる「虫こぶ」に由来するのだそうです。イスノキは、マンサク科の常緑高木で、庭木として栽培され、その材は柱・机に使われます。この木の葉を虫が食ったあとにできる虫こぶを「ひょんの実」というそうで、子どもの遊びで、この虫こぶの穴を吹くとひょうひょうと鳴るところから木の名も「ひょん」となったという説があるそうです(異説があります)。「ひょんな」は室町時代からあったという話もあります。こちらを参照しました。ちなみに、イスノキに「虫こぶ」をつくるのは、イスノフシアブラムシで、イスノキとアラカシの間を行ったり来たりするアブラムシです。ご住職は、やや耳が遠いらしく、また、いつまで経っても話が終わらないような気がして、ちょっと心配になりましたが、いろいろとおもしろい話を伺えました(苦笑)。

Img_1607c_20220507193101 091c56e2  光明寺の先でスタートから2㎞を過ぎ、亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥陀如来立像(国重要文化財。右の写真。これは、2019年6月9日に訪ねたときに撮らせていただきました(2019年6月15日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴))。もとは野村にあった薬師寺(長福寺)の本尊・薬師如来であったといいます。後世の補修の際に、両手首から先を阿弥陀印に下ものと考えられています。慈恩寺の縁起によれば、薬師寺(長福寺)は行基が神亀(じんき)5(728)年に聖武天皇の勅願によって創建し、薬師如来像を彫刻して、安置したと伝わっています。正徳6(1716)年にこのお寺は、慈恩寺と改まっています。行基が開いたときは、忍山神宮の神宮寺であり、七堂伽藍もあったといいますが、度重なる兵火で焼けています。

Img_1597c_20220511193601 Img_1601c_20220511193601  現在は無住となっており、ほかのお寺のご住職が兼務されているそうですが、境内は檀家の皆さんが手入れされていらっしゃるのか、きれいに保たれていました。墓所には、近藤鐸山(文化10(1813)~明治23(1890)年)の墓がありました。鐸山は号で、名は幸殖(さきたね)。伊勢亀山藩士で、嘉永3(1850)年、家老となり、藩の兵制改革などにつくしました。尊攘派の公卿三条実美らと交流したため、禁門の変への関与を幕府にうたがわれ幽閉されたものの、慶応4(1868=明治元年)年、軍事奉行として復帰し、明治2(1869)年には大参事(現在でいえば、副知事)となっています。慈恩寺には、上述のように、令和元(2019)年に訪ねています。詳しくは、上記のリンク先をご覧ください。

Img_1625c_20220507193101    スタートから約2.7㎞、10時50分頃、野村一里塚跡に到着。三重県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。江戸日本橋からは106里12町(417.6㎞)、京三条大橋から17里32町(70.2㎞)の距離。樹齢400年のムクの巨木が植えられています。昭和9(1934)年に国の史跡に指定されています。

0ed21c5c  ちょっとだけ余談。冒頭の詳細なルートマップその1で、野村一里塚の南に忍山神社があります。「延喜式」神名帳に登録された式内社です。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされたという由緒ある神社です。ここも2019年にJRさわやかウォーキングで訪ねています(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。写真は、このときのもので、今回はパス。

Img_1610c_20220512070701 Img_1638c_20220512070701  余談ついでに、左の写真は亀山市内の東海道。野村一里塚の手前で撮ったもの。こういうカラー舗装になっていて、分かりやすい。右の写真は、野村一里塚を過ぎたあたりから見た南西方向の景色。水田が広がり、青空で気持ちよい。

Kameyama2  このあたりから詳細なルートマップはその2のエリアへ。亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡、毘沙門天のところで東海道は右折、布気神舘大神社は門前で参拝を済ませ、昼寝観音から清福寺へ。11時20分となり、歩き始めから2時間以上となりましたので、ここの隣の公民館で一休み。陸橋を渡って、太岡寺縄手へと進みます。

Img_1641c_20220512071101  まずは、亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡。打田家は、江戸時代初め、近江国から野尻村(現在の布気町)に移住し、亀山藩主本多家のもとで代官を勤め、後にいくつもの庄屋をまとめる大庄屋を務めました。この標柱があるところが旧宅跡と思い込んでいたのですが、よくよく読んだら、東海道を挟んだ向かい側にその屋敷があったそうです(苦笑)。打田権四郎昌克は、打田家は、17歳で大庄屋となり、元禄15(1702)年、亀山藩領に関する記録集である「九々五集」を編纂しています。

Img_1654c_20220512071101 Img_1658c_20220512071101  その先、毘沙門天のところまで来たら、お茶の葉っぱの香り。収穫されたばかりのお茶の葉が土間に並べられ、これから蒸す工程に入れておられました。まさに新茶。お話を伺ったら、作業は大変だそうです。

Img_1652c_20220512071101  このお茶屋さんのすぐ先に毘沙門天があります。以前訪ねていますが、由緒などは不明(20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】)。亀山市歴史博物館のサイトには、「当番の人が毎晩ご飯を備えており、毎年8月には祭りが行われている」と書かれています。

Img_1664c  布気神舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)です。延喜式神名帳に「布気神社」とあるのが、この神社とされます。拝殿は、東海道側からは長い参道の向こうにあります。主祭神は、天照大御神豊受大神、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;払戸大神に同じ)。私は、以前訪ねていますので、鳥居の前から拝んで、今回は失礼しました。詳細は、前のパラグラフのリンク先にあります。

Img_1677c_20220507193101  布気神舘太神社の先で、東海道は坂を下っていきますが、そこに昼寝観音。珍しい名前ですが、亀山市歴史博物館のサイトには、次のようにあります:東大寺の大仏を建て直すお金を全国から集めているとき、伊勢別街道沿いにある石山観音(津市芸濃町)から運ばれたといいます。各地の観音が集まって、西日本の観音めぐり33箇所を決める会議を開いたのですが、この落針(おちばり)の観音は昼寝をしていて会議に行かなかったため33箇所に選ばれなかったとか。この33箇所観音めぐりが、どれなのかは、書かれていませんでした。「西国三十三所巡礼の旅」なのか、「伊勢西国三十三所観音巡礼」なのか。それにしても、昼寝する観音さんとは、何となく親しみが持てます。

Img_1696c_20220512092601 Img_1702c_20220512092601  坂を下ったところに見流山清福寺。真宗高田派のお寺。立派なお寺でしたが、由緒書きは見当たりませんし、ネットで調べてもとくに情報は出て来ません。11時20分を過ぎていましたので、このお寺の南にある公民館で一休み。

Img_1690c_20220512093101 Img_1716c_20220512093101  清福寺の周囲には、常夜燈が2基、別々にあります。どちらも危うく見逃しそうになったくらい、ひっそりと立っています。左の写真のものは、昼寝観音から坂を下りきった、ゴミ集積場の横。右のものは、後でわたる陸橋のところにあったもの。もとは、落針というところの日原にあった「やけ八幡」のもので、安政8(1859)年建立。左の写真のところには、道標(大正紀念道)もあったはずですが、見忘れました。

Img_1709c_20220512093701 Img_1713c_20220512093701  清福寺の先で東海道は、直進するのですが、旧国道1号線、JR関西線がありますので、その上を通っている陸橋を渡ります。

Img_1736c_20220512094101 Img_1749c  陸橋を越えたあたりから、鈴鹿川沿いを進みます。この辺は、太岡寺畷(たいこうじなわて)と呼ばれ、かつては約2kmにおよぶ道の左右に松並木が続き、東海道で最も長い畷道といわれたそうですが、今は桜並木に変わっています。里謡に「わしが思いは太岡寺 ほかにき(気、木)はない まつ(待つ、松)ばかり」と謡われたとか。

Img_1759c_20220512094701 Img_1773c_20220512094701  スタートから5㎞あたりの先で、東海道は、国道25号線・東名阪道の高架をくぐります。いつもは、この上の高速や25号線をクルマで通っています。この先しばらく、鈴鹿川に沿って行き、立ち寄るところはありません。鈴鹿の山並みや、水田の風景を眺めるしかありません。関西線、ここはJR西日本のエリア。右の写真のように、1両のディーゼル車が、1時間に1本通って行きます。その2はここまで。その3では、いよいよ関宿に入って行きます。

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