20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで
4月23日の東海道ウォーキング「井田川~亀山」(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))に引き続いて、この日は、亀山宿~関宿までを歩いてきました。好天に恵まれ、また気温も上がり、亀山のアメダスでは、最高気温は28℃を超えていました。冒頭の画像が、今日歩いたルートの全体像。亀山城下や、関宿ではもっとたくさんのところを見て、立ち寄って来ていますが、書き切れませんので、主なところだけ示しました。とくに関宿は、ずっと以前から一度訪ねてみたいと思っていたところで、ようやく念願が叶ったという次第。
桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山には、9時ちょうどの到着。¥680。亀山駅は、JR東海とJR西日本の境目の駅。関西線はこの先も続くのですが、亀山駅から西はJR西日本。ゴールに設定している関駅もです。三重県なのに、JR西日本というのもちょっと違和感があります。右の写真は、前回訪れた亀山城跡に残る多門櫓。
こちらが、詳細なルートマップその1。前回、最後に、西町問屋場跡まで行ってきました。当初は、この西町問屋場跡から東海道に入る予定でしたが、同級生K氏が、亀山宿のパンフレットで見た加藤家屋敷がおもしろそうだというので、そちらから。東海道からは1本北の通り。西之丸庭園、青木門跡、飯沼慾斎生家跡と道標2基、旧舘家住宅、善導寺、西之丸堀跡、京口門跡、梅厳寺、照光寺、旧佐野家住宅、光明寺、慈恩寺から野村の一里塚へと進みます。
ここは、西町問屋場跡のすぐ東。石碑があるようにこの先、東海道です。ここを上がったところに西町問屋場跡があります。亀山宿は、大きく東町と西町とから構成され、本陣・脇本陣は東町に、問屋場は両町にそれぞれ置かれ、交代で伝馬役を務めたそうです。
いきなり寄り道したのは、加藤家屋敷跡。江戸時代後期、亀山藩主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷跡です。もともとは相当な敷地面積があったようですが、明治以降、ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築で、当時の武家建築様式を今日に伝える希少な遺構として、亀山市文化財に指定されています。
長屋門は、門の扉口の両側に部屋が連なる形式の門です。江戸時代、城下町の武家屋敷の門として始まったもので、あたかも長屋の中ほどに門があるようにみえるところからこの名があり、各部屋には家臣たちが分宿していました。ここ加藤家でも、門(左の写真で向かって左端)に男部屋、若党部屋、物見、厩(mに義の写真)が連なっています。
こちらは、男部屋。寝泊まりするだけという感じで、窓も小さくなっています。現代の感覚では、ここで寝泊まりしろといわれたら、かなり躊躇します。
加藤家屋敷の西に西之丸庭園。御殿跡だそうです。現在は地区の集会所として利用され、庭園は広く一般に開放されています。
その先で青木門跡。西の丸の西南に位置する門で枡形を形成しており、今もそれが残っています。元和元(1615)年、徳川家康が大阪へ出陣のとき、亀山城に宿泊し、搦手門から出立の時、附近に繁茂した青木を見て、「おお青木」と賞賛したことから、門を青木門と呼ぶようになったという話が伝わっています。
青木門跡から南に行くと、東海道に突き当たります。そこの交差点の南西側に飯沼慾斎生家跡があります。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応1元(1865)年)は、江戸後期の蘭方医、植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。今回は見ていませんが、亀山城跡の多門櫓の南に「飯沼慾斎生誕之地碑」があります(2019年6月19日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その4)……亀山演武場、明治天皇行在所、いくつかの石碑と姫垣外苑からでころぼ坂を経て亀山駅にゴール(完))。
この飯沼慾斎生家跡の前の交差点には、道標が2基あります。左の写真では、向かって左手が飯沼慾斎生家跡、奥が青木門跡。交差点の手前と奥に道標があります。右の写真は、奥にある道標。東面には「右 郡役所 左 東海道」とあります。手前側の道標には、「右 東海道 左 停車場」とあります。関西線の前身である関西鉄道は、名古屋駅~柘植駅間を明治28(1895)年に開通させていますから、この道標はそれ以降のものと思われます。
スタートして1㎞の手前に旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。市文化財です。階段が、もともとは仏間のところにあり、隠し階段のような雰囲気。右の写真は、2階の様子。私の印象に残ったのは、この塗り壁でした。ボランティアガイドの方がいらっしゃり、詳しく話をしてくださいました。
旧舘家住宅のほぼ隣には終南山光明院善導寺。浄土宗のお寺。山門も新しく、立派。本堂も新しい。しかし、ガイドブックにも、ネットにも、これという情報はありません。
山門前に「石灯籠寄進 板倉勝澄公」という石碑のある石灯籠。板倉勝澄(享保4(1719)~明和6(1769年))は、江戸時代中期の大名。享保9年、伊勢亀山藩主板倉家第2次2代。延享元(1744)年、備中松山藩主板倉家初代となりました。善導寺の先で東海道は、また、鍵の手となっています。
善導寺の先で、西之丸堀跡。亀山城の外堀の一部で、東海道と外堀が並行して接する場所で、城の防御上、また、景観上重要な場所だったといいます。町屋川には番所、した。跡北復元地南には西之丸西櫓があったそうです。深さ1.8m程度の水堀で、推進は60㎝程度であったといいます。
京口門跡。亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に門がありました。亀山藩主板倉重常によって寛文12(1672)年に完成したとされ、翌延宝元(1673)年に東町に築かれた江戸口門とともに亀山城総構の城門として位置づけられました。京口門は、石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていたといいます。門へ通じる坂道は左右に屈曲し、道の両脇にはカラタチが植えられ、不意の侵入を防いだとされます。大正3(1914)年、京口橋がかけられ、この坂道を登る道筋は途絶えてしまいましたが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗だったといいます。左の写真は、京口門跡から西の方を見たもの。右は京口橋をわたった先から振り返って、東を撮ったもの。この先に京口門、亀山城が見えたということです。
京口門跡の案内板があるところに純一山常寿院梅厳寺。浄土宗のお寺。伊勢亀山藩主・石川氏の先祖・石川家成は徳川家康の忠実なる家臣であり、石川昌勝が慶安2(1650)年、伊勢亀山藩主となった時に、石川家成の菩提寺をここに移して、藩主・石川氏の菩提寺にしています。寺名の梅巌は、石川家成の院号だそうです。
ちょっと余談。京口橋から滝川を見下ろすと(橋の上から北の方角を撮っています)、かなり高いことがわかります。上述のように、本来の東海道は、この下を通り、左右に屈曲した坂道を登って、京口門に至ったということです。
京口橋をわたった北側に妙亀山照光寺。日蓮宗のお寺。山門の写真は、京口橋をわたったところから撮っています。見下ろすようになっていますが、それは橋がかかってから。昔の東海道は、おそらく、この山門の高さのところを通っていたと思います。
ここには、前回、池の側で見た「石井兄弟敵討碑(東丸町)」に関連して、敵を討たれた赤堀水之助の墓があります。元禄14(1701)年5月9日、石井源蔵・半蔵兄弟は亀山城石坂門外で、父と兄の敵である赤堀水之助を討ち果たしました。この敵討ちについては、こちらに詳しい話が載っています。
墓所には、もう1基、史跡に指定されているお墓がありました。山木善太の墓です。山木善太(寛政12(1800)~天保8(1837)年)は、幕末の儒者で、亀山藩明倫舎で儒学を教授し、その普及に貢献したそうです。頼山陽、斎藤拙堂と交流があったといいます。
照光寺から道を挟んだ向かい側に旧佐野家住宅。大地主で、商家で、家主は質店などを経営していました。明治初期に改築されたが、江戸時代の家の様子も引き継ぐといいます。「入り母屋妻入り」の造りで、街道に切り妻の正面を向ける妻入りの町屋は多くないそうです。正面から入った土間が奥に入って広くなり、中庭へ続いていました。
その先で、旧森家住宅。切妻造桟瓦葺で、西面に切妻棟を敷設しています。現在は、骨董カフェを営んでいるようです。
まだルートマップその1の途中ですが、長くなりましたので、記事のその1はここまで。
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