20220528松阪ウォーキング(予告編)
27.4℃とやや暑くなったものの、よい天気でした。5月7日に、東海道ウォーキングとして、亀山宿から関宿まで歩きました(2022年5月 7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。県内の東海道を歩いていたのですが、この先は、JR関西線と東海道とが離れてしまい、「電車で行って、歩いて電車で帰る」というスタイルで行けるのは関まで(三重県にはもう1箇所、坂下宿があり、その先は鈴鹿峠越えになります)。次のウォーキングはと考え、取り敢えず、今回は松阪へ。松阪駅から八雲神社、来迎寺、常教寺、樹敬寺(本居宣長の墓があります)、御城番屋敷、松坂城跡などを巡ってきました。同級生K氏との二人旅。
桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時22分着。名張から来る松阪行き急行(9時25分発)に乗り換えて、松阪駅には9時31分着。松阪は、去年10月の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」以来(2021年10月16日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】、2021年10月30日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(予告編))。9時40分に松阪駅をスタート。
まずは八雲神社へというつもりでしたが、その手前で金生山弥勒院善福寺。真言宗のお寺。「縁切り不動」という看板もあり、興味が湧いたので、立ち寄り。もとは松ヶ島の弥勒屋敷にあったといわれ、かつては隣接する八雲神社の別当寺でした。行基の草創、宝亀4(773)年、勤操(ごんぞう)僧都の再興と伝え、もとは松ヶ島(現・松阪市松ヶ島町)の弥勒屋敷(天王屋敷)にあったといわれます。天正16(1588)年、蒲生氏郷が松阪城を開き城下町を整備した時、現在の地に移りました。境内には、水掛不動もありました。
お隣に、その八雲神社。貞観12(870)年、諸国に疫病が流行した際、伊勢国代官・森田政直が悪疫退散を祈願して、上に書いた弥勒院善福寺に京都衹園社(現・八坂神社)から勧請されました。その後、松坂城築城のとき、松ヶ島から現在の場所に移っています。松阪の総産土神として祟敬されています。長く「牛頭(ごづ)天王社」「松阪天王社」「衹園社」などと呼ばれていたのですが、明治時代になって八雲神社と改めています。
八雲神社の先で、まだ営業しているのか確かめたかったところがありましたので、立ち寄って来ました。それは、松阪大映という映画館。3年前、氏郷まつりに来た時に見つけたのです(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)。昭和15(1940)年頃、アサヒ館として開館、昭和35(1960)年前後に現館名に改称しています。その当時は大映の封切館でしたが、昭和45(1970)年前後に独立し、成人映画館に業態を変えています。松阪市内最後の映画館であったようです。われわれが子どもの頃、通った映画館がそのまま残っている印象です。
湊町の交差点からまた、立ち寄り。1週間前の土曜日に、「第16回松阪撫子どんな花?祭り」が開かれ、平生町なでしこ館(夢休庵)のところには、5月31日まで「松阪撫子をめぐる街なか散歩」ということで、松阪撫子が展示されていましたので、見に行ったという次第。松阪撫子は、花弁が長く垂れ下がっているのが特徴で、江戸時代に松阪の紀州藩士だった継松栄二が、育てていたナデシコの中から花弁が細長いものを見つけ、改良して作り出したとされます。
続いて、教主山無量寿院来迎寺(らいごうじ)。天台真盛宗の寺院。永正年間(1504~1521年)、北畠材親(きたばたけきちか)により松ヶ島城下に創建されましたが、蒲生氏郷の松阪城築城にともなって現在地に移転しています。 享保元(1716)年の松阪大火で表門(現在の裏門)を除いて焼失しましたが、豪商三井家などの尽力により8700両の費用をかけて再興されたといいます。現在の裏門(右の写真)は、松坂城の中門を移築したそうです。
来迎寺でこちらを見つけました。たぶんコウホネ(川骨)と思います。初めて見ました。実は、2年前、散歩友達のご夫婦に四日市の保々駅近くの川にコウホネがあると聞いて探しに行ったのですが、見つけられなかったのです(2020年6月5日:コウホネは見つけられず……東員町・中部公園のアジサイもまだ早く、三岐鉄道保々駅で俄撮り鉄(苦笑))。
来迎寺の近くで、常教寺という真宗高田派のお寺。観光案内にも、ネットにもこれという情報はありませんでしたが、けっこう立派なお寺でした。実は、ここはパスしようと思ったのですが、来迎寺を出たところで、道に迷いかけたお陰で立ち寄って来たのです(苦笑)。
法幢山樹敬寺(じゅきょうじ)。浄土宗、知恩院末寺。鎌倉時代初期の建久6(1195)年、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が、東大寺大仏殿復興大勧進のために、細頸に不断念仏道場を建て、南北朝時代の正長元(1428)年には戦火で廃墟となりました。文亀元(1501)年、敬誉(きょうよ)上人が、伊勢神宮参拝の際に不断念仏院を訪れて復興を志し、28年間にわたって浄財集めを行っています。敬誉上人は「樹敬上人」と呼ばれて親しまれていたことが寺号の由来だといいます。
ここに来たのは、墓地に本居宣長と長男の春庭、原田二郎などのお墓があるからです。左の写真は、宣長夫妻の墓と春庭夫妻の墓が背中合わせに立っているところ。宣長・春庭墓は国指定史跡に指定されています。右の写真は、原田二郎の墓所。
墓地は、土塀で囲まれていますが、これは、松阪市内では見かけないめずらしいものです。
これから、原田二郎旧宅に向かいますが、途中で、松阪三珍花の発祥の地を見てきました。まずは、松阪菊発祥の地。新町の郵便局の向かい。江戸時代後期、菊愛好家の木下藤八が嵯峨菊からつくり出したそうです。続いて、殿町にある松阪撫子発祥の地。
その近くに、松阪花菖蒲発祥の地。江戸時代後期、この地に住んだ紀州藩士・吉井定五郎が、野花菖蒲を改良して、現在の松阪花菖蒲を作り出したといいます。江戸系や肥後系のものに比べ、女性的で優雅な花だそうです。
原田二郎旧宅。ここは、松阪の旧紀州藩同心の居住した武家屋敷の遺構です。原田二郎は、紀州藩松坂領の町奉行所の同心の家に生まれました。原田は、21歳のとき京都に上がり、さらに23歳のとき、東京に出て英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。そのときに得た莫大な退職金、全財産をすべてつぎこみ、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました(大正9(1920)7月)。原田積善会は、現在も公益財団法人として、社会事業分野と学芸事業分野の2つを柱に継続して幅広く行っています。
原田二郎旧宅は、松坂城の内堀に面していたようで、屋敷内西側の庭に「松坂城堀跡」の表示がありました。この表示板の向こう側に掘、さらにその奥に土塁があったそうです。
さて、いよいよ御城番屋敷へ。江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家屋敷です。このような組屋敷は全国でも大変珍しい上に、今も多くの人々がここで暮しているのです。西棟北端の一軒は内部を公開しています。この御城番屋敷の並ぶとおりは、何度眺めても良い景色です。ここは御城番であった紀州藩士の子孫の方々が、苗秀社という会社を作って維持し、借家として貸し出しています。
松坂城の搦手門跡のところで小休止。ここまでに4㎞弱を歩いて、時刻は、12時20分になっていました。あちこちウロウロしていますので、普通に歩くよりも相当時間がかかるのです。
御城に行く前に、本居宣長ノ宮(左の写真)と、松阪神社へ。本居宣長ノ宮は、本居宣長と平田篤胤を主祭神としています。もとは、本居大人奥墓がある旧山室村にあったのですが、大正4(1915)年、この森に遷座しました。松阪神社は、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。
本居宣長記念館にも行くつもりでしたが、あとのことも考えて、今日はパス。松坂城跡へ。天正16(1588)年に蒲生氏郷によって築城された平山城。現在も野づら積などの豪壮な石垣が残っています。本丸を中心に渦巻き状に曲輪を巡らせた配置は、渦郭式(かかくしき)と呼ばれます。天守閣跡まで上ったのですが、けっこうな運動量(苦笑)。
二の丸跡からは、御城番屋敷がよく見え、ここは私の気に入った場所。今日は、水彩画の写生をする方たちのグループがいらっしゃいました。このあと、鈴の森公園まで足を伸ばして、松阪市埋蔵文化財センター(はにわ館)で船形埴輪などを見ようと思っていたのですが、松坂城跡を見終わった時点で、13時。実は、今朝、同級生K氏と駅で待ち合わせたとき、不二屋で焼きそばを食べようと言うことになり、これが今日最大のミッションになっていたのです。不二屋は、昼の営業が14時30分まで。さらに、今朝のメ~テレの「ドデスカ ドようびです。」で不二屋の焼きそばが取り上げられていました。賑わっていて入れない、食べられないのはマズいということで、埴輪はパスして、不二屋へ。
不二屋は、中町にある松阪肉の和田金や、和菓子で、お土産で有名な老伴をつくっている柳屋奉善の近くにあります。
こちらが、その不二屋。13時10分過ぎに到着。店の外まで行列か?と心配したら、杞憂に終わりました(微笑)。待っていたお客さんは1組(ただし、われわれのあとからも続々とお客さんは来ていました)。無事に焼きそばを食べられました(¥800)。麺は揚げてあり、サクサク。タレは和風出汁が効いた少し固めのもの。不二屋さん独自の「かたやきそば」。サッパリとして美味しい焼きそばを堪能できました。
昼食を済ませ、松阪駅には、14時5分に戻って来ました。土産は、柳屋奉善の老伴(おいのとも)。昔ながらのものに加え、レモン味がありましたので、それも試しに買ってきました。こちらは、1個¥230。
松阪駅を14時15分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、15時22分に到着。¥960。暑かったので少しお疲れ。現地では、6.3㎞ほどを歩きました。自宅から桑名駅往復が、2.4㎞ですので、合計8.7㎞。歩数は、17,332歩。本編は、また追々書いていきます。次ぎは、大垣へ行く予定。
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しばっちゃん、こんばんは。
桑名城跡は、平城というか、水城で、松坂城ほど立派な石垣はありません。
そのため、松坂城や、津城へ行くと、いいなと思います。
御城番屋敷も、気に入りのところです。
屋敷のあたりの雰囲気も好きですが、松坂城の二ノ丸跡から見下ろす景色もいいと思います。
松阪木綿は、最近は、いろいろなものがつくられていますね。
いいなと思うものもあるのですが、最近は、物欲があまりなくなってきて、買ったことはありません。
投稿: mamekichi | 2022年5月29日 (日) 19時32分
私の友だちも、松阪城跡が大好きで、2年ほど前、連れて行ってもらいました。お土産を売っている観光物産店みたいなところで、松阪木綿の座布団カバーを3枚(そこにあった全て)を買いました。
最近、座布団カバーを買う人がいなくて、年々価格が高くなっています。
投稿: しばっちゃん | 2022年5月29日 (日) 18時55分