20220528松阪ウォーキング(その1)……縁切り不動、八雲神社、松阪大映、松阪撫子を見て来迎寺へ
5月28日に行ってきた「松阪ウォーキング」の本編その1です。この日は、27.4℃とやや暑くなったものの、よい天気でした。去年の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参り」を終え(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)、その後、今年に入ってからは、県内の東海道を歩くウォーキングを続け、5月7日に、亀山宿から関宿まで歩きました(2022年5月 7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。関宿から先は、JR関西線と東海道とが離れてしまい、「電車で行って歩き、電車で帰る」というスタイルで行けなくなります(三重県にはもう1箇所、坂下宿があり、その先は鈴鹿峠越えになります)。次のウォーキングはと考え、取り敢えず、今回は松阪へ。松阪駅から八雲神社、来迎寺、常教寺、樹敬寺(本居宣長の墓があります)、御城番屋敷、松坂城跡などを巡ってきました。同級生K氏との二人旅。
松阪へは、大昔、仕事で2回くらい(筋ジス協会の家庭訪問、ダウン症親の会の合宿)行ったことがありました。2018年5月26日には、JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」、2018年11月3日には、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」、2019年11月3日にも、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」、2019年10月5日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」、2019年10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」、2021年10月16日の勝手にハイキング「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー(第12回松阪・小津~松阪駅)」、2021年10月30日の勝手にハイキング「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー(第13回松阪駅~櫛田)」とたびたび訪れていますが、気に入った町なのです。
今回のウォーキングは、同級生K氏が、松坂城跡、御城番屋敷なども見て回りたいということで、実現。左は、実際に歩いた詳しいルートマップその1。松阪駅のJR側を出てベルタウン方向へ。善福寺、八雲神社、松阪大映とまずは、見て回りました。ちなみに、松坂(元々はこのように表記)は、天正12(1584)年、豊臣秀吉の臣・蒲生氏郷が、近江日野(おうみひの)から松ヶ島城(松阪市)12万石の城主に着任してできた町です。松ヶ島は、良港があり街道沿いの要地ですが、地形上片寄りすぎるため、4年後に四五百森(よいほのもり)という西方丘陵に築城し、地名を松坂、城を松坂城と命名し、楽座楽市を採用し城下町を造成しました。
桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時22分着。名張から来る松阪行き急行(9時25分発)に乗り換えて、松阪駅には9時31分着。9時40分に松阪駅をスタート。途中、駅弁のあら竹さんの前を通りますが、さすがに先週食べたばかりですから(2022年5月22日:20220522JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング共同企画「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」(完))、今回は、失礼しました。
まずは八雲神社へという計画でしたが、その手前で金生山弥勒院善福寺。真言宗のお寺。「縁切り不動」という看板が目に入って、興味が湧いたのです(別に縁を切りたい人が、今いるわけではありません。念のため)。
もとは松ヶ島(現・松阪市松ヶ島町)の弥勒屋敷にあったといわれます。行基の草創で、宝亀4(773)年、勤操(ごんぞう)僧都の再興と伝わっています。境内社に牛頭天王社があり、この牛頭天王社は、貞観12(870)年、伊勢代官であった森田豊前守政直が、疫病退散を願って京都の祇園の社を勧請したものです。天正16(1588)年、蒲生氏郷が松阪城を開き城下町を整備した時、現在の地に移りました。享保14(1729)年5月、類火によって堂、社を消失し、多数の寺宝、古記録などを失いましたが、その後、享保から宝暦頃に諸堂が再興されています。明治の神仏分離令が行われるまでは、隣接する八雲神社の前身牛頭天王社の別当寺として、社に関するすべての事が寺の住僧によって行われていました。市文化財の薬師如来像も同社の本地仏であったと考えられています。
境内には、左の写真のように、四国八十八箇所霊場お砂踏み霊場が設けられていましたし、また、水掛不動もありました。傍らの説明板によれば、不動明王は、「代受苦の仏」であるとありました。私たちに代わって苦を受けてくださる仏様だそうです。縁切りは、どこでどのように行うのか、特に説明がなかったように思います。調べてみたら(こちら)、OTONAMIEのサイトにありました。御札に書いて、不動明王の前にある水に浸すと、その御札が溶けます。溶けたら、その水をお不動さんにかけることで悪縁を絶ちきってもらうのだそうです。さらに、悪縁を切った後は、良い縁と巡り会えるよう護摩に願い事を書くというのが一連の流れだとか。
善福寺のとなりにあるのが、八雲神社。上述のように、善福寺は、八雲神社の前身である牛頭天王社の別当寺という関係。別当寺は、神宮寺の一種で、神社の境内に建立され、供僧が祭祀・読経・加持祈禱をする一方、神社の管理経営を行った寺です。本地垂迹説が唱えられ、神仏習合思想が成立すると、神社では仏教による祭祀が盛んに行われました。神宮寺が多くつくられたのはその現れですが、なかでも別当寺といわれるものは、神社の祭祀や管理などの支配権をもった特別な寺で、一般の神宮寺とははっきり区別されます。
八雲神社。もとは、上述のように、貞観12(870)年、諸国に疫病が流行した際、伊勢国代官・森田政直が悪疫退散を祈願して、弥勒院善福寺に京都衹園社(現・八坂神社)から勧請した牛頭天王社です。その後、松坂城築城のとき、松ヶ島から現在の場所に移っています。松阪の総産土神として祟敬されています。長く「牛頭(ごず)天王社」「松阪天王社」「衹園社」などと呼ばれていたのですが、明治時代になって八雲神社と改めています。蒲生氏郷によって松ヶ島城から遷社されました。御祭神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)とありました。ここには私は、2回ほど来ていますが、2018年11月3日に近鉄ハイキングで氏郷まつりに来た時の記事に詳しく書きましたので、詳細はそちらをお読みください(2018年11月8日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……))。写真のような山門があるなど、ちょっと独特です。また、明治41(1908)年、塚本の菅原神社ほか11社を合祀したためか、境内には摂社・末社がたくさんありますし、伊勢神宮遙拝所もあります。
八雲神社の先で、是非とも確かめたかったところがありました。それは、松阪大映という映画館。3年前、氏郷まつりに来た時にたまたま見つけたのです(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)。このときは、まだ営業しているようでした。昭和15(1940)年頃、アサヒ館として開館、昭和35(1960)年前後に現館名に改称しています。その当時は大映の封切館でしたが、昭和45(1970)年前後に独立し、成人映画館に業態を変えています。松阪市内最後の映画館であったようです。われわれが子どもの頃、通った映画館がそのまま残っている印象です。
松阪大映を出た先で、右折し、伊勢街道方面へ。ここから、詳細なルートマップはその2になります。平生町なでしこ館、来迎寺、常教寺、樹敬寺・本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪菊・松阪撫子・松阪花菖蒲のそれぞれの発祥の地(これらをまとめて、松阪三珍花といいます)とめぐり、原田二郎旧宅へと進みます。
湊町の交差点に出て、ちょっとお立ち寄り。1週間前の土曜日に、「第16回松阪撫子どんな花?祭り」が開かれ、平生町なでしこ館(夢休庵)のところに、5月31日まで「松阪撫子をめぐる街なか散歩」ということで、松阪撫子が展示されていましたので、見に行ったという次第。松阪撫子は、花弁が長く垂れ下がっているのが特徴で、江戸時代に松阪の紀州藩士だった継松栄二(1803~1866年)が、育てていたナデシコの中から花弁が細長いものを見つけ、改良して作り出したとされます。こちらに詳しい説明があります。なお、松阪撫子は、松阪駅にも展示されていましたし、このあと訪ねたあちこちでも見られました。
湊町の交差点に戻って左折し、南西へ。教主山無量寿院来迎寺(らいごうじ)。天台真盛宗の寺院。永正年間(1504~1521年)、北畠材親(きたばたけきちか)により松ヶ島城下に創建されましたが、蒲生氏郷の松阪城築城にともなって現在地に移転しています。 豪商三井家の菩提寺としても知られています。享保元(1716)年の松阪大火で表門(現在の裏門)を除いて焼失しましたが、三井家などの尽力により8,700両の費用をかけて再興されたといいます。現在の裏門(右の写真)は、松坂城の中門を移築したそうです(市文化財)。
こちらが本堂(国重要文化財)。もとは、永正年間(1504~1521年)の建立でしたが、現在のものは、焼失後の享保16(1731)年にさいけんされたもの。内陣と外陣とを前後に取合いでつなぐ、類例の少ない複合仏堂だそうです。墓地には、本能寺の変のとき、徳川家康の三河への帰路を助け、のちにこの功で家康から朱印状を受け、安南貿易で活躍した角屋一族の墓所もあるというので、探しに行ったものの、分かりませんでした。
山門はたいそう立派なものでした。寺社奉行に願書を出してから、住職の大病そのたで工事開始が遅れ、文化7(1810)年に着工、落成は文政4(1821)年と20年がかり。一間鐘楼門形式というそうで、1階が通路、2階に鐘が吊られています。門の左右には番小屋もありました。いた扉は欅の1枚板。
来迎寺でこちらを見つけました。たぶんコウホネ(川骨)と思います。初めて見ました。実は、2年前、散歩友達のご夫婦に四日市の保々駅近くの川にコウホネがあると聞いて探しに行ったのですが、見つけられなかったのです(2020年6月5日:コウホネは見つけられず……東員町・中部公園のアジサイもまだ早く、三岐鉄道保々駅で俄撮り鉄(苦笑))。
来迎寺から次に行くところで、道に迷いかけました(苦笑)。が、そのお陰でパスしようと思っていた常教寺という真宗高田派のお寺に行けました。転んでもただでは起きないというほどではありませんが……。観光案内にも、ネットにもこれという情報はありませんでしたが、けっこう立派なお寺でした。その1は、ここまで。その2は、樹敬寺から。
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