お知らせ

  • データの移行について
    2005年10月26日のブログ開始当初から、2023年11月30日までの記事は、「猫の欠伸研究室(アーカイブ)」に移行しました(http://blog.livedoor.jp/taichimaru151/)。 このココログの「猫の欠伸研究室」には、2018年1月以降の記事を残し、2017年12月以前の記事は削除しました(2018年1月1日から2023年11月30日までの記事は、両方にあります)。

レンズを通した自然観察

  • この「レンズを通した自然観察」ということばは、恩師のお一人が、私の趣味を形容しておっしゃったものです。2023年2月7日のブログに書きましたが、実はときどき思い出していることばです。お世話になった先生方はたくさんいらっしゃいますが、この恩師は、就職のことから学位論文の執筆、審査に至るまで本当にお世話になった先生です。「写真の撮り方を指南してもらいたい」ともおっしゃったのですが、これはお世辞と理解しています。私はほぼ隠居状態となって10年以上になりますが、今、改めてこのことばをかみしめています。この先生には結婚式の際に「理論と臨床をつなぐ仕事をするように」ということばをいただきました。体調を崩してそれには十分に応えられませんでしたので、せめてこの「レンズを通した自然観察」については、極めるとまでは行かないにしても、もう少し精進したいと考えています。

ブログ名の由来

  • ブログ名の「猫の欠伸研究室」は、中日新聞の夕刊に連載されている「紙つぶて」というコラム(平成22(2010)年1月13日)に、元新党さきがけ代表の武村正義さんが書いていらっしゃった「人生は猫の欠伸である」というコラムによります。武村さんは、“チベットで鳥葬を取り仕切る僧侶が、「人の生涯は猫の欠伸のようなもの」と語った”と書いていらっしゃいます。「猫の欠伸のようなもの研究室」としたかったのですが、ちょっと間延びしますので、「猫の欠伸研究室」とした次第です。「研究室」とつけたのは、過去、大学に勤めていたことがあるということやら、知らないこと、分からないことがあると何でも調べずにはいられない性分であること、屁理屈、講釈が大好きであることからであります。しかし、「人生の研究をしている」のではありません。「大所高所」からのご高説を開陳できるほどの力量はないが故、「小所低所」からの戯れ言をつぶやくのが精一杯(苦笑)。身の程に合わせ、勝手なことを書き綴っていますので、御用とお急ぎでない皆様には、今後ともご交誼のほど、お願いいたします。是非ともコメントを頂戴し、少しでも世間を広げたいと熱望しております。

モットー

  • 座右の銘というほど立派なものはありませんが、過去に体調を崩し、療養生活を送った経験から、私なりのモットーをつくっています。その一つは、「淡々と飽きもせず……」です。自分では、「……」と余韻を残しているところが気に入っています。こだわりすぎや、やり過ぎはよくありません。若い頃はムキになってやったこともありますが、今はこのように「淡々と飽きもせず……」が自分に合っていると思っています。もう一つは「晴耕雨読」ならぬ「晴歩雨読」です。マンション暮らし故、耕すところはありません。代わりに歩いています。そして、最近(令和3(2021)年に入った頃から)追加したのが、「散歩生活、ときどき仕事」。NHKのテレビ番組に「晴れ、ときどきファーム!」というものがあります。これのもじり。浅学非才の身ですので、ご交誼の上、いろいろとご教示をお願いします。

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2022年5月

2022年5月31日 (火)

御坊さんで菩提樹の花が咲き始めました……ホオジロの親子も

Img_4213c_20220531160401  昼前くらいから青空が出て来ましたが、それまでは曇天。雨は、7時台には上がりましたので、8時過ぎにもう大丈夫だろうと散歩に出たら、我が家近くまで来たところで、降雨(苦笑)。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、常信寺、御坊さん、田町、三崎通と6.2㎞。

Dsc04368c  揖斐川の高水敷、船津屋さんの裏手でヒバリ。もう少しまともな写真を撮ろうとは思ったものの、これを撮ったところで逃げられました。

Dsc04374c Dsc04444c  三の丸水門で、ホオジロ親子。メスが、ヒナを連れてきていました。親はすぐにどこかに行ったのですが、ヒナの方はしばらく同じところに留まっていました。

Dsc04526c  九華公園では、スズメ、ドバトはいたものの、他はあまりいません。管理事務所近くを通ったあたりで、コゲラの鳴き声。次第に奥平屋敷跡、二の丸跡と移動していきました。追いかけて、二の丸跡にいるところの「超証拠写真」。頭に赤い部分も見えますから、オス。ファミリーで一緒にいます。

Dsc04563c Dsc04615c  京町のお宅のツバメの巣。いないかと思ったのですが、よく見ると巣に就いていました。右は、三崎通のお宅の巣。空っぽになっていました。昨日は、2羽のヒナがまだ残っていましたが、巣立って行ったものと思います。

Dsc04659c Dsc04643c  田町の商店の巣。ヒナは5羽いたはずですが(2022年5月30日:三崎通のお宅のツバメの巣では、巣立ちが始まっていました)、今日は4羽しか見えません。肉眼でもよく見ましたし、写真も見直したのですが、やはり4羽です。

Dsc04477c Dsc04479c  さて、ここからは、花、樹木の話。左の写真は、柿安コミュニティパークの駐車場の周囲にあるクチナシ。3月に剪定されてしまい、ご覧のような様子。毎年、花が咲くのを楽しみにしていたのに、とても残念。右は、九華公園のツツジ。昨日から剪定作業が行われています。去年のような乱暴な刈り方ではありませんが、時期的には微妙な気がします。ただし、これはあくまでも素人判断では、です。

Dsc04583c Dsc04590c  御坊さんでは、菩提樹の花が咲き始めました。以前は、出遅れることが良くあったのですが、最近は注意していて(といっても、早めから何度も見に行くだけですが)、見逃すことはなくなりました。ちなみに、近くにある常信寺の菩提樹はまだつぼみでした。

Dsc04554c Dsc04556c  アジサイ、あちこちでいろいろな種類が咲いて来ています。これらの2枚は、九華公園の外周遊歩道の東から南のお宅で見たもの。

Dsc04580c_20220531160501 Dsc04601c_20220531160501  左の写真のものは、常信寺にて。右は、八間通郵便局の近くの歩道に咲いていたもの。

Dsc04561c  明日からは6月。早いものです。その明日は、江戸橋での非常勤の7回目。折り返し点がだんだんと近づいてきます。これは、アルストロメリアでしょうか(Googleレンズに聞いただけですから間違っているかも)。内堀にて。

Img_4218c_20220531160501 Img_4220c_20220531160401  ベランダ園芸の余談。万年青の花。少しずつクリーム色になってきています。

20220528松阪ウォーキング(その2)……樹敬寺で本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪三珍花の発祥地をめぐり、原田二郎旧宅、松阪工業高校の赤壁校舎から御城番屋敷へ

220528matsusaka2  5月28日に行ってきた「松阪ウォーキング」の本編その2です。その1では、来迎寺、常教寺まで来ました。その2では、樹敬寺で本居宣長の墓、原田二郎の墓所を訪ね、その後、松阪三珍花である松阪菊、松阪撫子、松阪花菖蒲のそれぞれの発祥の地を周り、原田二郎旧宅、県立松阪工業高校の赤壁校舎を見て、御城番屋敷まで。

Img_3852c_20220530185101  法幢山樹敬寺(じゅきょうじ)。浄土宗、知恩院末寺。鎌倉時代初期の建久6(1195)年、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が、東大寺大仏殿復興大勧進のために、細頸に不断念仏道場を建て、南北朝時代の正長元(1428)年には戦火で廃墟となりました。文亀元(1501)年、敬誉(きょうよ)上人が、伊勢神宮参拝の際に不断念仏院を訪れて復興を志し、28年間にわたって浄財集めを行っています。敬誉上人は「樹敬上人」と呼ばれて親しまれていたことが寺号の由来だといいます。

Img_3842c_20220528200001 Edf736b8  しかし、明治26(1893)年の松阪大火により全焼し、現在の建物は、それ以降のもので、本堂は、明治35(1902)年に再建されました。右の写真にあるように、往時は、8つの塔頭がある大きなお寺でした。嶺松院は、宣長歌会の会場だったといいます。写真はありませんが、歌碑があり、「しめやかにけふ春雨のふる言をかたらん嶺の松かけの庵 舜庵」とあります。「舜庵」は宣長の雅号の一つ。院は明治の大火で焼失しました。

Img_3812c_20220528195701 Img_3823c_20220528200001  ここに来たのは、墓地に本居宣長と長男の春庭、原田二郎などのお墓があるからです。このお寺は、代々本居家の菩提寺で、宣長は、72歳の生涯を閉じる前年、遺言書をしたため、自分の墓を樹敬寺と、山室山(松阪市山室町)に指定しています。左の写真は、宣長夫妻の墓と春庭夫妻の墓が背中合わせに立っているところ。宣長・春庭墓は国指定史跡に指定されています。右の写真は、原田二郎の墓所。

Img_3830c  墓地は、土塀で囲まれていますが、これは、松阪市内では見かけないめずらしいものだそうです。樹敬寺には、以前も訪ねています(2018年11月11日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その3)……和歌山道道標、樹敬寺で本居宣長墓所、御城番屋敷で武者行列を見る)。

Img_3856c_20220530185101  山門の西には、「明治天皇樹敬寺御晝餐所(ごちゅうさんしょ)」という石碑が建っていました。明治天皇は、明治13(1880)年7月7日、ここ樹敬寺にて昼食を摂られたということです。この年7月4日~6日、明治天皇は三重県庁、裁判所、師範学校、津中学校を御巡覧され、願王寺(寒松院)でご宿泊されました。津市の寒松院には、明治天皇行在所跡があります(4月29日:20180423勝手に近鉄ハイキング「名古屋線・津新町駅から松菱、お城公園など」(その1)……津新町駅界隈、松菱百貨店、藤堂家墓所の寒松院)。7日に伊勢神宮に御親謁されていますから、そのとき、ここでお昼を召し上がったということでしょう。その後は、名古屋、大阪に向かわれたといいます。

Img_3868c_20220528200001  このあとは、松阪三珍花の発祥地めぐり。まずは、松阪菊発祥の地。新町の郵便局の向かいにあります。江戸時代後期、菊愛好家の木下藤八が嵯峨菊からつくり出したそうです。江戸菊、肥後菊、嵯峨菊と並ぶ古典菊の1つ。花は、花弁が縮れて垂れ下がるのが特徴、繊細で優美な趣があるといいます。

Img_3875c_20220528200001 Img_3882c_20220528200001  続いて、殿町にある松阪撫子発祥の地。松阪撫子は、花弁が長く垂れ下がっているのが特徴で、江戸時代後期(1830年頃)、この地に住んだ紀州藩士・継松栄二が、華麗なカワラナデシコの花に見せられて育てていたところ、突然変異によるものか、5枚の花弁が深く咲け、細長い糸状に縮れて垂れる花をを見つけ、改良して作り出したとされます。第119代光格天皇は、この松阪撫子を愛され、現在も京都の宝鏡寺で「御所撫子」の名で栽培されているそうです。

Img_3888c_20220530191701 Img_3891c_20220528200001  そのすぐ先には、松阪花菖蒲発祥の地。江戸時代後期(1810年頃)、この地に住んだ紀州藩士・吉井定五郎が、野花菖蒲を改良して、現在の松阪花菖蒲を作り出したといいます。花が三英先(外花被(外側の大きな花弁)が三枚のものを三英花、六枚のものを六英花といいます。こちら)で、花弁は縮緬地の薄弁で大きく、互いに重なり垂れるといいます。江戸系や肥後系のものに比べ、女性的で優雅な花だそうです。伊勢系の花菖蒲は、九華公園にもあります。調べて見たら、こちらに分かりやすい解説がありました。

Img_3903c_20220528200001 Img_3940c_20220531034301  原田二郎旧宅。ここは、松阪の旧紀州藩同心の居住した武家屋敷の遺構です。原田二郎は、紀州藩松坂領の町奉行所の同心の家に生まれました。原田は、21歳のとき京都に上がり、さらに23歳のとき、東京に出て英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。そのときに得た莫大な退職金、全財産をすべてつぎこみ、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました(大正9(1920)7月)。原田積善会は、現在も公益財団法人として、社会事業分野と学芸事業分野の2つを柱に継続して幅広く行っています。原田二郎旧宅には、以前にも訪れています(2018年6月15日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その1)……小津安二郎青春館、夢休庵で松阪撫子、原田二郎旧宅から松坂神社【明治天皇樹敬寺御晝餐所を付記しました(6/17)】)。

Img_3928c_20220528200001 Img_3932c  原田二郎旧宅は、松坂城の内堀に面していたようで、屋敷内西側の庭に「松坂城堀跡」の表示がありました。この表示板の向こう側に掘、さらにその奥に土塁があったそうです。右は、表示板の拡大。赤丸のところが、ここ原田二郎旧宅。

Img_3952c_20220531034401  原田二郎旧宅から御城番屋敷へ向かおうとしたら、原田二郎旧宅の向かいに「松阪徳義社発祥地」という石柱が建っていました。三つ葉葵の紋もあります。調べてみたら、松阪徳義社は、明治維新後、窮乏する士族(武士)の生活を救うため、紀州藩第14代藩主・徳川茂承(もちつぐ)によって創設されました。明治11(1878)年の創設以来、現在も続いているそうです。財団法人松阪徳義社は、平成25(2013)年4月、一般財団法人に組織変更しましたが、 現在も、「教育・救助」の活動と紀州徳川に関係する松阪市内の3寺社(樹敬寺・清光寺・来迎寺)を持ち回りして、毎年社員が出席する法要を続けるとともに、学校教育に対する支援活動や、文化振興に関する支援活動などを行っています。

Img_3961c_20220531035301 Img_3964c_20220528200001  さらに、御城番屋敷に向かう途中、県立松阪工業高校の正門前を通ります。ここは明治35(1902)年に全国唯一の応用化学専攻の「三重県立工業学校」として創立された三重県でもっとも歴史の有る工業高校です。当時、木造校舎の外壁は実験に用いる硫化水素の影響を受け黒変することがないようにと朱色に塗装されており、そのため創立早々から「赤壁(せきへき)」と呼ばれていました。校門から覗いたら、赤い木造校舎が見えました。明治41(1908)年につくられた旧三重県立工業学校製図室が、資料室として保存されているのだそうです。この旧三重県立工業学校製図室はハーフティンバー様式(木造建築の一様式。柱、梁、斜材などはそのまま外にむきだしにし、その間に石、煉瓦、土を充填して壁としたもの)を取り入れた木造平屋建切妻造で、木部に赤褐色の塗料が塗られています。

Img_3976c_20220528200101  いよいよ御城番屋敷(ごじょうばんやしき)。松坂城裏門跡を出た先に石畳の両側に武家屋敷が並んでいます。石畳の両側に、美しく整えられた槇垣が巡らされており、美しい景色をなしています。御城番屋敷は、松坂城を警護する「松坂御城番」という役職の武士20人とその家族が住んだ武士の組屋敷です。屋敷には、今も子孫の方が住まわれ、維持管理を行っています。明治になると、「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」を創設して激変の世を乗り越え、大正15(1926)年には合資会社に改組、平成28(2016)年には合同会社となり現在に至っています。現存する江戸時代の武家屋敷でも最大規模を誇る貴重な建造物で、平成16(2004)年、国指定重要文化財に指定されました。

Img_3997c_20220528200101  住んでいたのは、40石取りの紀州藩士20人とその家族。このような組屋敷(長屋)は全国でも大変珍しい上に、今も多くのImg_3980c_20220531043901 人々がここで暮しているのです。御城番は、もとは、紀州藩家老田辺安藤家に紀州藩主徳川頼宣から遣わされていた与力衆が安藤家の陪臣となるよう命じられたことに抗議して、幕末の安政3(1856)年、脱藩して浪人となったのですが(田辺与力騒動)、その6年後、紀州藩主の直臣として帰参を許され、松坂御城番職に就きました。文久3(1863)年、松坂城南東の三の丸に藩士とその家族の住居として新築されたのがこの組屋敷です。約1ヘクタールの屋敷地に主屋2棟と前庭、畑地、土蔵、紀伊徳川家初代藩主を祀る南龍神社があり、主屋は東棟に10戸、西棟に9戸が残っています。松阪市はこのうち1戸を借り受けて復原整備を行い、平成2(1990)年から一般公開しています。御城番屋敷にも何度か訪ねていますが、詳しい記事がこちらにあります(2018年6月18日:20180526JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」へ、なぜか近鉄で(その2)……御城番屋敷、本居宣長記念館)。

 キリが良く、また、この先訪ねた場所まで触れると長くなりそうですから、その2はここまで。その3は、本居宣長ノ宮、松阪神社、松坂城跡から。

2022年5月30日 (月)

20220528松阪ウォーキング(その1)……縁切り不動、八雲神社、松阪大映、松阪撫子を見て来迎寺へ

220528matsusaka0  5月28日に行ってきた「松阪ウォーキング」の本編その1です。この日は、27.4℃とやや暑くなったものの、よい天気でした。去年の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参り」を終え(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)、その後、今年に入ってからは、県内の東海道を歩くウォーキングを続け、5月7日に、亀山宿から関宿まで歩きました(2022年5月 7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。関宿から先は、JR関西線と東海道とが離れてしまい、「電車で行って歩き、電車で帰る」というスタイルで行けなくなります(三重県にはもう1箇所、坂下宿があり、その先は鈴鹿峠越えになります)。次のウォーキングはと考え、取り敢えず、今回は松阪へ。松阪駅から八雲神社、来迎寺、常教寺、樹敬寺(本居宣長の墓があります)、御城番屋敷、松坂城跡などを巡ってきました。同級生K氏との二人旅。

Img_3625c_20220530065101  松阪へは、大昔、仕事で2回くらい(筋ジス協会の家庭訪問、ダウン症親の会の合宿)行ったことがありました。2018年5月26日には、JRさわやかウォーキング「~松阪撫子どんな花?~新緑の松坂城跡から眺める御城番屋敷」、2018年11月3日には、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」、2019年11月3日にも、近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」、2019年10月5日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅9日目~伊勢街道、旅人気分で雲出から城下町松阪へ」、2019年10月27日の近鉄ハイキング「昔も今もお伊勢参り~旅10日目~伊勢街道、旅人気分で松阪から王朝ロマンをたどる斎宮跡へ」、2021年10月16日の勝手にハイキング「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー(第12回松阪・小津~松阪駅)」、2021年10月30日の勝手にハイキング「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー(第13回松阪駅~櫛田)」とたびたび訪れていますが、気に入った町なのです。

220528matsusaka1  今回のウォーキングは、同級生K氏が、松坂城跡、御城番屋敷なども見て回りたいということで、実現。左は、実際に歩いた詳しいルートマップその1。松阪駅のJR側を出てベルタウン方向へ。善福寺、八雲神社、松阪大映とまずは、見て回りました。ちなみに、松坂(元々はこのように表記)は、天正12(1584)年、豊臣秀吉の臣・蒲生氏郷が、近江日野(おうみひの)から松ヶ島城(松阪市)12万石の城主に着任してできた町です。松ヶ島は、良港があり街道沿いの要地ですが、地形上片寄りすぎるため、4年後に四五百森(よいほのもり)という西方丘陵に築城し、地名を松坂、城を松坂城と命名し、楽座楽市を採用し城下町を造成しました。

Img_3622c_20220528195501 Img_3631c_20220530065801  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時22分着。名張から来る松阪行き急行(9時25分発)に乗り換えて、松阪駅には9時31分着。9時40分に松阪駅をスタート。途中、駅弁のあら竹さんの前を通りますが、さすがに先週食べたばかりですから(2022年5月22日:20220522JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング共同企画「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」(完))、今回は、失礼しました。

Img_3639c_20220530070301Img_3640c  まずは八雲神社へという計画でしたが、その手前で金生山弥勒院善福寺。真言宗のお寺。「縁切り不動」という看板が目に入って、興味が湧いたのです(別に縁を切りたい人が、今いるわけではありません。念のため)。

Img_3640c Img_3659c_20220530151301  もとは松ヶ島(現・松阪市松ヶ島町)の弥勒屋敷にあったといわれます。行基の草創で、宝亀4(773)年、勤操(ごんぞう)僧都の再興と伝わっています。境内社に牛頭天王社があり、この牛頭天王社は、貞観12(870)年、伊勢代官であった森田豊前守政直が、疫病退散を願って京都の祇園の社を勧請したものです。天正16(1588)年、蒲生氏郷が松阪城を開き城下町を整備した時、現在の地に移りました。享保14(1729)年5月、類火によって堂、社を消失し、多数の寺宝、古記録などを失いましたが、その後、享保から宝暦頃に諸堂が再興されています。明治の神仏分離令が行われるまでは、隣接する八雲神社の前身牛頭天王社の別当寺として、社に関するすべての事が寺の住僧によって行われていました。市文化財の薬師如来像も同社の本地仏であったと考えられています。

Img_3654c_20220530151701 Img_3677c_20220530151701  境内には、左の写真のように、四国八十八箇所霊場お砂踏み霊場が設けられていましたし、また、水掛不動もありました。傍らの説明板によれば、不動明王は、「代受苦の仏」であるとありました。私たちに代わって苦を受けてくださる仏様だそうです。縁切りは、どこでどのように行うのか、特に説明がなかったように思います。調べてみたら(こちら)、OTONAMIEのサイトにありました。御札に書いて、不動明王の前にある水に浸すと、その御札が溶けます。溶けたら、その水をお不動さんにかけることで悪縁を絶ちきってもらうのだそうです。さらに、悪縁を切った後は、良い縁と巡り会えるよう護摩に願い事を書くというのが一連の流れだとか。

Img_3688c_20220530164201  善福寺のとなりにあるのが、八雲神社。上述のように、善福寺は、八雲神社の前身である牛頭天王社の別当寺という関係。別当寺は、神宮寺の一種で、神社の境内に建立され、供僧が祭祀・読経・加持祈禱をする一方、神社の管理経営を行った寺です。本地垂迹説が唱えられ、神仏習合思想が成立すると、神社では仏教による祭祀が盛んに行われました。神宮寺が多くつくられたのはその現れですが、なかでも別当寺といわれるものは、神社の祭祀や管理などの支配権をもった特別な寺で、一般の神宮寺とははっきり区別されます。

Img_3693c_20220530164201 Img_3698c_20220530164201  八雲神社。もとは、上述のように、貞観12(870)年、諸国に疫病が流行した際、伊勢国代官・森田政直が悪疫退散を祈願して、弥勒院善福寺に京都衹園社(現・八坂神社)から勧請した牛頭天王社です。その後、松坂城築城のとき、松ヶ島から現在の場所に移っています。松阪の総産土神として祟敬されています。長く「牛頭(ごず)天王社」「松阪天王社」「衹園社」などと呼ばれていたのですが、明治時代になって八雲神社と改めています。蒲生氏郷によって松ヶ島城から遷社されました。御祭神は、建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と櫛名田比売命(クシナダヒメノミコト)とありました。ここには私は、2回ほど来ていますが、2018年11月3日に近鉄ハイキングで氏郷まつりに来た時の記事に詳しく書きましたので、詳細はそちらをお読みください(2018年11月8日:20181103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(その1)……八雲神社(調べが足りませんが……))。写真のような山門があるなど、ちょっと独特です。また、明治41(1908)年、塚本の菅原神社ほか11社を合祀したためか、境内には摂社・末社がたくさんありますし、伊勢神宮遙拝所もあります。

Img_3710c_20220528195601 Img_3707c_20220530165601  八雲神社の先で、是非とも確かめたかったところがありました。それは、松阪大映という映画館。3年前、氏郷まつりに来た時にたまたま見つけたのです(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)。このときは、まだ営業しているようでした。昭和15(1940)年頃、アサヒ館として開館、昭和35(1960)年前後に現館名に改称しています。その当時は大映の封切館でしたが、昭和45(1970)年前後に独立し、成人映画館に業態を変えています。松阪市内最後の映画館であったようです。われわれが子どもの頃、通った映画館がそのまま残っている印象です。

220528matsusaka2  松阪大映を出た先で、右折し、伊勢街道方面へ。ここから、詳細なルートマップはその2になります。平生町なでしこ館、来迎寺、常教寺、樹敬寺・本居宣長墓・原田二郎墓所、松阪菊・松阪撫子・松阪花菖蒲のそれぞれの発祥の地(これらをまとめて、松阪三珍花といいます)とめぐり、原田二郎旧宅へと進みます。

Img_3720c_20220528195601 Img_3724c_20220530170501  湊町の交差点に出て、ちょっとお立ち寄り。1週間前の土曜日に、「第16回松阪撫子どんな花?祭り」が開かれ、平生町なでしこ館(夢休庵)のところに、5月31日まで「松阪撫子をめぐる街なか散歩」ということで、松阪撫子が展示されていましたので、見に行ったという次第。松阪撫子は、花弁が長く垂れ下がっているのが特徴で、江戸時代に松阪の紀州藩士だった継松栄二(1803~1866年)が、育てていたナデシコの中から花弁が細長いものを見つけ、改良して作り出したとされます。こちらに詳しい説明があります。なお、松阪撫子は、松阪駅にも展示されていましたし、このあと訪ねたあちこちでも見られました。

Img_3784c_20220528195701 Img_3730c_20220528195601  湊町の交差点に戻って左折し、南西へ。教主山無量寿院来迎寺(らいごうじ)。天台真盛宗の寺院。永正年間(1504~1521年)、北畠材親(きたばたけきちか)により松ヶ島城下に創建されましたが、蒲生氏郷の松阪城築城にともなって現在地に移転しています。 豪商三井家の菩提寺としても知られています。享保元(1716)年の松阪大火で表門(現在の裏門)を除いて焼失しましたが、三井家などの尽力により8,700両の費用をかけて再興されたといいます。現在の裏門(右の写真)は、松坂城の中門を移築したそうです(市文化財)。

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 こちらが本堂(国重要文化財)。もとは、永正年間(1504~1521年)の建立でしたが、現在のものは、焼失後の享保16(1731)年にさいけんされたもの。内陣と外陣とを前後に取合いでつなぐ、類例の少ない複合仏堂だそうです。墓地には、本能寺の変のとき、徳川家康の三河への帰路を助け、のちにこの功で家康から朱印状を受け、安南貿易で活躍した角屋一族の墓所もあるというので、探しに行ったものの、分かりませんでした。

Img_3772c_20220530173301  山門はたいそう立派なものでした。寺社奉行に願書を出してから、住職の大病そのたで工事開始が遅れ、文化7(1810)年に着工、落成は文政4(1821)年と20年がかり。一間鐘楼門形式というそうで、1階が通路、2階に鐘が吊られています。門の左右には番小屋もありました。いた扉は欅の1枚板。

Img_3750c_20220528195601  来迎寺でこちらを見つけました。たぶんコウホネ(川骨)と思います。初めて見ました。実は、2年前、散歩友達のご夫婦に四日市の保々駅近くの川にコウホネがあると聞いて探しに行ったのですが、見つけられなかったのです(2020年6月5日:コウホネは見つけられず……東員町・中部公園のアジサイもまだ早く、三岐鉄道保々駅で俄撮り鉄(苦笑))。

Img_3797c_20220528195701 Img_3801c_20220528195701  来迎寺から次に行くところで、道に迷いかけました(苦笑)。が、そのお陰でパスしようと思っていた常教寺という真宗高田派のお寺に行けました。転んでもただでは起きないというほどではありませんが……。観光案内にも、ネットにもこれという情報はありませんでしたが、けっこう立派なお寺でした。その1は、ここまで。その2は、樹敬寺から。

三崎通のお宅のツバメの巣では、巣立ちが始まっていました

Dsc03777c  今日も29℃を超えたようで、暑くなっており、参ります(苦笑)。朝は家事を済ませ、8時15分から散歩。住吉神社、七里の渡し跡、江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、田町、三崎通と回って、2時間ほどでいったん帰宅。11時前から所用で駅前方面へ。今日は用事が早く済み、30分で帰宅。歩いたのは、あわせて6.4㎞。

Dsc03786c Dsc03784c_20220530141001  江戸町では、歌行燈本店さんのアジサイのチェック。かなり咲きましたが、見ごろはもう少し先のような気がします。今週後半くらいでしょう。

Dsc03801c_20220530141001  九華公園には8時半到着。鳥はいません。コゲラの鳴き声が鎮国守国神社の境内から聞こえるのですが、姿は見られません。見たのは、ハクセキレイ(左の写真)、スズメ、カワラヒワ、ムクドリ、ドバト、キジバト、ハシボソガラスくらい。散歩友達のYさん、前管理人のOさんともどもぼやくこと。

Dsc03866c Dsc03874c  花菖蒲園は、先週よりも少し花が増えましたが、あまり見られた光景ではありません。左の写真は、管理事務所の南、右の写真は奥平屋敷跡のすぐ北。咲いているところだけを撮っていますが、全体としては……。まぁ、多くを語らないことにします。ちなみに、九華公園では、今日、ツツジの剪定作業が行われていました。「今頃から刈らない方がいいんじゃないの?」というのが、散歩友達たちの一致した意見。来年も期待できないかも知れません。

Dsc03924c Dsc03944c  貝塚公園、内堀公園はほとんど通過したのみ。スズメ、カワラヒワくらいしかいません。京町のお宅にあるツバメの巣は、今日も留守でした。こちらは、田町の商店にある巣。ヒナは5羽。皆、元気そうです。親はせっせとエサを運んで来ています。

Dsc04030c Dsc04321c  一方、こちらはすぐ近くの三崎通のお宅にある巣。行ってビックリ! 5羽いたヒナが2羽になっていました(2022年5月27日:揖斐河畔でホオジロのオス)。3羽は、週末の間に巣立ってしまったようです。残った2羽のヒナは、交代でときどき羽ばたく練習のような動きをしています。

Dsc04186c_20220530141101  しかし、まだ、親がエサを運んで来ていました。親はエサを与えたあと、すぐ近くの電線にしばらく止まって、ヒナの様子を見ているような感じ。巣立ちを促しているのではなさそう。さて、この2羽の巣立ちは、どうなりますか? 明日は朝まで雨という予報です。早く雨が上がれば、見てこないといけません。

2022年5月29日 (日)

カイツブリのヒナが登場……コアジサシは2羽だけ

Dsc02459c  全国的に暑いようで、桑名でも最高気温は、33.9℃になりました。しかも、上天気。朝7時台からずっと晴れています。昨日の松阪ウォーキングの疲れがないわけでもありませんが、こんな上天気なのにくすぶっていてはもったいないと、長良川河口堰と三ツ又池公園へ出かけてきました。8時にクルマで出発、11時過ぎに帰宅。鳥果は、まあまあ。

Dsc02475c Dsc02494c  長良川河口堰には1時間ほど滞在。関の東側の魚道には、上流側・下流側ともにコサギが1羽ずつ。他は、カワウが1羽いただけ。う~ん、ちょっと期待はずれかも知れないという気がします。

Dsc02541c  西側では、閘門の下流側にアオサギが隠れていたのに、気づかず、逃げられました。上流側にはコサギが1羽。これまた逃げられたものの、下流側の魚道に降りて来ました。

Dsc02927c  親水広場も、静か(苦笑)。中洲からオオヨシキリの鳴き声は聞こえるものの、なかなか姿は見えず。3羽ほど見たものの、親水広場からは50~60mほど先。天気もよすぎて、こんな写真しか撮れません。

Dsc02560c  コアジサシは、いたものの、たった2羽。それもじきに姿を消してしまいました。5月15日には、10羽ほどいたのに、どこに行ったのでしょう(2022年5月15日:コアジサシの求愛給餌とオオヨシキリ@長良川河口堰)。

Dsc02602c_20220529164101 Dsc03209c  他には、コチドリ。「ピウ ピウ」という鳴き声がよく聞こえますので、「ピウピウ鳥」と名付けたいくらい(微笑)。今日は、お尻ばかりをこちらに向けていました。他にももう1羽、コチドリがいましたし、ハクセキレイも1羽。東側に戻る途中、西側の閘門のところにアオサギが戻っていました。

Dsc02550c Dsc03259c  いささか余談ですが、こちら十万山。管理橋の西の端から南側を見たところ。揖斐長良川の中洲で、桑名水郷花火大会の打ち上げ場所。最後にお約束のアユのぼりを撮影して、河口堰は終了。

Dsc03283c  三ツ又池公園。そろそろカイツブリが卵を抱いているかと思ってやって来ました。

Dsc03343c  ところがすでにあちこちでヒナの姿が見られ、うれしい方に期待が外れました。合計3箇所の巣で、計7羽ほどのヒナが見られました。

Dsc03374cDsc03638c  こちらは、親から食べ物をもらったところ。エビのようです。右の家族は、子だくさん。よく見ていただくと、ヒナが4羽いるのがお分かりになると思います。

Dsc03565c  公園の北側エリアで、モズのオス。歩いていたら、揚げ雲雀が聞こえたので、振り返ったら目の前にいたのです。他に見た鳥は、カワウ9羽と、上空を通過したコサギ1羽。ここにも以前、コアジサシが来ていて、求愛給餌も見られたのですが、今日は、コアジサシは見ていません。去年は、オオヨシキリもいたのですが、旧花菖蒲園のところは葦が少なく、また、睡蓮園は短く駆られてしまっていて、オオヨシキリが来る環境ではありませんでした。ちょっと期待してきたのに、残念。今日は天気が良すぎて、写真はイマイチでした。それも、残念。

Dsc03688c  代わりに(はなりませんが)、ヌートリア(苦笑)。以前、ここで子連れヌートリアを見たことがあります。常駐しているのでしょう。

Img_4179c_20220529164101 Img_4185c  余談は、ベランダ園芸のその後。万年青の花は、2つとも、少しずつクリーム色の部分が出て来ました。

Img_4196c_20220529164101 Img_4205c_20220529164101  サギソウは、5鉢とも順調のようです。アサガオも、順調ですが、葉っぱの一部が変色しているところがあるものがあります。もう少し育つのを待って、間引くことにします。「おつまみ枝豆」(右の写真で奥の鉢)は、上手く行かなかったようです。

Dsc02501c Dsc02459c  今週は、水曜日に江戸橋での非常勤があるだけ。今のところ、他の予定はありません。来週になると、市民大学郷土史学科の2回目がありますから、1回目の復習&まとめを済ませなくては(微笑)。

2022年5月28日 (土)

20220528松阪ウォーキング(予告編)

220528matsusaka0   27.4℃とやや暑くなったものの、よい天気でした。5月7日に、東海道ウォーキングとして、亀山宿から関宿まで歩きました(2022年5月 7日:20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編))。県内の東海道を歩いていたのですが、この先は、JR関西線と東海道とが離れてしまい、「電車で行って、歩いて電車で帰る」というスタイルで行けるのは関まで(三重県にはもう1箇所、坂下宿があり、その先は鈴鹿峠越えになります)。次のウォーキングはと考え、取り敢えず、今回は松阪へ。松阪駅から八雲神社、来迎寺、常教寺、樹敬寺(本居宣長の墓があります)、御城番屋敷、松坂城跡などを巡ってきました。同級生K氏との二人旅。

Img_3622c_20220528195501  桑名駅を8時22分に出る伊勢中川行き急行に乗車。伊勢中川には9時22分着。名張から来る松阪行き急行(9時25分発)に乗り換えて、松阪駅には9時31分着。松阪は、去年10月の「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」以来(2021年10月16日:20211016「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第12回「松阪・小津~松阪駅」(超予告編)【一部加筆修正しました(10/19)】、2021年10月30日:20211030「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」第13回「松阪駅~櫛田」(予告編))。9時40分に松阪駅をスタート。

Img_3640c  まずは八雲神社へというつもりでしたが、その手前で金生山弥勒院善福寺。真言宗のお寺。「縁切り不動」という看板もあり、興味が湧いたので、立ち寄り。もとは松ヶ島の弥勒屋敷にあったといわれ、かつては隣接する八雲神社の別当寺でした。行基の草創、宝亀4(773)年、勤操(ごんぞう)僧都の再興と伝え、もとは松ヶ島(現・松阪市松ヶ島町)の弥勒屋敷(天王屋敷)にあったといわれます。天正16(1588)年、蒲生氏郷が松阪城を開き城下町を整備した時、現在の地に移りました。境内には、水掛不動もありました。

Img_3695c_20220528195601  お隣に、その八雲神社。貞観12(870)年、諸国に疫病が流行した際、伊勢国代官・森田政直が悪疫退散を祈願して、上に書いた弥勒院善福寺に京都衹園社(現・八坂神社)から勧請されました。その後、松坂城築城のとき、松ヶ島から現在の場所に移っています。松阪の総産土神として祟敬されています。長く「牛頭(ごづ)天王社」「松阪天王社」「衹園社」などと呼ばれていたのですが、明治時代になって八雲神社と改めています。

Img_3710c_20220528195601  八雲神社の先で、まだ営業しているのか確かめたかったところがありましたので、立ち寄って来ました。それは、松阪大映という映画館。3年前、氏郷まつりに来た時に見つけたのです(2019年11月4日:20191103近鉄ハイキング「蒲生氏郷を訪ねて 氏郷まつりと松阪城下町散策」へ(完)【付記(11/4)中日新聞の記事を載せました】)。昭和15(1940)年頃、アサヒ館として開館、昭和35(1960)年前後に現館名に改称しています。その当時は大映の封切館でしたが、昭和45(1970)年前後に独立し、成人映画館に業態を変えています。松阪市内最後の映画館であったようです。われわれが子どもの頃、通った映画館がそのまま残っている印象です。

Img_3720c_20220528195601  湊町の交差点からまた、立ち寄り。1週間前の土曜日に、「第16回松阪撫子どんな花?祭り」が開かれ、平生町なでしこ館(夢休庵)のところには、5月31日まで「松阪撫子をめぐる街なか散歩」ということで、松阪撫子が展示されていましたので、見に行ったという次第。松阪撫子は、花弁が長く垂れ下がっているのが特徴で、江戸時代に松阪の紀州藩士だった継松栄二が、育てていたナデシコの中から花弁が細長いものを見つけ、改良して作り出したとされます。

Img_3784c_20220528195701 Img_3730c_20220528195601  続いて、教主山無量寿院来迎寺(らいごうじ)。天台真盛宗の寺院。永正年間(1504~1521年)、北畠材親(きたばたけきちか)により松ヶ島城下に創建されましたが、蒲生氏郷の松阪城築城にともなって現在地に移転しています。 享保元(1716)年の松阪大火で表門(現在の裏門)を除いて焼失しましたが、豪商三井家などの尽力により8700両の費用をかけて再興されたといいます。現在の裏門(右の写真)は、松坂城の中門を移築したそうです。

Img_3750c_20220528195601  来迎寺でこちらを見つけました。たぶんコウホネ(川骨)と思います。初めて見ました。実は、2年前、散歩友達のご夫婦に四日市の保々駅近くの川にコウホネがあると聞いて探しに行ったのですが、見つけられなかったのです(2020年6月5日:コウホネは見つけられず……東員町・中部公園のアジサイもまだ早く、三岐鉄道保々駅で俄撮り鉄(苦笑))。

Img_3797c_20220528195701  来迎寺の近くで、常教寺という真宗高田派のお寺。観光案内にも、ネットにもこれという情報はありませんでしたが、けっこう立派なお寺でした。実は、ここはパスしようと思ったのですが、来迎寺を出たところで、道に迷いかけたお陰で立ち寄って来たのです(苦笑)。

Img_3842c_20220528200001  法幢山樹敬寺(じゅきょうじ)。浄土宗、知恩院末寺。鎌倉時代初期の建久6(1195)年、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が、東大寺大仏殿復興大勧進のために、細頸に不断念仏道場を建て、南北朝時代の正長元(1428)年には戦火で廃墟となりました。文亀元(1501)年、敬誉(きょうよ)上人が、伊勢神宮参拝の際に不断念仏院を訪れて復興を志し、28年間にわたって浄財集めを行っています。敬誉上人は「樹敬上人」と呼ばれて親しまれていたことが寺号の由来だといいます。

Img_3823c_20220528200001 Img_3812c_20220528195701  ここに来たのは、墓地に本居宣長と長男の春庭、原田二郎などのお墓があるからです。左の写真は、宣長夫妻の墓と春庭夫妻の墓が背中合わせに立っているところ。宣長・春庭墓は国指定史跡に指定されています。右の写真は、原田二郎の墓所。

 Img_3835c_20220528200001 墓地は、土塀で囲まれていますが、これは、松阪市内では見かけないめずらしいものです。

Img_3868c_20220528200001 Img_3875c_20220528200001  これから、原田二郎旧宅に向かいますが、途中で、松阪三珍花の発祥の地を見てきました。まずは、松阪菊発祥の地。新町の郵便局の向かい。江戸時代後期、菊愛好家の木下藤八が嵯峨菊からつくり出したそうです。続いて、殿町にある松阪撫子発祥の地。

Img_3891c_20220528200001  その近くに、松阪花菖蒲発祥の地。江戸時代後期、この地に住んだ紀州藩士・吉井定五郎が、野花菖蒲を改良して、現在の松阪花菖蒲を作り出したといいます。江戸系や肥後系のものに比べ、女性的で優雅な花だそうです。

Img_3903c_20220528200001  原田二郎旧宅。ここは、松阪の旧紀州藩同心の居住した武家屋敷の遺構です。原田二郎は、紀州藩松坂領の町奉行所の同心の家に生まれました。原田は、21歳のとき京都に上がり、さらに23歳のとき、東京に出て英語と医術を学んだ後、大蔵省に勤め、31歳で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮。34歳のとき松阪に戻ります。54歳の時、井上肇の依頼で大阪の鴻池銀行の整理、再建にあたりました。71歳で再建に成功した後、退職。そのときに得た莫大な退職金、全財産をすべてつぎこみ、社会公益事業に対する助成団体、原田積善会を設立しました(大正9(1920)7月)。原田積善会は、現在も公益財団法人として、社会事業分野と学芸事業分野の2つを柱に継続して幅広く行っています。

Img_3928c_20220528200001  原田二郎旧宅は、松坂城の内堀に面していたようで、屋敷内西側の庭に「松坂城堀跡」の表示がありました。この表示板の向こう側に掘、さらにその奥に土塁があったそうです。

Img_3976c_20220528200101 Img_3997c_20220528200101  さて、いよいよ御城番屋敷へ。江戸末期に紀州藩士が松坂城警護のため移り住んだ武家屋敷です。このような組屋敷は全国でも大変珍しい上に、今も多くの人々がここで暮しているのです。西棟北端の一軒は内部を公開しています。この御城番屋敷の並ぶとおりは、何度眺めても良い景色です。ここは御城番であった紀州藩士の子孫の方々が、苗秀社という会社を作って維持し、借家として貸し出しています。

Img_4015c_20220528200101  松坂城の搦手門跡のところで小休止。ここまでに4㎞弱を歩いて、時刻は、12時20分になっていました。あちこちウロウロしていますので、普通に歩くよりも相当時間がかかるのです。

Img_4028c_20220528200101 Img_4044c_20220528200101  御城に行く前に、本居宣長ノ宮(左の写真)と、松阪神社へ。本居宣長ノ宮は、本居宣長平田篤胤を主祭神としています。もとは、本居大人奥墓がある旧山室村にあったのですが、大正4(1915)年、この森に遷座しました。松阪神社は、平安時代以前の創立とされますが、年代は詳かではありません。天正16(1588)年、蒲生氏郷が、飯高郡矢川庄の宵の森と呼ばれていた丘に築城した時に、城の鎮守社と定めて、宵の森の南の丘に社を新たに御造営されて出来た神社です。

Img_4096c_20220528200101 Img_4129c  本居宣長記念館にも行くつもりでしたが、あとのことも考えて、今日はパス。松坂城跡へ。天正16(1588)年に蒲生氏郷によって築城された平山城。現在も野づら積などの豪壮な石垣が残っています。本丸を中心に渦巻き状に曲輪を巡らせた配置は、渦郭式(かかくしき)と呼ばれます。天守閣跡まで上ったのですが、けっこうな運動量(苦笑)。

Img_4075c_20220528200101  二の丸跡からは、御城番屋敷がよく見え、ここは私の気に入った場所。今日は、水彩画の写生をする方たちのグループがいらっしゃいました。このあと、鈴の森公園まで足を伸ばして、松阪市埋蔵文化財センター(はにわ館)船形埴輪などを見ようと思っていたのですが、松坂城跡を見終わった時点で、13時。実は、今朝、同級生K氏と駅で待ち合わせたとき、不二屋で焼きそばを食べようと言うことになり、これが今日最大のミッションになっていたのです。不二屋は、昼の営業が14時30分まで。さらに、今朝のメ~テレの「ドデスカ ドようびです。」で不二屋の焼きそばが取り上げられていました。賑わっていて入れない、食べられないのはマズいということで、埴輪はパスして、不二屋へ。

Img_4138c_20220528200101 Img_4142c_20220528200101  不二屋は、中町にある松阪肉の和田金や、和菓子で、お土産で有名な老伴をつくっている柳屋奉善の近くにあります。

Img_4145c Dsc_6492c  こちらが、その不二屋。13時10分過ぎに到着。店の外まで行列か?と心配したら、杞憂に終わりました(微笑)。待っていたお客さんは1組(ただし、われわれのあとからも続々とお客さんは来ていました)。無事に焼きそばを食べられました(¥800)。麺は揚げてあり、サクサク。タレは和風出汁が効いた少し固めのもの。不二屋さん独自の「かたやきそば」。サッパリとして美味しい焼きそばを堪能できました。

Img_4160c_20220528200101 Dsc_6502c  昼食を済ませ、松阪駅には、14時5分に戻って来ました。土産は、柳屋奉善の老伴(おいのとも)。昔ながらのものに加え、レモン味がありましたので、それも試しに買ってきました。こちらは、1個¥230。

Img_4172c_20220528200101  松阪駅を14時15分に出る名古屋行き急行に乗車。桑名駅には、15時22分に到着。¥960。暑かったので少しお疲れ。現地では、6.3㎞ほどを歩きました。自宅から桑名駅往復が、2.4㎞ですので、合計8.7㎞。歩数は、17,332歩。本編は、また追々書いていきます。次ぎは、大垣へ行く予定。

2022年5月27日 (金)

下載清風

 下載清風。「あさいのせいふう」と読むそうです。フォローしている「示玄」というブログの記事にありました。「碧巌録(へきがんろく)」の四十五則にある「如今放擲西湖裏、下載清風付与誰」から来ているようです。読み下すと「如今放擲西湖の裏、下載の清風誰にか付与せん」。すなわち、「重荷下ろして、清風を味わおう」というということだとか。臨済禅黄檗禅の公式ネットによれば、「今はすべてのものを西湖に捨ててしまった。軽くなって浮かび上がった船に、一陣の清風が吹いてくる。この涼風を誰かに分けてやりたいものだ。悟りを得て、煩悩の煩わしさから完全に解放された人の、爽やかな心境を言う」ことだとあります。

 ちなみに、碧巌録は、碧巌録は、中国宗代の禅文学の典籍。〈伝灯録〉の1,700則の公案の中から、雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が100則を選び、これに圜悟克勤(えんごこくごん)が垂示・評唱・著語を付したものだそうです。北宋の1125年に完成したものの、一時、顧みられなかったのですが、元代から臨済宗で重用されるようになりました。

 また、こちらのサイトには、次のように書かれていました。

 昔、中国では東南の風を上載といい、西北の風を下載といわれたと聞くが、また、荷物を積んで銭塘江を上がるを上載といい、荷物を下して江を下るを下載ともいわれるのだともいう。いづれにせよ荷を積み流れに逆らって船を走らせる苦労があればこそ、清風を受けて快適に下る心地よさがあるのだ。

 徳川家康の格言として知られる「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし」のように人は皆いろいろなことを背負って生きていることである。

 しかし、そんな俗界のしがらみも、迷いも囚われもすべて放擲してしまったときにこそ新しい人生、別天地が開けてくるらしいのだというのが、「下載の清風」の語の意図である。ところが、自らもそうだが、人様には無駄なもの余計なものは捨てなさいと言いながら、また拾って歩く自らがある。

 修行して悟りを得れば悟りにとらわれて、後生大事に持ち歩く御仁もおられる。下載の清風を感じられる人生でありたいものである。

 示玄さんは、「積み荷を降ろし軽くなった船は清風に乗って軽やかに進む。空を飛ぶならグライダー、年金暮らしはプロペラを回して進む燃料はない、そう降ろすのは心の荷物。いい風を待とう・・・そんな一日がまた暮れた」と書いておられます。これは、一つの心境だと感じ入った次第。まったく個人的には、私のモットーの一つである「淡々として飽きもせず……」に通じるものがあるか、と勝手に思っています。

揖斐河畔でホオジロのオス

Dsc01455c  朝5時過ぎまでよく降りましたが、日中は良く晴れ、29.2℃。湿度も高くて暑くなり、さすがに午後からは半袖Tシャツ。朝は、いつも通り、7時半から散歩。住吉神社、七里の渡し跡、江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、常磐町、寺町、田町、三崎通と6.4㎞。あちこちウロウロしています(苦笑)。冒頭の写真は、今朝の藤原岳の様子。採石場以外のところが、青々としています。こういう光景、今の時期はなかなか見えません。

Dsc01502c  揖斐川の堤防道路、船津屋さんの裏手でホオジロのオス。ちょっと風があって、ユラユラしている木のてっぺんで、微妙にバランスを取りながら、さえずっていました。このあたりでは、ホオジロのオスは、ときどき見ます。メスも見ないことはないのですが、あまり多くはありません。近くで、揚げ雲雀も見られたのですが、高すぎて、証拠写真以下でしたから、割愛。

Dsc01576c Dsc01581c  今日も、歌行燈本店のアジサイに足が向きました。昨日も見ていますから、さほど変化があるワケではありませんが、「鳥も少ないだろうから、アジサイを」というところ。

Dsc01622c  九華公園の入り口でカワラヒワの証拠写真。一見、カワラヒワとは思えません。雨上がりのせいか、鳥の鳴き声はあまり聞かれません。ただ、今までよりもカワラヒワの鳴き声はよく聞こえる気がします。

Dsc01629c Dsc01663c  今日の花菖蒲園の様子。左は、管理事務所の南、右は、奥平屋敷跡のすぐ北のところ。どちらもわずかにというか、チラチラと咲いています。

Dsc01653c_20220527172901 2c67cd22_20220527175701  これは、奥平屋敷跡のすぐ北の花菖蒲園で見たもの。咲きかけというか、咲き始めというか。いつぞや諸戸氏庭園で見た「濡れ燕」という品種は、こんな感じで咲いているといわれました(2019年6月4日:諸戸氏庭園で花菖蒲を楽しむ……濡れ燕という珍しい品種も咲いていました)(右の写真:2019年6月4日の撮影)。

Dsc01712c Dsc01716c  今年、九華公園ではまだ、ミドリガメが産卵のために上陸してくるのをほとんど見ませんが、奥平屋敷跡のすぐ北の花菖蒲園の周りでは、左の写真のような様子が見られました。これは、ミドリガメが産卵したところをカラスがほじりだして、食べた跡。今日、ミドリガメが上陸しているのを見たのは、右の1匹のみ。このカメは、二の丸跡で目撃。

Dsc01743c Dsc01751c_20220527172901  九華公園では、今日、スズメ、ムクドリ、カワラヒワ、ハクセキレイを見たくらいで、これという鳥の写真はありません。公園内の野球場で、ハシボソガラスの親子連れ。向かって右がヒナ。エサをねだっています。

Dsc01759c  すぐ後の写真。何だか分かりませんが、無事にエサをもらったようです。

Dsc02253c Dsc02245c_20220527173001  このあとは、ツバメの巣チェックの結果。京町のお宅にある巣では、親はいませんでした。写真は、田町にある商店の巣。昨日、ヒナがいるのは分かったのですが、何羽かは不明でした。4羽のようです。

Dsc02130c Dsc02136c  続いて、三崎通のお宅の巣。親がやって来ると、スゴい勢いで「エサ、頂戴!」のアピール。ヒナ5羽は皆同じくらい成長していますから、公平にエサを与えているものと思います。

Dsc01585c  ところで、水曜の授業のQ&Aは、今朝早起きして確認し、メールで送って印刷をお願いしました。気分的には、「これにて一件落着」(微笑)。もう一つ。散歩帰りに、旧知の歴史案内人Kさんにお目にかかりました。いつもいろいろと教えてくださるので、お目にかかるのは楽しみです。諸戸氏庭園の花菖蒲の様子を伺ったところ、「今年は1週間くらい遅い印象で、見ごろは、6月に入ってからでしょう」ということでした。

Dsc02441c Dsc02445c  オマケは、万年青の花。よくよく見ると、小さい花が集まっています。緑色からクリーム色になっていくということですが、一部ではクリーム色になってきているような気もします。

 

2022年5月26日 (木)

田町の商店でツバメのヒナが誕生

Img_3571c_20220526172601  夕方から明日の朝にかけてよく降るそうです。午後からも降ってはいたものの、アメダスの記録にあるのは16時台からです。朝一番に家事を済ませ、8時20分から、月曜以来の散歩。住吉神社、七里の渡し跡から江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、寺町、田町、三崎通と5.9㎞。2時間あまり歩いてきました。途中で降られるかとも思ったのですが、今日は幸いそれはありませんでした。

Img_3252c_20220526172701  桑名七里の渡し公園でカワラヒワ。他で鳥がいないといけないと思って撮ったものの、こんな写真。あたりで見たのは、スズメとこのカワラヒワくらい。揖斐長良川の中洲からは、オオヨシキリの声が一段とよく聞こえてくるようになりました。また是非見に行きたいと思っています。

Img_3278c_20220526172701  江戸町へ行ったのは、歌行燈本店さんの紫陽花を見たかったから。1週間ぶりですが、紫陽花はまだまだこれからという印象でした(2022年5月19日:アジサイの季節になりつつあります)。

Img_3285c_20220526172701 Img_3295c_20220526172701  それでも、近づいてよく見ると、いろいろと咲いて来ています。この分ですと、もう1週間くらいすると、もっと盛大に咲いて、見ごろを迎えるのではないかという気がします。

Img_3402c_20220526172601 Img_3431c_20220526172601  九華公園には8時35分頃到着。こんな天気ですから、散歩友達も、鳥もいません。スズメのヒナは今日もあちこちで見られました。ハクセキレイのオスは、本丸跡にて。何か、食べるものを見つけたようでした。

Img_3444c_20220526172601  今の時期、九華公園といえば、花菖蒲なのですが、パラパラと咲いているという感じ。左の写真は、本丸跡にある花菖蒲園の様子。といっても、ごく一部。他の2/3くらいは咲いていません。ネガティブなPRになってしまいますが、現状はこういうことです。

Img_3349c Img_3365c  左の写真は、奥平屋敷跡のすぐ北にある花菖蒲園で見つけました。たぶん原種の野花菖蒲と思うのですが、ここはランダムに植えられていて、名札がありませんので、自信なし(苦笑)。右も同じ花菖蒲園にて撮影。品種名は、たくさんあり過ぎて、私には判別不能(去年までの写真と比べれば分かるかも知れませんが……)。

Img_3480c_20220526172601 Img_3506c_20220526172601  左の写真は、京町のお宅のツバメの巣。今日は、まじめに巣に就いていました(笑)。右は、田町にある商店の巣。肉眼で見たとき、ヒナのようなものが見えたのですが、ここの巣は深いので、よく見えず、確信が持てませんでした。しかし、パソコンで見ると確かにヒナが写っています。この巣に親が就いているのに気づいたのは、5月12日でした(2022年5月12日:散歩に出るも、雨に降られる)。ただし、このときは、写真を撮ろうと思ったら、すぐに飛び出して行ったのです。ツバメの抱卵日数は、13~17日といいますから、ゴールデンウィーク明け頃には卵を産んでいたと思われます。

Img_3568c_20220526172601 Img_3556c_20220526172601  三崎通のお宅にある巣。ずいぶん成長しました。ここでヒナが誕生したのを確認したのは、5月17日でした(2022年5月17日 :「コゲラ・ロス」は一挙に解消!!……コゲラ一家に遭遇)。10日目となります。ツバメの巣内での育雛日数は20~24日ですので、6月上旬くらいまではここでヒナが見られそうです。

Img_3589c_20220526172601 Img_3600c_20220526172601  さらに、帰りにまた桑名七里の渡し公園に立ち寄ったのですが、これが大正解。コゲラが1羽いました。すぐに飛び立ってしまいましたので、良く確認できたわけではありませんが、嘴の横側が黄色いように見え、ヒナかも知れないと思います(たぶんに期待が混じっているかも知れません)。同じ木に、スズメのヒナも来ました。

Img_3492c_20220526172601  散歩から帰ってからは、昨日の授業のQ&A書きをしていました。カウンセリングでは、普通の会話とは違うやりとりをするとか、カウンセラーも非言語コミュニケーションを発信しているので注意が必要といったあたりに驚いたという感想多数。中には、私の話をベースにいろいろとよく考えたコメントもあります。この歳になって、19~20歳前後の若い人たちの発想に触れられるのは、良い刺激になり、ありがたいところです。Q&Aは、夕方近くになって完成。例によって、寝かせてあります。

お知らせ

 裏稼業である「桑名発達臨床研究室」に関するお知らせです。

 NPO法人子ども支援室カシオペアとディスレクシア協会名古屋が主催する「2022年秋期特別支援教育支援員(学習支援員)養成講座」におきまして、10月9日に「心理検査でわかること・検査結果の支援への活かし方」について講義を行う予定でしたが、事情により、私は出講しないことになりましたので、ご了承ください。詳細につきましては、主催者にご確認ください。

 なお、将来的にも両者が主催される講座等に関わることはありませんので、ここにお知らせいたします。

2022年5月25日 (水)

暑い中、江戸橋方面の非常勤……グラウンドでコチドリを目撃!

Dsc_6483c  今日も、27.9℃と暑くなりました。冒頭の写真は、帰宅したときに撮ったものですが、夏のような空のところもあります。駅から自宅まで歩いてくると、汗を掻くくらい。今日は、水曜で、江戸橋での非常勤の6回目。いつものように、桑名駅を8時40分に出る五十鈴川行き急行で出勤。帰りは、江戸橋駅を12時42分に発車する名古屋行き急行。2日連続で仕事をすると、少々疲れます(苦笑)。

Dscn5319c Dsc01227c  今日の授業も出席率は90%を超え、まあまあ。しかし、6回目にして、欠席が3~4回という学生もいて、気になります。今日気づいたのは、非常勤講師控え室の辺りをツバメとコシアカツバメが飛んでいたこと。ただし、控え室前にある、去年つくられたコシアカツバメの巣は、スズメが使っていたという話もあり、そこにはコシアカツバメは来ていません。さらに、講義を終えて帰るとき、グラウンドの片隅からコチドリの鳴き声が聞こえてきました(右のコチドリの写真は、今年4月30日に長良川河口堰で撮ったもの)。これには驚き! そっと近づいたら確かにコチドリ。逃げられましたが、飛び方もまさにコチドリ。グラウンドの水たまりあたりにいました。

Dscn5324c Dscn5328c  帰りには、いつも通り、志登茂川に立ち寄りましたが、干潮から満潮に向かう、ちょうど途中の時刻で、カワウとミドリガメがいただけ(苦笑)。伊勢別街道から志登茂川に入っていくところにおぼろタオルの工場がありますが、そこでハクセキレイ。通勤途中、この近くでもハクセキレイや、ツバメを見ます。

Dscn5317c  ここからは余談。江戸橋駅から非常勤先に向かう途中、左の写真のようなトラック。“TASTOR”と書いてあります。これは、たぶんときどき取り上げているKINGと書かれた謎のおじさんロゴがあしらわれた自動販売機のテイスターのものと思われます(たとえば、2022年3月5日:20220305近鉄酒蔵立ち寄りハイキング「銘酒『三重の寒梅』丸彦酒造をたずねて」へ(1回完結))。配送トラックを見たのは、初めて。

Dsc_6479c Dscn5335c  余談その2。桑名駅の自由通路から南を見下ろすと、三岐鉄道北勢線の西桑名駅が見えます。往きには、そこにVEERTIEN TRAIN。この列車、見かけたのはこれで2回目ですが、1回目はJRの電車に乗っているときで、きちんと撮影する機会にはまだ恵まれません。ゆえに証拠写真。右は、帰りに見かけたレトロカラー塗装の電車。

Img_3220c Img_3233c_20220525163601  ベランダ園芸の近況。サギソウは、5鉢とも順調に育っています。アサガオは、1鉢は家内の母に進呈し、残り2鉢。いずれも10本ずつくらい芽が出て、こちらも順調。そのうち、間引きしないといけないと思いつつ、そのままになっています。

Img_3226c_20220525163601  こちらは、万年青。先週土曜日につぼみが出ているのに気づきましたが、見た限りでは大きな変化はありません。是非とも花が咲くのを見たいと思っています。

2022年5月24日 (火)

予定通り、名古屋で講師

Dsc_6466c  昨日ほどではありませんが、それでも27.4℃と暑くなりました。午前中、予定通り、名古屋で、勉強会の講師を務めてきました。お世話をしてくださった方々の接遇の良さや、聞いてくださった皆様の熱心さに助けられ、大変楽しくお話しをすることができ、感謝しています。ついつい調子に乗ってしゃべりすぎ(苦笑)、質疑応答の時間が短くなってしまい、ご迷惑をおかけしました。

Dsc_6463c Dsc_6469c  さて、出かけた先は、冒頭や、この2枚目の写真附近。名古屋駅から久しぶりに地下鉄桜通線に乗って、現役時代に通勤していた駅の1つ手前まで。昔のことを少し思い出したりしながら、電車に乗っていました。ただ、桜通線では、どこの駅にもホームドアが設置されているなど、大袈裟に書けば、「隔世の感」も(苦笑)。年を取りました。

Dsc_6471c  12時20分頃、すべてのことを終え、そのまま帰宅の途へ。「用事が済んだらサッサと帰る」というマイナーなモットーもあるのです。帰りに名古屋駅から乗った急行電車は、ご覧のように、「神宮ゲートウェイ斎宮」のペイントが施されているもの。「斎宮×近鉄 壇蜜斎王トレイン」として、令和3(2021)年12月から今年の7月初旬まで運行されています。アフターコロナにおける斎宮・明和町への観光誘客を目指すプロジェクトの一環で、斎宮・斎王をイメージしたデザイン。斎王役には、タレントの壇蜜さんが起用されているのですが、そのイラストがあるところではありませんでした。

Dsc_6473c Dsc_6475c  桑名駅に着いたのが、13時20分過ぎでしたし、いささかお疲れでしたので、駅にある伊勢ノ国食堂 しちりで昼を済ませていくことに。最近、ランチメニューには麺類が充実しています。本日のおすすめから「ひやしてんぷらおろしうどん」をチョイス。税込みで¥1,070。麺には腰があり、天ぷらも揚げたてが載っており、美味しくいただいてきました。ということで散歩はなし。明日は、いつものように、江戸橋での非常勤の6回目。明日も天気がよくて、気温は上がりそうです。

2022年5月23日 (月)

今日の鳥は、スズメ、ハクセキレイ、カラス、ツバメ(微苦笑)

Dsc01450c  アメダスの記録では、29.9℃となりました。昨日と同じく、上天気で暑くなっています。いつものように7時半から、いつものコースを散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、常磐町、寺町、田町、三崎通と6.4㎞。毎年、この時期には同じことをぼやいていますが、鳥はいません。

Dsc01141c Dsc01165c  歩いていて、あちこちで見るのは、スズメばかり。たいていヒナを連れています。左の写真は、七里の渡跡近くにて。ハクセキレイは、ボツボツ見かけるようになりました。右の写真は、柿安コミュニティパークで。揖斐川の堤防沿いでヒバリのオスを見たものの、ピントが合わないうちに逃げられました。

Dsc01249c  九華公園でも鳥はいません。スズメ、ムクドリなどだけ。カワラヒワが今年はほとんどいないのです。いつもなら写真を撮ることはないのですが、ハシボソガラス。この直前にエサをもらっているようでしたので、たぶんこれはヒナ。

Dsc01205c  花菖蒲は、奥平屋敷跡のすぐ北の菖蒲園で4輪ほど咲いていました。いずれもこれと同じく、ピンク色。本丸跡の花菖蒲園を見に行ったら、「もう咲いているか見に来た」とおっしゃる女性に出会いましたが、ガッカリしておられました。こんなことを書くのも何ですが、今年はお勧めできません。

Dsc01279c  奥平屋敷跡の花菖蒲園をよく見たら、先日補植したものが、こんな風に転がってました。最初は、別のところで1本が転がっていましたので、「植え忘れたのか?」と思ったのですが、この写真の辺りには、合計4本ほどがこんな状態でした。カラスがほじり出したのかも知れません。

Dsc01333c  貝塚公園ではコゲラの鳴き声が聞こえたものの、見つけられませんでした。カワラヒワは少しいたものの、写真は撮れず。ずっと飛んで、田町の商店にあるツバメの巣。親ツバメが何かしていましたが、何をしていたのかはよく分かりません。ここに行く前に京町のお宅の巣を見ましたが、親ツバメはいませんでした。これまでの経験上、卵があっても不在にしていることがあるようです。

Dsc01334c Dsc01380c  三崎通のお宅にある巣。ヒナ5羽は、元気そうでした。しばらく見ていたら、親ツバメがやって来てエサを与えていました。というようで、今日のバードウォッチングは、以上(苦笑)。

Dsc01331c  今週は、明日火曜日午前中に、名古屋で勉強会の講師。ある児童発達支援サービスなどを行っているところの父母会の主催。明後日水曜は、江戸橋での非常勤。週末は、勝手にハイキングで松阪へ行く予定。写真は、常信寺のカシワバアジサイ。

2022年5月22日 (日)

20220522JRさわやかウォーキング・近鉄ハイキング共同企画「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」(完)

Img_3151c_20220522162501 0522kintetsutomidawalk  最高気温29.4℃という暑さの中、今日は、タイトルのようにJRさわやかウォーキング・近鉄ハイキングの共同企画である「四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第2弾!!」に行ってきました。近鉄富田駅をスタートし、浜園緑地、四日市港ポートビル、霞ヶ浦緑地、四日市競輪場、稲葉翁記念公園、JR貨物四日市駅を経て、JR四日市駅がゴールというコース。四日市競輪場以外は、何度か訪ねていますので、今日は1回完結。

Img_2700c_20220522163201 Img_2706c_20220522163201  近鉄桑名駅を8時42分に出る五十鈴川行き急行に乗車。近鉄富田駅には、8時49分着。¥260。東口の南西の広場が受け付け。スタート受付は、JRさんが担当。コースマップも、JRさわやかウォーキングのものをいただき、8時55分にスタート。

220522jrwalkingtomida  こちらが実際に歩いたルート。今日は、余分なところには立ち寄っていません(微笑)。実は、娘が一緒に行くと行って同行。さすがに若いだけあって、歩くのが速い(苦笑)。ときどき置いて行かれそうになります。私はあちこちで写真を撮りますから、余計にそうなります。

Img_2715c_20220522163501 Img_2719c_20220522163501  スタートしてしばらくは十四川の桜並木沿いを進みます。400mあまりで、旧東海道を越えます。右の写真が、東海道。南の方を見ています。去年5月8日に「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参り」でこのあたりを歩いていました(2021年5月8日:20210508「東海道・伊勢街道歩いて伊勢詣りツアー」第3回「富田~四日市」(予告編))。

Img_2752c_20220522164201 Img_2764c_20220522164201  スタートから1.4㎞ほど、9時15分頃に富田湾。入江がマリーナになっています。国道23号線のすぐそば。その国道23号線をくぐったところに浜園緑地。緑の中にまっすぐな遊歩道があります。調べてみると、どんぐり林もあるそうです。

Img_2786c_20220522164801 Img_2792c_20220522165001  四日市港の様子を見ながら南西へ。霞大橋を渡って四日市港ポートビルへ。今日は好天でしたので、ここの14階にあるうみてらす14から景色を眺めるのがとても楽しみでした。今日の3大楽しみの1つ目。JRさわやかウォーキング特典で無料。このポートビルは、高さ100m、県内でもっとも高い建物なのです。右の写真は、ここに来るのに渡ってきた霞大橋方面。南西の方角。

Img_2817c_20220522165001 Img_2801c_20220522165001  左の写真は、北の方角。川越町から桑名市方面。中央あたりにいなばポートラインという道路が見えています。右の写真は、上右の方角ですが、もっと下を見下ろしたもの。

Img_2829c_20220522165301  スッキリ晴れていれば、セントレアも見えるのですが、今日は霞んでいました。ちょっと残念。

Img_2854c_20220522165401  四日市港ポートビルから再び霞大橋を渡ってさらに南西に。このあたりは、霞ヶ浦緑地という相当広い緑地になっています。ゆめくじら公園もありますし、野球場、テニス場などの運動施設もあります。

Img_2883c Img_2879c_20220522165901  その先で、今日の3大楽しみの2つ目、四日市競輪場。愚息が高校1年生の時、自転車競技部で活動していましたので、競技の応援などできたことはありましたが、今日は、バンクが特別開放されるのです。そのために、今日、参加したようなもの。バンクは1周400m。そのバンクを1周してきました。昭和27(1952)年に四日市市が開設しています。

Img_2902c_20220522165901  直線コースが62.4mと、他の競輪場に比べ長いそうです。ここのバンクの傾斜角度(カント)は、コーナーでは32° 15′ 07″だそうですが、見た目では45°くらい傾いているように見えました。今日のウォーキングでは、赤い部分から内側を通るようにと指示されましたので、傾いたところは歩いていません。いや、このバンク・ウォーキングは、おもしろかった。来てよかったと思えました。

Img_2936c_20220522170801 Img_2939c_20220522170801  競輪場の先で、四日市ドームの前を通過。今日は、大賑わい。というのも、「四日市ばんこ祭り IN 四日市ドーム 5/21・5/22」が開催されていたのです。萬古まつりには、3年前、川原町の駅の方で開催されているときに行ったことがあります(2019年5月12日:20190511JRさわやかウォーキング「四日市港開港120周年記念ボードビルからの展望と萬古まつりを楽しもう」へ(その2)……霞ヶ浦パークブリ ッジ、三滝公園で小休止して萬古まつり会場へ、三滝川沿いを歩いてJR四日市駅へゴールにて「完」)。

Img_2942c_20220522170801  ここで、おもしろい写真が撮れました。自画自賛ですので、どうぞお気になさらないでください(微苦笑)。ガラス面だと思うのですが、そこに向かい側の駐車場の様子が映り込んでいてのです。

Img_2954c_20220522171601  さらに霞ヶ浦緑地の中を通り、霞パークブリッジ。このあたりで6㎞の手前。時刻は、10時40分頃。初めの方に書きましたように、娘につられてハイペース(苦笑)。

Img_3019c_20220522171701 Img_3054c_20220522171701  稲葉翁記念公園には、11時10分頃到着。四日市港の近代化の礎を築いた稲葉三右衛門を偲ぶ公園で、園内には「潮吹き防波堤」のレプリカが設置されています。

Img_3003c_20220522171701  こちらが、今も保存されている潮吹き防波堤。明治時代に作られた独特の仕組みを持つ防波堤で、国の重要文化財にも指定されています。潮吹き防波堤の仕組みについては、こちらに説明があります。さすがに2時間以上歩いてきましたので、もうゴールも近いのですが、ここで小休止(微笑)。

Img_3069c_20220522172201 Img_3078c_20220522172201  国道23号線を越え、JR関西線の踏切の手前を左折。JR貨物四日市駅へ。ここは、2回目(2019年11月30日:20191130JRさわやかウォーキング「JR貨物四日市駅コンテナ基地と旧みなとまちめぐり」へ(完))。ここで、四日市の鉄道・バスグッズマルシェが行われています。

Img_3089c_20220522172201 Img_3083c_20220522172201  3大楽しみの3つ目を目指して、まっしぐら(微笑)。松阪の駅弁屋さんである「あら竹商店」さんが出店しているのです。早く行かないと売り切れかもと思ったせいで、娘がハイスピードで歩いてきたようです。しかし、「今日は、たくさんつくって、松阪から持ってきました」ということで、無事にモー太郎弁当をゲットできました。

Img_3199c_20220522172601  こちらが、モー太郎弁当。名物社長さんとも少しお話しができ、ラッキー。鉄道グッズも売っていましたが、それらはスルー。

Img_3122c_20220522172901 Img_3113c_20220522172901  バスを一通り見てきました。内部にも入って、見学できるようになっていました。お子さんだけでなく、大人の方でもバス好きの方も多いようで、それなりに賑わっていました。右の写真で、向かって左は、三重交通の安全運転教習車となっていました。その右は、四日市のコミュニティバス「こにゅうどうライナー」です。

Img_3097c_20220522172901 Img_3104c_20220522173301  こちらが、その側面。そういえば、今日はどこかでこにゅどうくんに会えるかと思ったら、いませんでした。もう1つは、Red Bear(JR貨物DF200形ディーゼル機関車)。日本貨物鉄道(JR貨物)が平成4(1992)年から製作した電気式ディーゼル機関車です。つまり、ディーゼルエンジンで発電機を駆動し、その発生電力で電動機を回し推進する方式だそうです。

Img_3147c_20220522173801 Img_3132c_20220522173801  無事にモー太郎弁当もゲットできましたので、ゴールのJR四日市駅へ。11時45分頃到着。近鉄富田駅からここまで約9.5㎞。コースマップでは8.6㎞となっていました。

Img_3129c_20220522173801 Img_3136c_20220522173801  JRさわやかウォーキングといえば、この「完歩記念」のパネルを撮ってこなくてはなりません。今日は、途中3ヶ所でスタンプラリーが行われていました(四日市港ポートビル、稲葉翁記念公園、JR四日市駅)。不織布製のバッグをいただけました。

Img_3159c  JR四日市を11時54分に発車する名古屋行き快速に乗車。桑名まで1駅で、12時6分着。¥240。今日は、近かったので、往復の電車賃は、合計¥500。ただ、モー太郎弁当は、1個¥1,500でした。

Img_3195c_20220522175801  歩数は、20,000歩を越え、20,951歩。現地で9.5㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞ですので、合計11.9㎞。よく歩きました。

Img_3213c_20220522175901  モー太郎弁当は、早速、昼ご飯に(微笑)。黒毛和牛のすき焼きが、ご飯の上にたっぷり乗っています。 

 

2022年5月21日 (土)

鳥がいないので、「とりてん」へ……万年青につぼみ出現

Img_2639c Img_2642c_20220521142701  アメダスの記録には出ないくらい弱い雨がときどき降っています。朝のうちは、雨雲レーダーを見ると、雲がかかっていましたので、散歩に出るのを迷っていました。しかし、9時過ぎからはしばらく大丈夫そうでしたので、出かけてきました。が、ジンクスではありませんが、九華公園あたりでポツポツと降られました(苦笑)。いつもとはコースを変え、三崎通、田町、九華公園、宮通、京町、桑名市博物館、寺町と4.1㎞。冒頭の写真2枚は、宮通の散歩友達の女性のお宅に咲いていたアジサイ。

Img_2592c_20220521142701  今日は、こちらから。ようやくというか、やっとというか九華公園の花菖蒲園で、花菖蒲が一輪開花しました。奥平屋敷跡のすぐ北にある菖蒲園で、です。去年は、5月15日に(2021年5月15日:九華公園で花菖蒲が咲き始め、京町ではツバメのヒナが誕生……コロナワクチンの接種予約も無事完了)、一昨年は5月9日に(2020年5月9日:九華公園で花菖蒲一輪開花)、それぞれ咲き始めています。

Img_2584c_20220521142801 Img_2586c_20220521142701  その花菖蒲園、ざっと見たところでは3ヶ所とも、もとがまばらであったところに補植したようでした。よく見てきたわけではありませんが、補植したものにつぼみはないような感じ。さてはて、これで花菖蒲まつりまでにつぼみが出て、花が咲くものか? というのが、散歩友達の一致した疑問。

Img_2546c_20220521142801 Img_2553c_20220521142801  さて、三崎通のお宅にあるツバメの巣では、5羽のヒナは、皆、元気にしていました。しばらく見ていても、親ツバメが来ないので不思議に思ったのですが、振り返ったら、近くの電線で身繕い中でした。

Img_2615c Img_2625c_20220521142701  九華公園では、北門を入ったところで、コゲラの鳴き声が聞こえ、目の前を1羽が飛んで行ったものの、すぐに見失ってしまいました。結局、写真が撮れたのは、スズメのヒナだけ(苦笑)。スズメのヒナは、公園のあちこちにいます。

Img_2605c_20220521142701  奥平屋敷跡にあるハシボソガラスの巣。今日は、巣にも、そのあたりにもカラスはいませんでした。ヒョッとしたら、巣立ってしまったのかも知れません。鳥たち、しっかり見守っていても、勝手に、黙って巣立って行ってしまいます。

Img_2667c_20220521142701 Img_2670c_20220521142701  鳥がいませんでしたので(というわけでもなく、期待して待っていたのですが)、桑名市博物館で今日から始まった初夏の企画展「とりてん」へ。館蔵品のコレクションから、活き活きと、色鮮やかに描かれた「鳥」たちの作品が56点も出品されています。日本画あり、洋画あり、掛け軸あり、萬古焼あり、また、松平定信、増山雪斎等の大名の描いたもの、帆山花乃舎や月僊などの画僧の絵、沼波弄山、森有節の萬古焼、地元桑名の小林研三の洋画も出ています。

Toriten2c Toriten1c  いささか余談ですが、展示を見ていたら、俳句短冊2辺の展示品と、説明とが入れ違っているのに気づいてしまいました(微苦笑)。帰りに受付の係の方に「入れ違っていませんか?」と伝えてきました。そういえば、4年ほど前にも、同様の経験をしています(2018年9月7日:散髪のあと桑名市博物館で「山林王の蔵の中」を見る……説明の入れ違いを発見(微笑)【9/8の中日新聞記事の写真に写り込んでいました】)。他人様のミスにすぐ目が行くというのは、我ながら嫌な性格をしているなぁと思えます。さらに、この4年前の時には、翌日の中日新聞朝刊に載ったこの展覧会の紹介記事の写真に我が身が写り込んでいるというハプニングもありましたっけ。

Img_2659c_20220521142701  桑名市博物館の展覧会では、いつも、ロビーに1点だけ写真撮影可の展示があります。村正の作と伝わる「脇差 無銘」(館蔵品)。村正の特徴を備えているといいます(直刃のなかに刀身の中程から茎(なかご)にかけて二度小さく波打つ心電図のような刃紋があり、その形が表裏で揃っている)。

Img_2684c_20220521142701Img_2530c_20220521142801  ところで、ベランダ園芸のその後。今日はまずは、万年青。いつだったか記憶がないのですが、家内の母からもらってきたもの。枯れずにいたのですが、初めてつぼみらしきものが出て来たのです。これは思わぬ成果となりそうです。

Img_2515c_20220521142801 Img_2517c_20220521142801  サギソウは、お陰様で順調です。5月11日に届いて10日目。今のところは、水が切れないように気を配っているだけですが、このままうまく行って欲しいと切に願っています。

Img_2521c_20220521142801  アサガオも順調です。まだまだ芽が出て来ますので、間引きはしていません。3鉢に蒔きましたが、写真で向かって左端にあるものは、家内の母に進呈することにし、本日、出荷(といっても家内が持っていきました)。

Img_2577c  余談。明日は、JRさわやかウォーキングと近鉄ハイキングの共同企画のイベントが四日市であります(四日市けいりんバンク特別開放と四日市の鉄道・バスグッズマルシェ第二弾!!)。近鉄富田駅→浜園緑地→四日市港ポートビル→霞ヶ浦緑地→四日市競輪場→稲葉翁記念公園→JR貨物四日市駅→JR四日市駅という、8.6㎞コース。ポートビルの展望室に無料で上がれ、四日市競輪場でバンクが特別に開放され、JR貨物四日市駅で鉄道各社のグッズの他に「あら竹」(松阪市)の駅弁が販売されるのです。あら竹の駅弁は、人気商品ですから、遅いとゲットできないかも。

2022年5月20日 (金)

コゲラファミリーに再開

Dsc00857c  今日は、曇天に戻ってしまいました。スッキリした好天は続かないようですが、いつも通り、7時半から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、常磐町、常信寺、御坊さん、寺町、田町、三崎通と6.9㎞。こんなに歩いたのは、九華公園で「牛に引かれて……」ならぬ、鳥に引かれてウロウロしたからです。冒頭の写真は、常信寺で咲き始めたカシワバアジサイ

7069668a  鳥に引かれてウロウロした原因は、こちら。とはいえ、今日、九華公園で撮った写真ではありません。去年の6月のもの(2021年6月20日:河口堰にてオオヨシキリとホオジロ、上之輪新田でケリの巣2ヶ所発見【オマケ:ロバのパン屋さん】)。奥平屋敷跡に向かっていたら、神戸櫓跡と辰巳櫓跡の間からオオヨシキリの鳴き声が聞こえたのです。急いでそちらに回ったら、辰巳櫓跡の松の木の高いところにいたのですが、写真は撮れず。どこかに行ってしまいました。その後、公園内を歩いていたら、2回目の鳴き声。辰巳櫓跡あたりにいたら、二の丸橋のところのクスノキから鳴き声。さらに、掘の南へ移動したので、追ったのですが、見失いました。このあたりでは、揖斐長良川の中洲にある葦原にいますが、迷ってきたのかという気がします。

Dsc00620c Dsc00644c  まず、柿安コミュニティパークで、ハクセキレイ。どういうわけか、オスが2羽、一緒にいました。ハクセキレイの幼鳥は、今シーズンはまだ見ていません。右は、コミュニティパークの駐車場の周囲にあるクチナシ。3月頃、剪定されてしまいましたので、今年はたぶん花はつきません。残念。「伸びていてみっともない」と役所にクレームが入ったため切ったのだそうです。

Dsc00760c_20220520154601 Dsc00786c  九華公園の北門あたりには、コゲラファミリー。左の写真は、嘴に黄色いところが見えますから、先日巣立ったヒナと思われます。右の写真は、親コゲラでしょう。南の方からエサを探しながら、少しずつ北へ移動し、柿安コミュニティパークの方へ行ってしまいました。元気そうで何より(微笑)。

Dsc00793c_20220520154501  コゲラの巣が空っぽになりましたので、見るものもほとんどなく、張り合いなし(苦笑)。やむなくハシボソガラスの巣を見上げて来ました。巣には誰もおらず、その近くに3羽の影。これはたぶんヒナだろうと思います。ヒナとはいえ、ずいぶん大きくなっています。孵化後約1ヶ月で巣立つといいますので、これも巣立ちは近いという気がします。

Dsc00791c Dsc00795c  花菖蒲園では、昨日書いたとおり、花菖蒲の補植作業が行われていました。花菖蒲園は3ヶ所ありますが、写真は、管理事務所の南にあるところにて。3ヶ所すべてに実施したかどうかは、分かりません。さらに、奥平屋敷跡では、ステージのペンキの塗り直し作業。たぶんこの10年以上、ここを公的な行事で使っているのを見たことはありません。さくらまつりの時に、知人が個人的に借りて、ライブをしたことは何回かあるくらい。

 九華公園では、あちこちでスズメのヒナを見ます。Dsc00829c_20220520154501親にエサをねだっているシーンをよく見ます。ついこの間も書きましたが、今年はカワラヒワのヒナを見ません。というよりも、最近になってカワラヒワそのものをあまり見なくなっています。

Dsc00995c Dsc00964c  京町のお宅や、田町の商店の巣には、今日も、親ツバメが座っていました(写真は割愛)。こちらは、三崎通のお宅の巣。親はせっせとエサを運んで来ます。ヒナは4羽だと思っていましたが、実際には5羽いました(右の写真)。

Dsc01069c  ところで今朝は、いつになく早くに目が覚めました。前期高齢者になって以降、早寝早起きがしっかり習慣づきました(微苦笑)。もっと寝ていたいとか、寝ていられればいいのにと思うのですが、なかなかそうできないのです。しかし、そのお陰で今朝は、一昨日の授業のQ&Aをゆっくり、しっかり確認できました。写真は、アマリリスと思います。

2022年5月19日 (木)

アジサイの季節になりつつあります

Dsc00263c 今日も好天で、26℃ほどになりました。散歩日和です。いつも通り、7時半から住吉神社、江戸町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、南魚町、田町、三崎通と6.0㎞ちょうど。もっと歩いたような気がしたのですが、案外伸びていませんでした。天気はよいものの、歩いている方は案外少ないので、もったいないと思います。

Dsc00486c 今日は、こちらから。京町の呉服屋さんにあるツバメの巣なのですが、空っぽでした。想定外(苦笑)。これは、一昨日の午後から昨日の間にツバメのヒナ4羽が、勝手に巣立ってしまったということ。まぁそんなものなのですが、あんなに気にしていたのですから、ひと言くらい挨拶があっても良いのではないかなどと思ったりもするのです。そうは思っても、皆、元気にしていてくれることを願っています。

Dsc00280c_20220519184601 Dsc00274c  今日の散歩コースを冒頭に書きましたが、江戸町に行っています。どこかというと、歌行燈本店があるところ。ここは、毎年、さまざまな種類のアジサイが見事に咲くのです。そろそろ咲き始めるかと思って立ち寄って来ました。ボチボチと何種類かが咲き始めていました。5月中、またときどき行ってみなくてはなりません。

 

Dsc00290c 九華公園には7時50分に到着。コゲラ・ファミリーは奥平屋敷跡の南側にいたのですが、写真は撮れず仕舞いで、残念至極。ヒナの姿も確認しましたが、元気にしていました。奥平屋敷跡では、スズメとハシボソガラスくらい。ハシボソガラスの巣には、今日は3羽くらいの姿がありましたので、まだヒナはいるものと思われます。しかし、大きさでは区別できないくらいになっています。

Dsc00304c 九華公園では、久しぶりにカルガモの姿が1羽。ただし、今日までは堀の水が抜かれていましたので、このあとすぐにどこかに去ってしまいました。ほかには、ムクドリ、カワラヒワ、ハクセキレイくらい。これほどかというくらい、鳥はいません。代わりに管理人さんのNさん、前管理人のOさんと30分以上話をしてきました。

Dsc00318c これからちょっと先の話題としては、花菖蒲。何度か書きましたが、全体として生育状況は貧弱。これでは、「花菖蒲まつり」もあったものではないと思っていたら、さすがに市役所も何とかしないといけないと考えたようで、明日にでも補植するそうです(今年は、リンク先にあるような咲き具合は、たぶん望めません)。こういう「対象療法」ではなく、もっと根本的、基本的にどのにするかから考えないといけないと思います。いやしくも「桑名市の花」に指定しているのですから。

Dsc00450c  5月も後半になりました。そろそろだろうと思っていたら、見つけました。ミドリガメが上陸して来ています。本丸跡の中央。産卵シーズンを迎えつつあります。これから、九華公園でも、鎮国守国神社の境内でもミドリガメが産卵場所を求めてウロウロしているのをみられます。タイミングが合えば、産卵シーンも見られます。

Dsc00475c Dsc00499c  京町あたりからはツバメの巣チェック。左の写真は京町にあるお宅の巣。右の写真は、田町の商店の巣。どちらも、親ツバメが巣に就いていました。

Dsc00551c  一昨日、ヒナが誕生した三崎通のお宅の巣では、ヒナは4羽とも元気でした。写真を撮っていたら、親ツバメに睨まれました(苦笑)。見て、写真を撮るだけで、無事に育つのを切に祈っていますから、もうちょっとフレンドリーにして欲しいところ。

Dsc00494c  昨日の授業のQ&Aは、散歩から帰ってから着手し、夕方までに一通り完了。プリントアウトして寝かせてあります。熟成しているのではなく、時間をおいて、印刷したものでチェックしないと、おかしなところや変換ミスに気づかないからです。明日の朝にでも見直して、修正が必要ならそれを施すつもり。

2022年5月18日 (水)

絶好のウォーキング日和なのに……

Dsc_6452c  朝は12.4℃と肌寒い感じでしたが、日中は久しぶりによく晴れて、26.8℃と暑いくらいになりました。私にとっては、絶好のウォーキング日和ではありますが、残念ながら、今日は、江戸橋方面での仕事。いつも通り、桑名駅を8時40分に出る五十鈴川行き急行で出勤。江戸橋駅を12時42分発の名古屋行き急行で帰宅という、判で押したような行動パターン。写真は、帰りに江戸橋駅で撮ったもの。

Dscn5281c  出勤途中、車窓から見える景色も、田植が済み、青々としてきて気持ちよく感じられるようになりました。やはり、水田があり、稲が植わっている景色はいいものです。

Dscn5288c 1652837342516c  授業は、昨日も書きましたように、今日で5回目。これで1/3を無事に終了したはず。学生たちの出席率も約95%と好調。授業がおもしろくて出てくるというのであれば、それに越したことはありません(微笑)。だんだんと暑くなっていきますから、マスクをして1時間半話をするのが、苦行になっていきます。加齢効果もあるでしょうが、授業をして帰宅すると疲れたと思うようになりました。今年度は、出席票に氏名と日付しか書いていないというものが、ほとんどありません。まぁ、学生たちが、出席票に書いてくれる質問、感想、コメントを励みに何とか責任を果たしましょう。

Dscn5292c  非常勤講師控え室の前の軒下に、昨年、コシアカツバメがつくった巣が残っています。今年もコシアカツバメが来るかと思ったのですが、これまでのところ確認されず。それどころか、スズメが利用しているようです。助手の先生の情報でもスズメが出入りしていたそうですし、非常勤講師控え室前でスズメのヒナの鳴き声がよく聞こえていますから。今年は、また、去年校舎のところにあった巣にも、ツバメは来ません。ちょっと残念。

Dscn5293c  「こんなに天気がいいと、寄り道していかなくてはなりませんね」と助手の先生からもいわれましたが、もちろんです(微笑)。ちょうど干潮に向かう時間ですし。しかし、残念ながら、今日は、ご覧の通り、鳥はまったく見当たりませんでした。ウ~ン、これからの季節、志登茂川でのバードウォッチングは、難しくなります。

Dscn5299c  いささか余談。こちら、近鉄名古屋線の江戸橋駅。三重大学前という副駅名があり、急行停車駅で、利用者は少なくありません。

Dscn5301c Dscn5302c  最近、駅員さんがいなくなりました(調べたら、昨年9月から「改札口での窓口業務を廃止」とありました)。左の写真で、自動改札機に向かって右にインターフォンが設置されています。右の写真は、駅事務室の窓ガラスに貼ってあったもの。「定期券は発行しておりません」「用があるお客様は、インターフォンでお話しください」と書かれています。急行も止まり、利用者もそれなりにあるのに、こういう具合では、そのうち無人駅がデフォルトになるのかも、などと思ったりします。

Img_2510c Dscn5313c  ベランダ園芸のその後。サギソウは、今日で到着から1週間。今のところ、5鉢すべてが順調に成長しています。アサガオは、3鉢に種を蒔きましたが、こちらもすべて順調です。

Dscn5315c  「おつまみ枝豆」は、まだ芽が出て来ません。もうしばらく待ってみましょう。

2022年5月17日 (火)

「コゲラ・ロス」は一挙に解消!!……コゲラ一家に遭遇

Dsc00003c  今日も薄曇りで、気温は20℃。風はほとんどありません。「コゲラ・ロス」から立ち直っていませんが、朝イチは家事を行い、8時20分から散歩へ。いつものように、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、常磐町、常信寺、寺町商店街、田町、三崎通と歩き回って、6.4㎞。2時間半コース。冒頭の写真は、寺町商店街の荷捌き広場のところに咲いていました。今までここにあったかどうか、よく覚えていないのですが、調べたら、アツバキミガヨラン(ユッカ)だそうです。漢字で書くと、厚葉君が代蘭。リュウゼツランの仲間。和名のキミガヨランは学名(Yucca gloriosa)のgloriosa(栄光ある)から「君が代」へ関連付けたものだとか。いろいろとあるものです。屁理屈、講釈好き故、調べて書いた次第。

Dsc09576c Dsc09632c  冒頭に「コゲラ・ロス」と書きましたが、それが実は、一挙に解消されました(微笑)。九華公園の二の丸跡から朝日丸跡にかけて、公園内某所の巣から巣立ったと思われるヒナを連れたコゲラ一家を発見したのです。これらの2枚は、二の丸跡にあるクスノキで撮影。「チィーチィーチィー」という感じの鳴き声が聞こえてきたので、探しました。左の写真は、ヒナ。右の写真、枝が邪魔ですが、親からエサをもらっているところ。

Dsc09721c Dsc09821c  こちらは、朝日丸跡にて。左の写真は、ヒナ。右の写真は、直前にヒナはエサをもらっていました。親の陰になってしまい、そのシーンは撮ったものの、ペケ写真でした。

Dsc09867c Dsc09880c  ヒナは、親にエサをもらうだけと思っていたのですが、松の雌花のところに来たヒナを見ていると、花の辺りを盛んにつついて、虫を咥えているように思えます。コゲラのヒナは、2~3ヶ月は親と一緒にいるそうですから、もうしばらく観察したいと思っています。

Dsc09541c  その九華公園の奥平屋敷跡にあるハシボソガラスの巣。直前に見てきたという散歩友達は、ヒナはいたというのですが、私が見てみると、何も動くものは見えません。巣立ちまでは、30~40日といいます(こちら)。コゲラの巣の方に関心が向いて、こちらのカラスの巣はあまりまじめに見ていませんでしたので、ヒナがいつからいたかよく分かりません。4月26日にヒナがいるかも知れないと書いていますが(2022年4月26日:コゲラの巣にヒナがいるのは確実)、確認したわけではありません。5月9日には、親ガラスよりやや小さめのカラスを見ています(2022年5月 9日:コゲラの雛の姿を捉えました!)。来年、また九華公園にカラスが営巣したら、よく見ることにしましょう。

Dsc00113c Dsc00167c_20220517144901  貝塚公園その他では、スズメ、ムクドリ、カワラヒワくらい。ツバメの巣チェック、今日は、三崎通のお宅の巣で、ヒナが孵っていました。ここにヒナがいるとは、実は予想外。ここは修復された巣で、親が巣にいるのを最初に確認したのは、4月28日でした(2022年4月29日:揖斐長良川の中洲からオオヨシキリの声)。その後、見に行ったときには、いたり、いなかったりで、どうなっているのかよく分からなかったのです。ツバメの抱卵日数は、13~17日。4月28日頃から卵があったとすれば勘定は合います。屁理屈はともかく、ヒナは4羽。まだ目が開いていませんので、孵ったばかりと思われます。

Dsc09951c Dsc09978c  話を戻して、京町の呉服屋さんの巣では、ヒナはいよいよ元気。大きくなってきて、巣の中でヒナが体勢を入れ替えるのも窮屈そうです。これらの写真では、向かって左のヒナがエサをもらっています。

Dsc09907c Dsc00026c_20220517144901  京町のお宅の巣(左の写真)、田町の商店にある巣(右の写真)では、いずれも親が巣に就いていました。

Dsc00012c  明日は、水曜日で、江戸橋での仕事、5回目。気が早いのですが、これで1/3に到達します(全15回ですから)。天気はよいようで、ありがたい(微笑)。アジサイは、八間通の郵便局近くで撮ったもの。

Dsc00230c  ところで、今朝の中日新聞に石取祭が、今年は開催されるというニュースが載っていました(こちら)。8月6日(土)、7日(日)に予定されています。3年ぶりの実施です。祭りの参加者にはワクチン接種か検査による陰性確認を要請し、練りながらの飲食や飲酒を禁じるそうです(ということは、今まではそうではなかったということです)。一般客に対しても食べ歩きを控えるよう求め、見物で混雑する一部で立ち入り禁止区域を設けるといいます。食べ歩きを控えるよう求めるということは、露店が出るということでしょう。

東海地区K-ABC研究会オンライン研修会(6月19日開催予定)のお知らせ

 東海地区K-ABC研究会では下記のようにオンライン研修会を開催します。ご関心がおありの方は、是非ご参加ください。詳細は、東海地区K-ABC研究会のサイトでご確認ください

  1. 日時:令和4(2022)年6月19日(日)
     13時00分 Zoomミーテイングルーム オープン
     13時30分 開始
     14時50分 終了
  2. 研修内容①:「心理検査のフィードバック~検査を受けるクライエントの視点から」(和光大学・熊上崇先生)
    ※日本K-ABCアセスメント学会の会員専用ページからしかアクセスできない「オンラインレクチャー動画」を事務局でホストをし、ライブストリーミング配信を行います。
    研修内容②:事例紹介「高校生の書き障害の事例」
    ※「字がうまく書けない」という困難さを抱えた高校生の事例です。
  3. 参加費、定員、申込締切
    配信はZoomで行います。参加費は無料です。定員は100名(定員になり次第〆切、申込サイトは自動で閉鎖されます)。申込〆切は、2022年6月15日(水)です。
  4. 参加申込方法、詳細の確認方法
    東海地区K-ABC研究会のHPの『研究会のご案内・参加お申込』よりお申込ください。詳細もそちらでご確認下さい。

2022年5月16日 (月)

2022年九華公園コゲラ観察日記

Dsc07141c Dsc06018c  先の記事に書きましたように、九華公園で繁殖していたコゲラは、昨日、巣立ちました。九華公園でコゲラの巣作りから巣立ちまで観察できたのは、初めてですので、その記録を作ってみました。取り敢えず、ブログの過去記事から拾って、主な出来事を列挙しています。このあと、できれば、写真をつけるなど、この記事のバージョンアップをしたいと考えています。また、コゲラは巣立ってからも2~3月は親と一緒にいて、エサをもらったりするそうです。もうしばらく九華公園で、コゲラの姿を追い求めようと思います。

  • 2022/3/24 奥平屋敷跡でコゲラが巣穴を掘っているのを発見
  • 2022/3/28 コゲラの巣穴は、身体が入るくらいの深さになった(尾は出ている)
  • 2022/4/4 親コゲラが入って中で向きを変えられるほど、深い穴を掘ったようである
  • 2022/4/5 木の幹の中から「コンコンコン」と木をつつく音が聞こえ、入り口から顔を覗かせ、木くずを何度も放り出している
  • 2022/4/7 2羽が入れ替わりで巣にいるようだ。前日までは、巣の中にコゲラが入っていくと、木をつつく音が聞こえたり、ときどき木くずを外に放り出したりしていたが、今日は、そういう様子はない。卵を産んだかもしれない
  • 2022/4/9 1羽がやって来たものの、近くの木でエサ探しを始める。巣穴からコゲラが顔を出す様子は、見られない。木をつつく音は聞こえないので、中で卵を抱いているように思われる
  • 2022/4/12 親は巣穴に入っていて、ときおり交代する
  • 2022/4/25 親が30分に1回くらい、鳴き声を上げずにエサにすると思われる虫を咥えてやって来るので、ヒナが孵ったものと思われる
  • 2022/4/26 親鳥は交代で餌をたくさん咥えて戻って来たので、ヒナが孵っていると思われる
  • 2022/4/29 親コゲラは口いっぱいにエサを咥えてやって来る。親2羽が同時に巣に入ることもある。動きはすばやく、顔を覗かせたかと思うと、飛び出していく。餌を持ってきたときは、慎重で巣よりやや下に止まり、周りを確認してから巣に入っていく
  • 2022/5/2 親は交代で頻繁にエサを運んで来て巣穴に入っていく
  • 2022/5/6 親はエサを運んでくる以外に何回か、糞らしきものを咥えて巣穴から出てくる
  • 2022/5/8 親は、やって来て短時間巣穴を覗き込むようにして、エサを与えているようだ。ヒナの顔らしきものが写真に写っていたが、不明瞭
  • 2022/5/9 親はエサを運んで来ても、巣穴には入っていかず、入り口でエサを与えているようだ。エサを与え、親が飛び立ったあと、初めてヒナが巣穴から顔を覗かせているのが見えた。ヒナがエサをもらっているところも撮影できた
  • 2022/5/10 親が餌を与えたとき以外ににも、ヒナが巣穴から顔を覗かせるようになった。親は頻繁にエサを運んでくる。8時45分頃、親は糞らしきものを咥えて出ていく
  • 2022/5/12 ヒナは巣穴から顔を覗かせており、親はときどきエサを運んでくる
  • 2022/5/13 ヒナが巣穴からかなり身を乗り出すようにして外を見ている
  • 2022/5/14 ヒナが巣穴から顔を出す。ヒナが覗いていると親が餌を運んでくることが多い
  • 2022/5/15 ヒナ2羽が朝8時過ぎに巣立ったという

 コゲラの子育てに関する日数の目安は、次の通りのようです。私たちの観察記録もあわせて記しておきます。

  1. 巣作り(12日):3月24日に巣をつくっているのに気づき、4月6日まで木をつつく音がしていた。この間14日であった
  2. 産卵(3日):4月7日から巣穴の中で木をつつく音が聞こえなくなったので、産卵したと思われる
  3. 抱卵(14日):4月7日からヒナが孵ったと思われる4月25日までは、18日間であった
  4. 巣立ちまで(20日):4月25日にヒナが孵り、5月15日に巣だったと思われるので、ちょうど20日で巣立ったと考えられる

散歩の楽しみが激減……コゲラの雛が勝手に巣立ってしまい、「コゲラ・ロス」

Dsc09104c  昨日と同じように、今日も薄曇り。朝方は北風だったこともあってか、ちょっと肌寒い感じでした。家事を済ませて、8時15分から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、吉津屋町、田町、三崎通、桑名七里の渡し公園と5.4㎞。遅かった上に途中で久しぶりに会った人があり、30分近くも話し込んでしまいました(苦笑)。

Dsc09132c  トピックスは、こちら。「コゲラの巣じゃないのか? コゲラはいないの?」と疑問を持たれるでしょうが、その通り。すでにいませんでした。九華公園前管理人Oさんによれば、昨日、朝8時過ぎに2羽が飛び出していって、それっきりだったそうです。「河口堰なんかに来ていると、その間にコゲラが巣立つかも知れない」という気がしていたのですが、まさにその通りでした。今朝、九華公園の北門を入ったあたりで幼い感じのコゲラらしい鳴き声が聞こえていました。まぁ、無事に巣立ってくれたのですから、喜ぶことにしましょう。コゲラの巣は、枯れた枝につくられ、使用は1回限り。管理事務所にお願いして、この枝を切り取って、半分に割って、巣がどのような構造になっているのか見てみたいと思うのですが、無理でしょうね。

Dsc09192c さて、そうなると、散歩の楽しみがかなり減ってしまいました。いつもの年なら、すでに今頃、カワラヒワがヒナを連れている姿が見えるのですが、今年はサッパリ出会いません。どうしたのでしょう? 頼りは、奥平屋敷跡にいるハシボソガラスのヒナ。今日、よく見ていると、ヒナは2羽がいるようでしたが、盛んに動き回り、ときどき羽ばたく練習をしていました。こちらも巣立ちは近いようです。

Dsc09236c Dsc09116c  他の鳥は少なく、あちこちでスズメのヒナを見かけたのと、ハクセキレイのオスを1羽見たくらい。スズメのヒナは、もちろん、ふっくらモフモフでカワイイのですが、他の鳥のヒナも見たい! 以前は、エナガのヒナも見たのですが、最近ではエナガそのものが来なくなってしまっています。

Dsc09212c Dsc09224c  花菖蒲、例年ならそろそろ咲いている頃で(2021年5月15日:九華公園で花菖蒲が咲き始め、京町ではツバメのヒナが誕生……コロナワクチンの接種予約も無事完了)、今年は咲くのか、心配していました。しかし、成長具合は芳しくはないものの(花菖蒲の背丈が、せいぜいいつもの2/3くらい)、つぼみはけっこう出て来ていました。これらは、奥平屋敷跡すぐ北の花菖蒲園で撮りました。去年は株分けもされていませんし、施肥なども未実施なのです。

E8981a53 Dsc09252c_20220516144601  もう一つ、九華公園の話。二の丸跡の南西隅で、石垣が崩れていました(左の写真は、今年4月22日撮影)。ようやく修理されるようで、堀の水がかなり抜いてありました。ここ、去年の11月から崩れ始めていたのです(2021年11月19日:円通寺の大イチョウ……法盛寺で渡部平太夫の墓、顕本寺でもイチョウを見てきました)。ただ、心配なのは、一昨年2月、別の箇所の石垣の修理がされたのですが、そのやり方が素人目に見ても、いかにもテキトーと思われたこと(2020年2月10日:初雪、薄氷の中、ウグイスにカワセミ……九華公園の石垣修理は、どうもねぇ)。同じようなことにならなければよいが、というのが、現在の散歩友達一同の心配です。

Dsc09314c_20220516144601  途中、端折って、京町でのツバメの巣チェック。これらの写真は、京町の呉服屋さんの巣。ツバメはかなり育ってきて、巣から溢れんばかり。5月6日にヒナがいるのを確認しました(2022年5月 6日:ツバメのヒナが登場……「桑名城下切絵図」を入手)。実際には、もう1~2日前に孵ったと思いますが、ツバメの巣内での育雛日数は、20~24日とされます。来週半ば頃には、巣立ちを迎えそうな気がします。

Dsc09293c Dsc09382c  今日も、親ツバメは、短いと10分おきくらいにエサを運んで来ていました。左の写真は、向かって左端の雛にエサを与え、またすぐ飛び出そうとしているところ。

Dsc09263c Dsc09423c  こちらは京町のお宅の巣。今日も親が巣に就いていました。右の写真は、田町の商店の巣。こちらも、親は巣に就いています。三崎通のお宅の巣は、今日も留守でした。

Dsc09454c  諸戸氏庭園前まで戻って来て、一休みしようとしたら、ベンチに先客あり。イソヒヨドリのメスでした。

Dsc09254c Dsc09258c  オマケ。九華公園近くにある知り合いのお宅で見つけました。斑入りのドクダミです。私は、初めて見ました。検索すると、通販でも売っていました。右は、同じお宅にあったクワ。ここの方は、「クワだといわれて買ったけど、実は小さい頃食べたのと同じだけど、葉っぱが違う気がする」とおっしゃっています。Wikipediaでは、ヤマグワ、シマグワなど品種が多いとありますから、そのためかも知れません。地元の年配の方は、子どもの頃、この実をよく食べたとおっしゃいますが、私にはまったく記憶がありません。

2022年5月15日 (日)

コアジサシの求愛給餌とオオヨシキリ@長良川河口堰

Dsc09087c  晴れるかと思ったのですが、終日、曇天。風もややあったのですが、プチ遠征。いつもの散歩コースでは、コゲラとツバメ、スズメのヒナくらいしかいませんし、気になって、見たい鳥たちもいるからです。7時15分に出て、上之輪新田、長良川河口堰方面を回って来ました。

Dsc08601c_20220515180301  Dsc08522c まずは、長良川河口堰で見てきたこちらから。コアジサシ。曇天で、イマイチではあるものの、左の写真は、求愛給餌シーン。ただし、このカップルは、すでに関係が成立していたようです。右の写真は、給餌シーンよりも前に見られた、たぶん交尾シーンではないかと思います(しかし、自信はありません)。

Dsc08433c Dsc08091c  コアジサシは、長良川河口堰の親水広場から見えるところに。しかし、今日見たのは、実数で10羽ほど。ずっと以前のようにたくさん来るということはなくなりました。このあと、管理橋を渡って長良川左岸に戻る途中、ダイビングが見られないかと来したのですが、管理橋あたりでは、今日は飛んでいませんでした。

Dsc08233c  そして、もう一つ、長良川河口堰では、オオヨシキリ。いつもの散歩コースで揖斐川の堤防を歩いていますと、揖斐長良川の中洲から盛んに「ギョギョシ ギョギョシ ギョギョシ」あるいは「ケケス ケケス カイカイシ」などと聞こえてきます。これが聞こえると見たくなるのです。今日は、中洲の揖斐川に近い方にしか姿が見えず、600mmで撮って、かなりトリミングしました。

Dsc07567c Dsc07573c  さて、話を始めに戻して、上之輪新田。水が入って、代かきが行われたところもありました。前回、ケリが巣をつくって座っていたあたりも(2022年4月30日:ムナグロの日……コアジサシは超証拠写真)、代かきがされてしまい、巣は見つけられませんでした。右の写真は、前回、巣があったあたりにいたケリ。遠くからは巣に就いているように見えたものの、そうではなく、残念。

Dsc07654c Dsc07627c_20220515180001  ケリは、あちこちにおり、合計8羽ほどが見られました。くまなく探してはいませんが、見た範囲では巣はありません。警告してくるケリもいませんでしたので、巣もなく、ヒナもいないと思われます。コチドリらしき鳥も1羽(右の写真)。

Dsc07697c Dsc07763c  これまた遠くにシギが降りて来ました。大トリミングしましたが、イマイチ(苦笑)。タシギのように思われます。さらに、アオサギさんもやって来ました。もっとあちこち丁寧に見回った方がよいのでしょうが、長良川河口堰が気になったので、20分ほどで切り上げ。

Dsc09034c Dsc07833c  7時45分から2時間近く、河口堰にいました。半分以上は、コアジサシとオオヨシキリ観察。東側の魚道、上流側にはコサギ1羽。

Dsc07845c Dsc07872c  下流側には、管理橋のすぐ下にアオサギ、コサギ。このアオサギさん、視線がこちらに向いた気がしたものの、逃げませんでした。こういうフレンドリーな態度、好ましいですねぇ(微笑)。コサギは2羽いました。いずれも斜め上からの写真。右の写真のコサギさんは、婚姻色を呈しています。

Dsc07884c  こちらは、もう1羽のコサギ。アオサギもコサギも、水面からはかなり高いところにいました。これでは、エサはゲットできません。ダイビングするにしても、水の流れが急過ぎる気がします。

Dsc07937c Dsc07959c  河口堰西側の魚道。下流側では、ダイサギさんが大股開き。上流側では、魚道に降りているコサギが合計5羽。次から次へと獲物をゲットしているコサギさん(右の写真)。

Dsc08162c Dsc08054c  親水広場では、コチドリ1羽。「ピウ ピウ」という鳴き声が遠くまでよく聞こえます。しかし、全長16センチと大きくないので、探すのに苦労することがよくあるのです。ハクセキレイも1羽。

Dsc08027c_20220515180101  さらに、今の時期、いつもは見ないのですが、オオバンが1羽。また、こちらも例年なら見なくなるのですが、カルガモが3羽(写真は割愛)。

Dsc09056c  ブロ友のひらいさんが、ケリ情報をくださったので、それを含めて何ヶ所か回って来ました。教えていただいたところでは、ケリは見られず。生きものですから、いるとは限りません。左の写真は、教えていただいた、あるところの近くにいたケリ。1羽のみで、このケリも、私には威嚇も、警告もしてきませんでした。ウ~ン、今年、ケリのヒナは見られるのでしょうか?

Img_2490c_20220515180301 Img_2500c_20220515180301  オマケ。毎日になっていますが、さほど変わりはありません(苦笑)。サギソウは、わずかに成長した気がします。測定はしていませんので、あくまでも印象。アサガオ、3鉢あるうちこの鉢は昨日に比べてもかなり成長。庭があれば、植え替えたいくらい。ベランダ園芸ですから、近いうちに間引かねばなりません。

Dsc07922c  今週のdutyは、水曜日の江戸橋での仕事のみ。「散歩生活、ときどき仕事」ですから、あとは散歩生活。読書と、桑名の歴史の勉強。市民大学郷土史学科の第1回のまとめは、一通りできましたので、チェック中。「久波奈名所図会」の個人的解読もボチボチ進めたいところ。そうそう、来週は、講演会を1つ頼まれていますし、来月の東海地区K-ABC研究会の研修会ではコメントせねばなりません。これらも忘れないようにしないといけません。

 

2022年5月14日 (土)

散歩コースで2ヶ所のツバメの巣に新たに親が就いていました

Dsc07537c  午後からは青空もでてきましたが、午前中は雨は上がったものの、曇天。故あって家事を済ませ、8時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、田町、三崎通と、2時間ほどで5.4㎞。やや短め。時節柄、また、こんな天候では鳥はいませんでした。

Dsc07141c  ただ、九華公園内某所のコゲラの巣では、今日もヒナが顔を出していました。先に来ていた散歩友達は、ヒナが覗いていると、親がエサを運んでくることが多いといっていました。しかし、私がいた15分ほどの間には、親はやって来ませんでした。今日は、シルバー人材センターから来られた方々が、この近くで草刈りを始められたので、撤収。

Dsc07221c Dsc07195c  九華公園には、スズメのヒナ、ドバト、ムクドリ、シジュウカラ、カワラヒワなどが少数ずついましたが、ほとんど鳴き声も聞こえません。このスズメのヒナは、二の丸橋のたもとにて撮ったもの。ほかに、鎮国守国神社の鳥居のところで、たぶんミドリガメの赤ちゃん。今年の産卵期はまだこれからですので、去年孵ったものと思います。

Dsc07260c  貝塚公園、内堀南公園にはスズメ、ムクドリくらいしかいません。京町でツバメの巣を巡回。今日はよいことがありました。京町のお宅の巣、修復したのに、なかなかやってこなかったのですが、今日は、親ツバメが巣に就いていました。

Dsc07290c Dsc07427c  京町の呉服屋さんの巣では、ヒナ4羽が皆、元気でした。15分ほど見ていましたが、親がエサを運んで来たのは、2回。大騒ぎになります。連休中(5/2夜~5/5)は私が留守にしていましたので、いつヒナが孵ったかは不明ですが、5月6日にはヒナがいました(2022年5月 6日:ツバメのヒナが登場……「桑名城下切絵図」を入手)。ツバメの巣内での育雛日数は20~24日とされますので、巣立ちまではまだ余裕がありそうです。

Dsc07446c  こちらは、田町にある商店の巣。こちらは巣を新築したものの、やはりずっときていませんでした。昨日、一昨日と雨でしたから見に来ていませんでしたが、今日見たら、親ツバメが巣に就いていました。一方、三崎通のお宅の巣には、親は不在。卵があってもときどきは巣を留守にすることがあるようです。

Dsc07501c  オマケその1は、ソメイヨシノの実。色づいてきました。小さな実です。食べられないことはありませんが、とても渋いので、食用には不適(以前トライしたことがあります)。

Dsc07541c Dsc07551c  オマケその2は、ベランダ園芸。アサガオは、ニョキニョキとかなりの勢いで伸びたり、新しい芽が出たりしています。たくさん蒔きましたので、そのうち間引きが必要です。サギソウは、少し伸びた気もしますが、定かではありません。去年の失敗を繰り返さないようにと思っています。

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その4)……念願の関宿はおもしろい(完)

Kameyama3  5月7日の東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」の本編その4です。その3では念願の関宿に入りましたが、途中の延命寺山門までとなっています。

Img_1985c_20220513160801 Img_1988c_20220513161401  延命寺から東海道に戻り、スタートから8㎞の手前に見どころが集まっています。まずは、関まちなみ資料館。江戸時代末期に建てられた関宿を代表する町屋建築のひとつです(旧別所家)。亀山市関町の文化財・歴史資料の展示・町並み保存事業による、関宿の町並みの移り変わりを写真展示しています。

Img_1996c_20220513160801 Img_2006c  ここで見たもののうち、興味のあるものをいくつか。左の写真は、明治10年代(1877~1886年)につくられた自転車。自転車がステータスシンボルであった頃で、かけそばが1銭8厘のとき、自転車1台が150~250円と高価でした。しかし、このサドルの位置、ちょっと前過ぎるような気がします。右の写真は、長火鉢。時代劇などにもよく出て来ます。中央の丸いところで酒の燗がつけられます。

Img_2018c_20220513162601  階段箪笥と、その奥は薬箪笥。この階段箪笥を登って2階に行きます。薬箪笥は、医者や薬屋が使ったもので、薬剤を入れるための引き出しがたくさんついており、百味箪笥や百目箪笥と呼ばれる場合もあるそうでます。

Img_2014c_20220513160901  2階には、有栖川宮親王が明治初期に関宿に泊まられたときの宿札が保存されていました。この有栖川宮親王は、有栖川宮熾仁親王(天保6(1835)~明治28(1895)年)かと思ったのですが、確認は取れませんでした。

Img_2020c_20220513171301  関まちなみ資料館の向かいに鶴屋。玉屋、会津屋とともに関を代表する旅籠の1つ。「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」という、伊勢参りの旅人などが歌ったとされる歌があるそうです。江戸時代の終わりには、脇本陣も務めた波多野家。脇本陣ですから、本陣に準ずる宿で、主に身分の高い商人たちの宿泊の用を勤めましたが、平素は一般庶民も泊まれました。鶴屋は、西尾吉兵衛を名乗っていましたから、西尾脇本陣ともいったそうです。2階に千鳥破風を載せた独特のデザインになっており、その格式を示しています。

Img_2025c_20220513172201 Img_2030c_20220513172201  中町三番町山車庫。その3で書きましたように、現在は4台の山車が残っていますので、山車庫も4ヶ所あります。また、ここは、問屋場跡でもあります。この西に川北本陣跡があります。現在ここには遺構はありません。その3で見てきた延命寺に、川北本陣の門が移築されているだけです。川北家は、本陣ととともに宿継ぎ問屋を勤めていたそうで、今も450点余りの古文書・古記録が伝えられているといいます(こちら)。

Img_2034c_20220513172201 Img_2048c_20220513172301  その向かいに百六里庭(ひゃくろくりてい)・眺関亭(ちょうかんてい)があります。小公園になっています。関宿が江戸から百六里あまりにあることから名付けられました。通りに面した建物は、眺関亭。

Img_2037c_20220507193101 Img_2044c  眺関亭の2階に上がると、こんな景色が眺められます。まさに「関を眺める」亭。西を見ると(左の写真)、瓦屋根の間に通る東海道とその突き当りにある地蔵院本堂の大屋根、さらには鈴鹿峠の方を、また、東を見ると(右の写真)、軒の並ぶ関宿のまちなみを望むことができます。展望台から西を見た様子は、関宿の成り立ちが現れた関宿の最も特徴的な景観だそうです。

Img_2053c_20220513173901  百六里庭・眺関亭の西には、伊藤本陣跡。川北本陣と並んで関宿の中心的な役割を果たしました。間口11軒あまり、建坪69坪、西隣の表門は唐破風造りの檜皮葺だったそうです。現在残っている街道に面した部分は家族の住居と、大名宿泊時に道具置き場に供した建物です。木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、開口部が格子窓で2階外壁両側には袖壁が設けられ、2階の外壁が前に張り出す「せがい造り」になっています。

Img_2083c_20220507193101  続いて、関宿旅籠玉屋歴史資料館。鶴屋のところに書きましたように、関を代表する旅籠の1つ。江戸時代の貴重な旅籠建築を修復し、旅籠で使われていた道具や歴史資料が展示してあります。宝珠の玉をかたどった虫籠(むしこ)窓が魅力的。この虫籠窓は、屋号にちなんで、宝珠の玉(玉から火焔があがる様)をかたどったものとなっているのだそうです。

Img_2080c_20220513174301  ここの裏手にある土蔵には、本物のというか、実物の歌川広重の浮世絵などが展示されていました。「行書版 東海道五十三次 関宿」などなど。もちろん写真は撮れませんので、土蔵の外観だけ。

Img_2065c_20220513174301 Img_2059c_20220513174301  その他、興味があったものについて。左の写真は、主屋1階の帳場。ちょんまげを結った初老の男性が、帳場に座っています。番頭さんでしょうか。手前の上がり口には、足を濯ぐための水を入れる盥と、草鞋も見えています。右の写真は、資料館の入り口にあった駕籠。一般庶民が乗った駕籠と思われますが、これでエッサエッサエッサホイサッサと揺られたら、乗り心地はよくないというか、結構大変そうです。

Img_2062c_20220513174301  これについては知りませんでしたが、江戸時代の関宿の名物・特産品として火縄がありました。火縄は火奴ともいい、鉄砲に用いたため大名の御用があったほか、道中の旅人が煙草などに使うためにも購入したそうです。新所を中心に数十軒の火縄屋がありました。 火縄は自生する竹を薄くへぐように削り、これを縄を編むように作ったといいます。

Img_2092c_20220507193101 1651900657728c  続いては、深川屋。創業約380年。江戸幕府3代将軍・家光の時代から続くそうですし、「忍びの隠れ蓑」だとも。江戸時代寛永年間より作り続けられている「関の戸」は、忍者の末裔 服部伊予保重により考案されたお餅菓子だそうです。令和元(2019)年、ここ深川屋に残る古文書から当時の忍びの記述が発見されたため、忍びの隠れ蓑の和菓子屋としています。ここで、土産に関の戸を買おうという算段。先日、三重県総合博物館で「第30回企画展 名所発見、再発見!~浮世絵でめぐる三重の魅力~」を見たときにも買ってきました(2022年5月 4日:イソヒヨドリに何度も遭遇……午後からはMieMUで「名所発見、再発見!~浮世絵でめぐる三重の魅力~」を見る)が、ずっと昔から私の好物なのです。赤小豆の漉し餡をぎゅうひ餅で包んであります。伝統的な和三盆をまぶしたものと、石臼でひいた亀山茶をまぶしたもの、6個ずつのセットをお買い上げ。

Img_2100c Img_2104c_20220507193101  土産もゲットし、一安心(微笑)。関郵便局のところへ。郵便局の敷地は、天正20(1592)年、家康が休憩したので、御茶屋御殿屋敷と呼ばれ、幕府代官陣屋、亀山藩役人詰所となっています。高札場もここにありました。亀山藩が管理した高札場跡で、キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10(1877)年に撤去されましたが、江戸時代後期、寛政年間から天保年間頃の高札場が復元されています。掲示されている文言は、天保年間(1831〜1845年)の調査と推測される『東海道宿村大概帳』に記された内容を読みやすい楷書に変えたものです。

Img_2096c_20220507193101  ポストが、宿場の雰囲気に合わせてつくられていますし、敷地内に「関町道路元標」があります。標石は一辺27㎝、地上高57㎝で頭は丸みを帯びています。「関町道路元標」と刻字があります。

Img_2158c_20220513193501 Img_2145c_20220513193501  この先で天台真盛宗の福蔵寺。ここは、織田信長の三男織田信孝の菩提寺であり、また、関の小萬の墓があります。さらに、英照皇太后が駐泊されたところ。

Img_2155c_20220513193501  織田信孝は、本能寺の変で亡くなった信長の冥福を祈るため、神戸の住人にして旧臣出会った大塚俄左衛門長政に命じてこの寺の建立にかかったのですが、信孝は秀吉との後継争いに敗れ、天正11(1583)年、尾張国野間において、自害させられました。長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。信孝の墓石は不詳であったので、400年忌を迎えたとき、菩提を弔うために建立されたのが、この写真の墓。

Img_2136c_20220513193501  こちらは、関の小萬の碑と、墓。裏門の横にあります。関の小萬については、その3で触れたとおり、若くして父の敵を討った烈女として伝えられています。15歳から風雪にもめげず、亀山の道場に通って修行に努め、武を練り、天明3(1783)年8月、本懐を遂げました。また、客殿の奥には英照皇太后孝明天皇の后)が宿泊された書院が現存するそうです(非公開)。

Img_2165c_20220514031901  関宿もかなり見て回ってきました。このあと地蔵院へ行くつもりでしたが、その前にもう1ヶ所見なくてはなりません。それは、会津屋です。関宿を代表する旅籠の1つで、もとは、山田屋といいました。関の小萬が育ったのがここです。江戸後期に建てられました。今は、食事処。

Img_2162c_20220507193201 Img_2174c_20220514031901  関宿は西の追分まで続きますが、今回の最終目的地は、九関山宝造寺関地蔵院です。関の地蔵さんと呼ばれます。天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。この地蔵菩薩は、わが国最古のものです。「せきの地蔵さんに振袖きせて奈良の大仏むこに取る」という俗謡があるほど、関に暮らす人々に加え、東海道を旅する人々の信仰も集め、全国の数あるお地蔵様の中でも最も敬愛されているといわれています。本堂、鐘楼、愛染堂の3棟の建物は国の重要文化財に指定されています。聖武天皇の勅願所、明治天皇関行在所でもあります。明治天皇は関町には5回来られ、明治13(1880)年7月10日、12日の2回、地蔵院で食事休憩されました。この明治13(1880)年7月11・12日には、亀山で大阪鎮台名古屋鎮台の合同演習が行われ、それを明治天皇がご覧になっています。ちなみに、7月11日には、亀山の東町にある伊藤市治郎宅に宿泊されました。この時、明治天皇が宿泊された建物は、現在、亀山城多門櫓の隣りに移築され、明治天皇行在所遺構として残っています。ここは、前回の「井田川~亀山ウォーク」で訪ねたところ(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))。

Img_2178c_20220514033501 Img_2171c_20220514033501  左の写真は鐘楼、右は愛染堂。鐘楼の脇に上右の写真に載せた「明治天皇関行在所」の石柱があります。ここにはまた、一休禅師の逸話も伝わっています。関東行脚の時、関宿を通りかかった一休和尚に修繕をした地蔵の開眼供養をしてほしいと村人たちが、頼んだところ快く引き受けてくれたのですが、一休和尚は「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ いでぬ間の かかるうき世に 目あかしめ地蔵」と詠み、立小便をして立ち去ってしまったそうです。怒った村人たちは別の僧に開眼供養をやり直してもらいましたが、その晩、高熱を出したある村人の夢枕に地蔵が立ち、供養を元のようにせよと命じたといいます。あわてて桑名の宿にいた一休和尚に助けを求めると、地蔵の首にかけるようにと古びた下帯を手渡され、言われたとおりにしたところ、高熱は下がったそうです(寛政9(1797)年に発行された『東海道名所図会』にかかれている話)。

Img_2196c_20220514032001  関地蔵院で14時。途中亀山の清福寺で1度、20分くらい休憩して、おやつを食べただけで、ここまで歩き続けてきました。このあと昼食。国道1号線から関駅あたりに行けば、食べるところがあるだろうと思ってそちらへ。地蔵院口の交差点のところに関地蔵堂への道標(関地蔵堂エ 二町)と、「街道 おんな唄」の石碑。鈴鹿馬子唄の一節などが刻まれています。

Img_2202c_20220507193202 Dsc_6434c  JR関西線・関駅の近くに道の駅関宿があります。ここなら何か食べられるだろうということで立ち寄ったら、定食屋みくらという店がありました。冷やし海老おろしうどんをチョイス。¥840。

Img_2214c_20220507193201 Img_2242c_20220507193201  JR関西線・関駅には、14時45分頃にゴールイン。9.3㎞を歩きました。ここは、JR西日本のエリア。亀山までは1駅なのですが、この時間帯には1時間に1本のみ。しかも非電化区間。右の写真のように1両のディーゼルカーが走っています。

Img_2258c_20220507193201 Img_2266c_20220507193301  14時59分発の亀山行きに乗車。亀山には15時5分着。ここでJR東海の関西線に乗り換え。15時26分の名古屋行き快速。ただし、快速になるのは、四日市から。桑名には、16時6分着。料金は、通しで¥770。9.3㎞も歩き、また、暑かったのでそれなりに疲れました。しかし、この日は、念願の関宿を訪ねられましたので、心地よい疲労感でした。歩数は、22,266歩。現地で9.3㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞で、計11.7㎞。

Img_1567c_20220514041001 Img_2193c_20220514032001  オマケ。マンホールの蓋コレクション。左の写真は、亀山市のもの。右は、旧関町のもの(現在は、亀山市と合併して、亀山市関町になっています)。亀山のものは、多門櫓に花菖蒲の花の絵柄になっています。旧関町のものは、関宿の町並みにお地蔵様が立っているデザイン。

Sekistampc Kameyamastampc  もう1つオマケ。スタンプです。自作コースマップの裏に押してきましたので、それが透けてしまっていますが、ご愛敬。左は、亀山の加藤家屋敷、旧舘家住宅、旧佐野家でゲット。右は、関宿にある3つの資料館(関の山車会館、関まちなみ資料館、関宿旅籠玉屋歴史資料館)のもの。これにて「亀山宿~関宿」の東海道ウォーキングは、「完」。

2022年5月13日 (金)

学習しないので、今日も降られる(笑)……三八市でみたらし団子&ベランダ園芸のその後

Dsc06646c 05130950raderc  はっきりしない空模様です。夜から明日の朝にかけてはかなり強い雨が予想されています。今朝は、午前中は雨雲が切れそうでしたので、いつもの時間に散歩に出たものの、結局、ずっと霧雨にやられました。昨日の経験から学習していないのです(苦笑)。雨雲レーダーでは、雨雲はなかったのですがねぇ(右の写真)。住吉神社から九華公園を半周し、京町、そして今日は寺町で三八市に立ち寄って帰宅。3.4㎞歩いただけ。冒頭の写真は、住吉神社で雨宿り中に撮ったもの。

Dsc06865c_20220513130801 Dsc06983c  鳥はほとんどいません。まだ繁殖シーズンですし、この天候ではやむを得ません。九華公園内某所のコゲラの巣。今のところ、毎日、ほぼ同じシーン(苦笑)。しかし、右の写真のように、コゲラの雛が巣穴からかなり身を乗り出すようになってきました。孵化後20日ほどで巣立つといいます。4月25日にヒナがいるか?ということになりましたので(2022年4月25日:貝塚公園にまだツグミ……コゲラはヒナが孵ったか?)、今日は18日目。そろそろ巣立ちかも。ただし、巣立った後も2~7ヶ月間は、親元に留まるそうです。

Dsc06788c  メジロは、奥平屋敷跡にて。今日は、雨が降り始めましたので、ハシボソガラスの巣は見てきませんでした。ほかには、スズメ、ムクドリ、カワラヒワ、ドバトが、いずれも少数。

Dsc07022c  ツバメの巣は、京町附近のみ見てきました。ツバメもしくはヒナがいたのは、呉服屋さんのみ。京町のお宅の巣には、まだツバメは来ていません。田町、三崎通方面は、行っていません。

Dsc07036c Dsc07042c  さて、三八市に行ったのは、家内からの指令で、家内の母に持っていくからみたらし団子を買ってくるようにということだったのです。和菓子屋さんが2軒あるのですが、そこではなく、御坊さんの山門前に出店するお店のものが、我が家のベストなのです。

Dsc_6448c  こちらがそのみたらし団子。そうなのです、醤油の付け焼きでなくてはなりません。今風の「砂糖醤油の葛餡をかけた串団子」は、私にとってはみたらし団子ではないのです。これは、内緒で自分のおやつ用に買ってきた2本。

Dsc06669c  一昨日の江戸橋での授業のQ&Aは、昨晩書き終え、今朝、チェックし、メールで送りました。これで今週のデューティは、明日の管理組合理事会の仕事だけ。

Dsc07087c Dsc07085c  ところで、ベランダ園芸のその後。昼前に見たら、アサガオは早くも芽が出て来ました。3鉢ともです。5月9日の月曜に種を蒔いたばかりです(2022年5月 9日:コゲラの雛の姿を捉えました!)。去年は5月17日に種を蒔いて(2021年5月17日:梅雨入り2日目、アサガオの種まきと歴史調べ)、5月19日に芽が出て来ました(2021年5月19日:案の定雨で苦笑……アサガオの芽が出て来ました)。

Dsc07071c Dsc07077c  サギソウは、5月11日に届き、3日目です。格別な変化はありません。取り敢えずは、日当たりと風通しがよいところで、水を切らさないことが肝心と思います。購入したところからは、「サギソウ、上手くいくときと行かないときがあり、少しコツがいる植物の印象です。定期的な殺菌をしてあげると、成功確率は少し上がるかと思います」といわれました。殺菌をした方がよいというのは、今まで知りませんでしたので、調べて見る必要があります。

Dsc07079c  「おつまみ枝豆」は、まだ芽が出て来ません。まぁ、気長にやることにしましょう。

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その3)……いよいよ念願の関宿へ

Kameyama3  5月7日の東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」の本編その3です。その2では、亀山城・京口門跡から西のあたりで寺、野村一里塚などを巡って、太岡寺畷まで行きました。鈴鹿川沿いを歩いて、6㎞を過ぎる頃、小野川を渡り、いよいよ関宿に近づいていきます。亀山市関町小野で国道1号線から逸れて関宿に向かいます。そこに関の小萬の碑ともたれ松。7㎞の手前で関宿東の追分があります。ここは、伊勢別街道との追分。関宿は、見どころ多数。

Img_1825c_20220507193301  国道1号線から関宿に入るところにこの看板。看板に「重要伝統的建造物群保存地区」とあります。令和3年8月2日現在、104市町村で126地区が指定されています。三重県では、ここ関宿のみ。指定されたのは、昭和59(1984)年12月10日。東海道五十三次の47番目の宿場町で、今なお当時の雰囲気が残されています。江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上現存。

Img_1834c_20220512171701 この看板を過ぎてすぐ左手に「関の小萬の碑」と「もたれ松」があります。関の小萬(せきのこまん)は、鈴鹿馬子唄にも謡われていますが、女性の身で父の仇討ちをした仇討烈女として有名です。小萬の父は、九州久留米有馬氏の家来で、剣道指南役牧藤左衛門でしたが、遺恨により同輩の小林軍太夫に殺されました。身重の妻は、夫の仇を討つため旅に出たものの、鈴鹿峠を越え、関宿についた頃には旅の疲れが重なって、地蔵院前の旅籠山田屋の前まで来たときには行き倒れ同様の有様だったといいます。山田屋の主人も女将も親切な人たちで、この女性を引き取って手厚く看病し、女性はそこで女の子を産みました。これが小萬です。女性はまもなく、子どもの将来を宿の主人山田屋吉右衛門に託して死んでしまいます。

Img_1831c_20220512171701 Img_1828c_20220512171701  小萬は成長して養父母から両親のことを聞き、亡き母の志を継いで亡父の仇討ちをする決心をします。山田屋の主人は、亀山藩家老加毛寛斎に頼んで武術の修行に励むようにしました。天明3(1783)年8月、運良く仇と巡り会うことができた小萬は、馬子姿に変装し、て亀山城大手前の辻で仇のくるのを待ち受け、見事本懐を遂げることができたといいます。これにより、関の小萬の名前は一躍高まったのですが、その後も山田屋にとどまって養父母に仕え、享和3(1803)年正月、36歳で亡くなりました。墓は福蔵寺にあります。ちなみに、この碑があるところには、当時、亀山に通った小萬が若者の戯れを避けるために姿を隠しても持たれたと伝わる松があったところから、「小萬のもたれ松」と呼ばれました。こういう話が好きですので、ついつい長くなりました。さらに余談を重ねると、鈴鹿馬子唄には、次のようにあります(部分を引用しています)。

与作思えば 照る日も曇る 関の小万の エー涙雨
関の小万が 亀山通い 月に雪駄が エー二十五足
関の小万の 米かす音は 一里聞こえて エー二里ひびく
馬は戻(い)んだに お主は見えぬ 関の小万が エーとめたやら
昔恋しい 鈴鹿を越えりゃ 関の小万の エー声がする

Img_1838c_20220512171701 Img_1841  関の小萬の碑を過ぎて、関宿に向かいますが、そこはゆるい登り坂。右の写真のような、昔の琺瑯看板もあって、徐々に時代を遡っているような気がしてきます。

Img_1847c_20220507193101  7㎞の手前で関宿東の追分。ここには、鳥居があります。20年に一度の神宮式年遷宮の際に、内宮宇治橋南詰の鳥居を移したものです。またもや余談ですが、桑名の七里の渡し跡にある、伊勢一の鳥居は、内宮宇治橋北詰の鳥居を移しています。この鳥居の向こうに続く道は、伊勢別街道。伊勢別街道は、「いせみち」「参宮道」「山田道」などと呼ばれ、幾つかの宿場町があり、江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わったそうです。ここから津市芸濃町椋本(むくもと)、津市一身田(いっしんでん)を通り、伊勢街道と合流する江戸橋までの総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)の街道です。

Img_1866c_20220513110301 Img_1863c_20220513105401  追分からすぐのところに岩間家があります。白木屋という屋号で、往時は、主に東追分で稼ぐ人足や車夫の定宿を営んでいたといいます。この東の追分を過ぎると、徐々に昔の町並みが見えてきます。遠くには、鈴鹿の山並みも見えてきて、桑名からは、遠くまで来たものだという気分になります。

Img_1887c_20220513105501 Img_1898c_20220513110701  郵便ポストも、このように黒く塗られ、しかも「書状集箱」と表示されていて、それらしい雰囲気を醸し出しています。右は、「消火器具収納箱」。これも古い町並みの外観に合わせてつくられています。

Img_1871c_20220513105501 Img_1874c_20220513105501  このその3の初めにも書きましたが、関宿は「重要伝統的建造物群保存地区」で、江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上現存しています。伝統的建造物には、すべて右のような番号が付されています。私たちのように観光で訪れるものにとっては、古い建物がたくさん残っているのは楽しみなのですが、建物の外観を変更(新築・増改築・改修・模様替え)するときは、市町村に申請して許可を得てから実施しなければなりませんから、お住まいの方にとっては大変であろうと思います。

Img_1880c_20220513111401  長谷屋資料館。「古しえの宿『長谷屋』」として、まちかど博物館に登録しています。旅籠の調度品ほかが展示され、毎日開館していますが、見学には予約が必要でした。

Img_1895c_20220513112201 Img_1892c_20220513112201  その先で、真宗高田派の宝林寺。由緒書きはなく、ネットでもこれという情報は出て来ませんでしたが、昔ながらの井戸があり、懐かしく眺めてきました。

Img_1906c_20220513121201 Img_1907c_20220513121201  こちらは途中で気づいたもの。このお店の前に取り付けられていたのは、「ばったり(揚げ店、店棚)」という、上げ下げができる棚。商品を並べたり、通りを通る人が座ったりしたところ。この建物の窓は、ちなみに私の好きな「虫籠窓(漆喰で塗り籠めた堅格子窓)」。軒下には、「幕板」があります。馬つなぎの「環金具(わかなぐ)」が残るところもあるということでしたが、見つけられませんでした。

Img_1910c_20220513114401  御馳走場跡。珍しい名前ですが、関宿に出入りする大名行列の一行を宿役人が出迎えたり、見送ったりする場所だったそうです。関宿には、4箇所の御馳走場がありました。ここは、享保19(1734)年につくられています。

Img_1919c_20220507193101  御馳走場跡のすぐ先に「関の山車(せきのやま)会館」があります(入館料は、このあと訪ねた関まちなみ資料館、関宿旅籠玉屋歴史資料館の3館共通で¥500)。山車収蔵展示棟を含む4棟からなっています。関宿に伝わる山車(やま)と関宿祇園夏祭りの歴史・文化を後世に伝えるため、関の山車と歴史的な関係資料が展示してあります。関宿祇園夏祭りは、江戸時代の文化年間から続く伝統行事で、4基の山車が出て、互いに華美を競います。新所、中町、木崎地区の旧東海道を中心に昼は一台の神輿が、夜は山車が町内を練り歩きます。7月の末に行われます。

Img_1934c_20220507193101 Img_1936c_20220513115401  こちらが、関の山車会館に展示してある山車の1つ(ガラス越しの撮影)。山車の上の部分は、「舞台まわし」と呼ばれ、回転するのだそうです。ちなみに、「一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい」という意味で用いられる「関の山」ということばは、この「関の山車」が語源です。関宿祇園夏祭りは、最盛期には16基もの山車があり、互いに競い合い、家々の軒先をかすめるよう巡行しました。山車が勢揃いすれば、狭い街道はそれだけで埋まってしまい、身動きもとれないほどであったことから、精いっぱいの意味で用いられるようになったのです。

Img_1964c_20220513120101  いささか余談。百五銀行亀山支店関プラザ出張所。斎宮跡でもこうした古風なつくりになっていました(2019年11月26日 :20191116近鉄ハイキング「お伊勢さん参りハイキング 昔も今もお伊勢参り~旅11日目~伊勢街道、旅人気分で斎宮から宮川の渡し・そして神領域へ」(その1)……竹神社、有明六地蔵、「斎宮旧蹟蛭澤之花園」と「斎王隆子女王之墓従是五丁」道標、安養寺と明星水の井戸)。ATMも「現金自動取扱所」という表示。

Img_1970c_20220513120901 Img_1976c_20220513120901  関神社はパスして、清静山延命寺へ。真宗本願寺派。ここの山門が、川北本陣の門が移築されたものでしたので、それを見に行った次第。明治5(1872)年に移築しています。川北本陣の現存する唯一の遺構。門は薬医門で、17世紀後半の建築と考えられています。川北家の家紋である三蓋松が掘られています。川北本陣は、関宿に2つあった本陣の1つで、慶長年間(1596~1615年)の頃から明治3(1870)年まで本陣を務めています。

 関宿の途中ではありますが、記事が長くなりましたので、その3はここまで。その4で、関宿の残りを見ることにします。

2022年5月12日 (木)

散歩に出るも、雨に降られる

Img_2312c_20220512165001  午前中は曇りという予報を頼りに、降ってくる前に散歩と思って出かけたものの、案の定というか、九華公園にいるときから降ってきました(苦笑)。まぁ、よくあるパターン。住吉神社から九華公園を半周し、京町、田町、三崎通と途中から傘を差しながら3.5㎞。冒頭の写真は、住吉神社の前。ほとんど誰も歩いていません。濡らすといけませんので、カメラはCanon Powershot SX60HS。

Img_2301c_20220512164901 Img_2306c_20220512164901  拙宅マンションを出たところでイソヒヨドリの声。探したら、北側にある諸戸氏庭園との間の水路のところにオスのイソヒヨドリがいました。ただし、慌てたこともあって、超証拠写真(苦笑)。住吉神社のところでスズメのヒナ。これもピントが甘い。今日は、天候もあってそんな写真ばかりです。

Img_2354c_20220512165001 Img_2396c_20220512165001  九華公園内某所のコゲラの巣。巣穴から覗いているのは、ヒナ。親がときどきエサを運んで来て与えています。この頃からポツポツ降り始めました。

Img_2357c_20220512165001  奥平屋敷跡のハシボソガラスの巣。ヒナ、今日は1羽しか見えませんでした。いつもなら、公園内を割と丁寧に回ってくるのですが、奥平屋敷跡、二の丸跡から二の丸橋をわたって、帰宅へ。

Img_2422c_20220512164901 Img_2439c  京町の呉服屋さんのツバメの巣。ヒナは元気そうでした。もう1軒のお宅の巣は、修復されたままで、ツバメは来ていません。右の写真は、田町の商店にあるツバメの巣。見に行ったとき、親ツバメがいたのですが、写真を撮ろうとしたら、飛びだして行ってしまいました。

Img_2442c_20220512164901  三崎通のお宅。最近ずっと、親ツバメが巣に就いています。今日は、何かを一所懸命していた後、座り直していました。卵を抱いているものと思います。ということで、1時間あまりで帰宅(苦笑)。

Img_2410c_20220512170601  その後は、昨日の授業のQ&A書きに専念。といいたいところですが、持続力、集中力が低下していますので、ほかのことをやったりして気を紛らしながらというのが実態。同級生K氏がこの間、「身体の切れももちろんだけど、頭の切れも悪くなってきたな」といっていましたが、まさにそんな感じ。苦笑せざるを得ません。明日は、今のところ、午前中は曇りで午後からまた雨の予報。さて、実際にはどうなりますか? 写真は、九華公園の近所のお宅のバラ。

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その2)……野村から太岡寺畷へ

Kameyama1  5月7日の東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」の本編その2です。その1では、亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで来ました。歩いているところは、ルートマップその1の中央あたりで、スタートからはまだ2㎞も来ていません。

Img_1579c_20220511072601 Img_1585c_20220511072601  街道の右手に大木が目立つお寺がありました。ノーチェックだったのですが、大木につられて拝観へ。真宗本願寺派の究竟山光明寺。たまたまご住職がいらっしゃり、いろいろな話を伺いました。その1で触れた京口橋は、バスを通すために大正時代にかけられたとか。大木は、イチョウとクスノキ。イチョウは防火になりますので、寺社に多いのは分かりますが、クスノキは燃えやすそうです。

Img_1588c_20220511072601  なかでもヘェ~と思ったのが、こちらの木。予期しないこと、意外なさまを「ひょんなこと」といいますが、それは、このイスノキの葉にできる「虫こぶ」に由来するのだそうです。イスノキは、マンサク科の常緑高木で、庭木として栽培され、その材は柱・机に使われます。この木の葉を虫が食ったあとにできる虫こぶを「ひょんの実」というそうで、子どもの遊びで、この虫こぶの穴を吹くとひょうひょうと鳴るところから木の名も「ひょん」となったという説があるそうです(異説があります)。「ひょんな」は室町時代からあったという話もあります。こちらを参照しました。ちなみに、イスノキに「虫こぶ」をつくるのは、イスノフシアブラムシで、イスノキとアラカシの間を行ったり来たりするアブラムシです。ご住職は、やや耳が遠いらしく、また、いつまで経っても話が終わらないような気がして、ちょっと心配になりましたが、いろいろとおもしろい話を伺えました(苦笑)。

Img_1607c_20220507193101 091c56e2  光明寺の先でスタートから2㎞を過ぎ、亀鶴山(きかくさん)無量院慈恩寺(じおんじ)。浄土宗のお寺。ご本尊は、木造阿弥陀如来立像(国重要文化財。右の写真。これは、2019年6月9日に訪ねたときに撮らせていただきました(2019年6月15日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、浄恩寺、羽柴))。もとは野村にあった薬師寺(長福寺)の本尊・薬師如来であったといいます。後世の補修の際に、両手首から先を阿弥陀印に下ものと考えられています。慈恩寺の縁起によれば、薬師寺(長福寺)は行基が神亀(じんき)5(728)年に聖武天皇の勅願によって創建し、薬師如来像を彫刻して、安置したと伝わっています。正徳6(1716)年にこのお寺は、慈恩寺と改まっています。行基が開いたときは、忍山神宮の神宮寺であり、七堂伽藍もあったといいますが、度重なる兵火で焼けています。

Img_1597c_20220511193601 Img_1601c_20220511193601  現在は無住となっており、ほかのお寺のご住職が兼務されているそうですが、境内は檀家の皆さんが手入れされていらっしゃるのか、きれいに保たれていました。墓所には、近藤鐸山(文化10(1813)~明治23(1890)年)の墓がありました。鐸山は号で、名は幸殖(さきたね)。伊勢亀山藩士で、嘉永3(1850)年、家老となり、藩の兵制改革などにつくしました。尊攘派の公卿三条実美らと交流したため、禁門の変への関与を幕府にうたがわれ幽閉されたものの、慶応4(1868=明治元年)年、軍事奉行として復帰し、明治2(1869)年には大参事(現在でいえば、副知事)となっています。慈恩寺には、上述のように、令和元(2019)年に訪ねています。詳しくは、上記のリンク先をご覧ください。

Img_1625c_20220507193101    スタートから約2.7㎞、10時50分頃、野村一里塚跡に到着。三重県内12ヵ所の一里塚のなかで唯一、昔ながらの原形を保っています。残っているのは北側の塚で、南側の一里塚は、大正3(1914)年に取り壊されました。江戸日本橋からは106里12町(417.6㎞)、京三条大橋から17里32町(70.2㎞)の距離。樹齢400年のムクの巨木が植えられています。昭和9(1934)年に国の史跡に指定されています。

0ed21c5c  ちょっとだけ余談。冒頭の詳細なルートマップその1で、野村一里塚の南に忍山神社があります。「延喜式」神名帳に登録された式内社です。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、ここに半年御鎮座されたといいます。また、第12代景行天皇の御代には、日本武尊が東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主・忍山宿禰の長女・弟橘媛(おとたちばなひめ)を妃とされたという由緒ある神社です。ここも2019年にJRさわやかウォーキングで訪ねています(2019年6月13日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その1)……亀山駅前で能褒野神社一の鳥居、松月地蔵を見て、倭姫命が鎮座され弟橘姫が生まれた忍山神社へ)。写真は、このときのもので、今回はパス。

Img_1610c_20220512070701 Img_1638c_20220512070701  余談ついでに、左の写真は亀山市内の東海道。野村一里塚の手前で撮ったもの。こういうカラー舗装になっていて、分かりやすい。右の写真は、野村一里塚を過ぎたあたりから見た南西方向の景色。水田が広がり、青空で気持ちよい。

Kameyama2  このあたりから詳細なルートマップはその2のエリアへ。亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡、毘沙門天のところで東海道は右折、布気神舘大神社は門前で参拝を済ませ、昼寝観音から清福寺へ。11時20分となり、歩き始めから2時間以上となりましたので、ここの隣の公民館で一休み。陸橋を渡って、太岡寺縄手へと進みます。

Img_1641c_20220512071101  まずは、亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡。打田家は、江戸時代初め、近江国から野尻村(現在の布気町)に移住し、亀山藩主本多家のもとで代官を勤め、後にいくつもの庄屋をまとめる大庄屋を務めました。この標柱があるところが旧宅跡と思い込んでいたのですが、よくよく読んだら、東海道を挟んだ向かい側にその屋敷があったそうです(苦笑)。打田権四郎昌克は、打田家は、17歳で大庄屋となり、元禄15(1702)年、亀山藩領に関する記録集である「九々五集」を編纂しています。

Img_1654c_20220512071101 Img_1658c_20220512071101  その先、毘沙門天のところまで来たら、お茶の葉っぱの香り。収穫されたばかりのお茶の葉が土間に並べられ、これから蒸す工程に入れておられました。まさに新茶。お話を伺ったら、作業は大変だそうです。

Img_1652c_20220512071101  このお茶屋さんのすぐ先に毘沙門天があります。以前訪ねていますが、由緒などは不明(20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その2)……布気皇館太神社、野村一里塚、野村一里塚、浄恩寺、羽柴秀吉亀山城攻め本陣跡から、亀山市歴史博物館へ【布気皇館太神社のお社について追記しました(6/17)】)。亀山市歴史博物館のサイトには、「当番の人が毎晩ご飯を備えており、毎年8月には祭りが行われている」と書かれています。

Img_1664c  布気神舘太神社(ふけこうたつだいじんじゃ)です。延喜式神名帳に「布気神社」とあるのが、この神社とされます。拝殿は、東海道側からは長い参道の向こうにあります。主祭神は、天照大御神豊受大神、伊吹戸主神(いぶきどぬしのかみ;払戸大神に同じ)。私は、以前訪ねていますので、鳥居の前から拝んで、今回は失礼しました。詳細は、前のパラグラフのリンク先にあります。

Img_1677c_20220507193101  布気神舘太神社の先で、東海道は坂を下っていきますが、そこに昼寝観音。珍しい名前ですが、亀山市歴史博物館のサイトには、次のようにあります:東大寺の大仏を建て直すお金を全国から集めているとき、伊勢別街道沿いにある石山観音(津市芸濃町)から運ばれたといいます。各地の観音が集まって、西日本の観音めぐり33箇所を決める会議を開いたのですが、この落針(おちばり)の観音は昼寝をしていて会議に行かなかったため33箇所に選ばれなかったとか。この33箇所観音めぐりが、どれなのかは、書かれていませんでした。「西国三十三所巡礼の旅」なのか、「伊勢西国三十三所観音巡礼」なのか。それにしても、昼寝する観音さんとは、何となく親しみが持てます。

Img_1696c_20220512092601 Img_1702c_20220512092601  坂を下ったところに見流山清福寺。真宗高田派のお寺。立派なお寺でしたが、由緒書きは見当たりませんし、ネットで調べてもとくに情報は出て来ません。11時20分を過ぎていましたので、このお寺の南にある公民館で一休み。

Img_1690c_20220512093101 Img_1716c_20220512093101  清福寺の周囲には、常夜燈が2基、別々にあります。どちらも危うく見逃しそうになったくらい、ひっそりと立っています。左の写真のものは、昼寝観音から坂を下りきった、ゴミ集積場の横。右のものは、後でわたる陸橋のところにあったもの。もとは、落針というところの日原にあった「やけ八幡」のもので、安政8(1859)年建立。左の写真のところには、道標(大正紀念道)もあったはずですが、見忘れました。

Img_1709c_20220512093701 Img_1713c_20220512093701  清福寺の先で東海道は、直進するのですが、旧国道1号線、JR関西線がありますので、その上を通っている陸橋を渡ります。

Img_1736c_20220512094101 Img_1749c  陸橋を越えたあたりから、鈴鹿川沿いを進みます。この辺は、太岡寺畷(たいこうじなわて)と呼ばれ、かつては約2kmにおよぶ道の左右に松並木が続き、東海道で最も長い畷道といわれたそうですが、今は桜並木に変わっています。里謡に「わしが思いは太岡寺 ほかにき(気、木)はない まつ(待つ、松)ばかり」と謡われたとか。

Img_1759c_20220512094701 Img_1773c_20220512094701  スタートから5㎞あたりの先で、東海道は、国道25号線・東名阪道の高架をくぐります。いつもは、この上の高速や25号線をクルマで通っています。この先しばらく、鈴鹿川に沿って行き、立ち寄るところはありません。鈴鹿の山並みや、水田の風景を眺めるしかありません。関西線、ここはJR西日本のエリア。右の写真のように、1両のディーゼル車が、1時間に1本通って行きます。その2はここまで。その3では、いよいよ関宿に入って行きます。

2022年5月11日 (水)

2週間ぶりの江戸橋での仕事……サギソウが届きました

Dscn5261c  ゴールデンウィーク明けの水曜日で、2週間ぶりの江戸橋での仕事でした。学生たちも連休を挟んで、しかも2週間、間が開いていますから。授業に出てくるのも大変だったかも知れません。出席率は、約87%でしたが、これまでの授業を見る限り、これが普通のようです。今日で4回目の授業ですが、すでに3回、2回と欠席している学生もいます。ドロップアウトしてしまわないかとても気になります。ちなみに、今日は、朝早い時間の天気予報ではあまりよくなかったのですが、授業を終えて帰る頃からは晴れ来ました。助手の先生からは、「今年度は今のところ、天気に恵まれていますね」といわれました(微笑)。巡り合わせですが、ありがたい。

Dscn5264c  これまで何回も書いていますが、非常勤講師控え室の前にコシアカツバメの巣があります。最初は、普通のツバメの巣があったのですが、去年は、コシアカツバメがやって来て、このような徳利型の巣になりました。今年はまだツバメは見ていないのですが、助手の先生によれば、「スズメが出入りしているような気がします」ということでした。今日も、確かに近くの電線では、スズメのヒナのような鳴き声が聞こえてきていました。校舎棟にも、ツバメの巣があったのですが、今年はまだ来ていないようです。今頃来ていないとすれば、今年はツバメは来ない可能性が高い気がします(残念)。

Dscn5268c  授業が終わってから、いつものように寄り道したものの、潮加減はご覧のような状態。四日市港の潮汐表では、干潮が8時42分、満潮は14時28分。潮が満ちてくる途中で、志登茂川にいたのは、カワウ1羽のみ。サッサと江戸橋駅に向かいました(苦笑)。

Img_2288c_20220511184201 Img_2274c_20220511184201  ところで、今日のメインの話題は、「ベランダ園芸第3弾」。ネットで発注しておいたサギソウが、今日届くことになっていました。16~18時の配達を指定しておいたのですが、17時過ぎに届きました。植物をネット通販で買ったのは初めての経験で、どんな風に届くのか心配していたのですが、右の写真のように、厳重に梱包していただいてありました。昨年、育てるのに失敗しましたので、リベンジを図るということです。

Img_2277c_20220511184201 Img_2284c_20220511184201  緩衝材を取り除くと、こんな風です。合計で5鉢を購入(写真にはそのうち4鉢が写っています)。上左の写真のように、すでに芽が出て来ています。今日のところは、取り敢えず、梱包を解いて、受け皿に載せてベランダに並べ、水をやったというところまで。植え替えをするかどうかは、また調べて考えることにします。これで、枝豆、アサガオに続いて第3弾ですから、鉢の置き場所についてもよく考える必要がありますが、それはまた明日。

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(その1)……亀山駅をスタートし、武家屋敷などを見て、京口門跡あたりまで

Kameyama0_20220508045001  4月23日の東海道ウォーキング「井田川~亀山」(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))に引き続いて、この日は、亀山宿~関宿までを歩いてきました。好天に恵まれ、また気温も上がり、亀山のアメダスでは、最高気温は28℃を超えていました。冒頭の画像が、今日歩いたルートの全体像。亀山城下や、関宿ではもっとたくさんのところを見て、立ち寄って来ていますが、書き切れませんので、主なところだけ示しました。とくに関宿は、ずっと以前から一度訪ねてみたいと思っていたところで、ようやく念願が叶ったという次第。

Img_1298c_20220507193101 Img_1322c_20220507193901  桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山には、9時ちょうどの到着。¥680。亀山駅は、JR東海とJR西日本の境目の駅。関西線はこの先も続くのですが、亀山駅から西はJR西日本。ゴールに設定している関駅もです。三重県なのに、JR西日本というのもちょっと違和感があります。右の写真は、前回訪れた亀山城跡に残る多門櫓。

Kameyama1  こちらが、詳細なルートマップその1。前回、最後に、西町問屋場跡まで行ってきました。当初は、この西町問屋場跡から東海道に入る予定でしたが、同級生K氏が、亀山宿のパンフレットで見た加藤家屋敷がおもしろそうだというので、そちらから。東海道からは1本北の通り。西之丸庭園、青木門跡、飯沼慾斎生家跡と道標2基、旧舘家住宅、善導寺、西之丸堀跡、京口門跡、梅厳寺、照光寺、旧佐野家住宅、光明寺、慈恩寺から野村の一里塚へと進みます。

Img_1312c_20220510193201  ここは、西町問屋場跡のすぐ東。石碑があるようにこの先、東海道です。ここを上がったところに西町問屋場跡があります。亀山宿は、大きく東町と西町とから構成され、本陣・脇本陣は東町に、問屋場は両町にそれぞれ置かれ、交代で伝馬役を務めたそうです。

Img_1383c_20220507193101 Img_1345c_20220510194301  いきなり寄り道したのは、加藤家屋敷跡。江戸時代後期、亀山藩主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷跡です。もともとは相当な敷地面積があったようですが、明治以降、ほとんどの建物が他所へ移築されました。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されており、白壁や白と黒の対比が美しいなまこ壁が、武家屋敷の威厳と風格を感じさせてくれます。江戸時代後期の建築で、当時の武家建築様式を今日に伝える希少な遺構として、亀山市文化財に指定されています。

Img_1368c_20220510194301 Img_1364c_20220510194301  長屋門は、門の扉口の両側に部屋が連なる形式の門です。江戸時代、城下町の武家屋敷の門として始まったもので、あたかも長屋の中ほどに門があるようにみえるところからこの名があり、各部屋には家臣たちが分宿していました。ここ加藤家でも、門(左の写真で向かって左端)に男部屋、若党部屋、物見、厩(mに義の写真)が連なっています。

Img_1373c_20220510194301  こちらは、男部屋。寝泊まりするだけという感じで、窓も小さくなっています。現代の感覚では、ここで寝泊まりしろといわれたら、かなり躊躇します。

Img_1397c_20220510195601 Img_1394c_20220510195601  加藤家屋敷の西に西之丸庭園。御殿跡だそうです。現在は地区の集会所として利用され、庭園は広く一般に開放されています。

Img_1410c_20220510195701 Img_1413c  その先で青木門跡。西の丸の西南に位置する門で枡形を形成しており、今もそれが残っています。元和元(1615)年、徳川家康が大阪へ出陣のとき、亀山城に宿泊し、搦手門から出立の時、附近に繁茂した青木を見て、「おお青木」と賞賛したことから、門を青木門と呼ぶようになったという話が伝わっています。

Img_1426c_20220507193101  青木門跡から南に行くと、東海道に突き当たります。そこの交差点の南西側に飯沼慾斎生家跡があります。飯沼慾斎(天明3(1783)~慶応1元(1865)年)は、江戸後期の蘭方医、植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。今回は見ていませんが、亀山城跡の多門櫓の南に「飯沼慾斎生誕之地碑」があります(2019年6月19日:20190609JRさわやかウォーキング「~TOICAエリア拡大記念~ ~紀勢線全通60周年記念~ 亀山藩城下町と花しょうぶまつりを訪ねて」へ(その4)……亀山演武場、明治天皇行在所、いくつかの石碑と姫垣外苑からでころぼ坂を経て亀山駅にゴール(完))。

Img_1423c_20220510200901 Img_1416c_20220510200901  この飯沼慾斎生家跡の前の交差点には、道標が2基あります。左の写真では、向かって左手が飯沼慾斎生家跡、奥が青木門跡。交差点の手前と奥に道標があります。右の写真は、奥にある道標。東面には「右 郡役所 左 東海道」とあります。手前側の道標には、「右 東海道 左 停車場」とあります。関西線の前身である関西鉄道は、名古屋駅~柘植駅間を明治28(1895)年に開通させていますから、この道標はそれ以降のものと思われます。

Img_1438c_20220507193101 Img_1451c_20220510202101  スタートして1㎞の手前に旧舘家住宅。「升屋」という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店で、現在の主屋は、明治6(1873)年に建てられました。市文化財です。階段が、もともとは仏間のところにあり、隠し階段のような雰囲気。右の写真は、2階の様子。私の印象に残ったのは、この塗り壁でした。ボランティアガイドの方がいらっしゃり、詳しく話をしてくださいました。

Img_1478c_20220510202401 Img_1472c_20220510202401  旧舘家住宅のほぼ隣には終南山光明院善導寺。浄土宗のお寺。山門も新しく、立派。本堂も新しい。しかし、ガイドブックにも、ネットにも、これという情報はありません。

Img_1475c_20220510202401  山門前に「石灯籠寄進 板倉勝澄公」という石碑のある石灯籠。板倉勝澄(享保4(1719)~明和6(1769年))は、江戸時代中期の大名。享保9年、伊勢亀山藩主板倉家第2次2代。延享元(1744)年、備中松山藩主板倉家初代となりました。善導寺の先で東海道は、また、鍵の手となっています。

Img_1484c_20220510203801 Img_1488c_20220510203801  善導寺の先で、西之丸堀跡。亀山城の外堀の一部で、東海道と外堀が並行して接する場所で、城の防御上、また、景観上重要な場所だったといいます。町屋川には番所、した。跡北復元地南には西之丸西櫓があったそうです。深さ1.8m程度の水堀で、推進は60㎝程度であったといいます。

Img_1497c_20220511044101 Img_1526c_20220511044101  京口門跡。亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に門がありました。亀山藩主板倉重常によって寛文12(1672)年に完成したとされ、翌延宝元(1673)年に東町に築かれた江戸口門とともに亀山城総構の城門として位置づけられました。京口門は、石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていたといいます。門へ通じる坂道は左右に屈曲し、道の両脇にはカラタチが植えられ、不意の侵入を防いだとされます。大正3(1914)年、京口橋がかけられ、この坂道を登る道筋は途絶えてしまいましたが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗だったといいます。左の写真は、京口門跡から西の方を見たもの。右は京口橋をわたった先から振り返って、東を撮ったもの。この先に京口門、亀山城が見えたということです。

Img_1517c_20220511044801 Img_1510c_20220511044801  京口門跡の案内板があるところに純一山常寿院梅厳寺。浄土宗のお寺。伊勢亀山藩主・石川氏の先祖・石川家成は徳川家康の忠実なる家臣であり、石川昌勝が慶安2(1650)年、伊勢亀山藩主となった時に、石川家成の菩提寺をここに移して、藩主・石川氏の菩提寺にしています。寺名の梅巌は、石川家成の院号だそうです。

Img_1519c_20220511045401  ちょっと余談。京口橋から滝川を見下ろすと(橋の上から北の方角を撮っています)、かなり高いことがわかります。上述のように、本来の東海道は、この下を通り、左右に屈曲した坂道を登って、京口門に至ったということです。

Img_1530c_20220511063501 Img_1534c_20220511063501  京口橋をわたった北側に妙亀山照光寺。日蓮宗のお寺。山門の写真は、京口橋をわたったところから撮っています。見下ろすようになっていますが、それは橋がかかってから。昔の東海道は、おそらく、この山門の高さのところを通っていたと思います。

Img_1539c_20220511063901 Img_1543c_20220511063901  ここには、前回、池の側で見た「石井兄弟敵討碑(東丸町)」に関連して、敵を討たれた赤堀水之助の墓があります。元禄14(1701)年5月9日、石井源蔵・半蔵兄弟は亀山城石坂門外で、父と兄の敵である赤堀水之助を討ち果たしました。この敵討ちについては、こちらに詳しい話が載っています。

Img_1549c  墓所には、もう1基、史跡に指定されているお墓がありました。山木善太の墓です。山木善太(寛政12(1800)~天保8(1837)年)は、幕末の儒者で、亀山藩明倫舎で儒学を教授し、その普及に貢献したそうです。頼山陽、斎藤拙堂と交流があったといいます。

Img_1555c_20220511065101  照光寺から道を挟んだ向かい側に旧佐野家住宅。大地主で、商家で、家主は質店などを経営していました。明治初期に改築されたが、江戸時代の家の様子も引き継ぐといいます。「入り母屋妻入り」の造りで、街道に切り妻の正面を向ける妻入りの町屋は多くないそうです。正面から入った土間が奥に入って広くなり、中庭へ続いていました。

Img_1570c_20220511065501  その先で、旧森家住宅。切妻造桟瓦葺で、西面に切妻棟を敷設しています。現在は、骨董カフェを営んでいるようです。

 まだルートマップその1の途中ですが、長くなりましたので、記事のその1はここまで。

2022年5月10日 (火)

ハシボソガラスのヒナ、2羽いるのは確実

Dsc05820c  薄曇りときどき晴れで、風も弱く、昨日よりずいぶん過ごしやすくなっています。朝は家事を少し、8時20分から散歩へ。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園、京町、吉津屋町、新築公園、アピタ桑名店(久しぶり)、常磐町、常信寺、御坊さん、寺町と6.4㎞。2時間半あまり。

Dsc05835c  連休くらいから、スズメのヒナの鳴き声を聞くようになりましたが、今日は、あちこちで実物を目撃しました。フワフワ、真ん丸、黄色い嘴、「チュンチュン」ではなく「ジュンジュン」といった感じの鳴き声。可愛らしいです。

Dsc06095c Dsc06132c  九華公園でも、あちこちでスズメのヒナ。左の写真で、親とヒナとを比べられます。エサをねだっていたり、エサをもらっていたりするところも見られます。右は、奥平屋敷跡に久しぶりに来たハクセキレイのメス。オスは、最近ときどき来ていますが、メスは久しぶりに見ました。

Dsc05905c Dsc06018c  さて、いつものように、コゲラ。昨日は、親が餌を与えた直後にヒナの顔が見られましたが、今日は、それ以外の時にヒナが顔を覗かせて、外を見ているように思えるシーンもありました。親は、相変わらずせっせとエサを運んで来ますし、8時45分頃になると、糞を外に運んで行きます。なぜか、ここしばらく見ていると、だいたいいつもこの時間に糞を搬出しているのに気づきました。

Dsc06215c_20220510144601 Dsc06177c  奥平屋敷跡の松の木にあるハシボソガラスの巣。親ガラスは、ときどきエサを運んで来ます。エサを与えるとたいていすぐまた飛び立って、エサ探しに行きます。今日は、ヒナの姿も少し見えました。右の写真では、中央から左にほぼ全身が、また、中央から右下すぐに顔の部分がそれぞれ見えています。今のところ、2羽のヒナがいるのは確実。もう1羽いるんじゃないかという意見もあります。

Dsc06185c  ハシボソガラスのヒナは、ときどき羽ばたく練習もしています。これには、昨日から気づきました(もっと前からしていたかも知れません)。

Dsc06321c Dsc06366c_20220510144501  貝塚公園でも、スズメのヒナ。2年前の5月には、スズメのヒナが10羽くらい集まって、まるで「スズメの学校」だと思ったことがありました(2020年5月22日:ミドリガメの産卵と「スズメの学校」……今年は桑名水郷花火大会も中止で残念至極)が、今年は今のところそういう場面には出会っていません。同じく、貝塚公園でカワラヒワ。九華公園でもいますが、うまく撮れず。

Dsc06483c  今日のツバメの巣チェックは、京町近辺のみ。左は、呉服屋さんの巣で撮った写真。ヒナが、親の頭を呑み込むように写っています。親ツバメが、ヒナの口に顔を入れるようにして、エサを与えています。博物館、京町のお宅、吉津屋町のお宅にはツバメは来ていません。京町のお宅の巣は、修復されてしばらく経ちますから、そろそろ卵を産んでもよい頃と思います。

Dsc06544c  京町公園で、イソヒヨドリのメス。実は、内堀公園でも見かけていたのですが、暗いところできれいに写真に撮れないでいました。近くでは、オスも鳴いていたのですが、そちらは見つけられませんでした。

Dsc06595c_20220510144501  柿安シティホールには、薄墨桜がありますが、ここ数年、樹勢が弱っています。今年1月、薄墨桜三世の苗が植えられました。まだ、きちんと見ていなかったので、載せておきます。このあとアピタ桑名店の新光堂書店で文庫本2冊と新刊書1冊を購入。今日発売の文庫本を買おうと思っていったら、ほかにもおもしろそうなものを見つけてしまったのです。

Dsc06611c Dsc06625c  常信寺で、ヤマボウシが咲き始めていました。思い出して寄ってみて、正解でした。御坊さんでは、菩提樹の様子を見ようと思ったのですが、まだ、つぼみも小さく、花はもう少し先の感じ。代わりにスイレン。

2022年5月 9日 (月)

コゲラの雛の姿を捉えました!

Dsc04943c  曇りで午後から雨という予報です。気温も上がらず、17℃くらいで、3月下旬並みとか。いつも通り、7時半から散歩を開始。住吉神社、九華公園、貝塚公園から、ケリを見に城東小学校方面へ。その後、外堀から、京町、吉津屋町、南魚町、田町、三崎通と7.7㎞も歩いてきました。ちょっと歩きすぎです(苦笑)。

Dsc04952c Dsc04296c_20220509152301  九華公園では、ツツジはすっかりオシマイ。サツキが咲き始めてはいるものの、こちらもあまりパッとしてはいません。パッとしないといえば、ハナショウブもです。右は、昨日の写真ですが、ご覧のとおり。一昨年など、今日・5月9日にハナショウブが1輪、開花しています(2020年5月9日:九華公園で花菖蒲一輪開花)。ちょっと貧弱。3箇所の花菖蒲園すべてが似たような状況です。

Dsc05009c  さて、九華公園内某所のコゲラの巣。今日もじっくり観察してきました。というか、鳥があまりいないので、これしかないということもあります。親コゲラは、今日もせっせとエサを運んで来ます。しかしながら、昨日と同じく、巣の中には入って行かず、巣穴に頭を突っ込んでは、すぐにまた飛んで行きます。

Dsc05005c  肉眼ではどうなっているのかよく分かりませんでした。そこで、例によって「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で当たることに(微苦笑)。これが大当たり!! 親が飛び立ったすぐ後、子コゲラが、巣穴から顔を出しているのが、写っていました(とても、撮影しましたとはいえません)。

Dsc05004c Dsc04986c  その他の写真もよく見ると、餌をもらっているところも写っていました(左の写真)。今日は曇天で暗いこともあって、肉眼で確認できなかったのは、残念ですが、ちょっとしたスクープ写真です。

Dsc05211c  ハシボソガラスの巣の様子も。ここ数日、親ガラスは、コゲラの親と同様、たびたび巣に出入りしていました。

Dsc05282c Dsc05323c  よく見ていると、親ガラスよりやや小さいカラスらしき姿が見えますし、それが、バッサバッサと羽ばたいているのも見えました。こちらも見逃せないということです。

Dsc05512c Dsc05540c_20220509150601  貝塚公園を通過して、城東小学校方面へ。4月7日(小貝須方面でケリとムナグロ……桜は散り始めで花筏と「遠山のカメさん」)と、4月17日(ケリを求めて7.6㎞……アカハラもまだまだいますし、カワラヒワは巣材取りに懸命でした)にも、このあたりでケリを見ています。今日は、城東保育所の南北の、少し離れたところで1羽ずつケリを見ました。しかし、普通にしており、威嚇もしてきませんし、警戒をしている様子もありません。探した範囲では、巣は見つけられませんでした。

Dsc05680c Dsc05694c  外堀から京町へ。博物館の巣には、今シーズンはツバメは来ないかも知れません。これまでに一度も見ていませんので。京町のお宅にある巣は、修復はされたものの、その後、ツバメはまだ来ていません。こちらは、京町の呉服屋さんの巣。4羽ともとても元気です。親が餌を運んでくると、大騒ぎ。

Dsc05789c_20220509150501  田町の商店にある巣は、完成したと思われますが、親ツバメは来ていません。三崎通のお宅にある巣では、親ツバメが巣に就いていました。という次第で、天候は今ひとつでしたが、バードウォッチングの成果はまあまあありました。

Dsc05485c  今週は、水曜日に江戸橋方面での仕事、土曜日は管理組合の仕事。再来週に依頼されている研修会のレジメは送り終えましたので、一安心。非常勤先の図書館から依頼された推薦図書幅リストアップをしなければなりません。写真は、鎮国守国神社の豊後梅。実がずいぶん大きくなってきました。

Screenshot_20220421075445c Screenshot_20220421091225c  余談。「桑名城探訪」アプリについては、何度か書きました(2022年4月21日:鳥は少なかったので、「桑名城探訪」アプリで遊ぶ、2022年4月22日:貝塚公園でセンダイムシクイ……「桑名城探訪」アプリの「まちあるき」をコンプリート)。その後、ときどき、このアプリを使いながら歩いている方を見ます。今日、九華公園で出会った男性も同様でした。お話ししたら、「上手く動かない。ポイントに来ても、360度画像が上手く見られない」とおっしゃいました。固定された画像しか見えないのだそうです。また、すでにスタンプを獲得したポイントに改めて行くと、360度画像が見られないのだそうです。お話ししていたら、その方のスマホはiPhone。i-Padで試すと、もっと上手く動かなかったそうです。取り敢えずの結論としては、「i-OSでは不具合があり、Androidでないとちゃんと動かないのだろう」ということに(ただし、確認しておりませんので、あくまでも個人的意見)。

Dsc_6444c  余談その2。ベランダ園芸の続き。今日は、アサガオの種を蒔きました。鉢は、3つ。シラサギカヤツリが枯れてしまったので、写真とは別にもう1鉢にも蒔いてあります。

 余談その3。昨日の「ダーウィンが来た!」の話題は、衝撃的でした。「世界初撮影!カマキリが鳥を狩る」というもので、オオカマキリが小型野鳥を襲っていました。こちらにも詳しい記事があります。

2022年5月 8日 (日)

コゲラの雛をとらえたか? ……何となくそれらしい写真

Dsc04908c  晴れて、さわやかな風が吹くという予報ですが、実際には最大8m/sを越す強風となっています。さすがに昨日の疲れが少々ありますが、いつものように、7時半から散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、吉津屋町、田町、三崎通と5.6㎞。やや控えめにしておきました(微笑)。

Dsc04233c Dsc04262c  相変わらず鳥はいません。何もいないといけないと思って、拙宅マンションの小公園に来ていたキジバト。揖斐川沿いで、空を見上げたら、たぶんこれはミサゴ。

Dsc04341c Dsc04350c  九華公園内某所のコゲラの巣。コゲラは、やって来ては、短時間巣穴を覗き込むようにして、サッサと行ってしまいます。肉眼ではよく分からなかったのですが、写真を撮って拡大してみると、少量の餌を咥えてきていました(右の写真)。

Dsc04484c Dsc04458c  これは、おそらく、ヒナがある程度成長してきて、巣穴の入り口で給餌しているのだろうと推測したのですが、やはり肉眼では確認不能でした。400枚くらい写真を撮ってきて、パソコンで見たら、ヒナらしき姿がかすかに見えました。

Dsc04693c  親コゲラは、また、たまに巣の中に入り込んで、一昨日と同じように、糞のようなものを咥えて出て来ます。

Dsc04746c  今日は、コゲラだけかと思ったら、本丸跡でセンダイムシクイの鳴き声。1羽だけのようでした。スズメがあちこちでヒナを連れているのが見えましたが、逃げ足の速いこと。上手く写真は撮れませんでした。

Dsc04850c  ツバメの巣チェック。こちらは、京町の呉服屋さん。4羽のヒナ、皆元気でした。この他の巣では、修復したり、新築したりしたところ計3箇所は留守。このうち、1箇所は先日、親が巣に就いていたのですが、今日は不在。

Dsc04882c  余談は、ラッピングバス。信号で止まったのを追いかけたら、発車してしまったので、こんな写真。ナガシマスパーランドにあるジャズドリーム長島の20周年記念バス。デザインは、子どもたちが描いたく20年後の『夢』の絵と、従業員やお客さんによるジャズドリーム長島との『思い出』や『感謝』のメッセージコメント。開業記念日の3月28日から、約6カ月間運行されるそうです。

Dsc_6437c  オマケ。ベランダ園芸を再開。昨年8月から11月にかけて「おつまみ枝豆栽培キット」に挑戦していました(2021年8月24日:天気はまだスッキリせず……枝豆栽培キットに挑戦(微笑)、2021年11月2日:ジョウビタキ・デー……オマケは収穫祭(微笑))。第1弾は、その残りの種を植木鉢に直捲きしてみました。さて、いかなる成果となりますか? 第2弾としては、明日、アサガオの種を蒔く準備をしています。さらに、去年失敗したサギソウに再チャレンジするため、ネット通販で注文済み。5月11日に届く予定。

2022年5月 7日 (土)

20220507東海道ウォーキング「亀山宿~関宿」(超予告編)

Kameyama0_20220508045001  4月23日の東海道ウォーキング「井田川~亀山」(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))に引き続いて、今日は亀山宿~関宿までを歩いてきました。好天に恵まれ、また気温も上がり、亀山のアメダスでは、最高気温は28℃を超えていました。冒頭の画像が、今日歩いたルートの全体像。関宿ではもっとたくさんのところを見て、立ち寄って来ていますが、狭い範囲ですので、主なところだけ示しました。膨大な写真を撮ってしまい、まだすべてを確認していませんので、今日のところは、超予告編。明日以降、この超予告編を予告編にする作業から取りかかります。

Img_1298c_20220507193101 Img_1322c_20220507193901  桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。亀山には、9時ちょうどの到着。¥680。前回、最後に、西町問屋場跡まで行ってきました。当初は、この西町問屋場跡から東海道に入る予定でしたが、その前に、いきなり寄り道。

Img_1383c_20220507193101 Img_1426c_20220507193101  寄り道したのは、加藤家長屋門。江戸時代後期、亀山城主・石川家の家老職を務め、亀山城西之丸に居を構えていた加藤家の屋敷の長屋門。現在は屋敷の表門である長屋門とこれに連なる土蔵などが遺されています。その先で、飯沼慾斎生家跡。飯沼慾斎は、江戸後期の蘭方医,植物学者。伊勢国亀山の商人西村信左衛門の次男。母方の伯父で美濃国大垣の飯沼長顕に入塾し、のち京都に出て漢方、本草学を学んだ後、蘭方に転学し、大垣で開業しています。

Img_1438c_20220507193101 Img_1526c_20220507193101  旧舘家住宅。明治6(1873)年に商家として建てられました。枡屋という屋号で、幕末から大正にかけて呉服商を営んでいた大店です。土日に無料公開されています。右は、京町口門跡を、その西の京町坂橋の西詰から見た景色。ここは、滝川にかかる橋ですが、もとの東海道は、もっと低いところを通っていました。ちなみに、東海道五十三次を描いた浮世絵の多くは、京町門口跡あたりから亀山城を眺めた景色となっています。

Img_1607c_20220507193101 Img_1625c_20220507193101  左の写真は、浄土宗の慈恩寺。奈良時代に聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わっています。往時には、七堂伽藍があったものの、度重なる兵火で焼失。幕末、亀山藩の家老を務めた近藤幸殖の墓があります。右の写真は、野村一里塚跡。日本橋からは105里。北側の塚だけが現存しています。樹齢400年を超える椋の木が植わっています。一里塚に椋は珍しいそうです。

Img_1677c_20220507193101  途中、端折りますが、亀山市布気町に昼寝観音という観音さんがあります。東大寺の大仏を建て直すお金を全国から集めているとき、石山観音(津市芸濃町)から運ばれたといいます。各地の観音が集まって、西日本の観音めぐり33箇所を決める会議を開いたのですが、この落針(おちばり)の観音は昼寝をしていて会議に行かなかったため33箇所に選ばれなかったとか。

Img_1740c_20220507193301  旧国道1号線(現県道565号線)、JR関西線を越えますと、太岡寺畷(たいこうじなわて)に出ます。ここは、旧東海道の鈴鹿川沿いの道路で、約400mにわたり桜並木が続いています。桜の咲く時期になると、桜のトンネルが見事だろうと思えます。しばらく立ち寄るところはありません。

Img_1825c_20220507193301 Img_2037c_20220507193101  スタートから5㎞を超え、ようやく「関宿」の案内板。東海道五十三次の47番目の宿場町として栄え、今なお当時の雰囲気が残されています。ここは、ずっと以前から訪ねてみたかったところで、ようやく長年の念願が叶いました。右の写真は、関宿にある百六里庭・眺関亭の2階から眺めた関宿の西方向。向こうの山は、鈴鹿山脈。

Img_1847c_20220507193101  ここは、関宿東の追分。東海道と伊勢別街道との分岐点です。鳥居の向こうが、伊勢別街道。椋本、専修寺あたりを経て江戸橋で伊勢参宮街道につながっています。総距離およそ四里二六町(約18.5㎞)。江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わいました。

Img_1919c_20220507193101 Img_1934c_20220507193101  関宿には見どころが多数。今日もあちこち見て回ってきましたが、ごくかいつまんで。こちらは、関の山車会館。狭い宿内の家並みを山車が巡行する様から、限度いっぱいの意味で使われる「関の山」の語源であるとも言われる「関の山車(せきのやま)」の展示を中心に祭りの付属品や歴史資料が展示されています。関の山車は、高さ4mとかなり大きいのに驚きました。「関の山車」は、元禄年間から伝わる祭礼で、江戸後期には16基もの山車があり、横幕・見送幕・提灯を豪華に飾りつけて華美を競い合ったそうです。山車の台車から上が回転する構造となっており、巡行時の辻々などで勢いよく回転させることが特徴の一つ。現在は木崎町・大裏(北裏)町・中町三番町・中町四番町の4基が保存され、関神社の夏祭りとして例年7月下旬の土・日曜に開催されています。

Img_2083c_20220507193101  こちらは、関宿旅籠玉屋歴史資料館。江戸時代の貴重な旅籠建築を修復し、旅籠で使われていた道具や歴史資料が展示してあります。宝珠の玉をかたどった虫籠(むしこ)窓が魅力的。この虫籠窓は、屋号にちなんで、宝珠の玉(玉から火焔があがる様)をかたどったものとなっているのだそうです。

Img_2092c_20220507193101 1651900657728c  関の戸をつくっている深川屋さん。創業約380年で、「忍びの隠れ蓑」だそうです。江戸時代寛永年間より作り続けられている「関の戸」は、忍者の末裔・服部伊予保重が考案した餅菓子です。2019年にこの深川屋に残っていた古文書から当時の忍びの記述が発見されたといいます。先日、三重県総合博物館でも買ってきたのに、今日もまた、土産は関の戸。和三盆と抹茶の6個ずつの詰め合わせ。¥1,118。

Img_2096c_20220507193101 Img_2104c_20220507193101  関郵便局。郵便局の敷地は、天正20(1592)年、家康が休憩したので、御茶屋御殿屋敷と呼ばれ、幕府代官陣屋、亀山藩役人詰所となっています。高札場もここにありました。ポストが、宿場の雰囲気に合わせてつくられていますし、敷地内に道路元標があります。

Img_2162c_20220507193201  関地蔵院。天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。この地蔵菩薩は、わが国最古のものです。関地蔵院で14時。途中で1度、20分くらい休憩して、おやつを食べただけで、ここまで歩き続けてきました。このあと昼食。

Dsc_6434c Img_2202c_20220507193202  JR関西線・関駅の近くに道の駅関宿があります。ここなら何か食べられるだろうということで立ち寄ったら、定食屋みくらという店がありました。冷やし海老おろしうどんをチョイス。¥840。

Img_2214c_20220507193201  Img_2242c_20220507193201 JR関西線・関駅には、14時45分頃にゴールイン。9.3㎞を歩きました。ここは、JR西日本のエリア。亀山までは1駅なのですが、この時間帯には1時間に1本のみ。しかも非電化区間。右の写真のように1両のディーゼルカーが走っています。

Img_2258c_20220507193201 Img_2266c_20220507193301  14時59分発の亀山行きに乗車。亀山には15時5分着。ここでJR東海の関西線に乗り換え。15時26分の名古屋行き快速。ただし、快速になるのは、四日市から。桑名には、16時6分着。料金は、通しで¥770。9.3㎞も歩き、また、暑かったのでそれなりに疲れました。しかし、今日は、念願の関宿を訪ねられましたので、心地よい疲労感です。歩数は、22,266歩。現地で9.3㎞、自宅から桑名駅往復が2.4㎞で、計11.7㎞。冒頭に書きましたように、今日のところは、以上、超予告編。

2022年5月 6日 (金)

ツバメのヒナが登場……「桑名城下切絵図」を入手

Dsc04070c  世間には10連休という方もいらっしゃるそうですが、今日は、一応、平日。散歩コースの小学校では、子どもたちの声が賑やかに聞こえていました。月曜以来のいつものコースでの散歩。7時半過ぎから、住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀公園から桑名市博物館に立ち寄り、新築公園、さらに寿町で用事を1つ済ませて帰宅。6.4㎞。九華公園では、つつじまつりの期間中ですが、もうほぼ終わり。何回か書きましたように、花芽が出なかった木も多く、咲きそろったところが見られず、不消化というか、不完全燃焼というか。来年に向けては、きちんとした手入れをしていただきたいところ。

Dsc04186c   今日のトピックスは、こちら。京町の呉服屋さんのツバメの巣で、ヒナが4羽、誕生していました。月曜日に見たときには、親ツバメは巣に就いていました(2022年5月 2日:センダイムシクイ、九華公園に登場……午後からは市民大学郷土史学科へ)。月曜の夕方から昨晩まで家内の実家に行っていましたが、その間に孵ったのでしょう。

Dsc03803c  散歩の初めから。桑名七里の渡し公園のところで、スズメのヒナ。もう1羽いたのですが、写真が撮れたのはこの1羽のみ。歩いていると、ところどころで、スズメのヒナらしき鳴き声も聞こえてきます。「ヒナ・シーズン」が到来で、楽しみです。

Dsc03828c  住吉神社のところで、ハクセキレイ。たまたま撮れたシーンなのですが、羽ばたいて、飛ぶ直前のシーン。端っこの方に写ったのをトリミングしましたので、バランスの悪い写真になってしまいました。

Dsc03986c 九華公園内某所のコゲラの巣。昨日、一昨日は、親がひっきりなしにエサを運んで来ていたそうですが、今日は、餌を運んでくるシーンは、小1時間見ていた間で1回のみ。

Dsc04022c Dsc03873c  大半はこのように、何も咥えずにやって来て、すぐに巣穴に入っていきます。ほどなくして顔を覗かせるのですが、よく見ると、糞らしき物を咥えて出て来ます(右の写真、拡大注意)。これが4~5回繰り返されていました。

Dsc04089c  このあと回った貝塚公園、内堀公園、新築公園では、スズメやムクドリが少数いたくらい。左の写真は、内堀公園で撮ったハクセキレイの正面顔。昨日まで、実家ではいろいろと見られたのに比べると、ちょっと寂しい。ツバメの巣チェックをしてきたのは、京町と吉津屋町の4箇所。博物館と吉津屋町のお宅にはツバメは来ていません。巣を修復していた京町のお宅も、まだツバメは巣に就いてはいません。

Dsc04072c  明日は、東海道ウォーキングで、亀山宿から関宿までを歩く予定。予報では晴れ、最高気温は25℃ほど。歩くと汗を掻くかも知れません。写真は、貝塚公園で撮ったツマグロヒョウモンのメス。

Kuwanakiriezuc  ところで、桑名市博物館に立ち寄って来たと書きました。月曜の市民大学郷土史学科の講義で、「桑名城下切絵図ー文政8年城下絵図による桑名藩士居宅ー」が刊行されたと大塚先生がおっしゃったので、早速入手してきました。1部¥1,500。文政8年は、1825年。居住者名が記された城下絵図と、桑名藩士の氏名、知行高など由緒をまとめた分限帳(ぶげんちょう:大名の家臣の名前・知行高・役職などを書き上げた公的な帳面。分限とは本来富・財産を指しますが、さらに広げて身分・地位等をも意味します)とをひとまとめにしたもの。桑名藩士の子孫という方も多いかと思いますが、そういう方にはご先祖の住まいや石高が分かる資料です。私にとっては、細かい城下絵図が見られ、また、分限帳が読みやすく編集されていますので、眺めて、今と比較したり、あれこれ想像したりして楽しめるものです。

Taichimarukiriezu1c Taichimarukiriezu2c 【追記(5/6)】 この「桑名城下切絵図」には、我が家あたりも載っていました。「惣堀」とあるのが、桑名城の惣堀(もっとも外側の堀)。「山田彦左衛門」は、江戸時代の桑名の豪商。現在は、諸戸氏庭園になっています。我が家のところは、惣堀のすぐ外側にある町屋のところ。しかし、現在の我が家の近くに「舟手組屋敷」があったとは。今の船場町あたりにしかなかったと思っていました。これは、おもしろい資料です。¥1,500で十二分というか、ヒョッとしたら百分くらい楽しめるかも知れません。

2022年5月 5日 (木)

今日は、アオサギやダイサギも登場

Img_0711c_20220505135601  相変わらずの上天気で、夏日になろうかという陽気です。毎日することは代わり映えせず、散歩から。7時半を過ぎてから昨日と同じように東から町内を一周し、6.6㎞。2時間と少し。

Img_0610c_20220505135601  いつものように菩提寺で墓参りをしてから、最も近いファミマへ。近いとはいえ、ここまでほぼ2㎞。初めて歩いてきたときには、5㎞くらい歩いたような気がしたほど(苦笑)。ここまで歩くのにもかなり慣れました。どうしても必要というわけではありませんが、ある程度の距離を歩くためもあって、ここまで朝刊を買いに来ているのです。

Img_0625c_20220505135601 Img_0638  ファミマを出たところで、電線にモズのオス。我が家あたりでは、かなり以前から見なくなっています。その近くで、ツバメ。ツバメは、あちこちで飛び交っています。ツバメは我が家あたりよりもたくさん飛んでいます。

Img_0673c_20220505135601 Img_0659c_20220505135601  コンビニに行くときには、気づかなかったのですが、歩いていた道の北側の水田にアオサギと、ダイサギ。アオサギは、沈下橋の所でかなり下流に1羽いたので、それかも知れません。そのアオサギ、100メートル以上離れていたのに、カメラを向けようとしたら逃げたのです。ホントに逃げ足が速い。

Img_0743c_20220505135601 Img_0796c_20220505135601  温泉コスメの工場SAKURAのツバメの巣では、今日も新築工事が進行中。夫婦が互いに協力して、作業を進めています。

Img_0785c_20220505135601 Img_0750c_20220505135601  このSAKURAから道を挟んだ向かい側に水田があります。泥は、そこで調達しています。まさに産地直送というか、地産地消の見本。枯れ草などもその水田の周りからゲットしてきています。

Img_0824c_20220505135601 Img_0860c_20220505135601  SAKURAの西にある農民研修所のところには、今日は、トビが降りてきていました。このあたりは、トビが多く、今日もあちこちで旋回していました。

Img_0976c_20220505135601  農民研修所で昨日見つけたコシアカツバメの巣、今日は不在。コシアカツバメは、出入り口が細長い徳利や壺状の巣を作りますから、まだ完成してはいないと思います。

Img_1003c_20220505135601 Img_1008c_20220505135601  幼稚園の西で、おやつタウンのラッピングバス。今年の正月にも見ています(2022年1月3日:シカとの接近遭遇、18年ぶりの金比羅山登山にいつもの散歩)。おやつタウン(おやつカンパニー)へは、クルマで10分あまりですが、未だ出かけたことはありません。

Img_1027c_20220505135601  射山神社近くまで戻ってきたら、上空で烏がトビにちょっかいをかけていました。こういう光景はよく見かけますが、トビとカラスは食物が似ていて、競合関係にあるためと考えられているそうです(こちら)。カラスは近くにトビがいるだけで、集団でちょっかいを出したり、追い出したりすることもあります。

Img_1079c_20220505135601  掛子橋という橋があります。昨日、一昨日も見かけたのですが、この橋の下側にイワツバメが巣を作っているようでした。橋の下には回ることができませんので、巣そのものは確認できませんが、イワツバメがたく山飛び交い、巣に出入りしているようでした。Canon Powershot SX60HSではとても飛んでいる写真は撮れません。なので、自分の記憶のための覚え書き。

Img_1169c_20220505135601 Img_1230c_20220505135601  閉鎖した温泉旅館が並んでいるところで、まず、これはたぶんホオジロのオス。ちょっとアングルが悪く、日の光の当たり方もよくありませんでした。右は、肉眼ではシジュウカラかと思ったら、ヤマガラでした。ヤマガラは、一昨年は散歩コースでよく見たのですが、昨年からはさっぱり来なくなっていました。どちらも証拠写真。

Img_1182c_20220505135601 Img_1195c_20220505135601  さらに、イソヒヨドリのオス、メス。このあたりではオスのイソヒヨドリは、たびたび見ていましたが、メスは初めて(こういうくすんだ色・模様ですから、気づかなかっただけかも知れません)。メス(左の写真は、毛虫のようなものを捕まえて、食べていました)。

Img_1000c_20220505143001  という次第で、いつも以上にユッタリ、マッタリと過ごしています。バードウォッチングもまあまあの成果ですし、良いゴールデンウィークです(微笑)。

2022年5月 4日 (水)

イソヒヨドリに何度も遭遇……午後からはMieMUで「名所発見、再発見!~浮世絵でめぐる三重の魅力~」を見る

Img_0043c_20220504190901  5月4日です。祝日ですが、何の日だったかよく分からない気がします。「みどりの日」でした。Wikipediaには、「ゴールデンウィークを構成する休日の一つである」と書いてありましたが、前身は、「国民の休日」でしたから、連休にするためにつくった休日というのが本音のような気がします。それはともかく、ウグイスが一日中鳴いている環境で過ごしています。今朝は、5時過ぎに目が覚め、裏庭に出たら、ニホンジカと遭遇しました。スマホは持っていたものの、写真を撮る暇もなく、シカは山に逃げて行ってしまいました。

Img_0033c Img_0064c_20220504190901  7時50分くらいから散歩へ。いつも通り、町内一周なのですが、今日は昨日とは逆回り。まずは、東の方へ。旅館街の裏手を流れる川には、写真のような沈下橋があります。去年でしたか、このあたりでハクセキレイの幼鳥を見たので、ここに立ち寄ったのですが、今年は見られず。昨日載せたハクセキレイの幼鳥は、この近くで目撃しています。ここからずっと東、圓浄寺の近くで、カワラヒワ。カワラヒワは、水田脇などでよく見るのですが、警戒心が強く、すぐに逃げられます。

Img_0073c_20220504190901 Img_0146c_20220504190901  圓浄寺は、実家の菩提寺。今日も墓参りに立ち寄ったのですが、本堂の屋根の上にセグロセキレイ。昨日もいました。このあたりでは、セグロセキレイをよく見ます。図鑑には「川の上流部によくいる」と書いてあります。お寺の近くの水田でヒバリのオス。このヒバリさん、直前まで「揚げひばり」をしていました。目の前に降りてきたのです。

Img_0178c_20220504190901 Img_0203c_20220504190901  さらに東へ。コンビニに行って、新聞を買おうと思って。途中で、トビが電線に降りてきたのを見つけ、近寄って1枚。これ以上近寄ろうとしたら、逃げられました。近くでは、ヒバリが3~4羽。諍っているようにも見えましたが、さすがにそういうシーンは撮れず。オスのヒバリを撮っただけ。

Img_0228c_20220504190901 Img_0212c_20220504190901  コンビニで新聞とペットボトルのお茶を買って、西へ戻る途中、水田脇の道路でスズメの幼鳥。今シーズン初めて、スズメの巣立った幼鳥を見ました。嘴が黄色く、ほっぺたの黒いところがほとんどありません。

Img_0309c_20220504190901 Img_0289c_20220504190901  昨日、ツバメが巣を作っていた温泉コスメの工場SAKURAのところ。巣の新築作業は進んでいるようでした。ツバメはいたものの、巣を作っているところは撮れず。SAKURAの近くでイソヒヨドリのオス。昨日も見たのと同じ個体と思います。このあたりを縄張りにして、移動しているようです。

Img_0385c_20220504190801 Img_0403c_20220504190801  SAKURAの西にある農民研修所。市役所の出張所も兼ねています。その裏手でコシアカツバメが巣をつくっていました。ここには、コシアカツバメのものと思われる古い巣もたくさんあります。今日、親ツバメが来ていたのは、ここだけのようです。今日は、ここからさらに西へ。青山高原へ入っていく道のところまで行って榊原川沿いの細い道へ。そのあたりから西の山を見たのが、右の写真。笠取山という風の名所で、風力発電の風車がたくさんあります。

Img_0435c_20220504190801  ずっと戻ってきて、掛子橋から上流を見ると、ダイサギが2羽。この橋の下流では、カワガラスを何度も見たのですが、今回はまだ見られず。また、4年前にはオシドリも見たのですが(2018年5月5日:オシドリ発見、歴史散歩と高田本山専修寺へも……家内の実家へ(5/4、5))、何もいませんでした。

Img_0534c_20220504190801  家内の実家まで戻ってきたら、またもやイソヒヨドリのオスが登場。私と一緒で、町内一周をしているのかも知れません(微笑)。

Dsc_6418c Dsc_6420c  午後からは、三重県総合博物館へ。現在開催されている「第30回企画展 名所発見、再発見!~浮世絵でめぐる三重の魅力~」を見てきました。江戸時代の三重は、東海道が通っていたほか、伊勢神宮、さらに熊野や西国三十三所の参詣に、多くの人々が集っていました。名所もたくさんあったのですが、それには、挿絵付きの地誌『伊勢参宮名所図会』や広重らが描く宿場や二見浦などの浮世絵(名所絵)が大きな役割を果たしました。それらを紹介する展覧会。娘と二人で出かけてきました。ちなみに、去年のゴールデンウィークは、三重県立美術館で「若冲と京の美術―京都 細見コレクションの精華―」を見ています(2021年5月3日:実家でも散歩(微苦笑)……県立美術館で若冲も見る)。

Dsc_6422c  博物館へ行くと、オオサンショウウオのさんちゃんに会ってこなくてはなりません。2階のミュージアム・ショップの近くにある水槽に棲んでいます。身長118センチ、体重10.2キロだそうです。夜行性で、昼はじっとしているようです。食事は1ヶ月に重さ100gの魚3匹だそうで、かなりの省エネ。うらやましい。ちなみに、旧三重県立博物館時代から、飼育展示されています。名張市でケガをしていたところを保護され、それ以来20年以上にわたって博物館にいます。博物館の約42万点を数える収蔵資料のうち、唯一生きている資料だとか。

3132a6826caf048bf186 1651648061776c  帰る前にミュージアム・ショップに寄って、今日の企画展の図録(¥1,100)と、「関の戸」をゲット。「関の戸」は、今週末、東海道ウォーキングで行く関宿にある深川屋さんがつくっている銘菓。江戸時代の寛永年間より作り続けられています。深川屋は「忍びの隠れ蓑」だそうで、関の戸は、忍者の末裔・服部伊予保重により考案された餅菓子。私は、三重県に来てしばらくの頃に初めて食べて以来、好きな菓子の一つです。これ実は、先日の東海道ウォーキングで、亀山駅で買おうと思ったお菓子(2022年4月23日:20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編))。

2022年5月 3日 (火)

ウグイスが1日中鳴いています

Img_9578c  昨日の夕方から、ウグイスが一日中鳴いている環境に移動して来ています。裏山にいるウグイスが、すぐそばで鳴くのを聞きながら、風呂につかるのはなんともたまりません(微笑)。時間の流れ方が、まるで違う気がします。朝も、ウグイスの鳴き声で目覚めましたといえるとよいのですが、今朝は、ちょっと冷えたので、残念ながらそれはありませんでした。

Dsc_6404c Img_9569c_20220503162101  どこにいてもまずすることは同じ。散歩です。8時過ぎから2時間弱で、町内一周6.0㎞。実家を出るところにアジサイがあります。そのアジサイの葉っぱに、カタツムリ2匹と、アマガエル1匹。どちらも、自宅近辺では見ません(というよりも、さほど気にしていないのかも)。

 いつも通り、氏神様の射山神社にお参り。Img_9612c_20220503162101大己貴命(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二座を温泉大明神として祀っています。どちらも国造りの神として知られていますが、少彦名命の方は、穀霊、酒造りの神、医薬の神、温泉の神として信仰されます。

Img_9635c_20220503162101  射山神社の東に神湯館という旅館があります。以前、ここにある「糸ざくら」(2019年3月27日:榊原温泉・神湯館の糸桜とツバメ……午前中はいつも通りの散歩(追記しました))や、温泉むすめキャラ「榊原伊都」(2021年5月4日:朝から鹿2頭、午後にはアナグマが登場(笑))を見に来ています。つい最近まで知らなかったのですが、ここ神湯館には立派なお庭があるらしいのです。

Img_9615c_20220503162101 Img_9618c_20220503162101  散歩ついでにあまり良くないこととは思いつつ、ちょっとだけ覗かせてもらいました。庭園には別邸清原亭があり、楽しめるそうです。ちなみに、この神湯館は、昭和11(1936)年の「榊原温泉復興祭」を機にシンボル旅館として、江戸時代に湯治場として賑わった場所に開業しています。

Img_9630c_20220503162101 Img_9650c_20220503162101  神湯館の近くで、電線にセグロセキレイがやってきました。今日は、ここまでほとんど野鳥を見られませんでした。さらに、林性寺の近くで、イソヒヨドリのオス。このあたり、伊勢湾からは13~4㎞入り込んでいますが、それでも以前から、時々イソヒヨドリを見ます。

Img_9668c_20220503162101 Img_9685c_20220503162101  さらにその近く、榊原温泉郵便局の隣に温泉コスメの工場SAKURAがあります。そこの入り口にツバメがやってきて、巣を作っている最中でした。この工場から道を挟んだ向かい側は水田で、そこにはツバメ、コシアカツバメが、巣を作るのに泥を取りに来ています。コシアカツバメの写真を撮りたかったのですが、うまく行かず。

Img_9734c  こちらは、温泉保養館 湯の瀬のところ。正面奥に施設があったのですが、開業から33年間を経て老朽化したため、現在、立て替え工事中(向かって左のシートで覆われたところ)。新しく「津市榊原温泉湯の瀬」として、令和4年8月にリニューアルオープンする予定だそうです。

Img_9823c_20220503162101  善福寺さんの近くで、これはたぶんハクセキレイの若鳥。今年孵ったばかりという感じ。今年初のヒナというか、巣立った鳥を見ました(微笑)。このほか、トビを数羽、セグロセキレイ1羽、スズメ、ツバメなど多数を見て、ウグイスは朝から晩まで鳴き声を聞いています。ケリは、このあたりでは見たことがありません。

Screenshot_20220503160609c Screenshot_20220503160629c  午後、家内の母親から、庭に咲いている花の名前を調べて欲しいといわれ、スマホアプリのGoogle Lensを使って遊んでいました。アプリ自体はずっと前から知っていましたし、パソコンからGoogleの画像検索で似たような調べごとはしていたのですが、Google Lensを使うのは初めて。愚息のおかげで、実家の庭にもWi-Fiが広範囲に飛んでいるのも幸い。

Dsc_6406c  こちらは、シャクヤクですが、ちょっと自信がなかったので調べてみました。他に「ハルジオン」を調べたら、出てきた説明に「一部の地域では、貧乏草と呼ぶ」と書いてあり、義母と大笑い。というのも、義母は、「この花は邪魔だから」と盛んに抜いていたのです。「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」といい伝わるらしい(爆)。

Img_9798c_20220503162101  その他、慣れない農作業もどきも(苦笑)。フキがたくさん生えています。伽羅蕗にするから、全部採ってくるようにという指令。葉っぱを採って、茎だけにしても、大鍋に何杯もあるくらい収穫。腰が痛くなります。カメラは、Canon Powershot SX60HS、写真の加工は、無料のオンライン画像エディタ「iLoveIMG」を利用しました。

2022年5月 2日 (月)

センダイムシクイ、九華公園に登場……午後からは市民大学郷土史学科へ

Dsc02853c  良い天気に恵まれました。気温は、22℃を超えましたが、風が強い。このあと、ゴールデンウィークはおおむね好天に恵まれそうです。今日は、いつも通り、7時半から、いつものコースを散歩。住吉神社、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、吉津屋町、南魚町、田町、三崎通と6㎞ちょうど。冒頭の写真は、柿安コミュニティパーク西の堀のところ。奥に番流櫓があるのですが、青葉にほぼ隠れてしまっています。

Dsc03150c  今日は、まずは、センダイムシクイ。場所は、九華公園の奥平屋敷跡。ここに着いたときから、鳴き声が聞こえていました。いたのは2羽。結構よく動き回りますので、なかなか写真に撮れません。膨大な枚数を撮ってしまいました(苦笑)。あの「チョッチョビー」という鳴き声が賑やかなくらい。聞こうと思えば、「鶴千代君」と聞こえます。

Dsc02975cDsc03331c  九華公園内某所にあるコゲラの巣。今日は、親鳥は忙しくしていました。写真のように、まさに入れ替わり立ち替わりです。巣から出ていってもたいてい10~15分でエサをたくさん咥えて戻ってきます。ヒナは育ってきて、食欲旺盛なのでしょう。

Dsc02921c  コゲラの雌雄判別は、難しいのですが、オスには頭頂部に赤い部分があります。肉眼ではほとんど確認できません。写真を撮ってたまたま写っていると、分かります。この写真でも小さく赤い羽が見えました。今日は、九華公園では、コゲラとセンダイムシクイを堪能(微笑)。ハシボソガラスの巣の様子を見るのも忘れていました。

Dsc03626c  今日、明日は、本来であれば、鎮国守国神社の金魚まつりなのですが(2019年5月2日:晴れて散歩日和……つつじを楽しんできました、2018年5月3日:長島町内プチ遠征と、金魚まつり……楽翁公百年祭記念宝物館一般公開も見てきました)、今年も中止。これで3年連続中止。氏子町内の子供会による金魚神輿も出るのですが、子供会が消滅してしまった町内もあるように聞きます。コロナ禍が収まって、金魚まつりを再開するのも大変かも知れません。

Dsc03642c Dsc03656c  その他の公園では、キジバト、ムクドリ、カワラヒワ、ヒヨドリくらいしかいませんでした。京町からはツバメの巣チェック。左の写真は、京町のお宅の巣。補修は終わっているようですが、ツバメはいません。右の写真は、京町の呉服屋さんの巣。4月中旬から下旬にかけて、親ツバメがずっと巣に就いていたのですが、ヒナは孵らなかった模様。たぶん、リベンジ中。博物館の巣には、ツバメは来ていません。

Dsc03751c Dsc03731c  三崎通のお宅の巣では、親ツバメが巣にいました。右は、田町の商店の巣。新築工事は終わったと思われますが、やはりツバメはいません。どうも、新築したり、修復したりしても、すぐに卵を産むということではなく、しばらく時間をおくようです。

Dsc03792c  帰り道、桑名七里の渡し公園を通ってきたのですが、小学生の遠足。この公園を出たら、もう1校の小学生たちが歩いて来るのに遭遇。連休の合間ですから、勉強するよりも、遠足の方が良いかも知れません。

Dsc_6397-1  午後からは、くわな市民大学郷土史学科の第1回講義でした。いつものようにパブリックセンターの2階にある大研修室にて。7回分で¥3,000。受付、開講式に引き続き、13時半から2時間、勉強してきました。何回か書きましたが、今年度のテーマは「桑名の史跡を深堀りする-『久波奈名所図会』を中心に-」です。講師は、桑名市博物館元館長の大塚由良美先生。

Dsc_6400-1 Dsc_6403-1  第1回の今日は、「川口付近」について。川口町は、七里の渡し跡近く。本陣、脇本陣、番所、舟会所、問屋場などがあり、また、湊もあったところです。各種資料や、久波奈名所図会などの江戸時代の図会、絵図も用いた話を伺ってきました。個人的には、これまでの市民大学のテーマの中で、もっとも興味があります。また、いつものように、復習をかねて講義内容を勝手にまとめ、資料をつくろうと思っています。

2022年5月 1日 (日)

雨にて「読み、調べる日」……ALKOOという歩数その他記録アプリの余談を追記しました

0501rader  5月になりましたが、朔日から雨。雨は、朝7時過ぎから15時過ぎまで降っていました。雨量はさほどではなかったものの、何となく出鼻をくじかれた気もします。「晴歩雨読」がモットーですから、今日は「雨読の日」。

Tokaido  今月後半に依頼されている研修会の資料をチェックし、修正したのちは、ウォーキングのコース調べ。松阪と大垣へ行こうという話になっています。東海道ウォークが、今週末、亀山宿から関宿までを歩く予定。その先も東海道は、もちろん続くのですが、鉄道が通っていないのです。左の画像は、関宿から西のあたりの地図。JR関西線は、関駅からほぼ真西に通っています。しかし、東海道は、左の地図では国道1号線にほぼ沿って、鈴鹿峠を越えていきます。私のウォーキングでは、電車で行って、電車で帰るスタイルですので、このやり方ではこの先を進むのは困難。県内にはもう1つ、坂下宿がありますが、関西線の駅からははるかに遠い(苦笑)。それ故、取り敢えず、「三重県内の東海道を完歩」という目標を立てたのですが、関宿止まり。という次第で、関宿まで東海道を歩いたあとは、松阪と大垣とを考えているのです。

Dsc02829c_20220501165401  今週は、ゴールデンウィークですから、非常勤の授業は休み。明日午後は、市民大学郷土史学科の第1回講義。今年度のテーマは、「桑名の史跡を深堀りする-『久波奈名所図会』を中心に-」です。週末には、上記のように、東海道ウォークで亀山宿から関宿までを歩く予定。関宿は、以前から行ってみたかったところで、楽しみにしています。東海道五十三次の47番目の宿場町で、今なお当時の雰囲気が残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

Dsc02822c  明日は、天気は回復するという予報ですから、午前中は散歩に行けるでしょう。

Screenshot_20220501192045c  ここからは追記で、余談。スマホで、ALKOOという歩数計アプリを使っています。歩数は、「からだメイト」というアプリとほぼ同じですから、歩数計としての機能はまあ正確だろうと思うのですが、GPSで歩いたルートを見ると変なルートになっていたり、歩いてない道を歩いたことになっています。けっこうな頻度で揖斐川のまん中を歩いていたり、桑名駅の西の方を歩いていたりしたことになっています。この画像は、4月28日に歩いたルートの、ALKOOによる記録。この日は、春日町にあるS理容院さんで9時半に散髪を終え、三崎通、田町、九華公園、貝塚公園、内堀南公園、外堀、京町、吉津屋町、寺町と回ってきました。当たり前なのですが、揖斐長良川のまん中には行けません(苦笑)。税務署の方にも、八間通の方にも行っていません。ことほどさように、歩いたルートの記録は、かなりテキトーのようです。

 

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  • 宮口 幸治: 境界知能の子どもたち 「IQ70以上85未満」の生きづらさ (SB新書)

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  • 関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)

    関裕二: スサノヲの正体(新潮新書)
    タイトルに惹かれて手に入れたものの、序章の記述が私にとっては退屈でしばらく放っておいたり、読み直そうと思ってくじけたりしていました。しかし、そこを乗り越えるとこの本はとても面白くなり、ほとんど一気読みしました。スサノヲ(素戔嗚尊)の正体を探るプロセスでアマテラス(天照大神)の謎も明らかにされて行き、それもとても興味深いものがあるのです。アマテラスは皇祖神とされますが、実在の初代王と言われる崇神天皇はアマテラスを伊勢に追いやっています。また、伊勢神宮を整備した持統天皇だけは伊勢に参ったものの、それ以降明治になるまで、1,000年以上も歴代天皇は伊勢神宮を訪れていません。明治天皇が東京に遷御したあと武蔵国の鎮守勅祭の社に定めたのは、スサノヲの祀られる氷川神社(現さいたま市)です。明治天皇は氷川神社を訪れた翌年に、伊勢神宮を訪れています。そもそも伊勢にいる神はアマテラスなのかという疑問にも立ち向かっている、古代史や神に関心がある方にはお勧め。 (★★★★★)

  • 安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)

    安藤 優一郎: 大名屋敷「謎」の生活 (PHP文庫)
    時代小説をよく読みます。捕物帖、市井の人たちの生活、侍の物語、大名の話などいろいろとあります。庶民の生活については、これまでもいろいろな本でかなり知っていますが、大名の生活については分からないところの方が多いと思っていました。タイトルに惹かれて買ったのですが、大名やその家族の生活が詳しく書かれているのではなく、勤番侍の生活、大名屋敷の庭園、御用達商人や豪農、幕末の動乱と大名屋敷などの話が中心でした。それはそれで知らなかったことが多々あり、興味深く読みました。 (★★★)

  • 服部環ほか: 指導と評価2023年10月号(図書文化社)
    「指導と評価」は、日本教育評価研究会の機関誌であるとともに、日本で数少ない教育評価に関する月刊誌です。この号では、教育・心理検査の意義と活用という特集が組まれています。「教育・心理検査の意義」に始まり、WISC-Ⅴ、KABC-Ⅱなどの個別検査の使い方、解釈の仕方、指導への活かし方がそれぞれの専門の先生によってわかりやすく解説されています。特別支援教育の現場でも、きちんとした心理アセスメント所見に基づいた支援を展開することが望ましいのですが、現場の先生方には敷居が高いようです。ご関心がおありの方には、どのように使えるか、どのように考えたらよいかについて基本的なことがらを理解するのに適しています。出版社のWebサイトからバックナンバーとして購入できます。 (★★★★)
  • 石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑

    石田 光史, 樋口 広芳(ナツメ社): ぱっと見わけ観察を楽しむ 野鳥図鑑
    野鳥図鑑はすでに何冊も持っていますが、この野鳥図鑑は、2015年の刊行で、なぜ今までこの存在に気づかなかったと反省するほど便利そうなもの。掲載されているのは324種ですが、それぞれの特徴や、見わけのポイントがパッとわかるようになっています。その鳥の生活型や生息地、食性や羽色、形態などのほか、雌雄、夏羽冬羽、幼鳥などで特徴が異なる場合は、それらについても説明されています。観察したい行動から、おもしろい生態、探し方までもが載っていますし、鳥の鳴き声が聴けるQRコードも付いています。私自身、野鳥の特定がけっこうアヤシいので、しっかり活用しましょう。 (★★★★★)

  • 千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)

    千枝大志(風媒社): 街道今昔 三重の街道をゆく (爽BOOKS)
    「東海の街道」シリーズの第4巻です。「街道歩きのお供に最適の1冊」といううたい文句。内容は、三重の主な街道、近世三重の城郭図・城下図を読み解く、お伊勢参り小咄、伊勢をめぐる〈参詣〉をデジタル化するの4章構成で、まさに三重の街道歩きの参考書としてよいと思います。私自身も県内の東海道、伊勢街道、美濃街道、濃州街道はほとんど歩き、ほかの街道も部分的に歩いていますし、城もここに載っているところはかなり訪ねています。デジタル化も、ブログに写真・記事を載せていますから、出来不出来はともかく、私も取り組んでいます。県内の街道はさらに歩こうと思っていますし、デジタル化にももっと取り組みたいと考えていますので、十分活用できるでしょう。 (★★★★★)

  • 唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)

    唐沢孝一: 都会の鳥の生態学 カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽の栄枯盛衰 (中公新書)
    都市にもたくさんの野鳥がいることを知る人は少ないかも知れません。私がいつも散歩している地方都市の公園では、これまで10年あまりで70種類近くの野鳥を観察しています。都会は自然の少ない人工的な環境にあふれていますが、野鳥たちはもともとの生態を活かしつつこれらにしたたかに適応してい生きています。この本では、カラス、ツバメ、スズメ、水鳥、猛禽を取り上げ、その都会における生態や、活動の変化、人間と鳥との関係とその変化などについて多くの実例や、調査結果をもとに、豊富な写真を使って楽しく読めるようにまとめられています。 (★★★★★)

  • 堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)

    堤未果: 堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法 (幻冬舎新書)
    「ショックドクトリン」とは、テロや大災害など、恐怖でこくみんが思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことです。アメリカでの3.11以来、日本でも大地震やコロナ禍の裏で知らない間に個人情報や資産が奪われようとしているというのがこの本のテーマ。パンデミックで製薬企業は空前の利益を得、マイナンバーカード普及の先には政府のよからぬ思惑があるなどよくよく注意し、自分の生命・財産を守らないといけないというのが著者の主張。「今だけ、自分だけ、お金だけ」という強欲資本主義に負けないようにするには、ちょっとした違和感を大事にし、お金の流れがその裏にないか、また、それで大もうけして回転ドアをくぐって逃げる輩がいないかをチェックすることです。また、政府が何か、大急ぎで導入しようとしたり、既存の制度を急拡大しようとするときは、要注意だそうです。 (★★★★)

  •  奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)

    奥山景布子: 葵の残葉 (文春文庫)
    いわゆる「高須四兄弟」である徳川慶勝、松平容保、松平定敬、徳川茂栄は、幕末維新の激動期に、結局のところ官軍と幕府とに分かれて戦う運命になったのですが、この四兄弟を取り上げて埋もれた歴史を活写した小説。私自身は、桑名藩主であった松平定敬が取り上げられているので興味を持って手に取った次第。幕末維新は、次々に色々な出来事が起きて、さまざまな人たちの思惑も複雑に入り組んでいるので、小説にするのは難しいと思っていたのですが、隠れた主人公ともいえる高須四兄弟の視点からとても躍動感のある読み物になっています。また、この時期の歴史をより一層深く理解できたという感想も持っています。 (★★★★)

  • 國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

    國分功一郎: 暇と退屈の倫理学(新潮文庫)
    ほぼ隠居状態ですから、暇と退屈には困りません(微笑)。それ故にこの本を手に取ったといっても、誤りではありません。著者がいうには、「暇」とは何か、人間はいつから「退屈」しているのだろうかといったなかなか答えにたどりつけない問いに立ち向かうとき、哲学が役に立つというのが著者のスタンス。哲学書なのに、読みやすいのです。スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど、その昔学生時代に取り組んで挫折した哲学者たちの論考を参照しつつ、現代の消費社会における気晴らしと退屈について鋭い指摘がされ、まさに蒙を啓かれます。 (★★★★)

  • 逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)

    逸見功: 統計ソフト「R」超入門〈最新版〉 統計学とデータ処理の基礎が一度に身につく! (ブルーバックス)
    今さら、なぜこういう統計ソフトの本を読むのか? と訝られると思うのですが、その昔、現役の頃には統計パッケージソフトIBM SPSSを使ってデータを分析して論文を書いていました。ただ、SPSSを始め、統計パッケージソフトは、値段がバカ高いのです。退職する前からこのRというフリーの統計処理ソフトが出て来て、ずっと興味を持っていました。先日、文庫本を買おうと思って本屋に行ったらこの本を見つけてしまいました(微笑)。今さらこれを使ってバリバリやる訳ではありません。むしろボケ防止かも知れませんが、昔のデータはそのままパソコンにありますから、これを使って、昔はやらなかった分析をしてみようと思っています。何か成果が出るかどうかは極めてアヤシいのですが、まぁゆるりといろいろやってみることにします。 (★★★★)

  • 林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)

    林(高木)朗子, 加藤忠史, 林(高木)朗子, 加藤忠史: 「心の病」の脳科学 なぜ生じるのか、どうすれば治るのか (ブルーバックス)
    たまにはこういう本も読まないと、認知機能が退化するかもしれないと思って(微苦笑)。というよりも、もともと神経心理学に興味がありましたので、本屋の店頭で見つけ、これは面白そうだと思って購入しました。うつ、自閉スペクトラム障害、ADHD、統合失調症、双極性障害など、現代人を悩ませる心の病について、脳にどのような変化が起きているか、最新の知見がまとめられています。最前線の研究者たちがわかりやすく説明しているのですが、知識ゼロで読むのはかなりキツいかも知れません。私は現役をリタイアして10年以上になりますが、その間にこれほど研究が進んだのかというのが正直な感想。心の病の原因は、1つとは限りません。心の病は「症候群」と見た方がよいと考えます。私自身が関わる自閉スペクトラム障害、ADHDなどの発達障害でもそうです。脳機能と心の病との関連について最新の知見を知りたい方にはおすすめ。 (★★★★)

  • 磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)

    磯田 道史: 徳川家康 弱者の戦略 (文春新書)
    本の帯に「大河より面白い!」とありますが、本当にそうでした。午前中の散歩のついでに買ってきて、夕食までに一気に読み終えてしまいました。もったいない気がするくらい。松平元康がいかにして徳川家康になったか、さらに徳川将軍家がいかに続くよう礎を築いたかが、よく分かりますし、戦国時代から徳川幕府創世記までの歴史を見る目が養われる本です。それというのも、著者の磯田さんが古文書の権威で、一次史料を読みこなすだけでなく、場合によっては価値が怪しい資料まで傍証に用いて(怪しい資料でも使い道があるというのも良く分かりました)、ご自身の頭で考えた結果を実に分かりやすく解いてくれてあります。徳川家康の弱者の戦略のキーワードは、「武威」と「信頼」ということです。また、情報の取得、解読にも意を尽くしたことがよく分かります。混迷を深める世界情勢を読み解いて、我が国が進む方向を考える上でも役に立つ一冊。 (★★★★★)

  • 井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)

    井手 正和: 発達障害の人には世界がどう見えるのか (SB新書)
    発達障害、とくに自閉スペクトラム症(ASD)の方では、感覚過敏や感覚鈍磨をよく伴います。「照明で目がチカチカする」「皆が話している教室では。音が鳴り響き絶えられない」「ケガをしてるのに、痛みを感じない」などさまざまな状況を呈します。著者は実験心理学や、認知神経科学を専門とし、ASDの方に見られる感覚過敏、感覚鈍磨は、脳機能の特性から来ていることを明らかにしてきています。ASDなど発達障害のあるご本人はもちろん、親御さん、教師など関わりを持つ方々は、このことをよく理解して支援にあたることがとても重要です。ASDを始めとして発達障害について、「わがまま」「自分勝手」「やる気がない」などと捉えてしまうと、支援どころか、理解もできなくなります。脳の働きによってさまざまなことが生じてきているという視点が必要不可欠です。この本は、感覚過敏・感覚鈍磨を手がかりにそういう視点について理解を深められます。 (★★★★)

  • 日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)

    日本放送協会,NHK出版: NHK 100分 de 名著 中井久夫スペシャル 2022年 12月 [雑誌] (NHKテキスト)
    2022年12月のNHKのEテレ「100分de名著 中井久夫スペシャル」のテキストです。今頃(2023年2月)これをリストアップしているのはどうかという気もしますが、録っておいたビデオをみたのが最近なのです。中井久夫さんは、2022年8月にお亡くりになりましたが、日本を代表する精神科医のお一人であり、翻訳家、文筆家としても一流でした。現役の頃、中井さんの本はたくさん読みました。臨床心理学の分野でも「風景構成法」を導入した方として知られています。Eテレの講師である齋藤環さんは、中井さんを評して「義と歓待と箴言知の人」と書いておられますが、まさにそういう気がします。『最終講義』『分裂病と人類』『治療文化論』『「昭和」を送る』『戦争と平和 ある観察』が紹介されています。現在もウクライナで戦争が続いていますが、中井は「戦争は過程、平和は状態」とし、戦争は物語として語りやすく、とにかくかっこよくて美しい、それが問題だといいます。一方、平和は分かりにくく、見えにくいため、心に訴える力が弱いとします。「状態を維持する努力はみえにくい」のですが、戦争と平和に限りません。普段通りの日常生活を維持していくのも同じような気がします。戦争を経験していない人間が指導者層の多くを占めるようになると戦争に対する心理的抵抗が低くなるともいいます。「戦争には自己収束性がない」とも中井さんはいっています。われわれはやっかいな時代に生きていると痛感します。中井さんの本を多くの方が読むと、時代も変わるかも知れません。 (★★★★★)

  • 桑名三郎: 七里の渡しを渡った人達(久波奈工房)
    桑名と名古屋の宮を結んだ東海道唯一の海路「七里の渡し」をテーマにした歴史本です。船頭が旅人を案内しながら、七里の渡しを渡った歴史上の24人を紹介する内容。やさしい話し言葉で紹介されており、読みやすい本です。徳川家光、松尾芭蕉、明治天皇などが取り上げられています。著者は、桑名で歴史案内人をしながら、街の歴史を研究している、街道好きの方です。本は、桑名市内の書店とメルカリで¥1,200で販売。 (★★★★)
  • 磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)

    磯田 道史: 日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
    磯田さんの本は面白い。というのも、話のもとには古文書があるからだと思う。その古文書も磯田さん自身が、古書店などで発掘してきたものがほとんどで、それ故、内容もオリジナリティが高くなる。この本は、戦国時代から幕末あたりを中心にさまざまな古文書の内容をもとに、例えば忍者の悲惨な死に方、江戸でカブトムシが不人気だった背景、赤穂浪士が吉良の首で行った奇妙な儀式などなど、興味深いエピソードを浮かび上がらせている。面白いので一気読みしてしまった。 (★★★★★)

  •  佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)

    佐藤信(編): 新版 図説歴史散歩事典(山川出版社)
    史跡や、寺社、町並み、城、美術工芸品等の見方がやさしく解説されている本です。「事典」となっていますが、いわゆる辞書とは違って、普通の本のスタイルです。索引が充実していますので、事典としても十分に使えます。最初の版をもっていますが、40年ぶりに改訂され、写真、図版も多く、歴史散歩の最強の味方です。 (★★★★★)

  • 日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)

    日下部理絵: 60歳からのマンション学 (講談社+α新書)
    今年1年、何の因果か(などと書くとお叱りを受けること必至ですが)、住んでいるマンションの管理組合の理事長を仰せつかっています。今年は、エレベーターリニューアル工事が最大のイベントで、それは無事に済んだのですが、前理事長から8年後に迫った第3回大規模修繕に向けて、修繕積立金が不足する見込みと申し送られました。確かにかなりの金額が不足しそうで、頭を悩ませていました。マンションに住みながら、そもそも基本的な知識が不足しており、管理会社のフロントマンの方の協力を得ながらシミュレーションなどをしていました。ネットであれこれ調べてはいたものの、それで得られる知識は体系的なものではありませんでした。この本は、事例を元にマンション管理について必要な知識が得られるように書かれており、まだすべて読み終えてはいないものの、とても役に立っています。任期残り2ヶ月半となって付け焼き刃ではあるものの、次の理事会に具体的に課題を申し送ることができるよう勉強中(笑)。 (★★★★)

  • 宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)

    宮口 幸治: ドキュメント小説 ケーキの切れない非行少年たちのカルテ (新潮新書)
    「ケーキの切れない非行少年たち」や「どうしても頑張れない人たち」の著者である宮口幸治さんの新刊です。前2著の内容をよりよく理解できるよう、「ドキュメント小説」として書かれたものです。主人公は、精神科医の六麦克彦。医局から派遣されて要鹿乃原少年院に勤務して5年。彼がそこで目にしたのは、少年院に堕ちてきた加害者ながら、あらゆる意味で恵まれず、本来ならば保護されてしかるべき「被害者」と言わざるを得ない少年たちでした。この内容は、前の2冊のように普通の新書では書き尽くせるものではなく、物語の形を借りざるを得なかったのでしょう。ただし、普通の小説として読むのには少し苦労するかも知れません。特別支援教育が普及して、知的障害や、発達障害のある子どもへの教育や支援は、以前に比べれば改善されてはいますが、最近は、家族の養護能力が十分でなかったり、親など家族自身に支援が必要なケースもたくさんあります。こうした中には、この本で取り上げられたような結末に至ることがあっても不思議ではないという気がします。極端な事例が集められていると思われるかも知れませんが、社会全体として真剣に取り組むべき課題が突きつけられています。 (★★★★)

  • 本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)

    本田秀夫: 学校の中の発達障害 「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち (SB新書)
    本田秀夫先生によるこのSB新書の4冊目のシリーズ。今回は、発達障害のあるお子さんの学校選び、学級選び、友達関係、学習や学力の悩み、不登校など、発達障害のあるお子さんの学校生活全般にわたって、どのような考え方に基づいてサポートしたら良いかについてまとめられています。それぞれ、親と先生とが、どのように取り組むことが基本となるか、解説されています。対策よりも予防的な工夫をコミュニケーション(要求ではなく)に基づいて行う、「学校の標準」を緩める、登校や成績を気にしすぎず、社会に出るための土台作りを考える、発達の特性には寛容になる、学びを大切にするが学力にこだわりすぎない、親と先生とが気づきを伝え合い相談、調整する、子どものモチベーションを重視するなど、具体的に書かれていて、分かりやすくなっています。発達障害のあるお子さんが小中学校で充実した学習が進められるための基本的な考え方やヒントが詰まっていますので、親御さんにも、先生方にもお勧めできます。 (★★★★★)

  • 佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?

    佐々木秀斗: 小学生博士の神社図鑑 ぼくの近くにはどんな神さまがいるの?
    サンドウィッチマン&芦田愛菜ちゃんMCの「博士ちゃん」に「三国志博士ちゃん」、「日本の神様博士ちゃん」として2回出演した佐々木秀斗君の自由研究を本にしたもの。何故これをここに取り上げたかというと、私のブログに載せた立坂神社の緑色の鳥居について、写真を提供して欲しという依頼が出版社からあったのです。私が提供した写真は、本書の162ページに「提供:猫の欠伸研究室」として載っています。ざっと読みましたが、大人でも、古事記や神社についてよく知らない方が、最初に手に取って基本的なことがらを知るには、わかりやすくて良い本だと思います。 (★★★★★)

  • 森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)

    森 博嗣: 読書の価値 (NHK出版新書)
    ネットで見つけ、新刊かと思って購入したのですが、4年前の本でした(微苦笑)。 若い頃に森博嗣さんの小説をすべて読んでいました。いつの頃からか、小説は読まず、森さんのエッセイだけを読むようになっています。「読書の極意を教える」と帯にはあります。もちろんそれについて書かれているのですが、私にはある種の知的生産の技術について著者の方法を開示していると読めます。「何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある」というのは、よく首肯できます。また、「教養とは保留できる能力をいう」というのも確かにそうだと思います。自分の問題として抱続けられ、また、考え続けられるのは、容易ではありませんから。 (★★★★★)

  • 井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)

    井川香四郎: 別子太平記 : 愛媛新居浜別子銅山物語 (文芸書)
    愛媛県新居浜市にあった別子銅山は、元禄3(1690)年、伝説の切上り長兵衛によって発見されてから、昭和48(1973)年の閉山まで、283年間にわたり、累計65万トンの銅を産出しました。これは、世界の銅の産出量の1/6にも達するといいます。巨大財閥住友の礎となっただけでなく、日本の貿易や近代化にも大きく貢献したのがこの別子銅山です。江戸時代には貨幣改鋳にも深く関わった世界屈指の鉱山を舞台に、そこに関わった人達を鮮やかに描いた、本当の意味での大河小説です。徳間時代小説文庫で読みました。  (★★★★)

  • 養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)

    養老孟司, 池田清彦: 年寄りは本気だ―はみ出し日本論―(新潮選書)
    養老孟司先生と池田清彦先生の対談であれば、外れはありません。サブタイトルのように、「はみ出し日本論」ではありません。ど真ん中の日本論といってもよい本で、楽しみながら読めます。しかし、それは、自分のアタマできちんと考えているからこそ論じられる内容だと思います。常識や、マスコミで報道されることがらだけをフォローしていては、こういう風に考えることはできません。きちんとした理論、知識、データに基づかなければなりません。さらには、物事を捉える大きな枠組み、私の世代にとっては「パラダイム」といえるものが必要。それも、確固たるパラダイムが必要です。私にとってそれはある種の理想なのですが、なかなか難しい。しかし、まぁ、年寄りになったからこそ見えるものや、年寄りなりの知恵も働くようになるということもありますから、養老・池田の「怖いものなし」コンビを1つの目安として、言うべきこともいえるようになりたいものです。 (★★★★★)

  • 土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)

    土井 善晴: 一汁一菜でよいと至るまで (新潮新書)
    先に同じく土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を挙げましたが、入手したのはこちらが先。「一汁一菜でよい」というスタイルに至るまでの土井さんの修行、出会い、発見、迷いなどなどが書かれています。「家庭料理に失敗なんて、ない」、「すべては人を幸せにする料理に繋がる」というのが基本。具だくさんの味噌汁はおかずの1つになる。余裕があれば、食べたいものや、食べさせたいものをその都度調べてつくればよい。一汁一菜を入り口にして、一つ一つおかずをつくってみて、10種類ほどでもできるようになれば、それで幸せに一生やっていける。といった話があり、へぇーと感心させられました。これだけで健康に健やかに自足できるとも述べられています。一汁一菜なら、私にもできる、でしょうか?? (★★★★★)

  • 土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)

    土井善晴: 一汁一菜でよいという提案(新潮文庫)
    著者の土井善晴先生は、私と同世代。そして、私の世代にとってはあの土井勝さんの息子というイメージが強くあります。テレビなどにもよく出ておられ、なかなか面白い視点でものを見る人だなと思っていました。この本は,出版された当時(2016年秋)から知っていたのですが、手に取ったのはごく最近。文庫本を探していたのですがなかなか遭遇しなかったのです。「一汁一菜でよい」というのは、ご飯と具だくさんの味噌汁があればよいということです。家庭料理についての提案なのですが、実は、この本はもっと奥深いことを述べています。一言で言えば、日本文化や日本人の哲学について述べる中で、食や生活、生き方などについても論じられています。解説を書いておられる養老孟司先生は、それを「自足の思想」と表現していらっしゃいます。優しい、わかりやすい本ですが、実は奥が深い。著者の端正さもよく表れています (★★★★★)

  • 奥山 景布子: 流転の中将

    奥山 景布子: 流転の中将
    幕末の桑名藩主・松平定敬を描いた歴史小説。定敬は、実の兄で会津藩主である容保とともに徳川家のために尽くそうとしたものの、最後の将軍・徳川慶喜に振り回され、裏切られてしまいます。定敬は、それでも抗おうとしたのですが、国元の家臣たちはいち早く恭順を決め、藩主の座も追われてしまいます。朝敵といわれ、越後、箱館から上海まで流浪した定敬の波乱に満ちた人生と、秘めたる思いが生き生きと書かれています。定敬については、歴史講座で学んだり、本で読んだりしてきましたが、小説家の手にかかるとこのように立体的に、活き活きと動き出すものなのだと実感します。 (★★★★★)

  • サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)

    サトウタツヤ: 臨床心理学小史 (ちくま新書)
    たまには専門のアカデミックな本も取り上げます(微笑)。本屋でみつけ、購入。この本は、同じ著者が東大出版会から昨年刊行した「臨床心理学史」で果たせなかったことを果たそうと構想されたもの。果たせなかったのは、日本の臨床心理学史に触れることと、コンパクトな歴史記述だそうです。東大出版会の本は、読んでみたい気もしますが、¥7,000もしますし、内容もハードそうです。こうして臨床心理学の歴史を俯瞰してみますと、やはり実験心理学を抜きにしては臨床心理学も語れないといえます。私個人の考えでも、臨床心理学を学び、実践するには、実験心理学を学び、実験・調査などの方法で研究をした経験が必須です。臨床心理士、公認心理師の資格に関わり、心理学を志す人は多く、また、大学でも臨床心理学部や臨床心理学科もあります。しかし、私は、自分自身の経験からもやはり、実験心理学などの基礎心理学を抜きにして、臨床心理学は成り立たないと考えますし、学生も実験心理学を含めた基礎心理学を、少なくとも学部段階ではきちんと修得した方がよいと思います。本書を読んで、その考えはいっそう強くなりました。 (★★★★★)

  • 昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ

    昭文社 旅行ガイドブック 編集部: 三重のトリセツ
    本屋に別の本を買いに行って見つけ、即買い(微苦笑)。私の好むタイプの本です。三重県の地形や地質、歴史、文化、産業などを、地図を読み解きながら紹介するマップエンターテインメント本。地図も歴史も文化も好きなのです。地図で読み解く三重の大地、三重を駆ける充実の交通網、三重の歴史を深読み!の3部構成。2017年11月にたまたまみつけたJRさわやかウォーキング「~四日市市制120周年記念~ 家族みんなで楽しめる四日市旧港街歩き」に行って以来、JRさわやか、近鉄ハイキング、勝手にハイキングで県内や近郊のあちこちに電車で行って電車で帰るハイキング/ウォーキングをしています。それによって訪ねたあちこちのことが改めてまとめられていて、とても楽しめます。各県のバージョンが出ているようです (★★★★★)

  • 磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)

    磯田道史: 歴史とは靴である (講談社文庫)
    歴史家・磯田道史さんが、鎌倉女学院高校で行った特別授業の記録と、ビリギャルの小林さやかさんなどとの対談を収めてあります。基本的には、「歴史の見方」についての本なのですが、それに留まりません。ものの見方、考え方を説いた内容です。むしろ、ものの見方、考え方を学びたい方にお勧めしたいと思うくらいです。ちなみに、タイトルは、「歴史は好きか嫌いかの嗜好品ではなく、安全に世の中を歩くためのむしろ実用品である」という意味です。これは、歴史の見方について、あまりよく理解されていないポイントと思います。講義録ですから、読みやすく、しかも大変おもしろい本です。 (★★★★★)

  • 久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)

    久住 祐一郎: 江戸藩邸へようこそ 三河吉田藩「江戸日記」 (インターナショナル新書)
    この著者の前著「三河吉田藩・お国入り道中記」で読んだ、三河吉田藩(豊橋)の参勤交代の話も大変おもしろく読めましたし、江戸時代の藩邸の様子、殿様や家臣の仕事、暮らしなどに興味があったので、読んでみました。三河吉田藩に残る「江戸日記」などの古文書から、江戸の大名屋敷がどのようなところであったか、江戸で働く武士の状況、江戸の藩邸で起きた事件のいろいろ、藩邸の奥向きの様子、さらには、明治維新後の藩邸から子爵邸への変化について、リアルな武士の暮らしのもろもろがまとまっていて、とても興味深く読めました。三河吉田藩は、現在の愛知県豊橋市にあり、松平伊豆守家が長く藩主を務めています。松平伊豆守家は、「知恵伊豆」の異名を持つ松平伊豆守信綱を初代とし、忍藩、川越藩、古河藩、吉田藩、浜松藩と国替えを繰り返した後、寛延2(1749)年から明治維新まで三河吉田を治めています。 (★★★★)

  • 安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)

    安藤 優一郎: 江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ (朝日新書)
    サブタイトルに「大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ」とあり、さらに、オビには「300年前は えっ!? 今よりもっと愉快な旅行天国」ともあります。ただし、旅行を心から楽しめたのは、庶民に限られていたようです。参詣者を増やしたい各地の寺社、温泉、宿泊業者が積極的に営業したからです。一方、武士や大名は、トラブルメーカーだったといいます。公用で旅行したり、参勤交代したりなのですが、宿泊料のダンピング、備品の破壊などなどトラブルをまき散らしながらの旅であったり、権威を笠に着たりで、あまり歓迎されなかったようです。江戸時代の旅のエピソード満載で、楽しめる本です。 (★★★★)

  • 藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック

    藤田 和弘, 熊谷 恵子, 熊上 崇, 星井 純子, 熊上 藤子: 心理検査のフィードバック
    この本は、WISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの知能検査の結果(アセスメント情報)を「子どもの自立と社会参加」により役立つものにしていくには、どのように伝えたらよいか(フィードバック)についてまとめられています。過去には、保護者、学校の担任、子どもたち自身に知能検査の結果を伝えることはされていませんでした。しかし、現在では、苦戦している子どもたちが、自分のことを理解し、自分なりにも工夫して、学習や生活スキルを向上させ、将来の自立と社会参加につなげるために、知能検査の結果(アセスメント情報)を子どもたち自身にも伝えるようになってきています。私も、相談では、お子さんに直接、フィードバックを行い、子どもたち自身が自己理解を深め、意欲的、積極的に取り組めるようにしています。この本は、子どもと支援をつなぐ、支援者をつなぐという視点から、心理検査のフィードバックについて基礎から応用、事例を含んでその全体像を把握できる、優れたものとなっています。 (★★★★★)

  • 新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)

    新潮文庫: 文豪ナビ 藤沢周平 (新潮文庫)
    藤沢周平の作品案内、小説に見られる名言集、映像化された作品の出演者や、関係者による評伝などによって藤沢周平の作品についてすべてとはいいませんが、かなりが分かります。私は、藤沢周平の小説が好きで、たぶんほとんど読んだと思います。ただそれは、15~6年以上前のことで、リストアップもしていませんから、すべて読んだかどうかについては、不確か。こういう本を読むと、もう一度読もうかという気になります。この本では、娘の遠藤展子さんの「父にとっての家族」がもっとも興味深く読めました。また、藤沢周平の言葉で私が気に入っているのは、「普通が一番」です。ほかにも、「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」という言葉が、遠藤さんが父から言われて心に深く残っていることばだそうです。 (★★★★)