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2022年4月23日 (土)

20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編)

Img_8837c_20220423175801  1ヶ月ほどの間が開きましたが、今日は、「東海道ウォーク」の3回目。前回は、JR関西線・加佐登駅から井田川駅まで歩きました(2022年3月19日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(予告編))。今回は、井田川駅から東海道を歩いて、亀山へ。亀山では、東海道からは少し外れますが、亀山城跡も主なところを回って来ました。亀山の最高気温は、26.3℃。ほぼ曇りで、正午頃からはしばらく晴れていました。歩くのにはちょうどよい気候。今日のところは、予告編です。

Img_8845c_20220423175401Img_8857c_20220423175401  JR関西線・桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。井田川駅には、8時54分着。¥590。9時ちょうどに井田川駅をスタート。駅から南西に向かいます。すぐに右手(西側)に「旧井田川小学校跡碑」があります。井田川小学校は、大正4(1915)年2月にここに移転して来て、昭和54(1979)年4月にみどり町に移転するまで、ここにありました。

Img_8892c_20220423175401 Img_8896c_20220423175401  このあと、国道1号線を渡って、東海道は左折。右手にお寺が続きます。まずは、真宗高田派の廻向山西信寺(さいしんじ)(左の写真)。その先に浄土宗の三世山浄業院正福寺(右の写真)。どちらも、みえの歴史街道にも、ネットにもこれという情報はありません。

Img_8914c_20220423175401  正福寺の先で1㎞。椋川を渡って、国道1号線の高架をくぐって、1.5㎞地点の手前、西側に「谷口法悦題目塔」。川合と和田の境にあります。元禄年間(1695~98)、谷口法悦が造立。「南無妙法蓮華経」と刻まれています。谷口は、日蓮宗の篤信者で、17世紀末頃、一族とともに各地の寺院、街道筋にこうした題目塔を造立しています。

Img_8932c_20220423175401 Img_8951c_20220423175501  県道23号線の和田交差点に東海道が接近する手前に道標があります。「従是 神戸 白子 若松道」とあり、白子道を示しています。元禄3(1690)年、度会益保によって建てられたものです。若松村には、亀山藩領の港があり、そこへの重要な道路を示しています。また、この道標は、三重県の東海道に現存する最古のものだそうです。道標の先には、シャングリさんの小祠。川合と和田の境にあって、和田の村に悪霊が入ってこないよう、見張るためのもの。

Img_8989c_20220423175501  和田の公民館の向かい側に「井尻道」の道標があります。これは、田中音吉が建てたもの。Img_8981c田中音吉は、亀山生まれの明治~大正時代の実業家。明治30(1897)年、亀山共同社(のち亀山製糸会社)を設立しています。このあたりの道路の分岐点に道標を建てています。今のところ、61基の存在が確認されています(こちら)。ここを南に入ると、真宗高田の當修山幸福寺がありますが、ご覧のような状況。庫裏も取り壊されているようですし、境内も、工事中というか、工事に取りかかる直前という印象でした。ネットではこれという情報は見つけられませんでした。

Img_8971c_20220423175501  東海度に戻って少し行くと、スタートから2.5㎞を過ぎた右手に(北側)天台真盛宗の福善寺。こちらのお寺も、宗派以外には、ネットなどではとくに情報は出て来ません。

Img_9006c_20220423175501  こちらはその先にあるImg_9002c_20220423175501  石上寺(せきじょうじ)。那智山松寿院という号があります。本尊は子安延命地蔵菩薩。伊勢七福神の一つ。元は、このあたりに勧請された熊野神社の神宮寺で、大伽藍があったといいます。境内には、四国88箇所霊場巡りも再現されていました。

Img_9061c_20220423175501  石上寺からほど近くに、和田一里塚跡。江戸日本橋から104里。慶長9(1604)年、亀山城主であった関一政が築造したもの。昭和59(1984)年、道路の拡幅にともない、それまで残っていた塚の一部がなくなり、跡地の東側のここに模式復元されたものです。

Img_9085c_20220423175501 Img_9096c_20220423175501  栄町交差点を過ぎ、スタートから3.7㎞ほどのところに、能褒野神社の鳥居。この鳥居から北東へ約3㎞のところに能褒野神社があります。能褒野神社は、日本武尊能褒野御墓(やまとたけるのみことのぼのおんぼ)のところにあります。この御墓は、日本武尊が、東征帰路にこのあたりで亡くなられたという記紀の記述に基づき、明治12(1879)年に内務省が「日本武尊能褒野御墓」と定めています。鳥居のすぐ先に露心庵跡。天正12(1584)年に神戸正武が亀山城を襲ったものの、城を守る関万鉄斎はわずか13騎でこれを撃退したと伝わっていますこの合戦の戦死者を城下の東端に2つの塚を築いて葬っています。関氏一門の露心はこのあたりに仏庵を建立し、戦死者を供養したといいます。この仏庵が露心庵です。明治に廃寺になっています。

Img_9117c_20220423175501 Img_9124c_20220423175501  このあと、本町交差点にある本町広場(巡見道説明)で一休み。10時40分頃から11時頃まで。この本町交差点で、東海道と巡見道とが分岐します。右の写真で、奥の方向に続くのが巡見道。

Img_9151c_20220423175501  東町のバス停のところは、江戸門口跡。延宝元(1673)年、亀山城主・板倉重常によって築かれた門があったところ。番所もおかれ、通行人の監視や警護に当たったといいます。

Img_9170c_20220423175501 Img_9222c  東町の商店街に入っていきます。5㎞の手前を北に入ったところに、まずは福泉寺。慈覚大師が創設した天台宗の古刹で、寛正元(1460)年に真宗高田派に改宗したと伝えられます。山門は寛政7(1795)年の建立で、県の文化財に指定されています。福泉寺に向かい合うようにしてあるのが、真宗大谷派の法因寺。蓮如上人御旧蹟であり、また、墓地内に天然記念物である「法因寺の左巻カヤ」があります。果実に白筋があるのですが、その筋が左巻に現れるのが珍しいとされています。

Img_9227c_20220423175501 Img_9245c_20220423175501  江ヶ室交番前の交差点は、亀山城の大手門跡です。大手門があったほか、ここは高札場でもありました。東海道は、ここで左折して南に向かいます。すぐ先に枡形が残っています(右の写真)。このあと、亀山城跡を見に行きたかったので、枡形を確認して、江ヶ室交番前の交差点に戻り、東海道からは外れて、亀山城跡へ。

Img_9280c_20220423175501  亀山城は、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)といいます。文永2(1265)年に関実忠によって若山(現在の三重県亀山市若山町)に築城され、その後現在の位置に移されています。江戸時代は東海道の要衝としてたびたび城主が変わり、石川氏の時代に幕末を迎えました。

Img_9396c_20220423175601 Img_9321c_20220423175601  ここで必見なのは、多門櫓。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9 (1632)年頃に築造されたとみられます。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。土日祝日は公開されており、今日も内部を見学してきました。

Img_9356c_20220423175601  多門櫓の西にある明治天皇行在所遺構です。Img_9333c明治天皇が明治13(1880)年7月10日、11日に大阪鎮台・名古屋鎮台兵対抗演習天覧のため、亀山の藤屋でニ泊されたときに玉座として使われた建物が、亀山城跡地に移築され残っているのです。右の写真は、そのさらに西にある亀山演武場。元治2(1865)年、十五代亀山藩主石川総脩により武道場の設立が許され、南野村喬松館御殿の東(現在の南野町)に、江戸の伊庭道場の長所を取り入れた約50坪の道場が建設されました。廃藩置県や廃刀令を経て、明治15(1882)年に演武場はここに移設されています。亀山藩に伝わる心形刀流(しんぎょうとうりゅう)を今に伝えています。

Img_9366c_20220423175601  そのさらに西には、亀山神社。延享元(1744)年、備中松山から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けたことに始まり、それ以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂(ますみ)神社として崇敬されて来たといいます。このあと、花菖蒲園の場所を覗いて、亀山駅に向かいました。

Img_9401c_20220423175601 Img_9431c_20220423175601 城の南に池の側という名前の池があります。その畔に「石井兄弟亀山敵討遺跡」と刻まれた石碑があります。これは、元禄14(1701)年5月9日、石井半蔵・石井源蔵の兄弟が、父の宇右衛門と兄の三之丞の仇である赤堀源五右衛門を伊勢国亀山の城下で討ち取ったことに関する記念碑。この先、田中病院の前には、松の木があります。ここは「池の側 松並木」。亀山城石坂門から池の側(外堀)に沿って植えられた松並木で、市天然記念物です。

Img_9488c_20220423175601 Img_9492c_20220423175601  JR関西線・亀山駅には、12時40分頃到着。亀山駅前では、リニア開通を見越して、駅前の整備とともに、マンションの建設などが行われていました。電車の時刻を確認してから、昼食を食べられる店を探して、若干ウロウロしました。昼食のために歩いたのも含め、亀山駅までで最終的には7.8㎞を歩いています。

Img_9500c_20220423175601 Dsc_6375c  昼食は、結局、駅前にあった「瑞宝軒」という和菓子屋さんがやっているカフェへ。最初は、和菓子屋さんだから昼ご飯はないなと思って、いったん通り過ぎたものの、ほかに飲食店はなく、戻って来て「食事ができますか?」と聞いたら、大丈夫といわれました。ランチもあったので、それをチョイス。コーヒー付きで¥1,100。サワラのフライとハンバーグ。ご飯は七分づきのもの。なかなか美味しくいただけました。

Img_9507c_20220423201901 Img_9517c_20220423175601  亀山駅を13時24分に出る名古屋行き快速に乗車。桑名駅には、14時6分着。¥680。けっこうよく歩いた感じでしたが、歩数は、18,459歩でした。自宅から桑名駅往復が、2.4㎞ほどですから、今日のトータルの歩行距離は、10.2㎞。予告編はここまで。本編はまた明日以降、ボチボチと書いていきます

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コメント

ひらいさん、おはようございます。

井田川は、よほどの用事がなければ行きませんね。
私も、若い頃、加佐登駅近くの病院で13年ほど働きましたが、ほとんど行ったことはありませんでした。

亀山駅、今は無駄に広いという感じですが、リニアが通るとどのように変わるのでしょう?
東京~大阪が1時間ですから、名古屋~亀山は10分足らずでしょうか。


亀山城跡にあるますみ児童公園には、今でもC58が展示してあります。
昨日見てきましたが、きれいになって保存されていました。

溜池は、本文にも触れた「池の側」と呼ばれるところと思います。
城跡の南、少し低いところです。

投稿: mamekichi | 2022年4月24日 (日) 08時37分

mamekichiさん、おはようございます!

井田川は行った事ありませんが、亀山駅周辺は時々行っている所、懐かしい風景です。亀山城跡も良く行きました、昔飛行機とSLが展示してありましたが、その時でも随分老朽化していたので、今はどうなっているのか心配です。そして近くにため池のようなものが有り、冬にはカモたちも大勢来ていました。
亀山、リニアはまだかなり先ですが、早くから工事開始していますね、リニアが開通したら名古屋から亀山まで10分くらいでしょうか、便利にはなりますが、亀山→名古屋の需要が殆どかなと思ったりです。

投稿: ひらい | 2022年4月24日 (日) 08時26分

しばっちゃん、おはようございます。

和菓子屋さんでしたが、美味しいランチでした。
亀山駅前、再開発中でご飯が食べられたのはここだけ。

亀山も歴史好き、散歩好きにはよいところです。

次は、亀山駅から東海道を関宿に向かいます。

投稿: mamekichi | 2022年4月24日 (日) 06時48分

おなかが減っているからでしょうか、「瑞宝軒」のランチがおいしそうで・・・。亀山もいいですね。

投稿: しばっちゃん | 2022年4月23日 (土) 23時02分

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