20220423東海道ウォーク「井田川~亀山」(予告編)
1ヶ月ほどの間が開きましたが、今日は、「東海道ウォーク」の3回目。前回は、JR関西線・加佐登駅から井田川駅まで歩きました(2022年3月19日:20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(予告編))。今回は、井田川駅から東海道を歩いて、亀山へ。亀山では、東海道からは少し外れますが、亀山城跡も主なところを回って来ました。亀山の最高気温は、26.3℃。ほぼ曇りで、正午頃からはしばらく晴れていました。歩くのにはちょうどよい気候。今日のところは、予告編です。
JR関西線・桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。井田川駅には、8時54分着。¥590。9時ちょうどに井田川駅をスタート。駅から南西に向かいます。すぐに右手(西側)に「旧井田川小学校跡碑」があります。井田川小学校は、大正4(1915)年2月にここに移転して来て、昭和54(1979)年4月にみどり町に移転するまで、ここにありました。
このあと、国道1号線を渡って、東海道は左折。右手にお寺が続きます。まずは、真宗高田派の廻向山西信寺(さいしんじ)(左の写真)。その先に浄土宗の三世山浄業院正福寺(右の写真)。どちらも、みえの歴史街道にも、ネットにもこれという情報はありません。
正福寺の先で1㎞。椋川を渡って、国道1号線の高架をくぐって、1.5㎞地点の手前、西側に「谷口法悦題目塔」。川合と和田の境にあります。元禄年間(1695~98)、谷口法悦が造立。「南無妙法蓮華経」と刻まれています。谷口は、日蓮宗の篤信者で、17世紀末頃、一族とともに各地の寺院、街道筋にこうした題目塔を造立しています。
県道23号線の和田交差点に東海道が接近する手前に道標があります。「従是 神戸 白子 若松道」とあり、白子道を示しています。元禄3(1690)年、度会益保によって建てられたものです。若松村には、亀山藩領の港があり、そこへの重要な道路を示しています。また、この道標は、三重県の東海道に現存する最古のものだそうです。道標の先には、シャングリさんの小祠。川合と和田の境にあって、和田の村に悪霊が入ってこないよう、見張るためのもの。
和田の公民館の向かい側に「井尻道」の道標があります。これは、田中音吉が建てたもの。田中音吉は、亀山生まれの明治~大正時代の実業家。明治30(1897)年、亀山共同社(のち亀山製糸会社)を設立しています。このあたりの道路の分岐点に道標を建てています。今のところ、61基の存在が確認されています(こちら)。ここを南に入ると、真宗高田の當修山幸福寺がありますが、ご覧のような状況。庫裏も取り壊されているようですし、境内も、工事中というか、工事に取りかかる直前という印象でした。ネットではこれという情報は見つけられませんでした。
東海度に戻って少し行くと、スタートから2.5㎞を過ぎた右手に(北側)天台真盛宗の福善寺。こちらのお寺も、宗派以外には、ネットなどではとくに情報は出て来ません。
こちらはその先にある 石上寺(せきじょうじ)。那智山松寿院という号があります。本尊は子安延命地蔵菩薩。伊勢七福神の一つ。元は、このあたりに勧請された熊野神社の神宮寺で、大伽藍があったといいます。境内には、四国88箇所霊場巡りも再現されていました。
石上寺からほど近くに、和田一里塚跡。江戸日本橋から104里。慶長9(1604)年、亀山城主であった関一政が築造したもの。昭和59(1984)年、道路の拡幅にともない、それまで残っていた塚の一部がなくなり、跡地の東側のここに模式復元されたものです。
栄町交差点を過ぎ、スタートから3.7㎞ほどのところに、能褒野神社の鳥居。この鳥居から北東へ約3㎞のところに能褒野神社があります。能褒野神社は、日本武尊能褒野御墓(やまとたけるのみことのぼのおんぼ)のところにあります。この御墓は、日本武尊が、東征帰路にこのあたりで亡くなられたという記紀の記述に基づき、明治12(1879)年に内務省が「日本武尊能褒野御墓」と定めています。鳥居のすぐ先に露心庵跡。天正12(1584)年に神戸正武が亀山城を襲ったものの、城を守る関万鉄斎はわずか13騎でこれを撃退したと伝わっていますこの合戦の戦死者を城下の東端に2つの塚を築いて葬っています。関氏一門の露心はこのあたりに仏庵を建立し、戦死者を供養したといいます。この仏庵が露心庵です。明治に廃寺になっています。
このあと、本町交差点にある本町広場(巡見道説明)で一休み。10時40分頃から11時頃まで。この本町交差点で、東海道と巡見道とが分岐します。右の写真で、奥の方向に続くのが巡見道。
東町のバス停のところは、江戸門口跡。延宝元(1673)年、亀山城主・板倉重常によって築かれた門があったところ。番所もおかれ、通行人の監視や警護に当たったといいます。
東町の商店街に入っていきます。5㎞の手前を北に入ったところに、まずは福泉寺。慈覚大師が創設した天台宗の古刹で、寛正元(1460)年に真宗高田派に改宗したと伝えられます。山門は寛政7(1795)年の建立で、県の文化財に指定されています。福泉寺に向かい合うようにしてあるのが、真宗大谷派の法因寺。蓮如上人御旧蹟であり、また、墓地内に天然記念物である「法因寺の左巻カヤ」があります。果実に白筋があるのですが、その筋が左巻に現れるのが珍しいとされています。
江ヶ室交番前の交差点は、亀山城の大手門跡です。大手門があったほか、ここは高札場でもありました。東海道は、ここで左折して南に向かいます。すぐ先に枡形が残っています(右の写真)。このあと、亀山城跡を見に行きたかったので、枡形を確認して、江ヶ室交番前の交差点に戻り、東海道からは外れて、亀山城跡へ。
亀山城は、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)といいます。文永2(1265)年に関実忠によって若山(現在の三重県亀山市若山町)に築城され、その後現在の位置に移されています。江戸時代は東海道の要衝としてたびたび城主が変わり、石川氏の時代に幕末を迎えました。
ここで必見なのは、多門櫓。多門櫓は、天守台といわれる本丸高石垣上にあり、寛永9 (1632)年頃に築造されたとみられます。三重県で唯一現存する城郭建造物として県史跡に指定されています。土日祝日は公開されており、今日も内部を見学してきました。
多門櫓の西にある明治天皇行在所遺構です。明治天皇が明治13(1880)年7月10日、11日に大阪鎮台・名古屋鎮台兵対抗演習天覧のため、亀山の藤屋でニ泊されたときに玉座として使われた建物が、亀山城跡地に移築され残っているのです。右の写真は、そのさらに西にある亀山演武場。元治2(1865)年、十五代亀山藩主石川総脩により武道場の設立が許され、南野村喬松館御殿の東(現在の南野町)に、江戸の伊庭道場の長所を取り入れた約50坪の道場が建設されました。廃藩置県や廃刀令を経て、明治15(1882)年に演武場はここに移設されています。亀山藩に伝わる心形刀流(しんぎょうとうりゅう)を今に伝えています。
そのさらに西には、亀山神社。延享元(1744)年、備中松山から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けたことに始まり、それ以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂(ますみ)神社として崇敬されて来たといいます。このあと、花菖蒲園の場所を覗いて、亀山駅に向かいました。
城の南に池の側という名前の池があります。その畔に「石井兄弟亀山敵討遺跡」と刻まれた石碑があります。これは、元禄14(1701)年5月9日、石井半蔵・石井源蔵の兄弟が、父の宇右衛門と兄の三之丞の仇である赤堀源五右衛門を伊勢国亀山の城下で討ち取ったことに関する記念碑。この先、田中病院の前には、松の木があります。ここは「池の側 松並木」。亀山城石坂門から池の側(外堀)に沿って植えられた松並木で、市天然記念物です。
JR関西線・亀山駅には、12時40分頃到着。亀山駅前では、リニア開通を見越して、駅前の整備とともに、マンションの建設などが行われていました。電車の時刻を確認してから、昼食を食べられる店を探して、若干ウロウロしました。昼食のために歩いたのも含め、亀山駅までで最終的には7.8㎞を歩いています。
昼食は、結局、駅前にあった「瑞宝軒」という和菓子屋さんがやっているカフェへ。最初は、和菓子屋さんだから昼ご飯はないなと思って、いったん通り過ぎたものの、ほかに飲食店はなく、戻って来て「食事ができますか?」と聞いたら、大丈夫といわれました。ランチもあったので、それをチョイス。コーヒー付きで¥1,100。サワラのフライとハンバーグ。ご飯は七分づきのもの。なかなか美味しくいただけました。
亀山駅を13時24分に出る名古屋行き快速に乗車。桑名駅には、14時6分着。¥680。けっこうよく歩いた感じでしたが、歩数は、18,459歩でした。自宅から桑名駅往復が、2.4㎞ほどですから、今日のトータルの歩行距離は、10.2㎞。予告編はここまで。本編はまた明日以降、ボチボチと書いていきます
« 貝塚公園でセンダイムシクイ……「桑名城探訪」アプリの「まちあるき」をコンプリート | トップページ | 雨に濡れた緑がきれい »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 今日はアオサギとカワセミ……余談はフクロウ(2024.10.07)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)(2024.09.11)
「散歩」カテゴリの記事
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 今日はアオサギとカワセミ……余談はフクロウ(2024.10.07)
- 九華公園にてカワセミとエゾビタキ(2024.10.06)
- 雨の止み間に散歩で、アオサギ2羽(2024.10.04)
- 九華公園にエゾビタキが2羽、貝塚公園にはモズが登場(2024.10.03)
「花・植物」カテゴリの記事
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 今日はアオサギとカワセミ……余談はフクロウ(2024.10.07)
- 九華公園にてカワセミとエゾビタキ(2024.10.06)
- 雨の止み間に散歩で、アオサギ2羽(2024.10.04)
- 九華公園にエゾビタキが2羽、貝塚公園にはモズが登場(2024.10.03)
「神社」カテゴリの記事
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)(2024.09.11)
- アブラゼミが登場し始めました(2024.07.26)
- 九華公園で半月ぶりにカワセミ(2024.07.21)
「寺院」カテゴリの記事
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
- 20240719御坊さんライトアップ(2024.07.19)
- 今日も修行ですねぇ(苦笑)……野鳥はいないのです(2024.07.13)
「歴史散歩」カテゴリの記事
- 九華公園でアオサギ2羽が接近遭遇……大円寺にも立ち寄ってきました(2024.10.08)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)(2024.09.11)
- ヒヨドリとヘクソカズラ(2024.08.02)
「城・城跡」カテゴリの記事
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)(2024.09.11)
- 20240503近鉄ハイキング「春の桑名散歩 三八市をたずねて」へ(一回完結)(2024.05.03)
- 20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(その3)……旧東海道から亀山城多門櫓、古刹遍照寺に参拝して、亀山駅にゴール(完)(2024.03.07)
- 20240303JRさわやかウォーキング「本能寺の変、家康公も通ったと言い伝えのある隠れ古道を歩こう」へ(予告編)(2024.03.03)
「名所旧跡」カテゴリの記事
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その2)……高通児童公園、賢明寺、本念寺、川併神社、奈良道、妙華寺、玉セン寺を経て久居駅にゴールにて「完」(2024.09.15)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(その1)……久居駅をスタートし、寺町、久居八幡宮、子午の鐘・木槿塚を回る(2024.09.13)
- 20240911近鉄あみま俱楽部ハイキング「久居散策」へ(予告編)(2024.09.11)
- 20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)(2024.06.08)
- 20240604諸戸氏庭園の花菖蒲(2024.06.07)
「勝手にハイキング」カテゴリの記事
- 20240608勝手にハイキング「斎宮の花菖蒲群落へ」(一回完結)(2024.06.08)
- 20240517勝手にハイキング「吉崎海岸でハマヒルガオを見る」(一回完結)(2024.05.17)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その3)……性海寺、日吉社、西福院、恵明寺を経て名鉄奥田駅にゴールにて「完」(2024.04.02)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その2)……津島道道標、稲葉宿問屋場址石碑、中部電力旧稲沢営業所、稲葉宿本陣跡ひろば、崇福寺から八幡社へ(2024.04.01)
- 20240327勝手にハイキング「稲沢の美濃路と稲葉宿を訪ねて」(その1)……観音禅寺、赤染衛門歌碑公園、修理若御子神社、稲葉神社、禅源寺から金神社へ(2024.03.31)
コメント
« 貝塚公園でセンダイムシクイ……「桑名城探訪」アプリの「まちあるき」をコンプリート | トップページ | 雨に濡れた緑がきれい »
ひらいさん、おはようございます。
井田川は、よほどの用事がなければ行きませんね。
私も、若い頃、加佐登駅近くの病院で13年ほど働きましたが、ほとんど行ったことはありませんでした。
亀山駅、今は無駄に広いという感じですが、リニアが通るとどのように変わるのでしょう?
東京~大阪が1時間ですから、名古屋~亀山は10分足らずでしょうか。
亀山城跡にあるますみ児童公園には、今でもC58が展示してあります。
昨日見てきましたが、きれいになって保存されていました。
溜池は、本文にも触れた「池の側」と呼ばれるところと思います。
城跡の南、少し低いところです。
投稿: mamekichi | 2022年4月24日 (日) 08時37分
mamekichiさん、おはようございます!
井田川は行った事ありませんが、亀山駅周辺は時々行っている所、懐かしい風景です。亀山城跡も良く行きました、昔飛行機とSLが展示してありましたが、その時でも随分老朽化していたので、今はどうなっているのか心配です。そして近くにため池のようなものが有り、冬にはカモたちも大勢来ていました。
亀山、リニアはまだかなり先ですが、早くから工事開始していますね、リニアが開通したら名古屋から亀山まで10分くらいでしょうか、便利にはなりますが、亀山→名古屋の需要が殆どかなと思ったりです。
投稿: ひらい | 2022年4月24日 (日) 08時26分
しばっちゃん、おはようございます。
和菓子屋さんでしたが、美味しいランチでした。
亀山駅前、再開発中でご飯が食べられたのはここだけ。
亀山も歴史好き、散歩好きにはよいところです。
次は、亀山駅から東海道を関宿に向かいます。
投稿: mamekichi | 2022年4月24日 (日) 06時48分
おなかが減っているからでしょうか、「瑞宝軒」のランチがおいしそうで・・・。亀山もいいですね。
投稿: しばっちゃん | 2022年4月23日 (土) 23時02分