20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(その2)……汲川原から西冨田の福萬寺へ
3月19日に行ってきた”東海道ウォーク「加佐登~井田川」”の本編その2です。その1では、JR関西線・加佐登駅から庄野宿を一通り見て回りました。庄野宿を抜けたあたりでスタートから2㎞。県道643号線の高架をくぐります。このあたりの東海道は、国道1号線などによって失われています。鈴鹿市内では、こういうところについては、左の写真のように、案内図が掲げられていて、分かりやすくなっています。その2では、鈴鹿川沿いから安楽川沿いを歩きます。平野道道標、いぼとり地蔵、真福寺、神戸藩領界石と女人堤防碑、中冨田の川俣神社、清光寺、常念寺、福万寺から西富田の川俣神社を過ぎて、安楽川を和泉橋で渡ります。このあたりはまだ鈴鹿市。
スタートから2.5㎞ほど、民家の脇に平野道道標があります。平野は、鈴鹿川の対岸にある町のことと思われます。この道標の向かい側に高札場があったといいます(みえ歴史街道ウォーキングマップ 東海道)。この道標は、田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が寄附したもの(右の写真)。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。裏には「大正三年 寄附者 田中音吉」と刻まれています(こちら)。さらに道標の脇に「平野道」を示す標識には、「いぼとり地蔵 この奥50m」とあります。気づいたからには行ってみないといけません(微笑)。
50m進むと、鈴鹿川の堤防の下に地蔵堂があります。このお地蔵様がいつ頃、どのようにして祀られるようになったかは不明ですが、ここ平野道で、道標のお地蔵さんとして露天に建っていたものを、この地に移し、地蔵堂がつくられたと伝わっています。昔から、いぼと眼病に効くといわれ、地元の方だけでなく、遠方からお毬に来る方もあるそうです。8月には地蔵盆が行われます。地蔵堂に向かって右手には、昭和7(1932)年に建てられた「地蔵尊石碑」があります。甫元という医者がこの地蔵をつくり奉ったと書かれています。
いささか余談ですが、平野道道標の先にある掲示板に「庄野 寄っといで音頭」のチラシが貼ってありました。というか、実は、庄野宿にもあちこちにこれやにたチラシが掲げられていたのです。
真宗本願寺派の真福寺。ここのお寺も、現地でも、ネット検索でもこれという情報は得られませんでした。
真福寺の先、スタートから3㎞のところに女人堤防碑があります。この辺りは、冒頭のルートマップからもお分かりのように、安楽川と鈴鹿川の落ち合うところで、たびたび水害がありました。人々は水害に悩まされていたため、築堤を神戸藩に申し出たものの、許可が折りませんでした。そこで、文政12(1829)年頃、お菊を先頭に女性たちが、「女であれば許可がなくても罪が軽くなるだろう」と禁を犯し、打ち首を覚悟で堤防を補強したのです。彼女たちは、いったん捕らえられたものの、処刑の直前に許され、その後、労をねぎらわれたといいます(こちらに碑文の全文があります)。
現地にあった説明板の図によれば、女人堤防碑の西側にその堤防があるということで、これらの写真がそうだと思われます。左の写真で、画面外になりますがこの左手に女人堤防碑があり、向こう(南)に続く道が堤防と思われます。右の写真は、東海道を挟んで北に続く堤防。
女人堤防碑の横と、東海道を挟んだ反対側とには、神戸藩領界石が1対で建っています。いずれにも、「従是東神戸領」と刻まれており、ここから東が神戸藩の領地であることを示しています。左の写真が北側、右が南側(女人堤防碑の横)にあるもの。ただし、もとは、中冨田の亀山藩領地との境界にあったものを移設しています。
さらに北側の神戸藩領界石の脇には、山の神が祀られています。手水石は、文化10(1813)年のもの。
これら女人堤防碑の東側には広い空き地が広がっています。マップに「廃寺跡?」と書いたところですが、地蔵堂と墓石群があったので、そう書きました。地蔵堂には、かつて真福寺にあった薬王院のものと思われる位牌が並んでいます。
女人堤防碑を過ぎると間もなく、中冨田に入ります。スタートから3.5㎞、10時45分頃に、中冨田の川俣神社に到着。主祭神は、大毘古命(おおひこのみこと)。記紀によれば、孝元天皇の皇子で、崇神天皇 10年、四道将軍の一人として北陸に出征、戦功を立て、垂仁天皇の代に大夫になったといいます。相殿神は、天照大神、中臣神(天児屋命(あめのこやねのみこと)か? 天児屋命は、天岩戸神話のなかに登場する神で、中臣氏の祖神)、須佐之男命、猿田毘古大神、玉依比売命。
創祀については明らかではありませんが、古くは八王子社と称したようです。明治41(1908)年に和泉村の川俣神社に合祀されましたが、その後、昭和23(1948)年に分祀、再興されています。左上の写真からも分かるように、境内には大木、古木がたくさんあり、いかにも神社という雰囲気になっています。周囲には、古墳・遺跡も多く、国衙(律令制度下での政庁)が置かれるなど、早い時期に開発された地だったそうです。川俣神社は延喜式内社ですが、いくつかあるうち、ここが元々の川俣神社であった可能性が高いともいわれます(こちら)。ちなみに、川に社を向けたためか、本殿の背後に鳥居があるという配置になっています。
また、山の神と、地蔵堂のような御堂があります。この御堂、写真をよく見ていただくと分かりますが、白い布がかけられていて、祀られているものが直接見えないようになっています。
ここ川俣神社には、中冨田一里塚跡があります。江戸・日本橋から100番目の一里塚で、ここ川俣神社の東隣に街道を挟んで一里塚があったといいます。榎の大木があった、大規模な塚だったそうです。享和3(1803)年の「東海道亀山宿分間絵図」によれば、一里塚の近くに「御馳走場」と書かれた家があり、当時、東海道を往来する大名行列などの一行を接待する場所であったと考えられます。また、現在も、「東百里や(ともりや)」という屋号で呼ばれる家があるそうです。
中冨田村は、また、亀山藩領の東端で、中冨田一里塚跡碑と並んで、亀山藩領界石が建っています。「従是西亀山藩領」と刻まれています。先ほどの「神戸藩領界石」も、もとはこの近くにあったもの。
川俣神社のすぐ先に真宗高田派の清光寺という、小さなお寺。現地でも、ネット検索でも、これという情報は出て来ませんでした。
こちらは、天台真盛宗の富光山城念寺。お寺の説明板によれば、承応年間(1652~54年)、智詮和尚の開基とされ、ご本尊は阿弥陀如来。当時は、別のところにあったのですが、安政元(嘉永7(1854)年11月の大地震(11月4日の安政東海地震と、翌日11月5日の安政南海地震)で倒壊したため、同じ村内にあって、倒壊を免れた平建寺を買収して、現在地へ移転したといいます。平建寺は、山号を白浪山と号し、高野山真言宗の寺でした。本尊は、延命地蔵尊で中冨田の氏仏をして進行され、現在は、地蔵堂に祀られています。
こちらが、白浪山平建寺のご本尊であった延命地蔵を祀る地蔵堂。境内には、右の写真のように、「白浪山平建寺」と刻まれた石柱も残っています。
また、現在の境内は、麻生はつの遺志により、隣地の屋敷跡の寄進を受けて拡大されたそうで、その功績を後世に残すために境内に「麻生はつ屋敷跡」の碑が立てられています。しかし、地震で倒壊し、倒壊を免れたお寺を買収して、ここに移転したというようなことがあるものなんだとと感心しました。
4㎞を過ぎてしばらく行くと、真宗高田派の金光山福萬寺。文永11(1274)年の開創。当初は、天台宗で、常照寺と称していましたが、寛文元(1661)年、専修寺第14世堯秀上人の御化道によって高田派に転向しています。明和8(1771)年7月の大洪水により、その時安置されていた書物・什器・寺宝などすべて流失。御本尊は中冨田にかかり、住職家族2人とも洪水のため死亡。弟子僧の一人が辛うじて難をまぬがれ、翌年、寺名を福萬寺と改め再興を計ったものの、再建には十数年を費やし、文化4(1807)年にようやく川崎村西願寺の下御堂を買請け、上棟式をしました。
このお寺の掲示板にあったことば。「煩悩を卒業することはできません 松本梶丸」とあります。松本梶丸(昭和13(1938)~平成20(2008)年)は、真宗大谷派本誓寺の住職でした。石川県松任市生まれ、昭和36(1961)年、大谷大学仏教学科卒業。真宗大谷派宗務所出版部、研修部勤務を経て、本誓寺住職。親鸞聖人は、「煩悩成就のわれら」とおっしゃったそうです。「煩悩成就」ということは、あらゆる煩悩を欠くことなく具えていることだそうです。あらゆる煩悩を欠くことなく備えているとすれば、煩悩を卒業することはできないでしょうね。う~ん、何だか分かったような、分からないような……。
長くなりましたし、煩悩に悩まされてしまいましたので、ルートマップその2の途中ですが、記事その2はこのあたりで、お後がよろしいようで。その3は、ひろせ道道標、西冨田の川俣神社から。
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