20220319東海道ウォーク「加佐登~井田川」(その1)……加佐登駅から庄野宿へ
3月19日に行ってきた”東海道ウォーク「加佐登~井田川」”の本編その1です。昨年、同級生K氏と、17回に分けて桑名・七里の渡し跡から伊勢神宮・内宮まで歩いて参拝しました(2022年1月5日:2021年「東海道・伊勢街道歩いて伊勢参りツアー」のまとめ)。今年は、四日市の日永の追分から関宿あたりまで東海道を歩こうということになり、2月5日にまず、日永の追分からJR関西線の加佐登駅まで歩きました(2022年2月5日:20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(予告編))。今回は1ヶ月半ほどおいて、その続き。言わずもがな、同級生K氏と二人旅。
JR関西線・桑名駅を8時14分に出る亀山行き普通に乗車。加佐登(かさど)駅には、8時49分着。¥510。何度も書いていますが、24歳から37歳まで国立療養所S病院に勤務していましたが、加佐登駅が最寄り駅でしたので、加佐登駅あたりは、懐かしいところ。ちなみに、庄野宿は、私は2018年12月2日に訪れています(2018年12月6日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その2)……庄野宿からJR関西線加佐登駅へ)。
加佐登駅を8時55分にスタート。駅から西に向かい、踏切を越えて、日本コンクリートの工場の間を通って、庄野宿の入り口へ(右の写真)。庄野宿の案内板や、石柱があります。石柱は、旧庄野小学校の門柱を利用したもの。ここまで500m弱。
こちらが、実際に歩いたルートマップのその1。JR加佐登駅から西へ。日本コンクリートのところを歩いて、庄野宿へ。善照寺、庄野宿資料館、妙法寺、本陣跡(庄野町集会所)など宿場の中心部を歩いて、常楽寺、川俣神社と進んで行きます。
庄野宿は、東海道五十三次の45番目の宿場で、昔は「荘野」と書いたそうで、荘園に因む地名です。伊勢神宮・内宮の庄野御薗だったといいます。宿場ができたのは、寛永元(1624)年ともっとも遅くなっています。隣の石薬師宿からは2.7㎞しかありません。200軒ほどの人家と、15軒ほど旅籠があったくらいで、規模の小さい宿場だったそうです。庄野宿を有名にしたのは、広重の保栄堂版「東海道五十三次」の「庄野の白雨」です。「白雨の坂」は、現在の加佐登駅の南東辺りと考えられています(冒頭の写真をご覧ください)。この写真は、庄野宿資料館に掲げられているもの。
最初の立ち寄り先は、真宗高田派の 筧口山善照寺(けんこうざんぜんしょうじ)。創建は、長禄年間(1457年頃)。初めは善正法師が開き、天台宗でしたが、高田派第10世真慧上人の化導によって真宗高田派に改宗し、今日に至っています。このお寺には、庄野大念仏踊りが伝わっています。8月に行われます。いつ頃から始まったかはっきりしませんが、およそ240年前の天明3(1783)年頃と推察されています。天明3(1783)年には、浅間山の大噴火と、それにともなう天明の大飢饉(1783〜1788年)のあった頃。地域の治安の悪化改善と地域住民の結束、死者の鎮魂を目的とする盆踊りとして始まったのではないかと考えられています(こちら)。
ここ善照寺は、苔の美しいお寺でした。本堂は、寛政年間(1795年頃)に建立されたものだそうです。嘉永7(1854)年の 伊賀・上野地震により庫裏が倒壊し、元禄以前の過去帳等を紛失し、2~9世までのご住職のお名前が判明しないといいます。
善照寺の先に庄野宿資料館があります。ここは、江戸時代に油問屋を営んでいた旧小林家の建物(市指定有形文化財)。庄野宿の本陣・脇本陣文書、宿駅関係資料をはじめ、日本画壇で活躍された故小林彦三郎氏の絵画や文書の他、地域に残る民具、農具、日用品などが展示されています。庄野宿に残る膨大な宿場関係資料の活用と旧小林家(市指定文化財)の保存を進めるため、平成10(1998)年に開館しました。高札場に掲げられていた高札も5枚、展示されているのですが、開館は10時からで、展示は見られず残念。
庄野宿資料館の先で東にお寺が見えたので、ノーチェックでしたが、立ち寄り。この日は、コースマップ上約5㎞の設定でしたので、あちこち立ち寄っています。臨済宗東福寺派の妙法寺。禅寺で、境内はきれいに整えられていました。ここは、詳しい情報が得られませんでした。
スタートから1㎞ほどのところに庄野町集会所があります。ここは、庄野宿の中心で、もとは沢田兵左衛門本陣跡。本陣は、明治5(1871)年まで続いています。間口14間1尺(約25.8メートル)、奥行き21間1尺(約38.5メートル)、建坪198坪あまり、室数28の大邸宅であったそうです。脇本陣は、このすぐ南にありました。天保14(1843)年の調査で、旅籠は15軒ほどあったといいます。
集会所の前には、津までの距離を示す「道路元標」もあります。道路の起点、終点、経過地を標示するための標示物で、旧道路法(大正8(1919)年)により各市町村に1個設置することにされたもの。この道路元標には、「距津市元標九里拾九町」と刻まれていました。また、「石薬師へ壱里壱丁 亀山へ弐里参丁 庄野村」ともあります。この石碑は新しいもので、再建されたと思われます。
集会所の辺りには、問屋場跡、高札場跡、郷会所跡の位置が、その説明とともに掲示されています(場所は、上に載せたマップをご覧ください)。まずは、問屋場跡。今はごく普通の民家になっています。問屋場は、御伝馬所ともいい、街道の宿場にとって重要な役所。公用書状の継ぎ立て、人足や馬の割り振りなどをしていました。
集会所の南、通りを1本挟んだところが高札場の跡。法度、掟書などを書いた高札を掲示した場所で、人通りの多いところや庄屋宅の前などに設けられていました。上記の通り、庄野宿資料館に実物5枚が展示されていますが、今回は開館前で見られませんでした(2018年12月6日:20181202近鉄ハイキング「鈴鹿の隠れた紅葉の名所「荒神山の喧嘩」で有名な荒神山観音寺を訪ねて」へ(その2)……庄野宿からJR関西線加佐登駅へにも言及があります)。
少し南に行った理容院のところが、郷会所跡。郷会所は、助郷の割り当てを受けている各村の代表者(庄屋、または、肝煎)が集会する場所でした。江戸時代後期になると、助郷人馬の割り当てが多くなって、村々の疲弊が重なり、減免陳情のための会合が繰り返されたといいます。
ところで、集会所の前で本陣跡の石柱を見たり、写真を撮ったりしていたら、ここにいらした女性から「お茶でもどうですか?」と呼び込まれました。温かい梅昆布茶を頂き、いろいろと話を伺っていたら、「庄野 寄っといで音頭」をつくったといって、生歌を聴かせていただき、さらにそれを収録したCDまで頂戴してきました。炭坑節の替え歌で、令和2年7月につくられたそうです。いらっしゃったのは、作詞者で唄を歌っておられるSさんでした。われわれより少しお姉様で、美声の持ち主。15分ほどお邪魔してきました。
続いて、真宗仏光寺派の常楽寺。我が家も真宗ですが、仏光寺派についてはあまりよく知りませんでした。親鸞聖人が、越後に流罪され、赦免された翌年建暦2(1212)年に京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばれました。この草庵が佛光寺の草創と伝えられています。この常楽寺についても、詳しいことはよく分かりませんでした。
常楽寺のすぐ南に川俣神社。川俣神社は、鈴鹿川の流域には、同じ名称の神社が6社あるといわれ、庄野にはそのうち3社があります。いずれも川の合流・分流点ですから、氾濫に悩まされた住民たちが治水を祈って建立したと思われます。由緒は、不詳ですが、江戸時代には貴船神社と称し、元禄16(1703)年に川東の門田より川西古屋敷(現在の字田中)に移つたといいます。明治40(1907)年11月、庄野村の川俣神社他7社、汲川原村の3社を庄野村大国神社へ合祀し、村社川俣神社と単称しました。延喜式内社に比定されますが、あとから訪ねる中冨田の川俣神社の方が、可能性が高いといわれます。
御祭神は、大国主神、高お神(高龗か?)、大彦命、健速須佐之男命、宇迦之御魂神、品陀和気命、菅原道真、玉依毘売命、市寸島姫命、大山祇神、埴山毘売神、大直毘神、建御名方神、息長帶日売命。これらはすべて主祭神とされています。上述のように10社を合祀した経緯がありますので、たくさんの神様がいらっしゃるのでしょう。
この川俣神社で有名なのは、「川俣神社のスダジイ(県天然記念物)」樹齢300年以上で、樹高約15m、幹周り約5m以上の巨木。スダジイは暖地に自生するブナ科の常緑高木です。ここでは、御神木として大切にされています。立ち上がって間もなく、地上約2mほどの高さで多数の大枝に分かれており、大きく盛り上がった壮大な樹冠が印象的です。相当の老木で、樹皮に縦の裂け目があり、一部空洞も見られます。
これで庄野宿の主なところは見て回ってきました。左の写真は、庄野宿の西の入り口にある石柱。右の写真は、そこから振り返って見た庄野宿の様子。
この先で、県道643号線の汲川原町交差点の高架をくぐって、汲川原の町に入っていきます。長くなりましたし、キリが良いので、その1はここまで。
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