20220205東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)(その4)……浄福寺、石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て石薬師一里塚跡からゴールの関西線加佐登駅へ(完)
2月5日の「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」の本編その4です。詳しいコースマップその4の途中です。本編その3では、佐佐木信綱記念館まででした。石薬師小学校南の交差点を越えると、佐々木家の菩提寺である浄福寺があり、その先の小さな交差点に道標と南町橋の親柱。さらに下って、国道1号線を瑠璃光橋で越えたところに、石薬師寺。ここは石薬師宿の名称のもとになった古刹。石薬師寺の近くに蒲冠者範頼之社、蒲桜があり、さらに進むと石薬師一里塚跡。ここまででこの日の見るべきところはコンプリート。
記念館を出て、県道115号線の石薬師小学校南交差点を渡ってすぐに、浄福寺という真宗高田派のお寺があります。ここは佐々木家の菩提寺となっています。山門の前の石の築山の上に信綱の父・弘綱の記念碑と、信綱の孫・幸綱の歌碑が建っています。開基は、室町時代の永正年間(1504~1520年)と伝わっています。佐々木弘綱は、その3でも触れましたが、明治15(1882)年、53歳の時上京し、東京大学講師となっています。古典の口語訳書、撰集、自作歌集、和歌に関する研究書など著作は100あまりに及びます。弘綱は、明治24(1891)年6月に64歳でな亡くなりました。この碑は、明治41(1908)年に建立され、以後、毎年、碑前祭が境内で行われていたといいます。碑表には、「わかの浦に 老いを屋しなふ 阿し堂徒盤(あしたずは) 雲の宇辺越(うえを)も よそに見類(みる)か難(な)」という弘綱の矜持詠があります。佐佐木幸綱(昭和13(1938)年~)は、歌人、国文学者、早稲田大学名誉教授で、現代短歌会の重鎮。佐佐木信綱の孫。歌碑には、「しゃくなげを 愛し短歌を すずか嶺を愛し 石薬師を 愛したる人」とあります。信綱を詠んだ歌で、歌碑は平成27(2015)年12月に建立されました。
浄福寺の先の交差点に、川もないのに「南町橋」の親柱が残っています。旧東海道に交差して、東西に「願入坊川」が流れ、南町と中町との境をなしていたようです(こちら)。現在、川は暗渠化され、親柱のみが残っています。
南町橋の親柱が残っているところの西側には、小さい道標が1つ、あります。「上田加佐登」と刻まれています。上田や、加佐登は、ここからほど近いところの地名。大正3(1914)年に田中音吉(弘化5(1848)~大正5(1916)年)が寄附した道標です。田中音吉は、実業家で、米穀・製茶業を営んでいたのですが、前橋や八王子の蚕糸業を視察し、明治20(1887)年、郷里の三重県鈴鹿郡亀山で製糸業を始めました。明治30(1897)年には、亀山共同社(のちの亀山製糸会社)を設立しています。
スタートから7.5㎞のところで、瑠璃光橋で国道1号線を越えます。由緒ありそうな名前ですが、それには理由がありました。瑠璃光橋を渡るとすぐに高富山(たかとみざん)石薬師寺があります。この瑠璃光橋の名前は、石薬師寺の院号(瑠璃光院)に由来していました。寺は、旧東海道に面しています。真言宗東寺派のお寺。ご本尊は、弘法大師自らが、一夜にして爪で刻んだとされている薬師如来像。秘仏になっていて毎年12月20日のおすす取りに合わせて、開扉されます。寺伝によれば、神亀3(726)年、泰澄(奈良時代の山岳修験者。加賀国白山を開創したと伝えられる)が、当地で巨石の出現を見、薬師如来の示現と悟り、草庵を設け供養したことが開創とされています。その後、弘仁3(812)年、空海(弘法大師)が、巨石に薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたことにより、嵯峨天皇(在位809~823年)は勅願寺とし、荘厳な寺院を建立し、名を高富山西福寺瑠璃光院と称していたといいます。塔頭寺院も十二ヵ寺院、寺領も三町に達し繁栄を極めたのですが、天正3(1575)年、織田信長の兵火で諸堂坊舎は悉く灰燼に帰したといいます。しかし、御本尊は難を免れ、住職の円賢(えんけん)法印はすぐに仮堂を造り、慶長6(1601)年、神戸(かんべ)城主の一柳監物(けんもつ)直盛が霊験を得、報謝のために諸堂諸坊を再建、現在に至っています。
このお寺も以前訪ねています(2019年5月5日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ)ちなみに、安藤広重が描いた「東海道五十三次」の石薬師宿には、この石薬師寺がモチーフになっています(こちら)。
石薬師寺のすぐ東に「蒲冠者範頼之社(かばのかんじゃのりよりのやしろ)」があります。範頼は、源範頼(みなもとののりより)で、義朝の第6子、頼朝の弟。遠江国蒲御厨(がまのみくりや)で成長したので蒲冠者と称したといいます。頼朝の命令で、弟・義経とともに西国への遠征隊の総指揮官となりました。学問武芸に秀で、願望成就の神として信仰されています。ここは、御曹子社(おんぞうししゃ)ともいい、大木神社の境外末社です。なお、左の写真で鳥居に向かって右に写っているのは、スダジイの大木です。地上1.5m程で大きく2幹に分かれており、幹周を実測すると7.15mあったそうです(こちら)。境内には、「宮城遙拝所」もあります。
蒲冠者範頼之社から60mほど南へ行くと、「蒲桜(かばざくら)」がありました。三重県指定天然記念物。寿永年間(1182~84年)の頃、蒲冠者源範頼が平家追討のため、西へ向かう途中、石薬師寺に詣でて武運を祈願し、戦運を占うため鞭にしていた桜の枝を地面に逆さに挿して、「我が願い叶いなば、汝地に生きよ」と言って去ったのち、生長したのがこの蒲桜であるという言い伝えがあります。このため、「逆桜」ともいうようです。ヤマザクラの変種の一つで、赤茶の芽、花は一重の五弁、直径5cmで白~淡紅色。前回来た時には、まだ花が残っていました(2019年5月5日:20190420JRさわやかウォーキング「旧東海道 石薬師宿と鈴鹿「植木まつり」を訪ねて」へ(その2)……佐々木家の菩提寺・浄福寺から石薬師寺、蒲冠者範頼之社、蒲桜を見て、石薬師一里塚跡へ)。
蒲桜のすぐ近くの畑に、菜の花が咲いていました。このあたりも日当たりがよいところで、暖かいのでしょう。黄色が目に鮮やかでした。
石薬師寺の方に戻り、東海道をさらに進みます。蒲川を超えた8.4㎞のところに「石薬師一里塚跡」。江戸・日本橋からは102里(約399㎞)。かつては東海道の両側に榎が植えられていたのですが、榎は伊勢湾台風で折れたといいます。その後、昭和52(1977)年に、南側に榎の若木を植え、「史跡石薬師の一里塚跡」の碑が建てられました。東海道は、この石薬師一里塚跡から左へ(西へ)折れ、JR関西線の下をくぐって、庄野宿へ向かいます。
写真は、関西線の下をくぐったところ。これが東海道とは、ちょっと考えにくいような景色です。この先では、国道1号線をくぐり椎山川の橋を渡る等して、再び国道1号線に出ます。この日の東海道ウォーキングは、三重交通の国道加佐登のバス停の先にある加佐登町交差点まで。このバス停は、ちょっと懐かしい。というのも、国立療養所S病院に奉職した頃、まだ車の免許はなく、実家との往復は、名古屋から四日市まで近鉄、四日市からここまで三重交通バスを利用していたのです(当時は、近鉄四日市駅から国鉄亀山駅までの三重交通のバス路線がありました)。
ゴールのJR関西線加佐登駅に向かいます。24歳から37歳まで国立療養所S病院に勤務していましたが、加佐登駅が最寄り駅でしたので、このあたりは、懐かしいところ。今を去ること43年ほど前、御師T先生とともにこの駅に降りて、初めてS病院に向かったのです。あの頃は、「とんでもない田舎に来てしまった」と思った記憶があります。右の写真は、加佐登駅近くの交差点でここもよく通りました。向かって左手にある建物は、その頃お世話になったS理容院さん(桑名で通っているS理容院さんとはまったく別です)。更地が増えたり、閉店してしまった店も多かったりして、ちょっと寂しい気もします。
ゴールのJR関西線加佐登駅には、14時頃到着。昔は駅員さんも複数常駐していたのですが、今は、無人駅。券売機もなく、トイカの入退場機が置かれているだけです。駅前には、昔からある焼き肉レストランがありますが、夜のみの営業のようです。
加佐登駅を14時34分に出る快速名古屋行きに乗車。桑名には、15時6分着。¥510。快速列車ですが、四日市までは各駅停車。四日市を出ると快速で、桑名に止まると次が名古屋。
この日は、現地で10.4㎞、拙宅から桑名駅往復が2.2㎞を歩き、合計12.6㎞とかなり歩いてきました。歩数は、ご覧のように、23,218歩。久しぶりに2万歩を超えました。「東海道ウォーキング(日永の追分~加佐登)」はこれにて「完」。次は、3月になったらここ加佐登駅から亀山駅まで歩くことを計画していますが、10㎞以上になりそうですし、立ち寄り先も多いので、コースを検討中。
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